ハロー!プロジェクトの末っ子グループOCHA NORMAから、米村姫良々さん、窪田七海さん、田代すみれさんが登場!米村姫良々「人と比べないで、自分のできばえを見つめる」愛知県出身、20歳の米村姫良々です。メンバーカラーはイタリアンレッドです。私は、自分の中で自己肯定感の高低差が結構あると思います。私自身の気持ちはすごく信じているので、そこに対する肯定感は高いけれど、仕事に関しては「私なんて」って、すぐ思っちゃうほど低い。だから、魂の自己肯定感は高いってことですかね?(笑)私は研修生期間が長くて、特に後半はかなりネガティブになっていました。毎度ステージに立つのに緊張して、体も硬くなって声も出ない。思う存分パフォーマンスできず、アイドルに向いてないと思っていました。でも、デビューしてステージに立つ機会が増えたことで、根本的な悩みが自然と解消されていって。メンバーの姿に励まされることも多く、特に窪田七海ちゃんのパワフルでまっすぐなところに元気をもらっています。私なりの自己肯定感の高め方は、人と比べないこと。目標を持つのはいいけれど、いくらでも上はいるし、できる人と比べて落ち込んじゃうと自分なりの精一杯が出せないと研修生の頃に気づきました。だから、人と比べないで、自分のできばえを見つめることが大事なんだと思います。“お茶の間”がグループ名の由来なので、その名に恥じないよう日常的に見てもらえる存在になりたい。だから、バラエティにも出るんですが……緊張しますね。私、普段は静かで声も小さいので、そういう場面では声を大きく出そうとか、まずは初歩を心がけて(笑)。あまり無理しないことが大事だと思うけれど、すぐ守りに入ってしまうので、自分なりのバランスを見つけていきたいです。よねむら・きらら2004年4月30日生まれ、愛知県出身。約6年と、グループで最も研修生歴が長い。天性のアイドル力を持ち、TikTokに投稿された「アイドル」の踊ってみた動画が話題に。ベスト¥12,100(セイト)中に着たトップス¥4,950(ポミー)中にはいたスカート¥5,500(ガブガブ) 以上アンティローザ TEL:03・6431・9431チュールスカート¥25,300(シヴ バイ ラベルエチュード/アンティローザ)ネックレス¥14,300(ソムニウム TEL:03・3614・1102)その他はスタイリスト私物窪田七海「自己管理能力には自信があります!」キュルルンッ、ピンク色担当の窪田七海です!周りからは無理して元気に振る舞っていると心配されるんですけど、本心なんです(笑)。落ち込みやすいし心配性だけれど、悪い方向に気持ちが持っていかれないように、自分の機嫌を自分で取る方法がわかってきました。大事なことは、自分が好きな自分であること。私は研修生時代、今よりも体重が10kg多かったのですが、ふくよかなことが悪いわけじゃなくて、憧れるアイドル像にほど遠いから自己肯定感が下がっていると気づいたんです。憧れの先輩・嗣永桃子さん、道重さゆみさんのようにエネルギーを与える存在になるためには、私が私を認めたいと思いました。それで、理想の体型を決めて、1年ほどで体重を落としました。ヘアメイクも研究して、休みや遅刻もしない。自己管理能力には自信があります!私は元気に踊ることしかできなくて、自分に自信がない時期がありました。でも、米村姫良々ちゃんや石栗奏美ちゃんが「それが一番大事」と常に励ましてくれて。ダイエットを頑張りすぎてしまった時も「やばいと思ったら私たちがちゃんと言うから食べて大丈夫」と繰り返し声をかけてくれました。褒め上手なメンバーが多いので、私自身、肯定感を高く持てるんだと思います。ステージに立つ前は、大好きな韓国のYouTuberさんの「私が失敗しても人生すべてが無駄になることはない」という言葉を言い聞かせて、ミスしても引きずらない、むしろ挽回する気持ちで。全力が私の武器なので、グループの認知を広めるために、バラエティなど幅広い仕事を頑張りたいです!くぼた・ななみ2004年7月23日生まれ、千葉県出身。1700冊所蔵している少女漫画や韓国ドラマなどラブストーリーが大好き。今ハマっている華流ドラマは『優しい時間~Love Scenery~』。トップス¥24,200つけ襟¥7,480(共にヘキ/ドレッシング TEL:03・6804・6522)ドレス¥49,500(アニムス)シューズ¥73,700(シューマン) 共にシーイングseeingstaff@gmail.comその他はスタイリスト私物田代すみれ「ハロプロ魂を胸に新しい風を吹かせたい!」美容大好きで自撮りが得意な田代すみれです。コスメにはこだわりがあって、いろいろ試して選んでいて、よくメンバーやファンの方が真似してくれたりしています。自撮りは毎回ブログに載せるために撮っているんですが、できるだけインパクトがある写真になるように、角度やポーズ、照明なども試行錯誤して頑張ってます!パフォーマンス面で特に力を入れているのはラップ。子どもの時からK‐POPやレゲトンなど海外の音楽を聴いていて、特にラップが好きなんです。だから初めてラップの歌割りをもらった時はとてもうれしかった!加入前からずっとハロー!プロジェクトのパフォーマンスをリスペクトしているんですが、そのうえでラップも含め、令和を生きるZ世代の私たちが今までにない新しい風を吹かすことができたらな、と思ってます。自己肯定感に関しては、もともとめちゃくちゃ低いんです……。OCHA NORMAに加入した時、私は歌もダンスも未経験で、何もできなかったので、一時期は自信をなくすクセみたいのがついてしまっていて。でもそれではやっていけないと思い直して、自己肯定感が高くて素敵だと思ったYouTuberさんの動画をいろいろ見て、前向きなギャルマインドを身につけました。何かあっても深く考えすぎず「いけるっしょ!」みたいな(笑)。今ではファンのみなさんからも“すみれちゃんはギャル”みたいに認識されてます。今の目標は、ハロプロを知らない人にも見つけてもらえるよう、できることを精一杯頑張ること。もっともっと素敵なアイドルになりたいです!たしろ・すみれ2005年6月16日生まれ、神奈川県出身。「加入前から道重さゆみさんの大ファン。去年と一昨年、コンサートで道重さんと共演させていただいて、夢のようでした」トップス¥18,700(ヴィーエル・バイ・ウィー/ススプレス TEL:03・6821・7739)ワンピース¥47,300(ユキ シマネ)中にはいたスカート¥8,900(コードグラフィー/アンティローザ TEL:03・6431・9431)シューズ¥17,600(フフトン TEL:078・652・4301)その他はスタイリスト私物オチャ ノーマ2022年7月にメジャーデビュー。メンバーは全員21世紀生まれ。現在、ライブハウスツアー「OCHA NORMA LIVE TOUR 2024 ~ウチらの地元は日本じゃん!~」を開催中。※『anan』2024年6月5日号より。写真・神戸健太郎スタイリスト・西村茜音ヘア&メイク・鈴木海希子甲斐美穂、後藤若菜(共にROI)取材、文・羽佐田瑶子恒木綾子古屋美枝(by anan編集部)
2024年06月02日漫才コンビ「宮川大助・花子」の宮川花子(69)が、28日までに自身のXを通じ、病院に救急搬送されたことを明かした。花子は、2019年12月に花子が血液のがんの一種、多発性骨髄腫であることを公表。夫の大助が介助し、二人三脚で闘病・リハビリに励み、徐々にステージ復帰、今年4月にはなんばグランド花月(NGK)の本公演で漫才を披露したばかり。日々の様子をつづっているXアカウント「生駒のえりざべーと」で、花子は27日に「一昨日未明きぅに呼吸困難になって救急車で病院に運ばれましたー」(本文ママ)と報告。「まつたくきがついたらベットの上てした」(本文ママ)「救急車に乗ったのも記憶なかったです」「目が覚めたとき病室のなかでした」とし、「抗がん剤治療の後遺症でぴよぴよ」と笑いをまじえた。ファンからは「ご無事で安心しましたとにかく安静大事です!ゆっくりお休みくださいね」「先日の舞台のお疲れもあるのかもしれないですね。ご無理なさらずお大事にしてください」など、心配の声が寄せられている。
2024年05月28日5月16日に心不全のため亡くなった俳優の中尾彬さん(享年81)。22日に所属事務所が公表し、コメントを寄せた妻・池波志乃(69)は最期を看取ったと明かしていた。芸能界では加賀まりこ(80)や北野武(77)をはじめ、縁のあった著名人たちから惜しむ声が寄せられている。’61年に日活第5期ニューフェイスに合格し、’64年公開の映画『月曜日のユカ』で本格的にデビューした中尾さん。’78年放送のドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で演じた徳川宗春役は当たり役となり、以降も数々の話題作に出演。映画でも強面のルックスをいかした演技力で、『極道の妻たち』シリーズや『アウトレイジ ビヨンド』などで観客を魅了した。いっぽう普段はスカーフやマフラーをくるくる巻いた「ねじねじ」がトレードマークで、愛妻家の一面も。『ダウンタウンDX』(読売テレビ・日本テレビ系)や『いまどき娘とハッスルオヤジ』(テレビ東京系)といったバラエティー番組では、盟友の俳優・江守徹(80)との軽妙な掛け合いが人気を博した。そんな2人は’03年に、中高年を代表してヤマサ「昆布つゆ」のイメージキャラクターに抜擢されたことも。’11年5月にも「声の日」の制定を記念したイベントに2人で登壇し、“モテ声対決”を披露。世間でも広く、「仲良しコンビ」のイメージが浸透していた。Xでは中尾さんを偲ぶ声だけでなく、当時のお茶の間を沸かせた名コンビを懐かしむ声も目立った。《江守徹さんと中尾彬さんのケンカ。90年代トーク番組においては鉄板のやり取りだったなぁ…》《一昔前は江守徹さんとよく一緒に番組出てられましたね。江守さんもショックだろうな…合掌》《中尾彬と江守徹のケンカコンビが懐かしい…お二人共にカッコいい低音ボイスで…》《中尾彬さん亡くなって江守徹さんがどうしてらっしゃるのか心配》だがいっぽうで江守は、中尾の訃報に際してコメントなどは出しておらず沈黙を守っている状態だ。それだけに現在はどう過ごしているのか、世間の関心も高まっているようだ。江守の近況について、ある芸能関係者は言う。「テレビでは豪快なイメージがあった江守さんですが、’07年2月に脳梗塞で入院していました。同年4月に復帰したものの、翌月に出演予定だった舞台『夏の夜の夢』は療養のため降板。全国紙のインタビューでは、それ以前にも“脳出血を2度経験していた”と明かしていました。江守さんといえば大のお酒好きでも知られていましたが、脳梗塞をきっかけに控えるようになったといいます。その後も健康に気をつけながら、舞台やドラマ、映画など多岐にわたって精力的に活動していたのです。そんな江守さんは’18年10月に『週刊朝日』のインタビューで、『大事なのは毎日の生活だね。何にでも興味を持つこと。本を読み、あらゆることに目を向ける』と前向きに語っていました。いっぽう’19年5月公開の映画『兄消える』に特別出演して以来、表舞台には登場していないようです。’22年4月には、文学座の代表を角野卓造さん(75)に後任を譲っています。それでも文学座の公式サイトでは今も座員に名を連ねているので、静かな日々を過ごしているのではないでしょうか」「週刊朝日」18年10月26日号で、江守は今後についてこうも語っている。《これからの演劇界がどう変わっていくか、それはわからないね。人生100年時代だそうですからね。声と足腰の続く限り、舞台に立ち続けたいと思ってますよ》盟友である中尾さんの死に江守は何を思うのかーー。
2024年05月25日5月22日、俳優の中尾彬さん(享年81)が亡くなっていたことを所属事務所が発表した。発表文には、妻であり喪主の池波志乃(69)のコメントも掲載。「15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました」と明かし、「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします」と胸中を綴っていた。長らくお茶の間に親しまれていた中尾さんの訃報に、Xには驚きと悲しみの声が多く寄せられることに。そのなかで芸人の阿曽山大噴火(49)の投稿を発端に、中尾さんの“あるエピソード”が話題となっていた。阿曽山大噴火は《中尾彬さんが亡くなって、何か凄い有名な代表作あったよな…と昨日からモヤモヤしてたけど、TLに流れてきて正解が分かった》とし、「中尾鍋」を紹介。「中尾鍋とは白菜と豚バラを交互に詰めて煮た鍋で、現在では冬定番の“ミルフィーユ鍋”という名前でも親しまれている料理です。近年、ミルフィーユ鍋の人気に火がついたのは、’10年頃から放送されていた『味の素ほんだし』のCM内で紹介されたことがきっかけでしょう。CMには俳優の小栗旬さん(41)が出演しており、このときは『豚バラと白菜の重ね鍋』と呼ばれていました。CMに小栗さんが出ていたので、“小栗鍋”として認識している人もいます。ただ、それよりも前から中尾さんは自身の料理本やテレビ番組で“中尾鍋”としてこの料理を度々紹介してきました。そのため、“中尾鍋”という呼び方のほうが馴染みあるという人も多いでしょう」(WEBメディア記者)実際、中尾さんはこのCMが放送される数年前にも、この料理を「中尾鍋」としてテレビで紹介している。それは、’08年10月に『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)に夫婦で出演したときのこと。番組後半で流れたVTRで、安住紳一郎アナウンサー(50)が池波の手料理を食べるというシーンがあり、手渡された手製の“お品書き”には「ご存知・中尾鍋シークワーサーをそえて」の文字があった。池波の渾身フルコースの中盤、白菜と豚バラを交互に敷き詰めた調理前の”中尾鍋”が登場。すると中尾さんは「これは俺の係だよ」と反応し、蓋を開けこう説明した。「これは俺が美術学校行ってるときに、冷蔵庫開けて何も無かった。白菜と豚肉しかなかったから、それで作ったんだ。これが本当の中尾鍋ですよ」そして中尾さん自身の手で水、焼酎、黒こしょうを入れ、20分ほど加熱。安住アナの「見た目も美しいですね」というコメントに、中尾さんが「それは俺が作ったからだよ」と愛嬌たっぷりに返す場面もあった。とはいえ、最近では「中尾鍋」を知らないという人も多かったよう。X上では《我が家も大好物な鍋です中尾鍋なんですね》《スカーフやマフラーだけでなく、豚バラと白菜もマキマキ(ネジネジ)していたんですね…》《え?あの鍋、中尾彬が考案したの?知らずに普通に食べてたよ。凄い偉業だ》などの驚きの声が寄せられていた。食通で知られ、池波の手料理を何よりも楽しみにしていたという中尾さん。おしどり夫婦の定番メニューを、皆意外な形で口にしていたようだ。
2024年05月25日歌手でタレントの森口博子が23日に自身のアメブロを更新。まだ信じられない16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報に心境をつづった。この日、森口は中尾さんの訃報に言及し「突然は淋しすぎます…」と心境を吐露。「現場で放つその存在感。優しさ、厳しさ、愛がありました」と述べ「ウィットに富んだ会話と、色っぽさと、大人な魅力でいっぱいの中尾さん。いつも私がふざけて『アキラー!』って呼び捨てにすると、照れた笑顔で、受け止めて下さった懐の深い偉大な大先輩」とつづった。続けて「何よりも正義感と、奥様、志乃さんへの愛、思いやりに溢れていて、本当に素敵でした」といい「もう、お会いできない事がまだ、信じられません」とコメント。「お食事に連れて行って下さったり、中尾さん企画の『母への手紙』朗読CDにお声をかけて下さったり、大変可愛がっていただきました」と中尾さんとの思い出を振り返った。また「『お母さんへの親孝行になれば』と、家族の存在にも、気持ちを向けて下さった事も忘れられません」と述べ「たくさんの愛情を本当にありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「びっくりしました」「本当に残念です」「信じられないです」「心よりお悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年05月24日タレントの小川菜摘が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、小川は中尾さんの訃報に言及し「お稽古場に向かう車の中で訃報を知り」と説明。「お元気でいらっしゃるとばかり思っていたのでショックでした悲しいです」と悲痛な胸の内を吐露し「1番の思い出は私がまだ結婚前バラエティのロケでラスベガスに行き、2週間近くご一緒した事です」と中尾さんとの思い出を振り返った。続けて、中尾さんについて「優しくてダンディで、おしゃれで気さくで、ダジャレを言ってはスタッフさんや、私を笑わせてくれました」と明かし「凄く楽しかったので今でも鮮明に覚えております」とコメント。「番組でご一緒した時もずっとずっと変わらず優しくしてくださいました」と回想し「私が結婚してからも夫婦共に可愛がって頂きました」と振り返った。最後に「本当にありがとうございました」と感謝を述べ「ご冥福を心よりお祈り致します 中尾さんゆっくりおやすみくださいね」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月23日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。これを受け、『ゴジラ』公式Xが23日、中尾さんを追悼した。東宝の『ゴジラ』シリーズに中尾さんは多く出演。『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)、『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)、『ゴジラvsデストロイア』(1995年)に麻生司令官役、『ゴジラ×メカゴジラ(2002年)『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)に五十嵐隼人総理役、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)に旧・轟天号艦長役で出演していた。『ゴジラ』公式Xでは「中尾彬さんの突然の訃報に接し謹んでお悔やみ申し上げます。6作品のゴジラ映画にご出演いただき、司令官、総理大臣、初代轟天号艦長として、ゴジラに立ち向かう役柄を演じていただきました」と振り返る。「その重厚な演技による勇姿は、多くのファンの心に刻まれています。心からの感謝とともにご冥福をお祈り申し上げます」と悼んでいた。中尾さんの同事務所は22日に公式サイトで「弊社所属 中尾彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました」と報告。「これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と記した。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。
2024年05月23日俳優の鈴木福(19)が23日放送の日本テレビ朝の情報番組『ZIP!』(月~金前5:50~9:00)に出演。涙ぐみながら、亡くなった中尾彬さんとの思い出を語った。鈴木と中尾さん、中尾さんの妻・池波志乃の3人は、REGATEの「買取 福ちゃん」CMで共演していた。鈴木は「(CMを)2年前からやらせていただいて…。毎年撮影でお会いできるのが本当に楽しみで、この間も撮影があったときに木曜日だったので『ZIP!』観てるよ、頑張ってるねと話してくださって。まさか亡くなってしまうとは思っていなかったのですごく寂しいです」と悲しみを打ち明けた。続けて中尾さんの印象について「大御所の方ならではの雰囲気はもちろんあるんですけど、本当に優しくてみんなに気を配ってくださるすてきな方だと思っていましたし、(CMでの)『福ちゃんだね!』というフレーズを1つ1つ、いろんなバリエーションで言って下さったのが印象的でした」としみじみ回顧。「監督からの指示に対して、『はい』と、周りの方々に対してすごく丁寧で、感謝の思いも持っていらっしゃるんだなと感じていました。(自分も)長く活躍できる方になりたいなという感じです」と語った。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。
2024年05月23日落語家の金原亭世之介が22日に自身のアメブロを更新。身内だけで密葬した俳優・中尾彬さんの葬儀に参列したことを報告した。この日、世之介は16日に心不全のため亡くなった中尾さんの訃報に言及し「身内だけで密葬致しました」と報告。「故人の遺思で静かにお別れしたいと言うことで荼毘に付されました」と明かし「師匠の娘、池波志乃の旦那さんでありましたから弟子たちも参列させていただきました」と中尾さんの妻で女優・池波志乃が落語家の10代目金原亭馬生の娘であることにふれ、葬儀に参列したことを写真とともにつづった。続けて「中尾彬さんと志乃姉さんの事務所でお世話になって沢山の仕事と人脈をいただきました」と述べ「本当にありがとうございました」と感謝のコメント。「私を含め兄さん達もすっかり歳を取りました」と参列者らとの集合ショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の3回目)■「私は高校を中退して18歳で女優デビューして、中尾さんとは’77年にドラマの収録で初めて共演したんです」こう語るのは、中尾彬さん(74)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の池波志乃さん(62)。芸能界一の“おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。そんな中尾さんと池波さんが2人の馴れ初めを語ってくれた。中尾「そのときに、当時、ブームになっていた日本酒の『越乃寒梅』をやっと手に入れたという話をロケバスの中でしてたんですよ。そしたら、まだ20歳そこそこの志乃が『私、毎晩、飲んでます』って言うじゃないですか。ふざけんな、と思ったんだけどさ(笑)。それで彼女が行きつけの四谷の店の地図を書いてもらったけど、間違ってた。『何かあったら電話ください』って言っていたから、男としては、わざと間違えて電話を待ってるのかなと(笑)。その夜の飲みっぷりも、見事でした。でも、まあ、志ん生の孫ですから、やっぱり酒は飲む家系なのかなと思いましたけどね」池波さんは’55年3月12日、東京・西日暮里の生まれ。父は十代目金原亭馬生、祖父は五代目古今亭志ん生という落語の名門一家の3姉妹の長女。芸に生きた粋人の祖父や父を母親の治子さんが支える姿を、間近に見て育った。中尾さんは’42年8月11日、千葉県木更津市の生まれ、酒店を営む実家で、5人兄弟の長男として育つ。武蔵野美術大学油絵科を経て、’61年に日活ニューフェイスとなり、’64年デビュー。ひと回り年の違う池波さんと出会ったころは、先妻との離婚話が進行中だったという。中尾「初めて四谷で一緒に飲んだ日に、彼女から誘われて、神田の明神下で芸者遊びをしたんです。気付くと、チョコチョコと志乃と芸者衆が廊下で話している。『あの男はどうなのか』と、品定めされてたんですね」池波「芸者衆たちが言うには『言われてるほどチャラくないんじゃない』と(笑)。だって、当時は、『あのプレイボーイの中尾彬が』なんて週刊誌にも、さんざん書かれていたじゃないですか。おたくの雑誌とかですよ(笑)」中尾「実は、最初、挨拶に彼女の家を訪ねたときは、まだ離婚が成立していませんでした。先方が提示した慰謝料などの条件を私が受け入れるだけになっていて」池波「こっちは、まさか離婚してないとは思いませんよ。だって、浮き名も1つや2つじゃなかったですから。だから聞きもしなかった」中尾「離婚が成立して、再び家を訪ねて、『志乃さんをいただきます』と言ったら、親父さんは一瞬黙ったあとに、『いただきますというのは、ご飯のときだけでいいんだよ』と。いや、噺家ってうまいこと言うなと思いましたね」池波「母が、『お父ちゃんとそっくりな男を連れてきたね』とポツリと言ったのが印象的でした」中尾「ただ、頭にきたのは親父の弟子どもが、いや、弟子のみなさんが(笑)、賭けしてるんだよ。『結婚したって、もって3カ月だよ』と」池波「それが、40年でしょう。だから誰も賭けに勝った人はいないんです」
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の1回目)■「’15年ごろ、『そろそろ2人のお墓のこと、考えない?』と言い始めたのは、志乃でした。私は長男ですが、千葉の実家は弟がすでに継いでいますから、死んだらいくところはなかった」そう話すのは、池波志乃さん(62)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の中尾彬さん(74)。芸能界一の”おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。朝から夫のリクエストに応え、洋食でも和食でも7品ものおかずを、手書きの“お品書”付きで用意するほど。そんな中尾さんと池波さんが“終活”について語ってくれた。池波さんは’55年3月12日、東京・西日暮里の生まれ。父は十代目金原亭馬生、祖父は五代目古今亭志ん生という落語の名門一家の3姉妹の長女。芸に生きた粋人の祖父や父を母親の治子さんが支える姿を、間近に見て育った。中尾さんは’42年8月11日、千葉県木更津市の生まれ、酒店を営む実家で、5人兄弟の長男として育つ。武蔵野美術大学油絵科を経て、’61年に日活ニューフェイスとなり、’64年デビュー。ひと回り年の違う池波さんと出会ったころは、先妻との離婚話が進行中だった。’78年3月14日、35歳の中尾さんと23歳の池波さんは結婚。交際3カ月という“電撃婚”だった。結婚後まもなく志乃さんは妊娠するが、子宮外妊娠で入院してしまうーー。しかし、現実は悩んでいるゆとりなどなかった。地方公演なども含む女優業の傍ら、着物の見立て会などの営業も、それこそ睡眠時間を削ってこなした。夫婦で脇目もふらず、先妻への慰謝料で作った数千万円の借金返済のために働いているうち、子どもを持たない生活を自然な流れで選んでいた。池波「うちも女ばかりの3姉妹で、私は『中尾姓』でしょう。でも、中尾さんは、そんな姓や家にはこだわりがないという考えなんです」中尾「私にとっての墓は彫刻作品と思ってくれと言って、自分でデザインしました。ですから、『中尾家の墓』なんて書いてないです。墓石も普通は縦だけど横に3段重なっていて、刻まれているのは『無』の一文字だけ」子どもを持たない選択をした中尾さんと池波さん。墓まで準備しての終活を進めるなかで頭をよぎるのは、夫婦のどちらかが一人残されたときのこと。中尾「世間の常識では、私のほうが先だと思っているでしょう(笑)。でも、まあ、残された場合のことを考えたら、食事一つとっても大変とは思います。そこに志乃が、いまから洗濯機の回し方なんて教えようとするから、危なっかしくてしょうがない」池波「でも、それも終活の一部なのよ。ご飯なんかは、私がちゃんと貯金してあげていたら、外に行けばいいんでしょうけど。身の回りのことは、ある程度は自分でやれなきゃしょうがない」中尾「だから、いま、徐々に覚えているんだよ」池波「私はね、一人残されても、ふだんの生活は困らないでしょう。ただ、やる気がなくなっちゃうのが、正直、怖い。『おいしいね』と言って食べてくれる相手がいるから、かつお節だって毎日かいているわけですから。しまいには、食べてもつまらなくなって、何していいかわからなくなるんじゃないか、って。餓死なんてことも考えましたね。あまりにも長く一緒にいすぎて」中尾「きっと、どこの夫婦も同じだと思うんです。誰でも、60過ぎたら、人生の始末を考えるべきなんでしょうね」池波「とにかく元気なうちから夫婦で話し合うべき。だって、病気で寝てる人を前にお墓の話はできないでしょう」中尾「その点、うちはいまでも2時間、多いと4時間かけておしゃべりを楽しむ食事を続けて40年。つくづく私たち夫婦は、子どもがいなかったから、2人なりの違った世界というものがあったな」池波「そうですね」
2024年05月23日5月22日、俳優の中尾彬さんが、16日に心不全のため亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。所属事務所は同日、ホームページで《弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しましたこれまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます》と発表。妻の池波志乃さん(69)も《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです》とコメントを寄せた。本誌は、’17年5月に当時74歳だった中尾さんと62歳だった池波さんにインタビューを実施。今回、あらためてその記事を再掲載する。(全3回の2回目)■「実は、最初、挨拶に彼女の家を訪ねたときは、まだ離婚が成立していませんでした。先方が提示した慰謝料などの条件を私が受け入れるだけになっていて」そう話すのは、池波志乃さん(62)との結婚40周年、ルビー婚式も間近の中尾彬さん(74)。芸能界一の“おしどり夫婦”として知られる2人。特に池波さんの献身ぶりはテレビなどでも話題だ。朝から夫のリクエストに応え、洋食でも和食でも7品ものおかずを、手書きの“お品書”付きで用意するほど。’78年3月14日、35歳の中尾さんと23歳の池波さんは結婚。交際3カ月という“電撃婚”だった。結婚後まもなく志乃さんは妊娠するが、子宮外妊娠で入院してしまうーー。中尾さんと池波さんが当時のことを明かしてくれた。池波「お医者さまから『片方の卵管は無事だから、また子どもはできる』とは聞かされていました。ただ、当時の思いとしては、こんなことしてる場合じゃないと」中尾「それは、私の借金があったから、とにかく2人で仕事をしなきゃならなかったんです。結局、向こうの離婚の条件をすべてのんだので」池波「慰謝料を一括払いにするために、まず数千万円単位の借金をして、プラス、毎月の養育費もありました。ただ、借金といっても、彼が放蕩したとかじゃありませんからね。結果として、妻となった私も一緒に作った借金のようなものでしたから。子宮外妊娠のときも、無理して働いてこじらせちゃうんですが、入院中にも考えるわけです。もし、また子どもができて働き続けるとして、誰に預けるのか。うちの母も、実の親を介護していたりして、頼れません。そもそも私自身、わが子を誰かに預ける気もなかった。それに、当時、女郎なんていう色っぽい役ばかりやっていて、母親であることは、私の女優としてのイメージにはそぐわないかなとも」しかし、現実は悩んでいるゆとりなどなかった。地方公演なども含む女優業の傍ら、着物の見立て会などの営業も、それこそ睡眠時間を削ってこなした。池波「常に死にそうなくらいに寝不足で、いつも疲れていて。家に帰っても、肌襦袢でメークしたまま、バタバタ台所を走りながら食事の支度をするわけです。楽屋にいても撮影の待ち時間にも、いつも冷蔵庫に残っていた食材は何だっけと考えていて。自然に、あるものでメニューが決まっていくのをメモするんですが、ふと思うんです。どうせやるなら、中尾さん好みに奇麗に書こうと」中尾「ですから、あの志乃のお品書も苦肉の策で、けっして余裕のある生活から生まれたものじゃない」池波「そんな毎日を送っているうちに、ねっ、なんだか、夫婦2人の生活ができあがっていったんです」中尾「うんうん」夫婦で脇目もふらず借金返済のために働いているうちに、子どもを持たない生活を自然な流れで選んでいたのだと、2人は口をそろえて語った。
2024年05月23日俳優の高橋英樹が22日に自身のアメブロを更新。16日に心不全のため亡くなった俳優・中尾彬さんの訃報を受け悲痛な心境を吐露した。この日、高橋は「本当に突然のことで大変!大変!驚いています」と中尾さんの訃報について言及。「昨年の三月、WBCで優勝したそ日に二人で雑誌の対談をしていました」(原文ママ)と振り返り「とても盛り上がった時間でした」とつづった。続けて「日活の入社も同期 奥さん同士とも共演しあって心は近い存在でした」と説明。「この頃テレビで観ないなあと思っていましたらこの突然の訃報」と述べ「長く長く付き合いたかったなあ!逝ってしまうのはまだ!早いぜ!!」とコメントした。最後に「寂しくて涙もでないよ」と悲痛な心境を吐露。「心よりご冥福をお祈りいたします」と中尾さんとの2ショットとともに追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「とても寂しい気持ちです」「テレビで知って、びっくりでした」「本当にお辛いですね」などのコメントが寄せられている。
2024年05月22日《日頃より温かいご支援ご厚情をいただき心より御礼申し上げます 弊社所属 中尾 彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました》5月22日、俳優の中尾彬さんが亡くなっていたことが所属事務所の公式サイトで発表された。中尾さんの妻である池波志乃(69)もコメントを寄せており、そこで池波は《今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました》といい、中尾さんはリハビリの合間に仕事をしていたものの《15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました》と明かした。武蔵野美術大学在学中に日活ニューフェイスに合格し、俳優の道を歩むこととなった中尾さん。映画やドラマだけでなくバラエティ番組でも活躍し、マフラーを捻って首に巻いた“ねじねじ姿”は老若男女問わず広く親しまれていた。事務所によると葬儀告別式は近親者のみで執り行われ、お別れの会も予定していないという。この理由について池波は《終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました》と明かしている。終活は、中尾夫妻にとって一つのキーワードだ。芸能界きってのおしどり夫婦として知られる2人は、元気なうちから終活に取り組むことに。’18年に終活について綴った共著『終活夫婦』(講談社)を上梓しているほどで、昨年6月にも『ぽかぽか』(フジテレビ系)に夫婦で出演し、人生のしまい方について語っていた。もともと2人の終活は、妻である池波がきっかけだったという。’17年5月、中尾夫妻は本誌のインタビューに応じ、その際、中尾さんは「’15年ごろ、『そろそろ2人のお墓のこと、考えない?』と言い始めたのは、志乃でした。私は長男ですが、千葉の実家は弟がすでに継いでいますから、死んだらいくところはなかった」と述べていた。2人はお墓のことだけでなく、どちらか片方が残された時のことも考えるようになったといい、当時中尾さんは家事が1人でできるように習得している最中だと明かしていた。また中尾さんは「つくづく私たち夫婦は、子どもがいなかったから、2人なりの違った世界というものがあったな」と子供がいなかったからこそ、終活に対して積極的になったと話していた。パートナーに向き合いながら、別れの準備をしてきた中尾夫妻。’20年3月には池波が1人で本誌のインタビューに応じ、終活の具体的な内容について語った。池波によると、二人で相談し、400本あった中尾さんの“ねじねじ”を200本を処分。しかし、中尾さんはその後意外な行動をとったという。「そしたらスペースができたので中尾さんがまたニコニコして買ってきて(笑)。でも、捨てることが目的ではないからいいんです。終活は『楽しみをなくさない』が鉄則ですから」終活を通して多くのものを手放したことで、大切なものが際立ったようだ。池波は「最近は月に1度旅行に行っています。片付けを始めると、いろいろな思い出がよみがえってくるんです。この土産物を買った旅館にもう一度行きたいな、と……。いまはプライベートの予定を入れて、それからお仕事を入れているんですよ」と、終活のおかげで身軽になったと明かしていた。念入りに準備してから旅立った中尾さん。悔いなく、天国での生活を送れそうだ。
2024年05月22日2024年5月22日、俳優の中尾彬(なかお・あきら)さんが亡くなったことが明らかになりました。俳優としてはもちろんのこと、バラエティ番組などでも活躍し、多くの人に影響を与えた、中尾さん。突然の訃報に、日本中から悲しみの声が上がっています。俳優・中尾彬さんが逝去「まさに巨星墜つ」「素晴らしい人だった」逝去した中尾彬さんの妻・池波志乃がコメント所属事務所である株式会社古舘プロジェクトによると、中尾さんは同月16日に心不全によって逝去したとのこと。葬儀告別式については、すでに近親者のみで執り行われ、お別れの会などは予定していないそうです。同社のウェブサイトでは、妻であり、俳優の池波志乃さんからのコメントも公開されています。池波志乃です。終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました。古舘プロジェクトーより引用池波さんによると、中尾さんは同年に入ってから、自宅で休みながら、時々取材などの仕事を受けていたとか。同年12月には旅行を計画しており、それに向けて元気にリハビリをしていたものの、同年5月16日に容体が急変したといいます。芸能界きっての『おしどり夫婦』として知られていた、中尾さんと池波さん夫婦。池波さんは、夫との突然の別れにまだ心が追いついていないところもあるかもしれません。「まだ『志乃』と呼ばれそうな気がします」という言葉には、胸が締め付けられますね。最後に池波さんは「『中尾彬らしいね』と笑って送ってあげてくだされば」と、伝えていました。池波さんが願う通り、たくさんの人が中尾さんを偲び、心の中で温かく見送っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年05月22日REGATEが22日、公式サイトを更新。妻の池波志乃とともに「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていた中尾彬さんの訃報を受け、追悼コメントを寄せた。サイトでは「中尾彬さんには、妻の池波志乃さんと共に、2016年より「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていただきました。中尾彬さんの優しいお人柄は、TV CM撮影の際にも常に周囲へのお気遣いが感じられ、今も心に深く思い出されます」と紹介。続けて「『買取 福ちゃん』の発展には、中尾彬さんの多大なご尽力がありました。所属事務所ならびにご遺族のご了承のもと、今期も継続してイメージキャラクターを務めていただくこととなりました」と伝えた。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■追悼コメント全文「買取 福ちゃん」イメージキャラクター中尾彬さんのご訃報に接しまして中尾彬さんのご訃報に接しまして、心より哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様、関係者の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げます。中尾彬さんには、妻の池波志乃さんと共に、2016年より「買取 福ちゃん」のイメージキャラクターを務めていただきました。中尾彬さんの優しいお人柄は、TV CM撮影の際にも常に周囲へのお気遣いが感じられ、今も心に深く思い出されます。「買取 福ちゃん」の発展には、中尾彬さんの多大なご尽力がありました。所属事務所ならびにご遺族のご了承のもと、今期も継続してイメージキャラクターを務めていただくこととなりました。中尾彬さんの生前のご厚誼に深く感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。株式会社 REGATE代表取締役福島
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。これを受け、1998年のドラマ『GTO』(カンテレ)で共演した反町隆史(50)が追悼のコメントを寄せた。反町は「ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。26年前の『GTO』で初めて共演したときは演技を超えた存在感に圧倒され、役とは違う柔らかな笑顔に魅了されていました」としみじみ回顧。「『GTOリバイバル』の撮影で鬼塚を演じているときには、いつも中尾さんの内山田が頭の中にいました。在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」と悼んだ。中尾さんの同事務所は22日に公式サイトで「弊社所属 中尾彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました」と報告。「これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と記した。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■反町隆史コメント全文ご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。26年前の『GTO』で初めて共演したときは演技を超えた存在感に圧倒され、役とは違う柔らかな笑顔に魅了されていました。『GTOリバイバル』の撮影で鬼塚を演じているときには、いつも中尾さんの内山田が頭の中にいました。在りし日のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。おしどり夫婦で知られる中尾さんは、妻で俳優の池波志乃(69)とともに“終活”しており、2018年4月には夫婦での著書『終活夫婦』(講談社)も発売していた。2018年5月に行われた同書の発売記念イベントには夫婦で登壇し、池波が“終活”について「断捨離とは全然違う。自分の大事なものはとっておいたほうがいい」と説明するも、中尾さんはトレードマークともいえるねじねじのストールを触りながら「でも俺捨てられたよ、これ200本くらい」と落胆。さらに中尾さんは残りのストールの数を「200本」だと報道陣を驚かせ、池波は「ありすぎるものは捨てます」とバッサリ。終活のために家、大量の本、写真などさまざまなものを処分したことを明かし、池波は「私たちは子どもがいない選択をしたので、亡くなったときに舌打ちされながら遺品整理されたくない」と苦笑。中尾さんも「元気なうちに終活をやらないと」と語っていた。囲み取材中には「仲いいわけじゃない」と笑い合っていたが、言葉とは反対に「夕食時は2時間話す」「きのうも遊びで九州に行っていた」など、仲の良さが伝わってくる様子も披露されてた。
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが死去した。81歳だった。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。中尾さんと「おしどり夫婦」として知られていた、妻の池波志乃(69)が、所属事務所を通じてコメントを寄せた。池波は「終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます」としたためた。続けて「今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」と記した。所属事務所の公式サイトでは「弊社所属中尾彬が去る2024年5月16日、心不全のため81歳で永眠しました。これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と報告。「お別れの会などは予定しておりません誠に勝手ながら御弔問・御香典・御供花等の儀は固くご辞退申し上げます」と伝えた。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■池波志乃コメント全文池波志乃です。終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました。
2024年05月22日俳優の中尾彬さんが心不全のため16日に死去した。81歳。所属事務所が22日、公式サイトで発表した。葬儀などは近親者で執り行った。また、妻で俳優の池波志乃(69)が追悼のコメントを寄せ、「あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。かないますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです」と呼びかけた。同事務所は「弊社所属 中尾彬が去る2024年5月16日 心不全のため81歳で永眠しました」と報告。「これまで応援してくださったファンの皆様 多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます」と記した。「なお 葬儀告別式につきましては 故人ならびにご遺族の意向により近親者のみにて執り行いましたことを併せてご報告いたします」とし、「また お別れの会などは予定しておりません誠に勝手ながら御弔問・御香典・御供花等の儀は固くご辞退申し上げます。報道関係の皆様におかれましては ご遺族の心中をお察しいただき自宅や各所への取材等はお控えくださいますよう 切にお願い申し上げます」とつづった。中尾さんは1942年8月11日生まれ、千葉県木更津市出身。O型。1961年日活第5期ニューフェイス合格。1963年劇団『民芸』に入団。1964年日活映画『月曜日のユカ』でデビュー。1971年フリーとなる。数多くの映画やドラマに出演。1983年フランスの絵画展『ル・サロン』ではグランプリを受賞。バラエティー番組に多数出演し、さらに活躍の場を広げていた。タレントやコメンテーターとしても活躍し、“ねじねじ”のスカーフでもおなじみ。私生活では、俳優の茅島成美との結婚生活を経て、俳優の池波志乃と再婚した。■喪主の妻・池波志乃コメント池波志乃です。終活以来の中尾の遺言で、このような形を取りました。仕事でお世話になった関係者の方々、マスコミの皆様、親しい友人の方々、応援してくださった皆様に、託された私から、お詫びとご報告申し上げます。今年に入って足腰が悪く体力も落ちて、医師の訪問を受けながら、本人の意思により、自宅でゆっくり休んでおりました。時には取材や、足腰をかばっての仕事もやらせていただき、本人は元気で12月の旅行に向けて、頑張ってリハビリをしていたくらいでしたが、15日に容態が急変し、16日の夜中に自宅で私と二人の時に、とても穏やかに本当に眠るように息を引き取りました。あまりに急で、変わらない顔で逝ってしまったので、まだ志乃~と呼ばれそうな気がします。叶いますならば、中尾彬らしいね~と笑って送ってあげてくだされば幸いです。長い間、本当にありがとうございました。
2024年05月22日2024年5月22日、俳優の中尾彬(なかお・あきら)さんが亡くなったことが分かりました。81歳でした。サンケイスポーツによると、詳細に関しては、事務所である株式会社古舘プロジェクトからいずれ正式発表されるとのこと。1978年にテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)で初代徳川宗春役を演じ、俳優として一躍有名になった中尾さん。その後も『GTO』シリーズをはじめ、さまざまな作品に出演するだけでなく、ユーモアあふれる性格を生かしてバラエティ番組でも活躍しました。1978年に再婚した俳優の池波志乃さんとは、芸能界きっての『おしどり夫婦』として知られています。夫の旅立ちを受け、今後、池波さんが想いを明かすこともあるかもしれません。日本の芸能界の重鎮として、多くの人に影響を与えてきた中尾さん。それだけに、訃報は多くの人に衝撃を与えた模様です。ネットからは、「本当にすばらしい俳優だった」「こんなにも温かみのある演技をできる人は、そういない」といった声が上がっています。中尾さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年05月22日若手女性ギタリストの宮川春菜が9月にクラシックギターコンサート「Genesis」を開催する。宮川は、昨年10月に行われた第41回スペインギター音楽コンクールで第2位、そして今年4月に行われた第13回 J.S.バッハ国際ギターコンクールで第1位に輝いた注目のギタリスト。タイトルの”Genesis”は物事の始まりや起源、ある現象や事象、アイデアなどが最初に生まれた状況や過程を指す。「のちのち本人の活動の起源となるような一日を」との想いから、ソロとしては初となる都内でのホールコンサートにこのタイトルがつけられた。当日は、幼少期から演奏し、今の宮川春菜を作り上げた曲や、今後の音楽人生において研究し続けていきたい曲、また、聞いた人が様々な感情を共有できるような曲が詰め込まれたプログラムになるという。宮川春菜からのメッセージこの度、宮川春菜クラシックギターコンサート 2024"Genesis"を開催する運びとなりました。ソロコンサートでは都内のホールデビューとなるコンサートです。私らしさを存分にお楽しみ頂けるようなプログラムを用意し、宮川春菜とはこれだ!というコンサートにしたいと考えております。クラシックの代表的な曲目もご用意しておりますので、クラシックギターを初めて聴くという方にも、ギターの音色の魅力をお楽しみ頂ければと思います。いつも応援して下さっている皆様にも日頃の感謝をお伝えできるよう、精一杯心を込めて演奏致します。芸術の秋の一日にご来場いただけることを、心よりお待ちしております!宮川春菜 クラシックギターコンサート 2024 "Genesis"■チケット情報()9月21日(土)13:30開演めぐろパーシモンホール 小ホール演奏予定曲N.パガニーニ カプリース第 24 番 「24 のカプリース Op.1」よりI.アルベニス アストゥリアス 「スペイン組曲 Op.47」よりA.バリオス 大聖堂J.S バッハ シャコンヌ 「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第 2 番 BWV1004」よりほか
2024年05月17日LE SSERAFIMのSAKURAこと宮脇咲良が30日、都内で行われた「&be HAIR」新CM発表会に出席した。ヘアメイクアップアーティストの河北裕介氏がプロデュースする「&be(アンドビー)」より、ヘアケアライン「&be HAIR(アンドビー ヘア)」が4月30日より全国で販売開始。モデルに就任した宮脇咲良が出演する新CMが30日16時より各SNSで公開された。河北氏とともに発表会に出席した宮脇は、すらりとした美脚が際立つミニ丈衣装をまとい、「春らしい柔らかな素材感で、アシンメトリーのセットアップドレスが素敵だなと思っています」とコメント。河北氏が「妖精」と絶賛すると照れ笑いを見せた。また、&be HAIRモデル就任に、宮脇は「日本を代表するメイクアップアーティストの河北さんに直接指名していただいたのがすごくうれしくて、私のことを知っているんだって」と喜び、「CM発表会も日本でするのはかなり久々なので少し緊張しているんですが、河北さんとご一緒させていただけてとても光栄です。これからも&be HAIRモデルとしてたくさん魅力を伝えていけたらなと思います」と意気込んだ。
2024年04月30日株式会社PHP 研究所(京都市南区・代表取締役社長 瀬津要)は、2024年4月3日に『赤と青のガウン』(彬子女王著/税込 1,320 円)を、PHP文庫の創刊40周年記念ラインナップの1冊として刊行いたしました。本書は、女性皇族として初めて、海外で博士号を取得された彬子女王殿下による英国留学記の文庫版です。単行本の発刊から8年後の2023年5月、X(旧Twitter)への「プリンセスの日常が面白すぎる」という投稿がバズったことにより、単行本の品切れ状態が続いていました。文庫版は書店、ネット書店でランキング1位になるなど反響が大きく、発売即1万部、さらに追加で3刷1万6千部の重版を決定しました。文庫化と重版の決め手は、ある読者のX投稿新刊でもない単行本が注目を浴び、文庫化することになったそのきっかけをつくったのは、一人の読者です。かよ@dobrepivko さんが『赤と青のガウン』について投稿すると、3.5 万いいねがつきました。この「バズり」が彬子女王殿下のもとに届いた経緯と、そのときのご心情が「文庫版へのあとがき」に綴られています。彬子女王殿下の直筆メッセージ入りのサイン本が、担当編集者を通じて、かよ@dobrepivkoさんに届けられると、その感激を再度Xに投稿。あっという間に2.4 万いいね(2024/4/10時点)がつき、紀伊國屋書店新宿本店文庫ジャンル第1位(2024/4/1~7)、楽天ブックス文庫週間売上第1位(2024/4/1~7)、Amazon.co.jp本「自伝・伝記カテゴリー」第1位(2024/4/2)になるなど、注文が殺到しています。私のポストがバズったことがきっかけで、彬子女王殿下の「赤と青のガウンオックスフォード留学記」の文庫本化が決定したと、編集の方から直々に、殿下の直筆お言葉入りのご本を頂きました✨しかも殿下がこのポストのことを後書きに書いて下さってる。。光栄の極み✨✨Xやってて良かったことNo.1決定(かよ@dobrepivkoさんのXより)赤と青のガウンは初心に立ち返らせてくれる「目標」赤と青のガウンは、オックスフォード大学の博士課程修了者だけが袖を通せるガウンです。慣れない異国の地での留学生活にくじけそうになったときに、このガウンが初心に立ち返らせてくれる「目標」になったと、本作品のあとがきで述べられています。彬子女王殿下のこのようなご心情が、初めての単著である本作品のタイトルに込められているのです。格安航空で移動したかと思えばエリザベス女王とアフタヌーン・ティー本書の魅力は、何といっても一般人では体験し得ない、プリンセスの日常を垣間見ることが出来る点です。格安航空で移動し、郊外の空港の入国審査で止められてしまったり、エリザベス女王(2022年、96歳で崩御)とのふたりきりのアフタヌーン・ティーでは、どちらが紅茶を淹れるか戸惑われたり、皇族であることに気づかない日本人留学生を「おもしろい」と、しばらくそのまま会話を続けられたり……留学生活のエピソードがありのままに綴られています。【本書の主な内容】●英語の壁●側衛に守られるということ●子どものころからの習慣●アフタヌーン・ティーを女王陛下と●バッキンガム宮殿へのお招きの連絡●英国の電車の思い出あれこれ●謎の侵入者●お雑煮とスコーン●博士論文性胃炎[ほか]著者プロフィール彬子女王(あきこじょおう)1981年(昭和56年)故寛仁親王殿下の第一女子としてご誕生。学習院大学を卒業後、英国オックスフォード大学マートン・コレッジに留学され、女性皇族初の博士号を取得してご帰国(専攻は日本美術)。立命館大学総合研究機構のポストドクトラルフェロー、特別招聘准教授を経て、現在は日本・トルコ協会総裁、一般社団法人日英協会名誉総裁、公益社団法人日本プロスキー教師協会総裁、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会名誉総裁、一般社団法人心游舎総裁、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授など、お役職多数。【書誌情報】『赤と青のガウン』書影タイトル:赤と青のガウンサブタイトル:オックスフォード留学記著者:彬子女王判型・製本:文庫判並製レーベル:PHP文庫ページ数:400ページ定価:1,320円(税込)発売日:2024年4月3日ISBN:978-4-569-90400-9発売元:株式会社PHP研究所 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2024年04月12日向井理主演ドラマ「テレビ東京×WOWOW 共同製作連続ドラマ ダブルチート 偽りの警官 Season1」に、内田理央、荒川良々、上川周作、伊藤淳史が出演することが分かった。多家良啓介(向井さん)は、近隣住民が気軽に立ち寄る町の交番に勤務する親切な警察官。実は多家良は“過去のミス”により交番勤務をしていた。ある日、通報で現場へ駆けつけると、経営コンサルタント・鹿野博之が参加する資金繰りに苦しむ経営者のための相談会に現れた須永良二が、「騙された」と暴れていた。その頃、警視庁捜査二課では特別捜査官採用で配属された宮部ひかりが、課長・岩合拓真に着任の挨拶をしていた。ひかりは早速、トラブルを起こした須永の元へ主任の山本貫太と共に事情を聞きに行く。融資の相談を鹿野にすると、ある条件を満たせば融資を受けられると言われていたが、鹿野に騙し取られた上に、全国中小企業金融公庫から融資返還の督促状が届く事態に。しかし、警察から捜査されることになったのは須永だった。そんな状況に、多家良は矢柴等の元を訪れ…。本作は、近年のネットの普及と共に拡大し続ける様々な詐欺被害をテーマにした、正義と悪を使い分けながら、法では裁けない悪を裁くクライム・エンターテインメント。交番勤務の警察官・多家良の裏の顔、“詐欺師・K”の正体を追う警視庁捜査二課の特別捜査官・宮部ひかりを内田さん、“詐欺師・K”の相棒・矢柴等を荒川さん、多家良の同僚・阿部直樹を上川さん、ひかりが所属する捜査二課の課長・岩合拓真を伊藤さんが演じる。内田さんは「勧善懲悪のダークヒーロードラマということで、ムカムカとスカッとが詰まっている作品です。私もまだラストを知らないのでドキドキしながら撮影に挑んでいます。最終回まで是非お楽しみください!」とコメントし、荒川さんは「なんか、恋愛とかも入ってくるんでしょうか。どんな展開になることやら…楽しみです」と話す。上川さんは「阿部はとても人懐っこい、面白い性格です。向井さん演じる多家良さんとの交番のシーンではそのキャラクターを活かして、作品の中でほっこりとするようなシーンになればいいなと思っています」と役柄について語り、伊藤さんは「各話しっかりとした深いお話になっていますので、いろんな世代の人たちにも楽しんでもらいたいですし、僕自身もそういう魅力的な作品に関わることができてとても嬉しく思っているので、是非ご覧ください」とメッセージを寄せている。テレビ東京開局60周年 ドラマ8「テレビ東京×WOWOW 共同製作連続ドラマ ダブルチート 偽りの警官 Season1」は4月26日より毎週金曜日20時~テレビ東京ほかにて放送(※初回放送15分拡大)、Season2は6月29日WOWOWにて放送・配信開始(毎週土曜22時~)。(シネマカフェ編集部)
2024年03月18日Juice=Juice石山咲良のファースト写真集『咲良』の発売記念イベントが、3月14日(木) に東京・書泉ブックタワーで開催された。全編沖縄で撮影された写真集には、19歳を迎えた彼女の移り変わる佇まいや面差し、神秘的な魅力を持った麗しい表情から、大好きな海や自然、生き物、花を見て感動し喜ぶ無邪気な笑顔まで、ここでしか見ることができない石山の姿が収められている。撮影にあたって彼女は元Juice=Juiceの稲場愛香の写真集などを参考にし、表情やポーズを研究。またコンディションを整えるため、母親には食事面などでサポートしてもらったという。加えてお気に入りの写真について「ワンパターンじゃなくて、いろんな角度のいろんな自分を見せられるように挑んだ中で、笑顔の撮影をするのが苦手な私が自然に笑っているショットが撮れました」と裏側を明かした。そんな写真集について石山は「タイトル『咲良』は初の写真集ということもあり、親が付けてくれた自慢の名前にしました。普段ははしゃいでいる印象が強い私だけど、写真集では大人っぽい私など、様々な表情を楽しんでいただける作品になったんじゃないかなと思います。家族やスタッフさんの支えもあり、素敵な衣装と場所で撮影が出来て、思い描いた100点の作品が出来たので、ファンの方だけでなく、ちょっとだけ私の事を気にしてくれている方がいればぜひ手に取って頂きたいです」とコメントしている。■石山咲良 コメント全文私が写真集のお話を頂くとは思っていなくてわくわくと不安で初めての感覚になりましたが、やるからには自分も納得できるような素敵な作品にしよう!という思いで挑みました。撮影にあたって、尊敬している稲場愛香さん(元Juice=Juice)の写真集を全冊見て教本としつつ、その他たくさんの写真集を参考にし、表情やポーズを研究しました。撮影に向けてのコンディションを整えるためにお母さんに食事面などサポートをしてもらいました。ワンパターンじゃなくて、いろんな角度のいろんな自分を見せられるように挑んだ中で、笑顔の撮影をするのが苦手な私が自然に笑っているショットが撮れました。私のお気に入りの自然な笑顔ショットです。沖縄でのオールロケ撮影だったのですが、私は雨女なので雨が降るかと思いましたがお天気に恵まれました。初めての沖縄は、沢山の自然に囲まれた美しい景色の中、撮影中にはヤモリや猫が現れ、生き物好きの私には最高の撮影でした!タイトル『咲良』は初の写真集ということもあり、親が付けてくれた自慢の名前にしました。普段ははしゃいでいる印象が強い私だけど、写真集では大人っぽい私など、様々な表情を楽しんでいただける作品になったんじゃないかなと思います。家族やスタッフさんの支えもあり、素敵な衣装と場所で撮影が出来て、思い描いた100点の作品が出来たので、ファンの方だけでなく、ちょっとだけ私の事を気にしてくれている方がいればぜひ手に取って頂きたいです。<書籍情報>Juice=Juice石山咲良 ファースト写真集『咲良』発売中Juice=Juice石山咲良 ファースト写真集『咲良』書影仕様:A4判・全112ページ価格:3,500円(税込)撮影:西村康Juice=Juice 公式サイト:
2024年03月15日波津彬子×伊藤潤二「幻想と異形の世界」展を、2023年11月22日(水)から12月2日(土)まで京都 MEDIA SHOP galleryで開催いたします。波津彬子×伊藤潤二 展覧会DM長年『Nemuki+』で活躍し、唯一無二の世界を創作してきたふたりの漫画家。幻想的な物語を多数発表されている波津彬子先生と数々の傑作ホラー作品を生み出している伊藤潤二先生の合同原画展です。カラー原画と漫画原稿合わせ93点のオリジナル作品を展示いたします。さらに、この展覧会のために制作された高精密な複製原画、フィギュア作品、Tシャツ、トートバッグ、ポストカード、アクリルキーホルダー等グッズも多数販売予定です。■波津彬子石川県金沢市生まれ。金沢市在住。1981年『ALLAN』掲載「波の挽歌」にてデビュー。代表作に「雨柳堂夢咄」「うるわしの英国シリーズ」など。他に原作のあるものを漫画化した「鏡花夢幻」「幻妖能楽集」などがある。現在は小学館『flowers』で「あらあらかしこ」連載中。<サイン会 開催決定>2023年11月25日(土)14:00~16:00 波津彬子サイン会を開催事前申し込み 抽選で100名様限定サイン会を開催申し込み方法等詳細は、スパンアートギャラリーHPに掲載URL: ■伊藤潤二1987年、初の投稿作品『富江』でデビュー。以来『うずまき』『首吊り気球』など数々の傑作ホラー作品を生み出し、「漫画のアカデミー賞」とも呼ばれる米国アイズナー賞を4度受賞。今年は仏国アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞、米国サンディエゴ・コミコンではインクポット賞を受賞。世界中のクリエイターが注目する稀代のホラー漫画家。<サイン会 開催決定>2023年11月23日(木)14:00~16:00 伊藤潤二サイン会を開催事前申し込み 抽選で100名様限定サイン会を開催申し込み方法等詳細は、スパンアートギャラリーHPに掲載URL: 【会場】MEDIA SHOPメディアショップギャラリー京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44 VOXビル1F・2F【会期】2023年11月22日(水)~12月2日(土) 会期中無休【開催時間】午前12時~午後8時※会期中無休【公式サイト】 【主催】スパンアートギャラリー【協力】朝日新聞出版、小学館 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年10月20日松岡茉優主演、芦田愛菜、加藤清史郎ら共演のドラマ「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」第7話が9月2日放送。荒川良々演じる教頭・我修院学の姿に「かっこ良すぎて号泣」「一生ついていく」と絶賛する声が上がっている。本作は、卒業式の日に生徒と思しき人物に突き落されるも、気がつくと始業式の日の教室に戻っていた教師・九条里奈(松岡さん)を主人公に描く、1年後の死を避けるべく命がけで生徒に向きあう新時代の学園ドラマ。松岡さん演じる九条の夫・蓮役に松下洸平、3年D組の生徒に芦田愛菜、加藤清史郎、山時聡真、詩羽、當真あみ、奥平大兼、窪塚愛流、本田仁美(AKB48)ら旬の若手キャストが集結しているほか、鵜久森の母親役に吉田羊、江波の幼馴染み・浜岡役に青木柚が出演している。主題歌は菅田将暉の本ドラマの為の書き下ろし楽曲「ユアーズ」で、衝撃的なストーリー展開が話題となっている。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。鵜久森(芦田愛菜)が非業の死を遂げて以来、休校が続く鳳来高校。校内の立ち入り禁止区域で起こった悲劇は世間の注目を集め、教員たちはマスコミの対応に追われるが、鵜久森の身に一体何が起きたのか、その真相は依然として分からないままだった。かけがえのない教え子を亡くして失意の九条里奈(松岡茉優)は、運命を変えられなかった自分を責め続けていたが、鵜久森の母・美雪(吉田羊)から鵜久森が「人生を変えてくれた最高の教師だ」と言っていたことを聞かされる。さらに「笑って学校に行ける日々を作ってくださって本当にありがとうございます」と言われ、ふさぎ込んでいた心が突き動かされる。また、夫・蓮(松下洸平)の支えにも胸を打たれ、顔をあげ鵜久森の死を“運命”で片付けないため、彼女を「命を失った生徒」ではなく「最後までその命を燃やし生き抜いた生徒」であったと証明するため、29人の生徒が待つ3年D組の教室へと向かう…というのが第7話のストーリー。鵜久森の死は、警察によって不慮の事故、あるいは鵜久森自身が起こした出来事だという見解がだされ、教員たちはこの結論で片付けようとしていた。しかし、里奈は4月に3年D組の教室で起こっていた映像を教員たちに見せ、鵜久森がこの日から自分の力で戦っていたこと、本人の勇気で変えていったこと、そして、「大人が見ている表面的な世界だけで結論をつけるべきではないこと」「彼女の身になにが起きたのか、それを知るために、私達は何でもしなくてはならないということ」を伝える。さらに里奈は3年D組の教室で警察の見解を伝え、自分はそうは思っていないこと、鵜久森が生きることを誰よりも強く大切に思っていたこと、そして、鵜久森が辛い時に目をそむけた生徒達全員で、鵜久森の生き様と向き合わなければいけないことを伝える。しかし、生徒達の中でも「向き合いたい」「向き合うべき」「それどころではない」という意見に分かれ、里奈は生徒達だけで話合う時間を設ける。鵜久森が二周目の人生であることを聞かされていた東風谷(當真あみ)は、里奈もまた二周目の人生であることを確信し、一周目の自分がどうしていたかを問う。そして、しばらく泣いていたが、冬には他の生徒と同じように鵜久森の席の前で笑っていたことを聞かされ「わかりました。私はそんな私を変えます。私も何も向き合えなかった私を変えてきます」と決意を里奈にぶつける。これに対しSNSでは「東風谷さん頑張れ」「強くてかっこいい」という声が上がった。一方、冒頭で警察の見解で片付けようとしていた教頭・我修院学(荒川良々)にSNSでは「教頭が怪しい」「教頭なんか知ってる?」という声が上がっていた。しかし、里奈の言葉を受け、自分が教員になったきっかけが生徒たちから「先生かっこ良い」と言われたかったことを思い出したと告げ、「なすべきことをしに行きますか」と教員たちと共に3年D組に向かい、生徒がすべきなのは考えること、そして、責任を背負うのは大人であることを伝えた上で頭を下げ「今回の件について学校として向き合わせてください」と生徒に伝える。さらに記者会見では、現状の見解で結論とするのは尚早だということ、そして、全力で今回の出来事の本質と向き合うことを話した上で、「関係のない人が憶測で言葉を投げかけるのはやめてください」とお願いする。学校は未来ある人がたくさんいる場所であること、その未来ある生徒を憶測で判断して欲しくないことを強張し、「何か言葉を投げたい時、我慢できない時があれば私に言ってください」「責任があるのは生徒でも教員でもない、私です。私1人です」と主張する。この姿にSNSでは「一生ついていく」「かっこ良すぎて号泣」「疑ってごめん」という投稿で溢れた。しかし、依然として鵜久森の身に何があったのかは明かされることはなかった。そして、7話のラストシーンで東風谷の家を星崎が訪ね、制服姿の浜岡(青木柚)が来ていたことを伝える。これに対しSNSでは「浜岡ーー!!」「やっぱり」という声があがる一方で「星崎も怪しい…」と考察が続き、「早く次が見たい」と第8話を待ちわびる声も上がっている。第8話あらすじ「我々は、全力でその理由と向き合いたいと思っています」九条(松岡茉優)と3年D組の本気がもたらした学校の記者会見は、鵜久森(芦田愛菜)の母・美雪(吉田羊)の心にしっかりと届く。自分も今以上に向き合わなければ…と顔を上げる美雪。しかし、向き合うべきは娘を追い込んだ“何か”ではない。あの日、娘は何をするためにあの場所へ行ったのか、最後にどんな顔をしたのか、ただそれが知りたい。だからこの件で誰かが追い詰められるようなことは望まない…。そんな美雪の思いを九条も力強く受け止める。だが、教室では一つの事実を獲得した生徒達がある人物を追いつめる。クラス全員から疑いの目を向けられたのは、相楽(加藤清史郎)。浜岡(青木柚)が鵜久森の事件の日に学校に来ていたこと、そしてその浜岡と相楽が繋がっていたこと、それが露見した教室内で、相楽はクラス全体を凍り付かせる衝撃の一言を口にする。「アイツは、俺のせいで死んだ」と。彼のその一言の意味とは何か 。自分の“本当”を曝け出せない貴方へ。過去に、自分に、見て見ぬフリを続けた人物は、全てと向き合う一日を過ごす。彼は本当に…犯人なのか?「最高の教師 1年後、私は生徒に■された」は、毎週土曜日22時~日本テレビにて放送。(シネマカフェ編集部)
2023年09月03日宮川明フラメンコギター教室主催、チャリティコンサート『フラメンコギター&フラメンコの唄』が2023年10月1日 (日)にティアラこうとう・小ホール(東京都江東区住吉2-28-36)にて開催されます。チケットはカンフェティ(運営:ロングランプランニング株式会社、東京都新宿区、代表取締役:榑松 大剛)にてチケット発売中です。カンフェティにて8月25日(金)0:00よりチケット発売中 公式ホームページ 鋭く乾いた音色のフラメンコギター、何かを切に訴えるかのようなカンタオーラ(女性の唄い手)の歌声。フラメンコの音の世界を、素晴らしい響きのホールで堪能して下さい。宮川明プロフィール三澤勝弘氏にフラメンコギターを師事。2003年に渡西。スペイン・セビリアで活動を続け、2006年セビリア近郊の町サンホセのフェリアに出演。同年アントニオ・カリオン日本公演のプロデュースおよび出演。以降、都内や横浜のホール、レストランなどで演奏活動を行っている。宮川明フラメンコギター教室(葛西、神保町、関内)を主宰。公演概要チャリティコンサート『フラメンコギター&フラメンコの唄』公演日時:2023年10月1日 (日)13:00開場/14:00開演会場:ティアラこうとう・小ホール(東京都江東区住吉2-28-36)■出演者宮川明、レイコ・シミズ・サンギート■チケット料金全席指定:2,000円(税込)<カンフェティ限定>200円割引!2,000円 → カンフェティ席1,800円!(税込) 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2023年08月25日TVアニメ『【推しの子】』の大ファンのオーイシマサヨシさんと米村姫良々(きらら)さん。なぜ『【推しの子】』がこれほど見る者の心を掴むのか、対談で考察します。推しキャラや名言についても熱弁!(米村さん、アイのピンクのステージ衣装で登場)オーイシマサヨシ(以下、オーイシ):はじめまして、オーイシマサヨシです。…って、なんだこの完成度の高い衣装はっ!?撮影ないのに心意気!米村姫良々(以下、米村):ありがとうございます。衣装さんがご厚意で作ってくださったんですよ~!――おふたりとも原作漫画からの『【推しの子】』ファンだと聞きましたが、ハマったきっかけを教えていただけますか?オーイシ:僕はヲタ友のSnowManの佐久間大介くんがきっかけです。「めちゃくちゃいい漫画があるんですよ」って言われて1巻読んだら見事にハマりました。そのときから『【推しの子】』応援団長なんですけど、今回は劇中歌「サインはB」を作らせていただいています!米村:私も1巻を読んで面白すぎて…、でもあまりにも先が気になってしまうので何巻か進んでから一気に読みたいなと思っていたんです。オーイシ:わかります!サスペンス要素も謎解き要素もあって惹きつけられるからなあ。米村:だけどアニメが始まったタイミングでたまらず一気読みしました!いまも毎週漫画で最新話を追いかけてます。――数々のエンタメに触れてきたおふたりが心奪われるほどの魅力は特にどのような部分に感じられますか?オーイシ:すごい部分がたくさんありすぎて…。まずショービジネスの描写のリアルさ。アイドルの裏側、恋愛リアリティショー、芸能コースのある高校の雰囲気…。それは原作の赤坂アカ先生の徹底したリサーチがあってこそ。そのリアリティには鳥肌が立ちます。米村:私はまだ芸能界の裏側みたいな部分はわかりませんでしたが、リサーチの細かさに驚いてます。オーイシ:まあ、裏であんなふうに糸を引いてる存在は実際にはいないと思いますけど(笑)。何より脚本の素晴らしさ!アニメ史上類を見ない初回90分。そこで「これはただのアイドルものじゃない、復讐劇なんだ」ということを描き切っている。現代の人って忙しいから“1話切り”する人も多いでしょ。だから1話でしっかり世界を提示しないと2話、3話とついてきてくれないんですよね。米村:私も1話だけ見ることもあります。でも、今回はすでに漫画で物語を知ってるのにもかかわらず、毎週楽しく全話食い入るように見てます!オーイシ:それは脚本、キャスト、音楽とチームがひとつになって原作のエッセンスを凝縮してるから。…といろいろ言いましたけど、とにかく面白いから!ブームの理由はそれに尽きます。――魅力的なキャラクターの中でもおふたりの推しキャラは?米村:私はアイちゃん。特に「サインはB」が流れて、会場の熱気が再現されたライブシーンには引き込まれました!オーイシ:あの曲、作ってよかった~!同じアイドルとして、アイのようになりたいですか?米村:う~ん…でも私は子供2人の母をやりながらアイドルなんて絶対できないので…。オーイシ:そこかいっ(笑)。米村:アイはそんな秘密を完璧に隠し通して、アイドルとして夢を見せてくれる。才能はもちろんその覚悟も含めてすごいです。オーイシさんは誰推しですか。オーイシ:僕も永遠の推しはアイだけど…いまは可愛い元天才子役・有馬かな単推しです!米村:…あ、いいと思います。オーイシ:いま、なんか3秒くらい間があった…!?米村:あはははは。でも、かなちゃん推し多いですよね。あのちょっと自己肯定感が低いかんじが推したくなるっていうか。オーイシ:まさに!天才子役として売れた過去があるのにその後伸び悩んで…そのトラウマがありますから。僕も21歳で音楽デビューして大変な時期もあったけど、アニソンに出合っていまがあるから…有馬かなの気持ち、すごいわかる。たとえ褒めてもらってもその裏の本音を察知して落ち込んだりね(笑)。米村:そういう心情の描写も細やかですよね。私もハロプロの中でも研修生期間が史上最長で、その間に悩むことも多かったから、かなちゃんに共感します。でもかなちゃん同様私も自己肯定感低めだからこそ、自信あふれるアイに憧れます。重ね合わせて好きになるというよりは、憧れて好きになるタイプなんですね。オーイシ:そういうことかぁ。なら現役アイドルとしてアイに憧れてアイドルグループ結成を目指すルビーのことはどう見てますか?米村:ルビーはアイの後継者を夢見ていますが、それを目指せる自己肯定感の高さがすごい!行動力もあってSNSも頑張ってて…考えてるだけで行動できていない自分を反省しちゃいます。オーイシ:もう十分行動しとるわ、そんな完成度の高い衣装(笑)。あーでも確かにSNSの描写もリアルですよね。――おふたりは芸能人としてSNSとどう付き合っていますか。オーイシ:僕は息をするようにエゴサしてます(笑)。なかにはグサッとくる言葉もありますよ。「こういう見た目のオタク、うちの大学に5人いる」とか(笑)。個性勝負のアーティストにとってはネガティブな言葉だけど、トークのネタにしたり、なんとか楽しんでます!…ってそんな、気の毒な人を見る顔すな(笑)。米村:あっいえいえ(笑)。私の場合は褒めというより冷静な意見を知りたいときに、エゴサしています。というのもファンの方は私がどんな顔してようと何してようと「可愛い」「面白い」って言ってくれるんです。その言葉はありがたいんですけど、過信しちゃいけないと思って。オーイシ:大人!自分は若いとき批判的な意見には真っ赤になって反論してました。「俺の音楽がそんなわけねえ!」って(笑)。でも自己肯定も視野が狭くなると「うぬぼれ」になっちゃう。謙虚さも周りを見る冷静さも持っていてこそ、ほどよい自己肯定感を保てますからね。――作品中でも周りの評価や、才能ある同世代に影響されて揺らぐ姿が繊細に描かれています。そういった心情に関する部分で印象的なシーンはありますか。オーイシ:SNSにまつわるシーンですね。特に恋愛リアリティショーで炎上したとき、インフルエンサーのMEM(メム)ちょが言う「謝罪は日本人の道徳的には正しいけど、炎上対策としては下の下なんだよ」ってセリフは刺激的だけど、自己肯定感を守るという意味ではリアルな処世術と言えるのかもしれないな。米村:私はアイがドラマ撮影のシーンで「ここではたった一人、カメラに可愛く思ってもらえばいい」って言う場面が衝撃でした。私にとってMV撮影とかでカメラに可愛く撮ってもらうのって本当に難しいことだから、その一言でアイの天才ぶりを再確認して憧れが尊敬の域に…!あとライブでの笑顔が評判になったとき「なるほど、コレ(この笑顔)がイイのね覚えちゃったぞ~」って言う場面も天才だなと。オーイシ:あのシーンは狂気じみたアイの魅力にぞくっとしますよね。最後にかな推しの僕としては「有馬かなキュンキュンポイント」も…(笑)。かながステージからアクアを見て「あんたの推しの子になってやる!」って言うシーンには、ぐっときました。自分の中から生まれる自己肯定感って崩れやすいけど、こうして他人が照らしてくれることで生まれる自己肯定感って強いなって僕も日頃から思っているから。「サインはB」のフレーズにある「ちゃんと見えてる君のサイリウム」はそういうことだったりします。――最終回を迎えましたが、早くも第2期の制作決定が報じられました。オーイシ:この先も面白くなっていくのでアニメ化楽しみです。米村:最後までとなるとシーズン4、5…?でもまだの方はまず1期を。アイやルビーから元気と勇気をもらって、前向きな気持ちになってほしいです!オーイシマサヨシ2001年にバンド「Sound Schedule」でデビュー。その後、大石昌良としてソロデビュー。アニソンシンガーのカタカナ名義でアニソンも数多く手掛け、『【推しの子】』の劇中歌「サインはB」が人気に。米村姫良々(きらら)(OCHA NORMA)2004年4月30日生まれ、愛知県出身。ハロー!プロジェクト「OCHA NORMA」のメンバー。座右の銘は臥薪嘗胆。7月26日「ちょっと情緒不安定?…夏」を含む最新シングルが発売。アニメが好き。TVアニメ『【推しの子】』原作は、赤坂アカと横槍メンゴによる同名漫画(2020年より『週刊ヤングジャンプ』にて連載中)。伝説的な人気を誇る夭逝のアイドル・アイと彼女の子で双子のアクアとルビーを中心に、華やかだがシビアで残酷な芸能界やアイドルの世界をリアルに描いた作品。各配信サイトで配信中。©赤坂アカ×横槍メンゴ/集英社・【推しの子】製作委員会※『anan』2023年7月19日号より。取材、文・大澤千穂(by anan編集部)
2023年07月17日