発達障害グレーゾーンの子がほんの数ヶ月の「発達の時差」で、自信を失わないためにできること
を積み重ねてしまいます。
大半の子がひらがな文をスラスラ読めるころでも、つかえつかえ、シドロモドロになって、悔しくて泣き出してしまう。
それが自然とできるころには、クラスは漢字学習に入っていて、また「漢字混じりの文が読めない」となってしまう。
"それができるころ"には、みんなはまた次の学習に…常にこの繰り返し。
算数も同様に、数唱も、足し算も、繰り上がりも、みんなからワンテンポ遅れた「時差」がありました。
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11017003537
テストでも、ひらがな文が音読で読めるようになってからも、どの教科もトンチンカンな答えでペケばかり。
「こえに出してよめば、イミは分かるんだけど、テストのときは、おハナシしちゃダメでしょ。でも、アタマの中でこえを出すのが、◯子、まだむずかしいから、えを見て『たぶん、こうかな?』って、こたえかいてるの…」と、娘は半ベソで訴えます。
私は、長男の経験から、テストが何点でも本人を責めないようにしていますが、それでも「こんなハズじゃないのに…ホントはもっとできるのに…」と、負けず嫌いな彼女はどこか納得いかずにいる様子。6歳の娘にだって、小さなプライドはあるのです。
ほんの数ヶ月待てば自然とできるのに、「ティピカルな発達」に合わせた教科書どおりの一斉授業では、いつまで経ってもクラスの中で「できない体験」が続いてしまいがちです。
大人になれば、100歳も101歳も大した違いではありませんが、小さな子にとっては、ほんの数ヶ月の部分的な「発達の時差」が、大きな違いに感じられてしまいます。
実は、「障害」という診断がつく程ではなくとも、この「発達の時差」によって、娘のように人知れず、悔しい想いやできない体験を積み重ねてしまうお子さんは、通常学級の中にも一定の割合いるようです。私にはむしろ、なんでもまんべんなく、平均的に育ってゆく子のほうが貴重だとすら思えます。
そしておそらく、娘のこの「発達の時差」は、同級生たちが成長期の終わりを迎えるころには、ほぼ自然に解消されるものと予想されますが、その間の10数年、「できない自分」というイメージを抱えたままになってしまうのは、なんとか避けたいところです。
そのために、私は「今」何ができるのでしょう。