皆さんは、病院で怖い思いをした経験はありますか?今回は「原因不明のまま手術されそうになった話」にまつわる物語とその感想を紹介します。イラスト:エトラちゃんは見た!発言に違和感ひどい頭痛に襲われ、主治医の紹介で名医がいるという脳外科を訪れた主人公。しかし診察室に呼ばれて入ると、名医ではない医師がいて違和感を覚えます。医師の挨拶を聞くと、なんと名医の息子だったのです。名医本人は体調を崩して休養を取っていたのですが…。医師は検査結果を見て「腫瘍は見当たらないので手術しますね」と言い出しました。主人公は「え?」と命の危機を感じ、主治医に相談。そして主治医から名医本人に連絡し、主人公は名医に診てもらうことになったのです。腫瘍の位置は…出典:エトラちゃんは見た!検査結果を見て「脳の中心に腫瘍がある」と言う名医。半年間見つからなかった腫瘍がまさかの場所にあると知って、背筋が凍る主人公でした。※診断結果に違和感を覚えた場合は、セカンドオピニオンの受診を検討してみてもいいかもしれません。読者の感想腫瘍が見つからないまま、脳の手術をするなんて不安でいっぱいになりますよね…。主人公が恐ろしい発言をする医師ではなく、名医に診てもらえて安心しました。(40代/女性)体調が悪くて苦しむ中、なにも原因がわからないと不安でしかたがないですよね…。主人公が名医の息子の違和感にすぐ気づき、主治医に相談できてよかったです。(50代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年02月12日ステージ3~4の大腸がんを宣告され、2021年2月に手術を受けていたタレントでミュージシャンの桑野信義が10日に自身のアメブロを更新。手術後の後遺症で見舞われた障害の影響で現在もしていることを明かした。1月4日のブログで、桑野は「人工肛門を閉じてからの後遺症で排泄障害になってしまい」と告白し「トイレラッシュに襲われる」と説明。「色々な種類や形があるけれどこれが人工肛門パウチです」と写真とともに明かし「人工肛門を閉じた後に排出障害で同じ思いをしている人がたくさんいることを知った」とつづっていた。この日は「パシフィコ横浜に行って来たよ」と報告し「1度オストメイト(人工肛門の人)になり その後ストーマ(人工肛門)を閉じ現在排出障害になってしまった桑野信義に講演依頼が来たのです」と説明。「正直言って当時は人工肛門の自分が恥ずかしかったんです」と明かしつつ「でも世の中には老若男女のオストメイトがいると知りました人工肛門ですが普通の生活をしています」と述べ「恥ずかしいと思っていた自分がすごく恥ずかしくなったんだ」とつづった。続けて「そして人工肛門を閉じる時に愛おしくさえ思えたストーマにお別れをして記念写真を撮ったよ」と報告し「その後は排出障害になり現在もオムツをしている」と現在もおむつを着用して生活していることを告白。「ちっとも恥ずかしくない」と述べ「これから、そして今現在 同じ障害を持つ人たちの役に立たればということ少しでも自信を保って欲しいので隠さずこれから発信していきます」と今後の意気込みをつづった。また「桑野も最初は不安だったよ」と明かし「このブログを見て質問があればどんどんお待ちしてます」とコメント。最後に「元気に見えても人は何らかのハンデを背負って生きてます」と述べ「焦らず!慌てず!諦めず!がんサバイバーの皆さん一緒に闘いましょう」と呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年02月11日タレントの辻希美が5日に自身のアメブロを更新。違和感を抱いて人生初の胃カメラ検査を受けた結果を報告した。この日、辻は「実は数週間前から食道と胃に違和感があり」と切り出し「痛いとか気持ちが悪いとかではなく何かが居る感じ?がして」と説明。「ずっと気になっていたので今日は人生初の胃カメラに行って来ました」と報告し「緊張し過ぎて昨夜はほぼ寝られなかった」と自撮りショットとともにつづった。続けて「自分の身体に感じる違和感に色々怖くなっちゃってたけど検査結果は特に異常は無く」と検査結果を明かし「食道と胃の違和感はストレスや疲れからくる物かもね」(原文ママ)と言われたことを説明。「この数週間不安で不安で仕方なかったから今日はドキドキしたけど初めての胃カメラやって良かったです」と述べ「定期的にちゃんと検査しなきゃですね」とコメントし、ブログを締めくくった。
2024年02月05日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日48歳のときに手術した卵巣がん。ステージ1Cとの診断でしたが抗がん剤を勧められました。ステージ1なら抗がん剤は不要だと思っていたのですが……。ネットでいろいろ調べるも明るい情報は少なく、抗がん剤を使用するかについて、最終的に私が決断するまでの体験談です。不安と痛みの入院生活48歳になったばかりの1月、人間ドックで異常が認められ、病院で再検査をすると卵巣がんの可能性があると診断を受けました。早ければ早いほうがいいと、同年3月に卵巣がんの手術をおこないました。3月6日に入院し、17日に退院したので11日間の入院期間です。腹腔鏡で手術ができる昨今ですが、私の場合、診察を受けて子宮筋腫と卵巣がんの疑いがあるという説明のあった時点で、手術は開腹になると伝えられていました。しかも30cmの開腹とのこと。指をちょっとけがしただけでも痛いのに、30cmも切るなんてどれだけなんだろう!? と想像すらできない痛みに不安が増すばかりでした。実際、胃の辺りからおへその下10cmくらいまで一直線に切って、おへそも真っ二つ。おへそって切っても大丈夫なんだ!? という小さな驚きと、やはり信じられないくらいの痛みに少しずつ気がめいっていくのを自分でも感じていました。がんは治せる時代と言われており、卵巣がんでステージ3だった同僚からは「私でも治ったんだから大丈夫!」と励ましのエールをもらいましたが、多くの人ががんで命を落としているのも事実です。寝返りどころか少し体を動かすだけでもむせるほどの激痛に、体を動かすこと自体が怖くなり、行って帰ってくるだけで20分近くかかるトイレや、毎日歩かなければならない入院生活が憂うつに感じることも多かったです。2週間予定の入院が11日に短縮同時に驚いたのは、30cmもおなかを切って翌日には歩けるんだ!? ということでした。おなかには3本の管、背中には痛み止めの管、尿管にも管という状態でも翌日から歩くことで回復が違うそうです。約5年たった今でも、手術後初めてベッドから降りて床に足をつけたときの痛みは忘れられません。体全体に電気が走るような感じたことのない痛みで、痛みでむせるというのも初めての経験でした。そんな入院生活の中、退院のお知らせは突然でした。だいたい入院は2週間くらいと言われていたものの、こんな痛いのに2週間で退院なんてできるのか? リクライニングもない自宅のベッドでどうやって起き上がったらいいのか? など不安ばかりだったので、20日くらいの入院になるかな? と思っていたのですが、まさか11日間での退院とは。先生は「それだけ順調なんですよ!」と言ってくれますが、不安は拭えません。そして退院当日には、医師から病気の詳細や今後の治療方針の説明がありました。具体的な内容は下記のとおりです。卵巣がんの種類は類内膜がんと明細胞腺がんの混合タイプであることリンパへの転移はなく、ステージは1C期であることステージ1でも明細胞腺がんは抗がん剤が推奨されていること抗がん剤での副作用について卵巣がんは大きく分けて4種類あり、類内膜がんと明細胞腺がんはそのうちの2種です。類内膜がんは多くの場合、異型度(正常な細胞との異なり具合を示す度合い)が低く進行が遅いものが多く、明細胞腺がんは進行は遅いが化学療法は効きにくく、子宮内膜症を併存するものが多いという特徴があるそうです。そして、ステージ1とはがんが卵巣もしくは卵管にとどまっている状態とのことでした。そのステージ1に1Aから1Cまで大きく3つの分類があり、私は手術操作による被膜破綻(腫瘍を覆っている膜が破れること)があって、わずかでもがん細胞がおなかの中に残っている可能性があるため、1C期にあたるとのことでした。こうした内容を丁寧に説明してもらい、家族はステージ1であることに安堵(あんど)している様子でした。抗がん剤をやらないと決めるまで退院後、明細胞腺がんについて調べてみました。早期で見つかることが多いが、抗がん剤が効きにくく治しにくいがんであるとの評価が多く、気持ちが暗くなる内容がほとんどでした。息子は就職2年目で学生じゃなかったことは幸いでしたが、高齢の母を養うことも考えると、シングルマザーの私としては経済的にも早く仕事に復帰したかったです。息子の大学受験の際お金がかかり生命保険を解約したため、県民共済にしか加入しておらず医療費負担も心配でした。病気の不安でめいる気持ちが抗がん剤の副作用でさらに大きくなるのでは? という心配もあり、抗がん剤をやりたくない! という思いが強かったのです。また退院時の説明の際、がんの進行と共に増える物質を検査する「腫瘍マーカー」の数値も普通に戻っている今、抗がん剤をして効果の有無はどこで判断するのか? と尋ねたところ、先生は「いい質問ですね。それはないんです。判断する材料はないけど再発防止のためにやるということになります」との回答だったことも引っかかっていました。家族や先生は当然やってほしい、私としてはできればやりたくないという狭間で悩む日々でした。最終的には経済的・精神的な負担を理由に抗がん剤をしないという決断をしましたが、それを受け入れてくれた家族と先生には感謝しています。まとめ抗がん剤の使用の有無を決めるにあたり、おこなわずに健康に過ごしている! という人の情報がほとんどなく、機会があったら文章として残したいと思っていました。金銭的、精神的に余裕があれば私も抗がん剤をおこなっていたかもしれません。病気はいつやってくるかわからず、医師の言うとおりに治療したくてもできない人も少なくないでしょう。私もその1人です。ですが術後6年近くが経過し、今現在は元気です。術後5年が経過したときに、がん保険に入ることもできました。不安と背中合わせな部分もありますが、不安より安心の割合が新しい年を迎えるごとに増していく気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/sara(52歳)22歳で出産後、27歳で離婚。以降一人で仕事と子育てを両立してきたシングルマザー。ようやく子どもも就職し、安心した矢先に大病を患い現在経過観察中の身。忙しい仕事や家事、親の介護など日々のストレス発散は、大好きなお酒とKPOP。そんな趣味を、いつまでも楽しめるよう健康管理に努めている。
2024年02月02日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親にがんを報告すると泣かずにいてくれましたが、やはりショックを受けていたと実家に住む妹から聞きました。がんになってよかったと思えることもフリーランスのとりだまりさんは、子宮頸がんであることを懇意にしていた編集者に報告したところ、あっさり仕事を切られてしまいました。治療が終わったとしても、復帰する場所がないというのがしんどいと思っていたのですが……。他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多くいたのです。しょっちゅう仕事をしていた方にあっさり仕事を切られてしまい、「このやりとりをあと何回続けるのか」と思いながら、仕事先の方たちに連絡をしました。ある程度覚悟していたのですが……。「とりあえず半年くらいは待てますから」「無事に治療が終わるのを待っています」「治療が長引くならそのとき相談しましょう!」など、やさしい言葉をかけてくださる方が多く、とてもうれしかったです。ある方からは、治療中も仕事を続けさせてくれるという、うれし過ぎる申し出もありました。でも、一体なぜ……? と思い尋ねてみたところ、その方も長期入院したことがあり、病気が治っても仕事がないかと思うとすごく不安だったという経験があったからとのこと。そのおかげで、実際に私は入院中も働くことができたのです。がんになったことは、本当に死ぬほど怖くて、震えるほど嫌なことです。それでも、実はがんになってよかったと思えることもたくさんあります。その1つが、「待つ」と言ってくれた人たちがいたこと。そのことに気付けたことです。元気だったら、なんということのないひと言ですが、社会に戻れるかどうかわからない自分にとって、思った以上に勇気づけられる言葉でした。特に、戻る場所のことまで考えてくれた彼女には、ただただ感謝しかありません。ほかにも、それぞれのやり方でサポートしてくれた友人がいて、その気づかいにもとても助けられました。------------------------「待つ」と言ってくれた人たちがいたことに気付けたことで、視界が大きく変わったと、とりだまりさん。治療を始めてからでないと、自分でもどうなるかわからない中、そういった言葉はとても励みになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。乳がん患者の女性と友だちになり、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。ただ、働けない期間のお金が気がかりでした。手術前から戦意喪失両親には、事前に子宮頸がんであることを伝えていましたが、直接話をするために実家に帰ったとりだまりさん。直接話をしたときは泣かずに聞いてくれました。ただ、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。そして、次は仕事関係の人たちに報告をすることになったのですが、地味にショックな出来事があり……。いつまで続くかのかわからないのが、がん治療。だからこそ困るのが、収入減(仕事)のことなのですが……。がんを治せずに死ぬのも怖い。生き残って、また仕事を始めるのもちょっとしんどい。このときはそんなふうに思っていました。だから、仕事関係の方に連絡するのがとても怖かったです。意を決して、当時懇意にしていた書籍編集者さんに報告したのですが……秒で切られました(笑)。仕事を切られるのはともかく、非常にあっさりなのがなんとも。まぁ、向こうにもいろいろ都合があるのでしょうが……。「治療が終わるまで、何年だって待ってますよ!」……という都合の良い答えを期待していたわけではありませんが(いや、ちょっとしてた)、残念ながら私は、編集さんが「数年待ってでも書いてもらいたいんです!」と思うような、実力派でも売れっ子ライターでもないので、恨むなら自分を恨むしかないのが、なんとも情けなく。ただ、うまい具合に治療を終えられたとしても、そのとき復帰する場所がないというのは、やはりなかなかしんどいものです。------------------------仕事をあっさりと切られたとき、とりだまりさんは「正直、終わったな……と思った」とのこと。がん治療とは直接関係ないことであっても、治療前から気に病むことことがあるのは、つらいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月30日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。原因不明のまま開頭手術されそうになった話謎の頭痛と手の痺れに悩まされていた主人公は、かかりつけの小児科に紹介してもらった脳神経外科に行くことに。しかし紹介された医師は病気で休養しており、その息子が院長代理を務めていました。原因わからないまま半年が過ぎ、やがて病気が進行して半身が麻痺し始めた主人公。すると医師は、腫瘍の場所はわからないが、とりあえず開頭手術をすると言い出したのです。医師の判断に不安を感じた一家は、再びかかりつけの小児科へ。小児科の医師経由で休養中の院長に連絡を取り、状況を説明したのです。手術は中止出典:Grapps『急きょ手術は中止にします』と院長の指示で開頭手術は中止が決まり…。まだ体調が万全ではない院長は、診療はできないものの、MRIの結果を見てくれました。ここでクイズ命に関わるとのことで、手術が中止になった主人公。この後、「えっ」と一同が唖然とした医者の発言とは?ヒント!経験豊富な院長は、MRIを見てすぐに院長代理の医師には難しいと判断した様子で…。腫瘍は出典:Grapps正解は…正解は「脳の中心に腫瘍がある」でした。まさかの脳の中心に腫瘍があると言われ、驚く主人公一家と院長代理の医師。その後、院長はすぐに大きな病院への紹介状を書いてくれたのでした。原作者:エトラちゃんは見た!※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(Grapps編集部)
2024年01月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになり、弱音を吐けたことで不思議と気持ちが軽くなりました。がんの報告のため実家に帰ると…1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。入院準備で物をそろえる以外にもいろいろ調整が必要なことがありました。一番気がかりだったのは、収入のこと。フリーランスだったため、働けないと即、無収入となってしまうのです。そして、もう一つ気がかりだったのは、子宮頸がんであることを両親に告げること。気が重くなってしまって……。子宮頸がんであることを電話で両親に伝え、その後実家に会いに行くことにしました。私もアラフォー。高齢なので、あんま期待してなかったとも思いますが、さすがに両親に「孫を残せなくて……」と直で伝えたときはヘビーでした……。そんなこと娘に言われた両親のほうが、さらに重かったとは思いますが。娘に面と向かってがんだと告げられた、父と母の反応はそれぞれでしたが、泣かれなくてよかったな、と思いました。でもその後、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。いやー、やっぱそうですよね~。会っている間は淡々と、普通の挙動だった両親ですが、やっぱり無理してたんだなぁと。これはもう、「心配かけて申し訳ない」としか言えません。本来であれば、親がこっちに心配かけていい年代なのに。介護とか。あと妹。不甲斐ない姉でホントすみません……。病気になることで、自分の甲斐性のなさが、アリアリと浮き彫りになった1日でした。------------------------両親に自分ががんだと伝えるのは本当に気が重かったとりだまりさん。伝えるほうも、伝えられるほうもとてもつらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになって治療についていろいろ話を聞き、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。収入ないまま生き続けるのもヘビー…入院前に乳がん患者の女性と「がん友」になったとりだまりさん。「がん友」に弱音を吐けたことで、がんであるという事実は変わらないけれど、不思議と気持ちが軽くなりました。そして1カ月後、子宮頸がんの手術をおこなうことに。入院準備で物をそろえる以外にも調整が必要なことがあり……。自分が倒れれば、そこまで。働けなければ、即無収入。それがフリーランス。しかもわが家は夫婦ともにフリーランス。なので、夫婦といえども、簡単には相手に頼れません。なぜなら共倒れになるから。そのつもりで生きてきました。ただ、「治療費が足りなければ貸す」と夫に言われたときは、「よっしゃ、死んだら借り逃げできるな!」とも思いました(笑)。いざとなったら、借り逃げができる。それが夫婦(?)。そう思っているのは私だけかもしれませんが、夫に確かめるつもりはもちろんありません。「違う」って言われても困るから。この先も、そこはあいまいにしたまま生き抜こう。そう思う今日このごろです。ー------------------------フリーランスのため、働けない期間のお金のことが気がかりだったというとりだまりさん。手術だけでなく、手術後の生活やお金についても夫婦で話し合う必要があるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院手続きの際に乳がん患者の女性に出会い、抗がん剤治療について教えてもらいました。都合にいいとこだけ見て生きていけるタイプ乳がん患者の女性に、抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきたとりだまりさん。その女性とは仲良くなって、「がん友」になりました。乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんに、ウィッグについても教えてもらった私。もし抗がん剤をすることになっても、めっちゃいいウィッグを買うことにして、闘病の決意を固めました。そして、ウィッグへの気付き意外にも、さらにうれしい出来事が……。それは、がん告知を受けたその日に、とてもすてきながん友に出会えたことです。どうせハードな治療をするなら、せめてメンタル面くらいはラクラクのラクをしたいじゃないですか……。だって絶対、そこそこしんどいし。そんな私の怠け者マインドに、彼女の極上におおらかな感性は非常にしっくりきたのです。私も体毛が全部抜けたら、エステで全身脱毛したって思おう~。そう考えただけで、くだらな過ぎてちょっと楽しくなれたのでした。------------------------入院前からがん友だちができたことが、非常に心強かったと、とりだまりさん。がんである事実は変わらなくても、不思議と心が軽くなったそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月24日英王室が、1月15日(現地時間)にキャサリン皇太子妃が予定されていた腹部の手術を受け、入院していることを発表した。「手術は無事に終わりました。キャサリン皇太子妃は10日から14日間、入院する見込みです。現在の医学的なアドバイスに基づき、公務はイースター以降に再開予定となるでしょう」。ウィリアム皇太子もキャサリン皇太子妃と3人の子どもたちのサポートをするため、少なくともキャサリン皇太子妃の退院までは公務を延期する。キャサリン皇太子妃は子どもたちのためにいつも通りでいたいと思っていること、自身に関する個人的な医療情報については非公開にしておきたいと望んでいるという。そのため王室は、今後はキャサリン皇太子妃の経過について「共有すべき重要な新情報」がある場合のみ伝えるとしている。王室の広報担当者によると「がんではない」とのこと。キャサリン皇太子妃が手術前に公に姿を見せたのは、昨年のクリスマスだった。ウィリアム皇太子、ジョージ王子、シャーロット王女、ルイ王子と家族そろってセント・メアリー・マグダレン教会で行われた毎年恒例のクリスマス礼拝に出席した。英王室は、キャサリン皇太子妃の情報を公表した数時間後に、チャールズ国王が前立腺肥大のため来週病院で治療を受けることも明かした。(賀来比呂美)
2024年01月18日千葉大学発ベンチャー・柏の葉ゲノムクリニックは、「がんリキッドバイオプシー外来」を、千葉大学柏の葉キャンパスの診療所にて2024年2月より開始いたします。「がんリキッドバイオプシー」とは「がんリキッドバイオプシー」は、がんに由来するDNA/RNAや細胞を血液などの体液中から取り出して分析することにより、がんの早期発見やモニタリング、治療方針提示を行う検査の総称です。採血により体に大きな負担がなく検査を行えることから、世界的に盛んな研究が行われています。ゲノムクリニックはゲノム解析の領域で、がんのリスク判定および早期発見を目指し研究を続けてきました。今回、国内外から本領域に関わる検査を集め、「がんリキッドバイオプシー外来」として開始いたします。より多くの方々に受診していただくことで、がんの予後を改善することを目指しています。■受診方法1. ゲノムクリニックHPより予約を行っていただきます。2. 医師による問診後、最適な検査をご提案させていただきます。3. 採血を行い、検体を院内ラボまたは提携先ラボにて解析します。4. 結果レポートを対面またはオンライン診察により説明します。5. 必要に応じて、追加の検査や医療機関紹介などを行います。■受診できる対象者「がんの早期発見を希望する方」「がん治療中または再発モニタリング中の方」■クリニック概要名称: 柏の葉ゲノムクリニック所在地: 千葉県柏市若柴178-4, 148街区2KOIL608代表: 院長曽根原 弘樹設立: 2019年10月1日(出典元の情報/画像より一部抜粋)(最新情報や詳細は公式サイトをご確認ください)※出典:プレスリリース
2024年01月17日■前回のあらすじ夫の恵一が自分に内緒で地元に帰っていることに気付いた舞子。恵一を尾行すると、地元の病院で元婚約者と会っていた。恵一の元婚約者の葉月は生存率50%以下の病気に侵されていて、恵一は葉月を元気づけようとしていたのだ。もともと恵一と葉月は親の反対で仕方なく別れを選択したが、お互い未練を残していた。葉月の境遇や恵一の正直な気持ちを知った舞子は恵一が見舞いに行くことを認め、「支えてあげて」と伝える。しかし、葉月は「手術して元気になってるから連絡するから待ってて」と言うのだった。元気になったら連絡すると言われた恵一のもとに届いた知らせは、葉月の訃報だった…。後日届いた葉月からの手紙は、最後まで自分ではなく、恵一の幸せを願う内容で…。葉月の分もしっかり生きないといけないと心に誓った恵一は、舞子に手紙を渡し迷惑をかけたことを謝ると、舞子はこの一件で恵一のことを深く知れたと打ち明ける。あまりにも自分勝手な行動で家族に迷惑をかけたにもかかわらず、受け入れてくれた妻という存在に頭が上がらない恵一は、改めてこれからも嘘はつかない関係性を誓った。決してGPSを付けられるようなことなどしないと…。 ※この漫画は実話を元に編集しています
2024年01月13日優しい飼い主(mapleandmortycorgi)さんと暮らす、コーギーのメイプルちゃんとモーティくん。一緒に遊ぶのが大好きな2匹にとって、試練の時がやってきました。メイプルちゃんが膝関節を安定させるための手術をしたのです。手術後は安静が必要なため、飼い主さんはメイプルちゃんが快適に療養できる環境を整えてあげたそう。ただし、走ったり、ジャンプしたりしてはいけないため、メイプルちゃんは囲いの中で過ごすことになります。こうしてしばらくの間、メイプルちゃんとモーティくんは一緒に遊べなくなってしまいました。愛犬を『刑務所』から出してあげたら?メイプルちゃんにとっては、自由に走り回れない囲いの中はまさに『刑務所』のように感じるはず。手術から数週間が経った頃、順調に回復しているメイプルちゃんが、囲いから出してほしいとせがむようになったといいます。そこで飼い主さんは、目を離さないようにしつつ、メイプルちゃんを少しの間、囲いの外へ出してあげることにしました。すると、久しぶりに『刑務所』から出られたメイプルちゃんは…!こちらをご覧ください。@mapleandmortycorgi Because Maple is recovering well, she’s been begging to be let out of her pen. So we tried giving her supervised time outside (her pen) but we realized, she is not to be trusted. #tplosurgery #tplorecovery #dogsoftiktok #dogtok ♬ original sound - mapleandmortycorgi自由になれたのが嬉しいメイプルちゃんは走り始めたり、ジャンプしたりと大はしゃぎ!その度に『刑務所』に戻されてしまいました。囲いの外で楽しそうな時と、『刑務所』に逆戻りした後の表情の違いが、メイプルちゃんの気持ちを物語っているようです。「私たちは監視下でメイプルに囲いの外での時間をあげようとしたけど、彼女は信用できないことに気付いた」とつづられた動画は、130万件の『いいね』が集まり、メイプルちゃんへの同情と笑いが沸き起こりました。・かわいそうだけど、『刑務所』に戻された時の表情で笑った!・『刑務所』から出られたら、そりゃあ遊びたいよね。・#FreeMaple(メイプルに自由を)。・早く元気になるように祈っているよ!犬が手術後に安静が必要な場合、物理的に動けないように狭い場所で過ごさせるしかありません。それが犬にとってストレスになることが分かっていても、飼い主さんは愛犬の回復のためにそうせざるを得ないのでしょう。しかし、ご安心ください。この動画の投稿後もメイプルちゃんは順調に回復し、2023年12月の時点ですでに『刑務所』から出て、家の中を元気に走り回っているそうです。さびしくてつまらない『刑務所』での時間を乗り越えたメイプルちゃんを、「よく頑張ったね!」と褒めてあげたいですね。[文・構成/grape編集部]
2024年01月04日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。入院手続きをするときに乳がん患者の女性に出会い、勇気付けられました。がん治療に挑む覚悟ができたのは…入院手続きのときに出会った、乳がんで抗がん剤治療をした女性に抗がん剤治療についていろいろ教えてもらったとりだまりさん。抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきましたさらに、一番気になっていたことを詳しく聞いてみると……。すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんのお話を聞いて、私の中のがん治療への思い込みが次々と塗り替えられました。抗がん剤治療を受けてみないとわからないけれど、私が想像していたよりもずっと体を動かすことができるのだな、と。そしてついに、一番気になっていた髪の毛について聞いてみたら……。「それはもう見事にツルツルに。エステかよっていうくらい」と美女患者さん。抗がん剤治療でエステって一体……!?私は髪の毛が抜けることしか想像していなかったのですが、髪の毛だけでなく、全身の毛という毛が抜けるとのこと。ウィッグは慣れるととてもラクで、ナチュラルになじませるためには、それなりにお値段がかかるよう。でも、それでがん治療のつらさを乗り越えられるのであれば……。このときは「絶対に買おう」と決めたものの、後日、家族の猛反対に遭いました。「なぜ見栄のために、そんなに高いものを……」「数千円台からあるんでしょ? だったら、そういうのを何種類か買って楽しめば?」…………まぁ、そういう考え方もありますよね。でも、正直「うるせえ!」って思いました(笑)。だって治療するのは私だもん。自分で買うのだから文句はないでしょうが!とにかく、私はこの決心で、心置きなくがん治療に挑む覚悟ができたのでした。ー------------------------美女患者さんのリアルな話で、一番気がかりだった髪の毛についても前向きに考えられるようになったという、とりだまりさん。がん治療に挑む覚悟の固まり方は、人それぞれだと実感したそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、その後がんの専門病院で詳しい検査を受けるとがんが確定しました。子どもはいいらないと夫婦で決めていたものの、手術で子宮も卵巣もなくなることになり、子どもを持てなくなることの罪悪感が湧き上がってきて……。抗がん剤治療の不安が少し和らいで…入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女から声をかけられたとりだまりさん。その女性に抗がん剤で髪が抜けるのかを質問してみました。すると、「見事に抜けるね! 今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿にこれならがん治療もいけると感じました。さらにいろいろ話を聞いてみると……。入院手続きをしているときに、すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんにお会いしました。抗がん剤といえば、「とにかく吐きまくり」という印象だったのですが……。「多分吐かない。大丈夫」と言われてびっくり!中には薬が合わなかったり、薬の量が多かったりして吐く方もいるようですが、「今めっちゃいい吐き気止めあるから」とのこと。美女患者さんの場合は、ちょっとムカムカするかな? 程度だったらしいです。さらにこの後、私にとっては意外な事実が告げられました!思えば、私の身近でがんにかかったのは、高齢の祖父母だけ。年齢のことを考慮して、抗がん剤治療はしなかったので、今のがん治療がこんなに進んでいるとは少しも思いませんでした。「もしかして、がん治療をしながら仕事ができるかも?」それは、フリーランスの私にとっては、非常に希望の持てること。だって、休業補償がないし……。長期間休んだら、これまでのキャリアがすべて終わるような気がするし(これは気のせいでしたが)。まぁ、がん治療しているのに休めないという現実もどうかと思いますが、仕事が続けられるという事実は、いろんな意味で支えになります。もちろん、体は治療でそれなりに疲れているので、これまで通りというわけにはいかないのですが。それでも、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきました。ー------------------------想像していた抗がん剤治療とは全然違っていたと知り、驚いたというとりだまりさん。症状の出方やつらさは人によってそれぞれだと思いますが、がん治療中をしながら働いている方もいるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮全摘で、卵巣も切除したほうがよいと言われて……。手術はともかく抗がん剤が心配でがんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定したとりだまりさん。夫に電話で伝えると、冷静に聞いてくれて安心しました。子どもはいらないと何となく夫婦で決めていたものの、卵巣を切除することになったことで、産まないのと産めないのは似ているようにずいぶん違うことを感じました。とりだまりさんは、検査結果を聞いたその日に入院手続きをすることになり……。翌月に控えた手術のために、入院の手続きをすることになりました。私の場合、がんになったことは、割とあっさり受け止めることができました。けれど、ハゲるのはなかなか……(笑)。そんな私に、とってもうれしい出会いが訪れたのです!声をかけてくれた美女は、乳がんで抗がん剤を投与したとのこと。髪の毛のことについて聞くと、「見事に抜けるね! もうツルッツルに! あ、ちなみに今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿に「これならイケんじゃね?! がん治療!」と感じたのです。ー------------------------不安な中、その女性に出会えたことはとてもうれしいことだったというとりだまりさん。経験者の話を聞いたり、姿を見ることは、自分が前向きに考えられるきっかけになるのかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査結果が出るのは約1カ月後ですが、血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。産めないと産まないのは違う…がんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定しました。ステージは「ⅠB1期」。ステージ1だとしたら軽いほうではないかと思ったら、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療で、さらに子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいと言われました。検査結果を伝えるため、家族である夫に電話をかけたのですが……。検査結果はクロ。子宮頸がんのIB1期でした。まずは夫に伝えなければと、「アウトでした…とりあえず手術」と電話で報告しました。「まぁ、なったもんはしょうがないからしっかり治そう」と、落ち着いて対応してくれた夫の存在が、とてもありがたかったです。ややホッとしたこともあり、このあと、思わず不安をこぼしてしまいました……。結婚前から「子どもはいらない」と何となく決めていたわが家。ですが、いざ自分の子宮も卵巣もなくなるとなると、子どもを持てなくなることへの罪悪感がほんのりと湧き上がってきました。なるほど、「産まない」のと「産めない」のは、似ているようで、ずいぶん違うんだな……と、このときはひしひしと感じたものです。それにしても、この段階で「ハゲたくない」とか言っている私って……。でも実際、手術よりも抗がん剤そのものよりも、このときの私はハゲるのが何よりも怖かった。だって、見栄っぱりだから。それがわかっていても、本当に本当に嫌だったんですよ~。ー------------------------何よりもハゲるのが怖く、「もし抗がん剤をやらなきゃいけなくなったら……」と考えると目の前が真っ暗になってしまったそう。治療を始めてみないとわからないことは、不安になりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査の前、今まで見過ごしてきた不正出血などの不調が思い出され、早く病院に行っていればと後悔して……。結果をひとりで受け止めると決めて病院へがん専門病院で、細胞の組織を採取して検査する組織診を受けたとりだまりさん。検査結果が出るのは数週間から1カ月後とのこと。血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。1カ月、組織診の結果を聞きに病院に行くと……。がんの専門病院で、詳しい検査をして1カ月後……ひとりで結果を聞きに行きました。がんなのかどうか、ずっとモヤモヤしていてとてもキツく、まさにヘビの生殺し状態。病院では、泣いている人もいて「やっぱりひとりで受け止めるのはキツイ?」とも思ったのですが、私の場合は、まずはひとりで受け止めたかったのです。そして診察室に入ると「手術しよっか」と先生。覚悟していたこともあって、白黒ついたときは、ちょっとホッとしました。とはいえ、もちろん大ショック!手術前の先生の見立ては「ⅠB1期」。「つまり、ステージ1? だとしたら、軽いほうなんじゃ……」と初めは思っていました。簡単な手術で子宮頸部をちょこっと切るだけで済むんじゃないかな、って。ところが、日本だとI期・Ⅱ期の治療は外科手術が基本で、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療だそう。さらに、子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいとのことで……。うちはもともと子どもを持つ予定はなかったので、妊娠・出産は特に望んでいませんでした。それでも「卵巣切除? 女性ホルモンが出なくなる? 女性らしくなくなる?」と考えるのはかなり不安でした……。ただ、手術や治療が終わってみると、その点についてはさほど心配いりませんでした。今は、女性ホルモンを充填できるホルモンパッチがあるからです。ちなみに現在、手術を終えて5年以上がたちますが、同世代と比べて、肌や髪も「まぁ、経年劣化もあるので、こんなもんかな……」という程度の衰えで済んでいる気がします。ー------------------------卵巣まで切除するとは思っていなかったとりだまりさんは、「女でなくなる!?」とショックを受け、この先どう生きたらいいのか混乱したそう。予想外のことを受け止めるのは簡単ではないですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で再度検査を受けることになり……。検査の結果が出るのは数週間からひと月後大きながん専門病院に行くにあたり、今まで見過ごしてきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきたとりだまりさん。「ちょっと変だな」という自覚があっても、お金がない時期が長かったことで、なかなか病院に行く決心がつかなかったことを後悔しました。組織の一部を取って検査をすることになったのですが、強い痛みを感じて……。がんの専門病院で、細胞の組織をもう少し採取して検査する「組織診」を受けることになりました。細胞診検査の結果「がんかもしれない」となったら、子宮頸がんの場合は、続いて以下のような、より専門的な検査をするようです。・コルポスコピー観察(専用の拡大鏡で医師が観察)・組織診(がんが疑われる部分の一部を、鉗子で切除し、病理検査へ回す)・血液検査(腫瘍マーカーチェック)・内診・超音波検査・MRI(画像診断)・CT(画像診断)・PET-CT(画像診断)など。組織診では、鉗子で細胞をちょこっと削るため、人によっては痛みがあります。私はそこそこ痛かったのですが、平気な方も多いようです。どうしても怖い場合は、お願いすると麻酔をかけてくれることもあるようですが、「痛い!」と言っている間にすぐ終わるので、麻酔をかけるほどでもないのですよね……。このあたりは悩ましいところです。そして、組織診や画像検査の結果が出るのは、数週間からひと月後。患者はその間、もんもんとして結果を待つわけです。長いんですよね~、この、待っている間っていうのが……。ちなみに「腫瘍マーカー」とは、がんなどの異常があると体内で増える特有の物質のこと。私の場合は、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカーの1つ「CEA」の値が、基準値上限の3倍ほどでした。思わず「うわぁ……」と声が出ました。ー------------------------組織診のときに受けた血液検査で、腫瘍マーカーの1つの値が高かったとりだまりさん。しかし、組織診や画像検査の結果が出るのを待つしかなく、その間はとても長く感じたそう。検査を受けたらすぐに結果がわかるわけではないのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに食付き、婦人科を受診したとりだまりさん。がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになり……。何年も不正出血が続いていたのに…詳しい検査を受けるために、候補となった病院は3万円からの個室しかないセレブな病院とがん専門病院の2つ。セレブ病院は経済的に無理だったため、がん専門病院を選びました。がん専門病院では、患者さんが皆がんを患っているため、しんどいのは自分だけじゃないと思えてよかったそうです。大きな病院に行くにあたり、今まで見過ごしたきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきて……。大きな病院で検査を受けるにあたり、夫と「これを機にちゃんと診てもらおう」と話しました。とはいえ、痛くも何ともないので、「本当にがん?」とも思うのですが、くじ運は悪いほうな私は、裏を引きそうな気もして……。そうなると、「ここ何年も不正出血が続いていたな」「結構な頻尿だったな」など、これまでは何とも思っていなかった体の不調も気になってきました。当時は「疲れてるせいかなぁ」と漠然と思い込んでいたというか、変なことになっているんじゃないかとは、考えたくなかったのだと思います。さらに、「ちょっと変だな」という自覚はあっても、お金がない時期が長かったので、なかなか病院に行く決心がつかなかったというのもあります。後にして思うと、「お金がなくても、結構何とかなったのにな」と激しく後悔に襲われました。日本には、医療費が高額になった場合に一部を払い戻してくれる「高額療養費制度」というすごい制度がありますし、入院前に「限度額適用認定証」の申請を役所にしておくと、病院で自己負担限度額以上の支払いをしなくて済む仕組みもあります。いずれの場合も、自己負担限度額は収入に応じて変わってくるので、自分が加入している保険(国民健康保険なら役所、社会保険なら会社等)の担当者に相談すると良いそうです。ー------------------------ご自身の経験を踏まえ、「ちょっとでも変かな?と思ったら、ぜひ病院に行っときましょう!」ととりだまりさん。気になる症状があるときは、自己判断をせず、早めに受診できると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。【天神先生からのアドバイス】頻尿だったのは、おそらく大きくなった子宮が膀胱を圧迫していたのだと考えます。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付いて、近所の婦人科を受診したとりだまりさん。すると「がんかも……」と医師に言われ……。がん専門病院を選んでみた結果専門の施設へ行き、がんの細胞診を受けたとりだまりさん。検査の結果、Class(クラス)Ⅲb、がんの可能性が高いことがわかりました。クラスとは腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断するものだそうです。この後、より詳しい検査をするために、大きな病院に行くように言われて……。がんの細胞診の結果、がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになりました。候補に上がった2つの病院のうち1つは、3万円からの個室しかないセレブな病院だったため、「経済的に無理!」となり、もう1つの病院にしました。その病院はがん専門なので、患者さんも皆さんがんを患っています。不思議なことに、しんどいのは自分だけじゃないと思うと、何となく怖さが薄れてメンタル的にとてもラクになったので、結果的によかったと思いました。そして、病院選びで気を付けないと、と思ったことが1つ。総合病院の場合、婦人系のがんの患者さんと、出産を控えた方が、近くに配される可能性があること。「隣の病室からは、赤ちゃんの元気な泣き声や親族の『おめでとう!』の声が聞こえてくるのに、がんの手術で子どもを産めなくなってしまった自分って……」これは、子どもがいない女性にとっては、なかなかしんどいと思います。とはいえ、総合病院には良い点もたくさんあります。すでに子どもがいる方なら、上記のようなことがあってもさほど気にならないかもしれませんし、がんの他に持病を抱えている方なら、がんも持病もトータルで診てもらえるというメリットもあるでしょう。できるだけストレスなく過ごせるところを選べると良いですよね。ー------------------------がん専門病院を選んだことで、とりだまりさんは自分が「普通ゾーン」にいると思えて、安心したそう。自分ができるだけストレスを感じずにいられる病院選びが大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみは子宮筋腫の影響だろうと思い、婦人科を受診したとりだまりさん。しかし、「今すぐMRIを撮ってきて。がんかも……」と医師に言われて……。医師から検査結果を告げられて…おなかの膨らみが気付けば大きくなっていて、そろそろ婦人科で診てもらったほうが良いと思い、受診したとりだまりさん。医師からすぐにMRI検査を撮るように言われ、専門施設へ。検査結果について、医師から「出ちゃった」と告げられて……。細胞診の検査結果を見せられました。でも、「Class(クラス)Ⅲb」ってどういうこと!?早速詳しく検査をするために、専門施設へ行きました。私はずっとフリーランスで、社会人になってから健康診断すら受けたことがなく……恥ずかしながら、39歳にして生まれて初めてがんの細胞診を受けたのです。後日細胞診の検査結果を見せられたのですが、見方がわからず、早速「クラス」と「ステージ」が頭の中でごっちゃになりました。Class(クラス)Ⅲbってどういうこと!?もう結構がんが進んでいるってこと??だって、ドラマなんかでは「ステージ4」とか言ってるし。だから、がんと言えば「ステージ」でしょうが! と勝手に思い込んでいたのです。実際は、・「クラス」=腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断・「ステージ」=がんが体内でどれくらい広がっているかを判断ということだそう。細胞診の検査結果によると、私はがん(悪性腫瘍)の可能性が高いとのこと。この後、別の検査でステージを診断します。普段は「無表情」「表情筋が死んでいる」と言われがちな私ですが、さすがにこのときは表情筋も引きつりました。ー------------------------先生は「クラス」と「ステージ」の違いを懸命に説明してくれましたが、動揺していたとりだまりさんの耳には、ほとんど入ってこなかったそうです。ステージの診断はどうなるのでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月23日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。ある日、ジーンズのボタンが留まらず、おなかが出ていることに気付いたとりだまりさん。子宮筋腫があったため、そのせいかと思っていたのですが……。何かがボコッと飛び出しているジーンズをはこうとしたらボタンが留まらなかったとりだまりさん。そのとき、おなかがボコッと出ていることに気付いたものの、子宮筋腫のせいだと思い、特に気にすることもなく過ごしていました。その後、おなかのボコッが大きくなっていることが気になり、受診してみたところ……。今や日本では、2人に1人にががんになる時代とか。私も39歳のときにがんが見つかりました(2015年の出来事です)。自分の異常に気付いたきっかけは、ジーンズのボタンが留まらなかったこと。下腹部に何かがボコッと飛び出している感じで、子宮筋腫がある私はそのせいだと思っていたのです。以前受診したときに、医師から「子宮筋腫そのものは悪さをしないから」と聞き、自分に都合の良いように取って、定期的に検診をすることもなく過ごしていた私。時々不正出血があるなど、ちょこちょこ不調がありましたが、勝手に「子宮筋腫のせいだな」と自己判断しておりました。でも、そろそろ婦人科で診てもらったほうが良いな、と思い受診すると……。「あの……今すぐMRIを撮ってきて」「がんかも」はいっ!?まさに青天の霹靂(へきれき)でした。ー------------------------筋腫を診てくれた先生からは「でも、それが原因で他の病気になることがあるから放置せず経過観察しよう」と言われていたのですが、とりだまりさんは、定期的に病院に通うのが面倒で、不調があってもスルーしてしまったそう。異常に気付いたらすぐに受診したほうが良いのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月22日妊活中に子宮筋腫と診断され、切除手術を受けることになったもちなべさん。そして迎えた手術当日、全身麻酔で意識を失っているうち、あっという間に手術が終了。しかし、術後2日目になっても体は鉛のように重く、患部にはズキズキとした痛みがあり、さらには微熱もあって……。本作は著者であるもちなべさんの実体験を描いた作品です。 切除した筋腫の重さは…術後2日目、患部の痛みや微熱と闘いながら、なんとか内診を受け終わったもちなべさん。その結果は……? 内診の結果は特に問題なしとのことで、とりあえずホッとするもちなべさん。 するとここで、医師の口から衝撃の事実が明かされます。筋腫は全部で5つ切除したのですが、その総重量は325gだったとのこと。もちなべさんは自分のおなかの中にそれだけの筋腫があったことに驚きながらも、同時に「それだけ取ればポッコリおなかも治るはずなのにおかしいなあ……おなかはへこんでないぞ……?」とも感じたそうです。 そして同室の患者さんの大きなイビキをBGMに、術後2日目を終えたのでした。 子宮筋腫での腹腔鏡手術後は、筋腫がなくなってぽっかりと空いたスペースに内臓が下垂し、下腹部がぽっこりするケースもよく見られるそう。他の原因も考えられますし個人差もあるのですが、もちなべさんもこういった理由でおなかが少し膨らんでいるのかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 もちなべさんの作品は、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター もちなべ
2023年12月21日2022年の冬ごろに大学病院でMRI検査を受けたところ、多発性粘膜下筋腫(複数の腫瘍があり特に出血しやすいタイプの子宮筋腫)と診断されてしまったカンノさん。子宮全摘を決意し、2023年4月にロボット支援下での腹腔鏡手術を受けたのですが……。本作は5年弱の長きに渡る、著者・舘乃夕華(かんのゆうか)さんの闘病記録を描いた作品です。※子宮筋腫とは…良性の腫瘍であり、発生場所は子宮の内側(粘膜下筋腫)、子宮の筋肉の中(筋層内筋腫)、子宮の外側(漿膜下筋腫)とさまざまです。1つだけでなく複数できることも。主な症状は過多月経、生理痛、腰痛、頻尿、貧血など。超音波検査やMRIで診断可能で、治療法には薬物療法や手術療法があります。 1週間の入院生活手術翌日には全身から点滴やチューブが外れ、自由に動けるようになったカンノさん。今回は、カンノさんの術後の体調の様子や、1週間の入院中、どのように過ごしていたかをご紹介します。 手術後は患部の癒着を防ぐ目的で、無理のない範囲での歩行練習が推奨されています。カンノさんもまだおなかの痛みがありながらも、毎日病院内で歩行練習をしていたそうです。 そして術後に気をつけて見ておかないといけないのが「おならが出るかどうか」。腹部の手術をしたあとは癒着が起こって腸の動きが麻痺してしまうこともあり、これを『麻痺性イレウス』と言います。おならが出たかどうか(腸が正常に動いているか)は、イレウスになっていないかを判断する上で重要なサインとなります。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 退院前日、コンビニから病室に戻ってきたカンノさんは、看護師さんからの置き手紙を発見したそう。1週間という短い期間の付き合いだったにもかかわらず、わざわざ手紙を書いてくれるなんて……素敵な看護師さんと巡り会えたことも、入院生活の大切な思い出の1つになりましたね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 舘乃夕華
2023年12月15日雑貨店の店長を務めるオムニウッチーさんがつづる、自身が経験した恋愛マンガ。子宮内膜症の手術を受けたオムニウッチーさん。手術を機に仕事を辞め、10歳下の彼氏・高倉健と一緒に暮らすことを約束します。とはいえ、すぐに結婚するわけではないので、仕事を探してみることに。すると、理想的な求人を発見! すぐに応募したところ、とんとん拍子に面接まで進み……。心配してくれるのはありがたいけど……「手術が終わったら一緒に暮らそう」と、高倉と約束していたオムニウッチーさん。でも、すぐに結婚するわけではないし、このまま無職ではダメだと感じ、就職活動をすることに。すると、条件にぴったりな求人を見つけすぐに書類を送ると、順調に面接まで進みました。高倉も喜んでくれるだろうと、面接の件を事後報告したところ……。面接することを高倉くんに伝えると、想像とまるで違う反応にビックリ!「一緒に暮らすって約束したのに!!」と激怒され、販売職を選んだことについても「もっと自分の体を考えろ!」「バカかよ!!」とブチ切れ。うん……心配してくれるのはありがたいけど「バカ」は余計じゃないのかい?自分で働く職場ぐらい自分で見つけたいのに、いちいち高倉くんに許可を得ないとダメなのかな? なんだか支配されているような感じ……。でも、高倉くんが怒るのも仕方ないのかな。一緒に暮らそうって約束をしておいて勝手に就職活動をした私もたしかに悪い。今回は高倉くんとの約束をちゃんと守るべく、妥協案を提案。この面接が落ちたらすぐに一緒に暮らす、仮に採用されたとしても春には一緒に暮らす!この提案に高倉くんも納得してくれたけど……彼の予言通り採用は決まり、これまた彼の予言通り入社して1年もたたずに店長を任されることになるのでした。高倉くんの予言、恐るべし!!!-----------------オムニウッチーさんの体を心配してのことだとしても、「バカ!」発言はいただけませんね。でも、オムニウッチーさんと「一緒に暮らすって約束した」のだから、少しくらい相談して欲しかったのかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/オムニウッチー(42歳)アラフォー。北海道在住。普段は、キッチン雑貨店で店長をしている。Instagramでは、店で遭遇するお客さんとのエピソードや自分の体験などを漫画にしている。 Instagram:@omni_uttii821
2023年12月11日皆さんは、パートナーを喜ばせようとして失敗したことはありますか?今回は妻のためにお弁当を作ったエピソードと読者の感想を紹介します。イラスト:Fujita人生初のお弁当作り主人公は普段お弁当を作りません。しかし、いつも家事育児を頑張る妻のために、人生で初めてお弁当を作ることにしました。翌朝4時に起床し、2時間かけて完成させた主人公。お弁当を食べた妻の感想を楽しみにしていました。お昼になり妻から電話が来たので、喜んでくれていると思って電話に出た主人公ですが…。主人公が電話に出るなり「何してくれてんの?」と、妻は怒っている様子です。いつもは言葉遣いが丁寧な妻がぶっきらぼうに言うので、主人公は唖然としてしまいます。妻の好物をたくさん入れたはずが、妻は激怒していて…。工夫したつもりだったが…出典:Grapps「おはぎの隣にあるステーキの肉汁半端ないんだけど!」と、妻は主人公に呆れていたようです。ステーキから肉汁が出ることは主人公も想定内で、レシピを検索してうまく閉じ込めたつもりでした。主人公は妻から感謝の言葉を聞きたかったにもかかわらず、文句を言われてしまい落胆します。自分の思った通りにはいかないものだと痛感した主人公なのでした。読者の感想ステーキの隣におはぎが入っているお弁当は嫌かもしれません…。喜んでもらえると思ったのに文句を言われてしまったのは、がっかりですね。(30代/女性)妻のために頑張って初めてお弁当を作ったのはすごいと思います。妻が怒る気持ちもわかりますが、感謝の気持ちも伝えてほしかったです。(40代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2023年12月07日妊活中に子宮筋腫と診断され、切除手術を受けることになったもちなべさん。ドキドキしながら迎えた手術当日、全身麻酔で意識を失っているうち、あっという間に手術が終了。しかし、術後2日目になっても体は鉛のように重く、患部にはズキズキとした痛みが。まだまだ完全回復にはほど遠く……。本作は著者であるもちなべさんの実体験を描いた作品です。 おなかが気持ち悪い…!術後2日目のこの日は昼食が出され、もちなべさんは2日ぶりの食事を口にします。すると、食べ終わったあとに体がポカポカと温かくなってきたような感覚が。気になって体温を測ってみると微熱があり、少し横になって休むことにしたのですが……。 微熱があるとわかり、体にだるさも感じていたもちなべさんは、ベッドに横になって休みことに。しかし、体を倒したときに胃のあたりがゴロゴロと動くような気持ちの悪い感覚があり、あまり休めなかったそうです。その後、看護師さんから声をかけられて内診を受けに行くことになりました。 「ただでさえ経腟超音波検査は痛いのに、内診時のあの独特な体勢を維持するためにおなかに力を入れる必要があるので、このときはいつもより痛かったです」と語るもちなべさん。 今は体の中を切ったばかりで今後もしばらく患部の痛みや気持ち悪さは続くと思いますし、できるだけ安静に過ごし、体が回復するのをじっと待つしかなさそうですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 もちなべさんの作品は、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター もちなべ
2023年12月06日