2021年12月5日 06:00
89年間ゲイを隠して西成へ カムアウトし見つけた「家族」たち
いちいち窮(かわ)しとった。そら、いまやったら『僕、そっちのほうやねん』とか言えるけど。ま、もうこの年やから、そんなん聞かれることもないけど(笑)」
自分が近くにいることで迷惑をかけたくない、と家族とも次第に疎遠になった。
「母親が死んで、それからきょうだいたちも結婚してしもうたわけ。もし僕が世帯を持っとったりしたら、そら行き来もするかもしらんし、年賀状ぐらい出すかもしらん。だけど、僕はひとりやし、あっちは家族もあるし。だからもう、ぜんぜん会うてへんねん」
ここで、長谷さんはもう一度「だからね、僕はずっとひとりで生きてきたのよ」と、少しだけ寂しげにつぶやいた。
「ずっとひとりという僕の生活は、ほかの人から見たら、寂しそうに見えるかもしらんけどね、僕には生きがいがあったからね、寂しくなかったのよ」
生きがい、それは詩。
小学生のときも国語が得意だった。10代のころから詩を書き始め、大阪に移ってきて以降、本格的に詩作にふけるように。30代を迎えるころには、詩の専門誌に投稿も開始した。
そして63年、現代詩の新人賞としてはもっとも歴史ある「現代詩手帖賞」受賞を果たす。翌年には処女詩集『母系家族』出版も。