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旧三井邸から下鴨神社へ。
ここで双葉葵と槇(まき)の木を見つけました。
槇は特徴があるのですぐに分かる。そう、桶に使われる木なのです。もう覚えましたね。
参道沿いは聖域である糺(ただす)の森です。ここはご存知、源氏物語などの古典にも詠われ、千数百年の昔より残った森。こんな市街地でここまで残ってるのは、思えば大変な事。人の歴史と共に歩んできた森です。
乾燥が進んでいるようですが双葉葵が生える湿潤な場所だったようです。樹種も世代更新しながら、小川もきっと当時と変わらず流れ続けているのでしょう。心ゆくまで歩きたいと思ってました。
土地には蓄積してきた時間というものかある気がする。各地の神社などを訪れるのは、その時間という物を感じたいのかもしれません。古い土地に来た時、瞬間的に空気が変わるのが直感で分かる。その時の気持ちはきっと当時の人々と同じか、近いのかな。
何かを信じてる訳ではないですが、この感覚だけは信じられる。…とにかく気分が良くなるのですよ。
「あ、それ分かる」という方、宮脇昭さんの本を読むべし。
ご挨拶でお参りします。こんな時は写真が少なめ。
この気持ち良さを伝えたいのですが…。その思いが強い時ほど写真が少ないというジレンマ。ここにいる自分が気持ち良くなってしまっているので…。
帰って来て写真整理の時に悔しがるのがいつもの事。
この顔ハメだけはやるかやらまいか迷った末、写真だけ。
隙間なく、ピッタリ収まる自信があった。でも、見て気持ち悪くなる自信もあった。
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お次はパッと走って造形大学方面へ。写真だと瞬間移動ですが、その間必死にペダルを漕いでいます。ブログ上では見えませんが、画面外では鴨のようにバタ足をしています。人から聞いたアンティーク屋さんへ。
途中途中で面白そうなお店に寄ったり。ここはお花屋さん。
パン屋さん。朝ごはんを食べ過ぎて、通過。美味しいらしい。
この側のアンティーク屋さんのsowgenさんで細かい物を発見し折り返すように再び走ります。(写真が撮れませんでした、リンク先にあります)
お次は南禅寺へ。
うっ。
何て情報の多いお店なんだ…。
見ているだけで混乱してしまいそう。このメニューを全て用意しているのか…。すげぇ…。
久し振りに南禅寺に来ます。今回来たのは、庭が見たかったのと、ここの住職さんと縁があったので。深くは触れませんが…また来たくなったのです。
前に来たように、琵琶湖疎水を見に行きますが柵がしてあった。山の中の鐘楼をグルリと回って、南禅院へ。
(この瓦は何時代の物だろう)
南禅院は初めて入る。ここの方丈から庭を見たかった。
ここの庭は鎌倉時代の古い物。夢窓疎石が作庭したと伝わっているそうですが、そうじゃない説もある。亀山法皇が作ったというのが定説。でも記録で1年だけ住持して居た時期があるのは確かなので何かしらやっているに違いない。
ちなみに夢窓疎石は当時の幕府や朝廷からもその教えを請われた超偉人で、禅の始祖と呼ばれる人。いく先々でお寺が立つという、弘法大師のような人です。
即ち禅の始祖という事は、能や茶道もここから派生した訳なのでその文化の始祖と言っても言い過ぎでは無いと思います。日本庭園の源流でもあるのです。
さて、小難しい事は抜きにして…。
クルリとゆっくり歩いて廻る。小さくても気持ちの落ち着く配置。緊張感は感じませんでした。
禅の境地とは程遠い場所にいますが、やけに印象的。人も少なくて、結構長時間ボーッとしていました。
(木の根がこんなに…。個人的に感動した所)
庭の醍醐味というものがだんだんと分かってきた気がする。
夢窓疎石(むそうそせき)は覚えましたね。知らなかった方は要チェックです。
そして、すぐ隣にある最勝院高徳庵へ。
これは縁結びの松と呼ばれていて、サルスベリの木の割れ目に松が芽吹いて成長し、まるでサルスベリから松が伸びているように見えます。サルスベリの樹齢が300年(!)松が100年だそうです。横からもみじが出ているので、3つ出ているように見えます。
縁結びというか…サルスベリがモテモテじゃないか…。
根元を見ても、何が何だか分からなかったのが実際。サルスベリの一つの枝から松が生えている姿は少し混乱します。自然の偶然とは凄いもんです。庭師がよく取り除かなかったと、その先見に関心しました。
方丈庭園は次来た時の楽しみに。こうして残しておくのが将来の楽しみ。
再び入り口まで戻ってきました。
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