妊娠中は義両親とはとても仲が良く、夫と4人で観光やショッピングをするなど関係は良好でした。やさしくて気づかいのできる義両親に、私は早く孫を見せてあげたいと思っていたのです。しかし、出産後は義両親に対する思いが一変……。産後のガルガル期が原因で、一時は義両親と不仲になってしまったものの、関係を再構築するまでの体験談をご紹介します。 私の赤ちゃんに触らないでコロナ禍でのお産でしたが、無事に男の子を出産。退院する日に初めて義両親へ初孫を抱っこさせてあげることができ、私も義両親も喜んでいました。しかし、義母が息子を抱っこしながら「ママでちゅよ~」と息子に向かって言ったとき、今まで感じたことのないような異様な怒りが湧き上がってきてしまったのです。 「息子を取られてしまう、今すぐ私の赤ちゃんを返してほしい」と強く思いました。義母の何気ない言動がきっかけとなり、義両親がすることなすことすべてを受け付けなくなってしまいました。善意でしてくれた育児のアドバイスも、私の体を気づかって息子を抱っこしてくれることも嫌になってしまったのです。 遂に義両親と険悪ムードにコロナ禍の影響で里帰りできなかった私を気づかい、義両親は週に1度、食材や日用品を買っては自宅に届けてくれ、1時間ほど息子の面倒を見てくれました。とてもありがたいことだと頭ではわかっているのに、義両親に息子を会わせたくないと強く思ってしまうのです。耐えられなくなってしまった私は、夫を通して義両親の訪問をすべて断るようにしてもらいました。 義両親は何かおかしいと感じたようで、訪問できない理由を夫に聞いたのです。夫は「嫁ちゃんが嫌がっているから」と正直に答えてしまい……。義両親は、こんなにも嫁を気づかっているのにと怒り心頭。私が義両親としっかり話をするべきでしたが、慣れない育児で余裕がなかったため弁明する気になれませんでした。そして、険悪ムードのまま時間だけが流れていったのでした。 関係を再構築! 意外な救世主とは息子が生後2カ月のころ、私と義両親の関係を心配する旨の連絡を義姉がくれたのです。義姉とはお互いの連絡先は交換していたものの、これまで特に連絡を取り合うことはありませんでした。義姉からの連絡に少し驚きましたが、これまでのことを相談することに。そして、義姉自身もガルガル期になった経験があったため、私の気持ちを理解してくれ、義両親にガルガル期について説明してくれたのです。 義姉のアシストのおかげで、私は義両親に連絡するきっかけができ、これまでのことを謝罪しました。そして、まだ自分では感情がコントロールできないため、しばらくは見守っていてほしいことも伝えることができました。義両親は私の気持ちを汲み取ってくれ、関係も徐々に修復することができたのです。 現在息子は生後10カ月。義両親に対する敵対心はまったくなくなり、産前のような関係に戻ることができました。当時は義両親の言動が私と孫のためだと頭では理解できても、感情がコントロールできず自分自身とても戸惑いました。産後に協力してくれる家族には、事前にガルガル期について共通認識を持つことで防げるトラブルだったかもしれないと感じる体験でした。 著者:米久 熊代0歳男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年12月14日娘が生後7カ月を迎えたある日、私が歯磨きをしていると、口内に突然耐えられないほどの激痛が。重度の虫歯を疑い、重たい気持ちで歯科医を受診したところ、痛みの原因はまさかの添い寝!? 育児と歯痛の衝撃的な関連性をお話しします。 突然襲った歯の痛み、診察結果はいつも通り娘と一緒にお風呂に入り自分の歯を磨いていると、口内の右上あたりに突然耐えられないほどの激痛が走りました。虫歯を疑ったのですが、妊娠中に受けた歯科健診では特に異常が見られなかったため、たった1年でここまでの激痛を伴うはずはないと思いました。 お茶を飲んだり歯を磨いたりしたときにその都度激痛が走るため、一度歯医者で見てもらうことに。すると診察の結果は「知覚過敏(象牙質知覚過敏症)」とのこと。驚くことに、医師は続けて「お子さんと添い寝していますか?」と言うのでした。 知覚過敏の原因が添い寝?どうして知覚過敏と添い寝が関係するのか理解できませんでしたが、うつぶせ寝や横向き寝で顔や歯に大きな力がかかると、歯のエナメル質が壊れて象牙質がむき出しになってしまい、冷たい物やちょっとした刺激が歯の神経にしみて知覚過敏になりやすいとのことでした。 特に子どもが小さいころは、母親が子どものほうを向く形で横を向いて眠るため、歯に圧力がかかりやすく知覚過敏になりやすいそうです。話に聞いたことはあった知覚過敏でしたが、まさか横向き寝に原因があると思わず驚きました。 さらに私の場合はもともと歯ぎしりがひどかったこともあり、特に知覚過敏になりやすかったそうです。 知覚過敏の治療とその後これまで私は市販の歯磨き粉を使っていましたが、医師のすすめで知覚過敏専用の歯磨き粉(アース製薬「シュミテクト」)を使うことにしました。驚くことに、歯ブラシの先が触れるだけでも痛かった箇所は、歯磨き粉を変えるだけでほとんど痛みを感じないほどに。 ところが、このまま歯磨き粉を変えれば解決するかと思った痛みでしたが、初診から半月後の再診ではやはり痛みは完全に消えておらず、夜間のみ装着するマウスピースを作成しました。夜の添い寝でかかる歯への負担を減らし、歯のエナメル質の破壊を防ぐためです。 完全に痛みを感じなくなるまでに早くて3カ月、遅くて半年ほどかかるとのことでしたが、知覚過敏を治療できるということだけでもありがたく、根気よく治療をしています。 医師によると、一度壊れてしまった歯のエナメル質はもう元に戻ることはないそうですが、露出した象牙質が次第になめらかになることで痛みを感じなくなるとのことでした。他の歯で再び知覚過敏が起こることがないよう、添い寝の姿勢に気を付けている私です。知覚過敏の原因が添い寝だと知り驚きましたが、ある意味貴重な体験になりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:こさい れい0歳女児の母。元テレビ番組ディレクター。フランスで育った自身の経験をもとに海外生活、旅行、子育てについて執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年12月13日「きっと病気を持った子が生まれるよ」。妊娠5カ月のとき、日頃からお世話になっている職場の男性上司に言われた言葉でした。普段から少しおせっかいなくらい面倒見の良い上司。行きすぎた気づかいが招いた衝撃発言には、私に対する上司なりの思いがあったようです。妊娠中に悔しく、悲しい思いをした体験談をご紹介します。 面倒見がいい?何かと口出しをする上司直属の上司である40代前半の男性Aさんは、既婚者でお子さんが2人いらっしゃいます。「俺は人生の酸いも甘いも経験してきた。人生経験豊富な俺のアドバイスを絶対に聞いておいたほうが良い」というのがAさんの口癖でした。私が夫と付き合っているころからいろいろと聞いてきては、それは駄目、それは良い、結婚する時期はいつのほうが良いなど、おせっかいなくらい助言をしてくるAさん。 Aさんの言動に少々行きすぎだなと感じたことはあったものの、妊娠の報告をしたときはとても喜んでくれ、私の体調を気づかって仕事を調整してくれるなど、とても思いやりのある方でもあります。そのため、Aさんの多少の言動は目を瞑ることができました。しかし、ついにAさんのおせっかいに限界を感じてしまう出来事が起こったのです。 衝撃の連続!ひどい言葉のオンパレード急きょ夫が海外へ転勤することになり、私も一緒についていくため退職したい旨をAさんに報告しました。すると、Aさんは開口一番「生まれてくる子どもがかわいそう。〇〇(転勤先の国)は空気が汚いから胎児に影響が出て、きっと病気を持った子が生まれてくるよ」と言ってきたのです。おなかの赤ちゃんは健診のたびに頭が大きいと言われていたため不安になり、ネットで検索魔となっていたときに、Aさんの言葉はひどく私を傷つけました。 Aさんは続けて、「出産するのは日本へ帰国してからにしたほうが良い」と言ってきたのです。日本へ帰国するのは早くても5年後と、Aさんにも伝えていました。 5年後まで赤ちゃんをおなかの中で育てろと言っているのか、中絶して5年後にまた子どもを授かったら良いと言っているのか、真相はわかりませんが、あまりにもショックな言葉に私はそれ以上何も言うことができなかったのでした。 Aさんの言葉の真意とは帰宅後、夫にその出来事を伝えたところ怒り心頭。転勤する予定日よりも早く仕事を辞めても良いと言ってくれました。翌日もAさんから再度退職を引き止められましたが、引き継ぎが無事に完了後、すぐに退職させていただきました。 その後、元職場の同僚と会う機会があり、話題はAさんのことに。「Aさんはあなたにチームリーダーを任せたかったみたい。あなたの退職を止めようとしたけど無理だったって残念そうにしてたよ」と同僚が言ったのです。 Aさん本人から聞いたわけではないため真相はわかりませんが、Aさんのひどい発言は私のキャリアを考えてくれたために出た言葉だったようでした。そうだとしても、Aさんの行きすぎたおせっかいは、到底理解できるものではありません。出産するまでAさんから言われた言葉をふとしたときに思い出しては、悔しさと悲しさで涙が出る日々を送りました。 その後、無事に元気な男の子を出産。元職場の皆へ報告をすると、Aさんは自分のことのように喜んでくれました。現在もAさんからたまにおせっかいな連絡がきますが、今はそういう人と割り切り、程よい距離で接するようにしています。これを反面教師にして、相手のためと思ってする言動が自分の一方通行になっていないか、今一度考えてから行動しようと強く感じたのでした。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。著者:米久 熊代0歳男児の母。人材会社や人事の仕事を経験し、夫の転勤を機に退職。現在はフリーランスとして前職関係の仕事とライターをしながら、プレママ・新米ママ向けブログを運営中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年12月08日3歳と5歳のわが子。姉妹であり、義両親はかわいがってくれているかと思いきや、ある日義父の口から耳を疑う言葉が。今後の付き合い方を考えてしまうほど無神経な言葉に苛立ちを感じましたが、今でも距離をおきながらですが、じょうずに付き合いを継続している私の体験をご紹介します。 好感がもてる義両親結婚当初から義家族は私にとてもよくしてくれており、お互い遠慮せず明るい雰囲気を作っていくために、ごはんや旅行、家族で写真撮影などたくさんのイベントを組んでくれました。そのためとても好感の持てる義家族でしたし、同居はしていませんが付き合いやすく、嫁の立場からすれば周りからも羨ましいと言われるほど、嫁姑問題もなければ義父との関係も問題はなかったのです。 子どもが生まれたあとも程よい距離感で子守りを手伝ってくれて、現在5歳の長女は初孫だったこともあり、いろいろな所に連れて行ってくれたりと、かわいがってくれていました。 義父の言動が気になり始める最初は好感のもてる素敵な義両親でしたが、第2子が生まれたあと、下の子ばかり容姿を褒めるようになり、妙な胸騒ぎがしていました。 上の子はたくさん遊んでくれる義父のことが大好きだったため、「じぃじ遊ぼー! じぃじこれ見てー!」と言っていたにもかかわらず、「ちょっと◯◯(下の子)を抱っこしているからあとでねー!」と、ほとんどの返しがこのパターンになりました。 姉妹の容姿を比較しだした義父そして私の勘は見事に的中。子どもたちが4歳と2歳になったときでした。義実家へお泊まりに行ったとき、リビング横にある和室にて寝かしつけをしていると、リビングから義父と夫の話し声が聞こえてきました。すると「上の子より下の子のほうがかわいいよね」と、まさかの耳を疑う言葉を義父が放ったのです。 一瞬私の聞き間違いか!?と思いましたが、その後も「もちろん上の子もきれいな顔してるけど、愛嬌とか動き方とか下の子のほうがかわいいな」と言ったのです。言葉がわかる上の子はすでに寝ていたので安心しましたが、私は隣の部屋で怒りと呆れと悔しさから、今後の付き合いを考えるほど、失望感を抱きました。 夫がきっぱり断言してくれた義父と一緒に話していた夫は、「そうか?」とふんわりとした返答をしていました。その返答にも私は苛立ちを感じていたのですが、義父が悪気もなく笑って話を続けるため、さすがの夫も「親父、そういう言い方はよくない」「俺は2人ともかわいいと思って遊んでくれてると思ってた」「どっちがかわいいとか、どっちが愛らしいとか思ってほしくて、子育てしているんじゃない」と、きっぱり断言してくれたのです。 それをキッチンから聞いていた義母も、「お父さん、それはよくないよ。2人とも、違うかわいさをしっかり持ってますよ。私たちは子育てを頑張っている息子たちを応援しなければいけないのに、そんなことを思ってはいけないし、言ってもいけないと思いますよ」と言ってくれたのです。まだ義父に対して気持ちの面で許せたわけではありませんが、はっきり言ってくれた夫と義母のおかげで少し気持ちが晴れました。 今後の付き合いを考えるほど、義父に呆れていましたが、夫がしっかりと否定してくれたことで前向きに考えられるようになりました。また、その後も義父は上の子をお泊まりに誘ってくれたり、上の子だけにコソッとプレゼントをくれたり、変わらず愛してくれているため、今後も程よい距離感で付き合っていこうと思っています。 著者:平山 光3歳と5歳の姉妹のママ。約1年の不妊治療を経て、無事第一子の妊娠が発覚。第二子は自然妊娠で授かる。アトピー症状のある第二子をきっかけに、自然食や自然治療法を勉強中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年11月30日私は子どもの寝かしつけをしていると、一緒に寝てしまうことがしょっちゅうありました。気がついたときには「家事が残っているのに……」と後悔して情けなくなります。そこで子どもが1歳半のときに、普段の習慣を少し変えてみました。そうすると気持ちよく家事が進むようになり、趣味の時間も作れるようになり、元気に毎日過ごせるようになったのです。そんな私の体験談をお話しします。 体も心も疲れていってわが家では子どもが寝るときに両親のどちらかが寝かしつけをしています。私が寝かしつけをすると、しょっちゅう一緒に寝てしまっていました。途中で気がつけば起きて、残った家事をしたり夫と一緒に過ごしたりします。 ただ、これでは一度睡眠が分断されるので、体の疲れが取れづらくなります。また、途中で起きられずに朝まで寝てしまうと、やり残した家事をみて気持ちが落ち込み、自分だけが大変な思いをしているように感じ、夫に対して恨めしい気持ちにもなりました。 子どもと一緒に早寝早起きそこで私は寝かしつけをやめました。つまり、子どもと一緒に寝ると決めたのです。そして早く寝た分、早く起きるようにしました。具体的には20時就寝、4時起床です。今まで夜にしていた家事を朝にするようにしています。これなら睡眠も十分にとれ、家事も残さずできます。 ただ、夫と過ごす時間が減ったのが気がかりでした。けれど何日かすると夫も5時起床の生活にしてくれ、一緒に過ごす時間ができ、夫婦の会話量はキープできています。 想定外のメリット超朝型ともいえるこの生活は体調や家事の進み具合だけではなく、効率もいいと感じています。頭も体も疲れた夜よりも、頭も体も充実している朝に家事をするほうが短い時間で終わらせることができるのです。 そして、空いた時間にヨガをしたり、DVDを観たりと趣味を楽しんでいます。今までは、なんでも「子どもが寝たあとでやろう」と考えていました。けれど今では、「子どもが起きるまでに何ができるかな」と考えるようになりました。 周りの人の生活リズムとは少しズレますが、問題はなく、今ではすっかり習慣づいています。しっかり睡眠時間を確保したことで元気や活力が湧いてきたと思いますし、気持ちも前向きになったようです。おかげでやりたいことができ、気持ちに余裕が持てた分、家族に対してもやさしくなれたように感じています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年11月27日私の夫には姉と兄がおり、夫側のきょうだいはみんな結婚しています。私には義理の父母の他に義理の兄姉が4人いるわけですが、家族が多いと人間関係のもめごともあります。今回はそんな義理の家族との関係性や付き合い方について悩んでいたことをお話ししたいと思います。 ※コロナ禍前の体験談です 義実家との付き合いの苦手な義姉夫の兄の奥さん、つまり義理の姉はひとりっ子で育って親戚がいない家庭だったらしく、親戚付き合いがわからず義理の実家との付き合いが苦手なようです。義母は、そんな義理の姉に対しての不満を、なぜか嫁である私に言ってきます。 例えば、義理の姉が孫たちを連れて義実家に遊びにこない、義母が作ったお総菜を受け取るのを断られた、などです。会うたびに義母から義理の姉の悪口を聞くのは正直面倒でした。 悪口を私に言わないで!義理の姉と私は、義母にとって息子の妻という同じ立場のはず。義理の姉の悪口を聞くたびに、私は自分も陰で義母に悪口を言われているのではないかと不安になっていました。義母に嫌われたくなくて悪口を聞いていた私でしたが、意を決して私の気持ちを伝えることに。 「お義姉さんの話をそんなふうにお義母さんから聞いてしまうと、私も同じ立場だから不安になってしまいます」と言いました。このひと言で義母も私の立場と不快に思っていたことに気付いてくれたのか、それ以降は義理の兄姉の不満を私には言わなくなりました。 親族との付き合いを考えるよい機会に確かに義理の姉の言動は、義母の家族と仲良くしたいという気持ちを踏みにじる行為だったかもしれません。義母に同情したのも事実です。しかし育った環境が違うから、親族との付き合いで何を優先するかは価値観は異なると思います。 親族が密に付き合うのが好きな人もいますが、それを必要と感じていない人もいるようです。義理の母と姉の話は、私自身はどんな親戚付き合いをしたいか考えるきっかけになりました。自分はどうしたいか、相手はどうしたいのかを思いやることの大切さを実感したのです。 今回の体験は、義母と義理の姉の関係性を客観的に見て、自分だったらどうしただろうかと考える良いきっかけとなりました。私は、義理の母とはこれからもお互いに気持ちよく付き合っていきたいと思ったからです。家族が密に付き合う関係性が好きな私だからこそ、相手の気持ちを思いやって、感謝を忘れずに親戚付き合いをしていこうと改めて感じたのでした。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年11月26日何もかも手探り状態だった第1子の子育て。産後半年から社会復帰した私は、すぐ熱を出す子どものケアと仕事の両立に四苦八苦しており、疲れ果てて寝落ちするのが日常でした。もちろん平日も帰宅した夫とは必要最低限の会話しかしていない毎日……。しかしある日、ふと夫のスマホを借りたとき、衝撃的なものを見てしまったのです。 スマホの貸し借りが仇に…? 交際していたころから、スマホの貸し借りを頻繁にしていた私と夫。どちらのスマホもお互いの指紋を登録してあり、簡単にロックを解除できるようになっています。特に子どもが生まれてからは、相手のスマホで撮った写真をしょっちゅう見ていたため、その日も何の気なしに夫のスマホを手に取りました。 すると、スマホをあけて飛び込んできたのは、直前に検索していた風俗情報! そして、近所のラブホテルを別のタブで検索しているのも発見してしまったのです。 これは不倫か?理由がわからずモヤモヤわざとではないにせよ、勝手に検索していたページを見てしまったことに罪悪感もあり、その日は追及しないことに。しかし、回数は減ったものの産後もセックスレスではなかったし、仲が良い夫婦のつもりでいたので少なからずショックを受けました。 とはいえ、これが怒るべきことなのか大したことではないのかよくわからず、1週間ほど思い悩んだ私。同僚にもこっそり相談した結果、やはりモヤモヤしたままでは普段通りに接することができないと決意し、夫と話してみることにしました。 検索の理由は?夫の気持ちを知り反省そして週末の夜。スマホを見てしまったことを伝えると、夫は真っ青になり「嫌な思いをさせてごめん」と平謝り。しかし、よくよく話を聞いてみると風俗には行っておらず、アダルトサイトを見ていたとき、魔が差して広告を踏んでしまったそう。そして、私が産後冷たくなったと夫なりに悩んでいたことが判明しました。 正直、ベタベタされるのが嫌になった時期があり、夫の手を払いのけたりしていた私……。セックスする時間があるなら寝たい、家事をしたい、と思っていた自覚もありました。夫に「もう愛情がなくなったような気がしていた」と泣きながら言われ、私も反省したのでした。 言葉を尽くさなくても気持ちは伝わると思っていましたが、そのわりに夫にとても冷たい態度を取っていたことに気付いた私。産後は夫に無関心すぎたと反省しました。その後は少しずつ夫婦の時間を増やし、2回目の産後の今はしっかり気持ちを伝えるように努力しています。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年11月19日妊娠中からシングルマザーになり、4年後に交際していたパートナーと結婚して、ステップファミリーになりました。交際から結婚まではトントン拍子にいったものの、子どもと夫との関係が順調だったわけではありません。今回は実体験をもとに、ステップファミリーとして本当の家族になるまでの心配ごとや家族の変化をお伝えします。 ステップファミリーになるまでの心配ごとステップファミリーになることは、決して平凡な道ではありませんでした。「子どもとの相性が悪かったらどうしよう」「パートナーの両親は子どものことを受け入れてくれるかな?」「時々ニュースになるような虐待などのトラブルがあったらどうしよう」……ステップファミリーになるまでも、なってからも心配ごとは尽きません。 そのため私は、早く家族になろうと急ぐのではなく、ゆっくりと子どもとパートナーの接し方や気持ちを見ながら関係を築いていくことにしました。 パートナーができてからの子どもの変化子どもは最初のころ、交際していたパートナーに対して「ただ遊びに連れて行ってくれる人」という印象で、特別に懐いていたわけではありません。それでもパートナーは父親になる覚悟で真剣に接してくれて、子どもは少しずつ心を開いていきました。 時には子どもを叱り、「俺がこんなに叱ってよかったのかな? まだ父親ではないし、どの程度向き合えばいいのだろう?」と壁にぶつかることもありました。ところが、パートナーが真剣に接するほど、子どもと良い関係を築けるようになっていったのです。 血の繋がりはなくても家族になれるパートナーは何度か「本当に父親になれるだろうか」と心が折れかけたことがありました。そのときは私が2人の間に入り、関係を築いていきました。今では本当の親子のようにパートナーと子どもは仲良しです。 「子どもはシングルマザーだった期間を忘れているのでは?」と思うほど、本当の家族として仲良く3人で生活しています。また、第2子を妊娠したことで夫は以前にもまして父親の意識が芽生え、子どものことをかわいがってくれるようになりました。 私は好きな気持ちがあってパートナーと交際していましたが、子どもも合わせて家族になるのは決して簡単なことではありませんでした。子どもは突然パパという存在の人が現れ、最初は戸惑っていたように思います。しかし、血の繋がりは関係なく真剣に向き合っていけば、本当の親子のようになれることを身をもって実感しました。 著者:花野あやせ4歳男の子のワーキングマザーで第2子妊娠中。シングルマザーとしての働き方に悩み、会社員からフリーランスに転向して3年。現在はステップファミリーに。企業のブログや育児、恋愛コラムを執筆中。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年11月19日今回は私たちが家を建てる際にあったトラブルをご紹介します。理不尽なご近所さんの言い分に何度も謝罪を重ねましたが、まさか最後にスカッとする出来事があるとは。今では周りのご近所さんとじょうずにお付き合いができています。 毎日文句を言いにくる近隣の方わが家は、家を建てる前はマンションに住んでいましたが、そこから車で1時間半かかる場所に新居を建てていたため、毎週土曜日にしか建設中の様子を見に行くことができませんでした。そのたびに家から出て文句を言いにくる近隣の男性。 もちろん建設中の騒音などでご迷惑かけることもあるので、前もってごあいさつに行っていたのですが、私たちが行く土曜日だけでなく毎日わが家の土地にきては、工務店の方に「うるさいから、直ちに工事を中止しろ!」「砂埃がとても迷惑だ!」と苦情を言っていたようです。 理不尽な言い分にも謝罪わが家が新居を建てていることもあり、ご近所の方に騒音や砂埃などの迷惑をかけていることには間違いありません。ですので、近所の方に会うたびにごあいさつと謝罪をしていました。しかし文句を言う男性だけは日に日にヒートアップし、騒音のことだけでなく、私たち夫婦の身なりについても文句を言われるようになりました。 男性の理不尽さに私たちは飽き飽きしていましたが、「これでまだ苦情が続くなら一切関わらないようにする」と覚悟を決めて、ご自宅へ茶菓子を持ち謝罪に行きました。 救世主登場でスッキリその次の土曜日、建設中のわが家に着くと知らない女性が。すると急に深々と頭を下げられて驚きましたが、文句を言ってきていた男性の奥さんでした。しっかりとした奥さんが私たち夫婦に謝罪をしてくださりました。 ご主人が毎日文句を言いに行っていることは知らなかったそうですが、茶菓子が置いてあることに気付き、誰からもらったのか聞くタイミングで、これまでのことをご主人から聞いたそうで、謝罪にきてくださったようです。その後、改めて2人揃って謝罪にきてくださり、それから家が建つまで文句は言われなくなりました。 新築でワクワクしていたいのに、当初は不安や怒りが勝っていました。しかし今後長い付き合いになるため、どこかで最悪の状況に区切りをつけて割り切らなければ!と思いました。謝罪や私たちの言い分をじょうずに伝え続け、まさかの救世主のおかげもあり、今では外で会うたびにお互い気持ちよくあいさつできる関係になりました。著者:平山 光3歳と5歳の姉妹のママ。約1年の不妊治療を経て、無事第一子の妊娠が発覚。第二子は自然妊娠で授かる。アトピー症状のある第二子をきっかけに、自然食や自然治療法を勉強中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月29日当時1歳だった長男の保育園の運動会でのお話です。長男は1歳の春に入園し、私たち家族にとって初めての運動会でした。私は近くに住んでいる義両親にも声を掛けるべきと思い、運動会の話を伝えると「ぜひ行きたい」とのこと。そのときの私は、運動会での義両親の勝手な行動にうんざりしてしまうことになるとは想像していませんでした。※コロナ禍前の体験談です レジャーシートを敷いて応援運動会は、保育園の近くにある小学校の校庭を借りておこなわれました。長男の保育園は小さな規模の園だったのですが、系列保育園3園の合同運動会だったので、園児は計120人ほど。 保護者や家族はそれぞれレジャーシートを敷いて、ビデオや写真の撮影をしていました。かけっこやダンスなどの競技が始まると、子どもを見やすい場所に移動して応援することもでき、保護者は自由に動ける雰囲気でした。 長男の競技は前半で終了0歳児や1歳児は体力も集中力も続かないため、幼いクラスの競技はプログラムの最初のほうに固められていました。長男は歌に合わせて踊ったり、保護者と一緒に20mくらい走ったりするなど3つの競技に参加。義両親は長男に「頑張ってね」と声を掛け、楽しそうに写真撮影していました。 しかし、長男の出場競技が終わると一変。まだ午前10時ごろだったのですが義母が「早退させてランチ行かない?」と言い出したのです。閉会式でも、体操を披露してくれる予定だったので、私が「閉会式にも参加させたいので、先に行っていてください」と言うと、しぶしぶ校庭に残ることを了承してくれました。 缶の飲み物を飲む義両親、まさか…空いた時間に長男が同じクラスのお友達と校庭の隅で遊びだしたので、私と夫は少し義両親から離れ、長男を見守っていました。10分後くらいに戻ると、缶の飲み物を飲んでいた義両親。まさかと思いながらよく見ると、それはハイボールやビール。 義母は笑いながら「近くのコンビニで買ってきた」というのです。まさか孫の運動会で飲酒をするとは思っていなかったので、私はドン引き……。保育園側から飲酒禁止といった注意喚起は特にありませんでしたが、ママ友のお子さんが通う小学校の運動会のプログラムを見せてもらったときに飲酒禁止と明記されていたこともあり、私自身は保育園行事でも基本的に飲酒は禁止だと思っていました。私は義両親の行動が非常識だと感じ、本当に恥ずかしかったので、夫に早くランチに行くように説得してもらいました。 初めての運動会だったのに、義両親のせいで少し嫌な思い出になってしまいました。でも義両親は長時間の待機で手持ち無沙汰だったのかもしれません。その後は園の行事に来てもらう場合は、途中で抜けてもらうように事前に調整したり、「後日ビデオを見せるので、今回は親だけで行ってきます」と伝えたりして、お互いに疲れないよう工夫しています。著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月23日私には8歳と0歳の娘がいます。夫は、子育てにはどちらかと言えば協力的なほうです。おむつ替え、寝かしつけもしてくれますし、娘たちとよく遊んでくれます。娘たちもそんな夫に懐いており、パパが大好きです。私も「子煩悩だな~」と感心していたのですが、長女が生後11カ月のころ、夫にがっかりする出来事が起きました。私のなかではその出来事が大きく、夫への見方が変わってしまいました。 ※コロナ禍前の体験談です 協力的で子煩悩な夫だと思っていたころ長女が赤ちゃんのころの話です。夫は穏やかな性格で、休日は洗濯や皿洗いなどの家事、長女のおむつ替え、寝かしつけ、お散歩などよくお世話をしてくれていたので私は助かっていました。私の母や友人も、マメなパパでいいね、と褒めてくれることもしばしばでした。 そんな夫は、独身時代から毎週土曜日の夜に仲間内でフットサルをしており、結婚・出産後も続けていました。私は、フットサルをすること自体は夫の気分転換にもなるだろうし止めるつもりはなかったのですが、家族が一番ゆっくりできる土曜日なので、たまには家にいてほしいなと思うときもありました。 この状況でもフットサルに行くの!?ある日、生後11カ月の長女が初めて高熱を出したので小児科へ行くと「明日にでも熱が下がれば風邪、3日熱が下がらなければ突発性発疹だろう」と言われました。高熱を出すのが初めてだったこともあり、私も夫もとても心配でした。その日は金曜日で、翌日になっても熱は下がらず。朝から長女はぐったりしており、食欲もないようで、常に抱っこしていた私は、看病疲れが出てきていました。 そして夜になり、夫はいそいそとフットサルの用意を始めていました。そういえばフットサルの日です。でも長女の具合は悪く、つらそうです。私は思わず、「えっ! フットサルに行くの!?」と聞きました。すると夫は「うん、もうすぐ出るよ」と普段通り穏やかに答えた姿に、私はがくぜんとしてしまいました。 夫にはストレートに言わないと伝わらないそして私が、「子どもの体調が悪いときによく遊びに行こうと思えるね」と言うと、夫は「僕が行かないと(フットサルの)人数が足りないから」と言いました。会話がかみ合わない夫にイライラしながら、私の気持ちをストレートに伝えました。 「普段フットサルに行くことを止めるつもりはないけれど、子どもの体調が悪いときは行かないでほしい」「独身じゃないんだからたまには家族を優先してほしい」と。すると、夫はフットサルに行くのをやめましたが、少し不貞腐れていました。しかしながら一晩経つと、私の気持ちを汲んでくれたのか反省している様子でした。 私のなかでこの出来事は大きく、私と夫の意識の違いを痛感した日でした。私は常に娘たちのことを考えていますが、結局夫は自分の次が娘たちなんだなと感じました。それは8年経った今も変わりありません。あまりに気になるときは指摘しますが、娘たちはパパが大好きだし、何もしてくれていないわけではないので、折り合いをつけながら日々過ごしています。 著者:石井ゆうき8歳と0歳の女の子のママ。長女の反抗期に悩まされながらも、姉妹の戯れに日々癒され中。秘書として働いており、現在は育休中。1人目出産直後に夫が転職に失敗し、夫が転職に失敗したことを機に、お金にまつわることに興味を持ち、FP2級の資格を取得。家計管理・資産運用に生かしている。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月21日双子が生まれてから、おむつ替え、授乳、抱っこ、家事……気が付けば1日が終わっているという日々が続きました。そんな状況のなか、外に出かけるのは大変でした。自分の準備、子どもの準備……なかなか出かける気は起きません。それでも気合を入れて出かけてみた日、大変さ以上の気分転換になったことを紹介します。※コロナ禍前の体験談です。 幸せを感じる余裕もない日々愛しいわが子たちを出産し、里帰りを終え自宅に戻ったあとは、ひたすらわが子たちのお世話と家事に追われる毎日でした。激務な夫は早朝から夜までいません。自宅から近距離に住んでいる母が仕事の休憩時間に手伝いにきてくれていましたが、多くの時間はわが子たちと3人で過していました。 ひとりを抱っこしていても、もうひとりが泣いています。泣き声の止まない家の中にいると、どんどん気が滅入っていきました。かわいい子どもたちに囲まれた生活は幸せなはずなのに、私はその幸せを感じる余裕すらなくなっていました。 気合いを入れて、いざ外へ普段は、準備も大変だし「途中で泣くかも」と考えると外出する気にならず、ひとりで2人を連れて出かけることは避けていました。しかし、どうしても必要な物があり、仕方なく近くのスーパーへ出かけることに。 準備はやっぱり大変です。出かける前、おむつ替え直後のうんち……。「なんでこのタイミング?」と思わせるタイミングでおなかをスッキリさせる2人。今なら、「外出先でされるより、家の中でよかった」と思えるのですが、当時は出かけようと思ったのになかなか出られないことに私はイライラしてしまっていました。 大人と会話することが気分転換にやっとの思いで双子用ベビーカーにわが子たちを乗せ、出発です。すると、「あら~かわいいね!」「お母さん頑張ってるね!」「うちにも双子の孫がいるのよ!」。声をかけてくれる人の多さに驚きました。みんなたくさん声をかけてくれ、立ち止まってさまざまな話をしてくれます。 家にこもっていると泣き声に負けてしまいそうな私でしたが、外で会話をすることで気分はスッキリ! 「かわいいね!」と一緒にわが子たちの顔を覗き込むことで、ゆっくり幸せを感じることができました。そして、身内に双子がいる方に出会うことも多かったので、経験談から学べることもあり、とても助かりました。 出かける準備は大変でしたが、外に出たことが私にとっては気分転換となりました。その経験から、天気の良い日はわが子たちと家の外に出て、近所の散歩や公園へ行き、周りの方や、昆虫や花などの自然に助けてもらいながら毎日を過ごすようになっています。 監修/助産師REIKO著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月10日3人目の子どもを妊娠中、本を読んでも内容が頭に入ってこなくなりました。本だけでなくSNSの投稿や学校のプリントも頭に入ってこなくなり、頭が回っていないことを実感する日々……。出産後もその症状が続いたものの、呑気な私は疲れているのだろうと気に留めずにいたのです。そんなときに診察に行った病院で告げられたのは、まさかのあの病気でした。 読んだ文章が頭に入ってこない!最初に違和感を覚えたのは、3人目の子どもを妊娠中のことでした。読書が趣味でよく本を読んでいたのですが、ある日まったく文字が頭に入ってこなくなっていると気づいたのです。 本どころか、友人のSNSの投稿すら読んでも内容がまったく入ってきませんでした。文字は追えるのですが、読んだ内容が頭に入ってこないのです。そのときは「疲れているのかな」と気に留めていませんでしたが、その症状は産後まで続くこととなりました。 強迫性障害の症状が現れ、心療内科を受診!3人目の子どもが生まれると、症状はますますひどくなってきました。上の子たちが持ち帰るプリントの内容もまったく頭に入ってこず、買い物に行っても何を買えばいいかわからない状態になったのです。 さらに私を襲ったのは、強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)の症状です。物を並べる順番が決まっていないといけない、行動の順番が決まっていないと不安でイライラするなどの症状が顕著に現れ始めました。 高校生のころ強迫性障害とうつ病で心療内科に行った経験があった私は、心療内科の受診を決めました。 心療内科で告げられた病名はまさかの!?心療内科で症状を伝えると、強迫性障害と軽いうつ状態であると診断が下りました。この診断に私はビックリ! 強迫性障害であるだろうとは予想していましたが、うつ状態だとは思っていませんでした。高校生のころうつ病になったときは、体の倦怠感がひどく起き上がることも困難だったかったからです。 今回は気分の落ち込みもなく体のだるさもなかったので、まさか自分がうつ状態だとは思いませんでした。文字が頭に入ってこないのは頭が疲れている証拠だそうです。心療内科では抗うつ薬が処方され、月に1度のカウンセリングを受けることになりました。 心療内科に通い始めて半年経つころには症状も治まり、投薬も終えて活動的に過ごせるようになりました。私はうつの自覚症状がなかったのですが、受診して初めてイライラや不安感を強く抱いていたんだなと実感……。育児中はなかなか自分の心と向き合う余裕がありませんが、精神状態を確認することの大切さを学んだ出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月09日産後間もない里帰り時期、慣れない赤ちゃんとの生活は幸せな半面、疲れや不安も抱えていました。そんななか、毎日会いにきてくれる夫との会話はとても楽しみでした。家族3人での時間、幸せな気分で過ごせると思っていたのですが……。産前には想像していなかった状況に戸惑い悩んだ私の体験談です。 子どもに夢中な夫。全然目が合わない!初めての出産後、自宅の隣町にある実家に里帰りをしました。夫は仕事が終わると実家に立ち寄り、寝る前に自宅へ戻る生活がスタート。毎日通ってくれる姿に、子どもが本当にかわいいんだなぁ、うれしいなぁと感じていました。 ただ、数日経つうちに私の気持ちは少しずつ曇っていきました。その理由は夫が赤ちゃんに夢中すぎて、私の話を聞くときに上の空なことが増えたから。それだけではなく、赤ちゃんをあやすばかりで話しかけてもまったくこちらを見ず、全然目が合わないのです。 誰か止めて! 新生児に高い高いをする夫気持ちは晴れないけれど、赤ちゃんと夫が一緒にいる姿を見るのはやはりうれしいものでした。そんなある日、夫は赤ちゃんをあやすなかで、両手のひらに赤ちゃんを寝かせた状態でのせ、「高い高ーい!」と腕を伸ばして持ち上げたのです。 生まれて数日の新生児が高く持ち上げられている姿、そして緊張した赤ちゃんの表情を見て私はとても怖くなりました。「やめて!」と言っても夫は「泣いてないし大丈夫よね~」。と赤ちゃんに話しかけすぐにはやめませんでした。 気分は透明人間…私のこと見えてる?赤ちゃんを危険な目に遭わせたり怖い思いをさせたりしたくない!という思いが強まり、私はこれを機に自分の気持ちを夫にじっくり話すことに。 新生児の赤ちゃんには刺激の強い遊びはしない、夫が大丈夫だと感じても私が嫌がることはやめる、そして私の言葉にきちんと耳を傾けるなど、夫にしてほしいことを真剣に伝えました。「私、自分が透明人間になったような気分になったよ」と話すと、夫はやっとハッとした顔をして謝ってくれました。 もしかしたら私も産後すぐで感覚が過敏だったのかな?とも思いますが、自分のことをまるでいないように扱われたという悲しい感覚は今でも忘れられません。ですが、あのときを境に、子育てに関してはママの感覚や直観を大切にしてくれ、夫とはどんなことでも話し合えるようになりました。今では夫は悩みも喜びも共有できる頼もしい存在です。 監修/助産師REIKO著者:ときのせともこ7歳と2歳になる5歳差の男の子兄弟のママ。結婚前は、生命保険会社で営業職を3年経験。趣味は子ども服を手作りすることやアルバム作り。年の差兄弟が一緒に楽しく過ごせる遊びを研究中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月07日娘が保育園に通い始めました。先生も私もびっくりするくらい、スムーズな慣らし保育。しかし、急にイヤイヤ全開に! 私は振り回され、心も体もへとへと……。小さな小さな怪獣の本音に気付くまでの体験談です。 一時保育から認可保育園へ2歳の娘は、今年の4月から認可保育園へ。昨年度は認可保育園が保留で、別の園の一時保育に通っていました。登園を嫌がることもなく、別れ際は「いってらっしゃい」とニコニコ。とても楽しく過ごし、大きなトラブルもありませんでした。 新年度からは待望の認可保育園が決定。本人も「新しい保育園楽しみ!」とやる気満々でした。娘は物怖じしない性格なので、私も夫もまったく心配していませんでした。 怖いくらい順調な慣らし保育慣らし保育1日目。親子で昼食まで過ごしました。私と一緒だったこともあり、終始ご機嫌。「明日も行きたい!」とうれしそうにしていました。2日目はひとりで昼食まで。別れ際はニコニコ。「1回も泣きませんでしたよ」と先生から報告があり、その後も順調。 私も夫も「さすが娘ちゃんだね」と感心していました。先生は「まるで前から園にいるみたいですよ。順調すぎてちょっと怖いくらいですけど……」と話していましたが、私は褒め言葉と受け取っていました。 登園7日目からモンスターに7日間通い「もう大丈夫」と思った矢先、異変が起きました。帰宅後、自転車から降りようとすると「帰りたくない」と娘。仕方がないので公園へ。1時間ほど遊び、帰りを促しましたが「嫌だ。帰らない」と譲りません。仕方なく無理やり連れて帰ることに。 「たまにはこんなこともあるかな」くらいに思っていましたが、甘かったのです。次の日も、その次の日も同じことが。しかも、「ごはんイヤ」「お風呂イヤ」ととにかくイヤイヤの連続。仕事終わりに公園で1時間遊び、嫌がる娘を無理やり連れて帰り、夕食の支度をして、イヤイヤ娘と寝るまで戦う……。私はへとへとになってしまいました。 モンスターの本音、気付かなくてごめんね保育園ではイヤイヤもなく、お友だちとも遊べていた娘。帰宅後だけはモンスターになるという日々がしばらく続いたある日。娘がぽつりと「保育園で失敗するといけないから……」と。慣れない環境で間違えないように、みんなと同じ行動がとれるように頑張ってきたことを知りました。 私が「今まで気付かなくてごめんね。頑張ってるんだよね。疲れちゃうから、ぐずりたくなっちゃうんだね」と言うと、小さく「うん」と。それから家ではなるべく叱らないように努力し、娘の希望に沿えるようにしました。すると、少しずつイヤイヤは減っていったのです。 懸命に保育園に慣れようとしていた娘。それに気付いてあげられず、反省。急な態度の変化には理由がありました。また、外で頑張っているから家では甘えさせようと思うようにも。まだ時々小さな怪獣は姿を現しますが、私の前では自由に感情を表現してくれていると感じています。これからもモンスターと仲良くなれるように頑張りたいです。 監修/助産師REIKO著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年10月07日生後5カ月の子どもがいるママを対象とした自治体主催の育児講座に参加したとき、ママ友Aと仲良くなりました。お互いの悩みを打ち明けるようになり、仲が深まっていったと思っていました。ママ友Aは自分の育児の悩みを話すときは多弁で、「大変だね!」と言うと大変機嫌が良くなりますが、私が育児の悩みを話すと無言になり、態度が素気なくなることが多くなっていきました。※コロナ禍前の体験談です 育児に悩んで相談をした結果ママ友Aとは児童館で子どもを遊ばせることが多くなり、他のママ友とも交流が増え、ママ友Aを含めたママ友グループで行動することが多くなっていきました。ママ友たちは育児相談をすると親身になって話を聞いてくれ、心強いに存在に……。また、子どもの栄養状態が悪い、夜泣きがひどい等で困っていたので、児童館で開催された保健師主催の育児相談会に参加し、保健師さんに丁寧な助言をいただきました。 その後、保健師さんが児童館に立ち寄った際に、よく私に声をかけてくれるようになったのです。それを見ていたママ友Aが「私だって育児が大変でつらいのに! 私のほうが大変なのよ!」と、保健師さんがいる前で私に対し声を荒らげたのです。 突然避けられてしまう!その日を境に、私はママ友Aから避けられました。ママ友Aは私と目も合わせてくれず、話しかけづらい雰囲気が漂います。ママ友グループの集まりでも、これまで仲がよかったのに突然距離をとっている私たちを見て、周りのママ友たちも困惑しているようでした。 これまで育児の悩みや育児情報を共有していたママ友グループは、心の支えになっていた大切な居場所でしたが、居心地が悪くなってしまった私は集まりへの参加を控えるようになり、交流もなくなりました。 数年後、思いがけない再会…あれから、ママ友グループの集まりに参加せず3年の月日が経ち、子どもの習い事で偶然にもママ友Aと再会。一瞬気まずい空気が流れましたが、意を決して話しかけると普通に話をすることができたのです。それから、習い事でたまに顔を合わせるたび、あいさつと短い世間話をする程度の仲にまでなりました。 以前のように育児の悩みを相談し合ったり、プライベートで会うような仲にはなっていません。私は、これ以上の関係をママ友Aには望んでいません。私たちは、このくらいの関係がちょうどいいのではと思っています。 お互い初めての育児で試行錯誤をしていたときで、育児の大変さを他者に話し、頑張りを認めてもらいたいという気持ちが強かったのではと思います。ママ友Aとはこのような関係になってしまいましたが、今後、新たにママ友ができたときには、一方的に相談をするのではなく、お互いに悩みを聞き合い支え合えるような関係を作れるようにしていきたいと思います。 著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年09月29日長男が3歳、次男が生後1カ月のころ、義実家の隣に引っ越したときのお話です。バタバタしながら生活を送っている中、義母が毎日のようにわが家にやってくるように。たまたま応答できなかった日があったのですが、そのとき義母がまさかの行動を起こしたのです。※コロナ禍前の体験談です 毎日くる義母夫の実家のすぐ隣に家を建て引っ越しをしたのですが、正直私は義実家の隣に住むことに抵抗がありました。しかし夫が長男ということもあり、しぶしぶ了承したのです。夫は仕事で忙しく、私はワンオペで長男と次男の育児と家事をこなすのに毎日必死でした。 そんな中、突然義母が毎日わが家にやってくるように。しかも夕食を食べている忙しい時間帯にくるようになったのです。もちろん何かを手伝ってくれるわけでもなく、ただ私や息子たちと話をしたいだけの様子でした。 義母の影響義母が毎日わが家にくるようになってから1カ月。正直私は、忙しい時間帯に義母の相手をしなければいけないことに疲弊していました。次男はまだ授乳も頻繁で、私自身も寝不足だったので、毎日の生活だけで手一杯の状態。 長男は義母がくることを喜んではいましたが、ごはんの時間にくるので長男も気が散り、なかなか食事が進まず、その影響で息子たちを寝かしつける時間も以前より遅くなってしまっていました。 義母がまさかの行動にそんなある日、いつもよりお風呂の時間が遅くなってしまい、入浴中で義母のインターホンに応答できないことがありました。あとで義母のところへ行こうと思っていましたが、そのまま忘れてしまい、息子たちの食事の用意や寝かしつけの準備に追われていました。すると夫から電話があり、なんと義母から夫の携帯に10件もの不在着信が入っていたとのこと。 夫は仕事中だったので気付かず、11回目の着信で応答したようですが、義母は「〇〇ちゃん(私の名前)がチャイムを何回押しても出てこない! 車もあるし家にいるはずなのに、わざと出てこないんじゃないの!?」と怒り心頭の様子。夫は私たちに何かあったのかと心配して、電話をしてきてくれたようでした。 窓を叩く義母その後夫は義母に、入浴中で応答できなかったことを伝えてくれたようでした。すると義母はその翌日、お昼ごろに突然やってきたのです。ちょうど私は次男を2階の寝室で寝かしつけ中で、やっと寝てくれたところだったので、またインターホンには応答できませんでした。 すると驚くことに、義母はわが家の窓をドンドンと何度も叩き、「いるんでしょ? なんで出てこないの!?」と驚きの行動に。恐ろしくなった私は次男を抱いて、すぐに義母に応答し謝罪をしました。 次男の寝かしつけで応答できなかったこと、これからも応答できないことがあるかもしれないことを伝えると、義母はわかってくれた様子。その後は週に1回ほどくるようになりました。義母も悪気はなかったようですが、私から前もって応答できない事情もあるということを伝えておくべきだったなと反省した出来事でした。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2021年09月27日昔から苦労の連続だった義母は、とても大変な思いをして子育てをしたそうです。私が長男を出産してから、義母の子育て経験を聞くことが増えました。それが私を苦しめることになってしまったエピソードをご紹介します。 義母は苦労人複雑な家庭環境で育った義母。両親の離婚や児童養護施設で生活した経験があります。毎日の食事に困るほど貧困だったこともあり、幼いころは本当に苦労の連続だったそうです。大人になっても義母の不運は続き、夫が7歳になるまでシングルマザーとして育てました。 再婚後、やっと穏やかな生活を送れるようになったそうです。壮絶な人生を送っている義母ですが、とても強くてやさしい人。私はそんな義母を尊敬していました。 義母の子育てが壮絶すぎて…しかし、長男を出産してから、義母の様子が変わりました。「私はひとりで子育てしたけど、あなたには家族がいて、お金にも困ってないし、よかったわね」と義母。 「夜泣きがひどくて。誰にも頼れなかったわ。毎晩泣きながら、おんぶしていたの」「粉ミルクなんて高価なもの、私には使えなかった」「保育園に入るまでは、職場に子どもを連れて行ったのよ」。義母は自分がどんな苦労をしてきたか、それに比べて私がいかに恵まれているかを繰り返し話すようになりました。 義母に比べたら、私は恵まれている義母の子育ては、私のものよりはるかに大変だったと思います。それでも私は私なりに子育てに関してつらいことや、心配なことがありました。しかしそれを口にしてはいけないのではないか、私は甘えているだけなのかもしれないと考えるようになってしまったのです。 私は義母に会うことが憂うつになり、義実家から遠ざかるように。すると、「孫に会わせてもらえないのは寂しい」と言われ、さらに私は追い詰められてしまいました。 義母の本当の気持ちある日「子育ては大変でしょう? もっと頼っていいのよ」と義母。私は思い切って「お義母さんに比べたら、私は大変なんて言っちゃいけないと思います」と答えました。 すると「何言っているの! 誰だって大変よ。もしかして、私と比べていたの? だとしたら謝るわ。孫を見ていたらついつい、昔のことを思い出してしまって……。私は苦労したから、あなたにはそんな思いさせたくないという気持ちだったの」と義母。その言葉に私は驚きました。私は義母のことを誤解していたのです。 それからは、自分が大変だと思うことを義母に話せるようになりました。義母の言葉の裏を読んで悩むこともなくなりました。義母に長男を預けて美容室に行くなど、甘えることもできるように。肩の荷が下りたように感じています。自分の弱さを表現して助けを求めることが大切なのだなと思いました。著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年09月24日独身時代は、毎日のように外に飲みに行くのも気になりませんでした。子どもが生まれる前から外によく飲みに行く夫でしたが、まさか子どもが風邪をひいているときまで飲みに行くとは思っていなかったです。それには夫との考え方に違いがありました。※コロナ禍前の体験談です 子どもより飲み会を優先する夫子どもが生後6カ月のころ突発性発疹になって高熱が続いており、ずっと泣いているし、嘔吐もしていました。私は子どもにずっとつきっきりでごはんも食べられなかったため、夫に仕事終わりに何かごはんを買ってきてほしいと連絡すると、返ってきた返事が「飲み会行ってきていい?」でした。 びっくりして何も言い返せませんでした。ごはんだけ欲しければ、デリバリーを利用すればいいと思っていたのでしょうか。結局何も買ってきてくれなかったため、ごはんも食べることができませんでした。 夫の周りの人も配慮なし?夫の友だちも同僚も小さな子どもがいる人が多いのですが、子どもが風邪をひいているなら早めに家に帰ってあげて、などと言う人はいなかったようです。母親が家にいるなら、看病は母親がすればいいと思っているのでしょうか。 まず、そんなに他人の家のことに関心を持っていないかもしれません。もし夫が子どもが風邪をひいていることを言ったとしても、他の人は他人の家の事情を気にしないかもしれません。実際私も働いていたときは、周りの家庭のことは気にしていなかったと思います。 話し合いしたけれど…その後、夫婦で話し合うことに……。夫の意見は、「大人が1人ついていれば看病はできる。だから飲みに行ってもいいと思う」でした。私は、「看病は体力を使うから2人いたら心強い」と伝えました。 話し合いは結論づけることができず、数日間、無言で過ごす日々。結局私が折れて、飲み会に行っていいことになりました。考えた結果、飲み会に行けずイヤイヤ家に帰ってくる夫を見ていてもストレスが溜まってしまうと思ったのです。過度な期待をせず、できる限りのことは私がしようと決めたら気持ちがラクになりました。 話し合い後から、子どもが体調崩したときは私がひとりで看病していますが、ストレスなくできています。子どもが体調不良のときに夫が飲み会へ行くことはまだありますが、帰ってきてくれると期待していない分イライラすることもありません。結果的に両者がストレスなく過ごせるように話し合いをしてよかったと思います。 著者:たなか さき2歳女児の母。子育てしながら看護師として働く。子育てと医療系について執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年09月18日夫の仕事の都合で子どもが生後4カ月のころに引っ越しをすることになり、移動で新幹線を利用することになりました。移動中に大勢の人がいるところで子どもを泣かせて迷惑をかけてはいけないと考え、入念に計画をたてて引越し当日に臨みました。しかし子どもを連れての行程は計画通りいくはずもなく⋯⋯。そんなとき、新幹線の車掌さんが感激の対応してくれたのです。私の体験談をお伝えします。 入念に準備!引っ越しについては、私が妊娠中から決まっていました。行き先は北陸。12月に初めての出産、子育てをすることになる私は、雪深い転居先にすぐに行くとは言えませんでした。そこで私は子どもと一緒に新居周りの雪もすっかりなくなるゴールデンウィークまで実家で過ごし、夫だけ先に引っ越しをしてもらうことにしたのです。ゴールデンウィークのころには子どもは生後4カ月を過ぎていました。 子どもはおっぱいや昼寝のリズムもついてきています。そのためどのタイミングで授乳をするか、昼寝はどのタイミングになるか、どんなおもちゃを持っていくかなど、大泣きさせて周りに迷惑をかけないようにと計画を入念に立てました。 予定通りにいかず大泣き引っ越し当日。授乳とおむつ替えは出発ギリギリにしました。大半の荷物は引っ越し業者にお願いし、私は最低限の荷物だけを持ち、迎えにきてくれた夫と実家を出発。在来線と新幹線を乗り継ぐ4時間の行程です。スリングの中にいた子どもはしばらくすると眠ってしまいました。これは計画通り。 子どもが新幹線の中で目を覚まし、ケープを使って授乳し、機嫌よく過ごしてくれれば大成功だったのですがそうはいきません。新幹線の中で目を覚ますと子どもは大泣き。おっぱいもおもちゃも目に入らない様子でした。 車掌さんから神の一声が⋯⋯!私は子どもを抱いてデッキに移り子どもをあやしはするものの、泣き止む気配はありません。目的地までまだ1時間以上あります。立ったまま泣き続ける子どもの相手をするのかと途方に暮れていると、車掌さんが声をかけてくれました。「体調を崩した人のために個室を確保してあるから使いませんか」とのこと。 願ってもない申し出を私はありがたく受け、周りの人たちに迷惑をかけるのではないかと心配することなく、ゆっくり座ることができたのです。しばらくすると子どもも泣き止み、授乳をすませるとご機嫌になっていました。 出産後初めての長距離移動。私は周りに迷惑をかけてはいけないと、緊張をしていたのだと思います。しかし車掌さんからの親切を受け、肩の力がスッと抜けました。私が考えているよりも世間は子ども連れにやさしいのかもしれないと感じた出来事です。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年09月13日娘が生後6カ月ごろのこと。お昼寝も夜も、娘の寝かしつけには絵本を読んであげることが多々ありました。あお向けになった娘の脇に私は添い寝の形になり、絵本を読んで聞かせます。その読み聞かせで経験した、あわや大怪我に繋がるヒヤリなエピソードを紹介します。 読み聞かせで心地よく入眠娘は生後3カ月ごろまでは抱っこで眠ることが好きでしたが、徐々に抱っこだと不快になってきたようで、横になって添い寝をすることで安心して眠りにつくようになりました。 生後6カ月ごろになると、絵本を読み聞かせると興味を持って喜んで見てくれて、読んでいるうちに次第にウトウトするように。最終的には指しゃぶりをして気持ちよく眠るのでした。 私がウトウトしてしまい…ある日のお昼寝のとき読み聞かせをしてあげていたところ、私のほうが先に眠気がきてしまいました。ウトウトしては眠気を振り払って読んでいましたが、ついに気が遠のいてしまいました。その拍子に、持っていた絵本を落としてしまったのです。 あお向けで添い寝の状態だったので、絵本が落ちたのは私と娘の顔の上! 顔に絵本が当たった衝撃でハッと目覚めた私は、娘の目のあたりに絵本の角が当たってしまったことに気づき、大慌て! 急いで目の中が傷ついていないか確認しました。 急いで眼科へ目の中を見てみましたが、傷ついているかどうかよくわかりませんでした。娘は絵本が当たったときは少し泣いたもののすぐに泣き止み、痛がる様子もありませんでしたが、後々になって炎症を起こさないか、私は最悪のことも考えて心配になってきたのです。そこで近くの眼科に行ってみることにしました。 眼科は娘にとって初めての経験。痛い思いをさせてしまわないかと親の私のほうが不安でドキドキでしたが、診察室に入って事情を説明すると医師が「そういうこともあるよね」と笑い飛ばしてくれたので、安心して診察を受けられました。結果は特に目の中が傷ついているということもなく、薬ももらわず帰ってくることができました。 読み聞かせのとき、私は少々疲れていたのかもしれません。しかし、ついウトウト……では済まされない大事故に繋がるような出来事。私は、気を付けなければと肝に銘じたのです。眼科は私自身もあまりかかったことがなかったのでドキドキしましたが、心配なときにすぐに診てもらうことで安心できてよかったなと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年09月11日同じ歳の子どもがいるママ友グループ。初めての子育てで、わからないことばかりだった私には、とても頼りになっていました。しかし、あるママ友が夫の職業ステータスを気にしてグループ内の空気が悪くなってしまい……。このママ友が家族を誇らしく思うがゆえにした発言で、私自身も気分を害してしまったので、ママ友との関係づくりにおいて考えさせられるきっかけとなりました。 メインは子ども! ママ友グループの話題私には、子どもが0歳のときに参加した子育てママサークルで出会ったママ友がいます。みんな子どもは同じ歳でしかも月齢が近いので、ママ友グループの会話は主に子どもの話です。 子どもの発達具合や離乳食の悩みや遊び場の口コミなど、初めての子育てをしている私にとって有益な情報ばかり。ママ友グループは私の情報収集の場であり、ママたちと話せるリフレッシュの場でもありました。 あるママ友の発言にグループがザワザワしかし、あるママ友の発言でグループ内がザワザワし始めました!「うちは夫の稼ぎだけで上層階に住めるけど、○○さんのところは共働きで1階なんだよね」。それはまるで夫の職業を自慢するかのようで、周りのママ友の夫と比べる発言だったのです。 確かにそのママ友の夫は一般的にうらやましいと言われる職業で、初めて聞いたとき「いいな~」と私も言いました。しかし夫を職業で比べるような発言を聞いたママ友たちは、みんな引いていました。 少しずつ呼ばれなくなったママ友もともと夫の職業を自慢するようなことや、他のママ友の夫と比べるような発言をするので、不快に思っていました。私以外もそう思うママ友が多かったのかもしれません。そのママ友は、だんだんグループの中で話をふられなくなりました。そしてそのママ友を見る機会が減っていったのでした。 ママ友グループは、子どものことを相談しあったり家族のことを話したりできてストレス発散には良い場所ですが、お互いを尊重しあう心をもって接することが大切だと感じました。 ママ友グループでの体験を通して、子どもで繋がっているママ友と言ってもひとりの人間としてお互いに尊重しあう気持ちをもって接する大切さを認識しました。そして家族を誇らしく思うのはとても幸せなことですが、人と比べないようにしようと教訓を得ました。子育ての中でママ友はとても心強い存在です。これからもお互いを尊重して関係を築いていきたいと思います。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年08月28日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年08月26日1歳の娘が中耳炎にかかったときのことです。耳鼻科を受診したところ「良くなるまで毎日診せにきて」と言われ、まだじょうずに歩けない娘を抱っこして医院に通う日々が続きました。すっかり常連になりかけたある日、医師に思わぬことを言われて返答に困ってしまった体験談です。 最年少患者で人気者の娘当時住んでいた家の近所にあった耳鼻科医院は「診察が丁寧」と地元では評判が良く、いつも混み合っていました。待合室はなぜかコの字型にソファが配置されていて、患者同士の視線が否が応でも合う作り。 そんな中、当時1歳でよちよち歩きの娘は誰にでも愛想が良く、常連になるにつれ医院のスタッフやほかの患者さんたちにもやさしく声をかけていただくなどして、とてもかわいがられていました。 「今日はパパと?」思わず言葉につまる私その日も待合室は混んでいて、娘はいつものようにほかの患者さんに手を振ったり、絵本を読んだりしながら機嫌よく私の膝の上で診察の順番を待っていました。ようやく娘の名前が呼ばれたので返事をしながら娘を抱えて立ち上がると、診察室から顔を出した顔なじみの医師にこう言われました。「あら! 今日はパパと? 良いわね~」 その日娘の付き添いは私だけ。医師には私が「パパ」に見えたのだ!と思い至りはしたものの、とっさにどう返してよいのかわからず思わず絶句してしまいました。 どこに行くにも最低限の身だしなみを!医師はすぐに間違いに気づき「あ! ごめんなさい」と焦って謝られましたが、私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで身の置き所がありませんでした。かなり大きな声だったので、待合室中に聞こえていたと思うと、ますます恥ずかしかったです。 実は私は女性としてはかなり身長が高く、その日は娘を抱っこしながらでも着られるようにと夫のコートを羽織っていたのです。だとしてもまさかこの年で男性に間違われるとは!と少なからずショックを受けたと同時に、着飾らないまでも身だしなみは整えねばと反省しました。 私は子どものころから身長が高く、中学生くらいまでは着る服によっては男の子に間違われることもありました。しかしまさか母親になってまで男性に間違われることになるとは思っていなかったので、どう返事をしてよいのか考えつかずとっさに反応できませんでした。あのとき待合室に漂った気まずい雰囲気を思い出しては笑ってしまいます。 監修/助産師REIKO著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年08月07日未婚の母としてシングルマザーとして育児と仕事に奮闘していた私ですが、やはり子どもにお父さんがいないことで寂しい思いをさせているのではないかと不安がありました。気になる人ができても、うまくいかないんじゃないかと不安が常にありましたが、3年という時間をかけてようやくステップファミリーとなることができた体験談をご紹介します。 うちにはどうしていないの?子どもに寂しい思いはさせたくない!と頑張っていた日々でしたが、子どもが自分の思っていることを話せる年齢になってきたころ、ふと言われました。「うちにはパパって何でいないの?」。 保育園の送迎や行事で見かけるたびに不思議に思っていたそうです。やっぱり父親っていたほうがいいのかな……私ひとりじゃやっぱり寂しいのかな⋯⋯と悩んで寝られない日もありました。 パートナーと子どもを会わせるまで子どもが4歳になる年に仕事関係で今のパートナーと出会い、私がシングルマザーであることを打ち明けました。大丈夫だと言ってくれるパートナーでしたが、もし子どもに会わせてからダメになったら子どもがかわいそうだと思い、悩んで悩んで子どもに会わせるまでに半年ほどかかりました。 しかし実際に会ってみると、すぐにパートナーに懐いて抱っこをせがむわが子の行動に驚きの連続でした。言葉に出していなかったものの、子どもにとって今までいなかった父親のポジションは大事だったんだなと感じました。 焦らずに時間をかけて家族になるパートナーと付き合い始めて1年経つころには、将来を思い子どもが小さいうちに家族になりたいと考えるようになりました。一緒に暮らすとなると大丈夫だろうかと心配もあり、時間をかけて様子見することにしました。3人でのおでかけの時間を長くしてみる、その次はお泊まりをしてみる、そうやって徐々に3人で過ごす時間を長くすることに。一緒にいるときに子どもがこの関係を嫌がっていないか、子どもがダメなことをしたときにパートナーはどのような態度をとってくれるのかなど、焦らずにゆっくりと数年の時間をかけ確認をしました。最初はダメになってしまったらと不安もありましたが、子どもを大事にしてくれるこの人なら大丈夫だと思えるようになりました。 結果的に3年ほど時間をかけて、子どもが保育園を卒園した年に無事にステップファミリーになることができました。シングルマザーになる決意をしたときは、今のような未来があるなんて思いもしませんでした。焦らずに時間をかけて子どもとパートナーの関係性を見てきたことで、安心感が生まれたのがよかったのだと感じています。 監修/助産師REIKO著者:高橋香織7歳男児の子育て中、第2子妊娠中のママ。ステップファミリーとなった自身の経験を生かした体験談を執筆中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年07月22日私は現在、幼稚園に通っている5歳の長男と保育園に通っている2歳の長女がいる2児のママです。今回は私が学生時代からの友人に対して、価値観の違いなどから「もしかして、マウンティングなのかしら?」と感じたさまざまな出来事や、どうやって自分のモヤモヤ感から気持ちを切り替えているかをお伝えします。 私と友人の間柄とは私と友人の付き合い長く、同じ会社に新卒で入社し、お互いに切磋琢磨した同僚という仲です。そして、これも縁なのでしょうか? 友人と私は、偶然にもほぼ同年齢の子どもがそれぞれ2人いて、しかも2人ともワーママです。そういった背景があり、しかも住んでいる場所もそう遠くないということから、特にお互いに子どもができてからは、定期的にお茶会をするような関係性が続いていました。 一見良好な関係性とも見える私と友人ですが、私は友人に対してモヤモヤする出来事が多くなりました。最初に私が「モヤッ」としたきっかけは、忘れもしない、長男が生後数カ月のころの出来事でした。 友人からモヤッとする衝撃のひと言私はさまざまな事情があり、親戚に頼れず退院直後からワンオペ育児でしたが、そんな中、友人が出産祝いにと私の自宅へ来てくれた際のこと。久々に会えてうれしかったのですが、そのときに友人からモヤッとした発言が。 「○○は、実家に頼れないんだね。私は実家はもちろん、義母・義父が揃って手伝う!って、いろいろな人から言われ過ぎちゃって困っている」「人手が足り過ぎてて、どう分散して子どもの世話を手伝ってもらおうかって考え中」と言われたのです。 恐らく友人に悪気はないのでしょう。しかし1人目育児かつ産後間もなくて心身ともに疲弊していた私は、この友人の発言に正直引いてしまいました。なぜならば、あまりにも私の現状を考慮した発言ではなかったからです。 ほかにもあったモヤモヤな出来事そのほかにも、友人にモヤッとしてしまった出来事があります。 例を挙げると、「自分(友人)がどれだけ生活が充実しているのか、わざわざ写真をLINEに送ってくる」「しゃべりだすと止まらず、私はほとんど聞き手役に徹しなければいけない。しかも内容はほとんど自分(友人)がデキる人間であるかどうかの自慢話が多い」などです。 今は住んでいる土地も違いますし、正直「合わなければ関係を続けなければいい」と思われるかもしれません。しかし、私と友人は十数年も付き合いが続いている縁があり、そう簡単に縁を切ることが私にとっては難しかったのです。 モヤッとした気持ちの解消策このように「モヤッとはしているんだけれど、簡単に縁を切れないな……」と感じたときに私がおこなった対策は、「自分の考え方を割り切ること」です。具体的には、友人と私は生い立ちや趣味なども異なり、それぞれまったく違った価値観持った人間であると考えました。 価値観が違うのですから、産後の私に友人が発したささいな言動も、私にとっては一撃を食らわせる配慮なき発言でしたが、彼女にとっては私を傷つける自覚はなかったのだと理解しています。 このように自分の考えを柔軟に、おおらかに変えていくことが「モヤッ」を解消する1つの現実的な手立てだと感じています。今ではある程度距離を置いたり「もともとこういう人なんだ」と割り切り、お互いの価値観が違う部分を「よい刺激」と捉えてお付き合いするようにしています。 著者:石塚みよ2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年07月15日「産後の恨みは一生の恨みにつながりやすい」とはよく聞きますが、まさか私自身も夫のひと言をいまだに根に持つことになるとは……。今思えば、ささいなひと言のつもりだったのだと思いますが、難産で弱っていた私にはかなりこたえました。産後に夫から言われてひどく傷ついた言葉をお伝えします。 難産からの退院でひと安心と思いきや…私が1人目の子どもを産み、自宅に帰ってきた初日の出来事です。私は親戚などに頼れない状況にあって、里帰りはせず退院後はすぐに自宅へ帰宅。幸いにも夫の定休の曜日に退院することができました。私は自分以外の大人がいてくれる安堵と、陣痛が40時間超えの難産であった経緯から、久しぶりのわが家に帰った直後、すべての重荷から多少解放されたようでホッとひと息。出産直後なので、歩くのも少し不安定なくらいだった私は、しばらく赤ちゃんとじっと座っていました。 一方、夫は何も語らずに家事などに淡々と取り組んでいました。ここまではよかったのですが、問題となった夫の発言は夕食の際のことでした。 食事中、夫にお願い事をしたら…私は退院当日だったこともあり、夕食作りのすべてを夫に任せて赤ちゃんとリビングで座って待っていました。そして夫が夕食を持ってきてくれて、そのごはんを2人で一緒に食べていたときのことです。私は産後、軽度の腱鞘炎になったこともあり誤って箸を落としてしまいました。夫に思わず「(箸を)拾って」とお願いしたところ、何も言わずに拾ってくれました。 その後、おかずを口元にこぼしてしまった私。ティッシュでふき取りたいけれども、ティッシュ置き場は立って数歩歩かないといけない距離にあったのです。数歩歩くことですら当時の私にはしんどかったので、夫に「ティッシュも取ってきてほしいのだけれど」と2つ目のお願いしました。そこで夫からの衝撃なひと言が……。 夫の冷たいひと言にショック夫は「出産直後だからって、甘えんなよ。自分でやれることは自分でやれ」とひと言、冷たく私に言い放ったのです。急に自分のなかにこみ上げてくる怒りの感情がありましたが、難産からの退院初日の私には怒る気力も湧かず「ああ……」としか言えませんでした。 夫もごはんを食べているのに2回も箸を止めるようなお願いをしたからイラッときたのだなと、今ではそう思えるのですが、あのひと言は今でも忘れられません。 ささいなひと言かもしれませんが、今でもあの出来事を思い出し「退院直後の弱っている私に、よくあんなことが言えたものだ!」と怒りに似た感情が湧きます。人生で一番弱っている時期に「甘えるな」と言われ、その後は少し夫不信になりました。数年経った今では笑い話にできるくらいになりましたが「産後の恨みは一生の恨み」という言葉の意味を理解できた一件です。 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年06月26日息子が1歳になる初めての誕生日。私は1カ月前から誕生日パーティーの準備をし、両家の両親を呼んでお祝いしようと計画していました。そんな中、義両親が孫の誕生日を忘れていたことが判明! 私はそんな義両親を冷たいと感じてしまいました。しかし、義両親はなぜ孫の誕生日を忘れてしまったのか、そこに気が付いて私の行動も変わりました。 まさか…孫の誕生日を忘れていた!?息子が1歳になる初めての誕生日に向けて準備を慌ただしくしていた私。誕生日パーティーは両家の両親を呼んでお披露目のパーティーにしたいと計画していました。 ところが両親たちと日程を調整している際に義母が「みんな集まるってことは何かのお祝い?」と発言……。義両親は、孫の誕生日をすっかり忘れていたようなのです。 息子の1歳の誕生日は私たち夫婦にとってはとても大切な日なので、義両親に忘れられていたことがショックでした。 義両親は孫に興味がない!?と思いきや…とてもショックを受けた私は、誕生日を忘れるなんて、義両親は息子に関心がないのだなと思ってしまいました。しかし、実は義両親にとって私たちの息子は6人目の孫。これだけ孫がたくさんいたら、1人への関心も薄れてしまうのかもしれない、と私は思いました。 誕生日パーティーに義両親を呼ぶのをやめてしまおうかとも考えましたが、両家の両親が揃う行事はなかなかないと思い、予定通りお誘いすることに。すると誕生日パーティー当日は、両家の両親が取り合いのように孫をかわいがって写真を撮ったりお世話をしたりしてくれました。義両親も孫に関心がないわけではなかったようで、安心しました。 わが子を義両親にかわいがってもらうために息子の誕生日を忘れていた義両親でしたが、孫を前にするとテンションが上がってうれしそうでした。孫をかわいがる義両親の姿を見て、誕生日を忘れられてしまったのには私にも責任があったと気づきました。 義両親とは離れて暮らしており普段は会わないので、私が送る写真やメールが唯一の孫の成長を確認する手段でした。義両親にとって、わが家の息子の存在は遠かったのです。今後は頻繁に息子の様子を伝えて、義両親に孫の成長を身近に感じてもらうことが必要だと感じました。 私たち夫婦にとっては初めての子どもでも、義両親にとっては6人目の孫。わが家の第1子に対して両者に温度差があるのは仕方のないことかもしれません。過度に期待しないことと、孫の存在を身近に感じてもらえるように私から歩み寄ることが大切だと気づきました。これからも離れて暮らしている義両親とマメに連絡をとって、孫の成長を見届けてもらおうと思っています。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年06月23日夫と結婚して以来、私は夫の両親の誕生日や母の日・父の日には何かしらの贈り物を欠かさずしてきました。義両親はいつもとても喜んでくれるのですが、年を追うごとに「もうやめようかな」と私は感じるように。気持ちの持ちようをどうすればよいのか悩んでしまった体験談です。 自分の親にすることは義両親にもする私自身は就職を機に実家を出て以来、顔を合わせる機会が減った分、両親の誕生日や母の日・父の日などにはカードや花を贈ることが習慣になっていました。そのため夫と結婚した際は、あまり深く考えずに義両親にも同じようにし始めました。実家の両親にすることは、義両親にもするのがあたり前だと思っていたからです。 贈り方は、近い日にちで持参できるときは持参し、できないときは夫の名前や連名で郵送していました。 贈り物には無関心な夫との温度差義両親はとても喜んでくれ、「こんなこと息子にしてもらったことない」とうれしそうにしてくれました。私もはじめのころは義両親のうれしそうな姿だけで「贈ってよかったな」と思っていたのですが、次第に夫の態度にひっかかり始めます。 夫は贈り物には無関心なようで、私が「今年は何を贈ろうか?」と相談しても反応が薄く具体案を言ってくることがありません。また「これに決めたよ」と報告しても、ごくたまに「ありがとう」のひと言だけで、仕事が忙しいときなどはそのままスル―ということも珍しくないのです。 贈り物はしょせん自己満足?贈り物をするのは自分がしたいから。夫を含め、相手の反応を期待しない。そう自分に言い聞かせてみるものの、夫の無関心さに不満がたまっていきました。 ある年、これまでは私にもいつもあった義両親からのお礼メールが届かなかったことがありました。夫には義両親からLINEで「届いたよ。ありがとう」とメッセージがあったようですが、夫は「そういえばそんなメッセージきてたな」というだけ。義両親からの連絡を共有してくれないことにモヤモヤ……。なんだか急に虚しさを感じ、「もう贈り物をするのはやめよう」と思った瞬間でした。 ここ数年は「もう来年こそは絶対しない」と心に決めるものの、また日にちが近づいてくれば結局贈ってしまう状態です。無関心な夫に対して不満を感じてしまうくらいなら、思い切ってやめたほうがよいと頭ではわかっているのですが……。なかなか実行に移せずにいます。 著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年06月12日夫の両親と同居したものの、義母は実の娘(私にとって義妹)への執着心が強く、同居している私たち家族は無視同然の行動をされていました。私たち夫婦だけならよかったのですが、それが子どもたちにまで影響し始め……。義妹の子どもたちにだけこっそりお菓子をあげたり、一緒にどこかにおでかけしたり、うちの子たちも同じ孫なのにこの差は?と悩んだ体験をお話しします。 ほぼ毎日くる義妹と子どもたち私たちが家を買うタイミングで夫の両親と同居することになり、そのとき私は3人目を妊娠中。夫には妹がいて、義妹とは私も結婚前から仲良くしていました。義妹も2人目を私より4カ月早く出産し、義父母と同居しているので産後は1カ月ほどわが家で過ごしました。 義妹は産後里帰りを終えて自宅に戻ってからも、近くに住んでいることもあり、産休中ほぼ毎日来るようになったのです。私も3人目を出産し、義妹にも年の近い子どもがいるので話も合って仲良くしていたのですが、義母の態度にたびたび違和感を覚えるようになったのです。 お菓子はこっそり義妹の子どもたちにだけ義母は買ってきたお菓子を義妹の子にだけ帰るときにこっそり手渡していました。それを見て寂しそうにするわが子の姿に、私も悲しくなりました。 また、私たちが「お祭りが近くであるから一緒に」と誘っても断るのに、義妹の子たちを連れて別のお祭りへ行く義母。一緒に行きたいとわが子が言うと、義妹が「いいよ!」と言ってくれるのですが、義母は渋々という顔をします。 そして身内に不幸があっても「娘(義妹)がいてくれさえすればいいから……」と、長男の夫には何も相談しません。何もかも義妹に話をして終わり、義妹は私たち夫婦には義母から話がないことを知っていたようで、義母からこういう話があったと報告してくれていました。 同居しているのは私たち家族なのに義両親と別居しているときは義実家に遊びに行くとかわいがってもらえたわが子たちですが、同居すると子育てや生活習慣など気になるようで、しつけに厳しくなった義母。実は義妹も義母の過干渉に耐えられず、高校卒業を期に実家を出て就職したのだと話してくれました。夫もずっと実家には住んでいたものの、義両親とは必要最低限しか話さなかったようで、同居も長男だからという理由……。 そのような家族内の関係性があったとは知らず、同居して初めて気づいた義母の義妹への執着と、私たち家族への態度に悲しくなりました。夫も気づいていたらしく、私たち夫婦だけなら耐えればいいのですが、子どもたちに対する態度の違いに怒りを覚えるほどに。義妹の子はかわいがられ、わが家の子どもたちは義母が気に入らないことがあると、そこまで怒られるほどのことをしていないのにもかかわらず、容赦なく怒られる日々はとてもつらかったです。 夫は、義母と話し合いをすることに。もう少し義母に私たち家族にも寄り添ってほしかったのですが、結局生活スタイルや子育てへの考え方の違いが大きく、義両親とは別居することになりました。今も義母の義妹家族とわが家の差別はありますが、家族として良い関係性を築くために、義母とはほど良い距離感を保つようにしています。 作画/うちここ著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。 イラスト制作者:イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年05月31日