私には小学生の娘と幼稚園児の息子がおり、夫とは現在別居して離婚協議中です。離婚のことで一時期は落ち込み沈んだ表情をしていたときもありましたが、最近は子どもたちと楽しく過ごし笑顔が戻ったと思っていました。ところがある日、子どもにあることを言われてハッとしたエピソードをお伝えします。 地獄のような日々夫とはずっと、自他ともに認める仲良し夫婦でした。ところが幸せな毎日から一転、夫の裏切りが発覚し、そこから地獄のような日々が始まったのです。命を終わらせたいと思うこともあるほど落ち込んで、食欲もなく、どんどん痩せていきました。あのころは周りのすべての人が幸せそうに見えて、人に会うのも嫌になりました。 できれば一歩も外に出たくなかったのですが、不思議なことにそんな精神状態でも子どもの送迎などで致し方なく外に出て誰かに会うと、自然と笑顔が出せたのです。人生のどん底にいるのに、笑顔で人と話せることに自分自身でも驚いたくらいです。 ただその反動がひどく、家にいると無気力で、笑顔なんてすっかり消え去っていました。子どもたちには最低限のことをするだけの毎日で、今思い出しても子どもたちには本当に申し訳なかったなと思います。 時間が少しずつ解決してくれた…夫とはその後、弁護士を介して離婚協議中です。弁護士を通して嫌なことを言われたり、引き続きつらい日々が続いていますが、少しずつ少しずつ強くなっていきました。 そして、子どもたちとも笑い合えるようになって、ちょっとした楽しみも見出せるようになったのです。裏切り発覚から1年を過ぎたころには、つらい日々を踏ん張って乗り越えられたことが自信につながって、ようやく前を向けるようになりました。 めずらしく雪が積もり…先日、私が住んでいる地域にしては珍しく、まとまった雪が降り積もりました。子どもたちは大喜び! 庭で雪だるまを作ったり、寝転がってみたり、思いっきり楽しんでいました。しかし、あいにくその日は夕方から出かけなくてはいけない用事があり、私は家の中でせっせと出かける準備をしていました。 ところが子どもたちから、ママと一緒に雪合戦したい!とリクエストされてしまったのです。一度はしぶったものの、雪遊びできる機会はなかなかないもんな……と思い直して、仕方なく雪合戦をすることにしました。 笑顔になれていると思っていたのにいざ雪合戦を始めると、はじめは低かったテンションもだんだんと子どものころの気持ちが蘇ってきて、いつしか歓声をあげて楽しんでいる自分がいました。終わったあとはとても爽快な気分でした。そしてその日の夜、突然息子に、こう言われたのです。「ママ、今日笑ってたね」と。え?とびっくりしていると、今度は娘から「ママがあんなに笑ってるの久しぶりに見た」と言われました。 正直、自分はもう笑えていると思っていたので驚きました。でも、もしかしたらその笑顔はまだ心からの笑顔ではなく、顔だけ笑っていたのかもしれません。そして子どもたちはそれを見抜いていたのかなと、ハッとしました。 ショックな出来事、そして日々の慌ただしさに追われて、すっかり笑うことをなくしていた自分でしたが、心から笑うことの大切さを子どもたちが気付かせてくれました。生きているといろいろなことがありますが、時には忙しない手を止めて思いっきり心を開放し、心から笑顔になる時間をつくっていこうと思います。 著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年04月03日大人気マンガシリーズ、今回はサレ妻ありさ(@sareduma_arisa)さんの投稿をご紹介!「家庭教師を妊娠させた夫」第24話です。上司から内容証明を渡された夫。中を確認し、誤魔化そうとしたがすでにバレていました。それでもこれからお金が必要になるため評価を下げられないと思った夫は…?なんとか誤魔化して…!出典:instagram申し訳ありません…出典:instagram黙り込む夫出典:instagramここにいたくない…出典:instagram家庭教師のところにも…
2022年03月18日初めての妊娠。妊娠するまで1年かかったので、妊娠したことがわかったときはとてもうれしかったです。待望の赤ちゃんともうすぐ会えるなぁと、ドキドキワクワクの妊娠後期のころ。ちょうど新しい家も購入し、産休に入ってからも新居の内装計画や出産準備に忙しく過ごしていました。しかし、あることをきっかけにどん底の毎日を送ることになるとは、このときは思いもしませんでした。 出産に向けてワクワクの日々当時、営業会社の事務として働いていた私は、11月の出産のために10月から産休に入りました。おなかもだいぶ大きくなり、歩くのもひと苦労。初めての赤ちゃんと会えるんだ、と出産の準備をしながら、新築の家の準備もして、忙しくも楽しい日々を過ごしていました。 そんな10月後半のある日、夫から会社の同僚と飲み会があると告げられました。臨月の私は心配で反対しましたが、どうしても行くというので仕方なく行かせました。というのも、夫は酒癖が悪く、酔うと終電で乗り過ごしたり携帯を落としたりして大変なのです。 夫の携帯を見て絶句飲み会当日。案の定、夫は終電を逃しタクシーで帰ってきました。いつものように酔っ払って廊下に寝る夫。「何か、嫌な予感がする……」と、夫の手から携帯を取りました。LINEを見ると、「今度はチューさせてね」と夫から送った痕跡が。相手は夫と同じ部署で働く事務の子。私と夫は職場結婚だったので、私が知っている子でした。 怒りを抑えながら、「これは何?」と聞きました。目が覚めた夫は、「冗談だよ」と答えましたが、信じられません。飲み会の前からやりとりをしていたようで、仕事とは関係ないトークばかり。とりあえずこのLINEをやめてほしいと伝え、もう連絡を取らないようにブロックをして連絡先を消させました。 幸せから一気にどん底へしかし、数日後また携帯を見ると、ショートメールでまた連絡を取っているようでした。夫を問い詰めると、「どうしても連絡を取りたい、このやりとりがなくなるのは嫌だ」と言ってきたのです。 「この人は何がしたいんだろう?」。疑問と怒りが込み上げました。臨月で大事なときに、私たち2人の赤ちゃんが生まれる前なのに、何をしているんだと。そのあとも話し合いましたが、連絡をしていないと言いながらこそこそやりとりを続けており、夫はその彼女に「会って話したい」「自分のことどう思っている?」と聞く始末。 ある日、彼女に会いに出かけようとする夫を止めようと、おなかも張りながら必死で追いかけました。すると、「○○(私)のことが好きかわからない、彼女のことが気になる」と言い出したのです! 私は外で泣きました。幸せな時間を過ごすはずだったのに、こんなにつらくて悲しいことがあるのかとどん底に落ちました。同時に、夫のことが気持ち悪くなりました。 思い切って相手の子に連絡出産日前日。予定帝王切開だったので、出産日は決まっていました。「明日はついに出産。でも、こんな不安を抱えたまま出産したくない……」。そう思った私は、相手の子に連絡を取ることにしました。 それを夫に伝えると、「彼女に迷惑をかけるな」と言われましたが、迷惑をかけられているのはこっちです。私は夫に構わずLINEを送りました。 「夫はあなたに好意を持っているが、どういうつもりで連絡をしているのか。出産を控えているので今後やりとりはやめてほしい」と送りました。すると、「迷惑をかけて申し訳ない。今まで自分からは送らなかったが今後は返信しない」と返ってきました。 出産当日を迎え、夫は…出産当日の朝のことです。手術は午後からでしたが、午前中から入院と手術の準備をしていました。いろいろと不安はあるけど、赤ちゃんに笑顔で会いたい気持ちで一心でした。 オペ室へ向かう途中、コンタクトレンズを外し忘れたことに気づいて病室に戻ると、夫がなぜか泣いていました。すぐに出なくてはいけなかったので、「行ってくるね」とだけ言ってオペ室に向かいました。手術は順調に進み、無事に長男を出産しました。そのときは、かわいいわが子を見て本当に幸せな気持ちになりました。 出産を終え病室に戻ってから、夫になぜ泣いていたのかを聞いてみると、「申し訳ないことをした、手術でこんなに大変なのに」と、自分を責めているようでした。ですが、私は素直に「いいよ」とは言えませんでした。それなら最初から不安にさせるようなことをしないでほしかった。もう以前みたいに純粋な気持ちにはなれないし、今後ずっと疑い続けるかもしれない。そんな気持ちでした。 産後の入院生活でもまた不安が襲ってきて、毎日夫に彼女と連絡を取っていないか聞いてしまいました。夫が本当のことを言うはずがないとわかっていたのに……。実際、夫は彼女に連絡していたようですが断られたようです。あのときの病室の涙は、もしかしたら振られたことで泣いていたのではないかと今では思っています。 この経験から、やっぱり女の勘は当たるんだなと思いました。夫の携帯を見てしまったことは反省していますが、もしこのやりとりが続いたらどうなっていたのか……。今では夫のことは同居人として見ているので、同じことが起きてもここまで悩まないかもしれません。でもきっと出産時の恨みは持ち続けることでしょう。著者:ねこ猫好きな1歳男の子のママ。近々職場復帰予定。
2021年11月29日初めての育児と家事の両立に悩んでいたママ。そんなある日、パパに言われたのは「息子をサボる言い訳にしたらダメだよ」という心ない言葉でした。そのときの気持ちやその後の夫婦関係の変化など、体験談を紹介しています。息子が生後6カ月のころの話です。当時、私は育休中。息子の育児、家事をすべてひとりでおこなっていました。夫の帰りが遅いため、入浴も私ひとりで。「夜中に目が覚めると翌日の仕事がきつい」と言う夫と寝室を分けていたので、夜泣きの対応も私がしていました。 当時息子は私が視界からいなくなると泣き出すので、トイレも落ち着いて入れない状態で、今振り返ると許容量を超えたストレスを抱えていたように思います。 思わず悔し涙が… 私が涙ながらに話したことを、夫は黙って聞いていました。そして、しばらく沈黙のあと「知らなかった、ごめん」と頭を下げてくれたのです。 夫は私が日中のことを何も伝えてこないことで、何も問題はないと判断していたのだと言いました。そして、何も問題がないのに家事が片付いていないのはサボっているからと思い込んでいたのだとも。だからあえて、傷つく物言いで指摘したのだそうです。 たしかに私はこれまでのことを伝えてきていませんでしたが、状況の確認もせず、息子を言い訳にして家事をサボっていると一方的に言われたことが、私は悲しくて悔しくて仕方ありませんでした。 「知らなかったからではなく、知ろうとしなかったからでは?」⋯⋯私は夫に尋ねました。夫は何も返事をしませんでした。結局、この日はそのまま会話がなくなってしまい、約1週間、私と夫は最低限の会話しか交わしませんでした。 金曜日の夜。夫が1枚の紙を私に渡してきました。 「土日に家のことや息子の面倒をみるから、流れを書き出してほしい」とのこと。そして「1週間考えてみた。お前の言うとおり、知ろうとしてなかったんだと思う。ごめん」と、再び頭を下げてくれたのです。 私としては夫のその姿勢がうれしいと感じた反面、本当にやれるのかな?と不安でもありましたが、まずは流れを書き出し、実際はこの通りには進まないことがあると説明をしました。そして夫は、実際に私の書き出した流れを参考に育児と家事に挑戦した結果、私のこれまでの状況を身をもって理解したのでした。 「息子をサボる言い訳にする」という言葉は今でも忘れられません。それほど私にとっては悔しかったのです。 しかし、それを言わせたのは自分でもあります。きちんと夫と普段の状況を話して、無理に我慢せず手伝ってほしいと言えていたら、夫もこの言葉を言うことはなかったと思います。 この一件以来、私はこまめに状況を伝えるようになり、夫も私に「手伝えることはある?」と聞いてくれるようになりました。おかげで、今はストレスを溜めすぎることもなく、穏やかに日々を過ごせています。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2021年11月04日私は息子が生後8カ月のとき、シングルマザーになりました。息子に父親がいなくなることがつらくて申し訳なくて、たくさん泣きました。どうやって生きていけばわからなくなりました。でも……!! 息子の生後まもなくシングルマザーに息子が生後8カ月のときに私はシングルマザーになりました。できる限りのことはしましたが、離婚は避けられませんでした。今となっては離婚を選んだことは、私にとっても息子にとっても良いことだったと胸を張って言うことができます。 しかし、シングルマザーになった当時は「息子に父親がいなくなる」という申し訳なさで、どうやって生きていけばいいのかわからなくなり、私は毎日泣いてばかりでした。 私が笑顔でいなくちゃ!!毎日泣いていましたが、離婚した事実はもう変えようのないことで、ひとり親として息子を幸せにするために、たくさんの育児書を読みました。また、先輩シングルマザーに子育てについてたくさん相談しました。そこで得た結論が、「私がいつも笑顔でいることが何よりも一番息子のためになる」でした。 私が離婚したことを悔やんで悲しんで暗く生きることよりも、いつもニコニコ笑って明るく胸を張って生きることが、息子のためになることに気づいたのです。実際に今のところ、私がいつも笑顔でいることで息子も楽しそうに元気にすくすく育ってくれています。 息子と生きていく決意息子は今2歳です。自分に父親がいないことにまだ気づいていません。離婚後一度も面会交流をしていませんし、これからもしないことになりそうです。ただ、遅かれ早かれ息子が自分に父親がいないことに気づくときがくると思います。 そのときがくるのが怖いという気持ちも私にはあります。息子も自分に父親がいないということが原因で悩むこともあると思います。息子が悩んだら、息子の気持ちを受け止めて、誠心誠意向き合いたいと思います。でも普段は明るく、元気よく。幸せそうに生きている母親の姿を息子に見せたいと思っています。 離婚というのは本当につらいことで、子どもへの影響があると思うとなおさら責任は重く、私はどうしても暗い気持ちになってしまいました。でも子どものためにもきちんと前を向いて明るく日々を過ごすことが大事だと気付くことができ、今は幸せに過ごすことができています。シングルマザーということでつらいことや嫌なこともありますが、胸を張って元気に生きていきたいと思います。 監修/助産師REIKO作画/はたこ 著者:岩谷ともこ2歳男児を持つシングルマザー。社会人をしながら博士号取得中。育児・離婚・資産運用について執筆中。
2021年10月29日私は3児の母です。子育ての中で私自身が1番大変で、毎日のように怒鳴ったり泣いたりが多かった時期は、長男が5歳、次男が2歳のイヤイヤ期でした。世間では、「魔の2歳」「5歳児の反抗期」と呼ばれていますが、そう言われているだけのことはあると実感できたほどつらかったです。それを乗り越えられたきっかけや大変だったことについてご紹介します。 兄弟喧嘩の対応でつらかったこと息子たちはヒーローものが好きで、兄弟で遊ぶときは戦いごっごをよくしていました。喧嘩になる原因は、変身するおもちゃの奪い合い。長男は順番や貸し借りが守れますが、次男はうまくできず、待てない次男が長男を叩いたり、長男の「貸して」に次男は貸せなかったりして、私も「譲ってあげなさい」と長男を叱ることが増えていきました。 そんな日々が続いて、長男は次男におもちゃを貸さずおもちゃをぶつけるように……。さらに、次男もまねしておもちゃを投げるようになり、私はまた怒る……。そういった負の連鎖が続いて育児がつらく感じていたとき、長男は怒る私に対して「ママなんか嫌いっ!」 っと言ったのです。そのひと言で、もっとつらくなりました。 育児のつらい想いを私の母と姉に相談育児がつらいことばかりで楽しいと思えなかった日が続く中、私も精神的につらくなって母や育児中の姉に相談。母からは、長男をしっかり見守ってあげなさいとアドバイス。姉からは、男の子の意地はたててあげたほうがいいよとのことでした。 私は長男ばかりに怒ることが多かったので、母と姉のアドバイスは胸にささりました。兄弟が仲良くいられるためには、長男の次男に対する関わり方を叱るのではなくて、私が長男に対しての関わり方を変えることが必要なんだと気づかされました。 長男・次男との関わり方で工夫したこと物の取り合いになったり、遊びから喧嘩に発展したりしたとき、長男に怒ることが多かったので、叱り方から変えようと思いました。叱るときは、私と子どもたちと座って向かい合い、なぜ喧嘩になってしまったのかを話し合うように。 すると、長男なりの理由がそこにはあることを知り、「これは長男の思いをたてるとき」と感じた場合には、次男に我慢してもらう声かけをするように工夫しました。 また、喧嘩を止めるのに怒鳴り声をあげていましたが、「もうそろそろやめないとママ本気で怒るよ」 とやさしく、それでもダメなときは「あ~ママもうカンカンだな、ママ、鬼になるかな~」 と強めな声で叱るようにしました。 関わり方を工夫してよかったこと子どもたちに段階をつけて私が怒っていることを伝えると、いきなり怒鳴るよりお互いに喧嘩をやめようとしていくのがわかり、効果あるかも!と感じました。 一旦、私も子どもたちも冷静になって話すことで、長男・次男の言い分をお互いに知り、仲介役として私が入ることで、穏やかに解決法を見つけられるように。長男の思いをたててあげることで、おもちゃを投げるという行為も少なくなりました。 私は育児において、子どもたちに言うことを聞かせるという関わり方をしてきたように思います。次男が長男と同じように遊べるようになって初めて、私自身の関わり方を変えないと何も変わってはいかないということに気が付くことができました。これからも子どもの年齢に応じて関わり方を工夫していこうと思っています。 イラスト/塩り監修/助産師 REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年10月11日育児は24時間年中無休。そんな毎日のなかで、育児と家事を頑張りすぎて何が1番大切か忘れてしまうほどでした。私の場合、実家が遠く夫は自営業で多忙なので、常にワンオペ状態でとてもつらかったです。今回はそんな状況下での育児体験で気付いたことや私の気持ちの変化をご紹介します。 ワンオペ育児に追われ、気づけばボロボロに毎日の育児や家事であっという間に時間が過ぎていて、気づけばもう夕飯の支度をしなきゃいけない時間……。朝から元気でパワフルな子どもを相手にしていると、自分に使える時間はほとんどないし休める時間もなかなかありません。 そんな毎日のせいか、ちょっとしたことでイライラすることが増えていきました。私の場合、実家や夫に頼ることができない環境なので、子どもが熱を出したとき、入院したとき、どんな状況であってもひとりで全部乗り越えてきました。 イライラが頂点に! ついに爆発!全部をひとりでこなすことは本当に大変で、仕事を頑張ってくれている夫にさえ感謝できないくらい気持ちに余裕がありませんでした。いつしか「なんで私ばっかりこんなに大変なの。逃げ出したい」。そう思うようになっていき、私はついに爆発してしまいました。 まだ2歳にもなっていないわが子に怒鳴ってしまったのです。息子はびっくりしたようで号泣してしまい、そんな息子を見て自己嫌悪になり、気づけば私も泣いていました。どうしたら良いのかわからず息子を抱きしめ、そのときはただ泣いて「ごめんね」ということしかできませんでした。 反省、そして思ったこと少し時間が経って冷静になり、そこで初めて「こんなにストレスが溜まって爆発して息子を悲しませるくらいなら、いっそ頑張らなければ良いんだ!」「もっと休んでラクして二度と戻ってこないこの時期を楽しもう!」と思うようになりました。子どもは笑顔のママが一番大好き! ママが笑顔になることがとても大切! まずはママである私が笑顔になれる環境作りをすることが大切なんだと感じました。 その経験から、イライラしそうになったら家事や育児は手を抜いて、ママと子どもが笑顔でいられるようにしようと思いました。少し部屋が散らかっていてもすぐには片付けず寝る前にまとめて片付けたり、食事を1食だけレトルト食品にして家事の負担を減らしただけでだいぶ体力的にもラクになり、イライラする頻度も減りました。 そして、本当に大変なときやつらいときは夫に助けを求めることも必要だと思うようになりました。とにかくひとりで抱え込まないようにしよう! と思います。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:八木あかね一男一女の母。二人目出産を機に保険代理店を退職。夫が忙しい為、ワンオペになりがち。1年間専業主婦に徹するも、現在は自身の出産や育児の経験を活かしライターとして活動中。
2021年09月15日長男が3歳、次男が生後半年のときのこと。息子たちの寝かしつけを終えた私は、別室にいる夫のもとへ向かいました。すると夫はベッドの上で携帯を持ちながら寝てしまっている様子。ふと夫の携帯画面を覗くと、なんとそこには出会い系サイトのアプリが表示されていたのです。出会い系サイトに登録した夫まだ長男が3歳、次男が生後半年のときのこと。夫は仕事が忙しく、私はワンオペで育児や家事に追われる毎日を過ごしていました。大変ではあるけれども充実していて、夫との関係もうまくいっていると私は思っていました。 ある日の夜、子どもたちの寝かしつけを終えた私は、夫に用があったため夫の寝室へと向かいました。すると夫は手に携帯を持ったまま、ベッドの上で眠ってしまっている様子。私は夫の携帯を充電器に挿そうとし、携帯の画面に目をやりました。するとそこには出会い系サイトのアプリが表示されていました。 出会い系サイトのやりとり夫が出会い系サイトに登録していることに、私はかなりショックを受けました。しかも画面には、女性とのやりとりが表示されている状態。見てはいけないと思いながらも、私は表示されているやりとりを見てしまいました。 夫の登録名はもちろん仮名、プロフィール写真もネットで拾ってきたのか、知らない男性の顔写真を登録していました。女性とのやりとりの内容は、「直接連絡を取り合いませんか?」といった内容。ワンオペ育児を必死に頑張っていた私は、この女性とのやりとりに、どんどん怒りが湧いてきました。 夫を問い詰める怒り心頭の私は、すぐさま夫を起こし、どういうつもりなのか問いただしました。すると夫は、「〇〇(私の名前)がキツイ言い方をしてくるから、どうしたら夫婦関係がうまくいくか出会い系で相談してた」とのこと。夫いわく、知り合いに相談するより、まったく知らない人に客観的な意見を聞きたかったと言うのです。 私は腹が立つやら悲しいやらで、涙があふれてきました。夫は断じて不倫目的ではなくやましいことは何もないと言い張るので、納得はいかないながらも、そのまま揉めていても仕方ないので、その場は許すことに。 その後、特に夫の行動に怪しさを感じたことはありません。今でも正直、出会い系サイトに登録したのはやはり不倫目的なのでは?と夫を信じきれていない部分もあります。ですが当時、私もワンオペで精神的に追い詰められており、夫にキツく当たったのも事実。今は夫にも思いやりを持って接することができるよう、心がけています。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2021年09月05日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男がまだ生後3カ月のころ、ベビールームで見知らぬママに怒られたことがありました。ショックでしばらく外に出られないほど落ち込んだ体験談を紹介します。※コロナ禍前の体験談です。 初めてのベビールーム長男が生まれ、3カ月の里帰りも終わり自宅に帰ったころです。自宅近くの駅ビルに長男と買い物に行きました。途中で長男がぐずってしまい、授乳室のあるベビールームに行くことに。ベビールームは初めてだったので、少し緊張していました。 入ると、すでに他のママとママの子どもと思われる子が3人遊んでいました。私は会釈後にそのまま奥にある授乳室に行き、長男の授乳を終わらせました。しかし授乳室から出ると、突然そのママが怒りだしたのです! 「あいさつしてから入るように!」と怒られる「ここには『こんにちは!』とあいさつしてから入るように!」と突然言われ、びっくり。そのママは「親のくせに、あいさつもできないなんて子どもがかわいそうだね!」と言い放つと、子どもたちを連れてベビールームを出て行ったのです。今思えば、ベビールームは共有スペースなので、もしかするとそのママは会釈だけではなく声掛けをしてから入ってほしかったのかもしれません。 また、注意された際も謝らずに、つい無言になってしまったことも印象が悪かったのかもしれません。ただ、当時はこのできごとが本当にショックで眠れませんでした。特に「子どもがかわいそう」という言葉は、今思い出しても悲しくなります。 外出が怖い…またあのママに会うかもしれないと思うと、外出ができなくなりました。特に相手は3人のママだったこともあり、「きっと私が悪かったんだ……」とクヨクヨ悩む日々。しかし、夫や先輩ママに相談しているうちに、自分の中で何とか消化することができました。もしかしたら、怒り出したママは育児に疲れて少しイライラしていたのかもしれません。 また、私が入ったときに子どもたちがテーブルやおむつ台に乗って遊んでいたので、少しバツが悪かったのかな、私も素直に「すみません。次から気を付けます」とにこやかに答えればよかったかな……とも。当時、産後間もなかったこともあり、精神的に参っていたことも落ち込んだ原因かもしれません。 結局、そのママとはその後、一度も会うことはありませんでした。この経験を踏まえ、次男出産時は「出産後は落ち込みやすいけど、産後だから仕方ない」と思い、あまりクヨクヨ悩まないように心がけることができました。しかし、知らないママに突然怒られた出来事は、今思い出してもなかなか衝撃的な体験でした。 監修/助産師REIKO著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2021年08月21日赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 寝かしつけのストレスは、私にとってかなり強敵。娘が生後1カ月になるころから寝かしつけがストレスになってしまい、気持ちに余裕を持てない時期がありました。今回はわが家で実践している寝かしつけ術と、心がけていることをお伝えしたいと思います。 寝かしつけが難しい娘が生後1カ月になるころ、生活リズムを作るために起床したら日光を取り入れ、毎日同じ時間に入浴時間を固定し、就寝時間以降には部屋を暗くして授乳やおむつ替えをしていました。就寝時間を過ぎても、1度目覚めてからの寝かしつけでは寝てくれないこともあり、私自身のストレスも徐々に蓄積。 初めての体験で右も左もわからず、寝かしつけについてネットで検索したり、親族に聞いたり、いろいろな方法を調べてみました。しかしどれもしっくりこず、私の限界も近付いていました。 実はみんな苦労していた!試行錯誤の結果、娘は生後1カ月半ころからYouTubeのオルゴール音楽であれば寝てくれるように。しかし生後3カ月ころにまた寝なくなってしまい、次は添い寝に切り替えました。それでも寝ないことが多く、ストレスもかなり限界に……。周りのママ友に寝かしつけ法を聞いてみると、抱っこじゃないと寝ない子、気分転換にドライブしないと寝てくれない子もいて、「自分だけが大変な思いをしているわけじゃない」と痛感。他の子の寝かしつけ法を聞くことで、気持ちも軽くなり、ストレスもかなり減って少し気持ちがラクになりました。 寝かしつけも柔軟に!生後7カ月になり、ハイハイをし始めて活発になった娘は、夜に覚醒してしまうことも増えました。そんなときはリビングに連れて行って気分転換したり、布団の上をハイハイさせたり、それでも寝てくれないと娘と夜更かしをしてみたり……。夜更かししてしまっても、朝は同じ時間に起こすことで、今ではだんだんと娘が夜寝てくれる日も増えてきました。 私自身も日中は娘の泣き声で寝不足になり、娘に泣かれるたびにイライラすることも。でも、周りのママ友も寝かしつけに苦戦しているとわかったときの安心感や、ママ友との情報交換で、勉強になることもたくさんありました。 周りのママ友と話すことで、子どもの個性や性格の違いを感じられる良い機会だったな、と今では思います。生後9カ月になった今も、娘は寝てくれない日がありますが、前よりも心に余裕をもって対応できるようになっています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:伊藤 奈々夫と娘、5匹の猫と暮らす薬局事務員兼ライター。自身の体験をもとに、出産・育児・保活・家事に関する記事を執筆をしている。
2021年08月03日私の子育て人生の始まりは2011年でした。この年は東日本大震災など、世間的にもたくさんのことがありましたが、私のどん底は長男を出産した2日後にやってきたのです……。 マッサージを受けて授乳の準備はバッチリ帝王切開での出産。その翌日まで点滴を受けていたので、授乳がスタートしたのは産後2日目からでした。 それまでは助産師さんたちが作ってくださった育児用ミルクを、言われるままに飲ませていました。病院のスケージュールのなかで、おっぱいがよく出るようにおっぱいマッサージをしてもらい、たくさん出ていたので授乳の準備は完璧のつもりでいたのです。 幸せな授乳タイムの始まり…?いよいよおっぱいでの授乳がスタートしました。私が出産した病院では、ママと赤ちゃんが授乳室に集合しておっぱいを飲ませていました。赤ちゃんの体重を測って、おっぱいをくわえさせて飲ませて、また体重を測って。 みんながどんどん授乳を終わらせていくなか、私はなかなかうまく飲ませることができず、じょうずに飲ませられない不安と孤独でいっぱいでした。 孤独と不安で毎日涙…個室に戻っては、「帝王切開で産んだからちゃんと飲んでもらえないのかな」「おっぱいが大きすぎるから飲みにくいのかもしれない」「ミルクのほうがおいしいのかも……」と自分を責め、ひとりで大泣きしては寝られない夜を過ごしていました。 赤ちゃんは母乳で育てるのがいいからと周りに言われ、誰にも相談できずにいました。そして朝が来るとまた恐怖の授乳教室が始まり、挫折して個室に帰り、泣きながら搾乳する。そんな入院生活でした。 あんなに涙にくれながらおっぱいをくわえさせて頑張っていましたが、その後は搾乳して哺乳びんで飲ませたり、夜中は育児用ミルクにしたりと、負担の少ない授乳に移行していきました。生後3カ月ごろからは完全ミルク生活にしたことで、苦しみから解放されて、楽しく子育てができるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 舟橋海央4歳差の男子2人の母。同じ男の子でも性格の違う2人からいろいろ学びながら子育てを満喫中。自身の子育て体験をもとに記事を執筆している。
2021年07月12日2018年7月の豪雨で、私の住んでいる九州北部地方も大雨にみまわれました。激しい雨が降り続け、私の住む市にも大雨特別警報と避難勧告が発令……。わが家には当時小学校1年生の長男・4歳の長女・生後5カ月になる次男の、3人の子どもがいました。初めての避難勧告に、私はどうすればいいかわからず焦るばかり……。避難勧告が発令されたときの体験と学んだことをお話しします。 激しい雨が続いて不安に…激しい大雨が降り続いたのは、2018年の7月5日のことでした。はじめは気にとめていませんでしたが、ニュースで大きく報道され始めたのでだんだんと不安になってきたのを覚えています。 前年の九州北部豪雨以降、ニュースでは大雨について細かく報道するようになっていました。大雨が降り続くなか、ニュースで警報の種類や概要を学んで過ごしました。このときは、まさか大雨特別警報が発令されることになるとは思っていませんでした。 なかなか避難する決断ができず…ニュースでは、数十年に一度の大雨が予想されるという情報が流れていました。すでに避難指示が出ている地域もあったのですが、夕方の時点で私の住む地域は避難準備の段階でした。わが家は山が近いため土砂崩れが心配でしたが、なかなか避難する決断ができず……。 いつでも避難できるように、とりあえずバッグに子どものおむつやお菓子を詰め込みました。夜になり仕事から帰ってきた夫に相談し、そのまま家で夜を過ごすことになりました。 ママ友からのLINEで避難を決意!夜の間も激しい雨が降り続け、早朝には私の住む地域に避難勧告が発令されました。夫は避難勧告が出る前に出勤してしまったので、避難するかどうかの判断は私が下すことになります。 避難するべきか迷っているときに、幼稚園のママ友とのグループLINEからメッセージが届きました。そのLINEで近所の道路状況を教え合う、避難するかどうかを伝え合うことができ、災害に向き合う意識が高まったと思います。結果、私は比較的安全と思える姉の家へと避難することに決めました。 河川が氾濫寸前、そして大雨特別警報発令!車で30分のところにある姉の家は、平地にあるマンションの高層階です。赤ちゃん連れで避難所は大変そうだと思い、姉の家への避難を決めたのです。しかし夕方には大雨特別警報が発令……! さらに姉の家のそばにある大きな河川が氾濫寸前になりヒヤヒヤ! どうにか寸前のところで雨がやんで水位が下がりましたが、マンションから出られなくなるところでした。一方指定された避難所は被害がなかったそうです。翌7日の朝8時ごろには大雨特別警報と避難勧告が解除され、私たちは帰宅しました。 今回の大雨では、近所の人と関係を築いておくことの重要性を実感しました。LINEでママ友と近所の道路状況などの情報を交換したことが役に立ったからです。それから、経路を含めて非難する場所をよく考えることが大切だと思いました。今は新型コロナウイルスの影響で避難所の利用も悩むところです。情報交換しつつ、安全な避難先を見極めることが必要だと思わされました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて事前にお住いの地域の災害に応じた自治体に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/おんたま監修/助産師REIKO著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2021年07月12日義姉と同じ年齢の子どもがいる私。会うたびに、保育士の義姉と私の子育てについて比較と評価をしてくる義父に戸惑うことに……。しかし、義父の立場を理解し、気持ちを切り替えた体験談をご紹介します。初めての子育てに不安はつきものだけど…義姉は保育士として働き始めて3年ほど。決してベテランとは言えない経歴ですが、「〇〇(義姉)は育児のプロだ!」と誇らしげな義父。一方、私は一般企業に勤めており、保育・育児経験はゼロ。 そんな中、お互い子どもが同学年ということもあり、親戚の集まりでは子どもの話をする機会が増えました。最初は気に留めていなかったものの、義父が義姉と私の子育てについて比較と評価をし始めて……。会うたびに私は複雑な思いをすることが多くなりました。 子どもの前で言わないでほしい…義父の子育て比較は食事や遊び、教育などさまざまです。ある日義父が「〇〇(義姉)はチョコレートを与えていないけど、△△(私)さんは食べさせているんじゃないか~。プロはおやつを与える時期を細かく理解している!」と言ったのにはビックリ。 娘もまだ幼いのでチョコレートはまだ食べさせていないのですが、実際に私がしていないことまで憶測で言われてしまったのです。夫や私が、わが家の子育てについて義父へ伝えても、そこは記憶に残らないようです。特につらかったのは、子どもたちの前で比較と評価をされることでした……。 義父の立場になってみる義父は常に両方の家庭について把握しているわけではないので、私は気にしないように意識しました。しかし、私の気持ちはモンモンとするばかりで、義父に会うのがだんだんつらくなってきました……。これではいけないと、私自身の気持ちを整理して、義父の立場を考えてみることに。 義父は親戚と疎遠だった時期があり、交流できることがうれしいのではないか。そして、義姉の職業を誇らしく思う気持ちが強いのだと思うように。また、義父なりに私へ何かしらのアドバイスをしたいのだろう……と私自身を納得させるよう努めたのです。 義父なりに私たちを心配し、孫の存在やみんなで集まって会話できる環境に喜んでいるのだ……と気持ちを整理しました。ただ、子どもたちの前で言われるのはつらいので、やんわりとかわしていくつもりです。そして、心にかけてくれているとプラスに捉え、義父の明るく楽しい性格など好きなところに目を向けていこうと思いました! 著者:佐々木詩織自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年07月10日私は24歳で結婚し、同年に男の子を出産しました。赤ちゃんが生後5カ月になったころ、夫から義母家族との同居の相談を受けました。私たちは4LDKの賃貸の戸建てに住んでいて、使っていない部屋もあるので同居することに同意。義母家族と同居してから、義母が巻き起こすトラブルに巻き込まれた体験談をお話ししていきます。義母家族との同居で一気に大家族へと義母家族は義母・夫の弟(18歳)・妹(17歳)・妹の子ども(2歳) の4人で、私たち家族を含めて7人の大家族になりました。同居の理由は、義母が勤める会社の倒産や義妹の元交際相手がストーカー行為をすることなどが重なり、義弟の高校卒業を期に同居してお互いの生活費をラクにしようという考えからです。 大家族で育った私は、正直なところ人数は気にはならず、長男と遊べる従姉がそばにきてうれしく思いました。 日に日に現れる義母の本性同居のはじめは、義母家族の楽しい笑い声がドアごしに聞こえていました。しかし、日が経つにつれて義母は義妹の子どもを怒鳴りつけ、義妹にも「しつけはダメなものはダメと厳しく怒らないと」と言って喧嘩するようになり、怒鳴り声と子どもの泣き声が増えていきました。 義妹は逃げるように夜中に家を抜け出し、朝帰りをする生活に。義母は怒ると怖く、人間関係のトラブルはあるほうだと夫から聞いてはいましたが、義妹やお孫さんに対して怒るときの怒鳴り声は私でも威圧感を感じ、怒らせてはいけない相手だと察知できるほどでした。 義母はついに隣人とトラブルを!私が住んでいる地域は雪の多い地域ですので、朝晩の雪はねが必要になります。義母と同居した最初の冬、義母は深夜帯のパートに勤めていたこともあり、早朝の雪はねをしてくれていました。 雪を捨てる場所は限られるため、隣家との境界線もマナーとして必要です。でも、マナーを守らない方もいて、隣人と口論し義母は警察に通報……。 その隣人だけじゃなく、違う隣人とも時折り雪を巡って口論するように。義母だけが悪いわけではないのですが、罵声を聞くたびに事件が起きる気がして怖かったです。 義母の愚痴を聞くようになって…義母から隣人の揉めごとの愚痴を聞くようにり、段々と義妹についても話してくれることが増えました。義母の言い分も正論に聞こえるため、共感する返答をしていましたが、このままでは義母と義妹の親子関係が悪化すると感じた私。 部屋から出てこなくて、あまり話せていなかった義妹とも少しずつ話すように。義妹は「義母に子どものしつけに関して怒られる」「子どもを叱りつけられたりしてつらい」「義母に母子手当金を当てにされすぎて家を出ようにも出られない」という問題を抱えていました。 どちらに対しても聞くことしかできない私はなすすべがなく、その後義妹は養ってくれる人を見つけ、子どもを連れて出て行ってしまったのです。 夫から義母は怒らせないほうがいいとは聞いていましたが、揉めごとに巻き込まれるとは思っていませんでした。しかし、義母は家族のために誰よりも先に炊事や雪はねなどに動いてくれます。義母も義妹を心配するあまり、介入しすぎてしまっているのでしょう。義妹と離れて暮らしてから親子関係は修復し、今は平穏に暮らせています。 作画/やましたともこ著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2021年06月28日義父母と同居して約10年が経ちます。正直同居がいいと思ったことは一度もありませんが、あまり干渉しないタイプの義父母なので、自由にさせてもらってありがたいなとも思っていましたし、慣れもあり同居が不快とそこまで感じてはいませんでした。家のリフォームの予定がありますが、完全に分けていいものかと迷うくらい、私自身義父母に心を開きかけてはいたのです。ある時期までは……。 義母が定年退職して状況が変化夫が単身赴任になっても、時には助けてくれる義父母への感謝とともに、夫がいなくてもできると自分に自信もついてきたころのことでした。4人きょうだいの育児を経験している義母が、フルタイムで働いていた職を定年退職して家にいるようになったのです。 義母は今までしてこなかった家の掃除や片付けをし始めました。家がきれいになるのはよかったのですが、だんだんと私や子どもたちが散らかすのも気になるようになったのか、今まで指摘されなかったことまで義母はあれこれ干渉してくるようになりました。 子どものしつけにまで干渉してくるように父親不在なので、父親代わりになるべきだと勝手に思ったらしい義父が、子どもに説教することは以前から気になることではありましたが、今度は義母までもが参戦してきたのです。 義母は子どもに説教をし、そして私にも「育て方が甘い」など、事あるごとに「昔のお父さんはもっと厳しかった」などと言うように。反論できない私は黙りこむしかありませんでした。 子どもへの影響と自信喪失もちろん、義父母がいることでいろいろな価値観が学べていいとは思います。しかしながら今の義父母を見ていると、上からの押しつけにすぎない気がします。私はもっとのびのびと安心して子どもに育ってほしいのに、私が義父母の顔色をうかがっているせいか長男も少しビクビクしていることがあり、少し心配になります。 私は思うように育児ができず、やっぱりここは自分の家ではないと思う気持ちが強くなったり、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いたりしてしまいました。 義父母とは適度な距離感が大切だと改めて感じた体験でした。だからといって今すぐ別に住むこともできません。甘えすぎないように気をつけながら、なるべく家の中でも距離を保つ工夫をしていきたいと思います。また、子どもにとっては大事な祖父母だということは忘れないようにしなければと、自分に言い聞かせています。 作画/はたこ著者:岡本花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月23日次男が幼稚園に入園し、ひとりの時間を持てるようになったママ。買い物や友人とランチをするなど、最初のうちは自由な時間を満喫していたのですが、次第に楽しめなくなってしまいます。しかし、ある取り組みを始めると、気持ちが前向きに変わっていきました。 私には2人の息子がいます。次男が幼稚園に入園し、私は自分ひとりだけの時間を持てるようになりました。ようやく得た自分だけの時間ですが、思っていたようには楽しめず、日を追うごとに気持ちが沈んでいくようになりました。そんなとき、私はあることをし、再び前向きに過ごせるようになったのです。今回はそのときの体験をお話しします。 専業主婦になった私私たち夫婦は共働きでしたが、次男の妊娠を機に私は退職し、専業主婦になりました。なぜなら夫は仕事柄帰宅が深夜で、ワンオペになる私はワーキングママとして息子2人を育てる自信がなかったからです。 「専業主婦になれば時間に余裕ができるだろう」。そう思っていた私は、すぐにその考えは甘かったと思い知らされました。24時間365日、誰にも預けず家事と育児をおこなうのは想像以上に大変。「次男が幼稚園に入園したら自分の時間ができる」と、そのことを楽しみに過ごしていました。 自分の時間を楽しむことができない次男は3歳になった翌春、幼稚園に入園し、私は平日5時間ほどひとりの時間を過ごすようになりました。入園後、1~2カ月は開放感でいっぱいで、ゆっくり買い物をしたり、友人とランチをしたりと、今までできなかったことをして満喫していました。 しかし、しばらくすると目標を失ったかのような喪失感にとらわれるように……。元来、生真面目な性格の私は、時間に追われるくらいのほうが性に合っていたのでしょう。仕事もせずひとりで家にいると、なぜだか自分が無価値な人間に思えたのです。 死ぬまでにしたいことは何かひとりの時間は、自分と向き合う時間でもありました。「私は何がしたいのだろうか……」。ふとそう思い、1冊のノートに「死ぬまでにしたいこと」を思いつく限り、書き出してみました。そして、それを叶えるには、具体的にどうすればいいかも書きました。 例えば、「ホノルルマラソンに参加したい」という内容なら、費用はいくらか、何月に申し込みが始まるかなどを調べ、書き加えます。すると、やるべきことが見える化され、落ち込んでいる時間がもったいないと感じ、とても前向きに過ごせるようになりました。 育児をしていると、どうしても自分のことはおざなりになっていた私。しかしながら、自分と向き合い、どう生きていきたいかを明確にすることは大切なのだと、改めて思いました。私は今、稼業を手伝いつつ、フリーランスとして好きな仕事をしています。これからも、家族との時間を大切にしながら、自分の人生を充実させていきたいと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO著者:中田りこ8歳と4歳の兄弟の母。次男は自閉症スペクトラム障害。教育業界を退職後、現在は実家の家業を手伝っている。
2021年05月26日初めての妊娠。妊娠するまで1年かかったので、妊娠したことがわかったときはとてもうれしかったです。待望の赤ちゃんともうすぐ会えるなぁと、ドキドキワクワクの妊娠後期のころ。ちょうど新しい家も購入し、産休に入ってからも新居の内装計画や出産準備に忙しく過ごしていました。しかし、あることをきっかけにどん底の毎日を送ることになるとは、このときは思いもしませんでした。 出産に向けてワクワクの日々当時、営業会社の事務として働いていた私は、11月の出産のために10月から産休に入りました。 おなかもだいぶ大きくなり、歩くのもひと苦労。初めての赤ちゃんと会えるんだ、と出産の準備をしながら、新築の家の準備もして、忙しくも楽しい日々を過ごしていました。 そんな10月後半のある日、夫から会社の同僚と飲み会があると告げられました。臨月の私は心配で反対しましたが、どうしても行くというので仕方なく行かせました。というのも、夫は酒癖が悪く、酔うと終電で乗り過ごしたり携帯を落としたりして大変なのです。 夫の携帯を見て絶句飲み会当日。案の定、夫は終電を逃しタクシーで帰ってきました。いつものように酔っ払って廊下に寝る夫。「何か、嫌な予感がする……」と、夫の手から携帯を取りました。LINEを見ると、「今度はチューさせてね」と夫から送った痕跡が。相手は夫と同じ部署で働く事務の子。私と夫は職場結婚だったので、私が知っている子でした。 怒りを抑えながら、「これは何?」と聞きました。目が覚めた夫は、「冗談だよ」と答えましたが、信じられません。飲み会の前からやりとりをしていたようで、仕事とは関係ないトークばかり。とりあえずこのLINEをやめてほしいと伝え、もう連絡を取らないようにブロックをして連絡先を消させました。 幸せから一気にどん底へしかし、数日後また携帯を見ると、ショートメールでまた連絡を取っているようでした。夫を問い詰めると、「どうしても連絡を取りたい、このやりとりがなくなるのは嫌だ」と言ってきたのです。 「この人は何がしたいんだろう?」。疑問と怒りが込み上げました。臨月で大事なときに、私たち2人の赤ちゃんが生まれる前なのに、何をしているんだと。そのあとも話し合いましたが、連絡をしていないと言いながらこそこそやりとりを続けており、夫はその彼女に「会って話したい」「自分のことどう思っている?」と聞く始末。 ある日、彼女に会いに出かけようとする夫を止めようと、おなかも張りながら必死で追いかけました。すると、「○○(私)のことが好きかわからない、彼女のことが気になる」と言い出したのです! 私は外で泣きました。幸せな時間を過ごすはずだったのに、こんなにつらくて悲しいことがあるのかとどん底に落ちました。同時に、夫のことが気持ち悪くなりました。 思い切って相手の子に連絡出産日前日。予定帝王切開だったので、出産日は決まっていました。「明日はついに出産。でも、こんな不安を抱えたまま出産したくない……」。そう思った私は、相手の子に連絡を取ることにしました。 それを夫に伝えると、「彼女に迷惑をかけるな」と言われましたが、迷惑をかけられているのはこっちです。私は夫に構わずLINEを送りました。 「夫はあなたに好意を持っているが、どういうつもりで連絡をしているのか。出産を控えているので今後やりとりはやめてほしい」と送りました。すると、「迷惑をかけて申し訳ない。今まで自分からは送らなかったが今後は返信しない」と返ってきました。 出産当日を迎え、夫は…出産当日の朝のことです。手術は午後からでしたが、午前中から入院と手術の準備をしていました。いろいろと不安はあるけど、赤ちゃんに笑顔で会いたい気持ちで一心でした。 オペ室へ向かう途中、コンタクトレンズを外し忘れたことに気づいて病室に戻ると、夫がなぜか泣いていました。すぐに出なくてはいけなかったので、「行ってくるね」とだけ言ってオペ室に向かいました。手術は順調に進み、無事に長男を出産しました。そのときは、かわいいわが子を見て本当に幸せな気持ちになりました。 出産を終え病室に戻ってから、夫になぜ泣いていたのかを聞いてみると、「申し訳ないことをした、手術でこんなに大変なのに」と、自分を責めているようでした。ですが、私は素直に「いいよ」とは言えませんでした。それなら最初から不安にさせるようなことをしないでほしかった。もう以前みたいに純粋な気持ちにはなれないし、今後ずっと疑い続けるかもしれない。そんな気持ちでした。 5日間の入院生活でもまた不安が襲ってきて、毎日夫に彼女と連絡を取っていないか聞いてしまいました。夫が本当のことを言うはずがないとわかっていたのに……。実際、夫は彼女に連絡していたようですが断られたようです。あのときの病室の涙は、もしかしたら振られたことで泣いていたのではないかと今では思っています。 この経験から、やっぱり女の勘は当たるんだなと思いました。 夫の携帯を見てしまったことは反省していますが、もしこのやりとりが続いたらどうなっていたのか……。今では夫のことは同居人として見ているので、同じことが起きてもここまで悩まないかもしれません。でもきっと出産時の恨みは持ち続けることでしょう。 著者:ねこ猫好きな1歳男の子のママ。近々職場復帰予定。
2021年05月10日誰しも、人生に紆余曲折はあるでしょう。なかには、どん底のように感じる時期を経験することもあるかもしれません。今回ご紹介するアカリさん(29歳・仮名)は、3年ほど前にそんな最悪な状況を迎えていました。しかし、そこで出会ったひとりの男性に救われて、前向きに生きることができたんだそう。それでは、彼女の“彼との出会いから今に至るまでのエピソード”をお聞きしましたので、ご紹介します。どん底の状況とは?「私には2年間付き合った彼氏がいました。彼はバツ1でしたが、前の奥さんとの間に子どもはおらず、彼とは将来を見据えた交際をしていました。そんななか、私が彼の子どもを妊娠したことが発覚。すぐに一緒に住もうという話になり、不動産屋を回って家を決め、いよいよ契約というときでした。書類の提出などでバレると思ったのか、このタイミングで彼が“実は……”と切り出し、“まだ妻と別れていないんだ……”と言ってきたんです。つまり、そもそも彼は離婚などしておらず、私はずっと彼に裏切られていたということ。すでに彼のことは私の両親にも紹介していて、当時はあまりのことに愕然とするしかありませんでした……。その後は、彼と別れ、お腹の中にいた子どもをおろしました。新居の契約も破棄したのですが、そのとき既に私は住んでいるマンションを解約していたので、実家に戻ることしかできませんでした」別れたあとは?「実家に戻ったのはいいものの、親は私のことを憐れむばかりで……。まるで、腫れものに触るような状態でしたね。あまりにも惨めに感じられて、友だちにも相談することはできませんでした。一連の出来事を自分のなかで抱え込んで、苦しくて、人生を諦めかけたこともあります。ただ、友だちには、“いろいろあって彼と別れた”とだけ伝えていました。すると、あるとき友だちに飲み会に誘われたんです。気が滅入ってはいたものの、実家に居づらいこともあり、とりあえず参加してみることにしました」救ってくれた男性との出会いは?「その飲み会で、私より4つ年上のシロウさん(仮名)と出会いました。シロウさんは、もともとは映像関係の仕事をしていて、映画監督を目指していたそうですが、挫折。物流の会社で営業をしていました。飲み会後は、そのグループで何度か遊びに行ったんです。シロウさんとも少しずつ距離が縮まり、やがて2人で食事に行くように。そこで、彼から私に好意があることを告げられたんですが、その思いには応えられないと返しました。本当は、その時に前の恋愛のことを話そうと思ったんですが、言葉が出ませんでした。そのときは、理由をあやふやにして、シロウさんとの話を終えました」どうやって立ち直った?「シロウさんからの告白は断ったものの、飲み会の時のグループで集まったり、その流れで他のメンバーと一緒にシロウさんとも飲みに行くことは何度かあったんです。そして、私は誕生日を迎えました。すると誕生日に、シロウさんから動画が送られてきたんです。そういえば、シロウさんがよくスマホで動画を撮影していたのを思い出しました。動画は、それをつなぎ合わせ、編集したものでした。私が好きだと伝えていた曲をBGMにした、5分ほどの動画です。そして最後に、“Happy birthday”と締められていました。それを見ると、涙が溢れ出てしまって……。自分はこんなに素敵な人たちに囲まれているんだと実感しました。それを気付かせてくれたシロウさんには、過去のことも含め気持ちをすべて伝えたんです。すると、彼はすべてを受け入れてくれました。今となっては、彼のすすめてくれる映画を、部屋で2人で見るのが楽しみです」彼にどん底から救ってもらったアカリさんのエピソードをご紹介しました。辛いときは、考えもネガティブになることが多いでしょう。そんなときは落ち込むことが多いかもしれませんが、辛い経験をしたからこそ、人の温もりを強く感じられるはず。また、今回紹介した事例のように、その先にいい出会いが待っている可能性もあります。どんなときも、望みを捨てずに歩んでいきたいものですね。©Eri Miura/gettyimages©yamasan/gettyimages文・塚田牧夫
2021年02月10日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りに来たり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ!と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ!と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻ったあともモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、ひとつだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせていたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ!とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかなとも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2020年11月23日私は現在、2歳の息子と生後3カ月の娘を育てています。第一子、第二子ともに、妊娠中、義母との間に“あるトラブル”がありました。それは、子どもの名前についてでした。自分が話の中心にいないと嫌な義母義母との関係は良好ですが、夫は義母のことがあまり好きではないため疎遠です。半年に1度は会う義母。夫と私が話していても、自分のわからない話になると明らかに不機嫌に。そして、全然違う話に変えてしまい、私のわからない昔話などを始めます。 夫によると、昔からワガママで、自分の思い通りにならないと怒り出す義母だったようです。 妊娠報告後からしつこい提案私の妊娠がわかると、会うたびに、そしてメールの文末には必ず子どもの名前を提案してくるようになりました。私や夫と趣味が合えばまだ良いのですが、趣味の合わない名前ばかり……。 夫婦で「名前については候補があるので……」と言っても、結局名前が決まるまで義母の提案は継続。私もかなりストレスが溜まり、夫にも相談しましたが、「最後は自分たちで決めるのだから放っておいていいよ」と言われました。 名前が決まったとき、義母の反応は…その後、無事に出産! 義母から提案された名前を1つ候補に入れ、義母と夫で話し合い。最終的に夫婦で相談し、夫婦で考えた名前が決定しました。 私と夫それぞれから、義母にメールで報告。夫はメールや電話で義母から「決まった名前は知り合いにいるから」などやめるようにも言われたようですが、私には「おめでとう! 良い名前だね!」とメールが来ただけでした。 第二子でも…約二年後、私は第二子を妊娠しました。うれしい反面、また子どもの名前で義母と揉めるのは嫌だなと思いました。でも、性別が女の子とわかってからも、名前のことは何も言ってきませんでした。きっと義母は私たちの気持ちをわかってくれたのだと思い、安心していました。 ところが、義母は我慢できなくなったのか、出産が近づくとまた子どもの名前の候補が送られてくるようになりました。夫と話し合い、夫から義母へ「上の子のときから女の子だったらつけたいと思っていた名前をつける」と伝えたのですが、結局第二子のときも出生届を提出するまで、いろいろな子どもの名前の提案がありました。 あんなに悩んでストレスを抱えていたのに、今、義母はニコニコと夫婦で考えた子どもの名前を呼んでいます。孫のかわいさが勝ったようで、義母は子どもの名前のことについて何も言ってきません。子どもの名前をつけるのは一度きり。いろいろとありましたが、夫婦で話し合って素敵な名前を子どもにプレゼントできたと思っています。 原案/山本加奈子作画/YUDAI9℃
2020年11月18日義父母と同居して約10年が経ちます。正直同居がいいと思ったことは一度もありませんが、あまり干渉しないタイプの義父母なので、自由にさせてもらってありがたいなとも思っていましたし、慣れもあり同居が不快とそこまで感じてはいませんでした。家のリフォームの予定がありますが、完全に分けていいものかと迷うくらい、私自身義父母に心を開きかけてはいたのです。ある時期までは……。義母が定年退職して状況が変化夫が単身赴任になっても、時には助けてくれる義父母への感謝とともに夫がいなくてもできると、自分に自信もついてきたころのことでした。4人きょうだいの育児を経験している義母が、フルタイムで働いていた職を定年退職して家にいるようになったのです。 義母は今までしてこなかった家の掃除や片付けをし始めました。家がきれいになるのはよかったのですが、だんだんと私や子どもたちが散らかすのも気になるようになったのか、今まで指摘されなかったことまで義母はあれこれ干渉してくるようになりました。 子どものしつけにまで干渉してくるように父親不在なので、父親代わりになるべきだと勝手に思ったらしい義父が、子どもに説教することは以前から気になることではありましたが、今度は義母までもが参戦してきたのです。 義母は子どもに説教をし、そして私にも「育て方が甘い」など、事あるごとに「昔のお父さんはもっと厳しかった」などと言うように。反論できない私は黙りこむしかありませんでした。 子どもへの影響と自信喪失もちろん、義父母がいることでいろいろな価値観が学べていいとは思います。しかしながら今の義父母を見ていると、上からの押しつけにすぎない気がします。私はもっとのびのびと安心して子どもに育ってほしいのに、私が義父母の顔色をうかがっているせいか長男も少しビクビクしていることがあり、少し心配になります。 私は思うように育児ができず、やっぱりここは自分の家ではないと思う気持ちが強くなったり、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いたりしてしまいました。 義父母とは適度な距離感が大切だと改めて感じた体験でした。だからといって今すぐ別に住むこともできません。甘えすぎないように気をつけながら、なるべく家の中でも距離を保つ工夫をしていきたいと思います。また、子どもにとっては大事な祖父母だということは忘れないようにしなければと、自分に言い聞かせています。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:岡本花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月24日育児は24時間年中無休。そんな毎日のなかで、育児と家事を頑張りすぎて何が1番大切か忘れてしまうほどでした。私の場合、実家が遠く夫は自営業で多忙なので、常にワンオペ状態でとてもつらかったです。今回はそんな状況下での育児体験で気付いたことや私の気持ちの変化をご紹介します。 ワンオペ育児に追われ、気づけばボロボロに毎日の育児や家事であっという間に時間が過ぎていて、気づけばもう夕飯の支度をしなきゃいけない時間……。朝から元気でパワフルな子どもを相手にしていると、自分に使える時間はほとんどないし休める時間もなかなかありません。 そんな毎日のせいか、ちょっとしたことでイライラすることが増えていきました。私の場合、実家や夫に頼ることができない環境なので、子どもが熱を出したとき、入院したとき、どんな状況であってもひとりで全部乗り越えてきました。 イライラが頂点に! ついに爆発!全部をひとりでこなすことは本当に大変で、仕事を頑張ってくれている夫にさえ感謝できないくらい気持ちに余裕がありませんでした。いつしか「なんで私ばっかりこんなに大変なの。逃げ出したい」。そう思うようになっていき、私はついに爆発してしまいました。 まだ2歳にもなっていないわが子に怒鳴ってしまったのです。息子はびっくりしたようで号泣してしまい、そんな息子を見て自己嫌悪になり、気づけば私も泣いていました。どうしたら良いのかわからず息子を抱きしめ、そのときはただ泣いて「ごめんね」ということしかできませんでした。 反省、そして思ったこと少し時間が経って冷静になり、そこで初めて「こんなにストレスが溜まって爆発して息子を悲しませるくらいなら、いっそ頑張らなければ良いんだ!」「もっと休んでラクして二度と戻ってこないこの時期を楽しもう!」と思うようになりました。子どもは笑顔のママが一番大好き! ママが笑顔になることがとても大切! まずはママである私が笑顔になれる環境作りをすることが大切なんだと感じました。 その経験から、イライラしそうになったら家事や育児は手を抜いて、ママと子どもが笑顔でいられるようにしようと思いました。少し部屋が散らかっていてもすぐには片付けず寝る前にまとめて片付けたり、食事を1食だけレトルト食品にして家事の負担を減らしただけでだいぶ体力的にもラクになり、イライラする頻度も減りました。 そして、本当に大変なときやつらいときは夫に助けを求めることも必要だと思うようになりました。とにかくひとりで抱え込まないようにしよう! と思います。 イラスト/imasaku監修/助産師REIKO著者:八木あかね一男一女の母。二人目出産を機に保険代理店を退職。夫が忙しい為、ワンオペになりがち。1年間専業主婦に徹するも、現在は自身の出産や育児の経験を活かしライターとして活動中。
2020年09月15日働く妊婦さんにとってはとてもつらい職場でのマタハラ。私は職場でマタハラにあい、とても悩んでつらい思いをしました。私が実際に経験したマタハラと、その時にとった対処法をご紹介します。 マタハラってなんだろう…?私は、職場で妊娠をきっかけに嫌な思いをした経験があります。悩み考えていた私は、「これはマタハラに該当するのかな?」と疑問に思いました。マタハラについて調べてみると、「職場におけるマタハラとは、妊娠・出産・子育てを理由に、職場で執拗な嫌がらせをされたり、不利益な取り扱いを受けたりすること」とありましたが、具体的にどのような行為がマタハラかという明確な定義はないようでした。 しかし、私がいろいろ調べた結果、はっきりとした定義はなくても、妊娠・出産・子育てを理由に不快な思いをさせられ、本人が「嫌だ」と感じたら、それはマタハラだと言っていいのだという結論に至りました。 実際にあった私のマタハラ体験談私はパートとして病院に就職し、職場環境に馴染んできたころに妊娠が判明。つわりで休みがちにはなりましたが、産休まで働き続けるつもりでいました。そのため、早めに出勤して仕事の準備をしたり、掃除をしたり、体調不良などで同僚に迷惑をかけてしまう分を補うように努力したつもりでした。 しかし、ある日突然、人事部長から退職するようすすめられたのです。理由は、「就職して間もないのに、つわりでしょっちゅう休まれては困るから」というものでした。 周りに迷惑がかかっていることは申し訳なく思っていた私ですが、金銭面の都合上すぐに辞めるわけにはいかず……。ストレスでおなかの赤ちゃんに影響が出てしまわないかと非常に不安でした。 私がとったマタハラ対処法まず私は、職場のハラスメント対策の窓口に相談しようと思いました。しかし、窓口の担当はなんと人事部長だったのであきらめ、労働基準監督署に相談することにしました。職場からの退職勧告の詳細を伝え、自分が退職する必要はないことを確認し、人事部長を説得するための資料を郵送してもらいました。 さらに、弁護士に相談。万が一裁判になったときのことを考え、職場での話し合いの際には、スマホのボイスメモで証拠を取りました。職場と話し合いを重ね、何とか産休に入るギリギリまで働けることになった私。産休に入る時期については、同僚の意見も取り入れて決定することで、できるだけ迷惑がかからないよう、そして次の人材確保がスムーズに進むようにしました。非常にストレスのかかる状況でしたが、職場の同僚や友人に話すことで、できる限りストレスを溜めないよう心がけました。 産院の先生から聞いた話では、ストレスはおなかの赤ちゃんにとって良くない影響を及ぼすことがあるそうです。私はマタハラを解決するには時間がかかってしまいましたが、できるだけ早期解決をし、おなかの赤ちゃんを第一に考えて、なるべくストレスを溜めないことが大切であると感じました。 監修/助産師REIKO著者:猪俣ミホコ0歳の女の子の母。はじめての子育てに日々奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を執筆している。
2020年09月05日元「オアシス」の英国のロックンロール・スター、リアム・ギャラガーを追ったドキュメンタリー映画『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』。この度、“どん底”状態のリアムが、あるパブで弾き語りをした“名曲誕生”の瞬間をとらえた本編映像が解禁となった。時はオアシス解散後。離婚訴訟問題が勃発し、結成したバンド「ビーディ・アイ」も軌道に乗らず自然消滅。リアム・ギャラガーが失意のどん底にあった時期――。ある日リアムは、結局8時間も飲み続けることになるバーでギネスビールを飲み続けていた。リアムの兄ポール・ギャラガーが明かすようにベロベロの状態だったリアムは、酔った勢いでパブの老人が渡してきたギターを手にとると、自ら作った未発表曲「ボールド」を演奏。後にこの様子を撮影した映像がネットにアップされ話題に。リアムの復活を予感させる、伝説の映像となった。「飲んだギネスは、ほぼ30杯」と語るリアムは、当時一般客が混じるパブで1stソロアルバム「アズ・ユー・ワー」に収録されることになる楽曲「ボールド」を歌った経緯について、「誰かがギターを出してきたら、俺が弾いてた」とごく自然に歌唱していた状況をふり返る。さらに、元「オアシス」のメンバーのボーンヘッドが、リアムが楽曲発表前、携帯に録音して送ってきた過去を「『聴けよな。頭がブッ飛ぶぜ』っていう態度じゃない。『どう思う?いいかな?』と、もっと謙虚な態度だった」とふり返るシーンも。破天荒でビッグマウスな言動で知られるリアムからは想像がつかない素顔がのぞく。本作は、そんなリアムの知られざる姿が映し出されているといえそうだ。『リアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ』は9月25日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Liam Gallagher: As It Was(原題) 2020年より公開©2019 WARNER MUSIC UK LIMITEDリアム・ギャラガー:アズ・イット・ワズ 2020年9月25日よりTOHO シネマズ シャンテほか全国にて公開©2019 WARNER MUSIC UK LIMITED
2020年08月21日私は24歳で結婚し、同年に男の子を出産しました。赤ちゃんが生後5カ月になったころ、夫から義母家族との同居の相談を受けました。私たちは4LDKの賃貸の戸建てに住んでいて、使っていない部屋もあるので同居することに同意。義母家族と同居してから、義母が巻き起こすトラブルに巻き込まれた体験談をお話ししていきます。 義母家族との同居で一気に大家族へと義母家族は義母・夫の弟(18歳)・妹(17歳)・妹の子ども(2歳) の4人で、私たち家族を含めて7人の大家族になりました。同居の理由は、義母が勤める会社の倒産や義妹の元交際相手がストーカー行為をすることなどが重なり、義弟の高校卒業を期に同居してお互いの生活費をラクにしようという考えからです。 大家族で育った私は、正直なところ人数は気にはならず、長男と遊べる従姉がそばにきてうれしく思いました。 日に日に現れる義母の本性同居のはじめは、義母家族の楽しい笑い声がドアごしに聞こえていました。しかし、日が経つにつれて義母は義妹の子どもを怒鳴りつけ、義妹にも「しつけはダメなものはダメと厳しく怒らないと」と言って喧嘩するようになり、怒鳴り声と子どもの泣き声が増えていきました。 義妹は逃げるように夜中に家を抜け出し、朝帰りをする生活に。義母は怒ると怖く、人間関係のトラブルはあるほうだと夫から聞いてはいましたが、義妹やお孫さんに対して怒るときの怒鳴り声は私でも威圧感を感じ、怒らせてはいけない相手だと察知できるほどでした。 義母はついに隣人とトラブルを!私が住んでいる地域は雪の多い地域ですので、朝晩の雪はねが必要になります。義母と同居した最初の冬、義母は深夜帯のパートに勤めていたこともあり、早朝の雪はねをしてくれていました。 雪を捨てる場所は限られるため、隣家との境界線もマナーとして必要です。でも、マナーを守らない方もいて、隣人と口論し義母は警察に通報……。 その隣人だけじゃなく、違う隣人とも時折り雪を巡って口論するように。義母だけが悪いわけではないのですが、罵声を聞くたびに事件が起きる気がして怖かったです。 義母の愚痴を聞くようになって…義母から隣人の揉めごとの愚痴を聞くようにり、段々と義妹についても話してくれることが増えました。義母の言い分も正論に聞こえるため、共感する返答をしていましたが、このままでは義母と義妹の親子関係が悪化すると感じた私。 部屋から出てこなくて、あまり話せていなかった義妹とも少しずつ話すように。義妹は「義母に子どものしつけに関して怒られる」「子どもを叱りつけられたりしてつらい」「義母に母子手当金を当てにされすぎて家を出ようにも出られない」という問題を抱えていました。 どちらに対しても聞くことしかできない私はなすすべがなく、その後義妹は養ってくれる人を見つけ、子どもを連れて出て行ってしまったのです。 夫から義母は怒らせないほうがいいとは聞いていましたが、揉めごとに巻き込まれるとは思っていませんでした。しかし、義母は家族のために誰よりも先に炊事や雪はねなどに動いてくれます。義母も義妹を心配するあまり、介入しすぎてしまっているのでしょう。義妹と離れて暮らしてから親子関係は修復し、今は平穏に暮らせています。 作画/やましたともこ著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2020年08月18日私は里帰り出産をしたのですが、実家には車がなく、臨月に入ってから陣痛タクシーに登録しました。出産するときには陣痛タクシーを使うことはなく、退院する際に利用しようとしたところ、トラブルが起きてしまいました……。 里帰り出産に備え、陣痛タクシーに登録私は第1子を出産するにあたり、妊娠34週ごろから実家に戻って出産に備えていました。実家には車がなく、私は実家に帰ってからママサポートタクシーという、いわゆる陣痛タクシーを数社調べ、一社登録することに。 私が登録したタクシー会社は、妊婦健診、出産時の入院・退院、買い物など、登録しておけばいつでも利用できるようになっていました。 陣痛タクシーは出産後まで出番なし私の実家から病院までは歩いて30分ほどの距離です。運動不足を解消するため、妊婦健診には歩いて行っていました。出産のときも、出産予定日前日に破水したのですが、車を持っている夫が出産に備えて実家へ来ていたため、陣痛タクシーを使うことはありませんでした。 初めて陣痛タクシーを利用したのは、無事出産し、私と赤ちゃんが退院する日となったのです。 陣痛タクシーが来ない!?私と赤ちゃんは病院の入院計画通り、出産後6日で退院することになりました。夫は仕事のため自宅に帰っており、このとき初めて陣痛タクシーを利用することに。退院の準備ができて陣痛タクシーを呼ぶと、すぐ来るとのこと。 しかし、病院入り口で20分ほど待っても到着したとの連絡はありません。その日は私が住んでいる地域ではめったにない猛暑日。私は赤ちゃんと自分の体調が心配になり、タクシー会社に電話をしました。 タクシーが来ない原因は…電話した結果、陣痛タクシーは実家に着いていました。どうやら、私が電話したとき、「(実家の住所)の(私の名前)さんですね?」と言われたので「はい。出産して退院するので陣痛タクシーをお願いしたいのですが」と言ったのですが、聞き間違って実家に行ってしまったようです。 あらためて陣痛タクシーが来たのは、そこから約10分後。ようやく帰宅したものの、クーラーがない実家は蒸し風呂状態に。暑いのかおなかが空いたのか赤ちゃんはギャン泣き。気が動転してしまった私はしばらく水分も摂らず、へとへとになりながら授乳をし、熱中症になってしまいました。 私は授乳に慣れていないのもあり、「私がもし入院してしまったらもう授乳はできなくなるかもしれない」と思い、体調不良を無視していました。しかしそのまま体調が良くならなかったので、3日後に深夜外来にお世話になることに……。トラブルが重なったこともあり、陣痛タクシーがトラウマになってしまいました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:桜場紫0歳女児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆しています。趣味は読書、夫と週替わりで選ぶ映画の鑑賞。
2020年08月17日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男がまだ生後3カ月のころ、ベビールームで見知らぬママに怒られたことがありました。ショックでしばらく外に出られないほど落ち込んだ体験談を紹介します。 ※コロナ禍前の体験談です。 初めてのベビールーム長男が生まれ、3カ月の里帰りも終わり自宅に帰ったころです。自宅近くの駅ビルに長男と買い物に行きました。途中で長男がぐずってしまい、授乳室のあるベビールームに行くことに。ベビールームは初めてだったので、少し緊張していました。 入ると、すでに他のママとママの子どもと思われる子が3人遊んでいました。私は会釈後にそのまま奥にある授乳室に行き、長男の授乳を終わらせました。しかし授乳室から出ると、突然そのママが怒りだしたのです! 「あいさつしてから入るように!」と怒られる「ここには『こんにちは!』とあいさつしてから入るように!」と突然言われ、びっくり。そのママは「親のくせに、あいさつもできないなんて子どもがかわいそうだね!」と言い放つと、子どもたちを連れてベビールームを出て行ったのです。今思えば、ベビールームは共有スペースなので、もしかするとそのママは会釈だけではなく声掛けをしてから入ってほしかったのかもしれません。 また、注意された際も謝らずに、つい無言になってしまったことも印象が悪かったのかもしれません。ただ、当時はこのできごとが本当にショックで眠れませんでした。特に「子どもがかわいそう」という言葉は、今思い出しても悲しくなります。 外出が怖い…またあのママに会うかもしれないと思うと、外出ができなくなりました。特に相手は3人のママだったこともあり、「きっと私が悪かったんだ……」とクヨクヨ悩む日々。しかし、夫や先輩ママに相談しているうちに、自分の中で何とか消化することができました。もしかしたら、怒り出したママは育児に疲れて少しイライラしていたのかもしれません。 また、私が入ったときに子どもたちがテーブルやおむつ台に乗って遊んでいたので、少しバツが悪かったのかな、私も素直に「すみません。次から気を付けます」とにこやかに答えればよかったかな……とも。当時、産後間もなかったこともあり、精神的に参っていたことも落ち込んだ原因かもしれません。 結局、そのママとはその後、一度も会うことはありませんでした。この経験を踏まえ、次男出産時は「出産後は落ち込みやすいけど、産後だから仕方ない」と思い、あまりクヨクヨ悩まないように心がけることができました。しかし、知らないママに突然怒られた出来事は、今思い出してもなかなか衝撃的な体験でした。 監修/助産師REIKO著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2020年08月02日赤ちゃんとの毎日がもっとラクに、もっと楽しくなる。ベビーカレンダーは、そんな毎日を応援するコラムを絶賛連載中! 寝かしつけのストレスは、私にとってかなり強敵。娘が生後1カ月になるころから寝かしつけがストレスになってしまい、気持ちに余裕を持てない時期がありました。今回はわが家で実践している寝かしつけ術と、心がけていることをお伝えしたいと思います。 寝かしつけが難しい娘が生後1カ月になるころ、生活リズムを作るために起床したら日光を取り入れ、毎日同じ時間に入浴時間を固定し、就寝時間以降には部屋を暗くして授乳やおむつ替えをしていました。就寝時間を過ぎても、1度目覚めてからの寝かしつけでは寝てくれないこともあり、私自身のストレスも徐々に蓄積。 初めての体験で右も左もわからず、寝かしつけについてネットで検索したり、親族に聞いたり、いろいろな方法を調べてみました。しかしどれもしっくりこず、私の限界も近付いていました。 実はみんな苦労していた!試行錯誤の結果、娘は生後1カ月半ころからYouTubeのオルゴール音楽であれば寝てくれるように。しかし生後3カ月ころにまた寝なくなってしまい、次は添い寝に切り替えました。それでも寝ないことが多く、ストレスもかなり限界に……。周りのママ友に寝かしつけ法を聞いてみると、抱っこじゃないと寝ない子、気分転換にドライブしないと寝てくれない子もいて、「自分だけが大変な思いをしているわけじゃない」と痛感。他の子の寝かしつけ法を聞くことで、気持ちも軽くなり、ストレスもかなり減って少し気持ちがラクになりました。 寝かしつけも柔軟に!生後7カ月になり、ハイハイをし始めて活発になった娘は、夜に覚醒してしまうことも増えました。そんなときはリビングに連れて行って気分転換したり、布団の上をハイハイさせたり、それでも寝てくれないと娘と夜更かしをしてみたり……。夜更かししてしまっても、朝は同じ時間に起こすことで、今ではだんだんと娘が夜寝てくれる日も増えてきました。 私自身も日中は娘の泣き声で寝不足になり、娘に泣かれるたびにイライラすることも。でも、周りのママ友も寝かしつけに苦戦しているとわかったときの安心感や、ママ友との情報交換で、勉強になることもたくさんありました。 周りのママ友と話すことで、子どもの個性や性格の違いを感じられる良い機会だったな、と今では思います。生後9カ月になった今も、娘は寝てくれない日がありますが、前よりも心に余裕をもって対応できるようになっています。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO著者:伊藤 奈々夫と娘、5匹の猫と暮らす薬局事務員兼ライター。自身の体験をもとに、出産・育児・保活・家事に関する記事を執筆をしている。
2020年07月18日普段はコンタクトを装用している私。しかし長男を妊娠しているときに、まだ慣れない育児の間はレンズの着脱や洗浄が煩わしくなるだろうと予想し、妊娠中にメガネを新調しておくことにしました。産後は忙しくなり、メガネを新調しておいたのは正解でしたが、そのメガネ選びには盲点がありました……。 長男妊娠中のメガネ選びの失敗長男の妊娠中に新調したメガネは、ピンク色の細い金属製フレーム。メガネをかけていないように見えるのが好きで購入しました。いざ、産後。生後2~3カ月ごろまではよかったのです。 問題が起きたのは生後半年、長男が何にでも手を伸ばすようになってから! もちろん私の顔も例外ではありません。長男の手がその細いフレームに伸び、容赦なく、かつ楽しそうにメガネを引っ張り始めたのです。 育児中のメガネ縦抱っこが主体となると、私の顔は長男の手が一番届きやすいところにあります。また、このころの愛情表現なのか長男はよく頭突きするようになりました。顔がぶつかるたびにメガネの柄の付け根から「ミシッ」という音が……。 こんな反省をもったまま、3年後、次男を妊娠。赤ちゃんが小さいうちはしょうがないのかなあと諦めていましたが、たまたまメガネのJINSの前を通りかかり、問題を相談してみることにしました。 次は失敗しないために!JINSの店員さんに提案していただいたのが、Airframeのメガネです。柄の柔らかさ、弾力性は触ってすぐわかりました。このしなやかさなら、少々引っ張られたり頭突きをされたりしても耐えてくれそうだと思い、購入することにしました! 私が購入した当時は、太フレームしかなかったことが唯一気になった点。メガネの存在感が出ないか心配でしたが、そこは薄紫色の丸みのあるデザインで解消できました。 使ってみて次男も予想通り、私のメガネに手を伸ばします。でもこのAirframeのメガネは引っ張りにも耐え、次男がもうすぐ1歳になる今も状態はほとんど変わりません! また、二人兄弟の育児中はメガネを少々雑に扱ってしまったことを反省しますが、よほど強く投げつけない限りは、落としても「ポン」と弾む程度。フレームの弾力性に安心感があります。 今回長男のときの反省点を生かして、次男の妊娠中に、赤ちゃんのいる生活を考えたメガネ選びができました。赤ちゃんにとってメガネは興味の対象! デザインも大切ですが、丈夫で耐久性があるものを購入できてよかったです。 ※本記事の内容は公開時に確認した情報のため、商品によっては変更となっている場合があります。 著者:仲田ゆり2人兄弟の母。夫の転勤により、互いの出身地から離れて育児中。趣味は整理整頓、新しい土地でのおでかけスポット探し等、暮らしをより楽しむことがモットー。主に育児や暮らしのアイデアについて執筆中。
2020年07月17日2018年7月の豪雨で、私の住んでいる九州北部地方も大雨にみまわれました。激しい雨が降り続け、私の住む市にも大雨特別警報と避難勧告が発令……。わが家には当時小学校1年生の長男・4歳の長女・生後5カ月になる次男の、3人の子どもがいました。初めての避難勧告に、私はどうすればいいかわからず焦るばかり……。避難勧告が発令されたときの体験と学んだことをお話しします。 激しい雨が続いて不安に…激しい大雨が降り続いたのは、2018年の7月5日のことでした。はじめは気にとめていませんでしたが、ニュースで大きく報道され始めたのでだんだんと不安になってきたのを覚えています。 前年の九州北部豪雨以降、ニュースでは大雨について細かく報道するようになっていました。大雨が降り続くなか、ニュースで警報の種類や概要を学んで過ごしました。このときは、まさか大雨特別警報が発令されることになるとは思っていませんでした。 なかなか避難する決断ができず…ニュースでは、数十年に一度の大雨が予想されるという情報が流れていました。すでに避難指示が出ている地域もあったのですが、夕方の時点で私の住む地域は避難準備の段階でした。わが家は山が近いため土砂崩れが心配でしたが、なかなか避難する決断ができず……。 いつでも避難できるように、とりあえずバッグに子どものおむつやお菓子を詰め込みました。夜になり仕事から帰ってきた夫に相談し、そのまま家で夜を過ごすことになりました。 ママ友からのLINEで避難を決意!夜の間も激しい雨が降り続け、早朝には私の住む地域に避難勧告が発令されました。夫は避難勧告が出る前に出勤してしまったので、避難するかどうかの判断は私が下すことになります。 避難するべきか迷っているときに、幼稚園のママ友とのグループLINEからメッセージが届きました。そのLINEで近所の道路状況を教え合う、避難するかどうかを伝え合うことができ、災害に向き合う意識が高まったと思います。結果、私は比較的安全と思える姉の家へと避難することに決めました。 河川が氾濫寸前、そして大雨特別警報発令!車で30分のところにある姉の家は、平地にあるマンションの高層階です。赤ちゃん連れで避難所は大変そうだと思い、姉の家への避難を決めたのです。しかし夕方には大雨特別警報が発令……! さらに姉の家のそばにある大きな河川が氾濫寸前になりヒヤヒヤ! どうにか寸前のところで雨がやんで水位が下がりましたが、マンションから出られなくなるところでした。一方指定された避難所は被害がなかったそうです。翌7日の朝8時ごろには大雨特別警報と避難勧告が解除され、私たちは帰宅しました。 今回の大雨では、近所の人と関係を築いておくことの重要性を実感しました。LINEでママ友と近所の道路状況などの情報を交換したことが役に立ったからです。それから、経路を含めて非難する場所をよく考えることが大切だと思いました。今は新型コロナウイルスの影響で避難所の利用も悩むところです。情報交換しつつ、安全な避難先を見極めることが必要だと思わされました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて事前にお住いの地域の災害に応じた自治体に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年07月10日