2回目の受精卵移植が着床せず、続いて3回目にトライ。今回は2個を戻すと先生に言われたものの、見せられた写真には1個しか見当たらず、不安になるこてつさん。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。受精卵移植3回目「初めての2個同時移植」前回の妊娠(その後、初期流産)から買い続けているものがありました。それは…「たまごクラブ」。バカだよなぁ~、と思いつつ買うのをやめられません。予習のつもりもありましたが、現役妊婦さんたちが1カ月ごとに妊娠経過を紹介する妊婦日記の企画があり、その方たちが無事に産めるのか、どんな名前をつけるのか。一番楽しみなページでした。この頃は妊活雑誌「赤ちゃんが欲しい」と「たまごクラブ」を両方購読していました。いつか、たまごクラブだけを買う日がくることを信じて。両方ともまとめて買うのは少し恥ずかしかった記憶があります。3回目の移植が始まりました。グレードの良い卵があと1個残っているけれど、これまでの結果から考慮して、3回目は少しグレードの落ちる2個を戻すことになりました。多胎のリスクもありますと言われ、「まぁそれも運命でしょう」と悟りきった老人のような返答をしてしまいました(笑)。これまで同様、薬で子宮内膜を厚くしました。加えて、今回は初めて子宮内膜刺激というものを行うことになりました。移植の2日前に子宮の壁に少し傷をつけ、その傷が修復する働きを着床にも利用するとのこと。傷をつけるといっても、移植のときのカテーテルを挿入するのと同じことで、痛みはほとんどないと言われました。実際、カテーテルを挿入し、つんつんと当たったな~と思ったらもう終了でした。その後も注射を続け、移植日になりました。昼過ぎ、クリニックに到着後、すぐに診察室に呼ばれます。ドクターから1枚の写真を見せられ、「これが今回移植する胚盤胞です」。見ると1個、すでに脱出中の卵が。…あれ? 1個???たしか前回の診察で、次回は2個って言われたよなぁ…。それとも2個融解したけど1個はダメだった?? でもそれならそう説明するよなぁ…。頭の中に「?」マークがたくさん浮かんでいるうちに、さっさと移植室に移動させられます。診察室を出たあと付き添ってくれているオットと「…1個だったね??」と言い合います。看護師さんに疑問をぶつけました。「今回2個と聞いてたんですが、私の勘違いだったんでしょうか?」それを聞いた看護師さんは慌てて確認をとりに行き…また診察室へ呼ばれました。どうやら私の勘違いではなく、病院の手違いだったようです。すぐにもう1個融解することになり、さらに遅い時間で移植をするはめになりました。しかも今度融解するのは2個同時に凍結している分で、ということは卵が1個余ります。「それはどうなるの??? 捨てられちゃうの???」と不安になりましたが、よい状態なら再度凍結するとのことでホッとしました。近くの電気店で時間をつぶします。テレビ、洗濯機、掃除機…欲しい。でも治療にお金がかかるから我慢我慢。電話がありクリニックに戻ります。今回移植する2個の卵の写真を見せてもらいます。1個は最初の胚盤胞、さっきより成長しています。後から融解した1個は、アシステッドハッチングをしているものの、まだ脱出していません。グレード「回復中(4割)」と書いてありました。凍結時にグレードABだったから、それよりちょっと悪いくらいなのかな。ちなみに今回移植しない胚盤胞は凍結時グレードCB。融解後の感じは、移植できるかどうか…というくらいの状態で、結局再凍結は無理でした。これで、3回目の移植で妊娠できなかったら、凍結胚は残り2回分です。消毒後、カテーテルを挿入…のはずが、子宮が左に曲がっているらしく(たまにあることだそう)、柔らかいチューブが入っていきません。なかなか長い時間グリグリされましたが、やはり入らなかったようで硬いチューブに変更しました。ちょっと子宮をひっぱりま~すと言われ、ピンセットみたいなもので引っ張られました。痛い…。ドクターがなにやら苦労している様子でしたが、ようやくチューブも入り、やっと胚盤胞を移植することができました。そんなこんなで普段より移植時間もかかり(約40分)、終了したのは19時前。下半身むき出しの体に、エアコンがガンガン効いた移植室は寒かったです。その後、注射をしてお会計をしました。約8万円也。電化製品はまだまだ新調できそうにありません(笑)。不妊治療、本当にお金がかかる!!初の2個移植、いろいろハプニングはありましたが無事にすみ安心しました。判定日までなるべく無理せず、ゆっくり過ごすことにしました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。【お知らせ】第38話 「不妊治療中「一生忘れない!」怒りにふるえたオットの一言」 の記事下アンケート「Q1. 夫の何気ない一言が「許せない…」と思ったことはありますか?」のアンケート結果はこちら↓≫ 「夫の気遣いの方向性完全間違ってます! 夫が妻に言ってはいけない一言」
2018年10月24日流産を乗り越え、2回目の受精卵移植にトライしたこてつさん。結果そのものよりも、オットの態度に落ち込んでしまい…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。2回目の受精卵移植「我慢の日々、かさむ費用…」2回目の移植に向け、準備を始めました。まずは子宮内膜を厚くするための投薬開始。今回、前回と続けて生理周期が普段より少し長めでした。まだ卵巣が回復していないのではと気になり、この状態で移植をしてもいいのかと質問しました。ドクター曰く、ホルモン補充していくので問題はないとのこと。それに、排卵までの期間が長くなるのは、PCOS(多嚢胞)の人にはよく見られる傾向だそうです。 「卵巣がサボりだしたんでしょうねぇ」とドクター。これからも段々周期が長くなる可能性もありますよ、とのこと。でも体質だからしょうがないですねと言うと、そうですねとの返答でした。移植予定日が決定しました。それにより、オットの会社のイベントに合わせ、ついて行こうと企んでいた旅行もキャンセルが確定しました。移植後の飲酒は禁止なので、夫婦で飲みに行きました。もし妊娠できたら2年近くアルコールとはオサラバか。参加予定だったスポーツ大会も移植後になってしまうので、キャンセルしました。今はすべてにおいて治療が優先ですが、悲しい…。いやいや、いっときの我慢。子どもができたら我慢することはもっとあるはずだしね。世の中のお母さんたちは本当にえらいなー。今は最優先すべきことに集中しよう…。そう自分に言い聞かせ、移植日を迎えました。移植前に融解した胚盤胞の写真を見せてもらいます。成熟胚盤胞グレードAA。おぉ、いい感じ。受精卵は優秀です、とドクター。アシステッドハッチング(胚を包む透明帯という膜を少し破ったり薄くしたりして、着床率の向上を図る生殖補助技術)をしているので、そこからドロリといった感じ(ただのイメージです)で中身が出てきていました。その部分から着床していくとのこと。子宮内を消毒します。これが毎回地味に痛いのです。看護師さんがおなかから超音波をあて、ドクターはカテーテルを使って子宮内へ受精卵を送ります。その様子は頭上のモニターで確認できます。管を通って前進する白い光が見えました。受精卵だ。まるで蛍みたい。 カテーテルが抜かれると、白く光る受精卵だけが子宮内に残りました。その輝きが続くのか、季節とともに去っていくのか、知っているのは神様のみ。1回目の移植を参考にお金を準備していました。が、料金が足りませんでした。クリニックの階下には銀行もあるけど、あいにくすぐに下ろせる口座の残金は480円…(マジです)。ということで1万円未納にしてもらいました。しかもお金のことで頭がいっぱいだったのか、座薬や飲み薬を入れた紙袋を置き忘れ、途中まで帰っていたのだけど、気づいて引き返しました。いろいろ恥ずかしい…。なんだかドタバタした移植後となってしまいました。そして、10日後の判定日。グレードAAの輝かしい胚盤胞は…着床していませんでした。2回目だし、本当はもっと凹まないはずだったのです。はずだったのに…。実際、家に帰るまでは、そんなに落ち込んでもいませんでした。それなのに、帰宅してオットと口けんかになりました。オットはなにをどう勘違いしたのか、「私が暗いのは、旅行に行けないことを不満に感じているのだ」と思ったのでした。それなのに(会社のイベントなので)自分は行かねばならないことに後ろめたさもあったのか、理不尽に怒っていました。 その怒りの矛先は私には向けられないので、物に当たって、すごい音がして、なんだか妙にそれがショックで…。どちらかというと着床しなかったことより、けんかのことがショックで、2日ほど思い出しては泣いていました。移植に失敗して暗いのは当たり前に想像がつくでしょ、普通…。私は凹んでいる(と気づかってくれてもいい)のに、そんな日になんでそんなにキレるんだよぉ。ダブルショックだよぅ。そんな思いでいっぱいで、さめざめと泣いた結果、まぶたがはれてひどい顔になりました。「今回は、残念ながら妊娠しなかったみたい」とドクターに言われ「まぁ、そういうこともあるだろうなぁ」と素直に受け止めることができました。判定後、今後の治療方針について看護師さんと話し合い、2回連続で移植しているし、しばらくお休みにしようと決めました。身体的には、すぐ次周期で3回目の移植をしても問題はないとのことでした。でも精神的に、少し休憩したい気分です。帰宅後のけんかでその思いはいっそう強くなった、というか、そのときは「もうやめたい」と思いました。旅行も大会もキャンセルしたのに、妊娠せず。オットにはキレられ、いい思い出のない2回目の移植は幕を閉じました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年10月10日子どもを授かるために、禁煙に努めていた夫。しかしある日、つらい治療に励むこてつさんにとっては聞き捨てならない言葉が飛び出し…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。「たばこは精子の運動率を下げる」とドクターに言われて以来、オットは1年近く禁煙をがんばっていました。杜仲茶(とちゅうちゃ)の葉を使ったニコチンレスのたばこを吸ってみたりしたけれど、完全にはやめられませんでした。「まず買わない」という作戦もとっていましたが、飲み会などではどうしても吸いたくなるらしく、同僚にもらっていました。また、私と口げんかをしてイライラしたときには吸っていました。採卵が終わったくらいから、徐々に増えてきているような気がしていました。自分の役割はもう終わったと?(怒)やめられるのは本人の意思のみだと思っているので、私もあえてやめてとは言いませんでした。そんな禁煙に努力している中、オットは私が一生忘れないであろう言葉を言ったのです。やめようやめようと努力しても、なかなかやめられず困っていたオットに、私は「病院に行ってみれば? 禁煙外来とかあるらしいよ」と提案してみました。すると、「それは絶対に嫌だ」と言います。「どうして?」と聞いて返ってきた言葉が…言葉が…今思い出しても腹が立ちます(笑)。オットは言いました。 「(通院するのは)ストレスになる!!」と…。 …絶句する私。数秒後、「なぁぁぁにぃぃぃぃ?! 今、何と言ったぁぁ、ごるぁぁぁ!」と、叫…べたらよかったのですが、あまりのショックに言葉まで引っ込んでいました。心の中で叫びます。「どの口でそんな言葉が言えるんじゃぁっ!? 毎日のように治療に通っている妻の目の前で! ストレスを理由に病院行かなくていいんなら、私だって行ってないわ!! このボケカスがぁぁぁぁぁっっ!!」この時は信じられない気持ちと怒り、ショックでぐっちゃぐちゃになり、私の思考回路はショート寸前(笑)。目を見開いたまま突っ立っていた気がします。言った本人は全く気にしていません。それは私が言わない・怒らないから当たり前なのですが。今思えば、この時に言葉にして言えばよかったのですよね。私の悪いクセです。嫌ならそれをすぐに伝えれば、相手に分かってもらえることは多いのに。しかし、怒らないけど忘れない。私はじっくり怒りを熟成させるタイプです(暗)。「このことは一生、絶対に忘れないからな! いつかこの仕打ちに対する仕返しはさせてもらうからな!」…と、心で叫んでいました。(笑)そして、10年後…。今、こうしてインターネットでオットをさらす私がいます。さらしてもなお、この一言は一生忘れないでしょう。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年09月26日流産後の回復期間中。なかなか心の回復がままならず、ちょっとした誤送信メールを受け取ったり、友だちの会話を聞くだけで複雑な思いに陥っていました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産の手術後、体は順調に回復していました。しかし、どうにも心が回復できず、起き上がるのも億劫(おっくう)な日々を過ごしていました。人と話すことは極力避けたいし、避けていました。やることはあるのに、やる気が起きない。寝てばかりの毎日。心と体のバランスがじょうずに取れない。「子どもを欲しい」と心からは思えない…と暗くなり、気持ちを切り替えて「よしやったるぞ!」と治療に奮闘し、妊娠して動揺し、流産で申し訳ない気持ちと悲しみを感じ、今また落ち込んでいる。めちゃくちゃな私の心。治療を始める前はこんなに不安定ではなかったのに。術後、ちょうど1カ月で生理がきました。子宮鏡の結果によれば経過も良好、子宮はきれいな状態に戻っているとのこと。この頃には落ち込んでいた気持ちも回復し、平常心で過ごせていました。さらに次の生理が始まったら、2回目の移植に向けて準備していくことになりました。生理3日目までにクリニックへ行き、ホルモン剤の内服を始めます。生理を待つ間、こんな出来事がありました。家を新築した友だちから、新住所の連絡メールが届きました。送る相手を間違えたのでしょう、住所のあとに『育児うまくいってる?』の言葉が添えられていました。『もうハイハイで目が離せないころかな。つかまり立ちは? また成長を教えてね』その後もう1件届いたメールには、同じく住所のお知らせと『ぜひ遊びにきてね』の文字。こっちが私宛の正しいメールだろうな…。手術直後じゃなくて、だいぶ立ち直っている今でよかったよ。苦笑いと少し複雑な気持ちが、コーヒーに入れたミルクみたいにくるりと回って溶けていきました。濁った液体をごくりと飲み干し、返信しました。『うん。地の底をはいずり回って、必死に何かにしがみついて立ち上がろうとしているよ。少しは成長しているかなぁ、私』 …なんて打つはずもなく、『遊びに行けるのを楽しみにしてるね』と。こんなこともありました。ゴールデンウィークにオットの地元に帰省したとき、オットの親友家族たちとBBQをしました。その当時42歳のオット。親友の中には、成人を迎えた息子さんがいる人もいました。私が結婚した当初、小学生だった娘さんは、高校3年生になって彼氏の話をしていました。宴もたけなわ、ほどよく酔っ払い、ふわふわしていた私の耳に隣の会話が聞こえてきました。「自分の子どもたちが結婚したら…」「早く孫が欲しい…」親友たちがその話をしている最中、オットは愛犬と追いかけっこをして遊んでいました。無心に。楽しそうに。そう見えるように。親友たちのその会話にオットが混ざることはありませんでした。子育ての話をする友だちの会話から、何かの用事にかこつけてそっとフェードアウトしたり、表情を読み取られないように上手な顔で端っこに座っていたりすることを私はよくやっていました。オットを見ていて、そのときの自分を思い出しました。不妊でつらい想いをするのは女性だけではないようです。愛犬と遊ぶオットの声を聞きながら、もう片方の耳では、親友たちの子どもの話を聞いていました。猛烈に切なくなりました。オットを早く「お父さん」にしてあげたいとすごくすごく思いました。泣きそうになるのをぐっとこらえて、その後はあおるように飲み続けました。不妊治療を始めてから、意識していなくとも『子ども』というキーワードが目につき、耳に入るようになりました。自分に関係がなくとも、胸を締め付けられたり、モヤッとしたり、心がざわりとしたりすることもあります。誰も悪くない。そう分かっているので、そんな出来事があるたびに、心が少し疲れてしまうのです。前向きにいきたい、と意識しても、無意識に疲れてしまうのです。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年09月12日流産後の処置の話です。生理で体外に流れ出ることを待ったものの、胎嚢が残ってしまったため、そうは手術を受けることに。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。初めての「そうは手術」を経験「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて…次に目を覚ますと手術は終わっていました。初の、そうは(掻爬)手術。全身麻酔、日帰りです。家族の付き添いが必要ということで、オットに休みを取ってもらいました。いつもの不妊治療クリニックではなく、地元の産婦人科での手術となりました。朝9時に病院へ。子宮口をひろげるための処置をして、病室へ入院しました。血圧、熱を測り、点滴の針を入れました。途中、抗生剤などの液も入れるとのこと。 が、これが曲者でした。針は5cmくらい。それを全て血管に刺さなきゃいけないもよう。私はもともと血管の出にくい女。看護師Aさんは、初めから自信なさげ。「針が長いんですよね~」と言い訳(?)しながら、ぷすり。ぐりぐりと血管を探し、針を出し入れされます。痛い…。2回目も同じく、散々ぐりぐりしたあと、点滴を投入するも液漏れしてきて超痛い…。看護師Bさんにチェンジしました。おなじく失敗。右手に変えて4回目にチャレンジ。失敗。すでに不信感でいっぱいです(笑)。すると看護師Bさんは頭を使いました。洗面所にお湯をたくさんため、ここにしばらく手を浸けててくださいとのこと。温まって血行がよくなり血管が見えやすくなるという。なるほど。5度目の正直で無事成功! が、すぐに点滴につながなかったので血がタラタラタラと逆流してシーツを汚しました… 妊娠してかかるならこの病院かと思っていたけど、考え直そうと本気で思いました…。しばらく、テレビをみながら点滴を受けました。出産が控えているということで、予定より早めに手術台へ上がりました。足をくくられ、鼻に酸素チューブをさされ、口元に酸素マスクを当てられます。「だんだん効いてくるからね~」と先生の言葉を聞いて、返事をしたところまでは覚えています。次に意識が戻ったときは「終わりましたからね~」と言われた時でした。 朦朧とした意識の中で、病室で待っているオットのことを思い出したら、涙が出てきました。涙はとまらず、やがて号泣に。自分で拭くこともできず、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔で病室に戻り、麻酔が覚めるまで横になっていました。経過は問題なく、夕方に退院できました。 術後は、たくさん泣きました。夜寝るときも涙があふれて止らず、オットがティッシュで何度も拭いてくれました。成長していないと分かった時点で、お腹にはもう赤ちゃん(の魂)はいないと思っていたので手術自体に抵抗はありませんでした。でも、それまでの「いろいろ」を思い出して泣きました。ごめん…ありがとう…ごめん…。泣きすぎて頭痛がひどく、痛み止めを飲みました。次は、1週間後に検査結果を聞きに手術をした産婦人科へ。そして1ヶ月後(もっと長い可能性もありとのこと)に生理がきたら不妊クリニックへ。そこで子宮鏡をして取り残しがないか、状態が正常に戻っているかなどをチェックし、さらに次の生理から2度目の移植の準備に入ります。不妊治療の長いトンネルはまだ終わりが見えませんでした。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月22日待望の妊娠。しかし、まもなく流産とわかり、涙、涙の誕生日を過ごしましたが、夫婦の絆を再確認。その後日談です。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産確定したけれど、つわりで気持ち悪い心拍が確認できなかった頃から、気持ち悪さを感じるようになりました。まさか、つわり?? 流産しているのにつわりがあるの? もういないのに、ただ気持ち悪いだけなのは辛い…。 その一週間後、再度診察をするもやはり赤ちゃんの姿はなく、流産確定となりました。この時期の流産は自然と体外に出てくることが多いとのことで、2週間、生理がくるのを待つことになりました。流産を伴う生理は重く、子宮の収縮の痛みが激しいかもしれないとのこと。そのときは生理痛止めを飲んでもいいと言われました。それでも出てこなければ、手術となるそうです。体温が下がってきたので、自然に出てきてくれるのかな~。「出てきたものから、その姿を見つけようとしてもムリです」と聞いてないのにドクターに言われました。僕ら医療者が探そうと思って探せば見つけられるかもしれないけど、普通一般的にはムリですと。そうか、ムリか…(←探そうと思ってた人(笑))そして、気持ち悪さはやはりつわりだそう。生理がくれば治まるとのことでした。何か食べていないとムカムカするので、グミなどを食べました。夜になると、ひどくなる傾向があるような気がします。ある夜はオットが背中をさすってくれました。優しさが嬉しくて、悲しくて、少し涙が出ました。 そして、生理が始まりました。「量が多いし、痛みもひどいと思います。」そう言われていたので、夜用のナプキンをつけました。つわりは生理が始まって、翌日にはほとんどなくなりました。初日、2日目の日中と、それほど量も多くないし、痛みもありませんでした。体調も問題なく、案外楽勝…と思っていたら、夜から痛みが徐々にひどくなりました。下腹部に重~い鈍痛が…。ずっと痛いわけではなく、波がありました。その波がかなりのビッグウェーブで、波がきているときは喋ることもできなくなるくらいでした。初潮が来てからこのかた、ほとんど生理痛はない私。たまにお腹が痛くても気にしなければ、忘れてしまう程度のものでした。あとから出産を経験して思ったのですが、このときの痛みの波の感じは陣痛に似ていました。流産もまたひとつのお産なのかもしれない。この当時の私は全くその考えには至っていませんでしたが。 出血は、黒に近い色の血の塊がガンガン出てきました。赤ちゃんのために用意したベッドがはがれて落ちてきてるんだなぁと思いました。赤ちゃんもどこかにいるんだなぁとも思いました。でも深くは考えません。もう実体はない。どこかで、空の上から?赤ちゃんの国から?きっと見下ろしている。どうも、ありがとう。ごめんね。・・・それから1週間、痛みをともなう塊の出血もあったので、おそらく赤ちゃんは流れ出ていったろう、とドクターも私も思っていました…。が…超音波にハッキリと映る胎嚢。まだ残っていますね~と、ドクター。さらに1週間様子を見ることに。う~ん、あの痛みはなんだった…今回の受精卵はとっても良い状態でした。だから流産してしまったことは先生も残念そうでした。さらに1週間後、胎嚢は残ったまま状態は変わっていませんでした。手術をすることが決まりました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年08月08日流産後、ありのままの気持ちをオットに話した中村こてつさん。その中で妊娠時に感じていた戸惑いの気持ちの理由に気づきました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。気持ちを吐露して、気づけたことビールを飲み切れず、涙が止まらなくなって、一睡もできずに夜が明けました。まぶたが腫れまくって、ひどい顔です。起床して、昨日眠れなかったとオットに言いました。やっぱり、けっこうショックみたいだ…と言葉にしたら、一度止った涙がまた止らなくなりました。そして、ケンカになる覚悟で自分の今までの感情を伝えました。本当に子どもが欲しい、という気持ちが湧き上がってこないこと。そんな気持ちのまま、覚悟しないまま、顕微授精に臨んだこと。妊娠することができて、嬉しいよりどうしようという気持ちのほうが大きかったこと。だから、お腹の子に優しい言葉をかけてあげなかったこと。今は、申し訳ない気持ちでいっぱいなこと。だからといって、この結果になったことは、自分の責任だと責めてはいない。自然淘汰だということは理解している。でも理解していることと受け入れることは違う…等々。オットは、よく分かったと言いました。移植してから、浮かない様子だったけど、妊娠すると女性はナーバスになるからかな。と思って、そっとしておいたと。そして、じゃあこれからどうしようか? と聞かれました。私はこれからも治療は続ける気だと答えました。子どもが欲しい気持ちが完全ではないことは解決していないけど、今回のことで自分の中に母性はなくないのだと分かった。産み育てていく過程で徐々に変わっていくことがあるのだと実感した、と。オットは、人と自分を比べることはないんだよ、と強調しました。私が、周囲の人に比べて自分の欲しい気持ちが小さいことを悩んでいると解釈しているようでした。そうではなくて、自分の中で子どもを欲しい気持ちが100としたら、私は100まではない。それなのに、高度生殖医療を受けていて、それは生まれてきてくれる生命に対して失礼なことだと思う。どうして自分が100になれないのか分からない…。そこまで話して、忘れていた気持ちを思い出しました。そうか、私は、自分が100%子どもを求めることは、子どもがいなかった今までの自分達を否定するような気になるんだ。今でも十分幸せなのに、子どもがいなくても幸せなのに、それなのに「治療してまで」子どもを求めるそのことに納得がいかないんだ。私たちは幸せなのに。治療して子どもを産むことを優先しなければならない。子どもは必要だから。子どもは幸せになるために必要だから。夫婦はないがしろにしてまで。そんな気持ちを吐露すると、オットは言いました。「ちがうでしょ。」君がいなきゃ、子どもはいない。俺がいなきゃ、子どもはいない。まず、俺達がいて、それから子どもなんだ。俺にとって、一番大切なのは○○(私)なんだよ。まずは俺達なんだよ、夫婦なんだよ。そんな簡単なこと忘れないで。泣きながら、オットが言いました。2人で抱き合って泣きました。子ども主体ではないんだ、夫婦主体なんだ。子どもを求めることは、今幸せじゃないから別の幸せを探すことではない。夫婦でいる幸せ。そこにもう一つ幸せが増えるだけ。オットの言葉を聞きながら、あぁ私は今までこんな簡単な答えを見つけられずにいたんだと思いました。オットに話したことで、答えを見つけられました。その機会を作ってくれたのは、お腹の子ども。もう帰ってしまうけれど、未熟な私に教えてくれた。もしかしたら、そのために来てくれたのかな…しばらくは、ときおり泣いていましたが、少しずつ元気になれていました。優しい言葉をかけてあげられなかったことについて謝り、気づきを与えてくれたことに感謝して、私たちの子どもに想いを伝えました。ありがとう。ありがとう。また会おうね。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月25日受精卵移植によって待望の妊娠。しかし間もなくして、初期流産とわかり…。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。流産後に込み上げる、申し訳ないという気持ち心拍確認の日、赤ちゃんは成長を止めていました。心拍は確認できず、初期の流産でした。超音波の画面を見ながら、私も気付きました。ドクターは無言で何度も何度も角度を変えてみています。その度に、浮き彫りになるのは胎嚢のみ。そういうこともあるのかも、と想像してはいたけれど。ぐりぐりと超音波の機械を押し付けられていたら、なんだか悲しくなってきてポロポロと涙がこぼれました。診察室に戻り、ドクターの話を聞くときもボロボロ泣きました。「原因はハッキリ言って分かりません。もともと染色体異常で自ら成長を止めたのかもしれないですね。」8週目までの流産は自然淘汰、どうあがいてもどうしようもないってことは知っています。でも、耳にガーゼをかぶせたみたい。ドクターや看護師さんの話が聞こえるけど、耳の上をなぞっていくだけで頭の中には入ってこない。けっこうショックなんだなぁ、私。妊娠できたことで、うろたえていたくせに。でも、どっちも本当の私なのか…。診察後、高校時代の友人たちと遊ぶ約束をしていたので向かいました。私以外の既婚者はみんな子持ちです。治療を始めたころは、友達の赤ちゃんと会うのに少し憂鬱になったりしたときもありました。でも最近は、友達の赤ちゃんも妊娠も、知らない妊婦さんも、ほとんど気になりません。気にしてもしょうがないことを学習したみたいです。人は人、私は私。大事な仲間なので、今までお互いに、どんなことでも話をしてきました。だから、今回のことも言おうと思っていたけど、なかなかタイミングがつかめずにいました…。と、いきなり、ケーキが登場。3日後が私の誕生日だったのです。サプライズで準備してくれていました。しかも手作り。嬉しかった。瞬間、自分の誕生とお腹の子の死を思い、正反対であるその出来事に込み上げるものがありました。我慢できずに泣きました。友人たちは嬉しくて泣いたと思ったようでした。(もちろんそれもありますが。)ケーキも食べ終わり、のんびりしたところで実は…、と今回の事を伝えました。なんとか、泣かずに喋ることができました。友人たちは、真剣に聞いてくれました。その後の労わりや慰めの言葉は、やはりガーゼの上を通り過ぎるように聞いてしまったけど…申し訳ないけど、しょうがない。素直にそれらの言葉を受け止めるには少し時間がいることなんだと思う。オットには病院を出た後、報告しました。しんみりしたけれど、やはりそういう可能性もあると構えているところもあったので、気丈に受け止めてくれました。しばらく休んで、また頑張ろうな。と。数日後、缶ビールを飲みました。すると、350mlを飲みきれませんでした。移植前は、1日数本を毎日平気で飲んでいたのに。なんだか苦くて、すぐに酔いが回って。体が飲まないことに慣れてきていたんだなぁ、けっこう母親らしくなってたんだなぁ、私。涙が出ました。一度涙が出ると止らなくなりました。まだお腹の中にいる。私の子ども。オットの子ども。子宮にしがみついて、成長してくれようとした私たちの小さな命。それなのに、自分が妊娠したことでうろたえパニックになっていた私は、ただの一度も、お腹に手をあてることも、話しかけることもしませんでした。全く愛情をもって接してあげることがありませんでした。本当に、ごめんなさい。こんな結果になってから、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。本当に私は、ただの一度も、お腹に向って話しかけなかった。子どもは気付いていたろうか。こんな母親の仕打ちを。一番もらいたかった母親の愛を感じられなかった。かわいそうな、私の子。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年07月11日「1人目を妊娠してるから2人目もすぐできる…」と考えていたら、なかなかできない、タイミングがない、など、2人目の不妊で悩んでいるママは多い もの。早くから対策をしておくことで防げるものもある ので、きちんと2人目不妊について知っておくことが重要です。今回は、2人目不妊に悩むママのエピソードと、2人目不妊の対処方法をご紹介します。意外と多い2人目不妊エピソード・エピソード1**********「一人目は順調に授かったため、二人目もすぐ授かるだろう、と自然にまかせた妊活をしようと思っていました。しかし、一人目が卒乳して半年以上たってもなかなか生理が再開せず、産婦人科を受診。しばらく不妊治療をしていましたが、子育てしながらの不妊治療は大変ですしなかなか二人目は授かれず…。しばらく悩みましたが、新しいやりがいのある仕事を見つけて、しばらくは二人目の事を忘れて仕事に専念することにしています。」**********こちらのママは、長期授乳をしていていたため、ほかのママより生理が再開するタイミングが遅かったとのことです。通常授乳をしている間は、体がまだ妊娠をしなくてもいいよ、という認識でプロラクチンという排卵を抑えるホルモンが出ているため、生理が再開しにくい と言われています。通常なら、授乳をやめれば半年以内に生理がくるものですが、なかなか来ない場合婦人科系の病気にかかっている可能性もあります。早めに婦人科の受診をしましょう。・エピソード2**********うちは、1人目も時間がかかりましたが、2人目は夫婦生活が減少してタイミングが合わなかったり、育児などのストレスの生理が不安定で余計妊娠しづらい状況になってしまっていました。周りからの二人目コールもしんどくて、やっとの思いで授かった命も8週で流産。2人目の妊娠がどんどん遅れてしまうたびに、自分の年齢も重ねていくので余計妊娠しづらくなってしまうので焦る一方。悪循環ですね。あきらめてしまいたい気持ちと、あきらめたくない気持ちがせめぎ合っています。**********こちらのママは、元々妊娠しにくいタイプのママですが、1人目の育児による疲れ、ストレス、そして加齢により・夫婦生活が減少し、タイミングが合わせづらい・妊娠率そのものが下がるとなり、2人目不妊の悪循環に陥ってしまって います。2人目不妊の対処法①2人目を早く欲しいママは計画的な断乳も視野に入れて生理再開が遅れ、2人目不妊になってましまうことを防止するには、計画的な断乳をすることをおすすめ。2人目妊娠を加齢や仕事復帰のタイミングなどの事情で少し焦っている、というママは産後半年~1年での早めの断乳を視野に入れて ください。赤ちゃんのためには1歳以上まで授乳を続けてあげるのが理想的ですが、2人目妊娠への起こさせるには授乳を、ストップするのが1番の近道。筆者も授乳しながら妊娠できないかと試みましたが、やはり1人目より妊娠までに時間がかかりました。②ママのストレス、疲れを軽減するためにパパ、に協力を仰ぐ子育てのストレスにより2人目不妊になってしまうことを防ぐには、妊活のキーマンであるパパとのコミニュケーションを密に図ることが重要。子育てをし始めるとママ側の負担が増えるため、パパとのコミュニケーションはどうしても不足 しがち。ママの負担が多くなることからパパとのコミュニケーションもどんどん億劫になってしまう傾向も。すると会話が減って、スキンシップが減って、妊活どころではなくなってしまいます。1歳を過ぎて大人と同じご飯が食べられるようになって、夜中のグズグズも減ってくると、少しだけママの余裕ができる時期があります。その余裕を少しだけパパに向けてあげてください。久しぶりにパパの好物を作ってあげる、マッサージをし合う、労いの言葉をかけあうなど、最近してあげてないなーと思うことをしてみてください。そしてもうひとつ重要なのが育児に関してパパへのサポートを仰ぐ こと。子育ては本当に大変な偉業ですから、本来1人ではとてもこなせるものではありません。まして子供を2人、3人と望むなら、パパの献身的なサポートは必須となります。夫婦間で、その情報をシェアするためにはこのような記事をパパに読んでもらったり、婦人科でパパに医師から話をしてもらったりなどして意識を向上させてあげましょう。----------以上、いかがでしたでしょうか?第二子以降を授かるには、早めの家族計画を立て、夫婦間のコミュニケーションを密にしておくことに越したことはありません。第一子を妊娠できたから、第二子もすぐ授かるもの、という観念を持ってしまいがちなのですが、それも根拠があるものではありません。第一子の妊娠、出産の年齢が高かった、というママは、きちんと第二子以降についてどうするか、ということをしっかり夫婦で共有 しておくようにしましょうね。●ライター/ましゅまま●モデル/大上留依
2018年06月07日痛くないのにしっかり治療医療法人社団シーズ・メディカルグループ シロノクリニックは、2018年5月1日より、痛みを伴わないシワ治療「メソリフト」の提供を開始した。「メソリフト」はドイツの最新技術であり、針を使わないため無痛での施術が可能だ。難易度が高いと言われる首や手の甲のシワ改善にも効果が期待できる。痛みがないので、複数回の施術でも続けやすいというメリットもある。「メソリフト」について「メソリフト」はドイツで開発された技術で、針を使わずに有効成分を皮膚の深層部へと注入できるシステムだ。施術はプログラム化され、顔をはじめ、手や太もも、お尻など様々な部位への施術に対応が可能。また、「ドライスキンモード」を使って施術すれば、乾燥肌の人にも対応ができる。幅広い効果を期待「メソリフト」での施術によって、顔のシワやニキビ、シミやアトピーの他、目元や口元のシミやシワ、ハリや潤いなどにも効果が期待できる。さらに、年齢の出やすい首や手の甲などのシミやシワ効果、お尻のハリや潤いにも効果を発揮するとされ、幅広い悩みに対応できる施術法となっている。年齢と共に気になってくるシミやシワ、ハリのなさなど、悩みに応じた施術が可能となる「メソリフト」は、キレイを保ちたい人にとって心強い技術と言えるだろう。(画像はプレスリリースより)
2018年05月23日移植終了から3日目。お腹の中に子ども(受精卵)がいる実感のないまま、こてつさんは静かに闘志を燃やします。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。移植から3日目一日が過ぎるのをとても長く感じます。体調等に変化はなし。夫婦生活、下腹部に力を入れるような激しいスポーツなどを避ける以外は普通でいいとのことで、特に何に気をつけるでもなく、いつも通りに過ごしました。もちろん禁酒もちゃんと守っていました(当たり前)。毎日の晩酌が最高の楽しみであった私だったので、アルコールを我慢できるのか、これが最大の心配事でしたが、案外苦ではなく、ルイボスティーをガンガン飲んでしのぐことができました。 お腹の中に子ども(受精卵)がいるということが…信じられませんでした。信じられないので、ドキドキもしないし不安もほとんどありませんでした。つい、愛犬と本気で遊んでしまいそうになり「あ、そうだった…」と思い出す始末。それくらい体には何の変化もありませんでした。注射は近所の産婦人科で打っていました。産婦人科が休診日には、入院病棟の看護師さんに打ってもらいました。入院病棟のある2階に上がるとすぐにベビールームがあり、ホヤホヤと湯気の出そうな赤ちゃんたちが並んでスヤスヤと眠っています。大人はみ~んな、目じりを下げてガラス越しにその列を見つめています。一点の濁りもない幸せな空間。みんなを優しい気持ちにさせる赤ちゃんパワー。いつか自分の赤ちゃんもここに並べてやる~と、静かな誓いを立てながら、その横を通り過ぎます。ベビールームの前で闘志を燃やしているのは、おそらく私だけだったでしょう(笑)。空いている病室を使って注射を打ってもらいました。ここの産婦人科の看護師さんたちは筋肉注射は絶対痛い、と思い込んでいる? ようで(いや、本当に痛いのですが(笑))、私が表情を変えないので「強いですね~」と驚かれました。排卵誘発のときの注射に比べたらかわいいもんです、と答えるとナルホドと納得されていました。病室のベッドでお尻を丸出しにしながら横たわり、いつか自分もここに入院してやる~と、再び静かな誓いを立てます。入院するために闘志を燃やしているのは、おそらく私だけだったでしょう(笑)。予定していた注射が終わりました。両肩、両尻にローテーションで打っていましたが、やはり10日連続だと、段々と皮膚が痛くなりました。打ち身のような青アザができ、動かしたり物が当たると痛みました。そして、判定日がやってきました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月23日不妊治療を2005~2008年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。ついに移植当日。実際の移植の様子や、移植後の生活上の注意事項など、治療はまだまだ続きます。ついに卵を移植「それでは卵を戻していきますよ。」ドクターが言いました。細いチューブを子宮内に差し込み、卵を送り込みます。ものの十数秒だったでしょうか、すぐに終わりました。長い期間かけて作られた卵の移植はあっけないものでした。その後、超音波で移植した卵を確認…のはずが、チューブの中に卵が残っていたらしく、再度注入となりました。(だ、大丈夫…?!)と不安になりましたが、ドクターもスタッフも焦っていなかったので、まぁ大丈夫なんだろうと納得。15分くらいで待合室で待つオットのところへ戻りました。クリニックへ向かう途中、今までのいろんなことを考えてしまい押し黙る私の手をギュッと握ってくれたオット。そんなオットの顔を見て泣きそうになったけれど、こらえます。しばらくすると処置室へ呼ばれ、移植後もずっと続く黄体ホルモンの注射をぷすりと打ちます。黄体ホルモンの投与は、移植前5日間のうち3日間は膣座薬を使用しましたが、どうやら私に合わなかったようです。1日4個の膣座薬を続けるうちに…お股が痒い!!入れた後ドロリと出てくる白い液体にかぶれてしまうようでした。それをドクターに伝えると、10日後の判定日までは毎日注射に通うことになりました。地元の産婦人科クリニックにて打ってもらいます。移植~判定日までの生活この日からお酒も禁止となりました。(名残惜しく、移植直前までガッツリ飲みました(笑))コーヒーも1日1~2杯までと言われました。夫婦生活は子宮が収縮してしまうのでよくないとのことで判定日まではNGだそうです。激しい運動も禁止です。愛犬の散歩は、時折激しくなることがあるので(おもに猫(笑))オットに任せます。重いものは持たないほうがいいので、ゴミ捨てもよろしく。あ、ご飯の準備もついでに…、洗濯物も重いかな…(笑)。こうやって父になる練習をしていかなきゃね。と言うと、「それじゃ父というより、主夫だよね」と言われる。はい、調子に乗りました(笑)。何はともあれ2人でがんばっていこう。オットと決意を新たにしました。今、私はお母さんです。任務期間は10日間となるか、それ以上となるか。判定日を待ちます。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年05月09日夢は時として不思議な体験を与えてくれます。いよいよ体外授精で移植が決定。中村こてつさんは赤ちゃんが出てくる不思議な夢を見ました。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。落とさなかった赤ちゃんに会えるか『私は赤ちゃんを落とさなかった』いつ頃からそういう類の夢を見るようになったのか、定かではありません。不妊治療を始めてから? いや、それよりもずっと前から?毎日の夢を覚えているわけではないのですが。でも夢の中で、自分が赤ちゃんを抱いたシーンがあると必ずそうなっていました。抱いた瞬間、足に力が入らなくなってフニャフニャになる私。そしてとうとう踏ん張りきれなくなって、赤ちゃんを抱っこしたまま前のめりに倒れてしまうのです。「あ~!赤ちゃんがつぶれちゃう!」そう思ってガードしたいのに、体はいうことを聞かず、結構な勢いで倒れます。その後どうなるかは覚えていません。もう今までに何度も見た夢。始めの頃は「あーぁ。赤ちゃん、落としちゃったな…」という感想だけで気にも留めていませんでした。でも、あるとき、その夢と不妊を結びつけてしまいハッとしました。これは何かの暗示? または願望、それとも不安? 夢の真意(があるのかも分かりませんが)を読めなくて、その夢を見るたびに困惑していました。正式に移植が決まった日、またあの夢を見ました。クリニック帰りに実母とランチをしたせいか、実母も登場。なんと夢の中で私は双子を産んでいました(願望かな(笑))。母が1人目の赤ちゃんを連れてきて、ベッドで寝ている私に抱かせました。どこかで客観的な自分がいて、半分夢と分かっていて「あー…また落とすのかな」と思っていました。しかし今回は違いました。ベッドの中でその子を抱きしめました。起き上がることもなかったので、そのまま落とさずに抱き続けられたのです。もう1人の子は最後にチラッと見たような、見てないような。性別も不明。なんとなく女の子だったかなぁ…(今となっては完全にはずれ(笑))。なにはともあれ、今回の夢では赤ちゃんを危ない目に合わせなかったのです。赤ちゃんが出てきた夢で、こんなことは初めてでした。移植の日がやってきました。仕事を休んでくれたオットとともにクリニックへ。融解した胚盤胞は、すでに中身(赤ちゃんの部分)が脱出を始めている脱出途中胚盤胞でした。グレードはABと言われました。施術服に着替えて、台の上へ。採卵のときよりも部屋全体が明るく、下半身丸出しの自分の状況がとても恥ずかしい!「それでは卵を戻していきますよ。」ドクターが言いました。明るい天井を見つめながら、この前みたばかりの夢のことを思い出していました。あの子に…会えるのかもしれない…※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年04月25日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんが当時を振り返って綴る治療の体験談です。いよいよ移植となると注射やお薬、とさらに準備が進められるようです。移植日が決まる卵胞ホルモン剤(プレマリン)を服用しだして12日目、診察のためクリニックへ。子宮内膜が8mm以上あれば黄体ホルモンの投与を開始して、排卵後の状態に戻すそう。プレマリンは子宮内膜を厚くしていって着床可能な状態にする働きと、勝手に排卵しないようにする役割もあるとのこと。ジャスト8mm。合格です。4日後の移植が決定しました。初回はグレードが一番よかった凍結胚を一つ移植予定です。移植日のスケジュールとしては朝、凍結胚盤胞を融かし、昼過ぎに回復と生存確認をします(凍結・融解によってダメージを受ける場合があるため)。私の通っているクリニックでは生存率90%、10個に1個の割合でダメージを受けるデータとのことでした。融解に関しては同意書が必要になります。生存が確認できたら、午後に移植となります。移植後もプレマリン、黄体ホルモンは継続して投与します。黄体ホルモンは基本注射だけれども、希望すれば膣座薬に変更可能とのこと。1日4個、まあまあ多い…。しかし、クリニックに通う大変さ(片道1時間半)を考えると座薬のほうがよさそうです。移植後10日で血液検査によって妊娠判定を行います。そんなに早く分かるものなのねぇ。妊娠していれば更に黄体ホルモンとプレマリンは継続します。黄体ホルモンは妊娠8週まで、プレマリンは妊娠12週までとのこと。これは、自然妊娠の場合は、排卵した後の卵巣の黄体からホルモンが補充されるのだけど、わたしはプレマリンを使っているため排卵が抑えられており、その状態では黄体が作られないため、胎盤からホルモンが作られるようになるまで外的に黄体ホルモンを投与する必要があるとのことでした。ドクターにちゃんと聞けばよかったと後悔移植日が決まり、ドクターから「戻す卵は1個でいいよね?」と念を押されました。診察が終わり立ち上がっている途中だったので「あ、はい…!」と慌てて即答してしまいました。たしか前の診察でも確認をされたのでした。1個移植と2個移植とどういうメリットデメリットがあるか聞けばよかった…とあとで後悔しました。私のドクターは寡黙な方で、さらに方針なのか、治療に対しての説明は質問しないと詳しく話してもらえません。説明を聞いたうえで、それはどういう意味? とかじゃあこういう場合は…などの質問も生まれてくると思うのですが。最近はネットで情報が氾濫しているから余計な混乱は避けようという考えでしょうか。毎回、診察までに質問することを考えておかないと、あっという間に診察が終わってしまい、聞けばよかったぁ…と後悔したことがよくありました。私は頭がパパッと回らないほうなので余計にそうなのかもしれません。治療仲間は、毎回提出する基礎体温表に質問を書いたメモを挟んでいました。口頭でうまく伝えられない人にはよい方法かもしれません。また、ドクターには聞けないけれど、看護師さんには気軽に聞けるという人もいました。子宮内膜の厚みが基準に達したので、黄体ホルモンの投与が開始されました。その日は注射(プロゲストン50mg)でした。排卵誘発の注射ほど痛くはないけれど、よく揉まないと翌日にコリコリに硬くなりました。その後3日は膣座薬(朝夕2個ずつ)で、移植前日だけ地元の産婦人科クリニックで注射することになりました。注射&座薬以外に、錠剤のお薬(デュファストン)も毎食後、飲みます。プレマリンとバファリンもあるし、薬だらけです。飲み忘れないか不安になります。準備は整いました。次はいよいよ移植となります。とうとう、ここまで来たか…ここに辿り着くまでに、上がったり下がったり、自分の中の様々な感情を味わってきました。もう「頑張ろう」などそういう次元ではなく、来るべき未来がどんなものであろうと丸ごとそのままを受け入れようという心持ちです。心の中には凪いだ海がどこまでも続いています。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年04月11日TBSラジオを大特集した『別冊TV Bros. TBSラジオ全力特集』(東京ニュース通信社)が9日に発売されることが明らかになった。『別冊TV Bros. TBSラジオ全力特集』今回、テレビ情報誌『TV Bros.』とTBSラジオがコラボした形で、「別冊TV Bros.」として、「読んで楽しむTBSラジオ」をテーマに特集される。4月より産休から復帰した赤江珠緒出演の『たまむすび』(毎週月曜~金曜13:00~)、2日にスタートしたライムスター宇多丸の新番組『アフター6ジャンクション』(毎週月曜~金曜18:00~)などに出演する、名だたるパーソナリティーとアシスタントが番組への思いや、ラジオでは語れない本音、裏話を語りつくす。また『土曜ワイドラジオTOKYOナイツのちゃきちゃき大放送』(毎週土曜9:00~)への密着の他、『神田松之丞問わず語りの松之丞』(毎週火曜~金曜 19:30~19:40頃)に出演する講談師・神田松之丞へのインタビューも収録される。
2018年04月02日「子どもが欲しいという確信のないまま、妊娠してもよいのだろうか」そんなことを思うこてつさんですが、それは戸惑いの表れなのかもしれません。不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。移植直前、このままでいい…流されるままに移植直前の生理が始まりました。いよいよ移植に向けて始動です。生理3日目から、卵胞ホルモン剤(プレマリン)を服用します。自然周期に合わせたホルモン補助の役割をするとのこと。なので、段々と量が増えてきます。初めの4日間は1錠、次の4日間は2錠、最終的には4錠となり、就寝前に服用します。プレマリンには血液を固まりやすくする作用もあるので、抗血小板剤として、小児用バファリンも同時に服用しました。そうして、受精卵が着床する子宮内膜の厚みを作っていきました。ふかふかの暖かなベッドに潜りこむ赤ちゃんの絵が思い浮かびます。受精卵の写真を目にして以来( 第25話参照 )、ずっと考えていました。本当に子どもが欲しいと思っていないまま、移植して妊娠してもよいものだろうか。それは子どもにも失礼だし、そんな気持ちのまま育児してもよいわけがない…と。探していました。自分が子どもが欲しいと思える何かを。投薬が始まって、気持ちに整理がつかないまま飲み始めている自分。このままだと流されるままに移植することになりそうで不安でした。が、しばらく悩むうちに、「これでいいのかも」と思うようになりました。自然に妊娠して出産する場合、「妊娠したから産む」というシンプルな流れが多いはず。自分が子どもを本当に望んでいるのか…深く検討して結論を出してから妊娠する人ってそうそういる?本当に子どもを望む気持ちがあって妊娠した人だけが、ちゃんとした子育てをする?自然にまかせて・なんとなく・思わぬ妊娠をした人たちは、しっかり子育てできてない?そんなことは、ない。私の場合、不妊治療中という環境におかれていて、周囲の意見といえば、子どもが欲しくて頑張っていらっしゃる方々の言葉を聞くほうが多い。だから「心から子どもを欲しいと思っていない」自分が浮いた存在に見えてしまっていたのかな…不妊全体でなく、女性全体の中に身を置いてみれば、悩むべきことではないのかもしれません。違うのは、けっこうな金額をかけて、高度生殖医療を受ける。という事実だけ。まぁ、その違いが大きいのですが…(笑)体外受精・顕微授精だからといって必ずしも妊娠できるわけではありません。移植後はもう神様の領域です。その神様に運命をお任せして、流されるままに現実を受け止めてみよう…それでもいいのかも…これでいいのかも…※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年03月21日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談。お休み期間を経て、いよいよい移植へという時に「本当に私は子どもが欲しいの?」そんな心の葛藤が再燃します。本当に私は子どもが欲しいのか?新しい年を迎えました。予定では、1月半ばにリセットし、2月初旬に移植となります。「グレードの良い初期胚盤胞が3個あるので、そのうちの1個を移植することになります。」とドクター。写真を渡されました。凍結した受精卵の写真です。同じく顕微授精をした友人が、受精卵の卵の写真が可愛い! と言っていたので私も楽しみにしていました。が、いざ渡されてみると、その感情は湧かず…。だって、見た目干し梅みたいなのです(笑)(色は違いますが)。移植したら、だんだんと愛おしくなるのでしょうか。しかし、自分も昔はこんな姿だったんだなぁと思うと不思議でなりません。この干し梅が人間の形になっていくんだもんなぁ~。『イノチ』って本当に神秘的。単純に感動し、その日の受診は終了しました。…それから数日後、激しく気持ちが落ち込んでいる自分がいました。受精卵の写真を見たときに、嬉しい! かわいい! という気持ちは全くありませんでした。それに対して「やっぱり私は心底子どもが欲しいわけではないのでは…」という疑問が渦巻いて、そんな気持ちのまま移植を受けるなんて、やはりよくないのではないか…そう思うようになりました。でもこれは私1人の問題ではないし、そうそうゆっくりもしていられない…。ましてや1回で妊娠できると決まっているわけではないのだし…。でも無責任ではないだろうか、子どもに対して。将来、私は本当は欲しくなかったのよ。なんて子育てに対して言い分けを作らないだろうか…。そう考える一方で、何を甘えたことを言っているの? 本当は欲しいくせに。できなかったときのショックを小さくしようと、自分の気持ちをセーブしてるだけでしょう? 怖いだけでしょう? と怒る自分もいました。そうなのかなそうなのかな自分の気持ちが分かりませんでした。みんながいう「理屈じゃない子どもが欲しい気持ち」が私には湧き上がってこない。いや、気持ちはあるけど見ようとしていないのか。もうすぐリセット。そうしたら2月には移植。それまでに自分の気持ちを固めなければいけない…。落ち込んで、憤って、悩んで、焦っていました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年03月07日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談です。卵の移植まで待つ間、図書館で中村さんが手にした1冊は『産まない女」として生きるあなたへ』。産まない女として生きるか採卵後の生理予定日に、しっかり生理がきました。人生の中でイレギュラーな採卵を終えた後だったので、予定通りきたことにホッとしました。年明けの移植についてスケジュールを決める以外は、しばらく治療もお休みです。クリスマスもお正月も、おっと! 結婚記念日も(笑)、気楽な気持ちでのんびり過ごせそうでウキウキしました。読書は好きで、図書館にはよく通っていましたが、不妊治療を始めてからは、それに関する本も読み漁っていました。治療の休憩期間に借りた一冊。『産まない女」として生きるあなたへ』。理由はいろいろあれど、最終的に「産まない」ことを選択した女性が、どのようにして自分の人生を生きていくか。不妊治療後、自分自身もその人生を歩む著者が、多くの女性へのインタビューとともに、それらの人生を輝いて生きるためのプロセスが書いてありました。顕微授精で凍結胚移植を待つ身の私でしたが、なんとなくタイトルに惹かれて手に取りました。私はこの体験記を、当時の日記を読み返しながら書いています。その時に感じたり思ったりしたことを忠実に文字にしています。日記にはこう書いていました。『自分がそうなったときの覚悟?いや、まだそんなことは考えられない。でも、もしかしたらそうなるかもしれないという漠然とした不安はある。今読むのと、自分が決心したときに読むのとでは雲泥の差の感じ方があるかな。とりあえず今の私は、私にできることをやるだけだ。やるだけやったら、どっちに転んでも、自分の答えが見つかるだろう。本の中の女性たちは「あの時こうしていれば…」と悔やんでいる人も少なくない。どれだけ悔やんでも過去はかえられない。自分が後悔しないように。思いっきり、やろう。出来るときに出来る事を。』子どもを産み育てることへの願望が薄いことを悩みながらも始めた不妊治療でしたが、治療が進み、すぐにできるものではないのだという事実を知るごとに、「産めないかもしれない」と考えたときに得体のしれない恐怖も感じていました。この本を読んだ私は、いろんな不安をぶるぶるっとふるい落とし、「今、やるしかないのだ」と改めて気合いを入れたようでした。図書館で借りるときは、本のタイトルとともに貸出日・返却日・利用者番号などを書いた小さなレシートのような紙を渡されます。返却を遅滞しないようにという目的でしょう。この本を読んでいる途中、ひらりとその紙が落ちてきました。私のものではありません。貸出日は去年の同じ頃。借りた本の名前がつらつらと並んでいます。文字数に制限があるらしく、タイトルは途中で切れていましたが、「産まない女」として生・・・あきらめないであなたの・・・大人の刺繍バッグをつく・・・おそらく女性でしょう。私と一緒で不妊の人。『あきらめないであなたの…』の後に続くのはきっと『赤ちゃん』。彼女もまた、産みたい気持ちと産めないかもしれない不安の間で揺れていたのかもしれません。その答えをいろんな情報に求めている。ちくちくとバッグを縫いながら…勝手にそんな想像をしていました。自分の人生なのだから自分で決めていい。決めていいはずなのに、どうして思い描いたとおりに進むことが難しいのでしょう。子どもを持つ持たないに関しては、特に。それとも人生は誰かに与えられるものなのでしょうか。神様の領域なのでしょうか。あの女性が今、どの人生であっても幸せであってほしい、そう思いました。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月21日六本木レディースクリニックはこのほど、「妊活に関する調査」の結果を明らかにした。同調査は1月23日~25日、全国の20~40代の妊活・不妊治療経験者と未経験者女性900人を対象にインターネットで実施したもの。20歳のときに思っていた想定妊活開始年齢を尋ねたところ、全体の平均は27.35歳だった。しかし、不妊治療を経て子どもを授かった女性に実際の妊活開始年齢を聞くと、全体平均より2歳高い29.4歳となった。妊活開始の理想的な年齢は「26.3歳」で、実際に出産を経験した女性でも、想像と現実に約3年の開きがあることがわかった。不妊治療経験のある人に対し、妊活を開始してから不安を感じるまでの期間を尋ねたところ、子どもがいる人は平均8.66カ月、子どものいない人は平均8.55カ月だった。実際に不安を感じてから病院を受診するまでの期間は、子どもがいる人は2.25カ月、子どものいない人は3.35カ月で、子どもがいる人の方が約1.1カ月受診が早かった。実際に妊活として取り組んだことを尋ねたところ、「身体面」「生活習慣」「情報収集」という回答が上位を占め、「経済面」は後回しになっていることがわかった。しかし、不妊治療において最も大変なこと聞くと、1位の「精神的な負担・ストレス」(37.3%)に次いで、「金銭的な負担」(13.3%)が多くなっている。不妊治療経験のある人に対し、実際に不妊治療にかかった金額(総額)を聞くと、平均は93万円だった。許容できる金額を聞いたところ、不妊治療を経験ありの人は平均118万円で、中には500万円以上という回答もあった。一方、妊活経験ありの人は平均61万円、不妊治療・妊活も経験ない人は66万円だった。パートナーが妊活に対し積極的か(妊活を経験したことがない人は、自分が経験した場合を想定して回答)尋ねたところ、不妊治療を経て子どもを授かった女性は80.3%が「積極的」と回答した。子どもがいない既婚女性は62.0%が「積極的」と答えている。不妊治療で頼りになった人について聞くと(不妊治療を経験したことがない人は、自分が経験した場合を想定して回答)、不妊治療を経て子どもを授かった女性の60.3%、子どもがいない既婚女性の47.0%は「配偶者」と答えた。独身女性の場合、「配偶者が頼りになりそう」と回答したのは34.3%にとどまっている。不妊治療を経て子どもを授かった女性に妊娠を希望する女性へのアドバイスを聞いたところ、「望んでもすぐに妊娠するわけではないということを知っておく」(32.3%)が最も多かった。次いで、「ストレスを溜めない」(32.0%)、「貯蓄を増やす」(27.7%)となっている。不妊治療を経て子どもを授かった女性に妊活・不妊治療を経験してよかったことを尋ねると、48.3%が「子どもをさらに愛おしく思えた」と回答した。「同じような境遇の人に気をつけるようになった」(40.0%)や、「パートナーとの仲が深まった」(25.7%)という回答も多かった。
2018年02月20日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。採卵を終え一安心するも移植可能な胚盤胞がいくつできたか…ドキドキしながら結果を待ちます。移植できる卵はいくつできたか採卵の3日後、心配していた採卵後のOHSS( 第21話参照 )についてチェックするために、体重と腹囲を計測しました。採卵直後とあまり変わっていませんでしたが、内診してもらうと、少し腹水がたまっていました。残った卵胞たちもかなり大きくなっていました。それに伴い、卵巣も腫れているようです。言われてみれば、少し張った感じはありました。もう少し水が溜まってたら、かなり苦しかったと思うよ~とドクターに言われました。残った卵胞はもう排卵しないので、これ以上症状が悪化することはないとのことで、軽いOHSSとの診断です。これくらいで済んで本当に良かったです。しばらくは、飛んだり跳ねたりはNGです。卵巣がぐるんと捻じれると大変なのです。(余談ですがこの7年後、本当に捻じれてしまい(卵巣茎捻転)救急搬送されました。幸い手術は免れましたが、正直出産より痛かったです!二度と味わいたくない痛みです。)腫れた卵巣は1ヶ月で戻るのは難しいかもとのことで、移植は年明けになりました。年末はゆっくり過ごせるんだぁ~と嬉しくなりました。受精から5日経ちました。13個の受精卵のうち、いくつ胚盤胞になったか電話で確認します。高校受験のドキドキを思い出します。結果…10個!おぉ。想像していたより多い!4日目の夕方に初期胚盤胞になったものが4個。あとは5日目以降になったものが6個。私の場合はそれら全てを凍結し、OHSSが改善されてからの移植になります。4日目の4個は各1個ずつ凍結しました。5日目以降のものは各2個ずつ一緒に凍結しました。なかなかいい卵です。とドクター。とりあえず高校に合格したようです(笑)。あとは無事に卒業できるか…何はともあれ、移植できる卵が凍結できてホッとしました。最後に言われた、凍結料金9万円は悲しかったけれど…。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年02月07日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。いよいよお腹から卵子を取り出す採卵の様子についてです。身体的にも痛いその治療は、実に懐にも大変痛かった…という後の費用のお話も…。卵はいくつ採れたかな?下半身を丸出しにして、大股を開いています。これから、卵巣内で育てた約30個の卵を採卵します。何度も卵巣に針を刺す…その想像だけでかなりドキドキしています。まず3回ほど子宮内を消毒しました。その後、膣内に局所麻酔を施します。この工程も地味に痛いけれど、まだ我慢できる痛みです。いよいよ針の挿入です。…くぅ、なんのこれしき…。歯を食いしばります。超音波によって、画面に卵巣の様子が映されています。もう一つの画面には、採った卵を入れる培養液の入ったシャーレが映っています。針が卵胞をググッと押してプシュッと入ります。プシュッと卵胞に針が刺さる瞬間はお腹の中でも感じました。針先から卵胞内の液ごと卵子が吸い込まれ、卵胞はしゅるるると小さくしぼみました。吸い込んだ卵子はシャーレに移されます。モヤモヤとした液体の中に包まれた白い丸い小さな点。「あれが私の子ども…」単純に思いました。こんな時期から顔を合わせることができるなんて、すごいなぁって。君が卵の頃から知ってるんだよ、なんて子どもに話すときがくるのかな。何個か吸った後、角度を変えるため、ドクターが針を動かしました。「ヴ~~~×△×、い、痛い~!」でも痛いって言ってもヤメてもらえるわけもなく(笑)、我慢です。手術室内に流れるBGM(平井堅さんでした)に耳を傾けたりして、痛みを無視…できるわけもなく、ただただ歯を食いしばり堪えました。20分くらい経ったでしょうか、採卵が終了しました。消毒して、2分ほど横になります。看護師さんに「休んでいきますか?」と聞かれましたが、そんなに痛みを感じなかったので大丈夫です。とすぐに着替えて、待合室で待つオットの元へ戻りました。しかし、ドクターの説明を待つ間、段々とお腹に痛みを感じ始めました。診察室に呼ばれ、ドクターから説明を受けます。「卵は20個採れました。OHSSを防ぐために、未熟な卵もあえて採りました。ですので、20個全てが受精卵になることはないでしょう。また、ご主人の精子の値が30%台とよくありませんでした。数次第では顕微授精(ICSI)にするかもしれません。」顕微授精とは、顕微鏡で見ながら卵子のなかに精子を針で直接注入し授精させる方法です。まだ不妊治療について知識が全くない頃、よくイメージしていた『卵子に針がプスッと刺さる…』あの映像。体外受精は、卵子に精子を振りかけて自然に受精するのを待ちますが、顕微授精は人工的に授精を行うため、受精が成功する確率は高いとのこと…。というような内容でした…が、そんな話も遠くに聞こえるほど、お腹が痛い…。前屈みになって、苦悶の表情を浮かべる私に気付いたドクターから指示が出て、また安静室に戻り、1時間ほど休むことになりました。オットも傍らに付き添ってくれました。痛いのと、終わってホッとしたのと、オットがいてくれる安心感で、涙が二つ、ポロリポロリと落ちました。休んだおかげで、お腹の痛みはだいぶましになりました。この日のお会計、約199,000円。私の通っていたクリニックでは、採卵数により金額が加算されるシステムで、たくさん卵が採れた私は基本料金より5万円ほど金額が高くなっていました。数字を見て、また涙が出そうになりました(笑)。帰宅し、クリニックから電話がありました。結局、全て顕微授精になったとのこと。顕微授精の基本料金が約5万円が上乗せになりました。く、苦しい。お腹も痛いけど、財布も痛い…。でも、凍結卵があれば、次回からの移植は、排卵誘発も採卵もしなくていいのです。その分の体と金額の負担はないので、ヨシとしよう。と自分を納得させました。受精したかどうかの結果は翌日分かります。培養士さんから電話がかかってくることになっています。たくさん受精してくれますように…。今のところ、野球チームもサッカーチームも作れるね、とオットと笑いました。翌日、受精確認の電話がきました。採卵した20個のうち、成熟卵が17個。そのうち受精したのが13個とのことでした。これから5日間かけて胚盤胞まで培養するそうです。胚盤胞まで培養すると良質な胚を選定でき、初期胚よりも着床率は高くなるとのこと。受精した卵は、分裂を繰り返し胚盤胞の状態になって子宮内に着床します。その状態まで体外で培養することで、卵が自力で成長する期間が短くてすむメリットもあるようです。胚盤胞になる確率は全体の5~6割程度とのこと。ということは6~7個移植できるのね…。じゃあ…バレーチームかぁ(笑)実感の湧かない私たちは、のほほんとこんな皮算用をしてこの時期を過ごしていました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月24日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届け。お腹の中で卵子を育てるために定期的に注射を続けるこてつさん。はたしてその結果とは…。お腹の卵は何パック?卵を育てるため、激痛の注射を打ちました。妊婦さんに囲まれながら、地元の産婦人科に通い、毎日打ち続けました。たくさんの卵が順調に育っているのか、お腹が張ってくるのを感じます。7日目、クリニックで超音波検査をしました。卵胞(卵子の入っている袋)の数は左右合わせて約30個ありました。そりゃ、お腹も張るわ。大きい卵胞で18mm程度になっていました。OHSS(卵巣過剰刺激症候群)の可能性も?採血の結果、2日後に採卵が決定しました。その後、看護師・培養士より説明を受けました。オットの精子は、人工授精のときと同じく自宅で採取します。てっきり病院で活きのいい精子を採るもんだと思っていたので拍子抜けしました。男性は、こんなときぐらいしか治療に関わっていると実感できる時はないのに、なんだか悔しくなりました。いやいや、採卵の日は、会社を休んで付き添ってくれるというオットです。ありがとうと言わねば(笑)。培養士によると、今回の私の場合、OHSSになる確立は高いとのこと。〔OHSS(卵巣過剰刺激症候群):卵巣が腫れたり、同時に排卵することで腹水がたまったり、重症になると胸水も溜まる。血液濃度が濃くなって、血栓(脳梗塞などの心配)ができやすい。※医者より説明された内容で筆者が記憶しているものです。〕30個近くの卵は採卵で全て採るわけではなく、未熟なものはそのまま残します。その残した卵が後々、排卵したりして腹水が溜まることがあるそうです。治療仲間で20個採卵した人はOHSSになった話も聞いていたので、ドキドキしてきました。そして採卵は、卵の数が多ければ多いほど時間もかかるし、角度を変えるため何度も針を刺し直すそうです。膣壁には局所麻酔をするけれど、卵巣には麻酔ができない…ということで痛いらしい。うーん、うーん。怖いよう。怖さから、オットへの恨み節が再燃しました。(笑)その日の夜、地元の産婦人科にて排卵させるための注射を打ちました。いよいよ採卵当日採卵日当日になりました。朝6時半に起床。採精のため、オットを一人寝室に残し、シャワーを浴びました。無事にオットの精子、確保。痛み止めの坐薬を入れて、クリニックへ向かいました。クリニックに到着後、ほどなくして看護師さんに呼ばれました。安静室と呼ばれる部屋で血圧を測定後、下半身裸になり、上から手術着を着用しました。歩いて隣の手術室へ移動します。足を台に乗せ、大股開きになります。普段の診察はカーテンがあるのに今日はありません。ドクターの顔が股越しに見えます。そして私のお股にはスポットライトが。…なかなか、いや、かなり恥ずかしかったです。いよいよ採卵が始まります。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2018年01月10日薄毛に対する有効な治療法とされる植毛ですが、一方で治療費が高額になるイメージもあります。実際に植毛を行うとした場合、どのくらいの値段になるのでしょうか。また、植毛はどのように行われるのか、副作用の心配はないのか、仮に手術を受けた場合に術後の日常生活にはどのような制約が出てくるのかといった植毛の疑問について解説します。そもそも、「植毛」と言っても1つの治療法だけではありません。まずは植毛の種類について簡単にご紹介します。植毛とは植毛は、文字通り薄毛の部分に髪の毛を移植する薄毛の治療です。植毛には2種類があります。自毛植毛人工毛植毛まずは、それぞれの特徴を簡単に解説しましょう。自毛植毛とは自毛植毛とは、自分の髪の毛を移植する植毛方法です。男性型の薄毛の場合、生え際や頭頂部の毛髪が薄くなっても、側頭部や後頭部の毛髪は残っている傾向があります。その側頭部や後頭部の髪の毛を採取し、移植するのが自毛植毛です。移植する髪の毛は毛根から採取して移植するため、もともとの髪の毛と同じく伸びます。人工毛植毛とは人工毛植毛とは、人工的に作られた毛髪を薄毛の部分に移植する施術です。人工毛は合成繊維でできています。髪の毛が薄くなっている部分に希望の本数だけ人工毛の移植が可能です。増毛と植毛の違いとは植毛は自分の髪の毛もしくは人工の髪の毛を移植することで薄毛を改善する方法ですが、同じく薄毛を改善する方法として「増毛」という言葉を聞いたことがある方も多いでしょう。増毛と植毛は、何が違うのでしょうか。増毛とは、育毛や発毛に近い治療と言えます。髪の毛の成長サイクルを正常な状態に近づけることで、薄毛となっている部分にある毛母細胞から新しい髪の毛が成長しやすくする治療です。植毛は外科的治療となりますが、増毛は塗り薬や飲み薬をメインに行われます。男性型脱毛症(AGA)は、進行すると毛母細胞が死滅してしまい、薬による治療が難しくなります。そのような場合でも可能な治療法が植毛なのです。自毛植毛と人工毛植毛のメリット・デメリット自毛植毛と人工毛植毛には、それぞれメリットもデメリットもあります。それぞれについて解説しましょう。自毛植毛自毛植毛のメリット・デメリットとして以下のことがあげられます。自毛植毛のメリット自分の組織を移植することから頭皮への悪影響が少ない、一度定着すれば普通の髪の毛と同じくまた生える可能性がある。自毛植毛のデメリットAGAの進行をおさえる治療は続ける必要がある、生えそろうまでにある程度の期間が必要となる(8〜10か月程度)。AGAの場合、自毛植毛を行って髪の毛が定着後であってもAGAの進行を抑えるため、薬による治療は継続する必要があります。しかし、もともと自分の組織であることから、身体が異物として認識して拒絶反応を起こすことは少ないと言えるでしょう。人工毛植毛次に、人工毛植毛のメリットとデメリットを解説します。人工毛植毛のメリットある程度長い毛を移植することから変化をすぐに実感できる人工毛植毛のデメリット人間の身体が人工毛を異物とみなして拒絶反応が起こる可能性が非常に高い(炎症や化膿の発生)、運良く拒絶反応をまぬがれても、経年劣化によるメンテナンスが必要な場合もあるなお、アメリカの「アメリカ食品医薬品局(FDA)」では、この人工毛そのものが「有害器具」に指定されており、多くの州で人工毛の使用が禁止されています。また、日本でも人工毛による治療は「日本皮膚科学会」が発表している「男性型脱毛症の診療ガイドライン」で「行わないよう勧められる」の意味のD評価となっています。植毛の治療法とは同じ自毛植毛の中でも、メスを使用する方法やメスを使用しない治療法など、いくつかの方法があります。どのような治療法があるかについて、簡単に解説します。自毛植毛自毛植毛は、以下の方法があります。FUSS法(ストリップ法)メスで頭皮を部分的に切り取り、細かい株にわけて薄毛部分に一つひとつ移植します。皮膚を大きく切ることから、術後の傷跡や1回の手術で移植できる株の数といった部分にデメリットがあります。FUE法移植する髪の毛を毛穴ごとにパンチを用いてくりぬき、移植する方法です。FUSS法より傷跡が小さく、痛みも軽減される傾向があるとされています。このほか、頭皮の一部を残して移植部分を切り取り、皮膚を縫い付けて移植する方法や、薄毛部分の頭皮を切り取って周囲の皮膚と縫い合わせる縮小術といった方法もあります。しかし、これらはほとんどの場合ごく小範囲の治療にしか適応できず、また身体への負担の大きさから減少傾向にあります。人工毛植毛人工毛植毛は、合成繊維でできた人工毛を体内に挿入する方法で、自毛植毛のような術式の違いはありません。なお、埋め込むだけとはいえ医療行為となります。植毛は失敗しないの?自毛植毛の場合、治療によって治療前よりも状態が悪化したという報告はなく、そういった意味での失敗はほぼ心配ないといわれています。ただし、移植した部分に髪の毛が生着せずに十分に見た目の変化を得られないという可能性はあります。これは、手術方法や医師の技術、アフターケアなどによっても異なります。一方、人工毛植毛の場合は、拒絶反応やアレルギー反応などによって炎症や化膿を起こす可能性が非常に高く、毛穴という毛穴が炎症と感染を起こし、頭皮全体がただれてしまった例などがあります。植毛の値段の相場とは植毛にかかる費用は、自毛植毛か人工毛植毛か、また、どのような術式で行われるかなどによって異なります。おおよその値段の相場をご紹介します。植毛は保険適用外植毛は、保険が適用されない自由診療の治療です。保険診療と自由診療の違いについて、簡単におさらいしましょう。保険診療とは、治療内容が同じであればどのクリニックでも値段が同じ治療です。また、患者の負担は治療費の3割負担が基本となっています。一方、自由診療は同じ治療内容や素材でも、クリニックが独自に費用を設定しています。また、治療費は全額、患者負担となります。そのため、自由診療のほうが患者の費用負担が大きくなりやすい傾向があります。自毛植毛にかかる値段とは自毛移植の費用は、基本的に「固定の基本費用」と「株数に応じた植毛費用」の合計で設定されています。ここで言う「株」とは、毛穴のことを指します。1つの毛穴からは1本だけ髪の毛が映えている場合もあれば、2本から4本ほど生えている毛穴もあります。そのため、1つの毛穴を1株とし、移植する株数に応じた金額が設定されているクリニックが多いようです。また、基本費用も術式によって異なるのが一般的です。移植する面積や株数によっては、値段の合計が100万円を大きく超える場合もあります。人工毛植毛にかかる値段とは人工毛植毛の場合、移植する本数によって値段を定めているクリニックが多いようです。そのため、費用に関しては一概に言えませんが、3000本の植毛では100万円を下回るくらいの費用設定をしているクリニックが多いようです。しかし、拒絶反応や感染のリスクの高さを考えると、安いから受けやすい治療とは一概には言い切れない可能性もあるので熟考が必要です。植毛による副作用人工毛植毛と比べれば安全性が高いと考えられる自毛植毛にも副作用が起きる可能性はあります。ここでは、主に自毛植毛で起きる可能性のある副作用を簡単にご紹介します。出血・痛み・かさぶた手術を行った翌日から2日目くらいまでに、まれににじむ程度の出血が見られることがあります。ほとんどの場合、ティッシュなどで数分間圧迫すれば出血は止まります。また、毛髪を採取した部分に軽いつっぱり感が出ることもあります。クリニックによっては、痛みが強いときに服用する鎮痛薬を処方してくれるでしょう。また、移植した部分にかさぶたができます。これは10日ほどで取れますが、かゆみを感じることがあってもゴシゴシとこすったり、かいたりしないよう気をつけましょう。おでこや目の周囲の腫れ手術による影響で術後5日目くらいまではおでこや目のまわりが少しむくんだように腫れる場合があります。ただし、1週間ほどで自然に改善することがほとんどです。ショックロス自毛植毛を行った患者の20%ほどに現れるといわれている副作用として、「ショックロス」というものがあります。ショックロスとは、主に手術の1か月後から2か月後くらいに現れる、植毛した部分の周囲にもともと生えていた毛が脱毛する現象のことです。弱っていた髪の毛にショックロスが出やすいものの、その程度には個人差があります。ショックロスが現れる原因は、植毛時の小さな傷や、植毛によって血流が変化することなどではないかといわれていますが、正確にはわかっていません。なお、植毛後の脱毛としては、移植した毛髪が生着せずに脱毛している場合と、毛髪の成長サイクルによって自然に抜け落ちる一時的脱落が考えられます。術後1日ほどで抜け落ちたものは生着しなかった髪の毛であり、治療後数日してから抜け落ちる場合は一時的脱毛である可能性が高いと考えられます。植毛後に日常生活で気をつけること植毛は、基本的に日帰りで行われます。植毛を行った当日以降、日常生活で気をつけたいポイントとして以下のものがあげられます。植毛当日は髪を洗わない植毛翌日以降も、移植した部分にシャワーを直接当てないようにしながらシャンプーをする頭皮への刺激が強いシャンプーを避ける頭皮を強くこすらない過度な運動は術後しばらく控える喫煙も術後しばらく控える植毛をしてから2週間ほどすれば、日常生活における制限はかなり少なくなるでしょう。ただし、移植した髪の生着率を高めるためにも、日常生活における注意点は担当医師に確認するようにしてください。まとめ植毛の値段はクリニックや選択する治療法、植毛する本数や面積などによって異なりますが、決して安いとは言えません。しかし、進行したAGAなどにも適用できることから、植毛は特にAGAの最終手段ともいえる治療です。薄毛の悩みが気になる場合は、選択肢のひとつとして考えるのもよいでしょう。植毛にかかる値段のほかにも、どのような術式を受けるか、どのくらいの面積に植毛を行うかなど、選択することは多くあります。薄毛の悩みに応えているクリニックの中には、無料のカウンセリングを行っているクリニックも多いため、悩んだ場合はクリニックで相談してみることをおすすめします。監修:小野 健太郎
2017年12月20日不妊治療を2005~8年に受けた中村こてつさんの体験談をシリーズでお届けします。卵を大きく育てるための注射を定期的に打たなければいけないこてつさん。どうやら、その注射はとっても痛いらしいのです。妊娠するための試練!? 恐怖の注射卵巣嚢腫も問題ないとされ、その日から点鼻スプレーを始めることになりました。卵の発育を均一にするのと、自然に排卵しないように抑制するために使用するそうです。朝・昼・夜の3回。だいたい8時間おきに鼻にスプレーの先を差し込んでプシュッと投薬します。プールで鼻に水が入ったときのつーんという感じと、苦い味がして、美味しくはなかったです(笑)。これもピル同様、携帯にアラームをかけて投薬忘れを防止しました。ピルを予定日数飲み終わると3~4日で生理がきます。その後、7~10日間、卵を大きく育てるための注射が始まります。この注射については前々から恐怖を感じていました。なぜなら、経験者の友人みんなに「痛いよ~」と脅されていたからです(笑)。誰一人「痛くないよ」とは言ってくれません。みんな「痛いけど頑張ってね」と応援してくれるので、ビクビクしていました。 生理が来ました。生理5日目から注射が始まりました。採血後、処置室に入ると、初めての看護師さんでさらに不安になります。(これまでの経験で、痛みは看護師さんでも違うのではと疑っていました(笑)。)どこにしますか~と聞かれて、迷ったあげく右尻をチョイスしました。頭の中で「超痛いよ~ぉぉぉ!」という誰かの言葉がリフレインします。「刺しますね♪」と看護師さん。いちいち言わないでいいよぉ~(涙)。ブスッ。「(注射液を)入れますね♪」と看護師さん。だから、いちいち言わないでいいよぅ~(涙)。液が入ってくると、じわじわと痛みが大きくなってきて、ぬうぉぉ!痛い!!本当に一瞬、クラッと気が遠くなりました。でも、これで質のいい卵がたくさんできるのだから…我慢我慢。この注射があと7~10回あるのね…ふごーーっ(痛みでおかしくなりました(笑))。クリニックへは高速を使って1時間半かかります。毎日通うのは困難な場合、地元の産婦人科でも注射できると言われました。地元の産婦人科なら車で10分弱です。絶対楽に決まっています。でも、産婦人科。…妊婦さんいっぱい。落ち込まない自信があるだろうか、私…。知らない病院・先生よりいつものクリニックのほうが絶対リラックスできるだろうなぁ。体の楽をとるか、心の楽をとるか…。が、ドクターに「注射だけのために遠くからくるなんてもったいないよ」とバッサリ切られ、翌日からの注射は地元の産婦人科で受けることになりました。そうだよね、自分の体が疲れちゃ何にもならないものね。妊婦さんの妊娠菌を吸い尽くすくらいの勢い(笑)で行こう。翌日からは、左右の腕・お尻、と場所を変えながら打ちました。注射後はよく揉まないと、後にがちがちに硬くなってしいます。なので待合室には腕を揉みまくる女性たちがよく見られました。そしてどんなに揉んでも打ち身のような痛みは残ります。そこにまた翌日注射針を刺すのは辛すぎる…ということで私はそうしていました。クリニックの帰りに、腹巻を購入しました。薄手なので普段の服の下にも着られます。カイロを入れるポッケ付きです。「移植したら、着よう。」辛い治療を頑張ったら、その見返りは当然あるような気がして、いつのまにか体外受精を楽しみにしている自分がいました。※痛みの感じ方には個人差があり、上記はあくまで私の感想です。全ての方が同じような痛みを感じるとは限りません。※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2017年12月20日不妊治療を体外受精にステップアップする中村こてつさん。2ヶ月間、治療をお休みし充電期間を経て、いよいよ体外受精編の開始です。2005-8年の体験記になります。体外受精はじめましたタイミング療法→人工授精→体外受精と、不妊治療のお手本のように順調にステップアップしてしまいました。しかし、ここまで来たら後には引けません。2ヶ月間、治療をお休みして、心も身体もパワーはみなぎっています。9月末、生理開始。さあ、いよいよ体外受精、始動です!体外受精とは、卵巣から取り出した卵子を体外で受精(シャーレに入った卵子に精子をふりかける)させ、その受精卵を培養した後に子宮に戻す治療方法です。まず、採卵のための準備として、生理3日目から、低用量ピルを服用することになりました。避妊に使われるイメージの強いピルですが、不妊治療では卵巣の地ならし用な役割で、あとあと卵の質を均一にするために使用するそうです。飲み始めると高温期に入り、しばらくすると出血もなくなりました。ピル服用中は、飲酒も運動も性交も問題ないとのこと。(飲酒してよいかはいつも必ず聞いていた私です(笑))ただ飲み忘れは要注意です。生理が始まってしまいます。晩ご飯~就寝の間に1錠ずつ。14日間飲み続けます。飲み忘れてしまった場合は翌朝に飲んで、その日の夜にまた1錠。薬の飲み忘れをよくやってしまう私なので、携帯にアラームをセットして臨みました。薬の副作用は個人差があると思いますが、私の場合、飲み始めて1週間ほどは眠気との闘いでした。とにかく眠くて眠くて、無職でしたので一日中ゴロゴロしていました。あ、ゴロゴロしているのはいつものことでした(笑)。ピル服用12日目にクリニックで卵巣の状態をチェックしました。左の卵巣、何も無くキレイ。右の卵巣、ん?と私でも分かるくらいの丸い卵胞のようなものが一つ…。「卵巣嚢腫があるね~」と小さくつぶやくドクター。その前日に図書館で借りた不妊体験本で「卵巣嚢腫で手術~ほにゃらら」という文言を見たばかり。の、のうしゅ!? 今、嚢腫って言った? 先生。聞きなおしたいけれど怖くて聞けません。それがあるとまずいんですか? とだけやっと聞くと「まぁ多分、水が入ってるんじゃないかな」との的を得ていない返事。ドクター曰く、卵巣にできる腫瘍の9割以上が良性腫瘍であり、良性腫瘍の中で一番多いのが、卵巣嚢腫だそう。分泌物などがたまってできる袋状のものとのこと。一番最初の診察での超音波画像にも写っているから、普段から常にあるものではないかと言われました。念のため、ピルを1週間延長して経過を見ることになりました。1週間ずれるってことは、採卵日は11月初め。体外受精が始まるまでは、日にちが遅く進めばいいなんて思っていたけれど、いざ始まってしまうと、順調に進まないことにモヤモヤします。ピル服用19日目、再びクリニックへ。前回、経過を見ることになった卵巣嚢腫は今回も見えました。大きさは変わらず。やはり水の入った袋、水ぶくれみたいな感じでしょうねとドクター。これがあっても特に体外受精に問題はないとのことでした。ホッとしました。これからもずっと卵巣内にあるんですか? と聞くと「採卵のときに針刺しちゃうから、一時的に小さくなるかもしれないけれど(多分ずっとある)」とのこと。その言葉に改めて、「そうだった、卵巣に針刺すんだよな~」とドキリとしました。痛そうなのでなるべく考えないようにしていたのですが…。ギョッとしたり、モヤモヤしたり、ホッしたかと思えばドキリとしたり、体外受精に向け、心が忙しいです。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年12月06日不妊治療は終わりの見えないトンネルのように思えた、という中村こてつさん。体外受精を始める決心をしたものの、一旦治療は2か月のお休みに入ります。中村こてつさんの2005-8年の体験記です。不妊治療中ものすごくよく言われた言葉2ヶ月間の治療休み。自分で思っていたより治療へのストレスはあったらしく、何も考えなくてよい心から穏やかな日々に懐かしささえ感じました。しかし、そんな穏やかな日々は数日で、お休み中も生理が始まりそうな気配を感じると、なんだかイライラ…少しのことでムッとなり、その後急に悲しくなってポロリと涙…。子どもを持つと意識して治療を始めてから、生理前に自分の感情が不安定になることはもう自分ではどうしようもないのでした。 不妊治療をしていると人に話すと、何人もの人から言われた言葉があります。その人の友達や知人は「治療をやめたら自然にできたらしい」と。そのたびに思いました。でたーーーっ!「治療やめたら自然妊娠」説~っ、と(笑)。きっとその人は、励まし・応援の意味でその話をしてくれたのだと思います。たしかに、不妊の大敵と言われるストレスから解放されて、実際に妊娠された方もいるのでしょう。けれども不妊の理由も特定されて、ほぼほぼ自然妊娠は無理とされている私には、その言葉にパワーをもらうことはないのでした。へぇ、そうなんだ。と言うしかありませんでした。…けれども、いざ自分が治療を休むと決めたとき、心の中に蘇る「治療やめたら自然妊娠」説(笑)。ぜ~んぜんっ、期待してないしぃぃ…可能性はゼロじゃないけどさぁ~…。…そして…生理。落ち込む。というのを2回繰り返して、私の休息は幕を閉じました。人生、そう上手くはいきません。いよいよ体外受精をはじめます。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年11月15日オーク会はこのほど、不妊治療を専門とする産婦人科専門医・船曳美也子氏の著書『あなたも知らない女のカラダ 希望を叶える性の話』(発行元:講談社/1,200円・税別)を全国の書店およびインターネット書店などで販売開始した。同書の著者である船曳氏は2014年、健康な女性の凍結卵子による妊娠・出産に日本で初めて成功したという経験を持つ。同書は船曳氏が「正しい性の知識を知ってほしい」という思いから執筆した「大人のための性教育本」。船曳氏は「自分自身の身体について正しく知ることは、人生を自分で選択し、自分らしい人生を生きることにつながります」と考えているという。同書では「男女の性器の仕組み」「生理がなぜ起こるのか」「妊娠や出産までの仕組み」などをイラストを用いてわかりやすく解説。基礎体温測定の意義のほか、「排卵日には恋するな」「男はなぜボン・キュッ・ボンが好きなのか? 」など、読者が興味を持ちやすい角度から「性」を知ることができるという。第3章では産科・婦人科の活用方法、体外受精や卵子凍結など最先端医療の状況を解説している。「凍結卵子からの出生率」や「体外受精のプロセス・費用」といった現実的な数値を伴う参考資料も豊富に収録した。「女性は子づくりを何歳までに始めればいいか」といったデータまでもはっきりとわかるという。第4章では、不妊治療に対する社会の厳しさや、閉経後の人生の過ごし方など、女性の人生における幸せについて、ホルモンや社会心理学を交えながら問いかけている。
2017年10月30日不妊治療を始めて、2年経とうとしていました。治療を重ねていくうちに、憂鬱になるときがありました。そのうちの一つが、『子持ちの友人との集まり』に行くときでした。子どもがいてもいなくてもどちらでもヨシ、と思っていたはずの私でした。それなのに、私より後に結婚した友人たちが次々に妊娠・出産していくのを見聞きしながら、治療を続けていると、それまで平気だった集まりが、なぜだか憂鬱になりました。大好きな友人たち、集まることが決まったら会える日をワクワクと待っていたくらいなのに。親しい友人たちは決して私に子どもがいないことを揶揄したり、デリカシーのない質問を投げかけてくるような人たちではありません。今までと変わらず私に接してくれています。それなのに私はどうしたことでしょう。なるべくなら行きたくない会いたくないと思ってしまう…落ち込むようなことを言われるのでは? なんらかの出来事で子どもがいないことを痛感させられるのでは? 勝手にネガティブな想像をして重い気持ちになっていました。しかし、行ってしまえばそれなりに楽しいのです。勝手に暗い想像をしていただけでした。ただ、友人と話が盛り上がっている最中、子どもが呼んだり泣いたりで、しょっちゅう会話を中断されてしまうとき、何とも言えない気持ちになりました。そうせざるを得ないし、母親は子ども優先なのが当たり前。そう分かってはいても、当たり前に話を中断されることにモヤっとしている自分がいて、そんな自分もイヤで、複雑な気持ちになったものでした。ある日、友人から相談されました。「それまで仲良くしていた義理のお姉さん(既婚・不妊治療中)に妊娠したとメールを送った以来、連絡がない。どうしたものか」優しい性格の友人が、珍しくムッとしている印象を受けました。初めての妊娠なのにどうして喜んでくれないんだろう、と。お義姉さんの気持ちが分かる気がしました。近しい存在の妊娠ほど衝撃を受けるものです。一番の親友からメールで妊娠の報告を受けたとき、それまでのどの妊娠報告よりもドクンと心臓が波打ちました。おめでとうの気持ちと、それ以外の気持ちが混在していました。また追い抜かれちゃった…おめでとう…自然にできる人はできるんだなぁ…なんで私はできない側だったのかなぁ…〇〇子がお母さんか、楽しみだなぁ…苦しい…おめでとう…おめでとうって言わなくちゃ……どうしてっ…私だけっ…動揺を抑えながら、心のドロドロを悟られないようにしながら、慎重に返信したのを覚えています。不妊治療を始めたら、いつのまにかもう一人の自分がいました。もう一人の私は、時々現れて、憂鬱でネガティブでドロドロしながら、自分自身の存在に傷ついていました。治療中の方が集うネット上の掲示板では、子持ちの友人と会いたくない・妊娠した友人と距離を置いてしまう・赤ちゃんの載った年賀状がイヤだと思う…、そんな意見もよく見ました。掲示板の女性たちも私と同様、傷ついていたのでしょうか。人の幸せを喜べない自分自身に。私は一体どうしてしまったんだろう。どうなってしまうんだろう。とてもとても苦しい。不妊治療のトンネルは一時的に人格さえも変えてしまうのでしょうか。私は、私たちは、ただ一つの命を育みたいだけなのに。「不妊治療していると気持ちが落ち込むことも多いの。かわいがっている義理の妹の妊娠が嬉しくないわけがないよ。時間はかかるかもしれないけれど、おめでとうって言いたいはず。だから、もう少し待ってあげて。お義姉さんから何か言ってくるまで。」自分に語りかけながら、友人にそうお願いしました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年10月18日自分の中でなんとなくそんな気がしていました。もしかするとドクターもそう思っていたかもしれません。けれども、治療をステップアップする決心がつきませんでした。排卵誘発の注射の量を増やして、8回目の人工授精をすることにしました。また5日間注射に通います。そんな中、台風が接近し、クリニックが休診となった日がありました。が、私は毎日注射を打たねばならないので、暴風域を抜けるであろう夜9時に通院することになりました。夜だったので、オットも一緒に行けました。クリニックには私たち同様、注射を待つご夫婦が何組かいました。ぼそぼそと会話をする声と、窓の外を通り過ぎる大きな風の音。二つの音を聞きながら、ぼーっと座っていました。あぁ、どうして今、私はここに座っているんだっけ…台風の後、夫婦で話をしました。人工授精はこれで最後にすることに決めました。そして、8回目の人工授精の日。―これで最後―自分の中で(まさか体外受精まではしないだろう…)とたかをくくっていた部分がありました。気付けば、その『まさか』は目の前。たかをくくらず、腹をくくる時がやってきたようです。内診で、右に約10個、左に5、6個の卵胞を確認しました。このまま排卵させる注射を打つと卵巣が腫れる可能性があるということで、点鼻薬での排卵に切り替わりました。予定していた注射は、一週間体内に残り、排卵せずにいた他の卵胞がどんどん成長してしまい、結果卵巣が腫れる…という事態になりえるとのことでした。点鼻薬は注射より効果が小さいけれど、一度のみの効き目なので、上記のような副作用がないとのことで、OHSSを心配していたので、ホッとしました。そして、最後の人工授精を無事に終え、2週間後の判定を待っていました。すると、生理予定日より一週間早いのに、出血…こ、これは…着床出血ってやつ???着床出血とは、受精卵が子宮に根を生やしたとき(着床)に起こると言われる出血で、ネットで不妊治療の掲示板などを読んでいると、治療の末妊娠された方がよく使うワードなのです!検索魔になる私(笑)。「着床出血 症状」などで検索しまくります。検索結果で自分の症状と同じようなものばかりを信じ、そうでないものには理由をつけて無視していた気がします(笑)。その後も出血は続き、クリニックに相談すると様子見と言われ、次の診察までにさらに検索しまくる毎日でした。生理予定日に生理が来ませんでした。前日に届いたメール便の封を切りました。生理予定日当日から使える妊娠検査薬です。決めました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年09月20日アトピーの治療については、根本的に治療できる方法が確立されていません。症状に合わせて薬物などによる対症療法が有効と考えられています。また、治療だけでなくスキンケアなどを併用することも求められます。ここでは、アトピーの治療について見てみましょう。アトピーの肌の状態とはアトピーの肌は、皮膚のバリアが低下し、皮脂の分泌量も極端に低下し、皮膚が乾燥した状態にあります。皮膚のバリア機能の役割は、表皮の上にある角質層が持っています。通常、皮膚のバリアをつかさどる角質層には、外部からの刺激を軽減し、細菌などの侵入を防ぎ、乾燥を防ぐために必要な水分を逃さないようにする働きがあります。しかし、バリア機能が低下すると、少しの刺激だけで皮膚炎になりやすくなります。その皮膚炎がアトピー性皮膚炎に該当します。アトピー性皮膚炎については『アトピー性皮膚炎とは』 (で解説しています。アトピーになりやすい人の特徴アトピーになりやすい要因は、さまざまにあります。考えられる要因のひとつに、遺伝があげられます。簡単にいえば、家族および親族がアトピーを持っている場合、自分もアトピーになりやすいということです。もうひとつは、病歴です。気管支喘息やアレルギー性鼻炎、結膜炎、アトピー性皮膚炎のうちひとつ、もしくは複数にかかったことがある場合、アトピーになりやすいといわれています。これらをアトピー素因といい、持っている人がアトピーになりやすいと考えられています。しかし、アトピー素因を持っていても、アトピーになる人とならない人が存在し、逆にアトピー素因を持っていない人でも、アトピーになるケースがあります。アトピーになる原因アトピーの原因は数多くあり、特定するのは困難です。考えられる原因には、アレルギーや外部からの刺激、そして内部からの刺激が考えられます。アレルギーは、花粉やダニなどのほか、食品によるアレルギーによって皮膚炎が発症することもあります。外部からの刺激については、身の回りのある洗剤や化粧品、洗顔料、シャンプーやボディソープなどがあげられます。内部からの刺激は、主に生活習慣の乱れです。生活習慣の乱れによってストレスがたまり、そのストレスが要因となって、アトピー性皮膚炎を発症する可能性もあります。アトピーの詳しい原因については『アトピー性皮膚炎になる原因』 (で解説しています。アトピーの治療の考え方アトピーの肌を根本的に治す方法は、現時点では存在しないといわれています。考え方としては、症状はない、もしくはあっても軽微で、日常生活に問題がなければ、薬物治療は必要としないといわれています。一方、軽い症状は続いても悪化して慢性化するのは極めてまれだという考えもあります。治療の目的は、症状をコントロールして、日常生活に支障をきたさない状態を維持することです。しかし、重要なのは治療ではなく、日常的なケアを行って予防することにあります。基本的には、上述した原因を避け、刺激を与えず、保湿剤などで肌にうるおいを与えることで、予防に期待が持てるでしょう。そして、重要なことは、清潔な肌を保つことです。清潔を維持するためには入浴が欠かせません。また、肌着や衣服など身に着けるものすべてを清潔に保つように心がけましょう。入浴法については『アトピーの方にオススメの入浴方法』 (で解説しています。アトピーの治療方法治療は、薬物療法、スキンケア、そして悪化因子の検索と対策を中心に行っていきます。主に行われるのは、薬物療法です。薬物療法の目的は、炎症を抑えることにあり、すでにアトピー性皮膚炎を発症している場合は、皮膚科でステロイド外用薬が処方されることがほとんどです。スキンケアについては、上述していますが、主に保湿剤を使用します。アトピー肌は、肌の水分量や皮脂の分泌量が低下し、乾燥しやすい状態にあるため、乾燥を防ぐために保湿剤が有効とされています。治療薬と保湿剤については『アトピー治療に使う内服薬の種類』 (で解説しています。悪化因子の検索と対策についてですが、簡単にいえば、アトピーの原因を突き止めるために検査し、原因をみつけたら、その原因に向けた対策が行われます。しかし、原因は数多くあるため、特定するのは困難であり、原因と考えられることを、ひとつずつ改善していくことを心がけましょう。監修:大利昌久
2017年09月18日