インターネットが発達し、世界中に情報を拡散できるようになった現代社会。便利である一方で、これまで行われていた人と人との直接的な関わりが減り、少しさびしい気持ちを覚えることもあります。また、パソコンの普及に伴って、手書きの文字を見る機会も減った現代だからこそ、『アナログなコミュニケーション』に対し、ひと昔前以上に温かみを感じるのではないでしょうか。『休業中の銭湯』の貼り紙に…そんな『アナログなコミュニケーション』の温かみが伝わる光景をTwitterに投稿したのは、ヒデ(@TOKYOSNOWDOME)さん。ある日、東京都荒川区にある銭湯『帝国湯』の前を通ったところ、店が貼り紙を掲示しているのを目にしました。1916年に開業し、『レトロ銭湯』として親しまれている同施設。メンテナンスのため、2022年4月から休業をしています。店頭には、利用者に向けた、営業再開に関する手書きの貼り紙が。そして、貼り紙の一番下に目をやると…。再開が待たれる三河島の帝国湯の貼り紙に心温まる書き込みが。 #帝国湯 pic.twitter.com/NyDZFYBR4c — ヒデ(特殊スノードーマー) (@TOKYOSNOWDOME) March 27, 2023 レトロかつ温かみのある雰囲気で、地元住民を含む多くの『銭湯好き』に愛されている、同施設。貼り紙につづられた「営業再開に向けて準備をしている」という告知に対し、利用客は喜びを伝えずにはいられなかったのでしょう。「わーい!お待ちしています!」というメッセージからは、施設への深い愛や、営業再開に対する期待が伝わってきますね。利用客からの温かい声援は、ちゃんと施設の耳にも届いているようで、『帝国湯』のTwitterアカウントはこのようにコメントをしています。本当に有難い事ですお待ちいただいているお客様に以前と変わらずの帝国湯を楽しんで頂けるように頑張ります!— 帝国湯 (@TeikokuY1916) March 27, 2023 営業再開に向けて、着々と準備を進めている『帝国湯』。メンテナンスを終えたあかつきには、きっとまた、施設を訪れた人たちに癒しと笑顔を与えてくれるのでしょう![文・構成/grape編集部]
2023年04月02日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で右胸に充実性腫瘤(じゅうじつせいしゅりゅう)があることが判明したエェコさん。マンモグラフィーとエコーによる再検査を受け、医師からの診断を待つだけとなりました。がんだったらどうしようかと思うエェコさんに告げられたのは……。★前の話検診先から紹介された病院でマンモグラフィーとエコー検査を受けたエェコさん。大きなトラブルもなく検査は進み、あとは医師から検査結果を聞くだけになりました。医師から検査結果を告げられたエェコさんは、病院を出て涙を流しながら夫に電話をかけました。このころちょうどニュースでは、アナウンサーの小林麻央さんが乳がんで亡くなったことが報道されていました。母をがんで亡くしていた私は「もしがんだったらどうしよう」という不安を抱えており……。診断待ちの間は悪いことばかりを考えてしまっていました。検査の結果は……がんの心配はないということでした。充実性腫瘤は何らかの細胞成分で満たされた腫瘤なのだそうで、その中身が悪いものであればがんの可能性を疑ったりするのだそうです。しかし、私の場合はそういうことはなく、今後は年に1回検診を受けるだけで大丈夫だと言われました。母の姿を見ていた私にとって、現段階で乳がんの可能性を否定してもらえたことは安心につながりました。再検査までの1カ月間、不安や恐怖で精神的にもつらかった私。夫に電話をしたとき、緊張の糸が切れて思わず泣いてしまいました。このことを受け、乳がんだけではなく子宮がんの検診なども受けるようになりました。自分や家族のためにも、健康に生きることは本当に大事だと思わされた経験でした。--------------医師から検査の結果、がんの心配はなく今後は年に1回検診を受ければ大丈夫だと言われたエェコさん。このことを受け、エェコさんは家族や自分のためにも定期的な検診が必要だと感じたそう。自分の体がどういう状態なのか知ることはとても大切ですから、検診を受けていないという人はこの機会に受けてみてはいかがでしょうか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月16日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で胸にしこりがあることが判明したエェコさん。大きな病院を紹介され、再検査をすることになりました。ついに再検査の日を迎え、緊張と不安を抱えながら病院を訪れるとやさしそうな放射線技師の方が出迎えてくれました。そんな放射線技師に対し、エェコさんが心を傷める事態が発生し……。★前の話エェコさんは右胸に充実性腫瘤(じゅうじつせいしゅりゅう)が見つかりました。「もしがんだったらどうしよう……」と不安に思いながら、マンモグラフィーとエコーによる再検査を受けることに。まずはマンモグラフィーをおこなうことになりました。痛いことで有名なマンモグラフィーですが、エェコさんが痛みを感じたのは胸ではなく、心のほうだったそうです。待ちに待った再検査の日がやってきました。この日まで「がんだったら……」と不安になったり「私は子どもたちのために生きる!」と前向きになったり、情緒不安定な日々を過ごしていました。初めてのマンモグラフィーで緊張していたのですが、技師さんはとても丁寧な人で親しみやすく必要以上に緊張せずに済みました!検査着に着替え、早速検査開始。マンモグラフィーでは乳を驚くほどぺったんこにさせられたのですが、想像していたよりも痛くなくしゃべる余裕もありました。技師さんいわく、年に一度くらい巨乳でうまく撮ることができないことがあるのだとか。それから、大きさに関係なく生理前など胸が張っているときは痛いみたいです。胸はまったく痛くなかったのですが縦に胸を挟む際、おなかの肉が邪魔をしてうまく挟めず……。肉を引っ込める作業を技師さんに2回もさせてしまい、心が痛くなってしまいました(笑)。痩せたい……! と強く思わされた出来事でした。マンモグラフィーの後、エコー検査をおこないあとは結果を待つのみになりました。--------------初めてのマンモグラフィーで不安はあったものの、滞りなく検査を進めることができたエェコさん。しかし、縦方向に胸を挟むときにおなかの肉まで挟んでしまいそうになり、放射線技師に肉を引っ込められたのだとか。そのとき、エェコさんは自分の体形のせいで……と申し訳なく感じてしまったそう。相手にとってはよくあることなのかもしれませんが、恥ずかしいやら申し訳ないやら……複雑な気持ちになってしまいますね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月11日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で胸にしこりがあることが判明したエェコさん。大きな病院を紹介され、再検査をすることになりました。再検査まで「もしがんだったらどうしよう」と不安になっていたエェコさんの元に舞い込んだのは、アナウンサーの小林麻央さんが亡くなったというニュースでした。テレビから目を離せなくなってしまったエェコさんの元に……。★前の話右胸に充実性腫瘤(じゅうじつせいしゅりゅう)が見つかったエェコさんは1カ月後に再検査を受けることになりました。再検査までの間、がんで亡くなったお母さんのことを思い出したり、ネットで悪い情報に目が向いてしまったりしてしまい、不安な日々を過ごしていました。そんな中、小林麻央さんが乳がんで亡くなったというニュースを目にしたエェコさん。言いようのない恐怖で心がいっぱいになったとき、エェコさんに手を差し伸べてくれた人とは。私の母は乳がんで右胸を全摘したものの、がんが再発してしまい亡くなってしまいました。母が闘病していた姿や、母の葬儀で泣く父の姿は今でもよく覚えています。さらに、再検査までの間に小林麻央さんの訃報がニュースで流れており……がんへの恐怖とショックで言葉を失い、テレビから目が離せずにいました。もし私も同じように乳がんだったら……と悪い方向への考えばかりが浮かんでしまい……。そんな私の様子をおかしく思ったのか、娘が私のほうへ寄ってきて「ママどしたの〜?」と言いました。そのとき、私には娘も息子もいる、子どもたちのためにも死ねない! と思いました。まだはっきりと診断されたわけでもないのに何を怖がっているのかと、沈んでいた気持ちが少しだけ浮いたのです。子どもだけではなく、私には趣味のヲタ活だってあります。子どもが成人するまでは……孫を見るまでは……推しイベントを見るまでは……。そう思うと、とにかく死ねない!! と吹っ切れてきたのです。そこからはなるべく悪い情報を目にしないように意識しながら生活しました。--------------不穏な様子のエェコさんに何かを感じたのか、娘がエェコさんに寄り添ってくれたのだそう。エェコさんは、娘を見て「子どもたちのために生きる!」と決心しました。すると、頭の中いっぱいに広がっていた不安や恐怖も少し落ち着いてきたのだとか。エェコさんを救ってくれたのは子どもたちの存在でした。皆さんは何かに救われた経験はありますか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月08日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で胸にしこりがあることが判明したエェコさん。大きな病院を紹介され、再検査をすることになりました。がんでお母さんを亡くしていたエェコさんは、自分もがんになってしまったらどうしようと怖くなりネットで医師に言われたことを調べてみると……。★前の話エェコさんは乳がん検診でエコー検査をしてもらったところ、右胸に充実性腫瘤(じゅうじつせいしゅりゅう)が見つかりました。そこで思い出したのは、高校3年生のときにがんで亡くなったお母さんの姿でした。検診での結果について、夫に報告しなければいけないと思ったエェコさん。お父さんにも報告するか迷いましたが、お母さんの葬儀で泣き叫ぶお父さんの姿を思い出し、報告することをためらってしまいました。私の母は乳がんで右胸を全摘し、抗がん剤治療などをおこなっていました。最初の手術から8年後、がんが再発した母は、私の高校の卒業式から3日後に亡くなりました。父はプライドが高いものの打たれ弱く、母の葬儀のときにはまるで子どもかのようにわんわんと泣いていました。私はひとりっ子なので、父には私しかおらず……そんな私が母と同じようにがんになったかもしれないとわかったらどう思うかを考えると、父に腫瘤が見つかったことは言えませんでした。検診を受けた病院から大きな病院を紹介され、そこで再検査を受けることになったのですが1カ月後でないと検査できないということで、再検査まで時間が空いてしまいました。再検査までの間、腫瘤が悪いものなのか不安で、早く再検査して結果が知りたい! と焦燥感に襲われていました。そのせいか、ネットで腫瘤について調べる日々。しかし、悪い情報ばかりに目がいってしまい、その悪い情報に対する安心を求めてまた別の悪い情報にたどり着いてしまうという負のループに……。しかもその当時、アナウンサーの小林麻央さんが乳がんで亡くなったというニュースが連日報道されていました。小林麻央さんと同じように夫や子どもがいる私にとっては他人事ではなく、「もし私も同じ病気だったら?」「私も死んでしまうの?」と精神的に不安定になってしまっていました。--------------お母さんをがんで亡くしていたことから、人一倍がんに対する恐怖心があるエェコさん。再検査までの間、ネットでいろいろなことを調べてしまい、余計に不安になってしまっていました。さらに、小林麻央さんが亡くなったというニュースを見てしまい、精神的にかなり不安定になってしまう状態に。自身の経験やネットの情報など、さまざまな要因が重なってしまったエェコさんの不安は計り知れませんよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月07日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で胸にしこりがあることが判明したエェコさん。そこで思い出したのはがんで亡くなったお母さんの姿でした。自分自身の過去を振り返り、もし自分もがんだったらと思ってしまったエェコさんは……。★前の話乳がんかもしれない可能性が浮上し、エェコさんの頭に浮かんだのお母さんのことでした。エェコさんのお母さんは乳がんになり、右胸を全摘した過去がありました。その後、エェコさんのお母さんは治療を続けていたものの、がんが再発してしまいました。お母さんが闘病していたころのことを思い出し、エェコさんは自分の子どもたちのことを考えました。乳がんが見つかった母は、即入院となり、右胸を全摘する手術を受けました。先生から「10年再発しなければ心配はいらない」と言われていたので、それを信じて治療を頑張っていました。しかし、私が高校2年生のころ、母の足に痛みが出始めました。もうこのときには歩くことも困難になるほどだったので、母は仕事を辞めました。乳がんの手術をした病院とは違う病院で調べてもらったのですが異常は発見されず……。一向に良くならないということで、手術をした病院で検査してもらった結果、がんの再発が発見されました。がんが再発したのは、最初の手術から8年くらいたったころ。母がぽつりと「あと2年だったのになぁ……」と言っていたことが忘れられません。その後、母は私の高校の卒業式の3日後にこの世を去りました。もし私ががんだったら、母のように長く闘病しなければならないのかと思いました。それだけではなく、当時母の看病をしていた自分が感じていたものを、自分の子どもたちにも味わわせるのかと思うととてもつらかったです。父から母が「もう帰ってこれない」と聞いたとき、顔半分がまひして母の顔が変わってしまったとき、お見舞いに行ったら病室が集中治療室になっていたとき……思い出すだけでも胸が締め付けられてしまいます。自分の胸にあるしこりが母と同じものだったら……そう思うといろいろな考えが止まらなくなってしまいました。--------------がんが再発し、気付いたときには骨にまで転移してしまっていたというエェコさんのお母さん。入院したお母さんが家に戻ることはなく、エェコさんが高校を卒業したころに亡くなられました。お母さんとの闘病生活を思い出し、もし自分ががんだったら子どもたちにも同じ思いをさせてしまうだろうと思ったエェコさん。母親になったエェコさんにとって、子どもにつらい思いをさせてしまうことは耐え難いでしょうね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:ピンクのぷにぷにを口に…双子姉妹が大騒ぎした検査項目とは!? #アラフォー双子の矯正日記 13★関連記事:「しなだれちゃう!」再建した乳頭を保護するアイテムは超身近なものだった! #乳がん絵日記 45★関連記事:「しこりがあるね」腫瘤って何!? 大きな病院を紹介され #乳がん検診でしこりが見つかった話 1著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月05日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、乳がん検診でしこりが見つかったときの話を描いたマンガを紹介します。2年ぶりの乳がん検診で胸にしこりがあることが判明したエェコさん。自分がもしかしたら乳がんかもしれないと思ったとき、エェコさんの脳裏にある人物の姿がよぎって……。★前の話エェコさんは乳がん検診で、右胸に充実性腫瘤というものが見つかり、大きな病院で再検査を受けることになりました。医師は大丈夫だと思うと言っていたものの、エェコさんの中には大きな不安が渦巻いていました。エェコさんが不安になっていた理由は、エェコさんのお母さんにありました。エェコさんのお母さんは、乳がんになってしまった経験があったのだそうです。私の母は、私が高校3年生のときに亡くなりました。死因はがんでした。小学4年生のとき、母と一緒に買い物へ行った帰りに母が自分の胸を触らせてくれたことを今でも覚えています。夏場だったので服も薄手のものを着ていたのですが、その上からでもわかるくらい硬く、石のようなしこりがありました。母は「右胸にゴツゴツしたしこりがあるの……」と言い、そのしこりががんであるということも理解していたようでした。しかし、怖くて病院には行けないと言って、まだ病院へは行っていませんでした。私は幼いながらもがんは死ぬ病気かもしれないということはわかっていたので、母に病院へ行くように言いました。何が母の心を動かしたのかはわかりません。ですが母はその後病院へ行き、乳がんだと診断され、即入院して右胸を全摘出しました。母はパートとして働いていた上に家事や育児で忙しい人でした。思い返してみれば母が検診に行っていた……という記憶がありません。それががんの発見を遅らせていた一因なのかもしれない、と今では思います。--------------お母さんが乳がんになっていたことが、エェコさんの不安を膨らませていた要因でした。エェコさんのお母さんは忙しい人だったということで、検診に行く時間もなかなか確保できていなかったのだそう。そして、気付いたときには右胸を全摘しなければいけないほどに乳がんは進行してしまっていたのだとか。知らず知らずのうちに大きな病気になってしまっていたときの恐怖は計り知れませんよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2023年03月03日本人への障害告知以前コラムでも書きましたが、娘は中学2年生のときに主治医から障害の本人告知を受けています。告知は・娘自身が「自分の障害について知りたい」と思った・本人に“居場所”があり、精神的に落ち着いている・告知後、支援者(学校関係者)のフォロー体制ができていることを医師が確認したうえで行われました。そのおかげで娘は障害告知をポジティブに受けとめることができました。障害告知から6年後に、再告知その後、娘は高等特別支援学校を卒業し、特例子会社(※)に就職しました。そして20才になったある日、娘は再び私に「自分の診断名を知りたい」と言いました。私は娘に、中2のときに告知を受けているのになぜまた聞きたいのか尋ねました。娘は「診断名は知ってるけど、自分の障害の詳しい種類と程度を知りたい」と言いました。SNS上でも発達障害に関する情報や当事者として発信する人も多くなってきていましたし、娘もそういったものを見て何かしら思うところがあったのかもしれないと、このとき私は思いました。(※)特例子会社は、「障害のある方の雇用の促進、そして安定を図るために設立された会社」のことです。【参考】厚生労働省特例子会社制度の概要Upload By 荒木まち子娘は社会人になってからは一人で通院をしていました。何か親が医師に伝えたいことがあるときは、手紙を書き娘から医師に渡してもらっていました。私は医師に『娘が自分の障害名や障害の程度を知りたがっている』旨の手紙を書きました。医師は中学生のときから娘を診ているので娘のことはよく分かっています。二度目の告知は通常診療とは別枠で予約を取り、親同伴で行われることになりました。一度目の告知のときは前回の告知のときは、娘と親がそれぞれ感じている“本人の長所と短所”を事前に書き出しました。・真面目で一生懸命。我慢強い・常識を学び、言われたことは直したいと考え努力している・ルーチンに強く、さぼらない・興味や関心が深く狭い。技術や知識は多い・自分から気持ちを伝えることは、落ち着いてるとできる・会話は苦手で、相手の言葉に不安になることがある・新しいことや状況の変化・変更に対して臨機応変に対応することが苦手これらのことを一緒に振り返りながら医師が娘の『特性』を文字に起こして障害の説明をしました。本人の理解力に合った言葉選びと文字を書きながらの説明は、視覚優位の娘にはとても有効な方法です。医師からは『これからどのようにして周りの人たちに助けを求めていくのが良いか』のアドバイスもありました。2度目の障害告知では二度目の障害の説明でも、事前に本人と親で『娘の長所と短所と思われることの書き出し』をしました。その内容は6年前とほとんど違いはありませんでしたが、新たに“自分のことばで相談を持ち掛けるのは、ハードルが高い。相談してくれる人が向いてくれたら話せる。自分から働きかけることが苦手”が加わりました。娘は自らに主治医に「自閉症」「発達障害」「アスペルガー症候群」「ADHD」の違いや「自分は何に当てはまるのか」「障害の重さはどの程度なのか」などを質問しました。娘の質問に対し、主治医は図を書きながら娘に分かるように説明をしました。そして診断名は大事な個人情報だということも娘に伝えました。娘をとりまく環境の変化私は当初、再度自分の障害についての説明を望んだ娘の心境がよく分かりませんでした。でも娘と医師のやり取りを見ているうちに、娘が“学生”から“社会人”になったことが大きく影響しているのだと感じました。『学生』でなくなると、選択の自由度が増し、煩わしいもの、嫌なことを避けることもできます。学生時代は限られていた交友関係や活動範囲を広げることが可能です。一方で、自ら行動を起こさなければ人間関係は希薄になりがちです。周りの人は本人の意思を尊重します。そして自身の行動には責任が伴なってきます。そんな中で娘が自分の障害を再確認したいと思うのは自然なことだったのかもしれません。これからも親は子どもが何歳になっても親ということには変わりありません。そして子どもに障害があると、子どもを守りたいという気持ちはことさら大きくなります。でも自分の障害を理解しようとしている娘の姿を見て、私は彼女を一人の大人としてもっと尊重し、対等なスタンスで接していくべきなのだろうと感じました。これからも人生の節目やターニングポイントを迎えるたびに、娘は自身の障害についていろいろと考えることでしょう。そしてそのとき、私もまた新たな気付きを得るのだと思います。いつになるか分かりませんが、そのときまで体も心も頭も(笑)元気でいたいものです。執筆/荒木まち子(監修:鈴木先生より)そもそも自閉スペクトラム症を「障害」ととらえずに「特性」ととらえればいいのです。特性を知ることで今後の人生や生き方に役立てればいいと思います。重要なのは会社や周りの人たちがその特性を理解してくれるかどうかです。理解してくれることによって優しく丁寧に具体的に肯定文で話してくれれば、娘さんにとって生きやすい社会になります。最近はSNSなどでさまざまな情報が飛び交っております。重要なのは信頼のできる主治医と向き合って自分独自の特性を正確に知り、どういう対策を取ったらいいか知っておくことです。そしてそれを理解してくれる仲間を増やすことです。
2023年01月17日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんの右胸に浸潤性小葉がんがあると判明してから約半年がたちました。右胸の全摘と再建の手術を終え、元の生活に戻ったこほこさんが思うこととは……。★前の話人間ドックで私の右胸に異常が見つかったのは2020年の12月のことでした。翌年、年明けすぐに病院を受診して1カ月間様々な検査を受けて私は乳がんだと告知されました。その後、右胸の全摘と左太ももの組織を使って乳房の再建手術を受けました。右胸の傷口が壊死したりするトラブルもあったものの、体は順調に回復していました。年明けから1カ月間検査をおこなっているとき、私の中にはまだ「実は良性で大丈夫なんじゃないのか」という考えがありました。しかし、結果はがん。告知されたときは頭にもやがかかったようにぼんやりして、どこか他人事のように感じていました。詳しく検査をして、検査の総合的な結果から右胸を全摘することになった際も、私はどうにか乳輪と乳頭が残せないかと考えていました。夫がMRIの再検査やセカンドオピニオンのことを聞いてくれたのですが、最終的には、全摘して再建をするということで前進することになりました。コロナ禍ということもあり、患者会も中止のしていたため、実際の患者さんや経験者から直接話を聞くこともできず、手術までは不安な気持ちで過ごすことになりました。入院すると治療が進むということから気持ちは少し落ち着いて、入院中は穏やかな気持ちになっていました。退院後は体の回復に専念することにしていたので、体が回復すればするほど気分も上向きになりました!今はホルモン療法でバテることもありますが、復職もして、趣味も楽しめるようになったことに喜びを感じています。職場復帰してからすぐに今までと同じだけの仕事をすることはできなかったので、初めの1カ月間はヘルプに入っていてくれた職員から少しずつ仕事を引き受けていました。人員も増えていたこともあり仕事が詰まっていることはなく、体調が微妙な日でも心には余裕がありました。以前は仕事に追われることも多かったのですが、入院している間に私の職場環境を周囲の方が整えてくれていました。そのおかげか、職場の人には雰囲気が変わったと言われることが増えました。街中で上司と会っても気づかれないレベルだったので、かなり変化したのだと思います(笑)。休職直前は病気のことと仕事のことでいっぱいいっぱいだったので……。ただ、体は回復の途中なので右腕が重く感じたり、右脇の下側に痛みが出ることはたまにありました。休日には近くの神社でおこなっていた茅の輪(ちのわ)くぐりで無病息災を祈ったり、大好物のあぶり餅を食べたりもしました。他にもお寺や美術館を巡って心のリフレッシュをしながら体力の増強もおこないました。ー--------------乳がんになって心身にさまざまな変化があったというこほこさん。特に告知を受けてから手術をするまでの2カ月間は頭が回らず、仕事に集中することができなかったのだそう。しかし、そんな気持ちも入院して治療を受けられるようになったことで落ち着いたようでした。病気になると落ち込みやすくなってしまうので、心のリフレッシュ法を見つけておくといいかもしれませんね。★関連記事:「角膜内皮細胞の数値が…」思わず絶叫! 再検査することになり #アラフィフ主婦ちゃんねる 47★関連記事:「9万円です」家賃が値上がりしても父が引っ越さなかった理由は #預金資産ゼロの父が倒れた話 26★関連記事:「すぐに受診してください」人間ドックの結果は衝撃的なもので… #乳がん絵日記 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2023年01月01日■久ぶりの乳がん検診へこんにちは、エェコです。皆さんは、がん検診を定期的に受けていますか?私は先日、久しぶりに乳がん検診を受けに行ったのですが…40歳以上ということでマンモのみの検査でした。人生2回目のマンモ。そして…そう、実は要精密検査は2回目でして…。1回目の時はもうショックでショックで大変でしたが、結果なんともなかったので今回も大丈夫!また前回の部分が引っ掛かり再検査なんだろうと気楽に考えてました。精密検査はエコーでした。10分くらいで終わるかなと思ったら、長い時間がかかりました。そして…■え? しこりが数十個ある!?前回より一気に5倍以上増えてる…!…とショックを受けていましたが全部良性! よかった…!!しかし…というわけで経過観察になってしまいました。私の母や祖母が若くしてガンで亡くなっているので、それもあって経過観察と言われました。(遺伝性…という可能性もなくはないと言われました)確実に…前回より悪くなっている…。やっぱりガン検診は定期的に受けないと…! と思い知らされた出来事でした。
2022年12月18日乳がん検診について知ろう!ご自身のクリニック「六本木ブレストレディースクリニック」で検診を行っている、院長の及川明奈先生に、根掘り葉掘り詳しく伺いました。症状のない人が受けるのが検診です。乳がん検診とは、マンモグラフィ(X線検査)やエコー(超音波)検査などで、乳房の中にがんができていないかを調べる検診。「乳がん検診の目的は、乳がんによって亡くなる人を減らすこと。乳がんが増える40歳以上の女性に、2年に一度マンモグラフィを受けてもらうことで、乳がん死亡者を減らすことができた、というデータも出ていますし、現在はエコー検査でも、同様のデータの蓄積が進んでいます」(及川先生)検診は、自覚症状がない人が受けるもの。セルフチェックで何か異常を感じた場合は、検診ではなく、乳腺科のある病院を受診してください、と及川先生。検診を受ける場所によって、多少内容が異なるそうですが、及川先生のクリニックでは、問診とマンモグラフィ、触診しながらのエコー検査がセットになった検診プランがあるのだとか。「マンモとエコー、どちらか1つでもいいですが、それぞれ長所と短所があるので、両方行うことをおすすめしています。当院では検査後、当日に結果説明もできますが、時間がないという場合は後日結果を郵送することも可能。検査時間は30分程度です」検診を受ける時期は基本的にはいつでもよいそう。でも、胸の張りが取れている、生理後1週間目くらいがベストタイミング。「新型コロナワクチン接種後は腋のリンパが腫れることもあるので、接種後6~10週間は検診を避けたほうがいいでしょう」検診が受けられる場所は3つあります。自身の年齢や就労状況などから、受けやすいところを選びましょう。「職場の健康診断と市区町村の住民検診は、いずれも時期が決まっていて、また住民検診は基本40歳以上の女性が対象です。ただ、無料だったり、少ない自己負担で受けられてお得なので、対象の場合はぜひ積極的に参加を。乳腺外科クリニックは費用はかかりますが、診断の質の高さや丁寧な説明に加え、データが残るので変化に気づきやすい、といったメリットが」【クリニック】乳腺の専門医がいる認定クリニック。「〈マンモグラフィの認定施設〉であること、また乳腺科医がいること、マンモ撮影認定技師がいることなどが、選ぶ目安に。また産婦人科医の中にも、乳がん検診超音波実施講習を受けている人も。クリニックを探すときは、『日本乳がん検診精度管理中央機構』の認定施設や、『日本乳癌学会』の乳腺専門医一覧などを参考に」【職場の健康診断】会社の福利厚生で、健康診断にプラスされていることも。「職場では年に1度健康診断がありますが、これは法律で定められたもの。その内容は会社によって異なりますが、最近は女性の雇用促進の動きもあり、乳がん検診をプラスしている会社も増えています。医療機関に行かずして検診の機会が得られるので、自分の職場の健康診断に組み込まれているなら、ぜひ利用を」【市区町村の検診】40歳以上の人は2年に一度、市区町村が行う検診へ。「2008年、健康増進法という法律で、各市区町村は2年に一度、40歳以上の女性に乳がん検診を行うことが定められました。マンモグラフィが基本ですが、対象年齢や内容は地域によって異なります。無料の地域もあれば、500円で受けられる〈ワンコイン検診〉など、少額で実施しているところも。居住地域の保健所で検索を」主な検診の流れ。検診にはいろいろなパターンがありますが、ここでは及川先生のクリニックのやり方をご紹介。「まずは問診をして、そのあとマンモグラフィで胸のレントゲンを撮り、最後に触診をしながらエコーで乳房内をチェックします」【問診】生理周期や病歴、胸について気になることを話してみましょう。問診票は必ず記入。その上で、直接医師が診察、またはスタッフが問診を確認することが多いとか。「私が必ず伺うのは、生理の状況、出産歴・授乳歴があるか、ピルの服用経験、また豊胸手術を受けたことがあるか、さらには乳がんのご家族がいるかについて。他にも、乳がん以外の病歴や、今まで乳がん検診を受けたことがあるかも尋ねます。このあたりのことを予めメモしておくと、問診のときに落ち着いてお話ができると思うので、おすすめです」【マンモグラフィ】乳房を挟んで、おっぱいをレントゲン撮影。マンモグラフィとは、乳房の内側を写すX線の検査。板で上下から挟んで撮影、左右から挟んで撮影。それを左右の乳房で行うので、合計で4回撮影をします。「マンモグラフィは、“石灰化”というしこりを作らないタイプの乳がんの発見に長けています。ただ挟むことで痛みを伴うことがあるのと、レントゲンなので被ばくがあります。妊娠時期やその疑いがあるときは検査はできません。脂肪が少ない乳房の場合、挟みにくかったり、しこりが見えにくいというデメリットもあります」【エコー(超音波)】機器を滑らせて、超音波で内部を見ていきます。次はエコーで乳房の内部をチェック。及川先生は、マンモで撮影したレントゲン写真を見ながらご自身で直接検査をしますが、検査技師が行う施設もあります。「皮膚にゼリーを塗り、機器を滑らせながら超音波で内部を見ていきます。エコーはしこりの発見がしやすく、質的な判断もしやすい。被ばくもないので妊娠中でも検査が可能です。短所は、検査をする人の技量が重要になってくるところ。乳がんとは関係ないしこりを発見したり、逆に見落としがあることも無きにしもあらずです」及川明奈先生医師、「六本木ブレストレディースクリニック」院長。乳腺専門医、外科専門医。日本女性医学学会会員。女性の健康をサポートする幅広い医療を提供。※『anan』2022年12月7日号より。イラスト・安藤理絵(by anan編集部)
2022年12月04日アイドルグループを卒業し、新たな道に踏み出したタイミングで、乳がんが発覚。どんなことを思い、日々を乗り越えたのか。矢方美紀さんが率直な想いを語ってくれました。25歳で乳がんを公表、30歳になった矢方美紀さんがいま思うこと。有名人の乳がんのニュースが気になって、ちょっと自分の胸もチェックしてみようかな…と触ってみたら、小さなしこりがあった。矢方美紀さんが自身の病気を見つけるきっかけは、そんな“たまたまの行動”だったそう。「しこりは触っても痛くはないし、腫れてもいない。しかもネットで調べたら乳がんは40歳以上に多い病気だと書いてあったので、最初は、違うだろうなと思いました。でも念のためと思い病院に行き、検査をすることにしたんです」マンモグラフィーとエコー検査のあと、「再検査を」と告げられ、その後に乳がんであることが発覚。とはいえ、具合が悪いわけではないので、なかなか理解ができなかった、と矢方さん。「確かにしこりはあるけれど、現状は元気だし…。なかなか気持ちがついていかないというのが正直な想いでした。でも、更に検査を重ねていくと、リンパ節にも転移していることがわかり…。お医者様から“今だけでなく、10年後、20年後の自分のことを考えながら、治療のことを選択してください”と言われ、そこでやっと、ちゃんと向き合わないと自分の将来にも大きく関わってくるんだ、と実感しました。私はずっと、なりゆきでどうにかなると思って生きてきたタイプだったんですが、病気に関しては、そうはいかないんだな、って…」治療の進め方に関しては、医師とカウンセラー、そしてお母様と4人でたくさん話をしたそう。初めての経験で難しい用語も多い中、さまざまな資料を読み、乳がんについて勉強したという矢方さん。「どんな手術を選択するのか、胸を切除するなら乳房の再建はするのか。また生殖機能に治療の副作用が出ることもあると聞いたので、卵子凍結をしたほうがいいのか…。考えることと決断が次から次へとやってきて、まったく整理がつきませんでした。そのとき母が私の話をしっかり聞いてくれ、“あなたがやりたいことを選択すればいい”と言ってくれたことが、本当に支えになりました」私たちは、自身の体や、女性がかかりやすい病気に関して、学校などで学ぶ機会があまりありません。矢方さんも「もう仕事はできないんだ…」と落ち込んだとか。「正直、入院して寝たきりになっちゃうのかな、と思っていたんです。でも先生は、“がんになっても、仕事は全然できますよ”と。もちろん人それぞれ違うとは思いますが、私の場合は、手術のときは入院し、そのあと抗がん剤が半年くらい、その後ホルモン治療という段階を踏んでおり、基本は通院です。ありがたいことに私は、具合が悪いときはゆっくり休み、体調が戻ったら仕事を入れて…という調整をしていただけたので、そのペースで仕事をさせてもらい、それを繰り返す中で、“仕事、案外できるかも”と思えた。さらに元気になって仕事ができることが、すごく希望になり、未来に対して前向きにもなれました」病気になったことを公表し、その時どきの気持ちや経験を、SNSやNHKのドキュメンタリー番組、また著書を通じても発信してきた矢方さん。同じ病気と闘う同世代の女性たちはもちろん、さまざまな人に気づきを与えています。「私も治療の過程で折れそうになったことが何度もあり、発信することで“病気と向き合うんだ”と、自分を励ましていた部分もあります。また同時に、自分自身この病気について知識がなかったので、罹患した私がどんなことに悩んでいるのかなどを知ってもらうことで、乳がんについて知ったり学んだりする人が増えてくれたらな、とも思っています。乳がんは、妊娠・出産にも影響を与える病気なので、子供を産んだあとにかかるのと、これから結婚や妊娠を考えている20代でかかるのとでは、違う悩みが出てくる。今はいろんながんサバイバーの人が発信をしているので、それぞれの点と点が繋がって、誰かの助けになったらいいな、と思っています」現在罹患から5年が経過。まだ治療は続いているものの、今後は数か月に一回の通院と、年に1回の検査というフェーズに移るそう。「乳がんは10年治療をし、検査で何もなければ完治ということになりますが、再発しないという保証はないので、病気と一生付き合っていくことにはなります。ただ、病気を人生のメインにはしたくない。私は自分の好きなこと、やりたいことを突き詰め、楽しんで生きていこうと思っています。同世代に伝えたいのは、乳がんについてぜひ、正しく学んでほしい、ということ。自分がならなかったとしても身近な人がかかることもあります。身につけた知識は、きっと人生の役に立つと思います」やかた・みきタレント、声優。1992年生まれ、大分県出身。SKE48元メンバー。アニメのCVやナレーションなどでも活躍。ZIP‐FM『RADIO ORBIT』(毎週日曜10:00~)に出演中。※『anan』2022年12月7日号より。写真・小笠原真紀ヘア&メイク・松山麻由美(by anan編集部)
2022年12月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘、同時再建手術をおこなったこほこさん。退院後、乳がんの再発防止のためにホルモン療法を受けることになり……。★関連記事:「手術したのは利き手側で…」コロナ禍で会えない遠方の母から手料理が届き… #乳がん絵日記 232週間の入院生活を終え、退院してから1週間がたとうとしていました。手術をしたら治療は終わり、というわけではなくまだ私の闘病は続きます。術後17日目、おなかが痛いな〜と思っていたら生理が来ました。1週間後にはホルモン療法を受けることが決まったいたので、多分これが最後の生理になるだろうという予感。どうやらホルモン療法で服用する薬に女性ホルモンであるエストロゲンの働きを抑える作用があるそう。エストロゲンの分泌が減ると生理が止まるそうで……薬の服用期間や年齢のことも考えると生理とはお別れなのかな? という感じでした。私が初潮を迎えたのは小学6年生のときでした。ちょうど修学旅行の最中で、生理痛をジェットコースターに乗りまくることでごまかしていました(笑)。どちらかというと生理が重いほうだった私は、よく保健室に行っていたし痛み止めも常備していました。生理で楽しみにしていた水泳大会に出場できなかったこともあったなあ……。経血漏れしてしまったこともあったし、生理とはいろいろな思い出があります。最後の生理だと思うとなんだか少し寂しい気持ちになりました。夫の仕事が休みだった日、ひさびさに夫婦でお出かけをしました! 実は入院中、退院したら行きたいと思ったところをたくさんリストアップしていました(笑)。このころは春だったのでキリシマツツジという花で有名な神社へ。キリシマツツジで赤く染まった参道を通ってお参りをしました。神社には階段があったのですが、普通に上り下りできるようになっていました。つい3日前までは手術のときに組織を取った左足で踏み込むとよろけていたのに……回復力にびっくり!その後は予約していたマリトッツォを食べに行きました。入院中にSNSでこのお店を見かけて、病室で頬張るイメトレをしちゃうくらい食べたい気持ちでいっぱいだったので本当にうれしかったです!退院して運動量が増えたおかげか、食欲も元に戻りつつありました。夫と出かけた翌日は、形成外科で右胸の傷を見てもらいに行きました。バスに乗って病院へ向かったのですが、乗車口の段差もうまく上れたし、立っていても揺れに耐えられました。普段ならなんてことない動作もそれなりに力が必要なのだと気付きました。形成外科では手術の執刀をしてくれた先生と、入院中に経過を見てくれていた先生の両方がいました。右胸の傷で2cmくらい壊死しているところがあったので、退院後は毎日シャワー後に軟膏を塗っていました。最初は薄黒くてカサカサしていたのですが、だんだん黒いものが取れていきました。それから壊死していた部分がへこんで白い何かが見えていました。この変化が良いのか悪いのか自分ではわからなかったのですが、先生方が「ちゃんと治ってるね!」と言ってくれたのでひと安心〜!左太ももにバンドを巻いていたのですが、どうやらキツく巻き過ぎていたみたいで柔らかい包帯に変えてもらいました。術後20日目。私は喉にちょっと違和感があることに悩んでいました。というのも、手術をしていた約9時間の間、私は気管挿入をしていました。手術の直後はまったく声が出ず、ささやくようにしか話せず……。カスカスではあったものの、その日のうちに声は出せるようになりました。翌日はもっと声を出しやすくなりましたが、すぐに裏返ってしまい話がしにくかったです。その後は喉元を締めつけられるような不快感があったり空咳が出たりしていたので、のど飴をなめまくって過ごしました(笑)。術後6日目には安定して普通の声で話ができるようになっていました。術後20日目になって時々声が裏返ってしまうことがあるものの、喉は良くなってきていて違和感を覚えるけれど大きな問題はありませんでした。ー--------------入院中、退院後にやりたいことを考えていたというこほこさん。手術や治療を頑張るために楽しみを作っておくといいかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。★関連記事:「そこまで俺もたないよ」夫の体にじんましんが! その理由は… #夫とともに四半世紀 1★関連記事:「体が弱っているせい?」血尿が出て病院へ、人の温かさが身に染みる #43歳で腎がんになった話 2★関連記事:「もしかして新型コロナ?」体調不良とおなかの違和感がずっと続いて… #大腸がんらしい 1著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年11月04日リハビリや薬の服用、手術…など、病気になった苦しみは、その人にしか分からないものです。そのため周囲が病気を患った人に対し、配慮や想像力に欠けた言葉をかけると、傷付けてしまいかねません。2022年10月17日、乳がん治療に取り組んでいるお笑いタレントの、だいたひかるさんはブログで、『がんの人が聞かれて嫌なこと』と題した内容をつづりました。仕事などで、「がんを患った友人に、どう接すればいいか」と聞かれたというだいたさん。だいたさんは、『気の毒』『大変』といった言葉をかけてもらうよりも、「普段通りに接してもらうのが一番嬉しい」と明かしました。一方、自身も含めて、がんを患っている人が聞かれて嫌な思いをするであろうことについて、このようにつづっています。そんな感じで、ガンになる事は特別じゃ無いので…特別扱いされないのが、心地よかったです多分ガンの方が、聞かれて嫌なのはステージ。たいした仲でも無いのに、興味本位で聞くのは…すぐ分かるし、デリカシー無さ過ぎなのでだいたひかるオフィシャルブログーより引用がんの進行度を表す『ステージ』。段階ごとに、症状の深刻さが分かるものです。だいたさんは、がんのステージを聞かれることに、嫌な思いをするといいます。だいたさんの言葉に、かつて病気を患った人などからさまざまな声が上がりました。・余計な心配をかけたくなかったので、実家で一人暮らしをしている母親にがんを患ったことを伝えませんでした。・同情されるのが嫌で、友人には病気のことをいっていません。・私の場合、仕事ができなくなるので同僚に話しました。自分が置かれている状況次第で、どこまで話すかを決めています。家族や友人など、身の回りの人が病気を患っていることを知ったら、心配の言葉をかけてしまいたくなるものです。しかし、場合によっては、その人にさらなる精神的負担を与えてしまうことも。病気だけでなく、関係性などを考えた上で、どのような言葉をかけるのかを考えたいですね。[文・構成/grape編集部]
2022年10月20日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘と同時再建手術を受けたこほこさん。術後から12日目、退院の日を迎えてこほこさんが思ったこととは……。★関連記事:「もっと入院させてもらったら?」娘を心配するがあまり母が衝撃発言! #乳がん絵日記 20私は右胸に浸潤性小葉がんが見つかり、右胸の全摘手術を受けました。同時に左太ももの組織を使って右胸の再建手術もおこないました。約2週間の入院生活も終わりに近付いてきました。入院生活最後の日の朝もさわやかな目覚めでした。いつものようにモーニングコーヒー飲みながら窓からの日の出を堪能。8時45分ごろに形成外科の先生が病室に来て、一緒に処置室へ向かいました。左太ももからの体液の排出が減ってるから、管が出てるあたりの黒い糸を切って、管を抜いてもらいました。すると、形成外科の先生から「退院です!」とひと言。病室に戻ると、乳腺外科の先生たちも来てくれて傷の確認や退院の処理を進めてくれました。看護師さんが入院費の計算書を用意してくれて、入院患者用のリストバンドも取ってもらいました。突然のことでしたが、夫に迎え頼んで部屋の片付けや荷造りして、看護助手さんと部屋の点検して10時30分ごろには退院していました。仕事を抜けて病棟の入口で待機してくれていた夫と合流して、見送りしてくれる病棟のスタッフの方たちとお別れしました。病棟スタッフの方は入院中とてもやさしくしてくれて、たくさんお世話になりました。外来や手術室、病棟などでたくさんの方に支えられてるなと実感する2週間でした。退院するのでレンタルパジャマともおさらば! 2週間ぶりに普通の服を着ました。入院中はずっとノーブラで過ごしていました。先生や看護師さんに傷をすぐ見てもらえるし、手術した胸を締め付けたくないし、浴衣タイプのレンタルパジャマは程良い厚みで手術していない左胸もノーブラとバレにくい仕様になっていました。退院日用に用意したのは前開きのブラジャーでした。いろいろなメーカーが前開きのブラジャーを販売していて、どこのものも良さそうだったのですが伸びが良いものを選びました。肌着も前開きのものを購入し、前開きのボタンで留めるタイプの軽いコットンワンピースを着用しました。ワンピースは荷物を減らすために入院日に着たものを同じものを着ました。ちなみに術後1カ月くらいまでは前開きの服ばかり着ていました。前開きのブラジャーは退院後2週間くらい着用して、その後は伸びに伸びたブラトップを着るようにしました。ブラトップのパッドが再建した右胸に食い込んでるときがあったので最初は気になっていましたが、だんだん慣れてきて今もブラトップを着ています。退院の日は、夫が仕事を抜けて車で迎えに来てくれました。おしりを座席に着けて、左太ももの裏面が座席の端にある膨らみに当たると少し痛かったです。左太ももの傷は内ももにあるので傷自体は痛くないのですが、左太ももの傷周辺の皮膚が張ってて、触っても感覚がないのに座席に当たると若干痛いという謎な感じでした……。車を降りるときも左脚から外に出すので、左太ももの裏側に体重が乗らないように腰を浮かして降りるようにしました。そしてひさびさに家に帰ってソファに座ってくつろいでると、なんだか左の腰が痛くなってきた……。病室ではずっとベッドの角度を調整して足を上げて座ってたから問題なかったのですが、足を降ろして座ったら膝下の重みを腰が支えきれていないような感じがしました。ソファに座るのは諦めて、床にクッション置いてもたれかかると快適に座れました。退院して帰宅して、なんやかんやしてなにげなく冷蔵庫で冷やした水を飲みました。その水が喉から食道を通過するとき、全摘した右胸全体がヒヤァ〜と冷たいものが通過している感覚がありました!試しに椅子にもたれて水を飲んでみたら、胸の近くではなく背中側を水が通過するのかあまり冷たさは感じませんでした。入院中も冷たい水を飲んでいたのですが、まったく気付かなかったので不思議な感じでした……。ー--------------無事退院し、家へと帰宅したこほこさん。ひさびさに家に帰るとほっとする気持ちになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年10月15日毎年10月を「乳がんキャンペーン」月間と定めているエスティ ローダー グループ。2022年はキャンペーン活動開始から30年目を迎えます。今年は「30年の絆。乳がんを終わらせるために」をテーマとし、「乳がんを終わらせるための願い」を声で吹き込みSNSでシェアすると乳がん研究や乳がんに関する知識教育の支援につながる「Pink Ribbon Voices」を展開します。乳がんを終わらせるための願いを吹き込む「Pink Ribbon Voices」キャンペーン活動開始30年目となる今年は、乳がんを終わらせるための願いを声で吹き込む「Pink Ribbon Voices」キャンペーンを開始します。乳がんを終わらせるという「願い」は声に出すことで「行動」のチカラとなる、という思いから「Pink Ribbon Voices」は生まれました。また、吹き込まれた願いの声はアート画像に変換され、「#TimeToEndBreastCancer」と「#乳がんのない世界へ2022」のハッシュタグをつけてSNS上でシェアすることで、乳がん研究や乳がんに関する知識教育の支援につながります。●参加方法1. スマホで特設サイトへアクセス特設サイトURL: あなたの「乳がんを終わらせるための願い」を声で吹き込んで、ピンクリボンのアート画像をつくろう3. 願いのこもったピンクリボンのアート画像をInstagramフィードやTwitterに2つの指定ハッシュタグをつけて投稿4. エスティ ローダー グループが乳がん支援団体に1投稿につき10円を寄付●指定ハッシュタグ#TimeToEndBreastCancer#乳がんのない世界へ2022そのほか、ライトアップや収益の一部が医療研究に役立てられるキャンペーン支援製品が発売されています。詳細は特設サイトをご確認ください。乳がんの60%はセルフチェックで発見、月に1度はセルフチェックを!日本の乳がんの60%以上は、セルフチェックによって見つけられています。月に一度のセルフチェックを習慣化し、自分の乳房の変化や違和感を見つけることが、乳がんの早期発見と生存率向上への近道になります。※日本乳癌学会全国乳がん患者登録調査より鏡の前に立ち、目で確かめます。乳房に「腫れ」や「ひきつれ」はありませんか? 乳房の形や大きさ、乳頭の向きや陥凹に、右と左に差はありませんか?入浴中に、人差し指、中指、薬指の3本の指を使って、つままずに調べます。乳房に固まりやしこりはありませんか?乳首をつまんで、血液混じりの分泌がないかも調べます。あおむけや横に寝た状態で調べると、より分かりやすい場合があります。乳がんのない世界、女性が苦しまない世界を目指すエスティ ローダー グループの「乳がんキャンペーン」。SNSキャンペーンや製品購入で応援しつつ、セルフチェックも試してみましょう。【参考】※特設サイト
2022年10月14日エスティ ローダー グループは、毎年10月を「乳がんキャンペーン」月間と定め、ピンクのリボンをシンボルとして、乳がんのない世界実現のための情報発信や、支援製品の収益金による寄付活動を通じて、乳がん研究をサポートしている。活動開始から30年目を迎える今年、「30年の絆。乳がんを終わらせるために」をテーマとし、この活動に賛同する清水寺、東京スカイツリー(R)がピンク色に点灯されるイベントや、収益金の一定金額が支援につながる限定製品の販売も開始する。東京スカイツリー(R)と京都 清水寺でグローバルイルミネーションを実施▼2022年イメージ乳がんへの意識を高め、この病気に関係するすべての人たちに敬意を表して、世界中で1,000回以上のイルミネーションが行われている。今年、日本では、9月30日(金)から京都 清水寺、10月1日(土) には東京スカイツリー(R)がピンク色に点灯される。●東京スカイツリー(R)10月1日 18:15~22:00●京都 清水寺9月30日 19:00~22:00(仁王門、西門、三重塔)10月1日 18:30~22:00(本堂内陣、本堂舞台上、仁王門、西門、三重塔)10月2日~10月23日 19:00~22:00(仁王門、西門、三重塔)キャンペーン支援製品をエスティ ローダー グループの7ブランドで展開「乳がんキャンペーン」が始まる10月1日(土)より、エスティ ローダー グループ7ブランド(アヴェダ、エスティ ローダー、クリニーク、ジョー マローン ロンドン、ドゥ・ラ・メール、トム フォード ビューティ、ボビイ ブラウン)にてキャンペーン支援製品の販売を開始する。収益の一部は、米国乳がん研究基金(BCRF)やJBCRG(Japan Breast Cancer Research Group)等を通して医療研究に役立てられる。エスティ ローダー グループの活動紹介ビデオこちらのビデオでは、活動開始から30年目を迎えるエスティ ローダー グループが今まで世界各国で行ってきた、乳がんのない世界を創るための取り組みの一部を紹介している。ぜひご覧いただきたい。乳がんは早期発見・早期治療が大切。検診はもちろん、セルフチェックで見つかることも多い。定期的に検診を受け、セルフチェックで「あれ?」と思ったらすぐに医師に相談しよう。【参考】※エスティ ローダー グループ「乳がんキャンペーン」特設サイト
2022年10月13日乳がんを経験した人や治療に取り組む人などに10月24日(月)から10月28日(金)の間、株式会社ルネサンスは「乳がんサバイバーのためのヨガWEEK/オンラインフィットネスフェス」を開催する。10月はピンクリボン運動強化月間であり、乳がんを経験した人や乳がんの治療に取り組む人を、フィットネスを通じて応援するイベントである。参加費は無料、予約開始日は各日程の15日前からとなっている。講師は川瀬ひとみ氏と上野かおる氏で、両氏はルネサンス運動支援センターの大阪国際がんセンター認定がん専門運動指導士である。心とカラダが軽くなるヨガ・リンパケアヨガ日本で生涯にがんを経験する人は2人に1人だとされる。女性の部位別の罹患数では乳房が最も多く、その割合は10.6%、9人に1人だという。多くの人ががんの治療を行っていることになるが、がんの治療中でも生活の質(QOL)の維持と改善に努めたい。ルネサンス運動支援センターの大阪国際がんセンター認定がん専門運動指導士は、専門的な知識と技術を身につけ、ホスピタリティを最大限に活用、がん経験者それぞれに「寄り添い、ともに歩む」運動のスペシャリストである。「心とカラダが軽くなる乳がんヨガ」(上野かおる氏)、「乳がんリンパケアヨガ」(川瀬ひとみ氏)を予定。時間は各回30分である。なお、乳がんの罹患経験のない人でも参加可能としている。【スケジュール】10月24日(月) 21:30~22:00「心とカラダが軽くなる乳がんヨガ」10月26日(水) 19:30~20:00「乳がんリンパケアヨガ」10月27日(木) 19:30~20:00「心とカラダが軽くなる乳がんヨガ」20:00~20:30「乳がんリンパケアヨガ」10月28日(金) 20:00~20:30「乳がんリンパケアヨガ」20:30~21:00「心とカラダが軽くなる乳がんヨガ」定員: 定員:980名/1クラス(ルネサンスオンラインライブストリームのサイトより引用)(画像はプレスリリースより)【参考】※ルネサンスオンラインライブストリーム
2022年10月11日認定NPO法人J.POSHは、休日の日曜日に「乳がん検診」を受けられるよう、全国の医療機関と協力して、毎年10月第3日曜日に『J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)』を行っており、今年は2022年10月16日の日曜日に実施することをお知らせいたします。J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)は、子育て・介護・仕事・家事などで忙しく、平日に検診に行きにくい女性の皆様が、乳がん検診マンモグラフィー検査を受診できる環境づくりへの取り組みです。2022年ポスター2022年サイト画像J.M.Sの詳細URL: J.POSHのURL : ■「J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)」実施の背景乳がん罹患者数は、女性がんのトップになり、亡くなる方の数は年々増加傾向にあります。その理由のひとつに、40歳以上の方の乳がん(特にマンモグラフィー)検診の受診率の低さがあると言われています。対象女性の乳がん検診を受けない理由の中に「休日に検診ができるなら受診するのに」という声が多いのです。そこで、認定NPO法人J.POSHでは、受診率アップには「検診を受けやすい環境づくり」が重要と考え、その取り組みとして毎年10月の第3日曜日に全国の賛同医療施設でマンモグラフィー検査ができる「J.M.S(ジャパン・マンモグラフィー・サンデー)」を提唱し、多くの医療施設に参加いただいています。長引くコロナ禍で今年も受診率は低迷していますが、参加施設数は昨年を若干上回っております。この機会に乳がん検診を多くの方に受けていただければと思います。■実施概要実施日 : 2022年10月16日(日)※施設により日程が異なる場合がございます。実施施設 : 全国400施設(9月16日現在)実施施設一覧: 受診方法 : 上記URLから、参加施設をご覧になって、直接、医療施設にご確認のうえ受診をお願いいたします 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年09月22日ゼニスはスーザン G. コーメン®乳がん財団へのサポートとして、スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクを発表。乳がん啓発月間である10月限定販売で、その売上の一部が財団に寄付されます。財団の価値観はゼニスと深く共鳴しています。女性のエンパワーメントは、数多くのブランドのコミットメントおよび行動を推進する、ゼニス HORIZ-ON イニシアチブの主要な柱の1つです。長年に渡って、ゼニスは女性の8人に1人が罹患し、世界中で無数の命を無差別に脅かす疾患である乳がんに対する意識向上に取り組んできました。ゼニスは、乳がんに対する啓蒙活動やスクリーニング実施の促進、治療法の継続的な模索を行っている組織へのサポートなどによって、スーザン G. コーメン®乳がん財団を支援しており、これによってより多くの女性が乳がんに対する知識、希望、支援を手に入れられるようにするだけでなく、世界的にこの疾患に対する意識を向上させるためのコミットメントをさらに強固なものにしています。乳がんにより亡くなったスーザン G.コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅することを約束し設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。乳がんと闘う世界最大のNPO団体と考えられているスーザン G. コーメン乳がん財団の使命は、世界からこの病気を撲滅することです。包括的なアプローチによって、コーメン財団は乳がんとの闘いの最前線に立ち、米国および世界中の何百万人もの人々をサポートしています。当財団は、患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。ゼニスは今後数年間、スーザン G. コーメン乳がん財団を支援することを確約しており、希望の名の元に構築されたこのパートナーシップの進展を共有できることを楽しみにしています。財団に対するゼニスのサポートについて、CEOのジュリアン・トルナーレは次のように述べています:「信頼関係と信じられないほどの影響力を持つスーザン G. コーメン乳がん財団を支援することは、ゼニスにとって非常に重要なパートナーシップとなります。クロノマスター オリジナル ピンクは、影響力のある研究および治療中の患者をサポートするための資金を提供する助けとなることでしょう。そのことを我々は誇りに思いますし、今後、パートナーとして活動していきたいと思います。」続いてコーメン財団の会長兼CEOであるポーラ・シュナイダーは次のようにコメントしています。「ゼニスは長年に渡って乳がんコミュニティの素晴らしい支持者でありサポーターであり続けてきました。2つの組織が共通の使命によって団結することは、何よりも強力な力となることでしょう。ゼニスとのパートナーシップによって、乳がんのない世界を作ることは、日に日に実現可能な現実となりつつあります。このようなゼニスのサポートに深く感謝しています。」スーザン G. コーメン乳がん財団をサポートするゼニスは、昨年発売されたレトロな雰囲気の代表的なクロノグラフコレクションをベースにしたスペシャルエディション、クロノマスター オリジナル ピンクを発表することを喜ばしく思っています。ユニセックスの38mmスチール製ケースに、最新の1/10秒計測の高振動エル・プリメロ自動巻クロノグラフキャリバーを搭載したこのクロノマスター オリジナル ピンク エディションは、印象的なメタリックピンクの文字盤が際立った存在感を放っており、世界各国で乳がん撲滅のシンボルとなっているこのカラーに敬意を表しています。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクは、従来のシリアルナンバー入りの限定エディションではなく、期間限定エディションとなっています。乳がんへの意識を向上させるというその崇高な目的に寄与するため、国際的な乳がん啓発月間である10月1~31日にのみ、世界各地のゼニスブティックおよびオンラインブティックにて販売いたします。クロノマスター オリジナル ピンクの売上の20%がスーザン G. コーメン乳がん財団に寄付され、世界各地の患者がより良い生活をより長く送れるようにすることで、地域社会に良い影響を与える取り組みをサポートしていきます。日本国内ではゼニス ブティック銀座およびオンラインブティックにて販売いたします。スペシャル エディションのクロノマスター オリジナル ピンクだけでなく、ゼニスは今後数年間、資金調達イベント、チャリティー オークション、その他の取り組みに積極的に参加することでスーザン G. コーメン乳がん財団をサポートしてきます。10月2日(日)、ゼニスは「2022 Komen Greater NYC Race for the Cure」に参加します。ここでゼニスはタイムキーパーの役割を果たすだけでなく、チームメンバー、クライアント、広報関係者にレースに参加していただきます。また、ゼニスは、世界各地で行われるDREAMHERSイベントに、スーザン G. コーメン乳がん財団からの代表者をお迎えします。これは、先見の明があり、自立した、刺激的な女性に、それぞれの声と情熱を共有するスペースを提供する、ブランド独自のプラットフォームであり、乳がんに対する意識を高め、重要な情報を共有し、優れた実践を促進するのに役立ちます。次回のDREAMHERSイベントは、10月にシンガポールで開催されます。スーザン G. コーメン®乳がん財団についてスーザン G. コーメン®乳がん財団は、乳がん撲滅に取り組む世界最大の非営利財団であり、乳がんの撲滅を目標に女性の命を救うための活動をしています。コーメン財団では、あらゆる局面からこの病気と闘うため、ほかに類を見ない包括的な全方位アプローチを採用しており、米国および世界各地の何百万もの人々をサポートしています。財団は患者の声に寄り添い、研究におけるブレイクスルーを推進、質の高いケアへのアクセスを向上させ、患者に直接的なサポートを提供し、信頼できる情報で人々に生きるための力を与えます。乳がんにより亡くなったスーザン G. コーメンの妹、ナンシー G. ブリンカーが姉の命を奪った病気を撲滅する事を約束し、設立されたコーメン財団は、明日の治療法を根気強く探しながらも、今日の乳がんに冒された人々を支援することに尽力しています。komen.orgをご覧いただくか、1-877 GO KOMENまでお電話ください。ww5.komen.org/socialで当財団とのつながりをスタートさせてください。クロノマスター オリジナル ピンクリファレンス:03.3202.3600/33.M3200特長:10月限定販売。1/10秒の計測と表示が可能な自動巻コラムホイール エル・プリメロ クロノグラフ。60時間のパワーリザーブを実現。4時半位置に日付表示。秒針停止機構ムーブメント:エル・プリメロ 3600パワーリザーブ: 60 時間以上機能:中央に時針と分針。9時位置にスモールセコンド。1/10秒計測のクロノグラフ。中央に10秒で1回転するクロノグラフ針。6時位置に60分カウンター。 3時位置に60秒カウンター仕上げ:サテン仕上げを施した新しい星形ローター税込価格:116万6,000円素材:ステンレススチール防水機能:5気圧文字盤:サンレイ装飾を施したピンクカラーケース:38 mmアワーマーカー:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布針:ロジウムプレート加工、ファセットカット、スーパールミノーバ SLN C1を塗布ブレスレット&バックル:ステンレススチール製ブレスレット&ダブルフォールディングバックル
2022年09月21日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。こほこさんは乳がんによる右胸の全摘と再建手術を受けました。手術から1週間、退院後の生活について説明を受けていると「こほこさんもサバイバーです!」と看護師さんから言われ……。★関連記事:「どんどん回復する!」乳がんの全摘手術から6日、できることが増えてきて… #乳がん絵日記 16私は乳がんの手術のために2週間入院していました。手術から5日目、形成外科の先生に傷口を確認してもらうとその一部が壊死していることがわかりました。乳腺外科の先生から皮膚を貼るなどの処置があることを聞き、心配しつつも入院生活を送っていました。術後7日目になると、組織を取った左太ももの裏にあったピリピリとした感じも少し緩和されていました。前屈みができるようになりましたし、両足のむくみが解消されて靴もちゃんと履けるようになりました!でも、まだ右腕はまだ上げられなかったので、何かするときは左手を使うようにしていました。お箸とペンだけは右手で持っていました。この日は朝食後、歯科で術後の歯の様子を見てもらいました。念のため、と顎のCTを撮影することに。その後、売店で2リットルの水を買ったりして疲れを感じながら病室へ戻りました。それから薬剤師さんが来て、下痢や発疹がないか確認してもらいました。抗生剤を飲むのはこの日が最後でした。形成外科の先生も来てくれて、左太もものテープの貼り直しや右胸の傷を見てくれました。体液の排出は前日より減って、右胸から25ml、左太ももから60mlでした。同じく術後7日目、薬剤師さんが来る前に看護師さんから退院後の生活について説明がありました。「退院のしおり」というものをいただき、わかりやすく教えてもらっていると看護師さんから「こほこさんもサバイバーです!」と言われました。がんサバイバーというのは、がん治療を終えた人だけではなく、診断を受けたりばかりの人や、治療中、経過観察中の人もがんサバイバーというそうです。私も乳がんサバイバー! 何だか戦隊ヒーローのイメージがして強そうだと思いました(笑)。退院後は、動く習慣をつけるために毎日歩いたり、手術した右側の腕をなるべく上げたりしないように指導を受けました。仕事でパソコンを触りっぱなしになってしまうので、1時間ごとに休憩を取ることを心がけようと思いました。退院後の説明をしてくれた看護師さんは、いろいろなことによく気付いてくれる方でした。私は術後、左太ももに管が入っていてシャワーができませんでした。なので、1日おきに温かいタオルで体を拭いてもらっていました。術後5日目くらいにこの看護師さんが体を拭いてくれたのですが、私の足の様子を見て、タライにお湯を入れて足も洗ってくれました! すごくありがたかったです。それから、術後は食欲が落ちていてご飯を残していたのですが、それにも気付いてくれてご飯を少なめにしてくれました。朝食のパンも薄切りにしてくれたりしたお陰で、完食できるようになりました。他の看護師さんや看護助手さんも話かけてくれたり、見守っていてくれたりと、とても良くしてくれました。また入院することがあればあの病棟がいいな〜と思うくらいです!ー--------------こほこさんは入院中、看護師さんたちにとても良くしてもらったそう。心細い入院生活では、やさしくしてもらえるとうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月12日トム・クルーズが主演を務めるシリーズ最新作『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』より、告知動画が公開された。本作は、トム演じるスパイ組織IMFに所属する主人公イーサン・ハントと彼率いるチームの活躍を描く『ミッション:インポッシブル』シリーズ第7弾。動画は、今年行われた世界最大の映画展示会シネマコンでサプライズ発表されたもので、撮影のために会場に参加できなかったトムはロケ地南アフリカのブライデ・キャニオンの現場からコメントを寄せている。冒頭でトムは、上空で飛行機に片腕だけで体を支えながら後方に位置するカメラに向かい平然とコメントする、という目を疑うようなスタント技を披露。その後、『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』の監督であるクリストファー・マッカリーが飛行機で登場し、トムに撮影に戻ろうと促す姿が映し出されており、通常のプロモーション動画では考えもつかないような常軌を逸した演出が行われている。トムは現在、リアルな映像にこだわった迫力のスカイアクションムービー『トップガン マーヴェリック』が全世界でロングランヒット中。日本でも劇場公開から16週を超え、公開100日目(22年9月3日)には累計興行収入120億円を突破した。また、1作目『トップガン』4K ニューマスター版と『トップガン マーヴェリック』の2作連続上映も決定。9月9日にはデジタル先行配信がスタート、11月2日(水) にBlu-ray&DVDが同時リリースされる。トム・クルーズからのメッセージ<作品情報>『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』2023年全国公開監督・脚本:クリストファー・マッカリー(『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』)■出演トム・クルーズ / サイモン・ペッグ / レベッカ・ファーガソン / ヴィング・レイムス / ヴァネッサ・カービー / ヘンリー・ツェーニー / ヘイリー・アトウェル / ポム・クレメンティエフ / イーサイ・モラレス公式サイト:『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』特報<リリース情報>『トップガン マーヴェリック』デジタル先行配信中2022年11月2日(水) Blu-ray&DVDリリース『トップガン マーヴェリック』ジャケット(C)2022 PARAMOUNT PICTURES.●9月16日(金) より全国の映画館で『トップガン』4K ニューマスター版&『トップガン マーヴェリック』2作連続上映決定
2022年09月12日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右胸の全摘手術と同時再建の手術を受けたこほこさん。手術を無事に終え、順調に回復している一方で傷口の壊死などの問題もあって……。★関連記事:「一部が壊死している」術後の傷を見た形成外科の先生から衝撃のひと言が… #乳がん絵日記 15浸潤性小葉がんというがんが右胸に見つかった私は、約9時間の大手術を受けました。術後すぐは観察室にいましたが、翌日には病室へ戻ることができました。毎日乳腺外科や形成外科の先生方に様子を見てもらっていましたが、右胸の傷の一部が壊死していたそうでした。病棟には洋式トイレが2つしかなかったので、いつも早起きしてトイレに行っていました。しかし、朝5時の時点で満室。みんな早起きしてトイレに行こうという考えは一緒なんだな……という気持ちになりました(笑)。術後6日目の午前10時ごろ、執刀してくれた乳腺外科の先生が右胸に傷を見に来てくれました。前日に形成外科の先生が傷を見てくれたのですが、そのときに傷の一部が壊死していると言われました。乳腺外科の先生は壊死してしまったら皮膚を貼るなどの処置もできることを教えてくれました。左脚のぷよぷよとした膨らみについても「治るから大丈夫!」と心配する私を励ましてくれました。そういったトラブルがありつつも、体調はどんどん回復していました! 左膝を曲げると、太ももの裏が引きつるような感覚があったのですが、それもマシになってあぐらをかいて座れるようになりました。それ以外にも歩くときは左脚を引きずりながら歩いていたのですが、持ち上げて前に踏み出して歩けるようにもなりました。手術のときに気管挿入したせいで生じた喉への違和感も落ち着き、裏返りやすかった声も普通の声で話せるようになってきていました。体液の排出も右胸から30ml、左太ももから80mlとかなり減っていました。入院期間は2週間だったので、時間はたっぷりありました。なので、長期の休みがあったらやってみたかったことを存分にやって過ごしていました(笑)。映画やドラマを見まくったり、電子書籍で本や雑誌を読みまくったり、ゲームしたり。個室に入院できたので、動画を見ていないときはBGMを流したりしていました。カフェミュージックを流しながら持参したコーヒーや紅茶を飲めば、もうそこはカフェでした!体もかなり回復していましたし、病室での生活にも慣れてまるでわが家のように過ごしていました。コロナ禍での入院だったので、家族ですら面会禁止。その分、趣味に没頭していました。ー--------------すっかり入院生活に慣れたこほこさん。期間に関わらず、入院生活はできるだけ快適に過ごしたいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、ア著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年09月10日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。乳がんの手術から2日目。右胸と左太ももから体液を出す管がついているこほこさんは入浴できず。そんなとき、看護師さんがしてくれた洗髪が……!★関連記事:「パンツはいて」どうやって着替えるの!? 戸惑う私に看護師さんが… #乳がん絵日記 12右胸の全摘と同時再建の手術から2日がたちました。9時間という大手術を無事に終えたものの、観察室にいる間は心のどこかで不安になっていました。病室に戻ってから安心したのか、少し余裕が生まれてきました。手術前から着圧ソックスをはいていたものの、脚は少しむくんでいて靴がキツくてかかとを踏んで歩いていました。右手もむくんでいることに気付き、左手と比べてみると……両手の甲にたくさんのシミらしきものが! 5日くらいで消えましたが、一体なんだったのだろうか……。目も普段は一重なのにぱっちりした二重になっていました。これも3日くらいで元に戻りました。昼食をたっぷりと食べるとおなかが動き出して、術後初めてのお通じがありました!まだ右胸と左太ももに管を通しているのでシャワーはNGでした。代わりにボディシートで体を拭くことにしました。そして、看護師さんが洗髪台で頭を洗ってくれたのですが……スッキリして気持ち良い〜! とってもうれしかったです。夜に体液測定をすると、右胸から60ml、左太ももから100mlの体液が出ていました。寝る前に抗生剤の点滴をすることに。ベッドをフラットにすると傷口が引きつる感じがするので、寝るときも背もたれと足を上げていました。いつも横向きに寝る私はなかなか寝付けませんでした。手術から3日目。この日は朝食後すぐに乳腺外科と形成外科の先生が一緒に病室へ来てくれました。手術のときに貼ったガーゼやテープを剥がして、傷口とご対面……! でも、ぼやけて見えてしまいよくわかりませんでした。再建して繋いだ胸の血管は問題ないとのことでした。それから、病棟の外まで散歩しようと思い、上着を着てワクワクのお出かけ! まだ左脚を引きずっているので、階段は無理ですが平地ならどんどん歩けました。全然歩けると思いきや、途中からしんどくなってヘトヘトに……。散歩で疲れたからか、午後から胃のムカつきを感じたり胃酸が逆流してきたりしました。空せきも出ていたので、のど飴をなめてやり過ごしました。寝る前に最後の抗生剤の点滴をして、左手に刺さっていた針も抜きました。ー--------------看護師さんに洗髪してもらい、スッキリとしたこほこさん。何日も頭や体を洗っていないと気持ち悪くなってしまうので、洗ってもらえるのはうれしいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月29日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術の日がやってきたこほこさん。手術が終わり、看護師さんから声をかけられていることに気付いたこほこさんは何だか変な感じがして……!?★関連記事:「準備万端!」 明日の乳がん全摘手術に備えて今日は… #乳がん絵日記 10「浸潤性小葉がん」というがんになった私は、右乳の全摘手術をすることになりました。同時再建もおこなうことになり、手術時間は約9時間の予定でした。手術当日、私はというと……。朝6時までにアルジネードという経口補水液を飲んでおきます。このアルジネード、「ヤクルト」のような「ポカリスエット」のような味でゴクゴクと飲めました!私は髪が長いので、ふたつくくりにしておいたのですが、子どものころ以来だったので何だか違和感。手術衣は肩から腕がマジックテープでくっついているのですが、適当に貼り付けたらコントみたいにはだけてしまいそうでした。T字帯というおむつのような紙パンツと、サージカルストッキングという着圧ソックスをはいたら準備完了です。いざ、手術室へ出発!朝8時半前に病棟から手術室へと向かいました。病棟の入り口で夫が待っていてくれて、看護師さんと3人で手術室へと歩いて行きました。夫とは手術室の大きな扉の前でお別れ。私の手術中、夫は待機室で読書したり庭を散歩して過ごしていたそうです。手術室の内扉の前で看護師さんが話しかけてくれて、いろいろ確認などをしました。その後、手術室のスタッフさんなどたくさんの人と一緒に手術台へ。台に上って寝っ転がると、乳腺外科の先生が腕をさすりながら声をかけてくれて、ちょっと安心。あとはお任せしました! と心の中でつぶやく。麻酔科の先生が左手の甲に注射したり針を刺したりして、口から何か出てくるマスクを当てられました。眠くなるのか〜と思っていたら「まだ眠くなりません」とまさかのひと言。次に「きつめのお薬が入ります」と言われたら、あっという間にスヤァ……と眠っていました。手術が終わり、「こほこさん、終わりましたよ〜」「ご主人ですよ、こほこさん!」と私を呼ぶ声がぼんやりと聞こえました。このときは何かガタガタと移動しているような感じでした。その声に反応して、目を開けてみるも平衡感覚がわからず……斜めのほうに夫が笑っている姿が見えました。しかし私は麻酔の余力に抗えず、再び目を閉じてしまいました。後から聞いたのですがコロナ禍で夫とはこの一瞬しか会えないとのことで、スタッフさんが総出で私を必死に起こしてくださったそうです(笑)。観察室らしき場所に到着し、再度起こしてもらって何とか目が覚めました。形成外科の先生が「どこが痛いですか?」と聞いてくれるものの……声が出ない! 気管挿管をしていたから声が出なかったらしいです。聞いていたと思うのですが、忘れてしまっていた私。背中の右側にクッションを挟んでもらい、手術したほうの肩が上がってちょっとラクな感じがしました。左の太ももから組織を取って再建したので、左脚は股関節から開脚している状態でした。動いていいのかな? と思っていると、右脚は動かしていいみたいだったので足首を回したりしていました。左脚は太ももの裏にピリピリと張っているような感覚があったので、おとなしくしておくことに。夜9時ごろになって水が飲めるようになったので、ベッドの背もたれを上げて水を飲みました。背もたれを上げたせいでずり落ちてしまったので、元の位置に戻りたかったのですが傷に響いてしまいそうで踏ん張れませんでした。小刻みにズリズリと上がっていると手術衣のマジックテープが剥がれてしまいました!水が飲めるようになった時点で、酸素マスクは口を覆うものから鼻に付けるタイプに変更していました。休んでくださいと言われたものの、麻酔で爆睡していたので眠くなく……。スマホも見る気になれなかったので、カーテンの隙間から見える時計をぼんやりと眺めていました。ー--------------無事に手術を終えたこほこさん。コロナ禍の入院や手術は制限が多くて大変ですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月15日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ明日に迫った右乳の全摘と同時再建の手術。手術に向けて朝からバタバタ。そんなこほこさんの1日とは……。★関連記事:「セレブやん」いよいよ乳がん摘出手術! オペ2日前に入院をして… #乳がん絵日記 9私は乳がんを患い、右胸を全摘することになりました。入院初日は医師や看護師などいろいろな人から手術や入院生活の説明などを受けました。ごはんもおいしく、病室もホテルを思い出すような快適さで私は何だか旅行気分になっていました。翌日は朝食の途中に歯科に行き、口腔ケアをおこないました。歯科から戻って残っていた朝食を食べると、すぐに昼食がやってきました(笑)。午後は形成外科で脚のエコーをしてもらいました。以前検査で使ったものよりも良い装置らしく、画質がとてもよかったです! 右乳の再建時に移植する神経もお取り寄せしてもらっているとのことでした。RI検査という放射性医薬品を使った体内の様子を調べる検査もおこないました。この検査は事前の注射と検査時間が分刻みで決まっていて、うっかり昼寝してしまわないよう気を付けていました。台の上にあお向けに寝転がっていると、頭の上を機械が通っていきました。検査が割とすぐに終わったので、ついでに術後すぐに飲む用の水を買い足しに行きました。庭に桜が咲いていたので、ちょっとお花見をして病室へ。乳腺外科の主治医が様子を見にきてくれて、窓から他の病棟を一緒に眺めながら少し話をしました。その後、麻酔科の先生とアレルギーについて話をしたり、看護師さんから手術室の説明を受けました。そして、病棟の看護師さんと術後に使うパジャマや水などのセットを再確認して準備完了!あっという間に夜になっていました。この日の夕食も完食! 手術当日は絶食になるため、しっかりと味わって食べました。空っぽのお皿を見て、看護師さんがにっこりとしていました。必ず洗髪をしてとのことだったので、シャワー室で念入りに頭を洗いました。家に山ほどあったホテルのアメニティーを持ってきていたので、それをバンバン使っていく!日中、看護師さんから「手術中に同じ体勢が続くと背中が痛くなったりするから、なるべくラクな体勢にしておくね」と言われたことを思い出し、何となく背中をチェック……。そういえば、入退院の説明時にも肩凝りがあるかどうかを気にされたりしていたなあ。まあ大丈夫だろう。術後はこの病室ではなく、観察室のようなところに行くので、持ち物に不備がないかシミュレーションしてアイテムを追加したりしました。寝る前に冷やしておいたアルジネードという経口補水液を飲んで就寝。看護師さんが寝られるか気にしてくれましたが、気付いたら寝ていました。手術前とは思えないくらい穏やかな夜でした。ー--------------手術を明日に控え、朝からバタバタとしていたこほこさん。手術前日ってゆっくりと体を休める印象がありましたが、検査などで慌ただしいんですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月08日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。右乳の全摘と同時再建の手術を受けるために入院するこほこさん。コロナ禍で面会禁止の中、入院生活を快適に過ごすためにこほこさんが準備したものとは……。★関連記事:「断面を見て思わず感動!」 私が乳房再建用のCT撮影で見たかったものとは #乳がん絵日記 8「浸潤性小葉がん」という病気にかかった私。がんは右胸にあり、全摘手術をおこなうことになりました。摘出と同時に、太ももの組織から乳房を再建することにもなっており、手術時間は合計9時間を予定していました。PCR検査も済ませ、オペの2日前に入院。入院期間は2週間と言われていました。入院前日、2週間のお泊まりなんて普通ならバカンスだよな……と思いながらせっせと荷造りをしました。コロナ禍ということもあり、面会は禁止で差し入れも難しい状況だったのでティーバッグなど、入院生活を快適に過ごすためのアイテムは多めに準備しました。私は運良く個室に入院することができたので、あれやこれやと持ち込みたいものは全部持っていくようにしました。個室ということもあり、香りがある癒しアイテムを持ち込めたのはうれしかったです。美顔器なんかも持って行って、スキンケアは怠らないようにしていました(笑)。寒さ対策でカーディガンやモコモコの靴下を用意していたのですが、暑くて出番はありませんでした。マスキングテープが意外とお役立ちアイテムになっていました!パジャマとタオルはレンタルで済ませたものの、日用品なんかも入れると機内持ち込み用のスーツケースだけでは足りず……折りたたみできる大型トートバッグもパンパンになるくらいの大荷物になりました。入院日と退院日は同じ格好にしようと思い、前開きのワンピースを着て行きました。病院には朝8時半に到着。入退院の案内が混み合う前に手続きを始めました。最初に体重測定をし、病棟へと向かいました。未知の空間にビクビク……。付き添ってくれていた夫はナースステーション近くの談話室で待機していました。部屋に荷物を運び込んだら、夫と合流して麻酔科の外来で説明を受け、同意書を提出しました。夫とはここでグッバイ。次に会えるのは手術の日の朝でした。夫は元気に仕事へと向かいました。それからは病室に戻って看護師さんから部屋についての説明を受け、入院患者用のバンドを左腕につけてもらいました。こういうバンドって何かアミューズメント感があって、特別な気分になるんですよね。そして採血をおこなったり、手術までのスケジュールを聞いたりしました。荷解きをしているとき、初めて会う乳腺外来の先生がRI検査の説明をしに来ました。RI検査は放射性医薬品を注射したり服用したりして、臓器などの働きや形を観察する検査らしいです。この後もいろいろな先生が登場して、たくさんの人がいるな……と感心。お昼には人生初の病院食を食べ、おいしく完食! 薬剤師さんが薬の説明をしに来たり、看護師さんが体温測定をしに来たりと初日からいろいろな人に会えて楽しかったです。ベッドの上で夕飯を食べているとき、ふと「ベッドルームで食事するのって海外のセレブみたいやん……!」と思いました(笑)。ベッドの上が生活のメインスペースになることに対し、既視感がありました。そこで思い出したのが、出張でたまに泊まっていたホテルの広めの部屋のこと。トイレやシャワーが共同なところも合致して、何だか旅行気分になっていました。シャワー室は30分ごとの予約制でした。名前ではなく、私だけがわかる暗号のような絵を描いてシャワー室の予約をしていました。私は髪が長く、乾かすのに時間がかかっていたので、備え付けのドライヤーではなく持ち込んだドライヤーで髪を乾かしていました。手術までの間、夜はレンタルのパジャマを着て、昼はジャージを着て過ごしていました。昼も夜もレンタルのパジャマを着ていれば荷物を減らせたのですが、いかんせん初めての入院で何もわからず……。どっちでもいいとは思うんですけどね(笑)。ー--------------ついに入院の日を迎えたこほこさん。入院経験のある方はどんなアイテムが役立ちましたか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年08月01日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。いよいよ入院する日が近付いてきたこほこさん。手術の説明を受けたこほこさんは夫にとあることをお願いします。そのお願いとは一体……。★関連記事:「まるでダンジョン!?」右乳全摘と同時再建手術前の検査ミッション! #乳がん絵日記 6私は「浸潤性小葉がん」の診断を受け、右乳の全摘手術を受けることになりました。同時に太ももの組織から乳房の再建をすることも決まり、着々と入院の日が近付いてきました。この日は手術の説明を聞くために夫と乳腺外科を訪れました。診察室に入ると、いつもの先生が待っていました。着席すると、早速手術の説明が始まりました。切除する範囲を正面と横から見たイメージで図示してくれました。「リンパ節に転移していたら、リンパを取ります」とのお話もあり、私はリンパが脇だけではなくあちこちにあることを知りました。電気メスを使用するので皮膚が焦げることもあるらしく……私よ、頑張れ! と自分を奮い立たせる。手術時間は乳がんの切除に2時間、再建に7時間の約9時間。その都度、担当の医師から夫に説明が入ることになっていました。切除した部分を見せてもらえるとのことだったので、夫に写真を撮ってもらうようにお願いしました!が、夫はここで痛恨のミス。手術当日は写真のことをすっかり忘れていたみたいでした。後日、病理診断の結果をいただくまでお預けになってしまいました。手術中、夫は病棟の面会室のような場所で読書をしたり、周辺を散歩しながら待機することになりました。コロナ禍のせいで病室での待機ができなかったんですよね……。乳腺外科で手術について説明を受けた後、お支払い窓口へ行きました。そこで限度額適用認定証という、高額な医療費の支払いが自己負担限度額までに抑えられるという証明書を提出しました。その後、入退院の窓口にて家族の連絡先などを書いた紙を提出。そこで改めてコロナ対策で面会ができないことや個室の確保が難しいことを教えてもらいました。一応個室を希望していたのですが、6人部屋になりそうとのこと。洗濯物の交換も難しそうだったのでパジャマとタオルはレンタルにしました。見本を見せてもらって、胸も脚も手術をするので浴衣タイプのパジャマを借りることに。そのとき、T字帯という下着も見たのですがふんどしだということを知り、やや衝撃を受けました! パンツタイプのものがあり、そちらにすることにしました。床頭台(ベッドサイドに置かれているテーブル代わりの収納台)も確認して、何を持ち込むか考えたりと快適な入院ライフを目指して準備を進めました。入院まで残り3週間。まだまだやることはありました。入院や治療中に虫歯が見つかると困るので、久々にかかりつけの歯医者さんへ。するとなんと軽い虫歯が!歯科衛生士さんに乳がんの手術をすることを話すると、歯科医に伝えてくれました。再受診ではなく、その場で治療してくれました。ありがたい〜!そして美容院にも行きました! 私は髪質が硬い上に癖っ毛で……髪が広がるのでくくっていることがほとんどでした。しかし、手術をしたらしばらく右腕が上げられなくなるので、髪がまとまりやすくならないか相談しました。すると、くくらなくてもいいようにストレートパーマを当てることに。時間がなく、飛び込みで行った美容院だったのですがきれいにしてもらえてよかったです。ー--------------コロナ禍の中では自由に面会もできず、寂しくなったり不安を感じたりしてしまいますよね。入院ライフをいかに快適にするか……悩ましいものです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月21日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの告知を受け、手術をすることになったこほこさんが家族や職場の人にカミングアウトをするお話です。夫以外の人に初めて病気になった話をすることに少し緊張していたこほこさん。周りの人の反応は一体……。★関連記事:「全摘になります」手術の説明を聞いた夫がとった行動とは #乳がん絵日記 4「浸潤性小葉がん」の告知を受けた私。右乳を全摘する手術をすることになりました。同時再建もおこなうことにし、手術日も無事決定しました。手術日が決まった翌日、職場への報告をしました。普通に話すつもりだったのですが、自分の病気について他の人へ話をしたことがなかったのですこぶる緊張しました!がんも手術もどこかひとごとに思っていたのですが、口に出してようやく実感しました。コロナ禍ということもあり、オフィスはテレワーク中で人がまばらな状態でした。その日、上司の1人が出社していたため、まずその上司を確保しました。続けてテレワークをしているもう1人の上司にZoomをつなぎ、がんと手術について話をしました。少し情緒が不安定になってしまい、説明がグダグダになってしまいました。しかし、2人の上司はそれをやさしく受け止めてくれました。私が休職している間の引き継ぎや情報共有に関しては上司の判断に任せることにしました。人事の方に休暇取得の方法を聞きに行くと、「病気が見つかってよかったね。人間ドックへ行ってよかったね」と言ってくれました。私は本当にそうだな、ちゃんと見つかってよかったなと心から思いました。そしてその週末、急遽実家へと帰省しました。母は先約があり、家を空けていたので帰るまで待ちました。その間に父と姉にがんと手術の話をしました。どんな反応をされるのか様子見しすぎてしまい、胃がキリキリと痛みました。でも、しっかりと話ができてホッとひと安心しました。登山から母が戻ってきたので、父と姉に話をしたのと同じことを言いました。心配をかけてしまうかもと思っていたのですが、「そんなこともあるわよ!」とひと言。それから「こんな小さい胸のどこにがんができるんかね〜」と笑ってくれました。本当に! 小さいのにね(笑)! 私のひいおばあちゃんも乳がんを患ったことがあるらしく、それでもずっと元気だったと母は教えてくれました。母の言葉に不安が紛れ、あとは治すだけだ! と気持ちが前に向きました。ー--------------自分の病気について他の人に話をするとき、何を言われるのか、どんな反応をされるのか、いろいろなことを考えてしまいますよね。そんなときに前向きな言葉をかけてもらえるとうれしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年07月04日2021年に乳がんが判明し闘病を続けている、こほこさんの体験を描いたマンガを紹介します。今回は乳がんの診断が確定したこほこさんの今後についてのお話です。浸潤性小葉がんの診断を受けたこほこさん。一体どのように治療するのでしょうか。★関連記事:「乳がんにも種類があるんだ…」告知された病名は聞いたこともないもので… #乳がん絵日記 3人間ドックでマンモグラフィー検査を受けたことをきっかけにエコー、造形MRI、針生検の検査をした私に下されたのは「浸潤性小葉がん」。ショックを受けながらも、転移がないか確認するためにCT検査をおこなうことになりました。告知の際に手術をすると言われましたが、まだ考えがまとまらない私にはどこか他人事のように思えました。右乳がんであると告知を受けた後、看護師さんと少しお話をしました。メンタル面のフォローをしてもらっているうちにCT検査をする時間になりました。頭は回っておらず、言われるがままCTの台に寝転び脇を見せました。この検査では全身に転移が回っていないかを確認するそうでしたが、気の抜けた返事しかできませんでした。左手に造影剤を注射し、手が冷えておしりが温かくなるのは造影MRI検査と同じでした。頭の上に輪っかのようなものがあるのがどうにも気になり……目を閉じて検査を受けました。でも造影MRI検査よりも静かなのはよかったです! 検査結果は2日後に出るとのこと。手術は系列の別病院で受けることになっていました。なので検査結果を受け取り、紹介状と一緒に紹介先の病院へ行くことになりました。告知を受けてから3日後。夫とともに紹介先の病院へ。この病院で手術すると思った決め手は、告知してくれた先生がいるからでした。診察室に入ると少し違う白衣を着た先生が! この日は今後の手術について話をしました。前の病院で撮影した造影MRI検査では、どこに腫瘍があるかはっきりしていませんでした。ですがマンモグラフィーの石灰化の広がり方や小葉がんであることなど、いろいろなことを踏まえて全摘になるとのことでした。同時再建ができる日を手術日に設定しましたが、私にはあるモヤモヤが……。それは、部分切除にできないかということでした。私が諦めきれないでいると、夫が「もう一度MRI検査をお願いします!」と言ってくれました。夫よ、なんてやさしさなんだ!それ以外にもセカンドオピニオンについても聞いてくれました。その後、エコー検査をしたのですが「やさしい旦那さんですね〜」とひと言。良い夫を持ったな、と惚れ直してしまいました。ー--------------乳がんの摘出手術をすることになったこほこさん。やはり全摘となると思うことはたくさんありますよね。それを察して発言してくれた夫さんはすてきな方ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic副院長)美容・アンチエイジング専門医。トライアスリート。1979年東京生まれ。2003年獨協医科大学医学部卒業後、東京女子医科大学内分泌乳腺外科に入局。2007年品川美容外科へ入職、2011年品川スキンクリニック新宿院の院長に就任。2013年同クリニック、表参道院院長に就任。その後、予防医学と分子栄養学を改めて学び、美容外科、美容皮膚科、アンチエイジング内科の非常勤医師として複数のクリニックの勤務を経て、現在に至る。著者/こほこ2021年、乳がんになり右胸を全摘。「患者さんが残した記録が誰かのためになることもあるよ」と医師から聞き、絵日記を書き始める。夫と2人暮らしの40代。仕事も趣味も人生も楽しく継続中。Instagram:@co_4_co_kyoto
2022年06月21日