日本に先駆けて公開された台湾をはじめ、アジアの国々でヒットを記録している日台合作映画『青春18×2 君へと続く道』。5月3日(金・祝)の日本公開を前に、来日した台湾の人気俳優シュー・グァンハンと藤井道人監督に話を聞いた。国際的なプロジェクトへの参加は初めてだったというお二人。新たなチャレンジの裏にあった思いとは…?お互いの作品は観ていた?「すごい才能」「定義付けない」――グァンハンさんにうかがいます。藤井監督と今回一緒にお仕事をされる前に、監督の作品をご覧になったことはありましたか?シュー・グァンハン(以下、シュー):最初に観たのは『ヤクザと家族 The Family』でした。ヤクザの映画も撮れるしアクションも撮れる、おまけに美しいラブストーリーも撮れる、特別な監督だと思いました。『青春18×2 君へと続く道』を撮り終わってから、時間がなくて事前に観られなかった『余命10年』も観ました。何でもできるすごい才能を持った監督だと思います。藤井道人監督(以下、藤井):本当に?(笑)――実際に一緒にお仕事してみて、監督に対するイメージは変わりましたか?シュー:変わりました。よりよい方向に(笑)。プライベートでも監督のほうから声をかけてくださって友達のような、とても付き合いやすい監督だと思います。撮影現場では、演技指導をするとき、とても適切な方法で、僕らと意思疎通を図ってくださいます。俳優が想像を膨らませやすいように導き、自分が撮りたい形にもっていく。その能力に非常に長けた監督だと思います。本人が隣にいなければ、もっと褒めますよ(笑)。――藤井監督にも同じ質問をさせていただきます。一緒にお仕事をされる前に、グァンハンさんの作品をご覧になったことはありましたか?藤井:悩んだのですけど、見なかったです。俳優はたくさん人の目に触れて、勝手に定義される。僕が俳優だったら見て欲しくないなと思いました。俳優の演技を研究していこうとか、そういうことは自分の中ではやりたくなくて、フラットな状態で一緒に物を作りたかったんです。でも、たまたま見ちゃった作品はありました。Netflixでおもしろい台湾のドラマを見ていたら、「グァンハンが出てきた!」みたいな(笑)。撮影が終わってから、台湾で大ヒットした映画『僕と幽霊が家族になった件』を観て、彼はこっち(コメディ)もできるんだなと思いましたね。かわいかったです(笑)――あらかじめイメージを持たず、新鮮な気持ちで撮影に臨まれたのですね。藤井:僕は「決めつけない」「定義付けない」ということを大事にしているんです。ビジュアルのイメージや僕自身が求めているものはありますけど、ジミーの心の部分は、僕が持っているものより、グァンハンが持っているものを見せてほしいと思いました。監督「スタッフは、表現者たちが集まっているという認識」――グァンハンさんが演じるのは、36歳で情熱を傾けてきた仕事と人生の目標を失った主人公ジミー。18年前に日本からやってきたバックパッカーの女性アミとの初恋の記憶をたどり、日本の彼女の故郷を訪ねる旅に出ます。驚いたのは、18歳と36歳のジミーが全く別人に見えること。演出の面で、違いが出るように工夫されたことはありましたか?藤井:ありました。グァンハン自身の年齢は、大人になったジミーの方が近いので、18歳のジミーのシーンは、お互い共通認識を持つことが必要だと思っていました。18歳のシーンでは“恥ずかしいことも愛しい経験なんだよ”というメッセージが必要で、18歳のジミーがかっこよく見えたら、この映画は失敗だと思っていたんです。「いろんな失敗をしてジミーは大人になった」ということをちゃんと表現したかった。そういう思いをグァンハンに伝えました。――グァンハンさんの出演作は、いろいろ拝見しているのですが、今回のように大きな年齢差を行き来する作品(「時をかける愛」)や、ラブストーリーやコメディの主役、『ひとつの太陽』や「罪夢者 NOWHERE MAN」で演じたような個性的な脇役まで、いろんな顔を併せ持った振り幅の大きさに驚かされます。そんな持ち味をご自身ではどう思っていますか?シュー:意識することはないですが、できる限り、自分が思い描いているとおりの人物を演じられるよう努力しています。たとえば、この映画で36歳のジミーを演じたときは、僕の実年齢と近いので歩き方や話し方といった外見より、できる限り心理的な部分を考えて演じようとしました。18歳のジミーは、年齢的にまだ落ち着きがないし、とても活発。そこに可愛らしさみたいなものもあっていいと思って、そういうイメージで演じました。藤井:18歳のジミーの手の落ち着きのなさとか、なんだか背筋が定まっていない感じは、グァンハンがテストでやってくれることを、そのまま取り入れました。見ていてすごく楽しかったです。――撮影に入る前、必ず行う準備はありますか?シュー:特に意識してこれをやらなきゃと決めていることはないですが、だいたい1日から2日の時間を自分に与えて、自分自身を空っぽにするようにしています。――基本的には監督の話を聞いて一緒に作り上げていくようなイメージですか?シュー:今回の作品でも、監督は自分が欲しいものを明確に持っているので、僕はそのとおり一生懸命に演じるだけです。方向性に関して、監督が求めているものと僕がやっていることに違いが生じた時には意見を交換します。どの作品も、現場で話し合うといえば、だいたい同じような状況ですね。そういう時以外は冗談ばかり言っています(笑)。――藤井監督は今回の台湾の現場で学んだことを今後の仕事に取り入れたいとおっしゃっていましたね。その後の現場で実際に応用したり、実践したりしたことがあれば教えてください。藤井:台湾で学んだことをそのまま持って帰ってきたのは、12時間以上の撮影をしないということです。スタッフのことを、労働者ではなく、表現者たちが集まっているという認識のもとにケアしているという感じがすごくしました。日本には日本独特の文化もあるんですよね。日本では演出部がカチンコを打つけど、台湾では撮影部が打つ。台湾のやり方を丸ごと使うわけではなくて、たとえば演出部の手が足りていないときは撮影部に打ってもらうとか、「そういうパターンもあってもいいよね」というフレキシブルな考え方になりました。「みんながやりやすい現場って何なんだろう?」ということを、以前より考えるようにもなりましたね。――台湾のスタッフには、海外帰りの若い方が多いとうかがいました。そういう部分も、日本とは違いますか?藤井:違いますね。日本人は日本の現場で学んで、日本で作品を発表する人が多いですが、台湾のチームは、海外から戻ってきて仕事をしている人がすごく多かったです。映画に対する敬意のレベルが高いという点はすごく参考になりました。スタッフの年齢層も僕と同世代がメイン。それをプロデューサーたちが校長先生と教頭先生みたいな感じで見守っているという感じです。「日本映画」「台湾映画」ではないアジア映画としての作品――グァンハンさんは本作が初の国際プロジェクトへの参加でしたが、その後、韓国ドラマにも出演されましたね。中国語圏のマーケットは非常に大きく、今はNetflixなどで世界各国に台湾の作品が配信されています。仮に台湾の作品だけに出演していても、世界中の人に見てもらえるわけですが、それでもこういう国際プロジェクトに参加する面白さをどう感じていますか?シュー:今回、仕事という形で異なる文化を体験できて、とても嬉しかったです。日本も韓国も、それぞれ文化が全然違う。僕が一番好きな異文化体験はご飯を食べる時間なのですが、現地だからこそ味わえる楽しさがあります。僕は自分に挑戦し続けることが必要なタイプ。韓国での撮影は、詳しくは言いませんがまた別のチャレンジです。新しいことを学ぶことが好きなんですね。例えば、飯山線の電車内での撮影は、実際に走る電車の中で俳優がとった行動を記録するという方法でした。「こういう撮り方もあるのか」と、新しく学んだことがたくさんあります。――監督にうかがいます。日本のシーンやロケ地について「こういう場所を見せると喜んでもらえる」など、台湾の観客のことを意識しましたか?藤井:すごく意識しました。なぜかというと、今回この作品の企画書を見て、監督をお引き受けしようと決めた大きな理由が二つあるんです。その一つが、僕がジミーと同じ36歳だったということ。そして、もう一つが、企画書の1枚目にあった「雪の中を電車が走る」という言葉でした。台湾の人たちは雪が好きだということは知っていましたし、(プロデューサーの)チャン・チェンやロジャー・ファンの「コロナ禍で会いたかった人に会えない、行きたかった場所に行けなかった人たちが、もう一度“旅”というものを考え直す作品にしたい」という思いも知っていたので、「こういう景色を撮ってほしいんだろうな」という景色を取り入れたりはしましたね。――本作には、日本の人がイメージする台湾と、台湾の人がイメージする日本の風景が、うまく両方取り込まれていると感じました。バランスには気を遣ったのでしょうか?藤井:カメラマンと一緒に、それぞれ色味や場所の撮り方は工夫していますが、「この地域だからこう撮ろう」というより、「ジミーという人の生きている世界が同じアジアの中にある」ということを意識しました。多分みんな意識的に「日本映画」「台湾映画」と区別して映画を観てきたけれど、今回は「アジア映画を作る」という思いで作っているんです。僕らがボーダーを取り払って作ったことがこの映画の中で作用していたなら、うれしいですね。(text:Rie Nitta/photo:You Ishii)■関連作品:青春18×2 君へと続く道 2024年5月3日よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国にて公開©️ 2024「青春 18×2」film partners
2024年05月02日漫画「呪術廻戦」の人気もあり、“呪術”という言葉がすっかり社会に定着した感がある昨今だが、そもそも呪術とは何なのか――?そんな問いに正面から向き合った映画が誕生した。誰もがその名を知る陰陽師・安倍晴明が陰陽師になる以前の学生時代の日々を描いた映画『陰陽師0』。本作の劇中で晴明らが結ぶ印や口にする呪文、さらには劇中の小道具など呪術にまつわる全てを“呪術監修”として司っているのが作家の加門七海である。佐藤嗣麻子監督とは三十年来の仲で、監督たっての願いで呪術監修を務めることになった加門さんに“呪術オタク”の視点から本作の魅力について語ってもらった。加門七海/カメラマン・富永智子――“呪術監修”というポジション自体、なかなか聞かないですが、加門さんが引き受けることになった経緯をお聞かせください。私は記憶にないんですけど、10年以上前に別の作品で、佐藤監督に似たようなことをお願いされて、その時は「とても自信がない」とお断りしたらしいんですね。だから今回も監督は「断られるかな…」と思っていたらしく、最初は婉曲的に「加門さん、若い俳優さんで好きな人はいる?」と聞いてきて、私は「うーん、私は若いのはネコが一番好きかなぁ」みたいな答えを返して「俳優なら、若くはないけど國村隼さんがすごく好き」と言ったんです。そうしたら「國村さんが出る映画があるんだけど、呪術監修やって!」とお願いされて「は?」みたいな…(笑)。ただ、いままでの呪術を扱った映画は、ストーリーありきで、呪術というものは相手を攻撃するための道具というか、そこまで凝ったものを出すことってあまりなかったんですよね。なので、今回もそういう感じかと思っていたんです。記憶にないけど(笑)、前に一度、お断りしたという経緯もあったし、國村さんも出るしということで「じゃあ、やってもいいよ」と言いつつ、規模の大きな作品だったので「できるかな…?」とビビってました(苦笑)。そこからトントン拍子に話が進んだんですけど、最初に脚本を読んだ時は「こんなに本格的にやるの!?」と仰天しました。「私の手に負えるかな…?」というのが正直な気持ちでした。ただ、話が進んでいく中で思ったんですが、もし本物の呪術師の方や学者さんや研究者さんにお願いするとなると、どうしても(呪術の描写に関して)曲げられない部分、融通が利かない部分が出てくるんじゃないかと。私は本業が作家で、呪術に関しては佐藤監督がおっしゃっているように、ただ好きで自分でいろいろ調べたり、集めたりしている“呪術オタク”ですから(笑)、フィクション作品にも理解はありますし、アレンジなどにも柔軟に対応できるので、そういうところでの期待もあったんじゃないかと思います。――“呪術監修”として、どのように仕事を進められていったのでしょうか?とにかく脚本ありきですから、まず先方の「こういう話がやりたい」、「この場面で呪術の効果としてこういうことがしたい」というのがあって、それに沿って、こちらで史料などを提供するというのが第一の仕事でした。ただ、映画ですので当然、尺の問題があるんですね。本来は呪術でこれを表現するとなると大がかりな仕掛けが必要なところでも、言葉ひとつで済まさなくてはいけない部分もありますし、何よりもエンターテインメント映画ですから、“映える画”じゃないとダメなんですね。そこは、あれこれとこねくり回して(笑)、もっともらしくカッコよく見せるかというのを考えていきました。――具体的に担当されたのは、晴明らが結ぶ“印”や口にする“呪”などの創作ですね。そうですね。特に多かったのは呪符(=神への願意、要請先、約束の取り付けなどを書いた紙)についてのやり取りでしたね。とにかく映画のありとあらゆるところに符が貼ってあるので、その種類やバリエーションについて、そこは精神的な意味ではなく、映像としてどうカッコよく見せるかということを注意しました。――監修で関わったシーンの中で、特に印象に残っているシーンや映画的な描き方について提案をされたシーンを教えて下さい。細かい部分――例えば金龍を封印するシーンでは、金龍は決して悪い龍ではないので、悪い存在を封じるような感じではなく、徽子女王(よしこじょおう/奈緒)の想いを封じるものなので、晴明役の山崎(賢人)さんにも怖い感じではなく、丁寧な感じでやってほしいということをお伝えしました。また、晴明が「開!」と言って空間を切り裂く指の動きは「なぞるのではなく、剣で切るような感じでやってほしい」と指導をさせてもらいました。――呪術監修を務めるにあたって、ご自身なりに決めたり、監督と話し合った呪術のルールや世界観といったものはありましたか?特に監督やスタッフの方々と相談したということはないんですけど、やはり一家言ある人たちはみんな、自分なりの“呪術観”というものを持っていますから、この映画における呪術観と私自身の呪術観でズレというのは当然あるわけです。ただ、今回はあくまで映画『陰陽師0』の世界観に沿ってつくっていくという点は了承した上でやらせていただいています。その中で、まず大切にしたことは「“本物”を出さない」ということですね。フェイクを混ぜつつ、でも嘘にはならないで、みなさんに納得していただけるような幅を持たせる――完全な本物ではないけど説得力を持たせるということを意識しました。――それは本物の呪術を行なうことで、本当に呪いが発動したり、厄災が降りかかることがないようにという配慮から?そうです。万が一、何かあって「これをやってしまったからだ」とスタッフさんや演者のみなさんに思わせるようなことがあってはいけないというのがひとつ。加えて、そもそも呪文やお札というのは、宗教の核心や秘密に触れる部分も多いので、それを映画であからさまに見せるのは、私自身、とても怖いですし、やりたくないことなので、少しだけ(本物から)ずらしてあります。とはいえ、見る人が見れば、元ネタはちゃんとわかる程度のアレンジですので、お好きな方は探してみてください。映画の中で「蟲毒」が出てきますけど、あれは本当に呪詛の術で、やはり本物は怖いですから、そこまで深入りし過ぎず、ごく普通の本で「蟲毒とは何か?」という説明に書いてある程度の内容で収めるようにしたりしています。やはり描きすぎると怖いですから(笑)。――映画用に印や呪を考えるにあたって、参考文献や史料というのはどのようなものを?晴明の時代の陰陽道に関しては、実は史料は非常に少なくて、とてもそれだけでは今回の映画の呪術をカバーできないので、時代的には近世くらいのものも使っています。日本、およびアジア圏の道教の史料が多いですね。陰陽道の基礎資料としては「陰陽道基礎史料集成」(村山修一)という本がありまして、古いものだと鎌倉時代あたりの頃からの様々な史料が収められています。ここから呪文などを採らせてもらっています。また映画の中で、(晴明らが学ぶ)陰陽寮にいろんな図が描かれた紙が貼られていますが、それらは美術書などから、使用可能なものを使わせてもらっています。印に関しては、中国の書物である「符咒指訣秘鑑」(法玄山人)などを参考にしていますが道教だけではまかなえず、密教の史料なども参考にしています。――完成した映画を観て、呪術の第一人者の視点で驚かれたシーンはありましたか?先ほども少し触れましたが、晴明が「ここは現実ではない」と気づいて「開!」とやることで空間を切り裂き世界が切り替わるシーンがあります。ほんの一瞬で「世界を変える」――自分が立っている空間を術によって変えるという非常に大きな術ですが、それが映像だとああやって一発で見せることができるんですよね。あの爽快感はすごかったですね。実際の呪術というのは、効果の有無ってその場ですぐにはわからないものですし、普通の人の目には映らないものなんですよね。それを見事に映画で可視化していて感動しました。――安倍晴明という人物が、令和のいまの時代に陰陽道の世界のスーパースターとしてこれだけ親しまれ、愛されているのはなぜだと思いますか?まず“陰陽師”という存在が(本作の原作でもある)夢枕獏さんの小説「陰陽師」シリーズおよび、そこから派生した岡野玲子さんの漫画、またそれとは別にCLAMPさんの漫画(「東京BABYLON」)などによってフィーチャーされたことが大きいですが、その中で安倍晴明がスーパースターになったのは、身も蓋もない言い方ですけど、名前がすごくカッコいいということが大きいんじゃないかと思います。“安倍晴明”って完全にヒーローの名前ですよね(笑)。例えば敵方で出てくる蘆屋道満という陰陽師がいますけど、普通の主役にはならないですよね。(晴明の師である)賀茂忠行も残念ながらならないですね。安倍晴明という名前に既に“萌え”があると思います。それはすごく大きいですよ。――名前もある種の言霊ですね。そうなんです。名前って本当に大事で「陰陽師」という言葉も、いまは「陰陽師(おんみょうじ)」と読むのが一般的ですけど、歴史的には「陰陽師(おんようじ)」、「陰陽道(おんようどう)」という言い方もかなり正統性があるんです。古文書にはルビが振っていないので、実際にはどちらが本当なのかわからないんですけど、もしかしたら「陰陽師(おんようじ)」だったら、ここまで流行らなかったんじゃないかと私は思います。「陰陽師(おんみょうじ)」と「安倍晴明(あべのせいめい)」というキラキラ感の影響って実はすごく大きかったんじゃないかと。――先ほど名が挙がった蘆屋道満や賀茂忠行などほかにも陰陽師はいたわけですけど、陰陽師として安倍晴明はやはり特別なんでしょうか?そうですね、例えば賀茂保憲(忠行の息子)のほうが、貴族社会に及ぼす影響という点で、晴明よりも実力的には上であったとも言われるんですが、決定的な差異として安倍晴明が“神”として祀られたということがあると思います。神社にご祭神として祀られているわけです(=晴明神社)。「陰陽道の神=晴明」となっていて、そうなると実力的、歴史的にどうだとか言っても無駄な話ですよね。――改めて加門さんにとって、呪術の魅力とはどういう部分にあると感じていますか?もはや、自分の仕事や生活と一体化しているので(笑)、どこが魅力と答えるのは難しいところですが…。呪術というのは科学の素(もと)でもあるわけです。現代において「科学」と「魔術」というのは別々の存在として分かれていますけど、もともとは魔術の中に科学があり、一般の人にとってはそこに区別はなくて、専門家がよくわからない術を施して効果を得るというものであったのが、それが反復によって立証されていくことで魔術が科学となっていったんです。それこそ数世紀前であれば、パソコンも魔術の領域にある存在ですよね。逆に、個人の力量によって差異が高低するようなものは、魔術として残ったりしているんです。つまり、魔術や呪術というのは、まだわからない未知の部分――でも過去から連綿と受け継がれて、世界や人の心を動かしてきたものなんです。その未分化の存在ってすごく魅力的ですよね。――最後に、加門さんと同じく呪術が好きでたまらないコアな人たちに向けて、本作の呪術の描写に関して「ぜひここを注目して見てほしい!」というポイントを教えてください。では、せっかくですので、凝った呪術の描写に関してクイズ形式で探していただきましょう(笑)。まずひとつは、「金龍封印」のシーンで晴明が指で符を書きますが、あの符はアレンジはしてありますが、実はとても格の高い、めったに表に出てくることのない符が元になっています。さて、それは何でしょうか?もうひとつ、映画の中でほんの一瞬なんですが、晴明が片手で印を結ぶシーンがあります。一秒あるかないかというシーンなので、多くの方は気づかないと思うんですが、そこで使ったのは、陰陽道の印ではなく、実は昔の呪禁師(じゅごんし)が使う印なんですね。さてそこはどのシーンでしょうか?この2つをぜひ探し当てていただければと思います!※山崎賢人の「崎」は、正しくは「たつさき」(黒豆直樹)■関連作品:陰陽師0 2024年4月19日より公開©2024映画「陰陽師0」製作委員会
2024年04月29日映画監督の役割とは何か――?そんな極めて抽象的な質問に、濱口竜介監督は「ある種、自分の生理的な判断によって“OK”と“NG”を振り分けること」と答えてくれた。ヴェネチア、カンヌ、ベルリンの世界三大国際映画祭とアカデミー賞の全てで受賞歴を持ち、いまや新作が発表されるたびに常に世界的な注目を集める存在となった濱口監督だが、彼はどのようにして“映画監督”になったのか? そして、彼はどのように新作を企画し映画として形にするのか?まもなく公開となる『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』でもタッグを組んだ音楽家の石橋英子のライブパフォーマンスの映像作品として企画がスタートし、制作の過程で当初の作品とは別に1本の長編映画として誕生したという、まさに異色の作品だ。世界を魅了し、驚かせ続ける“濱口映画”の作り方について、じっくりと話を聞いた。映画監督への道「漠然としていました」――濱口監督は、大学で映画サークルに入る以前は、映画をむさぼり観るようなタイプではなかったとうかがいました。それ以前は、どういったカルチャーに触れられていたのでしょうか? また、映画に深くハマるようになったきっかけは何だったんでしょうか?テレビドラマにゲーム、漫画、J-POP…当時の日本のどこにでもあったサブカルはごく普通に触れて楽しんでいましたが、夢中になっていたとは言えないですね。引っ越しばっかりしていたもので、その土地に根ざした遊びはしてなくて、それしかなかったというのが実際だと思います。ただ、映画館に行くのは昔から好きでした。小学生の頃『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観て、中学生で『ターミネーター2』を観て面白いと思って、高校生くらいになるとミニシアター系やアート系の映画も観るようになって、自分のことを「映画好きなんじゃないか」と思って、大学で映画サークルに入るんです。そこで、自分なんて実は全然観てなかったんだって気づいた感じです。映画自体は好きだったけど、全然足りていなかった…と。――「自分で映画作りたい」という思いで映画サークルに入られたんですか?そうですね。僕は一年浪人して大学に入ったので、浪人期間中は、なかなか映画館にも行けず、すごくつらさもありました。なので、大学に入ったらやりたいことをやろうって思いが強まって、そのひとつが映画でした。とはいえ、いま思うと、映画をどう作るのかということについて、何も知らなかったですね。――その後、大学生活を送りつつ、仕事として“映画業界”を志すようになったのは?大学3年くらいになると就職活動が始まるんですけど、何を大学でやってきたかと振り返るわけです。大学で大して勉強したわけでもないんですけど、何かしら、大学でやってきたことを就職で活かしたいなと思うんです。学科も映画で卒論を書けるところを選んだし(※大学では文学部 美学芸術学専修課程を専攻)、考えたら映画のことしかやってこなかったので、就活でも映像関係の会社ばかりを受けていました。でも、時代が就職氷河期だったからなのか? 私のコミュニケーション能力に問題があったのか…(苦笑)? 映像関係の会社も軒並み落ちまして…。「どうしようか?」と思っていた時、助監督の仕事を紹介していただけたんですね。――その後、しばらくして、東京藝術大学大学院の修士課程に入り直されていますが、そこに至る経緯は?商業映画の現場で助監督の仕事を始めたんですけど、何も知らないまま入ったわけです。助監督としてどう動くかなど全くわかってない状態で、しかも、そんなにコミュニケーション能力も高くなくて、ちゃんと人から教えてもらえないまま、目の前で現場が動き始めているという状況で…。商業映画1本と2時間ドラマの助監督をやったんですけど、端的に言って仕事ができなかったんですね(苦笑)。その時の監督の知り合いの映像制作会社を紹介していただいて「修行してきなさい」となって、そこでそれなりに楽しいと思いながら働きつつ、その会社が作っているのはBSテレビの経済番組などでしたので「楽しい」がちょっと違うわけですね。「自分は映画がやりたかったはずなんだけどな…」と。そうしたら、芸大の映像研究科が映画監督になるコースを開講することになって、2005年に第一期生を募集していて、しかも教授は北野武監督と黒沢清監督だと。そりゃすごい! 自分のこれまでの趣味と照らし合わせても「ここしかないかもしれない」と思って受けました。一年目は落ちて、二度目で翌年の2006年に受かりました。流れ流れてという感じでしたね。濱口竜介監督――当時から「将来、映画監督になる」といことは意識されていたんでしょうか?本当に五里霧中というか「なんも見えねぇ…」って感じでしたね。あの当時、いや、いまも若い人にとってそうかもしれませんが「監督にどうやったらなれるのか?」というのが全然わかんなくて、聞いたところでは「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」で入賞するとプロデューサーにピックアップされるらしいとか、助監督を続けて階段を昇っていくと、30代後半から40代手前くらいで監督の口があるんじゃないか?とか…漠然としていました。ただ自分に助監督の能力がないことは明瞭にわかったので、その線は消えたわけです。PFFに出したりもしたんですが、全部落ちたり。とは言え、そんなに悪いものは撮っていないはずだという思いもあったので、自主映画で撮っていこうと。「職業にする」というよりは、まずは自主映画・学生映画という形で作品をつくらないと、次の段階に進めなさそうだなって感覚でした。それで藝大大学院も受験するわけなんですけど、「職業として映画監督になれるか」というのはどこまでもわかんなかったですね。――その後、自主映画で短編、長編を含めて様々な作品を手掛け、『寝ても覚めても』では商業監督映画デビューを果たしましたが、自分が「映画監督である」と実感がわいたのはいつ頃ですか?これもすごく難しくてですね…、ある意味、意識の中では自分はずっと「監督」ではあるんですよね。その意識は学生時代からあるんですけど、ただそれが「職業」になったのは、本当に最近ですね。それで食べていけるようになったのが本当にごく最近なので。“商業映画”の意識「せめぎあいの中で作品ができていく」――『寝ても覚めても』以前に『ハッピーアワー』が国際的にも非常に高い評価を受けました。ただ、あの時点で無名の若手監督が5時間を超える映画を作り、劇場公開されるというのはすごいことだと思います。企画を通すということや、プロデューサー的な視点でどうやったら多くの人に劇場で映画を観てもらえるか?といった部分は、意識されていたんでしょうか?その意識が全くなかったわけではないですが『ハッピーアワー』に関して言えば、コントロールが全く効いてなかったというのが実際のところですね(苦笑)。クレジットとしても自分はプロデューサーではないですし。『ハッピーアワー』やその後の『偶然と想像』、今回の『悪は存在しない』でもプロデューサーに入ってもらっている高田聡さんという方がいて、(高田プロデューサーが所属する)「NEOPA」という会社は、実はIT企業なんですけど、高田さんは映画サークル及び学科の先輩なんです。その会社の取締役である高田さんの裁量の範囲で、NEOPAから出資していただけることになりました。『ハッピーアワー』最終的に「すいません、5時間になっちゃいました」という感じだったんですが、それでもOKをいただけて、これはプロデューサーである高田さんの度量の広さというのがまずありますね。『ハッピーアワー』は製作に2年くらいをかけていて、僕にとってもスタッフにとっても人生の一部のような存在になるわけですよね。“お祭り”というよりは、生活の一部みたいな感じですね。有名な人も出ていないですし、『ハッピーアワー』の時は、お客さんというよりは、一緒に仕事をした人たちのために最良の形で完成させるというモチベーションが強くて、その結果、あの長さになって、それを受け入れていただいたという感じです。その意味で、プロデューサー的な才覚は自分にはあまりないと思いますね。――『ドライブ・マイ・カー』のような作品の製作プロセスでも、商業的な部分を意識することはないのでしょうか?特に、いわゆる商業映画の枠組みでやるときはプロデューサーという立場の人たちがいて、C&Iエンタテインメントにいた山本晃久さん、その上司の久保田修さん、ビターズ・エンドの定井勇二さんが主にクリエイティヴ面でも関わってくださっているんですけど、その方たちの意見はきちんと聞いて参考にしています。まず、多大な経済的リスクを負っているのはその方たちなので、その人たちの「これでよいか悪いか?」というジャッジは受け入れるんですけど、そこで「自分が面白いと思うことかどうか」という部分はきちんと出すようにしています。ただ、山本さん、久保田さん、定井さんは『寝ても覚めても』の頃から、それぞれの立場から、かなり自分のやりたいことを尊重してくださったので、自分も含めたそれぞれの立場の意見の、そのバランスの中でできていくというか。自分もプロデューサーのジャッジへの信頼があるので、そのせめぎあいの中で作品ができていくという感じですね。『ドライブ・マイ・カー』――本作『悪は存在しない』は、石橋さんからライブパフォーマンス用の映像の依頼を受けて企画がスタートし、そこからさらに枝分かれして長編映画になったという異色の作品ですが、この作品に関しても、クリエイターとしての「これは映画になる」という手応えと、プロデューサー的な目線で「これは(商業)映画になる」という感覚が重なるような瞬間は?それはどこまでもなかったですね。今回、また高田さんにプロデューサーをお願いしていますが、製作中の高田さんの名言で「まあ、できてから考えようか」というのがありまして(笑)。完成してどんな作品なのかわかって、それから考えればいいんじゃないかと。まあ経済的なリスクが自分たちの耐えられる範囲内であるならば、明らかにそれが最良の選択肢なので、じゃあそうしようかとなった感じです。実際、それがこうやって劇場公開までされることになって、本当に運がよかったなって思いますし、高田さんのそのスタンスには心から感謝していますね。――濱口監督にとって、映画づくりのプロセスにおける「映画監督」の役割・仕事はどういうものだと思いますか?ある種のビジョンを提示したり、作品の全体の方向性を示すことが求められる部分もありますが、基本的には撮影の1テイク、1テイクであったり、編集の一工程、一工程に対し「OK」か「NG」かを判断する仕事ですね。単純に「OK」か「NG」かを示すだけでは暴力的なので、必要なら言語化も説明もしますけど、究極的には、個人の生理的な判断で「OK」と「NG」を振り分けていくのが仕事のような気がしますその基準をきちんと守り通せたら、映画になるだろう、という思いでやっています。――繰り返しの質問になりますが、企画を「成り立たせる」という部分や「いかにこの企画を通すか?」という部分に関して、意識されたことはないんでしょうか?これは本当に、僕がプロデューサーに恵まれているんだと思いますが、そういう経験がないんですよね。プロデューサーが「こういうことなら商業映画として劇場に掛けられる」と判断して、商業映画の枠に入れてくれたり、高田さんのように、僕のジャッジを信頼してくださって、とりあえず完成させて、その後のことは、できたものを見て考えればいいと考えてくださる――。もちろん「お金にならなくてもいい」と思っているわけではないでしょうが、そこは自分に対する信頼感をもって「この枠組みの中でやるなら、何をしてもいいですよ」とやらせてくださる方がいるので、「この企画をどうしなきゃいけない」ということは考えず、どちらかというと、その時に自分の中にある課題意識――「現場のここをもうちょっと改善したい」「演出のここをもうちょっとうまくなりたいな」みたいなことに取り組める企画を立てることが多いですね。インプット、キャラクター、ラスト…濱口映画ができるまで――ここから、具体的な作品づくりのプロセスについてもお聞きしていきます。今回の物語はオリジナル脚本ですが、石橋さんの知り合いから実際に起きた問題について話を聞き、それらをベースに物語を構築していったそうですね。物語の組み立てやキャラクターの膨らませ方はどのように行なっていくのでしょうか?脚本に関しては本当に難しくて、いまだに「これが正解」というものがないんですよね。「こうしたら面白い本が書ける」という方式は良くも悪くも確立していなくて、その都度、企画に合わせて七転八倒的な感じで、のたうち回るようにしてできていきます。今回は、まずリサーチをしてみようということで、でも、どこから手を付けていいかわからず、とりあえず、石橋さんの音楽ができる場所の近くでリサーチをすれば、石橋さんの音楽に合うものが何かできるんじゃないか? というくらいのところから、藁をもつかむような思いでリサーチを進めていったら、だんだんと「こういうものが撮れるな」とか「こういうことがあるのか」というのが積み重なっていき、ある時、スーッと筋が通ったということしか言えないんですよね。ある瞬間に突然、組み上がっていくというのは、今回もそうだし『ドライブ・マイ・カー』もそうでした。原作を何度も繰り返し読む中で、ある時、組み上がったという感覚でした。そのために必要なのはインプットをするということですね。インプットが十分にされていれば自然とアウトプットされるんだろうと思います。『悪は存在しない』――今回でいうとインプットにあたるのは…?今回の場合はリサーチそのものがインプットでしたね。使われなかった要素もいっぱいあるんですけど、土地を回って教えていただいた「あの木が〇〇で…」「水はこっから湧いていて…」といった話やその土地の歴史や何かの話のひとつひとつがそうですね。『ドライブ・マイ・カー』では原作そのものもそうだし、「ワーニャ伯父さん」の存在もインプットになったと思います。『偶然と想像」では、喫茶店で隣のテーブルで話されていた会話がインプットになったことがありました。あとは普段の日常の暮らしの細かい感情がインプットになる――「いま、自分の中でザワっとしたこの感覚を覚えておこう」ということもありますね。――キャラクターの膨らませ方に関して、例えば今回の物語で巧(大美賀均)や娘の花(西川玲)を中心に進むかと思いきや、中盤以降で思いもよらない人物が重要な存在になっていきますが、これはどのように…?これは面白くしようと思ったらそうなったって感じですね。単純な映画の好みの話なんですけど、僕自身が不意打ちを食らうのが好きなんですね。「まさかそんなことになるなんて!」というのがすごく好きで、そのパターンのひとつとして「お前、そんな重要なキャラだったのか?」というのがありまして(笑)、急にガツンと来るみたいなのが、映画を見る側の体験としても好きで、自分が作るときもそういうことを起こそうとするんですよね。先ほどのインプットで言うと、映画を観ている時の自分の身体に起こる状態の変化も、ひとつの大きなインプットとしてありますね。『悪は存在しない』――ラストシーンの意図や重要性についてもお聞きします。『ドライブ・マイ・カー』では、ラストで描かれているあの状況はどういうことなのか? という“論争”が起きましたが、そうやってラストシーンの描き方で観る者の心をざわつかせようというのはかなり意図的にされているんでしょうか?それはメチャメチャあると思いますね。映画を観た人は、ラストシーンの印象を引きずって映画館を出るということになるので、ラストシーンというのはかなり大事だと思っています。これも個人的な映画の趣味なんですけど「え? これはどう感じたらいいんですか…?」という気持ちで映画館を出るのが好き、というかかけがえのないことだと思うんですよね。数日途方に暮れますが、気がついてみれば、それが最も残る体験になっている。長く映画ファンでいますが、それが結局最高なのでは、と思っているので、観客にもそういうものを提供したいです。とはいえ、あまりにもわからないと「え? これはどう感じたらいいの?」と感じる“土台”そのものがなくなってしまうので、ある程度の土台を構築した上で、どこかでズレというか、ある種の不条理が入ってくることで「いや、こういうふうに思ってたのに、何なんですか、これは?」というものができるのが大事だなと思います。ただそれもあまりやり過ぎると、観客との関係性が切れてしまうので、その塩梅は常に難しいですけど、観客の体験のためにやるのが大事なことだと思いながらやっています。――今回のラストの衝撃に関しては『ドライブ・マイ・カー』以上だと思いますが、監督の中で様々な構築があった上で、あのラストを選ばれたということですか?ああいうのを明確に言語化してやっているかというと、必ずしもそうではないと思います。ただ結局「こうあるべきだ」という基準が言語化されずとも自分の中にあるわけです。ずっと物語を書いてきて「これがこの物語のラストになるんだ」という納得感――自分の中で腑に落ちた感じで書けることがすごく大事で、そういう身体レベルの納得感があると、やはりそれを演じる人にも伝えることができる気がします。そうすると、今度は演じる人も「これはこういうものなのだ」と確信をもって演技をしてくれて、その確信に満ちた演技を見ると「やはりこういうことなのかな」と観客もまた納得ができるのでは……と思っています。(そのラストが)起きたこととして、そこから「じゃあ、なんでそういうことになったのか考えよう」という、書いているときの感覚は、観客の視点とすごく近いと思いますね。――最後に映画業界で働くことを志している人に向けて、メッセージをお願いします。大事なことは二つで、まず「イヤなことは無理にやらない」ということですね。いまの若い人の感覚で「なんかこの映画の現場、おかしいんじゃないか?」、「こういう働かせられ方は変じゃないか?」と感じたら、その感覚は正しいです。そんなところにいる必要はありません。その感覚を大事にして成長してほしいし「何かがおかしい」と思うことに無理に自分を合わせないことはとても大事だと思います。とはいえ、イヤなことから遠ざかるだけでは成長できないのは確かなので、何かしら勉強を続けることが大事だと思います。現場から離れた時期も自分がやっていたことは、「映画を観る」ってことですね。現場の経験があると、「これはこう撮っているのかな」とか「こう撮れるのはすごいことだ」という感覚もより繊細なものになっていきます。映画館に行くのがベストですが、最近では配信サービスも充実して、低コストでたくさんの作品を観ることができる。これはやっぱりすごいことです。現場に行くと、やっぱり映画を観るって大事なことだなというのはスタッフやキャストとのコミュニケーションでもすごく感じます。「勉強する」というと堅苦しいですが、でも勉強して自分の感覚が変わっていくのを感じるって楽しいことなんですよ。そういう楽しみを自分から手離さなければ、イヤなことを拒みながらでも意外と生きていけると思います。保証はできませんが(笑)、自分の人生を振り返るとそういうことなんじゃないかと思います。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:悪は存在しない 2024年4月26日よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国にて公開© 2023 NEOPA / Fictive
2024年04月26日【音楽通信】第156回目に登場するのは「黒夢」「sads」でも人気を博し、ソロとしても大活躍中で今年デビュー30周年を迎えた、ロック界のカリスマ、清春さん!テレビの歌番組で沢田研二さんら歌手に見入る【音楽通信】vol.1561994年にロックバンド「黒夢」のボーカリストとしてメジャーデビューし、そのオリジナリティあふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を獲得した、清春さん。1999年には「sads」を結成。翌年にはドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の主題歌「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録するなど大いに話題を呼びました。2003年には、DVDシングル「オーロラ」で清春としてソロデビュー。多くのアーティストからリスペクトを受け続けるなか、デビュー30周年を迎えた清春さんが、2024年3月20日にニューアルバム『ETERNAL』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――1994年にメジャーデビューしてから、今年デビュー30周年というアニバーサリーイヤーを迎えられましたね。30周年になりました。先日、アパレルブランドを独立してずっとやっている同世代の友人たちとご飯を食べていたら、「すごいっすよ!」と言われましたね。音楽的なことではなく、僕の美学的なスタンスをほめてくれて。大きい事務所に所属せず、ずっと個人オフィスを設けて活動している体制のなかで、30年間、音楽を続けてこられていることが本当にすごいと言われ、気分がよくなって帰ってきました(笑)。――確かにすごいことですよね。そんな清春さんが、まだ小さい頃や学生時代などに音楽にふれた思い出やきっかけはなんだったのですか?テレビの歌番組をよく観ていましたね。『ザ・ベストテン』(TBS系 1978年~1989年)や『ザ・トップテン』(日本テレビ系 1981年~1986年)というチャート式の歌番組があったんです。さらにいろいろな人が登場する『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系 1968年~1990年)も観ていて、僕の世代でいうと、沢田研二さん、西城秀樹さんに見入っていました。もう少し後の時代になるとバンドも出てくるんですが、その当時はまだ歌手の方が主流でしたね。男性歌手もメイクをしていましたし、髪が長くて、衣装も派手という姿を当たり前に受け入れていて。そういった姿も、僕らの世代からしたら違和感はありませんでした。沢田さんや西城さんは、自分が好きな洋楽アーティストをオマージュしてそういったメイクや衣装でやっていたのかもしれませんが、子どもの頃の僕らからすると、スターだからなんだと思っていて。以降は、少しずつ音楽シーンにバンドが出てきて、僕もバンドサウンドを聴くようになっていきました。――では、ご自身で音楽をやろうと思われたのはいつぐらいからに?僕は実家が岐阜県で田舎すぎたので、自分で音楽をやろうだなんてまず思わなくて。でも、高校生のときに社会見学や修学旅行などに行くバスのなかでカラオケをすることになって偶然歌うことになって、まわりからも「歌うまいじゃん!」と。友人から「バンドをやりたいからボーカルやってよ」と言われて、そのときはまだ興味がなかったんですが引き受けて、そこからロックとはなんだろうと勉強していきました。火がついたのは遅かったんです。新作は「ちょっと海外旅行をしているイメージ」――2024年3月20日に4年ぶりのニューアルバム『ETERNAL』をリリースされました。今作は清春さんの新しい姿を見せて聴かせてくださっている印象です。前作のアルバムを出したときは、ツアーでライブを2、3本やったらコロナ禍になって全公演が中止になったので、以降ずっとストリーミングライブを続けていて、そのなかで歌った新曲を集めたアルバムでもあります。そのストリーミングライブでは、まわりがライブハウスを使って配信していたように、僕らもそうしていました。だけど通常のお店も使うようになってくると、ドラムがそぐわなかったり、楽器が制限される場所があったりすることも。あと10年前ぐらいから、ロック的なものに惹かれなくなっていたところもありました。練習スタジオに行くと、バンドはギターアンプとベースアンプとドラムセットが置いてあるのが普通ですが、さんざんバンド活動をやってきたこともあって、いまのソロとしての僕はとっくにバンドではないし、必ずしもその形でやっていく必要はないんじゃないかなと思い始めてきて。そんなことを考えているうちに、今回のアルバムで使っているパーカッションやサックス、チェロといった、よりテクニックを要する楽器を演奏する人たちと知り合いました。その人たちと一緒に歌ってみたら、自分の歌が違ったように聴こえたんです。たとえるなら、ちょっと海外旅行をしているイメージ。現実にはずっと日本にいたんですが、ロックバンドとして音楽を始めた僕が違うテイストを味わうように、今回は海外に行って何年か暮らしていいよ、と言われているイメージの作品になりました。前作はわりとバンドらしい編成だったので、今作では変化を感じられるはずです。――アルバムタイトルの「ETERNAL」には、どのような思いが込められているのでしょうか。簡単に、僕らは永遠だよ、ということではなく。肉体が滅びたら、精神も滅びて、いずれ面影になって風化されるけれど、「この瞬間だけは永遠です」と言いたくて。この歌を聴いている瞬間、ライブをしている瞬間、みなさんが生きている瞬間。明日もあさっても1か月後も1年後も、本当に必ず来るかはわからない、だからこそ、いま意識のあるこの瞬間は永遠なんだよというアルバムです。いま55歳で、30年、音楽活動をやっているけど、あと何年ぐらいできるのかな?と終わり方を考えることも。歌の部分やステージでの振る舞いが、自分でイメージしているものと微妙にずれてきていると感じるときもあるんですよね。ステージに立っている自分と、あとで映像で観たときのイメージが一致していた時期もあったんですが、最近はたまにずれるときもあるなと。ただ、いまはまだ「ここいいじゃん!」と思える瞬間がたまにあって、映像で観てもそれを「永遠だな」と感じます。――その瞬間ごとの積み重ねが、生きるということでもありますよね。そうですね。知人にALSという難病と闘っている武藤将胤くんがいたり、前のアルバムではやまなみ工房という施設の知的障がい者のアーティストの方たちが描いたアートをジャケットにしたり、最近は震災のあった能登半島に支援に行ったり。音楽を作るにあたって、元気な人や健康な人、自由な人たちだけに刺さるのって、よくないと思ったんです。僕は元気なほうですが、明日がないかもしれない人もいるし、家がなくなってしまった人もいるから、いまこの瞬間を大事にしたい。それでいいんじゃないかと思うんですよね。約束もないし、期待もない。いろいろな人が僕のファンでいてくれて曲を聴いてくれているなかで、若い頃は恋愛の歌を書くだけでもよかったのかもしれませんが、いまはそう思う自分もいて。とくに落ち着いたとか、大人になったわけでもなくて、ただ状況が変わってきたという感じですね。自分の生きている状況やスペックに合わせて曲や歌詞を書くようになって、音もより肉感的といいますか、“生きている感じ”が出ればいいなと。アルバムでも、パーカッションがあることで躍動感が出せたりするのはよかったなと思っています。――収録曲の「霧」は、ダウンタウンさんのバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』(TBS系 毎週水曜日午後10時)で2週にわたってクローズアップされました。ロックリスナーの方以外の一般層の方からも、反響が大きかったのではないですか。番組で取り上げられるのは3度目なんですよね。これまで取り上げていただいたときは、あっさりとした内容だったんです。それが3回目では長くなっていて。普段はたまに僕がテレビに出ることがあっても、まわりからとくに連絡が来ることはないんですが、今回はしばらく連絡がなかった人も連絡をくれたり、親からも連絡がありました(笑)。「なんで2週もやるのか?」と聞かれて、「知らないけど」って(笑)。――わが家でも家族で『水曜日のダウンタウン』を観ていましたし、家族でカラオケに行ったときに娘と一緒に「霧」を歌いました(笑)。そうやって思いがけないところで、子どもたち世代にも清春さんの歌が届くこともあるなと。そうですね。僕のことを知り得ない世代の人も、番組のおかげで当たり前のように「清春」と言ってくれている方がいるのはよかったです。まぁ番組で今回のような取り上げられ方をしても、何をされても、もうそんなに揺るがないというか。ツアーもそうですが、土台がきちんとしていないと、周年もないですし、その出来事のなかのひとつですね。長くやってきてよかったです。僕に興味を持ってくれた方も、ライブに来てくれたら、また違う印象を持たれることもあると思います。―今年の3月から2025年9月まで、1年間を通して60本もの「清春 debut 30th anniversary year TOUR 天使ノ詩 NEVER END EXTRA」を開催されています。オーストラリアでもツアーをまわられて、さらにはsads、黒夢としてのライブも行うそうですね。今年は30周年なので、僕が今までやってきたことを網羅できるようなツアーになっています。sadsと黒夢としてのライブもわずかにやるんですが、それ以外の部分でも、ファンと僕の間での思い出の場所となっている「この会場でライブをした」というデビューライブの場所だったり、長い時間のなかで思い入れのある場所へ再度行ったり。30年だからできるツアーになっていますね。「長年崇めてくれてありがとう」という気持ち――最後に、今後の抱負をお聞かせください。あまり抱負というものはないのですが、毎年、僕らがやることは一緒なんです。アルバムの話のときに、「ETERNAL」が何をさしているかを話しましたが、なんとなく自分のなかで決めたゴールから逆算して活動しているところがあると思います。それはファンの人たちとも共有していて。つまり僕と一緒に年を重ねていて、それがご自身の人生になっている。その人たちと、これからまたどういう旅をしていこうかなと。もちろんみなさんと一緒に住んでいるわけでもなく、ライブ会場で会うだけなんですが、いまはインターネットもあってつながりやすい時代。昔はライブしか接点がなかったのがよかったものの、いまはアーティスト側のことがわかりすぎる時代ですよね。昔はファンの気持ちを知るには、手紙しかなかったですから。ライブではアンケート用紙があって。音楽雑誌でも、おたよりコーナーとかあったじゃないですか?――ありましたね。私も音楽雑誌の編集者をしていたことがあるので、よくわかります。“清春さんが好きな人と文通をしたいです”みたいなね。そういった超アナログの時代にデビューして、30年経って、なんでも便利な時代になって。だけどファンの人たちと一緒に旅をするうえで、時代は変わっても、メインのところは何も変わらずに終われるんじゃないかなと思っています。僕らの世代のミュージシャンだと、同世代はたとえばHYDEくんとかもそうだと思いますが、ファンの人たちと絶対的にいい距離感がありますからね。崇めてくれるといいますか。最終的には、「長年そんなに崇めてくれてありがとうね」というような終わり方に向かえる気がしていて。だから、今後さらに何をするという明確な展望はないですが、またライブをやったり、アルバムを出したり、やれることをより素敵な方法で残していけたらいいなと思っています。取材後記デビュー30周年を迎えた清春さんがananwebに登場。「黒夢」「sads」、ソロ活動とその時代ごとに異彩を放つ清春さんは、今作でさらにエモーショナルに進化を遂げた音楽を聴かせてくれています。ツアー中のお忙しいなか、柔らかい物腰で、ひとつずつ丁寧にインタビューに応えてくださいました。そんな清春さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり写真・森好弘、石井麻木清春PROFILE1968年10月30日、岐阜県生まれ。A型。1994年、「黒夢」としてメジャーデビュー。独創性あふれるパフォーマンスとメッセージ性の強い楽曲で人気を博すなか、4年間で突然の無期限活動休止を発表。1999年、「sads」を結成。2000年、ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)の主題歌となった「忘却の空」が大ヒットし、同曲を収録したアルバム『BABYLON』はオリコン1位を記録した。2003年、DVDシングル「オーロラ」で清春としてデビュー。2004年、「DAVID BOWIE A REALITY TOUR」大阪公演にオープニングアクトとして出演。2020年、自叙伝『清春』発売。2024年3月20日、ニューアルバム『ETERNAL』をリリース。InformationNew Release『ETERNAL』(収録曲)Disc-1(CD)01. Carnival of spirits02. SAINT03. RUTH04. ETERNAL05. 霧06. SWORD07. ロープ08. Interlude by DURAN09. 砂ノ河10. Interlude by タブゾンビ(SOIL&“PIMP”SESSIONS)&栗原健11. DESERT12. FRAGILE13. Interlude by 栗原健14. 狂おしい時を越えて15. sis16. 鼓動17. ETERNAL (reprise)2024年3月20日発売※収録曲は全形態共通。(通常盤)YCCW-10424(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)YCCW-10423/B(CD+Blu-ray)¥8,250(税込)*スリーブケース仕様。Disc-2(Blu-ray)「SAINT」Music Video、「ETERNAL」Music Video、「SAINT」Music Video Making Movie、『The Birthday』@恵比寿ガーデンホール (2022.10.30) 赤の永遠/アモーレ/グレージュ/悲歌/アロン/美学『下劣』@Zepp Shinjuku (2023.04.26) 少年/アモーレ/ガイア/妖艶/MARIA取材、文・かわむらあみり 写真・森好弘、石井麻木
2024年04月23日「Dining around Noto」「料理人としてできることはないか」と立ち上がった、能登地域のシェフ4名をゲストに迎えた6名のシェフたちによるコラボレーションディナー「Dining around Noto」。会場となった【Social Kitchen TORANOMON】には、その想いに賛同する多くの人々が集まっていました。この日の会場は虎ノ門ヒルズ ガーデンハウス1F、【Social Kitchen TORANOMON】実はこちらのイベントは、能登半島地震があった日の翌日に【Auberge"eaufeu"】の糸井章太シェフから【unis】の薬師神陸シェフへ「何かできることはないだろうか」と連絡があったことがきっかけとなったのだそう。元々お2人は料理学校での先生と生徒という間柄で、その信頼関係や密なコミュニケーションが、今回の発信力のあるイベントに繋がったご様子です。また、集まったシェフたちはみな“同世代”とのこと。日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35」を機に繋がった人たちが多いそうで、まさに、これからの食シーンを牽引していく存在の方々。熱い想いを持って集まった同志としての団結力や、北陸の未来へ向かっていくパワーが、場内に溢れていました。ゲストとシェフが一体となる、臨場感たっぷりの空間食を通し、未来へ繋げる、シェフたちの想い最初のアミューズは、6名のシェフによるフレンチ、イタリアン、洋食、和食の多様なコラボレーションプレート6名のシェフそれぞれの、今回のイベントにおいて考えていらっしゃった“想い”や、これからの未来へ向けての“メッセージ”を頂きました。当日イベント会場で、参加者の目の前で作られた北陸の食材を活かしたお料理とともにご紹介いたします。【Auberge"eaufeu"】糸井 章太シェフ1992年京都府生まれ。調理師専門学校を卒業後、フランスに留学。アルザスの3つ星レストラン【オーベルジュ・ド・リル】で研修を受け、帰国。【メゾン・ド・ジル 芦屋】、ブルゴーニュの1つ星【レストラン・グルーズ】を経て、2017年に帰国。2018年若手料理人コンテスト「RED U-35」にてグランプリ(RED EGG)を大会初の20代で受賞。2019年、経済誌Forbes Asia主催「30under30 Asia 2019」受賞。2022年、アメリカ・カリフォルニア州の3つ星レストラン【マンレサ】、【フレンチランドリー】で研修。2022年7月【Auberge"eaufeu"】シェフに就任。『能登猪のタコス』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。今回の企画は僕が陸さんに何か能登の応援ができる事をしたい! とお声掛けした事から始まりました。今回のイベントをきっかけに能登、石川の料理人や人々の事を知ってもらい、未来につながるキッカケになればと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。今回のイベントでゲストに僕から何かを伝えたいというより、ゲストの人達に能登、石川の料理人達の事をもっと知って欲しい。料理を通して、人々、風土、ポテンシャルを感じで欲しい。それが、復興そしてその先の架け橋になると信じています。【Villa della pace】平田 明珠シェフ1986年東京都生まれ。大学卒業後に料理の道へ進む。都内のイタリア料理店勤務の後、食材を探しに訪れた能登半島に惹かれ、2016年に七尾市に移住、レストラン【Villa della Pace】をオープン。2022年、七尾市中島町の塩津海水浴場跡地へと移転、宿泊施設を併設したオーベルジュへとしてリニューアル。ミシュランガイド北陸2021特別版において、一つ星、ミシュラングリーンスターを獲得。「RED U-35」2017 SILVER EGG , 2018 BRONZE EGG『菜の花のパスタ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。地震から3ヶ月(イベント開催時)が経ち、まだまだ大変な状況が続いてはいますが復旧が進んでいる地域や事業を再開させたり新しい取り組みを行っている人達もいます。料理を通して再び能登へ来てもらったり、これまで能登に来たことのない方たちにも足を運んでもらうきっかけを作りたいと思っています。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まず感じてほしいのは能登という土地が持つポテンシャルの高さ。豊富な食材や人と自然が共生する土地の美しさを知ってほしいです。しかし年々人口は減り、その中で今回の震災が起きました。地震の前に戻すというよりも、以前よりもより良い地域にならないと美しい景観は守れません。土地に根差した料理人としてこれからも活動していきますので、長い目で見て応援して頂ければ幸いです。【Restaurant Blossom】黒川 恭平シェフ1988年石川県生まれ。専門学校卒業後、京都のフレンチ懐石や、フランスの星付きレストラン、大阪【ラ・シーム】で腕を磨く。北陸新幹線開通を機に、七尾市にある両親が営む【レストランブロッサム】を受け継ぐべく帰郷しシェフを務める。「RED U-35」 2023 GOLD EGG , 2019 BRONZE EGG , 2018 SILVER EGG『能登の恵みハンバーグ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。まずは薬師神シェフと井口シェフが石川・能登の支援のため、このイベントを企画してくださった事に感謝しています。私の住む地域では、まだ飲める水が使えません。そんな中で、今回は、自由に料理ができる環境で、素晴らしい料理人の皆さんと共に料理が出来る事は本当に嬉しく思います。精一杯楽しみたいと思います!-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。コンセプトは「能登というダイニングテーブルをみんなで囲む事」。各参加者が持つ体験や感情は1人1人違う中で、お互いに支え合いながら前を向いて進んでいます。そんな私たちの想いをこのイベントでお伝えできればと思っています。【一本杉川嶋】川嶋 亨さん1984年石川県七尾市生まれ。短大で経営学を修了後、調理師専門学校を経て、大阪で修業を開始し、全国屈指の名割烹と知られた京都【桜田】など関西の名店を渡り歩き腕を磨く。料理コンテスト「食の都・大阪グランプリ」で総合優勝、2018年に若手料理人コンテスト「RED U-35」でファイナリストに選ばれ、ゴールドエッグを獲得。和倉温泉の旅館で料理長を歴任し、2020年、能登食材の魅力を伝えるべく【一本杉川嶋】を開業。「RED U-35」 2018 GOLD EGG『甘鯛真丈 新若布 木の芽』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。震災後、困っている人を料理で助けたい元気づけたい一心、無我夢中でずっと炊き出し配食を行っておりました。今回素晴らしい環境のもと、久々に日本料理を作ることが出来ること、仲間と共に料理を作れること、たくさんのお客様にお越し頂けることが凄く楽しみです。たくさんの笑顔が溢れる素晴らしいイベントになれば嬉しいなと思ってます。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。発災から3ヶ月が経ち、ニュースで取り上げられる回数はかなり減りました。ニュースで水が出ました、電車が復旧しました、お店が再開しましたと報道され、能登や七尾はもう再建していっていると間違った認識をされているのではないかといつも不安になります。もちろん復旧し再スタートしているところもあります。しかし現実はまだまだ何も変わっていないのです。瓦礫がどかされブルーシートしてあるだけです。私の自宅もお店も水は断水しております。お店の再開の目処はたっておりません。私が拠点としている七尾市と奥能登では全く状況は違いますし、同じ七尾市内でも状況は違います。お店を再開され今回一緒にイベントを行う平田シェフ、黒川シェフのお店には是非お越し頂き応援して頂きたいですし、どんどん経済を回して頂きたいです。と同時にまだまだ被災している人がいること、再建復興には10年20年それ以上まだまだ時間がかかることを知って頂きたいです。能登が震災にあったことを忘れてほしくはないです。もちろん被災されている方々はこのままでいいとは思っていないし、笑顔の奥には心が傷付いており本当は苦しい想いをされている方々がほとんどだと思います。みなさん必死に耐えているのです。だからこそ僕たち料理人の役割は大きいと思ってます。食は人を笑顔にし明日への生きる活力となるものだと思ってます。これからも茨の道が待ち受けていると思いますが、諦めず前だけ向いて一歩ずつ歩んでいきたいと思います。諦めなければ必ず能登は復興出来ると信じています。そのためには皆様のご支援やご声援がこれからもとても大切です。これからも能登の応援を何卒宜しくお願い致します。【TOUMIN】井口 和哉シェフ1988年兵庫県生まれ。大阪の調理師専門学校卒業。【タテルヨシノ銀座】、【ル・コントワール・ド・ブノワ】、【ミッシェル・ブラストーヤジャポン】で修行を積む。その後、【ビストラン エレネスク】のシェフとなる。2019年にコスメブランドTHREEが運営する野菜がご褒美となる料理を展開する【REVIVE KITCHEN AOYAMA】のシェフに就任。野菜を中心としたクリエイションを届けている。2023年10月に東京・西麻布【TOUMIN】をオープン。「RED U-35」で2016 SILVER EGG , 2017 SILVER EGG『白海老のフリットと川端蓮根』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。薬師神シェフから石川県のシェフたちと未来に繋がるイベントをしよう! と声をかけてもらい参加させていただきました。今回使わせていただいた石川県の食材はどれも本当に美味しく、また生産者さんも出来ることがあるならなんでもやりたいです! と皆さんエネルギッシュな方ばかりでした。そんな想いのこもった食材やお酒を楽しんでいただき今回のイベントをきっかけに石川県に足を運んでいただけるよう、また今回限りでなく継続して魅力を伝えていけるようにこれからも連携しあっていきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。石川県のシェフや生産者さんと連携を取り合うなかでまだまだ万全な状態で料理するには程遠いと改めて実感し、ふとコロナ禍を思い出しました。当時働いていたお店は半年近く通常営業ができず料理人としては早く全力で料理がしたいと強く思っていて、なので今回はシェフの皆さまと思い切り料理する瞬間をゲストの方々と一緒にテーブルを囲み、料理を通して石川県の魅力・エネルギーを楽しんでいただきたいです。【unis】/Social Kitchen ディレクター薬師神 陸シェフ1988年愛媛県生まれ。2008年辻調理師専門学校を卒業。同校フランス料理講師としてスタートし、教育指導・テレビ料理監修・雑誌制作などにも携わる。その後、2014年予約困難なレストラン【SUGALABO】の立ち上げからシェフとして国内外を飛び回り、日本の素晴らしい食にまつわるコンテンツをシェアするため料理を振る舞う。2020年12月より虎ノ門ヒルズ【unis】シェフ、2021年1月より「Social Kitchen TORANOMON」ディレクターとして活動。日本で唯一のカリナリープロデューサーという肩書きで“食のリテラシーを磨く”をコンセプトに、新しい料理人の在り方や企業・社会とのレシピ・商品開発にも意欲的に取り組み、新たな食体験の提案を続ける。「RED U-35」 2015 SILVER EGG , 2017 GOLD EGG『ころ柿と焙じ茶のグラス福みりんのメレンゲ』-今回の企画に携わることへの想いをお聞かせ下さい。「復興」「チャリティー」というニュアンスではなく、「新しく生まれ変わる」ための築きになればと思い、今回東京・虎ノ門という場所で多くの方が集まりやすく、今後につながる出会いになればと思い企画しました。当初の見込みの倍の人数のご予約を頂戴し、お客様皆さんの「何かしたい」というメッセージを受け止め、お料理を通じて還元していきたいです。-その他、想いやメッセージをお聞かせ下さい。まだ能登の一部の地域では、全く手付かずで自衛隊やボランティアも撤退するような状況もあります。そんな中、いつも炊き出しを率先している七尾のシェフ達が、「いつも通りに料理ができる環境」をやはり作りたく、料理を通じて感じていただける事を大切にしたい。シェフ1人1人のストーリーを感じてもらいたいと思っております。未来への想いを込めて本イベントが行われたのは、一夜限り。ですが、今回限りで終わらせることなくこれからも継続的な繋がりを考えていらっしゃること、そしていつかは能登でも「Dining around Noto」が開催できれば、との話が出ていました。シェフそれぞれのお話を伺っても、この日だけではなく“北陸の未来”を見据えていらっしゃるご様子がとても印象的。今後も益々目の離せない6名のシェフとお店、そして“北陸の未来”に、日々思いを巡らせずにはいられないでしょう。「Dining around Noto」に集まった、料理人の皆さまVilladellaPace【エリア】七尾周辺【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】15000円【ディナー平均予算】30000円Auberge “eaufeu”【エリア】小松市【ジャンル】オーベルジュ【ランチ平均予算】20,000円 ~ 29,999円【ディナー平均予算】30,000円 ~unis【エリア】虎ノ門【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】40000円【アクセス】虎ノ門ヒルズ駅 徒歩2分TOUMIN【エリア】西麻布【ジャンル】フレンチ【ランチ平均予算】-【ディナー平均予算】35000円【アクセス】乃木坂駅 徒歩10分
2024年04月22日【音楽通信】第155回目に登場するのは、音楽活動でも俳優活動でも、デビューから約30年の間ずっと第一線で活躍し続けている、及川光博さん!子どもの頃から振り付けしてステージに立っていた【音楽通信】vol.155ミュージシャンとしても、俳優としても、第一線で活躍し続けている、及川光博さん。1996年にアーティストとしてデビューして以降、そのキラキラとした存在感と王子様のような佇まいから、「ミッチー」という愛称とともに人気を博してきました。毎年のアルバムリリースや全国ツアー、さらに1998年には俳優活動をスタート。ドラマや映画などでもその姿を見ない日はないほど、ひっぱりだこなのは周知の通りです。そんな及川さんが、2024年4月24日に20作目となるアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされるということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼少時は、どのような音楽環境でいらっしゃいましたか。子どもの頃は、アニメや戦隊ヒーローの主題歌を夢中で歌っていましたね。原体験としては、商店街の夏祭りのステージを覚えています。のど自慢大会のような催しがあって、そのステージで子どもながらに、バックダンサーを従えて歌っていました。5、6歳のときから、近所の子どもたちに振り付けをレクチャーしていたんです。――すでにエンターテイナーとしての才能が垣間見えていたんですね。ほめられるのがうれしくて。学芸会でも主役を演じましたね。小学校も高学年になると、『ザ・ベストテン』(TBS系 1978〜1989年)に代表される歌番組を当時はよく観ていて、沢田研二さん、郷ひろみさん、田原俊彦さんといった歌手の方が歌って踊る姿に夢中になりましたから。そして中学からは洋楽が大好きになって、マイケル・ジャクソンやプリンス、ロックバンドの洋楽を聴くようになって、いよいよ自分でもバンド活動を始めました。さらに、中学のときは演劇部だったこともあって、毎年学園祭のステージに立つようになりました。演劇部は高校でも入っていて、大学時代は俳優養成所に通いつつ、バンドざんまいの日々。ライブハウスで歌い小さな舞台にも出演していました。いま54歳なんですが、ほぼ40年間、音楽とお芝居をやっています。――どちらかのジャンルに偏ることなく、当初から表現すること、エンターテインメントがお好きだったのですね。そうです。音楽もお芝居もひっくるめたエンターテインメントをずっと愛し続けています。――1996年5月にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビューされ、1998年4月にはドラマ『WITH LOVE』で俳優活動も開始されました。デビューのきっかけは、アーティストでも役者でも、どちらでもよかったんですよね、いま思えば。チャンスをいただけて、本当にありがたかったです。駆け出しの頃は、よくも悪くも目立つことを意識していましたし、ナルシスティックな、キャラクター性を前面に打ち出すプロデュースをしていました。それで「王子様」のイメージで認知されて、ステージではバラの花を投げたりくわえたり、少女マンガ的な演出をしていましたね。――ではご自身で曲を作りたい、歌いたいと思われて、音楽制作を始めたのはいつ頃に?高校時代から、曲は自分でギターを弾きながら作っていました。80年代後半はバンドブームだったし、ミュージシャンに憧れました。ですが、高校生の頃は洋楽のダンスミュージックを演奏できるほどの技術はなかったんです。大学に入ってからは、ファンクやソウルといった演奏技術を必要とする音楽に目覚めていって。ちょっと自慢になっちゃうんですが、アマチュアバンドコンテストで優勝したこともあって。そんな成功経験も含めて、どんどんプロデビューを意識するようになりました。――アーティストとしても毎年リリースとツアーを欠かさず、俳優としても毎年連続ドラマにご出演されて、歌もお芝居も第一線で続けていらっしゃるのはすごいことですね。本当ですか?まあ、福山雅治さんか僕ぐらいじゃないかな……冗談ですよ(笑)!? どちらも自分の中で当たり前のことになっていますね。肩書きはどうであれ、二足のわらじこそ、私の職業という意識で続けています。――俳優業では、とくに『相棒 Season8』の2代目相棒・神戸尊役や、近年は『半沢直樹』の渡真利忍役といった大ヒットドラマが強く印象に残っている方も多そうです。ありがとうございます。ただ、たとえば『半沢直樹』にしても、最初から大ヒットドラマになるなんて想像もせず参加した作品。その都度、チャンスをいただいたら、欲張らずにコツコツと続けて、信頼と実績を重ねていくだけなんです。どんな仕事でも真摯に向き合っていれば、おのずと結果は出ますし、それが未来につながっていくのだと思っています。――俳優業でいえば、ヴィム・ヴェンダース製作総指揮による及川さんの初主演映画『クローンは故郷をめざす』(2009年公開)も印象深いです。文学的な作品ですよね。監督に熱烈にオファーされて出演したのですが、SFでありながら哲学的な物語でもあり。大変な撮影でしたけども、初主演作で初めて国際映画祭にお呼ばれもして(2006年度のサンダンス・NHK国際映像作家賞も受賞)、僕も印象深いです。新作は「何も考えずに楽しめるポップな作品」――2024年4月24日にアルバム『DON’T THINK,POP!!』をリリースされます。ご多忙のなか、いつごろから制作されていたのですか。アルバムは、昨年の9月頃から約半年の制作期間で作りました。とはいえ制作中も、ドラマ出演や映画の撮影をしていましたから、相当働いていると自負しています(笑)。昨年はアルバムをリリースしなかったので、そろそろ作らねばと。今回は、何も考えずに楽しめるポップな作品にしたいと思いました。やっぱりビート自体が楽しいものですし、ファンクや歌謡曲などいろいろなサウンドがありますが、音楽って本当に楽しい。20枚目のアルバムですが、まだまだ飽きないんですよね。あらためて、デビューできてよかったです。――とてもバイタリティにあふれていらっしゃって、ご多忙でも疲れることはないですか?疲れますよ(笑)。精魂込めて楽曲を作るために長時間集中しますし、レコーディングで歌い続ける体力も気力も限界はある。当然疲れるんですが、創作の高揚感と達成感のほうが大事。生きててよかったと思えるんです。完成した喜びは、かけがえのないもの。たとえば、中学や高校だったら3年で卒業という区切りがありますが、アルバム制作だとそれを作品ごとに味わえるといいますか。このアルバムを主軸としたツアーもあるので、毎年、毎作品ごとに思い出を心に刻んでいけるのが、僕の人生のいいところです。本当にファンの方やまわりのスタッフがいてこそ成立することなのですが、アルバムを出してツアーができるという、生きた証しを毎年発表できることがすごくうれしいですね。――このアルバムのタイトル『DON’T THINK,POP!!』は、一番表現したいことになりますか。そうです。なんか考え込んで内省的になったとて、未来はあまりいい方向に変わらないなと。僕はパリピじゃないので「DON’T THINK」といっても、感覚を研ぎ澄ませようよ、というニュアンスが大きいんです。そしてポップス主体のアルバムなので、弾けようという、ダブルミーニングですね。――アルバムのリード曲「Amazing Love」は、キャッチーでファンクで軽快な楽曲で、大人の恋心を歌っています。どのようなことを意識して歌詞を書かれましたか。これはネガティブからの逆ギレですね。Aメロの歌詞に書いている「もう人間やめたい」という心境から、いかに人生を謳歌するかという歌。恋愛に引っかけて書いていますけれども、自分で何か崇拝の対象、救いとなるものを見つけることが大切だというメッセージも込めていたり、込めていなかったり(笑)。世の中に“推し活”という言葉がありますが、推しの存在が生きる原動力になったり、辛いときの支えになったりしますよね。自分にとっての救いとなることを見つけようと、歌詞にも「救世主 Baby」と書いたのですが、それは世界を救う主ではなく、一人ひとりの毎日の救いのことを歌っています。救いがないと頑張れないじゃないですか。生きづらい世の中で、希望の光を見失わないようにという思いを込めて作りました。――「Amazing Love」では、ご自身初のアニメーションを駆使したミュージックビデオも制作されていますね。そう。“ミッチー”という概念でイラストを描いてもらいまして。3次元の2次元化が初めてなので、すべてお任せで作っていただきました。ツアーグッズにも展開しようと思っているので、ベイベーたち(ファンのみなさんたち)の反響も楽しみですね。――作詞と作曲を手がけていらっしゃる3曲目「敏感・センシビリティー」は小気味いいサウンドで若い世代への応援歌の側面も感じられます。ビートに言葉を乗せるため、英語に聴こえる日本語をちりばめた歌詞になっています。サウンドは、ブラスセクションとリズムセクションが主役。ストレートなファンクですね。サビの歌詞にある「悔やむよりも先に飛べ!」ということをもっとも伝えたい。限られた時間の中で、どう生きたって後悔は残るけど、それでも後悔しないようにいまを生きるべしというメッセージです。――続く4曲目「デジャヴと紫陽花」は、爽やかさとムーディさも感じます。シティポップの要素も入れて、叙情的でポエトリーな1曲になりました。――5曲目「恋の嵐」は恋が始まりそうなワクワク感と勢いのある、ポップで明るい楽曲です。これはアニソンを意識して作った楽曲で、たとえば女子アイドルグループとコラボできないかなとぼんやり考えながら作りました。さらに昭和の歌謡曲に対するリスペクトの思いもところどころに込めつつ。――メロディがどことなく懐かしい感じがしました。そうでしょう?どことなく松田聖子ちゃんぽい感じも入れていて。――6曲目「みず色ワンピース」は、歌詞に「ミッチーのワンマンショーに行くんでしょう?」と、パートナーがミッチーファンで、ジェラシーがありつつも包容力がある男として送り出すという視点の歌詞が面白いです。自分でも歌詞を書いていてニヤニヤしていたと思います(笑)。僕、歌詞を書くときはだいたい手書きで情景をイメージしながら書くので、この曲もニヤけていたかなと。僕のショーに参加するベイベーたちの彼氏の気持ちを初めて書いてみました。なぜかその気持ちを“ミッチー”が歌っているというパラドックス(笑)。僕の歌詞って、1曲まるまる聴かないと、ストーリー展開が読めないものが多いですね。――すべての楽曲において及川さんが作詞されていますし、楽曲作りもされることもありますが、そもそもどのように曲を仕上げているのですか。まずサビのメロディと歌詞を思いつくことが多いですね。お風呂でシャンプーしているときに思いついたりして(笑)、そこからストーリーを展開していく。そんな書き方ですね。ボイスレコーダーに歌って吹き込むとか、そんなハイテクなことはせず、浮かんだメロディや歌詞はギターを弾きながら、ノートやルーズリーフなどに手書きしていくんですよ。――インスピレーションがふっと降りてくるんですね。うん。でも、締め切りがなかったらいつまでもできないかな(笑)。あとは毎日を生きていて感じたことや見た景色、それからよくも悪くもメディアで気になったニュースがミックスされていく。歌詞はなるべくポジティブなワードに変換して、アウトプットするという感覚です。――7曲目「Dream Maker」はアッパーなロックサウンドです。ハードロックに乗せて、男のバカバカしいほどの情熱を歌っています。主人公がダイエットしたり、髪型を変えたり……なんとか女子のハートを射止めようとする恋心ですね。説明するほどの曲じゃないです(笑)。――ははは(笑)。8曲目「神サマお願い」はストレートに平和を歌っていらっしゃいますね。1曲ぐらいはしっかりと伝えようと。いつも人を笑顔にしたくて、歌って踊っているんですけども、この曲は珍しく怒りや嘆きを表現していますね。これはミッチーというよりも、及川光博個人の戦争やいじめに対する思い。ひねりをきかせず、まっすぐに思いを綴りました。――一変して、9曲目「フライドポテト<未来編>」はコミカルで元気になれる歌詞と楽曲です。おまけの曲ですね。気になった方は、前作『気まぐれサーカス』を聴いてみてください。その続編となっています(前作に「フライドポテト」という曲が収録)。基本はとにかく楽しんでいただきたいので、聴いて笑顔になってくれたらいいなと思って作っています。またそれをステージで表現するときは、心の充足感や開放感を感じていただけたらと全力を尽くしています。――収録曲の「Amazing Love」「Dream Maker」は、初回限定盤盤に付属するDVDとして、ダンスの振りを教える「流星光一郎」先生(及川さんが演じるダンサーキャラ)のミュージックビデオもありますね。流星先生は、1997年くらいからいるんですよ(笑)。だから、僕と同じくらいのキャリアで、ベイベーのみなさんも一緒に踊れるよう、振り付けのレクチャーをしています。流星先生は性別を超えたキャラクターで、もともとは確か『パパパパPUFFY』(テレビ朝日系 1997〜2002年)で、PUFFYのふたりに振り付けを教えるコントから生まれました。僕はソロで活動しているので、みなさんを飽きさせないように、いろいろなキャラクターを生み出しているんですよ(笑)。――ずっとアイデアがあふれて、工夫をされてきているのですね。それは俳優業においても感じることがあります。どこかで作り手側の視点を持っているので、演じている被写体ではあるんだけれども、台本を読んでどうしたらもっとこのシーンが面白くなるか、監督の要求に的確に答えられるかを考えて、工夫する。面白いですよ。逆にアーティストとしては、自分が何をやりたいか、どう表現したいかが最優先です。――表現することにおいて、音楽とお芝居の切り替えもさほど意識することはなく?音楽の表現ではわがままですし、主義主張ありきです。ドラマや映画の現場に行ったら、監督やプロデューサーの言うことをよく聞きますね。意識して切り替えるというよりも、役割。おそらく僕は、作品作り自体が好きなんです。ときどき本当に趣味なんだか仕事なんだかわからなくなる瞬間がありますね。――2024年5月3日からは「及川光博 ワンマンショーツアー2024『DON’T THINK, POP!!』」が開催されます。ツアーは毎年欠かしたことがないんです。勤勉でしょう(笑)?楽しいから続けられます。これから演出を考えていきますが、華やかな衣装を着て、よく踊りよくしゃべるステージになると思います。2024年という1年を忘れられないものにすべく、全力を尽くすのみですね。毎年ツアーをして、それがライブ映像作品にもなりますし、デビューして以来、ちゃんと生きている実感が常にあります。うれしいですね。ちなみに毎回、ワンマンショーでのテーマカラーを決めているのですが、2024年はスカイブルーです。ベイベーたちも、毎年のテーマカラーに沿ったコーディネートでおしゃれしてコンサートに来てくれるんです。みなさんもぜひ、水色コーデで遊びにきてください!アーティストとして長く続けることが目標――お話は変わりますが、お休みのときはどんなふうに過ごしていますか。友人と飲んだり食べたりするぐらいです。休みといっても、洗濯したりアニメ鑑賞したりしていると1日はあっという間に終わるので、仕事のために疲れを取るのがメインですね。もしも長期で休みが取れたら、もっと別のこともできるんでしょうけど。結局は、休みの日でもマネージャーから連絡が来ますし、休みではないと(笑)。――そのお忙しいなかでクオリティの高い作品をいつも届けていらっしゃるというのは、やはり基本的にお仕事がお好きなのですね?お好きです(笑)。生みの苦しみや撮影のハードスケジュールなどがあっても、やりきって完成してしまうと、喜びに変わるんです。――及川さんのように生き生きとエネルギッシュに毎日を過ごすために、何かアドバイスをいただけますか。とにかく笑顔を意識することですね。楽しくなくても、口角を上げる。とはいえ、作り笑顔で生きるわけではないですよ。笑顔で人と対することによって風向きは変わりますから。空気が穏やかになり、交渉もしやすくなるんです。不愉快な思いをする確率が減るので、笑顔を心がけることは大事。あとは自分の欠点を意識すると、大きなミスを生まないです。自分の欠点を意識して行動することによって、周囲に迷惑をかけないことが大事。そうすると、必然的に信頼されて、人脈も広がる。結果、生き生きと過ごせるのではないかと思います。――いつもスマートな印象の及川さんですが、健康で過ごすためにライフスタイルで気をつけていることはありますか。糖質の摂りすぎ、ですね。年を重ねるごとに健康を意識しますが、ジムに通ったりもしないので、食事に気をつけるくらいですよ。あとは本当にステージでは2時間から3時間踊っているので、そこである程度鍛えられているんだと思います。――音楽活動は2024年で29年目となり、30周年も間近です。アーティストとして、そして個人的な今後の抱負を最後に教えてください。アーティストとしては、とにかく長く続けることが目標です。これが一番の野望ですね。ずっと音楽には関わっていきたい。そして個人的には、ゆとりを持ちたいです。いつまでたっても中学生みたいなことを考えてバタバタ働いているので、年相応の大人のゆとりを身につけたいな。――どのあたりが大人じゃないんですか?それは……いつまでたっても清濁の濁を呑みこめないところでしょうか。大人なら清濁併せて呑めないといけないのに、50代になっても未熟だな、青臭いなと思います。――そこも魅力なのかもしれないですよね?そう言っていただけるとありがたいんですけども、もうちょっと大人の色気や円熟味を出したい。「渋い」って言われたいですね(笑)。取材後記涼しげな瞳でスタイリッシュな印象のある、及川光博さんがananwebに登場。取材の日はよいお天気だったものの東京に強風が吹いていた日で、ご挨拶してすぐに「風が強かったけど、大丈夫でしたか?」とお気遣いをしてくださる及川さん。なんと紳士的で素敵なミッチー!ジャンルレスにご活躍されているのは、そのお人柄も関係あるのだろうなと思いました。そんな及川さんのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!取材、文・かわむらあみり及川光博PROFILE1969年10月24日、東京都生まれ。蠍座。B型。1996年にシングル「モラリティー」でアーティストとしてデビュー。独自の音楽性とその個性が注目を集め、1998年にドラマ『WITH LOVE』で俳優活動をスタート。以後、多くのアルバムリリースや毎年全国ツアーを行うとともに、ドラマ、映画、CMなどで活躍し、現在に至る。主な出演作に、ドラマ『白い巨塔』(2004年)、『相棒』シリーズ(2009〜2012年)、『半沢直樹』(2013年・2020年)、『グランメゾン東京』(2019年)、『ドラゴン桜』(2021年)、『最愛』(2021年)、『霊媒探偵・城塚翡翠』(2022年)、『女神の教室 〜リーガル青春白書〜』(2022年)、『御手洗家、炎上する』(2023年)。映画『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』(2015年)、『七つの会議』(2019年)、『引っ越し大名!』(2019年)、『桜のような僕の恋人』(2022年)ほか。2024年4月24日、ニューアルバム『DON’T THINK, POP!!』をリリース。5月3日より全国を巡るワンマンショーツアー2024「DON’T THINK, POP!!」スタート。InformationNew Release『DON’T THINK,POP!!』(収録曲)01. DON’T THINK,POP!!02. Amazing Love03. 敏感・センシビリティー04. デジャヴと紫陽花05. 恋の嵐06. みず色ワンピース07. Dream Maker08. 神サマお願い09. フライドポテト<未来編>2024年4月24日発売*収録曲は全形態共通。(通常盤)VICL-65958(CD)¥3,300(税込)(初回生産限定盤)VIZL-2309(CD+DVD+Photobook)¥5,720(税込)(セブンネットショッピング限定セット)00THN-42213¥9,900(税込)※初回限定盤+特製お弁当箱「DON’T THINK, EAT!!」(セブンネット限定特典:アクリルキーホルダー)【Blu-ray収録内容】※初回限定盤のみAmazing Love[Music Video]/ Let’s DanceAmazing Love / Let’s DanceDream Maker取材、文・かわむらあみり
2024年04月18日配信プラットフォームの普及もあって、新作・旧作を問わず、スマホで映画を鑑賞することがごく当たり前の日常となった。それは善し悪しの問題ではなく、もはやスタイルである。それでも「絶対に映画館のスクリーンで観なくてはいけない映画がある――」。映画宣伝プロデューサーの岡村尚人さんは、そう言葉に力を込める。このたび、日本で初となる一挙上映が実現したセルジオ・レオーネ監督×クリント・イーストウッド主演「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)。その企画者であり、宣伝プロデューサーを務める岡村さんのインタビュー【後編】をお届け。36年におよぶ宣伝マンとしての歩みと共に、レオーネの映画をスクリーンで観ることの素晴らしさについて熱く語ってくれた(インタビュー【前編】はこちら)。「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ること」――『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』という社会現象にまでなったメガヒット作品の宣伝に携わってきた岡村さん。所属していたメイジャーの宣伝部解散に伴い、映画会社ムービーアイに移籍し、ここでもさまざまな作品の宣伝を担当するが、映画業界をとりまく厳しい現実を目の当たりにすることになる。2005年にムービーアイに入社し、そこでも多くのいい作品に関わらせてもらいましたが、2009年に残念ながら倒産してしまいました。以前『ラストエンペラー』や『アマデウス』といった名作を配給した松竹富士がなくなってしまった時、映画ファンとして「映画会社ってなくなるものなんだ…」と驚き、悲しくなりましたが、それを我が身で痛感したのが2009年でした。会社がなくなって、どうしようかと思っていたら、ちょうど2010年から「午前十時の映画祭」という企画が始まることになって、その事務局を立ち上げようとしていたのが、以前『もののけ姫』の宣伝プロデューサーだった矢部勝さんで、矢部さんから「午前十時の映画祭」の事務局に誘っていただいたんです。いまでこそ昔の映画を映画館で観ることが自然になりましたけど、「午前十時の映画祭」が始まった当時は「え? だってこのラインナップ、全部DVDで見られるじゃん。何で映画館でやるの?」という反応が多かったんです。でも、映画祭の企画プロデューサーで、かつて東宝の宣伝部長もされていた中川敬さんが「今重要なのは、昔の優れた作品を映画館のスクリーンで観ることだ」とおっしゃって、それは本当に素晴らしいことだと思いました。私は「午前十時の映画祭」の10回目まで事務局でお世話になったんですが、それと並行して宣伝プロデューサーとして他の企画にも関わっていました。最初はウィリアム・フリードキン監督の『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】の日本初公開です。『恐怖の報酬』が1978年に日本公開された時、「これはすごい映画だ」と思ったんですが、この超大作の上映時間がたった90分なのはどう考えてもおかしいと感じていたんです。その後、フリードキンがインタビューで「本当は2時間あったけど、北米以外では90分に切られた」と話しているのを読んで、以来ずっとこの作品のことが頭の隅にありました。『恐怖の報酬』【オリジナル完全版】(C) MCMLXXVII by FILM PROPERTIES INTERNATIONAL N.V. All rights reserved.業界で働き始めてからもずっと気になっていて、2009年に知り合ったキングレコードの長谷川英行さんとも「『恐怖の報酬』の完全版、何とかできないか?」と話をしていたんです。そして遂に2013年にヴェネツィア国際映画祭で4Kリマスター版が上映されて、その後も長谷川さんにずっと動きを追ってもらっていたんですが、キングの国際部の方がスペインのシッチェス映画祭に行った時、そこで知り合いと話しをしていて、個人的にフリードキンを紹介してもらえることになったんです。確かそんな流れでした。ウィリアム・フリードキンPhoto by Stephane Cardinale - Corbis/Corbis via Getty Imagesそうしたら、フリードキンからメールが来て「この作品はすごく大事なので、よほどのことがないと権利は出さない」と言ってきたそうなんですが、長谷川さんが腹を決めて「我々は本気だ。ちゃんと劇場公開するし、パッケージも出す」と伝えたら、フリードキンは「わかった。それなら出そう」と納得してくれたそうです。この作品をなんとかしたい、と言い出したのは私でしたが、長谷川さんとキングレコードの皆さん、そして配給のコピアポア・フィルムのおかげでオリジナル版を初公開することができ、興行的にもヒット、作品の名誉回復に繋がったことが何よりうれしかったですね。TVやスマホではなく、スクリーンで観るべき作品――続いて、岡村さんが手がけたのが、セルジオ・レオーネ監督作で、原案にはダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチが名を連ねる西部劇『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の完全版の上映だった。『恐怖の報酬』の成功で調子に乗りました(笑)。この作品も日本で最初に公開された1969年当時は『ウエスタン』というタイトルで短縮版での上映だったんです。2時間45分の完全版をどうにかしてやりたいと思って、あちこちに声をかけて実現することができました。初日の丸の内ピカデリーはかなりの盛況で、上映後に拍手が起こりました。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(C) 1968 BY PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. ALL RIGHTS RESERVED.――岡村さん自身、その機会に同作のリマスター版をスクリーンで観たが、劇場のスクリーンで観るからこそのさまざまな発見があったという。家のテレビやスマホで見ても面白い映画はたくさんあります。例えば『ローマの休日』は名作ですし、もちろん映画館で観るのが一番だと思いますけど、じゃあTVのサイズで見たらその魅力が大きく損なわれるかというと、実はそうでもないと思います。なぜならあの映画の魅力の中心はオードリーとグレゴリー・ペックで、撮影ではないから。でもレオーネの映画はスクリーンで見ないとダメなんです。なぜかというと、画面のレイアウトがスコープサイズ仕様になっているから。レオーネの映画ほど考え抜かれた構図やフレーミングの映画って滅多にないんですよ。60年代だと市川崑監督の『雪之丞変化』のスコープ撮影も素晴らしかったですけどね。ベルトルッチの『ラストエンペラー』もそうですけど、“空間”をカッコよく表現する映画監督っているんですよ。レオーネはその筆頭だと思います。『夕陽のガンマン』(C) 1965 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved――その後、コロナ禍が世界を覆い、さらには円安も相まって海外作品の買い付け自体が非常に難しい状況になる。そんな中、岡村さんはレオーネ監督×イーストウッド主演の『夕陽のガンマン』を何とかできないかと考えていたが…。『夕陽のガンマン』は「午前十時の映画祭」でもやっていなかったので、権利だけでも押さえておけないかと考えました。ところが円安がさらに進んで「これはもう高くてちょっと手が出せないな」と思っていたんです。そうしたら、ムービーアイの元同僚で『ワンス~イン・ザ・ウェスト』も配給してくれたアーク・フィルムズの上野廣幸さんが、「どうせなら『夕陽のガンマン』だけでなく、3部作全部やろう」と言ってくれたんです。資金調達には上野さんのお知り合いの方々が協力してくれて、今回非常に感謝しています。ただ『荒野の用心棒』に関しては、日本での上映権を有しているのが「黒澤プロダクション」なので、私たちの企画意図をご説明し、上映権をお借りすることが出来ました。他の2作品に関しては、旧作上映の窓口になっているイギリスの代理店を通じて権利元MGMと交渉し、日本での上映権を取得。今回、日本で初めて“ドル三部作”の一挙上映を行なうことになったわけです。「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」本気の宣伝は人の心を打つ――岡村さんにとっては、映画の世界への引き込まれるきっかけとなった作品であり、宣伝にかける思いも並々ならぬものがある。今回のチラシやポスターの文言は、全て自分で考えました。チラシに「面白くてカッコいい映画の原点にして頂点、それが《ドル3部作》だ」と書きましたけど、この言葉が全てですね。売り文句、宣伝文句というよりも、私の本心です。世の中には面白い映画、立派な映画、すごい映画はたくさんありますけど、「面白くてカッコいい」映画、しかも3部作全てが面白くてカッコいい映画があるかと言ったら、実はこの“ドル3部作”以外に思い付かないんですよ。いいやそうじゃない、という人がいても構わないんですが、自分にはやはりこの3本しかないんです。今回の宣伝は、いま見て「カッコいい」と思ってもらえなきゃダメだという意識でやっています。ポスターの写真やロゴも、往年のマカロニ・ウエスタンのファンが「懐かしい」と思うようなものじゃなく、今の若い人たちにも響くようなデザインにしたつもりです。その一方でチラシの宣伝のコピーに関してはいつ観ても傑作 『荒野の用心棒』誰が観ても傑作 『夕陽のガンマン』どこから観ても傑作『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』バカみたいでしょ(笑)。宣伝としては禁じ手です。その映画が傑作かどうかを決めるのはお客さんですから。それでも言い切ったのは、自分自身が本当にそう思っているからです。こいつバカかと笑われても、今回はいいやと思いました。自分に嘘はついていません。いま、若い宣伝プロデューサーにアドバイスするとしたら、「ポスターとチラシと予告篇は本気で作れ」ということですね。私自身、考え方がヌルい時もあったから分かるんですけど、本気で考え抜いて作ったビジュアルやキャッチは、やはり人の心を打つんですよ。必ずお客さんに伝わると思います。――最後に、これから映画業界を志す人たちに向けて、岡村さんはこんなメッセージを残してくれました。自分の経験を振り返ると、仕事って人と人とのつながりの中から生まれてくるんです。それはどの業界でも同じだと思います。相性の悪い人もいれば、相性ピッタリの人もいるけれど、まずは人間関係を大切にしてほしいですね。そして出会った人たちの中から、仲のいい友人や同僚、尊敬できる先輩を見つけてほしいと思います。年下の人でも面白い考え方を持つ人はたくさんいます。いろんな人から学び、吸収することを、仕事をする喜びにしたいですね。岡村尚人 氏人とのつながりを大切にしていれば、何かあった時に「あぁ、あいつがいたよ」という感じで思い出されて仕事が回ってきますよ。自分もずっとそうやって周りの人たちに助けられてやってきました。世の中、本当に想像もつかないことが起こりますからね(笑)。『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日何ともカッコいい若き日のクリント・イーストウッドのポスターの前で、36年におよぶ映画宣伝マンとしての歩みを語ってくれたのは、岡村尚人さん。このたび、日本で初めて一挙上映されるセルジオ・レオーネ監督×イーストウッドの「ドル3部作【4K】」(『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』)の宣伝プロデューサーであり、企画者である。中学時代にTVで視たイーストウッドのマカロニ・ウエスタンで洋画に目覚め、大学卒業後に映画業界に足を踏み入れ、スタジオジブリの『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』をはじめとする数々の話題作の宣伝に関わり、昭和、平成、令和の映画業界を歩み続けてきた岡村さん。今回の“ドル3部作”の一挙上映実現に至るまでの道のりを貴重なエピソードを交えながら、たっぷりと語ってくれた。映画業界での仕事の始まり、宮崎駿監督作品の宣伝への参加――話題のドラマ「不適切にもほどがある!」で、主人公は1986年(昭和61年)からタイムスリップしてくるが、岡村さんがこの業界で仕事を始めたのは、ちょうど同じ年のこと。学生時代は映画研究部にいて、映画ばかり観ていました。で、卒業する段になって「就職どうしようか」と思い、映画会社の新卒採用に応募したんですが、まるで引っかからず。そんな時、洋画配給のヘラルド(※当時は日本ヘラルド映画株式会社)に電話したらバイトなら募集しているというんです。ちょうど『サンタクロース』(1985年)という洋画の大作があって、幼稚園に行って前売券を売ってくるという仕事でした。それでもいいと思ってヘラルドに入れてもらい、都内各地の幼稚園を廻っては、先生や園児たちの前でサンタクロースの格好をして宣伝をし、券を売りました。その時へラルドで、映画の前売券を扱うメイジャーという会社の人たちと知り合いました。いま、代表取締役をしている西牧(昭)さんと佐川(慎二)さんです。1986年の年始まで3か月ほどヘラルドにいた後、西牧さんから「そんなに映画好きならうちに来る?」と声をかけてもらいました。当時のメイジャーの営業部は、プレイガイドや大学生協などに映画の前売券を卸す仕事です。何でもいいから映画に関わりたいという気持ちだったので、すぐに「やります」と応え、入れてもらいました。それから2年間、営業部でアルバイトとして働いていたんですけど、当時メイジャーには宣伝部もあって、そこのボスが徳山(雅也)さんという『宇宙戦艦ヤマト』劇場版の宣伝プロデューサーだった人でした。他にも東映のアニメーションの仕事を次々と受けていて、宮崎駿(※崎=たつさき)監督の『風の谷のナウシカ』も担当していたんです。TVシリーズの「未来少年コナン」や『ルパン三世 カリオストロの城』で、私は宮崎作品の大ファンだったんですが、「アニメージュ」で連載していた「風の谷のナウシカ」を映画化したのが1984年で、大学4年生でしたが、初日に朝一で観に行きました。メイジャー宣伝部は『風の谷のナウシカ』の後、1986年には次の『天空の城ラピュタ』の宣伝に取り掛かっていて、「この宣伝部すごいな。自分も宮崎アニメの宣伝やりたいなあ」と思い、営業で2年働いた後、メイジャーの社長と徳山さんに直訴して宣伝部に入れてもらいました。それが1988年ですね。当時の宣伝部ではアニメ作品だけでなく、官能映画もたくさんやりましたよ。『エマニエル6 カリブの熱い夜』(※『エマニエル夫人』シリーズ6作目)とか『CODE90 愛欲指令』、『欲望という名の女』とか、そんなのもう誰も覚えていませんね。で、スポーツ紙や週刊誌の編集部に足を運んで「官能大作の資料持ってきました。ぜひ載っけてください」とお願いするんです。あの頃はまだ「トゥナイト」や「11PM」といった深夜番組でもそんな官能映画を紹介してくれていました。ドラマ「不適切にもほどがある!」でも、「11PM」の話が出てきましたけど、まさに当時、私は「トゥナイト」や「11PM」に「この映画を取り上げてください」とお願いに回っていたんです。それから念願かなって、宮崎アニメの宣伝にも参加させてもらいました。私が関わったのは1989年の『魔女の宅急便』からです。その前の『となりのトトロ』が「キネマ旬報」の日本映画第1位に選ばれて、宮崎作品に対する世間や評論家の受け止め方も大きく変わっていたこともあって、『魔女の宅急便』は大ヒットしました。それ以降『おもひでぽろぽろ』、『紅の豚』と続き、2006年の『ゲド戦記』まで、ジブリ作品には一宣伝担当者として関わらせてもらいました。他にもディズニー・アニメの『アラジン』や『ノートルダムの鐘』、あと洋画実写の宣伝もやりました。特に思い出深いのは『セブン』ですね。『羊たちの沈黙』以降、当時サイコ・スリラーがブームで、主演のブラッド・ピットはまだ「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の若い読者しか知らない存在でした。暗くて恐ろしい作品でしたが、強烈なインパクトがあって、『セブン』は日本でも大ヒットしました。それが1995~96年ですね。『セブン』(C) APOLLOそれから1997年の忘れられない大ヒットがジブリの『もののけ姫』ですね。東宝の宣伝プロデューサーの下で、メイジャーが宣伝を担当しました。ジブリの鈴木敏夫プロデューサー以下、宣伝スタッフ全員で事前に熱海に合宿に行って、そこで鈴木さんから、制作費がいくらかかっているから、興行収入はいくら以上にならないといけないという話をされたんですけど、当時の日本映画の歴代1位が『南極物語』で配給収入59億円(※当時は配給収入で計算/興行収入で110億円)で、それを超えないといけないと言われました。宮崎監督のひとつ前の『紅の豚』が当時の日本のアニメーション映画の配収記録を更新したんですけど、それでも28億円(※興行収入で54億円)でしたからね。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDしかもその年の夏はライバルが強力で、スピルバーグの『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』が『もののけ姫』と同じ7月12日の公開でした。宣伝チームは、この夏は「恐竜vsもののけ」ですよ!と媒体を煽っていきました。いまでも忘れられないのが、初日の7月12日の朝8時ごろかな、立ち合いで日劇プラザのある有楽町マリオンに行ったら、ビルの周りにグルっと長蛇の列ができていたんです。そんなことは初めてで「ヤバい。これは大変なことになっている」と思いました。その頃は予約販売なんてないですから、午前中の段階でその日は「札止め」になりました。今日はもうチケットを売らないということです。『もののけ姫』を観に来たのにチケットを買えなかった人たちが、同じマリオンの丸の内ピカデリーに流れて、同じ初日の『乱気流/タービュランス』を観たよ、なんて話もありましたね(笑)。「想像を超えることが起こりうる」2回の経験――『もののけ姫』は社会現象と化し、最終的に興行収入は201.8億円にまで達した。『もののけ姫』(C) 1997 Studio Ghibli・NDちょっと遡って『もののけ姫』の完成は6月の終わりごろだったかな。宣伝スタッフ一同、初号試写を見せてもらいました。自分は「凄いものを観た」と興奮しましたが、宣伝する立場としては「この凄さをどう伝えればいいんだろう。子どもたちに理解できるのかな?」という不安もありました。ただ、特報の映像で腕が切れる描写を見せたり、ジブリの鈴木さんも意識的に「これまでのジブリ作品とは違うぞ」というのを世の中に示したかったんだと思うし、そういう覚悟がポスターや宣伝コピーを通じて伝わっていったと思います。その結果、空前の大ヒット・スタートになりました。宣伝部としては、メディアに対して配収(当時は興収ではなく配収)がどれくらい行きそうか、というリリースを打たなきゃならないんですが、東宝の興行の偉い方に数字(予想配収)を訊くと、「まったく想像つかない」というんですよ。いまでは前日に予約状況を把握できて、細かい予想もできるけど、まったく前例ない状況だったんです。「間違いなく『紅の豚』は超えるが、それ以上のことはわからない」というのがその時の興行の方の言葉でした。世の中、想像できないことが起こるんだ、ということを身をもって知った最初の経験でしたね。――ところが、そんな想像を超えた大ヒットをさらに超える特大ヒット作品が4年後に再びジブリから放たれる。それが『千と千尋の神隠し』である。興行収入316.8億円を記録し、2020年に「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」に抜かれるまで日本の歴代興行収入1位の座を守り続けた。『もののけ姫』が歴代興行収入の新記録を打ち立てたのが1997年ですが、半年後の同じ97年の年末に『タイタニック』が公開されて、配給収入160億円(興行収入277.7億円※リバイバル上映を含む)を記録して、あっという間に『もののけ姫』を抜いてしまうんです。その記録をさらに塗り替えたのが4年後の『千と千尋の神隠し』でした。『千と千尋の神隠し』(C) 2001 Studio Ghibli・NDDTM2001年7月の公開でしたが、その時もスピルバーグの『A.I.』に『パール・ハーバー』、『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇』、『猿の惑星』リメイク版、と話題作がひしめき合っていて、「こんな強力なライバルたちと戦って、しかも『タイタニック』を超えなきゃいけないの?そりゃ無理でしょ」という感じでした。しかし、結果的には2回目の「世の中、想像を超えることが起こりうる」経験になりました。その後、『ハウルの動く城』にも関わりましたが、通常であれば、映画が出来上がると我々が取材日をブッキングして、宮崎監督や鈴木さんにインタビューに出てきてもらうんですけど、『ハウル』では、宮崎監督も鈴木さんもあえて「表に出ないという形でやりたい」ということで、ほとんど取材もありませんでした。その手法をさらに徹底して突き詰めたのが、最新作の『君たちはどう生きるか』でしたね。『君たちはどう生きるか』(C) 2023 Hayao Miyazaki/Studio Ghibli余談になりますが、メイジャー宣伝部で私と一緒に働いていた後輩女性が二人いるんですが、一人は今やジブリの広報部長、もう一人は東宝宣伝部で『君たちはどう生きるか』の宣伝プロデューサーを務めたんです。メイジャーのDNAが、そんなふうに受け継がれたことがとてもうれしく、感慨深いですね。洋画ファンになったきっかけ、クリント・イーストウッドとの出会い――岡村さんも、メイジャー宣伝部の解散を受けて、別の配給会社に移ることになった。2004年にメイジャーの宣伝部が解散した頃、私は一時、体調を崩していたんですが、その後、『セブン』の時知り合った宣伝プロデューサーに声をかけてもらい、ムービーアイという会社で働くことになりました。2005年の春に働き始めたんですが、入社して3日後に『ミリオンダラー・ベイビー』でクリント・イーストウッドが来日したんです。『ミリオンダラー・ベイビー』はその春のアカデミー賞(作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞)も獲っていたんですが、イーストウッドは次回作の『硫黄島からの手紙』のロケの許可を取るために石原慎太郎都知事(当時)に挨拶に来ていて、ちょうど『ミリオンダラー・ベイビー』が公開するということで、プロモーションの時間を取ってもらったんです。ここで、今回の「ドル3部作」の話も関わってくるんですが、私自身、洋画ファンになったきっかけがイーストウッドなんです。なので、入社してすぐにイーストウッドが来日すると聞いて「これはたいへんなことになった」と(笑)。プロモーション稼働の時間は3時間くらいだったんですが、終わって関係者みんなでイーストウッドと写真を撮ることになって「ここで頼まないと一生後悔する」と思い、持参した『続・夕陽のガンマン』のLPにサインをお願いしました。入社してまだ3日なのに図々しいヤツですよね(笑)。1975年に買ったLPで、イーストウッドには「キミは物持ちがいいな」と言われました。『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(C) 1966 P.E.A. Films, Inc. All Rights Reserved.1975年当時は、中学生でしたが、それ以前は東宝の怪獣映画が好きだったんです。ただ、あの頃は中学生になると、みんな親から「いつまで怪獣見てるんだ」って言われて卒業していくものだったんですよ。それがいまでは『ゴジラ』がアカデミー賞を獲る時代ですからね。親の圧力に屈せずに特撮と怪獣を愛し続けたのが、庵野秀明監督であり、山崎貴監督だったんでしょう。親の圧力に屈した私は怪獣映画を卒業し、じゃあ、これから何を見たらいいんだ…? と思っていたら、そこで出会ったのが、イーストウッドのマカロニ・ウエスタンだったんです。イーストウッド再び映画宣伝マンとして始動した岡村さんは、その後、「午前十時の映画祭」に関わり、さらに宣伝プロデューサーとして、数々の名画のリバイバル上映を実現させていくことになる。〈後編〉へ続く『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』は3月22日(金)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(photo / text:Naoki Kurozu)
2024年03月22日米津玄師の「Lemon」やあいみょんの「マリーゴールド」ほか、名だたるMVを手がけてきた山田智和が、佐藤健を主演に迎えて劇場長編映画デビューを果たした。川村元気の小説「四月になれば彼女は」を映画化した本作は、精神科医の藤代(佐藤健)と失踪した婚約者・弥生(長澤まさみ)、大学時代の恋人・春(森七菜)をめぐる切ないラブストーリー。初対面から4年。脚本会議から参加し、共にクリエイティブを高めあってきた山田監督と佐藤さんの“同世代対談”で、健全な創作環境づくりについて教えていただいた。「その場で生まれた感情や景色を撮りに行く」――劇中、エスカレーターを上ってくる藤代が泣き崩れるシーンが強く印象に残りました。こちらはどのように生み出されたのでしょう。佐藤:演じる際の考え方はいつもと同じです。あのとき自分が一歩踏み出して彼女を呼び止めていたら、もしかしたら未来は違ったかもしれない。でも自分は弱いからそれが出来ず、もう二度と会えない気がする――つまり、別れのつらさと自分のふがいなさ、「なぜできなかったんだ。俺はダメだ」と自分を責めて泣くというシーンでした。――構図的にはシンプルでしたよね。画面/観客に向かって藤代が徐々に近づいてきて、それに伴って感情が増幅していくといいますか。今にも泣きそうな人が接近してきて、決壊してしまう“痛み”のグラデーションを感じました。佐藤:そうした意味では、ドキュメンタリーに近い手法でした。カットを割って光(照明)をセッティングしてそれに合わせて芝居していく形式とは、全く違っていました。山田:実際に人が泣くときは、薄暗いベッドの上などではなく移動時のような街の隙間ではないかと思います。いま(佐藤)健くんが言ってくれたドキュメンタリー性ではないですが、そうした空気感を作りたいと思っていました。佐藤:エスカレーターを上りながら泣く、というのもその日のノリで決まりましたから。もし僕が「階段で座って泣きたい」と言ったらそうなっていたでしょうし、自然現象をそのままとらえるような現場でした。――ドキュメンタリー手法は、どういった経緯で選択されたのでしょう。山田:元々僕がそういった手法でしかやったことがなく、今回は長編初監督だったこともあって自分の得意なものをやらせていただきました。そこに健くんはじめ俳優部の方々が反応してくれた形です。エスカレーターのシーンも最初はもう少し落ちついて座って泣くものを想定していましたが、前後の芝居をやっていくなかで「やっぱりここがいいね」となる健康的な空気が流れていました。想定と違ったとしても、健くんが「やってみる」と言ってくれるのが本当に有り難くて。決めつけすぎずにみんなで正解を探しに行くことができました。その場で生まれた感情や景色を撮りに行く、を初日からやらせていただいた現場でした。――なるほど。例えばロケーションにおいても、ある程度広く空間を押さえておいて「この範囲で好きに遊ぼう」といったような形だったのでしょうか。山田:それに近かったと思います。一瞬しか映っていない点描シーンも現場では長い時間カメラを回していました。藤代と春(森七菜)や藤代と弥生(長澤まさみ)の間に流れる空気感を撮りたくてセリフを撮りたいわけじゃない、といったときに「この道路を歩いて、ここで座って下さい」くらいの大まかなものだけお伝えして、細部は俳優部にお任せしていました。佐藤健、同世代の活躍は「非常に喜ばしいこと」――おふたりの信頼関係がうかがえますが、初対面は本作の顔合わせのタイミングだったのでしょうか。佐藤:イタリアンか何かを一緒に食べたんじゃないかな。まだキャスティングも決まっていない時期でした。山田:かれこれ4年ほど前です。まず健くんに主人公をお願いしました。その食事会で言っていただけたのが「ようやく一緒にやりたい同世代の監督に出会えて、すごく嬉しい」ということ。一発目でそう言ってくださって、僕もとても嬉しかったです。佐藤:僕はそもそも同世代の監督と仕事をしたことがなかったんです。どんどん一線で活躍してほしいと思っていたから、ついにその機会が得られた、という気持ちでした。――長澤まさみさん、撮影の今村圭佑さん、照明の平山達弥さんほか同年代の多いチーム編成になりましたね。山田:自分は年齢こそ近いですが健くんや長澤さんとキャリアが同じとは全く思っていません。僕が乗っからせていただいている気持ちです。ただ、この世代がいま集まって一緒にものづくりを出来ることに意味があるとするならば――東宝恋愛映画を観て育ち、リスペクトのある世代が次にどんな恋愛映画を作るのか、それは本作の裏テーマでした。脚本会議でも健くんたちとずっと話していたことですし、劇中には様々な恋愛の価値観をちりばめています。初恋のようなものもあれば、30代として向き合わないといけない恋愛の形、この先どうなっていくかも含めて必然的にこぼれてきたテーマが染み出ているようには感じます。佐藤:僕個人は年上の監督だからどう、ということもないですし、世代がどうであっても本質的には変わりません。現場に入ったら監督を信じてやっていくだけですから。ただ、いちクリエイターとして自分と同じ世代がどんどん活躍してくれるのは非常に喜ばしいことです。残念ながら、日本の映画業界は20代の監督が活躍しづらい・育ちづらい環境だと思います。どうしてもヒット作を出した実績がある人にオファーしたくなってしまうものですから。ただ、絶対に若くて才能のある人はもっといるはずですし、どんどん日の目を浴びてほしいとはずっと感じていました。そもそも誰しも最初は実績のないところからスタートするわけですから、もっとこういったチャレンジ/チャンスがあってほしいと思います。「普遍的な恋愛」と「現代を映す」作品作り――山田監督がおっしゃった「東宝恋愛映画へのリスペクト」は作品を拝見していても強く感じました。チームにおいて共通項として挙げた作品やイメージ等々、ございますか?山田:まずはやはり「恋愛」でしょうか。いつの時代もみんな恋愛に悩むし、必死に正解を探すもので、共通した変わらない部分は絶対にあるはず。そこを外したくないという想いはこのテーマをやる以上不可欠でした。そのうえで、これまでの恋愛映画は社会を映さなさすぎる問題もあったような気がしています。普遍的な恋愛、そして原作が持つ時代へのまなざしの鋭さが上手く合わさって新しいものになったのではないかと思います。10年前の社会と現在の社会は当然違っていて、恋愛をする人や結婚をする人も少なくなっているかと思います。それは別に悪いことではないし、新しい方向に社会が進むなかで、必然的に描くべきテーマやスポットライトを当てたい人間は連なっていくはず。たまたまコロナを挟みましたが、いまの社会の方がこの映画は説得力を持つような気がします。――普遍性と現代性のハイブリッドですね。改めて、協働の手ごたえを教えて下さい。佐藤:山田監督の話の中で出た「空気を撮りたい」は、僕たち俳優からすると「芝居をちゃんと見てくれる」という安心感でした。その空気感を作るためには、役同士のつながりがあればいい。変に「どう表現しよう」と余計なことを考える必要がなく、ただ芝居に集中できる環境でした。山田:僕は映画というものが初めてで、今回「俳優部ってこんなに真摯に一つの作品に向き合ってくれるんだ」とすごく嬉しかったです。映画というのは共作で、それぞれの部署が一つのイメージを作るものですが、健くんは作品に入る前から本当に高い熱量で関わって下さいました。これを当たり前だと思ってはいけないと重々承知しているのですが――健くんは脚本会議に何回も参加してくれて演じる側の視点で指摘してくれたり、良いアイデアをくれてブラッシュアップしていけたんです。そういった過程を経験できたため全幅の信頼を置いていて、撮影もとにかくスムーズでした。きっと、往々にしてクランクインしてから1週間くらい探る時間があると思うんです。でも今回はそういった「だんだんフィーリングが合ってきたね」ということが全くありませんでした。初日の撮影は藤代と春の大事なシーンで、鮮烈に描かなければならないなか周りのスタッフもびっくりするくらい円滑に進んで、僕自身も楽しい!という想いしかありませんでした。これは決して運や巡り合わせなどではなく、健くんがどこまでも真摯な姿勢で作品に臨んでくれたからこそです。主人公に背中を預けられることで、周りの人たちも話しやすくなるし僕も演出がしやすくなる。その軸があることで「じゃあ主人公にこれくらいぶつけてみよう」というアイデアが監督/共演者からもどんどん出てきますし、その結果が現場で生まれたアドリブだと感じます。健くんの芝居はもちろん素晴らしいですが、そうした向き合い方にものすごく感銘を受けました。そういった意味で、健くんは一番フェアな人だと感じています。媚びを売ったり変に気を遣う必要もなく、芝居や画に対して自分の想いを伝えるだけでいい。本当に健康的な場を作って下さいました。僕がまだ経験が浅く、“言葉”をうまく持っていないなかで抽象的なことを言ったとしても、健くんは「監督が伝えたいのは多分こういうことだと思うから、1回やってみる」と常にオープンでいてくれてとにかく助けられました。僕自身も物事をあまり決めつけたくないという側面があるなかで、一緒に探らせてもらえて楽しかったです。――一例を挙げるなら、どういったアイデアをもたらされたのでしょう。山田:僕がすごいアイデアだなと思ったのは、脚本上では「洗面台の前で、鏡に映った自分と向き合って泣く」という風に書かれていたシーンのことです。撮影現場に入った健くんが「自分よりも、2人の思い出が詰まったものを見る方が心が動く」と伝えてくれました。それが本作全体のキーになったグラスです。こういったことを現場に限らず、脚本会議でも共有してくれました。頭の中では「こうやって動く」と考えていても、実際やってみると「やっぱりこっちがいいね」ということはありますが、本作はかなり大きなシーンでもそれが出来ました。健くんのアイデアには常に助けられていました。――佐藤さんのそうしたアプローチについては、キャリアを重ねていくなかで変遷してきたものでしょうか。『グラスハート』(2025年Netflix配信予定)では共同プロデューサーも務められていますね。佐藤:そうですね。10代のときはそういったものはなく、だんだん増えていきました。ただ、俳優は誰しもやっていることではあります。特に主演ともなれば、台本に書いてあるものをただやっているだけの人はいません。セリフやチーム、作品をより良くしようと動くものですし、僕自身もそうしてきましたが、20代後半くらいからもう少し公式的に「プロデュース」という役割をもらって行動した方が健全と考えるようになりました。俳優の力は、すごくちっぽけだと思います。だからこそ、もう少し早い段階から入っていきたいという想いはどんどん強くなっていきました。ただ、「作品を良くしたい」という本質自体は、これまでと何も変わりません。(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:四月になれば彼女は 2024年3月22日より全国東宝系にて公開©2024「四月になれば彼女は」製作委員会
2024年03月20日はじめに「NOGUCHI -酒造りの神様-」より農口さんが杜氏を務める「農口尚彦研究所」は、石川県小松市観音下(かながそ)という小さな里山にあります。米と水だけでつくる日本酒は、水が要。霊峰・白山に降り積もった雪が、長い年月をかけて地層の奥深くに浸透して生まれる清らかな伏流水を見つけた農口さんは、この水を使うためにこの場所を選びました。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より“あと何年酒造りができるかわからない”“酒は飲んだらなにも残らない、口笛のように消えてしまう。私は後世になにを遺せるのか”引退と現役復帰を三度繰り返し、”引退を諦めた”91歳。16歳から75年間、その人生のほとんどを日本酒に注いできた農口さん。日本酒に関わる人にとって、彼は永遠の憧れであり伝説であることは言うまでもないですが、常に前を見据えて高みを目指す生き様は、誰が見ても尊敬の念を抱かずにはいられないでしょう。“わしが残していくものは、ここにあった”あらすじ「NOGUCHI -酒造りの神様-」より2020年10月、例年通り農口尚彦さんの酒造りが開始します。蔵入から半年間、蔵人たちは共同生活を送りながら、全ての時間を蔵で共に過ごし、酒造りに没頭します。この年に集まった蔵人は、8名。半数は、酒造りとは全く異なる経歴を持ち、初めて酒蔵に入る方です。農口さんは、一度見どころがないとみなせば二度とその蔵人を呼ぶことはありません。「NOGUCHI -酒造りの神様-」よりそんな中、生産計画の中には「20BY山廃純米大吟醸」の文字。「世界の人たちの価値観が変わるような酒を造りたい」という農口さんの想いからつくられる酒です。山廃純米大吟醸は、大吟醸の淡麗さと、山廃の芳醇さという反対の性質を持つ、難しい酒造りです。さらに通常より仕込みに時間がかかり、蔵人たちにも大きな負担がかかります。蔵入りから3ヶ月目を迎え、いよいよ山廃純米大吟醸の仕込みが開始。果たして、この蔵人たちの手で最高の「山廃純米大吟醸酒」は無事に完成するのでしょうか……?「NOGUCHI -酒造りの神様-」より映像のなかで、農口さんや蔵人たちが日本酒に向き合う姿には目を見張るものがあります。「酒造りは繊細だ」と分かってはいても、実際に時間は秒単位、温度も1度単位で調整をしながら、まとまった睡眠は取らずに「生き物」を扱う、そのまっすぐな姿勢を目の当たりにして、大きく心が動きました。詳しい内容は実際に映画を見ていただきたいのですが、必ず何か得るものがあると思います。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より酒造りでは“鬼の農口”さんですが、散歩と銭湯を愛する“好好爺”の日常も写されています「NOGUCHI -酒造りの神様-」より日本酒の知識が全くなくとも、日本酒の造り方や構造、種類についても簡単にまとめられていてとても勉強になります農口さんにインタビュー――今回が初の長編ドキュメンタリー映像とのことですが、実現するまでの経緯や、受けられた理由を教えていただけますか?農口さん:良いお酒を造るために、どれだけ一生懸命に努力しても、皆様に知っていただかなければ意味がないと考えております。以前もいくつかのテレビドキュメンタリーに出たことがありますが、その経験から、お受けすることになりました。今後は、ドキュメンタリーを通じて海外の方にも知っていただけたらと期待しているところです。――実際に映像をご覧になって、いかがでしたか?農口さん:ちょうど酒造り期間中でありましたので、まだ完成品を見ておりません。終わったらゆっくり視聴する予定です。――この映画を通して視聴者に最も伝えたいことは、どのようなことですか?農口さん:一人でも多くの方に、私が人生を捧げた日本酒造りの奥深さや、世界に誇れる日本文化を再認識していただけるきっかけになってくれたらと思っております。――1月の能登半島地震。「農口尚彦研究所」や能登にいらっしゃる農口さんのご家族はご無事だったと伺い、ホッとしました。当時の様子はどのようなものだったのでしょうか。農口さん:地震があった時は、杜氏室で酒造りの経過簿をまとめる事務作業中でした。机の前の窓ガラスが飛んでくるかと思うくらいの揺れでした。頭をよぎったのは家族のこと。幸いにも妻は、元旦を長女、孫と過ごすために、白山市に住む娘の家に出てきていたので、すぐに連絡が取れました。能登に嫁いだ次女とは4日間連絡が取れませんでしたが、避難しており無事でした。走って蔵中を確認しましたが、奇跡的にお酒も割れておりませんし、設備も無事でした。たくさんの方からご心配のご連絡をいただきましたが、酒造りに影響はありませんでした。――能登半島は農口さんのご実家も含め日本有数の酒造りの地で、多くの酒蔵に被害が出ました。現在の想いをお聞かせいただけますか。農口さん:地元能登にあるいくつかの酒蔵は、建物が崩壊し再建も困難な状況と聞きます。また能登外に出ている能登出身の杜氏や蔵人も、正月休みに帰省した能登で被災して酒造りに復帰できない者や、被災を免れても、酒造りが終わった後に帰る家がなくなってしまった者もいると聞いており、心配しております。――「世界の人たちの価値観が変わるような日本酒をつくりたい」という、農口さんの30年来の夢は「20BY山廃純米大吟醸」が叶えていくのだと思います。農口さんの現在の夢を教えてください。農口さん:やはり、世界中のお客様に「美味しい」と言っていただけるお酒を造ることです。原料の酒米は、気候によって状態が毎年変わります。毎年造り始めは初心の気持ちで原料米と向き合います。ですので一生かけても「酒造りはわかった」ということはありません。それがやりがいでもあります。「NOGUCHI -酒造りの神様-」より「NOGUCHI -酒造りの神様-」“酒造りの神様”の異名を持つ、日本で最も有名な日本酒醸造家の1人・農口尚彦。彼がこれまで誰にも見せなかった仕事の神髄と“NOGUCHI”の酒の秘密に迫る。2023年/77分
2024年03月19日日本有数のアニメ都市・新潟にて、アジア最大規模の「第2回新潟国際アニメーション映画祭」が3月15日(金)より開幕する。本映画祭の長編コンペティション部門で審査員長を務めるのは、アカデミー賞ノミネートの『ブレンダンとケルズの秘密』(共同監督)や『ブレッドウィナー』、Netflix映画『エルマーのぼうけん』を手掛けた世界的アニメーションスタジオ「カートゥーン・サルーン」のノラ・トゥーミー監督だ。昨年3月に初めて開催された新潟国際アニメーション映画祭(NIAFF)は、世界で初の長編アニメーション中心の映画祭として、また多岐にわたるプログラムとアジア最大のアニメーション映画祭として各国で大きな反響を呼んだ。今年はレトロスペクティブ部門にて長編映画全作品ラインアップの高畑勲特集ほか、イベント上映では世界を舞台に活躍する湯浅政明監督の貴重な短編の特集上映、『機動戦士ガンダム』シリーズの富野由悠季監督の来場などを予定。長編コンペティション部門には、『アリスとテレスのまぼろし工場』(監督:岡田麿里)、『クラユカバ』(監督:塚原重義)といった日本作品をはじめ、29の国と地域の49作品から選りすぐった12作品が集結する。ノラ・トゥーミー監督といえば、アイルランド・キルケニーにある「カートゥーン・サルーン」にて初期から受賞歴のある短編映画やコマーシャルの監督を務め、アカデミー賞にノミネートされた『ブレンダンとケルズの秘密』ではトム・ムーア監督と共同監督、同じくアカデミー賞ノミネートの『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』ではストーリーとボイスのディレクターを担当。タリバン政権下のアフガニスタンを舞台にした『ブレッドウィナー』ではアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にノミネートされたほか、アヌシー国際映画祭で最優秀インディーズ長編映画賞、観客賞、審査員賞など数々の国際賞を受賞。最近では、ルース・スタイルズ・ガネットのベストセラー児童文学にインスパイアされたNetflixオリジナル長編アニメーション『エルマーのぼうけん』を監督した。今回の初来日では、時間が許せば、小泉八雲として知られるアイルランド系ギリシア人のラフカディオ・ハーンの記念館を訪れ「彼の人生や彼の見た日本に思いを馳せてみたい」というトゥーミー監督。自身や「カートゥーン・サルーン」のクリエイティブにおいて大切にしていることや、アニメーションの未来についてたっぷりと語ってくれた。高畑勲監督の『火垂るの墓』は「美しい傑作」ーー「カートゥーン・サルーン」のアニメーションは日本でも大変ファンが多いです。ご自身が作品を作るときに心がけていることは?ノラ・トゥーミー(以下、N・T)「カートゥーン・サルーン」では私たちも常に自問自答しています。何が「カートゥーン・サルーン」作品たらしめているのか? アニメーションにして語るだけの価値があるものとは何か?なぜなら、アニメーションはフィルムとしてつくるのに驚くほど手間がかかるので…手描きの2Dアニメーションは特にそうです。アイディア出しの段階から劇場で上映されるまで5年、10年かけて制作されるものもザラにあります。そのため、本当に語るだけのストーリーである必要があります。私たちは「勇気」を「美しい語り口」で、と自分たちによく言い聞かせています。この2つがとても大切なのです。まずは、私たちが語らなければ、おそらく決して語られることのない物語をやろう。そして、語るにしても私たちだからこその語り口でやっていこう、と。そしてこの「美しい語り口」ですが、決して砂糖をまぶしたような歯が浮く甘いお話、というわけではなく、アニメーションというメディア表現の可能性をさらに広げるようなものを指しています。高畑勲特集『かぐや姫の物語』©2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTKそれも必ずアニメーターの手によるものを見せる。業界でこれまで20年30年と経験を積んだ人たちと一緒にスタジオで働いているのですが、同時に業界入りしたばかりの新しい才能や学生たちとも一緒に仕事をしています。彼らが一丸となって、「最も優れた完璧なもの」を目指すわけですが、そこに人間味のあるというか、人間だからこそのミスや間違い、というのも当然混ざってくるわけです。そこがアニメーションの良さといいますか、どうしてそうなるかというと、アニメーターによるテーマやキャラクターへの思い入れが強いため、なんですね。まさに「カートゥーン・サルーン」が目指しているところはそこにあるのです。ちょっとした間違い、人間であるからこそ起こり得るミス…それこそがメディアの可能性をさらに高めるものなのです。高畑勲監督の傑作『火垂るの墓』は、2人の子どもが過酷な状況を生きのびようとする物語で、とても難しいテーマを扱っています。映画の中では、兄妹の互いの温かい思いやりの心が描写されており、それは決して他の手法では描けない。絶対にあのアニメーション表現でなくてはならなかったのです。高畑勲特集『火垂るの墓』©野坂昭如/新潮社, 1988監督や各アニメーターがキャラクターに心を寄り添わせながら(他人事ではなく自分のことのように愛情を込めて)描いているのがわかります。それがこの作品を唯一無二のものにしています。美しい傑作であり、監督から世界への贈り物だと感じています。人は誰しも困難に直面します。個人的であったり、より大きな国や世界規模ででも。いま、世界中がそのような状況となっていますよね。そんなとき、こうした作品は私たちを助けてくれる。これまでの歴史を振り返り、未来がどうなっていくのかを考えさせてくれると思うのです。「自分たちの声を見つけること」それがスタジオの真髄ーーご自身が作品を作られる場合、マーケットについてはどのように意識されていますか?N・Tマーケットについては必ず意識しています。アニメーションのビジネスマーケットにはサイクルがあって、活発に作品を求めている時期とそうでない時期があります。いまはちょうど活発でない時期。もともとアイルランドは500万人の小さな国なので、自分たちだけで映画をつくることはできません。国内の観客動員数の規模は小さく、上映できる映画の本数も少ないからです。そのため常に国外に目を向けているのですが、そうなると自分たちの声(語り口)を失くしてしまうリスクも生じます。アメリカやよその国でつくられるようなフィルムになってしまう可能性もある。何年もかけて学んだのは、人々が私たち「カートゥーン・サルーン」独自の「声」を求めていること。必ずしも主人公がアイルランド人でなければならない、ということはなく、ときにはアフガニスタン人やアメリカ人の男の子だったりするわけです。スタジオが独特な感性をしっかり持つことの意味を理解するようになりました。長編コンペティション部門『深海からの奇妙な魚』(ブラジル)「カートゥーン・サルーン」がつくった初めての映画『ブレンダンとケルズの秘密』のプロデューサーはフランス人のディディエ・ブリュネール氏だったのですが、彼から教わったことはディズニーや他のスタジオに倣うのではなく、「自分たちの声(語り口)を見つけること」でした。それがスタジオの真髄として、当初からずっと貫いてきたスタンスであり、これからもそれを目指していきます。そういった意味でも、マーケットは意識しており、どういう状況であろうとも、自分たちを失わずに突き進めるように頑張っています。正直、未来を見据えて正しい判断をいつも下すのは難しいです。そこでやはり重要になってくるのが、映画祭などでスタジオが専門知識や経験を持ち寄り人脈をつくることです。そうやってアニメーションビジネスがどんな状況であろうと、力を合わせてしのいでいけるのです。AIがアニメーションに与える影響、そして未来は…?ーー制作を取り巻く環境はご自身が始められた時からどのように変化していると感じていますか?一番変化が大きいと感じた点はどのようなことでしょうか?N・T25年前に「カートゥーン・サルーン」がスタートしたわけですが、それがもう少し前であったら、スタジオ設立にはお金がかかりすぎて無理だったでしょう。アイルランドやヨーロッパではそれまでアニメーションはすべて手描きでしたが、ちょうどその頃、徐々にデジタル処理を制作プロセスに導入しつつあったのです。そのため2Dアニメーションでも、スキャナーで手描きの絵を取り込んでいましたので、とても高価な撮影機材を設置しないですみました。デジタル革命の技術をうまく取り入れながら、私たちにとって一番大切なことにはとことんこだわりました。例えそれが紙の上であってもモニターの上であっても、いままでと変わらずに水彩絵の具などのブラシタッチで絵を描く、ということ。以降、様々な変化がありますが、やはり3Dアニメーションの進歩が大きいでしょう。ですが「カートゥーン・サルーン」としては、あくまで2Dにこだわることにしたのです。手描きが私たちの一番得意としているところですし、古くならないもの、私たちの紡ぐ物語が一番確実に伝わる方法だ、と信じているので。本当に多くの変化が起きました。仕事があったり、なかったり…そういった中、なんとかやりくりしてきて。長編コンペティション部門『クラユカバ』(日本)©塚原重義/クラガリ映畫協會将来的には様々な問題が起こりそうですよね。AI、機械学習などがそうです。頻繁に議論されてはいますが、それがどういった影響を業界に及ぼすのか、まだ誰にもわかりません。昨年末にはアメリカの脚本家と俳優が自分たちの知的財産の権利を守ろうとストライキを起こしましたが、様々な問題がある中、私自身もこの先どうなるのか、まったく読めません。それでもアニメーションにおいては、人間によるストーリーテリングが求められる、と信じています。「私はつらいこんな経験をしたが、あなたにも共感してもらえるだろうか?」と実際にあった経験を他者に語りかける。そして「この共有した経験を活かしながら、未来に向かって一緒に歩んでいけるだろうか? あなたはいつも心にとどめておいてくれるだろうか?」と問いかける。これが実体験に基づくのではなく、以前あったストーリーを断片的によせ集めるだけのAIができるとは思えません。実際にAIが経験したり、本当の喜びや苦しみを味わったりしたわけではないですから。そういったものに耳を傾ける人は世の中にいるのでしょうか?私はいないと思います。長編コンペティション部門『アリスとテレスのまぼろし工場』(日本)©新見伏製鐵保存会結局、人々が物語を欲するのは、単なる娯楽(エンターテインメント)だけでなく、そこから何かを学ぶためで、そこが私たちを人間たらしめている部分です。私個人はそのように考えていますが、この先どうなるかはわかりません。それでも私はこれからも人々の「勇気」ある「本当の声」に耳を傾けていきます。1人の観客としても。人類をそれくらいには信頼しています。ーーこれから5年後、10年後、20年後、アニメーションはどのように変化していくとお考えでしょうか?N・Tいまの時代、半年の間でも大きな変化はありえます。将来アニメーション業界に大きな影響を与えると思えるのは、やはりAI。AI技術が業界全体に与える影響が気になります。ただ、AIの専門家で今後の可能性について知っていようと、従来の手法で紙と鉛筆で仕事をするアニメーターであろうと、誰一人として未来がどうなるかは予測できないのではないでしょうか。AIが私たちの活動にどんな影響を与えるのか?これはアニメーション業界だけにとどまりません、創作活動を行う業界すべてに同じことが言えます。本当に目を見張るような状況が続いていて「もうすぐこんなことができるようになる!」といった将来性についてもよく耳にします。アニメーションスタジオを運営する事業主として、また監督としては、これからも人間の手によって生み出されるものへの尽力は惜しまないつもりです。決して量産されたものではなく、人間の体験を下地にした唯一無二の「声」の持つ力、それが人々が欲するものだと信じています。長編コンペティション部門『マントラ・ウォーリアー ~8つの月の伝説~』(タイ)一方で、ポジティブに作用するテクノロジーを見極めていって、自分たちも納得のいく方法で使っていくべきだとも思います。アーティストやストーリーテラーの生み出すものの価値を下げるのではなく、映画のストーリーテリングが伝わり、受け入れてもらえるような形で導入するのです。繰り返しますが、アニメーション業界には昔からよい時期もあればよくない時期もあります。どんな経済状態に晒されても、アニメーションスタジオは歯を食いしばって状況を乗り越えなければなりません。今後もかつてなかった問題に直面するでしょう。これから10年後、業界がどうなっているかは本当に予想がつかない。それでも人間とは太古の昔から常に表現したがっている生き物です。すべてのストーリーテラーが持つ「物語を語りたい」という欲求、それは未来永劫変わることはないと思います。長編コンペティション部門『アザー・シェイプ』(コロンビア)「第2回新潟国際アニメーション映画祭」は3月15日(金)~3月20日(水・祝)、新潟市民プラザ、新潟日報メディアシップ(日報ホール)、だいしほくえつホール、シネ・ウインドなどにて開催。(シネマカフェ編集部)■関連作品:アリスとテレスのまぼろし工場 2023年9月15日より全国にて公開(c)新見伏製鐵保存会クラユカバ 2024年4月12日より全国にて公開©塚原重義/クラガリ映畫協會
2024年03月14日ハリウッドで活躍する。言葉にすると簡単だが、もちろん容易なことではない。それを誰よりも知る1人が、真田広之だろう。『ラスト サムライ』でのハリウッドデビュー以来、彼は世界の第一線で戦ってきた。そんな真田さんが主演を務め、プロデュースも手掛け、ディズニーが持つ製作会社の一つ「FX」が制作するスペクタクル時代劇、「SHOGUN 将軍」が全世界で配信中。天下人が死去し、その座を狙う武将たちの思惑が入り乱れる戦乱の世界を、真田さんはハリウッドでどう作り上げたのか。そこには、細やかな気配りと揺るぎない信念があった。ハリウッド作品でリアルな日本を描く――長年にわたり、このプロジェクトに関わってきたそうですね。当初は(主人公の)吉井虎永役のオファーをいただくところから始まったのですが、紆余曲折あって企画の立ち上げから何年か経ち、プロデュースも兼ねることになりました。虎永役をお引き受けした一番のモチベーションは、虎永のモデルが徳川家康であること。家康は戦乱の世を終わらせて平和な時代を築き上げた人物ですが、まさに今この大変な時代に求められているヒーローだと思います。――その虎永は大局を見ているからこそ、なかなか真意を見せません。ミステリアスであり、策略家であり、ファミリーマン。敵にはポーカーフェイスで接しながら、身近な者には弱みも見せる人です。ある意味、非常に人間らしいですよね。そういった人間性を見せながら、視聴者の皆さんの理解力と想像力を信じ、遠い球を投げる気持ちで。最終話までご覧いただき、ようやく見えてくる部分もあると思います。――日本の戦国ドラマとはいえ、ハリウッドで製作されたドラマの日本人が日本語を話していることに驚いてしまいました。目指したのは、あくまでもオーセンティックなもの。それには日本人が日本語を話し、字幕をつけるのがいいだろうと、製作陣の間では意見が一致していました。ですがその分、台本作りには時間がかかりましたね。何度も何度も書き直し、調整して。あの時代の言葉を重視しつつ、あまりに分かりづらいものは多少シンプルに。ただし、現代っぽくしない、西洋化しない、ステレオタイプの描写は排除するというスタンスは貫かれていました。キャストへの細やかなケアも――キャスティングにも関わっていらっしゃいますか?各役の最終候補が2~3人に絞られてきたところで、エグゼクティブ・プロデューサーのジャスティン(・マークス)から意見を聞かれていました。キャラクターに合った配役にするため、かなり意見を申し上げましたね。別の役を演じるはずだった方に関し、「こちらの役のほうが合うのでは?」といったことを申し上げて採用されるパターンもありました。――旧知の方々との再会もあったようですね。樫木藪重役の(浅野)忠信くんは、彼が10代の頃からの付き合いです。忠信くんの薮重はもう、最高ですよ!すばらしい方々が出演してくださっていますが、戸田広松役の(西岡)徳馬さんはかなり強く推薦させていただきました。広松は虎永にとって非常に大事なパートナーですから、徳馬さん以外は考えられなかった。虎永と広松の友情を台詞ではないところで伝えるには、30年以上の付き合いとなる徳馬さんと僕の関係性が必要でした。――バンクーバーの撮影現場では、キャストのケアもなさったのでしょうか?日本の現場とは撮影のシステムも違いますから。1日の流れを説明したり、時には通訳をしたり。監督の指示を通訳さんが伝えるわけですが、(キャストが)戸惑っているような場合は補足をして。言葉を通訳するというよりは、演出意図をそれぞれに合った言い方で伝えていきました。台詞だけでなく、動きに関しても。着物の着こなし、刀の抜き方、鞘への納め方、寸止めの仕方など、慣れない方にはコツをアドバイスさせていただいて。皆さんが不安なく演じられる状態にまでリハーサルで持っていき、本番はモニターで見守っていました。――長期滞在となりますが、皆さん、お食事などは大丈夫そうでしたか?なんと、撮影現場には和食と洋食、両方のケータリングが用意されていて(笑)。バンクーバーには美味しい日本食のレストランもたくさんありますし、むしろ食事には恵まれていました。なかには炊飯器を持ち込まれていた方もいましたけど(笑)。――食事だけでなく、撮影現場の設備も豪華そうですね。セットのスケールがとにかく大きくて。嵐のシーンでは、実物大の船が用意されていました。船を自動操縦で揺らしつつ、ウォータータンクから水をダーッと流して。そんな中で芝居する役者を、カメラマンが手持ちカメラで撮っていきます。ディズニーシーみたいでしたね(笑)。藪重が崖の下の海で溺れそうになるシーンが序盤にありますが、あの崖もまるごとセット。ここでもウォータータンクが活躍し、大量の水で波を作りました。忠信くんは溺れそうになっていましたね(笑)。橋渡しとなった役柄と自身の存在「オーバーラップしているかも」――真田さんが通訳を務めることもあったとのことですが、劇中では戸田鞠子(アンナ・サワイ)が通訳の立場にあります。異なる者同士の橋渡しとなる鞠子と、この作品を作る真田さん自身に通ずるものを感じました。言われてみれば、そうですね。そういう意味ではストーリーの中の虎永の立ち位置も、プロデューサーとしての僕の立ち位置とどこかオーバーラップしているかもしれません。謀反人の父を持ち、キリシタンとなり、2つの主に仕える鞠子もまた非常に複雑なキャラクター。虎長はもちろん、そういった人々の繊細な心情をダイナミックなスケールの中で描けたことにも満足しています。――この作品でやりたかったことはすべてやれましたか?まだまだ完璧とまでは言えません。ですが、たとえすべてが揃わなくてもその中でやりくりし、折衷案を生み出すことをこの20年間で学んできました。スタジオが満足し、日本人として許せる範囲を見出す術とも言えますね。しかも、限られた時間の中で。それを踏まえたうえで言うなら、ベストは尽くせたかなと思います。――改めて、ご活躍の中でモットーにしていることは?より良いものにするための努力を惜しまない。ギリギリまで諦めずに粘る。そして、勇気を持って意見を言う。そんなところでしょうか。相手のプライドをなるべく傷つけないよう、けれども守らなければいけないところは死守して。それって、コミュニケーションの取り方次第で可能だと思うんです。一俳優としても、コンサルする立場としても。そういった学びが、今回の経験でも生かせたんじゃないかなと思っています。※西岡徳馬の「徳」は旧字が正式表記ヘアメイク:高村義彦(SOLO.FULLAHEAD.INC)(text:Hikaru Watanabe/photo:You Ishii)
2024年02月29日【音楽通信】第153回目に登場するのは、10歳の頃からライブ活動を展開し、SNSでも話題を呼んだシンガー、三阪咲(みさかさき)さん!コンテストで優勝したことで歌手を目指す【音楽通信】vol.153幼少の頃から音楽に親しみ、11歳の頃に歌手を目指すようになって以降、路上ライブやライブハウスなどでも積極的に音楽活動を行なってきた、シンガーの三阪咲さん。路上ライブなどの音楽活動の様子がYouTubeやSNSなどを通じて徐々に広がり、TikTokでは「三阪咲」関連の動画再生数が約6億回と爆発的に視聴され、YouTubeの歌唱動画も関連動画は合計約6000万再生を超えるほど注目を集め、2021年にデビューしました。そんな三阪さんが、2024年2月16日にデジタルシングル「tamerai」を配信リリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――幼い頃はどのような音楽環境でしたか。父は高校生の頃からバンドをしていましたし、母も音大を卒業していてピアノをやっていたので、音楽が身近な家庭に育ちました。父が車の中でSuperflyさんやコブクロさん、宇多田ヒカルさんなどの曲をよくかけていたため、4歳ぐらいの頃にはそういった曲を覚えて全部フルで歌っていたらしく、自然と音楽が好きになりました。――お母さまの影響で、三阪さんも習い事としてピアノを始めたんですよね。そうです。小学生の頃から、姉と一緒にピアノを習っていました。小学校ではアフタースクールでダンスもやり始めました。そこでは外部からダンスの先生が来て、週に一度何かを習う場になっていて。その後、その先生が別で行なっているダンススクールに誘ってくださって、友達と一緒に通うようになり、ヒップホップやタップダンスを習っていたら、いつの間にかダンスが好きになっていました。――習い事が増えていったのですね。はい。小学校4年生ぐらいで、納戸に眠っていた父のギターを引っ張り出して弾いてみたり。最初は独学で練習していましたが、父から「習いに行ってみたら?」とすすめられてギターを習うようになって。その後、小学校6年生の頃にはドラムにも興味を持ったので、習うようになりました。――音楽的なことにご興味があるというのは、もともと環境が整っていたのも大きかったのでしょうか。私が「やりたい」と言ったことに関して、とても協力的な両親だったので、いろいろなことができましたね。小学生の頃は、親から誕生日プレゼントに毎回違うアーティストのアルバムをもらったりと、音楽に触れる機会がたくさんありました。――歌に興味をお持ちになったのはいつ頃でしょうか。通っていたダンススクールの先生に、ダンスだけではなくボーカルも習うスクールを紹介されて。ボーカルとダンスを一緒にやると半額になると言われ、歌もやるようになりました。そのボーカル&ダンススクールでは、全国の生徒たちが受けるコンテストがあったのですが、出場したら優勝したんです。習い始めてから3か月ぐらいのことだったので、「もしかして才能があるんじゃないかな」と、そこから真剣に歌をやるようになりました。最初は歌の練習ばかりしていたんですが、小学校5年生の頃には「もっとたくさんの人に歌を聴いてもらいたい」と、ライブハウスでのライブにカバー曲を歌って出るようになって。でも、ライブはチケットを買った人じゃないと来られないので、もっと拡散力のあるものをやりたいなと思い、路上ライブを始めて、オリジナル曲も作るようになりました。――そういったご活動の末、2021年11月にデジタルEP「I am ME」でデビューされました。デビュー以前と以降で心境の変化はありましたか。ちょうどコロナ禍でデビューが延期になってしまった経緯がありまして。そうしたこともあり、当時からいまに至るまでメジャーやインディーズというスタイルにはこだわっていません。でも、時期としてはそれが高校生から20歳になったあたりだったので、自分自身の考え方や、ライフスタイルの中で大事にしているもの、聴く音楽などに変化はあったと思います。昭和歌謡のいなたさを大事にした新曲――2024年2月16日にニューシングル「tamerai」を配信リリースされました。昨年の10月ぐらいにはできていた曲なのですが、これまで連続で楽曲をリリースしていたなかで、この曲は連続リリースの最後に持ってこようとあたためていたものです。歌詞については、1週間で仕上げました。――歌詞を書かれる際、どのように形作っていきますか。夏の終わりぐらいに私が昭和の歌謡曲にハマり、そんなテイストの曲を歌おうとなって。デモを聴いた瞬間に「この曲だ」と即決しました。曲が先にあるので、歌詞はどうやって書いていくか決めていなかったんですが、昔の曲はストレートでどこかいなたさ(素朴な印象)があると感じたので、そのいなたさを大事にしたいと思って書き上げていきました。――いつも曲を選んでから、歌詞をご自身で書かれるそうですが、すぐに言葉は浮かんでくるものでしょうか。いや、全然浮かんでこないです(笑)。歌詞を先に書いているわけではないので、曲が先にあると、メロディに合わせて文字数も決められてくるんですよね。いままで書き溜めたものがハマるわけではないので難しいのですが、そのぶん歌詞が完成したときの達成感や愛着はすごいです。――昭和世代だと、この曲のシンセサイザーの響きなども懐かしい感じがすると思いますが、いまの10代や20代の方には新鮮で耳に残るサウンドと歌詞ですよね。ありがとうございます。もともとこの曲のデモのタイトルが「ためらい」でした。その言葉を入れるつもりはなかったんですが、歌詞を書いていると、いろいろと試行錯誤することがけっこうあって。あらためて「ためらい」という言葉を見るとすごくいいなと思い、歌詞の頭に持ってきたら、ストーリーが自然と広がっていきました。恋愛において相手の言葉や仕草ひとつで、ためらうことや躊躇することは多いので、そんな世界観を歌詞にして、昭和っぽいサウンド感で表現しています。――歌唱面について、意識して歌われているところは?いままでは力強く歌うことが多かったんです。でも今回は、歌う前に松田聖子さんをはじめとした昭和歌謡を聴き込んでいたら、柔らかさの中に力強さや意志みたいなものがある歌声をしている方が多いなと気付いて。なので、私もそういったことを意識して歌いました。――いつもそうやって曲には研究してから入っていくのでしょうか。そうですね。歌声も楽器だと思っている部分があるので、曲によって歌声を変えたり、ちょっと癖をつけてみたり。いつもある程度、歌い方の方向性を決めています。今回はとくに現代っぽくないけど現代の曲という、難しい感じもありました。昔の曲は、歌もいまほど修正していませんし、しかもテンポもけっこう個性があって。たとえば松田聖子さんの「赤いスイートピー」は、頭の「春色の汽車に~」のところはオンテンポではなかったりするんですよ。いま聴くとちょっと遅いように思うところもあるんですが、それが逆に、私たちに余白を与えてくれているように思えて。いまはすごくはやいサウンド感で、楽器もぎゅうぎゅうに入っていたりと、完璧さのある曲が主流であるように思いますが、あえてそうではなく、昭和歌謡のようにちょっとルーズな曲のほうが逆に切なく感じるんじゃないかなと。いろいろと意識してレコーディングしました。――2024年3月31日に東京のEX THEATER ROPPONGIでワンマンライブ「SAKI MISAKA ONE MAN LIVE 2024 “一心同体メモリーズ”」を開催されます。どのようなステージに?セットリストも決め終わって、やりたいことはチーム内で話しました。会場となるEX THEATER ROPPONGIは、もともと新型コロナウイルス感染拡大の影響で全公演中止になった、高校2年生のときにまわるはずだったツアーのファイナル予定の場所で。また、その後、無観客ライブと言う形で、初めて立ったステージでもあるんです。だからこそ、いつものライブ会場とはまた違う、悔しい思い出がたくさんある場所。今回“一心同体メモリーズ”というタイトルにしたのは、これまでライブができなかったり、無観客だったりしましたが、ここでようやくファンのみなさんと一心同体となって、良い思い出を共有したいという思いからなんです。音楽が好きというパッションで取り組んでいく――お話は変わりますが、音楽活動以外のときは、どんなふうに過ごしていますか?以前、趣味と特技はお菓子作りとおっしゃっていましたが、最近は何を作りましたか。バレンタインにチョコを作りました。お世話になっているスタッフの方に渡そうと思っていたのですが、結局、持ってくるのを忘れてしまい、そのままになりましたが(笑)。最近引っ越して、家にいることが大好きになって、料理も毎日していますね。あとは、こねるところからパン作りもしていて。小学校の頃に料理教室とパン教室に通っていたぐらいパン作りが好きなんです。――小学生のときは、楽器もダンスも習って、さらに料理教室とパン教室にも通ってと、アクティブですね!振り返ってみれば、アクティブな小学生ですね(笑)。――得意料理はなんでしょうか?私は基本、和食しか作らないんです。肉じゃがが得意ですね。――和食はヘルシーな印象ですが、健康面も意識しているのでしょうか。ダイエットなど気をつけていることはありますか。ダイエットといえば、昨年の夏、5キロぐらい体重を落としました。その頃は食事や運動にすごく気をつけていて、毎日、朝昼晩の食事内容をアプリに記録して1日の摂取カロリーを計算していたこともあります。さらになわとびなどの運動もして、トレーニングの先生にも見てもらって。一度5キロ落とすと、以降はそこまで増えなくなったので、いまはあまり気にしていませんが、「いつまでに何キロ落とす」など、目標を掲げるのは大事だと思います。でも私の場合、食事を減らしすぎると筋力が落ちるようで、そうならないためにトレーナーさんと一緒にダイエットしていました。――ではファッションでは何か普段意識して取り入れているものはあるのでしょうか。ファッションのメインになるのは、だいたい靴ですね。あとは帽子。上と下の色合いをそろえたりはしています。サッカーのプレミアリーグが好きで、イングランドの好きなチームのニットをかぶったり、マフラーをしたり。そういう感じでコーディネートを組んで楽しんでいます。――いろいろなお話をありがとうございました。最後に、アーティストとしての今後の抱負を教えてください。ひとまず3月31日のワンマンライブを成功させたいです。このライブは私の中でのひとつの区切りでもあり、大事なステージになるので、そこをめがけて頑張りたい。さらに、今年は音楽に対して、ポジティブな気持ちを大事にしたいですね。10歳の頃からライブをしているので、知らない間に、音楽が好きということよりも「やらなきゃいけない」という思いが上回る瞬間があって。そうではなく、純粋に音楽が好きというパッションで取り組んでいきたいですね。取材後記幅広い楽曲を歌いこなしパワフルな歌声を聴かせてくれる、シンガーの三阪咲さんがananwebに登場。小さな頃から音楽に触れる環境で育ち、さらに現在はお菓子作りもお料理も得意だという、魅力にあふれた三阪さんは快活にインタビューに応えてくださいました。そんな三阪さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり三阪咲PROFILE2003年4月23日、大阪府生まれ。SNSをきっかけに注目を集め、高校サッカーのテーマソングや、恋愛リアリティーショーのテーマソングを担当するなど、Z世代や若年層を中心に注目を集める女性シンガー。2021年11月、デビューEP「I am ME」を配信リリース。2022年3月、高校生最後のライブ「Saki Misaka LJK GRADUATION LIVE ~夢のZeppで卒業式するってよ~」を神奈川・KT Zepp YOKOHAMAにて開催。2024年2月16日、デジタルシングル「tamerai」配信リリース。3月31日、東京・EX THEATER ROPPONGIにてワンマンライブ「SAKI MISAKA ONE MAN LIVE 2024 “一心同体メモリーズ”」を開催。InformationNew Release「tamerai」2024年2月16日配信リリース取材、文・かわむらあみり
2024年02月28日取材・文:ねむみえり撮影:渡会春加編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部20代後半から30代になると、自分のこれからのキャリアをどうしていくか、現実的な悩みに直面する人も多いのではないでしょうか。ロイヤルカナン ジャポンに勤める獣医師の平瑛美さんは、キャリアについて「長期的に絶対にここを目指すという風にはあまり考えていない」と言います。2人の子どもを育てながら臨機応変に働く平さんのお話しを聞いていると、これから先のキャリアを考える自分の背中をポンと押して貰えた気持ちになりました。■製品に込められた情報を適切に伝達していく初めに、改めてロイヤルカナンという会社についてお聞きしたいです。ロイヤルカナンは、1968年に南フランスでジャン・カタリーという1人の獣医師が設立した会社です。以来、50年以上にわたって一貫して「Dog & Cat First」という理念のもと、栄養学に基づいたプレミアムペットフードと食事療法食を展開しています。「Dog & Cat First」というのは素晴らしい理念ですね。これはずっと変わらずに、私たちの会社の真髄にある言葉です。私たちはそれぞれの犬や猫のきめ細やかな栄養ニーズに対応したペットフードを開発し、彼らを食事を通じて真に健康な状態にしたいという思いがあります。これは、創立者のジャン・カタリーの思いでもあって、それが私たちの原点になっています。薬だけではなく食事の面から病気にアプローチするというのは、犬や猫の体に対して優しいような感じがします。今、平さんはどのようなお仕事を担当されているんですか?私はロイヤルカナンの日本支社、ロイヤルカナン ジャポンで、コーポレートアフェアーズという部門の中の、サイエンティフィックコミュニケーション&アカデミックアフェアーズというチームに所属しています。平たく言うと、学術部です。私たちの製品は全て栄養バランスを考えるところから設計されており、それぞれが違った特徴を持っています。その製品に込められているサイエンス的な情報を伝えたり、犬や猫についてレクチャーを行ったりするのが、獣医師でもある私の大切な仕事です。■大好きな食と動物に同時に関わりたい思いでペットフード会社へ以前は街の診療所で獣医師として働かれていたそうですね。大学を卒業してすぐの頃には、ペットのかかりつけとなるような動物病院に勤めていました。 大学付属の病院に比べてより飼い主さんとの距離が近い環境でしたね。そこから、ロイヤルカナン ジャポンさんに入るきっかけは?もともと食や栄養には興味があったんです。大学受験でどの学部に行こうかと考えた時に、小さい頃から好きだった動物と関わる方面か、自分が好きな食の方面か、どっちに行こうか迷ったぐらいなんです。なので、自分の最終的な仕事としては、食事を通じて好きな動物の健康に関わっていきたいという思いがあり、ペットフード会社というのは自分の中ではすごく自然な選択でした。お話を聞いていて、辿り着くべきところに辿り着かれた感じがします。ちなみに何年ぐらい前から、今のお仕事をされているんですか?今の部署に所属したのは2020年です。それまではカスタマーケアという、お客様からのお問い合わせに対応する部門に所属していました。そこで日々、お客様からのお問い合わせを受けていた中で、本当に多くの学びがありました。ペットオーナーのリアルな声に触れられたのは、今でも私が一生懸命仕事をしようと思う糧になっています。■目の前の課題に取り組むことで、自分の進む道が確立されていく今されているお仕事で、難しかったり苦労したりする部分はありますか?入社してくる社員たちはロイヤルカナンの理念に共感して入ってくるんですが、どうしたら彼らにより分かりやすく製品情報や犬や猫の知識を届けられるかは、いつも苦労しています。相手の目線に立てているかということは、 新入社員のトレーニングをする時でも、外のお客様に向かってセミナーする時でも悩みながら大切にしているポイントで、そこにはカスタマーケアでの経験が大きく役立っているなと感じます。しっかりと前のキャリアを活かして、今のお仕事をされているんですね。ありがとうございます。でも実は、当時この部署でこんな風に役立つということは、全く想像もしなかったです。キャリアというのは、後から振り返ると、頑張ってきたことがうまく線になってつながっているなと感じるので、長期的に絶対ここを目指すという風にはあまり考えていないんです。目の前にある課題に一生懸命取り組むことで、長い目で見た時に自分の進む道というのが確立されていくのかなと思っています。自分がこれから働いていく中で大切にしたい考え方だと思いました。平さんが働く上で大切にしている軸はありますか?私は子どもが2人いるんですが、母親や妻としての自分だけじゃなくて、働く自分というものも大切にしたいと思っています。子どもがいるということを、仕事の上で何かをやらない理由にはしないというのは、1つ軸としてあります。もちろん、子どもが小さい時は物理的に手がかかるので、できない仕事もあるんですが、それでも目の前に成長の種って落ちていると思うので、その時にできることを一生懸命やるというのは、自分の中でルールとして定めています。すごくすてきな軸ですね。でも20代の頃は、この先自分はどういうキャリアを築けるのか、子どもを産んで働き続けられるのか、みたいな部分はすごく不安がありました。育休が空けた時に1度フルタイムで職場に戻ったのですがその後、子どもが小学生にあがるタイミングで時短勤務に変えました。保育園に預けている時と違って延長保育がなく帰宅が早まったということもあり、そんな子どもの生活スタイルの変化に合わせて自分の働き方も変えたんです。昔の自分は、仕事時間を短縮することにネガティブな気持ちがあったんですけど、その時に初めて“そういうものだから”と受け入れることできました。それができたのは自分の中でもとてもいい経験だったと思います。読者世代も自分のキャリアに悩む年代でもあるので、そういう壁にぶち当たった時の柔軟な向き合い方はすごく良い視点になると思います。働くお母さんってみんな一生懸命じゃないですか。絶対それって後から活きてくるから、大丈夫だよって思うんです。多くの女性の背中を押してくれる大きな言葉だなと感じました。最後に、平さんの今後のビジョンについてお聞きしたいです。後悔はしたくないので、カスタマーケアで得た経験も含め、自分の目の前にあることを一生懸命取り組みながらも、将来的には日本のお客様の声を上手く製品開発につなげられるような仕事ができたらいいなとは思っています。これまでのキャリアを取り入れた目標なんですね。プライベートの方でも、こういう生活をできたらいいなみたいなものってありますか?2年前に保護犬を迎えたんですけれども、ちょうどその子との生活が落ち着いてきたので、もう1頭お迎えしたいなというのを思っています。この会社はペットフレンドリーオフィスと言って、自分の犬や猫を連れて一緒に出社ができるというスタイルなので、犬を2頭連れてオフィスで働いてみたいですね。ペットと一緒に出社ができるなんてすてきな会社ですね。ありがとうございました!
2024年02月22日2023年秋にブランド生誕30周年を迎えたレディスブランド「23区」。そのアンバサダーを務める女優・杏さん出演の新CM動画が3月14日より全国のTVでオンエアスタート。TVでの放映に先駆け、新CM動画と杏さんのインタビュー動画が「23区」30周年特設サイトと公式YouTubeで公開されました。■杏さんが語るパリでの生活と40代へのビジョン杏さんへのインタビュー動画では、パリでの休日の過ごし方や来たる40代に向けての抱負などが語られています。インタビュー中の杏さんは穏やかでナチュラルな雰囲気。 ▼最近の杏さんのお休みの過ごし方は?ここのところはやはり子ども優先で行きたいところに一緒に行ったりして、私も一緒に楽しんでいます。なるべくいろんなところに行ってみたりとか、普段できないちょっと時間のかかるお料理を作ってみたりとか、そういったふうに過ごしています。一緒に餃子を作ったりみたいな感じですね。▼最近お出かけして楽しかった場所は?ノルマンディーの方に車を借りて行きました。自然があって気持ちよかったです。▼現地の方との会話も勉強になりますか?話す機会は本当に自分から作らないと、日本もですが今はセルフレジも増えてきて、お話ししなくても買い物ができちゃったりするので、自分からいろいろ、生きたものに触れていかないとなっていうふうに思っています。▼来たる40代をどのように過ごしたいですか?どんなに健康であっても、からだを能動的にメンテナンスしていかなければいけない年齢にも差しかかってきているなと思います。とにかく元気いっぱいで過ごすために、栄養や運動はいっそう気をつけて、あとは何よりたくさん楽しんで過ごしたいなと思っています。新CMでは最新春コーデに身を包み、5変化を披露。東京を舞台に、美術鑑賞やカフェ、東京タワーやオフィスビルなどの日常的なシーンの中で、知的好奇心あふれる、美しく洗練された女性の姿を杏さんが表現。東京の街を颯爽と歩く杏さんはさすがトップモデルの風格。ファッションの着こなしや身のこなしもお手本にしたい。▼運動で意識していることは?背が高いぶんかがむことが多く、けっこう猫背の癖がついちゃっているので、なるべく背中や腰のストレッチは意識的にしていきたいなって思っています。▼食事の面で気をつけていることは?旬のものを食べて、体を温める、冷やすとか、きちんと美味しいものを美味しく食べたいと思います。▼50歳を迎えるときの理想像はありますか?私の50歳だとちょうど子どもたちがだんだんもう自立してきているような段階だと思いますので、そのときにきちんと子どもたちと並べるような人間でありたいなと思います。教えられることも増えてくるとは思うんですけれども、尊敬できる余地が残っているような人間でいたいなと思います。女優として美しく強く、また母親として優しくたくましく、自分らしくステキに年を重ねている杏さん。2023年は出演映画「キングダム 運命の炎」や「翔んで埼玉〜琵琶湖より愛をこめて〜」に加え、女性の社会問題をテーマにした7つの短編からなるアンソロジー映画「Tell It Like a Woman[私の一週間]」に主演し話題に。今年は主演映画「かくしごと」(6月7日公開予定)も控えており、女優としての活躍もますます楽しみですね。新TVCM「23区 JAPANESE WOMAN’S STANDARD Anne in TOKYO」(15秒・45秒 ※45秒ver.はWeb上のみで公開)Webで先行公開中、3月14日(木)より全国にて順次オンエア開始15秒: 45秒: 杏さん インタビュー動画公開中 お問い合わせ:「23区」
2024年02月20日【音楽通信】第152回目に登場するのは、椿の花のように愛らしく、個性豊かなメンバーが集まるハロー!プロジェクトのアイドルグループ、つばきファクトリー!みんなで素敵なグループを作っていきたいリーダー 新沼希空。1999年10月20日、愛知県生まれ。O型。趣味は洋服屋巡り、アイドル鑑賞。【音楽通信】vol.1522015年4月に結成され、2017年にメジャーデビューした、つばきファクトリー。同年には第59回『輝く!日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞するなど、名実ともにパワーアップし続けている、ハロー!プロジェクトのアイドルグループです。2021年7月には4人のメンバーが加入。2023年4月には浅倉樹々さんが、11月には初代リーダー山岸理子さんと岸本ゆめのさんがつばきファクトリーとハロー!プロジェクトを卒業。新沼希空(にいぬま・きそら)さんが2代目リーダーとなりましたが、今春のコンサートツアーをもって卒業と芸能界の引退を発表。新体制の9人グループとして活躍していたところ、2月初旬に3人の新メンバー加入が発表されました。そんなつばきファクトリーが、2024年2月21日に約2年9か月ぶりとなる3rdアルバム『3rd Moment』をリリースされるということで、メンバーを代表して新リーダーの新沼さん、河西結心(かさい・ゆうみ)さん、福田真琳(ふくだ・まりん)さんにお話をうかがいました。※ananwebの取材は2024年1月下旬に行われました。――まずはお名前と座右の銘など、自己紹介からお願いします。新沼つばきファクトリーのリーダー、新沼希空、24歳です。座右の銘は「誠心誠意」です。河西河西結心、20歳です。座右の銘は「七転び八起き」です。福田福田真琳、19歳です。座右の銘は「置かれた場所で咲きなさい」です。河西結心。2003年7月30日、山梨県生まれ。O型。趣味は踊ること、寝ること。――2023年は3名の卒業がありました。あらためてみなさんの現在のお気持ちから教えてください。新沼昨年卒業した3人は、結成当初からずっと一緒に活動してきたメンバーだったのですが、まさか1年で3人も卒業すると思っていませんでした。最初に(浅倉)樹々ちゃんの卒業があったときに悲しい気持ちもありましたが、それでももっと大きいグループになりたいと思いながら活動していたら、また2人の卒業が決まって…。私自身も昨年の春ツアーを経て、メンバーそれぞれに個性が出てきて、頼もしいと感じられる”シュンカン”が増えてきました。そのことから、新しい道に進もうと決意しました。3人が大切に守ってきてくれたこの「つばきファクトリー」というグループをみんなで大切に作り上げていきたい気持ちがあって、ずっと続いていくグループになれるように卒業まで限られた時間になりますが、全力で取り組んでいきたいと思います。河西先輩方に比べると私はグループ歴が浅い中での3人の卒業だったので、最初に浅倉さんが卒業したときは初めての卒業者だったこともあり、どうグループが変化していくのか不安でしたね。それでも、好きな浅倉さんが私たちに教えてくれたことを、卒業されたあとにもいかせるようにと前向きな気持ちになれた部分もあったのですが、その後に岸本さんと山岸さんの卒業となり、驚きのほうが勝って。すごく変化がある1年でした。リーダーが新沼さんになって、グループの雰囲気も変わった感じもありますし、先輩方に教えていただいたことを忘れずにつなげていきたいです。福田真琳。2004年10月18日、長崎県生まれ。AB型。趣味は食べること、バイオリンをひくこと。福田「つばきファクトリー」は一人ひとりの個性が違っていて、違っているからこそ、それぞれの持っている役割みたいなものが大きい気がしていて。なので、3人の先輩方が別の道に進まれたことは心の中にすごく大きな穴があいたような出来事でしたが、御三方は新たに自分がやりたいことを見つけて卒業されたので、そういう自分がやりたいことを追求する姿勢はすごくかっこいいなと。私にとっては、いまやりたいことが「つばきファクトリー」なので、卒業された先輩方のように、大好きなこのグループに貢献できるよう頑張りたいです。――「つばきファクトリー」結成時から在籍の新沼さんが新リーダーとなりました。今春のコンサートツアーをもって卒業と芸能界引退を発表された新沼さんですが、それまでグループをまとめるリーダーとしてのお気持ちはいかがでしょうか。新沼いままで(山岸)理子ちゃんがリーダーとして私たちを支えてきてくれたので、私のなかではまだリーダーは理子ちゃんのような感覚があるんです。だから、いまはリーダーという名前をいただいていますが、理子ちゃんみたいなことができているかと思うと、まだまだなのかなと。卒業まで、できる限りのことに挑戦していって、グループを盛り上げていきたいと思います。あとはリーダーといった立場などは関係なく、「つばきファクトリー」や活動に対して強い気持ちを持っているメンバーが多いので、それぞれが率先して動いてくれたり、いろいろなことをしてくれたりしています。みんなでグループを作っている、という感じが私は好きなので、一緒に素敵なグループを作っていきたいです。「つばきファクトリー」の歴史も感じるアルバム写真左から、河西結心、福田真琳、新沼希空。――2024年2月21日に3rdアルバム『3rd Moment』をリリースされます。8thシングルから最新シングルまでのシングル全12曲と、浅倉さん・山岸さん・岸本さんの卒業曲やライブで披露している曲の初音源化や新曲など盛りだくさんな内容ですね。新沼そうなんです。まず“リトキャメ”(2021年加入の河西、福田、八木栞、豫風瑠乃の4名を指す言葉「リトルキャメリアン」の略)がグループに入ってから、まだアルバムを発売していなかったので、いまの体制で発売できることがすごくうれしくて。さらに、アルバムのために新曲をたくさんいただいたので、多彩なジャンルの楽曲を歌えることもすごくありがたいです。河西私たちが加入してからの初めてのアルバムで、新曲をいただく度に振り幅が広がるように感じましたし、今回も初めて挑戦するような楽曲が多かったので、成長を感じることができるアルバムになっています。3名の卒業曲も収録されているので、「つばきファクトリー」の歴史も感じていただけると思います。福田私たちが入ってからのライブの新曲だったり、シングルの曲が入っていたりと、楽しんでいただけるアルバムです。私個人としては、「つばきファクトリー」の最初のアルバム『first bloom』(2018年発売)と2枚目のアルバム『2nd STEP』(2021年発売)をファンの立場として買っていたのですが…。新沼え~!知らなかった(笑)。河西そうなんだね。福田はい(笑)。車の中で曲をかけたりしていたので、そんなグループのアルバムに自分の声が入るんだなって、加入してからけっこう経つんですが、あらためて「やったー!」という気持ちになって(微笑)。また卒業された御三方の曲もあるのですが、卒業されても私自身ファンとしていまも応援しているので、ファンという立場からしたら、すごくうれしい特典だと思いました。このアルバムひとつで、「つばきファクトリー」の成長もわかりますし、さまざまな色に染まれるのだという魅力を感じていただけるはずです。――では続いて4曲ある新曲のうち、まず「Power Flower ~今こそ一丸となれ~」の聴きどころから教えてください。新沼湘南乃風のSHOCK EYEさんに作詞作曲していただいた楽曲です。最初に聴いたときは、ラップが入っていて、パンチのきいた楽曲だなと思ったんですが、歌詞を読んでみると「つばきファクトリー」をこれからどんどん世界に向けて大きくしていくぞ!というようなSHOCK EYEさんらしい熱い思いが書かれている歌詞だなあと。SHOCK EYEさんから楽曲を提供していただくのは3曲目になるのですが、私たちのことをすごく考えて書いてくださった歌詞で、愛を感じたので大切に歌っていきたいです。今回、私は初めてラップパートがあるのですが、イメージ的に私がラップを歌うようには見えないと思うんですよね(笑)。そういう面でも、新しい自分も出せる楽曲になるんじゃないかなと、披露するのが楽しみです。ライブに欠かせない1曲になっていくといいなと。――では新曲「Stay free & Stay tuned」は?河西この楽曲は「つばきファクトリー」にたくさんの楽曲を提供してくださっている中島卓偉さんの作詞作曲で、いまの「つばきファクトリー」にぴったりな印象の曲。歌詞には「不揃い過ぎると わかっているけど それが魅力 それがむしろ うちらのストロングスタイル」とあって。個性あふれるメンバーがいるからこそ、それが魅力的だよということを書いてくださったのかなと。前向きな歌詞ですし、聴いていても「頑張ってやるぞ!」という気持ちになれる、アップテンポで楽しい楽曲なので、コンサートで盛り上がりたいです。そして私の好きな部分があって、それは歌詞にはないんですが、新沼さんがあおりで「カモンエブリバディ!」と言うところがあるんですよ。そこが好き!新沼そこ(微笑)。この楽曲の序盤に入るあおりのレコーディングがあって、そのパートを録音したときに、普段ライブでも私はあおり担当ではないので、絶対自分の声が使われないと思ったんですよ。その様子を見ていたほかのメンバー数人も、私があおっているなんて「面白い~」みたいな感じで(笑)。すると、まさか私の担当に決まったので、全力でやってやろうと(笑)。河西ここが好きなんです(笑)。意外性があるところも、聴きどころだなと思います。――さらに新曲「EZPZ!!」はいかがですか?福田すごく軽快で爽やかな曲調で、これまでありそうでなかったような楽曲です。失恋ソングなんですが、これまでも失恋の曲はあったもののどちらかというと歌詞の女性像がちょっと大人の女性が多かったような印象があって。でもこの楽曲では、学生ぐらいの女の子の失恋曲になっています。同世代の方にも聴いてほしいですし、失恋したけど頑張ろうというポジティブな気持ちになれる楽曲です。――では、もうひとつの新曲「雨宿りのエピローグ」は?新沼こちらは女性の奥底の気持ちを歌詞に書き写すイメージのある山崎あおいさんの作詞なのですが、私はすごく山崎さんが作る楽曲が好きなんです。これも恋愛の楽曲で、少しアニソンっぽい印象も。私がハロー!プロジェクトに入ったきっかけとなったオーディションの課題曲が℃-uteさんの「悲しき雨降り」という楽曲で、その曲に少し似ている感じもして、懐かしくなりました。とくに女性に聴いてほしい楽曲ですね。――アルバムや新曲のお話をありがとうございました。ちなみに現在は年初から「Hello! Project 2024 Winter ~THREE OF US~」と題した全国ツアーで各地をまわっていますが、手応えはいかがですか。河西「THREE OF US」とあるように、モーニング娘。さんとBEYOOOOONDSさんと3グループで各地をまわらせていただいています。ほかのグループの方のいいところを吸収できるいい機会になるんじゃないかなとも思うので、私たちを初めて観る方にも「つばきファクトリー」を知っていただけるように頑張っていきたいなと。この冬で団結力も強くなったことを感じとれるので、さらに全員で成長していきたいですね。新沼2グループのファンを奪うぐらいの気持ちで、ツアーをまわっていけたらなと思っています。――3月10日には、千葉県の市川市文化会館で「つばきファクトリー メジャーデビュー7周年記念ライブ『ReALIZE』」も開催されますが、どのようなステージになりますか。新沼私たちはメジャーデビュー日が2月22日なんですが、ありがたいことに毎年ファンのみなさんと一緒にデビューをお祝いするイベントをやらせていただいていて、今年もお祝いイベントを行います。昨年は、ファンのみなさんにはサプライズで、生バンド体制でのコンサートを行いました。今年の内容はまだ話せなくて……ですが、今回もすごくスペシャルなライブになると思うので、喜んでいただけるのではないかなと。昨年来てくださった方にも、この1年の成長を感じてもらえるようなライブにしたいですね。それぞれも活動して素敵なグループになる――お話はかわりますが、おやすみのときはどのようにお過ごしですか。新沼神社やパワースポットに行くことがすごく好きなので、おやすみがあればひとりで気になる神社に行って、御朱印をいただいたりして、リラックスしています。あとは最近、サウナも好き。もともと暑いのはあまり得意ではなかったのですが、試しにサウナに行ってみたら、ひとりでぼーっと入っているだけでリラックスできて、自分には合っているなと感じたので、個室サウナとかに行ってみたり。そこで、ライブツアーの歌詞を覚えることもあります(笑)。――いいですね。神社などに行かれるというお話もありましたが、今年は初詣も行かれましたか?新沼自分の住んでいる地域の神社に行きました。違う日には、(河西)結心ちゃんと一緒に鎌倉のほうの神社に行って、人がすごかったですが素敵な景色や建物を観ることができて、よかったです。河西ふたりで鎌倉の鶴岡八幡宮や長谷寺などをまわって楽しかったですね。東京でおやすみを過ごすときは、神社仏閣を訪れたりします。長いおやすみがあるときは、山梨県の実家に帰って、愛猫のみみちゃんと遊ぶことが多いかな。あとはひとりで最近、近所のおいしいご飯屋さんを探して行ってみようかなって。いろんなことに興味があるので、人におすすめされたこともすぐやってみます。福田私はおやすみの日といえば、のんびりしていますね。ひとりで好きな食べ物を食べながら、ゆったりと映画やドラマやテレビを観たりしています。あとは連休があったら、私も結心ちゃんと同じく、実家へ帰りますね。長崎なのですが、学生時代に行っていた場所にもう一度行ってみて、その魅力を再度味わうことにも最近ハマっていて、それをブログで書いたり発信したりするのが小さな楽しみになっています。――ちなみに好きなドラマやお気に入りの映画などはあるのですか?福田ドラマは、「相棒」シリーズや「BORDER」といった刑事ドラマが好きですね。映画だと「ハリー・ポッター」シリーズは何回も観てしまいます。――では、2024年が始まったばかりなので、まず個人的な抱負をおひとりずつ聞かせてください。新沼個人の目標は、笑顔でいることです。普段ずっと口角が下がっているタイプなのですが、やはり口角が上がっていたほうがまず可愛いですし、印象もいいでしょうし、笑顔でいるといろんな運気が上がって幸運がやってくると思うので、どんなときでも笑顔でいるようにしたいです。河西私は“自称”ではない、観光大使になりたいです。地元の山梨県の観光大使を目指して、自称をつけて活動し始めたんですが、昨年は地元のラジオやテレビなどに出演することができて、夢のような出来事でした。もっと山梨県にも「つばきファクトリーを」知っていただけるように、さらにファンのみなさんにも山梨県の良さをたくさん伝えたいので、今年は脱・自称観光大使を頑張りたいです。福田私は初心を忘れずに、応援してくださっているファンの方を逃がさないことと、新たなファンの方を獲得したいという思いがまずあります。あとは、発信する力を伸ばしていきたい。いつも興味があることがあっても、自分にはできないんじゃないかな、とネガティブな気持ちになってしまって、心の中でやりたいことを止めてしまうことが多いので、今年は自分からもどんどん動いて、グループのために頑張れる1年にしたいです。個人的には、いま手をつけている語学や少し弾ける楽器が中途半端なままなので、腕を磨いて極めていきたいですね。――最後に、リーダーの新沼さんから「つばきファクトリー」としての今後の抱負をお願いします。新沼今年もそうですが、今後もずっと、「つばきファクトリー」というアイドルグループをもっとたくさんの方に知ってもらいたいです。3月のメジャーデビュー7周年記念ライブは“ReALIZE”というタイトルがついているんですが、単語に「気づく」という意味もあるので、世界中の人に「つばきファクトリー」のことを気づいてもらいたいですし、そんな存在になるのが夢。きっとメンバー一人ひとりがもっと大きいグループになりたいと思っているはずなので、それぞれもグループのために活動して、素敵なグループになっていきたいです。取材後記今回、「つばきファクトリー」の新沼希空さん、河西結心さん、福田真琳さんの3名がananwebに登場。取材中も和やかな空気に包まれながら、楽しく撮影とインタビューをさせていただきました。新たな門出となる新沼さん、これからもグループを支えていく河西さん、福田さんをはじめとした「つばきファクトリー」のニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね!写真・大内カオリ取材、文・かわむらあみりつばきファクトリーPROFILE2015年4月、小片リサ、山岸理子、新沼希空、谷本安美、岸本ゆめの、浅倉樹々でハロー!プロジェクト研修生内ユニットとして結成。2016年8月、小野瑞歩、小野田紗栞、秋山眞緒の3名が加入。2017年2月、シングル「初恋サンライズ/Just Try!/うるわしのカメリア」でメジャーデビュー。同年、第50回日本有線大賞 新人賞、第59回『輝く!日本レコード大賞』最優秀新人賞受賞。2021年7月、河西結心、八木栞、福田真琳、豫風瑠乃の4名が加入し、新体制となる。2023年4月に浅倉樹々が、11月に初代リーダー山岸理子と岸本ゆめのが卒業。山岸卒業後、リーダーは新沼希空、サブリーダーは谷本安美が務める。2024年2月21日、3rdアルバム『3rd Moment』をリリース。3月10日には、千葉の市川市文化会館大ホールで「つばきファクトリー メジャーデビュー7周年記念ライブ『ReALIZE』」を開催。InformationNew Release『3rd Moment』(Disc1 収録曲)01.涙のヒロイン降板劇02.ガラクタDIAMOND03. 約束・連絡・記念日04.アドレナリン・ダメ05.弱さじゃないよ、恋は06.アイドル天職音頭07.間違いじゃない 泣いたりしない08.スキップ・スキップ・スキップ09.君と僕の絆 feat.KIKI10.勇気 It’s my Life!11.妄想だけならフリーダム12.でも…いいよ(Disc2 収録曲)01.Power Flower ~今こそ一丸となれ~02.Stay free & Stay tuned03.七分咲きのつづき04.EZPZ!!05.サマー・チャレンジャー06.雨宿りのエピローグ07.アタシリズム08.君と僕の絆09.You’re My Friend feat.KIKI / 浅倉樹々10.かっちょ良い歌 / 山岸理子11.BE / 岸本ゆめの2024年2月21日発売*収録曲は全形態共通。*全種CD2枚組。(通常盤A)EEPCE-7820~1(2CD)¥3,850(初回生産限定盤A)EPCE-7814~6(2CD+Blu-ray)¥7,700*初回生産限定盤AのBlu-rayには8~11枚目シングルのMV、収録されていない別バージョンMV、岸本ゆめの歌唱動画、アルバムジャケット写真メイキング映像等を収録。(初回生産限定盤B)EPCE-7817~9(2CD+Blu-ray)¥7,700*初回生産限定盤BのBlu-rayには2023年8月24日に河口湖ステラシアターで行われた「つばきファクトリーの夏祭り2023 ~灼熱~」を収録。写真・大内カオリ 取材、文・かわむらあみり
2024年02月17日取材・文/ameri撮影:大嶋千尋編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部2024年がどんな1年になっていくのか、気になりますよね。少しでも良いことが起こる1年にしたいと思っているはず。今回は、アダストリア公式Webストア「.st(ドットエスティ)」にて12星座別毎日占いを連載しながら、アパレルブランドとコラボレーションした開運アイテムを発売している占星術師MageCさんに、今年全体の流れと星座別ランキング、開運のポイントを教えてもらいました!MageCさんって?前回のインタビュー「アパレル店員から占いの道へ。占星術師MageCに聞いた“占い師としての生き方”」をチェック■実はまだ“風の時代”のプレタイム。判断力をつける準備を2024年は、“風の時代”の準備段階。「今は風の時代だ」と2〜3年前からよく言われていますが、実はまだプレタイムなんです。というのも、惑星が行ったり来たりしながら順番に風の時代になっていくため、惑星が逆に進むこともあり、まだ完全には風の時代とは言えません。2026年までに徐々に風の時代へと移行していきます。2024年に関しては、1月21日に、時代を創ると言われる冥王星が次の星座のみずがめ座に入りました。そして、5月26日に幸運の星である木星がふたご座に入ります。このみずがめ座とふたご座は「風の星座」と言われていて、これまでの常識が覆ったり、今までやってきたことが普通ではなくなったりということが起こりやすくなる時期になっていきます。なので、今まで大丈夫だったことが大丈夫ではなくなり、逆にやった方が良いことが出てくるようになります。風の時代は個の時代とも呼ばれていますよね。個人が尊重され、自由な時代になっていきます。この時代は、やった方が良いこととそうでないことの判断が自分の中でできないとどうしたらいいか分からなくなってしまうので注意が必要です。具体的には、すでに「あれをやらなければ」と心に浮かんでいる方は、今のうちに進めておくこと。もし思い当たらない場合は、2024年の上半期は、特に身近な人を大切にするようにしてください。自分をしっかり持つためにベースを整えるのが2024年です。身近な人を大事にしたり、部屋の掃除をしたり、自分と向き合う時間を作ったりすることが開運の鍵です。■変化を恐れすぎるのはNG。少しでも良いから違うことを取り入れてみて一方で、注意したいのは、変化を恐れすぎてしまったり現状キープを希望しすぎてしまったりすること。もちろんキープは難しいことなので大切ですが、維持しながら一つでも良いから変化を取り入れるのがポイント。例えば、香水を変えてみるとか、いつも履いている靴や飲み水の銘柄を変えるとか、そういったことをしてみるのがおすすめです。2024年上半期は時代を創ると言われている天体が動くので、準備期間だと思って自分のベースを作ることに注力しましょう。ただし、下半期も穏やかかというとそうではなさそう。下半期も天体が星座を行ったり来たりする期間があるので「今までやってきたことがまた違っていたかも……?」と迷ってしまうかもしれません。2026年まではまだまだ忙しく変化が起こると思います。■2024年の運勢は?星座別ランキングここからは、2024年の運勢ランキングと、星座別に開運のヒントをお伝えしていきます!◇1位おうし座おうし座の方は、12年に1度の幸運期。追い風が吹いているので、人脈を広げたり新しいことに挑戦したりするのに適した時期です。特に前半、5月末まではじっとせずに積極的に行動するとより運気が上がります。◇2位ふたご座ふたご座はおうし座とは反対に、下半期の運勢が抜群です。現状に対して停滞していると感じている方が多いかもしれませんが、後半になると流れが変わるので、しっかりと切り替えてグイグイと挑戦していくのがおすすめです。◇3位やぎ座周りから注目され、恋愛運も上がり、人気者で楽しい1年になるでしょう。ただ、欲張りがちになる時期でもあるので、欲張らないように意識することが重要です。◇4位うお座周りからの評価が良い時期のため、やってきたことが身になることが多いと思います。逆に何も評価されなかった場合は、自分の行動を見直すべきという合図です。周囲の評価に満足できないのであれば、違う行動を取ってみることをおすすめします。◇5位おひつじ座物事が軌道に乗りやすい1年です。特に2023年上半期でやってきたことが具体的に進んでいきそうです。◇6位さそり座さそり座の方は、周りの人たちが助けてくれるなど、人のご縁に恵まれます。元々がすごく優しい性質なので大丈夫だとは思いますが、調子に乗って人への感謝を忘れると一気に運気が下がるので、注意しましょう。◇7位おとめ座憧れていることに近づきそうな1年。今までは無理かもと感じていたこともかないやすく、視野が広がっていくでしょう。ただ、人間関係で悩んでしまうことがありそうなので、人との距離感などを勉強する時期になると思います。◇8位いて座忙しい1年になります。仕事運が良い時期なので、楽しくやりがいを感じながら過ごせそうです。ただし、働きすぎてプライベートがおざなりになってしまうので、オンとオフの切り替えを意識することが大切です。◇9位かに座何か邪魔が入ったり、今までやってきたことに横から入られたりと、予想外の出来事が起こりやすいでしょう。ただし、自分のために何かをしてしまうとネガティブな出来事が起こりやすいので、誰かのためにと思って行うことで成功に近づきやすくなります。◇10位しし座大きな決断を迫られる年になるので、悩むことが多くなりそうです。しし座の方は基本的に勢いで進められるタイプが多いのですが、怖くなったり自信が無くなったりすることがある1年なので、そういった時には「どちらがワクワクするか」を考えて選択するのがおすすめです。◇11位てんびん座ひとりの人に執着しやすく、尽くしすぎてしまう時期です。都合の良い人になりがちなので、仕事や趣味など、他にも没頭できることを探してみましょう。◇12位みずがめ座周りの状況、環境に振り回されやすい1年です。一番星の影響を受けやすい時期なので、驚くような出来事やアクシデントが起こってしまう予感。良い意味でいうとターニングポイントになるので、目の前のことに一喜一憂せず、自分をしっかりと持ち、最終的なゴールを見据えて大きい目で見ると良いと思います。■開運のポイントは「質にこだわること」2024年の運気を上げるポイントは、特に上半期においては「質にこだわること」。良いものを食べたり美術館へ行ったり食材にこだわったりなど、五感を磨くことを意識しましょう。◇ラッキーカラー「ゴールド」また、ラッキーカラーはゴールドです。アクセサリーなどもゴールドを選ぶと運気アップに繋がります。◇ラッキーアイテム「シルクのパジャマ」ラッキーアイテムは、シルクのパジャマやカシミヤのマフラー。こちらも質の良いものとつながっています。◇ラッキーフード「紅茶」生活のなかにゆったりとした豊かな時間を取り入れるのもおすすめ。「紅茶」などを飲んでリラックスする時間を取り入れてみてください。マカロンなどを用意して、ゴージャスな雰囲気で楽しむことでより開運につながります。
2024年02月16日取材・文:瑞姫撮影:佐々木康太編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部※このインタビューは『LOVE CATCHER Japan』エピソード1~8のネタバレを含みます。「真実の愛」を求めるラブキャッチャーか、「賞金500万」を求めるマネーキャッチャーか。本能のままにどちらかを選択した参加者たちが、欲望を叶えるために参加するABEMAの恋愛番組『LOVE CATCHER Japan』が最終回を迎えました。参加者の一挙手一投足に注目してもなお、予想のつかない展開の先にあったのは、まさに“トラウマ級のどんでん返し”。まるでジェットコースターのように感情を揺さぶられ続け、大きな衝撃を与えた最終回の裏側では、一体何が起こっていたのか。今回は本編では語られなかった最終回の裏側、“マネーキャッチャー”と“ラブキャッチャー”それぞれの葛藤と苦悩、メンバーが過ごした8日間のラブマンションで起こっていた知られざるエピソードを、瞳、美良、雪乃、美沙紀、初音の女性メンバー5人にたっぷり語っていただきました。◇プロフィールひとみ(井上瞳)イラストレーター・24歳ゆきの(海津雪乃)グラビアタレント・25歳はつね(矢ヶ部初音)ゲームストリーマー・30歳みさき(谷岡美沙紀)Sサイズモデル・22歳みら(ヴァッツ美良)経営者・24歳※年齢は番組参加当時の年齢を記載しています。■参加者すら予想外すぎた正体――『LOVE CATCHER Japan』に参加しようと思った理由と、マネーキャッチャーとラブキャッチャーを選択するまでの経緯を教えてください。私は経営している会社で新しく始めた事業の資金がちょうど500万必要だったので、マネーに決めました。2023年は恋愛より仕事を優先すると決めていたので、迷いはなかったです。ルールも楽しそうだし参加してみたいなと思ったことがきっかけです。私は元々恋愛をする気がなかったので、マレーシアで8日間の短い恋愛をしてマネーを獲得して、その恋愛を置いて日本に帰ってこようと思っていました。私は正直ノリで(笑)。マネーを選んだ理由は、今まで恋愛で培ってきたテクニックやあざとさを発揮できるかなと思ったからです。ゲームとして試してみたかった。賞金は結果についてくるものとして考えてましたね。私はまずインドアなので、参加することによって色々な人と関われるし、さまざまな価値観に触れられると思って参加しました。マネーを選んだ理由は、今の私が恋愛もお金もどちらもすごく欲しいものじゃなかったので、恋愛をすごくしたいスタンスではないのにラブで挑むのはよくないんじゃないかな?と思ってマネーにしました。普段全く恋愛体質じゃなくて、プライベートでも友達を優先してきたタイプだったのですが、恋愛したいという気持ちは持っていたんです。この番組を知った時、8日間デジタルデトックスして男女で過ごしたら、もしかしたら恋愛モードになれるんじゃないかなと思って、私はそれを期待してラブで参加しました。――最初の時点では、女性メンバーの中で瞳さんだけがラブキャッチャーだったということになりますが、それを知った時はどういうお気持ちでしたか?視聴者の方は誰がマネーかラブか話数が進むにつれて少しずつ分かってくる部分もあるかもしれないんですが、実際に参加していると本当に分からないんですよ。結果的に男性は5人中4人がラブだったけど、男性の方がマネー多いんだろうなと思っていたし……。しかも、唯一のラブだった私が帰ってしまったので、知った時は本当にびっくりしました(笑)。――実際に参加していると分からないっていうのは、他のみなさんも同意見ですか?それこそ、私以外全員ラブで、男性メンバー4人がマネーだと思ってました。美沙紀が「身内からだます」って言ってたんですけど、本当にだまされてて(笑)!カメラが回っていないところで、友貴とカップルYouTube作るとか言ってたんですよ。だから本当にラブだと思ってました。カメラが回ってない着替え中に言うから、私、夏輝に言ったもん。「美沙紀カップルYouTubeやるって言ってるからラブだと思うんだよね」って……(笑)!本当に天真爛漫なラブだと完全に思ってました。自分で末っ子、天真爛漫、小悪魔みたいなキャラ設定をしてたので(笑)。美良もラブとして誠実な人だと思っていたので、最終告白の時にカップルが成立せずに1人で帰ってきた時は夏輝がマネーだったから不成立だったんだと思ってたんです。だから「夏輝やりやがったな……!」って気持ちだったんですが、美良がちょっと余裕そうな顔をしていたので、それで初めて「え……?そういうこと……?」と気づきました。――参加していると本当に分からないものなんですね……!私は確実に美沙紀がラブで、友貴とカップル成立すると思っていたので予想外の展開びっくりしました。1人で笑顔で帰ってきたから?笑顔と言うより、悪魔の表情(笑)。■最終告白前の選択に隠された想い――最後にマネーかラブか再選択できるというルールが発表されましたが、その時の気持ちを教えてください。また、マネーを突き通したおふたりは、告白後もその選択に後悔はありませんでしたか?私の場合は、会社のためのお金を獲りに行ったので、夏輝とか亞門くんに対して気持ちがいったのも事実で、選択を変えたいなと迷ったりもしたんですが、人に会社を任せて来ている以上、自分都合で「ごめん!やっぱり恋愛してきた!」と、最初の選択を変えることはできませんでした。自分の選択に、今も後悔はないです。――正直、最後は亞門さんに行くのかなともちょっと思ったんですけど……。私は夏輝のことをマネーだと思っていたので、それだったら、夏輝を選んで2人ともマネーで破綻する方が“まだいいな”って思ったんです。――逆に、あれだけラブっぽい亞門さんにマネーの方々が最初から行かなかったのが謎なんですが、それは何故なんですか?私の場合は自分の恋愛テクニックを試したかったので……。亞門くん本当にピュアだから簡単にだませてしまうし、それだと私なりのゲームにならない。――やめて!!!!!これ見てたら亞門さん泣いちゃいます!!!!!(笑)あと、マネーはラブに行けばいいじゃんって言われるんですけど、それはちょっと違うんですよ。恋愛をした先に、お金か愛かがあるという感じ。そういう人も今後出てくるかもしれないんですけど、私達はまだシーズン1で、何が起きるかもよく分かってない。恋愛をした先に、相手がどういう選択を最後にするかで行動していました。私も韓国の『ラブキャッチャー』を見ていたので、“もしかしたら今回も最後に最初の選択が変えられるかもしれない”と思っていたんです。その可能性を信じて行ったので、私は「相手がマネーだろうとラブに変えさせる」「そのためならキスも涙も全然使う」と決めていました。――それは、最終日前夜の自分からしたキスも……?はい。友貴がラブかマネーかは分からないけれど、限りなくマネーに近いと思っていたので、涙も使ってキスもしておいて、“それでもマネーでいるメンタルはあるのか”っていう。男の人にそこまでのメンタルはないだろうなと思っていたので、涙とキス、その2つは絶対やろうと決めてました。――……!!!!!(声にならない衝撃)この子、こんなもんじゃないですよ(笑)全員だまそう。誰も信用しない。って決めてました。■全てが終わった後に見せた最初で最後の本音――美沙紀さんは最終告白後に友貴さんからの手紙を読んで泣いてましたが、番組で3度目の最後の涙だけは、本当だったりするんでしょうか。あれは本当の涙です。正直キツすぎました。――あの涙すら嘘だったら、本当に何を信じていいのか分からなくなっているところでした……。私はマレーシアにいる間に毎日ノートを書いていたんですが、初日にみんなに会う前「最終日の私へ 多分選択は変えられるけど、このページを絶対に見てください」って自分に手紙を書いていたんです。“絶対にラブを選ぶな、後悔する”って。私はそれを見なかったら、ラブに変えてたかもしれないけど、その初日の自分からの手紙を見て、変えなかったです。正直精神的にもキツかったし、気持ちも動いてたし、危なかったんですけどね。正直、終わった後に後悔もしましたけど、今はあの選択に後悔はないです。――なるほど。ちなみに、最後にお金より愛を選んでカップルになった初音さんはどうでしょうか。私は“8日間の恋愛しよう”と思って来ていたので、自分の選択が変えられるとなった時に、このままマネーのまま帰国したら、自分が自分を苦しめるなと思ったんです。自分が最初にした選択にどんどん苦しくなっていってたので、変えられるって分かった時はすごくすっきりしたし、しがらみがなくなって自由になれた気がしたので、自分の選択に後悔はないです。――雪乃さんも、最後はラブに変えていましたね。変えられると知った時、「唯一の救いの手だ」と思いましたね。私は2日連続選ばれなくてデートに行けなくて泣いていたんですが、選ばれなかった悲しみももちろんあるんですけど、どちらかというと、覚悟がない上に目的をやり通せない自分と、相手をだますことへの罰が当たったんだと思ったからの涙というのが大きくて……。自分にはマネーの鎧が重すぎたので、最後に変えられると分かった時は本当に救われた気持ちでした。真っ直ぐすぎる亞門くんにすごく影響を受けたので、感謝の気持ちを込めて、亞門くんにラブのコインを渡しました。――瞳さんは途中で脱落してしまいましたが、マネーで参加したい気持ちは少しでもあったりしましたか?確かに500万という数字は大きいし、マレーシアに行く直前まで自分の意思でどちらか決めて参加できるので、迷った部分もあったんですけど、自分がラブで参加したことに後悔はないです。――最後に、最終回まで見届けた方にメッセージをお願いします。見終わった後にもう1回見て欲しいなと思います。その人が何の目的で来たのか分かった上で見ると、些細な表情の変化や言葉の意図など、色々な気づきがあると思うので、2回目、3回目と見ても楽しんでいただけるかなと。小さい世の中の仕組みを見たなと思ってもらえたらいいですよね。色々な価値観や目的があって参加しているので、その中で人生の一つのヒントにしてもらえたら嬉しいです。テーマが愛とお金という結構深いテーマなので、人の価値観の部分で考えさせられるし、ただ単に“人だまし合いゲーム”として見ても面白いし、どっちの目線で見ても楽しめると思います。みんな目的や価値観が違うので、誰か1人に共感してもらえることが多分にあると思います。これからのお金や恋愛の考え方のヒントになってくれたら。一般的に見たらマネーの人は批判を受けがちだと思うんですけど、私はラブを選んだけれど、愛とお金って究極の選択のだと思うし、私も本当に「奨学金を返したい!」とか目的があれば、マネーを選んでた可能性もある。ラブの人でもマネーになりうるから、マネーだから悪いとか、ラブだから良いとか、そういうことではない。そういうことを考えながら、もう1回見てほしいですね。――みなさん、ありがとうございました。◇『LOVE CATCHER Japan』(ラブキャッチャージャパン)番組概要配信URL:
2024年02月06日高橋文哉は、俳優デビューして5年。主演ドラマ、映画、CMなど、その快進撃はとどまるところを知らない。当の本人はと言うと、「まだまだ」といった鋭い表情ではるか先を見据えていた。満足をしない自分への飢餓がガソリンとなり、次の大きな道を拓いているのだろう。こうした進化に、観る者も惹きつけられるわけだ。2024年の最初の出演作は、竹内涼真主演による『劇場版 君と世界が終わる日に FINAL』となった。高橋さんは、竹内さん演じる間宮響と終末世界で行動を共にすることになる柴崎大和役として登場。喧嘩っぱやく、熱い側面を持つ元とび職人の大和は、いつも無我夢中で考えるより先に行動するタイプで、どこか初期の響を彷彿とさせた。何よりも、大和は高橋さんがこれまで演じることのなかった役柄となり、まさに新境地を踏んだといえる。劇中で大和が宿した「愛する人を必ず助けたい」という一途な想いは、俳優業にメラメラと全身全霊を傾ける今の高橋さんの真っすぐさに通じるよう。その想いをインタビューで聞いた。本格的に挑戦したアクションシーン「グッときました」――高橋さんは「君と世界が終わる日に」Season1をリアルタイムで視聴されていたそうですね。人気シリーズの劇場版に、ご自身が足を踏み入れた感想からまずは教えてください。現場に入った瞬間に、涼真さんやスタッフの皆さんがこれまで培ってきたものが、すごく見えたような印象を受けました。現場がかちっと固まっている感じがしたんです。それは4年という長い期間をずっと一緒にやってきているからこそ生まれる環境なんですよね。自分もこのパワフルさに負けないように、しっかりと熱量を持ってエネルギッシュにやっていきたいと奮い立ちました。――演じた大和は派手なアクションシーンも多く、特に窓を突き破るシーンは衝撃的な格好よさでした。ありがとうございます!窓を突き破るところは自分で観ていても格好いいと思いました(笑)。撮っているときは、まさか曲に載ってガラスを突き破るとは想像していなかったので、あそこはゾクっとしましたしグッときました。大和は自分としてもやっていてすごく面白い役だったので、その魅力が出ていたシーンだったのかもしれません。――本格的なアクションに挑戦してみて、実際に身体を動かすと気持ちも乗ってくるなど、新たな気付きはありましたか?アクションシーンで転がるようなときでも、例えばちょっとくらい痛いほうがその世界にぐっと入れるのは発見でした。物理的なことが影響することを、この作品ではすごく体感しました。涼真さんとのアクションシーンも、涼真さんが本気の力で耐えてくださったので、なるべく力を抜かないように、本当に首を絞めさせてもらったりもしましたし。常に危険はないように、けど本気で、いい塩梅を二人で探りながらやっていました。竹内涼真との共演が「何よりも大きかった」――竹内さんとの初共演は刺激的でしたか?はい、すごく。僕は『きみセカ』撮影のときまで、映画では『仮面ライダー』シリーズ以外で主演をやったことがなかったんです。今回の現場に入って、僕からすると涼真さんが“まさしく”という主演像でした。涼真さん自身は意識していないそうなのですが、全キャストに気を遣って話しかけたり、現場をなるべく揉んでゆるくできるようにしてくださっていて。それでもいざ本番になった瞬間は、きゅっとしめてくださって、すごくメリハリがあるんです。それでいて包み込んでくれるような雰囲気もあって…。もう、涼真さんのことは語り尽くせないです!映像に映っていない、残っていないところでの涼真さんの現場での振る舞い、立ち回り、現場での“いかた”が本当にすごいなと思いました。先日、連ドラの主演をさせていただいたときにも意識して思い出したのは、やっぱり涼真さんの姿でした。――“竹内涼真”という俳優の魅力、高橋さんの想いを強く感じるエピソードの数々ですね。この作品で得たものはアクションの経験ももちろん大きいですが、涼真さんのもとでお芝居ができたことが何よりも大きかったです。もう1回すぐに涼真さんとお芝居をさせていただきたいと思いましたし、今でも変わらず涼真さんと一緒にやりたい…。また会える日のために頑張れることも、この作品から受け取ったものなのかなと思いました。――今後、竹内さんと共演するならどんな役柄でご一緒したいですか?兄弟役をやりたいです!涼真さんは僕のお兄ちゃんと同い年ですし、年の差的にも絶対いけると思うんです。こうした生死に関わるようなハードな作品ではなく、ほんわかしたものがいいです(笑)。家のセットでずーっと撮っているような作品で、いつかご一緒してみたいですね。「相手の役者さんから吸収してお芝居をするタイプ」――高橋さんの俳優としてのキャリアは現在5年になります。急成長を遂げているイメージもありますが、ご自身としての手ごたえはいかがでしょうか?よくこうした取材で、「役でどういうことを受け取りましたか?」とか「どういう成長ができましたか?」と聞いていただくのですが、いつもわからなくて(苦笑)。まだ気づいていないんですよね。成長や自分が大きくなったという瞬間は、自分では気づかないものかもしれないな、と今は思っています。でも、例えば、『きみセカ』を応援してくださる方に見てもらって、「高橋、芝居うまくなったな」とか「いい顔するようになったね」と思っていただけたら、それはすごくうれしいです。――本作での大和は、ファンの方以外からもそうした声が届きそうです。もしも僕のお芝居がいいなと思ってくださるなら、それは共演の皆さんのおかげが本当に大きいと思っています。何というか…自分なりに分析したのですが、どうやら僕は相手の役者さんから吸収してお芝居をするタイプなんです。『きみセカ』だと涼真さんの声やセリフの言い方ひとつで自分の芝居が変わりましたし。なので、皆さんとのお芝居のおかげで、たくさん知らない自分のいい顔が引き出されていたのかもしれない、とも思います。――ありがとうございました。最後に、劇中では「ユートピア」と呼ばれる希望の都市にある高層タワーが舞台となっています。高橋さんにとってユートピア(=架空の理想世界)とはどのようなものでしょう?僕のユートピアですか?え~…ないですね。現実でいいです。――現実がいいんですね。はい。あとは僕、寝ているときに夢を見ることが大好きなので、そういう話ならあります。――夢の内容を覚えているんですか?覚えています。しかも「これ、夢だな」と思いながら夢を見られるという特技があるんです(笑)。それがすごく楽しいです。最近で言うと…でっかい石に追いかけられる夢を見ました。下に土を掘って逃げましたけど(笑)。たまに空を飛んでいたりもするんですよね、最高です!最近は見たい夢を見られるようにと、寝るときに「空飛びたい、空飛びたい、空飛びたい」と念じながら寝るようになりました。そうすると本当に高確率で空を飛べるんですよ!僕にとってのユートピアかもしれないですね。(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:劇場版 君と世界が終わる日に FINAL 2024年1月26日より全国にて公開ⓒ2024「君と世界が終わる日に」製作委員会
2024年01月31日『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が本年度の米アカデミー賞を席巻し、絶対的な存在へと上り詰めた感のあるアメリカの映画会社A24。そのA24の初公開作品計11本を上映する「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」が、12月22日より全国5劇場で開催中。ホラー、コメディ、ドキュメンタリーと多彩な作品が入り乱れる本企画の実施を記念し、『ミッドサマー』や『aftersun/アフターサン』ほかA24作品の日本版ポスターやパンフレット等を多数手がけるグラフィックデザイナーの大島依提亜と、A24のクリエイターに多数インタビューしたSYOの対談を実施。「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」のラインナップを中心に、A24の今後についても考察していく。大島依提亜映画のグラフィックを中心に、展覧会広報物、ブックデザインなどを手がける。A24の日本版担当作は『パーティで女の子に話しかけるには』『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』『ミッドサマー』『Zola ゾラ』『カモン カモン』『X エックス』『LAMB/ラム』『MEN 同じ顔の男たち』『エブリシング・エブリウェア・オール』『Pearl パール』『aftersun/アフターサン』『ボーはおそれている』など。SYO1987年福井県生。東京学芸大学卒業後、複数のメディアでの勤務を経て2020年に独立。A24好きが高じて『インスペクション ここで生きる』日本公開時のオフィシャルライターを務めたほか、『アフター・ヤン』『X エックス』『Never Goin' Back/ネバー・ゴーイン・バック』等のパンフレットに寄稿。アリ・アスターやマイク・ミルズほか、多数のA24系クリエイターにインタビューを行う。「A24の知られざる映画たち」ではケリー・ライカート監督のオフィシャルインタビューを担当。『エターナル・ドーター』© ETERNAL DAUGHTER PRODUCTIONS LIMITED/ BRITISH BROADCASTING CORPORATION MMXXIISYO:最初に簡単な流れを話すと、元々僕たちが「A24の知られざる映画たち」のセンチュリーシネマさんでのイベントに出ることになっていて。そこでは『エターナル・ドーター』を中心に話す予定なのですが(本対談は12月中旬に実施)、先日シネマカフェさんのポッドキャスト番組「ツクリテラジオ」に依提亜さんに出ていただいた際に「今回の特集上映についてもっと語りたいね。時間足りないね」という話になり、今回の対談につながりました。大島:「A24の知られざる映画たち」で上映されるのは11本ですが、個人的に5つ星の作品が半分以上あって、これはぜひじっくり話したいなと。最初は「未公開のやつだからどうかな」と思っていたのですが、まだまだこんなに傑作が揃っていたのか!と驚きました。SYO:全作観て思ったのは、「これもA24なんだ!」と。自分の中のA24のイメージから外れたものもあって面白かったです。それこそ「未体験ゾーンの映画たち」(ヒューマントラストシネマ渋谷で開催される劇場未公開作品一挙上映イベント)を全部A24作品でやったみたいな。大島:そうそう。SYO:個人的に意外だったのは『ゴッズ・クリーチャー』です。これA24よりNEONなんじゃない?(『パラサイト 半地下の家族』『PERFECT DAYS』等の米国配給を手掛けるスタジオ)と思うような、それこそ賞を獲りに行く系の渋~い作品で。『ゴッズ・クリーチャー』© A24 DISTRIBUTION LLC, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, NINE DAUGHTERS, SCREEN IRELAND 2022大島:もしくはサーチライト・ピクチャーズとか。SYO:そうそう(笑)。ろくでなしの息子を守るために母親がついた嘘が波紋を呼んでいく…というような話なのですが「日本でも置き換えられるよな、エミリー・ワトソンの役をやるのは吉永小百合さんか?いや、田中裕子さんかな」などと思いながら観ていました。息子役のポール・メスカルは『aftersun/アフターサン』で日本でも認知が広がりましたね。大島:ポール・メスカル、ハマっていましたよね。僕の今回のイチオシは『ファニー・ページ』です。これは傑作だった。『ゴーストワールド』のイーニドとレベッカの出てこないモブキャラだけで成立しているような作品で、ダメダメな人たちしか出てこないんだけど(笑)、16mmフィルムで撮影していることもあるけど、愛に溢れた視点で汚いものも美しく見えてくる。『ファニー・ページ』© 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.SYO:漫画家に憧れる男の子を中心にした、才能の話なんですよね。持っていない人たちや、持っているけど続けられるほどではなかった人たちが登場して「この部屋にいる奴らは全員才能がない」と自嘲するシーンなど、切なかった…。大島:そして、出来がものすごくいい。『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』のサフディ兄弟がプロデュースをしているのですが、彼らがコメディを撮ったらこうなるのかなというような、あまり観たことのない感じがありました。主人公が下宿する先が、地下の温室みたいなところじゃないですか。あのシチュエーションを撮りたかったんだろうなと思いました。SYO:なんでわざわざここに!?と思うような場所ですよね。住人みんな汗かきまくってるし、眼鏡も曇っていて(笑)。自分がプロデュースする立場だったら「ここにする必然性は何?」と聞いてしまいそう。だからこそそこに、作家性が出ますよね。大島:監督は撮影中、もっと汗を!と演出してたみたいです(笑)。カンヌ国際映画祭の監督週間に出品されてA24が買い付けたみたいなんだけど、凄い才能ですよね。監督・脚本のオーウェン・クラインは、『イカとクジラ』に出演していた俳優で本作が監督デビュー作。今後がすごく楽しみです。主演のダニエル・ゾルガードリは、『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』今回の特集上映のラインナップにも入っている『ロー・タイド』とA24御用達の若手俳優ですね。ダニエル・ゾルガードリ縛りで観てもいいかもしれません(笑)。SYO:僕のイチオシは『アース・ママ』です。良すぎてびっくりしました。先日発表された英国インディペンデント映画賞2023でダグラス・ヒコックス賞(新人監督賞)を受賞したのですが、納得です。『アース・ママ』© 2023 Earth Mama Rights LLC, Channel Four Television Corporation. All Rights Reserved.大島:これは最高でしたね。『aftersun/アフターサン』と『Zola/ゾラ』を足したような撮り方も良かったし、本作でデビューしたサバナ・リーフ監督がバレーボールの元オリンピック選手というのもびっくりしました。SYO:短期間に11本一気見したことで、ファーストカットで大体いい作品かどうかがわかるようになったのですが、本作はちょっとレベルが違いましたね。大島:わかる。主演のティア・ノーモアはラッパーなのですが、『アース・ママ』を見た後に即Apple Musicで彼女の曲を探して聴きまくっています。SYO:そうなんですね!僕も聴かなきゃ。『アース・ママ』は育児の資格がないと判断され、子ども二人が児童養護施設に収容されてしまった妊婦が主人公なのですが、貧困や有害な男性性といった問題や文化的なアイデンティティについても触れられていて見ごたえが凄まじい。大島:生まれてくる子どもを養子縁組に出すかという部分で、人種のアイデンティティと実生活のせめぎ合いが描かれていくのも上手いですよね。離ればなれになった子どもたちに電話でお気に入りの曲を流すシーン、グッと来ませんでした?SYO:あれは泣きました…。僕自身が親になったことで共感ポイントが増えると同時に、厳しい目で見てしまうことも出てきましたが、本作はノイズを全然感じなくて。先ほど有害な男性性の話をしましたが、加害者であろう男性がほぼ全く出てこない・意図的に登場させていないというのも特徴だなと。大島:確かに、出てこないですね。僕はへその緒の描写も印象に残りました。現実問題を描きながら、新しい映像を撮ろうとする野心もちゃんとある監督だなと。『カモン カモン』のようなドキュメンタリー的な取材シーンと創作の物語をミックスさせているから、深みも出ていたし。SYO:そしてヴァル・キルマーのドキュメンタリー『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』。これは感動しましたね…。幼少期からヴァル・キルマーが撮りためていた日常の記録が1本の映画になっていて。『ヴァル・キルマー/映画に人生を捧げた男』© 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC. All Rights Reserved大島:エディットがうまいですよね。素晴らしかったです。これを観た後に『トップガン マーヴェリック』を観たら、感動がものすごいんじゃないかな。しかし、A24のドキュメンタリーはハズレがないですね。『AMY エイミー』に『ボーイズ・ステイト』『オアシス:スーパーソニック』とみんな面白い。SYO:今回のラインナップの中で一番「劇場で観たい人が絶対いるはず」と思った作品かもしれません。彼の演技に対する想いや、完璧主義すぎて敬遠されてしまう苦しみ、ナレーションを息子が担当しているところ等々、見どころが多すぎました。大島:ドキュメンタリーはその人のどこを切り取るかによって180度イメージが変わるし、自分がプロデュースしている作品だからいい人に見せすぎてしまうきらいはあるけど、本作は一歩手前で止まる冷静さがあるのが素晴らしい。SYO:「過去の栄光にすがっている俺はダサいだろ?」と自嘲しつつ「でもこういう機会がないとファンと交流できない」と告白するシーン等々、全部を開示してくれる感じがありましたよね。大島:そして『ショーイング・アップ』も最高でした。ケリー・ライカート監督は日本でも人気だし本作は今回の特集上映の顔になっていますが、観たら作品自体が素晴らしくて顔になる理由がよくわかりました。しかし、ホン・チャウは素晴らしいですね。『ザ・メニュー』『ザ・ホエール』『アステロイド・シティ』そして本作と、いい作品に連続して出演していて凄いなと。『ショーイング・アップ』© 2022 CRAZED GLAZE, LLC. All Rights Reserved.SYO:本作は2人のアーティストの対立構造になっていて、芸術系の一家に育ったけどなかなかブレイクしきれない主人公(ミシェル・ウィリアムズ)と、自分ひとりで道を切り開いていく野心家のアーティスト(ホン・チャウ)の衝突も描かれるのですが、そこにお互いに認めているシスターフッド感があって心地よかったです。大島:ミシェル・ウィリアムズとホン・チャウが並んで歩き去っていくシーンでクリント・イーストウッドがよくやるエンディングショットというか、ふたりの遠ざかる姿をクレーンが上がっていく方法で撮影されていて、「ケリー・ライカートがこれをやるんだ」と思ったらハト目線だったのか!と気づいて面白かったです。あのシーンの演出はちょっと『フェイブルマンズ』を思い出しました。ミシェル・ウィリアムズ、ジャド・ハーシュとキャストもかぶっているし。あと僕は、映画に出てくる現代美術のコレクターなんです。例えば『ザ・スクエア 思いやりの聖域』などもそうだけど、『ショーイング・アップ』に出てくるアートも素晴らしいものばかりでした。SYO:今回の特集上映に際してケリー・ライカート監督にインタビューさせていただいたのですが、ミシェル・ウィリアムズとホン・チャウが演じたキャラクターは「どんな作品を作るか」から生み出されていったようです。実際にアーティストのもとでレクチャーを受けてから撮影に臨んだとか。大島:そうだったんだ。あとは、『ザ・ヒューマンズ』も良かったですね。『WAVES/ウェイヴス』のトレイ・エドワード・シュルツ監督の長編デビュー作『クリシャ』は、ホラーテイストに見せかけた家族の話という仕掛けですが、本作はその逆。最初から「家族の話ですよ」といいつつ、撮り方がホラー的でめちゃくちゃ上手いし、凝っている。『ザ・ヒューマンズ』© 2021 THE HUMANS RIGHTS LLC. All Rights Reserved.SYO:舞台となる家が怖いんですよね。壁の汚れとか、割れたトイレとか。そしてそれをじっと見ている父親がいて…。その中で展開していく会話が、聞かせようとしていない家族の内々の日常会話だから独特の居心地の悪さを感じました。それでいて、キャストが異常に豪華。『シェイプ・オブ・ウォーター』のリチャード・ジェンキンスに『ミナリ』『BEEF/ビーフ ~逆上~』のスティーヴン・ユァン、ジェイン・ハウディシェルは『その道の向こうに』に出演しているんですね。大島:『レディ・バード』のビーニー・フェルドスタインのシリアスめな演技が見られるのもいいですよね。本作はピュリッツァー賞に2度ノミネートされた劇作家スティーヴン・カラムが、トニー賞を受賞した自身の戯曲を映画化した作品だそうですが、映画としての完成度が非常に高い。いわゆる「劇作家の人が映画を撮りました」的な癖がないんですよね。演劇で出来ることをやり尽くしたから、映画ならではのことをやるんだという意志を感じました。SYO:エイミー・シューマー演じる姉が、妹カップルが仲良くしているところを見ちゃって「あっ」となるシーン等々、映像的な視点を感じました。大島:日常のディテールを強調することで醸し出される気持ち悪さが上手いですよね。ちょっとアリ・アスター監督の来年2月公開の『ボーはおそれている』にも通じるところがあるかもしれない。冒頭の建物で切り取られた空を映したカットもカッコよかったですよね。SYO:かなりじっくり見せていましたよね。ちょっと十字架に見える意味深なカットもあって…。僕は『アフター・ヤン』や『ブレードランナー 2049』のような“家映画”が好きなのですが、そうした方にもハマる気がします。大島:『フォルス・ポジティブ』も面白かったです。マタニティホラーなんだけど、こういう映画にピアース・ブロスナンが出ているのが新鮮だった。『フォルス・ポジティブ』© 2019 FP RIGHTS, LLC. All Rights Reserved.SYO:『007』のイメージを効果的に使っていましたよね。ファーストカットがラストカットと一緒で「なぜこうなったのか?」が明かされる構成の上手さ、そして床に垂れてしまった血が胎児の形になるなど、魅せ方も印象的でした。『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』『アース・ママ』含めて妊娠を描いた作品も今回多かった印象です。ここまでバーッと話してきましたが、こうやってA24縛りで様々な作品を観られるのは楽しいですね。A24にも色々な作品があるし、個人個人で最高!と思うものや微妙…と感じるものもあるでしょうが、本数が増えていくと「A24」というレーベルに対する解像度も上がっていきますし。大島:僕はA24全作品鑑賞マラソンを続けていますが、すごく楽しいです。観続けていくと「この監督は絶対に追っていこう」という人に出会えるし、青田買い的な楽しみ方もできる。新人・ベテランにかかわらず、A24は気に入った監督と継続的に組む特徴がありますから。『エターナル・ドーター』のジョアンナ・ホッグとは『スーヴェニア私たちが愛した時間』でも組んでいるし、『ショーイング・アップ』のケリー・ライカート監督とは『ファースト・カウ』もやっていますしね。SYO:『ファニー・ページ』はサフディ兄弟、『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』はバリー・ジェンキンス(『ムーンライト』)プロデュースですしね。『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』© 2023 CARDINAL RIVER LLC. ALL RIGHTS RESERVED.大島:とはいえ監督を追いかける観賞スタイルって、やっぱりその人の作家性があるからあまり広がっていかない部分もあると思うんです。じゃあもっと広い意味で色々な映画を観てみようといっても、多すぎて何を観たらいいかわからない方もいるはず。そんなときに、制作・配給会社縛りで観てみるのは効果的ですよね。映画の多様性も味わえるし、一貫した自分の好みにフィットする映画を観ることもできる。「ホラーだったらブラムハウス」みたいなブランド感ってあると思いますが、A24の場合はひとつのジャンルによらず様々な作品が観られるから面白いですよね。SYO:しかも最近、A24自体も次なるフェーズに入ろうとしていますよね。先日情報解禁された『MEN 同じ顔の男たち』のアレックス・ガーランド監督の新作『Civil War(原題)』なんて、IMAX専用映画ですから。A24史上最高の製作費らしいのですが、まさかIMAX映画を撮るとは思わなかった…。大島:ロック様(ドウェイン・ジョンソン)が伝説のレスラーを演じた『The Smashing Machine(原題)』をサブディ兄弟の弟、ベニー・サフディが監督するのも驚きですし、『セイント・モード/狂信』のローズ・グラス監督の新作『LOVE LIES BLEEDING(原題)』等、アクションの方にかじを切ってきた?と思うようなところもありますよね。明らかにこれまでとは違う動きだなと。SYO:確かに、来年日本公開が発表された『アイアン・クロー』もプロレスラーの映画ですしね。主題は違っていても、アクション要素はあるでしょうし。小島秀夫監督のゲーム『DEATH STRANDING』実写化も発表されましたし、アートフィルムと並行して大きめなバジェットの作品もどんどん作っていくのかな、とは感じています。大島:今後の戦略として、アートフィルムを撮っている監督にエンタメやアクション映画を撮らせて、毛色の違うものを作ろうとしている感じはありますよね。アレックス・ガーランド監督は『アナイアレイション -全滅領域-』も撮っているけど、『Civil War』はもっと現実的な話でしょうし。SYO:個人的には政権がひっくり返るディストピア映画『ニューオーダー』的なテイストの話かなと思っています。依提亜さんと話していて思ったのですが、こうした新たな動きは劇場体験を追求した結果なのかな?と。これまでは『ミッドサマー』だったり『TALK TO ME/トーク・トゥ・ミー』のヒットもあってA24の武器の一つにホラーがあったように思いますが、劇場に呼び込むさらなる施策として臨場感や肉体性を感じられるアクション映画の比重を増やしているのかもしれませんね。「A24の知られざる映画たち presented by U-NEXT」12月22日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町・渋谷ほかにて4週間限定ロードショー。2024年1月26日(金)よりU-NEXTにて独占配信。※『ロー・タイド』『ファニー・ページ』『スライス』はPG-12作品。(SYO)
2023年12月29日「悪との距離」「次の被害者」「模倣犯」など話題の台湾ドラマを次々と世に送り出し、台湾の映像業界で一目置かれる名プロデューサー・湯昇榮さん。製作の舞台裏を聞くと、見えてきたのはグローバルに展開するための脚本開発へのこだわりと、ローカル色を取り入れたストーリーの多様化だった。配信サービスの普及でグローバル化に方向転換――近年の台湾ドラマは飛躍的にクオリティが上がったと感じます。その背景には、文化コンテンツの産業化や国際化を促進する「台湾クリエイティブ・コンテンツ・エイジェンシー 」(以下、TAICCA 読み:タイカ)や台湾政府によるサポートがあるとうかがっています。現場で感じる変化があれば教えてください。まず、これは世界的なトレンドですが、Netflixのようなストリーミングプラットフォームの台頭によって視聴者の鑑賞スタイルが変わりました。テレビと違い、見たい時に、見たい速度で見られる。こうしたビジネスモデルによって、好まれるジャンルが明確になったと思います。台湾のドラマはここ10年間で大きな変化を遂げました。とりわけこの5年間で、さまざまなジャンルの作品が作られるようになったと思います。約5年前にTAICCAのような機関ができてからドラマ製作へのサポートが強化されましたし、政府も政策面の改善を進めています。――最近の映画やドラマのヒット作を見ると、ホラーや社会派ドラマ、LGBTQ+など、ジャンルが多岐にわたっています。台湾の市場でうけるジャンルと海外展開を狙ったジャンルに違いはありますか?まず映画に関していえば、台湾の観客に人気のジャンルはホラーです。ラブストーリーも人気ですね。次にドラマの話をすると、台湾ならではのジャンルとしては、BLドラマがあります。ニッチな視聴者層ではありますが、世界的に関心の高いテーマでファンも多く、LGBTQ+の要素がある作品は海外市場をさらに開拓できる可能性のあるジャンルだと考えています。海外向けでいうと、クライムサスペンスですね。手ごたえを感じたのは、私が代表を務める製作会社・瀚草影視が6年前に手掛けた医療サスペンス「麻酔風暴2」のあたりから。この作品はヨルダンでの撮影を敢行し、海外にも版権が売れました。もともと台湾の人も、日本や米国のクライムサスペンスはよく見ていたのですが、製作会社には予算がないし、撮影手法やストーリーの語り方もよく分からなかった。そこで私たちは何年もかけて研究を重ね、「次の被害者」(2020年)、「模倣犯」(2023年)の2作で自信を深めました。Netflixシリーズ「模倣犯」独占配信中もう一つ大事なジャンルは、社会的テーマを取り上げた作品です。「悪との距離」(2018年)を製作した時から、ああいう社会の一面を切り取った作品は台湾の視聴者にうけると信じていました。台湾ではケーブルテレビがほぼ全家庭に普及しており、ニュースチャンネルだけでも10数チャンネルある。ニュースを視聴する習慣があるので、社会の動きを追うことに関心が高いのです。ですから「模倣犯」にも社会的テーマを盛り込みましたし、こうした作品を製作することで、世界中の人に台湾の姿を見てもらうチャンスが生まれると信じています。脚本家の創作活動を支える取り組み――TAICCAとの協力で実現した作品の例と、TAICCAによる支援の意義や成果についてどのように考えていますか?韓国のKOFIC(韓国映画振興委員会)のように、TAICCAは台湾において大事な存在で、瀚草影視はTAICCAとファンドや脚本開発で協力関係を結んでいます。2022年には台湾の新進監督や作品を支援するファンド「合影視」(Tomorrow Together Capital)を設立しました。今年金馬奨にノミネートされたホウ・シャオシェン監督のプロデュース作『老狐狸』(『Old Fox』のタイトルで今年の第36回東京国際映画祭で上映)はこのファンドを使って製作した作品です。『老狐狸』(文策院提供)もう1点、TAICCAがすばらしいのは脚本開発をサポートしてくれることです。最近では「次の被害者2」で協力をいただきました。ほかにも脚本開発が進んでいる映画やドラマの企画がいくつもありますが、まだお話できる形にはなっていません。TAICCAは、台湾のクリエイターが生活に困らず、よりよい環境で創作に臨めるように、まず脚本開発費を提供してくれるので非常に助かっています。TAICCAとは脚本家のワークショップも行っています。昨年、一昨年は、Netflixのオランダの脚本家にご協力いただき、台湾で初めて大規模なワークショップを行いました。台湾の脚本家が大勢参加し、米国ドラマの脚本執筆のノウハウを学びました。――「模倣犯」についてうかがいます。原作自体は少し前に書かれた小説ですが、今の時代に合った巧みな改編をされていたと思います。脚本開発には、どのくらいの時間をかけたのですか?原作に書かれている事件について、設定されている当時の時代背景をいろいろ調べる必要がありました。そして得られた結果を分析し、取り込める要素は今回の脚本にも取り込み、キャラクター設定やストーリー構成も再考したのです。脚本完成までに約2年半の時間をかけ、今の台湾にローカライズした「模倣犯」を作り上げました。台湾のクリエイターたちに宿る日本の“養分”――日本のコンテンツのどんなところに魅力を感じますか?かつて台湾では日本漫画などを原作にしたドラマが数多く制作されていましたが、今では台湾における影響力を見ても、韓国のコンテンツに押されています。漫画やアニメ、小説など、日本は世界で最も重要なクリエイティブの発信地だと思っています。私は日本のドラマを見て育ちましたし、推理小説や漫画など、日本のコンテンツは今も魅力的です。「おしん」の大ヒット以降、大勢の日本のアイドルやドラマが私たち台湾のクリエイターの養分となっています。ここ10年ほどで皆、韓国ドラマを見るようになりましたが、日本から吸収した養分は今でも生きていますし、日本にはまだまだ大勢のクリエイターがいる。「模倣犯」も宮部みゆきさんの過去の小説ですが、物語の核となる部分は、改めてドラマにする価値が十分あると思いました。ドラマ化の機会を下さった宮部さんには、とても感謝しています。現在も、複数の日本とのプロジェクトが進行中です。日本と台湾だけではなく、世界中の視聴者にも理解してもらえるようなテーマの作品を発信していきたい。日本と台湾でヒットすれば、世界でも通用すると思っています。実は私が小さい頃、母が10年間、日本で働いていたことがあるんです。兄も日本の大学を卒業しました。家族が長い間日本にいたので、私も80年代、90年代の日本をよく知っています。ローカルの多様なストーリーを生む背景――湯さんのプロフィールを拝見すると、以前はテレビ局で客家や原住民に関する番組などを製作されていたそうですね。その経験も今のドラマ制作に活かされていますか?私自身、客家人なので、自分のルーツには非常に関心があります。学生時代は原住民のサークルに入っていましたし、母はホーロー語(台湾語)を話す所謂“本省人”。私にはいろいろな背景があるのです。小さい頃は「眷村」(戦後、中華民国政府とともに大陸から台湾に渡った軍隊とその家族が住んでいた集落)に住んでいたこともあります。こうした経験や背景から刺激を受けましたし、移民や外国人労働者の問題、民族といったテーマに関心を持つようになりました。2021年に製作した「茶金 ゴールドリーフ」は、改めて客家というルーツを見つめて製作したドラマです。多額の予算をかけた作品で、台湾で大きな反響を得ました。日本でも美術家の奈良美智さんがTwitterで言及してくださいました。世界共通で視聴者が見たいのは物語に流れる感情やキャラクターです。そこにローカル色ある独自の背景を加えると作品が多様になって面白くなります。ストリーミングサービスが普及し、ローカルの視聴者のニーズも増えているので、もっと多くのジャンルのストーリーを打ち出していきたいと思っています。――日本では映画やドラマの制作現場の労働環境の厳しさやハラスメントの横行が問題になっています。台湾ではいかがですか? プロデューサーとしてどんな取り組みをされているのか教えてください。この業界で長く働いていますが、ここ3~5年で大きく変わったと思います。既定の労働時間内に作業を終えることや労働環境の安全を保つためにも、撮影に入る前にスタッフ全員が講習などを受けなくてはなりません。我々のチームは女性が多いので、女性が働きやすい環境づくりにはとても気を配っていますし、いつでも訴えを聞ける体制にして、対処するようにしています。映像業界の仕事はハードです。時間的にも、集中力が必要という点でも、生活面でも十分な目配せが要る。産業の健全性を保つため、しっかり取り組まなければなりません。こうした対策をしっかり行って初めて、スタッフ一同が共通認識を持ってグローバルに展開していけると思います。このインタビューは、台北で開かれた文化コンテンツ産業の大型展覧会「2023 TCCF クリエイティブコンテンツフェスタ」(Taiwan Creative Content Fest)の合間に行った。TCCFを取材して感じたのは、台湾の文化コンテンツ産業にとってグローバル化は、市場という意味だけではなく、国際社会に台湾の存在感を示すためにも非常に重要な意味を持つということ。エンターテインメント性と台湾ならではのローカル色を両立させたドラマ作りにおいて、湯さんの脚本へのこだわりと、公的機関からの手厚いサポートが印象的だった。やはりTCCFに参加していた深田晃司監督にもお話をうかがうと、「日本の場合は脚本開発への助成が少なく、安価に抑えられてしまいがち。少ない報酬や短い期間で脚本執筆を迫られることも多い」といい、経済的に一番リスクの高い脚本開発の部分をサポートすることの重要性を指摘。「たとえば韓国のエンターテインメント作品の粘り強さというか、脚本上の練り込まれ方を見ると、実はエンターテインメント作品こそ、脚本開発って重要なのかもしれませんね」と語ってくれた。台湾から今後、どんな厚みのあるドラマが生み出されるのか、これからも注目したい。プロフィール湯昇榮(フィル・タン)プロデューサー、監督、記者など、映像業界で25年以上のキャリアを持つ。プロデュースした「次の被害者」「悪との距離」「火神の涙」「茶金 ゴールドリーフ」はいずれでもネットフリックスで数10週にわたりランキング1位に輝いたほか、「模倣犯」は台湾ドラマ史上初めて世界の非英語作品ランキングで2位に入った。〈協力:台湾クリエイティブ・コンテンツ・エイジェンシー〉(新田理恵)
2023年12月25日韓国を代表する俳優であるに止まらず、NETFLIXのドラマ「Sence8」(15~18)や是枝裕和監督と組んだ『ベイビー・ブローカー』(22)などの海外作品にも積極的に出演し、独自のキャリアを築いてきたペ・ドゥナ。『アーミー・オブ・ザ・デッド』(21)のザック・スナイダー監督が長年にわたって温めてきた構想を映像化したSFスペクタクル大作『REBEL MOON』では、主人公と共に戦う人物ネメシスに扮し、華麗なアクションを披露。俳優としての可能性をさらに広げた。国境と言語を越えて表現できること――宇宙を支配する巨大帝国マザーワールドに挑む戦士コラと彼女の仲間たちの戦いを描く『REBEL MOON』への出演を決めた理由を教えてください。私は基本的に規模の小さい映画や、人間の内面を描くような映画が好きですが、ファンタジーもとても好きです。それまで誰も見た頃もない、想像の中にしかなかったイメージを具現化して見せるというのも、映画というジャンルの持つすばらしい特徴のひとつだと思うからです。自分がその世界の中にいるのもとても楽しいです。『REBEL MOON』へ出演することは、SF大作を作ってきた歴史の長いハリウッドのCGI技術を自分の体で感じることができるチャンスだと思いました。いったい、どんなふうに撮っているのだろうか、それを学んでみたいという気持ちが強かったんです。好奇心を刺激されたのが大きかった気がします。――日本では今年、実際に起きた事件をモチーフとし、ペ・ドゥナさんが刑事役を演じた韓国映画『あしたの少女』(22)も公開されました。『REBEL MOON』とは規模もジャンルもまったく違う作品ですが、俳優として撮影に臨む際に違いはあるのでしょうか。演技をする時、特に国境を越えて何かを伝えようとする場合に大事なのは、すべての人間が持っている“心”というものが通じ合えるかどうかだと思います。もちろん、言語も大事ですが、心を伝えられるキャラクターかどうかを第一に考えます。日本の監督と組んだ『空気人形』(09)や『リンダ リンダ リンダ』(05)のときもそうでしたけれど、日本語があまりうまくなかったとしても、なんとか自分の気持ちを日本の観客に伝えようとしました。今回も、国境と言語を越えて自分がうまくできるところがあると思ったので選びました。もし、「感情のない役をやってほしい」と言われたり、ワンシーンにしか登場しないような役をオファーされたりしたら、やらなかったと思います。私が演じたネメシスの物語は、『REBEL MOON パート1:炎の子』よりも4月から配信される『REBEL MOON パート2:傷跡を刻む者』の方でより詳細に描かれていきます。あと、基本的に、静かで憂鬱な役を演じると、次の作品ではより活動的で楽しいものにひかれます。キャラクターを考え、衣装に自ら意見も――『REBEL MOON パート1:炎の子』の中でネメシスは、卓越した戦闘能力を発揮しますが、同時に、自らが倒したモンスター、ハーマーダの死を悼むような言葉を口にするような人物でもあります。彼女の背景をどのように理解して演じましたか。上半身が女性で下半身が蜘蛛の姿をしたハーマーダは、人間たちのせいで子どもが産めず怒りを抱いていますが、ネメシスはそんな彼女に母として共感しているんです。なぜなら彼女自身も母親で、傷を抱えた人物だからです。パート1だけだと少し背景がわかりにくいのですが、パート2を見ていただくと、彼女にとって母親としてのアイデンティティがどれだけ大きく、ハーマーダになぜそこまで同情したのかという理由もわかると思います。――ペ・ドゥナさんが韓国人であることは、ネメシスというキャラクターにどれくらい反映されていますか。特に意識して演じたことはありません。映画をご覧になって韓国っぽさを感じるとすれば、それは衣装のせいかもしれません。ネメシスが被っているつばの広い帽子は、韓国の伝統的な帽子“カッ”をもとにデザインされたものです。衣装合わせに行ったときに、すでに部屋に置かれていたので聞いてみると、私がキャスティングされたと聞いて衣装デザイナーのステファニー・ポーターが「韓国的なものを衣装に取り込もう」と考えて調べ、帽子に興味を持ったそうです。この帽子は朝鮮時代に両班(ヤンバン)と呼ばれた支配階級の男性が被っていたものです。私が出演したドラマ「キングダム」でも、王の息子が被っていましたね。あのドラマではとても低い身分の女性を演じていたこともあり、今回、この帽子を被ったときにはすべてを超越したような爽快感がありました。そのほか、上着も伝統的な韓服の上着チョゴリに似ています。私が意見を出したのは、ボトムスについてです。もともとは裾が短く、足首が見えていましたが、ネメシスが剣を使うキャラクターなので、剣道着のように裾を長くしてはどうかと言いました。足が見えないほうが、動きがわかりにくくなり、より高段者のように見えるのではないかと思ったので。――完成された映画を観てどのように感じましたか。本当にびっくりしました。私たちはロサンゼルスのスタジオを中心に撮影していましたが、スクリーンに映し出されたものはまったく違いました。CGも加わっていたし、背景の描写もすばらしく、脚本を読んだり撮影をしたりしていたときには想像できなかった映像でした。自分の格闘シーンを見ても「こんなことをやっていたのかな?」と驚いたほどです。監督のザックがポストプロダクションで工夫してくれたおかげでとてもかっこよくなっていました。みなさんに観ていただくのが待ち遠しいです。(text:佐藤結/photo:You Ishii)■関連作品:【Netflix映画】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミング【Netflix映画】レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-
2023年12月22日【音楽通信】第151回目に登場するのは、TikTokに投稿した楽曲が大バズりし、音楽シーンに彗星の如く現れた20歳のシンガーソングライター、なとりさん!高校卒業間際から音楽活動をスタート【音楽通信】vol.1512021年5月から音楽活動をスタートした、現在20歳のシンガーソングライター、なとりさん。エレクトロミュージックから和楽器、バンドサウンドまで取り入れた楽曲を、独自の艶やかなウィスパーボイスで歌っています。2022年5月に投稿した楽曲「Overdose」はTikTokでの関連動画が約500,000個、総再生回数は20億回を超える大反響。Billboardのストリーミングソングチャートでは、歴代6位タイの速さで1億回突破を達成し、国外まで知名度を広げました。さらに今年、Adoさんが「Overdose」をカバーしたYouTubeも話題に。素顔を明かしていないため、なとりさんの音世界を表現するイラストがキービジュアルとなっているミステリアスなところも、惹きつけられる要素のひとつです。そんななとりさんが、2023年12月20日に、1stアルバム『劇場』をリリースされたということで、音楽的なルーツなどを含めて、お話をうかがいました。――小さい頃に音楽に出会ったきっかけや、よく聴いていた音楽から教えてください。物心が付く前から、ひとまわり上の姉がORANGE RANGEが大好きで、家でずっと曲をかけていたことを覚えています。母も音楽が好きで、アカペラグループに入って歌っていたこともあって、ゴスペラーズをよく聴いていました。姉や母の好きな音楽が、僕の音楽的なルーツとなっているといえそうです。音楽を始める前、いまのネット発の音楽の入り口は、米津玄師さんでした。米津さんから影響を受け、いろいろな音楽を聴いていくようになりました。その後、高校2年生の時に、キタニタツヤさんの音楽を聴くようになって。きっと僕の曲の中にも無意識のうちにそのエッセンスが入っているだろうなと思うほど、キタニさんの曲を聴き込みました。そしてキタニさんの音楽に出会ったことで、音楽を始めました。――キタニさんの影響で、現在のようにご自身で作詞作曲されるようになったのですか。もともと「音楽がしたい」と思うようになったときに、キタニさんのYouTubeを観ていたんです。パソコンの画面を映しながら、打ち込み、DTMで作曲をするというライブ配信があり、スマホでも作曲ができることを知って。それが高校卒業間際ぐらいの時期だったので、そこから自分でも曲を作るようになりました。――とくに楽器に触れる機会はなく、最初から打ち込みでの曲作りとなったのですね?そうです。中学2年生ぐらいのときに、母親がギターを始めたこともあり、僕も褒められたいがために始めたことがあって。そのタイミングで米津さんの音楽を聴いていたので「この曲を弾いてみたい」と思って弾いたこともありましたね。――活動開始から1年後にTikTokに投稿された「Overdose」が大反響を呼び、大きな手応えを感じたのではないかと思うのですが、いつ頃から将来は音楽の道でやっていく、と決意されましたか。実は活動開始のときに、僕は就職していました。働きながら好きな音楽をやって、「ちょっと売れればいいな」ぐらいに思っていて。そのぐらいのテンションで投稿した曲がバズり、急にいろいろなところから反響がきたため、自信を持つよりも、むしろ自信をなくしてしまったんです。「僕は音楽的な下積みがないのに、こんなにすごいところにいていいのか」と。音楽を作るモチベーションが下がるきっかけにもなって、これだけ反響のある曲をこれから作り続けないといけないのか、とものすごく怖くなって悩むようになりました。ただ、活動を始めて1か月ぐらいで、運良く反響をもらった曲があって。そのときにいくつかのメジャーレーベルの方からお声をかけてもらったことがきっかけとなって、今年の3月に「フライデーナイト」という曲をソニーから配信しました。この曲は、SpotifyブランドCMソングにも起用していただいたのですが、初めてのCM曲だったので「めっちゃ仕事してる~!」という感覚にもなりました(笑)。――「フライデー・ナイト」のミュージックビデオは、現在700万再生となっていますし、なとりさんの勢いを感じます。とはいえ、音楽活動でやっていくとなると大変なことも。当時、ご家族やまわりの方から何か反応はありましたか。最初はとても心配されましたね。家族に「『Overdose』がバズってる」という言い方をしても、「なんかちょっと聴いてもらえたんだね」というぐらいの反応でした(苦笑)。その後、本当に「Overdose」を配信することになって、家族からようやく認めてもらえましたが、ずっと音楽を仕事として続けていけるかはわからないからいろいろ考えてね、とも言われて。理解されるまではしんどかったですが、音楽活動一本でいきたいと押し切りました。1stアルバムは「つくづく良い作品になった」――2023年12月20日に1stアルバム『劇場』をリリースされましたが、仕上がってみていかがでしょうか。自分を褒めるようで気恥ずかしいのですが、よく頑張ったなあって(笑)。つくづく良い作品になったな、と心の底から感じていますね。ほかに今年の思い出がないぐらい、ずっとアルバムの作品作りに没頭していました。僕のこの1年の音楽がたくさん詰まっている作品なので、たくさん聴いていただきたいですし、ヒットしてほしいと思っています。――タイトル曲の1曲目「劇場」に込めた想いから教えてください。この曲は「Overdose」がバズる前に作ったので、まだ僕の曲がほとんど聴かれていない時期だったんです。ちょうど仕事でも上司に腹が立っていて、私生活もうまくいかなくてものすごく悩んでいた時期に、デモとして作った曲。本当に僕のもっともパーソナルな闇の部分を凝縮して作った曲なんですよ。“闇を書く”というのは、「なとり」という音楽の中で、すごく大事にしている部分でもあって。その一番濃いものをたくさん聴いてほしいと思ったんです。さらにアルバムを作るとなったときに、「劇場」というタイトルはひとつの作品としてまとまりがいい。なので、これを1曲目に選ぶことで、これから「なとり」の劇場が始まるよ、という意味合いも込めています。――先ほどもお話を聞いた3曲目「Overdose」は、ご自身にとってどんな存在でしょうか。まったく僕の曲を聴いてもらえていない時期に、自分のやりたい曲はいったん置いておいて、まずは入り口になる曲がないといつまでも聴いてもらえないと考えました。そこで、自分のやりたいことを無視して、当時一番TikTokで受けている層に対してアプローチした楽曲が「Overdose」です。自分の中でトレンドを分析し、出てきた4つのキーワードを全部踏襲しようと意識して作っていったところ、想定以上の反響があって。人生を変えた曲になりました。――作られたときは19歳ぐらいですか?19歳です。ふっとメロディが降りてきた感覚があって、新鮮なうちに届けたいと、一気に作っていったことがすごく印象に残っている曲でもありますね。――ということは、曲を作られる際に冷静に分析する視点と、ぱっと湧いたイマジネーションとのかけ合わせのような感じで、曲作りをすることが多いんですか。この曲は特殊です。僕の曲の中では新しいジャンルといいますか、作り方も、楽曲の雰囲気も、いつもとは違いますね。通常は、日頃から映画やドラマや漫画などの作品から着想を得ることが多くて。または影響を受けた楽曲からエッセンスを取り入れることがスタンダードな作り方なので、「Overdose」はとにかくバズを狙って作るという新しい作り方をしました。――リードトラックの6曲目「Sleepwalk」は耳馴染みがいい曲ながら、ときどき鳴る違和感のある音にハッとするユニークさもあります。ときどきミュージックビデオを作るときに、この曲のイメージがどうやったら伝わるかな、と考えると「ホラーゲームの世界観は伝わりやすい」と思ったことがありました。さらに自分のルーツはホラーゲームだと気づいて。そんなホラーゲームをコンセプトにした曲が、この「Sleepwalk」です。キャッチーなメロディの中に、ちょっと不穏な音をところどころに配置して、ホラーゲームのような違和感があるものをポップスとして消化させながらまとめました。――7曲目「金木犀」についても教えてください。この曲は人生で初めて作った曲です。曲作りをしながら「なんかめちゃくちゃいい曲だな」と自分でも手応えがあって、みんなに聴いてもらいたいという気持になりました。そこで「音楽を作りたい」という思いが鮮明になっていって。曲が完成してからは、信頼できる友達や母親に聴かせてみるとみんな良い曲だと言ってくれて、さらに音楽を作りたい気持ちが強くなりました。この1ヵ月後に、初めてネットに曲を投稿して公開に踏み切った思い出深い曲です。――8曲目「夜の歯車」は、シンプルでいて胸に染み入るバラードですね。兄の結婚式に向けて作った曲です。家族で夜ご飯を食べているときに、父親が冗談半分に「兄夫婦のために曲を作ったら」と言ってきたのですが、そういう形で曲を作ったことがなかったので、作ってみようかなと。アコースティックな曲で胸があたたかくなるような歌詞になりました。――もちろん、お兄さんは曲を聴いて感動されましたよね?いや、結局、聴かせてないですね(苦笑)。あまり兄に向けた曲だと言うのも、恥ずかしくなってしまって……。――なんと!もったいないので、お兄さまにはぜひアルバムを聴いてほしいです。では続いて、9曲目「エウレカ」は、ほかとは毛色が違う、アグレッシヴなロックサウンドです。受ける層に向けて作った曲のあとに、この「エウレカ」以降、いまも自分がやりたい曲を作らせていただいていて。僕はボカロを通ってきた人間ですが、ロックサウンドが大好きなので、なとりはこういう曲もできる、ということを聴いてほしいと思って作ったんですよね。曲作りの際お話ししましたが、たぶん好きな映画や漫画から着想を得てできた曲。僕の厨二病のような部分をそのまま表現していて、音作りにもこだわって作りました。――ちなみに歌唱面では、何か意識されていることはあるのでしょうか?僕のボーカルで一番の武器は、たぶん音域だと思っていて。かなり低いところにあるので、ほかのアーティストとどう差をつけるか、違いを見せるかを意識しています。そして息の成分がたっぷりの歌声なので、このふたつの特徴を持つアーティストは、いまのポップス界には僕しかいないのかなと。この点を重点的に出せるように楽曲を作ったり、レコーディングでもより良くなるようディレクションをしてもらったりしています。――2024年2月にはシクレットショー、3月には東京のZepp Haneda、4月には大阪のZepp Osaka Baysideで『“なとり”1st ONE-MAN LIVE「劇場」』と題した初ワンマン公演がありますが、どんなステージになりますか。まだどれも構成中なのですが、シークレットショーは3月からのワンマン公演の前に、アルバム『劇場』を少し披露するような短い時間でのショーになる予定です。3月と4月のワンマン公演は、バンドメンバーと一緒に『劇場』の世界を濃縮した演奏と演出をしたステージになるかなと。いまは音楽以外の余計な情報を出したくないので、顔を出していないのですが、そこはライブでもやはり軸に置くかもしれないですね。あとはアルバムと同じく、ステージでも『劇場』というコンセプトは壊さないようにしたいと思っています。もっとたくさんの人にいろんな曲を聴いてほしい――お話は変わりますが、おやすみの日はどんなふうに過ごしていますか。漫画が好きなので、いま漫画アプリ「マガポケ」(少年マガジン公式無料漫画アプリ)をすごく推しています。この漫画アプリの作品は、だいたい読んでいますね。あとは古着も見に行くことがあります。音楽活動に通じているんですが、新しく買った服を着て曲を作る、というのが日課になっていますね。――では、アルバムだと収録曲数ぶんの新しい服があるという?どうだろうなあ(笑)。着こなし方にもよるんですが、曲ごとに服を変えると、わりと気持ちが入るといいますか。ある種、それが仕事着のような感覚で着ているかもしれないです。――気分によって服を選ぶのか、クールな曲を作ろうと思ったらクールな服など、そのテイストのファッションに身を包み…ということでしょうか。「この曲のミュージックビデオはこういう服で出たい」というイメージが浮かびやすいんですよね、イラストなので実写では作っていないんですけど(笑)。たとえば「Overdose」のときは、もしも実写を撮るなら、僕は黒のセットアップを着て出たいというイメージがあって。わざわざ黒のセットアップを着て、わざわざネクタイを付けて、「Overdose」を作っていました。だから、実家のクローゼットの中には、服がたくさんあります。――曲作り以外では、どんなテイストのファッションが本来お好きなんですか。きれいめ系ですね。スラックスをよくはきますし、レイヤードの服もすごく好きです。お気に入りの水色のシャツがあるので、その水色のシャツに合わせていろいろな組み合わせをしています。――18歳から音楽活動されて19歳で転機が訪れ、現在20歳になったということで、10代を振り返ってみて、そして20代でやってみたいことは?10代であまり音楽理論などを知らないまま活動を始めましたが、自分の音楽が形になってきたいま、改めて音楽の勉強をするようになりました。これからもさまざまな音楽をたくさん吸収していきたいです……って、ちょっとかたいかな(笑)。10代は、無駄なところで生意気な部分がすごくあって、変な自信を持っていました。これからは変な自信ではなく、ちゃんと中身を濃くして、本当の自信を身につけたいですね。――では最後に、シンガーソングライターとしての今後の抱負を教えてください。もっとたくさんの人にいろんな曲を聴いてもらいたいので、これからもずっと音楽を届けていきたいと思っています。取材後記TikTokへの投稿から一躍脚光を浴びたシンガーソングライターなとりさんがananwebに初登場してくださいました。SNSから誕生したニューカマーとして、多くのリスナーを魅了するなとりさん。初めてのアルバムに込めた思いをたっぷりと聞かせてくれました。時に冷静にシーンを分析し、時に音楽的な欲求のままに曲作りをし、20代もたくさんの楽曲を聴かせてくれることでしょう。そんななとりさんの1stアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみりなとりPROFILE2021年5月より活動開始。2022年5月、投稿した「Overdose」はTikTok上の関連動画が約500,000個、総再生回数は20億回を超え、“歌ってみた”などのカバーで若年層からの支持を集めている。Billboardのストリーミングソングチャートでは、歴代6位タイの速さでの1億回突破を達成し、国外まで知名度を広げた。2023年3月、SpotifyブランドCMソングに「フライデー・ナイト」が起用され、ミュージックビデオは700万再生を突破。12月20日、1stアルバム『劇場』をリリース。InformationNew Release『劇場』(収録曲)01.劇場02.食卓03.猿芝居04.Overdose05.フライデー・ナイト06.Sleepwalk07.金木犀08.夜の歯車09.エウレカ10.Cult.11.ラブソング12.ターミナル13.カーテンコール2023年12月20日発売(完全生産限定盤)SRCL-12665¥5,500 (税込)*ジャケットアートボード仕様+ブックレット+オリジナルトランプ+CDほか。取材、文・かわむらあみり
2023年12月20日『湯を沸かすほどの熱い愛』や『楽園』など、役の人生を丸ごと背負うような熱演を見せてきた杉咲花。彼女が、壮絶な宿命を背負った女性を演じた『市子』が、12月8日(金)に劇場公開を迎える。「ただ穏やかに、生きていたい」と願いながら、家庭環境に恵まれずに受難が続く市子(杉咲花)。恋人の長谷川(若葉竜也)にプロポーズされた翌日に姿を消した彼女の足跡をたどる形で、その過去が紐解かれてゆく。作品と出合った誰もが、頭から離れなくなる生きざまを具現化した杉咲さん。彼女はいま、どのような想いで「演じること」に取り組んでいるのか。対話に近い形式で、語っていただいた。「物語に関わることは、社会との接点を持つということ」――以前、杉咲さんに本作のお話を伺った際に「自分の特権性に気づかされた」とおっしゃっていたのが強く印象に残っています。これはまさに、近年の映画を語るうえで重要なトピックのひとつではないでしょうか。私自身も近年に関わる作品であったり、コロナ禍などの様々な社会の動きから、尊厳が守られない環境で生活せざるを得ない方が社会の中に確かにいるという状況を今まで以上に肌で感じるようになりました。そして自分のようにそう感じている方も、まだその事実に触れたことのない方も、きっと世の中にいるはずで。だからこそ物語を通して自身の特権性を知ったり、区切りを付けずに考え続けていくこと、誰かと議論していく動きにつながることが大切だと感じています。――おっしゃる通り、一過性にしないことが大事ですよね。『市子』はまさに、そうした効果を促してくれる作品かと思います。先日の28回釜山国際映画祭でワールドプレミアを迎えられましたが、現地の反応はいかがでしたか?ご覧になった感想はまだ自分のもとに届いていないのですが、戸田監督・若葉竜也さんと一緒にお客さんに交じって観賞し、上映後には何と言えばいいのでしょう――張りつめているわけでも、感動と表せるようなものでもなく、その場にいた皆さんと“言葉に出来ない何か”を共有した感覚を味わいました。そしてなんだか恥ずかしくて、そのまま劇場から去りたくなってしまいました(笑)。ワールドプレミア後にはQ&Aコーナーが設けられたのですが、本当に多くの観客の方々が手を挙げて質問をしてくださいました。自分自身、この作品が海を渡り、日本とは異なる歴史や文化を持った方々にどう受け止めてもらえるのだろうと気になっていたのですが、興味深く観ていただけたのかなと実感できてとても嬉しかったです。――ちなみに、杉咲さんが一観客として「気づかされた」近年の作品はございますか?『エゴイスト』です。ここ数年でクィアな方々を描いた作品に関わらせていただく機会が増えたことをきっかけに、当事者の持つ歴史や、クィア映画/ドラマが日本や世界でどのように作られているのかを学んでいきたい気持ちがより深まっています。性的マイノリティの方が他者に否定をされてしまうような、差別や偏見による被害の側面だけが描かれるのではなく、当たり前にそこに存在している姿が描かれた映画はこれまで国内にはあまりなかったように思います。そういった作品がこれからも増えていってほしい気持ちがとても強いですし、自分にとって本当に学びのある作品でした。――同時に、演じ手においてはより責任感が増す、という側面もありますね。つまりそれって、自分がどういう人間でありたいのかということに繋がる気がしているんです。自分自身、気になっているトピックが色々とあるのですが、まだそこに学びが追いついていない感覚もあるのが正直なところです。そんな自分にとって、物語に関わることは、社会との接点を持つということでもあり、だからこそ、作品に関われることはとても貴重な時間だと感じています。“市子”を演じて起きた想定外の感覚――『市子』では、役作りで減量もされたと伺いました。そのように削いでいく作業をすることで、感覚が研ぎ澄まされるようなところはありましたか?それが直接作用したかどうかは分からないのですが、市子という人物を演じていて、身体的にどうしようもなく反応してしまう瞬間が何度かありました。と同時に、何も感じられない瞬間もあって、カットがかかってから大きな不安に襲われるようなシーンもありました。例えばキキ(中田青渚)ちゃんに「ケーキ屋さんをやろう」と言われたシーンや、ある行為の後で母(中村ゆり)に話しかけるシーンを撮り終えた後に「この表現で大丈夫だったのだろうか」という焦りを感じてしまって。ですが、出来上がった映画を観たときに、「市子自身も自分のことがわからなかったのかもしれない」という気がしてきて。もしかしたら、その感覚自体が市子という人の心境近かったのかもしれないな、といまは思っています。また、プロポーズのシーンでは想像もつかなかったような感情が湧き上がってきました。婚姻届けを渡された際、これ以上ないほどの幸せと苦しさが押し寄せてきたんです。ああいった境地にいく想像は、していませんでした。――役者は先の展開も全て知ったうえで演技を行うと思いますが、杉咲さんご自身の「わからない」という感覚が、市子と重なったのですね。ちなみにそういった、ある種イレギュラーな状態になった際は杉咲さんご自身も動揺されるのでしょうか。めちゃくちゃ動揺します。カットをかけてほしい気持ちになってしまったり、自分から「ごめんなさい」とストップをするべきか、迷ってしまうこともあります。ですが時として、そういう瞬間こそ何か突き抜けていくような表現に繋がる場合もあったりするんですよね。未だにその感覚が掴みきれていないんです。こんなにも不安定でいいのだろうかと、落ち込んだりもするのですが。――でもそれは、ひょっとしたらお芝居の本質なのかもしれませんね。作品を重ねていけば経験自体は増えていきますが、その人を演じるのは多くの場合その1回きりでしょうし。相手役の反応も気になるところですが、たとえばプロポーズのシーンの若葉さんはいかがでしたか?若葉さんは、現場での立ち回りやお芝居での表現に対していっさいの欲を持たずに、ただ、ただ目の前にいるひとのためにそこにいて、素直に何かを感じとって反応をしてくれる方なんです。だからこそ、その瞬間にしか起こりえないものが紡がれていく。視聴者としても一共演者としても、本当に素敵な俳優さんだと思っています。役との向き合い方は「対話」――杉咲さんが『市子』で経験されたアプローチは、ワンアンドオンリーのものなのか、以降の作品にも導入されていくものなのか、どちらでしょう?私はお芝居において本当にルーティンがなく、何をやっても「これよりベストな方法があるのではないか」と探し続けているような感覚もあります。もしかしたらそれは、初対面の他者と向き合うように、役に対しても「はじめまして」という感覚が強いからなのかもしれません。――演じるうえでのある種の怖さや不安に、杉咲さんはこれまでどのように向き合い、乗り越えてきたのでしょう。自分の中では、基本的には乗り越えられていないというか…。恐怖と共に歩むような感覚が強いです。うまくいかなかったときは、後悔しても仕方がないので、それを受け止めて次の日のことを考えていくしかないのかな…と。――演じ手のセルフジャッジ的にOKなものが、演出サイドから見た作品的なOKと必ずしも一致しないぶん、難しいですよね。そうですよね。独りよがりになってしまう恐れを抱きつつも、対話を続けていたい気持ちはあります。――そうしたなかで作品を作る、届ける意識も変化しているのでしょうか。そう思います。いままではいただいたお仕事、受けた演出に対し全力を尽くし、作品が終わったら次の現場に向かっていく感覚がありました。ですが、物語が作られていく過程を人は見ているし、作品が世に放たれることに対しても、今まで以上に緊張感を持つようになってきました。巡り会えた作品と、自分だからこそできるような関わり方をしていきたい気持ちが、いまは強いです。【杉咲花】ヘアメイク:中野明海/スタイリスト:吉田達哉(text:SYO/photo:You Ishii)■関連作品:市子 2023年12月8日よりテアトル新宿、TOHOシネマズシャンテほか全国にて公開©2023 映画「市子」製作委員会
2023年12月04日好きになってはいけない。そう暗示をかければかけるほど、その人に惹かれていってしまうのはどうしてだろう。林遣都は映画『隣人X -疑惑の彼女-』で、そんな惹かれてはならない相手に恋をし、嘘と真実の狭間で揺れる笹憲太郎を手触りが伝わる温度感で表現した。第14回小説現代長編新人賞を受賞したパリュスあや子の「隣人X」を映画化した本作。舞台は、紛争のため故郷を追われた“惑星難民X”を受け入れた日本。Xは人間の姿をコピーして日常に紛れ込み、誰がXなのかはわからない。週刊誌記者の笹(林さん)はスクープのため、正体を隠してX疑惑のある柏木良子(上野樹里)に近付く。しかし一緒に時を過ごすうち良子への恋心が芽生え、笹は自分の想いに正直に突っ走るべきか、記者として貫くべきか、苛まれる。X疑惑をかけられる良子を演じたのは、上野さん。彼女にしか醸せない良心やピュアさ、そして惹かれていく林さんの演技。二人の関係性はときに緊張感をはらみながら、素朴なロマンスを下地にうごめく。上野さんのプロ意識に感銘を受けたと嬉々として語る林さんに、本作にかける想いや初めての経験に加え、過去の出演作まで話を聞いた。現代社会と向き合う、やりがいのある役――劇中で描かれる“惑星難民X”は得体の知れないものが広がっていく点で、コロナや今の世の中に通じるところがあるように思います。林さんは脚本を読んでどのように感じましたか?最初タイトルを聞いたとき「熊澤(尚人)監督がSF要素のある作品を撮るんだ…!」と思ったんです。でも蓋を開けてみると、描かれていることはここ数年の出来事を振り返らせてくれるような内容で。今の日本の姿や、現代社会で目を向けなければいけないこと、自分自身も普段大事にしていかなければいけないと感じていたことが描かれていました。すごくやりがいのある作品・役でしたので、参加したいと思いました。――演じられた笹は、Xの正体を暴く大スクープで記者として認められたい一方、取材対象者である良子に心を奪われてしまいます。彼の葛藤や行動は、どう思われましたか?笹の年齢(30代前半)は自分と近いこともあり、いろいろ共感できるポイントが多かったんです。将来に対して20代とは違った危機感、不安、焦りを感じ出す年齢だよなと。笹は現状もうまくいっていないですし、人に認められたいという思いも強い。それは常に自分にもありますし、笹が抱いている感情として理解できるものでした。良子さんとの出会いも、恋心も大切にしたいはずだけど、いろいろな事情があって…と。誰かのためを思って自分を犠牲にしなければいけないことは、誰しも、あると思うので。結果、たくさんの人に共感してもらえる役だったんじゃないのかなと思います。――笹は良子さんに「いっちゃだめだ」と思いながら惹かれていきましたが、笹にとってどのような存在だったと林さんは考えましたか?良子さんは笹にとって「救い」のような存在だったと思いました。笹にとっても、この世の中においても必要な人間だなと。良子さんは弱みや痛みを知っている人だからこそ、ちゃんと人の本質を見ることができる人。笹自身も、気づかぬうちに良子さんとの出会いに救われていったんじゃないかなと思います。仕事の内容や、人とはちょっと変わっている部分で人を判断しないところ、その人のいいところを探そうとするところこそ、良子さんのすごく素敵なところですよね。上野樹里のプロ意識と責任感に魅了――上野さんとのお芝居はいかがでしたか?お二人にしか生み出せない空気感があふれていました。樹里さんと初めてお会いしたのは、ホン読みとリハーサルの日でした。その夜、監督とプロデューサーさんと食事に行くスケジュールでしたが、リハーサルを納得いくまでやり続けて、当たり前のように食事会が中止になったんです(笑)。僕は「終わんない!」っていう、その樹里さんの姿勢がすごく好きで、その瞬間、自分の中で高揚するものがあったんですよね。樹里さんのプロ意識と作品と役に対しての責任感に、とにかく惹かれました。その1日だけで「この人となら何かいい関係性が築けるんじゃないか」という予感がしたし、撮影が終わるまでずっとそうでした。――いいものをつくろうという意識が共通してあった。そうですね。最初にお互いのスタンスというか、毎作品どういう心掛けで取り組んでいるかというところで、感覚が合うものがあったと思います。最初の段階で確認できてうれしかったです。「人の弱い部分や気持ちを理解できる俳優でありたい」――Xの存在感に揺るがされる映画で、「信じるとは」、「心の目で相手を見るとは」といろいろ感じるところがあります。林さんは本作に携わったことで、何か考えたり感じたことはありましたか?脚本を読んだとき、熊澤監督の想いがすごく込められていると思いました。今はコロナだけじゃなくて、悲しいニュースが日々絶えないですし、…生きるのって本当にしんどいことばかりですし、笹のようにやむを得ず人を傷つけてしまう、人を陥れたりしてしまうことは、誰しもあるかもしれないと思うんです。無自覚に人を傷つけてしまいやすい世の中でもあるからこそ、ひとりひとりが心掛けを少しだけ変えて、自分のことだけじゃなくて誰かの幸せを願って生きていれば、そんなに悪いことは起きないんじゃないかなって。そういう考えになれば、と自分も心がけているところがあったので、「こういう世の中になればいいな」という思いを込めていました。――林さんご自身も思いを込めていたんですね。いつからかは覚えていないですけれど、あるときから「人の弱い部分や気持ちを理解できる人間であり、俳優でありたい。そういった作品や役に関わっていきたい」という気持ちが、この仕事をする上で自分の中で大きく軸となっていきました。ここ数年は特に生きることの大変さ、世の中の怖さを強く感じるようになってきていて。そんな中でこういった僕たちがやっている仕事が何か人の力になれる瞬間がある気がしていて、やっていく意味にもなっていました。そうした役をやったときに、同じような思いや経験をして生きていた人たちに、「その役を見て、自分はこれでいいんだと思えた」や「頑張って生きていこうと思えた」という言葉をいただけたりしました。こんなに素敵なことはないと思いますし、「ああ、やっていていいんだ」とか「やり続けなければ」と思わせてくれるというか。自分自身も救われているところがあると思っています。悩みは「考え事をすると周りが見えなくなる」――林さん自身「人に“変わっているね”とよく言われる、けど直らない」ところはありますか?いろんなことを同時にできないんですよね(苦笑)。こう(真っすぐに)なっちゃうので。例えば、今は舞台(「浅草キッド」)をやっているんですけど、日々役やお芝居のことを考えてしまうんです。同じことを毎日何十回もやっているのに、袖にはけて脱いではいけない場所でズボンを脱いだりしちゃって。スタッフさんに「ここ脱ぐところじゃないですよ!!」と言われたり(笑)。考え事をすると周りが見えなくなるのは、しょっちゅうなんですよね。いつも大体「あれでよかったかな…」と考えることが多いんです。それで結構悩まされますね。――「今日のここ、よかったな」ではないと。そっちじゃないですね。…たぶんこの取材が終わって控室に入った後も、5分ぐらいは「あれでよかったのかな?」と鏡を見つめながら、でも自分の顔は全然見ていない、みたいな時間になると思います(笑)。――ちなみに、本作において林さんのそうした集中力や真っすぐさが発揮されたシーン、「ここ」というところはありましたか?集中力というか、すごく練習したシーンがあります。笹がXなのかもしれないと思っている人間が、笹のアパートに何回も訪れるシーンがありますよね。言ってしまうと、あそこは同じ場所なので1日で衣装だけを変えて、全シーンを撮っていたんです。――予告でも出てくる、アパートで笹がおびえているシーンですよね。そうです。あれを何回もやるのが、精神的にも肉体的にもとにかくしんどかった!監督の1000本ノックみたいな演出で、ひたすら怖がっておびえて叫んで、全部ひとり演技というのは初めての経験でした。言ってしまえばパントマイム的なお芝居なので、かなり練習して臨みましたし、集中してすごく頭を使いました。何回も叫んだり、何回も転がったりして。ああいう動きを極めているのが、舞台でご一緒させていただいた大先輩の浅野和之さんなんです。浅野さんの動きを参考にしながらやってみて、やったことのない表現にチャレンジできました。デビュー作には「なくしてはいけないものを感じさせてもらったり」――林さんご自身が最近観た中で、印象に残っている作品はありますか?ぜひご紹介ください。いま「浅草キッド」をやっていることもあり、(北野)武さんの映画をずっと観ています。なので武さんの作品です。自分がいちお客さんとしても、俳優としても、すごく刺さるものが多いんです。『ソナチネ』とか、特に好きですね。――『ソナチネ』は1993年の映画で、北野監督の初期作品ですよね。林さんも代表作がたくさんありますが、今でも「印象に残っています」とよく言われる出演作はありますか?その時々によりますが、回数で言うと『バッテリー』がいつまでも言っていただける作品です。本当に大きなデビュー作だったんだなと思います。「当時、学生で小説を読んでいて」という話をしていただくことがすごく多くて。あの頃は全く何の実感もなかったんですけど、10何年経って「本当にすごい作品に参加させてもらっていたんだな」としみじみ振り返ります。――とても純度の高い演技言いますか、衝撃のデビュー作ですよね。見返したりもされますか?数年に1回観ます。こういうお話のきっかけがあったときとかに(笑)。観ていると…俳優として、なくしてはいけないものを感じさせてもらったりすることもあります。純粋にもう今では撮れない空気感の映画だなとも思うし、滝田(洋二郎)監督のことも思い出しますし、大事な作品の一つですね。【林遣都】ヘアメイク:竹井 温 (&'s management) /スタイリスト:菊池陽之介(text:赤山恭子/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:隣人X ‐疑惑の彼女‐ 2023年12月1日より新宿ピカデリーほか全国にて公開©2023 映画「隣人X 疑惑の彼女」製作委員会 ©パリュスあや子/講談社
2023年11月27日【音楽通信】第150回目に登場するのは、数々のヒット作を世に送り出し、12月8日にデビュー25周年イヤーを迎えるシンガーの倉木麻衣さん!マイケル・ジャクソンがきっかけで歌手を目指す【音楽通信】vol.150今年デビュー25周年というアニバーサリーイヤーを迎える、倉木麻衣さん。1999年、16歳の時に「Mai-K」名義にてシングル「Baby I Like」で全米デビューを果たし、続いて「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビューしました。同曲はミリオンセラーを記録し、1stアルバム『delicious way』は400万枚を超えるメガヒット。続く作品も続々と大ヒットを記録するなど、これまでに数々の大ヒット作を世に送り出してきました。さらに近年では、音楽活動のほか、社会貢献活動なども行っているという倉木さん。そんな倉木さんが、2023年10月28日にシングル「Unraveling Love 〜少しの勇気〜」を配信リリースされたということで、音楽的なルーツなども含めて、お話をうかがいました。――あらためまして、子どもの頃の音楽との出会いや、影響を受けたアーティストから教えてください。家族が音楽好きということもあり、4歳の頃から母の勧めでピアノを習っていましたが、歌うことも大好きで。テレビやラジオから流れてくる演歌から歌謡曲、ポップス、アニメソングなどのいろいろなジャンルの歌を口ずさんでいましたね。中学校では、合唱部に入部したり、よくカラオケに行ったりもしていました。当時は、洋楽を聴いている人が少なかったのですが、家族が洋楽好きだったこともあって、マイケル・ジャクソン、マライヤ・キャリーをはじめR&Bなどもよく聴いていて、その歌い方をまねて歌っているような子どもでしたね。初めて買ったアルバムは、ホイットニー・ヒューストンの『そよ風の贈り物』(1985年発売)でした。――とくに洋楽がお好きだった倉木さんが、実際にシンガーになろうと思ったきっかけはなんでしたか?中学生の頃に、マイケル・ジャクソンのミュージック・ビデオ集やムーンウォークを見て衝撃を受け、「音楽で人を感動させる歌手になりたい」と思ったのがきっかけとなり、本格的に歌手を目指そうと思いました。それからカセットテープに自分の歌を録音してデモテープを作りはじめて、音楽事務所に送ったり、オーディションを受けたりしたことで、デビューへとつながりました。――1999年10月「Mai-K」名義にてシングル「Baby I Like」で16歳で全米デビュー、同年12月に「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビューされ、以降の作品も大ヒット作となりましたね。デビュー当時はまだ高校生でしたが、デビューの実感や手応えは感じていましたか。あまり実感はなかったですね(笑)。デビュー前も、学校が終わるとレコーディングスタジオに行って、学校の宿題やテスト勉強をしながら海外デビューアルバムなどのレコーディング制作をしたり、高校生の夏休みに初海外のボストンでレコーディングしたり。デビュー後も、音楽活動と学生生活の両立で無我夢中な日々を送っていました。ただ、デビュー後は、自分よりも先生や友達やクラスのみんなが、デビューしたことに驚いていましたね(笑)。とはいえ、デビュー前と後も生活スタイルは変わらず、学校生活を中心とした日々を送らせていただいていました。デビュー前にお世話になった先生方や友達は、時を経たいまも、ライブに来てくれるなど、ずっと応援してくれています。当時は、テレビやメディアにほとんど出ていなかったので、デビューしてもあまり実感がなく、ラジオでデビュー曲「Love, Day After Tomorrow」が流れてきたり、CDショップでCDが並んでいたりするのを見て、そこでデビューしたことをなんとなく実感するような日々でした。ライブをするようになってから、たくさんの方に楽曲を聴いていただけて愛していただけているんだと、やっと「歌手になったんだ!」という実感が湧いた感じです。――2023年12月8日にデビュー25周年イヤーに入りますが、これまでを振り返って、率直なお気持ちは?諦めないでいてよかった、と思いますね。大好きな音楽を通して、夢や希望、愛と感謝で、みなさんとつながっている25年という奇跡のような月日を過ごさせていただいて、「愛がとうございます(倉木さんの「ありがとうございます」の最大級の言葉)」という気持ちでいっぱいです。またわくわく、どきどきしながら、新しい歌を作って、少しでもみなさんのお役に立ちたいですね。『名探偵コナン』の世界に寄り添い自由に作った新曲――2023年10月28日にはシングル「Unraveling Love ~少しの勇気~」を配信リリースされました。アニメ『名探偵コナン』(読売テレビ・日本テレビ系 毎週土曜 午後6:00)の主題歌でもあり、倉木麻衣さんが作詞を手がけていますが、どのようにイメージされて形作っていかれましたか。今回、『名探偵コナン』の恋愛観に寄り添えるように、イメージを膨らませて制作していきました。どの主人公の恋愛を歌っているかは、聴いていただいたみなさんがそれぞれ自由に感じてくださったらうれしいですね。感情があふれだすようなたたみかけるメロディで、シティポップとプチロックを融合させたちょっと懐かしさも感じられるサウンドに、ドキドキ感を表現する鼓動音も入れて、面白い感じに仕上がっています。タイトルをつけるときに「Unraveling Love」か「少しの勇気」か、どちらのタイトルがいいか、みなさんに質問を投げかけたんです。結果として、両方とも人気があったため「Unraveling Love ~少しの勇気~」とつけました(笑)。――倉木さんと『名探偵コナン』のコラボレーションは26作目となり、2017年には当時記録していた21作品で、同一アーティストが歌唱するアニメシリーズのテーマソング最多数を記録したとして、ギネス世界記録にも認定されましたね。『名探偵コナン』が誕生してからずっと、コナンくんは永遠の憧れであり、家族でもあり、この作品を通してみなさんと長年一緒につながってこられていることは幸せです。大人から子どもまで、世界中のみなさんに愛されている『名探偵コナン』の楽曲を長年にわたり担当させていただき、とても光栄に思っていますし、感謝の気持ちでいっぱいです。そしてまた光栄なことに、ギネス認定をいただきましたが、大好きなアニメ『名探偵コナン』を通してつながっているみなさんとの認定でもあると思っています。これからも新たな歌を届けられることを私自身、楽しみにしていますし、パワーアップしていくアニメの世界観に寄り添って、楽しんで聴いていただけるように作っていきたいと思います。――『名探偵コナン』の2019年放送のSP版『名探偵コナン 紅の修学旅行編』では、ご本人役でアニメに登場されたこともある倉木さんですが、印象深かった放送回やお好きなキャラクターはありますか。印象深い放送回はたくさんあってひとつに絞れませんが、初めて『名探偵コナン』の楽曲を担当した「Secret of my heart」がオンエアされたときや“倉木麻衣”役として声優にチャレンジさせていただいた放送回は、特別な宝物となった思い出深い回となっています。どのキャラクターもそれぞれ愛らしくてかわいくて好きですが……やっぱり、コナンくんが一番好きですね。――主題歌ということで、作者の青山剛昌先生や制作の方から曲について何かリクエストはあったのでしょうか。いつもどのように曲作りをされていますか。リクエストがあるときもありますが、テレビ放送の場合は、『名探偵コナン』の世界観を自分なりにイメージしながら、制作をさせていただいています。今回はリクエストというより、いまの『名探偵コナン』の世界観に寄り添いながら、自由に制作させていただきました。そういった作り方もある一方、自分のアルバムを制作するときは、発信したいテーマを決めてから制作していきますね。歌詞を先に作る詞先で作成する曲もありますが、メロディを何度も聴いて、そのメロディからインスパイアされて言葉選びをして作成することも多いです。――今作は大人っぽいダンスナンバーですが、サウンドの第一印象や、歌唱する際に意識していることはありますか。クールかつ、スリリングで、たたみかけるサビのメロディがクセになる感じで面白くて。日本語以外のほかの言語で歌ってもハマるようなメロディなので、いつかトライしてみたいなという印象です。感情があふれだすようなサビは、メロディのグルーヴ感に気をつけながら歌っていきました。――2023年11月15日にライブ映像作品「Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022」を発売されますね。そして現在、全国4都市をめぐる「billboard classics Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2023」と題したツアーを開催中ですが、どのようなステージになりますか。今回は、みなさんからリクエストをいただきながら選曲した、会場ごとに違う歌唱曲もあるんです。そのときどきに生み出される、一夜限りのスペシャルサウンドを体感していただけると思います。楽曲によっては一緒に大合唱したり、グッズでご用意しているペンライトを使って会場を照らしたり、みなさんと一体となって生み出す参加型のコンサートになっていて。また、フルオーケストラサウンドでもあるので、美しく温かな音色に癒やされながら、コンサートをぜひお楽しみいただけたらと思っています。新たな試みを通して楽しめる空間をシェアしたい――お話は変わりますが、おやすみのときはどのようにお過ごしですか。自然がある場所や動物が大好きなので、愛犬と散歩したり、音楽を聴いたり、素敵な公園やカフェでゆっくり歌詞を考えたり。ゆったりと過ごしていると、いろいろなインスピレーションが湧いてくるので、一人時間を大切にしています。――デビューから変わらぬ美しさの倉木さんですが、美容法やダイエットなどは意識されますか。10代や20代の頃は思春期だったこともあり、周りと比較したり、周りからも言われたりして、痩せていないといけない、きれいじゃないといけないと気にしていました。そこで無理なダイエットをして我慢を続けていたら、美しさとはかけはなれ、体調も崩してしまい……。自分を愛さずに痛めつけていたことに気づきました。その辛い経験があったからこそ、いまは栄養バランス、睡眠、運動と、ストレスフリーな生活を心がけるようになりましたね。それぞれ思う美しさは違うから「比較するのはやめよう」と気づいたことで、自分を愛するよう心がけることができるようになりました。笑顔でいられないときも、そんな自分を認めてあげて、「心を愛する」という美しさで満たすことから始めてみる大切さに気づいて。いいときも、そうでないときも、そのときどきの自分をまるごと受け入れて愛する。年齢を重ねても、心身ともに「ラブ&ピース」を心がけて、何より自分の気持ちに正直でいられることが、自分にとっての美しさだと。そんな自分と愛してくれる人を大切にして、心の美しさを失わないように生きていけたらいいなと思ってはいますね。最近は、大好きなことに夢中になったりときめいたり、どんなときもユーモアを忘れず思いっきり笑うという、楽観的な生き方をすることでいきいきと美しくいられると、来年90歳になる祖母を見て思うようになりましたね(笑)。――音楽活動と並行して、カンボジアに寺子屋を建設するなどの社会貢献活動や、母校の立命館大学で客員教授として講義もされたそうですが、違うフィールドでの活動をされてみていかがですか。それぞれ違うフィールドですが、すべて愛でつながっている活動でもあるかなと思っています。音楽を通して私にできる社会貢献であったり、立命館大学でも自分の経験を元に学生のみなさんとディスカッションを行うこともあったり。学生のみなさんは一人ひとり、素晴らしいアイデアや意見を持っていて、私が勉強になることもあります。どんな場所でも、誰かのためにお役に立てたらという“アンコンディショナルラブ(無条件の愛)”の精神を持って、みなさんと笑顔でつながっていけるよう引き続き取り組んでいきたいですね。――12月からはデビュー25周年イヤーとなりますが、今後の抱負を教えてください。25周年、ありがとうございます。応援してくださるみなさん、愛がとうございます。私自身、まだ叶えられていない夢を叶えていけるように、新たな試みを通して、みなさんと楽しめる空間をシェアしていきたいですね。これからもライブや新曲を楽しんでいただけるよう、みなさんの健康と幸せをいつも心から願っています。おたがいに、心身ともに元気でいましょう!取材後記いまもなおデビュー時の鮮烈な印象がある、シンガーの倉木麻衣さん。耳にすっと馴染んでいく柔らかくて艶やかな歌声は、時にやさしく、時に力強く響きます。20年ほど前に取材させていただいて以来、今回はananwebにご登場くださいました。12月からは『名探偵コナン』の新エンディングテーマも担当することが発表された倉木さん。我が家でも『名探偵コナン』は家族で大好きなアニメなので、倉木さんの新曲もすっかり定番に。そんな倉木さんのニューシングルをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。取材、文・かわむらあみり倉木麻衣PROFILE1982年10月28日生まれ。1999年10月「Mai-K」名義でシングル「Baby I Like」で全米デビュー、同年12月「倉木麻衣」としてシングル「Love, Day After Tomorrow」で日本デビュー。以降も精力的に音楽活動を続けるなか、近年は被災地支援やカンボジアの子どもたちに教育の場を提供する寺子屋を設立するなど、社会活動も行っている。2023年10月28日にシングル「Unraveling Love 〜少しの勇気〜」を配信リリース。InformationNew Release「Unraveling Love ~少しの勇気~」2023年10月28日配信リリースNew ReleaseDVD & Blu-ray『Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022』~1部~【PRELUDE】01. Secret of my heart02. 風のららら~Sea wind03. 儚さ04. Time after time ~花舞う街で~05. 渡月橋 ~君 想ふ~06. Be Proud ~we make new history~07. Reach for the sky08. Smile~2部~【ベートーヴェン:ピアノソナタ第14番「月光」】09. 冷たい海10. Proof of being alive11. Can you feel my heart ~Ballad ver.~12. ひとりじゃない13. 明日へ架ける橋14. Wake me upEC1.always2023年11月15日(DVD)VNBM-7038¥8,800(税込)(Blu-ray)VNXM-7038¥9,900(税込)パッケージ内容:3方背ケース、フォトブックレット、4つ折りミニポスター、ピクチャーレーベル/[CD] ライブ音源 from Mai Kuraki Premium Symphonic Concert 2022 selected by Mai-K : 01.明日へ架ける橋 02.風のららら〜Sea wind 03.ひとりじゃない 04.渡月橋 ~君 想ふ~ 05.Proof of being alive取材、文・かわむらあみり
2023年11月21日取材・文:渡邊玲子撮影:大嶋千尋編集:杉田穂南/マイナビウーマン編集部数々の埼玉ディスを連発するもまさかの大ヒットを遂げた映画『翔んで埼玉』の続編『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』が2023年11月23日(木・祝)に公開されます。全てにおいてスケールもパワーも格段にアップし磨きのかかった“ディス”と“郷土愛”が楽しめるという同作。前回に引き続き埼玉解放戦線のリーダー・麻実 麗を演じるGACKTさんは、20代の頃に思いもよらない埼玉県人との関わりがたくさんあったのだとか。また、今回から新キャストに加わり、滋賀のオスカル・桔梗 魁を演じる杏さんは、ここ数年で故郷を離れて思うことがあると語ります。今回のインタビューでは、そんな二人に“埼玉のイメージ”やそれぞれの“郷土愛”をうかがいました。■思いもよらないところで埼玉県人と触れ合っていた――まずは続編の制作が決まった時のお気持ちからお願いします。GACKTさん(以下、GACKT):やめようよ。もういいでしょう……です。――いやいや、皆さん期待されていたと思います(笑)。GACKT:「ふみちゃん(二階堂ふみ)はなんて言ってるの?」「やめようよ……」って「やっぱり!」と。――主演のお二人が……。杏さん(以下、杏):特に乗り気ではなかったんですね(笑)。GACKT:リスクでしかないです……。――今回のディスり先の舞台が関西になると聞いた時はどう感じられましたか?GACKT:予想の範囲内です……。関西を敵に回すと大変なのになぁって。それが最初の感想です。――杏さんはいかがですか?杏:私は武内英樹監督と月9(ドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』)でご一緒させていただいていて。「いつかもう一度一緒にやりたいな」って思っていたところに、まさかこの作品だとは……とビックリしました。私のバックグラウンドは滋賀と関係ないので、「果たして“滋賀のオスカル”を私がやってしまって大丈夫だろうか……?」という懸念もありました。――とはいえ、杏さんが演じる滋賀のオスカルである桔梗は、滋賀を救うためパリに渡り、革命を学んで帰ってきた、という設定で、「なるほど」と腑に落ちるところもありましたが。杏:元々その設定があったわけではなくて(笑)。撮影が後ろ倒しになって、その途中で私がパリに行ったから、そうなったので。一年経って新しい台本を開いたら、「パリに渡り……」と書いてあったんです。――なるほど(笑)。お二人はもともと埼玉にはどのような印象をお持ちでしたか? GACKTさんは以前「埼玉のダサさの原因は“玉”だ」と語っていたようですが……。GACKT:なんで「たま」なんでしょうね?埼「ぎょく」とかでもいいのに。――読み方が違うだけでも印象がよくなったかもしれない、と。杏:でも県庁所在地は「さいたま市」って、ひらがなになっちゃったし……。GACKT:でもやっぱり「たま」がダメだったんだと。群馬も多分「うま」がダメだったんでしょう。――(笑)。前作では「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」といった埼玉への偏見(?)が描かれていますが、ご自身のなかには、埼玉に対する偏見は特になく?GACKT:何もないですよ。ボクは基本的に日本の中でダメだと思う場所は一つもないです。それぞれの県に好きなところがあります。例えば、今回の舞台の滋賀だって、ボクは釣りが好きなので、年に2回はブラックバスを釣りに琵琶湖に行きますし。埼玉も、もともとは池袋に住んでいたというのもあって……。――上京されてからしばらく。GACKT:そう。東京に出てきた当時。20歳から26歳までずっと池袋だったんですけど。遊ぶのはもっぱら西口公園で。――『池袋ウエストゲートパーク』!GACKT:まさにあの時代。「I.W.G.P.」ブームの真っ只中で。ボクは毎日ウエストゲートパークにいて。――じゃあ、GACKTさんも「I.W.G.P.」のキャラクターの1人だったかもしれない。GACKT:いやいや、ボクはもうナンパ専門だったんで。でもナンパしている相手は、実はほとんど埼玉県人だったっていう。当時は池袋に住んでいる人たちより埼玉の人たちの方が圧倒的に多かったので。埼玉県人と触れ合ってる時間は長かったはずなんですよ。「どこから来たの?」って聞くと、みんな埼玉とは言わずに、「大宮」とか「浦和」って言うんですよ。だからこっちも「大宮って、東京のどこ?」みたいな。知らないので。――『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』では、GACKTさん演じる麻実麗が「埼玉に海を作る!」と意気込み関西に乗り込みますが、そこでさまざまな困難にぶち当たるお話です。 GACKTさんも上京された当時、何かしらギャップに戸惑うことはありましたか?GACKT:戸惑いは全くなくて、上京した当時は「もう東京すごいな」って思いました。ボクにとっては池袋が東京の基準だったんですが、当時の池袋は相当治安が悪かったみたいで、港区あたりに遊びに行って、そこで仲良くなった子たちに「池袋に住んでる」って話すと「え!? 大丈夫?」って驚かれたりして。「ここはそんなに治安が悪い場所だったのか……!?」って、後から知る……みたいな感じでしたから。――杏さんは東京出身ですよね。埼玉にはあまりゆかりがないかと思いますが、埼玉にはどんなイメージがありますか?杏:祖父母がそれぞれ東京出身と青森出身ではあるんですけど、住んでいたのが埼玉で。埼玉といえば、おじいちゃんおばあちゃんみたいなイメージでしたね。■笑って「くだらない」って言ってもらえるのが一番の誉め言葉――本作は“ディスる”という形で、日本各地の色んな文化を紹介している作品でもありますよね。 お二人はこの作品に関わられたことで、何か新たに発見したことはありますか?GACKT:そもそもこの映画に出てくる“ディスる”という言葉と、一般的に使われる“ディスる”という言葉は根本的に違うというか。ディスるって聞くと、どうしてもみんなSNS上の誹謗中傷的なものをイメージすると思うんですよ。でもこの映画のディスりは愛ゆえに出てくる言葉で、どちらかというと「イジる」に近いというか。――「イジる」ですか。GACKT:愛が深すぎるがゆえに攻撃的になったり、自虐的になったりすることってあるじゃないですか。同じ埼玉の中でも、大宮と浦和が揉めていたりするのも、地元愛の強さゆえに起きている部分もあると思うので。それにこの映画って、ディスることを目的にしているわけではなくて、ちょっと俯瞰で見てみると、「それってすごくくだらないことなんだよね」って笑い飛ばせるというか。ボクは映画を観た人たちに、笑って「くだらない」って言ってもらえるのが一番の誉め言葉だと思うし。 いま世の中で起きている大半のことを、笑って「くだらない」と言える人たちであれば、これほど衝突が起きたり、傷つけ合ったりしないと思うんですよ。『翔んで埼玉』シリーズは、こんな時代だからこそ、必要な映画なんじゃないかと思います。――杏さんはいかがですか?杏:私は関東の出身なので、今回滋賀のオスカルを演じるにあたってセリフに初めて聞く言葉が多かったんですよ。「ゲジゲジナンバー」とか「滋賀作」とか、「湖西線が風に弱い」とか……。どれも一個一個ネットで調べたり、この言葉が生まれた背景にどんなことがあったんだろうって勉強したりしながら、滋賀のいろんなことが知れたというか。「(関西の方は)こんな風に普段思ってたんだ」っていうのは、全然気がつかないことだったので、それはすごく興味深くやらせていただけたかなって思います。――やはり杏さんには、歴女ゆえの、調べる面白さがあったんですね。実際に地元出身のキャストの方も多く出演されていますが、共演者同士で「地元あるある」ネタで盛り上がる場面を目にすることもありましたか?GACKT:関西の方たちとはそういう話にならないんですけど、なぜか埼玉の人たちは、撮影以外でも「大宮は~」とか「浦和は~」みたいに語り合っていて。熱量がすごかったですね。■ここ最近「東京に帰る」という感覚を味わえるように――作品テーマである「郷土愛」については、お二人はどのような思いをお持ちですか?GACKT:郷土愛って、すべてを肯定することが郷土愛ではなくて、良いところも悪いところも含めて、自分で理解し、その上で愛せるのが郷土愛なんじゃないのかなと。ボクも故郷の沖縄に対してすごく好きな部分もすごく嫌いなところもたくさんあって。「なんでこうなんだろうな」と思う部分もありますし。でもそれも含めての「愛」であって、必ずしも「全部好き」なのが「郷土愛」というわけでもないと。良いところも悪いところもすべて理解した上で、それでも愛しているのが「郷土愛」なんじゃないかと思います。―― 東京出身の方は“故郷”のイメージがないと言う方も多い印象があるのですが、杏さんはいかがですか?杏:例えば、「夏休みにどこどこのお家へ帰る」みたいな経験があまりなかったので、故郷に対する憧れのようなものは確かにありました。最近パリにも住んでみてやっと「東京に帰る」という感覚を味わえるようになって。改めて「久しぶりだな」って噛みしめたり、「やっぱり東京のご飯はおいしいな」と実感したりしています。――「外に出て初めて昔住んでいた場所の魅力に気づく」という側面もあると思うのですが、 実際にお二人が日本を離れてから新たに感じたことはありますか?マレーシアやパリから、日本についてどう感じていらっしゃいますか?杏:日本は便利ですよね。食材も親しみがあるし。何か物を頼んでも、絶対に指定した日に届くどころか、2時間単位で時間指定もできるし。 電車のダイヤもそうですけど、いろんなものが日本は正確なので。予定を立てやすいという利点はありますね。――GACKTさんは?GACKT:住みやすいか住みにくいかで言うと、もし本当に日本が一番住みやすかったら、ボクは海外には住んでいないと。ただ、日本に帰りたい季節もあるんですよ。ボクは一年で秋が一番好きで。仕事がなくても日本に帰ってきて、いろんなところに紅葉を見に行って「これは日本にしかない美しさだな」と実感します。もちろん海外にも紅葉はあるんですが、日本の紅葉の美しさは独特なんですよ。なぜか分からないけど寂しい気持ちになったり、切ない気持ちになったり。理由もなく胸がキュッと苦しくなったりするっていうのが、日本独特の秋の楽しみ方だなって。杏:私の場合は、『知らない世界に住んでみたいな』って、刺激を求めてパリに行った感じなんです。もっといろんなものの見方や考え方に子どもたちと一緒に触れてみたいな、という気持ちもあって。日本を便利だなと感じるのも、自分が生まれて育った国だからかもしれないし。日本にももっと柔軟な考え方があったらいいのにと思う部分もあります。子どもたちには、いずれまた日本に帰ることになってもいいから、ひとまず国籍も文化もみんなバラバラな子たちが大勢いる学校に通うことで、できるだけいろんな世界を見てほしい。まさに今、親子一緒に奮闘している最中なんです。映画『翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~』その昔、東京都民からひどい迫害を受けていた埼玉県人は自由を求め立ち上がった。麻実麗・壇ノ浦百美をはじめとする埼玉解放戦線の活躍により通行手形制度が撤廃され埼玉は平穏な日常を手に入れた。しかし、それは単なる序章に過ぎなかった…。さらなる自由と平和を求め、埼玉の心をふたたびひとつにするため、埼玉解放戦線は次なる野望へと突き進む。遥か西の地・関西へと飛び火したこの事態は東西の天下を分かち全国をも巻き込む東西対決へと発展していく。史上類を見ない壮絶なディスバトルの火蓋が今、切られようとしていた――。公開日:2023年11月23日キャスト:GACKT二階堂ふみ杏片岡愛之助ほか原作:『このマンガがすごい!comics 翔んで埼玉』魔夜峰央(宝島社)監督:武内英樹(「のだめカンタービレ」シリーズ、「テルマエ・ロマエ」シリーズ、「ルパンの娘」シリーズほか)脚本:徳永友一(「探偵の探偵」「僕たちがやりました」『かぐや様は告らせたい』シリーズ、『ライアー×ライアー』ほか)©2023 映画「翔んで埼玉」製作委員会<GACKT>ヘアメイク:タナベコウタスタイリスト:Rockey<杏>ヘアメイク:笹本恭平(ilumini)スタイリスト:中井綾子(crêpe)
2023年11月17日【音楽通信】第149回目に登場するのは、新しい時代のディープファンクバンド「在日ファンク」のボーカルでリーダーの、浜野謙太さん!ジェームス・ブラウンのすごさに気づいた浜野謙太。1981年8月5日、神奈川県生まれ。在日ファンクのフロントマンで、俳優としても活躍中。【音楽通信】vol.1492007年に結成された7人組のファンクバンド、在日ファンクのボーカル兼リーダーであり、放送中の大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合毎週日曜午後8時)や映画など俳優活動でも知られる、浜野謙太さん。そんな浜野さんが中心となる在日ファンクが、2023年11月1日に6枚目のアルバム『在ライフ』をリリースされるということで、音楽的なルーツや俳優活動についてなど、お話をうかがいました。――浜野さんが音楽に出会ったきっかけから教えてください。小さい頃から、自宅には父のジャズのレコードが置いてあったのでそれを聴いて、僕もジャズのビッグバンドを好きになりました。でも、好きになったのはマイケル・ジャクソンのプロデューサーをしていたクインシー・ジョーンズが、初心者向けに出したビッグバンドのレコード。めちゃくちゃカッコよくてずっと聴いてました。中学校では吹奏楽部に入って管楽器を始めて、高校では「絶対観たほうがいい」と勧められた映画『ブルースブラザーズ』(1981年公開/劇中にブルースの巨匠レイ・チャールズやジェームス・ブラウンらも登場するミュージカルコメディ映画)に出会いました。映画では、白人の主人公ふたりがブラックミュージックを聴いて「神のお告げ」だとなるのですが、すごいんですよね。黒人以外、白人だとしてもブラックミュージックをやっていいんだということが、素敵に表現されています。――最初にされた楽器は、トロンボーンですよね?そうです。大学ではジャズ研究会に入りました。バンドは「SAKEROCK」(2015年に解散したインストゥルメンタルバンド)もやっていましたが、もう少しちゃんとブラックミュージックをやりたい気持ちもあって、ジェームス・ブラウンのコピーバンドもやっていたんです。バンドをやるうちにさらにジェームス・ブラウンのすごさに気づいて、彼が亡くなったときに、日本でもファンクを打ち立てようとバンド「在日ファンク」をやろうと決めました。――音楽活動は20年以上になりますが、振り返ってみていかがですか。また、バンド活動と並行して、2006年の映画『ハチミツとクローバー』で初めて俳優業へと進出されましたね。うかうかしていたら40歳を越えていて、20年なんて、本当にアッという間でした。俳優業は、最初はハマっていなかったんですよね。『ハチミツとクローバー』では櫻井翔くんとはお話しできたので、その出会いだけ唯一よかったです。実際にちゃんとお芝居に向き合えたと思ったのは、2011年の映画『婚前特急』からです。――『婚前特急』では、第33回ヨコハマ映画祭で最優秀新人賞も受賞されましたよね。はい、そのぐらいお芝居することがすごく楽しかったんです。2時間通して、ちゃんとキャラクターを作るからこそ、一瞬の呟きが面白かったりするわけで。音楽でも、1曲の中で緩急があって、ちょっとしたことがとても響いたり。「楽譜と台本は似ているな」と気づいて、それからは、お芝居も全部楽しくなりました。ーー浜野さんが織田信長の息子・織田信雄を演じている大河ドラマ『どうする家康』も話題です。大河ドラマは特殊なんですよね。1話から40話まであるとして、キャラを作ろうにも、自分の出演するところだけしか台本をもらわないんです。ただ、実在するその時代の人物がいるわけで、調べていくとめちゃくちゃ面白い。もともと戦国時代も好きなので、歴史を調べて役とのつながりを見つけたときはうれしいものです。――いまは映画『アナログ』も公開されていますね。僕が『アナログ』でよかったと感じることは、ニノ(二宮和也さん)と桐谷健太くんに挟まれて、お芝居できたことですね。やっぱり手練れの彼らと共演できるのは、すごく楽しいんです。カメラがまわった瞬間に世界が広がるといいますか。ニノは寸前まで全然違う話をしていても、カメラがまわるとパッと役に切り替わるんですよね。そういえば、『婚前特急』の主演だった吉高由里子ちゃんもそんな感じでした。撮影の時期に亡くなったマイケル・ジャクソンのまねを休憩中にずっとやっていたのに、撮影がスタートした後に、スッと役に入っていて。「すごい」と思いましたし、どのような状況にいても関係ないんだなと思いましたね。5年で成長したメンバーとうまく作れた最新作――2023年11月1日にニューアルバム『在ライフ』をリリースされます。前作から5年ぶりとなった新作ですね。この5年の間に、自分なりに濃密な時間を過ごしていました。僕は3年前に椎骨動脈乖離という症状が出て、生まれて初めての入院を経験して。歌うことについて制限もあったので、バンドや音楽はやり方によっては有限なんだ、表現自体が無限じゃないと気づきました。その後はコロナ禍で、リモートで演奏することもありましたし、自分の家族にもちゃんと向き合うことができました。――そういった経験などもすべて、今作につながっていったのですね。すべて地続きです。メンバーもそれぞれ家族と向き合ったり、ギターの仰木亮彦はSTUTS、トランペットの村上基はレキシやsumikaといったほかのミュージシャンのサポートをしたり、それぞれの成長があったと思うんですよね。それで、また会えたのが、よかった。もしかすると全然考え方が違うと解散するバンドもいると思うんですが、僕らはまた一緒にできる糸口を見つけたというぐらい、ソロ活動のような期間を経ての新作です。――ファンのみなさんも待っていたはずです。もしかしたら寝ているかもしれないので、「始めるよ!」と叩き起こさないといけない(笑)。メンバーみんなのライフを経て、ここに来たんですよね。マイライフと共にこのアルバムに集結していて、成長したメンバーとうまく作れた1枚です。……初めて『在ライフ』の説明がきちんとできたかもしれないです(微笑)。――アルバムの4曲目「平和 feat.七尾旅人」、5曲目の「滞ってる feat.高岩遼」はそれぞれゲストボーカルを迎えていますね。「平和」は、曲ができてから、構想は大きいけれど僕らだと言い切れないかもしれないとなって、七尾旅人さんに頼みました。旅人さんとは現場的なつながりはなかったんですが、SNSなどで考え方は拝見していて、「この人とできればこの曲は化けるのでは」とピンときたんです。「滞ってる」は、昨年出演させてもらった舞台『室温~夜の音楽~』の演出・河原雅彦さんからの依頼で、在日ファンクが舞台用に作った曲のうちのひとつですが、今回、もっとブラッシュアップできないかと考えて。そこで、(ヒップホップチームSANABAGUN.ほかで活動する)高岩くんとデュエットというアイデアになりました。――8曲目「クーポン」は浜野さん作詞作曲の斬新でユニークな曲ですね。最初に作った曲なんです。ドラムの永田真毅から、「とりあえず1曲を作れ」と言われて、1曲仕上げよう!と勢いで、パッションのまま作りました。そこで生まれたのは、クーポンに対しての怒りです。この曲、ちょっとふざけているなあって思いますか?――いえ、ファンクにカッコよく怒っているなあと思いました(笑)。ははは(笑)。僕はクーポンって、いまはそんなにお得じゃないものもあって、もうゼロ円に近くなるクーポンはないから、もっと大盤振舞してほしいと思って作ったんですよね。――10曲目「おすし」は、トロンボーンのジェントル久保田さんが作詞、在日ファンクのみなさんでの作曲です。最近、s**t kingzや鈴木雅之さんに曲を提供したんですが、それぞれ歌詞は僕とジェントル久保田の共作でもあって。今回のアルバムでも、ジェントル久保田に1曲歌詞を作ってもらうことにしました。いままでの作品では僕が曲を作っていたんですが、今回は曲によって、メンバー何人かで作っていて、「おすし」はスタジオセッションで30分でできた曲です。――浜野さんご自身は、いつもどのように曲作りをしているのですか。やっぱり、テーマが先にきますね。それこそ「クーポン」を思いついたときには、僕が怒っている事柄に対しての曲を作るなんてどうなのか、と考えてしまったりもしましたが、作り上げていくうちに言いたいことが通底するといいますか。最初に思ったテーマをかっこよく聴かせれば、結果ちゃんと自分の考え方が伝わる曲になるという実感です。MIDI鍵盤で曲を作っています。――11月には、東名阪で「アルバム『在ライフ』リリース記念ワンマンツアー」があります。歌や演奏はもちろん、浜野さんのキレのあるダンスも見どころですが、どのようなステージに?アルバムの曲を中心に、過去曲も披露する予定なので、ライブに来ていただいたらみなさんが楽しめると思いますよ。今回のツアーでは、「いかにメンバーがプレジャーな状態になるか」という流れを意識して、いまいろいろと組み立てている最中です。「来年はたくさんライブをしたいです」――お話は変わりますが、おやすみのときはどんなふうにお過ごしですか。在日ファンクの動画を作ったりしています。――ご自身で動画編集もしているんですね。それはお仕事ではなく、オフに入るという?けっこう楽しいんですよ(笑)。おじさんしか映っていないんで、動画をご覧になる方々にどうやって「かわいい」と思ってもらえるかなと試行錯誤していて。お菓子を食べているところを撮ったり、焼き鳥を食べているところを撮ったり。焼き鳥を食べるときはビールじゃなくて、ノンアルコールビールを飲んでいるからいいかと思ったら、けっこうおじさんの居酒屋感が出ちゃってとか(笑)。そういうことを考えていると、すごく楽しくて。――在日ファンクのYouTubeを観ても、楽しさが伝わります。ありがとうございます。あとは、たまに子どもふたりと一緒にご飯を作ることもありますね、チャーハンとか唐揚げとかぐらいですが。お弁当を持って、代々木公園にピクニックに行くこともあって、子どもたちは公園で自転車を借りることもあります。この間は、レジャーシートをひいてご飯を食べていたら、子どもが「おすし、おすし」と踊り始めて、「その振り付けいいね!」と、完全に公私混同しています(笑)。――浜野さんのインスタグラムにも「おすし」を息子さんと踊っている動画などもアップされていますね。とても楽しそうです。息子は小4なんですが、ダンスを習っていて、踊るのが好きなんです。「おすし」の振り付けをしてもらいました。――いいですね。そういえば、今日はお気に入りのコーデュロイのシャツを着てきていただいたということで、おしゃれです。ピンクのシャツが珍しくて、前から大事に着ています。妻(モデルのAGATHAさん)はファッションが好きなので、昔はコーディネートを見てもらっていました。最近は「好きな服を着たらいいよ」と言われるので、セオリーみたいなものを壊し始めているといいますか、そういう時代なのかなという感じもしています。――いろいろなお話をありがとうございました。最後に、今後の抱負を教えてください。来年はたくさんライブをしたいです。僕はサブカル方面のバンドとして出てきた人間なので、ある意味、ゆるさも特徴だと思っていたんです。でも、そんなに高くなくていいから、近い目標へ向けて誠実にやっていこうかなと。まずは在日ファンクのツーマンイベントを考えているので、楽しみにしていただきたいですね。取材後記ジェイムス・ブラウンからの流れを汲むファンクを日本にいながら、再認識しようというディープファンクバンドの、在日ファンク。今回、ananwebにはボーカルでリーダーの浜野謙太さんが登場してくださいました。マガジンハウスで撮影とインタビューを行うこととなり、取材時間に颯爽とスタジオへ。終始おだやかにご対応くださり、撮影時に披露してくださったステップも素敵でした。そんな浜野さんのいる在日ファンクのニューアルバムをみなさんも、ぜひチェックしてみてくださいね。写真・園山友基取材、文・かわむらあみり在日ファンクPROFILE浜野謙太(Vo)、村上啓太(B)、仰木亮彦(G)、永田真毅(Dr)、橋本剛秀(A.Sax)、ジェントル久保田(Trb)、村上基(Trp)の7人からなるディープファンクバンド、在日ファンク。2007年にバンド結成。インディーズで活動後、2014年にメジャーデビュー。2017年にカクバリズムに移籍し、コンスタントに作品を発表し、ライブ活動を展開。2023年11月1日、ニューアルバム『在ライフ』をリリース。「アルバム『在ライフ』リリース記念ワンマンツアー」を11月19日に東京・渋谷 WWW X、11月25日大阪・大阪 十三246 LIVEHOUSE GABU、11月26日愛知・名古屋 新栄Shangri-Laで開催。InformationNew Release『在ライフ』(収録曲)01. 今から本気02. 在来外来03. ハラワラナイト04. 平和 feat.七尾旅人05. 滞ってる feat.高岩遼06. いけしゃあしゃあ07. 身に起こる08. クーポン09. いつもどおり10. おすし2023年11月1日発売(通常盤)DDCK-1078¥3,300(税込)写真・園山友基 取材、文・かわむらあみり
2023年11月13日飛ぶ鳥を落とす勢いの若手俳優・磯村勇斗は、ここ数年で人気と実力が一致する稀有な俳優へと進化を遂げた。「きのう何食べた?」シリーズで、かわいさと絶妙な小憎たらしさを兼ね備えたジルベールを好演していたかと思えば、公開中の映画『月』では、心やさしいさとくんが一線を超えていってしまう工程を演じた。そのふり幅、作品によって使い分ける顔の違い、実力は推して知るべしと言える。最新出演映画『正欲』では、磯村さんは佐々木佳道を演じた。佳道は、両親の事故死をきっかけに、横浜から中学3年まで暮らしていた広島に戻ってきた男。新垣結衣演じる桐生夏月の中学時代の同級生で、夏月とは誰にも言えない秘密を共有している。なかなか人に理解されない、言えない指向を持ちながらも何とか大多数に混じろうと生きてきた佳道の葛藤、変化していくグラデーションの体現はさすがの一言に尽きる。(c) 2021 朝井リョウ/新潮社(c) 2023「正欲」製作委員会インタビューでは、悩みながらもまっとうした佳道という役についての解説と、自らを「ハングリーマン」と言い切る、お茶目な表現で俳優という職業への入れ込みまで語ってくれた。演じた役は「すごく理解と共感ができた」――『正欲』で演じられた佐々木佳道は、いわゆるマイノリティに属する人間として描かれていました。どう読み解き、演じていったんでしょうか?佳道の性的指向の部分に関しての理解が、やはり一番難しいところでした。岸監督、プロデューサーと「どういう感覚に近いんだろう?」と、ああでもない・こうでもないと話し合いました。結果、佳道が持っている指向に関して「コレ」というものは見つからなかったけれど、人には隠しているマイノリティというところに、僕はすごく理解と共感ができたんです。なので、その感覚を大事にしたほうがいいんじゃないかと、最初に佳道を作っていった…近づけていったような感じでした。――生きづらさを抱えながらも、マジョリティに寄っていこうとしていた佳道ですが、夏月と再会し彼女と対話を重ねることで移り変わっていきますよね。佳道は最初、生きる上でカメレオンのように周りに溶け込んで生活をしなければならないみたいなことを考えたと思うんです。(大多数に)染まらなければいけないというのは、おそらくマジョリティの圧だとは思うんですけれど。世間の目みたいな部分で、彼なりになるべく馴染もうと、頑張ろうとしていたと思うんですね。でもそれはやっぱり自分を苦しめてるだけであり、自分らしさはなくなってしまうので、葛藤はすごくあったと思います。その狭間でかなり闘っているんだろうし、そこで生きている人だな、というのは感じていました。新垣結衣、稲垣吾郎との共演――夏月を演じられた新垣さんと磯村さんの空気感が、すごくぴったりでした。初共演ですよね?はい、そうです。新垣さんは僕がデビューする前からテレビでずっと見てきた方なので、最初はちょっと幻かな?と思いました。僕たちはガッキー世代なので(笑)!そういう方と対面してお芝居する不思議さは、どことなくありましたね。新垣さんご本人は、ものすごく柔らかい空気感をお持ちの方なんです。誰にでも優しいですし、おそらく感受性がとても豊かな方なんだろうなと、お芝居を一緒にやっていてすごく感じました。特に受けのお芝居が魅力的だなと思っていました。(c) 2021 朝井リョウ/新潮社(c) 2023「正欲」製作委員会――主演の稲垣吾郎さんに関しては、少ないシーンでしたがご一緒していました。いかがでしたか?稲垣さんとの撮影は本当に1日だけだったんです。しかも、かなりヘビーなシーンでご一緒したので、挨拶を交わしたくらいでした。そしてお芝居の演出上、(セットの)テーブルを挟んで2人とも無言で座っていて、お互い集中し合っている、みたいな感覚で緊迫していたので「稲垣さんは怖い方なのかもしれない…」という印象だったんです。だけど、撮影が終わって最近取材でご一緒したときに、すごくフランクにお話しさせていただいて「あれ!?全然怖くなかった!」みたいな(笑)。趣味も似ていたのでお話も弾みました、すごく楽しい方という印象に変わりました。また共演できる機会をいただけたら、そのときはもっといろいろお話したいです。「自分は自分でいい」「今の自分自身を認めてあげよう」――夏月と佳道の関係性については、どう解釈していきましたか?佳道にとって、夏月が一番の理解者であり支えてくれる存在なので、やはり逢うべくして出逢ったような運命的な二人だと思いました。再会の仕方も、ちょっと変わった出逢い方をしているじゃないですか。必然性も感じたので、導かれているものを大事にして二人の時間を紡いでいきたいなとやっていました。佳道として演じていて、夏月といる間はやっぱりいい時間が流れていたんですよね。今まで佳道が歩んできた社会の棘のあるような空気とはまったく違って、なんか…まろやかな時間になっているなあと感じました。しかも、恋愛にいくわけでもなく、お互いの指向だけで理解し合えている。その不思議な感じが、居心地が良かったんですよね。そこだけでつながることもできるんだな、という発見もありました。――恋愛ではないが強固な結びつきということですよね。磯村さんご自身も感じるところがあったんでしょうか?そうですね。佳道と夏月の出逢い方は、僕の中でも新しかったんです。その感覚で通じ合えて一緒に過ごすことができるのは、今の時代だからこその形なのかもしれないなあって。ただ、すべては本人次第で他人がああだこうだいうことじゃないな、というのはすごく感じています。ここ数年、作品を通したり、出会った人と話す中で共通して思うのはそこです。すべて本人たちがよければ、それが一番の幸せなんじゃないかと感じています。――磯村さんご自身は『正欲』という映画を、どんな風に受け取りましたか?観終わった感覚で言えば、ものすごく温かい気持ちになったんです。「自分は自分でいいんだな」と思わせてくれたというか、救われるというか。観終わった後にホワーッとする感覚になれる映画でした。人とのつながりの大切さ、今の自分自身を認めてあげようというメッセージを僕は受け取りましね。常にハングリーマンで「貪欲さは大事に」――劇中では、「人生の通知表」という言葉が出てきました。磯村さんが現段階でご自身の人生に通知表をつけるなら、どうなりますか?「5」がマックスだったら、「2」「3」ぐらいじゃないかな?――え!どうしてそんなに低いんですか?だって「5」にしたら面白くないじゃないですか!――なるほど!伸びしろですね。そうです、伸びしろです!やっぱり、「5」にしちゃうと、先がないのでつまらないですよね。登っていくほうが面白いと僕は思うんですよ。なので今は「2」「3」がバーっといろいろある感じかなあと思います。そのほうが自分はまだ挑戦していけますし。…逆に「5」なんて作りたくないって思うんです。それぐらいがちょうど役者は楽しいんじゃないかなあと。ずっとなんかもうひとりの自分を追いかけている、みたいな。その追いかけっこみたいなのが楽しいと思ってます。僕は、ハングリーマンです(笑)。――「5」にならずずっとハングリーでい続けるために、今後の自分に期待したいことは何ですか?例えば、10年後に同じことを聞いていただいたときに「5ですね(きりっ)」とか言わない自分でいたいです。万が一、「5だね」とか言ったら、過去の自分が殴り行きますよ。「お前、そんなことを言うようになったか!!」って(笑)。それぐらいの貪欲さは、何年経ってもずっと取っておきたいというか、大事にしておきたいなとすごく思っています。【磯村勇斗】スタイリング:笠井時夢/メイク:佐藤友勝(text:赤山恭子/photo:You Ishii)■関連作品:正欲 2023年11月10日よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開ⓒ 2021 朝井リョウ/新潮社ⓒ 2023「正欲」製作委員会
2023年11月13日いままで聞いたことのないような、悲痛な叫びだった。映画の中で、神木隆之介演じる敷島が、得体のしれない理不尽かつ圧倒的な暴力、蹂躙によって、全てを失った際に発する、言葉にならない声のことだ。神木さんは目の前にそびえ立つ“それ”を「目に見える絶望」という言葉で表現した。佐々木蔵之介は、撮影中はまだ見ぬ存在であった“それ”を、完成した映画の中でようやく目にした時「怖くて仕方がなかった」と明かす。2人の口調から『ゴジラ-1.0』のゴジラがどれほど恐るべき存在であるかが伝わってくる。大の大人たちをこれほどまでに恐怖させ、同時に魅了するゴジラとはいったい何なのか――? 『3月のライオン』以来の共演を果たした2人が、記念すべき誕生70周年、シリーズ30作目となる『ゴジラ-1.0』について語り合う。ゴジラ映画70周年、30作品目出演の心境――ゴジラ映画への出演が決まった際の率直な心境はいかがでしたか?神木:僕はプレッシャーが大きかったですね。ゴジラという大きなコンテンツ、70周年で30作品目という重圧――日本が誇る、世界中の人が知っている存在なので、その映画に携わるとなると、責任がすごく大きいんだろうなと想像して、嬉しかった反面、「自分に最後まで背負いきることができるのか?」という不安がありました。ただ、お話を伺ったのが28歳の時だったのかな? 20代の最後の力を振り絞って、30代につなげられるような作品にできたらいいなと思いました。自分がどこまでできるのか? という思いもあってお引き受けしました。――これまで、様々な作品に出演されてきましたがプレッシャーを感じることはよくあるんでしょうか?神木:作品ごとに常に感じますね。ちゃんとお届けできるのか? 自分のキャラクターを通して、作品のメッセージをみなさんに伝えることができるのか? といったことを含めて、プレッシャーも責任もありますし、それは作品ごとに大小や優劣がある話ではないんですけど、ただゴジラというのはやはり特別なものがあって、それは僕にとってもそうだし、みなさんにとってもそうだと思うので、それを意識した瞬間はビビりましたね。佐々木:僕は神木くんとは対照的に何のプレッシャーもなかったです(笑)。「あの怪獣映画に出させていただけるんだ!」と。いままでは観客として「観ていた」映画の中の世界に存在するという不思議な感覚を味わえるのかという思いでした。ゴジラに加えて、山崎貴監督の作品に参加できるという喜びも大きかったですね。ずっと拝見していましたけど初参加なので、ゴジラの世界、山崎組の世界に入れるというのが嬉しかったです。――撮影の中で、ゴジラ映画ならではの感覚を味わった瞬間はありましたか?神木:「大きさ50メートルです!」と言われても、なかなか想像できなかったですね(笑)。ゴジラの目線を示すための棒があって、先端にゴジラの顔が描かれていて、それをスタッフさんが「このあたりです」と振るんですけど、そこに描かれてるゴジラの顔がちょっとイケメンでしたよね(笑)?佐々木:うん(笑)。神木:怖い顔じゃなくて、かわいらしいタッチで。佐々木:「はい、ゴジラ吠えますよ!」とか指示がくるわけですね。「ガァ―」とか。「これがVFXか…?」と(笑)。ああやって、グリーンバックの中で、まだ見ぬゴジラに立ち向かっていくという経験で、みんなを“戦友”と思う感覚が養われましたね。「まだ見ぬ」というか、実際に会うこともないんですけど(笑)。これこそ役者に一番大切な想像力だなと。神木:役者全員、人生を懸けて想像力をフルで働かせましたね(笑)。終戦直後を生きる役、意識した役作りとは?――戦後、神木さん演じる敷島や佐々木さん演じる秋津が木造船に乗り込んで、戦後処理の特殊任務に従事し、ゴジラにも遭遇することになる海でのシーンの撮影はいかがでしたか?神木:いや、それがですね、ウワサによると、我々があんなに頑張った海でのシーンの映像が、他のシーンのCGが凄すぎるせいで「海のシーンも全部CGなんでしょ?」と思われているらしいですよ。実際に我々は海に出たのに!――実際に木造船で沖に出て、結構揺れて大変だったとか?佐々木:結構どころじゃないですよ!神木:転覆寸前ですよ! (撮影に協力してくれた)地元の漁師さんが「そろそろ戻らないとヤバいです」って言うくらい。あれはちゃんとリアルな撮影なんだと言いたいですね、この場で。海に出て、ゴジラと戦いました! こうやって船をわざわざ作って海に出るという、大がかりな撮影もなかなかないですよね。それはゴジラならではだと思います。佐々木:4人(佐々木、神木、山田裕貴、吉岡秀隆)で戦ってたね。空と波の高さ、風の条件が全部そろわないとダメで、ずっと待機しながら「今日はどうかな?」、「天候は良さそうだけど」、「いや、あの風車見てよ。無理っすよ」、「波は?」ってずっと待ってたよね。ようやく船を出して、沖合に着いたら「いまです!」って、テストもリハもなしにすぐ本番でね。「いま撮るんかい!」って(苦笑)。あの経験があったから、みんなで一緒に戦った感がすごくありますね。だから、全部CGだと思われてるって聞いて残念なんですけど(苦笑)。――お2人も船酔いで苦しんだりされたんでしょうか?神木:1日目は酔いました。すごかったです。佐々木:あの船がまた怪しい木造船でね…。神木:一回、通報されましたからね。「怪しい」って(笑)。佐々木:僕は船長なので、2階部分の上に立たなくちゃいけなくて、すごく揺れてました…。何とか酔い止めの薬を飲んで耐えてましたけど、1回、ダメになりましたね。途中で衣装さんがダウンしたことがあって、そのときはみんな自分で衣装の乱れを直して撮影してましたね。神木:ふと横を見ると監督もダウンしてましたからね。佐々木:監督は(一瞬だけモニタを見るそぶりをして)「はいOK」って言って、またすぐよこになってましたからね。本当に見てたのか…(笑)?神木:「OK」の後にトランシーバーから「今日はもう早く帰ろうよ」「まだ撮るの?」って声が聴こえてきましたからね。――役柄についてもお聞きします。時代設定を終戦直後にしているのが、本作の大きな特徴です。敷島は戦争から生きて戻ってきた男で、戦争によって非常に大きな苦しみを背負っています。戦争というものとの距離を含め、どのように役を作っていったのでしょうか?神木:そこは本当に難しかったです。戦争は史実であり、ゴジラという存在はフィクションで、その2つが混ざり合っている世界で、敷島という男は戦争というノンフィクションを前提に生きつつ、フィクションに立ち向かっていかなくてはならないわけです。僕自身、戦争に関わる役柄は初めてでしたが、決してものすごく遠い歴史ではなく、実際に経験された方たちもご存命ですし、そういう方たちは計り知れない傷や思いを背負っているわけで、戦争を経験していない僕がそれを表現しないといけないというのは、すごく難しく、大きなプレッシャーでした。敷島は、戦争で死にきれず“生き残ってしまった”男であり、自分を責め続けている人間であり、そんなものを背負っている人間の顔つきは、絶対に普通とは違うと思うんです。普段の自分、他の作品やプロモーションで見せている顔と少しでも違うものを見せることができればと思いながらやっていました。すごく難しい役でした。――秋津は、戦後処理の特殊任務に当たる男で新生丸の艇長です。過去についてあまり詳しく説明はされませんが、戦後を生きる男を演じる上でどんなことを意識されましたか?佐々木:表立って描かれることはなかったですけど、僕の中で、おそらくは彼も大切な仲間や家族を失っているんだろうと考えて作っていきましたね。だから、やり残したことや果たさなくてはいけないことが山積みになっている…いや、山積みなのか、それとも心の片隅にあるのか――いずれにせよ、彼の心の中の大きな部分を占めているんだろうと。だから、水島(山田)のことを「小僧」と呼びつつ、その成長を嬉しく思うし、近くにいる人間が家族を持って、新しい時代を生き続けてほしいと思っている男だと思います。周りの仲間は“家族”だと思って接しようと思って演じていました。「自分の中の“何か”がゴジラに投影されている」――お2人の共演は「3月のライオン」に続いてとなりますが、前回との違いを感じる部分はありましたか?神木:前回も2人で取材を受けましたけど、その時はまだ「あ、ど、どうも…」みたいな感じで(笑)、どう話していいかわかんないところがありました。「3月のライオン」では一緒のシーンはありましたけど、棋士の役ということでそれぞれに背負っているものがあって、将棋盤を挟んで向き合って、個々に戦うという感じだったんですよね。今回は仲間であり、クルーであり、同じ方向を向かないと乗り越えられない敵がいて、船の中で本当に蔵さんに助けてもらうことも多かったですね。それもあって、今回からこうやって気軽に「蔵さん」と呼ばせていただいてます。佐々木:『20世紀少年』で僕の役の若い頃を演じてくれたんですよね。あとは名前の字面がちょっと似てることもあって(笑)、以前から縁を感じてたんです。神木:わかります。パッと見た時にね。「ん?」ってなりますよね(笑)。佐々木:「3月のライオン」が実質的な初共演だったんですが、師弟関係ではないんですけど、ふとしたところでアドバイスを送ったり、心の支えになるような立場でね。今回の共演を経て、やっぱりあの荒波を乗り越えた戦友としての絆みたいなものが深まった気がします。いろんな役をやってきているからこそ、本当にしなやかに役を演じていくのを見てましたし、今回もお互いに構え過ぎずに、地続きに演じることができた心地よい時間でした。――ゴジラの存在は、ある時は恐ろしい敵であり、時に人間の味方のように感じることもあったり、作品ごとにイメージも違いますが、70年もの間、なぜこんなにも愛され続けてきたのだと思いますか? ゴジラとは何者なんでしょうか?神木:何でしょうね…? ただの脅威ではないのかな、とは思いますね。生まれた理由があって、最初の作品(1954年)でも水爆実験による変異が起きて…ということが描かれたりもしていますけど、人間が作り出してしまった生物であり、人々によって見方は違うけど、ただの怪獣ではなく、それぞれが何かの象徴としてゴジラを見ているところがあると思うんですよね。自分にとって怖いもの、絶望する存在に重ね合わせる人もいるし、そうした恐怖や絶望に毎回、人類が立ち向かおうとする。場合によっては味方のように感じられたり、かわいく見えたりすることもあったり、作品によっても全然違うんですよね。作品ごとにみんな、自分の中の“何か”がゴジラに投影されているようなところもあって、毎回違いを楽しめるのかなと思いますね。佐々木:僕自身、ゴジラが「愛されてる」のか「恐れられている」のかわかんないです。時代ごとにゴジラが現われて、時代や人々がどういう対象としてゴジラを見るのか?やっぱり、いま神木くんが言ったように「人間が作り出したものである」というのが大きいんでしょうね。そこで、ゴジラという存在が全てを背負ってくれているんだと思います。いろんな感情をゴジラが背負ってくれているからこそ「味方だ」とか「脅威だ」とか、周りの人間たちがゴジラに対していろんな感情を持てるんでしょうね。ゴジラはしゃべらないので、“鏡”のようにいろんな思いを投影しやすいんだと思います。僕にとっては今回のゴジラはすごく恐ろしい存在でした。「破壊する」ということが、こんなに恐ろしいことなんだということが一番突き刺さりました。【神木隆之介】ヘアメイク:MIZUHO(VITAMINS)スタイリスト:橋本敦【佐々木蔵之介】ヘアメイク:晋一朗(IKEDAYA TOKYO)スタイリスト:勝見宜人( Koa Hole inc. )(text:Naoki Kurozu/photo:Jumpei Yamada)■関連作品:ゴジラ-1.0 2023年11月3日より全国東宝系にて公開©2023 TOHO CO.,LTD.
2023年11月03日