7月5日(金)より大阪・新歌舞伎座で始まる『新歌舞伎座開場60周年記念 市川由紀乃特別公演』。デビューから26年、初の座長公演だ。第一部は「島倉千代子七回忌 追善 人生いろいろ ~島倉千代子物語~」を、第二部は「市川由紀乃オン・ステージ ~令和の夢~」を上演する。「市川由紀乃 特別公演」チケット情報新歌舞伎座で座長公演を行うと告げられた時は耳を疑った。「どなたが座長ですかともう一度聞き返しました。私がですか?と(笑)。お芝居と歌謡ショーの劇場公演は大きな夢でしたので、ここ2、3年は口に出していました。口に出していたら歌手人生の中で一度くらいは叶うのではないかと。ただ、もっと先の夢だったので、かなりのスピードで実現しました」と市川。思ったことはあまり言葉にしない性格。だが、周囲からどんどん言葉に出していかないと夢は叶わないよと押され、表現するようになった。2016年のNHK『紅白歌合戦』初出場も、胸の内に秘めていた思いを言葉にし始めた時だったという。「『紅白』に出場したいですと言った年に出させていただいて。思いを言葉にすると神様が力を貸してくださったり、皆さんが自分の夢に引き寄せてくださるのかなと思いました」。念願の初座長公演。演じるのは演歌界の大先輩、島倉千代子の生涯だ。市川も歌手を志した子どものころから憧れていた。「歌い手さんとしても憧れがありますが、いろんなご苦労がありながらも美しく、きれいに年を重ねていて、島倉さんには年代ごとの美しさがあります。また、歌声も仕草も、どこか少女のような初々しさも残っていて。そんな島倉さんを演じさせていただけるのはとても光栄なことです」と声を弾ませる。春には五木ひろし座長公演にも出演し、五木の指導の元で研鑽も重ねてきた。「3月に名古屋の御園座で五木ひろしさんの公演に出演させていただきました。その稽古の時に五木さんから“お芝居をすると歌が変わる”と教わりました。なので、この座長公演を経て、これからの自分の歌や、歌手人生がどう変わってくるか楽しみです」と笑顔を見せる。そして自身の半生も振り返り「43年間の人生で、いろんな経験をしてきました。毎日幸せに越したことはありませんが、つらいこと苦しいことを乗り越えると、些細な事もよりうれしく感じます。そういうことが演歌においてはより説得力があるのかなと思いますので、苦しいときも“よし!またいい歌が歌える”と思うんです」と前を向く。『新歌舞伎座開場60周年記念 市川由紀乃特別公演』は7月5日(金)から18日(木)まで新歌舞伎座で上演。チケット発売中。
2019年07月03日「タモリさんには、酔っぱらっておんぶしてもらったこともあるし、宇津井健さんに靴を買ってもらったり。たけしさんにもどれほどごちそうになったことか。そのときに自分も将来後輩にごちそうするようにしますって誓ったんです」今年で芸能生活40周年を迎えた山田邦子(58)。ゴールデンタイムで冠番組を持った唯一の女性ピン芸人であり、NHK「好きなタレント調査」では8年連続第1位。’80年代から’90年代にかけてレギュラー番組を数多く抱え、多忙を極めていた。『オレたちひょうきん族』では、薬師丸ひろ子、島倉千代子などのモノマネを披露、担当コーナー「ひょうきん絵かき歌」も大人気に。「台本を開くと“など”と書いてあるだけだったりするのはしょっちゅう。たけしさんが昨日はこんなことがあった、なんてしゃべると、それが面白いから、じゃあそれやろうって。するともう本場です。たけしさん、さんまさんらがいて、みんなで手さぐりだけど勢いがすごくありました」当時の芸人たちのパワーは半端なかった。触ると感電するようなすごい現場で、毎日激しく泣いたり笑ったりしていたが、楽しくて充実していたという。「バブル当時は本当に華やかで番組のセットもそれは素晴らしかったですよ。『ひょうきん族』はそれを毎回壊していましたよね。プールの中に鶴ちゃん(片岡鶴太郎・64)が重りを付けられて、助けて~って沈んでいく。この人、死ぬなって思ったこと何回もありますよ(笑)。今みたいにCGなんてないから、皆元気で丈夫でした。すべて肉体でやったんですから。『ただいま!』ってドアを開けると、家全体がトランポリン。そこで熱湯のお茶を注ぐなんてコントもありました。とにかく元気でした」売れる女性芸人の条件は?と聞くと、「図々しいこと」と答える山田だが、次のエピソードのように“真剣にふざけること”も当てはまるだろう。「私も何回か笑いながら、危険!死ぬかもって思ったことがあります。衣装さんも本気なので舞子さんのコントをやったときに、衣装の裾を膨らますために、本物のようにちゃんと綿が入っているんです。『月様、雨が!』と私が言うと、『ブスはいらない!』と川に落とされる。綿が水を吸って立ち上がれなくなって、ぽっくり下駄も脱げないし。あのときは本当に溺れるかと思いましたね。皆でアイデアを出し合って、真剣にふざけていました。アーチストもディレクターも照明さんもカメラさんも、支えるマネージャーもみんなでね」そうして『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』(フジテレビ系)、『山田邦子のしあわせにしてよ』(TBS系)、『邦子がタッチ』(テレビ朝日系)など、冠番組を数多く持ち、女性ピン芸人の先駆者としてトップを極める。「大橋巨泉さんのような冠番組を目標に頑張っていたんです。うれしかったですね。番組の企画を毎回考えるのも楽しかった」NHK「好きなタレント調査」で8年連続第1位になると周りの目も変わった。「上位に上がってくると皆の扱いがよくなってきました。ギャラが上がったり、銀行に行くとお菓子が出てきたり(笑)」デビューして40年、ドラマ、映画、ミュージカル、司会など、あらゆる仕事をこなしてきた。「私はピン芸が職業だから、最初はドラマや映画の仕事が嫌でした。今はそうした作品が残っていることを勲章のように思いますけどね。気づいたら何でもできるようになっていた。歌もまあだいたい平均点くらい歌えるようになって持ち歌もたくさんあるし、モノマネやイベントも。生放送の仕切りも何か突発的なことがあってもへこたれないですね」最近のお笑い界は昔とはだいぶ変わってきたという。「これは芸能界だけではないけど、教育でもなんでもシステム化しましたよね。昔は創意工夫というものがあって。りんごがひとつあったら、それだけでネタを作るという時代だったけど、今はググればりんごの情報はたくさん出てくる。便利だとは思うけど、考えなくなっちゃいましたよね。昔の子どもは石が1個あったら、どうやって遊ぼうかって。『ひょうきん族』ってそういうところがあったんです。今は、“こういうのが面白いからやってください”と言われるのよね。すべて台本どおりで面白いのかなあって。“(爆笑)”って台本に書いてあるんだもん。本当にこれ面白い?って何回も聞いちゃう」
2019年04月01日’58年12月の創刊以来、『女性自身』は皇室ご一家の“愛”にまつわるエピソードを読者に紹介してきた。美智子さまや雅子さまが皇室へ嫁がれる不安を抱えられていた一方で、皇室から民間に嫁いだ方々にもドラマがあった。 昭和天皇の第四皇女・池田厚子さんは『回想の中の両陛下』(228号・’63年5月13日号)と題された手記で、民間の生活の楽しさを語られた。 《テレビなどで、大ファンの島倉千代子さんが歌う番組でもありますと、私はステレオのスイッチを切り、テレビの前にわくわくしながら、すわってしまいます》 来年には皇室を離れることになる眞子さまの“先輩”といえば、’05年に都庁職員の黒田慶樹さんと結婚した黒田清子さん。清子さんも“普通の幸せ”を大切にしていた。 『清子さん、今日の献立は?』(2241号・’06年1月3日号)では、結婚1カ月後の初々しい“新米主婦”ぶりを掲載している。本誌が清子さんを目撃したのは都内のスーパーだった。 当時は結婚直後でもあり、まだ大勢の警察官が護衛についていたが、30分ほどかけて特売品を吟味し、3本で98円のネギなどを購入する姿からは、新婚生活への喜びが伝わってきた。 来年11月4日に結婚式を挙げられる眞子さまと小室圭さん。おふたりのご婚約が報道された直後、本誌は『眞子さま美智子さまへ「結婚」の直談判』(2775号・’17年6月6日号)と題し、“庶民派デート”のもようを掲載している。 横浜市の回転ずし店で目撃した主婦は「小室さんがお皿を取ってあげたり、眞子さまの代わりにおすしを注文してあげたり、仲むつまじいご様子でしたよ」と語っていた。 小室さんは、婚約会見直前には地元の書店で、節約レシピ本を手に取る堅実な一面も。博物館で研究員を務められている眞子さまと、法律事務所で働く小室さん。共働きとなるおふたりの場合は、家事も分担ということになるのだろうか。 時代が変われば、家族の形も変わっていくが、それでも皇室の“愛”は 変わらない――。
2017年12月05日