フリーアナウンサーの白戸ゆめの(28)が、28日発売の『週刊FLASH』に登場し、さわやかなビキニ姿で人生初表紙を飾った。「初めての表紙ということで、いままででいちばんボディメイクを頑張りました!」と気合い十分で撮影に臨んだ白戸。「アナウンサー界最高峰の美BODY」とも称される美しいスタイルを惜しげもなく披露している。インタビューでは、20代ラストイヤーとなる今年の目標などを語っている。白戸は慶應義塾大学卒業後の2018年にKSB瀬戸内海放送に入社。現在はフリーアナウンサーとしてサッカー、バスケなどのスポーツ番組をはじめ、テレビ、ラジオ、イベント司会など多方面で活躍している。
2024年05月28日2010年ごろに受けた人間ドックで、小さな子宮筋腫がいくつか見つかった猫野サラさん。6〜7年ほど治療をせずに放置した結果、1つの筋腫がグレープフルーツよりも大きいサイズに肥大してしまいました。その後、総合病院に転院した猫野サラさんは、医師と相談した上で「子宮全摘」を決意。2016年のGW期間中、10日間の入院期間の中で子宮全摘術を受けることになり……ついに手術当日を迎えます。手術当日の午後1時、夫に加えてはるばる遠方からきてくれた実母に見送られ、猫野サラさんは病室からオペ室へと移動します。手術台に横たわると、麻酔科医の掛け声で硬膜外麻酔が注入されました。その後は全身麻酔に切り替えられ、猫野サラさんが意識を失っている中で、子宮全摘術が進んでいきます。 26.術後の発熱 ※心電ケーブル:正しくは「心電図モニター」と言います。 午後1時から始まった手術は、約90分後の午後2時半に終了しました。そのとき全身麻酔によって意識がなかった猫野サラさんに代わり、執刀医は「無事成功しました」と告げながら、猫野サラさんの家族に切り取った腫瘍と子宮を見せます。 あとから聞いた話によると、なんと子宮筋腫の重さは1,268gだったそう。これだけ大きな腫瘍を切除したということはおそらく、猫野サラさんの体はそうとうなダメージを負っていることでしょう。術後に患部の痛みや違和感、発熱が起こるのも納得です。ただ、手術当日は硬膜外麻酔がよく効いていたらしく、痛みはあまり感じなかったそう。 翌日、術後1日目からは早くもリハビリが始まります。 27.トイレ往復 ※内診→正しくは検診だったそうです。 ※イラストでは省略されていますが、通常、点滴台にはグリップがついており、基本的にはグリップ部分を掴んで移動します。 術後1日目。この日、猫野サラさんは病室とトイレを往復することと、個室から大部屋に移ることの2つを目標としていました。トイレまで辿り着くことにはなんとか成功したものの、めまいや吐き気などの症状があり、他の患者さんに迷惑がかかることを懸念し、大部屋への移動は断念。 水が飲めるようになったこと、尿道カテーテルが外れて自由に歩き回れるようになったことは進歩ですが、高熱やめまいなどの症状がひどく、まだまだ体が回復してきたとは言えない状況です。 28.おなかの痛み ※利きました→効きました 術後1日目は、猫野サラさんにとって非常につらい夜となりました。午後6時に術後初めての食事を終えた猫野サラさんは、午後9時ごろに休もうとしたのですが……おなかがシクシクと痛み始めたのです。 その後、硬膜外麻酔の量を追加してもらっても効かず、痛み止めの錠剤を飲んでも効かず……日付が変わるころには、冷や汗をかくほどの激痛に見舞われてしまいます。 そこで、最終手段として坐薬を入れてもらうことになりました。 29.大部屋に移動 ※術後4カ月経ったいま…2016年作画となります。 術後1日目の深夜、坐薬を入れてもらった猫野サラさんは、痛みに耐えているうちにいつしか眠ってしまったそう。翌朝に目を覚ますと痛みは軽くなっていました。もしかしたら、坐薬が効いたのかもしれませんね。しかし……午前10時ごろ、またしてもおなかに激痛が走ります。 猫野サラさんは当時を振り返り、「もっと子宮筋腫が小さいうちに切除できていたら、こんなにひどい術後の痛みに襲われることもなかったのかもしれない」と振り返っています。 そして術後2日目の午後3時、予定よりも1日遅れで個室から大部屋へ移動となりました。 30.シャワー解禁 ※弾圧ソックス→弾性ストッキング 大部屋で迎えた術後2日目の夜。この日も猫野サラさんは、下腹部の猛烈な痛みに襲われてしまいます。昨晩と異なり、痛み止めの錠剤を飲んでも坐薬を入れてもらっても、一向に痛みが引きません。 翌朝、術後3日目。目覚めると多少痛みがおさまっていた猫野サラさんは、5分かけてベッドから起き上がります。軽めの散歩と朝食を済ませたあと、背中に入っていた麻酔用の管を医師に抜いてもらい、体中から管がまったくなくなった状態に。同時に、医師から入浴の許可をもらいました。 同日夕方、猫野サラさんは3日ぶりにシャワーを浴びて気分をスッキリさせます。しかし、腹筋に力を入れることができず、お風呂に入るだけでも大変だったそうです。 手術当日から術後3日目までの猫野サラさんは、おなかの痛み・めまい・吐き気・高熱などの症状があり、歩くのすら困難でした。腹筋にはほとんど力が入らないため、いつもできるような動き(ベッドから起き上がる・スムーズに歩く・お風呂に入るなど)ができない状況です。 ただし、術後は早期離床が基本。早い段階でベッドを離れて体を動かすことで、術後の合併症を防いだり、傷の回復を早めたりするメリットが見込めます。 今はさまざまな不調に悩まされて心身ともにつらい時期かもしれませんが、今後の健康を第一に考えると、病院から指示されたリハビリには積極的に取り組んでいきたいところですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 猫野サラ
2024年05月20日2010年ごろに受けた人間ドックで、3cmほどの子宮筋腫が3つ見つかった猫野サラさん。6〜7年ほど治療をせずに放置した結果、筋腫はグレープフルーツよりも大きいサイズに肥大してしまいました。その後、総合病院に転院した猫野サラさんは、医師と相談した上で「子宮全摘」を決意。2016年のGW期間中、10日間ほど入院して子宮筋腫の手術(子宮全摘術)を受けることになりました。入院初日を迎えた猫野サラさん。明日はいよいよ手術というとき、タイミング悪く入院していたお母さんから「退院日が前倒しになったので明日の手術に立ち合います」との連絡が。病み上がりにもかかわらず新幹線でわざわざ遠方からくるという母の行動力に、猫野サラさんは思わず「まじか……」と声を漏らしてしまいます。 入院初日(手術前日)は看護師さんにおなか周辺の剃毛をされたあと、麻酔科の医師が病室にやってきて紙芝居形式で硬膜外麻酔と全身麻酔の説明をしてくれるなど、明日の手術に向けて準備が進んでいきます。 21.夕食とシャワー 荷ほどきを終えたあと、夕食を済ませた猫野サラさん。夕食には全粥のほか、きゅうりの漬物や野菜を中心としたおかずなど、消化に良さそうなものが出たそうです。 麻酔医から説明を受けたあと、猫野サラさんは終わっていなかった荷ほどきを済ませました。その後、夕食を食べて下剤を服用してからシャワーへ。明日からしばらくシャワーを浴びられないため、この日は念入りに体を洗っておいたそうです。 消灯時間が訪れ、猫野サラさんは明日に備えて早めに床に就きます。明日はいよいよ手術ですが、あまり緊張もせず、気分は落ち着いているようですね。 22.手術着に着替える いよいよ迎えた手術当日。ウォシュレットで刺激するもののなかなかお通じが出ず、猫野サラさんは浣腸をお願いすることに。点滴が始まるまでになんとかお通じを済ませることができました。 その後、診察室に移動して内診を受けた猫野サラさん。看護師さんの口から飛び出した聞き慣れないワードとその内容に、「うがい薬で消毒をするんだ!」と、カルチャーショックを受けたようです。ちなみに、自宅でのうがいに用いるケースと、医療現場で消毒用として使用するケースなど、用途によって薬の濃度は異なります。 個室に戻った猫野サラさんは手術着に着替え、ここから点滴が始まります。 23.点滴スタート ※通常、点滴には「クレンメ」という薬の流量を調整する部分がありますが、イラストでは省いています。 検温と血圧測定のあとに点滴が始まりました。これから水分は明日の昼ごろまで、食事は明日の夕方までとることができません。 お昼前になり、お母さんと夫が連れ立って病室に姿を現します。新幹線で遠方からやってきたお母さんを、猫野サラさんの夫が車で迎えに行ってくれたようです。 ※NO.24はブログ読者さまへのお知らせのため、本記事ではカットさせていただきます。内容が気になる方は、著者プロフィールより猫野サラさんのブログをご覧ください。 25.手術室へ ※弾圧ハイソックス:医療業界では「弾性ストッキング」と呼ばれます※通常、点滴台には持ち手(グリップ)が付いていますが、イラストでは省略しています 初めて子宮筋腫が見つかってから約7年の月日を経て、ついに手術を受けることになった猫野サラさん。手術当日は午前9時から点滴スタート(同時に絶飲絶食スタート)、午後0時55分に個室を出発、午後1時にオペ室に入る……という流れだったようです。 執刀医の先生は手術のベテランということもあり、手術前に「大丈夫ですからね」と安心させてくれたそう。手術を受けるのが初めての猫野サラさんからすれば、この声がけだけでもホッとしますよね。そしていよいよ、麻酔医の「始めますね」のひと声で硬膜外麻酔がスタートし、子宮筋腫を根治治療するための子宮全摘術が始まりました。 今回のお話で描かれていた「弾性ストッキング」について、最後に少し補足をしたいと思います。 まず、手術時に弾性ストッキングが用いられる目的は、下肢を強く圧迫することで足から心臓に向けて血流の循環を促し、深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)の予防をすることです。 猫野サラさんは、最後のコマで「弾圧ストッキングの足裏部分に穴が空いていた」と語られていましたが、手術時に用いられる弾性ストッキングは、オープントゥ(つま先が開いているタイプ)か、モニターホール(つま先が開いていない代わりに足指あたりに小さな穴が開いているタイプ)の2種類があります。どちらも足先に穴が開いているわけですが、その理由は猫野サラさんが説明しているとおり、爪の色を確認して血流障害がないかなどをチェックするためと言われています。 よく手術前の注意事項として「ジェルネイルやマニキュアは落としてくるように」と病院から伝えられますが、手術中の爪の色は患者の状態を確認する上で重要な指標の1つなのですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 猫野サラ
2024年05月14日タレントの内山信二の妻・内山琴さんが13日と14日に自身のアメブロを更新。人生初の予防接種を受けた次女・謡(うた)ちゃんの様子をつづった。13日に、琴さんは「初予防接種へ!!!」というタイトルでブログを更新。謡ちゃんについて「人生初の予防接種へ行ってきます」と報告し「泣くかなぁ」と心配そうにコメントした。14日のブログでは、前日に予防接種を受けた謡ちゃんについて「手を掴まれただけでギャン泣き」と明かし、医師から「すぐ終わるよ~息して息して」と言われていたことを説明。「飲むお薬の時には泣き止んでた」と述べつつ「絃ちゃんより敏感ちゃんかな」と長女・絃(いと)ちゃんと比較した。最後に「昨夜も今朝も副反応もなく大丈夫そうで一安心」と安堵した様子でコメント。「また来月もがんばろうね」と謡ちゃんに呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年05月14日今年3月にインスタグラムで乳がんを公表したオリヴィア・マン(『X-MEN:アポカリプス』)が、5度目の手術を受けたことを「VOGUE」誌に明かした。オリヴィアが乳がんだと診断されたのは2023年5月頃で、両胸の切除手術を受けた。手術は10か月で4度に及んだとのことだが、最近5度目の手術を受け、卵巣、卵管、子宮を摘出したという。治療の一環でエストロゲンを抑制する薬を処方されたが副作用が激しく、薬に代わるものを求めたところこの手術を受けることになったのだそう。薬の服用中は、副作用による衰弱させるような激しい疲労に悩まされたオリヴィア。朝起きるとすぐに再びベッドに倒れこむという生活を送り、2歳の息子マルコムくんから「ママはいつもベッドにいる人」と認識されるようになった。「それが息子の私のイメージなんです」と心を痛めた。そんなイメージを払拭するため、オリヴィアは手術に踏み切った。「大きな決断でしたが、私にとって最良の決断になりました。家族のために存在することができるのですから」。オリヴィアはインスタグラムで「VOGUE」誌の自身の記事を紹介し、「私がこれをシェアすることで、この恐ろしい病と闘う女性たちの孤独感が和らぐお手伝いができればいいなと思っています」とつづっている。ファンから「あなたの闘病をオープンに、正直に語ってくれてありがとう。勇気づけられます」「尊敬します」「本当に勇敢な人です」と称賛コメントが寄せられている。また、母の日当日だったこともあり、「母の日おめでとう!」という祝福コメントも多数ある。(賀来比呂美)
2024年05月13日演歌歌手の藤あや子が8日に自身のアメブロを更新。子宮と卵巣の全摘手術を受けた自身の現状を報告した。7日のブログで、藤は「先日、子宮と卵巣の全摘手術を受けました 病名は初期の子宮体癌です」と報告。「早期に見つけてくださった主治医の先生 執刀してくださった先生」「看護師の皆様そして支えてくれた友人や家族には感謝の気持ちでいっぱいです」といい「たおやかに咲く藤の花のように凛とした姿で1日も早く皆様にお会いできますようにリハビリ頑張ります」と意気込みをつづっていた。この日は「多くのメッセージを頂きましてありがとうございます!」と感謝を述べ「同じ病気を経験された方があまりにも多くとても驚きました」とコメント。「女性特有のことなので発表することに一瞬ためらいはありました」と明かしつつ「皆さんからのメッセージを読ませて頂きとても励みになりました」とつづった。続けて、手術後の自身の現状について「時々痛みはあるものの順調に回復しております」と報告し「毎年検査はしておりますが、やはり大事なのは早期発見です!!」とコメント。「少しでも体調に変化があったら後回しにしないで病院に行きましょうね」と呼びかけ、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「順調に回復されているようで良かったです」「ゆっくり休んで下さいね」「元気な姿を待っています」などのコメントが寄せられている。
2024年05月08日2024年5月7日、演歌歌手の藤あや子さんがX(Twitter)を更新。初期の子宮体がんと診断され、子宮と卵巣の手術を受けたことを公表しました。藤あや子、初期の子宮体がんを公表子宮体がんとは、子宮体部に発生するがんのこと。自覚症状として不正出血などが見られるといいます。藤さんは、病気を知った時の心境や、今後の活動について、直筆でコメントを公開しました。ご報告 pic.twitter.com/lzlmlqxJY6 — 藤 あや子 (@fuji_ayako) May 7, 2024 いつも応援してくださる皆様へ先日子宮と卵巣の手術を受けました病名は初期の子宮体癌です告知された時は正直実感が湧きませんでしたがこれからまだまだ歌い続けていく為にもしっかりと治療して頂こうと気持ちを切り替えました仕事関係の皆様には大変ご迷惑をおかけし御詫び申し上げます早期に見つけてくださった主治医の先生執刀してくださった先生入院中サポートしてくださった看護師の皆様そして支えてくれた友人や家族には感謝の気持ちでいっぱいですたおやかに咲く藤の花のように凛とした姿で一日も早く皆様にお会いできますようにリハビリ頑張ります@fuji_ayakoーより引用医師に病気を知らされた時、藤さんは実感が湧かなかったとか。突然がんだと告げられたら、誰しも戸惑うことでしょう。それでも藤さんは、今後も歌い続けていくため、治療に専念しようと気持ちを切り替えたそうです。また、愛猫家としても知られている藤さん。退院後、愛猫のマルくんとオレオちゃんに会えるのを楽しみにしていたはずが、逃げられてしまったことを追記しています。「チックショー!」と明るく文章を締めくくる様子から、藤さんの人柄が伝わってくるようですね。藤さんの投稿には、応援の声が多数届いていました。・ご無理をなさらず安静に過ごしてください。猫ちゃんたちがしっかり見守ってくれますよ。・これからも猫ちゃんたちのキュートな姿を楽しみにしています。・なんて強くて優しい、美しい方なんだろう…!ご無理なさらず、心穏やかにお過ごしください。多くの人が、藤さんの復帰を待っている様子。藤さんがいうように、少しでも早く『たおやかに咲く藤の花のように凛とした藤さんの姿』を見られるように、祈りたいですね。[文・構成/grape編集部]
2024年05月07日演歌歌手の藤あや子が7日に自身のアメブロを更新。子宮と卵巣の全摘手術を受けたことを報告した。この日、藤は「先日、子宮と卵巣の全摘手術を受けました 病名は初期の子宮体癌です」と報告。「告知された時は驚きというより正直実感が湧きませんでした」と振り返り「まだまだ歌い続けていくためにもしっかりと治療して頂こうと気持ちを切り替えました」とつづった。続けて「仕事関係の皆様には大変ご迷惑をおかけしお詫び申し上げます」とコメント。「早期に見つけてくださった主治医の先生 執刀してくださった先生」「看護師の皆様そして支えてくれた友人や家族には感謝の気持ちでいっぱいです」と述べ「たおやかに咲く藤の花のように凛とした姿で1日も早く皆様にお会いできますようにリハビリ頑張ります」と意気込みをつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「応援してます」「お大事にして下さい」「1日もはやく回復されます様に心から祈っております」などのコメントが寄せられている。
2024年05月07日歌手の藤あや子(62)が7日、自身の公式Xを更新し、子宮と卵巣の手術を受け、初期の子宮体がんと診断されたと公表した。藤は「いつも応援してくださる皆様へ」と、達筆の文章をしたため、自身の病気を明らかにした。「先日子宮と卵巣の手術を受けました病気は初期の子宮体癌です」と報告し、「告知された時は正直実感が湧きませんでしたがこれからまだまだ歌いつづけていく為にもしっかりと治療して頂こうと気持ちを切り替えました」と心境を吐露。医療関係者や友人、家族らに感謝を込め、「たおやかに咲く藤の花のように凛とした姿で一日も早く皆様にお会いできますようにリハビリ頑張ります」とつづった。藤は1961年5月10日、秋田県出身。89年9月21日に「おんな」でデビュー。92年「こころ酒」が大ヒットし、同年のNHK紅白歌合戦に初出場。以降、21回出場。明治座、新歌舞伎座などで座長公演も多数行い、歌だけにとどまらず、芝居でも魅せてきた。■報告全文いつも応戦してくださる皆様へ先日子宮と卵巣の手術を受けました病名は初期の子宮体癌です告知された時は正直実感が湧きませんでしたがこれからまだまだ歌い続けていく為にもしっかりと治療して頂こうと気持ちを切り替えました仕事関係の皆様には大変お迷惑をおかけし御詫び申し上げます早期に見つけてくださった主治医の先生執刀してくださった先生入院中サポートしてくださった看護師の皆様そして支えてくれた友人や家族には感謝の気持ちでいっぱいですたおやかに咲く藤の花のように凛とした姿で一日も早く皆様にお会いできますようにリハビリ頑張ります令和六年五月七日藤あや子
2024年05月07日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術では、子宮と卵巣を摘出しました。腫瘍が4cm以上あり、ステージが1B1期→1B2期へとランクアップしてしまいました。大切な人に見せびらかしたいくらい子宮頸がんの手術が終わり、退院して自宅に戻ったとりだまりさん。体力回復のため、とにかく歩く生活を始めました。座っていることが一番しんどかったので、2時間おきくらいにこまめに横になることに。その際、脚がむくまないようにクッションなどで10cm程度の厚みを作って、脚を心臓の位置より少し高めにするようにしていました。術後、シャワーのたびに手術痕を見て思うことがありました。それは意外にも……。子宮頸がんで子宮や卵巣を摘出すると、下腹部に20〜30cm近い傷が、残念ながら残ります。ただ、私はこの傷痕が嫌ではありません。無理しているわけではなく、「なかなか、かっこいい」と本気で思うのです。というのも、ある友人に会ったからで……。「手術の傷痕は、私を生かしてくれた勲章!」そう教えてくれたSは、しんどいことも、嫌なことも、鼻で笑い飛ばして自力でキラキラに変えてしまう、最高に魅力的な友人でした。彼女にそんなふうに言われた後は、脇腹のケロイド状の傷が本当に特別なものに見えて、「なんてかっこいい傷痕なんだ!」と思ったことを覚えています。それに、彼女が大切な宝物を見せようと決めた仲間の1 人に、私を加えてくれたことが、ものすごくうれしかった。その瞬間から、私にとっても彼女の傷痕は、彼女を生かしてくれている宝物になったのでした。だから、私のおなかにも30cm近い大きな手術痕が残ったけれど、この傷は私にとって、同じくすごくかっこいいものです。この先、医療技術が発達して、手術痕をきれいに消せるようになったとしても、絶対に消さないと思います。それくらい気に入ってます。だって、みんなが助けてくれて、私も頑張って、そんなことの象徴なので。あのとき、友人のSがくれたキラキラは、20年近くたった今も、私の中に残っていて、ずっと私を助けてくれています。ー------------------------友人Sさんのおかげで、自分の手術痕を勲章だと思えたと、とりだまりさん。そうポジティブに考えられるとりだまりさんも、とてもすてきですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年04月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術では、子宮と卵巣を摘出しました。術後、卵巣がん手術をした「がん友」ができ、同じ境遇でバカ話ができる友人に出会えたことに感謝しました。尿感覚よ、戻れ!手術を終えてからしばらくの間は、いくつか生活上の注意点があるとのこと。その中に無趣味なとりだまりさんが唯一楽しみにしている長湯も含まれていました。ショックを受けて嗚咽(おえつ)してしまいました。手術が成功しても元の体に戻るわけじゃないと気付いたのです。子宮頸がんの手術から10日目、そろそろ退院する日も近そうですが、おしっこの感覚がなかなか戻らず……。術後10日目、まだ尿を出したという感覚が戻らず、看護師さんに導尿してもらいました。退院するには、導尿が50mlを切らないといけないらしく、自分で尿を出しきれないと、退院後も自己導尿をしないといけないため、「尿感覚よ、戻れ!」と思いながら、とにかく院内を歩きまくりました。こんな物が自分のおなかに入っていたなんて……。そして、がんと一緒に摘出した子宮筋腫がデカすぎてびっくり!術後は、下っ腹がめっちゃスッとしました。まぁ、子宮と卵巣の分も減っちゃっているわけですが……。子宮頸がんの場合、4cmというサイズが、1B1期→1B2期へのランクアップの基準になるそう。ああ、本当に嫌だ。というわけで、手術入院はなんとか無事に(?)終えることができました。このときはまだ「がんは4cm以上だったけれど、病理検査の結果次第では、もしかすると抗がん剤、やらなくてもいいのでは!?」と、むなしい期待を抱いておりました。4cm超えとはいえ、がんは子宮の扁平上皮内(へんぺいじょうひない)にとどまっていて、手術できれいに取れたんじゃないかなー、と。先生の「1B2期で、4cm以上」という診断で、抗がん剤フラグはしっかり立っているわけですが、「抗がん剤やるよ!」と言われるまでは、諦めきれないのが、がん患者心です。そんなこんなで、抗がん剤をやるかどうかは、次回の通院まで持ち越されたのでした。ー------------------------摘出した子宮筋腫が本当に大き過ぎて、がん(子宮と卵巣)の存在がかすんで見えたと、とりだまりさん。そんなに大きな筋腫がおなかにあったかと思うと、驚いてしまいますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年04月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術では、子宮と卵巣を摘出。入院中、徐々に手術後の傷の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛が。原因は術後カフェイン断ちの状態になっていたことだと思い当たりました。手術が成功しても元の体に戻るわけじゃない術後4~5日目には、卵巣がんの手術をした友だちができたとりだまりさん。抗がん剤をする必要があるかどうかは、手術で摘出した物を病理検査しなければわからないのですが、病理検査の結果が出るまでの3週間は、本当に長くて心苦しかったそうです。そんなときに、同じ境遇でバカ話ができる友だちに出会えたのは、とってもありがたいことでした。手術を終えてからしばらくの間は、いくつか生活上の注意点があるとのこと。その中にとりだまりさんが好きなことも含まれており、泣いてしまいました……。体にメスを入れるということは、たとえ病気が治ったとしても、これまでとは異なる生活が待っているということ。私がそのことに気付いたのは、実際に手術を終えてからでした。まず、一度開腹手術をすると、当分は腸閉塞が起こりやすくなるのだとか。そのため、消化の悪い物や食物繊維が多い物は、小さく切って、少量から食べることを勧められます。決して食べてはいけないということではないようですが、注意するに越したことはないようです。ただ、「当分」がどれくらいの期間なのかは、誰にもはっきりとはわからないようで、病院側に聞いてみても、「半年」とか「1年」とか「それ以上」と言われることもある様子。他にも、私のようにリンパ節郭清をおこなった人が気を付けなければいけないのが「リンパ浮腫」。「浮腫」とは「むくみ」のことです。手脚のリンパ液の流れが滞らないようにして、むくみをためないようにしなければならないので、こまめに手足を心臓より高い位置に上げてみたり、ウォーキングなど適度な運動をしてリンパ液の流れをよくしたり。そして、締め付けのきつい衣類や服を避けたり、長時間湯船に浸かることを避けたり。私は、湯船でゆったりと本を読むのがとても好きだったので、これが制限されると知り、本当に嗚咽(おえつ)しました……。手術ができない方からすれば、ぜいたくな悩みなのだと思いますが、「好きなことと引き換えに病気が治るなら、仕方ない」とは、やっぱりなかなか思えないのでした。ー------------------------長湯はNGと聞き、本当にショックだったと、とりだまりさん。術後、日常生活で制限しなければいけないことは、想像以上に多いのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年04月26日女優でモデルの佐々木希が17日、自身のInstagramを更新。京都の竹林で人生初のタケノコ掘りに挑む動画を公開し、話題を呼んでいる。○料理の手際の良さにも反響の声佐々木は「京都の仲良しファミリー、五十棲さんの竹林で、念願の筍掘りを初体験!! ずっと前から家族で体験してみたかったの」とつづり、その模様を撮影した動画をアップ。足元を土まみれにしながら鍬を振り下ろす姿は、モデルや女優のイメージと大きく異なる。初めてのタケノコ掘り体験について佐々木は、「思ったよりも力が必要で、毎年筍掘りをしている皆さんに感謝の気持ちでいっぱいに」とコメント。動画内では佐々木が手際よく調理する様子も映されており、「掘りたての筍を五十棲さんのお家にお邪魔し早速頂いたのですが、もう本当に美味しくて! ずっと食べてました。笑」と味も大満足の様子。最後に「とっても楽しくていい体験をさせていただきました 五十棲ファミリー、お世話になった方々、ありがとうございました 京都、またね~」と感謝の言葉を添えていた。こうした投稿にファンからは、「料理されている姿がお美しいです」「自然の野菜、美味しそう~」「オフ感あるの可愛いし、お料理している希さん素敵すぎます」「包丁さばきが素敵」「筍を掘るのんちゃん、可愛い~」「料理の手際の良さにびっくり!」「もう風すら爽やかな演出に見えます」「料理している姿、綺麗すぎ」「筍の下処理もお手の物ですね。こんなこともしちゃうんだ、と超親近感!」「切り方が丁寧」「1つ1つの出来事や環境を大切にしている姿勢、尊敬します」「のんちゃんのアクティブなところ、優しさで包まれているところ、本当に大好きです」など数多くのコメントが寄せられている。
2024年04月24日2016年5月、開腹手術で巨大な子宮筋腫を摘出した猫野サラさん。術後に医師からは「腫瘍の重さは1,268gもあったよ」と言われたそうです。子宮筋腫の発症から手術に至るまでの約7年間、そして術後の経過について、猫野サラさんの実体験をご紹介します。2010年ごろに受けた人間ドックで3cmほどの子宮筋腫が3つ見つかった猫野サラさん。その後、引っ越しによる転院を経て6〜7年ほど経過観察を続けた結果、筋腫はグレープフルーツよりも大きいサイズにまで肥大してしまいました。どうにか閉経までやり過ごせないかと考えていた猫野サラさんでしたが、ついに婦人科医から「MRIをしましょう」と言われてしまって……? 6.MRIやってみた 偶然空きがあるとのことで、急きょMRIを撮影することになった猫野サラさん。3日後に再び病院を訪れると、「手術が得意なベテラン」だという医師を紹介されます。どうやらMRIの結果を踏まえて、今後は手術前提で話が進んでいくようです。 7.妊婦さんに例えると MRIの結果によると、子宮筋腫は「妊娠7カ月くらいの大きさ」にまで肥大化しているそう。妊娠7カ月だと子宮の大きさはだいたい22〜25cmほどでしょうか。あまりの大きさに猫野サラさんも驚いて笑ってしまいます。 その後、閉経までなんとかやり過ごそうと思っていた旨を打ち明けると、医師からは「そんなに待っていたら長生きできないかもしれませんよ」と言われてしまいます。 8.筋腫と記憶力 最近、物忘れが増えているような気がして危機感を抱いた猫野サラさんは、できるだけ早く手術をしてもらえるよう、医師にお願いしたのでした。 ※子宮筋腫はほとんど良性です。がんのような悪性の場合は、悪液質と言って正常細胞に栄養や酸素が供給されず、がん細胞がどんどん増殖して、栄養不良で衰弱して死亡するということがあります。また、筋腫による月経過多で貧血が強度の場合、全身への酸素供給が低下し、脳への供給も少なければ、いろいろ症状が起こることがあります。しかし、よほどの栄養失調の状態でなければ、腫瘍に栄養分が取られるようなことはありません。また、子宮筋腫によって認知症のような症状が出ることもありません。 9.子宮を残すか否か 入院予定期間は10日間とかなり長いため、GWの期間に合わせて手術を受けることに。 その後、猫野サラさんは担当医と手術の方向性について話し合います。まず、卵巣は残す方針で決まったのですが、問題は子宮をどうするか。医師は「妊娠を考えているのなら……」と選択肢を提示しますが、すかさず猫野サラさんは「考えてません」とキッパリ伝えます。 10.大きいが位置はよい ネットなどの知識から「子宮を残しておくと子宮筋腫が再発するリスクがある」「子宮を全摘してしまえば、筋腫の再発リスクを含め子宮関連の病気の発症に怯えることがなくなる」と学んでいた猫野サラさんは、すでに子宮を全摘する方向で心を決めていたようです。医師から「筋腫のサイズは大きいですが取りやすい位置にあるので大丈夫ですからね」と声をかけられ、この日の診察は終了。続けてこのあと、入院前の検査を受けることとなりました。 今回、子宮全摘を選択した猫野サラさん。子宮全摘はおもに子宮筋腫や子宮腺筋症、子宮内膜症などで、子宮を丸ごと摘出する必要があるときにおこないます。子宮全摘のメリットとして「子宮筋腫の根治が可能なこと」「子宮がんの発症がなくなる」などが挙げられますが、一方で「妊娠できなくなる」というデメリットもあります。 また、子宮がなくなることで生理も止まります。ここで、「更年期のような症状が出てしまうのではないか」という疑問が生まれるかもしれませんが、卵巣を残した場合は女性ホルモンの分泌が継続されるため、子宮全摘後に急にホルモンバランスが大きく崩れて更年期障害が出ることは、ほとんどありません。 医師は「卵巣はきれいだから(何も問題がないから)」という理由以外にも、まだ閉経を迎えていない猫野サラさんが術後も今まで通りの生活を送れるように、という意味も込めて、卵巣を残す方針にしたのかもしれませんね。 監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック 院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 猫野サラ
2024年04月22日2016年5月、開腹手術で巨大な子宮筋腫を摘出した猫野サラさん。術後に医師からは「腫瘍の重さは1,268gもあったよ」と言われたそうです。子宮筋腫の発症から手術に至るまでの約7年間、そして術後の経過について、猫野サラさんの実体験をご紹介します。 1.初めての婦人科検診 ※「6年前」…2016月5月作画のため、6年前=2010年ごろ。 2010年ごろに受けた人間ドックで、3cmほどの子宮筋腫が3つ見つかった猫野サラさん。良性でただちに手術が必要ないこと、自覚症状がなく日常生活での支障がまったくないことから、年に1度の定期検診で経過観察をすることになりました。 2.引っ越しによる転院 初診から1年後と2年後にも検査を受けた猫野サラさん。3cmだった子宮筋腫はこの2年間で5cm以上になりました。医師から「月経量が増えたり、おなかが張ったり、トイレが近くなったりしていませんか?」と聞かれますが、自覚症状はまったくありません。 このタイミングで県外に引っ越すことになった猫野サラさんは、医師から「引っ越し先でも定期検診は受けてくださいね」と言われ、紹介状を受け取ったのでした。 3.経過観察か手術か ※開腹手術では縦に切開する場合もあります。 2010年ごろに子宮筋腫が見つかってから約4年が経過した、2014年ごろ。2年ほど受診をサボっていた猫野サラさんに初めて自覚症状が現れます。それは生理初日の経血量の多さでした。さらにあお向けになると、明らかにおなかがぽっこりと膨らんでいます。 そこで、2年ぶりに婦人科で診てもらったところ、医師いわく「筋腫の大きさがソフトボールほどになっている」とのこと。この大きさなら、手術で筋腫を切除することも選択肢に入ってくると言われますが……。 4.閉経までやり過ごす? 即座に手術を受ける決断はできず、そのまま経過観察をすることに決めた猫野サラさん。 そして1年後の2015年、再び婦人科で検査をしてもらうと子宮筋腫はさらに大きくなっていて、医師によると「グレープフルーツくらいの大きさです」とのこと。ただし、ここまで大きくなっても猫野サラさんに貧血や頻尿、不正出血などの自覚症状はなく、またしても1年ほど経過観察をすることに。 このとき、猫野サラさんはぼんやりと「閉経まで手術を受けずになんとなくやり過ごせたらいいなあ」と思っていたらしいのですが……。 5.ジーンズが入らない ※今年の3月=2016年3月 ある日、ジーンズがはけなくなったことで「いよいよやばいかも?」と危機感を抱いた猫野サラさんは、1年半ぶりに婦人科を受診しました。エコー(超音波検査)が終わるなり、今まで経過観察を許していた医師からも笑顔が消えて、「前回よりもずいぶん大きくなっていますね……MRIを受けてみますか?」と真剣な表情に変わります。どうやら、何かしらの処置をしなければいけないレベルにまで、子宮筋腫が巨大化してしまっているようです。 たしかに子宮筋腫は、閉経後は女性ホルモン(エストロゲン)の減少とともに小さくなると言われていますが、放置しておくと肥大化し、さまざまな症状が現れます。 また、このあと開腹手術によって巨大な子宮筋腫を切除した猫野サラさんは、「手術後に負った体のダメージが予想以上に大きくて大変だった。もう少し早い段階で治療を検討するべきだった」と語っています。 猫野サラさんのようにあまり自覚症状がない場合は、通院を後回しにしてしまうこともあると思います。しかし、自覚症状があまりなくても子宮筋腫が大きくなっていることもあるため、医師から指示をされたら必ず定期検診を受けるようにしましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダー、ムーンカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 猫野サラ
2024年04月17日タレントの上原さくらが13日に自身のアメブロを更新。子宮の摘出手術に対する心境を吐露した。この日、上原は最近の自身について、不正出血が多量に出てしまうことを明かし「普段もオムツタイプで過ごす日もある」と告白。再来週に大学病院で手術の予約を取ることを報告し「適応かどうかの最終検査はあると思うけど」と補足した。続けて「子宮摘出の手術は怖いんだけど」と心境を吐露しつつ「これも終わってしまえば120%ラクになると分かってるので!!勇気を出して踏み出してみます」とコメント。自身について、元々は精神面の浮き沈みが激しめな性格だと明かしつつ「娘を産んでからはかなり強くなってると自覚してます。あと、年齢的に図太くなっちゃってるのかも。笑」とお茶目につづった。最後に「片頭痛と月経絡みがないだけで、私の体調不良ってグンと減ると思う」と述べ、現在はほとんど片頭痛の症状がないため痛みを堪えて家事や仕事をする機会が減っていることを説明。「これに加えて月経絡みの不調がなければ、今からトライアスロン始められるくらい元気になれるかも。笑」とコメントし「…更年期症状との戦いはあるけども」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「良い方向に進んで行く事を願ってます」「手術の決意をされたんですね」「応援してます」などのコメントが寄せられている。
2024年04月15日俳優の川崎麻世が11日に自身のアメブロを更新。手術を受けない決断をしたことを報告した。9日のブログで、川崎は医師からMRIの検査を勧められたといい「1週間前に行ってきたので診断結果を聞きに病院に行ってきた」と報告。「椎間板ヘルニアとすべり症から変形性腰椎症 脊柱管狭窄 椎間孔狭窄と診断された」とMRI検査を受けて診断された病名を明かしつつ「薬やリハビリ等で緩和療法か手術しかないらしい」と説明していた。この日は「沢山の方から連絡が来てるけど手術は賛否両論だね」とコメントし「当面の間は手術するつもりはなくストレッチやトレーニングで様子を見る」と自身の決断を報告。「年齢的にも61歳だからいろんな意味で老化現象と言われる」そうで「老化ってほんとうだ老化!?」と冗談交じりにつづった。一方で「確かに人間だから」「当然」と述べ「だからこそセルフケアが必要だと思う」と自身の考えを明かし、生活習慣を見直していくことを報告。「重力との闘いは死ぬまで続くしね」とつづった。最後に、ジムでの自撮りショットを公開し「トレーニングが終わってラウンジでプロテインやドリンクを飲みながらまったりする時間が幸せ」とコメント。「よし俺頑張る!!」と前向きにつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「無理せず頑張って下さい」「応援してます」「お大事にしてください」などのコメントが寄せられている。
2024年04月13日新型コロナウイルスで日本中の学校が一斉休校になる少し前、人生初の健康診断で目の前が真っ暗になるような結果が出ました。突然の「要精密検査」当時は自覚症状もなく、まだ30代前半でした。しかし、その手元に届いた結果には、「要精密検査」の文字がはっきりと書かれていたのです。「要精密検査」の結果が出たのは、乳房のしこりでした。著名人が乳がんで若くして亡くなったこと知っていましたし、その方の下のお子さんと自分の子どもが同じ年ということもあり、乳房の超音波検査を受けていたのです。その結果が、まさかの「要精密検査」でした。「もし自分も乳がんだったら、進行が早いのでは?」と思い、急いで最短で受診できる日を予約しました。再検査では、マンモグラフィーを初めて体験。あまりの痛さに、涙が出そうになりました。その日は、しこりの確認と、精密検査方法の選択をするだけで終わりでした。検査のタイプは、より正確に検査できるが、費用も上がり傷が残る可能性があるものか、精度は落ちるが、費用は安く傷も残らない方法の2つでした。私は、精度が高いほうを選びました。生体検査の結果は?生体検査(患部の一部を針やメスなどで採取し、顕微鏡などで拡大して調べる検査のこと)は、部分麻酔でおこなわれ、痛みもなく終わりました。検査中は、目隠しがされていたので、「機械の音がすごかった」というような感想しかありませんでした。検査後は、結果が出るまでの時間がとても長く感じましたが、学校が休校中で子どもと1日中一緒に過ごしていたので、思い悩んでいる暇もなく過ごしていました。そして、検査結果を聞きに行く日は、最悪の事態も想定し、夫と一緒に行くことにしたのです。結果は、良性のしこりで悪性ではなかったことにホッとしました。病名は「乳腺線維腺腫(にゅうせんせんいせんしゅ)」。悪性ではないものの、30代ということでこれから増える可能性や、増えたものの中に悪性が混ざる可能性がゼロではないことを説明されました。定期的な受診とセルフチェックを悪性ではなかったものの、定期的に超音波検査やマンモグラフィーでの経過観察は欠かせないとのことで、半年に1回必ず受診をすることになりました。また、9割良性ではあるものの、しこりを完全に除去した上での検査ではないので、「採取できなかった部分が悪性ではないとは言い切れない」とも言われました。そこで、自分でしこりの大きさを確認するセルフチェックが重要だと説明を受けました。当時は、触診では確認できなかったサイズのしこりだったのですが、突然しこりに触れるようになったときは、「すぐに受診を」と強く言われました。それから、数年たった現在、受診を欠かすことなく、セルフチェックも続けています。幸いにも、「乳腺線維腺腫」の数は増えているものの、突然大きくなるものはなく、何事もなく過ごしています。また、傷が残る可能性があると言われた生体検査の傷も、今ではまったくわからなくなりました。まとめ今回、初めて受けた乳房の超音波検査により、しこりが発見されました。これが悪性だった場合、いつ出現したかわからないしこりが放置されていたと考えると、今でもゾッとします。「しこりなんてないから大丈夫」と思い込まずに、年齢関係なく定期的に乳房の超音波検査を受けることが大切だと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/沢岻美奈子先生(沢岻美奈子 女性医療クリニック院長)2013年1月に女性スタッフだけで乳がん検診をおこなう沢岻美奈子 女性医療クリニック開院。2022年の1年間で神戸市乳がん検診を約2500件、地元企業様の会社検診や自己検診も含めると約3100件の乳がん検診を実施する。患者さんとのやりとりと通じて日常の診察で感じ考えることを、専門医目線で正しい医療情報としてInstagramに毎週投稿している。【沢岻先生からのアドバイス】定期検診は30歳くらいから受けるのが良いでしょう。普段から着替えやお風呂で乳房を洗う際などに、いつもと違うところはないか? などと、日常の中でお乳を気にかける「ブレストアウェアネス」を意識しましょう。文/奥ちまイラスト/もふたむ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月11日女優の古村比呂が9日に自身のアメブロを更新。子宮頸がんに罹患した当時を回想した。この日、古村は同日が「子宮頸がん予防を啓発するための『子宮(し・きゅう)の日』」と明かし「私が子宮頸がんに罹患したのは」「46歳のとき」と回想。「偶然受けた検診で子宮頸がんの疑いがある」と言われたそうで、当時の自身について「バリバリ仕事をしていました」と振り返った。続けて「がんの可能性があると言われても特に自覚症状もなく仕事も出来るから『検査が間違っている』と思い込みました」と述べつつ、再度検査を受けた際に「やっぱり子宮頸がん」と判明したことを明かした。また「子宮とサヨナラしてしまいました。それから12年が経ちました」といい「子宮頸がんは予防できるがんです」とコメント。最後に「子宮頸がん検診をそしてHPVワクチンのことをぜひ理解してください」と呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年04月10日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。痛み止めが切れると頭痛と腰痛がする原因は2日目の夜、ようやく手術をした実感が湧いてきたとりだまりさん。実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が表れ、がんが判明してから初めて泣きました。入院中、徐々に手術後の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛がするようになり……。入院中は、積極的に起き上がって歩くことにしたのですが、歩くほどに痛みが和らいていきました。無理のない範囲で少し頑張って歩くと、回復が早くなるみたいです。とはいえ、ちょっと気になることが…。おなかの痛みは徐々に和らいでいくのに、痛み止めの薬が切れてくると、頭痛と腰痛がひどかったのです。そのときは、「ずっと横になっているからかな?」と思っていたのですが、数年後、同じような症状が出たことで、あることに思い当たりました。それはカフェイン断ち。カフェイン断ちをすると、頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるらしく、私もそうだったのかな、と。術後は検査の値に影響することもあるので、病気によっては「術後はカフェインが入っていないものを飲むように」と指示されることもあるそう。私の場合は、買いに行くのが面倒(というか痛くて行けなかった)で、事前に購入した水ばかり飲んでいました。そのため、術後は自然と「カフェイン断ち状態」になっていたのです。事前に知っていれば、入院前にカフェインをとる量を減らしたり、先生に「カフェイン入りのお茶を飲んでもいいですか?」と聞いたりして対策できたかもしれないな〜。(離脱症状は、コーヒーの1杯でも飲めばすぐに落ち着くので)なので、これから入院の予定がある方で、普段からカフェイン入りの飲み物を常飲している方は、気を付けたほうがいいかもしれません。ちなみに、カフェインの離脱症状は人それぞれで、頭痛に始まり、疲労感、倦怠感、イライラ、筋肉痛などが特徴的なようです。ー------------------------頭痛と腰痛は、痛み止めの薬が効いている間は気にならないけれど、切れてくるととてもしんどかったと、とりだまりさん。手術とは関係のない痛みに悩まされることもあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月30日タレントの渡辺裕太が28日に自身のアメブロを更新。35歳を迎え人生初の人間ドックを受けた日のエピソードをつづった。この日、渡辺は「今日誕生日を迎え無事に35歳になりました!」と述べ「誕生日の今日は、、、人生初の人間ドックへ行ってみた!」と報告。「当日分かる範囲では無事に何事もなく健やかな身体でした」と人間ドックの結果を明かし「ありがとう!」とコメントした。続けて「噂のバリウム検査は」「噂通りの過酷さ」だったといい「炭酸ぐいっと飲んだあとにゲップ我慢しなきゃいけませんよって言われてる感覚で」と説明。「そのままあらゆる角度にぐるぐるぐるぐる。35歳にしての初体験で笑っちゃいそうだった」と述べ「あんまりこういうこと書かない方がいいかもしれないけど」「バリウムで家のトイレ詰まった」とハプニングを明かした。また「おい!どうすんだ!笑」といい「困ったもんだよ」「適切に処置します」と説明。「これ以上詳しい内容は、いつかバッタリ会った時にでも話させてください。笑」と冗談まじりにコメントし「そんなこんなで」「楽しい誕生日となりました!」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お誕生日おめでとうございます」「人間ドックお疲れ様でした」「トイレ大変ですね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で全身の震えと吐き気という副作用が2つ出ました。手術を終えた実感が湧いてきて…子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。歩行練習後、あまりのしんどさにようやく痛み止めを変更してもらうようにリクエストしました。すると一晩中我慢していた痛みがラクになり……。痛み止めの種類を変えてもらったら、びっくりするほど痛みを感じなくなりました。痛みがないって、なんて幸せなんだろう!苦痛が消えた反動で、気持ちがラクになり、周りを見渡す余裕も出ました。そして、ストレスも影響しているのか、自分の汗が獣のようなにおいになっていることにも気付いた私。点滴で入れている薬のにおいと、獣のような汗くささが相まって、「お願いだから、誰もそばに来ないで!」という状態に。そんなワイルドな香りを放ちつつ、2日目の夜がやって来ました。夜になって、ようやく手術をした実感が湧きました。もともと子どもを持ちたいという欲がほぼなかったので、がんになって子宮と卵巣を取ると言われたときも、「女性ホルモンが出なくなって、女らしくなくなったら嫌だなぁ」と、それくらいにしか考えていませんでした。ただ、実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が……。「産まない」のと、「産めない」のは、同じことではないようです。「産まない」は自分の選択の結果だったりするけど、「産めない」は産むことも産まないことも、自分じゃ選べないってことだからなぁ。選べないと、なんだか希望を奪われたような気がしてしまう。初めから産む予定なんてなくても、「なんだかなぁ」と感じてしまうのです。とはいえ、時間は巻き戻せないし、おかげで私は今も生きていられるわけだし。ありがとう、というのは、ちょっと違う気がするけれど、子宮と卵巣、いなくなってしまったあなたたちのおかげで、私は今も生きてるよ。ー------------------------子宮と卵巣が自分の体からなくなったことを実感し、がんが判明してから初めて少しだけ泣いたと、どりだまりさん。喪失感を受け入れるのは、つらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術の前日、手術の説明書類を見ると「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、看護師からは手術の翌日には歩くように言われて驚きました。私のせいで若い先生が怒られて…手術前夜、緊張して眠れない人がいるそうで、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれました。とりだまりさんは自分でも驚くほど緊張しておらず、断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。そして、子宮頸がんの手術当日を迎えました。病院には、家族たちが来てくれました。いよいよ手術室に行くことになり……。いよいよ手術当日。やっぱりちょっと緊張します……。病院には、夫、父、母、妹、叔母が来てくれました。手術室に行く前、「眼鏡ケースを持ってね」と看護師さんに言われたのですが、硬くてかさばるため、小さく折りたためるポーチを眼鏡ケースとして持ってきた私。「眼鏡ケースがない」というと、看護師さんはなぜか非常に戸惑いまして……。「ないなら、仕方ない」ということで、とりあえずそのまま手術室へ向かうことになりました。「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡すも、なぜか母と夫で譲り合おうとしていて……。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。手術室では、昨夜「睡眠導入剤を出そうか?」と聞きに来てくれた麻酔科の先生がいました。麻酔を入れているときのやりとりでも、とてもやさしくしてくださって、安心と同時に意識がもうろうとしていったのですが……その後、先生のトゲトゲしい声が……!ということで、手術を受ける人は、眼鏡ケースは忘れちゃダメ! 絶対に!きっと先生はこうやって「手術室では、目についたどんな小さなリスクも排除すべき」ということを、後輩の先生たちに徹底的に教え込んでいくのでしょう。そして、私のようなボーっとした患者にも。だって、自分のせいで、他の人がめちゃくちゃ怒られるって、小心者の私にとっては恐怖しかない……。あのときの助手の先生、もしくは看護師さんには、申し訳なさでいっぱいです。もし次に手術をすることがあれば、絶対に眼鏡ケースは忘れません!本当にすみませんでした!ー------------------------眼鏡ケースの件は自分が悪いのだと言おうにも、麻酔で意識がなくなったと、とりだまりさん。小さなリスクも排除して、麻酔科の先生に守ってもらったのだと、感謝の気持ちでいっぱいとのことでした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月26日歌舞伎俳優の市川團十郎白猿が24日と25日に自身のアメブロを更新。11歳を迎えた息子・勸玄(かんげん)くんの誕生日を人生初のマレーシアでお祝いした日のエピソードをつづった。24日に、團十郎は「ここです!」というタイトルでブログを更新し「人生初のマレーシア」とマレーシアを訪れていることを報告。一方で、勸玄くんについて「いきなりの苦手宣言」と明かし「父は戸惑う、笑」と困惑した様子でコメントした。続けて「勸玄のバースデー」と題したブログでは「誕生日ケーキ風」「肉盛り」と肉の写真を公開し「おめでとう!!」と勸玄くんの誕生日を祝福。25日のブログでは「誕生日会は凄かったです」と述べ「幸せでした」と振り返り、誕生日ケーキの写真とともにブログを締めくくった。この投稿に読者からは「お誕生日おめでとう」「素敵な1年を過ごして下さい」「景色も凄く綺麗ですね」「楽しい旅になりますように」などのコメントが多数寄せられている。
2024年03月25日2歳になる息子のことが大好きでたまらない私の父。ある日私が日帰りで手術を受けることになり、手術当日は父に息子を預けることに。そして手術後に迎えにきてほしいとも頼んだのですが、まさかの反応をされて……? 孫が好きすぎる父…父は私が何か手伝ってほしいとお願いしたとき、「今、孫くんと遊んでいるから」「孫くんが離れたらダメって言っているから」といつでも孫ファーストでとても困っていました。そんなある日、日帰り手術を受けることになった私。手術日は夫が仕事のため、前日の夜から息子を実家の父に見てもらうことに。さらに、手術後にひとりで家に帰るのが難しいと考えた私は、「当日は病院に迎えに来てもらえないかな」と父にお願いします。しかし、父は「その時間は、孫くんのおやつの時間かもしれないしな〜。無理かもな〜」と言って断るのでした。確かにそうかもしれないけれど、手術をする私にもっと気を使ってくれても良いじゃん……と私がモヤモヤしていると、たまたま同じ日に実家を訪れていた弟が、「父さんいい加減にしろよ。姉ちゃんは手術をするんだよ。孫のおやつとか細かいことより、娘の体調優先で行動してあげてよ」とひと言! 父は孫中心になりすぎていたことに気づき、「孫くんがかわいくて周りを見てなかったな……申し訳ない」と言い、私の手術後は病院まで迎えにきてくれました。愛は盲目と言いますが、ここまで孫ファーストになるのは困ります。しかし、いつも面倒を見てくれる父には感謝をしているため、これからは、度がすぎているときははっきりと注意をしつつ、感謝の気持ちも伝えいこうと思った出来事です。 作画/Pappayappa著者:木村メイ
2024年03月17日■前回のあらすじ付き合い始めてからは、毎週末デートして、彼の両親にも挨拶をして、結婚の口約束までして…。運命の人と信じていた相手が、まさか子持ち既婚者だったとは…。次々に明らかになるとんでもない事実と彼の恐ろしい本性。妻との直接対決を経て、知られざる現実を知ることに。“普通の恋人同士”として過ごした幸せな日々が一転、人間の愛憎をめぐる泥沼劇に引きずり込まれるのでした。■ふらりと立ち寄った居酒屋で… ■まさか人生初のナンパ…!?仕事で心を病み、ひとり居酒屋に立ち寄った主人公は、突然ひとりの男性に声をかけられます。主人公に興味をもった様子で「普段の休みは何してるの?」と質問してくる男性に、「人生初ナンパ!?」とドギマギしながら、質問に答える主人公。しかしペラペラと自分の好きなことを夢中で話し続けていたことに気づき、「オタクですみません」と謝ると…!?次回に続く「婚約者は既婚者でした」(全67話)は21時更新!
2024年03月09日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞き、大変な手術であることがわかり不安を感じていました。ジタバタしたってしょうがない手術の前日、担当の看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたとりだまりさん。手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、手術の翌日には歩くように言われて驚きました。そして、手術の前日の夜、麻酔科の先生がやって来て……。手術前日は、先生や看護師さんの説明を受けるほかにも、へその掃除をしたり、アンダーヘアの処理をチェックしてもらったりと、何かとすることがありました。そして、以前出会ったがん友さんとも再会!同じような境遇の人と、バカ話をできるだけでも、ものすごく気持ちが軽くなります。手術の前日は絶食のため、のんびり過ごしていたら、麻酔科の先生がやって来ました。先生が言うには、手術の前日は緊張して眠れない人もいるらしいです。先生から眠剤(睡眠導入剤)を出そうか?と聞かれましたが、私は自分でも驚くほど緊張しておらず。「大丈夫です」と伝えました。「子宮と卵巣取るのに、なんの感傷もなかったのかよ」と今になると自分でも思うのですが、手術前日の私には、本当にあまりそういったものはありませんでした。がんになったことや、手術で子宮や卵巣を取るということは、私には変えることのできない物事でした。自分に変えられないことで、ジタバタしたってしょうがない。だったら、落ち着いて、どーんと構えていたい。自分にそう言い聞かせたていたのだと思います。だって、どうしようもないことは、心配してもどうしようもないし。心配してもどうしようもないから、心配しないことにしよう。よし!……という流れでへらへらしていたら、周りから「無理してない?」とかえって心配されました。そりゃ、してるよ。無理なんか。無理して何も感じないようにしていたから、感傷も感じないわけで。それでも、「まぁ、仕方ないしな!」とつぶやくと、不思議と受け入れられるというか、自然と足元が固まり、背筋がスッと伸びて、呼吸がラクになる気もするのでした。ー------------------------「仕方ない」という言葉は、腹が据わったいい言葉だと思うと、とりだまりさん。手術前に眠れない人もいれば、そうでない人もいて、本当に人それぞれなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。子宮頸がん手術のために、入院前にへその掃除とアンダーヘアの処理をおこないました。腹切って内臓取ってそんなすぐに?入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったとりだまりさん。「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。ですが、患部に近いリンパ節も取ると言われ、結構大変な手術であることがわかり、不安を感じていました。そして、手術の前日、担当してくれる看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたのですが……。手術の前日、担当の看護師さんからは、入院中の過ごし方の説明を受けました。そして、手術の翌日には歩いてもらうと言われ、ギョッとする私。だって、手術の説明書類を見ると、手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてある。もちろん、内視鏡手術ではありません。そんなに切って取った翌日に、歩けるのだろうか……?でもまぁ、看護師さんが歩くって言うのだから、大抵の人は普通に歩けるのでしょう。そんなふうに思っていたのです。事実、何の問題もなく歩ける患者さんも多いとのこと。ただ、私の場合は……これについては、別の機会にお話しします。さらに、看護師さんからは「痛かったりつらかったりしたら、我慢せずすぐに教えること」というアドバイスもいただきました。私はちょっとでも痛みがあると、すぐに鎮痛剤などを飲んでしまう苦痛が苦手なタイプなので、もちろんそうするつもりだったのですが……。実際のところ、なぜか看護師さんに痛みがあることをなかなか言えなかったのです。それについても、別の機会にお話ししますね。ー------------------------手術の翌日には歩きますと言われたときは、とてもびっくりしたというとりだまりさん。手術後は安静にするだけでなく、歩行も重要なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、幸せを感じていました。不安を悟られないようにおどける自分子宮頸がん手術のために、入院することになり、どうしてもしておきたいことがったとりだまりさん。それは、へその掃除とアンダーヘアの処理。病院でしてくれるようですが、恥ずかしさから自分でおこないました。そして、入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったのですが……。子宮頸がん手術のために、夫の付き添いのもと、入院しました。病院の薬のにおいが本当に苦手な私。あのにおいを嗅ぐと、「私は病人」というひしひしと実感するからかもしれません。そして、手術前に先生のお話を聞くのも、不安しかありませんでした……。手術の前日に受けた説明では、腫瘍、子宮と卵巣、現在できている筋腫、そして患部に近いリンパ節も取ると言われました。先生の話を聞きながら「あれ? 結構大変な手術なんじゃ…?」「体にメスを入れるってやっぱり大事なんだな」とようやく実感した私。「いやいや、手術するのだから、大事なのは当たり前。自分のことなんだから、事前にもっと調べろよ!」と思われた方もいると思いますが、なんか怖くて、詳細を調べるのを無意識に避けていたんですよね。そのため「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。まさか、リンパ節なるものまで取らなければいけないとは……。ちなみに、「リンパ節」とは、「リンパ管」のと所々にある膨らみのこと。「リンパ管」とは、ざっくり言えば、体内の下水管です。体内に入り込んだウイルスや不要になった老廃物は、リンパ管の中を流れるリンパ液に乗って流れていきます。がん細胞も、リンパ液に乗って流れていくことがあるのだそうです。このとき、リンパ管の膨らみ部分である「リンパ節」も通るわけですが、実はここには、免疫力をつかさどる細胞「リンパ球」が豊富に存在します。リンパ球が、体にとって不要なものを、ここで濾過(ろか)してくれるわけです。しかし、残念ながら濾過しきれなかったがん細胞が、ここで増えてしまうと転移があるとのこと。そのため、子宮頸がん(ステージ1~3期)の手術では、がんの周りのリンパ節をリンパ管ごと切除する「リンパ節郭清(かくせい)」がおこなわれます。転移を防ぐためには、必要な手術なのでしょうが……。「そんな細かいところをちょこちょこいじって……だ、大丈夫ぶなんでしょうか」と不安でドギマギせずにいられませんでした。ー------------------------手術前日になり、自分が思っていたよりも大事だと実感したというとりだまりさん。手術前の説明を受けてから手術までの期間は、短いことがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月26日どう思ってる?初デート中の【男性の本音】初デート中、男性の態度を見て「楽しみにされていないのかな?」と不安になる人もいるかもしれません。男性は初デート中どう思ってるのでしょうか?「大切なのはお互いの時間」「当日お互いの空き時間に入ればいいのでは?何を食べるかよりも、お互いのことを知ることが目的ですし、お店はどこでもOKだと思っているんです」(26歳男性)真剣にデートするために会いたいと考えている……そんな風に解釈できれば、それはいい兆候かもしれません。デート向けの場所に慣れていない「いつもはコンビニやチェーン店で食事をするので、デート用のお店には疎い。自分で選んで不格好にされるのは避けたい」(25歳男性)「女性の方が美食家でお店に詳しいので、おまかせした方がいいと考えている」(30歳男性)食にあまり興味がない男性にとって、適切な店舗を選ぶことは高いハードルのようです。忙しさでお店選びを忘れてしまう「デートの日程が決まった後は安心してしまい、その後忙しくなって当日気づいたら予約していないことに気づいて驚いたこともあります」(28歳男性)悪気はなく、ただすっかり忘れてしまう……そんなケースもあるでしょう。店舗によっては、女性の服装に悩むことが多いため、スーツで行ける男性は店舗選びに深く考えを巡らせず、忘れてしまうことも起こりそうです。ショックを受けすぎないで適切な店舗を選んで用意してくれないと、粗雑に扱われているように感じてしまうかもしれません。そのような男性には「こうしてほしい」と伝えるだけで、次からはそのような対応をしてくれる可能性が高いですよ。(愛カツ編集部)
2024年02月26日