タレントのデヴィ夫人が2日に自身のアメブロを更新。4月21日に92歳で亡くなったピアニストのフジコ・ヘミングさんの突然の訃報に心境をつづった。この日、デヴィ夫人はフジコ・ヘミングさんの訃報に言及し、フジコさんとの2ショットを公開。「2021年に行われた私が主催する音楽コンテスト『イブラ・グランド・アワード・ジャパン』の第1回大会ではオブザーバーを務めていただきました」と明かし「第4回を迎え、フジコさんにもご報告をさせていただこうと思っていた手前、突然の訃報、残念でなりません」と心境をつづった。続けて「逆境に負けず強く生き抜いてきた姿と、慈愛に満ちたフジコさんの人柄がにじみ出る豊かな演奏は長年、多くの人々を魅了し続けてきました」と述べ「ファンとして、友人として、急な訃報は 大変悲しく、寂しさが募ります」とコメントした。最後に「素晴らしい音楽を本当にありがとうございました」と感謝をつづり「心よりご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日2024年5月2日、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが同年4月21日に亡くなったことが分かりました。92歳でした。ウェブサイトの発表によると、ヘミングさんは同年3月にすい臓がんと診断され、療養を続けていたそうです。フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ、GEORGII HEMMING INGRID FUJIKO)は、2024年4月21日未明、92年の生涯を終え、永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます。2023年11月に自宅で転倒した後、一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励み順調な経過をたどっていたところ2024年3月におこなった検査の結果すい臓がんと確定診断され療養を続けておりましたが、4月21日に容態が急変し、神の御許に旅立たれました。葬儀はフジコ・ヘミング本人及び親族の遺志により、近親者のみですでに執り行い、とても美しく穏やかな表情での旅立ちでした。診断後は、皆様に心配をかけたくないという本人の希望により公表は差し控えさせて頂いておりました。公演を楽しみにして頂いていたファンの皆様、主催者様等には、多大なるご迷惑ご心配をおかけしましたこと、心よりお詫び申し上げます。フジコ・ヘミングオフィシャルサイトーより引用ドイツのベルリンで日本人ピアニストの母親とスウェーデン人の建築家である父親の間に生まれた、ヘミングさん。ベルリン音楽学校に留学し、著名な指揮者に才能を認められるものの、キャリアにおいて重要なコンサート直前に風邪をこじらせ、耳が聞こえなくなってしまう悲劇に見舞われます。しかし、ピアノ教師をしながら欧州各地で演奏活動をするなど、挑戦を続けました。そんなヘミングさんの苦難と再起の人生を描いたドキュメンタリー番組が、1999年にNHKで放送されると反響を呼び、同年に発売されたファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』が200万枚を超える大ヒットを記録。フランツ・リストやフレデリック・ショパンの演奏で高く評価され、特に、リストの難曲『ラ・カンパネラ』の演奏は、世界中の人々の心をつかみました。これまで数々の演奏活動を精力的に行い、動物愛護や被災者へのチャリティ活動にも積極的だった、ヘミングさん。訃報に対し、ネット上では「素敵な演奏をありがとうございました」「残念でならない。これからも聴き続けます」「味のある演奏と人柄が大好きでした。ずっと聴きたかったな」など多数の追悼の声が寄せられていました。ヘミングさんの葬儀は本人や親族の遺志により、近親者で行い、関係者がお別れの会を検討しているといいます。多くの困難を抱えながらも、希望を捨てずに美しい音楽を奏で続けた、ヘミングさん。その功績は、この先も人々の心の中で輝き続けることでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。[文・構成/grape編集部]
2024年05月02日タレントのキャシー中島が4月30日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報に心境を吐露した。この日、キャシーは「桂先生に初めてお会いしたのは、女の60分と言う番組で取材をさせていただいた時です」と初対面した日を回想。「それからかれこれ50年!!私の結婚式のドレス、娘2人の結婚式のドレスと公私共におつきあいさせていただきました」と明かした。続けて、桂さんがキャシーの夫で俳優の勝野洋の舞台を必ず観に来てくれていたそうで「大きな拍手をくださいました」とコメント。「いつも心に留めてくださいました。先生、寂しい!」と心境を吐露し「2月にサファイア婚のイベントをしていただいたのが最後になりました。その時にこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした」とつづった。また、一緒に食事をする約束をしていたことを明かし「実現しなかったですね。寂しい」と述べ「ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日2024年4月30日、ブライダル関連のサービスを展開する株式会社ユミカツラインターナショナルは、ウェブサイトを更新。同社でクリエイティブディレクターを務めた、ブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなったことが明かしました。94歳でした。桂さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。株式会社カツラユミインターナショナルーより引用ブライダルデザインの第一人者として、活躍した桂さん。新婦の夢を叶えるために、日本人女性にぴったりのウェディングドレスや打掛などの婚礼衣装を開発したといいます。また、ウェディングドレスの普及にも貢献。1965年当時は、ウェディングドレスの着用率がわずか3%だったのが、2024年現在では、90%以上の花嫁が着用するようになったそうです。さらに、桂さんの活躍は国内だけにとどまらず、1981年で開かれた、アメリカでのショーを皮切りに、イタリアやフランスなど30か国以上で日本の技術を用いたコレクションを発表しています。ネット上では「桂さんのウェディングドレスを選んだばかりだったので、驚いています」「素敵なドレスを作っていただきありがとうございました」といった追悼の声が上がっていました。ブライダルデザイナーとして、花嫁の幸せの瞬間に寄り添い続けてきた桂さん。その功績は、数々の美しいドレスとともに、人々の記憶の中で輝き続けることでしょう。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月30日1972年に行われた札幌オリンピックのスキージャンプ70メートル級(現・ノーマルヒル)にて表彰台を独占し、『日の丸飛行隊』と呼ばれた同競技の日本代表。その中心選手として、日本初の冬季五輪金メダリストに輝いた、笠谷幸生(かさや・ゆきお)さんが、虚血性心疾患のため亡くなったことが、2024年4月26日に分かりました。80歳でした。サンケイスポーツによると、笠谷さんが息を引き取ったのは同月23日。葬儀は近親者のみですでに行われており、後日お別れの会を開くそうです。北海道出身の笠谷さんは、明治大学から日本の洋酒メーカーであるニッカウヰスキー株式会社(以下、ニッカウヰスキー)に入社。その後、1970年の世界選手権70メートル級で2位に輝くなど、力強い踏み切りと美しい空中姿勢を武器に活躍しました。自身4度目の出場となった1976年のインスブルック五輪を終え引退した後も、ニッカウヰスキーの社員を続ける傍ら、コーチとして後進育成に励みました。2010年のバンクーバー五輪では、日本選手団副団長を務め、2018年には文化功労者として表彰されています。訃報に対し、ネット上では多くの人から「『日の丸飛行隊』の活躍は、決して忘れません!」「とても残念です」といった声が上がりました。笠谷さんの輝かしい活躍は、人々の記憶に深く刻まれていることでしょう。笠谷さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月26日女優で声優の戸田恵子が21日に自身のアメブロを更新。11日に亡くなったアニメ『フランダースの犬』のハンス役などで知られる声優の村松康雄さんの訃報を受けコメントした。この日、戸田は「大先輩声優の村松康雄さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼し「吹き替えの草創期からご活躍でした」とコメント。劇団薔薇座時代では、村松さんが劇団講師だったことを明かし、当時の授業について回想した。続けて、村松さんから「私のことは当時のニックネームでグリコ」と呼ばれていたといい「村松先生のニックネームはタメさん」と説明。最後に会った時には「貴女は頑張ったねぇ」と言われたことを明かし「嬉しかった」と述べつつ「淋しいです」と心境を吐露した。最後に「たくさんの教えをありがとうございました。心より感謝申し上げます」とコメントし「お疲れ様でした。どうか安らかにお眠りください」とつづった。この投稿に読者からは「大切な恩師だったんですね」「寂しくなりますね」「心中お察し致します」などのコメントが寄せられている。
2024年04月21日2024年4月20日、声優の村松康雄(むらまつ・やすお)さんが亡くなったことが分かりました。91歳でした。所属事務所である有限会社オフィス薫によると、同月11日に息を引き取ったとのことです。同社は村松さんの逝去について、ウェブサイトにてこのように伝えています。弊社所属俳優 村松 康雄 (本名 村松 為久)儀 が令和 6 年 4 月 11 日 91 歳を以て永眠いたしました。尚、通夜および告別式は親族のみにて執り行いました。ここに生前中のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます。なお、誠に勝手ながら、ご弔問やご供物等はご辞退申し上げます。ご通知がおそくなりましたこと、ご諒恕のほどお願い申し上げます。オフィス薫ーより引用村松さんは声優として、テレビアニメ『フランダースの犬』のハンス役や、テレビアニメ『機動戦士ガンダムZZ』のタンデム役などを務めていました。また、劇場版アニメ『機動戦士ガンダム』3部作のレビル将軍役などでも知られています。訃報を受けて、多くの人が哀悼の言葉を寄せています。・村松さんは、声優として数々の名作に貢献しました。ご冥福をお祈りいたします。・村松さんの威厳のある声が好きだったな。・素敵なお声で命を吹き込んでくださり、ありがとうございました。村松さんの声は、これまで出演した作品やファンの心に残り続けるでしょう。村松さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月20日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。【LINE】義母へ父の訃報を伝えると…主人公の父が亡くなったときの出来事です。主人公は義母へ父の訃報を連絡しました。義母の反応に違和感出典:Youtube「スカッとドラマ」主人公が「父が亡くなりました…葬儀の会場は」と伝えると…。「え?」と驚く義母に違和感を覚えた主人公。問題さあ、ここで問題です。義母の「え?」の意図とは?ヒント義母の発言の意図を知り、主人公は愕然とします。みなさんは答えがわかりましたか?正解は…出典:Youtube「スカッとドラマ」正解は「海外旅行があるのに葬儀に出席する訳がない」でした。「どうして私たちが…」と父の葬儀より旅行を優先しようとする義母。その言葉に「そんな…」と愕然とする主人公なのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(lamire編集部)
2024年04月20日お笑いタレントの山田邦子が11日に自身のアメブロを更新。訃報を受けて胸中を吐露した。この日、山田は心不全のため54歳で亡くなった第64代横綱・曙太郎さんの訃報に言及し「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼。曙さんについて「2017年 九州のプロレス会場で何か?心臓が変だ、と倒れ、救急搬送 一回心臓も止まった」と明かし「やや記憶が飛んで足も動かなくなってしまったので大きいし、東京に寝たまま移動させるのはとても大変だったらしい」とつづった。続けて、2018年に自身が見舞いに行ったことを報告し「受け入れられる大きなベッドやリハビリ機器のある武蔵村山の病院だった」と説明。その日の曙さんはとても機嫌がいい様子だったそうで「記憶障害なんて全く無く倒れた時のことや昔の話やリハビリをがんばっていることなど笑ったり、たくさん話した」と当時を振り返った。一方で「機器を装着して歩行のリハビリもがんばっていたが、思うような回復はなかなか難しいようだった」と説明。「横綱の時、強くてカッコ良かった」「プロレスラーになってからももの凄い圧で、怪物のように強かった」と回想し「素顔は思いやりのある、明るくて優しい青年だった」と曙さんの人柄についてつづった。また、曙さんがハワイに帰りたいと言っていたことを明かし「魂はもうハワイの海に行ったかな」とコメント。「悲しくて寂しい」と胸の内を吐露し「たくさんがんばったねまたね」と呼びかけ、曙さんとの2ショットとともにブログを締めくくった。この投稿に読者からは「寂しいですね」「応援してました」「本当に悲しいです」などのコメントが寄せられている。
2024年04月12日タレントのインリンが11日に自身のアメブロを更新。突然の訃報を受けて悲痛な胸中を吐露した。プロレス団体「ハッスル」で活躍し「インリン様」として人気を集めたインリンは、この日「元横綱 曙太郎さんの突然の訃報に接し、驚きとともに悲しみの気持ちでいっぱいです」と心不全のため54歳で亡くなった第64代横綱・曙太郎さんの訃報を受けて悲痛な胸中を吐露。曙さんについて「いつもは無口だけど、時折見せる笑顔に優しいお人柄がにじんでいました」とつづった。続けて「いつも安心した気持ちでリングに立てたことに改めて感謝するとともに、同じプロレスのリングに立たせていただいたことを誇りに思います」とコメント。「もう一度、生前のように呼ばせてください」「ありがとうございます。ボノちゃん」と曙さんへの感謝を述べ「謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年04月11日2024年4月11日、元横綱の曙太郎(あけぼの・たろう)さんが亡くなったことが分かりました。54歳でした。サンケイスポーツによると、同月上旬、心不全により息を引き取ったとのことです。曙太郎さんは、2017年に体調不良のため病院へ緊急搬送され、東京近郊の病院に入院し、闘病生活を送っていました。アメリカ合衆国ハワイ州出身の曙太郎さんは、迫力のある相撲で大相撲ブームの立役者となり、1993年に第64第横綱になっています。引退後は、プロレスラーや総合格闘技、タレントとして活躍していました。これまでたくさんの感動を与えてきた曙太郎さんに、ネットからは悲しみの声が多数寄せられています。・あまりにも早すぎる…。本当に残念。・ハワイから来た横綱として、一時代を築いた名力士でした。感動をありがとう。・闘病されていたのですね。ご冥福をお祈りいたします。大相撲をはじめ、格闘技界を盛り上げ、多くの人に感動を与えた曙太郎さん。心よりご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月11日演歌歌手の北山みつきが10日に自身のアメブロを更新。とても信じられなかった突然の訃報についてつづった。この日、北山は「少し前の話しになりますが」(原文ママ)と切り出し、自身の友人の夫について「朝起きたらソファーで突然亡くなっていた」と聞いたそうで「もう驚いてしまいました。 そのちょっと前に夫婦2組でお食事をしていたからです」と説明。「お食事もさる事ながらワインを確か5本は開けたと思います」と述べ、故人について「大のワイン好き」と明かした。続けて「私たちにもワインの話を教えて下さり、中でも一番驚いたのがデザート用のワインが出てきた事。どうやらそのワインが一番の高級品だったらしい」と説明。デザート用のワインは、夫でギニア出身のタレント・オスマン・サンコンも自身も初めての体験だったことを明かし「すっかり楽しくご馳走になりました」と振り返った。また「是非別荘にも来てください、とお誘いを頂き、サンコンと行くつもりでした」と述べ「その矢先の訃報にとても信じられない気持ちでいっぱいだった」と回想。サンコンと通夜に参列したことを報告し「そうしたら、棺の中に数え切れない程のコルクが入っていました。200個なのか300個なのか分かりませんがとにかくもの凄い量」と驚いた様子でつづった。最後に「僕これ全部飲みました!!って微笑みさえ浮かべているお顔が印象的」だといい「棺の中はワインの香りに包まれていて、あちらに行ってもまだ飲み続けていらっしゃるのかしらね?」とコメント。「本人はまさか死ぬとは思ってなかったにしても前日まで元気で飲んでいた 幸せかもしれません」と述べ「改めましてご冥福をお祈り致します」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年04月10日演歌歌手の北山みつきが3日に自身のアメブロを更新。本当にショックだった訃報に心境をつづった。この日、北山は「音楽高校時代のクラスメイトが4月1日に亡くなった事が分かりました」と述べ、故人について「エイプリルフールだから嘘だよーって言いそうな子でした。同じピアノの先生でした」と説明。「乳がんを8年患っていたそうです」と明かし「本当にショックです!!」と心境をつづった。続けて「ショックのせいか今日は布団から起きれず、昨夜はなかなか寝つけなかった」といい、高校時代の恩師に連絡を取ったことを報告。恩師からは「もっと歳を重ねると、一杯経験を積んで、死と言うものを自然に受けとめれる様になって行きます。あくまでも自分の人生を大切に、今のまま人への思いやりを持って進んで下さいね」と言葉をかけられたことを明かした。また「涙がどばっと溢れ出ました」と述べ「56歳にもなって教えてくださる恩師にも感謝の思いが込み上げ、有り難く生きて行こうと思いました」とコメント。最後に、夫でギニア出身のタレント・オスマン・サンコンが心配している様子だったといい「出掛けます」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年04月04日タレントのモト冬樹が4月1日に自身のアメブロを更新。世話になった人物の訃報に心境を吐露した。この日、モトは「昨夜六本木BEの白浜さんが亡くなったという連絡が入りました」と述べ、故人について「ビジーフォーを作った時からいろいろお世話になった方です」と説明。「最近一緒に飲む機会も何度かあり」と明かし「お互い5月が誕生日なんで誕生日ライブを一緒にやろうなんて話をしていた矢先のことです」とつづった。続けて、最近もLINEでやり取りをしていたそうで「俺が送ったラインがいつまでも既読にならないのでおかしいとは思っていたんだけどまさか」と驚いた様子でコメント。「謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し「去年の5月白浜さんの喜寿祝いの時の写真」と故人との2ショットとともにブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悲しいですね」「ショックですね」「ご冥福をお祈りいたします」などのコメントが寄せられている。
2024年04月02日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけしが24日に自身のアメブロを更新。14日に肺がんのため亡くなった俳優の寺田農さんの訃報に心境を吐露した。この日、富澤は「今日は新潟の上越文化会館で『笑いイチIn上越』2回公演でした!」と報告し「駅から見える山の迫力がが凄い!」(原文ママ)と景色の写真を公開。「出演は、サンドウィッチマン、永野、カミナリ、お見送り芸人しんいち、ランジャタイ、東京ホテイソン、ロケット団、わらふぢなるおというグレープカンパニーのメンバー」と明かした。一方で、お笑いコンビ・カミナリの竹内まなぶについて「遅刻で間に合わないかも、ということで」とハプニングを告白し、お笑いコンビ・ランジャタイの国崎和也が「カミナリのネタを覚えてやることに」と説明。「よく覚えたな!」と感心した様子でコメントし「まなぶもエンディングには間に合い、同じネタをやりましたが、国崎の方が上手かったです!」と冗談まじりにつづった。また「悲しいニュースも飛び込んできました」と述べ「俳優の寺田農さんがお亡くなりになりました」と寺田さんの訃報に言及。「数年前、芸人がネタを書き、役者さんが演じる『笑演』という番組で、僕が台本を書いて榎木孝明さんと寺田農さんが漫才を披露したことがありました」と明かし「実際お会いした寺田さんはオーラが凄く、カッコよくて可愛らしい方でした」と振り返った。最後に「お二人のキャラクターが、台本以上の『変な感じ』を醸し出して頂き、優勝トロフィーを頂くことができたのはいい思い出です」と述べ「寺田さん、その節はありがとうございました!」と感謝のコメント。「心よりお悔やみ申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「存在感のある名脇役でしたね」「悲しいですね」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年03月25日俳優の北村総一朗が23日に自身のアメブロを更新。まさかと思った“戦友”の訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、北村は「寺田農が逝った。まさかそんな」と14日に肺がんのため亡くなった俳優の寺田農さんの訃報に言及し「唇が震えて言葉が出ない」と驚いた様子でコメント。寺田さんについて「文学座の第一期生として共に演劇を学んだ戦友」だといい「当時は、未だ早稲田大学の学生で、養成所の三十人強の中で最も若く幼さを残した美少年だった」と振り返った。続けて「私より七歳も年下の彼が、さっさと逝ってしまった」とコメント。「俺の病を心配して、電話で『頑張れ』と言ってくれたじゃないか。テラ、お前が先に逝ったらいけないよ。これ以上、言葉なんて出ないよ」と悲痛な胸中を吐露し、寺田さんに「おつかれさま。それじゃ、またな」と呼びかけ「合掌」と追悼した最後に「文学座養成所第一期生同窓会。中央に座っているのは、故樹木希林さん。その後ろに立つ寺田農さん、一人置いて左側に立つ私」と当時の写真を複数枚公開。「寺田くんと、一緒に。真ん中は同窓生のお嬢さん」と寺田さんらとの3ショットも公開しつつ「寺田農くんは忙しい中、同窓会には必ず顔を出していた」と回想し、ブログを締めくくった。
2024年03月24日俳優で歌手の田中健が23日に自身のアメブロを更新。訃報を受け追悼のコメントをつづった。この日、田中は「寺田農さんを偲びます…」と14日に肺がんのため亡くなった俳優の寺田農さんの訃報に言及。「ここ数年は、映画会社のプロデューサーさん新年会で御一緒することが多かった」と振り返り「演技者として、声の質や、芝居の安定感 独特の表現力に大いなる魅力を感じていた役者さんでした」とつづった。続けて「舞台『墨東奇譚』では絡みは無かったけれどスピーカーから流れる寺田農さんのセリフにいつも耳をそばだてていました」と回想し「悪役を演じても、魅力に引き込まれていく」「そんな表現力なかなか僕には身につかない」とコメント。最後に「寺田さん、まだまだ芝居を教えていただきたかった」と述べ「心よりご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月24日女優の藤田朋子が23日に自身のアメブロを更新。ニュースで知り驚いた訃報に心境を吐露した。この日、藤田は「先程、訃報をニュースで見て驚いています」と14日に肺がんのため亡くなった俳優の寺田農さんの訃報に言及。「寺田さん 何度もご一緒させて頂いて」「撮影の時、私が白髪に染めてご挨拶したら『お元気そうで』と笑ってくださってた」と振り返った。続けて「ロケ中には、お父様の展覧会が近くの美術館で開催されていて拝見しに行ったり」と寺田農さんの父親で画家の寺田政明さんの展覧会に訪れた経験があることも明かし「オシャレで、かっこいい先輩」とコメント。「寺田さんのことを沢山思い出していて、言葉にならないです」と心境を吐露し、ブログを締めくくった。
2024年03月23日歌手で俳優の黒沢年雄が23日に自身のアメブロを更新。何度か共演した経験がある人物の訃報を受けコメントした。この日、黒沢は「寺田農ちゃんが…。」というタイトルでブログを更新し、14日に肺がんのため亡くなった俳優の寺田農さんの訃報に言及。「50年以上前に…東宝映画の俳優の僕は…映画,テレビの主役で沢山の出演作品がある」と述べ「農ちゃんには何度か共演させて頂きました」と寺田さんと共演した経験があることを明かした。続けて「特に最初の奥様が僕の東宝同期生…その関係で親しくさせて頂きました」と説明し「思い出の方々が、一つひとつ去って逝く…これが人生の宿命…」とコメント。「農ちゃんに合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月23日2024年3月23日、芸能事務所の株式会社CESエンタテインメントがウェブサイトを更新。同社に所属する、俳優の寺田農(てらだ・みのり)さんが亡くなったことを明かしました。81歳でした。ウェブサイトによると、寺田さんは同月14日に肺がんのため、息を引き取ったとのこと。がんと闘いながら、最期まで仕事を続けていたといいます。株式会社CESエンタテインメントは、寺田さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。最後まで仕事を続けながら、諦めることなく希望を持って、治療に励んでまいりましたが、桜の開花を待たずして帰らぬ人となりました。これまで応援して下さったファンの皆様、多くの作品でお世話になりました関係者の皆様の生前のご厚誼に深謝いたしますとともに謹んでお知らせ申し上げます。なお、故人ならびにご遺族の意向により近親者のみにて家族葬を執り行いましたことを併せてご報告いたします。 誠に勝手ながら、ご弔問・ご香典・ご供物・ご献花の儀は辞退させて頂きたく存じます。 何卒ご理解賜りますよう宜しくお願い申し上げます。CES Official Websiteーより引用1961年に俳優としてデビューして以来、さまざまな映画やテレビドラマに出演してきた、寺田さん。NHKの大河ドラマでは『風と雲と虹と』や『独眼竜政宗』『江〜姫たちの戦国〜』など、多くの作品で活躍しています。また、1986年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『天空の城ラピュタ』では、声優として演じたムスカ役が高い評価を獲得。令和の時代になっても、ムスカは魅力のある悪役として、数多くの『ジブリキャラ』の中でも高い人気を誇っています。その人気は、特徴的なキャラクター造形に加えて、寺田さんの高い演技力あってのものといえるでしょう。俳優として、最期までたくさんの人に感動を与えてきた寺田さんに、ネットからは「本当にありがとうございました」「ムスカは寺田さんだからこそのキャラクターだ」といった声が上がっています。寺田さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月23日2024年3月18日、イラストレーターの、いのまたむつみさんが亡くなったことが分かりました。いのまたさんの妹さんが、本人のX(Twitter)アカウントを通じ、イラスト付きの書面で伝えています。いのまたむつみは2024年3月10日永眠いたしました。あまりに突然の事で…描きかけのラフもあり、いまも天国で描いているでしょう。だいすきな猫たちに囲まれて、可愛い、強い瞳のキャラたちをどんどん生み出しているはずです。いのまたむつみを愛して応援していただきました全ての方々に心から感謝を申しあげます。そしてこれからも変わらず愛していただける事を願いまして、ここに謹んでご通知申しあげます。@inomatanekomataーより引用ファン、関係者の皆さまへいのまたむつみの妹です。 pic.twitter.com/yp6BCTzXcS — いのまたむつみ (@inomatanekomata) March 18, 2024 投稿によると、いのまたさんは同月10日に亡くなり、葬儀はすでに近親者のみで執り行ったとのことです。長年にわたって人気ゲーム『テイルズ オブ』シリーズのキャラクターデザインを担当していたことで知られる、いのまたさん。1970年代末よりアニメーターとして活動を始め、テレビアニメ『プラレス3四郎』『幻夢戦記レダ』のキャラクターデザインや『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』のキャラクター原案、『ブレンパワード』のメインデザインを手掛けるなど、活躍しました。突然の訃報に、ファンからはこのような声が上がっています。・いのまた先生の作品が本当に大好きです。頭がついていきません…。・素晴らしいキャラクターたちをありがとうございました。・先生の作品が大好きで、憧れで、絵を描いていました。まだ信じられません。・いのまた先生に背中をいっぱい押してもらったから今の自分がいます。たくさんの素敵な作品を本当にありがとうございました。これまでたくさんの人に影響を与えてきた、いのまたさんの作品。今後も多くの人の心に残り続けることでしょう。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月18日2024年3月13日、静岡県の名物店『炭焼きレストランさわやか』の創業者であり前代表取締役の、富田重之さんが、逝去したことが分かりました。同レストランを運営している、さわやか株式会社によると、富田さんは同月12日に亡くなったとのこと。87歳でした。同社は富田さんの逝去を受け、同月14日は全店を臨時休業とし、スタッフ一同で想いを馳せることを発表しています。さわやかです3月12日 炭焼きレストランさわやかの創業者である富田重之が永眠いたしました3月14日 全店休業して スタッフ一同 創業者を偲び 想いを馳せるお時間をいただきますご不便をおかけしてしまい恐縮ですが少しだけの間 静かに見送らせてください pic.twitter.com/luEOCURi0M — 炭焼きレストランさわやか 公式 (@Go_Sawayaka) March 12, 2024 富田さんは、1976年に、さわやか株式会社の前身となる、グリーン観光株式会社を設立。翌年、1号店として『コーヒーショップさわやか 菊川本店』をオープンしました。1989年には社名を『さわやか株式会社』に変更するとともに、店名を『コーヒーショップさわやか』から『炭焼きレストランさわやか』に変更。その後店舗数を増やし、2024年3月現在は、静岡県内で34店をチェーン展開しています。地元民のみならず、全国各地のファンから支持されるハンバーグレストランへと成長しました。同社のウェブサイトには、『創業者の想い』として、富田さんが店名に込めた想いが掲載されています。社名、店名の『さわやか』には、自然に生かされ、生きる力をいただいている食材への感謝の心、そして、その食材の力を最大限に活かした野趣豊かな愛情料理を提供し、「笑顔や元気の広がるふるさとの店を実現していきたい」という想いを込めました。げんこつハンバーグの炭焼きレストランさわやかーより引用訃報を受け、ネットでは「静岡の誇る味を生み出していただいたことに感謝します」「たくさん食べてきた故郷の味、悲しいです」「人生に『炭焼きレストランさわやか』のある幸せをありがとうございました」「地元の誇りです」など、悲しみとともに、感謝の声が相次いでいます。富田さんの逝去後も、『炭焼きレストランさわやか』は、多くのファンから愛され続けることでしょう。富田さんのご冥福を、お祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月13日タレントで映画コメンテーターのLiLiCoが12日に自身のアメブロを更新。訃報を受け悲痛な胸中を吐露した。この日、LiLiCoは「昨日の夜、スウェーデンのニュースサイトからその訃報が流れて来た」と切り出し、11日に亡くなった陶芸家のリサ・ラーソンさんの訃報に言及。「心が痛くて」と心境を明かし「日本のニュースで流れるまで信じたくなかった」と悲痛な胸の内を吐露した。続けて、自身について「リサ・ラーソンさんのコレクションがとても好きで」と述べ「いただいたものも、購入したものもある もちろんカプセルトイも」とコメント。「わたしが11歳のときに母と陶器で有名なグスタフスベリにも行ったほど」だといい「その街でリサさんが本格的にキャリアをスタート」と説明した。また「縁あってリサさんの娘さんとも出会えて」と述べ「実は去年スウェーデンへ帰ったときリサさんに会うことになってたけど、体調が悪く、会えなかった」と告白。「でも電話でお話し出来たよ」と報告し「優しい声で、“今度は会いましょうね”と言ってくれた」と明かし「永遠の宝物」とリサさんとのエピソードを紹介した。最後に「ずっと新作を作り続けるパワーがすごい」と述べ「子年のときにかなり珍しい色のねずみをプレゼントしてくれた」とプレゼントされた品を写真で公開。「わたしのリサさんのコレクションのほんの一部だけど....」とコレクションの一部も公開し「リサさんのラベルのワインもあるからあの優しい声を思い出しながら...」とつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月13日お笑いタレント・アントニオ小猪木が11日に自身のアメブロを更新。本当に言葉にならない訃報についてつづった。この日、小猪木は「まさかの訃報が入り込んできた!」と切り出し「西口プロレスのメンバーのよしえつねおの弟であり、プロレスラーの吉江豊選手が急死してしまった」と10日に亡くなったプロレスラーの吉江豊さんの訃報に言及。「プロレスの大会に出場していたらしく、試合後に倒れられたとか」とつづった。続けて「吉江豊選手は西口プロレスの大会にも出場してもらったこともあった」と振り返り「色んな現場で同じ大会に出場した時もとてもよくしてもらった!東北沖地震の時の岩手の大船渡へのボランティア活動も一緒に行ったこともあった」と回想。「思い出は少なくない」と明かした。また、吉江さんについて「西口プロレスの仲間のつねおの弟ということで限りなく身内に近い存在の選手」とコメントし「ホント言葉にならない」と心境を吐露。最後に「ご冥福をお祈り申し上げます」と追悼し「吉江豊選手ありがとう」と吉江さんへ感謝をつづり、ブログを締めくくった。
2024年03月12日女優で声優の戸田恵子が10日に自身のアメブロを更新。仲間の訃報に感じた怒りをつづった。この日、戸田は「『20世紀号に乗って』今日からはメイク・衣裳をつけての舞台稽古」と明かし「朝から夜まで長い時間、道具の出ハケ、オーケストラ、我々の登退場etc.細かく合わせながら進行していきました」と舞台稽古での様子を報告。「まだ全部は終わってないです」と述べ「ココがいつも、頑張りどころ!なかなか大変な時間帯です」とつづった。続けて「そんな一日でしたが、やはり今日はツライ、しんどい」といい「今朝、TARAKOちゃんの訃報を知って、劇場に向かう足取りは俄然、重い」とアニメ『ちびまる子ちゃん』で、主人公・まる子の声優を務めてきたTARAKOさんの訃報に言及。「私たちの仲間を!こんなに早く連れてってしまうなんて!」と述べ「鶴ひろみさんの時と似た感情が、怒りが胸に押し寄せた」とつづった。また「TARAKOちゃんとは古い付き合いで、以前はご近所さんでもありました」と明かし「会えばいつもニコニコ、グリコしゃん、おはようございます!元気ですか?って」と回想。「お芝居もたくさん観てくれました。うちの商品も知らぬ間によく購入してくれてました」と述べ「TARAKOちゃん、写真が大好きで皆んなともたくさん撮りましたね」(原文ママ)とTARAKOさんとの2ショットを公開した。さらに「鶴ひろみさんが亡くなったとき、鶴さんが好きだったお店にTARAKOちゃんが連れてってくれて」と明かし「一緒に飲んで偲んだのがついこの前のような気がします」とコメント。「今度は私が、鶴さんが亡くなる数日前に一緒に行ったお店に連れていくね!という約束は…果たせてないままです」と残念そうに述べ「ご冥福を祈るばかりです。ですが、どこに何を祈れば良いのか全く分からんよ」と悲痛な胸の内を吐露し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「辛いですね」「とても大きな寂しさを感じます」「ショックが大きいです」「早すぎます」などのコメントが寄せられている。
2024年03月11日俳優の的場浩司が9日に自身のアメブロを更新。訃報を受け追悼のコメントをつづった。この日、的場は「『鳥山明さん』が亡くなられた…」と3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さんの訃報に言及し「ショックだよ…」と心境を吐露。「『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』は誰もが知ってる名作中の名作だろ?」と述べ「初めて『Dr. スランプ』を読んだのは…たしか小学生だった…」「どのキャラクターもお茶目で魅力的だったよなぁ…」とコメントした。続けて、自身について「『ドラゴンボール』も…スキンヘッドにした時にピッコロに似てるって言われて嬉しかったもんね」と振り返り「タヒチに行ったときに」「タヒチの人が悟空の真似してカメハメ波ポーズを披露してくれた」と回想。「『ドラゴンボールってスゴいな』って心から思ったよ…素敵なマンガだよな…」と述べ「ガキの頃から今まで…『鳥山明さん』から、たくさんのワクワクとハラハラとドキドキを頂いた」とつづった。最後に「悲しいな…本当に1つの時代が終わっちまう気がするよ…」とコメント。「少しずつ昭和が遠くなっていく…」と述べつつ「心から御冥福を御祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「鳥山明さんのニュースはびっくりしました」「もっと新作を読んでみたかったです」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年03月10日お笑いコンビ・NON STYLEの井上裕介が8日に自身のアメブロを更新。衝撃的だった訃報に悲痛な胸中を吐露した。この日、井上は「鳥山明、大大大大大先生」というタイトルでブログを更新し、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などのヒット作を生んだ漫画家の鳥山明さんの訃報について「ショック過ぎる。まだまだ、楽しい漫画を見せて欲しかったのに」とコメント。「今日『鳥山明先生』が、お亡くなりになったという衝撃的なニュースが飛び込んで来た」といい「収録の1本目と2本目の間に、このニュースを知って、もう心の中がグチャグチャだった」と悲痛な胸中を吐露した。続けて「僕が、マンガとアニメをハマるキッカケとなった『ドラゴンボール』と『Dr.スランプ』の2作品」(原文ママ)と述べつつ、鳥山さんについて「ゲーム『ドラゴンクエスト』のデザインだったり、マンガ『SAND LAND』だったり、僕ら世代の男の子で『鳥山明先生』の影響を受けてない人なんて居ないんじゃないかっていうくら偉大なる漫画家さん」(原文ママ)と説明。「この方が居なかったら、日本がここまで面白いマンガ大国にはなっていなかったかもしれない」とつづった。最後に「何度読んでも色褪せない面白さの『ドラゴンボール』今、連載中の物も読んでいるので、本当に色々な感情が押し寄せて来る」とコメント。「ただ、ただ、悲しいの一言」と述べ「心よりご冥福をお祈りします」と追悼し、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「悲しいですね」「寂しいですね」「本当に驚きましたよね」「ご冥福をお祈りします」などのコメントが寄せられている。
2024年03月10日俳優の杉浦太陽が8日に自身のアメブロを更新。訃報を受けてコメントした。この日、杉浦は「鳥山明先生」というタイトルでブログを更新し、3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった漫画家の鳥山明さんの人気作『ドラゴンボール』について「小学生の頃から、ずっと…今でも愛してやまない」とコメント。「かめはめ波も、元気玉も、舞空術もいろんな技を、こどもの頃にいつか出来るかもと思って、いっぱい練習しました」と振り返り「ずっと大好きで何度も読み返してきました。世代を超えて、こどもたちもドラゴンボールが大好きです」とつづった。続けて「ずっと、ずっと大好きな作品です」と述べ「Dr.スランプ アラレちゃんやドラクエなど、全ての作品が大好きです」とコメント。「好きだった年月が長過ぎて…言葉に出来ないくらいです」と明かし「本当に、本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年03月09日2024年3月9日、声優のTARAKOさんが亡くなったことが分かりました。63歳でした。アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)の主人公である、さくらももこ(通称:まる子)を筆頭に、特徴的な声を生かして多くの作品で活躍してきた、TARAKOさん。サンケイスポーツによると、TARAKOさんは2024年に入ってから、闘病しながら仕事に励んでいたのだとか。しかし、同月4日に息を引き取ったといいます。葬儀はすでに近親者のみで済ませていますが、後日『お別れの会』を予定しているとのことです。『ちびまる子ちゃん』スタッフもTARAKOさんを追悼TARAKOさんは、1990年にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の放送が始まって以来、34年にもわたって、まる子を演じてきました。この日、同番組はウェブサイトを更新し、TARAKOさんを追悼。長年ともに作品を世に送ってきた、関係者のコメントを発表しています。『ちびまる子ちゃん』スタッフ一同「放送開始から34年間、まる子を演じていただいたTARAKOさんは、『ちびまる子ちゃん』そのものでした。TARAKOさんは、収録現場でも常に周りを思いやり、温かく、明るく元気に場を和ませてくださる方で、"ちびまる子ちゃん"の天真爛漫で、家族や友達から愛される姿、そのものでした。最後まで病棟でも収録をしたいと意欲的で、大きな愛情をもって『ちびまる子ちゃん』に向き合ってくださいました。急な訃報に驚きを隠せませんが、TARAKOさんが演じてくださった"ちびまる子ちゃん"をこれからも温かく、大切に描き続けていきたいと思います。TARAKOさん、長い間、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お父さん役・屋良有作コメント「タラちゃん、突然のお別れに言葉が見つからず、ただ茫然とするばかりです。つい最近まで、毎週収録の度、スタジオでお会いしていたのに。長い間、どんな状況の時にも番組の座長として、気丈で優しく、そしてしなやかに、私達を牽引して下さいましたね。もう、あなたの明るくお茶目なあの笑顔に出会うことは出来なくなりましたが、いつまでも私達の心の内に、いくつもの思い出と共に残り続けます。タラちゃん、今まで本当にたくさんありがとう!どうか安らかにおやすみ下さい」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お母さん役・一龍斎貞友コメント「唯一無二の存在が旅立ってしまいました。いつも誰にも気を配る心遣いの達人だったタラちゃん。この喪失感を埋めるすべを見つけられません」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用おじいちゃん役・島田敏コメント「胸つまる『何だい?まる子』言えなくて友蔵タラちゃんに捧ぐ心の俳句」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用おばあちゃん役・佐々木優子コメント「明るくて、楽しくて、人にも動物にも、命あるすべてに愛をふりそそぐ人でした。でも、こんなに急に、突然、婆さんより先に逝ってしまうなんて...そこだけは親不孝者だよ、まる子や...」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用お姉ちゃん役・豊嶋真千子コメント「大好きなTARAKOさん、突然のお別れとなりまだ信じられない気持ちでいっぱいです。アフレコの時、あったかい笑顔で「楽しいね~」と言っていたあの優しい声に励まされてやってきました。話したいことや、一緒にやりたいことが沢山ありました。「お姉ちゃん」として「まる子」と過ごした時間はまだ思い出には出来そうにありません。『さよなら』の代わりにTARAKOさんの好きだった言葉を。『ありがとう、またね~!』」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用たまちゃん役・渡辺菜生子コメント「TARAKOさんとは、番組のまるちゃんとたまえのように、より近く心を通わせて、公私共に過ごさせて頂きました。共有した大切な時間は、私の中で、今でもきらきら輝いています。心より感謝しています。ご冥福をお祈りいたします」ちびまる子ちゃん オフィシャルサイトーより引用同じ作品に関わる仕事仲間としてだけでなく、1人の人間としても、『ちびまる子ちゃん』の関係者はTARAKOさんに感謝の気持ちを伝えました。発表によると、TARAKOさんがまる子として出演する最後のエピソードは、同月24日に放送予定の『「まる子、水の味がわかる?」の巻』なのだとか。以降は当面の間、過去の作品を放送する予定であり、まる子の後任の声優や、後任による放送開始時期は未定とのことです。『ちびまる子ちゃん』が国民的人気アニメとして、長年にわたって放送されてきたのは、素晴らしい演技でまる子の魅力を伝えたTARAKOさんの功績でもあるでしょう。今後も多くの作品を通して、TARAKOさんの声はたくさんの人に笑顔を与えてくれるはずです。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年03月09日女優で声優の戸田恵子が9日に自身のアメブロを更新。とても大きな喪失感がある訃報についてつづった。この日、戸田は「同じ名古屋の出身です。年齢も同世代です。鳥山明さんのご冥福を心よりお祈り致します」と3月1日に急性硬膜下血腫のため亡くなった『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などのヒット作を生んだ漫画家の鳥山明さんを追悼した。続けて「野沢雅子さんや小山茉美さん、たいへん悲しんでおられるとお察ししております」とアニメ『ドラゴンボール』で主人公・孫悟空役を担当している野沢雅子とアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』で、主人公・則巻アラレの声優を務めた小山茉美についてコメント。「私たちにとって、声を担当したキャラクターの生みの親である作家さんは、本当に本当に特別なものですから」と説明した。最後に「とても大きな喪失感。埋めるのには時間がかかります…」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福を心よりお祈り致します」「本当に残念です」「辛いです」「お悔やみ申し上げます」などのコメントが寄せられている。
2024年03月09日