BTS苦闘の練習生時代 非公開練習生Vがデビュー危ぶまれたJIMIN救う
は、1995年、大邱広域市生まれだ。
両親の経済的な理由から、韓国の典型的な農家である祖父母の元で育てられる。外で遊ぶのが大好きな子供だった。
歌手になることを夢見たのは、中学生のころだ。サックスを習い、ダンスクラブにも参加。高校生になると、彼の美貌は地元でも評判になった。ただし空気を読まずに大騒ぎする性格のため、「残念なイケメン」として有名だったという。
大邱でビッグヒットエンターテインメント(現・ハイブ)の公開オーディションが開かれたのは、’11年夏である。
親に参加を反対されたVは友人の付き添いで会場を訪れたのだが、その帰り際、審査員に非公開オーディションを勧められる。親にはスタッフが電話で説得してくれた。
韓国のバラエティ番組で、RMが、ソウルに上京したVの第一印象を語っている。
「なんと丸刈りで宿舎にやってきたんですよ。ぺこりと挨拶して部屋を見回してる。人の言うことを聞かなそうだなあ、と(笑)」
パンPdはデビュー戦略として、美しいVの存在を明かさないことに決めた。そのためBTSのデビュー前のプロモーション活動やビデオブログにも、Vだけが入れてもらえない。
取り残されそうなVの不安と心細さを支えたのが、同じ’95年生まれのJIMIN(26・本名=パク・ジミン)