2021年10月31日 06:00
トキワ荘の紅一点 水野英子語る「24時間マンガ漬けだった日々」
元の設計図も何もない状況で、当時を知る水野さんら、かつての住人の記憶を手がかりに、40年ぶりに再現された。
2階の中央に広めの廊下、その両側に四畳半の部屋が並んでいる。
「私の部屋は石ノ森さんの部屋の真向かいでした。自分の部屋にいても、後ろを振り返ると石ノ森さんが机に向かって描いている姿が見えるという具合でしたよ」
「水野英子の部屋」も、もちろんある。机上には、サジペンが置かれていた。
「私が使っていたのはこのサジペンです。Gペンは私の次世代の人たちが使ったのですよね」
くるりと部屋を見渡すと、開け放されたドアの先には、石ノ森の部屋がたしかに見える。
「とにかくみなさん、ドアも開けっ放し。
誰でもいつでもウエルカムだった。私も、赤塚さんのお母さんに『寝るときぐらいは鍵をかけなさいね』と言われて、ああ、そうかと思ったくらいでしたね」
水野さんは当時18歳。懐かしそうに目を細めた。
「本当に贅沢な時間でした」
■貸本屋で出合った手塚治虫の『漫画大学』がバイブル。手塚の推薦でマンガ誌デビュー
1939(昭和14)年、水野さんは、山口県で生まれた。両親は旧満州で結婚したが、戦況の悪化で、妊娠中の母だけが帰国。