2人目妊娠中の私は、毎日1歳10カ月の長男の子育てに奮闘中。だんだんおなかが大きくなっていくにつれ、15kg近い長男を抱っこするとおなかが張るようになってしまい、長男を抱っこすることを極力避けるようになりました。「抱っこして!」と懇願する長男を横目に、私はいろいろな方法を考えるのですが……。そんな私の体験談です。 幼い長男の訴えに…幼い長男はまだまだママに甘えたい盛り。自我も芽生えて、「本を読んで!」「一緒に遊んで!」「抱っこして!」とまだじょうずに喋れないながらも自己主張は強く、2人目妊娠中の私は家事・仕事をしながら長男の希望に応えることに必死です。特につらいのが「長男を抱っこすること」。 ママのおなかに赤ちゃんがいることがまだ理解できない長男は、「今までいっぱい抱っこしてくれたのに。なんでもう抱っこしてくれないの?」と言わんばかりに泣いて訴えてきます。そんななか、私は長男の気を紛らわせる方法を考えました。 「抱っこがいい!」「抱っこできないなら私がしゃがめばいい」と気づいた私は、積極的に長男とハグをしました。しかし、機嫌が良いときは長男も喜んでいましたが、ぐずったときや機嫌が悪いときはハグでは物足りないようで抱っこを求めてきます。おもちゃをすすめたり本を読んだりして長男の気を紛らわそうともしましたが、長くは続かず……。 ある日、私が床に落ちた物を取ろうとしてしゃがんだとき、長男が私の背中に抱き着いて一生懸命私のにおいを嗅いでいたのです。私は心の中で「寂しいのかな? いっぱい抱っこしてあげられなくてごめんね」と悲しくなりました。 夫に助けを求める夫に長男の様子と私の体調を相談すると、「君はおなかが大きいからしょうがないよ。僕がいるときは僕が積極的に長男を抱っこするようにしてみよう」と提案してくれました。早速、夫が出かける前や帰宅後、一番に長男を抱っこして、寝る前も抱っこしながら歌を歌ったりしました。 私も本を読むときはソファに長男と一緒に座り、スキンシップを取るようにしていきました。すると、常に抱っこを求めていた長男の求める回数が減ってきたのです! 私は「周りに助けてもらうこと」「抱っこに限らなくてもできることがあること」に気づきました。 まだ幼い長男をいっぱい抱っこしてあげたいのに、長男の欲求に応えてあげられない私の体調と私の態度で寂しそうにしている長男を見るのはつらかったです。しかし、私の代わりに家族に長男を抱っこしてもらったり、私も時間を作ってゆっくり長男と遊んだりスキンシップを増やしたりすることで、長男の寂しさは軽減されたのかなと信じて続けていこうと思います。 監修/助産師REIKO作画/うちここ著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年04月26日「うちの妻は長い待ち時間でも子どもにスマホを見せない」と自慢をしたというパパ。しかしこれを聞いてモヤモヤしたママはパパに反論! その場だけを切り取ってほしくないママの思いを、パパにぶつけた体験談を紹介しています。現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。夫が同僚にした「うちの妻は待合室で子どもにスマホを見せない」という自慢。その話を聞いたとき、つい私は夫に反論してしまいました。私がなぜ夫に反論したのか? そのときの体験談をご紹介します。 夫が同僚にした私の自慢ある日、夫から、同僚に私の自慢をしたという話をされました。それは私が長女と役所へ行ったときの話。その日は待ち時間がとても長くなることがわかっていたので、絵本や折り紙など遊べる物を持っていきました。 役所での話をしたとき、夫から「スマホに頼らないでエライね」と言われたのを覚えています。夫と同僚が「役所の待合室で子どもにずっとスマホを見せてる親がいてさ~」という話から、私の話になり、「うちの妻は役所でもスマホを使わない」と自慢したとのことでした。 現実が見えていない夫に反論!それを聞いて、なんだかモヤモヤした気持ちになった私。思わず「それはさ、たまたまうちの子がそれで過ごせる子っていうだけなんじゃない?」と反論しました。続けて、次のようなことを夫に伝えました。 「長時間同じ場所で子どもが静かにしているのは基本的に難しいこと」「そのときにスマホを見せていたからと言って、日常の育児で親が頑張っていないということではないこと」「私だってどうしても大変になったらスマホに頼ることがあること」などです。私が必死に話すので、夫も「そうか~」と考えこむような仕草をしていました。 そんな私も以前は誤解していた思わず私が必死になって夫に反論したのは、子育てをするたくさんのママの苦労をわかってほしかったからです。しかし、そんな私も出産前は夫と同じことを思っていました。役所などの待合室で子どもにスマホを見せている親を見ては、「スマホなんか見せてダメな親だなぁ」と感じていたものです。 けれども実際に自分で子どもを育ててみると、スマホに頼りたくなるときもあるし、スマホや動画を見せることが絶対に悪いものとは言い切れないと考えるように。そのことをどうしても夫にはわかってもらいたく、つい必死に語ってしまいました。 スマホや動画を子どもに見せることに対しては、いろいろな考え方があると思います。ただ、産前の私のように「そのときにスマホを見せていた」というところだけ切り取って、「ダメな親だな」と決めつけてしまうのはやめてほしいなと思った出来事でした。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年04月21日息子は離乳食初期から食べるのが大好きでした。離乳食中期ごろは、おかずはだいたい毎日のお味噌汁から取り分けて、味付けはだしのみの野菜などを食べさせていました。そして事件が起きたのは、義母の家に遊びに行ったときのこと。よく食べると言う息子のためにごはんを作って待っていてくれたのです。しかし作っていたのは味の濃い肉じゃがでした……。 1歳までは薄味のものを食べさせたい私息子のためにと出してくれた肉じゃがは、大人も一緒に食べられるから、と作ってくれたようです。義母は田舎育ちで味付けは濃いめ。せっかく義母が作ってくれたのに断ることもできず、その日初めて濃い味付けの料理を食べさせました。 息子はおいしそうにパクパク食べ、義母もたくさん食べる息子を見て「また作ってあげるからね!」とうれしそう。私としては、1歳ごろまでは味の薄い物を食べさせたいのに……とモヤモヤした気持ちでした。ですが何も言えず、その場をやり過ごすことに。 まさかの義母の考えにビックリ!私はせめて1歳になるまでは、薄めの味付けの物を食べさせるべきだと考えていました。幼いころの食事は将来の味覚形成に関わると、健診のときに保健師さんから聞いていたからです。そのため、義母が作った肉じゃがを食べさせるのは正直嫌でした。せっかく離乳食が順調なのに、味の濃い物しか食べなくなったらどうするの!という気持ちでいっぱいだったのです。その日のことを夫に話したら、義母に「もう少し味の薄い物を食べさせてほしい」と伝えてくれることになりました。ですが、義母の考えは「遅かれ早かれ3歳になれば大人と同じ物を食べるのだから気にしなくていい」といったものでした。 家庭の味として受け止めるしかないその答えを聞いた私はビックリしましたが、今まで味付けに対して敏感になりすぎていたかもしれないと気付きました。考えてみれば、夫は義母の料理を家庭の味として育ってきたのです。私も義母の考えを受け止め、味付けについて気にしすぎるのはほどほどにしようと思いました。 とはいえ、離乳食の時期には素材の味を知ることや、薄めの味付けを食べることが大切です。将来の生活習慣病予防にもなるとも言われています。息子にはまだ薄味を食べさせたいと思っていたので、その後も自分が調理するときには気を付けていました。 そして、毎週遊びに行っていた義母の家には、なるべく食事を済ませてから行くように。月に1度ほど夫の都合でお昼の時間帯に訪問するときだけ、義母の料理を食べさせることにしました。 わが家の「家庭の味」は薄味に義母の意見を聞いてから、そういう考えもあるんだなと思いつつも自分で作る離乳食は薄味のままで作り続けていた私。ふと、そもそも「家庭の味」が、だしのきいたやさしい薄味であればいいのではと思いました。それ以来、私の作る家庭料理はだしを大切にしています。そうすれば自然と味付けの調味料が少なくても、しっかりとうまみを感じることができます。現在2歳半になった息子ですが、家族と同じ料理を食べています。といってもわが家は薄めの味付け。たまに行く外食は濃い味なので、薄めの味付けを嫌がるようにならないか心配ですが、今のところおいしそうに食べてくれています。だしにこだわっているからかなと思います。 結果的には、遅かれ早かれ大人と同じ料理を食べるようになる、というのは義母の言ったとおりでした。しかし、離乳食は塩分控えめが基本なので、私は薄めの味付けを続けました。肉じゃが事件を通して、家庭料理の味付けについて改めて考えるいいきっかけになってよかったです。 著者:森下ミメカ2歳男児と0歳男児の母。長男妊娠を機に専業主婦に。2歳差育児の大変さを痛感中。現在、子育てや暮らしについてのブログや体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年04月15日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。生まれた長女の手の特徴から、ピアノ講師の義母が「この子は将来ピアニスト!」と大喜び。その後、連絡のたびに「ピアニスト」を押し付けてくる義母にストレスを感じた体験談です。 生まれたとき指が長かった長女長女が生まれたとき、直後の分娩室で話題になったのは「指の長さ」でした。分娩室にいたのは夫と実母と助産師さん。3人で「すごい指が長いね~」としきりに言っていたのを、産後ヘロヘロになっていた私もはっきりと覚えています。 実際自分の状態が落ち着いてからわが子をよく見ると、本当に指がすらりと長かったです。私にも夫にもない特徴なので「おもしろいね~」と微笑ましく夫と話していました。 ピアノ講師の義母が歓喜!産後4日ほどしてから、義父母が病院にお見舞いにきました。夫が新生児室から長女を連れてきて義父母に見せると、指の長さに気付いた義母が歓喜の声をあげました。「すごい! 指が長い子なのね! これは将来ピアニストになるしかないわね!!」とのこと。 義母はピアノ講師なので、孫のこの特徴が本当にうれしかったようです。このときは「そうですねー」と相槌程度で済ませましたが、その後も病院にいる間、義母は繰り返し長女の指の長さを話題にしていました。 し、しつこい! 連絡のたびに毎回里帰り出産で産後の体調の戻りも悪かったので、私は2カ月ほど実家で子育てをしていました。その間、数日おきに義母から連絡がきていたのですが、その文章のなかには必ず「将来はピアニストね」「指が長くてピアニストに向いてるわ」「指を長く産んでくれてありがとう」と言った言葉の数々が……。 大部分は長女の写真に対するコメントだったり、長女の近況を知りたいという内容だったりするのですが、必ず文章のどこかに脈略なくこうした言葉がつくので、毎回小さなストレスでした。 私はとにかく毎回コメントに対する返信はしないようにしていました。そして里帰りから戻ってからは、すぐに会える距離にいるため連絡の頻度も少なくなり、指に関する言葉も徐々に消えていきました。 成長と共に長女の特徴だった指の長さも目立たなくなっていき、3歳の今では「特別長い指」ということもありません。義母は時々「生まれたときは孫ちゃんは指が長かったのにね」と残念そうにしていますが、私はこっそり「言われ続けなくてよかった」と心の中で思っています。 作画/うちここ 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年03月30日3人目の産後は、上の子たちの世話や家事は同居していた義母がしてくれるということで、自宅で過ごすことにした私。朝晩は食事を用意してくれましたが、「お昼はカップラーメン食べて」と出かける義母との感覚の違いに驚いた体験談です。 3人目の産後は自宅で過ごすことに上の子2人の出産時は実家に帰り、実母が産後の私を気づかい栄養のある食事を3食作ってくれました。そして、産後の1カ月健診が終わるまで実家にいて、その後自宅に帰りました。 3人目の産後は義父母と同居したこともあり、義母が産後の家事をしてくれるという話になったので、退院後は自宅で過ごすことに。産後の自分の体調に不安はありましたが、上の子2人の学校もあったため、子どもたちのことを考えるとそうせざるをえない状況でした。 帝王切開手術後の家事は難しい産前はほぼ私が家事をおこなっていたのですが、3人目の出産は初めての帝王切開手術だったので、思うように体が動かせませんでした。そのため義母が家事をしてくれて助かっていましたが、昼食だけなぜか作らないというスタイル。「カップラーメン食べてね!」と出かけてしまうのです。 ちょうど義父が入院中で、義母がお見舞いに行っていることは知っていましたが、病院には着替えを渡しに行く程度で、その後は自分の時間だからと遊びに行っているようでした。夫が義母に何をしているのか聞くと、「自分もストレスを発散させる時間が必要だから。家事はきちんとやっているから問題ないでしょう」と言ったのです。 夫が昼食作りを頑張ってくれて…退院から10日後、ちょうど上の子たちも夏休みに入り、昼食が必要になりました。それでも義母は昼食を用意することはなく、朝食が終わると身支度をして外出し、夕方まで帰ってきません。自分で家事ができたらサッと作るのですが、術後でもあり、生まれた子の世話だけて精いっぱいです。自分が動けない悔しさと、価値観の違う義母への感情で涙が溢れました。 上の子たちのこともありますし、カップラーメンでは……と夫に相談しました。すると、夫は仕事が夜勤で昼間は動けたので寝る時間をけずって買い物をし、昼食を作ってくれました。それを知った義母は、「家族のために息子がやるのは当然! 昼間は自分も用事があるから」と言ったのです。「産後の家事は義母に任せて」という話ではいつの間にかなくなっていました。 3人目を妊娠してからの同居だったので、上の子どもたちを自宅に残して実家に帰ることもできず、義母の行動にただただ驚いた産後でした。今は考え方の違いから義父母とは別居して程よい距離感で付き合い、穏やかな生活を楽しんでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年03月27日現在、2人の子どもを育てています。子どもたちはやさしいじいじとばあばが大好きなのですが、義理の両親のお金の使い方について、私にはちょっぴりモヤモヤすることがあります。結婚して両家の価値観の違いを感じた私の体験談をお伝えします。 結婚前からかわいがってくれた義理の両親義理の両親とは、学生時代に夫と付き合い始めてすぐのころからのお付き合いです。私の名前に「ちゃん」をつけてかわいがってくださり、結婚前から夫と一緒にいろいろなところに連れて行ってくれました。結婚が決まったときには本当に喜んでくれて、私も、娘になれるのがうれしかったのを覚えています。 義理の両親はサラリーマンの家庭です。夫が高校生のころ郊外にマイホームを購入し、大きな犬を買って、旅行は年に数回。複数の趣味も持っていて、毎日とても充実して幸せそうでした。私たちも義理の両親のように歳を重ねていきたいな、と思っていました。 結婚後も義理の両親に仕送り夫も私も結婚式には理想がありました。両家の両親に金銭的に頼ることなく理想の結婚式を挙げた私たちは、貯金を使い果たしてしまったため、少し切り詰めた新婚生活のスタートになりました。それでもとても幸せだったのですが、ひとつ気になることが……。 それは、夫が結婚前、実家にいたときに渡していたお金を、結婚後も変わらず渡していたこと。夫は自営業で収入に波があり決してラクな生活ではなかったのですが、義父は早期退職してそのときすでに働いていなかったので、仕方ないのかな?と思っていました。 価値観の違いを認識ところが義理の両親の生活は相変わらず、趣味に旅行に外食に……。わりとぜいたくしている感じがありました。私たち夫婦と食事に出かければ、お会計前、悪びれることなく先に「ごちそうさまー」と言われてしまうありさま。大切な夫の両親なので、親孝行したい気持ちはあるものの、あちらから言われてしまうとモヤモヤ。 私は「切り詰めて生活しているのに……」と、悲しくなってしまい、夫にやんわり言うと、嫌な顔をされてしまったり、時には喧嘩になったりすることもありました。私の父も早期退職していましたが、両親は節約を心がけながら暮らしていたので、両家の価値観の違いをとても感じました。 子どもたちが生まれてからは仕送りはなくなりましたが、出かけたときや、何かというと支払いはわが家です。しかし、わが家の収入も落ち着いてきましたし、義理の両親には子どもたちもとてもかわいがってもらっているので、今は親孝行と思えるようになりました。でも、私たちは将来、子どもたちに「ちゃっかり」はしないようにしたいなと思っています。 著者:山本舞花2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年03月18日現在第2子妊娠中、3歳の長女を育てています。長女が生後3カ月のころ、ほとんど知らない親戚がなぜかアポなしで家に頻繁に来るようになってしまい、とても困ったことがありました。親しくないゆえに強く拒否できず1カ月が経ち……そんなストレスが続いたときの体験談です。 ある日突然のアポなし訪問長女が生後3カ月のころ、ある日突然家のインターホンが鳴りました。出てみるとそこには、夫方の親戚の女性Aさんが立っています。「顔を知っている」くらいの認識のAさんがなぜ家に来たのか?とそのときは疑問しかありませんでした。Aさんは義父の妹で、そのAさんが「出産のお祝いを持ってきたの」と言いました。 聞くと義実家に行ったが誰もいなかったので、直接渡しにきたのだそう。アポなしでの訪問は困りましたが、そういった事情であれば仕方ないと、その日は長女の顔を見せお礼を言って終わり、一応義母と夫にはAさんが来たことを伝えました。 あれ? またAさんが来た?数日後またAさんがやってきました。「また??」と思って出てみると、「赤ちゃん元気? この前見たらまた会いたくなっちゃって」とのこと。そしてまたその2日後。再びAさんがアポなしでやってきたのです! 「また!?」と驚いていると、「お菓子を一緒に食べましょう」と今度は家に上がっていきました。 さすがにモヤモヤした気持ちになり義母に話すと、その人は元保育士で子どもが大好き。けれども孫がおらず、わが家の長女の誕生が自分に孫ができたようにうれしかったのだそうです。しかももともとどの家に行くにも事前連絡なしで来る人だとのこと。 アポなし訪問が続き、ストレスMAXその後1カ月、Aさんは数日おきにやってきてはわが家で長女を愛でて帰っていきました。もちろん私はストレスMAX。いつ来るかわからないし、来る時間もまちまちなので、長女を毎日規則的に過ごさせたいのにできません。せっかく寝かせた長女は起きてしまうし、自分の時間は削られるし……。 何よりよく知らない親戚なので強くも言えず、話も盛り上がらず、気疲れもしました。しかし私から義母に相談してもAさんのアポなし訪問は、一向に収まる気配がありません。 義父の介入でやっと収束そんなある日、珍しく義父から直接私に電話があり、開口一番に「Aがごめん!」と言われました。義父はAさんからわが家に「遊びに行ってあげてるの」と聞いたそうです。一方同じ話を義母に確認すると、義母からは「お嫁ちゃんは困っているみたいよ」と聞かされ、慌ててAさんに訪問をやめるよう言ってくれたとのことでした。 ちなみに義母はAさんが苦手で、Aさんの話題を義父にはしていなかったそうです。義父の介入でAさんの訪問はぴたりと止まりました。 このとき夫はちょうど多忙で休みもない生活だったので、相談すらできませんでした。そうすると私が頼りにできるのは普段から連絡を取り合う義母だけでしたが、その義母がまさかアポなし訪問収束のストッパーになっているとは……。変に義母を介さず、最初から直接義父に伝えていればよかったと思います。 著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年03月11日現在3歳の娘を育てています。まだ娘が1歳のとき、2人でスーパーに買い物に行ったときのこと。そこで出会った知らないおばさんから衝撃的なお叱りを受けました。予想外すぎるその内容に、私はただただ、あぜんとしてしまいました……。 スーパーで出会った知らないおばさんスーパーではいつも娘をカートの椅子に座らせて、おしゃべりしながら買い物をしていました。おしゃべりといっても娘はまだ1歳になりたて。もちろん会話ができるわけではなく、ほとんど私が一方的に娘に話しかけたり、娘が指さすものに対して私がリアクションしたりする形でした。 その日もいつものように私が娘に話しかけながらスーパーを歩いていると、突然知らないおばさんから声をかけられました。しかも「ちょっとあなた!」と怒っているような声です。内心「え? 何!?」と驚きながら「はい」と返事をしました。 突然のお怒り! その意外過ぎる理由振り向くと声をかけてきたおばさんは見るからにお怒りです。「気づかないうちに何かしちゃったかな?」とドキドキしていると、「ずっと聞いてたけど、何その言葉!」とおばさんは続けます。「えーっと……?」と私が理解できないでいると、おばさんは言葉を続けてきます。 「赤ちゃんはね、大人と同じ言葉で話してもわからないの! 靴は『くっく』! 外は『おんも』! ちゃんと赤ちゃんにわかる言葉で話しかけないと言葉が遅れるわよ!」と言われました。こう言われてすぐには頭が追い付かず、唖然としてしまいました。 そして最後、おばさんは捨て台詞のように「それから子どもはちゃんと自分の足で歩かせなさい!」と言って去って行ったのです。 ただただ唖然…確かに私は娘が小さいときから赤ちゃん言葉を使ったことがありません。大人と話すのと同じような言葉で話しかけてきましたが、まさかそのことを注意されるとは思ってもいませんでした。ただ私にとってあまりにも予想外な指摘だったので、叱責に対しての怒りはわかず、ただただあぜんとしてしまいました。 ちなみにこのとき1歳だった娘はハイハイ真っただ中。まだ自分で歩くことはできませんでしたので、おばさんの背中を見ながら「まだ歩けないんですよ……」と心の中でつぶやきました。 知らない人から一方的な育児アドバイスをもらうことは多々ありましたが、この指摘はかなり印象的でした。これを受けて私が言葉づかいを変えることはありませんでしたが、それでも娘は同年代のなかでもかなりおしゃべりな子に成長しました。「世の中にはいろいろな人がいるなぁ」と思った体験談です。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年02月28日生後半年ほどの娘を連れて、ファミレスでママ友と楽しいランチの予定。ところが娘の異変に気付き、思いもよらぬ展開に。予期せぬ出来事に慌てふためきながらもなんとか切り抜けることができた、冷や汗ものの体験を紹介します。 完璧に準備できている私地域でおこなわれた新米ママの交流会で知り合ったママ友と意気投合し、ファミレスでランチをすることに。子育ての経験も浅い私は娘を連れて2人で食事に行ったことはなく、ファミレスへ行くまでをシミュレーションし尽くし、思いつく限りの準備をして出かけました。 娘を車に乗せ、ファミレスについたら準備していたベビーカーに娘を乗せなおして荷物をもってファミレスへ。私、ちゃんとできてる! 完璧のはずでした。途中までは⋯⋯。 ファミレスで起きた想定外の出来事ファミレスの駐車場でママ友と合流し、一緒にファミレスの中へ。店員さんから2台のベビーカーとママ2人が座るのに十分な広さの席へ案内してもらい、ひと息ついているときに異変が。 娘のベビーカーから臭いがするのです。うんちが出たのだと思いトイレに行こうと思ったとき、さらに異変に気づきました。なんとうんちは、娘のおむつや衣類からはみ出してベビーカーの中まであふれ出していたのです。食事をとる場所で臭いや衛生面も気になるので、おむつ交換のためトイレへ急ぎました。 ベビーカーにあふれ出したうんちの処理ファミレスで娘がうんちをすることは想定内でしたが、おむつからあふれ出すほどのうんちをベビーカーの中でしてしまうことは想定外でした。とりあえず娘のおむつを替えて着替えをさせたのですが、ベビーカーの中の掃除や始末にてこずり、ママ友を長時間待たせてしまうことに……。 ママ友に遅くなってしまったことを謝ったものの、食事中にうんちの話をするのも気が引けたので詳しいことは話しませんでしたが、察してくれたようでした。結局ファミレスでベビーカーの中を洗って掃除することはできないため、手持ちのおしり拭きなどできれいに拭いて準備していたタオルを敷いてごまかすことに。せっかくの楽しいランチもそれどころではなくなってしまいました。 娘が生まれて約半年、まさかの想定外の出来事で娘を連れて出かけることの大変さを思い知らされました。準備しておいてよかったと感じたのは、娘の着替えを1回分持ち歩いていたこと。歩いて移動する場合だと準備し過ぎても大荷物で困ってしまいますが、今回は車移動で、車内に着替えを置いていたので想定外の出来事に対応できよかったと感じました。 監修/助産師REIKO著者:佐藤かな1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年02月21日アレルギーの怖さに対する認識は未だ完全ではなく、軽視する人もいるんだなと実感した出来事をお話しします。私の義母もその1人で、息子の牛乳アレルギーを軽視し、干渉されていました。そんな義母の困った対応から解放されるために、私はある行動に出たのです。義母の干渉から救ってくれたのは、お医者さんからのあるひと言でした……。 息子の牛乳アレルギー私には1歳2カ月の息子がいます。息子が初めて牛乳を口にしたのは1歳になるころでした。初めて牛乳を与えた日に全身に湿疹が出てしまい、病院で血液検査をした結果、牛乳アレルギーだということがわかりました。 病院と相談しひとまず除去をすることになり、身内の理解も必要となってくるため、義母にもアレルギーについてと今後の方針についてしっかりと伝えていたはずなのですが……。 アレルギーは母親のせい?息子がアレルギーであることを伝えた翌日、突然インタホーンが鳴りモニターを見ると、買い物袋を抱えた義母が立っていました。リビングに通すと、買い物袋を広げ始め、そこには大量の乳製品が! 除去する方針であることを再度伝えると、「母親がそんなに神経質だから治るものも治らない! 食べさせていれば治る!」と義母は言うのです。 たしかに、少しずつ食べることでよくなることはあるとお医者さんも言っていたので、食物経口負荷試験後に徐々に始めると義母に伝えると、怒りはさらにヒートアップ。「昔は普通に食べていたんだから、そんなものは必要ない! あなたは神経質すぎる!」と声を荒らげました。 義母を連れて病院へ義母にその場では引き取ってもらい、後日義母に息子の健診に同行してもらい、一緒にアレルギーの怖さについてお医者さんから説明を受けました。 お医者さんは「アレルギーの子にアレルギー物質を他人が食べさせるなんて殺人行為と同じだ」とはっきり言ってくださったので、義母も自分がした事の重大さに気づき、以降アレルギーに関して口出ししてくることはなくなりました。 身内同士だど、私も義母もお互いに感情的になってしまいアレルギーの怖さを理解してもらうのは不可能だと考え、専門的な知識を持つお医者さんから義母に説明してもらいました。間違った知識や偏った考えではなくアレルギーについて正しく理解を深められて、私は義母に健診に同行してもらってよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:伊藤あいり2歳の女の子と0歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年02月19日2人目妊娠中、起きているのもつらいほどつわりがひどかった私。1歳6カ月の長男の世話や最低限の家事以外は横になっている毎日でした。そんな私を横目に、仕事から帰ってきた夫がまさかの発言をし、私は怒りと悔しさで涙が出ました。そんな私の体験談を紹介します。 夫の心ない発言妊娠8週目に入ったころ、頼る家族もいないなか、吐き気と倦怠感に耐えながら必死で長男の育児と家事をなんとかこなしていた私。長男はやんちゃ盛りで家の中はいつも物が散らかり、私自身は吐き気が強くて大したごはんも作れずにいました。 ある日、仕事から帰った夫が「なんでこんなにキッチンが汚いんだ! 家の中は埃まみれだし!」といきなりひとりで怒り出したのです! リビングで長男のおむつを替えていた私は、つわりで苦しんでいることを知っているはずの夫がそのような発言をしたことが信じられませんでした。 やりたいのにできないつらさ夫のまさかの発言に怒り心頭の私は「私がつわりで動けないこと知ってるでしょ!? あなたは妊婦のつらさをまったくわかっていない!」と喧嘩に。夫と言い合いをしている最中も吐き気が襲ってきて、発言することができなくなりました。 ぱっと部屋を見ると確かに家の中はぐちゃぐちゃで、片付けや掃除をしてもまた散らかる毎日。本当は片付けたいのに、もっとしたいことがたくさんあるのに動けない自分が悲しくなり、つわりのつらさを理解できない夫に涙が出てきたのです。 お互いを理解し合うこと私たち2人が喧嘩している姿を長男が呆然と見ているなか、夫が「ごめん、長男の前でいけないよな。しんどいのにごめん」とポツリ。その言葉を聞いた私も「つわりのしんどさはわからないのも当然。疲れて帰ってきて家の中がぐちゃぐちゃだといい気がしないのもわかる」と思いました。 その後、私の体の状態を詳しく夫に説明し、育児も手伝ってほしいことなど話し合いました。そして、翌日から夫は積極的に家事・育児を手伝ってくれるようになったのです。 私は、夫が妊娠の大変さを理解してくれているだろうと勝手に思い込んでいました。しかし、夫は1人目妊娠時の私の状態を忘れていたり、上の子がすでにいる環境とは違うことも理解できなかったりで、なぜ私がこんなに動けないのかわからなかったのだと気づきました。いつでもお互いのことを話し合い、理解を深めることの大切さを改めて学んだ出来事です。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年01月27日子どもと公園など外へ遊びに行くと、なかなか帰ろうとせず泣かれてしまうこともあり、対応に悩んでいたママ。それなら帰るのをやめよう!と、ある方法で解決できたそうです。3歳1カ月の息子は外で遊ぶのが大好きです。でも一度遊び始めると帰る時間になってもなかなか帰ろうとせず、毎回息子を連れ戻すのに苦戦していました。「そろそろ帰るよー」と言った瞬間息子に泣かれたり逃げられたり……。それならもう帰るのをやめよう!と、私はある方法を実践するようになりました。今回は、遊びに夢中な息子への対応に悩んでいた私の体験談をお話しします。 帰り際に泣かれるのが定番わが家では、午前中は公園や児童館など外に出かけ、お昼ごろに帰宅することが多いです。友達と一緒に遊ぶときはみんな同じ時間に帰るのでスムーズに帰ることができるのですが、友達がいないときは決まって帰り際に泣かれてしまいます。 帰る時間の少し前から「もう少ししたら帰るよ」と声をかけたり、「おなかすいてきたね」「お家まで競争しよう」とあれこれ言ってみたりしても効果なし。一通り試したあとに、泣いている息子を連れ戻すこともしょっちゅうありました。 帰るのをやめた!せっかく息子が楽しい気持ちで遊んでいるのに、帰るときに毎回悲しい気持ちで終わるのは嫌だなあ……と思っていました。かといって息子に合わせて遊び続ければ、今度は「おなかがすいた」「疲れた」といってぐずり始めるのも目に見えています。 そこで思いついたのが、お昼ごはんを持ち歩けばいい!ということ。ベンチがある公園や食事スペースのある遊び場に行くときにはおにぎりやサンドイッチを持っていき、帰る時間を気にすることなく、息子が満足するまで遊ばせるようにしたのです。 息子の反応は!?お昼の時間になっても息子がなかなか帰ろうとしないときに「おにぎり食べる?」と聞くと、すぐに私のほうに駆け寄ってきてくれます。食べて満足したら帰ることもあれば、また少し遊んでから帰るときもあります。 でも帰り際に息子に泣かれることはなくなり、私もすごくラクになりました。朝出かける前に準備する手間や荷物は増えますが、家を出て帰宅するまで息子が笑顔で過ごしてくれることが私にとって何よりうれしかったです。 今までは外遊びから帰宅してバタバタとお昼の準備をしていましたが、お昼ごはんを持ち歩くようになってからは帰宅してからの流れもスムーズ。もし外で食べなくても、帰宅してすぐにお昼ごはんにできます。今では1歳1カ月の娘もいるので、時間を気にせずみんなで思う存分、外遊びを楽しんでいます。 監修/助産師REIKO著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年01月25日私には、現在3歳の息子と1歳の娘がいます。息子が1歳3カ月のときに2人目の妊娠が判明しました。2人目の出産は里帰りせずに自宅の近くの産院で産もうと決めていたので、妊娠後期に入ってから陣痛タクシーを登録。実際に2人目の出産で病院へ向かうときに陣痛タクシーを使うことになったのですが……。そのときのまさかの体験をお話しします。 陣痛タクシーに登録健診にはいつも夫が車を運転して行っていましたが、陣痛はいつどこで起きるかわかりません。それに夫が不在で陣痛がきた場合は私ひとりで息子も連れて病院へ行く可能性があったので、電車やバスはやめておくことにしました。陣痛の痛みに耐えながら入院バッグを持ち、息子の面倒までは無理だと思ったからです。 そこで、自宅と病院が送迎範囲になっているタクシー会社を調べ、混雑していた場合に備えて2つの陣痛タクシーを登録。夫と一緒に陣痛タクシーを呼ぶ流れや注意点を確認し、陣痛がきたときのシミュレーションをしていました。 夜中に陣痛がきた!陣痛かも……と気づいたのは夜中0時を過ぎたころでした。だんだん痛みが強まってきたので、病院へ連絡して向かうことに。深夜だったため寝ている息子は夫にお願いして、私は登録していた陣痛タクシーへ連絡をしました。タクシー会社との電話はスムーズにやり取りでき、すぐにきてくれるとのこと。 そのときの私は2回目の妊娠ということもあり、陣痛がきても気持ちに余裕があったのを覚えています。「いよいよ出産……。赤ちゃんに会えるんだ!」と、陣痛の痛みに耐えながらもどこかワクワクしていました。 陣痛タクシーに乗ったら…家のインターホンが鳴り、タクシーへ乗り込んでいよいよ出発!と思ったら……運転手さんからまさかのひと言。「陣痛タクシーって言われたんだけど、どこに行けばいいんですかね……」。私はその言葉に固まってしまいました。 病院名や住所は登録済みなので、乗ったらすぐに連れて行ってもらえるはずなのに……。私は陣痛の波に耐えながら、病院までの道や目印となるものを伝えつつ何とか病院へたどり着いたのでした。 2回目の出産で初めて利用した陣痛タクシーですが、運転手さんのまさかのひと言に最初はどうなることかと思いました。でも、病院に到着すると運転手さんに「がんばってきてね!」と言われ、あたたかい気持ちになりました。その後、無事に出産できて本当によかったです。 監修/助産師REIKO著者:小松潤子2歳男の子と0歳女の子の母。幼稚園教諭・保育士資格を保有し、4年間教育現場に携わる。現在は育児、美容の記事を中心に執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年01月06日娘が生後7カ月を迎えたある日、私が歯磨きをしていると、口内に突然耐えられないほどの激痛が。重度の虫歯を疑い、重たい気持ちで歯科医を受診したところ、痛みの原因はまさかの添い寝!? 育児と歯痛の衝撃的な関連性をお話しします。 突然襲った歯の痛み、診察結果はいつも通り娘と一緒にお風呂に入り自分の歯を磨いていると、口内の右上あたりに突然耐えられないほどの激痛が走りました。虫歯を疑ったのですが、妊娠中に受けた歯科健診では特に異常が見られなかったため、たった1年でここまでの激痛を伴うはずはないと思いました。 お茶を飲んだり歯を磨いたりしたときにその都度激痛が走るため、一度歯医者で見てもらうことに。すると診察の結果は「知覚過敏(象牙質知覚過敏症)」とのこと。驚くことに、医師は続けて「お子さんと添い寝していますか?」と言うのでした。 知覚過敏の原因が添い寝?どうして知覚過敏と添い寝が関係するのか理解できませんでしたが、うつぶせ寝や横向き寝で顔や歯に大きな力がかかると、歯のエナメル質が壊れて象牙質がむき出しになってしまい、冷たいものやちょっとした刺激が歯の神経にしみて知覚過敏になりやすいとのことでした。 特に子どもが小さいころは、母親が子どものほうを向く形で横を向いて眠るため、歯に圧力がかかりやすく知覚過敏になりやすいそうです。話に聞いたことはあった知覚過敏でしたが、まさか横向き寝に原因があると思わず驚きました。 さらに私の場合はもともと歯ぎしりがひどかったこともあり、特に知覚過敏になりやすかったそうです。 知覚過敏の治療とその後これまで私は市販の歯磨き粉を使っていましたが、医師のすすめで知覚過敏専用の歯磨き粉(アース製薬「シュミテクト」)を使うことにしました。驚くことに、歯ブラシの先が触れるだけでも痛かった箇所は、歯磨き粉を変えるだけでほとんど痛みを感じないほどに。 ところが、このまま歯磨き粉を変えれば解決するかと思った痛みでしたが、初診から半月後の再診ではやはり痛みは完全に消えておらず、夜間のみ装着するマウスピースを作成しました。夜の添い寝でかかる歯への負担を減らし、歯のエナメル質の破壊を防ぐためです。 完全に痛みを感じなくなるまでに早くて3カ月、遅くて半年ほどかかるとのことでしたが、知覚過敏を治療できるということだけでもありがたく、根気よく治療をしています。 医師によると、一度壊れてしまった歯のエナメル質はもう元に戻ることはないそうですが、露出した象牙質が次第になめらかになることで痛みを感じなくなるとのことでした。他の歯で再び知覚過敏が起こることがないよう、添い寝の姿勢に気を付けている私です。知覚過敏の原因が添い寝だと知り驚きましたが、ある意味貴重な体験になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年12月31日私は子どもの寝かしつけをしていると、一緒に寝てしまうことがしょっちゅうありました。気がついたときには「家事が残っているのに……」と後悔して情けなくなります。そこで子どもが1歳半のときに、普段の習慣を少し変えてみました。そうすると気持ちよく家事が進むようになり、趣味の時間も作れるようになり、元気に毎日過ごせるようになったのです。そんな私の体験談をお話しします。 体も心も疲れていってわが家では子どもが寝るときに両親のどちらかが寝かしつけをしています。私が寝かしつけをすると、しょっちゅう一緒に寝てしまっていました。途中で気がつけば起きて、残った家事をしたり夫と一緒に過ごしたりします。 ただ、これでは一度睡眠が分断されるので、体の疲れが取れづらくなります。また、途中で起きられずに朝まで寝てしまうと、やり残した家事をみて気持ちが落ち込み、自分だけが大変な思いをしているように感じ、夫に対して恨めしい気持ちにもなりました。 子どもと一緒に早寝早起きそこで私は寝かしつけをやめました。つまり、子どもと一緒に寝ると決めたのです。そして早く寝た分、早く起きるようにしました。具体的には20時就寝、4時起床です。今まで夜にしていた家事を朝にするようにしています。これなら睡眠も十分にとれ、家事も残さずできます。 ただ、夫と過ごす時間が減ったのが気がかりでした。けれど何日かすると夫も5時起床の生活にしてくれ、一緒に過ごす時間ができ、夫婦の会話量はキープできています。 想定外のメリット超朝型ともいえるこの生活は体調や家事の進み具合だけではなく、効率もいいと感じています。頭も体も疲れた夜よりも、頭も体も充実している朝に家事をするほうが短い時間で終わらせることができるのです。 そして、空いた時間にヨガをしたり、DVDを観たりと趣味を楽しんでいます。今までは、なんでも「子どもが寝たあとでやろう」と考えていました。けれど今では、「子どもが起きるまでに何ができるかな」と考えるようになりました。 周りの人の生活リズムとは少しズレますが、問題はなく、今ではすっかり習慣づいています。しっかり睡眠時間を確保したことで元気や活力が湧いてきたと思いますし、気持ちも前向きになったようです。おかげでやりたいことができ、気持ちに余裕が持てた分、家族に対してもやさしくなれたように感じています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年12月21日妊娠中からシングルマザーになり、4年後に交際していたパートナーと結婚して、ステップファミリーになりました。交際から結婚まではトントン拍子にいったものの、子どもと夫との関係が順調だったわけではありません。今回は実体験をもとに、ステップファミリーとして本当の家族になるまでの心配ごとや家族の変化をお伝えします。 ステップファミリーになるまでの心配ごとステップファミリーになることは、決して平凡な道ではありませんでした。「子どもとの相性が悪かったらどうしよう」「パートナーの両親は子どものことを受け入れてくれるかな?」「時々ニュースになるような虐待などのトラブルがあったらどうしよう」……ステップファミリーになるまでも、なってからも心配ごとは尽きません。 そのため私は、早く家族になろうと急ぐのではなく、ゆっくりと子どもとパートナーの接し方や気持ちを見ながら関係を築いていくことにしました。 パートナーができてからの子どもの変化子どもは最初のころ、交際していたパートナーに対して「ただ遊びに連れて行ってくれる人」という印象で、特別に懐いていたわけではありません。それでもパートナーは父親になる覚悟で真剣に接してくれて、子どもは少しずつ心を開いていきました。 時には子どもを叱り、「俺がこんなに叱ってよかったのかな? まだ父親ではないし、どの程度向き合えばいいのだろう?」と壁にぶつかることもありました。ところが、パートナーが真剣に接するほど、子どもと良い関係を築けるようになっていったのです。 血の繋がりはなくても家族になれるパートナーは何度か「本当に父親になれるだろうか」と心が折れかけたことがありました。そのときは私が2人の間に入り、関係を築いていきました。今では本当の親子のようにパートナーと子どもは仲良しです。 「子どもはシングルマザーだった期間を忘れているのでは?」と思うほど、本当の家族として仲良く3人で生活しています。また、第2子を妊娠したことで夫は以前にもまして父親の意識が芽生え、子どものことをかわいがってくれるようになりました。 私は好きな気持ちがあってパートナーと交際していましたが、子どもも合わせて家族になるのは決して簡単なことではありませんでした。子どもは突然パパという存在の人が現れ、最初は戸惑っていたように思います。しかし、血の繋がりは関係なく真剣に向き合っていけば、本当の親子のようになれることを身をもって実感しました。 著者:花野あやせ4歳男の子のワーキングマザーで第2子妊娠中。シングルマザーとしての働き方に悩み、会社員からフリーランスに転向して3年。現在はステップファミリーに。企業のブログや育児、恋愛コラムを執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年12月07日双子が生まれてから、おむつ替え、授乳、抱っこ、家事……気が付けば1日が終わっているという日々が続きました。そんな状況のなか、外に出かけるのは大変でした。自分の準備、子どもの準備……なかなか出かける気は起きません。それでも気合を入れて出かけてみた日、大変さ以上の気分転換になったことを紹介します。 ※コロナ禍前の体験談です。 幸せを感じる余裕もない日々愛しいわが子たちを出産し、里帰りを終え自宅に戻ったあとは、ひたすらわが子たちのお世話と家事に追われる毎日でした。激務な夫は早朝から夜までいません。自宅から近距離に住んでいる母が仕事の休憩時間に手伝いにきてくれていましたが、多くの時間はわが子たちと3人で過していました。 ひとりを抱っこしていても、もうひとりが泣いています。泣き声の止まない家の中にいると、どんどん気が滅入っていきました。かわいい子どもたちに囲まれた生活は幸せなはずなのに、私はその幸せを感じる余裕すらなくなっていました。 気合いを入れて、いざ外へ普段は、準備も大変だし「途中で泣くかも」と考えると外出する気にならず、ひとりで2人を連れて出かけることは避けていました。しかし、どうしても必要な物があり、仕方なく近くのスーパーへ出かけることに。 準備はやっぱり大変です。出かける前、おむつ替え直後のうんち……。「なんでこのタイミング?」と思わせるタイミングでおなかをスッキリさせる2人。今なら、「外出先でされるより、家の中でよかった」と思えるのですが、当時は出かけようと思ったのになかなか出られないことに私はイライラしてしまっていました。 大人と会話することが気分転換にやっとの思いで双子用ベビーカーにわが子たちを乗せ、出発です。すると、「あら~かわいいね!」「お母さん頑張ってるね!」「うちにも双子の孫がいるのよ!」。声をかけてくれる人の多さに驚きました。みんなたくさん声をかけてくれ、立ち止まってさまざまな話をしてくれます。 家にこもっていると泣き声に負けてしまいそうな私でしたが、外で会話をすることで気分はスッキリ! 「かわいいね!」と一緒にわが子たちの顔を覗き込むことで、ゆっくり幸せを感じることができました。そして、身内に双子がいる方に出会うことも多かったので、経験談から学べることもあり、とても助かりました。 出かける準備は大変でしたが、外に出たことが私にとっては気分転換となりました。その経験から、天気の良い日はわが子たちと家の外に出て、近所の散歩や公園へ行き、周りの方や、昆虫や花などの自然に助けてもらいながら毎日を過ごすようになっています。 監修/助産師REIKO著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月22日3人のお子さんを持つママの、妊娠中と産後の不調にまつわる体験談です。3人目のお子さんを妊娠したころから、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなってしまったママ。さらに産後は強迫性障害の症状に悩まされ、心療内科を受診した結果……。3人目の子どもを妊娠中、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなりました。本だけでなくSNSの投稿や学校のプリントも頭に入ってこなくなり、頭が回っていないことを実感する日々……。出産後もその症状が続いたものの、呑気な私は疲れているのだろうと気に留めずにいたのです。そんなときに診察に行った病院で告げられたのは、まさかのあの病気でした。 読んだ文章が頭に入ってこない!最初に違和感を覚えたのは、3人目の子どもを妊娠中のことでした。読書が趣味でよく本を読んでいたのですが、ある日まったく文字が頭に入ってこなくなっていると気づいたのです。 本どころか、友人のSNSの投稿すら読んでも内容がまったく入ってきませんでした。文字は追えるのですが、読んだ内容が頭に入ってこないのです。そのときは「疲れているのかな」と気に留めていませんでしたが、その症状は産後まで続くこととなりました。 強迫性障害の症状が現れ、心療内科を受診!3人目の子どもが生まれると、症状はますますひどくなってきました。上の子たちが持ち帰るプリントの内容もまったく頭に入ってこず、買い物に行っても何を買えばいいかわからない状態になったのです。 さらに私を襲ったのは、強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)の症状です。物を並べる順番が決まってないといけない、行動の順番が決まってないと不安でイライラするなどの症状が顕著に現れ始めました。 高校生のころ強迫性障害とうつ病で心療内科に行った経験があった私は、心療内科の受診を決めました。 心療内科で告げられた病名はまさかの!?心療内科で症状を伝えると、強迫性障害と軽いうつ状態であると診断が下りました。この診断に私はビックリ! 強迫性障害であるだろうとは予想していましたが、うつ状態だとは思っていませんでした。高校生のころうつ病になったときは、体の倦怠感がひどく起き上がることも困難だったかったからです。 今回は気分の落ち込みもなく体のだるさもなかったので、まさか自分がうつ状態だとは思いませんでした。文字が頭に入ってこないのは頭が疲れている証拠だそうです。心療内科では抗うつ薬が処方され、月に1度のカウンセリングを受けることになりました。 心療内科に通い始めて半年経つころには症状も治まり、投薬も終えて活動的に過ごせるようになりました。私はうつの自覚症状がなかったのですが、受診して初めてイライラや不安感を強く抱いていたんだなと実感……。育児中はなかなか自分の心と向き合う余裕がありませんが、精神状態を確認することの大切さを学んだ出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月20日ネットの情報や先輩ママから、妊娠中は腰が痛くなると聞いていたため、「双子ならなおさら仕方のないこと」と腰痛が悪化しても妊婦健診で先生に相談することなく耐え続けていました。しかしあまりの激痛に耐えきれなくなり、出産予定日を目前に控えた日の真夜中、病院へ。そこでわかった腰痛の原因を紹介します。 妊娠3カ月には目立つおなか双子を妊娠して妊娠3カ月ごろにはおなかが大きくなり、妊娠前にはいていたズボンのチャックが閉まらなくなりました。それからはどんどんおなかが大きくなり、腰痛と付き合う日々。 仕事をしていても、運転をしていても、常に腰が気になります。妊婦健診の際に腰が痛いことを先生に伝えてみましたが、「もともとひとり用のおなかに2人入っているのだから、腰への負担も仕方のないこと。できるだけ寝転がって過ごしなさい」とのことでした。 腰痛で眠れない日々妊娠5カ月に仕事を退職し、妊娠7カ月ごろからは必要最低限の行動以外は自宅のベッドにいる日々を過ごしました。それでも腰痛はひどくなる一方です。寝る向きを変えてみたり、腰をさすってみたり、押してみたり……。 少しでもラクになる体勢を探しながらゴロゴロ。夜中も痛みで起きてしまうため、ゆっくり眠ることもできない毎日。ただ、“腰痛は仕方のないこと”という認識から、妊婦健診でも先生に腰痛がひどくなっていることを相談しませんでした。 腰痛の原因が判明出産予定日を1週間後に控えたある日、とうとう腰痛が限界にきました。どうやっても治まらない激痛に涙がこぼれ、真夜中に通っていた産婦人科へ行くことに。そこで腰にエコーを当ててもらい、腎臓に水が溜まっていることが判明! 双子の成長により尿の通り道が圧迫され、水腎症になっていました。水腎症を発症していては個人病院の産婦人科では産むことはできないということで、そのまま市民病院へ転院し、緊急入院。2日後に、もともと予定していた帝王切開で出産しました。 出産したことで、尿の通り道への圧迫がなくなり、水腎症は回復しました。腰痛は赤ちゃんの重みが原因だと思い込み、先生に相談しなかった結果が緊急入院です。不安や心配事があれば思い込みで過ごすのではなく、なんでも先生に相談しておけばよかったと、今回の体験から学びました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/うちここ著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。
2020年11月16日娘が保育園に通い始めました。先生も私もびっくりするくらい、スムーズな慣らし保育。しかし、急にイヤイヤ全開に! 私は振り回され、心も体もへとへと……。小さな小さな怪獣の本音に気付くまでの体験談です。 一時保育から認可保育園へ2歳の娘は、今年の4月から認可保育園へ。昨年度は認可保育園が保留で、別の園の一時保育に通っていました。登園を嫌がることもなく、別れ際は「いってらっしゃい」とニコニコ。とても楽しく過ごし、大きなトラブルもありませんでした。 新年度からは待望の認可保育園が決定。本人も「新しい保育園楽しみ!」とやる気満々でした。娘は物怖じしない性格なので、私も夫もまったく心配していませんでした。 怖いくらい順調な慣らし保育慣らし保育1日目。親子で昼食まで過ごしました。私と一緒だったこともあり、終始ご機嫌。「明日も行きたい!」とうれしそうにしていました。2日目はひとりで昼食まで。別れ際はニコニコ。「1回も泣きませんでしたよ」と先生から報告があり、その後も順調。 私も夫も「さすが娘ちゃんだね」と感心していました。先生は「まるで前から園にいるみたいですよ。順調すぎてちょっと怖いくらいですけど……」と話していましたが、私は褒め言葉と受け取っていました。 登園7日目からモンスターに7日間通い「もう大丈夫」と思った矢先、異変が起きました。帰宅後、自転車から降りようとすると「帰りたくない」と娘。仕方がないので公園へ。1時間ほど遊び、帰りを促しましたが「嫌だ。帰らない」と譲りません。仕方なく無理やり連れて帰ることに。 「たまにはこんなこともあるかな」くらいに思っていましたが、甘かったのです。次の日も、その次の日も同じことが。しかも、「ごはんイヤ」「お風呂イヤ」ととにかくイヤイヤの連続。仕事終わりに公園で1時間遊び、嫌がる娘を無理やり連れて帰り、夕食の支度をして、イヤイヤ娘と寝るまで戦う……。私はへとへとになってしまいました。 モンスターの本音、気付かなくてごめんね保育園ではイヤイヤもなく、お友達とも遊べていた娘。帰宅後だけはモンスターになるという日々がしばらく続いたある日。娘がぽつりと「保育園で失敗するといけないから……」と。慣れない環境で間違えないように、みんなと同じ行動がとれるように頑張ってきたことを知りました。 私が「今まで気付かなくてごめんね。頑張ってるんだよね。疲れちゃうから、ぐずりたくなっちゃうんだね」と言うと、小さく「うん」と。それから家ではなるべく叱らないように努力し、娘の希望に沿えるようにしました。すると、少しずつイヤイヤは減っていったのです。 懸命に保育園に慣れようとしていた娘。それに気付いてあげられず、反省。急な態度の変化には理由がありました。また、外で頑張っているから家では甘えさせようと思うようにも。まだ時々小さな怪獣は姿を現しますが、私の前では自由に感情を表現してくれていると感じています。これからもモンスターと仲良くなれるように頑張りたいです。 監修/助産師REIKO著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月12日夫とは、付き合って10年、結婚して10年。子どもたちが生まれてからも、お互いの誕生日や記念日、クリスマスには必ずプレゼントを贈り合い、レストランで食事。それぞれ多少の不満はありながらも、自他共に認める仲良し夫婦だとずっと思ってきました。それがある日突然、サレ妻になったときのことをお話しします。 発覚のきっかけはささいな喧嘩喧嘩はほとんどしない夫婦でしたが、その日はめずらしく、普段は穏やかな夫がとてもイライラしていました。夫は自営業で仕事が忙しく、寝る時間も割いて働いてくれていました。それにはいつも感謝し、体を心配もしていました。 ですが同時に、幼い2人の子どものお世話と家事をすべてこなしていたので、夏休み後半ということもあり、私も疲れが溜まっている時期でした。 夫に家が散らかっていることを注意された私は、溜まった不満をぶちまけてしまったのです。普段ならそこで話し合いとなり、双方が自分の直すべき点を自覚して、お互いに謝るべき点は謝り仲直りをするのですが……。そのとき、夫は私との話し合いを避け、歩み寄ろうとしなかったのです。 妻の勘夫との付き合いは長いので、すぐに嫌な予感がしました。そしてその予感は的中。やっと持てた話し合いの場で、夫は私のことがとにかく嫌だと言い始めました。やさしいけれど、どちらかと言えば亭主関白な夫。私は夫をたてて、できるだけ文句を言わずにやってきたつもりでした。 夫に文句を言われたこともほとんどなく、仲良くやってきているつもりだったので、まさに寝耳に水。でも夫は特に具体例を挙げるでもなく、とにかく私が嫌だと繰り返します。そこですぐに「何かあるな」と、ピンときました。 直球勝負そこで、聞いてみました。「浮気してる?」。すると夫は、「浮気はしていない」と答えました。そこで今度は、「好きな人できた?」と聞いてみました。 正解でした。真面目な夫らしい解答でした。 夫の言い分は、 私のことが嫌で、好きな人と一緒に生きていきたいから離婚してほしいというものでした。もちろん、そんな身勝手な言い分は受け入れることはできません。子どもたちのことを考えればなおさら、離婚は回避したいと思いました。 現在のわが家その後すぐに家を出て行った夫は、生活費のみを振り込み、子どもたちには月に1度会う程度。今はどこに住んでいるかもわかりません。 元々夫は仕事場にこもることが多かったため、私も浮気に気付けませんでした。子どもたちも家にパパがいないのが当たり前なので、はじめこそパパがまったく帰ってこないことを不思議がっていましたが、今はたまにパパの話題も出つつ、何事もなかったように笑顔で暮らしています。 もちろん私は、夫のことを考えない日はなく、時々精神的に不安定にもなります。わが子のことでパートナーに相談できないことなども精神的につらいですが、子どもたちが宝物であることも同時に再認識しています。 離婚を望む夫と修復を望む私とで平行線ですが、幼い子どもたちのことを考えるとやはり、今すぐの離婚は回避したいです。本音を言えば、相手がシングルマザーで、夫をATMとしか見ていないように感じること、離婚した後に夫がその女性やその子どもと家族になるのも、納得がいきません。引き続き、良い方向に進めるよう冷静に対処したいと思います! 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月10日私が2人目を妊娠したとき、長女はすでに6歳でした。初産であれば高齢出産にあたる年齢に差しかかっていたうえに妊娠・出産のブランクがあることから、妊娠中や産後の生活には大きな不安を感じていました。ところが実際には精神面でも体力面でも驚くほどラクに過ごすことができたのです。 経験豊富なママたちが身近に勢ぞろい大きな助けをくれたのは長女のお友だちのママたち、いわゆる「ママ友」でした。長女の周りはたまたま末っ子が多く、ママ歴10年以上のベテランぞろい。私が妊娠を報告すると歓声をあげ、「早く抱っこしたい!」とはしゃいでくれました。 またそれぞれに妊娠・出産の壮絶エピソードを話してくれ、「いろいろあるかもしれないけれど、大丈夫」と私を力づけ、不安を吹き飛ばしてくれたのです。それ以外にも長女の習い事の送迎をしてくれたり、遊びに連れ出してくれたりして、「うちの子が喜ぶから」とあくまでさりげなくしてくれるサポートに救われました。 おもちゃや服がどんどん集まってくる前回の出産からブランクがあるため、また途中に引っ越しもあったため長女が赤ちゃんのときに使っていた物はほとんど処分していました。「すべて買い直しか……」と思っていたら、実際は大違い。直接の友人でなくても「弟妹がいるお友だちのママが引き取り手を探している」とあちこちからお下がりが集まってきたのです。 おもちゃや服も上の子とは性別が違うので、どういったものが良いか見当もつかなかった私に「これは使いやすいよ」「子どもがすごく喜んだよ」という口コミ付きのお下がりはとてもありがたかったです。 小さなママの心強い成長ひとりっ子期間の長かった長女は、少し甘えん坊になり多少の赤ちゃん返りはあったものの、産後はしっかり戦力になってくれました。小さなママとして赤ちゃんのお風呂上がりに合わせてタオルとおむつをセットしておいてくれたり、赤ちゃんが泣き止まないときは変顔をしたり歌ったりして全力であやしてくれたりもしました。 おかげで第1子である長女の乳児期に感じた、「赤ちゃんと2人っきりの閉塞感」を感じることは一切ありませんでした。 7年のブランクがある妊娠・出産に対して、「今さら自分にできるだろうか」という不安が大きくあった私を力強く支えてくれたのは、身近にいる経験豊富なママ友たちと成長した長女でした。「きょうだいは何歳差がベストか」という問いに答えはありませんが、わが家にとっては7歳の差がちょうどよかったように今は感じています。 監修/助産師REIKO著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年11月05日夫の仕事の都合で子どもが生後4カ月のころに引っ越しをすることになり、移動で新幹線を利用することになりました。移動中に大勢の人がいるところで子どもを泣かせて迷惑をかけてはいけないと考え、入念に計画をたてて引越し当日に臨みました。しかし子どもを連れての行程は計画通りいくはずもなく⋯⋯。そんなとき、新幹線の車掌さんが感激の対応してくれたのです。私の体験談をお伝えします。 入念に準備!引っ越しについては、私が妊娠中から決まっていました。行き先は北陸。12月に初めての出産、子育てをすることになる私は、雪深い転居先にすぐに行くとは言えませんでした。そこで私は子どもと一緒に新居周りの雪もすっかりなくなるゴールデンウィークまで実家で過ごし、夫だけ先に引っ越しをしてもらうことにしたのです。ゴールデンウィークのころには子どもは生後4カ月を過ぎていました。 子どもはおっぱいや昼寝のリズムもついてきています。そのためどのタイミングで授乳をするか、昼寝はどのタイミングになるか、どんなおもちゃを持っていくかなど、大泣きさせて周りに迷惑をかけないようにと計画を入念に立てました。 予定通りにいかず大泣き引っ越し当日。授乳とおむつ替えは出発ギリギリにしました。大半の荷物は引っ越し業者にお願いし、私は最低限の荷物だけを持ち、迎えにきてくれた夫と実家を出発。在来線と新幹線を乗り継ぐ4時間の行程です。スリングの中にいた子どもはしばらくすると眠ってしまいました。これは計画通り。 子どもが新幹線の中で目を覚まし、ケープを使って授乳し、機嫌よく過ごしてくれれば大成功だったのですがそうはいきません。新幹線の中で目を覚ますと子どもは大泣き。おっぱいもおもちゃも目に入らない様子でした。 車掌さんから神の一声が⋯⋯!私は子どもを抱いてデッキに移り子どもをあやしはするものの、泣き止む気配はありません。目的地までまだ1時間以上あります。立ったまま泣き続ける子どもの相手をするのかと途方に暮れていると、車掌さんが声をかけてくれました。「体調を崩した人のために個室を確保してあるから使いませんか」とのこと。 願ってもない申し出を私はありがたく受け、周りの人たちに迷惑をかけるのではないかと心配することなく、ゆっくり座ることができたのです。しばらくすると子どもも泣き止み、授乳をすませるとご機嫌になっていました。 出産後初めての長距離移動。私は周りに迷惑をかけてはいけないと、緊張をしていたのだと思います。しかし車掌さんからの親切を受け、肩の力がスッと抜けました。私が考えているよりも世間は子ども連れにやさしいのかもしれないと感じた出来事です。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年10月27日娘が生後6カ月ごろのこと。お昼寝も夜も、娘の寝かしつけには絵本を読んであげることが多々ありました。あお向けになった娘の脇に私は添い寝の形になり、絵本を読んで聞かせます。その読み聞かせで経験した、あわや大怪我に繋がるヒヤリなエピソードを紹介します。 読み聞かせで心地よく入眠娘は生後3カ月ごろまでは抱っこで眠ることが好きでしたが、徐々に抱っこだと不快になってきたようで、横になって添い寝をすることで安心して眠りにつくようになりました。 生後6カ月ごろになると、絵本を読み聞かせると興味を持って喜んで見てくれて、読んでいるうちに次第にウトウトするように。最終的には指しゃぶりをして気持ちよく眠るのでした。 私がウトウトしてしまい…ある日のお昼寝のとき読み聞かせをしてあげていたところ、私のほうが先に眠気がきてしまいました。ウトウトしては眠気を振り払って読んでいましたが、ついに気が遠のいてしまいました。その拍子に、持っていた絵本を落としてしまったのです。 あお向けで添い寝の状態だったので、絵本が落ちたのは私と娘の顔の上! 顔に絵本が当たった衝撃でハッと目覚めた私は、娘の目のあたりに絵本の角が当たってしまったことに気づき、大慌て! 急いで目の中が傷ついていないか確認しました。 急いで眼科へ目の中を見てみましたが、傷ついているかどうかよくわかりませんでした。娘は絵本が当たったときは少し泣いたもののすぐに泣き止み、痛がる様子もありませんでしたが、後々になって炎症を起こさないか、私は最悪のことも考えて心配になってきたのです。そこで近くの眼科に行ってみることにしました。 眼科は娘にとって初めての経験。痛い思いをさせてしまわないかと親の私のほうが不安でドキドキでしたが、診察室に入って事情を説明すると医師が「そういうこともあるよね」と笑い飛ばしてくれたので、安心して診察を受けられました。結果は特に目の中が傷ついているということもなく、薬ももらわず帰ってくることができました。 読み聞かせのとき、私は少々疲れていたのかもしれません。しかし、ついウトウト……では済まされない大事故に繋がるような出来事。私は、気を付けなければと肝に銘じたのです。眼科は私自身もあまりかかったことがなかったのでドキドキしましたが、心配なときにすぐに診てもらうことで安心できてよかったなと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年10月20日昔から苦労の連続だった義母は、とても大変な思いをして子育てをしたそうです。私が長男を出産してから、義母の子育て経験を聞くことが増えました。それが私を苦しめることになってしまったエピソードをご紹介します。 義母は苦労人複雑な家庭環境で育った義母。両親の離婚や児童養護施設で生活した経験があります。毎日の食事に困るほど貧困だったこともあり、幼いころは本当に苦労の連続だったそうです。大人になっても義母の不運は続き、夫が7歳になるまでシングルマザーとして育てました。 再婚後、やっと穏やかな生活を送れるようになったそうです。壮絶な人生を送っている義母ですが、とても強くてやさしい人。私はそんな義母を尊敬していました。 義母の子育てが壮絶すぎて…しかし、長男を出産してから、義母の様子が変わりました。「私はひとりで子育てしたけど、あなたには家族がいて、お金にも困ってないし、よかったわね」と義母。 「夜泣きがひどくて。誰にも頼れなかったわ。毎晩泣きながら、おんぶしていたの」「粉ミルクなんて高価なもの、私には使えなかった」「保育園に入るまでは、職場に子どもを連れて行ったのよ」。義母は自分がどんな苦労をしてきたか、それに比べて私がいかに恵まれているかを繰り返し話すようになりました。 義母に比べたら、私は恵まれている義母の子育ては、私のものよりはるかに大変だったと思います。それでも私は私なりに子育てに関してつらいことや、心配なことがありました。しかしそれを口にしてはいけないのではないか、私は甘えているだけなのかもしれないと考えるようになってしまったのです。 私は義母に会うことが憂うつになり、義実家から遠ざかるように。すると、「孫に会わせてもらえないのは寂しい」と言われ、さらに私は追い詰められてしまいました。 義母の本当の気持ちある日「子育ては大変でしょう? もっと頼っていいのよ」と義母。私は思い切って「お義母さんに比べたら、私は大変なんて言っちゃいけないと思います」と答えました。 すると「何言っているの! 誰だって大変よ。もしかして、私と比べていたの? だとしたら謝るわ。孫を見ていたらついつい、昔のことを思い出してしまって……。私は苦労したから、あなたにはそんな思いさせたくないという気持ちだったの」と義母。その言葉に私は驚きました。私は義母のことを誤解していたのです。 それからは、自分が大変だと思うことを義母に話せるようになりました。義母の言葉の裏を読んで悩むこともなくなりました。義母に長男を預けて美容室に行くなど、甘えることもできるように。肩の荷が下りたように感じています。自分の弱さを表現して助けを求めることが大切なのだなと思いました。 作画/うちここ著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2020年10月13日