くらし情報『「おでかけ」おすすめ情報を届けている「駅探おでかけラボ」にて、国宝天守がある松江城の見どころやアクセス方法、入場料をご紹介した記事を公開しました。』

2024年4月23日 09:30

「おでかけ」おすすめ情報を届けている「駅探おでかけラボ」にて、国宝天守がある松江城の見どころやアクセス方法、入場料をご紹介した記事を公開しました。

松江城が完成すると、同じ年に吉晴は死去。またその約20年後には跡継ぎが不在のまま忠晴がこの世を去ります。そこで次に藩主に選ばれたのが、京極忠高(徳川秀忠の娘「初」の夫)でした。またその後は松平直政(徳川家康の孫)が松江藩主を務め、明治時代まで松平家が松江城を守ってきました。
1875年(明治8)になると明治政府より廃城令が下ります。松江城も例外ではなく、櫓(やぐら)や御殿、門などは売り払われましたが、のちに地元の豪農・勝部本右衛門親子や旧藩士の高城権八らの協力で買い戻されています。その後は明治の大修理がおこなわれ、1935年(昭和10)には国宝保存法のもと国宝として指定されています。昭和に入った後は第二次世界大戦の戦火を免れ、再び大修理がおこなわれますが、1950年(昭和25)に法改正があり、松江城は国宝から重要文化財へと改められてしまいます。
松江城を愛する地域住民は、国宝としての再指定を嘆願しますが、「新たな知見の発見がないと難しい」という文化庁の回答。再指定の途はかなり厳しいものと思われましたが、松江市と市民が力を合わせ、築城当時の「祈祷札」を発見。築城当時に天守の柱に付けられていた「祈祷札」

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