さて一方の伊達政宗はというと…無類のお料理好き!
研究熱心でかなりの凝り性だったようでなんと政宗氏、毎朝2畳敷きの豪華なトイレで献立を考えるのが日課だったそうです。
こちらは比較的知られているかも知れませんね。伊達巻やずんだ餅などルーツが政宗であることが有名な物もあります。
ずんだ餅は枝豆の綺麗な緑の餡をつけて食べるお餅ですが、政宗が陣太刀の柄で枝豆を砕いて作ったから「じんだ」が「ずんだ」に訛った説。
伊達巻も、政宗がヒラメの肉に卵を混ぜて焼いた平玉子焼を好んで食べていたことが、 後にこの平玉子焼を巻きすで巻くようになり伊達巻と呼ばれるようになった説。
まあどちらも諸説ありますが、やはり食にこだわりのある政宗だからこそ由来に名前が上がるのでしょうね。
ただ調べていくと、政宗はただ食べることが好きで自分でも料理するようになった人とはちがうようで、やはり根底には戦国の世を生き抜く武将としてのしっかりとした思想があったようです。
「人をもてなす際に一番重要なのは料理であり、そのメニューを管理するのは主人の仕事。」
「誰かをもてなすときに一番大事なことは心のこもった料理を出すことである。それも主人自らが作った料理でなければならない。もし自分が作らず人任せにして、悪い料理を出して腹痛でも起こされたら、こちらの気遣いなどあったものではない。」
などなど、まるで料亭の主人のような格言の数々が残っています。
政宗は客人には自らの手で配膳までしたそうです。
格言をベースに見ると大事なのは料理そのものそいうより、相手との関係性を良く保つための心遣いのように感じられます。
厳しい戦国の世を生き延びるために、多くの家臣とその家族の命を預かる武将(リーダー)に必要なのは実戦での強さはもちろん、風向きを読む賢さ、そして人の心をつかむカリスマ性だったのではないでしょうか?
料理は、何度も存続の危機を乗り越えて泰平の世に伊達の血筋と領地を残した政宗の生き残り戦略の一つだったのですね。
調べる前は、武芸と戦に明け暮れ日々緊張感のある決断を迫られている武将たちにとって、もしかして甘味や料理は息抜きだったのでは? 忙しいのに仕事と趣味を両立して、さすが仕事のできる男はちがうぜ〜なんて軽く考えていた私。
いや〜そんな甘い話じゃなかったですね、甘味だけに…(え?)
料理もスイーツも人の欲望(食欲)を満たすための手段で、家臣の心を掴んだり外交戦略に役立ったりしてるわけです。
信長だってただ自分が好きな甘いものは皆んな好きだろうとホイホイ干し柿をプレゼントしていたわけではないでしょう(多分)
自領の特産品を贈ることで生産者を庇護したり、『美濃尾張の信長』からの品としてのバリューを知らしめたり…といった意味もあったかも知れません。
政宗に至っては相手との関係を強めたり密約を結んだりと、料理は政治戦に使う戦略のひとつだったのでしょう。
料理ってそもそも段取り良くないとできないよなーと日々実感しているマルチタスク苦手主婦。さすがは歴史に名を残す偉大なリーダーは一味ちがうぜ!!と唸らされたエピソードでした。
《参考文献》
・『フロイス日本史』
・『大日本史料 第十一編之六』
・『現代語訳 家忠日記』
・『伊達政宗 五常訓』
美人で有能で残虐…中国史上唯一の女帝「武則天」は、なぜ最高権力者になれたのか【夫婦・子育ていまむかし Vol.29】