結婚を機に夫の自宅で同居生活を開始。夫の祖母が認知症と診断されたため、仕事を辞めて夫の祖母の介護をしていました。その後出産し、現在育児中です。
ブログ「家事ときどき介護~介護は一息、今度は育児!?~」(https://ameblo.jp/kt-kaigo/)にて、育児や同居の話などを書いています。
アメブロで人気の「家事ときどき介護~介護は一息、今度は育児!?~」のpinkyさんによるコミックエッセイ。子育て真っ最中の日常を綴ります。
ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の春から小学生になった息子。 ひとりで登校することに不安があるようで、まだひとりで学校には行けません。 帰り道はお友だちがいるので、途中までは帰ってきます。 もともと息子は慎重な性格ということもあり、1年生の間は送り迎えを覚悟しています。 ■通学路以外の道から帰りたがる子がいる 息子と一緒に登下校していると、同じ1年生の子の様子がよく分かります。 通学路はあらかじめ決まっているのですが、上にお兄ちゃんやお姉ちゃんがいる子のなかには、1年生でも別の道から帰りたがる子がいます。 「こっちの方が近道」「こっちから帰ろう」と、声をかけてくれます。 ただ、決められた通学路以外の道を通って事故にあった場合、保険がおりなかったり、途中まで保護者が迎えに来ているのに、行き違いになってしまうこともあります。 息子にはそう説明して、ちゃんと通学路を通って帰ってくるように伝えたので、今のところ通学路を通っていますが、一緒に帰ってくるお友だちには「別の道から帰ろう」と、よく誘われているようです。 大雨の日、着てきたレインコートをどうしたらいいのか分からず、立ち尽くしている1年生の子を見かけます。 とくにランドセルを背負ったまま着ることができるタイプのレインコートは、着にくく脱ぎにくいようです。 自分の子どもを送ったついでに、保護者が脱ぐのを手伝っていたり、子どもたち同士で手伝っていたり、ほほえましい姿も見かけます。 ■息子のお友だちがランドセルを背負ったまま遊びにきたけどけど… お友だちと一緒だと帰れるけれど、ひとりだと帰るのが不安、という子もいました。 帰り道が同じ方向だったので、途中まで一緒に帰りましたが、無事、保護者の方に会うことができました。 帰り道が同じ方向の保護者の方と話すことができて、心強かったです。 息子と家に帰ってきて、庭で植物に水をあげていたときのこと。 息子のお友達がランドセルを背負ったまま、庭にやってきました。 息子もお友だちも一緒に遊びたがりますが、こちらとしてはヒヤヒヤします。 まだ1年生。 帰るのが遅いと保護者の方は心配しているだろう…と。 保護者の連絡先を知っている子はまだ良いのですが、連絡先も分からない子の場合は困ってしまいます。 こちらも心配になり途中まで送ったら、保護者の方が心配して探しにきていたこともありました。 小学生になり、まだ数ヵ月。 かわいい1年生の子たちをこれからも見守っていきたいと思います。
2022年06月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年の春から小学生になった息子。 一番の心配は給食でした。 今回は、幼稚園と小学校での給食(またはお弁当)事情について書こうと思います。 幼稚園では給食(またはお弁当)の時間が苦痛で、登園拒否が続いたこともあった息子。 先生によっても違いましたが、厳しい先生だと、嫌いな食べ物も食べなければいけない、という圧のようなものがあったようなのです。 特に年少の頃、息子は苦手な食べ物を口にすると、吐いてしまうことがあったので、 あまり無理に食べさせないでほしいと先生にお願いしたこともありました。 息子が通っていた幼稚園は、給食とお弁当が選べる日がありました。 お弁当を作るのが大変なので、本当はすべての日を給食にしたいくらいでしたが、息子の強い希望で、どちらか選べる日は、お弁当を作っていました。 お弁当なら、息子が食べられる物だけを入れられますし、息子はお弁当が大好きで、お弁当を残すことはほとんどありませんでした。 しかし、年長になったある日から、息子はお弁当を残すようになったのです。 ■楽しみにしていたゼリーを残して帰ってくるようになった この頃、幼稚園では小学校を意識して、昼食の時間が短くなっていたのです。 息子は、甘いものは基本的に何でも大好きで、お弁当のデザートにつけていたゼリーを食べることも、とても楽しみにしていました。 それなのに、 ゼリーを残して帰ってくるなんて、とても信じられませんでした。 「ご飯やおかずを残してもいいから、時間が無くなる前にゼリーは食べなよ?」と伝えていたのですが、やはりお弁当を残すと、ゼリーには手をつけずに帰ってきていました。 お弁当を残しているのにゼリーを食べると「まだおかずが残っているのに、デザートを先に食べてる!」と指摘してくる子もいたようです。 幼稚園では、デザートは最後に食べるというルールがあったのですね。 もちろん、気持ちは分かります。 私も家では、デザートはご飯とおかずを食べてから、とよく言っていますから。 ただ、息子を見ていると、とても切なくなりました。 ■ついに小学校で給食が始まった! 時間内に食べ終われるように、お弁当の量をかなり減らし、ゼリーをつけることもやめました。 本人も、その方が気持ちがラクだったようです。 しかし、幼稚園でも時間がないと、あまり食べられない息子だったのに、小学校は毎日給食で、一体どうなってしまうのだろう…。 そんな不安がありました。 ついに小学校で給食が始まり…。 苦手な野菜が多く、おかずを残してしまう息子は、やはりデザートを食べられないようでした。 給食のメニューを見ても、息子の苦手なものが多そうでした。 ひどいときは、牛乳のほか、ご飯しか食べられないんじゃないかと思うような日もあります。 もちろん、少しずつ苦手な食材も食べられるようになってほしいと思いますが…。 それよりも、 給食が原因で“学校へ行きたくない”と思ってほしくありませんでした。 食べられない物が多いからこそ、デザートくらいは美味しく食べてもらいたい…。 そんな気持ちもありました。 「もし、先生やクラスの子から、デザートを食べることで何か言われたら、お母さんが先生にお話するから」と息子に伝えました。 後日…。 ■小学校の方が昼食でのストレスは少ない様子 息子は目を輝かせながら、学校から帰ってきました。 「ご飯とおかずを残しても、デザートを食べていい」 と先生が言ってくれたと、とても喜んでいたのです。 どうやら、幼稚園よりも小学校の方が昼食でのストレスは少ないようで、息子は毎日、楽しく学校へ行っています。 3年間、あまり幼稚園へ行きたがらなかった息子。 「幼稚園、行きたくないなー」が口癖のようだった息子。 その息子が「小学校行きたくない」とはまだ1回も言っていないことに、正直、驚いています。 大人からすると、そんなことで…と思うような小さなことでも、子どもにとっては重大なことだったりするので、幼稚園と小学校での昼食事情も少しは関係しているのかもしれないな、と思ったのでした。
2022年05月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、結婚し子どもが生まれたら変わった夫のことについて書こうと思います。 夫との出会いは職場でした。 ■夫とは職場恋愛をへて結婚 夫はふざけたり、冗談を言ったりして、周りの人を笑わせていて、おもしろい人だな、と思っていました。 ときに冗談が行き過ぎて、人を傷つけることもありましたが、仕事に対する姿勢を尊敬していました。 職場で出会ったので、仕事中はよく注意されることもありましたし、厳しい人だな、とも思っていました。 でも、その真面目さを見て、 この人と結婚する人は幸せだろうなぁ、と思ったのです。 縁があって付き合い結婚すると、夫は変わりました。 仕事のグチや不満をよく口にしてイライラすることが多かった夫ですが、私の前でイライラすることが格段に減りました。 子どもが苦手ということは知っていたので、自分の子どもができたら、どういう反応をするのか、少し怖い部分もありました。 その前に、子どもをほしいと思っているのか、そういうことを何も聞かずに結婚してしまったので、それを知るのも怖かったのです。 その後、息子が生まれましたが…。 ■息子が生まれてから、さらに変わった夫 息子が生まれたとき、面会はガラス越しでした。 ガラス越しに、早くまた抱っこしたい、と言っている夫を見て、かわいいと思っているんだな、と意外に思いました。 そして、現在も…。 息子が生まれたときから「かわいいかわいい」と言っていた夫。 大きくなっても「まだかわいい」と、親バカ全開です。 出会ったばかりの頃の夫とは変わり過ぎていて、正直なところ、夫がここまで変わるとは思っていませんでしたが、これはうれしい誤算でしたね。
2022年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 先月、6歳になった息子も無事卒園し、来月からはいよいよ小学生です。 幼稚園での3年間で、息子は大きく成長しました。 息子のおかげでママ友もたくさんできて、私自身もとても楽しい3年間でした。 ということで今回は、ママ友に感謝していることについて書きたいと思います。 息子が生まれてからしばらくは、私にはママ友がひとりもいませんでした。 ■プレ幼稚園で奇跡的に初めてのママ友ができた いなきゃいないで気が楽かもしれない、とは思いつつ、それでもママ友がいたらなぁ、という気持ちはどこかにありました。 子育て支援センターに行ってみたり、離乳食教室に参加してみたり、公園へ行ったり、人と話す機会はありましたが、ママ友はできませんでした。 息子が2歳を過ぎたころ、プレ幼稚園へ通うことになりました。 そこで奇跡的に初めてママ友ができたのです。 プレ幼稚園で出会ったママさんは、とても社交的な方で、メッセージアプリのグループに招待してくださったのです。 この時、私は1人のママさんしか知らなかったのですが、メッセージアプリのグループには、ほかに3人のママさんがいたので、文章にとても気を遣いました。 普段は使わない絵文字などをほかのママさんが使っていたので、マネして使ってみたり、最初の1週間はドキドキしていましたが、時間が解決してくれました。 顔と名前が一致して、誰がどんな人かも分かると、 あっという間に気楽に話せる間柄になりました。 プレ幼稚園で母子分離が始まると、何人かで集まっておしゃべりする機会ができました。 この頃は、子どもと離れることが、ほとんどない時期だったので、こうして子どもと離れて人と話すことが楽しくて仕方がなかったのです。 すごいと思ったのは、ママ友と話していて、 人の悪口を言うような人がひとりもいなかったことです。 私が想像していたママ友のイメージとはまるで違い、ほど良い距離感で、安心して付き合えました。 時に子育ての不安を共感し合い、お互いに励まし合い、とても良い関係でした。 良い縁に恵まれて、ありがたい3年間を過ごせました。 幼稚園のイベントのお手伝いなどにも積極的に参加できたのは、ママ友がいたからだと思います。 私ひとりだったら、とても参加する勇気はなかったでしょう。 息子は友だちを作ることが、そんなに得意ではないのですが、お友だちと個人的に遊ぶ機会があったからこそ、仲良くなれた気がします。 ■幼稚園がこんなに楽しかったのはママ友のおかげ 最初はなかなか私の側を離れない息子でしたが…。 時間がたつと、お友だちと一緒に遊べるようになりました。 個人的に遊んだことがきっかけで、 幼稚園でも仲良くしていたようです。 仲の良いママ友とは、小学校がバラバラになってしまうので、残念ではありますが、今やママ友というよりは、普通に友だちになってしまっているので、これからも変わらず、ランチに行こうと思います。 不安だった幼稚園がこんなに楽しいものになったのは、 間違いなく、ママ友のおかげです。 良い出会いに本当に感謝しています。 これから息子は小学生。 息子にも、私自身にも新たな出会いがありますように。
2022年03月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 先日6歳になったばかりの息子ももうすぐ卒園。 春にはいよいよ小学生です。 息子が入園してから、いろいろなことがあったなぁ…と、遠い日の出来事のように思います。 反省も多かったあの頃を思い出しながら、入学に向けて大事だと思っていることを再確認しようと思います。 息子が入園する前のこと。 私にはいくつかやっておきたいことがありました。 ■息子にパンツで1日過ごしてもらう作戦を決行 3歳の誕生日を迎えたばかりの息子。 いよいよ入園が迫っていました。 年少になるにあたり、日中のオムツだけでも卒業させておきたい、着替えもひとりでできるようにさせておきたい、と考えていました。 そこでやったのが、パンツで1日過ごす作戦。 1週間もたてば「トイレにいく」と言い出すのではないか…と思い始めたのですが…。 尿意がまるで感じられない様子でした。 トイレに連れていっても出ることはないのに、30分もたつといつの間にか漏らしている…。 そうして1日が終わっていきました。 これが何日も続くのか…そう思うと、酷くストレスを感じました。 私は割と短気なこともあり、このまま続けると息子を怒鳴りつけてしまいそうなので、一旦、あきらめました。 きっと、息子にはまだ早いのだろう、と思うことにしました。 プレ幼稚園の日…。 ほかのママさんがトイトレをがんばっている姿を見て、 私は他人事のように“私には無理だ”と思いました。 いくら怒ってはいけないと自分に言い聞かせても、私はきっと息子を怒らずにはいられないだろう、と。 そんなことをしてもお互いに嫌な気持ちになるだけですし、私はもう少し時間をかけたいと思いました。 しかし、時間はあっという間に過ぎていきました。 幼稚園の生活にも慣れ始めた年少の夏休み前のこと…。 ■オムツで登園しているのは息子だけと知った 担任の先生から電話をもらいました。 みんなパンツで登園していて、オムツで登園しているのは息子だけ、とのことでした。 このときの息子はパンツを嫌がっていました。 私と息子のペースで、のんびりやっても、そのうちトイレに行けるようになるだろう、と思っていました。 でも、どこかで焦る気持ちがありました。 何度も声掛けに失敗しました。 そんなことを繰り返すうちに息子に厳しくあたってしまったことも。 息子はとてもマイペースで人のことを気にしている様子はありませんでした。 そんな息子を見て、私は時に焦ることがありました。 けれど、焦ってもいいことは何もありません。 私自身、とてもストレスを感じやすくなっていて、情緒不安定な時期でもありました。 このままではいけない、と強く思い、私はがんばることをやめました。 息子は息子。私は私。 誰に何と言われようと、お互いのペースを考えながらのんびりやっていくことを決めました。 それからはわりとスムーズで、気がついたら息子はひとりで着替えられるようになっていたし、夏休みが終わるとパンツで登園できるようになりました。 具体的にどんな声掛けをしていったのかも、今では覚えていないほど、少しずつ少しずつ、自然と息子は成長していきました。 ■何事も無理に周りに合わせる必要はない 私の育て方がいけなかったから息子はいつも一番最後なんだろうか、と思ったこともありました。 私がもっとちゃんとした母親だったら、と思ったこともありました。 でも、誰もそんなことを思う必要はないのだと思います。 すべての人ができるからといって、それが自分にできることとは限りません。 自分にできることをすべての人ができるわけでもありません。 子育てにおいて早くできることがいいことのように思われがちですが、そんなことはまったくないと思います。 子どもが成長したとき、オムツがはずれたのはいつだったのか、ひとりで着替えられるようになったのはいつだったのか、そんなことを聞かれることはまずありません。 覚えている人も少ないかもしれません。 そんなことは、大人になればどうでもよくなるのです。 最初から、自分を信じて、子どもを信じて、ふたりのペースでやっていたらお互いにとても良い気持ちで乗り越えられただろうと確信しています。 もうすぐ息子は卒園し、そして入学します。 これから先も、私と息子にとって必要なことは、無理に周りに合わせることではなくて、マイペースに楽しんでいくことだと思っています。
2022年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 2022年になりましたね。 今年はどのような1年になるでしょうか。 去年は、父が脳出血で入院、そして退院し、祖母が亡くなるなど、実家ではいろいろな変化がありました。 年末は特に慌ただしかったのですが、今年に入り、ゆったりとした気持ちで過ごせています。 今年、私が一番気になっていることは、息子が小学生になることです。 ■小学校に入学して息子の環境が大幅に変わることが不安 息子が年少のときは、登園拒否が激しかったことをよく覚えています。 年中になり、泣くことは減っても、なかなかスムーズに登園することができず、 “一体いつになったらスッと幼稚園に行ってくれるのだろう…” と、よく考えたものです。 そして年長の今、ようやくスッと登園するようになりました。 昨日まで遊んでいたと思ったら、突然、授業が始まるのです。 大幅に環境が変わるので、不安がないわけではありません。 せめて、ひらがなだけでも書けるようにと、ドリルを買ってみたものの、文字を書くのはめんどうくさいようで、なかなか進まないのです。 大好きなことには、ものすごい集中力を発揮しますが、興味のないことは一瞬で飽きるのですね。 ■PTA活動についても気になっている 勉強することが本当に苦痛ならば、勉強はしなくてもいいと思っているんです。 自分に必要なことというのは自分が一番分かっている、と思うからです。 やりたくもないことを無理やりやらせることによって、大人になったとき、自分が何をやりたかったのか分からなくなってしまうんじゃないか、と。 とはいえ、ひらがなくらいは、早めに覚えておいてもらいたいのも事実です。 もうひとつ、小学校で気になることと言ったら、PTA活動です。 子どもが低学年のうちにやっておいた方がいい、とよく聞くのですが、そういうものなのでしょうか。 どうせ避けては通れなさそうなので、今年はPTA活動を積極的にできたらな、と思っています。 同じように考えている保護者の方もたくさんいらっしゃると思うので、実際にできるかどうかは分かりませんが、めんどうくさいながらも楽しみでもあるのです。
2022年01月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年一番衝撃的だったわが家のニュースといえば、私の父の入院、そして退院です。 年内に退院できたこと、とても嬉しく思います。 父もホッとしていることでしょう。 今年の春、「父が倒れた」と母から連絡をもらったときは、どうなることかと思いました。 ■母からの連絡に頭が真っ白になった “父が冷たくなっていた”と、母が言うので、即死かと思ったんです。 あのときは頭が真っ白になりました。 今年一番の衝撃は、まさしくこのときでした。 つい数時間前に笑顔で手を振っていた父が、まさか倒れるとは思ってもみませんでした。 父は約1カ月、意識不明だったと思います。 コロナの影響で面会することもできず、父の意識が戻ったのか戻っていないのかも、よく分からない状況でした。 医師の話によると…。 絶望的でした。 趣味ができないどころか、 「脳出血で脳の一番大事部分が出血しており、もう考えることができるかどうかも分かりません」と、医師が言ったのですから。 けれど、私たち家族は医師の言うことを信じませんでした。 父が倒れて何日かは、まさかこんなことになるなんて…と、家族は信じられない気持ちでしたが、その後は驚くほど前向きに考えていました。 いつまでも落ち込んでいても、父の意識は戻らない。 それならば、前向きな想像をしよう、と。 そうして、私や母、祖母も少しずつ普段の生活に戻りました。 父が倒れてから約1カ月後…。 ■退院後の父は驚くほど回復していった 1カ月ぶりに、まともに父に会うことができました。 父の表情が乏しく感じましたが、意識が戻り、寝たきりの状態から、車イスに座れるようになっていました。 転院した後の父は、驚くほど回復しました。 あれよあれよという間に、栄養を送っていた鼻のチューブが抜け、自力で食事ができるようになり、歩行の練習が始まりました。 秋になり、ぼちぼちと退院の話がでるようになった頃…。 母は「どうしてこんなことになったのか」と、よく言っていました。 父が退院したあとのことなど、不安もあったと思います。 けれど、最終的には 「きっと何とかなるわよ。そんな気がするわ!」 と、前向きでした。 そして、父は退院しました。 自力でつえをついて歩けるようになって。 訪問リハビリにて、目標があると良い、という話になり、“またできるようになりたいこと”を聞かれたとき、 「またテニスをしたい」 と父は言いました。 とてもやる気があり、向上心が高い父。 もしかすると、またテニスができるくらいに回復する可能性もあるのでは!? なんて、思ってしまいます。 これからも、そんな父を見守っていきたいです。
2021年12月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 コロナ禍も早いもので2年目なのですね。 私自身、コロナ禍になったことで、気持ちにも変化がありましたし、息子の幼稚園でも変わったことがたくさんありました。 今回はコロナ禍での変化について、書いていきたいと思います。 まず、私自身の変化について。 ■一番の感染症対策は何なのかにたどり着いた それこそ1年前までは、コロナへの不安が大きく、少しでも多くの情報がほしいと思い、調べてばかりいました。 そして、一番の感染対策は、 “免疫力を高めること” なのではないか、という結論に至りました。 体のために良いことは取り入れていこうと、考え始め…。 体のために、地元の旬の食材を意識して買うようになりました。 こんな時期だからこそ、地元を応援したいという気持ちもありました。 コロナ禍になる前は、流れに身を任せて生きていたように思いますが、今は、納得できないことをするのはやめよう、という気持ちになりました。 その方が、自分を大切にできると感じますし、悔いも残らないと思ったからです。 ということで、私自身の変化もたくさんありましたが、次に、息子が通う幼稚園での変化について書きたいと思います。 もともと息子が通っている幼稚園は役員がなかったのですが、その代わりに、イベントの前にはお手伝いを募集していて、保護者も幼稚園のイベントを手伝うことができました。 私は息子の幼稚園での様子を少しでも知りたかったこともあり、息子が年少さんのときは、積極的にお手伝いに参加していました。 しかし、コロナ禍でイベントが減り、規模も小さくなり、息子が年中さんになると、お手伝いの募集もなくなってしまいました。 イベントがなくなる寂しさもありましたが、お手伝いがなくなると、気持ちはとても楽になりました。 今の年中、年少さんの中には、遠足を知らない子もいると知り、それを聞いたときに悲しくなりました。 イベントが減ると楽な一方、遠足くらいは行かせてあげたかったです。 しかも、保護者が幼稚園へ行く機会が減り、子どもの幼稚園での様子を知ることが、以前より難しくなったと感じました。 ■コロナ禍になり、変わってよかったこと 運動会は、中止にはなりませんでしたが、規模が小さくなりました。 時間帯で区切られ、あっという間に終わりました。 運動会と言えば、早起きしたにも関わらず、お弁当作りに時間がかかってしまった記憶がありますが、そのお弁当作りがなくなったのは嬉しかったです。 早くから場所とりをする必要もなく、それもとても楽だったので、 毎年これでもいいかもしれないな、と思ってしまうほどでした。 そして最近、就学前健診がありました。 時間がかかると噂に聞いていたのですが、コロナ禍ということでグループ分けされており、受付時間がいくつかあったので、すぐに終わりました。 コロナ禍にならなければ、変わらなかったこともあると思うので、ある意味、よかった部分もありました。 ただ、何事にもメリットとデメリットがあるので、今後もよかったと思うことは取り入れながら、臨機応変に考えたいものですね。
2021年11月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 結婚を機に、義両親と同居を始めて早くも11年が過ぎました。 友人や知人に義両親と同居していると言うと、よく言われるのが 「私は同居は無理」 という言葉。 義両親との関係は悪くはないのだけど、同居となると話は別、という人も多いようです。 義両親にご飯を作っても、なぜか食べてもらえない…。 義両親が勝手に子どもにお菓子をあげてしまって困っている…など、義両親との関係について悩みを聞くこともあります。 私が個人的に、同居に必要だと思うことが2つあるのですが、同居に限らず、義両親との関係でも大切なことかもしれません。 今回はそのことについて書こうと思います。 ■義母の態度を見て嫌われているのでは? とよく思っていた 同居したばかりの頃は、義母の態度を見ては“自分は嫌われているのではないか…”と、よく思ったものです。 直接“嫌い”と言われたわけでもないのに、相手の気持ちを確かめることもなく、勝手に想像して落ち込んでいました。 ちゃんと話をしてみれば、何のことはないということは、案外多いのではないかと思います。 私はじっくり話をしてみたら、もやもやが晴れることが多かったです。 話して、余計にもやもやする場合もあるかもしれませんが。 ということで、同居に必要なこと1つ目は、 “話し合うこと”です。 勝手に不安に思う前にちゃんと相手の話を聞くこと、話し合うことは、とても大事だと思っています。 同居に必要なこと2つ目は、 “相手の気持ちを尊重すること”です。 当たり前のことのようですが、人はそれぞれ、自分の意見を持っています。 その意見が、必ずしも同じとは限りません。 むしろ、違うことの方が多いのではないでしょうか。 例えば、私は息子のアトピーを気にして、なるべくお菓子をあげたくない、と思っていました。 そこへ、義両親が勝手に息子にお菓子を与えたら、どうでしょう。 私はいい気持ちはしませんよね。 ■義両親にイライラするのは当たり前なこと! 大事なのは距離感 私が同居できている理由のひとつに、義両親が私の育児を尊重してくれている、というのがあると思います。 例えば、息子はアトピーがあるので、なるべくお菓子は控えたい、ということを説明したときにちゃんと受け入れ、私に確認してくれることが増えたので、とてもありがたかったです。 たまに、何でもない日にケーキやお菓子、甘い菓子パンを買ってきてくれたりするときもありますが、それはそれで、ありがたくいただいています。 完璧にきっちりとしなくても、お互いに歩み寄る気持ちがあれば、うまくいくのではないかと思っています。 時には義両親にイライラすることもあると思います。 イライラするなんて、当たり前のことだと思います。 実の親にイライラすることもあれば、夫にイライラすることもあるし、子どもにイライラすることもあるでしょう。 イライラしない関係になれたら、それが一番いいとは思いますが、 義両親にイライラするなんて当たり前のこと! と思っていれば、気持ちも多少楽になるかもしれません。 同居というのは、お互いが歩み寄ろうとする気持ちがないとなかなか難しいものです。 どちらかが近づいても、もう一方が拒否したら、いい関係を築くことはできません。 干渉し過ぎても、まったく関心がなくても、うまくはいかないのかもしれません。 もし、うまくやっていくのは難しいだろうと思ったら、ちょうどよく距離をとった方が、お互いの幸せになることもあると思います。 “これが正解”というものなどはなく、関係は相手によって変わります。 気楽に考えたいものですね。
2021年10月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 子どもの成長を素直に喜べない、子どもの手が離れていくことが寂しい…。 そう思うママさんは多いと思いますが、私はまったく思ったことがありません。 息子の成長がただただ嬉しい…! 今日は、そんなわが家のお話を書きたいと思います。 ■息子が幼稚園に行くことでの開放感がものすごかった 息子が幼稚園に通い始めたときのこと、 「今まで当たり前に一緒にいたから、子どもと離れることが寂しい」 そう、ママ友が言っているのを聞いて、“そう思う人もいるんだなぁ…”と思いました。 息子が幼稚園になじめるのかどうか、気になる部分はありましたが、それよりも何よりも、私は子どもが幼稚園へ行くことでの解放感がものすごく、最高に嬉しく思っていました。 今になって思うのですが、息子が生まれてからの私は無意識にがんばりすぎていたのかもしれません。 自分がつらいと思っても、我慢することは多かったように思います。 それが当たり前なのだと思っている部分もあったと思います。 私にとっての理想の母親というものを意識し過ぎていたかもしれません。 例えば、自然と卒乳することが理想でした。 それよりも先に、息子が話せるようになったら、話し合って授乳をやめたいと思っていました。 結果、卒乳というよりは話し合って断乳したのですが、結局、3歳まで授乳しており、精神的にも肉体的にも、とてもつらい時期がありました。 後悔はしていないので、あれはあれで良い経験だったかな、とも思いますが、もっと適当でよかったのだろうと今になって思います。 初めての育児、分からないことだらけで、神経質にもなりがち。 心配しがちでしたね。 ■息子が生まれてから私の中にずっと不安があった 私は心配してばかりいました。 ちゃんと息子を育てられているのかが不安だったのです。 息子は日々成長しているのに、世の中の平均と比較してしまったり。 子どものアトピーが治らないのは、私が作る食事に原因があるのではないかと、ネットで検索してばかりいました。 子どもには個人差があるし、息子は大丈夫! と信じてはいたものの、どうしても気になってしまうことは多く、息子が生まれてから 私の中にずっと不安があって、何かあるたびに思い悩んでいました。 それが、今はどうでしょう。 まとまって息子が眠るようになり、私もまとまった睡眠時間がとれるようになりました。 授乳を終えた寂しさなど、ほぼありませんでした。 ただただ解放感。 天国だと思いました。 ずっと目を離せなかった息子でしたが、少しの間、ひとりで遊べるようになり、徐々に目を離せるようになりました。 そのうえ、今では勝手に義両親の部屋へ遊びに行くようになりました。 ■わが家はこれでいいんだ、とようやく思えるようになったのは…!? 私は同居しているので家事をするときなど、義母に息子を見てもらうことが多かったのですが、 「見ていてもらえますか」 「おねがいします」 と声をかけることがありました。 しかし、それが地味にストレスでもありました。 世の中のお母さんは同居していない人がほとんどで、それでもひとりでがんばっている。 子どもを義母にお願いすること自体がおかしいのではないか、本来ひとりでがんばるべきなのではないか、こんなに手伝ってもらっているのに育児がしんどいと思うこと自体がいけないことなのでは、とよく考えていました。 しかし、息子が勝手に義両親の部屋へ行くようになり、お互いが楽しそうにしている姿を見ると、 わが家はこれでいいんだ、とようやく思えるようになりました。 とにかく、息子の成長というのは、私にとっては嬉しいことだらけで、日々、楽になっていくという実感しかないのです。 無意識にたまりにたまったストレスが、息子の成長とともになくなっていったのでしょうか。 単に、私が子育てに向いていなかったというだけかもしれません。 この先、また悩むこともあるのでしょうが、息子が赤ちゃんだったころの私の精神状態を考えると、何でも乗り越えられそうな気さえするのです。
2021年09月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 みなさま、この夏はどのように過ごされているでしょうか。 息子は外で遊ぶのも好きですが、家の中で1日中遊んでいても飽きません。 録画や動画を観たり、家にあるものでピタゴラ装置を作ったり、どこへも行かない日もありますが、特につまらなそうでもなく夏休みを過ごしていました。 そんな息子なので、暑い中、外へ行く機会も少ないのですが、一緒に買い物などに行くときは注意が必要です。 ■スーパーなどに入った瞬間に寒がる息子 スーパーなどに入ると、入った瞬間に寒がる息子です。 汗が冷えるからでしょうか。 長袖のパーカーが手放せません。 スーパーは特に、徹底して温度管理をしているので寒がりますね。 ちょっと買い物へ行くだけでも「のど乾いた」と言われるので、息子と外に出るときは麦茶を水筒に入れて持っています。 夏の夜に気をつけていることもあります。 寝るときの息子の服装です。 ■夏の就寝時には息子に長袖のガーゼパジャマを着せている 夏の夜、エアコンをつけたまま寝ると、すぐにくしゃみを連発し、鼻水が出てしまう息子です。 それもそのはず、寝相が悪く、気づくと何もかけずにお腹を出して寝ていますから…。 夜中に何度も息子にタオルケットをかけるのですが、一瞬で蹴り飛ばされてしまうので、 夏にエアコンをつけて寝る日は長袖のガーゼパジャマを着せています。 とても快適なようです。 暑い夏は、アイスやジュースが美味しいですが、冷たいものを一気にとると、やはり冷えてしまいますね。 息子に「少しずつ食べな、少しずつ飲みな」と言っても、美味しいものは一気に食べたり、飲んだりしてしまいがちです。 温度の変化に気をつけながら、夏も快適に過ごしたいものですね。
2021年08月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、同居と自立について書きたいと思います。 というのも、現在義両親と同居中の私はよく自立について考えるからです。 そもそも、義両親との同居を提案したのは私でした。 ■最初は同居生活を続けられるか不安だった 結婚の話がでたとき、夫は同居など全く考えていなかったのですが、私が同居はできないのかと聞いたことで、義両親に同居できるか確認してくれたのです。 私が同居したいと言ったのは、当時、私が働いていた職場と夫の家が近かったこと、はじめから同居していたら、将来同居について悩まなくて済むと思ったこと、 さらに、私の母親も義両親と同居していたので、私にも同居ができるんじゃないかという、安易な考えがあったからです。 もちろん、同居したばかりのころは全てがうまくはいきませんでしたし、子どもが生まれたあともしばらくは、この同居生活を続けられるか不安でした。 同居して10年が過ぎ、息子も幼稚園へ行くようになり、少しずつ余裕がでて、同居生活も快適に送れるようになりました。 しかし、 私は“自立”についてよく考えるようになりました。 同居していることは“甘え”なんだろうか。 同居しているということは“自立していない”ということなんだろうか、と。 ママ友などもできたのですが、同居しているという人は、誰もいません。 義両親に生活費を払っているといっても、かなり甘えている部分があると自覚しています。 息子が生まれたあとも、息子の分の生活費を払っていませんでした。 ■人は人、自分は自分と割り切って考えられるようになった とてもありがたいことに、義父は自分が働いているうちは金銭面の心配をしなくて大丈夫と言ってくれていました。 ただただありがたい話なのですが、私は無性に“自立しなければ…!”という焦りを感じることがあったのです。 ですが、今年に入り、実父が脳出血で倒れたとき…元気だった人が、いつまでも元気とは限らない、と思い知らされました。 そして、思ったのです。 私は義両親に甘えているかもしれないし、いい大人になっても、自立もしていないかもしれない。 私は周りからそう思われることが嫌だったのです。 一緒に住んでいる家族が同居を不満に思っているわけでもなく、自分が同居を不満に思っているわけでもないのに、世間体や他人の目を気にして自立した自分にならなければ、と焦っていたのです。 なんてくだらないことで悩んでいたのだろうと思います。 自分の暮らしを、他人にどうこう言われたところで、そんなものは関係なかったのです。 家族が協力し合えること、困ったときに助け合える環境があるというのは、同居の良いところでもあると思います。 人は人、自分は自分。 何かあったときに私のできることをすればいい。 そう思いながら、これからも同居生活を続けたいと思います。
2021年07月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、義両親に「やめてください」と言えなかったことについて書きたいと思います。 結婚を機に同居を始めて、来月で11年です。 子どもが生まれてからというもの、本当はしてほしくないけれど「やめてください」と言えなかったことも、それなりにありました。 例えば、息子がまだ1歳のころでしょうか、息子にご飯を食べさせる際に義両親は自分の唇にスプーンを当てて、食べ物の温度を確認していました。 ■義両親に息子が虫歯になるリスクについて伝えられなかった 初めての育児に、分からないことばかり。 分からないことがあると、ネットで検索ばかりしていました。 子どもの虫歯は親からうつる、大人が使ったスプーンで子どもに食べ物を与えたり、熱い食べ物をフーフーして子どもに与えることにも、虫歯になってしまうリスクがあるなど、さまざまな情報がありました。 本当にそうなのか、詳しいことは分かりませんが、虫歯になるリスクがあることはしたくなかったのです。 私自身、幼稚園の頃から虫歯がたくさんあり、歯医者さんとお友だちになるくらい通っていたので、息子が子どものうちは歯を守ってあげたい、と思っていました。 そんなこともあり、大人の唇に子どものスプーンをつけるというのは、 私にとって、とても衝撃的だったんですね。 考えてみると、私は息子が生まれてからの1、2年、とても神経質になっていました。 ですが、義両親は息子のことをとても大切に思ってくれていると感じていたので、あまりうるさいことを言いたくありませんでした。 その結果、私が使っている歯磨き粉の何倍もするような、高い歯磨き粉を息子に使っていたこともありました。 息子が3歳になってからは、定期的に歯医者さんへ通うようになりました。 現在、息子は5歳。 虫歯はまだありません。 もし息子が虫歯になっていたら、あのとき義両親に「やめてください」と言えなかったことを後悔していたかもしれません。 他にも、言えなかったことがたくさんあります。 ■「やめてほしい」という気持ちも「ありがたい思い出」に変わっていった 何でもない日にケーキを買ってきたり、甘い菓子パンを続けて買ってきたり、おやつを買ってきたり。 本人が喜ぶからといって、そんなに甘いものばかり食べさせないでほしい、と思うことは多かったです。 体に影響がなければまだ気にならなかったのかもしれませんが、息子はアトピー体質のため、食べ物に気をつけていた時期があり、余計に気になっていたのだと思います。 また、何でもない日におもちゃを買うというのも、ちょっと買いすぎじゃないか…、また物が増える…と私にとっては悩みの種でしたが、息子にとっては、嬉しい出来事だったと思います。 「やめてください」とは言えなかったですし、言わなかった私でしたが、少しずつ少しずつ、自分の考えを義両親に伝えらるようになりました。 今では息子が大きくなってきたこともあり、神経質だった私も少しずつ落ち着き、「やめてください」と言いたいようなこともほとんどありません。 毎日、楽しそうにしている息子を見るたびに、同居してよかったなぁと思います。 こちらが説明すれば分かってもらえる義両親なので、気持ちよく同居ができるのだと思っています。 やめてほしいな、と思うようなことも時間がたってみれば、ありがたい思い出に変わるような気がします。 これからも、息子と一緒に同居生活を楽しんでいきたいと思います。
2021年06月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、義父母と同居での食事作りについて書きたいと思います。 同居でなくても、日々の食事作りを負担に感じる方は多いのではないでしょうか。 現在、わが家では私が夕食作りを担当しています。 家族全員分の食事を作るのは基本的に夕食のみです。 朝と昼は自分のご飯と息子のご飯を用意すればいいだけなので、ラクな方かもしれません。 息子、夫にお弁当を作ることはあります。 今でこそ気持ちが平和な私ですが、同居してしばらくは、モヤモヤすることも多かったものです。 ■義父母との食生活の違いにモヤモヤした モヤモヤの原因は、食生活の違いによるものでした。 夫と義両親は、食の好みがハッキリしていたので、作ってもあまり食べてもらえないことが多かったのです。 夫の好みはある程度知っていましたが、義両親の好みとはまた違うのです。 当時は私も働いていて、義母と交代で夕飯を作っていたこともあり、 家族の好みを把握するまで、何年もかかりました。 また、家族には「量が多い」と言われていましたが、量が多いというより、“あまり好きではないので、たくさんは食べられない”ということだったと思います。 好きなものなら、たくさん作っても食べてもらえるのですから。 食事のあとに、コンビニスイーツを買ってきて食べている姿を見ると、量が多いという割には、足らなかったんだな、と落ち込むこともありました。 私自身、食後に甘いものを食べるという習慣がなかったので、単に生活習慣の違いだったのかもしれませんが。 実家の家族は、好き嫌いがあまりなかったので、つい比較してしまうこともありました。 当時、私は介護施設で働いており、食事作りもしていたので、料理が全くできないわけではありませんでした。 おじいさんおばあさんが「おいしい」と言って食べてくれていたので、むしろ、料理は普通にできていると思っていました。 結婚し、同居したことで、私、料理は苦手だったんだ…と思い込むことになったのでした。 食生活の違いというのは大きいもので… ■実家とは異なり、一品料理が多かったわが家 母が何品も作ってくれていた実家とは違い、一品料理が多かったわが家。 夕食がご飯とウインナーだけ、ということもよくありました。 今はそういう家もあると知ったので何とも思いませんが、当時はありえないな…と思っていました。 とても足りないのです。 コンビニスイーツを買いに行きたくなる気持ちが分かるようになりました。 とにかく、実家との食生活が違い過ぎて戸惑うことばかりだったのです。 私が仕事を辞め、毎日の夕食担当になると、それはそれで大変だな、と感じることもありましたが、家族の好みがさらに分かり、作ることが以前よりはラクになってきました。 その後、産前産後はモヤモヤすることもあったのですが、今は家族に協力してもらいながら、うまくやっています。 わが家には、各自夕飯を作る日もあります。 各自がギョーザ(冷凍)を焼いたり、焼きそばやチャーハンを作ったり。 夫も義父も、私が作るよりもそれらのメニューはおいしく作るので、むしろ作ってもらう日もあったりします。 料理が苦手な義母ですが、魚を焼くだけ、肉を焼くだけの場合、手伝ってくれたりします。 その場合、私はサラダだけ作っておけばいいので、とても助かります。 家族に協力してもらうことによって、私の夕食作りのストレスは少しずつ少しずつ減っていったのです。 よくよく考えると、同居したばかりのときは、 “本来、私が食事を作らなければいけない” という考えに縛られていたように思います。 実家も、母と祖母が同居の家だったので、そういうのを見て育ったということもあると思います。 しかし、今は考え方がガラリと変わりました。 そんな私が意識していることが、3つあります。 ■わが家の食事作りで意識していること3つ 自分の気持ちを第一優先とし、決して無理はせずときには手を抜くこと。 家族を頼ること。 そして、自分の食べたいものを作ること。 頼れる存在がいるのなら、助けてもらえばいいと思います。 家族のために料理を作るのではなく、自分のために料理を作り、むしろ家族の料理は自分の食べるもののついで、くらいに思った方が気持ちはラクなのです。 私が食べたくて作ったものが予想外に好評だった、なんていうこともあり、新たな発見となったこともありました。 ここまで私の気持ちがラクになったのは、 やはりそれだけの時間を家族と過ごしたからなのだろうと思います。 同居したばかりの頃は、実家にいる方が落ち着いていたのに、今では実家よりもわが家が一番落ち着く、というように時間とともにこの家と人に慣れたのだと思います。 いろいろな気づきもありましたし、家族にはとても感謝しています。 これからも自分が喜ぶ食事と、そのついでに家族が喜ぶ食事を作っていきたいと思っています。
2021年05月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 先月、私は約6年ぶりに妊娠しました。 残念ながら、妊娠がわかって間もなく流産してしまったのですが、家族や5歳の息子に妊娠を報告するべきか悩みました。 ■妊娠を息子や義両親に報告するタイミングに悩んだ 妊娠検査薬で陽性が出て、婦人科の予約をしました。 予約をした日まで1週間あったので、せめてそれまでは家族には話さずに様子をみようと夫に話したのですが、夫はすぐに家族に伝えたいと言いました。 理由は、息子が私のおなかにぶつかったり、私のおなかの上で寝ることがあったので、おなかに赤ちゃんがいるかもしれないと、息子に説明しておきたいとのことでした。 妊娠は何があるかわかりません。 もし残念な結果になってしまっても、息子がショックを受けないようにと考えながら伝えました。 息子はなんとなく理解したようで、 この日から私のおなかにぶつかることも、おなかの上で寝ることもなくなりました。 また、息子に話してしまうと同居している義両親に妊娠のことを言ってしまうかもしれないと思い、同じタイミングで義両親にも報告しました。 義両親はとても喜んでくれました。 婦人科へ行くまでの1週間、私はとても長く感じたので、家族に伝えたことで気持ちも楽になりました。 そして、仲の良いママ友とちょうど話す機会があり… ■「大丈夫!」と言い切ってくれたのは、ママ友だけだった 春休み、子どもを連れて公園に行くことになりました。 でも、ちょうど婦人科の予約をしていたこともあり、「結果によっては行けないかもしれない」と妊娠のことを話しました。 ママ友に話すには早過ぎるかもしれないと思いましたが、ママ友と言うよりは親しい友だちのような感覚になっていたので、普通に話してしまいました。 ママ友はとても喜んでくれました。 しかし、婦人科へ行ったところ、医師に「胎のうが小さ過ぎる」と言われ、私は絶望したのです。 ママ友にも「ダメかもしれない」と報告しました。 すると… ママ友だけは赤ちゃんを信じて、励ましてくれました。 私が完全に流産するまで信じ続けてくれました。 どうなるか分からない状況でしたが、 「大丈夫!」と言い切ってくれたのは、ママ友だけでした。 病院へ行き、絶望していた私にとってママ友の言葉は本当に嬉しく、救いになりました。 結果的に流産してしまいましたが、今でもあのときに信じてくれたことをありがたく思っています。 そして現在… ■親しい間柄の人たちには妊娠を早めに伝えた方が良いと思った 息子は、赤ちゃんがまた戻ってくると信じてくれているようです。 また妊娠できるのか、それはわかりません。 けれど、今回、 家族や親しいママ友に話して本当によかったと思いました。 そういえば、息子を妊娠したときも妊娠検査薬で陽性が出た時点で義両親に報告していました。 つわりがひどかったので、言わざる終えなかったということもありますが、やはり一緒に住んでいる家族には伝えておいたほうが安心できました。 私は子どもを産むまでは、せめて安定期に入るまでは、なるべく人に言わないほうがいいのでは? と思っていましたが、妊娠は何があるかわからないので、一緒に住んでいる家族、親しくよく会う機会がある友人などには早めに伝えておいてもいいのかもしれない、と思うようになりました。 今後、妊娠することがあれば、きっとまたすぐに、家族に報告するだろうと思います。 そんな日がくることを心から願っています。
2021年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 みなさまは夫婦で子どもを叱る基準などを設けたりしていますでしょうか? わが家では、特に何も決めていません。 でも、何となく夫が息子を叱っているときは私が、私が怒っているときは夫が、息子の気持ちに寄り添っているような気がします。 ■息子に対して感情的に怒ることが減ったら、おもしろい変化が… ちなみに私は、息子を叱ることはあまりしません。 「諭す」か、感情に「怒る」かのどちらかが多いです。 感情的に怒るときは怒ろうと思って怒っているわけではないの、怒ってしまったあとは、素直に謝るようにしています。 ここ最近は息子も落ち着いてきたこともあってか、感情的に怒ることが減っていました。 すると、わが家でおもしろい変化がありました。 私がよく怒っていたときは仲良くしていた義母と息子が… 頻繁にケンカを始めるようになったのです。 私が息子に優しくしてあまり怒らないでいると、義母よりも私といる方が良くなるらしく…息子が義母にひどいことを言ってしまうのです。 そして義母も冗談を流せない人なので、ケンカに発展…という感じです。 わが家は同居なので私は義母が息子と遊んでくれていると、家事もはかどりますし、とても助かっていたので、ふたりが仲良くしてくれないと困るのです。 ということで… ■息子を怒らなければいけないときの同居ならではのメリット 試しに怒ってみると、やはりふたりは仲良くし始めました。 怒ることも必要なのかもしれない、と思った私なのでした。 そんなわが家ですが、同居のメリットと言えば、関わる大人が多いことだな、と思います。 義父ともよく話すのですが、小さいうちから、いろんな大人がいる、ということが分かりますし、万が一、夫婦で息子を怒ってしまっても、じぃじばぁばが逃げ場になってくれます。 これはとてもありがたいことだと思っています。 同居には大変なイメージもあるかと思いますが、大変なだけではありません。 ありがたく感じることの方が多くなる場合もあります。 相性などはあるかもしれませんが、最初から「大変だ」「嫌だ」などのイメージを持たないことも、同居でうまくやっていくために必要なことのような気がしています。
2021年03月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は家事分担について書いていきたいと思います。 夫婦でどのような家事分担をしているのか、各家庭でそれぞれの違いはあるかと思いますが… ■義母と同居しても、家事をするのは当たり前のことだと思っていた ということで、改めまして、今回は、義母と私の家事分担について書いていきたいと思います。 同居して10年がたちました。 10年の間にも少しずつ家事分担は変わってきたのですが、現在はこのような感じです。 お互いに、それほどやっていることは変わりません。 半分ずつ家事をしているような感覚です。 家事をふたりでわけている分、ひとりでするよりは若干、楽なのかもしれません。 私が夫と結婚する前は義母が主に家事をしていましたが、私が来たので、ふたりで家事をすることになりました。 当時は、義母も私も仕事をしていましたが、私は家事をすることには何の抵抗もなく、 むしろ当たり前のことだと思っていました。 実家の母が同じく同居だったので、ずっと母を見てきて、私も同居したら母のように家事もして、仕事もするのだろうと思っていたからです。 母は仕事と家事、そして同居のストレスで文句ばかり言っていました。 実際に私も同居すると、母の気持ちが少し分かりました。 確かに、家事をして仕事をするのはなかなか大変です。 それでも、何とかうまくやっていたと思います。 しかし、子どもができると私は急に変わってしまいました。 ■もっと夫に家事に関わってほしくなった もっと、夫に関わってほしい、という気持ちが芽生えました。 夫と一緒に息子を育てたい…そんな気持ちになりましたが、義母と同居していると、夫に家事をお願いすることが、とても難しく思えたのです。 別居したら、もっと気が楽になるかもしれない。 夫も、もっと家事に関わってくれるかもしれない。 そんなことを思うこともありました。 しかし、問題は同居ではなかったと、今は思います。 本当に問題だったのは、 私が自分の気持ちを、夫になかなか伝えられなかったことです。 声に出さずに「気づいてよ!」と思うだけでは、何の意味もないのです。 もっと関わってほしいなら、言葉にすればよかったのです。 自分の気持ちをきちんと相手に言うことができたら、嫌なものは嫌だと、ちゃんと言うことができたら、あんなに悩むことも、考えることも、つらい気持ちになることもなかったかもしれません。 ホルモンバランスの乱れなどもあったと思います。 精神的にやられることがあるのは、同居している、していないは関係ないかもしれません。 ■夫はちゃんと私をサポートしてくれていたと気づいた 夫は、仕事の帰りに買い物をしてきてくれたり、息子をお風呂に入れてくれたりして、とても協力的で助かっています。 私が見えなくなっていただけで、夫はちゃんと私をサポートしてくれていたのです。 私の場合は、息子が赤ちゃんのころが一番しんどかったです。 気持ちが落ち込んだり、こんな生活がいつまで続くのだろうと思うこともありましたが、息子が幼稚園へ行くようになったころからは、 少しずつ少しずつ楽になっていきました。 ちなみに、文句ばかり言っていた実家の母ですが、今も文句を言いながら生活しています。 ただ、昔と変わったのは、実家の父も家事を覚え始めたことです。 同居でも、少しずつ少しずつ家事分担を変えることはできます。 ひとりで全てを抱え込もうとはせず、時と場合によって、家族で協力し合いながら生活していきたものですね。
2021年02月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 新しい年を迎えましたね。 毎年1月は希望にあふれ、ワクワクしてしまう私です。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、ということで今回は 「2021年に終わらせたい3つのこと」 について書いていきたいと思います。 目標や願いは過去形にしたほうが叶いやすいと、聞いたことがあります。 「2021年に終わらせたい3つのこと」は全て過去形で書かせていただきますので、そのつもりで、よろしくお願いします。 まず、ひとつ目は… ■段ボールの中身を整理し、片づける 終わらせたいことのひとつ目は、片づけです。 現在、4歳の息子がいるのですが、息子のおもちゃに日々生活スペースを侵食されています。 なんでもかんでも物をとっておきたがる息子。 もう遊んでいないもの、遊ばないだろうと思うものなど、こっそり隠しておいて、忘れた頃に処分するのですが、入ってくるものの数に処分する数がとても追いつきません。 息子の物はさておき、私自身の物を片づけることを終わらせたいと思うのです。 実は去年、実家に置きっぱなしにしていた私の荷物をほとんど家に持ち帰りました。 その量がとても多く、気づけばダンボール10箱にもなってしまいました。 しかも、そのほとんどが捨てにくいとされる思い出の品なのです。 そのまま全てを捨ててしまいたいくらいですが、その中には昔に撮った写真や描いたイラストなども入っており、シュレッダーにかけてから捨てたいので時間がかかりそうです。 息子が冬休みの間、うっかり息子がいる前でシュレッダーをしていたら… 大昔(20年前くらい)に描いた私の絵を息子がほしがって、とても焦りました。 処分は息子が幼稚園へ行っている間にしないと…と思いました。 今年中には10箱あるダンボールの中身を整理し、必要ない物は処分します。 終わらせたいこと、2つ目は… ■目標体重まであと少しのダイエット 今年はダイエットを終わらせたいと思います。 去年の夏からダイエットを始め、5キロ体重を減らしました。 (6キロまで痩せたのですが年末年始で1キロ戻りました) 今年は、あと2キロ痩せて目標体重になり、体重を維持しながら、脂肪を筋肉に変えます。 私は体力がないので、息子と1時間公園に行っただけで疲れてしまいます。 息子と一緒に遊べるくらいの体力づくりもしたいですね。 終わらせたいこと、3つ目は… ■書き終わっていない絵本を完成させる ずっと書きたかった絵本を完成させること。 私、もう何年も前から 「絵本を書きたい、絵本を書きたい」 と言い続けていたのですが、まぁ書き終わらない。 去年、やっとラフまで書けたと思ったら、そこで力尽きてしまって、動けなくなってしまいました。 このままでは“絵本書く書く詐欺”です。 絵本を書きたいとを口にすることすらいけないように感じはじめてしまいました。 でも、やっぱり最後まで完成させたいのです。 以前、介護していた亡くなったおばあちゃんと息子をモデルにイメージして書いた絵本。 今年こそは完成させて、来年の春には、息子と一緒に読みたいと思います。
2021年01月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、子どもが生まれる前に考えていた、「理想の子育て」が崩壊していた瞬間について書きたいと思います。 ■子育てに少しだけ自信があった私 私がイライラして怒りをぶつけるのは、世界でただひとり、母にだけでした。 母に、”理解されていない”と感じると、無性に腹が立ち、よく口げんかしたものです。 私は人にイライラしたり、イライラしたとしても、その人に怒りをぶつけることはほとんどありませんでした。 介護の仕事をしていたときも、他のスタッフが仕事に対しイライラして文句を言っていたとしても、そんなにイライラすることかな? と心の中で思っていました。 なので、自分はどちらかといえば、 穏やかな人間なのかもしれない 、とこのときは思っていたのです。 介護の仕事を辞めた後、私は認知症のおばあちゃんのお世話をしていました。 話をしていて、1分もたたないうちに、話していたことを忘れてしまうおばあちゃん。 ずっと一緒にいると、イライラすることももちろんありました。 けれど、そのイライラをおばあちゃんにぶつけたり、激しく怒ったりすることはありませんでした。 育児も、きっと同じで大変なことはたくさんあるだろうけれど、今みたいに、楽しくできるのではないかと思っていたのです。 そして子どもができました。 ■はじめての育児はとても神経質になった 妊娠すると、情緒不安定になることもあり、不安もありましたが、喜びの方が大きく、きっと大丈夫、なんとかなる! と前向きに考えました。 心穏やかに、楽しく育児をする… 息子が生まれるまでは、それが理想だったのです。 はじめての育児は、とても神経質になりました。 数時間おきの授乳でまとまった睡眠時間がとれず、心配事も尽きない日々。 私の情緒不安定は続き、子育てにまったく自信が持てません。 ある日、私は息子に感情的になって怒りました。 私の「理想の子育て」が崩壊した瞬間です。 しかもそこから、たびたび感情的に怒ってしまうようになりました。 子どもが言うことを聞かない、なんて当たり前のことです。 私だって、親の言うことを聞かない子どもでした。 それを棚に上げて、諭すことも叱ることもできず、感情的に怒ってしまう… そんな自分が情けなくなりました。 子どもが生まれる前、少しだけ自信があった自分が恥ずかしいと思いました。 そもそも、介護と育児は比べられるようなものでもありません。 まったくもって別物です。 おばあちゃんに感情的にならないからといって、 自分の子どもに感情的にならないわけではありません。 そんな当たり前のことに気づかない私は浅はかだなぁと思いますが、その状況になってみないと案外わからないものだな、と改めて考えさせられました。 私はこんなに短気で怒りっぽい一面があることを息子に教えられました。 ■息子のおかげで気づけることがたくさんある 今では、感情的に怒ってしまった後、謝る日々です。 これでいいとも思っていませんが、今はこのようにしかできないのです。 「子どもを感情的に怒ってはいけない」と人に言われようと、怒らないことができないのですから。 怒らずに叱るということができずに、感情的に怒ってしまうのが、私なのだと思います。 私の「理想の子育て」は、息子が生まれてまもなく崩壊しましたが、すべてが崩れたわけではありません。 私の理想とはちょっとばかり違いましたが、こうして息子のおかげで気づけることがたくさんあるので、ありがたくも思います。 心穏やかに息子と接しているときもあれば、息子と楽しい時間を過ごすこともあります。 息子が生まれてきてくれただけで、十分だとも思います。 こんな私のところへ生まれてきてくれた息子は、とてもかわいくて、愛しくて仕方がありません。 時には怒ってしまうこともありますが、毎日のように、大好きで、大切だということを伝えています。 これからも伝え続けたいと思います。
2020年12月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、私が幼い頃のお話を書きたいと思います。 ■幼い頃、嫌なことから軽い気持ちで逃げていた ちょうど、今の息子と同じくらいの年なので、家族に心配をかけて申し訳なかったと、今になって思います。 当時は嫌なことから、軽い気持ちで逃げていました。 よく覚えているのが、兄が小学校1年生で給食試食会があった日のことです。 その日、母はカゼをひいて寝ていました。 幼稚園は休みだったのか、バスに乗り遅れてズル休みしたのか、よく覚えていませんが、とにかく暇だったことは覚えています。 母は寝込んでいたため、給食試食会には祖母が参加していました。 家には祖父もいたと思うのですが、家族は、私が勝手に外へ行くとは思わなかったのではないかと思います。 もしも、家の中で遊んでいた息子が、突然いなくなったと想像するとゾッとします。 今になって恐ろしいことをしたな、と思います。 私は兄と祖母が小学校へ行ったことを知っていたので、自分も行ってみたくなったのです。 小学校までは大人がゆっくり歩いて15分ほどの距離でした。 場所を覚えていた私は、小学校が見えるところまで歩いていましたが・・・ 小学校の近くに歩道橋があったのですが、歩道橋の下で待ち伏せすることにしたのです。 このときのことを今もうっすら覚えています。 時間がたち… 給食試食会が終わり、たくさんの親子が家に帰っていくのを見ていました。 ■成長するにつれ、逃亡癖はなくなったが… あのとき、兄がこちらを振り向かなかったら、私は気づかなかったかもしれません。 祖母が驚いたのは言うまでもありません。 そんな私も成長するにつれ、逃亡癖はなくなりました。 家族が心配しますし、 逃げることはいけないことだと、認識したのだと思います。 でも、家族を心配させたり、怒らせたりはしたくないけれど… 嫌なことから逃げることは、本当にいけないことなのでしょうか。 大人になると、あのときの自分の行動力をうらやましくもなるのです。 そして、息子にも、逃げたくなるほど嫌なことは、させないようにしよう…と思うのでした。
2020年11月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、子どもから教わっているなぁ…と、思うことについて書きたいと思います。 ■息子は素直に今、欲しいものを言葉にする 例えば、欲しいものがあったとき… 行きたい場所があるとき… 食べたいものがあるとき… 息子は、 ”今”欲しいし、”今”行きたいし、”今”食べたいのです。 子どもとはそういうものなのかもしれません。 もちろん、物理的に無理なこともありますが、ちょっと行こうと思えば行けたり、すぐやろうと思えばやれたりすることもあるはずなのですが、私はすぐに行動できないことが多いです。 私も子どものころは、息子と同じように自由に”今”やりたいことをやっていたと思います。 いつから、こんなに面倒くさがって、なんでも後回しにするようになったのでしょう。 ■私は自分の気持ちを大切にしているのだろうか? 子どもは自分の気持ちに素直です。 そんな息子を見ていて、 今の私は自分の気持ちを大切にしているだろうか? と、ふと考えることがありました。 今、行きたいから行く 今、食べたいから食べる 今、欲しいから買いに行く 小さなことでも、理由をつけて、後回しにしていないだろうか、と。 あそこに行きたいけど、今は行けない。そのうち行きたい… あれが食べたいけど、家族は食べないから、作るのはやめよう… あれが欲しいけど、高いからやめておこう… そうやって、自分が行きたいところにも行かず、食べたいものも食べず、欲しいものも買わないでいると… だんだん本当の自分の気持ちがわからなくなり、 本当にやりたいことを見失ってしまうのです。 息子のおかげで自分の気持ちを大切にしたいと思えました。 息子にも、できる限りやりたいことはやらせてあげたいと思っています。
2020年10月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、外出することが減り、体重が増えてしまった私が、1か月で2キロ痩せたダイエットについて書きたいと思います。 ■エクササイズを始めてから3か月たっても痩せなかった いつも「やせたいな~」と思いダイエットを始めても、なかなか続かず、いつの間にかリバウンドしてしまう私。 ただでさえ外出する機会があまりなかった私が、今年はさらに引きこもっていたので、 体重はもちろん、体脂肪も恐ろしいことになってしまいました。 テレビでもあらゆるエクササイズが特集されていましたね。 私も痩せると言われているダンスなどをやりました。 しかし、3か月後… 毎日10分でも痩せず… 毎日20分でも痩せず… 毎日30分でも痩せません。 ほぼ毎日、3か月間痩せるダンスを続けたのですが、 まったく痩せませんでした! 体型もまったく変わっていない! 運動量が少ないのかもしれませんが、これ以上時間をとることも難しかったのです。 そして以前よりも痩せにくくなっていることを実感しました。 夜のご飯(お米)を抜き、体を動かせばすぐ痩せる…そんな時期は終わったのだと思いました。 3か月続けても痩せないのなら、 やり方を変えなければいけないと思いました。 そこで注目したのが… ■体重を減らすのではなく、体型を変えることにシフト! 自分自身の体型でした。 私は小学生まで、まるでゴボウのように細かったのですが、だんだんと下半身が太くなっていきました。 上半身と足首は比較的細いのですが、太ももとおしりに異様に肉がついおり、とてもバランスが悪い見た目…。 気づけば、20年以上も下半身が太めの…洋ナシ体型だったのです。 ずっと太ももとおしりが隠れる服を着ていました。 「やせたい!」と思ってダイエットを繰り返しましたが、痩せても、肝心の太ももとおしりは太いままでした。 そこで… 体重はこの際気にせずに、体型を変えよう…! と思い立ったのです。 食事も、単に夜だけお米を食べないというものから、3食、たんぱく質を多めに、脂質を少なめにを心がけました。 いま考えてみると、たんぱく質は少なく、脂質が多い食事をしていたな、と思いました。 やり方を変えてみたところ・… “体重は気にしない”と言いつつ、減ったら減ったでうれしいものです。 ちなみに、私は動画サイトで 「おしり痩せ」「太もも痩せ」と検索して出てきたものの中から、自分が毎日できそうだな、と思うものを続けています。 私の下半身太りは20年モノなので、なかなか落とすとなると時間はかかりそうですが、若干は引き締まってきた感じがして、 お風呂に入るときに鏡を見るのが楽しみになりました。 ただ、食べたいものをあまり我慢すると続かないと思うので、時には家族と一緒に甘いものを食べることもあります。 そういう時は、また次の日から気をつけ始めます。 この調子で、ゆっくりではありますが、自分史上最高の体型を目指したいと思います!
2020年09月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は休園で変わった息子の様子について書いていきたいと思います。 今年は幼稚園が休園になり、長い長い春休みとなりました。 ■幼稚園が休園になり、毎日楽しそうに過ごしていた息子 幼稚園が休みになり、息子はというと、とてもイキイキとしていました。 もともと幼稚園へ行きたがらない息子でしたが、それはもううれしそうな様子。 外には極力出ないようにしていた私。 公園なら大丈夫かも…と思いましたが、どの公園も人の多さが気になり、けっきょく外にでるのは家の庭だけになりました。 それでも息子は毎日、楽しそうでした。 ■ある日、息子に起こった変化に気づいた 息子は吐きやすい体質だったのかもしれません。 食事中にむせて吐いたり、泣きすぎても吐くことがありました。 家で吐かなくなってきたな、と思ったら、 今度は幼稚園で吐くことが増えてしまいました。 吐いて汚れてしまった体操服を幼稚園から持ち帰るたびに、なんだか悲しい気持ちになりました。 ■環境が変化したことで、息子の成長を感じた それが、幼稚園が休園になってから、吐くことがピタリとなくなりました。 幼稚園へ行かないので、幼稚園が嫌だと言って泣くことがなくなった、ということもあるかもしれません。 泣くこと自体が減りました。 もともと吐きやすいということもありましたが、息子は幼稚園へ行くことにストレスがあったのかもしれない… ストレスから吐いていたのかもしれない… ふと、そんなことを思いました。 長い長い春休みが終わり、年中さんになった息子は、 以前のように激しく幼稚園を嫌がることがなくなりました。 長いお休みは、息子にとって「良い休息」になったのかもしれませんし、年少さんから年中さんになり、環境が少し変わったことや、友だちができたことも、息子にとってよかったのかもしれません。 幼稚園が休園になり、幼稚園が始まり、夏休みにはいるまで…息子は泣くことはあっても吐きませんでした。 この数か月で息子は心も体も成長したのだと思っています。 環境が変わるというのは、悪いことばかりではないのだと気づいた出来事でした。
2020年08月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 幼稚園がやっと再開されたと思ったら、あっという間に夏休みに入ってしまいますね。 今回は、息子の登園拒否、登園しぶりについて書いていこうと思います。 息子は4歳、年中さんです。 年少さんのころは、 激しい登園拒否、登園しぶりがありました。 年少さんが泣いている姿を見ると 「あぁ…息子もこんな風に泣いていたな…」と思い出すのです。 もともと人見知り、場所見知りが激しい息子だったので、スムーズに幼稚園へ行くとは思っていませんでした。 そこで私も考えて… ■息子が心配だったので、プレ幼稚園に一緒に通っていた 息子が2歳のときに、 プレ幼稚園へ一緒に通うことにしたのです。 最初は親子で通い、息子が慣れてきたところで1、2時間息子だけが通うことに。 幼稚園に慣れることで、年少さんになってもスムーズに通えるだろうと考えていました。 しかし現実は… プレ幼稚園へ通っていたにもかかわらず、離れるときは泣くのです。 しばらく通うと慣れてくるのか、泣かない日もあるのですが… ■いつになったら泣かなくなるのだろうと、不安になっていたが…!? 着がえすら拒否する日も増えました。 3学期もこの調子だったので、この子は一体いつになったら泣かなくなるのだろう… 一体いつになったら楽しく幼稚園に通えるのだろう… そんなことを考えて、不安になることもありました。 しかも、今年はとてもとても長い春休みになってしまいました。 相変わらず息子は「ようちえん、いきたくない」と言い、休みを楽しんでいる…。 6月、久しぶりに幼稚園が始まることになり、息子はまた幼稚園へ行くのを嫌がるのだろうな…と思っていました。 ところが… 年中さんになった息子は、泣かないで登園するだけでなく、徐々に自分で着がえるようになりました。 つい半年前までは考えられなかったことです。 まさか幼稚園へ行くために、息子が自分で制服に着がえる日がくるなんて思えなかったのです。 年中さんになったことで、息子の気持ちに何か変化があったのかもしれません。 いまも、笑顔ですんなり幼稚園へ行く日はほとんどないんです。 それでも、泣くのを我慢している顔を見ると、すごくがんばっていることが伝わってきます。 必ず笑顔で 「たのしかった!」 と帰ってきてくれるので、きっと大丈夫! と思えるのです。 そんな息子をこれからもずっと見守っていきたいと思います。
2020年07月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 テレビのニュースもネガティブなものが増え、不安が多い数か月でしたね。 そんな状況の中で、夫婦の絆がより深まったり、逆に離婚の意志が高まったり… 夫婦関係にさまざまな変化もあったのではないかと思います。 今回は、私が夫に対し改めて思ったことなどを書いていきますね。 夫の仕事は自宅でできる仕事ではないので、特にいままでと変わりませんでした。 ひとつ変わったことといえば… ■夫は車で昼食を済ませていた 週に2回ほど作っていた夫のお弁当を毎日作るようになったことくらいです。 夫は仕事へ行く時間が早いため、私に負担がかからないようにと、週に数回はコンビニやスーパーで昼食を買って食べていました。 ですが、なるべくお店へ行く回数を減らそうと、仕事の日はお弁当(またはおにぎりなど)を持っていくようになりました。 そんな夫の職場での感染症対策には、 とても頼もしいものがありました。 まず、仕事の休憩時間に休憩室へ行かず… 初めて聞いたときにはビックリしました。 まさか休憩室を使わずに、 車で昼食を済ませていたなんて! 本人は気を遣わなくていいし、食べた後で少し仮眠もとれるので、とても快適だと言っていました。 そして、1週間に1回は… ■仕事帰りにスーパーに寄ってくれた わが家は生協の宅配を利用していたので、あまり買い物へ行かずに済みましたが、ちょこちょこ欲しい物が出てくるので、夫が仕事の帰りにスーパーへ寄ってくれるのは、ありがたかったです。 スーパーの利用者数も気にしつつ、あまりにも人が多いと日を改めたり、別のスーパーへ行ったりして、買い物をしてくれました。 几帳面で神経質な夫ですが、対策をきちんとしてくれたので、 この時期はとても安心して過ごせました。 ■朝食を作ってくれる日が増えた また、夫は出かけることが大好きで、夫の仕事が休みの日は家族で出かけることが多かったのですが、出かける機会は減り、家で食事する回数が増えました。 私は夫が家にいる日は一緒にダラダラしてしまいがちなのですが、私がそうしていると、 夫が朝食を作ってくれました。 誰かが作ってくれるごはんは、特別に美味しく感じます。 こんな状況の中でも、しっかりと対策をして仕事へ行く夫。 働いてくれることもありがたいですし、家のことにも協力的で、とても助かりました。 夫が家に帰ってきたときの安心感も、大きかったです。 ということで、夫のありがたみをしみじみと感じた私なのでした。 こんな時だからこそ、同じ方向を見て乗り越えようと、夫婦の絆もより深まったように感じます。
2020年06月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 前回 、家で過ごす時間が増えて、あらためて感じたことについて書きました。 今回も、息子と一緒に過ごすことが増え、気づいたことなどを書いていきたいと思います。 息子が生まれてからというもの、こんなに短気だっただろうか、と思うほど短気になった私。 毎日、家で息子と過ごす日々で、 より短気になっています。 ■怒ってばかりいるのもよくないと思い… 息子もだんだん自分の意見を主張するようになり、カチン! ときてしまうことも多い、大人げない私。 なんだか、毎日のように怒っている気がします。 怒ってばかりいるのもよくないのではないか… そう思い、息子が朝ごはんを食べたくなるまで別のことをして待つことにしました。 すると… 息子が洗濯物干しを手伝ってくれたのです。 笑顔でお手伝いしてくれる息子を見て、イライラしていたことがバカらしく思えました。 規則正しく毎日を過ごすことも大切ですが、何も予定がないのだから、少しくらい食事の時間が遅れたっていいじゃないか。 おなかが空けば、そのうち息子だって「おなかすいた」と言うだろう。 そう思ったのです。 私の場合、息子と一緒にゆっくり時間をかけて何かやるというのも、幼稚園が始まってしまうと、なかなかやる気になれないだろうなぁと思うのです。 お手伝いしているとき、息子がとても楽しそうにしているので、ごはん作りも一緒にしてみようかと声をかけてみました。 ■息子の新たな一面を発見した 私が洗って切った野菜や調味料を鍋に入れてもらったり、息子にもできそうなことを見つけて、お手伝いしてもらいました。 一緒にごはん作りをすることがよほど楽しかったのか、ごはん作りが終わっても「もっとつくりたい!」という息子。 まさかこんなにお手伝いが好きだとは思いませんでした。 息子と過ごす時間がたくさんあるからこそ、新たな一面を発見できたのだと思います。 イライラしてしまうことも多いですが、お互いが笑顔になれることを見つけ、これからも楽しく過ごしていきたいです。
2020年05月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回は、家で過ごす時間が増えてあらためて感じたことについて書きたいと思います。 私は同居してから、義母に対してイライラしたり、不満に思うことがありました。 特に産前産後はひどいもので、たびたび別居を考えるほどでした。 ■義母に対していろいろと思うことがあったが… 家からほとんど出ることなく、スマホでゲームをしたり、のんびりテレビを観て過ごしている義母が羨ましかったというのもあると思います。 しかし、息子がしゃべれるようになり、一緒に遊べるようになるにつれ、義母は協力的になりました。 幼稚園が休みになり、家で過ごす時間が増えたときも…。 私が家事をするときに、積極的に息子を見ていてくれるようになりました。 家で過ごす時間が増え、人と話をする機会が減る中、 義母の存在はとても大きくなりました。 私は自分に余裕がないときに人に不満を持ちやすいことがわかってきました。 義母だけでなく、夫や息子にもいえることですが、私が誰かに対して“○○してくれたらいいのに!”と思っているということは、 それを普通にできるほど自分に余裕がないのだと気づけました。 義母に “そんなに暇なら夕飯を作ってくれたらいいのに!” “もっと協力してくれたらいいのに!” と思っているとき。 私がすべきなのは、 “素直に周りに助けを求めること”、そして、“できないときは「できない」と伝えること” だと思います。 ■同居のありがたさを感じた いままで思ってきた不満が感謝に変わり、 同居ってありがたいな…と、しみじみ思いました。 義母にだけでなく、夫に対しても気持ちに変化がありました。 以前から夫が働いてくれていることに感謝していたつもりでしたが、毎日、同じような日々を過ごす中で、働くことが当たり前のように思ってしまっていたかもしれません。 夫が仕事を終えて帰ってくると、とても安心します。 働いてくれることが本当にありがたいと思うことが増えました。 仕事で疲れているだろうに、息子をお風呂に入れてくれたり、一緒に遊んでくれる夫に感謝の気持ちでいっぱいです。 当たり前だった生活が送れなくなることで、あらゆることに感謝の気持ちがわきました。 自分に対しても、健康で、家事や仕事ができて、息子と過ごすことができることが 当たり前のことではないんだと感じています。 不安もいっぱいありますが、幸せもいっぱいあることをこんな時だからこそ忘れずにいたいと思います。
2020年04月26日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今年は、感染症拡大の影響で、春休みがとても長くなってしまいましたね。 ■テレビや動画を観る 4歳の息子も、幼稚園が休園となり長い春休み、一体、息子と一緒になにをして過ごそうか…と、日々考えていました。 そんななか、 テレビや動画はとてもありがたいですね。 本当に助けられています。 しかし、テレビや動画ばかり見せておくこともできないので、この機会に、息子にお手伝いをしてもらうことにしました。 基本的に私がやっていることはやりたがる息子。 ■お手伝いしてもらう 息子と一緒にやると、時間は倍かかります。 自分ひとりでやったほうが、断然早く終わるのですが、どうせ時間はたくさんあるのだから…と、いろいろやってもらいました。 息子は、何をするにも楽しそうでした。 普段から、こうしてお手伝いをしてもらうのも、私に余裕があるときはいいかな、と思いました。 まだ時間はたくさんあるので、に時間のかかりそうな工作もやってみることにしました。 ■時間のかかりそうな工作をする 息子は工作が好きなようで、無駄に作品づくりをしています。 紙をハサミで切ったり、セロテープをたくさん使ったり、やりたいことをやらせるのですが、 危なっかしい! もったいない! と、心の声が止まりません。 ケガをしないよう見守りつつ、なるべく口をださずにいるのが難しいところですが、 本人はとても楽しそうです。 そして、息子と一緒に遊ぶのに疲れたら、またテレビや動画にお世話になるのでした。 家で過ごす時間が増えるということは… 部屋が散らかる頻度も増える ということで、そこが難点ですね。 いろいろお手伝いをしてくれる息子ですが、部屋の片づけは一緒にやってくれません。 片づけやすいようなおもちゃ収納を本格的に考えようと思う、今日この頃です。
2020年03月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 今回はお金の管理について書いていこうと思います。 お金を夫婦のどちらが管理しているのか。 ■私たち夫婦の場合 お金は私が管理しています。 夫は結婚と同時に、 通帳を渡してくれました。 夫には月に3万円(お昼代込み)のおこづかいを渡しています。 渡しているおこづかいは基本的に何に使ってもOKとしています。 おこづかいに余裕があるのか、ときどき私に甘いものを買ってくれたり、息子にちょっとしたおもちゃを買ってくれることもあります。 どうして通帳を渡してくれたのかというと… 夫はお金があると使いたくなってしまうタイプのようです。 自分で管理できないこともないけれど、管理するのが面倒くさいとのことでした。 ちなみに… ■義両親の場合 お義母さんは夫と同じく、持っていると使いたくなってしまうタイプとのことで、 お金はお義父さんが管理 しています。 ということで、お義母さんもおこづかい制です。 お義母さんも決められたおこづかいの範囲内で、やりくりしているようです。 さらに… ■実家の両親の場合 自分の通帳は自分で管理しています。 生活費をどちらがどれだけ支払うかなど、話し合って決めているようです。 自分の通帳は自分で管理、とてもいいと思うのですが、2人はお互いに月にどれだけお金を使っているのかわかっておらず、母はいつも不満そうです。 夫婦でもっと話し合ったらいいのでは…? と、娘の私はいつも思っています。 夫婦のお金の管理方法は、それぞれの性格も考慮しながら、話し合って決めるのが一番だと思っています!
2020年02月27日ウーマンエキサイトをご覧のみなさまピンキーです。 新しい年を迎え、とてもワクワクしている私です。 今年もどうぞよろしくお願いいたします! さて今回は、息子の食べ物の好き嫌いについて、書いていこうと思います。 ■息子の好き嫌いに鬼になっていたが… そんな息子にも、苦手な食べ物があります。 苦手な食べ物でも、せめて一口は食べられるように…と、鬼になることもしばしば…。 しかし、その度に これでいいのだろうか …と悩みました。 それでも厳しくしてしまうのは、私が子どもの頃の経験があるからかもしれません。 私は好き嫌いが多いほうだったと思います。 嫌いな食べ物を残すと、母にひっぱたかれて、家の外にだされたりしました。 小学生の頃は、厳しい先生がいて、給食を全部食べるまで、お昼休みにさせてもらえないこともありました。 いまでは、あまり食べたいと思わない物はありますが、食べようと思えば基本的に何でも食べられます。 食べられるようになったのは、母や学校の先生が厳しかったからかもしれない… 息子に厳しくしてしまうのは、 その考えが抜けないから ということもあるのかもしれません。 とはいえ… ■あまり厳しくするのも、お互いにしんどい あまり厳しくするのも、お互いにしんどいものです。 よくよく考えてみたら、子どもの頃の私は、苦手な食べ物を、意地でも食べませんでした。 苦手なものは、苦手なのです。 大人になって、自然と苦手な物も、食べられるようになった気がします。 息子も同じく、自然と食べるようになるかもしれません。 息子が苦手な食べ物をまったく食卓に出さない、というわけではなく、 おいしく食べられるように工夫 したいと思います。 苦手な食べ物でも調理方法によっては、食べてくれることもあります。 息子の食に厳しい私でしたが… あまりうるさいことを言わずに、楽しく食事をしたいな、と思うのです。
2020年01月27日