皆さんは「ふるさと求人」をご存じだろうか?簡単に言うと「地方で就職し移住したら100万円あげる」という、移住したい人にはとてもありがたい国の施策だ。そんな、ふるさと求人について、経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説してくれたーー。■ふるさと求人は地方創生に有効?ふるさと求人は、地方創生を目指す「移住支援事業」の一環で行われる求人です。東京23区内に住んでいるか、勤めている方が、ふるさと求人の対象企業で就職し、5年以上その地域に住む意思を示せば、「移住支援金」として最大100万円(単身者には最大60万円)を支給するものです。さらに、就職ではなく、地方で社会的事業を起業した方には、「起業支援金」として最大200万円を支給。先の移住支援金と合わせると最大300万円を受け取れます。ふるさと求人は、今年度に始まった事業ですが、当初は各自治体が個別に求人サイトを作っていました。でも、なかなか情報が広まらないため、内閣府は求人情報サイトを運営する企業3社と連携。そのうちディップ(株)は、1月22日から「バイトルNEXT」で全国版の特設ページを開いたのです。現在の求人数は1,600件超(’20年2月14日)。物流や建設から接客・営業・介護職・看護師など幅広い職種で支援金対策の求人があります。’07年から求人の年齢制限は撤廃されていますから、中高年にもチャンスがあるでしょう。さらに、移住先を訪ねる「くらし体験ツアー」も開催。たとえば「夜行バスに乗って行く3泊4日の兵庫TOUR」は、新宿から現地の往復バス代や宿泊費なども含めて1人6,000円。求人企業の見学や移住者との懇親会もあります。移住支援金は来年度以降5年間続きます。地方に移住したい方は多方面から情報を集め、ご検討を。こうした支援金は、移住したい方にはお得な制度で利用をお勧めしますが、国の施策としてはいかがなものかと言わざるをえません。というのも、移住促進については地方の自治体がすでにさまざまな補助金制度などを行っています。たとえば奈良県吉野郡川上村では、移住者が川上産吉野材を使って自宅を新築・リフォームし10年間住むなら、建築費用の半額を200万円まで補助する制度があります。国としては、こうした今ある制度がもっと活用されるように、地方に財源を配ってバックアップするのが本来のやり方でしょう。新たに国が主体の補助金制度を作るのは、「地方創生に注力している」というアリバイが欲しいだけではないかと疑りたくなります。また、支援金支給を東京23区の在住・在勤者に限るのは、東京一極集中を避けたいからでしょうが、それならもっと抜本的な施策が必要です。’16年に構想された消費者庁の徳島移転は、’19年7月に断念。文化庁の京都移転も部分的な機能移転にとどまり、さらに’22年以降に延期されるなど、国の機関は東京に集中したまま。これでは企業も動きませんし、人だけ地方に移住しろと言っても無理があるでしょう。ふるさと求人は地方創生の切り札とは言えず、血税の使い道として疑問が残ると思います。「女性自身」2020年3月3日号 掲載
2020年02月21日東京から山口県の小さな町へUターン移住をして、2年が経過しようとしています。この2年でわが家の長女は中学生に、三女は小学生になり、子育てのステージがひとつ上がりました。この機会に親子の変化と、自らの子育てについて振り返ってみたいと思います。情報に翻弄されない、ブレない思いが軸になる都会から田舎に引っ越し、一番大きかったのが住環境でした。夫は単身赴任、両親は自営業なので常時ワンオペ育児ですが、自然に囲まれ、また空間的なゆとりのおかげで心に余裕を持てています。しかし情報化社会、どこにいても最新の情報はインターネット経由でどんどん流れてきます。子育て関連、ハウツー情報、習い事や受験の話など、ちょっと調べるつもりがエンドレスに見続けてしまうことも。たくさんの情報を得られるからこそ、その情報や広告に翻弄されない親でありたいと、より強く思うようになりました。地方でのんびりと生活をしていたら、「将来大学受験などで都会の子と競争することになるけど、大丈夫なのだろうか?」 と焦りや不安が生じることもあります。しかし私達夫婦は、子ども達に“自分で生きていける力”、“図太く生き抜く力”を身につけてほしいという思いを一番に考えているので、まずは本人の“やってみたいという意思を尊重”し、“成功も失敗も含めてさまざまな経験をさせること”が大事。学校で学習の遅れをとると別の意味で大変になってしまうので、基礎の学習は抜けないように努めながら、バランスが取れるように心がけています。どこにいても情報の取捨選択をして自分で判断するには、“わが子にどう育ってほしいか”、“何を一番大切にしたいのか”を親がしっかりと持っておくことが大切だと感じています。そして現在、中学生になる長女の成長を見ていると、これまでのチャレンジや経験が少しずつ生きてきてきたかなと、ようやく“子育て=人育ての面白さ”が見えてきたように感じているところです。親が一生懸命に生きることが子どもに伝わる2011年に3人目を出産してから、「これからは自分のためにも生きたい」という想いが強くなり、世の中と繋がること、仕事へのチャレンジを考え始めました。フリーランスの仕事を選んだので、自分で開拓や営業をしなければならず、その挑戦とワンオペでの子育ての両立はハードなものでした。余裕がなくて本当にイライラ、ピリピリした母親だったと思います。「あの頃はお母さんの仕事部屋が怖くて近寄れなかった」と、今だから話してくれる娘達。私も毎日が必死だったものね…。ある時、仕事でとても悔しい思いをしました。自分が情けないやら悔しいやらで泣いている私を娘達はやさしく見守ってくれ、声をかけてくれました。またある時は、新たな仕事をゲットし喜ぶ私と一緒に、大喜びしてくれました。カメラマンとして仕事もしています親になりたての頃は、“立派な親でいなければ”、“しっかり子どもを育てなければ!”と力が入っていました。しかし今はそんなことは考えず、自然体です。親だって人間。知らないこともたくさんあるし、失敗だってする。強そうに見える母さんだって泣く(笑)。どこにいても自分を一生懸命生きること、何事にも前向きに取り組むこと。そういう大人の姿を見て、子ども達が自然と何かを感じてくれていると信じています。「今が一番いい時期よ!」が分かる立場になって数年前まで東京で小学低学年、幼稚園児と保育園児を抱え、ママチャリであっちへこっちへ走っていたのがウソみたい。今は習い事こそ車での送迎が必要ですが、子どもが成長すると親は随分とラクになるものだと実感しています。と同時に、あの頃が懐かしくもあり、輝いて見えます。「今が一番いい時期よ!」と先輩ママたちに言われていたことが分かる立場になったのだと。子どもの成長は本当にあっという間。放っておいても日々大きくなりますし、親は忙しくて振り返るヒマもないくらい、時間は過ぎ去っていきます。それはどこに住んでいても同じ。母親として子どものために走り回れるのは期間限定です。10年、20年後に、ああすればよかった、これもやっておけばよかったと後悔しないよう、子育てを全力で楽しまなきゃもったいない!と思います。そして子どもが巣立つときには、“たくさんの経験をありがとう!”と、スッキリした気持ちで送り出してあげれる親でありたい。三女が成人するまではあと10年。残りもめいっぱい楽しんでいこうと思います!2016年、母娘4人でブラジルへ!旅も大切な経験のひとつ<文・写真:ライター林未香>
2019年12月27日「裕木さんがロサンゼルスに前夫と移住したのは14年前。以来、日本での仕事時に帰国しています。特に昨年は『FINAL CUT』(フジテレビ系)で23年ぶりの民放連ドラ出演や、30周年記念ライブを開催するなど、精力的な“凱旋”活動でした」(仕事関係者)ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』のヒロインだった裕木奈江(48)。裕木はロス移住後、10年に11歳年上のヘアメークアーティストと離婚。その後もロスにとどまり、17年には世界中で話題を呼んだ『ツイン・ピークス』ドラマ版に出演。「彼女の今のポリシーは『スケジュールと仕事の内容さえ合えば、世界のどこにでも行く』ことだそうです」(映画関係者)裕木と同じく、ロス移住を決断したのは吉川ひなの(39)。11年に会社経営の一般男性と再婚。7歳長女と1歳長男に恵まれた。「15年の春に一家でハワイに移り住み、昨秋ロスに転居しました。4月中旬に、彼女がプロデュースする子供服ブランド『Love the Earth』のイベントのため一時帰国。『私ってやっぱり芸能人だったんだなって思いました』と、久しぶりにあの“ひなの節”を披露していました」(仕事関係者)帰国直前には、ほしのあき(42)、MALIA.(36)らと“子連れ女子会”を開いたとSNSで報告。《女同士集まると話が濃厚~~~あー楽しかったっ》とコメント。「ひなのさんの居住エリアは周りに日本人がほとんどいないそうです。『本当に新生活で、自分が“吉川ひなの”だと忘れそうになる』と話していました。今後も定期的に日本で仕事する予定です」(知人)アラフォーのロス移住はヒロイン“再起”の契機になるのかも!
2019年05月13日結婚後の数年間、東京都心の賃貸マンションやテラスハウスに暮らしていた鈴木さん夫妻ですが、子育てをしていく中で、長野・飯綱高原へ居を構え、引っ越す決断をしました。そのきっかけはなんだったのでしょうか?移住後のよかった点、大変な点なども含め、鈴木さん家族の高原での暮らしをお聞きしました。■ 長男の小学校入学を機に、東京から長野へ東京で自主保育に参加して、長男をのびのび育てていた妻の洋子さんですが、公立小学校への入学に迷いを感じていたといいます。そこで、長野市の実家から近い飯綱の私立学校を見学。「子ども自身が考えることを大切にする学校で、子どもたちの表情がキラキラしていました。ここで子どもを学ばせたいと直感しました」。突然の提案に驚いた夫の貴詞さんでしたが、見学してその考えに共感。東京で家賃のために働くような日々、子どもの声で近隣からひんぱんに苦情がくる環境を変えたいとも感じていました。妻の実家が市内にあることも背中を押したといいます。早速、地元の不動産会社2社に相談し、リノベーション前提で中古の一軒家を探します。自分たちが魅力を感じる場所、物件をと探しましたがなかなかピンとくるものに出会えず難航したそうです。そうしてようやく見つけたのは、長野駅から車で30分、標高1100mの飯綱高原の木立の奥に建つ、築50年以上の山荘でした。■ 音楽家が暮らしていた高原の小さな山荘をリノベ音楽家のオーナーが夏を過ごしていたというその山荘……。「お化け屋敷と噂されるほどボロボロの状態でした。しかし、梁が家型に連続する美しい室内を見たとき『ここしかない』と感じたんです」(夫)大きく手を加えたのは、快適に暮らすための温熱環境。冬の飯綱は積雪量こそ1m程度ですが、気温はマイナス15℃まで下がります。もとの建物はほぼ無断熱だったため、屋根と壁、床に断熱材を隙間なく充填しました。さらに「少ないエネルギーで暮らしたい」と、なんと長男と洋子さんで小さなソーラー発電装置を自作。これが功を奏し、クーラーいらずな気候もあって今年の夏は電気代がほとんどかからなかったといいます。リノベーションした住まいは上下階が吹き抜けで大らかにつながっています。冬は薪ストーブ1台の輻射熱で、家全体がじんわり暖まるそうです。他には、ロフトの配置を変更。家型に連続する梁の美しさを見せるためで、さらに視線が奥に抜けることで面積以上の広がりを感じさせます。薪ストーブも空間に合わせて細長い形を選びました。古い梁や木材を見せるため、屋根の断熱材は屋外側に充填しました。南側は窓を大きくし、光いっぱいの空間に。365日ずっと自然の変化を感じられて、家にいながらキャンプをしているよう。存在感のある既存の梁は、DIYで軽やかな白に塗装したそうです。ロフト北側は長男のスペースに。南側は夫妻の寝室と長女のスペースに。傾斜する屋根が山小屋のようで、こもる雰囲気が心地よさそうです。ロフトの一角には長男のドラムセットもあります。■ 人のつながりが濃い地域で、仕事も暮らしも順調!移住で心配なのは仕事ですが、鈴木さん夫妻の場合はどうしたのでしょうか。建築家として独立していた貴詞さんは、次のように話してくれました。「ちょうど仕事がひと段落していて、動くにはいいタイミングでした。長野市はリノベーションで全国的に注目されるエリアです。界隈の人たちとつながることで設計はもちろん、街づくりなど東京では縁がなかった仕事も始まりました」。移住後は市内のシェアオフィスに入居。そこを拠点に仕事の幅が広がったといいます。一方、洋子さんはお菓子作家として、東京にいた頃から植物性材料を使った手作り菓子を知人に販売していました。移住後も人伝いでカフェに卸すことがトントン拍子に決まり、雑貨店やイベントでも販売するようになったそうです。お菓子づくり専用の厨房は食品衛生法に準拠。家族の姿が見えるようガラスの間仕切りを設置しました。通信販売も始め、リビング横の厨房で菓子づくりに励む日々です。プライベートキッチンは別にあり、家族で囲んで作業できる広いペニンシュラ型。吊り戸棚で収納を確保しています。夫妻共に仕事はとても順調そうです。ところで地域活動はどんなものがあるのでしょう?「暮らすうちにここが子どもたちのふるさとになればと思い始めました。地域活動のひとつに、この間は子どもたちを集めて鳥の巣箱をつくりました。僕が設計して、野鳥に詳しい人に鳥が来る場所を教えてもらって」と夫。この地区は移住者が多く、面倒なルールは皆無だったそう。「地方はコミュニティが小さいので、横のつながりが濃いのが都会と違うことのひとつ。そうした人付き合いをうまく乗りこなせれば、楽しく暮らせると思いますよ」。薪づくりに必須のチェーンソーの使い方は、林業に携わる学校の父親仲間が教えてくれました。買い物はネット通販や宅配でまかなえるし、市街地まで車で30分なので不便はないとのこと。「悪いことは、雪や突風による倒木で予想以上に停電が多かったこと! ソーラー発電に助けられていますね」と妻。「暖房の熱源は薪だし、近くに湧き水もある。ライフラインが途絶えても生きていけるくらいです(笑)」。庭に出れば春は山菜、秋はキノコと食材も豊か。身の回りにあるもので工夫する豊かな暮らしが、生きる力を育みます。兄妹もきっと大らかに、感受性豊かに育っていくことでしょう。もっと詳しく見たい方は、ぜひ「住まいの設計2018年12月号」を参考にしてみてくださいね。スズケン一級建築士事務所〒380-0831 長野県長野市東町207-1 KANEMATSU050・5534・8688お菓子のマド乳製品・卵・白砂糖を使わない「体にやさしく、ちゃんとおいしいお菓子」を販売。通信販売もあり。マクロビオティック料理教室も不定期で開催。撮影/山田耕司(扶桑社)住まいの設計2018年12月号豊富な実例ときめ細やかな情報で快適・便利な住スタイルを提案。家作りの夢が広がる!住まいのお役立ちマガジン【巻頭特集】「だから選びました!ハウスメーカーで建てたこだわりの詰まった家」 【第二特集】「毎日緑に触れられる幸せ…ガーデンハウスで暮らそう!」
2019年04月14日千葉県茂原市の市街から少し離れた県道沿いにある「コーヒーくろねこ舎」。東京から移住した今野さん夫妻が営業しているブックカフェです。古民家専門の不動産サイトで物件を見つけ、夫がDIYでリノベして、夢だったカフェをオープンさせました。素朴であたたか、そんな空気に包まれるやさしい空間です。■ 田舎暮らしに求める生活目的を持つ夫の博之さんは山形出身で、実家に帰るたびに自然に囲まれた環境のよさを再確認していました。そして妻の素子さんの夢はカフェ経営。介護士として働く博之さんは「自分の仕事をベースに妻の夢をかなえるには、東京でなくてもいいのでは」と移住を決意します。夫妻は、東京近郊で古民家を探す中、千葉県にある古民家専門の不動産サイトを発見。そのサイトの主宰者も移住者であり、田舎暮らし希望者を対象にした古民家交流会を開催していました。そこで、さっそく交流会に参加し、先輩移住者さんたちの生の声を聞きます。「目的がしっかりしていた方がより田舎暮らしが楽しめる、コミュニティやご近所さんとの付き合い方とかとても勉強になりました」と素子さん。こうして自分たちが田舎暮らしに求める生活目的をしっかりと固めました。「古民家で暮らしながらカフェを経営したい」「敷地内で菜園をしたい」という想いです。……手に入れたのは、瓦屋根の日本家屋。築年数は経っていましたが、ご近所の宮大工が建てた建物であり、躯体はしっかりとしていて雨漏りなどもありません。庭+古民家+カフェという条件にぴったりな理想の物件でした。■ 夫がDIYで古民家カフェにリノベ今野さん夫妻がこだわったのは、自分たちの力で店づくりをすること。博之さんは仕事をしながら床の張り替え、壁塗りなどDIY リノベを実践しました。どのように改装をしたのか、少しご紹介しましょう。和室があった場所は畳をはがし、杉のフローリングに張り替えました。ここは大きな窓からのんびりとした眺めを楽しめる場所ですね。ハーブなどが自生している菜園が見えます。カフェカウンターは元々あった引き戸を活用しました。既存の床の間は、本やグリーンを飾るスペースに。浴室はレトロなタイルをそのまま生かしながら、浴槽を取り除いて小物をディスプレイ。カフェでイベントを開催する際には、スタッフのバックヤードとして活用しているそうです。カフェの玄関は、既存のケヤキの床をそのまま生かしました。テーブルや椅子などのインテリアはどうしたのでしょう?小学校で使われていた勉強机、秋田の温泉街で偶然拾ったテーブルなどをリメイクして活用しているそうです。テーブルと椅子はすべて異なるデザインなのが楽しいですね。どこに座るか選びたくなります。照明はシンプルな裸電球を使い、昭和の雰囲気を生かしているとのこと。知り合いや友人からもらった花やグリーンは、ドライにして店内に飾っています。銀座の老舗コーヒー店で働きながら焙煎技術を習得した素子さん。こちらに来てからはコーヒー屋台を出店し、カフェオープンの準備を着々と進め、3年かけて「コーヒーくろねこ舎」をオープンしました。■ 地元を活性化させるコミュニティの一員に「町のコーヒー屋として一生ここで暮らしたい」と話す素子さん。この地を移住先に選んだきっかけは?「ラジオ番組で、東京から千葉県いすみ市に移住した人の話を聞いたことがきっかけです。夫は、カフェ&宿泊施設『ブラウンズフィールド』で2週間の泊まり込み体験を経て、千葉県の住みやすさを実感しました」と素子さん。なるほど。実際に暮らしてみないと分からないこともありますものね。そして、移住生活で大切にしているのが、ご近所やコミュニティとの関係だそうです。博之さんは地元の消防団に入ったり、お祭りに参加したりしているそうです。素子さんは、様々なイベントでのコーヒー屋台は現在でも積極的に出店して、地元を活性化させるコミュニティの一員として活動。田舎暮らしには困ることもありそうですが……?「豪雨による倒木で道が寸断されて町に出られない」などの予期せぬことが起こったりするそうです。“田舎あるあるトラブル”に要注意です。でも、よいことの方がたくさん!「料理を通して素材のこと、農園の方々のことを紹介する機会もあり、カフェが“つながりの場” にもなるといううれしさがあります」野菜や果物のおいしさを改めて感じたり、自分と似た感覚を持つ人たちとのつながりが広がったりして、東京では得られなかったものが日々増えています。ところでカフェのオススメですが、やはり、時間をかけて丁寧にドリップするこだわりのコーヒーと新鮮な地元の有機野菜をふんだんに用いた数々の料理!夢を実現し、地元のコミュニティに参加し、自然に包まれてスローライフを楽しむ今野さん夫妻。やってみたいこともまだまだあります。「自生しているスペアミントやタイムなどのハーブ類はあるのですが、もっとちゃんとした菜園をやりたいと思っています」と、さらなる想いを語ってくれました。もっと詳しく見たい方は、ぜひ「住まいの設計2019年2月号」を参考にしてみてくださいね。コーヒーくろねこ舎〒297-0044 千葉県茂原市台田327-1080・4403・0319自家焙煎のコーヒー、手づくり料理とスイーツを提供。不定期営業のため開店日時は要問撮影/山田耕司(扶桑社)住まいの設計2018年12月号豊富な実例ときめ細やかな情報で快適・便利な住スタイルを提案。家作りの夢が広がる!住まいのお役立ちマガジン【巻頭特集】「猫だってハッピーにしてほしい!猫と一緒に暮らすための家」 【第二特集】「自分らしいインテリアと暮らしています」
2019年04月09日皆さんは長野県の下諏訪町ってご存知ですか?諏訪湖のほとりに広がる風光明媚な町なんです。下諏訪といえば温泉や7年に一度行われる諏訪大社の御柱祭が有名ですが、あの岡本太郎が絶賛した万治の石仏も一見の価値ありだったりします。そんな町で古材を使ったリノベーション体験ツアーがあるという情報が編集部へ飛び込んできました。古材もリノベも大好物な編集部。これ幸いとばかりに、真冬の下諏訪町でリノベ作業を体験してきましたよ。今回はリノベ体験レポートと下諏訪町の情報をお届けします。■ KEYWORD1.「街」 おしゃれスポットも点在する歴史ある街諏訪といえば諏訪湖。温泉や釣り、御神渡りなどで有名。夏も冬も楽しめるレジャースポット下諏訪町は諏訪湖の北側に広がる人口2万人あまりの町。古くから甲州街道と中山道が交わる下諏訪宿として栄えた宿場町なんです。味わい深い建物もあちらこちらに残っていますし、下諏訪温泉の共同浴場が街中にいくつもあって、なんと230円で誰でも入浴できる。そんな温泉でひと風呂浴びて、宿場町の面影を色濃く残す町並みを歩けば、下諏訪という町の懐の深さに魅せられているかもしれませんよ。中山道の下諏訪宿。今でも昔の面影が残っています町の商店街にはこんなレトロな雰囲気の小間物店が。何周か回ってオシャレ!■ KEYWORD2. 「作家にやさしい」 アトリエやショップを開きたい若者を商店街もバックアップ町の中心は御田町(みたまち)商店街。一見地方によくあるレトロな雰囲気の商店街ですが、移住して開業したい人のウェイティングリストがあるほど人気商店街なんです。古い店と新しいものづくりの工房が混在する商店街を移住者が開いたカフェや雑貨店、工房などが取り囲み、下諏訪は今、あらゆる世代が活気にあふれた場を形づくっています。「マスヤゲストハウス」は築106年以上?の旅館をリノベした宿泊施設。こちらのオーナーも移住組カナダから移住したエリックチャンさんが営むオシャレなカフェ「Eric’s kitchen」賃貸の一戸建てをリノベして、生活雑貨専門のセレクトショップ「Bappa4.5」と一級士建築事務所「Layer Architects+Design」を営む宮澤さん夫妻■ KEYWORD3.「温泉」 共同温泉もあちこちに。温泉のお持ち帰りもできる!今も温泉の共同浴場が多く営業しているので、地元の人はもちろん、ここを訪れた人たちも利用することができます。入浴料は230円と激安。下諏訪の町の中心にある菅野温泉は明治19年創業のレトロな雰囲気。街のあちこちに温泉が湧出しているので、ペットボトルやポリタンクに汲んで持ち帰る人の姿もちらほら。ちなみに下諏訪温泉の湧出温度は高く、今回のリノベ作業で疲れた体もちょっとハードに癒してくれました。町の中心部にある「菅野温泉」。明治19年創業のレトロ感がたまらない町のあちこちに温泉が湧出。お持ち帰りも可の大判振る舞い■ KEYWORD4. 「移住交流スペース mee mee center Sumeba(ミーミーセンター スメバ)」下諏訪町に興味を持ったら、ぜひここを訪れてみてください。mee mee center Sumeba(ミーミーセンター スメバ)は御田町商店街にあるコミュニティスペース。観光情報や就労情報、空き家情報などを提供してくれます。地域おこし協力隊のスタッフ、綿引遥可さんと小林由香里さんがここを訪ねてくる人に親切に対応してくれるんです。ふたりとも移住者ですが、すっかり地域にとけ込んでいました。商店街の中ほどにあるmee mee center Sumeba。こちらも古い商店をリノベしていますフレンドリーな綿引遥可さん(左)と小林由香里さん(右)は、旅行者や移住希望者の強い味方では次からリノベ作業の実際を見てみましょう。■ いよいよリノベーション作業へ!リノベーションは今が旬!今回のツアーでは、ペンキ塗りと古材を使った床張りを体験できました。諏訪市のリビルディングセンタージャパン(略して「リビセン」)のスタッフが分かりやすくレクチャーしてくれましたよ。「リビセン」は古い建築物から仕入れた古材や建材を使っても新築やリノベーションを手掛ける会社。あわせて古家具の販売やカフェを運営する、地元でも一目置かれる今注目の事業所なんです。古材屋兼古道具屋兼カフェ、イベントスペースはオシャレ偏差値が高くて、見学していると帰れなくなりそうな場所でした。リビセンの内部。古い建具を組み合わせてカフェと展示スペースを仕切っています正面玄関。ショップの中では宝探しをするような気分になれますよ今回リノベーションするのは町の高台にあるしごと創生拠点施設「ホシスメバ」の一部です。「ホシスメバ」とは、下諏訪氏が運営する移住者の居住スペースと起業のためのワークスペースを備えた大型施設。居住スペースはオシャレな共用キッチンやワークスペースを備えたシェアハウス。15平米の居住スペースに、なんと月額2万円で入居できます。ただし、起業創業を目指す人や移住希望者のための支援施設なので期限に条件はついているのでご注意を。「ホシスメバー!」の掛け声で気合満々のツアー参加者たち。足の緑部分は、靴の甲を養生しているから「ホシスメバ」の居住スペース廊下にはDIYのための工具がカッコよく配置されています共用のキッチン、ダイニング。一人一人が自由に過ごすこともできれば、皆でワイワイ楽しむにも十分なスペース。もちろんリノベ済みです居住スペースはこんな感じ。Aさんは珈琲焙煎ショップを開くべく奮闘中だそうです■ 初日は壁のペイントで日が暮れるリノベツアーは2泊3日のプログラム。初日は壁と天井のペイントです。「リビセン」スタッフがあらかじめ養生などの準備を整えてくれたので、参加者はバケツとローラー片手に、ひたすら壁と天井を塗り上げてきます。一度塗りの段階では「ホントに大丈夫かな」と心配になるくらいムラだらけだった壁が、二度、三度と重ね塗りをするとキレイに仕上がりました。私もローラー片手に壁塗りにトライ。うっかりスイッチが入ってしまい夢中でローラーを動かすことに。日が暮れる頃には筋肉痛が……。「ペイントイットホワイト!」塗って塗ってまた塗って、丁寧に仕上げていきます隅っこも丁寧に塗り込まないと。仕上がりが違ってくるんです■ 2日目は古材を使った床張りに挑戦翌日は床張りです。使用する古材を大量に搬入。ここからちょうどいい按配の木材をセレクトします。色合いが異なる古材をどうレイアウトしたらバランスがよくなるかを考えるのがポイント。規則性がありすぎるとわざとらしくなるそうですよ。センスの問われる作業ですね。古材とはいえ、家の床に使用するため裸足でもけがをしない程度に整えておく必要があるため、ささくれなどはサンダーで削ります。削りすぎると古材の風合いが消えてしまうので要注意です。レイアウトが決まったらコンプレッサーから圧縮空気で、釘を打つエア釘打ち機で床板を固定。シュパン!シュパン!とリズミカルに打っていくのがうまくいくコツだとか。いかにも「わたしたち、施工してるなぁ」とちょっとした快感を味わえますよ。そこで問題は筋肉痛。しかし、わたしたちには温泉という心強い味方がいるんですけどね。古材はそれぞれ表情が違うので、多めに搬入しておくにこしたことはありませんささくれはサンダーをかけて除去。ただし削りすぎには注意が必要古材をレイアウト。様々な組み合わせを試していきますくぎ打ちをしているときの工事してる感がすごい。快感です■ 3日目はいよいよ仕上げにかかります最終仕上げはオイルの塗布。汚れを落とし、軽く乾かしてから自然派オイルをたっぷり塗布しました。使われた歴史の分だけほこりをかぶって色が変わった古材は、浸透性のオイルを塗って磨き上げると、重厚な雰囲気はそのままに、生き生きとした表情を取り戻すんです。その表情は、新しい素材ではお目にかかれません。これこそ古材の醍醐味です。廃材寸前の古材がこんなカッコいい床に変身しました養生を外してフィニッシュ。「ココ施工したよー!」と満足げな参加者たち今回のリノベ体験では壁塗りのコツやカッコいい床の貼り方のヒントをたくさんもらいました。またリノベーションにも力を入れている長野県下諏訪町の魅力も堪能。このリノベーションツアー体験記事は「住まいの設計2019年4月号」に掲載されています。そちらも参考にしてみてくださいね。【協力】※下諏訪町mee mee center Sumeba(ミーミーセンタースメバ)※リビルディングセンタージャパン撮影/山田耕司(扶桑社)住まいの設計2019年4月号豊富な実例ときめ細やかな情報で快適・便利な住スタイルを提案。家作りの夢が広がる!住まいのお役立ちマガジン【巻頭特集】「家族のシアワセのときが流れるキッチン&バスルームあります」 【第二特集】「HOUSE with SMALL SHOP小さなお店のある暮らし」
2019年03月23日「方言は恥ずかしいから隠したい」というのは、もう昔の話。最近では、方言を話す女の子は可愛いと言われています。方言を武器に、可愛く見せるテクを地域ごとに紹介します。語尾を方言にしてみると可愛く聞こえる地方から出てきた女の子には、標準語の方がオシャレなイメージがあるように思えるでしょう。しかし、会話の中でちょっとした方言が出るのは、マイルドに感じられます。標準語に慣れ親しんでいる男性にとっては、新鮮で可愛く聞こえることもあるのです。例えば、言葉の語尾に「〜しとうよ」とか「〜っちゃない?」など九州の方言は、やんわりと可愛く聞こえます。他の地域でも、語尾を標準語と比較して見ると可愛く聞こえる方言もあるので、試しに標準語と聴き比べてみるのも良いでしょう。関西弁でストレートに裏表がないイメージをアピール関西の女の子なら、気持ちを隠したり回りくどい言い回しをしたりせずに、ストレートに「好きや」と伝えてみましょう。いかにも裏表がなく、男性から見ると本当に自分のことを好きになってくれたのが、わかりやすく付き合いやすいのがメリットです。嘘偽りのない気持ちをそのまま伝えて、好きな人と気取らない関係を築いていきましょう。関西でも男性に人気が高い京都弁同じ関西でも、全国的に最も人気が高いのは京都弁です。おっとりとしていて上品なイメージがあります。「してはります」などの言葉は、聞いていても気持ちが和みそうなイントネーションが特徴です。周りの人を癒やす立場に徹していると、愛される存在でいられるでしょう。柔らかく素朴な四国の方言は人柄の良さが伝わる四国の方言は、関西弁に比べるとはっきりとはしていませんが「付き合うてくれんかな?」と、ちょっと遠慮気味なところが柔らかく素朴な感じに聞こえます。気持ちをストレートに出せないですが、相手を気遣って気持ちを確かめながら近付こうとしているように感じて、好感を持ってもらえることもあるでしょう。
2019年03月10日アシードンクラウド(ASEEDONCLOUD)の2018-19年秋冬コレクションを紹介。主人公は獣医の移住生活者今季の主人公は、狼とともに獣医をしながら移住生活をする女性。彼女は行く場所ごとにその土地の記憶を定住民族から教わり、国境や優劣の境目なく新たな価値観を身に着けていく。今回のデザインソースとなったのは実際に存在する少数民族の民族衣装だ。医療服のエッセンスを加えながら、プリミティブなデザインをデイリーウェアに落とし込んでいる。自然の風景から抽出したような色彩やプリントカラーパレットは、イエロー、淡いパープル、オフホワイト、ベージュなど、自然界から抽出したような優しい色調がメイン。渡り鳥やオーク、ローズマリーなどの植物を繊細なタッチで描き、地域や季節感をミックスしたタッサー生地は、移住者の見た景色を物語る。縁にパイピングを施したセットアップに仕立て、クリーンかつメディカルな表情に仕上げた。トップスにライラックのニットセーターを組み合わせたスタイリングは、日々の暮らしに息づいた民族の風習のごとく自然な華やかさを演出する。タータンチェックのコートガウンのように羽織る赤のタータンチェックのウールコートは、肩を覆うような大きな襟がポイント。袖にも分量感を持たせて作られており、緩やかなラインを描くシルエットが、柄の持つ強い主張を緩和し、柔和な空気感を放つ。民族衣装をベースにしたジャケット1着で重ね着しているかのように見えるデザインのジャケットは、チベット文化の影響を大きく受けているムスタン王国の衣装がベースとなっており、ダッフルボタンを配したインナーのチャイナジャケットは取り外すことができる。ドロップショルダーの深緑のジャケットをさらに上から羽織ることで、少年のような印象に。“狼”を連想させる温かみのある素材また、狼の毛並みを思わせる粗野な感じと柔らかくナチュラルな質感を併せ持つヘリンボーンや、新しい羊毛を使い繊細な色味としなやかさを表現したバージンウールフランネルなど、野生の雰囲気と自然の温かみを落とし込んだ布地が多く使われている。高密度に織ることできめ細やかさを表現したグレンチェックのコートには、獣毛感のあるボアのベストをレイヤード。いくつもの土地を渡り歩く移住生活者が環境に適応するための装いを連想させる。
2018年07月31日山口県の瀬戸内海に浮かぶ小さな島、祝島(いわいしま)。375人(2018年4月現在)が住む島です。著者が移住した山口県の小さな町からは、船で40分。島の唯一の入り口波止場近くにある岩田珈琲店は島のシンボルで、地元の人たちがコーヒーを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごしていました。店内に入ると、偶然にも奥のテーブルに移住の方々が!「娘3人とUターン!東京から人口2850人の町へ移住を決めた理由 」移住、それぞれの理由。そしてタイミング「え!移住してこられた方ですか?いつ?どちらから?」と、前のめりになってしまった私。「よかったらそちらの席で、話を聞かせてもらってもよいでしょうか~!?」と、図々しくも相席をお願い。すると、みなさん笑顔で輪に入れてくれました!その中の1人、Sさん(50代)は関東出身。「どうしてこの島に移住しようと思ったのですか?」と、いきなりの直球質問に、Sさんは穏やかな表情で「3.11の東日本大震災だったわね…」と話し始めてくれました。地震の揺れもさることながら、都市機能の麻痺と生活物資の不足など、都市の脆弱さを目の当たりにし、「このまま、この生活を続けていていいのか…?」と、疑問を感じたのがはじまり。その後ある映画を観たことがきっかけで、祝島を訪れます。そして2012年、Sさんとご主人は会社を早期退職し、祝島へ移住。現在は、旦那さんは得意のDIYを生かして修理屋さん、Sさんは介護の資格を取得し、日中はヘルパーの仕事、週末はパンを焼いて生活しているのだそう。「これまでは大きな歯車の一部として、社会のどこに貢献しているのか見えなかったけれど、今は近くの人に“ありがとう”と喜ばれることがとてもうれしい」とSさん。当時まだ高校生だった娘さんは、卒業まで関東で両親と離れて暮らしていたのだとか。この日はみんなの輪の中でチャーミングな笑顔を見せてくれていました。島の人の憩いの場でもある「岩田珈琲店」珈琲店でコーヒーを入れてくれた店主Mさんは、札幌からの移住者。旦那さんがこの島に惚れ込み、6年前に移住を決意。Mさんと、当時小学4年生と中学2年生だったお子さんは、島を見に来ることもなく引っ越してきたのだとか!「1度も見に来ないで!?しかも北海道から本州の端のこの小さな島にはるばる!?」、私も驚きを隠せません(笑)。「コーヒー屋さんの仕事を続けられて、住むところがあればどこでも大丈夫だったのよ」と、さらっと答えてくれたMさん。「でも当初はここになじもうと必死で、子どものことを省みてあげられなかった時期があったかも…」とも話してくれました。小学4年生だった次男は、現在、高校生に。町外の高校に通うため、島を離れて一人暮らしをしています。「けなげに頑張ってますよ」とMさん。私も母親としての気持ちが分かるだけに、その言葉からいろいろな意味を感じました。しかし、“かわいい子には旅をさせろ”精神が子どもの自立を促し、自然とたくましく育つことは間違いないはず、そう思います。島で重宝される、なんでも屋さん!やヘルパーさん30代後半のKさんは若い頃、軽トラックで日本中を移動し、旅をするように生きてきました。そんな彼が祝島に魅了され、住み始めたのは2009年。今年で、9年目になります。彼の仕事は、島の特産品のヒジキやワカメ、アカモクなどの海産物を獲り、商品にして販売すること。またビワの季節になれば、収穫から出荷までを担うなど、島の“なんでも屋さん”としても活躍中。この日も3歳の娘を連れてビワの出荷作業中に話を聞かせてくれたKさん、今月末には第2子が産まれるのだとか。「もういつ産まれてもおかしくない時期ですよ。楽しみですね」と、父の横顔。そんなKさんからは、自然で養われたたくましさと、大きなエネルギーが伝わってきます。子どもたちが同級生で友だちになったNさん(30代前半)は、昨年末に家族4人で移住。この春、小学1年生になった長男は、船とスクールバスで小学校に通学。介護の資格を持つ彼女は、日中の空いている時間にヘルパーとして地域の高齢者のお世話をしています。物腰がやわらかく、やさしい笑顔の彼女に高齢者の方々も癒やされているだろうな…と想像しつつ、介護の資格は地方で生かせる資格だと再認識。「仕事のときも、下の子(4歳)を連れてきてもいいよと言ってくれるし、島の人たちがやさしく見守ってくれて、本当にありがたいです」とNさん。子どもは島のいたるところを遊び場に伸び伸びと育ち、親は安心して子育てができるので、子育てには理想的な環境。この島に移住したくなる気持ちが分かる気がします。この日も民家で走ったり飛んだり、自由に遊んでいた“楽しさ”と“安心感”が大変さを上回る、島での生活地方で借りる家は都心と比べ物にならないくらい安く、自分で野菜を栽培したり、いただき物の海産物や野菜があったりで、生活費は想像しているよりも安くて済むのだとか。「ただ、本当にタイミングよく、借りることができたのよね」と、みなさん。空き家は多くあれど、盆と正月に帰省するなどの理由で、借りるのが難しいのが現実なのだそう。「生活の不便さはないですか?」との質問には、「歩いて郵便局も行けるし、徒歩圏内で用事を済ませるから“便利”ですよ」とNさん。「スーパーもコンビニも、ホームセンターもないけど、なくていいわよ。十分よ」と言うSさんは、五右衛門風呂のお湯をたくのも、日々の楽しみのひとつ。最後に「移住して大変だったことはありますか?」の質問に、みなさん「う~ん…」。答えが見つからない!珈琲店のMさん、「大変なこと?あったかもしれないけど、覚えてないなぁ。楽しいことが上回ってるからねぇ(笑)」。Sさんは「生きていて“安心感”があるわよね」と。私も移住して感じたのが“安心感”だったので、納得!思わず大きくうなずいてしまいました。人それぞれストーリーがあって、生き方があります。みなさん、人と比べることなく、今の自分・今の生活に満ち足りていて幸せそう。要らないものをまとわずスッキリと生きていて、キラキラと輝いて見えました!それぞれのストーリーに価値観を揺さぶられた私。「これまで以上に、今の生活を楽しんでいこう!」というワクワク感でいっぱいになり、帰りの船に乗ったのでした。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2018年06月22日東京から人口2826人の山口県の小さな町へ移住し4カ月、生活も落ち着いてきたところ。ここ数カ月を振り返り、移住して良かったこと、逆にマイナスだと思うことを私なりにまとめてみることにしました。「娘3人とUターン!東京から人口2850人の町へ移住を決めた理由 」そして3人の娘たちには、こんな質問を…。「都会と田舎、ぶっちゃけどっちがいい?」三人三様の答えが返ってきました。プラスは、母のイライラが減り、母娘関係が平穏にここ数カ月で一番に感じたことは、私の“イライラが減”=娘たちを叱ること、娘たちとぶつかることが減ったということ。引っ越し後、仕事をセーブしているということもありますが、私の心のゆとりが増えている気がします。そのゆとりが生まれるポイントが見えてきました。1.時間がゆったり流れている東京に住んでいたときは、徒歩数分の場所に小学校がありました。朝8時に登校していたのですが、こちらは小学校が島側にあるため橋を渡らねばならず、スクールバスでの通学。7時20分には家を出るので、必然的に早起きになりました。子どもたちは以前よりも時間がタイトになったはずなのに、時間に追われている感がない。これまでと同じように自分で起きて自分で準備するので、私に怒鳴られることもない。同じ24時間なのかな?と思うくらいに、ゆったりと過ごしているのが不思議です。2.スペース的ゆとり都内の社宅→田舎の一戸建てに住環境が変わったというのも大きいポイント。以前は空間が限られていたため、娘たちの言い合いやケンカは常時私の耳に入ってきていました。聞きたくもないのに耳に入るので、関係のない私がイライラして仲裁に入っていたことも。現在、長女には1人部屋を、次女と三女はひとつの部屋を2人で共有。私の寝室と仕事部屋は別にあるので、聞きたくないケンカは聞かずに済んでいます。それぞれが違う場所に居場所を持つことで、気持ちに余裕が生まれているのかもしれません。3.子どもと関わる大人が増=安心感人口が少ないので、小学校も以前の1/10規模の、全校生徒67人。関わる子どもの数はかなり減りましたが、逆に関わる大人の数は増えているように思います。私の両親だけでなく、生徒の密度が減るので学校の先生との関わりも密になりました。また私たちの住む町では、文部科学省と厚生労働省が推進する「放課後子供教室」が行われていて、そちらでもたくさんの地域の大人にお世話になっています。これら以外にも子ども会や地域活動、また近所のおばあちゃんとあいさつを交わしたり、娘たちを気にかけてくれる目、知っている人が増えました。これが安心感につながっていると感じています。マイナスは、刺激と情報と選択肢が減、うわさは早いゆったりとした田舎生活ですが、その反面、刺激や情報、選択肢は減りました。そして狭い社会で確立された人間関係、これになじむのに時間がかかるのも現実です。1.習い事の選択肢が減。送迎はマスト水泳やピアノなど、ベーシックな習い事は比較的簡単に見つけられたのですが、次女のバイオリン教室だけは探すのに苦労。人口が少ない地方へ住むと、習い事の選択肢も減るのは仕方のないことのようです。そして東京では徒歩で行ける範囲で通っていた習い事が、こちらでは町外へ通うこととなり、車での送迎がマストになりました。今後娘たちの習い事が増えた場合、送迎にどれだけ振り回されるのだろうかと、今から不安です。2.確立された人間関係の中でどう生きる?1学年7~10人程度、小さい頃から家族のように育ってきた子ども達。中学卒業までメンバーが変わることはありません。よって、良くも悪くも人間関係が決まってしまい、クラスの中での立ち居地が確立されています。そんな中に転校生として入った娘たち。最初はどうふるまっていいのか分からず、戸惑ったようでした。おまけに方言にも慣れていなかったので、喋り方で怖く感じることもあったようです。今は少しずつ自分を出しているところです。3.うわさは早い私の知らないところで、「東京から戻ってきたらしいよ」といううわさは広まっていた様子。中には「娘3人を連れて出戻り?」と思っていた人も(笑)。これは田舎では珍しくありませんし、私自身が田舎育ちなのでそんなに気にしませんでした。でも知らないうちにうわさは広まるものだということを改めて知り、悪いことはできないなと思いました(笑)。3人の娘たちに聞いてみた「都会と田舎どっちがいい?」小6長女:「どっちもいいけどな~。みんなやさしくて仲がいいから今が楽しい!」東京の頃は「スマホがほしい。LINEが…」などと、言っていた長女。その時はスマホを持たせない理由を話し、娘に理解してもらいました。周囲の影響だったのでしょうか?今では全く口にしません。と同時に、以前よりも自主的に勉強をするようになりました。本人曰く、「周りの友だちに合わせなきゃという気持ちがなくなった。勉強に集中できるようになった」と。これは良い変化だったなと、母の私も驚いています。小4次女:「景色と環境は今がいいけど…うーん、どっちでもいい」次女はまだ人間関係ができていないのでしょうか。もしかすると以前の友だちのところに戻りたいと思っているのかもしれません。彼女がなじむにはもう少し時間が必要なのかも。引き続き、しっかり見守っていこうと思っています。小1三女:「魚がおいしいし、じいじとばあばがいるから、ここがいい!」わが家の三女は、魚と人が大好き。祖父母に甘え、また道の駅ではスタッフさんにかわいがってもらっています。引っ越してきた当初から違和感なくなじんでいるので、今のところ心配なしです。母の私は、Uターンして以前よりも子どものことに気持ちを傾けられる余裕ができたかなと。都会から取り残されている感がなくもないですが、インターネットで東京の動きや流行も知れますし、遠隔でできる仕事もあります。夫とはこれまでと変わらずSkypeで話し、情報収集や買い物なども全く不自由でなはないので、今の生活に満足です。どこに住んでも一長一短はあります。ただ、ないものねだりをするのではなく、“今、足りていることを知ること”、それこそが楽しく生活する秘訣なのだと、今回改めて気付くことができました。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2018年05月25日2月9日、モデルのヨンアが自身のInstagramを更新。移住先のシンガポールから日本へ帰国することを報告した。 ヨンアはInstagramを更新。「シンガポールに住んで三年 今日で最後のシンガポールです。 この三年間本当に沢山の想い出がありました」とし「明日からは また 日本での生活になりますが お仕事も子育ても頑張りたいです!」とシンガポールから日本へ帰国することを報告した。 ヨンアは14年10月日本の実業家男性と結婚。夫の職場であるシンガポールに移住しており、16年2月には第1子を出産。シンガポールへの移住前はファッション誌やバラエティー番組などに引っ張りだこで忙しい日々を過ごしていたが、移住後は仕事をセーブし、シンガポールと日本を行き来しながら仕事を行っていた。 ヨンアはシンガポールでの生活について「10代の頃から休まずにお仕事させてもらってて初めてゆっくり家族と過ごせた すごく良い時間でしたし、 お仕事から ちょっと離れてみて改めて沢山の人達への感謝の気持ちをいっぱい感じました!とても ステキな 経験でした! また いつか 来た時には懐かしいと思える場所が増えて 嬉しいです」と想いを明かした。 これに対しファンから「ヨンアちゃんおかえりなさい また沢山日本での活躍楽しみにしています」「ヨンヨンおかえりなさい待ってたよ」「また日本に来てくれるのうれしいです イベントとかあったらまたヨンアちゃんに会いにいきます」「シンガポールの魅力をたくさん伝えてくれて、いるも楽しみにしてました 日本に帰ってきてからも素敵なpic待ってます」など応援メッセージが届いている。
2018年02月09日都会で慌ただしく子育てしていると、「もっとゆっくりと過ごしたいな」と感じることはありませんか? 子どもたちのためには、のびのびと暮らせる地方での暮らしは大きな魅力ですよね。しかし、地方での子育てにも良し悪しがあり、実際に移住する前の下調べが重要です。今回は地方に移住するとき、何を基準にして決めればいいか考えてみたいと思います。■20~40代の地方移住希望者が増加中!NPO法人「ふるさと回帰支援センター」の統計によると、地方移住について相談者のうち、20~40歳代の割合は年々増えていることがわかります。2008年約30%だった地方移住の20~40歳代相談者が、2016年には約68%に! ひと昔前のいわゆる定年退職後に地方移住を検討する人が多かった時代から、現役で仕事をする世代が移住を考えるという変化が起こっています。それを裏付けるような調査結果も。「NTTデータ経営研究所」が行った調査によると、都市部に住む6歳未満の子だけを持つ親たちの41.2%が「地方への移住や転職をしたい」と回答。4割もの人たちが現在住んでいる都市部に何かしらの物足りなさを感じ、地方への移住を希望しています。■子育て世代は、何を求めて移住するのかでは、都市部で暮らす子育て世帯は、何を求めて地方への移住を検討しているのでしょうか? 先ほどの「NTTデータ経営研究所」の調査によると、地方への移住や転職を考えるきっかけや、移住先の保育園・幼稚園として魅力について次のようなことが挙げられています。●子育てのために自然環境が豊かなところ、地域コミュニティが豊かな地域で暮らしたい●自然環境を活かし、子供の五感、生きる強さ、主体性を育成する保育・教育のある環境都市部での子育てにおいて、子どもの自然経験が不足していると感じ、それを地方での暮らしに求めている人が多いようですね。■都会に出てきて驚いたこと。地方暮らしメリットとは実際に、筆者は昨夏まで人口20万人未満の地方自治体で暮らしていました。2人の子育てを約4年半地方で行い、その後都会に引っ越してきたことで、地方のメリットとデメリットが見えてきました。地方と言っても、その特色はさまざまなので一概に言うのは難しいですが、筆者が感じたことをまとめてみました。<地方暮らしのメリット>●手をつけられていない豊かな自然を体感できる●お金をかけないでも十分遊べる、かかるお金もわずか●人との付き合いが親密で距離が近い●車での移動が気軽で楽にできる●住居費や食費などの生活費も安く抑えられる都会に出てきて一番驚いたのは、何をするにもお金がかかる、そしてその金額も高いこと。地方から都会に出てきて、月々にかかる外出費用はかなり膨れ上がりました。自然を体験したいと思ったら、レンタカーを借り、高速代を支払って、さらに施設への入園料などもかかるため、かなりの出費です。さらに生活費も都会に出てきてから上がり、とくに住居費は同じ広さの家賃でも2倍ほどになってしまいました。地方で暮らすと、生活にかかるお金を減らせるというのは言えそうです。■地方生活のデメリットは子育て世帯には致命的か?筆者が考える地方暮らしのデメリットは、次のようなものがあります。<地方暮らしのデメリット>●整備されていない自然もあるため、危険も伴うことがある●仕事が少なく、職探しに難航する●人が少ないためコミュニティが狭くなりがち●公共交通機関が都市部ほど充実していないため、車での生活が必須仕事が少なくて職探しに苦労するのは、地方の生活で致命的な部分でもあります。子育て世帯は、子どもを養わなければならないので、職無しというわけにはいきませんよね。さらに、仕事が見つかっても、その賃金は下がることが多いです。生活にかかるお金が減らせても、収入自体が下がることが多いため、結局地方にいても都会にいても、残るお金は同じになる可能性が高そうです。このため地方移住を検討する場合には、費用よりほかのことを重視した方がいいかもしれません。■住みたい田舎ランキング1位の超充実支援策地方の自治体が子育て中の移住者に対して行っている支援策について見ていきましょう。茨城県常陸太田市は、いち早く子育て支援策に取り組んできました。今年1月に『田舎暮らしの本』が発表した「2018年版 住みたい田舎ベストランキング」の人口10万人未満の市町村で子育て部門で1位になり、注目を集めています。この市では、若い世帯への費用の助成が大変充実しています。<常陸太田市の若い世帯向け助成(抜粋)>・結婚して3年以内の新婚夫婦に最大で3年間家賃の補助として、一世帯当たり月2万円を助成・子育て世帯や子育て世帯と一緒に住むために家を購入した人に最大20万円が助成(住宅取得促進助成金)・1歳未満の子を持つ親へのおむつ購入費用2万円が助成・保育園では3人目の保育料の無料化などさらに費用の助成だけでなく、「こども夜間診療」という平日の午後6時から10時まで、持ち回りの病院に診察してもらえる取り組みもしています。このように、地方の自治体では子育て世帯の移住を増やそうと、税金と手間をかけた真剣な取り組みが進められています。子育て世帯が移住してくれるということは、その子どもや孫の世代まで住み続けてくれる可能性もあるため、その地方の未来にかける投資ということになるのでしょう。ここまで読んでみて、どう感じましたか? 理想の場所で子育てしたいと思いながらも、実際はなかなか踏み切れないという人もいると思います。大切なのは、「自分と家族の価値観を守るためにどこに住むか」ということですよね。自分が大切にしていることを実現するために、都市部と地方、どちらが適しているのかしっかりと考えたうえで、地方への移住も視野に入れてみるといいかもしれません。【参考文献】・ NPO法人ふるさと回帰支援センター ・NTTデータ経営研究所: 「都市地域に暮らす子育て家族の生活環境・移住意向調査」 ・ 「2018年版 住みたい田舎ベストランキング」 (宝島社『田舎暮らしの本』2月号)・ 子育て上手 常陸太田(茨城県常陸太田市)
2018年02月03日人生の転機に思い切って行動したいときに思い浮かぶのが「Uターン」や「留学」。今回は、そんな人生の選択肢についての心得を、リクルートキャリア・キャリアアドバイザーSV・小松麻美さんと、日本キャリア開発協会認定CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)・今井香奈さんにそれぞれ伺いました。Uターンの心得「帰りたい理由を、掘り下げて考える」【Uターンのどんなところがおすすめ?】「仕事に関していえば、地方の企業に転職した場合、都会でスピード感があるなか10年前後さまざまな経験を重ねてきたことが評価されて、重宝されることが多いです。新人社員とベテラン社員とを繋ぐ中間の世代でもあるため、“会社にしっかり適応してくれれば、より若い世代の社員たちにとっての良きロールモデルになってくれるかも”という期待もあるでしょう。また、都会ほど経験者志向ではないことも多いため、それまでとは異なる職種にチャレンジさせてもらえる場合もあります。キャリアを広げられるチャンス。もし実家のサポートを受けられるのであれば、生活にゆとりができるという利点もあるでしょう」(リクルートキャリア・キャリアアドバイザーSV・小松麻美さん)【この選択を実行する際の注意点は何ですか?】「都心と異なり選択肢が限られ、すべての希望が叶うわけではありませんので、自分が求めることの優先順位を決めるようにしましょう。例えば、希望をすべて書き出し、それらを自分が重要だと感じる順に並べて、上から3個は絶対条件、4~6個目は“できれば”に位置付ける、など。ひとまず、それらを用意しておきつつ、実際に転職活動を行うなかで、どれが望めそうで、どれが叶えるのが難しそうなのかの肌感を、少しずつ知っていきましょう。叶わないことがある一方で、思いもしない利点が見つかる場合もあります。移住先の慣習に馴染む努力は必須ですが、その先に、都会にはない“快適さ”が見つかるかもしれません」留学の心得「積極的に学ぶ“アンテナ”を持って」【留学のどんなところがおすすめ?】「留学の目的を大きく2つに分けると、リフレッシュのためか、あるいはキャリアプランの一環としてかに分けられます。キャリアを見据えるのであれば、学び、働くこともできる、ビジネス留学がおすすめです。キャリアプランをしっかりと組み立てたうえで留学を行えば、帰国した後の仕事につながるスキルや資格を得ることもできる。また、留学している間に、積極的に現地の人々と関わっていくことで、生き方、そして働き方についての新たな視点を得られるはず。従来の人気の留学先であったアメリカの都市部の他にも、マレーシアをはじめ安価で質の高い教育を受けられる地域が増えているので、チャンスは広がっています」(日本キャリア開発協会認定CDA・今井香奈さん)【この選択を実行する際の注意点は何ですか?】「ただ海外に行くだけでは、人生は変わりません。日本で過ごすのと同様に、目的に近づくための努力を行うことは不可欠です。留学中には、ただ楽しむだけではなく、その後の人生に活かせそうなチャンスに、目を凝らして過ごしてほしいと思います。また、留学前・留学中の段階で、“自分は、まだまだ全然ダメだ”と焦ってしまう方も多い。語学力は積み重ねが重要です。努力をしながらも、大きく構えていること、また相談できる第三者を持つように心がけてください。留学経験によって、それまでと違う業種や職種に転職できた方も多くいます。キャリアチェンジの鍵として、留学という選択を、ぜひ考えてみてください」小松麻美さんリクルートキャリア・キャリアアドバイザーSV。2007年にリクルートに入社。6年間法人営業を行った後、キャリアアドバイザーに。昨年よりスーパーバイザーとして、アドバイザーの育成も担当している。今井香奈さん日本キャリア開発協会認定CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)。社会人経験を経てアメリカに留学。留学経験と資格を活かし、留学後のキャリアコンサルタントを多く行う。※『anan』2018年1月31日号より。取材、文・若山あや (C)Yobab(by anan編集部)
2018年01月27日お一人でも気軽に通えるカジュアルな空間美食の街として注目を集める東京・代官山に2012年にオープンしたビストロ料理店「Cote Feu(コテ・フー)」は、カジュアルなスタイルでいただくお料理とワインがおいしいお店。カウンター6席とテーブル席3つのこぢんまりとした店内ですが、石窯で焼き上げる姿を間近で見られたり、調理の過程を覗くこともでき、堅苦しい空気がないので一人でも気軽に立ち寄りやすい雰囲気となっています。アルザス地方名物!タルトフランベとワインが自慢「Cote Feu」では、アルザス地方のワイナリーで1年間、醸造・栽培を学び、現地のミシュラン2つ星のレストランでソムリエとして働いた経験を持つ店主が焼き上げる、アルザスの郷土料理タルトフランベとワインのマリアージュを楽しめます。お店自慢のタルトフランベは、フランス産の小麦粉、水、塩を使って24時間ゆっくり発酵させた自家製の生地が特徴。サクッ&もっちりの食感で、小麦粉の香りと旨味を最大限に味わうことができます。お食事からデザートまでさまざまな食材との相性がいいタルトフランベ。「Cote Feu」でも、ベーコンや玉ねぎと合わせたしっかりとした味わいや、りんごを使った甘いスイーツなど、多種多様な食べ方で楽しむことができます。絶品ビストロメニューも見逃せない!お店には、タルトフランベ以外にもワインと合わせて楽しめるメニューが揃います。目の前で焼き上げる「溶岩石で焼く牛ロースステーキ」は300g超の肉厚ステーキ。目にも舌にもおいしいお肉好き必見のメニューです。来店の際は予約をするのがベスト!「Cote Feu」は、JR各線「渋谷駅」西口から徒歩8分、東急東横線「代官山駅」から徒歩9分、猿楽町の交差点を下った、コインパーキングの横のベージュ色の建物にあります。来店の際は電話で確認&予約がおすすめ。7人以上で貸し切りとなるので、小規模な仲間内でのパーティーや女子会にぴったりのお店です。スポット情報スポット名:Cote Feu住所:東京都渋谷区鴬谷町8-10 代官山トゥエルブ2電話番号:03-3461-2024
2018年01月11日今回の「やさしいママのひみつ」は、「暮らしかた冒険家」として幅広く活躍する、クリエイティブディレクターの伊藤菜衣子さん。北海道札幌市で暮らしながら、各地を飛び回り、広告、編集、映画制作を手がける、3歳の男の子のママです。伊藤菜衣子さん息子さん:墾(こん)くん(3歳)クリエイティブディレクター。暮らしにまつわる常識を作りなおし、伝えるため、広告、編集、映画制作などを手がける「暮らしかた冒険家」として活動。ゲストディレクターの、音楽家・坂本龍一さんによる指名により、札幌国際芸術祭2014にて札幌に引っ越して暮らすプロジェクト「#heysapporo」を発表。以来、札幌にて築30年の自邸を断熱リノベーションしながら、自給自足の暮らしを模索する。冊子『よむ暮らしかた冒険家』の発刊や、映画『別れかた暮らしかた』を監督。HP: 暮らしかた冒険家 | 21世紀の冒険家 Instagram: saikocamera 家族が笑顔で暮らすため、試行錯誤の上、ちょっと変わったスタイルを模索中だという伊藤さん。その暮らしかたとは? お話をたっぷりと伺いました。■大黒柱として働き、家事と育児はパートナーに早速、伊藤さんの月曜から土曜までの、1日のスケジュールを見てみましょう。8:30 :墾くん保育園。9:00 :伊藤さん起床 朝食10:00 :スタッフが自宅兼事務所にやってくる12:30 :昼食17:30 :パートナーが保育園にお迎え18:30 :墾くんが帰宅19:00 :スタッフもみんなで夕食。墾くんと遊ぶ20:30 :お風呂21:30 :墾くん就寝。仕事25:00 :伊藤さん就寝睡眠時間はたっぷり取るという伊藤さん。朝は起きて、息子の墾くんをお見送りするのが理想だといいますが、できないことも多いのだそう。「紆余曲折あって、わが家は今は、私がメインで働いています。私は夜型人間で、睡眠時間は8時間必要だから、仕事を続けるためにこのサイクルに。自分の睡眠時間を削ると悪循環だし、よく寝た後の仕事の集中力は高いから。その代わり、夕食は一緒に食べるので、仕事は18:30までに切り上げるようにしています」家事を分担するのではなく、家事と育児はパートナーが担当というスタイルをはじめたのは、今年に入ってからだといいます。「これまでは二人で、ウェブ制作などの仕事をしてきましたが、同じ時期に忙しいので家が荒れるし、喧嘩になってしまいがちでした。そこで、あまり二人でしなくてもいい仕事を増やそうということになって。私の方が一人でできる仕事が多いから、メインで働いて、彼が家でできる仕事と家事をするようになりました」「家事をする、または一人でできる仕事をするという2択で、彼は仕事より育児をしたいというのが最優先でした。彼は子どもの頃、お父さんが忙しくて、ほとんど家にも帰ってこなかったらしく、“そんなお父さんにはならない、子育てをしたい”という気持ちがびっくりするくらい強いんです。妊娠したときから、子どもは絶対、僕が育てたいと言っていましたね。欧米ではこういう役割分担はよくあることみたいですが、日本だと珍しいですよね。でも、子どもに大学に行かせるまで、私はいくら稼がなきゃいけないんだろうと思うと、世のお父さんって本当にすごいなと思います」最初は保育園にも行かせたくないと、子育ての理想も高かったのだそう。「それは彼のこだわりでした。でも実際は、子育てってとても大変。産後はびっくりするくらい自分の体調も悪かったし、産休も育休もほぼないまま、とにかく目の前のことをやるので精一杯。それで喧嘩になるという悪循環でした。そんな状況を見た友人から、『保育園に入れて、とりあえずこの家の仕事と二人の状況を立て直しなよ』とアドバイスされたのを機に、保活を始めたんです」家事はパートナーにまかせてすべて譲り、仕事に専念することにしたのだとか。あえて何もしないのがうまくいく秘訣なのだそう。「彼は何をするのも初めてなので、洗濯も色移りや縮んでしまったり、びっくりするような失敗をするんです。最初は分担していたのですが、やり方が違うから見てしまうと気になって、『なんでこんなにぐちゃぐちゃになるの?』って、ついお小言が出てしまう。できるだけ目を瞑れる状況にするには、100%家事をお願いしないとだめだと思って、私は立ち入らないことにしました」■気合いで乗り越えていたことが通用しない「子育て」ウェブや広告の仕事から幅を広げ、現在は本の編集から映画の監督、トークショーなど大活躍の伊藤さんですが、仕事との関わり方に関して悩みも大きかったと言います。「私の仕事って、環境にいいとか、もっと広がればきっと社会がよくなるという仕事が多いから、仕事のクオリティが少しでも上がれば、もっと広がっていくと思っていました。クオリティの高さを求めて採算度外視するくらい、仕事が本当に好きだったんです。でも子どもができると、今まで気合いで乗り越えていたことも全く通用しないんだなと思い知らされました。働き方を変えないと、自分が頑張ってもどうにもならないことがある、と思うようになりました」「妊娠、出産の時期って、2年半くらい100%で働ける自分がないんですよね。それが本当に想定外でした。妊娠中はずっと眠いし、つわりもあるし、出産前に仕事を片付けようと思っていたけど追いつかなかった。出産したらきっと仕事ができるだろうと思ったら、眠いし、ちょっと無理をすると体調を崩したり。それでスタッフを雇うことにしたんです。最初はどうにも慣れないので、自分でするよりも納得感は少ないのですが、世の中的にはなんの問題もなくて、自分が100%でやったものに社会的にどのくらいの価値があったのか、自分の自己満足だったのか、と考えさせられる機会にもなりました」■地方で暮らしながら、子育てすること現在、9歳まで住んでいた元実家をリノベーションして暮らしている伊藤さん。坂本龍一さんがディレクションする札幌芸術祭に、アーティストとして招集されたことを機に札幌へ移住することになり、会期中は家を改装しながら土日にオープンハウスとして開放していたそう。「もともとは東京で、カメラマンの仕事をメインにしていました。結婚してすぐに震災があって、熊本に移住しました。熊本では築100年の町屋をセルフリノベーションしながら、3年弱暮らしていましたが、賃貸だったので斜めになった床や、隙間風がすごく入ることまで直せませんでした。芸術祭が終わってからも札幌に住むことを決めたのは、子どもが生まれて、祖母もまだこちらにいることや、母が手伝いに来てくれやすいというのが大きかったですね」近くにある畑を借りて5家族でシェアし、2、3日分の必要な野菜だけ収穫するなど、食生活も豊かです。「フルーツも安いですね。野菜はほぼ買わず、お肉やきのこだけお店で買っています。幼なじみの農家さんが届けてくれる野菜も、たくさんあります。庭に生ゴミを撒くと、自然と肥料になっていて、じゃがいもなどはすぐにできますね。北海道は寒くなるので、害虫が少なく、無農薬で育てやすいんです。生産者が近いから、子どもはどこにおいしいものがあるか、誰が作った何を食べているかを知っているというのが、面白いなと思います」また、仕事の対価を貨幣ではなく、物(ぶつ)や技(わざ)で交換する「物技交換」(ぶつわざこうかん)を実践する伊藤さん。さまざまな人の協力を得て、このエコハウスを完成させたのだとか。「この家は断熱性能がとても高いのですが、新築戸建と比べると、だいぶお金をかけずに作ることができました。そういうことができたらエコハウスを選ぶ人も増えるんじゃないかな、と思っていて。『どうしたらできるだけ安くできるかを一緒に考えたい』と工務店に相談すると、『今は儲かるかわからないけど、確かにリノベーションのニーズも増える』と思った人たちが一肌脱いでくれたりするんです。私たちがアイデアと実験場所を提示して、コンペに出すのもOKだし取材対応もする。“手伝ってくれてラッキー” ではなく、関わってくれた人にいいことがあるように、ちゃんと交換して “お互いにメリット” になるように、というのは必ず考えています」 豊かな食材に囲まれ、エコハウスに暮らす、とてもうらやましい環境に思える、伊藤さんの暮らし。地方移住というブームに対しては、どうお考えですか?「都心には都心で、地方都市は地方都市でできることがあるから、どちらでもいいと思っています。どちらにいても大変だし、人生の目的と自分の状況がどうかによると思うんですよね。私の場合は札幌に元実家があったし、勢いで移住したわけではないんです。周りの人たちが2005年くらいからどんどん地方に移住しているのをずっと見てきて、これならできるんじゃないかと、確かめてからのジャッジでした」「ブームには流されなくていいと思うんです。仕事が変わったり、夫婦の関係性が変わる人もいるし、自分ができると思ったタイミングでしないと、本当に辛いと思います。私は冒険家と名乗ることで、これが普通ではなくて、結構危険なことをやっているというリマインドにもなっています。普通の人ができると思ってやったらできないようなことを、冒険家としてやっているだけですから」■これからの環境をまもる「みんなができる方法」「暮らしかた冒険家」として、 “暮らしの常識と思われていることに対して、ほかにやり方はないか? いつも疑っていきたい” と話す伊藤さん。「これまでは、自分が楽しければいいと思っていたけど、子どもが生まれてからは環境に対する考えについても、 “社会全体に広まらないと、子どもが大人になるまでもたない” と思っているんです。だから、みんなができる方法を考えるようになりました」環境や未来の社会について “みんなができること” を常に考え、「100万人のキャンドルナイト」をはじめ、環境を考えるムーブメントを数々手がけてきた伊藤さん。日々使うものも、環境への影響を考えているといいます。「そもそも洗剤の香料が苦手なんです。自然の香り、もしくは匂いがしないものを選んでいくと、自然派の洗剤にたどり着きますよね。逆に、環境にやさしい、自然由来のものを選んでいると手荒れもしない。そこがいいなと思います」天然素材を使っている上に、売上の1%が原料の産地であるボルネオ島の環境保全に役立てられている、ヤシノミ洗剤の「サラヤ」の取り組みには、とても共感するという伊藤さん。もともと「ヤシノミシリーズ」を使っていたそうですが、改めてご体験いただきました。使い心地はいかがでしょうか?「近所のお店では『ヤシノミシリーズ』を扱っていないので、なかなか買えず、よっぽどのことがない限り、アクリルたわしで乗り切っていましたが、やっぱり便利ですね。『ヤシノミ洗剤』は、ほかの自然派洗剤と比べて、汚れがすっと落ちるので洗い残しもなくて安心です」何よりも香料が苦手な伊藤さんは、これまで柔軟剤は使っていなかったのだとか。「肌触りよりも、においがないことを優先していました。無香料の柔軟剤って、ほとんどないですよね。でも『ヤシノミ柔軟剤』を使ってみたら、香りもなく、乾燥機にかけてもふわふわで、すごくいいなと思いました。やっぱり肌触りがいいと、気持ちがいいですね。今度から柔軟剤をも使ってみたいと思います」■母から教わった「甘やかさず、考える力を身につける」子育て環境や社会にやさしいことを心がけている伊藤さん。子育てで気をつけていることは、甘やかさないこと、「やさしいママじゃない」と笑います。「 “暮らしかた冒険家”って変わっていますよね。仕事を兼ねて、海外に1ヶ月行くこともあるし、親がいつも家で働いている。これが普通だと思って育ったら、世の中でまったく使いものにならないと思うんです。人がよく来るのでちゃんと挨拶ができるように、人見知りをしないようにとは思っています」時間は限られますが、集中して仕事をすることで、お子さんとの時間をたっぷり作るのが伊藤さんのやさしさ。そして厳しく接することで、自分で考える力をつける子育てを心がけているそう。「仕事をやりきった感がないと、子どもと遊びたいのに、もやもやしてどっちつかずになってしまうんですよね。私ができるのは、食後に一緒に遊ぶこと。できるだけ全力で遊びます。私自身、『自分が始めたくてやったことは、自分で辞めろ』と言われて、甘やかされないで育ってきました」「母から勧められて始めたクラシックバレエでさえ、途中で『ステージママやりたくないから、続けたいなら自分でなんとかして』と言われ、発表会の情報収集をしたり、衣装にスパンコール縫い付けたりしていました。お金は必要最低限は出してくれるのですが、レオタードは1着あれば十分とファッション的に何着も持つのはNG。辞めたいときも先生にどう切り出すかというのを、小学生で考えなきゃいけなかった。でも苦労していると、先生がお下がりをくれたり、頑張ってちゃんとやっていれば、誰かが見てくれて、助けてくれるんです。誰のお母さんと仲良くなれば情報をもらえるかなど、処世術を学んだんですね(笑)」「泣いてもわめいても変えてくれない。親の方針というのは、本当に強いなと思います。この人に言っても仕方がないから、『じゃあどうする?』と自分で考えるようになるんです。うちの母と同じように、厳しいかもしれないですが、徹底的に説明して納得させようと思っています。お母さんだから当たり前じゃなくて、お母さんでもやりたくないことはやりたくない、やらなくていい。そんな母の子育てが今の私を作っているから、感謝しているし、自分の子どもにも引き継いでいきたいですね」取材/文:赤木真弓 撮影:林ひろし[PR]サラヤ株式会社 【やさしいママのひみつ 一覧】 記事をもっと見る >>
2017年12月06日「終わりのための活動」という言葉の響きで、マイナスイメージも持たれがちな“終活”。だが、ときに“終活”が残りの人生を輝かせることもある。そんな、“日々を充実させる終活”を実践する女優たちに話を聞いた。 「そろそろ落ち着いた生活をしたいと思ったのは70歳を迎えたときのことでした。ときどき滞在していた別荘の環境がとても気に入っていたので、もうここを終の棲家にしようと決心し、東京の家は引き払うことにしたのです」 そう語るのは、女優の山本陽子(75)。’63年に日活第7期ニューフェイスに合格し、芸能界入り。翌年『抜き射ちの竜拳銃の歌』でデビュー。『黒革の手帖』『白い影』などドラマに多数出演し人気を博す。『阿修羅のごとく』など舞台でも活躍し、この9月には松竹特別公演『妖麗牡丹燈籠』で全国を巡業した。 「50年間で4~5回も転居しましたが、(デビューしてからも、生まれた育った)東京でずっと生活していましたから、それなりに持ち物は多く、引っ越しは大仕事でした。せっかくの終の棲家ですから、思い切って物を減らして、理想の暮らしに近づけたいと取り組んだのです。いわゆる断捨離ですね」 引っ越しは大変だったが、移住を決意したおかげで、海にも近い、四季折々の自然に囲まれた環境で、ときには新緑、ときには紅葉を愛でながら、心癒される生活を送っているという。 「歩いてスーパーへ行き、重い袋をぶら下げて帰ってきて、吟味した食材を調理していただいています。70代にして自分が主婦業に向いているのだということに気づいたのです。もう一つ気づいたのは、日常の中には、いつでも小さな幸せが転がっているということ。道端に生えていた雑草を一房切って、生けてみたら、部屋の雰囲気が一変したこともあります。小さな幸せを見つけているだけで、寂しいなんて感じる暇もなく、一日はあっという間ですね」 若いころは外出好きで、家の中での楽しみ方を知らなかったそう。ところが、いまは掃除に洗濯、料理といった家事に、読書をしたりお茶をたてたり、お客さんをもてなしたりといった時間を、しみじみと楽しめるようになった。 「これは1人でいることの幸せでもあると感じています。連れ合いがいたりすると、生活のペースを相手に合わせなければならないし、自分だけでは決められないこともあるでしょう。夫婦で仲よく年老いていく幸せもあれば、何事も自分で自由に決めることができるという幸せもあります。私の人生の流れには、結婚はありませんでしたが、いまはこれでよかったのだと思っています。誰しもがそれぞれ、自分が過ごしやすい生き方を探し、それを貫くことがいちばんなんじゃないでしょうか」 移住してからもずっと映画や舞台、ドラマなど仕事のオファーは途切れることはない。 「きっと『この年齢でこんなスケジュールはとても無理だわ』と、やめてしまう方もいるでしょう。でも私は体力も気力も充実していますから、恐れることなく、女優としての挑戦を続けています。女優業でも日常生活でも、これからどんな発見をするのかを楽しみにして、前だけを向いて生きていく。それが私にとっての終活なのです」
2017年10月14日こんにちは!急に日が暮れるのが早くなりましたね。ママライターのパピルスです!先日、友人の一人(40代男性)がポツリと言いました。「田舎に引っ越したいな」。週末の夕方、テレビでは地方に移住した方の番組や芸能人が田舎体験に行くテレビなどが多く、 ふとそんな気持ちが頭をよぎることがあるのだそうです。そこで、今回は地方へ移住した方に「地方に移住して良かったこと、想像と違ったこと」を伺ってみましたので、「田舎に引っ越したい」気分の方、参考にしてみてください。目次Aさん:東京から九州地方に移住(30代男性/妻と5歳男子)Bさん:首都圏から県庁所在地である田舎(中国四国地方)へ移住(40代女性/夫、小学校5年生と3年生の男の子)Cさん:関西圏から中部地方へ(60代女性/60代の夫)●Aさん:東京から九州地方に移住(30代男性/妻と5歳男子)『サーフィンが趣味で、海の近くに引っ越しました。フレックスタイムで出勤できる会社なので、朝、一度海へ出てから出勤することもしばしばです。出勤前に息子を連れて朝の海辺を散歩することもあります。東京に比べるともちろん田舎なのですが、車で30分も走ると人口150万超の街があるので便利ですね!職場もそちらにあります。ありがたいのは、道路が混まないこと!あと、職場(こちらはかなり都会的な場所にあります)近辺の駐車場代が1日停めても1,000円以上にならないので、車通勤ができること!仕事の前後に好きなことをしたい場合、車にいろいろ積んでおけばスムーズに移動できます。妻も車を1台所有しています。近くに大型ショッピングセンターもあるので、特に買い物も困りませんね。想像と違ったことは、通える範囲に幼稚園が少ないことです。みんなだいたいAかBの幼稚園に行っている、という感じでそれほど選択肢は多くありません。でも、特にそのことに不満はないですね。うちが借りているマンションは他の土地から来た人が多いですね』Aさんは東京生まれの東京育ち。30年間東京以外で暮らしたことはなかったそうです。しかし、勤める会社が地方に支店を出すことになり、「東京での生活、もういいか」という気分になったそうで、転勤に手を挙げた そうです。Aさんの場合、近隣に大きな都市があるタイプの田舎への移住です。バランスよく田舎移住生活を楽しんでいる印象を受けました。●Bさん:首都圏から県庁所在地である田舎(中国四国地方)へ移住(40代女性/夫、小学校5年生と3年生の男の子)『夫が脱サラしてお店を開いたので、それと共に家族で移住しました。初めは転校したくないと泣いていた息子たちでしたが、今はすっかり田舎のやんちゃ坊主に(笑)。とにかく外で叱ることが減りました。電車で公園で道でお店で……「静かにしなさい!」「もうちょっとおとなしくして」とか言ってばかりでした。今は、周りにそれほど人がいないので(笑)、子どもは私に叱られる回数が減ったのでのびのびしてますよ。想像と違う点は、ご近所付き合いの濃さでしょうか。一軒家を借りているのですが、「草が伸びてる」ということでご近所の方に心配されます!草が生えるくらいなら、代わりに花でも植えたらと苗をもらったことも(苦笑)。よくも悪くも濃いですよね。土日に公共施設の草刈りなどで駆り出されることも多いです。でも、子どもたちも地域で受け入れてもらって、たくさんおじいちゃんおばあちゃんができたみたいな感じでもあります』Bさんの場合は、子どもを持つママならではの視点 で語ってくださいました。良くも悪くもご近所さんとのお付き合いが濃い、というのはなるほどと思わされました。●Cさん:関西圏から中部地方へ(60代女性/60代の夫)『主人の定年を機に、若いころに転勤で一度暮らしたことがあり「いつかここでまた暮らしたいね」と言っていた都市に移住しました。転勤族であちこちに住んでいたので、特に新しい土地に引っ越すという気持ちのハードルはそれほどなかったですね。その土地のこともある程度知っていたので、新しく開発された住宅街の中の分譲マンションを買いました。周りのご家庭も新しく移り住んできた方ばかりなので、なじみやすかったですよ。自分たちだけが“新参者”という感じがあまりしなかったです。想像していたことではあるのですが(笑)、出身地から遠く離れているので、法事やお墓参り、結婚式など親族が集まる行事にお金がかかります。年金生活になると、そういう出費も現役のころとは違ってちょっと考えてしまいますね。都会ほど交通網が発達していないので、新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったりしてどこかへ行く、というのも大変で、都会に暮らしていたときよりも遠出は減りました。その代わり、山に登ったり、温泉巡りをしたりなど、車で行けるところにはどんどん行っていますよ。車も運転できるうちにあちこち行っておきたいですね。近所に畑を借りて家庭菜園もしているので、毎日体を動かせるのがいいですね』Cさんは、お子さんたちももう一人立ちされているので、夫婦二人だから気が楽とおっしゃっていました。お孫さんは都市部から遊びにくると、山に連れて行ったり、近所の川で遊んだりできるので、とても喜んでいる のだそうです。ご自身で育てた野菜を食べたときには、そのおいしさに感動したそうです。----------いかがでしたか?地方へ移住といっても、どのくらいの人口の都市に移住するのかで大きく生活が変わってくると感じました。また、住居選びも、その土地に古くから住む人たちの多い場所、新しく移り住んできた方が多い場所によって、近所付き合いの仕方や地域行事なども違うようです。実際に移住を考える際は、そういったことも情報収集して、ご自身の目指すライフスタイルと照らし合わせてみるのがよさそうですね。●ライター/パピルス●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年10月03日1ヶ月3万円。京都で短期移住してみた。(c)kentaro Ohno今年の1月、1ヶ月間だけ京都に住んでいました。新規のシェアハウスが格安の家賃で住人を募集していたので、「えいや!」と行ってみたんです。月額30,000円でした。シェアハウスのいいところは、家具がすべて揃っているので、すぐに生活ができることですね。格安だったとはいえ、東京の部屋は借りたまま。京都の部屋とダブルで借りた状態だったので、赤字にならないか心配でした。だけどかなり慎ましく生活をしていたので、むしろ普段よりもお金がかからなかったかも。なにしろ近所に友達がいないから、飲み会とかがないんですよ。ずっと自炊してたのでエンゲル係数低い上に、和食ばっかり作っていたので痩せました。予想外の効用です。新規のシェアハウスなどはオープニング価格で破格の値段で住めることが多いので、気軽にチャレンジできますよ。1度、京都には長期で滞在したいなと思っていたんです。普段の旅行だと、時間がないので観光地らしいところばかりに足を運んでしまいます。だけど1カ月もあると、気分的に余裕が生まれるので、普段しないことをいっぱいしてました。そのひとつが「大学の授業に参加する」です。京都造形芸術大学の本間正人先生に「先生の授業に参加したいなー」などと言って、大学生たちの授業風景を覗かせてもらいました。ディスカッションをたくさんやる授業だったんですが、その決まりが「人の意見を否定しない」なんです。それがどんなに大切なことか。たいていの人は、親や周囲からダメダメ言われて育つんです。若いうちはとにかく生きづらい。自分もこんな先生に教えてもらいたかったなあ、なんてウルウルしてしまった。幼稚園や小学校、大学など、同世代が集合するところに行くと、たいてい1人、キラリと光る子がいるんですよね、目の付け所が違ったり、努力の幅が周囲に比べて圧倒的に大きかったり。「これは将来楽しみだ!」っていうか。大学なんて東京にいっぱいあるから、わざわざ地方に行ってすることでもないような気もしてたけど、とても刺激になる数日間でした。新しいことのチャレンジや自分の生活を見直す機会に長期滞在だったので、移動にも時間がかけられました。青春18きっぷを買って、東京から京都まで9時間かけて移動してみたりもしました。いつ着くのかわからないほど遠かったけど、やってみると意外に発見がたくさんありました。新幹線ができる前は、みんなどうやって移動していたのかしら? なんて疑問に思って周りの大人に聞いてみたり。ミニマムな荷物しか持たずに移住してみたのだけど、意外と不便さも感じませんでした。暮らしているうちに荷物ってどんどん増えてしまうけれど、実は必要なモノってほとんどないんですよね。断捨離の準備にいいですよ。いるものといらないものが明確にわかります。下着類もほとんど持っていかなかったので、こまめに洗濯をしてローテーションをしていく規則正しい生活も楽しかったです。そうそう、家計簿もつけてみました。普段はすぐにやらなくなっちゃうんだけど、1カ月限定ならやり通せます。どんなことに自分がお金を使うのかがよくわかりました。「食費を2万円に抑えよう」なんて自炊をがんばったりして、すごく健康的な生活をしていたかも。それもこれも、短期間だからやる気になるわけで!基本的に窓から緑の見える風通しのいい部屋が好きなので、住む部屋は田舎が多いです。そのため都心部に住んだことはあまりないのですが、京都の部は市役所そばの、中心部でした。な、何でも買える……! なんて、今さらながら利便性の高い場所っていいななんて思ったり。田舎好きとか言ってるけど、実は超高級マンションなら都心に住んでもいいのかも……スノッブすぎか?なにも考えずにトライした短期移住だったけど、普段やらないことにチャレンジする機会にもなったし、自分の生活を見直す機会にもなりました。なのでこれ、めちゃくちゃオススメです。別に遠くの町に引っ越す必要はないと思うんです。住んでみたかった場所や、引っ越し予定の街、自宅よりちょっと田舎、会社のそば……1カ月なら何でもトライできちゃいます。やってみたら意外と平気だったとか、予想外に辛かった、なんてこともあるかも。知らない街で一人過ごしていたら、なんだかすごく淋しくなっちゃって出会い系アプリをはじめてしまいました。普段は知らない人に会う元気ってあまりないんだけど、何人かとやり取りして実際に会うことになりました。そのうちの何人かとは、未だにやり取りしています。彼らと知り合うきっかけを溯ると、京都への短期移住なんですよ。わらしべ長者みたいですね。おひとりさまだからこそできる短期移住。何か行き詰まってるとか、恋人と別れて淋しいなんて人には特に心機一転、自分を見つめ直すのにぴったりです。Text by 和久井香菜子前回記事<おひとり旅で体調不良に!?そんな私を助けてくれた壱岐島の人たち>もチェック!お一人旅中に、体調不良になってしまった和久井さん。突然のトラブルに島の人々は優しく対応してくれたそう。
2017年08月02日Mette Touborg|メッテ・テュボーライア(Lejre)市長社会主義人民党(SF)所属2009年より現市長。2度の再選を経て、現在3期目。社会主義人民党では副党首を務めたこともある、自他共に認める有力議員。20年以上国会議員だった父を持つ、いわゆる二世議員でもある。本党は、社会民主主義と環境保護を掲げ、国会では約9%の議席を持つ。国内計98市あるうち、女性市長はわずか12市のみ。シェラン地域北部のライア市は、そのうちの一つ。市のホームページはこちら。Photo from Lejre Kommune―デンマークでは2週間後(当時、6月18日)に総選挙を控えていますが、メッテさんは出馬されていませんよね?自分で言うのもなんですが、私は党内で唯一の市長だということもあって、出馬すれば当選がほぼ確実。なので、政党からは「頼むから出てくれ」と、何度もお願いされて。でも今回は「ごめんなさい」と。私にはLejre(ライア)市でやることがまだたくさんあるので。―市政に対する思いが強いんですね。ここはどんな地域なんですか?ライア市は、49の小さな町と村からなる、人口2万7千人の小さな地方です。一番大きな町でも人口はたった4千人弱。デンマークというとても小さな国の、さらにその中の小さな場所。56万人もいる首都コペンハーゲンと同じように国を動かすほどの力はありませんが、ライアはライアの強みがあります。それは、首都まで自動車で1時間以内という近さにあって、かつ自然豊かだということ。特に水資源が豊富で、コペンハーゲンで供給される水全量の15%は、ライア市が供給しています。採れたての新鮮な食品だって、鮮度を落とすことなく即座に届けられますし。Photo by VisitLejre―「仕事は都心だけど家は田舎」という人が多いのはいかにもデンマークらしいですが、起業家が多いのにはビックリしました。シェラン地方にはライア市を含めて17の市があるんですが、その中で最も起業家が生まれているのがライアなんです。何をやっているかというと……みんな本当にバラバラで(笑)。デンマーク国内で初めてのドローンを開発し始めた起業家とか、特殊な技術を持ったボーリング会社とか、国内で有数のクラフトビール会社も2つありますね。―なぜわざわざライア市で起業する人が多いんでしょうか?もちろん理由は一つじゃありませんが、都市で起業するより、ここで起業した方がコスト的に安いからです。デンマークには国税と地方税の二つがあるんですが、ライア市では、個人事業主でも法人でも地方税は一切取らないので。これは戦略というより、「どうやったら都市と差別化できるか?」「より魅力的な地方になれるか?」と現実的な判断をした結果でした。なので、そういう会社や組織とコミュニケーションを取る、専属の自治体メンバーが常駐しているんですよ。私だって、週に一度は直接会って、不満を聞いたり、要望を聞く時間を取っていて。これは小さな地方だからこその強みですよね。ただ無農薬だけじゃない、地方のオーガニック革命の可能性Photo by Lejre Kommune―「オーガニック」というキーワードを媒介として、コミュニティができたように、デンマークではコミュニティがとても重要視されていますよね。そうですね。こうやってある程度似通った価値観を持つ人が集まって、狭い範囲で生活していると、もうみんな知り合い状態なんですよ。近所の人が困っていたら「私に何かできることがある?」とすぐに声をかけるし、バスに乗って知らない人がいたら「どこから来たの? 困ったことがあったら言ってね」と。そうすると、市民はもっと安心して、より豊かな暮らしができるんです。オーガニックに力をいれ始めて数年して、不思議なことが起こりました。コミュニティができただけじゃなくて、「ライア市はオーガニックに力を入れている」という事実が、市民のアイデンティティになって、市民の結束力が強まったんです。Photo by VisitLejre―お話を聞いていると、メッテさんも信頼できるし、なんか僕もここに住みたくなってきました!(笑)ありがたいことに、市民はすごく私を信頼してくれているんですよ。つい最近、「政治家についてどう思っているか?」というEUによる国勢調査があって。その結果、デンマークでは、国会議員よりも地方議員の方が好意的だとわかったんです。私の感覚的にも、共感できる結果ですね。―デンマークは僕が思っていた以上に地方の権限が強いように感じました。少なくとも中央と対等な立場にはありますね。たしかに私たち地方は、中央政府が作った枠から逸脱することはできません。でも、その枠が大きければ問題ないし、狭めようとするならそれに抵抗すればいい。地方の人はみんなそう思っています。たとえば、なぜ無農薬野菜を作って販売するのが難しいのか調査したところ、それは政府による規制や法律が障壁となっているからだとわかったんです。そこで、私は政治家と直接話したりして、いかに規制を緩和させるか、オーガニック食材が流通しやすくするにはどんな法律が必要なのか調べて、実際にいくつかの法律を改正することができました。どんな地方にも、都市にはない可能性があると思います。私たちはたまたま「オーガニック」に着目しただけ。そして、中央にすべての引導を渡さないように努めることもまた、地方の存在意義だと私は思います。ライアって、すごく魅力的でしょう? ほら、これで私たちのところへ移住する決心は固まった?(笑) ※この記事はウェブメディア「EPOCH MAKERS」の提供記事です。EPOCH MAKERS – デンマークに聞く。未来が変わる。世界の片隅で異彩を放つ、デンマーク。この小さな北欧の国は、情報化がさらに進んだ未来の社会の一つのロールモデルになり得る。EPOCH MAKERSはその可能性を信じて、独自の視点から取材し発信するインタビューメディア。URL: by Taiga Beppu ーBe inspired!この記事を読んでいる人はこの記事も読んでいます!今日が今日のためにある国デンマーク、無料だらけの社会福祉の実態とは? 福祉国家として有名な北欧の国、デンマーク。消費税率25%、国民負担率約70%(日本は約40%)と、かなりの高納税国である。その一方で、医療費無料、出産費無料、教育費無...
2017年06月05日仕事に明け暮れる日々、複雑に絡み合う対人関係……。気づくと同じ毎日を過ごしていて「生活をリセットするために、いっそのこと異国の地に移住しちゃおうかな!?」なんて現実逃避をしちゃう方も少なくないのでは?でも、現実的に考えると、お金や仕事などの問題が目の前に上がってきてしまい、実行するには勇気がいりますよね。そこで、勇気を振り絞り29歳で海外移住を果たした友人Mに体験談を聞いてきました。移住先は、なんと日本人からも絶大な人気を誇るハワイ!読めばきっと、ほんの一歩だけ前に進む勇気が湧くかも!?憧れの街に魅せられて!移住のきっかけと理由私の友人、Mは現在32歳独身。誰もが憧れるリゾート地「ハワイ」に住み、仕事をしながら週末はサーフィンを楽しむ生活を送っています。彼女はもともと日本で生まれ育ち、東京の大学を出た後、都内のアパレル会社へ就職し、6年間勤めていました。そんな彼女が移住を決意したきっかけは、自分へのご褒美として、初めて行った海外旅行先「ハワイ」に“恋をしてしまった”ことだったそうです。「ハワイの美しい自然や、ローカルデザイナーのリゾートファッションやフードカルチャー……そして何より、そこで暮らす人々の陽気でハッピーな姿を目にして、移住したい気持ちが高まっていました!」(M)思い立つと、すぐに行動に移したのが彼女のすごいところ。ビザ取得代と現地での当面の生活費、約150万円を必死で貯金しながら、現地で働くための就職先を探したのだそうです。そして、3年後にようやく職を見つけ、29歳で移住を実現!最初の移住では、ビザの期限が1年だったそうですが、勤勉な業務態度が認められ、会社から延長ビザを取得し、現在に至ります。生活は意外と苦しい・・・「一年中あたたかく、海や山など自然も満喫できるため、都内で暮らしてきたときよりものびのびと暮らせて、大満足。でも、税金がアメリカの中でも特に高く、消費税は4.712%(オアフ島のみ)。ワイキキは観光地だけあって、ほかのハワイのエリアに比べて日用品や食費などの物価が1.2〜1.5倍ほど高いのも悩みの種です。チェーンのコーヒーショップでも、私が働くワイキキ内と外では、0.5ドル(約50円)の違いがあります」(M)ちなみにMの月収は2,800ドル。ワイキキの平均家賃は2,000ドルですが、ルームシェアをしているため、家賃は1,300ドルと安く抑えられています。月にかかるのは駐車場代などの管理費や光熱費400〜500(一人当たり)ドル、食費300ドル(週5回の自炊+外食費)、日用品費200ドルなど。自由に使えるお金はだいたい500ドル、貯金は月200〜300(自由に使えるお金から捻出)ドルほどしているそうです。そのため、「食事はなるべくワイキキ外の観光地以外でする」「日用品は安い大型スーパーでまとめ買い」「家電製品など高価なものはネットで安く、または日本人移住者向けのコミュニティサイト”びびなびハワイ”を活用して掲示板で日用品をそろえる」などの節約を心がけているようです。また、週末にちょっとした個人ツアーガイドをし、1回100ドルほど稼いでお金を工面しています。 仕事は日本よりプレッシャー大・・・次に仕事に関して聞いてみました。彼女が働いているアパレル会社は従業員、顧客ともに日本人のため、業務上で言語に苦労したことはありませんでした。ただし、アメリカの企業は、日本に比べて”ルール”に厳しい一面があるのだとか。「会社の備品に関する取り扱い方法(の同意)など、何をするにも契約書が必要なため、作業工程を覚えるのも一苦労。さらに、売り上げ目標や上司から信頼を得る仕事ぶりなど昇級条件のハードルが高く、プレッシャーも大きいですね!でもほとんど毎日8時間内の労働で、バカンスで2週間、アメリカの祝日にはお休みもあるため、プライベートが充実するようになったのはうれしいですね」(M)苦労も多いようですが、その分仕事上がりには、アフターファイブは浜辺のバーでお酒を飲んだり、海辺をドライブしたりと大満喫!残業時間の長い、日本では考えられない充実ぶりですね!移住して一番よかったことは・・・「移住して一番よかったと感じたのは、ルームシェアをしている同年代の女性や、自分のように移住してきた女性から、”いい刺激”を得られたこと。ルームメイトは、ハワイでファッションブランドを立ち上げる夢を叶えるため、会社に勤める傍らSNSやwebサイトで雑貨やジュエリーを販売して、資金を貯めています。夢や目標を持ちそれに向かって邁進する友達に影響を受け、自分もいつかハワイでウエディングツアー専門会社をやりたいと目標ができました!」(M)日本にいた頃の自分だったらビジネスをやろうなんて思いもしなかったのに、夢に向かって動くなど自身の性格にも変化があったようです。エネルギッシュな行動力や、思いっきり遊ぶときは遊ぶ!というハワイの人たちと交流する中で、「異文化に飛び込んでみてよかった!」といつも実感すると彼女は語ってくれました。移住に少しでも興味があったら、まずその一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか?Mのように、人生の大きな目標が得られるかもしれませんよ。
2017年01月04日インナービューティーダイエットで内側から美しく一般社団法人 日本インナービューティーダイエット協会は2日、岐阜県安八郡輪之内町が行う地方創生プロジェクトにて、「インナービューティーダイエット輪之内町農業コラボ事業実行委員会」を設立したことを発表した。同協会は、食事方法を整えることで体の内側(腸・心)から美しさを手に入れるという「インナービューティーダイエット」を提唱している。食材や調味料を吟味するだけでなく、自分で食材を選択し調理する技術を身につけることで、健やかな食生活を継続していくことを目指すものだ。野菜から日本を盛り上げるそのため同協会は、食事方法慣行農法以上に農薬を使用しない農業を推進し、その貢献を目標としている。また、そうして生まれた安心・安全の野菜をマルシェ等で販売することで日本の農産を一層盛り上げていき、若者の就労に「農業」という選択肢を持ってもらうというねらいもあるのだそう。今後は協会が主宰する料理サロンとのコラボレーションも行い、「美しくなるためには、料理を作る、食べること」というメッセージを発信していきたいとしている。(画像はプレスリリースより)【参考】※一般社団法人 日本インナービューティーダイエット協会
2016年12月07日9月27日に結婚2周年を祝ったジョージ&アマル・クルーニー夫妻がニューヨークへの移住を計画、ミッドタウンに来年オープン予定の高級コンドミニアムを購入した。「New York Post」紙によると、夫妻はペントハウス(価格は6,500万ドル)ではなく、高層階のレジデンスを購入。詳細は明らかにされていないが、ペントハウスの次に高い階の物件だとすると、49階のワンフロア全てを占拠するベッドルームとバスルームがそれぞれ3室ずつのレジデンス。リビングダイニングだけで約100平方メートルという広々とした設計だ。結婚後は、アマルさんの仕事を優先してイギリスに新居を購入し、そこで過ごすことも多かった夫妻だが、今度はアマルさんが国連やコロンビア大学のロースクールでの仕事が増えたため、ニューヨークへの移住を決めたという。夫妻はカリフォルニア州スタジオ・シティとイタリアのコモ湖畔にも家を所有している。(text:Yuki Tominaga)
2016年10月11日普通、移住しようということになったら、まずはしっかり下調べをするもの。ところが『幸福度No.1☆「沖縄移住」でワクワク楽園生活!: ツテなし・カネなし・資格なし ゼロからはじめた私の方法』(峯田勝明著、合同フォレスト)の著者は、かなり事情が異なるようです。そのタイトルから想像できるように、まったく「ゼロ」の状態で沖縄へ移住してしまったというのですから。そもそも著者は、立ち会い出産を経験し、育児の時間を確保するために会社勤めを辞めて自営業をはじめたという、その点においてもちょっとユニークな経歴の持ち主。しかし、住んでいたのが茨城県だったこともあり、東日本大震災で大打撃を受けて廃業せざるを得ない状況に。その結果、放射能汚染から家族を守るため、2012年に沖縄へ移住したというのです。つまり本書では、そんな実体験に基づき、沖縄へ移住するために必要なことを明かしているというわけです。きょうはそのなかから、なにかと気になる「お金」についての記述をご紹介したいと思います。■1:移住費用を事前に計算しておくべし当たり前ですが、沖縄への引越しが普通のそれと異なるのは、「必ず海を渡らなくてはいけない」ということ。つまり、引越し料金はとても高くつくというわけです。そこで必要になってくるのは、少しでも節約すること。そこで著者は、いらない荷物はなるべく処分することを勧めています。思い入れのあるものや特別高価なものは別としても、それ以外は現地で買ったほうが安いというのです。ほとんどのものは沖縄にも売っているそうなので、きっぱりと処分できるものは処分したほうがよさそうです。■2:自家用車で引越し料金を節約すべしまた、引越し料金は運ぶ量や距離、業者によっても違い、さらに3~4月のハイシーズンは高くなるものです。そこで予算を節約するために、自分の車に荷物を詰め込み、船で送るという方法を利用するのもいい方法。著者は5ナンバーの普通乗用車と軽自動車を送ったそうですが、どちらもワンボックスタイプの乗用車だったので、荷物を満載したのだといいます。宅配便では送れない荷物を優先的に車に詰め込み、自分たちはあとから飛行機で沖縄入りして、那覇新港へ引き取りに行ったというのです。ちなみにワンボックス車でも、貨物車の4ナンバーや1ナンバー登録では料金が高くなるといいます。気になる乗用車輸送運賃(全長4メートル以上5メートル未満)は、東京有明埠頭から那覇新港が5万9,500円~で、大阪から那覇新港が5万5,000円~。東京→沖縄、大阪→沖縄がいずれもドア to ドアで7万7,112円~だそうです。いずれにせよ、そうやって工夫をすることは、決して無視できない節約術だといえるかもしれません。■3:口座はゆうちょ銀行に集約すべし!ところでお金に関しては、意外な落とし穴があるようです。というのも沖縄には、本土の都市銀行が「みずほ銀行」しかないというのです。しかも、宝くじを発行する関係で、かろうじて1店舗あるだけ。なお、これまでは地元地銀の「沖縄銀行」「琉球銀行」「沖縄海邦銀行」と「みずほ銀行」による寡占状態が続いていたそうですが、沖縄経済の活況に目をつけた「鹿児島銀行」が、2015年9月28日、那覇市に沖縄視点を開設したのだとか。まず力を入れているのは個人ローンで、特に際立っているのは住宅ローン。貸出金利を本土並みに低く設定し、地元の3行より優位に立つ戦略をとっているのだといいます。沖縄で安心なのは、「ゆうちょ銀行」だそうです。理由はいたってシンプルで、日本全国どこにでもあり、手数料をかけることなく出し入れができるから。なにかあったときは、本土でも沖縄でも窓口に行くことができるわけです。そのため、移住の際はいったんすべてを「ゆうちょ銀行」に集約し、沖縄で生活をはじめてから他の口座を開設するのがいいと著者は提案しています。また、イオンの店舗も多いため、「イオン銀行」を利用するという選択肢も。ただし各店舗にあるのはATMで、窓口があるのはイオンモールだけ。沖縄では「イオンモール沖縄ライカム店」のみだそうですが、年中無休で営業しているのがいいところだといいます。*こうした話は、実際に移住経験のある人でないとわからないもの。しかも著者の場合は「ゼロ」からスタートしたわけですから、なおさらリアリティがあります。沖縄への移住を漠然と考えている方は、まず手はじめに本書を手に取ってみてはいかがでしょうか?(文/作家、書評家・印南敦史) 【参考】※峯田勝明(2016)『幸福度No.1☆「沖縄移住」でワクワク楽園生活!: ツテなし・カネなし・資格なし ゼロからはじめた私の方法』合同フォレスト
2016年09月07日子どもを伸び伸び育てたい。家族の時間を増やしたい。そんな思いから、子育て世代にも地方移住が注目されています。移住を考える上で大切なことや、基本的な支援策をJOIN(一般社団法人移住・交流推進機構)に聞きました。お話を聞いたのは:成清雅人さん・坂東彩加さんJOIN(一般社団法人 移住・交流推進機構)では地方自治体と連携して、移住を考えている人に向け、インターネットで情報提供を行っています。移住に役立つ情報やイベント、移住相談会の情報などがチェックできます。ここ数年で移住者数がぐっと増加しています「これまではシニア世代のイメージが強かった『移住』ですが、最近では子育て世代にも関心が持たれるようになりました」と、JOINの成清さんと坂東さんは言います。「地方は人口減少が進んでおり、各自治体は人口流出対策の他、移住者を呼び込む施策に積極的に取り組んでいます。そのため、ここ数年で移住者数はぐっと増加しています。特に、住まい・子育て・仕事に対する支援は、自治体ごとに創意工夫がなされています」しかし、いざ「移住」を考えるとなると、住む所や仕事はどうするの?という疑問が…。そうしたことに答えられるよう、各自治体では相談窓口を設けたり、移住支援サイトを開設しています。自然の中で子育てができること、また、働き方を変えることにより、家族と過ごす時間が増やせることなどが、子育て世代が感じている移住の魅力だそうです。「住まい」「子育て」「仕事」それぞれに充実した移住者支援があります住まいの家賃補助、出産祝い金や保育料無償化、起業者への助成金など、移住者には自治体が手厚い支援を行っています。ただ「移住したら◯◯が無料になる」という理由だけで移住先を決めるのはおすすめしていないそうです。「住む以上はお金以外の魅力がないと長続きしないし、支援制度は変わる場合もあります。あくまで参考にとどめた方がいいでしょう」「何だかいいな」と思えた場所が肌の合う地域です移住先を選ぶ上で一番大事なのは「実際に訪れて、いい雰囲気を感じられること」と坂東さん。その上で、「実際に住む」視点を持つのがポイントだそうです。「車ではなく公共交通機関で行くと、電車が1時間に3本しかないなどの不便に気付けます。雪国なら、雪かきを体験したり、冬のドライバー研修ができることもあります。また、例えば長野県は、北部は豪雪地帯なのに対して、南部はほとんど雪が降らないなど、地域によって、気候の差が大きい県もあります。〝この県は◯◯なはず〞という思い込みだけでなく、まずは実際に足を運んでみてくださいね。数日間、その地域で暮らせる『お試し住宅』を実施している地域もありますよ」移住に関してよくある質問Q.移住先としてどんな地域が人気ですか?A.移住者への支援を積極的に行っている自治体は、サポートも手厚いことが多いです。また、都会から離れ過ぎない千葉県や長野県などの地域も人気です。Q.どこで移住の相談ができますか?A.各自治体が相談窓口を持っているので、行政に問い合わせを。東京の「移住・交流情報ガーデン」では、専門の相談員が対応している他、各県による移住者向けパンフレットも充実。JOINでも毎年1月に、全国各地の移住相談窓口が集結する、移住・交流フェアを行っています。Q.家賃や土地代は必ず安くなりますか?A.自治体あたりの人口が少なくなるほど、家賃・土地代は安くなる傾向にあります。ただ、近くに大学や自衛隊があるなど、住居のニーズが高い土地の場合は、都会とそこまで変わらない場合があるので注意が必要です。Q.仕事はどうやって探せばいいですか?A.自治体の窓口やハローワークで相談できます。また、「日本仕事百貨」(運営:株式会社シゴトヒト)というWebサイトでは、求人情報だけでなく、実際に移住をしてその仕事に就いた人のインタビュー記事や写真を見ることができます。自治体の魅力と支援策を紹介全国の自治体の中から、移住者支援に力を入れている自治体をピックアップ。ここで挙げた以外にも各自治体はさまざまな取り組みを行っています。気になる人は検索してみてね。●用語解説空き家バンク…各自治体が空き家の管理、土地活用、査定についての情報を集め、移住希望者に紹介している。お試し住宅…自治体が整備した空き家を、数日~数カ月単位で希望者に貸し出している。同じ自治体の中でも中心部と農村部、一戸建てとマンションなど、移住する前に住み比べることができる。栃木県那須塩原市東京都内から1時間のリゾート地。市内には高速道路のインターや複数の駅があり、アクセスも至便。特に那須塩原駅は、新幹線なすの号の始発着駅で東京へ通勤するサラリーマンが大勢います。【子育て】市営の乗馬施設で情操教育を実施。市内全小中学校に外国人の英語教育指導助手を常駐させ、交換留学等も実施。言語の異なる相手との関わりを通じ、心を育てる教育を展開。【仕事】新幹線通勤する転入者に年間12万円を補助。移住促進センターで相談を受けています。チャレンジingライフ茨城県つくばみらい市つくばエクスプレス秋葉原駅から40分。高速道路のインターチェンジもあり、各地へのアクセスがとても便利。保育所や小学校が新規に整備されるなど、都市環境や子育て環境も充実している一方で、豊かな自然にも恵まれています。【住まい】「三世代同居・近居住宅支援事業助成金」… 親、子および孫が三世代で同居・近居するために住宅を取得する人などに対し、予算の範囲内で助成金(最大100万円)を交付。【子育て】「ママフレ」… 妊娠・出産・子育てに関する行政サービス情報を掲載したサイト。つくばみらい市シティプロモーション福井県保育園の待機児童数ゼロ、学力体力全国トップレベル(学力小学校全国2位、中学校全国1位、体力は小中学校とも全国1位)など、子育て・教育環境が整っています。【子育て】「すみずみ子育てサポート」として一時預かりや保育園への送迎、家事援助を実施。【仕事】求人倍率も高く、正社員の割合も全国トップと恵まれた雇用環境。福井Uターンセンターを設置し、移住希望者に合った仕事探し、住まい探しをトータルにサポート。福井、東京、大阪、名古屋の各オフィスで相談できます。ふくい移住ナビ奈良県奈良市豊かな自然と歴史が1300年にわたり共生してきた、世界に誇る歴史と文化の町です。また、質の高い公教育による教育制度の充実や、大阪・京都等近隣府県へのアクセスの良さ、ゆったりとした環境から、育児のしやすさと暮らしやすさを感じることができます。【住まい】「三世代同居・近居住宅支援事業」…住宅改修または購入にかかる費用のうち、最大20万円を助成。「空き家・町家バンク活用住宅支援事業」… 荷物撤去費として最大20万円、住宅改修または購入費は最大50万円まで助成。なら、らぶ、りぶ大阪府千早赤阪村「金剛山」や「下赤阪の棚田」など、自然豊かな地域にありながら、大阪市内へは約1時間の距離。村在住のネイティブの先生による幼稚園児から中学生までの英語指導や、中・高校生を対象とした海外留学の実施など、英語教育にも力を入れています。【子育て】「妊婦健康診査助成」… 最大14回11万6840円まで助成。【仕事】「小売店舗等開業支援事業」… 村内に小売店や飲食店などを開業するにあたり、開業資金の一部を助成。ちはやあかさかむら定住兵庫県川西市大阪まで約20分の好立地。新名神高速道路の(仮称)川西I Cが2017年3月末に完成予定で、神戸や大津にも行きやすくなります。また、キセラ川西せせらぎ公園や複合公共施設などを備えた「キセラ川西」が順次完成予定。【子育て】「保育施設の新設」… 待機児童の解消を図り、乳幼児期の教育と保育を充実させています。子育てと就労の両立をサポート。【仕事】「女性の起業支援」… 2016年7月開始予定。女性の起業に際し、起業前から起業後のフォローまで、包括的な支援を実施。幸福沿線川西市鳥取県待機児童数がゼロの鳥取県(年度当初)。人口あたりの小児科専門医数は全国第1位、産科・婦人科専門医数は全国第2位。海や山との距離が近く、海水浴や雪遊びができる点も魅力。【住まい】「お試し住宅」… 一定期間お試しで居住可能。実際に移住の際には空き家の紹介から改修費の支援など、市町村による支援策も充実。【子育て】第3子以降の保育料は、所得・年齢制限なしで完全無償化。第2子の保育料も一部無償化。子どもの医療費は、18歳まで自己負担上限額が530円/日(通院の場合)。とっとりこらぼ広島県東広島市広島県の真ん中に位置する東広島市は、交通網や商業施設が充実した快適な街である一方、内陸部の山々や瀬戸内海の自然にも恵まれています。さらに育児や教育などの支援環境も充実。子育て家族が住みたくなる街です。【子育て】「出産・育児サポートセンター」… 妊娠期から子育て期にわたるさまざまな相談に応じ、切れ目のない細やかな支援を行っています。【生活】「東広島定住サポートセンター」… 移住希望者の“くらし・住まい・仕事”相談窓口を設けています。子育てするなら東広島秋田県全国トップレベルの学力と高い志を育てる教育環境、地域が支える子育てなど、充実した教育・子育て環境があります。【住まい】移住に伴う引っ越し費用や、冬季生活用品の購入に対する助成制度があります。※制度の詳細は、現在調整中【生活】東京交通会館(有楽町)ふるさと回帰支援センター内に秋田への移住について相談できる窓口があります。秋田での暮らしの疑問・相談に応じる相談員や、秋田での暮らしを紹介する冊子なども用意してあります。秋田暮らし愛媛県松山市いろいろな要素が程よく混ざり合う「いい、加減」な暮らしができるのが松山です。通勤通学時間の短さ、余暇時間の長さ、家賃の安さ、地域食材の手に入りやすさ、病院や診療所までの近さなどが日本一。【住まい】「移住相談窓口」… 市職員が移住コンシェルジュとして、希望者の相談にワンストップで対応。地理感がない人のために制作した45地区別のマップ、若者世代向け、シニア世代向けの2種類の移住ガイドブックを用いて、一人一人のスタイルに応じた提案をします。いい、暮らし。まつやま福岡県「子育て応援宣言企業」が5500社を超え、「子育て応援の店」も約2万店。安心して子どもを育てることができ、次代を担う子どもたちが健やかに育つよう、地域全体で支え、応援する社会づくりを進めています。また、小児専門の医療病院やドクターヘリが配置された高度救急救命センターなど、医療体制も整っています。【生活】「ふくおかよかとこ移住相談センター」… 2016年7月、東京と福岡に開設予定。就職、就農、子育て支援、住宅、市町村の支援制度など、移住の相談にワンストップで対応します。福がお~かくらしillustrationKOIZUMI Naoko※2016年5月25日時点の情報です
2016年06月30日30代になると複雑に絡み合う、仕事と恋愛を紐解く特集。人生を変えるため、海外に移住してみたいけど勇気がない。そう感じる人、必見!この記事を読めば勇気が持てるかも……!毎日同じ道を歩き、会社に着けば同じ仕事をする。見ている景色も食べるものも何も変わらない。 もっと違う景色を見てみたいし、もっと自由に暮らしてみたい!環境も何もかも変えるため、海外に行ってみようかな……なんて感じることありませんか?今回、まさにそんな気持ちを行動に移し、日本脱出経験をした女性に突撃インタビューしてきました!10万円だけ持って現在、日本で自社メディアの記事広告の販売という仕事をバリバリこなしているSさん。実は今から15年前23歳のときにお父さんの反対を押し切ってマレーシアに飛びたったのです……。手持ちのお金はたったの10万。仕事を探す訳でもなく、「行きたい!」という気持ちだけで日本を飛び出したのだとか。「親には反対されたので、実際に行くと決めたとき面と向かって言えませんでした。なので、書き置きして出て行きました。父子家庭だったから昔から良い子でいなきゃいけなくて、親の前では本心を全く出せなかったんです。ずっと型にはまって生きてきました。」そんなSさんがなぜお父さんの反対を押し切ってまでマレーシアに行きたかったのか。それには深い理由がありました。なぜ単身マレーシアへ?Sさんが初めてマレーシアに行ったのは、卒業旅行のとき。その時、マレーシアに一目惚れしたのだとか。「マレーシアの人にすごく惹かれました。悪い人が多いだろうという固定概念があったんですが、実際は全然違っていました。日本人でもマレーシアの人はけっこう受け入れてくれて、良い人たちばかりだったのです!ビーチに財布を忘れたことがあったんですけど、誰も盗まずビーチボーイが持っていてくれたり、人がとにかく暖かくてアットホームでしたね。」そんなSさん、マレーシアに飛びだった時は長くても3ヶ月間で帰ってくる予定だったのですが、マレーシアに魅了され2年間過ごしたのだとか!ギリギリだけど、充実した毎日そもそも日本人が少ないマレーシアで、仕事を探すのは大変ですよね。でもお金がなければ生きていけない……。そんな状況の中、Sさんはどのような生活を送っていたのでしょうか?「現地の人は、日本語はもちろん英語もしゃべれなかったんですよ。だから私がビーチとかで日本人に声をかけて、オススメの観光スポットやお店を紹介するお手伝いをしていました。」お店を紹介する代わりに宿や食事を提供してもらっていただけなので、毎日ギリギリな生活を送っていたそう。ですがギリギリな生活も楽しく、毎日が充実していたのだとか!そんな生活を続けて2年、Sさんがなぜ日本に帰ってきたのか気になりますよね。このままだと腐ってしまう!帰国の決意とは?楽しい生活を続けて2年、Sさんはあることに気がついたそうです。「日本にいる周りの友達は、仕事や結婚で忙しいのに自分は違う。このままだと腐ってしまうと感じました。」そう感じ帰国したのですが、日本の生活に上手く馴染めなかったのだとか。「日本に帰国して、最初は日本の生活を取り戻すのが大変でした。東京の満員電車や、何かしないと置いていかれるという気持ちがすごく嫌でしたね。しばらくしてからちゃんとした仕事に就き、徐々に日本の生活に慣れていきました。」仕事を何度か変え、さまざまな経験を経て、現在の仕事に就いたのだとか!海外から日本に出戻りしたから分かった大事なこと海外での自由な生活と日本での忙しい生活……両方経験したからこそ気づいたことがあると言います。仕事があるまず一番大きいのは、日本には仕事があるということ。「マレーシアでは学校にすら行けない子も多いので、仕事を見つけるのも大変です。加えて、そもそもマレーシアにはあまり仕事はないので、余計に日本が本当に恵まれているように感じました。」自らマレーシアの文化を肌で実感し、簡単にお金を稼ぐことができない経験をしたからこそ感じるものなのかもしれませんね。便利24時間あいてるコンビニもあり、お金があれば何でも食べることができる日本。「マレーシアに行った2年間は、なんでも美味しいと感じたんですよ。ですが、やはり同じ食材を使った料理を毎日食べていると飽きてくるものですよね……。帰国直前は”もういいなかな〜”と思い始めていました。イタリアンからフレンチと、世界の美味しい料理がと何でも食べれる東京は、本当に便利な国なんだと改めて思いました!」仕事もあり、食もあり、日本は本当に恵まれている国だと改めて実感したSさん。帰国して思ったことは、「日本人で良かった!」ということなんだとか。「日本は本当に恵まれていると気がつきました。それで、もともと日本人な訳ですから、私も恵まれていると思います。」日本がどれくらい住みやすい国なのかに気づいただけではなく、マレーシアに行ったからこそ「今の自分がいる」とのこと。マレーシアは日常的に交渉する文化で、2年の間で交渉する能力が身についたのだとか! 「もともと交渉が好きだったのかもしれないですが、これはマレーシアに行かなかったら気づいていなかったと思います。どうやってお金を儲けるかを考えたり、例えばいまあるお金を使ってどうやって100万の売り上げを出そうか考えるのが好きなんです!」もっと、世界を見るべし!「世界に出て行くと、本当に視野が広がります。いろんな人を受け入れると、寛容になってくると思います。日本人ってやっぱまだどっか肌の色や文化の違い、宗教で一歩引いているところがあるので、海外にいくだけでも絶対に何かが変わります。」ちなみに、Sさんの場合マレーシアから帰国した後、やっとお父さんに対して本心をぶつけられるようになったみたいです。 今の環境がどれくらい恵まれているのか気付いたり、今まで知らなかった自分が見えてきたり、きっと海外に飛び出てみると一人の人生が大きく変わるのかもしれませんね。年やお金を言い訳にしないで!「もう年だから……」や「経済的にきついから……」このようなことを理由に、海外に行く事を躊躇しないでほしいと語るSさん。「行きたい」と気持ちがあれば、いくつになっても行けるしお金も実際どうにかなるとのこと。 Sさんによると、働く事を目的にする必要はないみたいです!例えば国際結婚が目的なら、毎日バーに通って多くの人と出会うことを目的にするのも良いかもしれませんね。海外に少しでも行きたいと感じても行動に移せない理由。きっと私たちを躊躇させるのは、年でもなくお金でもなく、一歩踏み出す「勇気」なんですね……。それでも人生は一度っきり。「行ってみたい」と思ったら、思いきって飛び出し、世界を見てくださいね!
2016年06月22日元イングランド代表サッカー選手デビッド・ベッカムの息子ブルックリンは、交際中のクロエ・グレース・モレッツのためにアメリカへの移住を望んでいるという。現在は故郷イギリスに住んでいるものの、2007年から6年間にわたってロサンゼルスに暮らしていたブルックリンは、クロエのそばにいるためにロサンゼルスの大学へ進学することを検討しているという。ある関係者は「ブルックリンはカリフォルニアに戻ることを真剣に考えていると口にしています。演技と写真を向こうで学ぶと共に、クロエの近くにいたいんです」と話す。しかし、ブルックリンの母でデザイナーとしても活躍中のヴィクトリアは、そのアイデアに懸念を示しているようで、家族のいるイギリスで学んでほしいと考えているようだ。前述の関係者はヒート誌に「ヴィクトリアは心配しています。ブルックリンの愛情がよそへ向いたことは今回が初めてですが、これが成長の過程であり、クロエのせいでないことも分かっています」「ブルックリンをイギリス国内の大学に進学させようと働きかけていますが、ブルックリンは耳を貸しません。もう決めたことだと言っているようです」と続けた。2014年にエクササイズ、ソウルサイクルのクラスで初めて出会ったという2人だが、最近になってその関係を公表。先日クロエは「私たちはくっついたり離れたりしながら2年間くらい付き合っているの。ただ公表しただけよ。私たちはいつも写真を撮ろうとする人たちから逃げていたの。それで『これが私たちの関係に悪影響になってるわ』って思ったのよ」「レストランにも行けないし、映画だって身に行けなかったわ。それで『もっと大っぴらにして鉄のカーテンを取り払って写真を好きなだけ取らせてやれば、みんな気にしないんじゃない』って思うようになったわけ」と話していた。(C)BANG Media International
2016年05月31日今の暮らしを変えたい!心機一転新しい生活をスタートさせようと、海外移住を目指している人もいるのではないでしょうか?環境が大きく変化する外国での生活は、生活を一新させたい人には魅力的な選択のひとつ。とはいえ、いざ移住するとなると二の足を踏んでしまう人は多いと思います。旅行で訪れる外国と実際に済む外国とでは、印象が大きく異なるのは事実。実際にバリ島に移住した私が感じた、海外旅行と移住の違いを紹介します。海外旅行のメリット、デメリット格安航空会社LCCの登場で、さらに身近になった海外旅行。海外旅行暦は10カ国以上なんて人も、珍しくなくなってきましたね。私も会社員の頃は、長期休暇が近づくと日本を飛び出したくてウズウズしていたことを覚えています。そんな、うれしい楽しい海外旅行のメリットとデメリットを考えてみました。メリット:「非現実的な夢の世界を味わえる」海外旅行の最大のメリットは、これに尽きるのではないでしょうか。行きたいところに行き、見たいものを見て、食べたいものを食べ、買いたいものを買う!日本でのつましい節約生活とは180度違う大胆な行動ができるのは、異国という非現実的な環境ゆえ。デメリット:「期間が限定されている」残念ながら、夢の世界はいつかは終わってしまいます。期間が限られているからこそ思い切った行動ができる一方で、日常とのギャップが大きすぎると反動で帰国後に沈んでしまうことも。帰国便の機内で、日曜日のサザエさんを観たときに感じる、少しブルーな心境に陥る人も少なくないのでは?夢が楽しければ楽しいほど、現実の世界に引き戻されたときにむなしく感じてしまうものです。海外移住のメリットデメリット一方、海外に移住する場合はどうでしょう。旅行のメリット、デメリットと比べて、何が違うのでしょうか?メリット「思う存分異国文化を味わえる、語学スキルが上がる」海外旅行に比べて格段に期間の縛りがゆるくなるので、現地の文化を思いっきり堪能することができます。また、語学スキルが上がりやすいことも事実。目的がある人にとっては、その国を深く知ることができる海外移住はメリットが大きいかもしれません。デメリット「日本との違いに戸惑うこともある」ありきたりですが、やはり日本と外国では文化はもちろん常識も生活様式も違います。私がバリ島に移住した当初はインフラ整備が進んでおらず、頻繁に洪水などの不具合が起きることや、人との距離が近いためプライバシーが保ちにくいことなどが気になりました。その他にも、旅行中は新鮮に感じたバリの人たちの言動が、移住後はストレスに感じることも多かったです。結論、こんな人は海外移住しても大丈夫海外旅行と移住のメリットとデメリットがわかったところで、次は海外移住に向いているタイプについてみていきましょう。私の経験をもとに、海外移住に向いている人のポイントを挙げてみます。「変化を楽しめる人」変化といっても、楽しい変化ばかりとは限りません。特に文化が絡むと言動が制限されることもあるので、そんな不自由さも含めて変化を受け入れられるかどうかがポイントになるでしょう。「好き嫌いが少ない人」食べ物だけでなく物や人間関係でも、好き嫌いの少ない人はどこに行ってもストレスを感じにくいと思います。逆に好き嫌いが多いとイライラしたり愚痴ったりすることが増えるので、生活を楽しむことは難しくなります。「環境への順応性が高い人」ここでいう順応性とは「慣れる力」のことです。実は私はバリ島に移住してから環境に慣れて生活が楽しいと感じるまでに、約3年も要しています。はっきり言って、遅いです。環境に慣れるのが早ければ早いほど、充実度が増すことは確かです。「言語の違いに不安を感じにくい人」言葉についての不安が強い人は、言葉だけに頼りやすい傾向があります。むしろ言葉は多少できなくても、オープンに付き合える人の方が友達は出来やすいものです。大義名分よりも心地よさを求めてグローバル化が進んでいる今、移住には大仰な大義名分は必要なくなってきたと感じます。何かを達成するため、自分探しのためなど、外国に行くからには何かしらの成果を挙げようという気負う気持ちもわかります。でもその気負いが重荷になってしまったら、移住生活は楽しめません。外国の環境や文化の違いを純粋に楽しむだけでも、海外に移住した意味はあります。「より心地よく生活するための拠点探し」くらいの気持ちで動く方が、これからの移住には丁度いい感覚なのかもしれませんね。
2016年05月27日都市部在住のあなたは、現在結婚願望はありますか?もし結婚願望があるなら、地方に移住すると都市部にいるよりも結婚が早くなるかもしれませんよ。田舎は自然が豊富で、空気も美味しく人間も優しいイメージが強いもの。そう考えて、密かに地方移住を狙っているゆとり世代をはじめとした若者も多いのではないでしょうか。都会でラグジュアリーな生活を楽しむというよりは、質素で落ち着いた生活を好む人が多い傾向にある世代でもありますので、本当に地方移住はオススメですよね。今回は地方移住メリットのひとつとして、田舎の結婚が早い理由についてご紹介します。■生活が落ち着いているからあくせくした都会の生活と違って、どこかのんびりとした雰囲気がある地方の生活。実際、住まいが田舎と呼ばれる場所ほど、毎日の時間はゆったりと流れていくようです。かたや都会のように娯楽と呼ばれる場所は少なく、正直なところ若い世代にとっては退屈してしまうのも田舎の持つ側面のひとつですよね。でも、この退屈なところが、実は結婚を早めるポイントになっているって知っていましたか?というのも、友達と遊ぶにしても女性同士なら映画を見たり、ご飯を食べたり、買い物をする程度。男性同士でもスポーツをしたり、登山をしたり、釣りをしたりと、することが大抵限られているのだとか。そうした環境下にいると、恋でもしなければ暇を持て余してしまうことが多いようです。趣味、友達との遊びを休日に当てたところで、時間は余ってしまうため、自然と興味が恋愛に向きやすいのかもしれません。恋人ができたら、そのまま長く付き合って結婚、という運びになるカップルが少なくないそうです。これも毎日が穏やかに過ぎていく田舎ならではの力かもしれませんね。■遊んでいる人があまりいないから地方に住んでいて、遊び目的で異性と付き合っている人は少ないようです。都内に比べて遊ぶ場所が少ない、落ち着いた生活が関係しているのかもしれませんね。また、結婚が都市部に比べて早いため、男女ともに結婚を意識する年齢が若い影響もあるかもしれません。狭い田舎なので場所によっては、デートしている光景を職場の人に見られたなんて話も珍しくないのだとか。そうした状況下で遊びが過ぎたり、浮気なんてした挙げ句には、すぐにバレてしまいますよね・・・。派手な付き合いは田舎には不向きなため、異性と落ち着いた関係作りができるのは、田舎の持つべきメリットと言えそうです。■お節介を焼く人がいるから人間関係が希薄になりつつある現代で、田舎は仕事仲間との関係、会社の飲み会、同級生同士の付き合い、地域のイベント・・・と、密な対人関係を持とうとする動きが多く見られるようです。自然と幅広い年齢層の人との関わりが多くなり、「まだ独身なの?誰かいい人紹介してあげようか?」と、あなたがその気であれば話を持ち掛けてくる、ちょっとお節介な人もまだまだ健在のようです。こうした人との繋がりのなかで、結婚相手が見つかることも決して珍しくないかもしれませんね。地方住まいは生活が落ち着いている分、いい人さえ見つかればトントン拍子に結婚の話が進んでいく傾向にあります。結婚と田舎暮らしに憧れているゆとり世代は、こうした地方事情も踏まえておくと、より本格的に地方移住のプランが固まるのではないでしょうか。
2016年05月13日地方出身の人同士だからこそ盛り上がる話題ってありますよね。あなたの気になる男子が地方出身なら、こういう話題をどんどんしていくことが仲良くなる秘訣かもしれません。「田舎もん同士、一緒に頑張ろ・・・・・・」みたいになりますもんね(笑)。そこで今回は、20代男子30人に「一気に親近感が湧いちゃう『東京って、○○だよね』の話題」について聞いてみました。■1.「電車ヤバいよね・・・・・・」「電車の話題は、地方出身同士だとテッパンだよね。『東京の鉄道網に慣れるのに何年かかった(笑)?』みたいなトークは、必ず地方出身同士では盛り上がる」(ウェブ系/24才)これが一番多い意見でしたね。田舎に限らず、大阪とかの地方都市出身でも、東京の電車の面倒臭さには手を焼いた経験があるはず・・・・・・。「渋谷とか新宿とか、いまだに迷子になるもん(笑)!」とか。あと、「電車が数分おきに来るから。時刻表がいらないよね!」とかもね(笑)。■2.「人の顔見ちゃうよね」「人が多すぎて、渋谷とか行くとみんなの顔をキョロキョロ見ちゃうとかも、俺が上京したての頃の悩みだった。最初『東京の人はこんなに人がいっぱいいるのに、どうやって気にせず歩いてるんだろう・・・・・・』ってずっと思ってたなぁ・・・・・・」(大学生/22才)たしかに、東京は人の量が地方と比べて異常ですもんね。世界的にも人口密度がすごすぎる都市ですから、それも仕方がないのですが。上京したての人なら、あるあるなネタだと思います。■3.「ホームシックすごいよね」「絶対に東京に来たばっかりの人は、一度はホームシックに悩まされた経験があるはず」(大学生/21才)ホームシックを一緒に共有し合えば、「さみしい者同士、一緒にご飯食べよっか・・・・・・」みたいな流れにもなりそうですしね。これは使えるかも。さりげなくデートに持ち込んじゃいましょ!■4.「でもだんだん帰省する頻度減るよね(笑)」「ホームシックも最初の数ヶ月くらいだけなんだよね。最初はほぼ毎月帰省してたのが、だんだん年末年始とかお盆とかだけになる」(教員/23才)だんだん東京でちゃんと友達とか出来てくると、「東京もいいな〜」とか思うようになってくるんですよね。「全然帰ってないの? でも最初はけっこう帰省してたでしょ?」みたいに話せば、きっと盛り上がると思いますよ。■5.「東京の女子ってよく見るとあんまりかわいくないよね」「地方出身の男子でありがちなのが、『東京の女ってパッと見かわいいけど、よくよく見ると大したことないよね』ってトーク。これもテッパンです」(アパレル/24才)たしかに地方の子とか、すごい肌とか綺麗ですもんね。素材がいいというか、たしかにそういう人は多い気がします。でもさ、これって女子が言ったらなんか変じゃない(笑)? すごく上から目線というか、「お前何様?」って思われそうだもん・・・・・・。■おわりにどうでしたか? どれも地方出身男子なら「わかるわかる〜!」と超共感してくれるものばっかりだと思います。気になる男子と「地方出身」っていう共通点があったら、まずはこれで盛り上がって親密度を上げておきましょう。(遣水あかり/ライター)(ハウコレ編集部)
2016年04月26日●イベント6回で12000人の集客大型小売店の進出をきっかけに、活力が失われてた地方の商店街。衰退した商店街の姿から生まれたのは"シャッター通り"という言葉だった。活気を取り戻すのは容易ではないが、誰もが知っているボードゲーム「人生ゲーム」が地域活性化の鍵を握るかもしれない。○祭りでは商店街は潤わない人生ゲームは、ルーレットを回し、盤上のマス目に記されたイベントをこなして、ゴールを目指す。家族やお金に恵まれたばら色の人生、そうでない人生もルーレット次第。誰もが知っているあのゲームだ。その現実版がリアル人生ゲームであり、出雲市経済環境部産業振興課の田中寛氏が考案した。商店街に活力を取り戻したいという思いが発案のきっかけになったという。出雲市と言えば出雲大社があり、その参道となる神門通りおもてなし商店街には人の往来があるが、田中氏が気にかけるのは、市内の別の商店街、平田本町商店街のほうだ。平田本町商店街は、出雲大社から車で東に20分ほど向かった先にあり、当然、観光客がくるわけではない。大型店の進出などにより、近年はシャッター通りになりつつあるという。商店街を盛り上げようと、"お祭り"も行われているが、イベントで盛り上がるのは、見世物のステージ、儲かるのは露天商だけ。店主はイベントスタッフとして動員され、店舗は休み、という現実を田中氏は耳にする。どうすれば、かつての賑わいを取り戻せるのか。そこで浮かんだのが人生ゲームだった。「お酒の席で、幼少の頃に遊んでいたゲームは何かと話していて、人生ゲームが話題になったんです。そのマス目の並びが商店街にそっくりだと。それを街めぐりに活用できないかと考えました」(田中氏)。こうして、平田本町商店街を巻き込み、生まれたのが"リアル人生ゲーム"である。初回は2013年7月に開催。初回は地元の人を中心に406人が参加したが、イベントがメディアによって報道されると、その存在が広まり、2015年10月開催時には1925人が集まった。神門通りおもてなし商店街でもイベントが行われ、過去に計6回、延べ12000人を集客した。○リアル人生ゲームで生まれ変わる商店街リアル人生ゲームのルールは、盤面のものとほぼ同じ。参加者には職業カードを引いてもらう。職業が決まると、初任給(仮想通貨)、店舗がマス目になった紙のマップをもらい、ルーレットを回してゲームをスタートさせる。ルーレットで出た目のマス目まで進み、そのマス目には人生ゲーム同様にイベントが発生して仮想通貨のやりとりをする。イベントをこなすと各店舗に設置されたルーレットを回して、商店街を一周、最後は仮想通貨を一番多く獲得した人が勝ちとなる。肝になるのは、参加者が必ず商店街の店舗に立ち止まり、店内を見てもらうということだ。何の変哲もない、店内を見てもらうという行為。これこそが、重要なポイントだ。●人生ゲームの効用とは?○リアル人生ゲームが変えたものいつの日からか、大型店ばかりに足が向き、接客するのは馴染みの客ばかり。見過ごされてきた地元の商店。家電屋とはわかっていても、どんな商品が並ぶのかはわからない。入店すれば、何か買わないと申し訳ない。だったら行かないほうがいい。これが活気を失った商店街に抱く消費者の気持ちだ。リアル人生ゲームはこうした心理的な障壁を乗り越える。強制的に店舗に立ち寄り、中を見る。何も買わなくても、どんな商品が店舗に揃っているのかがわかるようになる。これは大きな進歩だろう。イベントの実施により「イベントをきっかけに、普段使っている化粧品があることを知って、平田本町商店街で買うようになったという人もいる」(田中氏)とのことだ。店側の意識も変わった。イベント当初は、積極的ではなかった店も、回数を重ねることで、陳列する商品にもこだわりを持たせた店舗が出てきたという。イベント終了後もこうした効果の持続が課題となるが、田中氏は「イベント開催の1カ月前から、商店街で一定額の買い物をした場合に、仮想通貨を渡すなど、イベントに有利に働く仕組みも取り入れるなどのアイデアを取り込んでいきたい」と話す。課題は見えつつも、地元民、店舗の双方が前向きになったのは、大きく評価すべきだろう。○双六じゃだめなのかさて、誰もが抱きそうな素朴な疑問についても触れておこう。それは「別のゲームじゃだめなのか」ということだ。たとえば、双六に人生ゲームの要素を入れれば、あまり変わらないように思える。商店街活性化のために、あえて"人生ゲーム"と銘打つ必要はなさそうだ。しかし、田中氏は、人生ゲームの必要性を2つ挙げる。ひとつは、イベントの開催にあたって、ルールの説明が不要なことだ。人生ゲームの認知率は9割に達しており、「イベント開催にあたってルール説明をしたことがない」という。もうひとつは、参加者が地元に限らないことだ。平田本町でのイベントで5%、出雲大社近くの神門通りおもてなし商店街で10%が遠方からの参加者。北海道、佐賀から参加する人もいるという。いずれも、リアル人生ゲームを出雲観光とセットで考えれば、「地域活性化」という意味合いからも、効果ありと見てよさそうだ。実際、リアル人生ゲームは、地域活性化の事例として、多くの商工会議所が注目しており、田中氏には、講演依頼が多数寄せられているという。●リアルの効果はさらに拡大?○リアルで期待される人生ゲームの広がりこの話、面白いのは、さらなる広がりを見せたことだ。田中氏の取り組みが出雲市長の長岡秀人氏の目にとまり、出雲市は自治体PRのためにタカラトミー、ツヴァイと連携、「縁結びポケット人生ゲーム」という名称で実際に商品化してしまったのだ。ゲームはパワースポットなどの観光地を巡り、出雲そば、ぜんざいなどの特産品に触れ、出雲男子との出会いにより結婚、出産・子育てをしていくストーリーとなる。縁結びの神様を祭る出雲大社があり、ターゲットとなるのは独身女性。人生ゲームで出雲市を知ってもらいたい考えだ。長岡市長は「出雲大社の大遷宮をきっかけに、出雲に1000万人の方にお越しいただいております。訪れる8割の方が独身の女性。行ってみたい街、住んでみたい街、出雲を目指したい」と話す。人生ゲームの提供元、タカラトミーでは、出雲市のほかにも、コラボレーションを予定している。提携するのは、愛知県犬山市の「博物館 明治村」。そこで「明治村版リアル人生ゲーム(仮称)」が今秋、開催される予定だ。明治村ではチーム対抗方式のゲームとなる。村内を盤面に見立て、村内の建造物を巡り、与えられたミッションをクリアしながら、仮想通貨の獲得を目指していく。家族や友人とコミュニケーションを図りつつ、ゲームを通じて明治村を巡ることで、明治時代の雰囲気を味わい、楽しみながら学べるという。実際の建物を目の当たりにし、イベントを通じて明治時代を味わえるのであれば、教科書を読むよりも、覚えやすく、頭に入ってくるだろう。明治村でのイベントがどのようなものになるのかはまだわからないが、リアル人生ゲームは、出雲市のように"地域活性化"という側面だけではなく、"学習"のあり方も大きく変えうる可能性も秘めているように感じられる。「リアル」×「人生ゲーム」。そのコラボレーションはまだまだ広がり、大きな効果が期待できそうだ。
2016年04月07日