■前回のあらすじ妻との状況を実母に相談した夫。旦那の浮気に悩んだ経験を持つ実母は彼女なりのアドバイスをおくります。■浮気後に行動をあらためた父■下手な言葉より行動が胸を打った母の我慢だけでなく、父の絶え間ない努力を知ったのでした。次回に続く「旦那の不倫を暴いた話」(全51話)は21時更新!コミックライター: 人間まお
2021年10月22日■前回のあらすじ妻に長文メールを送った旦那はというと、落ち着かず心がソワソワ。たまらず相談した相手は…。■浮気の罪深さを語る実母■実母にあらためて聞きたかったこと浮気をされてもなぜ実母は離婚をしなかったのでしょうか?次回に続く「旦那の不倫を暴いた話」(全51話)は21時更新!コミックライター: 人間まお
2021年10月21日■前回のあらすじ実母に気を使いながら娘の服の好みを電話で伝えようと苦心していると、いきなり娘がストレートに「ヒラヒラの服より木登りできるズボンがいい」とド直球に伝えてしまい…。 >>1話目を見る ■ママが思い込んでいただけ?あれだけママがなんて言おうか悩んでいたのに、自分の好みをあっさり伝えてしまった娘。そんな孫娘ちゃんの奇襲に、母は…!?孫のお願いをあっさり受け入れた母!そして実母の切り替わりの速さに驚きのママだったのですが…。自分の母は“こんな人”という思い込みがあったけど、話してみたらわかり合えた!「いろんな人がいて、いろんな個性があって、いろんな好きがある」そんな「好き」を大事にしていきたいと思いながらも、身近な人こそ「こう思っているんだろう」と決めつけてしまうことが起こりがち。でも、それって話してみなければわからないこともたくさんある。例えば「女だから・男だから」「若いから・年を重ねているから」「〇〇出身だから」そんな決めつけから解放されると、ずっと楽になることもあるのかもしれませんね。ママは、これからさらに楽しく子育てがしていけそう!
2021年07月03日■前回のあらすじママが想像する実母の考えは、もしかしたら思い込みなのかも…と話すパンダ。そして「ヒラヒラの服は好きじゃない」と自分の好きなものを自分で選べる娘ちゃんの想いをママは…。 >>1話目を見る ■どう言ったらママの気持ちをわかってもらえる?実母から届いた娘のためのヒラヒラの洋服。でもほとんど着ていない、もらった服に対してママも思うことがあって…。娘ちゃんの「虫推し」の話が続く中、まごまごするママ…。そのとき、まさかの奇襲が…!娘ちゃんの早技!さてどうなる!→次回に続く!
2021年07月03日■前回のあらすじお母さんの示した「良いお嫁さん」の選択に進んで後悔はないけれど、でも「人生の選択肢は狭めたかも」と考えるママは…。 >>1話目を見る ■子どもには「好き」を大事にしてあげたいけど…自分の経験から、ママが子育てで意識していることとは…。みんなが思い浮かべるパンダの色は「白黒」。それってもしかしたら思い込み?白とピンクのパンダの意見を聞いたママは…。娘ちゃんの好きのパワーが溢れてる~!「好き」と「好きじゃない」をハッキリわかっている娘ちゃん。そんな娘の気持ちをママは自分の母に気持ちを伝えられるの…?→次回に続く!
2021年07月02日「5月29日と30日、東京・明治座で海老蔵歌舞伎が開かれていました。しかし、そこに市川海老蔵さん(43)の実母・堀越希実子さん(68)の姿がなかったんです。普通なら贔屓筋をお迎えするため、家族がロビーにいるはず。身内が誰もいないなんて、ほかの家じゃ考えられないことです。コロナ禍とはいえ変だなと思って関係者に聞いたところ、『体調が思わしくない』とのことでした。でも別の方からは『実はあの2人、口もきかないほど関係が悪化していて……』という答えが返ってきたんです。もう、びっくりしました」(後援会関係者)6月13日まで、京都・南座にて海老蔵歌舞伎を興行中の市川海老蔵。今後は十三代目市川團十郎白猿の襲名も控えているが、そんな大事な時期に希実子さんとの確執がささやかれているのだ。「希実子さんが海老蔵さんの公演で挨拶に立たなくなったのは、今に始まったことではありません。今年1月に東京・新橋演舞場で行われた公演にも、姿を見せませんでした」(前出・後援会関係者)歌舞伎関係者からも、同様の異変が聞こえてきた。「海老蔵さんは毎年6月、植樹イベント『ABMORI』に出席しています。昨年に続いて今年もコロナ禍で開催が危ぶまれていましたが、海老蔵さんはお子さんたちと開催地である長野県を訪れる予定です。ただこれまでは希実子さんもいらっしゃっていたのですが、今年は欠席されることになったのです。過去にも出席されないことはあったのですが……」いったい何があったのか。背景にあったのは、8億円ともいわれる実家の売却劇だった。『週刊女性』6月15日号によると東京都目黒区にある海老蔵の実家がひそかに売却され、解体されることになったというのだ。たしかに本誌が現場を訪れると、すでに工事は進行。塀には建築計画書が掲げられ、中には重機が入っていた。■希実子さんは毎日のように泣きはらして……「あの実家はそもそも、十一代目の團十郎さん(享年56)が’61年に建てたもの。当時は300坪の土地に9つもの部屋と稽古場がありました。十一代目が亡くなったのは、4年後。家督を継いだのは先代の團十郎さん(享年66)でした。先代は’70年代に土地を半分売却したものの、その後はしっかりと家を守り続けてきました」(前出・歌舞伎関係者)そんななか、’92年に事件が起きた。希実子さんの父親は事業を手がけていたが、バブル崩壊で破綻。連帯保証人となっていた團十郎さんが、20億円とも言われる借金を背負うこととなったのだ。「日本一の大名跡・市川宗家を守るため、歌舞伎興行を運営する松竹が動きました。團十郎さん宅の土地と建物を担保にして、借金を肩代わりしたのです。これによって所有権は松竹のものになりましたが、團十郎さんはそのまま住み続けることができるようになりました。また松竹に借金を完済すれば、権利を返却する約束になっていたそうです」(前出・歌舞伎関係者)’13年に先代が死去。海老蔵はその後も返済を続け、負債は半分以下になっていたという。だがそんななかで突然、今回の売却騒動が浮上したのだ。「売却の話を進めたのは、松竹でした。借金をきちんと整理して、海老蔵さんにまっさらな状態で團十郎襲名披露興行に臨んでもらいたいと考えたのです。もちろん、最終的には海老蔵さんとも話し合ったといいます」(前出・歌舞伎関係者)だが、この決断を希実子さんは快く思っていなかった。「先代は、あの家をとても大切にしていました。借金問題のときも『ここを売るくらいなら團十郎を辞める』と言い張ったほどです。だからこそ、希実子さんは『なんとかして実家を守ってほしい!』と懇願。松竹から買い取ってくれるよう、疎遠になっていた海老蔵さんサイドに訴えかけたといいます。周囲からも『受け継いできた実家を手放すくらいなら、麻央さん(享年34)と暮らした自宅のほうを売るべきでは』という声がありました。しかし、そうした願いは黙殺されることになりました。ショックのあまり、希実子さんは毎日のように泣きはらしています。そして『顔も見たくない』と言わんばかりに、海老蔵歌舞伎にも姿を見せなくなったのです」(前出・歌舞伎関係者)■「非難されるいわれはない」と海老蔵に同情の声もいっぽう、別の歌舞伎関係者からは海老蔵に対する同情の声も聞こえてくる。「借金の保証人になったのは、先代ですからね。海老蔵さんからすれば、自分が負った借金ではないわけです。将来的に、借金を長男の勸玄くん(8)に残したくないとも考えているでしょう。買い戻さないからといって、非難されるいわれはないはずです」実家の処分を巡り深まった母子の亀裂。そんななか、前出の後援会関係者は心配そうにこんな思いを語る。「海老蔵さんには、守らなければならないものがたくさんあります。市川宗家の格式はもちろんのこと、子供たちとの生活も同じように大切です。でもコロナ禍で興行も思うようにいかないなか、すべてを守り切ることはできません。だから自分が住んでいない実家は、諦めることにしたのでしょう。いっぽうで亡き夫との思い出がたくさんつまった家を手放したくなかったという希実子さんの気持ちも、痛いほどわかります。つまり、どちらが悪いというものでもないのです。だからこそ、今回の件が原因で母子関係が悪化してほしくない。親子が一丸となってコロナ禍を乗り切り、笑顔で團十郎襲名披露興行を成功させる。それこそが、天国の團十郎さんも願っていることなのではないでしょうか」来る團十郎襲名披露興行に、海老蔵と希実子さんは親子で手を取り合って臨むことができるのだろうか――。
2021年06月09日わが家には4歳と1歳になる女の子たちがいます。義母にとっては唯一の孫で、里帰り出産を受け入れてくれた実母にとっては、小さいころから見てきた愛おしい孫。普段はとても気のいい義母と実母なのですが、かわいい孫に関しては別なようで、おもしろいぐらいやりあっています。かわいがってくれるのはうれしいことなのですが、少し困ったばあばたち。今回は、私が経験した義母と実母の争いについてお伝えします。 ラウンド1:どっちが抱っこする?長女の1歳の誕生日。初めての誕生日ということで、双方の両親を呼んで食事会をすることにしました。結果的には両家を呼んだのが間違いでした。長女が少しでも泣こうものなら、「私が抱っこしますので、お食事どうぞ」「いいえ、食べてください。私が抱っこしておきます」と譲り合いに見える、奪い合い。長女はされるがまま右へ左へ。結局は押しの強い義母が勝ち、「ねんね~ねんね~」と入眠の抱っこ。実母の恨めしそうな顔は、今でも忘れることはできません。 ラウンド2:内孫アピールで、大炎上年賀状のやり取りをしている両家。その年賀状に書かれた何気ないひと言メッセージで正月から大揉めしました。夫の両親からきた年賀状には「孫がいつもお世話になっています」とのひと言。「今どき内孫アピールとは何ごとだ!」と実母が激昂。これに関しては「言葉のあやだよ」となだめるしかありませんでした。夫にこの事件について相談したのが効いたのか、この年以降、内孫メッセージがくることはなくなりました。 ラウンド3:次女はどっちに似ている?次女が誕生したとき、その顔立ちに関してまたバトルが勃発しました。長女は私に似ていますが、次女は100%夫似。「息子に似ていて、かわいいわ。色白なところも、うちの家系やわ~」と大満足な義母に対し、「かわいいけど、長女に比べてちょっと崩れているかな?」という実母。ママ友同士ではよくありますが、まさかのばあば同士でのマウンティング! 天使のような次女がかわいそう。けれど、ここまでバトルしてくれると逆にすがすがしい気持ちでした。 夫と話し合い、発表会は夫の両親、運動会は私の両親を招待するなど、できる限り両家を集合させないようにしています。バトルが勃発するたびに夫婦であたふたしていましたが、当の本人たちは何のその、お歳暮を贈り合ういい関係を築いているみたいです。 「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 作画/はたこ著者:高川しおみ1歳と4歳の女の子の母。市が開催するライター育成講座を卒業後、地元でママライターとして活動中。
2021年04月17日大学1年生のとき、同じ大学の同級生だった彼と出会い、約5年の交際を経て婚約。さらに私の妊娠も判明して両家族で喜んだのですが……。私の妊娠をきっかけに、実母と彼が揉めることになったのです。 婚約中の妊娠判明。そこから彼と実母のバトルが勃発!婚約したのは、ちょうど改元の発表があったころ。「新しい時代が始まると同時に私達2人も身を引き締めて新しい人生を始めたい」と考え、入籍は改元日に決めました。入籍予定日はまだ数カ月先だったので、両家の顔合わせや新居のことはゆっくり考えようと思っていた矢先に、妊娠が判明! うれしさと不安が入り混じったような気持ちで彼と話し、「とりあえず両家族に連絡しよう」ということに。両家に報告すると、みんな驚きながらも喜んでくれました。 ところが、妊娠判明から1カ月も経たないうちに、実母と彼が揉め始めたのです。原因は主に2つ。苗字の問題と、新居を構える場所の問題です。 2人の間で板挟み、そこに思いつわりも加わって心身ともに疲弊私には男兄弟がいません。そのため、母は以前から、長女の私を一家の跡取りに、と考えていました。その思いが、まもなく生まれる孫の存在でいっそう強くなったようで、「あなたは長女で、彼は次男。彼には婿養子になってもらわないと!」と何度も言ってくるようになったのです。婿養子とはつまり、彼が苗字を変えるということ。でも彼は苗字を変えることには抵抗があり、婚約前にそれとなく話したときも、とても嫌がっていました。 新居についても「なるべく近くでサポートしてあげたいから」と、実家付近で賃貸を探すよう提案する母。一方彼は「賃貸より家族の財産になるものがいい」と、私の実家から車で1時間半ほどの距離にある、人気の立地で彼の勤務先にも近い分譲マンションの購入を考えていました。 新居のことは、彼も母も、私と子どもを思ってのことなのに、その方向性がまったく逆。しかも、お互いに遠慮があるのか、直接相手に本音を言いません。何度か話し合いの場を設けたのですが、母も彼も遠回しに意見を話すのみ。そして解散後、それぞれが「あの人は、こちらの考えをまったくわかってくれていない。次の話し合いまでに何とか説得して」と私に言ってくるのです。 2人の間で板挟み状態となった私は、甲状腺機能亢進症やひどいつわりも重なって、判断力を失いかけていました。体調不良の中、大切な2人から「早く相手を説得してくれ」と言われ続けたこの2〜3カ月間は、心身ともにつらくて……。最後には「もう何でもいいから、私を早く解放して」と思ってしまい、毎晩、嘔吐しながら泣いて過ごしました。 説得ではなく現状を客観的に伝えて互いの譲歩を引き出すこのままではストレスでどうにかなりそうだし、おなかの子にも良くない。母と彼の冷戦を終わらせるべく判断力の衰えた私が編み出した解決策は、今の状況をそのまま客観的に伝えるという、実にシンプルなものでした。初めは2人とも納得いかない様子でしたが、思うところはあったようで、少しずつですが譲歩を試みるように。 結果、苗字は彼のものを名乗るが事実上の婿養子として一家の墓を守ること、新居は実家と彼の勤務先の中間地に賃貸で暮らし、子どもの就学前に購入を再検討する、ということで話がまとまり、なんとか希望通りの改元日に円満な入籍を果たしました。 その後、私は無事に娘を出産。産後数カ月間は食事もままならないほど大変でしたが、定期的に実母がきてサポートしてくれて、とても助かりました。また、子どものために貯金ができるよう、食材や日用品を分けてくれて経済面でもサポート。本当にありがたいです。少し遠方にある義実家には、行事のたびに顔を出し、普段はテレビ電話などで娘の成長を見てもらっています。 心配していた夫と実家の関係ですが、結婚前にはっきりと約束をしたおかげで、結婚2年目の現在まで、大きなトラブルはありません。夫は実家からのサポートを本当にうれしく、ありがたいと感じているようですし、両親のほうはお墓参りや法事、そのほか男手が必要なときのお手伝いなどを、夫がいつも快く引き受けるので、とても喜んでくれています。 一時は絶望感さえ抱いた結婚問題。こういうときこそ本音を打ち明け合うことも大切だと感じました。また、互いの思いをしっかり聞いて折り合いをつけることが、結婚後の大きなトラブルを避け、親族関係も円滑なものにできるのだと学びました。 とはいえ今後、また意見がぶつかり合うことがあるかもしれません。そのときは結婚当時の経験を生かして、冷静に解決していきたいと思います。 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 文/柚子野 香さん
2021年03月30日「もしかしたら私、お母さんのことが嫌いかもしれない」子どもが生まれて自分が親になってみると、「こんなに大変な思いをして育ててくれたんだ」と母親に感謝する気持ちが生まれる一方で、なぜか母親の言葉や行動にイライラしてしまう…。しかし、そんな自分に罪悪感を覚え、さらにイライラする悪循環に陥り落ち込むママは少なくありません。どうして自分が子どもを持った途端、母親に嫌悪感を感じてしまうようになるのでしょうか。■味方のはずの母親をなぜ「敵」と感じてしまうのか?例えば、「そんな抱っこの仕方で大丈夫?」「そろそろミルクの時間ね」など些細なことから、「子どもが小さいうちは母親の手元で育てたほうがいい」「赤ちゃんのうちからいろいろ話しかけたほうがいい」など子育て論にいたるまで、出産後の娘に母親はいろいろ言ってしまうものです。しかし、同じことを医師や看護師など第三者に言われれば素直に従えるのに、なぜか母親から言われるとカチンとしてしまう、鬱陶(うっとう)しく感じてしまう。それは、「もう私は大人なのに未だに子ども扱いして信頼されていない」と、あなたが感じているからかもしれません。医療や育児の専門家という他人ならば、あなたという人間に対してなにも先入観がないため客観的な対応をするでしょうから、素直に意見を受け入れられるものです。一方、母親の場合は「あなたはできないから私の言うことを聞きなさい」という無言の圧力のように感じてしまうのかもしれません。母親としては初めて子育てをする娘を心配して、少しでも役に立とうと声をかけているので悪気はありません。そういった気持ちもわかるからこそ、イライラする自分に罪悪感を覚えるママもいるでしょう。でも、出産したばかりのママが自分の母親に対してそういう反応をするのは当然で、自分を責めたり落ち込んだりする必要はありません。おそらく、ほとんどの方が思春期の頃は親を「うるさいな」「鬱陶しいな」と感じた経験があると思います。例えば、勉強しなさいと口うるさかった、進学先を指図された、友だち付き合いに口を出されたなど、子どもの頃は親からいろいろ言われたと思います。でも、社会人になって結婚して…と大人になると、親もそこまで言わなくなりますし、あなたも波風立てないようにある程度そういった言葉を流せるようになるでしょう。しかし、親になって育児を始めると、自分が子どもの頃に親にどう育てられてきたかを思い出す「追体験」が始まります。そのため、「小さい頃、こんなことを言われて嫌だった」「あんなことをされて悲しかった」という、かつて母親に感じていた不安や不満が吹き出してしまうのです。昔のことを思い出し、「お母さんだって完璧じゃなかったのに、私の育児に口を出すの?」と、イライラしたり鬱陶しく感じたりするのです。■母親の子育て干渉をつらく感じた時の対処法子育ての先輩として、いろいろアドバイスをする母親に悪気はないからこそ、それに対してイライラする自分に「なんてひどい娘なんだろう」と落ち込むこともあるでしょう。でも、母親に対するそういう感情にフタをして我慢をする必要はありません。母親からのアドバイスに従ったり生真面目に実行することもありません。子育てのことで何か言われたら「そういう意見もあるよね」「子育ての常識も昔と変わっているからね」と聞き流してやり過ごしましょう。自分で「これは育児に役立ちそうだ」と思うものだけ取り入れればいいのです。もし、それもつらいと感じるのなら、距離を置いてもいいと思います。そして、自分が子どもの頃に母親からやって欲しかったことを、自分の子どもにしてあげてみましょう。例えば小さい頃、友だちみんなが持っていたおもちゃが欲しいとねだっても買ってもらえず、仲間はずれにされて悲しかった思い出があるとします。もし、同じように子どもからねだられたら、自分はそのおもちゃを買ってあげるようにすればいいのです。そこで、母親から「おもちゃをすぐ買い与えるのは教育上良くない。将来、我慢のきかない性格になるわよ」など言われたら、「そんなの将来になってみないとわからないよね。私はすごく嫌だったから自分の子どもにはしてあげたいの」と言ってもいいと思いますよ。もし、子育てを通して母親との関係が一時的にこじれてしまっても、無理に仲良くしようとしたり、母親への怒りを抑える必要はありません。あなたの怒りは、子どもの頃にこうして欲しかったのにしてもらえなかった思いから沸き上がっている怒りです。これまで我慢してきたことを、ようやく怒りという形で母親に伝えられているわけです。お互いケンカはしたくないし、関係がこじれるのも不快に感じるでしょうが、怒りという形であっても立派なコミュニケーションです。人間としては無視が一番つらいものですから、ネガティブなアプローチであっても必要な過程です。実際、自分が親からやって欲しかったことを我が子にやるようになると、その時の親の気持ちが理解できるようになってきます。何でもかんでもおもちゃを買い与えてくれなかった代わりに工夫して遊ぶ方法を教えてくれた、習い事をさせてくれなかったのは経済的に厳しかったのかもしれないなど、当時の親の気持ちが想像できるようになるのです。親は親なりに考え、大変な思いをしながら、頑張って子育てしてくれたことに気づくこともあります。ですから、いろいろ育児に口を出してきたんだと理解でき、でもそれに従う必要もないこともわかってくるのです。正しいかどうかは別にして、育児への口出しは母親の愛情からつい出てしまう言葉。あなたのことを否定してるわけでも、今の子育てが間違っていると言っているわけでもないのです。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2020年12月30日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは。6歳と2歳の姉妹を育てております、ぴなぱと申します。今回は、私の母と涙についてのお話です。私の母は成人する前に自分の母親を亡くしており、私が小学生の時に父親(私にとっては祖父)も亡くしました。当時はあまり考えたことがありませんでしたが、今思えば両親ともに亡くすには母はまだ若すぎたと思います。わんわん泣いてもおかしくないのに、母はその一瞬しか涙を見せませんでした。その涙すら幼かった私の角度だから見えただけで、きっと他の人には見えなかったと思います。私はそのとき初めて母の涙を見て、これが母にとってどんなに悲しいことなのかを知り、そしてそれでも気丈に振る舞う母という存在がとても強いものなんだと思いました。大人になったら…母親になったら…、自分もこうならなくてはいけないんだと思いました。 時は流れ、私が大学生になった頃。その頃までずっと親には泣くところは見せずにいたのですが、実家に帰省中に机に頭をぶつけました。その場に両親ともいたのですが、頭を打って悶える我が子を見て2人して「泣け泣け」とはやし立てるのです。なんなんだこの夫婦はと思いながら、私は痛いやら悔しいやら恥ずかしいやらで堪えきれず泣きました。何年も親の前で涙を見せないようにしてきたのに、こんなくだらないことで泣きました。そしてそれを見て、両親は笑いました。あぁ、大人でも、親の前でも、泣いていいのかと思うと同時に、祖父が亡くなるよりもっと昔の、私がずっと小さかった頃のこと思い出しました。 両親は特に母は、いつもこうやって私が泣きそうな時に「泣け泣け」と言っていたなと。母は私に「泣くことはいけないこと」なんて一切教えていなかったんだと。母は自分が泣かないからといって、子どもにもそうなって欲しいとは全然思っていなかったんじゃないかと気付きました。自分にも子どもができてわかりましたが、子どもが泣くのって親にとって決して心地いいことではありません。切なくなるし、面倒に思うこともあるし、イライラする時もあります。私が憧れるべきだった母の本当の強さは「泣かないところ」ではなく、子どもに「泣いていい」と言えるところだったんじゃないかと思いました。それ以来、私は泣くようになりました。両親の前で泣くのはやっぱり抵抗がありますが、泣くことが悪いことだとは思わなくなりました。 今でも私は泣きます。子どもができて、母親になっても、悲しかったり悔しかったら泣いています。子どもの前で泣いてしまうことすらあります。でも、それでもいいと思うようになりました。泣かない強さも確かにあるけど、泣く人間だからこそわかることも、教えられることもあるんじゃないかと思います。母のように泣かない母にはなれそうもないし、母のように笑って「泣け泣け」とも言えないけど、母のように「子どもが安心して泣ける場所」ではありたいと思っています。
2020年09月17日皆さんこんにちは、チッチママです! 私には今でも鮮明に覚えている「母とのエピソード」があります。思い出すたびに「ふふっ」と笑ってしまうエピソードです。 ずっと光をみていたせいで、光の残像が見えてしまった私。それが何故かナスの型に見えてしまい、母にもこのナスを見てもらいたい!!と必死に伝えたのを覚えています…笑 自分が親になった今、改めてその時のことを思い出して、当時の母の「優しい嘘」にあたたかさを感じました。いっしょに光るナスを見たあの時の嬉しさは今でも忘れません。
2020年09月02日■前回のあらすじ僕の母親への拒絶反応が強くなった妻、「母親にちゃんと言う」と言ったものの、母親の顔を見ると何も言えなくなってしまう。問題が起きるまでなかなかアクションをとれないでいると…。結局、まだ母親には何も伝えられないまま、実家とは一定の距離をなんとか保っていた僕たちだったが法事で親戚が集まることになり、家族3人で会場のお店を訪れことになった。会場に入るやいなや、母親は僕たちを見つけると、妻から娘を無理やり取り上げ、親戚に見せて回り出した。「あなたがちゃんとやらないから私が代わりにやってあげてるのよ」、そんな母親を諦めの眼差しでみる父親。そんな光景を目の当たりにして、「また始まった」と思った僕と、一気に顔が曇る妻。しかし、母親の暴走ぶりはそれだけじゃなかった……。帰宅した僕の目に映ったものは…次に続きます。6/15(月)14:00公開予定!\人気作家の動画もぜひご覧ください!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪
2020年06月14日出産した途端、授乳、抱っこ、オムツ替えの無限ループで、なかなか夜もゆっくり寝られないですよね。さらに、しばらくはガルガル期ということもあり、イライラモヤモヤすることが多いと思います。突然涙が止まらなくなったり、落ち込んだりすることもあるでしょう。そんな時、決まってかけられるのが「赤ちゃんが小さいからしょうがないよ」「子育てって大変だから」という言葉です。そう言われると「そうか、このイライラモヤモヤは育児のせいなんだ。もしかして、自分は育児ノイローゼなのかも…」と思うかもしれません。でも、それは本当に育児の大変さに対するイライラモヤモヤなのでしょうか? もしかしたら、原因は別にあるかもしれません。今回は、子育てママが勘違いしてしまう、育児が原因ではないイライラモヤモヤについてお話ししましょう。■そのイライラモヤモヤ、育児が原因ではないかも?育児は一生のうち何回も経験することではないし、少子化のため身近に相談できる人も少ないため、ひとりで悩むママは多いでしょう。育児は完璧にやらないといけない、良妻賢母でなければいけないと自分自身を追い込んでしまい、育児がつらい、苦しいと感じてしまうことも。確かに、出産によってママの生活は一変します。夜は授乳のために頻繁に起きなくてはいけませんし、ひとりの時間もなくなり食事もおでかけもままなりません。そもそも命を預かること自体の責任が重すぎて相当ストレスを感じますよね。それに加え、産後のホルモンバランスの変化から、自分以外の人やものに対して攻撃的になる、いわゆる「ガルガル期」もしばらく続きます。出産後のママからの「突然涙が止まらなくなった」「うまくできない自分を責めて落ち込んだ」「夫に当たり散らしてしまった」といった声は少なくありません。「もしかして私、育児ノイローゼなのかもしれない」と追い込まれている方もいるでしょう。そういった時、周囲はたいてい「仕方ないよ、育児が大変なんだから」となぐさめの言葉をかけてくれます。「そうか、育児が大変だから、私はこんなにイライラモヤモヤしているんだ」とママも納得するかもしれません。しかし、そのイライラモヤモヤは本当に育児だけが原因でしょうか? 子どもを育てる大変さだけが、ママを追い詰めているのでしょうか? 例えば1日、夫や親に子どもを任せてひとりで出かけても気が晴れない。夫がどんなに家事育児を分担してくれても、イライラが止まらない。そんな時は、育児が原因ではないかもしれません。■あなたのイライラモヤモヤは何が原因?直面しているつらい気持ちの原因が、育児かどうかをチェックする方法が一つあります。それは「誰(何)に責められていると感じるか?」を自分自身に問いかけてみるのです。もし、育児が原因なら、あなたを責めているのは「あなた自身」。「どうしてちゃんとできないんだろう」「子どもが泣いている理由がわからない」など、自分が思い描く理想の子育てができていないと感じ、自分を責めてしまうのです。日本には昔から、3歳までは家で親が子育てするのが望ましい、ミルクより母乳の方が丈夫な子どもが育つ、夜中の授乳や添い寝は必須といった「育児神話」が存在します。実際は、その全部もしくは一部はすでに科学的に間違いであると証明されていますが、もしかしたら、そういった育児神話にとらわれて、自分で自分を責めてしまっているのかもしれません。そんな時は、夫に「もう限界なので今日は家事をやめます」と放棄宣言をして、まずはぐっすり眠ること。また、短時間でもひとりの時間を作るなど工夫してみましょう。一方で、あなたを責めていると感じるのが自分以外の場合は、イライラモヤモヤの原因は育児ではなく、その人やものかもしれません。例えば、義母から「母乳で育てていないの?」と言われた、夜に子どもが泣いているのに夫は全く起きる気配がない、早く復職したいけれど保育園に入れなかったなどは、どれも育児に関係するイライラモヤモヤです。しかし、あなたが責められていると感じているのは、それを発した人や環境に対してではないでしょうか。自分で自分を責めているのか、他人から責められていると感じているのかをチェックすることで、あなたのつらいと感じている原因がはっきりしてきます。■イライラの原因が実母・義母にある場合の対処法育児を媒介として、他人に責められていると感じつらいのだとしたら、どうしてそう感じるのかをさらに深く自分自身に問いかけてみましょう。例えば、親が育児に口を出してきた時にカチンとしたのだとしたら、どうして素直にそのアドバイスを聞けないのかを自分に問いかけてみるのです。もしかしたら、親のアドバイスは古い常識で、今の育児とはもうかけ離れているのに、押し付けられていると感じているのかもしれません。もしくは、親がいつまでも自分を子ども扱いして、育児にまで指図しようとしてきているのを嫌だと思うこともあるでしょう。それまではつかず離れずの距離で実母や義母といい関係を築いていたのに、子どもが生まれた途端、いろいろ育児に口出しをされて仲がこじれたという話をよく耳にします。おそらくこれは、実母・義母に「育児の先輩」意識があるからでしょう。娘(嫁)の仕事や趣味、人間関係などはよくわからないけれど、育児は自分もかつてやったことがあるから、「余計な一言」を言ってしまうのです。裏を返せば、実母や義母は育児が唯一、遠慮なく口を出せる分野と思っているのでしょう。そういった時は、アドバイスされたことや行動が本当に正しいことなのかどうかを冷静に見極めることが大事です。それが、育児の古い常識であったり、ただの思い込みであったり、単なる習慣の違いだとわかったら、それに対して自分はどう振るまえばいいかを考えてみます。実母・義母には「今はもうそれは違うそうなので、保健師さんの指導に沿ってやってます。見守っていてくださいね」と直接もしくは夫を通して、きっぱりと伝えるといいでしょう。■イライラモヤモヤの原因が夫や環境にある場合の対処法イライラモヤモヤの原因が夫の言動や行動にあるようなら、実力行使に出てみてはいかがでしょうか。例えば、家事がおろそかになっていることを夫に注意されたとしたら、先でも紹介したように、「今、育児が大変で、体力も落ちています。倒れそうなので睡眠時間確保のために今は寝ます」と宣言するのもいいでしょう。育児は母親の担当という風潮が未だに残っていますが、夫もわが子の親です。どんどん弱音をはいて、どんどん頼って、育児や家事に巻き込んでいくようにすれば「家事をちゃんとしたら?」といった心ない言葉は出てこなくなるでしょう。また、育児に不親切な環境へのイライラもありますよね。気軽に預けられる先がない、保育園に入れられなかったなどが挙げられるでしょう。特に用事がなくても、地元の保育園の一時保育や保育ママなど、行政サービスを調べて利用してみるのがおすすめです。家族以外にも預け先を確保しておくことは、ママの気持ちの安定にもつながりますし、急遽お願いしなければいけないことが起こっても、預け慣れていればお願いしやすいですね。人に頼るのが苦手なタイプは「子どもが小さいのに他人へ預けるなんて…」と抵抗を感じる人もいるでしょう。しかし、夫婦共働きであれば、子どもを保育園などに預けたりと他人の手を借りるのは普通のこと。「長時間預けて、何かあったらどうするの?」といった言葉を口にする人もいますが、母親ひとりの育児の方が絶対に安全とは限りません。逆に、保育のプロに育児をお願いできて、自分はイライラモヤモヤから解放されるのですから一石二鳥ではないでしょうか。日本には「苦労してこそ子育て」といった風潮がありますが、育児の大変さと子どもへの愛情は、決して正比例ではありませんから、罪悪感を覚える必要はないのです。子育て中のイライラモヤモヤ、その原因が本当はどこにあるのか。ぜひ今一度、自分に問いかけてみてくださいね。 エキサイトお悩み相談室で佐藤先生に相談する
2020年06月12日こんにちは、ねここあんな。です!前回、「おばあちゃん」「ばあば」などの呼び名に苦しみ、人に言えない憂鬱(ゆううつ)を抱えていた私の母の話をしました。今回はその続きになります!!▼前回までのお話“友人のような関係”だった母と私が親子喧嘩したことをキッカケに、母が長年抱えていたトラウマや葛藤が明らかに。若くして「おばあちゃん」となった母は、「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれることに戸惑いながらも、「理想のおばあちゃん像」を追い求め、自分を苦しめていたのでした…。 「おばあちゃんって呼ばないで! 若くして祖母になった母の心の叫び(前編)」【息子愛が止まらない!! 第24話】 ■「ばあば」と呼ばれたくない自分を隠し、理想像を求めた母母は気づかぬうちに、「おばあちゃん=優しくてなんでもにっこり話す」という理想像を描いていました。その理想像に近づくため、母は自分を出さないようになっていました。私が出産するまでは、何でも悩みを話す友達のような親子だった私たち。孫が生まれて幸せ! な傍らで実は「おばあちゃん」という立ち位置に戸惑う母…。とはいえ娘の私に、まさか「孫ができて、おばあちゃんと呼ばれるのがつらい」なんて話せなかったそうです。なぜなら孫の存在を疎ましく思っていると捉えられたら、悲しいから。(もちろん母が孫の存在を否定するような気持ちはみじんもないのですが、娘家族には悟られてはいけない悩みだと思っていたそうです。)それを言えずに丸2年がたち、家族からも「ばあば」呼びが定着していました。そして「おばあちゃん」「ばあば」と呼ばれるうちに母は「おばあちゃんだからこうあるべき」と、自分ではない誰かになっていったというのです。 「懐の広いおばあちゃん」としての見栄があったのだそう。しかも一度掲げた看板はなかなかおろせなかったのです。自分の気持ちをだましていくうちに、だんだんと疲れていったと、母は話していました。■娘との喧嘩をキッカケに気づいた自分の本当の気持ちそこへきて、私たちが「実家に泊まる」と言い出します。娘家族のために部屋を一生懸命掃除をしているうちに、ふと気がつく…。そう気がついた時に、母の心は叫んだ。その勢いで、親子で衝突したわけです。結果、今まで言わないでいたことを、ようやく言うことができたのだそう。もちろん喧嘩の内容自体は私たちにも原因があったので申し訳なく思い、お互いルールを決め一件落着しました。が、母の感情が爆発したのは、実は人に言えない憂鬱を抱え続けていたことも原因のひとつでした。憂鬱が積もりに積もって、「喧嘩」という引き金を引いてしまったのだというのです。その憂鬱こそが「私をおばあちゃんと呼ばないで!」という心の叫びでした。たしかに以前までの「言いたいことを言えない母」は、正直私の知っている母ではありませんでした。何か違和感を感じていましたが、理由がわかりすべて納得しました。■自分の気持ちを認めたことで、元の姿に戻った母その後…「自分は自分! おばあちゃんというイメージなんか捨てちゃえ!」そんなふうに意識を変えることで、悩みは晴れたようです。ただ、人に伝えられずに一人モンモンとしていたことも良くなかったのかもしれません。打ち明けてからの母は、憑き物が取れたようになんだかハツラツとしていました!ちなみに「まだまだ現役でありたいから」という理由で、母は家族に「ばあば」と呼ぶのをやめてもらいました。現役であり続けたいからこそ、日々の体力作りや食生活などに気をつけている母。だから、周りがモチベーションを下げる発言はやめてね、ということです。私たちもよく母親になってから「〇〇ちゃんのママ」だけでなく、「○○ちゃんのオバちゃん」なんて呼ばれることもありますよね。名前で呼ばれないと、自分じゃなくなるような何とも言えない感覚…それに「○○ちゃんママ」ならまだ良いけど…「オバちゃん」はやめて欲しいなぁ…なんて思ったことないですか。(私だったらやっぱり「オバちゃん」って呼び名は嫌です!)それがさらに「おばあちゃん」になるわけですから、戸惑うのも無理はないのかなと思いました。■初めて気づいた、自分の母世代の持つ悩みや葛藤今回のことで、もしかしたら私たちの母親の世代も似た悩みを抱えているのかもしれないなぁと気づかされました。ちなみに私の母と私の夫の母(義母)は頻繁に電話をする仲なのですが、同じ気持ちを抱えたことはないだろうか…と思い、母が最近勇気を出して聞いてみたところ……やっぱり??気軽に「ばあば」って定着させていたけど、心の隅では抵抗があったことを知りました。今度から私の口から「ばあば」って言うのはやめようかなと思いました。そして、私の母はというと、今となってはすっかり、ジムにヨガに英会話になど自分磨きを楽しんでいます。勝手な「おばあちゃん」イメージに振り回されていたときの母よりも、「自分を大切にしている母」の方がステキだなと思いました!衝突自体は必ずしも良いものではありませんが、母が素直に生きることのキッカケになったことは良かったと思いました。また、母の世代は、実は打ち明けられないだけで本当は悩みや葛藤を抱えているという方もいるのかなと思います。世代が違うからこそ、少しでも気持ちを理解してあげることで傷つく人も減るのかも…そう思って記事を書かせていただきました!
2019年11月12日こんにちは、ねここあんな。です。今回は、3話連続でお伝えした『私と母の“友人のような親子関係”』の「番外編」というか…、私の母側の気持ちについて少し焦点を当ててお話ししたいと思います。▼「私と母の“友人のような関係”」 前回までのお話私と母の“友人のような関係”に、この夏トラブルが発生。実家の宿泊をめぐって私が母の地雷を踏んでしまったことで、親子喧嘩に。しかし、これがキッカケで長年母が抱えていたトラウマが明らかになり、お互い思うことを素直に伝えられたことで、仲直りすることができたのでした。 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(1) 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(2) 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(3) というのも、なぜこんなにも母は「がんばってしまっていたのか」という点です。前回の記事では、母のトラウマが理由と書きましたが…実は、もっと前から秘められた大きな理由があったというのです。「自分じゃない誰かを作り出していた」そうで、「その誰か」になることで気づかないうちに、自分自身を苦しめていたかもしれないと母は話していました。そしてそれは、ある日突然「ばあば」「おばあちゃん」という存在になったことが原因だったのです。■“おばあちゃん”と呼ばれることで感じたプレッシャーよく女性は子どもを産むと「○○ちゃんのママ」という名詞で呼ばれることがあります。その呼び方に「私の名前はママじゃない!」などと違和感を覚える…といった記事はよく目にすることがありました。母の場合、「おばあちゃん」という呼び名が、戸惑いを与えるものだったのです…まずその呼び名は、母を「こうあるべき」と気負いさせてしまうのでした。そんなあたたかい存在でいなくてはならない、そう自分で自分を追い込んでいったのでした。周りからも「おばあちゃんなんだからこうあるべき」というプレッシャーがあり、母は気づけば「頑張らなきゃ」と必死になっていました。今思うと、「自分さえ我慢すれば平和になると、自己犠牲に陶酔していただけ」と母は話していました。たしかに以前の母なら、私に対して言いたいことがあればストレートに伝えてくれました。私もその場で言いたいことを言う。だから仲良くやってこれたんだと思います。その母が、私に子どもが生まれてからストレートにものを言わなくなりました。すべてを許す。そんな「いつもの母じゃない」母になっていたことに、私も不思議に思うところがありました。そう思うと今回のトラブルは、そんな母のたまりにたまった何かが、私たちの無神経な行動によって爆発したんだと思います。母は「我慢し続けるのはいけなかった。衝突したけど、結果的に良かった」そんなふうに話していました。■うれしいはずなのに心が痛む「おばあちゃん」という呼び名さらに母は「ばあば」や「おばあちゃん」という呼び名そのものにも抵抗があったと言います。特に母は若くして兄を、そして私を産み育ててきました。しかも母はスタイルが良く、周りからも「お母さん若いね!」と幼少期の頃はよく言われていました。そんな母は、私にとってもどこか自慢でした。しかし、突然周りから「おばあちゃん」と呼ばれることで、母は「私はオバアサンになったんだな…」と、複雑な心境に。もしかして心のどこかで傷ついていたのかもしれない、と言います。かわいい孫の口から、私を認識して「ばあば」と呼ぶ声がする。すごく愛しい。うれしいはずなのに、なぜか心のどこかが痛む…。しかし、母はこの年齢ならではの憂鬱を人に話せなかったと言います。「いつまで若いと思っているんだ?」「あなたは孫もいて幸せなのに、そんな考え持つなんてひどい」そんな声が聞こえてきそうで誰にも打ち明けられなかったのです。複雑な思いの中、葛藤と闘いながらも「今」を受け入れていくうちに、自分じゃない「誰か」を作り出していたのでした。母は長いこと、戸惑いを隠していたのでした。体力や気力の衰えは自覚しているけれど、周りに悟られたくない。そんな自分は、見栄を張っていたんだと母は話します。だけど、もしかして女性ならわかることじゃないかな、と私は思いました。「若い」と言われたら、やっぱりうれしいし、気持ちまで若返ると思うんです。でも逆に周りから「おばあちゃん」扱いされたら?やはり身も心も、なんだか老けていくような気がします。そして今回の喧嘩をきっかけに、母の中にも心の変化がありました。長くなってしまったので後編に続きます!
2019年11月06日こんにちは、ねここあんな。です!今回はまたまた前回の続き、私と母の「友人のような関係」第3弾です!▼私と母の“友人のような関係” 前回までのお話 「まずい! 母の地雷を踏んでしまった? ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(1)~」 「もう頼らない! 私が母と衝突して出した悲しい決断 ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(2)~」 ■お互いに我慢して言えなかった本音再び地雷を踏んでしまったことで私の中の本音もぶつけました。今までの私は母に対して、言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向がありました。たぶん言った後の反応を勝手に考えて、余計にややこしくなるのを避けたかったのです。自分が黙っていればこの場がいつか落ち着く、そう思っていました。翌朝、母からメールが届いていました。内容は長文でしたが、こんな感じでした。正直なところ、母は「家に着くのが2時間早まったこと」に対しての怒りはなかったのだそう。それはただの口実で、本当は以前から疲れていたというのです。というのも、実は私たちの知らないところで母はいろいろ気遣ってくれていたのでした。言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向があるのは、母も同じでした。母の「掃除をしたい」と強く思う気持ちの裏側にはこんな理由があったのでした。■初めて明かされた母のトラウマと、私たちへの想いそれは私の兄がまだ赤ちゃんだった頃…あのトラウマは孫の代にまで続けてはいけない。そう思って私たちが遊びに来るときは、私たちの想像を超えるほどの掃除をしてくれていたんだそうです。全ては現在飼っている猫ちゃんの毛から、孫のきっくんを守るためでした。ちなみに「それなら猫を飼うな」という声が聞こえてきそうですが、うちは兄が大きくなるまではペット禁止! の家でした。だけど兄が中学生になり、部活動も始めだいぶ体力がついてきたころに親のいない子猫を母が見つけ…兄の部屋だけ出入り禁止で飼い始めたのです。母は部屋の掃除と「兄の部屋に猫を入れない」ということは徹底しており、兄が実家にいた頃もひどい発作が出ることはありませんでした。そんな努力も知らず…夫と私の父は仲が良く、私たちが泊まったあの夜、家に帰ってからも話に夢中になっていました。母は普段から、娘の夫の気配りなどに大変感謝していることもあり、その場では言えなかったそう。しかもこの数時間後に、私も外から帰ってきてホコリなどを家に入れてしまうのでした。…そんな私たちの行動に限界を感じていた母。「せっかくキレイにしたのに」「めちゃくちゃにされる」とまで思わせてしまっていた原因は、こういった私たちの無神経さでした。自分たちが原因を作ってきたことをやっと自覚した私たち。心から反省し、そして、母に謝りました。■母の想いを知り、あらためて見つめ直した私と母の関係お互いがより良く過ごすためにも、もっと話し合わないといけませんでした。そこで私たちはいくつかルールを決めました。結局話し合いが足りなかったのが一番のトラブルの原因だったと思います。そして私自身「甘えられない」と感じていながらも、実はたくさん甘えていたことに気づかされました。・友人のような関係を築いたつもりでも、親はいつまでも「我が子」と思い心配する。・家族と言えど、話し合わなくちゃ思っていることは伝わらない。・親であっても、ある程度の線引きはきちんとする。今回、そんなことを考えさせられました。もしかしたら他人よりも難しく、友人よりも悩ましい存在が「親」なのかもしれません。親にとって「子」の存在は、今も昔も変わらず心配の種なんだと思います。だけど、きちんと話し合えば仲直りだってできるし、だれよりも強い味方でもあります。今回は衝突したおかげで、伝えたいことも言い合うことができ、より良い親子の関係を作ることができました!「喧嘩するほど仲が良い」という言葉は、親子にも適した言葉なのかもしれません。最後におまけの一枚。ということで番外編として「ばあば」という存在に焦点を当てて、次回描きたいと思います!
2019年10月23日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、こんにちは。だいぶ涼しくなりましたね。我が家は先日、ムスメの幼稚園最後の運動会がありました。朝から雲行きが怪しかったのですが…案の定、クラス対抗リレーの直前で土砂降り!!途中で中止になってしまいました。5時起きで作ったお弁当は家で食べることになり…見たかったクラス対抗リレーも見れず…散々!と思ったのですが、この出来事もいつかいい思い出になるのでしょう。運動会が途中で中止になることなんてあんまりないですよね。娘にとっても親にとっても記憶に残る出来事だったかもしれません(笑)皆さんは、子供の頃の記憶って鮮明に覚えていますか? 私はというと、ところどころ記憶に残っている感じです。特に覚えているのは「うれしかったことや楽しかったこと」ですかね。※残念ながら「嫌だったこと」もよく覚えていたりしますが。今回は私が小学生だった頃のお話を描きたいと思います。■お下がりの笛袋に不満を隠せなかった幼き私私は三人兄弟の真ん中。7歳上に従姉妹もいたので、洋服、自転車、勉強机…いろいろなものがおさがりでした。普段は文句を言うことはあまりなかったのですが、この笛袋だけは許せなくて母に激怒。その日は暗い気持ちのまま布団に入りました。■目を覚ますと手作りの笛袋が…!まさか手作りするとは思っていなかったので枕元に置いてあった笛袋を見た時は衝撃でした(笑)私の訴えをちゃんと受け止めて、その日の夜に即席で作ってくれた笛袋。最初は恥ずかしかったけれど、使っていくうちに愛着が湧いてきて中学校を卒業するまで大切に使いました。こんな何でもないことなんですけど、この出来事はハッキリ覚えていて、今でも思い出すと懐かしい気持ちになります。今は便利な世の中になったので、お金を出せばなんでも簡単に手に入りますよね。だからついつい「買えばいいじゃーん」って考えがちなんですけど、手作りすることで子どもが「ありがたみ」を感じてくれたり、大切な思い出として記憶してくれたりってこともあるんですよね。確かに手作りするのは大変ですが、子供にとっては幸せな記憶として残るので、とてもいいことだなぁ〜なんて思いました。服や物に限らず、食事だってそうなのかもしれませんね。母の手作りの料理はおいしくて、幸せな記憶としてどこか私の中に残っています。私も母を見習って「子供の記憶に残るあたたかい育児」ができたらいいなと思います。ただ頑張りすぎず、無理をしない程度で実践していきたいです!
2019年10月16日ウーマンエキサイトのみなさん、こんにちは! ねここあんな。です。私と母の「友人のような親子関係」について、 前回 の続きです!【 前回 のお話】母と私の“友人のような関係”に今夏、トラブルが発生。実家に親子3人で泊まりに行った1週間後、再び泊まりに行きたい旨を連絡すると、母は「いいかげんにして!」と言うのでした…。■あらためて知った母が私のことを心配する気持ち同窓会のときの一泊から一週間、「また泊まらせてもらいたい」と申し出た私に母はこう返すのでした。前回の同窓会で、私は久しぶりの飲み会に羽目を外し、母に連絡を入れずに帰ったのでした。でもそれは若い頃から「連絡を入れなくても気にしない家庭だったから」。出発前に、「一次会で戻るね」と言っていた私。本当に一次会だけの参加だったのですが、会場を移動しなかっただけで同じお店で長めに飲んでいたのですよね。いつもなら息子が心配で何度も携帯を確認するのですが、その日は実家のみんなと外食に出かけていたし、夫も母もいるので安心していました。頼りすぎていたことを、あらためて反省しました。そのことを謝ろうと翌日連絡を入れると、怒りすぎてしまったことを少し申し訳なさそうに思う母がこう言うのでした。甘えられないのと同じぐらい、「心配されている」という感覚が私にはありませんでした。だから昔から、連絡の必要性を感じていなかったのです。…が、これが母にはかなり疲れる要因だったのです。そんなふうに心配されていたなんて思わず、私は自分が迷惑をかけたことを謝りました。友人のような存在と思っていた母ですが、母にとって私は、いつまでも「子」であったことを再確認させられました。その後、結局は「予定通り泊まってもいいよ」ということで落ち着きました。ちなみに私たちもなぜそうまでして一泊したかったのかというと、次の日に朝早くから東京駅発の高速バスに乗り込みたかったのです。埼玉の家を早くに出るよりも、都内の実家に泊まらせてもらえたら助かるという考えがあったのでした。なので「お風呂やご飯などは一切用意しなくても良いので、ただ一晩寝かせてくれれば大丈夫」と、母に伝えていました。でも、それも今思えば相手には迷惑だったのだと思います。■再び地雷を踏んでしまった! ほつれてしまった母との関係私と母の関係は、一件落着に見えたようなのですが…トラブルが起きた直後だったので少し慎重に動こうと思い、夫婦で家を「出る時間」を話し合いました。話し合いの末、22時出発になったことをメールで伝えておきました。息子きっくんは寝かしつけに時間がかかるため、この時間に出発することは今まで何回かあったのでとくに疑問に思いませんでした。…しかし、このやりとりがキッカケで、母との関係がさらに泥沼化することになるとは思いませんでした。やっちまったと思いました。夫と「ねるじかん」と「でるじかん」で話がかみ合っていなかったのです…。あぁたしかに今思えば、夫との会話がおかしいと思った…あの変な間は、そういうことか。そんな思いが頭をグルグル。このタイミングで予定より2時間早く出発するのは母がどう思うだろうか…。でも夜遅いよりは早く到着したほう方が迷惑は少ないかな? と思い、ドキドキしながら連絡をしてみると…またしても地雷を踏んでしまいましたーーーーー。■もう頼らない! 爆発してしまった私の思いでも、私にも言い分がありました。どうして自分はこんなにも相手の顔色をうかがってるのだろう??とくにこの日はイヤイヤ期真っ盛りの息子に手を焼いていたので、そもそも正確な時間なんて読めなのに…! とやり切れない気持ちがこみ上げ…「料理を用意してくれるわけでもないし」「お風呂だって気を遣って先に家で入ってから出発してるのに」「きっくんに朝から振り回されて、メールひとつ打つのも大変なのに」「子育てをしてきた人がどうしてそこを理解してくれないの?」そんな思いで頭がいっぱいでした。このメールを最後に私は、実家とは距離を置こうと決心しました。「誰かに甘える」ということは、その人の迷惑になる。そう考えてしまうのは、受験や結婚、出産と節目のたびに、今まで何度も母と衝突してきたからでした。頼らないと決めたとたん、心にぽっかり穴が開いたような感覚に…ここまでは、「私サイド」のお話でした。この後、ついに母の胸の内が明かされます。なぜこうも私たちが泊まることで、母の感情が乱されていたのか…そして私たちがたどりついたお互いの反省点についても話したいと思います。長くなりますが、次回に続きます!
2019年10月10日こんにちは! ねここあんな。です!今回のテーマは「実家との付き合い方」ということですが…実はちょうどこの特集が始まったときに、我が家はトラブルを抱えていたので少々ビックリ。仲が良いようで…実は結構衝突の多い私の実家についてお話ししたいと思います!ざっくりと家族のことを説明しますと…加えて母との関係はというと…例えるなら「友人関係」のようです!「友達みたいでいいね!」と言われることもあるけれど、「友達のような存在だからこそ、衝突してきた回数はすごく多い」と思っています。■高校入学を境に、親子というより“良きパートナー”にさかのぼること10数年前、高校生の頃でした。多分その頃までは私たちは「親子」の関係でしたが、私が高校に上がったあたりからその関係は少し変わりました。こんな言い方が正しいのかわかりませんが、私たちは「対等な存在」になりました。良く言えば気兼ねなく遊べる良きパートナーでした。でも一方で「親」と「子」ではなくなっていった気がします。家事も「なるべく自分で」という母の考えのもと、役割分担をするようになります。もちろん母の役割の方が多いのですが、気がつけば「友人とホームシェアをしている」かのようでした。というのも、この頃から兄は大学へ行き交友関係もあって家にいる時間は少なくなり、父も平日は基本的にいないのでほぼ母とのふたり暮らしだったのです。お互いに譲り合ったり協力し合ったり、意見を言い合いながら生活をするのが当たり前に。そんな不思議な親子の関係を築いたのち、私は大学入学を機に憧れのひとり暮らしを始め、家を出ました。大学を卒業し、就職、結婚、出産と時は過ぎて…もともと母とはホームシェアしているような関係だった私にとっては、子育ての最中であっても親にはあまり甘えられませんでした。本当に自分がどうしようもないぐらい具合が悪くならない限り、呼ぶこともありません。出産のときでさえ、病院に来てくれると言われて驚いたのを覚えています。それでも、地元で結婚式や同窓会があるときは、夜も遅くなるので実家に泊まらせてもらっていました。それは私たちにとって最大級の「甘え」でした。と言っても3~4ヶ月に一度(一泊のみ)ぐらいの頻度なので、そこまで多いわけではないと思っていたのです。洗濯や食事も全て自分たちで用意するので、その一泊で母に負担をかけている感覚もありませんでした。が、今年の夏にトラブルは起きました。■母の地雷を踏んでしまった! 一体なぜ?地元で同窓会の予定が入り、参加することになりました。その日は母の母、つまり私にとって祖母の誕生日。実は、もともと母から誘われて泊まりに行った日でした。私は同窓会へ。私の祖父母と両親と夫と息子は外食へ…。一見穏やかに済んだ日でした。とくに衝突することもなく1週間がたち、再び泊まらせてもらう機会が訪れました。前回の宿泊からまだ日が浅いのですが、実はこの日はそもそも1ヶ月ほど前から宿泊をお願いしていた日だったのです。神奈川県の海で、私の友人が主催者側にいるイベントがあったのですが、埼玉の家を朝早く出るよりも、東京の実家から出発すれば朝の移動時間が短くなるので、立てた計画でした。以前から伝えていた予定だし、毎年恒例行事だし、問題はないよね??そんな気持ちで確認の連絡を入れたのですが…ついに地雷踏んでしまいました。長くなってしまいましたので、 次回 に続きます!
2019年09月30日こんにちは! イラストレーターのにわゆりです。かーちゃんは姉と弟の3人兄弟。姉とは年子で、弟とは8つ年が離れています。私たちが子どものころ母はいつもピリピリしていたのですが、今となってはその気持ちが痛いほどわかります(笑)■女の子と男の子を育てあげた母自分が親になってはじめて、親の苦労がわかり、3人兄弟を育てあげてくれた母にとても感謝したかーちゃんでした。一番心強かったのが、母が弟を育てたことで、男の子の育児の大変さを理解してくれていたこと…!わりと静かな方だった私と姉2人の後に、弟を育てるのは相当大変だったようで…予想外の行動にいつもてんやわんや!少し目を離すといなくなっていて、いつも探し回っていたそうです。■幼少期の弟のやんちゃぶりにびっくりデパートではいつも迷子になり、公園での定位置は木の上! 聞いていると、まさにおさるさんのよう…。「弟の動きは、上の姉妹2人とは全然違っていてびっくりした」と言っていました。女の子の後に男の子という順番だったのもあって、大変さの感じ方がまた違うかもしれませんね。弟のびっくりエピソードを聞くと、うちの子どもたちはまだかわいい方なのかもしれない…と思ってしまいます。モン太とキーちゃんとお出かけのときも、いつも真剣に行き先を考えてくれます。その真剣さを見るたびに「お母さん…弟の育児どれだけ大変だったの」と言いたくなるほど!(笑)■身近な子育て経験者の励まし「男の子は小さいころは大変だけど、すぐに手がかからなくなるわよ~。今だけだから! 思いっきり体を動かして、たくさん食べさせておけば大丈夫!(笑)」と、経験をもとに励ましてくれる母。もちろん子どものタイプにもよると思いますが…。実は私たち姉妹は思春期に荒れていたので、やんちゃなきかん坊男子だった弟と、それぞれタイプの違う子どもを育て上げた母の言葉には妙に説得力を感じます。(笑)今のやんちゃで手のかかる時期を大切にしようと思ったかーちゃんなのでした。本当に、わが家のモンキーズとも全力で遊ぶ母には頭があがりません!
2019年09月28日ウーマンエキサイトの読者のみなさんこんにちは、そんたんママです。先日は敬老の日でしたね。わが家は父が亡くなっていて、母は神奈川の実家で1人暮らしをしています。電車やバスを使って1時間ほどの場所にある実家には、ひと月に1度ほど孫の顔を見せに会いに行くのですが…。■孫にあま~いおばあちゃん息子のきーちゃんは、おばあちゃんの家がだーいすき!部屋は広くておもちゃはいっぱいあるし、おばあちゃんは優しいし。中でも一番の楽しみは…冷凍庫いっぱいのアイスの山!孫用にと母が用意しているのですが、きーちゃんが1日に何度もアイスを食べたがるので、「もう! こんなにたくさん買っておかなくていいよ! 手が届くところにあったら食べたくなっちゃうじゃん!」と私はもちろん怒ります。ですが母は、「この引き出しをアイスでいっぱいにするのが楽しみなのよ~」と、言っているそばから、特売で買った箱アイスをガサガサ出して補充…。まさに、のれんに腕押し状態です。母の“ためぐせ”は冷凍庫だけにとどまりません。冷蔵庫のドアポケットには炭酸ドリンクがギッシリと!こちらは旦那がひそかかに楽しみにしていて、「炭酸ドリンク…飲んでいいかな?」と私に聞いてから、おいしそうに一気飲みするのでした。そんなこんなで息子のきーちゃんも旦那も、おばあちゃんにメロメロなのです。健康管理をしている私の気も知らないで。現金なやつらめ…!■甘い歴史はくり返す?あるとき母と会話していて、「うちの実家って、いつも炭酸ドリンクがあるよねー」と言うと、「佐賀のおばあちゃんの家でしょ~。ほーんと、炭酸ドリンクが大好きなんだから」と返ってきました。ん? 佐賀のおばあちゃん?…すっかり忘れていましたが、そういえば私の祖母の家にもいつも同じ炭酸ドリンクがストックしてあって、遊びに行くと必ず飲ませてくれました。飛行機の距離なので私はここ数年訪ねていませんが、母は頻繁に帰っていて、いまだにその炭酸ドリンクをふるまわれるのだそうです。「たくさん買い置きしてるのよ。自分は飲まないくせにね」お母さんがそれを言う!? と怒り半分に笑ってしまいましたが、同時に「ああそうか」と妙に納得。祖母は、昔孫たちが好きだと言ったものを、いつも用意して待ってくれている。更新されることなく、今も同じものをずっと。そしてそんな祖母と似たような母の姿に、「母も“おばあちゃん”になったんだなぁ」と、しみじみしたのでした。■冷蔵庫いっぱいのアイスは、孫とおばあちゃん両方の楽しみそれまでは「こんなに甘いものばっかり食べて。ご飯が入らなくなるよ! お母さんも甘やかさないで!」といつもプリプリしていた私ですが、諦めがつきました。おばあちゃんの家は特別だ。冷蔵庫いっぱいにアイスが入ってたらそりゃ~ワクワクするし、母もそれを生きがいにしている様子。毎日アイスだけ食べているわけじゃないし、たまにここに来たときくらい、甘やかしてもいいか。そういう私も、アイスやらジュースを孫に大量に与えて、きーちゃんのお嫁さんに文句を言われる未来が、容易に想像できるのでした。
2019年09月28日本屋で「実家を片付ける」…みたいな本を目にすると、思わずピクッと反応してしまう私です。この世代の親子あるあるかもしれませんが、使わないものはなるべく捨てたい私と、もったいない精神にあふれた母はいつも攻防戦を繰り広げています。■使えるものは捨てられない母にモヤモヤ■でも捨てないことの、良い部分もある?捨てないことの、良い部分もあるんですよね!!と思うこともありつつ、やっぱり物をためこむ母にモヤモヤすることもあり、その繰り返しです。
2019年09月25日ウーマンエキサイトの読者のみなさんこんにちは、ぐっちぃです。「親」というものになってもう少しで10年。こうして日々を過ごしていると、自分の親のありがたさ、すごさが身に染みてわかるようになりました。今回は親になって「反省するところ」と「感謝するところ」をひとつずつ挙げてみようと思います。◆親になって「反省するところ」日々反省ばかりではあるんだけど、やはりダントツは「料理」じゃないでしょうか。思い返せば、私が学生の頃…。このやりとり!いま過去に戻れるなら、当時の自分に腹パンチしてやりたい!毎日食事のメニューを考える&つくることの大変さは家を出て気づいたし、それを残された悲しみは親になってからわかりました。実際、私も何回かキレたことがありましたし。テレビでもたまに思春期の子が「ごはんいらない」って言ってるシーンを見ると、胸がギュっと痛くなりますもんね。帰ってきて温かい料理が出てくることのありがたさはもっと早く気づき、感謝するべきだったなと思います。とはいえ、やっぱり家族だってその日食べたい、食べたくないという気分もあるだろうし、最近は各自食べられる量を自分で盛るシステムに変更しています。盛ってから「いらない」と言われるよりダメージが少ないです(残ったら翌日の私のお昼ごはんにできますし)。◆親になって「感謝するところ」 これもいろいろありますが、一番最近思ったのはズバリ「習い事をさせてくれたこと」です。たとえば、夏休みや冬休みで習字の課題が出たのですが…。とめ、はね、はらいのコツを教えてあげることができました! 習字は数年ぶりだったけど、体が覚えてるもんですな。習い事はわりと長く通っていたんですが、それを活かせないまま大人になり、正直「もったいないな」と思っていたんです。でも、そんなことはなかった! こうして娘たちのピンチに教えることができたし、習わせてくれた親に感謝です。社会人になって数年、「いろいろ資格も取ったけど何も役に立たなかったな」と思っていたのですが、いつどこで活躍するかわからないなので、娘たちが大きくなるまで、他の資格の活躍の場もあきらめずに待っていようと思います。そして娘たちにも自分と同じように、いろいろと経験させてあげたいなと思っています。
2019年09月22日皆さま、ごきげんいかがですか。男の墓場プロダクションの劔樹人と申します。普段はマンガを描いたり、バンドをやったり、ハロー!プロジェクトの応援をしたりしながら、家のことや育児を主に担当する主夫として生活しています。今回は、うちの親に関しての話です。■親になって感じる父と母の姿うちの娘は、おばあちゃんとおじいちゃんが大好き。うちの親にとっては初孫であり、今のところ唯一の孫なので、とても幸せそうだ。私の両親は共働きだった。私は、物心つく前はベビーシッターさんに預けられていたし、祖父母と過ごす時間も長かった。新潟の田舎で、周りは農家の家庭が多かったので、当時としては珍しかったという。父親は威張っていないし、母親も忙しく働いている。私の価値観はそういう家庭で育まれた。だから、今こうして結婚し、家のことを主に担当する主夫になることにも抵抗感がなかったのかもしれない。おととし、うちの両親は、私が生まれ育った新潟から、母の実家である長野に引っ越し、小さな家を建てた。■離れて暮らす母の思いやり長野には祖父母が住んでいた家の他に、もともと母が生まれた家のあった土地が残っていたのだが、長野オリンピックに伴う区画整理のため、県のほうに回収されていた。それが20年たって、祖父母が亡くなってからようやく戻されたという。もともと私の実家があった場所は、車がないとスーパーやコンビニエンスストアすら行くことができない。冬になれば雪も積もるし、雪かきをしなければ車を動かすこともできない。体の弱った年寄りだけの生活には厳しい環境である。対して今度の長野の家は街の中にあり、買い物や移動に非常に便利である。さらに福祉も整備されているという。母はそう言った。親孝行もしたこともないのに、老後も息子の手をかけないようにしようとしている親の思いを知った。孫の顔を見せられたことは、自分にとって初めての親孝行じゃないかと思っている。そして、娘にとってこういう親として生きていきたいと、見本となってくれる自分の親にあらためて感謝するのだった。
2019年09月17日こんにちは、私はこいしさんと申します。現在、4歳差の姉妹を育てる主婦です。私が長女を出産したのは、およそ7年前です。当時は、娘を持ったことで、まったく違う人生を歩み始めたような、不思議な感覚になったことを覚えています。産後はさまざまな変化がありましたが、実の両親との関係性もそのひとつです。今回は、子どもを産んだことで変わった私と両親について書きます。■私の変化:親のありがたみがわかるまずは、ありがちですが、出産するとやっぱり親のありがたみがわかります。娘たちと過ごしながら、いろんなシーンで自分の小さい頃と当時の親を思い出すことがあります。娘が始めて笑ったとき、立ったとき、保育園に預けたときや、風邪をひいたとき。その時々で「両親もこんな風に笑いながら、驚きながら、心配しながら私を育ててくれたのかな」と思うと、これまで当たり前だと思っていたことに、改めて感謝の気持ちでいっぱいに!■私の変化:母の味方になるさきほど親のありがたみがわかる、と書きましたが、産後は特に母を尊敬する気持ちが強くなりました。うちの父はとてもにぎやかで目立つぶん、楽しい記憶を思い出すと、まず浮かぶのは楽しんでいる父の姿です。でも実際は、私たちをわかりやすく楽しませてくれた父と同じように、もしくはそれ以上に、母が支えてくれていたことに気づきました。子育ては楽しいばかりではなく、しんどいことや面倒くさいことも、すごく多いです。私はかげながら家族を支えてくれる母をとっても尊敬しています。■両親の変化:孫に甘いわりと厳しいところもあったと記憶している両親ですが、孫に愛情を注ぐ姿がとっても新鮮に映りました。私も出産してから知った感覚ですが、やっぱり子どもを育てないと! という責任感があるので、甘やかしてばかりいられないのが親というもの。しかし、子育ての大変な時期を終えた両親たちは「責任のない孫サイコー!」と言っては、子どもたちをかわいがってくれます。正直、私も早くそうなりたい。■両親の変化:やたら物を買い与える私の記憶では、モノや服、おもちゃなどをたくさん買ってくれる両親、というイメージはありませんでした。どちらかというと、財布のひもは固いイメージです。が! 孫に対してのそれはまったく違うようで、大量の洋服を買ってくれます。当初は申し訳なさもありましたが、イキイキとお金を使う両親(特に父)を見ていると「これは…もはや趣味だな」と思うようになり、申し訳ないとは思わなくなりました。なんなら、離れていても「孫パワー」を最大限に発揮できるように「Amazon」の使い方を両親に教えてあげ、配送先に私の自宅を登録してあげたいくらい。(おい)総じて言えるのは、産後はより両親を身近に感じるようになったということ。娘を通じて、いろんな過去の出来事を思い出し、懐かしい気持ちにもなります。同じように、私自身の親としての姿も、きっと娘たちの記憶の中に、さまざまなカタチで残っていくのだと思います。父や母のようにはうまくはできないけど、娘たちが大人になったときに、楽しい家族を思い出してもらえるようになったら良いな、と思っています。
2019年09月15日私の実家はみんな仲が良く、自宅からも極端に遠いわけではないので割とちょこちょこ会っています。父にも母にもお世話になりまくっているのですが、特に母のパワフルさは脱帽レベルなのです。■実母は超パワフルおかんもちろん父にも感謝と尊敬の気持ちでいっぱいですが、やっぱり同じ「母親」だからこそ影響が大きいです。私は三姉妹なのですが、今でも姉妹で「これは本当にお母さんに感謝だよね」と話しているのが… ■大切な思い出を作ってくれた母選択肢の多いこの時代、結婚や出産を選ばない道も大いにアリなので、孫の世話の心配なんてすっとんきょうかもしれませんが…。子供達がどんな人生を歩んでいくとしても、パワフルに支えてあげられる母親になりたいです!
2019年09月06日皆さんこんにちは、チッチママです。夏休み中に、私の実家に帰省した時のことです。日にちを合わせて、私の妹と弟も帰省しました。長女と次女は、遊んでくれるお姉ちゃんお兄ちゃんがいて大はしゃぎでした。夜、私たち家族は和室に布団を敷いてもらったのですが…普段は私以外の人と寝たいなんて言わない長女が、珍しく「おばあたんと寝たい…。」と言ったのです。しょうがないので、2階の母の部屋を訪ねて…大きなベッドなので3人で寝たのですが、親子三代(皆長女)で寝るってなんだか面白いな…なんて考えながら、私も旅の疲れがあったのか、すぐに寝てしまいました。翌朝、母がこんなことを言いました。やっぱり、親というものは孫を見ていながらも、どこかに「我が子」を感じるんだな〜…と思うと同時に、母も私のことを抱きしめながら寝てくれていたんだな、と少しあったかい気持ちになりました。
2019年09月04日4歳と0歳のぷにぷに兄弟を育児中のゆきです! こちらの連載では現在1歳になった次男を妊娠中のお話を書かせていただいてます。今回は「里帰り出産しない」についてです。2人目の妊娠を希望し始めた頃から、私はひとつ決めていたことがありました。■2人目出産で決めていたこと私の母は1人暮らし。長男出産時は里帰りをしましたが、生活のリズムが合わないことや、産前産後のホルモンバランスの乱れから母と衝突してしまいました。その後もお世話になっている大切な母ですが、ある程度の距離がある方がいい関係が築けると学びました。他にも・母はフルタイムで仕事をしている・母は長男の扱いに慣れていないため、私が入院している間の長男のお世話が心配・今回は夫にも新生児育児を経験してほしい・自宅の方が私も長男もストレスなく生活できるなどの複数の理由から迷わず「里帰り出産をしない」という選択をしました。しかし、今まで私が専業主婦だったため、仕事に影響がなかった夫は消極的…。義母とは円満ですが自分の母にすら気を使う私が義母に身の回りの世話をお願いするなんて絶対ムリ! ということで光の速度でお断りしました。そもそも義母もフルタイム勤務。夫が自由に仕事をするために義母に仕事を休んで来てもらうのも絶対に避けたいと思っていました。■今回の出産で変えたかったこと「男は働き、女は家事育児をする」という考え方の家庭で生まれ育った夫は、1児の父になってからもやはりその考えが抜けておらず、心のどこかで「自分に育児の責任はない」と思っているのではないかと感じていました。そして私自身もまた同じような家庭で育っていたため、「育児に関して夫は手伝い程度で十分、私がやってあたりまえ」と思っていました。1人目の産後はその思いがプレッシャーになりとても辛い思いをしました。また同じ思いをしないためにも、今回の出産を通し、・夫がもっと育児に積極的になる・私も「1人で育児をしなくてはならない」という思いを減らすそういうきっかけになればと思い、私は夫婦で2人目の出産に臨むことを譲りませんでした。■赤ちゃんが誕生!その後の生活は…無事に赤ちゃんが誕生!その後の私の生活はというと…、結果、私自身は前回の妊娠よりもストレスを感じることなく過ごせました。もちろん私や赤ちゃんに問題がなく、夫が保育園の送り迎えをできたから言えることですが、1人目を経験し、育児に慣れていたので赤ちゃんの世話は全く苦になりませんでした。また、・買い物は通販や生協を頼る・家事は家電に頼る・できる範囲でやると決めていたので負担はあまり感じませんでした。一方、夫はというと…■「里帰り出産しない」に不安を覚えていた夫は…「里帰り出産しない」からだけではないと思いますが、とにかく超子煩悩パパに。そして子どもたちも超パパっ子に成長しています(笑)おかげで私も「育児は私が全てやってあたりまえ」とは感じなくなりました。こうして我が家の「里帰りしない出産」は無事に終わりました。里帰りをしなかったと話すと周りからは「大変だったでしょう?」と聞かれますが、個人的には里帰りしなくて大正解でした!次回は2人目の出産、「上の子の預け先どうする?」について書きたいと思います。
2019年07月11日自分が親になって、実母との関係はどう変わった?あんふぁんWebの「どっちだポン!」コーナーで「親になってから、実母との関係は変わった?」と聞いたところ、多くの人が、子育ての大変さを共有できるようになったという変化を挙げる中、23.1%は「仲が悪くなった」と回答。それぞれのリアルな声を紹介します。どうしてそこまで踏み込んでくるの!【仲が悪くなった】■ 実母だからか、遠慮なく、子育てについて押し付けるような発言したり、無神経に責めるような発言したり、 悪気はないのかもしれないがイライラしてしまう。 共感したり労わってくれたりはないので、よっぽど義母のほうが接していてラクです。(るっちゃんさん/40歳)■ 不安定な時期に口を出されたことで、苦手になっていきました。孫見たさに突撃訪問してくるので本当に困ります(めろんまろんさん/31歳)■ 自分の都合よく解釈し、人のせいにする、イヤみっぽい母。とにかくきらいです。 旦那の親を見て、私の親がおかしいと気づきました。母は旦那のことが嫌いなので、当然孫もかわいくない。娘の私のがかわいいと言ってくる。そして孫に意地悪。 ケンカしながら付き合ってましたが、色々限界がきて。 二人目産んだ後、距離をとりました。同市にすんでますが今のところ、顔も見たくないので年始の挨拶のみ!(ひなゆいままさん/33歳)■ 育児はすべて実母が基準なのでずれている。私たちにした一方的な子育てを孫にも求めて、グチを言いにくる。あの子はやらない子だから言っても無理とか。そして親(私)の育て方が悪いと批判する。褒められたことがない。(ポンコツ太郎さん/46歳)■ 用事があるから子どもを預かって欲しいと実母に電話をすると、だいたい即答で「ダメ!今 ○○ちゃん(同居している弟夫婦の子ども)を見ていないといけないから」など、内孫を優先され、だいたい断られるので、どうせ当てにならないので距離を置くようになった。 何かあっても私も手を貸さないと誓った。(ママの手さん/46歳)■ 母は仲がよいと思っていると思いますが、私はそう思ってないし、静かにフェードアウトし距離をとっている。(名無しさん/46歳)■ 子どもが生まれてから、母に全部とられ、泣いたら全部母親が抱っこするので、子どもが親を間違えるんじゃないかという不安におちいりました。(くまこ5.25さん/35歳)■ 昔から長女の私に対して褒めることが少なくキツかったが、子どもが生まれてから尚更。孫のことは甘やかして優しく、娘の私には非難が多くなった。 母自身が機嫌悪くなった時、私には一言も話しかけない、私が話しかけても無視する…。しかし孫には笑顔で話しかける。親になってみると、自分の親はかなりの毒親なのでは?と思うようになった。(hjさん/39歳)元々が仲良しだからそのまま、そしてその逆も【変わらない】いい意味で変わらない■ 元々仲がよかったのであまり変わりません。 感謝の気持ちは増えました。(ミニママさん/34歳)■ ベッタリな関係ではないが、元々母との仲は良く、子どもが生まれてからも特に変わらない。(鶏もも肉さん/35歳)■ 母親の苦労も子育ての楽しさも共感できるが、実母との関係性は変わらなかったです。(korokumaさん/43歳)■ 仲の良さは変わらず友人のようでありがたい存在です。子どもの頃にひどく叱責されたことはつらかったけれど、4人もの子どもを父の協力ほとんどなしにしてくれたことは自分が子どもを授かってから当然のことだったのかな、と思えるようになりました。つらいことが多かっただろうな、と親の大変さを実感しています。 (inachanさん/39歳)変われればよかったのだけれど…■ もともと仲良しではなかったので、 関係は変わりません(笑)。 相談できる母がいたら、子育てしていても心強いだろうなぁと思います。(よっしーさん/44歳)■ 元から最悪なので、変わらず毒親とは距離を取っている。けど、孫にはいい顔見せようと寄ってくるので困っている。子育ての反面教師。(ゲストさん)■ 元々母娘関係が悪かったのですが、娘の出産を機に少し母に頼り教わろうとしたところ、出産後里帰りした時に母がかなり迷惑そうにしていると感じ、夫に相談し2週間で自宅に帰りました。(fummyさん/46歳)■ 初孫ができてだいぶ丸くなった母。しかし、まだ48歳なのでやっと私と弟の子育てが終わって自由な時間を楽しみたい時期らしい。適度な距離を保たないと関係が悪化していきそうだ。(ほのるるさん/24歳)誰よりも一番身近な理解者!心から感謝【仲が良くなった】■ 出産前からもともと仲はとても良かったです。 子どもができてからはいろいろ相談したりで、とても頼りになる先輩です。 子どもたちが大きくなったら母とゆっくり旅行にでも行きたいなぁ♪(むつさん/36歳)■ 子育てという共通点ができたおかげで、前よりお互いを理解できるようになった気がします。「怒りたくなるのわかるよ〜、私もそうだった」と、落ち込む私を肯定し励ましてくれて、母親ってありがたいな、と。私も子どもに対してそうありたいなと思います。(はやままさん/41歳)■ 子どもが体調を崩したときに、私の母もこうして心配したり、看病してくれたんだなあと感謝する気持ちが強くなりました。(ほしままさん/41歳)■ 本当に大変な中、育ててくれたんだなぁと実感します。 孫のこともかわいがってくれますが、子育ての大変さを知っている母は私のこともとても気にかけてくれるのでうれしいです。 子育てが落ち着いたら2人で旅行しようと計画しています。(まあさん/35歳)■ それまで年に1回会うか会わないかだった母と年に3、4回会うようになり、連絡も頻繁に取り合うようになりました。 子育てで悩んでカウンセリングへ行き、母との関係が原因でいわゆるアダルトチルドレンという状態だったことがわかり、少しずつ過去の自分を解いていっています。(ここあむさん/39歳)■ 元々2人でプチ旅行に行ったりと仲良しでしたが、私のスピード婚、妊娠は母が思っていたよりもスピーディーだったようで、なんとなく連絡を取り合わなくなってしまった時期がありました。しかし、子どもが生まれたらもうかわいくてかわいくて仕方ないようす!以前よりもよく連絡を取り合い、よく会うようになりました! 子育ての悩みも1番に相談できる頼れる母です。(はるるんさん/30歳)■ 子育ての大変さがわかった。孫は相当かわいいらしく、娘を置いて一人で実家帰ったらあからさまにがっかりされるようになった。 困ったとき、いつも助けてくれて本当に助かった。母が亡くなったけど、母のような母親ななりたいと心から思う。(ゆずゆずさん/34歳)■ 子どもが生まれてから頻繁に行き来するようになりました。働いているので、仕事が大変な時に晩ごはんを作ってくれたり、子どもが病気で登園出来ない時に預かってくれたりして、本当に助かっています。(大咲さん/37歳)■ 母との関係は前から良かったです。しかし、もともと病弱だった母は、長男の1歳の誕生日1カ月後に亡くなりました。長生きしてくれたら、もっといろいろなことを教えてもらったのにと思います。娘も生まれ、生きていたらきっと喜んでいただろうと思うと残念です。 自分は長生きしたいと思いますが、万が一のために母子手帳にできごとなどをいっぱい記入しています。(カシューナッツさん/39歳)投票期間/2019年2月6日〜27日<あんふぁんWeb編集部>
2019年05月31日実母が教育や躾にうるさく口出ししてくるとイヤになってきますよね。自分が子どもに対して言う言葉一つ一つに小言を言われると会いたくないとさえ思ってきます。では、小言が多い実母を手懐けるにはどうしたら良いのでしょうか。1. 価値観が違うことをわかってもらうまず、あなたと実母は違う人間で、必ずしも同じ価値観を持っているわけではないということをわかってもらえるように伝え続けましょう。わたしの教育・躾はこうなんだと言い続けることで、理解はされなくてもとりあえず黙ってくれることもあり得ます。それでも小言を言い続ける実母であれば、諦めるしかないと思うことも必要かもしれませんね。2. 実父を味方につける母親がだめなら父親。実父を味方につけることで、実母からの小言を減らすことが出来ます。実母が何か言えば、「〇〇(あなたの名前)がそう躾ているんだからいいじゃないか」と言ってもらえるようにお願いするのです。そうすれば、実母をなだめ、その時だけでも小言を言われなくなるかもしれませんよ。3. 距離を取る頻繁に会ってるから余計に言われる、余計に腹立つ。それなら、距離を取って会う頻度を減らしてしまいましょう。たまにしか会わない娘・孫になら、小言も減る可能性があります。さらに、「久しぶりに予定ないし、遊びに行けるよ」など、わたしが会いに行くから孫と会えるんだということも強調し、徐々に上下関係を作っていくことも忘れずに。4. 無視をする何度やめてと伝えても小言が減らない実母には、態度に出す必要があります。小言に対しては徹底的に無視を決めるのです。とはいえ、無視をしたところで問題解決にはなりません。実母がわかってくれるのを待つのではなく、「なぜわたしがこういう態度を取っているのかわかる?」と、子どものいないところで確認してみましょう。最初はわからなくても、そのうち嫌がられていると感じ取り、ムダに突っかかって来なくなりますよ。5. 小言はすべて受け流す50年・60年と今の性格で生きてきたのであれば、それを変えるのは至難の業。まず実母が変わることがないと痛感しておきましょう。そして、実母の小言はすべて受け流す。「へー、そうなんだー」、「うんうん、そうだよねー」と言っているうちに、右から左へ受け流すことも出来るようになります。たまには「お母さんももう年なんだから、健康に気をつけるんだよ」と心配してあげるのも手。「年なんだから」という言葉に、娘であるあなたの方が優位に立っているということを詰め込みましょう。いかがでしたか?実母を手懐けるのはなかなか難しいですが、こちらの対応1つで実母の小言を受け流すことができます。また、こちらが嫌がっていることも分かってもらえるような態度を取るのです。いつまでも実母の思い通りにはならないと実感させてしまいましょうね。
2019年04月11日