友達関係でトラブルが起こりがちだった自閉症長男が、ついに友達を家に呼ぶ!この春5年生になったASD(自閉スペクトラム症)の長男ミミは、今までうちにお友達を連れてきたことがありませんでした。4年生の時は学校から帰宅したとたん泣きながら友達から嫌なことをされたと訴えたこともあり、つねづね友達関係はなかなか難しいなと思っていた私。そんなミミですが、4年生終わりの3月くらいから、友達との楽しかった出来事などを話してくれるようになり、そしてついに「友達連れてくる!」という言葉がでたのです!今までは公園に行ってもルールを守れず浮いていたし、クラスメイトが公園に居ると「イヤな子がいる」と言って公園に入らなかったりしていたミミ。放課後は毎日自宅でゲームやテレビを見る生活だったので、私はミミがお友達を連れて来ることをとてもうれしく思いました。一番はしゃいでいるけれど……浮いてる?ミミが連れてきたのは、小学生男子8人!狭いわが家はぎゅうぎゅうでした。なにで遊ぶのかな?ゲームかな?と思っていたところ、みんなそれぞれゲームやテレビなどで楽しんでいました。そして何より、ミミが一番はしゃいで楽しそう!きっと友達たちがうちにいるのがうれしいのでしょう。Upload By taekoですが、ミミが一人空回りしているなという場面も見えてきました。ミミは漫画やおもちゃを友達に自慢しがち。でも自慢してもみんなはゲームに夢中で、誰も見てくれないのです。そんな場面が何度かあり、私はそれ見るたびに心がチクッとしました。ですが数日後、また同じようなメンバーが遊びにきてくれ、またその後も数回お友達の訪問が続きました。グループが分かれた?自分の家に友達を呼んでいるのに孤立しているように見えて……その日も朝から「今日もお友達誘っていい?」とうれしそうだったミミ。ですが、学校から帰宅したミミに「今日は何人来るの?」と聞いたところ「7人くらいかな……でも……本当はK君のお家に行きたかったんだ」というのです。Upload By taekoK君はミミが大好きな友達です。でも今日はK君のおうちに集まるグループと、うちにくるグループに分かれたようで、当然K君はうちには来てくれないそうで……。好きなお友達が来なかったミミは、いつもより元気がないように見えました。そして、その日もミミの周りにはお友達はおらず、わが家にいながらも孤立しているように感じました。Upload By taeko自閉症長男は、これから人づき合いを学んでいく浮いている、孤立しているミミを見て悲しい気持ちにならないというのは嘘になりますが、今ミミは人づき合いを学んでいるところだと思うのです。このような経験をして、自分はどうしたいのか、どうすればいいのか感じ取っていってくれればと思いました。その後、晴れている日は毎日のように公園へ行き出したミミ。大好きなお友達と遊んでいるようです。自分が小学校の頃も、こういう風に友達とのつき合い方を学んでいったなと思い出しました。ミミはこれからいろいろ学んでいくんだね。公園で汚れた服や靴を見るたびに、友達と走り回っているミミが見えるようで、私はうれしいのでした。Upload By taeko執筆/taeko(監修:鈴木先生より)ASDのお子さんはこだわりや感覚過敏、マイペースなところがあり、集団の中では孤立しやすい傾向にあります。園庭の砂場でみんなの中にいても一人だけ穴を掘っていたり、うるさい子がいるとその子から離れて遊んだりとする傾向があります。今回ミミさんが連れてきた友人はまだ表面的な付き合いだったのかもしれません。お友だちの家にゲームをやりたくて行く子もいます。いろいろなお子さんがいますから、いずれその中の一人でもミミさんと気が合えば真の友人となる可能性が潜んでいます。まずはお友だちを家に呼べたことを良しと考えましょう。学校なら担任が、家なら親やきょうだいが間に入って、時にはミミさんを含めた2~3人の少人数でできる遊びの輪に入れてあげる配慮も必要になります。一度溶け合えば次からは自然と遊べるようになるはずです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年06月01日わが家の双子は現在5歳で、2人とも自閉症スペクトラム障害の診断を受けています。ある日職場の先輩に、翌年に進学する小学校について悩んでいると話したところ、とんでもないことを言い出したのです……。 進学への迷い自閉症スペクトラム障害と診断されているわが家の双子。来年の小学校進学に向けて、夏ごろには普通学級か支援学級か決めなくてはならないだろうと小児科の先生に言われ、私は困っていました。 落ち着きも協調性もなく、しかも繊細な双子たち。どんなクラスに進学するのが彼らにとって最適なのか、その判断基準がはっきりとわからなかったのです。 先輩に何気なく相談すると…ある日、職場の先輩と雑談していた際に小学校の話となり、私は何気なく双子の進学先を迷っていることを話しました。すると、その先輩があからさまに面倒くさそうな態度をとったのです。そして、「そんなこと迷ってるの」とぽつり。私にとっては一大事なので、そんな風に言われてしまいとても悲しくなってしまいました。もちろん先輩に、わが家の状況を理解してもらえるとは思いませんが、何もそんな風に言わなくても……と思ってしまったのは正直なところです。 私は、先輩にこれ以上相談したりするのはやめようと思い、適当に相槌を打ってすぐに話題を変えました。 双子たちの進学先はまだ決まっていませんが、彼らがどんなときにも委縮することなく堂々と生きていけるように、そんな勇敢な人になれるように、今後の判断をしていきたいと、改めて強く思った出来事でした。 著者:木下うめ子
2024年05月31日高学年になってからの学校トラブル。先生の叱責がきっかけで、からかいのターゲットにある日学校で、ハルはクラスの男子たちが純粋そうな女子に対して「〇〇って知ってる?」と性的な言葉をわざと使って質問し、からかっている場面に遭遇しました。困惑している女子を見て、ハルは「僕も分からないから、辞書で調べてみるよ」と辞書を開こうとしました。すると、男子たちはさらに騒ぎ立て、慌てていた担任の先生はハルのその行動にビックリしてしまい、「やめなさいハル君!!」とすごい剣幕で叱りました。ハルはなぜ自分が叱られたのか理解できず、ぼくが悪かったのか……と困惑し、落ち込んでしまいました。その後、その出来事をきっかけに、強めな男子たちはハルをからかいのターゲットにするようになりました。わが子が置かれた状況を知り、激しく動揺。これ以上からかわれないために「強く言い返しなさい」と伝えたが……元気がなさそうなハルの様子が気になっていた私は、ハルに学校で何かあったのかたずねました。ハルから事情を聞いた私は、激しく動揺しました。「もっと毅然と強くならなければ、ハルはこれからもからかいの対象になってしまう!」と感じ、ハルに「強く言い返さないままだと、もっとからかわれる。言い返すことができないのなら家で練習してみなさい」と言ってしまったのです。すると、ハルは「僕はできない……強く言い返すとか、そんなことしたくない!」と泣きだし、過呼吸になってしまいました。その様子を目の当たりにし、やっと自分の対応が間違っていたことに気がついた私は、ハルへかけた言葉を心から後悔しました。Upload By 安田ふくこすぐにハルに謝り、抱きしめながら「お母さんが間違ったよ、本当にごめん。大変な状況の中、葛藤して頑張っていたんだよね……。あなたは間違っていないし、決して弱くもなかった。むしろ優しさという“本当の強さ”を持っているって、お母さん気がついたよ」と伝えました。強く言い返すことができない気持ちごと受け止め、本質にあるハルの優しさを認めることこそ、母親としての役割なのだと痛感しました。するとハルは「自分にとって納得できない、大変なことを“やれ”って言われるのは苦しい。つらくても頑張ってる時は、家族にはそんなふうに“あなたは間違ってない、とても頑張ってる”って言ってもらいたかった」と泣きながらも、自分の思いを伝えてくれ、落ち着きを取り戻しました。「もっとこうしなさい」ではなく「一緒に考えてみる」ことで得た気づきとは?それからは、気が強く支配的なところのある男子が、たとえひどい言葉で“自分たちに従わず、周囲とは反応が異なる溶け込めないハル”を傷つけようとしてきても、以前ほどには気持ちが動揺しなくなりました。しかし、引き続きハルの気持ちを見守ってはいました。小6のある日、ある強気な男子にひどい言葉で傷つけられ、ハルが落ち込んだことがありました。その頃の私は「もっとこうしなさい」ではなく「ハルと一緒に考えてみる」という発想を持つようになっていました。そして「なぜハルはひどいことを言われるのか?」だけではなく、「なぜ相手はひどい言葉で傷つけてくるのか?」と、ハルと一緒に客観的に考えてみるようにもなりました。これまでどうしても私は、発達が独特でゆっくりなハルを心配するあまり、「早く周囲に溶け込めるように、周囲と足並みを合わせられるように……」と考えてきました。ですが、そう考えることを少し改め、今ある状態を多面的に捉えることで分かったことがありました。攻撃してくる相手は、実は自分自身の心の弱さを隠しているのだということ。周囲とは異なる人を攻撃することで自分を保っている、そんな弱いところがあるのだということです。Upload By 安田ふくこそのことに気づいたハルも「じゃあ自分の心は、そんな小さなものに囚われなくて良いんだね」と前を向き、一回り成長したように見えました。それからはハルも私も、「強く見えるだけ」ではない「本当の強さ」とは何かを、いつも心に留めるようになりました。トラブルを経験して、親子共に大きく変わった考え方この高学年で経験したトラブルがきっかけで、親子の関係も大きく変わったように感じます。周囲に無理にでも溶け込ませよう、溶け込もうとするよりも、「そういうところがあるんだね。それも大切なあなた。よく頑張って生きている。人とは違うそんな面も、私はとっても素敵だと思う」、そんなスタンスで向き合ったほうが、子どもにとっても親の自分にとっても良いということを心の底から感じたのでした。Upload By 安田ふくこそして、そんなふうに至った思いは長男が高校生となった今でも、私と長男の関係の基盤となっており、日々を支えてくれているように思います。執筆/安田ふくこ(監修:森先生より)小学校も高学年ともなると、大人の目が行き届きにくくなったり、人間関係の悩みも複雑になることが増えてきますよね。親に相談できない子どもも多いところ、ふくこさんとお子さんは、日頃からしっかりとコミュニケーションを取っていて信頼関係が築けているのですね。子どもから相談されると、親としては良かれと思って「あなたはもっとこうしたほうがいい」というアドバイスをしがちです。しかし、アドバイスは、心が弱っているときには、「批判」のように感じてしまうことがあります。まずは「家族はそのままの自分を受け入れてくれる」という安心感が必要なのです。外の世界でどんなに理不尽な思いをしても、家庭が子どもにとって「心の安全基地」としてしっかり機能していると、子どもは傷付いた心を回復することができます。そしてまた外の世界に冒険に出ることができるようになるのです。まずは「つらかったね」「がんばったね」と受け入れてあげましょう。その上で、同じ目線から対策を一緒にたてるといいですね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月30日赤ちゃんの頃のマユユとわたし娘のマユユが0歳で受けた健診は、すべて『問題なし』でした。寝返りやつかまり立ちなどの身体的な発達は育児書のめやす通りで、母子手帳の記録も『はい』ばかり。視線が合わないという感覚もなく、笑顔もみられていました。第一子ということもあり私の中に基準がなかったのもありますが、”病院でも指摘されないし、順調に育っているんだろう”と思い込んでいました。Upload By サチコしかしマユユは飲め(食べ)ない・眠れない子どもではありました。理由の分からないグズりも多く、泣いている時間も長かったように感じます。飲めない・食べないマユユはおっぱいを上手に飲めず、しばらくはミルクとの混合栄養を試みていました。しかし、おっぱいをうまく吸えないうえに哺乳瓶も嫌がることが多く、『しっかり飲めたね!』という日はあまりありませんでした。その後はじめた離乳食も初期・中期とほとんど食べてくれず、栄養は足りているのだろうかと不安でした。睡眠にも難しさがあったので、お腹いっぱいになってグッスリ眠ってほしいのに……という焦りもありました。Upload By サチコ大きくなってくるにつれて、マユユには不器用さ・こだわり・変化が苦手などの特性があることが分かってきました。今思えば、その特性ゆえに哺乳瓶を嫌がったり離乳食を食べなかったりしたのかもしれません。眠れない3歳頃までは睡眠に難しさがありました。年齢によって様子はさまざまでしたが、0歳の頃は寝つきが悪い・30分ほどの短時間で何度も起きる・眠りが浅いという感じでした。前述したようにしっかりおっぱいやミルクを飲めていなかったのも細切れ睡眠の理由の一つだったのかもしれません。マユユにトントンやお歌は効かず、長時間ユラユラと抱っこしていてもなかなか眠りませんでした。いっそしばらくお布団におろして様子をみても泣くばかりで、まさにお手上げ。疲れ果てて眠ったと思ったらすぐに起きてしまうので、本当にただ子どもを寝かせて、眠ったら私も少しでも寝る!という生活でした。Upload By サチコしばらくして『この子は抱っこやふれあいが苦手なのかも』『神経質なところがあるかも』と感じるようになってきました。感覚過敏もあるようなので、睡眠に関してはこの辺りが影響してうまく眠れなかったのかなと思いました。抱っこで落ち着かない抱っこはいつまでたってもしっくりときませんでした。現在1歳のマユユの妹は抱っこすると体を預けてきたり『抱っこされるぞ!』という体勢になったりしている感覚があるのですが、今思い返すと同じ頃のマユユは抱っこしにくい赤ちゃんでした。対面だともぞもぞと落ち着かないので、前向きにして後ろから包み込むように抱っこするとうれしそうにしていました。Upload By サチコ4歳の現在も、触れ合ってのコミュニケーションはあまり好みません。よく泣く抱っこ紐でも、ベビーカーでも、チャイルドシートでも、とにかくよく泣いていました。あれこれ試しても理由が分からず、抱っこしたりあやしたりしても泣き止まないのでだんだんとお出かけが怖くなっていきました。泣くのにはいろいろな理由があったと思うのですが、お出かけに関しては・抱っこが苦手なこと・ベルトなどの締め付けが苦手なことなど、移動するときに使うツールが苦手だったり、そもそも抱っこされるのが苦手だから嫌がっていたのかもしれません。マユユが”しなかった”ことまずマユユには、人見知りする様子が全くありませんでした。これは現在も同じです。発達相談や検査でも社会性の低さやそもそもの人への意識の低さがあると言われているので、「人見知りをしない」というより「他者を意識していない」というほうがしっくりきます。ただ最近は少しずつですが意識が見られるようになり、以前までびっくりするほどスルーしていた挨拶を返すことが増えました。これは療育に通ってからの経験や習慣を通して本人が成長してくれたのだと思います。Upload By サチコもうひとつ、0歳の後半でみられるという共同注意や指さしも長いこと出現しませんでした。たとえば大人が『お花だね』みたいなことを言ってお花を指さしてもチラリとも見ないし、逆に見てほしいというように指さしをすることもありませんでした。相談できなかった母子手帳の『相談できる人はいますか?』の欄はいつも『どちらともいえない』でした。赤ちゃんは手がかかるものだと思い込んでいたので、誰かに相談したり、ましてや発達について受診するような考えには至りませんでした。「赤ちゃんが寝てくれなくて」なんて相談をしても「赤ちゃんだしね」と呆れられるんじゃないかという気持ちもあり……睡眠不足で疲弊しながら『きっともう少しで楽になる!』となんとか自分を励ましました。その頃は検索魔になり、「いつ楽になるか」「いつ眠れるようになるか」「赤ちゃん 眠れる方法」というようなことばかり調べていました。Upload By サチコさいごに実はマユユの産後すぐに夫の転勤が決まり、赤ちゃんを連れて見知らぬ土地に引っ越しました。子育て支援センターや保健センターに窓口があるのは分かっていましたが、知らない土地で知らない人にボロボロの姿で相談に行くことは、寝不足の当時の私にはさらに億劫に思えました。だけど、いろいろな人に赤ちゃんの様子を見せられていたら、なにか助言をもらえていたかもしれない。気が楽になったかもしれない。きっと相談窓口の方は、親(私)の外見なんか気にしなかっただろうし、もう少し何かに頼ればよかったなあと思います。マユユも今では夜はしっかり眠り、偏食はありますが食べられるものも増えました。親の私もまたマユユの特性を知り、対応を学んできました。私たちはこれからも一緒に成長するのだと思っています。執筆/サチコ(監修:森先生より)慣れない場所での育児、とっても頑張られましたね。サチコさんのように、大変な思いをしながらも自分を奮い立たせて頑張ってしまう方は、助けを求めることが難しい場合があります。「もっと誰かに頼りましょう」と簡単に言っても、「頼るだけの気力がない」というケースも非常に多いのです。助けを求めても「甘えているんじゃないの?」と言われるのではないかと不安になってしまったり、相手に迷惑をかけるのではないかと考えすぎてしまったり、完璧主義だったりと原因はさまざまですが、ひとつに「アタッチメント」の形成がうまくいっていないというケースもあります。「アタッチメント」とは、困った時にほかの人にくっついて安心感を得たいと思う欲求のことです。怖い時にお母さんにしがみつく子どもの気持ち、と考えると分かりやすいですね。不安な時に助けを求める→安心するという経験を積むと、「アタッチメント」は形成されていきます。逆に、頼っても怒られたり無視されたりしてうまく行かなかった経験を積み重ねると、人に頼るのを躊躇するようになってしまう可能性があります。経験の積み重ねは、小さい子どもだけでなく大人にとっても重要なのです。「アタッチメント」がうまく形成されていないと、人を頼るのに精神的なエネルギーを多く使うようになる可能性があります。「頼るのが苦手だな」と思う場合は、本格的に困って身動きが取れなくなる前に、ちょっとした違和感を持った段階であらかじめ相談しておくといいですね。前のコラムはこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月29日春はオープンキャンパスの季節!オープンキャンパスとは、大学がキャンパスを受験生などに開放し、入試説明会や体験授業などを行うイベントのこと。わが家のASD(自閉スペクトラム症)娘いっちゃんも高校3年生になり、いよいよ志望校を決めなければならない時期になりました。高校2年の夏休みはコロナに罹ってしまって一校も回れなかったので、今年の4月は毎週のように大学のオープンキャンパスの予定を入れていました。息子の時は予約制ではなく、大勢の学生が列をつくっていたものだですが……今ではほとんどの大学がインターネットで予約を入れての時間差入場、時代は変わったものです。Upload By 寺島ヒロいっちゃんの志望は芸術系。先生の授業の進め方も知りたいというので、体験授業もびっしり入れました。いっちゃんは声が大きくて早口の先生が苦手なのです。「叱られている感じがして、話の中身が頭に入ってこない」と言います。キャンパスツアーと体験授業いざオープンキャンパスへ!オープンキャンパスのメニューは学校説明会、受験説明会、入学相談会などの学校の制度について教えてもらえるプログラムと、実際に学校の施設を見て回るキャンパスツアーや、模擬授業を受けられる体験授業などがあります。今回はいっちゃんの希望でキャンパスツアーと体験授業に参加することにしました。キャンパスツアーでは、在校生のボランティアが、見学者を10名ほどずつに分けて三角の旗で引率しつつ、校内の部屋や機材を紹介してくれます。所用時間は40分ぐらいです。Upload By 寺島ヒロ体験授業では、漆芸の講座を選び、実際に授業でも使う素材を使って小さな螺鈿(らでん)の作品を作りました。体験授業は実際の授業時間と同じ90分でした。高校の授業時間に比べるとかなり長いですが、授業に参加した皆さんは長時間の作業でも集中して取り組んでいたようです。いっちゃんも終始真剣な表情で作業に取り組んでいました。入学相談会は学部専攻ごとにこの学校では、特に個別で相談をしたいという人のために、体験授業の会場の一部を相談会場としてセッティングしており、それぞれの学部学科、専攻に合ったアドバイスを受けられます。これはほかの大学ではあまりやっていないことなので大変好印象でした!学生の生活時間帯や研究の内容、使う絵具や薬品(アレルギーがあるかも)など、学生課での相談ではフォローしていない、専門的な細かいところも教えてくれるのがありがたいと思いました。Upload By 寺島ヒロ入学相談会には、娘と一緒に参加し「娘には障害があり、登校しての授業に全ては参加できない可能性があること」「現在は通信制の高校に通っていること」を伝え、「ここで学ばせていただくには、出席日数はどの程度必要でしょうか?」と聞いてみました。すると、理由があればいつでも授業を欠席できること、卒業要件としては出席日数はそれほど厳しくない(作品の評価の割合が大きい)ことを教えていただきました。しかし、その場に参加して作業をしないと面白くない授業が多そうだという印象も持ちました。この大学では、座学だけでなく実習を伴う授業も多くあり、チームでのプロジェクトを経験する事が重要視されています。そのため、最初からあまり登校しないで済むようにデザインされている同じ大学の通信部のほうが娘には都合がいいかもしれません。いくつかの大学を見て...このあとも、1ヶ月半ほどかけて、週末ごとに行われるオープンキャンパスに参加しました。同じ大学の違う学部学科の体験授業を受けたり、また、ほかの大学のキャンパスツアーに出かけたりもしました。芸術系の学部ばかりを見たので、やっていることはそれほど違いはないのですが、なんとなく校内にある雰囲気が、微妙に、しかし決定的に違うなと感じました。特に学部の教授、講師の方の作品や研究、学生への接し方などは、入学すれば毎日一番影響を受けることなので、絶対見ておくべきポイント。個人的には偏差値や卒業生の就職率より大事だと思っています。さて、いっちゃんの進路は...?5月の中旬時点で、まだいくつか回ってみる予定の大学を残していますが、娘は最初に行った大学の通信部に、かなり心惹かれているようです。通信部は講師の先生方もインターネットで参加するので、アッと驚くような現役作家が何人も参加しています。これは常駐の講師で全教科を担当している地方の単科大ではなかなかできないこと、インターネット時代の通信教育ならではでしょう。「あの先生知ってる!直接見てもらえるの!?」と娘も目を輝かせていました。娘の希望がある程度固まったら、今度は入学を検討している大学の学生支援課(※名称は大学によって違います)へ、6~8月の間に具体的な支援について相談に行くことになります。まだまだやることは多いですが、娘が自分の可能性を最大限に発揮できる環境を見つけられるよう、私も暑さに負けず頑張りたいと思います。執筆/寺島ヒロ前の記事はこちら(監修:藤井先生より)高校3年の4月からオープンキャンパスに参加し、これから具体的な支援についても相談されるのはとても良いですね。秋頃になってから相談も可能だとは思いますが、早い段階から見学をすると、先生方の雰囲気、学生への接し方など細やかなところもゆっくりと見られるのが良いですね。いっちゃんが大学進学を希望し、大学の見学・検討をすることで、将来への選択の幅が広がったり、自信をつける機会になると思いました。いっちゃんにとって良い学ぶ場所が見つかることを応援しています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月24日痛みでは泣かず、跳ねるような動きがみられた幼少期わが家の長男りーは、赤ちゃんの頃から泣き声がとても大きい子でした。お腹が空いた時には特に激しく泣いていました。しかし頭をぶつけるなど痛い思いをした時にはあまり泣かないので、不思議に思っていました。Upload By かし りりあそして1歳を過ぎた頃、今思うと気になる動きをしていました。興奮すると跳ねるように、座った状態から、立膝になる動作をするのです。当時は「変わった動きをするなあ」「かわいいなあ」程度にしか思ってませんでした。しかしこの行動、今のりーの飛び跳ねている様子とそっくりで、りーの特性と関係があるのかなと思っています。Upload By かし りりあ聞こえているはずなのに……名前を呼んでも、手遊びにも反応なし同じ頃「そろそろ、りーとやりとりの遊びができるかな」と思っていました。名前を呼んでみたり、りーの手をとって一緒に手遊びをしたりと誘いかけていました。しかし、りーは私を見るだけで、特に反応はありませんでした。もしかして、私の声が聞こえていないのかな?とも思ったのですが、テレビ番組の歌には反応しているので、聴力の問題ではなく私の遊びに興味がないのかと思っていました。そのため、りーの興味を引きそうな手遊びや人形遊びなどをいろいろ試して、何度も誘いかけてみましたが、反応はいまいちでした。1歳半健診での医師の言葉にショック。親子療育を提案されたけれどそして迎えた1歳半健診。りーは保健師さんの問いかけにも指差しはなし、指示に対しても反応しませんでした。待っている間は姿勢を保てず、椅子の上で寝転がろうとするりーを何とか支えて、小児科医の先生の診察となりました。いつもと違う環境でキョロキョロあたりを見まわしたり、あちこち動くりー。そんな様子を見て先生は「この子は落ち着きがない」とひとこと。そんなつもりはなかったのかもしれませんが、その時の表情や言い方は、当時の私たちには冷たく、また突き放されたように感じました。初めての育児で不安な中、ショックが大きかったのかもしれません。そこからははっきりと覚えてはいませんが、一緒に参加していた夫が話を聞き、対応してくれました。その後、発達相談の担当の方にも診てもらい、りーが理解しやすい方法をアドバイスしてもらいました。その方法とは、お菓子や飲み物などを実際に見せて、本人に欲しいものを選ばせるというやりとりをしていく、というもの。実際行ってみると、最初は全てのものに手を伸ばしていたりーですが、少しずつ欲しいものを選ぶようになりました。Upload By かし りりあ最後に、「こういったものもあります」と親子療育の案内を受けました。週に2回、午前中の療育。フルタイムで働いている私たちにとっては、時間的になかなか難しいものがありました。そのため、夫婦で相談した結果、まずは家でできることをやってみて、幼稚園入園までに変わらなければ、療育を考えていくということになりました。安心できる情報にすがる日々。それでも不安は消えず、頼った先はUpload By かし りりあこの頃の私はインターネットで自分の安心する記事ばかり見ていました。「3歳から話しはじめました」「不安だったけど話し出したら2語文、3語文あっという間に話しています」などの記事を見て、「りーは今その時期じゃないだけ」「発達がゆっくりだけどすぐに追いつくはずだ」と自分を無理やり安心させていました。こうして無理やり自分自身を安心させている半面、「この子は何かあるのかもしれない」という気持ちがなくなったわけではありませんでした。私たちの住んでいる地域には児童発達支援の施設が多くありません。万が一のことを考え、知り合いの児童発達支援施設の先生へ連絡しました。その先生はこちらの事情を話すと温かく迎えてくれ、りーが利用することになるかも、ということも快諾してくれました。この先生との関わりで、私とりーの世界が大きく広がっていくことになったのですが、りーのその後についてはまた別の機会に書かせていただきます。執筆/かしりりあ(監修:初川先生より)長男りーくんの幼少期のエピソードをありがとうございます。発達や様子に気になるところはありつつも、それが何であるか、そしてどうやって「やりとり」をしていくかが見えない。そんな時期のお話でした。ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんには感覚の過敏などがあることは昨今よく知られていますが、過敏と同様に鈍麻もあります。熱が出ていることに気づかない、痛みに鈍感である。感覚としての鈍感さを呈するものがあるということです。あるものは過敏で、あるものは鈍くて。そうしたこともあるでしょう。感覚鈍麻がみられる場合は、体調の変化やケガがみられた時にお子さん本人から訴えが出づらいこともあり、周囲の大人はそのあたり気を配ることが必要です。お子さんへの療育は早期であるほうがよいとされていますが、仕事の状況や地域的な課題などで実際療育を受けられるかどうかはご家庭で判断してゆくことになります。夫婦で話し合って決められたとのこと、よかったです。話し合える家族や親族、地域の支援者がいることは何よりです。インターネットでさまざまな経験談がシェアされる時代。実際にはお子さんの状況やお子さんの周辺状況はかなりケースバイケースなのですが、不安から検索してしまうこと、また自分にとって救いとなるような情報ばかり見てしまうこと。よくあると思います。ただ、本当にこうしたことはケースバイケースで、目の前にいるお子さんがどのような発達経過をたどるかはインターネットを見ていてもどうにも分からないものです。継続的に相談でき、お子さんの様子を見て介入(療育など)してくださる、いわば子育ての伴走相手としての支援職が近くにいるといいなと感じます。かしさんにはお知り合いの児童発達支援施設の先生がいらしたこと、何よりです。近くに相談相手がいない、という場合には自治体の子育て支援センターや療育センターなどにそのあたり相談いただけると、さまざまな情報を集めることができると思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月24日発達障害グレーゾーン?不安が強い次男私には2人の息子がいます。長男けんとは現在、小学3年生。3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けました。次男ゆうきは、小学1年生。以前、病院の先生に「ASDの診断がつくか、つかないかの境界付近」と言われたことがあります。ゆうきは、小さいころから不安が強く、心配性。天邪鬼で極度の負けず嫌い。物事を白黒はっきりつけたがるタイプの、恐竜が大好きな男の子です。Upload By ゆきみゆうきがASDの診断を受けるかどうか……ということは、私自身はあまり気にしておらず、ゆうきの特性で少しでも困りごとが少なくなるように……と思い、2歳から発達支援施設へ通い始めました。今回は、そんな次男ゆうきについて書かせていただこうと思います。3歳で発語ほぼなし…きっかけは1歳半健診長男けんともそうだったのですが、次男ゆうきも1歳半の時に全く言葉が出ていませんでした。ゆうきの1歳半健診があった頃は、3歳の長男の発達のことで悩むことが多かった時期。ゆうきが1歳半健診前に言葉が出ていなかったことを気にしてはいたものの、それ以上に3歳で言葉が遅く、苦手なことがとても多い長男のことで、私の頭の中はいっぱいだったのです。Upload By ゆきみゆうきは「あっちを見て」と指をさせば、その方向を見ました。通っていたベビー体操では、長男と比べると上手に身体を動かしていました。ほかにも、こちらの言うことへの反応が長男と比べるとずっと良かったのです。このように「長男と比べると」できることが多かったのが、次男ゆうきの発達をあまり心配していなかった要因の1つだと思います。しかし1歳半健診の時、「言葉が出ていない」ということで要観察に。それをきっかけに、私はゆうきの発達について心配に思うようになり、臨床心理士さんによる発達相談を受けることにしました。「2歳になっても言葉が出ていなかったら、またお話ししましょう」と言われ……時がすぎ、2歳に。ゆうきはまだ言葉が出ていませんでした。長男がお世話になっていた児童精神科の先生に「言葉が出ていない2歳の次男の受診を検討しています」と相談したところ、「受診を検討するよりも、2歳で言葉が出ていなかったら療育を受けることをおすすめします」と言われました。すぐに市の行っている親子教室への入室を希望し、言語聴覚士さんによる個別訓練を受けられる発達支援施設を探し、手続きを進めて通い始めました。警戒心が強い次男へ行った対応策とはUpload By ゆきみゆうきは警戒心が強いところがあります。同じくらいの月齢の子どもたちが来る、友達ママとの集まり。ゆうきは毎回、私の膝から動こうとはせず、じっと動かないで私の腕にしがみつき、最後まで過ごしていました。通い始めた親子教室でもそのように「私から離れなそうだな」と思い、親子教室がオープンする早い時間に行くことにしました。するとほかの子たちもほとんど来ていない時間だったので、警戒はあまりせず、楽しそうに遊ぶことができました。たまに私から離れなくなることもありましたが、この早く行く作戦はその後もうまくいきました。親子教室では、たまに母子分離になることがありました。長男の時は、私が離れても興味を示さず、母子分離が終わり、長男の元へ帰った時も反応せず、自分の好きな遊びに熱中していました。ゆうきは、私と離れることを極度に嫌がり、大号泣。母子分離ができない日も。発達支援施設では、個別療育だったのが緊張したのか、通い始めた当初は、ゆうきが警戒して動かなくなってしまい、慣れるまでに時間がかかりました。ASD長男とはすすめられた進路が違った次男地域のこども園の満3歳児クラスにゆうきの入園を考え、親子教室で行われる発達相談で進路相談をしました。長男の時の進路相談では「小集団での手厚い支援のある環境が合っていると思う」と、市の発達支援施設への入園を強くすすめられました。ゆうきの場合は「周りからの影響を受けるタイプの子だと思うので、集団が合っていると思う」とのこと。地域の園をすすめられました。長男けんとと次男ゆうきの特性が違うため、その子に合わせた支援が大切なのだということを考えるきっかけの1つになりました。Upload By ゆきみこども園の満3歳児クラスに入園した頃、ゆうきはまだ言葉が出ていませんでした。3歳の誕生日を迎える数か月前から、「ママ」とだけ言えるように。ただ、ママのことをママと呼ぶだけでなく、全ての物を「ママ」と言っていたのです。先生とお話し中、動物を指差し「ママ!」。「あっち行きたい」などの欲求も「ママ」。パパを呼ぶ時でさえも「ママ」と言っていました。しかし、3歳の誕生日をむかえる頃、急に「お話ししたいスイッチ」が入ったようで、ものすごい勢いで話し始めました。発語がほぼなかったこと以外は、長男ほどは大きな困りごとを感じなかった次男ゆうき。きっと長男がASDと診断を受けていなかったら、「言葉が遅いだけ」と発達のことを気にしていなかったかもしれません。この先、診断を受けるのか受けないのか……今も正直よく分かりませんが、これからも、ゆうきの特性での困りごとを少しでもやわらげられるように、向き合っていけたらいいなと思っています。(執筆/ゆきみ)(監修:藤井先生より)3歳未満でみられる言葉の遅れには、理解はしているけれど発語がない、理解も難しい、社会性が乏しいなど、お子さんによって様子は違ってきます。また、診断がつくかはっきりしない場合もよくあります。ゆきみさんが、ゆうきさんの困りごとが少なくなるようにと相談されたのはとても良かったと思います。発達障害の診断がなくても、お子さんの発達で気になることがあれば、かかりつけの小児科、発達相談室や、療育施設、保健所などで相談することをおすすめします。3歳になる頃にはお話をたくさんするようになったゆうきさんの、成長の姿を読ませていただき、ありがとうございました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月23日年中からいよいよ幼稚園に入園。事前にASD(自閉スペクトラム症)の診断や娘の特性は伝えていたけれど……Upload By マミヤ事前に発達の相談の面談もしていただき、無事に年中から幼稚園に入園した娘。娘の発達のことも伝えているし、診断書も提出しました。そのかいあってか娘のクラスには加配の先生が入ることになりました。加配の先生は娘個人につくのではなく、クラス全体の補助ということでした。でも、いざ園生活が始まると、娘ではなく、別の園児1人に加配の先生はつきっきりになっていました(園長先生の話では1クラス中で3人が診断書を出してくれたら、加配の先生が1人つけられるとの説明でした)。娘に加配の先生の補助が入っていないと聞いて不安もありました。ですが娘の園生活での課題は給食が苦痛になりやすいとか、一斉指示が聞こえていないとか、何個かの指示のひとつを忘れてしまうというもので、ひっそりと困っているタイプでした。もっと小さい頃は癇癪が激しかったのですが、 その頃は泣いたり怒ったりなどの強い感情は、外ではあまり出さなくなっていたので、困りごとがあっても気づかれにくい子なんだなと思いました。遠足で運動場に行った時に、クラスの皆は水筒を1ヶ所に置いてグラウンドを走っていたのですが、娘1人だけ水筒を持って走っているのを見た時は「ああ……指示聞いてなかったんだ……そして気づいてもらえてないんだな……」と感じました。それでも、当時の担任の先生は、面談などで娘の特性や困りを伝えるとしっかり聞いてくれ、声がけなど工夫してくれていました。年長になり新しく担任になった先生。明るくていい人だけど、「娘さんは大丈夫」と繰り返すばかりUpload By マミヤ年長になり新しい担任の先生になりました。今度の担任の先生は明るくて大らかな方なのですが、娘の特性を伝えても「でもしぇーちゃんは大丈夫ですよ。できてますよ。問題ないですよ」と答える方でした。娘のことをほかの定型発達の子どもと同じように見ている……初めは「それって良いこと、うれしいことかも?」と思いました。でも娘は、次第に幼稚園へ行き渋りをするようになりました。なぜ幼稚園に行きたくないのか聞くと、給食の時間に約束した量を完食したのに、担任の先生に「あと一口頑張ろう」「もっと頑張って食べよう」と声がけをされるからだというのです。事前にあった先生との面談で、私は「給食がとても苦手なので、約束した分を食べたら無理させないでほしい」と配慮を求めていましたが、 娘は苦手な給食を毎日頑張らなくてはいけなくなっていました。 また娘がヘルプを出しても「あとでね」や「大したことないよ」と言う先生に、娘は不信感を持ってしまっていました。3学期には週に1回お休みしながら通いました。担任の先生に娘の困りは最後まで伝わらなかったのかなと思います。就学相談で、親子共に「特別支援学級」を希望。判定は?Upload By マミヤそして年長になったので、就学相談が始まる時期でもありました。小学校には親のみで1回、娘を連れて1回の計2回見学に行きました。特別支援学級ではクラスにあるオモチャに興味津々、通常学級では後ろで飼っている生き物ばかり気にしており「見学に意味はあるのか……」とも思いましたが、娘は迷いなく特別支援学級を希望しました。人数が少なく静かなところが気に入ったようでした。また小集団療育で通っていた病院で、夏頃にWISC−Ⅲの発達検査を受けた結果と、小集団療育での様子もふまえて「娘には情緒障害特別支援学級を希望しよう」と決めました。発達検査の結果を見てはじめは「通常学級でいいのでは?」と言っていた夫も、娘が笑顔で通えるならと納得してくれました。特別支援学級への就学希望を決断してすぐ行ったことは、療育の先生と娘の特性や困りごとについて話し合い、A4の紙にすべて書き出すことでした。その年はコロナ禍で、親子面談や教育委員会の方が園に娘の様子を見学に行くことなどが中止になっていたため、特別支援学級の判定は「医師の診断書」と「幼稚園の担任の先生が書いた園での娘の様子についての書類」で決まると言われました。申し訳ないのですが幼稚園の担任の先生は娘の困りを詳しく書いてくれるか不安があったので、療育の先生とまとめた娘の特性や困りごとに関する文書を幼稚園に提出し、「療育の先生に療育での娘の困りも書いてもらったので、一緒に書類へ記載してほしい」とお願いしました。幸い担任の先生は快く引き受けてくれ、結果として娘は無事に情緒障害特別支援学級への在籍が決まりました。これでめでたしめでたしとなればいいのですが、就学後は就学後でまた大変な生活が待っていました。また別の機会に就学後のことも書きたいと思います。執筆/マミヤ(監修:室伏先生より)マミヤさん、幼稚園生活から小学校への進学に至るまでの道のりを詳しく共有してくださり、ありがとうございました。しぇーちゃんの困りごとや課題を見極め、それを踏まえた就学先の検討、そして入念な情報収集、しぇーちゃんの小学校生活のため、丁寧にご準備されたことが伝わりました。就学にあたって、特別な配慮・教育を希望される場合(特別支援学校、特別支援学級、通級指導教室など)、もしくは発達に不安があり就学先について相談・検討をしたい場合には、各自治体で行われている就学相談を受ける必要があります。就学時健診とは異なり、就学相談には保護者からの申請が必要となります。マミヤさんは、しぇーちゃんの特性や園でのご様子から、特別支援学級への就学をご希望されたとのことですが、どのような進路がお子さんに合っているのか判断がつかず希望する進路が決まっていない方も多くいらっしゃいます(周りでそういった進路に進まれている方がいらっしゃらない場合にはイメージも湧きにくいと思います)ので、相談を申し込む時点ではご希望を決められる必要はありません。また、申し込みをすると必ず特別な支援を受けなくてはならないのかと不安に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、就学相談は教育に関わるプロの方が、お子さんが小学校で楽しく充実した生活を送るためにはどのような環境や配慮が必要かを検討し、保護者に提案するものです。就学相談を受けても、検討の結果、現状では通常学級の進学のほうが望ましいとの判断になる場合もありますし、特別な支援を受けたほうがよいとの判断がおりてもご家庭での相談の結果、さまざまな事情で通常学級に通うことを希望され通常学級へ通われる場合もあります。特別支援学級でどのような授業が行われているのか、どのようなお子さんがいらっしゃるのか、学校によっても異なりますので、マミヤさんのように、実際に特別支援学級の見学をされるのもとても大事なことだと思います。また、特別支援学級は知的発達症(知的障害)のあるお子さんが通う場所と思われている方もいらっしゃるかと思いますが、知的発達症(知的障害)がなくてもコミュニケーション・対人関係の面や、感情や衝動性のコントロールの面、その他情緒面で援助が必要なお子さんが通われる場合も多く、自治体にもよりますが、知的発達症(知的障害)のあるお子さんのためのクラスと情緒面に困難さのあるお子さん(ASD/自閉スペクトラム症やADHD/注意欠如多動症など)のためのクラスに分かれている場合もあります。就学相談への申し込みに不安や葛藤のある保護者様もいらっしゃるかと思いますが、みんなでお子さんのこれからを考える場として、前向きに捉えていただけるといいなと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月16日まるで王様!?"自ら"動くことがほぼなかった赤ちゃん時代何に対しても興味が薄かった赤ちゃん時代の息子は、運動発達もゆっくりでした。母子手帳のチェック項目などでは3~4ヶ月が目安とされる『首座り』をクリアした以降、徐々に運動発達の遅れが出始めます。同じく6~7ヶ月が発達目安とされている寝返りは、先に腰の座りを習得したことで毎回「座らせてくれー!」の泣きで私がホイホイ座らせてあげていたため、10ヶ月になるまで自ら寝返りをすることはありませんでした(……なぜホイホイ座らせてしまっていたかというと……当時家の建て替えのためにアパートに住んでいたので、泣き声や物音を極力立てないようにご近所にとても気を遣っていたのでした)。転ばないよう、怪我をしないよう、息子の周りをフカフカのクッションで囲み、転んでしまっても寝返りができないので私が座らせてあげていました。また、おもちゃへの興味の薄い息子はすぐに飽きてしまうので、色んなおもちゃ代わる代わる並べ……微動だにしない息子をまるで王様のように扱っていたのでした(振り返れば、なんて過保護な育児をしていたんだと遠い目になります……)。Upload By 海乃けだまその後もずり這いしたのが10ヶ月、ひとり歩きをしたのは1歳5ヶ月でした。2歳半〜5歳半、療育園での様子療育の親子通園クラスに通いはじめた頃には少しずつ好きなものが出てきた息子。電車のおもちゃを追いかけたり、地面からゼロ距離で眺めたり(笑)と、好きなおもちゃを通じて自ら動いて遊ぶようになっていました。3歳手前で2語文、3語文を話し始めると、電車ばかりだった遊びもおままごとややり取り遊びへと広がり、当時親子通園していた療育園でのリトミックも楽しんで参加するようになりました。とはいえ、運動発達が急激に進むということはなく……体幹の弱さや持ち前の怖がりな性格から、ジャンプができるようになったのも3歳目前、片足のケンケンは5歳手前でした。幼稚園に転園後、同級生の身体能力に驚愕‼︎……やはり少し落ち込んでしまった母息子が5歳半になり、年長クラスに上がるタイミングで、地域の幼稚園に転園しました。転園後すぐに春の遠足が予定されていたので、付き添いすることになりました。行き先はなんと登山!!園児でも登れるくらいの標高とはいえ、「息子以前に産後運動を怠っていた私に登れるのか!?(笑)」という不安を抱えながら出発しました。出発するやいなや、同級生のお友達の早いこと!!!!息子の歩幅に合わせていたら、列からどんどん置いていかれそうになるので、5分に一回「疲れたぁ~」と言う息子を励ましながらほぼ私が手を引っ張り登ることになりました(運動発達がゆっくりであることに加え、体力も少なく、疲れやすい息子でした)。Upload By 海乃けだま遠足で同級生の子たちとの体力の差に圧倒されたのも束の間、同じ幼稚園に通う娘の登園時(当時娘は年少で、登園時間が年長より30分ほど後でした)、ふと園庭をみると、縄跳びをいとも簡単にヒュンヒュン跳ぶ年長のお友達、鉄棒を回っているお友達、そして鬼ごっこをしているお友達の足の速いこと……!!片足ケンケンがやっと様になってきた段階だった息子との運動能力の差に驚くとともに、ショックを隠しきれませんでした。いよいよ運動会。はたして息子は……!?そんなこんなでショックを受けつつも、運動会が近づいてきました。お迎えで担任の先生に会うたびに「今日はリレーで最後になって泣いてしまいました」とか「通し練習を1回したら疲れてしまって……」とか……不穏なことばかり聞いていました。運動会当日、息子本人以上にドキドキしながら見に行きました。息子が出る種目は年長のみのキッズソーラン、年長・年中合同のダンス、障害物競走、バトンリレー。「……うまくできなくても、列から離れずその場にいれれば100点!」と考えていましたが、列から離れるどころか、自分の出番やポジションをしっかりと覚えて動いているではありませんか!!!!しかも時折笑顔を見せて楽しんでる……(涙)!!!!!細かいことを言えば、ピシッと手を伸ばすところが伸びていなかったり、腰を落とすところがへっぴり腰だったり、小走りで集まるところを息子だけ優雅に歩いていたり、息子版にカスタマイズされていましたが……(笑)。先生やお友達が声をかけてくれて誘導していてくれたものの、息子なりに全ての競技を頑張っていました!Upload By 海乃けだま現在、小学1年生の息子は、自転車もまだ補助輪なしでは乗れないし、縄跳びも跳べないし、鉄棒も1回も回れません。ですが、大きな怪我をしない程度に、運動も日常生活に困らない程度にできるようになればと思っています(私たち両親も運動が苦手なので、高望みはしません(笑))。執筆/海乃けだま(監修:室伏先生より)けだまさん、息子さんの運動発達のご様子や運動会で頑張られたお姿について共有くださり、ありがとうございました。運動会、ご自身の出番やポジションをしっかり覚えて参加できたこと、そして何よりご本人が楽しむことができていたとのこと、成長が感じられてとてもうれしいことですね。ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠陥多動症)と診断されるお子さんには、DCD(発達性協調運動症)が合併することも多いです。協調運動とは、ある動作に対して複数の身体の部位を連動させて滑らかに動かす運動のことを言います。例えば、本をめくって読む(両手、眼)、縄跳び(両方の腕と脚)、ピアノ(両手と眼、ペダルもあるのであれば脚も)、ボール投げ(腕、脚、眼)、など生活には協調運動が溢れています。DCD(発達性協調運動症)は、このような運動を年齢相応に行うことができず(単にできない場合だけでなくぎこちない、動作が遅いなども含まれます)、日常生活に支障がある場合に診断されます。こうしたお子さんには、筋緊張低下もみられることがあります。しばしば、体幹が弱い、疲れやすいなどと表現されることもあります。これは筋肉の疾患などで見られる筋力低下とは異なります(合併することはあります)。筋力と筋緊張の違いは分かりにくいのですが、筋緊張とは常に持続的に生じている筋肉の緊張状態のことを言います。イメージとしては、ズボンのゴムを思い浮かべていただけるとよいかと思いますが、ズボンのゴムはその位置を保つために常に一定の張りがありますよね。筋肉は、姿勢を保ったり、関節を安定させたりするために動いていない時も常に一定の張りを保っています。これは無意識に行われており、例えば寝ている子どもを抱っこしても、体の重みで関節が変な方向に過度に曲がってしまうということは生じないわけです。筋緊張低下は、このゴムの張りが少し緩いという状態と考えていただけると分かりやすいと思います。この筋緊張の維持には、固有感覚(筋緊張の状態、どの筋肉がどのくらい引き伸ばされているか→関節の曲げ伸ばしの状態)という感覚を筋肉がキャッチし、それを脊髄や脳に伝えて、さらにそこからの情報が筋肉に伝えられることが必要です。筋緊張低下の要因は複数ありますが、発達障害のあるお子さんにおける一つの要因として、この筋緊張を感じる固有感覚の鈍さがある可能性があります。筋緊張低下があると、姿勢が崩れやすくなり、本人のやる気やしつけの問題だと見なされてしまうこともありますが、上記を理解すると決して本人の気持ちの問題ではないことが理解できると思います。この場合、筋力と違って筋肉を鍛えることで改善することが難しいばかりでなく、疲れやすい状態にある筋肉に過度な負荷をかけてしまうことにもなりかねません。とはいえ、もちろん運動は大事ですので、支援としては、本人のペースや体力、運動能力に合わせた継続的な運動(本人が楽しめるもので)を行いながら、本人が姿勢を保ちやすい支援(成長に合わせた椅子を使い、椅子に滑り止めマットを敷くなど)を行うことが基本となります。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月15日診断名のデパート私が5年ほど前に診断を受けた二次障害は「複雑性PTSD」。家庭や学校でのトラウマが長期にわたって累積したことにより、複雑なトラウマの後遺症に苦しむこととなったのです。その他、診断基準を全ては満たさなかった、または医療につながっていなかったなどで該当するか不明なものとしては、社交不安症、離人症、摂食障害、神経性胃炎、過敏性腸症候群、概日リズム睡眠障害、強迫症、ネット依存症、双極症のような傾向がありました。内科では自律神経失調症や「うつ」と言われていた時期もあります。PMSや月経困難症もひどく、片頭痛や過活動膀胱の傾向もありました。複雑性PTSDのようなトラウマ性疾患のある人は、トラウマ・ストレス反応によって自律神経のバランスが崩れることで、非常に多様な症状を抱えます。このため、身体科疾患も含めていろいろな病気の症状を呈し、トラウマの問題が発見されるまでの間、たくさんの診断名をつけられる傾向にあります。こういった人を「診断名のデパート」と呼ぶことがあるそうで、私もまさにそういった状態でした。※診断名等は診断時・受診時のものです小学校時代から二次障害の症状に苦しむこうした背景により、私は小学校の頃にはすでに、さまざまな症状に苦しむようになっていました。学校で人の視線が気になる、誰かが何か話していると自分の悪口を言っているのではと気になる、人前での失敗を必要以上に恐れる。決まったやり方で教室に足を踏み入れ、何歩歩いたら、どこでどれくらいの角度とスピードでターンするかを事前に頭の中でシミュレーションする、など……。20代までの間は食欲不振や下痢の症状があるいっぽうで、チョコレートなどの甘いものを一気食いするなどしていて、身体はガリガリ、顔はニキビだらけ。ネットサーフィンやソーシャルゲーム、チャットに依存し、すっかり昼夜逆転。精神安定剤でデロデロの状態で昼過ぎにやっと起き、化粧や服装を完璧に整えようとして何時間もかかるので、家を出たら午後4時過ぎ。必要な事務手続きなどができず、生活に支障をきたしました。また、人と話すのが苦痛で、電話1本かけるのに脂汗をかき、震えながら小1時間葛藤するといったことも……生理にまつわる症状や片頭痛で月のほとんどの時期調子が悪かったこともあって、この時期は準ひきこもり状態となっていました。ずいぶん楽にはなったけれど……30代以降、実家を出て、家庭における最大のストレス・トラウマの源であった母と離れました。夫に支えてもらい、安心できる環境に身を置きながら、発達障害の診断・治療、トラウマ治療、その他の身体科の疾患の治療を受けるようになってからは、もろもろの症状は徐々に治まっていきました。しかし、トラウマの影響による気分の変動や、トラウマ記憶のフラッシュバックには引き続き苦労しています。もっと診断が早ければ……私が二次障害を発症するに至ったのは何より、時代的に、診断が遅かったためだと思っています。今の時代であれば就学前に発達障害の診断を受け、療育を受けたり、公立小学校の通常学級とは違った学校の選択肢を選んだりすることができたでしょう。そうすることで、いじめ・教師からの虐待といったトラウマを負わずに済んだかもしれません。早期の診断や療育を受けていれば、何がいけないのか分からないままの、人間関係上の失敗や挫折を漫然と繰り返すこともなく、何かつまずくたびに効果的な学習の機会にできたでしょう。暗中模索のまま過剰適応に追い立てられることもなく、疲労の蓄積や、大学受験を最終的なきっかけとしたバーンアウトも経験せずに済んだかもしれません。仕事の選択も特性に合ったものを考えられたでしょうし、20代のひきこもり時代による社会的な学習機会の損失も起こさず、もっとずっと早く、もっとずっと高いレベルで社会適応できていたでしょう。家庭内で私のストレス・トラウマの最大の原因となっていた母も、おそらくASD(自閉スペクトラム症)とその二次障害の強迫症の持ち主だったのですが、今の時代であれば彼女への治療や支援といったアプローチも可能だったかもしれません。彼女への早期の介入がなされていれば、私は家庭内で今ほどのトラウマを負わないで済んだでしょう。早期発見と早期の対応はとても大事発達障害があること自体はやはり、社会を生きていくにあたってディスアドバンテージではあると私は思っています。しかし、トラウマ治療が進み、定型発達の人たちのコミュニケーションや考え方の分析に目が向けられるようになって思うのですが、早期発見や(療育の質にもよりますが)早期療育はとても大事です。特性に合った環境調整や療育で、二次障害を防ぎ、教育の場や社会からのドロップアウトの期間をなくせば、社会適応に必要な発達課題をきっちり積み重ねていくことができます。トラウマ性疾患は治療可能な病気ではありますが、治療にとても長い時間と多額のお金がかかります。その間、健康であったら得られていた、人生の節目ごとの発達課題の学習機会を逸することにもなります。私は、いまの未就学児が療育で学ぶようなことを、自分で本を読んだり、周囲の人に教えてもらったりすることで補填しています。ずいぶん自分なりに発達できた、人生はこれからだと思っていますが、いま43歳の私、あまりにスタートが遅い感は否めず、また累積した経済的損失は計り知れず、悔しい思いをしています。いまの子どもたちは、早期発見という意味では幸い私よりも恵まれた環境にあるので、ぜひ早期に対応することで、元気な人生のスタートを切ってほしいと思います。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)残念ながら、今の時代でも本事例のようなことは起こっています。乳幼児健診やかかりつけ医に相談しても「様子を見ましょう」で特に療育もせずに成人された神経発達症の方々が私の外来にはたくさんいらっしゃいます。もっと早くここ(私の外来)に来れればよかったと皆さん口をそろえて言います。アメリカの心理学者バークレー先生は神経発達症のお子さんにおける早期介入の重要性を訴えています。以前来日したおり、私も運営に関わり全国の小児科専門の先生方に神経発達症の早期診断・治療の重要性を伝えました。その際に保護者の方々へ行った「いつからADHD(注意欠如多動症)などの治療開始を希望されますか」というアンケートには、ほとんどの親御さんが「就学前後」と答えていたのです。そのためには就学前に小児科を受診し診断されなければなりません。ですから、私が推奨している5歳児健診が重要になるのです。しかし、さまざまな要因により、すべての自治体では行えていないのが現状です。そのため、保育士や幼稚園教諭の皆さんに対する神経発達症の周知や教育が急務だと考えています。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月14日太郎が学校に行きたくない理由ある日、ASD(自閉スペクトラム症)の太郎が学校に行きたくないような素振りを見せた。私と祖母にはその理由ははっきりと分かっていた。その日は学校のバレーボール大会なのだ。バレーボールの練習の段階から太郎は「バレーボールは難しい」「どこにボールを当てたらいい?」「どうやってボールをとばしたらいい?」など困っていた。毎日のように「今日もバレーボールした……」と浮かない顔で言っていた。Upload By まゆん幼い頃から運動全般が苦手だった太郎Upload By まゆん初めに不器用さを感じたのが離乳食の頃。嚥下や咀嚼が苦手で食事中にえづくことや嘔吐もみられた。これに関しては感覚過敏からくることも考えられるが、そのほかにもその運動自体に問題がある可能性について分かってきた。次に箸や鉛筆の扱いの不器用さが著しかった。この頃、保育園側から家でも箸や鉛筆の扱いの練習をするようアドバイスがあったが、私は練習の量の問題ではないと太郎の動きからなんとなく気づいていた。それから小学生になると、指先の小さな動きの不器用さは明らかになってきた。定規、ボタン、靴ひも、鉢巻、エプロンのひも結び、どれもほかの人の3倍以上は時間がかかるか、できずに途中で諦めていたり、周りに助けを求めてしてもらうことがあった(これは良いことだと思っている)。特に難題だったのが、先生と取り組んだ縄跳び。いまだに太郎の中では苦でしかないだろうと思っている。縄を回すこと、腕を回すこと、縄のタイミングに合わせてジャンプすること。複数の動きを同時にしないといけないのが縄跳びだと、この時私は勉強になった。太郎はその複数の動きを同時に起こす運動も苦手である。これは練習を重ねても平均的な跳びはできなかった。なんで跳べないのかと本人も思っているのかもしれない。明らかに縄跳びの時間になるとテンションが低かったと担任の先生から聞いていた。自転車は小学5年生まで練習をぼちぼちと行っていたが中学生になってからは練習することもしていない。直線でも急にブレーキを強くかけたりいきなりバランスをくずして転倒する。何回乗っても手にはマメを作るほど力が異常にかかる。なので危険性を感じるためサイクリング場での自転車の運転だけで収めている。中学生になりストレスが大きくなってUpload By まゆん中学1年生の頃は大縄跳び大会でうまく飛べずに固まってしまい、2年生の時は水泳の時間にほかのクラスの生徒から一人ビート版の練習をしているのを笑われたとトラウマになっている。学年が上がるにつれて、太郎の中でも強く運動の不得意さを感じストレスになっていると感じている。そんな中、中学1年生の終わりに療育センター相談をした。その時に担当の心理士の先生から伝えられたのが「DCD(発達性協調運動症)」についてだった。実際に、発達性協調運動症に関するチェックシートを記入してみると、ほぼ当てはまっていた。DCDの可能性が分かり納得はできたが、これからどうしていくかが私と太郎の課題になると感じた。おそらく学校の先生はDCDについて詳しく知らない。どういう関わりがベストなのかといったマニュアルがない場合、先生の考え一つで教育は変わるだろうと思った。一度担任の先生に相談した際は、「苦手な運動でも評価に繋がるため、頑張って参加してほしい」とのことであった。一方で私は参加を推すことで二次障害が出現しないかを危惧している。これから私が行おうと思っているのは、太郎がどの範囲まで運動が可能か、何ができて何ができないかを知ることだ。そして、学校の先生と情報共有し配慮を行ってもらうこと。それが、太郎のメンタル面の二次障害を引き起こさないために必要になると考えている。そして今回のバレーボール大会ではいよいよ学校を休むという判断を本人が出した。休んでどうだったかをあとで聞くと、後悔や後ろめたさはないとのことだった。逆に清々しく感じているようにも思えた。学校の先生に事情を説明すると、とても残念そうにこう言われた。「20分だけでいいから頑張ろうと伝えてたんですけどね、だめでしたか」と。その言葉を太郎に伝えると「お母さん、バレーボールをしている時の20分は俺にとってはすごく長くて、地獄のような時間なんよ」と。太郎の言うことはよく分かる。不思議な動きを見られて周りから笑われるくらいなら私も休んだほうがましだ、と思うに違いない。まさに今、先生の考えと私の考え、太郎の気持ち、DCD……いろいろと考え中である。執筆/まゆんUpload By まゆん(監修:鈴木先生より)DCD(発達性協調運動症)は、不器用で手足の協調運動が苦手なお子さんに当てはまります。人生最初にみられる手足の協調運動はハイハイですが、DCDのお子さんは、うまくできないため、いきなりつたい歩きをするケースもあります。縄跳びや球技に苦手さがあったり、走り方やダンスもぎこちなかったりするため、体育の授業や運動会が嫌いになるお子さんも多くいます。そういうお子さんには病院のリハビリテーション科で行っている作業療法士による感覚統合訓練をおすすめしているほか、病院へ通えない場合には公園やアスレチックで遊具の遊びをおすすめしています。また、私のクリニックでは小脳を鍛えることで症状改善にアプローチするため、音楽療法に感覚統合訓練を取り入れた療育なども行っています。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月13日一般社団法人チャレンジドLIFE(所在地:滋賀県草津市/代表:畠中 直美)は、2024年1月~3月に日本テレビ系列で放送された主人公が自閉スペクトラム症のドラマ「厨房のありす」の鈴間 広枝プロデューサーをゲストにお招きしてのオンライントークイベントを、2024年6月8日(土)20時から開催します。◆開催の背景自閉スペクトラム症(ASD)の主人公をとりまく周囲の方々の温かい関わりが印象的だったドラマ「厨房のありす」。この素敵なドラマに、チャレンジドLIFEは取材協力という形でご縁をいただきました。プロデューサーや脚本家の方たちに、自閉スペクトラム症児の保護者として経験してきたことをお伝えする中で、スタッフの皆様が自閉スペクトラム症の当事者や家族に真摯に向き合ってくださる姿や、ドラマ制作にかける熱意にとても感動しました。なぜこのドラマを作ろうと思ったのか、何を届けたかったのか。本イベントでは、「厨房のありす」プロデューサー 鈴間 広枝様をお招きし、本ドラマに込められた制作スタッフやキャストの皆様の想いを、公開インタビューの形でお聞きします。どんなエピソードが飛び出すのか!?どうぞお楽しみに。鈴間様、参加者の皆様と共に、あらためて自閉スペクトラム症や多様性について、「厨房のありす」で描かれた“多様でやさしい世界”を実現するためにできることを、一緒に考えていきます。◆イベントタイトル:「厨房のありす」の“多様でやさしい世界”をみんなで味わおう!~鈴間 広枝プロデューサーと語り合うオンライントークイベント~「厨房のありす」鈴間 広枝プロデューサーチャレンジドLIFE代表 畠中 直美◆開催時期:2024年6月8日(土)20:00~22:00◆開催方法:Zoom(オンライン) ※お申し込み者には終了後アーカイブ配信あり◆ゲスト:ドラマ「厨房のありす」 プロデューサー 鈴間 広枝様<プロフィール>日本テレビ コンテンツ制作局でドラマプロデューサーとして「東京タラレバ娘」「あなたの番です」「真犯人フラグ」「リバーサルオーケストラ」「厨房のありす」など数々の作品を手掛ける。◆目的:・ドラマ「厨房のありす」のファンの方や関心をお持ちの方に、制作スタッフやキャストの皆様の想いを届ける・「厨房のありす」を視聴した方たちの想いを、制作スタッフやキャストの皆さまに直接届ける・自閉スペクトラム症や多様性についての理解を深め、自分事として考え、「多様で優しい世界」への一歩を踏み出すきっかけとする。◆参加いただきたい方:「厨房のありす」視聴者、自閉スペクトラム症など発達障がいの当事者・家族、支援者、ダイバーシティに関心のある方など◆定員:50名◆参加方法:フォームよりお申し込みください。前日までにご登録いただいたメールアドレスに配信用URLを送付します。申し込みフォーム ※受付締め切り:2024年6月5日(水)◆主催:一般社団法人チャレンジドLIFE<会社概要>商号 : 一般社団法人チャレンジドLIFE(2017年9月設立、滋賀県草津市)代表者 : 畠中 直美事業内容 : (1) 発達障がいに関するワークショップ、セミナー、情報発信: (2) ダイバーシティコミュニケーターとして多様性の目線から、多くの人の生きやすさにつながる企画・サービス開発URL : Instagram: これまでのオンラインイベント事例(一部):・くわばたりえさんYouTube「バタやんちゃんねる出演」(2024年5月)<第1回> <第2回> ・くわばたりえさん×片山 泰一先生 オンライントークセミナー( )・くわばたりえさんYouTube出演YouTube「くわばたのくすくす子育てママトーク」(2021年7月)<第1回>うちの子、発達が遅れてる? <第2回>発達障がいの診断が出たらどうする? <第3回>発達のこと、誰にどう伝える? <第4回>発達障がいの子の学校生活は? <第5回>発達障がいの子の将来は? ・くわばたりえさんのオンラインdeメガネのママ友会(全3回)( ) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年05月09日出産は比較的楽……だったはずが、生まれてからの悩みが……コチ丸は、出産予定日より2週間ほど早く生まれました。出産の時は私もほかのお母さん方同様、陣痛との闘いでしたが、最後のほうはスルッと生まれてくれて、会陰切開も会陰縫合もなく、「綺麗な出産だねー」と看護師さんに言われたくらいの安産でした。私自身も「根性がないママのために早く生まれてきてやるか」とお腹の中でコチ丸が気を利かせてくれたのだと今でも信じて疑いません(笑)。ほかのママ友たちの出産の話を聞いていても、楽に生まれてきてくれたほうなのではないかなと思います。しかし、スムーズだった出産と比べて、育児のほうはそううまくはいかず、悩みの連続でした。コチ丸はもう少し小さかったら低出生体重児に入る、2520gで生まれてきました。初めての出産だった上にめちゃめちゃ小さかったので、3つ年上の甥っ子が生まれた時と比べてしまい、当時は本当に心配でした。Upload By あき吸う力が弱いのか母乳もあまり飲まなかったので、面倒くさがりの私は母乳を飲ませることは早々にあきらめミルクにしました。周りには母乳で育てることに結構こだわりを持っている人が多くいましたが、私は「初乳は飲んだし、あとは楽な方法で育てればいいや!」くらいの楽観的な考え方だったので、そこにはあまり抵抗はありませんでした。しかし、1ヶ月健診の時には体重がほとんど増えておらず、黄疸も出ていたので、どうしたものか……と途方にくれたのを覚えています。何より、それまで仕事をバリバリやってきた自分が、母親としては何もできない……ということに自分の無力さを痛感していました。当時はフリーランスでウェブデザイナーをしていたため、出産当日まで仕事をして、出産1週間で育児しながら仕事再開……という状況でした。当然ですが、仕事も思うようにはできず、疎かになってしまいました。あんなに母乳にこだわりのない楽観的な(笑)私も、当時は大分メンタルをやられました……。Upload By あき生まれてすぐから敏感な子ども。産後うつ状態に。さらにコチ丸はとても敏感で、昼間は抱っこして寝かしつけても布団に置くとすぐに泣き出したり、ちょっとした物音にも敏感で起きてしまったりしていました。毎晩寝る前には儀式のように1時間近くギャン泣きしていたので、私のメンタルはますます弱りました。これってほかの子もそうなのか?うちの子だけがこんなに敏感なのか?はたまた私がやっぱり根性がないのか?と思っても比べるものがないので分からず。私は若い頃にちょっと心を病んで通院・投薬をしていた経験からなんとなく、「あぁ、これはうつだな」という感覚はありましたが、病院にいく間もありません。出産からしばらく経った頃に、ギャン泣きするコチ丸の泣き声に耐えかねて、泣いているコチ丸を布団に置いたまま、部屋を出て近所を裸足でさ迷い歩いていたこともありました。相当病んでいましたね……(笑)。コチ丸パパもそんな私を見かねて、休みの日にマンションから近い自分の実家にコチ丸を預けるなどしてくれましたが、それはそれで義父母に「子育ても満足にできない嫁」と思われているようで素直に預けることはできませんでした。今思い返せば本っっ当にありがたい話なのですが……。当時はそこまでの心の余裕がなかったんだと思います。そんな中でもありがたかったのは実母の存在でした。出産の際に実家に里帰りしたものの、妹の家族も実家で暮らしており、なんとなく居心地が悪く感じた私は1週間で自分の家に戻りました。当時、私とコチ丸とコチ丸パパは、愛知県北部の実家から30キロ離れた名古屋のマンションに住んでいましたが、私が泣きつく度に実母は実家から車で駆けつけて、コチ丸の面倒を見てくれたのには救われました。未だに実母は当時のことを思い出すと「あの時は大変だった……」というので実母への負担も結構なものだったのかと思います。それでも当時、実母がコチ丸を見ていたのは1日のうちの数時間、かつ動き回る時期ではなかったので、まだ「コチ丸の本気」を知らなかったのです……。Upload By あき生後8週から保育園へ登園。良いバランスが保てるようになったのも束の間……。そんな現状を打破できたのは、生後8週から預かってくれる保育園を見つけたことでした。とにかくもっとしっかり働きたい!という気持ちと、フリーランスなので、お客さんをいつまでも待たせていられないという現状もあり、一刻も早く保育園に……と思っていたところ、家から車で10分くらいのところに保育園を見つけたのです。幸いなことに空きもあり、すぐに預けられることになりました。当時はまだ寝返りすらできないコチ丸をクーハンに入れて保育園に通っていました。預けられる時間は9時~14時くらいまででしたが、仕事にも集中でき、迎えのあとはギャン泣きのコチ丸とも向かい合える余裕ができたので良かったです。Upload By あき息子が高校から北海道に行ってしまった今、当時を振り返ってみると、「もう少し一緒の時間を過ごせたら良かったのかな」という思いも少なからずありますが、やはりあの時のメンタルで子どもと無理に一緒にいるよりは、あれで良かったのかなと納得しています。自分の心が健全でなければ子どものことも健全に見ることができないなと思うので、「離れる時間」というのも二人の関係性を保つのに大切なことだったと思います。都合の良い解釈なのかもしれないですが、親と子も相性は少なからずあるのではないかなと思っていて、親子であっても私とコチ丸はそこが相反するタイプだったために、離れたことによって心地いい距離感が生まれたのかな?と感じています。そんな良い感じの関係性で生活ができていたのも束の間(笑)。すぐに寝返りができるようになり、座れるようになり……立ち上がった頃には「コチ丸の本気」が始まりました(汗)。執筆/あき(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは感覚が敏感なので寝付かせるのが大変です。抱っこして揺らしていると泣き止むので親御さんはずっと立っていなければならなくなります。しかし、最近は電動で揺れる揺りかごなどもあり、こうした便利な育児用品を活用できれば、少しは親御さんの苦労も減るかもしれません。誰でもそうですが、ずっと一緒にいると細かいところも気になり過干渉になりがちです。親子とも離れたことでお互いに気にせずリフレッシュできたものと思います。親の子離れ、子の親離れも時には必要なのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月09日ASD(自閉スペクトラム症)の息子の日常生活の中の不器用スバルは幼稚園での生活の中で、明らかに飛び抜けて不器用でした。ダンス、体操、ボール投げなどの全身運動。筆、はさみ、楽器などの道具を使う微細運動。そして日常生活の中でも服のボタンやファスナー、お弁当包みなど、あらゆることにサポートが必要でした。ちなみに両足ジャンプは年少の終わり頃までできませんでした。のちに「DCD(発達性協調運動症)」と診断されるのですが、この頃は「スーパー不器用BOY」として過ごしていました。年少の運動会スバルは幼稚園に入園するまで歌ったり踊ったりしませんでした。その頃のスバルは、幼児向けの教育番組が大好きでした。特にお兄さんお姉さんが楽しそうに踊る、テンポの良い明るい歌が好きで、毎日食い入るように観ていました。しかし真似して踊ったりリズムに乗ることはありませんでした。歌に関しては3歳まで喋らなかったのでそのせいもあるのかなと思いますが、番組に登場する同世代の子ども達が上手に踊る姿と比べて、「あれ?」と感じ始めた私。しかしテレビに出演するくらいだから特別ダンスが得意な選ばれし子どもたちなのだろうと思いました。スバルのダンスを初めて見たのは年少の運動会でした。振りつけは覚えているようでしたが、可動域が少ないというか、ぎこちないというか、踊れているか踊れていないかでいえば踊れていないというか……。Upload By 星あかり踊れていないスバルもめちゃくちゃ可愛いけど、それはそれとしてこれはただ事ではないと思いました。ただスバルの中ではみんなと同じように踊れていると思っているようでした。「スバル、ダンス上手だったでしょ?」と自慢げに楽しそうに運動会を終われたのはとても良かったです。年中の運動会年中の頃には周りと比べてダンスが得意ではないことに、本人が気づくようになりました。ダンスの難易度も上がり、物理的にできない動きが増えました。この頃のスバルは片足ジャンプや、複数の動作を同時にすることができず、「しゃがんでからジャンプ」みたいな流れるような動きもできませんでした。練習では少しでもできることが増えるようにと補助の先生がマンツーマンで指導してくれていました。どうしてもできない動きも最後まで諦めずに指導してくれました。それは親としてはとてもありがたいことなのですが、結局踊ることもできず、みんなと別で行われた個別指導により自分の不器用さを自覚したスバルはすっかり自信をなくしてしまいました。弾ける笑顔がトレードマークのスバルですが、年中の運動会の写真はしょんぼりしています。努力ではどうにもならないレベルで苦手なことを自覚し、それを人前で披露するのは本当に心に負担があったと思います。年長の運動会年長の運動会の数日前、スバルは独り言のように「運動会の日、お父さんが運動会があることを忘れて、スバルを連れて遠くに遠くにお出かけしちゃわないかな」と言いました。しかし休みたいかと聞かれるとスバルの答えは「NO」なのです。私たち夫婦は運動会の参加にこだわりがないので、休むことにも抵抗はないのですが、実はスバル自身がズル休みを引きずってしまうタイプで本人もそれを自覚しているのです。それにダンス以外の競技はそれなりに楽しみにしているようでした。いっそのこと熱でも出れば、心穏やかに休めるのに……なんてことを考えながら運動会当日。プログラムの最初の方でダンスが始まりました。年長の時の先生も個別指導をしてくれたのですが、今回は物理的に無理な動きは切り捨て、ギリギリ可能性のある動きだけを「まあまあできる」まで伸ばす方針でした。スバルとしても「できない動きはあるものの、できる事も増えた」と感じ、どん底まで自信をなくすことはありませんでした。前半は屈伸運動やステップなどの下半身の動きは切り捨て、直立のまま上半身の動きをゆるっとこなしていました。そんな感じで全体的に集団の中に紛れてなんとなくできている風にやり過ごし、フォーメーションチェンジのあと、スバルがついて行けない激しい動きのサビに入りました。「なんとなくリズムに乗る」なんて器用な事ができないスバルは、直立のまま時間が過ぎるのを待つのかなと思いました。しかしスバルは「あれ?スマホに着信が!」みたいな表情でポケットからスマホ(に見立てた手のひら)を取り出し、通話ボタンを押した後、スマホを耳に当てペコペコしながら「スミマセン、今運動会中なんですよ~。あとでまた掛け直しますね」と言って通話を切りスマホをポケットにしまいました。そしてちょうどサビが終わったタイミングでまたダンスにゆるっと合流しました。Upload By 星あかりもしかして『ぼく、ダンスができないんじゃなくて、仕事先から電話がかかってきちゃって仕方なくダンスを中断しているんですよ~』ってこと?曲の2番のサビでも仕事先から電話がかかってきちゃったので、仕方なくダンスを中断していました。仕事先からの電話だから仕方ない仕方ない。ダンスが終わり肩の荷が下りたスバルは楽しそうにほかの競技に参加してました。スバル的には楽しく運動会を終える事ができたようで、私も安心しました。小学生の現在小学2年生でケンケンができるようになり、全身運動でも微細運動でも、できる事がグンと増えました。しかし年齢が上がるにつれて求められることも難しくなるので、今でも「スーパー不器用BOY」のままです。運動会のダンスは未だに下半身の動きを切り捨て上半身の動きだけで集団に紛れています。日常の中でぶつかる「努力しても今すぐにはできない事」は便利な道具とアイディアと人の優しさで乗り切りっています。「ぼくはこれが難しいのでこうして良いですか?」と自らのアイディアを提案する姿を見るとあの年長の運動会を思い出します。おそらくあれがスバルが一番最初に自ら考えて実行した「スーパー不器用BOYが乗り切るためのアイディア」だったのだと思います。執筆/星あかり(監修:新美先生より)からだの動かし方の不器用さがある方の、運動会のダンスとの変化について詳しく聞かせてくれてありがとうございます。後半の、ダンスが苦手な場面で「仕事先から電話がかかってくる」という想定外の必殺技を繰り広げられた時は、思わず声をあげて笑ってしまいました。すごい対処スキル!!!!!こんなすてきなアイデアを思いつくなら、なんでも乗り越えていけそうです。DCD(発達性協調運動症)のお子さんにとっては、日常の体育や運動会の競技など、みんなで同じ事を揃ってやると、苦手さに直面することになります。いくら先生が「自分なりでいいよ」と言われても、本人的にはできない自分に直面して傷つくものです。星さんのように、「運動会休んでもいいよ!」というスタンスも全然ありだし、体育は別メニューでやるというのもありなのですが、自分だけがほかの子とは違う行動をとることも、なかなかハードルが高いものです。できれば、周りも完璧にし過ぎない(運動会で完成度を高くするために厳しく練習しすぎない。その場でできるスポーツお楽しみ会ぐらいのスタンスにする)、複数のメニューが誰でも選べるようにするみたいな、ユニバーサルな支援があったらいいのかもしれませんが、学校の方針もあります。「ぼくはこれが難しいのでこうして良いですか?」と自らのアイデアを提案できるというのは本当に素晴らしいです。きっとこれまでの関わりの中で、そんな風にしても大丈夫、苦手をアイデアでチェンジできるという経験を育んできてもらっているのかなと思いました。素敵なエピソードを聞かせていただきありがとうございました。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年05月07日子どもだって連休明けはしんどいこの春から入学や進級で新しい環境に少し慣れてきたかと思った頃なのに、祝日や連休でリズムを崩されてしまうお子さんもいるのではないでしょうか。わが家の子どもたちも、休み明けに学校に行きたくない!となってしまうことが多々あります。あんなに調子が良かったのに振り出しに戻ったようになってしまいます。今回はそんな登校渋りについてお話したいと思います。休み明けの登校渋りは、一年を通してさまざまなタイミングで起こります。最初は五月の連休明けでした。やっと慣れてきたところに何日も休みが続き、生活リズムが崩れがちに。連休中も規則正しい生活を送ればいいのかもしれませんが、ずっとキッチリ過ごすのはなかなか至難の業。母だって休みの日は朝寝坊したい(笑)Upload By スパ山子どもが行きたくないと思っている原因を探る問い詰めるのではなく、何が引っかかって行きたくないのか、親も焦らずに余裕をもって子どもと話します。わが家の長女「姉子」の場合は母子分離不安があり、私と離れることが怖くなってしまうのが原因です。そこで、休み明けに崩れてしまったときは母子登校をしています。教室まで一緒に登校して、下校まで一緒に過ごします。そして少しずつ離れて登校できるようにしていきます。姉子はかなり強い不安があるので、このような方法を選択しています。現在中学生になりましたが、今まさに母子登校をしています。長男「ハジュ」の場合は、長く休んだことにより、再び元のルーティンをこなすことが面倒くさくなってしまったようでした。そこで、ハジュが好きなイベントや授業の単元を休み明けに取っておいてもらうことにしました。例えば、休み明けに工作がある、虫探しをする、などの「お楽しみ要素」を担任の先生と相談して調整してもらい、登校の意欲に繋がるようにしました。あと、大好きな先生に「ハジュくんに会いたいから待ってるね」と連休前に声をかけておいてもらうのも効果的でした(笑)Upload By スパ山子どもの声を受け止めるさまざまな原因で(原因がないこともある)登校を渋っている子どもの気持ちを一旦受け止めて共感するのを心がけました。それは、「学校行きたくない」なんて子どもから言われたら何があったのかと親は慌てて質問攻めしてしまいそうに。それでも、過度に心配せずに話してくれた気持ちを受け止めると、次に同じようなことがあっても子どもが心の中で抱え込むことなく話してくれます。大人だって休み明けに仕事に行きたくないこともありますよね……。そんな時に「分かる、しんどいよね」と言ってくれるだけで「あ、この人には気持ちを伝えやすいな」と思えるのと同じなのかなと思います。Upload By スパ山休んでもいいもちろん、仕事や家庭の事情でなかなかそう簡単にはいかない場合もあると思いますが、登校渋りに繋がっている原因が解決しないうちは、休んでしまって家で楽しく過ごすのも一つの手だと私は考えています。それは甘やかしているのではないですし、行き渋ったからすぐ休ませよう!というものでもありません。子どもにとっての安心は何なのかを考えて環境を整えるということだと思います。原因もさまざまなので、決まった対応があるわけではない登校渋りですが、「大丈夫、きっとうまくいくし、家族はあなたの味方だよ」という想いを子どもたちに伝えていきたいです。Upload By スパ山(執筆/スパ山)(監修:初川先生より)休み明けの行き渋りについて、お子さんそれぞれへの対応やその対応に際してのスパ山さんの思いのシェアをありがとうございます。いくつかとても大事なことがシェアされたと思うので振り返っておきたいと思います。まずは、担任の先生と行き渋りについて相談や連携ができているということ。母子登校にしても、休み明けの楽しみなことにしても、先生方との連携なくしてはできないことと思います。保護者として見取ったお子さんの気持ちを担任の先生などと共有し、できることを考え、提案されているのだと思いますが、そのあたりの打ち合わせ・調整が大事だなと感じました。そして、「子どもの声を受け止める」こと。スパ山さんが書かれていたように、お子さんから「学校に行きたくない」と言われたら一大事で、慌ててしまう方もいらっしゃるかと思います。質問攻めにしたり、あるいは無理に頑張らせたり。保護者の方の心の動きとしては自然ですが、子どもの側からすると、つらいからそう言っているのに受け止めてもらえない、保護者を悲しませてしまったとますます追い詰められてしまう場合もあるでしょう。まずは受け止める。そのうえでどうするか考える。慌てふためいてしまいがちな方は、そう覚えておいていただければと思いますが、テニスのラリーのように来た球を打ち返すのではなく、一旦球を受け止める。その段階を挟むだけでもだいぶ違います。最後にスパ山さんが書かれていた、家庭や仕事の事情によってできることには違いがあり、正解はないけれど、しかし「家族は味方」であるという思いを持つこと。それもまた大切なことです。お子さんの状況、理由もさまざまで、保護者の都合もさまざまなので、できることできないことが完全にケースバイケースです。誰かが無理をしてやったところでいいこともない(持続可能性が乏しい場合も多い)ので、手探りでやっていく面は多かれ少なかれあります。そうした場合、保護者が迷ったり悩んだりすることもあると思います。先生方やスクールカウンセラーなど近くの相談できる相手をぜひご活用いただければと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月02日小さな頃から苦手がいっぱい!?うちの息子、タケルはASD(自閉スペクトラム症)からくるこだわりで、どうしても嫌だ、できないということがいくつかあります。例えば、下の名前で呼ばれること。タケルは下の名前を呼ばれると、「世界に存在を許されないかのような恐怖」に襲われるのだと言います。記事や漫画の中ではタケルと書いていますが、私は本人に「タケル」と呼びかけることはありません。家の中では妹が生まれるずっと前から「お兄ちゃん」です。私が何か必要があって仕方なく名前を呼んだときなどは、恐怖に顔をゆがませ、「ふーッふーッ」と激しく息を吐きながら何かに耐えています。その様子はまるで身体の中からすべての空気を押し出したいかのようです。Upload By 寺島ヒロただ、名前自体は気に入っていると言い、筆記するのも問題ありません。また姓で呼ばれるのは大丈夫なので、普段は姓のみを名乗るようにしているそうです。ただ、フルネームもダメなので、学校などでは「呼ぶときは苗字だけで」とお願いしていました。また、目の前でドラマやアニメを見ている人がいることが耐えられなかったりもします。親に構ってもらえないから……とかいうわけではなく、家電売り場のテレビの前にいる知らない人でもイライラするのです。「自分でもなぜこんなに恐怖や怒りを感じるのか分からない」「やめてほしいとは思うが、自分のほうが不当な要求をしていると分かっているので我慢している」と、タケルは言います。これらは3歳の頃から成人になった今まで継続している問題ですが、個人的なこだわりの範疇の話であり、周囲にもある程度理解してもらっているので、それほど大きな問題ではないと思っています。避けては通れぬ大問題しかし金銭に関するこだわりには悩まされました!タケルは小さい頃から、レジでお金を渡すことを嫌がるという特性がありました。そのため、小学校高学年になっても、一切の買い物をすることができませんでした。お気に入りのものを選ぶ際に予算を立てることや、その過程での選択肢を理解することも難しかったのですが、なにより「支払いをする」ということに強い拒否感があったようなのです。練習のため、お店で一緒にレジ前に立ってから、私の財布から出したお金を渡して、お店の人に渡すように促したこともありました。でも、タケルは「うーうー」とうなり固まるだけでした。お使いはハタチになってから!?また、近くのスーパーなどにお使いを頼んでも激しく抵抗し、絶対に行ってくれませんでした。やはり「支払いをする」という行為がネックになっていたようです。10代も後半になると、自分でも「何でできないんだろう?」と思うようになり、なんとか「自分に命じて(タケル談)」お使いができるようにはなったのですが、それは大学2年生、ハタチを少し超えてからでした。Upload By 寺島ヒロどうしてそこだけ?こだわりの不思議タケルはケチなわけでもなく、むしろ無欲な方です。お金自体に対する嫌悪感も特になく、物販イベントで友達の手伝いをしてお金を預かったりお釣りを渡したりするのは平気でしたし、小学生の頃には古銭に興味を持ち集めていたこともありました。なぜ「支払いをする」ことだけに困難があるのか、本人にも私にも分かりませんでした。思わぬ角度からの解決法、現在のタケルハタチになったタケルは、自分のクレジットカードを持つようになり、それを使って決済をするようになりました。なんと、キャッシュレス決済は問題なく行えたのです!!えええ……?いやほんとに……どういうこと?謎は謎のままなのですが、おかげでかなりの金銭管理をタケル自身に任せられるようになりました。キャッシュレス時代の到来に感謝するばかりです。(執筆/寺島ヒロ)(監修:新美先生より)もう成人になられている息子さんの、子どもの頃から続いていた不思議なこだわりとその後の経過について教えてくださりありがとうございます。「下の名前を呼ばれたくないこだわり」なかなか独特ですね。これは子どものときのほうが苦労しますよね。大人になれば下の名前で呼ばれる機会は減るので、必要な場面では事情を説明すればなんとかなりそうです。「お金を支払いたくないこだわり」は今までにも聞いたことがあります。お金を支払う場面は人と人とのコミュニケーションが必要になるので、何かのきっかけで不安になったことがあったのかもしれません。買い物が自立してできないのはとても不便ですが、キャッシュレス決済ならOKなのですね!大人になって成長した段階で、ちょっと別の手段を用いることでOKになるということもありますね。教えていただいたような、生活で日常的に困るこだわりは、大人になるにつれてそういう場面を避けた環境を選択できるようになることもあります。また多くの方で青年期ごろになると、本人が損得を考えられるようになるため、この目的のためにはこれだけ頑張ろうという本人の中でモチベーションが明確になり克服できることもあります。子どもの時期に、「大人になったときに困るから」と本人の意思を無視して、こだわりを治すことにこだわりすぎるとかえってこじれることもあるので、いったん保留にできるこだわりなら、子どもの時期はしばらくはそのままにしておくというのもありかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月25日掲示物を毎日チェック見通し不安の解消?Upload By ゆきみ3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けた長男けんとは、現在小学3年生。特別支援学級に在籍しています。昔から文字を読むのが好きで、どこへ行ってもポスターや貼り紙、カレンダーなどをチェック。在籍している特別支援学級の教室内は時間割表、年間行事表、給食の献立表、各学年で習う漢字一覧表……など、とにかく壁に掲示物が多いのです。視覚優位で、視覚的な刺激を受けやすいけんとは、毎日のように貼り紙が替わっていないか確認しています。親や先生よりも学校スケジュールが詳しいときもあるほど。掲示物を読んで、自分がどこで何をするのか頭の中に入れているようで、見通し不安を自分で解消しているのかもしれません。そんなわが子は、小学校に入ったばかりの1年生の時、学校のスケジュール変更の多さにパニックになることが多々ありました。予定変更でパニック!参加できない全校集会けんとは小学1年生の1学期頃、予定されていた内容が変更になってしまい、それが楽しみにしていたものだったりすると「なぜ変更になったんですか?」と先生に詰め寄り、パニック状態になってしまうことがよくあったそうです。学校には、見通しが崩れると不安になってしまうことを伝えていたつもりでしたが、いつも先生は口頭で軽く説明する程度。先生もパニック状態になってしまったけんとに、どのように対応していいのか分からず、困っている様子でした。私も見通し不安を解消してあげたいと思いつつ、視覚支援などの対応を学校にどこまでお願いしていいものなのか分からず悩んでいました。けんとが小学校に入ってから知ったのですが、学校では時間割の変更が毎日のようにあるようです。「朝会の内容が変更になった」「雨のため、集会の場所が校庭から体育館になった」「3時間目の授業が国語から学活になった」「算数の授業でテストが予定されていたが、前回の授業で終わらなかった内容の勉強になった」など、さまざまです。Upload By ゆきみけんとは、朝の全校集会が特に苦手でした。まず何が行われるのか、内容が不明なことが多いのです。感覚過敏も影響しているのか、人が多い場所も苦手な様子。しかも集会は、天気に左右されることも多く、開催場所が校庭なのか体育館なのかが直前に決まったりします。見通し不安が強いけんとにとっては苦手なことがいっぱいだったと思います。1年生の時は、ほぼ全校集会に出られず教室に残っていたそうですが、ほんの少しだけ参加することを目標にして参加。それを長い期間をかけて、少しずつ参加時間をのばしながら自信をつけ、2年生くらいから全校集会に長い時間参加できるようになりました。保育所等訪問支援を受け変化したこと専門知識のある方が学校で子どもの様子をみてくださり、先生とお話をしてくださる保育所等訪問支援施設と契約していたので、担当の方が学校を訪問してくださることに。先生から学校での様子を聞いてくださったり、実際にけんとの様子を見てくださったりしました。そして、夏休み明け頃に訪問してくださった際、「けんとくんの場合、スケジュールが変更になったときは、変更になった時点で視覚を使い、説明することがとにかく大事」ということを、しっかり先生に伝えてくださいました。私が説明するより、専門の方が先生に伝えてくださるほうが説得力があり、とても心強かったです。学校の先生方も、しっかり保育所等訪問支援の方の話を聞いてくださり、それを参考に考え、支援方法を変えてくださいました。Upload By ゆきみ大きなホワイトボードを使い、時間割や、その日にやる授業内容を細かく説明。予定が変更になる場合は、視覚的に見通しを立てる支援をしてくださり、変更された予定がもし今後ある場合は「明日やる予定だよ」などと、分かる範囲で伝えてくださったよう。すると、落ち着きがなく何かがあるとよく情緒不安定になっていたけんとが、先生がすぐに実感するほど「落ち着く時間が増えた」と効果絶大だったとのこと。そしてさらにそれを繰り返していくことで、けんともスケジュール変更を受け入れられることが多くなり、1年生の冬頃からは、「スケジュールは、変更もあってのスケジュール」ということや、自身の心の折り合いを少しずつ学んでいった様子でした。曖昧な予定が苦手…?現在の息子はUpload By ゆきみ小学2年生になると、時間割や授業内容の変更は視覚支援で丁寧には説明せず、口頭指示のみでも受け入れられるようになりました。しかし、夏休み明けなどに「全校生徒が借りている本を返し終えたら、通常の図書貸出を始める」などの曖昧な日程は大の苦手で、納得がいかないこともあるようです。現在、小学3年生になりました。いつかは曖昧なスケジュールも受け入れられるようになったらいいなーと願いながら、今のけんとのペースを見守っていきたいと思います。執筆/ゆきみ(監修:藤井先生より)けんとさんが学校で穏やかに過ごすことができるよう、訪問支援も併用し、学校とゆみきさん、訪問支援担当者が連携されたのはとても良かったですね。視覚指示を使うことで、予定の変更を受け入れられ、さらには口頭指示のみでも受け入れられるようにと、けんとさんのペースで、パニックが軽減されてきましたね。少しずつ変更があっても大丈夫という経験を積むことで、できたという実感が積み重なっていき、けんとさんのペースで曖昧なスケジュールも受け入れるようになっていくと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月22日息子と娘は、こんな子ですはじめまして。メイと申します。わが家は、子どもたち2人と私と夫の4人家族です。夫は仕事が忙しく、平日はどうしてもワンオペになってしまうのですが、子どもたちと助け合いながら楽しく過ごしています。まずは、息子と娘のことを紹介します。○息子トールUpload By メイトールは1歳半健診の時に言葉の遅れを指摘されました。気持ちの切り替えが苦手で、癇癪を起こすことも多く、児童館などでは他害も見られていました。定期的に発達の相談をしていたのですが、遅めではあるけど息子なりの成長がみられていましたので、発達検査はずっと受けていませんでした。息子が発達検査を受けたのは小学校1年生の時で、その際に医師の診察も受けた結果、ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如多動症)と診断されました。○娘リンUpload By メイリンは3歳児健診の時に、発達検査を受けるよう勧められました。人見知りせず活発な性格の娘については、それまで発達に関して心配をしたことがなかったので、指摘されたことはわたしにとっては驚きでした。その後発達検査を受けて、3歳の終わり頃にASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。夫は仕事が忙しく、平日はなかなか子どもたちと関わることができません。とにかくポジティブで陽気な性格で、明るさに助けられることも多々あります。地声が大きいのが長所でもあり短所でもあります。わたしは息子を産んでから、ずっと専業主婦をしています。息子を産んだ頃は、友達も全くいない、実家からも遠い土地でのワンオペ育児に、不安でよく泣いていました。新しくできたママ友とも、息子の他害や癇癪がひどくなるにつれて疎遠になってしまい、つらいと感じたこともあったのですが、その分息子と向き合って過ごしてきたなぁと思っています。Upload By メイ息子の発達にずっと悩みながらも、夫の転勤や私の出産・育児などが重なり、なかなか支援につながることができず、小学1年生で診断されるまでは一人で悩んだりしていました。しかし、自分なりに発達障害のことも勉強しながら、今ではブログやSNSで子どもたちとの日々を発信しています。発達ナビでも、わたしたち家族のこれまでの歩みを書いていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。Upload By メイ執筆/メイ(監修:新美先生より)メイさん、はじめまして。異なる個性の2人のお子さんを平日はワンオペで子育てされている大変な中で、今ではブログやSNSでの発信もされているとのこと。とてもパワフルですね!!発達ナビのコラムでもいろいろな記事を読ませてもらえるのが楽しみです。これからよろしくお願いいたします。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年04月18日引っ越し後、すぐに行動開始!待ったなしの療育と病院探し娘のしぇーちゃんが2歳半頃に、他県へ引っ越しをしたわが家。新しい土地でまず最初にしたのは、ASD(自閉スペクトラム症)の娘が通う療育施設と、発達の相談ができる病院を探すことでした。わが家は車がないので、通えるところは限られていました。そんな中で初めて契約した療育施設は母子分離型で、1回3時間で週に1~2回あり、送迎もしてくれるところでした(ちなみに、受給者証の支給量(児童発達支援を利用できる日数)は13日/月でした)。母子分離が苦手な2歳半の娘を預けることに初めは不安もありました。しかし、すぐに通える施設はそこしかなく……一日でも早く療育を再開したかった私は、良い効果があることを期待して通うことにしました。行き慣れた祖父母の家でさえも、私の姿が見えないと泣くくらい不安が強かった娘ですが、こちらの施設に通い始めて数ヶ月ほど経った頃にはすっかり慣れて、私と離れても平気になりました。診断済みでも「すぐにみてもらえる病院」を急いで探した理由。それは……娘は2歳4ヶ月でASD(自閉スペクトラム症)と診断されていましたが、引っ越し先ですぐにみてもらえる病院を急いで探す必要がありました。なぜなら、引っ越し先の自治体では受給者証の更新時に「医師の意見書(診断書)」が必要で、早くもその更新時期が迫っていたからです。目星をつけていた第1希望の病院は1年待ちと言われてしまったので、すぐにみてもらえる病院を探して受診しました。この病院には約半年ほど通いましたが、JSI-R(日本感覚インベントリー)を受けたところ数値が高く、この病院でも、ASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。その後、待機中だった第1希望の病院から連絡があったタイミングで、そちらに転院しました。そこでは月に2回OT(作業療法)を受けられることになりました。自立支援に力を入れる療育施設にも通うことに。よき出会いに恵まれてUpload By マミヤその頃、 初めに通っていた療育施設に加えてさらにもう一つ、小集団療育を行う施設にも通うことにしました。そこはこども園が運営している施設で、1回3時間のプログラムの中にお散歩や給食の時間があり、自立支援に力を入れていました。週に1回とはいえ、自宅から自転車で片道40分程かかるので悩んだのですが、1つ目の療育施設で娘の成長を感じられていたので、思い切ってこちらの施設にも通うことに決めました。こちらの施設では、娘は最初から母子分離不安もなく、スムーズに活動へ参加することができていました。自転車で片道40分の通園は大変でしたが、娘を送り届けた後は療育が終わるまで空いている部屋で待機させてもらい(お昼ごはんを持参していました)、天気が悪い日は別の日に変更するなど快い対応をしてくれたので、なんとか通い続けることができました。ここでは、娘も私自身も友達に恵まれ充実した日々を送ることができ、とても幸運だったなあ……と今でも思います。幼稚園に入園する?それともこのまま療育だけにする?迷った末の決断Upload By マミヤこうして、2ヶ所の療育施設と病院での作業療法に通う日々を送っているうちに、娘は3歳になりました。来年度から幼稚園に行くかどうか迷いましたが、その頃の娘はお話が上手ではなかったこともあり、集団でのザワザワは「言葉のシャワー」ではなく「ただの雑音」になるのではないかと考え、年少の時期にあたる1年間は療育1本でいくことに決めました。幼稚園には行きませんでしたが、療育と並行して月に1度は幼稚園のプレにも通い、忙しかった思い出があります。娘はこの1年間で、母子分離不安、偏食、多動が格段に落ち着き、言葉の理解が進んで意思の疎通もしやすくなっていきました。年中から幼稚園入園するため、園探しを開始。ASDと伝えると入園を断られることも……Upload By マミヤ4歳を過ぎた頃には娘がかなり落ち着いてきたこともあり、年中から幼稚園へ通うことにしました。自宅から通えそうな幼稚園を調べて、何ヶ所かの園に連絡し、事前に面談をお願いしました。ASD(自閉スペクトラム症)であることを説明した上で、娘のことを理解し、受け入れてくれる園に入園したかったからです。電話でやんわり断られた園もありましたが、面談で娘の様子を見て「ぜひ願書を提出して下さいね」と言って下さった園もありました。そして、いざ幼稚園に入園してみると、療育で小集団の経験を積んできたおかげか、娘は入園1日目から1度も泣くことはありませんでした。幼稚園での生活にもすぐ馴染んでいました。年少の1年を療育のみで大丈夫かという不安もありましたが、療育メインでやってよかったな……と思える結果となりました。執筆/マミヤ(監修:室伏先生より)引っ越し後の療育・病院探しに始まり、療育施設で過ごされた年少時期、幼稚園への入園にいたるまで盛りだくさんの情報を共有くださり、ありがとうございます。幼稚園に入園されると、多くのお子さんから刺激をもらってよい影響を受けられるお子さんもいらっしゃいますが、しぇーちゃんが年少さんの時期を療育施設のみで過ごされたことは、先生方の手厚い対応ももちろんですが、安心して過ごせる環境が確保できたという意味でもよいことだったかもしれませんね。幼稚園か療育施設かというご相談は多くの親御さんからいただきます。これについては、発達段階だけでなく、そのお子さんの困りごとによってもどちらが合うかは変わってきます。たとえば、他害がある、多動がとても目立つ、多くのお子さんがいる環境に強い不安を感じる、感覚過敏が強く環境や食事など細やかな対応が必要となる、などの場合には、幼稚園では対応が難しいこともありますし、お子さんにとっても負担が大きくなります。悩まれた場合には、お子さんのことをよく知ってくれている支援者(病院の先生や療育スタッフなど)に相談してみてくださいね。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月16日握力が弱く、クレヨンがうまく持てない。創造性が弱く、特にお絵描きが苦手だった時期今思えば、赤ちゃんの頃から物をつかむことがあまりなかった息子。手のひらに感覚過敏があり、何かをつかむときもよく指先だけでつかもうとしていました。握る力も弱く、1歳半でスプーンを握るのがやっとな状態でした。そんな息子でしたが、私自身が絵を描くのが好きだったこともあり、積極的に遊びに取り入れていました。握りやすい大きめのクレヨンを買ったり、当時息子が好きだったキャラクターの塗り絵を買ってみたり、電車の絵を私がお手本に描いてみたりしましたが、効果は今ひとつ……。握力の弱い息子はどんなに濃い色のクレヨンでも、消えてしまいそうなか弱い線を2~3本描くだけでした。そもそも息子は創造性を育むような遊びもあまり好きではなく、お絵描きはもちろん、粘土遊びや砂遊び、ブロック遊びもすぐに飽きて5分と続かなかったように思います。お絵描きも、すぐにクレヨンを転がして遊んでいることがほとんどでした。Upload By 海乃けだまお絵描きは苦手だけど色に興味が出てきた時期お絵描きを好きになってもらえたら……と思いながらも、息子が苦手なら仕方ないとあまりお絵描き遊びをやらなくなっていった2歳頃、喃語ではあるものの単語を少しずつ話し始めていた息子は色に興味が出てきたようでした。同じ色のおもちゃを集めて同じ色のカップに入れたりして遊ぶ姿が多くなったので、ものは試しに、色と数字と動物が一緒になっているおもちゃを導入しました。しばらくは数字を無視して色のみを合わせて遊んでいましたが、そこから徐々に数字にも興味を持つようになりました。2歳半から通い始めた療育でも、毎日数字を目にしていたので(視覚支援で朝のお集まりの際に1~6くらいまでの数字を振ったおおまかなスケジュールを一緒に聞いたり、手遊びでも数字を取り入れたりしていました)、療育での影響も大きかったと思います。数字大好き炸裂期療育の活動の際に、絵本の時間の前に数字を数える手遊びがありました。もともと歌や音楽が好きだった息子はその手遊びも大好きになり、3歳になる頃には一緒に歌って手遊びをしていました。その手遊びから、数字の1が指1本、数字の2が指2本と、数字の概念も少しずつ分かるようになっていき、3歳半になる頃には物の数を数えることもできるようになっていました。数字が読めるようになると、数字大好き炸裂期が到来したようで、毎日毎日数字のパズルで遊んでいました。この時の息子は「分かる=楽しい」に結びついたような瞬間だったのかな、と今では思います。数字が大好きになったことで、視覚支援もしやすくなりました。スケジュールを数字で順番に説明すると、その順序を覚えてその通りに動いてくれたり……こんなにスムーズに事が進むのかと感動したほどです(笑)。お絵描き遊びが苦手なのは変わらずでしたが、この頃には色好きが高じて7色で虹を描くようになっていました(それ以外の絵は全く描きませんでしたが……(笑)。そんな虹ばかり書いていた息子ですが、4歳を過ぎたある時、数字らしき文字を書き始めたのです!!ここぞとばかりに褒めちぎり、書くこと、それが誰かに伝わることの楽しさを感じてもらいました。そこでいい気分になったのか、お絵描きの時には必ず数字を書いてくれるようになり……この機会を逃すものかと私もパパもおじいちゃんもおばあちゃんもやたらめったら褒めちぎりました(笑)。Upload By 海乃けだま数字からひらがなへ。これなんて書いてあるの?期襲来数字が読めるようになると、街中の看板や公園の注意書きをよく見て質問してくるようになりました。「ママ、これなんて書いてある?」1日に何十回と繰り返される質問に、私は読み聞かせロボットと化して答え続けました。5歳で療育園から幼稚園に転園する頃には、ひらがなの半数くらいは読めるようになっていました。幼稚園転入後は先生やお友達の影響もあり、半年ほどでひらがなもカタカナも(濁点がついているものも)読めるようになりました。数字を書いていたことで、絵を描くことへの苦手意識も低くなり、この頃には車の絵やパパやママの顔をよく描いてくれるようになっていました。ひらがなは初めは大きくなぞり書き、次に小さくなぞり書き、そして見本を見ながら書く、見本を見ながら枠内に書く……と療育でも練習していました。現在は見本の字を見ながらではありますが、自分の考えた文章を自ら紙と鉛筆を出してきて書いています。絵を描くことで指先を動かす練習になり、物の形をじっくり見るようになり、その結果がひらがなを描く土台となったように思います。字を書くことに自信がついた今では、お友達や先生に「お手紙書くね!」とうれしそうに話しています。Upload By 海乃けだま執筆/海乃けだま(監修:新美先生より)お絵描きにも興味がなかった息子さんが、成長に伴い興味が移り変わると共に、書くことに取り組めるようになった経緯を詳しく教えてくださりありがとうございます。どのような活動でも、興味を持ち始める時期や、興味の対象は人によってまちまちなので、お子さんによっては、適齢と言われる時期になっても興味を示さず乗ってこないことはありますね。海乃さんは、興味を示さない時にはそれほど無理強いすることなく、息子さんが興味を持ったものにしっかりつきあい、ここぞとばかりに褒めて、反応していかれたことがとても素敵だと思いました。そうした関わりの中で、息子さんの興味が少しずつ広がり、文字を書くことにつながっていったのですね。筆圧が弱い、不器用といったことが気になる時、普段の遊びのなかで、本人が興味を持ったことを足掛かりに手先を使う活動を増やしていくのはとても良いと思います。家庭の中だけでは興味が広がりにくい時、療育やリハビリは興味の幅を広げるきっかけを意図的に提供してくれる場になるかもしれません。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月15日幼少期はお友達に興味や関心がほとんどなかった息子知的障害(知的発達症)を伴うASD(自閉スペクトラム症)の次男Pは、幼い頃は人に興味や関心がほとんどなく、すぐ隣で誰かが話しかけてくれても目も合わさず、無視をしてしまうような子でした。療育園へ通い始めてからは先生や大人に対してなら自分からコミュニケーションを取りにいく様子もみられるようになりましたが、同じ年頃のお友達には全く興味を示さず、ほとんど関わろうとしませんでした。でも小学生になってから、少しずつお友達へも興味を示すようになってきました。Upload By みんお友達と関わろうとし始めてうれしく思っていたけれど…学校からの連絡帳でも「〇〇くんのことが好きみたいで、いつも隣に行こうとします!」などと書いてもらうことが増え、最初は私もうれしく思っていたのですが、Pのお友達への関わり方の様子を先生から詳しく聞くうちに、喜んでばかりもいられないようになりました。たとえばPは心を許した大人に対して甘えるときなどに、腕を触ろうとしたり、匂いを嗅ごうとしたりします。大人の場合は「こうすることで安心して落ち着くなら……」とそのまま腕を差し出すこともありますが、Pは授業中にお友達にも同じことをするようになってしまいました。Pは「好きな人」「心を許した人」にだけそのように距離感なく接するのですが、相手の状況や気持ちも考えずに近づきすぎてしまうのは大問題です。お友達も突然触られるとびっくりするでしょうし、不快になることもあるでしょう。このままでは学校生活の妨げになってしまうかも……と私は心配になりました。お友達に興味を持つようになってうれしい反面、好きになったお友達との距離感や関わり方が分からないばかりに、不適切な行動につながってしまっているので、どうすればいいのだろう……と悩んでいました。Upload By みんお友達を好きという気持ちは大切にしてあげたい!その後先生と話し合い、近づくのがダメだと叱ったり注意したりするのではなく、Pがお友達を好きという気持ちは大切にしてあげながら、正しい関わり方がうまくできないうちは、大人が物理的に距離を取らせることが必要ということになりました。それからは、まず席を離すことから始めてもらい、授業で何かをする順番も最初と最後にしてもらうなど、できるだけ距離を開けてもらいました。それでもPがお友達に触りに行こうとしたら、先生が前もって触らないよう止めてくれました。このように物理的に距離を置くことで、お互い落ち着いて過ごすことができるし、Pがお友達を触りにいくことも徐々に減っていきました。Upload By みん成長から見えてきたわが子の新たな課題今まで苦手なお友達や相性の悪いお友達と距離を置くという話は聞いたことがありましたが、Pはまだお友達との距離感や関わり方がうまくできないので、たとえ好きなお友達だとしてもPのような課題がある場合は距離を置く必要があるということが分かりました。お友達に興味関心があるのはうれしいことですが、それを成長だと喜んでばかりもいられず、また新たな課題が出てくることを実感しました。お友達に抱きつくなど、小さい頃なら微笑ましく見えるような言動も、年齢を重ねると微笑ましいとは言えなくなるし、トラブルにもつながってしまうので、Pがお友達と正しい関わり方ができるよう先生と相談し、支援していただきながら見守っていけたらと思います。Upload By みん執筆/みん(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは人との距離感をつかむことが難しく、近寄りすぎてしまう傾向があります。私の外来では30cmの定規を使ったり、前へならえで手を伸ばした距離を保ったりしてお話しするように伝えています。今回のコラムでご紹介いただいたように、人との適切な距離感や公共の場でのふるまい方は、できるだけ早い時期から指導していくことが大切です。人に抱きつかない、トイレに行くときは個室の中でズボンとパンツを下ろすなど、大人になる前に身につけられるようにしましょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月14日特別支援学校高等部卒業後の進路特別支援学校高等部卒業後の進路としては、大きく4つあると思います。1、障害者雇用枠での「企業就労」2、企業への就職を目標に訓練を行う「就労移行支援事業所」3、一般雇用が困難な人への訓練や就労の機会を提供する「就労継続支援A型・B型」4、障害者支援施設で過ごす「生活介護」息子が通っていた特別支援学校高等部は、生徒に合わせてクラスが分かれていました。「教育課程の類型」といい、生徒の特性や目指す進路に応じて適切な教科や科目の履修ができるというものです。まず、企業就労を目指すクラスがあります。また、就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスがあり、こちらは食品加工班、接客班、事務班、清掃班などに分かれて授業に取り組んでいました。そして、生活介護を目指すクラスは、紙漉きや園芸、陶芸の作業を主にしていました。さて、当時このクラス分けは特別支援学校高等部入学後3年間、類型の移動などの変更はありませんでした。また就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスのメンバーは高等部1年のときに接客班、食品加工班、清掃班、事務班の体験をし、高等部2年でこの中で適性を見極めて1つに絞り、卒業後の進路を決める形がとられていました。就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスに所属していた息子、進路はどうする?息子は就労移行支援事業所や就労継続支援A型・B型を目指すクラスに所属していましたが、同じクラス内での何人かは最終的に企業への就労が決まったり、また企業就労を目指すクラスでも最終的には企業就労ではなく、福祉的就労に進んだ生徒もいましたので、必ずしも属しているクラスで進路が決定されるわけではありませんでした。息子にはどのような進路がいいのか、私は思いを巡らせていました。3年生の2学期頃から生徒たちの進路が決まり始め、企業への正式内定をもらう子も出てきました。定型発達でも受験期の保護者あるある話だと思いますが、保護者同士が親しくても進路先や結果はお互いに秘密にするという暗黙の了解を感じました。親しい友達でも「どこの企業に決まったの?」と聞いても「まだ決まっていない」と決まっていてもごまかされたり、「学校から口止めされているから企業名は言えないのよ」といった返事が戻ってくることもありました。そんな中、高等部に通っていた頃の息子の状態ではすぐに企業就労することは難しいと考え、就労移行支援事業所で高等部卒業後もスキルを学ぶことを希望し、活動を始めました。息子にあった就労移行支援事業所はどこ?私たちは居住区内にある事業所を何件か見学しました。ですが、私も息子もここならと思うところが見つかりませんでした。例えばとある事業所、そこはB型と就労移行支援事業所を併設していたのですが、袋詰めの作業をB型は座って行い、就労移行メンバーは立って行っていました。不思議に思った私が「違いは何ですか?」と質問すると「企業就労を目指すメンバーは身体を鍛えるため立って作業をしてもらいますが、B型のメンバーは着席で行ってもらっています」との返答でした。このようなこともあったので、私たちは居住区以外へも範囲を広め、探すことにしました。そして別の区のとある事業所へ見学にいきました。そこはパソコンに特化した訓練をしてくれ、支援員さんの雰囲気がとても良く、息子も私もここだ!とすぐに気に入りました。就労移行支援事業所の利用期間は原則2年間なのですが、コロナ禍で就職活動ができない期間があったため、息子はここに丸まる3年通うことになりました。そして、希望通り障害者雇用で内定をもらい、現在は一般企業で契約社員として働くことができています。就労定着支援制度できめの細かいフォローをしてもらっています現在の息子は就労定着支援制度を利用していて、月1度、就労移行支援事業所の職員さんが会社訪問をしてくれます。特別支援学校高等部卒業後に就労する場合、学校の先生が定期訪問にしてくれるのは最初のほうだけのようですが、就労移行支援事業所に通い就労定着支援制度を利用すれば約数千円の利用料で(所得により変動します)きめの細かいフォローをしてくれるので、とても助かっています。遠回りしましたが、いきなり企業就労せず就労移行支援事業所へ通って良かったなと今は思っています。進路を選択するということはとても大変なことですが、私たちの経験が参考になったら幸いです。執筆/立石美津子(監修:鈴木先生より)知的発達の程度にもよりますが、何ができるかに注目して、できるところを伸ばしてくれる職場が一番望ましいと考えています。神経発達症に理解のある職場だといじめやパワハラなどがなく、ストレスは少ないと思われます。知的発達に遅れのない神経発達症の患者さんの中には、会社に告知しないで頑張って働いている人も多くいます。そのため仕事量が多くなったり、指導を任されたり、ストレスが多くなることもしばしば聞かれます。教育も職場も自分に合ったところがいいのです。前の記事はこちらUpload By 立石美津子Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月13日もっと早くに気づけていたら現在中学3年生の息子は、自閉スペクトラム症と強度行動障害があります。診断を受けたのは中学1年生の時でしたが、初めて児童精神科を受診してから診断を受けるまで3年近くかかりました。私が息子に発達障害があることを疑いだしたのは、小学3年生で行き渋りを始めた頃からでした。初めての育児で私の知識が乏しかったこともあるかもしれませんが、息子が突然学校に行けなくなるまで、「発達の特性があるかもしれない」と考えたこともありませんでした。息子は1歳半健診で言葉の遅さを指摘されたくらいで、そのあとの健診も幼稚園でも就学時健診でも、何ひとつ問題はありませんでした。小学校1〜3年生頃の家庭訪問や懇談では、担任の先生に相談することがなさすぎて5分もかからず終了。テストの点数もよく勉強もよくできてクラスの人気者。今では考えられないですが、それが学校に行けなくなる前までの息子の姿でした。Upload By 花森はなもしかして?と児童精神科を受診学校に行けなくなった = 児童精神科を受診しよう!とすぐに決断できたのは、私自身に精神科への受診経験があったからです。今は児童精神科を受診しようとすると私が住んでいる地域では半年は待たなくてはいけませんが、当時は1ヶ月程度で受診できました。初めての児童精神科で診察が始まりました。息子は、教室にいるのがとてもしんどいこと、担任の先生が強く叱るところを見るのがつらいことなどを話してくれました。話をしていくうちに、次第に息子の真の姿が見えてくるようでした。いつも私が見ている「優等生」の姿は、すごく無理をして彼自身が懸命につくり上げていたもので、もうその無理ができなくなってしまったのではないかと思いました。そのことも含めて病院の先生にお伝えしましたが、発達検査などには至らず、不安を和らげる薬の処方を提案されました。Upload By 花森はな転院をすすめられ……児童精神科に通い始めて3ヶ月、薬を飲み続けても気持ちが安定しないので、病院の先生から大きな病院への転院をすすめられました。そして、「この病院ではこれ以上のことはできないので、もっと詳しく知りたいなら転院しましょう」と言われました。その際に「発達障害ではありませんか?」とお聞きすると、「いろいろお子さんを診てきましたが、息子くんの場合は違うと思います」と言ってくださいました。ホッとする反面、私の中で「それでも、もしかして……」という気持ちがくすぶり始めたのがこの頃です。Upload By 花森はな小学4年生で大きな病院Aに転院し、通院し始めた頃に最初に出た診断は「幼児返り」。そして、その次に出たのは「解離性障害」でした。新しい診断が出るたびに「発達障害の可能性はありませんか?」とお聞きしましたが否定され、発達検査を希望しましたが「必要ありません」とのことでした。今思えば、まだかろうじて元気が残っていたこの時期に検査ができていたらよかったと思います。本人が元気じゃないと検査自体が受けられないですし、通院もできませんので……。その後、こちらのA病院の治療方針とも合わず、もっと大きなB病院でセカンドオピニオンを受けることになりました。息子は、実はずっと困っていたのかもしれない病院は「違う」という診断を出してくれているのに、「発達障害ではないか?」と疑問を持ち続けた私に対して、ほかの家族の目はとても冷ややかでした。「通院よりももっと子どものことを考えて」「息子を病気にしたいのか」とまで言われましたが、そこで折れてしまっては、息子の学校の困りごとも生きづらさも何も解消しないと私は思いました。学校に行きづらくなってくると、息子はこれまでは口にしなかった教室の雑音がつらい、何もしないで「待つ」という時間が怖い、ノートの字が荒れてきたり書けなくなる、突然癇癪を起こすなど、さまざまな問題が一気に出てきました。学校が合わないこと、教室をイヤだなぁと思ってしまうのは、そういった特性上の理由が隠れているのかもしれません。息子の話は、これまでもずっと聞いてきたつもりです。それでも足りなかったし、学校に行けなくなる前にもうちょっとできることがあったのではないかなぁと、何年も経った今も後悔の念が消えないです。たぶん、この先もずっと消えることはないだろうと思います。Upload By 花森はな執筆/花森はな(監修:室伏先生より)息子さんの診断が分かるまでの経緯について、共有くださりありがとうございました。はなさんも息子さんも不安や葛藤を抱えながら、いくつもの医療機関で受診を重ねられ、本当に大変な日々でしたね。他のご家族さんからの理解を得るのが難しい状況でも、「そこで折れてしまっては、息子の学校の困りごとも生きづらさも何も解消しない」と考えて行動され続けたはなさんを尊敬いたします。幼児期のお子さんとは違って、学童期以降のお子さんでは、ご本人と信頼関係を構築するのに時間がかかってしまったり、ご本人の頑張りや取り繕いなどにより特性が分かりにくかったりして、診断に時間がかかってしまうこともあります。発達障害は生来お持ちの特性によるものなのですが、息子さんのように、それまではご本人の努力で、適応して生活されてきていたけれど、学童期になって人間関係が複雑化したり、思春期になって身体も心も不安定になったりして、困りごとが表面化する、ということもあります。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。前の記事はこちら
2024年04月11日学校から帰ると泣き出した自閉症長男。同級生の女の子とトラブルがあったようで……Upload By taekoある木曜日のことです。学校から帰宅したミミがポロポロと泣き出し、学校で嫌だった出来事を話してくれました。保育園から一緒だった同級生の女の子にフラフープをぶつけられたのだそうで「泣くほど痛かった」と。心配したほかの友達が駆け寄ってきてくれたそうです。また、ほかの場面でもその女の子に「どけ」と言われたそうで、「生きるのつらい。消えちゃいたい……」と涙のミミ。私は自分の小学生時代を思い出し(4年生の女子は強かったな……。そんなこともありそうだな……)と考えたりしつつ、「それは悲しかったね」とミミを抱きしめました。それから、学校から配布される電話相談カードを見せて、「いつでも電話で相談できるよ。電話してみる?」と伝えると、ミミは「どうせ意味ない」と拒否。さらに「そのカード捨てて!」と不機嫌になってしまいました。「先生に電話して何があったか言えるなら、明日学校休んでいいよ」と言っても、ミミは電話しようとはしませんでした。担任の先生への信頼が薄い長男私は、もちろんミミから言われた話をいつも信じるようにしています。ですが、事実かは分からない、とも思っています。担任の先生に私から事実を確認したり相談するか考えましたが、ミミは担任の先生があまり好きではなく、「聞き取れなかったから先生に聞きに行ったのに『一度で覚えろ』って言われた」、「授業中も分からないから手をあげていないのに、指してくるんだよ!」と怒って先生への文句をよく言っています。ですので、「先生に話しても無駄」だと思っているのでしょう(私は「学校はいろんな人がいることを学ぶところだから、合う人・合わない人がいるんだよ」といつも伝えています)。少し迷いましたが、ミミも4年生なので、嫌なことがあってもそれに自分で対応することも必要でしょう。また嫌なことがあったらきっと話してくれるはず、次なにかあったらまた考えようと思い、私は、私から先生には伝えず、見守ることにしました。渋りながらも学校へ行ったけれど、学校は大丈夫かな……翌日の金曜日、ミミは渋りながらも学校へ行くことはできました。なんとか登校してくれたけれど大丈夫かな、またあの女の子ともめていないかな……と心配していたのですが、1日学校で過ごし帰宅したミミは、インターネットである曲を検索してノリノリで聞いています。「学校のお友達に聞いたんだ!」と嬉しそうなので、私がその歌の歌詞をプリントして渡すと覚えて楽しんでいました。そのあとの土日は休みだったので、ミミは自分で好きなことをやっていました。歌を歌う、ペットの猫と遊ぶ、叔父さんからもらった図書カードで好きなマンガを買って読破!この充実した休日でよく気分転換もできたし、元気も蓄えられたのでしょう。週明けの月曜はスムーズに登校できました。Upload By taekoいつのまにか自分で切り替えられるようになったんだねUpload By taeko月曜日、学校から帰宅すると「今日は少しだけ楽しかった」と学校のことを話してくれました。例の女の子とはどうなったんだろうと思いつつも、あえて私からは触れませんでした。それから1週間後、ミミとの会話の中でその女の子の名前がでたので、「そういえばあれからどうなった?」と聞きました。すると物を投げられたりはなく、言葉で言い合っているようです。それを話す時のミミの様子は明るくて、怒っている様子は皆無。よかった!先週の木曜日のことからミミは自分で切り替えることができたんだ!と安心しました。1年生の時だったら考えられないことです。すごく成長したんだなと思いました。私は、笑顔で「言い返したんだ~」と明るく相槌をうちました。これから、嫌なことを自分だけで消化することが増えるかもしれないけれど、嫌なことがあったら一人で抱え込まないで私に言ってね、なにかあったら助けるからね。話してくれてありがとう。執筆/taeko(監修:鈴木先生より)今の日本の教育では、学校や担任の教師の神経発達症に対する理解の乏しさが問題となっています。各市町村の教育委員会や医師会の学校医委員会などで現場の先生方と定期的に神経発達症に関する勉強会ができればいいのですが、教育現場の多忙さなどもあり、なかなか実現が難しいのが現状です。本人から親御さんへ学校の出来事を話すのが困難な場合は、連絡帳を通して伝えてあげればいいのですが、神経発達症に対する理解が乏しい担任の教師だとなかなかそれができていないことが多いのです。校長先生や支援の先生など誰か一人でも子どもに耳を傾けて聴いてくれる先生がいればいいのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月06日3歳でASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けたハジュ現在小学3年生、特別支援学級に通う長男のハジュは、3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。1歳を過ぎた頃から、乳児健診での様子や長女の時と比べて、ハジュの成長に「なにか変だぞ……?」と思い始めました。そして、1歳半健診で心理士さんからすすめられたグループ療育に通いつつ、幼稚園に入園し、3歳を過ぎた頃にやっと自分の言葉を話し始めました。そのような中で、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けた時には、ショックというよりも「ああ、なるほど!」と、むしろ私のなかで合点がいったという感じでした。そんなハジュの成長の中で欠かせない『相棒』のお話をしたいと思います。ぬいぐるみの、『いつもちゃん』ハジュが1歳の頃に、おばあちゃんが手づくりしてくれた軍手でできたぬいぐるみ。顔はフエルトと刺しゅうで描かれており、とても味のある表情で、子どもの小さな手にちょうどフィットする大きさと形でした。もらった瞬間からハジュはそのぬいぐるみが大のお気に入りになり、片時も離そうとはしませんでした。寝ても覚めても、どこへ行くにもいつも一緒。お風呂に入る時ですら離れたくない!と、ハジュがいつも持っているので、そのぬいぐるみを『いつもちゃん』と呼ぶようになりました。『いつもちゃん』がいれば、ハジュの癇癪やパニックが落ち着く時もあり、『いつもちゃん』は私にとっても、育児中の心強い相棒でもありました。Upload By スパ山幼稚園には持っていけないのよ……『いつもちゃん』と片時も離れることなく、3歳になったハジュ。いよいよ幼稚園に入園することになりました。しかし、さすがに幼稚園にぬいぐるみは持っていけない……。ほかのお友達とのトラブルの原因になってしまうし、もしなくしたりでもしたら大事件!さあ困った。私はまずハジュの説得から始めました。ハジュは、耳で聞いたことより目で見たことのほうがよく伝わったので、絵に描いて紙芝居のように伝えてみることに。そして、いつもちゃんの家や布団をつくっておままごとをして、少しずつ離れられるような練習をしました。しかし、結果は撃沈。絶対に手を放しませんでした(泣)。むしろ、「お母さんは、いつもちゃんに何か良からぬことをしようとしている……?」とハジュに不信感を抱かせてしまいました。Upload By スパ山ぬいぐるみについて、思い切って園長先生に相談入園予定の幼稚園で行われた入園前面談の際に園長先生に思い切って相談してみることにしました。2歳から幼稚園のプレ教室に参加していたので、ハジュの様子や『いつもちゃん』のことも園長先生は知ってくれていました。園長先生に、どうしたらぬいぐるみを家に置いて離れられるのかと相談したところ、「置いてこなくてもいいですよ。一緒に登園して、帰りまで職員室で預かっておきます」と言ってくれたのです!優しい配慮をしていただいて、もうこれで安心!と思ったのですが、そんな一筋縄ではいかないのがハジュです。登園後、いくら説得されようとも、絶対に『いつもちゃん』を離そうとはしません。1歳から肌身離さず持っていた相棒ですし、そう簡単にはいくわけもなく……。「初めての幼稚園生活、ハジュにとっての安心材料である『いつもちゃん』と離れたくないのは、当たり前なのでは……?」という思いが私の頭をかすめましたが、ほかの園児たちも、『いつもちゃん』の存在に気づき始めていました。トラブルになってはいけないと思うあまり焦ってしまい、周りの大人たちがあの手この手で、『いつもちゃん』を職員室に置いてもらおうと説得したので、ハジュは『いつもちゃん』にますます執着するようになってしまいました。私も、インターネットやSNSなどを活用したり、発達センターや主治医の先生に相談したり、幼稚園の先生方も何度も話し合ってくれて、対策を考えてくれました。楽しいはずの幼稚園生活が、『いつもちゃん』についての説得により職員室の中で1日が終わってしまうのはもったいないし、どうしよう……と毎日頭を抱えていました。あきらめた?いや、シフトチェンジ!あらゆる方法を試してみても、ハジュの警戒心は強くなるばかりで、この攻防戦にだんだん大人たちも疲れが見え始めました。万策尽きるとはこのことで……何度目かの園長先生と担任の先生との作戦会議の中で、「いつもちゃんを引き離そうとするのを、もういっそやめてみよう!」と「押してダメなら引いてみよう」作戦を試してみることになりました。Upload By スパ山同じクラスの子どもたちには、先生と私から、『いつもちゃん』はハジュの大切なものだと伝えました。ハジュと同じように大切なものと離れるのを我慢して登園している子はほかにもいるんじゃないか、「うちの子だけこんなことしていいのかな……」と、さまざまな考えが頭をグルグルしましたが思い切って保護者の方にも、ハジュと『いつもちゃん』のことを知ってもらうことにしました。ぬいぐるみの『いつもちゃん』と一緒に幼稚園周りの皆さんの協力のおかげで、『いつもちゃん』と一緒に過ごせるようになったハジュは、やっと幼稚園生活を楽しめるようになりました。そんなある日、担任の先生のエプロンのポケットの中に、ハジュが『いつもちゃん』を自分で入れたと聞きました。ほんの数秒でしたが、ハジュが自分から『いつもちゃん』を手放したのです。先生のエプロンがとても気に入ったようで、その年の運動会にはいつもちゃんをその先生に預けて参加することができました。Upload By スパ山小学3年生になったハジュと『いつもちゃん』の今は……結局、小学校に入学してもハジュは『いつもちゃん』と離れることはなく、一緒に登校していました。それが、3年生に進級したその日に、突然「いつもちゃんは今日からねんねして待っていてね」と、自分の布団に寝かせて登校したのです!ハジュいわく、「ハジュは3年生のお兄ちゃんになったから」とのこと!私も先生もクラスメイトたちも、急なハジュの決断にびっくり!逆に私のほうが「いつもちゃん、いなくて大丈夫なの?」とオロオロしてしまいました。もうすぐ4年生に進級するハジュですが、毎朝「いつもちゃん、待っててね」と優しく布団に寝かせて、帰ってきたら「いつもちゃん、ただいま」とギュッと抱っこしています。周りを巻き込んで申し訳ないと思ったこともありますが、みんなが協力して見守ってくれたからハジュが自分でこのような選択を見つけられたんだと思います。今これを書いている横で『いつもちゃん』を抱っこしているハジュを見て、「あの時、勇気を出してたくさんの人に知ってもらってよかったな」と、思っています。Upload By スパ山執筆/スパ山(監修:初川先生より)ハジュくんの大切な相棒、ぬいぐるみの『いつもちゃん』と幼稚園生活、その後についてのエピソードをありがとうございます。どこに行くにも持っていく、寝る時も一緒に過ごすようなとても大切なぬいぐるみやタオルがあるお子さんは多いですね。スパ山さんが最初にされたように、園生活では持っていけない(持っていかないほうが大切にできる)と説明したり、紙芝居のように目で見て理解できるように伝えたり。そうした工夫でお子さんの同意を得る方法がまずありますね。それでうまくいくならそれで良いと思いますが、そこで納得しない、あるいはむしろ意固地になってしまうような場合は、スパ山さんがされたように園や学校の先生に相談するのが良いですね。どうにかして持っていかないで済むような方策を考える方向もありますが、今回のように周りのお子さんらにも説明して、持っていく方向もあります。園や学校の先生とよくご相談いただければと思います。ハジュくんは持っていってよい事となり、ハジュくんのペースで『いつもちゃん』と離れるプロセスができました。「3年生のお兄ちゃんになったから」と自ら機をとらえて離れ始めたのはとても成長を感じますね。さて、大切なぬいぐるみなどを家に置いておくことはできるけれど、寝る時はそれがないと不安だというお子さんもいると思います。そうしたお子さんが小学校高学年になって移動教室(宿泊を伴う行事)の際に、ただでさえ保護者と離れて寝なければならないのに大切なぬいぐるみもないなんて……!と、とても不安に感じる場合もあります。その場合も同様に担任の先生とご相談していただければと思いますが、「ぬいぐるみを家においておけるよう本人が納得する(家の中でも離れる練習をしてみるなど)」「ぬいぐるみを写真に撮って、写真を持っていく(お守りなどの形にする、アクリルキーホルダーにするなどさまざまアレンジできます)」「ぬいぐるみを持っていく」などいろいろな方法があると思います。どうしたら安心して過ごせるかと現実的に可能な方法はどこかというところで接点を見つけられると良いでしょう。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月04日大学入学で早速つまずいた「履修登録」入学してすぐにバタバタと始まるのが履修登録。これが最初のつまずきでした。まず、「自分の生活について自分で決める」ことに慣れていませんでした。高校までは、ルールでガチガチに縛られた生活は息苦しくはあったものの、慣れてしまえば受動的にルーティーンをこなせばいいだけなので、私のようなASDの私にとっては楽な面もあったのです。百科事典並みに分厚いシラバスは、めくっても圧倒されるだけで、自分が何年次に何をどのぐらい履修したらいいものか、まったくイメージがわきませんでした。今のようなSNSのなかった当時、やりくりのうまい学生ならだいたい何単位ぐらいとって卒業するのか、やる気のある学生ならどれぐらいか、という情報もありません。就職や資格取得のためにこれをとっておいたらいい、逆にこれはとるとコスパが悪い、みたいなことも分かりません。いま思えば、周囲の学生は、早くも仲良くなったほかの学生や、先生や学生課の人たちとうまくコミュニケーションをとって情報収集をしていたようですが、ASD(自閉スペクトラム症)の自覚のなかった当時の私には見えていませんでした。コミュニケーション障害や社交不安のあった私には、「人に聞く」がうまくできませんでした。そもそも、「分からないことは人に聞くものだ」という選択肢があまり頭にのぼりませんでした。それまで友人も頼れる大人もほとんどいなかったし、「すべてのことは自分で努力して解決しなければならない」と思い込んでいる部分がありました。結局、分からないことは分からないまま、唸りながら長時間考え込んだり、疲れてやけになって半ばあてずっぽうに決めたりして、最初の履修登録は終わりました。学年を重ねても毎度つまずいた履修登録には、2年になっても、3年になっても慣れませんでした。4月、一生懸命履修登録をし、そのまま新しい学年の授業が始まる環境変化で、緊張や疲れがたまってしまい、5月の大型連休が始まると糸が切れてしまったようになって、休み明けにはもううまく通学できない状態になっていました。私は徐々に昼夜逆転を起こして引きこもりがちになり、ほとんど大学に行けなくなりました。履修登録では頭が真っ白になりながら、なんとか時間割のパズルを埋める計算をしていたような気がしますが、この頃は心身ともにつらすぎて、記憶がおぼろげです。親には役立つ単位や資格を取れと言われたが…両親は私に、学生なのだからもっといろいろな勉強をしなさいと言い、教員、図書館司書、学芸員、速記などの資格取得を勧めました。しかし、学校にほとんど行けないような調子では、プラスアルファの資格取得など無理でした。心身の調子が悪すぎて、毎日を過ごすだけで必死だったため、そんなモチベーションもわきませんでした。結局私は、履修登録を象徴とする「自由な大学生活」に慣れることなく大学4年間を無為に過ごしてしまいました。今の時代は別の方法や選択肢がありそう今の時代なら、別の方法や選択肢があったかもしれないと思います。合理的配慮が義務化される中、学生課や就職課では、コミュニケーション障害や社交不安がある人でも相談しやすい配慮があるかもしれません。履修登録時の情報収集にSNSの力を借りることもできるでしょうし、AIに計算を手助けしてもらったり、プランを提案してもらったりすることもできる可能性があります。そもそも私のようなタイプには、自由度の高いマンモス大学ではなく、アットホームでこぢんまりした専門学校という手もあったのかも、とも思います。今の大学生や、高等教育過程の学生には、私よりももう少し楽に学生生活を過ごしてほしいと願っています。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)の特性として「自由が苦手」があります。小学校の休み時間は自由で外で遊んでもいいし、教室で友人としゃべってもいいのです。しかし、ASD(自閉スペクトラム症)の子は「休み時間難民」と言われるように、何をしていいかが分からず、一人でできることをしていることが多いのです。読書、お絵かき、折り紙工作などです。でも、ASD(自閉スペクトラム症)の場合、授業中みんなと同じ教科書を開いていれば皆と同じように過ごせるから不安がないのです。まさに今回の「私」は高校までは受動的にルーティーンをこなしながら同化できていたのでむしろ楽だったのです。大学でも文系は履修登録で大変かもしれません。理系、特に医学部の場合、一般教養は選択しますがそれ以外は6年間びっしりと授業が決められています。理系はASD(自閉スペクトラム症)の人には過ごしやすいのかもしれません。文系でも理系でも自分に合わなかったらほかの大学または学部へ移ることも一つの方法です。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年04月02日「世界自閉症啓発デー」とはUpload By 発達ナビニュース2007年の国連総会で、毎年4月2日を「世界自閉症啓発デー」とすることが定められました。国連加盟国では、自閉症(自閉症(※以下、ASD/自閉スペクトラム症)についての理解が進むように意識啓発の取り組みを行うよう求められています。日本では、4月2日から4月8日は発達障害啓発週間となっています。ASD(自閉スペクトラム症)や発達障害についての認知は、日本でも近年急激に高まってきています。しかし、今もなお偏ったイメージを持っていたり、正確ではない情報が存在しています。ASD(自閉スペクトラム症)を含む発達障害の研究は現在も続いていますが、はっきりとした原因はまだ特定されていません。何らかの脳機能の障害であると考えられており、しつけや愛情不足など育て方が直接の原因ではないことは分かっています。ASD(自閉スペクトラム症)のある子どもは、さまざまなこだわりを持っていることが多いです。また、感覚過敏や感覚鈍麻などの特性がある場合も多くあります。そのため、育てにくさを感じたり、適切な接し方が難しいと感じる保護者も少なくありません。しかし周囲のASD(自閉スペクトラム症)についての理解や支援が十分であれば、ASD(自閉スペクトラム症)があっても住みやすい環境で、その人らしく充実した生活を送ることができます。「世界自閉症啓発デー」は、この社会で、多くの人が自閉スペクトラム症(ASD)への理解を深めることで、ASD(自閉スペクトラム症)のある人を含めたすべての人が過ごしやすい世界を実現していくための日です。「Warm Blue2024キャンペーン」に参加しよう!Upload By 発達ナビニュース「世界自閉症啓発デー」には、シンボルカラーがあります。「癒し」や「希望」などを表すブルーが、その色です。毎年4月2日は、ナイアガラの滝やピラミッドなど、世界中のさまざまなランドマークが青に染められ、また青い服を身に着けるなどの青をテーマにした啓発イベントが各国で行われます。日本でも、東京タワーやスカイツリーをはじめ、各地のシンボルとなっている建物などが、例年、青く染め上げられています。Upload By 発達ナビニュース4月2日には、シンボルカラーである「青い」ものを身に着けたり、ブルーにデコレーションした施設などの写真をSNSに投稿してみませんか?以下のハッシュタグをつけてぜひ投稿してください。世界自閉症啓発デー #WB_2024 #2024TT #2024blueart#発達ナビ投稿したブルーの写真やメッセージは、下記のSNSアカウントなどでシェアされる予定です。東京都自閉症協会X(旧twitter)東京都自閉症協会facebook Blueギャラリー | 東京都自閉症協会Upload By 発達ナビニュース発達ナビでは、コラム連載陣に「青」をテーマにイラストを書き下ろしてもらい、SNSで発信中です。イラストは、発達ナビのSNSアカウントや各連載ライターのアカウントから、リポストやシェアもOK!みなさんのメッセージを添えて、ぜひSNSでシェアしてください。多くの人たちに届くことを願っています。Upload By 発達ナビニュースWarm Blueをコンセプトにした絵画やイラスト、写真などのアートコンテストも開催されます。参加方法は、X(旧Twitter)に「#2024blueart」のハッシュタグをつけてブルーをテーマにした作品を投稿するという方法が採用されています。画家やデザイナーなど各界で活躍する審査員が選考し、入選作品は、ギャラリーサイトに展示されるほか、オンラインイベントなどでも紹介される予定です。Upload By 発達ナビニュース世界自閉症啓発デー当日の4月2日には、さまざまなブルーアクションを紹介するオンライン生配信が企画されています。今年で4回目を迎える同イベントの司会は、発達障害当事者の不破ふわおさんと、2024ミス日本「海の日」の有馬佳奈さんが務めます。日時:2024年4月2日17:30配信スタート(予定)司会:不破ふわお(発達障害当事者)、有馬佳奈(2024ミス日本「海の日」)協力:明治安田こころの健康財団イベントの詳細は東京都自閉症協会X(旧twitter)をチェックしてみてくださいね!東京都自閉症協会X(旧twitter)(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月30日太郎が自宅で過ごす場所ASD(自閉スペクトラム症)の太郎は、主に2つの部屋で過ごしている。1つは学習用品を置く場所で、ばあばと共同の部屋。もう1つは完全に太郎専用の部屋で、太郎の好きな物がたくさん置かれている部屋だ。そこに、勉強机とパソコンも設置されている。ちなみに太郎の寝室はまた別の部屋であり、完全に1人の寝室である。Upload By まゆん太郎専用の部屋を用意した理由太郎専用の部屋は、プライベートを大切にさせたいと思い、太郎が9歳の頃に用意をした。最初の頃、太郎はあまり利用していなかったが、徐々にブロックや駒で遊ぶ場所として、思考が停止した時などの切り替え部屋として利用する時間が長くなっていった。ばあばと共同の部屋は6畳の小さな部屋であり、テレビも置かれている。なので広いリビングよりも家族全員がそこに集まってテレビを観ることもある。太郎はそこで宿題をする日もあれば、もっと集中力を高めたい時などはもう1つの太郎専用の部屋に移動して宿題をしている。太郎専用の部屋は5畳と狭いが、逆にその閉塞感が太郎には落ち着くのではないかと推測している。長い時では1日の半分をその部屋で過ごし駒を回したり宿題をしたりねんどで何かを作成したりして過ごしている。環境調整には第三者が必要太郎は集中しすぎてお腹がすいていることに気づかないことがあるので、私から声かけを行うことも多い。また、寒い日でも遊びに集中しすぎてエアコンもつけずに半袖で数時間遊んでいることが何回もあった。身体は冷たくなっていたが本人は鈍感なのか「寒くない」と言っていた。逆に夏の暑い日も集中しすぎてエアコンをつけずに汗だくで遊んでいたので、私がこまめに気をつかい、エアコンの状況を見に行くようにしている。環境や服装の調整も難しいのだなあと感じる日々だ。Upload By まゆん小学校の頃、太郎は特別支援学級に通っていて、教室の中には切り替えの場所が設けられていた。教室の隅にパーテーションで狭く区切られた2~3畳ほどの広さの空間には、ブロックや跳躍器具、本などが置かれていた。そして机は、一人ひとり隣が見えないように仕切りが立て付けられていた。Upload By まゆんわが家はそれを意図していたわけではなく、たまたま部屋があっただけだが、太郎には良い環境になっているのではないかと思えている。以前は分からない宿題があればすぐに私や祖母にヘルプを出しに来ていたが、最近はそういうことが減った。部屋に引きこもってなにやら集中力を高めている(のか、何をしているのか……)。空調の調整は、温度計と湿度計を部屋に置き、それを確認しつつ太郎の感覚と意見を確認しながら行っています。太郎はだいたいが「NO」とは言わないため、結果的に私の判断で調整することが多いです。いまだに、自分で時と場合に応じた服選びも行いません。したくないから行わないのではなく、環境に応じた服選びというものが難しいようです。寒いから厚手の服を着る、暑いから冷房をつけるなど物事と物事を結びつけることも苦手としているようです。以前、専門家の方から受けた社会的年齢の低さの指摘はこういう日常生活を1人で行えるのか?というところからの指摘でもありました。4月からは中学3年生。先のことをいろいろ考えています。(執筆:まゆん)(監修:鈴木先生より)温度環境に応じた服選びが難しい場合、温度帯ごとに服を並べてその中から選ばせるという支援方法があります。例えば室温が17℃なら15℃から20℃の間にある服を着て、外が8℃なら外出するときは5℃から10℃の間にある服を選ぶということです。気温の数字を見える化し、視覚的に訴える方法です。また、知的障害のあるお子さんには感覚鈍麻の傾向がみられることもあります。もし気になる保護者の方がいらっしゃいましたら、IQ検査を受けてみるのもよいと思います。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月28日毎日の通学、クラスメイト、教壇に立つ先生、ぜーんぶなし!17歳のわが家の娘いっちゃんが通っているのは、生徒数が多いことで有名なある通信制の高校です。登校して授業を受けることもできますが、いっちゃんは、ASD(自閉スペクトラム症)に加え、非24時間性睡眠覚醒症候群と呼ばれる睡眠障害もあるため、日中登校することが難しく「通信コース」と呼ばれる完全在宅のコースに在籍しています。在宅なので、通学・クラスみんなで一斉に座る机・目の前にいる先生……など、学校と言われて思い浮かべる光景は当然ありません。「さーて、やるかあ」と言って、パソコンの前に座るだけです。Upload By 寺島ヒロオンラインでのリアルタイム授業やメタバースHRも!普段の授業は、録画ビデオを見てレポートを提出する形式で行われますが、週に1~2回程度、オンラインやメタバースを使ったリアルタイムの授業やHRもあります。その日に授業を受けられない場合は、あとでアーカイブを見ることもできます。アーカイブは大体動画サイトにアップロードされるのですが、視聴可能な人を生徒用アカウントに制限し、アクセスを管理しています。この柔軟な授業形式は、いっちゃんにとっては良い環境のようで、今のところ大したつまずきもなく、着々と単位を取得しています。予定変更に弱い特性のある子には意外と良い!?録画授業録画ビデオでの授業は、すでに用意された授業を公開するシステムなので、予定は早めに(1学期の分が2月中には!)全て提示されます。余程のことがなければ時間通りに実施されるため、急な予定変更に不安を感じやすい娘には大変都合がいいみたいです。Upload By 寺島ヒロゲームのクエストのように次の課題を教えてくれるまた娘の学校では、生徒用アカウントと共に「マイページ」と呼ばれるシステムがWeb上にあり、まるでシミュレーションゲームのホーム画面のような分かりやすいUI(ユーザーインターフェース)で、取得した単位や授業内容をいつでも確認できるようになっています。それはまるでロールプレイングゲームで次のクエストを確認するような感覚。「次に何をやればいいのかな?」と迷いがちな娘には大変うれしいシステムなのです。イベントは数多く、課外授業も充実しているけれど……娘の通っている高校は生徒数がとにかく多いので、さまざまなイベントや課外授業が毎日のように開催されています。学校が主催するものはもちろん、生徒会、部活、生徒の有志が主催になるものもあります。いっちゃんは、イラストやデザインの課外授業やイベントに積極的に参加しています。ただ実際は、こういうイベントが好きでいろいろ参加しているという人は、生徒さんの中では少数派なのではないかと思います。課外学習とか、学校全体で2万人も生徒がいるのに30人とかの募集ですしね……。そのあたりは、やはりどこかに集まって何かをするということが難しい通信制の一面が表れているのかもしれません。同調圧力をかけられるのも、かけるのもキライ!な娘しかし、いっちゃんは「集まらないからこそ、クラスメイトの『やりたくない』という雰囲気に巻き込まれることなく、自分の好きなことに好きなだけチャレンジできるから良い」と言います。「逆になんか私がやる気になって、それほどでもない人が協力してくれるみたいになるのも嫌だ」「やっても良い、やらなくても良いって雰囲気だから楽」なのだそうです。人目があると伸びる人、縮む人人目があったほうが頑張れる、人目があるから勉強しなければいけないと思えるという人もいますが、人目があると遠慮してしまう、思うように行動できないという子もいます。うちでは娘がそうでした。Upload By 寺島ヒロ通信制高校というと、就職率が……とか、大学進学率は……とか、気になる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、通信制の学校というものを、そういう「縮むタイプの子」が伸びる(かもしれない)場所として捉え直してみても良いのかもしれないと私は思います。執筆/寺島ヒロ(監修:室伏先生より)通信制高校の日常のリアルを共有してくださり、ありがとうございます。通信制高校を希望される方も増えていますので、通われている方の生の声はとても貴重な情報です!通信制高校は、基本的には遠隔で行われる授業を元に自身で学習を進め、レポートやスクーリング、テストなどにより単位を取得していくというスタイルをとっています。自分のペースで学習を進めることが苦手な方にとってはデメリットとなってしまう懸念もありますが、いっちゃんにとっては、人目を気にせずに自身の能力を伸ばす場所になっているだけでなく、自己管理能力をさらに鍛える機会になっているようにも思います。実際に登校すべき頻度や、イベントや課外活動の活発さなどは学校により異なりますので、ご自身の希望に合う学校を見つけられるとよいですね。(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月27日新生児の頃、長男がおとなしかった理由は……長男は生後1ヶ月の頃、先天性甲状腺機能低下症と診断されました。成長に大切なホルモンが正常に出ていないと医師に話をされました。あまり泣かずよく寝ており、「おとなしい子だなぁ」と感じていましたが、それは先天性甲状腺機能低下症の影響であると説明を受けたのでした。治療を開始し症状は安定しましたが、発育について私はとても心配していました。しかし歩行や発語の遅れは特に感じず、身長や体重などの成長も順調でした。1番初めに覚えた違和感……同じ場所を行ったり来たり常同行動が始まった1歳半の頃心配をしながらも長男は順調に成長していきました。そのような日々のなかで、私が1番最初に長男の行動に違和感を覚えたのは、だいぶ走れるようになった1歳半過ぎの頃でした。「特定のお気に入りの物を持ち、同じ直線を行ったり来たり走る」という常同行動が目につくようになったのです。 男の子がよくヒーローの世界などに入り込み、走ったり戦ったりすることは聞いたことはありましたが、そんな要素もありつつ、でも何か違うような……。しかしまだ幼いこともあり、よくある子どもの行動かもしれないと様子を見ていました。 しかし、2歳になるとその常同行動を1日に何度もやり、多いときは1日の半分以上走っているということもよくありました。夫も若干何か感じていたようで、当時何度か夫婦で話をしましたが、本人がとても楽しそうなので、なんとなく「これは長男にとって大切な時間なのかもしれない」と、2人で納得していました。行ったり来たり走っている時も声をかければ切り替えもできていたし、特に誰かを傷つけたり迷惑をかけるということもなかったので深く考えすぎないように見守っていました。Upload By ねこじまいもみ2歳頃、保育園での息子の様子は長男は2歳で保育園に通い始めました。登園時に泣くこともありましたが、徐々にすんなりと通えるようになりました。保育園ではおままごとのフライ返しがお気に入りだったようで、お迎えに行くとそれを持って1人で部屋の隅をちょこちょこと走っている姿を毎日毎日見かけました。保育士さんに「1人でいつもよく走っていますか?この行動について何か感じたりしますか?」と尋ねたことがありました。保育士さんは「みんなで取り組む時はちゃんと参加していますよ。受け答えも切り替えもきちんとできてますし、問題行動もありませんよ。本人も楽しそうに過ごしているので、私からは特に何も感じないですよ」とおっしゃってくださいました。Upload By ねこじまいもみ集団行動が苦手なのかもしれない……。でも、発達障害と結びつけるのも……しかし後から思えば、集団行動の苦手さもあり、集団を避けていたのもあるのかなぁと感じています。なぜなら、 長男は3歳の時、2つ上の長女と一緒にダンスの習い事をしていたのですが、長男はあまり取り組むことはなく体育館の隅っこでずっと同じところを行ったり来たり走っていることが多く見られました。そして、私が声をかけても逃げてしまい、なかなか取り組むことができませんでした。その時もダンスの先生に「小さい子だと最初はやらないことも多いですよ。でも、だんだんとやるようになってくると思うから大丈夫!」と言われました。たしかに気分で取り組んだり、発表会などはきちんとできていたのですが、長男の様子を見ていた私は、ダンスの習い事を一旦辞める選択をしました。この習い事先での様子も、私の中ではずっと抱いて長男の違和感で、集団行動が苦手なのではないかと気づいてゆく出来事の一つでした。 しかし、園や習い事でも集団行動ができている時もあり、発達障害に結びつけて良いものか当時は本当に分かりませんでした。そしてこの常同行動が、就学後、長男にとって学校がつらい場所となっていく原因の一つとなるのですが、それは、また別の機会に詳しく書いていこうと思います。小学3年生なった長男、常同行動はどうなったかというと……小学3年生になった今も長男はこの常同行動をしますが、主に自宅だけです。 年齢が上がるとともにやってはいけない場面を自分なりに理解したり、人の目を気にしてやらなかったりと、変化しているようです。でも、この行ったり来たりする行動は、長男にとって楽しい時間であり、大切なんだと今は自分で言っています。また、トランポリンも好きで家で頻繁に跳んでいます。長男にはストレス発散になっているようで、 常同行動と同じくらいスッキリすることなのだと聞いて、私も長男にとっての常同行動がどのようなものなのか、理解できたような気持ちになりました。Upload By ねこじまいもみ執筆/ねこじまいもみ(監修:初川先生より)長男くん2歳の時に覚えた違和感、常同行動についてのエピソードをありがとうございます。違和感がありつつも常同行動をやめさせたり、集団活動が苦手そうだなと感じつつも集団活動にちゃんと参加しなさいと強く促したり、そうした働きかけをせずにいてくださったこと、長男くんにとってどれほど救われたかと思います。子育ての中で、「……あれ?」という違和感を感じることは多かれ少なかれあると思います。その際に、自分の思いや思い込み(○歳なら普通こうするもんでしょ!)でお子さんの言動を“変えよう”とするのではなく、お子さんの様子を観察し、どうしてこういう言動が出ているのか考えたり、園の先生方はじめ相談できる人に相談したり。そうした動きが初発であることがとても良いと感じます。集団行動自体は取れていても、あまり得意そうではないから、習い事として(つまり園生活プラスアルファとして)続けることを止められたという判断にもつながったのですね。苦手そうなことを日常生活にプラスしてまでやるかどうかはよく考えたいところです。特に、嫌だ、苦手だという表出が少なく、やろうとしたらできるけれどすごく疲れる、あるいはかなり時間が経ってからそのつらさが出てくるタイプのお子さんもいるので、そのあたりの細やかな見取りは長男くんにとってとても助かったと思います。常同行動のその後についてもありがとうございます。成長とともに出し方が変わってくる様子があるのですね。人によってはコンディションによって出方が変わったり、あるいは変わらなかったりということもあると思います。お子さんにとって常同行動によって得ているもの(安心、スッキリなど)は何か、あるいはどんなときにそれが出やすいか(不安、緊張など)をよく観察しておけると良いだろうと思います。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
2024年03月22日