■前回までのあらすじ1回2~3万かかる人工授精を6回チャレンジしたが妊娠には至らず…。医師から体外受精を薦められるが、あまりの金額の高さに夫は「確実にできるかわからないのにこんなにお金がかかるの?」とイライラしてしまい…。「私じゃなければきっとすぐに夫に子どもはできていたんだろうな…」そう私は思うようになっていました。夫と泣きながら話し合い、私たちはこれからも一緒に頑張っていく決意をしました。そして、いよいよ体外受精をスタートすることになるのです。※この物語は、2014年~2018年までの筆者の身内の不妊治療記録を基に一部編集しています。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の身内の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。次回に続く(全24話)毎日10時更新!
2021年11月15日■前回までのあらすじ検査当日、準備ができなかった夫。「寄り添って一緒に頑張らなきゃ」と、夫に歩み寄ることに。<夫SideSTORY>不妊治療をすることになった夫側のホンネとは…?不妊治療は、どちらかだけが頑張っていてもダメ。夫は夫で大変だったと思います。こうしてようやく人工授精をスタートさせた私たちに、待ち受けていた試練とは…!?※この物語は、2014年~2018年までの筆者の身内の不妊治療記録を基に一部編集しています。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の身内の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。次回に続く(全24話)毎日10時更新!
2021年11月13日ベビーカレンダー公式YouTubeでは、リアルな出産動画を公開中。今日は、再生回数12万回のコロナ禍でのママ1人での出産動画をご紹介します! 不妊治療、体外受精、流産の末…立ち会いなし、1人での出産のリアルを見てみましょう。 妊娠39週4日目に破水。その後入院 今回登場するママとパパは、6年前に体外受精をし、妊娠はしたものの流産をしたという経験を持つ夫婦。今回は自然妊娠で出産になりました。 妊娠39週4日目に破水。お昼の12時10分に入院しました。陣痛促進剤をの内服し、翌朝8時10分からは、点滴で陣痛促進剤の投与を開始。約1時間後の9時08分に子宮口が9.5cmになり、和痛分娩の吸引麻酔をすることにしました。 吸引麻酔をしても、痛みが止まないママ。それを聞いて、助産師さんはやさしく声かけをしながら、ママの体をマッサージしたり、体勢を変えていきます。 いよいよ子宮口全開に 10時9分ごろ、いよいよ子宮口全開になりいきみを開始します。ていねいにいきみ方を教えてくれる助産師さん。10時22分、局部麻酔。「次ですよ、たくさんたくさん吸って」という助産師さんの声に合わせて、ママが深呼吸をして一気にいきみます。 ついに…誕生! 赤ちゃんの産声が響きます。ママからもうれしさとほっとした様子がうかがえます。身長48cm、体重2780gの元気な女の子が誕生しました。ママの体の処置をし、赤ちゃんの体のケアと計測をしたあと、改めてゆっくり赤ちゃんを抱っこします。 産後のインタビューでは、初めての出産の感想を「思った以上に、壮絶でした」と話してくれました。尊敬しているパパのように、周りに人がたくさんいるような子になってほしいと少し照れながら話している様子も素敵でした。 助産師さんや院長先生のインタビューに加えて、ご夫婦インタビューも収録。今回の妊娠以前の不妊治療、体外受精、流産についてもお話ししてくれています。 ベビーカレンダー公式YouTubeでは、他の出産動画も公開中。リアルで感動するママとパパの出産動画を、ぜひチェックしてみてくださいね。 著者:ライター サトウヨシコ大学卒業後、大手食品会社に勤務。未経験から編集者を目指し転職。その後、結婚と出産を経て妊娠・育児雑誌のディレクターに。WEBメディアの新規事業立ち上げをし、2017年に株式会社フラミンゴミンゴを設立し、現在は数々のメディアに携わっている。
2021年11月12日■前回までのあらすじ検査の結果、原因は私にあることが判明。それを義父母に伝えると「子どもなんていなくていいのよ」と優しく気遣ってくれた。そして夫も「子どもが欲しい」とは言わなくなり…。不妊治療検査の結果、「高プロラクチン血症」と診断された私は、薬が処方されたのですが…。薬の副作用なのか、体調がすぐれなくなっていったのですが、あっくんはそれについてあまり理解をしてくれず…。治療を進めるうえではあっくんの理解がもっとも大切だと実感。どうにかして治療の内容や女性の体への負担を理解してもらい、そしてタイミング法を始めたのですが…。タイミング法を始めて半年が経っても、私たちに子どもはできませんでした。次のステップ、人工授精を始めることにしたのですが…。※この物語は、2014年~2018年までの筆者の身内の不妊治療記録を基に一部編集しています。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の身内の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師や専門家に相談いただき、ご自身の判断によって適切なご対応をお願いいたします。次回に続く(全24話)毎日10時更新!
2021年11月11日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年11月08日私は33歳で長男を出産し、働いていた会社で産休と育休を取得しました。私も夫も「子どもは2人欲しい」という希望がありましたが、長男は約1年半の不妊治療で授かっていたため、2人目も同じく治療をしようと決めていました。そして夫婦で話し合い、長男の育休中に2人目の不妊治療を始めた私の体験談を紹介します。 長男は約1年半の不妊治療で授かった夫とは30歳で結婚し、32歳のときに不妊治療のため病院に通い始めました。夫婦ともに検査結果に問題はありませんでしたが、約1年間おこなったタイミング法では妊娠せず。2回目の人工授精で妊娠し、そのとき私は33歳になっていました。 妊娠したことがうれしい半面、もう少し早く人工授精にステップアップしておけばよかった、という気持ちもありました。夫婦ともに子どもは2人欲しいという希望があったため、可能な限り1人目は早く授かりたいと思っていたためです。 職場復帰か、2人目の不妊治療をするか無事に2020年1月に長男を出産し、育休を取得しました。出産前は2021年4月に職場復帰しようと考えていましたが、実際に育児と家事に追われる毎日を過ごしていると、「仕事復帰して毎日仕事も家事もして、さらに育児が加わったら、不妊治療を再開することはできるんだろうか?」という不安な気持ちになりました。さらに一度職場復帰してすぐに妊娠した場合、復帰して間もないタイミングで産休・育休を取るのは申し訳ないという気持ちも。それならいっそのこと、今の育休中に妊娠し職場復帰をせず、そのまま2人目の産休に入れたほうが会社としても中途半端に戻ってこられるより迷惑をかけないのではないかとも考えました。 育休を延長し、2人目妊娠を目指すと決断夫婦で話し合った結果、「2022年4月に私が職場復帰できるタイミングまでは不妊治療をする」という結論に達しました。「職場復帰=子どもを保育園に預けるということ」になります。私たち夫婦は子どもの負担を考慮し、保育園に預けるころには少なくとも生後7、8カ月になっていてほしいと考えました。 そのため2021年の9月までには出産がしたい、そうなると不妊治療は2020年いっぱいまでとし、もし授からなければ私は当初の予定通り2021年4月に仕事復帰すると決心したのです。 無事に2人目を妊娠、そして出産長男が生後6カ月の2020年7月に2人目の不妊治療を開始し、今回ははじめから人工授精を選択しました。そして3回目の人工授精で妊娠が判明! 出産予定日は2021年6月で、保育園に預けるときも生後10カ月近くなっていることになるので、とても良いタイミングでの妊娠でうれしかったです。ただ妊娠中に切迫早産となってしまい、第2子は予定日より早い2021年4月生まれとなりました。それでも元気に成長してくれていて、現在生後3カ月になった長女は修正月齢で見なくてもしっかり成長曲線に入っているほどです。 育休中に妊娠し、そのまま次の子の産休に入るのはさまざまな意見があると思います。しかし私は自分の歳やキャリアを考え、授かれるのであれば育休を延長し第2子の産休・育休を取得すると決めました。ただ、自分の気持ちを優先し、会社に迷惑をかけたのも事実だと思います。来春に職場に復帰したら仕事で恩返しができるよう、しっかり働きます! 監修/助産師REIKO著者:森まり子1歳3カ月差の兄妹ママで、長女は妊娠32週で生まれた低出生体重児。本業は育休中で、現在は子育てをしながらライターとして子育て・共働きに関する体験談や、ママ向けの記事を中心に執筆している。
2021年09月21日ファイナンシャルプランナーの大野先生が、2022年4月から始まる不妊治療の保険適用について教えてくれました。特定不妊治療に対しても保険適用となり、不妊治療の自己負担額が軽減されることになりました。 2022年4月から何が変わる?2021年9月時点では、不妊治療の保険適用(健康保険の対象)は一般不妊治療(タイミング指導、卵巣刺激法、人工授精等)に限定され、特定不妊治療(体外受精、顕微授精)は助成制度があるのもの、保険適用ではありません。しかし、2022年4月から特定不妊治療も保険適用となる予定です。今回は、2021年9月時点で決まっている2022年4月からはじまる特定不妊治療の保険適用の概要と民間の医療保険についてお伝えします。 2022年4月から保険適用される内容は?2021年9月時点では、特定不妊治療(体外受精・顕微授精)は健康保険の適用とはならず、原則全額が自己負担となります。厚生労働省の調査(日本産科婦人科学会に不妊治療実施機関として登録されている医療機関622施設・2021年10月~11月)によると、体外受精の1回あたりの費用の中央値は37万円~58万円でした。 2021年1月からの支援制度では、妻の年齢が43歳未満で6回までの特定不妊治療では、1回あたり30万円の助成が出ますが、費用が高額になった場合にはこの助成があったとしても、自己負担額は決して少ない額ではありません。そのため、2020年9月の閣議決定により、2022年4月から特定不妊治療に対しても、保険適用となり3割負担または高額療養費の範囲内の負担とされ、不妊治療の自己負担額が軽減されることになりました。詳細は、今後発表される予定ですが、衆議院選挙の結果等によっては内容が変わる可能性もありますので、特定不妊治療を保険適用後に受けたい場合には、厚生労働省や健康保険組合等のサイトを確認するといいでしょう。 なお、独自の不妊治療の助成制度を設けている自治体もあり、金額の増額や対象年齢の拡大、諸費用の負担など全国一律の助成にプラスして助成金を受け取れることもありますので、お住まいの自治体に独自の不妊治療の助成制度がないかも確認するといいでしょう。 保険会社の医療保険で不妊治療の費用が出るものも上記では、2021年9月時点では自己負担である特定不妊治療が、2022年4月からは保険適用になり自己負担額が減る可能性がある内容についてお伝えしましたが、ご自身で備える場合については、保険会社の医療保険等で対応できるものもあります。不妊治療を始める前に加入して、保険会社指定の期間を経過する必要がありますが、不妊治療に対応している医療保険について、主なものを簡単にご紹介します。 なお、保険商品については、筆者やベビーカレンダーが推奨するものではありませんので、詳細は各保険会社・保険代理店等にお問い合わせください。 日本生命(ニッセイ 出産サポート給付金付3大疾病保障保険 ChouChou!)三大疾病・死亡・出産・特定不妊治療の際に保険金が支給される保険です。特定不妊治療は加入後2年を過ぎると支給対象となり、採卵または胚移植1回につき1回目~6回目は1回あたり5万円、7回目~12回目は1回あたり10万円支給されます。また、満期を迎えると満期一時金が受け取れます。 三井住友海上あいおい生命(女性サポート給付金付ガン診断給付特約)医療保険の特約(オプション)です。ガン・出産・特定不妊治療の際に保険金が支給される保険です。特定不妊治療は加入後2年を過ぎると対象となり、採卵または胚移植1回につき1回目~6回目は1回あたり2.5万円、7回目~12回目は1回あたり5万円支給されます。また、満期を迎えると満期一時金が受け取れます。 その他、アクサ生命の医療保険(スマート・ケア)やはなさく生命の医療保険(はなさく医療・女性医療特約)では、1回限りですが、採卵・胚移植等を対象に保険金が支給されます。いずれも現在不妊治療している人ではなく、今後の不妊治療に備えて加入・活用するものとお考え下さい。これらの保険が気になる方は情報収集をしたうえで、保険会社や保険代理店に確認しましょう。 少子化を踏まえ、保育料の無償化や子ども医療費の負担軽減など、十分ではないかもしれませんが、様々な子育ての政策・助成制度があり、今回の不妊治療の保険適用もその一環です。不妊治療を希望する人は、全国一律の制度と都道府県・市区町村独自の制度を確認しながら、最大限助成が受けられるように情報収集をすることをおすすめします。 監修者・著者:ファイナンシャルプランナー 大野高志1級ファイナンシャルプランニング技能士、CFP®(日本FP協会認定)。独立系FP事務所・株式会社とし生活設計取締役。予備校チューター、地方公務員、金融機関勤務を経て2011年に独立。教育費・老後資金準備、税や社会保障、住宅ローンや保険の見直し、貯蓄・資産運用等 多角的にライフプランの個別相談を行うとともにセミナー講師として活動しています。
2021年09月19日若いころに治療した銀歯が取れてしまった、あるいは歯茎が腫れてしまったので歯医者に行ったのはいいが、保険診療か自由診療か、治療法に選択肢があって決められないという人が増えている。「歯科医院で提示された治療法に納得がいかず、『この方法でいいのでしょうか』と私たちのところに相談に来る人も多いです。人生100年時代、ご自身に合った治療法を選ぶことは、歯を守るだけでなく、長生きすることにもつながりますので、後悔しない歯の治療法を選びましょう」そうアドバイスするのは、ジャパンデンタルクリニックの田名網宏樹院長。残った歯が少なく、噛む力が弱い人ほど認知症の発症リスクが高くなることは数々の研究でわかっている。50代以降、若いころに治療した歯を再び治療する機会が増えてくるので、放っておかずにしっかり治しておきたい。「かぶせた銀歯など保険診療で治療した歯の耐用年数は2年ほどといわれています。少し痛みがあってもそのままにしていませんか?銀歯の下でじわじわ虫歯が進行して、根の先に膿がたまってしまうこともあります。また、中高年に多い歯周病になると、歯周ポケットが4ミリメートルより深い中度で歯槽骨が半分近く溶け始め、7ミリメートル以上溶けると歯を支えられなくなります。まずは、しっかりと虫歯と歯周病を治したうえで、歯がなくなった場合は人工物で覆う義歯を選びます。いくつか種類があるので、費用面だけでなく、治療期間や適しているかどうか総合的に判断します」(田名網院長、以下同)■失った歯をカバーする3つの方法とは?失った歯をカバーするにはブリッジ、入れ歯、インプラントの3つの方法がある。それぞれの特徴、メリット・デメリットを教えてもらった。【ブリッジ】失った歯のスペースに“ブリッジ(橋)”をかけるように連結した人工歯をかぶせる治療法。ブリッジをかけるために、失った歯の隣の歯を削る必要がある。〈特徴〉抜けた歯の両隣の歯を土台にして、連結した人工歯をかぶせる。人工歯の材質によって保険診療と自由診療のどちらかを選択できる。〈メリット〉固定式なので義歯でも違和感なく噛むことができる。〈デメリット〉ブリッジをかける位置によって、片側、または両側の歯を削る必要がある。〈治療費の目安〉保険診療:1本・2万円〜。自由診療:1本・8万円〜。「固定式なので違和感なく噛むことができますが、虫歯がなくても隣の歯を削らなければならないので、抵抗感を抱く人もいます。治療費は保険適用で2万円から。保険診療で使える素材は限られていて、銀歯か銀歯の外側を白い素材で覆うハイブリッドなどの方法がありますが、ハイブリッドは強度が低く、隣の歯を削る量が多くなるというデメリットがあります。見た目が気になるという人は、自由診療でセラミック素材のものを選ぶこともできます」【入れ歯】隣の歯に金属のフックをかけて、歯を補う「部分入れ歯」と、すべての歯を補う「総入れ歯」があり、部分入れ歯は1本からでも作ることができる。〈特徴〉保険診療と自由診療のどちらかを選択できる。〈メリット〉ほかの歯を削る必要はなく、一度で多くの義歯を入れることができる。〈デメリット〉毎日取り外して手入れをしなければならないので、手間がかかる。噛む力が弱く、違和感を覚えることがある。〈治療費の目安〉保険診療:1本・1万5,000円〜。自由診療:1本・16万円〜。「健康な歯を削るのでブリッジは抵抗がある、という方には入れ歯、インプラントの選択肢がありますが、インプラントよりも治療費が安いのは入れ歯です。毎日就寝前には入れ歯を外して、洗浄剤で洗うといったお手入れが必要なので手間はかかりますが、手術や健康な歯を削る必要がないので、当院で選択する人は多いです」金属製のフックが引っかかるのが気になるという人には、ノンクラスプデンチャーという歯茎に装着するタイプの入れ歯がある。自由診療で1本約16万円から。【インプラント】インプラントは、歯の根元から顎の骨に、ネジのような器具を使い人工歯を埋め込む方法。顎の形など骨格によってこの方法が適さない人もいる。〈特徴〉失った歯の根元にある顎の骨に、ネジのような器具を使い、人工歯を埋め込む。プラスチックやセラミックの素材があるが、一般的には自由診療。〈メリット〉隣の歯を削らずに歯を固定できる。しっかりと強く噛むことができ、見た目も自然な仕上がりになる。〈デメリット〉手術が必要で治療期間が長い。多くは自由診療なので治療費は高額になる。〈治療費の目安〉自由診療:1本・50万円〜。「自由診療なので1本約50万円以上かかります。安さを売りにしている歯科医院は大事な工程を省いている可能性があるので気をつけましょう。インプラントは隣の歯を削らなくても単独で歯を固定できますが、手術が必要で、治療期間は3カ月〜最長3年かかることもあります。また治療後は、インプラント周囲炎にかからないように定期的なクリーニングと検診が必要になります」一度、歯の治療を始めたら元に戻すことは難しいので、事前に医師の説明をよく聞き、納得がいかないときはセカンドオピニオンを受けてもいいという。健康で過ごすためにも、適切な治療をし、しっかり噛める歯をキープしよう。
2021年09月09日2人目を妊活中に受けた検査でさまざまな体の不調が重なり、わが家の長い2人目不妊治療が始まりました。時間やお金など多方面で不安を抱えながら2人目不妊を乗り越え、私が学んだことをお話しします。 まさか!私の体が不妊の原因?結婚4年目で長男を自然妊娠し、1歳を過ぎたころから「そろそろきょうだいが欲しいね」と夫婦で話し合い妊活を始めました。自分自身もフルタイムの仕事に早く復帰したい気持ちもあったため、できるだけ早く2人目が欲しかったのです。しかし妊活開始半年後、パート先の健診で甲状腺機能低下症(橋本病)であると診断されました。 自覚症状はなかったので正直驚きました。しかも不調はそれだけにはとどまらず、その後も子宮頚管にポリープが発見され切除し、さらには子宮内膜症も発症するなど次々と不調が重なったのです。体の不調が発見されては落ち込み、2人目も簡単にできると思っていた私は考えが甘かったことを痛感することになるのでした。 通院によるお金と時間の問題甲状腺の内服治療に加え、婦人科にも同時進行で受診する生活でした。特に妊活の治療方法は着々とステップアップし体外受精まで進んでいました。パートの仕事の合間に婦人科に頻回に通い、時には長男を連れて病院へ通うこともありました。診察までの待ち時間が長引けば、夫に長男の保育園のお迎えにいってもらうことも度々ありました。 食事を作る時間がなくなったときはお弁当やお惣菜を買ってきてもらう日も、洗濯などの家事も協力してもらわなければ家事がこなせない日もありました。そのうえ受診時にはもちろん治療費が必要なためお金がかかります。特に体外受精へステップアップしてからは金額も大きく、家計を圧迫していたのは間違いありません。 頑張りの先にはうれしい知らせ治療を始めて4年半が経過しましたが、体外受精で2人目を妊娠することができました。長男とは5歳差になりましたが、やっと授かった命を夫も長男も大喜びしてくれました。 おなかにいる小さな命のことを考えると、長男との年齢差はいくつでも問題にならないと考えを改めました。お金や仕事、家事育児と生活すべてに負担となってしまう妊活でしたが、夫と長男の助けがあってこそ授かった命だと感じています。 妊活を始めた当初は自分の体の不調から気持ちもふさぎがちになっていましたが、振り返ってみると一つひとつの不調が育児や仕事で忙しくしていた体からSOSの信号だったのではないかと思います。今回の妊活は体を気づかってくれる家族のやさしさと、定期的に健診を受けることの大切さを痛感したできごとでもありました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:利根なくる4歳男児のママ。現在、体外受精で2人目を妊娠中。休憩中の看護師。家族でキャンプが趣味で、子育てやキャンプなどの体験を綴るブログを運営中。
2021年09月02日炎天下、照り返しも厳しい都心の住宅街。撮影のつかの間、手を握り合う2人。緊張しながらも「元気に生まれてくるといいね」「笑顔、ちゃんとして(笑)」と仲むつまじくポーズを取っているのは、芸人のだいたひかるさん(46)とその夫、アートディレクターの小泉貴之さん(44)だ。おなかの子は取材当時14週目。「前から出てたからかな?おなかはわかりにくいんです。腰についた肉のほうが気になるくらい」と、だいたさんはカメラマンに説明する。きゃしゃな体形ということもあり、はた目には妊婦だとわからない。予定日は来年の1月30日だ。「そのとき僕は何歳だろう、今30だから……」「今40代だよ!」すかさず初代R-1王者のツッコミが入る。息がピタリと合っている芸人コンビのような夫婦だ。笑いが絶えない家庭を想像するが、結婚してから8年、現在に至るまで平たんな道のりではなかった。今年の5月、体外受精で妊娠したことをブログで公開。だいたさんは45歳で、“超高齢出産”といわれる年齢になっていた。「ここまで来るのに、手こずりまくりでした。今日はブログに書ききれなかったことも、お話ししますね」はにかむようにほほ笑んで、小泉さんの手をまた握る。その瞳にはすでに、母の強さが宿っている。乳がん再発後に言っていた、だいたさんの言葉がよみがえってきた。「私、起き上がりこぼし人間になりたいんです」■不妊治療のなか、雪崩のように襲い来るがん。そして再発最初の乳がんが発覚したのは16年。夫婦二人で、なかなか結果の出ない不妊治療に試行錯誤していたときだった。’16年1月末、MRIや組織検査の結果を聞く前日、小泉さんはだいたさんに秘密で病院に電話したと話す。「悪い話なら事前に知っておきたかったんです。ショックを受けるであろう妻と同じテンションで聞くのではなく、次の手を打つ準備をしておきたくて。でも、本人以外には『教えられません』と言われてしまいました。そりゃそうですよね(笑)」結果は悪性。全摘も視野に入れるという診断だった。ぼうぜんとするだいたさんの顔を「見られなかった」と小泉さん。「私、がんになってから不妊治療してる人がキラキラして見えて、ああもうあのステージに立てないんだな。って思ったことが本当につらかったんです」再発リスクを減らすため、2人は、右胸全摘手術を決めた。その一方で、不妊治療がやはり気になる。絶対に、あきらめたくない。小泉さんは、がん治療の前にもう一回採卵して受精卵を凍結しようと提案した。■不妊治療再開に秘めた夫婦の決意右乳房の全摘出手術をした。しかし、ほどなくして再発。がん治療のために女性ホルモンを抑える薬を使用しながら、我が子を授かるという夢が遠ざかっていく。理想は女性ホルモンを抑えるがん治療をあと3年続けることなのだが、45歳を迎えてすぐ、だいたさんは決意した。「私の乳がんが遺伝性かどうか調べる検査を勧められたんです。もし遺伝性だったら、卵巣でもがんが再発する恐れがある。でも結果、私は遺伝性じゃなかった。それならまたチャレンジしたいと思ったんです」がんの治療を中断し、不妊治療を再開することにしたのだ。「主治医も『たった一度の人生だから応援します』と言ってくださったので、凍結している受精卵を迎えに行こうと思いました。それは妻と同じ気持ちだったんですが……、この先に採卵をさらに続けたいと言われたら、“引き留めよう”と思っていました」小泉さんは、少し眉間にしわを寄せて「実は複雑な心境だった」と話す。──大事なのは、妻の命。「もし結果がよくなかったら、2人でいるだけで楽しいから、それでいいじゃんっていうふうに持っていこうとしていました」だいたさんが乳がんになってから5年、2人だけでも僕は幸せだと、伝えられていた「自信がある」。がんの再発のことは頭から離れず、葛藤はあるが子どもは欲しい。悩んだ揚げ句、これが最後と割り切り、腹をくくったのだ。「自分ががんになって、夫には申し訳ないという気持ちがあります。再発したときも、また家族のテンションを下げちゃうなって、残念でした。だけどがんになってから、命に限りがあることを重々感じたので、人生やり残したことがないようにしたいという思いが大きかったですね。凍結した受精卵の保存について、年に1回、更新手続きがあるんですが、その日だけ親になった気持ちになっていました。あのままだと70、80歳になっても凍結していて、絶対に後悔すると思ったんですよね」そんな、覚悟をあらたにしただいたさんに、奇跡が起こった。以前、不妊治療中に凍結しておいた受精卵は最後の一つ。お腹にもどした最後の希望が無事に着床し、妊娠したのだ。取材時は14週目。経過は順調だ。■これからも、私は起き上がりこぼし人間で「マルコメ君って呼んでる、彼の子どものころの写真があるんですけど、つらいときに見ると和むんですよ。これがおなかの中から出てくるのか~と思うと、頑張れるというか。出産って命懸けって言いますけど、私の場合ちょっと前倒しで命懸けなので、1日1日油断できない。楽しもう、という気持ちとの間で揺れている日々です」2人の今後の目標は?「最大の目標は死なないってことですね。子育てが終わるまでは。おりを見てがんの治療にも戻ろうと思っています」とだいたさん。相変わらずの“らしい”答えだ。「僕は子どもを持つというよりも、親にさせてもらうって感覚のほうが強いです。2人で親になれるんだと思うと、シャキッとしなきゃって思います。目標というには変かもしれませんが、2人の両親に子どもの顔を見せたい。僕たちにとっては、それはすごいイベントなんですよ」小泉さんの言葉を受け、うれしそうにうなずくだいたさん。「子どもが健康に生まれてくれて、3人仲よく暮らしたいと願っています。先の人生、何があったとしても、起き上がりこぼし人間の記録を更新していきたいですね」
2021年08月16日がんになってから、命に限りがあることを重々感じた――。だいたひかるさん(46)は、不妊治療中に乳がんが発覚し、全摘手術を経てまさかの再発。もうわが子は望めない、と一時は絶望した。そんなさなかで、支えたのは夫の小泉貴之さん(44)だった。年齢という現実と、がん治療中断のリスク。けれど、2人は、命を懸けて最後の受精卵に賭けると決めた。そんな2人に奇跡が起きた。取材当時、妊娠14週目。3人目の家族は、来年誕生する予定だ。今年の5月、体外受精で妊娠したことをブログで公開。だいたさんは45歳で、“超高齢出産”といわれる年齢になっていた。「ここまで来るのに、手こずりまくりでした。今日はブログに書ききれなかったことも、お話ししますね」■「不妊治療当時、自分は彼女への配慮が足りなかった」だいたさんが38歳、小泉さんが36歳のときのゴールインだった。だいたさんの年齢のこともあり、結婚してすぐに子どもを作ろうと、仕事をセーブして妊活に励んだ。翌年には婦人科へ行き、排卵日にタイミングを合わせる方法で1度目で妊娠できた。しかし、超初期での流産が続いてしまう。「当時の自分を思い返すと、すごく甘く考えていたし、彼女への配慮が足りなかったなと思います。仕事が忙しいということもありましたけど、もっと夫婦で話し合って、妻に寄り添う形をとるべきだったなと、今は特に思いますね」申し訳なさそうに話す小泉さんに、「夫婦関係、あのころがいちばんピリついてたよね。確かに私はカリカリしてたと思う」とだいたさんは懐かしそうに答える。人工授精を8回繰り返すが着床せず、体外受精専門のクリニックへ。だいたさんは40歳目前。長時間並ぶ必要があるほどに患者が多く、時間をやりくりして通った。しかし、最新医療の力を借りても妊娠しない。手を尽くしてもかなわないことがあると、2人は痛感させられたという。そして湧き上がってくる、後悔の気持ち……。「年齢って怖いなって思いました。人工授精とかすっ飛ばして、体外受精をやるべきだったと、すごく後悔しました。専門のクリニックだと、39歳11カ月とか、月齢までカルテに書かれます。タイムリミットまであと何カ月?って焦りました」そのうえ、採卵、移植は、1回で約30万円かかる高額な治療だ。リミットへの不安に追い打ちをかけるように、費用面も大きな負担となっていった。凍結している受精卵はこの時点でたった1つだけ。「受精卵の評価があるんですが、かなりよいグレードだと言われていました。次は採卵じゃなくてその受精卵を移植しよう!ってなったんです」ところが、移植する当日に不正出血があり、中止になってしまったのだ。「当時は不妊治療の日程に合わせて生活してました。移植がなくなり、急に暇になったので、乳がん検診に行ったんですね。そこで右胸にがんが見つかりました」急転直下、病気に翻弄される生活が始まった。結果は悪性。全摘も視野に入れるという診断だった。ぼうぜんとするだいたさんの顔を「見られなかった」と小泉さん。再発リスクを減らすため、2人は、右胸全摘手術を決めた。その一方で、不妊治療がやはり気になる。絶対に、あきらめたくない。小泉さんは、がん治療の前にもう一回採卵して受精卵を凍結しようと提案するのだ。「私、がんになってから不妊治療してる人がキラキラして見えて、ああもうあのステージに立てないんだな。って思ったことが本当につらかったんです」とだいたさん。もう一つ、凍結できればと希望をつなげたが、採卵は失敗に終わった。空胞……針を刺したが、卵子が取れなかったのだ。「地獄に際限ないなと思いました。空胞って言葉のとおり、私、空っぽだって感じました。いちばん涙が出ましたね。あ、もうここで不妊治療は強制終了なんだと」■わが子が欲しいという思いと、母体の命。せめぎ合うなかで、2人は覚悟を決めた不妊治療への未練を残したままの2人に、全摘手術後も残酷な診断が待っていた。リンパ節に転移していたため、脇の下を切除し、45mmの塊を取り出した。抗がん剤治療も必要になると医師に告げられたのだ。さらに3年後、19年にまたも右胸に乳がんが再発。4mm大の腫瘍を日帰り手術で切除し、放射線治療を25回受けた。全摘後の再発は1割未満といわれている珍しいケースだ。当時の取材で、小泉さんは記者に「目標は不妊治療の再開」と話していた。対するだいたさんは、「何言っちゃってるのかな?」と思っていたそう。「2人でまだそういう話をしていなかったんですよ。再発してるのに危なくない?死んじゃうかもよ?って取材中に思っていました。でも、私ががんや不妊治療の不安で頭がごちゃごちゃしていたときに、彼に道を舗装してもらったような気がしました。悪いものができたら取る。その後なら不妊治療に戻れるかもしれないと」常に「次の手を打つ準備を」の心構えでいた小泉さんの支えもあり、再発後にはたいていのことなら乗り越える力がついていた。「イボ取るようなものかなって。まあそういう気持ちになれました」と言う妻に、「歯石取るようなもんだよ」と夫。理想は女性ホルモンを抑えるがん治療をあと3年続けることなのだが、45歳を迎えてすぐ、だいたさんは決意した。「私の乳がんが遺伝性かどうか調べる検査を勧められたんです。もし遺伝性だったら、卵巣でもがんが再発する恐れがある。でも結果、私は遺伝性じゃなかった。それならまたチャレンジしたいと思ったんです」 がんの治療を中断し、不妊治療を再開することにしたのだ。小泉さんは、少し眉間にしわを寄せて「実は複雑な心境だった」と話す。大事なのは、妻の命。「もし結果がよくなかったら、2人でいるだけで楽しいから、それでいいじゃんっていうふうに持っていこうとしていました」だいたさんが乳がんになってから5年、2人だけでも僕は幸せだと、伝えられていた「自信がある」。がんの再発のことは頭から離れず、葛藤はあるが子どもは欲しい。悩んだ揚げ句、これが最後と割り切り、腹をくくったのだ。「自分ががんになって、夫には申し訳ないという気持ちがあります。だけどがんになってから、命に限りがあることを重々感じたので、人生やり残したことがないようにしたいという思いが大きかったですね。凍結した受精卵の保存について、年に1回、更新手続きがあるんですが、その日だけ親になった気持ちになっていました。あのままだと70、80歳になっても凍結していて、絶対に後悔すると思ったんですよね」だいたさんは移植に向けて、半年かけて体調を整えた。小泉さんも全力でサポートした。移植後、1週間で結果が出る。夫婦でクリニックに聞きに行ったが、だいたさんは緊張して医師の顔を見られなかった。妊娠してる?それとも……?判定結果は陽性。2人はそろって「お~!」と歓喜の声を上げた。当日の状況そのままに、小泉さんは片手を高らかに上げて「お~!」と再現してくれる。その瞬間のうれしさと驚き、感動が伝わってくる。「僕は夢みたいだと思いました。妻はボ~ッとしていましたね」「第1段階を突破できたんだ!と思いました。うれしいですけどやっぱり流産など次の不安のほうが大きくて……。でも昔に比べて私は体が温かく感じるし、なんだかいけそうだなっていうことが多かったんですよね。すごくよい状態かもしれないって」珍しく目を潤ませるだいたさんに、全身からハッピーオーラを放つ小泉さん。不妊治療では、“43歳以上が12週の壁を越えるのは奇跡”という通説があるが、現在14週。つわりが落ち着き、胎児の健康を気遣って細心の注意を払って毎日を過ごしている。長い闘いの末、ようやく実感が湧いてきた2人がほほ笑んでいた――。
2021年08月16日不妊治療体験者の声を取材した連載、第5回目となる今回は、夫の不妊治療手術を経て不妊治療を乗り越えた霧野志保さん(31・仮名)の場合。なかなか授からない原因が夫側にあることが判明。夫の手術、職場のパワハラ、流産を経て、待望の赤ちゃんが誕生するまでのお話です。 「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは「べビカレ特集」として、妊娠、出産、子育てなどママたちを取り巻く現状やさまざまな課題を問題提起し、取り上げています。今回は「不妊治療」について。仕事と不妊治療の両立が難しい現代の「不妊治療への理解」について考えます。 「不妊」という問題を、夫婦どちらかが過剰に背負うのではなく、「夫婦2人の問題」ととらえ、不安や痛み、悲しみや希望を分かち合い、二人三脚で不妊治療を乗り越えた夫婦の物語、霧野志保さん(31・仮名)の場合、第3話です。 「もしかして着床出血?」気付いたのは夫だった暑さも和らぎ、今度は排卵誘発剤の自己注射を加えた、人工授精にステップアップすることになった。 朝起きてすぐ、おなかや太腿に針を刺す。夫は注射のための準備や朝の家事を手伝い、「痛いよね」「ありがとうね」と寄り添った。痛みに耐えるたび、わが子への思いを新たに噛み締めた。 そろそろ生理だなと思ったころ、出血があった。でもどうもいつもと違う。だらだらと出血が1週間続いた。 「着床出血じゃない? 妊娠したんじゃない?」と先に言ったのは夫のほうだった。 このころになると、夫も妊活に関する知識が増えていた。本やネットで勉強し、「着床出血」という現象まで知っていたのだ。でも志保さんは半信半疑だった。前回の流産を思い出すと、自宅で妊娠検査薬を使う勇気は出ない。また守りきれないんじゃないかーー。怖くて自分では確かめられず、病院へ行った。待望の妊娠! 無理解な女性管理職とも距離が置けるように「おめでとう」 医師は、温かい微笑みとやさしい声で、確かにそう言った。 「宝物が宿ったとわかった瞬間でした。心配と不安はありましたが、何があっても守りたいという思いを強く持ちました」。 妊娠がわかったのは2020年の1月。折しも、新型コロナウイルスが国内に広がり始めたころだった。職場である学校は休校になり、仕事はリモート中心の勤務体制に。職場で大きなストレスを抱えていた志保さんにとって、ベストな環境で妊娠初期を過ごすことができた。 妊娠中の家事は夫が積極的にやってくれた。休校が明けても心療内科で書いてもらった診断書を理由に休みを継続し、そのまま産休に入った。 「もう職場への不信感は、たまりにたまっていました。女性の管理職に流産を報告した時、『私はちゃんと2人育てたわよ』と言われ、いざ産休に入ろうとすると『妊娠は病気じゃないんだから』と釘を刺されました。タイミングよく産休に入ることができ、私は子どもを守らなきゃと思っていましたけど、結局おなかの子どもに守ってもらい、助けられたんです」 切迫早産で入院するも無事に出産、「すべてが報われた」産休直前の妊娠32週目。里帰り出産に備えて実家近くの産婦人科へ妊婦健診に行ったところ、切迫早産で即日入院に。コロナ禍で面会も許されず、ひとりで出産の日を迎えた。陣痛の痛みは、わが子の存在の重さだと感じた。「愛しいわが子をこの手に抱いたとき、すべてが報われたと思いました。この子のために強くあろうと思っていたけど、それは同時にこの子がいるからこそ強くなれるんだっていう確信に変わりました」 不妊治療を乗り越えるためには、支えとなる強い気持ちが大切こうして無事に不妊治療を乗り越えた志保さん。「支えとなる強い気持ちが大切」と振り返る。 「子どもが欲しいという気持ちを夫婦で共有することが大切です。なかなかデリケートな問題で話しづらいですが、恥ずかしさを捨てて、これからどうしていきたいか、子どもができたらどう育てていくかを2人で話し合って支え合い、行動することが大切です。不妊治療はどこまでやるのか、というビジョンも必要です。不妊治療はひとりだけではできないですから」 さらに「職場や社会の厳しい目や無理解にも負けない力」も大事だと続ける。 「私の場合、妊活の後半は『夫が理解してくれるからいい』『子どもを大事にできればいい』『職場はもういいや』と割り切ったらラクになりました。不妊治療に対する世間の理解はまだまだです。もしかすると、核家族化で“子どもは地域の宝”という意識が薄れているのかもしれません。補助金も制度もまだまだ足りないと思いました。でもわが子を自分の手に抱く瞬間、何ものにも代えがたい感動を知ります。いろいろ困難はあるけれど、あきらめないことが肝心です」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年07月31日「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは「べビカレ特集」として、妊娠、出産、子育てなどママたちを取り巻く現状やさまざまな課題を問題提起し、取り上げています。今回は「不妊治療」について。仕事と不妊治療の両立が難しい現代の「不妊治療への理解」について考えます。 「不妊」という問題を、夫婦どちらかが過剰に背負うのではなく、「夫婦2人の問題」ととらえ、不安や痛み、悲しみや希望を分かち合い、二人三脚で不妊治療を乗り越えた夫婦の物語、霧野志保さん(31・仮名)の場合、第2話です。手術は成功、人工授精にステップアップ手術は無事に成功した。日帰り手術だったが、ぐったりと疲れた様子だった。麻酔が切れるとひどく痛むようで、痛みに強いはずの夫が、珍しく顔をしかめていた。術後は1カ月ほど痛みが残った。その回復加減を見ながら、排卵誘発剤を使い、いよいよタイミング療法が始まった。 しかし、そう簡単に成果は出ない。医師のアドバイスに従い、早々に人工授精にステップアップすることになった。 「ステップアップすることにためらいはありませんでした。『やれるだけのことはやろう』って2人で決めていましたから。不妊治療を始める当初から、体外受精や顕微授精は金銭的なハードルが高くて難しいけれど、人工授精まではチャレンジするつもりでした」※体外受精、顕微授精には公的補助があります。2021年1月から体外受精には、1回最大30万円に増額された補助金がでます。2021年から、補助金に対して年収制限は廃止になりました。入籍または事実婚が必須条件です。補助金回数は、女性40歳未満は6回まで、40〜43歳未満は3回までとなり、43歳以上は対象外です。不妊治療への理解が得られない職場のストレスを抱えて人工授精への挑戦が始まる頃、志保さんは職場で大きなストレスを抱えていた。不妊治療への職場の理解が得られない、または言えないことに悩む人は多い。 そもそも不妊治療と仕事の両立は、日本の社会ではまだまだ難しい。ベビーカレンダーが行ったアンケート調査でも、75%の人が職場の理解が「ない」「どちらとも言えない」と答えている。 さらに、仕事と不妊治療を「両立できなかった」という人は約20%いた。この数字からも、不妊治療を理解し、サポートしてくれる社会づくりがこれからの重要な課題であることが見て取れる。 中高一貫校の先生として働いていた志保さん。不妊治療中の職場の人間関係は、「最悪だった」という。男性の同僚からのパワハラ、そのことを相談した女性管理職からのパワハラ。 そんな環境では不妊治療について理解を得られるはずもないと考え、治療による早退や欠勤のたびに「歯医者なので」などと嘘をついてやり過ごしたが、精神的な負担はどんどん積み重なっていった。 初めて陽性反応も初期流産でお空へ。職場ストレスを悔やむ日々そんな日が続いたある夏の日。そろそろ生理が来ると思いながらも予兆がなかったので検査薬を使ってみた。陽性を示す線がじわじわと浮かび上がってくるのに合わせて、じわじわと涙がこみあげた。夫は泊まりがけの出張で不在。喜びと驚きでいっぱいになり、メールで写真を送信した。 「今回、うまくいったみたい!」 しかし、喜びも束の間、流産という悲しみに包まれることになる。ちょうど陽性が確認できた頃、志保さんは職場であらぬ濡れ衣を着せられ、上司から密室で叱責を受けた。そのことがきっかけで気持ちがひどく塞ぎこみ、体調を崩し、吐き気と過呼吸で心療内科に通うように。そして出張先で腹痛と吐き気がひどくなり、ついに出血。 いつもと違う出血の状況だった。嫌な予感がした。急いでかかりつけ医に駆け込んだが、授かった命はもうそこにはいなかった。 「初期の流産ですね」 なじみの中年女性医師は静かに言った。 「このタイミングでの流産は、医学的に何もできないの。次に備えて薬を飲んでね。初期の流産はお母さんのせいじゃないから」 医師の言葉は、頭の中をすべるように通り過ぎていった。 「人間ってショックを受けた時は、何も考えられなくなるもんなんだなって思いました。何も考えられないまま、何日間か呆然と過ごしました。食事も喉を通らず、とにかく涙に暮れてばかりでした」 呆然としながらも、妊娠初期に受けたパワハラへの悔しさが込み上げてきた。「あの時受けた精神的ストレスが流産の原因になったのでは」と考えたからだ。「守ってあげられなくてごめんね」と自分を責めた。 「初期の流産はお母さんのせいじゃない」この医師の言葉が、闇に吸い込まれそうな心を支えてくれた。 夫は一緒に涙を流してくれた。「いつか生まれてくるわが子に、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいたってことを話そうね」と泣きながら話す夫。かけがえのない存在であることを再確認した。こうして初めて宿った命は、検査薬の陽性のラインだけをくっきり残し、風とともに夏の空に吸い込まれた。 待望のわが子を流産してしまった霧野さん。夫婦で涙を流し、悲しみを共有します。そして、次回不妊治療をステップアップすることに。 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年07月30日「赤ちゃんを産みたい」と思える情報を届けたい。ベビーカレンダーは「べビカレ特集」として、妊娠、出産、子育てなどママたちを取り巻く現状やさまざまな課題を問題提起し、取り上げています。今回は「不妊治療」について。仕事と不妊治療の両立が難しい現代の「不妊治療への理解」について考えます。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第5回目となる今回は、夫の不妊治療手術を経て不妊治療を乗り越えた霧野志保さん(31・仮名)の場合。なかなか授からない原因が夫側にあることが判明。夫の手術、職場のパワハラ、流産を経て、待望の赤ちゃんが誕生するまでのお話です。 不妊治療というと話題は女性が中心になりがちですが、WHOによると不妊カップルの約半数は、男性側が問題を抱えているとされています。「子どもが欲しい」と願う気持ちは、女性だけではありません。精子に問題があると診断された男性に対する世間の理解や制度は、まだまだ広がっていません。 「不妊」という問題を、夫婦どちらかが過剰に背負うのではなく、「夫婦2人の問題」ととらえ、不安や痛み、悲しみや希望を分かち合い、二人三脚で不妊治療を乗り越えた夫婦の物語です。全体の約半数を占めるとされる男性側の不妊。最も多い原因が、「精索静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)」だ。男性不妊症全体の約40%の原因となっている。精巣の上にある静脈が腫れるため、精巣の温度が上昇することや、血流が悪くなることで精子機能を弱め、不妊につながるとされている。外科的な手術で改善する場合もある。 結婚して5年、周りのベビーラッシュに焦りコロナ禍での出産を経て、生後8カ月の女の子を育てる霧野志保さん(31・仮名)。夫とは20代前半で結婚し、「20代のうちに産みたい」と願っていた。仕事は夫婦ともに学校の先生。「子どもが好き」という気持ちは、夫も同じだった。学生時代から8年間恋人でいた頃から、「いずれは2人の子どもが欲しいね」と語り合ってきたほどだ。 結婚して5年。社会人になってからずっと仕事一筋に生きてきたものの、お互いもうじき30代。職場もベビーラッシュだった。そろそろわが子を……と意識せずにはいられなかった。ところが夫婦生活を続けても毎月訪れる生理。子どもがやって来てくれる気配はなかった。「私の体に何か問題があるのだろうか」とだんだん不安になっていった。 「でもいきなり不妊治療って考えるのはハードルが高くて。夫婦間でも言い出しにくかったです。まずは重い生理痛を軽減しようという目的で、ネットで調べた通勤圏内の婦人科クリニックへ行きました」 検査の結果、夫に不妊の原因があることが判明志保さんの検査結果は「平均」だった。タイミング療法を試してみようという流れの中で、夫も検査を受けた。 「平均と比べて精子の数値が低いですね。専門のクリニックに紹介状を書くので、行ってみてください」 担当医からの言葉に、夫はあまり動揺を見せなかった。 「生まれたときに大病をしているので自分が原因かもしれない」と考えていたからだ。でも、「いつか子どもが欲しいね」とあれほど2人で語り合って来た。ショックを受けていないはずはなかった。 「でも落ち込んでばかりではいられないですから。どういう方法が最善なのかなって2人で前向きに考えるようにしました」 夫は一人で精密検査へ一般的に女性と比べて男性の不妊治療に関する世間の理解は低い。男性不妊に対する公的な助成金も十分とは言えず、まだまだハードルは高いのが現実だ。男性自身の関心が低いケースも少なくない。なかなか核心に迫る悩みは女性より相談しづらいと感じている当事者男性は多く、検査に行くこと自体ちゅうちょする人もいる。 女性の不妊治療の場合、婦人科へ夫婦そろって行くことは珍しいことではないが、男性の場合、妻が付き添うケースはまだまだ一般的ではない。 結局、志保さんの夫は「精密検査は1人で行ってくる」と言い、不安がにじむ夫の背中を祈るような気持ちで見送った。専門クリニックで詳しく検査した結果、「精管が片方しか通っておらず、近くを通っている血管によって精巣が熱せられるため精子の数が少ない」と診断されて帰ってきた。 高額な手術費……夫は手術を決意前出の「精索静脈瘤(せいさくじょうみゃくりゅう)」は、外科的手術で改善する可能性がある。志保さんの夫の場合、「通っていない精管はどうにもできないが、熱せられる精巣への対処は手術で改善できるかもしれないと医師から言われた」と夫は言った。でもその先の詳しいことについて、志保さんは知らない。 「本人が詳しく話したがりませんでしたし、デリケートな問題なので、あえて根掘り葉掘り聞かないようにしました」 手術を受けるか受けないか。問題は経済的な負担だった。手術費用は30〜40万円。住んでいる地域では、夫が対象となっている手術への公的な助成金は得られなかった。しかし目の前に立ちはだかるのは「30の壁」。夫は手術することを決めた。 「2人で未来のことを考えたとき、“今はやれるだけのことはやろう”ってことになりました。だめならそれなりの幸せがあるじゃんって、2人ともが思えたんです」 そして夫は、また1人で手術へ向かった。 「子どもが欲しい」 夫婦の願いを叶えるため、手術を行うことを決意した夫。果たして結果は……? 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年07月29日「不妊治療をしています」「していました」ということをなかなか周りの人たちに言いづらかったのですが、勇気を出してカミングアウトすることで、職場で配慮を受けられたり、仲間が見つかったりすることがありました。「不妊治療をしている(いた)ことを周りに伝えてよかったな」と感じた私の体験談をお伝えします。 不妊治療のため、勤務時間を調整してもらえた 不妊治療を始める前は、フルタイムのパートとして週5日、1日8時間働いていました。でも、不妊治療を始めると、治療のために休みがちになってしまいます。しかも病院からは「生理1〜3日目までに来てください」とか「次は明後日来てください」と言われるので、前もって通院の予定が立てられません。 はじめは「不妊治療するなら、仕事を辞めるしかないのかなぁ」と思ったのですが、ダメ元で上司に「不妊治療を始めたいので、勤務時間を短くしてほしい」とかけあってみることにしました。上司は驚きつつも快く承諾してくれて、短時間勤務だけど健康保険もそのまま加入し続けられるように配慮してくれました。 短時間勤務になったあとは、可能な限り勤務後の時間に通院の予約を入れるようにして、できるだけ仕事を休まないように調整し働き続けることができました。もちろんどうしても休まないといけないこともありましたが、上司も事情をわかってくれているので、後ろめたい思いをすることもなかったです。仕事を辞めなかったことで、妊娠後も働き続けることができ、産休・育休もとらせてもらって育休給付金を受給できたので、経済的にも助かりました。職場には感謝していますし、勇気を出して伝えてよかったなと思っています。 SNSで同じ悩みを持つ人と繋がった不妊治療は夫婦で取り組むものですが、一般的に通院回数などは女性のほうが多く、精神的にも肉体的にも女性にかかる負担の方が大きくなりがちだと思います。 私は不妊治療中、夫がつらさをあまり理解してくれていない気がして、気が滅入ってしまうことが多くありました。 例えば、年賀状を見ているとき。夫が「俺たちよりあとから結婚した友だちのところに子どもが生まれたんだって、早いよね」と言ってくるのです。夫に悪気はないのですが、「なんでわざわざ神経を逆撫でするようなこと言うの?」と苛立ってしまいました。 そんなときに逃げ込んだのがSNS。不妊治療中の見ず知らずの人たちと繋がり、夫への愚痴ツイートや、「つらい、しんどい」というツイートにコメントしあうことで心が晴れて、「また治療頑張ろう」という気になれました。私はSNS上では本名を公開していなかったので匿名ではありますが、治療内容や思いをオープンにすることで、心のバランスを保っていた気がします。 ママ友との絆が深まった体外受精をして第1子を授かって2年、再度体外受精にチャレンジして第2子を妊娠することができました。 そのころ公園で仲良くなったママ友と話していると、そのママ友が「うちも2人目が欲しいけど、なかなかできないからうらやましい」と打ち明けてくれました。 私が「実はうちは2人とも不妊治療で、体外受精でね……」と伝えると、ママ友は驚きつつ「いや実はうちも今クリニックに通い始めて人工授精から始めていて……ねぇねぇ、最終的にいくらかかった? 体外受精の体への負担ってどうだった?」と、 かなり会話が弾み、自分の経験をママ友に伝えることができました。悩みを共有するもの同士、絆が深くなった気がしますし、そのママ友とは引越して離れたあとも連絡を取り合う仲です。 不妊治療中はいろいろなことをひとりで抱え込んで悩んで孤独になりがちでしたが、会社にも理解ある人がいたり、周りの友だちにも不妊治療中の人がいたので、勇気を出してカミングアウトしてよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/しおみなおこ 著者:矢野あい子2歳の女の子、0歳の男の子の母。子どもは2人とも体外受精で授かる。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター しおみ なおこフリーランスイラストレーター。女性向け媒体をメインに、「大人かわいい」テイストのガールズイラストを描いています。夏とワインが好き。
2021年07月27日■前回のあらすじ治療が終わりすぐは子どものことを考えられませんでしたが、療養し落ち着いた頃、夫婦で話し合い妊活を再開することに。■基礎体温計の思い出若かりし頃、基礎体温計を買ったきっかけです。歳を重ねて妊娠機能も落ちているだろうから、若い頃も無駄ではなかったと思いたい…。■妊活を続けるも…月日が経つのは早いですね…。思えば34歳は仕事ばかりしていたような気がします。本格的な不妊治療については調べてはいましたが、なかなか踏み切れませんでした。■フライングで妊娠検査薬を使ってみると…妊活を再開するもなかなか授からずで7ヶ月経った頃の話です。うち2ヶ月間は風疹の予防接種で妊活を休んでいたのですが、その2ヶ月のうちに良い卵子が失われてしまったかもしれないと思うと、休むのも気が気じゃありませんでした。今回も諦めかけていたのですが、まさかの陽性反応が…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年07月05日第二子不妊治療を始めてから約3年の時を経て、2人目を妊娠した私。妊娠が判明したとき、長女は4歳で不妊治療にも付き添ってくれていたため、赤ちゃんがおなかにきてくれたことを一緒に喜んでくれました。ところが、妊娠判明から1カ月経ったころに長女の様子が変わり始め……。 やっと赤ちゃんがきてくれた!長女が1歳2カ月のころからスタートした第二子不妊治療。第一子不妊治療のときに、「顕微受精でないと妊娠は難しいでしょう」 と先生に言われていた私。けれど、奇跡的に3回目の人工授精で長女を授かったため、2人目も治療をすれば1年くらいで授かるだろうと安易に考えていました。 ところがなかなか赤ちゃんを授からず、やっときてくれたのが治療を始めて3年が経ったころ。治療のための通院に何度も付き添ってくれた長女に赤ちゃんができたことを伝えると、「赤ちゃんきてくれてよかったね!」と一緒になって喜んでくれました。 なんだか落ち着かない妊娠が判明してから1カ月が経ったある日、昼寝から起きた長女をお風呂に入れようとしたところ泣き叫び始め……。たいていお風呂に入り始めれば泣き止むのに、この日はどんどん激しさを増して浴室で暴れるのを必死で抑えるほどに。 30分以上泣き叫んだあとに少しだけ落ち着いたので話を聞いてみると、「なんだか落ち着かない!」と泣き続けるのです。私が「赤ちゃんができてうれしいけれど、ママをとられちゃうみたいで寂しい?」と聞いてみると「うん」と教えてくれました。ぎゅっとして娘のことを大好きだと伝えると、落ち着きを取り戻しましたが、長女もいろいろと感じていたようです。 夜中に突然泣き叫ぶ娘長女がお風呂で暴れてから数日。落ち着いたと思ったら夜中に突然「ねぇママ、一緒に死のうよ! まだ一緒にいたい! 私が死んだらおなかの赤ちゃんに私の名前をつけて育ててあげて!」と泣き叫んだのです。あまりにも衝撃的な言葉で私もパニックになり、そのときは抱きしめて「ずっと一緒だよ、おなかの赤ちゃんは赤ちゃんだし、あなたはあなただよ」と伝えるのに精一杯でした。 翌日娘と話してみると、赤ちゃんができてから一緒に走り回ったり、自転車に乗ったりということができなくなり、「ママは自分よりも赤ちゃんのほうが大事なんだ」と思って寂しかったようでした。 長女の不安を知ってからは、何度も繰り返し「長女も赤ちゃんもどちらも大切」ということを伝えて、抱きしめるようにしました。現在おなかの赤ちゃんは6カ月。今では娘も赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~5歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師REIKO 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年06月30日私は不妊治療をこなすだけでもメンタル的、肉体的、経済的にもつらい日々が続いていました。不妊治療もなかなかうまくいかず、不妊治療を始めてから4年目、4軒目の病院で妊娠することができましたが、喜んでいたのも束の間、流産がわかります。その後も、私は流産を繰り返して不育症の治療をおこなうことに。結果、不妊症と不育症を乗り越えて元気な赤ちゃんを授かることができました。困難を乗り越えて出産した経験をお伝えしたいと思います。 4度目の流産で不育症の可能性を意識するように長い不妊治療を経て、私はやっとのことで妊娠することができたのですが、赤ちゃんの心拍確認後に流産したことがわかりました。言葉では表すことのできないショックが私を襲い、不妊治療をやめることにしました。 けれども、私は自分の妊娠をあきらめることができない気持ちに気づき、2年後に不妊治療の再開を決意。しかし、待っていたのは3度目・4度目の流産でした。「もしかして、妊娠しても出産できない?」。そのとき、初めて不育症の可能性を意識するようになり、私はパニックを起こしてしまいました。 不妊治療と不育症の治療を開始私はパニック状態から抜け出すことは難しく、時間もかかりましたが、自分の目的を考えると耐えて進むほかに道はないのだと気づきました。そんななか、5回目の妊娠を確認。私は不妊治療でお世話になっている病院の先生にアドバイスをいただいて病院を選び、不育症の治療も始めることに。 原因不明の不育症と経過観察不育症の治療は、初回の診察で不育症の治療のために、問診とは別にアンケートと採血をおこないました。私は不育症の検査結果に問題がなかったため、安心した反面、原因が見つからないことに不安も感じました。不育症の原因が特に見当たらない場合は、経過観察をすることを聞き、不妊治療(妊娠を継続させるための投薬)と不育症の経過観察をおこなうことになりました。 私は不妊治療の病院へ指定された日時に通院しながら、不育症の病院へも指定された日時に通うことに。不妊治療は妊娠7週目まで通い、不育症の病院へは妊娠8週(妊娠3カ月)まで通院。その後、私は不妊治療と不育症治療とは別の出産病院へ転院し、無事に出産することができたのです。 不妊治療と不育症の治療を経て、無事に健康な赤ちゃんを出産できたことをとてもうれしく思っています。生まれた瞬間、赤ちゃんを愛おしく思う感情は、今でも忘れることができません。けれど、私の場合は結果がついてきたからこそある幸せなのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの 著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年06月29日結婚後、1年経過しても妊娠しなかったので、不妊治療専門の病院に通いました。実際に通ってみてつらかったこと、でも治療してよかったなと思うことをお伝えします。 まずは検査を受けることに結婚して1年。夫婦で妊娠を待ち望んでいましたが、なかなか妊娠できないので、不妊治療専門の病院へ。まずは夫婦ともに、不妊の原因になりうる感染症や体質的に妊娠しやすいかどうか、各種検査を受けました。 その中でも特につらかったのが、卵管造影検査。「生理痛がひどい場合はちょっと痛いかも」と主治医に言われ、実際、生理痛がひどい私には激痛でした。 次に各種検査の結果を聞きにいき、私はとある感染症にかかっていることが、そして夫は精子の運動率が低いことが判明。お互いに自覚がなく、なんだかとてもショックを受けたことを覚えています。 タイミング療法と人工授精にトライ各種検査の結果がわかり、主治医と治療方針を立てることに。まずは3回、タイミング療法にトライしましたが、うまくいかず。早めの妊娠を希望し、人工授精に切り替えました。しかし、2回人工授精をおこなっても、妊娠しませんでした。 当時はフルタイムで働いており、職場の上司には不妊治療中であることを伝え、理解を得ていました。しかし、私が通った病院は、院長がひとりで治療方針を立てるところだったため、予約しても待ち時間が長い! 仕事を休んだり、時間休を取りつつ、長いときは受付から会計まで6時間……という状況。 また、人工授精の実費負担もあり、大変な割に妊娠しない……。次のステップに進めば体外受精で、さらに実費負担がかさむな……と、うまくいかないことがつらく、先々の不安が重なって、ついに通うことを中断してしまいました。 なんと自然妊娠!ところが中断してすぐ、念のためタイミングだけ取っていたのですが、なんと自然妊娠! 主治医にも驚かれました。思えば、検査結果がわかってから、夫は主治医に相談して、すすめられたサプリメントを摂取し、私は感染症の治療をしたことや、行き詰まったときに思いきって治療を中断したことが気分転換になり、よかったように思います。 不妊治療は、精神的・経済的な負担が大きく、今思い出しても、とにかくつらく大変でした。ただ、不妊の原因がちゃんとわかり、現実的に必要な治療ができたことは、本当によかったなと思っています。 それから、あまりにつらいと感じたときは治療を中断し、気持ちをラクにすることも必要なことだったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/しおみなおこ監修/助産師REIKO 著者:野田 理恵もうすぐ2歳になる女の子の母。福祉関係の仕事に従事するかたわら、記事執筆をおこなう。
2021年06月29日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんは、2011年に入籍。つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産しています。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は不妊治療をおこなっていたときに実践していたという、さまざまな取り組みについてインタビューさせていただきました。 選手時代から続けてきた”呼吸法”を治療中も実践!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーつらい不妊治療を乗り越えるために、どのようなことを実践されていましたか? 杉山さん:人間ってゴールが見えていれば頑張りやすいですし、モチベーションも保てるんですけど……。治療がうまくいくかもわからない中で、いつ終わりが来るのかもわからないという、ゴールが見えない苦しさを味わっていると、なかなか気持ちが安らぐことがないんですよね。不妊治療では赤ちゃんができるっていうのが、ゴールになってしまうので……。なので今振り返ってみても、すごく苦しい期間を送っていました。私が少しでも気を紛らわすためにやっていたことは、生理が来てしまったら一度気持ちをリセットして、自分の好きなワインでお疲れ様会をして、仕切り直していましたね。ほかには、ベリーダンスをすることで女性らしい体をイメージしたり、血流をよくするために骨盤のまわりや体を柔らかくしなやかにすることを心掛けたりしていました。ほかには選手時代から続けている呼吸法があるんですけど、それを続けていましたね。 ーどのような呼吸法でしょうか? 杉山さん:実際に起きていることをイメージしながら、深く呼吸するんです。私は公園で、生まれてきたばかりの小さな子どもと一緒に遊んでいる絵や、その前には自分が妊婦になっている絵をイメージしていました。そういうことを日々の中で実践していくと、実際に”こうなるんだな”っていうイメージができたりするんですよ。ただ、実際に現実とのギャップにハッとさせられると、ショックを受けたりもするんですけど、なるべく良い方向に考えられるようにしていました。それでもうまくいかないときもあるので、そういうときはお酒の力を借りて気持ちを紛らわせていました(笑)。生活にメリハリをつけて、常に自分の気持ちを疲れさせないようにはしていましたね。 ー そのイメージトレーニングは、どんなことにも応用できそうですね! 杉山さん:そうですね。不妊治療だけではなく、プライベートや仕事でもうまくいかないと思っていると、どんどん深みにはまってしまうことってあると思うんです。それと逆に、ネガティブになるとどんどん引っ張られちゃうんですよ。ただでさえ、不妊治療は疲れてしまうので、自分の心のケアをしっかりとして、心許せる友達や旦那さんとその気持ちをシェアすることも大事だと思います。聞いてもらうだけで癒されるってことはあると思うので。解決してくれなくていいから、「うん、うん」って言って聞いてて、みたいな(笑)。 ーわかります(笑)。聞いてもらうだけで、気持ちの落ち着き度が全然違いますよね。 杉山さん:はい。そう簡単に解決できないからこそ、誰かに聞いてもらうだけでだいぶ違うと思います。 不妊治療の保険適用化は賛成! 夫婦でしっかり話し合って欲しい画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー 不妊治療が保険適用になるという話もありますが、それについてはどういう意見をお持ちでしょうか? 杉山さん:体外受精、人工授精などは特にお金がかかるので、実際に取り組むにも勇気がいるんです。私たちは一度、40歳までという年齢で一区切りをつけようと決めていました。年齢を重ねる度に妊娠しづらくなっていくほか、体力面でも負担がかかるというのがあったので。また、もし不妊治療をするのであれば、年齢や金銭的な面など、”どこまで挑戦するのか”というゴールを設定することがポイントになって来るかと思います。そのため、あらかじめご夫婦でそのあたりを話し合っておくと良いかもしれません。今回の国の支援は素晴らしいですし、そういう方向にうまく行って欲しいなと思っています。 ー そうですよね。「保険があるから、もう一度チャレンジしてみよう」と思えるのは、うれしいことですよね。 杉山さん:「あのとき、ああしていれば良かったな」という後悔って一番イヤだと思うんですよ。なので、お金のかかる不妊治療を国が支援してくれるというのは、すごく心強いですよね。現実と向き合いながら、選択肢として自分がどんな人生を歩んでいきたいかを選べることは、とても大切だと思います。 ー それでは最後になりますが、現在不妊治療をしている方にメッセージをお願いします。 杉山さん:私も不妊治療を経験しているので、どれだけ大変かということは、精神的、肉体的にもわかっているんです。だからこそ、自分の気持ちをなるべく元気にさせてあげられるような時間を増やすことが、1つの大事な鍵だと思っています。無理をし過ぎず、いいイメージを膨らませながら、なるべく楽しみながらお子さんを待っていて欲しいなと思っています。 終始丁寧にインタビューに答えてくださった杉山愛さん。ご協力どうもありがとうございました! ご自身の不妊治療に取り組んでいたころを振り返り、「なかなか気持ちが安らぐことがなかった」と語っていたものの、少しでも気持ちを前向きになれるようにと体質改善を試みたり、プロ選手時代からの呼吸法を取り入れたりと、常に前向きに努力されていたお話を聞き、愛さんのバイタリティの強さを感じました。7月に出産予定とのことですが、お身体ご自愛下さいませ。私たちも赤ちゃんの誕生を今から楽しみにしています! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月29日20代前半の私は生理が疎ましく、生理不順で生理が規則的にこないことを“これ幸い”と思っていました。一応、婦人科を受診してもすぐに放置。真面目に生理不順と向き合ってこなかったのですが……。 生理不順の自分を「ラクでいいや…」と思っていた20代前半まだ結婚や出産が現実的ではなかった20代前半の私は、生理のことを疎ましく感じていました。むしろ、生理不順で、生理がちゃんとこない自分をラクだと思っていたぐらいです。 時折、婦人科を受診して生理不順の治療をしようとしたこともありましたが、当時は仕事が不安定だったことと、「生理がちゃんとくるのも煩わしいんだよな……」という思いがあり、勝手に中断。真面目に治療する気がないのに、それを医師に悟られたくないという思いもあり、あちこちの婦人科に通院してはやめ、通院してはやめを繰り返していました。 病院で婦人科系疾患を診断されるもそのまま放置そんな不真面目な気持ちで受診していたある婦人科でのことです。 その婦人科では、多嚢胞性卵巣症候群であると診断され、「ちゃんと排卵ができていないようです。妊娠したいと思ったときは苦労するかもしれませんよ」と、医師に言われたのです。 しかし、将来のことなど頭になく、当時パートナーもいなかった私は、そう言われても真剣に治療するには至らず、「そうなんですね」と気のない返事をするだけ。その日のうちに生理と思われる出血がみられたこともあって、処方された薬も飲まずに放置し、また不順な日々を過ごしてしまいました。 20代後半でようやく生理不順と向き合う仕事が安定してきた20代後半、ようやく将来のことを考えられるようになった私は、やっと真面目に生理不順の治療に取り組む気になりました。 漢方治療に2~3年、病院を替えて低用量ピルの服用を1年続けましたが、生理不順は改善しません。気づけば30歳過ぎ。このころには結婚をしており、出産も考えていました。 よくなる兆候がみられないなか、思い出したのが、以前診断を受けた多嚢胞性卵巣症候群のこと。「もしかして……」と生理不順の治療をやめて、不妊治療をおこなっている病院を受診。やはり多嚢胞性卵巣症候群であったことがわかり、すぐに治療を開始しました。 いろいろな婦人科を受診しましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたのはあのときだけ。結果的に、この診断が治療への足掛かりとなりましたが、多嚢胞性卵巣症候群と診断されたときにちゃんと治療をしていれば、その後、生理不順で苦労せずに過ごせただろうと思うと、放置してしまったことを後悔しました。 若いときは煩わしく思える生理も、子どもを産むためには大切なもの。出産にはどうしても年齢制限があるので、生理不順の場合は、面倒くさがらずにしっかりと治療をすることの大切さを知りました。 私と同じような過ちや苦労をする人が少しでも減ればと、今は職場の若い子に自分の経験を話しながら、検診を積極的にすすめています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO----------文/加藤まなびさん
2021年05月28日杉山愛さんは元プロテニス選手です。4歳からテニスを始め、グランドスラム(国際テニス連盟が定めた大会)で優勝するほか、オリンピック大会には4回連続で出場するなど、たくさんの華々しい功績を残してきました。現在では、プロテニス選手を引退し、ゲストコメンテイターや解説など多方面で活躍しています。そんな杉山さんですが、2011年に入籍し、つらい不妊治療の末に授かったという息子さんは、2015年7月に出産。そして、45歳のときに第二子の妊娠が発覚し、現在は妊娠中です。今回は、第一子のお子さんを授かるまでの不妊治療のお話について、取材させていただきました! つらかった不妊治療…。母のひと言で気持ちが吹っ切れた!画像出典:杉山愛さんのInstagramより ー第一子のお子さんは、体外受精で授かったと伺いました。どのような経緯で不妊治療を始めることになったのでしょうか? 杉山さん:結婚をしたのが36歳だったので、婦人科系の機能がちゃんと動いているかどうかを調べたほうが良いと思い、婦人科にチェックをしに行ったんです。その当時は「何の問題もない」と言われ、その言葉通り、その後すぐに妊娠することができたんですよね。ただ、その後、赤ちゃんの心拍を確認する前に流産してしまって……。そのときはすごく落ち込みました。でも、赤ちゃんが1度来てくれたのだから大丈夫だろうと思っていたんですが、その後なかなか授かることができなかったんです。 ーそこから不妊治療をされたんですね。 杉山さん:はい。結果として人工授精を4回チャレンジしました。すべてに失敗し、そのたびにショックを受け、気持ちがすごく疲れてしまったんです。できると思っていたのにできずに、こんなにも妊娠することが難しいんだと実感した瞬間でした。さらに高齢でしたし、それまでも選手として身体も酷使していたので、そういうことが不妊に繋がっているのかなと思い、一度気持ちが相当落ちてしまった時期があったんです。 ーどうしてもネガティブになってしまいますよね。 杉山さん:そうなんですよね。なので、一度不妊治療を1年くらいお休みして、体質改善することに切り替えました。趣味を取り入れる形で、自分が「心地良いな」「楽しいな」と思えることをやっていこうと思い、ベリーダンスに挑戦したり、冷え性を直すために、針治療やびわの葉を温める温灸をしたりしました。さらに、夏野菜は体を冷やす作用があると言われているので、夏野菜を控えるようにしたり。苦痛にならない程度に、体が喜ぶようなことを実践していきましたね。でも、その反面、次のステップとなる体外受精をして、“できなかったら、もうダメかもしれない”という恐怖があり、その一歩をなかなか踏み出せずにいたんです。主人も、弱気になっていた私をずっと見てきたので、「もう1回やってみようよ」とは言わなかったんですよ。そんなとき、私の母が主人と不妊治療について話すことがあったみたいで、主人から私の状態をすべて聞いたうえで、母は「最後までやってみればいいじゃない? 」と軽く言ったそうなんです。ただ、主人は「自分の口からは愛にそれは伝えられないから、もしそう思うんだったら、直接愛に電話して伝えてあげて」と言ったみたいで。その後、母から電話がかかってきて、「愛ちゃんらしくないじゃない。最後までやってみて、ダメでもいいじゃない。何がダメなの? 」と言ってくれて。私自身その言葉を聞いて、何を躊躇しているんだろうと心の底から思えて、気持ちが吹っ切れたんです。 ーお母さんの言葉が背中を押してくれたんですね。 杉山さん:そうなんです。そこから、ダメでもいいじゃんと思えるようになって。できなかったらできなかったで2人の人生を選べばいい訳だし、全部やってみて悔いが残らないほうが得策だなと思ったんです。そこからはすぐに行動に移せるようになって、1回目の体外受精を行い、そこで妊娠することができました。“今まで何を悩んでいたんだろう”って、後になった今なら言えるんですけど。当時は、女性として授かれなかったらどうしようというマイナスなイメージが先行していて……。それぞれの人生だから、授かれなかったら、それはそれでいいやって思えれば良かったんですけど、当時はそうに思うことができなくて……。でも、考えてみればチャンレジしないで、後になってやっておけばよかったと後悔するほうが、よっぽど後悔として残るなぁと思ったので、あのとき意を決して試すことができて、すごく良かったと思っています。 最初から最後まで寄り添ってくれたパパには感謝しかない画像出典:杉山愛さんのInstagramより ーお話を聞いていると、パパは杉山さんのことを考えて発言などをしてくれる方なのかなと思ったのですが、不妊治療中はどのように支えてくれましたか? 杉山さん:不妊治療って女性のほうが、どうしても負担が多くなってしまうように思うんですよね。それは、女性のほうが検査数も多いし、やらなきゃいけないことも多い。そして、最終的に出産するのも女性ということを考えると、かかる負担がかなり大きいと思ってしまいます。そういうのを理解していてくれていたのか、主人は常に寄り添ってくれていましたね。送迎をしてくれたり、一緒に喜びや悲しみを分かち合ってくれたり……。このときは、主人の存在は何にも変えられないものだと感じました。ただ、だからこそ、主人は人工授精に失敗し続け、最後の挑戦となる体外受精を、母のように簡単に「やってみたら」と言えなかったんだと思っています。 ー協力的なパパで杉山さんへの愛情をすごく感じます。パパも子どもが欲しいと思っていたのでしょうか? 杉山さん:子どもに関しては、私のほうが欲しかったんです。主人はどちらでもいいというスタンスでした。いつも「2人でいるのも楽しいし、子どもが欲しいから家族を築くために結婚したわけではない」ということを言っていましたが、「もし子どもができたら、楽しいことが増えるね」というスタンスでしたね。 ー誰よりも理解してくれて、心身ともに支えてくれたのですね。行動力がとても素敵です。 杉山さん:はい。最初から最後まで本当に支えてくれていたので……。今でも主人には、とても感謝しています。 ーそれでは、不妊治療を経験したからこそ、伝えたいメッセージは何かありますか? 杉山さん:36歳で結婚し、これまで選手として17年間酷使してきた体と向き合ったときや、年齢を重ねるにつれて妊娠することが簡単ではないという現実を突き付けられたとき、ものすごく苦しかったんです。これって、学校では習わなかったですよね? なので、妊娠は年齢が上がれば上がるほど、難しくなるという現実を知っておくというのは、性教育の上でも大事なことだなと感じました。自分の人生を選択するとき、キャリアも大事、プライベートも大事というなかで、知っていての選択だったらいいと思うんですが、私みたいに知らずにここまで来た人間からすると、知識として知っているか、知らないかはかなり大きいと思うんですよ。なので、こういう現実があるというのを伝えていくことは、大事なことだと思っています。 今回は、苦しかった不妊治療の経験をお話ししてくれました。「女性として授かれなかったらどうしよう……」と目に見えないプレッシャーを感じ、負のループに陥っていた愛さんを救ってくれたのは、お母さんの言葉だったそうですが、そのエピソードを聞いて、改めて母の存在って偉大だなぁと考えさせられました。さて、次回は不妊治療中に愛さんが取り組んでいたという、選手時代から継続しておこなっているある方法についてお送りさせていただきます。次回が配信最終回です。ぜひ最後までお付き合いください! PROFILE:杉山愛さん神奈川県横浜市出身の1975年7月5日生まれ。元女子プロテニス選手。4歳からテニスを始め、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。グランドスラムでは女子ダブルスで3度優勝するほか、混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。また、グランドスラムのシングルス連続出場62回では、女子歴代1位を記録するほか、オリンピックは4回連続で出場を果たした。現在では、情報番組のゲストコメンテイター&解説など多方面で活躍している。2011年11月に入籍し、2015年7月に第一子(男の子)を出産。現在第二子を妊娠中。 著者:ライター 吉田可奈
2021年05月28日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。夫に内緒で検査を行うと、「単角単頚」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形だと発覚。果たして、妊娠は叶う……!?新たな不妊専門クリニックへ、医師の言葉が励みに考え方を変えれば、妊娠の可能性がゼロではないということでもあった。きっと今の医療の技術でなんとかなる。妊活に非協力だった夫は、検査結果を聞いて「これからはやれることは一緒に頑張ろう」と協力を誓ってくれた。 新たに職場近くの不妊治療専門のクリニックへ通うことになった。最初の受診から紹介を繰り返し、5軒目にたどり着いたクリニックだった。そこで出会った50代の女性医師は「まだまだよ!」と明るく励ましてくれた。 「これまでの検査結果がすべてじゃないから。あせらないで。一般的な治療を始めるわよ」と。 その明るさがうれしかった。「先生との相性がいい!ここは当たりかも!」と直感した。この医師との出会いが、うつむきがちだった夏美さんの考え方を変えてくれた。 夫がすぐには検査を承諾してくれず……治療を始めるにあたって、夫の検査が必要になった。夏美さんが住む東京都では、不妊検査や治療にかかる費用の一部に対し、助成金が出る(対象者のみ。詳しくは「東京都福祉保健局」へ)。夏美さん夫妻の場合、夫も検査を受ければ約5万円の助成金が出る。夫は子作りに協力するとは言ったものの、いざ自分の検査となると、なかなか一歩が踏み出せない。「1週間考えさせてくれ」 夫なりに考えた末、検査を受けることを決断。夫側に問題はなかった。 医師と夫の言葉で吹っ切れた未来像でもすぐには授からない。わかってはいたが、現実を目の当たりすると落ち込む。夫に泣きすがると、非協力的だと思っていた夫から思いもしなかった心のうちを聞いた。 「俺は子どもが欲しくて夏美と結婚したんじゃなくて、夏美と一緒にいたいから結婚した。最終的に子どもができなくても俺は良いけど、夏美が子どもを望むなら一緒に病院に行こう」 はっとさせられた。子どもが欲しくて、頭がいっぱいになっていた。 「そっか。この人と結婚したいから結婚したんだったよな。このまま2人の生活もいいな」と素直に思えた。 医師の明るい励ましと、夫の言葉のおかげで、夏美さんは吹っ切れるようになった。荒んでいた心はポジティブに。「このまま2人暮らしなら、豪華な旅行も行けるかも」と新たな未来を思い描けるようになった。 休日は2人で鎌倉の海へドライブに行き、神社を巡っては2人の幸せな未来を願った。でも諦めたわけではなかった。「最後の1回」という条件付きで、子授けで有名な神社で祈祷してもらったり、ネットで調べた真偽不明のおまじないをこっそり試したり。 でも、どんな生き方になっても、行く先の道には明るい未来が待っている気がした。奇跡の妊娠で医師や看護師も拍手、無事に出産そろそろ人工授精も視野に入れていた矢先のこと。生理が3週間来ていないことに気づいた。強めの花粉症の薬を飲んでいたので、そのせいだと思っていた。一本だけ残っていた検査薬を試すと、陽性反応が出た。 「びっくりして家で思わず叫んじゃいました。すぐに検査薬を、スマホで写真を撮って、夫や母に送っちゃいました」 クリニックで調べてもらうと、既に胎嚢が確認できた。 「先生も看護師さんたちも、拍手して喜んでくれたんです。本当にうれしくてうれしくて。しばらくにやにやが止まりませんでした」 その後、大学病院に転院。子宮が小さいことから懸念されていた妊娠経過も順調だった。小さかった子宮は一般の妊婦と同じように膨らみ、立派に命を育んだ。 2020年11月、逆子による予定帝王切開で、約2,600グラムの元気な女の子を出産。産後も順調に過ごしている。妊活から2カ月で不妊の検査と治療を開始し、治療から4カ月で授かった夏美さん。 「私の場合は、早めに検査して本当によかったです。それからいい先生との出会いも大きかった。夫の言葉で気持ちを前向きに切り替えられたことも良かったと思います」と振り返る。 現在、生後4カ月のわが子の寝顔に癒される日々を送っている。 「すやすや気持ちよさそうに眠ってる顔を見ていると、力が湧いてきます。育児が大変でもがんばれるなって。2人目も授かったらうれしいけど、あせらないでやっていこうかな」 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月30日不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 27歳で13歳年上の夫と結婚。妊活に非協力な夫は、自然に任せたいから通院はしてほしくないと言う。果たして……?妊活から2カ月、夫に反対されながらも1人で産婦人科へ夫の理解を得ることは容易ではなかった。妊娠はそんな簡単なものじゃない。正しい情報を集めていた夏美さんは、強く反論したかった。しかしぐっと言葉を飲み込み、その場はそれきりの話し合いで終わらせた。 「反論したかったけど、これから先、夫婦関係が気まずくなってしまう方が危険だと思って。悔しかったけど引き下がりました。でもわたしが安心したかったので、1人で産婦人科へ行きました」 一歩目は踏み出しやすかった。向かったのは、生理痛で10年近く通っていたかかりつけの産婦人科クリニック。主治医は顔なじみのおばあちゃん先生だった。話しやすく、生理の状態も知ってくれていた。まずはタイミング法を試しながら、検査を進めることになった。 気絶しそうな人生最大の痛みを味わうことに通常、不妊治療の検査は男女ともに行われる。日本生殖医学会によると、女性側は①内診・経膣超音波検査、②子宮卵管造影検査、③血液検査が一般的な検査とされている。 夏美さんの場合、第一段階として行われた検査の一つが「通水検査」だった。子宮内にカテーテルをいれて生理食塩水を注入し、卵管の通り具合を調べる検査だ。一般的に麻酔を使用しない検査で、「多少の痛みは伴います」と説明を受けて臨んだのだが、ここで人生最大の痛みを味わうことになる。 激痛どころじゃない、気絶しそうな痛みだった。 「究極の痛みで、便が漏れてしまいそうなほどでした。寒くて怖くて……。顔面蒼白になってしまいました」 カルテに書かれた「不妊症」の文字、頭が真っ白に ここで夏美さんの“嫌な予感”は確信に変わったという。わたしの体に何かが起きているーーー。 普通の検査でこれほど壮絶な痛みを感じるなんて、きっと体に何か原因があると直感したという。その日は何も診断が出ず、結果が出るまで1週間を待った。翌週、結果を聞きに訪れた診察室で、予想だにしない言葉が医師の口から出た。 「片方の卵管が見えません。通りが悪すぎるから、ちゃんとしたところで調べないと」 不妊治療専門のクリニックを紹介され、卵管の造影検査をすることになった。同学会によると、子宮卵管造影検査とは、「X線による透視をしながら子宮口から造影剤を注入し、子宮の形や卵管が閉塞していないかを見る検査」のこと。さらに子宮の形態を詳しく調べるため、総合病院で子宮のMRI検査も受けた。1人で検査結果を聞きに行くと、医師のカルテには「不妊症」の文字。 震えた。 不妊症の原因が明らかに!思わぬ事実が発覚説明の前から頭が真っ白になった。医師は淡々と説明した。 「普通の人は卵管が2つあって、子宮は鶏の卵くらいの大きさがあるけれど、あなたの場合は卵管が1つしかありません。子宮は半分くらいの大きさでとても小さいです。もし妊娠できたとしても、体が異物だと思って流してしまう可能性があります。 妊娠したあとも大変だから、大きな病院で診てもらってください。まずは妊娠しないと話が進まないから、不妊治療専門クリニックに紹介状を書きますね」 夏美さんの子宮は「単角単頚(たんかくたんけい)」と呼ばれる珍しい先天性の子宮奇形で、通常の半分の大きさで小さく、片側に寄っており、2つあるはずの卵管が1つしかなかった。長年悩まされた生理痛の原因でもあった。 病院の帰り道はふらふらだった。本当は誰かにしがみつき、声を出して泣きたいくらいだった。 ポケットに、飴が1粒入っていた。袋を開ける手と飴をなめる口が、小刻みに震えていた。これからどうしよう。 込み上げる涙と一緒になめた飴の甘みが、これでもかというくらい心にしみた。とりあえず夫にLINEを送った。 「家でちゃんと聞きます。とりあえずおつかれさま」 短い文章から、夫の動揺も伝わってきた。 ◇ ◇◇ 夫に内緒で行った産婦人科。そして発覚した子宮奇形。まずは妊娠のために、不妊治療専門の病院へ通うことになった夏美さん。 次回、不妊治療の結果が明らかに! 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月29日「仲良く夫婦生活を送っていれば、赤ちゃんは自然に授かるだろう」。妊娠についてそう考えている人は少なくありません。しかし、健康な夫婦でも排卵1回あたりの自然妊娠率は約20-30%程度と言われています。若くて健康でも1年の排卵のチャンスはたった12回。 不妊治療体験者の声を取材した連載、第3回目となる今回は、妊活2カ月で不妊治療を始め、その4カ月後にタイミング法で授かった女性の物語をお届けします。ケース3、小林夏美さんの(29・仮名)の場合。 自然な妊娠を望む年上夫は非協力的。気持ちのすれ違いに涙「あぁ、疲れた」 その日、夫は仕事から帰るなり、大げさに疲れをアピールしてきた。その日、というのは妊娠しやすいタイミングの日。ネットや妊活アプリで調べ、予め伝えておいたが、明らかに拒絶していることが伝わってきた。 「今日もだめか……」 夏美さんは、疲れた夫を責めることもできず、すれ違う気持ちを抱えて1人静かに泣いた。 現在、生後4カ月の女の子を育てる夏美さん。絶望と希望の間でさまよった不妊治療期間を経て、今は穏やかな日々を送っている。 27歳の時に13歳年上の夫と結婚。夫の年齢も気にして、結婚前から「すぐに子どもは作ろうね」と語り合い、ハネムーンから妊活をスタート。ところが2カ月経ってもいつも通りに生理が来る。 「そのころは妊娠に関する知識がなくて、すぐに授かると勝手に思っていたんです」と夏美さん。同じ時期に結婚した同僚たちは、次々に妊娠を報告していた。 夫にいいタイミングを伝えるも「そういうのは自然にできるものだから。欲しい欲しいと思うと逆に妊娠できないよ」と非協力的な言葉が……。夫とのタイミングが合わず、日に日に焦りは増していった。 寝込むほどの生理・・・もしかしからできにくい?と不安に毎回、生理は苦痛でたまらなかった。腹痛、腰痛、頭痛に加えて多量の出血。学生時代は寝込むほどだった。実家近くの産婦人科クリニックに長年通い、痛みを緩和するための低容量ピルを処方してもらっていた。妊活に備えてピルの服用はやめていたが、市販の痛み止めに頼りすぎることも。 人より重い生理が気になってネットで調べると、不妊と結びつく情報がいくつか引っかかった。「もしかしたら、自分は赤ちゃんが授かりにくいのかもしれない……」。胸がざわざわした。 日本産科婦人科学会では、不妊を定義する期間として、「1年間が一般的」と定義している(妊娠を望む健康な男女の間に授からない期間)。しかし問題が考えられる場合は、すぐに治療を開始するよう勧めている。 頭に浮かんだ「不妊治療」の文字、しかし夫は……夏美さんの頭には、妊活から2カ月の時点で「不妊治療」の文字が浮かんだ。妊娠するチャンスは1回の排卵でたった数日間しかない。排卵は月に1回、1年で考えるとたった12回だ。このままではあっという間に年を重ねてしまいそうな気がした。 ところが赤ちゃんは誰もが自然なタイミングで授かると思い込んでいる夫。ネットの書き込みでも、夫と同じ意見を多く見かけた。通院したいと相談すると、予想通りの反応が返ってきた。 「行く必要はないよ。自然に任せたいんだ」◇◇◇妊活には非協力で、しかも不妊治療の検査へは「行く必要がない」と言う夫。果たして、夏美さんの妊活はどうなるのでしょうか。 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年04月28日私が31歳、不妊治療をしていたときのことです。私は普段、生理は7日で終わるのですが、そのときは8日目にまた出血がありました。生理痛のように下腹部もだんだん痛くなり、ついには冷や汗や吐き気まで……。激痛でのたうち回り、気づけば病院に救急搬送されたのです。不妊治療にはこんなリスクもあるんだと知った出来事です。 不妊治療は、精神的にも肉体的にもしんどいものです。そして、まさか自分にもこのような副作用が起きるとは思っていませんでした。 ちなみに、そのときに飲んでいた排卵誘発剤は服用をやめて、別の薬を処方してもらうことになりました。そして、今では第一子を妊娠中です。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 監修/助産師REIKO--------原案/たなかまさぽんさん作画/コジママユコイラスト制作者:イラストレーター コジママユコマンガ作家、イラストレーター。北海道出身、現在は関東で夫と二人暮らし。WEBを中心に、自身の経験を元にしたマンガを発表しています。女性向けメディアでイラストレーターとしても活動中。
2021年04月26日13年間2人目不妊だった私。10年ほど日本で不妊治療を受けましたが、授かることができませんでした。人工授精までしか受けたことがなかったのですが、移住先のドイツで高度不妊治療を受け、双子を授かることができるまでの体験談です。 ドイツの文化に従う私たち夫婦は日本で何度も不妊の検査を受けましたが、異常が見当たらない原因不明の2人目不妊でした。原因不明なままで高度不妊治療に踏み切るのは、お金の問題もあり難しいだろうと抵抗がありました。その後、移住先であるドイツのクリニックで、私が35歳を過ぎたので最後のチャンスと、人工授精を受ける目的で診てもらったのです。初めてクリニックを受診したときに、「なぜ今まで欲しいと思っていたのに人工授精止まりだったのか」「子どもを授かりたいという意思はあるか」ということを聞かれました。 ドイツ人は意見をはっきり伝えることが一番大事という考えが基本にあります。初診で担当医の思わぬ質問に戸惑いましたが、夫婦で授かりたい思いはあったのでその旨を伝えました。 ドイツ不妊治療の助成金ドイツで不妊治療をする場合、40歳までの女性に対して不妊治療3回まで約半分を公的保険でカバーしてもらえます。ドイツの保険会社は多くあり、加入している保険会社によってさまざまですが、たいていの会社は女性が40歳までであればそのような補助を受けることができます。 不妊治療を受ける際に必要な薬代も若干の補助は出ますが、多くはありません。日本よりも不妊治療を受けやすい環境(※1)ではありますが、お金の面はそこまで手厚く補助してもらえるものではありませんでした。 (※1)現在、日本における不妊治療への助成は拡充されています。 検査から治療まで大急ぎ!検査で時間を取っていてはもったいないということで、治療を決めたその日から検査を開始。担当医は私たち夫婦がとても長い期間、検査や治療を受けているにもかかわらず結果につながっていない現状を見て、顕微授精が適切な治療だと示しました。 顕微授精は日本では最も高額で、受けることが難しい治療だと思っていた私は驚きました。人工授精を何度か受けてから考え直そうかなどさまざまな思いがありましたが、治療や薬の指示など、医師や看護師さんが淡々とすべき役目をこなしているという印象を受け、今回の治療に希望をかけてみようと決断。 最初は戸惑いましたが、これもドイツ文化です。やることをやっていれば成果に近づけるという医師の助言・ドイツシステムのもと治療をすすめました。 3回目の顕微授精で授かれた1回目は授精卵が着床したものの妊娠9週で育たなくなり、稽留流産、掻爬手術を受けました。2回目では着床せず。保険補助が最後となる3回目。これで治療はやめる予定で顕微授精をおこないました。2個の受精卵を戻し、無事着床。そして、その後双子を出産しました。顕微授精を受ける際、体を多くの薬でコントロールし、心が折れそうになるようなこともありました。また流産したときも、治療を続けるべきなのかと夫婦で何度も話し合いました。双子を授かることができたことは奇跡だったと思います。不妊治療を受けることはどのくらいの期間、いくらかかるのかなど不明点が多いことが私たち夫婦にとって不安材料でした。 ドイツの不妊治療は、お金のサポートは多くはありませんが制度として整っていますし、明確な治療指示によってスムーズに治療を受けることができました。日本でもクリニックによっては明確な治療指示を受けられたのかもしれませんが、10年以上悩んでいた2人目不妊が1年半のドイツ不妊治療によって双子の命を授かることができたので、私たち夫婦は満足しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:久保田恵美双子を含む3児の母。第4子を妊娠中。幼稚園、小学校教諭の免許を取得。現在はドイツに住み、子育てをしながら育児や教育に関する体験談を中心に執筆している。
2021年04月17日江上敬子さんは、「ニッチェ」というコンビを結成しているお笑い芸人です。現在はバラエティー番組にレギュラー出演するほか、「ニッチェ江上敬子のダンナやせごはん~胃ぶくろをつかむ、嫁ラクレシピ!」「ニッチェ江上敬子ダンナやせごはん~かさ増し!レンチン!缶タン!編」など、料理本の出版もおこなっています。また、2015年9月には一般男性と結婚し、2020年9月5日に第一子を出産しました。 今回は不妊治療のお話を中心に、治療中につらかったことや、つらい時期の乗り越え方などを取材させていただきました! 不妊治療中の夫婦関係は真っ黒!? 溝はどんどん深まっていき…ー江上さんは不妊治療の上、出産されていますが、どのくらい治療を続けていたのでしょうか? 江上さん:トータルの期間は2年間くらいでしたね。結婚して、子どもが欲しいなと思ったときに、自分の体がどういう状態なのか知らなくてはいけないなと思い、検査を受けることにしました。 ーそこでの結果はどんなものだったのでしょうか? 江上さん:検査は旦那と2人で行き、旦那には何も問題がなかったんですが、私は卵子が育ちづらい体質なだけでなく、子宮内膜症が見つかり、妊娠しづらいことがわかったんです。まずはそこを改善するために、1年くらいの時間を費やしました。 ー実際不妊治療をおこなっているときに、「一番つらかった」と思うことはどんなことでしたか? 江上さん:夫婦間の認識の差ですね。あとは、比重です。子どもは2人で作るものなのに、どうしても女性の負担が大きくなってしまうなぁと。女性しか子どもを産むことができないからこそ、仕方のないことなのかもしれないですが、2週間に1度、遠い病院へ早朝に通い、仕事に行き、同じ時間に薬を飲み、おなかに注射をしていると、本当につらくて「なんで私だけ」と思ってしまうこともありました。さらに、BMIが高めだと妊娠しづらいということで、体重も8キロほど減らしました。その間、旦那は普通に生活をしているからこそ、どうしてもイライラしちゃうんですよね……。本当なら、そのすべての苦労を話して理解してもらえばよかったんですが、当時は自分から話す気力もなかったんです。男性にしてみれば、「言われないからわかんないよ! 」という感じだと思うのですが、心のどこかで「言わなくてもわかってよ! 」という気持ちがありましたね……。「2人で治療しているんだから、もう少し気を遣ってよ! 」みたいな感覚の差もあったりして……。なので、そういったお互いの認識の違いから、どんどん溝が深まっていって、そのころの夫婦の仲は最悪でした。 ーそのような夫婦間の溝は、どのように解消していったのでしょうか? 江上さん:話し合いもしたんですが、当事者同士はうまくいかず……。わが家では、お互い仲がいい友達に間に入ってもらい、話を聞いてもらうことにしたんです。旦那も私も、直接言えないようなことをその友達には言えますし、第三者がいるということで、ちゃんと冷静に言葉を咀嚼して考えることもできたんです。それからは少し落ち着きましたね。今思うと、そこが不妊治療最大の山場だった気がしますし、今思えば「言わずともわかってくれよ」と思わずに、もっと自分の気持ちを素直に言っていればよかったなと思いますね。 ーそういった治療に対する夫婦間の温度に悩む方は多いと思います。男性に不妊治療について理解をしてもらうのは、なかなか現実では難しいようですね。 江上さん:そうなんですよね。でも、これから2人の子どもが欲しいと思っているのに仲が悪くなったら意味がないと思います。私も夫婦関係の暗黒時代を切り抜けるために、意識的に実践していたことがあるんです。それはとにかくポジティブな将来のことを話すということでした。「子どもができたら、どんな漢字の名前にしようか」とか、「何を習わそうか」とか、そういった妄想を楽しむようにしていました。それだけで和むんですよ。自分たちの気持ちも前向きになりましたね。 「どこまでチャレンジするのか」を2人で決めることがすごく大切ー今は不妊治療に対しての保険適用化のお話もありますが、どう考えますか? 江上さん:すごく素晴らしいことだと思います。そこで諦めてしまう人もいると思いますし、実際に私のまわりにも、そういった夫婦が何組もいるんです。なので、なるべく早く実現化してほしいですね。私の希望としては、「今子どもが欲しい! 」と思っている人たち全員に、適応されるといいなと思っています。なので、1日でも早く可決してもらいたいですね。 ー 金銭的な問題で諦めるのは悲しいですよね。 江上さん:そう思います。また、不妊治療をおこなう際に絶対に大切なのは、「どこまでやるのか」を決めることだと思うんですよ。自分たちの中で期限というか、「ここまで挑戦しよう」という線引きをちゃんと決めるというか。それに、できることをやるだけやって無理だったら、諦めもつきやすくなると思うんですよね。 ー 不妊治療を受けるときに、事前に何か2人で決めていたことはあるんですか? 江上さん:金銭面や年齢などに制限があったので、私たちの場合は最初から“何回まで”と回数を決めていましたね。「この回数で挑戦してみて無理だったら、金銭的にも続けられないし、諦めましょう」という感じできちんと2人で話してから、治療を始めました。 ー 最初に不妊治療について、どういう方向性でおこなうのかを確かめておくということは大切なことですよね。ほかにも、治療でつらいときなどは「察して欲しい」と相手に求めるのではなく、今の状況や自分の思っていることを伝えることが大切だとおっしゃっていましたが、それもすごく大事なことだと思います。 江上さん:「察してほしい」という気持ちはわかるのですが、女性も男性も自分の言葉で説明するのが面倒なんでしょうね。でも何でかそう思っちゃうんですよね。ただ、その状態だといつかケンカになってしまうと思うので、ケンカになったときに「自分たちには何が足りなかったのか」ということを見直すことが大切だと思います。男性は男性なりに絶対悩むし、しんどいだろうし、どうしていいかわからないと思うんですよね。なので、女性も「自分ばっかり」って思わないようにするのは大事なんだなって、それは自分の経験を通してそう思いましたね。 ーそれでは、不妊治療を頑張っている人たちにメッセージをお願いします。 江上さん:まず、“1人じゃないよ”ということを伝えたいですね。今はSNSを駆使すると、同じ体験をしている人や、同じことで苦しんでいる人、喜んでいる人などがいっぱい見つかるんです。なので、そういう人たちとたくさん繋がって、一緒に頑張っていることを実感してほしいですね。手を出せば、絶対に握ってくれる人はいます。決して1人で抱え込まないでほしいですね。 今回は不妊治療に特化した内容を取材させていただきましたが、いかがでしたか? 不妊治療中の夫婦関係など、一歩踏み込んだ内容についても、江上さんはときに明るく、ときに真剣に話してくださいました。さて、次回はコロナ禍の妊娠・出産についてお話を伺っています。次回の配信もぜひ楽しみにしていてくださいね! PROFILE:江上敬子さん島根県出身の1984年9月17日生まれ。マセキ芸能社に所属しており、女性お笑いコンビ「ニッチェ」ではボケを担当している。著者:ライター 吉田可奈
2021年04月09日28歳のときに不妊治療で第一子を授かり、出産した私。第一子である娘が1歳を過ぎたころから第二子の不妊治療を始めたのですが、治療を受けるなかで失敗したと思うことがいくつかあります。今回はその失敗体験を紹介します。 不妊治療の記録をすべて捨てた待望の第一子は、タイミング法を3回したあとの人工授精3回目で授かりました。おなかの赤ちゃんは順調に育ってめでたく出産となったのですが、産後2カ月が経ったあとに急きょ夫の転勤で引越しをすることに。 引越し後は見知らぬ土地で子育てをしながら片付けにハマり、勢い余って第一子の不妊治療に関する書類をすべて捨ててしまったのです。第二子の治療は引越し先の病院で受けたため、過去の資料が一切なくて困ったのを覚えています。 領収書の管理がいいかげん第一子の不妊治療では人工授精3回目で娘を授かることができたので、治療にかかる費用はそこまで高額にならず、助成金の申請はおこないませんでした。 けれど、第二子の不妊治療では10回を超える人工授精をおこなっても子どもを授かることができませんでした。治療費も高額になったため助成金申請をしようとしたところ、領収書がいろいろな場所に保管してあったり日付通りでなかったりして大変な手間が。領収書の管理はきちんとしておく必要があると痛感しました。 妊娠に対する考えが甘かった不妊治療当初から「自然妊娠をする確率はほぼゼロで体外受精でも難しい」 と先生から言われていましたが、娘を3回目の人工授精で授かったので次も思っているよりも簡単に妊娠すると考えていました。 ところが、人工授精12回、体外受精を1回おこなったものの、未だに妊娠に至っていません。私も夫も年齢はどんどん高くなり、体も衰えていくなかでどこまで治療を続けるのかまだ決めていません。出費は増え続ける一方なので、子どもが授からなかった場合にいつ諦めるのかを考えなくてはならないなと思っています。 不妊治療をしていると、まだ見ぬ未来の赤ちゃんと会える日を楽しみに気持ちが前向きになる一方で、現実的に考えなくてはならないことがたくさんあり、気持ちが後ろ向きになることもあります。それでも、後悔のないように納得のいくまで治療に取り組んでいきたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKOイラスト/manami.koiso 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2021年04月07日なかなか計画通りには進まない不妊治療。仕事をしながらの通院は、困難を極めます。治療内容によっては早退遅刻、休暇も必要になることも。仕事仲間に打ち明けられず、両立にストレスを感じる人も少なくありません。 職場には知られたくないーー。そう思って、こっそり通院した女性の物語をお届けします。ケース2、下村豊華さん(42)の場合。 総合商社で正社員管理職の下村さんは31歳で結婚。34歳で稽留(けいりゅう)流産し、手術のために入院したタイミングで多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断され、35歳で不妊治療を開始。朝6時半に家を出て不妊治療後、出社する仕事との両立で体も心も疲弊してしまいます……。 友人の妊娠出産が喜べず限界にタイミング法での妊娠を待った通院から約2年が経ち、人工授精へステップアップしないかと医師からアドバイスされた。 周囲は出産ラッシュを迎えていた。地元の仲のいい友だちから来る妊娠・出産報告。友人が出産するたび、ベビーコーナーで離乳食の食器やチャイルドシートなどのお祝い品を奮発した。次第に友人との集まりには、子どもや赤ちゃんが増えていった。 「地元の友だちはみんな大好きだけど、さすがに会うのがつらくなっていきました。おめでとうって顔では笑っていても、心では笑えなくて。親友の1人がそんな私の様子に気付いてくれて、『今は無理しなくていいんだよ』って言われ、少し気持ちが落ち着きました」 そして豊華さんは、約2年続けた不妊治療の中断を決意する。 「限界だったと思うんですよね。基礎体温に一喜一憂して、生理が来るたびに『あぁ、まただめだった』って落ち込んで。これは本人しかわからない気持ちです。タイミング法だと夫との行為も義務的になってしまって、精神的にもつらかったです。何より仕事と通院の調整がもう限界でした。一度休憩したいって先生に伝えました」 まさかの妊娠、不妊治療していたことを職場に告白 通院を休んで少し経ったころ、基礎体温がだらだらと高い日が続いた。生理も来ていなかった。もしかして……。受診するとおなかには新しい命が宿っていた。36歳の時だった。 「治療をお休みしてすぐ妊娠したので驚きました。今思えばストレスもいけなかったのかな、と。私の場合、会社にだまって通院していたことが一番つらかったんだなって気付きました」 妊娠を機に不妊治療していたことを職場に打ち明けようと決めた。本当は子どもが欲しいのに授かれず、不妊治療に踏み切れない同僚や後輩が、ほかにもいるかもしれない。会社の雰囲気が一因になっているかもしれない。ここで私が不妊治療を打ち明けることで、なにか変わるかもしれない。 まずカミングアウトしたのは、同い年と5つ下の既婚の女性社員。聞けば2人とも子どもが授からずに悩んでいたという。豊華さんが不妊治療をすすめると、2人ともすぐに専門のクリニックに通い始めた。「私が産休に入るまでは全力でサポートするから」と応援した。 豊華さんが産休に入るとき、不妊治療で通院していた2人が産休の準備に入っていた。職場の空気が変わったと手応えを感じだ。 「まぁ、社長はあんまりいい顔してませんでしたが、周りの反応は意外とやさしくて祝福してくれました。本当によかったです」 40歳目前、2人目の不妊治療へ。職場に伝えて周囲に協力を依頼 豊華さんは、無事に第1子となる女の子を出産した。育休が明けて職場へ戻ると、管理職からは事実上外されていた。やりがいを感じていたメーカーとの交渉はほぼできなくなり、女性社員が多い営業事務の教育担当になった。 もう40歳目前。2人目の妊娠を急いでいた。多嚢胞性卵巣症候群が悪化していたこともあり、体外受精を目指した。 凍結技術の進歩により、体外受精の受精卵はいったん凍結保存するケースが多い。豊華さんも凍結保存を選んだ。通っていたクリニックでは、凍結保存した受精卵を融解して移植する場合、5時間ほどかかった(※通常1時間程度。クリニックにより大きく異なる)。 「その日は1日予定を入れないでください」とも言われたため、そうなると仕事を休まなければならない。もうごまかしは利かない……周囲の助けが必要だった。今度は最初から不妊治療を同僚にカミングアウトした。 「今度は体外受精なので、もう会社の協力がないと無理!って思ったんです。最初に治療のことを打ち明け、周囲に協力をお願いしました。その代わり、同じような人がいたら私も全力でサポートしますって伝えました。産後の異動は納得できませんでしたけど、女性が多い部署になったので、伝えやすかったです」 体外受精であっても、予定通りに進まない。1回目の移植は失敗、子宮のポリープ除去手術と予想外のことが続いた。そして2回目の体外受精で妊娠。 しかし切迫流産で1カ月の自宅安静を余儀無なくされた。会社を急に休むことも、長期で休むことも多くなったが、もうあの頃のような後ろめたさはなかったという。 「私のカミングアウトによって、後輩たちが続々と不妊治療を始めていました。だからお願い! 私、休むから!って堂々と言えたんです」 2020年7月、自宅から近い大学病院で無事に第2子となる男児を出産した。42歳だった。 必要なサポートは、制度よりも「周囲の理解」と実感会社の空気は変わったが、まだ課題は残る。豊華さんが打ち明けられたのは女性社員だけ。男性からの理解は得られる気がせず、伝えられなかった。会社が組織の制度として不妊治療を応援しているのではない。周りの女性社員たちが、個人としてサポートしてくれている段階だ。 2020年の菅内閣誕生で、不妊治療の保険適用が動き出すなど、追い風が吹いている。社会が、時代が変わってきた。でもサポート制度の整備を待つよりも、周囲の理解が深まることで、当事者も協力を仰ぎやすくなると感じている。 「仕事と不妊治療の両立は本当に難しいんです。会社にだまっていることが一番つらかったです。不妊治療をすることを恥ずかしがらず、職場や同僚の協力を得て治療に臨むことができれば、妊娠にも早くつながるような気がします」 今は育児休暇中の豊華さん。仕事はこれからも続けて、さらに会社を変えていきたいと考えている。 「復帰してからの新たな目標ができました。これからは社内の女性たちが不妊治療しても出産しても働きやすい環境を作っていきたいです。『私に続けー!』という気持ちです」 【調査概要】出産のタイミング・不妊治療に関するアンケート調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2021年1月28日(木)-2月3日(水) 調査件数:2,868名 監修者:医師 杉山産婦人科 理事長 杉山 力一先生 著者:ライター 大楽眞衣子社会派子育てライター。全国紙記者を経てフリーランスに。専業主婦歴7年、PTA経験豊富。子育てや食育、女性の生き方に関する記事を雑誌やWEBで執筆中。大学で児童学を学ぶ。静岡県在住、昆虫好き、3兄弟の母。
2021年03月27日