取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部自分の仕事って、誰の役に立っているのだろう。生活者から離れた仕事をしていると、どこにやりがいを感じればいいか分からなくなる時もあります。「お客さんと直接関わらなくても、どんな仕事も誰かの役に立っているもの」そう話してくれたのは、ジェネリック医薬品を製造販売する沢井製薬株式会社で、自社の医薬品情報を伝える医薬品情報センター/お客様相談室でセンター長を務め、この春からメディカルコミュニケーション部の部長に昇格した二出川 真由美さん。「患者さんのお役に立つこと」をポリシーに薬剤師として働いてきた二出川さんですが、今は企業の重役。患者さんとの距離は離れてしまっても「自分の仕事は、最終的に患者さんに届く」という思いで、今は社内マネジメントを主業務としながら、サワイグループホールディングスのID&E推進室の室長も兼任しています。「コミュニケーション」を軸にキャリアを積んできた二出川さん。思いの込もった言葉や行動で部下を成長させてきた彼女の人生を振り返っていただきました。二出川 真由美さんサワイグループホールディングス株式会社 グループ人事部 ID&E推進室長 兼 沢井製薬株式会社 信頼性保証本部 メディカルコミュニケーション部長。1999年に病院薬剤師として入職、2001年に別の病院に転職し服薬指導業務を立ち上げたのち、2002年製薬会社(前職)へ入社。2007年に沢井製薬株式会社に入社し、医薬品情報センターの立ち上げに携わる。2017年より医薬品情報センター長を務め、2024年4月より現職。■「なによりも患者さんのために」。企業理念に共感し、4社目で沢井製薬へQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃は「みんなと同じ」なのが嫌で、人と違う行動をしたがる変わった子でした。下に弟が2人いる長女なのですが、身体を動かすのも好きな、完全なるおてんば娘。小学校の時にはいじめの対象になったこともありましたが、当の本人である私が、全くそのことを気にしていませんでしたね。器械体操の練習に毎日通っていて、興味関心の矛先は、学校よりも習い事に向いていました。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?物心ついた頃から、交渉が得意でした。通っている中学校に体操部がなかったので、教頭先生に直談判しに行ったんです。「3人集めたら部活を作っていい」と言うので、言われた通りに部員を集めて、3人きりの体操部をつくって所属していました。結局、他の子は途中で転部してしまったので、1人で隣の中学校に通って練習に参加させてもらっていましたね。自分がやりたいことをしていたので、1人で行動するのは特に苦ではなかったし、むしろ、他校に友達ができて嬉しいなと思っていました。Q.3 学生時代に注力したことはなんですか。中学の進路指導が化学の教員で、私も化学が得意だったので「薬剤師を目指したら?」と言われ、調子に乗って「はい」と返事をしてしまったことをきっかけに、薬学部受験を志しました。大学に入ってからは、大好きな運動を続けながら、様々なアルバイトにも注力しました。しかし、下に弟も控えていて、両親からは「絶対に4年で薬剤師になれ」と言われていたので、試験勉強にもそれなりに時間を割きました。Q.4 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。学生時に実習で行った研修先の病院で様々なことを学んだこともあり、調剤薬局よりも多くの職種の方々が働いている病院に就職しました。病院では患者さんとのコミュニケーションが楽しかったです。その後初めて転職した先の病院では、服薬指導業務の立ち上げを行いました。その後、企業の管理薬剤師に転職した後に、沢井製薬株式会社に入社しました。Q.5 現在の会社を選んだきっかけを教えて下さい。転職した時期は、ちょうど政策でジェネリック医薬品の使用促進が進められ、ジェネリックの普及に追い風が吹きはじめた頃でした。薬剤師として、ジェネリックのことをきちんと学んでおく必要性を感じ、ジェネリック製薬会社の大手である、沢井製薬に魅力を感じました。それに、沢井製薬の企業理念である「なによりも患者さんのために」という言葉が、それまで薬剤師として大切にしてきた私のポリシーにぴったりフィットしたことも大きかったですね。■「それぞれに合ったコミュニケーション」が成長スピードを加速するQ.6 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。正直、役職にはあまりこだわりがないんです。私はただ「どうしたら患者さんに適切な情報を届けられるのか」を第一に考え、問い合わせてくれた医療関係者の方が患者さんのお役に立てるよう、丁寧な情報を伝えることに注力してきただけなんです。気づいたら、そこに役職がくっついてきたような感覚ですね。身の周りの誰かが「まとめ役を任せるなら、二出川がいいんじゃない?」と言ってくれたようで、それはシンプルに嬉しかったです。Q.7 現在の仕事内容を教えて下さい。医薬品情報センターとお客様相談室には、沢井製薬のお薬に関する問い合わせが、毎日200件ほど入ってきます。医療関係者は忙しい方が多いので、問い合わせに対しては迅速に丁寧に、かつ正確な情報を伝える必要があります。私が入った頃は、患者さんから問い合わせは別の部門が担当していたのですが「一本化できたらいいのに」と思い、当時の本部長に話して合意してもらったんです。なので、今は患者さんからのご相談も受けつけています。役職の高い方々も、平社員だった私のお話を聞いてくれるくらい、風通しがいい会社なんですよ。Q.8 リーダー職についてから大変だったことは?私が入社した2007年当初と比べると、ジェネリック医薬品のシェアはすごく伸びていて、問い合わせの量もどんどん増えています。問い合わせが増えても、情報のクオリティは落としたくなかったので、メンバーを少しずつ増やし、いつの間にか4人から、15人のチームに。2024年度からはメディカルコミュニケーション部の部長に昇格し、サワイグループホールディングスのID&E推進室の室長も兼任することになりました。けれど「リーダーだから大変」と思うことはないですね。「こうしたらどうかな」と思ったことを実行・実現していくことは、やりがいがありますよ。Q.9 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?やっぱり、お客様や患者さんのお役に立てたと感じることが、一番のやりがいです。医療関係者や患者さんのお困りごとにアプローチするのも、社内でお困りごとを抱える人のために社内改善するのも、クライアントの課題解決をしていくという共通点があると思っています。見えている課題を解決することそのものも楽しいですし、それによって誰かが助かるのなら、積極的にやりたいと思えますね。Q.10 リーダー職として気をつけていることはありますか。部下に対して気をつけているのは、一人ひとりに合ったアプローチをかけることですね。一緒に働くメンバーの成長が見られるのは嬉しいですから、もっとパーソナライズ化したアプローチができたらと思って、カウンセラーやセラピスト、コーチングなどの認定資格を取得しました。それぞれの性格や段階によって、かけるべき言葉や投げかける疑問も変わってきます。自分が選んだ言葉や行動の影響で、メンバーが成長できた瞬間を見るのが、泣けるほど嬉しいんですよね(笑)。マネジメントを学んでやってきたというより、やってきたことを振り返ったらマネジメントだったという感じです。■ただ、人の役に立ちたいだけ。手に届く範囲から、変えていくQ.11 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?満員電車が苦手なので、朝は早めに出社しています。なぜか外国の方に道を聞かれることが多いので、スムーズに道案内できるよう、始業時間までアプリで英語のスピーキングを勉強しています。今は自分が問い合わせの電話を取ることはないのですが、メンバーの受けている問い合わせを把握して、困っている子のフォローに回ることが多いですね。あとは、他部署とのやり取りをしたり、 ID&E推進室の会議に参加したり。家に帰ってからは、新しい資格の勉強をしたりしています。Q.12 ストレス発散の方法を教えてください。身体を動かすのが好きなのは昔から変わらないので、休日はバイクに乗ったり、ダイビングに行きます。海は日常とは全く違う世界なので、気持ちいいんですよね。土日も仕事のことを考えてしまうことも多いので、海に潜ったり、バイクで走ったりしている時間は、私にとって貴重な「無になれる時間」です。仕事も考えることも好きだからいいんですけど、デトックスとして楽しんでいます。Q.13 プライベートや仕事の悩みはありますか?目下「どうしたらもっとジェネリック医薬品を患者さんに届けることができるか」について、悩み続けています。ジェネリック医薬品はいわゆる後発医薬品なのですが、飲みづらさやサイズなど、先に出たお薬が持っていた課題を解決して世に送り出されることも多いんです。その上、患者さんの自己負担額も安く、いいところはいっぱいあるんですけど……。情報をうまく伝えてあげないと、医療関係者に選んでもらえるお薬にならないんです。だから、私たちの目指すところはやっぱり「薬剤師さんが選びたくなるような薬を作って、その情報を伝えていくこと」なんですよね。Q.14 今後の展望を教えてください。今までもこれからも、目指すところは変わらず「人の役に立てることを続けていく」ことです。どんな役職についても、患者さんとの距離が遠くなっても、持ち続けてきたポリシーは貫いていきたいです。せっかく色々な資格も取得してきたので、今後は企業のコミュニケーション推進にまつわる仕事にも関わっていきたいですね。日本では、仕事が忙しくて休めないから、すぐに病院に行く人が多いといいます。だけど、上司や会社ときちんとコミュニケーションができて、心身共にきちんと休息が取れたら、病院に行く前に体調が良くなることもあるでしょう。小さな部分から改善して、忙しすぎる医療機関の現状も変えていきたいですね。
2024年05月08日初めての育児は不安ばかりで、自分なりに頑張りつつ義母にも少し手伝ってもらっていました。するとある日、義母からまさかの発言をされ……。そんなこと言わないで…私には0歳の子どもがいます。初めての出産、育児はわからないことだらけで不安だったので、義母に家事や育児を手伝ってもらいながら頑張っていました。 しかしある日、1歳の子どもがいる向かいの家の夫婦を見て、「お向かいさんはよく夫婦2人だけで0歳の時期を乗り越えたわよねぇ」と言ってきたのです。義母に手助けしてもらっている私への嫌味のように感じましたし、義母に頼りきりにならないように自分なりに努力をしていたので、この言葉にはとてもショックを受けました。 もしかしたら嫌味のつもりはなかったのかもしれませんが、何気ないひと言で人の心を傷つけることがあるんだと身をもって実感。相手の置かれている状況をよく考えてから言葉を発するようにしようと、改めて思った出来事です。 作画/さくら著者:見夜
2024年04月29日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部働く女性たちは、自分の意思で社内キャリアを築いていくことの難しさを感じることは多いもの。結婚や出産といったライフイベントもあり、描いたとおりにキャリアを築ける人はなかなかいないのかもしれません。「年齢や性別、それまでのキャリアに関係なく、挑戦したい時や挑戦できる時に行動してみると、何かが変わる可能性があるよ。私は“挑戦が身を助く(たすく)”って思っています」そう話してくれたのは、新卒でNTTに入社し、30年かけてグループ会社の役員にまで上り詰めた、新宅亮子さん。彼女にとっても、自分のキャリアは思い描いた通りのものではなかったといいます。30代でシングルマザーとなった新宅さんは「若い頃は逆に、自分のキャリアを棚上げにして他に優先すべきことに全集中!ということも多かった」と話してくれました。そんな彼女のキャリアが花開いたのは、なんとアラフィフを迎えてからのこと。彼女のキャリアや人生の話を聞いてみると、何かに挑戦するのに、遅いなんてことはないのだと思わせられます。また、地方の営業・企画職を長く務めてきた新宅さんのキャリアを大きく変えるきっかけになったのは、とある「飛び道具的」な努力のおかげなのだとか。新宅 亮子さん1992年NTT入社。仕事と育児を両立しながら地域に閉じたキャリアとして20年以上営業畑をわたり歩き、その後人事労働部門の育成業務に従事。40代後半に差しかかる頃、個人で社外のビジネスコンテストや起業家養成プログラムに挑戦し、そこで得た知見や人脈を社内に持ち込むかたちで活用。イントレプレナーとして活躍する中、介護も経験した後、2022年に飛び級扱いでNTT西日本のグループ会社役員にハードアサイン。その後、2023年7月に新設された「イノベーション開発部」の組織長に任命され、インキュベーション段階にある新サービスの早期立ち上げや新規事業開発に邁進中。■40代後半を迎えて「社外活動」をフックに事業開発組織へとキャリアチェンジQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?好奇心旺盛だった一方で、食が細く体格も小さかったので、母をよく心配させていました。幼少からなんとなく、自分は他の子とちょっと違うかもしれないと思っていました。他の子が興味を持つことに自分は興味を持てなかったり、ちょっと空気が読めなかったり。もちろん悪気はなかったのですが、先生からしても扱いづらさがあったのではないかと、今になって思います。ただ、母がとても優しい人で、何かあった時は「亮子ちゃんは大丈夫」と強く抱きしめてくれました。そのおかげで背負いすぎることなく、のびのび成長できたと思います。Q.2 学生時代に注力したことはなんですか。バイトやサークル活動など、みんなと同じようなことを特に深く考えることなく、楽しんでいたと思います。特に思い入れがあるのは、FM局でのバイトですね。番組コンテンツの企画制作や選曲、パーソナリティまでやらせてもらっていて、エンタメ業界にも興味を持っていました。就職活動も、当時はバブルだったこともあって「女の子はキャラ採用」なんて言われていたので、あまり苦労した覚えはありません。その分、入社してからは色々と苦労しました……(笑)。Q.3 これまでのキャリアを教えて下さい。1992年にNTTに入社し、現在32年目です。長らく、名古屋で営業・企画職として現場仕事を続けてきました。20代で結婚、出産し、30代には離婚も経験しています。シングルマザーとして子育てしてきたので、40代半ばまで拠点を変えないことがキャリアの最優先事項だったのですが、「もっと色々な仕事に挑戦してみたい」という思いもずっと持っていました。私は50代を迎えてから、介護も経験した頃に「NTT University」という多様な経営人材のキャリア形成を支援する社内制度を知り、ちょうど一般公募での募集があったので思い切って受験したところ、合格することができました。「NTT University」では、経営等の研修プログラムの受講に加えて、未経験業務分野でのポスト配置によって実践の業務経験を積むカリキュラムが導入されていました。そのため、「NTT University」への入学を契機に、その年の夏には地域の現場課長から飛び級でNTTメディアサプライの役員にハードアサインされ、現在は新設されたイノベーション開発部の部長を務めています。Q.4 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。新卒時代から「新規事業をやってみたい」「海外で活躍したい」という思いで働いてきましたが、20代後半、30代では、プライベートでのライフイベントが忙しく、目の前の仕事と日常に追われて精一杯の時期が続きました。40代を迎えてから「私の人生ってこれでいいんだっけ」と立ち返り、自費でビジネススクールに通ってMBAを取得したりビジネスコンテストに応募したりと積極的に活動してきました。私から言えるのは、40代、50代でも新しいことを学んだり、挑戦したりするのは遅くないということ。ただ、いきなり高いポジションに就くと今までとは当然見える景色が変わりますから、もちろんプレッシャーは大きかったです。■新しいことを学び、新しい人と出会い……夢だった海外出張にもQ.5 新しい挑戦のために、どんな努力をしましたか。自分の実力試し、運試しも兼ねて社外での実績づくりに力を入れました。40代半ばで通ったビジネススクールでの学びは大きかったですね。そこでの成績が想像以上に良く、志を同じくする仲間にも恵まれ、自分の強みを知ったことをきっかけに様々なビジネスコンテストに応募し、社外実績を持ち込むかたちでNTTグループ内のジョブポスティング制度に応募して夢に見た本社組織への転身をかなえました。大企業務めだったり、地方で働いていたりする方だと、今の会社で新しい挑戦なんてできない、と感じるかもしれません。私もそうでしたが、ハングリー精神と好奇心だけでここまでやってきました。Q.6 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?新規事業や国際的な仕事にはずっと興味があったので、今扱っている商材には非常にやりがいを感じています。例えば、eSIMサービスでは、お持ちのスマートフォンがeSIM対応端末であれば、Webでのお申し込みのみで、物理的なSIMの抜き差しをすることなく海外でもスマートフォンを使っていただけます。コンシューマ向けサービスの取り扱いは当社で初めてのことなので苦労も多いですが、時代の変わり目を作るサービスに携われていることが嬉しいです。Q.7 リーダー職に就いてから、大変だったことはありますか?挑戦するタイミングが遅かった分、周囲で活躍するエリートとの格の違いに悩むこともあります。経営という新しい領域へのチャレンジをしながら、新規事業の数字を伸ばしていかなくてはいけないというプレッシャーに押しつぶされそうになった時もありましたが、人の倍は努力しないとできないことも多いので、とにかくがむしゃらにやるしかありません。とはいえ、完璧をめざすのではなく、不完全なままの私であっても、できるだけ自然体の私で通用する世界をつくりたいと思っています。理想は、個の強みのかけ合わせで共助・協働・共創が育まれ、価値創造に向けた強いチームビルディングが成されること。私は能力に偏りのある人材なので、標準的なリーダーができる当たり前のことができず、その分苦労も多いのですが、誰しも社会のどこかには、自分が活躍できる領域があるはずです。今は自分の活動を通して、キャリアに悩む女性にそのことを伝えていくことをモチベーションに、努力を続けています。Q.8リーダー職に就いてから、嬉しかったことはありますか?去年、海外でのモバイル展示会に視察と個別商談を兼ねて参加させていただきました。念願かなって初めて海外出張に行くことができた時は感慨深かったですね。通訳もなしにトライしなくてはいけなかったので、英語で起業したビジネススクールの友人に個別でビジネス英会話のレッスンをつけてもらってから行きましたが、それでも現地での交流は緊張の連続でした。ただ、「NTT University」で知り合ったNTTグループのグローバル人材の方を通じて得たご縁にも恵まれ、現地で彼女と再会した際にはそこからさらに新たな出会いもいただき、想像以上のグローバル人材との人脈開拓につながりました。初めての海外出張で、個別商談を成功できたことも嬉しかったですが、人とのつながりの大切さを噛み締めた瞬間でもありました。Q.9 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?介護もやり切り、子どもも手が離れているので、ここ数年は今まで以上に、自分のために時間を使えるようになりました。社内では会議をしている時間が長いですが、現在も退勤後は社外活動に力を入れています。ビジネススクールで出会った仲間たちと情報交換をしたり、新しい知識を身につけたり……最近では「中部女性リーダーズサロン」という中部圏を中心に多様性と変革を育むコミュニティにも所属しており、ずっと興味のあったダイバーシティ推進活動にも力を入れています。■異色のキャリアも「当たり前」になる世の中を願ってQ.10 プライベートや仕事での悩みはありますか?今は、仕事で新しい挑戦をさせていただいていることに全力で応えたいという思いが強く、人生も後半に差しかかっているというのに、プライベートな悩みはほとんどありません(笑)。ただ仕事では、様々な社外活動に参加したり、新しい知識を身につけたりしているにも関わらず、なかなか仕事の成果につなげられていないことが苦しいです。ただ、思い悩んでばかりなのもよくないので、睡眠と食事には気をつけて生活しています。身体と心のどちらかが疲れている時は、一方だけでも気をつけてケアするのが大切だと思っています。Q.11 ストレス発散の方法を教えてください。土日も社外活動に勤しむことも多いですが、美味しいごはんも好きなので、地元のママ友たちとおしゃべりしてストレス発散することも。時に、仕事と直接関係のない人と話をすることが、私にとって心安らぐ瞬間になります。離婚やシングルでの子育て、介護など、人生の中で大変なことはこれまでも何度もありましたが、そういった時に人生の先輩や、ポジティブな友人に話を聞いてもらうことで、心が軽くなったことが多かったように思います。今でも心に残っているのは、やりたいことが思うようにできなかった30代の頃、40代の先輩に「女の人生は40からよ」と言われたこと。数年後、その先輩にはさらに「50になると女はもっと自由になる」とも言われました(笑)。確かに、色々なライフイベントがいったん落ち着いたタイミングだったからこそ、今こうして自分の仕事のためだけに生きることができています。苦しい時はいつも、背中を押してくれる誰かの一言に助けられてきたような気がします。Q.12 働く女性たちに一言、メッセージをお願いします。自分としては、飛び級での就任は到底かなわないミラクルのように思えましたが、思い切って踏み出してみたら、新しい世界が開けました。こういったキャリアが、これからは世の中でもっと当たり前のことになっていくと思います。私は決して完璧な人間ではなく、標準的なリーダーと比べて圧倒的に足りていない部分があります。けれど、そんな私を必要としてくれる部署があった。完璧ではなくても、助けて応援してくれる人がいて、活躍できる場所はあります。会社にいるからこそ、足りない部分は人を頼ることもできます。私は、足りない部分も多いけれど足りている部分を強みにした“ありのままの自分”で通用する領域、世界があると証明し、日本のダイバーシティの懐を広げていきたいです。
2024年03月22日自分では頑張ってやっているつもりでも、認めてもらえないと悲しいですよね。もし仕事をしながら家事もほとんどやっているにもかかわらず、彼氏に文句を言われたら、あなたはどうしますか?今回は、大人気マンガシリーズ、うみ(@umi.comic)さんの実体験に基づき描かれた『トンデモ男と婚約破棄した話』をお届けします。彼氏と結婚したい……彼氏からのプロポーズはないものの、結婚話が進むうみさん。彼ママからは、社宅に住むことを提案されていましたが、数ヶ月後にやっとお引っ越し。彼氏もやっと荷物を運び、同棲が始まります。しかし彼氏は“節約のため”といってうみさんに家事を任せておきながら、文句ばかり言ってきて……。アイロンだけじゃなく……気晴らしに出かけると……アイロンがけする彼の姿……様子がおかしい……何か怒ってる……?何をやっても彼氏から認めてもらえず、友人との食事で少しリフレッシュしたうみさん。帰宅すると、彼氏が不機嫌そうにアイロンがけをしていて、不満を吐露します。その後、彼のモラハラや彼の家族の嫌がらせに耐えられなくなったうみさんは、結婚するのをやめたのでした。彼女の家事に文句ばかり言う彼氏……、あなただったらこんなときどう対処しますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@umi.comic)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年02月11日「まだ仕事を頑張りたい……」妊娠をするかどうかの決断は、女性にとって非常に大きな選択です。とくに年の差婚をした場合は、お互いの年齢も考慮しての妊娠に「タイミング」も重要になってくるでしょう。今回のMOERDOORでは、妊娠に悩んだ女性が、当時の心境やその時の自分に伝えたいことなどを聞いてみました。当事者の声はさまざまですが、妊娠に関する悩みを抱える女性たちに、あくまで一例として、参考になれば幸いです。いつ妊娠するのがいいか29歳Bさんの場合私はいわゆる年の差婚で、夫は一回り年上でした。結婚を機に子どもを考え始めましたが、私はまだまだ働きたかったので、しばらくは避妊。ですが、夫の方から、「自分の年齢のことがあるから、できることなら早めに子どもを望んでいる」という話をされ、私は悩みました。仕事も楽しかったのですが、夫を見て、この人を父親にできるのは自分しかいないと思い、避妊を辞め、天に任せることに。結果としてはその半年後に授かることができました。パートナーとはどんな相談を?私は「30歳になるまでは子どもは望んでいない、仕事を頑張りたい」と話しました。ですが夫は、親を安心させたいことや、自分の年齢のことがあるから早く子どもがほしいから、私には仕事を諦めてほしいと言われました。結局は私が折れる形で妊娠に向けて動き出しました。当時悩んでいた自分のような人へ、声をかけるとしたら?正社員でもアルバイトでも、産後に戻れる環境を整えておけばよかったと後悔しました。もし、働くことが好きであれば、仕事を辞めるという選択はしなくてもいいと伝えたいです。(29歳/主婦)妊娠はしたいけど仕事も続けたい……妊娠に関する決断は、それぞれの女性にとって独自の旅です。「まだ仕事を続けたい」「産後も社会復帰をしたい」という女性たちの声を数多く聞きます。ですが実際にいつ妊娠するか迷った方からは「仕事に復帰したい場合、産後に戻れる環境を整えて」とアドバイスが届きました。Bさんと同じようにいつ妊娠するか悩んだ方たちは多くいます。今悩んでいる方には、「1人で悩まなくて大丈夫、まわりに味方がたくさんいます。まず最初に肩の荷を下ろしてくださいね」と伝えたいですね。(MOREDOOR編集部)(イラスト/@mochi_mikan_0123)※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2024年01月21日■これまでのあらすじ明日香と聡は周囲からは理想の夫婦だと思われている。結婚後すぐに子どもにも恵まれ、順風満帆な生活を送っているように見えるが、内情は違った。妊娠・出産の時期にすれ違ったしまった二人はそのまま修復することができず、今や周りの目がないところでは会話すらない、いわゆる仮面夫婦になってしまっていた。そして最近、明日香は聡が職場の後輩と関係を持っているのを知ってしまう。ギリギリの精神状態の中、それでも「みせかけだけの幸せな家庭だとしても娘から家族を奪いたくない」と考えた明日香は、仮面夫婦を続ける覚悟を決める。自分の心を殺して…。美人で聡明な妻がいて、かわいい娘が生まれて、仕事も順調。…そう思っていたのに、どうしてこうなってしまったんだろう。早くに結婚したため、娘が生まれたとき、俺はまだ社内では新人でした。でも少しずつ大きな案件を任せてもらえるようになり、家族のために全力で働きました。明日香が育児に追いつめられていることにも気付かず…。お互い頑張りどきだと思っていたけれど、ふだん弱音を吐かない明日香が限界を迎えていたと告白してくれたことでやっと気付くことができました。そしてできる限りのフォローをしようと決意。慣れない家事と育児でしたが、娘の成長を間近で見られるのは楽しかったのです。でも―…。次回に続く。毎日更新!
2023年12月31日「全然頑張ってないのに毎日しんどい……」そんな状況が続いている日々は、やる気もなくなるし、新しいことに挑戦する気力も起きなくなってしまいますよね。全然頑張ってないのにしんどいと感じるのはなぜなのでしょうか?また、この気持ちを解消するにはどうしたらいいのでしょう?今回は、全然頑張っていないのにしんどいと感じる7つの原因とその対処法を詳しく解説。この記事を読めば、やる気が起きない理由が分かるかもしれません。■全然頑張ってないのにしんどい理由全然頑張ってないのにしんどいと感じるのには、主に7つの原因が考えられます。自身に当てはまるものがないか、ぜひチェックしてみてください。◇(1)既に頑張りすぎている今のあなたは自分が既に頑張りすぎていることに気づかず、疲れ切ってしまっている可能性があります。「自分はもっとできる」「周りよりも頑張らなきゃいけない」という気持ちが強いと、自身の努力を素直に認めることができなくなってしまうのです。◇(2)今の環境が合っていない今の環境が合っていないから、頑張っていないのにしんどいという感情になる場合もあります。人には向き不向きがあるもの。どうしても合わない環境にいれば、それだけで疲れてしまうことでしょう。その結果、頑張ろうとしても結果が伴わず、悩む状況になってしまうのです。◇(3)理想が高すぎる理想が高すぎると、ある程度成果を出していても「まだ足りない」「じぶんはもっとできる」と考えてしまう傾向があります。その結果、自分自身を追い詰めてしまっている可能性も。自分が良いと思う基準と、周りから見る合格ラインは異なります。あなたは完璧主義すぎるのかもしれません。故に、全然頑張っていないという気持ちが続き、しんどい状態になっていることが考えられます。◇(4)体の疲れが取れていない体の疲れが取れておらず、毎日の疲労を引きずったままでいると、少しの仕事量でもつらいと感じてしまう可能性も。朝からだるく、家に帰ってもずっと体が重いといった状態が続く場合はこれに当てはまるでしょう。疲れはしっかりと癒やさないと、どんどんしんどさが増してしまう一方です。一度心身共に休息する時間をつくりましょう。◇(5)気力がなくなっているあなた自身の意欲や気力がなくなっていて、うまく物事に取り組めないケースもあります。この状態が続くと、何事もしんどいと感じやすくなるもの。人によっては無意識に不満をため込んでしまうこともあるでしょう。そのような状況がやる気を奪い、全然頑張っていないのに何をするにもしんどい気持ちになるのです。◇(6)自己肯定感が低い自己肯定感が低いことが原因で、努力しても結果が出ないと思い込んでいるケースもあります。このタイプは、周りから評価されなければ自分が何も成していないと思いがち。自分で自分の頑張りを認めてあげることができないから、しんどさを感じてしまうのです。◇(7)本当はやりたくないことをやっている本当はやりたくないことに挑戦し続けているのも、つらい気持ちが続く原因です。今の仕事が自分に合っていなかったり、性格が合わない人と関わらなければいけなかったりすると、頭では分かっていても苦手意識が強くなります。本当はやりたくないというネガティブな気持ちが積もった結果、頑張っていないのにしんどいという思いが出てきてしまうのでしょう。■全然頑張ってないのにしんどい時の対処法では、全然頑張っていないのに、しんどいと感じる時はどうすればいいのでしょうか?ここからはおすすめの対処法を紹介します。◇(1)自分の頑張りに気づくまずは自分が既に頑張っていると気づき、認めてあげることが大切です。毎日仕事や家事をこなしているだけでも、人は十分に活動しているものです。また、上を目指し続けると疲れてしまうため、時には立ち止まって自分の頑張りを振り返り、認めてあげるといいでしょう。◇(2)できたことを記録する自己肯定感が低い人は、できたことをノートに記録して、見返す習慣をつけてみるのがおすすめです。今日こなした仕事のことや、勉強の進捗などを視覚的に残しておけば、自分はここまでやってきたという自信にもつながるでしょう。◇(3)ネガティブな感情を書き出すしんどいというネガティブな感情は抱えたままにしないで、紙に書き出すことも有効です。心がモヤモヤした状態のままでは、やる気もなくなってしまうでしょう。ネガティブな感情は、外に吐き出すことで気持ちがすっきりするはず。また、頑張れていないのにしんどいという、正体が見えない無気力感から抜け出すヒントにもなるかもしれません。◇(4)あえて何もしない時間をつくるネガティブな気持ちが続いて悩んでいる時こそ、あえて何もしない時間を積極的につくりましょう。「何もしない」とは、スマホなども触らずにただボーっとしたり、昼寝をしたりと、リラックスした状態を楽しむことです。気分をリセットすることで、自分はそのままでいいのだという気持ちが湧いてきて、楽になるかもしれません。◇(5)他人と比べない全然頑張っていないという思いは、他者比較から生まれることも多いです。そのため、決して他人と比べずに、自分は自分のペースでいいと理解することが大切です。「〇〇さんはあそこまで頑張っているのに」と比較してしまうと、どうしても苦しくなりがち。自分のペースで昨日よりも成長できたと思うのならそれでOK、という心持ちが無力感からの解放につながるはずです。■全然頑張っていないのにしんどいのは既に努力しているサイン全然頑張っていないのに毎日しんどいという悩みは、既に頑張っている時に抱きやすいものです。まずは何もしない時間をつくり、体と心を休ませましょう。特に、他の人と比較してしまうと、努力していても達成感が得られなくなりがちなため、自分がこれまでやってきたことを認めてあげる姿勢が大切ですよ。(LIB_zine)※画像はイメージです
2023年12月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部リーダー職に就くためには、若いうちから計算してキャリアを構築する必要がある……そう思っている方も多いかもしれません。だけど、若いうちからやりたいことが決まっていた人って、身の回りにもそう多くはないものですよね。株式会社アデランスのe-ビジネス室でマネージャーとして働く飯野貴子さんも、自身の学生時代をこう語ります。「やりたいことなんてなかった、というか、なーんにも考えてませんでしたよ(笑)」。そう笑って話してくれた彼女ですが、現在はチームのリーダーとして部下たちを牽引する存在。飯野さんのキャリアは派遣社員からのスタートで「当初は興味がある仕事を選べる立場ではなかったんですよ」と話してくれました。艷やかな髪が印象的な飯野さんの話しぶりは、まさに明朗快活。部下や同僚からも「気持ちのいい人」として慕われています。そんな彼女の社会人生活について話を聞いてみると、与えられた環境の中でスキルを身につけ、成長し続けられる人の「社会人としてのコツ」も見えてきました。飯野 貴子さん派遣社員から社会人生活をスタートしたのち、コンサルティング会社に正社員として勤務。その後、アパレル会社のMDとして百貨店ブランド・TV通販ブランド・EC専用アパレルブランドの立ち上げEC販売に12年携わる。2019年9月、アデランスに中途入社。アデランス公式通販サイトの運営、管理をするマネージャーとして活躍中。毛髪診断士。■派遣社員からスタートした社会人生活。思い描いていたキャリアは蹴り出せなかったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期のことは自分ではあまり覚えていないのですが、好奇心旺盛な子どもだったようで母は私が保育園に上がるまでとても手がかかったそうです。好奇心旺盛がゆえに知りたい欲に捉われ、本の世界に没入しました。1人で本を読む時間がかなり好きだったようで、図書館の端から端まで読み込むことを楽しんでいた変わった子どもでした。塾にも通っていましたがあまり勉強は好きではなく、読書のしすぎで夜更かしし、親に怒られるほどの本の虫でした。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?学校に行きはじめてからは、役職を任されることが多かったです。自分から手を挙げることはないのですが、気づいた時には結果的にリーダー役をやっていましたね。Q.3 進学先はどのように選びましたか?大学の付属高校に通っていたため、進学先に悩むことはありませんでした。高校生の頃の自分は何も考えていない子どもだったので、将来のことを考えての行動はできていなかったですね。その結果、大学では学部編入をしました。国際情勢に興味があったのですが、英文学科に進学してしまい、自分が思ったような内容を学べなかったんです。田舎だったし、あの頃は今より気軽に情報もありませんでしたが、それにしてもなぜ誰も教えてくれなかったのか、と他責的に捉えていました。Q.4 留学は経験しましたか?大学時代に短期留学はさせてもらいました。国際情勢を学ぶ中でジェンダーに興味を持ち、韓国の大学院への進学が決まっていたのですが、日韓情勢が悪くなり、泣く泣く渡韓を諦めました。卒業する年の3月に進学を諦めたので時間的に就職活動もできず、就職氷河期であったこともあり、社会人人生は派遣社員からスタートすることに。自分で就職先を選ぶことはできませんでしたし、当時は「自分は負け組だ」と考えていました。■派遣社員時代の「苦労」が、今の自分にとっては大切なキャリアにQ.5 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。派遣社員ですから、自分で思い描いてキャリアを選択できる立場ではありませんでした。社会人になってからは「とにかく今いる場所で頑張るぞ」というモチベーションで働いていました。最初は派遣会社の人事部アシスタント、次はインク屋さんの秘書アシスタント、その後は製薬会社の人事部に派遣されました。その後、縁あってコンサルティング会社に正社員として務めることになり、身体を壊すまで働きました。転職してアパレル会社を経験した後、アデランスに拾ってもらいました。こうやって話してみると、かなり変わったキャリア変遷ですよね(笑)。Q.6 現在の仕事に興味を持ったきっかけは何ですか?前職のアパレル会社でも役職に就かせていただいていたのですが、親会社に吸収合併されたことをきっかけに、転職を決意しました。アデランスに興味を持ったのは、人の悩みを解決する仕事に関わってみたいと思ったからです。自分に大きな影響を与えたコンサル時代の経験が生かせそうとも思いましたし、アパレル時代に経験したEC運営のスキルも生かせるので、アデランスでもマネージャー職として採用いただき、ECチームに配属となりました。Q.7 リーダー職に就いた時の心境を教えてください。初めてリーダー職に就いたのはコンサル会社の時でしたが、アデランスのような大きい会社で役職に就くとなると、求められることも多いのだろうと不安を感じていました。実際働いてみると、社員はいい人ばかりだったのですが、ECサイトで取り扱う商材も自分にとっては未知のものばかりだったので、当初は商品理解のために多くの時間を費やしました。Q.8 リーダー職についてから大変だったことは?ECサイトで販売するアイテムは、私たちECチームが商品企画や開発に携わることがあります。特に、今年4月に発売した「AWANIST」の開発~発売までは、アデランスで働いた数年間の中でもいちばん大変でしたね。AWANISTは、スイッチを入れるだけで自動的に質の良い濃密な泡ができあがる、独自開発の電動シャンプーブラシです。お箸の使い方は教わりますが、髪の洗い方って誰も教えてくれないなと思ったんですよね。毎日正しい髪の洗い方をすれば髪の悩みのほとんどがいい方向へ導かれるのではないか、という視点の元開発されたガジェットです。ブラシと一緒に専用のヘアケア製品の開発も進めていましたし、その上で通常業務も進めていたので、色々と調整が必要でした。鬼のように残業していたコンサル時代なら「何時まででも終わるまで働けばいい」と考えていたかもしれませんが、アデランスに入ってからはいかに効率よく、定時までに仕事を終わらせるかに注力するようになりました。私も歳を重ねましたし、今はチームの子にも「仕事と私生活のライフワークバランスが大事」と指導するようになったので、残業せずに仕事量をこなすのは、今までとは違う工夫が必要でしたね。Q.9 リーダー職として気をつけていることはありますか。2社目のインク屋さんで秘書業務をしていた時、上司にあたる女性がすごく怖い人だったんです。仕事の仕方を教えてもらえないのに、できないと怒られるので、何時間かけてでも自分で答えを見つけながらタスクをこなしていました。部下にそういったコミュニケーションを取ろうとは思いませんが、あの時身についた「自分で答えを見つける大切さ」は、今の若い子たちにも知ってほしくて。分からないことがあったらすぐに声をかけて欲しいけど、すぐに答えを与えず「なぜ疑問に思ったのか、どうしたかったのか」と聞くようにしています。派遣社員からスタートした社会人生活は人より忙しかったし、働いてばかりいたけど、得るものもあったと思っています。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、私の20代はまさにそんな生活だったので。今はその経験ができたことに感謝しています。■「ありがとう」の言葉がいちばんのモチベーション。部下の育成にも力を入れたいQ.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?1日のはじめに前日の売上をチェックするのですが、利益が出ていることが分かる時が一番うれしいですね。特に、自分が開発した商品が売れて、いい口コミがついた時が一番うれしいです。AWANISTはもともと、美容感度の高い若い女性に向けて作った商品だったのですが、いざECで販売してみると、想定とは違う層に受け入れられました。今はシニア層の方々に多くご購入いただいていて、髪が上手に洗えるようになって嬉しいというお声が届いています。アデランスは、人々の悩みに向き合っている会社です。だからこそ、お客様から直接に「ありがとう」という言葉をかけていただけることが多く、働き続ける大きなモチベーションになっていますね。Q.11 仕事終わりやお休みの日は何をされていますか?アデランスは今までの社会人生活の中でもっともホワイトな企業なので、時間を持て余すようになって困っています。平日の帰宅後は夜は昔と比べると考えられないくらい早く寝るようになりました。土日もゆっくり自分の生活に時間をかけることができるようになり、人生でいちばんのスローライフを満喫しています。昔は昼夜仕事のことばかり考え、夢にまで出てきていましたが、今は会社にいる時以外、仕事のことを考えなくなりました。Q.16 今後の展望を教えてください。今の若い人にとっては「アデランスって何?」という人も多いと思います。サロン事業を若者に知ってもらうのは難しいかもしれませんが、私たちはECという広い玄関口を構えるチームなので、若い人にも知っていただき身近に感じていただけるような新商品開発を進めていきたいです。リーダーとしては、チームメンバーの育成にも力を入れていきたいです。自分の若い頃とは随分雰囲気の違う部下たちと日々接していますが、学ばせてもらうことも多いですね。ただ、私のキャリアの中では「悔しさを感じる経験」が自分にとってかなり重要だったとも思っています。失敗するかもしれなくても、チャレンジの場を与えてあげるのも、リーダーとしての務めだと思っています。チームメンバーにはもっともっと、色々な経験をさせてあげたいですね。
2023年12月01日仕事や人間関係において頑張りすぎて疲れてしまったことはありませんか?なかには、頑張りすぎて無意識にストレスをため込んでいることもあるようで……。そこで今回は、MOREDOORの大人気TikTokより、オリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』をご紹介します。※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ病」を再現したフィクション漫画です。少しでも多くの方に、うつ病について考えるキッカケづくりを目指して制作されました。本作品にはうつ病の症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。漫画のあらすじ学生時代は成績優秀、友人も多くしっかりものの宇都宮さん。第一志望の会社に就職し、社会人になっても活躍する未来がくると思っていた。しかし環境の変化、上司からのパワハラ、深夜までの残業の日々……。自分を説得しながら……『でも、今までも頑張って来たんだから、私なら大丈夫。きっと、大丈夫……。』宇都宮さんは毎日の残業に、どんどん心と体が疲れていました。友人に勧めで病院へ行くと、『うつ病』だと診断されます。しっかり休むこと読者の感想は……『主人公の宇都宮さんは、支えになってくれる同僚や医師に恵まれたことが救いだと思いました。』『本当にいい同僚に恵まれてよかったです。』『そこまで踏ん張らなくてもよい時だってあります。一日でも早く明るい兆しで、どんな困難があっても負けないでほしいです!』『心の中は目には見えないので自分でも気づかない間に鬱が進行してしまうこともあるんだなと感じました。』など、さまざまなコメントが寄せられました。その後の宇都宮さんは……宇都宮さんは、同僚や先輩が気にかけてくれたり、会社のサポートがあったりと、周囲に頼ることで安心します。そして1ヶ月間、休職することを決意。「今の自分と向き合う必要がある」ことに気がついた宇都宮さんは、通院や日々の散歩を日課にすることで症状も緩和していったのでした。皆さんはこの漫画、どう感じましたか?※うつ病などの精神疾患の症状、治療、回復過程には個人差があります。※悩みや不安などで困っているときには、気軽に相談できる場所があります。電話やSNS・チャットなどさまざまな相談窓口があるため、ご自身にあった方法で使用してみてください(参考:まもろうよこころ、厚生労働省)。※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年11月10日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部皆さんは、リーダー女性にどんなイメージがありますか?忙しいスケジュールに耐える精神力、関係各所とスムーズにやり取りするコミュニケーション力……仕事だけでなく人柄も素晴らしい女性、という印象がある方もいるのではないでしょうか。では、リーダー職はポジティブ思考なコミュニケーション猛者しかいないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。第一三共ヘルスケアで「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとしてブランドを牽引する土合桃子さんは、25歳で現在のポジションに就任しました。しかし彼女は「幼い頃から内気で人見知りな性格だった」と話してくれました。学生時代の留学や、向いていないと思っていた営業職を経験し、新しい環境にも恐れずに飛び込み続けることで、苦手なことも克服してきた土合さん。学生時代には人の先頭に立つような立場なることは想像していなかったという彼女のキャリアを聞いてみると、苦手と割り切らず挑戦してみることの大切さを知ることができます。土合桃子さんドラッグストアの営業職に3年間従事した後、2020年4月から「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーに就任。つらい痛みに悩んでいる方のQOL(生活の質)向上に貢献したいという思いで、幅広い痛み悩みに対応した新製品の開発や、薬を正しく使っていただくための啓発活動に取り組んでいる。■留学と営業経験で「かなりの人見知り」を克服Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から人見知りが激しく、親戚が集まる時には家族の背中に隠れてしまうような、内気な子どもでした。学童に通っていたこともあり、同い年くらいの子とはなんとか仲良くなれるのですが、あまり自発的ではなかったので、なんとなく周りの子が作ってくれる空気に合わせて遊んでいました。Q.2 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの中の1人といった存在で、特に目立つ生徒ではなかったと思います。運動が苦手だったので、部活は高校生になるまでやっていなかったのですが、勉強は好きでした。やったことがそのまま結果になるのが気持ちよくて、誰に言われずとも自発的に勉強していました。Q.3 大学はどのように選びましたか?文系科目の方が得意で、多様なコミュニケーションにも興味があったので、異文化コミュニケーションが学べる学部に進学しました。2年生の時には留学も経験し、アメリカのモンタナ州に行きました。様々な国の学生が集まる寮ではブラジル人の女の子と同室になり、これまでの自分とは180度異なる積極性に驚きました。彼女との関わりの中で、世の中に多様なコミュニケーションがあることを知り、自身の人間性を深めるきっかけになりました。幼い頃から積極性に欠けるタイプでしたが、自分が育った環境とは異なる文化に触れたり、自分から何かをつかみ取っていく留学生たちと接したりする中で、自分も新しいことにチャレンジしたいと思うようになりました。また、留学中には地元のボランティアにも参加し、自発的な働きかけで成果を出すことの面白さを知りました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?高校生の時に近所のドラッグストアでアルバイトをはじめ、大学を卒業するまで続けました。ヘルスケア領域で仕事をしたいと思うようになったのは、ドラッグストアでの仕事で薬やヘルスケア商品を身近に感じるようになったことが大きな理由です。レジ打ちや品出しが主な仕事ではありましたが、お客様と触れ合う機会が多かったこともあり、生活におけるヘルスケアの重要性を感じるようになりました。Q.5 会社に感じた魅力はなんですか。第一三共ヘルスケアはOTC医薬品を中心に取り扱う会社なのですが、当初は商品数やバリエーションの幅広さに魅力を感じました。不調に対処する医薬品から、健康を保持するためのスキンケアやオーラルケア製品など、様々な状態の人を包括的にカバーできるのがいいなと感じました。総合職として募集されていましたが、営業にはあまり自信がありませんでした。しかし営業先には、自分と関わりの深かったドラッグストア様も多いので、苦手意識のあった営業職からでもキャリアをスタートする決意ができました。Q.6 これまでのキャリア変遷を教えて下さい。最初の配属は名古屋で、営業として東海3県で約100店舗を展開するドラッグストア様の窓口担当をしていました。人見知りな性格も営業時代にかなり改善され、積極的に営業先に働きかけ、店舗と連携して販売方法をご説明させていただく機会を設けるなど、店舗ごとの販売モチベーション維持に注力しました。こちらから働きかけたことに対してきちんと協力してくださる、あたたかい人柄の方が多く、私自身も励まされました。3年間の営業時代には、人と真剣に関わることの大切さや、良好な人間関係の中で仕事が成功した時の喜びを知ることができました。入社当時から「営業を経験した後は、ブランドマネジャーとしてキャリアを積んでいきたい」と上司に伝えていたのですが、想像以上に早いタイミングで異動が決まりました。■営業時代の経験を生かし、若手リーダーとしてブランドを牽引Q.7 現在のお仕事内容を教えてください。現在は「ロキソニン内服薬」シリーズのブランドマネジャーとして、ブランド全体の育成戦略を立てています。新製品の開発や既存品の育成戦略の検討、広告戦略の立案など、幅広い業務に携わっています。また、生活者の方々に定期的なブランド調査も行っており、検討内容とニーズのバランスを考えながら、社内会議で検討しています。痛みに関する実態把握や啓発活動も行っており、近年はとくに気圧・気象の変動に伴って発生する頭痛(気象病)や、女性特有の痛みである生理痛に対する理解促進、対処啓発に注力しています。Q.8 若手としてブランドマネジャーという職に就いてから、大変だったことはなんですか?本社に異動してからは、営業現場で働いていた時とは業務内容も環境がガラッと変わり、日々の業務もいちから自主的に学ぶ大変さがありました。また、本社で関わるメンバーには自分と年次の離れた先輩も多く、ブランドマネジャーとして様々な部署と連携を取る時には、関係づくりに苦労しました。些細なことでもデスクに直接聞きに行き、まずは顔を覚えてもらえるように工夫しました。留学や営業で自主性や積極性を身につけられていなければ、社内コミュニケーションにももっと苦戦していたと思います。Q.9 ブランドマネジャーとして、意識されていることはなんですか。私はブランドを牽引する立場ではありますが、自分より役職の高い方に業務をお願いすることもあります。業務上必要なことではあるものの、皆さんが他にも重要な仕事をこなしていることを十分理解し、やってもらって当たり前と思わないようにしています。ブランドとしての想いや背景をしっかり説明したり、期日を明記した上でメールを送ったりと、相手が疑問を感じづらいコミュニケーションを工夫しています。Q.10 どんな時に仕事のやりがいを感じますか。実際に生活者の方々のお声を聞いて、自分が担当した製品が役に立っていることを実感する時が一番嬉しいです。今年の3月年に「ロキソニンSプレミアムファイン(第1類医薬品)」という生理痛向けの新製品を世に送り出した時も、SNSやネットにアップされる生の声を見て、人々に必要とされる製品だったことを実感しました。学生の頃は自分が誰かの役に立てるとは思っていませんでしたが、仕事をはじめてからは、自分が働く意味やその価値を感じるようになりました。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。9時過ぎに出社し、メールの確認から1日を始めます。お昼は同じ部署の仲間とランチして、午後からは打ち合わせや会議をこなします。合間に資料を作ったりもしながら、20時までに退勤する日が多いです。忙しさは時期によって変わるのですが、睡眠はしっかり取るようにしています。■夢はブランドマネジャーとしての持続的な成長Q.12 ヘルスケア習慣について教えてください。まず、不調が出た時には効果的に薬を使って対処するようにしています。痛みを我慢していると鎮痛薬が効きづらくなるので、すぐに病院に行けない時は自社製品も服用します。私もロキソニンに携わる前は、ちょっとした痛みなら我慢したまま生活するのが当たり前と思っていました。しかしロキソニンの効能について詳しく知ってからは、低気圧の日に頭痛が生じたときやデスクワークが続いて体に痛みを感じた日なども、我慢せず薬を服用するようになり、生活のクオリティや仕事のモチベーションが保ちやすくなりました。生活者の方々のお声を聞いてみると、ロキソニンに対して「よく効くから体に負担がかかりそう」という印象を持っている方も多いようなのですが、実は服用時の胃への負担が少なくなるように工夫されていて(※)、効き目と胃への優しさを追求した鎮痛薬なんです。ロキソニンに対する正しい情報を世に伝えていくことも私の仕事なので、今後も様々な形で魅力を広めていけるように注力していきたいです。また、最近は年齢を考えてジムで運動をするようになりました。幼い頃からずっと運動が苦手でしたが、機械を使えば私でも運動ができるんだな、と感動しています(笑)。Q.13 今後の展望を教えてください。学生時代の自分は内気で人見知りで、誰かを引っ張る存在になれるなんて思っていませんでした。留学や営業など、自分が苦手と思っていたことにもチャレンジしてみたことで、今の自分がいます。実は第一三共ヘルスケアが新卒採用を始めたのは今から10年前で、私はその4期生なんです。そのため、年齢が近い先輩方が、結婚・出産などのライフイベントを経たのち、どのような働き方をしているのかを知る機会がまだ少なく、自身のライフステージが変わった時の働き方も、今はまだ想像がついていません。だからこそ、今後プライベートの状況が変わっても私がブランドマネジャーを続けていくことで、社内の後輩たちのロールモデルになれればと思っています。仕事とプライベートのどちらにも言えることですが、未来の見えない挑戦でも、これまでのように積極的に飛び込んで、新しいスキルや経験を得ていきたいです。※胃粘膜を刺激しにくい形で通過し、体内で吸収されてから鎮痛効果を発揮するプロドラッグ製剤
2023年11月07日生理中は体調不良などで悩んでしまう方もいるでしょう。中には、暑い中の立ち仕事で大変なことになってしまったという方も……。今回はそんな「生理を気合いで我慢していたら、大変なことになったエピソード」をご紹介します。42歳、フリーランスKさんの場合……私は普段から長時間の立ち仕事で慣れていたので、生理が来ても仕事を休むことはありませんでした。しかし、その日は職場の倉庫がとても暑くて大変でした。生理中だったものの、水をあまり飲まずに仕事をしていたら、フラフラになってしまい、倒れてしまいました。あのときは本当に怖かったです。その時の心境、またその後は?倒れるということが初めてだったので、怖かったです。すぐに店内の涼しいところに行って、水を飲んで休憩したら治りました。※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。長蛇の列に並ぶことに……自身の体験談を描く漫画家みわ柴(@miwashibachan)さんの「生理で別れた話」でも、生理を我慢してしまった場面が描かれています。主人公のみわ柴さんは、生理痛が酷く座っているだけでもつらい状態でした。その様子を見た彼は、みわ柴さんを気遣うも「出かけよう!」と提案してきます。彼の優しさを無下にできず鎮痛剤を服用し、いざ出かけるのですが……。彼が提案してくれた気遣いが、みわ柴さんにとってはつらい状況だったようですね。この後、生理への理解が足りなかった彼氏は、みわ柴さんの様子を見て不機嫌に。さらに生理をめぐって主人公と彼は大きくすれ違ってしまいます。こんな時どうする?生理だと「我慢をすれば大丈夫」といった風潮があるかもしれません。体調が優れない時は、無理をせずゆっくりすることも大切です。今回は「生理を気合いで我慢していたら、大変なことになったエピソード」をご紹介しました。※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。※毎月の生理が「いつもと違う」「量が多い」と感じたり、「健診や他の病院で貧血がある」と言われたら、なるべく早めに婦人科に行くことをおすすめします。かかりつけの婦人科医を持つのもよいので、検討してみてください。漫画の監修:新見正則医院院長、新見正則1985年慶應義塾大学医学部卒業。1998年移植免疫学にて英国オックスフォード大学医学博士取得(DoctorofPhilosophy)。2002年より帝京大学医学部博士課程指導教授(外科学、移植免疫学、東洋医学)。2013年イグノーベル医学賞受賞(脳と免疫)。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は、世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアの啓蒙普及のために自由診療のクリニックでがん、難病・難症の治療を行っている。新見正則医院では世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬「フアイア」を使用。最新刊『フローチャート整形外科漢方薬』はAmazonで三冠(臨床外科、整形外科、東洋医学)。下記も好評発売中。「しあわせの見つけ方、予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通」(MOREDOOR編集部)
2023年10月12日生理中とはいえ、仕事を頑張りたいときもありますよね。しかし、中には頑張りすぎてしまい大変なことになってしまうこともあるようです。今回はそんな「生理を気合いで我慢していたら、大変なことになったエピソード」をご紹介します。42歳、フリーランスSさんの場合……仕事を始めたばかりの頃。頑張ろうとかなり気合いが入っていたので、生理痛があったものの我慢して立ち仕事頑張っていました。すると、だんだんとお腹の痛みが強くなり、立っていられないほどになり、座り込んでしまいました。お客さんに驚かれるし、先輩には怒られるしで、大変でした。その時の心境、またその後は?恥ずかしかったです。ちゃんと座ったり休んだりを心がければよかったです。「休憩室で休みな」と、言われたので痛み止めを飲んで30分ぐらい休ませてもらい落ち着きました。※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。彼と長蛇の列に並ぶことに……自身の体験談を描く漫画家みわ柴(@miwashibachan)さんの「生理で別れた話」でも、生理を我慢してしまった場面が描かれています。主人公のみわ柴さんは、生理痛が酷く座っているだけでもつらい状態でした。その様子を見た彼は、みわ柴さんを気遣うも「出かけよう!」と提案してきます。彼の優しさを無下にできず鎮痛剤を服用し、いざ出かけるのですが……。彼が提案してくれた気遣いが、みわ柴さんにとってはつらい状況だったようですね。この後、生理への理解が足りなかった彼氏は、みわ柴さんの様子を見て不機嫌に。さらに生理をめぐって主人公と彼は大きくすれ違ってしまいます。こんな時どうする?生理だと「我慢をすれば大丈夫」といった風潮があるかもしれません。体調が優れない時は、無理をせずゆっくりすることも大切です。今回は「生理を気合いで我慢していたら、大変なことになったエピソード」をご紹介しました。※この記事は実際に募集したエピソードを記事化しています。※毎月の生理が「いつもと違う」「量が多い」と感じたり、「健診や他の病院で貧血がある」と言われたら、なるべく早めに婦人科に行くことをおすすめします。かかりつけの婦人科医を持つのもよいので、検討してみてください。漫画の監修:新見正則医院院長、新見正則1985年慶應義塾大学医学部卒業。1998年移植免疫学にて英国オックスフォード大学医学博士取得(DoctorofPhilosophy)。2002年より帝京大学医学部博士課程指導教授(外科学、移植免疫学、東洋医学)。2013年イグノーベル医学賞受賞(脳と免疫)。20代は外科医、30代は免疫学者、40代は漢方医として研鑽を積む。現在は、世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬フアイアの啓蒙普及のために自由診療のクリニックでがん、難病・難症の治療を行っている。新見正則医院では世界初の抗がんエビデンスを獲得した生薬「フアイア」を使用。最新刊『フローチャート整形外科漢方薬』はAmazonで三冠(臨床外科、整形外科、東洋医学)。下記も好評発売中。「しあわせの見つけ方、予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通」(MOREDOOR編集部)
2023年10月10日仕事や人間関係において頑張りすぎて疲れてしまったことはありませんか?頑張りすぎて無意識にストレスをため込んでいることもあるようで……。そこで今回は、MOREDOORの大人気TikTokより、オリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』をご紹介します。※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。漫画のあらすじ学生時代は成績優秀、友人も多くしっかりものの宇都宮さん。第一志望の会社に就職し、社会人になっても活躍する未来がくると思っていた。しかし環境の変化・上司からのパワハラ・深夜までの残業の日々……。『でも、今までも頑張って来たんだから、私なら大丈夫。きっと、大丈夫……。』真面目でがんばり屋な主人公が、うつ病にかかってから、それを受け入れ、前を向いて歩いていくまでの物語。改善するために……読者の感想は……『完全に仕事を辞めるのではなく自分に合った働き方を見つけ、それを周りもサポートしてくれる環境が良いんだな。』『辞めさせられず、違う部署で時短を聞いてもらえてあながちブラックでもなかったのかなと安心しました。頑張り屋さんは体調崩しやすい気がします。ぼちぼち生きましょう。』『真面目な人こそ、人に頼らず自分で解決しようとしてしんどくなるんだと思う。甘えることは恥ずかしいことではないともっと社会が認めてくれたら良いのにと思った。』『感情を持って生きる人間にとっては、心無い相手の言葉や行動に酷く傷付くことが多いと思いよね。』など、さまざまなコメントが寄せられました。主人公は、”うつ病”の向き合い方に気づいたようです。皆さんはこの漫画、どう感じましたか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年10月07日取材・文:仲野もも撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、世界最大級のビジネス特化型SNSおよび同サービスを提供する『LinkedIn』の日本法人・リンクトイン・ジャパン初の女性代表を務めている田中若菜さんです。田中さんが代表になった経緯を聞くと、なんとLinkedInを通して日本法人代表へのオファーがあったことがきっかけなんだとか。転職を5回以上経験し、様々な業界で幅広いスキルを身につけている田中さんの素顔に迫ります。田中若菜さん2003年米ハーバード大学ビジネススクール 経営学修士(MBA)取得。日本ロレアル株式会社ブランドマネージャー、グラクソ・スミスクライン株式会社 変革推進室長、Google合同会社 Google PartnerOlex Tokyo統括、執行役員などを経て、2023年3月よりLinkedIn日本法人・初の女性代表に就任。■幼少期から好奇心旺盛。ジャカルタ生活がきっかけで国際関係に興味を持ったQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?私には弟がいて、長女ということもあってリーダー気質というか、いろいろなことに手を上げて自分からトライするような子どもでした。失敗を恐れない、好奇心旺盛な女の子でしたね。班長とかもよくやっていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父はすごく厳格で厳しかったです。一方で母はおおらかでポジティブな、いつも笑顔のはじけるような人でした。母から受けた影響はすごく大きいですね。父の仕事の都合で中学3年から高校3年までジャカルタで暮らしていたんですけれど、異国の地で日本人ファミリーとして生き延びていくために家族一致団結する必要があり、そのおかげで家族仲が良くなりましたね。私がチャレンジすること全てをサポートしてくれる、そんな家族でした。Q.3 大学はどのように決めましたか?国際関係や政治について学びたいと思って、その当時国際政治分野でトップだったアメリカのジョージタウン大学に進学しました。この先生のもとで学びたい!と思った教授がいたのも、選んだ理由の一つです。当時はちょうど冷戦が終わってベルリンの壁が崩れて、世界がすごく変わったときだったんです。それで、このままだと日本はどうなるんだろうって考えて……。また、インドネシアで育って、日本が戦時中どんなことをしていたのかを現地の人から聞いて、「日本で受けた教育とは違う。ちゃんと政治や国際関係の勉強がしたい!」と思ったのが専攻を決めたきっかけですね。Q.4 大学時代はどんなことに注力しましたか?学生時代は学校での勉強の他に、地域の人に英語を教えたり老人ホームでボランティアしたりしていました。あとは性被害を受けた女性を助けるNGO団体があって、そこで経営方針を考えるコンサルティングのアルバイトをさせてもらいました。社会の課題に触れながら、将来自分は何がしたいのかなって考えていましたね。■「私も女性の背中を押す存在になりたい」目標ときっかけをくれたのは、昔からお世話になっていた年上の女性の友人Q.5 大学卒業後はアメリカで就職したのですか?いえ、大学を卒業するとともに日本に戻ってきました。これから就職するというときにアジアの通貨危機が起こり不景気になったので、日本に戻ってきた方が仕事を見つけやすかったんです。バイリンガルだったということもあって、最初はコンサルティング会社に就職しました。久々に実家に戻って4年ほどがむしゃらに働いた後、ハーバード大学大学院のビジネススクールに入学しました。Q.6 なぜMBAを取得しようと思ったのですか?キャリアアップするにはどうしたらいいんだろうと考えていたんですよね。職場にはMBA卒業生が多くいたのもあって、自然な選択でした。ただ最初はハーバードではなく、別の大学を考えていました。ハーバードは自分には無理だろうなって思っていたんです(笑)。でもたまたま昔からお世話になっていた年上の女性の友人でハーバードのMBA卒業生がいて、「若菜ちゃんならできるよ!」って背中を押してもらって、受けてみたら合格をいただいて。その先輩にはハーバードに行くきっかけをいただいてすごく感謝しています。女性に多いように思うんですけど、100点を取れないと「自分はできる」って言わないんですよね。80点だとまだまだだなと思ってしまうというか、ギャップに目がいきがちだと思うんです。私もそうだったんですが、そこで「大丈夫だよ」って背中を押してくれた人がいたおかげでチャレンジできました。その時に、私も若い人の、女性の背中を押すような、そんな存在になりたいと思いましたね。Q.7 ハーバードではどのようなことを学びましたか?経営プランを立てたりディスカッションしたり、疑似経営体験の授業をくり返して「自分がリーダーだったらどうするか」というマインドをつくりました。人って立場が変わると視点が変わるというか、マネージャーの視点になった瞬間見えるものが変わるんですよね。すごくいい練習だったなと思います。その他にもいろんな授業を受けましたが、振り返ってみると「自分は何をやりたいのか」「どんな存在でいたいのか」そういうことを考えたり、インターンシップをしたり、いろいろトライできる時間だったなと思いますね。やっぱり授業の内容は忘れてしまうんですけど、培ったマインドセットみたいなのは今も忘れていません。女性は介護や育児でキャリアを休む期間が出てくると思いますが、MBAを取得したらそういった時も復帰しやすくなりますし、自分が立ち戻れる場所でもある。リスキリングとして一番の投資にはなるので、特に女性におすすめしています。Q.8 MBAを取得後、どのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?新卒で就職したコンサルティング会社ではいろいろな業界を担当しました。経営ってこんな感じなのかなとイメージしていくうちに、自社で商品を作って市場に出して……ということを一通りやってみたいと思ったので、MBA卒業後は化粧品メーカーに入社してブランドマネージメントにトライしました。商品開発から流通、価格設定、在庫管理までいろいろ触れることができて、すごくいいスキルセットを学ばせていただいたし、自信にもつながりましたね。その後、結婚して子どもを産んで、お仕事を少しお休みしました。産休の間は自分でリスキリングしたり、コーチングの資格を取ったりしました。その時学んだコーチングは、今も自分のパッションだと思っています。というのも、コーチングはリーダーシップに通ずるものがあって、メンバーのやる気を引き出すような、コーチングを軸にしたリーダーになりたいと思ったんですよね。その後もさまざまな経験を積んで、その経験を買われてリンクトインからオファーが来ました。■スキル型採用は女性のチャンスを広げる。リンクトインのビジョンに魅力を感じ日本法人代表にQ.9 リンクトインを含め、どういったポイントで就職先を選んできましたか?お仕事を選ぶときに大事にしていることは3つあります。まずは会社のビジョンやミッション。私自身いろいろな経験を得た中で、後に続く世代の地位を上げたいと思うようになりました。将来の日本の女性、アジアの女性の地位を上げることに貢献したいんです。ビジネスにおける「機会」って均等ではないと思うんですよね。やっぱり限られた人に集中してしまう。日本社会の場合はそれが大企業の男性であることが多いと思うんですが、スキルベースの採用になれば、どこに何年務めたかでお給料は決まらない。どんなスキルを持っているか、どんな結果が出せるのかでお給料が決まれば、女性にもチャンスが増えますし、より平等になると思うんです。リンクトインを通してスキルベースの採用が浸透すればそういう社会を実現できる、そこに魅力を感じました。次に、私がどれだけ貢献できるか。そして、家庭と両立できるかです。私には子どもが二人いるので、母としてもプロフェッショナルでいたいというか、妥協したくない。家庭と仕事を両立できる、会社の社員に対する扱い方を尊敬できる会社がいい。これまでの会社もこのポイントで選んできたのですが、リンクトインはやっぱりビジョンに魅力を感じたこと、貢献できるところがあったので、お話を受けることにしました。Q.10 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?サービスを使うことで人生が変わった、新しいお仕事に就けた、ネットワークが広がった、そういう声を聞くとすごく嬉しいですね。またリンクトインではe-ラーニングサービスも展開しているんですが、それを全社導入したことで社員が学習するようになったとか、人材が増えて会社の競争力が上がった、その結果として株価が上がったとか……。初めて会社のトップに立って自分が試されているなと思うこともありますが、そう言った声を聞くと、すごくやりがいがあるなって思います。Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。リンクトインは人と人、人と会社を繋ぐので、仕事中は基本的に人と会っています。本社がアメリカに、アジア支社の本部がシンガポールにあるので、オンラインMTGや海外の人とのMTGも多いです。お昼は会社でヘルシーなお弁当を頼んでいるので、みんなで集まって食べたりしています。夕飯の後は子ども達と話したり宿題を手伝ったりしますが、もう二人ともティーネイジャーなので、干渉しすぎないようにしています(笑)。寝るのは大体24時頃、就寝前の2時間くらいは自分の時間に使えることが多いですね。できるだけストレッチやエクササイズをするようにしています。■仕組みが変われば社会が変わる。若者や女性が輝ける社会をつくりたいQ.12 お休みの日は何をされていますか?休みの日は家族と過ごしています。娘がK-POPにハマっていて、この前は一緒にライブに行きました(笑)!あとはファッションにも興味を持ち始めたので、一緒に買い物に行くことも。息子はスポーツをしているので、応援に行ったり、差し入れを持っていったりすることもありますね。他にはやっぱり、「チームはリーダーを見て変わる」とよく言われているので、まずは自分がリスキリングするようにしています。LinkedInラーニングは1コース1時間ほどの内容を、1回3分の動画に分けて学ぶんです。3分だけなので土日の空いている時間や平日のスキマ時間に進めています。LinkedInラーニング()は、13カ国語で2万を超えるコースがあり、このうち日本人講師による1,200コース以上のコースに加え、すべての英語コースに機械翻訳による字幕が導入されていることから、1万を超えるコースを日本語で視聴することができます。ぜひ皆様に試していただきたいです。Q.13 将来の夢はありますか?「女性の背中を押す」という、ずっと自分がやりたかったことを仕事にできているので、貢献できる限り仕事は続けたいですね。そして将来は子どもを含むみなさんが暮らしやすい社会にしたい。人材の持つ力を活かして社会を元気にしたいというか、若い人が、特に女性が輝ける社会をつくりたいと思っています。自分一人ではできないことですけど、人材には力がありますし、リンクトインはそれが実現できるポテンシャルがあるサービスだと思っています。私自身さまざまな業界で幅広いスキルを身につけたことで、日本法人初の女性代表に選ばれたと思っています。終身雇用からジョブ型採用への移行は女性活躍のカギになると考えているので、多くの人にリンクトインを知ってもらって使ってもらって、すべての人が、女性が、経済的チャンスをつかめる社会に変えていきたいですね。
2023年10月06日取材・文:瑞姫撮影:大嶋千尋編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部SNSを眺めていると、仕事を楽しむいわゆる“バリキャリ女性”の姿が目に入り、少し憂鬱な気分になる時がある。「なぜ自分はこうじゃないんだろう?」と。安定した仕事で、給料もそこそこ。でも、どこか退屈。転職したいけど、最初の一歩が踏み出せない。だって“めちゃくちゃ嫌なわけじゃない”し……。だけど、本当は仕事を楽しんだり、やりがいを感じたり、自分で稼いだお金でもっと好きなことがしたい。どうすればそんな現状を変えられるんだろう……! そんな風に、もやもやを抱えた経験がある方も多いのでは?そこで今回は、起業家、会社経営、モデル、タレントとさまざまな顔を持つ、“職業、革命家”くりえみさんに「自分の人生に革命を起こす方法」をお伺いしました。■0よりもマイナスの方が良い私もそうなのですが、現状を変えたいけど、最初の一歩が踏み出せない方って正直すごく多いですよね。私の周りにも、現状に満足していなくて「仕事を辞めてこういうことがしたい」という方がいますよ。でも、実際に挑戦できた人は多分1割にも満たないんです。そういう方って、別に仕事に限った話じゃなくてプライベートの不安でも同じ。例えば付き合ってる彼と別れたいと思ってるけど、「でも、好きだし」とか「良いところもあるし」とか、そうしない理由を作ってる。挑戦しない方って“挑戦できない”んじゃなくて、“挑戦しない”という決断を自分自身で下してる方だと思います。たしかに、いろいろと“挑戦しない”ための理由を作ってしまっている気がします。だから、思考の根本そのものを変えていかないと、何も成せない。結局は行動するか、しないかなので。刺さるお言葉です。私は0よりもマイナスの方が良いと思ってるんですよ。0は無と同じだから、何もしてないのと一緒。何か挑戦した結果マイナスになったって、それは経験としてプラスに変えられるじゃないですか。でも、そうする自信が無いからこそ、挑戦しないんだなって。まずはマイナスになってでも挑戦する覚悟を持たないと、最初の一歩を踏み出す行動すらできないんじゃないかなと思います。ちなみに、くりえみさんはAI事業に参入されるなど、常に新しいことに挑戦している印象です。先駆者があまりいない状態で飛び込むことに不安は無いのでしょうか?新しいジャンルに挑戦する時って、圧倒的に批判の方が多いんですよ。でも、批判する人たちって“その分野を知らない方”なんですよね。知らないから、よく分からないから、とりあえず否定しておこうって感覚。もちろん、その中には本当に分かった上で否定する部分を教えてくれてる方もいると思うんですけど、ほぼ9割は知らないで言ってるので、逆に言うと今は何か否定されればされるほど、「自分の方が知識があるんだな」とか「自分の方が未来の分析能力が高いんだな」と、逆に敵無しだなって思います。■起業は自分が自由になるため起業しようと思った最初のきっかけはなんだったんですか?本当の意味で自分の自由ってどうやったら手に入るんだろうって考えたときに、それは誰かに雇われるんじゃなくて、自分が誰かを雇って、組織を作るっていう座組みにすることが一番の方法だと思ったからです。最初は美容クリニックの事業で起業されたんですよね。起業しようと思ったものの、最初は何しようかな?という状態でした。昔から美容医療がとにかく好きだったので、美容クリニックを作りたいと思ったものの、自分で最初に資金を出すとなると1億くらいかかる。だったら、クリニック事業をスタートしそうな企業を見つけて、そこの経営に入り込もうと思ったんです。戦略家ですね。そこからは、いろんな人にこれから開院する予定のクリニックは無いかって聞きまくりました。そしたら、ちょうど来週開院するクリニックが見つかって。えー!なんというベストタイミング!で、そのクリニックの一番の大株主に会いに行きたいっていって、実際にその人に「絶対売り上げを上げるから、経営のトップに入れてほしい」っていう話をしに行きました。そしたら、その日に「良いよ」って言ってもらえて、その会社のチームのメンバーに入ったんですよ。行動力がすごすぎる。そこからはマーケティングや経営コンサル的なことをやり始めたんですが、働いているうちに投資家の人たちとの関係値もできてきて。今は大きい会社の中の経営の一人だけど、本当の決定権を持つには自分の会社で何かプロダクトを作らなきゃなと思って、最初に出会った投資家に投資してもらって、D2C商材のサブスクをスタートしました。■両立するからこそできた精神的安定芸能活動もされて、会社のこともされて、大変じゃないですか?どうやって両立させてるんでしょうか。気合い……(笑)。気合い……!でも、やっぱりどんどん分業化して、人に頼んでいくことかもしれないですね。でも正直今も手が回ってないなって感じてるんですけど。やっぱりでもそれでもギリギリ回し切れてるのは、それだけ分業化してるからだと思います。毎年毎年プロダクトが増えているので、やることは増えてるんですけど、自分のタスクは減らしていってるんで、できるみたいなところはあります。人に任せることも大事ですよね。今年自分が作ってきたサービスを一つ売却したんですけど、それをきっかけに自分のダメなところや苦手なところを再認識したんです。苦手なところを伸ばすよりも、苦手なところは人に任せて、得意なことだけをやろうという考えにシフトチェンジしてからは、だいぶ楽になりました。ちなみに、起業して良かったことはなんですか?圧倒的に自由が手に入ったことです。あとは、雇われてるものに依存しなくなったっていうのも大きい。今も芸能事務所には所属してるんですが、自分の会社もあるので、良い意味で依存せずにいられるんです。私にとっての会社や事業のように、他に安定があれば、メディアに固執する必要も無いので、精神的にも安定します。芸能活動とご自身の会社、忙しい中でその二つを両立することは、逆に精神的安定になっていたりするんですね。“自分にはこの世界しかない”と思うことって、ものすごく窮屈になるし、自分の心がすさんでいく。なので、「そうじゃない自分」でいられる環境を作っていくのが大事なんだなと思います。会社のことだけをやっていると、メイクもネイルもしなくなって、見た目的な意味ですさんでしまうこともあるんですけど、今日みたいに現場に来て「かわいい!」って言ってもらえるとうれしいし、「芸能のお仕事も辞めてなくて良かった」って思うので、良いメリハリになってるんだなと思います。■自分の人生に革命を起こすためのマインドくりえみさんのように、自分の人生に革命を起こすためには、根本の考えを変えてとにかく行動することが大切だなって強く感じました。最初の方にもお話ししたんですが、0って無なので、本当にプラスにもならない。でも、マイナスはプラスになる可能性がある。私の中で0にいる人ってずっと0で居続けるんですよね。「どうしようかな」「ちょっと勇気はないな」とか。「挑戦できない」って言ってる方って、ずっと同じ環境で同じことを言ってる。ダメ男に引っかかってる女性の言い訳と同じですね(笑)。そうですね(笑)。0の状態から何かしらのアクションを起こして、どん底に落ちたら、そこから這い上がるしか選択肢は無くなる。だったら一度マイナスに行って、0よりもプラスに行くためにどうするか考えるのが、結果的にポジティブな作用をもたらすと思うんです。中にはマイナスからそのままダメになってしまう人も居るかもしれないけど、這い上がれる可能性があるのはマイナスに行く人。だから、0よりマイナスの方が良いって、私は言いたいです。すごく心に響く言葉です。みんなが憧れるすごい人たちは、絶対にどん底を味わってるんですよ。そんな人たちでもどん底を味わってるのに、何も行動せずに悩んでいるあなたはどん底味わったことがあるんですか?と尋ねたい。ずっとぬるま湯に浸かるくらいなら、冷水に浸かって目を覚ましたほうが良いんです。今日のインタビュー、本当に名言が多すぎます。過去につらい経験だったりとか、苦しいことがあったりしたからこそ今がある人がやっぱり強いし、その気持ちが長続きする。挑戦することはものすごく自分自身を成長させるし、可能性を広げてくれます。そして、その先には自由が広がっていることを私は確信しているから、逆に挑戦しない理由は無いと、私は伝えたいです。自身で道を切り開いてきた“革命家”であるくりえみさんだからこその言葉の数々、これからの人生で、自分を鼓舞してくれるお守りになりそうです。ありがとうございました。
2023年09月22日取材・文:ミクニシオリ撮影:洞澤佐智子編集:松岡紘子/マイナビウーマン編集部経営者やマネージャーなどのいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスパーソンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、シニア向けWell-being事業で注目される株式会社AgeWellJapanの代表取締役・赤木円香さん。株式会社AgeWellJapanでは、シニア訪問サービス「もっとメイト」を中心に、シニア世代を明るくサポートするサービスを展開し、福祉やヘルスケアの業界で注目されています。経営者の両親のもと、幼い頃から挑戦を惜しまないよう育てられた起業家サラブレッドの赤木さん。しかしそんな彼女にも、起業家としての歩みを始めるまでに様々な苦難がありました。正義感の強いギャルだった学生時代には「他者からのラベリングへの疑念」や「周囲に対するコンプレックス」など、誰しもが経験する壁に何度もぶち当たります。それでも彼女が人生のハードルを乗り越えることができたのは、幼い頃からの起業への憧れと、苦難から学んだ「本質を見抜く力」のおかげでした。赤木 円香さん東京都渋谷区生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2013年に人材コンサルティング会社に参画。法人向けのコミュニケーションやホスピタリティ研修の企画・営業を担当。2017年に味の素株式会社に入社。財務経理部にて決算および原価計算業務を担当。2020年、「シニア世代のわくわくを創造する」を掲げ、株式会社MIHARU(現在の株式会社AgeWellJapan)を創業。シニア世代のウェルビーイングを実現する孫世代の相棒サービス「もっとメイト」の運営。法人・自治体向けに、多世代交流の場づくりを支援。カンファレンスイベント「AgeWellJapan」を主催。渋谷のラジオ「誰でもスマートフォン講座」レギュラー出演をはじめメディア出演多数。■大好きだったギャルメイク。けれど外見やイメージからの「ラベリング」には違和感Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?子どもの頃から活発だったと思われることが多いのですが、双子の妹と比べると実はとても人見知りでした。年齢とともに改善はしましたが、正直、幼少期は妹に守ってもらってばかりの頼りない姉でした。ちなみに、その後もお世話になり続けた妹への感謝を込めて、起業時の社名は、妹の名前である「MIHARU(みはる)」と名付けました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?父母ともに経営者で、いつも惜しまず挑戦をさせてもらえる環境でした。そのおかげで今の自分らしさがあると思いますし、同じ女性の身で経営者として働き続ける母のことはずっと尊敬しています。起業してからの苦しい時、いつも母が背中を押してくれました。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?中学時代は、評議会長だけどヤンキーの彼氏がいる、そんな学生でした(笑)。高校は私立の学校に進学しました。金髪エクステのギャルだったので、クラスではその見た目もあって浮いた存在になり、先生にも目をつけられてしまいました。その頃から、見た目だけで判断されたりラベリングされたりすることに違和感を覚え、自身は他者を勝手に解釈せず、本質を見抜ける人でありたいと思うようになりました。それが原体験となって「ギャル」だけでなく、「シニア」や「障がい者」など、それぞれの人生経験を無視して弱者と見立てる文化を変えたい思いが強くなっていきました。Q.4 大学はどのように選びましたか?受験期にマザーハウスの創業者である山口絵理子さんの本を読み、感銘を受けたことがきっかけで、彼女の出身校である慶應大学SFCキャンパスを選びました。25歳で起業して、裸一貫で社会を変えようとした彼女の人生を知り、私もそんなビジネスがしたいと強く思いました。ちなみに、高校時代に読んだ本はたった2冊で、1冊が山口絵理子さんの本、もう1冊はヤンキーの彼氏に借りた矢沢永吉さんの『成りあがり』だけです(笑)。Q.5 学生時代に注力したことは?高校時代は、児童館でボランティア活動をしていました。起業家になると決めていたため、大学時代は「どの領域で起業するか」を見極めるために、様々なことにチャレンジしました。インターンや留学もしたけど、AO推薦で入学したこともあり、自分より優秀な人が多くいることを知り、コンプレックスが強くなっていった時期でもあります。周りには帰国子女も多く、英語が喋れないことにもコンプレックスを持っていました。父には留学を反対されましたが、母が金銭的援助や助言をしてくれたおかげで、1年の留学に行くことができ、語学力を養うことができました。■「おばあちゃんを笑顔にしたい!」大好きだった祖母の変化が起業のきっかけQ.6 就職先はどのように決めましたか?学生時代に起業したい分野を見定めることができなかったので、大企業の経営を間近で経験できる就職先に進むことに決めました。経営企画部や財務経理部で就職できる会社を探し、大手食品メーカーに就職。毎日17時退社のホワイト企業で、人生で初めて暇を持て余すようになりました。空いた時間は、今までできなかった家族とのコミュニケーションに使うようになり、大好きだった祖母の家に頻繁に遊びに行くようになりました。Q.7 起業のきっかけはなんでしたか?私が幼い頃は、一緒にケニア旅行をするほどアクティブで、チャーミングだった祖母。そんな彼女が、私が新卒2年目の時に体調を崩して背中が曲がってしまい、家族に対して「申し訳ない」と口にするようになりました。時代を築いてきたシニア世代は、知識も人生経験もある人たちなのに、できないことが増えるからといって謝るなんておかしい。なんとも言えない憤りを感じました。そんな祖母の姿を見て、「これだ」と思いました。ずっとやりたいことが見つからなかったけど、孫としてだけでなく、時代を生きる若者として「おばあちゃんのために何かしたい」と強く感じ、シニア向けWell-being事業での起業を決意しました。ずっと探し続けていた人生を賭けることが見つかった瞬間は、知的好奇心で震えたのを覚えています。Q.8 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。2020年1月に創業して、3月にサービスをリリースしてすぐ、新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が始まりました。訪問サービスなど行えるわけもなく、最初のお客様に会うことができた時、起業からなんと半年も経っていました。そうした経緯もあって、最初の半年間はお金が出ていく一方でした。新聞折り込みのチラシで広告活動を行った時は、1円でも無駄にしたくないという思いから、各エリアの販売店に直接電話して、実際に配っている枚数を聞きたこともあります。現在はコロナも落ち着き、事業も波に乗っていますが、今も道に落ちているチラシを見ては「あ、7円の広告宣伝費が落ちている」と当時の自分の気持ちを思い出すこともあります。Q.9 創業してから一番うれしかったことは何ですか?創業期にお電話をくれて、お客様になってくれたケイコさんというおばあちゃん。子どものいない85歳の彼女のもとに訪問するようになって、ある日こんな感想をいただきました。「人生で初めて、折込チラシから電話をしました。赤木さんが毎週来てくれるようになって、人生がみるみる明るく、賑やかになりました。人生の最後に、一緒にいてくれてありがとう」その日の帰り道は涙が止まりませんでした。ケイコさんと撮った写真を会社のHPに載せているのですが、「メンバーを紹介するページに、クライアントを載せている会社なんてないよ」とよく言われます。でも、いいんです。私にとってはケイコさんを含めて、今後関わる可能性のある3,600万人のシニア全員が、会社のメンバーと同じように大切な存在ですから。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。お昼の時間は、基本的にないです。22時くらいまで打ち合わせが入るか、夜の会食も多く、合間を縫ってお客様の訪問にも伺います。訪問は土日に入ることもあるので、休みは不定期……というか、ほぼないです。私自身は仕事が生きがいなので、つらいと感じることはありません。ただメンバーたちには、私のことは気にせず、適切なライフワークバランスを実現するよう伝えています。■クライアントだけでなく、自分や家族含め「全員ハッピーな未来」を描くQ.11 プライベートの悩みはありますか?現在、結婚5年目なのですが、子どもをいつ持つかを悩んでいます。おばあちゃんに孫を見せてあげたい気持ちも強いのですが、夫の拠点は岡山なので、自分中心の育児に不安を感じています。今は会社にとっても大切な時期でもありますし、35歳くらいまでは仕事に全力を注ぎたい。だけど女性には身体的なリミットもあるので、難しいですよね。周りにも同じ悩みを抱えている友人が多くいます。Q.12 忙しい日々の中で、息抜きになる瞬間は?4カ月に1度は沖縄に行きます。沖縄出身の友人が多く、彼らに流れているゆっくりした雰囲気が好きなこともあり、息抜きは沖縄と決めています。沖縄は気候だけでなく、そこに住む方の人柄も温かく、気に入っています。沖縄では大好きなお酒をたくさん飲んで、経営者の赤木ではなく、素の自分を過ごしています。Q.13 どんなところに住んでいますか?都内のマンションで、妹や母、祖母たちと別々に部屋を借り、家族みんなで暮らしています。忙しい日々の中でできる、私なりの親孝行です。経営者一家とは言っても、経営悪化で貧しい暮らしを強いられたこともありました。それでも母は一貫して自立し続けてきた人です。そんな母の影響力があってこそ、今のマンションに家族みんなが集結しているので、母には頭が上がりません。Q.14 将来の夢を教えて下さい。起業家としての夢は、3,600万人のシニアたちが、全員ハッピーになれる世界を作ることです。無謀と思う人もいるかもしれません。けれど、無謀な挑戦を口に出して言えるのは起業家の特権です。だからこそ、どれだけ無謀であっても、明るい未来の展望をみんなに伝え続け、賛同してくれる仲間を増やし続けることが私の使命だと思っています。個人としては、子どもを持つことで、私自身や私の家族を笑顔にすることが夢です。お客様であるおばあちゃんたちだけでなく、自分も、自分の家族もハッピーにし続けたいです。
2023年09月13日取材・文:ミクニシオリ撮影:大嶋千尋編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部アジアNO.1のPR会社・ベクトルグループでP2C事業を担う「Direct Tech」の女性役員、横田彩夏さん。転職後1年で部長、2年で執行役員にスピード出世した若手リーダーです。学生時代から培った「PR力」と、挫折しても歩みを止めないたゆまぬ精神で、20代からキャリア街道を爆進する横田さん。学生時代にはミスコングランプリを受賞しており、華やかな経歴も注目されがちな彼女ですが、その芯には「体験への強い思い」や「成功につなげるルーティン」など、地道に積み上げてきた努力がありました。横田彩夏さん1993生まれ、東京都出身。在学中、ニューヨークに拠点を持つ服飾美術大学「Parsons School of Design」にてファッションデザインの技術を学んだ後、アパレルのキャリアをスタート。前職にてパワーインフルエンサーをディレクターに迎えた P2C事業の運営に包括的に携わり、2020年8月に株式会社Direct Techにジョイン。P2Cアパレルブランド「Boka nii」の立ち上げに従事。2022年4月より、執行役員としてP2Cブランド事業のグロースを包括的にマネジメントしている。■女子校時代は、アフィリエイトとバイトで留学費用を貯金Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼い頃から興味があることに熱中しやすく、外の世界が気になって幼稚園から脱走したこともありました。特に絵を描くことに熱中していて、1日に5〜6時間は紙に向かい、気づけば最も長く続く趣味に。読書も好きで、小学校の時のクリスマスには、サンタさんにギリシャ神話の全巻セットをねだり、親にも少し驚かれたようです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?銀行勤めの母と、やさしい祖母との3人暮らしでした。祖母と過ごす時間も長かったので、初めて買ったCDは美空ひばりさん。渋い趣味ですよね(笑)。母は帰りが遅いことも多かったですが、その分気の向くままに、自身の興味関心を深めることができました。夜は母が必ず読み聞かせをしてくれて、物語の先を想像しながら眠りにつくことが毎日の楽しみでした。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?「堅実にして質素」が校訓だった中高一貫の女子校では、周囲の友人から“自由人”、“尖っている”などと言われていました。自覚はあまりなかったのですが、振り返ってみれば変な子だったのでしょうね。美術ではない授業の最中にも画材を広げて絵を描いていて、先生に怒られたこともありました。Q.4 学生時代にバイトはしていましたか?中高時代はバイト禁止だったのですが、当時流行していたブログで、PV数を伸ばすことに熱中していました。購入品やコスメをブログにアップしていただけだったのですが、人気が出てきてPR案件を受けるように。ブログはその後のキャリアにも少しつながっていて、大学時代には、留学のノウハウをまとめたブログを立ち上げ、アフィリエイトで稼いでいました。Q.5 学生時代に注力したことはなんですか?大学ではミスコンに参加し、グランプリを受賞しました。SNSを伸ばしたりネット票を稼いだりするのが地味に大変で、ミスコン参加中はバイトとの両立で日々手一杯でした。ミスコンも大変でしたが、大学生活の中で最も努力したのは、留学でしたね。中学校の語学研修でハワイに行ったことをきっかけに、アメリカでファッションを学びたいという気持ちが徐々に大きくなっていき、大学では1年間、ニューヨークのファッションスクールに通いました。留学費用も自分で貯めたので、3年生まではバイトにもかなりの時間を割いていました。■留学先で「人生の挫折」を経験。けれど、やることは変わらないQ.6 留学先で苦労したことはなんでしたか?スクールでは、一人前に服が作れるようになることをゴールに、毎日服づくりをしていました。洋裁については初めて学ぶことばかりですし、語学の壁にぶつかることも多く、毎日授業を録音して、学校が終わってからはステイ先で何度も録音を聴き返しながら、宿題をこなしていました。そんなある日、1カ月かけて作ったドレスを提出したら、講師が激怒……。私は、ポリエステルでドレスを作っていたのですが、課題は「コットンで服を作る」だったんです。自分の語学力不足のせいで、1カ月の努力が無駄になってしまった時は、人生で初めて挫折を味わいました。しかし、挫折したからといってやることが変わるわけではないので、数日で立ち直ったように記憶しています。成長するためには努力と勉強、作業を繰り返すしかないと思っているので、人生を通してそのルーティンをこなし続けています。Q.7 就職先はどのように決めましたか?留学でファッションを学んだものの、職業としてデザイナーを選ぶべきか悩んでしまい、就活は迷走していました。さまざまな企業のOBに話を聞くうちに、どの業界でどんな仕事をしたとしても、任されることの大枠はあまり変わらないと考えるようになり、最終的にはインターン先の会社に就職することを決めました。就職先は「C Channel株式会社」というキャスティングやPRを得意とするベンチャー企業。手を挙げればなんでもやらせてくれる空気があり、裁量権が大きかったのがメリットでしたね。Q.8 リーダー職を目指したきっかけはなんでしたか?もともとリーダー職を目指していたわけではありませんでした。「C Channel」では留学経験を活かして海外事業部に配属され、1年でEC事業部に転籍。EC事業部でP2Cブランドの立ち上げに従事した経験を買われ、当時の上司に誘われてDirect Techに入社しました。上司と同じ環境で働けるなら、と転職し、新しいコスメブランドやアパレルブランドの立ち上げをこなしていくうちに、いつの間にかリーダー職に。成長するために必要なものを取りに行くことを繰り返していく日々の中で、役職は勝手についてきました。Q.9 就任してから一番大変だったことはなんですか?経営者として「ズームアウト」の視点を持つまでには、苦労しましたね。もともとオタク気質で、視野が狭くなりやすいことは長所であり短所でもありました。けれど、仕事のスケールが広がっていくこと自体は楽しかったですし、貴重な経験を積ませてもらっている自覚があったので、日々を楽しみながら徐々に学んでいますが……毎日が充実しているからこそ、すぐに時間が過ぎていくような感覚もあり、焦りも感じます。けれど、時間は平等に有限です。少ない時間の中でどうしたらもっと成長できるか、もっと考える時間を確保できるかを考えて、最近会社の近くに引っ越しました。Q.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。実働時間は、毎日10時間程度です。経営者の中ではホワイトな方かもしれませんね。チームメンバーの仲がいいので、ランチはみんなで食べることが多いです。仕事が終わったら、お酒を飲みながら本を読んだり、情報収集に時間を使うことが多いです。今でも絵を描くのが好きなので、瞑想も兼ねて絵筆を握る日も。■仲間である社員とともに「感動体験を世界に」Q.11 休日は何をしていますか?新しい体験をすることを大切にしているので、アートに触れたり、図書館に行ったり、ゴルフに行ったり……色々ですね。休日も、チームメンバーと過ごすことも多いです。新しい体験に前のめりな子や、情報が早い子が多いので、誰かしらが新しいスポットを見つけてきて、みんなで遊びに行きます。サウナに旅行、展示会など、いい意味でなんでも楽しんでいます。Q.12 どんなところに住んでいますか?会社からすぐ近くのデザイナーズマンションで、コンクリート打ちっぱなしの、無機質な部屋です。もともとは韓国風の女性らしい部屋や、白基調のインテリアも好きなのですが、家に帰っても仕事のことを考えることが多いので、雑念が入りづらいよう趣味とは全く違う部屋を選びました。いつかは、好きなものに囲まれたかわいい部屋にも住んでみたいんですけどね。Q.13 社員とはどんな関係ですか?上下関係というよりは、いい意味で支え合う同志のような関係です。ちなみに、社員からも「横田さんは変わっている」と指摘されることが多いです(笑)。トレンドを追いかけるのも私たちの仕事の一つなので、私も社内では日によってはかなりカジュアルな格好をしているので、親近感はあるのかな?Q.14 将来の夢を教えてください。仕事と自己成長が何よりも好きなので、お仕事は死ぬまで続けたいです。でも、夢を語るとしたら、感動体験を世界に提供していきたいです。ITやメタバース、AIが進歩していく世の中で、体験や経験こそが人間を人間たらしめていくと思っています。今後、体験は世界中でもっと価値が高くなっていくと思います。Direct Techでは、誰かの経験や体験を、コスメやアパレルといったモノ、イベントや発信に落とし込みます。その経験の価値や感動がもっと伝わるよう、尽力していきます。それと同時に、私自身も限りある時間の中で、より多くのことを体験し、濃い人生を送っていきたいですね。
2023年08月31日知らないうちに仕事を頑張りすぎて、体調を崩した経験を持つ人もいるのではないでしょうか……?今回は、MOREDOORのオリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』より漫画の展開を予想していただくクイズをお届けします。※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。※本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。※うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。※「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。病院で……主人公の宇都宮さんは、憧れの会社に新卒で入社。宇都宮さんは連日残業し、休日返上してまで働きます。しかし、上司や先輩は厳しい人でした。宇都宮さんの様子を心配した友人の勧めで病院に行きます。すると、医師からうつ病と診断されてしまいましたが……命に関わる……?医師は説得し……治療期間が長く……ここでクイズです!医師から、うつ病について説明を受けた宇都宮さん。‟命に関わる”ため仕事を控えるよう言われましたが、この後宇都宮さんは衝撃の判断をします。その判断とはいったいどんなものだったでしょうか?ヒントは、自分がうつ病だと言われ、あまり信じ切れていない様子です。宇都宮さんの判断とは?正解は「会社を休まず仕事をする」!医師からうつ病の深刻さを伝えられた宇都宮さん。しかし、「会社は休めない」と仕事を今まで通り続けようと考えているよう……。この後、宇都宮さんは、うつ病を隠しながら仕事を継続するも心に限界がやってきてしまいます。自分が鬱なんて……いきなり「うつ病なので仕事を休め」と言われても、実感が持てず困惑してしまうのも無理はありません。しかし、自分の限界にきちんと気付いてあげないと、本当に命に関わる病気だからこそ、仕事を控えてほしい医師の意見も理解できますよね。みなさんはこの漫画を読んでどのように感じましたか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年08月22日知らないうちに仕事を頑張りすぎて、体調を崩した経験を持つ人もいるのではないでしょうか……?今回は、MOREDOORのオリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』より漫画の展開を予想していただくクイズをお届けします。※この漫画は臨床心理士・三崎てるひこさん監修のもと制作された、実際の「うつ症状」を再現したフィクション漫画です。※本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。※うつ病は特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性があります。もし、本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。※「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。体調を崩し……主人公の宇都宮さんは、憧れの会社に新卒で入社。宇都宮さんは連日残業し、休日返上してまで働きます。しかし、上司や先輩は厳しい人でした。ある日、体調を崩した宇都宮さん。友人の勧めで病院に行くと、うつ病だと診断され……。想定外の診断に驚き……うつ病の症状があり……仕事はどうなるの……?ここでクイズです!うつ病の治癒のため、仕事はセーブするよう医師から伝えられた宇都宮さんは、「ここまで頑張ってきた仕事を休みたくない」と強く反対します。しかし、そんな宇都宮さんに対し医師はある言葉をかけ、宇都宮さんを我に返らせます。その言葉とはいったいどんなものだったでしょうか。ヒントは、うつ病の重大性を知らせるようなものです。医師の言葉とは?正解は「命に関わる問題」だと伝えた!うつ病と診断されてもなお、仕事を続けたがる宇都宮さん。しかし、医師の発言通りしっかり心身を休めないと、余計に症状が悪化し、命の危険に陥ることもあり得ますよね。この後、実際に宇都宮さんは、医師の忠告を聞かずに仕事を続け、症状が悪化してしまうのでした……。うつ病と言われても……医師から仕事をセーブするよう言われるものの、受け入れられない宇都宮さん。今まで頑張ってきた仕事を、突然休めと言われても急には納得しがたい方もいるのではないでしょうか……?みなさんはこの漫画を読んでどのように感じましたか?※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年08月20日皆さんは仕事や学業など頑張りすぎてしまった経験はありますか?なかには頑張りすぎた結果、心のバランスが崩れてしまう方もいるようで……。そこで今回は、MOREDOORの大人気TikTokより、オリジナル漫画『私が「うつ」になるわけがない。』をご紹介します。※本作品にはうつ症状を描写するシーンがございます。閲覧の際はご注意ください。漫画のあらすじ学生時代は成績優秀、友人も多くしっかりものの宇都宮さん。第一志望の会社に就職し、社会人になっても活躍する未来が来ると、思っていた。しかし環境の変化・上司からのパワハラ・深夜までの残業の日々……。『でも、今までも頑張って来たんだから、私なら大丈夫。きっと、大丈夫……。』真面目でがんばり屋な主人公が、うつ病にかかってから、それを受け入れ、前を向いて歩いていくまでの物語。体にも異変が……この漫画に読者からは……『悩みを打ち明けられる人に相談をして!一人で悩まないで欲しいです』『「自分がなるわけない」と思っていて私もうつになったので、自分と重なりました』『病んでしまった経験があるので間違いをせめられているシーンは心が痛くなった。』『主人公は頑張り屋さんで逃げる選択肢がないかもしれないですが、どうか逃げて欲しいと切に思いました。』『指導するときの言い方って大事。主人公が負のループに突入してしまいそう』など実に様々な声が集まりました。身体の異変は心が異常なサイン……「自分がなるわけない」と思っていても誰しも鬱になる可能性はあります。もし本編の主人公と同じような症状がみられる方は、一度医療機関を受診することを推奨します。みなさんはこの漫画、どう感じましたか?※「うつ病」は甘えでも、怠けでもありません。※この物語はフィクションです。■脚本・監修:三崎てるひこ(臨床心理士・公認心理士)■作画:長月よーこ(MOREDOOR編集部)
2023年07月30日自分の夢のために頑張っている人がいたら、応援したくなりますよね。しかし中には、彼女におんぶに抱っこで、なかなか芽が出ないという人もいて……。今回は、登録者数90万人超えの大人気Youtubeチャンネル「エトラちゃんは見た!」で配信された創作漫画動画『ダメ男に振られた話』の中から、話の展開を予想していただく漫画クイズをお届けします!待ち合わせ場所に遅れ……保育士として、充実した毎日を送るユリ。ある日、仕事終わりに彼氏ヒイラギとの食事に向かいますが、約束の時間を少し過ぎてしまったことで文句を言われ……。ここでクイズです!急いできたユリに辛らつな言葉を浴びせるヒイラギ。一体何と言ったでしょうか?ヒントは、仕事終わりにこの言葉はイラっとします……。彼氏は彼女に……正解は、「その服地味」と言った!定職に就かず、夢を追い続ける彼に複雑な気持ちを抱くユリ。食事代も自分が出すことにモヤモヤが募っていくのでした。仕事を頑張る彼女ではダメなの?仕事終わりに直行したのに、服装にまでケチをつけるなんて、腹が立ちますよね。今回のユリは、なんとかイライラを収め、ヒイラギの新しい仕事も応援しました。仕事終わりの彼女の服装をバカにする彼氏……、あなたならこんなときどんな対処をしますか?(MOREDOOR編集部)(イラスト/@エトラちゃんは見た!)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。
2023年07月27日取材・文:瑞姫撮影:稲垣佑季編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、レンタル事務所「喫茶れんたる」を運営しながらも、日本一高い“レンタル彼女”として活躍するよもぎちゃん。今では漫画やドラマなどの作品で耳にすることも増えてきた「レンタル彼女」「レンタル彼氏」ですが、そもそも「レンタル彼女(or彼氏)」とは依頼主から指名を受けたキャストが恋人役となってデートをするサービス業。サービスそのものについては知っていても、「実際に利用したことはない」「キャストをやっていると公表している人を見たことがない」など、まだまだヴェールに包まれた存在なのではないでしょうか。そんな「レンタル彼女」を大学時代に始め、その魅力にとらわれたよもぎちゃんが、その仕事を通して見つけた課題を解決するために立ち上げた事務所「喫茶れんたる」は、レンタル彼女・彼氏・友達としての枠組みに囚われない、“コミュニケーションの専門店”として人に寄り添うサービスを提供することを目指しているそう。インタビューをしてみると、レンタル彼女として人気であることも頷ける、誰に対しても分け隔てなく、真っ直ぐに向き合ってきた優しさを知ることができました。よもぎちゃん大学時代にレンタル彼女を始めてからその魅力にハマり、会社員から一念発起して『喫茶れんたる』を立ち上げる。現在はキャストとして活動しながら、事務所運営に携わっている。■自己肯定感が低く、常に劣等感があった幼少期Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?幼少期は今よりもだいぶ卑屈な性格でしたね。ずっと進学校に通っていて周りがエリートぞろいだったんですけど、その中で飛びぬけて勉強ができなかったので、自己肯定感がすごく低かったんです。勉強ができない自分はお先真っ暗なんだってずっと思っていました。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても良い家庭だと思います。比較的裕福な家庭で、父も母も大事に育ててくれましたし、「学歴があった方が役立つだろう」という両親の考えのもと、小学校から進学校に通わせてもらっていたので、恵まれた環境ではありました。ただ、そんな中で勉強が苦手であることが“両親に何も返せていない”という劣等感を抱くことに繋がってしまいました。学校の授業についていくために塾にも通わせてもらっていたので、すごく申し訳ないなって思っていたんです。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?可もなく不可もなく……という感じでした。すごくかわいいとか、すごく勉強ができるとか、逆にすごく勉強ができないとか、そういった自分を形容するものが何も無かった。学校ってグループがあると思うんですけど、私はどこへでも入っていけるけど、どこにも属してない感じで、地に足がついていない存在だったなって今となっては思います。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが転機にQ.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?最初は自分が通っていた塾の受付をしていました。そこからカフェと居酒屋と、レンタル彼女。レンタル彼女を始めたのは、私が失恋した時に「男性でできた傷は男性で埋めるしかない!」と思って、レンタル彼氏を利用しようと検索したのがきっかけです。当時は自分のタイプの男性がいなかったので利用するには至らなかったんですが、「レンタル彼女」という仕事があることをそこで知りました。知らない人からすれば少し怪しい仕事だったので、「バックに怖い人がいるのかな」「実は裏オプションがいっぱいあるんじゃないか」とか、色々興味が湧いてきたので、「自分で確かめるしかない!」と思って始めました。Q.5 どのような大学時代を過ごしていましたか?小中高とエスカレーター式で同じ学校に通っていたんですが、それが私にとっては殻だったんです。大学生になってそこから出られたことは、自分の中で大きな変化でした。友人から合コンに誘ってもらって、勉強はもちろん大切だけど、「勉強だけが全てじゃないんだ」と思えて、そこから自分はコミュニケーションを磨いていこうと思って、さまざまな人と関わるうちに、低かった自己肯定感もどんどん上がっていきました。大学時代にレンタル彼女をはじめたことも大きかったです。大学時代に学校で学んだことよりも、合コンやレンタル彼女のお仕事で学んだことの方が今に活きているかもしれません(笑)。一応コミュニケーション系の学科にはいたのですが、どれだけ座学で学んでも、生の人間とたくさん話した方が得られるものが多い気がします。Q.6 なぜ起業しようと思ったのですか?会社員として働いていた時に、レンタル彼女時代のことを書いたブログをやっていたのですが、現役で利用されているユーザーさんとキャストさんからメッセージがくることが多くなって、それぞれの問題点が見えてくるようになったんです。そこからその問題点を解決できるような事務所を自分でつくりたいなって思ったのがきっかけですね。事務所を作ることへのハードルはそんなに高く感じていなくて、「とりあえずやってみよう。失敗したらその時考えよう」くらいの気持ちでした。■大学時代の合コンとレンタル彼女のバイトが人生の転機にQ.7 創業当初、大変だったエピソードがあれば教えてください。大変なことしかなかったです(笑)。完全にプレイヤーの方でやってきたので、運営だったりとか、経営だったりとか、何にも分からないところから始まって大変でしたね。あとは、私がプレイヤーだった時に気にしていなかったことが、他の女の子にとっては気になることだったり。そこで「気にしなくて大丈夫だよ!」というのではなく、その子の立場になって、その子の気持ちに寄り添ってケアをしるなどといった、キャストのマネジメントやメンタルケアも大事なことなんだなと学びました。自分と同じで考えちゃいけないんだと痛感しましたね。プレイヤーではなく、自分が経営側に回ったことで初めて気づくことがたくさんありました。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?やっぱり依頼してくださった方が、喜んでくれるのが一番うれしいです。頑張ってここまでつくり上げてきて良かったなって思いますね。「喫茶れんたる」はレンタル彼女・彼氏というより、“コミュニケーションの専門店”としてやっているので、ジェンダーで悩んでいる方や、少し特殊な悩みの方とかが来てくださることが結構多いんですが、そういう方の捌け口になれて本当に良かったなと思いますし、そういった悩みを受け止める場所になれてきていることを日々うれしく感じます。私自身が、“彼女”としての立ち位置を求められているというより、話し相手や、相談相手として求められているなと感じることの方が多かったので、“コミュニケーションの専門店”という今の形にしています。Q.9 創業してから一番つらかったことは何ですか?脱サラして事務所を立ち上げた初期の方に、コロナ禍に入ってしまったことですかね。人と会うお仕事なのに、人と会うことはもちろん、緊急事態宣言で外出も禁止されていたので……。最初の方は本当に仕事が無かったですし、不要不急の斡旋になってしまうので宣伝もできず、そこで何もできなかったのがすごくしんどかったです。Q.10 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?実際に私自身がまだキャストとして活動もしているので、そこで実際に依頼者さんにお会いして、「すごく楽しかった」と喜んでいただけるのがやっぱりうれしいしですし、やりがいになりますね。■“コミュニケーションの専門店”としての展望Q.11 毎日のタイムスケジュールを教えてください。結構夜型人間なので、寝るのは大体3時くらい。24時以降に脳が冴えちゃうんですよ。雑音がないと色々考えてしまって眠れないので、YouTubeを見ながら就寝します。“耳かき動画”というのは海外の耳かき動画なのですが、毎日1時間くらい見ています(笑)。仕事はレンタル彼女だったり、事務所のお仕事だったりバラバラなのですが、それに加えて恋愛やコミュニケーションのコンサルもしているので、1日7〜8時間は常に何か仕事をしている気がします。最近だとキャストさんを増やしたので、それぞれの方向性や、どうやってマネジメントしていこうかなとか考える時間が今一番多いです。Q.12 何歳まで仕事をしたいですか?生きている限りは何かしらしてたいです。趣味と日常の楽しみと仕事が一緒になっている状態なので、逆に仕事が無くなった時が死に時かなって思ってしまうくらい。今、キャストとしては月10回前後の仕事量なのですが、本当はもっと運営としてのお仕事を減らしてキャストとしてのお仕事をやりたいんです。運営を手伝ってくれる人たちも最近増えてきたので、自分がやるところを少しずつ減らしてそれが実現できるようにしたいなと思っています。キャストとして働くからこそ、教えられることもあると思いますし、何より他のキャストさんに何か教えるためには、自分がキャストとして圧倒的であり続けることが大事だと思っているんです。なので、事務所をもっと大きくしたい、もっと多くの人に知ってもらいたいという気持ちはもちろんなんですが、キャスト6、運営4くらいの割合でお仕事できればいいなと思っています。Q.13 今後の展望を教えてください。今はレンタル彼女、レンタル彼氏、レンタル友達として「喫茶れんたる」をやっているんですが、このお仕事をやっているとカウンセラーさんのところへ行くのが怖かったり、逆にカウンセラーさんのところへ行きたかったけど予約が2カ月待ちだからこっちに来ましたって方がちらほらいるんですよね。人や友達として楽しい時間をご提供するのはもちろんなんですが、カウセリングの一歩手前、まず一回自分の話を吐き出せるような場所として、認知してもらえるようにしたいなと思っています。私たちは専門家ではないけれど、話を聞くことや向き合うことはできる。キャストの中にはメンタルに関する知識がある方や、実際に鬱病になったことがある方、セクシャルマイノリティの方もいたりするので、悩みを抱える方がもっと身近に自分の悩みを打ち明けられる場所を作っていきたいです。
2023年07月09日取材・文:太田冴撮影:三浦晃一編集:錦織絵梨奈/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でもリーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、そして仕事をしていて……私たちと同じように生活を送る、ビジネスウーマンの一人でもあります。そんなリーダーたちの素顔や、これまでを探る本企画。今回の「リーダー」は、表参道ヒルズに構えるウェルフードマーケット&カフェ「imperfect表参道」を運営するimperfect株式会社代表取締役社長の佐伯美紗子さん。コーヒーやチョコレートなどの生産現場に存在する貧困や搾取などの社会問題に向き合いながらも、美味しくておしゃれな商品を通じて無理なくサステナブルな社会を目指し、日々奮闘しているといいます。穏やかで優しい語り口の裏には「社会を良くしたい」というまっすぐで力強い思いがありました。佐伯美紗子さん1985年大阪府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、その時の経験から「いつか社会や経済の仕組みを変えたい」という想いを抱くようになる。帰国後は国内の大学に進学し、2008年大手総合商社に新卒入社。2019年「imperfect 株式会社」の設立に携わり、マーケティング部⻑就任。ウェルフードマーケット&カフェ「imperfect 表参道」を同年7月に開業。2022年8月に代表取締役社長就任(現任)。■人見知りで物静かだった幼少期、海外で過ごした10代Q.1 幼少期はどんな性格でしたか?あまり悩んだりしない、楽観的な性格でした。すごく人見知りだったので、大勢の友人と一緒にいるというよりは、一人で過ごす時間が好きでした。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?とても賑やかで仲が良い家庭でした。特に中高時代は親の仕事の都合で、家族みんなでアメリカに住んでいたこともあり、出かけるときは常に家族一緒。多感なティーンエイジャーの頃ですから一般的には家族と距離が出来やすい年頃だと思いますが、そんな時期でも常に一緒だったのですごく仲が良かったんじゃないかな。姉がいるのですが、姉妹それぞれ好きなことを自由にやらせてもらえる環境だったと思います。Q.3 思春期は学校でどんな存在でしたか?みんなの前で何かをする、というようなことは苦手だったので、物静かなほうだったと思います。アメリカの学校に通っていた時も、日本に帰国してからも、ハンドベル部に所属していました。Q.4 学生時代にアルバイトはしていましたか?大学の近くにある不動産会社で働いていました。一人暮らしを始める高校3年生や大学1年生のお客様に、カウンターで物件を紹介するお仕事でした。特に2~3月は繁忙期で、忙しなく働いていたのを覚えています。Q.5 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?経済学部で、株式市場分析などを学んでいました。また、ベルギーでホームステイをしていた時期も。幼少期からアメリカやメキシコには住んだことがありましたが、ヨーロッパには縁が無く初めての経験。伝統的な暮らしや街並みが残る地域ですごく魅力的だったのを覚えています。また、私は当時からチョコレートが大好きで、おいしいお菓子をいっぱい食べられるのも最高でした。ベルギーって、ショコラティエさんが営んでいる小さなチョコレート屋さんが町中の至る所に並んでいるんです。今日はここのお菓子を食べよう、明日はあそこの……と、毎日楽しんでいました。今ではチョコレートを扱う事業を行っているのですから、なんだか繋がっているものですね。■「SDGsってビジネスになるの?」懐疑的な声と戦った創業期Q.6 社長に就任するまでの経緯を教えてください。元々新卒で総合商社に入社したのですが、その後事業として立ち上げたのがimperfectです。会社員でしたから、社長になりたいとか起業したいという意思があったわけではありません。ただ、当時は今ほどSDGsやサステナビリティが注目を浴びていない時代。自分の手がけるビジネスが社会に対して良い影響を与えるためにはどうすれば良いのか、ということを考えた結果、最適な方法が会社を立ち上げる、ということでした。会社という形態にすることで、私たちのやりたいことができる、と思ったのです。設立当時は私の上司にあたる人が社長を担っていましたが、当初から「いずれは佐伯に任せようと思っている」と言ってもらっていて。いずれは、くらいの気持ちでいたのですが、まさかこんなに早い段階でその時がくるとは。はじめは、自分に務まるのか、という不安でいっぱいでした。Q.7 社長になった当初、一番大変だったことは何ですか?「imperfect」では「私たち生活者のみならず、世界や社会にとってもWell(良い)」という意味を込めた「ウェルフード&ドリンク」を提供していますが、創業当初の2019年は今ほどサステナビリティやSDGsが浸透していなかったため「本当にビジネスとして成り立つのか」という懐疑的な意見も多くありました。株主をはじめ事業に関わってくださる方々に対してこのビジネスの重要性や未来を信じていただけるよう説得するのが非常に大変でした。Q.8 創業してから一番うれしかったことは何ですか?私たちがサポートしている農園の方々が喜んでくださることが一番うれしいです。皆さんはカカオやコーヒー豆などを栽培していらっしゃいますが、それがどのような商品に生まれ変わって販売されているのか、というのを知らない方は多い。そこで、実際に表参道の店舗に来ていただいたり、動画や写真を用いてお店や商品の様子を見ていただいたりしています。遠く離れた日本でこんなふうに自分たちが作ったものが消費者に届いていると知ることができて、すごく喜んでくださるんです。Q.9 仕事でやりがいを感じるのはどんな時ですか?ふたつあるのですが、ひとつはやはりお客様が私たちの商品をみて「おいしそう」「かわいい」と言ってくださる姿を見る時。純粋に、とてもうれしく思います。そして、もう一つは、従業員が楽しそうに働いている姿を見る時です。特に私たちの事業は、伝えたいコンセプトやメッセージが強く、かつはっきりしています。それを従業員の皆が同じレベルで共有できていることが事業の成功につながると考えているんです。■1日の終わりは“前向きな振り返り”で気持ちをリセットQ.10 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝はあまり強くないので、ゆっくりシャワーを浴びて身支度をして出社します。そこから23時ごろまで会社にいますね。すごく長いと思うのですが、実はそこまでしんどくないんですよ(笑)。あまりプライベートと仕事の境目を作らないタイプだからかもしれません。会社にいるからといってずっと根を詰めて働いているわけでもありませんし、逆に家にいるからといって仕事のことを忘れているわけでもありませんから。午前中から午後過ぎまでは社内外との打ち合わせが詰まっていて、チームメンバーからの相談を受けたり自分で考えごとをしたりする時間は夕方以降。帰宅後は寝る支度をしてベッドに入ります。香りものがとても好きなので、キャンドルを焚いてリラックスしながらゆっくり考えごとをしています。Q.11 自宅でのルーティーンはありますか?夜ベッドに入った後、一日を振り返る時間を作っています。例えばメンバーとの会話を振り返って「もう少しああいう伝え方をすればよかったな」とか「明日はこれを伝えよう」とか、頭の整理をするんです。やはり人間なので当然気持ちの浮き沈みもありますが、それを表に出すのは避けたい。できる限り自分自身が穏やかでいられるように、そうして振り返りをして気持ちを鎮めてから眠るようにしているんです。よく「逆に眠れなくなるのでは?」と聞かれますが、どちらかというと早く明日にならないかな、くらいの気持ちで眠りにつけるんですよ。振り返りをしていると、メンバーに伝えたいことがたくさん出てきます。「ああすれば良かった」という後悔や反省の気持ちよりも、「明日はあのメンバーに“ここが良かったよ”って伝えよう」などと思って寝るので、明日がくるのが楽しみになるんです。Q.12 お休みの日は何をされていますか?私、寝ることと食べることがすごく好きなんです。なので、休日はとにかくおいしいものを食べておいしいお酒を飲んで、ゆっくり眠る。これが一番幸せです。あとは、本を読むのもすごく好きです。小説もビジネス書も読みますが、一番好きなのは真山仁さんの経済小説『ハゲタカ』シリーズ。あとはキャンドル集めも好きで、家に20〜30個くらいはあるので、毎日その中から気分に合う香りを選んでキャンドルウォーマーで楽しんでいます。要するに、かなりのインドア派ですね(笑)。■ロールモデルは船の仕事をしていた祖母の存在Q.13 何歳まで仕事をしたいですか?考えたこともなかったですね……。というのも、私の祖母がずっと働いていたんです。時代的に自分で仕事をする女性はそう多くなかったはずですが、船の設計周辺に関わる仕事をしていてすごくアクティブな女性だったんです。そんな祖母の姿を見ていたからか、いくつになっても元気に働いていることが自然に想像できるんだと思います。将来の夢は “かわいいおばあちゃん”になること。もちろん顔がかわいいという意味ではなく、すごく穏やかで優しい雰囲気をまとっているおばあちゃんになりたいんです。それまでの人生に自分なりに自信を持ち、自立している人こそ、歳をとったときにそういう雰囲気を醸し出せるのだと思うから。Q.14 プライベートで悩みはありますか?全然無いです。もちろん仕事でもプライベートでも考えることはいっぱいあるのですが、“悩む”ことはありません。あれこれ悩むことは解決にはならないと思うんです。課題があったらその時に出せるベストな回答をすぐに出す。それで解決しなかったらまた考えて次の手を打つ、というように、ただ漠然と悩む時間は持たないようにしています。あとはやっぱり、おいしいものを食べてゆっくり寝て、忘れちゃうことも大事です(笑)。Q.15 今後の展望を教えてください。せっかく社会に関わって生きているのであれば、何かしら自分自身が社会に対してプラスになれることをしたいと思っています。今はそれが幸いにも事業を通じて叶えられているので、より一層成果をだして、生産者も含めた世の中を少しでも良くしていきたい。歳を重ねて、仮にそれが事業という形ではなくなったとしても、私という人間が関わることで少しでも社会を良くすることができれば、と思います。
2023年06月20日取材・文:ameri撮影:稲垣佑季編集:鈴木麻葉/マイナビウーマン編集部経営者やいわゆる「リーダー」って、どうしても私たちとは違う世界の人……と思ってしまいがち。でも、リーダーたちも毎日寝て、起きて、ご飯を食べて……そして仕事をしている普通の人。そんなリーダーの素顔を探るべく、今回はGCIヘルス日本代表の山田千登勢さんにインタビュー。現在は明るく快活な印象を受けた山田さんですが、幼少期は引っ込み思案だったのだとか。そんな引っ込み思案の少女が、世界唯一のヘルスケア業界に特化したPR会社・GCIヘルスの日本代表になるまでの軌跡を伺いました。山田千登勢さん2021年1月よりPR エージェンシー、GCI ヘルス・ジャパン日本代表。医薬品業界において23年間のマーケティングならびにコミュニケーションを経験。GCIヘルス入社前は、エデルマン、ウェーバーシャンドウィックのヘルスケアセクターの責任者を歴任。医薬品業界以外に、新卒から約10年間の国内外での旅行業ならびにホテル業の経験を始め、自動車メーカー、金融メーカー等における営業マーケティングの業務も経験。■転校を繰り返した幼少期から学生時代までQ.1 幼少期はどんな性格でしたか?小学4年生くらいまでは本当におとなしい子でした。母親の影に隠れて全然喋らないし、写真に写ってもいつも下を向いている、そんな女の子だったんです。Q.2 どのようなご家庭で育ちましたか?両親と4つ上の姉がいて、京都で生まれました。姉が積極的な性格だったこともあり、それに押されて控えめな性格だったのかもしれません。おとなしいせいでいじめられて、毎日泣いていた幼少期でしたね。そして、父親が国家公務員で転勤族だったので、小さい頃から高校生まで、2〜3年周期でいろいろなところへ転勤を繰り返す生活をしていました。Q.3 おとなしめの性格だと、新しい環境に飛び込むのは大変だったのではないですか?そうなんです。転校が多かったことがきっかけで、人を見て「この子にくっついておけば無事だろうな」と見極める、ずるい子になってしまいました。ところが、転校の頻度が増えてきた小学5年生から急に元気いっぱいになって。よく喋る・よく笑う・友達もたくさん作れる子になったので、今度はそれが目立ってしまい、逆にいじめられ……。高校卒業までは本当にキツかったですね。Q.4 転校はどれくらいの頻度で?小学校で3回、中学校では2回、高校では3回転校を経験しました。高校時代は毎年違う高校に行っていたので、友だちを作る以前に、その環境に慣れてみんなと仲良くすることが自分にとって優先度が高くなっていましたね。でも、実際は仲良くする余裕もなかったですし、逆に仲良くなると今度はお別れがとても悲しくなってしまうから、自分の中でセーブして生活していたように思います。Q.5 学生時代にバイトはしていましたか?大学時代は、外国人観光客へ国内旅行ツアーを提供する旅行会社で、通訳ガイドの方のアシスタントをするアルバイトをしていました。というのも高校2年生の時に、アメリカから来た交換留学生の子が、うちで3カ月ホームステイしていたんです。若くて英語の吸収が早かったこともあり、3カ月間彼女とずっと一緒に過ごしたことで、大学入学時すでにかなり英語が話せるようになっていました。という背景もあり、英語を使えるアルバイトを探して、そこにたどり着きました。当時は今よりかなり円安の時代。アメリカやヨーロッパからたくさんの方が日本に旅行に来ていました。毎朝都内のホテルに迎えにいき、話をしながら目的地へ連れて行ったり、空港まで迎えに行き、今で言うコンシェルジュのようにホテルでチェックインをはじめ、滞在中の質問に答え手配までしたりと、そういう役割を担っていました。いろいろな国の方と話をすることで耳がどんどん慣れていきましたし、とても楽しく有意義な経験をさせてもらったと思っています。Q.6 大学時代はどのようなことを学んでいましたか?私の時代は4年制の大学に進む女性が本当に少なかったんです。ですが、うちは両親が「4年生の大学に行け」と最初から言っていたんですね。そして、高校生の時にアメリカへ留学をしていた姉が「大学に入るのであれば、そして仕事をしたいのであれば、経済学部が法学部に入るべき」と言っていて……。私はその言葉を頑なに信じて経済学部の商学科に進学し、マーケティングや経営を学んでいました。Q.7 留学は経験されましたか?いえ、留学は経験していません。ですが、やはり私にとって高校時代の交換留学生との交流、そして大学時代のアルバイトを経験できたことが英語の面でとてもラッキーだったと思います。さらにラッキーだったのが、大学卒業後の最初の仕事がハワイだったこと。そこで英語力をより向上させることができました。■旅行業やホテル、さまざまな業界で経験重ね、医薬品業界へQ.8 これまでどのようなキャリアを歩んできたのでしょうか?卒業後すぐのハワイでの仕事は旅行業でした。大学生の時にアルバイトをしていた旅行会社から紹介され、「行く!」と即答。約4年間ハワイに滞在し、仕事をしていました。そして日本に戻ってからは、スイス航空が直経営しているホテルチェーンの日本法人で営業マーケティングを担当。ですが、湾岸戦争の影響でいろいろな業界がダメになってしまい、私の働くホテル業界もお手上げに。突然日本のオフィスをクローズすることが決まったんです。ただ、日本のお客様をスイスに送るツアーを多く企画していたので、「自分のお客様をスイスで受け止めて、改善点のレポートを作ってくれるならスイスに来ていいよ」と本社から言われ、スイスのチューリッヒで1年間働くことになりました。Q.9 日本に帰国してからは転職をされたんですか?帰国後は、スイスにいた経歴を買われ、パリに本社を持つ老舗高級ホテルチェーンにヘッドハントされて、営業マーケティングの担当として移りました。ただ、日本支社の人間関係が良くなく退職。それまではラッキーの連続でしたが、ここからはかなり苦労したんですよね。というのも、湾岸戦争でホテルの統合が進み、さらに当時最高峰のホテルチェーンで働いてしまったこともあり、ホテル業界では道が絶たれているなと。なので、30歳半ばから40歳くらいまでは業界を変えて転職をしていたのですが、なかなかそれまでのように打ち込める仕事にめぐり逢えず……。ただ、一貫して外資系であること、また営業マーケティングの職種を固持していました。そして、40歳になった時に、今も働いている医薬品業界の道に入りました。Q.10 医薬品業界でリーダー職を目指したきっかけを教えてください。医薬品業界は理系の人が主流の業界なので、この業界ではリーダーになれるとは考えていませんでした。私の担当は、コーポレート・マーケティングとコミュニケーション部門の責任者でした。製薬業界だけを経験してきた人たちが多い中で、違う業界でマーケティングと企画営業を経験し、いろいろな引き出しを持つ人間は珍しかった。その引き出しを開けて試したプランニングが妙にハマったんですよね。最初は反感もありましたが、成果を出していくうちに異色の経歴を持つ私を面白がってくれて。医薬品業界のイロハをドクターや研究開発の人が丁寧に教えてくださり、多くの知識を得ることができました。初めは馴染めなかったのですが、数年経ってからは人の命にかかわる貴重な仕事と思えるようになりました。また、医薬品業界はこのぐらいからイノベーションが常に起こり始め、それを知ることも大きなモチベーションに。働いていると、上手くいかない時は「どうして自分ばっかり上手くいかないんだろう」と思ったり、やりたくないことをやらされたりすることってありますよね。でも、その経験がいざという時の引き出しになるんです。無駄だと思うことも、嫌だと思うことも、真面目にきちんとこなしているといつか花開くことがあるのだなと、自分の経験から感じました。Q.11 代表に就任してから一番うれしかったことは何ですか?GCIヘルスは、経営陣の99%が女性という特徴のあるPRエージェンシーなんです。アメリカのCEOもAPACのプレジデントも、私のような各国のカントリーマネージャーもほぼ女性。政治的な駆け引きが一切なく、お互いに助け合いの気持ちが強い環境がとてもやりやすく、心地よいです。これまでいろいろ経験してきましたが、これほど自分を受け入れ、リスペクトしてくれて、サポートしてくれる環境に出会えたのは初めて。本当にとても良い環境に来られたのだなと感じられたことが一番うれしかったです。■平日は休憩を取りつつ、朝から夜まで仕事Q.12 毎日のタイムスケジュールを教えてください。朝8時ごろから、グローバルから来たメールを見始め、12時くらいまでメールのチェックをしています。現在はほぼワークフロムホームの働き方をしているのですが、必ず12時から13時までに昼食を取るようにし、そこで少し仮眠を取ることもあります。そして、13時半、14時くらいから18時ごろまでミーティングをこなし、一旦終了。その後、グローバルのミーティングが20時だったり22時だったりにセットされていることがあるので、そこまで休憩してからミーティングに参加しています。平日の仕事をしている時間は長めですね。Q.13 毎日のお仕事で何をしている時間が一番長いですか?新規ビジネス開拓やPRコンサルに関するミーティング、ドキュメンテーションが長いです。ミーティングは、多い時は1日に5〜6回参加することもあります。そして、PRは書くことも多いですね。小学生の頃は作家を目指していたこともあるくらい書くことがかなり好きなので、そこは楽しんで仕事をしています。ナラティブやスピーキングポイント、プレスリリースなどのコンテンツ作成や企画書作成などの、集中して書く時間も仕事の中の大きな割合を占めています。■“推し活”でリフレッシュ。目標は「生涯現役」Q.14 お休みの日は何をされていますか?そもそも休みの日はありますか?はい。オンオフの切り替えはハッキリしている方だと思います。以前は、遊びに行きつつも携帯をチェックして仕事をして……ということをしていたのですが、最近はもうやらないことにしているんです。日曜日の10時〜14時に掃除に来てもらっているので、その間だけは仕事をして、それ以外は全部リフレッシュに充てています。リフレッシュは、エステや美容院、整体など自分メンテナンス。そして、“追っかけ”をやっているので、推しの彼が出るライブはもれなく、くまなく行っています!推しの彼は、天才でありながら努力家。同年代ですが、ずっとかっこいいし、なによりも進化し続けているんです。彼を見ていると私も進化していかないと、と思えますし、パワーをもらって「明日からも頑張ろう」という気持ちになれるので、ライブに行き続けています。そして、リーダーという立場として、私も会社のみんなにパワーをあげなければいけないなとも思っているんです。体の調子や気分が悪くても、多忙な日々が続いても、常に笑っていたいなと。「千登勢が笑っているから自分たちも笑おう、頑張ろう」となってくれたらいいなと思っているので、私は大体いつも元気と明るさの塊みたいに笑っています(笑)。Q.15 何歳まで仕事をしたいですか?人生100年時代で、まだまだ元気であれば働ける時代。ですから、生涯現役でいたいと思っています。そのためには、新しいものを生み出していく必要があるかなと。今はそれを模索中です。Q.16 将来の夢はありますか?書くことがとても好きなので、もしかすると作家のようなことに挑戦するかもしれないし、それこそ、自分の経歴の引き出しを開けて講演会をするかもしれません。まだ分からないけれど、チャレンジしていきたいなと思っています。また、2023年現在、日本でビジネスを初めて3年目となるGCIヘルスですが、よりビジネスを大きく展開していき、才能のある方にたくさん入ってもらうことを第一の目標として掲げています。目標を達成できたから引退ではなく、さらに次の目標を掲げ、新しいことに挑戦し続けていきたいですね。そんな人生を死ぬまで送っていけたらいいなと思っています。◇InformationGCIヘルス刻々と変化するヘルスケア環境のもと、常に新しい発想をもって挑み続ける世界唯一のヘルスケア業界に特化した統合型グローバル・コミュニケーション・エージェンシー。日本を含め、経営幹部の9割以上が女性。働く女性を応援しています。本社をニューヨークに置き、世界中に展開をしており、日本では2021年に設立し、今年で3年目。APACリージョンで、ベストヘルスケアPRコンサルタントエージェンシーを含む数多くの賞を受賞。
2023年06月16日仕事に責任感を持って頑張っている人は素敵ですよね。しかしそんな頑張っている仕事を先輩社員に甘く見られたら、イラッとしてしまうことも…。今回はそんなイラッとした気分がスカッと晴れた気分爽快な体験談を紹介します!専門的な仕事を頑張る主人公お局のAさんの言い方にモヤモヤ結局Aさんはまともに仕事ができなかったAさんのせいで現場は大混乱自分の仕事に自信が持てた!いくら先輩でも、人の仕事を甘く見て軽口を叩くのはよくありませんね。自分の仕事に責任感を持って頑張っている主人公の気分が晴れたエピソードでした!
2023年06月06日今回は、人気のマンガをクイズ形式で紹介します! マンガのストーリーがどんな結末になるか考えてみてくださいね。イラスト:モナ・リザの戯言自分勝手な夫の衝撃行動主人公はマイホームを建てるため、仕事と節約を頑張っていました。しかし、専業主夫の夫は節約に非協力的で喧嘩をすることも…。それでも、なんとか目標額の貯金を達成します。ついに念願のマイホームを購入出典:モナ・リザの戯言今後の生活を考えて、夫に節約するように念を押す主人公ですが…。問題さあ、ここで問題です。念願のマイホームを建てた主人公。この後夫がとった衝撃行動とは何でしょう?ヒント夫はマイホームを自分の好き勝手に使えると思っているようです。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:モナ・リザの戯言正解は「無断で義家族を同居させた」でした。もちろん主人公は夫に意見しますが、受け入れてもらえません。好き勝手する夫と義家族に、主人公は怒りの炎を燃やすのでした。勝手に決めないで…マイホームは2人の家ですよね。それなのに、勝手に義家族を同居させた夫にモヤモヤしてしまいます…。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2023年06月01日仕事を頑張るのはいいことですが、無理やり働かされるのは辛いですよね。今回は、「達成できないノルマを押し付ける上司」を紹介します。上司とのLINE理不尽な上司…気合と根性って…体調不良でもお構いなし…「それ、甘えだよ」過労で倒れた主人公過酷な労働で体調を崩した主人公。しかし、部長は出勤を強要…。立つのもやっとな主人公は、チャットを打ちながら倒れてしまったようです。心身ともに健康に働ける職場が理想ですね。原案:愛カツ読者編集:愛カツ編集部
2023年04月30日みなさんは、夫や彼に仕事について嘘をつかれたことはありますか?今回は「妻に黙ってホストをしていた話」を紹介します。夜勤が多い夫家庭のために頑張ってくれているが…何やら怪しんでいる様子の妻思い切って問い詰めると…働いてくれるのはいいことですが、嘘をつかれていたのは悲しいですね。これからは家族に相談した上で、仕事をしてほしいものです。
2023年04月21日新しい季節を迎え、これから自分の運勢がどのような傾向なのか気になりますよね。星座ごとにどんな運が好調なのでしょうか?そこで今回は、【星座別】「4月中旬、運勢が絶好調な女性」というテーマでお送りします!■第6位:やぎ座やぎ座の女性は仕事運が絶好調のようです。頑張ったら頑張った分の成果が出やすく、周囲からの信頼も高くなりそうです。それと同時に、プレッシャーも強くなりそうなため、リフレッシュする時間を取ることを意識してみてください。■第5位:さそり座恋愛運が絶好調なのは、さそり座の女性。特に遠距離恋愛をしている人は、彼との心理的な距離が縮まるようなできごとがありそうです。美容だけではなく健康も意識すると、さらに恋愛運が高まるでしょう。■第4位は...第4位は、しし座の女性。思い立ったらすぐに行動すると、そのことの運気がアップしそうです。例えば、新しい出会いがあったり、仕事でのチャンスが巡ってきたりと、自分にとって有利に動いていくでしょう。自信を持って行動するのがポイントです。(ふう_/占い師)(ハウコレ編集部)
2023年04月13日すっかり当たり前になった在宅ワークですが、それがきっかけで夫婦のトラブルになることも…。 そこで今回は、在宅ワークをする夫との生活を描いた漫画「無様な浮気バレをする夫の末路」を紹介します!(Lineドラマ)『無様な浮気バレをする夫の末路』主人公は派遣社員として働く妻。夫は在宅ワーク中心の仕事で、昼間家にいるのは夫のみです。家で頑張る夫のために妻は日々尽くしており…。朝飯作ってくれてありがとうな出典:Youtube「Lineドラマ」毎朝夫に朝ごはんを作って出社する主人公。そのかわり、在宅で余裕のある夫が夕飯を作る約束でしたが…。夫は在宅でだらけてしまい、次第に仕事も家事も疎かになっていきます。家にひとりでいるのは寂しいからと飼いはじめた犬の世話もろくにしません。そしてある日、決定的な出来事が…。なんと夫が在宅ワーク中に家で浮気をしていたのです。自宅に設置した犬用のカメラに残された映像を証拠に、主人公は慰謝料を請求して離婚するのでした。自分で設置したカメラで在宅ワーク中に浮気をして、離婚されてしまった夫。自分で設置したカメラに浮気の証拠を残すとは、あまりにも隙がありすぎますよね…。そんな夫と別れられてよかったです。以上「無様な浮気バレをする夫の末路」を紹介しました!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。
2023年04月09日