子育て情報『発達障害の私がもし小学生に戻れたら。壮絶ないじめ、二次障害に苦しみながら大人になった私が親や先生に願うこと』

2023年9月15日 06:15

発達障害の私がもし小学生に戻れたら。壮絶ないじめ、二次障害に苦しみながら大人になった私が親や先生に願うこと


強いストレスとプレッシャー。小6ですでに二次障害の兆し

学校で壮絶ないじめにあっていたけれど、勉強はできた私。私が小学生だった30年ほど前は、発達障害についてなんてほとんど誰も知りませんでしたから、親や先生を含め、周囲の大人は私を神童扱いしていました。

持ち前のバイタリティで出世しつつあった父は、私にもそのバイタリティを求め、厳しく叱咤激励しました。「学校に行かなくなったら将来路頭に迷うぞ」「お前は頭がいい、エリートになれる。将来エリートになって、いじめっ子たちを見返してやるんだ」。

普通の小学校高学年の子どもが、こうした言葉をどのように理解するかはわからないのですが、ASDの私はこうした言葉を字義通り解釈し、怖くて震え上がりました。そして、「死ぬ気で学校に行き続け、有名大学に入り、ゆくゆくは有名企業に入るなり弁護士とかになるなりしなければならないんだ」と思い込むようになったのです。


小6の時、それまで無条件で可愛がってくれていた祖父が亡くなりました。唯一の心の支えであった彼を亡くした私は、さまざまな精神症状に苦しむようになります。

教室に入るとき、どのような顔で、どこに視線をやりながら、どっちの足から入るか。何歩で、どういった角度で自分の席を目指すか……。そういったことを頭の中で一生懸命シミュレーションする。クラスメートの声が、すべて自分を攻撃し、嘲笑しているように聞こえてくる……。もし当時、医療とつながる機会があったなら、何かしら二次障害の診断が出ていただろうと思います。


頼る先も、情報も選択肢もない日々

でも、当時の親や先生が、私に障害があり、二次障害を起こしているであろう状況だなんて知るよしもありません。
「子どもがメンタルに不調を感じたら大人と同じように専門家につなぐべき」などという知識もありません。私自身も、ただ自分が「頭がおかしく」て、「悪い」んだとばかり考えて、自分を恥じていました。

勇気を出して相談したところで「あと少しなんだから頑張れ」とか、叱咤激励が返ってくるか、母の場合はショックを受けて寝込んでしまったりするだけだということもわかっていたので、自分が苦しいということは周囲に対してひた隠しにしていました。

私が中学生になる頃には母の言動もだんだん異常になっていき、家庭生活も厳しさを増しました。自治体の広報だよりなどから「精神保健福祉センター」

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