2022年12月に難病発症を明らかにし、その後のツアーもキャンセルしたセリーヌ・ディオン。彼女の闘病に密着したドキュメンタリー『アイ・アム セリーヌ・ディオン ~病との戦いの中で~』が、Amazon プライム特典対象作品として、動画配信サービス「Prime Video」で6月25日より独占配信されることが発表された(作品の視聴には会員登録が必要)。ファーストルック画像も初公開となった。同作は、世界的なスーパースターが人生を左右する病気と闘う姿を、生々しく飾ることなく描いたドキュメンタリー。彼女のファンへのラブレターでもあり、彼女の人生を導いてきた音楽に焦点を当てると同時に、人間の精神の回復力の強さも描いている。ファーストルック画像の右こぶしを力強く握り締めて正面を見据える姿に、彼女の決意が伺える。本作の監督・製作を務めるのは、病からこどもたちを守るために奮闘する医療従事者の姿を描いたドキュメンタリー『The Final Inch』でアカデミー賞にノミネートされ、聴覚障害を持つ人々が困難を乗り越えた先の発見を描いたドキュメンタリー『Moonlight Sonata』でエミー賞にノミネートされたドキュメンタリーの名手アイリーン・テイラー。製作総指揮は、セリーヌ・ディオンの全米ネットのテレビ初出演番組となった『Celine Dion: These Are Special Times』でエミー賞にノミネートされたデニス・サベージをはじめ、セリーヌやほかの多くの音楽アーティストの作品も手がけている名スタッフが集結している。
2024年04月17日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術から2日目の夜、ようやく手術をした実感が湧いてきたとりだまりさん。実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が表れ、がんが判明してから初めて泣きました。同じ境遇でバカ話ができるがん友ができて入院中、徐々に手術後の傷の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛がするようになったとりだまりさん。手術から数年後、カフェイン断ちをすると頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるとわかり、術後カフェイン断ちの状態になっていたため、それが原因だったのではないかと思い当たりました。術後4~5日目には、卵巣がんの手術をした友だちができて……。子宮・卵巣の手術では、尿管のそばの神経をいじるので、一時的に排尿の感覚がなくなります。尿意はあって力んでみるのですが、何かが出てくるわけではなく……。出ているんだか、出てないんだか、自分でもよくわかりません。初めのうちは、ちっともおしっこが出てこなくて、焦りました。入院中、卵巣がんの手術をしたシマダさん(仮名)と仲良くなりました。私もシマダさんも、ともに進行具合はステージ1。ただし、抗がん剤をする必要があるかどうかは、手術で摘出した物を病理検査しなければわからない……という段階でした。ちなみに、私もシマダさんも、抗がん剤治療が必要と言われたら「やる」の一択。ちまたではいろいろなことも言われていますが、いざとなったら死の恐怖が先立ち、「やらないなんて、怖くてできねぇ」という感じ。とはいえ、怖いしやりたくはないのですが。病理検査の結果が出るまでの3週間は、本当に長くて心苦しかったです。そんなときに、同じ境遇でバカ話ができる友人に出会えたのは、とってもありがたいことでした。ー------------------------抗がん剤治療を受けるのかどうか、結果が出るまでの時間がとても長く感じたと、とりだまりさん。病理検査の結果が出るのには、ある程度の時間がかかるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。痛み止めが切れると頭痛と腰痛がする原因は2日目の夜、ようやく手術をした実感が湧いてきたとりだまりさん。実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が表れ、がんが判明してから初めて泣きました。入院中、徐々に手術後の痛みは治まってきたのですが、痛み止めが切れると頭痛と腰痛がするようになり……。入院中は、積極的に起き上がって歩くことにしたのですが、歩くほどに痛みが和らいていきました。無理のない範囲で少し頑張って歩くと、回復が早くなるみたいです。とはいえ、ちょっと気になることが…。おなかの痛みは徐々に和らいでいくのに、痛み止めの薬が切れてくると、頭痛と腰痛がひどかったのです。そのときは、「ずっと横になっているからかな?」と思っていたのですが、数年後、同じような症状が出たことで、あることに思い当たりました。それはカフェイン断ち。カフェイン断ちをすると、頭痛や腰痛などの離脱症状が出ることがあるらしく、私もそうだったのかな、と。術後は検査の値に影響することもあるので、病気によっては「術後はカフェインが入っていないものを飲むように」と指示されることもあるそう。私の場合は、買いに行くのが面倒(というか痛くて行けなかった)で、事前に購入した水ばかり飲んでいました。そのため、術後は自然と「カフェイン断ち状態」になっていたのです。事前に知っていれば、入院前にカフェインをとる量を減らしたり、先生に「カフェイン入りのお茶を飲んでもいいですか?」と聞いたりして対策できたかもしれないな〜。(離脱症状は、コーヒーの1杯でも飲めばすぐに落ち着くので)なので、これから入院の予定がある方で、普段からカフェイン入りの飲み物を常飲している方は、気を付けたほうがいいかもしれません。ちなみに、カフェインの離脱症状は人それぞれで、頭痛に始まり、疲労感、倦怠感、イライラ、筋肉痛などが特徴的なようです。ー------------------------頭痛と腰痛は、痛み止めの薬が効いている間は気にならないけれど、切れてくるととてもしんどかったと、とりだまりさん。手術とは関係のない痛みに悩まされることもあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で全身の震えと吐き気という副作用が2つ出ました。手術を終えた実感が湧いてきて…子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。歩行練習後、あまりのしんどさにようやく痛み止めを変更してもらうようにリクエストしました。すると一晩中我慢していた痛みがラクになり……。痛み止めの種類を変えてもらったら、びっくりするほど痛みを感じなくなりました。痛みがないって、なんて幸せなんだろう!苦痛が消えた反動で、気持ちがラクになり、周りを見渡す余裕も出ました。そして、ストレスも影響しているのか、自分の汗が獣のようなにおいになっていることにも気付いた私。点滴で入れている薬のにおいと、獣のような汗くささが相まって、「お願いだから、誰もそばに来ないで!」という状態に。そんなワイルドな香りを放ちつつ、2日目の夜がやって来ました。夜になって、ようやく手術をした実感が湧きました。もともと子どもを持ちたいという欲がほぼなかったので、がんになって子宮と卵巣を取ると言われたときも、「女性ホルモンが出なくなって、女らしくなくなったら嫌だなぁ」と、それくらいにしか考えていませんでした。ただ、実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が……。「産まない」のと、「産めない」のは、同じことではないようです。「産まない」は自分の選択の結果だったりするけど、「産めない」は産むことも産まないことも、自分じゃ選べないってことだからなぁ。選べないと、なんだか希望を奪われたような気がしてしまう。初めから産む予定なんてなくても、「なんだかなぁ」と感じてしまうのです。とはいえ、時間は巻き戻せないし、おかげで私は今も生きていられるわけだし。ありがとう、というのは、ちょっと違う気がするけれど、子宮と卵巣、いなくなってしまったあなたたちのおかげで、私は今も生きてるよ。ー------------------------子宮と卵巣が自分の体からなくなったことを実感し、がんが判明してから初めて少しだけ泣いたと、どりだまりさん。喪失感を受け入れるのは、つらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。行けそうと思ったら強烈な吐き気が子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で副作用が2つ出たとりだまりさん。1つは「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるそうです。もう1つは吐き気を起こす「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状でした。手術後は、鈍い痛みを抱えながら夜を過ごしました。そして、翌日になると……。看護師さんに「違う痛め止めを使ってみます?」と言われるも、反射で「大丈夫です」と言ってしまった私。ずっと横になっていたから、腰まで痛くなってきました。そして午後からは、歩行練習をすることに。似たような手術をした同室の方たちは、あまり痛がる様子もなく、しっかり歩けていたのを見て「あ、これなら行けるな」と思っていたのですが……上半身を起こすだけで吐き気が!「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」歩行練習では「鬼になります」と宣言していた看護師さんが、本当に鬼のように厳しかったです。歩行練習後、しんどさで軽くキレた私は、「……痛み止め、替えてください!」とリクエストしました。そして違う痛み止めにしたら…効果てきめん。全然痛くなくなったのです。私の場合、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めは、ほとんど効果なかったみたいです。でも、ロキソニンを服用したら、30~40分後にはまったく痛みを感じなくなりました。めっちゃラク。周りの患者さんを見ていても、人によってさまざまで、「ロキソニンなんか、てんで効かないぜ!」という人もいれば、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めがよく効いて「術後は痛くもかゆくもなかった」という人も。どんな痛み止めが効果的なのかは、試してみないとわからないこともあるようです。手術前に看護師さんが「痛みやつらさがあったら、我慢しないで教えてください!」と言っていたのは、痛み止めがうまく効いていない場合もあるからなんだな……と身をもって知りました。ちなみに、私が術後の痛みを我慢していたのは、「痛いといえば痛いけど、まぁ、耐えられないほどの痛みではない」という微妙な状態だったからです。激痛ってわけじゃないんだけれど、うずくように、どんよりジクジクと痛い、みたいな。痛み止めが効いているから、この程度の痛みなんだろうな、みたいな。あのまま耐えられたとは思うんですけれど、地味な痛みがなくなったら、それだけで本当にめちゃくちゃラクでした。「しなくていい我慢は、する必要はないんだなぁ」と今は心の底から思います。以降、私はさらに積極的に、どんどん弱音を吐くことにしたのでした。ー------------------------痛み止めを替えたら本当にラクになり、とりだまりさんは「一晩中我慢したのは何だったのか」と思ったそう。我慢せずに、つらさを伝えることも大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術前夜、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれましたが、緊張していなかったため断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。震えのほかにも全身麻酔の副作用が出て手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかなかったとりだまりさん。そして、看護師さんから「眼鏡ケースを持ってきて」と言われていたのに、硬くてかさばるため布のポーチに入れて持っていったことで、ベテラン医師から若い医師が怒られることに。申し訳なさでいっぱいになってしまいました。その後、無事に子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。全身麻酔により一瞬で寝落ちした後、目が覚めると……。手術に関しては、「寝落ちした」→「起きたら終わっていた」という感じなので、体感としては、本当に一瞬。現代医学、バンザイです!ただ、私の場合は、全身麻酔の副作用である「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるみたいです。若めの女性(手術時はギリギリAYA世代(※)でした)。普段お酒を飲まない人、乗り物酔いしやすい人などが、なりやすい傾向があるのだとか。※AYA世代とは、Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字を取ったもので、主に思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指しています。全身がガクガク震える経験は初めてだったので驚きましたが、布団をかけてもらったら、割とすぐに治まってホッとしました。その後、再び目覚めて、家族と話し始めると、今度は「うっ!」とくる吐き気が。これもやっぱり麻酔の副作用で、「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状だそうです。PONVが起こる理由はいくつかあるようですが、今のところ防ぎようもないみたいですし。ならない人はまったく平気みたいなので、これから手術という方は「自分はならないといいな~」と気楽に構えているのがよいのではないでしょうか。実際に、後で患者仲間に聞いても、私の周りにPONVを経験した人はあまりいませんでした。まぁ、なったらなったで「これがPONV……」と思えれば、理由がわかってちょっと気分が落ち着くかもしれません。ー------------------------全身麻酔の副作用は初めての症状で、驚いたというとりだまりさん。症状が出る人、出ない人と、個人差もあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術の前日、手術の説明書類を見ると「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、看護師からは手術の翌日には歩くように言われて驚きました。私のせいで若い先生が怒られて…手術前夜、緊張して眠れない人がいるそうで、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれました。とりだまりさんは自分でも驚くほど緊張しておらず、断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。そして、子宮頸がんの手術当日を迎えました。病院には、家族たちが来てくれました。いよいよ手術室に行くことになり……。いよいよ手術当日。やっぱりちょっと緊張します……。病院には、夫、父、母、妹、叔母が来てくれました。手術室に行く前、「眼鏡ケースを持ってね」と看護師さんに言われたのですが、硬くてかさばるため、小さく折りたためるポーチを眼鏡ケースとして持ってきた私。「眼鏡ケースがない」というと、看護師さんはなぜか非常に戸惑いまして……。「ないなら、仕方ない」ということで、とりあえずそのまま手術室へ向かうことになりました。「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡すも、なぜか母と夫で譲り合おうとしていて……。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。手術室では、昨夜「睡眠導入剤を出そうか?」と聞きに来てくれた麻酔科の先生がいました。麻酔を入れているときのやりとりでも、とてもやさしくしてくださって、安心と同時に意識がもうろうとしていったのですが……その後、先生のトゲトゲしい声が……!ということで、手術を受ける人は、眼鏡ケースは忘れちゃダメ! 絶対に!きっと先生はこうやって「手術室では、目についたどんな小さなリスクも排除すべき」ということを、後輩の先生たちに徹底的に教え込んでいくのでしょう。そして、私のようなボーっとした患者にも。だって、自分のせいで、他の人がめちゃくちゃ怒られるって、小心者の私にとっては恐怖しかない……。あのときの助手の先生、もしくは看護師さんには、申し訳なさでいっぱいです。もし次に手術をすることがあれば、絶対に眼鏡ケースは忘れません!本当にすみませんでした!ー------------------------眼鏡ケースの件は自分が悪いのだと言おうにも、麻酔で意識がなくなったと、とりだまりさん。小さなリスクも排除して、麻酔科の先生に守ってもらったのだと、感謝の気持ちでいっぱいとのことでした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月26日タレントでミュージシャンの桑野信義が11日に自身のアメブロを更新。父親が闘病生活の末に92歳で亡くなったことを報告した。この日、桑野は「突然ですみません」と切り出し「令和6年1月16日に父親である先名信勝が長年の闘病生活の末92歳で人生の幕を閉じました」と父親が亡くなったことを報告。「父親との約束で報告が本日になりました」と説明し「昨日49日法要と納骨を終えました」と明かした。続けて「父が生前お世話になった皆様へ ありがとうございました」と感謝を述べ、父親について「息子の私にとってはトランペットと人生の師匠でした」とコメント。「私の誇りであり尊敬する父親でした」と振り返り「貴方の息子に生まれてよかった」「安らかに眠ってください」と追悼した。また「父が他界した翌々日は函館で日本生命のショーステージでした」と述べ「貴方のことを思いトランペットを吹きましたよ」とコメント。「スタッフの人達に今日はいつもより気合い入ってますねと言われました」と明かし「もちろん父親のことは何も話してませんでしたが終演後ホテルの部屋に戻り朝まで父親を忍びました」(原文ママ)とつづった。最後に「綺麗な音で吹くことを心掛けなさい何故なら音色は譜面に書けないからといつも言われていました」と説明し「決してうるさいトランペッターにならないようにとこれからもその教えを守ります」とコメント。「貴方は私の心の中で生き続けます」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「ご冥福をお祈り申し上げます」「悲しいですね」「言葉がみつかりません」「いつまでも見守ってくれると思います」などのコメントが寄せられている。
2024年03月12日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞き、大変な手術であることがわかり不安を感じていました。ジタバタしたってしょうがない手術の前日、担当の看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたとりだまりさん。手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、手術の翌日には歩くように言われて驚きました。そして、手術の前日の夜、麻酔科の先生がやって来て……。手術前日は、先生や看護師さんの説明を受けるほかにも、へその掃除をしたり、アンダーヘアの処理をチェックしてもらったりと、何かとすることがありました。そして、以前出会ったがん友さんとも再会!同じような境遇の人と、バカ話をできるだけでも、ものすごく気持ちが軽くなります。手術の前日は絶食のため、のんびり過ごしていたら、麻酔科の先生がやって来ました。先生が言うには、手術の前日は緊張して眠れない人もいるらしいです。先生から眠剤(睡眠導入剤)を出そうか?と聞かれましたが、私は自分でも驚くほど緊張しておらず。「大丈夫です」と伝えました。「子宮と卵巣取るのに、なんの感傷もなかったのかよ」と今になると自分でも思うのですが、手術前日の私には、本当にあまりそういったものはありませんでした。がんになったことや、手術で子宮や卵巣を取るということは、私には変えることのできない物事でした。自分に変えられないことで、ジタバタしたってしょうがない。だったら、落ち着いて、どーんと構えていたい。自分にそう言い聞かせたていたのだと思います。だって、どうしようもないことは、心配してもどうしようもないし。心配してもどうしようもないから、心配しないことにしよう。よし!……という流れでへらへらしていたら、周りから「無理してない?」とかえって心配されました。そりゃ、してるよ。無理なんか。無理して何も感じないようにしていたから、感傷も感じないわけで。それでも、「まぁ、仕方ないしな!」とつぶやくと、不思議と受け入れられるというか、自然と足元が固まり、背筋がスッと伸びて、呼吸がラクになる気もするのでした。ー------------------------「仕方ない」という言葉は、腹が据わったいい言葉だと思うと、とりだまりさん。手術前に眠れない人もいれば、そうでない人もいて、本当に人それぞれなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。子宮頸がん手術のために、入院前にへその掃除とアンダーヘアの処理をおこないました。腹切って内臓取ってそんなすぐに?入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったとりだまりさん。「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。ですが、患部に近いリンパ節も取ると言われ、結構大変な手術であることがわかり、不安を感じていました。そして、手術の前日、担当してくれる看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたのですが……。手術の前日、担当の看護師さんからは、入院中の過ごし方の説明を受けました。そして、手術の翌日には歩いてもらうと言われ、ギョッとする私。だって、手術の説明書類を見ると、手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてある。もちろん、内視鏡手術ではありません。そんなに切って取った翌日に、歩けるのだろうか……?でもまぁ、看護師さんが歩くって言うのだから、大抵の人は普通に歩けるのでしょう。そんなふうに思っていたのです。事実、何の問題もなく歩ける患者さんも多いとのこと。ただ、私の場合は……これについては、別の機会にお話しします。さらに、看護師さんからは「痛かったりつらかったりしたら、我慢せずすぐに教えること」というアドバイスもいただきました。私はちょっとでも痛みがあると、すぐに鎮痛剤などを飲んでしまう苦痛が苦手なタイプなので、もちろんそうするつもりだったのですが……。実際のところ、なぜか看護師さんに痛みがあることをなかなか言えなかったのです。それについても、別の機会にお話ししますね。ー------------------------手術の翌日には歩きますと言われたときは、とてもびっくりしたというとりだまりさん。手術後は安静にするだけでなく、歩行も重要なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、幸せを感じていました。不安を悟られないようにおどける自分子宮頸がん手術のために、入院することになり、どうしてもしておきたいことがったとりだまりさん。それは、へその掃除とアンダーヘアの処理。病院でしてくれるようですが、恥ずかしさから自分でおこないました。そして、入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったのですが……。子宮頸がん手術のために、夫の付き添いのもと、入院しました。病院の薬のにおいが本当に苦手な私。あのにおいを嗅ぐと、「私は病人」というひしひしと実感するからかもしれません。そして、手術前に先生のお話を聞くのも、不安しかありませんでした……。手術の前日に受けた説明では、腫瘍、子宮と卵巣、現在できている筋腫、そして患部に近いリンパ節も取ると言われました。先生の話を聞きながら「あれ? 結構大変な手術なんじゃ…?」「体にメスを入れるってやっぱり大事なんだな」とようやく実感した私。「いやいや、手術するのだから、大事なのは当たり前。自分のことなんだから、事前にもっと調べろよ!」と思われた方もいると思いますが、なんか怖くて、詳細を調べるのを無意識に避けていたんですよね。そのため「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。まさか、リンパ節なるものまで取らなければいけないとは……。ちなみに、「リンパ節」とは、「リンパ管」のと所々にある膨らみのこと。「リンパ管」とは、ざっくり言えば、体内の下水管です。体内に入り込んだウイルスや不要になった老廃物は、リンパ管の中を流れるリンパ液に乗って流れていきます。がん細胞も、リンパ液に乗って流れていくことがあるのだそうです。このとき、リンパ管の膨らみ部分である「リンパ節」も通るわけですが、実はここには、免疫力をつかさどる細胞「リンパ球」が豊富に存在します。リンパ球が、体にとって不要なものを、ここで濾過(ろか)してくれるわけです。しかし、残念ながら濾過しきれなかったがん細胞が、ここで増えてしまうと転移があるとのこと。そのため、子宮頸がん(ステージ1~3期)の手術では、がんの周りのリンパ節をリンパ管ごと切除する「リンパ節郭清(かくせい)」がおこなわれます。転移を防ぐためには、必要な手術なのでしょうが……。「そんな細かいところをちょこちょこいじって……だ、大丈夫ぶなんでしょうか」と不安でドギマギせずにいられませんでした。ー------------------------手術前日になり、自分が思っていたよりも大事だと実感したというとりだまりさん。手術前の説明を受けてから手術までの期間は、短いことがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。仕事関係者の中には復帰まで「待つ」と言ってくれる人も多く、社会に戻れるか不安な中、勇気づけられました。病院でしてくれるようですが…子宮頸がんの判明から1カ月が過ぎたころ、目の前の景色が変わり出したとりだまりません。自分にとって大切な人たちがはっきり色濃く見えるようになりました。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、治療の間、結構幸せだったと感じていたのです。その後、子宮頸がん手術のために、入院することになったとりだまりさん。入院前日にどうしてもしておきたいことがあったそうで……。入院の前日、私には、人様に内緒でやっておきたいセルフケアがありました。それは……へそ掃除。感染症予防のために、術前に病院でしてくれるらしいのですが、「すてきな看護師さんにそんなことさせられねぇ!」と思い、自分で掃除しました。へそ掃除は、数カ月に一度のペースでしかしないので、へそのごま(垢)が恥ずかしいくらいごっそり取れてスッキリ!そしてもう1つ……アンダーヘアの処理。これも病院でしてくれるそうなのですが、「すてきな看護師さんにそんなこと……」ということで、自分でしました。勢い余って、つい全部いっちゃったのですが、「別に全そりする必要はなかったのでは……?」と後で思いました。生えてくるときにチクチクしてちょっと痛かったので。どちらも自分でやらなくて、全然いいのです。でも……ワイルドなままの状態を見られるのは、何だかちょっと恥ずかしくて。「一応、手入れはしてるよ!」アピールをしてしまいました。とはいえ、アンダーヘアの全そりはやり過ぎました。看護師さんがしてくれる場合は、どの程度残してそるものなのか?どなたか、知っている方、ぜひ教えてください。ー------------------------アンダーヘアの処理を看護師さんがしてくれる場合、どの程度なのかはいまだに謎だと、とりだまりさん。病院でしてくれることでも、恥ずかしいから自分でしたいことはありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。ある書籍編集者からは秒で仕事を切られてショックを受けて……。目の前の景色が鮮やかに見えるように仕事関係者にがんの報告をするとあっさりと仕事を切られてしまったとりだまりさん。がんの治療が終わったとしても復帰する場所がないことをしんどいと思っていました。しかし、他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多く、復帰を「待つ」と言ってくれた人たちがいたことで勇気づけられました。そして、がんの判明から1カ月過ぎたころから、目の前の景色が変わり出して……。子宮頸がんが判明して約1カ月過ぎたころから、なぜか世界の見え方が変わりました。私の場合は、世界が一気に鮮やかに見えるように。その鮮やかさと言ったら、まるで原始の森にいるみたい。なんというか、私にとって必要な物たちの色だけが、とてもとても濃いのです。「死ぬかも」という恐怖で、アドレナリンが出まくってのかな?そのせいか、感覚という感覚もやたらと過敏になりました。大切な物のそばにいるだけで「幸せでたまらん!」と興奮状態に至るようになって……。ナチュラルにラリっていたのでしょう。この後、治療がヘビーになるにつれて、この感覚はどんどん強くなっていきました。そして、実家には以前よりちょっとだけ多く帰るようになりました。仕事よりも、夫や小鳥や友人を優先するようになりました。それまで無趣味ゆえのワーカホリックだったのですが、趣味でもないのだから、仕事は最優先でやることじゃないな、と考えるようにもなりました。そして、今に至ります。要するにというか何というか、がんは怖いけれど、治療をしている間、私は結構幸せだったのです。その感覚は、今も続いています。ー------------------------不思議なことに、人混みにいても、とりだまりさんにとって大事な人だけがやたらとカラフルに見えるようになっていったそう。病気をきっかけに、自分にとって大事な人や物に気付くということがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月24日2日のブログで、白血病と診断されたことを告白したモデル・ネイボールが21日に自身のアメブロを更新。闘病中の不妊治療について明かした。この日、ネイボールは「僕たち夫婦は、もともと不妊治療をしていました」と明かし、妻について「僕の1つ年上で、いま34歳です」と説明。「2022年11月から不妊治療のクリニックに通っているので、期間は1年ちょっと」だといい「2人とも検査結果は問題なしでしたが、人工授精を6回しても授かりませんでした」と告白した。続けて「そういえば、ここでも血液検査をしました」と述べつつ「感染症の検査なので白血球の数値が出るものじゃなかったんだと思います」と推測。「そろそろステップアップして体外受精を始めようと、妻がクリニックの予約をしていたところで、僕の白血病が発覚しました」と明かした。その後に更新したブログでは「ちょうどその予約日に僕が入院したんです」とクリニックの予約日に自身が入院したことを説明。「不妊治療って女性の生理に合わせて通院するので、簡単に予定を変更できるものではないので」と述べ「妻は僕の入院手続きや、先生からの説明のあと行けるように、1番遅い時間に予約変更していました」と明かした。最後に「同じ日に僕の白血病の先生と、不妊治療クリニックの先生に相談ができました」と説明。「結論!抗がん剤治療を始める前に、大急ぎで精子凍結をすることになりました」と報告し、ブログを締めくくった。
2024年02月22日俳優の坂上忍が4日に自身のアメブロを更新。闘病期間が長かった“家族”が亡くなり突きつけられた現実についてつづった。この日、坂上は「先日の『坂上どうぶつ王国』は.....コウタの回だったんですね」と自身がMCを務める動物バラエティー番組『坂上どうぶつ王国』(フジテレビ系)の天国へ旅立った愛犬の思い出を振り返った回について述べ「なかなかどうして、なんと書いていいのやら」とコメント。「コウタの闘病期間は長かったですから、覚悟はしておかなければいけないと」と自身の思いを明かし「ただ、覚悟といっても.....。実際にコウタがいなくなってしまうと、そこではじめて現実を突きつけられるわけなので.....」とつづった。続けて「一方で、我家はこれだけの大家族ですから.....。止まってはいられない.....という現実もあり」と述べ「そのおかげで、心のバランスをなんとか保てているという側面もあるのかなと」とコメント。「ですが、なにより怖いのは.....。高齢化は進んでおりますから、『立て続けに...』といった恐怖は.....。常に、こころのどこかにあるんです」とつづった。また「それも覚悟の上での大家族ですからね」と述べつつ「若干、彼女さんが心配ですかね」といい、自身について「わたしは外での仕事がメインなので、否が応でも『脳』を切り替えないと責任は果たせません」と説明。妻については「26兄弟さん達と正面から向き合ってくださっていますから.....。わたしのようには、ね」と心配そうにつづった。最後に「とにかく、精一杯やれることをやって.....。愛情を注げるだけ注いで、ひとりひとりを見送らないと」とコメント。「少しでも、『ウチに来てよかった』とおもってもらえるように.....です」と自身の思いをつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「涙が出てきます」「別れは辛いです」「気持ち痛い程わかります」「これからもずっと応援しています」などのコメントが多数寄せられている。
2024年02月04日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親にがんを報告すると泣かずにいてくれましたが、やはりショックを受けていたと実家に住む妹から聞きました。がんになってよかったと思えることもフリーランスのとりだまりさんは、子宮頸がんであることを懇意にしていた編集者に報告したところ、あっさり仕事を切られてしまいました。治療が終わったとしても、復帰する場所がないというのがしんどいと思っていたのですが……。他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多くいたのです。しょっちゅう仕事をしていた方にあっさり仕事を切られてしまい、「このやりとりをあと何回続けるのか」と思いながら、仕事先の方たちに連絡をしました。ある程度覚悟していたのですが……。「とりあえず半年くらいは待てますから」「無事に治療が終わるのを待っています」「治療が長引くならそのとき相談しましょう!」など、やさしい言葉をかけてくださる方が多く、とてもうれしかったです。ある方からは、治療中も仕事を続けさせてくれるという、うれし過ぎる申し出もありました。でも、一体なぜ……? と思い尋ねてみたところ、その方も長期入院したことがあり、病気が治っても仕事がないかと思うとすごく不安だったという経験があったからとのこと。そのおかげで、実際に私は入院中も働くことができたのです。がんになったことは、本当に死ぬほど怖くて、震えるほど嫌なことです。それでも、実はがんになってよかったと思えることもたくさんあります。その1つが、「待つ」と言ってくれた人たちがいたこと。そのことに気付けたことです。元気だったら、なんということのないひと言ですが、社会に戻れるかどうかわからない自分にとって、思った以上に勇気づけられる言葉でした。特に、戻る場所のことまで考えてくれた彼女には、ただただ感謝しかありません。ほかにも、それぞれのやり方でサポートしてくれた友人がいて、その気づかいにもとても助けられました。------------------------「待つ」と言ってくれた人たちがいたことに気付けたことで、視界が大きく変わったと、とりだまりさん。治療を始めてからでないと、自分でもどうなるかわからない中、そういった言葉はとても励みになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。乳がん患者の女性と友だちになり、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。ただ、働けない期間のお金が気がかりでした。手術前から戦意喪失両親には、事前に子宮頸がんであることを伝えていましたが、直接話をするために実家に帰ったとりだまりさん。直接話をしたときは泣かずに聞いてくれました。ただ、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。そして、次は仕事関係の人たちに報告をすることになったのですが、地味にショックな出来事があり……。いつまで続くかのかわからないのが、がん治療。だからこそ困るのが、収入減(仕事)のことなのですが……。がんを治せずに死ぬのも怖い。生き残って、また仕事を始めるのもちょっとしんどい。このときはそんなふうに思っていました。だから、仕事関係の方に連絡するのがとても怖かったです。意を決して、当時懇意にしていた書籍編集者さんに報告したのですが……秒で切られました(笑)。仕事を切られるのはともかく、非常にあっさりなのがなんとも。まぁ、向こうにもいろいろ都合があるのでしょうが……。「治療が終わるまで、何年だって待ってますよ!」……という都合の良い答えを期待していたわけではありませんが(いや、ちょっとしてた)、残念ながら私は、編集さんが「数年待ってでも書いてもらいたいんです!」と思うような、実力派でも売れっ子ライターでもないので、恨むなら自分を恨むしかないのが、なんとも情けなく。ただ、うまい具合に治療を終えられたとしても、そのとき復帰する場所がないというのは、やはりなかなかしんどいものです。------------------------仕事をあっさりと切られたとき、とりだまりさんは「正直、終わったな……と思った」とのこと。がん治療とは直接関係ないことであっても、治療前から気に病むことことがあるのは、つらいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになり、弱音を吐けたことで不思議と気持ちが軽くなりました。がんの報告のため実家に帰ると…1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。入院準備で物をそろえる以外にもいろいろ調整が必要なことがありました。一番気がかりだったのは、収入のこと。フリーランスだったため、働けないと即、無収入となってしまうのです。そして、もう一つ気がかりだったのは、子宮頸がんであることを両親に告げること。気が重くなってしまって……。子宮頸がんであることを電話で両親に伝え、その後実家に会いに行くことにしました。私もアラフォー。高齢なので、あんま期待してなかったとも思いますが、さすがに両親に「孫を残せなくて……」と直で伝えたときはヘビーでした……。そんなこと娘に言われた両親のほうが、さらに重かったとは思いますが。娘に面と向かってがんだと告げられた、父と母の反応はそれぞれでしたが、泣かれなくてよかったな、と思いました。でもその後、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。いやー、やっぱそうですよね~。会っている間は淡々と、普通の挙動だった両親ですが、やっぱり無理してたんだなぁと。これはもう、「心配かけて申し訳ない」としか言えません。本来であれば、親がこっちに心配かけていい年代なのに。介護とか。あと妹。不甲斐ない姉でホントすみません……。病気になることで、自分の甲斐性のなさが、アリアリと浮き彫りになった1日でした。------------------------両親に自分ががんだと伝えるのは本当に気が重かったとりだまりさん。伝えるほうも、伝えられるほうもとてもつらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになって治療についていろいろ話を聞き、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。収入ないまま生き続けるのもヘビー…入院前に乳がん患者の女性と「がん友」になったとりだまりさん。「がん友」に弱音を吐けたことで、がんであるという事実は変わらないけれど、不思議と気持ちが軽くなりました。そして1カ月後、子宮頸がんの手術をおこなうことに。入院準備で物をそろえる以外にも調整が必要なことがあり……。自分が倒れれば、そこまで。働けなければ、即無収入。それがフリーランス。しかもわが家は夫婦ともにフリーランス。なので、夫婦といえども、簡単には相手に頼れません。なぜなら共倒れになるから。そのつもりで生きてきました。ただ、「治療費が足りなければ貸す」と夫に言われたときは、「よっしゃ、死んだら借り逃げできるな!」とも思いました(笑)。いざとなったら、借り逃げができる。それが夫婦(?)。そう思っているのは私だけかもしれませんが、夫に確かめるつもりはもちろんありません。「違う」って言われても困るから。この先も、そこはあいまいにしたまま生き抜こう。そう思う今日このごろです。ー------------------------フリーランスのため、働けない期間のお金のことが気がかりだったというとりだまりさん。手術だけでなく、手術後の生活やお金についても夫婦で話し合う必要があるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院手続きの際に乳がん患者の女性に出会い、抗がん剤治療について教えてもらいました。都合にいいとこだけ見て生きていけるタイプ乳がん患者の女性に、抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきたとりだまりさん。その女性とは仲良くなって、「がん友」になりました。乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんに、ウィッグについても教えてもらった私。もし抗がん剤をすることになっても、めっちゃいいウィッグを買うことにして、闘病の決意を固めました。そして、ウィッグへの気付き意外にも、さらにうれしい出来事が……。それは、がん告知を受けたその日に、とてもすてきながん友に出会えたことです。どうせハードな治療をするなら、せめてメンタル面くらいはラクラクのラクをしたいじゃないですか……。だって絶対、そこそこしんどいし。そんな私の怠け者マインドに、彼女の極上におおらかな感性は非常にしっくりきたのです。私も体毛が全部抜けたら、エステで全身脱毛したって思おう~。そう考えただけで、くだらな過ぎてちょっと楽しくなれたのでした。------------------------入院前からがん友だちができたことが、非常に心強かったと、とりだまりさん。がんである事実は変わらなくても、不思議と心が軽くなったそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月24日今回の内容は、辛い描写があります。不安を感じる方は閲覧をお控えください。娘のさくちゃんは、今はとっても元気な女の子。生まれた直後に心臓の病気だとわかりました。初めての子どもで、何で苦しんでいるのかがわからず、娘を失うのではと恐怖に怯えていた日々と、手術をして元気になるまでの闘病記です。こんな病気があることを知ってほしい、そんな思いから描いた闘病記。25時間の陣痛に耐えてからの帝王切開という地獄の出産を経て、さくちゃんは生まれてきました。一見元気そうなさくちゃん…でも生まれた直後から母親はある違和感を覚えます。のちに、さくちゃんの心臓に問題があったことが判明するのです。壮絶な出産を経て産まれた赤ちゃん…手が冷たい!?妊娠中とくに問題もなく過ごしてきた主人公。予定日も過ぎ、いよいよ誘発分娩に入ります。やっと誕生したさくちゃん。はじめて触った瞬間、その手が冷たいことに気づいたのでした。そしてその後も違和感は続きます。病院で何もないと言われたのに、胸騒ぎがする…。娘の体重が増えないのは私のせい!? ミルクを飲むのに時間がかかる娘。しかしやはり病院では問題を指摘されず、がんばりが足りないかのように言われてしまいショックを受けます。胸騒ぎを覚えながらも、自分の努力不足かもしれないと思うと病院に違和感を訴えるのをためらってしまうのでした。しかしこの後行った母乳外来の助産師さんが「お母さんが心配というだけで小児科に行っていい」と背中を押してくれたのが転機でした。小児科のお医者さんも心強い言葉を掛けてくれ総合病院に行くことに…。そしてさくちゃんの病気が判明するのです。ただ見守ることしかできない苦しい日々へ…。小さな命を救うため、家族の奮闘が始まります。こちらはこやま家さんの体験をもとに、2023年2月28日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に対する読者からのコメントをご紹介します。病気と向き合う読者たちから応援のメッセージ生まれてすぐに心臓の病気が判明したさくちゃん。同じように病気と闘うお子さんがいる読者、または自身が病気を乗り越えた読者から応援と共感のメッセージが届いていました。・わが娘も同じ状況になったことを思い出しながら読ませていただきました。 話の内容と同じで手術説明を受け、担当ドクターからもしものこともあると説明をうけている時、私自身も頭の血が引けてしまい貧血状態に。その後、手術時は嫁の母、私の父、母そして私両親の実家の叔父、叔母も駆けつけてもらい、5時間近くの手術を待合室で過ごしたことを思い出しました。 嫁はその後、話と同じく小さなベットで子どもと過ごし、私も毎日病院へ面会に訪れ、無事に退院を迎えられました。・私も心臓心室中隔欠損症のオペをした経験者です。もう50年以上前の話ですが…。治療費、輸血用の血の確保、オペをしてくれる医療機関など様々な問題が今より多かったと思いますが、沢山の方のお陰で今、生きてます。オペ前日に執刀医より「どんな手術も確率は五分五分です。絶対大丈夫とは言えませんが、全力で頑張ります。」と言われたと聞いています。今ほど技術も設備も良くなかった時代ですから、親の心配はどれほどだったことか…。自分が子どもを持ったとき改めて、感謝するしかありませんでした。・娘が腎臓病で闘病中です。このママさんと同じように何度、神様に私の腎臓と娘の腎臓を取り換えて下さいと祈ったことでしょうか…。このエッセイを通して、母親はみな、同じことを思うのかと感じさせられました。・私も同じ経験をしたので、今回のお話は痛いほどお母さんの気持ちがわかります。うちの息子は、22才で元気に生活してます。・私の娘も生後1ヶ月検診で雑音があり、小児科で心房中隔欠損症と診断されました。まだ手術の適応ではなく、定期受診で様子見しています。 この記事を読み進めながら思わず涙が流れ、たまらず娘を抱き締めました。・7歳の息子が同じ心房中隔欠損なので、とても他人ごとではないです。産後すぐただでさえ不安定なメンタルで乗り越えるのは本当に大変だったと思います。病院では「大丈夫」と太鼓判を押されていたさくちゃんが手遅れにならなかったのは母親の観察と勘があったから。しかし「大丈夫」と言われながら再度病院に行くのって勇気が要りますよね。・私は不安なことがあるとすぐに聞くし、今から行ってと言われたら何ごとかと大慌てで行くので、迷惑がかかるかと病院に行くのを先延ばしにいる人がいることに驚きました。そして退院の時、助産師さんたちに「お母さん(私)は自分でちゃんとSOSを出せる人だから大丈夫」と言われたことを思い出し、なるほど、こういう意味だったのだと思い知りました。・病院へ行くことを躊躇してたら、助かるものも助からなくなるかもしれない…このお母さん、ようやくそれに気づいて良かったと思います。・判断能力、決断力、責任を負う覚悟、親になる人間にはこれが必要。今のところ全部できてるから大丈夫だよ。子どもの様子から異常を判断し助産院へ行って、忠告をきいて素直に病院まで来たやん。親としてやるべきこと全部できてる。作品を通じて多くの人が感じたこと…それは「生きることの奇跡」。多くの奇跡と幸運が重なり、様々な人の助けによって今私たちはここにいるということを実感します。・次男は出産のトラブルは無く安心した矢先の病気発覚でした。妊娠も出産も本当に奇跡なんだと命とは尊いものだと心から理解しました。与えられた命を大切に、全ての命を敬い生きていくことの大切さを次男を通して教えてもらったと感じています。・この話を読んで、歩いていること、笑えること、生きていること、本当に命の尊さを実感しました。 私たちは、生きているだけで、本当に幸せなんだと思いました。・生きているのなら、その子が成長して思い出が作れているのなら、どんな苦労があったとしても幸せだと思います。・子どもは成人するまでには、身体、心、事故、成長に取り巻くたくさんの荒波は、あって当たり前ですね。その時はなぜうちの子が? となりますが成長すると忘れます。忘れられたことに感謝です。思い出のひとつひとつその時関わってくれた方々に感謝。同じ病気の子を持つママの不安を和らげてあげたいという思いから書かれた本作品。子育ては不安や迷いとの戦いでもあります。心疾患のお子さんを持つ親御さんに限らず、幼い子どもを持つお父さんお母さんに読んでほしい作品です。生まれてすぐに心疾患が判明したさくちゃん。どうやって病気に気付いて乗り越えていったのでしょうか。▼漫画「娘と心疾患のお話」
2024年01月12日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。入院手続きをするときに乳がん患者の女性に出会い、勇気付けられました。がん治療に挑む覚悟ができたのは…入院手続きのときに出会った、乳がんで抗がん剤治療をした女性に抗がん剤治療についていろいろ教えてもらったとりだまりさん。抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきましたさらに、一番気になっていたことを詳しく聞いてみると……。すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんのお話を聞いて、私の中のがん治療への思い込みが次々と塗り替えられました。抗がん剤治療を受けてみないとわからないけれど、私が想像していたよりもずっと体を動かすことができるのだな、と。そしてついに、一番気になっていた髪の毛について聞いてみたら……。「それはもう見事にツルツルに。エステかよっていうくらい」と美女患者さん。抗がん剤治療でエステって一体……!?私は髪の毛が抜けることしか想像していなかったのですが、髪の毛だけでなく、全身の毛という毛が抜けるとのこと。ウィッグは慣れるととてもラクで、ナチュラルになじませるためには、それなりにお値段がかかるよう。でも、それでがん治療のつらさを乗り越えられるのであれば……。このときは「絶対に買おう」と決めたものの、後日、家族の猛反対に遭いました。「なぜ見栄のために、そんなに高いものを……」「数千円台からあるんでしょ? だったら、そういうのを何種類か買って楽しめば?」…………まぁ、そういう考え方もありますよね。でも、正直「うるせえ!」って思いました(笑)。だって治療するのは私だもん。自分で買うのだから文句はないでしょうが!とにかく、私はこの決心で、心置きなくがん治療に挑む覚悟ができたのでした。ー------------------------美女患者さんのリアルな話で、一番気がかりだった髪の毛についても前向きに考えられるようになったという、とりだまりさん。がん治療に挑む覚悟の固まり方は、人それぞれだと実感したそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、その後がんの専門病院で詳しい検査を受けるとがんが確定しました。子どもはいいらないと夫婦で決めていたものの、手術で子宮も卵巣もなくなることになり、子どもを持てなくなることの罪悪感が湧き上がってきて……。抗がん剤治療の不安が少し和らいで…入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女から声をかけられたとりだまりさん。その女性に抗がん剤で髪が抜けるのかを質問してみました。すると、「見事に抜けるね! 今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿にこれならがん治療もいけると感じました。さらにいろいろ話を聞いてみると……。入院手続きをしているときに、すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんにお会いしました。抗がん剤といえば、「とにかく吐きまくり」という印象だったのですが……。「多分吐かない。大丈夫」と言われてびっくり!中には薬が合わなかったり、薬の量が多かったりして吐く方もいるようですが、「今めっちゃいい吐き気止めあるから」とのこと。美女患者さんの場合は、ちょっとムカムカするかな? 程度だったらしいです。さらにこの後、私にとっては意外な事実が告げられました!思えば、私の身近でがんにかかったのは、高齢の祖父母だけ。年齢のことを考慮して、抗がん剤治療はしなかったので、今のがん治療がこんなに進んでいるとは少しも思いませんでした。「もしかして、がん治療をしながら仕事ができるかも?」それは、フリーランスの私にとっては、非常に希望の持てること。だって、休業補償がないし……。長期間休んだら、これまでのキャリアがすべて終わるような気がするし(これは気のせいでしたが)。まぁ、がん治療しているのに休めないという現実もどうかと思いますが、仕事が続けられるという事実は、いろんな意味で支えになります。もちろん、体は治療でそれなりに疲れているので、これまで通りというわけにはいかないのですが。それでも、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきました。ー------------------------想像していた抗がん剤治療とは全然違っていたと知り、驚いたというとりだまりさん。症状の出方やつらさは人によってそれぞれだと思いますが、がん治療中をしながら働いている方もいるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮全摘で、卵巣も切除したほうがよいと言われて……。手術はともかく抗がん剤が心配でがんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定したとりだまりさん。夫に電話で伝えると、冷静に聞いてくれて安心しました。子どもはいらないと何となく夫婦で決めていたものの、卵巣を切除することになったことで、産まないのと産めないのは似ているようにずいぶん違うことを感じました。とりだまりさんは、検査結果を聞いたその日に入院手続きをすることになり……。翌月に控えた手術のために、入院の手続きをすることになりました。私の場合、がんになったことは、割とあっさり受け止めることができました。けれど、ハゲるのはなかなか……(笑)。そんな私に、とってもうれしい出会いが訪れたのです!声をかけてくれた美女は、乳がんで抗がん剤を投与したとのこと。髪の毛のことについて聞くと、「見事に抜けるね! もうツルッツルに! あ、ちなみに今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿に「これならイケんじゃね?! がん治療!」と感じたのです。ー------------------------不安な中、その女性に出会えたことはとてもうれしいことだったというとりだまりさん。経験者の話を聞いたり、姿を見ることは、自分が前向きに考えられるきっかけになるのかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査結果が出るのは約1カ月後ですが、血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。産めないと産まないのは違う…がんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定しました。ステージは「ⅠB1期」。ステージ1だとしたら軽いほうではないかと思ったら、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療で、さらに子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいと言われました。検査結果を伝えるため、家族である夫に電話をかけたのですが……。検査結果はクロ。子宮頸がんのIB1期でした。まずは夫に伝えなければと、「アウトでした…とりあえず手術」と電話で報告しました。「まぁ、なったもんはしょうがないからしっかり治そう」と、落ち着いて対応してくれた夫の存在が、とてもありがたかったです。ややホッとしたこともあり、このあと、思わず不安をこぼしてしまいました……。結婚前から「子どもはいらない」と何となく決めていたわが家。ですが、いざ自分の子宮も卵巣もなくなるとなると、子どもを持てなくなることへの罪悪感がほんのりと湧き上がってきました。なるほど、「産まない」のと「産めない」のは、似ているようで、ずいぶん違うんだな……と、このときはひしひしと感じたものです。それにしても、この段階で「ハゲたくない」とか言っている私って……。でも実際、手術よりも抗がん剤そのものよりも、このときの私はハゲるのが何よりも怖かった。だって、見栄っぱりだから。それがわかっていても、本当に本当に嫌だったんですよ~。ー------------------------何よりもハゲるのが怖く、「もし抗がん剤をやらなきゃいけなくなったら……」と考えると目の前が真っ暗になってしまったそう。治療を始めてみないとわからないことは、不安になりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査の前、今まで見過ごしてきた不正出血などの不調が思い出され、早く病院に行っていればと後悔して……。結果をひとりで受け止めると決めて病院へがん専門病院で、細胞の組織を採取して検査する組織診を受けたとりだまりさん。検査結果が出るのは数週間から1カ月後とのこと。血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。1カ月、組織診の結果を聞きに病院に行くと……。がんの専門病院で、詳しい検査をして1カ月後……ひとりで結果を聞きに行きました。がんなのかどうか、ずっとモヤモヤしていてとてもキツく、まさにヘビの生殺し状態。病院では、泣いている人もいて「やっぱりひとりで受け止めるのはキツイ?」とも思ったのですが、私の場合は、まずはひとりで受け止めたかったのです。そして診察室に入ると「手術しよっか」と先生。覚悟していたこともあって、白黒ついたときは、ちょっとホッとしました。とはいえ、もちろん大ショック!手術前の先生の見立ては「ⅠB1期」。「つまり、ステージ1? だとしたら、軽いほうなんじゃ……」と初めは思っていました。簡単な手術で子宮頸部をちょこっと切るだけで済むんじゃないかな、って。ところが、日本だとI期・Ⅱ期の治療は外科手術が基本で、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療だそう。さらに、子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいとのことで……。うちはもともと子どもを持つ予定はなかったので、妊娠・出産は特に望んでいませんでした。それでも「卵巣切除? 女性ホルモンが出なくなる? 女性らしくなくなる?」と考えるのはかなり不安でした……。ただ、手術や治療が終わってみると、その点についてはさほど心配いりませんでした。今は、女性ホルモンを充填できるホルモンパッチがあるからです。ちなみに現在、手術を終えて5年以上がたちますが、同世代と比べて、肌や髪も「まぁ、経年劣化もあるので、こんなもんかな……」という程度の衰えで済んでいる気がします。ー------------------------卵巣まで切除するとは思っていなかったとりだまりさんは、「女でなくなる!?」とショックを受け、この先どう生きたらいいのか混乱したそう。予想外のことを受け止めるのは簡単ではないですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で再度検査を受けることになり……。検査の結果が出るのは数週間からひと月後大きながん専門病院に行くにあたり、今まで見過ごしてきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきたとりだまりさん。「ちょっと変だな」という自覚があっても、お金がない時期が長かったことで、なかなか病院に行く決心がつかなかったことを後悔しました。組織の一部を取って検査をすることになったのですが、強い痛みを感じて……。がんの専門病院で、細胞の組織をもう少し採取して検査する「組織診」を受けることになりました。細胞診検査の結果「がんかもしれない」となったら、子宮頸がんの場合は、続いて以下のような、より専門的な検査をするようです。・コルポスコピー観察(専用の拡大鏡で医師が観察)・組織診(がんが疑われる部分の一部を、鉗子で切除し、病理検査へ回す)・血液検査(腫瘍マーカーチェック)・内診・超音波検査・MRI(画像診断)・CT(画像診断)・PET-CT(画像診断)など。組織診では、鉗子で細胞をちょこっと削るため、人によっては痛みがあります。私はそこそこ痛かったのですが、平気な方も多いようです。どうしても怖い場合は、お願いすると麻酔をかけてくれることもあるようですが、「痛い!」と言っている間にすぐ終わるので、麻酔をかけるほどでもないのですよね……。このあたりは悩ましいところです。そして、組織診や画像検査の結果が出るのは、数週間からひと月後。患者はその間、もんもんとして結果を待つわけです。長いんですよね~、この、待っている間っていうのが……。ちなみに「腫瘍マーカー」とは、がんなどの異常があると体内で増える特有の物質のこと。私の場合は、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカーの1つ「CEA」の値が、基準値上限の3倍ほどでした。思わず「うわぁ……」と声が出ました。ー------------------------組織診のときに受けた血液検査で、腫瘍マーカーの1つの値が高かったとりだまりさん。しかし、組織診や画像検査の結果が出るのを待つしかなく、その間はとても長く感じたそう。検査を受けたらすぐに結果がわかるわけではないのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに食付き、婦人科を受診したとりだまりさん。がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになり……。何年も不正出血が続いていたのに…詳しい検査を受けるために、候補となった病院は3万円からの個室しかないセレブな病院とがん専門病院の2つ。セレブ病院は経済的に無理だったため、がん専門病院を選びました。がん専門病院では、患者さんが皆がんを患っているため、しんどいのは自分だけじゃないと思えてよかったそうです。大きな病院に行くにあたり、今まで見過ごしたきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきて……。大きな病院で検査を受けるにあたり、夫と「これを機にちゃんと診てもらおう」と話しました。とはいえ、痛くも何ともないので、「本当にがん?」とも思うのですが、くじ運は悪いほうな私は、裏を引きそうな気もして……。そうなると、「ここ何年も不正出血が続いていたな」「結構な頻尿だったな」など、これまでは何とも思っていなかった体の不調も気になってきました。当時は「疲れてるせいかなぁ」と漠然と思い込んでいたというか、変なことになっているんじゃないかとは、考えたくなかったのだと思います。さらに、「ちょっと変だな」という自覚はあっても、お金がない時期が長かったので、なかなか病院に行く決心がつかなかったというのもあります。後にして思うと、「お金がなくても、結構何とかなったのにな」と激しく後悔に襲われました。日本には、医療費が高額になった場合に一部を払い戻してくれる「高額療養費制度」というすごい制度がありますし、入院前に「限度額適用認定証」の申請を役所にしておくと、病院で自己負担限度額以上の支払いをしなくて済む仕組みもあります。いずれの場合も、自己負担限度額は収入に応じて変わってくるので、自分が加入している保険(国民健康保険なら役所、社会保険なら会社等)の担当者に相談すると良いそうです。ー------------------------ご自身の経験を踏まえ、「ちょっとでも変かな?と思ったら、ぜひ病院に行っときましょう!」ととりだまりさん。気になる症状があるときは、自己判断をせず、早めに受診できると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。【天神先生からのアドバイス】頻尿だったのは、おそらく大きくなった子宮が膀胱を圧迫していたのだと考えます。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付いて、近所の婦人科を受診したとりだまりさん。すると「がんかも……」と医師に言われ……。がん専門病院を選んでみた結果専門の施設へ行き、がんの細胞診を受けたとりだまりさん。検査の結果、Class(クラス)Ⅲb、がんの可能性が高いことがわかりました。クラスとは腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断するものだそうです。この後、より詳しい検査をするために、大きな病院に行くように言われて……。がんの細胞診の結果、がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになりました。候補に上がった2つの病院のうち1つは、3万円からの個室しかないセレブな病院だったため、「経済的に無理!」となり、もう1つの病院にしました。その病院はがん専門なので、患者さんも皆さんがんを患っています。不思議なことに、しんどいのは自分だけじゃないと思うと、何となく怖さが薄れてメンタル的にとてもラクになったので、結果的によかったと思いました。そして、病院選びで気を付けないと、と思ったことが1つ。総合病院の場合、婦人系のがんの患者さんと、出産を控えた方が、近くに配される可能性があること。「隣の病室からは、赤ちゃんの元気な泣き声や親族の『おめでとう!』の声が聞こえてくるのに、がんの手術で子どもを産めなくなってしまった自分って……」これは、子どもがいない女性にとっては、なかなかしんどいと思います。とはいえ、総合病院には良い点もたくさんあります。すでに子どもがいる方なら、上記のようなことがあってもさほど気にならないかもしれませんし、がんの他に持病を抱えている方なら、がんも持病もトータルで診てもらえるというメリットもあるでしょう。できるだけストレスなく過ごせるところを選べると良いですよね。ー------------------------がん専門病院を選んだことで、とりだまりさんは自分が「普通ゾーン」にいると思えて、安心したそう。自分ができるだけストレスを感じずにいられる病院選びが大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみは子宮筋腫の影響だろうと思い、婦人科を受診したとりだまりさん。しかし、「今すぐMRIを撮ってきて。がんかも……」と医師に言われて……。医師から検査結果を告げられて…おなかの膨らみが気付けば大きくなっていて、そろそろ婦人科で診てもらったほうが良いと思い、受診したとりだまりさん。医師からすぐにMRI検査を撮るように言われ、専門施設へ。検査結果について、医師から「出ちゃった」と告げられて……。細胞診の検査結果を見せられました。でも、「Class(クラス)Ⅲb」ってどういうこと!?早速詳しく検査をするために、専門施設へ行きました。私はずっとフリーランスで、社会人になってから健康診断すら受けたことがなく……恥ずかしながら、39歳にして生まれて初めてがんの細胞診を受けたのです。後日細胞診の検査結果を見せられたのですが、見方がわからず、早速「クラス」と「ステージ」が頭の中でごっちゃになりました。Class(クラス)Ⅲbってどういうこと!?もう結構がんが進んでいるってこと??だって、ドラマなんかでは「ステージ4」とか言ってるし。だから、がんと言えば「ステージ」でしょうが! と勝手に思い込んでいたのです。実際は、・「クラス」=腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断・「ステージ」=がんが体内でどれくらい広がっているかを判断ということだそう。細胞診の検査結果によると、私はがん(悪性腫瘍)の可能性が高いとのこと。この後、別の検査でステージを診断します。普段は「無表情」「表情筋が死んでいる」と言われがちな私ですが、さすがにこのときは表情筋も引きつりました。ー------------------------先生は「クラス」と「ステージ」の違いを懸命に説明してくれましたが、動揺していたとりだまりさんの耳には、ほとんど入ってこなかったそうです。ステージの診断はどうなるのでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月23日