平成ウルトラシリーズを手掛けてきた特撮の旗手、小中和哉監督の自伝的青春映画『Single8』から本ビジュアルが解禁となった。本作は、映画作りに情熱を燃やす高校生たちが繰り広げる恋と友情を描いた70年代の青春グラフィティ。1978年夏、高校生の広志は日本で公開されたばかりの『スター・ウォーズ』を観て大興奮!自分も巨大な宇宙船を撮りたいと8ミリカメラを手にする。映画作りへの熱い想いはいつしかクラスメイトたちを巻込み、文化祭の出し物で監督作品が上映されることに。こうして忘れられない夏休みの撮影が始まった――。主人公の広志には、主演映画『許された子どもたち』で第75回毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞を受賞、ドラマ「ファーストペンギン!」にも出演した注目の新鋭、上村侑。広志をサポートし共に奔走する友人の喜男と佐々木に、ホリプロ初の男性ダンス&ボーカルグループ「WATWING(ワトウィン)」で活躍する福澤希空と桑山隆太。広志が密かに思いを寄せ、映画のヒロインを申し出る夏美に、『ベイビーわるきゅーれ』で話題をさらった高石あかりとフレッシュな若手俳優が集結する。監督は、平成ウルトラシリーズを手掛けてきた映画監督・小中和哉。「8ミリ映画作りに熱中した青春時代を映画にしたい!」と抱き続けていた念願の企画を実現。仲間と一緒に情熱を傾け、一からモノづくりをすることの尊さを描いた極上の青春映画が誕生した。今回解禁となった本ビジュアルは、8ミリフィルムの穴をデザインにあしらい、8ミリカメラのシルエットの中で主人公たちがポーズをとっているもの。シンプルながらも抒情的でノスタルジーを感じさせるビジュアルとなった。また、是枝裕和、黒沢清、樋口真嗣ら第一線で活躍する同時代を生きた映画監督たちと、「ウルトラマン」シリーズ初代ヒロイン、科学特捜隊「フジ・アキコ」隊員を演じた桜井浩子からも応援コメントが到着。「不思議なワクワク感に満ちていました」と語るのは是枝監督。「単純なノスタルジーではなかったのは、小中さんの中に自らの原点をもう一度確かめたいという強い前向きな動機があったからではないかと勝手に想像して嬉しくなりました」とコメント。黒沢監督は「ああ、懐かしい。撮ってるときは何が写っているのかさっぱりわからないのが8mm自主映画だった。だから、出来上がった作品はいつも予想もしないものになる。あれがスタートだった」と自らの実体験を回顧。樋口監督も「あの日々を生きていた何者でもなかった自分たち。そんなもの作ったところで何か変わるなんて保証もなく、それでも説明出来ない何かに突き動かされていたあの日々。そいつは甘いけれど、とても苦い」と、当時の思い出に浸ったことを明かす。そして「小中さんのルーツが分かりました」と語る桜井さんは、「初めの一歩の息吹を感じさせてくれる貴重な作品でした」とコメントを寄せている。【『Single8』公開記念小中和哉監督特集開催決定】公開を記念して、横浜にある映画館シネマノヴェチェントにて、小中監督の自薦5作品を8日間にわたって特集上映することが決定。オリジナル版とリメイク版、初の同時上映となる『星空の向こうの国』、ウルトラシリーズの劇場版代表作『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』と『ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ&ウルトラマンガイア超時空の大決戦』、兄で脚本家の小中千昭とタッグを組んだ『VAMP』の計5作品を上映する。『Single8』は3月18日(土)よりユーロスペースほか全国にて順次公開。「小中和哉特集」は2月19日(日)~2月26日(日)シネマノヴェチェントにて上映。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Single8 2023年3月18日より公開©️『Single8』製作委員会
2023年01月27日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、映画館で見た洋画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「映画『タイタニック』(’97年)は、劇場やレンタルビデオ、テレビの再放送で何回も見ました。公開当時、カラオケに行くとテーマ曲のセリーヌ・ディオンの『マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン』(’97年)で大盛り上がり。私は、レオナルド・ディカプリオがスターになる以前の作品からファンだったので、そんな“レオ様ブーム”のなか“前から目をつけていた”と、妙な優越感を持っていました(笑)」こう振り返るのは、タレントで女優の井上晴美さん(48)。高校入学を機に上京してから多くの映画に刺激を受けたが、生まれ育った熊本の故郷は、東京とは正反対の田舎町だった。「刺激どころか、近所にはコンビニもありませんでした(笑)。小学生、中学生のときはスイミングスクールに通っていたので家に帰るのが遅く、『ザ・ベストテン』(’78~’89年、TBS系)の放送終了にやっと間に合うくらい。いつもランキング上位だった(松田)聖子ちゃんは見られたので、あのフリフリの衣装に憧れました」漫画も好きだった。妹のあさりと姉のタタミの姉妹ゲンカなどが描かれている『あさりちゃん』(’78~’14年、小学館)を愛読。「私にも2歳上の姉がいたから、激しく共感していました。中学生のときに、友達のお姉さんに薦められて『ホットロード』(’86~’87年、集英社)にハマりました。女子中学生と暴走族の男のコとの恋愛を描いた作品ですが、まだ恋愛経験のない私にとっては、とても大人の世界に思えて」年を重ねるごとに、憧れのアイドルも成長していった。「フリフリ衣装だった聖子ちゃんが、『抱いて…』(’88年)を歌うころには大人キャラになっていたのに驚き、“人って変わっていくものなんだな”と感じました」同時期に注目していたのが、中山美穂だった。「衝撃だったのが『毎度おさわがせします』(’85年、TBS系)。エッチなセリフやシーンがあって、アイドルに演じさせていいのだろうかと思うくらい。当時はテレビで洋画や2時間ドラマなどを見ていると、今では見られないような濃厚なラブシーンがあって、お父さんがチャンネルを変えたりすることもありましたよね」中山美穂は、その後も『ママはアイドル』(’87年、TBS系)や『君の瞳に恋してる!』(’89年、フジテレビ系)など多くの人気ドラマで主演を飾った。「いろんな役を演じ分けられるし、ドラマだけでなく歌番組やCMなど多方面で活躍する姿を見て、アイドルになりたいと思うようになったんです」中学時代から熊本県の芸能プロダクションに所属し、モデルの仕事を始めた。「たまに東京に撮影に行くことも。とにかく大都会で“何かを成し遂げるなら、こういう場所なんだろうな”と思っていました」■同じ年のディカプリオの演技力に感動’91年、16歳のときに単身上京。間もなく『桜っ子クラブ』(’91~’94年、テレビ朝日系)のメンバーに選出され、テレビデビューを果たした。「所属事務所が原宿にあったので、竹下通りにもずいぶん行きました。ただ、スタッフから『クレープは太るからダメです』とくぎを刺されてしまって……。“アイドルは食べちゃいけないんだ”と、ちょっと残念でした」まだ若くて人生経験も乏しかったが、その分、さまざまなものを吸収できた。「尾崎豊さんが『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年、フジテレビ系)で、『太陽の破片』(’88年)を、まるでお芝居をするように歌う姿に、すっかり魅了されました。尾崎さんの曲に出合って、表現することにより興味が湧いたんです」’92年、尾崎さんの追悼番組をきっかけに、さらに多くの楽曲を聴くように。「『15の夜』(’83年)や『卒業』(’85年)は、あのころの私の気持ちを代弁してくれているかのよう。すごいカリスマ性も感じました。一方で、一緒に仕事をしていた尾崎さんを知る撮影スタッフからは、『ふだんは礼儀正しくて、偉そうなところがなく、楽しくご飯を食べたり飲んだりする普通の青年』と聞いていたので身近に感じる面も。すごく不思議な存在です」尾崎さんとともに、刺激を与えてくれたのは映画だった。「上京してから映画館に行くことが増えて、仕事帰りにタイミングが合えば、スタッフさんと『ちょっと行ってみようか』ということも。人と行くと、自分では興味のないジャンルのものも見たりするので、新しい発見があります」そこで出合ったのがレオナルド・ディカプリオ。最初に見た作品は、映画出演4作目となる『ギルバート・グレイプ』(’94年)だ。「当時はまだ無名で、たまたま私が好きなジョニー・デップやジュリエット・ルイスが出演していたから見た映画。ところが、作品ではディカプリオの存在感が圧倒的で、まるで主演のよう。知的障害のある少年という難しい役なんですが、かわいい表情をしたかと思うと、ハンサムな顔に豹変したり、カメレオンのようにたくさんの顔と表現を持っているんです。同じ年なのに、この演技力はすごいと感動」『ロミオ+ジュリエット』(’96年)や『タイタニック』も、もちろん映画館まで足を運んで見たし、レンタルビデオも借りた。そして『ザ・ビーチ』(’00年)にいたっては“聖地巡礼”するほど。「撮影されたのは、タイの小さな船を乗り継いで行くような島。ディカプリオがいないことはわかっていながら、私も独身だったから“もしかして”という思いも」作品のたびに、さまざまな表情や演技を見せてくれたディカプリオの存在は、井上さんがその後、女優の仕事を増やしていくにあたり、糧になった。「美しいだけでなく、不格好な部分もあるから、人間らしさがにじみ出て、キャラクターに命が吹き込まれる。アイドル志望の私にも、お芝居するのってカッコいいなと思わせてくれる存在でした」【PROFILE】井上晴美’74年、熊本県生まれ。’91年にアイドルとしてデビューしたのち、『ナースのお仕事』(’96年、フジテレビ系)や映画『フリーズ・ミー』(’00年)など女優としても活躍。’05年に国際結婚をし、3児の母となる。’11年に熊本県に移住、子育てをしながら女優業もこなしている
2023年01月22日■前回のあらすじ幼稚園最終日の帰り際、強子以外の3人のママ友が若菜に謝罪。しかし今までされたことをすぐには許せず、軽く挨拶だけしてその場を離れます。その後、転園した保育園は対応もよく、良い人間関係を築くことができたのでした。■わが子が小学生になったその後■変わらずママたちを支配する強子その後、誰も声を上げることなく、強子は幼稚園ママたちを支配下に置いていたのでした。しかし、強子本人はまったく自覚がないようだったのです。次回に続く「ようこそママ友グループへ」(全24話)は17時更新!
2023年01月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「私がデビューして間もないころ、写真家のアラーキー(荒木経惟)さんに誘われて、役者仲間たちと六本木のバーへ行くと、そこに宮沢りえさんとりえママが!上京したばかりで、田んぼから出てきたカエルのような私はイモくさい服装だったのに、りえちゃんはモダンなアニマルファーのかわいらしいミニワンピ。りえママから『りえ、何か弾いたら』と促されてグランドピアノを弾き始めると、大騒ぎしていた私たちは静まり返り、その存在感に圧倒されてしまいました」デビュー当時の思い出を語るのは、女優の鈴木砂羽さん(50)だ。女優として活躍するため、劇団で研究生をしていたころ、宮沢りえから目が離せなかったという。「“表現者になりたい”と志す土台を作ってくれたのは、小学1年から習い始めたモダンバレエ。県下(静岡県)ではいちばん大きな教室で、年に1回は大きな市民会館で舞台に立っていました。人前でスポットライトを浴びて演じた経験は大きなもの」舞台の上では積極的だったが、ふだんの学校生活はインドア派、1人でいることが多かった。「両親が画家ということもあって、絵を描くのが好きでした。漫画も好きで、一条ゆかり先生の『有閑倶楽部』(’81年~、集英社)や池野恋先生の『ときめきトゥナイト』(’82~’94年・集英社)を読んでは、キャラクターを描き写していました。クラスの友達はジャニーズに夢中でしたが、私は『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年、日本テレビ系)にどハマり。再放送やレンタルビデオで何度も見返し、魔法の力を借りて東京に行ってアイドルになる女の子を主人公にした『ラブリードリィ』というオリジナルの漫画を描いたほどでした」高校卒業目前の’90年代初め、砂羽さんは進路に迷っていた。「モダンバレエを続けたことが表現をする自信になっていたし、高校時代に自主映画を製作した経験から、演技の勉強をしたいと思ったんです。憧れの桃井かおりさんや樋口可南子さん、安田成美さんとゆかりのある女子美術大学を目指し、当時はそんなに難易度が高くなかった短期大学部の服飾デザイン系の学科に入学することができました」■三井のリハウスのCM以来、宮沢りえに夢中上京後は、芸能プロダクションが併設されている俳優養成所の門をたたいた。演技のほかにも、歌やダンスなどひととおり習うことができ、女優を目指す野心の強い人たちも集まっていた。「でも、何か違うと感じて……。親にお金を出してもらっていたので1年間は通ったのですが、わりとブランド志向だった私は、“名門に行ってもっと勉強したい”と文学座を目指すことに」当時、朝ドラヒロインの登竜門ともいわれた文学座には、研究生の募集に数千人が集まったが、見事に合格。「研究生として所属することが決まり、女優になるという夢が近くなったような気がして、短大は1年で中退しました」宮沢りえの『Santa Fe』が発売されたのも、ちょうどこのころだった。「当時、トップアイドルが脱ぐなんて初めてのことじゃないですか。それだけでも衝撃的なのに、写真は健康美そのもので、めちゃくちゃきれい。そもそも、私は高校時代に見た三井のリハウスのCM以来、りえちゃんに夢中でした。ありえないくらいかわいくて、実在するのか?本当に人間なのか?と考えて呆然としてしまうほどの美少女。お母さんが日本人でお父さんがオランダ人というハーフなんですが、かなり日本人に近い。こんなハイブリッドな美しさは、逆さになってもかないません。うらやましいを通り越した存在」写真集発表後、砂羽さんにとって宮沢りえは女神のような存在へ。「カラオケで友達が小室哲哉さんプロデュースの『ドリームラッシュ』を歌っているのを聴くだけでテンションが上がりました」さらに女神は、貴花田(現・貴乃花光司)との婚約を発表し、彼女を驚かせた。「婚約のニュースをバイト先のスナックで知って震えるくらい動揺しました。それからですね、りえちゃんだけでなく、なぜかりえママからも目が離せなくなったのは」テレビのワイドショーや女性週刊誌では逐一、りえやりえママの動向が報じられた。「表紙に『りえ』という文字を大きく打ち出していた『女性自身』も毎号欠かさず、当時通っていたお風呂屋さんで読みました。りえちゃんが“お寿司を8貫食べた”という報道ひとつにも、いちいち感動していました」砂羽さんがまだ駆け出しのころ、市原悦子さんと宮沢りえが親子役を演じる『花嫁介添人がゆく』(’90~’96年・フジテレビ系)というドラマシリーズにゲスト出演する機会に恵まれた。「私なんかがおいそれと話しかけられる存在ではありませんでした。でも、あのころ、寿司を8貫食べたという記事があったのに、今は週刊誌で激ヤセと報じられるなど、すごく心配で……。それで私の出番が終わったとき、思い切って手紙を渡したんです。ただ、その内容が“一連の報道を聞いて心配” “話を聞いてあげたい”というようなことを長々と書いた偏執的なもので、今振り返ると恥ずかしさしかありません」’90年代はずっと風呂なしアパートで過ごすほどの貧乏生活が続いたがーー。「お風呂屋さんのお母さんが見かねて卵やキャベツをくださったり、俳優の仲間が貧乏アパートに来て、朝まで怪談話をしたり、ボロボロの中古車でドライブしたり……。毎日が楽しくて豊かでした。そんな20代の経験が女優に生かされていると思います」人生経験を重ね、女優として成長した砂羽さんは、大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』(’11年、NHK)で再び宮沢りえと共演することに。「撮影時は、りえちゃんとごく普通にお話しすることができました。あの手紙の送り主と、私が結びつかないことを、今でも祈っています(笑)」【PROFILE】鈴木砂羽’72年、静岡県生まれ。’94年に、荒木経惟の写真集を原作とした映画『愛の新世界』で主演デビュー。その後も舞台、テレビドラマで幅広く活躍するかたわら、特技を生かして漫画誌でコミックエッセイの連載も。’22年の『相棒21』にて、14年ぶりに亀山薫の妻・美和子役に復帰した
2023年01月03日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、人生を変えてくれた音楽の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「物心ついたときから歌に囲まれて育ったのですが、聴くジャンルは演歌とアニソンのみと、かなり偏っていました。そんな私が中学生のときに小沢健二さんの存在を知り、J-POPにも興味が。それをきっかけにロックをはじめ、いろんなジャンルを聴くようになりました。私の音楽の世界が大きく広がったのは、小沢さんのおかげです」こう語るのは、声優で歌手の水樹奈々さん(42)だ。歌を歌い始めたのは、父親の影響だという。「父は昔、歌手を夢見ていたのですが、かなえることができず……。その夢を娘の私に託すように、『おなかの中にいたときから、いろんな音楽を聴かせてもらっていた』と母が言っていました」自宅で流れる音楽は、昭和演歌。5歳のとき、自治会の会合で初めて人前で歌ったのは高峰三枝子の『南の花嫁さん』(’42年)という懐メロだった。「母お手製の白いドレスを着て披露すると、おじいちゃん、おばあちゃんが『こんなちっちゃな子が歌ってくれるなんて』って、すごく喜んでくれたんです。それがうれしくて“もっと歌いたい”と思うように」ちょうどそのころ、父親が自宅の一室を使ってカラオケ教室を始めた。「新しいもの好きだから、当時は最先端だったレーザーディスクカラオケや“集音性が優れている”と自慢をしていたドイツ製のマイクを導入。夜な夜な、近所の大人たちが歌の練習をしている様子を見ているうちに、『私もやりたい!』とお願いして父のレッスンを受けるように」中学生になるころには、数々のカラオケ大会やのど自慢大会に出場し、地元では有名な存在に。「イベントなどで歌うと、おひねりがもらえることがあったので、それをお小遣いとして貯めて、漫画の単行本や、中古のゲームソフトを買っていました」ゲームやアニメに熱中したことで、歌手だけでなく、声優という新たな夢も見つかった。「じっくりと主人公を成長させるロールプレイングゲームが大好きで、『ドラゴンクエスト』シリーズや『ファイナルファンタジー』シリーズに夢中になりました」熱中するあまり、親にゲーム機を隠されてしまったことも、’90年代あるあるだ。「でも、子どもには独特の嗅覚があって、ひな人形がしまってある、1年に一度しか開けないような押入れにゲーム機が隠してあるのを見つけて、両親の留守中に遊んでいました。せっかく強い敵を倒したのに、両親が急に帰ってきてしまい、データを保存できないまま電源を抜いて慌てて隠したことも。アニメは『魔法の天使クリィミーマミ』(’83~’84年・日本テレビ系)の時代から大好き。おもちゃのステッキを買ってもらって、こたつの上で主題歌を歌って踊ったり。『美少女戦士セーラームーン』(’92~’97年・テレビ朝日系)は欠かさず見ていたし、『スラムダンク』(’93~’96年・テレビ朝日系)の主題歌だった大黒摩季さんの『あなただけ見つめてる』(’93年)もよく歌っていました」■寄り添ってくれたのはMDに録音した“オザケン”の楽曲アニメだけでなくゲームからも、声優の仕事に興味を持つきっかけを与えられた。「当時はキャラクターの声が入ったゲームは少なかったので“将来、声が入るようになったら、このキャラを演じてみたい”って思うようになったんです」同級生は光GENJIやSMAPの話題で持ちきりだったが、水樹さんが興味を示したのは演歌とアニソンのみ。「’90年代の初めは歌番組自体が少なく、私が見ていたのは『ふたりのビッグショー』(’93年~’03年・NHK)と、年に1回の『紅白歌合戦』くらい。J-POPに触れる機会はほとんどありませんでした」そんな水樹さんが小沢健二を知ったのは、’94年ごろ。「たまたまテレビを見ていたら、シャンプーのCMで『ラブリー』(’94年)という曲が流れてきて“なんてオシャレで、面白い曲なんだ!”と(笑)。それまで演歌とアニソンばかり聴いていたので、世の中にはこんなジャンルもあるんだと、急いでレンタルCDショップに。それからは、一度聴いたら忘れないようなポップでキャッチーなメロディに魅かれ、『愛し愛されて生きるのさ』(’94年)、『戦場のボーイズ・ライフ』『痛快ウキウキ通り』(ともに’95年)など、過去の作品や新曲をチェック。彼女のことを『仔猫ちゃん』と呼ぶような、小沢さんの王子様的なキャラクターも面白くて。しかも東大出身ということで“さすが頭のいい人は違う!”って思ったりしていました(笑)」’94年、「10周年記念全国歌謡選手権大会」に優勝したことをきっかけに、東京の芸能プロダクションと契約し、高校入学とともに上京した水樹さん。念願の歌手デビューへの第一歩を踏み出す。「高校は芸能コースに通っていたのですが、クラスメートが華々しく芸能界で活躍する一方、私はなかなか芽が出ず……。学校は皆勤賞でした」高1の夏、同じ事務所に所属していた日髙のり子さんの勧めで、声優のサマースクールに参加した。「すごく楽しくて、声優も目指したいと思って専門学校へ。歌手と声優になるためにダブルスクール状態でした」学校の行き帰り、寄り添ってくれたのはMDに録音したオザケンの楽曲だ。「中学時代には気付くことができなかったけれど、大人になるにつれ小沢さんのすごさを痛感。ポップな曲調のなか“このままでいいのか”と若者に訴えかけるような、パンクなメッセージが差し込まれているんです。曲作りも、弦楽器と管楽器の使い方やコーラスワークなど、’60~’70年代のソフトロックといわれる洋楽の要素や、ジャズやソウルのテイストもちりばめられていて、すごく計算されています。聴けば聴くほど、音楽が好きになっていきました。それに……」と、魅力を上げたらキリがないよう。オザケンの曲は、その後、’00年に20歳で歌手デビューした水樹さんの、大きな糧になっているのだ。【PROFILE】水樹奈々’80年、愛媛県生まれ。’97年にプレイステーション用ゲームの声優としてデビュー。多くのアニメ作品で活躍する一方、声優として初となるドームコンサート、『紅白歌合戦』出場を果たす。12月21日にブルーレイ&DVD『NANA MIZUKI LIVE HOME×RUNNER』を発売
2022年12月18日12月1日、 『「現代用語の基礎知識」選 2022ユーキャン新語・流行語大賞』が発表され、「青春って、すごく密なので」が選考委員特別賞を受賞し話題となった。そこで今回、この冬公開の“密な青春”を存分に味わえるアニメ映画を、“スポーツ”“恋愛”“友情”の3つの青春カテゴリー別にご紹介する。スポーツで青春といえば…『THE FIRST SLAM DUNK』(公開中)『THE FIRST SLAM DUNK』(C)I.T.PLANNING,INC.(C)2022 SLAM DUNK Film Partners「青春って、すごく密なので」を発したのが、高校野球で優勝した仙台育英学園高等学校の須江監督だったように、密な青春といえば“スポーツ”。そこでひとつ目にオススメするのは『THE FIRST SLAM DUNK』だ。週刊少年ジャンプ(集英社)で1990~96年に連載された井上雄彦による少年漫画を原作に、バスケットボールに熱狂する高校生たちの青春を描く。現役の学生よりも、かつての青春時代にブームになっていた漫画だからこそ、今の大人たちが密な青春時代を過ごしたあの頃に戻れるような作品と言えるかもしれない。恋愛で青春といえば…『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』(12月17日公開)『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』(C)赤坂アカ/集英社・かぐや様は告らせたい製作委員会“いちゃつく”は密の代名詞。ということで、密な青春といえばもちろん“恋愛”も欠かせない。ふたつ目にオススメするのは、ふたりの天才高校生による恋愛頭脳戦を描いた人気TVアニメシリーズの後日談、アニメ映画『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』。秀知院学園の生徒会で出会った副会長・四宮かぐやと、生徒会長・白銀御行。長きにわたる恋愛頭脳戦の末、お互いの気持ちを伝え合い、初めてのキス。しかし明確な告白には至っておらず、恋人同士になるかと思われたふたりの関係性は曖昧なまま、お互いをより強く意識して、クリスマスを迎えることに……。現役学生にドキドキの青春を味わっていただきたい。友情で青春といえば…『かがみの孤城』(12月23日公開)『かがみの孤城』(C)2022「かがみの孤城」製作委員会鏡の中のお城という特殊な世界で、中学生7人だけで過ごす密な青春。ときにはケンカしたり励まし合ったりしながら、友達同士で助け合い、何かを成し遂げる。彼らの友情が引き起こす奇跡を描くアニメ映画が『かがみの孤城』だ。當真あみ、北村匠海ら豪華キャストが声優を務める。原作は辻村深月の同名小説。誰もが感じたことがあるだろう思春期の言葉にできない複雑な気持ちを見事に描写しており、映画でも現役の学生たちには自分事として、大人たちはかつての青春時代を思い出し、親ならば自身の子供が見ている世界を疑似体験できそうだ。また、登場人物がほとんど中学生ながら学校の中ではなく、鏡の世界というまったく別の世界で物語が進むため、子供も大人もこの映画を観れば、新たな世界に飛び込み、新たな友情を育みたくなるかもしれない。3作品それぞれに描かれる“密な青春”。コロナ禍で密な青春をあまり体験できなかった学生たちも、また密な青春を思い出したい大人たちも、ぜひ映画館の大画面で堪能してみてはいかがだろうか。『THE FIRST SLAM DUNK』公開中『かぐや様は告らせたい-ファーストキッスは終わらない-』12月17日(土)公開『かがみの孤城』12月23日(金)公開
2022年12月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「幼いときはバレエ漬けの毎日。テレビを見る時間がなく、アイドル時代のキョンキョンさんは知らなかったんです。だから、実際にお会いしたときも『とんねるずのみなさんのおかげです。』(’88~’97年、フジテレビ系)で見た、全身黒タイツ姿の“モジモジくん”の印象が強くて(笑)。とんねるずの番組の影響って、本当にすごいですよね」そう話してくれたのは、タレントで服や小物のデザインも手掛ける神田うのさん(47)。4歳までインドネシアのジャカルタで過ごし、帰国後にクラシックバレエに出合ったという。「母によると、バレエを一緒に見に行って『私も踊りたい』と言ったことから習い始めたそう。私は誕生日が3月28日で、4月生まれの同級生とはほぼ1年遅い生まれ。お勉強もできないし、身長も頭ひとつ分低いから、“人より劣っている”と感じていましたが、バレエだけは唯一、自信が持てるものでした」一方、バレエで磨かれた体形は人目を引き、モデル事務所からスカウトされることも多かった。「’89年、14歳のときにモデル事務所へ所属。母は芸能界に入ることに反対していたので“バレエを優先する”ことが条件でした」放課後の時間はバレエとモデルの仕事で占められ、中学・高校時代は友人とともに過ごす時間が限られていた。「それにしゃべりだしたら止まらないタイプ(笑)。クラスメートからも『うの、しゃべらないで。もうちょっとおとなしくしようね』と諭されることも。何か言っても『まあ、うのだから』と許されるところがあったのは、浮いた存在だったからだと思います」そんなうのさんが、友人と盛り上がれる数少ない共通の話題が、とんねるずだった。「『ねるとん紅鯨団』(’87~’94年、フジテレビ系)や『みなさんのおかげです。』は学校で必ず話題になるので、絶対に見なきゃいけない番組。観月ありさちゃんや宮沢りえさんのような売れっ子のアイドルが出演していたし、“モジモジくん”や“仮面ノリダー”もすごく面白くて!芸能の仕事をするようになってダウンタウンさんとご一緒させていただいたこともありましたが、’90年代、中・高校生だった私にとって、お笑いといえばとんねるずでした」こうした共通の話題があったからこそ「ちょっと変わったコ」だったうのさんも、クラスに溶け込むことができた。「たまの休みや、空いた時間には、はやっていたカラオケボックスに友達と一緒に行きました。松田聖子さんはアイドル時代よりも、海外進出した後の『きっと、また逢える…』(’92年)が私たちの世代。ほかにも、プリンセスプリンセスやドリカム、摩季姉(大黒摩季)のヒット曲を歌ったりしていましたね。でも、基本的に私は歌うよりも踊るほうが好きだったので、友達が歌っている横でタンバリン片手に盛り上げる役でした」■歯に衣着せぬ言動が受け入れられ数々のバラエティ番組に出演モデル業も順調で、17歳から『プチセブン』(小学館)の専属モデルに。「専属モデルのわりには、バレエのコンクールと撮影日が重なるとバレエを優先させていたので、使いづらいモデルだったはず」年齢を重ねるごとに、大きなCMのオーディションに合格しても、バレエのためにキャンセルするケースが増えてきた。「私がやるはずだったCMが流れているのを見て、悔しい思いをしたことも。それで、19歳のころからバレエをフェードアウト、芸能の仕事に集中するようになったんです」独特の歯に衣着せぬ言動が受け入れられ『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)など数々のバラエティ番組に出演。「ちょうどテレビに出始めたころ、『ねるとん紅鯨団』の芸能人大会に出演しました。よゐこのお2人が『お願いします』『ちょっと待った!』と言ってくれたのですが、私は1人を選ぶという感覚がなくて『どっちとも~!』と言ってしまって……。それから“ぶっとんだ奴”と思われるようになったみたい(笑)」『オールナイトフジ・リターンズ』(’94年)、『なるほど!ザ・ワールド』(’81~’96年、ともにフジテレビ系)など人気番組の出演を通して芸能界の友人に恵まれると、いつしか木梨憲武とプライベートでも遊ぶ関係に。「コンちゃん(バブルガム・ブラザーズのBro.KORN)ファミリーの憲ちゃん、ヒロミ兄、定ちゃん(定岡正二)とかとは、週5回くらい、仕事が終わってから集まっていました。当時のテレビ業界はまだまだ元気で、毎晩のように青山や西麻布、六本木に繰り出して、クラブに行った後、焼き肉食べたり……。貴さんにも食事に連れていってもらったことはありましたが、私がいつも憲ちゃんと一緒だったから、誘いにくいところがあったのかも」連日深夜まで遊んでいたが、木梨夫妻に子どもができてからは「面倒みないといけないから、帰んなきゃ」と中座することもあったという。「あるとき憲ちゃんに電話すると、(安田)成美さんが出て『今、子どもをお風呂に入れているの』と教えてくれて。仕事が忙しくても、ちゃんとパパをやっていることがすごく素敵で、まさに“大人の見本”でした」こうした交流があり『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の人気コーナー・木梨憲武バレエ団や、高校生時代から好きだった『みなさんのおかげです。』の食わず嫌い王決定戦などにも呼ばれた。「足の靱帯を痛めてつけていたギプスが取れるタイミングで、オークション番組の『とんねるずのハンマープライス』(’95~’98年・フジテレビ系)からオファーがあったんです。何を出品するのかと思っていたら、何週間も足につけていたギプスを出せっていうの!とんねるずの番組の収録はいつも楽しいのですが、あんなことはもう勘弁してほしいですね(笑)」【PROFILE】神田うの’75年、東京生まれ。14歳のころからモデルを始め、『笑っていいとも!』をはじめとする多くのバラエティ番組で活躍する一方、ストッキングや下着、ウエディングドレスなど自身のブランドを数多く立ち上げ、ファッションデザイナーやプロデューサーとしても成功を収める
2022年12月04日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「’80年代後半から’90年代にかけ、とんねるずはテレビ界を席巻しました。なかでも、フジテレビのバラエティ黄金期を支えたといっても過言ではないでしょう。とくに石橋貴明さんは、それまでの常識とはかけ離れた言動や行動をとる当時の若者、『新人類』(流行語)を象徴するような存在でした」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。石橋貴明と木梨憲武は、’82年に『お笑いスター誕生!!』の出演を機にデビュー。コンビ名も「とんねるず」とした。「本格的に売れたのは『夕やけニャンニャン』(’85~’87年)や『オールナイトフジ』(第2期’83~’91年、ともにフジテレビ系)に出演してから。観覧客を相手にノリで乱闘したり、若い女性アイドルにエッチな質問をしてみたり、目上の人にもズバズバモノを言ったりと、大人が顔をしかめるような新人類ぶりが若者の支持を集めました」番組の企画力にも目をみはるものがあった。「恋愛至上主義だったバブル時代に放送された『ねるとん紅鯨団』は秀逸。素人の性格と特徴を絶妙な言葉でスパッと言い当てる能力が高く、意中の女性に告白する男性出演者にとって、頼れる兄貴的な存在となっていました」■面白ければ“なんでもアリ”が学校の「笑い」を独占芸人の枠にとどまらず、歌手、俳優としても注目された。『情けねえ』(’91年)で日本歌謡大賞を受賞し、子どもたちの間で大人気となった『ガラガラヘビがやってくる』(’92年)はミリオンセラーを記録。マルチタレントの元祖であるビートたけしを彷彿とさせる存在に。さらに『とんねるずのみなさんのおかげです。』では、『仮面ライダー』や『北の国から』、トレンディドラマのパロディコントが人気に。若き日の松嶋菜々子が下ネタコントに登場したことなどは、今でも語り草だ。「女性タレントをきわどいコントに起用する手法は、その後のバラエティ番組へ影響を与えました。また、人気の芸能人ばかりでなく、世間的には無名の番組スタッフのモノマネをしたり、業界ネタや業界用語でちゃかしたりして笑いにする内輪ネタも、とんねるずが得意とするところ。悪ノリにも受け取られますが“楽しくなければテレビじゃない”という当時のフジテレビのノリがあったからこそ、成立したのかもしれません。舞台や営業で鍛えられた芸人とは異なり、“なんでもアリ”だったテレビによって成長したスターといえるでしょう」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年12月04日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」から誕生したTOP7の初来日公演「日韓GFSC Charity Campaign 青春スター×15th Special KMF 2022」の東京2部公演が、10月8日にABEMA PPV ONLINE LIVEで配信。13人全員が集合した特別コラボは、まるでミュージカルと話題になっている。毎年秋、K-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」も出演した新人K-POPアーティストの登竜門KMFと「青春スター」がタッグを組んで開催される同イベント。韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなったカズタ率いる「n.SSign」(エヌサイン)をはじめ、計13人が集結。序盤、カズタさんが登場し「青春スター」の#2にてエンジェルミュージシャンたちを唸らせた、「2PM」の「My House」を披露すると、会場は黄色い歓声に包まれ、コメント欄でも「鳥肌が止まらない」「最高すぎる」「もう泣きそう」と感動の声が寄せられた。また、TOP7が全員集合し、「One Voice」「Another Day of Sun」をコラボレーションで披露すると、「画面が幸せ」「まじで天国」「青春スターの感動再び」「みんなでこれを作り上げてくれたと思うと感動しかない」と言った声が寄せられた。そして、特別企画「ABEMA生配信スペシャルトーク」が行われ、Twitterに寄せられた質問の中から「日本に来て、何が食べたいですか?」と尋ねられると、「n.SSign」の末っ子チャン・ヒウォンは「寿司が食べたいです」、シンガーソングライター派からデビューが決定したリュ・ジヒョンとボーカル派からデビューが決定したキム・テヒョンは「ラーメンが本当に食べたいです」と答える。また、「n.SSign」のメインボーカルユン・ドハが清水翔太の「花束の変わりにメロディーを」のワンフレーズを日本語で生歌唱する一幕も。さらに、とある歌詞をリズムに合わせて、前の人よりも高い音域で歌い、どこまで高音が出るかに挑戦する「クレオパトラゲーム」では、シンガーソングライター派とボーカル派だっただけあって驚異的な高音を披露し、最後のヒョン・シニョンまでバトンが渡り、大成功を収めた。そんな、本配信は11月7日(月)23時59分まで視聴が可能となっている。初の来日公演を終え、カズタさんは「めちゃくちゃ緊張していましたが皆さんの歓声で緊張がほぐれて“あ、俺かっこいいんだ”といつものナルシストを発揮できました」と感想を明かし、「僕たちはまだまだ日本で沢山の活動をしていくので期待していてください」とコメント。12月4日(日)&11日(日)に開催される「n.SSign × "n.CH WORLD Live 2022" in Japan」にて「n.SSign」の再来日も発表された。(cinemacafe.net)
2022年10月11日青春映画『恋人はアンバー』が、2022年11月3日(木・祝)より公開される。“ニセモノの恋人”を演じる2人を描く青春映画映画『恋人はアンバー』の舞台は、1995年、同性愛が違法でなくなってから2年後のアイルランド。同性愛者への差別や偏見が根強く残る田舎町で、男性に恋する男子高校生エディと、女性しか愛せない女子高生アンバーが、期間限定で“恋人”のフリをする。学校から⼀緒に帰ってみたり、エディの両親にアンバーを紹介して恋⼈であることをアピールしてみたり、2⼈が恋⼈のフリを始めると、そのニュースは学校中を駆け巡り、思惑通り公認のカップルに。クラスメイトからゲイやレズビアンだと疑惑を持たれることもめっきり減った卒業間近、アンバーの誘いで授業をサボって、都会のダブリンへ繰り出す2⼈。ゲーセンで仲睦まじい写真を撮り、クラブで酔いしれ、⾃分たちを知る⼈が誰もいない都会で、開放的な時間を⼼から楽しんだ。しかし後⽇再びダブリンを訪れた時、ある事件が起きてしまい、2 ⼈の間に埋められない溝ができてしまう…。セクシュアリティの悩みや差別、偏見といった社会的テーマを描きながら、チャーミングかつ爽やかなテイストで、若者2人の青春を映し出す。メインキャストにフィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー■エディ...フィン・オシェイ自身がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣。⼥性とキスをしたことがないだけで「ゲイか︖」とからかわれるような保守的な⽥舎町で、周囲にセクシュアリティを隠したまま平穏に卒業するために、アンバーと“ニセモノの恋人”になる。高校卒業後については、「今のままでいい」と消極的。■アンバー...ローラ・ペティクルーレズビアンであることを隠している、エディのクラスメイト。趣味も性格も異なるが、“ニセモノの恋⼈”としてぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、2人はかけがえのない存在に。消極的なエディに対し、アンバーは高校卒業後、町を出ようと考えている。賞レースでも話題に2020年に封切られた映画『恋人はアンバー』は、アイルランド版アカデミー賞と評される「アイリッシュ映画&テレビ賞」で8部⾨にノミネート、2部⾨で受賞。過去に、『セッション』でデイミアン・チャゼル、『ウィンド・リバー』でテイラー・シェリダン、『ライトハウス』でロバート・エガースらが評価された「カメリメージ映画祭」では、最優秀監督デビュー賞にもノミネートされ、話題を集めた。<映画『恋人はアンバー』あらすじ>同性愛者への差別や偏⾒が根強く残る⽥舎町で、⾃⾝がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメイトのアンバー。家族や同級⽣にセクシュアリティを悟られないように平穏に卒業を迎えるため、2 ⼈は“ニセモノの恋⼈”を演じることに︕︖ 性格も趣味も全く違う2⼈だったが、ぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、唯⼀ありのままの⾃分をさらけ出せる、かけがえのない存在になっていく。しかし、⼀緒に訪れた都会・ダブリンで、特別な出会いを果たし、新しい世界に触れた2⼈は、“理想的”だったこの関係にも終わりが近づいていることに気づいてしまい…。【詳細】映画『恋人はアンバー』公開日:2022年11月3日(木・祝) TOHO シネマズ シャンテほか全国公開監督・脚本:デイヴィッド・フレイン出演:フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ワード、シモーヌ・カービー原題:Dating Amber挿入歌:PULP「Mile End」、Brenda Lee「You Can Depend on Me」、U2「All I Want Is You」、GIRLPOOL「Cut Your Bangs」ほか2020年/アイルランド/92分/ビスタ/5.1ch
2022年09月16日「A24」が配給、実体験に基づく“暗黒時代”を笑い話として映画化した『Never Goin’Back』(2018年)が、邦題を『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』として12月より公開決定。メイン写真1点が解禁となった。高校を中退した親友同士のアンジェラとジェシーは、兄とその友人と4人で共同生活を送っているが、バイト三昧の日々でも、家賃を払うのがやっとの極貧生活を送っている。だが、ジェシーの誕生日に1週間のビーチリゾートのバカンスをプレゼントしたいアンジェラは、家賃代のお金で2人分の夢のチケットを購入する。不足分の家賃を稼ぐために無茶苦茶な追加シフトを入れるも、家に泥棒が入るわ、兄のせいで刑務所に入れられるわ、 誤って大麻入りクッキーを食べてハイになるわ、挙句の果てにバイトもクビになりそうに…。2人の追い求める憧れのバカンス、テキサスのリゾートビーチへ無事に辿り着くことは出来るのか!?監督オーガスティン・フリッゼルの実体験を笑い話として映画化2018年のサウス・バイ・サウスウエスト映画祭でゲームチェンジャー賞にノミネートされた本作。監督のオーガスティン・フリッゼルは、俳優としては15年以上ものキャリアがあるが、本作で長編映画監督デビューを果たした(続く2作目のフェリシティ・ジョーンズ主演『愛しい人から最後の手紙』は日本ではNetflix配信中)。テキサス州ダラスで育った彼女は、15歳で両親に捨てられたも同然となり、毎月の家賃の当てもなく、友人と一緒に困難な暮らしを送ってきたことから本作の着想を得ている。夫で、『グリーン・ナイト』『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(ともにA24作品)監督のデヴィッド・ロウリーと出会い、短編映画を製作するようになり、あの暗黒時代を笑い話に変えようと本作を撮影したという。旬の若手俳優のW共演に注目主演はマイア・ミッチェルとカミラ・モローネ。マイアはディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーの『ティーン・ビーチ・ムービー』や、同時期に公開されたティモシー・シャラメ主演の『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』の出演などで注目を浴びる長いキャリアを持つオーストラリア出身の若手俳優。また、レオナルド・ディカプリオと交際報道が話題となったカミラは名優アル・パチーノの継娘で、「VOGUE」誌の表紙も飾ったモデルで、ブルース・ウィリス主演の『デス・ウィッシュ』などでも知られる。旬の若手俳優のW主演による、パワフルガールズムービーがついに日本に上陸する。『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』は12月、TOHOシネマズ シャンテほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Never Goin’ Back/ネバー・ゴーイン・バック 2022年12月よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開© 2018Muffed Up LLC. All Rights Reserved.
2022年09月08日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」からデビューが決定したTOP7が出演する初来日公演「青春スターTOP7初来日公演! ~日韓GFSC Charity Campaign 青春スター × 15th Special KMF 2022~」の東京2部公演を、「ABEMA PPV ONLINE LIVE(アベマ ペイパービューオンラインライブ)」にて独占生配信。「n.SSign(エヌサイン)」のカズタからコメントが到着した。「青春スター」は、「ABEMA」にて放送された日韓男女グローバルオーディション。世界中から厳選された108人がK-POPアーティストを目指して奮闘する姿や、ステージパフォーマンスなど成長過程をリアルに放送。精鋭たちのなかからデビューするTOP7が決定すると、視聴者からは祝福の声があがり「早くみんなに会いたい!」「デビュー組には脱落したみんなの分まで頑張ってほしい」と言ったコメントが寄せられていた。このたび「ABEMA PPV ONLINE LIVE」にて独占生配信する「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は、毎年、秋にK-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」「NCT 127」「NCT DREAM」なども出演した新人K-POPアーティストの登竜門「KMF」と「青春スター」がタッグを組んで開催するイベント。日本や韓国で、すでにデビューしているかのようなハイレベルなパフォーマンスが話題となり、韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなった沖縄出身のカズタ率いる「n.SSign」をはじめ、実力派の計13名が大集結。その本公演を「ABEMA PPV ONLINE LIVE」で配信するにあたり、当日は「ABEMA生放送コーナー」を設置。TOP7のメンバーが、ゲームにチャレンジしたり、事前に視聴者から募集するメンバーへの質問やリクエストにステージ上で答えるなどの特別コンテンツを予定。TOP7に質問したいことや、リクエストは「青春スター」の公式Twitterにて募集中となっている。今回の初来日公演に向けて、「青春スター」内でも活躍した「n.SSign」のリーダー、カズタは「今回、僕がリーダーと言う役割を受け持つ事になりました。最初聞いた時は、僕にできるだろうか?と心配でプレッシャーが大きかったですが。メンバーのみんなが、僕を助けながら、しっかりついて来てくれるお陰で、僕にも自信がつきました」と明かし、「僕は本気でn.SSignの最初のスタートを日本で成功させたいと思っています」と語り、「僕たちもKMFのためにたくさん準備しているので、たくさんの応援をよろしくお願いします!」とエネルギッシュにコメント。「PRODUCE 101」シリーズの辛口トレーナー、元「SISTAR」のソユさんが「オーディションを見たなかで1番」「このレベルは初めて」と称賛したり、「もうプロ…」「天才?」とプロの先輩ミュージシャンや視聴者をうならせたTOP7たちの圧巻のステージに期待していて。出演者:青春スターTOP7■アイドル派(n.SSign):イ・ハンジュン、カズタ、チャン・ヒウォン、チョン・ソンユン、パク・ヒョン、ヤン・ジュニョク、ユン・ドハ■ボーカル派:キム・テヒョン、ヒョン・シニョン、ペク・ヒヨン■シンソン派:キム・ジョンハン、キム・プルム、リュ・ジヒョンABEMA PPV ONLINE LIVE「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は10月8日(土)18時30分(開場)/19時30分(開演)より独占生配信。(text:cinemacafe.net)
2022年09月08日自分はどんな人間なのか。どんなふうに生きていきたいのか。自我に目覚め、夢と希望を抱いて成長していく若者たちを描く青春ドラマ。こうした青春の物語は何も10代だけのものではなく、さまざまな経験を得たからこそ大人になって初めて知る本当の自分や、現実味を帯びる恋愛、夢や理想の形がある。いま放送・配信されているTVドラマや配信番組から、そんな作品をピックアップした。スタートアップ企業の成長ともリンク「ユニコーンに乗って」教育系スタートアップ企業「ドリームポニー」を立ち上げた女性CEO・成川佐奈(永野芽郁)を中心に、“畑違い”の銀行から転職してきた小鳥智志(西島秀俊)、ビジネスパートナーとして佐奈の一番近くで苦楽を共にしてきた須崎功(杉野遥亮)ら仲間たちが夢に向かって生きる姿と成長を描く火曜10時枠ドラマ。教育系アプリを開発する背景やスタートアップの裏側などを垣間見ることのできるお仕事ドラマでありつつ、「ドリームポニー」の理念に賛同して集まった個性豊かな社員たちとの友情や挫折を乗り越えていくプロセス、佐奈と功(小鳥も?)の恋愛での葛藤など、“大人の青春”ドラマとして見どころ盛りだくさん。天才エンジニア役を演じる坂東龍汰ら、群像劇を盛り上げるキャスト陣にも注目が集まっている。【第9話あらすじ】早智からドリームポニー買収を持ちかけられた佐奈は戸惑いを隠せない。功や栗木も同じ想いであることを確認し買収の話を断ることに。しかし早智の「もっと先の未来は想像できているか」という言葉にひっかかりを覚えてしまう。一方、功の父・征一(利重剛)の会社が顧客情報流出トラブルに見舞われる…。「ユニコーンに乗って」は毎週火曜22時~TBS系にて放送中。シリーズ初のルールで新展開が!?「オオカミちゃんとオオカミくんには騙されない」男女両方に「恋をしないオオカミくん」と「恋をしないオオカミちゃん」がそれぞれ1人以上潜んでいる、というシリーズ史上初ルールで早くも話題。集まった男女10人は、オオカミたちの甘い誘惑や嘘に惑わされることなく最高の恋をつかむことができるのか。さらに予測不可能になった、ひと筋縄ではいかない恋の駆け引きや人間関係が見どころとなる。今回のメンバーは「ちゃんと一人ひとりのキャラクターと自分の想いをはっきりと相手に伝えられるような能力・魅力を持っている」と飯豊さんが合同取材で語ったように、それぞれの個性が際立っているのも見どころ。共同作業であるオリジナルイルミネーションの制作を通じて心の距離が近づいていったとしても、本心は一体どうなのか。また、まさかのオオカミ同士のカップルもあり得るのか。迷いや不安だらけの大人の青春が幕を開ける。「オオカミちゃんとオオカミくんには騙されない」は毎週日曜22時~ABEMAにて放送中。ヨンウとの関わりで周囲も成長「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」現在、世界的なヒットとなっている韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は、“韓国初の自閉スペクトラム症の弁護士”ウ・ヨンウ(パク・ウンビン)が1人前の大人として、また1人の弁護士として同僚や上司らと紆余曲折を経ながら成長していく姿を描く。ヨンウが弁護するのは、同性カップルや性被害に直面する知的障がい者から、犯罪に巻き込まれ我が子と離れざるを得ない母親、超学歴社会・競争社会を告発する者などさまざま。日本にも通じる現代社会の縮図のような困難を抱える者たちを弁護しながら、ヨンウ自身や法律事務所「ハンバダ」のチームたちがお互いとの関わりを通じて変わっていく姿、ヨンウとジュノ(カン・テオ)のときめきたっぷりの恋愛シーンも必見。「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」はNetflixにて配信中(全16話)。大人になった未来の自分と遭遇「ペーパーガールズ」全米ベストセラーのグラフィックノベルを実写化した本作は、少女たちの「ストレンジャー・シングス 未知の世界」であり、『パシフィック・リム』のようでもあるSF青春ストーリー。1988年、ハロウィン翌日に新聞配達をしていたエリン、マック、ティファニー、KJの4人は思いがけずタイムトラベルに巻き込まれ、1988年に帰ろうと奔走する。主人公となる4人の少女は、自尊心低めのアジア系のエリン、不良っぽく振る舞うマック、頭脳明晰なアフリカ系のティファニー、リッチな家庭育ちのユダヤ系のKJとルーツや境遇はバラバラ。大人になった自分たちの姿を知ってしまい、漠然とあった未来への憧れが砕かれながらも、初潮やセクシャリティの目覚めといった思春期とも対峙する姿は大人こそ魅了される。タイムトラベル先の80~90年代の懐かしい音楽も物語を彩る。「ペーパーガールズ」はAmazon Prime Videoにて独占配信中(全8話)。(text:cinemacafe.net)
2022年08月30日幼い頃に、友達とワクワクしながら遊んだ思い出はありますか。例えば、自分たちだけの秘密基地を作ったり、大人には内緒でこっそり遠出をしたり。そういった思い出は、大人になっても心に残っているでしょう。そんな懐かしさを感じる、押切蓮介(@rereibara)さんの漫画をご紹介します。作品に登場するのは、中学2年生の男の子たち。普段は、ゲームをして遊ぶ男の子たちですが、この日は、いつもとは違う遊び方をしたようです。男の子たちが下ったのは、川ではなく、用水路!道行く人に見守られながら、男の子たちは、ゲームでは味わえない、非日常感を楽しんだのです。さらに、用水路を下っていき…?夏にゴムボートで川下りした思い出 5/5 pic.twitter.com/LhumDuw9xZ — 押切蓮介 (@rereibara) August 21, 2022 目的地もなく、「ただなんとなくやってみる」という、勢いで行動できてしまうところが中学生らしいといえるでしょう。無事に『冒険』を終え、遠くまできた2人は満足した様子。もちろん、用水路をボートで下るのは危険なので、真似しないでくださいね!読者からは、「自分の子供時代を思い出した」という声が多く上がりました。・僕は『隣の県の役所まで、丸一日かけて歩いて行く』という、意味のないことをやっていました!懐かしいな。・私は友達と夜の学校に忍び込んでいました。夜中にプールで泳いだのがバレて、先生にも親にもめちゃくちゃ怒られた。・友達と公園で『ニンテンドーゲームボーイ』で遊んで、17時のサイレンが鳴ると帰宅していた小学生時代を鮮明に思い出した。あの頃は楽しかったな。・親になった今、自分の幼少期を思い出すと、我が子がとんでもない遊びをするのではないかと、ハラハラします…!時代は変わっても、子供たちは、ワクワクする遊び方を自分たちで見つけるもの。ちょっとした『冒険』はその後、子供たちが大人になっても心に残り続けるのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2022年08月23日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中で遊んだゲームの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「大学生のころ、同級生たちはディスコで遊んでいましたが、私はファミコンに夢中になっていました。今でもスマホで面白そうなゲームを見つけると“やってみたいなぁ”と思うんですが、時間を忘れて夢中になってしまうし、どんどん課金してしまうだろうから、なかなか手が出せなくて(笑)」そう意外な一面を告白するのは、女優の麻生祐未(59)。’63年に大阪府で生まれ、長崎県の田舎町で育った彼女がゲーム好きになったのは「とにかく地味な性格で、おしゃべりも得意じゃなかったから」だと振り返る。「実家は市の中心部から離れた山の麓。最寄り駅の近くには牛とか馬とかがいて、バスは2時間に1~2本しか来ないような場所だったんです」高校では美術部に所属。大勢で遊ぶより、放課後、黙々と絵を描いているほうが性に合っていたという。当然、テレビに映る華やかな芸能界は別世界だった。「そもそも実家のあたりは映るチャンネルが少なく、ほとんどドラマを見た記憶がないんです。よく見ていたのは『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)のような歌番組くらいでした」そんな高校生活を終え、大学進学を機に上京。「自分が学びたいと思う先生がいる学校ばかりを受験して、合格したのが青山学院大学。田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』(’81年)の主人公が通っていたとされる学校です」東京随一の流行の発信地である青山での大学生活は、田舎育ちの彼女にとって驚きの連続だったという。「学校の制服しか持っていないような高校時代を過ごしていたので、ファッション誌からそのまま抜け出てきたように洗練された青学生は、異世界の住人のよう。とくに驚いたのは、授業が終わると、正門の前に男のコたちのカッコイイ車がずらりと並ぶ光景。しかも、女のコたちが慣れた様子でその車に乗り込んでいくんですね。“この先、東京でどうやって生きていけばいいんだろう”って、愕然としました」同級生に気おくれしつつも、クラシックやジャズのピアノが好きで、音楽に携わる裏方の仕事をしたいという夢を、しっかりと抱いていた。「今、私が所属している芸能プロダクションに、電話番などの雑用アルバイトとして雇ってもらったんです」■親指にコントローラーの十字キーの痕が大学の勉強とアルバイトに追われ、サークルに入る余裕はなし。世は女子大生ブームなのに、「地味な学生生活」を送っていたが、’83年に大きな転機が訪れる。アルバイト先の芸能プロダクションのすすめで受けたオーディションに合格し、映画『あいつとララバイ』(’83年)で女優デビューを飾った。さらにーー。「あるとき、アルバイト先で『そういえば君、女子大生だよね。明後日の夜、空いている?』と声をかけられたんです。深夜番組の『オールナイトフジ』(’83~’91年・フジテレビ系)に出ていた女子大生が、スキー旅行で何人かけがをしたため、出演者が足りなくなったということでした。とにかく『座っているだけでいい』と言われたんですが……」いざスタジオに入ると、司会の松本伊代の横に座り、簡単な原稿を読むことに。「学校で発表するのも緊張するタイプだから『生放送でやれるわけないです』と訴えたんですが、『読んでくれるだけでいいから』って。案の定、間違えるし、つっかえるしで散々でしたが、スタッフさんは『素人っぽさがウリだから』と、許してくれました」それから間もなく『オールナイトフジ』の司会者に抜擢され、そして’85年にはお昼の連続ドラマ『幸せさがし』(TBS系)で主演に選ばれた。「とにかく撮影時間が長くて、家に帰る暇もないくらい大変。3~4カ月ほど、緑山スタジオの仮眠室で生活していました」そのような事情もあり、大学で留年を重ねていたころ、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の存在を知った。「大学とは別の、東京で仲よくなった友達がいたんですね。外食がそれほど好きじゃなかったので、お互いの家に行ってご飯を作ったり。そのコがゲームに詳しくて、ファミコンを持っていたんです」インベーダーゲームも含めて、ゲームをまったくやったことがなかった彼女がハマったのが、『スーパーマリオブラザーズ』(’85年)。「最初は下手でしたけど、上達してステージをクリアすればうれしいじゃないですか。つい指に力が入ってしまうので、親指にコントローラーの十字キーの痕がついたりしました(笑)」ロールプレーイングゲーム(RPG)の『ゼルダの伝説』(’86年)にも夢中になった。「“攻略本に頼るのは負けだ”と思いながらも、裏技を知りたいがために、結局は本に手を出してしまいました」3~4人の友人たちで集まってゲームを楽しむときは、マイコントローラーを持参。「ゲームをしながら食べられるように、ちょっとつまめるお総菜を持ち寄ったり、デリバリーのピザを頼んだり。それもすごく楽しい思い出です」その後も仕事は順調で、月9のトレンディドラマ『君が嘘をついた』(’88年・フジテレビ系)にも出演した。「私はちょっと老けて見えたのか、ドラマでは意地悪な先輩役が多かったですね(笑)。バブル期だったので、仕事では肩パッドが入ったブランドものの服を着るのですが、プライベートは相変わらず地味で古着が好きだったので、日常と役柄のギャップがだいぶありました」そんなオンとオフをしっかりと切り替えるには、ゲームに没頭するのが何よりだったそう。「とにかく友達とゲームをやると、頭が空っぽになり、時間を忘れて朝まで楽しめるんです。気持ちもリセットできるし、最高のストレス発散法でした」新人女優としての多忙な日々を乗り切れたのは、親しい友人らと、朝までゲームを楽しむ時間を過ごしたからなのだ。【PROFILE】麻生祐未’63年、大阪府生まれ。幼稚園から高校まで長崎県で過ごす。青山学院大学在学中の’83年に映画『あいつとララバイ』でデビュー。カネボウのキャンペーンガールとしても人気を博す。9月19日放送の『三屋清左衛門残日録6』(日本映画+時代劇4Kチャンネル)に出演
2022年08月20日パパが嫌いなパパイヤと、ママに振り回されてきたママイヤ。SNSで出会った17歳の少女二人はその夏、週に1度、千葉県木更津の小櫃(おびつ)川河口の干潟で待ち合わせする――かけがえのない邂逅が胸を打つ乗代雄介さんの『パパイヤ・ママイヤ』。夏の干潟で出会った少女たち。夢のような時間に訪れた奇跡とは。本作の大きなきっかけは場所だ。乗代さんはさまざまな場所を訪れて自然を描写するのを習慣としているが、「以前から小櫃川河口の干潟は目星をつけていて、行ってみたら面白かったんです。何度も通ううちに、小説にしてもいいかなと思いました」掲載誌はいつもと異なり、純文学系ではない雑誌。そのため「いろんなリミットを外せると思った」と言うように、乗代作品の特徴だった日記や手紙といった書き手を明確にする形式や、過去作品からの引用を用いない方法がとられている。ほぼ干潟に滞在している間に書いたという本作。「夢みたいな、奇跡みたいなことを書いてみたかった。そういうことが起きる場所だと思えたんです。ここにあったペットボトルが潮の満ち干で翌日には大きく移動していて、自分がいない間も世界が動いていると気づかされたりして。そうした感動を話にしたい、という気持ちがありました。こうあってほしかった理想の青春でもあります」二人の少女の人物像については、事前に作り込まなかった。「パパイヤ、ママイヤはウルフルズの曲名からの連想です(笑)。どういう環境で育ったかよりも、二人がいて、そこで奇跡が起きるのを待ちたい、という気持ちでした」彼女たちの微妙な家庭環境は少しずつ明かされるが、卑下したり卑屈になったりしていない様子。会話は時に噛み合わず、キツイことも言いあうが、それでも言葉を重ねていく。そうしたカラリとした姿が印象的だ。二人は黄色いゴミを拾い集めるホームレスとも出会うが、この黄色がなんとも鮮烈に読み手の心に映るはず。「作中に出てくる黄色いサンダルやおもちゃなどは、実際に干潟に落ちていたものです。黄色は退色しやすいんですよね。リアルタイムの情動もやがて薄れて感動した感覚だけが残りますが、それを象徴する色でもある。でも、ただ、その記憶は別の形で残って、自分を励ますものにもなりますよね。それこそ、退色しても光として残るというか」思えばデビュー作「十七八より」でもこの年代を描いていた乗代さん。「自分は17歳の時に“人間関係はもういいや”と思ったんです。一人でいることに力を注ぎつつ、後ろ指をさされると面倒なので突っぱねることはしない、という方向性を決めた時期なので、高校2年生という年頃に思い入れがあるかもしれません」心に残る出会いがあったのも高校2年生の頃だったという。「通学の時にバスに乗るのが嫌で、学校の最寄り駅のひとつ手前の駅から自転車に乗って通っていたんです。そうしたら自転車が盗まれちゃって。いつもそばに駐輪していた人が“どうしたの?”と声をかけてきて、説明したら“今から会社に行くから自分の自転車を使っていいよ”と、鍵の番号を教えてくれたんです。それから数か月、その人が乗ってきた自転車に乗って学校に行き、下校の際に同じ場所に自転車を戻して帰っていました。その人と会ったのは最初の時だけでした。それ以来、自分も出歩く先でその人みたいにしたい、という気持ちになるんです」ほんのひとときの触れ合いが、そこからの人生の大きな力になる。夏の光のなかで起きた、そんな奇跡を体感できる一冊だ。乗代雄介『パパイヤ・ママイヤ』SNSで知り合ったパパイヤとママイヤは、夏の間、木更津の小櫃川河口干潟で待ち合わせをする。流木が折り重なり、人のいない広い景色のなか距離を縮めていく二人はやがて小さな冒険を試みる。小学館1760円。のりしろ・ゆうすけ2015年「十七八より」で群像新人文学賞を受賞しデビュー。’18年『本物の読書家』で野間文芸新人賞受賞。’21年『旅する練習』で三島由紀夫賞受賞。著書に『最高の任務』など。※『anan』2022年7月13日号より。写真・北尾 渉(乗代さん)中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2022年07月11日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週ドキドキしながら見たドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。■見ていてつらくなるほどリアルな日常が舞台’79年に放送がスタートした『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)は、その後、32年にわたり、断続的に第8シリーズまで制作された人気作品。ドラマは開始直後から高視聴率をマークし、撮影場所には出演者見たさに、女子中高生が押し寄せたという。番組からは数々のスターも輩出されたが、その筆頭格がたのきんトリオだ。「ある歌番組の中でトシちゃん(田原俊彦)が、武田鉄矢さんと電話で話す企画があったんです。人気絶頂のトシちゃんに、武田さんは『最近、歌番組で調子に乗っていないかスタッフに聞いてみたんだが、ちゃんと周りに気を使えているみたいだな。いいやつだな』と、本当の先生のようだったのが印象に残っています(笑)」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。いまだに“武田鉄矢=金八先生”というイメージが定着しているのも、ドラマにリアリティがあったからこそ。「『おれは男だ!』(’71~’72年・日本テレビ系)といった’70年代の学園ドラマは、全体的にコメディタッチで描かれることが多かった。困難にぶち当たっても、汗をかき、ときには“取っ組み合い”をして、情熱と根性で解決していました。一方、『金八先生』は、ごく普通の生徒の中に、問題行動があったり、貧困家庭だったりする子どもがいる、リアルな“中学の日常”が舞台。“力技”で問題が解決するわけではなく、『人という字は、人と人とが支え合ってできている』といった名言で知られるように、金八先生は必死でクラスを一つにまとめていきました」移り変わる時代に即したテーマが扱われているのも、大きな特徴。「校内暴力や非行、家庭不和、管理教育から性同一性障害まで、多岐にわたりました。第1シリーズでは杉田かおるさん演じる浅井雪乃が、15歳で妊娠、出産するストーリーが衝撃的でした。第2シリーズの見どころは、『腐ったミカンの方程式』『卒業式前の暴力』などの回で中心となった不良少年・加藤優。学校で問題行動を起こし、中島みゆきの『世情』が流れる中、手錠をかけられるシーンは忘れられません。とくにいじめのシーンなどは、見ていてつらいものがありました。こうした題材にも真正面から取り組む、原作・脚本を手がけた小山内美江子さんや制作スタッフの気概を感じさせられました。単なる学園ドラマではなく、ヒューマンドキュメンタリーに近い作品だったのではないでしょうか」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年06月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、支えになった音楽の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう――。■『君は天然色』は日本のポップスの夏の代表曲「大瀧詠一さんというと、若い方はドラマ『ラブジェネレーション』(’97年・フジテレビ系)の『幸せな結末』(’97年)を思い浮かべるかもしれませんが、’80年代に青春時代を過ごした人にとっては、やはりアルバム『A LONG VACATIONA』(’81年)の印象が強いのではないでしょうか」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。同アルバムには『君は天然色』や『カナリア諸島にて』『さらばシベリア鉄道』など、今も歌い継がれる名曲が収録されている。「日本のポップスの冬の代表曲が山下達郎さんの『クリスマス・イブ』(’83年)なら、夏は『君は天然色』でしょう。現在まで多くのアーティストによって歌われ、CMにも何度も使われています」また、イラストレーターの永井博氏による、真夏のプールサイドを描いたリゾート感あふれるジャケットがおしゃれでカッコよく、“ジャケット買い”した人も多かったはず。「まさにインテリアになるデザインでした。当時を象徴するイラストレーターとして、永井さんをはじめ、わたせせいぞうさん、鈴木英人さんらの名が挙げられます」アメリカンポップスに衝撃を受けた大瀧詠一さんは’70年、バンド「はっぴいえんど」の一員としてデビューを果たした。「細野晴臣さん、松本隆さん、鈴木茂さんという、今思えばそうそうたる顔ぶれ。楽曲は洋楽からの影響をかなり感じさせました」はっぴいえんど解散後もソロで音楽活動を続け、最初のヒットとなったのが太田裕美が歌った『さらばシベリア鉄道』(’80年)だ。「’80年代は、さまざまなミュージシャンに楽曲を提供しました。松田聖子さんの『風立ちぬ』(’81年)も大瀧さんならではのリズム。森進一さんが歌った『冬のリヴィエラ』(’82年)は、演歌とポップスが融合し、新たなファン層の獲得にもつながったはずです」意外なところでは、『オレたちひょうきん族』(’81~’89年・フジテレビ系)から生まれたコミックソング『うなずきマーチ』(’82年)の作詞・作曲を手掛けている。一方、名曲『夢で逢えたら』(’76年)も、吉田美奈子の後、ラッツ&スター、薬師丸ひろ子など数多くのアーティストがカバー。「’13年、大瀧さんは突然、亡くなってしまいました。葬儀に参列された方によると、会場では『夢で逢えたら』が流れていたそうです」数々の名曲は、今でも私たちの心を揺さぶる。
2022年03月13日気軽になんでも話せる学生時代の友人。でも、就職して、家庭を持って、子どもを産んでと、ライフステージの変化のタイミングで、昔のような関係を維持するのが難しくなることも…。今回ご紹介するエピソードは、学生時代の友人がママになって、マウントをとってくるようになったというお話。皆さんは、学生時代からの友人はいますか?■親友だったはずなのに…友人のマウントに困惑これは、高校時代の友人グループで関係がこじれたときのお話です。仲良し4人グループの中でいちばん最初に結婚&出産したのはリサでした。リサが出産した5年後に私は結婚して妊娠し、そのタイミングでリサはふたり目を出産。リサの発言に気になるところはあったものの…リサのふたり目の出産祝いを兼ねて久々に集まった4人ですが…。リサの言動にイライラしてしまう私。いつもは楽しいはずの食事が、その日はなんだかモヤっとした感じで終わったのでした。そして、無事出産を終えた私は、復職前に子どもと一緒に4人で会ったのですが…。またしてもリサの発言にトゲを感じました。もう会いたくない…リサに対する気持ちが、私のなかで少し変わっていきました。さらにリサは会っているときのみならず、嫌味なメッセージを送ってくるようになってきて…。(リサはなぜこんな発言をするの? 続きはウーマンエキサイトに掲載されています!)このエピソードに集まった読者の意見は? ■学生時代の友人と昔と変わらぬ関係は築ける?毎日楽しかった同じ学校の仲間との良き思い出。だけど、卒業して、ライフステージが変わると、その関係は変わっていくもの。もちろん、学生時代より今のほうが良い関係が築けているという方もいることと思いますが、読者の皆さんはどうなのでしょうか。・この年齢(50)になり、ようやく何か落ちたように軽くなり、学生時代の友達と昔のように話をすることに幸せを感じられています。それぞれの事情を察し、深入りすることなく、それでもお互いを案じることができて、とても心地よい年代になりました。ただ、やはりそれもいろいろな経験があったからこそだと思います。・最後は本音が言い合えて仲直りできてよかったです。けれど、彼女たちのように喧嘩してまた修復している仲はある意味羨ましくもあります。私も高校からの友達がいますが、お互いあまり胸の内は明かさないような仲です。喧嘩はしませんが、同時に特にすごく仲が良いかと言うと答えに詰まります。コロナや結婚出産とお互いライフスタイルが変わったためここ数年は会っていませんが、長年付き合える友達って本当貴重なんだなとこの漫画を見て改めて感じました。・男性に比べて女性の人生ステージは多種多様。独身か既婚者か。子有りか子無しか。専業主婦か兼業主婦か。旦那が高収入か。その都度、戸惑い悩み過ごしていく。正解はない。その中でどうしても妬みや面白くない感情がわき出るのも事実。人間性は変わらずとも変化はしていくもの。人間は1人では生きれない。いろんな縁が絡まって友達になった人は大切にしたい。・学生時代の友人と就職や結婚などのタイミングで関係が崩れることがあったので、共感しながら読んでました。私はけっきょく関係をダメにしましたが、今までが仲が良かったので、何かと気にはなってます。だから、主人公がリサのことを気にする気持ちもわかるので、複雑な想いで読みました。・このエピソードは上手く行ったケースだと思いますが、やっぱり学生のときの関係と就職、結婚、出産とそれぞれライフステージが変わることによって友達との関係もギクシャクすることはあります。就職先や結婚相手、収入、子供の成長などを比べるつもりはなくても、やっぱり気にはなるし、こちらが気にしていなくても相手から過剰に反応されたり。マウントを取ってくる人とはもう付き合いたくないな、と思いますが、こちらがマウント取っているつもりがなくてもそう取られると、この記事のケースもそうですが、自分のコンプレックスとかなら自分で何とかしてよって思っちゃいます。自身の経験を照らし合わせた上で、無理してまで学生時代の友人と付き合うことはないのでは? といった意見も届きました。・私も同じ経験あります。友達の中で最後に結婚して、子どもが出来たので、経験者としてアドバイスをもらいましたが、良い方があまり気持ち良いものではなく、妊娠中だったので大変ストレスでした。そしてウチは、旦那さんの実家でお義母さんと同居でしたが、その家の大きさや彼のクルマに対してもマウントがあり、嫌な時が多々ありました。今は、まったく連絡を取っていません。家族がいれば、私は良いです。・私はこういう思いをしたくないので、幼稚園から中学生迄の幼なじみとは縁を切りました。価値観も合わなかったので。今は同じ職場で働く先輩ママさんと一緒に居るのがいちばん気楽でいいです。・お互いマウント取り合ってるって、他の友達から教えられても嫌な思いしてるなら、友達関係を清算していいと思う。学生時代の友達グループでいつまでも付き合い続ける意味がわからん。個人で付き合いたい人とだけ付き合うのが、自分の精神面で楽だし。合わない人とは、無理してまで付き合いたくもない。・かつては気の合う友達だったにせよ、時間が経って価値観など合わなくなることもあります。最後にあるように、一度話し合ってみて、それでもお互いに理解できない譲歩できないのであれば交流を絶つのもひとつだと思う。たしかに、学生時代の友人と今も変わらぬ関係を築けるのは理想とも言えますが、それぞれ就職したり結婚するなかで、価値観も変われば、共有したいことも変わってきますよね。その中で、一緒にいて居心地のいい相手と付き合っていけばいいのではないかなと、皆さんの感想を拝見して思いました。ウーマンエキサイトでは、ママ友やご近所さんなど、人付き合いに関するエピソードを多数紹介しています。▼漫画「先輩マウントを取ってくるママ友」
2022年03月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になった映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「先日、『トップガン』(’86年)がテレビ放送されていたので、おじいちゃん、私たち夫婦、2人の子どもと一緒に見て、3世代で楽しめました。トム・クルーズを見て『この人、めちゃくちゃカッコいいね』と言う中1の娘に、なぜか私も誇らしく『そうでしょ!』って答えてしまいました」そう語るのは、女優で、日本RV協会でキャンピングカーアンバサダーを務める田中美奈子さん(54)。幼いころから芸能界への憧れを抱いていたという。「小学校低学年のときはパン屋さんになりたかったのに、テレビでピンク・レディーを見て衝撃を受け、“私も歌手になりたい!”と路線変更。友達と振りマネをして、テレビのちびっこモノマネ番組に応募したこともありました」’80年代になると、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)で、松田聖子などアイドルたちがコントに挑戦する姿を目にするようになり、“あの番組に出たい”と芸能界への憧れが強くなった。「人を笑わせるのも大好きでした。だから、視聴者が芸を披露したり、ゲームに挑戦して賞金がもらえる『所ジョージのドバドバ大爆弾』(’79~’81年・テレビ東京)にも出演したかった。体操服を着た女の子がハードルを跳ぶヨーグルトのCMがあったのですが、クラスの子と一緒に、そのCMをコメディ風にしたネタを考えたりもしました。トイレットペーパーを芯になるまで誰が早く巻き取るか、競争するゲームが番組内にあったので、母に隠れながら練習したり」■アイドルになってお母さんに家を建ててあげたかっただが、なかなかテレビに出演する機会には恵まれなかった。「それでもクラスの子たちは私が芸能界に憧れていることを知っていたから、’84年に『ミスマガジン』に応募したときもすごく協力してくれて。みんなが知り合いにまで頼んで、最終的に1万通あまりの応援はがきが集まったのですが、グランプリは取れませんでした」手が届きそうでありながら、なかなか届かなかった芸能界。でも諦めることはなかった。「小4のときに両親が別居して、翌年に離婚。私はおばあちゃんに面倒を見てもらい、母は朝から晩まで働いていました。だから“アイドルになって、お母さんに家を建ててあげたい”という夢もあったんですね」高校時代は週に1回、千葉の学校からスクールバスと電車を乗り継ぎ、片道2時間かけて六本木まで歌のレッスンに通った。「いつも遅刻ギリギリで、六本木の芋洗坂を吐きそうになりながら全力疾走していたことを、今でも思い出します」音楽の趣味が洋楽になったのも、このころ。「母が再婚して、2番目の父ができたのですが、洋楽関連の仕事をしていて、コンサートのチケットをよく取ってくれたんです。当時はマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソン、マドンナ、フィル・コリンズ、ワムなどが人気で、MTVも欠かさず見ていたし、来日コンサートがあれば、必ず行きました。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージの色気のある声が好きで、『カーマは気まぐれ』(’83年)は、いま聴いても気持ちが上がります」映画も洋画を見に行くことが多かった。なかでも高校卒業の翌年に公開された『トップガン』は忘れられない作品だ。「確か錦糸町の映画館で見たと思います。とにかくはやりましたよね。男子はみんなMA-1を着て、レイバンのサングラスをして。トム・クルーズが映画で身につけていた軍の認識プレートは、私も持っていました。戦闘シーンの撮影はアメリカのサンディエゴで行われたそうですが、うちの夫が以前、その基地の近くに住んでいたんです。私も実際に現地まで行って、あの爆音を近くで聞いてみたい!と、いまだに思っています」映画音楽もまた魅力的だった。特にテーマ曲になっている、ケニー・ロギンスの『デンジャー・ゾーン』が好きだったという。「あの曲を聴くと、血が騒ぐというか、生命力が湧き上がってきて、“自分も何か大きなことができるんじゃないか”と思えるんです。『フラッシュダンス』(’83年)もそうですが、サクセスストーリーで、夢がありましたよね。当時の映画や音楽には特に、人の背中を押してくれるパワーがあったと思うんです」■イエイエガールズのオーディションはスタイル抜群の受験者ばかりおかげでレナウンのキャンペーンガールを務める「イエイエガールズ」のオーディションにも、前向きに取り組めたと田中さん。「前年まで『イエイエガールズ』はモデルさんが務めていて、身長も167センチ以上必要だったのですが、私が挑戦した年は歌手志望の女性も募っていて、身長制限がなかったんです。ところが選考会場に集まっていたのは、目がぱっちりで背が高く、スタイルのいい人ばかり。“それでも、絶対に受かる!”という意気込みで、オーディションに臨めました」こうして’87年、オーディションを初めて突破し、芸能界の舞台へ上がったのだった。それからはテレビドラマの仕事が徐々に入るようになり、中山美穂主演の『君の瞳に恋してる!』(’89年・フジテレビ系)など、話題の“月9”にも出演。多忙を極めるように。「ゴルフトーナメントの会場で優勝者に花束を渡すためだけに、ドラマの撮影現場からヘリで移動して、トンボ返りしたことも。『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(’89~’90年・テレビ朝日系)の撮影のとき、現場に入る車の中で、私があまりにもぐったりしているのを見た渡哲也さんが、心配して『誰だっ、美奈子をこんなにしたのは!今日は休ませる』と、撮影を中止にしてくれたこともありました」そして’89年には『涙の太陽』で念願の歌手デビュー。数々の人気ドラマへの出演もかなえた。こうして芸能界という夢の舞台で活躍するようになった田中さん。’00年代に入ったころ、当時の事務所スタッフのつながりで、デビュー前に勇気を与えてくれたトム・クルーズと食事をする機会が訪れたという。「おすしを食べるお誘いの電話があったのですが、仕事が重なっていて出られず……(涙)。ちょうどその時期、トム・クルーズは独身だったので“あのときご一緒していればなぁ”なんて妄想したりして(笑)」『トップガン』を見るたび、千載一遇のチャンスを逃がしたことを思い出すのだった。
2022年02月13日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、音楽と一緒に歩いた青春時代の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「高校生のときにウォークマンを買ってもらってからは、オリジナルテープ作りが楽しくて!できあがったテープは友達と貸し借りするのですが、どんな選曲をしているかでセンスも問われるので、かなり真剣でした」こう語るのは、女優の加藤貴子さん(51)。「’80年代、私は10代。まさに思春期を過ごした時代です。テレビにも映画にも雑誌にも、すべて勢いがあって、そこから得られるアイドルや音楽の情報はエネルギッシュで刺激的でした」そんな加藤さんが生まれ育ったのは、現在の静岡市清水区。「昔は“清水市”で、私の5歳上の姉は漫画家のさくらももこさんと高校時代、同級生。なので、『ちびまる子ちゃん』の世界そのまま。原っぱで夕方まで遊んでいると『ご飯だよー』という、母の大きな声が聞こえるような、のほほんとした田舎町が私の原風景です」小学生時代の楽しみは、土曜に『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)と『Gメン’75』(’75〜’82年・TBS系)を続けて見ること。「でも、『Gメン』の途中で眠くなって、全部見られないことがほとんど。夏休みや年末に親戚の家に遊びに行ったときは、ちょっとエッチな話題も多かった『テレビ三面記事ウィークエンダー』(’75〜’84年・日本テレビ系)の放送時間まで起きて、こっそり見たりしていました」■当時は学生鞄をお風呂に浸けて、ペラペラにするのがカッコよかった木曜の『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)も欠かさなかったが、夜9時から始まるため、後半は眠たくなった。「初めてアルバムを買ってもらったくらい寺尾聰さんの大ファンで、『ルビーの指環』(’81年)のリクエストはがきを書いたりもしたのですが、上位に来るので起きていられないんです。当時、わが家にはまだビデオデッキがなくて、音楽を録音するのは睡魔との闘いでもありました」テレビから録音すると、必ず雑音が入ってしまうもの。「急に好きな曲が流れ始めて、慌ててその辺にあったテープで録音したら、お姉ちゃんのもので、『なんで私のを使うの!』って怒られたこともありました」そんな失敗から、音楽はレコードから録音することに。「レコード針を落としたときのプツッていう音が好きで。にもかかわらず乱暴に置いてしまうものだから、針をすぐにダメにしていました。今はスマホで簡単に曲が聴けますが、当時は1曲を手元に残すために、すごく苦労して」小学校の高学年のころには、’80年代初頭に名古屋で火がついた「なめ猫」ブームが全国に広がり、原宿の「竹の子族」出身の沖田浩之さんがデビュー。管理教育への反発から、全国的に学校が荒れて、社会問題化した。「ドラマ化された『今日から俺は!!』(’18年・日本テレビ系)のような世界観が、カッコよかった時代。お風呂で湯船につかりながら、カバンをギュッと抱いて潰して、ペラペラにしたのを学校に持っていくのがはやりましたよね」中学時代も聴く音楽は、松田聖子やチェッカーズなど『ザ・ベストテン』に登場する曲がメイン。「卒業のタイミングで斉藤由貴さんの『卒業』(’85年)を聴いて、歌の世界を自分に置き換えてみたりもしました」■思い出たっぷりのカセットが、数年前まさかの事態にそして、高校合格のご褒美に買ってもらったのが、ポータブルカセットプレーヤーだ。「まわりの友達が持っていて、すごくうらやましかったんです。街を歩いたり、公園のベンチに座ったりしながら音楽を聴けることが、当時は本当に画期的で。学生服のポケットにウォークマンを入れて、音楽を聴きながら歩いている男子が、それだけでカッコよく見えたりもしました。私は高校まで通う電車の中で音楽が聴きたくて、それでソニーの白いウォークマンを買ってもらったんです」放課後、サッちゃんという仲のいい友達と、それぞれテープを持ち寄り、1台のウォークマンで、片方ずつイヤホンを使って聴いたりしたという。「そのサッちゃんに『こんなアルバムがあるんだよ』と勧められたのが、麗美さんの『“R”』(’84年)。麗美さんは松任谷正隆さんが手がけ、ユーミンも楽曲を提供してデビューした、沖縄出身のアーティストです。私は『My Sanctuary』(’86年)というアルバムの中の『Just Only You』という曲がとくに好きでした。この歌詞にあるような、夕陽がさす放課後の図書室で憧れの男子が読書している姿をそっと眺めるといった、いわば疑似恋愛をしながら、“これが青春だ”なんて満足していましたね(笑)。大好きな音楽をイヤホンで聴いていると、周囲から遮断されて、自分だけの世界に入り込める。それが心地よかったんです」高校時代は、ウォークマンで聴くためのオリジナルテープ作りにも没頭した。「バンドブームだったのでレベッカやBOOWYも入れましたし、『ベストヒットUSA』が人気で、満足に英語がわからないながら、マイケル・ジャクソンやマドンナの曲を集めて作ったりもしました。お気に入りの曲は、間違って上書きしないようにカセット上部のツメを折っておくのですが、どうしてもそのカセットに別の曲を録音したくなったときは、ツメの部分にテープを貼って使いました。いろんなカセットテープが発売されていたけど、私はスケルトンタイプでかわいい色のものが好きでしたね。曲名などを書き込んでカセットケースに入れる『インデックス』も、文房具屋さんによく買いに行っていました」時間をかけて選曲し、入れる順番に悩み、インデックスにまでこだわったオリジナルテープは、大切な宝物だ。しかしーー。「かわいいクッキーの缶に入れて、実家の倉庫に保管しておいたのですが、数年前、親に断捨離されていて……。愕然としました」だが、多感な時期にテープ作りで磨かれた個性は、体にしっかりと刻み込まれているはずだ。
2022年02月06日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に家族で盛り上がったクイズ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「’88年に朝ドラ『ノンちゃんの夢』(NHK)でドラマデビューした後、民放初挑戦はフジテレビでした。『君の瞳に恋してる!』『愛しあってるかい!』(ともに’89年)など、トレンディドラマに出させてもらった関係で『なるほど!ザ・ワールド』(’81~’96年)には、番宣のため、何度か解答者として出演しました。一度は優勝して、発売されたばかりのハンディカムを賞品としてもらったんです」こう語るのは、女優の藤田朋子さん(56)。幼いころから演じることは大好きで、お遊戯会や学芸会を楽しみにしていた一方、アイドルよりもゴダイゴ好きの、ちょっと変わった女のコだったという。「ゴダイゴが音楽を担当していた『キタキツネ物語』(’78年)を学校の行事で見に行ったのが“出会い”。たまたまその日の夜、テレビをつけたら赤いチャイナ服を着たおじさんが『アチャー!』ってシャウトしているのを見て、すぐにファンになったんです」アイドル全盛期の’80年代初頭、藤田さんはゴダイゴの『OUR DECADE』(’79年)を聴き込んでいたという。「中学のクラスメートにはマッチやトシちゃんが好きなコが多かったけど、“ちょっと人とは違う”というのがカッコよく思えて、少し遠巻きに見ていた部分が、私にはあったんですよね(笑)」ゴダイゴへの強い思いから、プロデュースや作詞を手がけていた奈良橋陽子さんが主宰する英語塾の門をたたいた藤田さん。「中3だったのに、受験塾じゃなく、英語劇をする塾に通い始めたので、友達からはびっくりされました。“タケカワユキヒデさんに会えるかも”って、中学生ならではの勝手な妄想を膨らませていたんです」■オーディションにはことごとく落選、それでも開いた朝ドラヒロインへの道英語劇を通じて、藤田さんは演じることへの興味をますます深めていく。「『De☆View』(勁文社)という雑誌を見て、舞台や映画に出演できるオーディションを中心に受けました。でも、ことごとく落ちてしまったんです」当時“視聴率100%男”と言われていた萩本欽一の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81~’83年・フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)』(’76~’86年・テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(’82~’85年・TBS系)を欠かさず見ていた。「それで日曜は欽ちゃんが司会の『スター誕生!』(’71~’83年・日本テレビ系)。とにかく欽ちゃんが大好きで『週刊欽曜日』の欽ちゃんバンドオーディションにも応募しました。落ちてしまったんですが、そのことを後に欽ちゃんにお話しすると『それはよかったね』と(笑)。落ちたからこそ、女優として大きな経験となる朝ドラにつながったんだという、欽ちゃんならではの、やさしい表現でした」オーディションには落ち続けたが、舞台に立ちたい思いは失われなかった。ただ、プロへのこだわりはそれほど持っておらず、ダメなら普通に就職して、社会人の演劇サークルに入ろうとも考えていたという。そんな藤田さんが大学時代、体育館で英語劇の稽古をしていたときのこと――。「2人1組になり、1人が体育館の端から端まで向かっていき、もう1人がそれを阻止する。阻止されずに向かい側の端までたどり着けたら、夢がかなうという設定のゲームをしたんです。私は役者になりたいという夢を描いて向かい側を目指したんですが、結局、たどり着けず、くやしくて泣いてしまって。それを奈良橋さんは『いいよ』と褒めてくださいました。役者への思いがそれほど大きかったことに、気づかされた出来事でした」ようやくオーディションで合格を射止めたのは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』。21歳のときだった。「公演の1年前に決まって、それからは有名無名問わずカンパニー全員が集められ、絆を強めたり、作品への造詣を深めたり、発声練習をして、どのように声帯を動かすのが医学的によいかといったことまで学びました。斉藤由貴ちゃんと私がいちばん若くて、みんながすごくかわいがってくれました」ミュージカル出演後、朝ドラ『ノンちゃんの夢』のヒロインに抜擢され、知名度は全国区に。「いえいえ、私自身はあんまり気づかれることもなかったんです。『愛しあってるかい!』では、陣内(孝則)さんや柳葉(敏郎)さん、キョンキョン(小泉今日子)などすごい人たちが一緒だったので、京都のお土産屋さんでのロケなど、人が集まりすぎてしまったこともありました。危ないので、裏口からこっそり1人ずつ出たのですが、私が乗ったタクシーの運転手さんは私にまったく気づかず、『前のタクシーに小泉今日子が乗っているんだよ』なんて教えてくれたぐらい(笑)」■レポーター業務に活きた語学力 英語で悪口を言う現地スタッフもお見通しこうしたトレンディドラマの番宣で、開始当初からよく見ていたクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』への出演もかなった。「司会の愛川(欽也)さんにくらいついて正解が出るまで何度も答えてしまったり、逆に愛川さんがヒントを出しすぎてしまったり(笑)。賞品が豪華だったので、みんな必死でした。愛川さんとは『渡る世間は鬼ばかり』(’90~’11年・TBS系)でも共演しました。『なるほど!ザ・ワールド』は、いつも気にかけてくださる大事な先輩との、出会いの場ともなったのです」’90年代には、同番組のレポーターの仕事も、藤田さんの元に舞い込んだ。「当時は女優さんが素を見せるのはタブーという考えが根強くて、レポーターの仕事を断っていた人もいっぱいいたそうです。私も悩んだんですが、ある先輩に『ダメならやめればいいし、とりあえずやってみたらいいんじゃないか』とアドバイスされて、挑戦してみることにしました」ほかの番組の海外ロケと重なり、3週間で21回も飛行機に乗って、世界を巡った。現地では英語劇で学んだ語学が生かされたという。「飛行機の遅延、ロストバゲージなどのトラブルに、スタッフと一緒に対応したり、英語がわからないと思って、私たちの悪口を言っている現地スタッフには『ちゃんとわかっているよ』と伝えたりもしました(笑)。女優とはまったく違う仕事でしたが、人間として成長できたというか、幅が広くなったと感じます。『なるほど!ザ・ワールド』は、“未経験でも、まずはやってみる”という、私の人生訓を与えてくれた番組でもあるんです」
2022年01月16日若さ、熱意、葛藤……ツウなあの人にとって青春って何だろう?ナルホドのセレクトから意外な一作まで。読めば、観れば、きっと誰かと“青春”したくなる、そんな偏愛作品について熱く語ってもらいました!ここでは、フリーアナウンサー・宇垣美里さんの“私の青春作品”に注目!フリーアナウンサー・宇垣美里さんの“青春作品”『スキップとローファー』思いがけないところから人間関係が広がっていく。私は漫画が大好きで、ジャンルを問わずさまざまな作品を楽しんでいるのですが、ここ最近は淡い恋愛だけでなく人と人とのつながりを描いた少女漫画が増えてきているように感じます。自分の青春時代を振り返ってみても、決して恋愛のことだけを考えていたわけではないし、実は中高生にとっては友達同士の人間関係の方が重要だったりしますよね。漫画の中で描かれている人間関係の築き方は、大人になった今でも学ぶべき点がたくさんあるんです。そんな中、特に心を掴まれたのが『スキップとローファー』。石川県の田舎から東京の進学校へ入学した主人公・みつみちゃんは、朴訥としていて一生懸命で、人と接する上で垣根があまりないタイプ。そういう彼女がクラスにいることによって、初めは雰囲気の違いから苦手意識を感じていた子たちも、「話してみたら気が合うじゃん!」って気づけたりして、思いがけないところから友情の輪が広がっていくんです。大人になったらわかるけど、「雰囲気が似てるから」や「趣味が同じだから」とかじゃない友達って、とても貴重じゃないですか。作中でも、みつみちゃんと同居するおばのナオちゃんが「誰かと本当の友達になれるチャンスってそうそうないのよ」と言っているシーンがあり、強く頷きました。出会いをきっかけに新しいことにチャレンジしたり、みんなにポジティブな変化が起こるのは、まさに人と出会えた時の醍醐味。それって一人っきりでは到達できないことだなと思います。中学生の頃に読んだ『ぼくは勉強ができない』も、同じく読んでいて世界が広がるストーリー。先生をはじめとする大人たちとの対話も心に残り、立場の違う人と関わることによって自分の気づきが増えるということを知りました。自分という存在がまだ固まりきっていないからこそ、いろんなことを柔軟に受け入れたり、大人が当たり前だと思ってしまうようなことにも「なんで?」と疑問を抱けたり。そういうピュアな姿勢には青春を感じますね。私自身も高校時代の友人とはとても仲が良くて、今でも頻繁に遊んでいます。それぞれが違う進路を選んでタイプの違う大人になりましたが、何者でもなかった頃に出会った子たちはいつ会っても居心地がいいなとしみじみ感じます。仕事では老若男女さまざまな方にお会いしますが、常に意識しているのは、相手に対してあまり先入観を持たないようにすること。初めは合わなさそうだと思っていた方と親しくなれたこともあるし、話してみないとわからないことも多いと思うんです。『スキップとローファー』高校入学を機に上京した、成績優秀だけどどこか天然な岩倉美津未。彼女のまっすぐな言動が、周囲の人の心に変化をもたらしていく。高松美咲/講談社1~6巻726円・748円©高松美咲/講談社『ぼくは勉強ができない』勉強は苦手だがサッカーが得意で女性にモテる、主人公の時田秀美。学校に居心地の悪さを感じる彼の大切なものはすべて、学校の外にある。クールな彼が、時に悩みながら躍動する青春小説。山田詠美/新潮文庫473円うがき・みさと1991年、兵庫県生まれ。フリーアナウンサー。『週刊SPA!』や『週刊文春』では趣味を生かした執筆も行っている。近著に『今日もマンガを読んでいる』(文藝春秋)などがある。※『anan』2022年1月12日号より。イラスト・アボット奥谷取材、文・大場桃果(by anan編集部)
2022年01月11日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう--。「マッチさんのファンになったのは、『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)がきっかけだったと思います。主演の映画『ハイティーン・ブギ』(’82年)は前売券を買って、ちゃんと座って見られるように、朝早くに映画館に行って並んだのを覚えてます」そう語るのは、渡辺美奈代さん(52)。’80年代、アイドルのファンになるきっかけは、テレビが与えてくれた。「4つ上の姉が郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんの新御三家が好きで、よく一緒にテレビで見ていました。でも私にとっては少し大人すぎて、あまりときめかなくて。そんなときデビューしたのが、松田聖子さんやたのきんトリオさんで、すぐファンに。聖子ちゃんの『青い珊瑚礁』(’80年)やアルバム『Pineapple』(’82年)、マッチさんの『スニーカーぶる~す』(’80年)、『ギンギラギンにさりげなく』(’81年)など、レコードも何枚か買ってもらえましたが、やっぱり高価だったので、歌を聴くのは『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)や『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)でしたね」当時、アイドル雑誌のグラビアページを切り抜いては、透明の下敷きに挟んで学校に持っていったものだ。「アイドルグッズもはやっていて、私も黒地に金色の文字で『近藤真彦』と大きく書かれた鉛筆を持っていました。それが先生に見つかると『君の名前は近藤じゃないだろう』って怒られるんですね」■怖いもの知らずだった当時。水着審査で選んだのはビキニ!’82年には中森明菜や小泉今日子らがデビュー。アイドル全盛期が訪れていた。「なんせ愛知県の田舎育ちなので、そんな華やかな世界はテレビの中だけ。中学時代の生活の中心は、卓球部の厳しい部活動で、土日にも試合がありました。そこそこの選手だったんですよ(笑)」中3で引退すると、放課後の時間を持て余すように。だが、まだアルバイトもできない中学生。“何か習い事でもしたいな”と思っているとき、名古屋のタレント養成所の募集記事が目に入った。そこに合格してしばらくすると、養成所の社長から「これから東京に挨拶回りに行くから、一緒に行こう」と声をかけられたという。「社長には売り出したいコがいて、たぶん、その引立て役だったと思うのですが、訪問先で『おニャン子クラブがメンバーを募集しているので、チャレンジしてみませんか』とお誘いを受けたんです」部活に熱中していたので、おニャン子クラブも、出演していた『夕やけニャンニャン』(’85~’87年・フジテレビ系)も、まともに見たことがなかったという。「それでも番組内でのオーディションコーナーに出演するため、高校進学後、2週間ほど毎日のように東京へ通っていました。ただ歌やダンスのレッスン経験がほとんどなかったから、かなりひどいものだったと思います。水着審査もあってビキニを選んだんですが、いま振り返ると、すごい勇気!怖いもの知らずだったんでしょうね」■家から学校までカメラ小僧が待ち構えていた無事におニャン子クラブに合格し、愛知から上京して、芸能人が多く通う堀越高校に編入。生活は一変したという。「学校では所属事務所の送迎が禁止されていたので、歩いて通っていたんです。ファンには住んでいた家もバレていたから、家から学校まで、ずっとカメラ小僧が待ち構えていました(笑)。人が集まりすぎて身動きが取れなくなり、近くの商店街に助けを求めたこともありました。警察を呼んでくれるのですが、“身元引受人”である事務所の人に、警察署に迎えに来てもらう姿は、補導された少女みたいでした」番組で「ケンタッキーフライドチキンが好きだ」と話すとカーネル・サンダースの人形が、「不二家のケーキが好きだ」というとペコちゃんの人形が、家の前に置かれていたりもした。ときには身の危険を感じることもあったという。「いまと違ってオートロックもなかったし、住んでいた家は、玄関のドアに郵便ポストがついているタイプで。ふと玄関を見ると郵便受けの蓋が開いていて、誰かと目が合うなんてこともありました。蓋をバンダナで目隠しすると、翌朝、床にバンダナの燃えカスが落ちていたり……」熱狂的なファンがいたのは、それだけ多くの仕事をこなしていたから。あまりの忙しさのなか、鮮烈に覚えているのが、マッチとの“出会い”だったという。「マッチさんとは同じレコード会社で、幼いときは数枚しか持っていなかったレコードの、サンプル版とかを何枚ももらえたんです。そんなご縁もあり、私を担当してくれたディレクターさんがマッチさんの『愚か者』(’87年)を手がけていたこともあって、歌番組に出演したとき、ご挨拶する機会に恵まれたんです。『小学校、中学校から、ずっとファンです!』と話しかけたら『ありがとう』と言ってくれて、優しいお兄さんでしたね。ほんの短い時間でしたが、憧れの人のひと言が心に残って『私もがんばろう』と思えたんです」だからこそ、おニャン子クラブ解散後も迷いなく芸能界に踏みとどまり、新境地を切り開くこともできた。「あるとき事務所の人から“バラエティはどう?”って言われたんです。それでお歯黒をしたりして、挑戦してみたのですが、やっぱり抵抗があって……。しばらく考える時間をもらうことにしました」悩んだ末、コントに挑戦しようと決心できたのには、志村けんさんの存在が大きかったという。「『自由に楽しくやってくれれば、あとはほかの人が引き出してくれるから』とアドバイスをしてくれました。私との距離を近くするため、お歯黒のメークなども、志村さん自らやってくださったんです」’80年代の初めにテレビで見ていたスターたちが、美奈代さんを励まし、支えたのだった。
2021年12月19日カン・ハヌルとチョン・ウヒが共演、浪人生活を送る青年と古書店を営む女性が1通の手紙から心を通わす姿を通じ、青春の煌めきや切なさを丁寧に描いた心に染みわたるラブストーリー『雨とあなたの物語』。この度、韓国映画・ドラマ界をけん引し、カン・ハヌルとW主演を務めたチョン・ウヒのインタビューコメントがシネマカフェに到着した。2019年に韓国で地上波放送され最高視聴率23.8%を記録した大ヒットドラマ「椿の花咲く頃」や、パク・ソジュンとの共演映画『ミッドナイト・ランナー』で知られるカン・ハヌルと、『哭声/コクソン』『サニー 永遠の仲間たち』など映画のみならず、ドラマ「恋愛体質~30歳になれば大丈夫」で主演を務めたチョン・ウヒの共演で注目を集めている本作。さらにチョン・ウヒは、日本でも大ヒットした『スマホを落としただけなのに』の韓国リメイク作への出演が決定している。彼女は今回のオファーを決めた理由を、「私が過ごしてきた、経験してきた感性やあの頃を踏まえて『(登場人物たちの)青春時代を一度きちんと演じてみたい。自分が表現できればいいな』という思いが一番強かったように思います」と明かす。また、これまで自身が演じてきたキャラクターについて「私が今まで演じた役柄は、強い役が多かったのですが、ソヒという人物は、少し穏やかで日常的な部分を見せることができそうだったので、それが魅力的に思えました」と話す。初の単独主演映画『ハン・ゴンジュ17歳の涙』(2014)で壮絶な演技を見せ、青龍映画祭をはじめとする7つの映画祭で主演女優賞と新人賞を総なめにしたチョン・ウヒ。以後、多くの注目作に出演してきたが、最近では「恋愛体質~30歳になれば大丈夫」のジンジュ役を通して多くの視聴者の共感を得たことが記憶に新しい。「私が演じた人物にいつもたくさん共感してもらえるのは嬉しいです。演じることで、癒しにもなり、楽しみにもなり、いろいろな感情をお伝えすることができるのは素晴らしいと思うのですが、今回最も共感してもらえる役だと思っています。ソヒの温かい感情をたくさん感じていただければ嬉しいです」と語る。そして「作品ごと、キャラクターごとに共感できる部分は異なりますが、ソヒの場合は、誰もがそうであるように、家族に対して感じる大変さとか繰り返される退屈な日常とか、そういったことを感じる人が多いのではないでしょうか」と語り、「私もそうですし、そういったことを、ソヒを通して『あぁ、私もそうだな』と思ってもらえれば、共感や癒しになるのではないかと思いました」と、本作で演じたソヒへの共感を明かした。さらに、「『雨とあなたの物語』は出会うことと待つこと、そして縁についての物語です。多くの方に喜んでいただけると思います。こんな肌寒い季節にピッタリの温かいストーリーなので、たくさんの方々に見ていただければと思います」とアピール、映画館での上映に喜びのコメントを寄せている。『雨とあなたの物語』は12月17日(金)よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:雨とあなたの物語 2021年12月17日よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開ⓒ 2021 KIDARI ENT, INC., SONY PICTURES ENTERTAINMENT KOREA INC. (BRANCH), AZIT FILM CORP., AZIT PICTURES CORP. ALL RIGHTS RESERVED
2021年12月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「医学部生だった’80年代は、必修科目も多く忙しかったけれど、他大学との交流やファッション、遊びにも夢中になりました。空き時間に渋谷に行けばパルコやマルイをウインドーショッピング。ファッションのバイブルともいえる『JJ』(光文社)のモデルだった賀来千香子さんが大好きで、その賀来さんが出演したドラマ『男女7人夏物語』(’86年・TBS系)は欠かさず見ていました」こう語るのは、コメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵さん(57)。高校時代、医大生だったころ、そして研修医として忙しく過ごした’80年代を振り返る。「“子どもはあまりテレビを見ないほうがいい”というのが母の教育方針だったのですが、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)だけは、なぜか見せてもらえたんです」そんな小学校時代を過ごした、おおたわさんは、高校生になると、日曜夜に日本テレビで放送されていた海外ドラマに夢中になる。「テレビに厳しい母がお風呂に入る時間と重なっていたため、安心して見られたんです。『アメリカン・ヒーロー』や『チャーリーズ・エンジェル』『史上最強の美女バイオニック・ジェミー』など、好きな作品がたくさんありますね。ドラマの中で描かれる、プール付きの豪邸やかっこいい車、若者たちのパーティなど、豊かでキラキラした生活ぶりにあこがれて“いつか私もアメリカに行ってみたいなー”って夢を抱いていました」■鶴光さんの下品なラジオでおなかを抱えて笑ったテレビは見る時間が限られていたため、親から干渉されず、自分の部屋でこっそりと聞けるラジオが、至福の時間をくれたという。「『欽ドン!』もテレビ(’75~’87年・フジテレビ系)で見た記憶より、ラジオ(’72~’79年・ニッポン放送)で聞いていたときのほうがより印象に残っているし、とくに高校時代は(笑福亭)鶴光さんの『オールナイトニッポン』(’67年~・ニッポン放送)が鉄板でした。果てしなく下品で、おなかを抱えるくらい笑えて。番組の放送内容が書籍化されると、放課後に友達と一緒に読んで、Y談を楽しんだりもしました(笑)」その高校時代に打ち込んだのは、中学から始めたダンス。「ダンスの授業があって、顧問の先生がすごく熱心だったんです。創作ダンスに取り組み、衣装も生徒たちで作って、学内コンクールに参加したりしました」ただ、楽しみといえばそのくらいで、大学受験の勉強に追われる毎日。おおたわさんは父親が自宅で内科を開業していたこともあり、幼いころから“将来は医師になる”と決めていたという。「“親戚に医者と弁護士がいるといい”なんて言われていた時代で、そういった周囲の期待もあったから、ほかの道を考えたことはありませんでした」真摯に医学に向き合う父の姿からも、大きな影響を受けた。「すごく勤勉で努力家。朝の5時から起きて医学書を読んでいたり、夜中でも日曜でも『具合が悪い』と患者さんから電話がかかってくると、往診に出かけたりしていました。そんな父を見ていると、遊びたいし、怠けたいと思っている、こんな私に医者が務まるのかという不安もありました」だが父親は“人生の幅を広げるためにも、医学以外のことも経験すべき”と、さまざまなチャレンジを応援してくれた。「なんとか医大に進学できたのですが、真面目な女子が多い医科大学ということもあり、大学生活は決して華々しくはありませんでしたね(笑)。朝から夕方まで学校にいて、想像していたのとは真逆でした」■ナンパも経験!ディスコに通った大学生時代そんな大学生活のなかで印象に残っているのが、高校時代にドラマで見てあこがれたアメリカへの、短期留学だった。「大学2年時の夏休みを利用して、1カ月間、ホームステイしました。ホストファミリーがすごくお金持ちで、ロサンゼルスの郊外にあるプール付きの一軒家のほかに、ベニスビーチにコンテナハウスを持っていて、そこにも遊びに行きました。ホスト先には同年代のブロンドの女のコがいて、毎日、私を遊びに連れ出しては、たくさんのボーイフレンドを紹介してくれたんです」かつて夢見たアメリカ西海岸での生活を満喫した、おおたわさんが、大学4年のときに夢中になったのが『男女7人夏物語』だ。「主役の(明石家)さんまさんも魅力的でしたが、賀来千香子さん目当てでした。ドラマの脚本や設定も時代を象徴していて、男女がくっついたり離れたり、面倒くさいことをしているんですが、気持ちの揺れや不安、人に寄り添ってほしくなる気持ちなど、すごく細かく心情が描写されていて、共感できたんです」脇を固めた片岡鶴太郎の存在も大きかったという。「三枚目だけど、すごく友達思いの男性を好演。鶴太郎さんはこの後、主役を務めた単発ドラマ『季節はずれの海岸物語』(’88~’94年・フジテレビ系)も含めて、一気に“いい男感”が増してきたように思います」続編の『男女7人秋物語』(’87年・TBS系)での手塚理美のワンレングスヘアには、おおたわさんも影響を受けたという。「医学生時代は、ワンレン、ボディコンでディスコにも行きました」中高時代、ダンスが好きだったことから、踊るのが目的だったが、ナンパも経験。「どんな仕事かわからない、けれどもやたらと羽振りのいい男性陣に、ごちそうしてもらったり、みんなで湖畔のコテージへキャンプに連れて行ってもらったり(笑)。いったい、どこからお金が出ていたのかわかりませんが、男性にとって、女子大生のグループを呼べることがステータスだった時代なんでしょうね」医学部を卒業するとともに研修医となり、遊ぶ時間もない“暗黒時代”に。だが、バブル景気も手伝い、さまざまな経験ができた’80年代は、その後の人生に彩りを与えてくれたという。「“医者とはこうあるべき”などと小さくまとまらず、自分を型にはめない生き方ができている気がします。ラジオ番組に挑戦することもできたし、それがきっかけで『ホンマでっか!?TV』(’09年~・フジテレビ系)ではさんまさんとの共演もかないました。『男女7 人~』を見ていた当時は、夢にも思わなかったこと。今、矯正施設の受刑者への医療という、新たな医療活動に挑戦できているのも、さまざまな経験を積み重ねたからだと思います」
2021年12月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に踊りに行ったディスコの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう——。「最初はディスコで流行っていた『ヴィーナス』(’86年)を日本語でカバーするための“勉強”という名目だったんですが、しだいに楽しくなって(笑)。マハラジャのプリンがすごくおいしかったし、なによりゴージャスな店内の雰囲気が非日常でした」こう語るのは9月に『下町銀座』をリリースした、演歌歌手の長山洋子さん(53)。もの心ついたときから歌に囲まれ、触れ合っていたという。「とくに父が民謡好きで、仲間同士で集って趣味で楽しんでいました。最後はお酒の席になるんですが、幼かった私もいつも参加していたんです」民謡教室に通い、10歳からは津軽三味線も習い始めた。同時期に入会したのが、ビクター少年民謡会だ。「もちろん、民謡以外のポップスや歌謡曲も好きで、ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵さんの歌をテレビで聴いたり、自分でもマネしたりしていました。『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)や『レッツゴーヤング』(’74〜’86年・NHK)は欠かさなかったし、ドラマではたのきんトリオが好きで『3年B組金八先生』(’79〜’11年・TBS系)も見ていました」もっとも印象に残っているドラマは、中学生のころに見た、山田太一脚本、古手川祐子、森昌子、田中裕子らが出演した『想い出づくり。』(’81年・TBS系)。「決して明るい内容ではなかったのですが、仕事や人生の壁にぶち当たった女性3人の、恋愛模様が描かれていました。思春期真っただ中の私には刺激的な内容で“大人の女性って、こんな恋愛をしているんだ”って、あこがれに近い思いも抱きました」■高校生の頃は“切なさ”や“哀愁”が理解できなかった……そんなごく普通の中学生活を送りながらも、“中学を卒業したらビクター少年民謡会も退会することに……。その先、どのように大好きな歌と関わっていけばいいのかな”と進路を考えていたとき、大きな転機を与えてくれたのが『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)だった。「出演者が早口言葉に挑戦したりしていた『少年少女合唱隊』のコーナーで、同じように民謡に挑戦する回が何度かあったんですね。そこに、私たちビクター少年民謡会の子どもたちが登場し、郷ひろみさんにコブシの回し方を教えたりしたんです。付き添いの母親たちも興奮していたし、私もミーハーだったので、ご一緒したタレントさんから、サインをもらっていたと思います」出演時、芸能事務所のスタッフに声をかけられたのが、歌手デビューのきっかけとなった。中学卒業後、芸能コースがある高校へ進学し、デビューの準備が始まった。「演歌も民謡と同じように考えていましたが、ぜんぜん別ものでした。民謡はギリギリのキーまで上げておなかから声を出しますが、演歌は“間”を作ったり、抑えて歌う部分もあります」技術的な練習はできるが、歌の世界観には人生経験も反映される。「市川昭介先生からは『もっと切なく』『もっと哀愁を出して』とアドバイスされるんですが、高校生の私には、“切なさ”とか“哀愁”とかが、なかなか理解できなくて……」1年半以上レッスンを受け、高2の春(’84年)には、阿久悠が手がけた『雪国』という曲でデビューすることまで決まっていた。「デモテープも作っていて、いつでもレコーディングできる状態。それなのにデビュー4カ月前に、『洋子に演歌は早い。まずはアイドルとしてデビューする』と、方針が変わってしまったんです。戸惑いはしましたが、あまりに忙しくて、悩む時間はまったくなかったですね」フィンランドで作られた原曲に、日本語の詞をつけたカバー曲を急きょ、レコーディング。「お人形さんのように、言われたとおりに動いて」、ようやくデビュー日に間に合わせたという。「新人賞の賞レースで、ミニスカート姿で同期のアイドルと並んでいるときは“演歌を歌うつもりだった私が、なんでここにいるのかな?”と疑問に思っていました」■芸能人は顔パスで…マハラジャ通いで鍛えられたリズム感とはいえ、忙しかったのはデビュー1年目だけ。2年目に入ると、あらたにデビューしたアイドルに注目が集まるように。「毎月初めにスケジュール表を渡されるんですが、2年目に入ると“うそでしょ、印刷し忘れてない?”って思うくらい、真っ白に。“これが現実か……。このままでは忘れられてしまう”って、血の気が引く思いでした」そんな時期に、ディスコから生まれたバナナラマのヒット曲『ヴィーナス』と出合い、日本語バージョンを「洋子に歌わせてみようか」ということになったという。「それまでディスコとは縁遠く、縦ノリで歌う経験もなかったため、事務所のスタッフから『勉強のつもりで、マハラジャに行って遊んでこい』と言われたんです。ディスコブームの中心地・マハラジャには、テレビや音楽業界の人たちが毎晩のようにこぞって通っていたんですね。いつ行っても行列ができていたんですが、芸能人は顔パスということで入れてもらえて。『あまりにもリズム感がない』と言われていましたが、ディスコにいるとガンガン音が聞こえて、いやでも洋楽のリズムが体に入ってきました」『ヴィーナス』はヒットし、自身初のオリコンベスト10入りを果たした。「昼間、マハラジャを貸し切りにしてイベントを開催したり、夜は『歌いにきました。踊ってください』とプロモーション。すごく忙しくなって“これで歌手として生き残れるかもしれない”って、ようやく自信が得られたんです」歌手ばかりでなく、女優としての活動を開始したのもこのころ。「’90年からは時代劇『三匹が斬る!』シリーズ(’87〜’95年・テレビ朝日系)に出演して、3年間、京都撮影所に通いながら、着物の着付けや所作を学びました」一方で、演歌の勉強も一からやり直し、’93年、『蜩—ひぐらし—』で、念願の演歌デビューを果たすことができた。「自分の描いていた道からだいぶ遠回りしましたが、今思うと一つのことだけを身につけるより、さまざまなジャンルを吸収したからこそ、現在の演歌歌手としての私があるんだと思います」マハラジャ通いも、演歌歌手になる夢をかなえるための、重要な勉強の一つだったのだ。
2021年11月29日北村匠海主演、黒島結菜、井上祐貴共演の青春映画『明け方の若者たち』より、青春の日々を切り取った場面写真が解禁となった。本作の原作はTwitterでの“妄想ツイート”が話題となり、10~20代から圧倒的な支持を獲得したウェブライター・カツセマサヒコの大ヒット青春恋愛小説。『君の膵臓をたべたい』『東京リベンジャーズ』の北村匠海が主人公の<僕>役を務め、2022年のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」でヒロインに抜擢された黒島結菜が<僕>の一目ぼれ相手である<彼女>を、「ウルトラマンタイガ」の井上祐貴が<僕>の同期で親友となる<尚人>を演じる。23歳の新進気鋭監督である松本花奈がメガホンをとり、2010年代の若者のリアリティ溢れる青春劇の映像化に挑戦した。このたび解禁された場面写真では、<僕>が布団の上で憂鬱そうな表情を浮かべ携帯電話を見つめる姿や<彼女>と肩を寄せ合う仲睦まじい様子、<僕>の会社の同期で親友の<尚人>の姿などを見ることができる。<僕>と<彼女>と<尚人>の3人で、高円寺の飲み屋で夢を語り合う、まさに“マジックアワー”のようなひと時を写した1枚も。緊張した様子で手を繋ぎ見つめ合う<僕>と<彼女>の姿からは、“沼のような5年間”の始まりを予感させ、<僕>と<尚人>が呆然とした表情で立ち尽くす、何が起こったのか気になるカットも。最後には、大人になった<僕>が“明け方”になんとも言えない表情で空を見上げる姿があり、<僕>が過ごす“沼のような5年間”の行く末が気になる場面写真となっている。北村さんは「映画に登場する、街や音楽が偶然にも僕の ''本物の青春 ''と重なっていて、もうニ度と帰ってこない人生のマジックアワーをまた味わえたような、切なくてじんわりあったかくて、笑ってるのか泣いてるのかよくわからないあの頃を、皆さんも思い出せるかもしれません」と、北村自身含め誰もが経験したであろう青春時代を思い出させる作品であることをアピールしている。大注目の実力派若手キャストと新進気鋭の監督が描く20代の青春譚に注目だ。『明け方の若者たち』は12月31日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:明け方の若者たち 2021年12月31日より全国にて公開
2021年10月29日アカデミー賞で主演女優賞に輝いたジュリアン・ムーアと、同賞の外国語映画賞を受賞したセバスティアン・レリオ監督の豪華コンビで贈る『グロリア 永遠の青春』より、予告編と場面写真が解禁された。アメリカ、ロサンゼルス。アラフィフ女性のグロリア・ベルは、離婚や子育てを乗り越えて自由な日々を送っていたが、どこか満ち足りない寂しさを感じていた。そんなある夜、クラブでアーノルドという年配男性から声を掛けられた彼女は、同じく離婚経験をもつ紳士的な彼に興味を惹かれ、付き合うことに。詩を読み、哲学的な話題で盛り上がるなど知的にも洗練され、新たなパートナーとして理想的な相手に思えるアーノルド。しかし、グロリアはデート中に元妻や娘たちから電話が掛かってきた際、自分との関係を秘密にしていることが気にかかる――。ジュリアン・ムーアが、セバスティアン・レリオ監督の『グロリアの青春』に惚れ込みリメイクを熱望したことをきっかけに、レリオ監督自身がハリウッドの豪華キャストを迎えて生まれ変わらせた本作。離婚と子育てを乗り越えて、自由に生きる主人公のグロリアに訪れた“人生の春”を描いている。このたび解禁となった予告編は、ロサンゼルスのクラブで主人公のグロリア(ジュリアン・ムーア)が、自分と同じバツイチで子持ちのアーノルド(ジョン・タトゥーロ)と出会うシーンから始まる。デートを重ねるにつれて、ふたりは恋に落ちていくが、アーノルドを息子の誕生日パーティーに招待した際、前夫との仲睦まじい関係に深く嫉妬をされ距離が離れてしまう…。いくつになっても、仕事に、恋に、自由を謳歌するグロリアの魅力が詰まった予告編になっている。また併せて解禁された場面写真8点では、ラスベガスの高級ホテルを訪れるふたりの様子や、プールサイドで呆然と佇むグロリアの様子が切り取られている。『グロリア 永遠の青春』は12月3日(金)よりkino cinema横浜みなとみらい・立川高島屋S.C.館・天神ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:グロリア 永遠の青春 2021年12月3日よりkino cinema横浜みなとみらい・立川髙島屋S.C.館・天神ほか全国にて公開© 2018 GLORIA FILM DISTRIBUTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
2021年10月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週楽しみにしていた歌番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「’80年代は、とにかくテレビ番組が面白くて、学校から帰ってから、ずっとつけっぱなし。とくに『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)の日は、お風呂に入って晩ご飯を食べ、歯を磨き、宿題以外のその日にやるべきことを全部終わらせて、放送が始まるのを待っていました(笑)」こう語るのは島崎和歌子さん(48)。世代的に『ザ・ベストテン』で記憶に色濃く残るのは、山口百恵やキャンディーズより、松田聖子を筆頭とした’80年代アイドルだという。「当時はまだ小学校低学年。私はショートカットだったんですが、高校生くらいのお姉さんたちはみんな聖子ちゃんカットにしていて。あまりにもみんな同じ髪形だったから“大人になると、自然と聖子ちゃんカットみたいになるのかな”って思っていました」さまざまなアイドルが登場し、次々に新曲がリリースされていたから、覚えるのが大変だった。「『明星』の付録だった歌本『ヤンソン(Young Song)』 には楽譜が付いている曲もあったから、たて笛やピアニカで演奏してみたり。よっぽど大事にしていたみたいで、今でも実家に何冊か取ってあるんです」歌番組のときはラジカセをテレビの前に置いて、好きな曲を録音したのも“’80年代あるある”だ。「うまく録音できなかったときは、次の日に学校の友達からカセットテープを借りて、ダビングさせてもらうんだけど、ダビングにダビングを重ねたものになると、すごく音も悪くなって(笑)」■フミヤがしいたけって言ったことに大興奮島崎さんが小学校高学年になるとチェッカーズ旋風が巻き起こり、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』(’83年)と『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』(ともに’84年)の3曲が、ベスト10内に同時ランクインを果たした。「すごい快挙だったんでしょうけど、当時は子どもだったので“3曲も聴けてラッキー”くらいにしか思っていませんでした。『ザ・ベストテン』と同じくらい好きだった『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)で、フミヤさんが大嫌いなしいたけを食べた後に『涙のリクエスト』を歌って、歌詞の一部を『さいごーのー、しいたーけー』と変えたものだから、客席から大歓声が上がったんです。私もテレビの前で『フミヤがしいたけって言ったよ!』って大コーフンしたのを、48歳になるのに、まだ覚えていますね」同時期に見たおニャン子クラブからは、ファッションの影響も。「メンバーがおそろいで着ていたセーラーズの洋服がすごく欲しくて。でも、高知ではなかなか手に入らず、近所のスーパーで“セーラーズっぽい”服を買ってもらったんです。すごくお気に入りで、中学の修学旅行にも着ていきました」田舎育ちの島崎さんにとって、キラキラした芸能の世界は、テレビの中だけに限られたもの。「おニャン子クラブって“隣のお姉さん”的なコンセプトだったと思うのですが、私にとっては、かなり遠い存在でした。だいたい当時のアイドルの“全国ツアー”って、札幌、東京、名古屋、大阪ときて、私のいる四国は飛ばして、福岡っていうパターンが多かったですもんね」だから中3のとき、「ロッテCMアイドルはキミだ!」のオーディションに応募はしたものの、受かるとは夢にも思っていなかった。「1年分のお菓子がもらえるとか、そのくらいの動機でしたね。まったく接点のなかった芸能界に、少し関われるかもしれないという思いもなくはなかったですが。友達と応募用紙を投函するとき、すごくドキドキして、でも、それだけで満足。後はすっかり忘れていたくらいです」ところが夏休みに入ると、書類審査を通過したとの電話連絡が。歌の審査があると聞き、ドラマ『毎度おさわがせします』(’85~’87年・TBS系)でブレークした中山美穂の『50/50』(’87年)を歌おうと、やはり『ザ・ベストテン』で録音して、練習した。「オーディション会場がアルタだったから、新宿のホテルに泊まったのですが、初めての東京で、高層ビルに圧倒されてしまい、どこにも観光に行けませんでした」結果は惜しくも準グランプリ。だが、帰る準備をしていたときに、事務所の社長がスカウトしてくれたという。「こんなチャンスはめったにありませんし、母も『娘はいずれ家を出ていってしまうもの。それが少し早くなった』と応援してくれました。まあ、まだ家を出たわけではなかったので、いまではいいネタになっているんですが(笑)」■テレビを見過ぎて「引きこもっている」と勘違いされるほど中学卒業を機に上京。寮で共同生活を送るようになったが、テレビ好きは収まらず--。「『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)や、高知では当時放送していなかった『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)など、自分の部屋でテレビばかり見ていて、スタッフから“東京になじめず、ひきこもっているんじゃないのか”と心配されたほど」’89年1月に、荻野目洋子主演のドラマ『こまらせないで!』(フジテレビ系)で女優デビュー、5月にはシングル『弱っちゃうんだ』で歌手デビューを果たした島崎さん。アイドル路線を目指したが。「バンドブームの到来で、アイドルにとっては冬の時代。歌番組も減り、芸能界で生き残るためには、バラエティ番組に活路を見いだすしかなくて。若いコたちとカラオケに行くと『和歌子さん、歌、うまいっすね』なんて言われるんです。『だって私、歌手だよ、スマホで調べてみて』って言うと、『ホントだ。でも1曲も知らない』って」大好きだった『ザ・ベストテン』への出演はかなわず、路線変更も余儀なくされたが、だからこそ『ザ・ベストテン』のように豪華で、しかも生放送の『オールスター感謝祭』(’91年~・TBS系)と出合う幸運にも恵まれた。「初回からずっと総合司会を務めさせてもらって、今回の放送(10月9日)で、なんと30年!一緒にMCを務める今田(耕司)さんからは『島崎が80歳になっても“アンサーチェック”とか言ってたら、おもろいな』って。それを次の目標の一つにしています」
2021年10月11日