2023年4月2日 06:00
鬼才イラストレーター・五月女ケイ子「描く前にバイク便を呼ぶ」アスリート的お仕事術
私にとってはメモリアルな出来事でした」
横浜での新生活をスタートさせ、無事に高校受験を終えた後、原宿の竹下通りに遊びに行ったという。
「テレビで見ていた憧れの街。路面にものすごい数のジーパンを陳列している店があって、“せっかく来たのだから”と思って、2000円ほどの安いジーパンを買いました。原宿に行くこと自体が特別なことだったから、それだけでうれしくて」
進学した高校は、厳しい校則も制服もない自由な校風だった。
「中学までは靴ひもを通す穴が4つ以上ないとダメだったり、スカートの長さにもうるさかったりしたのですが、高校では縛られるものがなくてのびのび」
故郷では見ることができなかったトレンディドラマも楽しめた。
「『東京ラブストーリー』(’91年・フジテレビ系)などの月9ドラマを見ては“大人になったら、こんな恋愛ができるんだ” “都会では部屋の中に自転車が置いてあるんだ”と想像を膨らませていました」
高校3年生で受験勉強をしながら、よく聴いていたのは槇原敬之の曲だった。
「『どんなときも。』(’91年)がはやっていたのですが、都会にも慣れて“みんなにはやっているものに飛びつきたくない”と、ちょっとトンガリ始めていたころ。