■前回のあらすじ31週からはじまった切迫早産の入院生活。先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。しかし、36週に入り、突然「明日退院」と告げられ…。こんにちは、宝あり子です。切迫早産の入院話もいよいよラスト。■慌てて退院準備先生に「じゃあ明日退院しようか!」と突然言われて、うれしさよりも戸惑う気持ちが大きかったです。なぜなら、この診察日の時刻は夕方で、退院は翌日の午前。もうあまり時間がありませんでした。まずは主人に明日迎えに来てもらえるか連絡をしました。すると「そんな急には休めないから今週末退院じゃダメなの?」という返答がありました。やはり急には休めないとのこと。ダメ元で看護師さんに退院日をずらせないか聞いてみましたが…。退院日は変えられませんでした。ということで、ずっと寝たきり生活だったため、ひとりで帰れるか不安でしたが、お迎えなしでタクシーを使って帰ることに。そして、病室に戻り慌てて退院準備を始めました。翌日、退院日の朝。切迫早産入院中ずっと投与していた点滴の量が減らされました。そしてNST(ノンストレステスト)でおなかに強い張りがこないかチェックがありました。「もしおなかに強い張りがきたら…」と不安でしたが、ウテメリンの量を減らしても、特におなかは張らず体調も変化はありませんでした。こうして入院してからずっと24時間していた点滴が外されることになりました。注射嫌いな私の点滴生活もついに終了です。■心残りがあった退院のあいさつ退院の手続きが終わり、看護師さんたちに退院のあいさつをしました。しかし、突然の退院だったのであいさつができない看護師さんもいたのが心残りでした。看護師さんたちから「また出産のとき、待ってるね!」と言ってもらえたのは、うれしかったです。切迫早産入院は本当につらかったですが、看護師さんたちと仲良くなれたことは良かったと思っています。看護師さんたちにあいさつをして、ヨタヨタしながら病院の廊下を歩きましたが、自分の力で歩くのが久しぶりすぎて、うまく歩けなかったです。入院中は基本トイレに行くくらいしか歩かなかったし、診察で病院内を移動するときは車椅子でした。■久しぶりの外で…ほぼ寝たきり生活で足の力が弱まっていることを実感して、「こんなに体力が落ちてて出産できるのだろうか?」という不安も出てきました。こうしてヨタヨタと歩きながら呼んでおいたタクシーのところまで歩いていきましたが、病院を出たときに…。病院の外がとても眩しく感じて、空が青かったのを覚えています。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年07月28日■前回のあらすじ切迫早産入院中は退院するまでシャワー禁止でした。頭が洗えない状態が10日以上続くと不快感やかゆみが出て…。こんにちは、宝あり子です。前回は切迫早産入院中に辛かったことをお話しましたが、今回は切迫早産入院時に困ったトイレトラブルについてです。■頻尿が辛い!おなかの張り止め、ウテメリンの点滴を使いはじめたら、頻尿に悩まされました。24時間点滴をしているので夜間もトイレに行きたくなり、夜中に何度も起きてトイレに行かなければならないのが辛かった!そんなトイレはさらに私を悩ませる問題がありました。■トイレに点滴台を入れにくい問題私が入院していた病院のトイレは、個室内の広さが狭かったため点滴台がなかなか入りませんでした。トイレの個室の入り口で必死に格闘しながらなんとか点滴台をトイレの個室に無理矢理、入れる日々。そんなある日、おそらくほかの切迫早産で入院中であろう患者さんが点滴台を個室のドアの前に出しているのを見て、衝撃を受けました。これ以降は私も点滴台を個室のドアの前に出すようになりました。余談ですが、この切迫早産入院から数年後、別の病院で乳がん治療で抗がん剤の点滴をしながらトイレに行ったら個室内の広さが大きいトイレだったので点滴台はすんなり入りました。広いトイレはストレスフリーで感動しました(笑)。しかし、トイレで困ったことはこれだけではありませんでした。 ■輸液ポンプのバッテリー問題切迫早産入院中の点滴は24時間ずっと点滴です。そのため薬を一定の速度で投与し続けるために「輸液ポンプ」を使用します。この輸液ポンプはコンセントにつながっているため、トレイに行くときは毎回この輸液ポンプのコンセントを抜いてトイレに行っていました。ですが、私はこの輸液ポンプが悩みの種でした。私は妊娠中、便秘がひどくて入院中も便秘に悩まされていました。そしてトイレにこもっていたら突然…。音が鳴りだしパニック。慌ててトイレ近くのナースステーションにかけ込みました。私が便秘でトイレにこもっていたため、輸液ポンプのバッテリーが切れかけて警告音が鳴ったのです。コンセントをさせば警告音は止まるのですが、困ったことに私が使っていた輸液ポンプはコンセントから外すと20分もたたないうちに警告音が鳴り始めてしまうため、便秘で苦しいのにトイレにゆっくりこもることができませんでした。これにより、もともと妊娠中便秘がちだった私の便秘はさらに悪化してしまい…。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年01月28日■前回のあらすじ切迫早産で入院することになり、おなかの張りをおさえる点滴の投与がはじまりました。こんにちは、宝あり子です。■注射嫌いの私が24時間の点滴生活私は注射が嫌いです。注射の針が刺さっていると思うだけでクラクラしてしまいます。妊婦健診でときどき採血があるので、そのたびにヒーヒー言っていました。そんな注射嫌いのわたしが点滴をすることになり…。24時間の点滴生活が始まり、とてもショックでした。ちなみにこの点滴生活でさらに注射嫌いに磨きがかかった私は、「もう点滴生活は送りたくない…」と思っていたのに、乳がん治療で抗がん剤を点滴を始めることになるのは、また数年後のお話…。■点滴「ウテメリン」の副作用さて、そんな注射嫌いな私がウテメリンの点滴を開始して、しばらくすると点滴の副作用が出てきました。身体が熱くて汗が止まらず、パジャマは汗でびしょびしょになりました。さらに動悸も起こり苦しかったです。とはいえ、最初は点滴の副作用なのか分からず、点滴交換にきた看護師さんに聞きました。やはり点滴の副作用でした。看護師さんいわく、しばらくすると身体が慣れて副作用も落ち着くとのことでした。ですが、慣れるどころか手の震えも起こり始めました。この手の震えの副作用は食事のときにお箸が持てなくて困りました。なんとかお箸を持って必死に食べ進めていましたが、手に力を入れようとすると手がつってしまい、結局あまり食事ができませんでした。身体の熱さ、汗、動悸、手の震えといった副作用は、点滴開始から3日ほどたち、ようやく落ち着きました。入院から最初の3日間は副作用もあったし、突然の入院に心が追いつかず特につらかったです。■同意書にサインして残ったモヤモヤ入院初日でまだ頭が混乱している上に点滴の副作用が始まり、つらかったときに入院の手続きに事務の方が部屋にやってきました。そこには入院による部屋使用料、サービス料などで保険適用外の料金が一日ごとに8,000円かかる旨が記載されていました。切迫早産の入院は正期産まで退院できず、長期になることが多いです。私も1ヶ月ほど入院することを考えると高額に感じました。しかし、サインするしか選択肢はないと思ったので、その場でわたしはサインをしてしまいました。結局1ヵ月ちょっと入院して保険適用外の治療なども行い、高額療養費制度を利用しても入院費は約1ヶ月で50万ほどかかりました。切迫早産で入院した友人に話を聞いてもサービス料などはなく、ほかの病院ではこんなに入院費はかからなかったといいます。私は大部屋を希望しており、個室を利用しておらず、通常であれば差額ベッド代はかからなかったはずで、サービス料というのもどんなサービスに料金がかかっているのか分からないままサインをしてしまいました。しっかり確認して納得した上でサインをしなかったことに後悔しました。こうしてわたしの切迫早産入院生活が始まりました。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年10月28日■前回のあらすじ病院で切迫早産と診断され、入院の準備をする暇なく緊急入院になり…。こんにちは、宝あり子です。突然、入院することになりパニック。まずは入院することになったことを主人に伝えようと思いました。■自分の置かれた状況がまだ理解できていなかったそこで看護師さんに「家族に入院になったことを電話をしたい」とお願いしました。すると…。「病室でメールやメッセージアプリで連絡してください」と言われて驚きました。・電話もできない・病室まで歩くこともできない緊急入院と言われましたが、自分の状況がまだ完全には理解できておらず、これほどの事態とは思っていませんでした。車いすで病室につくと、すぐにベッドに横になりました。そして、病院へ到着したときにおこなったNST(ノンストレステスト)を再び行うため、おなかにセンサーをつけて赤ちゃんの心拍数と子宮収縮回数の確認が始まりました。同時にウテメリンという、おなかの張りを抑える点滴の投与が始まりました。 ■徐々に増えていく点滴の量こうしておなかの張りを確認しながら、点滴の量が増えていきました。その量に不安になりながらも、その間にわたしは主人に連絡。着替えや飲み物など入院グッズをお願いしました。点滴投与からしばらくして、ようやくおなかの張りがおさまりました。このときの点滴の量は【2A35】でした。この量は私が退院する日まで減ることはありませんでした。おなかの張りも落ち着き、しばらくすると主人が病室へ来ました。ここで心配だったのが、長女のこと。当時1歳だった長女。この頃はまだ保育園にも通っておらず、私が自宅で育児をしていました。私が入院中の間、誰が面倒を見るのか…。主人が有休を取れたとしても数日。私の両親はこの時期ドタバタしており、何週間も長女の面倒をみることは難しい。主人の両親は遠方。悩んだ末、主人の実家に連絡しました。その結果、遠方に住んでいる義母がしばらくの間、こちらに来て滞在してくれることになりました。続きます。※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年09月28日