昔に比べると、育児に対して積極的な姿勢を見せるパパも多いでしょう。しかし、ママからすると「協力しているつもりかもしれないけど、全然わかってない! うちもワンオペ育児だ!」と感じることがあるかもしれません。 わが家でも、私がイライラして爆発することが何度もありました。そのとき感じていたことや、夫との意識をどうすり合わせていったのかをご紹介します。 結局、他人ごと!?仕事復帰後、私も朝は時間に追われるようになりました。子どもがグズって着替えてくれなくても、夫は知らん顔。休日は子どもの面倒を見てくれるけれど、仕事の日は関係ないと思っているようでした。 このままでは不満がたまると思い、「あなたは予定通り家を出ればそれでおしまい。でも私はたとえ仕事に遅刻したとしても、最後まで子どもに向き合わないといけない。仕事も復帰したし、そこは一緒に責任を負ってほしい」と訴えました。 それ以来、私が身支度をしている間に息子に朝ごはんを食べさせたり、体温を測ってくれたりと、できる限り協力してくれるようになりました。 私だって育児初心者よ!夫に断乳の相談をしたとき「協力はするけど、俺は細かいことはよくわからない」とひと言。「私だって育児初心者で右も左もわからないけど、必死でいろいろ調べているんです!」と怒りがこみあげてきました。 けれど、私がやりたいと言ったことを言い出したタイミングでできるよう、協力はしてくれます。それはありがたいので、夫から「いついつ、これをしてみてはどう?」という提案までしてほしいというのは、私が求めすぎだったなと反省しました。 気をつかっているつもり?子どもが熱を出すたびに、家事がままならない状態になっていました。すると夫から「洗濯はためても大丈夫だよ、ごはんも俺の分は無理して作らなくていいから」と言われたんです。 私だっておなかがすくし、洗濯もあとからまとめてするのは大変。「俺がするよ」ってなんで言ってくれないの? とイライラしてしまいました。しかし、夫は「これをやって」と具体的に頼むと、嫌な顔せずやってくれます。それからは察してもらおうと期待するのではなく、細かく頼むようにしました。 仕事の忙しさやママ・パパの性格などは家庭によって差があるので、パパに育児をしてもらうための改善策はそれぞれ異なるでしょう。「どう思っているのか、何が大変なのか、何をしてほしいか」を言葉にして相談しながら、ふたりのスタイルをつくっていくといいかもしれません。著者:今宮れい2歳男児の母。子ども服や子ども雑貨の展示会に出向き、バイヤーとして店舗づくりに携わる。妊娠を機に専業主婦も経験。出産後、新たな可能性を求めてライターとして活動中。
2019年08月22日育児放棄や虐待によって罪のない子どもたちが巻き込まれる事件を目にすることが日本でも増えていますが、今回ご紹介するのは、中東の子どもたちの過酷な現状を描いた話題作です。その作品とは……。全世界が絶賛する『存在のない子供たち』!【映画、ときどき私】 vol. 246中東の貧民窟に生まれた12歳の少年ゼインは、学校にも通わずに朝から晩まで両親に働かされていた。両親が出生届を出さなかったために、法的には社会に存在すらしていないゼイン。唯一の支えは妹のサハルの存在だけだった。ところが、サハルが11歳で強制結婚させられてしまい、怒りと悲しみからゼインは家出をしてしまう。そこでは厳しい現実が待ち受けていたが、ゼインは「僕を産んだ罪」を理由に、自分の両親を訴えることを決意するのだった……。中東が抱える貧困と移民の問題に真っ向から挑み、高く評価されている本作ですが、今回は全身全霊を捧げたこちらの方に、あふれる思いについてお話いただきました。レバノンが生んだ美しき才能ナディーン・ラバキー監督!2007年には、『キャラメル』で監督・脚本・主演を務め、一躍注目を集めたラバキー監督。女優としても幅広く活動しており、本作ではゼインの弁護士役として出演もしています。そこで、自身が目撃した現実やいまの思いについて語っていただきました。―まずは、多くの難民を受け入れてきたレバノンの現在の状況から教えてください。監督レバノンは文化的にも、国民の気質的にも、誰に対しても温かく歓迎するところがあるので、これまでに150万人以上の難民を受け入れてきましたが、これはいろいろな意味で大きな挑戦でもありました。そのなかで私たちはベストを尽くしてはいますが、本来この責任は世界でわかち合わなければいけないもの。難民条約にサインしたにも関わらず、多くの国がその責任を果たしていません。それゆえに、ヨルダンやトルコなど近隣諸国が難民の60%以上を受け入れており、経済的にも社会的にも大きな影響を受けています。世界で考えたら、本来はもっとできることがあるはずですが、これが現状です。―では、本作のストーリーは監督が実際に見たものが描かれているのでしょうか?監督レバノンでは苦しんでいる人々を当然のように目にする状況にあります。食べ物が足りないとか、戸籍がないために世間から“見えざる者”になってしまっている人や違法滞在者など、本当につらい現実です。水も電気もなく、まるで下水道のなかにいるかのような耐え難い環境で暮らしている人たちも多く、収容所やキャンプでは寒さが原因で亡くなる方もいるほど。いまでは難民だけでなく、レバノン人にとっても非常に厳しい状況が続いています。そして、そのなかでもっとも心を痛めているのが、子どもたちについてです。犠牲を払っている子どもたちの“声”を届けたかった―その思いがこの作品を作るきっかけとなりましたか?監督彼らが寒さに震えていたり、お腹を空かせていたり、学校に通えなかったり、子どもなのに仕事をしなければいけなかったり、つらい思いをしている姿を見るたびに、「私たち大人がいかに彼らを失望させているのか」「いかにシステムが欠落しているのか」を感じています。子どもたちが一番もろい存在のはずなのに、一番大きな代価を彼らに払わせてしまっているのです。その結果、自分の誕生日も知らず、無言のままに重荷を背負わされ、毎日虐待されるつらい生活が普通の人生だと考えている子どもはたくさんいます。そして、彼らは存在を知られることなく生まれ、存在を知られないまま亡くなっていくのです。私はそういった現実を見ているうちに、「何かしなければいけない」という責任を感じましたし、この映画を作ることを義務だと思うようになりました。つまり、子どもたちは声なき者だからこそ、この作品は彼らの“声”として届けたかったのです。―今回は主人公のゼインを演じた少年が本物のシリア難民であることをはじめ、全員がプロの役者ではないそうですが、どのように選びましたか?監督本作は3年間かけてリサーチをしてから脚本を書いたので、私自身が見たものからインスピレーションを受けており、事実が基になっています。キャスティングについても、現実世界で同じような境遇にある人を探すという方法で、彼らを見つけることができました。たとえば、ゼインの外見は、栄養不足が原因で実年齢よりも体つきが小さい子どもたちをたくさん見てきたということを反映させています。キャラクターのイメージとしては、家族のために早く大人にならなければいけなかった環境にあったため、聡明さと路上で生きるタフさを持つ、大人のような子ども。それが頭のなかで描いていたゼイン像でしたが、想像していた通りの少年と出会ったときは奇跡のようでした。―彼らの実人生が役に影響を与えた部分もありましたか?監督通常の映画であれば、脚本や監督のイメージに役を合わせていくものですが、今回は彼らの個性をベースにして、私たちがそこに合わせていくような作り方を意識しました。そもそも彼らの生活や人物像というのは私が想像で作り上げてはいけないものだし、そんな権利は自分にはないと感じていたからです。それほど現実にはリアルな苦しみと困窮があるわけだから、なるべく真実を捉えたいと考えていました。彼ら自身の経験や感情を私たちが描こうとしている物語やキャラクターを寄せていったので、スタッフも演者たちも現実とフィクションがわからなくなって混乱することもあったくらいです。演者が自分の経験をアドリブで語ることもあった―そのなかで忘れられない出来事もありましたか?監督実際、彼らが本能的に自分の経験を話すようなアドリブも多くありました。たとえば、子どもから訴えられたゼインの母親が「あなたは私のような状況に置かれたことがないからそんなことが言えるんだ」と弁護士役の私に向かって言うシーン。そのなかで、母親役の女性が「お金がなくて子どもに砂糖と水しか与えられない経験をしたことがないでしょう?」と訴えるのですが、これは彼女自身の経験です。彼女は映画のなかに出てくるスラム街に住んでいる人ですが、あの瞬間はゼインの母親としてではなく、自らの思いを語っていたのです。ほかのみんなも同様のことをしてくれました。―だからこそ、俳優では演じられないようなリアルな表情には思わず言葉を失いました。監督自らの現実と演じている役が入れ替わってしまうこともありましたが、彼らの言葉はすごく重要だったので、そういったものが自然に起きるようなオープンな現場は意識していたところです。つまり、彼らが「どんなことを言っても大丈夫なんだ」と自由でいられる環境をしっかり用意したいと思いました。それによって、彼らも“翼”を持つことができたのではないかと感じています。―とはいえ、撮影中に問題が起きたことも多かったのではないでしょうか?監督確かに、演者が翌日来ないかもしれないといった我々ではコントロールできない部分でのリスクはつねに負い続けていた作品だったと思います。というのも、戸籍や証明書を持っていないような人も多かったので。実際、ゼインを助けるエチオピア移民のラヒルを演じた女性が、拘束されたシーンを撮ったあとに逮捕されてしまったことがありました。そのときは、ラヒルの子ども役を演じていた赤ちゃんの両親も逮捕されてしまい、その先がどうなるのかわからない状況に陥ってしまったこともあったほどです。この方法でしか作ることができなかった作品―そんななかで、どのようにして作品を完成まで導いていったのでしょうか?監督そもそも大きなリスクがある作品だとわかっていたので、私たちは完全にインディペンデントで製作することにしていました。私の夫であるハーレドもプロデューサーとして入っていますが、ここまで大変だと知っていたら彼もやらなかったかもしれないですね……。まずは製作する場所も何もないところからスタートしなければいけなかったのですが、予定していた刑務所が閉鎖してしまうことになったり、せっかく見つけた子役たちもいま撮らなければ大きくなってしまうこともあったりしたので、すぐに撮影を開始しなければいけませんでした。ただ、子どもも大人も演技についてはまったくの未経験。「アクション!」といって求めているものをすぐに演じてくれるわけではなかったので、彼らとも時間を過ごす必要がありました。製作期間中はカメラマンも編集者もみな同じアパートで作業してくれました。編集などを含め完成までに2年。本当に小さな現場でしたが、これ以外の方法でこの作品を作ることはできなかったと思います。―撮影自体も困難が伴ったと思いますが、身の危険を感じることはありませんでしたか?監督もちろん、とても危険な場所ではありましたが、危害を加えられるというよりも、公害のような環境の問題のほうが大きいと感じました。というのも、貧困地域では雨が降ると、下水から水が溢れてきて、水浸しになってしまうからです。そのため、不衛生で臭いもすごいし、空気さえも汚染されているのがわかるほどだったので、私も熱を出してしまったことありました。しかも、当時私は2人目の子どもを出産したばかり。撮影の合間には授乳のために家に帰らなければいけなかったので大変でしたが、どんなに危険な状況でも、私たちは大きな目的があったし、使命感もあったので、それが続ける強さに繋がっていたと思っています。―まさに意志を貫く強さを監督から感じます。それを支えているものは何ですか?監督彼らは同じ状況に置かれたままなのに、「私は家族と幸せになっていいんだろうか」という罪悪感をいまだ抱いている部分もあり、心理的な負荷はまだ乗り越えられてはいません。「自分にはやらなければいけないミッションがあるんだ」という感覚があるからだと思います。人が存在しているのには、それぞれに理由があると考えています。私は恵まれていることに何かを変えることができるかもしれない自分なりの貢献方法や理由を見つけることができたと思っています。「ひとりひとりが物事を変えることができる」という考え方は甘いと言われるかもしれませんが、私は心からみなが自分なりにできることがあると信じているのです。その変化というものは、たとえ大きくなくても、他人の人生や命に影響を与えられることができると思っています。そんなふうに自分の目標や夢、そして存在理由を感じられることが、私にとっては毎朝起きる力になっているのです。日本でも同じ思いを感じている人はいるはず―それでは最後に、これから観る方に向けてメッセージをお願いします。監督状況は違っていても、同じような思いをしているような人は世界中にいるはずなので、ただ遠い国の話という風には感じないと思っています。実際、こういった問題はレバノンだけではなく、アメリカでも子どもの7人に1人のはお腹を空かせているような状況ですし、コミュニティのなかで端に追いやられてつらい思いをしている人は文化や国に関係なく、日本にもいるはずです。だからこそ、きっとみなさんの心に触れる作品だと思っていますし、人類はこのまま子どもたちに対する不公平さに目をつぶっていくことはできないと、私は信じています。目をそらしてはいけない現実がそこにはあるそれぞれの人物が放つ存在感と物語の持つ強さに圧倒され、激しく心を揺さぶられる本作。現代社会が抱える問題を描きつつ、「自分にできることは何か」「生きるとは」「愛されるとは」といった普遍的な思いがあなたのなかにも生まれるはず。映画の持つ力を目の当たりにすることができるいま観るべき1本です。胸を引き裂く予告編はこちら!作品情報『存在のない子供たち』7月20日(土)よりシネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開配給:キノフィルムズ©2018MoozFilms/©Fares Sokhon
2019年07月19日親や親戚が亡くなったときに頭を悩ませがちなのが相続。相続では財産だけでなく、借金も引き継いでしまいます。相続したくないなら、相続放棄ができますので、手続きをとるようにしましょう。本記事では、相続放棄の手続き方法や注意点についてご説明します。相続放棄とは?相続する権利は放棄できることを知っておこう相続人になっていても、相続しなくてすむようにしたいなら、相続放棄が必要です。相続放棄にはどういう意味があるのかを知っておきましょう。相続人になっていても相続放棄ができる人が亡くなったときには、民法上の相続人(法定相続人)が財産を相続します。けれど、相続人であれば必ず相続しなければならないわけではなく、相続する権利自体を放棄できる、相続放棄という制度があります。相続放棄をすれば、その相続に関しては、初めから相続人でなかったものとみなされます。たとえば、親が亡くなれば子供は通常相続人となりますが、相続放棄をすれば親の相続とは無関係になります。負の遺産があれば相続放棄することにメリットがある相続放棄をした方がいいのは、被相続人が借金を残している場合になります。相続では、不動産や預貯金などのプラスの財産だけでなく、借金(負債)というマイナスの財産も引き継ぐからです。プラスの財産よりもマイナスの財産の方が多ければ、一般には相続放棄した方がメリットになります。相続放棄はどこでする?やり方は?手続き方法と流れを押さえておこう相続放棄をするには、法律上定められた手続きをとる必要があります。何もせず放置していれば相続放棄はできなくなってしまいますから注意しておきましょう。相続放棄は家庭裁判所に対して行う相続放棄を行う場所は、家庭裁判所です。相続放棄をするには、相続開始を知ったときから3か月以内に、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に「相続放棄の申述」をしなければなりません。相続放棄の申述と言っても、口頭で行うわけではなく、相続放棄申述書とその他の必要書類を提出して、書面で手続きすることになります。相続放棄の必要書類相続放棄する際には、次のような書類が必要になります。相続放棄申述書裁判所で用意されている書式に必要事項を記入します。書き方については、記入例を参考にしましょう。申述書には相続放棄の理由も記載しますが、関わりたくないという理由でもかまいません。被相続人の資産や負債の概略も記載します。被相続人の住民票除票または戸籍附票被相続人の最後の住所地がわかるものとして、住民票の除票または戸籍附票を用意します。戸籍謄本自らが相続人であることがわかる戸籍謄本一式を用意します。相続放棄の申立費用相続放棄申述の手数料として800円がかかるので、800円分の収入印紙を購入して申述書に貼っておきます。また、裁判所からの連絡用に使う郵便切手を事前に提出しなければならないので、切手の組み合わせや金額を裁判所に確認してから提出します。相続放棄の申立方法相続放棄の申述をする場合には、次のような方法があります。書類を裁判所の窓口に提出する方法相続放棄の必要書類一式を揃えて、家庭裁判所の家事事件受付係に提出します。提出時に申述書の控も一緒に差し出すと、控に受付印を押して戻してもらえます。その後は、裁判所からの連絡を待つことになります。相続放棄の手続きを郵送でする方法必要書類一式を家庭裁判所に郵送します。控と返信用封筒を同封しておけば、受付印を押したものを返送してもらえます。郵送の場合にも、書類提出後は、裁判所の連絡を待つことになります。相続放棄の手続きを代理でしてもらう方法相続放棄の手続きを本人以外がやる場合、代理人になれるのは弁護士になります。相続放棄申述書の作成は司法書士にも依頼できますが、司法書士に代理人になってもらうことはできません。相続放棄申述書提出後の流れ相続放棄申述書を提出した後の流れは、次のようになります。家庭裁判所から照会がある相続放棄の意思に間違いがないかどうかの確認のため、申述人宛に家裁から照会書が郵送されてきます。照会書と一緒に同封されているに回答書に必要事項を記入し、家裁に返送します。相続放棄申述受理通知書が届く家裁からの照会の後、相続放棄申述が正式に受理され、申述人宛に相続放棄申述受理通知書が郵送で届きます。債権者に通知書を見せるかコピーを渡すかすれば、被相続人の借金の支払いを逃れられるのが通常です。相続放棄申述受理証明書の請求債権者から相続放棄申述受理証明書を要求された場合、相続放棄申述受理通知書を紛失した場合などには、家庭裁判所に証明書の交付申請をします。相続放棄する場合の注意点相続放棄の手続きをするときには、次のような点に注意しておきましょう。相続放棄すれば財産も相続できない相続放棄をすれば借金を引き継がずにすみますが、財産を相続することもできません。相続放棄後に新たな財産がでてきても、一度行った相続放棄を撤回することはできないので、慎重に行う必要があります。相続放棄には期限がある相続放棄は相続開始を知ってから3か月以内の期間(熟慮期間)に行わなければなりません。熟慮期間を過ぎてしまうと、相続放棄はできなくなってしまいます。なお、当初の熟慮期間内であれば、期間伸長の申立ができます。相続財産がどれくらいあるか不明で、3か月以内に調査が終わりそうにない場合には、期間伸長の手続きをしておいた方がよいでしょう。相続放棄できないケースもある熟慮期間内であっても、相続放棄ができなくなるケースがあります。たとえば、相続人が相続財産の一部や全部を処分した場合には、法定単純承認といって相続を承認したことになってしまい、相続放棄はできません。相続放棄をする可能性があるなら、相続財産には手を付けないようにしましょう。相続放棄をすれば他の相続人に影響がある相続放棄をすると、他の相続人に影響を及ぼすことにも注意しておきましょう。相続放棄により、他の相続人の負担が増えたり、新たに相続人になる人が出てきて相続放棄が必要な人の範囲が広がったりすることがあります。たとえば、被相続人に借金があり、相続人が妻と子1人であるケースで、妻が相続放棄をすれば子だけで借金を負担しなければなりません。また、同じケースで妻も子も相続放棄をした場合、第2順位の相続人(直系尊属)が相続人となるため、第2順位の相続人も相続放棄が必要になってしまいます。第2順位の相続人がおらず、第3順位の相続人(兄弟姉妹)がいる場合も同様です。離婚していても子供は相続放棄が必要親が亡くなると子供は相続人になります。父母が離婚していても、親子関係は変わりません。離婚により離れた父親が借金を残して亡くなった場合でも、息子や娘は相続放棄しない限り借金の支払いを請求されることになります。未成年者の相続放棄には特別代理人が必要なことがある未成年の子が相続放棄をする場合、親権者との間に利益相反が起これば、親権者が法定代理人として相続放棄の手続きをすることができません。利益相反が起こる場合とは、次のようなケースです。親も子も相続人で、子だけが相続放棄をするケース複数の子がいる場合で、一部の子だけが相続放棄をするケース上記のようなケースでは、子のために特別代理人が必要です。相続放棄をする前に、家庭裁判所に申し立てをし、特別代理人を選任してもらわなければなりません。なお、親も子も相続放棄をする場合には、特別代理人は不要で、親が子の相続放棄の手続きができます。まとめ相続放棄は、通常は相続開始から3か月以内に行わなければなりません。うっかりしていると、相続放棄ができなくなってしまうことがありますので十分注意しておきましょう。なお、3か月を経過していても、当初被相続人に借金があることが全くわからなかった場合には、相続放棄できる可能性があります。3か月過ぎているとあきらめる前に、弁護士等に相談するのがおすすめです。
2019年04月12日『火垂るの墓』で知られる日向寺太郎監督が手がけた最新作『こどもしょくどう』は、子どもの貧困対策として近ごろ注目を集めている「子ども食堂」がテーマ。といっても映画には子ども食堂そのものの描写はほぼありません。それよりもっと根本的な問題、どうしていまの日本で子ども食堂が必要とされているのか、必要とする子どもたちはどんな思いなのかについて、子どもの視点から描かれています。藤本哉汰さんや鈴木梨央さんなど子役の演技がすばらしく、うっかりすると子どもに感情移入しすぎてしまうのですが、時折発せられる子どもたちの鋭い一言に、大人としてこの問題に対して同情や共感だけで終わってはいけないことに気づかされる映画です。■7人に1人の子どもが相対的な貧困状態にある日本映画のタイトルでもある「子ども食堂」とは、家族と一緒に満足な食事をとることができない子どもたちのために、地域のボランティアなどが無料~数百円で食事を提供する取り組みのこと。すでに全国に2000か所以上あります。運営形態はさまざまで、最近では大手コンビニも参入。地域の人ならだれでも参加できるところが多く、新たな地域コミュニティの場にもなっています。映画に登場するユウト(藤本哉汰)は、食堂を営む両親と妹と健やかに暮らす小学5年生。幼馴染のタカシ(浅川連)は母親が育児放棄で、家に帰っても一人ぼっち。ユウトの両親はタカシを心配して、頻繁に家に招いては夕食を食べさせていました。ある日、ユウトとタカシは、河原で父親と車中生活をしている姉妹、姉・ミチル(鈴木梨央)と妹・ヒカル(古川凛)に出会います。姉妹は幼稚園や小学校にも通っていません。…とこんな感じで大変な状況の子どもたちばかりが出てくるので、人によっては現実離れした設定に思えるかもしれませんが、実際はそうでもありません。まもなく終わる平成は「失われた30年」ともいわれ、経済が停滞し、貧困や格差が広がったといわれます。日本の貧困についてはニュースでもよく報じられていますね。具体的なデータを見ると、厚生労働省発表の「子どもの相対的貧困率」(2015年「国民生活基礎調査」)は13.9%にのぼり、なんと7人に1人の子どもが相対的な貧困状態にあります。貧困といっても、昔のように服装やニオイで明らかにわかることはほとんどなく、見た目は普通。周囲が気づくのが難しいため「見えない貧困」という表現もよく使われます。■近所に貧困の子どもがいたらどこまで関わるべき?ユウトは、ミチルやヒカルを家に連れてきて、両親に食事を出してほしいと頼みます。両親は怪訝に思いながらも姉妹に食事を食べさせます。ユウトの母・佳子(常盤貴子)は姉妹を心配し、何か行動したほうがよいと考えます。一方、ユウトの父・作郎(吉岡秀隆)は、ごはんを食べさせるくらいはよいとしても、事情がわからないのでとりあえず様子見でいいだろうという姿勢。夫婦の間で意見が割れ、口論になっていました。個人主義で地域社会とのつながりも薄い現代では、作郎のように「首を突っ込みすぎないほうがよい」と考えるのは、むしろ自然なことかもしれません。余計なことをして親に逆恨みをされたくないし、面倒なことに巻き込まれたくないと思えば、「家庭ごとの事情があるだろうから」と行動しない理由づけをするのも簡単です。ところがそんな両親に、あるときユウトは「見ているだけで何もしていない」と怒りをぶつけます。もちろん、両親は何もしていなかったわけではありません。両親はミチルやヒカルに何度かごはんを食べさせていたし、心配もしていました。大人の視点では十分関わっているように見えますが、場当たり的な対応だけで根本解決への行動を起こそうとしないのは、ユウトから見れば何もしていないのと同じことだったのです。「見えない貧困」は、言葉のとおり見えないから想像しづらいものです。でもだからこそ、身近な人や地域が動かなければ、そのままだれにも気づかれず、ときには最悪の事態を招くことも。最近は貧困に限らず、「もうすこし周囲の大人が気にかけていれば…」と感じる悲しいニュースも目にします。映画の中にもそうした悲しい結末を想像させるようなシーンがあります。■「子ども食堂」の存在意義とは?親として大人としてやるべきこと子ども食堂はすばらしい活動ですが、本当に温かい食事を必要としている貧困家庭の子どもや親に来てもらうことが難しいという課題もあります。開催は月に1~2回の開催というところがほとんどなので、そもそも貧困に苦しむ子どもへの食事支援と考えたとき、十分とはいいづらいかもしれません。とはいえボランティア等による運営なので、運営費や運営スタッフの確保も大変です。ただ、ここでひとつ忘れたくないのが「子ども食堂」の存在意義はおなかを満たすだけではないということ。親が忙しく夕食を1人で食べる子どもにとっては、子ども食堂は楽しい集いの場になりえます。俵万智さん作詞の映画の主題歌も、誰かと食事を共にする楽しさを歌っています。俵さんは歌詞に込めた思いを「食べるという命に直結する行為で、大人から子ども、社会が繋がっていく姿が素晴らしいと感じました。なのでそこに焦点を絞りつつ、自分自身の感想・感動、この映画からもらったものを自分なりに言葉でお返しする、そんな気持ちで歌詞を書きました」と語っています。タカシも、ミチルやヒカルも、家庭環境が複雑で、それが貧困につながっています。いまは親であっても自分の人生を生きやすい時代。仕事やパートナーとのかたちも多様で、いろいろな生き方が尊重されてしかるべきですが、そのしわ寄せがはたして子どもにいっていないか、ということは立ち止まって考えることも必要なのかもしれません。ニュースで子どもの貧困を知っていても、その状況に置かれている子どもたちの気持ちや有り様にまで想像を働かせるのはとても難しいこと。この映画を観ると、どこか人ごとだった「子ども食堂」や「見えない貧困」についてもうすこし自分事としてとらえられるようになったり、自分のすぐ身近に困難を抱えた子どもがいる可能性を想像しやすくなったりすると思います。子どもたちは社会の未来であり、希望。その子どもたちを守るのは私たち大人の大切な役割であることにあらためて気づくと同時に、何をするべきか考えるきっかけをくれる映画です。『こどもしょくどう』3月23日(土)より岩波ホール2週間先行ロードショーほか全国順次ロードショー小学5年生の高野ユウト(藤本哉汰)は、食堂を営む両親と妹と過ごしていた。育児放棄気味の母と2人で住む幼馴染のタカシを心配し、ユウトの両親は頻繁に夕食を振る舞っていた。ある日、ユウトとタカシは河原で父親と車中生活をしている姉妹に出会う。姉妹の姿を見かねたユウトは、両親に2人にも食事を出してほしいとお願いをする。しかし 数日後、姉妹の父親が失踪し、ミチルたちは行き場をなくしてしまう。公式サイト: <参考>厚生労働省: 平成28年 国民生活基礎調査の概況 [PDF:215KB]
2019年03月22日日本電気(NEC)は29日、同日開催した取締役会において、連結子会社であるNECモバイルコミュニケーションズ(NECモバイル)に対する債権を放棄することを決議したと発表した。併せてNECモバイルが3月24日に解散することも発表した。NECは、2015年12月にNECモバイルから全事業である携帯電話事業を、2016年3月1日付けで譲り受けると発表していた。NECモバイルは、当初の予定通り同日付けで事業を譲渡する。また、NECモバイルが清算手続きに入る目処が付いたとし、NECは同社を3月24日に解散すること、約1,024億円の債権を放棄することを決定した。NECモバイルの概要は以下の通り。事業内容: 携帯電話端末の開発、製造販売および保守資本金: 4億円設立年月日: 2009年12月22日純資産: マイナス1,015億円(2015年3月期)総資産: 34億円(2015年3月期)
2016年02月29日ユミルリンクは7月30日、セランが開発・提供するマーケティング・オートメーション・ツール「xross data(クロスデータ)」と連携し、カート放棄などのリテンション施策メールを自動配信する機能を、メール配信システム「Cuenote FC」のオプション機能として追加した。新機能では、Webの行動履歴からリピート購入やアップセル、クロスセルなどを促進するリテンション・メールを自動で配信することができ、「カート放棄商品」や「お気に入り登録商品」「商品閲覧履歴」といったそれぞれの状況に合わせ、リマインド・メールが送信することが可能だ。なお、Cuenote FCは、一時間あたり300万通以上を一斉に配信できる速度を実現し、月間のメール配信数30億通の実績を持つメール配信システム。効果的なメール・マーケティングを実施するため、会員収集機能や効果測定機能を搭載し、システム連携に必要な各種APIを提供する。提供形態は、クラウド型サービス(ASP / SaaS)とオンプレミス型ライセンスがあり、クラウド型サービスの初期費用は3万円(税別)~、月額費用は5,000円(税別)~。一方、オンプレミス型の初期費用は225万円(税別)~で、月額費用は4万6,000円(税別)~となる。
2015年07月31日このところ「おむつなし育児」という育児法が話題になっています。多くのママは、「おむつなし」と聞くと、まった全くおむつをしないの? 床や部屋が汚れはしないのかな? などと疑問に思うかもしれません。そこで今回は話題の育児法、「おむつなし育児」について解説、検証してみます。■「おむつなし育児」は、かつては日本でもやっていた「おむつなし育児」は、決して目新しいものではなく、布おむつも紙おむつもなかった時代、当たり前にやっていた方法です。いつのまにか日本では途切れてしまいましたが、今再び注目されています。簡単に言えば、「おむつの中でおしっこやうんちをすることを当たり前にせず、なるべくおむつの外でさせることで、赤ちゃんのうちに排せつの気持ちよさを伝えてあげる方法」です。言い換えれば、「おむつでうんちやおしっこをすると気持ち悪い」という感覚を当たり前にすることだといえます。■おむつをまったくしないわけではありません「おむつなし」とは言っても、普段はおむつをしています。赤ちゃんをよく観察して、おしっこやうんちが出そうかな? というタイミングでおむつを外し、なるべくおまる・トイレなどでさせてあげるのが、おむつなし育児の基本です。とはいえ、何がなんでもおむつなしで! と気合いを入れ過ぎる必要はありません。家ではおまるでしていても、外出時は紙おむつでしてOK! くらいの緩やかな気持ちで取り組むことがポイントです。「おむつを外す」ことが目的ではなく、赤ちゃんの頃から排せつの仕組みや楽しさを親子で共有することが最も大切な目的。そこが、いわゆるトイレトレーニングとは違うところでもあります。歌を歌ったり、掛け声をかけたり、時には遊んでみたりと、コミュニケーションしながら行うのもおすすめです。■ママにとって子育ての自信につながります! 出産してすぐは、赤ちゃんがどうして泣いているのか、何を求めているのかがわからなくて戸惑うママがほとんどです。でも、時間を重ねて赤ちゃんに向き合っていくうちに、だんだんと赤ちゃんの欲求に気付きやすくなっていきます。これと同じように、おむつなし育児を続けていくと、徐々に子ども自身のサインやタイミングが、自然にわかってくるようになるそうです。しかも赤ちゃんは自分の欲求がすぐに満たされるとご機嫌な時間が長くなります。それは、ママにとって育てやすさを感じることにも繋がります。また、排せつ以外の欲求も気付きやすくなることが多く、結果的に子育ての自信に繋がることにもなります。とある国では、生後数ヵ月間は、家の床に赤ちゃんを置いてはいけないという風習があり、赤ちゃんはずっと、スリングのような布の中でママに抱っこされて過ごすそうです。すると、赤ちゃんとママがずっと密着しているため、五感で感じ合うようになり、排せつのタイミングがわかるようになる、という話を聞いたことがあります。おむつなし育児とは、まさにこうした感覚なのでしょうね。■おむつなし育児を実践しているママに聞いてみました!「いつの間にか子どもの排せつのタイミングがわかるようになって、親として自信が持てたような気がします!」(6ヵ月の子のママ)「ずっと便秘がちでしたが、おむつの外に出すほうがたくさん出るようで、便秘も自然に解消できました!」(7ヵ月の子のママ)「以前は布おむつを使っていましたが、だんだんおしっこの量が増え、洗濯が大変になってきたので、おむつなし育児に切り替えました。今では助かっています」(5ヵ月の子のママ)「オムツ代が節約できます! しかもエコですよね」(8ヵ月の子のママ)「トイレでうんちやおしっこをすることに抵抗を感じることがなかったので、トイレトレーニングに苦労せずに済みました」(1歳6ヵ月の子のママ)おむつオムツなし育児とはつまり、赤ちゃんとじっくり丁寧に向き合うこと、そして、親子のコミュニケーションを豊かにするためのひとつの方法だと感じました。軽い気持ちで構わないので、興味がある人はぜひ実践してみてはいかがでしょうか。
2014年09月19日タモリが「いいとも」の司会を放棄?節分の前日である2月2日の生放送「笑っていいとも!」で30年司会をつとめるベテランのタモリ(66歳)が司会業を放棄しかけたと話題になっている。(Photo:タモリ By SigNote Cloud)問題となったオープニングコーナー問題となったのは「カンタン!元気!おかま飯」というコーナー。簡単料理研究家かつ新宿二丁目のママである、おかま「むらっち」が恵方巻きにちなんだ「焼肉スタミナ巻き寿司」を調理、紹介している際にどんどんタモリの顔が不機嫌になっていく。そしてなんと、笑福亭鶴瓶に「あと頼むわ」と一言残しスタジオを去りかけ、司会放棄をしようとしてしまったのだ。鶴瓶がすかさずタモリを止めたため現場放棄はなかったものの、その後もタモリは一言もしゃべらない。試食も一口食べただけで水を飲み、味を聞かれた際にも軽くうなずいただけで何も答えなかった。最後に美味しいと思った人が札を上げる際にもタモリだけが無反応で終わった。タモリを不機嫌にさせた理由とはこれに対し番組関係者は手で太巻きを巻いたり喋りながら食べ物を作るなとどいった、むらっちの料理法に問題があったのではないかとコメントをしているようだ。しかし、ネットではタモリさんのアンタッチャブル山崎嫌い(コーナーの司会者)や度重なるテレビ業界の韓国アピールに嫌気がさしていたのではなどといった憶測がとびかう。真相は明らかになっていないものの、全国ネットの人気番組の司会者として、もう少し責任のある行動が必要だったのは確かだろう。編集部 鈴木真美元の記事を読む
2012年02月13日