【連載】玉置妙憂の心に寄りそう人生相談TBS『グッとラック!』のレギュラーコメンテーターをはじめ、数々のメディアにも紹介され大反響を呼んでいる新書『死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア~』(光文社)の著者・玉置妙憂さんが毎週、読者の悩みに寄りそい、言葉を贈ります。【今回の相談内容】これといった理由もなく、中学生の息子が学校に行かなくなりました。イジメではないようですが、行かなくなって半年くらいになります。担任の先生も友人も心配してくれていますが、本人はガンとして行きません(友人とはLINEでやり取りしているようです)。最初は、行くように厳しく言っていたのですが、そうするとベッドから出てこなくなり、話もしなくなります。夫に頼んで、力ずくで引っ張り出したこともありますが、さすがにそれ以上はできず(殴るようなことはしたくありません)、ほとほと困っています。夫とは、しばらく見守るしかないのかなと話していますが、引きこもりの子どもに関連する殺人事件などもあり、不安がよぎります。今後、子供にはどのように接すればいいでしょうか?(46歳・主婦・女性)【回答】一度、しばらく放っておいてみたらいかがでしょうか。大いなる慈愛に立脚した無関心です。彼には彼の「学校に行かない理由」があるんでしょう。でもそれは、親や先生が口出しして、手助けすれば解決策が見つかるような「理由」ではないのだと思います。そして、彼の抱える「理由」を、私たちが本当に「わかる」ことは不可能です。彼は今、自分の中にしかない「答え」を探す作業中。けっこう大変な作業なので、普通に学校に行きながらではできないんでしょう。今やるべきなのは、“学校に行かせる”ことではなくて、“答え探しの邪魔をしない”ことですよ。私も親ですから、子どもが学校に行かなくなって心配なお気持ちは「わかる」と言わせてください。きっと考え出したら夜も眠れないほど不安でしょう。でも、長い人生の中で1~2年、じっとしている時間があったってどうってことないですよ。いくらでも元に戻れます。「厳しく言ったり」「力ずくで引っぱり出したり」しないで、しっかり底まで沈ませてあげてください。中途半端に茶々を入れるから、息子さんが答え探しに没頭できないんですよ。お母さんとお父さんは、なるべく普通に過ごすこと。「あなたが学校に行っていないことなんて気にしてないよ」というふうに。お母さんはお母さんの毎日を、しっかり楽しんでください。息子さんの一番の道標となるのは、お母さんやお父さんが日々楽しくはつらつと生きている背中です。楽しそうでなければ、誰が出てくるものですか。たしかに世の中にはいろいろな事件がありますから、究極のところまで心配してしまうお気持ちもわかります。わかりますが、心配しすぎは愚の骨頂。今は価値観が変わってきていて、私たちが考えている「学校」と、彼らの考えている「学校」は違うようです。それに、社会も変化していて、みんなと同じことができる子が「良い子」「できる子」ではない。これまでの型には合わせられないところに、驚くような才能が隠れている場合だってあります。あなたが安心したいがために、子どもを無理やり型にはめることがないように。ありとあらゆる可能性を視野に入れて見守る胆力をつけたいものです。【プロフィール】玉置妙憂(たまおきみょうゆう)看護師・看護教員・ケアマネ-ジャー・僧侶。「一般社団法人大慈学苑」代表。著書『死にゆく人の心に寄りそう』(光文社新書)は8万部突破のベストセラー。NHK『クローズアップ現代+』、『あさイチ』に出演して大きな話題に。現在、TBS『グッとラック!』火曜のコメンテーターを務める。
2020年02月14日自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。3話目、3歳半健診で発達相談を案内されたあとのお話です。 3歳半健診、その結果は…?!この3歳半健診のとき、座っていることができず走りまわり、踊り狂い、床に寝転ぶ息子。一方、周りの静かな子どもたち……。 あれ、うちの子、やっぱり普通と違うかも? あーが自閉症だという診断を受けることが怖くて怖くて、「じゃない」情報ばかり気にしていたように思っています。発達障害にありがちな ●電車の時刻表とか種類をたくさん覚えている⇒ 違った! よかった!(でもキャラクター図鑑大好き、キャラ全部覚えてる) ●言葉が出ない ⇒ 言葉は出てる! よかった!(でも全部独り言) ●運動が不得意な子が多い ⇒ 運動は得意! よかった!(でも手先は不器用) ●おむつが取れない子が多い ⇒ 取れてる! よかった!(取れてるだけで、たびたび漏らしている) などなど。なんか書き出すと、私ってどれだけチキンな母親なんだろう……(涙)。 発達相談▶保健師相談 市の発達相談が受けられるのは、なんと3カ月待ち! 期待しすぎたのが悪かったのかもしれませんが、市の発達相談はテストなどをするわけでもなく、病院に紹介状書いて終わり。とてもあっさりしたものに感じました。 児童精神科…そんなに待つの? いろんな友だちに聞いてみたところ、自治体によってかなり違うみたいですが、うちは8月に児童精神科へ電話をしたら、12月に予約を取り直すように言われ、「早期療育とは!?!?!?」となりました。 当時第二子を妊娠中で、12月には出産も控えており、バタバタすることは容易に想像がつく……。どうなる……!? わが家に救世主、現る!はい、救世主登場!私はここまで、あーの育児の悩みを相談できる専門の方に巡り会うことができていなくて、とにかくあーについて専門家の方と話してみたかったんです。 あーのこんなところはどうなのか、あんなところは何なのか、こんなところに困ってます……と。夫婦2人で話していてもどん底へ落ちて行くだけな気がして。 だから、救世主様の登場に、どれだけ救われたかわからないっ……!!! よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2019年11月15日自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。2話目は、夫のネガティブ発言に激怒したり、療育について知った頃のお話です。 夫の「うちの子は異常なんだ」発言に…いやー、怒ってばっかだったな、このころ。今もだけど(笑)。夫にも、子どもにも、まったく余裕なかったです。 もしかしたら今、あーがこんなに言うことを聞かないのは、私があのときこんなこと言ったかもしれん、とか私があのときスマホに夢中だったからかもしれん、とか私があのときばあばに預けちゃったせいかもしれん、とかあれこれ考えては焦っていました。 「療育」という選択肢 Uくんが療育に通っているという事実は、今後のわが家の動向にもかなり影響が出てきます。ありがとう、Uくん母! うちの子、普通…じゃない? 母の葛藤 感情的に大きな声を出しても、あーの心の奥に届いている感じはまったくしませんでした。ただただ、叱られているからおびえているだけ。 でも、無理な要求をしているつもりでもなく、必要以上な「良い子」を求めているつもりもなく、話しかけたら答えてくれるとか、ただ「普通」の行動をしてほしかっただけだったんです。 大人からしたら理解できない、いや、他の子どもからしても理解できないであろう反復行動を延々繰り返す遊びを「もうやめようか?」と提案したら大かんしゃくを起こしたりとか、とにかく普通の言葉が通じない長男にほとほと疲れてしまっていた。 3歳半ばでしたが、1歳・2歳のイヤイヤ期が永遠に続いている感じで、終わりは来るのかと毎日憂うつでした。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2019年11月13日自閉症スペクトラム(ASD)と注意欠陥障害(ADD)の長男あーくんと、次男いーくんの母、よいこさん。あーくんが自閉症と診断されるまでのエピソードをマンガでお届けします。1話目は、赤ちゃん期のお話です。 自閉症スペクトラム児の赤ちゃん期は…?あーは本当に敏感な子で、自分は泣いていなくても、他の赤ちゃんが泣いてたらつられて泣いちゃう「つられ泣き」のほかに、予防接種で腕をまくられただけで泣いたり、お風呂上がりに服着させられるので泣いてたり……とにかく一日中泣いていたように思います。 あれ…この子、育てづらい? 特に2歳〜就園前3歳前半は、文字通り戦争の日々でした……。今思えば、そんなに怒ったって当時の長男には届かなかったのに、とにかく頭に血がのぼりっぱなしだったな。 このころになると、あーの同級生にもぽつぽつ弟や妹が生まれ始めたんですが、「うちは子どもひとりなのに、なんでこんなに大変なんだろうか」「私のキャパが狭すぎるせいなのか!?」と悶々としていたように思います。 もしかして、自閉症かも? 一番悩ましくてつらかったのは、あーというより、夫との関係だったかもしれないな。 夫はやさしくて誠実で真面目なんですが、その分心配性で大げさなんですよね。私は夫から「大丈夫だよ!」の一言が欲しいんですけど。 で、私が「大丈夫だよ!」と言うと「楽天的だね、もう少しまじめに考えなよ」って返されたりね……。よいこさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター よいこ自閉症スペクトラム&注意欠陥障害の長男あー(小学生)と、次男いー(幼稚園児)の母。30代。主に泣いている。心配性の夫は社畜系転勤族。最近は仕事と家庭の両立でテンパりまくり…。
2019年11月11日少し前にわが家の不登校体験記として、子どもが不登校になったら親としてどんな対応をしたか、どう考え受け入れたのか、というお話を描きました。今回は不登校を受け入れた先に、どう過ごしていくかの選択肢について書いてみました。不登校の親の会をやってきていろんな方とお会いして思ったのですが、不登校になってからの子どもはどういう行動が多いかというと、勉強してみたり家の手伝いをしたりするのも最初だけでそのうちただゴロゴロしてゲームや動画などで時間を潰す子が多い印象です。そして昼夜逆転する子も。わが子も一時期そうでした。親はわが子の心の傷を感じてとりあえず休ませないとと思うのですが、そんな状態が続くとどうしても不安が頭をよぎります…。学校以外の居場所がみつからない…!少し落ち着いた後は、学校以外の居場所を探したりしますが、なかなか良い(合う)ところが見つからずどこにも行けない場合も多いでしょう。不登校の子どもの受け皿が少ない&合うところがないというところにたどり着くのではないでしょうか。学校に苦手意識を抱えて行けなくなる…勉強や人間関係につまづいて傷を抱えてる子どもに対して、適応指導教室などは学校に戻すための学校簡易版みたいな機関だったり、フリースクールもお金がかかったり近くに無かったり、そもそも子どもがどこにも行きたがらない、などなど…。不登校の子どもの受け皿が少ない&合うところがないのは常々親の会で出る悩みでした。で結局どう過ごしてるか聞くと…やることがないからゲームや動画で過ごしてるという子の多いこと。対してそれをやめさせないとと思っている方も多かったです。ここで好きなことがある子はそれをとことんやればいいと思います。(わが子も絵が好きで描きまくって現在イラストレーターとして働いています)でも…なにも好きが見つからない子はどうしたら…親が何か新しいことに誘ったりしていろいろ経験できる子は良いですが、それすら拒否し家から出ない、出れない子もいるでしょう。そんな折、以前対談させていただいた小幡和輝さんと再びお会いするチャンスがありまして、行ってまいりましたよ~!不登校についての対談「第2弾」です。しかもグッドタイミングで新しい選択肢を引っさげて来てくれたではありませんか!子どもがゲーム好きならそれこそ利用するべし!なんと日本初のゲームのオンライン家庭教師サービスです!最初聞いた時は、親がやらせたくないのでは…と思いました。しかし子どもが「やることがなくてゲームばかりしている」というのは、実は「ゲームが一番好きだからやってる」のかもと考えてみると…だとしたら、ゲームを避けて禁止や制限をするより、ゲームを利用して居場所を見つけてあげて社会復帰のキッカケにした方がいい、ゲームが好きならそこを利用しない手はないと思い直しました!小幡さんが、「囲碁や将棋の習い事ならいいのに、ゲームを習うのはダメという考え方を変えていきたい」と言っていたのが印象的でした…。オンラインゲームの怖いところは、悪い人と出会わないか、高額課金してしまったりしないか…という心配があるかと思いますが、この「ゲムトレ」というサービスならそういった心配はありません。また、トレーニングなので「決まった時間でやる」「先生にレッスンしてもらう」「自分で練習する」その結果、上手になって自信がつく…というプロセスを体験できます。これは、どの習い事も一緒だなぁと思いました。ゲームだからダメというのも親の思い込みなのかもしれません。「好きなことをがんばること」が自信につながる!好きなことをがんばることは、元気に、自信につながります。ここをなくしては次のステップに行くのは難しいと私は思います。学校に行けないことを嘆いていても先に進めません。その時間を子どもの好きを親子でゆっくり一緒に見つけて深めていくための時間にできたらステキですよね。不登校経験者の小幡さんだからこそ作れた子どもの気持ちに寄り添ったサービスだなぁと思いました。不登校の子たちみんながまた笑顔になれますように!日本初、ゲームのオンライン家庭教師『ゲムトレ』◆ 詳細はこちら>>
2019年10月01日夏休み明けは不登校が増える――。そう聞いたことがある親御さんは多いでしょう。今月のテーマは 「不登校」です。かつては「登校拒否」と言っていましたが、学校に行っていない子どもたちの中には「拒否する子ども」だけでなく「行きたくても行けない子どもたち」もいるということで、「不登校」と呼び方が変わりました。世界中には「学校に行きたくても行けない子どもたち」がたくさんいますが(かつての日本にもそんな状況がありました)、なぜいまの日本でそんな現象が起きてしまっているのか、皆さんと一緒に考えたいと思います。「不登校」とは「学校に行きたくない」と思ったことなら、だれしも一度や二度はあるでしょう。ではそもそも「不登校」とはどういうことでしょうか。文部科学省は次のように規定しています。「不登校児童生徒」とは……「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいは登校したくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」(文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について 参照)理由や背景はいろいろですが、「学校に行きたくても行けない」子どもや「行きたくないから行かない」子どもたちが不登校の状態にあると言えます。文部科学省の平成29年度の調査では、全国で約14万人(小学生3万5千人・中学生10万9千人)の不登校児童生徒がいることがわかっています 。ただし、フリースクールや適応教室などに通っている子どもたちは出席扱いになりますから、この数字の中には入っていません。また、これとは別に、不登園の幼稚園児や不登校の高校生もいます。そう考えると、子ども全体で見れば、不登校の人はもっと多いと言えますね。児童生徒数は年々減少してきていますが、逆に不登校児童生徒は増えてきていますので、千人当たりという比率で見るとさらに多くなっています。(文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果についてを参照し、筆者にてグラフを作成)小学生の不登校児童数を学年別で見ると、学年が上がるにつれて増加していきますが、もっとも少ない低学年(小学1・2年生)でも全国にいる不登校児童は約4千人。低学年のうちから学校に行けなくなる子どもが数千人はいるのです。(同上)どうして「夏休み明け」に不登校が増えるのか「夏休み明けに不登校になりやすい」ということは、以前からよく言われています。実際にいつと比べてどのくらい多いのかという調査は見当たりません。ですが、私の養護教諭時代の実感でも、1学期なんとか頑張ってきていた子どもたちの中に、とうとう息切れしてしまい休み明けには登校できなくなる子どもたちが少なくなかったことは確かです。1学期の間頑張って頑張って登校していた子どもたちは、夏休みになると「これでやっと一息つける」と思いリラックスします。夏休みがいい充電期間になって、2学期を元気よくスタートできるだけのエネルギーが貯められればいいのですが、頑張った疲れがどっと出てしまい不活発な生活になってしまう子どもや、「あの空間にまた戻るのはきついな」と実感している子どもは、相当なエネルギーがないと9月になってもすぐには立ち上がれません。夏休みは、ホッとして生活リズムが変わったり、学習への規制が少なくなったりしますから、それを元に戻すにはとても大きなエネルギーが必要になります。夏休み明けに不登校になる子どもたちは、このエネルギーが十分にたまっていないとも言えるのです。これは夏休みだけでなく、ゴールデンウィークの後や、冬休み明けなどにもみられます。ですが、夏休みほどお休みの期間が長くないので「ホッとする」ほど休めませんし、生活リズムも大きくは崩れないでしょう。また、春休み明けの新学期はクラス替えや新しい担任など今までと大きく環境が変わります。これをきっかけに「行ってみようかな?」と思う子どもたちもいるため、新年度のスタートは不登校や登校しぶりをしていた子どもが登校するきっかけにもなっています。子どもが発する「不登校のサイン」に気づきましょう不登校のサインは、子どもによっても年齢によっても、またそのきっかけになったことによっても異なります。「学校に行きたくない」「学校にはもう行かない」などとはっきり宣言する子どもはほとんどいません。ですから、親は子どもが出す「サイン」に気づいてあげることが大切です。最もよく見られるサインは、体の不調です。夏休みが終わりに近づくと元気がなくなったり、食欲がなくなったりする。新学期が始まって朝の登校時間が近づくとおなかが痛くなったり、頭が痛くなったりする。こういったような症状が挙げられます。このような体の不調は、1週間が終わる金曜日の夜あたりにはなくなり、学校が休みの日はあまり症状がでません。「これは偽病ではないか」と相談に訪れる保護者の方もいますが、偽病ではなくて、子どもは本当に頭が痛かったりおなかが痛かったりするのです。年齢が低ければ低いほど脳の機能が未分化なので、心にかかったストレスが体の症状として現れやすいと言えます。他にも、だんだん話をしなくなる、朝起きられなくなる、夜になっても眠れなくなるなどがサインのこともあります。自分にとって何がストレスなのかわからないことも子どもの大きな特徴です。「とても嫌なことがあった」とか「困ったことがあったのに誰もにも応援してもらえない」など、不安を言語化できる場合もあるでしょう。ですが、子どもが漠然とした不安を抱えている場合には、それをどう表現してよいのかわからず、口数が減ってしまうのです。「不登校のサイン」が見られたとき、親が絶対にすべきことお子さんに上記のようなサインが見られたら、親御さんに必ずしてほしいことがあります。それは、子どもが何も言わなくても、子どもの話をよく聞いたり子どもの様子をよく観察したりすることです。以前私も保健室でよく経験しました。入ってきてもただ黙っていて何も言わない子どもがいたときには、熱を測ったり頭に手を当てたりとまさに「手当」をしながら、「具合が悪いんだね」という気持ちを子どもに伝えると、ホッとした顔をして話し始めたものです。「昨日、お父さんとお母さんがリコン、リコンといってたけど、先生『リコン』ってなあに?」と聞いた1年生の男の子。リコンの意味は解らないけれど、その場の雰囲気から胸の中は不安でいっぱいだったことでしょう。その子は、お母さんから離れるのが不安で(母子分離不安)で、登校しぶりをしていました。子どもの気持ちを汲み取れるまでには時間がかかりますが、子どもに心を向けてじっくり待つことが必要です。先に述べましたように、学校生活のストレスはその程度にもよりますが誰しも持っています。いじめや、学習上の大きなつまずき、人間関係など、何が問題かによって対処方法は変わりますが、基本的には何がストレスになっているのかがつかめると、対処の方法も見えてきます。ここで1つだけ注意したいことがあります。体の訴えがでたら、まずは病院を受診し体に異常がないかどうかを確認してあげてください。「頭が痛い」と訴える背景に思いがけない病気が隠れている場合もあるからです。逆に、病院で特に体の問題がないといわれても、「どこも悪くないといわれたから大丈夫」とか「少しぐらい我慢していってみよう!」などの励ましや無理強いはやめましょう。子どもはその言葉によってますます精神的に追い詰められてしまうこともあります。親も子どもも、少し「いい加減」に子どもに不登校の兆候が見られると、親としてはとても心配になりますね。その不安を少しでも解消できるよう、いくつかアドバイスをしましょう。【親御さんからの質問 1】夏休みが明けて1週間たっても、まだ日常のペースを取り戻せません。学校に行くのだけで精神的にも肉体的にも疲れてしまうようで、帰宅しても宿題すら手につかない様子です。心と体が元気で、かつメリハリある生活でシャキッとさせるには、どうしたらいいでしょうか?夏休み明け、すぐに日常のペースに戻せるお子さんと、戻るまで時間のかかるお子さんがいます。学校が楽しくて「早く新学期が始まってお友達や先生に会いたいなー」と思っているお子さんは、少々生活リズムが崩れていても、すぐに元の生活に戻せるエネルギーをもっています。しかし、エネルギー不足の子どもたちは、元に戻すのに時間がかかったり、なかなか疲れが取れなかったりする場合もあります。少しゆっくりなペースでも焦らないで、「早く寝かせる、早く起こす」程度で様子を見ましょう。ここで気を付けたいのは、「いい子」たちです。どんなことにも「がんばらなければいけない!」と思っている子どもは、自分の力量を超えて頑張ってしまう、いわゆる無理をしてしまう過剰適応のお子さんたちです。逆に、少し「いい加減」にできる子どもは、できないことがあっても「まあいいや……」と力を抜くことができます。元気を取り戻すには、子どもの心にのしかかっている「〇〇をしなければならない」という負担をとってあげることが大切です。親御さんの「なんでもきちんとやらせなくては」という思いも、子どもにとっては負担になることがありますので、親も一緒にいい加減になることも必要です。なにより大事なのは「親子間の信頼関係」【親御さんからの質問 2】子どもが「○○ちゃんがいるから」「明日は苦手な教科があるから」などの理由で学校に行きたくないと言うことがあります。親としては負けない気持ちを持ってほしいので、つい強く送り出してしまいますが、大丈夫でしょうか?子どもが「休みたい」と言ったとしても、1回でも休んだら癖になってしまいそうで、少し怖いです。適切な対処法を知りたいです。親御さんの気持ちはとてもよくわかりますし、実際励ますことで乗り越えられるお子さんもたくさんいます。でも注意しなければいけないのは、「○○ちゃんがいるから」とか「苦手な教科があるから」などという理由は単なるきっかけに過ぎず、その背景に小さいながらも乗り越えられない“何か”がある場合です。これを、心理学者エリク・H・エリクソンが提唱した発達段階の理論では「発達課題」 と表現しています。例えば、幼少期のうちに「基本的信頼感=親子の愛着関係」がしっかり築けていない場合。幼いうちに親との信頼関係が作れていない子どもは、自分を支えてくれるものがないまま、大きな不安の中で生きることになります。この「不安状態=安全基地がない状態」では、人との関わりをうまく創り出していくことはできませんし、ほんの些細なことでも不安になり動けないのです。子どもは心の中に、それぞれの年齢で必要な発達課題を獲得していかないと、子どもは次に向かって進めず立ち止まってしまいます。立ち止まるきっかけは「友だち」だったり「勉強」だったりと人それぞれですが、次へ進めなくなってしまった際には専門家の手助けが必要です。まずはスクールカウンセラーに相談しましょう。それ以外には教育委員会の相談センターや児童精神科医など、行きやすい場所を選ぶといいと思います。学校の保健室に行けば紹介してもらえますよ。不登校も保健室登校も、子どもを学校や教室に返すことを目的とするのではなく、子どもの発達課題を見つけてその子のペースでクリアさせながら、将来の自立を目指すことが大切なのです。(筆者にて作図)自然体験には人を癒す力がある【親御さんからの質問 3】子どもが学校生活にストレスを抱えているようで、何日か学校を休んでいます。でも、家にいる分には元気なので、親としてどう接したらいいかが分かりません。休みの間はゲームでも漫画でも、好きにさせて問題ないでしょうか?家で好きなことをさせるのも心の休養にはなりますが、ゲームでは脳は解放されません。おすすめは、自然体験など体を動かす活動です。体が動くと心も動きます。親子で自然と触れ合いながら、一緒に体を動かしましょう。学校を休んでも罪悪感を持たないよう「疲れたんだから、少し休もう」と休むこともよしとしてください。かつて、保健室登校をしていた子どもたちと、学校の畑で一緒に栽培活動をしたことがあります。土や水に触れ野菜を育てて、収穫して調理して食べる。こんな活動をする中で、子どもたちが元気になり、友だちと関われるようになったり学習に取り組むようになったりしました。自然には人を癒す大きな力があるのです。心の病は、自然と触れ合いながら体を動かすことでかなり回復すると考えています。辛くても焦らないで。じっくり子どもと向き合おう「不登校」は、子どもにとっても親御さんにとっても辛いことです。でも、焦って子どもをますます追い詰めるような言動は逆効果。考え方を変えてみて、「今この子どもにどんな力をつけてあげようかな」という見方で、「やった!」「できた!」というような体験活動をさせてみましょう。また、親御さんが一人で悩まないで相談できる場所や人を見つけることも大切です。仲間がいると元気が出ます。焦らず、じっくり子どもと向き合えるといいですね。(参考)文部科学省|平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(平成30年10月25日)
2019年09月06日「夏休み明け不登校」という言葉をご存じですか?」長い夏休みが終わり、もうすぐ学校が始まる…。もともと以前から学校に行きたくない思いがある子は、すっかり家でのんびりすることに慣れてしまい、夏休みの終わりにその気持ちが顕在化してくるのです。「ママ、学校に行きたくない」突然の子どもの告白に、びっくりするお母さんもいるでしょう。しかし、実はその前から、子どもは危険信号、SOSを発しています。そんな「夏休み明け不登校」のサイン、それに気づいた時の対処法をご紹介しましょう。■夏休み明け不登校の兆候、3つのサイン「学校に行きたくない」。そんな気持ちを抱えている子どもが発しているSOSとして、次のようなサインがあります。・朝起きられなくなる。・朝、頭痛がしたりおなかが痛くなる。・夏休みの終わり頃に「学校に行きたくない」と言い出す。始業式が近づくに連れ、上記のような症状を子どもは訴え始めます。先生が怖い、友だちとうまくいかない、給食が苦手…など理由はいろいろでしょうが、低学年になればなるほど、子ども自身もわからないことがあります。最近、注目されている子どものタイプに「ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)」というのがあります。アメリカの心理学者エレイン・N・アーロンが提唱したもので、感受性や共感力が高く、刺激に敏感すぎるため、新しい環境や集団生活に慣れるのに時間がかかる子どものタイプです。一説には5人に1人が当てはまるといわれ、そのために不登校になってしまう場合もあるようです。■夏休み明け不登校「1週間前から親ができること」子どもが学校に行きたくない、学校がいやだと言ったら、その気持ちを否定せずに、まずは「何がいやなのか?」と話を聞いてあげましょう。子どもが小さければ小さいほど、何がいやなのかわからない、言葉にできないということも多くなります。わからないなら、わからないでいいんですよ。とりあえず「そう、行きたくないのね」と一度は受け止めましょう。子どもの訴えは受け止めつつ、夏休みが終わる1週間くらい前から、規則正しい生活に戻すよう早寝早起きをうながし、心や体を整えます。夜更かしして朝起きれなくなったために、成長ホルモンバランスなどの崩れもあり、気持ちが沈んでいるのが原因かもしれません。まずは学校に登校するペース、早寝早起きへ徐々に戻していくこと。そして、学校での楽しい記憶を思い出させるために、友だちと遊ぶ機会をもうけるのもいいでしょう(友だちがイヤという理由ではない場合)。また、夏休み明けの不登校のきっかけに「宿題が終わっていないから行きたくない」というのもあります。ですから、夏休みが終わる1週間前から、生活リズムを整えつつ、宿題の仕上げに入るよううながすのも肝心です。「宿題をやっていない」というプレッシャーさえ、子どもにとっては不登校のきっかけになります。それを取り除いてあげるのも大切です。■夏休み明け不登校「学校に行けない、その時は?」始業式の日、どうしても体調が悪くて登校できないといった場合は休んでも構いません。無理のない範囲で、一緒に学校の前まで行って引き返してきてもいいのです。学校に行かないからといって、何もしていないわけではないんです。例えば、絵を描いたり、プラモデルを作ったり、本を読んだり、塗り絵をしたり、折り紙をしたりと、何かしらに集中していることが多いんですよね。子どもが一人で黙々と集中して取り組むことがあったら、それは外界と自分の内面との折り合いをつけている時間。邪魔せずに、とことんやらせてあげましょう。焦らず子どものペースを大切にしつつ、無理のない範囲で学校の前まで登校したり、学校での楽しかった思い出を声がけし、じっくり待ちましょう。■夏休み明け不登校「学校へ行きたくない」原因がはっきりしていたら?小学校低学年の場合、学校でのイヤなことはある程度、担任の先生に相談できる内容といえます。例えば、給食がおいしくないなら「全部食べられないかもしれないです」とか、先生の大きな声が怖いなら「ちょっと大きな声が苦手なようです」とか、お友だちとうまくいっていないなら「席を離してください」とか。子どもが低学年のうちは先生に相談というのはマイナスにならないでしょう。具体的な原因がわかるのであれば、先生に伝えるのが一番だと思います。そして、「あなたが学校で心配しているようなことは起こらないように、ちゃんとお母さんが先生に言ったからね」と声をかければ、子どもの安心につながります。小学校1年生で時々、不登校になる子はいます。そういう子は、集団になじみづらく、園や学校があまり好きではなく、もともと進んで登園・登校するタイプではない子の場合が多いです。先に紹介したハイリーセンシティブチャイルド の傾向が強い場合は、ワサワサする教室の真ん中ではなく、なるべく端っこに席を移動してもらうとか、休み時間は図書室で過ごしていいことにしてもらうなど、環境を整えることである程度解決できます。■小学校高学年の不登校、語らない原因とは…高学年となると、先生への相談ですぐ解決というのは難しいでしょう。その分、不登校の原因を子ども自身がはっきり認識して伝えられるので、それに沿った対処ができます。担任の先生への相談が難しいなら、スクールカウンセラーや保健の先生、校長、副校長など、ほかにも相談できる相手はたくさんいます。子どもが信頼できる人に相談するのが一番でしょう。また、親との関係に悩んで不登校になるケースもあります。それは、学校がなんとかしてくれる問題ではありません。それは親自身も思い当たることがあるだろうから、家庭で解決していかなければいけません。でも、親やきょうだいに問題がある場合、子どもは理由をはっきり言いません。親にかまって欲しい、ほかのきょうだいに嫉妬して…といった問題は、プライドもあるので絶対言わないでしょう。代わりに、先生がいやだとか言いがかりみたいなことを理由にしてごまかすこともあります。ただし、原因をうそでごまかすかもしれませんが、感じている気持ちや思っていることは本当。もう少し掘り下げて聞くと、原因が違うところにあるのがわかるでしょう。それは心理カウンセラーの仕事になると思います。小学校低学年の不登校は、家で親と一緒にいたい、集団生活が苦手というのが原因の場合が多いので、「学校にも楽しくなることはあるよ」と根気よく伝えることが大切でしょう。その際、ママが不安な顔をしてはいけません。そこを子どもは敏感に感じとって、学校に楽しいことなんてないと思ってしまうからです。さあ、夏休みも終わりです。お母さんも子どもと一緒に規則正しい生活を送り、心も体も登校準備を始めましょう。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2019年08月27日「死なないで…」子どもの自殺がもっとも多いといわれる9月1日に、祈るようにこの言葉をつぶやいていた樹木希林さん。樹木さんの娘の内田也哉子さんが母の言葉を残そうと、 『9月1日 母からのバトン』 という書籍が生まれました。1回目では樹木さんの言葉の意味するところ、伝えたかったメッセージについて考えてきました。今回は、「学校に行くのってあたり前なの?」というテーマで、学校以外の選択肢や具体的に親子が救われる方法について、前回に引き続き不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長といっしょに考えていきたいと思います。 「『学校に行けない子どもたち』に最後まで想いを寄せ続けたワケ」 の続きです。 ■「学校に行くのがあたり前」の日本で苦しむ親子小学1年生になると、日本では義務教育が始まり、社会のあたり前のこととして、子どもたちは学校に通います。石井さんは、「不登校っていまの学歴社会のなかでは一大事なわけです。だから、将来を考えたときに、親は心配で学校に行かせたいと思うのは当然ですよね。ただ、『学校がすべて』だと親が思っていると、子どもは“学校に行ける子”だけが存在価値があると思って苦しんでしまいます」と話します。そんな「あたり前」という風潮がある学校との付き合い方において、樹木さんは彼女ならではの考え方を発揮し、まだ小学生だった頃の内田さんにこんな言葉をかけたといいます。東京の公立だったんですけど、そのときはすごく合わなかったですねえ。私という“異物”が突然入ってきたことで、そのクラスにあったコミュニティがざわざわしてしまって。今思えば“いじめ”だったと思うんですけど、お友達ができないまま数か月を過ごして、毎日泣いて家に帰っていました。(中略)ある日、私があんまりつらそうだったからか、「やめれば?」と言ってきたんですよね。「そんなにつらいのに、何をガマンしてるの。やめればいいじゃない」って。私まだ、「やめる」の「や」の字も言ってないのに(笑)。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この樹木さんの言葉について石井さんは、「大事なのは、学校が主なのではなくて、『子どもが主』だという軸をしっかりとしておくことです。樹木さんのように、大事なのはあくまでも“あなた”なんだということを、子どもに伝えてあげることが大切です」と考察します。ただ、「やめればいいじゃない」と娘に伝えた母親としての樹木さんの対応は、常識にとらわれていては、なかなかできるものではありません。子どもが主であるという軸がしっかりあったからこそ、こうした発言ができたのだろうと思うと、「肝が据わっているな」と石井さんは感心していました。■不登校だからって将来は決まらないそれでは、「学校には行かない」と決めたとして、その後どうすればいいのか。樹木さんは書籍のなかで、このように語っています。不登校でも、ある日ふっと何かのきっかけで、学校はやめるかもしれないけど、もっと自分に合った、っていうと自分中心だけどそうじゃなくて、自分がいることによって、人が、世の中が、ちょっとウキウキするようなものに出会うということが、絶対にあると思うの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 子どもたちにとって、自分がワクワクできるようなものを見つけるまでは、おそらく紆余曲折あることでしょう。不登校になった子どもたちは、どのように成長していくのでしょうか。文部科学省では、15歳で不登校だった子どもたちに、5年後「自分の不登校を振り返ってどう思うか」という調査を行っていて、「行けばよかった」が38.9%、「仕方がなかった」が31.7%、「何とも思わない」と「行かなくてよかった」が29.3%と、「否定」、「肯定」、「どちらとも言えない」という回答が、それぞれ大体3分の1ずつに分かれています(※)。この結果から、「不登校については、肯定と否定のどちらかはっきり答えられない実情が見えます。ただ、みんなそれなりに山あり谷ありの人生を送り、大人になっていく。不登校だから将来こうなるということは言えないのです」と石井さんは分析します。■子どもにとっての「居場所」は外にあるとは限らない書籍では、ロバート・キャンベルさんが「学校以外にも魅力的なハッチ(非常口)が必要だ」と語られています。子どもたちにとってどんな場所が非常口となるのでしょうか。義務教育期間の子どもたちにとって、学校以外の選択肢を石井さんに教えてもらいました。【学校以外の主な選択肢(小中学生)】●教育支援センター(適応指導教室)小中学校の不登校児童や生徒を指導、支援するため、全国の市町村の教育委員会が設置している。学校以外の場所や学校の余裕教室を使って開催されていて、無料で利用できる●フリースクール民間の教育機関で、利用料金の月額平均は33000円。全国に約500か所あり、その目的はそれぞれ異なっていて、内容もさまざま●ホームエデュケーション家庭をベースに学び育っていく教育方法のこと「魅力的なハッチ(非常口)」となる子どもたちに合った居場所の見つけ方については、石井さんは次のようにアドバイスします。「子どものために開かれている場所には必ず人が集まってきます。その場所の人の集まり具合を見ること、そしてその場にいる子どもたちの表情を確認してください。子どもって、心から楽しければ笑顔が出ますから」(石井さん)さらに石井さんは、「子どもにとって必ずしも居場所は外にあるわけではない」と言います。「子どもにとっての居場所が、“自分の部屋”ということも大いにありえます。本人が『いま、そこにいたい』と思える場所を尊重してあげてほしいですね」と話します。■子どもが心を閉ざす前に、親ができること書籍の中で、内田さんが母として不登校への向きあい方について、悩み、答えを探る様子がつづられています。不登校経験者との対談のなかで、内田さんは次のように問いかけます。私も、息子や娘が心を閉ざす瞬間に「もうちょっとヒントちょうだい!」って思っちゃう。「間違えたことを言っちゃってるんだったら、どの部分がダメだったのかを教えて」って。出典: 『9月1日 母からのバトン』 この内田さんの切実な想いの根底にあるのは、「親が子どもとどのように関わるのが正解なのかわからない」という想いなのかもしれません。この問いかけに対して不登校経験者は、「親との距離が近すぎたこと」と回答しています。石井さんも「私自身もそうだったのですが、親との距離が近すぎて、その期待に答えられず悩んでいる子どもは多くいます。毎日顔を突き合わせるなかで、煮詰まってきてお互いに苦しくなり、いがみあってしまう親子もこれまで目にしてきました」と語ります。お互いの幸せを願っているはずの親子間で、そうした悲しいすれ違いを起こさないためには、どのようにすればいいのでしょうか。石井さんは取材をするなかで、親子の分離がまったくできていない人と出会ったそうです。「幼児期は親のケアを必要としますが、子どもはどんどん自立しはじめますよね。親として戸惑いがあるのは当然だと思います。それでもやはり、親と子は別人で、親は他人として子どもを支えるんだという距離感は必要です」と石井さんはアドバイスします。親にとっては、失敗が許されないと思える子育ての現状。しかし石井さんによると、不登校をきっかけに、親子関係を再構築する人も多いといいます。親子の「距離感」はとても難しい問題で、簡単に正解は見つかりません。でも、親は子どもの意志を支えるということを意識しておくことが大切なのかもしれません。■「この子があぶない!」親だけができることとは?樹木さんが亡くなる直前に思いをはせていた9月1日、今年もまもなくその日が訪れます。実際に親たちは、夏休み中の子どもたちのどんな様子に気をつければいいのでしょうか。石井さんによると、注意するのは次の4つのポイントです。【夏休み中の子どもに注意すべきポイント4つ】・食欲がわかない・眠れない・イライラして情緒不安・勉強が手につかないもし子どもたちにこのような様子があれば、「すぐにでも学校から距離を取らせてあげた方がいい」と石井さんは言います。「親が『この子は危ない』と感じる勘を信じてください。それが一番間違いないからです。『学校に無理して行かなくてもいいんだよ』という最初の“ドクターストップ”をかけてあげられるのは、専門家ではなく一番身近な親だけなんです。その後、医師などの専門家に相談してください」と石井さんは語気を強めました。「死なないで、ね……どうか、生きてください……」という樹木さんから届けられたメッセージ。親自身が一人ひとりしっかりと受け止め、子どもたちの様子を見て、最初に対応してあげる必要性を強く感じます。■樹木希林流「親がつらいときの対処法」最後に、樹木希林流のしんどい時の対処法について、考えてみたいと思います。樹木さんは、「しんどいときにどうやり過ごすか」という質問に対して、「笑う」と答えています。私にもしんどいときはもちろんあります。(中略)しんどいんだけど、そのときにしんどいって顔をしないで、こうやって笑うの。笑うのよ。ね? あんた頑張ったわよって、頭をなでて、笑う。ほかの人がいるときにそうやってたら馬鹿みたいだけど(笑)、そうやって笑って、「いいなあ、いいなあ」って言ってるうちに忘れちゃうの。出典: 『9月1日 母からのバトン』 内田さんも樹木さんから生前にこのアドバイスを教わり、実際にやってみたそうです。「本当に無気力になって、もうこれは笑えないないと思った時にそれをやってみたら、心なしか気持ちが軽くなっていって、バカバカしいことをしている自分に対してクスッと笑えた」と書籍で打ち明けています。“しんどいときに笑う”。なかなか難しいとは思えますが、不登校の子どもに対しても、親はできれば笑顔でいてほしいと石井さんも話します。「子どもが不登校になると、どうしても思いつめてしまうとは思いますが、できれば悲しむ様子や涙は外で出して、子どもの前では見せないであげてほしい。親の楽しそうな様子や笑顔は、理屈ではなく子どもを勇気づけますよ」(石井さん)ここまで樹木さんの言葉をもとに、石井さんと学校に行きづらいと悩んでいる子ども、そして親との関わりについて考えてきました。いま学校に行くことがつらい人、「学校に行けない」ということを言えない人、“みんな”と同じようにできなくて苦しんでいる人がいるかもしれません。そして子どもの想いと将来を思いやって、どうすることが正解なのか苦悩している親御さんもいるでしょう。樹木さんの人生を通じて語られた言葉は、大きな学びとなったように思います。樹木さんと内田さん母娘の思いに触れて、あらためて自分自身は親として子どもに何ができるのか、考えるきっかけにしてはいかがでしょうか?樹木さんは、次のようなメッセージを贈っています。この子の苦しみに寄り添うしかないのよね。だから、ああしろ、こうしろとは、もちろん言わない。言って治るようならとっくに治ってるでしょう?出典: 『9月1日 母からのバトン』 「9月1日」子どもたちみんなに居場所がありますように。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。●石井志昂(いしい・しこう)さんプロフィール1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。<参考サイト>※文部科学省: 「不登校に関する実態調査」
2019年08月26日「死なないで、ね……どうか、生きてください……」亡くなる2週間前にこんな言葉を残したのは、昨年2018年9月に亡くなった女優の樹木希林さん。樹木さんは、学校に行けなくてつらい思いをしている子どもたちにメッセージを贈っていました。樹木さんが不登校などについて生前語った言葉と、その娘である内田也哉子さんがその思いを受けて語った内容がつづられた書籍 『9月1日 母からのバトン』 が発売されました。樹木さんに取材経験があり、書籍内で内田さんとも対談されている不登校新聞の石井志昂(いしい しこう)編集長とともに、不登校で悩む親子に対する樹木さんからのメッセージを読み解きたいと思います。お話をうかがったのは…●石井志昂(いしい・しこう)さん1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2006年から『不登校新聞』編集長。これまで、不登校の子どもや若者、親など300名以上に取材を行ってきた。●不登校新聞とは1998年に創刊された不登校に関する専門誌。当事者の視点を大切に、不登校についての情報を発信し続けている。■樹木希林さんの言葉が持つ力「死なないで、ね……どうか、生きてください……」去年の9月1日、母は入院していた病室の窓の外に向かって、涙をこらえながら、繰り返し何かに語りかけていました。あまりの突然の出来事に、私は母の気が触れてしまったのかと動揺しました。それから、なぜそんなことをしているのか問いただすと、「今日は、学校に行けない子どもたちが大勢、自殺してしまう日なの」「もったいない、あまりに命がもったいない……」と、ひと言ひと言を絞り出すように教えてくれました。この2週間後に、母は75年の生涯に幕を閉じました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より夏休み明けの9月1日は、子どもの自殺が最も多くなる日。内閣府の調査でも明らかになったこの数字(※1)。書籍の冒頭で、亡くなる直前に病床で語られた樹木さんが語られた言葉は胸に迫るものがあります。書籍には、生前語られた樹木さんの言葉がつづられています。そして樹木さんのメッセージは、子どもたちからの切実なSOSの代弁にも感じられ、さらに親に対する思いも込められていました。■樹木希林さんは、なぜ不登校の子どもに思いをよせたのか?石井さんが初めて樹木さんと会ったのは、2014年7月。不登校新聞の取材に、樹木さんが答えたときのことでした。「こちらは不登校について話を聞く。樹木さんは自分が人生で得たものについて答える。お互いに生きざまのぶつけ合いのような取材でした。直接的な答えがなかったとしても、希林節の言葉が不思議と心に響く。信じられないくらいおもしろい取材ができました」と石井さんは振り返ります。その後、2015年に再び樹木さんに会った石井さんは、「毎年9月1日前後に、18歳までの若い人たちがたくさん自殺している現状」を伝えます。そのとき「自殺するよりはもうちょっと待って、世の中を見ててほしい」と語った樹木さんが、この日のことをその後もずっと覚えてくれていたのだと、娘の内田さんからの連絡で知ります。「樹木さんが、自分と同じ気持ちでいてくれたことを知り、感動で震えました。闘っているのは自分だけじゃないんだと思えましたね」(石井さん)■樹木希林さんの「親としての価値観」とは書籍では、樹木さんの娘である内田さんが、さまざまな立場の人たちと対談しながら、樹木さんの思いをたどっていきます。樹木さんは母親としてどのような考えだったのか、書籍からみえてきたことは、「親の価値観」の持ち方を重視していたということです。子どもには子どもの社会があるんですよね。大人から見て「そんなの!」って言ったってだめだから。そういうときはもう、寄り添ってやるしかないかなと思っています。(中略)不登校の子どもよりも、私は親の価値観(の問題)なんだと思うんです。もっと、何かと比べるとかはなしでいいじゃないですか。違っててもいい。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より親にとっては、子どもが不登校になるのは人生の一大事で、どうしても学校に行けるほかの子どもと比べてしまいがちです。でも樹木さんの言葉からは、そういった状況のなかでも「親の価値観」をしっかりと持ち、子どもの個性を「違っていてもいい」と認めてあげることのほうが大切だという考えが伝わってきます。■苦しみは「わかってもらえなくてあたり前」という考え自身も不登校の経験があり、「不登校新聞」の取材で多くの不登校の子どもたち、親と話す機会がある石井さんによると、親とくに母親は、子どもが不登校になると、深く傷つくのだそうです。「『私がダメな母親だから、子どもが不登校になった』という加害意識と、『でもだれも助けてくれなかった』という被害意識が堂々巡りして、母親は、孤独な状態に追い込まれていきます」(石井さん)そんな母親たちにとって、同じ立場の人と出会い、自分が置かれている大変な状況を認識して、「自分自身も救われていいんだ」と思えることが、大切なのだそう。そうした傷つき、孤独な親の気持ちにも、樹木さんは思いを寄せていました。みんなそれぞれの苦しみを抱えてられていることがわかったんだけど、それを「わかってくれ」って、「わかってくれない」って、嘆いてもはじまらないの。わからないの、人の苦しみは。(中略)「わかってもらえなくて当たり前なんだ」と思ったときに、もっと楽になっていくんじゃないかな、というふうに思いました。出典: 『9月1日 母からのバトン』 より「自分の苦しみはわかってもらえなくて当然」という樹木さんの言葉は、一見突き放したようにも思えます。ただ、樹木さんは苦しみから救われるために、「自分でも不幸な思いをした人が、不幸な思いで苦しんでいる人に会ったときに、すごく気持ちをわかってあげられることがある。それが”寄り添う”こと」とも語り、同じ立場の者同士が寄り添い、理解し合うことをすすめています。「子どもの気持ちを理解したいのに、わからない」とか「だれもこの苦しみをわかってくれない」とつらい状況にいる親の気持ちに寄り添ったうえで、親をその苦しみから解放してあげる術を樹木さんは考えていたのかもしれません。また「同じ悩みを持つ人同士が話し合う」という方法については、石井さんも「不登校の子どもやその親にも当てはまる。私自身、不登校になって初めてフリースクールに行ったときは、”自分だけじゃないんだ”と体に入ってくる安心感がありました。親も同じで、同じ立場の人と出会うだけですごく安心できるんです」と、同調しました。■子どもの最後の命綱を握れたという信頼関係9月1日に寄せた樹木さんからのメッセージ。一体私たちはどのように受け止めればいいのでしょうか。石井さんは、不登校の子どもをもつ親に対して、「どうか自分を責めすぎないでほしい」とメッセージを送ります。不登校になったきっかけについて、文部科学省の調査によると、小学生では「家庭生活が起因する」とする答えた人が54.1%ともっとも多くなります。そして中学生では「学校生活に起因する」の割合がもっとも高くなります(※2)。石井さんは、こうした不登校理由の1位が「家庭」となることもあって、責任を感じすぎてしまう親が多いと言います。しかし、「『不登校になって、家で引きこもることで苦しさを出せた』ということは、それだけ親を信頼していることの表れ」だとも話します。「『あなたの子育ては間違いじゃなかった』ということをぜひ親御さんには伝えたいです。不登校になった子が命綱を親に差し出し、その命綱を親が握ることができたこと。そういう信頼関係を築けたことを親は誇りにしてもらいたいんです」(石井さん)さて、ここまで樹木さんの言葉を石井さんといっしょにひもとき、不登校への親の対応や意識の持ち方について考えてきました。樹木さんならではの言葉はどのように胸に響いたでしょうか。次回は、「学校に行くことって当たり前?」というテーマで、より具体的な対策について引き続き石井さんとともに考えていきたいと思います。■樹木 希林さん、内田 也哉子さんの著書 『9月1日 母からのバトン』 (ポプラ社 ¥1,620(税込み))女優・樹木希林さんが生前、不登校の子どもたちへの思いを語った言葉などをもとに、娘の内田也哉子さんがさまざまな立場の人たちと対談しながら、その考えをたどる様子を記録した書籍。今回取材した不登校新聞の石井編集長が樹木さんを取材した記録や内田さんと対談した様子も収録されています。<参考サイト>※1、内閣府: 「学生・生徒等の自殺をめぐる状況」 ※2、文部科学省: 「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」 (PDF:3006KB)
2019年08月25日何気ない日常会話の中で、話相手の男性が突然不機嫌になった、なんて経験はありませんか?誰かと会話をしている最中に、何の理由もなく不機嫌になる人なんていませんよね。そこには何かの理由があるはずです!そこで今回は、女性の知られざる男性が不機嫌になる地雷ワードを3つご紹介しましょう。■ 1.○○くんってカッコイイよね!「僕と話してるときに、僕のことじゃなくて、他の男友達のことばかり話題にする女子いがいます。挙句の果てには、その男友達のことを『カッコイイ!』とか言い出したから、あ~もぅ~知らん!となりました。でも……彼女でもないのに、なぜ腹が立っちゃうんだろ?」(28歳/会社員)男性の中には、例え自分の彼女ではない女性との会話であっても、他の男性の話題ばかりされることを不快に思う人もいるようです。しかし、他の男性を褒める女性に対して不満をあらわにするのは、その女性のことを意識している証拠なのかもしれません。今後も良好な関係を築いていきたい男性との会話では、その場にいない別の男性を称賛する「カッコイイ」「ステキだよね」などが地雷ワードになる可能性もあるのでご注意ください!■ 2.○○くん、ものすごく稼いでるらしいよ「一緒に話してた女友達が、最近転職した男友達の噂話をはじめて、『○○くん、ものすごく稼いでるらしいよ』っていうんですよ。はぁ?それがどうした?って感じゃないですか。てか、オレの収入が〇〇に比べて、少ないとでも言いたかったんでしょうか。イライラしたわ~」(25歳/美容師)こちらのケースの場合、話相手の女性は、男性同士の収入を比較するつもりはなかったのではないでしょうか?しかし男性の中には、“収入”に対して大変なコンプレックスを持っている人もいます。そんな男性は、他の男性の稼ぎの話や収入を比較されることが大嫌い。そのため男性に、他の男性の収入について話すのは控えた方が無難かもしれませんね。■ 3.私が言ったとおりでしょ!「女友達をランチに誘ったら、今の時間は混んでるかもよ!って言われたんだけど、2人で相談して、とりあえず行ってみようってことになったんです。そしたら彼女の予想どおり店が混んでて、待つことに……そしたら彼女が笑いながら『だから、私が言ったとおりじゃん!』って。いやいや、おもしろくねーし。話し合って行こうってなったのに、なぜ今さら、自分の意見を主張するんだよ」(24歳/SE)この男女は友人関係ということもあり、女性側は特に悪気はなく、冗談のような感覚で「私が言ったとおりでしょ!」と言ったのでしょう。しかしプライドが高い男性の場合、自分の考えを安易に否定されたり、見透かされたような発言をされたりすることに我慢ならない人もいるようです。男性は女性に比べてプライドが高い人が多いとも言われているので、発言には注意したいものです。■ 男性のプライドを傷付ける言葉=地雷ワード男性はプライドの高い生き物。そのため悪意のない発言であっても、カチン!と来たり、不機嫌になったりする男性もいるようです。女性にとって、どんな発言が男性のプライドを傷付けてしいまうのか判断するのは難しいですが、容姿・収入などの会話の中には地雷ワードが潜んでいる可能性大なので要注意かも。(愛カツ編集部)presented by愛カツ ()
2019年07月28日学校生活を楽しんでいた息子が、ある日「学校に行くのが嫌になってきた!!」と叫んだ理由特別支援学級の利用を始めたことにより、教室で過ごす不快感を軽減。約1年半に渡る不登校生活を送っていたことが嘘であるかのように、息子は楽しそうに通学を続けた。しかしある日、「また学校行くのが嫌になってきたよ!!」と言い出すではないか。理由を聞き、息子が話してくれた内容をまとめると、下記の2点だった。●衝動性の高いクラスメイトとの衝突が絶えない(特別支援学級で)息子は感情を言語化するのがやや苦手で、頭の回転に言葉がついていかないことがしばしばある。そのうえ、言葉を選びながら話をするので、思考と言語がスピーディーに結びつくタイプの子からしたら、「どうしてすぐ返答がないのか」とじれったくなるのだろう。そこでけんかになってしまうらしい。●授業中に発言を求められるときや、給食のおかわりをするときなど、注目されるのが辛い(通常学級で)自閉症スペクトラム障害の特性か、息子は失敗を極端に恐れ、緊張と不安を感じやすい。同時に、注目を浴びることを心底嫌っている。授業であれば発言者の話を聞くのが当然の空気であるし、おかわりのときは「誰かおかわりしているな」と、音に反応する程度のことで、おそらく深い意味などないだろう。誰も悪くない話だ。どう返していいのか分からない。私は「そうか、それは大変だったね」と返したあと、しばし言葉に詰まってしまった。スピーディーなクラスメイトも、授業中や給食の時間、息子に振り向くクラスメイトたちも、誰も悪意があってそうしているわけではない…と伝えたところで、息子は自分だけが叱責されているような気分になるかもしれない。これには困った。困ったが、口を開いた。「大変だし辛いのは分かった。分かったんだけどね、一旦ここで回避しても、同じような問題がまた出てくると思うんだ。でね、あなたは決して悪くないんだけど、相手も悪くないんだよ。だから両方の話を聞いて、説明する人が必要だと思う。でもそれを私がしてしまったら、不公平になる気がするんだよね。だからさ、先生に相談してもいいかな?」合間合間に入る息子の「でも!」「だって!」をなだめつつ、私が話し終えると、息子は黙って頷いた。「それが解決しても、学校へ行くのは嫌かい?」と私が問うと、息子はかぶりを振って、「ううん、友達に会いたいし、勉強もしたい。学校に行きたい」と呟いた。学校側の迅速な対応で問題解決。円滑なコミュニケーションを行えるようになった息子連絡帳を通じて、私は担任の先生に相談をし、その日のうちに連絡をいただいた。耐えない衝突については、双方に思考と発言の特性の違いを説明し、スピーディーな子には「焦る気持ちは分かるけど、急かさずに待ってみよう」、息子には「急かされると困るのは分かるけど、“もうちょっと待ってね”と怒らずに言うようにしてみよう」と話してくださったそうだ。注目されることに関しては、特別支援学級で過ごす時間を増やすことで視線の数を減らし、そのうえでストレスが減るか様子を見ましょう、という話になった。以降、衝突することはほぼなくなり、注目への恐怖感については特に息子から何も言ってこないが、おかわりをしたなどの報告をしてくるところをみると、気にならなくなったのだろう。発達障害あるあるのひとつ、アレキシサイミア(失感情症)による感情の後出しは息子にも見られる。そのため、「あのとき学校でのあれが嫌だった!これが嫌だった!」と、急にいろいろ思い出して爆発することは今でもあるが、その都度私ができるケアは私が、できないことは先生に相談し、大きなトラブルには至っていない。そして「学校に行きたくない」という言葉も聞かれなくなった。以前よりコミュニケーションも円滑に行えるようになったのか、気の合う友達が増えたようだ。放課後はすぐ遊びにでかけ、家に戻る時間も少し遅くなった。学校が休みである土日も、友達と遊びに出かけることが増えている。良かった。本当に良かった。参考:失感情症(アレキサイミア)| e-ヘルスネット(厚生労働省)不登校のきっかけは、授業だった?特別支援学級への転籍を勧められた、息子の学習姿勢「来年、進級するタイミングで、息子さんの所属を特別支援学級に転籍しようと思うのですが、いかがですか」個人懇談のとき、特別支援学級の担任の先生から持ちかけられた。この方、実は1、2年生のときの担任の先生でもある。息子が登校渋りをしていたころや、不登校を始めたばかりのころは、意見が合わずに悩むこともあったが、徐々にこちらの思いをご理解くださり、校長先生と教頭先生、特別支援コーディネーターが入れ替わるまでは、学校の中ではほぼ唯一の味方になってくださった。校長、教頭、特別支援コーディネイターとの4者面談は毎回辛かったが、この先生が寄り添ってくださったからこそ、私は乗り切ることができたのだ。「今さらですが、ずっと頑張っていた息子さんが、あの辺りで心が折れたのかな、と思える場面を思い出したんです。算数の授業で掛け算が始まったとき、(数字が好きで、就学前に掛け算の九九を覚えていた)息子さん、“やったあ!”って喜んだんです。きっとそれまでは退屈だったのでしょうね」授業で掛け算が始まったと、息子が報告してくれたことは私も覚えている。本当に嬉しそうだった。「だからしばらくは楽しそうだったんですけど、すぐに高度な応用問題に授業が進むはずはありません。だんだん上の空で授業を受けるようになって…」おそらくその時期に、「大好きな算数が嫌いになってきた」と息子がこぼしたことがあった。感覚過敏による苦痛も訴えていたので、特別支援学級の利用をお願いしたのだが、「頑張れば通常学級でもやっていける」というのが学校側からの回答だった。行政の特別支援教育センターに間に入ってもらうこともあったが、こちらの要求が受け入れられることはないまま、息子は不登校生活を選択することになる。「あのときすぐに、特別支援学級を使ってもらえば良かったのかもしれません。本当に申し訳ありませんでした」とはいえ、今では特別支援学級での学習が叶い、息子も嬉しそうに登校をしている。だから私は気にしていないと伝えた。ただ一つ問題があるとすれば、私が学習のサポートをしきれなかったことで、いくつかの教科に遅れが生じてしまったことだ。「息子さん、それもあっという間に覚えていくんですよ。今はほとんど足並みが揃っていますよ。学ぶことが好きというか、そういうゲームをしているような感覚なのかもしれません。ここ(特別支援学級)では、今日はここからここまでと、授業を進める範囲が決められています。それが終わったら自由学習の時間。学習の範囲であれば何をしてもいいことになっているんです」自由学習の時間、息子は上学年の教科書を開き、タブレットでその内容について調べていることもあるらしい。やはり、新しいことをどんどん覚えていきたいという気持ちが強いのだろう。「せっかくの意欲を削いではいけないので…理解をしている内容に関しては復習程度にとどめ、他の児童が通常の学習をしている間、息子さんには応用問題などを解くなどして、先に進んでもらうようにします。そのためにも、通常学級も利用しながら学ぶことには変わりないのですが、基本の所属を特別支援学級にした方がいいかと思うんです」その他にも、さまざまな制度の説明を丁寧にしていただき、転籍した方がいいと思われる理由を伺った。細かな内容は忘れてしまったが、至極納得したことは覚えている。そして先生は、息子の様子をつぶさに観察なさって、どのように学習を進め、どのようにサポートすべきかを考えてくださっている。心底ありがたかった。衝突することもあったが、この先生に思いを伝え続けて良かった。ちなみに息子は、この先生のことが1年生のころからずっと大好きだ。「それでは、転籍する方向でよろしくお願いします」私は、先生に頭を下げた。不登校生活“一旦”終了。そして今思うことさて、もうじき夏休みに入ろうとしている現在、体調不良で2回欠席したものの、「あー、今日はあの授業受けたかったし、○○君たちに話したいことがあったのに!」とゲホゲホ咳をしながら申し上げる程度に、息子は学校好きである。しかし、成長に伴って解決する問題があれば、成長に伴って生じる困難もある。だから、今後トラブルが一切ないとは言い切れないし、「学校に行きたくない」と言い出さないとも限らない。「これからもあなたは学校が好きなままなのでしょうかね」と、聞いても仕方のない質問を私から息子に投げかけると、案の定「そんなの分かるわけないよ」と笑ったあと、「でも、ずっと好きだったらいいな。何かを勉強して覚えると、何かが楽しくなるじゃん。例えば、文字を覚えたら本が読めるとかさ。友達からは、のん(私の呼び名)と自分だけでは知ることができなかったことを教わったりできるし」と、彼なりに感じている“学校へ行くメリット”が添えられた言葉が戻ってきた。まあ、先のことなんて誰にも分からないのだ。不幸中の幸いと申せば語弊があるかもしれないが、息子の不登校生活をきっかけに、私は「小さなことであっても、学校にまつわる何かがあれば、迷わず学校に相談する」という手段を選べるようになったし、発達障害児やその保護者が受けられるさまざまなサポートや相談窓口があることを知った。そしてまた、信頼できる先生が、つぶさに息子の様子を把握し、最適な対応をしてくれている。終わってしまえば短かったかと問われたら、はっきり言って長かった。もうあんな日々は二度と訪れてほしくはないが、もし起きてしまったらそのときはそのとき。私はまた慌てたり騒ぐだろうが、頼れる存在に頼ったり相談をして、何とかするしかないだろう。経験は無駄ではない。と、思いたい。
2019年07月17日前回までの我が家の 不登校体験 は親からの視点で、不登校に対する親の関わり方や考え方などを描かせていただきました。また、うちは娘が不登校だったのですが、男の子の場合は違うことも多いのでは?と思い、今回は会ってみたかったスペシャルゲストにお話を聞いてきました!「学校生活が合わない子」がいることを認めよう!10年の不登校を経験し 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」 という著書も出されている小幡和輝さん(24)。小幡さんは「#不登校は不幸じゃない」の発起人で、10年の不登校後なんと高校3年の時に企業し、現在は会社経営をされています!会社を経営しつつ「#不登校は不幸じゃない」をキーワードに、昨年は全国100箇所で不登校の子どもたちに向けたイベントを各地で開催したり、 ブログ や Twitter などでご自身の経験など、不登校に関する情報をいろいろ発信してくださっています。スラっと長身の優しそうな、でも話し出すとキレのあるトークが印象的でした。「不登校は不幸じゃない」と掲げて精力的に活動されていますが小幡さんは不登校を推奨してるわけではありません!我が家の体験談でもお伝えしましたが、不登校になるということは辛いことでもあります。小幡さんも学校自体にたくさんのストレスを感じていて小学2年生の時から本格的に不登校になったとのことですが、両親との「行きなさい! vs 行かない!」の攻防が3ヶ月ほど続き、この時期が一番辛かったそうです。「親が学校に行かせようとする」それは世の中がそういう価値観・常識だから必然なのかもしれません。しかし実際には学校生活が合わない子がいるわけで…そういう子にとって、学校へ行かないという選択肢がないということは苦しみが長引き、状態も悪化してしまうと思います。私の不登校体験談でも描きましたが、不登校の苦しみを乗り越えるためには親が変わることが最初のステップだと思っています。子どもの気持ちを知る…そして受け入れる。このステップなくしては次には進めないと思っています。小幡さんの場合はどうだったのでしょうか。親も子も精神的に明るくいられることが大事なるほど!大人は不登校もゲームも悪いものと思いがちですが、我が家の息子もゲームが好きで、ゲームを通して仲良くなる友達もいます。(※ゲームというのは家庭用ゲーム機やスマホゲームだけを指すのではなく、ボードゲームやカードゲームも含みます)科学的にもゲームは脳に悪いことなんて無いそうです。小幡さんは不登校中もゲームをしていたそうですが、一人籠ってではなく、いとこや友達と一緒にやっていたので楽しかったそう。とても明るい不登校だったというのがお話から伝わってきました(笑)また、小幡さんは不登校は選択肢としてあってもいいけれど、引きこもりにならないことが大事とおっしゃってました。引きこもりにしないためには、親が子どもの気持ちや状態を受け入れ、そして家以外にも所属できるコミュニティがあるといいですよね。学校の友達と疎遠になってしまったのなら、習い事や、ネットで趣味が合う人やコミュニティを探すという方法も今ならあります。(危険もあるので注意しないといけないですが)私も不登校中、親も子どもも精神的に明るくいられることがとても大事だと思っています。子どものことだけで頭がいっぱいになって「過度な心配」をするのは、子どもをさらに追い詰めてしまうことにもつながります。ですが、子どもが不登校になると将来が不安になってしまう親心はなかなか消えませんよね。それについて小幡さんの意見は…学校を出て良い企業に就職というコースだけではなく、これからはいろんなコースが増えていくのかもしれませんね。私たちの親の時代にはなかった価値観が新しく生まれてきています。親として知っておきたいのは学校に行かなくても、仕事をするスキルを身につけて自立できる方法はあるということです。そして、小幡さんは高校生のときに起業された…とのことで、どのように起業したのか聞いてみると…好きなことをとことんやった経験がある人は強いえっ…そんなに気軽に…?と驚きのお話でした(笑)10年間の不登校時期に30,000時間くらいゲームをして、歴史、社会へ興味が出て、夜間の定時制高校に進学し「地域活性のワークショップ」をやったのがキッカケだそうで、今はイベント企画の会社を経営されています。…とにかく迷いがない。我が娘の場合、ゲーム漬けの日々もあったのですが、そのうち飽きました。つまり、そこまで好きなことではなかったようです。その後、絵を描きまくって現在イラストレーターとして働いています。親がゲームをしている子どもをみると、なんの生産性もない暇つぶしにみえることもあるのですが、ゲームに勝つために、攻略するためには子どもはいろいろ考えてます。ゲーム自体が問題なのではなく、付き合い方が大事だと思いました。それを親が理解するためには、一緒にやってみるのもいいのかなと。そして、好きなことをとことんやった経験があるというのは人を強くする気がします。子どもが安心して日々を過ごすこと、そのために子どもの気持ちを受け入れること、そして子どもの力を信じて待つこと。親が安心して、長い目で子どもの将来を見守ることで、子どもの精神状態は良くなると思います。そして、待ちながら良さそうな場所を探して誘ってみる(情報提供する)ことが親の仕事かなと思ってます。子どもにどう働きかけたら関係が良くなり、何を提示したらやる気を育てられるのかな~と「育成ゲーム」をするような客観的視点も大切なのかもしれません。ただ育児はゲームではないのでリセットはなく常に愛を持って最善を尽くすしかないんですけどね。「#不登校は不幸じゃない」イベントについて…夏休み明けは学生の自殺報道が増えます。「本当の不幸は学校に行けないことではなく不登校になれなかった子に起こる」と小幡さん。そんな悲しい出来事を減らしたい!この記事の冒頭でも触れました、全国一斉イベント「#不登校は不幸じゃない」が今年も行われます。 イベント詳細はこちら>> 小幡さんの活動をもっともっと知りたい人はブログやSNSなどを見てくださいね!◆ 小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ ◆Twitter: @nagomiobata ◆instagram: nagomiobata ◆著書: 「学校は行かなくてもいい ―親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」 ◆著書: 「ゲームは人生の役に立つ~生かすも殺すもあなた次第」
2019年07月14日幼稚園から毎日遅刻...原因は睡眠障害…!?わが家のASD兄妹は、2人とも幼い頃から睡眠に問題がありました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ現場の先生方のご協力と家族の送迎で、何とか休みながらも登校していた兄タケルでしたが、8歳のとき「アスペルガー症候群」の診断がつき、小学3年生から気持ちを安定させる薬を飲み始めました。夕方の気分の落ち込みを防いで20時〜21時には眠ってもらい、十分な睡眠をとることができるようにするのが目的でした。直接的な影響がどのくらいあったのかは不明ですが、結果的にタケルは21時台には眠るようになり、朝早く起きてくるようになりました。服薬は1年程でやめたのですが、タケルに限って言えばこれ以降もそのリズムを崩すことなく過ごせるようになり、日常生活への支障が少なくなりました。その結果、季節による不調などはありつつも中学・高校も何とか通い切ることができました。現在中学1年生の妹いっちゃん。睡眠の問題を抱えながら、学校生活は体調優先でUpload By 寺島ヒロ「キタキタキターー!!」って思いました。なぜなら私もこのタイプだから。概日リズム睡眠障害といって、寝る時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていく症状があります。私自身もこの症状があるため、私の生活時間につられて子どもたちが生活リズムを壊すことを恐れ、実は私は子どもたちが幼い頃は睡眠薬を飲んで生活リズムを無理やり朝型にしていました。でも、ちょっとした風邪でも寝込むほど体調を崩してしまってとてもきつかった上に、朝型の生活リズムが習慣化することもなく、睡眠薬を飲まなければ翌日からまた1時間ずつ体内時間がずれていく…。私にはこの方法はあっていないことに気づき、妹いっちゃんの睡眠傾向がはっきりしてきたあたりで、私自身も朝型の生活にこだわることはやめました。参考:概日リズム睡眠障害 |厚生労働省 e-ヘルスネットUpload By 寺島ヒロ中学1年生になったいっちゃんですが、今でも起きられた時に登校するスタイルは変わっていません。毎朝決まった時間に起きようと試みて体調を崩した自分自身の経験からも、1時間目から登校することにこだわるあまりに健康を損ねては本末転倒…。中学校の先生にもご理解いただいています。ただ、月の3分の2は学校に行けておらず、不登校状態になっているいっちゃん。授業を受けられなかった分の全ての勉強を家庭や支援教室でカバーできるわけではないので、今後の進学などのことも考えると睡眠をはじめとした生活リズムについてはフォローしていかなければならないですよね。その辺りが今後の課題だと思っています。
2019年07月12日・やりすぎて不自然になってしまったり、あまり変わらないと思って、そもそもしないという人もいる骨格メイク。そこで…不自然に見えないハイライト・ローライトの入れ方をご紹介!・・・◆How to【ローライト】①耳の後ろからあごの下に向かってローライトを入れる②フェイスラインの下に影を付けると小顔に見える③骨格に合わせローライトを入れメリハリをつける④額にも影をつけて丸みを作る【ハイライト】①目のくぼみをふっくらみせる②鼻根にも光を足して鼻筋を作る③あご先に少量を付けるとシャープに・・・◆Item#アディクション*ブラッシュ トリニティ001 Jet Setter / 2,800円(税抜)#トムフォードビューティ*スキン イルミネイティング パウダー デュオ01 ムードライト / 8,000円(税抜)・この投稿をInstagramで見るGODMake.さん(@godmake_official)がシェアした投稿 - 2019年 7月月9日午前2時54分PDTこのメイク動画の詳しい情報と使用コスメ詳細を見る
2019年07月09日春休み。進級に伴って変化する環境に息子が適応できるのか、不安を抱える私。そんなある日、息子が1枚のチラシを差し出した担任・N先生の寄り添いに心を動かされたこともあり、3年生の後期が終わるあと1週間のところで、通学を始めた息子。とはいえ、学校で起こる不便や不快感など、根本的な問題が解決したわけではない。そして転出により児童数が減少したため、新学年からは2クラスが統合されて1クラスになるという。全校生徒の顔をなんとなく把握できるような、田舎の小さな小学校だ。「教室に見たことない子がいる」というようなことはないだろうが、1つの教室で過ごす人数が変わることで、人間関係はもちろん、室内に響く音声が、聴覚過敏もある息子の耳にどう響くかも変わってくるだろう。となると、これまでとは違った問題が発生する可能性もある。本人も不安があるのか、「新学期になったら、また毎日行けるか分からない」と言っている。まあ、考えてみたらここまでが余りにも順調すぎたのだ。本人だって「いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」と言いながら、3年生のラスト1週間の毎日、始業から終業までを学校で過ごすのには、かなりのエネルギーを要しただろう。短い春休みの間で、身心両面のリカバーができるかどうかは分からない。仕切り直しだと考えて、過度な期待をせず様子を見ることにした。そんな構えで春休みを迎えようとした私に、息子が1枚の紙を差し出した。「これ、行ってきてもいいかな」それは小学校で行われている、放課後と週末のレクリエーション会の予定表だった。息子が通う小学校では毎週水曜日の放課後と土曜日の午前中、地域ボランティアの方と提携して行われるレクリエーションの時間が設けられている。会場は校舎の中。その春休み特別企画として、プログラミング体験講座が開催されるのだとか。そのころ息子は、いくつかの要素を組み合わせてオリジナルゲームを簡単に作れる、という携帯ゲーム機のソフトに夢中になっていて、それをきっかけにプログラミングに興味を示していた。何年か前に私は障害者向けの就業研修で、プログラミング言語のJavascriptを学んではいたが、きれいさっぱり忘れてしまっていたし、覚えていたとして(あと、JavaScriptが最新ではないことはさておいても)、彼の興味を引きつけるように教える自信は一切持ち合わせていない。レクリエーションでは、現役のSE兼プログラマーの方が、小学生が楽しく、分かりやすく学べるように指導してくださるようだ。徒歩で出かけられる場所で、しかも無料である。反対する理由はない。「いいじゃんいいじゃん、行ってきなよ!」「レクリエーション、3年生は対象外だったの!?」冷や冷やしながら迎えに行くと、満足そうに微笑む息子。なぜ?当日息子は冷えたルイボスティーを自分で水筒に詰め、張り切って出かけた。レクリエーションが終了するお昼近くなったら迎えに行くから、と息子の後ろ姿に声をかけ、私は仕事の作業に取りかかった。合間にふと「今ごろ楽しんでいるかな」と、レクリエーションのスケジュール表に目を向けた私はすぐさまフリーズ。そこにははっきりと「対象:4年生~6年生※3年生以下は見学」と印字されているではないか。そのときはまだ3月、息子は3年生なのだ。プログラミングを体験したくてわくわくで出かけた息子が、「3年生だから、見学ね」と言われてその状況を受け入れられるだろうか。そこで不満とともに「自分も参加させろ」と申し立てるようなタイプではないが、かなりのフラストレーションを募らせることは想像に難くない。(こりゃもしかしたら途中で帰ってくるかもしれないな…)などとぼんやり考えながら作業を再開したが、昼近くなっても帰宅する気配はない。意外にも見学を楽しんでいるのか。私は、身支度をして小学校へと向かった。待合室になっている教室で待機して、どれくらい経ったころだろうか、「お待たせしてすみません!みんなで盛り上がってしまって、ついつい長くなってしまいました!」と、レクリエーション担当の教員・K先生と、参加した児童たちが戻ってきた。もちろん、息子もおり、満足そうに微笑んでいる。「ごめん、私、チラシの説明をよく読んでいなくて…」「あ、それなんだけどね」私の言葉を受けてこちらを見上げた息子は、K先生に向き直った。「あの、本当は対象外なんですけど、見学になる参加者が息子さん1人で。ほかの児童たちも“ハルくんならきっとできるよ”と言うので、一緒に参加してもらったんです」「そうなんだよ!上級生のみんなが仲間に入れてくれたんだよ!それで、分かりにくいところは教えてくれてね!マイコン制御のロボットを(プログラミングで)操作したんだけど、あまり上手くできなくてもみんなが“最初からこんなふうにできるなんてすごいよ!”ってさあ!」K先生が説明してくださったあと、息子は目を輝かせながら、何があって、それがいかに楽しかったり嬉しかったのかを早口でまくし立てた。私が心配するまでもなく、息子は充実した時間を過ごしていたのだった。K先生にお礼を申し上げて帰ろうとしたら、K先生がこうおっしゃった。「息子さん、いろいろ学校が不便をかけて、ずっとお休みをしていたので、楽しんでもらえるか心配だったんですけど…プログラミングやものづくりが得意で大好きなのでしょうね、いきいき楽しそうに取り組んでいましたよ」私はもう一度お礼を申し上げ、息子とともに学校をあとにした。「今日から新学期だよ!」やりたいことが見つかった息子は、ランドセルを揺らしながら学校へさて、気づけば4月。まもなく新学期に突入というある朝、朝食を終えて食器洗いやらなんやらをしている私を尻目に、息子がなにやら慌ただしい。「どしたの?今日なんかあんの?」「なんかあんの?じゃないよ!今日から新学期だよ!!」新学期、間もなくではなく完全に突入していた。数日前に支度はしてあったものの、「また毎日行けるか分からない」という息子の言葉が頭に残っていたからか、私は完全に油断し日付の感覚がおかしくなっていた。「お、おう。そうだった、ごめんごめん」「のん(私の呼び名)が忘れちゃダメでしょう。じゃ、行ってきます!」息子は笑いながら靴を履き、「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びとともに、集団登校の集合場所へ走り去って行ったのだった。完全に、予想外の光景である。もちろん、登校すると想定していなかったわけではない。とはいえ、約1年半の不登校生活を過ごし、1週間登校をしたものの、春休みをはさんで「また毎日行けるか分からない」と懸念していた9歳児が「うおおおお!小学4年生!!!」という雄叫びを上げながら学校に向かう姿なんぞ、誰が想像するものか。「のんが小学生のころには、コンピューター室ってあった?」春休みのレクリエーションを終えてからの帰り道、同じ小学校の卒業生でもある私に、息子は聞いた。「ないない。30年以上前は、こんなにコンピューターが普及していなかったもん。PCなんて、学校にも家にもなかったよ」「ふーん…コンピューター室が学校にあるのは知ってたけど、今日初めて入ったよ。楽しかった。でね、またプログラミング教室をレクリエーションの会でもやるし、学校でも、まあ毎日だったりしょっちゅうは無理かもしれないけど、PCを使ってプログラミンクとか、いろいろ勉強できるんだって!」普段、私が使用しているスペックの低いPCをたまにいじる程度しかできなかった息子は、比較的新しくてスペックの高いPCを、時間の限り思う存分使用できたことが本当に嬉しかったようだ。「携帯ゲーム機でオリジナルゲームを作るのも楽しかったけどさ…自分が入力した文字や数字が言葉になって伝わって、ロボットが作動したり、静止画だと思っていたものが動画になるってすごいよ!だから、すぐでなくてもいいから、ああいう勉強をしていきたいなって思ったんだよね」話しながら進む息子の足取りは、まるでステップを踏むように軽やかだった。「また毎日学校に行けるかは分からないけど、これからも勉強はしていきたいなって思う」私に向けているとも、ひとりごととも取れるような口調で、息子がつぶやいていたのを思い出す。「やりたいことがあるっていうのは、外野があれこれいう言葉より心に響くもんだね…」ランドセルを揺らして駆けていく息子の背中を眺めながら、今度は私がベランダでつぶやいていた。児童数が増えたことに伴う困難なども、特別支援学級の利用で万事解決!ではなかった…しかし、やはりというべきか、問題が浮上した。元々黒板にチョークで文字を書くカツカツという音が息子は苦手だったのだが、教室内にいる児童数が増えたことで、音の響き方がますます苦痛に感じられるようになったらしい。加えて、「班ごとで相談」という場面では、大声ではないとはいえ、たくさんの話し声が耳に届いてしまい、「自分の班の人の声を聞き取るのも大変だし、頭がちゃんと働かなくなる感じがする」と訴えた。在籍は通常学級のままではあるが、様子を見て特別支援学級の利用も可能であるという話を、以前校長先生から聞いている。特別支援学級では黒板とチョークは使わずにホワイトボードで授業を進めるらしいし、人数だってかなり少ない。今息子が抱えている困難は、解決すると思われる。そこで息子に「どうする?特別支援学級で授業を受けてみる?」と問うてみたところ、「是非そうしたい」と返ってきた。私は連絡帳を開き、息子が感じている困難と、特別支援学級での授業を希望しているということを、担任の先生に宛てて書いた。息子が連絡帳を持参したその日に担任の先生から電話をいただき、いくつかの授業を特別支援学級で受けることになった。2つの教室を行き来することで不快感が軽減され、快適に学習できるようになった息子は、毎日嬉しそうに登校。帰宅したらすぐ友達の家に出向いて一緒に宿題をしたり遊ぶなど、「本当にあなたは少し前まで不登校だった人なのですか?」と疑いたくなるほど、いきいきと過ごしていた。「特別支援学級は嫌な音がしないから、勉強も楽しくできるんだよ。休み時間に中庭や体育館でみんなと遊ぶのも楽しい。土日にのんとどこかに出かけるのも楽しいけど、今はそれと同じくらい学校が楽しいんだ!」などと申し、ゴールデンウィークの10連休については「半分でいいのに」とぼやいていたほど、学校が大好きになっていた。これで万事解決、めでたしめでたし…で、収まれば良かった。収まってほしかった。ゴールデンウィークが終了し、私の仕事が忙しくなってきたある日の午後、息子はえらく憤慨した様子で学校から帰宅した。「もうやだ!また学校行くのが嫌になって来たよ!!」えっ、ちょっと待って、今の時期に家にいられると困る…とうっかりこちらの都合による本音が出そうになったが、息子だって辛いことがあったのだから、とぐっと堪え、「どうした?何かあった?」とだけ、どうにか口にできた。この前まであんなに楽しそうだったのに、何があったんだ…。<第3回に続きます>
2019年07月08日長女の不登校体験談の第5話です。不登校になって専門機関に相談に行ったりしているうちに、子どもの感性や発達に偏りがあるのかも…と思う方もいらっしゃるかもしれません。私は「不登校の親の会」を数年やっているのですが、そこでお会いした方々にもそういった個性の強いお子さんが多かった印象があります。そこで今回は、子どもの感性や発達の偏りについて描いてみました。繊細で感受性が豊かな「ハイリー・センシティブ・パーソン」娘の場合は、とても繊細・敏感、ゆえに疲れてしまうという状態でした。最近知ったのですが、『HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)「生まれつき人一倍敏感な人」のこと』、これが一番しっくりくる感じです。※気になる方は調べてみてくださいね。程度にもよるのかもしれませんが、我が子と向き合っていたらその特性には気付くかと思います。また、発達検査をすると、その人の特徴が数値で現れるので、その人の得手不得手やどのくらいしんどさを感じてるのかも察することができます。発達障害という言葉がありますが、私はその言葉から受ける印象が良くないので好きではありません。発達の偏りは誰しもあり、それが強いか弱いか、そしてその偏りで日常生活に支障がでているかどうかが問題だと思っています。発達検査について、私は、その子の気持ちに寄り添うため、しんどさを想像するため、そしてどんなサポートが必要かを考えるためにあるべきものだと思っています。…しかし、寄り添う、見守るって口で言うのは簡単ですが、実際は難しいことですよね。それがどういうことなのか、私がストンときたのが「ガーデニング」だったのです。キレイに咲く花を見たいなら、その花に合った環境を花や植物は、その花に適した環境と育て方が必要ですよね。手をかけないと上手く育たない花には、土壌を適した状態に変え、日当たりや気温で置き場所を変えたり、水やりもその花に合った量や頻度にしますよね。肥料も加えたりなど、花の状態を観察しながら必要なサポートをします。育てる人の都合で「ここで咲いて!」と植えても、それは無理な話で枯れてしまいます。キレイに咲く花を見たい。植物の様子をみながら適した環境を用意て世話をしたりするのに、なぜ我が子だと型にはめたくなるのでしょうか。なぜみんなと同じでないと不安なのでしょうか。不登校の子に限らず、深く傷ついてしまったり心が折れてしまった子はこういう花と似てるなと思います。雨風(人とのいざこざ)に弱かったり、水はけが悪かったり(気持ちの切り替えが苦手でストレスがたまりやすい)、気温にやられて病気になったり。肥料だって多すぎたら枯れます。不登校の原因が発達の個性とは関係がない場合もあると思いますが、不登校になったということはその時点でもう疲れて自信を無くしている子が多いです。でも、適した環境(学校ではないかも)と適切な関わりさえあればまた元気を取り戻し、いつかその子らしいステキな花を咲かせてくれるはずです。どんな花を咲かせてくれるのか楽しみに日々を送っていこう!そして親がそれだけを楽しみにしてしまっては子どもにとっても重たいので親自身が楽しく生きようやりたいことやろう!大人が楽しんでる世の中の方が子どもたちが希望を持てると思います。娘の不登校を通して、いろんな生き方があっていいんだということ、また人と違うことはマイナスなことではなく多くを学び合えるということに気が付きました。「ママが私のママで良かった」…こんな嬉しい日がくるなんて!娘は敏感で繊細がゆえに人付き合いも苦手になっているのだろう…とマイナスに思っていた部分も、今ではそこが活きていて、人の気持ちに考慮できるので仕事での人間関係も良好なようです。不登校になったからといって、「うちの子はダメな子なんだ」なんて絶対思わないでください。周りの関わり方、考え方で将来は変わってくるはずです。我が家の不登校体験談は、いかがでしたでしょうか。…悩んでる方に、なにか少しでもヒントになるような、前を向けるような部分があったら嬉しいです。不登校を受け入れられずに状態が悪化するご家族が減るといいなと本当に思っています。そして、不登校と無縁の方にも、不登校がどういうことか少しでも興味を持って、なんとなくでも知っていただけたら幸いです。第一話はこちら
2019年07月04日意欲的に、家庭学習に取り組む息子。一方、在宅ワーカーの私はストレスを蓄積させ…登校渋りを幾度も繰り返し、8歳の誕生日を迎えたその日に「もう学校には行かない」と宣言した息子は、この4月で小学4年生になった。不登校開始1週間の時点で、「行かない気持ちに変わりはない。万が一気が変わったら申告するから、そちらからは一切聞いてくれるな」との旨の申し出があったので、私から働きかけることは避けていた。根性論にて復学を強く勧める学校側に辟易しつつ、息子の意思を尊重すると決めた私。それが2年生後期までの話である。それが1年前、3年生に進級したとき、風向きが一気に変わった。息子たちのクラスを受け持つことになった担任の先生、そして新しく着任した校長先生と教頭先生は、息子の自宅学習に協力的だったのだ。月に一度、担任の先生が課題を持ってきてくれ(もしくは私が受け取りに行き)、息子が1ヶ月かけてこなす。翌月に終了した課題と新しい課題を交換、さらに翌月には先生が添削した課題をまた持ってきてくれる、ということを繰り返すのだ。通学するのと全く同じペースとはいかないし、教科の偏りは出てしまうが、大幅な遅れを取ることはない。エネルギー出力にムラはあるが、息子はもともと知識欲が強い、勉強の好きな人間だ。学校からいただいた課題以外にも、自ら所望した問題集などにも取り組むほどで、家庭学習はとても順調に進んでいくように見えた。しかし、問題が発生した。息子ではなく、私に。フリーランスのライターである私の仕事は、ほぼ在宅にて行われている。だから打ち合わせ等がない限り、四六時中息子と同じ空間で過ごすことになる。1人の時間が持てないだけでも息苦しいというのに、集中力が途切れやすい私は、自分のペースで作業を進行できない状況にいらだちを募らせていた。分かっている、息子は悪くない。しかし、例年であれは冬季うつの時期にしか服用しない抗うつ剤が、春になっても手放せなくなっていた。些細なことで腹を立て、そんな自分を呵責し、深夜に眠れず涙すること連日。数ヶ月に1回、1泊2泊の出張や1人旅をしたところで、蓄積されたストレスは解消しきれなくなってきたのだ。そんなある日のことだった。平日の午後、小学校が終わるころを見計らって公園へ出向くことが増えていた息子が、帰宅後にこう申し出たのだ。「文化祭の日、学校に行ってみようと思う。同じクラスのJ君に誘われたから。行ってもいい?のん(私の呼び名)も付き合ってくれる?」久しぶりに登校し、文化祭を楽しんだ息子の口から出た意外な発言。しかし、いつ気が変わるかも知れず…出典 : 文化祭のスケジュールは、午前中が体育館で行われる音楽発表会、正午手前に各々の教室で帰りの会を行い解散、あとは自由見学となっていた。いつごろ行きたいのかと息子に聞くと、音楽発表会の時間から行きたいのだという。私の都合で朝一番からの見学は叶わなかったが、それでも早いうちに学校にたどり着けた。実のところ、体育館のような空間に響く音声というものは、聴覚過敏を持つ私が苦手とするものだった。両耳から勢いよく水を流し込まれるような痛みと不快感で、めまいと吐き気を催してしまうのだ。デジタル耳栓を用意していなかったことを激しく悔やみつつ会場に入ると、存外辛くない。不快感がゼロというわけではないのだが、幾分か楽だ。どうやら私は「体育館のような空間で、“複数の人が雑談している声”の響き」が苦手であり、音楽だとそこまでではないようなのだ(体育館や音楽にもいろいろあって、どこでもそうとは言い切れないが)。さて、私自身が特性について再発見をし、1人密かに感激していたところ、担任の先生が私たち親子の姿に気づいた。息子をクラスメイトたちが並ぶ列へ、そして私も発達障害の当事者であり、聴覚過敏を持っているとご存知の先生は、私を保護者席から離れた職員席へと、それぞれ誘導してくださったのだ。息子は列の最後尾についたのだが、前にいた子が気配を感じたのか、振り向いた。更に前の子が何かを察して振り向き、また更に前の子が…というように次々とみんなが息子の存在に気づいて、声こそ出さないし、振り返るのもそれぞれ1、2回であったものの、そわそわとした雰囲気になるのが、見ていておかしいやら微笑ましいやら。演奏が終わり、一旦休憩になった途端、「ハルくんだ!」「ハルくんだ!」「ハルくんがいる!」「ハルくん、久しぶり!」と、たくさんのクラスメイトが一斉に息子に駆け寄ってくれた。詳しい会話の内容までは聞こえない。息子本人はとても照れくさそうな、でも確実に嬉しそうな表情で応対しているのが分かった。それから息子は音楽会だけでなく、終わりの会にも参加し、クラスの友達に誘われて、自由見学にも出向いた。途中でパニックを起こして、途中で何も言わずに帰宅してしまったのだが、後日会ったときにそれを責めることもせず、むしろ心配してくれたのだという。彼らを含む、息子の存在を受け入れてくれたクラスの児童たち、息子だけではなく、私の特性にもご配慮くださった先生方には心から感謝している。その数日後、「行事のときとか、たまには学校に行ってみようかな」と息子がひとりごちた。正直、とても驚いた。とはいえ、いつ気が変わるとも知れない。私はさしたる期待をせずに聞いていた。限界を迎えていた私。約束を守りたい気持ちと復学を促したい気持ちの間での葛藤案の定、「たまに」は年をまたいでも訪れることはなく、私は出張や旅行で息抜きをしつつ、ギリギリのところで踏みとどまっていた。いや、すでにおかしくなりかけていた。寝入る直前に「何か食べたい」と申し出た息子に「もう寝る前だし、牛乳ぐらいにしておこうか」と言葉を返し、寝つかせたあとに「あれはネグレクトではないか?ネグレクトに違いない」と自責を始め、夜半を過ぎるまで泣きとおすなど、精神のバランスも生活のリズムも著しく乱れていた。仕事も思うように進行させられず、「もう私にはコラムなど書けないかもしれない」と、『発達ナビ』の牟田編集長に宛てて、泣きながらメールを打ったのもこのころだ。とにかく、限界だった。「フリースクールや放課後デイ施設などがあるではないか」とおっしゃる方もいるだろうか。もちろん視野に入れ、自分なりに調べた。しかし私たち親子は、施設数が都会に比べて圧倒的に少ない地方に住まう身である。学費や立地など、条件に見合う場所を見つけられなかったのだ。そして3月の半ばになって、「たまに」がようやく訪れた。とても興味を引かれる学習内容ばかりの時間割で、給食は好物ばかりの献立の日があるから、というのだ。息子はその日、朝の会から終わりの会まで学校で過ごし、「音が辛いこととかちょっとあったけど、勉強は面白かったし、みんなと遊ぶのも楽しかった!次はいつ行こうかな?」と笑顔で帰宅し、私に話してくれた。(次の「たまに」はまたしばらく来ないのかな…)と考えるだけで胃から何かがせり上がる。楽しいのなら、もっと高い頻度で登校して欲しい。できれば毎日。でも、私から登校を促す働きかけをしない約束を、息子とは交わしている。だから言えない。私を信頼してくれるこの人との約束を破りたくない。破りたくはないのだが…。約束を破り、私は切り出したさて、話は前後するが、以前のコラムにも書いた、息子が3年生になってすぐの面談で、「息子さんとの(登校を促さない)お約束もありますし、もし学校に行きたいという話を息子さんがしたら、というつもりで聞いていただきたいのですが」という前置きのあと、校長先生がこんな話をしてくれた。「教科書を使って、みんなと同じペースで学ぶ、という学習方法が、向いている児童と向いていない児童がいます。すでにお渡ししている教科書よりも使いやすいと息子さんが思える教材があれば、それを使って児童の数が少ない特別支援学級や、もしくは別の学習室で学ぶという方法もあります。特性の関係で疲れやすいでしょうから、そんなときは遅れてきても構いませんし、早退しても構いません。息子さんが無理をせず、のびのびと学校生活を楽しめるように、私たちはできる限り協力します」フリースクールを検討して調べたことは前項で述べたが、私が調べた限りの、どのフリースクールよりも手厚い。これが公立の小学校である。しかも、身心ともに疲弊しきった息子が不登校を決めたときに、「苦手を克服するということから逃げ続ける息子さんを容認して、成長の機会を奪ってもいいんですか?」と私を叱責し、これは書いたことがなかったが、特別支援学級の利用や、進級を期にした転籍を願い出た際、「息子さんは頑張れば通常学級でもやっていけますから必要ありません」と跳ね除けた公立小学校と、同じ公立学校なのだ。知識欲の強い息子はいずれ、私の学習サポートでは物足りなくなるだろう。現状だって、私は自分の仕事と家事に手一杯で、十分な時間を割けているわけではない。そして条件に合うフリースクールは見当たらない。しかし、フリースクール以上に手厚い、すでに息子が在籍している小学校がある。もう、これは言うしかなかろう。「ごめんなさい、私は今からあなたとの約束を破ります」そう、私は切り出した。何事かと表情を引き締めた息子に向かって、続けた。「約束を破るわけだから、あなたが怒ったとしても無理はない。でも、最後まで聞いてほしい。正直、私は今の生活が限界。仕事をしながらあなたの学習をサポートするのはとても大変だし、正直ちゃんとサポートできているかも自信がない。これからあなたがさらに多くのことを、深く学びたいと願うときが来るかもしれない。そうなったら学力面と知識面、時間の面でも私の手には負えなくなると思う。あなたの学びの妨げを、もし自分がしてしまったら、私は悔やんでも悔やみきれない。それから、仕事の効率が確実に落ちているなと感じている。これは私の気が散りやすいというのが問題であって、あなたが悪いわけではないから、気に病んでほしくない。とはいえ、もっと仕事に集中する時間がほしい。そうした私の勝手な事情で約束を破ることを、本当に申し訳なく思っている。許さなくてもいい。…いきなり、毎日、最初から最後まで、とは言わない。でも、もう少し学校に行く頻度を高くしてほしい」そして、面談で校長先生が話してくれたことを、息子に伝えた。息子は何も言わずに聞いていたが、私の言葉が途切れたのを見計らってか、ゆっくりと口を開いた。「今の学校だったら、行くのは嫌じゃないよ。でも、ずっと家にいたし、のんが言ったように、いきなり毎日最初から最後まで、というのはできないかもしれない」「うん、それは仕方ない。ありがとう、聞いてくれて、怒らずに受け入れてくれて、本当にありがとう」「うん。だって、のんが仕事をできなくなったら、まだ働ける年齢じゃない自分だって困るし」「いきなり毎日最初から最後まではできないかもしれない」などと申していた息子だったが、土日をはさんだ週明けから春休みに突入するまでの1週間、毎日最初から最後まで、つつがなく登校し、帰宅すると、学校での様子を楽しそうに伝えてくれたのだった。「学校に行ってみよう」と息子が思えるきっかけとなった、N先生の寄り添い出典 : 年生の中盤過ぎから始まった息子の不登校生活は、3年生のラスト1週間で、ひとまず終わりを迎えた。ここで私の頭に疑問が浮かぶ。そもそもどうして「学校に行ってみよう」と息子は思えたのか。本人に質問をしてみたところ、このような答えが返ってきた。「(担任の)N先生、学校に来てねみたいなことを一度も言わなかったから」そうなのだ、N先生は「息子さんの顔が見たいのでお構いなく」とおっしゃって、ほぼ毎月わが家にご足労くださっていたのだが、ただの一度も登校を促すような発言はなさならかったのだ。2年生のころ、当時の担任の先生が、クラス全員からの手紙を持って、わが家にいらしたことがある。「早く学校に来てね」との旨の内容がそれぞれの文字と言葉で綴られていたそれに、息子は一瞥もくれなかった。「あなたはこんなに必要とされているんだよ」ということを伝えたい、先生の愛情と善意であることは理解できる。でも、そこに息子はいないのだ。学校に行くことが辛くてたまらない息子の気持ちが、まるで「改めるべきもの」として扱われているように、私には見えてしまったのだ。「助けてってお願いしているのに、無視されているような気持ちになった」と、後日息子も述べている。「N先生って、元気?とか、最近好きな遊びはある?とかは聞いてくるけど、学校に来てねとかは言わなかった。なんかそれが、こっちの気持ちを大事にしてくれているように思えたから」思いやりや寄り添いは、なにも気遣うような優しい言葉をかけることだけではない。言葉少なであるからこそ、自分が尊重されていると感じられることは、大人にだってある。イソップ寓話『北風と太陽』を私は思い出し、次年度もN先生が担任であったらいいなと願いつつ春休みを迎えた。いや、担任がどなたになるかという話の前に、休みが明けたら「やっぱり学校に行きたくない」と息子が言い出す可能性は、なきにしもあらず。心の準備を、私はした。《次回に続きます》
2019年06月25日長女の不登校の体験談、第4話です。前回の記事でも書きましたが、娘の不登校を受け入れたつもりでいた私。しかし、毎日何の予定もない日々なので娘の生活リズムはどんどん乱れていきました。おそらく多くの不登校の子が通る道なのではないかと思うのですが、ゲームばかりで昼夜逆転してしまうのです。不登校になってから生活リズムが乱れてしまった娘娘の中には「学校のことを忘れたい」という気持ちが隠れていたのです!ただゲームがやりたいからやってるのではありませんでした。昼夜逆転してしまったのには、夜寝付けないという理由以外に学校が終わる時間以降に起きるほうが気持ちが楽だということも分かりました。出かける家族、帰ってくる家族、みんなが当たり前にできていることを目の当たりにすること、また、自分だけが学校へ行かず家で過ごす罪悪感、焦燥感、そういったものを避けるためにも昼夜逆転は自分の心を守る手段でもあったように感じました。私としては昼夜逆転なんて良くない、学校行かなくても最低限の生活くらい守らないと!という気持ちがありました。でもそれはいつかまた学校に戻ることが前提ということに娘は気づいていたのかもしれません。「学校行かなくていいよ」と言えたとしても言動や表情に出ていたら意味がないことに改めて気づきました。ここで娘に「話しても無駄…どうせ分かってくれない」と思われていたら、事態はもっと悪化したのでは…と思います。生活リズムは「朝起きる目的ができれば戻る!」と信じて、人に迷惑かけてないのだからと自由に過ごす娘を見守るようにしました。好き! を見つけた娘そのうちにゲームにも飽きた娘、ネットで絵を投稿できるサイトがあることを知ったようです。1人でただ描くのとちがって、ネットに投稿すると反応がある…やはり反応があるということは楽しいんですよね。不登校だと人との関りが無くなってしまうことが心配なのですが、ネットは外出しなくても共通の趣味を持つ人と知り合えるステキなツールだと思いました。(もちろんネットの怖い側面に気を付けることが必要です)こうして娘に教えてもらいながら一緒にイラスト投稿を楽しみました!娘が絵の才能がズバ抜けていたとは思っていません。が、好きこそものの上手なれ!ってやつです。もうひたすら絵を描いていました。あと私事ですが、こうしてデジタルで絵を描くことを娘と楽しんでるうちに始めたのが、今の私のブログ 「じゃがいもころりん」 なのです(笑)娘はひょうきんなところがあるので、そこにスポット当ててマンガを描き始め…今に至ります。元気を取り戻す薬は「自分は価値ある存在」と思えること元気を取り戻すためには「こんな自分でも受け入れられてる、分かってもらえてる」と思えることが一番の薬かなと今の私は思っています。子どもが幼い時、ただそこにいて元気に笑っていてくれたらそれだけで幸せでしたよね。子どもも親の笑顔に「自分は価値ある存在なんだ」ということを感じてきたはずです。不登校の間…子どもはいろいろと考えています。子どもと信頼関係さえあれば、別の居場所を探すこと、好きなことを見つけることを一緒にやったり情報集めたりができ、手探りの中にも希望を発見できる可能性があります。将来の仕事に繋がるとは思えないことや、才能がないのでは…と思うことでも、「本人が楽しめること」ならそれが元気ややる気の源になるのではないでしょうか。そして好きなことが見つかって、とことんやれるとそれは自信に繋がります。その後月日は流れ、中学3年になり、進路を考える時期となりました。この頃には学校の先生との面談など要所要所は学校に顔を出すこともできるようになっていました。そして…3年間の不登校が終わったキッカケ節目である高校進学を機に、3年間の不登校が終わりました。次回は個性や発達のことについて思ったことを書きたいと思います。
2019年06月20日長女の不登校の体験談、第3話です。不安や引け目などから家庭内でケンカが増えますます自己嫌悪に陥る娘。家と学校しか知らない子どもにとって、どちらも居心地の悪い状態は相当しんどいものだったでしょう。私も娘の苦しさに気が付いたもののどうしていいかわかりませんでした。ふさぎ込んだりしてたので外へ誘うも…他人の目が気になって外出が辛くなってしまった娘学校にいるはずの時間帯に出かけることは不登校の子にとってはハードルの高いことだったようです。ですからこのころは夜少し出かけるといった感じで、外出もままならなくなった娘。この先引きこもってしまうのでは…私も不安にさいなまれます。自分たちを追い込むのはやめた!「学校に行かなくていいよ」とはなかなか言えなかった私ですが、もうすでに行けてないわけだし、毎日心が休まらない娘をなんとかしなくてはという思いから…毎晩、明日は行けるかな毎朝、今日こそ学校に行かせたい、行けない、行かなきゃ、と自分たちを追い込むことをやめることにしました。朝のストレスが無くなったことで私も娘も気持ちがずいぶん楽に。状況的には不登校確定! って感じではありましたが、そこから娘の表情も少しずつ穏やかになりましたし、妹や弟も姉の状況を受け入れてきたようでした。しばらくすると、今度は「家族以外の誰ともと会ってない…」と社会から孤立してるのを気にするようになりました。ただやはり他人の目が怖いのは変わっていなかったので、同じ立場の子たちがいるところを調べました。不登校の子を対象したイベントに参加フリースクールや教育支援センターにも出向き、見学させていただきましたが、娘がしっくりくる雰囲気のところは見つからず。でもNPO法人で企画されていた単発の不登校の子対象イベントを見つけそれには参加することができました。不登校の子の集まりなので、お互いに交流したりという元気はなかったようですが、それでも「自分だけじゃないんだ」という安心感や、不登校でも普通に見てくれる大人がいるということ、きっと参加した子どもたちの心に響いたのではないかと思いました。久しぶりに娘の解き放たれたような笑顔を見ることができました…!(涙)今回の記事は、学校に行くことをいったん封印する話でしたが、そうすることが正解だと言いたいのではありません。それぞれ状況も性格も違うでしょうから参考程度に読んでいただけたらと思います。不登校で親が一番難しいなと思うのは、子どもの甘えなのか本当に苦しいのかの見極め、線引きだと感じます。「それくらいで苦しいなんて言ってる場合じゃない!」って思ってしまうのが親心ですよね。繊細で敏感で真面目な面がある長女。娘にとって学校はとてもストレスが多いところでした。たくさんの違和感…でもこれが当たり前なんだろうと耐えてきたなかで自信も気力も失ってしまったのだと思います。将来を考えると、皆と同じように学校へ行ってくれたほうが安心なのですが…合わない子もいるんですよね。不登校になってしまった場合、その後の人生は手探り、自分たちで見つけていかなくてはなりません。次回はどうやってその「道」を見つけていったかのお話です。
2019年06月11日前回の不登校体験に続き第2話です。小6の頃から登校渋りが始まり、休みがちになった娘(長女)。不登校と言っても完全に行かないのではなく、たまに短時間行ったりもしたのですが、疲れ果ててしまうようでした。親も毎朝…憂鬱な日々中学校に入学し、環境が変わった(ちょっとだけ揉めてた子とは別の学校)ので行けるかな~と期待したのですがまた学校に休みの連絡を入れる日々となりました。この電話が親にとっては地味に辛い。「今日は行けるかも」という期待がどうしても捨てきれないので毎朝…憂鬱な状況でした。夫に相談しても解決しない…本人もですが私も不安です。夫に相談しても、どうしていいか分からないのは同じだったからか話にならずケンカになってしまいます…。学校に行っている兄弟との間に溝が…妹(小6)弟(小3)がちゃんと登校し帰ってくれば、お姉ちゃんとしてやりきれない気持ちもあったのでしょう。妹・弟にしてみたら、不登校に直面し悩んでる私を励ましたい気持ちや、熱があるわけでもないのに休む姉が羨ましい気持ちもあったと思います。ちょっとしたことでケンカばかりの日々となってしまいました。解決の糸口を探しに親の会、講演会、病院へこのままでは良くないと思い、私はあちこちに出向き解決の糸口を探します。しかし、どこへ行ってもしっくりこないというか、こうすれば解決という具体的なお話は聞けませんでした。娘の「消えたい」の一言で気がついたことそんなある日、また激しいケンカをしてお互い疲れ切ったとき娘が言いました。この言葉を聞いて私はやっと気がつきます。娘の苦しみは思ってる以上に深いこと。誰もが認めるような理由が見えなくても甘えなんかではないこと。そして休んだからと言って気持ちは全然休めていないということに。次回へ続きます。 ↑ウーマンエキサイトベストコミック大賞はこちらから!
2019年06月04日前記事の最後でも触れましたが、今回は宿題嫌いで大変だった長女がその後どうなったかのお話、数回にわたって書いていきたいと思います。結論から言ってしまうと、娘は不登校を3年間経験後、高校から社会復帰し現在大好きな絵を描く仕事に就いています。娘の不登校の原因について不登校については、ちょうど今話題にもなっていますよね。…賛否両論あると思います。ひどいイジメにあったり、病気があるなどハッキリした理由がある場合は仕方ない。…でもたいした理由がないのに不登校って…甘えでしょう?学校行って勉強するより、好きなことだけして遊んでいたいだけ?そんなんじゃ…社会にでれなくなる! …って思いますよね。実は私もかつてはそう思っていました。学校に行くのは当たり前だと思っていたし、自分が学校に行けたからです。しかし、娘が不登校になったことで「学校がとても苦痛な子がいる」ということを私は学ぶことになりました。(不登校の原因や苦しさは、その子その子によって違うと思いますのであくまで我が家の体験談です)もともと娘はひょうきん(死語?(笑))なタイプで、みんなを笑わせたりするのが好きで、慕ってくれる友達もいました。ですが集団(幼稚園・学校)はどうも今一つ楽しめてる感じではありませんでした。「どうして行かなきゃいけないの?行きたくない」とよく言っていました。何が嫌なのか聞いてみると…意地悪するクラスメイトがいる、先生の怒鳴り声が嫌、給食を残してはいけない…などそりゃそうだろうけど…ということばかり。クラスメイトの意地悪や、先生が怒るなどは、自分に対してではなくても気になっていたようです。給食や体育が苦手なのは私もわかっていたのですが、頑張ってるうちに鍛えられていくかな~という期待もあったので、親は深刻にならずに背中を押すくらいでいいかなと思っていました。友達付き合いができる子だし、勉強嫌いでも理解はできているのだからそのうち楽しくなるだろう、慣れるだろう、なんて気楽に考えていました。娘にしたら…悩みは結局ひとつも解決しなかったわけです。娘はどんどん家から出れなくなり…これからどうなる?と不安な日々にそして6年生の時、朝登校時になると腹痛や頭痛などの体調不良を訴えるように。改めて学校でなにかあったのか聞いてもやはり大した理由は出てこない…クラスメイトとのいざこざはあったようですが思春期に入り難しいお年頃なので仕方ない…くらいに思っていました。体調不良は家にいるとケロッと落ち着く。これは乗り越えさせないとこのまま本当に不登校になってしまう。それだけは避けたいと思い…なんとか休みを増やさないようにと必死で思いつく限りの試み(遅刻や早退でもいい、教室が苦痛なら保健室でもいい、先生と相談・協力)に尽力しました。がその甲斐虚しく…娘はどんどん家から出れなくなりました。不登校になった娘に寄り添えるようになるまでは、私にとっても娘にとっても苦しい時間でした。まるで出口の見えない暗いトンネルにいるようでした。次回へ続きます。
2019年05月28日女優の須藤理彩(42)が5月15日、「スッキリ」(日本テレビ系)に出演。「親の務め」について持論を明かし、反響を呼んでいる。番組では10歳の不登校YouTuber・ゆたぼんについて取り上げていた。ゆたぼんは小学3年生のころ、教師から理不尽な扱いを受けたことがキッカケで不登校となった。現在学校には「行きたい時だけ。給食とか図工の時とか。あとは遠足」という自分のペースで通学している。またゆたぼんはYouTuberとしての活動について「学校が嫌で死にたいとか(そういった子に)元気と勇気を与えるためにやっている」と語った。コメントを求められた須藤は「娘が一時期いじめで不登校になって、自宅学習していた時期があったんですよ」と明かし、「その時期にお友達が家に集まってくれてプリントを運んでくれて、塾にも行けて習い事にも行けて。何の不自由もなかったんです」と話した。「このまま不登校でもいいかな」と考えたようだが、いっぽうで気づいた“親の務め”についてこう語った。「いろんな人が人のやりたくないこともやってくれているから、いま自分が何の不自由もなく、こうして楽しく生きていられる。そう教えることが、親の務めだと思っています」また「将来何になるか、ほとんどの子は分からない」と話した須藤は、子供の将来のために「いろんなことをやって準備をしておくことも、親として私はやってあげたいことかな」と結んだ。12歳と7歳の子を持つ母として、親の役割について語った須藤。Twitterでは賛同の声が上がっている。《須藤さんの意見は本当に良かったと思う。うちも子供達の学校生活では色々あり本当に沢山の事を考えた。親は子供ためなら色々な知識や方向性を教えたり、助けたり、時には逃げ道も教えたり》《子供がしたい事させてあげるのも大切だけど軌道修正してあげるのも親の務め》《周りの人達の支えがあって出来るっていうところは誰よりも肝に銘じなきゃとは思う》放送後、須藤は自身のTwitterを更新。「スッキリ」への出演にちなんで《事前に娘に、スッキリでいじめのこと話して良いか確認しました。是非話してとの事だったので、デリケートな問題でしたが、敢えて話させて頂きました》と親子のやりとりを明かした。さらに《皆さまもぜひご家族で、自宅学習のこと話し合ってみてはいかがでしょうか?》とフォロワーに呼びかけている。
2019年05月15日ブルガリ(BVLGARI)のジュエリー「ビー・ゼロワン」コレクションに新作ブレスレット2種が登場。全国のブルガリ・ショップで発売される。「ビー・ゼロワン」は、ブルガリ生誕の地であるローマを代表する遺跡、コロセウムの円形に着想を得て誕生したジュエリー。新作では、ピンク、ホワイト、イエローゴールドの3色で2型のブレスレットを用意した。ひとつは、“BVLGARI”のロゴをオープンワークデザインで描いたデザイン。もうひとつは、ロゴを両面に施したデザインだ。手首にほどよくなじみ、より身につけやすく再解釈されており、女性らしい華奢な手元を演出する。【詳細】「ビー・ゼロワン」新作ブレスレット ※発売中取り扱い:全国のブルガリ・ショップ■アイテム価格オープンワークデザイン ピンクゴールド、イエローゴールド 425,000円+税、ホワイトゴールド 450,000円+税ロゴデザイン ピンクゴールド、イエローゴールド 520,000円+税、ホワイトゴールド 550,000円+税【問い合わせ先】ブルガリ ジャパンTEL:03-6362-0100
2019年04月12日最近、入居希望者を集めるために募集条件を「礼金・敷金ゼロ」に設定している賃貸物件がかなり増えています。初期費用が抑えられる「礼金・敷金ゼロ」の物件はとても魅力的です。しかし、賃貸住宅に入居するためには礼金・敷金以外にもさまざまな諸費用がかかるため、入居の初期費用は「ゼロ」になりません。さらに、敷金がゼロになるために「新たな諸費用」が発生するケースも増えています。そこで今回は、敷金がゼロになることで発生する「新たな諸費用」についてや、賃貸住宅の初期費用としてどうしても「ゼロにできない諸費用」について解説します。■ 敷金の意味と原状回復についてmakaron* / PIXTA(ピクスタ)敷金とは、賃貸借契約に対して掛かる債務(退室時の原状回復費用、滞納家賃など)のために大家さんに預けるお金です。基本的に「預けているお金」なので、賃貸借契約の解約・退去時に原状回復費用や滞納家賃などがあればそれを差し引いた金額が返還されます。国土交通省から出されている「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」によると、原状回復とは「賃借人の故意・ 過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」となっています。Graphs / PIXTA(ピクスタ)つまり、貸室を通常どおり使用していれば時間の経過による汚れや劣化の回復工事(室内クリーニング含)などの費用は、賃借人が負担しなくても良いことになります。しかし、現在の一般的な賃貸借契約では、退去時に「専門業者による室内クリーニング」などの義務を借主に負担してもらう、通常の原状回復義務を超えた負担を借主に課す特約が付いている場合が多く見受けられます。これが「敷金をゼロにする代わりの新たな諸費用」を生みだすもとになっています。■ 敷金代わりの「新たな諸費用」とは?freeangle / PIXTA(ピクスタ)国土交通省のガイドラインでは、契約書に特約を設けることまでは禁止しておらず、その特約の必要性・合理的理由などが存在することや、借主がその内容をきちんと認識し義務の負担に同意していれば「通常の原状回復義務を超えた負担を借主に課す特約」も有効になるとしています。このような特約が有効である場合、「専門業者による室内クリーニング」などの費用は一般的に解約・退去時に「敷金から充当」されます。しかし敷金を預からない場合、その費用は解約・退去時に借主から「新たに徴収」しなければなりません。もとくん / PIXTA(ピクスタ)解約・退去の時点で、借主が経済的な理由等でその費用を払えないような場合も当然想定されますので、貸主はこの費用を契約時に「退去時クリーニング費用」などの名目で初期費用として徴収するケースが増えているのです。これこそが敷金に代わる新たな諸費用の「正体」です。■ ゼロにできないその他の諸費用ABC / PIXTA(ピクスタ)※写真はイメージです各大家さん、各地域、各管理会社、各物件によってかかる諸費用はさまざまです。ここでは一般的な諸費用のうち、どうしてもゼロにできないものと「その理由」をご紹介します。火災保険(家財)参考額:15,000円~20,000円前後貸室内の「家財に対する火災保険」への加入は、ほとんどの賃貸借契約で必須条件にされています。Mills / PIXTA(ピクスタ)必須条件にする目的は大きく分けて2つで、ひとつは火災等が起きた場合に貸室の「原状回復費用」に充てるために家財保険特約のひとつである「借家人賠償責任特約」に加入してもらうことです。もうひとつは水漏れなどで隣戸(主に下階)に損害を与えた場合、その補償をするための「個人賠償責任保険」に加入してもらうためであり、この個人賠償責任保険も家財保険の特約となっています。借主がこの保険に加入せずに火災や水漏れ事故を起こしてしまった場合、借主にそれを補償する資力がなければ大家さんや隣戸の入居者は「泣き寝入り」するしかありません。保証料(家賃保証会社)Graphs / PIXTA(ピクスタ)参考額:家賃の30~100%前後賃貸借契約で発生する借主の債務を保証するシステムとして、現在は「個人の連帯保証人」をたてる方法と「家賃保証会社」を利用する方法があります。しかし、2020年の民法改正により、賃貸借契約でも「連帯保証債務の限度額」が定められることになるため、今後は「保証内容が明確」な家賃保証会社の利用が増えるのではないかと考えられます。前家賃参考額:賃料の1か月分~1か月分+日割賃料家賃は基本的に前払いとなりますので、契約時に当月の日割賃料と、契約日が月末に近い場合は翌月分の賃料を支払う必要があります。YNS / PIXTA(ピクスタ)※写真はイメージですこれ以外にも、初期費用には仲介手数料(0.5か月分~1か月分+税)や鍵交換費用(15,000円~20,000円前後)などがありますが、物件や契約条件によってはかからない場合もあります。今回ご紹介したように賃貸借契約の初期費用にはどうしても「ゼロにできない、してはいけない」ものがあることも知っておきましょう。【参考】※国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について※法務省「民法の一部を改正する法律(債権法改正)」について
2019年03月23日冬休みが終わり、久しぶりの学校。子どもたちもしっかり準備していたものの…。本日は登校初日あるある(!?)なお話です。 休み明けは要注意! 登校初日の出来事今日は4コマです。「あ」じゃない、「あ」じゃ(笑)。こまめはわりと心配性なところがあるので、学校が始まる数日前から「忘れ物大丈夫かな」って不安になってて、何回も持ち物見直ししてたのに(笑)。体操着は初日じゃなくて2日目にもってくるものだったらしく、危うく全部忘れてしまうとこだったよ!
2019年01月12日「NEWS」加藤シゲアキ主演で夏に放送されたドラマ「ゼロ一獲千金ゲーム」。この度、スピンオフ作品「ゼロエピソードZERO」3話全てをまとめたスペシャル番組「クリスマス☆ゼロゼロのアナザーストーリーすべてお見せしますスペシャル」が12月24日(月)深夜に放送されることが分かった。主演の加藤さんのほか、「NEWS」のメンバー増田貴久、手越祐也、小山慶一郎が友情出演したことでも話題となった「ゼロ一獲千金ゲーム」。スピンオフ作品は、3人のメンバーそれぞれが主演を務め、「Hulu」で独占配信した。今回のスペシャル番組では、番組進行を「NEWS」4人が務め、副音声では撮影時のマル秘エピソードを展開。トーク中には、主人公ゼロ(加藤さん)を苦しめる後藤峰子役の小池栄子が、スタジオにサプライズ登場する一幕も。そして小池さんもトークに加わり、いまだから言えるエピソードを披露する。現場での小池さんについて、「目力が強いですね」(小山さん)、「見るとドキドキします。怒られるシーンはドキドキしました(笑)」(手越さん)と明かし、加藤さんは、胸の部分が大きく開いたセクシーなドレスを身にまとった小池さんと芝居をするとき、「目の前にあるものはグレープフルーツだと思うようにしてました(笑)」と衝撃の告白も飛び出した。そしてメンバーと小池さんは、ゼロを追い込んだ強烈なキャラクター・小太郎(手越さん)の過去が明かされる「城山小太郎編」を一緒に鑑賞。手越さんは「大変な分、めちゃめちゃやりがいがありました!」とふり返った。今回放送されるスピンオフは、増田さん演じるカズヤの過去が描かれる「山口カズヤ編」、手越さん演じる小太郎がダークサイドに落ちる過去が明らかとなる「城山小太郎編」、そして小山さん演じるミツルとゼロとの間に起った事件の真相が明らかになる「後藤ミツル編」。撮影時のエピソードも楽しめるこのスペシャルプログラムをぜひお見逃しなく!「クリスマス☆ゼロゼロのアナザーストーリーすべてお見せしますスペシャル」は12月24日(月)深夜25時34分~日本テレビ(関東ローカル)にて放送。(cinemacafe.net)
2018年12月24日不登校の親子にとって帰省や親戚づきあいは鬼門不登校当事者やその親からこの時期よく出る話題が「お正月どうするか」ということ。私のまわりでも、不登校の子どもたちは「祖父母や親戚から学校のことを聞かれるのが嫌」「お説教をされるのが苦痛」と語っています。また心身のエネルギーが不足しているので長距離の移動に耐えられない、昼夜逆転している場合が多いので他の人のリズムに合わせるのがつらい、という事情もあります。母親からすると、自分の親や義理の親から「お正月なのに孫の顔も見せに来ないの」と責められ、「行きたくない」という子どもと自分の親の板挟みになるつらい行事となりがちです。シングルマザーであるわが家も例外ではありませんでした。娘と私のお正月お正月に私の実家に集まるのは母と私の兄弟、そして娘と私だけです。小学2年生の2学期から娘が不登校になってからは、せっかく集まっても不登校に理解が全くない兄弟と理解できない母に責められてばかり。特に兄弟が厳しく冷たい口調で、一度にごはんを食べられない娘に「なんだそのごはんの食べ方は!行儀が悪い!」と声を荒げたり、「お前はまだ学校へも行けないのか」とチクチク言うようになってお正月気分どころではありません。娘は食欲も失ってトイレや別室にこもりきりになり、私も怒り狂って喧嘩別れするように娘を連れ帰ることが続くように。それでも我慢して元旦は顔を出していたのですが、娘が中学2年生のとき、ついにはっきりと「お正月、実家に行きたくない」、「お腹の調子が悪い」と言いました。そして、その年のお正月は娘は一度も実家に行きませんでした。私だけ義理を立てるために顔を出したのですが、母と兄弟に娘のことや私たちの生活についてさんざん非難され、帰ってから何日も寝込む羽目になったのでした…。本当にお正月は帰省するもの?みんなでおせちを食べるもの?娘が不登校を始めた当時は、私自身「正月くらい自分も実家でのんびりしたい」という気持ちが強く、「ママ、おうちに帰りたい」という娘を叱り飛ばしていました。今から思うと、食事も喉を通らず、落ち着ける場所もなく、どれだけつらかったでしょう。母子で何度も苦い思いを重ね、娘が中学生になってからようやく「実家にこだわらず娘と二人でのんびり平和にお正月を過ごせたらいいんだ」と気づいてからは、自宅でおせちを用意して自分がのんびりできるような体制を整えるようになったのです。特に凝ったことはせずに娘の大好きなローストビーフを奮発し、後は簡単なお惣菜を作り置くだけのお正月。生活リズムもバラバラなので改まって挨拶することもなく、各自のペースで好きなものを食べるだけだけど、娘はホッとした笑顔で私もなんだか幸せで「これでよかったんだ」と心から思いました。「お正月は帰省してみんなでおせちを食べる」という常識に縛り付けられていたのは私だったのです。一番守らなければならなかったのは娘の心だったのに。現在高1の娘、お正月を語る高校1年生となった娘に「お正月についてどう思う?」と聞いてみました。「お正月って一家集合、一族集合っていうビッグイベントだよね。ママがそれをストレスに感じてることは見てたらわかる。嫌なことがあっても強制的に行かなければならないってつらいだろうなって思う。生きていると情報がどんどん記憶されていくの。自分の嫌な記憶とか、人から聞いて「こういうことが起こるんだな」って思ったこととかが。私にとってお正月は緊張要素として普段は無意識化に置かれている感じ。そして緊張が重なるとバーンってなっちゃう。私の精神科の先生が言っていたよね。『電車が怖い』という症状は『大丈夫』が重なると減っていくけれど、イヤなことの積み重ねだとしんどくなるって。それと正月も一緒だと思う。今までの経験で嫌になるんだよね」とても冷静に分析できていてびっくりしました。そして、「ああ、やっぱり”忘れることができない”特性があるんだな」と心が痛くなりました。これからのお正月は「今年は叔父さんがいても行くよ」という娘。「無理しなくていいんだよ」と思いますが、お年玉などいろいろなことを天秤にかけて娘が決めるのなら任せようと思います。他のご家庭でも、歳を重ねるとともに家族の関係性って変化していくと思いますし、子どもも成長していきます。祖父母とも二度と会えないわけではないし、行事に関係ない時にふらりと自分から会いに行くこともあるかもしれません。わざわざプレッシャーのかかるときに無理をさせるメリットはないのではと私は考えます。本人の気持ちを第一に、細く長く無理なくつき合っていければいいですよね。
2018年12月14日不登校のきっかけ「よくわかりません」出典 : 私は小学4年生から6年生になるまで学校に行けませんでした。それは中学生になってもたびたび続きました。自分で不登校になった原因について、今でも考えることがあります。集団生活を送ることに苦手意識を持っていたことや、両親の期待がとても大きいと感じていたこと、単純に学校に通う意味を見出せなかったことなど、いろいろと原因になりそうなことは思いつきます。でも、それらが不登校の決定的なきっかけかと言われるといまだに確信を持てません。不登校を経験してから20年近くたちますが、今後もきっとわからないのだと思います。不登校の当事者の中には、私のように自分でも理由がよくわからない方が、少なからずいるのではないかと思っています。出典 : 周りに不登校の当事者がいる方は、本人に対して不登校になったきっかけや原因を聞くことが多いのではないかと思います。実際に私が不登校当事者だったとき、両親・教師・親戚・友人など、さまざまな人から不登校になったきっかけや原因を聞かれていました。社会人になってからうつ病にかかったときにも同様に、いろいろな人から原因について質問され、共通のものを感じました。話を聞こうとしてくれる人たちは、それぞれに「苦しんでいる原因を取り除いてあげたい!」「だからその理由を教えてほしい!」という想いを抱いているのだろうと思います。しかし前述したとおり、私は不登校の原因が自分でもはっきりとはわかっていませんでした。相手の「何とかしてあげたい」という気持ちを感じていても、答えようがありません…。正直に「よくわからない」と答えると、ほとんどの人は、がっかりした顔をしたり、もっと食い下がって質問してきたり…。より気をつかわせてしまっているなと感じることが多かったです。そういうとき、場合によっては、"いかにもそれらしい内容"を考えて答えていたこともありました。出典 : もしかしたらこの記事を読んでくださっている人の中にも、当時の私の両親・教師・親戚・友人などと同じような立場の方がいるかもしれません。不登校の子が原因を話してくれないことについて、自分は信用されていないのではないかと考えてしまったり、いろいろな不安を感じたりしている方もいるでしょう。しかし、私のように理由がわからないから説明できないとう可能性もあるかもしれないので、あまり悲観する必要はないと思います。周囲の人の様子に、本音ではないことも口にしていた当時の私でしたが、うれしかったことがあります。それは、両親から「あなたを傷つける気はなくて、あなたがどんなことを考えていても受け入れる準備ができているよ」と伝えてもらったことでした。両親は私の考えに反論せず、じっくり話を聞いてくれたり、その都度、私の力になりたいと言ってくれたのです。不登校の渦中にいる当事者というのは、自分を守ることでいっぱいいっぱいで、そういった大切なメッセージを受け取る余裕がなかったりします。両親が私にしてくれたことは、じっくり向き合って何度も同じことを伝える必要があるので、とても根気がいることでした。ですが、両親の想いを感じとれるようになったことで、私の生活は少しずつ変化していきました。登校を再開!これで不登校は解決…とはいかなかった出典 : 不登校当時の私も、当時の両親も、おそらく学校の関係者や親族も、学校にさえ行けるようになれば不登校は解決だ!と考えていたように思います。確かに、全く学校に足が向かなかった状態からは区切りがつきますが、実体験からすると、学校に行けるようになってからが本当の闘いでした。この感覚は、一般的にゴールインと言われる結婚が実際には新しい生活の始まりにすぎず、夫婦生活を円満に続けていくことが本当に難しいのとよく似ているのではないかと感じています。さて、学校で次々と襲いかかった問題…。それは、不登校経験があって内申点が低い中、志望校に行くために勉強の遅れを取り戻さなければいけなかったり、同級生とのコミュニケーションもどうすればいいのかまったくわからなくなっていたり…課題は山積みでした。私がそんな問題を乗り越えられたのには、2つの要因があったと感じています。出典 : 粘り強く向き合ってくれた両親が、学校に行くようになった後も私を信頼し応援してくれているという実感があったのは大きかったです。なので、学校で何か困ったことがあったら両親に相談していました。たとえば、同級生とうまくやれなかった日は夕飯を食べながら両親に相談しました。そうすると母親が「私なんかいまだにそうだよ。全員と仲良くなんてしなくていいんだよ」なんて言ってくれたり、父親も「大人の世界だって同じ。誰もがうまくできるわけじゃないから無理しなくていい」とアドバイスをくれたりしました。それで気持ちが楽になり、また次の日から頑張るための勇気になっていました。両親を信頼していろいろ話せる間柄になっていなければ、私は問題に対応できず、また不登校を繰り返していたかもしれません。不登校が始まった当初は言い合いになり気まずい思いをした時期もありましたが、関係はあとからでも築いていけるのだと思います。出典 : 不登校期間中、幸運にも私はプログラマーになってゲームをつくるという将来の夢を見つけることができました。プログラマーを目指すのであれば、地元でも偏差値が高い学校に通い、みっちりと情報系の勉強をする必要があると知りました。これが、最初のうちは勉強についていけなくても、あきらめずに続けていこうという強い動機になりました。志望校に進学してからも、明確な夢があったからこそ自分のペースを保ちながらに勉強を続けることができました。そして今、実際にプログラマーとして仕事ができているのです。実際には不登校の経験がなくても、将来やりたいことを明確に見つけられる人はそれほどいないかもしれません。社会人になってからもいろいろな困難を経験した当事者としては、苦手なことやできないことをどうにかするよりも、好きなことや得意なことを伸ばしたほうが自分の力で道を切り開くための強力な武器になると感じています。文章や物語を書くことも子どものころから好きだったことの一つです。それが社会人になってから技術的な文章を書くときに役に立ち、さらにこうして、この記事を書くことにもつながっています。ちょっと面白いですよね。もし周りにいる不登校の子が将来を思い描けずにいるなら、本人の好きなことや興味を突き詰める道を一緒に考えてみるのはいかがでしょうか。それが直接、将来の職業にならなくても、そのときに出会った人や身につけたスキルが新しい道への突破口になるかもしれません。身近にいる不登校の子に、自分は何をしてあげられるだろうと悩んでいる人へ出典 : 本当に大切なのは学校に通えるかどうかは抜きにして、幸せな人生を歩むことだと私は考えています。そのために、不登校の間はその子とわかり合うことを重要視すると、とても有意義な時間の過ごし方になるのではないでしょうか。社会に出るまでの期間に、幸せな時間を過ごすことはとても大事なことだと思います。それは必ずしも「普通の学校生活」を送らなければ手に入らないというものではありません。もし身近に不登校の子がいて、自分に何ができるか迷っていたら、すぐに学校や同等の施設に通うことを目指すのではなく、その子との信頼関係を強くするために時間を使うのが良いのではないかと思います。強固な信頼関係を築いた人がいることは、本人にとって前に進むための勇気になります。将来、不登校よりも大きな困難にぶつかったとしても、相談できる人がいると思えばどっしりと構えていられるのです。人生で待ち受けている困難にも対応していくために、勇気をくれるような人との関係があることが、不登校の当事者のかけがえのない財産になると思います。
2018年10月12日みんな超絶マイペース。居心地のいい不思議な空間先日、娘が通う、通信制サポート校(※)の個人懇談に行ってきました。一番に聞かれたのが「お子さんはどんな時に体調が悪くなるのですか?」ということでした。体調の悪さが心理的なものからきていることを理解したうえで、具体的にどんな症状で苦しんでいるのか知り、学校で症状が出れば本人の負担にならないようにサポートしてあげたいという配慮からきた質問だったのです。懇談以外でも娘のために配慮してもらったことがいろいろあります。「体幹が弱く椅子に座って勉強するのが苦痛」と言えば、校長の自宅からちゃぶ台を持ってきて娘のためのスペースを作ってくれました。「漢字を書き写すのにスマホで漢字辞典を見ないとやりにくい」というと、「いいよ」とその場で認めてもらえました。今まで学校の先生からそこまで娘に関心や配慮の気持ちを持った質問をされたことはなかったのでびっくりしました。「ここまで娘に心を寄せてくれるのか」と思うと、中学までのつらい日々を思い出して少し泣きたいような気持になりました。娘の通う通信制サポート校は、本校は遠方にある通信制高校で、その分校のような形となっています。授業、レポート、スクーリングといった卒業に必要な全てのことはサポート校で行われます。一対一の指導が基本なので、不登校期間が長く学力に自信がない、娘のような子も安心して学ぶことができます。このサポート校には、フリースクールも併設されていて、施設は共同。広さは小学校の教室2つ分くらいで、サポート校とフリースクールの生徒は混じりあって同じように過ごしています。子どもたちは、登校する時間もまちまちで、過ごし方も自由そのもの。勉強する子もいればオセロに興じる子、好きな模型作りをしていたり、先生に進路相談する姿も。みんなでおやつを買いに行くこともあります。生徒が「ハンバーガー買いに行くけど~」と声をかけると、校長自ら「僕の分も買ってきて」と頼んでいたのには笑いました。人と話すのが好きな子もいれば目を合わすのもしんどい子もいます。だけど不思議なことに誰も居心地が悪くなることもなく共存しているのはなぜでしょうか?(※)通信制サポート校は、通信制高校に通う生徒に対して、3年間で卒業ができるよう単位取得・進級などに必要とされる勉強や精神面での支援を行う役割を担っています。通信制サポート校で勉強したとしても、高校卒業資格を取得することはできません。大半のサポート校は通信制高校と提携し、サポート校入学の際には通信制高校への同時入学が必要です。無理をさせない、追い詰めない娘が通うサポート校の主な教員は、校長・教頭夫婦です。二人とも元小学校の教員で塾講師。自分たちの子どもが不登校になり、無理やり学校に戻そうとして家出されたという経験があります。そのとき、カウンセラーの元で不登校の子ども対応について猛勉強されたので、「無理をさせない」「親子を追いつめない」といった対応は見事なものがあります。生徒たちのことも家庭環境を含めてとてもよく見ています。娘がフリースクールに入学したてのとき、少し勉強しただけで疲れてしまう様子をすぐに見抜いて「よく頑張ったね!今日はもう終わり。帰って家でゆっくりしてね」と声をかけてくれました。なかなか続けて通うこともできず間が空いても、顔を出せば笑顔で「よく来たね」と声をかけてくれ、おやつの時間に誘って他の生徒と話す時間をとったり、ピアノのレッスンに誘ったりと工夫して関わり続けてもらううちに、娘の表情もどんどん柔らかくなって学校での滞在時間も少しずつ伸びていったのでした。先生の目配りの対象は生徒だけに限りません。つき添いの私に「いま、つき添いのお母さんが来てるんだけど話してみない?」と声をかけて親同士の交流を促したり、私がほかの生徒と話せるようにおやつに誘ってくれたりしています。おかげで娘の同級生の親御さんとも親しくなれたり、フリースクール生の親御さんの相談相手になったりと有意義な時間を過ごさせてもらっています。先生が信頼してくれるから、子どもたちは心を開くもう一つ印象深かったのは、先生方が私に生徒を紹介するときは必ず「この子にはこんなに素晴らしいところがあるんです」と本当に嬉しそうに伝えてくれるということ。娘のことも、「お母さん、ほらこのレポート見てください。フリースクール生の頃よりずっとたくさんの文字をきれいに書けるようになっていますよ」という風に伝えてくれるので嬉しくなります。この学校に来ている子どもたちは不登校経験者がほとんどで、入学したての子やフリースクール生を見ていると、大人と目を合わせることのできない子がとても多いです。きっと、それまでにいっぱい傷ついてきたのでしょう。そんな子どもたちが、学年が上がるにつれて先生方にはタメ口で辛辣なことを言ったりすることがあります。ビックリしている私に後で先生がそっと教えてくれたことがありました。「あの子は家では親に決して逆らわないんです。ここで発散できるならいいんですよ」って。先生方は子どもたちのことをよく理解し、深い信頼をもって接しているのだなと感じました。別に勉強するわけでもなく、フラッと立ち寄って先生とひとしきり軽口を叩きあって「また来るわ」と帰っていく子どもたちを見ていると「ここが安心できる居場所の一つとなっているのだな」と腑に落ちたのでした。娘もいつの間にか先生方に信頼を寄せるようになっていました。サポート校1年生になって、最初は私につき添い登校を頼んでいたのに、夏休み前には時々一人で登校するように。怖がりで安心できる場所じゃないと私が一緒でも行きたがらない娘がです。また、こんなこともありました。家で「学校でも年金や社会保障の教育は必要だと思う」という話になったときのことです。娘が「校長に頼んでみようかな」と言ったのです。学校の先生に何かを望むこともなくなり、完全に学校から背を向けていた娘が先生に提案するなんて!本当にサポート校のこと、そして先生方のことを信頼して安心できる存在だと思っているのだなとうれしくなりました。痛みを知っているからお互いに優しくできる先生に頼まれて、先輩が後輩の相手をすることもこの学校ではよくあります。もともと心優しい子どもたちばかりですし、人の痛みに敏感で相手の心を思いやれる力を持っているので、新しく入ってきた子に関わるときは注意深く、その子に負担をかけないよう、怖がらせないように上手に接してくれます。その様子はカウンセラーや教師もかなわないくらい。娘は誘われたらそつなく応対しているようですが、「私はそういうこと(人間関係)に煩わされずに勉強できるからこの学校にきたんだ」とも言っています。その言葉に「この子には友達ができないんだろうか」と心配しましたが、それもまた一つの信念で、尊重すべき考えと思い直しました。この学校には人の輪には入ろうとしない子もいますが、どんな個性を持っていても尊重される校風にはどの子も救われているだろうなと思います。7年間の不登校の末に出合えた、通信制サポート校に思うこと正直、小2から不登校になってしまった娘が通信制高校に進学してちゃんと卒業できるのかかなり不安でした。だけど、月に2回(※)ほど、本校と連携している通信制サポート校に登校して、ちゃんとレポートも提出し1年前期の定期試験も無事クリアすることができました。どうやら今のところ彼女は最小限の省エネモードで卒業を目指しているようです。「月2回しか行けないのか」とがっかりしたこともありましたが、よく考えてみると7年間ほぼ学校に通ったことのない子が月2回も通学していることが奇跡で、それは先生方の寄り添いのおかげだなと感じています。つき添い登校の際にはずいぶん学校の様子も見せてもらいましたし、他の生徒やその保護者とも楽しく交流できたおかげで私も得るものがたくさんありました。私自身、学校にいると落ち着くし楽しいんです。そんな学校に出合えたことを本当に感謝しています。(※)出席日数はスクーリングを入れて普通の高校の約10分の1ですみます。スクーリングに行けなかったり、学校に来られない場合も個別に対応してもらえるので卒業は可能です。
2018年10月12日意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「エドテック」です。教育格差や不登校、地方創生など、諸問題の解決にも。エドテック(EdTech)とは、Education(教育)とTechnology(科学技術)を組み合わせた造語で、教育分野にイノベーションを起こそうと、世界中に広がっている取り組みです。アメリカでは、貧困問題、教育格差を解消するために、10年以上前に政府が貧困地域にノート型パソコンを配布し、授業カリキュラムを配信しました。現在では、スタンフォード大学やハーバード大学がインターネットで授業を公開するなど、遠隔地に高等教育を届ける仕組みを作っています。エドテックの最たるものとして、人気を集めているのが、アメリカのミネルバ大学。この学校にキャンパスはなく、全寮制なのに授業はすべてオンライン。サンフランシスコを皮切りに、学期ごとに学生は世界の7都市を巡って授業を受けます。世界中の教師が参加し、オンライン・ミーティングの形で授業を進行。学生の発言はすべて記録され、AIによって個々の弱点などを検出。一人一人に適切な指導が行われるのです。教室内で生徒のレベルに差があることや、不登校や引きこもりの問題は日本でも深刻化しています。平成28年度の不登校を含む引きこもりは、小学生で約7万人。中学生は約14万人、高校生は約8万人です。ニートの大人の2割は元引きこもり児だったという統計もあり、減少する労働人口を補う上でも、インターネットを使って、家にいながら安心して学べる仕組みを作ることは重要です。ネット環境さえ整えば、都市の学校に行かずとも、離島でもどこでも最新の授業を受けられますから、地域による格差もなくなり、地方創生にも一役買うことができるでしょう。これからは単純な仕事はAIやロボットが担いますから、暗記した知識より、それらに適切な指示を与えられる、そんな人材が必要になります。そこで、経済産業省はIT企業やNPOと協力し、「未来の教室」という名を掲げ、効率的な知識習得と、課題の発見・解決能力を育成する学習プログラムの開発を行っています。エドテックは学校教育にとどまらず、人生100年時代のリカレント教育、ITや医療などの専門分野の学習にも生かされています。ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN※『anan』2018年10月10日号より。写真・中島慶子イラスト・五月女ケイ子文・黒瀬朋子(by anan編集部)
2018年10月09日