場面緘黙(選択性緘黙)とは?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホン場面緘黙の原因は?場面緘黙(選択性緘黙)とは、発声器官の障害がなく言語能力がある人が、ある特定の場面や状況で話すことができなくなってしまう精神疾患です。たとえば、家庭の中や家族とは元気よく話せるにもかかわらず、幼稚園や学校では無口になり話すことができなくなってしまう場合があります。これは、言葉の遅れや発声障害によるものではなく、発話に関する不安によるものではないかと考えられています。緘黙の種類緘黙には、場面緘黙(選択性緘黙)と全緘黙の2つの種類があります。場面緘黙とは、言語能力があるにもかかわらず、話すことを期待されている特定の場面で話せなくなる状態のことであり、全緘黙とは、すべての生活場面で話せなくなる状態のことをいいます。医学的な診断基準とされるDSM‐5では「選択性緘黙」と表記されていますが、日本では一般的に「場面緘黙」という名称が用いられています。場面緘黙は、話したくても話すことができない状態を指しますが、"選択"という言葉が、能動的に本人が場面や状況を選んで黙っているような印象を与えやすいため、誤解を避けるために「場面緘黙」と呼称する人が多いようです。(※)このコラムにおいては、「場面緘黙」という名称を用いて、症状や対策等を詳しく説明していきます。(※)「選択性緘黙」という名称が、誤解を招いているケースがあることから、2018年、日本場面緘黙関連団体連合は、DSM-5とICD-11の和訳を『場面緘黙』に改定することを求める要望書を関連学会に提出しました。そのため、今後は医学的な診断においても「場面緘黙」という名称が用いられる可能性があります。場面緘黙の症状場面緘黙の主な症状は、ある特定の話すことを求められる社交場面や状況で話すことができなくなることです。場面緘黙のある子どもは、家庭などのリラックスできる場面では活発に話すことができるものの、学校やそのほかの公共の場では話すことができなくなってしまうことが多いです。また、家族などの親しい人とも、あまり話すことができない場合があります。話さない代わりに、擬声音を出したり、指をさしたり、筆談したりすることもあります。子どもの年齢が低い場合、反動で癇癪を起こすこともあります。場面緘黙の診断診断基準には、大きく分けて、2014年に出版されたアメリカ精神医学会の『DSM-5』(『精神疾患の診断・統計のマニュアル』第5版)と世界保健機関(WHO)の『ICD-10』(『国際疾病分類』第10版)(※)の二つがあります。ICD-10では、場面緘黙は、小児期の情緒障害に含まれています。一方、DSM-5 では、場面緘黙は、不安障害の一種とされており、不安や恐怖心が一因になっているのではないかという見方を示しています。今回はDSM-5の診断基準をご紹介します。※ICD-10について:2019年5月、世界保健機関(WHO)の総会で、国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)が承認されました。日本国内ではこれから、日本語訳や審議、周知などを経て数年以内に施行される見込みです。参考:ICD-11 | 世界保健機関(WHO)DSM-5では以下のような症状が少なくとも一ヶ月続いている場合を「場面緘黙(選択性緘黙)」と定義しています。・場面緘黙(選択性緘黙)チェックリスト①ある特定の社会的状況、場面において話すことができない。(それ以外の場面では話すことができる)②症状のために、「学業、職業上の成績が適正に評価されない」「対人コミュニケーションが円滑に行えない」などの困難が生じている。③場面に応じた知識があり、会話の楽しさを知っているが、話すことはできない。④コミュニケーション症(例:小児期発症流暢症)によるものではない。また、自閉スペクトラム症、統合失調症またはその他の精神疾患が併存しない場合もある。参考:『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』場面緘黙は、およそ2歳から4歳で発症することが多いですが、小学生になり話す機会の増える学校へ行き始める時期まで、症状が顕在化しない場合が多くみられます。中学生や高校生以降、青年期、成人でもまれに場面緘黙を発症する場合があります。場面緘黙に悩んだときには抱え込まずに相談を場面緘黙の発症時期である2~4歳はまだ他人と話す機会も少なく、症状が見落とされがちなことが多いです。その後小学生になり学校に通い始めても「性格の問題」として片づけられてしまう場合もあります。しかし、場面緘黙は本人が「話したくても話せない」状態です。初期に気づくことで、適切なサポートにつなげることもできます。保護者や周りの人が症状に気づいたら、抱え込まずに専門家や専門機関へ相談することが重要です。
2022年11月20日小学校の就学時健康診断で…ゆいの小学校の就学時健康診断では、高学年の生徒たちがアテンドをしてくれました。年長の子どもたちは保護者から離れ、お兄さん・お姉さんに手を引いてもらって各教室を回り、さまざまな検査を受けます。ゆいも初対面のお姉さんと手をつないで待合室を出発しました。私は待合室でゆいの帰りを待っていたのですが、しばらくすると先生から声をかけられました。「お子さんが泣いてしまい、先に進めなくなっている」と言われ、私はゆいを迎えに行きました。Upload By 吉田いらこゆいは聴覚検査の会場になっている教室の前でしくしくと泣いていました。隣には困った顔をしたアテンド役のお姉さん。きっと初めての場所で、初めての人に連れられて行くことに大変なストレスがかかっていたのでしょう。いくつかの検査には何とか耐えていたようですが、最後の聴覚検査を受ける前に限界が来たようです。私が付き添って検査を受けさせようとしましたが、学校の先生に「無理をさせるのはかわいそうなので、特に聴こえ方に気になるところがなければもう検査は受けなくてもいいですよ」と言われました。そのお言葉に甘えて、ゆいには聴覚検査を受けさせずに就学時健康診断を終了しました。Upload By 吉田いらこそのときの私は、この子は人見知りが強い子だなとしか思っていませんでしたし、まだ幼いから仕方ないと特に気にしていませんでした。今思えば、先の見通しが立たないと不安を強く感じるというASDの特性があったのだと分かります。前もって写真を見せながら本人に流れを説明するか、事情を説明して私がついていけば、少しは違った結果になったのかもしれません。Upload By 吉田いらこ小学校入学後の娘の様子は…入学後も、ゆいは新しい環境に慣れるのに長い時間がかかりました。私は「早く周りの子どもたちのように、学校に慣れて楽しく登校してほしい」と、励ましや対応をしていました。そして、ときにはみんなと同じようにできないゆいにイライラし『可愛い子には旅をさせよ』という言葉を曲解して、ゆいに一人で行動させるようにもしました。でも、こういうやり方は、ゆいには効果がなく、結局長い時間をかけて慣れていくことしかできませんでした。今までの保育園生活から一気に環境が変わり、とても疲れていたゆいを、私はさらに追い込んでいたと思います。Upload By 吉田いらこ娘が安心して学校生活を送るためにもう少し早く発達障害があることに気づいていたら、学校の先生と相談してゆいに合った環境づくりをしていただけたのかもしれません。保護者が感じるカンというものは大切にしなければと感じました。現在のゆいはさまざまな支援をしてもらい、学校に楽しく通っていますが、ここに来るまでに、つらい思いをさせてしまいました。今後このような思いをさせないためにも、娘の特性をより理解し、早めに判断できるようにしていきたいと思います。執筆/吉田いらこ(監修:初川先生より)就学時健康診断、学校生活開始時に、新しい環境に慣れなかったエピソードのシェアをありがとうございます。就学時健康診断はお子さんにとってまさにイレギュラーな単発イベントです。聴覚検査は見慣れない機械を使うので、びっくりした面もあるかもしれませんね。確かに就学時健康診断のために入念な準備をして、本人が戸惑うことなくできることも、お子さん本人の負荷を減らすという点ではよいことですが、その場合、どれほど入念な準備をしたのかを学校に細やかにお伝えいただきたいと思います。学校の先生方からしても、多くのお子さんにとって新奇場面である就学時健康診断での様子を見ながら、次年度の新入生たちが新しい環境にどのように反応するかを見ている面があります。学校からすると、毎年就学時健康診断をしているので、健診を受ける子どもたちがだいたいどのような様子を呈するかは経験的に知っており、その経験則と照らし合わせつつ、お子さんをアセスメントしているとも言えます。そのような就学時健康診断の場で準備の末に適応的に過ごすことは、つまずきやすい状況という情報を共有しづらくなる面もあります(ただ、繰り返しますが、お子さんの状態や負荷のかかり具合によっては、準備をして臨んだ方がいい場合もあるかもしれません)。また、昨今のコロナ禍で、就学時健康診断のやり方が変わっているところもあると思います。コロナ禍以前は、いらこさんの記述にもあったように、高学年のお兄さんお姉さんがアテンドしてくれましたが、コロナ禍によって親子で回る場合も多いのではと思います。新しい環境に慣れるために、場数をふませる、励ますというのは、保護者の方がよく最初に取られる対応です。それ自体が悪いわけではありません。そうした対応をしてみたけれど、お子さんがつらそうである、なかなか環境に慣れないなどの気づきがあった際に、学校の先生などにご相談され、これまでとは違う対応(そしてそのベースとなる見立ての共有)を取られたらよいと思います。うまくいったことは継続し、うまくいかなかった場合は対応を変える。それが全ての大原則だと思います。
2022年11月07日進級後初めての面談3年生に進級した1学期に、担任の先生との初めての面談がありました。2年生のときの担任の先生には、次女に場面緘黙の診断がついたことなどについてお話していましたが、新しい担任の先生は、場面緘黙については全く知りませんでした。なので、まずは場面緘黙について説明することにしました。Upload By まりまり私が次女の場面緘黙の症状についてお伝えしたとき、先生から以下のようなお話がありました。体育の授業の中でちょうど面談のあった日に体育の授業があり、マット運動をやったそうです。次女がなかなか取り組めずにいたらしいのですが、先生自身、次女の気持ちが分からず、どう声を掛けたら良いか迷ったとのことでした。Upload By まりまりあとで私が次女にこのときの次女自身の気持ちについて聞いたところ、「マット運動自体が嫌でやりたくない訳ではなくて、頑張って練習してできるようになりたい」という気持ちがあったそうです。でも、先生から見たときに、ほとんど話さず、表情の変化も乏しく、積極的に取り組むわけでもないので、次女がどう考えているか分からず、対応に困ってしまったのだそうです。次女がどう思っているか、先生も分からなかったここで初めて、「先生も次女の気持ちが分からなくて困っている」ということが分かりました。親として、次女自身の困り感には注意をしていましたが、同時に先生も次女が何を考えているか分からず、どう対応して良いか難しいと思っているんだということが見えてきました。学校生活の中では、場面緘黙の症状が前面に出てしまって、本来の次女自身を知る機会は少ないのかも…。Upload By まりまりでもこのとき先生が、次女自身について「理解したい」と思っていることが分かって、うれしい気持ちになりました。短い日記の交換Upload By まりまり次女の学年では、3・4年生の期間、全員が連絡ノートに日記を書くということを実施していました。ほんの数行に何でも書いて良くて、さらに書いても書かなくても良い、という緩いものでした。…が、次女は「何でも書いていい」と言われると、逆に何にも書けなくなってしまうので、最初は「学校であった楽しかった・うれしかったこと」にお題を設定して書き始めました。先生が次女自身の考えや気持ちを分かるようになったすると、日記を続けていく中で、Upload By まりまりと先生からお話がありました。日記の中身は「これがうれしかった」「これが大変だった」というような簡単なものでしたが、次女は日ごろから言葉だけでなく、感情が表情や行動にも出ない…というよりも出せないので、それだけでもコミュニケーションの手段としてとても役に立ってくれていたように思います。このやり取りから、先生が次女の「楽しい!」「やってみたい!」や「難しい」「嫌だ」という感情を拾って、クラスでの支援を工夫してくれていたように思い、親としてとてもうれしく、心強く感じたのでした。執筆/まりまり(監修:井上先生より)言葉ではなく、短い文章を書くという方法で先生とコミュニケーションが取れるようになったことは、とても良かったと思います。子どもさん自身が不安に思ったことやうれしかったことを先生が知ること、お子さんが先生の気持ちを知ることで、さりげない支援ややり取りが可能になると思いました。今の娘さんが当時を思い出してどんな感想を持つのか、ぜひ聞いてみてください。
2022年10月31日小5で障害の診断。「どうしてそんなに発覚が遅かったの?」という言葉が心に刺さり…わが子に軽度知的障害、ASD、場面緘黙などがあり、その診断を受けたのが小学5年生だと他人に伝えるとよく言われるのが「どうしてそんなに発覚が遅かったの?」という言葉です。親戚にも、見学に行った中学校の先生にも言われました。その人は純粋な疑問で聞いているのかもしれないのですが、私の心にはチクリと刺さります。子どもがこの年齢になるまで障害に気づかないなんて保護者失格じゃないかと言われている気持ちになるのです。でも実際のところ、小学4年生のころに担任の先生から勧められるまでわが子に発達検査が必要だと感じたことがなかったのです。ゆいが人と話すことが苦手なのも、勉強が苦手なのも個性の範囲だと本気で思っていました。この特性は家庭で過ごしている分には問題を感じないので、私の交友関係が狭く、同い年の子どもたちと比べる機会が少なかったのも影響があるかもしれません。Upload By 吉田いらここのようにとてつもなくずぼらな私ですが、ゆいが生まれたころは育児雑誌をよく読み発達のことを気にしていました。やはり第一子ということで少し神経質になっていたと思います。ですが、当時ゆいには特に心配になる遅れはありませんでした。母子手帳の年齢別ページの「できること」を確認しても、特に引っかかる項目はなく安心していました。このように最初は私なりに気を配っていましたが、ゆいが3歳くらいになると気が緩んで「健康ならそれでいいか」と思うようになっていました。発達に関して全く気を配ることをしなくなっていったのです。そのころから感じ始めたゆいの人見知りの強さも「恥ずかしがり屋さんなのね」といった程度にしか感じていませんでした。ここでピンときていたら、療育につなげることができて何か変わっていたのかもしれません。Upload By 吉田いらこ勉強の遅れが目立ち始めるゆいは小学2年生の終わりころからテストの点が取れず、勉強が苦手な子なのだなと感じるようになりました。もしかしたらこのタイミングで子どもに何かあるのかもしれないと気づく方も多いのかもしれません。けれども私はお勉強系の習い事をさせたり励ましたりするだけで、ゆいを発達検査に連れて行こうとは思いつきませんでした。ある人に言われた「小学校低学年の子がテストで80点以下を取ることはめったにない。そこでなぜ知的発達に何かあると気づかないの」という言葉は、今でもナイフのように私の胸に刺さって抜けません(もちろん80点以下を取っていたとしても障害のない子どももいると思います)。Upload By 吉田いらここれからのことこのように私が子どもの発達の遅れに気がつくのが遅れたことで、幼いころに療育につなげることができず、結果ゆいにはつらい思いをさせてしまいました。勉強はどんどん難易度が上がっていき、通常のクラスで勉強していくことはとても気疲れしたと思います。反省点はたくさんありますが、過去に戻ることはできないので、これからは先のことを考えていきたいと思います。少しでもゆいが快適に生きていけるように、周りの人の手を借り相談しながら進んでいこうと思います。執筆/吉田いらこ(監修:初川先生より)いらこさんご自身の、ゆいちゃんの発達の遅れに気づくことが遅くなってしまった経緯と思いをシェアいただきありがとうございます。周りを巻き込むような行動面の大きな課題(例えば、授業中どこかへ行ってしまう、トラブルになりやすくお友達に手が出てしまうなど)がなく、学校や日常生活の枠組みに入り、それなりに過ごせていて、学習面やコミュニケーションで苦手さやおとなしさがあるという場合、たしかに発達の遅れに気づきにくい面はあります。おとなしく、そして静かに困っているお子さんはなかなかそのつまずきが見えにくいです。周りの大人が「どうしてもっと早く気づかなかったの?」と素朴な疑問を何の気なしに口にされると、「(今となっては)もっと早く気づいてあげたかった」と思っているいらこさんにとっては刺さりますね…。小学校低学年の学習の単元確認テスト(いわゆるカラーテスト)は、たしかに満点や高得点を取るお子さんがかなりの数います。なので、そこで点数がふるわない場合、「おや…?」と思うきっかけになる面はあります(とはいえ、学習のつまずき、テスト場面での集中が難しかった、興味関心のムラが大きいなどさまざまな可能性が考えられるので、あくまでも、「何らかのつまずきがあるかも、そのあたりよく見ていくと良さそうだ」というサインだと捉えるとよさそうです)。お子さんの学習に対して、その到達度や定着をどのくらい求めるかは、保護者の方によってさまざまであると相談場面を通して感じるところです。学習が苦手なのは個性の範疇だと捉える方もいらっしゃれば、少し間違えるだけでもお子さんに厳しく指導されたり、とても心配されたりする方もいらっしゃいます。一般的に、学習の遅れを見つけたらかなりの量の勉強をさせたり、厳しい声掛けをされたりすることが多く、厳しく教えたら誰でも勉強ができるようになるわけではないですが、結果的にお子さんになかなかの負荷がかかってしまうことが懸念されます。まずはお子さんの知的発達の特性を知って(検査に限らず、どういうときにどう間違えやすいかについて情報を集めて傾向を見ることから始めましょう)、お子さんに合う学習方略を検討できると望ましいですね。いらこさんの大らかな眼差しによって、おそらくゆいちゃんは救われてきた面もあると思います。ただ、いらこさんも感じているように、ゆいちゃんは静かに困っている場面があり、そこに早く手立てを取ることができなかった面もあるのかもしれません。子育ては、自分とは別の人(子ども)をどう健やかに育てるかという課題で、どれだけ考えても理解が及ばない(気づくことができない)領域はあります。そういう意味で、お子さんへのまなざしを固定することなく、学校の先生などお子さんに関わる方に、その方から見るとお子さんがどう見えているかについて聞いてみる(多角的にお子さんを見る)、そして、お子さん自身に折々に困ったことがあるかを聞いてみることは、自分が気づけていない視点に気づくための方法として持っておくとよいかもしれません。いらこさんは「もっと早く私が気づいていたら」と後悔される気持ちも強いようですが、これまでのゆいちゃんの育ちにはうまくいっているところ、ちょっとつらいところどちらもあるはずです。誰しも満点の子育てはできるものではありません。「いつ気づくか」よりも「気づいてからどう理解してどう手立てを取るか」のほうがよほど大事です。ゆいちゃん本人の思い、先生方の視点、家庭での様子やこれまでの育ちを誰よりも知っている保護者ご自身の視点を活かしながら、ゆいちゃんの充実した学校生活のためにできることをしていきましょう。
2022年10月18日診断が出てから、3年生への進級このときはちょうどコロナ禍で、私たちの住んでいる地域では3~5月まで緊急事態宣言で学校もお休み。長女はこの期間、ストレスによると思われる蕁麻疹が出たりして通院していました。ただ、次女に限っては、この3ヶ月のお休みが良い影響を与えたようで、傍から見ていて、少し不安が減ったようで元気に過ごせていました。学校が始まって「ちゃんと学校に行けるのか…?」と心配していましたが、問題なく学校に行くことができました。3年生初めての保護者会で見たクラスの様子例年より遅くに開催された保護者会。そこで、先生がクラスの様子を映した動画を見せてくれました。コロナ禍で外出もできず、この年は雨も多かったので、休み時間に音楽を流して、ダンスタイムを設けて体を動かしてもらっているとのこと。やりたい子だけ参加してもらっているとのお話でした。このとき、まず思ったのが、次女がこの時間をどうやって過ごしているかということでした。Upload By まりまり教室から場所を移すことも、人よりハードルが高い次女…。カーテンの後ろにいたその動画で教室全体を映してくれていたのですが、よくよく観察していると、見たことのある服の子がカーテンの後ろに…。Upload By まりまり次女でした。一人でカーテンの後ろに隠れていました。正直、教室で一人でいる次女を見るのは、親としてつらいものがありました。分かっているものの、「あ~みんなの中にいてくれたらな~」などと思ってしまうのでした。なんでカーテンの後ろにいたか家に帰ってから、次女と動画について話してみました。次女からは「ダンス嫌だから、見えないようにカーテンの後ろに隠れてたの」とのこと。最初は一人の次女を見るのはつらい気持ちだったので、参加できない次女に対して、ついつい「みんなやってるんだから…」とか「見てるくらいできるでしょ」とか言いたくなってしまう母。でも、落ち着いて考えてみると、次女は「それでも何とか教室にいることができている」状態でした。苦手な状況に、「カーテンの後ろに隠れる」ことで、自分で対処しようとしている…?Upload By まりまりきっとこんな感じで、カーテンの後ろに隠れることを否定したら、それこそ教室に居場所がなくなってしまうのではないかと気づいたのでした。そこが次女の安心できる場所だったなので、なんとか工夫して教室にいる次女の行動を褒めてみることにしました。Upload By まりまりUpload By まりまりするとこんな答えが返ってきました。次女は、このときだけでなく、休み時間に教室が騒がしいときなどは、カーテンの後ろにいることが多いとのことでした。カーテンの後ろにいて、いろいろなことを想像していると怖くないんだと。Upload By まりまりカーテンの後ろは次女にとって大事な居場所で、必要な場所だったということが分かったのでした。むしろ、その対策を自分で考え出していて偉かったなと…。ついつい、「みんなと同じに…」とか思ってしまうこともある母。でも、次女と話したことで、このとき、自分の焦りから、教室で次女が安心していられる場所を奪うことにならなくて良かった…と思ったのでした。執筆/まりまり(監修:初川先生より)次女さんの工夫を「工夫」として受け止めることができたというエピソードをありがとうございます。みんなが踊って楽しんでいる中で、一人隠れて外を見ているわが子を見たら、親としてうろたえる思いがするのはある意味自然なことです。せっかく学校に行っているんだし、みんなと楽しく過ごしてほしいという思い、保護者会でその映像をほかの保護者も見ていて、わが子が一人でいるところを見られるのがちょっと恥ずかしく思う気持ちなどもあってもおかしくないと思います。帰宅後にその話をするにあたって、まりまりさんは自分の気持ち(焦り、不安、ちょっとした怒りなど)をちょっと横に置くことができ、次女さんの気持ちに思いを馳せたうえで、言葉をかけることができたのですね。子どもの行動には子どもなりの理由があり、それは往々にして、子どもなりにその環境に適応しようとした工夫の結果であることが多いです。逃げようとしている、さぼろうとしているということは、大人が想像するよりもずっと少ない印象があります。大人が自分の気持ちをちょっと横に置いておくことも、慣れるまでは覚悟と少しの忍耐が必要なこともありますが、しかし、こうして一度、(自分の思いを横に置くことで)お子さんなりの努力・工夫に出合えたといった経験などをすると、お子さんの思いをまずは「聞いてみる」ことがやりやすくなりますね。次女さんなりに、苦手な教室場面や、休み時間というフリーな状況への苦手さなどがある中で、自分の居場所を教室の中に作り出そうとしている姿を、まりまりさんの話の振り方によって知ることができ、よかったですね。
2022年09月30日長女ゆいの進学先、どうする?以前から中学校は地元の公立中学に行こうかなと考えていました。理由はまず近いこと、次に小学校のメンバーの多くが進学するため環境の変化で受けるつらさが少しは軽減されること、そして支援が手厚いということを小学校の先生に聞いていたからです。そして小学6年生の1学期、小学校の特別支援学級に在籍している児童に対して、個別で中学校の特別支援学級の説明会が開催されました。夫にも娘の通う学校のことや特別支援学級のことを見てほしかったので夫婦で参加しました。Upload By 吉田いらこ夫婦で中学の特別支援学学級の説明会へ参加してゆいの通う予定の中学校の自閉症・情緒障害特別支援学級は、小学校のときと同じで、基本は通常クラスにいて、授業を受け、苦手な科目のみ特別支援学級で指導を受けるという体制でした。中学選びで私が一つ不安に思っていたことが、特別支援学級に在籍すると内申点がつかないのではないかということでした。もしそうなると、就学先の選択肢が狭まるのではないかと不安だったのです。しかし、この中学校では自閉症・情緒障害特別支援学級在籍の子どもにも内申点がつくという説明を聞いて安心しました。夫もふんふんと説明を聞き納得しているように感じました。※地域や学校によって特別支援学級の体制や内申点の詳細は違います。Upload By 吉田いらこ説明会の最後に、中学校の特別支援学級に入るにあたって入級申請書というものにサインをすることになりました。担当の先生は「まあ形だけみたいなものですけどね。ご希望であればいつでも退級、再入級ができますよ」と笑顔で書類を私たちの前に差し出されました。夫も「分かりました」とその場では何も問題なくサインをしましたが…。Upload By 吉田いらこ不満そうな夫の言った言葉とは説明会の帰り、夫はずっと不満げでした。「説明を一通り聞いたけどさあ、うちの子に特別支援学級なんて必要なくない?あの子は普通だよ。別に特別な支援なんて必要ないんじゃないかな?」と言っていました。この夫の一言で、私は「分かってないな…」と思ってしまいました。ゆいが小学校中学年あたりから勉強についていくのが難しくなって悩んでいた時期、ちょうど夫は3年間の単身赴任中だったのです。Upload By 吉田いらこ発達検査を受けたときも、学校での毎日がしんどくなって児童精神科に通院したときも、小学校の先生と支援について何度も打ち合わせをしたときも、私一人だったなとぼんやり感じました。夫に連絡はしていたけど、仕事が忙しい上に一緒に暮らしていないので当事者意識は低かったのかもしれません。たまに単身赴任先から帰ってきたときも、自宅で過ごしたり一緒に遊んだりする分には、場面緘黙や障害の特性など実感することはなかったと思います。ゆいの生きづらさは外の社会の中で他人と接するからこそ生まれるものなのです。Upload By 吉田いらここれから夫婦で考えていきたいこと単身赴任が終わった夫には、仕事が大変なのも十分承知していますが、これからしっかり子どものことにも関わってもらおうと思いました。正直なことを言うと、私一人で全てやるのは精神的にもういっぱいなのです。中学校の特別支援学級の説明会も私一人で行っても良かったのですが、夫に仕事を休んでもらって一緒に行ったのはこのためです。説明を聞き、書類に夫自身がサインをしたことで少しは意識を向けてくれたかもしれません。私はゆいのことに関しては不安ばかりなのですが、夫はおおらかなところがあるので今後夫婦でお互いに補い合って子どものことを考えていけたらうれしいなと期待しています。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)就学先の決定に際して、学校見学や説明会にご夫婦で出かけられたのはとても良かったと思います。実際の授業を見たり、担任の先生に質問をしたり何よりも生の学校の様子に触れられることで就学のイメージが得られやすくなると思います。地域によっては実際に子どもさんに体験してもらう機会を作っているところもありますが、お子さんの意見なども参考になると思います。お父さんの理解がお母さんとずれることはあるかもしれませんが、実際に見学に行ったり先生たちと話をして頂くことで少しずつ変わっていけばよいかと思います。中学の特別支援学級では、通常学級で受ける授業の割合や内申点に関しては地域や学校ごとに事情が異なる場合がありますので、おのおのの就学先の学校で詳しく聞いてみられると良いと思います。
2022年09月19日診断が出るまでの状況わが家の場合は、次女は学校でいくつか困っていることがありましたが、それが表面化することは少なく、担任の先生に理解を得ることが難しかったです。例えば、「じっとしていられない」「勉強に明らかな遅れがある」などであれば、先生からしても分かりやすいと思います。ただ、次女のような場面緘黙のある子の場合は、困っていることがあっても先生などには言えないため、分かりにくいです。(私自身も場面緘黙の本を読んで「こんなことに困っているのか」と学ぶこともありました…)本当は、本人が通常の日常生活を送るのに多大な努力を必要としているものの、なんとか過ごせてしまっているために「特に問題ありません」「見守りましょう」という感じになってしまうのかなと思っていました。Upload By まりまり診断が出て良かったか最初に児童精神科にかかったときに、学校での現状を先生に話しました。そのときに「今の学校って診断が無いと何も支援してくれないんですか?」と言われて、次女がこれまでに通ってきた2つの学校での対応の違いを思い出しました。Upload By まりまり次女は、小学2年生になるときに引っ越しと転校をしています。小学1年生のときの学校では、まだ診断はなかったのですが、「場面緘黙の疑い」ということで、担任の先生やスクールカウンセラーからの対応がありました。ただ、転校してからの学校では、次女自身の緘黙症状は同じ状況でしたが、「特に問題ありません」「見守りましょう」と学校での対応はありませんでした。なので、このとき診断が出たことで、やっと今の学校と、次女のことについて話し合えるスタートラインに立てたように感じました。Upload By まりまりわが家の場合は、今まで学校で次女のことを話した際に、場面緘黙については知らない先生が多かったので、疾患名から、分かりにくい困り感や次女の気持ちを分かってもらいやすくなったという点で、診断があったことが助けになりました。カウンセリングを続けて良かったか?Upload By まりまり診断が出てから、病院の臨床心理士さんによるカウンセリングも続けてきました。最初のころの次女は、カウンセリング室に入る、ということですらハードルが高かったようでした。カウンセリング室に入った瞬間に、サッと表情がなくなって、動きがぎこちなくなり、全く話さなくなってしまう次女を見るのはつらかったです。ただ、回数を重ねていくことで、カウンセリング室でも少しリラックスしていられるようになってきました。ジェスチャーで意思をはっきり伝えられるようになり、筆談もわりとスムーズにできるようになり(最初は字も小さくしか書けなかった)、相変わらず話せなくても、心理士さんとは以前より円滑にコミュニケーションがとれるようになりました。次女に、カウンセリングに行っていることに対してどうだったか聞いてみたところ、Upload By まりまりとのことでした。最初は嫌だったらしいですが、慣れてきてリラックスしていられるようになったという変化の実感はあるようでした!親として近くで見ていて、場面緘黙への配慮って必要なんだなーと思うと同時に、本人の力を伸ばす場や機会が欲しいよなーとも思っています。そういう意味で、次女にとっては、カウンセリングの場が良い挑戦の場になったのかなと思います。執筆/まりまり(監修:井上先生より)まりまりさんの体験にあるように、診断がなくても対応してくれる学校とそうでない学校があります。合理的配慮などの個別的な配慮が必要な場合には、診断とまではいかなくても、医師や専門機関の意見書などが有効な場合もあります。病院の臨床心理士によるカウンセリングは、場面緘黙のある子どもにとって最初はハードルが高かったかもしれません。場合によっては遊びや作業を取り入れたり、親御さんを同席したりすることが必要な場合もありますが、よく頑張られたと思います。学校の中で少しずつコミュニケーションできる大人や場面を増やしていくファーストステップになるのではないでしょうか。
2022年08月29日私がスクールカウンセリングを受けるようになったきっかけスクールカウンセリングを受けるきっかけになったのは、担任の先生に勧められたからでした。ゆいが小5のときに特別支援学級に移るにあたって学校の先生方と打ち合わせをする中で、何かの助けになるかもと紹介されたのです。それから月に一度、外部から来られるスクールカウンセラーの先生とお話しすることになりました。長女に障害があると分かった小5の時期は夫が単身赴任中だったので、すべてのやり取りを私独りでやりました。正直なことを言うと「私が頑張らないと」と変に気を張っていたため、反動で疲れてしまうこともありました。そんなとき、カウンセラーの先生に長女の発達の話以外にもちょっと愚痴を吐いたりして、私の癒しにもなってくれていました。Upload By 吉田いらこあるとき、スクールカウンセラーの先生に娘の将来の不安を語ったら…あるとき、スクールカウンセラーの先生に将来の不安を語ったことがありました。小学校卒業後は地元の公立中学へ進学し、そこの特別支援学級にお世話になることは決めていましたが、そのあとの進路について悩んでいました。もちろん本人の意向が第一なのですが、長女の場合は進路選びにも大人のサポートが必要だと思ったのです。でもありがたいことに、住んでいる地域には障害のある子どもが通うことのできる学校の種類がとても多く、かえって迷う結果になっていました。特別支援学校、単位制の学校、通信制の学校、定時制の学校、その他独自のコースを持つ私立高校も入れると選択肢はあまりにも膨大です。学校選びはどうしたらいいのだろうと混乱していました。さらにその先の就職も不安でいっぱいでした。障害があると分かるまでは子育てのゴールを「子どもの自立」と定めていましたが、わが子は将来食べていけるのか?独り暮らしできるほどのお金を安定して稼ぐことができるのか?(これは障害の有無は関係なく難しい問題かもしれませんが…)考えない日はありませんでした。Upload By 吉田いらこそんな漠然とした不安を先生にまくしたてた私。それを聞いた先生には笑われてしまいました。そして先生はこう仰ったのです。「そんなに将来が不安ですか?将来も大切ですが、その前に中学校生活をどう考えているのですか?」私は一瞬固まってしまいました。先生は続けてこう仰いました。「中学校は小学校とは全然違いますよ。勉強は今までとは比べ物にならないくらい難しくなります。それに人間関係も同じです。女の子は特に人間関係が複雑になっていきますよ。障害のあるなしに関わらず、悩みを抱えて学校に通わない選択を選ぶことは大いに考えられます。小学校でも行き渋りが見られましたし、中学に入って不登校を選んだ場合、その後の進路は大きく変わっていきます。高校進学や就職のことを心配するより、今は中学校に3年間ゆいちゃんが楽しく通えるかどうかを気にかけたほうがいいと思いますよ」先生の話を聞いて私は放心状態になってしまいました。正直なところ、私は義務教育後の進路の心配しかしていなかったのです。そこまではクリアできると何の疑問もなく考えていたことに初めて気づきました。中学時代での過ごし方次第で、進学も就職もしないという可能性もあったのに。心配事は何年も先のことではなく、目の前にありました。なんだか現実をちゃんと把握することができていなかったのだなと反省してカウンセリングを終了しました。Upload By 吉田いらこショックを受けた私が気づいたことはその後、勤務先で中学生のお子さんがいる方たちと話す機会がありました。その中で不登校の話題が上がり、現在は不登校になっても無理に学校に行かせることはしない家庭が多いということを教えていただきました。以前にも書きましたが、私は登校を渋る長女を私自身の都合のために無理やり学校に行かせたことがあります。これは良くなかったのだと反省しました。Upload By 吉田いらこ先生の言葉にはショックを受けたけれど、自分の頭の中が古い価値観で止まっていることが分かって一つ道が明るくなった気がしました。これからどうなるか分かりません。不安でいっぱいです。けれど、本人の気持ちに寄り添うことは忘れずに子どもの思春期を迎えたいと思っています。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)このスクールカウンセラーの方はかなりきつい言い方をされたと思いますが、全てのカウンセラーがそうではありません。おそらく、地域の中学校でのスクールカウンセリングもされていてその現状もご存じの上での話だったのかもしれません。とは言え、指摘されている点は子どもさんの現状に照らして今どうすれば良いかに焦点をあてられています。中学校の特別支援学級は小学校と異なり各教科ごとに先生が変わります。また、学校によっては複数の小学校から一緒になることも多く、人間関係も大きく変化します。場面緘黙があるお子さんの場合は特に周囲の人たちの理解と環境ごとの配慮が必要になると思います。多くの先生方の共通理解が得られるように小学校と中学校そして必要があれば支援機関の専門家・保護者を含めた支援会議を入念に準備しておくと良いと思います。
2022年08月20日なかなか新しい友達がつくれない娘小学校高学年になると 、周りのみんながぐっと成長していくことを実感します。低学年のころから仲の良かったゆいのお友達も、身長は大人と変わらなくなったし、言動も大人びてきて子どもと会話しているような感覚はもうなくなりました。ゆいももちろん成長しているのですが、周りに比べるとまだ幼い感じがあります。同じクラスにゆいと仲の良かったお友達が一人いました。でも彼女に新しい友達が増え、仲良しグループが離れたことであまり話さなったようです。高学年の女子ならよくあることだと思いますが、心配なのはゆいが会話できる友達がゼロになってしまったことでした。ゆいは人と話すことがとても苦手でなかなか新しい友達をつくることができないのです。Upload By 吉田いらこ「わたし、クラスではいつも一人でいるんだ」とゆいは話すようになりました。ゆいの小学校ではいわゆる「ボッチ」であってもそれでからかわれたりするようなことはありません。でも本人はひとりが寂しかったようです。私は「勇気を出して話しかけてみたら?」など一般的なアドバイスしかできませんでした。勉強に関しては特別支援学級に移り配慮してもらうことで負担が減りました。でも次は人間関係で悩みごとが出てきました。このままでは学校に行くことが苦痛になってしまうかも…と心配していたのですが、数ヶ月すると意外なことがありました。Upload By 吉田いらこいつも一人でいるゆいに変化が!?ゆいはクラスのある男子と仲良く話せるようになったそうです。その男子はあまりグループで固まるということがなく、だれとでも接する子のようです。休憩時間も一緒に笑っているところをよく見ますよ、と個人面談のときに担任の先生から聞いたときは驚きました。ゆいに話を聞いてみると、その男子はだれにも気軽に話しかけるようで、ゆいにも話しかけるそうです。ゆいがうまく話せなくてもまったく気にしないので緊張せずに話せるらしく、だんだん会話も増えてきたということでした。ゆいは人と話すのが苦手で自分から話しかけることが難しかったのですが、向こうから来てくれる人がいるなんて。これをきっかけに会話ができるお友達が増えて学校へ行くことがたのしくなればと願っています。Upload By 吉田いらこ子どもから大人へ精神的に成長していくなかで、友人関係もどんどん変化していくと思います。ゆいは その特性から今後も人間関係に悩むことがあるかもしれません。ですが、人間関係というものは障害とは関係なく難しいものです。そして、人間関係の変化によって、ゆい自身が成長していくこともあるかと思います。子どもの友達関係に保護者が介入することはできませんが、これからも成長の様子を見守っていけたらなと考えています。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)お子さんの成長とともに人間関係も変化していきますね。思春期の女子グループの中での人間関係やコミュニケーションは複雑で難易度が高いと思います。今回、今までお話のできなかった異性と話せるように広がったのは、とても素晴らしいことだと思います。この出来事が、また新たな友達関係が広がるきっかけになると良いですね。
2022年08月05日検査の結果、場面緘黙の診断が出たUpload By まりまり次女が小2のときに場面緘黙を疑い、児童精神科クリニックを受診しました。そこで発達検査を受けて、その結果と医師の総合的な判断から、次女の場合は、発達障害はたぶんなく、場面緘黙であるとの診断が出ました。診断が出たことで、今後の関わり方や支援に関してなんとなく道筋が見えたことで私としてはホッとしましたが、もちろん不安もありました。病院での場面緘黙の治療って何をするのか私として不安だったことのひとつとして、場面緘黙の治療って何をするのかということでした。Upload By まりまりネットや、場面緘黙についての本で調べたりはしてみました。そこで見たのは、行動療法や認知行動療法などが有効であるが、それらを実施している場所はとても限られていて少ないということでした。なので、とりあえず今のクリニックでできることをしていこうということがわが家の方針となりました。医師からのお話診断が出て、医師からお話がありました。不安や緊張で話せなくなるため、例えばあまりに不安が強く生活に支障のある場合は、不安を抑えるお薬や漢方を使うこともあるとのこと。ただ、次女の場合は、不安は強いものの、日常生活を送る上で大きな障害があるほどではなく、服薬は必要ないとのことでした。Upload By まりまりそのため、学校や家で安心して過ごせる環境をつくっていくことが大事とのお話がありました。それ以外では、臨床心理士によるカウンセリングができるとのことで、カウンセリングを行っていくことにしたのでした。臨床心理士と何をしていくのか(わが家の場合)Upload By まりまりわが家の次女の場合ですが、とにかくカウンセリングの場での緊張が高く心理士さんと次女がほとんどコミュニケーションを取れる状態ではありませんでした。なので、まずは、心理士さんとのカウンセリングの場に慣れること、ボディランゲージや筆談でなどで心理士さんとコミュニケーションを取れるようにするということを目標にカウンセリングを始めていくこととなったのでした。自分だけじゃない安心感Upload By まりまりわが家の場合はこんな感じで進んでいきました。児童精神科に行くまでは、学校では「問題ありません」と言われ続けて特に支援も得られず、次女への対応は母親である私中心という感じでした。なので、第3者の目が入るというだけでとても心が楽になった感じがしたのを覚えています。執筆/まりまり(監修:鈴木先生より)場面緘黙は神経発達症のある患者さんによくみられる症状です。家の中では普通に話せるのに、玄関を出た瞬間に話さなくなるのが典型例です。待合室では話しているが診察室に入ると喋らなくなるケースもあります。また、親と一緒では喋らないけど別々に入れると話せるときもあります。話さなくても頷いたり首を横に振ったりすることだけで意思表示する子どももいます。このような社会不安を取り除くために、SSRIという抗不安薬を投与したり、毎月外来でフォローしながら必要に応じて音楽療法を、そして心理カウンセリングでは箱庭療法や絵画療法なども当クリニックでは行っています。次女さん本人に合う治療法を見つけていくことが大切だと思います。
2022年07月25日体温を超える気温を記録する日本の夏。毎年のことながら、この時季は子どもの熱中症が特に心配になりますね。近年、熱中症予防方法については、啓蒙が進んでいることもあり、水分補給の知識などある程度は知ってはいるものの、実際に熱中症になったときにはどうしたらいいのかはわからないことばかり、という親御さんも多いようです。そこで、「熱中症予防声かけプロジェクト」実行委員長の帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター長・三宅康史先生に、暑さでぐったりとして帰ってきた子どもがするべき自宅での対処方法を教えてもらいました。前編では、子どもが熱中症かどうかをはじめ、暑さによるダメージを受けている状態かどうかや、家庭でのケアで様子をみて大丈夫かどうかを見極めるコツを、後編では食事をはじめとした家庭での対処法や親御さんの見守り方をご紹介します。(取材・文:小林博子)写真は少年サッカーのイメージ■「熱中症かも?」と思ったら、迷わず早めの対処を夏の暑い日に帰宅した子どもがいつもよりぐったりとした様子だと、まっさきに熱中症を疑い、とても心配になるはず。熱中症が重症化すると怖いというのは周知の事実ですし、子どもが最も成長すると言われる夏に、熱中症で練習を休ませてしまう日が続いてしまうのは避けたいという気持ちもあるかもしれません。少しでも効果的なケアをしてあげたいと、まずは「熱中症かどうか」を見分けたいと思うかもしれませんが、三宅先生によると「こんな症状を訴えたら熱中症です」という明確な線引きは難しいと言います。また、「風邪気味」などのように「熱中症になりかけている」という状態であるかどうかも、はっきりとはわからないことがほとんどだそう。「夏にぐったりとしていたら、すべて『熱中症の可能性あり』と思って正解。熱中症も他の病気と同じく、『早期発見・早期治療』が最も有効なので、早めに対処できることが大切です」(三宅先生)つまり、子どもの様子が熱中症を疑うような状態だったら早めに対処してあげることが重要ということです。最新ニュースをLINEで配信中!■こんな状態だったら「熱中症の可能性あり」具体的には、ぐったりとしている子どもが以下にあげるような様子を見せているときは、熱中症を疑う状態と考えられます。・発熱している・体がほてっている・頭痛や下痢などの体調不良がある・食欲がなく、食べられない・ふらふらとしている・目つきがうつろ・顔色が悪い・元気がない・眠れずに寝不足状態になっているなど基本的には「いつもと違う」と、毎日接している親御さんが感じるならすでに「可能性あり」だと思っても良いかもしれません。日々見守ってあげている親御さんの目がとても頼りになります。猛暑や酷暑と言われる夏に、炎天下でサッカーをして帰ってくることを思うと、熱中症の時季は特に、しっかりと様子を観察してあげることがまずは大切だと言えます。■医療機関に連れて行く必要があるケースもなお、子どもが何も食べられず水すら飲めない、高熱を出している、だんだん意識が朦朧としてきたなどあまりにもぐったりとしていたら、迷わず受診しましょう、と三宅先生は言います。熱中症以外にも、食べられないことによって低血糖を引き起こしている可能性もあり、医療機関で専門家に早めに診てもらうべき状態とのこと。かかりつけの小児科や、時間が遅ければ夜間救急などへ早めに連れて行ってあげてください。小見出し)体が「暑さダメージ」を受けていると心得て三宅先生によると、「熱中症の可能性」を疑うときは、少なくとも「暑さダメージを受けている状態」であることは確かとのことです。そうであれば、暑さ対策をしっかりしてあげることが大切です。子どもがどんなに「大丈夫」と言っていても、水分をはじめとする栄養の摂取や部屋を涼しくするなどの基本的な対処はまっさきに行ってあげてください。サッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」■定期的な体重測定で体調管理を!短期間で減少したら注意子どもの体調チェックをしてあげる親御さんの「目」が、熱中症の『早期発見』につながることがわかりますね。親の直感はもちろん頼れる目安ではありますが、毎日子どもの様子を見守ることのほかにできることはあるでしょうか。三宅先生に伺いました。その答えは「体重測定」。人間の体の大半は水分なので、熱中症の時季に体重が減ってきているときは「体の水分が減っている=熱中症の疑いがある」という目安にもなるそうです。どんなに成長期でも数日で急激に身長が伸びて体重も増えるということはないので、短期間での体重が増減している場合は「体内の水分量」の影響が大きいからです。なお、体重測定は、毎日決まった時間に同じ状態で行うべきとのこと。例えば、朝起きてトイレに行った後すぐなど、体重計に乗る時間を決めてルーティンにしてあげてはいかがでしょうか。体重測定の習慣を続けた場合、そのデータが来年の夏にも役立つと三宅先生は言います。「去年はこれくらい減ったときに熱中症とみられる症状が出た」などの貴重な資料になるからだそうです。前編である今回は、熱中症かどうかの判断の目安についてご紹介しました。夏場のぐったり感は「熱中症の可能性あり」だと思ってお子さんの様子を見てあげてください。後編では、具体的にどんなことをするべきなのかを詳しくご紹介します。三宅康史(みやけやすふみ)帝京大学医学部救急医学講座教授/帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター長、熱中症予防声かけプロジェクト実行委員長東京医科歯科大学卒業後、公立昭和病院脳神経外科・救急科(ICU)・外科医長、さいたま赤十字病院救命救急センター長・集中治療部長、昭和大学医学部救命救急センター長など歴任し、2016年帝京大学医学部救急医学教授・同附属病院救命救急センター長に着任。2017年からは同高度救命救急センター長を務める。熱中症予防声かけプロジェクトサッカー少年少女の親の心得「サカイク10か条」
2022年07月08日4歳までは気にならなかったゆいは1歳から保育園に通っていました。大人しめではあるけれど、発達面で遅れを感じることはありませんでした。保育園の発表会では大勢の前で歌や踊り、劇のセリフを言ったりすることもできていて、他人と話せないということもなく、ゆいが4歳になるころまで私は特に悩みのない子育てをしていました。5歳ころから気になりはじめるUpload By 吉田いらこ5歳になるころ、実家に帰省していた時に体調が悪くなり、小児科に行くことになりました。初めて行く病院で、初対面の男性のお医者さんがゆいに「今日はどうしたの?」「どこが痛いの?」と尋ねたのですが、ゆいは一言も話すことができませんでした。知らない男性を怖がるというのはままあることかなと思い、代わりに私が症状を説明しました。その先生には「こんなに大きいのに自分で自分のことの説明もできないなんて」と呆れられました。Upload By 吉田いらこまた、小学校の低学年のとき、個人面談で必ず言われたのが「まだ私(先生)とお話ししてくれないんですよ」ということでした。でも、まだ低学年なので恥ずかしがっているのかもしれないですね、ということでその場で話が終わっていました。クラスの友達とは話せていたので、大人相手だと緊張するだけなのかなと軽く考えていました。でも、小学校の中学年になってもなかなか大人と話すことができないままでした。ゆいが会話できるのは、私たち両親と、物心つく前からほぼ毎日接していた祖父母のみ。たまにしか合わない私の両親とはなかなか会話ができませんでした。母親である私がしゃべりすぎ?小学校の中学年になって、やっとゆいがなかなか大人と会話しないのが気になり始めた私。もしかしたら、母親である私がペラペラと話してしまうから、あえてゆいは話さないのかなと考えました。こう思ったのには理由があって、夫と義母のことがあったからです。義母は社交的なタイプで、夫が幼いころは、本人が口を開く前に母である義母がどんどん話してしまい、夫はがほとんど話さなかったそうです。…ということは、無意識に私が先に何でも話してしまっているのでは?だからゆいは大人と話さないのでは?と考えて、病院や習い事など大人と接する場所では意識してしゃべるのをやめてみましたが…。Upload By 吉田いらこ…沈黙が続くだけで特に効果はありませんでした。具体的な診断名を聞いてこのように、年齢が上がるにつれて人見知りが強くなってきたなと感じていました。この子はちょっと度を越した恥ずかしがり屋さんだな…今はこんな感じでも大人になれば何とか改善するのかなと心配しつつも何もしていなかったのですが、小学5年生のときに受診した児童精神科で場面緘黙の診断を受けたことで考えを改めました。具体的な診断名を告げられたことで、今後どうしていけばよいか具体的な道筋が見えたように感じたので、これからはこの子の特性に合ったコミュニケーションの取り方を考えていこうと思います。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)すごく問題がある訳ではないけど少し気になることって、どこまで見守って良いのか悩みますよね。「なんだか気になるな」だと、具体的な対策を取りにくいですが、診断がついたことで次の取り組みに繋がるのであれば、それも診断の一つの役割ですね。
2022年07月04日SSRIはどんな薬?適応となる症状は?SSRIとはSelective Serotonin Reuptake Inhibitor(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の頭文字をとったもので、こだわり行動、うつ、不安障害、場面緘黙、潔癖症などの症状緩和に使われる薬剤です。発達障害のある子どもには、「自分が一番にならないと気が済まない」「方法や手順などに自分の中での確固としたルールがあり、状況に合わせて柔軟に変更することができない」「一つのことに集中しすぎて周囲が見えなくなる」と、いった特性が見られることがあります。これが「こだわり行動」といわれるものです。不安障害は、突然理由もなく激しい不安に襲われ、心臓がドキドキしたり、めまいがしてふらふらしたり、呼吸が苦しくなってしまうといった症状で、パニック障害とも呼ばれます。場面緘黙とは、家族などとは問題なくおしゃべりできるのに、幼稚園や学校など特定の場所になると話せなくなってしまう症状です。ただ、一口に「こだわり行動」と言っても、その程度はさまざまです。環境を整えたり、周囲が発達障害の特性を理解して接することで、生活に支障がない程度に改善できることも多いでしょう。その一方で、こだわり行動や突発的な不安からイライラが募り、自分や他者への暴力的な衝動に駆られたり、外に出られなくなったり、といった問題がある場合には、薬の力を借りて症状を緩和させることも選択肢の一つです。SSRI(フルボキサミン)の投薬の適応となる症状には、ほかにも強迫性障害、潔癖症などが挙げられます。強迫性障害は、「十分に洗ったのに、くり返し手を洗い続ける」「持ち物がなくなっていないか、何度も確認してしまう」「服が少しでも汚れると、全部着替えないと気が済まない」といった行動となってあらわれます。また潔癖症があると、人が使ったものがどうしても触れなかったり、手指が汚れるのが嫌で手づかみで食べることができない、といった困りごとがでてきます。SSRI(フルボキサミン)の効果・効能は?SSRIには、脳内の神経間でセロトニンという神経伝達物質の再取り込みを阻害する効果があります。セロトニンには心のバランスを整えてくれる働きがあることから、「幸せホルモン」の異名でも知られています。セロトニンが不足すると、気分が落ち込んだり、不安を感じたりしやすくなると言われています。SSRIは、セロトニンの再取り込みをしにくくすることで、脳内のセロトニンの量を安定させ、気持ちを穏やかにする働きをします。SSRIにはいくつかの種類がありますが、本記事ではこだわり行動、うつ、不安障害、強迫性障害などに使われる「フルボキサミン」について見ていきましょう。SSRI(フルボキサミン)は、日本では「ルボックス」「デプロメール」の商品名で販売されている錠剤です。また、「トーワ」の商品名で、ジェネリック薬も出ています。いずれも8歳以上の小児の強迫性障害にも使用が認められています。SSRI(フルボキサミン)の用法・用量は?SSRI(フルボキサミン)の錠剤には、25mgのもの、50mgのもの、75mgのものの3種があります。8歳以上の子どもがSSRI(フルボキサミン)を服用する場合は、1日1回、就寝前に25mgの錠剤1錠からスタートします。1週間以上継続したのちに、朝に25mg1錠、就寝前に25mg1錠、合計50mgに増やします。薬の量は、年齢や症状に応じて医師が判断し、1日合計150mgを超えない範囲で増減します。ただ、増量する場合は、1週間以上の間隔を開け、1回ごとの増量は25mgまでに留めるように推奨されています。医師は、必要最小限の服用で効果が出るよう、慎重に経過を観察しながら処方量を調節します。自己判断で勝手に薬の量や回数を増やしたり、減らしたりしないことが大事です。副作用の心配はない?子どもへのSSRI(フルボキサミン)の投与で最も懸念される副作用は、自殺念慮、自殺企図があらわれる可能性です。24歳以下の患者に投与した場合に、リスクが増加することが報告されています。子どもがSSRI(フルボキサミン)を使う場合、保護者は自殺念慮や自殺企図があらわれる可能性についてきちんと知っておくことが重要です。そして、担当医と緊密に連絡を取り合いながら、経過を見守ることが大切です。自殺念慮、自殺企図のほかに、下記のような副作用があらわれることもあります。・眠気・吐き気・悪心・口の渇き・便秘・めまい・ふらつきまた、投薬を急に中止したり、急激に減らしたりすると、頭痛や吐き気、めまい、不安感、不眠、集中力の低下などがあらわれることも報告されています。服用を止めるときにも、徐々に減量していくなど、医師の指導に基づいて慎重に行いましょう。親子で抱え込まずに、医師に相談をASDなどの発達障害による特性は、個人差も大きいものです。また、成長するにつれて、特性が変化していくことも大いにあります。ただ、強いこだわりや不安、過度の潔癖症などによって、日常生活に困難を抱えている場合は、薬によって症状を緩和していくことも検討したい選択肢の1つです。困りごとを抱えたままでは、強いストレスにさらされ続けることになったり、失敗や挫折が続くことで自己肯定感が低下たりすることが考えられます。そうした状態が長く続くことで、身体的不調、うつ症状、不登校やひきこもり、暴力といった二次的な問題に発展してしまうこともあります。笑顔で過ごせる時間を増やしていくためにも、家庭のなかだけで抱え込まずに、医師や専門家に相談することが大切です。 そして、投薬をする場合は、副作用のリスクなどもしっかり理解したうえで、医師と手を取り合いながら適切な服用をしていくことが重要です。参考:日本薬局方 フルボキサミンマレイン酸塩錠|ニプロ株式会社医療用医薬品 フルボキサミンマレイン酸塩|KEGG データベース
2022年06月26日小学校2年生での遠足次女は、場面緘黙ではありますが、好奇心旺盛な性格です。校外学習などは、不安はもちろんありつつも、楽しみにして参加していました。この2年生のときの遠足も楽しみにしていて、行きしぶりなどもなく送り出すことができました。帰宅後の次女の話遠足から帰ってきた日の夜。次女に遠足の話を聞くと、誰とも話せなかったことを教えてくれました。さらに、友達とはぐれてしまって不安な時間を過ごしたことも(先生が一人でいる次女を見つけて友達のところに連れて行ってくれました)。「話せない」ことで、つらい思いをしたようです。Upload By まりまり学校で話せないのは小学校1年生のときからだったのですが、改めて次女が自分からこういうことを聞いてくるのは初めてだったので、このときは少し驚きました。Upload By まりまり話せないことで大変な思いをして、そんな自分自身を責めている様子でした。もともと繊細な次女だったので、いつか話せないことで自分を責めてしまうんじゃないかと、なるべくポジティブな声掛けを心がけていたものの…。楽しみにしていた遠足で、自分が思ったようにできなかったことや、周りと自分を比べることで自信を失っているようでした。話せない理由「なんで話せないんだろう」という次女に、私は次女自身が「話せない理由」をどのように考えているのかを聞いてみました。最初は「自分で話さないって決めてるから」と言っていて、そういう風に自分自身の責任として感じていたのかと驚きました。でも、「話そうと思えば話せるの?」と聞くと、「話そうと思っても話せない」「すごく恥ずかしくなっちゃう」との答えが。Upload By まりまりUpload By まりまりさらに、「話そうとすると、喉の奥が詰まった感じがしちゃうんだよ」と話してくれました。本当は話したい、でも自信を失って諦めていたUpload By まりまりUpload By まりまり次女自身には、友達と話したり遊んだりしたいという気持ちがあるものの、学校で話せなくなって、それができない状況が1年以上経過していて、「絶対ムリ」という諦めに繋がっている感じでした。次女の諦めてしまっている気持ちを聞いて…友達とコミュニケーションを取りたい気持ちはあるけど、諦めかけてしまっているという状況が、緘黙症状の固定化を招いてしまうのではないかと私自身少し不安な気持ちになりました。さらに、親としては、「話せない」ことで次女に自信を失わないでほしいという気持ちでいました。このときは、児童精神科受診前。なので、こういう次女の発言も、児童精神科受診する要因となったのでした。執筆/まりまり(監修:井上先生より)娘さんが話せないことに対して親御さんも不安があると思います。ですが、場面緘黙のつらさや話せない原因を娘さんと一緒に話せるということは、娘さんの緘黙への背景理解が進み、とても良い関係が築けていると思います。話せる関係性があることがまりまりさんにとっても娘さんにとっても心強さに繋がるでしょう。場面緘黙は不安症の中にカテゴライズされており、対人不安が症状のベースになります。話すことができないだけではなく、お友達などと一緒に遊ぶことに困難があることも多いです。まずは話さずともお友達と一緒に遊んだり、場面を共有したりすることから始め、だんだんと慣れていくのが良いと思います。
2022年06月24日滋賀県のJR近江八幡駅にも近い、美しい山並みの緑を背にした住宅街をしばらく行くと、突然、童話に出てくるような三角屋根に白壁の建物が現れた。「かわいい!」思わず、声が漏れる。ガラス戸を開ければ、客が3人でいっぱいになりそうな小さなお店。ショーケースに並んだ“みいちゃんのいちごムース”や“みいちゃんのにこにこプリン”というネーミングだけでなく、ハートのイラストなどデザインも楽しいケーキや焼き菓子に見とれていたら、隣の工房から甘い香りが漂ってきた。ここが、「みいちゃんのお菓子工房」で、店長兼パティシエの杉之原みずきさんは、14歳。ケーキの販売は月2回、隔週日曜の来店予約制で、不定期で焼き菓子の販売も行う。数少ない開店日には行列のできる店として知られ、記者が訪れた5月半ばの土曜日も、入口には「次回販売日の予約満」のプレートが。午前10時、最初に工房に現れたのは、みいちゃんの母親で、この店のオーナーでもある千里さん(49)。あれ、みいちゃんは?「さっき、シャワーを浴びていましたから、まもなくだと思います。マイペースなんです(笑)」千里さんが注文を受けた焼き菓子の発送作業をしていると、10分ほどして、千里さんとおそろいのエプロンとキャップ姿のみいちゃんがやってきた。千里さんや記者たちが「おはよう」と声をかけるが、みいちゃんはチラと視線を寄越しただけで、もう工房に立っている。やがて、母と娘が並んでのケーキ作りが始まった。「今日は仕込みの日で、定番のケーキに加えて、“くまさんのムース”を作ります。このネーミングもレシピも、みずきなんですよ」そう言いながら、スマホをしきりに見ている千里さん。「みずきがスマートフォンにレシピを送っておいてくれたので、私はそれを見ながら進めます。さあ、そろそろ、みずきはゼラチンを溶かし始める時間やね」母の言葉にうなずくように、かすかに頭が動いたように見えたが、やはり言葉はなかった。みいちゃんが会話をしないのは「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」のためだ。不安症の一種で、特定の場所で話すことができなくなる精神疾患。子供に多く、小学生500人に1人の割合で発症するといわれ、みいちゃんの場合も、家庭以外の学校や外では言葉が出なくなる。さらに特定の動きができなくなる「緘動(かんどう)」が現れることもあり、取材の途中では、みいちゃんが急に冷蔵庫の前で立ち尽くす場面も。しかしすぐに作業に戻って、その後は14歳の人気パティシエの巧みな手さばきを見せてくれた。銀色のボウルに山盛りのアメリカンチェリーを洗いながら、千里さん。「みずきが旬のフルーツにこだわるので、朝一番で仕入れてきました。どんな調理法になるのか、私自身も楽しみです」2つと同じもののない独創的で愛らしいケーキや焼き菓子は、いまや海外でも評判で、インスタグラムのフォロワーは1.7万人を数える。しかし、ここまではけっして平たんな道のりではなかった。「みずきの不登校の時期もあり、お菓子作りは、この子の自立と社会適応訓練のためという意味合いも大きかったんです」■給食が食べられず、水も飲めず……。教室でできることが減っていき、不登校にみいちゃんは07年8月17日、近江八幡市に生まれた。会社員の父親・誠司さん(54)と千里さん、専門学校生の姉(19)、そして双子の兄である一樹さん(14)の5人家族だ。「うちは共働きですから、子供3人は1歳から保育園。みずきがいちばん手がかかったというのは、家で一度かんしゃくを起こすと、2時間も3時間も続くんです。なのに保育園では、お友達ともしゃべらない、工作もできない」理由を尋ねても、「……わからない」小さな声で、それだけ。「そんな気質の子やろうと思っていましたが、小学校に上がる前に保健師さんらのすすめで専門医に診てもらって、初めて場面緘黙症とわかり、私は落胆より、そういうことやったんか、と腑に落ちたような気持ちでした」同時に、自閉症スペクトラム、発達障害でもあるとの診断だった。病気のことを、一樹さんに告げたときだ。「オレがみいちゃんのこと、守ったげるから、ママ、だいじょうぶやで」双子の兄の頼もしい言葉もあり、近所の公立小学校へ進学。家ではランドセルを喜んでいたが、「もう、入学式から入場行進ができませんでした。その後も、集団生活の教室では声が出ない、体育ができない、給食も食べられないし水も飲めないしで、脱水症状や栄養失調状態になるほど。トイレだけは、友達の介助で行けました。2年生からは支援学級に入り、みずきのお守りのつもりで障害者手帳も取得しました」しかし、学年を重ねるたびに、できないことが増えていく。「体が固まると、かろうじて息をすることと目を動かすことしかできなくなる娘を見て、私も悲しいばかりで、毎日毎日を乗り切るだけで精いっぱいでした」小4で、不登校となる。「勉強もぐんと難しくなり、周囲は女の子の仲よしグループができていくなかで、やっぱり、みずきは、そういうのも希薄というか。やがて毎朝『おなかが痛い』と言いだして、3学期にはまったく通学できなくなるんです」■ネットで見つけた居場所は広がっていく。スイーツカフェはすぐに40席が満席に「転機は、不登校で家での生活となったとき、みずきにスマホを与えたことでした」千里さんの声が、少し明るくなる。そういえば、工房でも、母と娘は近くにいながら、スマホを使って円滑にコミュニケーションを取っていた。「家族の連絡用ということより、みずきに世界とつながっていてほしかったんです。私があの子に伝えたのは、『スマホを使えば文字で人としゃべられるんやで、インスタグラムでは自分のことを発信もできるんやで』と。もう、その日から、私や主人以上に使いこなしてましたね(笑)」さすが現代っ子のみいちゃんは、すぐにスマホで夢中になれることを見つけたようだ。「クックパッドや料理アプリを使い、次々にレシピを検索して自分で料理を始めたんです。最初はお総菜で、私も帰宅が遅れたときなど助かりましたが、そのうちお菓子作りにハマって、これじゃ夕飯のおかずにはならないと焦ったりも(笑)。私の勤務中にも、〈今日はコレ作ったで〉〈調味料は何?〉と、頻繁にLINEで届くようになって。ああ、この子、スマホを通じてなら、すぐに返事も返るんやと。このスマホとの関係は大事にせなあかんと、直感しました」娘が料理に関心を持ったのを機に、千里さんは18年春、閉店した弁当屋の厨房を借りて菓子製造業の営業許可を取得。ここで、「近江の野菜食堂」を始める。「食堂といっても、いわゆるマルシェ販売で、弁当も置きましたが、メインはみずきの蒸しパン。このころには、次々にオリジナルの新作メニューを考えるようになり、そのケーキの写真をSNSにアップすると『すごい!』など反響が届くのがうれしそうでした。親ばかですが、私から見ても、味もデザインも、お菓子作りのセンスをすごく感じて、好きなことを伸ばしてあげようという思いだけだったんです」やがて作りすぎたタルトなどをご近所におすそ分けしていると、次々に「作ってほしい」という注文が届きだす。「スイーツカフェ、やるか?」「うん」19年春、月1回限定のカフェを近所の空き店舗を借りてオープンすると、プロ顔負けのおいしさと、みいちゃんが一皿ごとに施すチョコペンアートの魅力が口コミで伝わり、すぐに40席が満席となってマスコミにも紹介される人気に。「これやわ!」千里さんが感嘆したのは、行列よりも、生き生きとケーキを作り続けるわが子の姿だった。「これまで就労支援で作業所にも行きましたが、体が固まってしまっていました。でも、お菓子作りでエプロンを着けると、この子は別人になる。もうプロやん、と」同じころ、みいちゃん自身も、インスタに〈いつか自分のお店を持ちたいです〉と書き込んだ。「それを見て、おっ、えらい大きく出たな(笑)と思うと同時に、そうか、自分の居場所が欲しいんやなとわかって、主人とも相談して、本格的にケーキ屋を始めることを考えるようになりました」続いて千里さんは、わが子をサポートするべく、製造に加え衛生管理などについても学ぶために、フルタイムで働きながら夜間の製菓技術専門学校に入学する。「夕方5時半まで仕事をして、京都の製菓学校に移動して9時半まで授業で、寝るのは深夜3時。やっぱり無謀でした(笑)。卒業まで、予定の倍の2年かかりましたから。でも、今まで、みずきのことを悩み心配してた十数年に比べたら、こんな夢のある苦労なんてないと思えたんです」さらに、うれしいことがあった。小さな成功体験を重ねるなかで、みいちゃんが再び学校へ通えるようになったのだ。「自分の居場所を見つけた自信が大きいと思いました。SNSの中で発見したことを思うと、あの子は、今の時代やからこそ生き延びたと思うんです」その後、開店資金のためのクラウドファンディングを実施し、これも達成。事業計画では、23年春にはグランドオープンして黒字化を目指すことなども報告された。そして20年1月、みいちゃんのお菓子工房のプレオープンは、彼女が12歳のとき。のちに滋賀県初のグッドデザイン賞金賞受賞となる三角屋根のデザインを、いくつかの候補のなかから即断で決めたのも、みいちゃん本人だった。小さなパティシエの挑戦は続いていくーー。【後編】ケーキは私の“声”不安症で話せない14歳人気パティシエの挑戦へ続く
2022年05月29日【前編】“場面緘黙症”で話せず不登校…14歳少女が行列店のパティシエにから続く「初めて来ました。三角屋根、ステキですね。みいちゃんをテレビで見て、応援したいと思ったのもありますが、実は、私自身がここ数日疲れ気味だったので、みいちゃんのお菓子で気分を上げてもらおうと思ったんです」取材中、市内から訪れたという60代の女性客は、そう話してくれた。ここは「みいちゃんのお菓子工房」。店長兼パティシエの杉之原みずきさんは、14歳だ。ケーキの販売は月2回、隔週日曜の来店予約制で、不定期で焼き菓子の販売も行う。数少ない開店日には行列のできる店として知られている。オーナーでもある母・千里さん(49)とともに厨房に立つみいちゃんだが、会話はなく、こだわりの詰まったオリジナルのお菓子やケーキのレシピは、LINEで千里さんに共有し、指示を出している。みいちゃんが会話をしないのは「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」のためだ。不安症の一種で、特定の場所で話すことができなくなる精神疾患。子供に多く、小学生500人に1人の割合で発症するといわれ、みいちゃんの場合も、家庭以外の学校や外では言葉が出なくなる。さらに特定の動きができなくなる「緘動(かんどう)」が現れることもあり、取材の途中では、みいちゃんが急に冷蔵庫の前で立ち尽くす場面も。しかしすぐに作業に戻って、その後は14歳の人気パティシエの巧みな手さばきを見せてくれた。2つと同じもののない独創的で愛らしいケーキや焼き菓子は、いまや海外でも評判で、インスタグラムのフォロワーは1.7万人を数える。しかし、ここまではけっして平たんな道のりではなかった。「みずきの不登校の時期もあり、お菓子作りやお菓子工房のオープンは、この子の自立と社会適応訓練のためという意味合いも大きかったんです」■いつの日か、何でも話せる友達を。工房から一歩ずつ、挑戦を続けていく取材中、お店は仕込み日で閉まっていたが、今年3月から冷蔵機能のあるロッカー式の「みいちゃんの自動販売機」が店頭に設置されていて、焼き菓子などを買うことができる。冒頭の女性が購入したのは、“みいちゃんのハートフィナンシェ”。「この繊細なデザインとカラフルなお菓子を見てるだけで、もう、心がほっこりしてきました」見た人、食べた人の心を瞬時につかむ、みいちゃんのお菓子の不思議な魅力。その基になっているのが、今は中3となり、養護学校に通っているみいちゃんの“こだわり”だと、千里さんは言う。「場面緘黙症という病気の特性であるこだわりが、お菓子作りに大きく反映されていると思います。みずきは、その日、作りたいと思ったものを作ります。自分の思いを突き詰めて、その感情をケーキに込めているんです。こだわりということでは、近所の農家さんに収穫体験に行ったことがきっかけで、地元産の材料をよく使うようにもなりました」そこから“みいちゃんの玄米サブレ”などの新商品も生まれた。リピーターも多く、オープン後に始まったオンラインショップでは6カ月待ちの商品も。「最初にお話ししたように、みずきはマイペースなうえにこだわるので、どうしても生産量が追いつきません。注文がたまるのは申し訳ないし、赤字も続いています」ずっと娘を見守るスタンスができていた両親だったが、オープン後の注文殺到を前に、一度はどちらかが仕事を辞めて店の営業日を増やすことなども検討したという。だが、「私たち夫婦は、今までどおりにフルタイム勤務を続けて、ケーキの売り上げを生活の基盤にするようなことはしないと決めました」すべては、みいちゃんに、今までどおりにケーキを作り続けてほしいと思ったからだ。「一度だけ、みずきのスマホ画面が目に入ったことがありました。ズラーッとまだ作っていないケーキの名前とレシピが並んでいて、驚きました。そのとき、あの子の小さなころを思い出したんです。かんしゃくを起こしては家族を困らせたみずきですが、きっと私たちの何倍も外からの刺激を受け止めて、感情を爆発させていたんですね。ですから、今は、その感情をケーキ作りに反映できるような環境を用意してあげるのが、私たちの役目と思っています」その一方で、いつも一緒にいる母親だからこそわかることもある。「思春期になって、これまではなかった工房での変化もあるんです。今日はケーキ作りにノッてないなとか、レシピが送られてくるのがやけに遅いなとか。中学には通っていますが、いまだに給食は食べられず、午前中だけの通学です。10代半ばの女の子の心は、たとえ病気を抱えていなくても揺れるものですよね」先日のこと、みいちゃんの双子の兄・一樹さんが自宅に友人を連れてきた。その後、兄から聞かされたみいちゃんの言葉は千里さんに重たかった。「私には言いませんでしたが、一樹がお友達と楽しそうに遊んでいるのを見て、『いいなぁ』と本音を漏らしたそうなんです。だから、みずきにも、なんでも話せる友達が一人でもいいからできるように願っています。普通の子がしている遊びを、いつかできるようになるといいですね。ヒントはあるんです。アイドルグループが好きだから、LINEなどを通じて“推し”仲間ができればと」思春期の苦悩を乗り越えようとするとき、やっぱり支えとなるのは家族と工房の存在だろう。「来春は、高校進学が控えています。これも、本人とも話して、みずきも『行く』と言っています。前に踏み出すことができるというのも、帰ってくる場所があるからだと思うんです」千里さんは、折に触れて、みいちゃんに言い続けている。「ずっと、このままじゃないからね。いつか、みんなとも話ができるようになるからね」みいちゃんからの返事は、残念ながらない。そんなとき母は、彼女の小6の卒業文集の「私の夢」と題された作文の最後を思い出す。〈中学校に行きながら3年後にケーキ屋さんをグランドオープンできるようにがんばります。私はみいちゃんのお菓子工房でみんなに笑顔を届けます〉今は言葉はなくても、ケーキやプリンに一つずつ描き込んでいくハートやスマイルマークで、みいちゃんはずっと、みんなに語りかけている。■コロナ禍でも、安心してお菓子を届けたい。生ケーキの自動販売はみいちゃんの発案だ「じゃ、がんばる」昨年9月、東京パラリンピックの聖火ランナーに選ばれた、みいちゃんと一樹さん。最初は嫌がっていたが、最後は「オレたち2人ならだいじょうぶや」という兄の言葉で納得し、みごと大役を果たした。また、今年4月の発達障害啓発週間には、みいちゃんの作った斬新なブルーのケーキが話題に。千里さんは、「青い色には驚きましたが、みずきは自閉症啓発のシンボルカラーなので採用したようです。完成すると、多くの人から『青い色して、あんなにおいしそうなケーキは見たことない』との声が。何より、最初に見た私が感動しましたから。またまた親ばかですね(笑)」およそ1年後の春には、みいちゃんの中学卒業とともに、工房のグランドオープンが控える。「とはいえ、一人の自立した大人として、ケーキ職人の道を行くスタートというだけで、開店日のペースなども変わらないかもしれません。もちろん、目標としていた黒字化も計画を変更して、今はまったく考えていません」千里さんは、むしろ同じ病気があったり、夢に踏み出すことをためらっている人のためにチャレンジを続けたいと話す。その一つが、この5月16日に始まったばかりの自動販売機による生ケーキの販売だ。「もともと自販機は、コロナ禍でのお客さまの利便性と、対面販売が苦手なみずきのことを思っての設置でした。最初は焼き菓子で始めましたが、この春、みずき自身が、『生ケーキも届けたい』と言いだしたんです」千里さんによれば、初日は12個のうち8個が売れたという。まずまずの滑り出しだろう。母と娘の二人三脚のケーキ作り、そして夢へのチャレンジは続く。「いつか、パリに行きたいです。場面緘黙症の治療には、大胆に環境を変えることもいいとお医者さんにも言われていて、実はコロナ前にも計画していました。でも治療目的ではなく、あくまで家族旅行。みずきも私たちも、やっぱり一度はパティシエの本場を体験してみたいですから」パリの華やかなショーケースに接したあと、みいちゃんの工房から生み出されるお菓子には、どんなメッセージが込められるだろう。
2022年05月29日買い物練習を始める次女は特に学校での緘黙症状が強いのですが、日常生活上でも困っている場面がいくつかありました。そのひとつが買い物で、一人で買い物がどうしてもできませんでした。というより、買い物の前段階で、「一人で店員さんの前に立つ」というのがまず緊張してしまって「買い物のやりとりをする」という状況までたどり着くことができない…。なので、次女と話しあって、買い物練習をしていくことにしたのでした!徐々に買い物の練習をしていった結果…買い物へ行くといつも私のうしろに隠れていた次女。まずは買い物のときに、次女に前に出てきてもらい、商品を次女から店員さんに渡してもらうようにしました。そのあとも次女から店員さんへとお金を渡してもらって…という感じで、レジでの買い物の場に慣れてもらうことにしました。(店員さんとの言葉でのやり取りは私が担当しました)それができるようになってきたら、今度は次女に支払いをしてもらうことに。次女の場合は、現金でのやり取りより緊張や負担が少ないと考えて、カード式の電子マネーでの支払いを選択。まずは家で、「電子マネーで!」と言う練習をしてみて、そのあと、一緒にレジまで行って次女に実際言ってもらう。そして私と一緒に、一人で買い物のやり取りをしてもらって、私が徐々に次女から距離を取っていって…。Upload By まりまりという感じで段階を踏み、できたりできなかったりを繰り返しながら、何とか一人で買い物ができるようになったのでした!(ここまで10ヶ月くらい…)4年生の夏、初めて自分から…小学校4年生の夏、お店でアイスを買うときのこと。Upload By まりまり次女が「自分でアイスの種類言ってみる!」と、初めて自分から挑戦の意志を提示してきたのでした!何でこのタイミングだったかは分かりませんが、そのころの次女は周りから見ていても、「最初のころに比べて、気負いなく一人での買い物ができるようになっている」と感じるようになっていました。そびえたつハードル、繰り返す練習ただ、選んだアイスが「スペシャルナッツげきうまチョコレート」という感じの長い名前…。自分で選んだものの「やっぱり無理」「長すぎて言えない」と自信を失う次女…。こういうときに、「完璧に名前を言わないといけない」と考えがちな次女なので、「大丈夫!指差しとチョコレートで伝わるよ!」と話して、長女と一緒に練習してから挑むことにしました。Upload By まりまりUpload By まりまりUpload By まりまりこんな感じで、いろいろと教えたりするのが好きな長女なので、文句言わずに手伝ってくれて、5~6回くらい練習してから本番に挑むことにしました。練習の結果…Upload By まりまり無事に言うことができたのでした…!初めて自分から挑戦した次女。挑戦の結果、良い成功体験となりました。そのあと、毎回自分で言えるようになった…と言うわけではなく、次女の調子によってできたりできなかったり、行きつ戻りつ。そんな感じを繰り返しながら、もはや年単位での買い物練習でしたが、小5の今では大きな緊張なく店員さんの前に立てるようになり、自分で簡単な買い物のやり取りができるようになっています。時間はかかりましたが、こうした成長を嬉しく思う母なのでした。執筆/まりまり(監修:井上先生より)まりまりさんが今回テーマとして挙げていらっしゃるように、場面緘黙のあるお子さんの場合、学校場面だけでなく地域生活のコミュニケーションの中でも困難を感じてしまうことがあると思います。基本的にはシミュレーション(事前練習)をして、自信をつけてあげてから本番に臨むのが良いのですが、シミュレ―ションでできたことが本番でも全てできるとは限りません。まりまりさんがお子さんにレジで練習させておられた「初めは手渡すだけの役」のように最初は発話を入れずに行うなど、スモールステップをより細かくして、成功体験を感じてもらうことが大事だと思います。
2022年05月25日大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)は、感染症に関する情報発信サイト「+CiDER(プラスサイダー)」と、感染症に関する教育コンテンツ配信サイト「CiDER-EDU(サイダーエデュ)」の2つのサイトを公開しました。「+CiDER」URL 「CiDER-EDU」URL ●サイト概要◆「+CiDER」感染症情報をわかりやすく発信するサイトです。文理融合型総合拠点であることの強みを活かし、研究動向、ワクチン・治療薬等に関する医療情報に加えて、感染防御行動による社会経済や社会心理への影響、感染リスク分析や、数理モデルによるシミュレーションなど、感染症に関する多角的な情報を発信します。科学的エビデンスに基づいた信頼性の高い情報を動画コンテンツなどを用いて、幅広い世代の方々にわかりやすく伝えます。+CiDER(プラスサイダー)◆「CiDER-EDU」感染症に関する情報を幅広く動画形式で提供する教育コンテンツ配信プラットフォームです。感染症診療の最前線で活躍している医師らの手によるコンテンツであり、一般の方々から医療従事者まで、いつでも、どこでも、どなたでも、随時追加されるコンテンツを自由に受講できます。CiDER-EDU(サイダーエデュ)【概要】名称 : 大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER)拠点長: 松浦 善治創設 : 2021年4月拠点HP: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年05月10日先生のお話から検査へ児童精神科を受診し、先生との問診で、今までの次女の経過と現状をお話しました。Upload By まりまりUpload By まりまりその経過と現状から、先生から「次女さんですが、今までのお話から、たぶん場面緘黙といって良いと思います」とのことでした。ただ、続けて「場面緘黙の裏に隠れて発達障害などが潜んでいる場合があるので、そういったものをはっきりさせてからですね」とのことで、いくつか検査を実施することになりました。もともと場面緘黙の本などで読んだりして、その可能性も考えていたので、検査に関しては私としては「ぜひやってほしい!」という気持ちでいました。そして、先生と相談の上、本人には田中ビネー知能検査Ⅴ、バウムテストを実施し、さらに保護者が答えるかたちのPARS-TRを実施することになりました。次女と検査についての話をするUpload By まりまり学校では、話す以外の日常生活はなんとかできていましたが、不慣れな環境では緊張しすぎると固まってしまうことがあります。なので、これから取り組む検査に関して、なるべく不安を軽減できるように事前に説明することにしました。検査の目的については、次女の得意なことと不得意なことを知って、これからの生活に役立てていくこととして説明。バウムテストに関しては、絵を描くことが得意で自信のある次女なので、たぶんなんとかなりそう。ただ、田中ビネー知能検査Ⅴはかなりハードルが高そう…。Upload By まりまりなので、田中ビネー知能検査Ⅴに関しては、ネットで事前に検査で使うグッズの画像を見せて、なんとなくどんなことをするか伝えたり、テストじゃないしできてもできなくても全く問題ないことを伝えたりして、少しでも安心して取り組めるように話をしました。が、次女の反応としては「どんなことやるの」「どんな質問があるの」「間違ったらどうするの」と不安そうな様子は拭えませんでした。まずはバウムテスト検査をする心理の先生と慣れるように、というのもあって、まずバウムテストを実施。これは、問題なくできました!先生からの絵に関しての質問にも、小さい声ですが何とか答えられました。この調子なら、田中ビネー知能検査Ⅴもいけるのでは…と少し期待感が。田中ビネー知能検査Ⅴついに田中ビネー知能検査Ⅴへ。まず、言語性の課題から始まったのですが、声を出すのはもちろん、どれかを選んだり、指差ししたりも、固まってしまって難しい状況でした…。心理の先生が、言葉のいらない道具を使った課題もやってくれたのですが、簡単なものでも全く手が出せませんでした…。Upload By まりまりUpload By まりまり結局、何もできずに検査は中止となったのでした。もしかしたらできるかも!と少し期待していましたが、慣れない先生に慣れない場所で試されるような検査。事前に説明したものの不安感は拭えず、まあ、できなくてもしょうがない…とそこは割り切ることにしました。結果…知能検査は全くできず、結果も出ませんでした。ただ、保護者が答えるかたちのPARS-TRを実施して、その他の総合的な判断から、次女の場合は、発達障害はたぶんなく、場面緘黙との診断となったのでした。こうして、場面緘黙の診断がおりて、正直、ホッとした気持ちが大きかったです。それまで、次女自身が困っていることが多くても、話せずコミュニケーションがとれないことで問題が表面化しないことがほとんどで、「問題なく過ごせています」と担任の先生に言われてしまっていました。なので、診断が出たことで、「支援が必要な子」ということを分かってもらいやすくなったのではないかと思いました。執筆/まりまり(監修:三木先生より)お子さんにとって、検査の場面は緊張しますよね。初対面の人の前で課題に取り組むことは、相当にハードルが高いことです。ご本人や親御さんが「失敗した」という気持ちにならないように我々専門家も気をつける一方で、「どこまでできたか」「どんな様子でできなかったか」という様子が見立ての参考になることも多いです。明らかに無理な検査を強いる必要はないですが、チャレンジしてみると良いこともあるかもしれません。
2022年04月25日ほんとうに児童精神科に行っていいのか?次女が小2のときに児童精神科に行くとは決めたものの、ずっと心に引っかかっていたのが「この程度で病院に行ってもいいのだろうか」ということでした。スクールカウンセラーの先生には「学校に来ることもできて、勉強も問題なくできている。支援センターに行くほどではない」ということを言われていたので、ましてや病院なんて…という気持ちがありました。Upload By まりまりそれでも、次女自身が困っていて話したいと思っている、私自身も一人で支援していく限界を感じていたのでなんとか行動に移すことができました。予約を取るたまたま通える範囲に児童精神科クリニックがあったのでそちらに予約を取ることに。なかなかつながらない電話に諦めそうになりながらも何とかつながり、「娘に場面緘黙があるかもしれない」と事情を話しました。Upload By まりまりそこではこんな感じで言われました。病院へ行けばすべてが解決するわけじゃない、と分かってはいても、現実を見せられた感じで、なんとなく落ち込みつつも、なんとか予約を取ることができました。次女ちゃんに話す場面緘黙についてはあらかじめ話していましたが、病院に行くことについてはまた改めて話をすることにしました。知り合いのお子さんで、児童精神科への通院に関して「自分は病気じゃない」「病院へ行かない」と拒否しているという話も聞いたりしていたので、次女の通院にあたり、どう感じるのか心配はありました。Upload By まりまり次女の最初の反応はかなり拒否的でした。ただ、次女自身も話したいという気持ちがあること、私もずっと一緒にいること、ママ自身もほかに協力してくれる人がいるとうれしいな~心強いな~という感じで説明。とりあえず行ってみて、嫌だったらやめてもいいことを伝えました。次女はしぶしぶ了承してくれる…という感じで、なんとか行けることになりました!ついに病院へ。先生の言葉。嫌がる次女と一緒に何とか病院へ。膨大な量の問診票に記入。母子手帳にそんなに熱心にいろいろと記入していなかったので、小さいころの様子がなかなか思い出せず、育児日記を持ってくれば良かったと反省…。そして診察室へ。Upload By まりまりUpload By まりまりUpload By まりまり「学校も行けてる」し「勉強もできている」から問題ないと言われることが多く、ずっと、本当に児童精神科に来ても良かったのか?という不安な気持ちでいました。きっと、私の言葉の端々にそれが出ていたのか、この先生の不安を和らげてくれる言葉はとても心強く感じました。ただ、ここですぐに診断が出るわけではなく、このあとにいくつか検査をすることになりました。この間、次女は、私のうしろに顔を隠したままほとんど先生の顔を見ることなく、一言も話さずに終わったのでした…。検査の内容、診断の結果などはまた別の機会に詳しく描いていければと思います。執筆/まりまり(監修:井上先生より)場面緘黙の症状は分かっていても、医療機関に行くということについては、やはり多くの不安があったかと思います。子どもさんにとっても、初めて行く医療機関は怖いと思いますが、まりまりさんがそのことを理解し、医療機関に行く前に2人で「場面緘黙」について現時点でできる共通理解を丁寧にされていたことがとても重要に感じました。悪いところを治すために行く所ではなく、一緒に何とかしようと考えてくれる人がいる所という説明はすごく良かったと思います。医療機関、専門機関に子どもさんを連れて行く前に、どのように子どもに説明したら良いのか、多くの親御さんが悩まれると思います。そのような親御さんの参考になるコラムだと思いました。
2022年03月27日最初の相談は担任の先生、専門家はスクールカウンセラーが窓口だった私が最初に相談した専門家はスクールカウンセラーでした。次女が小学1年生のときに相談したスクールカウンセラーは、私が不安に思っていることへのアドバイスを具体的にしてくれて、とても助かったのを覚えています。そのあと小学校2年生のときに引越しをして、環境の変化などで何か変わるかも?と思っていましたが、そこでも次女の場面緘黙の症状は変わらずでした。新しい学校でも相変わらずしゃべることができない次女。そんな次女に対しての環境や担任の先生の対応、今後親としてどのように見守っていけばよいかなど、とても悩んでいた私は、新しい学校のスクールカウンセラーに藁にもすがる思いで相談したのでした。しかし、そこで言われたのは「学校に来られていて、教室にいることができていれば問題ない、見守るしかない」という言葉でした。「クラスメイトと話せないだけだから大丈夫、5年生くらいになったら話せる子もいるから今は見守るしかない」などと言われました。確かにそこまで心配しなくてもそのうち自然としゃべるようになるかもしれない…でも個人的にはどうしてもそう思えず、ほかの支援先について聞いてみました。支援センターには行く必要がないと言われるUpload By まりまりUpload By まりまりUpload By まりまりこんな感じで、「支援センターはもっと大変な状態のときに相談するところ」ということで、「学校に行けていて、勉強もできている」次女には必要ないというお話でした。今なら、そうは言われても…と疑問に思うところですが、このときは「そういうものなのか…」と素直に受け取ってしまいました。なぜかというと、私自身この問題に対しては初心者で、このときはどうしていいか分からず、どこに相談して、どうするのがベストなのか、なにが普通なのか全く分からない状態でした。そんな中、初めて相談した専門家から言われる言葉の影響はとても大きかったのです。※支援センターは都道府県・市区町村など管轄により相談できる内容が違う場合があります。都道府県:地域の支援の情報を提供してくれます。センターによっては直接的な相談を行っていない場合があります。市区町村:相談などを行っている場合が多いですが、相談種類、件数、予約状況などそれぞれの地区ごとに違うので一度問い合わせてみてください。最初の相談先として病院を選んだ理由Upload By まりまりUpload By まりまりただ、もう自分一人では抱えきれないと思ったことと、場面緘黙の本を読んで、場面緘黙の裏に隠れて発達障害が潜んでいる場合も多かったりするということを知り、その精査のためにもまず病院に行った方が良いのではないかと思い、最初から病院へ行く決断をしました。合わなかったらいろいろなところに相談してみると、選択の幅が広がるこうしてわが家の場合は支援センターには行かずに病院へ行ったわけですが、結局そのあと、継続した支援を受けるためだったり、学校との連携のために、病院の臨床心理士さんの紹介で支援センターにも相談に行っています。次女は病院の医師、臨床心理士、学校の先生、支援センターの担当の方、いろんな方にお世話になっています。ですが、人間同士なのでもちろん相性もあるし、専門性が違えば視点も変わってきます。このことから、もし相手と自分の考えが違ったりした場合、また別の、いろいろな場所に相談してみることも視野を広げるために大事なんだと思いました。そして、自分も分野は違えど支援に携わる者として(作業療法士です)、まずは支援を必要としている方の意見を受け入れ、そのあとにいろいろな選択肢を提示していくことが、安心につながっていくんだな、と改めて思ったのでした。執筆/まりまり(監修:井上先生より)場面緘黙症は不安症の一つに分類されており、単に特定の場所や人と話せないだけではなく、対人関係やそれに関連する不安が強いお子さんも多いです。また、まりまりさんが書いておられるように自閉スペクトラム症との合併がある場合もあります。年度替わりなどの環境の変化に対して困難を感じるお子さんも多いので、引継ぎのために複数の機関の相談先を持つことは、本人や親御さんの安心につながると思います。
2022年02月24日担任と加配の先生から発達検査を提案されてゆいは勉強のつまずきや友達がなかなかできないなどあり、担任の先生と加配の先生から「発達検査を受けてみては?」と提案があり、発達相談センターに連絡を取ったのが4年生の3学期。すぐに検査をお願いしたのですが、予約が取れるのが一番早くて3ヶ月後と言われ驚きました。実際に検査を受けたのは5年生になってからです。Upload By 吉田いらこゆいに発達検査を受けることを言うと…検査の数日前、ゆいに発達検査を受けるよう話をすると「私がバカだからそのテストを受けるの?」と落ち込んでいました。焦って違うと説明しましたが、私の言葉が全く響いていないようでした。もうこの年齢になると、学校で友達と比べて、自分にはできないことが多いのではないかと少しずつわかってくる年齢なのだと思います。ゆいは完全に自分はダメだと思っているようでした。どれだけ親が訂正してもそのように受け止めてしまうんだな、と悲しくなってしまいました。確かに原因としては勉強につまずきがあるから発達検査を受けることになったのだけど、自分のことをダメな子だとは思ってほしくない。高学年になり、いろいろな物事を理解できるようになったゆいに発達検査を受けることに対してどのように説明したらよかったのか。今でも正解が分からず、悩んでいます。Upload By 吉田いらこ発達検査の結果は発達検査当日は学校を休み、新版K式という検査を受けました。発達検査を受けることに対して落ち込んでいたゆいでしたが、当日は落ち着いて検査を受けられたようでした。 そして検査の結果は『通常より2年程度の遅れがあり、療育手帳の申請対象に当たると』いうことでした。このときに、事態は自分が考えているよりもっと大ごとなのだと分かりました。ちょっと勉強が苦手なだけだと思っていたのに…うちの子は手帳が発行されるくらい遅れがある…?胃がギュッと縮まった感覚がありました。Upload By 吉田いらこただひとつ、このときに『療育手帳ってなに?』という疑問があったのですが、質問できませんでした。そのことを質問する余裕もないほど頭がいっぱいになっていたのです。この時点では、障害者手帳は聞いたことがあっても療育手帳というものがあることは知らず、療育手帳が知的障害のある子に発行されるものだというのは、帰宅後にネットで検索して知りました。(※自治体によって「療育手帳」の名称が違う場合があります。)参考:療育手帳について(厚生労働省)Upload By 吉田いらこ検査結果の説明のときにはっきり「軽度の知的障害があります」と言われるのではなく「療育手帳を申請できます」と言われるのが私としてはキツイいなあと感じました。手帳を取るか取らないか、保護者が自由に選べるということなんですよね。これがまた、『わが子を障害者にするもしないも保護者次第』と言われているようで、自由に選べる反面、責任が重くしんどいなと感じました。一通りの説明が終わったあと、スタッフの方に「この結果についてどう思われますか?」とクールに問われたのですが「どうと言われましても…」と固まってしまいました。そのときの私は事実を受け取ることだけで頭がいっぱいで、感想どころの話ではなかったからです。Upload By 吉田いらこでも逆にスタッフの方がとても事務的だったのが、私にとっては嬉しかったです。淡々と事実だけを説明してくださる、それだけでいいのです。説明された側は少なからず動揺している状態なので、ここで変に慰められたり、励まされたりしていたら感情の壁が決壊して大泣きしていたと思います。Upload By 吉田いらこまた、この日検査を受けた発達相談センターでは、発達障害の診断までは下りないと言われたので、後日発達障害の診断をしてくれる個人クリニックを探すことになりました。やっと見つけて予約を入れましたが、ここでも一番早くて検査は3ヶ月後と言われ、どこも混んでいるのだなと笑ってしまいました。執筆/吉田いらこ(監修:井上先生より)いらこさんが仰っているように、検査の前にお子さんに検査の内容を説明するのは難しいですね。発達検査や知能検査をするメリットは単に数値を得るだけでなく、検査結果を支援に活用できることです。目から入る情報処理は得意だけど耳から入る情報は苦手など、自身の知的能力の強みや苦手さの特徴がわかることで、適切な支援や配慮に役立てることができます。検査からわかる具体的な認知特徴や適切な支援について教えてもらえるとよいと思います。相談機関や発達検査、知能検査の種類によっても異なりますが、ある程度は答えてもらえると思います。すぐに質問をする余裕などないときには後日改めて問い合わせをしても良いと思います。
2022年02月21日小学校3年になって、難易度が上がった勉強につまずきだした現在小学校5年生の長女ゆい。小学校4年生のときに発達検査を勧められ、その後5年生で軽度知的障害、自閉スペクトラム症、場面緘黙などの診断を受けました。小学校の勉強って3年生あたりからだんだんと難しくなっていくのですが、ゆいがつまずいたのはまさにそこでした。3年生から難易度が上がるといっても、テストで高得点をとる子も多いと思います。でもゆいの算数のテストは50点以下が多かったです。これを見ても「勉強の苦手な子だなあ、でも元気ならそれでヨシ!」と適当に考えていた私のところへ、ゆいが4年生に上がったある日、担任の先生から電話が来たのです。教室にいたのは担任の先生。そしてもう一人…。先生からお話したいことがあるので学校に来てくれませんかと言われたとき、最初に考えたのは「クラスの子と何かトラブルがあったのかな?」ということでした。4年生のクラス替えで仲の良い子と離れてしまい、友達をうまくつくることができていなかったようなのです。教室に入ったとき、担任の先生ともう一人、加配の先生がいらっしゃったので「あれ?」と感じました。加配の先生は、授業に集中できない子たちの横について個別にサポートしてくださる方です。「なんで加配の先生がここにいるんだろう」と不思議に思っていました。私はここまで、ゆいが特別扱いを受けていることに気づいていなかったのです。Upload By 吉田学校でのゆいの様子は先生がゆいの学校でのことを教えてくださいました。「勉強についていけず、理解する余裕がない状態です」…そうですよね。この子は勉強が苦手なんです。「私たちもゆいさんに合った指導方法を探していこうと考えています」…あれ、これはもしかして、大ごとなんじゃないのかな?「もしよろしければ、発達検査というものがあるので一度受けてみてはいかがでしょうか?」……。Upload By 吉田学校の先生からこんな提案受けるなんてよっぽど大変なことになってるんだ。でも私はこんなことを言ってしまったんです。Upload By 吉田「でも、個別指導の塾にも通うようになりましたし、これから頑張ればみんなに何とか追いつくんじゃないかと思ってます」なんでこんなことを言ってしまったのかというと、多分受け入れることができなかったからなんだと思います。それは「検査を勧められるほどに発達に心配があると思われているわが子」ではなく、「子どもの遅れに目を背けた自分自身」にです。普通のお母さんだったら、子どものためにもっと早く動いていたのでは?小学校3・4年生のテストとは言え、いつもテストの点数が低かったゆい…。「勉強ができなくてもいい、元気だったら」と思っている気持ちに嘘はないけれど、それと同時にそれは親がラクしたいための言い訳だったのではないかとうしろめたさを感じてしまいました。そんな私に対して先生は「お母さん、お子さんを普通という小さな箱に入れようとしていませんか?」と仰いました。Upload By 吉田「普通」であることにこだわっていた私先生の言葉に私は頭を強く叩かれたように感じました。そうだ、私は”普通であること”にこだわっていたんだな。「普通でいてくれたらそれが一番」なんて思ってたけど、普通に勉強ができて、普通に新しい友達ができる…その”普通”はゆいにとってはとてもハードルの高いものだったと言うことにそこで初めて気づくことができました。「お母さんの思う”普通”、みんながそこを目指す必要はありません。子どもの可能性はもっともっと大きいです。もっとゆいさんのためになることを探していきませんか?発達検査でその手がかりを知ることができるかもしれません」先生はそう仰いました。Upload By 吉田ここまできたらもう腹をくくって行動しなきゃな。この子はちょっとサポートが必要なタイプの子らしい。ゆいのためになることをこれから一緒に探していかないと。先生のこの言葉があと押しになり、私は帰宅してすぐに発達検査の申し込みをしたのでした。執筆/吉田いらこ(監修:三木先生より)学年が上がると学習内容が複雑化・抽象化した上に量が増えるので、つまづきやすくなってきます。そこでついていけていないこをと突きつけられると、わが子の順調な発達を願う身としてはつらいですよね。お母さんにとってつらい話にもかかわらず、ゆいさんのためを思って検査を進めてくださった学校の先生方の勇気には敬意を表したいです。そしてその勇気から逃げずにしっかりと向き合ったいらこさんもまた素晴らしいと思います。
2022年02月10日場面緘黙かもと次女に伝えることは特に悩まなかった次女が小学校1年生のときに、話せない様子を見て場面緘黙を疑い学校に相談、スクールカウンセラーにも「場面緘黙かもしれない」と言われていました。学校でずっと話せない次女。その姿を見ていて一番心配していたのは、次女自身が「話せないなんて、私ってダメだな…」と自分自身を責めて、自信を失ってしまうのではないかということ。「話せないこと」はもちろん本人にとってはとてもつらく苦しい大きな事実ですが、それは次女自身の一部であって、それがすべてではないことを知ってほしいと思っていました。すべて自分自身のせいではなくて、そういう病気があって、助けが必要なこともあるし、実際改善している人も居ると知ることは、本人が暗中模索の中で場面緘黙と共に過ごしていく中での道しるべになると思いました。なので、本人に言うか言わないかは特に悩むことなく、「場面緘黙について正しい知識をつけてほしい」という気持ちで、本人に伝えることにしました。実際にどう伝えたか次女が小学校2年生になり、病院を受診する前には本人に場面緘黙について話していました。私自身、説明が下手だしうまく伝えられる自信も無かったので、子ども向けに場面緘黙について書かれている本を長女と次女と一緒に読むことに。Upload By まりまり次女の反応はどうだったか私が説明しながら、3人で本を読み進めるといった感じでした。次女より、長女の方が興味深く見ていた気がします。Upload By まりまり次女自身は「なんでか分からないけど学校で話せない」ということは自覚していたので、「ほかにもこういう人いるんだね?」と、本の説明から話せない理由については少し理解してくれたかなという感じがしました。その後もその本は手が届くところに置いておいて、たまに引っ張り出して見ていました。まだ小学校2年生だったので完全に理解したという感じではありませんでしたが、「自分が話せないのは場面緘黙というもので、そういう人も世の中にはいる」程度の理解はできたのかな?と思いました。「場面緘黙」って知ってよかった?あのころは伝えるのが当たり前くらいで迷いなく次女に場面緘黙について伝えましたが、今思うと「本当にそれで良かったのかな」という気持ちもわいてきました。そこで、次女に直接聞いてみました。Upload By まりまりUpload By まりまりUpload By まりまりこんな反応でした。次女にとっては、「病気については嫌だけど、聞いておいてよかった」という感じのようでした。告知することを迷わずに伝えてしまったけど、わが家の場合は、結果として言って良かったようです。私から見ても次女が、場面緘黙に対して、そして自分自身に関しても、少し客観的な視点で見られるようになったかなという気がしています。執筆/まりまり(監修:井上先生より)告知に対して悩まなかったとは言え、子どもへ告知をすることは親御さん自身にも勇気がいることです。タイミングや伝え方の工夫などもされ、がんばって伝えましたね。次女ちゃんの理解にも繋がり良かったです。「告知は何歳位までにしなければならないでしょうか」という質問をよくもらいますが、適切なタイミングはお子さん一人ひとりで違います。まりまりさんの体験のように、きょうだい一緒の方がいいか、時期や場面をずらして伝えた方がいいかなども大きな課題です。告知をする前の条件としては、お子さんの好きなことや得意なこと、そして苦手なことがあることを親子で共有・理解できていることが重要です。告知をする前に親御さんが、診断に関する適切な知識を身につけておくことも必要です。また一度で理解できない場合も多いので何度かに分けて理解しやすいように伝えていくいくことが大切かと思います。
2022年01月24日帰国後、次女の場面緘黙の症状は変わらなかった現在小学4年生の次女。小学2年生のときに場面緘黙と診断されています。小学校1年生のときに海外引っ越して、2年生で帰国。1年生のときのスクールカウンセラーから「帰国後しばらくしても変化がなかったら新しい学校で、先生やスクールカウンセラーに相談してみてくださいね」と言われていました。日本に帰国したら次女の心境も変化があるかも…と思っていたのですが、帰国後の次女の様子を見ていても、1年生のときと全く変わらず、学校で話せない状態が続いていたのでした。学校の先生との相談まずは担任の先生に相談しました。前の学校のスクールカウンセラーに場面緘黙かもしれないと言われたことや(先生自身が場面緘黙についてご存じなかったので、とりあえず一通り説明)、学校で話せないこと、友達ができないことについてお話しました。Upload By まりまりそこで言われたのは「一人が好きな子もいますし、次女さんもそうなのかもしれませんね」「学校では特に問題なく過ごせています」ということでした。先生は、学校での次女は特に問題ないと感じていたようです。スクールカウンセラーに相談その後、学校のスクールカウンセラーに相談しました。Upload By まりまりそこで言われたのは、「学校に来られていて、教室にいることができていれば問題ない」ということでした。次女は、クラスメイトと話せないだけだし、場面緘黙の子は5年生くらいになったら話せる子もいるから、今はただ見守っていくしかないと。「緘黙症状が長引くと二次障害になりやすい」とか「早く気づいて支援を始めることが重要」といったことを本で見たりしていたので、「2年生から5年生まで見守っていくだけで大丈夫なんだろうか…」と不安な気持ちになりました。次女のように静かに困っている子は見えづらいこうして、相談した先から「問題ない」と言われ続けた次女。アレ?話せないことって、そんなに問題じゃないんだっけ…? と私の今までの心配は大したことじゃなかったのかも…?とあやうくバグを起こしかけました…。こうした経過から、次女のように「学校に行けていて、何とか勉強もできている子」は、学校としては、なんら問題のない子になるのかもしれないなと思いました。たとえば、学校で友達同士でのおしゃべりの声が大きかったら先生の目に留まり、「何があったの?」と気づいてもらうことができます。ですが、クラス内で表立って問題を起こすわけでもなく、困っていても自分からそのことを言えない場合は、そもそも先生が困りに気づけず、よほどよく見ていない限り、先生からしたら「特になんの問題もない子」に分類されてしまうのかもしれません。Upload By まりまりどうしたら良いのか分からず、でも助けが必要だった「問題ない」と言われた次女ですが、それでも目に見えにくい困りはたくさん抱えています。担任の先生とだけは必要最低限のことを話すことはできますが、あくまでも「最低限」のことだけです。本当はもっと「友達や先生と話したい」「友達と遊びたい」と思っているのに…。次女の頑張りでどうにかなるものでもないですし、このころの私は次女の気持ちを大切にしたいのに、どうしたらいいのか分からずに見守ることしかできず、もどかしい気持ちでいっぱいでした。Upload By まりまりUpload By まりまり本人への声掛けや家族や学校でのサポート方法など、どうしたら次女の今の状況を良くすることができるのか悩みました。そして、私自身、自分の力だけではこの状況を変えていけるとは思えず、さらに一人で抱えていることがつらくなり、何か頼れる場所が必要だと思って児童精神科を受診しようと決意したのでした。執筆/まりまり(監修:初川先生より)次女さんの学校での様子、気になりますね。担任の先生が「問題ない」とおっしゃるのは、次女さんがかなり努力されているのではと思うのですが、どんな様子なのでしょう…。音読をする、隣の人や班の人と話し合うなど、学校生活の中では「話す」ことが必要な場面は結構あります。先生が配慮して困っていないのか、そういう場面ではがんばって何らか意思表示しているのか、クラスメートの子たちの反応や受け入れも気になるところです。言葉での意思疎通が難しいと、場合によっては遊びを通して仲良くなることも難しい場面もあるかもしれません。確かに慌てずに見守るスタンスは大切です。しかし次女さんが「話したい」「友達と遊びたい」という気持ちを持っていることをまりまりさんはしっかり把握されている。無理に話をさせていいことがある訳ではないですが、待っているだけでいいのかと不安になる気持ちも当然のことです。次女さんのそういう気持ちをもっと共有できたらきっとまりまりさんも心強かったことでしょう。次女さんやまりまりさんの気持ちをうまく支えてくれる支援者と出会えるといいなと思います。その一つとして、児童精神科があったということですね(ほかには、地域の教育相談センターも同じくきっと支えになってくれるかなと思います)よき出会いとなりますように。
2021年12月23日「場面緘黙症に気づくまで」第15話。ドイツでの最終登校日に先生から渡された成績表には、「持ち前の明るさ」との言葉が。先生が次女ちゃんと誠実に向き合ってくれたことが、本当にうれしく、ありがたいと感じるまりまりさんなのでした。そしていよいよ帰国前日……。場面緘黙症に気づくまで 第15話 1年生のときのお話はこれで最後になります! このときは、今思えばとても周りに恵まれていたなぁと思います。ドイツの日本人学校は、小1、小2は送迎必須でした。そのお陰で、保育園時代のように、毎日先生とお話できたのがとてもよかったと思います。 小学校に入ると、幼児期のころと違って学校での様子がいろいろ見えなくなってしまうので、症状の強くない場面緘黙症の子どもたちは、ただのおとなしい子として、気付いてもらえないことも多いと思います。先生のほうも、ただのおとなしい子ってことで、いろいろスルーしてしまうこともできたと思うのですが、次女のささいな変化にいち早く気付いて、私と共有してくれたことで、次女が場面緘黙症じゃないかと気付くことができました。先生には感謝しかありません……。 ◇◇◇ 帰国前日の夜。「先生にもみんなにももう会えないんでしょ?」とベッドの中で泣いていた次女ちゃん。それほどまでに先生やクラスメイトのことが大好きで、きっと次女ちゃんもみんなから大切に思われていたのでしょうね。 ドイツにきて次女ちゃんが場面緘黙症かもしれないと気づいてから、落ち込んだり悩んだりしたまりまりさんでしたが、この素敵な経験が次女ちゃんの成長につながってよかったですね! 監修/助産師REIKO ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター まりまり2歳差の性格がまったく違う長女と次女の母です。次女の場面緘黙についてや姉妹の成長についてのんびり記録しています!
2021年11月25日引越しと小学校入学次女が小学校入学時に、家族で海外へ引越し。それに伴って、現地の日本人学校へ入学することとなりました。このときは、まだ次女が場面緘黙とは知りませんでした。Upload By まりまり引越しや転入にあたっては、家族が一緒に居ることと、2歳上の長女が一緒に同じ学校に行くことを理由に、「大丈夫じゃない?」というようなことを本人は言っていました。当時の次女は精神的ストレスが原因で空気をたくさん飲み込み、胃がパンパンになってお腹が膨らんでしまい、膨満感から食欲もなくなってしまう「呑気症」と診断されていました。今思えば、このときは不安を言葉にできなかっただけで、その分呑気症の症状として体に出ていたのではないかなと思っています。新しい学校での次女の変化新しい学校が始まり、なぜか呑気症の症状は軽減してきましたが、次女の様子に変化が出てきました。Upload By まりまり日本人学校は、低学年時には登下校の送迎が必須。私が送迎しているとき、次女は同じクラスの子にあいさつしてもらっても、全く言葉を返すことができませんでした。「せっかく声かけてくれてるんだから、あいさつはちゃんと返そうね~」などと言ってみるものの、変わらず…。さらに、海外の日本人学校なので、普通の小学校に比べるとものすごく転出入が多い環境でした。次女と同じ時期や次女よりあとに転入してきた子たちがどんどん慣れていく中、次女自身は全く友達と話せない、交流できない状態が続いていました。それが、1学期だけでなく、2学期に入っても続いていたのでした。親としてこの状態をかなり心配はしていましたが、次女自身もともと引っ込み思案な性格だったため「相変わらずものすごく引っ込み思案だな…」「おとなしい子なんだな…」という感じで無理やり納得していました。できていることもあった先述のとおり次女は、あいさつはできないし、友達と話せない状況が続いていました。でも、できていることもありました。Upload By まりまりものすごく小声だけど、担任の先生とは何とかお話ができていました。さらに、教科書の音読ができたり、授業中指されたときに答えの決まったことは声を出して答えることができていました。ですので、学校生活を送る上では、「友達と話せない」という以外は、なんとなく学校生活を送ることができていたのです。さらに、家では普通に話せていました。担任の先生が、次女が話さないことを心配してくれたときは、「家では普通に話しているから大丈夫です」というのが夫の反応でした。Upload By まりまりそういった感じで、クラスメイトと話せないし友達もできなかったけど、先生は話せたり、授業に支障がなかったことが、あまり問題視しなかった原因かと思います。でも、やっぱりおかしいと思っていたUpload By まりまり次女のように、できることもあって、なんとなく学校で過ごすことができてしまっていると、なかなか本人の困り感に周りが気づきにくいのではないかなと思います。私の場合は、日本人学校が保育園と同様に毎日送迎があり、次女の学校での様子を直接見られたこと、また先生と話す機会も多くあり、相談なども気軽にできる環境だったのが良かったのだと思います。これがなかったら、いまだに、次女の困り感に気づくことができずに「ものすごく引っ込み思案でおとなしい子」という認識のまま、現在まで来ていたと思います。「家では大丈夫」なのは家で安心して過ごせているということなのでとても良いことだと思います。ですがこの海外での生活は、それだけで判断するのではなく、さまざまな環境での次女の変化に気づくことができた良い機会となりました。執筆/まりまり(監修:三木先生より)学校での様子を見ることができる、あるいは先生とも頻繁にコミュニケーションが取れるというのは安心できる要素ですね。
2021年11月25日「場面緘黙症に気づくまで」第14話。3学期に入り、次女ちゃんは、誰にも聞こえない小さな声ながらも、クラスメイトに「バイバイ」とあいさつできるようになりました。次女ちゃんの成長をうれしく思うまりまりさんでしたが、せっかく慣れたドイツを離れることを心苦しく思っていました。場面緘黙症に気づくまで 第14話 成績表(うちのほうではあゆみと呼びます。全国的に……??)の先生のコメントに心打たれました。 よく見てくださっていた先生だったからこそ、この言葉に重みがありました。そうじゃない先生だったら、「え? よく見てないのに……?」となっていたと思いますが……。場面緘黙症で、学校でいいところをなかなか発揮できない次女ちゃん。見えていない彼女のステキなところを見ようとしてくれた、真剣に向き合ってくれた先生が本当にありがたかったです。まあ要するに、ただの親バカなんですけどね。 つづきまーす! ◇◇◇ ドイツでの最終登校日。先生から渡された成績表には、「持ち前の明るさ」との言葉が。学校では話せず、表情も出せなかった次女ちゃんでしたが、本来の好奇心旺盛で明るい部分を先生はちゃんと気づいてくれていました。 先生が次女ちゃんと誠実に向き合ってくれたことが、本当にうれしく、ありがたいと感じるまりまりさんなのでした。 監修/助産師REIKO ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター まりまり2歳差の性格がまったく違う長女と次女の母です。次女の場面緘黙についてや姉妹の成長についてのんびり記録しています!
2021年11月24日「場面緘黙症に気づくまで」第13話。スクールカウンセラーとの面談で「次女ちゃんは自分で世界を広げることができる力を持っていると思います」と言われ、次女ちゃんの持つ力を信じてサポートしようと心が軽くなったまりまりさん。そして3学期を迎え……。場面緘黙症に気づくまで 第13話 3学期になるまでに、とても成長した次女ちゃんでした。 このときは、本当に周りに助けられていたなあと思います。 でも、せっかく慣れたのに、帰国が迫っているのでした……。 ◇◇◇ 3学期に入り、次女ちゃんは、誰にも聞こえないほどの小さな声ながらも、クラスメイトに「バイバイ」とあいさつできるようになりました。 ほとんど反応のできない次女ちゃんに声をかけ続けてくれたクラスメイトの子たちや、あたたかく見守ってくれる担任の先生に感謝しながら、次女ちゃんの成長をうれしく思うまりまりさん。 せっかく慣れたドイツを離れることを心苦しく思っていました。監修/助産師REIKO ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター まりまり2歳差の性格がまったく違う長女と次女の母です。次女の場面緘黙についてや姉妹の成長についてのんびり記録しています!
2021年11月23日「場面緘黙症に気づくまで」第12話。スクールカウンセラーとの面談で「引っ越しが多いお家の子のなかには、あえてお友だちを作らないようにする子もいるため、帰国してから慣れるまで様子を見るのもよい」との話を聞きました。「これからどうなるのかとても心配してます」。不安な気持ちを吐露したまりまりさんにカウンセラーさんは……。場面緘黙症に気づくまで 第12話 スクールカウンセラーの先生のお話が力強くわかりやすかったので、とても助けられました!「世界を広げることができる力を持っている」って、壮大な感じでなかなかかっこよくて良いなあと、とても印象的でした……。 ◇◇◇ 「次女ちゃんは自分で世界を広げることができる力を持っていると思います」 スクールカウンセラーさんの言葉にハッとしたまりまりさん。 次女ちゃんの持つ力を信じて、安心して過ごせるようにサポートするようアドバイスを受けたことで、まりまりさんも心が軽くなったのでした。 監修/助産師REIKO ★♡★♡ベビカレ秋のマンガ祭り★♡★♡マンガ200連載突破を記念して『べビカレ秋のマンガ祭り』開催中!話題のマンガを毎日増量配信♪ぜひチェックしてくださいね!著者:イラストレーター まりまり2歳差の性格がまったく違う長女と次女の母です。次女の場面緘黙についてや姉妹の成長についてのんびり記録しています!
2021年11月22日