息子を出産したときのこと。初めての出産にドキドキしながら夫と子どもの誕生を楽しみに待っていました。生まれる気配は感じませんでしたが、出産予定日まであと5日となった日の未明に突然破水! すぐに産婦人科へ向かいました。陣痛室へ通されたものの、まだ子宮口は開いておらず、ベッドに横たわりながら夫とたわいのない話をしていたのですが…… 出産予定日前に破水して産婦人科へ! 夜中に破水していたので私と夫は急いで病院へ。子宮口1cmだったので、陣痛室で待機することに。少しすると隣の陣痛室にも妊婦さんが到着。数分後に「死ぬ~! 何とかしろ~!」と大声が聞こえ、私と夫はびっくり。「頑張って!」と励ます男性の声と「頑張ってる! 見てわからないの?」と激怒する妊婦さんに私は「こんな壮絶なお産が待っているのか……」と不安になりました。 妊婦さんの怒鳴り声から13時間、私にも陣痛が訪れてようやく分娩台へ移動することに。分娩台は陣痛室の隣にあるため、先ほどの妊婦さんの声がよく聞こえてきます。隣の部屋から聞こえてくる妊婦さんの声から壮絶なお産がイメージされました。「まだ隣の妊婦さんの声が聞こえてくる。怖いよ……。早く産んじゃいたい!」と思っていたためか、分娩台に移動してまもなく息子が誕生。助産師さんからは「落ち着いていて、初産だと思えない」と言われました。夫はわが子の動画を撮りながらとてもうれしそう。しかしその動画にも、妊婦さんの叫び声が入っていました。 結局14時間も隣の妊婦さんの叫び声を聞いていたのですが、今振り返るとあの妊婦さんの声があったからこそ、逆に私は落ち着いて出産できたのかもしれません。夫が撮った出産の動画を見返すたびに「こんなことがあったな~」と特別な思い出になっています。 作画/CHIHIRO 著者:望月陽
2024年05月14日2人目を出産するために里帰りしていました。3歳になる上の子をそろそろ寝かしつけないといけない時間になったのですが、そのタイミングで陣痛が始まりました!もう帰っていいよ!!長男には私の母がついてくれることになり、病院へは父が送ってくれ立ち会ってくれました。病室についてからも等間隔で押し寄せる陣痛。私が痛みに耐えていると、陣痛が何か分からず、なぜ私が痛がっているのかわからない様子の父が「どうした?」とひと言! 痛みに耐えることに必死で余裕もなく「陣痛だよっ!」とイライラしてしまいました。その後、戦力外の父には帰ってもらうことにして、ひとりで出産しました。 ◇◇◇ 今とは違い、実父の時代は立ち会いは珍しく出産時にこんなに苦しむのだと知らないのかもしれませんね。そのため、陣痛に耐える娘の姿に、実父もパニックになっていたのかもしれません。出産中のママは痛みとの闘いで、周りを気にする余裕はないかもしれません。心穏やかに出産するために、今回のママのように、周りの言葉が気になるようであれば帰ってもらったり、部屋の前で待ってもらうなどするのも良いかもしれませんね。 作画/犬野ぽよ彦著者:古谷節子40代、高校生、中学生、小学生の3人の男の子を育てる母。趣味はお菓子作り。
2024年05月11日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。また、一時は不正出血に悩まされていたのですが、医師のアドバイスを忠実に守っていると、いつの間にか解決されていました。日が経つにつれ、おなかが大きくなりすぎてしまい、長女のお世話が難しくなってしまったため、実母の提案で里帰りの時期を早めます。いざ里帰りをすると、実母との躾の感覚のズレや自分のペースで生活ができないなど新たな悩みが発生! マキノさんは出産を終えたらすぐに自宅に帰ることを決断したのでした。正期産までもう少しとなったタイミングで、「出産入院時に長女をどうするか」について話し合いの場を設けました。その結果、出産の始まり方と夫の勤務状況でフローチャートを作り、それに従って行動するという結論に至ったのです。 また、“入院中はママに会えなくなる”ということを事前に娘に理解してもらいたかったマキノさんは、寝かしつけの際、おなかの赤ちゃんや入院についてわかりやすい言葉で伝えていました。妊娠39週を迎えたころ、陣痛のような痛みが出てきたので、産院に電話をかけると、「もう病院に来てください」と言われてしまいます。 しかし、マキノさんはくぅちゃんを寝かしつけてから、病院へ向かうことを選択。陣痛の痛みに耐えながら必死で娘を寝かしつけると、お母さんと一緒に急いで病院に向かったのでした。 無事に病院へ到着すると、テキパキと動き出すママ。しかし… 2回目の出産だったため、病院へ到着したあとテキパキと準備を始めるマキノさん。 ところが、産褥パッドを用意しているところで、陣痛に襲われてしまいました。 お母さんに見守られ、痛みに耐えていると、ずっと待っていた夫が到着! 「パパ!」 苦しむマキノさんをパパが力いっぱいテニスボールで押してサポートしてくれました。 また、おなかの赤ちゃんもパパの声を聞いて、やる気を出していたのでした。 途中までテキパキと準備をしていましたが、次第に陣痛の痛みで動けなくなってしまったマキノさん。しかし、そのタイミングでパパが病院に到着してくれたので、マキノさんもかなり心強かったのではないでしょうか。いきみ逃しは力加減や押す場所など、慣れていないとなかなか難しいと思うのですが、パパがじょうずでよかったですね。 著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月10日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日2番目の長女を妊娠していたとき。かわいがっていたわんちゃんと悲しいお別れがありました。今でも忘れることができない体験談を紹介します。 みんなから愛されていた愛犬が…そろそろ妊娠9カ月に入るころのことです。自身の誕生日も近く、長男も1歳6カ月で多感な時期になり、お祝いの話も出ていて楽しく過ごす予定をしていました。 当時、飼っていたビークル犬の女の子。まだ8歳で、チビーグルなんて言われるくらい小さくてかわいらしい子でしたが、 前の年に子猫がやってきて、ごはんを盗み食いし続けた結果! あっという間にふっくらしました。本当に愛嬌があり、みんなにかわいがられる子でした。 そのビーグルが急にごはんを食べなくなり、 眠ることが多くなりました。「おなかを壊してしまったのかな?」と様子を見ていましたが……。みるみる元気がなくなり、右顎のリンパ付近がゴルフボールほどの大きさになっていることに気がつきました。これが原因で衰弱しているのだと、すぐ病院へ連れて行きました。 目に見えてからの病気の進行は早く、 あっという間に愛犬は逝ってしまいました。具合が悪そうな様子もつらかったですが、これから2人目が生まれ、みんなで一緒に過ごすと思っていた矢先に亡くなってしまったことのショックが大きく……しばらくの間は思い出しては涙していました。 ある日、突然の出血で即入院に気分が落ち込んで途方に暮れていたある日のこと。夜中の0時を回るころ、夫とゆっくりしていたら、突然下腹部に異変を感じてトイレへ。ショーツが真っ赤に染まるほどの出血がありました。慌てて産院へ電話すると、「すぐ来てください」と言われたので、上の子を当時一緒に住んでいた義母に託し、里帰り出産を予定していた病院へ車で1時間かけて向かいました。 結果は、切迫早産で即入院。すぐに診ていただけましたが、「入院」のひと言に夫婦で真っ青に……。「上の子は? 仕事もまだ産休に入ってない!?」など、考えることことがたくさんありました。 荷物やあれこれを夫に届けてもらい、入院生活へ。その後も破水の疑いで夜に大きな病院へ救急車で緊急搬送されて……。MFICU(母体・胎児集中治療室)に2週間ほど入院し、その間はお湯も自分で汲みに行けないベッド生活でした。 MFICUは子どもの出入りが禁止だったので、上の子にもしばらく会えず、車椅子での面会が許可されるまでの10日間、上の子を思い泣いていました。 そしてついに面会の許可が下りたのですが、突然ママがいなくなったショックからか、忘れられているように感じました。 仕方ないとはいえ、息子の気持ちを想うと「本当にごめんね」と思うばかりでした……。 いよいよ出産。長時間かかり…その後は状態が落ち着き、晴れて自宅に帰れることになりました。しかし、その後の出産では陣痛微弱になって陣痛促進剤を使うことに。痛みに耐えながら、33時間かかって出産。生まれたころには夫婦でヘトヘトでした。 妊娠期のメンタルは、本当に繊細。愛犬が亡くなって精神的に弱っていたことや、ストレスなどもメンタルに直結するものなのだと実感しました。今は4人目を妊娠中。さらに過酷になった妊娠生活ですが、「本当の意味で無理をしない」「人に頼ることも大事」だと感じています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 5歳・3歳・1歳の三児のママ。現在第4子を妊娠中で、ワーママで毎日フル稼働中。歳が近い子育ての大変さを感じつつ、犬や猫に癒される日々です。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。また、一時は不正出血に悩まされていたのですが、医師のアドバイスを忠実に守っていると、いつの間にか解決されていました。日が経つにつれ、おなかが大きくなりすぎてしまい、長女のお世話が難しくなってしまったため、実母の提案で里帰りの時期を早めます。いざ里帰りをすると、実母との躾の感覚のズレや自分のペースで生活ができないなど新たな悩みが発生! マキノさんは出産を終えたらすぐに自宅に帰ることを決断したのでした。正期産までもう少しとなったタイミングで、「出産入院時に長女をどうするか」について話し合いの場を設けました。その結果、出産の始まり方と夫の勤務状況でフローチャートを作り、それに従って行動するという結論に至ったのです。 また、“入院中はママに会えなくなる”ということを事前に娘に理解してもらいたかったマキノさんは、寝かしつけの際、おなかの赤ちゃんや入院についてわかりやすい言葉で伝えていました。そして妊娠39週を迎えたころ、ついに陣痛のような痛みが襲ってきて……? 妊娠39週目、ママの体の変化が…!? 「やっぱり陣痛?」 心配してそわそわし出すお母さんの横で、「うーーーーん」と言いながら首を傾けるマキノさん。 生理痛のような痛みだったのと、痛みの間隔がバラバラだったため、いまいち確信を持てずにいたのです。 迷った挙句、産院に連絡することに。 「お世話になります。陣痛かもしれなくて……。痛みはそんなに強くないんですが、間隔が短いときがあって」 「経産婦さんですね?」 「あっ、はい。そうです」 「じゃあ、もう病院来てください」 時計を見ると、午後7時半になろうとしていました。 一瞬何かを考えたマキノさん。 「上の子、寝かしつけてからでも大丈夫ですか」 そう答えると、「え? 逆に大丈夫ですか?」と心配されてしまったのでした。 このときは痛みがまだそんなに強くなかったというのもあるかもしれませんが、恐らく娘のくぅちゃんほうが気になったのでしょう。この状況で「上の子寝かしつけてからでも大丈夫ですか」という言葉が出てくるマキノさんがあまりにも冷静で驚いてしまいました。第2子の出産だったこともあり、落ち着いていられたのかもしれませんが、ママとしての強さを感じました。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年05月08日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。※この物語はフィクションです。イラスト:筝湖みう夫の一言に激怒した話第一子の出産を控えていた主人公。すると、ついに陣痛が始まりました。陣痛が始まった出典:愛カツ主人公は「しんど…腰押して…!」と夫に頼みます。夫は「こ、ここ?」と尋ねながら主人公の腰を押してくれました。しかしこの後、夫がドヤ顔で放った一言に主人公は頭にきます。ここでクイズこの後、夫はなんと言ったでしょう?ヒント!夫は自分も大変だと思っているようです。俺もってなに!?出典:愛カツ正解は…正解は「眠いけど俺も頑張ってるから!」でした。夫がドヤ顔で放った一言に、怒りを覚える主人公。しかしその後、無事に出産を終え、安堵し喜ぶ主人公夫婦なのでした。(愛カツ編集部)
2024年05月07日出産時を振り返ると、たびたび話題になるのがパパの振る舞いです。中でも、陣痛中のスマホ問題は切実……。出産から時間が経ってもなお、思い出すとイラッとするエピソードになっているようです。では、出産に立ち会うパパは、どのように過ごせばよいのでしょう? ベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママと開催した座談会で、話を聞きました。座談会では「陣痛時、必要以上のスマホ操作は好ましくない」と言う意見で一致。陣痛中、パパは手持ち無沙汰だったり、何をしていいかわからなかったりするのも頷けますが、ママは命懸けの出産に挑んでいます。陣痛の痛みを想像して…陣痛の長さや痛みは人それぞれ。それでも一定の間隔で痛みが訪れ、そのつらさは想像を絶するもの。数時間で分娩に進む人もいれば、日を跨いで痛みに耐える人もいます。 まずは、陣痛がいかに大変か、可能な限り想像し、自分ごとにするとよいでしょう。 スマホゲームや不要なネットサーフィンは控えるか、ママの了承のもと、おこなうのがベターと言えます。パパへのお願いでは、陣痛中のパパはどのように振る舞うのが良いのでしょう。座談会では、3つの意見が挙げられました。 ドラマのようにそばで応援痛みを代われない以上、パパにできることには限りがあります。しかし、その場にいるだけで、心強かったり一緒に出産に臨んでいる気持ちになったりするのは紛れもない事実です。 人生イチと言っても過言ではない痛みに向き合うママには、誠心誠意向き合ってほしいもの。妊娠・出産ドラマを視聴し「ドラマのように応援する姿勢」を研究しておくといいかもしれません。 親に出産の進行状況を連絡いざ陣痛が来たとなると、ママの両親も心配しているはず。パパには出産の進行状況を両親に連絡してほしいと言う意見も挙がりました。 痛みと痛みの間はママにとっては貴重な休憩時間。少しの連絡でさえ、思うようにはできないものです。事前に連絡先を交換するなどし、連携を取れるようにしておきたいですね。 写真を撮ってほしい最後に挙げられたのが、陣痛・出産時の写真を撮ってほしいと言う意見でした。出産時の写真は二度と撮れない貴重なショット。 陣痛に耐える姿はもちろん、産まれてくる瞬間など、どんな写真を残したいかは出産前に話し合っておくといいかもしれません。 逆に、写真を撮られたくない場合も事前に伝えておきましょう。また、院内での撮影は産院に確認しておくと安心です。出産に立ち会うパパの心得何より、陣痛は言い表せないほどキツいもの。一般的な腹痛とは異なります。パパにはそれをしっかり理解し、出産に向き合ってほしいのです。 そして、重要なのは、何があってもイラッとしないこと、後に引きずらないこと。陣痛のつらさのあまり、ママはひどいことを言うかもしれませんが、どれも陣痛の痛みがそうさせているのです。 意外と忘れられない出産時のパパとのエピソード。立ち会い出産をする人は、穏やかな気持ちで出産当日を迎えられるよう、事前に話しておくといいかもしれませんね。 ベビカレメイトのママたちの体験談が、これから出産を迎えるママの参考になることを願っています!
2024年05月01日私には7人の子どもがいます。第7子を出産するにあたり、上の子どもたちにも出産に立ち会ってもらうことを希望しました。近くに助産院がなく、自宅出産や助産院での出産は断念しましたが、子どもたちも立ち会いOKの病院に出合いました。出産当日、病院へ向かう途中に夫が取ったある行動に驚いたエピソードをお伝えします。※コロナ禍前の体験談です 子どもたちにも出産を見守ってもらいたい第7子の妊娠が判明したとき、私は上の子どもたちにも出産の大変さや素晴らしさを感じてもらいたいと思い、家族全員での立ち会い出産を希望しました。助産院にも問い合わせましたが、遠すぎるため自宅出産は不可。 しかし、幸い子どもたちも立ち会いOKの病院を見つけました。私は自然分娩を希望していたため、お産がいつになるかわからずドキドキする日々を過ごしました。 家族で病院へ! 夫の行動に驚き妊娠38週で早朝4時ごろに破水し、陣痛が始まりました。奇跡的に、4時30分ごろには子どもたちが全員起床。全員で車に乗り込み、病院へ向かいました。 ところが、病院まであと1〜2分というところで、なんと夫がコンビニに停車し、「朝ごはんのパン食べる人〜!」と子どもたちに呼びかけたのです。「わーい! 食べる食べるー!」と子どもたち全員と夫はコンビニ店内へ。 陣痛MAXの中、私は車内で待つことになり不安を感じましたが、幸い数分でパンの購入を済ませた家族が戻って来て、無事に病院へたどり着きました。病院の入り口で車椅子を広げて私を迎えてくれた助産師さんが天使に見えたことは言うまでもありません。 家族が見守る中、無事出産私はひと足先に分娩室へ。一方、夫と子どもたちは車内でパンを食べてから分娩室へ来てくれました。陣痛の最中だった私は、夫の行動が呑気すぎると思いましたが、実は夫が機転をきかせたゆえの行動だったのです。 朝早く起床した子どもたちに朝ごはんも食べさせずに立ち会いをさせたら、おなかが空いて誰かがグズりだし、夫がグズる子どもを連れて分娩室から出なければならなくなっていたかもしれません。 しかし、腹ごしらえをしたおかげかグズる子は1人もおらず、時折「お母さん頑張れ〜!」と応援しながら、あたたかく出産を見守ってくれました。そして、家族全員に赤ちゃん誕生の瞬間を見守ってもらい、私の希望が叶いとてもうれしい瞬間となりました。 立ち会い出産から3年経ちましたが、子どもたちは今でもそのときのことを話してくれます。赤ちゃんの誕生の瞬間に立ち会えたことは、子どもたちにとって貴重な経験となり、良い思い出となっているようです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:藤原ナオミ3男4女の母。ハワイ留学中に学生結婚。育児の合間を縫って英検1級・TOEIC970 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年04月30日44歳での妊娠・出産モデルの鈴木サチさんが、第五子の出産をInstagramで公表しました。鈴木さんは2010年9月に長女、2012年6月に長男、2019年4月に次男、2022年2月に三男を出産。第四子を妊娠する前には、二度の流産やガン予備軍の診断を受けていたことを明かしていました。44歳での妊娠・出産となることを公表した際、「この年で再び妊娠し、こんな素晴らしい機会を与えてもらうことができ、すべてのことに感謝です」「今回も高齢出産になるので、無理せず、これが最後の妊婦?!になると思うので、妊婦生活を楽しみたいと思います」と綴った鈴木さん。24日に誕生した第五子は、「3684g. 52cm」の元気な男の子だそうで、手足もしっかりしていて大きな赤ちゃんの写真を公開。母子ともに健康だそうですが、「後陣痛の痛みが酷くまだまだ横になって過ごしています」と、産後の痛みもあるようです。出産を終えてもお腹が痛い……なぜ?出産に伴う陣痛の痛みはよく知られていることですが、産後にも腹痛が起こることは意外と知らない人も多いかもしれません。多くの妊婦さんは出産後、「後陣痛(こうじんつう)」という痛みを経験します。これは妊娠によって大きくなった子宮が不規則に収縮し、妊娠前の大きさにもどろうとしているために起こる痛みで、胎盤などが剥がれた部分からの出血を止めるはたらきもある生理的な現象です。後陣痛の痛みが強い期間は一般的に産後3日間程度。痛み方や程度には個人差がありますが、経産婦、多胎妊娠、羊水過多などの場合は通常より子宮が大きくなり、また疲労の程度も大きいので、子宮を元の大きさにもどすためにはより強い収縮が必要になり、後陣痛が強くなる傾向があります。後陣痛は体の回復を促すために必要な痛みで、産後の体の回復が始まっている証。姿勢を変えたり、温めたりすると痛みが緩和することがあります。我慢できない痛みの場合は、自己判断で鎮痛剤を服用したりせず、医師に相談しましょう。参照:【医師監修】産後の腹痛はいつまで続く?よくある腹痛の原因4つと注意すべき症状
2024年04月26日初めての妊娠のとき、私が通っていたのは男性医師が個人で営む産婦人科。「家から近い」という理由でこの産婦人科を選びましたが、実際に通い始めてみると、この産婦人科医は「口が悪い」という噂で有名だったことが判明しました。最初は気さくな先生だと思っており、口が悪いという印象は抱きませんでした。しかし、それは出産のときに明らかになったのです……。 出産までの流れは予想外の展開陣痛が来たのは、出産予定日を超過して4日目のこと。ちょうど妊婦健診の日でもあり、陣痛が来たかな?と思いましたが、おなかの張りの間隔があいまいだったため、産院に着いてまず医師の診察を受けました。すると子宮口の開きは3cmほどでしたが、陣痛が微弱であったことと、高位破水をしていたという理由で陣痛促進剤を投与し、すぐさま出産という流れに。 もう少し余裕をもっての出産になるかと思っていたので、予想外の展開に焦りを隠せませんでした。徐々に強くなる陣痛に耐えられるのか、無事に出産できるのかと次々に不安が浮かびあがりました。 医師からの衝撃的なひと言陣痛促進剤を投与してから約2時間後、子宮口も全開大になり、いよいよ出産。しかしいざ「いきんで」と言われたときに、どのようにすればいいのかわからず、まったくじょうずにいきむことができませんでした。するとそれを見ていた医師が「へたくそ! そんなんじゃ生まれないぞ!」とひと言。 私はこの言葉を聞いて内心「へたくそって何!?」と思いましたが、医師はそのあとこう続けました。「わかるか? 今一番つらいのは赤ちゃんなんだぞ! ちゃんと呼吸してあげないと!」。 どうしてこんなにつらい思いをしながら怒られなきゃいけないのか、このときはまったく理解できませんでした。そんなふうに言われてもうまくはいきめず、やっとの思いで無事に出産することができました。 「ごめんね」と謝ってくれた助産師さん無事に出産できてよかったものの、「こんなにいきむのが下手だなんて」と自分が情けなくなってしまいました。それを察してか、私のお産を介助してくれた助産師さんが、ベッドで休んでいる私のもとへ来て「ごめんね。先生、へたくそなんて言うことないのにね。でも赤ちゃんが出てくるときって、お母さんがしっかり呼吸をしてあげないと、赤ちゃんが苦しくなっちゃうの。だからもし次に出産するようなことがあったら、落ち着いて呼吸を整えてあげることを意識してみてね」と言ってくれました。 陣痛の痛みに耐えられるかどうかなど、自分の心配しかしていなかった私。出産の瞬間、赤ちゃんも苦しくなるだなんて思いもしなかったので、助産師さんの言葉を聞いて出産は本当に命懸けなんだと気付かされました。 助産師さんのフォローがあったおかげで、「へたくそ!」という言葉はこの医師なりの愛であり、赤ちゃんへの想いだったのかなとも思いました。それから私は3人の出産をしてきましたが、「出産は赤ちゃんも苦しいんだ」ということを念頭に置きつつ、落ち着いて臨めました。今となってはあのきつい言葉にも、感謝の気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:夏川さほ10歳、8歳、3歳、0歳の男女4人の母。ステップファミリー。元コンビニ店員だが、第4子出産を機に退職し、現在はフリーライターとして活動中。自身の子育て体験談や商品レビューなどを執筆中。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター こちょれーと
2024年04月26日私は、3歳の女の子と生後3カ月の男の子を育てています。2人目の出産の際、健診で「陣痛かもと思ったら、間違ってもいいからすぐに病院へ来て」と言われていました。2人目の出産ということもありますし、健診時にすでに子宮口が5cm開いていたこともその理由。しかし、実際に陣痛が来たとき、義母の予想外の行動で「すぐに病院へ」行けなくなってしまったのです……。深夜に陣痛開始妊娠39週0日の深夜1時ごろにおなかが張り始め、30分ほどで10分間隔に。すぐに夫を起こして病院に電話をしました。病院は家から30分。夜中なので長女は寝ています。 深夜に陣痛が来た場合は近くに住む義母に連絡し、病院へ行っている間、わが家に来て長女を見てもらうことになっていました。夫が義母に連絡すると、深夜ながら「すぐに向かう」との心強い返事をもらえました。 まだ!? 義母が来ない!義実家からわが家までは車で3分。義母が来るまでに私と夫はバタバタと病院に持って行く物などを最終チェックし車に積んでいました。しかし、待てどもなかなかこない義母。「お義母さん遅いね……」と話し、夫が義母に連絡しますが電話に出ません。 だんだんと「まだこないのかな!?」と痛みでイライラが増しながら待つこと30分、やっと義母が到着しました。このときすでに陣痛の間隔は2~3分。遅くなった理由を聞く余裕もなく、義母が着いてすぐに長女を任せ、急いで夫と病院へ向かいました。 遅れたその理由に驚き病院に着いて内診をすると「子宮口8cm! 着替えてそのまま分娩台に乗って!」と言われ、到着から30分ほどで元気な男の子を産みました。その後、入院中に夫と電話しているときに「そういえば……」と、出産のときに義母が遅れた理由を教えてくれました。 実は義母は、「もしかしたら救急車に乗って病院に行くかも」と思って自分の身支度をしていたのだそう。パジャマを着替え、シャワーを浴び、化粧をして軽く食事をしてから来たのだということでした。「陣痛が始まったらすぐに病院へ」ということは事前に義母にも伝えていたのですが、義母が自分の身支度に時間をかけていたことにとても驚きました。 夫が聞いたところによると「すぐに病院へとは言っても、陣痛は時間がかかるものだから焦ることではない」と義母は考えたようです。なぜ義母が「自分が救急車に乗るかも」と思ったのかは謎……。無事に出産を終えた今では話のネタにしていますが、そのときの私はすぐに義母が来てくれると思っていただけに、かなりイライラしてしまった出来事でした。 著者:水田 真理2児の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので楽しめるよう、創意工夫している。
2024年04月22日今回は、物語をもとにしたクイズを紹介します!クイズの解答を考えてみてくださいね。イラスト:エトラちゃんは見た!陣痛が始まったのでタクシーを呼ぼうとした話妊娠中の主人公は実家で1人でいるときに陣痛が始まってしまいます。主人公はすぐに病院に向かうため、タクシーに連絡。「子どもが産まれそうで病院まで乗せてほしいです」と運転手に実家の住所を伝えました。運転手は「そうですか」と言い、住所を確認します。早くしてほしい主人公出典:エトラちゃんは見た!不思議がる運転手出典:エトラちゃんは見た!ここでクイズ直後、運転手になんと言われたでしょう?ヒント!運転手も困っている様子でした。住所が見当たらない出典:エトラちゃんは見た!正解は…正解は「該当の住所が見当たらない」でした。該当の住所が見当たらないと言われてしまい顔面蒼白になる主人公。実は、主人公の家の近くで区画整理が行われており…住所や番地が従来のものから少し変わっていたのです。タクシーは諦めて、他の手段で病院に向かうことにするのでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※こちらのお話は体験談をもとに作成しています。(愛カツ編集部)
2024年04月22日立ち会い出産は家族とともに新しい命を迎える瞬間を共有できる、とても貴重な経験だと思っています。 1人目の出産時は里帰り出産だったため、出産に夫が間に合いませんでした。2人目こそは立ち会い出産をしてほしかったので、里帰りしませんでした。今回は、立ち会い出産時のエピソードをご紹介します。※コロナ禍前の体験談です。 普段焦ることのない夫が…妊娠40週4日の早朝、お産は突然始まりました。まだ夜明け前で外も暗いころ、生理痛のような痛みがやって来ました。もしかしたら……と思い、次は起きたまま時間を計ってみると10分間隔で痛みが来ていました。産院に連絡をしたら、すぐに来てくださいとのこと。 普段、焦ることなどない夫は、「陣痛が来たかも」という言葉に起こされ、明らかに慌てている様子が垣間見えました。私はまだ冷静だったので、入院準備を済ませて、急いで産院へと向かいました。ここでも夫は慌てており、見事に道を間違えていました。 意外と腰のさすり方がじょうずだった夫産院に到着したときはまだまだ歩けるくらいの痛みでしたが、陣痛が来ているので、そのまま入院することになりました。さすがに1人目の出産に立ち会っていない夫は、ここでも見事な慌てっぷり。今度は携帯電話を自宅に忘れたということで、自宅にとんぼ返りしました。 ひとりで夫を待っている間に陣痛の痛みも増してきて、テニスボールをおしりに挟んであぐらをかいて、ひたすら痛みに耐えていました。夫が戻ってきたころ、助産師さんに「順調におなかの張りも来ているので、動けなくなる前に分娩室に移動しておきましょう」と言われました。 分娩室に移動して間もなく、強い陣痛の波が短い間隔でやってきて、夫と助産師さんに、代わる代わるテニスボールでおしりに圧をかけてもらいました。夫の腰のさすり方が意外とじょうすだったのが印象的でした。しかし、強い痛みが来るたびに、思わずウゥーっという唸り声が漏れてしまったのですが、夫が一瞬、その声を聞いて笑ったのを私は見逃しませんでした。ちなみにこのときのことを、私はあとで散々責めたのですが、私も自分の声を思い出して夫と2人で笑ってしまいました。 夫に立ち会ってもらえて本当に心強かった!痛みがピークに達したころ、先生や助産師さんが次々と分娩室に入ってきました。「え? なんで?」と思っている間に、横向きだった体勢をあお向けにかえるよう指示されて、臨戦態勢に。思わず助産師さんに「子宮口、今何cmですか?」と聞くと、「もう全開大ですよ!」と言われ驚きました。 助産師さんに陣痛に合わせていきむようを言われて、強い痛みと共に、グーッといきみました。途中、赤ちゃんの心拍が急に落ちてきたので、私も必死で深呼吸をして、赤ちゃんにたくさんの酸素を送ろうと頑張りました。そして、とてつもなく強い陣痛の波に合わせて、3回程いきんだところで、ニュルンとした感覚が。その感覚のあと、かわいいかわいい赤ちゃんが生まれ、私も夫も元気に泣く赤ちゃんを見て、自然に笑みが溢れました。 病院到着から2時間半。あまりの早さに自分でも驚きました。1人目のお産は、初めてのことでいろいろな不安もあり、微弱陣痛で時間も長く、陣痛中もひとりだったので、正直しんどかったです。今回のお産は、2人目ということで、痛みを知っている分、痛みの怖さが蘇りましたが、夫に立ち会ってもらえたので本当に心強かったです。 今回のお産で、新しい家族を迎える瞬間を夫とともに過ごせました。また、あとから笑えるエピソードや感動を共有でき、かけがえのない思い出を夫と作ることができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/まっふ著者:大島 みな4歳、0歳の2児の母。現在は専業主婦で、2人の男の子の育児に日々奮闘中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月22日なっぱさんは第二子を妊娠中でも容赦ない上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、なっぱさんは“サムライポーズ”や「ギギギ」と発するいきみ逃しでひたすら耐えます。そして、陣痛開始から2時間後、子宮口が5cmまで開いたため分娩台へ移動することに。するとそこにべじ太さんがナイスタイミングで到着し、医師も到着。 しかし赤ちゃんはなかなか出てきません。赤ちゃんが生まれたあとの楽しい時間をイメージしながら、最大級の「ギィィィィ」でいきむなっぱさんは……! ついにこの瞬間が。分娩台に上がってからもなかなか生まれる兆しのない赤ちゃん。私は、必死の形相でラストスパートへ向けていきんだのでした。 出産最大級の山場を迎え、いきみ逃しの「ギギギ」にも限界を感じたなっぱさん。あとは気力で乗り越えようと、べじ太さんに手を握ってもらいます。 そして破水から5時間、陣痛開始から3時間後の午前6時8分、ついに元気な男の子が誕生したのでした……! 産後の入院を経て退院したなっぱさん。久しぶりに会うべじ子ちゃんが自分を忘れていないか心配でしたが、「お母さん待ってたよ~」と、入院する前よりおしゃべりがじょうずになっているべじ子を見てなっぱさんはうれし涙を流します。 べじ子ちゃんと赤ちゃん、尊い2人の命に感謝し、4人家族になった喜びを感じるなっぱさんなのでした。 ついに無事出産を終えたなっぱさん! 本当におめでたいですね……!コロナ禍の当時は、ひとりで出産する方も多かったでしょう。普段とはイレギュラーな状況下での出産は、ママも不安でいっぱいだと思いますが、赤ちゃんと2人で必死に闘った出産経験は、かけがえのないものになったのではないでしょうか。4人家族となり、これから大変なこともあるでしょうが、なっぱさん家族が今後も楽しく幸せに暮らせることを願いたいですね。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月21日なっぱさんは第二子を妊娠中。妊娠中も上の子のお世話に奮闘し、ついに出産予定日3日前になりました。夜中に破水したなっぱさんはすぐに産院へ行き、そのまま入院することに。陣痛が始まり、ネットで検索したいきみ逃しのポーズ“サムライポーズ”で陣痛に耐えていたなっぱさん。しかし午前4時になっぱさんを襲った最大級の陣痛にはサムライポーズもまったく効かず、次は「ギギギ」と声を発しながらいきみ逃しをすることに。その後、内診があり子宮口が5cmまで開いていることがわかりました。なっぱさんの陣痛との孤独な闘いはようやく終わりを迎え、ついに分娩台に移動することになったのです。 さあ来いっ分娩台に上がってからも「ギギギ」と発しながらいきみ逃しをしていると……? 子宮口が7cmまで開き、もう少しで赤ちゃんが生まれるというナイスタイミングで夫のべじ太さんも分娩室に到着しました。分娩室に医師がやってきて出産はラストスパートへ!赤ちゃんの心拍が下がってしまうので呼吸をするように医師から指示されますが、いきみ逃しに必死だったなっぱさんはうまく息が吸えません。赤ちゃんが生まれてからの楽しい日々を想像し、「ギィィィィ」と絶叫しながら必死にいきむなっぱさんなのでした。 べじ太さんがギリギリで立ち合いに間に合ってよかったですね。これまで陣痛とひとりで闘ってきたなっぱさんですが、そばで見守ってくれるべじ太さんの存在は何より心強いでしょう。赤ちゃんもなっぱさんもラストスパート!あとひと息、頑張ってほしいですね。 >>次の話 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター べじべじなっぱ
2024年04月20日皆さんは、義家族の言動に腹が立った経験はありますか?今回は「頼りにならない義母にイラッとした女性」のエピソードとその感想を紹介します。(CoordiSnap編集部)イラスト:kiala出産の手伝いをしたがる義母実家が遠方のため、里帰りせずに長女を出産することにした主人公。義母は「いつでも頼っていいから」と言ってくれますが…。主人公は気を遣うのが嫌で自分だけで頑張ろうと決めていました。ところが出産予定日が近くなると、義母が手伝えることはないかと聞いてきたのです。意見を聞かずに…出典:CoordiSnap主人公が妊婦健診の送迎をお願いすると、義母は看護師と話し始めて…。「出産当日は付き添うね!」と、主人公の意見を聞かずに勝手に決めてしまいました。そして迎えた出産当日、陣痛開始後に「何かすることは?」と尋ねてきた義母。夫への連絡をお願いしますが、義母からは「それは自分でしてよ」と言ってきたのです。来ただけで頼りにならない義母に「何のためについてきたの?」とイラッとする主人公なのでした。読者の感想「いつでも頼っていいから」と言ってくれるのはありがたいですが、かえって負担になることもありますよね。親切を押しつけるのではなく、本人の意見を尊重することが大切だと思いました。(20代/女性)出産の当日に付き添ってくれることは心強いですが、結局頼りにならないと、義母に対してイラッとするのも当然ですね。主人公の気持ちに共感しました。(30代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。
2024年04月20日私が第1子を出産中にかけられた助産師さんからのある言葉。この言葉は今でも育児につまずいたときに思い出して、私の励みになっています。出産は赤ちゃんと母親だけができる経験私は第1子の出産の際、出産予定日よりも3週間前に破水してしまい、急きょ入院することになりました。1日待って陣痛が来なければ、陣痛促進剤を打って出産すると言われていましたが、入院後すぐに陣痛が始まり、バタバタと分娩台へ。 分娩台へ乗ってから数時間が経ったころ、これまでに味わったことのない痛さに、助産師さんに「もうおなかを切ってほしい」「無理です」など、つい弱音を吐いてしまいました。 すると、50代くらいのベテランであろう助産師さんが、こう言ったのです。 「この出産はお母さんと赤ちゃん2人だけが経験できるもの。赤ちゃんを取り上げる私たちや立ち会う父親も、見守ることはできても、痛みや大変だった思いまでは残念ながら共有できない」。 そして、「赤ちゃんとお母さんが一緒に頑張るから、この子の人生が始まるんだよ。今、お母さんが頑張らないと10カ月おなかで大切に育ててきたこの子の大切な人生が始まらないよ!」と活を入れられました。 この言葉を聞いて私は「弱音を吐いている場合じゃない!」と気合いが入ったことを今でも覚えています。それからは泣き言を言わず痛みに耐えました。 活を入れられてから、1時間ほどで生まれてきてくれた息子。あのときの感動は今でも忘れません。今でも、育児でしんどくなったときは、助産師さんの言葉を思い出し、初心にかえるようにしています。 このときに生まれた息子は今年で5歳。今でも育児でたくさんイライラしたり悩んだりすることはありますが、悩んだときはこの助産師さんの言葉を思い出して、「子どもにとって母親は私だけだ」と自分に言い聞かせると心がスッと落ち着き、息子と向き合うことができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ミロチ著者:なかまる あゆみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月18日2024年3月に発足したベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママをお招きして、座談会を実施しました。ママが集まると話題になるのは、三者三様の出産エピソードトークです。ベビカレメイトのママが体験した出産体験談を聞いてみると、とてもとても後悔していることがあると言います。それは無痛分娩をするかしないか、という選択。通常分娩に挑んだそうですがーー。私は通常分娩で産む!通常分娩と無痛分娩、どちらがいいか尋ねられて、ベビカレメイトのママが選んだのは「通常分娩」でした。強い痛みがあるということはわかっていたけれど、挑んでやろうと意気込んでいたそうです。 産院のスタッフさんから「いつでも切り替えられるように、無痛分娩の承諾書にサインをしておけば?」と再三すすめられても断固拒否! 頑なにサインをしないまま、出産を迎えました。いざ出産!いざ陣痛が始まると、あまりの痛さに気絶寸前……。瞬時に通常分娩派から無痛分娩派に寝返って、「無痛分娩はしない」と決めていた自分の判断を深く深く後悔したそう。 陣痛の波がおさまったわずかな合間を見てナースコールを押し、無痛分娩への切り替えをお願いしたのでした。 しかしあれだけ拒んでいた無痛分娩に切り替えるとなると、ちょっとした気まずさも残ります。無痛分娩への切り替えは、小声でこそっと伝えたそうです。陣痛中、まさかの…これで無事無痛分娩に切り替え……というわけにはいきません。本来であれば事前に見ておくべきだった、無痛分娩についての説明動画を視聴する必要があります。 すでに陣痛が始まっているからといって、DVDをスキップはできず、陣痛に耐えながら見たのだそうです。 産院のスタッフさんのいうことは聞く、備えられるものは備えておく……。今後出産をするママは、ぜひこの教訓を活かしてほしいと話していました。 ◇ ◇ ◇ この教訓は出産のみならず、子育てや仕事などすべてに言えることかもしれませんね。ベビーカレンダー編集部にとっても、良い学びになりました!
2024年04月15日ママ特化型バラエティ『夫が寝たあとに』は、藤本美貴さんと横澤夏子さんが赤裸々にママトークを繰り広げるバラエティ番組。共感が止まらないと話題です。そんな2人は3児のママ。3度の妊娠・出産を振り返り「妊娠・出産あるある」についてしゃべり倒します。 立ち会い出産は気が散る!?立ち会い出産をしたという藤本美貴さんと横澤夏子さん。 横澤さんは、陣痛に耐える妻と共に息遣いが荒くなっていた夫を思い返して「何フラフラになってんだよ!」と笑います。対する藤本さんも夫である庄司智春さんに、「安産」と書かれたうちわでひたすらあおがれ、応援されていたというエピソードを披露しました。 2人に限らず、出産に立ち会ったもののスマホを触っていて気に障った、妻を見て痛い気分になっている夫に興醒めしたなどの話も耳にします。そんな話を聞いていると、立ち会い出産は気が散るのでは?と思う人もいるのではないでしょうか。夫が立ち会う意味はある?しかし藤本さんと横澤さんは、立ち会えるなら立ち会ったほうがいいと話します。立ち会い出産は“一緒に出産を頑張った”という実感が湧くのだそう。 また、夫には陣痛の痛みが引いているときの話し相手として、そばにいてほしいと言います。ただでさえ時間がかかる出産、ひとりでただ耐えるよりも一緒に入れくれる人がいたほうが、時間が過ぎるのが早いというのも頷けます。 出産はママにとって想像し難いほどにキツいもの。同じ気持ちになることは難しくても、寄り添うことに意味があるはずです。パパにお願いしたいこと番組内ではパパへのお願いも……。それは、何回目の出産でも新鮮な気持ちでいてほしいということ。 人生で初めてわが子の誕生に立ち会ったときの、感動や喜びはひとしおだと思います。しかし、第二子以降になると緊張感や感謝の気持ちが薄れてしまい、それが言動や行動に出てしまう人もいるそうです。藤本さん・横澤さんは、それではいけないと話していました。 何回目の出産でも、ママや赤ちゃんは同じくらい頑張っているはず。立ち会うパパも同じ気持ちでいてほしいですね。 見逃し無料配信動画サービスのTverでは、2024年4月14日(日)1時00分まで4月6日放送回の『夫が寝たあとに』を見ることができます。
2024年04月09日私は今、第二子を妊娠中です。幼稚園の娘が赤ちゃん返りをして大変なのですが、夫は出戻った幼馴染の女性に頼られ、うちのことは二の次で……。私がもうすぐ臨月になるというのに、夫は相変わらず幼馴染のところにばかり顔を出しています。幼馴染の家のことを手伝ったり、一緒に食事に行ったり。 夫の幼馴染はSNSのフォロワー数が多い、インフルエンサー気取りの女性です。たまに彼女の投稿をのぞくと、一緒に食事をしている夫の姿を見かけることも。そんな時間があるのなら、家のことをしてほしいのですが……。 とくに、娘の心のケアは急を要する事態。私が出産間近ということで、娘はいろいろな不安を抱えているのです。ですが、夫の優先順位は私たちより幼馴染のほうが上のようで……。幼いころから夫は彼女を助けてきたらしく、何か頼まれると断れないようなのです。 予定日間近に起こった悲劇いよいよ出産予定日が近づいてきました。いつ生まれてもおかしくない状況なので、週末は家にいてほしいと夫に頼みました。しかし、いまだ夫は幼馴染優先の日々です。離婚後、自分の親とギクシャクしている彼女には頼る人が自分しかいないと……。 そうだったとしても、私たち家族にも夫は必要です。幼馴染を大切にすることは理解できますが、それも大概にしてもらわないと困ってしまいます。 そんな話をすると夫は機嫌を悪くし、私のことを冷たい人間かのように言います。そんなやりとりを繰り返していたら、予定日前最後の休日になりました。その日は娘が朝から微熱を出し、私の体調も優れず、なんだか嫌な予感。しかし夫の元には、幼馴染からいつものSOS信号が……。 せめて娘を病院へ連れて行ってからにしてほしいと頼みましたが、風邪だから大丈夫だろうと勝手な判断をし、さっさと出かけてしまいました。 帰るコールが来たのは、もう夜もすっかり更けたころ。「子守り任せて悪いな」「幼馴染だからアイツを放っとけなくて」夫が出て行った後、娘は高熱が出て、私は陣痛が始まり……。ひとりではどうにもならず、幸い義母に連絡がついたので最悪の事態だけは避けられました。「熱は下がったか?」「あの子はもういないよ」慌てふためく夫に、娘が高熱で病院にいることを告げました。義母がきてくれなかったら、私たち母子はどうなっていたかわからなかったことも添えて……。 家族を優先すると誓った夫それから夫は慌てて帰ってきたようですが、家はもぬけの殻。私とも連絡が取れなくなり、右往左往したそうです。私はいよいよ出産する段階で、スマホを見ていなかったので仕方ないですね。 義母と連絡を取り合ったそうですが、夫はかなりしかられたそうです。ですが、大騒ぎだったあの日も、その翌日も、夫は幼馴染と食事をしていました。それも、とても楽しそうに! 彼女の投稿をチェックしていたら、そんな写真が上がっており……。 私は夫に離婚を宣告。陣痛中に、あんなにみじめで腹立たしい気持ちになるなんて思ってもみませんでした。私が動けたら、娘をすぐ病院へ連れていけたのに……。悔しかったです。 平謝りし、これからは必ず家族を優先すると誓う夫でしたが、私はそれを信じられず……。やり直しても前のようには暮らせません。放っておけない幼馴染と、どうぞお幸せに。 幼馴染と会わなくなり…その後夫は離婚を拒みましたが、両家の両親を交えて何度も話し合い、やっと別れることができました。離婚でひどく落ち込んだ夫は、幼馴染と会わないようになり……。 夫が使えなくなると、別の男友だち、しかもまた既婚者を呼び出すようになった幼馴染の彼女。再びいざこざを起こしたようで、ネット上は大いに荒れたそうです。それを知った元夫は、今では彼女のアンチ発言までするようになり……。どの口がそんなことを言うのか、そんな元夫の姿を見てドン引きしました。 離婚したことに後悔はありません。子どもたちにはたっぷり愛情を注ぎ、楽しい家庭を築いていきたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 夫は幼馴染から頼られて舞い上がっていたのかもしれませんが、もう少し周りの状況を冷静に見てほしかったですね。後悔することのないよう、いま何を優先すべきなのかを考えて行動したいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年04月08日ある日の朝のことです。おなかに違和感があり、陣痛!?と思って、急いで産婦人科に電話をしました。ちょっと! 何してんのよ!?夫が仕事に行ってしまっていたので、義両親が病院に付き添ってくれました。ひとりで病院に行ける痛さではなく、すごく助かりました。そして、病院に着くと、なんとそのまま分娩室に直行することに。夫が間に合うか間に合わないかの瀬戸際でした。陣痛の間隔が短くなってきたギリギリに夫が到着。一段落と思いきや、分娩室のドアを凄い勢いで開けたので、外で待ってくれていた義両親に私の姿見が丸見え!! おあー!!!と思たものの、いきむのに必死でなにも言えず……。あとから夫を怒りましたが、無事に出産できたのでよかったです。 ◇ ◇ ◇ 2人目以降は念入りに夫に伝えてあったのと、コロナ禍で立ち会いができないということもあり、特にハプニングもなく出産できました。1人目はお互い初めてのことだらけで、ハプニングがたくさんありましたが、無事出産できたことが何よりでした。 作画/さくら著者:みる20代、元気いっぱい2人兄弟のママです!!息抜きは、韓ドラ鑑賞です!監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月08日「一生忘れられない」(※画像はイメージです)ゆんさんとシルクロードさんは2023年5月30日に結婚を発表し、7月に第一子妊娠中であることを報告。そして4月2日、シルクロードさんはFischer’sのYouTubeチャンネルに動画をUPし、第一子の男の子「コルク」くん(愛称)が誕生したと公表しました。パパになった喜びを報告し、うれしさのあまり「産声聞けた瞬間、涙腺崩壊」したと明かしたシルクロードさん。立ち会い出産で、前々から「全力なケアを絶対してやろう」と気合いを入れて臨んだそうです。動画では出産シーンも公開。分娩が近づき陣痛に耐えるゆんさんを抱きかかえるように、シルクロードさんは腰や背中を優しくさすって励ますなど献身的にサポート。痛みはさらに強く激しくなり、叫び声を抑えられなくなるほど壮絶で、リアルな出産現場がうつされています。いよいよ子宮口が全開になると、いきむゆんさんに「(赤ちゃんの)髪の毛見えたって!」と伝えたり、枕を上げて支え、いきみやすくしてあげたりと、夫婦で協力しながら出産に向き合い、2900gの元気な男の子が生まれました。一緒に出産の大変さや喜びを分かち合い、「一生忘れられない大切な時間」になったようです。赤ちゃんはカンガルーケアでゆんさんやシルクロードさんに抱っこされた際におっぱいを吸うような仕草を見せており、生まれた直後からすでに生命力の強さを感じさせるたくましい子。担当の産院スタッフさんも「(おっぱいを探す仕草は)結構見るんですけど、その上吸っちゃうのはすごい」と感心していました。この動画には「シルクがゆんちゃん支えてる姿ほんとに頼もしいな」「ゆんちゃんがただかっこよすぎる動画」「これママ視聴者全員泣いてるよね…マジで末永く幸せにな……」と多くの感想コメントが寄せられています。動画の最後では、「家族で一緒に、真剣に向き合ってコルクが生まれました。この経験を忘れず、これからも大きな壁や困難は家族みんなで越えていけるように頑張ります。ママとコルク、頑張ったね!ありがとう!」と、パパになった喜びや決意をあらためて綴っていました。立ち会い出産はパパのサポートが肝心夫が出産に立ち会う場合、ただ痛がる妻の側にいて見守ればよいというわけにもいきません。夫には、妻が安心して出産に臨めるようにサポートをするという、大切な役割があります。たとえば、陣痛の最中のサポートもパパにできることの1つ。妻の背中や腰をさすってあげると痛みがやわらぐことが多いようです。また、腰などを押すために、テニスの硬球やゴルフボール等を準備しておくと役に立つことがあります。陣痛は人によって長さが異なるため、場合によっては何時間もさすり続けなければならない可能性もありますが、ママはその間、激しい痛みにひたすら耐えています。パパも辛抱強くサポートしましょう。ママがリラックスして、痛みを少しでも忘れることができるように、好きな音楽を用意するのもいいでしょう。また、陣痛の最中には食欲も落ちることが多いので、食べやすいゼリーや好きなジュースなどを準備するのもおすすめです。長丁場になることもあるため、買い物は余裕があるうちに済ませておき、少し多めに買っておくといいでしょう。そして出産が終わったら、命がけで赤ちゃんを産んだ妻に、感謝とねぎらいの言葉を伝えることも忘れずに!出産前後のパパの対応はその後の夫婦関係にも大きく関わるので、自分ができることはすべてやるぐらいの気持ちで臨んでください。参照:【医師監修】立ち会い出産準備で夫ができる4つのポイント
2024年04月03日出産予定日に陣痛が始まりました。夫の車で病院に向かおうとしたのですが、思いもよらない展開になり……!! いろんなことが重なって…陣痛がきたので“さあ病院へ!”と夫の運転で向かおうとしたのですが、一向に車のエンジンがかかりません。どうやらライトをつけっぱなしにしていたので、バッテリーが上がってしまったようでした。 「ライトを消し忘れたらブザー音が鳴るでしょ!」と言うと、「あー、鳴ってたかも?」と夫。その間にも陣痛は進み、痛みは増すばかり。幸い、実家が歩いて行ける距離なので、母に迎えに来てもらおうと連絡するも繋がらず。 とりあえず実家まで歩くことにしました。母の車を発見して安堵したとき、急に陣痛が強くなり……。すぐに母の車で病院へ。無事に出産しましたが、危ないところでした。 ◇ ◇ ◇ 入院や出産準備は余裕をもって進めている方が多いと思います。ただ、お産はいつ始まるかわからないので、移動手段については“もしも”のことも考えておきたいですね。 イラスト/森田家著者:山田花子
2024年04月02日3歳長男の反応は?(※画像は橋本マナミさんオフィシャルブログより)橋本マナミさんは2019年に医師の男性と結婚、2020年7月に第一子となる男の子の出産を発表しています。現在は第二子を妊娠中で、すでに安定期に入っていることをInstagramで公表。出産は初夏を予定しているそうです。すでにぽっこり大きくなったお腹がわかるワンピース姿の写真を投稿し、「第一子の時よりも胎動を激しく感じながら愛おしい毎日です」と綴った橋本さん。今年で4歳になる長男は、「お腹にちゅーしてくれたり、お気に入りのおもちゃを見せにきてくれたり」と赤ちゃんの誕生を楽しみにしているそうで、「家族一同心待ちにして元気に産まれてくることを願うばかり」だといいます。また、橋本さんは1~3月放送の連続ドラマ『春になったら』と『婚活1000本ノック』(ともにフジテレビ系)にダブルで出演しており、女優としても大活躍中。仕事については「体調面を考慮しながらお仕事は続けていくつもり」としています。胎動が激しすぎると痛いこともお母さんの胎内で赤ちゃんが動くことを「胎動」と言いますが、これは妊娠4~7ヶ月の間に感じることが多く、とくに妊娠5~6ヶ月で気づきやすいとされています。胎動の感じ方には個人差があり、感じ始めの感覚ではポコポコとお腹がかすかに動くような感じ、腸が動くような感じ、という先輩ママが多いよう。また、立って動いているときよりも、座ったり寝転んでいるときの方が感じやすかったとの声も多いです。しっかりとした胎動は赤ちゃんが元気に育っている証拠。成長とともに、手を伸ばす、足で蹴る、体を回すなど、大きな動きができるようになると、胎動も激しくなるものです。ただ、胎動が激しすぎるとママが痛みを感じることもあるでしょう。赤ちゃんの体が大きくなり、子宮内がせまくて動きづらくなると胎動も多少は落ち着いてくる傾向にありますが、それまでは少しでも体が楽になる姿勢を試すなど工夫して過ごしましょう。参照:【助産師解説】胎動はいつから?一般的な時期と感じ方<ママ体験談>【助産師解説】胎動が激しいのはおかしい?赤ちゃんの変化と受診のポイント
2024年04月01日陣痛室で、夫と実母に驚いたエピソードをご紹介します。 なんで…夜中に陣痛が始まり、産婦人科に入院後、陣痛室に入りました。陣痛室には夫がついていてくれ、連絡した実母も到着し、待合室で待ってくれていました。最初の陣痛は余裕だったので会話などしていましたが、次第に想像を絶する痛みに……。どうやら私は「どこかをさすってほしい」とか「押してほしい」とか訴えるタイプではなく、ひたすら耐え忍ぶタイプだったようで、ひたすら無言で耐え続け、少しの合間に夫を見ると……爆睡。 「何かしてくれというワケでもないし、夜中で退屈だったから仕方ない」と自分に言い聞かせていましたが、それから何度目かの陣痛に耐えたあと、イライラも爆発し「病室で寝てきて!」と追い出しました。そして実母が代わりに陣痛室へ。「あーしてあげようか。こーしてあげよーか」という実母の提案はすべて断り、ただただ耐え忍んでいたところ……実母も寝ていました。 今だから笑える思い出のエピソードですが、その後、朝に出産を無事終え、1時間ほど分娩室でひとりで処置を受けていました。問題なく経過し、病室に戻っていい許可が出たので、車椅子で病室に戻ったところ、病室に配膳されていた私の朝食は、夫に食べられていました。(女性/40代/契約職員) 作画/きょこ
2024年03月31日2人目を妊娠、予定日まで1週間くらいのときでした。長男が生まれて初めて熱性けいれんを起こし、どうしようかとアタフタ。そうこうしていたら、おなかに痛みを感じて……。 長男が熱性けいれん、そのとき陣痛が…その日は昼間に長男と近くの公園へ。元気に遊んでいたのですが、夕方になると長男の具合がなんだか悪くなり、38℃の熱がでてしまいました。 寝かせて様子を見ていたら、長男が生まれて初めての熱性けいれんを起こしたのです。どうしようかと考えていたら、私のおなかが痛くなり始めて……。これは陣痛かも、と感じました。 このタイミングで!?と思いましたが、里帰り出産で実家にいたことが救いでした。すぐに実母を呼び、長男のことをお願いしました。そして私は従兄弟の運転で産婦人科へ。 無事に次男を出産しましたが、ホッとする間はなく……。長男が心配で母に電話をする日々。連絡しては長男の様子を聞く1週間を過ごしました。この体験から、いつ何が起こるかわからない!何が起きても大丈夫なように考えておくことは大切だと実感しました。 ◇ ◇ ◇ 突然のことにびっくりしたかと思いますが、ママ以外の大人の手があってよかったですね。無事ご出産、おめでとうございます。母子2人っきりでどちらも緊急の場合は迷わず救急車を要請し、救急車を呼ぶか迷った際は救急安心センター事業(♯7119)に電話をしても。万が一のために、スマホに電話番号を登録しておくと安心ですね。 イラスト/さくら著者:小野利菜監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日真夜中に陣痛が来た私は病院へ。しかし子宮口はまだ十分に開いておらず、一時帰宅することに。次の日になってもまだ痛みがあったものの、また病院に行って一時帰宅だと言われたら嫌だと思った私は……? もっと早く言って〜!真夜中に陣痛が来て、病院に向かった私。子宮口を見てもらうと「まだ全然開いていないですねぇ」と言われ、結局その日は帰宅することに。次の日になってもずっと痛かったのですが、また病院に行って子宮口が開いていないと言われて帰らされたら、検査代がもったいない!と思い、必死に耐えました。あまりの苦しみぶりに、夫から「病院に行こうよ」と言われましたが、断固拒否。しかし結局、その日の午前2時ごろ痛みに耐えられなくなり、「やっぱりもう無理かもしれない……タクシー呼んでぇ……」と涙を流しながら夫に頼み、病院へ。 子宮口を見てくれた助産師さんから「あ、もう6cmも開いてるね。このまま入院だ。痛かったでしょう」と言われました。痛すぎて会話をする気力もなく、陣痛室へ。それからも相変わらず痛みは続き、寝られず……。このまま終わりが来ないんじゃないかと思いながら、地獄のような時間を朝までずっとベッドのリモコンのスイッチをひたすら数えて過ごしました。 そして翌日、朝だ……と思っていると助産師さんがやって来て、子宮口をチェック。すると「あらちょっと! もう全開大だわ! 分娩台準備するから!」と急にばたばたし始めました。え? 我慢しなくてよかったの? 最初に教えてくれー!と思った出来事です。 ◇ ◇ ◇ 初めての出産ではわからないことも多いですよね。診察の結果、一時帰宅を提案されるのはよくあることで、それは自宅のほうがママがリラックスできるという理由もあるからです。「再受診後にまた帰らされるのは嫌だな……」と家で無理に我慢することは避けましょう。もしまた帰宅となった場合は、どのタイミングで再度連絡をすれば良いのか事前に確認しておくと安心です。 そして病院で夜を過ごすことになった場合、陣痛と陣痛の間隔が短くなってきたり、痛みを感じる時間が長くなったりしたら、夜中であっても我慢せずに助産師さんに知らせてくださいね。 作画/森田家著者:藤 のぞみ監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年03月23日今回は、人気のマンガをクイズ形式で紹介します!マンガのストーリーがどんな結末になるか考えてみてくださいね。イラスト:iwao.※この物語はフィクションです病院に到着するとある日、妊娠中の主人公が朝食を作っていると、お腹の痛みに襲われました。すぐ夫に「陣痛がきたみたい…」と伝え、病院へ向かいますが…。出典:愛カツ夫が苦言を呈すると出典:愛カツここでクイズこの後、夫は何を要求したでしょうか?ヒント!夫は「安心できない!」と激怒しました。[nextpage title="aK^0n`0DS;00f"]激怒する夫出典:愛カツ正解は…正解は「別の先生にしてほしい」でした。態度が悪い医者に対して「こんな状態の先生じゃ安心できない!」と激怒した夫。しかし医者の態度は変わらず「わがまま言わないで」と言い返してきたのです。その様子に「だからってそんな先生じゃ不安でしょう!?」と夫は怒りはおさまらないのでした。(愛カツ編集部)
2024年03月21日