2013年生まれの発達ゆっくり娘と2018年早生まれのやんちゃ息子に揉まれる、前向きすぎる夫と元ひきこもりの病弱ガルガル凶暴妻です。
2013年生まれの発達ゆっくり娘ちゃんと、2018年早生まれのやんちゃ息子くん、前向きすぎる夫さんと元ひきこもりの病弱ガルガル凶暴妻たんこさんの日常を描いたコミックエッセイです。
青信号の横断歩道で交通事故に遭った夫。運転手から当然謝罪の言葉があるものだと思っていたが、まさかの事態に!
ある日、コンビニの店員さんから連絡先をわたされた私。孤独感を抱いていた私は、危ない沼にハマりそうになり…。
それは、有名ゲーム原作の映画が公開された時でした。 今まで映画はDVDで見ていた息子が、「映画館で見たい!」と言い出したのです。 息子もこの時、年長さん。映画館デビューにはちょうどいいくらいです。 そんなわけで、わが家は休日を利用して、息子と映画を見に行くことに。 しかし、これにはまさかの長ーい戦いが待ち受けていたのです…。 ■息子、はじめての映画館! 今まで、映画を見たい時は、私と夫どちらかが息子と遊び、どちらかが娘と映画を見るというパターンでした。 でも、今回は息子と映画を見られる! しかし、夫は同じ時間帯に上映される違う映画を見たいと言い出し、夫ひとりチームと、私と子どもたちのチームに分かれ、映画を見ることに。 息子は早速ポップコーンとドリンクを買い、ニコニコ顔。 娘もうれしそうな弟にニコニコです。 そして、チケットを出して入場! すると…。 通路でピタ、と足を止め、息子の表情が、ふと、曇っていることに気づきました。 「どうした…?」 「なんか…怖い…」 え…!? 確かに映画館、チケット改札を抜けると、ショッピングモールやレジャー施設とはまた違う、独特の雰囲気が漂っています。 少し暗くて、微かに聞こえる重低音やいろいろな音…。 確かに、怖いと言えば怖い…。 「でも、今日見る映画は楽しい映画だから、シアターに入っちゃえば大丈夫だよ!」 息子の手を引くと…。 「怖い…」 息子、まったく動きません。 こ、これはマズい…。 「ママ、はじまっちゃうよー!」 一方で娘はノリノリ。 とりあえず通路の真ん中で立ち尽くすのもあれなので、すみっこの壁に寄って私は息子を説得することにしました。 ■通路で動けない息子 「何が怖い?」 息子に聞くと…。 「わかんない…」 その一点張り。 確かに、確かに気持ちはわかる…! この独特の雰囲気、分厚いドアの先はどうなっているかわからない。 たまに怖い映画のポスターも貼ってあるし…!! 私は楽しげにシアターに向かうお客さんや笑顔の子どもたちを息子に見せながら、 「見て! みんな楽しそうだよ! そうまも大丈夫だよ!」 と息子に声をかけるも、 「………」 息子はフリーズしています。 どうしよう…。 そんなこんなしているうちに、上映時間になってしまった。 このまま見られないとなると、娘もかわいそうだし…。 「みーちゃん、ひとりで席行ける…?」 「行ける!!」 すでに映画鑑賞のプロとなった娘は、一人でも見られると息巻いています。 ちょっと不安だけど、娘は見たがっている。 説得したら後を追うから!と約束し、私は娘を見送りました。 この時、娘は小学三年生。頼もしくなったものだ…。 映画館デビューは娘もビビっていたけど…。 こうして息子と一対一になった私は、引き続き息子の説得に当たります。 説得と言うか、もうこうなったら、何を言ってもどうしようもありません。 息子が自分の気持ちを整理して踏ん切りがつくまで待つ、という表現が正しいのかもしれません。 私は、鳴くまで待とうホトトギスの精神で、息子が動くのを待つことにしました。 映画のチケットはそれなりに高いけれど これで無理をさせて映画が嫌な思い出になってしまったら一番悲しい。 私は息子と手をつなぎながら、ボソボソとしゃべりながら、行き交う人々と流れる時間を見つめていました。 しかし、息子は動きません。 というか、やっぱり娘が心配になってきた…。 なんでこんな時に夫は一人、気楽に好きな映画を見てやがるんだ…。 という怒りを覚えつつも、映画鑑賞中は連絡するわけにもいきませんでした。 ■ひとりで見に行った娘も心配 どうしよう…娘を見に行きたいけど、息子は動かない…! そこで、目が合ったのはチケット改札のお兄さん。 今はちょうど上映時間ど真ん中で、ちょっと余裕がありそうだ…! 「すみません、中の娘を見に行きたいので、その間、そこからで構いませんので!この子をちょっと見ていてくださいませんか…!」 厚かましい…! ごめんなさい…!! 恥ずかしさと申し訳なさで変な汗をかいていると…。 「はい! ずっと気になっていました! 見ているので行ってあげてください!」 神かーーーー!! 私は息子に動かないように告げるとダッシュでシアターへ。 娘、ちゃんと指定席に着けただろうか…。 ポップコーンをぶちまけて泣いてないだろうか…。 席に向かうと…。 「めっちゃおもしろいよ…!」 娘、超余裕でした。 頼もしくなったものだ…。 一安心してまた息子と合流。 お兄さんにお礼をして、私たちはそのまま、10分、20分…。 一時間もの時間を通路で静かに過ごしました。 すると…。 「行ってみる…」 ついに息子は、動いてくれました。 何がきっかけというか、本当にそういうことはなく、ゆっくりゆっくり、自分の心と向き合っていたという感じでした。 「よし、行こう!」 息子が席に着いた時には物語はもうど真ん中。 何が何やら理解するのに時間はかかりましたが、息子は笑顔で、瞳をキラキラ輝かせながら映画を見始めました。 連れてきてよかった。 この瞬間、あの通路での一時間は一気に報われました。 そのまま私たちは映画を楽しみ、スタッフロール。 息子はぼそっと「もっとはやく入ればよかった…」と笑っていました。 そうだね。次はもっと早く入れるといいね。 こうして息子の映画館デビューは、笑顔で終わることができました。 その後、息子はすっかり映画館を好きになり。 今では大好きなヒーロー映画を公開初日に見に行くまでになりました。 怖い時は何を言われても怖いし動けない。 でも、時がくれば進むことができる。 きっと何事もそう。 そんなことを教えてもらったような、そんな息子の映画館デビューでした。 今回で私の連載はおしまいになります。 これからもボロボロながら楽しく育児していく様子をSNSで発信していこうと思います。 お付き合いありがとうございました!
2025年06月30日小学校入学の際、息子には夢ができていました。 それは“サッカー選手になる”という夢。 息子が初めて語った夢に私もうれしくなり、小学校入学と同時にサッカー教室に通い始めました。 ですが息子は、この教室を1年足らずで退会することになるのです…。 ■サッカー選手になりたい! あまりおしゃべりでない息子が夢を語ってくれたのは、卒園式でのスピーチがきっかけでした。 夫には多少のサッカー経験があるものの、基本的には野球派。 どこからサッカーが出てきたんだ…と思っていたのですが、話を聞くと、どうやら幼稚園のお友達がきっかけのようでした。 園庭でかっこよくサッカーをするお友達のようになりたい。 そんな息子の、初めての気持ち。 私はうれしくなって、急ぎサッカー教室を探しました。 すると、通っている小学校のグラウンドで毎週練習を行っているサッカー教室を発見。 この教室は元選手がコーチをする本格的なものではなく、所属する子どもたちのお父さんがコーチをしてくれる “スポーツ少年団” というものでした。 口コミを調べると、ゴリゴリの強豪ではないものの、みんなでワイワイ楽しめる、優しいチームとのことでした。 これなら息子もやれるかも…! しかも、 月謝は2,000円。 10,000円近くかかるスイミングを娘にやらせていた身としては、めんたまが飛び出る破格でした。 数回の体験会を経験し楽しむ息子を見て、私は入会を決意。 こうして息子はサッカー教室デビューを果たしました。 ■初期費用と人見知りの不安 入会にはもちろんサッカーボールや練習靴、ユニフォームなどが必要です。 ですが、コーチや先輩ママさんが率先してお下がりをゆずってくださり、初期費用は3万円もかかりませんでした。 子どもの道具だけでなく、練習を見守る私にも水筒やアウトドアチェア、クーラーボックスなどが必要でしたが、これらは持っていたので購入せず。 水筒以外にも毎週ゼリー飲料やおやつを持たせていたものの、その費用も微々たるもの。 楽しそうにボールを追いかける息子の笑顔を見れば、安いものでした。 どちらかというと人見知りでそっけない息子も、チームスポーツとなると、嫌でも人とコミュニケーションを交わさなければいけません。 それがかなり不安要素ではあったのですが、チームの仲間たちは明るく優しい子ばかりで、パパさんコーチも優しい方ばかり。 超初心者の息子にも丁寧に教えてくださる方ばかりでした。 そしてもう一人、ドドド人見知りである母(私)にも不安要素はありました。 “練習を見守りながら、他のママさんと会話できるだろうか…。” その不安も、入ってしまえばあっと言う間に消え去りました。 ママさんたち、優しい…!! 必死に話そうとするもヤバイオーラが消せない私と、普通に会話してくださる。 別の場所で会った時も「あ!」と笑顔で話しかけてくださる。 息子がサッカーの練習をする横で、私ハ人トノ会話ヲ練習スルコトガデキマシタ…感謝…。 もちろん、見学しながら会話に華を咲かせる親御さんもいれば、静かにスマホを見ながらゆっくり練習を見守る親御さんもいらっしゃいました。 送迎だけで、あとは自由にやらせる親御さんも。 各自自由に、終わりの時間まで過ごす感じです。 保護者には2カ月に一度くらいのペースで鍵開けや片付けの当番が回ってくるのですが、これも都合が悪い時には他の保護者の方が代わってくださったり、日付をチェンジしてくださったり…負担になることはまったくありませんでした。 土日をゆっくり過ごすことは少なくなったものの、入団したことを後悔することはなく。 試合では悔しい思いをすることもありましたが、上位に食い込み、初めてメダルをもらったり…。 練習以外にも、プロの試合をみんなで見に行ったり、町のお祭りに参加したり…。 入団しなければ経験できないようなことばかりでした。 しかし…。 息子が突然、サッカーをやめると言い出したのです。 ■息子がサッカーをやめた理由 春に入団し、夏を過ぎた頃から、少しずつ息子は休むことが増え、練習でもボーッとすることが多くなりました。 理由を聞いてみると…。 「他の子とぶつかったり、ボールを奪ったりするのがイヤだ…」 こ、これは、コンタクトスポーツでは、致命的では…。 どうやら、強豪チームとの激しい試合を経験したことで、他の子とぶつかることへの恐怖心が芽生えてしまったようでした。 上手な子はボールを追いかけ、最低限の接触でボールを奪うことが可能なのかもしれませんが、そこまでテクニックのない息子にそれは難しく、積極的にボールに突っ込んでいく勇気を持つことが難しくなっていました。 練習でやたらキーパーをしたがると思ったら、そういうことだったのでした…。 ※たまにつっこんでくるよ!! もうちょっと練習したら、ボールの動きが読めるようになるかもしれないよ。 もうちょっと練習したら、みんなの動きが読めるようになるかもしれないよ。 そう説得を続けましたが、息子の心はポッキリ折れてしまっていました。 確かに何度か接触でケガをしてしまい、ぶつかる恐怖、ぶつかって、お友達にケガをさせてしまうかもしれないという恐怖は、息子の中に確実に蓄積していたようです。 こうして息子は、1年足らずでサッカーをやめてしまったのでした。 ですが…。 公園でボールを蹴る息子の姿は1年前からは想像もつかないくらい頼もしくなっていて、テクニックはまだまだでも、ボールとは友達になれた感じがします。 チームメイトとも、学校に通っているだけでは育めなかった友情を育めた気がしますし、優しいコーチ陣のおかげで、大人の男性と話すことが好きになりました。 本当にサッカーが好き! という気持ちで団結しているコーチのお父さん方は、息子にとって憧れの人になったことは間違いありません。 私は私で、保護者のみなさんの優しさに触れ、出先でばったり会って会話なんていうことが、できるようになりました。 ボールもソックスもユニフォームも擦り切れる前に退会してしまいましたが、得られたものは本当に多く、本当に濃厚な在籍期間でした。 やめちゃったけど、始めてよかった、少年サッカー!! もちろん、私と息子がお世話になったチームがとびきり優しかっただけかもしれませんが、初期費用・月謝ともにお手頃なので、お子さんが興味を持たれていたら、ぜひやってみてほしい習い事です。 ちなみにうちの息子は現在、野球を始めようとしています。 確かに、ぶつかり合うことは少ないけど…!!
2025年05月27日「学校に行きたくない…」 子どもが入学すれば、誰もが一度は聞くことになる言葉だと思います。 今回は、そんな子どもの言葉と葛藤した、元不登校児である母のお話です。 ■プチ反抗期な娘の場合 現在6年生の娘が「学校に行きたくない」と初めて言ったのは、四年生の5月のこと。 慣れない場で緊張して泣き出してしまったり、皆の前で大きな声が出せなかったり…。 大変な学校生活を送りながらも娘は学校が大好きで、よほどのことがなければ、そんな言葉を口にすることはありませんでした。 そんな娘が朝、突然…。 「学校に行きたくない…」 そう言い出したのです。 GWでゆっくりしすぎて気持ちがうまく切り替わらないのか、はたまた、学校で何かあったのかと焦りましたが…。 「いや、本当は行きたいんだけど…学校に行きたくないって言っちゃう…」 それは娘のプチ反抗期による、複雑な子ども心のせいだったようで、 学校は楽しいけど、学校に行きたくないと言って親をびっくりさせたい。 そんな気持ちからの発言だったそうです。 「そっか…まあ、ママは不登校のプロだから 何かしんどいことがあったら言ってね」 「うん! 不登校のプロ!」 何を隠そう、私は小学校から中学校にかけて不登校を経験した不登校のプロ。 もし子どもたちが学校に行けなくなっても動じることはない…。 (と思っていたけど今なかなか動揺している) そうどっしり構えて、子どもたちを見守っていました。 ■とびきり朝に弱い息子の場合 ちょっとした反抗心で「学校に行きたくない」と言い出した娘の一方で、当時、小学1年生だった息子の「学校に行きたくない」は、なかなか手ごわいものでした。 まず、とびきり朝に弱い息子は、叩き起こすのも一苦労。 眠り姫のように深く眠りにつく息子は、登校10分前にやっと起きることも多々あります。 そんな息子はGW明けの5月、やはり長い休みが体にしみついてしまったようで、 「学校行かない…」 そう言いだしたのです。 大人だって長い休み明けは仕事が面倒になってしまうもの。 ですが、うちの子どもたちが通う小学校は5月に運動会があり、その練習の総仕上げはこれからです。 息子にとっては初めての小学校での運動会。 簡単に休ませていいものか…。 悩みつつも私は不登校のプロ。 その日はひとまず、休ませることにしました。 「あしたはいく」 親が何も言わずともそう呟いた息子は、宣言通り、翌日には何もなかったかのように登校していきました。 息子はその後も、定期的に「学校に行きたくない」日がやってくるのですが、どうも一日休むとリフレッシュできるようで、翌日にはダッシュで登校し、楽しそうに帰ってきてくれます。 クールなようで、意外と気をつかうタイプの息子。 息子なりに限界がくる前に、教えてくれているのかもしれません。 ■学校を休んだ日のルール そんな感じでわが家ではたまに、子どもたちの気持ちで学校を休ませることがあります。 しかし、 “多少しんどい時でも頑張る” という経験は、この先の人生において大切なことでもあります。 そのバランスとその日の授業内容、子どもの切実さ、それらを考慮して判断しているのですが、休ませる上で大切にしているのは、 “勉強のブランクをできるだけ作らない” ということです。 これは、不登校のプロである私が、いっっっちばん苦労した部分でもあるからです。 私は小学校から不登校を始め、中学に至っては一日も登校せず、20代でやっと通信制高校に通い始めた時、 浦島太郎でした。 そのブランクを埋めるのは本当に本当に大変で、眠れずに教科書とにらめっこする日々でした。 そんな思いを子どもたちにはさせたくない。 そんな母の勝手な想いではあるのですが、休んだ日には好きな動画を見たり、ゲームをしたっていい。 ゴロゴロしてていい。 でも、ちょっと勉強する。 それを決まりにしています。 今はタブレットでその日の授業内容を確認することもできるので、それを活用しつつ、教科書を読んだり、自前のドリルを進めたり…。 パソコンで仕事をする私の横で、好きにやってもらっています。 そんなこんなしているうちに“休んだ日は自習!”という習慣がつき、今では「あしたは休む。ドリル10ページやる」という予定を教えてくれるようになりました。 もちろん何もせず、何も考えず心と頭を休ませることも大切ですが、 暇を感じられるうちは自習してもらう!! それが、わが家のルールです。 ですが、わが家がこのように悠長にやっていられるのは、現在私が、自宅で仕事をしている人間だからだと思います。 自宅を離れてお仕事されている親御さんにとって、子どもが体調不良もなく休むということは、体調不良で休むことすら焦ってしまうのに、本当に苦しいことだと思います。 子どもの心と体を考慮しつつ、親御さん自身の心と体、そして仕事とのバランスをみながら休みを取る…。 そんなハードな難題に葛藤しているご家庭もあるということ、忘れずにいたいです。
2025年04月27日わが家の子どもたちはゲームが好きです。 コロナ禍にゲーム機を買ってから、それはすっかり家族の楽しみになりました。 ですがゲームには、熱中しすぎてしまうリスク、視力の問題、いろいろな課題があります。 しかし、わが家には、そこまでしっかりとした制限はありません。 今回のお話は、そんなわが家とゲームとの付き合い方のお話です。 ■ゲームに対してゆるいわが家 わが家では、ゲームの時間に特に決まりはなく、ただ 「やるべきことはやる」「食事の時間には止める」「目が疲れたら外で遊ぶ」 という、実にふわふわしたルールだけが存在します。 このルールに対してだけでも、“しっかり宿題を終えてからやる娘”と“とりあえずゲームで息抜きしてから宿題をやる息子”というように、捉え方はそれぞれ違います。 ですが、私が「そろそろおしまい!」と言えばパッとやめてくれます。 キリが悪いと“もうちょっと…”となってしまうので「キリがいいところで終わりにしてね」と言うようにはしていますが、それがプレイ時間10分だろうと1時間だろうと、子どもはキリのいいところを見つけて終わりにしてくれます。 そして、ゲームをやめれば各自、読書をしたり、工作や手芸を始めたり、外遊びを始めたり…。 それぞれ自分の好きなことを始めてくれます。 あまり制限をしすぎても、逆にそれが気になってしまったり、執着するようになる。 それはあると思います。 何を隠そう、 私はとてつもないゲームオタクでした。 10代の頃はそれこそ寝食を忘れ、何時間、十何時間もぶっ通しでやるくらいのゲーマーでした。 それでいて不登校の引きこもり。 たぶん、世のお父さんお母さんが「こうはならないでくれ!」とまず思うような子どもでした。 それが、脱ひきこもりをし上京する際にはゲーム機からスパッと離れることができた。 アイドルがマイクを置くように、ゲーム機をまるっと実家に置いたまま一人暮らしを始めることができたんです。 今では子どもに付き合いゲームをしても、その集中力は10分くらいが限界です。 ■ゲームに熱中することで犠牲になるもの、得られるもの 私は、やり尽くしたのだと思います。 だから、私はゲームをやめることができたし、執着することもなかった。 …しかし!! この、“やり尽くす”は傍から見ると終わりが見えないし、何かが必ず犠牲になる。 というのが、世の親御さんの不安要素なのだと思います。 勉強する時間、運動する時間…そんな大切な時間だけでありません。 私も“やり尽くす”ことで、輝ける! 若さはじける!! 青春時代を犠牲にしてしまいました。 ゲームをやり尽くすことで、貴重な青春時代を無駄にしてしまった私。 ですが私はそれに後悔はしていません。 当時ボロクソに病んでいた私の心が、ゲームに救われていたからです。 もっと楽しいことや、やるべきことがあったのはわかっていました。 でも、ゲームで感動したり自己鍛錬する時間が、私にとって唯一の癒やしになっていたのです。 子どもだってそうだと思います。 大人が思っているよりなかなかハードな日常でちょっとひび割れた心が、もしかしたらゲームに癒やされているのかもしれない。 そうだとしたら、“ゲームはあまりよくないもの”とにらんでしまうのは、 ちょっともったいないことだと思うのです。 ぼーっとやっているようで、ゲームも結構、忙しいです。 いかに進めるか、いかに勝つか。そんなことを考えるのも、立派な勉強だと思います。 うちの子どもたちが好きなゲームは基本的にもの作りがメインなので、見せてもらうと大人もびっくりするような想像力に感動することがあります。 攻撃的なゲームでも、いかに相手の攻撃を避けるか、いかに相手の隙を突くか。 それを一生懸命考えるのは、アタマの体育だと思います。 武器を持っていても、 やっていることはドッジボールと一緒です。 モニター越しに人やモンスターを傷つける子どもに不安になってしまうかもしれませんが、少なくとも全年齢対象のゲームでは、子どもたちが見ているのはただ勝敗だけだと思います。 ■ゲームはコミュニケーションの種 公園に行けない雨の日。 わが家ではよく家族でゲームをします。 (例によって集中力を失った私は観覧者です) あーだこーだ言いながら、笑い合いながらゲームをする時間は、 もうすぐ子どもが思春期に入り、距離ができ始める頃のわが家にとって、かけがえのない時間です。 文字を読むのが苦手だった息子も、ゲーム画面を読みたいがために一生懸命文字を覚えて、今ではセリフを音読してくれます。 ゲームで見たアイテムを実際に作ろうと、いそいそと工作していることもあります。 学校では、同じゲームを好きな子を見つけて、その話題で盛り上がることもあるようです。 娘はスケッチブック片手に、ゲーム中の衣装をデザインするのが大好きになりました。 テレビゲームだけでなく、スマホアプリにも魅力的なゲームがたくさんある昨今。 ゲームを完全に制限したり切り離すことは、なかなか難しい世の中です。 だからこそ、ゲームで得られるものもあることを知って、ゲームとゆる~く仲良く生きていくのがいいんじゃないかと、わが家は思っています。 子どもは、ゲーム以外の楽しいこと、熱中できることが見つかれば、あっさりそちらに行きます。 もし今、子どもがゲームばかりする…と悩んでおられるなら、その子は、いつか出会う熱中できる事柄のために集中力と思考力を鍛えているのだ!! と思ってください。 ゲームってホント、すごく頭を使うので…と、ゲームができなくなってしまった大人が、言ってみます。 集中できることがあるって、素晴らしいです!
2025年03月27日我が子の才能…それはずばり、 計算が好きなこと!! 今回はそんな計算が好きな息子のお話です。 ■話し始めはゆっくりだった息子 息子は乳幼児期、おしゃべりにあまり興味がなく、はじめて「ママ」と言ってくれたのも3歳を過ぎてからでした。 しかし行動は大人びていて、しゃべらずにも自分のほしいものやしたいことをしっかり伝えてくれる不思議な子どもでした。 ですが基本はマイペース。 文字や数字を覚えたこと自体もそんなに早いわけではなく、幼稚園で同じクラスの女の子たちがお手紙交換ブームを巻き起こしている横で、黙々とダンボール工作に励んでいるタイプでした。 そんな息子が計算を覚え始めたのは年長さんの時。 幼稚園で就学に備えた授業があった影響でした。 それがなんだか楽しかったのか、らくがきちょうには絵ではなく、計算式が並ぶように…。 それに真っ先に反応したのが、お姉ちゃんでした。 「そうま…てんさいじゃん!!」 算数がちょっと苦手な娘は大興奮。 世間にはとんでもない天才がいるわけで、それと並べることはとてもできないのですが、娘にとっては衝撃的なことだったのでしょう。 弟を褒める褒める。 それが良かったのか、それは関係なくただ好きだったのかはわかりませんが、息子は計算の魅力にどんどんハマっていくのでした。 ■計算は楽しいゲーム!? と言っても、通信教育や学習塾にはまだ触れさせていないわが家。 一年生でかけ算九九が言えるとか、難しい計算ができるとか、天才的な要素ははまったくありません。 しかし、計算が好きなのです。 ブロック遊びをしていたと思ったらピタッと動きを止めて、空の一点を見つめながら突然計算を始める。 この壁を完成させるには残り何個必要か、とか、 壁を維持しながら家具を作るには何個窓を抜けばいいか、とか、 そういう計算を始める。 とにかく、 “計算と言う作業が好き” という感じなのです。 小学校に入学したあともこの計算好きは続き、算数プリントでたまに来る“まだ簡単だけど計算50問!!”という地獄のような宿題も、楽しそうに解いています。 対して私は、大人である私は、かけ算九九くらいは覚えていますが、計算という作業はあまり好きではありません。 家計簿も電卓やアプリ任せな私にとっては、この“計算と言う作業”が楽しいという感覚はまったく理解できないのですが、息子にとって計算は、パズルやゲームのように楽しいものなのでしょう。 ドライブ中も暇があれば「問題だして!」とおねだりしてきます。 ですが運転に集中したい私は、前の車のナンバーを計算することを教えました。 98-76とか。12-34なら12+34にするとか。 結構白熱します。 ■頼もしい買い物の相棒 そんな計算が好きな息子は、お金の計算も得意。 お小遣いをもらえば、あとどのくらいためればあれが買えるだとか、 ゲームセンターでいくら使ったら残りいくらになるだとか、 そういうことを自分でしっかり計算してくれるので、お金の管理はとても楽です。 どちらかというとどんぶり勘定だった娘もそんな弟の姿を見て、最近は貯金に目覚め、計算しておやつを弟におごる喜びを覚えました。 なぜかおごり合うのが好きな姉弟。 一緒に買い物に行けば、まず「いまいくらもってるの?」と予算を聞き出し、その範囲でおさめる努力を一緒にしてくれます。頼もしい。 あといくら、あといくら…と瞳を輝かせて計算する息子の姿は、物価高で憂鬱になりがちな買い物を楽しくしてくれています。 図鑑の暗記などはどちらかというと娘の方が得意で、そちらにはちょっと苦戦している息子。 ですが面倒と思われがちな計算を楽しめる才能はすてきなもので、これからの学校生活でもきっと役に立ってくれるはずです。 最近では消費税や割引の計算にも食指が動き始めている息子。 計算の苦手な私は、必死に自分でも勉強しながら教えている今日この頃です。
2025年02月27日子どもが産まれてから、その存在の意味が変わったお年玉。 自分の時は母に預け、そしていつの間にかなくなっていた…というよくある話なのですが、育児を経験し、育児にかかるお金事情を知った今は、それも仕方ないなと…目には見えなくても確かにそのお年玉は私を育むために使ってもらえたのだなという実感があります。 そんな経験を経て今、ある問題が生じます。 息子、お年玉を全部使いたがる問題です。 ■お年玉、全部使いたい! 今まで娘に対しては、いただいたお年玉の中から年齢に合わせて渡す金額を変え、その一部を渡していました。 自分で使うことでそのありがたさを感じてもらえたら、と思ってのことでしたが、娘はそれに対してなんの疑問も持たず、素直に喜び、感謝してくれていました。 しかし、息子は違いました。 「この中で、5000円そうまは使っていいから、あとはママがそうまの口座に入れておくね~」 「いやだ!」 「……いやだ!?」 確かに息子はお金が大好き。 お小遣いをせっせとためて一万円以上するおもちゃをドカンと買うこともあります。 そして何より計算が早い。一緒に買い物へ行くと、店員さんよりも早くお釣りの計算をします。 そんな息子はいただいたお年玉をすべてチェックし、計算し、 これでアレが買える…! としっかり計画していたのでした。 なんの疑いも持たずに素直な娘に対し、計算が早く鋭い息子。 確かにこうなることは、いつかこうなることは、わかっていたのですが…。 ■なんでお年玉、親に預けるの? 確かに、祖父母がそう多くないわが家のお年玉はそれほど多くなく、リッチなご家庭の毎月のお小遣いの方が多いくらいかもしれません。 ですが、息子はまだ小1。 私は、まだこの金額を使わせるには早いんじゃないか…と思ってしまうのです。 なんで? と言われてしまうと返答に困るのですが、大きなお金をその時の気持ちで一気に使って、後悔してほしくない…。 いやしかし、息子は結構ちゃんと考えてお金を使うタイプだし…でも…。 考えれば考えるほど、なぜ預けなければいけないのか、息子を納得させられるような返答は思い浮かびませんでした。 これからあなたたちが生きていくには、大切なお金がたくさん必要だから…と言っても、そんなの私が頑張って働いて、黙ってためておけばいいわけです。 なぜ「あなたに」と渡されたお年玉が、親に奪われるのか…。 同じくいつの間にかお年玉が消えていた夫はその悔しさがよくわかるらしく「だよなぁー!」と息子の肩を持ちます。 お金のはかなさは、使ってみなければわかりません。 その時の気持ちで大きな買い物をしてあとで後悔することになっても、それも良い勉強になるのかもしれません。 私はなんで息子にすべてを渡せないんだろう…。 幼い頃、お年玉を使えなかった私は息子に嫉妬しているのか…!? ■それでも母が貯金するワケ 息子に疑問を投げかけられ、私は改めていろいろなことを考えました。 そして数日後、私は息子と、そして娘と、ある取り決めをしました。 「それだけほしいものがあるなら、一個だけ買っていい。だけど、それで残ったお年玉は、貯金させてほしい」 息子のほしいものは一万円を超える大きい買い物。 ですが息子は、一度買ったものは何年も何年も擦り切れるまで遊んでくれるタイプです。 そういう部分では、安心感がありました。 「それでいいかな?」 「うーん…」 「今ほしいものを手に入れることも大切な経験だけど…この先、なんていうか…」 「そうまがもうちょっと大きくなった時に、制服を買う時に、学校が変わる時に…」 「この制服を買ったお金には、あの時おばあちゃんがくれたお年玉が含まれてるんだよってママが思いたいんだよね…」 父を早くに亡くした私も年を重ね、子どもたちをともに愛してくれた祖父母の死を経験しました。 今は亡き祖父が買ってくれた娘のランドセルは今も祖父の思い出とともにあり、私はこの先も、こうして子どもたちの周りに誰かしらの気配を残したいのだと思います。 「だから、ちょっと預けさせて…!! お願い!」 「……」 「ほんと!?」 こうして、息子は納得。 特別ほしいものがなかった娘にも同等の金額を渡し、自由に使ってもらうことになりました。 結局、わが家の場合はこんな感じで落ち着いたのですが、お年玉事情もご家庭それぞれ。 とりあえず、息子がいただいたお年玉はピカピカのおもちゃになって、わが家の真ん中に鎮座しています。 おばあちゃん、ありがとう!
2025年01月27日プライベートなお話ではありますが…。 皆さん、“夫婦生活”って必要だと思いますか? うちの夫にとって“夫婦生活”は大切なコミュニケーション。 死ぬまで大切にしたいものだそうです。 しかし…。 私にとってはもう、なくてもいいものでした。 今回はそんな夫婦の心が、再びかみ合うまでのお話です。 ■夫婦生活は…妊娠のためのもの! 私は長年の引きこもり生活・コミュ障生活から恋愛経験もなく、デビュー戦も夫と出会ってから。 二十代半ばのことでした。 そんな私なので、ドラマのようなロマンチックな雰囲気からのベッドイン…。 なんてものは経験がなく、子どもを作るぞー! 出陣じゃーー!! という勢いのものでした。 幸いにも私たちのもとには、それで娘がやってきてくれました。 私にとって夫婦生活は妊娠のためのもの。 その後、二人目を無事に授かり、私の目的は果たされ、それから夫婦生活は私にとって、なくてもいいものになってしまいました。 しかし…。 夫にとっては、そうではなかったのです。 ■夫婦生活は…コミュニケーション! 一方で夫は、華やかな青春を味わってきた男。 たくさん恋愛し、いろいろな人とデートをし、ロマンチックなメイクラブも経験してきたのでしょう。 そんな夫ですから、私との生活はまさに生殺しの生き地獄。 子どもが生まれすっかり母になってしまった私の前には、夫のムードたっぷりの演出も無意味でした。 元の欲求の差だけでなく、体力の違いも明確でした。 家事と仕事にてんやわんやの毎日で、夜泣き対応による寝不足、いつケガや病気をしてしまうか分からない子どもに対しての神経のすり減り…。 育児に追われる中で私にはそんな体力、残っていませんでした。 「……今日、どう?」 「はぁ!?」 時に、そんなことを考える夫に苛立ちを隠せないこともありました。 こっちは育児でいっぱいいっぱいなのに、なんでそんなことを考えられるんだろう…。 夫は子どもよりも、自分の欲求の方が大切なんじゃないか。 そんな怒りが湧き上がるばかりでした。 ■夫の努力と次なる問題 ですが、夫も夫なりに努力はしていました。 私が疲れて断っていることを感じ取り、いそいそと家事や育児を手伝う夫。 自ら食器を洗い出す日は、だいたい夫の「YES」サインでした。 それはとってもありがたく、私も応じたい気持ちはあったのですが、次なる問題がありました。 「……今日、どう?」 「子どもが起きたらどうするんじゃ!!」 ……そう。 私にはどうしても、子どもが起きてそれを目撃されてしまったら…という恐怖があったのです。 そんなこんなで、私は徐々に夫と距離を保つようになり、夜はびっちり娘と息子に挟まれ眠り、夫に入る隙を与えませんでした。 子どもたちがすくすく成長し、少しずつ手を離れつつあっても、それは変わりませんでした。 そんな最中、事件が起こります。 私が高血圧による眼底出血で、視野を半分を失ったのです。 ■妻の高血圧に夫は… 高血圧と来たら、夫婦生活なんてもってのほかでした。 さすがに夫もこれには手も足も出ず、さらには日常生活でも、無理が利かなくなってしまった妻のサポートを必死にしてくれました。 安静が苦手でガサガサしている私は、治療により血圧が安定してきたあとに、なぜか再出血を起こしてしまうというハプニングを起こしたりもしましたが、その間も夫はサポートに徹し、我慢してくれていました。 ですが、そんな夫にも我慢の限界が来ます。 「そろそろ…いたしたいです…」 ■それでも夫がしたい理由 高血圧というものの怖さは、医療系の専門学校で出会った私たち夫婦は、よくわかっていました。 夫婦生活は血圧や循環器にそれなりの負担をかけます。 なのに、夫はまだしたがっている。 でも、その時の私にはもう、怒りはありませんでした。 「負担かけないように、優しくいたすから…」 なんでこんなに必死なんだろう、という疑問は正直ありました。 ですが、いつもケンカ腰で、素直じゃなくて、持病があって、キレイでもない私との夫婦生活を必死に求めてくれている夫は、なんというか、ありがたいなと思えたのです。 父となり、母となり、子どもが元気であればそれでいいと思うようになりました。 夫婦生活で体力を消耗するなら、子どもと公園に行ってあげたいと思っていました。 でも、私たちは親である前に夫婦で、人間。 たまにはそこの欲求を満たすことも、笑顔でいるためには必要なのかもしれません。 幸いにも子どもも二人とも小学生になり、土日に出勤し平日に休みを取れば、子どものいない時間を作ることも可能になりました。 仕方ない…。 「いっちょやるか…」 こうして、色気もクソもないこの夫婦は、バイタルチェックをしっかりしながら、久しぶりに夫婦生活を再開したのでした。 ■夫婦が求めるものはさまざま 我が家の場合は私がNOで夫がYESタイプでしたが、反対のパターンのご夫婦ももちろんいらっしゃると思います。 軽い気持ちで人に相談することも、相手に伝えることも難しい問題なので、本当に苦しい思いで悩んでいる方は、想像以上に多いと思います。 私は夫の気持ちを叩き潰すひどい妻でありましたが、自分が夫の側であったら、本当に苦しいし、つらいと思います。 自分に魅力がないのか、他に好きな人がいるんじゃないか…と、すごく悩んだと思います。 今回は夫の粘り強さ、そして素直な気持ちを伝えてくれたことで状況は改善されましたが、それも本当に勇気のいることだと思います。 私だったらずっと心の中に想いを仕舞って、やけくそになっていたかもしれません。 一緒に年を重ねる中で、二人が同時に「もういいか」と思えたら一番。 ですが、時にはそうはならないかもしれない。 愛しているからこそ、その幸せなかけがえのないコミュニケーションを大切にし続けたいと思うことは、決しておかしなことではないのです。 片方の苦しみを生まないためにも、お互いの気持を伝い合える機会は、大切にしていこうと思った出来事でした。
2024年12月27日子どもに夢を与えてくれる、サンタさんという存在。 わが家でもクリスマスを前に、サンタさんへの手紙に何を書こうかと盛り上がる季節になりました。 そんなわが家には数年前、玄関ドアから思いっきりサンタさんがやってきたのです。 大人もびっくりのサンタさんの襲来。 それはいつも利用するスーパーからの、サプライズプレゼントでした。 ■よくあるスーパーの懸賞で… その年は、わが家が東京から千葉に引っ越してきた年。 娘は来年に小学校入学を控え、大好きな祖母の家も近くなり、新生活に胸を躍らせていました。 そんな中で、私はある懸賞に応募をしました。 近くのスーパーの、 お買い上げ金額◯◯円以上のレシートを貼って応募すると好きなものがもらえるよ!! という、気軽なものでした。 私はなんとなく、本当になんとなく半信半疑で懸賞に応募。 普段使いしているスーパーなので、あっという間に応募金額に達し、私は3通の応募をすることができました。 一通は私の名前でおしゃれホットプレート。もう一通は娘の名前でお人形とベッドのセット。最後は息子の名前で電車のおもちゃのセットでした。 そして私は引っ越し後の片付けや手続き、入学準備に追われ、その懸賞のことなどさっぱり忘れていたのですが…。 ある日、見知らぬ電話番号から着信が! 各種変更手続きでいろいろな着信があった頃なので、私は何の疑いもなくスマホを手に取りました。 「もしもし」 「もしもし!エリンギ様のお宅でしょうか?」 「あ、はい!」 「わたくし、オトクサービス株式会社の徳田と申します」 「(聞いたことない会社だな…セールスかな…)」 「先日はスーパーゲキヤスの懸賞に応募いただきありがとうございました! 抽選の結果、エリンギ様が見事当選されましたので、その件についてご確認を…」 「え…ええええええ!?」 ■わが家にサンタさんがやってくる!? なんとなく応募したスーパーの懸賞に、まさかの当選。 驚きの電話でした。 「(ほ、本当に当たるんだ、こういうの…)」 電話によれば、当選したのは娘名義で出したお人形セットの応募はがき。 その内容をしっかり確認して、今から買いに行ってくれるということでした。 それだけでも感動してしまったのに、なんと後日、サンタ姿の社員さん…いや、サンタさんが直接わが家に届けに来てくれるとのこと。 ヤバい…まだ引っ越しのダンボールが大量に残っている…。 という焦りはあったものの、朗らかで丁寧な電話に感動するばかりでした。 私はいつも通りにただ買い物をさせてもらって、応募しただけなのに…まさかまさかの、クリスマスプレゼント。 そして12月。わが家にサンタさんがくる日がやってきました。 ■思い出は一時のものではなく… 前もって都合のいい日時を指定し、その当日。 住所の確認や時間の細かい確認も重ね、私は子どもたちと自宅待機。 「実は…スーパーゲキヤスの懸賞が当たって。明日、サンタさんがきてくれるんだって!」 と前もって伝えられていた子どもたちは、正座で今か今かと待機していました。 そして、鳴るチャイム…。 ピンポーーン 「はいはーーーーい!!」 玄関ドアを開けると… 「メリークリスマス!!」 サンタ姿の若いお姉さんとお兄さんが、大きなプレゼント袋を抱えて立っていました。 白ひげのおじいさんじゃない… なんて疑いも持たず、子どもたちは大喜び。 人見知りながらも「ありがとうございます」と感謝を伝え、記念撮影すると、母が死に物狂いで大掃除したリビングには上がらず、玄関先のみの対応で(このスマートさもありがたい…)、サンタさんたちは笑顔で帰っていきました。 ニコニコ笑顔でリビングに戻り、プレゼントを開けると、中にはお願いしたお人形とベッドのセットがしっかり入っていました。 ありがとう、サンタのお兄さんお姉さん…! そしてスーパーゲキヤス…! この日の思い出は、私だけでなく子どもたちの心の中にも強く色濃く残っています。 ■そして時はたち… そして、娘は今や小学5年生。 ほぼ赤ちゃんだった息子も小学1年生になりました。 そんな子どもたちは今でも毎年サンタさんに手紙を出し、クリスマス当日は、家にサンタさんがこっそり隠したプレゼントを見つけては大興奮で喜んでくれています。 「いつも、いつの間に来てるんだろう…!」 「また、ピンポンでこないかな~」 そう、子どもたちの心の中には今もあの日のプレゼントの記憶が残っていて、サンタさんへの想いを一層強くしてくれているのでした。 ありがとう、あの日のサンタさん。 ありがとう、あの日のサンタさんを派遣してくれた会社さん…。 そろそろ事実を知ってどつかれる頃かな~と思いつつも、今年も子どもたちの笑顔のため、サンタさんと秘密裏に連絡を取り合う母なのでした。
2024年11月27日息子と私には、長年、二人だけの秘密がありました。 誰にも言わない、内緒のコト…。 それは、 おうちではおむつマンだった、ということですーー。 ■園ではお兄ちゃんパンツだけど… 赤ちゃんの頃から、尿意や便意をなぜか隠す癖があった息子。 幼稚園入園までのおむつ離れは叶わず、入園してもしばらくはトイレトレが続いていました。 しかし、“園ではお兄ちゃんパンツ”というルールと、先生方の協力(本当に本当に感謝しています)のおかげで、年中さんに上がるころには、パンツを濡らしてしまう失敗もなくなりました。 しかし…。 園から帰ってくると、おむつを履く息子。 ふ~っと一息つきながら、いそいそと自分でおむつを用意し、しっかり履く息子。 「今日もパンツ濡れなかったでしょ? おうちでも大丈夫じゃない?」 黙って首を横に振る息子。 息子の心は固く決まっていました。 パンツは確かに濡れていないし、トイレに行きたくなったら自分でちゃんと行けるようになりました。 夜だってトイレにひとりで起きてくれるくらいです。 でも、おむつを履きたいのです。 オムツが切れれば踏ん切りがつくかも、と息子に相談してみると…。 「おトイレ上手になったから、もうオムツ買わなくていいかな?」 「だめ!!!!!」 何度このやり取りをしても、息子は必死の抵抗でした。 普段はクールな息子の必死な姿。それは、決して無視できないものでした。 園では失敗もせず、涼しい顔でお兄ちゃんパンツ生活をしている。 これはある種のオンオフだと、私も受け入れることにしました。 ですが、ここからが長かった…。 ■パンツとおむつの二重生活 園ではパンツ、家ではおむつの二重生活は続き…。 息子はもうすぐ小学校に入学、というところまで来ていました。 さすがにこのままではまずいのでは…と焦り始める私。 新しいカッコいいパンツを買い、息子をオムツ離れに誘導する作戦をもくろみます。 「もうすぐ小学校だし、新しいパンツ買おっか! 好きなキャラにする?」 「うーん…」 あまり乗り気でない息子。 ここまで渋るのには、どうしようもない理由があるはず….。 「パンツ、何がイヤだった? まだ…ちょっと怖い?」 「ヒーローパンツ…」 「それがどうした?」 「ママが買ってくれたヒーローパンツ、ぬらしちゃったのがいやだった…」 「え…」 「かなしかった…」 息子の話によると、当時息子が大好きだったヒーローのパンツ。 息子の自信につながれば…と購入したのですが、それをトイレ失敗で濡らしてしまった衝撃と自責の念が、いまだに彼の心に残っているそうです。 私が「そっか~!」と軽く流してしまった一方で、まだ半分赤ちゃんだった息子が、ものすごいショックと罪悪感を抱いてしまっていた…。 それは私にとっても衝撃の事実でした。 以前からしっかり者で、お姉ちゃんの手助けもしてくれるくらい頼もしかった息子。 その心の中には、どうしてもおむつとさよなら出来ない理由が確かにあったのです。 「そっか…」 それだけ、あのパンツを大切に思ってくれていたんだ…。 その事実に、踏ん切りがついたのは私の方でした。 「よし、そうまが“もういいや”って思えるまで、このままでいよう!」 ■コッソリおむつ生活は小学校でも続き… 自転車の補助輪があっという間に外れる子、なかなか外れない子がいるように、体の成長はしていても、心に不安があると、先に進むのはなかなか難しいものです。 それは、心が成長していないのではなく、心が成長しているからこそ生まれる“不安”。 息子のこれも、息子が心が成長している証拠! そう、前向きに捉えることにしました。 こうして、息子は小学校に上がっても、帰宅するとオムツを履くという、秘密の生活が続きました。 ですが、徐々に足も長くなり、おむつもきつくなっていきます。 ……が、今は種類もサイズも豊富! 大丈夫! 過ごしやすい春があっというまに終わり、暑い夏がくると…。 「昼間は蒸れてかゆくなるから、パンツでいよっか」 「うん!」 夏休みで昼間も家にいる日々が続き、自然と家でパンツを履いている習慣がつき…夏休みが終わっても、遊び疲れて、着替えも忘れる日が多くなり…。 いつの間にか、息子の二重生活は終わりを迎えていました。 命にかかわる悩みではないと頭ではわかっていても、この先、冷やかされるのではないか、いじめられるのではないか…そう思うと、焦ってしまうのが親心。 ですが、うちの息子を突き動かしたのは私ではなく、やはり一番大きかったのは“本人の自信”だったと思います。 「もう大丈夫だ! いける!」 そう思えるようになるまでの時間は、本当に人それぞれ、子それぞれ。 それを教えてくれた、息子とのエピソードでした。
2024年10月27日■息子、衝撃の口の中 それはある昼下がり…昼食後に息子が爪楊枝を手に、渋い顔をしていました。 「ママ…なんか歯に挟まってる…?」 そう言って口の中を見せてきた息子。 のぞいてみると…。 歯の後ろに、確かに何かがある…ん…? 挟まっている、というよりも…。 は、歯が…! まだ乳歯が抜けていないのに 歯が生えてきてるーーーー!! ■乳歯の裏から永久歯が! それは大人の私でも初めて見た光景でした。 かわいい乳歯の後ろから、これまたかわいい永久歯がひょっこり顔を見せている。 二重に並んだその歯はまさにサメ。かわいいサメでした。 しかし、そんなことは言っていられない。 このままじゃきっと大変なことになる…! 「前の歯、グラグラしてる? 抜けそう…?」 「ぐらぐらしていない…」 確かに乳歯に触れてみても、グラグラどころかビクともしない。 このままでは、乳歯に邪魔をされて永久歯が生えてこられないはず。 もしくは、永久歯がこのまま乳歯を持ち上げてくれるのか!? なんにせよ、私は素人。 あれこれひとりで画策しても仕方がありません。 私は息子と心配する娘を連れ、かかりつけの歯医者さんに向かいました。 ■歯医者さんの回答は… ドキドキで歯医者さんに向かい、待合に娘を待たせ、診察台に息子を寝かせると、先生は…。 「あーこれは…抜歯だね」 ニコニコ笑顔でそう言いました。 ば…抜歯ーーー!! 先生によると、これはそれなりにポピュラーなトラブルで、歯が生え変わり始めるまさに今、6歳頃に生じる問題なのだとか。 重なっている乳歯がぐらつき、抜けるそぶりをみせていれば、経過観察にもなるそうですが、息子の場合はガッチガチ。 抜ける気配がまったくありません。 このままでは炎症を起こしてしまったり、歯並びにも影響する。 しかし、息子はオペ経験もなく、しかも抜かなければいけない歯は二本。 なかなかハードな抜歯術になるはず…。 母である私が焦る中、先生は優しく息子に語りかけます。 「大変かもしれないけど、今日2本抜いちゃった方が楽かもしれない。でも、イヤだったら今日は1本で、また落ち着いたら次やろう。君の好きにしていいんだよ」 優しいーーーー! この優しさに惚れて、ずっとお世話になっている歯医者さんです。 本当にありがとうございます。 息子の回答は…。 「にこ、やる…」 息子はしっかり先生を見て、そう頷きました。 ■息子、初めての抜歯… 抜歯はまず麻酔作業から。 麻酔も注射での投与になるため、息子も針を見て静かに焦っていました。 しかし何も言わず、“痛かったら手をあげる”という指示に従いながら、黙って施術を受ける息子。 乳歯は思っていたよりも根深く力強く、揺さぶったりねじったり…傍から見ていると半ば大工仕事です。 今まで娘は順調に歯の抜け変わりを迎えていたため、息子がこんな苦労をすることになるとは思ってもいませんでした。 昔から固いものが好きでスルメを愛してきた息子。 アゴに良い生活はしてきたはずなのにこうなるとは、本当に子どもの成長はわからないものです。 何度も麻酔を追加しながら、何度も手を挙げながら、決して弱音は吐かず、泣くこともなく、格闘すること20分。 やっと戦いが終わりました。 驚くことにその乳歯は、とても長く鋭利でした。 なんでも、普通なら下からやってくる永久歯が乳歯の根元を溶かしていき、短くなり、ぐらついて抜けていくものですが、今回は位置がずれてそれがなかったため、乳歯が長いまま埋もれていたそうです。 だから、ビクともしなかったんだ…。 歯茎には深い穴がポッカリ開いていましたが、息子は抜けた乳歯をキラキラとした目で見ていました。 がんばったね…! またひとつ、お兄ちゃんになったね。 戦いを終えた息子をたたえていると、そこに歯科助手さんが焦った様子で駆けてきました。 「すみません、お姉ちゃんが心配しているので、行ってあげてくれますか…!?」 え…!? ■息子の抜歯で涙したのは… 急いで待合にいる娘のもとに向かうと、確かに娘はちぢこまり、不安そうな顔をしていました。 「ど、どうした…!? いま終ったよ…!」 「だって…“出血が多い”って声が聞こえて…!」 確かに、なかなかハードな戦い。 出血は少量ではなく、歯科衛生士さんはそう言って、先生とリスク管理をしてくださっていました。 その発言が、現場を直接目にしていない娘の耳にも届き、心配性の娘の想像を掻き立ててしまっていたようです。 「ひとりにしてごめん…! そうまは元気だよ!」 「そっか…よかった」 いつもは弟に対してクールな娘も、息子のはじめての大騒動に、内心不安でいっぱいだったのかもしれません。 処置を終えた弟の顔を見て、一安心…。 そして、車に乗り込み、弟に抜けた歯を見せてもらった時でした。 「よかったぁ…そうま死んじゃうのかと思った…」 大粒の涙をこぼし始める娘。 そ、そんなに…!? びっくりしつつも、息子の強さ、娘の愛の強さ…何より、患者だけでなく付き添いの人間の様子にまで気を配ってくださるクリニックのみなさんの優しさを再確認できた、思い出深い一日となりました。 ちなみに、乳歯の後ろに生えてきていた永久歯ですが、抜歯後は前の歯列に自然と移動していきました。不思議…! ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2024年09月27日この夏は、息子も小学校に上がったことで、ダブル宿題パンチの夏休み。 昔に比べると毎朝のラジオ体操のノルマや、たくさんの宿題に追われることも少なくなり、楽になったとは言えるのですが…。 在宅ワーカーの私は毎日の食事の準備と宿題の指導、そして、贅沢はできないけれど、楽しい体験をさせてあげたい…という使命感に燃えていました。 休みが取れない夫の代わりに、息子念願の東京駅に連れていったり、映画を観に行ったり、娘が行きたがっていた遠くのショッピングモールやお祭りに行ったり。 それなりに、絵日記のネタには欠かない夏休みを送っていました。 そんな中で、一番経験させてよかったと感じたことは…。 カブトムシ捕り!! ■息子のためにカブトムシ捕り! 何を隠そう、私は虫が苦手です。 息子が虫好きになって努力はしたのですが、やっぱりまだ、触ることはできませんでした。 それでもって、成長するにつれて虫が苦手になってきた娘。 去年、捕まえたカブトムシやクワガタを最後まで飼ってはいたのですが、愛情よりも義務感が勝っている感じがあったのです。 ですが息子は 「去年よりデカいクワガタを取る!!」 と燃えている。 夫は私以上に虫がダメ。 私が行かなきゃ誰が行く。 そんな感じで、まだお留守番に不安があるお姉ちゃんを連れて、3人で夜の虫捕りに行くのでした。 ビビりの私は虫よけ・長靴・フル装備。 YouTubeで虫捕りの勉強していた息子は、言わなくても長袖長ズボンです。偉い。 ■地元の方から有力情報を得た 初めて行く林や公園には昼間のうちに前もって下見に行くのですが、地元の方が話しかけてきてくださり、「ここは早朝に全部業者の人が捕っていく」とか「あそこにスズメバチの巣があるから夜がいい」などの情報をくださいました。ありがたい…! そんな情報を踏まえて到着すると、カブクワが集まる木へ最短距離で向かいます。 虫はおろか、夜の林にビクビクの娘は虫捕りどころではないのですが、木にはカブトムシとクワガタがしっかりいます。 狩猟本能が夫より強い私は、時に動かず耳を澄ませ、時に網を投げ、確実に虫をGETするスキルを培っていました。 そう、ここはまさに遊び場。 自然の、ゲームセンターや~~~!! 息子からの羨望のまなざしは、実にうれしいものでした。 絶対にクワガタ以外も落ちてくるので、木を蹴ることは私はしません(大きなクモやムカデもいるため、注意!)。 ■夜の林では思わぬ出会いも… そんなこんなで、今年も10匹近いカブトムシとクワガタをGETして飼育しているのですが、思わぬ出会いがありました。 それは、 セミの羽化 の現場です。 陽が暮れる夕方頃になると、土の中からセミのサナギが現れ、一生懸命、木を探してよちよちと歩いていきます。 その間に鳥に食べられてしまったり、踏みつぶされてしまったりするサナギもいます。 林や公園にも、事切れ、アリに集られているサナギが何匹かいました。 そして、やっとのことで木によじ登り、夜、セミは羽化していきます。 その姿の美しさには、虫が苦手な娘も感動し、虫が大好きな息子はもう、言葉を失うくらいでした。 夏になると当たり前に現れると思っていたセミが、こんな熾烈な戦いを経験し、必死の思いで羽化して生まれてきたということは、この現場を目の当たりにしないと、なかなか知ることができません。 そして、子どもを産むことを経験させてもらった私にとっては、その命の誕生の壮絶さ、尊さを改めて思い出させてもらう場面でもありました。 今いることは当たり前じゃない。とんでもない奇跡。 セミは、こんな壮絶な誕生を迎えても、その命は1カ月程度と言われています。 そんな中、私は我が子とこんなに長い時間、過ごせている。 そのありがたさを噛み締めながら、今日もたくさんの昆虫ゼリーを交換するのでした。
2024年08月27日忙しい日々の中で、私には最近、ある悩みがありました。 それは… 便秘。 去年からダイエットを始め、食べる量が減ったせいかとも思っていたのですが、食物繊維は多く摂っているし、水分もたくさん摂っている…。 なのにそれは、産みの苦しみのような苦痛を伴うようになっていました。 ■食事には気を付けているのに… しかし、その便秘。 友人に誘われカフェやファミレスに行くと、なぜか便意を催す、という不思議な現象が現れるようになっていました。 おいしいコーヒーやパンケーキを食べにきたのに、なぜかトイレに駆け込むことになる。 友人にもお店にも申し訳ない、憂うつな状態に私はかれこれ半年以上、陥っていました。 ある日、持病でお世話になっている主治医の先生に、そんな状態をポロっと話した時でした。 主治医の先生から、思わぬ言葉が飛び出たのです。 「あーそれ、家でリラックスできてないんだよ」 えっ…? ■お母さん特有の職業病 家でリラックスできていない…? どこよりも居心地の良いはずの自宅で…!? 突然の発言に私が言葉を失っていると、先生は続けます。 「たんこさん、前から“家では血圧が高い”って言ってたよね?」 「は、はい…」 私は毎月の通院の度に病院で血圧を測るのですが、これが不思議なことに、自宅で測るより低く出るのです。 肢位を変えても血圧計を変えても、自宅の方が血圧が高い状況は変わりません。 一般的には、病院や白衣に対する緊張感で病院で計測すると血圧が高くなってしまう、 “白衣高血圧” が多く知られているのですが、私はなぜか病院で計測する方が血圧が低いという不思議な現象がもう10年近く続いていました。 長い闘病生活で病院慣れしてしまい、 「病院ならぶっ倒れてもどうにかなる!」 という安心感のせいからかな…? と思っていたのですが、まさか、 家でリラックスできていない せいだとは…。 「似たようなもので、職場で血圧が上がる “職場高血圧” ってものがあるんだけど、お母さんって自宅が職場みたいなもんでしょ? それで、臨戦態勢になってて…」 た、確かに…。 私は基本、在宅ワーカー。 家事育児、仕事も自宅で戦うことになります。 「血圧が高くなるだけでなく、排便ってものはリラックスしてないとできないから、 交感神経優位 という戦闘モードだと、出ないんだよ」 せ、戦闘モード…! ■なかなか一息つくのが難しい 確かに私は、家だとずっと戦闘モード。 せっかちで心配性な性格も影響し、家ではずっとガサガサ動いていて、横になってゆっくりテレビを見る、ということもできない性格です。 無論、一番の排便チャンスである朝なんて、ゆっくりトイレに入ることもできません。 確かにこれでは、副交感神経なんて、便なんて出てきやしない…。 だから、ホッと一息つけるカフェでリラックスして催してしまっていたのか…。 結局、このお話によって私は整腸剤をいただくことになったのですが、戦闘モードにより無意識に便意に 『すっこんでろ!!』 してしまっている私にとっては、あまり決定的な解決策にはならず。 あくまでも、自宅でホッと一息をつけるようになることが、一番の解決策だそうです。 もちろん、便秘ひとつでも重大な疾患が隠れている可能性があるので、 まずは病院を受診することが第一 なのですが、こういうパターンがあるということも覚えておいていただきたいな、と思います。 私も念のため大腸カメラをしたうえで、先生から“リラックスできていないだけ”と太鼓判を押していただきました。 子どもたちも、まだまだ目を離すと何をするかわからないし、遊ぶにしてもケンカするにしてもにぎやかな我が家。 穏やかな時間を過ごすことは、なかなか難易度が高いのですが、少しずつ一息つける時間を作っていこうと思います。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2024年07月27日前々回 、お姉ちゃん念願の“弟と一緒に小学校に登校”が、息子の寝起きの悪さにより叶っていない、と書いたばかりなのですが…。 このほんの数カ月で、娘にはある変化が起きていました。 そう、それは…。 “弟と登校なんて恥ずかしい期”です。 ■弟と登校なんて恥ずかしい!? 今年入学の息子も徐々に小学校生活に慣れはじめ、少しずつお姉ちゃんと一緒に朝支度ができるようになってきました。 そして、娘念願の“一緒に登校”も、叶うようになったのです。 しかし、娘の様子がおかしい。 しゃべりながらゆっくり歩く息子に対して、娘はスタスタと早歩きし、先を行ってしまいます。 そこまで時間はひっ迫していないのに、ゆっくりおしゃべりしながら登校なんてどこ吹く風、娘は息子との距離を徐々に伸ばしながら、歩いていくのです。 (何かイライラしてるのかな…) そう思いつつも、ツッコむ隙もなく数日たち…私は勇気を出して、娘に問いかけてみました。 「朝、もうちょっとゆっくり歩けるかな? そうまがなかなか追いつけなくて、転んじゃったら危ないし…」 すると…。 「だって…弟と歩くの、恥ずかしいし…」 き… 来たーーーー!! 突然来たーーーーー!! 家族と歩くの恥ずかしい期ーーーー!! 娘も気づけば小学5年生。 うっすら反抗期にも突入しています。 そんな娘、クラスメイトの尖った言葉に傷つくこともあるのでしょう。 弟…と言いつつ、本当はそれについてくる私が恥ずかしいのかもしれません。 それも仕方ない。そういうお年頃です。 「じゃあ、これからは先に行ってていいよ。そうまは私が送り届けるから、安心して!」 ほんの一瞬だった姉弟登校。 ちょっと切ないですが、これも成長の証です。 私は娘を先に登校させ、息子をゆっくり送り届けることにしました。 ■だけどお姉ちゃんの本心は… 姉と弟、別々に登校するようになり早1カ月…。 今まで小学校と幼稚園とで別れていたこともあり、息子は先を行く娘に、なんの疑問も持っていないようでした。 内心、私も2人が一緒に登校していくのが楽しみだったこともあり、ちょっとの切なさはぬぐえなかったのですが、2人とも毎日、元気に学校に行って、無事に帰ってくる、それだけで十分でした。 娘も徐々に甘えてくることが減ってきて、ひとりで近くの図書館まで遊びに行くことも増えました。 毎日、着実に成長していく娘。 これからは家族よりも友だちと過ごすことが増えていく…そんな気配がしてきました。 …と、思っていたのですが…。 「今日、そうま滑り台で遊んでたよ」 「今日、廊下ですれ違った!!」 「今日、女の子に話しかけられてたの!!」 帰宅してきた娘から出てくるのは、日々の息子の行動報告。 弟の様子なんて興味ない! と言いつつ、息子の目撃情報を、うれしそうに語ってくる娘。 「へぇー! そうまはみーちゃん見えた?」 「んー…しらない」 そして、意外とそっけない息子。 あれ…? 息子の方が結構クール…? 何より決定打だったのは…。 「そうま、帰るの早いんだよ…!」 低学年と高学年、普段は下校時間に差があるのですが、週に一度だけ、下校時間が同じ日があるのです。 その日はうまくいけば、2人で一緒に帰ることができる。 それをわかっている娘は、下校前に必ず息子の下駄箱をチェックし、待機。 うまくいくと、一緒に帰ることができるのです。 …って、一緒に帰るのうれしいんじゃん…!! ダッシュで帰宅する、意外とクールな息子を取り逃す日もあるのですが、確保に成功すると、相変わらず足ばやではありますが、しっかり手をつないで帰ってきてくれる娘。 なんだかんだ弟が同じ学校にいることがうれしい娘の様子を知ることができて、ほっこりした母なのでした。
2024年06月27日それはまだ息子が幼稚園にも入っていなかった頃…。 連日のワンオペ育児に、子どもの成長を喜びながらもクタクタの毎日でした。 たまに夫に子どもを任せて休んでも、結局、夕飯を作るのは私しかいません。 なかなか疲れが取れない中で、次第に心も疲弊していきました。 ■義実家帰省…夫のまさかの提案 そんなある日、義実家への泊りがけの帰省が決まります。 夫の実家となると、お酒を飲み親戚兄弟と談笑に励む夫に幼い息子を任せるわけにもいかず、私は必ずついていき、台所仕事を手伝いながら親戚の子どもたちを見ていなければいけないという、疲れた体にはなかなかハードな行事となっていました。 正直、キツイ…。 でも、行かなければ…。 そんな思いでいると、夫が…。 「その日は俺が子どもたち見てるから、どこかでゆっくりしてきていいよ!」 まさかの、ひとり時間の提案!! 「ほ、本当に…!?」 やったーーーーーー!! …とガッツポーズをしたいところですが、 私は心配性。 本当に大丈夫だろうか…。 談笑に花が咲いて、子どもが取り残されないだろうか…と、すぐに不安でいっぱいになりました。 大人の数は多くても、未就学児は息子ひとりだけ。 集まる家族はみんな楽しくて優しい方ばかりだけど、子どもは自由に遊んでてー! といういつもの空気に息子を放り込むには、まだ少しの…いや、結構な不安がつきまといます。 しかし、夫はなぜか自信満々。 若干やらかし王の傾向があるにせよ、ここまで言ってくれる夫を信頼しないのは、悪いことです。 ここは夫に子どもたちを任せ、ひとり時間で体と心を休ませることにしました。 そんなこんなで義実家帰省当日。 私はドキドキでビジネスホテルの予約を取り、息子としばしの別れ…。 「本当に本当に気を付けてね! 目、離さないでね!!」 必死に夫に注意事項をぶち込み、義実家を離れました。 ■自由時間! しかし脳裏に浮かぶのは…? 久しぶりのひとり時間…!! 私は近くのショッピングモールに行き、久しぶりに喫茶店に入りました。 子どものトイレやぐずりを気にせずに、ゆっくりコーヒーを飲む…。 久しぶりの、信じられないくらい静かな時間でした。 しかし…。 「大丈夫かな…」 脳裏に浮かぶのは、子どもたちのことばかり。 仲良くやってるかな…泣いてないかな…ケガしてないかな…。 ソワソワしながらも、私はひとりの時間を静かに味わいました。 そして、ホテルのチェックインの時間。 私はスーパーで大量の総菜とお菓子、そして一本の缶チューハイを買い込み、ホテルに突入。 念願の、ひとりビジホ…!! ベッドが置いてあるだけの小さい部屋でも、ひとりきりなら十分でした。 パソコンでの仕事はひとまずあとにして…大画面のテレビをつけ、ベッドに飛び込み、私はスナック菓子の封を開けました。 そのとき….。 スマホが鳴りました。 ■夫からのまさかの着信は… ひとり時間に水を差す着信音。 しかし、そんなことどうでもよかった。 「こ…子どもたちに何かあった…!?」 私は急いで電話に出ました。 「もしもし…!?」 『あの…』 『飲みすぎて吐き気が止まらなくて…』 『みーちゃんはひとりでもなんとかできるらしいけど、そうまは迎えにきてほしくて…』 は…、はぁ…!? まさかの夫からの電話は、息子を引き取りに来てほしいという泣き言でした。 日も暮れた暗闇の中、私は車を走らせ義実家へと舞い戻ります。 いろいろと言いたいことはあるが…お酒を飲む前でよかった。それだけ。 義実家の門をたたくと、中からは困り顔の義弟と子どもたちが出てきました。 「パパね! トイレでずっとゲーしてるの!」 うん、想像はつく。家でも何回もやらかしてる。 ごめんね~と苦笑いのみんなを前に、私は荷物をまとめ、迷惑をかけてしまったことを謝罪して回りながら、息子の手を引きます。 いとこたちとのお泊まりにノリノリな娘と、いとこたちと楽しく遊べたとはいえ、父親の異変に不安顔の息子。 奥からのそのそやってきて「ごめん…」とつぶやく夫にいろいろな感情は沸き立つものの、ここは義実家。 私は早々に息子を連れホテルへと戻りました。 「(何が俺が子どもを見てるから~だ…見てないじゃん…!!)」 怒りはふつふつと沸き続けます。 しかし、ホテルに到着すると…。 「わ~!! きれい~!!」 ひさしぶりのホテルに、目をキラキラと輝かせる息子…! 「おふとんすごいーーー!!」 ふかふかのベッドに大喜びの息子。 ホテルに大はしゃぎの息子に、怒りはあっという間に消え去り、初めてのふたりビジホを、存分に満喫するのでした。 この日のことは今も重大インシデントとしてわが家に刻まれ、夫も義実家帰省で深酒をすることはなくなりました。 しかし、これは娘の心にも深く刻まれた出来事らしく、ことあるごとに 「パパあのとき、ずっとゲーしてたよね!」 と夫をつついています。 楽しいけれど、アクシデントも起こりやすい帰省。 少し手は離れたとはいえまだまだ危なっかしい子どもたちを守るために、これからも目を光らせていこうと思います。 そして何より…子どもとビジホ、なかなか楽しいのでオススメです。
2024年05月27日うちの息子もこの春小学校に入学し、子どもは二人とも小学生になりました。 そう、念願の…。 お姉ちゃん念願の“弟とおててつないで登校”がついに叶う日がきた!! と、思っていたのですが…。 ■念願の弟の入学 子どもたちも成長し、立派な自我が芽生え、最近では激しいケンカもするようになったうちの姉弟。 しかしなんだかんだ仲良しで、娘は弟がかわいくてしょうがないし、息子はお姉ちゃんに憧れを抱いているようでした。 そんな中での、息子の入学。 息子はお姉ちゃんと一緒に学校へ行けるのを今か今かと待ち望んでいました。 そして娘も、学校で弟と会えるのが楽しみで仕方ない様子でした。 が、しかし…。 そう、うちの息子は… 寝起きが悪い…!! 娘は声をかければスッと起きてくれるタイプなのですが、息子は正反対。 どれだけ声をかけても どれだけゆさぶっても たとえ体を起こされようが 起きない!! 仕方ないので、幼稚園のときは寝たままの息子を担いで階段をおり、なんとかリビングに運んでいたくらいのレベルだったのです…。 ■起きない息子 すっかり自立し、自ら身支度をしてくれる娘に対して、ひたすら起きない息子…。 なんとかリビングテーブルに座らせるも、朝食もゆっくり。 次第に、真面目な娘も苛立ちはじめる…。 「遅れるから、もう行くね!」 そう言って、後ろ髪をひかれながらも登校していく娘。 そんな中でやっと朝食を終え、ゆっくりトイレにこもり、着替える息子…。 でも、まあ、全部ひとりでやってくれるので、とーーーーっても楽なのですが…。 こうして今日も、母と二人、登校していく息子。 こんな息子がお姉ちゃんと一緒に登校できるのは、もうちょっと先かもしれません。 ちなみに、あまりの眠りの深さに何か疾患でも隠れているのかと心配していたのですが、休日になると…。 オフの日になると、なぜかものすごく早起きな息子。 オンとオフのクセが強いだけのようです。
2024年04月27日外出中のヒヤリハット。 それは、子育てをしていれば…というか、生きていれば、誰にでも経験があると思います。 今回は子ども二人とのお出かけ中に、思わぬ事故に巻き込まれそうになった話です。 ■スロープ式のエスカレーターで… わが家の子どもたちはお出かけが大好き。 同じくお出かけが大好きな母なので、夫の休日出勤時にも遠出をすることがよくあります。 この日も、車で2時間近くかかる場所のショッピングセンターへと、三人でやってきました。 この場所は、私は一度来たことがあるものの、子どもたちは初めて。 うれしそうにさまざまなお店を見て回りました。 そのショッピングセンターのエスカレーターはスロープ式。 オートスロープ と呼ばれるもので、ショッピングカートのまま階層の移動ができるという、とても便利なものです。 子ども向け施設の多いこのショッピングセンターでは子連れ客も多く、ベビーカーもよく見かけます。 よく考えられているな~と感動しながら、私たちもオートスロープへ。 目の前には子ども二人が乗ることができる大きなベビーカーを押すお母さんと、子どもを抱いたお父さんが乗っていました。 私は息子の手をつなぎ、私の後ろには娘。 次はどこにいく~? なんて話しながら、のんびりと次の階へ降りようとしていた、そのとき…。 ガタガタガタッ!! お母さんの様子がおかしい。 ベビーカーがスロープの降り口に引っかかっている…!? ■スロープ出口にベビーカーが!! しかし、スロープは止まりません。 私は息子と娘の手を引き、急いで後ろへと走ります。 まずい! このままじゃぶつかる…!! ベビーカーを引き上げるのを手伝おうにも、こちらからは何もできません。 「ヤバイ!」「ベビーカーが!」そんなざわつきが巻き起こる中、私は必死に子どもを引っ張り、押し上げ、逆行して逃げました。 幸いにも私たちの後方にはしばらくお客さんがおらず、距離を取ることができ、その間になんとかベビーカーも地上へと降り立っていました。 「あ、あぶなかった…」 「びっくりした~」 子どもたちも突然のことにびっくり。 なんとか無事フロアに到達し、一安心していると…。 「何してんだよ!!」 そのベビーカーの前にいたお父さんが、真っ先にお母さんを怒鳴り散らしていました。 「(え…ええ…!? 大丈夫か? とかじゃなくて…?)」 私も必死だったけど、ベビーカーを押していたお母さんだって、怖くて、必死だったはず…。 そのお母さんを気遣う言葉ひとつもなく、怒鳴り始めたお父さん。 突然の出来事にドキドキする私たちの一方で、今にもケンカが始まりそうなご家族。 私はそのような状況のなか、声をかける勇気も余裕もなく、意外とケロッとしている子どもたちに手を引かれ、立ち去ることになってしまったのですが…。 ショッピングカートのまま乗れる! と銘打ったオートスロープでも起きてしまったヒヤリハット。 しかし、このオートスロープ。ショッピングカートのまま乗ることはできても、 “持ち込まれたベビーカーは危険があるので乗せないでくれ” という注意書きがしっかりとされていました。 エレベーターを使うとなると距離があったり、待ち時間が長かったり…いろいろと不便はあると思いますが、やはり、何物も命には代えられません。 ベビーカーもあのまま引っかかっていたら大変なことになっていたと思いますし、もし混雑時で逃げ場がなければ、私たちも巻き込まれてケガをしていた可能性があります。 私たちだけでなく、将棋倒しでたくさんの人が巻き込まれていたかもしれません。 やはり、 注意書きにはすべて意味がある! という気持ちで、しっかり確認することが大切だと実感しました。 また、ベビーカーを卒業した私たち家族も、何かがあったときのために前後の人と少し距離をもって乗ることを普段から心がけていこうと思いました。 そして何より、ベビーカーの方がエレベーターを迷いなく選択できるように、譲ったり、手助けしたり…そういうことを、周囲の私たちが続けていくことも大切だと感じました。
2024年03月27日■入学した娘に筆箱を… あれはもう四年前。娘が小学校に入学するときのお話です。 ランドセルや算数セットなどの学習用品を買い集める中で、私には楽しみにしていたものがありました。 それは… 筆箱!! 鉛筆が一本一本収納できる、あの“ザ・小学生”な筆箱です。 娘を文具屋さんに連れていき、お気に入りのデザインのものをひとつ購入。 どれも色とりどりのステキなものばかりで、悩みに悩んで選んだそのひとつは、私にとってもかけがえのない筆箱になりました。 こうして始まった娘の学校生活。 しかし、それには思わぬ盲点がありました…。 ■鉛筆が消えていく…!? しばらくすると、その兆候は現れました。 毎日、鉛筆が削れているか、短くなっていないかのチェックの中で…。 鉛筆が減っている…? 娘に鉛筆の在処を聞いてみると、「わからない…」とのこと。 このときはまだ学校も始まったばかりだし、忘れ物のひとつやふたつあるだろうと特に気にせず、新しい鉛筆を補充していたのですが…。 これが毎日、消えていく…。 そこで、ランドセルをチェックしてみると…。 ランドセルの内ポケットにたくさんの鉛筆が…!! ■ザ・筆箱の盲点 私には思い当たる点がありました。 療育センターで “ADHD寄りのグレーゾーン” と診断を受けていた娘。 身体的な多動傾向はないものの、精神的な多動傾向は見られ、集中することが少し苦手。 保育園時代も、ほかのことに気を取られ、忘れ物や聞き忘れが多々ありました。 小学生になってからも、何かをしているときに声をかけられたり、他のことが気になったりすると、今までしていたことが中断されてしまったり、何をしていいのかわからなくなってしまったり…ということが多くありました。 娘がひとつひとつを真剣に取り組む努力をしていても、マルチタスクがちょっと苦手で、やるべきことが飛んでしまうところがあるのです。 そのことを踏まえて考えてみると…。 ザ・筆箱って…。タスク(課題)のかたまり…!! “鉛筆はここに入れなければならない” “消しゴムはここに入れなければならない” “定規はここ!!” フタを開ければ、そんなミッションだらけです。 娘は、先生の言葉を聞きながらも、学習内容を必死に理解しようとしながらも、筆箱の幾多のミッションもクリアしなければならない。 それはもう、娘にとってはとてつもないタスクで、重圧だったと思います。 母は子どもふたりに一斉に話しかけられただけで「ちょっと待って!」となってしまうのに、娘は学校の授業中に、頭の中でたくさんの指令を受けていたわけです。 でも、決して先生にストップはかけずに、静かに静かに、焦っていたのだと思います。 そして、鉛筆を筆箱に収めるどころではなくなり、とりあえずランドセルに押し込めていた。 そんな娘の心情を思うと、胸がギュッと締め付けられました。 ■筆箱を変えた後は… その後、娘と相談をして、筆箱をファスナー形式のペンケースに替えることに。 低学年だとまだ周りは筆箱が多く、娘はちょっと抵抗があったようですが、その効果はてきめんでした。 鉛筆も消しゴムも定規もひとつのところに入れれば大丈夫! というペンケースは、娘にとって最高のパートナーになり、鉛筆が知らぬ間に減っていることもなくなりました。 ひとつひとつのものを大切に、あるべき場所に収納する、ということを教え、身につけさせてくれる筆箱。 その存在は大切ですし、今年小学生に上がる息子にもばっちり購入しました。 でも、子どもの特性によっては、それを扱うのがとても大変なこともあるのだと、娘は、そしてあの筆箱は、教えてくれました。 そのことを考えると、あのときに買った筆箱も、私と娘にとっては大切な宝物です。 もし、お子さんの鉛筆がなくなる、筆箱にちゃんとしまうことができない…ということがあったら、「筆箱が合ってない…!?」という場合もあるかもしれません。
2024年02月27日わが家の子どもたちはお風呂が大好き。 長風呂に付き合ってのぼせたことはあっても、お風呂イヤイヤで苦労したことはほとんどないので助かっています。 ■わが子たちとの思い出がよみがる そんな子どもたちはお風呂で遊ぶのも大好き。 これまで、水鉄砲やお人形など、いろいろなおもちゃで遊んできました。 今は、お湯の温度で色の変わるおもちゃや、お風呂の壁に貼れるおもちゃなど、その種類は多岐にわたっていて、おもちゃ屋さんに行くたびに感動しています。 うちも、いろいろと買ったなぁ…。 今年の春には下の息子も小学生になり、遊びの内容もだいぶ落ち着いてきて、わが子たちとの思い出がよみがえります。 バスボムの中のお人形が思いのほか小さすぎて、排水溝に流されそうになって発見されたり…。 ブーッと音が鳴るタイプのやわらかいお人形は、お風呂から出るとき、中の水の処理に苦労したり…。 お気に入りの水鉄砲は中に黒カビが発生してしまって、泣く泣く処分したっけ…。 そんな数々の経験の中で、わが家が行きついた遊び道具が2つあります。 まず、そのひとつは…! ■お掃除しやすく威力も抜群! よく、水あめが入った状態で売られている注射器型のおもちゃ! (シロップ薬を飲むのに使うシリンジでも可) これが、水鉄砲としても優秀で、威力も抜群! 子どもの手でもお湯の補給が簡単です。 シンプルな構造なので、もしカビや汚れが発生してしまっても掃除しやすいですし、2つに分けて干しておけば一晩で隅々まで乾いてくれるので、それほど汚れが発生することもありません。 ただ、細長く先端が尖ってはいるので、目をつついてしまったり、ケガをしたりしないように注意は必要です! ■どのご家庭にもあって、種類も豊富! そして2つ目は…。 何かの容器だったもの!! 食材が入っていたトレーでも、デザートカップでも構いません。 子どもに渡せば、それはいろいろな遊び方ができる立派な遊び道具になってくれます。 発砲トレーは水に浮くので、お船のようにお人形をのせて遊べますし、透明なカップはひっくり返して沈めれば、お水と空気の不思議な関係が見られます。 そして何より、わが家で長いこと人気なのが…。 何かの容器だったものを使った、お湯あふれさせたら負けゲーム!! これは空の容器に交互にお湯を入れ(うちでは前述のシリンジや手桶を使っています)、お湯をあふれさせたら負け、というシンプルなゲームです。 容器の質によって表面張力がちょっと変わったり、わずかな傾きが命取りになったり…。 これが、簡単ながら意外と白熱するのです。 まだまだ調節が難しい赤ちゃん期には豪快に、計算できるようになってきた幼児期には策略を交え心理戦に…と、わが家ではもう何年も、飽きもせず遊び続けています。 トレーやカップを使えば、劣化したり汚れてきたりしても、捨ててまた新しいものを使えますし、お風呂で遊ぶことを前提に、ちょっとかわいいトレーの食材を選ぶ楽しみも増えます。 そんな感じで、結局はシンプルなところに行きついているわが家。 しかしながら、おもちゃメーカーさんのアイデアには日々、感動しています。 たまには“お風呂おもちゃ”というごちそうで楽しみつつ…。 わが家は今日も、何かの容器だったものと注射器で、大興奮しながらお風呂に入ります。
2024年01月27日娘も小学四年生になり、学校生活もすっかり日常のものになりました。 しかし、私にはずっと気になっていたことがあったのです…。 ■気になる学校活動写真… 保育園では、ことあるごとにパニックを起こしてしまっていた娘も、小学校では落ち着き、得意な勉強も見つけ、気の合うお友だちとも出会い…たまにはつまらない日もあるかもしれませんが、ほとんどの日を楽しく過ごせているようでした。 そんな学校生活を保護者が垣間見ることができるのが、定期的に更新される “学校活動写真”。 自宅よりはちょっと固い表情ではありますが、娘の好奇心に輝く顔がみられる、貴重な機会でした。 しかし、その中でひとつ、私には気になっていたことがありました。 それは…。 遠足のお弁当の時間、娘がいつもひとりで食事をとっていたことです。 家では陽気に大騒ぎしている娘も、外では確かに大人しいほう。 学校の休み時間も折り紙やお絵描きで静かに過ごすことが多いそうです。 それなら確かに、お弁当の時間がひとりでもおかしくないかもしれない…。 かくいう私も二十歳を超えて入学した通信制高校で、三年間ずっとぼっちメシを味わいましたが、大好きな趣味と大好きなネット友だちがいたおかげで、特に寂しさを感じたことはありませんでした。 娘も、心に確かな何かがあれば、寂しさを感じていないのかもしれない…。 でも、でも…。 親はちょっと…気になってしまう…!! 親はちょっと、切なくなってしまうーーー!! 私は娘に直接、聞いてみることにしました。 すると…。 ■ぼっちメシの真相は… 「みーちゃん、遠足のお弁当の時間って…誰かと一緒に食べたりする?」 「…え? 誰かと食べていいの?」 え…? 「ええええーーーー!?」 なんと娘は、お弁当の時間に誰かを誘って一緒に食べることを、普通のことだとは思っていませんでした。 それもそのはず…。 娘が入学したのは新型コロナウイルスが出始めた年で、緊急事態宣言の真っ只中でした。 マスクを外せず、入学式も運動会も中止もしくは今までとは違うかたちで、何より給食が “個食・黙食” となったのも、娘の世代がはじまりでした。 私が子どもの頃、当たり前に机を4つ合わせてクラスメイトとしゃべりながら食べていた給食が、静かなものになった娘の世代。 聞いてみると、ほかのクラスメイトは声を掛け合い、一緒に食べているグループもあったそうです。 ですが、娘はそれを、 “本当はよくないことなのかもしれない…” と言う気持ちで見ていたようです。 思えば、母である私が免疫抑制者(病気の治療で免疫抑制しており感染リスクが高い)のため、感染症対策には人一倍気を遣ってくれていた娘。 その優しさと生真面目さの結果があの写真であったのだと思うと、母としては胸が締め付けられる思いでした。 こうして、お友だちと一緒にお弁当を食べていいと知った娘。 ついに再び、遠足の日がやってきました。 不器用な母の、あまり立派なお弁当ではないけれど…娘が楽しい時間を過ごせますように。 という思いをぎゅうぎゅうに詰めたお弁当を持って出かけた娘は…。 「今日、お友だちとお弁当たべられたよ!!」 満面の笑みで帰ってきました。 今回は、思わぬ勘違いで娘の行動が制限されることになってしまった、というお話でしたが、お弁当のことだけでなく、ほかにもそうなってしまう可能性はたくさんあると思います。 子どもなりの優しさで、親に心配をかけまいと、寂しさや苦しさを隠してしまうこともある中で、それに気づくためには、やはり日頃のコミュニケーションが大切だと痛感しました。 そして今回、それに気づかせてくれた“学校活動写真”には、とても感謝しています。 子どもの姿に幸せをもらえるだけでなく、子どもの異変に気づくきっかけにもなるかもしれない学校活動写真。 これからも大切に大切に見させていただこうと思います!
2023年12月27日うちの息子もいつの間にやら年長さん。 ■息子のラン活が始まり… 小学校入学を来年に控え、わが家もついにランドセル探し“ラン活”が始まりました。 息子に要望を聞いてみると…。 息子は開口一番 「ピンクがいい!」 と瞳を輝かせました。 確かに、以前からピンク色が好きな息子。 まあ、ありっちゃありかもしれない…。 あくまでも息子の気持ちを尊重しようと考えていたので、とりあえず、ショッピングモールのランドセル売り場に連れていくことに。 すると…。 ステキなランドセルがたくさんあるのを目の当たりにして、思いっきり目移りしている息子。 これは…まだちょっと揺れ動くかもしれない…。 普段の買い物でも「やっぱりあれがよかったかも…」が多い息子なので、ゆっくり時間をかけて考えることにしました。 ■時間をかけて、息子が選んだ色は… そして、夏休みも終わる頃。 これ以上ゆっくりしていると、ほしいものが見つかったときに品切れだったり、作るにしても間に合わないかもしれない…。 娘もこの頃にランドセルを購入したこともあり、わが家はランドセル購入を再び考えることとなりました。 息子に再び、聞いてみると…。 「赤がいい!」 どうやら、やっぱり黒や青ではないらしい…。 息子に聞いた上でカタログを探してみると、意外にも“黒地に赤ライン”というものは増えてきたようで、カッコいいものがたくさん見つかりました。 それを息子に見せてみると…。 「ちがう! ぜんぶ赤のやつ!」 なるほどーーー!! そうとなると、展示場やカタログを見た感じ、だいぶ選択肢は狭まります。 それと同時に、動揺する夫。 「えぇ…あ、青のだったら、1000円あげるよ!?」 なぜかお金で釣って息子の選択を変えようとする夫。 夫としては、身をもって小学生男子を経験してきた男です。 冷やかしやいじりの現場をたくさん見てきただけに、『息子が赤のランドセルをいじられて、傷ついたらどうしよう…』という気持ちがあったようです。 でも、息子の意思は固いものでした。 一瞬、1000円につられながらも、やっぱり改めてカタログを見れば、“赤がいい”となるのでした。 確かに、息子の好きなヒーローも、ロボットも、お寿司のまぐろも、いちごも、全部赤です。 冷やかされたり、いじられる可能性はあるかもしれない。 でも、そういうことをする子は、「そこ!?」という些細なポイントを見つけて、なんだって冷やかしてくるはずです。 もし、冷やかされて、息子が傷ついたら、コワモテの私とコワモテの夫があいさつに行くだけだ。 私は息子の選択を優先することにしました。 ■赤いランドセルが…なかなかない! こうして、息子の赤いランドセル探しが始まったわが家。 というか、私。 まず、息子にリサーチです。 「かわいい赤と、かっこいい赤、どっちがいい?」 「かっこいい赤!」 「黄色っぽい赤と、青っぽい赤、どっちがいい?」 「うーん…? かっこいい赤!」 とりあえず、かっこいい赤がいいらしい。 今はジェンダーレスランドセルといって、男の子でも女の子でも楽しめる、シックでおしゃれな色のランドセルも増えてきました。 そんな中から、少し落ち着いた赤のランドセルを発見! ワインレッドという感じの、シックな赤です。 これなら男の子でも全然いけるはず…! 見てみると…。 フタを開けた内張りが、ピンク…!! やっぱり、女の子仕様にできているようです。 ほかにも、ハートの刺しゅうがあったり、キラキラのファスナーアクセサリーがついていたり…私がほしいくらいのステキ仕様だけど、あくまでも“かっこいい赤のランドセル”がほしい息子のおめがねにはかないませんでした。 こうして、子どもたちとの嵐の夏休みを過ごしつつ、夜なべでランドセル探しを続けた結果…。 ついに、念願のかっこいい赤のランドセルを発見! 無事に、購入することができました。 落ち着いたワインレッドで、高学年になっても飽きのこないデザインです。 実母にそれを報告すると…。 「え、赤!? キャンセルできないの!?」 やはり、親・祖父母世代に定着した“男は黒、女は赤”というイメージはなかなか固く、厳しい言葉が飛んでくるのでした。 しかし、実際に息子が背負った写真を見せると「意外といいかも…!」と好印象。 そんなこんなで、わが家のラン活は無事に完了したのでした。 色とりどりのランドセルが増えた現代でも、なかなか探すのが難しかった、かっこいい赤のランドセル。 それと同時に、大人が抱いているイメージの残酷さにも気づかされるラン活でした。 どんな色のランドセルでも、たくさんの夢と希望がつまったわが子が背負うのは一緒です。 どうかこれからも、子どもたちが大好きな色を身に着けることができる世の中でありますように!
2023年09月27日■前回のあらすじ 事故から1年が経過しても、加害者から謝罪のひとつもありませんでした。加害者に逃亡の恐れがないことから、逮捕はされないそうです。ですが、夫の顔には今も消えない傷が残っていて…。 ■突然やってきたハガキ 事故から1年半近くたち、相手には請求できないだろうし事故を思い出すから…と、レシートも処分してしまった頃、加害者の自賠責保険から36,000円が振り込まれるというハガキがやってきました。 これは慰謝料扱いで、怪我の程度と入院・通院期間で計算されるようです。 こちらは諦めて何もアクションを起こしていなかったので、1年半がたち、やっと加害者側が動いてくれたのかもしれません。 しかし、夫や私たち家族が受けた精神的なショックやダメージを考えると36,000円というのは、なんとも切ない金額でした。 これがたとえ10倍であっても、100倍であっても、この切なさやもどかしさは消えなかったと思います。 私たちは何より、「傷つけてしまってごめんなさい、これから気をつけます」という、 加害者の謝罪が欲しかったのかもしれません。 そして今、夫の身体に残るのは、頬の3本の傷だけ。 ところが、子どもたちも事故のことを忘れつつある頃…また夕飯時に、夫の帰りを待っていると、スマホが鳴りました。 画面には“警察署”という文字。 前回の事故とは違う管轄の警察署です。 “まただ……!” 一気に私の心臓はバクバクと拍動し、冷汗が吹き出します。 また、事故だ…。 もう、二度目はない…もう、今度はダメだ…。 皮肉にも、その日は事故のあった日と同じ、木曜日でした。 ■過去のつらい記憶 恐る恐る通話ボタンを押し、震える声で応対すると…。 『すみません、間違い電話だったようです』 間違いかい!! ホッとしながら、私は泣きました。 思い出すのは、亡くなった父が警察署に安置されていたこと。 長いひきこもり生活からの社会復帰を支えてくれた友人が社会復帰早々、亡くなった連絡を受けたこと。 もう、あんな思いしたくはない…。 私は声の震えがおさまった頃、やっとリビングに戻り、先ほどの間違い電話のことを笑って話すことができました。 とはいえ、人生で家族や大切な人たちとの別れは避けられません。 そう思うと、つらくて、怖くて、不安でたまらないのですが、今まだ目の前にいて、笑顔で私に駆け寄ってくれる家族を、そのぬくもりを、今まで以上に大切にしようと思いました。 そして、持病で何度もくじけそうになった私も、精いっぱい生きてやろうと思うのでした。 ■事故被害で得た教訓 今回、突然起きた事故では、身内だけでなく、SNSのフォロワーさんにもたくさんの励ましとアドバイスをいただきました。その中でも一番の教訓は 「弁護士特約はつけたほうがいい!」 ということ。 私と夫は任意保険には加入済みでしたが、シンプルプランで弁護士特約をつけていませんでした。これをつけていると、事故の被害に遭った際にも弁護士費用なしで、弁護士さんに助けていただくことができるそうです。更新時、しっかりつけました。弁護士特約。 また、大まかに決めていた保険内容も、今回の事故があり、熟読するようになりました。確認してみれば、こうして被害に遭った際に助かる内容も…。 もちろん補償を増やせばかかる金額も上がり、生活と補償のバランスを考えなければいけないのですが、もし自分が加害者になってしまった場合にも、被害者の方に同じような思いをさせないためにも、しっかりと任意保険には加入していようと思いました。 今年に入り私がもらい事故に遭った際も、まさに任意保険さまさまで、スムーズなやり取りができました。それから、もともと夫婦そろって運転は慎重な方でしたが、今回の事故をきっかけに、さらに運転に慎重になりました。 歩いているときも、 青信号だけを信じず必ず周りを確認し、子どもの手は放さない 。運転時にはしつこいくらい周囲に注意を払い、横断歩道の近くでは車の流れよりも歩行者の保護を優先します。それでも周りに車がある限り、起こってしまうのが交通事故です。 もし事故が起こってしまっても被害が少なくなるように、誰の命も失わないように。これからも、鉄の塊を動かす緊張感を忘れず、運転していこうと思っています。 ※本記事はあくまで筆者の体験談です。交通事故後の対応はケースによって都度異なります。詳しくは専門機関にご相談ください。
2023年07月16日■前回のあらすじ 事故から2週間後に職場復帰を果たした夫。息子も少しずつ目の前のその人が父親であると理解してきたようで、やっと一緒にお風呂に入ることができました。しかし、加害者側からは、相変わらず何の連絡もなく…。 ■事故後、1年がたち… 結局、そのまま事故から1年がたち…。 加害者側からは何も、謝罪のひとつもありませんでした。 その後の情報も、警察からのたまの電話連絡のみで、未だに罪を認めず、取り調べにも応じていないということしかわかりませんでした。 それでも加害者は、 逃走の恐れがない ということで、 逮捕されない そうです。 夫には、裁判に持ち込む気力も体力も、もちろんお金の余裕もなく、加害者は今まで通りの日常生活を奥様と過ごしています。 頑なにやり取りに応じない相手の様子から治療費の請求も見込めず、通勤時の事故ということで、夫の治療は 「労災」 扱いにしていただきました。 私たちは、ただただやり過ごして前に進むしかできませんでした。 夫の顔には、今も消えない傷が残っています。 頬に残るその3本の傷跡を、夫は子どもたちに「猫ちゃん」と呼ばせて前向きにはやっていますが、今も横断歩道を渡るときは、ものすごく恐怖を感じるそうです。 ■夫に残る後遺症 これらの“後遺症”は、もしかしたら死ぬまで残るかもしれません。 ですが、生きていてよかった。 世の中には、家族の命を奪われながらも、謝罪ひとつも受けられない遺族の方が、たくさんいらっしゃいます。 家族が傷つけられても、加害者にビンタひとつもできない。 そんな距離感への歯がゆさは、私の中にもずっと残ったままでした。 次回に続く(全11話)毎日10時更新! ※本記事はあくまで筆者の体験談です。交通事故後の対応はケースによって都度異なります。詳しくは専門機関にご相談ください。
2023年07月15日■前回のあらすじ 一向に進まない加害者側との交渉。しかし、事故発生時に夫を目撃し、介抱してくれた方々が警察署に出向き証言してくれたため、事故の原因は車側にあることが明確になりました。 ■傷を負いながらも仕事復帰 信号無視の車に横断歩道ではねられた夫。骨折はなかったものの、顔面の痛みと腫れはなかなか引きませんでした。内出血で赤黒くなっていることもあり、歩いていると二度見されることもしばしば…。 それでも日常は戻りつつあり、夫は2週間後、仕事復帰をしました。 普段から、過剰なほどに愛情をもって患者さんと接していた夫。その変わり果てた顔に、患者さんたちにも盛大に心配されたようです。 病気や事故で入院している患者さんの日常生活を取り戻すために働いていた理学療法士の夫が、痛む身体で患者さんと接する。 ちょっと頼りないかもしれませんが、これで夫も、 リハビリを怖がる患者さんの気持ちが少しわかったかもしれません。 ■怯えていた息子にも変化が… そして息子も、少しずつ目の前のその人が父親であると理解してきたようで、やっと一緒にお風呂に入ることができました。お風呂に入ってしまえばこっちのもので、あの頃と変わらない楽しそうな声が、浴室から漏れていました。 あと一歩間違えていたら、この日常が失われていたのだと思うと、とても怖くなります。しかし悲しいことに毎日のように交通事故は起こっていて、命を落としてしまうケースも…。その命の数だけ、失われてしまった幸せな日常があるのだと思うと、胸が苦しくなりました。 毎日必要になる包帯とガーゼ、軟膏薬は自費で購入していたのですが、のちのち請求できるかもしれないということで、そのレシートは保存していましたが、加害者側からは、相変わらず何の連絡もありませんでした…。 次回に続く(全11話)毎日10時更新! ※本記事はあくまで筆者の体験談です。交通事故後の対応はケースによって都度異なります。詳しくは専門機関にご相談ください。
2023年07月14日■前回のあらすじ 事故の加害者は、自賠責保険には入っているものの、任意保険には入っていないことが発覚。電話で話し合おうとしたものの、電話に出るや否やまさかの逆ギレ! 無気力になる夫の一方で、怒りがフツフツと煮えたぎっていき…。 ■電話を無視し続ける加害者 それから何度も電話をかけるも、加害者が電話に出ることはありませんでした。 “金を払う必要はない、ひかれた相手が悪いのだから” 確かに、夫をひいた側にしたら、その“飛び出してきた”という感覚は、確かなのかもしれません。 よそ見をしていたり、ほかのことに注意を取られていれば、夫に気づいたその瞬間は“突然”です。 しかし、夫は確実に歩行者信号が青に変わったところで、歩き出していたそうです。こちらは別にお金の話をしたいわけではありません。話し合わなければ事故の処理が進まないから電話をしているのに、ひたすら「お金は払わない」の一点張りで、加害者は電話に出ることすらありませんでした。 ■集まっていく証拠 夫が事故に遭ったと聞いた時、瞬時に 「絶対に交通違反しない夫だから、右折車に巻き込まれた…?」 と思ったくらい、夫は慎重派です。 飲酒運転なんてもってのほか、遠出前には事故の映像を見て気を引き締める夫。 何を隠そう、結婚を考えていなかった臆病な私が夫との結婚を決意したのは、夫の運転する車に乗り、その安全運転ぶりを知ったからです。 加害者側との交渉は一向に進まなかったものの、その一方で、事故発生時に夫を目撃し、介抱してくれた方々が警察署に証言に向かってくださったため、ドライブレコーダーや監視カメラという決定的な証拠はないにしろ、車側の問題であることは明確でした。 何の見返りもないのに警察に足を運んでくださった証言者の方々には、本当に感謝しています。 しかし、加害の高齢者様は、一向に自分の非を認めませんでした。 次回に続く(全11話)毎日10時更新! ※本記事はあくまで筆者の体験談です。交通事故後の対応はケースによって都度異なります。詳しくは専門機関にご相談ください。
2023年07月13日■前回のあらすじ 勤務先の形成外科へ通院することになった夫は、麻酔なしの処置に地獄の痛みを経験することに! さらに、加害者が無保険だと発覚します。 ■加害者はまさかの無保険! 地獄の痛みを伴う通院が始まった頃、夫をひいた加害者が “無保険” であることが判明します。 警察によると、加害者は 自賠責保険には入っているものの、任意保険には入っていない。 つまり、話し合いを保険屋さんに頼れないため、治療費や休業損害などの手続きを相手と直接やり取りしなければいけませんでした。 そのためには、まず、加害者に電話をして、話し合わなければいけないのですが…。 「こっちは年金暮らしの高齢者だぞ!」 「そんな年寄りからむしり取ろうとするのか!!」 電話に出るや否や、逆切れをする加害者。 あまりの勢いに、夫は身体の痛みに加え、心も折られていました。 ■無気力になっていく夫の一方で… 手続きのための電話だと言うのに、一方的に感情をぶつけてくる加害者に、夫は無気力になっていきました。 しかし、その一方で私の怒りはフツフツと煮えたぎっていきます。 こっちは働き盛りの、一家の大黒柱だぞ!! 事故証明書で相手の住所氏名はわかっているため、殴り込みに行こうと思えば行ける…。 そんなことを思いつつ、必死にこらえる私でした。 皮肉にも、加害者は息子の通院で通りかかる場所に住んでいて、そこはうちよりもうんといいマンションの並ぶ地域でした。 次回に続く(全11話)毎日10時更新! ※本記事はあくまで筆者の体験談です。交通事故後の対応はケースによって都度異なります。詳しくは専門機関にご相談ください。
2023年07月12日■前回のあらすじ 夫が無事に帰宅。心配性の私は、泣いて抱きつきたいくらいでしたが、恥ずかしがりやのため、少し離れて笑っていました。夫は事故に遭ったことでアドレナリンが出すぎて空元気。しかし、夜、眠りにつくときに、夫が私を抱きしめてきて、やっと私も安心してこっそり涙を流すことができたのです。 ■大好きな乗り物も、人を傷つける凶器に… その日からしばらく夫は、勤務先の病院の形成外科へ患者として通うことになりました。 一緒に車に乗るのは、運転手の私と、付き添いの息子。 息子はまだ変わり果てたパパの顔が信じられず、抱っこされることに抵抗があるようでしたが、病院前のロータリーのバス停や電車につられて、楽しそうに付き合ってくれました。 以前から、はたらく車や電車が大好きだった息子。 でも、そんな乗り物も、一歩間違えば人を傷つける凶器になってしまう…。 そんなことに改めて気づかされた今回の事故。 バスに近づこうとする息子とつないだ手が、つい汗ばみます。 ■地獄の痛みの形成外科 一方の夫は、はじめての形成外科で地獄の痛みを経験。 擦過傷の中に砂利などの汚れが入っているため、それをピンセットなどでむしり取ってキレイにしてもらいます。 しかもこれが、 麻酔なし。 ただでさえ痛みに弱い夫が、転がりまわるくらいの痛みを味わうのでした。 なんとか無事に回復し、通院していたこの頃…。少しずつ日常に戻ってきたと思っていた矢先、加害者が無保険であることがわかり…。 次回に続く(全11話)毎日10時更新!
2023年07月11日■前回のあらすじ 検査の結果、奇跡的に身体や脳に重大な損傷が見られなかった夫は、電車とバスを利用して帰宅。しかし、包帯からのぞく顔は、もとの形とはかけ離れていて、息子は夫だと確信が持てない様子でした。 ■笑って本心を隠すものの… 夫が帰宅し、安堵のあまり涙を流しながら笑ってしまった私…。 何を隠そう私は、夫が飲み会で帰りが遅くなっただけでも、 「事故に遭わないだろうか」「事件に巻き込まれないだろうか」 と不安で眠れないくらいの心配性。 そのため、泣いて抱きつきたいくらいの勢いでしたが、普段から恥ずかしがりで素直でない私は、ガラでもないので少し離れて笑っていました。 夫と出会った年、大切な友人と父親を立て続けに亡くした私は、その死を伝えられた電話がトラウマになり、今でも電話の着信音を聞くだけで、遺体安置所の記憶がよみがり、冷汗が出ます。 もし、かかってきたのが警察からの電話だと、あのとき気づいていたら、私はその場で取り乱していたかもしれません。 ■でも、夫は生きていた…! 夫は身体の痛みに負けないための自己防衛なのか、アドレナリンが出すぎて空元気。 夜、眠りにつくときに、私を抱きしめてきました。 そこでやっと私はホッとして、こっそり、涙を流すことができました。 “夫が生きている…” “戻ってきた夫が、あったかくてよかった” 衝撃的な事故からまだ一日。 いつもは子どもたちのかわいい寝顔に癒やされながら眠る私ですが、その日は久しぶりに、夫の寝顔を見つめながら眠りにつきました。 次回に続く(全11話)毎日10時更新!
2023年07月10日■前回のあらすじ 救急車に乗せられ、先ほど出たばかりの勤務先の病院に搬送された夫。顔は打撲でパンパンに腫れあがり、もとの顔が思い出せないくらいの状態に。ひと段落したところで、家族に電話して自分の安否を伝えると…。 ■ひとり検査を受けた夫は… 病院でひとり、一晩過ごした夫。検査の結果、奇跡的に脳や身体に重大な損傷が見つからなかった夫は、自宅へ帰ることにしました。 自力で。 タクシーを使えばいいものの、貧乏性なわが家の大黒柱は、普通に電車とバスを駆使し、改めて帰路についたのでした。 しかし、外階段がきつい… 正直、歩くのも痛い。 ただ、アドレナリンが出ているのか、動き回るのは苦ではなかったそうです。 自宅へ到着すると、感動の再会!! ■息子の様子がおかしい …と思いきや、みんな、夫の姿に一歩引いていました。 なにせ、顔は擦過傷(すり傷)と打撲でパンパンに腫れ、包帯からのぞく顔は、もとの形とはかけ離れていました。眼光が鋭い瞳も、今や開くのが精一杯です。脳や神経に損傷がないレベルでも、こんなになってしまうんだ…。 私と娘はひとまず無事を喜べたものの、何やら、幼い息子の様子がおかしい。 息子が夫に近づかない…。 いつもは帰ってくると、ベタベタのキスの嵐なのに。息子はどうやら、その人が夫であると確信が持てていないようでした。 変わり果てた顔のパパが、パパだとわからずに怯えた様子の息子…。 その様子に私は、爆笑してしまったのと同時に「パパにぎゅーさせてあげて」と息子に言いました。 生きていた…夫が生きてた。 色々な感情が入り混じり、私は思わず泣き笑いしてしまったのです。 次回に続く(全11話)毎日10時更新!
2023年07月09日■前回のあらすじ 家族が待つ温かい家へ帰宅を急いでいた夫。歩行者信号が青になり、いつもどおり小走りで信号を渡っていると…ノーブレーキの車が突っ込んできました。アスファルトに倒れた夫、駆け寄る人たち。ところが、加害者は激昂して…!? ■皮肉にも、搬送先は勤務する病院 救急車に乗せられ、先ほど出たばかりの勤務先である病院に到着した夫。いつもは職員として駆け回っている病院も、ストレッチャーに乗せられると、まったく別の世界のように感じたそうです。 レントゲンやCTなど、一通りの検査を受けていると、話を聞きつけた顔見知りの職員たちがわらわらとやってきました。心配そうに声をかける職員たち。ですが、同僚のその姿に、しどろもどろだった夫。 なにせ顔は擦過傷(すり傷)で血まみれで、打撲でパンパンに腫れあがり、もとの顔が思い出せないくらいの状態だったのです。 これから仕事に穴を開けてしまう、という一報を受けた同僚は、帰宅後だったというのに駆けつけてくれ、雨と血液でビショビショだった服を見て、スウェット一式を買ってきてくれたそうです。 しかし、家族は来ない…。 ■衝撃の姿に、娘がまさかの一言を放つ 検査がひと段落したところで、夫は家族へ電話をします。それが、先ほどのテレビ電話でした。 スマホの向こう側、衝撃を受けて半笑いの妻。 そして…、 「え…! パパのスマホのゲーム、もうできないの…?」 パパと一緒にプレイしている、スマホゲームの心配をしている娘。 「そこかい!!」 傷だらけの夫を見た娘から、まさかの一言が放たれたのでした。 次回に続く(全11話)毎日10時更新!
2023年07月08日■前回のあらすじ ある日、車にはねられた夫。スマホの通話で顔面が包帯でぐるぐる巻きの夫に衝撃を受けます。しかし、夫が搬送されたのは、夫自身が働く病院。そのため、ちょっとした安心感もあり、ひとまず子どもたちと一緒に自宅で過ごすことに…。 事故が起きたその日、冷たい雨の中、夫はいつものように帰路を急いでいたそうです。 ■突如、ノーブレーキの車が夫を襲う! 家には、あたたかいごはんと、かわいい子どもたちが待っている。かわいい盛りの3歳児と、小学校に上がってもおかえりのハグを欠かさない娘。仕事がどれだけハードでも、その笑顔ですべてが報われる。 勤務先の病院の、最寄駅前の横断歩道。歩行者信号が青になり、いつものように小走りで横断歩道を渡っていると…。 そこに、ノーブレーキの車が! ドンッ!! そのままはねられ、飛ばされ、冷たい雨が打ちつけるアスファルトの上に、倒れ込む夫。 ■なぜか激昂する加害者 目撃者や共に横断歩道を渡っていた人々が駆け寄って、声をかけてくれる。通報してくれている人もいる。 加害者はというと…。 車から降り、頭から流れる夫の血を手でぬぐう。 「血、出てんな」 めんどくさそうに言いながら夫を無理やり立たせようとする加害者を、夫を介抱してくれていた目撃者が止めてくれたそうです。 そして…。 そんなことを、加害者は激昂してずっと言っていたそうです。 救急車が到着し、パトカーも到着。意識があるということで軽く事情聴取を受けながら、夫は救急車のストレッチャーに寝かされました。 そして、どういう縁か、救急車が向かったのは、 先ほど出たばかりの夫の勤務先。 私の産後うつがやっと落ち着き、息子の幼稚園入園も決まり、穏やかさを取り戻しつつあった日常…。そんな中で突如、起きた夫の交通事故。 これから夫は…私たちはどうなってしまうの…!? 次回に続く(全11話)毎日10時更新!
2023年07月07日