2021年3月30日 15:00
不安のなか夜通しで保育を継続。震災から子どもを守るために学んだこと #これから私は
東日本大震災が起こったのは、私が都内の保育園に就職し1年が経とうとしていたとき。保育園で泊まりがけで子どもたちのお世話をし、帰宅困難になった保護者を待っていた時間は、子どもを持った今の私には大きな糧となっています。地震発生から無事に子どもたちを保護者に引き渡すまでの体験と、私の今の生活に生かされている教訓を紹介します。
普段より少し大きい地震…のはずが
地震が起こったとき、保育園で勤務していた私は、お昼寝明けの子どもたちの保育中。いつもと変わらずおやつの準備を始めようと思っていたとき、感じるか感じないかくらいの揺れがあり、先輩保育士の指示で保育室内の窓を開けました。
しかしその後揺れがどんどん大きくなり、寝ていた子どもたちを急いで起こし、皆で一か所に集まりました。普段より少し大きい地震がきたな……くらいにしか思っていなかった私は、その後夜通しの保育になるとは想像もしていなかったのです。
不安のなかでの保育
揺れが大きく余震も長く続くので、ただ事ではないと、保育士一同テレビで情報を確認しました。すると衝撃の被害状況が明らかになり、胸がざわついたことを覚えています。
子どもがいる職員は帰宅し、私も遠方に住む両親に連絡をしたのですが通信が混み合っていて繋がらず、不安が続くなかでの保育となりました。
交通も止まり、保護者のなかには帰宅困難となる人もいて、同様に帰宅困難になった職員で保育を継続し、ついに夜通しとなりました。
大事な子どもと再会できた喜び
夜になると次第に通信が安定してきて家族の安否を確認でき、やっと安心して保育に身が入ったというのが正直なところ。私たち保育士は子どもたちと一緒に夕飯を食べ、眠くなった子から寝かしつけをして保護者の帰宅を待ちました。
帰宅困難になった保護者が続々と子どもを迎えにきたのは22時ごろ。10km以上も離れた職場から歩いてきた人もおり、やっと迎えにくることができた安堵感がにじみ出ていました。最後に迎えにきた保護者は翌朝の8時ころ。疲れ果てた表情でわが子を抱きしめていた姿が印象的でした。
災害時保育から生かしたこと
当時私には子どもがいませんでしたが、家族と連絡が取れない状況はとても不安でした。子どもを必死の思いで迎えにきた保護者も同じような気持ちだったことと思います。