入園後、発熱した息子。病院へ行くとちょっとした風邪との診断でした。でも、それから数日間、熱は上がったり下がったり。そしてついに気管支炎で入院することに。初めての入院で私はとても落ち込みました。こんなにひどくなる前に何かできたかもしれない…。代われるものなら代わりたい…。もっと私がしっかりしていればと、ただただ自分を責めるばかりの毎日でした。初めての幼稚園に大泣きする息子入院のため、友達と一緒にスタートができなかった息子。ひとりで幼稚園に行くのはこの日が初めて。泣きながら先生に抱っこされて保育室へ入っていく後ろ姿の切なさといったら。私も思わず涙がこぼれました。大丈夫かな、あのままずっと泣いていないかな、お弁当食べられたかな…。心配しながら降園時間を待ちました。母が思っている以上に成長している息子の姿こっそり保育室をのぞくと、息子と同じクラスの子どもたちが、各々の時間を過ごしていました。おもちゃで遊ぶ子、先生に抱っこされている子、ひとりでぐるぐる歩き回る子。そんなクラスの中で、息子は自分と同じ新幹線好きのお友達を見つけて、おしゃべりを楽しんでいたのです。甘えん坊だから、私がいないときっと泣いている…という想像をはるかに超えた楽しそうな息子の姿に、ちょっぴり切なくなった私。でも同時に。息子の笑顔をとても頼もしく感じました。この日、私自身もちょっとだけ母として成長できた気がします。子どもの成長する力は本当にすごい!そしてそんな子どもの力に、日々たくさんのことを教えてもらっている私です。<まんが・文:しみず宇海>
2020年06月08日「相手へのごめんなさい」じゃ、ない感じがするんだよね…。本を汚してしまったことで息子から謝罪を受けたものの、謝罪に対してこう返したという丸山さとこ(@ame_satoko)さん。多くの人が考えさせられた、『謝罪の意識』に関する親子のやり取りをご紹介します。『「ごめんなさい」をいう時、意識はどこを向いている?』「ごめんなさい」を言う時、意識はどこを向いている?という話をしたよ。というマンガです。 pic.twitter.com/O2YxuMbcHy — 丸山さとこ (@ame_satoko) April 29, 2020 『相手に対する申し訳なさ』と『自分の行いへの後悔の気持ち』、どちらが大きい?そう問われた場合、息子さんと同じ気持ちになる人は少なくないはずです。相手に迷惑をかけた時や過ちをおかした時、私たちはごく自然に謝罪の言葉を口にします。しかし、誰に対して謝っているのか、何に対して謝っているのか、その言葉の底にある思いまで意識しているのかを改めて考えると、ハッとさせられます。【ネットの声】・すごく心当たりがある。ちょっと意識してみよう。・自分自身にも当てはまる。深い…。・自分のことだと思ってしまいました。しかも今の今までそのことに気付いていなかった。謝罪するという姿勢はとても大切なことです。しかし、本人が心から謝っていても、相手にその気持ちがちゃんと伝わらなければ、お互いの溝を深めかねません。相手に自分の気持ちが伝わるように、言葉を付け加えたり、伝え方を変えてみたり、そうした少しの意識でグッとお互いの距離が縮まるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年05月01日みなさんは、自分の親が泣く姿を初めて見た時のことを覚えていますか。普段、泣くことのない親が泣く姿に、衝撃を受けた人も多いのではないでしょうか。chiiko(@gumamasan1)さんは、泣いている姿を息子に見られ、驚かれたそうです。2/2 pic.twitter.com/YrrQYaMI8P — chiikoNEWSTYLEコラボ発売中 (@gumamasan1) April 9, 2020 とどめの刺し方が容赦ない!しかし、『にっこり~のポーズ』で励ましてくれる姿にはとても癒されますね。投稿には、このようなコメントが寄せられました。・最後、拭ったところで爆笑しました!・『にっこり~のポーズ』と、拭う姿のギャップがたまらないですね。・我が子も、キスしたら拭います!・無慈悲さに笑ってしまいました。照れ隠しで、キスされた頬を拭ったのかもしれませんね。さまざまな面から子供の成長を感じられる、かわいらしい親子の漫画でした。[文・構成/grape編集部]
2020年04月16日こんにちは!おにぎり2525です~息子を妊娠したとき、密かに楽しみにしていたことがありました。■母の胸キュン妄想!息子にちょっぴり期待…そんな胸キュンエピソード、わたしも経験できるのか!?いつか言ってもらえることを楽しみにしていました!そんな息子ももう5歳…ついにわたしよりもずっと小さくて、力も弱いくせに言うことがいっちょまえ(笑)でもめっちゃ可愛い~!!嬉しくて、思わず夫に報告しました。それって太ってるってことぉ~!?なんか遠回しに悪口を言われたような(笑)素直に喜べなくなってしまいました…息子に守ってもらわなくても大丈夫なように、筋トレ頑張ります!!
2020年03月13日こんにちは! ねここあんな。です。2月で息子は3歳になりました。去年の今頃を思い出すと、2歳から3歳にかけてずいぶんお話が上手になったなぁと改めて感じます。さて今回のテーマは「子どもの名言」です!名言かどうかはわかりませんが、母が個人的にグッと来た息子の謎な発言をご紹介させていただきますね!!■息子の頭の中を絵本にしたい! 謎めいた発言に癒される息子きっくんは普段の会話から、不思議発言が多いです。一体どこで覚えたのやら! でもなんだかほっこりした気持ちになる母なのでした。子どもの発言って意味がよくわからなくても、なんだか癒されてしまいますよね~。って相変わらずの親バカ炸裂しています(笑)さらに、眠たいときのきっくんは、半分夢の中なのかこんなことも…餃子の車庫…「キミの頭の中を絵本にしてあげたい!」そんなふうに思うのはこんなときです…!■疲れも吹き飛ぶ! 突飛な想像力がかわいいそしてお月さまが大好きな息子は、毎晩空を見上げては月の形について話をします。三日月が「笑った顔」なのは笑った口に見えるのか…それともニッコリとした目に見えるのか?聞いてもあいまいな返答なのでいつもわからないのですが、なんとなくその想像力をかわいく思うのでした。包丁でトンッとやるのは一体誰なのかな…?尋ねてみると帰ってきた答えは…大きくなったトット(お父さん)!つまり夫だそう(笑)「大きくなったトットのお仕事は、月を割ることだったのか~」と想像するだけで、一日の疲れも吹き飛ぶのでした。ただこういう発言も、言葉を覚えていくたびに少なくなってしまうのかなと思うと少し寂しい気持ちにもなります…。今でもまだまだ不思議なことを言われてあえて「訂正したくないな~」なんて思うこともあるのですが、気が付くときちんと言えていたり。成長を喜ぶべきなのに、なんだか難しいですね。
2020年02月22日2018年、FUKAIPRODUCE羽衣が上演した二人芝居『春母夏母秋母冬母』。母と子の関係を描いた今作は、初演時「FUKAIPRODUCE羽衣の新たな代表作」とも言われ、大きな反響を呼んだ。この作品に惚れ込んだCBGKシブゲキ!!のラブコールに応えるかたちで、2月13日(木)より再演が行われる。オリジナルキャストである深井順子、森下亮のふたりに加え、声優でもある土屋神葉、東京パフォーマンスドールの上西星来が参加。オリジナルのふたり、新しいふたりのペアだけでなく、深井と土屋、森下と上西の組み合わせもあり、じつに4バージョンの『春母夏母秋母冬母』が上演されることとなる。舞台は、夜中の公園で中学生カップルが遊ぶシーンからスタートする。公園に置かれた遊具は夢で見る景色のように、非現実的にぐにゃぐにゃとしている。ふたりの男女はそれぞれ、自分と母との物語を紡ぎながら、14歳から40歳までを自在に行き来する。自らの作品を妙なミュージカル、「妙ージカル」と称するFUKAIPRODUCE羽衣。ふだんは性愛の部分もたっぷり描くことが多いが、今作では母子の愛が中心。あたたかく優しい、けれど決してそれだけではない母という存在……。観ていくうちに、自然と観客が自分の母についてあらためて考えるような作品だ。また、劇中では作・演出の糸井幸之介がつくるオリジナルの楽曲がいくつも披露される。彼の曲はいつも、孤独な気持ちにひっそりと寄り添ってくれるようなメロディと歌詞で、胸を打つ。初演は、主宰である深井順子の40歳記念公演と銘打たれていた。糸井も森下も、深井と同じ77年生まれ。あのとき3人が作り上げた舞台が、共に96年生まれの若いふたりの息吹を得て、再び立ち上がろうとしている。CBGKシブゲキ!!presents『春母夏母秋母冬母』は、2月13日(木)から19日(水)まで東京・CBGKシブゲキ!!にて上演。文:釣木文恵
2020年02月11日ウーマンエキサイトをご覧の皆さん、明けましておめでとうございます!本年もどうぞよろしくお願いいたします。長かった冬休みも終わり…わが家にも通常運転が戻ってきました。冬休み中は、5歳の娘と2歳の息子と一日中べったりだったのでイライラすることが多くなり、何度か感情的に怒ってしまいました。うちは5歳の娘もまだまだ手がかかりますし、何と言っても2歳の息子のイヤイヤ期が苦行です。■イヤイヤ期という苦行に向き合う日々イヤイヤ期は子どもにとって自立への第一歩。頭では「子どものイヤイヤにできるだけ付き合ってあげたい!」と思っているのですが…親だって人間だもの、イライラしちゃいますよね。私の言うことになんでも「いやぁーだ」と言う息子。もうただ反抗したいだけなのでは? と思ってしまいますよね(笑)何を言ってもイヤイヤだったので…「このままじゃイライラするだけだ…何かいい声かけはないものか…」と、頭をフル回転させて考えました。その結果、思いついたものが息子の気を紛らわせること!現実逃避ともとれる突拍子もないお願いを息子にしてみました。■「チューして!」作戦が功を奏す!チューはするんかーーーーい!!って思わず突っ込んでしまいました(笑)さすがキス魔の息子。チューされると何だかイライラも少し和らぐから不思議…!チューの勢いで帰宅もOKかと思いきや…イヤイヤは継続中でした(笑)この後、イヤイヤの息子を抱っこで捕獲し、半ば無理やりにママチャリに乗せて帰りました。(ごめん息子…用事があったんだよ…)イヤイヤ期、イライラしない親なんていない!!!子育て中の同志の皆さん、お互い試行錯誤して(自分の)気持ちを落ち着かせながらイヤイヤ期を乗り切りましょう(泣)
2020年01月15日こんにちは、ねここあんな。です。今回は、3話連続でお伝えした『私と母の“友人のような親子関係”』の「番外編」というか…、私の母側の気持ちについて少し焦点を当ててお話ししたいと思います。▼「私と母の“友人のような関係”」 前回までのお話私と母の“友人のような関係”に、この夏トラブルが発生。実家の宿泊をめぐって私が母の地雷を踏んでしまったことで、親子喧嘩に。しかし、これがキッカケで長年母が抱えていたトラウマが明らかになり、お互い思うことを素直に伝えられたことで、仲直りすることができたのでした。 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(1) 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(2) 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(3) というのも、なぜこんなにも母は「がんばってしまっていたのか」という点です。前回の記事では、母のトラウマが理由と書きましたが…実は、もっと前から秘められた大きな理由があったというのです。「自分じゃない誰かを作り出していた」そうで、「その誰か」になることで気づかないうちに、自分自身を苦しめていたかもしれないと母は話していました。そしてそれは、ある日突然「ばあば」「おばあちゃん」という存在になったことが原因だったのです。■“おばあちゃん”と呼ばれることで感じたプレッシャーよく女性は子どもを産むと「○○ちゃんのママ」という名詞で呼ばれることがあります。その呼び方に「私の名前はママじゃない!」などと違和感を覚える…といった記事はよく目にすることがありました。母の場合、「おばあちゃん」という呼び名が、戸惑いを与えるものだったのです…まずその呼び名は、母を「こうあるべき」と気負いさせてしまうのでした。そんなあたたかい存在でいなくてはならない、そう自分で自分を追い込んでいったのでした。周りからも「おばあちゃんなんだからこうあるべき」というプレッシャーがあり、母は気づけば「頑張らなきゃ」と必死になっていました。今思うと、「自分さえ我慢すれば平和になると、自己犠牲に陶酔していただけ」と母は話していました。たしかに以前の母なら、私に対して言いたいことがあればストレートに伝えてくれました。私もその場で言いたいことを言う。だから仲良くやってこれたんだと思います。その母が、私に子どもが生まれてからストレートにものを言わなくなりました。すべてを許す。そんな「いつもの母じゃない」母になっていたことに、私も不思議に思うところがありました。そう思うと今回のトラブルは、そんな母のたまりにたまった何かが、私たちの無神経な行動によって爆発したんだと思います。母は「我慢し続けるのはいけなかった。衝突したけど、結果的に良かった」そんなふうに話していました。■うれしいはずなのに心が痛む「おばあちゃん」という呼び名さらに母は「ばあば」や「おばあちゃん」という呼び名そのものにも抵抗があったと言います。特に母は若くして兄を、そして私を産み育ててきました。しかも母はスタイルが良く、周りからも「お母さん若いね!」と幼少期の頃はよく言われていました。そんな母は、私にとってもどこか自慢でした。しかし、突然周りから「おばあちゃん」と呼ばれることで、母は「私はオバアサンになったんだな…」と、複雑な心境に。もしかして心のどこかで傷ついていたのかもしれない、と言います。かわいい孫の口から、私を認識して「ばあば」と呼ぶ声がする。すごく愛しい。うれしいはずなのに、なぜか心のどこかが痛む…。しかし、母はこの年齢ならではの憂鬱を人に話せなかったと言います。「いつまで若いと思っているんだ?」「あなたは孫もいて幸せなのに、そんな考え持つなんてひどい」そんな声が聞こえてきそうで誰にも打ち明けられなかったのです。複雑な思いの中、葛藤と闘いながらも「今」を受け入れていくうちに、自分じゃない「誰か」を作り出していたのでした。母は長いこと、戸惑いを隠していたのでした。体力や気力の衰えは自覚しているけれど、周りに悟られたくない。そんな自分は、見栄を張っていたんだと母は話します。だけど、もしかして女性ならわかることじゃないかな、と私は思いました。「若い」と言われたら、やっぱりうれしいし、気持ちまで若返ると思うんです。でも逆に周りから「おばあちゃん」扱いされたら?やはり身も心も、なんだか老けていくような気がします。そして今回の喧嘩をきっかけに、母の中にも心の変化がありました。長くなってしまったので後編に続きます!
2019年11月06日今回は寝かしつけ特集…!!新生児期から6歳まで息子の寝かしつけには苦労してきました。■赤ちゃんから寝付きが悪かった息子との6年間様子を見に行ってみると…■もしかして私に似たから? ということは将来…なので、息子もいつか寝たくて仕方なくなる日が自然に来るんじゃないか…。
2019年10月25日こんにちは、ねここあんな。です!今回はまたまた前回の続き、私と母の「友人のような関係」第3弾です!▼私と母の“友人のような関係” 前回までのお話 「まずい! 母の地雷を踏んでしまった? ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(1)~」 「もう頼らない! 私が母と衝突して出した悲しい決断 ~ 私と母の"友人のような関係"が起こしたトラブル(2)~」 ■お互いに我慢して言えなかった本音再び地雷を踏んでしまったことで私の中の本音もぶつけました。今までの私は母に対して、言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向がありました。たぶん言った後の反応を勝手に考えて、余計にややこしくなるのを避けたかったのです。自分が黙っていればこの場がいつか落ち着く、そう思っていました。翌朝、母からメールが届いていました。内容は長文でしたが、こんな感じでした。正直なところ、母は「家に着くのが2時間早まったこと」に対しての怒りはなかったのだそう。それはただの口実で、本当は以前から疲れていたというのです。というのも、実は私たちの知らないところで母はいろいろ気遣ってくれていたのでした。言いたいことを言おうとすると何となく我慢してしまう傾向があるのは、母も同じでした。母の「掃除をしたい」と強く思う気持ちの裏側にはこんな理由があったのでした。■初めて明かされた母のトラウマと、私たちへの想いそれは私の兄がまだ赤ちゃんだった頃…あのトラウマは孫の代にまで続けてはいけない。そう思って私たちが遊びに来るときは、私たちの想像を超えるほどの掃除をしてくれていたんだそうです。全ては現在飼っている猫ちゃんの毛から、孫のきっくんを守るためでした。ちなみに「それなら猫を飼うな」という声が聞こえてきそうですが、うちは兄が大きくなるまではペット禁止! の家でした。だけど兄が中学生になり、部活動も始めだいぶ体力がついてきたころに親のいない子猫を母が見つけ…兄の部屋だけ出入り禁止で飼い始めたのです。母は部屋の掃除と「兄の部屋に猫を入れない」ということは徹底しており、兄が実家にいた頃もひどい発作が出ることはありませんでした。そんな努力も知らず…夫と私の父は仲が良く、私たちが泊まったあの夜、家に帰ってからも話に夢中になっていました。母は普段から、娘の夫の気配りなどに大変感謝していることもあり、その場では言えなかったそう。しかもこの数時間後に、私も外から帰ってきてホコリなどを家に入れてしまうのでした。…そんな私たちの行動に限界を感じていた母。「せっかくキレイにしたのに」「めちゃくちゃにされる」とまで思わせてしまっていた原因は、こういった私たちの無神経さでした。自分たちが原因を作ってきたことをやっと自覚した私たち。心から反省し、そして、母に謝りました。■母の想いを知り、あらためて見つめ直した私と母の関係お互いがより良く過ごすためにも、もっと話し合わないといけませんでした。そこで私たちはいくつかルールを決めました。結局話し合いが足りなかったのが一番のトラブルの原因だったと思います。そして私自身「甘えられない」と感じていながらも、実はたくさん甘えていたことに気づかされました。・友人のような関係を築いたつもりでも、親はいつまでも「我が子」と思い心配する。・家族と言えど、話し合わなくちゃ思っていることは伝わらない。・親であっても、ある程度の線引きはきちんとする。今回、そんなことを考えさせられました。もしかしたら他人よりも難しく、友人よりも悩ましい存在が「親」なのかもしれません。親にとって「子」の存在は、今も昔も変わらず心配の種なんだと思います。だけど、きちんと話し合えば仲直りだってできるし、だれよりも強い味方でもあります。今回は衝突したおかげで、伝えたいことも言い合うことができ、より良い親子の関係を作ることができました!「喧嘩するほど仲が良い」という言葉は、親子にも適した言葉なのかもしれません。最後におまけの一枚。ということで番外編として「ばあば」という存在に焦点を当てて、次回描きたいと思います!
2019年10月23日ウーマンエキサイトのみなさん、こんにちは! ねここあんな。です。私と母の「友人のような親子関係」について、 前回 の続きです!【 前回 のお話】母と私の“友人のような関係”に今夏、トラブルが発生。実家に親子3人で泊まりに行った1週間後、再び泊まりに行きたい旨を連絡すると、母は「いいかげんにして!」と言うのでした…。■あらためて知った母が私のことを心配する気持ち同窓会のときの一泊から一週間、「また泊まらせてもらいたい」と申し出た私に母はこう返すのでした。前回の同窓会で、私は久しぶりの飲み会に羽目を外し、母に連絡を入れずに帰ったのでした。でもそれは若い頃から「連絡を入れなくても気にしない家庭だったから」。出発前に、「一次会で戻るね」と言っていた私。本当に一次会だけの参加だったのですが、会場を移動しなかっただけで同じお店で長めに飲んでいたのですよね。いつもなら息子が心配で何度も携帯を確認するのですが、その日は実家のみんなと外食に出かけていたし、夫も母もいるので安心していました。頼りすぎていたことを、あらためて反省しました。そのことを謝ろうと翌日連絡を入れると、怒りすぎてしまったことを少し申し訳なさそうに思う母がこう言うのでした。甘えられないのと同じぐらい、「心配されている」という感覚が私にはありませんでした。だから昔から、連絡の必要性を感じていなかったのです。…が、これが母にはかなり疲れる要因だったのです。そんなふうに心配されていたなんて思わず、私は自分が迷惑をかけたことを謝りました。友人のような存在と思っていた母ですが、母にとって私は、いつまでも「子」であったことを再確認させられました。その後、結局は「予定通り泊まってもいいよ」ということで落ち着きました。ちなみに私たちもなぜそうまでして一泊したかったのかというと、次の日に朝早くから東京駅発の高速バスに乗り込みたかったのです。埼玉の家を早くに出るよりも、都内の実家に泊まらせてもらえたら助かるという考えがあったのでした。なので「お風呂やご飯などは一切用意しなくても良いので、ただ一晩寝かせてくれれば大丈夫」と、母に伝えていました。でも、それも今思えば相手には迷惑だったのだと思います。■再び地雷を踏んでしまった! ほつれてしまった母との関係私と母の関係は、一件落着に見えたようなのですが…トラブルが起きた直後だったので少し慎重に動こうと思い、夫婦で家を「出る時間」を話し合いました。話し合いの末、22時出発になったことをメールで伝えておきました。息子きっくんは寝かしつけに時間がかかるため、この時間に出発することは今まで何回かあったのでとくに疑問に思いませんでした。…しかし、このやりとりがキッカケで、母との関係がさらに泥沼化することになるとは思いませんでした。やっちまったと思いました。夫と「ねるじかん」と「でるじかん」で話がかみ合っていなかったのです…。あぁたしかに今思えば、夫との会話がおかしいと思った…あの変な間は、そういうことか。そんな思いが頭をグルグル。このタイミングで予定より2時間早く出発するのは母がどう思うだろうか…。でも夜遅いよりは早く到着したほう方が迷惑は少ないかな? と思い、ドキドキしながら連絡をしてみると…またしても地雷を踏んでしまいましたーーーーー。■もう頼らない! 爆発してしまった私の思いでも、私にも言い分がありました。どうして自分はこんなにも相手の顔色をうかがってるのだろう??とくにこの日はイヤイヤ期真っ盛りの息子に手を焼いていたので、そもそも正確な時間なんて読めなのに…! とやり切れない気持ちがこみ上げ…「料理を用意してくれるわけでもないし」「お風呂だって気を遣って先に家で入ってから出発してるのに」「きっくんに朝から振り回されて、メールひとつ打つのも大変なのに」「子育てをしてきた人がどうしてそこを理解してくれないの?」そんな思いで頭がいっぱいでした。このメールを最後に私は、実家とは距離を置こうと決心しました。「誰かに甘える」ということは、その人の迷惑になる。そう考えてしまうのは、受験や結婚、出産と節目のたびに、今まで何度も母と衝突してきたからでした。頼らないと決めたとたん、心にぽっかり穴が開いたような感覚に…ここまでは、「私サイド」のお話でした。この後、ついに母の胸の内が明かされます。なぜこうも私たちが泊まることで、母の感情が乱されていたのか…そして私たちがたどりついたお互いの反省点についても話したいと思います。長くなりますが、次回に続きます!
2019年10月10日こんにちは! ねここあんな。です!今回のテーマは「実家との付き合い方」ということですが…実はちょうどこの特集が始まったときに、我が家はトラブルを抱えていたので少々ビックリ。仲が良いようで…実は結構衝突の多い私の実家についてお話ししたいと思います!ざっくりと家族のことを説明しますと…加えて母との関係はというと…例えるなら「友人関係」のようです!「友達みたいでいいね!」と言われることもあるけれど、「友達のような存在だからこそ、衝突してきた回数はすごく多い」と思っています。■高校入学を境に、親子というより“良きパートナー”にさかのぼること10数年前、高校生の頃でした。多分その頃までは私たちは「親子」の関係でしたが、私が高校に上がったあたりからその関係は少し変わりました。こんな言い方が正しいのかわかりませんが、私たちは「対等な存在」になりました。良く言えば気兼ねなく遊べる良きパートナーでした。でも一方で「親」と「子」ではなくなっていった気がします。家事も「なるべく自分で」という母の考えのもと、役割分担をするようになります。もちろん母の役割の方が多いのですが、気がつけば「友人とホームシェアをしている」かのようでした。というのも、この頃から兄は大学へ行き交友関係もあって家にいる時間は少なくなり、父も平日は基本的にいないのでほぼ母とのふたり暮らしだったのです。お互いに譲り合ったり協力し合ったり、意見を言い合いながら生活をするのが当たり前に。そんな不思議な親子の関係を築いたのち、私は大学入学を機に憧れのひとり暮らしを始め、家を出ました。大学を卒業し、就職、結婚、出産と時は過ぎて…もともと母とはホームシェアしているような関係だった私にとっては、子育ての最中であっても親にはあまり甘えられませんでした。本当に自分がどうしようもないぐらい具合が悪くならない限り、呼ぶこともありません。出産のときでさえ、病院に来てくれると言われて驚いたのを覚えています。それでも、地元で結婚式や同窓会があるときは、夜も遅くなるので実家に泊まらせてもらっていました。それは私たちにとって最大級の「甘え」でした。と言っても3~4ヶ月に一度(一泊のみ)ぐらいの頻度なので、そこまで多いわけではないと思っていたのです。洗濯や食事も全て自分たちで用意するので、その一泊で母に負担をかけている感覚もありませんでした。が、今年の夏にトラブルは起きました。■母の地雷を踏んでしまった! 一体なぜ?地元で同窓会の予定が入り、参加することになりました。その日は母の母、つまり私にとって祖母の誕生日。実は、もともと母から誘われて泊まりに行った日でした。私は同窓会へ。私の祖父母と両親と夫と息子は外食へ…。一見穏やかに済んだ日でした。とくに衝突することもなく1週間がたち、再び泊まらせてもらう機会が訪れました。前回の宿泊からまだ日が浅いのですが、実はこの日はそもそも1ヶ月ほど前から宿泊をお願いしていた日だったのです。神奈川県の海で、私の友人が主催者側にいるイベントがあったのですが、埼玉の家を朝早く出るよりも、東京の実家から出発すれば朝の移動時間が短くなるので、立てた計画でした。以前から伝えていた予定だし、毎年恒例行事だし、問題はないよね??そんな気持ちで確認の連絡を入れたのですが…ついに地雷踏んでしまいました。長くなってしまいましたので、 次回 に続きます!
2019年09月30日ウーマンエキサイトの皆さん、こんにちは! 国際結婚でドイツ在住の主婦、ぱん田ぱん太です。皆さんの家ではどんなベビーチェアを使っていますか? 我が家のフリッツ君が、大きくなってしっかりおすわりができるようになってきた頃、義両親から甥っ子たちのお下がりであるベビーチェアをもらいました。■息子のベビーチェアの使い方に母ドキドキ…もちろんドイツ製で、木製の高級ベビーチェア! ベビーチェアとしての役目を終えたら、解体して子ども用の机と椅子に変身させることもできる優れものです。さっそくフリッツ君にも座ってもらうと、ぴったり!しかし…フリッツ君はおもむろに目の前のテーブルに両足をかけ…ぎゅっと突っ張ったのです! 当然フリッツ君は椅子ごと真後ろへぐらり。そばにいた私は叫ぶ暇もなく駆け寄りました。間一髪のところで椅子を支えることに成功しましたが、心臓はドキドキ…。でも、困ったのはそれだけではありません。何が面白いのか、フリッツ君はそれ以来ベビーチェアに座ると、必ず同じようにテーブルに両足を突っ張らせるようになってしまったのです。(ひょっとすると、私たち大人が大げさに反応するのが面白かったのかも??)当然私たちはフリッツ君がひっくり返らないように常に椅子を支えていなければなりません。■フリッツ君に合うベビーチェアを探しに…そんなわけで、私たちは…IK●Aに行って、お手頃なテーブル付きベビーチェアを購入しました! これならテーブルに足を突っ張られることはありません!お下がりの木製高級ベビーチェアと、IK●Aのプラスチック製でお手頃なベビーチェア。使い勝手の良さは後者の勝ちでした。見た目やお値段も大事ですが、皆さんにも子どもに合った一番使い勝手のいいベビーチェアが見つかりますように!
2019年09月25日どうもこんにちは、のばらです!前回の続きです。家の中でおでこパックリのケガをした息子。夜間診療で応急処置をしていただき、後日改めて病院へ行くことに。もうね、ドア越しにママを呼ぶ息子の絶叫ったらもう…!全て終えて出てきた息子と涙の抱擁を交わしましたよ!ちなみに、縫合の直前に看護師さんに「モモくんの着替えは持ってきてますか?」と聞かれたのですが…、なるほど。縫合を終えて出てきた息子は、全力で抵抗したのが容易に想像できるほど、大量の汗で全身ぐっしょりになっていたのでした。よく頑張った! 息子よ!!
2019年09月13日こんにちは、ユキミです。3歳の息子ユキタと、息子に日々振り回されている母の日常をお送りしています。我が子へいつ、どんなファーストトイを送りましたか? 我が家は息子が1か月健診を終え、少し落ち着いたころにおもちゃデビューをしてみました。 もっとこう、じーっとおもちゃを見つめてシャンシャン☆と興味を持つかと思ったら存在自体無視でした…。 夫も思った反応が返ってこなくて「このおもちゃはつまらなかったかなぁ」と、がっかり…。 しかし!!あの時の私達夫婦に言いたい、初めての子育てでは分からない!?赤ちゃんの真実… 「まだその月齢の赤ちゃんは自分で体を自由に動かせないんやで!!」「なんなら視覚もぼんやりで、何なのかも分かってないで!!」 初めての子育てだったので、赤ちゃんに対する理想ばかりが突っ走っていた当時の我々。 多分、このおもちゃがなんとなーく形になってきたのは3~4か月くらいだった気がします。大体この時期くらいに自分で意図したものをつかんだり、動かしたりできるように!もうちょっとのお楽しみです。 が。息子はガラガラ音が鳴るおもちゃより、ガーゼのハンカチかわいいお人形よりミルクの蓋親が用意したおもちゃには目もくれないタイプ というショッキングな事実を、我々夫婦が知るのはもう少し先のこと…●ライター/ユキミ(イラストライター)
2019年07月23日こんにちは、ユキミです。3歳の息子に日々振り回されております、母でございます。母になって3年、毎日思うことがあります。それは…とにかくゆっくり座れない…!!子どもがテレビを見ていたり、奇跡的に1人遊びをしているときは「ここぞ!」とばかりに一気に家事をし、何かあるとすぐに呼ばれ、遊び相手に駆り出され、また呼ばれ…、あ、はいはい。ごめんなさい、お茶お茶っと…、うーん。今日のご飯絶対にスプーンいらんメニューなんだけど、ないと気持ち悪いのかな。よし、ついでにフォークもどうぞ。これで…、大丈夫ぅぅぅぅー!!拭けば平気だよ、拭けばーー!!オッケーオッケー息子も私も気にするなぁぁぁー!!濡れた息子を拭き、テーブルを拭き、あぁ…、床にまでこぼれている…。よし、お茶も入れなおしてこれで…よし。すると…、ん!?まだ何かあるのかい!?んもぉぉぉぉぉ!!誰のせぃぃぃぃぃ!?と叫びたくなる気持ちをぐっとこらえ、最後の力を振り絞って母は、「いただきます…」と呟いたのでした。ちなみにこの後の食事中も、「こぼした」「落とした」「これいらない」「トイレ行きたい」など、全く休まらない母…。食べたかどうか、味わう暇もない夕飯。そのくせ目の前の食べ物は全て消えてお腹に入っている…、という切ない状況。なんてこった…。いつになったら私は、「いただきます」から「ごちそうさま」まで座って食事ができるのでしょう…。
2019年07月05日「登園時にお気に入りの物を連れて行く」のがマイブームな息子。最初は指人形や絵本だったのですが…。■クセが強い! 登園時はお気にアイテムが欠かせない大きなクマのぬいぐるみとか謎のホースを大人が持ち帰るのは、なかなかに恥ずかしいものがあります。ただ、たまに園児さんに囲まれないこともあり、そんなときは逆にシュールさが増すうえに「寂しいっ…! 誰かつっこんで…!!」となります。■保育園の先生がバッグと見間違えたのは?先生との雑談中に、息子の「登園のおとも」の話題になりました。氷枕も「クラッチバッグ風に持つとオシャレ感が出る!」という気づきを得ました。氷枕を持ち運ぶ際には、クラッチバッグを意識すると、よりスタイリッシュになりますね。
2019年07月03日小学校入学直後から、息子の様子に気づいていた先生からのサポートUpload By かなしろにゃんこ。小学校に入学してすぐの頃から、先生は息子の様子や特性を見て「この子はきっと発達障害がある」と気にかけてくださっていた気がします。当時、机に座っていられない、授業中に絵を書く、体育の授業は床で寝転がるなど、誰が見たって「この子変わってる!?」と思うような行動が多かった息子。そんな息子を先生はサポートしてくれていました。私には「お子さん発達障害がありますよ」と直接伝えられてはいませんでしたが、今思うと個別支援計画も作っていただいていたように思います。Upload By かなしろにゃんこ。先生は短期目標を作って、息子がいつでも思い出せるように机に貼ってくれたり、頻繁に声かけをしてくれたりと、達成に向けたサポートをしてくれていました。目標は「ランドセルをロッカーにしまえる」や「1時間座っていられる」など、その当時の息子の状況に合わせて、無理なく設定されたものでした。担任の先生や補助の先生が息子をじっくり観察して、スモールステップで取り組める、「(少しのサポートや配慮があれば)できる目標」を立ててくれていたのだと思います。そして、目標にしていたことができると「できましたね!」と褒め、できたねシールを貼るポスターを用意するなど、本人が達成感を感じられるような働きかけもしてくれていたのです。息子の様子、家とは違う!?こまめに先生が教えてくれたUpload By かなしろにゃんこ。先生からは普段、学童保育のお迎えなどでたまたま会った際にまとめて息子の様子を報告してもらい、息子がいけないことをした場合は都度お電話で報告をもらっていました。他にも連絡帳に先生がお手紙を書いてくれたりもしました。ちなみに、連絡帳を持ち帰るのをほぼ忘れるADHD息子。先生からの連絡を見られるのは10日に1回程度でした。どうしても伝えないといけない内容のお手紙は、先生自ら息子のランドセルに入れてくれるのでした。先生優しい…♡また、面談の際には、他の子と同じようにできないことについても親が焦らないように、「少しずつできるようになればいいです」と伝えてくれたり、できないことについて否定的に感じないように「みんなも同じです、できないことはあります」と言ってくれたり…「お母さんの育て方は間違っています!」という言い方は一度もなく、励ましてくれました。それまで息子が他の子と同じようにできないことを知らなかった私は、先生との面談や連絡帳に書いてある息子の様子を読んで「アレ…アレレ…」と集団生活や授業参加がうまくいっていないことを知っていったのでした。先生から伝えられることの9割は耳が痛いことばかりですが、家にいるときの息子と集団生活の中での息子は違う、いいことも悪いこともすべて含めて息子を知るために先生との情報交換は必要なんだ…と思うことにしました。信頼できる先生からのすすめで、はじめての教育相談へUpload By かなしろにゃんこ。3年生のときの担任の先生との夏の面談で、「うちの子って考え方が幼いんですよ…」と相談したところ、「そうですね…リュウ太くんは他の子よりも心の発達が遅いのが気になりますね」と教育相談所での相談を勧められました。先生との連携が日頃からうまくとれていたこともあって、「ああ、そういう場所で相談する方法もあるんだ~」と先生の勧めに素直にうなずくことができました。Upload By かなしろにゃんこ。担任の先生は教育相談所の連絡先を教えてくれたり、発達が気になる子の情報誌を貸してくれたりと、息子だけでなく母である私のことまでサポートしてくれました。おかげで教育相談所に繋がることができて月に2回、午後2時から相談の時間を設けてもらいました。教育相談に行く日は息子は給食を食べたら学校を早退するようにして、先生にも協力してもらい、出かける時間に息子を送り出してもらっていました。教育相談では息子は自己肯定感を育てる遊びにのびのびと取り組み、私はカウンセリングを受けました。教育相談所に行く前は、「あなたの育て方が悪い!」と怒られたりしないかしら…と少し不安もありましたが、そんなことはまったくなく、カウンセリングを通して発達が気になる子どもとの接し方を教えてもらったり、なかなか勇気が出なくて避けていた児童精神科の受診を勧めてもらったりしたのでした。こうして学校の先生の勧めで教育相談に行ったことが発達障害の診断を受けるきっかけとなり、私は息子の特性と本格的に向き合うことになっていったのです。Upload By かなしろにゃんこ。お互い気持ちのよいやりとりで連携するため、親の私も心がけをもし、担任の先生と折り合いが良くなかったり、報告・相談がうまくできない関係だったりしたら、診断はもっと遅くなり親子で困って抜け出せなくなっていたかもしれません。特性はありながらも、将来に向けて頑張っている息子の成長を見るにつれ、先生が丁寧なフォローをしてくれたおかげだと、小・中学校で息子の担任になっていただいた先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。先生といい関係を築いていくためには、私自身も心がけていたことがありました。まず、私から先生や学校に言いたい事は、腹八分にすることにしていました。息子がクラスメイトに迷惑をかけることが圧倒的に多いですから。トホホ…。そして、お話しするときは感情的にならないよう気をつけていました。親にイヤな言い方をされたら、先生だって生徒を可愛いと思えなくなってしまうと思ったのです。先生とのコミュニケーションでこの2つを気をつけていたことで、先生も息子の話を保護者に話しやすい・支援の提案もしやすい、と感じてくれていたと思います。臨時に家庭訪問を設定し、家での様子を見に来てくれる先生もいました。また、息子がいじめにあっている場合は、日頃の情報交換の報告相談とは別に、改めていじめの問題として相談することにしていました。ただ、いじめの問題だけは感情的に話してしまいますね…。一度だけ先生に噛みついたことがありますが、申し訳なかったな~と反省しています。あの頃を振り返って…先生との連携があったから、学校での息子の様子を知ることができ、必要なサポートに繋がっていくことができたと感じています。
2019年06月24日こんにちは、ユキミです。3歳の息子に日々振り回されております、母でございます。みなさん、好きなキャラクターなどはいますか?ディ●ニーや、サン●オ、などなど。私は動物系のキャラクターが大好きでして…、そしてもれなく…母の為にこっそり買ったグッズも全部欲しいよねー。仕方ない、2つ買わなかったわしが悪いんや…。■そんなある日、母の鼻風邪から事件は起きる最近朝晩急に冷え込んだからか、久しぶりにガッツリと風邪を引きました。鼻をかんでもかんでも、鼻水が止まらない系の風邪です。1日中力任せにブーブーブーブー乱暴に鼻をかんでいたら、私の鼻が悲鳴を上げ始めていました。手遅れになる前に、夫に高級ティッシュのおつかいを頼みました。「ティッシュ買ってきとくれ」と言うと絶対に5パック200円のティッシュを買ってくるに違いない。それでは今の私の鼻に全く意味のないおつかいになってしまうので、しっかりウェブの画像検索で欲しいメーカーのティッシュを探して添付しました。しかし、彼が買ってきてくれたのは…パッケージのかわいさで有名な、あの高級ティッシュ…!確かに同じ高級ティッシュなんだけど、これはダメなんだよ!!だって…くるぞ!!やつがくるぞぉぉぉぉ!!かわいい動物たちのパッケージティッシュに、息子まっしぐら。箱ティッシュをプレゼントのように大切に抱えて、「きったんのティッシュだね、ありがとう大切にするね」なんて言われたらもう、その姿が可愛すぎて母は何も言えないわけです。ちなみにこの後ティッシュはどう奪還したかと言うと…夫に箱ティッシュと一緒にポケットティッシュも頼んでおり(幸か不幸かこちらも同じブランドだった)、それ4つと箱ティッシュを交換、ということでトレード成立いたしました。ホッ…。誰も悪くないこの事件。なんとか丸く収まってよかった。これで思いっきり鼻がかめます。
2019年06月18日■幼稚園が始まってからの息子の様子が…やはり新生活はなかなか疲れるものらしく、帰宅後はとても荒れております…。月曜日、火曜日辺りは私も「うんうん、幼稚園で疲れてるんだね」と余裕を持って息子のサンドバッグに徹せます。が!!どうもそれが水曜日…、木曜日…と週末になるにつれモリモリと疲れが溜まってくる初老のアラサー。週の前半は我慢で来ていたものが、ば…爆発寸前!!息子に当たってしまう前に、取りあえず一旦離れたい…!!と思って2階へ避難したものの、やることは残っているし、疲れて荒れている息子を1人にしておくのも危ないし…全く気が休まらない。屁のツッパリにもならない防衛タイム、5分で終了。■疲れた母の目の前に広がる事態とは…!?息子が…洗濯物を…全てたたんでくれている!?ガラにもなく心の中でポエムが出来上がってしまいました。それくらい嬉しかったです!!ちなみに洗濯物は、以外にもキッチリときれいにたたまれておりました。が、エプロンなど所々に「これは難しかったんだろうな…」という可愛らしい隙が見えて、心がより一層温まった母でした。明日も頑張ろう!!
2019年06月06日どうもこんにちは!のばらです。末っ子の保育園の慣らし期間の様子を全3話でお届け!2話目は、慣らし保育2時間+はじめてのおやつに挑戦した日のエピソードをご紹介します。いやそこは「さようなら」って言おうや。最後には先生と母の笑いをかっさらっていったけれども。とりあえず無事におやつを食べてくれて、ステップアップの息子にほっと胸を撫で下ろす母なのでした…。
2019年04月12日ジュリア・ロバーツ主演の映画『ベン・イズ・バック』が、2019年5月24日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ他、全国の劇場で公開する。息子を全力で守る母、家族を描く“衝撃と感動”のドラマ『ベン・イズ・バック』は、クリスマスイブの朝にドラッグ依存症の療養施設から突如帰ってきた息子のベンと、愛するが故に息子を信じ続ける母・ホリーの愛情、そしてベンの帰宅によって、思わぬ試練が降りかかる家族の絆をサスペンスフルに描いた“衝撃と感動”のドラマ。第13回ローマ国際映画祭で審査員特別賞を受賞している注目作品だ。ジュリア・ロバーツ×ルーカス・ヘッジズ、アカデミー賞に名を連ねる実力派俳優が共演息子の最大の味方であろうとする母親・ホリーを熱演するのは、ジュリア・ロバーツ。大ヒット作『プリティ・ウーマン』で世界的トップスターとなり、『エリン・ブロコビッチ』で第73回アカデミー賞主演女優賞を受賞。また、『ワンダー 君は太陽』は、ハンデを抱える息子に無償の愛を注ぐ母親役を演じた。そして、ケガの治療による鎮痛剤の過剰投与で不運にも依存症に陥ってしまい、痛々しいほどに苦しむ息子ベン役を、ルーカス・ヘッジズが務める。ルーカス・ヘッジズは、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で第89回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、その後は『スリー・ビルボード』や2019年4月月公開『ある少年の告白』など、話題作に次々と出演する注目の若手俳優だ。その他、突然帰ってきた兄を案じながらも疑う妹アイヴィー役には、この春公開の『名探偵ピカチュウ』への出演が話題となったキャサリン・ニュートン、継父ニール役をドラマ・映画と活躍するエミー賞受賞俳優コートニー・B・ヴァンスといった実力の確かなキャストが演じる。脚本・監督は、アカデミー賞ノミネート経験を持つピーター・ヘッジズ監督・脚本を務めたのは、『アバウト・ア・ボーイ』で第75回アカデミー賞脚本賞にノミネートされ、そして息子役ルーカス・ヘッジズの実父でもある、ピーター・ヘッジズ。本作と同じく、家族の絆を描く不朽の名作『ギルバート・グレイプ』では、原作・脚本を手掛けて世界中から称賛を集めた。そのピーター・ヘッジズが再び、不完全な家族たちの懸命に生きる様を見事にスクリーンに映し出す。ストーリークリスマスイブの朝、19歳のベンは実家に突然戻り家族を驚かせる。薬物依存症の治療施設を抜け出し帰ってきたのだ。久しぶりの再会に母ホリーは喜び、温かく迎え入れた。一方、疑い深い妹アイヴィーと良識ある継父のニールは、過去の経緯から、ベンが何か問題を起こして自分たちの生活を脅かすのではと不安に駆られる。両親はベンに、24時間のホリーの監視を条件に、一日だけ家での滞在を認めた。その夜、一家が教会でのクリスマスの催しから戻ると、家の中が荒らされ、愛犬が消えていた。これはベンの過去の報いに違いない。誰か分からないが昔の仲間の仕業だ。凍てつくような夜、ベンは犬を取り戻しに飛び出す。それを追うホリー。ベンが過去を清算しようとする中で、息子の人生を食い荒らす恐ろしい事実を知るホリーは、ベンを救うことが出来るのは自分だけであることに気づき、全力で守ることを決意する。だがベンはホリーの前から姿を消してしまう・・・。詳細『ベン・イズ・バック』公開日:2019年5月24日(金) 全国公開監督・製作・脚本:ピーター・ヘッジズ出演:ジュリア・ロバーツ、ルーカス・ヘッジズ、キャサリン・ニュートン、コートニー・B・ヴァンス原題:Ben Is Back
2019年02月03日トップライター:竹内 ナナ長期休暇明けの初登校の日、事件は起きました。ひさびさの学校なのに、午前中は通常授業、体育はプール、午後はマラソン大会の予選、部活もあるという、盛りだくさんの時間割です。教科書にプールバッグ、体操着、テニスラケット、さらにロッカーに入れる大きな箱まで持っていかなかくてはいけないので、「わたしが学校まで運ぼうか?」という話を前の晩からしていたのですが……。ハルキの言動にイライラが爆発!当日朝になっても、「持っていけるかな、どうしようかな」と決められずにいるようです。わたしも仕事で8時30分には家を出るので、学校に行くなら猛スピードで準備しないといけないのに……。(早く決めてよ!)と心のなかで思っていたところに、今度は学校のマラソン大会のへ不安をつぶやき始めたハルキ。「最近走ってないから無理かな」「手抜きでいいか」ときどき父親とランニングをしているのですが、部活が始まってからは時間がとれず、ほとんどできずにいました。ハルキは自分が不利になると、ネガティブなことを口にする傾向があり、わたしは以前からそれが気になっていました。「なんでも、うまくいくことばかりじゃないの」「いい結果が出せそうになくても、そのときの出せる力でやってみるとか、ときにはやり過ごすことだって必要なんだよ」「自分が不利になると言い訳するのはカッコ悪い」「そういう考え方が大嫌いだ~~~~~」(×2回リピート)わたしが荷物を運んだほうがいいかの返事を聞きたかったところに、そんな言い訳がましい話をされたので、イライラが爆発してしまったのです。その直後は「ひどい……」とだけ言って身支度を続けたハルキ。数分後、わたしのところに歩み寄ってきて「こんなに心臓がドキドキするのはどうしてだろう」と力なくつぶやきます。ハルキの胸に手を当ててみると、ドクンドクンと大きな鼓動を感じます。「ほんとだ……」とわたし。そして、大きな荷物を前とうしろに抱え、ふて腐れた顔で登校してしていきました。先生が大きな声で叱らない理由動悸がしたまま、泳いで、マラソンをして、部活をやったらどうなってしまうんだろう。急に不安になり、学校へ電話。担任の先生が不在だったので、同じ学年の先生に朝のできごとを正直に話し「具合が悪そうだったら、運動はさせないでほしい」と伝えました。仕事に向かう途中、担任の先生が携帯に電話をくれ、「電話をもらう前に、ちょうどハルキ君と話していたのですが、いつも通り元気でしたよ。自律神経のバランスがちょっと崩れたんでしょうね。お母さんから電話があったことを伝えて、『具合が悪かったら先生に言うんだよ』と伝えましたから」と言ってくれました。先生のこの言葉にどれだけほっとしたことか。わたしの言葉は、ハルキが動悸を起こしてしまうくらいひどいものだったのか。「大嫌いだ~~~~~」がハルキの中でリフレインしたんだろうな……。ハルキがじゃなくて、考え方がだよ、と心のなかでつぶやいてみる。いつも注意をするときは、叱るというより、感情的になってしまうわたし。これから思春期に入り、親の言うことも聞き入れにくくなるだろうし、わたしがこんなことではいけないと、さすがに反省しました。口ではうまく伝えられない気がして、ハルキに手紙を書きました。感情的に叱ってしまうことを謝り、これからはもっと言葉を選ぶことを約束しました。部活を終え、帰宅したハルキ。心配をよそに、いつも通り元気なようすでした。わたしの手紙を読み終えると、「うん」と一言。「先生、なんて言ってた?」「ん?『ケンカしたの?』って」ハルキは、担任の先生をとても信頼しています。先生のクラスになり、はじめて叱られたとき、先生は叱るときに大きな声は出さない長い時間は叱らない人と比べないと言っていたそうです。大きな声で叱ると、子どもは、怒鳴られるからやってはいけないと思ってしまうからだそうです。その通りです。育児書にもそう書いてあります。でも、いざとなると感情的になってしまうんです、母は……。担任の先生は、わたしと同世代だと思います。先生にとって、たとえそれが仕事だとしても、実践できているということはやっぱり立派です。「先生を見習おう。次に大きな声で叱りそうになったら、とりあえずトイレにかけこんで、深呼吸してみよう!」と、心に誓ったのでした。ナナ竹内(たけうちなな)夫と息子との3人暮らし。神奈川県在住。出版社勤務を経て、フリーランスのライターに。息子がテニスを始めたのを機に、自分もスクールに通って、基礎をきちんと学びたいと思う今日このごろ。青空の下、家族でテニスを楽しみたい。
2018年11月14日スーパー銭湯や温泉など家以外の入浴場では、「男女が混浴できる年齢」は各都道府県の条例で定められています。例えば、東京都の条例では「10歳以上の男女を混浴させないこと」と決まっているそう。では、おうちの毎日のお風呂はどうでしょうか? パパママ世代にいつまで子どもと一緒にお風呂に入るかを聞いてみました。Q.お子さんと何歳まで一緒にお風呂に入る?1.5歳まで 4.9%2.6歳まで 5.3%3.7歳まで 6.9%4.8歳まで 9.0%5.9歳まで 7.7%6.10歳まで 21.2%7.その他 44.9%一番多かったのが「その他」で44.9%。子どもが一緒に入りたくないと言ったとき、親側が一緒に入るのをためらうときなど、お風呂をいつまで入るかは、子どもの年齢では決められない問題でもあるようです。また子どもの性別、親と同性か異性かによってもだいぶその答えは違ってくるよう。■本人が一緒に入りたくなくなったときに卒業!?年齢などで親が決めるというよりは、本人次第というのがもっとも多い意見でした。でも、ある日突然子どもに「お風呂独立宣言」をされることを想像すると、それはそれでショックかも。「小5ですがまだ一緒に入っています。いつまで…? 親離れの時期が来れば自然となるのでは?」(栃木県 40代男性)「子どもが『嫌だ』と言い始めるまでですかねー。とくに決めていませんが、そういう時期が来れば言わずとも、お互いに雰囲気で察するのではないかと思っています。あまり意識し過ぎるのもかえって変に意識してしまうような気がするので」(神奈川県 40代女性)「ときどき思います、いつまでがいいんだろうって。子どもは男の子です。シングルマザーなので、生まれたときからママと一緒です。私が朝から夜まで仕事のため、あまり一緒にいる時間がないため、寂しさからかまだお風呂も一緒に入りたがります」(茨城県 30代女性)「子どもが『1人で入りたい』と言うまでかなと思っています。9歳の娘ですが、髪を一人では洗えないので、早くできるようになってほしい。父親ともまだ一緒に入っていますが、髪も体も父親に洗わせています。『おまえは女王さまか!』と母は毎日思っています」(千葉県 40代女性)「娘が嫌がるまではいいのかなとのんきに構えています。近くの温泉は、男風呂には10歳までとなっているので、それくらいからはお母ちゃんとかなと思うと寂しいかな」(神奈川県 40代男性)■ママと息子のお風呂事情の傾向親と子どもが異性の場合、とくに母と息子という組み合わせでは、小学校低学年ごろにお風呂は別々に入る雰囲気が訪れることもあるよう。また、歳の近い同性の兄弟がいる場合は、子ども同士となるようです。小学4年生の林間学校を機会に一人で入る練習をする子もいました。「男の子は3年生くらいまで。女の子だったら母親とは無制限ですが、わが家では2年生から1人で入っています。男の子は裸をあまり気にしていませんが、一応プライベートゾーンは誰でもみんな大事にするよう、それとなく教えています」(東京都 40代女性)「幼稚園児くらいまでは一緒に入っていたような気がします。でも、男の子なので旦那がいるときは旦那の仕事でした。小学生になるころには、兄弟2人で入っていました」(福島県 40代女性)「息子とは小学生になるときに一緒に入らなくなりました。兄弟で入っていたこともありましたが、高学年になるとそれもなくなりました」(神奈川県 40代女性)「10歳のときに私がもう無理でやめました。家のお風呂は狭いし、そろそろお年頃かなと思って。同性ならいつまでもアリでしょうね」(滋賀県 30代女性)■ママと娘、パパと息子ならお風呂は相談タイムに有効!母と娘もしくは父と息子という組み合わせの場合には、年齢は関係なくずっと一緒にお風呂に入っているというおうちも多くあるようです。お風呂の中で相談事をするというのは、あるある話。心も裸になれるということかもしれませんね。「中1の娘とはゆっくり話せるから、だいたい一緒に入ります。いま、高1の息子は何歳までだったかな? 覚えていませんが、息子も夫も素っ裸でお風呂から出てきます」(神奈川県 40代女性)「自然に…と思っていたら、長男は6年生まで、次男は中1まで一緒に入っていました。現在中1の娘はまだ一緒に入ります。ちなみに高3の息子は、話があるときはお父さんが入っているところへ入って行ったりします」(神奈川県 40代女性)「16歳、13歳の娘がいます。毎日ではないですが、一緒に入ります。本人たちが嫌がらないし、お風呂では父親に言えない相談を聞いています。お風呂以外でする会話より深い話も聞けます」(広島県 40代女性)Q.お子さんと何歳まで一緒にお風呂に入る?アンケート回答数:5234件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2018年10月02日反抗期?暑さのせい?息子の理不尽クレームに真夏の親子バトル勃発!Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみこの夏、例年にも増して私への反抗、八つ当たりがひどかった息子・リク。思春期の高校生ってこんなもん?高次脳機能障害の影響で苛立ちやすくなってる?でも、どんな理由であろうが母も人間ですから、イラッときます(ましてや今年の猛暑…!)やれ洗濯が終わってない、やれ弁当のおかずが足りないとか、ことあるごとに突っかかってきて、親子バトルが勃発…!という日々。そんなある日、友だちと試験勉強をするということで、リクの友人たちが集まってきました。そうはいっても、「高校生の勉強会なんて、どうせ脱線しているだろう」と思いつつ、飲み物を部屋に運んでいきました。「そんなバカな…!」と思ったのは母の心が汚れているから?Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみ驚いたことに、真面目に試験勉強に勤しんでいるではありませんか!疑ってごめんよ、リク…。Upload By ひらたともみリクは私にはよく八つ当たりしてくるのですが、よそでは精一杯頑張っているのか、みんなに「いい息子」としてうつるようです(確かに、悪い息子ではありませんけどね~)。「反抗期なのか中2病なのか、はたまたくも膜下出血の後遺症である高次脳機能障害のせいなのか?何か思い通りにならないことがある?無理をしていて気が休まらない?」以前は、リクがむしゃくしゃする度に、なにかと「理由」を見つけようとしていましたが、最近はそれを考えるのも嫌になってきました。ざっくり言えば「そういう年頃」この一言が一番しっくりきます。もともとLDがあり、高校受験の直前に事故で高次脳機能障害に。障害ゆえに苦労してきたリクの姿も見てきているからこそ、親としてついついいろいろ考えすぎてしまっていたのかもしれません。リクも、もう高校生。親の私も、もう少し「鈍感力」や「スルー力」を身につけていい頃合いでしょうか。まだまだ修行が足りません(笑)
2018年09月20日ADHD息子、”ひとつの公園で満足”はありえないUpload By かなしろにゃんこ。ADHDがある息子の外遊びはハードでした。落ち着きがなく好奇心いっぱい、自由奔放にあちこち動きまわるので、追いかけるのが大変。言葉が分かるようになっても、3歳~5歳ごろまでは「勝手に行かないでー」と言ってもいうことなんて聞きません。道路に飛び出す前に「止まってー!」と叫んでも止まるなんてことはしません。急いで捕まえて命を守らないといけないので、常にヒヤヒヤしていました。公園に行っても一通り遊具を触ると「別の公園に行こう」。飽きっぽいのか?遊具を触れば「公園チェックをコンプリートした」という気持ちになるのか?次から次へと違う場所に行きたがり、ついてまわるので精一杯。毎日へとへとでした。このころはまだ発達障害と診断される前でしたが…興味があちこちに移りすぎること、衝動性があることはあきらかでした。でも、それを「いけないこと」とは思いませんでした。外遊びにつき合うのはヘトヘトでしたが、元気があって何にでも好奇心が湧く、いい特性だと思っていました。たっぷり遊んで欲しいけど、疲労困憊の毎日だったUpload By かなしろにゃんこ。それに、しっかり遊ばせないと、夕方や夜中にイライラしたりぐずったりしてしまいます。だから、外遊びは息子のやりたいようにやらせることにしていました。とはいえ、夜中に漫画やイラストの仕事をしていた私は、昼間に2~3時間の外遊びタイムがツラくてしょうがなかったのも事実です。おしゃべりできないから、ママ友ができないUpload By かなしろにゃんこ。さらに!息子を追いかけて走りまわっていると、ママ友がつくれません(涙)明るくて優しそうなママが折角話しかけてくれても、短いお返事をしながら走り去らなくてはいけません。会話にならないので親しくなれるわけもなく…私たち親子はいつも2人きりでいるしかなかったのでした。孤独だな~なんて思うこともありましたが、息子が明るくおしゃべりだったので、息子との思い出がいっぱいつくれたから今はアレでよかったかな!って思っています。ワクワクを見つける達人Upload By かなしろにゃんこ。育てていくうちに「こういう子は落ち着きのないことがいいこと」なんだって分かってきました。行きたいところへ行って、見たいものを見て、いつも新しい刺激を受けるのがADHDがある子の特性。20歳になった今も絶えず新しい刺激を求める生活をしています。楽しいイベントをいくつも企画して、頭の中は複数のことをいつもいろいろ考えているそうです。たまに企画の段取りがごちゃごちゃになって困るらしいのですが…イベントの予定日まで、ワクワクした気持ちで過ごせるそうです。ワクワクがないと、別の公園に行きたがった子ども時代のように、ワクワクを探しにフラフラ歩きまわるのかもしれませんね。好奇心旺盛でいつもワクワクを見つけている息子、人生を楽しんでいるなぁ!ってこちらまで幸せな気持ちにさせてくれます。
2018年08月22日人生の岐路!?中3夏の三者面談息子が中学校にあがるとき、私の一番の不安は、教科ごとに先生が変わるということでした。Upload By ひらたともみ小学校のときは担任の先生にLDの理解を得ることが出来ており、本人も困ったことがあれば気軽にサポートを受けることができました。たとえばグループ活動での授業や理解の難しい連絡事項などは、家庭宛てに担任が一筆メモをしてくれていたので、目立った大きな失敗もなく卒業することができたのです。ですが中学校で関わる先生は担任ばかりとはいきません。担任以外に教科ごとの先生にLDのことをお話したほうがいいのだろうか、部活の顧問の先生にもサポートを頼んだ方がいいのだろうかと悩みました。Upload By ひらたともみ結局私は毎年担任の先生にLDについての理解を求めるだけにとどめたのですが、3年間、すべての担任の先生に恵まれ、学校ぐるみで理解を示してくださり、息子リクは、ずっと普通クラスに在籍し、大好きな部活もこの夏の引退まで続けることができました。そしてLDっ子が高校生になれるか否かの大事な三者面談が、この夏行われました。家でほとんどリクが勉強している姿を見たことがない私は、高校進学は諦める方向を打診されるんではないかとビクビクしながら行ってきたのです。想像の斜め上を聞かされた母、唖然呆然…リクの担任は女性。もちろんLDについての理解もあるので、なにかと頼りになる存在です。そしていきなり、受験生らしい核心にふれた話になったのですが…Upload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみUpload By ひらたともみいろいろとショックな三者面談でした…。家ではあまり勉強する姿を見たことがないし、それどころか、たぶん課題も出せない(できないから…)のだろうと勝手に考えていたのです。リクの性格は温和ですが、思春期真っ只中ということもあって、母親には学校での出来事など話さなくなりました。よく勉強し、クラスの頼れる存在なんて、自分の耳を疑いましたが、中3になってからリクに学習意欲がでてきたことは、心から嬉しく、そして先生方や周囲に恵まれてきたことに、心から感謝した一日でした。
2017年09月30日中学校で、喧嘩ばっかりする日々ADHDのある息子リュウ太は、小さいときから周りの人にちょっかいを出されると途端にイライラ爆発してしまう傾向がありました。中学生になってもイライラ気質は相変わらず。良くも悪くも目立つから周りからケンカを吹っかけられやすく、ヒドイ喧嘩へと発展していました。Upload By かなしろにゃんこ。そんなことが頻繁になってくるにつれ「イライラする自分は少しオカシイのではないか、カウンセリングをうけたほうがいいのか」と、母に相談してきたことがあったのです。それならばと、カウンセリングをすすめてみるものの…Upload By かなしろにゃんこ。息子の口から「カウンセリングに行った方がいいのかな?」と言われたので、良い機会だと思い、具体的に考えてみました。思春期はイライラしやすいものなのだろうけれど、私は心理士でもなんでもないので、素人が答える内容にも限界があります。ですからプロのカウンセラーに相談してみようよ!と素直に促してみたのですが…いざ行動に移そうとすると、息子は二の足を踏むのです。「こんな自分の悩みを大人が聞いてくれるわけがない、下らない小さい悩みとバカにされるかもしれないから言いたくない。」カウンセリングを拒否するのはざっとこんな理由でした。「プロはどんな悩みでもうまくリードして聞いてくれるから大丈夫よ!」とその気になるように明るく誘っても、知らない人に何を話していいのか分からないからやっぱり行かない!」と拒否。結局、息子のイライラは私にぶつけられ週3日はグチを聞かされました…。話終わると息子はスッキリするのですが私は逆にイヤ~な思いを抱えてしまいます。連日一方的に話を聞かされると少しずつ受け止められなくなって「今は私にグチを言わないで!」と拒否した日もあります。すると物にあたり散らしてストレスを発散するのですが、その姿を見るのもグチを聞かされるくらいイヤなことです。今更ながら「スクールカウンセラー」っていうのがあるの?Upload By かなしろにゃんこ。街中のカウンセリングが無理なら、他に気軽に相談できるとことはないだろうか?調べると「スクールカウンセラー」という専門家がいることがわかりました。息子の学校にも巡回で来ているので、相談できる機会がありそう!そこで息子に、スクールカウンセラーに相談したら?と提案してみました。しかし、いくら学校で会うことができる先生であっても、親近感が無く「どう話しかけたらいいかわからない」と…また振り出しに戻り、ナシのつぶてです。確かに、「スクールカウンセラー」なんて自分の子どもの頃には学校にはいなかったし、相談するイメージも湧きません。渋る息子の背中をポンと押してあげることは、出来なかったのです。母親の私にとっても、専門家へ相談するというのは思った以上に心のハードルが高い事なんだなと改めて思いました。Upload By かなしろにゃんこ。私が相談相手になってあげていれば大丈夫!と肝っ玉母さん精神でここまで乗り切ってきましたが、反抗期にさしかかると、母にはキャパオーバーなこともいっぱいあります。私だって「これでよかったのかな?」と思うこともあり、煮え切らない気持ちを悶々と抱えながら「発達障害に詳しいカウンセラーに一切合財全てお願いしてしまいたい!」と、半ば投げやりな気持ちになることだってあるのです。専門家へ相談することへの心のハードルが高かった私は、ここにきて「子どもが小さいときから定期的に専門家に関わっていればよかったのかなー」とちょっぴり後悔したのでした。反抗期のときこそ、親も子も相談者は必要なのかもしれませんね。
2017年08月22日旅行があったのに、バイト代をつかい込んでしまった息子…Upload By かなしろにゃんこ。8月の猛暑の中、息子は「自宅から80キロ離れた海のキャンプ場まで友だちと数人で自転車で出掛ける」という約束をしてきました。出かける日が近くなってから、念のため所持金はいくらかとたずねると、なんとバイト代の残りは1万円だけというのです。Upload By かなしろにゃんこ。2泊3日のキャンプ代や食事代などの費用が1万円では足りなくなるから電車で行ったほうがいいよ!と促したのですが、電車代がかかるから自転車で行くのだし、この旅は自転車を楽しむための旅だといってききません。言い出したらきかない特性も理解していましたし、これも社会勉強だと思い、好きに行かせることにしました。真夜中のキャンプ場から、案の定SOSの電話Upload By かなしろにゃんこ。楽しそうに仕度をして元気よく出掛けた息子でしたが、案の定、道に迷ったり体力が尽きてきたりしてキャンプ場に着いたのは夜中。日中は猛暑で汗だくになり水分補給に所持金をほとんどドリンク代に遣ってしまったと電話がありました。お金を貸してください、あさイチで口座に振り込んでください!という相談の連絡でした。お金足りるわけないっしょ!こうなることは分かっていたので私はニヤリ☆息子にとって、この旅はいい経験になるかもしれない!と思いました。「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったものです。友達と過ごしたかけがえのない夏の日。少しだけ大人になったかな~。電車で行ったほうが費用はかからなかったのですが、道に迷いながら雨に打たれたりして友だちと励ましながら目的地に着くという経験ができました。自転車の旅を選んで正解だったと感じました。予定外のハプニングの攻略やハプニングを楽しむ心の余裕も生まれたのではないかと思いました。母の願い通り、道に迷ったことも、蒸し暑い湿気の多いテントで眠ることも、トイレに虫がいっぱいだったことも、友だちと経験することで新鮮に受け入れていたようでした。Upload By かなしろにゃんこ。帰ってきてから「不自由なことが楽しかった」と息子は言います、少し大人になった感じがありました。ただ、替えの靴下を持っていかなかったため、雨で濡れた靴下をくり返し履くことになったことだけが辛かったそうな。「靴下を買うという思考にはならなかったの?」と聞くと「そうか!そういうこともできたね!」と気が付いたようでした(笑)「我慢するくらいなら靴下なんとかしよう!」とまでは考えられないところがまだちょっと幼いかな。
2017年05月16日反抗期ど真ん中!ナイフのような息子とまともに話すことなんて…Upload By かなしろにゃんこ。気性の荒いADHDがある息子。中2の頃は口を開けば反抗的で悪たれをついて、親の言うことはなに一つまともに聞いてはくれなかったです。荒くれ息子が、突然頭を下げて相談してきた!Upload By かなしろにゃんこ。あるとき、絵を教えてほしい、人物を描けるようになりたいと相談されました。絵を描く仕事をしている私は、息子の図工の作品を見て驚き!!まるで絵心がない!!息子は人間が描けません。それがコンプレックスになり人間の絵をなるべく描かずに避けてきたのです。息子のチャレンジ精神は嬉しいのですが、描けるようになるには時間がかかりそうだと感じました。正直、道のりは長く険しそうだ…。なんで突然「絵が描きたい」なの?Upload By かなしろにゃんこ。息子が、苦手なはずの「絵を描くこと」に挑戦しようと思ったきっかけは、同じクラスの女の子でした。我家は異性の話はオープンに交わす家庭なので好きな女の子の話を聞いてみると、どうもその女の子と重なり、好きなのかな?と思わせる話しぶりでした。マンガのキャラクターを描くのが上手な女の子のようで、その子と同じ趣味の話ができるように絵も上手になりたいと考え、できたら頭を下げたくない母親の私に相談してきたのでした。全身全霊かたむけて母の話を聞いてくれている…Upload By かなしろにゃんこ。絵の描き方を一から教えていきました。人間の体をバランスよく描くコツの話を「うん!うん!」と一生懸命聞いて覚えていきました。そして細かく指摘されながら直し直し、人間の絵を描けたときの息子は嬉しそうでした。「もっと早くお母さんに教わっておけばよかったな~」と言います。教えたって反抗して聞いてはくれないじゃないの!と内心思いますが…笑女の子がきっかけで息子の新たなライフワークが生まれた瞬間でした。着々と師弟関係築いています(笑)Upload By かなしろにゃんこ。それから絵にどっぷりハマっていった息子は、少しずつ絵の練習を積み重ねて、まぁまぁ描けるようになっていきました。たまに私に「こんなに描けるようになったぜ!」と自慢に見せにきますが、私は少しだけ褒めた後に体のバランスの悪い部分を細かく突っ込んで注意して赤ペンで添削をして返します。もっと上手になってほしいので厳しく言いたくなってしまうんです、これは親心でしょうね…。息子は自信があったのに私があまり褒めないので「そう言われると思った…」と悔しそうにします。母に宣言した将来の夢小学校のときの絵に比べたら上達したとは思いますが、息子が目指すところはもっと高いところでした。高校生のときに「漫画家になりたい」と言い出しました。私は反対しましたが、この4年間あまりコツコツ絵の練習する根気を見ていたら、この子がこんなに飽きないでやれるってことは、本物なのかしら?と思えてきました。4年後学校を卒業してもまだ絵を続けていたのなら漫画の構成や描き方を伝えていこうかな~と、反対ばかりせず応援しようかと考えています。風景画も練習中です。Upload By かなしろにゃんこ。
2017年04月18日