《2年の月日が経ちました。貴方の歌声は、この世で感動を与え続けています》《沙也加さんが亡くなられて、2年目のクリスマスがやってきます。いまだにクリスマスの日が近くなると、沙也加さんを思い出し、冬の夜空で涙をひたすら流し続けています…》Instagramのコメント欄に綴られた、切実な思いの丈を綴った言葉たち。これは神田沙也加さんのInstagramの最新投稿に寄せられたものの一部で、連日このように言葉を贈るファンが後を絶たない。12月18日、神田沙也加さんがこの世を去ってから2年が経った。あまりにも突然の訃報には日本中が言葉を失い、悲しみに包まれたが、誰よりも悲痛な思いを抱えたのは、両親である松田聖子(61)と神田正輝(72)だろう。2人はアイドルと俳優としてトップの人気を誇っていた1985年に電撃結婚し、翌年には沙也加さんが誕生。’97年に離婚するも、聖子は“芸能界の先輩歌手”として、神田は“良き相談相手”として、それぞれ別の場所からその活躍を見守り、支え続けてきた。そうした甲斐もあって、18年に演劇界の栄誉である菊田一夫演劇賞を受賞するなど、着実にキャリアを重ねてきた沙也加さんだったが、わずか35歳で人生の幕を閉じることとなった。沙也加さんが亡くなった3日後の’21年12月21日に、北海道で葬儀が行われた後、斎場で囲み取材に応じた聖子と神田。神田は別れを報告した上で、「2人ともあまり話せる状態ではないので、そっとしておいていただければと思います」と涙ながらに語り、聖子は位牌を抱えながら、「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」と語るに留めていた。それから2年、聖子と神田はそれぞれの場所で、愛しの娘を失った悲しみとの苦闘を続けてきた――。沙也加さんの訃報後、聖子は当時予定していたディナーショーや『第72回NHK紅白歌合戦』への出場など、一切の芸能活動を休止。自宅から外出できない日々が続いたが、’22年1月末に神田とともに夫の菩提寺で四十九日法要を営むと、3月には中止したディナーショーの振替公演と6月からの全国ツアー開催を発表した。徐々に活動を再開させていく聖子だったが、その裏では引き裂かれる思いを抱えていたようだ。「活動再開に際して配布されたファンクラブの会報誌のなかで、聖子さんは“今でも信じられない思いが”“もう前に進めないと思った”と告白。また、時間がある時には沙也加さんとの思い出が詰まった場所を訪れたり、生前愛用していたハンドミラーを受け継いで使うなど、深い悲しみの中でもがきながら再び表舞台に戻っていったのです(音楽関係者)そんな思いがこぼれ出てしまうことも。昨年11月に都内で開催された自身が初監督を務めた映画の特別上映回に登壇した聖子。上映終了後にはトークショーも行われたのだが、その中で、『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙をつまらせ、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったことを本誌は報じている。その後も、ディナーショーやツアーは毎年開催し、ファンのためにステージにあがり続ける聖子。今年9月上旬、本誌は都内のコーヒーショップで仕事の打ち合わせを終えた聖子の姿を目撃したが、これまでより少し痩せた印象だった。いっぽうの神田も聖子と同じく気丈に活動を続けてきた。長年『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)のMCを務めているが、沙也加さんが亡くなった翌週の’21年12月25日放送回にいつも通り出演。悲しむ素振りをおくびにも出さず、MCとしての務めを完璧に果たしたのだ。その後も、『旅サラダ』を休むことはなく、昨年3月に開催された番組イベントにも出席した。しかし、そんな神田も寄る年波には勝てないようで……。「『下町ロケット』(18年・TBS系)への出演以来、神田さんは俳優活動をしていませんが、周囲には“セリフが覚えられない”と吐露。オファーも断っていたといいます」(テレビ局関係者)“異変”も囁かれはじめる。『旅サラダ』には休むことなく出演していた神田だが、今年4月ごろから、頬がこけ、白髪が急激に増えた姿で出演しはじめ、SNS上では“大丈夫?”“病気なのでは”と心配する声が相次ぐことに。そして、11月18日放送回では「体のメンテナンス」を理由に欠席し、12月2日放送回ではしばらく休むことがアナウンスされた。長期の休業が予想され、一部では、深刻な体調不安も報じられている。憔悴しながらも、自身の務めを全うしてきた聖子と神田。2人の歩みを沙也加さんも見守っていることだろう。
2023年12月18日グラビアアイドルの似鳥沙也加が6日、ニコニコチャンネルプラス『似鳥沙也加ファンクラブ』を開設した。『似鳥沙也加ファンクラブ』は、会員限定の超プレミアムな画像・映像・生配信・グッズなどが詰まったコミュニケーションファンクラブチャンネル。これまであまり出してこなかったグラビア撮影現場のメイキングムービーや撮りおろし・未公開カット満載のフォトギャラリーなどが楽しめる。そして今回、ファンクラブチャンネルの開設を記念して、5刷りの大快挙を達成した1st写真集『Ribbon』のグラビア撮影メイキングムービーも会員限定で公開(※視聴には 1,100円以上のプランへの加入が必要)。また、5月31日までに入会するとオリジナルブロマイド(3枚)が全員にプレゼントされるほか、ファンクラブでしか購入できない「似鳥沙也加カレンダー2023.4-2024.3 会員限定特典付き」と「似鳥沙也加デジタル写真集 Luna 会員限定書籍版」の発売も決定した。さらに、4月1日(19:00〜)には、初回生配信が実施される。
2023年03月07日「聖子さんは、沙也加さんの一周忌をお母さんの一子さんと過ごしたそうです。発売されたばかりの追悼アルバムを2人で聴きながら、沙也加さんが好きだった食事を作って食べたとか」(聖子の知人)’21年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。1年たった現在も心の傷は癒えていない。本誌はこれまでに、聖子が沙也加さんのハンドミラーなど、愛用品を使用し続けていることを報じてきた。実は、聖子の自宅の近くには沙也加さんの“生家”もある。デビュー当時から聖子を知るカメラマンのYAHIMONときはるさんは語る。「聖子さんが神田正輝さんとの新婚生活を始めた家で、’86年に新築されました。同じ年に沙也加さんが生まれ、親子3人の幸せが詰まった場所なんです」聖子の両親もともに暮らしたこの一戸建てが、今の聖子の心のよりどころとなっている。“サヤはここで生きている……”そんな思いも去来するのか、近くを通った際には立ち止まって眺めることもあるという。地下室付きの邸宅では、現在は「成城松村クリニック」が開業している。聖子たちが転居した後も25年にわたって建物は保存されているのだ。今回本誌は、クリニックの院長である松村圭子さんに話を聞くことができた。メディアに室内が公開されるのは初めてのことだ。「ここには沙也加さんゆかりの品々もありますし、クリニックを続ける覚悟が改めてできました」(松村さん・以下同)熱烈な聖子ファンでもある松村さん。一時は聖子の事務所として使用されていたこの建物が取り壊されることになったと聞くと、聖子の母・一子さんに直談判。ここでクリニックを開くことを認めてもらったという。「一子さんは’10年の開院の内覧会の際に来てくださいました。いただいたお花のお札は、今でも大切に取ってあります」内装にはほとんど手を加えず、家具なども一部は使い続けている。「今の診察室はもともと応接室だったそうです。当時の椅子や戸棚もそのままです」クリニック以外では、生活感が色濃く残されたスペースもある。「和室では、沙也加ちゃんが一子さんとテレビで『水戸黄門』をよく見ていたそうですよ」キッチンには、沙也加さんのために聖子が貼ったというかわいい犬のキャラクターがあった。「小さいころの沙也加ちゃんは、このキャラクターのように、おもちゃのマイクを持ちながら(聖子のヒット曲の)『ロックン・ルージュ』なんかを歌っていたとか」小学生のころにはすでに芸能界を目指していたという沙也加さん。家族の思いがキャラクターにも託されていたのかもしれない。沙也加さんがクリニックを訪れたこともあったという。「’11年かな。治療でいらっしゃいました。お若いのにすごく気を使われていた印象があります」聖子の一家と交流を持ち続ける松村さんだが、最近も近所のスーパーで聖子と顔を合わせたという。「’22年11月上旬のことでした。聖子さんはマスクと眼鏡に帽子姿で、ご主人といらっしゃいました。周囲は誰も気がつかなかったのですが、お声をかけたら『ああ、先生!』なんて気さくにしていただいて。そんな自然体なところが、ものすごく魅力的なんです」沙也加さんの思い出が詰まった“幸せの家”はファンの熱意で守られ、聖子に前へと進む力を与え続けている。
2023年01月11日12月18日、神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってから1年を迎えた。あまりにも突然の別れに日本中が言葉を失い、悲しみに暮れた。松田聖子(60)と神田正輝(71)を両親に持ち、2001年に「SAYAKA」として鮮烈なデビューを飾った沙也加さん。06年からは「神田沙也加」として再始動し、近年は声優やミュージカル女優として数々の話題作に出演。18年には舞台『キューティ・ブロンド』の演技で念願だった菊田一夫演劇賞を受賞し、評価を確固たるものにした。一周忌を迎えたが、沙也加さんには今も多くの人々からの愛が届けられている。12月14日に追悼ベストアルバム「MUSICALOID #38 Curtain Call!」がリリース。その4日前に同作に収録されている未発表曲「アスノヨゾラ哨戒班」のミュージックビデオが沙也加さんの公式Twitterアカウントで公開されたが、すでに130万回以上再生されている。また、沙也加さんの公式Instagramアカウントには、生前最後となった昨年11月18日の投稿に今もファンからのコメントが寄せられ続けている。そんな沙也加さんに今も愛を捧げているのは元夫の村田充(45)も同じだった。16年夏の舞台での共演をきっかけに交際をスタートさせ、17年4月26日に結婚を発表した沙也加さんと村田。同年5月に行われた結婚披露パーティーには父の神田正輝や親交のある芸能人が出席し、2人の門出を祝いだ。本誌も18年2月に、共演者とのお茶を楽しんだ沙也加さんを村田が車で迎えにくる姿を目撃。買い物を楽しんだあと、手をつなぎながら歩いていた2人だったが、19年12月に子供を持つことについて価値観の相違があったことを理由に夫婦生活にピリオドを打つことに。しかし、繋がりが消えたわけでは決してなかった。訃報翌日の昨年12月19日、村田はTwitterで《ご逝去の報に接し、共に過ごした時間に感謝し、心から哀悼の意を捧げます。 彼女の歌声は、まるで天使のようでした》と沙也加さんを追悼。その後も8月17日にInstagramで、月命日を前に《もうすぐ45歳というよりはもうすぐ8ヶ月という気持ち》と思いを馳せていた。さらに、村田は沙也加さんの“大切な相棒”も受け継いでいた。生前、ロングコートチワワの愛犬ブルーザーくんと生活していた沙也加さん。村田は昨年12月23日にTwitterで《安心してください。大切に育てます》と引き取ることを表明し、その後はSNSでたびたびブルーザーくんとの日常を定期的に発信し続けている。11月29日にTwitterで公開したブルーザーくんともともと飼っていた愛犬との写真には、《素敵な写真ありがとうございます》《大切に育ててくださって嬉しいです》とファンからのコメントが寄せられていた。沙也加さんが愛した“家族”を引き取り、今も献身を続ける村田。沙也加さんもきっと喜んでいることだろう。
2022年12月18日35歳という若さで亡くなってから1年。偉大なる両親を持ちながらも自らの力で女優の道を切り開いた神田沙也加さん。ゆかりのあった芸能人たちが彼女へ寄せた追悼メッセージとともに、その輝かしい功績を振り返りますーー。■宮本亞門(64)〈まだ無名な彼女は「私は有名人の娘だから受かったのですか?」と大きな目で食いつくように聞いてきた。「嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!」。すると少し安心した顔をして「私、本物になりたいんです」。そして彼女は異様な努力を重ね素晴らしい演技を次々と見せてくれた。〉’04年、17歳で宮本亞門演出のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』の主演に抜擢された。当時の芸名は「SAYAKA」だった。■堂本光一(43)〈自分がもう一度出たいと思う作品は観に行くと実現しない気がするとそれを叶える為に観に来ないけどいつも「頑張って」と声をかけてくれておりました〉’12年、堂本光一主演のロングランミュージカル『Endless SHOCK』でヒロインを演じた。制作発表での満面の笑みが印象的だった。■村田充(45)〈彼女の歌声は、まるで天使のようでした〉’18年、当時の夫で舞台俳優の村田充と仲よく手をつないでデートする姿を本誌が目撃。結婚から約1年たってもラブラブな様子だったが、翌年、出産計画の相違を理由に離婚した。■松たか子(45)〈ものがたりにふれれば、アナはいつでもわたしたちにはなしかけてくれ、ほほえみかけてくれます。ありがとう、アナ〉松たか子と日本版吹き替えで姉妹役を演じたディズニー映画『アナと雪の女王』が記録的大ヒット。’19年には続編も公開された。■朝夏まなと(38)〈笑顔で走ってくる姿が目に焼き付いて離れない愛しくて力いっぱいハグしたよ私にとって妹みたいだけどお姉ちゃんのような存在いっぱい助けてもらったり教えてもらったり…尊敬と愛を込めて〉’18年、名作『マイ・フェア・レディ』の主役を射止めた。元宝塚トップスター・朝夏まなととのWキャストだった。■別所哲也(57)〈同じ時代に同じ作品で自らの力で輝いてた。コロナがなければもっと語り合い支え合えたはず。神田沙也加は、素晴らしい舞台役者です!〉『マイ・フェア・レディ』では憧れだった花売り娘・イライザ役を熱演。神田さんが亡くなったのは’21 年の札幌公演中のことだった。■松田聖子(60)〈沙也加は小さいころから歌うのが大好きでした。おもちゃのマイクを持って、私の「ロックンルージュ」をよく歌っていました。それが昨日のことのように思われます。今も彼女の歌声は私の心中に響いています。〉’11年、『NHK紅白歌合戦』で母・松田聖子とデュエットで坂本九の『上を向いて歩こう』を披露し、話題に。「母との初デュエットが紅白なんてぜいたくで光栄」と喜んでいた。
2022年12月17日昨年12月に逝去した愛娘、神田沙也加さん(享年35)の一周忌をまもなく迎えようとしている松田聖子(60)。昨年は道半ばで中止となった恒例のディナーショーを12月に控え、辞退した『NHK紅白歌合戦』への出場も有力視されるなど、動きを活発化させている。そんな多忙な聖子だが、11月12日に“シークレットイベント”を都内で開催していた。「聖子さんが昨年に初めて監督を務めた映画『あの風が吹いた日』の特別上映会とトークショーが行われました。直前まで場所も告知されず、参加できたのは抽選に当選して購入したファンクラブ会員のみ。イベントは2部に渡って行われ、貴重な生声を聞くことができました」(参加したファン)『あの風が吹いた日』は、聖子が“ずっと頭の中にあったアイデア”をもとに、1年以上かけて脚本を書き上げた作品。女子高校生が憧れの歌手に偶然出会ったことから始まる、一見ラブストーリーながらホラー仕立て、という異色の作品だ。聖子にとって思い入れの強い初監督作を、本人のトークつきで鑑賞するというファン冥利につきる今回のイベント。しかし、戸惑いもあったと前出のファンは言う。「この主人公のヒロインも“死”というものに遭遇するというもので、どこか沙也加ちゃんとリンクして観てしまうこともあり、私たちも複雑な気持ちでいました」そんななか上映が終了し、トークショーの時間になると、聖子から思わぬ発言があったという。「聖子さんが『天国はお花畑があって、とても良いところだと思うんです。だから、ヒロインも沙也加も幸せにしているんだ』と涙声になり、最後には『沙也加に会いたい!』と泣き崩れてしまったのです。会場にいたファンも思わずその姿にもらい泣きをしながら、拍手を送りました。そんな姿を見た聖子さんは平静を取り戻し、『ファンがいるから前を向いて頑張れます。また会おうね!』と笑顔で手を振りながら退場していきました。ファンとしては、聖子さんがつらい気持ちを我々に吐き出してくれ、またこちらとしてもずっと応援しているよ、という思いを伝えられた空間になって、とても良かったです」(前出・ファン)ファン、そして沙也加さんとともに聖子は師走を駆け抜ける――。
2022年11月16日グリーンのロゴが印刷された、かわいらしいレターペーパー。昨年12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)も気に入っていたものだという。沙也加さんの母・松田聖子(60)が、かつての“同期”にあててレターペーパーに感謝の思いをしたためたのはこの秋のことだった。《沙也加が人のためになにか言えるようになったことに驚いています。私のことを思ってくれていたことに涙が出ました》少しクセのある文字で丁寧に書かれた20行ほどの文章の最後には《松田聖子》の署名があった。共通の知人を通じて、感謝の手紙を受け取ったのはカメラマンのYAHIMONときはるさん。聖子は’79年にサンミュージックに所属したが、同時期にカメラマンとして同事務所に入社したのがYAHIMONさんだった。デビューから数年間、聖子の撮影を幾度も担当した人物だ。YAHIMONさんが語る。「聖子さんから直筆の手紙をいただいて驚くとともに、彼女の沙也加さんへの思いの深さをあらためて知り、胸を打たれました。手紙にある“沙也加さんの言葉”とは、私が『女性自身』さんの取材で明かしたものです。聖子さんは知人から、記事のことを聞いて読んでくださったのです」本誌1月18・25日合併号でYAHIMONさんは沙也加さんとの思い出について語っている。’17年12月、沙也加さんも出演していた舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』の楽屋を訪れたYAHIMONさんは、知り合いの女優に自らの母親とは何年も絶縁状態にあること、会いに行くのをためらっていることについて相談していたという。その相談をたまたま耳にした沙也加さんはYAHIMONさんにキッパリこう言ったのだ。「子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!」■本誌の記事で亡き娘の真情にふれたという聖子さらに翌年、同舞台の愛知公演の楽屋で再会した際には沙也加さんはこんな言葉を……。「私、(先日は)生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んだりしていたんですけれど、やっぱり母親がいちばんつらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私をいちばん愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」他人だからこそ素直に話せることもあるのだろう。“母親が私をいちばん愛してくれている”……、長年の不仲報道にも傷ついていた聖子は本誌の記事で、生前の沙也加さんの真情にふれ、思わず涙を流したというのだ。1年前の悲劇の後、聖子は自宅で愛娘の歌声を繰り返し聴いているという。ミュージカル『レ・ミゼラブル』の曲の1つ『プリュメ街』の生音源だ。YAHIMONさんが続ける。「聖子さんは天才肌、沙也加さんは類いまれな努力家と、タイプは異なる2人でしたが、お互いに認めていたのは間違いありません。特に聖子さんはお嬢さんのミュージカル女優としての姿勢を高く評価していたのです。知り合いには、こんなふうに語っていたと聞いています。『サヤはね、自分の娘でなくても、すごいと思っているの。あの子はずっと勉強を続けているから。「レ・ミゼラブル」の原作さえ、きちんと読み込んでいるのよ』と」YAHIMONさん宛ての手紙には、次のような一節もあった。《もう少しで完成する新しい部屋は、沙也加が切り開いたミュージカルのお衣装や楽譜でいっぱいにしようと思います》昨年6月から、聖子は自宅の隣地に新しい家を建築していた。事務所として使われていた建物を取り壊し、母・蒲池一子さん(90)のためにバリアフリーの家を建てたのだ。沙也加さんの急逝もあり、完成は数カ月遅れたが、実は聖子はこの建物に沙也加さんの部屋も用意していたという。「聖子さんは、そのことを沙也加さんに伝えていたそうです。『サヤのお部屋もあるし、お祖母ちゃんも喜ぶから、好きなときにいつでも顔を見せてね』と。昨年10月ごろのことだと聞いています」(YAHIMONさん)親子関係についてはさまざまな報道があるが、一部週刊誌によれば、年上のミュージシャンとの恋愛を反対された沙也加さんが実家を出て、一人暮らしを始めたのは’05年のことだという。聖子は“17年ぶりの同居”を提案していたようだが、昨年10月といえば沙也加さんはミュージカル『マイ・フェア・レディ』の準備に励んでいたころ。また同舞台でも共演した元俳優・前山剛久氏(31)との交際が始まっていたころでもある。公私ともに充実していたように見える沙也加さんに対し、なぜ聖子は実家に戻ってくるように勧めたのか?「聖子さんはかなり早い段階から、沙也加さんと前山さんの交際を知っていたそうで、彼がどういう人物なのか、人脈を頼って聞いていたようです。聖子さんのカンの鋭さについては昔、私も何度も目撃しているのですが、“この恋でサヤは幸せになることはできない”と感じたのでしょう。“傷つくかもしれないサヤの居場所を作らねば”と決断し、あえて沙也加さんに帰ってくる家があることを伝えたのだと思います」(YAHIMONさん)この10月に完成した“サヤの部屋”には、沙也加さんの笑顔の遺影が飾られ、衣装や愛用していたピアノも置かれているという。
2022年11月15日グラビアアイドルの似鳥沙也加さん(29)は、「インスタグラビア」というハッシュタグを作った第一人者でインスタグラビアの女王という肩書きまでついているようです。インスタグラムにどのような写真を公開しているのかチェックしてみましょう!ソファにもたれかかるバックショットが色気満載 この投稿をInstagramで見る 似鳥沙也加 Sayaka Nitori(@uw.sayaka)がシェアした投稿 「今日も1日お疲れ様でした」と、ソファにもたれかかる沙也加さん。シースルーのトップス1枚にランジェリー姿というセクシーなスタイルで登場。Tバックでのバックショットということもあり、フォロワーはくぎ付けに。コメント欄には「尻フェチにはたまらない」「なんて素敵なお尻」「沙也加さんの綺麗なお尻に魅入ってしまいました♡」とセクシーなお尻に視線集中していて、桃の絵文字も多く飛び交っておりました。他にもセクシーな水着ショットなど投稿していて、沙也加さんから飛び出す新たなセクシーすぎる姿にフォロワーは悶絶しているようです。次はどんなセクシーショットが飛び出すかドキドキしますね!あわせて読みたい🌈倉科カナさんが大胆な肩出しドレスを披露「とてもセクシー」「神々しい」と大反響
2022年10月24日「全国ツアーを終えた後の聖子さんは“サヤ(沙也加)の曲を歌ったことで、(娘との)伝説を作れたと思うの”と語っていました」(聖子の知人)松田聖子(60)が愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失ってから初めて行った全国ツアー。そのファイナル公演は、日本武道館で9月3日に行われた。「沙也加さんと幾多の共演をした日本武道館は、聖子さんにとって娘との大切な思い出の場所。そのため追加公演という形にしてまで、武道館を千秋楽の場として選んだと聞いています」(デビュー当時から聖子を知るカメラマン・YAHIMONときはる氏)聖子は沙也加さんのデビュー曲『ever since』を熱唱。大観衆の涙を誘い、ツアーは無事に終演したが、実はその直後に聖子は冒頭の知人にこう漏らしたという。「サヤの曲は正直、歌える自信がなかったの。サヤの曲は彼女のものだから、私が歌って壊してしまったらどうしようという葛藤があったから……。それでも“伝説”を作りたかった。そして、実際にファンの方たちと私で、伝説を作ることができた。そう思っているの。ただし、伝説はここで終止符じゃなくて進行形。ひとつの伝説が、次の伝説を生むのよ」その言葉どおり、聖子は12月に行われる恒例のディナーショーに向けて準備に入っているという。「打ち合わせの際、聖子さんは“ディナーショーのころにはサヤはもう家にいないけど、頑張るから”と笑顔で話しました。11月上旬に沙也加さんの納骨を行うようです」(前出・知人)愛娘の遺骨は、福岡県にある蒲池家(聖子の生家)の菩提寺・良清寺に納骨される予定だという。沙也加さんは、9月22日に死後初めて更新されたSNSが話題となった。「神田さんが手がけていたアパレルブランドが今秋で終了するため、デザイン画などを展示するアーカイブ展を銀座で開催するという告知でした。神田さんの元夫の村田充さん(45)が神田さんから引き取った愛犬の画像をアップしたため、さらに反響を呼んでいました」(スポーツ紙記者)また30日には追悼アルバムの発売も発表された沙也加さん。聖子はこうしたタイミングで、“愛娘逝去後の傷心生活からの卒業”を知人に宣言していたのだ。ディナーショーの後に控えるのは『NHK紅白歌合戦』。昨年は急な辞退となった聖子への期待は大きい。「聖子さんは、今年は出たいと思っているはず」と芸能レポーターの城下尊之さんが語る。「昨年の紅白は世帯視聴率が34.3%と歴代最低だっただけに、NHKも話題性抜群の聖子さんには出てもらいたいでしょう。聖子さんには、ファンに向けた何かしらのメッセージを出してほしい。“これが聖子だ!”という姿を、紅白で見たいですね」母娘にとって区切りとなる年の瀬。完全復活を目指す聖子の新たな伝説は見られるだろうか。
2022年10月05日神田沙也加のボカロカバーシリーズ最終作『MUSICALOID #38 Curtain Call!』と、オリジナル楽曲やミュージカルのカバー曲で構成されたベスト盤『LIBERTY ~memorial~』が、12月14日(水) にリリースされることが決定した。『MUSICALOID #38 Curtain Call!』は、“神田沙也加がボカロキャラになったら”をテーマにセルフプロデュースしたシリーズ企画。今作は「最後のタイトルにはカーテンコールという言葉を入れたい」という生前の意向をもとに、最終作に対する彼女の生前の思いを受け止めた追悼盤となっている。未発表曲の「アスノヨゾラ哨戒班」に、ファンリクエスト投票により決定する13曲を加えた全14曲を収録予定。特典として付属するDVDには、新規に制作されるイラストによるミュージックビデオのほか、未公開のメイキング含め2021年6月に行われた配信ライブ『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』のメイキング映像が収められる。併せて、公式サイトとタイトル発売決定をアナウンスする速報動画が公開。ファンによるリクエスト投票は神田沙也加の誕生日である10月1日(土) より開始することも発表された。『LIBERTY ~memorial~』は、2011年にリリースされたデビュー10周年記念アルバム『LIBERTY』の収録楽曲の中から、本人作詞による書き下ろしのJ-POP楽曲、英語詞にも挑戦したミュージカルのカバー楽曲などのソロ歌唱楽曲7曲に加え、2002年のデビュー曲「ever since」を含むSAYAKA名義のシングル4曲の全11曲で構成。さらに、DVDにはリード曲「流星」のMVが収録され、ミュージカルを中心に歌手や声優などあらゆるジャンルで活躍した神田沙也加のすべての魅力をコンパイルした、彼女のキャリアを振り返る思い出の作品となる。『MUSICALOID#38 Curtain Call!』速報動画■アンケートページリンク:※10月1日(土) より開始■『MUSICALOID #38 Curtain Call!』公式サイト:<リリース情報>『MUSICALOID #38 Curtain Call!』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,838円(税込)『MUSICALOID #38 Curtain Call!』ジャケット【DVD収録】「地球最後の告白を(Cover)」ミュージックビデオ『MUSICALOID #38』シリーズ 未公開映像含むメイキング『MUSICALOID #38 Act.3 発売記念オンラインライブ〜彼方と此方と其方〜』2021.6.12 メイキング※順不同、収録内容は変更になる場合がございます。【店舗別オリジナル特典】■amazon.co.jpオリジナル衣装キーチャーム 3種類ランダム■楽天ブックスジャケットミニキャンバス■タワーレコードオリジナル缶バッジ■アニメイト・HMV・その他応援店オリジナルスマホサイズステッカー 3種類ランダム■PONYCANYON SHOPPING CLUB(国内)/ Pony Canyon Shop(海外)共通MUSICALOID #38 キーホルダー購入リンク:『LIBERTY ~memorial~』2022年12月14日(水) リリース【CD+DVD】3,300円(税込)『LIBERTY ~memorial~』ジャケット【CD収録】01. 流星02. 上弦の月03. PART OF YOUR WORLD ~from “THE LITTLE MERMAID”~04. LIBERTY05. Remember rain06. 水色07. 眠れる森08. Someday ~from “THE WEDDING SINGER”~09. Amazing Grace10. garden11. ever since【DVD収録】1. 流星Music Video関連リンク神田沙也加 配信サイト公式HP公式Twitter公式Instagram公式YouTube
2022年09月30日「聖子ちゃんの“変顔”が見られるなんてね。少しずつ沙也加さんの死を乗り越えられているのかなって感じました。還暦を過ぎてもまだまだ楽しませてくれて、感謝しかありません」(聖子のファン)愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失って半年。全国ツアーに邁進する松田聖子(60)は武道館公演を迎える。大阪公演では歌詞を間違えてしまったが、とっさにおどけた顔を見せて、観客を和ませるシーンも見られた。沙也加さんのデビュー曲『ever since』を歌い、「娘は天国に旅立ちましたが、私の心の中にずっと生き続けています」と語った聖子。自宅のリビングには、白いユリが大量に生けられているという。聖子の知人が語る。「こだわりがあるのかと聞いたところ『さやは《Lily(リリィ)》の名で活動していたこともあるでしょ。それに、あの子の結婚式のブーケも白いユリだった。だからさやのことを思い出すように飾っているの』と話していました」《リリィ》とはユリの意。やはり、沙也加への思いを込めていたのだ。また、聖子の長年の仕事関係者は、今回の公演で見せる彼女の“表情の変化”をこう語る。「これまでの聖子さんにはすごみと張り詰めた怖さがあったんですが、今回のツアーではいい意味でそれがなくなって、優しさを感じられることが多くなったんです。身近な人たちをいちばんに思う気持ちを再認識しているのでしょう」そんな思いを同じように抱いているであろう聖子の母、蒲池一子さん(89)の姿も、やはりツアー会場にあった。一子さんは’80年に聖子が芸能界にデビューすると、愛娘を支えるために福岡県から上京。2人で夢を追いかける姿は“一卵性母娘”とも呼ばれた。しかし、その関係も’12年に断絶してしまう。「聖子さんは一般男性と再婚する際に、“愛人”とも報じられた男性マネージャーとの関係を清算せず、そのまま雇用し続けました。そのことを一子さんに咎められてから、母娘の関係は冷えていったといわれています」(芸能関係者)また聖子は、沙也加さんとも交際相手を巡って仲違いするなど、たびたび確執が報じられた。加えて一子さんと沙也加さんもまた、’17年に関係が悪化してしまう。「沙也加さんと俳優の村田充さん(44)の結婚に、聖子さんだけでなく一子さんも反対していたんです。そのため祖母と孫の間にも亀裂が生じてしまいました……」(前出・芸能関係者)一時は3世代が完全に断絶したとも伝えられた家族。しかし、’18年8月に本誌が取材した際、一子さんは報道を一笑に付した。「娘は私のことをいつも心配して『そばにいないと何があるかわからないから、一人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、(母娘の仲は)大丈夫なんですよ」年月を経ることで聖子と一子さんの母娘関係は徐々に修復。4年前から同居も再開した。一方の沙也加さんは突然この世を去ってしまった。しかし、実は彼女が生前、祖母のことを思い、ある行動に出ていたとわかった。芸能プロダクション関係者が語る。■「もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい」「沙也加さんは亡くなる少し前に、大手事務所と業務提携していたんです。その理由は、『舞台だけでなく、もっとテレビでも活躍してCMを増やしたい』というものでした。一子さんが年齢的に体調不安を抱えていることもあり、自分が活動の場を広げて収入を増やすことで、“おばあちゃんに楽をさせたい”という強い気持ちがあったんだと思います」沙也加さんもまた、祖母との関係修復を望んでいたのだ。その伝えられなかった思いを受け止め、聖子と一子さんは前を向き、日々を過ごす。前出の聖子の知人が、ある日の秘話を明かしてくれた。「先日、聖子さんのスタッフのひとりが、ご自宅に化粧品などを届けに行ったときのことだそうです。アイスコーヒーを持った一子さんが対応してくださったのですが、『この間ね、私が『青い山脈』を歌っていたら、法子(聖子の本名)が来て“お母さんは奈良光枝さんのパートを担当して。私は藤山一郎さんのパート”って言って、一緒に歌ってくれたんですよ』と、うれしそうに話してくれたそうです。その後、聖子さんが『何の話?楽しそうね』と言って現れたとか」ファンにとっては何ともほほ笑ましい奇跡の合唱!デビュー当時の聖子をよく知るカメラマンのYAHIMONときはるさんに聞くと、’49年発表の『青い山脈』は一子さんの青春ソングだという。「聖子さんの幼少期に一子さんがよく歌っていて、聖子さんも記憶していたと聞いています。萩本欽一さん(81)司会の歌番組『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)に聖子さん一家は何度も出演しましたが、そのとき一子さんは、本当は『青い山脈』を歌いたかったそうです。しかし生前のお父さまがその曲をよく知らなかったため、『東京ナイトクラブ』にしたこともありました。聖子さんは当時のことを覚えていて一子さんを気遣って歌ったのでしょう」思い出の“蒲池家の歌”は、いまや沙也加さんへの鎮魂歌ともなったのだった。
2022年07月12日「全国ツアーが6月11日からスタートする聖子さんですが『これからは沙也加と一緒に歌っていきたい』とファンクラブの会報誌でも明かしています」(音楽関係者)昨年12月に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を失った松田聖子(60)。あれからまもなく半年となる今、本格的な歌手活動を再出発させる。ツアーに先がけて4月に行われたディナーショーでも、聖子は冒頭のMCで「私は沙也加の歌声が大好きでした」「今も沙也加の歌声は私の心の中に響いています」と声を震わせながら語っていた。2カ月半にわたって5都市8公演が催されるツアーだが、急逝した娘とともに歩んでいきたいという思いからか、自宅でも沙也加さんをしのぶ時間は大切にしている。「聖子さんの自宅の沙也加さんが使っていた部屋には、彼女の愛用品がたくさん残っているそうです。そこは現在、聖子さんがメークをするときなどのスペースとしても使っていると聞きます」と話すのは聖子の知人だ。本誌は、沙也加さんが生前に愛用していたシルバーのハンドミラーを“形見”として使っていると報じたが、それだけではないようだ。「沙也加さんといえばミュージカル女優としても活躍しましたが、駆け出しのころに出演した『レ・ミゼラブル』(’09年上演)の舞台は、聖子さんにとって特に娘を誇りに思える作品でした。その劇場の楽屋で沙也加さんが使っていた暖簾を、聖子さんは“沙也加ルーム”の扉にかけているそうです」(前出・知人)沙也加さんにとっても『レ・ミゼラブル』への出演は人生の転機と言えるほど大きな出来事だった。当時のブログには、物語の主人公ジャン・バルジャンの養女コゼット役を射止めた喜びが綴られている。《昔から、レ・ミゼラブルに出演するのは私の夢でした。今回、念願叶ってコゼット役、そしてまたジョン・ケアードさんの演出を受けられるかと思うと、胸がいっぱいになり、喜びで心臓が飛び出しそうです。(笑)》(’08年8月)そんな娘が初めて帝国劇場の舞台を踏んだ’09年10月6日、聖子は元夫の神田正輝(71)とともに来場。カーテンコールの際には聖子が涙を流して拍手を送る姿が報じられている。この“夢の舞台”『レ・ミゼラブル』の劇中で、沙也加さんが歌っていた曲の一つが『プリュメ街』。コゼット役のオーディションの課題曲として使われるほど難しいことで知られているが、この曲を沙也加さんは見事に歌い上げ、観客に感動を与えた。「聖子さんは、『レ・ミゼラブル』上演中に沙也加さんが録音していた『プリュメ街』の“生の音源”を、今も自宅で聴いているそうです」(前出・知人)別の音楽関係者が言う。「このころの2人は、沙也加さんの稽古の合間に一緒に買い物に行き、大好きな『ジルスチュアート』のトップスやコートなどをおそろいで選んだりしていました。聖子さんはそんな思い出が詰まった曲を聴きながら、ツアーへの士気を高めているのでしょう」『プリュメ街』には、“私の人生、もうこれから独りぼっちじゃないの”といった一節がある。その言葉のとおり、母の全国ツアーを天国の沙也加さんも見守っていることだろう。
2022年06月07日4月から5月にかけて、東京と大阪でディナーショーを開いた松田聖子(60)。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35)を亡くして以来、歌手活動をようやく再開した。年末には、毎年恒例のディナーショーを予定しており、また昨年は辞退することとなった『NHK紅白歌合戦』への出場も目指しているという聖子。本誌が入手した彼女の“涙の肉声”には、歌にとどまらない仕事への決意がにじんでいたーー。「周囲に、『休んでいるほうがつらい。もう立ち止まらないし、映画監督もまたやる』と話しています」(前出・芸能関係者)聖子は昨年10〜11月に開催された第34回東京国際映画祭にて、『フォークロア2:あの風が吹いた日』で映画監督デビューを果たした。作品のジャンルがホラーだったこともあり話題を呼んだ。「公開後の評価も良好で、製作サイドの意向と本人のやる気もあって、もともと“松田聖子監督”の2作目の作品は予定されていました。ただ、そんななかで沙也加さんが亡くなってしまいました。それまでは、前作と同じホラー作品を考えていたそうですが、いまでは家族愛をテーマにした構想もあると聞きました。早ければ全国ツアーが終わったあと、10月ごろから映画製作にも着手するのではないでしょうか」(映画関係者)聖子が再びメガホンを取る決意を固めたのは、やはり沙也加さんの存在が大きいようだ。「あまり知られてはいませんが、沙也加さんはSF映画が好きで、その影響で聖子さんも一時期、『スター・ウォーズ』シリーズのグッズを集めていたことがありました。映画は、母娘の絆のひとつでもあるとも言えます。だからこそ聖子さんは、再び監督として映画と向き合おうとしているのだと思います」(前出・知人)沙也加さんに見守られて、“永遠のアイドル”は一歩ずつ前へと進むーー。
2022年05月18日「チケットは発売と同時に即完売。落ち込んだ様子を見せることなく歌い上げた聖子さんに多くのファンが涙を流していました。聖子さんはMCで沙也加さんのことについて『今でも信じられない』と語りながらも『私は沙也加の歌声が大好きでした』と話す表情はとても穏やかでした」こう語るのは、4月9日に都内で行われたディナーショーの会場にいた長年の聖子ファン。松田聖子(60)が約4カ月ぶりにステージに戻ってきた。愛娘・神田沙也加さん(享年35)が昨年12月18日に急逝して以来、音楽活動から遠ざかっていた聖子だが、3月7日に歌手活動再開を発表。昨年末に中止したディナーショーの振替え公演を4月と5月に行い、6月からは5会場を回る全国ツアーも予定している。歌手復帰に際して、聖子は新たな決意を述べていた。「聖子さんは活動再開発表と同じタイミングに送付したファンクラブの会報誌で、沙也加さんへの思いを綴っています。そこでは、沙也加さんを失った行き場のない悲しみを吐露しつつも、“沙也加は心の中で永遠に生き続ける”と思い直し、再びステージに立つ覚悟を決めたことが書かれていました」(前出のファン)そうして迎えた復帰初舞台のディナーショー。聖子は入念な準備をして、臨んでいたという。「活動再開が決まってから聖子さんは気持ちを切り替え、ボイストレーニングなどを再開し、急ピッチで準備を進めていたといいます。ファンに少しでも楽しんでもらうため、ディナーショー直前には連日、ショーのスタッフを自宅に招き、綿密な打ち合わせを重ねていたそうです」(音楽関係者)本誌もディナーショーを成功させるべく奔走する聖子の姿を目撃している。本番数日前の4月上旬。聖子は自宅からほど近い都内の撮影スタジオAを訪れていた。「60年以上の歴史を持つ老舗スタジオです。スチールから動画まで幅広く対応しており、多くのアーティストから重宝されています。聖子さんもサンミュージックから独立した’89年ごろから現在まで愛用しており、神田正輝さん(71)との離婚発表会見もここで行っていました」(音楽関係者)このスタジオA、聖子にとってただの撮影場所ではない。沙也加さんとの“思い出”が詰まった大切な場所なのだ。長年、聖子を撮影してきたカメラマンのYAHIMONときはる氏は語る。「私がスタジオAで聖子さんと沙也加さんを見たのは、沙也加さんがSAYAKA名義で歌手デビューした’02年ごろでした。芸能界に入ったばかりの沙也加さんが、大先輩でもある聖子さんの仕事ぶりを見学しにきていたのだと思います。印象的だったのは、沙也加さんがスタジオで少しはしゃいだときに、聖子さんが“遊びじゃないんだから!”と注意したんです。その後、すぐ聖子さんは衣装を着て歌の撮影に入ったのですが、その様子を見た沙也加さんは小さな声で“カッコいい……”と漏らしていました。母として怒った後に“歌手”になった聖子さんを見て思わず口に出たのでしょう」その後もスタジオAでたびたび聖子と沙也加さんの姿を見たというYAHIMON氏。驚くことに、2人の間にですきま風が報じられていたときも、スタジオAで“秘密の交流”が続いていたという。「沙也加さんが結婚式を控えていた’17年5月初旬の話ですが、聖子さんがスタジオAでコンサートの準備をしていたところに、沙也加さんがフラッとやってきたのです。どうやら沙也加さんはお菓子の差し入れを持ってきていたようで、聖子さんは“うれしい!”と感激した様子でした。不仲がささやかれていた時期なので、2人の周囲から離れるスタッフもいましたが、聖子さんと沙也加さんは気にせず話していました」母娘の“思い出”がつまったスタジオをディナーショーの本番直前に訪れ、歌手として再始動した聖子。沙也加さんとの“約束”を果たすべく、前を向いているようだ。「6月からのツアーでは、沙也加さんとの思い出の楽曲を歌う予定でいるといいます。’11年末のカウントダウンライブで沙也加さんとデュエットした『瑠璃色の地球』や沙也加さんが13歳のときに作詞した『恋はいつでも95点』などが候補に入っているようです」(前出・音楽関係者)愛娘との思い出を胸に、聖子はふたたびステージに立つ――。
2022年04月12日松田聖子(60)が4月9日、ディナーショーで復活を果たした。昨年12月18日に愛娘の神田沙也加さん(享年35歳)を亡くした聖子。『日刊スポーツ』によると「これからも、歌うことが好きだった沙也加と一緒に歌って参ります」と涙ながらに宣言し、’11年の『NHK紅白歌合戦』で沙也加さんとデュエットした『上を向いて歩こう』を熱唱したという。本誌は“歌手・松田聖子”が復活するまでの姿を目撃してきた。今年1月下旬、沙也加さんの四十九日を目前に控えた聖子は完全予約制の美容院に訪れていた。「沙也加さんが亡くなってから、聖子さんはふさぎがちになっていました。自宅から出ることはほとんどなく、沙也加さんの遺骨を眺めてばかりいたそうです。しばらく自分の身なりを気にする余裕もなかった聖子さんにとって、一つの“節目”を前に髪を切ることは大事な意味があったでしょう」(知人)1月30日には、沙也加さんの四十九日法要が営まれた。実母である一子さんや夫のK氏とともにワゴンから姿を現した聖子。うつむきながらも、落ち着いた足取りで寺へと向かっていった。「実はこのお寺、Kさん一族の菩提寺なんです。聖子さん一族の眠る福岡のお墓で法要を行うこともできたはずですが、新型コロナの感染が拡大するなか、親族一同で遠出するのはリスクが高い。聖子さんは『1人でも多くの親族に来てほしい』と考えていたため、最善の選択肢としてこのお寺を選んだのでしょう」(前出・知人)そして3月上旬、聖子は“思い出の地”を訪れていた。それは、老舗のデパートだ。「このデパートは聖子さんの自宅から近いこともあり、数十年にわたって贔屓にしているところ。コンサートのMCで『買い物するなら絶対ここ!』と公言するほどです。 そして沙也加さんが幼いころから、このデパートに2人でたびたび足を運んでいたと聞いています」(音楽関係者)沙也加さんとの縁も深いデパートで、しっかりとした足取りを見せていた聖子。活動再開を発表したのはその直後、3月7日のことだった。「ファンクラブの会報で聖子さんは『“もう前に進めない”と思ったこともあった。でも、沙也加との思い出を振り返るうちに、“悲しんでいるだけではいけない”と思うようになった』と明かしていました。前向きな決意をしたことで、ようやく今回のディナーショーは開催されたのです」(前出・音楽関係者)再び歌い始めた聖子。その美声を、沙也加さんも喜んでいるはずだ。
2022年04月11日神田沙也加さん(享年35)がこの世を去ってからまもなく3カ月。四十九日にあたる2月4日の翌日には、沙也加さんへ追悼メッセージを寄せることのできる専用ページが開設され、絶え間なくメッセージが届いているという。そんななか、母の松田聖子も悲しみの淵からふたたび歩き始めていた。休止していた音楽活動を再開するのだ。「聖子さんは3月7日に、4月と5月に中止していたディナーショーの振替公演、6月から全国アリーナツアーを行うことを発表しました。先日ファンクラブ会員向けに配布した会報誌では、『悲しんでいるだけではいけない』という新たな決意が書かれていたそうです。還暦を祝う周年イベントについても計画していると聞いています」(音楽関係者)3月10日に還暦を迎えた聖子。80年に歌手デビューを果たしてから、42年にわたって“生ける伝説”として芸能界に数々の革命を起こしてきた。しかし、意外にも“満場一致”のデビューではなかったようだ。聖子がデビューから約10年間にわたって所属した事務所「サンミュージック」の名誉顧問である福田時雄(91)は、本誌3月22日号でこう述懐している。「相澤秀禎社長(当時)をはじめ5人で歌を聴きました。80年には中山圭子というアイドルをデビューさせる予定でしたから、大多数の社員が反対した。ところが、音楽ディレクター(月野清人氏)だけは『いい声だから呼ぶだけ呼んでみましょう』と賛成っした。あの一言がなかったらウチに入ってないでしょうね」そんな試練を乗り越え80年4月に「裸足の季節」でデビューすると、またたく間にスターの仲間入りを果たし、3枚目のシングル「風は秋色」(80年10月発売)から26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」(88年9月)まで24曲連続でオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得するという偉業も成し遂げた。デビュー同年に入れ替わるように引退した山口百恵が大人な路線を進んだのとは対象的に、「ぶりっ子」と言われることもあるほど可愛らしさを体現した聖子。“アイドルの原点に立ち返った”とも評されることのある聖子だが、同時にアイドル界に変革を起こしてきた。「聖子さんはデビュー前から憧れていた郷ひろみさん(66)と数年間交際しました、85年1月に突如会見で破局を発表。会見で『生まれ変わったら一緒になろうねと話し合った』と泣きながら語った聖子さんの姿は、当時、多くの人々に衝撃を与えました。そして、破局報道の熱も冷めやらぬ同年2月に神田正輝さん(71)との交際が発覚。そのまま4月に婚約を発表し、6月に結婚式を行いました。挙式には数え切れないほどのマスコミが殺到するなど、全国民がその一挙手一投足に注目していました」(ベテラン芸能記者)本誌も新婚旅行で訪れたハワイで、ボートの上で神田と抱擁を交わす聖子の姿を目撃している。そして、聖子にとって無上の喜びとなったのが沙也加さんの誕生だ。神田と結婚した翌年の86年10月に沙也加さんが誕生すると、あまりの注目ぶりから病院で出産会見を開くという異例の事態に。当時は異例であったが、聖子は出産後もトップアイドルとしてヒットを飛ばし続け、「ママドル」という言葉を生むなど、日本の女性の生き方にも影響を与えた。89年に契約満了に伴い事務所を退所すると、聖子は活動の場を海外へ移すように。同時にこの頃から楽曲のセルフ・プロデュースも手掛けはじめ、96年の作詞作曲も務めたシングル『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』では久しぶりのオリコン週間シングルチャートで第1位を獲得し、自身で新たな代表曲を作った。97年1月に神田と離婚し、6歳年下の歯科医師との再婚と離婚を経て、12年6月に医大の准教授と3度目の結婚をするなどプライベートでは数々の変化があった聖子。そんな聖子に大恩人との別れが。13年5月に“育ての親”であったサンミュージックの相澤秀禎さんが亡くなったのだ。89年の退所をめぐって絶縁が報じられるも、00年代にはふたたび親交を深めるなど固い絆で結ばれた2人。それ故、5月28日に行われた相澤さんの通夜に姿を見せた聖子はかつてないほど憔悴していた。そんな、聖子を支えていたのが、愛娘・沙也加さんだった。通夜に参列した沙也加さんは、聖子の手を繋いで隣に寄り添うなど、悲しみにくれる母を終始、気遣っている様子。相澤さんと対面し、涙を流す聖子の背中に沙也加さんがそっと手をそえる一幕もあった。恩人との別れを乗り越え、その後は新機軸となる全編ジャズで構成されたアルバムを発表するなど、精力的な活動を続け、20年にはついにデビュー40周年を迎えた。歩き始めた“最強アイドル”聖子の歌声は、待ち望んでいた人の心を明るく照らすことだろうーー。
2022年03月12日「コロナ禍もあって、松田聖子さん(59)は沙也加さんの所属事務所社長でもある実兄と相談し、お別れの会を行わないことを決めたといいます。その代わりにウェブ上で沙也加さんにメッセージを送ることができる専用ページを開設したのです。すでに相当数のメッセージが届いており、聖子さんも定期的に目を通しているといいます」(音楽関係者)神田沙也加さん(享年35)への思いを届ける専用ページが開設されてから1カ月。実はもう一つ沙也加さんへのメッセージが届いている場所がある。沙也加さんのインスタグラムだ。生前、最後の投稿となった昨年11月18日のものには、次のような言葉が並んでいる。《さやちゃん入試頑張ってくるね!!さやちゃんのお陰で辛いことも頑張れた》《忘れたことなんてないですこれからもずっと思い続けるね》《さやちゃんの笑顔で今を生かされてる気がしています。笑顔をありがとう》「沙也加さんの死後、インスタには思いをつづるファンのコメントが殺到。日に日に増え続け、3月4日時点でコメント数は3千件を超え、いいね!の数は5万2千件にのぼっています」(芸能関係者)訃報から数カ月たった今も途切れぬファンの沙也加さんへの愛。喪失と向き合う聖子のことも救っているようだ。「聖子さんはインスタのコメント欄もよく見ているそうで、5万人もの人がいいね!を押してくれたことに感謝しているそうです。また専用ページとともに、ファンがつづった娘へのコメントを見ることで、聖子さんも励まされているといいます」(聖子の知人)聖子を癒すインスタのコメント。日本グリーフ専門士協会代表理事で公認心理師の井手敏郎氏は、故人が遺したSNSについて「見るのが辛くて閉じてしまう人もいる」としながら、こう解説する。「亡くなった方のSNSを“閉じられない”という感覚の遺族の方がむしろ多くいます。デジタル遺品を扱う難しさもありますが、それ以上に肉体に加えて、子供が遺したSNSまでなくなったら、生きた証まで失われてしまうという気持ちがあるからでしょう。亡くなった方の生前の頑張りに触れられる場所は遺族の支えになると思います。聖子さんも沙也加さんへのメッセージを見て、“こんなに応援されていたんだ”と自分の知らなかったことに触れることで、癒されていくのではないでしょうか」前出の知人は言う。「聖子さんは今後も沙也加さんのインスタを閉鎖する考えはないそうです」5万人以上の沙也加さんへの愛を胸に、聖子はまた前を向く。
2022年03月04日女優の花總まりが、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』で故・神田沙也加さんに代わりメーテル役に決定したことが7日、明らかになった。同作は松本零士による同名漫画のミュージカル化作。少年・星野鉄郎が永遠の命を求めて銀河を旅する物語で、キャラクターの葛藤や成長を通して「限りある命だからこそ美しく尊い」というメッセージを伝える。ミュージカルオリジナルのエピソードも加えて、宇宙への旅立ちから別れまでを完全版として描く。主演に中川晃教、鉄郎とともに銀河を旅するヒロイン・メーテルを神田沙也加さんが演じる予定だったが、神田さんが昨年12月18日に急逝したことから、今回花總がメーテルに決定した。花總は宝塚歌劇団出身で、歴代最長記録となる通算12年3カ月間、雪組娘役トップスターとして活躍した。退団後も大作ミュージカルに主演し、2016年には菊田一夫演劇賞大賞を史上最年少で受賞した他、読売演劇大賞優秀女優賞、松尾芸能賞女優賞などを受賞、2022年10月〜2023年1月には主演ミュージカル『エリザベート』の上演を控える。神田とはミュージカル『1789 -バスティーユの恋人たち-』で共演している。今回の発表に際し、花總、中川、そして神田さんの所属事務所であるローブ 代表取締役 蒲池光久氏がコメントを寄せた。公演は日本青年館ホールにて2022年4月8日〜4月18日。○花總まり コメントこの度、『銀河鉄道999 THE MUSICAL』に神田沙也加さんの代役としてメーテル役で出演させていただく事となりました。お話を頂いた時、どうしたら良いのか判断がつかず、とても悩みました。けれども、もしこの公演が中止になってしまったらさーやの舞台への想いも一緒に消えてしまいそうな気がしました。また、このコロナ禍という状況の中で、公演ができなくなるという辛さは私も経験してきました。もし少しでも、誰かのため、何かのために自分が力になれるのであればと思い、とても悩みましたがこのお話をお受けする事にいたしました。沢山の方に愛されたさーや。大好きなさーや、いつも舞台に誠実に向き合っていたさーや。まだ現実として受け止めることが出来ない方も沢山いらっしゃると思います。私も同じです。でも前を向いて進んでいくために。さーやと一緒に、心を込めて精一杯メーテルを生きたいと思います。○中川晃教 コメント再始動という形になった「銀河鉄道999 THE MUSICAL」に向けて花總まりさんがメーテル役の代役を引き受けてくださったことは本作に携わるすべての者を代表して感謝を申し上げます悩みながら決断してくださったその気持ちは何物にも代え難い真実だと感じています銀河鉄道999が動き出す時有限の今を生きる登場人物の一人一人の人生にはさまざまな巡り合わせがあります人や物との出会いもあれば思わぬ現実に遭遇することもありますその時々に心がどのように動くかで未来はきっと大きく違ってきますこの宇宙で〝沙也加〟という名の星が輝いてくれている限り私たちの目的地を照らし見守ってくれているそう思わせてくれた花總まりさんへの心からの敬意と共に感謝の気持ちで再び公演へと向かって参ります○ローブ 代表取締役 蒲池光久氏 コメントこの度の事態ではキャスト・スタッフ、そして関係者の皆様に大変なご迷惑を おかけいたしました。深くお詫び申し上げます。花總まりさんは神田が憧れて目標にしていた大先輩です。共演歴もあり"花ちゃん"と呼ぶほど慕い、また大変可愛がっていただきました。予期せぬ状況の中で、突然のお願いを真摯に捉えていただき、神田に対する想いのみならず、多くの皆様方に対するお心遣いに感動いたしました。そしてメーテル役をお引き受けいただき、心からのご承諾のご返事をいただきましたことに深く感謝申し上げます。メーテル役を花總さんと一緒に演じられることを、きっと神田もこの上なく喜んでいることでしょう。改めまして公演の盛況をご祈願いたしますと共に、謹んでお礼とお詫びを申し上げます。
2022年02月07日《ずっと沙也加さんの歌を聴き続けます》《沙也加ちゃん、2月になったね。寒いけど、頑張るね!》《さやちゃん、もう旅立っちゃったのね…信じられないよ。無事に着いていますように》インスタグラムのコメント欄に寄せられたあたたかい言葉の数々。これらのコメントが寄せられたのは神田沙也加さん(享年35)が昨年11月18日に投稿したもの。生前、最後の投稿だ。「沙也加さんの訃報が報じられた12月18日以降、インスタのコメント欄にはその死を悼むコメントが連日投稿されました。クリスマスイブの前後には1,800件ほどでしたが、その後も追悼コメントが続き、今では2,600件を超えています」(スポーツ紙記者)日本中が悲しみに包まれた沙也加さんの早すぎる死。2月4日に四十九日を迎え、冒頭のように気丈なコメントをするファンもいるなか、最もそばで沙也加さんを見てきた“家族”たちもまた少しずつ前を向き始めていたーー。2月3日、スポーツ報知が1月30日に沙也加さんの両親である松田聖子(59)と神田正輝(71)をはじめ、聖子の実母である一子さん(89)ら親族約10人で四十九日法要を行ったと報じている。12月21日に札幌市内で沙也加さんの葬儀を行ったあと、聖子とともに骨箱を抱きながら報道陣の前に姿を見せ、取材に応じた神田。そこでは涙を浮かべていたが、帰京後は人一倍気丈に振る舞っていた。「沙也加の死後も神田さんは司会を務めるレギュラー番組『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日・ABCテレビ系)を一度も欠席していません。生放送だけに撮り直しもできませんから、沙也加さんが亡くなって初めての12月25日放送回に欠席するという選択肢もあったそうですが、神田さんは選ばなかった。さらに『今日は守られているような雰囲気がするな。ありがとうございます。僕は元気ですよ!』と力強く宣言。視聴者だけでなく、自分のことを心配してくれるスタッフや共演者に対しての神田さんなりの気遣いだったのでしょう。3月に大阪で予定している『旅サラダ』の番組イベントにも神田さんは出席する予定ですし、俳優業についてもこれまで通り取り組んでいく意向だと聞いています」(テレビ局関係者)かつての家族だった元夫も沙也加さんの“意志”を受け継いでいる。17年4月から19年12月までの約2年8カ月にわたって沙也加さんと結婚生活を送った俳優の村田充(44)は、沙也加さんが飼っていた愛犬のブルーザーくんを、12月23日にTwitterで『安心してください。大切に育てます』と引き取ることを宣言。その後、定期的にSNSでブルーザーくんの写真をアップし、ともに生活している様子を沙也加さんのファンに伝えている。沙也加さんの死後、悲しみに暮れながらも人前では気丈な姿を見せる神田と村田。いっぽう、母の聖子は葬儀後、一切人前に姿を見せていなかった。「聖子さんは沙也加さんの死後に予定していたディナーショーをすべて中止し、大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』も出演キャンセル。3月に還暦を迎えるので、本来なら大規模なツアーやイベントも予定していたそうですが、それも一旦すべて白紙に戻したそうです。具体的な復帰時期はまだ決まっていませんが、音楽活動を再開するのは早くても夏ごろと見られています」(音楽関係者)そんななか本誌は四十九日法要の数日前、聖子の姿を目撃している。1月下旬の夕暮れ時、都内の閑静な住宅街に現れた聖子は、洋館を思わせる建物へ。隠れ家的なレストランでの食事会かと思いきや、聖子が訪れたのは“顧客に寄り添う”美容室だった。「聖子さんが訪れたのは、顧客とじっくり向き合うことをコンセプトに掲げた完全予約制のサロンです。営業日や時間もすべて顧客都合にあわせ、施術中に他の客を入れることなくカリスマ美容師が一対一で対応します。芸能人やセレブにも非常にファンが多いです」(美容ジャーナリスト)2時間ほどじっくり施術を受け、帰路についた聖子。まだ今後の活動について発表はないが、聖子の歌声が日本中に届く日を心待ちにしたいーー。
2022年02月04日神田沙也加さん(享年35)が突然この世を去ってからまもなく一カ月。今も多くの人が深い悲しみに包まれている。沙也加さんを深く愛した両親も悲しみの淵に立たされている。「松田聖子さん(59)はちょうどディナーショーのツアー中でしたが、沙也加さんが亡くなった後に予定されていた公演をすべてキャンセル。大晦日の『第72回NHK紅白歌合戦』にも出演予定でしたが、取りやめて今仕事は一切していない状況です。父親の神田正輝さん(71)は深い悲しみのなか、沙也加さんが亡くなったちょうど一週間後に放送されたレギュラー番組『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送系)に出演。3月に大阪で予定されている同番組の屋外展示イベントにも出席する予定だといいます」(テレビ局関係者)聖子と正輝がそれぞれの受け止め方をするなか、沙也加さんとの絆を大切にするかつての“家族”が。元夫の村田充(44)だ。16年夏に出演した舞台『ダンガンロンパ THE STAGE~希望の学園と絶望の高校生~』での共演をきっかけに交際に発展し、17年4月26日に結婚を発表した沙也加さんと村田。同年5月に都内のレストランで行われた結婚披露パーティには、正輝をはじめ、沙也加さんが“ママ”と慕う大地真央(65)など約100人の豪華な面々が出席していた。「沙也加さんとの結婚後、村田さんは自身の体調不良などもあり、沙也加さんの仕事を熱心にサポートしていました。まるでマネージャーのように沙也加さんのためならいつでもどこでもついてまわっていたそうです」(芸能関係者)本誌は結婚中の二人の強い絆を目撃している。18年2月、出演する舞台の製作発表を終え、都内のカフェで共演者とお茶を楽しんでいた沙也加さん。1時間ほどすると、カフェの前には愛車で沙也加さんを迎えにきた村田の姿が。その後、2人は車でアパレルショップに向かい、買い物後は手をつなぎながら仲睦まじく歩いていた。以後、幸せな結婚生活を送った2人だが、19年12月に離婚していたことを発表。理由について、それぞれ子供についての価値観が折り合わなかったことをブログで明かしていた。沙也加さんとの夫婦関係には終止符を打った村田だが、“絆”は決して消えていなかった。「村田さんは沙也加さんの訃報が流れたあと、ツイッターで『彼女の歌声は、まるで天使のようでした』と哀悼。12月23日には『安心してください。大切に育てます』とツイッターに投稿し、沙也加さんの愛犬・ブルーザくんを引き取る意向を表明し、インスタグラムでは実際にブルーザくんと一緒に生活する様子を投稿しています」(前出・芸能関係者)愛犬を引き取り、沙也加さんへの変わらぬ愛情を見せる村田。婚姻関係が終わっても2人の絆は変わらぬようだ――。
2022年01月15日「斎場で悲しみの対面をした聖子さんは、眠っているような沙也加さんの表情に嗚咽していたそうです」(音楽関係者)昨年12月18日深夜、神田沙也加さん(享年35)が公演で訪れていた札幌市内のホテルから転落死した。50センチに達する大雪が降り積もった日だった。3日後の21日夕方、愛娘の位牌を胸に札幌市内の斎場で会見を行った母・松田聖子(59)と父親の神田正輝(71)。顔面蒼白の聖子は、集まった報道陣を前に、こう声をふり絞った。「本当にみなさまお寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」2人は、その日のうちに別々の便で東京に戻ってきた。スタッフの先導で先に飛行機を降りてきたのは、聖子の母親だった。うなだれた様子がその失意を物語っている。その後ろに聖子が続いていた。聖子もまた茫然とした表情だった。その胸には濃紺の布で包まれた娘の遺骨が抱えられていた――。これまで聖子と沙也加さんは幾度となく確執が伝えられてきた。だが、2人は心底では固くつながっていたという。デビュー当時の聖子と仕事をしていたカメラマン・YAHIMONときはる氏は証言する。「沙也加さんが17年12月の舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』に出演したときのことでした。別の女優さんの楽屋で私自身が9年間、実母と会っていないと話をしてから、その女優さんの後押しもあり、面識のある沙也加さんの楽屋にご挨拶に行ったんです。沙也加さんからは神妙な顔で、『ちょっと聞こえちゃったんで申し訳ないんですけど……子供に会うのを嫌がる母親なんて絶対にいません!』と言われたんです」沙也加さんは同年5月に村田充(44)と結婚。母娘不仲説が報じられていた時期で、YAHIMON氏は彼女の発言に驚いたという。「その翌日、私は母に会いに行き、3カ月後に母は他界しました。沙也加さんの励ましがなければ、私は母とは会えていませんでした」■「母親が、私を一番愛してくれている」翌年、同舞台の愛知公演に出演していた沙也加さんに感謝を伝えに行くと、こう言われたという。「私、生意気言っちゃってごめんなさい。私も母の“有名税”にずっと悩んでたりしていたんですけど、やっぱり母親が一番つらいって思うようになって……。産んでくれた母親が私を一番愛してくれているから、その真実があれば悪く書かれても仕方ないかなって。だからあんなこと言っちゃったんです……」そんな娘の思いは聖子にも伝わっていたのだろう。空港でも聖子は遺骨を両手で愛おしそうに抱えていた。前出の音楽関係者は言う。「聖子さんは愛娘を突然失った余りの悲しみに、自宅で遺骨をしばらく保管しておくのでしょう。かねて聖子さんは霊感が強く、信心深い方ですから、娘さんのお墓をどうするか熟慮しているといいます」聖子の父の葬儀は一家のルーツでもある福岡県柳川市の菩提寺で執り行われたという。「蒲池家は江戸時代、柳川藩の系譜を継ぐ由緒ある家系で、この菩提寺の創建者でもあったといいます」(地元紙記者)だが、前出の音楽関係者は言う。「ただ、福岡となると東京とは距離があり、日常的に墓参できなくなってしまいます。また、沙也加さんの成人後に再婚した今の旦那さんのお墓に入れる可能性は限りなく低いでしょう。父親の神田さんの実家のお墓に入れた場合は聖子さんは一緒にお墓に入れなくなってしまいます」■神田の母が眠る寺の関係者は「(納骨は)こちらではない」と…東京都新宿区内にある名刹には神田の母で女優の旭輝子さん(享年77)が眠っている。同寺の関係者は、沙也加さんの遺骨がここに入る話は聞いていないと話す。「沙也加さんのことはショックですし、私たちも心配しています。ただ今回のことで神田さんからこちらに連絡はありません。(納骨は)こちらのお墓ではないと思います。神田さんをお見かけしたのは2年ほど前ですが、連絡をいただくこともありますし、定期的に来てくださっているようです。神田さんはしっかりお墓を守っています」前出の音楽関係者は続ける。「そういう事情も踏まえ、沙也加さんのお墓を新たに造ることも選択肢に入っているようです」終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんは、わが子に先立たれた親の心理をこう指摘する。「お子さんを先に亡くされた場合、気持ち的にすぐに納骨しないことが多いので、しばらくは手元に置くと思われます。ただ、新たに沙也加さんのお墓を造るということは十分考えられます。今は昔と違い、実家のお墓に入る決まりはありません。沙也加さんのお墓を造っておいて、後から聖子さんがそこに入るという形もできます。聖子さんからしたら、娘さんと一緒のお墓に入りたい希望はあるかと思います」父親の神田と分骨する可能性もあるという。「親である聖子さんには『何もしてやれなかった、何もできなかった』という後悔があると思います。だからお墓という形で、少しでも何か良くしてあげたいという気持ちは強いはずです。通える場所にお墓を用意することが、娘にとってもいいと考えるのではないでしょうか」昨年12月18日のディナーショーを最後にステージから下りた聖子は『紅白』出場も辞退した。「当面はライブやメディア出演を一切予定していないと聞いています」(映像関係者)前出のYAHIMON氏も言う。「私の師匠で、聖子さんもお世話になったカメラマンが亡くなったときも事務所関係者が『彼女は悲報を聞くと、絶対に影響が出る』と話していました。聖子さんは非常に繊細な方ですので、しばらくお休みすると思います」愛娘のために自分は今、何ができるのか――。光を求めて、聖子の涙の奔走は続く。
2022年01月05日「本当に皆さん、お寒いなか、申し訳ございませんでした。ありがとうございました」。12月21日、札幌市内で行われた神田沙也加さん(享年35)の葬儀後、報道陣の取材に応じた松田聖子(59)は声を震わせて、深々と頭を下げた。沙也加さんのお骨を納めた骨箱はピンクの骨袋に覆われて、聖子の隣に立つ神田正輝(71)の胸に抱えられていた。沙也加さんと聖子の関係は、これまでさまざまに報じられてきた。だが、記者が2人の関係性を考えるとき、思い起こされる場面がある。2013年5月。芸能プロダクション、サンミュージックの創業者である相澤秀禎氏(享年83)の通夜に、聖子と当時26歳だった沙也加さんが参列したときのことだ。相澤氏は聖子にとって、芸能界の“育ての親”で大恩人。10代だった聖子はデビューのために福岡から上京し、相澤氏のもとで下宿生活をしていた時期もあった。‘89年に聖子がサンミュージックから独立して一時は絶縁状態になっていたが、’06年から再び交流を深めるようになっていた。相澤氏は’11年の沙也加さんの10周年コンサートに聖子と並んで客席に姿を見せていたといい、沙也加さんにとっても縁のある存在だったようだ。通夜の日、数々のスターを輩出した相澤氏だけあって、著名人や報道陣が多く集まった。聖子は夜8時ごろに参列に訪れたが、その隣にはぴったりと沙也加さんが寄り添っていた。沙也加さんと聖子は、しっかりと手をつないでいた。そのつなぎ方は、沙也加さんのほうが母を支えているような様子だった。大切な人を亡くした母のことが心配だったのだろうか、ときおり、聖子の顔を心配げに伺い、自身も泣きそうな表情を浮かべていた沙也加さんが印象的だった。通夜の間には、故人と対面する母の背中に沙也加さんが優しく手を置く場面も。母に寄り添う沙也加さんの愛情が感じられた日だった。その5年前、『婦人公論』2008年4月7日号のインタビューで、聖子は沙也加さんについて次のように話していたことがある。《娘には、よく話を聞いてもらいます。彼女はとても慰め上手。私はすごく心配性で、たとえば直前に「歌詞を間違えたらどうしよう」とか心配になってくる。それを娘に言うと、「何を言っているの。歌は全部頭に入っているから大丈夫!」と背中を押して送り出してくれます。励ましてもらったり、教えてもらったり。なんだか母娘逆転気味です。(笑)》また、同じインタビューで聖子は、自身の母親との関係にも触れ、母と聖子、沙也加さんの3人の時間を次のように話していた。《沙也加と私は、まるで母の“娘たち”のような関係です。私と娘が一緒に、母に怒られるんですよ(笑)。夜遅くまでおしゃべりしていると、「二人ともいい加減にしなさい」と叱られるし。》温かい時間をともに過ごした家族との別れはあまりにも悲しい――。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月26日12月18日に亡くなった神田沙也加さん(享年35)。沙也加さんは‘01年5月、14歳でSAYAKAとしてデビュー。’05年5月から一旦活動を休止したものの、’06年9月に19歳で本名の神田沙也加として再出発。今年はSAYAKA時代から数えてデビュー20周年目のアニバーサリーイヤーだった。’14年3月に公開されたディズニー映画『アナと雪の女王』で主人公・アナ役の声優として参加し、国民的な人気を博すこととなった沙也加さん。同作は彼女の実力に裏打ちされた、ひとつの“集大成”といえるかもしれない。「もともとディズニー映画を観て育った沙也加さんは、大のアニメ好き。またSAYAKAとしてデビューする前から、実は声優になりたかったそうです」(スポーツ紙記者)本名で再デビューを果たした後、’11年からは女優業と並行して声優学校へ通うことに。講師を務めた声優の速水奨(63)は’14年9月、『FLASH』で《アドバイスを絶対に聞き漏らさないようにしていた》《自分の思うようにセリフがいえないと悔しがる》と沙也加さんの勤勉ぶりを語っていた。「’12年7月にテレビアニメ『貧乏神が!』(テレビ東京系)で念願の声優デビュー。ステップアップを重ね、オーディションで見事『アナ雪』のアナ役を勝ち取りました。それだけでも大喜びだったのに、作品は大ヒット。好演が讃えられ、’15年3月には『第9回声優アワード』の主演女優賞を受賞しました」(芸能関係者)■「舞台女優って呼ばれるようになってきたのが、すごく幸せ」神田沙也加として復帰した後は舞台を中心に邁進。’10年1月、『スポーツ報知』の取材では《最近、少しずつですけど“舞台女優”って呼ばれるようになってきたのが、すごく幸せで……》とコメントしていた。「沙也加さんは幼いころからミュージカルにも惹かれていました。舞台デビューも宮本亞門氏(63)が演出を手掛けた『INTO THE WOODS』で、’04年7月に上演。亜門さんは当時の沙也加さんを回想し、『舞台女優になるんだ』という気合がみなぎっていたと話していました」(前出・スポーツ紙記者)演技に対しても、沙也加さんはストイックだった。母の松田聖子(59)は’08年4月、『婦人公論』でこう語っていた。《娘は完全に分析型で、台本には彼女が演じる役の緻密な人物分析がびっしり書き込んであったり、気持ちの動きを折れ線グラフで示してあったり、本当にすごいんです》ミュージカル女優には、歌唱力が必須だった。沙也加さんも歌声が絶賛されていたが、その陰には努力の日々があった。’14年8月、バラエティ番組『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』(日本テレビ系)で彼女は、こう語っている。「自分の声にコンプレックスもあるし、自分の歌にも自信がないので、人の何倍もやって……」また昨年10月、沙也加さんはTwitterに《いつも住むところは出来るだけ防音性を重要視していますが、もしちょっとでも聴こえてるとしたら「アイドルの頂点へ!!」とか、「♪あぁぁああー!!♪(その時々で練習している歌)」とか、どんなひとだと思われているか不安しかない》とつづっている。家でも歌の練習に打ち込んでいたようだ。■たゆまぬ努力の末にたどり着いた『アナと雪の女王』への思いSAYAKAとしてのデビュー以降、歌に芝居に声優にと様々な仕事に携わってきた沙也加さん。そうしてたゆまぬ努力の末にたどり着いた『アナと雪の女王』について’14年7月、『婦人公論』でこんな思いを語っていた。《10年、20年経って過去を振り返るときがきても、私の中で輝く金字塔であり続けることでしょう》《この仕事を経て、やっと地に足がついたというか、自分が目指していた出発地点に到達することができたと感じています。いよいよこれからが本番です》『アナ雪』は2作のスピンオフを挟んだ後、’19年11月に続編が公開された。そして沙也加さんは作品を重ねるにつれ、アナの姉であるエルサ役の松たか子(44)といっそう仲を深めていったようだ。’19年12月には自身のTwitterで《エルサ姉さんといっしょ!》とつぶやき、松とのツーショットを投稿していた沙也加さん。さらに今年5月、『スポーツ報知』の取材では『アナ雪2』を観るため、松とお忍びで劇場にも足を運んだと明かしていた。松は沙也加さんの訃報を受け、ディズニー公式Twitterを通じてこうコメントしている。《彼女と共に、互いにエールを送りあい日本語を吹き込んで紡いだ時間は私にとってかけがえのない宝物です》《ありがとう、アナ》
2021年12月24日「真央さんは沙也加さんの死を受け止めきれず、憔悴のあまりコメントを出せるような状況にないと聞いています」(スポーツ紙記者)12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)。母の松田聖子(59)と父の神田正輝(71)は21日、札幌市内で密葬を執り行った後に記者会見を開いた。位牌を抱いた聖子は沈痛な面持ちで、「本当にみなさん、お寒い中、申し訳ありませんでした。ありがとうございます」と声を絞り出していた。沙也加さんから“ママ”と慕われた大地真央(65)もまた、実の両親と同じくらい深い悲しみの中にいるという。大地の代表作でもあるミュージカル『マイ・フェア・レディ』の主人公・イライザ役を沙也加さんが演じる最中での出来事だった。’01年にCMデビューした沙也加さんは、「SAYAKA」の芸名で歌や舞台、映画など幅広い分野にチャレンジしてきた。しかし、’05年の高校卒業を区切りに活動休止を発表。再び芸能の道を選んだのは、背中を押してくれた大地の存在が大きかったという。デビュー20周年を迎えた今年5月、沙也加さんはスポーツ報知のインタビューで次のように語っていた。「19歳で芸能活動を休止してアルバイトをしていたんです。真央さんに芸事をやめようと思っていると伝えたら、『もったいない』と言って舞台に誘っていただきました」その舞台とは、’06年に大地が主演した『紫式部ものがたり』。当時20歳だった沙也加さんは、本名である「神田沙也加」として再スタートを切ることに。復帰に際して行われた大地との本誌対談(’06年12月5日号)では、2人の“仲良しエピソード”を披露してくれた沙也加さん。大地を「ママ」と呼んでいることを、そこで打ち明けてくれたのだった。■2人の母の存在に「とても幸せ」大地との出会いは、沙也加さんがまだ13歳の頃。大地が聖子のディナーショーを見に行った際、初めて会話を交わしたという。もともと沙也加さんは、大地のセリフを全て覚えてしまうほど彼女の大ファン。沙也加さんは、「真央さんが舞台に出てくるだけで泣くんです。あれ、私どうしたんだろうって思うくらい」と話していた。そして大地を「ママ」と呼び始めたのは、沙也加さんが復帰したての頃。きっかけは、「私がどんどん甘えはじめた」と明かしていた沙也加さん。そのことについて、大地は嬉しそうにこう話してくれた。「私も『ママ』と呼ばれたのは初めてで。いつも自分の年をすっかり忘れているので、最初は『えっ?』と思いましたけど(笑)。でも、考えたら、全然不思議じゃないんですよ。『ああ、こんな娘がいたらいいな』と思って嬉しくて、そう呼ばれています」一方、聖子のことは「お母さん」と呼んでいることも教えてくれた沙也加さん。“2人の母”がいることについて、「私には舞台をやっていくうえで大先輩であるママ的存在の真央さんと本当のお母さんがいて、とても幸せです」と喜んでいた。沙也加さんの休業期間中も彼女を励まし続けた大地。役者を志す沙也加さんに、こう期待を寄せていた。「私はやっぱり『役者』という言葉が好きなんですね。だから、いろいろな役に巡りあえて、そのつど、その役の人になりきれる『役者さん』になってもらえたら、嬉しいかな」今年2月から上演された大地主演の『ローズのジレンマ』では、13年ぶりの共演を果たした2人。同月5日に行われた取材会は奇しくも、大地の誕生日だった。沙也加さんから65本のバラの花束をサプライズで手渡された大地は、嬉しさのあまり涙ぐんでいたという。沙也加さんの死に沈黙を守っていた大地だが、22日に自身のInstagramを更新。沙也加さんが主演していた舞台「マイ・フェア・レディ」の東京公演千秋楽後に2人で撮影した写真とともに、「さややすらかに……Love」と綴られていた。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月23日2021年12月19日に報じられ、あまりにも突然の別れに多くの人が衝撃を受けた、俳優の神田沙也加さんの逝去。俳優の神田正輝さんと歌手の松田聖子さんの間に生まれた神田さんは、高い実力で俳優や声優、歌手として、幅広く活動をしていました。神田さんが亡くなった経緯については、同月22日現在も警察が捜査中です。有吉弘行、神田正輝&松田聖子に突撃するマスコミに怒り同月21日、神田さんの葬儀が札幌市内で行われたことが報じられました。報道では、神田さんの両親である正輝さんと松田さんの元にマスコミが押し寄せ、質問を投げかける場面も。遺族への配慮に欠けたマスコミの行動を受け、ネットでは、同月19日にお笑いタレントの有吉弘行さんが発した言葉が話題になっています。看板番組であるラジオ『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)で、有吉さんは今後の展開を予想し、このようにコメントをしていました。神田沙也加ちゃんが亡くなったっていってね、そんで聖子ちゃん…お母さんの所とか、神田正輝さん…お父さんの所とかに、じゃんじゃんじゃんじゃん(マスコミが)行くわけじゃない。「今どんな気持ちか分かるでしょ、あんたたち」っていう。「どういう気持ちですか?」つって、「お前が自分の子供亡くしたのと同じ気持ちだよ、バカヤロー」って話だからね。有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMERーより引用過去にも著名人が不幸に見舞われた際、心ない質問を投げかけていたことから、今回も同じことが起こるであろうと予測した有吉さん。当たり前ですが、芸能人も1人の人間であり、1人の親です。我が子を突然亡くした悲しみと衝撃は、計り知れません。そんな中、見知らぬ多くの人に囲まれてコメントを求められたり、質問に答えたりするのはさらに精神がすり減るでしょう。有吉さんの言葉はネットで拡散され、多くの人から共感する声が上がっています。・正論ですね。有吉さんの、こうやって物事をハッキリというところが好き。・他人を傷付けるような質問なんて、視聴者は求めてないよ。やめてあげてほしい。・本当にその通りだよ…。我が子を亡くした悲しみを、言葉になんてできるはずがない。松田さんは大晦日に歌番組『NHK紅白歌合戦』(NHK)の出演が決まっているため、より一層心配する人が多いようです。ほとんどの人が、「今は心身ともに休んでほしい」と願っているに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2021年12月22日18日に急逝した女優の神田沙也加さん(享年35)の所属事務所が21日、公式サイトを通じて、神田さんの葬儀を終えたことを報告した。事務所は「平素より私共、並びに神田沙也加をご支援いただき、ありがとうございます。先般のご報告以降、神田への温かいお言葉を頂戴し、これまでのご支援も含め、改めて深く感謝申し上げます」と書き出し、「本日、ご親族のご希望により、密葬という形で家族にて葬儀を執り行わせていただきましたことをご報告申し上げます」と報告した。また、「警察による詳細な検証の結果、事件性はなく、転落による多発外傷性ショックが死因であるとの報告を受けました。転落の原因につきましては、神田本人の名誉と周囲の方々への影響を踏まえて公表を控えたく、お含みいただけましたら幸いです」と死因を報告した。そして、「私共は神田との突然の別れに混乱しながらも、その事実と向き合い、神田を守れなかったという責任を真摯に受け止めております。神田の逝去に関して様々な報道がなされると同時に、ご心配のお声も頂戴しております。このような事態となりましたことを、お詫び申し上げます」と記した。最後に、「ご親族やご友人のプライバシーに関わるような記事の掲載、過剰な取材行為、インターネット上での根拠のない誹謗中傷に関しまして、お控えいただけますよう改めてお願い申し上げます」と呼びかけた。神田さんは18日21時40分に急死。19日、所属事務所の公式サイトで「これまで神田沙也加を支えてくださった皆様にご報告させていただきます。2021年12月18日午後9時40分、神田沙也加(享年35歳)が急逝いたしました」と発表された。悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。・電話:よりそいホットライン・SNS:生きづらびっと・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
2021年12月21日12月18日に札幌市内のホテルで亡くなった神田沙也加さん(享年35)。ミュージカル『マイ・フェア・レディ』札幌公演のために市内のホテルに滞在していた沙也加さん。同日の昼公演に出演予定だったが、昼頃にホテルの14階にある屋外スペースで倒れた状態で発見され、搬送先で死亡が確認された。各メディアによると21日、母・松田聖子(59)が位牌を手に霊きゅう車に乗り、同市内の斎場に入り、父・神田正輝(71)も別の車両で会場入り。その後、2人は斎場で揃って囲み取材に応じ、神田は「2人ともあまり話せる状態ではないのでそっとしておいていただけたら」、聖子も「本当に皆さんお寒いなか、申し訳ございませんでした」と声を震わせていたという。愛娘の突然の死に憔悴した様子を見せた聖子と神田。まだコメントは発表していないが、祖母である聖子の母も彼女を見守り続けた人だった。「聖子さんと正輝さんが離婚したのは1997年。沙也加さんが10歳の頃。その後、多忙な聖子さんが不在の時に、沙也加さんを育てたのが聖子さんのお母様でした。沙也加さんは、母の日に聖子さんだけでなく、聖子さんのお母様にもプレゼントを贈り、大人になってからも焼き肉や買い物に一緒に行くほど慕っていたようです」(芸能関係者)沙也加さんは2010年6月13日に更新したブログで、祖母に対する思いをこのように語っている。《サヤは小さい頃、今考えてもかなり厳しく祖母に育てられたけど(中略)当時は怖かったけど、今は自他認めるおばあちゃん子で、大好きです。それに、今ここに居る育ててくれた祖母に心から感謝しているし、あの頃の言葉ぜんぶ、今ならちゃんと解るから》自身のTwitterでは、ファンからの《ママ、おばあちゃんの料理で好きな物は何ですか??》と尋ねられ、《おばあちゃんの黒砂糖だんご》と答えていた沙也加さん。《長期滞在の福岡で楽しみにしている事は何ですか?》との質問にも、《おばあちゃんといっぱい一緒にいる!》と投稿していた。沙也加さんに惜しみない愛を注いだ聖子の母だが、時には厳しさを見せることもあったという。「祖母は沙也加さんの芸能界入りを当初は反対していたそうです。トップスターの聖子さんを母に持つだけに、比較されて辛い思いをして欲しくないと思ったからだそう。ですが最終的には、『自分の選んだ道だから悔いの残らないように』と応援するようになったといいます」(前出・芸能関係者)2014年末、NHK『紅白歌合戦』で映画『アナと雪の女王』の『生まれてはじめて』を披露した沙也加さん。誰よりもそのステージを喜んだのが祖母だったという。同年に沙也加さんが『おしゃれイズム』(日本テレビ系)にゲスト出演した際、祖母は番組内でこんなメッセージを送っていた。「沙也加の幸せを心から願っています」最愛の孫娘の死に去来する思いはーー。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月21日女優の朝夏まなとが、故・神田沙也加さんとWキャストで主演を務めていたミュージカル『マイ・フェア・レディ』の地方公演の全公演に出演することが、21日に東宝演劇部によって明らかになった。神田さんが18日に急死したことを受け、札幌公演を中止していた同作。12月25日から2022年1月28日にかけての山形・静岡・愛知・大阪・福岡公演については、東宝演劇部と各主催者が協議のうえ、全公演、イライザ役・ヒギンズ役・フレディ役の3役を朝夏まなと・別所哲也・寺西拓人の「チームA」にて上演することが決定した。同作はこれまでの公演も朝夏・別所・寺西の「チームA」、神田さん・寺脇康文・前山剛久の「チームK」に分かれて上演を行っていた。東宝演劇部は「広く日本のエンタテインメント界に多大な功績を残された神田沙也加さんに敬意を表し、心からの哀悼の意を捧げます」と追悼の言葉を寄せている。オードリー・ヘップバーン主演の映画版でも広く親しまれている同ミュージカルは、ロンドンの下町の花売り娘が、言語学者のレッスンで、見違えるように麗しい貴婦人に変貌するという物語。神田さんはイライザ役を務めていた。○朝夏まなと メッセージいつもインタビューで一番好きなミュージカルは『マイ・フェア・レディ』と言っていたさぁちゃん。(神田沙也加さんをこう呼んでおりました)私の宝塚退団後の初ミュージカルが本作品で、さぁちゃんからたくさんのことを教えてもらったり、他愛もない話をしたり、すぐに打ち解けて仲良くなりました。生き生きとイライザを演じるさぁちゃんが眩しくて、歌声も大好きでした。今、思い浮かぶのはさぁちゃんの笑顔です。日本で初めて上演された歴史あるミュージカル『マイ・フェア・レディ』。上演か中止か、どちらの決断が下されてもきっと様々な方々のお気持ちが複雑に交錯することもあるかと思います。けれどこの作品を愛する皆さまの気持ちも一緒にすべてのカンパニーキャスト、スタッフが一丸となり『マイ・フェア・レディ』を続けていくこと、この作品を全国の皆さまにお届けしたい……それがみんなの願いです。カンパニーを代表しまして、心よりご来場をお待ち申し上げます。○寺脇康文 メッセージこの度、『マイ・フェア・レディ』の残りの公演の出演を、キャンセルさせていただくことに致しました。舞台人として、どうあるべきか、本当に悩みました。プロ意識に欠けるのかもしれません。それでも、イライザとヒギンズの二人三脚で作ってきたこの作品をこのまま続けることは今の僕には難しく、東宝さんをはじめとするカンパニーの皆さんもそのわがままを受け入れてくれました。楽しみにしてくださったお客様には大変申し訳ありません。自分にとっても本当に大切なこの作品は、朝夏まなとさん、別所哲也さんコンビが引き受けてくれます。最大の感謝とともに、千穐楽までの完走を祈ります。写真提供/東宝演劇部悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。・電話:よりそいホットライン・SNS:生きづらびっと・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
2021年12月21日12月18日に急逝した神田沙也加さん(享年35)。2日後の20日、父・神田正輝(70)は亡き娘と対面するためだろうか北海道へ赴いた。各メディアによると、サングラスをかけ黒いコートに身を包んだ神田は、空港で見守る報道陣に「ありがとうございます」と一礼。その後、タクシーに乗り込み去っていったという。沙也加さんは亡くなった当日、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』に出演するため札幌市内に滞在していた。沙也加さんは同日の昼公演に出演予定だったが、昼頃にホテルの14階にある屋外スペースで倒れた状態で発見され、搬送先で死亡が確認された。「一部報道では沙也加さんが18日の午前中に、今月21日に誕生日を迎える正輝さんに前祝いの電話をしていたと報じられました。正輝さんが沙也加さんと一緒に暮らしたのは、松田聖子さん(59)と離婚した’97年までだったといいます。ですがその後も沙也加さんと親しくしていただけに、心中を察するに余りあります……」(スポーツ紙記者)正輝にとって、沙也加さんはたった1人の愛娘。その子煩悩ぶりを、’16年に中山秀征(54)との本誌対談で語っていた。沙也加さんが幼い頃、仕事が忙しくなかなか一緒に過ごせなかったという正輝。けれど、「沙也加がうちで誕生日パーティをやっているときに、撮影を中抜けさせていただいて時代劇の格好のまま、プレゼントを渡しに行ったこともあったな」と“サプライズ”を回想していた。沙也加さんが演劇の道を歩み始めてからは「たまに舞台を見に行ったりする」と明かしていた正輝は、同じ役者として助言したこともあったという。「最初のころは、歌は聞こえるんだけど、セリフが聞こえないわけ。これを人に言われたら傷つくだろうな、でも親から言われたらもっとイヤだろうなって思いながら、仕事が好きかどうか聞いたら『好きだ』って言うから『じゃあセリフが聞こえるようにもっと勉強しろ』と。そこから1年くらい連絡がなかった(笑)」■沙也加さんとバージンロードを歩いたことも……そんな正輝は、沙也加さんが大人になってからも“人生の節目”に寄り添ってきたのだ。「沙也加さんは’17年4月に、俳優の村田充さん(44)との結婚をインスタグラムで発表しました。沙也加さんが投稿した夫と父との“仲良し3ショット”は、反響を呼びました。ハワイで行われた挙式にも正輝さんは参列し、沙也加さんとバージンロードを歩いたといいます」(プロダクション関係者)しかし、沙也加さんは’19年12月に離婚を発表。正輝は娘の気持ちを慮るように、本誌の取材に丁重にこう語ったのだった。「ごめんね。でもみんなと相談してこの件に関しては何も言わない。そう僕らは決めたんで。申し訳ない。何もお話しすることはできないんですよ」誕生日を目前に、まさかの娘の急逝ーー。山下真司(70)や石原良純(59)、黒沢年雄(77)など、正輝をよく知る俳優仲間からは親心を慮る声が広がっている。■「日本いのちの電話」ナビダイヤル:0570-783-556(午前10時~午後10時)フリーダイヤル:0120-783-556(毎日・午後4時~午後9時/毎月10日・午前8時~翌日午前8時)
2021年12月20日千葉県船橋市の非公認キャラクター・ふなっしーが20日、都内で行われたクレーンゲームアプリ『トレバ』新テレビCM発表会に出席。18日に急死した女優・神田沙也加さんを追悼した。神田さんは、ふなっしーのDVD『ふなのみくす』シリーズ計6作品でナレーションを担当。互いを“親友”と呼ぶ間柄で、2017年の神田さんの結婚披露パーティーにも、ふなっしーは招待されていた。来年の干支にちなみ、トラ柄姿で登場したふなっしー。囲み取材で訃報について話を振られると、「本当に悲しい限り。本当に優しくて気が利く方だったので。毎年ふなっしーのDVDにナレーションで参加してもらって、一つの作品を作り上げていたので、来年はないんだなと。本当に悲しいけど、心からご冥福をお祈り致します。本当に素晴らしい方でしたなっしー」と悼んだ。また、印象的だったことを聞かれると、「笑顔かな…『ふなっしー!』って両手を広げて向かってくる姿かな」と、悲しみをこらえながら思い出を語った。ふなっしーは19日に自身のツイッターで追悼コメントを発表。「記憶がどれも美しく思い出すと涙溢れますもうあの無邪気に笑いながら優しい声でふなっしーと呼んで貰う事はないのですね本当に寂しくなります才能に溢れいつも周りの気配りを欠かさない優しい素敵な女性でした心からご冥福をお祈り致します」とつづっていた。悩んでいる方の相談窓口があります。下記の公式サイトをご覧ください。・電話:よりそいホットライン・SNS:生きづらびっと・いのちと暮らしの相談ナビ(相談窓口検索サイト)
2021年12月20日