結婚4年目を迎えたころ、私は出産を控えていたのですが、なんと夫は娘が産まれる直前に仕事を辞めてしまいました。家計のためにも背に腹は代えられず、私はすぐにフルタイムで仕事復帰。家事や育児と、毎日忙しく過ごしていました。仕事を辞めた以上、家事や育児をある程度担当してくれると思っていましたが、夫は毎日ダラダラしているだけ。資産家の家庭に生まれたひとりっ子ということもあり、実家に顔を出せばいくらかお金がもらえるようで、本人はこのままでいいと思っているようです。突然の離婚さらに夫は、もっと身なりに気を使え、出産前の体型に戻せ、と毎日のように小言を言いますが、仕事と子育ての日々はとても忙しく、いちいち相手にできません。そのままスルーしていると、ある週末、派手な風貌の女性を家に連れてきて「今日から一緒に暮らすから出ていけ」と言ったのです。「ごめんね~夫くんもらうね~」夫の横でヘラヘラしている女性。私が限界ギリギリのところで働いている最中、夫は不倫していたのでした。 私は慰謝料を請求することと親権をもらうことを条件に離婚に同意。夫は慰謝料さえも義両親に払わせたようですが、娘との生活のためにありがたく受け取りました。 元夫と再会…!それからあっという間に5年の月日が経ち、春から娘は小学生。父親がいないことを寂しがる様子もなく明るく元気に過ごしていて、私の仕事も順調そのもの。毎日がとても充実していました。 休日はすこしオシャレをして母娘でお出掛けをするのですが、ある日のお出掛けで、最悪な人物に再会してしまったのです。 「久しぶり! 娘も大きくなったなぁ」声の主は元夫。隣には、離婚の原因となったあの女がいました。女は「今なにしてるの? どうせシンママで貧乏生活でしょ」と舐めるように私を見ます。 そこで娘が一言。「なにも知らないんだね。かわいそう〜」元夫は不思議そうな顔をしています。 シングルマザーの暮らしは?実は私たち、元夫が支払わない代わりに義両親から毎月多額の養育費をいただいているので、不自由はありません。義両親は、不倫して妻を捨てたうえに自分の子どもに対して責任を持たないバカ息子には、1円も遺産は残せないと言って、せっせとお金を使い始めているのです。頻繁にプレゼントをくれるので、今日私が持っているバッグや靴、洋服もすべてブランドもの。すでに夫婦で余生を過ごす高級老人ホームも手配済みで、体が動くうちにと毎月のようにファーストクラスで海外旅行にも行っているので、預金を使い切るのも時間の問題かもしれません。元夫と不倫相手の行く末は…「ウソだろ……!?」夫は話を聞いて絶句。すると、女が「私、聞いてない!」と怒りだし、その場で大喧嘩を始めてしまいました。これ以上巻き込まれたくなかったので、私たちはそっと退散したのでした。その後、2人がどうなったのかは知りませんが、遺産をアテにしていたはずなので、大変な思いをしているのではないでしょうか。私は、義両親の手厚いサポートのおかげですこし仕事をセーブできているので、育児にも仕事にも余裕を持てています。 これからも、娘との時間を大切にしながらゆっくり暮らしていくつもりです。 捕らぬ狸の皮算用とは、まさにこのこと。元夫は、生まれてからずっと恵まれた環境で育っていたので、それがいつしか当たり前だと思ってしまったようですね。 大人になったのだから、親に寄生するのではなく、家族を支えていけるような人間になってほしいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月17日息子を出産したときのこと。初めての出産にドキドキしながら夫と子どもの誕生を楽しみに待っていました。生まれる気配は感じませんでしたが、出産予定日まであと5日となった日の未明に突然破水! すぐに産婦人科へ向かいました。陣痛室へ通されたものの、まだ子宮口は開いておらず、ベッドに横たわりながら夫とたわいのない話をしていたのですが…… 出産予定日前に破水して産婦人科へ! 夜中に破水していたので私と夫は急いで病院へ。子宮口1cmだったので、陣痛室で待機することに。少しすると隣の陣痛室にも妊婦さんが到着。数分後に「死ぬ~! 何とかしろ~!」と大声が聞こえ、私と夫はびっくり。「頑張って!」と励ます男性の声と「頑張ってる! 見てわからないの?」と激怒する妊婦さんに私は「こんな壮絶なお産が待っているのか……」と不安になりました。 妊婦さんの怒鳴り声から13時間、私にも陣痛が訪れてようやく分娩台へ移動することに。分娩台は陣痛室の隣にあるため、先ほどの妊婦さんの声がよく聞こえてきます。隣の部屋から聞こえてくる妊婦さんの声から壮絶なお産がイメージされました。「まだ隣の妊婦さんの声が聞こえてくる。怖いよ……。早く産んじゃいたい!」と思っていたためか、分娩台に移動してまもなく息子が誕生。助産師さんからは「落ち着いていて、初産だと思えない」と言われました。夫はわが子の動画を撮りながらとてもうれしそう。しかしその動画にも、妊婦さんの叫び声が入っていました。 結局14時間も隣の妊婦さんの叫び声を聞いていたのですが、今振り返るとあの妊婦さんの声があったからこそ、逆に私は落ち着いて出産できたのかもしれません。夫が撮った出産の動画を見返すたびに「こんなことがあったな~」と特別な思い出になっています。 作画/CHIHIRO 著者:望月陽
2024年05月14日里帰り出産から2カ月が経ち、夫の待つアパートへと帰った私。階下の住人にあいさつに行くと、そこにいたのは生後9カ月の赤ちゃんとママでした。初めてのママ友に喜んだ私でしたが、すぐ後悔することに……。※コロナ禍の体験談です。 夕方の忙しい時間に迷惑!子連れのママ友 里帰り出産から2カ月経ち、ようやく夫の待つアパートへ帰った私。息子の夜泣きで周りにご迷惑をかけるかもと思い、階下の住人へあいさつへ行くと、そこには生後9カ月の赤ちゃんと暮らす家族が住んでいました。翌日の夕方、インターフォンが鳴り、昨日あいさつした階の下に住んでいる親子がやってきました。急いで出ると「暇だから話そう?」とのこと。新型コロナウイルスの感染リスクに対する不安もありましたが、初めてのママ友にうれしくなった私。「いいよ。話そう話そう」と家にあげました。 ところがすぐにその判断を後悔することに。彼女の子どもは洗濯物を漁ったり、汚したりと好き放題。それでも彼女は一切注意せず、私の息子の写真を撮っては許可なくInstagramにアップする始末……。彼女の行動を非常識に思いましたが、親しくないため強く言えず、知り合いになったことをただただ後悔しました。結局2時間ほど経過してから片付けもせず帰っていきましたが、それ以来「子どもを預かってほしい」や「駅まで車で迎えに来てほしい」など勝手ばかり言ってきます。それらのお願いはすべて断りましたが、下の階に住んでいるため距離を置くこともできません。 そんなとき夫が、駅に近くて通勤に便利なマンションを見つけ、引っ越すことに。転居時に階下へあいさつに行くと「遊びに行くね」と彼女が言います。私は「引っ越しが落ち着いたら来てね」と社交辞令で返しました。彼女からは一度と「引っ越しは落ち着いた? 遊びに行っても良い?」とLINEがありましたが、返信できずにいたらいつの間にかブロックされていたようです。申し訳なさもあるものの、私もストレスが溜まっていたため、早めに距離を置けてホッとしました。引っ越した先のマンションにも息子と同い年の子どもがいますが、住人とは世間話をする程度。近づきすぎない心地のいい関係です。これからはすぐに家にあげず、少しずつ住人と仲良くなっていきたいです。 作画/Pappayappa 著者:高木美穂子
2024年05月13日かおりさんは生まれたばかりの娘・こはると、夫・いちろうの3人暮らし。しかしかおりさんは、出産してすぐワンオペ育児をすることになります……。かおりさんの出産に合わせて育休をとるはずだったいちろうは、まさかの申請する日程をミス。その後も、早く帰宅すると言ったのに余計な仕事を増やしては連日遅く帰宅し、しまいには会社に寝泊まりして帰ってこなくなりました。久しぶりに帰宅したいちろうに、かおりさんは「何しに来たの?」と怒りをあらわに。いちろうは土下座し、「挽回のチャンスがほしい」と謝罪します。 もう簡単には信頼できない私は夫に、自分は一生許せないかもしれないけど、娘には信頼できる父親が必要だと伝えます。そして、私は数日ぶりに落ち着いてシャワーに入れました。 いちろうは怒ったかおりさんを思い返し、「育児ってホントにそんな大変なのかなぁ?」と疑問に。 赤ちゃんが寝ている間、自分の時間はとり放題で、産後のダメージも病気ではないのだから、かおりさんの要領が悪いだけでは? という考えが頭をよぎります。そしてかおりさんがシャワーからあがると、「今夜はゆっくり家族みんなで寝よう」と提案しました。 かおりさんは育児のことを何もわかっていないいちろうに、新生児にはつきっきりのお世話が必要だと説明。それでも「大げさ」と感じるいちろうに、かおりさんは連日脱ぎ捨てていた大量の洗濯物を、自分で洗うよう指示するのでした。 かおりさんがワンオペで追い詰められている現状を知っても、育児の大変さを実感できないいちろう。どんなに言葉で伝えてものれんに腕押し状態では、実際にやってみてもらうしか理解してもらう方法がありませんよね。 反省した素振りを見せられても「育児はラク」という認識を改めてもらわないことには、夫婦関係の溝がどんどん深まるだけではないでしょうか。みなさんは、夫婦間での認識の差があると感じたとき、どのような対策をとっていますか? >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月12日3人きょうだいの末っ子が生まれたときの事です。元々活発なお兄ちゃん達で末っ子の出産前からてんやわんやの毎日を送っていました。そ…そんな…そしていよいよ出産。そのころ私の母は大病を患っていたため、出産の手伝いや産後の手伝いを頼める状況では無く、義母に上の子達の世話を頼むことにしました。無事に出産を終えて退院すると、お兄ちゃん達は遠慮気味に私にすり寄り「ばあば、いつまで居るの?」とひと言。開口一番だったので、何かあるなとは思いましたが、気にしている間は特に何も無く、1週間ほど自宅に泊まって助けてもらいました。そのときは本当に助かり、感謝の気持ちでいたのですが、義母が帰った日に長男が「お酒飲み始めるといつものばあばじゃなくなるから…」と言いだし、悲しい気持ちになりました。 普段はいい人なのですが、毎日お酒を記憶をなくすほど飲む義母。詳細はわかりませんが、子どもたちにも暴言や訳の分からないことをしゃべり続けたのだと思います。それ以来、子どもたちはばあばの家へ行くことも嫌がるようになりました。 それ以来、子どもを連れて義実家へ訪ねることが減ってしまいました。疑問に思った義母が夫に問いただす事がありました。中々はっきりと理由を説明できない夫に、しびれを切らした義母が私に連絡してきたのです。子どもの様子を話したところ「そんなに記憶をなくすほど、あのときは飲んでいない。あの子が嘘をついてる」と言われ「私は息子の言葉を信じます」と電話を切りました。口をきかないわけではありませんが、未だにギクシャクしています。 ◇◇◇ 子どものお世話をしてくれるのは嬉しいですが、記憶をなくすほどお酒を飲みながらのお世話は想定外ですよね。義母との関係がギクシャクしないためにも、感謝の気持ちを伝えつつ、子どものお世話をするときの注意やして欲しくないことはパパに協力してもらい義母に伝えてもらうなどしても良いかもしれないですね。 作画/まげよ著者:鈴木涼子40代、21歳、20歳、14歳の男の子を育てる母。専業主婦で趣味はコラージュ。
2024年05月12日里帰り出産から1カ月を過ぎたころに娘と自宅へ戻りました。夫に「娘を見ててね」と伝え、私はキッチンへ。しばらくして娘が泣き始めました。なかなか泣き止まないので、夫のところへ行くと……娘がまさかの状態になっていました。 「娘を見ててね」と夫に伝えたら…里帰り出産から自宅に戻り、慣れない育児と家事に奮闘。あるとき、夫に「洗い物をしている間、娘を見ててね」と伝えました。娘が眠くなる時間だったこともあり、しばらくすると泣き始めました。いつもは割とすぐに眠ることが多いのですが、この日はなかなか泣き止みません。 どうしたのかなと夫のところへ行くと……夫は娘を抱っこすることなく、テレビを観ていました。「抱っこしてあげて」と私が言うと、衝撃のひと言。「赤ちゃんって泣かせてたら疲れて寝るでしょ」と言うのです。泣いている赤ちゃんを平気で放置している姿に、ものすごくイラッとしました。 今は娘も生後6カ月を過ぎ、声を出したり、笑ったりしています。夫も少しずつ育児をするようになりました。もし2人目を授かることができたら、夫には育休をとってもらい、新生児期から一緒に過ごしてほしいと思っています。 ◇ ◇ ◇ 赤ちゃんが泣く理由はさまざま。おむつや空腹などの原因を取り除いたあとも泣き止まない場合は、無理に泣き止まそうとせず、少しの時間であれば様子を見ながら赤ちゃんを放っておいても心配ありません。ですが、最初から何もしないのではなく、抱っこなどできることはしてほしいという気持ちもわかります。パパも育児に慣れてきたということなので、わが子の成長を一緒に楽しんでいきたいですね。 イラスト/さくら著者:白石桃子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月12日2人目を出産するために里帰りしていました。3歳になる上の子をそろそろ寝かしつけないといけない時間になったのですが、そのタイミングで陣痛が始まりました!もう帰っていいよ!!長男には私の母がついてくれることになり、病院へは父が送ってくれ立ち会ってくれました。病室についてからも等間隔で押し寄せる陣痛。私が痛みに耐えていると、陣痛が何か分からず、なぜ私が痛がっているのかわからない様子の父が「どうした?」とひと言! 痛みに耐えることに必死で余裕もなく「陣痛だよっ!」とイライラしてしまいました。その後、戦力外の父には帰ってもらうことにして、ひとりで出産しました。 ◇◇◇ 今とは違い、実父の時代は立ち会いは珍しく出産時にこんなに苦しむのだと知らないのかもしれませんね。そのため、陣痛に耐える娘の姿に、実父もパニックになっていたのかもしれません。出産中のママは痛みとの闘いで、周りを気にする余裕はないかもしれません。心穏やかに出産するために、今回のママのように、周りの言葉が気になるようであれば帰ってもらったり、部屋の前で待ってもらうなどするのも良いかもしれませんね。 作画/犬野ぽよ彦著者:古谷節子40代、高校生、中学生、小学生の3人の男の子を育てる母。趣味はお菓子作り。
2024年05月11日かおりさんは生まれたばかりの娘・こはると、夫・いちろうの3人暮らし。しかしかおりさんは、出産してすぐワンオペ育児をすることになり……。かおりさんの出産に合わせて育休をとるはずだったいちろうは、まさかの申請する日程をミス。納得いかないかおりさんでしたが、いちろうは自分が早く帰宅すればなんとかなると軽くあしらいました。しかし、それからもいちろうは毎日遅く帰宅しては、脱いだ服やゴミを散乱させるだけでした。 父親なのに帰宅しないって?私は夫に我慢の限界! 次こそ文句を言おうと決めました。しかし夫は、ついに帰宅すらしなくなります。※「貯まって」→「溜まって」 ※「貯まって」→「溜まって」 いちろうは会社に寝泊まりし、かおりさんには育休前の引継ぎのためと説明します。しかし実際は、後輩のみほの仕事まで手伝っていました。 数日後、久しぶりに帰宅したいちろう。かおりさんはボロボロの姿で、「家族を平気で捨てる人には、もうこはるに触れてほしくない」と伝えます。いちろうはそんなかおりさんを見て、「挽回のチャンスがほしい」と土下座。 かおりさんは自分がいちろうを信じることは難しくても、こはるにとっては信頼できる父親が必要だと諭します。そしてこはるをいちろうに預け、数日ぶりにゆっくりシャワーを浴びることができたのでした。 産後間もないかおりさんと新生児のこはるが待つ家に帰らず、仕事に精を出すいちろう。育休期間に仕事ができないことに負い目を感じることは理解できますが、今のかおりさんを支えられるのは夫だけ。かおりさんは後にも先にも、今この瞬間にいちろうに家に居てほしかったはずですよね。妻の失った信頼をとり戻すのは簡単ではないと思いますが、頑張ってほしいですね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月11日3カ月前に初めての出産をしました。夫はイクメンになると宣言し、育休を取得。頼りにしていたのですが、いざ娘が産まれると「俺じゃわからない」が口癖になり、家事もせず出掛けてばかり。育児休暇ではなく、ただの長期休暇をエンジョイしています。それだけならまだしも、娘が泣くと「うるせーな! 早く泣き止ませろ」と暴言を吐き、やってほしいことを具体的に言ってもまったく動かないので、私のイライラは爆発寸前です。自称イクメン夫夫が飲み会に行くと言って出掛けた夜。娘を寝かしつけながらウトウトしていると、玄関の鍵を開ける音が聞こえました。すると「ただいま~! 遅くなってごめんね!」と夫が寝室に入ってきて、娘を抱き上げたのです。おそらく夫は酔っ払っています。いつもなら娘に見向きもしないので戸惑っていると「こんばんは~」「おじゃまします~」という声が聞こえました。どうやら、会社の同僚と飲みに行って、そのまま連れて帰ってきたようです。夫はイクメンモードに突入。……といっても、あやし方も抱き方も、私から見ると慣れていないのがバレバレです。 でも、子育て経験がなければそんなことはわからないので「オマエは先に寝てろよ、寝かしつけはいつもどおりやるから!」「家事も残しておいていいからな」という夫の言葉を、同僚はすっかり信じているようです。しかし、娘は居心地が悪いのかギャン泣き。同僚たちは気まずくなったのか、娘の顔だけ見てそそくさと帰っていきました。 チャンス到来!同僚が帰ると、夫は即娘を私にパス。さらに、来週末わが家でホームパーティーをするというから驚きです。「料理、よろしくな!」と、当たり前のように言う夫に怒りを覚えましたが、うまくいけば夫の本性を見せられるかも? と思い、引き受けることにしました。 そして週末、予定どおり同僚や上司がやってきました。「俺が全部やってるって話にしてくれよ? 出世のためだからな!」と、夫も余念がありません。 しかし私にも考えがあります。その日用意したのは、スリランカ料理やトルコ料理など、あまり馴染みのないものばかり。インターネットでレシピを検索して、材料も本場のものをお取り寄せして作りました。 私の作戦夫は「これは何?」「どうやって作ったの?」と同僚から質問攻めにあっていましたが、説明できるはずがありません。夫が救いを求めて私を見ますが「全部作ってくれたんですよ〜♡」と、夫に言われた通りの対応をしておきました。 そんなタイミングで娘が泣きだしたのですが、夫は普段どおり放置。夫がイクメンだと思っている同僚から「泣いてますよ?」と言われ、慌てています。 娘はおむつを替えてほしかったようです。出産祝いでいただいた、まだサイズの大きなおむつを近くにおいておいたので、夫はまんまとそれを使っていました。もちろん初めてのおむつ替えなので、おしり拭きを使うことも知りません。 結局おむつはブカブカなので、すぐに漏れてしまいました本当の姿がバレたそんな姿を見て、子育て経験のある上司から「家事も育児もしてないでしょ」と言われてしまった夫。同僚たちの視線も冷ややかです。 開き直った夫は「育児は女の仕事だろ」とポツリ。「育児休暇は権利なんだから、とって何が悪い」と言いました。これには上司も同僚もドン引き。いい顔をして高く評価されようとしていたのだと思いますが、逆効果に終わりました。 夫は上司から「育児休暇とは何か」をコンコンと説教されることになりました。これで変わってくれることを願うばかりです。 初めての育児は、誰だって右も左もわからずに戸惑いながらやるもの。できない、自分の役割ではないと拒絶せず、力を合わせて向き合ってほしいですね。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月11日妊婦健診に不安を感じる今日このごろ。転院を考えていますが、夫に相談しても頼りにならず。すこしくらい興味を持ってくれたらいいのに……と思っています。私の家は医者の家系です。しかし、敷かれたレールの上を歩きたくないと反発し、父と激しく衝突しました。昔のことですが、今もまだお互い気まずさを感じています。仲が悪いわけではないですが。 今回の転院について夫は頼りにならないので、意を決して父に相談。紹介してもらった病院を訪ねることにしました。 急に!?夫の意識に変化が!?出産について夫にもっと関心を持ってもらいたいと、妊婦健診の付き添いをお願いしてみました。夫は私のからだを気遣うこともなく、相談にも乗ってくれません。休みにはバイクに乗ってひとりで出かけるなど、父親になる自覚があるのか疑ってしまいます。 一度でいいから一緒に病院へ行こうと誘うと、一度だけならと承諾。付いてきてくれることに。その付き添いが私たちの人生を大きく変えることになるとは、思ってもみませんでしたーー。 夫は医師の説明を聞き、意識が変わったようです。「次の健診も一緒に行く」と言ってきたので、私は大喜び。新しい病院はスタッフの方がやさしく、それも気に入ったようでした。私も転院して良かったと、心から思った次第です。 面食いである夫は、院内で美人な女医を見つけてテンションがマックスに。それが理由で、健診に付き合うと言い出したのです。目当てはその女医。もちろん、私にはそんなことを言いませんでしたが……。 出産後に突然の三くだり半出産予定日まであと2カ月になったころ。急に夫の態度が変わり、健診に来なくなりました。仕事が忙しくなったと言いますが、出産の立ち会いも拒否するようになり……。なんだか様子が変です。 いざ出産となれば気持ちも変化するのではと期待しましたが、それはありませんでした。夫は本当に立ち会わず、生まれたことを報告しても無関心。挙げ句、もう他人になるのだから興味がないと……。なんと夫は出産したばかりの私に不倫を告白し、三くだり半を突きつけてきたのです。 「産婦人科の女医と付き合うことになったから!」「子育てはひとりで頑張れよ」浮かれ気分の夫。私は反撃を開始しました。「あらぁ……ご愁傷さま」「その女性、誰だか知ってる?」 じつは私、夫の不貞に気づいていたのです。だって、みんながいろいろ教えてくれたので。最初は看護師さんからの密告でした。夫と女医は病院の駐車場で浮気を重ねていたのです。 実家でつらい気持ちを吐露したところ、父がその女医を知っていると言い出し……。素性を教えてくれました。父は私が出産した病院で役職についており、いろいろと知っていたようです。父が役職についていたことを私は知りませんでしたが。 女医と言われるその女性はただの事務員で、私の遠い親戚。縁故で就職を世話したのだそうです。 浮かれていた夫。意外な展開に…自称女医の彼女は女医を装い、私が近くにいなかったときに夫へ近づいたようです。理由はわかりませんが、人の幸せを壊したかったのでしょうか……。 夫はコロッとだまされ、不倫の沼にハマっていきました。夫は面食いで、お金や権威にも弱いので。離婚を切り出してきたときも、美人で金持ちの女医と再婚するとルンルンでした。 彼女のことを女医と信じていた夫。慰謝料なんて軽いもんだと思っていたようですが、実際は簡単に支払えるような収入ではなく……。しかも、夫とはただの遊びだったようです。そのとき、夫は彼女が何者かを知ったのでした。 それから「自分はだまされた」と被害者ヅラをするようになった夫。離婚を撤回する、愛しているとまで言われました。でも、私は絶対に許しません。その後、離婚が成立。今は実家で暮らしながら、子育てをしています。落ち込むこともありましたが、前向きに生きていきたいと思います。 ◇ ◇ ◇ 妊娠・出産とナイーブな時期に夫の方は妻を支えようともせず……身勝手な振る舞いにはあきれますね。元夫には慰謝料と養育費をしっかり払ってもらい、自分の行いを反省してほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月11日かおりさんは生まれたばかりの娘・こはると、夫・いちろうの3人暮らし。しかしかおりさんは、出産してすぐワンオペ育児をすることになり……。 こんなはずじゃなかったのに!私は愛する娘を出産してからというもの、ほぼ毎日不眠不休で育児をしていました。本当なら、夫も居てくれるはずだったのですが……。 かおりさんはこはるを出産し、数日間は実母が助っ人にきてくれていました。しかし実家は食堂を経営しており、そう長くは居られません。そこで夫のいちろうが3カ月の育休を取り、夫婦で乗り切る計画でした。 実母が帰宅し、いよいよ明日から育休期間だと安心していたかおりさん。しかし、いちろうは「育休って1カ月後からでしょ?」とまさかの発言。 なんといちろうはかおりさんが出産前に何度も日にちを指定していたにも関わらず、違う日に育休を申請していたのです。 しかもいちろうは「まぁなんとかなるっしょ!」と悪びれる様子もなく、しまいには「なんたって僕はイクメンだからねっ!!」と自信満々。 ところが2週間経ってもいちろうが早く帰宅することはなく、連日服やゴミを散らかしっぱなしに。そしてとうとう、いちろうは帰宅すらしなくなっていったのでした。 産後間もない体で、いきなりワンオペ育児をすることになったかおりさん。いちろうが育休の開始日を間違えたこともですが、その後の生活態度や発言にモヤっとした方もいるのではないでしょうか。また「夫が育休をとってくれる」という気持ちで、今までのワンオペ育児を頑張ってきたかおりさんの気持ちを考えると、愕然としてしまいますよね。ワンオペ育児が再開することになったかおりさん。産後間も無く心身ともにつらい時期だと思いますが、無理をせず、周りに頼りながら赤ちゃんだけでなく自分の心や体にも目を向けて過ごしてほしいですね。 >>次の話 著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月10日1カ月前、私は娘を出産。今は育児に奮闘中です。自己中&気分屋の夫は、育児をしようとせず……。そのくせ、私にあれやこれやと要求してくるのです。私が睡眠不足でフラフラになっていても、夫はまったく気づきません。そればかりか、行き届かない私の家事に対してあーだこーだ言ってきて……。私の生活を見ていれば、以前のように家事ができないことをわかりそうなものですが。 家事を分担したり、娘を見てくれたりすると助かるのですが、そんな気はないようです。娘は私たち2人の子どもなので、一緒に育児をすべきだと思うのですが……。 なぜ!?図に乗っていく夫ある日のこと。夫は会社の後輩を連れて帰ってきて、宅飲みを……したかったようなのですが。帰宅30分前にいきなり連絡をしてきて、しかもメッセージを送ってきただけだったので、私は気づかず……。散らかった部屋、食事の準備もしていない状態に、夫は恥をかかされたと大激怒。 後輩はこの状況にドン引きしていたと言っていますが、彼らがドン引きしたのは間違いなく夫の態度に対してです。口だけ達者で何もできない・やっていないことが丸わかりな状況でしたから。 結局は「明日から完璧にやっておけよ」と捨てゼリフを吐いて、夫は後輩たちと飲みに出かけました。 「家事と育児、それだけをやればいい」そう夫は言いますが、その2つがどれだけ大変なことなのか、まったく思い至らないようです。子育てを一緒にしようと伝えても、それは男の仕事じゃないとまで言ってきて……。もう話になりません。 変わらない夫。先輩ママに感謝「今日1日何していたんだよ?」「産後だからって甘えてゴロゴロするな!」夫が帰宅したわが家は、もぬけの殻。部屋は片付け前の状態だったため、夫はブチ切れているようです。私をののしるようなメッセージを送ってきたのですが……。「ダメな娘でごめんなさいね」返事をしたのは、私の母でした。 限界に達した私は、泣きながら母に連絡。娘の一大事だと、片道3時間かけて迎えにきてくれました。そして私は実家に戻ると、倒れるように眠ったのでした。 その間に夫から連絡がきて……母が夫を懲らしめてくれて……私は家に戻らずに済みました。母親の先輩として、私の状況をきちんと説明。 子どもと一緒に日中寝ていると、夫に散々嫌味を言われました。夜中に起きて授乳をしたり、泣き出した子どもをあやしたり。熟睡できないことがどれほどつらいものかを母に問われ、初めて大変なことだと認識したようです。 これからどうするかを考えて…夫に何を言っても駄目だと悟った母は、私との離婚を提案しました。私も内心それを望んで、母に助けを求めたのかもしれません。とにかくあのときは切羽詰まっており、無我夢中で助けを求めたことしか覚えていませんが。 母は、娘をここまで追い詰めた夫を絶対に許さないと言い放ったそうですが、もちろん私も夫の言動を許すことはできません。しかし大事なことなので改めてじっくり考え、当初の考え通り離婚を選択しました。夫は私の本気を感じたようで、最後には離婚届に判を押してくれました。 私たちは出産・育児が引き金となって離婚しましたが、それは単にきっかけにすぎなかったと思います。離婚後、夫の会社に勤める知人が教えてくれましたが、人間性の問題もあって会社での評判はよくないそうです。 私は今、実家で育児を頑張っています。おかげさまで心身の負担が減り、娘と一緒に穏やかな毎日を過ごせるようになりました。 ◇ ◇ ◇ 子どもの成長はかけがえのないもの。離婚前の生活は大変でしたが、これからは育児を楽しんでほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月10日出産予定日の1カ月前。私は実家に帰っていたので、おしるしが来て陣痛が激しくなった日の夜、夫に連絡をして病院へ行きました。駆けつけた夫をよそに、もう限界な私。すぐに分娩台に乗り、いよいよ出産となりました。しかし、立ち会いしていた「夫」にまさかの事件が起こりました。初めての出産で夫婦共に緊張初めての出産に、夫も私もドキドキ。「初めてだから立ち会いをしたい」と言った夫に、恥ずかしいながらも、一緒に闘ってくれる気持ちがうれしかったのを覚えています。 妊娠39週目でおしるしがあり、夜には陣痛も激しくなりました。ギリギリの意識の中、自宅で待機している夫に連絡し、私は母と一緒に病院へ。夫が来たころにはもう何もしゃべれないほどで、まったく歩くこともできず、助産師さんに分娩台に乗せてもらいました。そして、夫の手を握り、いよいよ出産のときがきました。 立ち会いしていた夫に異変が!?「もういきみたい! 気持ち悪い! つらい!」。そう思いながら、「息吐くよ〜。息吐いて〜。ふ〜、ふ〜」という助産師さんの声が聞こえます。「ふー! ふー!」。なんとか吐こうとするものの、うまく吐けません。うまく息も吸えず、とにかく苦しくてつらい。夫も一緒に「頑張れ! ふ〜! ふ〜!」と息を吐き、握る手に力が入りました。 助産師さん、夫、私、みんなで必死に息を吐きます。その後も「ふー! ふー!」と必死に息を吐いていると、いきなり、ぐん! と手が引っ張られました。「え!?」と思っていると、助産師さんの「大丈夫ですか!?」という声が。気づけば、握っていたはずの夫の手がなく、横にいた夫が床に……。なんと夫は、私に合わせて息を吐いているうちに酸欠になり倒れてしまったのです! 今となっては笑い話によく血を見て倒れるという話は聞いたことがありましたが、突然のことで衝撃を受けた私。出産の意識が一度削がれて、夫の心配をしていました。夫は意識はあったので、車椅子で空いていた陣痛室のベッドに運ばれていきました。今だからこそ笑って話せることですが、当時の私は「え!? あの人大丈夫なの!? でも痛い! 産まなきゃ! でもパパは!?」と軽いパニック状態でした。 その後、ひとりで最後まで頑張り、無事に長男が誕生しました。夫はベッドの上で産声を聞いて、「あー、生まれた〜」と安心したそうです。初めての出産でお互いに緊張していて、「妻は息も吐けない、俺がついていなきゃ!」と張り切った結果だったそうです。酸欠で倒れるなんて、息子もびっくりしたことでしょう。 緊張しすぎると誰しもいつもどおりにできないので、何事もリラックスするのが大事なんだなと思いました。今回はしませんでしたが、次回は分娩室にリラックス効果の音楽を流せないか相談したいと思います。 あとから聞いた話ですが、分娩室の前にいた母たちは夫が倒れた物音を聞いて、私に何かあったのかと慌てたそうです。しかし、車椅子で出てきた夫を見て「いや、お前かい!」みたいな空気になったそうです。 私は夫の名誉のために母には口止めしましたが、義母はいろいろな人に言っているそうで、義実家に行ったときには笑い話になっていました。夫は「もう立ち会いはしないよ!」と言っていました。 とにもかくにも、3人とも無事で本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:かりんとう1歳児の母。慣れないママ業も2年目に突入し、仕事と育児に追われながらも、息子の成長に毎日感動しています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日20代前半で結婚し、子どもはいなかった私たち夫婦。月日が経ち今は30代、周囲の友人たちにも妊娠・出産をする人が増えてきて、そろそろ妊活を……と思っていたところです。そんなある日、高校時代の友だちと集まることになりました。子どもがいない私と独身の友人に対し、デリカシーのない発言を繰り返す友人。それに対して、私は思わず……! デリカシーがなさすぎる! 友人が私に放ったひと言とは?20代で結婚した私。お互い夫婦の時間を大切にしたいとの思いから、妊活はしていませんでした。しかし、月日が経つにつれて周りの友人たちは、続々と妊娠・出産。年齢のこともあり、そろそろ妊活を考えなければと思っていました。 ある日、高校時代の友人4人で集まることに。独身はC子1人、子持ちはB美とA子の2人。結婚しているけれど、子どもがいないのは私だけでした。いろいろな話をするうちに、子育ての話に。「大変だね」と聞いていたら、突然子持ちの友人A子に「子ども産まないの?」と言われたのです。 この発言に私と独身の友人はあぜん。私は、「周りがどうこう言う必要はないと思うけれど」と言い返しました。するとA子は「だって今産まないと子どもが20歳になるころには、うちら50代後半よ!?」と言うのです。友人の考えを押しつけられ、沸々と怒りと悔しさの感情が溢れ出した私は、「ほしくてもできない人もいるわけだし、発言には気をつけたら?」と一喝。すると、A子はびっくりした様子で「え? そうだよね……。ごめん」と言い、その場は気まずい雰囲気になってしまいました。 後日、独身のC子からも、過去に「早く結婚したら?」、「幸せになりたくないの?」などとA子に言われたことがあると聞きました。ただ、私が一喝したことにより、それ以降A子からデリカシーのない発言はなくなったそうです。 早く子どもを産まないと……という焦りとプレッシャーから、私もつい感情的になりました。しかし、触れられたくないことがある人もいると思います。この出来事をきっかけに、私自身も周りに対する発言には、より気をつけたいと思うようになりました。 作画/becomachi85著者:山田日菜子30代後半の主婦。夫婦仲良く暮らしているものの、そろそろ子どもがほしいなと考える日々。趣味は某アイドルのLIVEに行って元気をもらうこと。
2024年05月09日私には現在3人の子どもがいるのですが、2番目の子は3,950gのビッグベビーでした。3,950gの赤ちゃんだったと言うと、壮絶な出産を思い浮かべて「大変だったね」と声をかけてくれる方が多いのですが、実は3人の中で一番ラクな出産だったのです。今回は、ビッグベビーの出産秘話についてお話しします。3,950gのビッグベビー誕生今から約5年前、27歳のときに出産予定日から4日遅れて3,950gのビッグベビーを出産しました。実際に陣痛が来たのが、出産当日の午前0時ごろ。ほんのちょっと陣痛が来ているなという感じだったのですが、すでに10分間隔。しかし陣痛が弱かったので結局朝イチに病院へ行き、そのまま入院しました。 昼以降も弱い陣痛が続いていたのですが、19時ごろに急激な痛みが襲ってきて、一瞬でピークに達し、分娩の準備が始まったのです。それから1時間もしないうちに、つるんと出産しました。 ビッグベビーのお産が一番ラクだった!?実際の分娩時間は16時間ですが、陣痛のピークから出産までは1時間ほどでした。実は、妊婦健診ではビッグベビーと言われておらず、赤ちゃんの大きさは3,200gくらいとのことでした。 しかし出産前に助産師さんがおなかを触った際にパンパン具合を感じたらしく、「相当大きいかもね」と言われ、初めてビッグベビーかもしれないと知ることに。大変なお産になる覚悟をしたのですが、結果的には1人目や3人目のお産よりもスムーズでした。 一番上の子のときは子宮口が全開大にならないうえ、酸欠で酸素マスクを付けてのお産でしたし、3番目は子宮口が6cm開いてからの進みが遅く、全開大になるまで5時間くらいかかり体力は限界に……。ですから2番目はビッグベビーではあったけれど、3人の中では最もラクな出産だったのです。 ビッグベビーだったが会陰切開なしで出産3,950gの赤ちゃんを自然分娩したので会陰は自然に裂けてしまっていると思っていたのですが、ほぼ裂けずに出産できました。腟の内側が2か所裂けていたのですが、縫う場所ではなかったとのことでした。 自分でもびっくりしたので担当医に尋ねたところ、分娩時に会陰部分が柔らかく伸びるタイミングがあるそうです。うまいこと会陰が一番伸び切ったタイミングに合わせていきんだので、大きく裂けずに出産できたということでした。 「ビッグベビーだとお産大変だよね? すごいね!」と周りから褒められるのですが、尊い命が誕生するということは、どのような出産であっても命がけだと思います。私の場合は出産予定日が遅れたり、出産直前でおなかの赤ちゃんが大きいかもと言われて不安を感じたりもしましたが、比較的スムーズな出産となり本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:小西なつみ6歳と5歳の男の子と2歳の女の子を育てる3児の母。フリーライターとして活動しており、子育て関連や福祉関連を中心に執筆を手掛けている。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月09日出産は比較的楽……だったはずが、生まれてからの悩みが……コチ丸は、出産予定日より2週間ほど早く生まれました。出産の時は私もほかのお母さん方同様、陣痛との闘いでしたが、最後のほうはスルッと生まれてくれて、会陰切開も会陰縫合もなく、「綺麗な出産だねー」と看護師さんに言われたくらいの安産でした。私自身も「根性がないママのために早く生まれてきてやるか」とお腹の中でコチ丸が気を利かせてくれたのだと今でも信じて疑いません(笑)。ほかのママ友たちの出産の話を聞いていても、楽に生まれてきてくれたほうなのではないかなと思います。しかし、スムーズだった出産と比べて、育児のほうはそううまくはいかず、悩みの連続でした。コチ丸はもう少し小さかったら低出生体重児に入る、2520gで生まれてきました。初めての出産だった上にめちゃめちゃ小さかったので、3つ年上の甥っ子が生まれた時と比べてしまい、当時は本当に心配でした。Upload By あき吸う力が弱いのか母乳もあまり飲まなかったので、面倒くさがりの私は母乳を飲ませることは早々にあきらめミルクにしました。周りには母乳で育てることに結構こだわりを持っている人が多くいましたが、私は「初乳は飲んだし、あとは楽な方法で育てればいいや!」くらいの楽観的な考え方だったので、そこにはあまり抵抗はありませんでした。しかし、1ヶ月健診の時には体重がほとんど増えておらず、黄疸も出ていたので、どうしたものか……と途方にくれたのを覚えています。何より、それまで仕事をバリバリやってきた自分が、母親としては何もできない……ということに自分の無力さを痛感していました。当時はフリーランスでウェブデザイナーをしていたため、出産当日まで仕事をして、出産1週間で育児しながら仕事再開……という状況でした。当然ですが、仕事も思うようにはできず、疎かになってしまいました。あんなに母乳にこだわりのない楽観的な(笑)私も、当時は大分メンタルをやられました……。Upload By あき生まれてすぐから敏感な子ども。産後うつ状態に。さらにコチ丸はとても敏感で、昼間は抱っこして寝かしつけても布団に置くとすぐに泣き出したり、ちょっとした物音にも敏感で起きてしまったりしていました。毎晩寝る前には儀式のように1時間近くギャン泣きしていたので、私のメンタルはますます弱りました。これってほかの子もそうなのか?うちの子だけがこんなに敏感なのか?はたまた私がやっぱり根性がないのか?と思っても比べるものがないので分からず。私は若い頃にちょっと心を病んで通院・投薬をしていた経験からなんとなく、「あぁ、これはうつだな」という感覚はありましたが、病院にいく間もありません。出産からしばらく経った頃に、ギャン泣きするコチ丸の泣き声に耐えかねて、泣いているコチ丸を布団に置いたまま、部屋を出て近所を裸足でさ迷い歩いていたこともありました。相当病んでいましたね……(笑)。コチ丸パパもそんな私を見かねて、休みの日にマンションから近い自分の実家にコチ丸を預けるなどしてくれましたが、それはそれで義父母に「子育ても満足にできない嫁」と思われているようで素直に預けることはできませんでした。今思い返せば本っっ当にありがたい話なのですが……。当時はそこまでの心の余裕がなかったんだと思います。そんな中でもありがたかったのは実母の存在でした。出産の際に実家に里帰りしたものの、妹の家族も実家で暮らしており、なんとなく居心地が悪く感じた私は1週間で自分の家に戻りました。当時、私とコチ丸とコチ丸パパは、愛知県北部の実家から30キロ離れた名古屋のマンションに住んでいましたが、私が泣きつく度に実母は実家から車で駆けつけて、コチ丸の面倒を見てくれたのには救われました。未だに実母は当時のことを思い出すと「あの時は大変だった……」というので実母への負担も結構なものだったのかと思います。それでも当時、実母がコチ丸を見ていたのは1日のうちの数時間、かつ動き回る時期ではなかったので、まだ「コチ丸の本気」を知らなかったのです……。Upload By あき生後8週から保育園へ登園。良いバランスが保てるようになったのも束の間……。そんな現状を打破できたのは、生後8週から預かってくれる保育園を見つけたことでした。とにかくもっとしっかり働きたい!という気持ちと、フリーランスなので、お客さんをいつまでも待たせていられないという現状もあり、一刻も早く保育園に……と思っていたところ、家から車で10分くらいのところに保育園を見つけたのです。幸いなことに空きもあり、すぐに預けられることになりました。当時はまだ寝返りすらできないコチ丸をクーハンに入れて保育園に通っていました。預けられる時間は9時~14時くらいまででしたが、仕事にも集中でき、迎えのあとはギャン泣きのコチ丸とも向かい合える余裕ができたので良かったです。Upload By あき息子が高校から北海道に行ってしまった今、当時を振り返ってみると、「もう少し一緒の時間を過ごせたら良かったのかな」という思いも少なからずありますが、やはりあの時のメンタルで子どもと無理に一緒にいるよりは、あれで良かったのかなと納得しています。自分の心が健全でなければ子どものことも健全に見ることができないなと思うので、「離れる時間」というのも二人の関係性を保つのに大切なことだったと思います。都合の良い解釈なのかもしれないですが、親と子も相性は少なからずあるのではないかなと思っていて、親子であっても私とコチ丸はそこが相反するタイプだったために、離れたことによって心地いい距離感が生まれたのかな?と感じています。そんな良い感じの関係性で生活ができていたのも束の間(笑)。すぐに寝返りができるようになり、座れるようになり……立ち上がった頃には「コチ丸の本気」が始まりました(汗)。執筆/あき(監修:鈴木先生より)ASD(自閉スペクトラム症)のお子さんは感覚が敏感なので寝付かせるのが大変です。抱っこして揺らしていると泣き止むので親御さんはずっと立っていなければならなくなります。しかし、最近は電動で揺れる揺りかごなどもあり、こうした便利な育児用品を活用できれば、少しは親御さんの苦労も減るかもしれません。誰でもそうですが、ずっと一緒にいると細かいところも気になり過干渉になりがちです。親子とも離れたことでお互いに気にせずリフレッシュできたものと思います。親の子離れ、子の親離れも時には必要なのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月09日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。それが原因だったのか定かではないものの、一時は不正出血に悩まされていたのですが、医師のアドバイスを忠実に守っていると、いつの間にか解決されていました。そして、日が経つにつれ、おなかが大きくなりすぎてしまい、長女のお世話が難しくなってしまったマキノさんは実母の提案で里帰りの時期を早めることを決断します。しかし、いざ里帰りをすると、実母との躾の感覚のズレや自分のペースで生活ができないなどといった新たな悩みが発生してしまったのです。悩んだ結果、マキノさんは出産を終えたら、すぐに自宅に帰ることを決断をしたのでした。 正産期までもう少しとなったタイミングで、「出産入院時に長女をどうするか」について話し合いを切り出したマキノさん。実母と夫と3人で話し合った結果、出産の始まり方と夫の勤務状況でフローチャートを作り、それに従って各自が行動するという結論に至ったのでした。 出産を控えたママは、娘にあることを促して… コロナ禍の当時、子どもの立ち入りが禁止されていたため、最低でも5日間の入院中はくぅちゃんと会うことができず……。 そのため、マキノさんは夜寝る前、くぅちゃんにおなかの赤ちゃんことや、入院のことについて繰り返しお話をしていました。 (頑張れくぅちゃん。ママも頑張るからね) そう心の中でつぶやきながら、娘と2人だけの時間を噛みしめていたのでした。 コロナ禍という状況で子どもの立ち入りが禁止となっていたため、入院してから最低5日間はママに会えない娘の気持ちを考えると、マキノさんもつらかったと思います。ただ、娘が“ママがいなくて驚かないように”と、マキノさんがかみ砕いた説明を繰り返したことで、くぅちゃんも状況をある程度は理解してくれたのではないでしょうか。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年05月07日私は25歳の主婦。カフェを経営する夫と結婚してから5年、待望の赤ちゃんを出産しました。しかも双子!夫も大喜び。産院に私の両親もかけつけ、隣に住むB太おじさんも来てくれました。B太おじさんは昔奥さんを亡くしてからずっと一人暮らし。私のことを娘同然にかわいがってくれた人で、実業家でもあります。皆が祝福する中、義母は病室に入ってくるなり嫌味を言ってきます。「いつまで寝腐っているの? 私たちの時代は、赤ちゃんをおんぶしてでも働いたもんなんだよ!」と信じられない発言。隣にいた義父も早く帰りたそうにしています。「出産くらいでサボるな!」と義母出産から1週間後、私と双子は退院。すると義母が家にやってきて「かわいい孫のために子守に来てやったのよ。あんたはさっさと掃除洗濯を済ませて買い出しにいきなさい! 出産くらいでサボルんじゃないよ!」とありえないことばかり言います。その日はなんとか帰ってもらったものの、たまらず夫に相談すると、「明日も明後日も行くって、俺に電話してきたんだ」と。2人で話し合いの末、私は実家へ帰ることにしました。 事情を知った両親は、実家でゆっくり休ませてくれ、子どもたちの面倒を見てくれて、安心していたのですが…… あまりにもひどい義母に、とある作戦を決行!ある日、義母から電話が! 「どうせ私へのあてつけでしょ! かわいい孫に会わせないつもりなのね! 嫁は姑の言う通りにしなきゃいけないのよ!」とまくしたてます。 そこへ両親から事情を聴いたB太おじさんがやってきました。すべてを知ったB太おじさんは「お義母さんをギャフンと言わせてやろうじゃないか」と、夫にも協力してもらい、とある作戦を実行することに! B太おじさんは義父の会社の会長!?夫が義実家に行き、「母さんのせいで人生終わりだ! 父さん、妻の実家の隣に誰が住んでいるのか、当然わかっているよな?」と義両親に伝えます。そう、お隣のB太おじさんは義父が勤める会社の会長なのです。 「会長は妻を娘同然に可愛がってきた人だ。嫁いびりの件を妻から聞いて、相当お怒りのようだぞ! 会長から話があるようだから、すぐに実家に来るように伝えてくれって言われたんだ」と夫が言うと、慌てだす義両親。以前から借金があった義両親は、B太おじさんに雇ってもらえたおかげで今の生活があるのです。 「だから嫁いびりなんてやめとけってあれほど言っておいたのに!」「だ、だって……あ、あなただって暇があるなら嫁をつけて来いって……」と今さら言い合いを始めます。 顔面蒼白の義両親に顔面蒼白の義両親が実家に到着すると、怒ったB太おじさんがスタンバイ。謝る義両親に「謝る相手が違うんじゃないか? 子どもができて、心身ともに疲弊している母親を散々困らせるとは。君は嫁にマウントをとって、自己満足しているだけだ!」と義母を責めます。 タジタジになった義母は「私だってチヤホヤされたかったのよぉ~!」と観念。また、義父にも「傍観者も同罪だ! 君にも謝罪の必要がある!」と伝えます。顔面蒼白になった義両親はこれまでのことを私に謝罪してくれました。そしてその後、義父は地方への転勤が決まり、2人は引っ越していきました。 すっかり平和になった私たち。夫は家事育児をしてくれて、両親もサポートしてくれます。その上、B太おじさんも子どもたちを孫のように大切にしてくれて、ランドセルまでプレゼントしてくれました! 双子はたくさんの愛を受けて、立派に育ってくれています。 産後の嫁の体調を気遣うこともしない義両親、距離を置いて大正解でしたね! 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月07日私の初めての出産で、女の子が生まれたときのお話です。たくさんの祝福を受けましたが、特に義母は涙ながらに喜んでくれました。退院後、しばらくの間は実家で過ごし、その後は夫が待つアパートへ、娘と共に戻ることに。その直後、娘も連れて、家族で初めて義実家へ泊まりで訪問したときに、義母からまさかの発言があったのです。 2人目を早く産みなさい!?初めての孫の訪問に義母は大喜びで私たちをもてなしてくれました。そして、すぐに私に「孫は本当にかわいいわねえ! 2人目はいつにするの?」と言いました。私は出産直後ということもあり、2人目のことはまだ考えていなかったので、その旨を話すと「2人目は早いほうがいいに決まってるじゃない! ちゃんと考えなさい!」と言うのです。 そばにいた夫は「まだ生まれたばかりなんだから、母さんも急かすなよ」と笑いながら対応。しかし、私はそのときの義母の顔を忘れられません。孫の前では絶対に見せない、義母の怒りを我慢した表情に背筋が凍りました。 義母の持論「年子のすすめ」翌日、義母と朝食を用意していると、「次の子は年子でいいと思うのよね」と再び2人目の話に。夫には弟がいますが、2人は年子です。「双子みたいに育てられて楽しいのよ! 大変かもしれないけれど本当に充実していたわ!」と義母。 私が「でも大変ですよね?」と答えると「服は上の子のお下がりがあるし、1人も2人も一緒でしょ? 私も、あと2人ぐらいは産んでおけばよかったと後悔しているんだから!」と発言。私は出産や育児は簡単なものではないと考えているので、義母の言葉に違和感を覚えました。 今は生まれたばかりの娘に集中したい義母に何を言われても、今は生まれたばかりの娘の育児で精いっぱいなので、うまくはぐらかしていたつもりだったのですが、私が2人目のことを真剣に考えていないと思ったのでしょう。 義母から「何のために私がいるのよ!? あなたは産めばいいだけなんだから、あとは私に任せなさい。まだまだ育児ならできるんだから!!」と発言した義母は鬼気迫るものがあり、無責任に年子の出産をすすめる義母に、私は開いた口が塞がりませんでした。 その後も義実家に訪問するたびに2人目の催促をされました。しかし夫と私は、まだ2人目を考えられず、義母の言葉を受け流し続けています。義母は初孫の誕生がとてもうれしかったようで、早くも2人目が欲しいと思ったのでしょう。自分が育ててもいいと言うほどに……。義母の思いを、今すぐに受け止めることはできませんが、いつか2人目が授かることができたら、すぐさま義母に報告するつもりです。きっと大変喜んでくれることでしょう。 作画/ぐら子著者:神崎 ハナ2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。育児や健康に関する記事を執筆中のライター。教職員や福祉の資格を持つ。
2024年05月06日この記事では、2024年4月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。有村智恵さん、鈴木サチなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、7名の出産のニュースをお届けします。 出産発表小玉百夏(30歳)俳優 ※夫は野津山幸宏(27歳)声優出産発表:2024年4月2日(1人目・男児)ブログ・SNS:X(@wonderfulbaseba)有村智恵(36歳)プロゴルファー 妊娠発表:2023年11月22日出産発表:2024年4月11日(双子・男児)ブログ・SNS:Instagram(@chiearimura)栗原ジャスティーン(35歳)ライフスタイルモデル ※夫は栗原 嵩(36歳)アメリカンフットボール選手出産日:2024年4月21日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@justinekurihara)鈴木サチ(44歳)モデル妊娠発表:2023年11月28日(5人目)出産日:2024年4月24日(男児・3,684g)ブログ・SNS:Instagram(@sachi_suzuki)てんちむ(30歳)タレント・モデル・YouTuber出産発表:2024年4月26日(1人目)ブログ・SNS:X(@tenchim_1119)パパになった芸能人・有名人亀田和毅(32歳)ボクシング元世界2階級王者 出産日:2024年4月2日(2人目・男児・3,150g)ブログ・SNS:Instagram(@tomokikameda)村上健志(43歳)お笑いコンビ・フルーツポンチ出産発表:2024年4月6日(1人目)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年05月05日私は夫の転勤先だったイギリスで長男を妊娠・出産しました。日本にいた私の母は、海外で初めての出産となった私を心配し、1カ月間イギリスの自宅へサポートしに来てくれることに。私は家事や初めての育児を母に手伝ってもらいうれしかったのですが、夫は母との慣れない同居生活にストレスがたまったようで……。唐突に始まった新生児と母との生活母がイギリスに到着した次の日に、私は長男を出産。イギリスでは出産翌日の退院が一般的で、翌日から生後1日目の新生児と、母との同居生活が始まりました。同居生活が1週間ほど経過したころ、明らかにイライラしている夫に気づいた私。 聞くと、夫は母との慣れない同居生活に気疲れしていました。また、長男にイギリス流のお世話をする私たちに対し、母が良かれと日本流のアドバイスをすることにも、強くストレスを感じていたとのこと。 実際私も、「このアドバイスは違うな」と思うことはありました。夫は我慢してくれていたのですが、私は長男のお世話による寝不足で疲れすぎていて、解決を先延ばしにしてしまったのでした。 無言で出ていった夫…同居から約2週間たった週末の朝、何気なく夫に育児用ミルクのあげ方をアドバイスしていた母。すると母に注意され明らかにムッとした様子の夫は、バタン!とドアを閉め、無言で家を出て行ってしまいました。私は夫の行動にショックを受けながらも、母に今まで夫が抱えていた気持ちを打ち明けることに。 母は「私も口を出しすぎかもと思っていたの、ごめんね」と理解してくれました。夫は夕方に「友人と出かけている。夜に帰る」とやっと連絡をくれ、20時ごろ落ち着いた様子で帰宅。 その後私たちは、母に「アドバイスはうれしいが、私たちはイギリスの方法で長男を育てたい」と伝えました。私たちの気持ちを尊重してくれた母は「イギリスの方法で一緒に頑張ろう」と言ってくれ、以降、母と私たちは穏やかな雰囲気で過ごすことができました。 私は初の出産や長男のお世話に気を取られ、プチ家出させるほど夫を追い詰めてしまいました。他人同然の私の母との同居に戸惑う夫への気遣いが足りなかったと反省しています。家族といえども、気持ちをしっかり言葉に出して伝えることの大切さを、改めて実感した出来事でした。 著者:濱田よし
2024年05月05日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。しかし、ある日突然不正出血が……! 次の日に病院を受診すると異常はなかったものの、医師から「娘の抱っこは控えるように」と指摘されてしまいます。その言葉を真摯に受け止め、安静にした生活を送っていると次第に出血は治まったのでした。それから月日は流れ、妊娠7カ月を迎えたマキノさん。おなかが出てきたせいで、娘の育児がしにくくなってしまったのを実家の母親に伝えると、「里帰り出産する時期を早めたらどうか」と提案され、夫に相談した結果、帰る時期を早めることに。 最初のうちは実家での生活は「最高!」と思っていたマキノさんでしたが、1カ月経つころには、躾の感覚のズレや自分のペースで生活ができないといった理由から、「早く産んで帰りたい」と思うように……。そして悩んだ結果、出産したらすぐ自宅に帰る決断をしたのでした。 ベビー服のかわいさに見とれながら、お買い物♪ 久しぶりに見るベビー服のかわいさにキュンキュンしながら必要な物を物色していくマキノさん。 もともとくうちゃんが使っていた物の中で使えそうな物は、おさがりとして利用する予定でした。 結局、新しく買った物は、入院グッズで使う衣類や下着のほか、ニプルや粉ミルク、消毒液、おむつ、ベビーバスなど。 細かい出費はあったものの、チャイルドシートやベビー布団、抱っこひも、ベビーカーといった大物関係はくぅちゃんのお下がりで充分だったため、出費をある程度抑えることができたのでした。 出産や入院グッズを一気に購入するとなると、買う物が多くて大変そうですが、人手がある里帰り中だったため、スムーズに買い物ができたマキノさん。今回は第2子の出産だったので、くぅちゃんのおさがりで使える物が結構あったようです。少しでも出費を抑えられたようでよかったですね。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年05月04日長期出張中の夫を持つ私は、もうすぐ出産予定。しかし、近所に住む義姉は「心配だから」と言って、毎日のようにアポなしでわが家に押しかけてきます。そんなある日、私が里帰りする日にわが家の前に子どもたち5人を置き去りにしていったのです――。「わざわざ見に来てやってるんだからありがたく思ってね」と、毎日のようにアポなし訪問をしてくる義姉。つわりがひどい私ははっきりと迷惑だと伝えたのですが、義姉にはどこ吹く風。「家族なんだしこれぐらい普通でしょ?」とますます義姉の言動はエスカレートしていったのです。 ありがた迷惑「弟が長期出張中だし、心細いだろうと思って」と私を心配する素振りを見せつつ、毎日のようにわが家にアポなしでやってくる義姉。しかも、私の夫から合鍵を受け取っていたらしく、私の不在時にもわが家に上がりこんでいました。 出産する私のためにと両親が送ってくれた和牛や高級なお菓子を、無断で持っていく義姉。勝手に入って勝手に家のものを持っていくなんて、非常識にもほどがあります。 私がいくら抗議しても、義姉は聞く耳を持ってくれません。それどころか、「私ったら今朝ゴミをすっかり出し忘れちゃって!」「あなたのところは明日がゴミ回収日でしょ?家の前に置いておいたから代わりに出しておいてね」ととんでもないことを言い出したのです。 慌てて家の前を確認すると、大きなゴミ袋がいくつもありました。中身をよく見ると、まったく分別されていません。「分別されていないし、回収してもらえませんよ!」と言うと、義姉は「じゃあ袋から出して分別もしておいて」「近所に暇な妊婦がいるとすごく便利だわ~」と手をひらひら振りながら帰ってしまったのです。 理解のない夫義姉の横暴に限界を感じていた私は、義姉が帰った後すぐに夫に電話しました。 「どうしてお義姉さんに合鍵なんて渡したの!」「ここ最近毎日アポなしで来て、『やめてくれ』って頼んでるのに話を聞いてくれないのよ!」「冷蔵庫から食べ物も勝手に持って行っちゃうし……!」 私は義姉にされたことを並べ立てると、夫はふんっと鼻を鳴らしました。そして、「人の姉を盗っ人呼ばわりか?」「よくも旦那の姉にそんなことが言えたな、姉ちゃんは妊婦のお前を気遣って様子を見に来てくれてるんだぞ!」と私を叱ったのです。 「姉ちゃんから聞いたぞ、妊娠を言い訳に毎日寝てばかりなんだってな」「ずっとごろごろしていて部屋も汚いらしいし、そんなんで母親をやれると思ってるのか!」 ひどいつわりで苦しんでいるから横になっているだけなのに……。体調が良いときには家のことや産後の準備を進めて、さらに保育園の情報も集めているのに……と、悔しい気持ちでいっぱいになる私。 ぐっとくちびるを噛み締めたあと、私は「お義姉さんのアポなし訪問には耐えられないし、あなたはつわりの苦しさも理解してくれない」「こんなところで出産なんて絶対に無理です。私は実家に帰るからお義姉さんはもう来なくていいって伝えておいてください」とだけ告げて、私は電話を切りました。 置き去りにされた子どもたち3日後――。 私は夫に言った通り、里帰り出産をすることに。その日はかなり気温が高くなることが予想されており、私は午前中に家を発つつもりで準備を進めていました。 さぁいよいよ出発するぞ!というときに、義姉から連絡が。無視するわけにもいかないと思い、電話に出てみると――? 「あなたの家の前に子どもを5人置いておいたから!」「明日まで面倒を見てあげてね!」 突拍子もない義姉の言葉に、私はしばらくぽかんとしてしまいました。窓からそっと外の様子をうかがうと、まだ小さな子どもたちがうちの前で遊んでいます。 「うちの子とそのお友だちよ!」「本当は今日からわが家でお泊まり会をする予定だったんだけど、私に急用ができちゃって」「だからあなたにお願いすることにしたの!」 あまりに自分勝手な義姉。私がこれから実家に帰るのだと言っても、「わざわざ里帰り出産なんて必要ないわ、近所に私がいるんだから!」と聞いてくれません。 「何十年も前に出産した母親より、頼りになるのは現役ママの私よね」「夫もいなくてさみしいだろうから、家に遊びに行ってあげたのに」「食材だって一人暮らしじゃ余って腐らせるだけでしょう?だから食べるのを手伝ってあげたのよ」 まだまだ義姉の言い分は止まりません。 「臨月だからって怠けてるんじゃないわよ!」「今日は子供5人連れてきたからご飯と風呂よろしくw」「ご自由にどうぞ」「アンタは私の奴隷よw」 「里帰りになんて絶対に行かせない」という義姉に、もはやため息しか出ません。私は玄関の鍵がかかっていることを確認し、電話を続けながら荷物を持って裏口から家を出ました。 「家には鍵をかけました」「今日も日中はかなり暑くなるそうですから、子どもたちが熱中症になる前に早めに迎えに来てあげてください」「私は予定通り実家に帰らせていただきます」 「子どもを置き去りにして出かけようっていうの!?」「私には急用があるし、子どもたちはあなたの家の敷地内にいるんだからあなたが責任を取って面倒を見るべきだわ!」となんとか私に言うことを聞かせようとしてくる義姉。これでは埒が明きません。 「それじゃあ、責任を取って警察に通報だけしておきますね」「子どもたちがわが家の前に放置されてると伝えておきます」 その後――。 私はその後すぐに警察に通報。子どもたちは警察に無事保護されました。そして義姉は警察をはじめ、ママ友たちからかなり怒られた、疎遠になったと私に八つ当たりしてきましたが、私の知ったことではありません。 義姉はお泊まり費用としてママ友たちからもらったお金を、自分の懐に入れていました。面倒な子どもの世話は私に押しつけ、もらったお金で買い物しようと企んでいたようです。義兄のところにも警察からの連絡が行き、夫婦仲は最悪なものになっているそう。 一方、無事に里帰りした私は離婚の決意を固めていました。義姉だけでも厄介なのに、そんな義姉から守ってくれない夫と一緒にこれから子育てしていくのは無理だと思ったからです。 夫は離婚をしぶっていたものの、義両親が私の味方をしてくれたこともあって、最終的には離婚届にサインをしてくれました。すべて私の満足する条件での離婚となったため、とくに不安はありません。 実家の両親がサポートをしてくれるというので、適度に甘えつつ、子育てを楽しめたらいいなと思っています。もちろん義両親にも時々顔を見せに行こうと思います。今はただ、おなかの中の子が元気に生まれてくることが楽しみです。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月03日妊娠、出産、子育ての間で私のおっぱいは大きく変わりました。今回はそれぞれの段階での私のおっぱいの変化と、その中で私が気をつけていたこと、感じたことについてお話しします。 妊娠時期のおっぱいの変化妊娠前までⅭカップだった私のおっぱいは、妊娠5カ月ころから今まで見たことないくらいに大きくなりました。乳輪も大きくなり、色は黒っぽく変化。 どんどん変わるおっぱいにびっくりしましたが、パパが「これも赤ちゃんに母乳をあげるためだな!」と明るく言ってくれたので、気持ちがラクになり、「これもママの証だ!」と受け入れられました。この時期は妊娠線ができないようにお風呂上がりは毎日おっぱいにクリームを塗りました。 断乳後に垂れてしまったおっぱい出産後、おっぱいの出はよかったのですが、そのため赤ちゃんがおっぱいを飲む間隔があくとおっぱいがぱんぱんに張って、衣服が当たるだけでも痛かったのです。おっぱいが詰まらないように和食中心の食事を心がけ、衣服も締めつけが少ない物を着ました。※母乳分泌と食事には関連がないと言われています。 子どもが1歳のころに断乳をしたのですが、断乳したとたんにおっぱいがしぼんでしまって、インドのナンにレーズンがくっついているような状態に……。すっかり垂れてしまったおっぱいの変化にショックを受けました。 落ち込んでいた私に、パパからのひと言おっぱいの変化に落ち込んでいると、パパから「年を取ったら、おっぱい垂れる人いっぱいいるんじゃない? それは“ママ”としての勲章だよ!」と、力強い励ましの言葉が。その「勲章」という言葉で、落ち込んでいた気持ちが一気に吹き飛びました。 それからは、おっぱいをしっかり持ちあげてくれるブラジャーにしたり、猫背にならないよう胸を張って歩くことを心がけていくうちに、見た目のシルエットではおっぱいが垂れていることは気にならなくなってきました。 私の場合は出産や妊娠、子育ての期間でおっぱいが変化しましたが、もしかしたらちょうどおっぱいが垂れる時期と重なっていたのかも?と思ったりします。はじめは変化する自分のおっぱいに戸惑いを受けましたが、今ではこのおっぱいを「勲章」と思い、誇りに感じながら過ごしています。 著者:菅谷里奈1女、2男の母。現在第4子目妊娠中。ベビーマッサージインストラクター、ベビーヨガインストラクター、ベビーシッターの資格所得。子育て経験を活かしながら、妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者・イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター 漫画家 まっふ
2024年05月03日長男を出産し、初めての育児に戸惑いながらも育児書などで情報を集めながらなんとか慣れてきたころ、女性である自分では経験のない男の子の性器ケアの問題に出合いました。いろいろな情報があり、個人差もあるそう。夫に相談しても記憶にないからわからないという返答に、「どうしたらいいの?」と悩んでいた私の体験談をお話しします。 育児に奮闘するも1つの疑問が…わが家には男の子2人、女の子2人の4人の子どもがいます。今でこそ子育ての経験があるので次男、次女では余裕をもって子育てできていますが、長男を出産したときは、初めての育児でわからないことだらけ。情報を集めながら1つひとつ対応していました。 長男が寝ているときに育児雑誌を見ていると、男の子の性器ケアのことが目に入りました。お風呂に入れたときにきれいに洗ってはいたものの、それだけでは足りない場合があることがわかり、どういうタイミングでどうしたらいいのか疑問だらけに。夫に相談しましたが記憶にないと言われ、ますますわかりませんでした。 ※男の子の性器ケアは清潔に保つことが基本ですが、健診などで、おちんちんの皮をむく「むきむき体操」を指導されることがあります。「むきむき体操」が必要ない赤ちゃんもいるので、健診などで受診した際に医師に相談しましょう。 思いきって相談することに長男は生まれたときに先天性肺炎でNICUに入っていたこともあり、病院に定期健診に行っていました。幸い心配していた後遺症もなく、1歳で病院での定期健診を終えたのですが、健診の最後に「わからないことはありませんか?」と先生が聞いてくださったので思いきって性器ケアについて相談することに。 すると、「心配ならやっておきますね」と皮を下げて亀頭を出す処置をしてもらいました。成長とともに自然にという話や、むきむき体操をやったほうがいいなどいろいろな説はあると思いますが、私は小児科の先生に相談して不安な要素がなくなったので長男にとってもよかったのではと思います。 3歳で男の子あるある長男が3歳になったころ、「ちんちんが痛い」というので病院へ行きました。トイレトレーニングも終わり、パンツを自分ではけるようになっていたころ、自分でおちんちんを触って菌が入ったようで炎症を起こし、膿が溜まっていました。 病院で膿を出し、消毒してもらい、抗生物質を処方してもらうことに。本人は痛かったようで、それからは触って遊ぶことはしなくなりました。病院の先生からも「きれいに洗って、バイ菌のついた手ではさわらないようにね」と注意されました。 ママにとって男の子の性器ケアは、自分に経験がない分心配になります。お風呂できれいに洗っていれば成長とともに見守っていてもいいようですが、小さいうちにできることはやっておいてあげられればと思っていました。長男は1歳のタイミングでしたが、高校生になった今、特に問題ないようなので安心しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ著者:松田みさと長男と次男が15歳差の2男2女の母。仕事をしながら子育てに奮闘中。現在はライターとして、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月03日マキノさんは長女が1歳9カ月のとき、めでたく第2子を妊娠。妊娠中でありながらも、平日はほぼワンオペ育児をおこない、毎日がつわりとの闘いでした。娘を育児しながらの生活の妊娠生活は想像以上に大変で、抱っこをせがまれればその都度応じていたマキノさん。しかし、ある日突然不正出血が……! 次の日に病院を受診すると異常はなかったものの、医師から「娘の抱っこは控えるように」と指摘されてしまいます。その言葉を真摯に受け止め、安静にした生活を送っていると次第に出血は治まったのでした。それから月日は流れ、妊娠7カ月を迎えます。そのころになると、マキノさんのおなかは大きくなっていました。おなかが出てきたせいで、娘の育児がしにくくなってしまったことを実家の母親に伝えると、「里帰り出産する時期を早めたらどうか」と提案されたマキノさん。 夫に相談すると里帰りを早めることに賛成してくれたため、当初の予定より少し早めの8月末ごろ、マキノさんは娘と一緒に実家に帰ることになったのでした。 ママが不安を抱えながら、帰省をすると…? 娘のくぅちゃんが筋金入りのママっ子だったため、里帰りするにあたり、実家で人見知りを発動させないか不安に思っていたマキノさん。 そこで、里帰り出産が決まった7月ごろから毎日母親にテレビ電話を繋いでもらい、娘とコミュニケーションを取ってもらうことを思いついたのです。 その結果、帰省するとさっそく「ばあば! きたよー!」と母親に懐く娘。 マキノさんはその光景を見て、思わず安堵するのでした。 毎日ばあばの顔を見てお話しすることで、次第に心を開いていったくぅちゃん。じぃじには人見知りを発動させてしまっていますが、ひとまずばぁばに懐いてくれるのは心強いですよね。ビデオ通話の作成が功を奏して本当によかったです。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター マキノ食べることが大好きな元気な姉弟、くうちゃん、へうくんの母親。真面目で優しいパパと、二人の子どもたちとの4人暮らしです。SNSで、日常の笑ったこと、泣いたこと、感じた事など、絵にしています。
2024年05月02日出産時を振り返ると、たびたび話題になるのがパパの振る舞いです。中でも、陣痛中のスマホ問題は切実……。出産から時間が経ってもなお、思い出すとイラッとするエピソードになっているようです。では、出産に立ち会うパパは、どのように過ごせばよいのでしょう? ベビーカレンダー公式インフルエンサー組織「ベビカレメイト」のママと開催した座談会で、話を聞きました。座談会では「陣痛時、必要以上のスマホ操作は好ましくない」と言う意見で一致。陣痛中、パパは手持ち無沙汰だったり、何をしていいかわからなかったりするのも頷けますが、ママは命懸けの出産に挑んでいます。陣痛の痛みを想像して…陣痛の長さや痛みは人それぞれ。それでも一定の間隔で痛みが訪れ、そのつらさは想像を絶するもの。数時間で分娩に進む人もいれば、日を跨いで痛みに耐える人もいます。 まずは、陣痛がいかに大変か、可能な限り想像し、自分ごとにするとよいでしょう。 スマホゲームや不要なネットサーフィンは控えるか、ママの了承のもと、おこなうのがベターと言えます。パパへのお願いでは、陣痛中のパパはどのように振る舞うのが良いのでしょう。座談会では、3つの意見が挙げられました。 ドラマのようにそばで応援痛みを代われない以上、パパにできることには限りがあります。しかし、その場にいるだけで、心強かったり一緒に出産に臨んでいる気持ちになったりするのは紛れもない事実です。 人生イチと言っても過言ではない痛みに向き合うママには、誠心誠意向き合ってほしいもの。妊娠・出産ドラマを視聴し「ドラマのように応援する姿勢」を研究しておくといいかもしれません。 親に出産の進行状況を連絡いざ陣痛が来たとなると、ママの両親も心配しているはず。パパには出産の進行状況を両親に連絡してほしいと言う意見も挙がりました。 痛みと痛みの間はママにとっては貴重な休憩時間。少しの連絡でさえ、思うようにはできないものです。事前に連絡先を交換するなどし、連携を取れるようにしておきたいですね。 写真を撮ってほしい最後に挙げられたのが、陣痛・出産時の写真を撮ってほしいと言う意見でした。出産時の写真は二度と撮れない貴重なショット。 陣痛に耐える姿はもちろん、産まれてくる瞬間など、どんな写真を残したいかは出産前に話し合っておくといいかもしれません。 逆に、写真を撮られたくない場合も事前に伝えておきましょう。また、院内での撮影は産院に確認しておくと安心です。出産に立ち会うパパの心得何より、陣痛は言い表せないほどキツいもの。一般的な腹痛とは異なります。パパにはそれをしっかり理解し、出産に向き合ってほしいのです。 そして、重要なのは、何があってもイラッとしないこと、後に引きずらないこと。陣痛のつらさのあまり、ママはひどいことを言うかもしれませんが、どれも陣痛の痛みがそうさせているのです。 意外と忘れられない出産時のパパとのエピソード。立ち会い出産をする人は、穏やかな気持ちで出産当日を迎えられるよう、事前に話しておくといいかもしれませんね。 ベビカレメイトのママたちの体験談が、これから出産を迎えるママの参考になることを願っています!
2024年05月01日出産直後から産後うつになり、とても苦しい時期を過ごしました。夫や私の両親は理解を示してくれたのですが、義母に症状を伝えたところ、とんでもないひと言が返ってきて……。ドン引きしました。 産後うつだと義母に伝えたところ…出産して、産後うつになった私。「自分は子育てができない」と悩み、食事もまともに食べられない、眠れない、涙が出てくる、と思い出しても本当につらかったです。 夫や私の両親は産後うつについて勉強し、理解を示してくれました。私が少しでも休めるようにと、夫は早めに帰宅をして育児をしたり、母は家事を手伝ってくれたりと、本当に有難かったです。 あるとき、義母に産後うつだと電話で話したところ、「子どもを産んだだけでうつ? どういうこと?」「そんなことでこれから育てられるの?」とお説教が始まり……。追い詰められた私は始終泣いていました。 その後も義母から電話が続き、堪忍袋の緒が切れた夫が「いま○○(私)は病気なんだ。看病する気がないなら放っといてくれ!」と言って電話禁止令を出してくれました。家族の助けや病院の治療で、うつの症状は治っていきました。今は元気を取り戻し、夫と両親にはとても感謝しています。しかし、義母の余計なひと言で症状が悪化したため、義母の言動は今も忘れられません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◇ ◇ ◇ 産後はホルモンバランスが急激に変わり、この変化が自律神経に影響を及ぼします。よく聞かれる「マタニティブルーズ」は一過性の生理的なもので、産後2週間ほどで自然に治まることがほとんど。一方の「産後うつ」は早ければ産後2〜4週ごろに発症し、こちらは医療機関での治療が必要です。マタニティブルーズが悪化して産後うつになるケースも少なくないので、ひとりでかかえこまず、かかりつけの医師または心療内科や精神科に相談して治していきたいですね。 イラスト/シュー子著者:中田美子監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年04月30日息子が生まれたばかりのころの話です。里帰り出産をした私は、実家から近い祖父母の家で1カ月ほどお世話になっていました。そんなある日、祖父が何気なく放った言葉に私はとてもショックを受けてしまいました……。 祖父の何気ない一言そのころの息子はよく泣く子だったので、泣き始めてすぐは様子を見ているようにしていました。息子を抱き上げた祖父は、「こんなに泣いているのにママに抱っこしてもらえないなんて、かわいそうに」と言ったのです。 私にとっては初めての子育て。泣いている理由もまだわかりませんでした。 祖父にも悪気はなかったと思いますが、そのときの私は産後で心身ともにボロボロの状態。その一言が割れたガラスのように心に突き刺さってしまい、ショックでぼう然……。その後、そのまま別室に行って、しばらく一人で泣いていました。 後日、夫が私の祖父母の家に来たとき――。 息子を夫に任せ、私はのんびりとお風呂へ。私が入浴してからしばらく経つと息子はぐずり出してしまい、いくら夫があやしても私が戻るまで泣き続けていました。 そのときにも祖父は「かわいそうに」「やっぱりママじゃないとダメなんだ……」と夫と息子に対して言ったそうです。今度は、夫が祖父の言葉にひどくショックを受けていました。 私たち夫婦は、2人で協力して子どもを育てていこうと約束していました。もちろん性差はありますが、「ママじゃないとダメ」「パパじゃないとダメ」ということはできるだけないようにしていくつもりだったのです。 今回のことで、祖父のような近しい存在でも、子育てに対する考え方が違ったり、何気ない言葉で傷つけてしまったりすることがあると気づかされました。子育てをしていく過程では、大小あれどこのようなことはまた起こるのかもしれません。私たち夫婦は、この出来事をきっかけに改めて話し合いました。そして、アドバイスは参考にしつつも、人の言葉に惑わされず、息子に合った育児スタイルを確立させていこうと心に決めました。 イラスト/ふくふく著者:松本 ロイ子
2024年04月30日同性カップルの日常をYouTubeチャンネル『ふたりママFamily(旧Maho Risa Family)』で発信しているMahoさんとRisaさん。パートナーシップ宣誓し、家族となった2人。その後Risaさんが2022年11月に長男・ぽこ太郎くんを出産しました。今回は、Mahoさんが妊娠・出産したということで、1人ずつ出産しようと思った経緯や年子育児のメリット、デメリットなどをお聞きしました。 ベビーカレンダーは、多様化している家族のあり方=『新しい家族のカタチ』について発信する取り組みを開始しました。当事者のリアルな声を紹介していきます。多様な幸せを実現できる社会、そして、もっと「家族を持ちたい」「赤ちゃんを産みたい」と思う人が増える世の中づくりの一助となりますように。 職場の同僚のMahoさん(写真左)とRisaさん(写真右)。一緒に仕事をする中でお互いに惹かれあい、お付き合いをスタートし、家族になりました。 付き合ったころから「子どもが欲しい」と思っていたという2人。さまざまなステップを経て、デンマークの精子バンクで1,000人以上の候補の中からドナーを決定。5回目のチャレンジでRisaさんが第一子・ぽこ太郎くんを授かり、2022年11月に出産しました。 育児に専念するため、しばらく動画をお休みしていた2人。久しぶりに更新した内容は、なんと「2人目の妊娠発表」! 今回妊娠したのはMahoさん。2024年3月に第2子を出産しました。2人のママが、1人ずつ出産したわけとは…!? マイノリティだからこそ、分かり合えるきょうだいが欲しかった2人は元々、「子どもは2人欲しかった」そうです。 その理由は、「マイノリティだから、分かり合える相手としてきょうだいがいた方が良い」と考えてのことだと語っていました。 年齢的に子どもを3人もつことは厳しいかもしれないため、話し合って子どもは2人と決めたようです。 2人のママが1人ずつ出産したわけとは?子どもたちの将来を考えて、きょうだいを作ろうと計画した2人。Mahoさんは最初から「絶対に子どもを産みたい!」と思っていたそうですが、Risaさんは自分で産むことに関しては、「どちらでもいいかな」と思っていたそう。 そんな中、「家族が増える=家族としての幸せが倍になる」という話を2人でしているうちに、Risaさん自身も自然と「子どもを産みたい」と考えるようになったといいます。 自分も産みたいけど、2人の子どもを想像したときに「Risaの子どもを育てたい」というMahoさんから熱望もあり、1人ずつ出産することにしたようです。 なぜ「絶対に自分が産みたい!」と思っていたMahoさんからではなく、Risaさんが先に出産したかというと、年功序列で決めたそうです。 年子育児のメリット・デメリット動画では、年子での妊娠・出産・育児を振り返って良かったこと、大変だったことを教えてくれています。 良かったこと・上の子もまだ小さいので、ママが妊娠することによる寂しさをあまり感じていない・1人目の出産・育児の記憶が新しいから、2人目育児の想像がつきやすい・出産準備がラク。上の子のものを使える 大変だったこと・ぽこ太郎が保育園1年目なので風邪をひくことが多かった・妊娠中のMahoさんが子どもと一緒に風邪を引きやすかった・妊娠中の抱っこが大変だった このほかにも、「上の子と同じ産院で出産し、同性カップルという特殊な環境を温かく受け入れてもらえた」ことが良かったそう。 同性カップルだからこそわかり合えること「1年前にパートナーが妊娠・出産を経験しているからこそ、つらさや大変さをわかり合うことができた。これはめちゃくちゃ良いことだった!」と語るMahoさん。 初めての妊娠で不安な中、一度出産を経験しているパートナーが横にいてくれるのはとても心強かったそうです。 また、2人のつわりの重さが違ったことから、「人によっても妊娠や出産の状況は異なる。決めつけた価値観で話さない方が良い」など、お互いに経験しているからこそ理解し合えることもあったといいます。 ◇◇◇ 動画では、終始おふたりが笑顔で見つめ合って話す姿から、お互いを想いあっている様子がとても伝わってきます。そんな姿に、視聴者からは『愛に溢れた素敵な家族だと心から思える。お体お大事に赤ちゃん楽しみにしてます!』など、たくさんの応援コメントが届いていました。 同性カップルの子育てや年子育児はたくさんの苦労もあるかと思います。お互いの気持ちを分かり合えるおふたりなら、支え合いながら笑顔溢れる子育てができそうですね。 YouTubeチャンネル「ふたりママFamily」では、おふたりの日常生活妊娠中や子育てについてなど、さまざまな動画が投稿されています。ぜひチェックしてみてくださいね。著者:ライター 逆井マリ
2024年04月30日先輩ママから便利とよく聞く「バウンサー」。赤ちゃんが生まれる前や生まれたあとすぐに購入を検討する人も多いと思います。でも、実際にバウンサーが必要なのか、またどんなバウンサーを選べばいいのか悩みますよね。そこで、おすすめのバウンサーや選び方…
出産準備で購入を検討するもののひとつ、ベビーベッド。決して安くはない買い物になりますので本当に必要なのか?使う期間は? と悩まれる方も多いと思います。場合によってはレンタルのほうがお得になることもあります。そこで、先輩ママたちの実体験やお…
2人目までは一人っ子より兄弟がいたほうがいいと思って産めても、3人目となると迷ってしまうママも多いと思います。育児や経済的負担だけでなく、仕事をしているママにとってはキャリアが途切れてしまうことも悩みのひとつです。そこで、3人目を産んで良…
病院で正式に妊娠と診断されると、気になるのが母子手帳。お住いの自治体から交付され、生まれる前から母体や赤ちゃんの健康状態、経過などを記録します。妊婦さんの必須アイテムである母子手帳の取得時期から、かわいい母子手帳ケースに関することまで、母…
女優の小雪さんが利用したことから産後ケア施設はもはやママたちの新常識になりつつあります。最近では、卓球の福原愛さんも台湾の産後ケアセンターに1ヶ月滞在したそう。出産で体にダメージを受けた女性の体に必要な産後ケアのポイントと、自宅でできるマ…
何か月も続くつらいつわり。人によって症状が違うこともあり、まわりの人にはなかなかその苦しみがわかってもらえないのが余計につらいところ。そんなつわりについて、タイプや乗りこえ方をまとめました。プレパパに読んでもらいたい内容もあるので、ぜひご…
妊娠36週を過ぎるといよいよ臨月。マタニティライフも残りわずかです。臨月になると、出産準備や産後の不安でストレスを感じる人も少なくないそうです。今回は臨月のストレス緩和方法や過ごし方についてまとめました。臨月、またはまもなく臨月を迎える妊…
親の手を借りて体を休められる里帰り出産ですが、意外とストレスになるなど、いいことばかりとは限らないようです。里帰り出産のメリットデメリット、また成功させるために必要な準備についてまとまめました。いつからいつまで帰るべき? 何を用意していく…
我が子の誕生に立ち会うのは、感動的。出産に立ち会いを希望する旦那さんも多いでしょう。しかし、実際に出産の場に立ち会うとなると、夫として「自分に何ができるのだろう」と疑問に思う人も。立ち会い出産にまつわる、夫と妻、それぞれの本音と希望をまと…
猫の手貸して~育児絵日記~
うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々