さかのぼること20年前、空手を習っていた私はかなりパワフルな子どもで、ちょっとヤンチャな中学生に絡まれている上級生を助けたこともありました。私が助けた上級生は、女子の私でもうっとりしてしまうようなきれいな顔をした男の子。いつの間にか毎日一緒に遊ぶ仲になり、いつしか恋に落ちていたのです。しかし一緒にいる時間はとろけるように過ぎ、私たちの関係は彼の引っ越しによって終わりを迎えました。初恋引っ越す前日、彼は小さな箱に入ったおもちゃの指輪を差し出して「君を守れる強い男になって会いにくるから! そのとき結婚してください」と言ってくれました。 しかしSNSもない時代の話。引っ越して以来会うことも連絡をとることもないまま、私は大人になりました。 大人になっても彼が忘れられず、自分でも諦めがわるいと思いながらも、未だに初恋の彼が迎えに来てくれるのを待っていたのです。 思いがけない再会ある日私は、何気なく眺めていた記事に息をのみました。そこには『天才起業家、ついに顔出し』という見出しとともに、大人になった彼の姿がありました。 記事には、これまでプロフィールを非公開にしていた天才起業家が、ついにその素性を明かしたと書かれていて、そこにいたのは今も変わらないきれいな顔をした彼。私は仕事のツテを頼りに彼にアポイントを取り、もらった指輪を持って会いに行きました。私があのときの空手少女だということ、指輪も大事に持っていたことを伝えると、彼も喜んでくれ、すぐに私たちは付き合うようになったのです。 初恋の彼と結婚その後、彼から正式に結婚を申し込まれた私は、彼のご両親に挨拶をしに行くことになりました。幼少期の思い出をご両親にも話し、再会できたなんて夢みたいだと話す私。それを見たご両親の驚いた顔が忘れられません。 結婚を認めてもらったと思っていたその日の夜、彼のご両親が私の家を訪ねてきました。開口一番に「あなた、本当にいいの?」と……。意味がわからずに聞き返すと、とんでもない事実を打ち明けられたのです。お母様の話によると、私の初恋の相手は今付き合っている彼ではなく、双子の弟なのだそう。一卵性なので見た目はほぼ同じ。友だちもホクロの位置で判断しているくらいソックリなのだそうです。 双子の弟は道路に飛び出した少女を助けた代わりに自分が事故に遭ってしまい、一部の記憶を失って家に引きこもっているとのこと。それをいいことに、双子の兄が弟のフリをしてメディアに出ていたのです。初恋の彼「とにかく一度会ってほしい」とお母様から言われ、私は翌日早くに再び彼の実家を訪ねました。双子の弟・私の初恋の人は、私が持っていった指輪の入った小さな箱を見て涙ぐみ、箱から指輪を取り出して指にはめてくれました。 「よかった。また会えた」そう言ってやさしく笑う顔は、間違いなく私が探していた彼でした。弟の記憶が戻ってほしくなかった双子の兄は、昔の彼を知っている私が邪魔だったよう。弟も私との再会を心待ちにしていたと知っていたため、指輪を持って現れた私が脅威でした。記憶を取り戻しては困ると考え、本当のことを言わなかったようです。 その後、彼は少しずつ記憶を取り戻し、私たちは結婚しました。初恋の人と結婚できてとても幸せです。 まるで漫画のようなシンデレラストーリー。何年もずっと互いを大切に思っていたなんて、素敵な話ですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月16日私は兼業主婦。双子を帝王切開で出産しました。夫は出産後、一度だけ病院にお見舞いに来てくれましたが、それ以降は顔を見せませんでした。出産後、体調もまだ本調子ではない中、一人で退院の準備をして、夫と義母が暮らす家へと帰りました。 帝王切開は出産じゃない!?義母の暴言家に帰ると、義母は孫を見て大喜び! しかしその喜びもつかの間で、寝ている子どもたちに声をかけて起こしては、2人が泣き始めるとすぐに私に丸投げ。洗濯、夕食の準備、掃除まで、すべて私の仕事になっていました。 夫もこの状況に対して無関心で、育児も家事も一切手伝ってくれませんでした。 私は体調が悪いと伝えても、義母は「私は痛い思いをして息子を生んだのよ! 帝王切開は出産じゃない!」とありえない言葉を言い放ち、家事の一切を私に任せきり。私の疲労はどんどん溜まっていきました。 限界を迎えて義母の厳しい態度は徐々にエスカレート。ある日私が双子と一緒に寝落ちしてしまったところを義母に見つかり、「楽して産んだんだから休んでないで働け!」と激怒されたのです。 その言葉に我慢ができなくなった私は、泣きながらに母に連絡しました。そして母のアドバイスを受けて、離婚に向けて動き出すことにしたのです。 そして数日後のある夜、義母と夫が寝静まった隙に、母に迎えに来てもらい、双子を連れて実家へ帰りました。 母親激怒! 離婚へ翌朝、私たちがいないことに驚いた夫と義母は、すぐに実家へ押しかけてきました。その2人に母は、「帝王切開も立派なお産です! おなかを切ったのに楽なわけがないでしょう!?」と激怒! 双子を生んだばかりの私に家事を強要したことや、義母のひどい言葉を叱り、夫と義母に厳しく説教しました。 私はその場で夫に離婚を宣言。離婚すると、2人があてにしていた私の収入がなくなるので渋られましたが、知ったことではありません。これまでの冷遇を録音した音声を証拠として慰謝料を請求し、無事離婚できました。 私は両親の支えを受けながら、双子を育てつつ、職場復帰する予定です。離婚は私にとって自由を取り戻すための大きな一歩。これからは信頼できる家族に囲まれて、自分の人生を歩んでいきます。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月16日私は大学卒業後に食品メーカーに就職した平凡なサラリーマンです。この年になると同期は皆結婚していますが、私は昔から太めで人付き合いも苦手。彼女がいたこともなく、自分は一生独身かもしれないと考えていたある日、上司に呼び出されました。上司からの話とは?上司からの話は、こう始まりました。「△△食品は知っているな?」健康食品などを主に扱う△△食品はわが社の大口取引先で、業界でも有名な企業。「実は、そこの社長と私の父が友人で。娘さんがいるんだがご縁に恵まれず、誰かいい人を……と頼まれたんだよ。で、君、どうかね?」ぼんやり聞いていた私は仰天。「え? 私が△△食品の社長令嬢と、お見合いですか?」上司いわく、私は浮いたウワサもなく勤務態度も真面目だからだとか。他に社内に適当な独身男性がいないからというのも透けて見えましたが。微妙な表情の私に、上司は見合い写真を撮りだしました。「こちらが令嬢だ」。そこには厚化粧に瓶底眼鏡の、作り笑いの女性が写っていたのです。お世辞にも「美人」とは形容しがたい感じ……。私がテンションを下げたのを見て、上司も察した様子でした。「この写真はまあアレだが、自社の開発部門で活躍している有能なお嬢さんらしいぞ」うーん。実際会ってみたら写真とは印象が違うのかも? それに、私が選べる立場か……? こうして、嫌なら後から断ればいい、と言ってくれた上司の顔を立てるためにも、私は社長令嬢とお見合いをすることになったのです。お見合い当日私は指定された高級料亭の個室に通され、緊張の面持ちで待機。しばらくすると、ふすまがスッと開いて和服姿の女性が姿を現しました。「初めまして」と言って顔を上げた女性。やはり、厚化粧に瓶底眼鏡で写真通りだったのです。人の好みはそれぞれですが、これは何とも……。しかし彼女は気さくに話始めました。「今日は無理矢理ごめんなさい。私、昔から恋愛や結婚にまったく興味がなくて。両親が心配して、次々お見合い話を持ってくるんですが……。正直、今日も仕方なく来たんです。付き合わせてしまってすみません」と言って、ニコッと笑ったのです。正直私は、「あれ? 意外と笑顔はかわいいな」と、思いました。「でも、このお店、料理は絶品です。お食事だけでも楽しんでいってください」こうして、おいしい料理とお酒のおかげで私と彼女はすっかり気分が良くなり、取りとめのない会話を交わし始めました。ある計画を実行聞けば彼女は、仕事と趣味の時間を大切にしていて、オシャレや化粧も好きではなく、普段していないため慣れていないのだとか。そこで私は、「あなたは結婚する気がないのに、何度もお見合いをする必要があるんでしょうか?」と核心をついてみました。「両親には言ったんだけど……。心配らしくて、いつも次の人の話を持ってくるのよ」と答える彼女。それなら、とひらめいた私は「ご両親を説得できるまで俺とうまくいっていることにしませんか? そうしたら、しばらくはお見合いなんてしなくて済むでしょう?」と提案することに。「え!? ご迷惑じゃ……」と驚いた社長令嬢に、酒の勢いもあったのか、私は気軽に請け負いました。「大丈夫ですよ! 俺には恋人もいないし、付き合っているフリくらい簡単ですよ。実際に俺と会う必要はありません。落ち着いたら、改めて破談にしちゃいましょう。今日の料理のお礼です」こうして、恐縮していた彼女を押し切って、私たちは口裏を合わせることに。ひっそりとお見合いを終えたのです。数週間後…数週間後、私は再び上司に呼ばれました。「実はこの前の君の企画なんだけど、△△食品と共同開発をすることになった。そこで担当を任せたいんだよ」と言うのです。これにはビックリ。「実は、社長さんがあの企画を気に入ってくれてね。企画者である君をご指名なんだ」と説明されました。娘さんとお見合い後、恋人のふりまでした私。父親である社長をだましたという引け目を感じ、ドキドキしながら打ち合わせ日を迎えました。△△食品へと足を運んだ私が会議室の扉を開けると……。そこには社長令嬢の姿がありました。しかも、見合い日には派手な着物と似合わないひょっとこみたいな化粧だった彼女が、今日はナチュラルメイクでシンプルな服に身を包み、まるで別人でした。「実は私、今回の件は私が開発担当なんです。よろしくお願いします」実は彼女、あの後ちゃんと両親と話をし、まだ結婚には興味がないことをわかってもらえたのだとか。「でも、御社からすばらしい企画が舞い込んできて。企画者はあなただと聞いてビックリでしたが、ぜひ一緒にお仕事をしたいと思ったんです」こうして私たちは、一緒に新商品の開発を進めることになりました。令嬢との仕事は刺激的で楽しく、毎日があっという間に経過。彼女は、出自におごらず、頭脳明晰(めいせき)で周りからの信頼も厚く、明るいすてきな人柄で、一緒に働くには最高のパートナーだったのです。プロジェクトの終わりに私たちが開発した新商品は、ダイエットサポート食品。自らも実験台になろうと話し合い、2人でダイエット計画を実行したのです。そうして数カ月後。食事やランニング、エクササイズを一緒に頑張ったことで、私たちはすっかり健康的に。見た目もすっきりして、肌ツヤも良くなりました。「ありがとうございます。おかげで最高の商品ができました!」。そう言って頬笑んだ彼女を見て、私の胸はドキドキ……。何より、商品が完成したらもう今までみたいには会えなくなる……と、なぜか胸が痛んだのです。これまで彼女と四苦八苦しながらアイデアを出し合い、商品開発とその効果の実証に向けて過ごした時間が走馬灯のように脳内を駆け巡りました。気が付くと、私は思いを言葉にしていました。こうして私たちは正式にお付き合いを始め、翌年には結婚を果たしました。お見合い写真だけで断らずに本当によかった。これからも2人で、楽しく健康に過ごしていきたいと思います。--------------見た目や第一印象だけで決めなかったのは大正解でしたね。仕事を通してお互いの人柄に触れ、惹かれ合ったのでしょう。自らの選択で迎えたハッピーエンド、まさに大団円ではないでしょうか。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年04月15日わが家は共働き夫婦です。休日は家族でゆっくり過ごしたいのですが、毎週のように義母が遊びにきます。孫の顔が見たいと言われたら断れず、毎回迎え入れるのですが、それは口ばかりでわが家に来ても何もせずにゴロゴロするだけ。一体何をしに来ているのでしょうか……。ただ遊びにくるだけならいいのですが、義母は決まってわが家で食事をして帰ります。しかもーー。お支払いは…?わが家に来るとき、義母は決まって出前を頼みます。「みんなで食べようと思って」と、あたかも自分がご馳走するような口ぶりですが、受け取るとすぐに玄関から姿を消してしまうので、毎回なぜか支払いは私。後から請求するものの、払ってもらえたことは一度もありません。 しかも義母は、私がストックしている食材を毎回持って帰ってしまいます。このまま見逃していると、子どものための貯金もできません。 どういうこと!?いろいろと考えた結果、毎週末わが家に足を運ぶ義母をなんとかしてほしいと、義父に連絡を入れることにしました。そこで私は衝撃の事実を知ります。 なんと義母は「家事に手が回らないから来てほしい」と私から頼まれたと言っていたそう。そんなお願いは一度もしたことがありません……。 なんだかモヤモヤした気持ちを抱えながら迎えた週末。またしても義母が、出前とともにやってきました。見るとかなり高級そうなお寿司。「お支払いはよろしく〜」そう言って義母はお寿司だけ受け取って消えていきました。 請求はなんと5万円。これまでの最高額です。絶対に払いたくありません。おばあちゃん、貧乏なの?リビングに戻った私は、5万円の明細書を義母に叩きつけ、払ってもらいたいと伝えました。しかし義母はのらりくらりとはぐらかします。 すると娘が「おばあちゃんって貧乏なの? ごはんのお金、いつもママが払ってるよね?」と言いました。孫にそんなことを言われて、義母は顔を真っ赤にしています。夫は大きなため息をついて「なんで毎回うちでごはん食べていくの? いい加減説明して」と、義母を問い詰めたのです。義母がわが家に来ていた理由義母は食費を節約するために、毎週わが家に来ていたそう。節約していた理由は、まもなく定年を迎える義父に海外旅行をプレゼントするためだったと言います。 食べることが大好きな義母のエンゲル係数はなかなかのものだったよう。節約するならそこしかないと思ったのですが、おいしいものを我慢するのはつらい……。それならわが家で食べればいいと考えたと話しました。 「なんでうちで……」義母の考えにはため息しか出ません。共働きなので、お金に余裕があると思っていたとのこと。たしかに夫婦で働いていますが、これから子どもにもいろいろとお金がかかるので、裕福なわけではありません。義父のためにという義母の気持ちは素敵ですが、笑って許せる金額ではないので、毎月少しずつ返してもらおうと思います。 プレゼントをするなら、人のお金に頼らず自分の力でお金を貯めてほしいですね。そのほうが義父も嬉しいのではないでしょうか。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月15日私は25歳の主婦。昨年結婚し、義両親と同居しています。義両親とも関係は良好で、義母とは一緒に朝ドラを見たり家事をしたり楽しい毎日を過ごしています。ただ、義姉のことで悩んでいて……。義姉はものすごい浪費家な上に浮気が発覚し、義姉の夫から離婚を言い渡されたところ。しかも反省する様子もなく、義実家に急に来ては「何か食べるものある? お腹減っちゃった」と物色してくるのです。 義姉を追い出す義両親。怒った義姉は出て行きざまに……ある日、いつものように義両親とお茶をしていると、義姉の夫が急に訪ねてきました。どうやら、義姉との離婚でもめているとのこと。スムーズに離婚できるように義姉を説得してほしいと義両親にお願いに来たのです。 願いを承諾した義両親は、義姉を呼び出しました。そして離婚するように説得し、反省するまで家には帰ってこないように伝えました。 怒った義姉はその場にいた私に「もし私を追い返したりしたら、覚えておきなさいよ! あんたはただの嫁なんだから!」と言い捨てて出ていきました。なんだか嫌な予感……。 急に押しかけてきた義姉にカチン!真実を知った義姉は?その後、無事義姉夫婦の離婚が成立。私が家に1人でいるとき、突然義姉がやってきました。 「今日から同居するから! まずは洗濯物よろしく!」 そう言って、大量の洗濯物を放り投げてきたのです。私がうろたえていると「あんたは所詮嫁じゃん? つまり家政婦でしょ」「私、紅茶の気分なの。淹れてくれる? ないなら買って来て」と言うではありませんか。 我慢の限界に達した私は「私この家の住人じゃありませんけど!」と言い放ちました。そこに義両親と夫が帰宅。私の発言に驚く義姉に、「私たちも全員住人じゃない」とみんなで畳みかけます。実は、私たち夫婦は北国に転勤、義両親は長年の夢だったニュージーランドへの移住が決まり、義実家も買い手が決まっていたのです。 アパートを引き払ってきた義姉は困り果てて大暴れ! しぶしぶ住み込みの仕事を始めたそうですよ。 親だからといってずっと甘えていてはダメ。私に対する非常識な態度も許せません。義姉もこれを機に自立しなければいけませんね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月14日そろそろ子どもが欲しいと思っていた私たち夫婦。しかし夫は出張が多く、24時間シフト制で仕事をする私とはすれ違ってばかり……。孫を心待ちにしている義母からの「孫はまだ?」という催促も、負担になってきました。のんびり構えていたら妊娠できないと危機感を覚え始めた私は、近所にある産婦人科に相談しに行くことにしたのですがーー。夫の裏切り病院では、まず私の体を検査することになりました。通院していることは夫には内緒です。 3回目の通院日、病院の廊下で聞き慣れた声を耳にした私。声が聞こえた方向を見ると、そこには夫が立っていました。夫も子作りのことを真剣に考えてくれているのだと嬉しくなったのも束の間、「はじめまして~♡パパだよ~!」と、私に見せたことがないようなやさしい顔で赤ちゃんを見つめていたのです。「奥さんにバレてない?」赤ちゃんの母親らしき女性がそう言うと「今日も長期出張って言ってあるから大丈夫! 不倫してパパになっているなんて夢にも思ってないだろうな!」と答えます。そのまま2人は、笑いながら車に乗り込みました。 義母に報告すると…突然のことでどうしていいかわかりませんでしたが、とりあえずスマホで証拠だけは押さえておきました。悲しい気持ちももちろんありますが、このまま泣き寝入りはしたくありません。まずは義母に連絡をすることにしました。「待望の孫が産まれましたよ!」と電話で義母に伝えると、「産まれた?……産まれる、の間違いでしょ?」と義母は嬉しそう。 私は証拠の写真を送るとともにすべてを伝えました。常識から考えて、義母は息子の不倫を許さないと信じていたのです。 夫も夫なら義母も義母 しばらくすると、夫を連れて義母がやってきました。自分が悪いことをしたはずなのに、夫はなんだか怒っている様子。どうやら私が義母に告げ口したことが不満だったようです。夫は「孫を欲しがる母さんのためを思ってやったことだ! 責められる筋合いはない」とまさかの開き直り。それを聞いた義母も、私が真剣に子作りに向き合わなかったからこうなったんだと責めだし、呆れてしまいました。 私はその場で離婚を言い渡し、慰謝料請求すると言って家を出ました。残念な夫しかし、3日後に夫から復縁を迫る電話がかかってきました。話を聞いてみると、不倫相手にはほかにも付き合っている相手がいたようで、別の男性が「パパですよ~♡」と赤ちゃんに話しかけているところを目撃したと言います。 どういうことか彼女に聞くと「パパの可能性がある人全員に声をかけた」と白状したそう。怒って別れてきたのだと鼻息荒く話していました。つまり夫は、複数いる浮気相手の1人に過ぎなかったということ。俺が悪かった、騙されて気付いたと夫は泣いていましたが、私に復縁の意思はありません。そのまま電話を切るとともに、縁も切ったのでした。 夫はもちろん、義母の言動も最低でしたね。妊活を頑張ろう! と思っていたようですが、妊娠する前に本性がわかってよかったです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月14日女性のひそかな悩み、出産時にもよくなるという「痔」。便秘でもないのでずっと人ごとだった私に、その病はひっそりと近づいてきました。体験談を読んでみては「大変なんだなあ、でも病院行くの嫌だな」と思っていた私でしたが、実際になってみると本当に大変でした。私の痔の体験談を紹介します。まさか私が痔になるなんて!まさか自分が痔になるなんて考えてもいませんでした。トイレを我慢しなくてもいい環境に身を置き、野菜大好き、食物繊維大好き、水分はしっかり補給する生活のため、便秘とは無縁だった私。なので私にとっては「痔」はまさに「対岸の火事」の病でした。なのになのに! その日は突然やってきました。朝起きたときにおしりに違和感。「??」と思いながらトイレへ。すると、痛い! うんちをするとおしりが痛い! いつもなら強めにするウォシュレットを最弱にして洗った後、そー-っと触ってみると……あれ? 何かある!おしりにポコポコッと何かが出てきている! そこでやっと「痔?」と気付きました。もう違和感しかなく、痛いし気になるしで、泣きそうになりながら出勤しました。トイレに行きたくなることを考えると食欲も出ませんでした。帰宅後お風呂に入って、暖かいお湯できれいにして触ってみるとやっぱりあるんです、ポコポコッとしたものが肛門の辺りに感じられました。恥ずかしくて受診できず「痔」を調べる日々とにかくどうにかしなければなりません。だって痛くてトイレに行くのも面倒になります。そうすると排便のリズムが狂ってスムーズに出ず、ますますつらくなり痛い思いをする悪循環に陥りました。効きそうな薬、民間療法、体操などを調べれば調べるほど何をしていいのかわからなくなり混乱する日々。手っ取り早く病院に行けばいいのでしょうが、やっぱり恥ずかしい。出産やがん検診などで下半身を見られた経験がないわけではないですが、肛門を見られるのはやっぱり抵抗がありました。しかも、看護師に知り合いが多く、思いつく肛門科には知り合いや友人が働いています、そこにいって肛門をさらす? いや無理! 家族にも絶対に言えない……。でも、痛いし気付けばポコポコッと肛門から出てくる何かがあります。ネットや本で調べたところ、私の痔はおそらく「いぼ痔」で、その中でも「内痔核」のようでした。今まで自覚症状はありませんでしたが、思い起こせばお風呂に入ったとき、力を緩めると肛門周りがポコッとすることがありました。そこで、もしかして「痔」だったのかも? と気付いたのです。調べたところ内痔核は初期の状態であれば「排便後は自然に戻る」とあったので、気付かないうちに痔になり、処置をしないうちにひどくなってしまったのかなと思いました。市販薬とお風呂で温める作戦をしてみたら…ネットで調べると「とにかく清潔に」「お風呂に入って温める」とあったため、毎朝の排便後きれいにすることと、入浴時、暖かいお湯できれいに洗った後湯船に必ずつかり血行を良くすることを心がけました。ウォシュレットが強すぎるのも良くないと出ていたので、自分自身痛さを感じていたこともあり弱めにして使用しました。病院に行くのは最終手段と考え、まずはドラッグストアで薬を探すことに。小心者で見栄っ張りな私はいつものドラッグストアには行きにくく、少し離れた店で薬をチョイスしました。私が選んだ薬は患部に塗ることと、中に注入することの両方できるタイプです。痛いのは外に出ているものですが、中にも入れないと治らないかなと思い選びました。その薬を1日3回使用しました。朝は時間に余裕をもって食事をして、その後トイレで排便し、ウォシュレットでおしりをきれいにして薬を塗りました。昼は水分だけをとり、おしりをきれいにして薬を塗るだけ。夜は入浴後または寝る前に家族にばれないようにそーっと薬を塗るように。痛みが治まるまで辛い物や刺激物を避けて便秘にもならないようにと、より一層心がけました。2週間真面目に1日3回薬を塗り注入し、おしりを清潔にしたところ痛みが治まり1カ月後にはポコポコッとしたものも気にならなくなりました。今は触っても何もない状態です。まとめお風呂で力を抜いた状態になると、たまに何か出ているのを感じるときもあるので、完治はしていないのだと思います。私の場合は気付いてすぐ薬を使用したり温めたりと自分なりの処置をした結果、悪化することはありませんでした。私は長時間の車移動で座ったまま、家で動かないでゴロゴロしてばかりなど活動量が少ないと朝排便がないことも。すると排便リズムが狂い便秘ぎみになるので、また痔につながるのが目に見えています。あの痛みと生活の不便さを思い出して、悪化させない生活を心がけていきたいと思っています。そして、決心が付いたら病院に一度かからないとなあと悩み中です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。マンガ/へそ著者/まさみ(45歳)中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。
2024年04月13日夫の仕事は不動産の営業。成果が目に見えてわかりやすいため、やりがいが感じられる反面、常に数字に追われる苦しさもあるようで、仕事のストレスを抱え込んでいるのがわかります。ときに、うまくいかないストレスを私にぶつけることも……。できる限り夫を支えたいと思うものの、私にも仕事があって思うようにサポートできません。そんな私に夫はーー。夫を支えたい「家で夫がくつろげるようにするのも妻の仕事だ!」と“自分が一番”発言をする夫。そんな夫に不満もありますが、たしかに会社でも家でもくつろげないのはキツいはずです。 そう思った私は、それ以来言いたいことがあってもグっとこらえて、ゆっくり過ごせる家づくりに努めました。 それから数カ月経ったある日。仕事を終えて家に帰ると、夫は珍しく上機嫌。「大きな契約が取れたんだ!」と聞いて、私は思わず夫に抱き付き、何度もおめでとうと言いました。 心が壊れてしまった夫その後も夫は順調に契約を取り、成績は右肩上がり。上司からも一目置かれるようになったのですが、その分業務量も増え、家で過ごす時間が短くなっていったのです。 仕事がうまくいかないことも心配でしたが、うまくいったらいったで、それもまた心配です。夫はまたしてもストレスを抱え始めました。しかしこれまでと違って私に当たることはなく、ただただ元気を失くしていったのです。ついに夫は、心を壊してしまったようで、診断書を持って帰ってきました。もう限界のようです。 これ以上仕事を続けていると、夫は心も体も病気になってしまうかもしれません。私は夫に仕事を休むようにすすめました。 休職期間の過ごし方休職期間に入った夫は、朝から晩までゲーム三昧。すっかり昼夜逆転の生活を送っています。顔色は良くなりましたが、果たしてこれが快復に向かっているのかどうか心配になってしまいます。 私は担当医から詳しく話を聞こうと、診断書を片手に病院を訪れました。用件を伝え、待合室で待っていると、診断書を持った看護師さんがやってきて、「非常に申し上げにくいのですが……」と暗い表情を浮かべています。定期的に受診していると夫から聞いていたので、もしかして検査でわるい結果が出てしまったのかと思い、ドキドキしながら話を聞いていると「これは、偽造の診断書のようですね」とひと言。 思いがけない言葉に、私は固まってしまいました。夫が診断書を偽造したワケ家に帰って夫を問い詰めると、ポツポツと本音を打ち明けてくれました。 夫はかなり前に心も体も限界を迎えていたようで、何度も休職しようと思っていたそう。しかし、八つ当たりも丸ごと受け止めてくれた私に、「休みたい」と言えなかったのだと話します。そこで、私に休むように言われることを見越して、診断書を偽造したのだとか……。 夫がしたことは許されない行為ですが、夫を責める気持ちがなくなってしまった私。せっかく夫婦になったのに、本音を飲み込んでしまったことはもちろん、夫に話してもらえなかったことを思うと、不甲斐ない気持ちでいっぱいです。 いろいろな感情が交錯し、涙を流す夫と私。これからは隠し事をせず2人で支え合っていこうと約束しました。 ひとりでがむしゃらに頑張るのも素敵ですが、夫婦二人三脚で歩むのも素晴らしいことです。男だから、大黒柱だから、と抱え込むのではなく、夫婦で支え合って生きていきたいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月13日私は35歳の兼業主婦。幼い娘と夫、足の不自由な義母と4人で暮らしています。育児・家事・介護に加えて新しく始めた事務所のパート勤務で多忙を極めつつ、大切な家族のため頑張っていたのですが……。その勤め先の社員にマウンティングされたときのお話です。コネ入社の困った社員パート先の問題社員は、私が勤め始める少し前に、この会社に入社してきたのだとか。自ら部長の娘だと言い回っていて、いつも他の社員に自分の仕事を押しつけているのです。誰かがさりげなく注意しても、聞く耳持たず。「私の言うことが聞けないの? パパに言いつけてもいいのかしら?」が口癖です。本来なら上司が怒るべきところですが、肝心の部長が娘を溺愛していてどうにもならないのだとか。というのも実は、以前にとある社員が「自分の仕事くらい自分でやれ!」と怒ったことがあったらしいのですが、その人はしばらくして自主退社したそうです。理由は、部長からの嫌がらせだともっぱらのウワサ。彼女に目を付けられれば間違いなく部長に嫌がらせされる……。皆、渋々このわがまま娘の仕事を引き受け、しり拭いをしているのが現状でした。思わず注意すると?数週間後。そういう事情を知りながら、あまりにも傲慢な部長の娘の態度に我慢できなくなった私。「あの、ご自分の担当分くらいは、ご自身でやったらいかがでしょうか?」と思わず注意してしまいました。すると彼女は目尻をつり上げ、こちらを鋭くにらみ付けてきました。「何あんた? 新入りのパートよね? パパに言って、会社から追放するわよ? お金に困ってパートをしているんでしょ? 仕事、なくしたら困っちゃうんじゃないの?」あきれた私が「別に構いませんけど?」と真っすぐ目を見て答えると、彼女はプルプル震えだしたのです。「あんた生意気ね……。覚悟しなさいよ! あんたのこと、徹底的につぶしてやるから!」父娘からの嫌がらせがエスカレートこうして翌日から、私は部長父娘に目を付けられることになりました。あるときはオフィスにいる全員の前で部長にガミガミ叱られ、あるときは大量のコピーを押し付けられ、あるときは仕事に無関係の嫌みを浴びせ続けられ……。さらに別の日には、部長から会議室に呼び出されました。なぜか娘のほうも会議室にいて、スマホを没収された後、聞くに堪えない暴言で3時間も2人から罵倒され続けたのです。これにはもうビックリ。パワハラ&モラハラ以外の何物でもありません。しかもちゃっかりスマホを没収して、証拠を残されないようにしているところも悪質です。しかしついに、その日々が終わる瞬間がやってきました。それはある朝、廊下で2人とすれ違ったときのこと。私は「お疲れ様です」とだけ会釈し、そのまま立ち去ろうとしたのですが……。何かにつけて私をいたぶる2人は案の定、言いがかりをつけてきました。「何だそのあいさつは、それでも社会人か? 親からどんな教育を受けてきたんだ?」「パパの言う通りだわ! パートのくせに生意気なのよ。親の顔が見てみたいわ」実は私…親の顔? 見たいというなら……。私は苦笑しつつ、「親ならそこにいますけど?」と答えました。部長と娘が背後を振り返って大仰天。「社長!?」「私が親ですが、娘が何か?」そう、実はこの会社の社長は、私の母親なのです。2人は慌てふためいて騒ぎだしました。「ちょっと待て……パートの社長が母親って?」「パパ……。そんなの私、聞いていない」「まあ、誰にも言ってませんから。私、資料の整理や電話対応などの雑務を任されたパートでもありますが……。本当の仕事は、あなたたち2人の調査だったんです」「そう。前に自主退社した社員がいましたが、原因はあなたの嫌がらせだったとか。とはいえ証拠がなかったので、娘を送り込んだのよ」私は母に、「証拠なら取れたわ。これ、録音」と言ってスマホを渡しました。実は先日、会議室で長時間暴言を浴びた際、私はもう1台スマホを隠し持っていたのです。「そ、そんな……」と、しどろもどろになる父娘に、母は宣言しました。「これで正式に処分を下せます。ちなみに元社員は、あなたを訴えるそうよ」任務完了!その後、同僚たちも証言をしてくれて、2人の処分が決定しました。仕事を同僚にばかり押し付けていた娘のほうは、試用期間中だったためそのまま不採用に。他人様に精神的傷を負わせ、娘をコネ入社させた部長は自己都合の退社となりました。2人が去った社内は、助け合いができる良い雰囲気になったそう。皆私に感謝してくれているらしく、母からもお礼を言われました。さて、私はというと……。社内調査と雑務のお仕事を終え、専業主婦に戻りました。義母の介護や娘の世話は大変で、相変わらず忙しいですが、大事な家族との貴重な時間を大切に、日々の幸せを感じながら生きていきたいです。--------------社内で嫌がらせをしていた部長と傲慢で仕事をしないコネ娘とに引導を渡すことができ、スッキリしましたね。会社の環境も改善でき、万事解決ではないでしょうか。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年04月12日私は23歳の主婦。酒屋を営んでいる夫と結婚し、義実家で義両親と同居しています。義両親とは、「いつもうちの店を手伝ってくれて、感謝しているよ」と言われるほど仲良しなのですが……。今年は義実家で迎える初めてのお正月。大晦日もみんなで働いていたので、おせち作りは年明けです。私はもともと料亭で働いていたため、日ごろの感謝の気持ちを込めて、おせちを作ることに。私は、お正月に帰省する義姉と甥との久しぶりの再会を楽しみにしていました。 「家政婦、お茶~」義両親と夫が外出したとたん、義姉の態度が豹変!翌日、帰省した義姉と甥。義両親や夫には笑顔で接しているものの、私にはどこか冷たい態度。しばらくして義両親と夫が商店街の用事で外出すると、義姉の態度は豹変したのです。 「ちゃんと家事やってる? いいお嫁さんになるように、私が教えてやらないとね」などと言い、「家政婦、お茶~」と言うではありませんか! 「あなたに立派なお嫁さんになってほしいだけよ。おせち、ちゃんとやっときなさいよね!」と言って、親子で昼寝を始めたのです。 義姉のあまりにも失礼な態度に、私は我慢の限界!私はある作戦を思いつきました。 義姉の知られざる過去が明らかに!自分勝手な義姉のその後義両親と夫が帰ってきて、いよいよおせち作りの時間。 おせちの箱の中に、「今朝、義姉さんから家政婦と呼ばれてがっかりしました。実家に帰ります。」というメモを入れておいたのです。 「お前、家政婦呼ばわりしたのか!」 みんなに詰められ、焦った義姉はオロオロしながら「私、羨ましかったのかも。謝りたい……」と言い、自分のことを話し始めました。実は義姉は、夫の母から家政婦呼ばわりされて苦しんだ経験がありました。それがトラウマになってしまっているとのこと。「でも、この話はあの子には関係のないこと。私が子どもじみていただけ」とみんなに謝り、私に謝罪の電話をかけてきたのです。 許すことにした私は、家に戻ってきて全員でおせち作りをすることに。料理をしながら私は義姉といろいろな話をして、すっかり意気投合! 最高のおせちを作って、最高のお正月になりましたよ。 相手と合わないと決めつけず、腹を割って話をしてみると、わかりあえるケースもあるのですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月12日年齢とともに衰えを感じる今日このごろ。年相応の美しさがあるとわかっていても、少しでも若く見られたいという気持ちが捨てきれずにいました。しかし娘の保育園には、そんな私を超える強烈な若作りママがいます。若く見えるのが自慢の彼女は、若い子が好むような流行りの服を着て、派手な化粧をしています。 でも、実際にはまったく若く見えないどころか、年齢より上に見えるのです。もちろんそんなことは口が裂けても言えませんが……。若見え自慢カリンさんと話しているとすぐに年齢の話になります。その大半が「20代かと思った」「子どもがいるとは思えない」と言われたという自慢話。 しかし話を聞いていると、おそらくお世辞や営業トークです。ここまで本気にしているカリンさんをみると、営業トークも罪だなぁ……と思わずにいられません。子どもは正直ある日の保育園の参観日、子どもたちの様子を見ていると、カリンさんに話しかけられました。どうやらまたしても「40歳には見えないくらい若い」と褒められたそう。嬉しそうにしています。カリンさんは遊んでいる娘たち女の子グループに向かって「私、何歳に見える〜?」とドヤ顔。すると、お絵描きをしていた娘たちが顔を上げ、口々に言いました。 「50歳くらい?」「本当は40歳なんでしょ?」子どもは正直に、見たままの年齢を遠慮なく答えます。そして「10歳も大人に見えるの?」「大人っぽくていいな〜♡」と続けました。 たしかに、これくらいの年齢の子どもからすると、お姉さんに見られるのは素敵なこと。10歳も大人に見られるカリンさんを憧れの眼差しで見つめていました。 他のママもこの会話を聞いていたに違いありません。咳をしてごまかす人、そっと廊下に出る人、急にスマホを見始める人、みんな気持ちは同じです。黒歴史私は耐えきれず吹き出してしまいました。誰も何も言えないまま……。カリンさんは顔を真っ赤にしていました。 しかしこの出来事を機に、カリンさんは若作りをやめ年相応の格好をするようになりました。若作りしていたことはカリンさんにとって黒歴史になったよう。今では笑い話になっています。 若作りしていないカリンさんは落ち着いた美人で、これまでより若く見えます。今回は、小さな女の子たちに救われたと言ってもいいかもしれませんね。 人は歳をとると、性格や生き様が顔に出ると聞きます。若く見えるのも素敵なことですが、いい歳の取り方をして、年相応の美しさを手に入れたいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月12日私の夫は保育士です。私が栄養士として給食を作っている保育園で働いています。私たち夫婦は子どもが大好きなので、いつかは……と思っているのですが、今はワケあって“子ナシ”夫婦を選択しています。ここ最近、夫はやけに上機嫌。聞くと、今年担当している赤ちゃんクラスの子どもたちがかわいいからだと言います。「いいパパになるだろうな〜」と思っていたのですがーー。自慢の旦那様ある日、夫はいつものように保護者のママと楽しそうに話していました。夫は保育園でも人気の先生なのだそうで、私にとっても自慢の旦那さまです。 しかし、なんだか今日は様子が違っています。夫は保護者と話しているとは思えない言葉遣いをし、いつも以上に楽しそうに笑っていました。 近づいてみると夫は私に気づいて、保護者のママに妻だと紹介してくれました。それを聞いて、ほんの一瞬だったものの保護者のママから睨まれたような気がします。幼馴染との再会夫によると、彼女は幼馴染なのだとか……。就職を機に地元を離れたためすっかり疎遠になっていましたが、保育士と保護者として再会したのだそうです。 「子どもはいるの?」と聞かれ、今は事情があって選択子ナシだと答えると、彼女は「こんなに子ども好きなのに可哀想」と私に向かって言いました。 好きで子作りをストップしているわけではないのに……。なんだかモヤっとしてしまいます。私と子ども作る?別の日、夫はシングルマザーだという幼馴染とその子どもと遊園地に行くと言い出しました。しかし夫は子どもにとっては保育園の先生。個人的にお出かけなんて許されるのでしょうか。 私があれこれと言って夫を引き留めていると、待てなかったのか幼馴染がわが家を訪ねてきました。直接「プライベートで一緒に出かけるのはどうかと思う」と伝えると、幼馴染は「子どもがいないヒガミ?」と吐き捨てます。 その上「子どもを作れないなんて可哀想! 私と作る?」とまさかの発言! 私は引いていたものの、夫も「マジか~♡」とまんざらでもない様子。もう付き合いきれません。 選択子ナシの理由私は「子作りしてもいいけど、本当に大丈夫?」と幼馴染に告げました。私たちが子どもを作らなかったのは夫の借金が原因です。結婚前、アイドルにハマり、大金を注ぎ込んだ結果、今でも借金が残っていて、完済するまで子どもは持たないと約束しています。 夫と結婚するのならもれなく借金もセット。そこまで聞くと幼馴染の顔色が変わり、何も言わずに去っていきました。 夫の態度に幻滅した私は、借金を一緒に返すのはやめにしました。夫ひとり、小遣いをさらに減らして返してもらいます。子どもを持つのはそれから。それも、私たち夫婦がまだ続いていればですが……。 幼馴染との再会は嬉しいことですが、これは行き過ぎですね。今、近くで支えてくれている人は誰か、もっとよく考えて振る舞うべきだったのではないでしょうか。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月11日私は夫と小学校1年生の娘と暮らしています。長年の夢だった子ども食堂をオープンしたときのことです。私の子ども食堂は、中学生以下は無料で食事を提供し、食事だけではなく学びの場や交流の場にすることを目標としています。苦手なママ友が来店オープンしてからというもの、多くの人たちが訪れてくれました。その中には娘の友だちとその母親・A子の姿が。私は、A子のことが以前から少し苦手です。A子は、ママ友ランチ会で財布を忘れたふりをしては、他人に支払わせることを繰り返していたのです。 「へぇ~子どもは無料なんだぁ~」と言いながら店内に入ったものの、何も食べずに帰るA子の態度に、私は何とも言えない違和感を抱きました。 予期せぬ展開にそれからというもの、A子から食事の誘いが頻繁に来るように。私は忙しさを理由に断り続けていました。しかしある日、勝手に高級寿司店のコースを予約したというA子からの手紙がポストに入っていました。A子の分のコース料金の現金が入っていたことから、断れない状況に。 数日後、私が指定された高級寿司店に行くと、A子と3人の子どもたちが先に食事を始めていました。そして、子どもたちがおなかいっぱいになると、A子は店員に向かって「お会計はその人がしますからお構いなく!」と言って帰ろうとしたのです。 高級寿司も、子どもは無償!?私が預かっているのはA子の分のお金だけ。自分の子どもたちの分は自分で支払うよう伝えると、「だってあなたは、子どもにタダでごはんを食べさせてくれるんでしょ?」と言いました。それは子ども食堂での話です。 結局、私の引き留めを無視して、A子は子どもを連れて帰ってしまい、A子の子どもの分は私が立て替えることに。店主はすべて状況を見てくれており、もしA子が返金してくれない場合は、一緒に催促すると言ってくれました。 A子の家へ訪問!その後、A子に何度電話をしてもまったく電話に出てくれません。そこで私はA子の夫が帰宅した時間を見計らって、店主と一緒に家へ行くことにしました。 店主が「先日のお代、10万円です」と支払いを求めましたが、A子は「今さら払えなんて言われても……そんな大金、無理よ!」と、支払おうとしません。 するとA子のうしろから、A子の夫が出てきました 夫にすべて伝えると私はA子の夫に、A子がこれまでランチ代をたびたびママ友に支払わせていること、今回は子どもの分の高級寿司代を私に支払わせて逃げたことを伝えました。 これまでのA子の行動を知らなかった夫は激怒! しっかり説教して、謝罪してくれました。そしてこれまで私たちが立て替えてきたお金は、すぐに夫が支払ってくれました。 夫が支払ったお金は、A子がパートを始めて夫へ返しているようです。ママ友たちの間では、A子がランチ代を支払わずに逃げることが知れ渡り、ランチに行ってくれるママ友もいなくなったようですが、自業自得だと思っています。 自分の飲食費は自分で支払うのが筋。子ども食堂とはわけがちがいます。A子はこれに懲りて、しっかりしてほしいなと思います。私は今後も子ども食堂を通じて、より多くの笑顔を生み出せればと思っています。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月11日堪忍袋の緒が切れた【女性のリアルな復讐体験談】「夫のお弁当に余った夕飯のおかずを節約目的で入れていたのですが『夕飯の残りは食べたくない』と文句を言う夫にイラッ!翌日、夫のお弁当で復讐をしようと決意しました。夫はもちろん激怒していましたが、私はスッキリしました!」(30代女性)多くの女性たちは自らの怒りを落ち着かせるために、相手に対する仕返しで気持ちのスイッチを切り替えているものです。この記事では、そんな女性たちから聞いた、男性へのリアルな仕返しの話を紹介いたします。まさかの白米弁当いつも手の込んだお弁当を作っていたある女性は、彼の浮気が発覚した翌日、弁当箱にびっしりと白米を敷き詰め、その上に海苔で作ったハートを一つだけ載せた弁当を作成。この意外な弁当に、彼は他の同僚からのツッコミを受け、大いにショックを受けたようです。意図的に靴下に穴を彼の勤務先で靴を脱ぐ習慣があることを逆手に取り、靴下に故意に穴を開けた女性も。どんなに上手く履いてもその穴が見えてしまうようにして、彼の浮気を知った自分の感情を示したと言われています。小さな仕返しで反省を相手に反省してもらうためには、過度ではないが、困ること、恥ずかしいことを含めた小さな仕返しを心がけることが肝要とされています。やりすぎ行動は避け、慎重に計画しましょう。(Grapps編集部)
2024年04月10日私は27歳の会社員で、ホテルで働いています。1年前に夫と結婚したばかり。義両親はとてもやさしく、「何かあったときは、私たちが全力でサポートしますので、何でも言ってくださいね!」と言ってくれるほど、良好な関係を築いています。ある日、夫と一緒に義実家に行くと、見知らぬ女性が座っていました。その人は、夫の幼馴染。久しぶりに会った幼馴染に、夫は「垢抜けたなぁ~!」とうれしそう。 「お前老けたなぁ」夫の発言の裏には?それからスマホに夢中になることが多くなった夫。私の勤務先が変わることを伝えても、ニヤニヤしながらスマホを見ていて上の空。 そして突然「お前老けたなぁ。女としてというより、奥さんとしてなら点数が高いけど……」なんて言い出したのです! そんなある土曜日、私が働くホテルに夫がやってきました! 驚いて声をかけようとしたそのとき、例の幼馴染が後ろから腕を組んだのです! 「日帰りプランでスイートを予約したぞ♡」という声も聞こえてきます。 しかも私の部屋から勝手に持ち出した割引券を使おうとしています。最近私の勤務先が変わった話を聞き流していた夫は、このホテルに私が働いているのも知らず、浮気の密会に使おうとしているのです! その後もホテルで密会を重ねる2人。「嫁はオバサン感がひどくて、ドキドキできなくなっちゃって~」と話す夫の声も丸聞こえ!我慢の限界に達した私は、最高の復讐方法を思いつきました。 扉を開けると、そこにはバスローブ姿の2人が!私は、夫の誕生日にサプライズでお祝いをすると嘘をついて、義両親をホテルのスイートルームに招待しました。私が義両親と一緒にスイートルームの扉を開けると、そこにはバスローブ姿の夫と幼馴染が! 「この2人、何度もうちのホテルで不倫してるんですよ」、「2人に慰謝料を請求します! はい誕生日プレゼント」と言い、離婚届を突きつけました。「ただの遊びだから許して」とうろたえる2人でしたが、義両親も大激怒! 幼馴染の両親にも連絡し離婚にも協力してくれ、多額の慰謝料をもらえました。 本人たちは「ただの遊び」と思っていたとしても、家族を傷つけることは言語道断! しっかり反省しなければいけませんね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月10日結婚が決まり、彼の両親に挨拶に行ったときの話です。彼曰く、2人のお兄さんはご両親との関係がうまくいかず、今は疎遠になっているそう。それもあって、ご両親は彼にだいぶ入れ込んでいるのだとか……。ご両親は常日ごろから結婚相手はエリートでないとダメだと言っているようで、もしかしたら私に失礼なことを言うかもしれないと言うのです。「両親から何を言われても、僕が結婚したいと思う気持ちは変わらないから」彼がそう言ってくれたので、覚悟を決めて挨拶に行きました。大学名を告げると…実家に行くと、ご両親は開口一番で息子自慢。実は、彼は超難関校と言われる大学を出ていて、2人のお兄さんも同じ大学を卒業しています。とにかくそれが誇らしいようで、幼少期からどんな教育をしてきたのかを詳しく説明してくれました。予想通り、ご両親が気になるのは私の出身大学です。学歴がすべてだと私は思っていませんが、聞かれたのなら仕方がありません。私は、出身校が世界でも有数の学校であることを告げました。 「聞いたことないなw」「それ、どこの大学?」と2人ともキョトンとしています。教育熱心な家庭なら誰でも知っているような大学のはずなのに……。 結婚は許さない!「本当に知らないんですか……?」と聞くと「ありもしない大学名を出して、私たちをだますつもりね?」とご両親。知らないだけならまだしも私が嘘をついていると疑い始めました。挙句、結婚は許さないと怒鳴られ、塩までまかれてしまいました。 さすがにきちんと説明しないとダメかもしれません。しかし、塩をまかれて私もすっかり意気消沈……。 ちょうどそのころ、人気タレントが私と同じ大学に入学したことでわが母校がスポットライトを浴び始めました。超名門校で狭き門、著名人も多く卒業しているとなると、ご両親も注目するに違いありません。義両親に拒否反応!再び彼の実家を訪れた私たち。ご両親は「最近テレビでやってるあの外国の大学、素敵よね。うちの子どもたちもいかせたかったわ〜」と母校を話題に出します。 すかさず「そこ私の母校です」と言うと、ご両親はびっくり。しかし、息子よりもランクの高い大学に行ったことが許せなかったようで、今後は私の母校に対して悪態をつき始めました。 なんだかこのご両親とはうまくやれそうにありません……。私が戸惑って彼を見ると、彼は大きなため息をひとつ。そして口を開きました。2度あることは3度ある「兄さんたちの気持ちがわかった」そう言って彼は、両親と縁を切ると告げました。両親の価値観にはこれ以上付き合えないと判断したのです。 2人のお兄さんもまったく同じ理由で縁を切られているそう。彼の両親は2度ならず、3度目も同じ過ちを犯したのでした。 正直私もこれ以上ご両親と顔を合わせなくていいと思うとホッとしました。その後も、彼らとは一度も会っていません。 超難関校卒という学歴はとても誇れることです。でも、学歴と人間性は必ずしもイコールではありません。肩書に左右されず、本質的な人間性を見極められる人になりたいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月10日大学の後輩のクルミから、彼女の会社の上司を紹介された私。意気投合した私たちは1年前に結婚しました。「妻は家にいてほしい」という彼に懇願されて退職し、専業主婦をしています。平穏で幸せな毎日を送っていたのですが、最近、夫の残業や出張が急増したのです。ニート呼ばわりにムカッ!このところ、土日祝日も毎日仕事で忙しくなってしまった夫。新婚なのにほとんど会えず、つい私は、出勤直前の夫に訴えてしまいました。「正直、ひとりの時間ばっかりで寂しいな……」すると夫は「なら、実家にでも遊びに行ってくればいいだろ?」と答えるので、「じゃあ、親子で温泉にでも行こうかな」と言うと、いきなり怒りだしたのです。「ちょっと待て、その費用は誰のものだ? 俺の金か? お前は俺が食わせてやっているニートなんだから、無駄遣いするなよ。実家に行くのはいいけど、温泉は却下だ!」私は、いきなりのニート呼ばわりにムカッ! なぜなら、専業主婦になれというのは彼の希望だったから。しかし、夫も仕事で疲れているのだろう……と、このときは我慢したのです。この日私は母に電話をし、思い切り愚痴を聞いてもらいました。夫のフォローをしつつも、私のことを心配してくれる母。いつでも絶対的に自分のことを思ってくれる人がいるのは、本当に心強いもの。母と話すことで、私のイライラがスーッと消えていくのを感じました。誕生日の予定も中止にところが、私の誕生日前日のこと。突然夫が言いだしました。「明日の予定は中止だ。どうしても抜けられない出張が入ったんだよ」「えっ? また仕事?」「またって何だ、またって? 俺が働いているからお前が食えるんだろ。なのに何だその言い方! 別に遊んでいるわけじゃないんだぞ」「で、でも……」前から約束していた誕生日のお祝いなのに……。納得いかない気持ちが思わず顔に出てしまったのか、私を見た彼は、イライラしてこう言ったのです。「うるせえな! 俺は会社で重要な役を任されているんだ、そんなこともわからないのか? 仕事もしない穀(ごく)つぶしが……。お前と話していると腹が立つな、もう今から出かける!」その剣幕に私はぼう然。「今からって……? ちょっと待って」しかし彼は聞く耳持たずで、「こうなったのは全部お前のせいだ! 俺はニートが反省するまで帰らない」と吐き捨て、出て行ってしまったのです。我慢は限界!私はもううんざりでした。話もまともにできないなんて……。怒りの矛先がなくなってしまったので速攻で母に電話。すると、「我慢せずにすぐ帰っておいで。実は、あの男の調べはもうついたからね」と言うのです。なんと母、先日の私の電話で思うところがあったのだとか。すぐに動いて探偵に不倫調査を依頼していたのです。「調べた限りではクロ。あなたに彼を紹介したクルミって後輩が相手よ……。あとはこの母に任せなさい! 2人に地獄を見せてやるから」私は驚いて詳細を聞き、実家に急行。母に言われて離婚届も用意し、署名して置いておきました。それから3日ほどして……。夫からの鬼電&鬼メッセージを着信。私の離婚への決意が固いことを知って、慌てているのでしょうか。本来ならもう顔を合わせず弁護士を通すこともできましたが、ひと言言わないと気が済まない気持ちもありました。そこで、両親と一緒に夫と対面することにしたのです。夫の会社前で彼を待っていると……。私たちが待ち伏せしているとは思ってもみなかったのでしょう、なんと彼はクルミと一緒にのうのうと出てきたのです。反撃開始!私たちは有無を言わせず、彼らを家まで連行。母が「今までさんざん娘をコケにしてくれたわね……。これを見てごらん!」と言い放ち、束になった書類をたたきつけました。それは2人の不倫の証拠。「ここ3カ月ほどよろしくやっているみたいね? 一緒に出張に行き、残業も仲良くやっていたんでしょう? もう調べはついています」私も間髪おかずに追撃。「今回も私の誕生日に2人で出張したんでしょ? 会社も不倫出張だなんて聞いたら、さぞ驚くでしょうね。仕事だなんて信じていた私がマヌケだったわ!」「おまけにあなた、娘に無理やり仕事を辞めさせて専業主婦にしたくせに、ニートだなんて呼んだとか。不貞にモラハラ、こちらの証拠はそろっています。覚悟はできているのかしら?」「クルミもよ。私に彼を紹介しておいて陰で不倫していたなんて。バカにするにもほどがある!」こうして、真っ青になって慌てふためく夫とクルミを放置し、私たちは実家へと戻ったのです。浮気夫の末路は…その後、夫の上司に事情を説明すると、会社でも調べが入った様子。2人が経費を使って不倫していたことが判明したのです。さらに、勤務中にもイチャイチャしていたせいで、あちこちの取引先に迷惑をかけていたのだそう。その後、彼とクルミは、会社からの損害賠償と迷惑料、私からの慰謝料の請求で金銭的に大変な目に遭っているようです。一方の私は、離婚して気分もスッキリ。もともと辞めたくなかった大好きな仕事に復職できることになりました。しばらくは仕事1本で頑張るつもりです。--------------キューピッドだったはずの後輩も、かなりの腹黒ですね。お母さんの初動がスピーディだったことで、きれいサッパリ早期解決できてひと安心です。本当に苦しいときこそ家族の存在に救われますね。仕事にも復帰できてよかったです。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年04月09日私の顔には大きな傷があります。この傷は、高校生のとき車に跳ねられそうなおばあちゃんを助けたことでできた名誉の傷です。病院でできる限りの治療をしたのですが、これ以上薄くするのは難しいそう。今では傷もチャームポイントとして受け入れて暮らしていました。私が傷を前向きに受け入れられたのは、学生のころから付き合っている彼のおかげ。傷も含めて私を受け入れてくれました。私は欠陥品!?彼は付き合って10年を迎えた先日、プロポーズをしてくれました。私を支えてくれた彼との結婚を、両親は大喜び。問題は彼の両親です。 彼の家に挨拶に行くと、お母さんは私の顔を見てあからさまに引いていました。「こんな欠陥品のどこがいいの??」というひと言には、さすがの私も傷ついてしまいます。「結婚は認められない」彼のお母さんは、そう言って隣に座る彼の祖母に話を振りました。おばあさんは、私の顔を険しい顔でじっと見つめています。 やっぱりこんな傷を持つ私が結婚すべきではなかったのだと思い、修羅場と化したその場から去ろうとしたとき、私はあることに気付いたのです。 まさかの再会「この傷に、見覚えはありませんか……?」私が恐る恐る聞くと、彼の祖母はやっぱり! といった表情を見せ、次の瞬間「私のせいで、本当にごめんなさい」そう言って、私の傷を撫でて「助けてくれてありがとう……!」そう言って大粒の涙を流しました。 なんと、目の前にいる彼のおばあさんは、私が高校生のときに助けたおばあさんだったのです。やさしそうな目元に2つ並ぶホクロを見て、事故のときの記憶が蘇りました。間違いなく運命!?しかし、隣で聞いていた彼のお母さんは、明らかに動揺していました。聞くところによると、この家で一番権力があるのは祖母だったよう。祖母の恩人にあんなことを言ったとあれば、許されるわけがありません。 この後、人を見た目で判断するなとキツく注意されたのだとか……。 私は無事結婚を認められ、祖母からも本当の孫のように大切にされています。「やっぱり僕たち、運命だったんだね!」と彼。私も運命を信じずにいられないのでした。 祖母は自分の代わりに事故に遭ってしまった女の子がいることを、ずっと気にしていたはず。その思いが、こうして縁を引き寄せたのかもしれませんね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月09日私は自営業をしている24歳です。大学を卒業したあと、両親が経営しているお店を継ぎました。少しずつ仕事に慣れてきたころ、いろいろあって合コンに参加することに。すると、参加者の1人である高校時代の同級生が、出身大学で私をばかにしてきて……。 親友からの頼みで合コンに参加することに私は現在24歳で、大学を卒業したあとに両親が経営しているお店を引き継ぎました。最近では経営にも詳しくなってきて、両親から「もうひとりでも大丈夫だね」と言ってもらえるように。経営者としてこれからお店をどう運営していくか、仕事と真剣に向き合っているところです。 そんなある日、高校時代の親友から電話があり、「お願い! 一緒に合コンに参加して!」と誘われました。メンバーは男女3対3らしく、女性が急きょ1人来れなくなってしまったそう。あまり合コンに興味がなかったので断ろうとしたのですが、親友の頼みを無下にできず、しぶしぶ参加することにしました。 私と親友に加え、もう1人の女性参加者は高校の同級生Yです。高校時代、Yとは特に親しかったわけでもなく、むしろいい噂を聞かないタイプの女子でした。 合コン当日、同級生と久々の再会不安を抱えつつも合コン当日を迎えると、会場である居酒屋にはすでに同級生Y以外の5人が揃っていました。同級生Yからは「少しだけ遅れる」との連絡があったので、先に始めることに。ちなみに相手の男性はなんと3人ともイケメン! 加えて、とても気さくな人たちで、私はすっかり合コンを楽しんでいました。 すると、しばらくして「遅れちゃってごめんなさーい♡Yです!」と同級生Yが到着。彼女は、派手なメイクに露出度の高い服装、それからクネクネとした動きで「今日が楽しみすぎて準備に時間かかっちゃいましたあ♡」と、男性陣にさっそくアピールを始めます。男性陣は「これはめんどくさそうだ……」という反応です。 同級生Yの登場に、私は「今日の合コンではあまり彼女を刺激せずにやり過ごそう」と考えたのですが……。同級生Yは男性たちに言い寄るだけでなく、私にも厄介な絡み方をしてきたのです。 出身大学で差別してくる同級生Yニヤニヤと笑いながら同級生Yは「Fランの大学に行ったってほんと?」と、私を明らかに見下して聞いてきました。「そうだけど……」と答えると、Yは勝ち誇った表情で「私はAラン大卒なのよ。あなたとは格が違うわ」と、さらにニヤッと嫌な笑みを向けてきます。 同級生Yは、男性たちの前でもお構いなく「聞いてくださいよ! この子、Fラン大卒なんですよ? どう思います?」と私をばかにします。しかし、男性たちは「大学なんてどこだって関係ないよ。それよりもどう生きるかのほうが重要でしょ?」と同調しません。それもそのはずです。同級生Yが来る前に私たちは自己紹介を済ませたのですが、男性たちはみんなFラン大を卒業し、努力して経営者になったという経歴を持っているのです。 私は「学歴の話はもういいでしょ?」と同級生Yを止めようとしますが、彼女の口撃はひどくなるばかり。「人の価値は出身大学で決まるでしょう? Fラン大学の底辺からスタートしたら、その後どう頑張ったって人生は取り返せないのよ!」と、あまりにひどい発言が飛び出します。 その言葉のあと、1人の男性がおもむろに口を開きました。 反撃開始!同級生Yに事実を突きつけた結果…男性は、「そっか〜。じゃあさ、Fラン大卒の男も願い下げってこと?」と同級生Yに質問します。すると、話しかけられたのがうれしかったのか、彼女は流暢に話し始めました。 「当たり前じゃないですかぁ。女ならまだ頭が悪くてもかわいげがあるけど、頭の悪い男なんて無理に決まってるわ!」「Fラン大卒の男と付き合う……ましてや結婚なんてありえないでしょ!」「Fラン大卒の男と結婚するくらいなら、一生独身でいるほうがマシよ!」 と言い放った同級生Y。 ここまで言ってしまったら、もう救いようがありません。男性たちは、同級生Yに「それなら早く帰ったほうがいいよ。俺たちみんなFラン大卒だからさ」と伝えました。 同級生Yは「そんな!? ご、ごめんなさい……」と言いつつも、私たちに「どうして教えてくれなかったのよ!?」という視線を向けてきます。 そんな同級生Yに助けの手を差し出すわけもなく、私たちは何もなかったように合コンを再開。蚊帳の外にされた同級生Yは気分を悪くしたのか、「バンッ!」とテーブルを叩いて立ち上がり、「もう帰る!」と出て行こうとしました。すると、1人の男性が彼女を引き止めて「お金だけ払ってね」と声をかけます。その後、彼女は財布からお金を取り出してテーブルに叩きつけ、すごい形相で帰っていきました。 同級生Yが抜けたあと、合コンはとても盛り上がりました。しぶしぶ参加した合コンでしたが、来てよかったと思えるいい出会いでした! 後日談チヤホヤされるのが好きな同級生Yはその後、ホストにハマってしまったらしく、常にお金に困っていると聞きました。一方で、合コンで出会った男性たちと私たちは、よく連絡を取り合うように。親友は合コンに参加していた1人の男性とお付き合いを始めたようです。私は男性たちと経営の話をして、切磋琢磨し合う同志となりました。これからも価値観の合う人たちと楽しく過ごしていけたらいいなと思っています。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日私は30歳の主婦。5歳年上の夫と結婚し、2人で楽しい毎日を過ごしていました。しかし、最近夫の様子が何やら怪しいのです……。絶対女がいる!夫の様子がおかしい……最近、夫は残業や土日の出張が増えてきました。さらに、スーツのポケットから丸められたホテルのレシートが出てきたのですが、その日は「出張」と言っていた日付。私は「女がいるのでは?」と疑います。 そんなある日、私は階段で足を踏み外してしまい、人生初の骨折。しばらく入院することに。 「旦那さん亡くなったよ」と親友から電話が……!病室から夫に連絡すると「はぁ、入院? そりゃあ災難だったなぁ(笑)。でも俺、今から出張なんだわ」と、急な出張と言って電話を切られました。私は友人のA子やB美に連絡し、連絡がついたB美に必要なものを持ってきてもらいました。 翌日、入院の同意書に家族のサインが必要ということに。再度夫に連絡するも、電話は繋がりません。会社に電話をかけてみると、出張だと言っていた夫は有給を取っていることが発覚! そんなとき、親友のA子から着信が。出てみると、「旦那さん、亡くなったよ」と、取り乱している様子。どうやら事故にあって、私が入院している病院に運ばれたそう……! でも、どうしてそれをA子が知ってるの……? 病室から聞こえてきた、驚きの声すぐに病室へ行くと、そこにはA子の姿が。夫は事故にあったものの、命に別状はなく、A子が慌てて亡くなったと言ってしまったとのこと。看護師さんはA子のことを妻と勘違いしているみたいです。なんとなくイヤな予感……。 病室からは「なんで、あいつが入院してる病院に運んだんだよ! うまく離婚しようと思ってたのに、浮気がバレたら慰謝料請求されるだろ! お前が責任取れよ」と夫の声。「冗談じゃないわ! 私は別の男と結婚するって言ってるでしょ!」とA子。もう、この2人の関係は決定的です。 責任を押しつけあう不倫関係の2人が迎えた悲惨な結末「聞かせてもらったわ」と、病室へ入った私。夫はA子との不倫を認め、A子と結婚したいと思っていること、土日の仕事も残業もすべてA子と密会していたことを白状しました。「俺たち、離婚ってことでいいよな?」と言う夫の横で、A子は「私は婚約者がいるのよ!」と冷や汗をかいて慌てています。その後、私は2人に慰謝料を請求して、離婚は成立。結局夫は不倫がバレて会社に居づらくなり退職。A子は婚約者に婚約解消されたそうですよ。 隠れて悪いことをしようとしても、見つかってしまうものですね。早く日常を取り戻せるよう、私は今日もリハビリを頑張ります! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日夫と結婚して1年が経ち、そろそろ子どもが欲しいねと話していた私たち。しかし妹のせいで思ったように妊活ができずにいました。職場が近いということもあって、妹は毎日のように遊びに来ます。「いい加減にしろ」と言っても、食費が足りないとか1人で寝るのが怖いとか、いろいろな理由を並べます。それを聞いて、やさしい夫は妹を追い返せずにいました。ただならぬ雰囲気…?平日9時から6時勤務の私に対し、妹はシフト制なので出勤時間はバラバラです。そんなときは、完全リモートワークの夫が妹の相手をしてくれます。 わがままを言っていないか気がかりですが、夫が良いと言うのでその言葉に甘えていました。 よほど居心地が良かったのか、妹がわが家で過ごす時間は次第に増えて連泊も当たり前。いつの間にか夫のことを下の名前で呼ぶようになりました。 2人にただならぬ雰囲気を感じ、私はある日、半休を取って予定より早めに帰宅してみたのです。 予感的中!こっそり家の中に入ると、リビングから楽しそうな声が聞こえてきます。覚悟を決め、半開きになったドアから覗き込むと、嫌な予感は的中! 夫と妹は絶賛不倫中でした。 不思議と悲しいという感情はなく、私は淡々とスマホで撮影を済ませて証拠を確保しました。そのまましばらく様子を見ていると「すぐにでも離婚して再婚したい」「結婚は失敗だった」と言いたい放題。そのうち「もうすぐリモート会議だから、その間だけは静かにしていて!」という声。これはチャンスかもしれません。そこで私は、2人がイチャつく姿がバッチリ見える場所にタブレットを設置しました。 ミュート・画面オフだからといって…リモート会議が始まったようで、夫は自分の仕事の進捗報告をしています。それを終えると「もうミュートで画面オフにしたから大丈夫♪」と言って、妹とまたイチャつき始めました。 そのタイミングですかさず私は画面をスイッチ。タブレットのカメラに映る映像が会議のメンバーに公開されたのです。 実はこのタブレットは夫のパソコンと同期されているので、簡単な操作でリモート会議に接続できます。会議は騒然! 夫は気づいていません。夫と妹の末路私が笑いを必死でこらえている最中、予想通りカンカンに怒った上司から電話がかかってきました。夫は一体何が起きているのかわからない様子。もう黙っていられず、タブレットを片手に今の状況を説明してあげました。 わが家の見苦しいゴタゴタを見せてしまったことは申し訳ない限りです。私からも上司に丁重にお詫びをし、会議から退出。タブレットのカメラでそのまま撮影を続け、2人を問いただしました。 その後、夫は降格。この動画を証拠に、私は離婚調停に持ち込みました。嫌な予感は当たるものですね。おかげて冷静にいられ、証拠を押さえることができたと思っています。 夫の不倫現場に立ち会ってしまうと、なかなか冷静ではいられないもの。しかし、自分に有利に離婚ができるかは証拠の有無が大きく関わります。覚悟を決めて臨んだことが勝敗を分けたのかもしれませんね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日マンションを買って、都心のとある地域に引っ越してきました。子育て世代のファミリーが多く暮らすこの街は公園も多く、生活しているうちにたくさんのママ友ができました。今日はママ友と、いつもの公園で4月生まれの誕生日会をする予定です。みんなでお料理やお菓子を持ち寄って、青空パーティーがスタートしたのですがーー。招かれざるママ友「あらぁ~。なにしてるの~?」「小さなマンションの方々の集まり?」 よりによって、一番会いたくないコンビに会ってしまいました。この2人・マキさんとユリさんは、私が住むマンションの隣にそびえ立つ、この周辺では一番高級だと話題になっているタワマンの住人で、いつも私たちのことを見下してくるコンビです。子ども同士の年齢が近いからか行動範囲がかぶりやすく、今回のように何かと顔を合わせてしまいます。そのたびに「小さなマンションの人」「一般の人」と、言いたい放題。 そんなふうに見下すくせに「せっかくだから♪」と言って空いているスペースに座り、パーティーに参加したのです。 失礼すぎる発言卵焼きやからあげ、タコやカニの形に切られたウィンナーなど、子どもたちに人気のおかずには「まるで運動会ねw」とケチをつけ、サンドイッチやおにぎりも「庶民っぽ〜い!」とバカにします。このままでは雰囲気が悪くなると思い、私はお土産用に持ってきた手作りクッキーを差し出しました。「夫が焼いたクッキーです。どうぞ」と言うと、2人は大笑い。「男が料理とか、女々しくて無理~!」「おたくの旦那さん、無職で暇なの? それとも、安月給の埋め合わせで家事してるのかしらw」なんて言われてしまいました。さすがにこんなに酷いことを言われて、許せるわけはありません。「うちの夫は、シェフであり料理研究家として働いていますよ?」私はたまらず反撃してしまいました。 すると、料理研究家なんて名乗れば誰だってできる仕事だと、さらにバカにしてきたのです。 うちの夫、知らない?仕方がないので、私はとあるホームページを開いてマキさんとユリさんに見せました。「うちの夫、あなたたちがお気に入りのカフェのシェフだけど知らないかな?」そう言うと、画面を見ていた2人はかなり動揺しているように見えました。 「庶民には行けないでしょ」と言って、マキさんとユリさんが夫の店に足繁く通っているのは知っています。夫の料理研究家のSNSアカウントもフォローしているとのこと。マキさんとユリさんは「彼が作ったのなら、ありがたくいただく!」とクッキーが入った袋に手をのばしました。みすみす渡すのは悔しかったのですが、この場を納めるには致し方ありません。手のひら返しそれ以来2人の態度はころっと変わりました。どうやら2人は、夫のSNSアカウントに熱心なコメントを寄せるほどのファンだったのです。スタンプで顔を隠しているけれど、アイコンの写真を見てすぐにわかりました。月1万円台で満腹になるメニューや、残り物のアレンジメニューを知りたい、と熱烈リクエストをしているのも発見。聞くところによると、無理にタワマンを買ったので生活がかなりカツカツなのだとか……。 見栄もすべて捨てて、夫に会いたいと相談されましたが、そんな願いを叶えてあげる筋合いはありません。これからも別の世界を生きる人同士、適切な距離を置いて生活するつもりです。 住んでいる場所で人をランクづけするような人とは、友だちになれませんね。職業や経歴など、人にはさまざまな背景がありますが、その人の本質を見て付き合いたいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月07日現在私は、とある老舗企業の総務部に勤務中。大会社ながら気さくな人柄の社長に憧れ、少しでも社に貢献できるよう頑張っています。そんなある日、私の部署に社長の息子さんが新人として配属されることに。経験を積ませたいという社長の意向があるようで、私も先輩として張り切っていたのですが……。やる気ゼロの御曹司御曹司の初出勤日。何と彼は30分近くも遅刻してきた挙句、「よろしくっス」と軽く手を挙げただけ。私たちが仕事を中断し、そろってあいさつをしたにもかかわらず、彼は自分のデスクにどっかり座ってスマホをいじり始めたのです。ついこの間まで留学していて社会経験もないらしいので、初めは仕方がないのかなと思っていました。しかし、次の日からもやる気ゼロの彼は、何を頼んでもダメダメでした。書類を作成してもらったら誤字脱字だらけで計算も間違いばかり。しょっちゅう総務部を抜け出しては、かわいい受付嬢とおしゃべりをしに行ってしまうのです。おまけに遅刻癖も悪化。昼過ぎにノンビリやってくるような日もあるのです。本人は、「俺は社長の息子だからいつ出社しても自由。次期社長なんだから重役出勤は当然」と豪語する始末。私は何度もこの問題児について課長に訴えましたが、「まあまあなんとか穏便に」と繰り返すばかり。社長ご自身は、息子を新人社員として厳しく鍛えてくれ、と言っているようなのですが、気の弱い課長は強い態度に出られないのです。私は、仕事に支障が出ないことを祈り毎日ハラハラしていました。恐れていたことが…数カ月後。恐れていたことが現実となりました……。「えっ、会場がない!?」。なんと、年1回の株主総会で使用する会場ホテルが未予約だというのです。わが社は株式非公開で、株主はオーナーである会長のみ。しかし会長は、株主総会で社員や取引先の方々と交流したいと、毎年ホテルを借りて懇親会をしています。会場予約は総務部の重要な業務。これは一大事です。予約は御曹司に任せたと言う課長。「俺、ちゃんと申込控えをプリントアウトして課長に渡したけど」と言う御曹司に、課長は「ああ、私も控えを確認した。だから大丈夫だと思って……」と真っ青です。慌ててPCの記録やメールの受信箱を確認するうちに、その申込控えが、予約完了前の確認画面を印刷したもので、その後に申込完了ボタンが押されていなかったらしいと判明。なんという凡ミス……。課長の確認漏れにもガックリです。思わず叱責!しかし今日はもう株主総会当日。私たちは総務部総出で社内の大会議室を片付け、何とか全員分の椅子を並べました。するとダメ御曹司は、手伝いもしなかったくせに「貧相だな~。もっとドーンと派手な設営はできないわけ?」と文句を言ったのです。自分のミスが原因で急ごしらえの会場になったというのに、何という態度でしょう。その言葉を聞いて私はブチキレました。「いいかげんにしなさい! 社長の息子だからっていい気になって。反省どころか自分のミスを棚に上げて文句をつけるなんて!」皆の前で注意されたことに逆ギレした彼は、私に反論してきました。「生意気な! 親父に言ってクビにしてやる! いや、どうせ将来は俺が社長になるんだから、この場で俺が直接クビにしてやる!」と、そのとき……。祖父が登場会議室の入り口から男性の声がしたので、私たちはいっせいに振り返りました。するとそこには私の祖父が立っていたのです。そして、廊下からやって来た社長も顔を出しました。「これは会長! 今年は突然会場が変更になって申し訳ありません。私も今朝聞きまして……」「いやいや、ワシも懐かしい会社に来られてうれしいよ。孫とも久しぶりでな。最近遊びに来てくれないからバアさんも寂しがっているぞ」「ごめんごめん、最近忙しくて……。でも、社内でプライベートな話はだめよ。孫だろうと何だろうと社員は皆同じだって、おじいちゃん自身が言ったのよ」私たちの会話についていけない御曹司は、「か、会長? ま、孫娘?」とぼう然としています。「知らなかったのか? 彼女は総務部の優秀なメンバーであるだけでなく、オーナー会長のお孫さんだよ。私はただの雇われ社長。何の勘違いか知らないが、お前が社長になどなれるはずがない」どうやら社長は今回の騒動で初めて、自分の息子が仕事もせずに横柄な態度を取っていたという実態を聞いたようでした。ダメ息子の末路泡を食ったような顔の御曹司に、私は伝えました。「会社のトップには、血縁関係ではなく仕事ができる人間が就任すべし。会長である祖父の信念ですから。私も、一般採用試験を受けてこの会社に入り、特別扱いされることなく仕事をしてきました」一方で社長は、ガックリ膝をつきました。「オーナーから経営を任されているというのに、役立たずの息子を入社させてしまった……。総務部で社会経験を積ませたいと思ったが、それも私のエゴだった。申し訳ない」祖父はそんな社長の肩をたたきながら笑いました。「君も人の親だったということじゃ。息子さんを鍛え直すためにも、ワシが所有する山奥で管理人をしてもらおうか?」こうして、ダメ息子は祖父が持っている田舎の山小屋の管理人に就任。生活のため、朝から水汲みとまき割りをする必要があるほどの奥地のため、『重役出勤』をしている場合じゃないそうです。10年もしたら甘ったれた根性がたたき直されて、まともな人間になると期待しています。一方の私は、いつか祖父の会社を継げるだけの実績を積むのが目標です。これからも頑張っていきたいと思います。--------------「社長の息子」の座にあぐらをかいて、仕事をしないどころか横柄な態度を取る御曹司。実は会長の孫娘が先輩だったとは、さぞビックリしたことでしょう。実力と人柄で人を採用する会長はさすがですね。御曹司も心を入れ替えて、いつか社会の役に立ってくれるといいですね。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年04月06日私は30歳の専業主婦。結婚したばかりの夫と穏やかに暮らしています。義父は既に亡くなっているのですが、義母とは仲良し。しかし、自称インフルエンサーの義姉が本当に常識のない人で……。義姉がSNSに悪口を書いていた!ある日、義実家で親戚の集まりがありました。料理の話になり、義母と夫が私の料理を褒めてくれていたのですが、義母の背後で義姉がものすごい目つきで睨みつけていたのです……! 不気味に思ったのですが、その日は帰宅。数日後、夫が飲み会のため1人で簡単な料理を作って食べていると、急に義姉が押しかけてきました! SNSで私の悪口を……そして、食卓の料理を見ると「モヤシ炒めに味噌汁……! 控えめに言ってもまずそう」と言ってきたではありませんか!唖然としていると、勝手に写真まで撮って帰って行ったのです。 そして、嫌な予感は的中。義姉は自分のSNSに「弟のメシマズ嫁の料理、まずいモヤシ炒め」と写真とともに悪口を投稿していました。 義母と夫に怒られて義姉は投稿を削除しましたが、反省している様子がありません。それどころか、「もうすぐお正月なんだし、私のおいしいおせちと、あんたのマズイおせち、親戚皆に食べ比べてもらいましょ」と義姉は言い出しました。 料理は私の得意分野。仕返しスタートです! 知られざる素性が明らかに!自分勝手な義姉のその後いよいよお正月。親戚が集まる前で私たちはおせちの蓋を開けました。私のおせちを見て、親戚一同「おいしそ~う!」「プロが作ったおせちみたい!」と目をキラキラさせています。 それもそのはず、「妻は元プロの料理人なんだ。妻の料理のファンも多いんだぞ」と夫が真実を打ち明け、義母と一緒にSNSでの書き込みについて義姉に説教を始めました。私との差を痛感した義姉は、ようやく反省した様子。結局義姉は自立した生活を送るためにも、義実家を追い出されたそう。人と比較して優位に立とうなんて、常識外れもいいところ。これからは人と比べるのではなく、自分で幸せを掴んでほしいものです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月06日「学校へ行きたくない」を受け入れ続けて大丈夫?不登校や子育ての転機など2024年3月に公開した読者体験談『発達ナビ 読者体験談』は、会員のみなさんからご投稿いただいたエピソードを元にした記事です。発達ナビの連載ライターさんなどにイラストをつけていただき、コミックマンガエッセイ化しています。今回は、2024年3月に公開した読者体験談をまとめてご紹介いたします。3月に公開された体験談のテーマはコチラです。・不登校・発達障害子育て、わが家の転機・重度障害のわが子の困った行動みなさんのリアルな声と、それに応えた専門家の先生方のコメントにご注目ください!読者体験談を一気にご紹介!【2024年3月】「学校を休みたい」と言われたら「いいよ」と受容すればいいことは分かってる……けれど、本当にそれでいいの?このままだと子どもの将来はどうなるの?不登校のお子さんを持つ保護者さんは「このままで大丈夫なのか」といつも葛藤しているのではないでしょうか。そんな保護者の不安、疑問に、専門家が詳しくお答えしています。不登校を受容することは甘やかしなのか?ぜひご覧ください。DQ(発達指数)が境界域の息子さんを育てながら正社員としてフルタイムで働いていた保護者さん。キャリアアップのため転職をしたタイミングで、息子さんの登園渋りが始まってしまって……。発達障害のあるお子さんの子育てと仕事の両立、多くの方が悩まれているのではないでしょうか。投稿者さんの選択、そして決断後今思っていることについてまでご共有いただきました。3歳でASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断を受けた息子さんは、幼稚園から理解されず、親子ともどもつらいご経験をされました。そんな中、幼稚園の年中から通い出した児童発達支援とそこで受けたペアレントトレーニングで、育児に転機が訪れて……。「迷惑をかけないように……」そう思って気を張り、あやまってばかりいた重度知的障害(知的発達症)とASD(自閉スペクトラム症)の息子さんを育てている保護者さん。ですが、3つの転機をきっかけに考え方が変わったそうです。「迷惑をかけないにしないと」と思って子育てをしている方にぜひ読んでいただきたい1本です。小学1年生の時にASD(自閉スペクトラム症)、中学1年生でLD・SLD(限局性学習症)と診断されたお子さんの転機は、小学2年生の時に先生に言われたとある一言でした。小学校で荒れていたお子さんが、前を向くことになったきっかけは?先生方の支援に胸が熱くなるエピソードです。重度知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)で、無発語の息子さんは、飼っている猫のことを不思議な存在と感じ、少し恐れているようで……。保護者さんから見た、息子さんと猫のやりとりに、なんだかほっこりです。現在12歳で重度の知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)と診断さたお子さんは、お風呂が大好き。そしてあるこだわりがあるそうで、そのなかにはちょっと困ることもあって……。困ったルーティンにどう対応すればいいのでしょうか?つらかった、楽しかった……発達障害のお子さんを育てた経験談は、きっと誰かの役に立ちます!エピソード募集中!『発達ナビ 読者体験談』では、発達ナビユーザーのみなさんからのご投稿を募集しています。現在の募集テーマはこちらです!・障害告知でのトラブル・パートナー(夫婦) との間でのトラブル・両親(義両親)、親族などの間でのトラブル・進学・受験関係でのトラブル・冠婚葬祭関連でのトラブル・お子さまの反抗期、思春期でのトラブル・お子さまの自傷でのトラブル・お子さまの学習関係でのトラブル・不登校、行き渋りでのトラブル・お子さまとゲームの関わりでのトラブル・子さまの不器用さでのトラブル・ママ友や、ほかの保護者の方とのトラブルでのトラブル・ご近所関係でのトラブルご投稿いただいたエピソードを基に、発達ナビの連載ライターさんなどのイラストによってコミックマンガエッセイ化、監修の先生からエピソードについてコメントをいただいたものを発達ナビ上でお届けします。共感や気づきを得られるようなエピソード、誰にも相談できないお悩みや、ママ友トラブルまで、さまざまなエピソードをぜひお寄せください。ご応募は以下の応募フォームよりご投稿いただけます。みなさまのご投稿お待ちしております!(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年04月06日新婚ホヤホヤの私たち夫婦。義両親とは別居ですが、よく一緒に食事をしています。わが家に招待して食事をするとき、義母はいつもどの料理を誰が作ったのかを確認し、私が作った料理には手をつけません。でも、料理を食べてくれないだけで他に被害はないので、気にしないようにしていました。夫が出張で留守にしていたある日、突然義母が訪ねてきました。夫は留守だと伝えても構わずズカズカと上がり込み、夕飯時になっても帰る気配がありません。嫁失格…!?私が作った料理は食べないだろうと思ったので出前を取ろうとすると「嫁なら急な来客でも、手料理を振舞うのが当たり前でしょ!」と怒り出したので、仕方なく料理を作ることにしました。 冷蔵庫にあった材料を使って作ったのは、鶏肉の照り焼きにブロッコリーのサラダ、わかめのスープの3品。義母はそれを見て、これまで見たことがないくらいの嫌な顔をしています。 義母は「料理もできないの!?この役立たず!」と言ってスープを床にぶちまけて「嫁失格!」と声を荒らげたのです。普通のお嫁さんだったら、悲しかったり苛立ったりするのかもしれませんが、私は違っていました。 まるでドラマ!「もしかして、これが噂の嫁姑問題ってやつですか!?」「今の時代ほとんどされないと聞いていたのに、まさか自分が体験できるなんてびっくり! 記念に動画撮らせてください!」 ドロドロの昼ドラが大好きだった私。まさか自分がこんなセリフを言われる日が来るとは思っていませんでした。昼ドラの主役になった気持ちです。 喜んでいる私を見て、義母は呆気に取られています。なんと言い返して良いかわからなかったのでしょう。 嫁姑のその後もうどんなセリフを投げかけられてもドラマのワンシーンとしか思えない私。最後は2人で大笑いしてしまいました! 義母は昔見たドラマの設定通り、私に息子を取られたようで、ただなんとなく気に入らなかったそう。ポツポツ話す義母の話もドラマのようでワクワクしました。 これを機に、私たちの関係は大きく変わりました。義母は諦めたのか、私の料理を食べてくれるようになり、最近ではドロドロの昼ドラを一緒に見ています。 こんなに露骨ではなくとも、義母に似たようなことを言われるケースがあるはずです。そんなときは、同じように切り返してみるのもいいかもしれませんね!著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月06日私は夫と幼稚園に通う娘との3人暮らしです。幼稚園のママ友だちとも良い関係を築いていますが、中にはちょっと苦手なママ・A子がいます。ある日、娘を幼稚園に迎えに行った際、仲良しのママ友たちと話していると、「お兄さんのお店、そろそろオープンじゃない?」と質問されました。 A子が話を聞きつけて実は私の父は近所にある高級フレンチレストランのシェフで、兄はそこで修行を重ね、独立を果たしたばかりなのです。 この話を耳にしたA子が、「お兄さんはフレンチのシェフよね? 私が味見してあげるから、あなたがおごってね」と言ってきました。 あまりにも傲慢な発言に私は「何を言ってるんですか? もう失礼します!」とその場を後にしました。ひょっとしたらA子は、兄が父の店を継いだのかと思っているのかも……と思いましたが、知ったことではありません。 思わぬ電話数日後、突然A子から電話がありました。不安な気持ちで電話に出ると、彼女は「このお店なかなかステキなところね! 一番高いシャンパンあけちゃったわ! 会計はあなたがお願いね♪」と言ってきました。 しかし、私は冷静に「兄のお店はフランスですが」と事実を伝えました。どうやら近所に新しくオープンしたお店を私の兄の店だと勘違いして豪遊していた様子。A子は「え! 私お金持ってないわよ!」と大騒ぎ! 最初から私におごらせるつもりで、お金を持っていなかったのです。「私には関係のないお話ですので……では」と言って電話を切りました。 改心したA子はその後はというと、焦ったA子は夫に電話でこの一連の出来事を正直に打ち明け、駆け付けた夫がA子の飲食費数十万円分を支払ったそうです。激怒した夫は彼女をきつく叱りました。 この出来事がきっかけで、A子はすっかり反省し、幼稚園でも随分おとなしくなりました。以前の傲慢な態度も見られなくなり、ママ友たちとの関係も少しずつ改善しているようです。 誤解やトラブルがあっても、正直に謝罪し、互いを理解することで歩み寄れることもあります。これからも、子どもたちが健やかに成長できるような温かいコミュニティを築いていきたいと思います。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月06日先日、待望の妊娠がわかりました。義両親も孫の誕生を心待ちにしていたので、週末義実家に遊びに行ったとき報告するつもりでいました。義実家との関係は良好ですが、義妹とだけはうまくやれません。義妹は自分が思った通りに物事が進まないと、大騒ぎするめんどくさいタイプです。私たちが結婚を決めたとき、義妹にはすでに入籍済みの夫がいましたが、結婚式の日取りが未定でした。すると、私たちが先に結婚式をするなんて許せないと大騒ぎ! 結局義父が費用を出し、先にフォトウェディングをすることで納得させてくれました。 妊娠報告の席に義妹がいないといいのですが……。妊娠報告に涙する義妹義実家に着くと、義母が忙しそうに家事をする横で、義妹夫婦がくつろいでいました。いつ帰るかわからないので仕方がありません。私たちは義両親・義妹夫婦の前で、妊娠を報告しました。 義母は目に涙を溜めて喜んでくれましたが、義妹は急に泣き出しました。「自然妊娠なんてずるい! 私への当てつけですか!?」何のことかわからず困惑していると、義妹が言葉を続けました。「不妊治療している私より先に妊娠するなんて……」 義妹夫婦が不妊治療をしていたなんて初耳でしたが、義両親は知っていたようで、シクシク泣く義妹を前に戸惑っています。 配慮に欠けていたと私が謝罪をすると、義妹は自然妊娠でお金が掛からなかった分、治療費を援助してほしいと頼んできました。そのお金で高度な治療にステップアップすると言うのです。援助して!すでに義両親がかなりの額を援助したそう。しかしこれ以上は無理だと言って、義両親からも頭を下げられてしまいました。 どうやら高度な治療を受けるためには事前の講習を受けなければならないそうで、その費用が5万円とのこと。しかしそんな話聞いたことがありません。 もしかしたら義妹が騙されているのかもと思い「それ本当?」と聞いてみると、義妹は「自然妊娠して何も知らないくせに疑うなんて酷い……!」とさらに号泣。 重い空気に耐えきれず、私は5万円を渡してしまいました。それ、本当?しかし納得がいかない私は、義父からこっそり義妹が通っているクリニックの名前を聞き出し、問い合わせをすることにしました。案の定、講習など実施しておらず、クリニックの人も困惑している様子。夫も私もすべてを悟りました。 翌週、再び義実家を訪ねて真実を伝えると、義両親はがっかり……。それでも、講習は嘘でも治療は本当かもしれないという望みにかけて、義妹夫婦を訪ねることにしました。 義妹は「疑うなんてひどい!」と私を責めます。何を言っても「自然妊娠した人に言われたくない」の一点張り。困り果てているところ、口を開いたのは義妹の夫でした。すべてウソだった!「もうやめとけ!」義妹は治療費と言って義両親からもらったお金でブランド物を買い漁っていました。エスカレートする買い物に義妹の夫も怖くなっていたと言います。同時に後ろめたい気持ちも限界だったよう。 観念した義妹は、借りたお金を少しずつでも返すと約束していました。早い段階で阻止できたのがせめてもの救いです。 嘘を重ねていると、本当に困ったときに誰も助けてくれなくなってしまいます。子どもを大切に思い、疑いもせずお金を出してくれた両親をこれ以上がっかりさせないでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月05日私は仕事を通じて出会った夫と結婚。彼はとてもやさしく、頼りがいのある人だと思っていたのですが、結婚生活が始まると彼の意外な一面が見え始めました。結婚後、夫の強い勧めで仕事を辞め、家事に専念することになった私。夫はすべての家事を私に任せ、自分のことも自分でしない人でした。 さらに、夫が建てた家で義両親や義祖母との同居生活が始まり、義母の文句や義父のギャンブル癖、そして義祖母の介護が私に押し付けられ、私のストレスは日に日に増えていきました。友人A子と再会そんなある日、学生時代の友人A子から連絡があり、久しぶりに会うことになりました。A子に夫の写真を見せつつ結婚生活の苦労話をすると、彼女は「え、すごいイケメンじゃん! 私が直接説教してあげるわ!」と言ってくれました。 A子の大胆な提案に戸惑いつつも、学生のころから頼りがいのある友だちだったので、私は彼女に任せることにしました。 親友が夫とドライブ!?数日後、喫茶店でA子と夫が初対面。A子は「早速なんですけど、ちょっと2人でドライブでもしませんか?」「向かい合って話すより話しやすいかなって思って!」と夫をドライブに連れ出し、2時間後には夫が改心したかのように戻ってきました。 「これからは家のことをするようにするよ」と言う夫の言葉に私は安堵し、A子に感謝しました。 少し強引なところがあるけど、いつもA子のこういう大胆な行動に助けられてきたので、私はこのときはまだ何も心配していませんでした。 予期せぬ展開にそれからというもの、夫は家事をするようになったのですが、帰宅が遅くなり、夕食も家で食べなくなりました。「家事を手伝ってるんだから」という夫の言葉に納得できず、私は浮気を疑うようになりました。 再びA子に相談すると、再度話し合いをしようということになりました。喫茶店で待っていると、なんとA子と夫が腕を組んで現れ、「私たちこういう関係なの。奪ってごめんね、家ももらうわね!」と言ったのです。A子は相談にのると言いながら、夫と浮気をしていたのです。 2人は再婚するとのことで、夫が記入済みの離婚届を出してきました。私は、「わかったわ!」とあっさり承諾。予想外の反応に2人は驚いていますが、結婚生活にストレスを抱えていた私にとって、離婚は好都合。慰謝料をもらい、離婚が成立しました。 後悔したワケ離婚後、A子から電話がありました。「義両親の世話や義祖母の介護もするなんて、聞いてない!」と大騒ぎしていましたが、自業自得です。元夫が一切頼りにならず、家のことをすべて押し付けられていたつらい生活を、A子にも味わってもらうことになりました。 仕事を辞めて、自宅を解約して入籍してしまったA子は後戻りできず、不本意ながらも義実家同居で結婚生活を始めることになり、毎日大変な思いをしているようです。 義実家の世話から解放された私は今、一人の時間を楽しみながら、新しい仕事を探し、趣味にも挑戦しています。これからも、どんな困難があっても、自分自身を信じて一歩ずつ前に進んでいきます。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月05日私は春に中学生になる娘と夫との3人暮らしです。先日、娘の小学校の卒業式がありました。私たち3人は義父が予約してくれた高級レストランへ行くことに。そして、その日が忘れられない一日になるとは、この時まだ知る由もありませんでした。今回の出来事のきっかけは、中学生のころまでさかのぼります。 私を見下す同級生私が中学生のころ、父が仕事で事故に遭い長期間働けなくなったため、厳しい生活を送っていました。一方、同級生B男の父は高級レストランの店長で、彼の家は裕福でした。 学校で薄汚れた筆箱を使い、穴が開いた鞄や上履きで過ごしていた私に、B男は「お前がいると貧しい空気が教室にたまって困る」などと言って笑われ、つらい思いをしていました。 人生の転機中学を卒業して以来、B男とは一度も会うことがありませんでした。私は高校卒業後に働き始め、取引先の社長に気に入られたことがきっかけで、彼の息子と結婚しました。将来的には夫が義父の会社を継ぐ予定です。 先日、娘が小学校を卒業し、そのお祝いとして義父が高級レストランを予約してくれました。そしてレストランへと向かうと……。 衝撃の再会高級レストランの受付にいたのはなんとB男! 彼は高校卒業後、いくつかの仕事を転々としていたものの、傲慢な態度が災いしどれも長続きしないという噂でした。そして、B男を見かねた父親が、B男を受け付けとして雇うことにしたそうです。 B男は私たちを見て、「貧乏人の予約は入っていません♪ お帰りください」と言って、私たちを追い出しました。私はそのまま家に帰り、義父にすべてを伝えました。 義父からの鉄槌私の話を聞いた義父は激怒し、「受付の小僧はいるか!? ワシが会いたがっていると伝えろ!」とレストランに電話。電話に出たB男に、自分がこのレストランのオーナーだと明かしました。 追い返した私たちがオーナーの家族だと知り、B男から慌てて謝罪の連絡がありましたが、許すはずがありません。この一件でB男は仕事を辞めざるを得なくなりました。 中学生だったころの私のように、どんなに過去に苦い経験があったとしても、人にはそれを乗り越える強さがあります。人を見た目や社会的地位だけで判断するのではなく、その人の本質や行動に基づいて接したいものですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月05日