写真に写る自分の顔を見て、まぶたが下がっていることに気付きました。もしかして眼瞼下垂(がんけんかすい)!? と思い、病院へ行きました。しかし、意外な診察結果だったのです。眼瞼下垂が気になって診察を受けた体験談をお話しします。自分の写真を見てがく然スマホを手にして以来、写真を撮ってもプリントアウトをすることがめっきり減っていたここ数年。しかし、子どもが生まれてからは、アルバムを作るために写真をプリントアウトすることが増えました。ある日、最近のアルバムを見返していた私は、以前より自分のまぶたが垂れ下がっていることにふと気が付きました。もともと目は大きいほうではなく、それがコンプレックスにもなっていましたが、若いころと比べると明らかに目が小さく細くなっているのです。そういえば、ここ最近まぶたが重いし、もしかして眼瞼下垂(がんけんかすい:加齢とともに目を開く筋肉が衰え、まぶたが下がる病気)? と思った私はネットで調べてみました。眼瞼下垂の治療は保険診療になるため、手術をする際にも保険が適用されるようです。ちょうど同時期に、テレビであるタレントが眼瞼下垂の手術をして目がパッチリしたと話していたのを見て、眼瞼下垂が気になっていました。もしかして私もそう診断されれば、手術で目がぱっちりになるのかしら!? と、若干期待を抱きつつ、一度診察してもらうことを決意しました。眼瞼下垂の診察で眼科へ眼瞼下垂の診察へ行くと決めたものの、皮膚科へ行くべきか眼科へ行くべきか迷いました。しかし、目のことだから眼科かな? と、とりあえず眼科へ行くことに。診察室へ案内され、ここ最近まぶたが重く、以前のようにまぶたが上がらないこと、昔と比べると写真でもまぶたが垂れ下がっていることがわかることを話しました。眼瞼下垂の診察では、まぶたと眉毛との距離や、目を開けたときにまぶたが眼球のどこまでかぶっているかを計測するなど、さまざまな検査を受けました。そして検査後、再び診察室へ呼ばれ、診察結果を聞いたのです。眼瞼下垂の心配は少ない!?診察結果はさまざまな検査をした結果、私は眼瞼下垂ではなく、なんと眼精疲労だったのです。先生いわく、年齢的にはまだ眼瞼下垂の心配は少ないそうで、目元を見た限りでも、その心配はないとのことでした。まぶたが重く感じるのは、眼瞼挙筋(がんけんきょきん)というまぶたの筋肉が目の疲れによって緩んでいるせいとのこと。この緩みは完全に改善することはないそうです。目が疲れることを極力控える、目の疲れを感じたら目を温めたりして休ませるようにする、ドライアイにならないよう目薬をさすなどして、目が疲れないようにいたわるのが大切だと言われました。また、まぶたが昔よりも下がっているのは、加齢によるたるみから来ているということも指摘されました。眉毛や目の周りをマッサージすることは目に良いと言われていますが、逆に目のたるみを促進させることがあること、そして眼瞼挙筋の緩みから眼瞼下垂につながることもあるということも診察で話されました。まとめ眼瞼下垂と思って病院へ行ったところ、眼精疲労という結果でした。仕事などでパソコンのモニターを凝視したり、スマホの画面をじーっと見ることでも目の疲れがひどくなるそうです。それ以来、仕事の際にはブルーライトカットの眼鏡を掛ける、疲労軽減にいいというアントシアニンを含むブルーベリーのサプリを飲む、ストレッチをして血流をよくするなど、目の疲れを改善することを取り入れています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。イラスト/おんたま著者/IWON(46歳)小学生の母、夫は現在単身赴任中。会社員とWebライターをしている。高齢出産を経て、体調の変化や疲れなどさまざまなトラブルに直面し、若いころとは違うとつくづく感じる今日このごろ。普段はファッション、推し活、グルメなどの情報収集が趣味。
2024年04月20日46歳の主婦兼ライターです。40歳ごろから後頭部の上の方にあるつむじが気になり始めました。以前よりぱっかりと割れているような気がするのです。当時はロングヘアのダウンスタイルで、髪は結ばずに長めの前髪を横に流していました。仕事中は前髪が落ちてこないようスプレーでがっちり固めていました。が、そのうち後ろのつむじの辺りも割れないようにスプレーで固めるように。それから年々抜け毛が増えていき……。床のあちこちに抜け毛が!5年ほど前に現在の家に引っ越してきました。新居の床は白っぽい木目のフローリングです。引っ越しをしたばかりのときはフルタイムで仕事をしていたこともあり、掃除機をかけるのは週に2、3回でした。すると目立つのです、床に落ちた髪の毛が!髪の毛にブラシをかける場所、ドライヤーをかける場所のみならず、あちらこちらにばらばらと。そのときに「抜け毛が増えているかもしれない」と初めて自覚しました。浴室の排水口に黒いピンポン玉が浴室の排水口は引っ越し前の家と違い、ごみが処理しやすい作りでした。毎回、入浴後に排水口のヘアキャッチャーを取り出し、乾燥させてから捨てるのですが、そこにはスカスカのピンポン玉のような抜け毛がたまっていました。シャンプーをしているときには抜け毛が増えたような感覚がなかったので自分でもやや引きながら、こんなに抜けているんだと実感しました。もともと毛量は多くないけれど…私の髪質は父親似で、真っすぐで癖がつきにくく、かつ細くて量が少ないです。そういえば父も私と同じような場所にあるつむじをいつも気にしてドライヤーをかけていました。自分のつむじが気になるようになってから、薄毛が気になる場所も似たのかなと思いました。学生のころからバレッタやヘアクリップなどは一般的にハーフアップに使うようなサイズで全体が留まる毛量でした。ですが最近は、洗髪後にヘアクリップで髪をまとめるとき、うまく留めないとすぐ落ちてきてしまうように。ヘアクリップを留める土台の毛量が減っている感じです。全体的に毛量が減っているのかなと思います。まとめ見た目にスカスカというわけではないので、現在はシャンプーや洗髪の方法などに気を付けています。気にし過ぎてストレスから抜け毛が増えるのは本末転倒なので、あまり気にし過ぎないようにもしています。最近はウイッグなどの種類も豊富ですから、もっと頭皮が透けるような状態になったらいっそ坊主にして、いろいろなウイッグを楽しむのもアリかなと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師/東京美容外科沖縄院院長)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。イラスト/マメ美著者/やまと すみれ(46歳)短大卒業後、金融系の公的機関にて勤務。しかし、体調不良に悩まされることが増えたので退職。趣味はドラマと映画を見ること。
2024年04月20日インスタグラムやブログで家族の話をつづっているおーちゃんによる50代の日常を描いたマンガ。65歳を迎えるおとぉ(夫)と結婚して30年以上。アラフィフのおーちゃんも気付けばもう50代半ば。長年連れ添ってきた夫婦ですが、夫の毎日は結婚してから何も変わりません。まさに癒やしの存在早寝早起きで食欲旺盛な夫は、20時には就寝する生活を毎日送っています。そんな夫には、いつまでも元気にいてほしいという願いと感謝の気持ちを込めて、毎年あるものを贈っています。気付けば私は50代半ば。そして夫は65歳。ついこの間、還暦を迎えたと思っていたのに、年々月日の流れの早さを感じております。結婚して30年以上たちますが、夫の日常生活は変わりません。早寝早起きで仕事一筋。そんな夫ですが、孫ができてから変化が起きました。休みを取って孫と遊ぶ楽しみができたのです。その孫も今年(2024年)で9歳……。だんだん遊ぶというよりも遊んでもらっているって感じです(笑)。それでもまずは、健康第一で楽しんでまいりましょう!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/おーちゃん(54歳)孫ラブおばさん。10歳年上の夫と2人暮らし。長女(32歳)、次女(30歳)、長男(27歳)の3人の母親で、8歳の孫を溺愛中。Instagramとブログで家族の話を更新中。ブログ「娘ときどき孫日和~子離れ奮闘記~」。Instagram:@ohchan_65
2024年04月19日義父母とのトラブルはよく話題になりますが、わが家の場合は実母とのトラブルが発生しています。実の母娘でも相性が良いとは限らず、子ども(母から見て孫)ができたことで何とか保っていた関係がギクシャクし始めて……。 実の母娘でも相性が良いとは限らないもともと実母とは性格や考え方が合わないと感じていました。距離感が近く、やってあげたいと思ったことは、こちらの意向は関係なくやらないと気が済まない母。断ると機嫌が悪くなり、最終的には強行突破をすることもしばしばです。一方で、私はしてほしくないことをされるのがストレスに感じるタイプ。気持ちはありがたいので、娘が生まれるまでは何とか交わしながら折り合いをつけていました。 孫フィーバーで暴走気味に 娘が生まれると予想通り、孫フィーバーが炸裂しました。夫婦で決めると伝えていたのに勝手に名前候補を持ってこられたときから少しずつ心の距離が開き始めました。共働きだったので、休日は親子3人でゆっくり過ごしたかったのですが、母の希望で毎週のように実家に行き、そのまま娘だけを泊まらせるルーティンに。休日の半分は親子水入らずで過ごせない状態が続きました。また、残業などで遅くなるときは、時々母に子どものお迎えをお願いしていました。それはすごく助かったのですが、母の中で閉園前でも「お迎えが遅いとかわいそう」という基準があり、常に迎えに行くと言って聞きませんでした。私は娘を取られた気分になり、だんだんノイローゼ気味に。その他にも与えたくないと伝えていたタイプのおもちゃやお菓子を勝手に与えていたことも少なくありませんでした。気持ちはありがたいのですが、こちらの育児方針も無視されて、私のイライラは募るばかりでした。学童問題で限界に 母と距離を置くことが決定的になったのは、子どもを学童に行かせることに反対し、自分に預けろとしつこく言われ続けたことでした。「祖母としての楽しみを奪われた。自分の都合だけで預けるな!」と言われたので、それ以後、まったく預けていません。その後も何とか距離を近付けようとしてきますが、少し気を許すと距離感ゼロになるので、とにかくこちらからは距離を取ることを徹底して何とか平和に暮らしています。 まとめ母と私、どちらが悪いということではないと思いますし、私が子育てに専念するより預けてバリバリと働きたい、距離感が近くても平気、というタイプであればうまくいったのかもしれません。ただ私には無理でした。もう少しこちらの意向を聞いてくれていれば、もっと孫と遊べる老後が待っていたかもしれません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/一休那夜マンガ/へそ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月19日私の祖母は祖父の他界後に認知症を患い施設に入っていますが、入居先が決まるまでにかなりの苦労を要しました。原因は認知症の影響による散財です。祖母が施設に入るきっかけや入居までのトラブルについて紹介します。認知症が原因で起きたトラブル私の祖母は、10年ほど前に祖父の他界をきっかけに認知症を患いました。認知症の状態でひとりで生き続けるのは困難と判断した家族は、祖母に一緒に暮らす提案をしましたが、祖母は迷惑をかけたくないと首を縦に振りません。そこで、定期的に顔を出す、病院の健診に付き添う形で様子を見ることにしました。しばらくは特に問題はありませんでしたが、1年ほどたったころから徐々に変化が起き始めます。主な症状は、夜中に用もなく外出する、予兆もなく突然意識を失うといったものです。特に深刻だった意識を失う症状は、薬の過剰摂取が原因でした。ついに介護施設の入居を決意祖母は血圧が高めで医師から処方されている降圧薬を服用しているのですが、認知症の影響で飲んだことを忘れてしまうのです。自分で飲んだことを忘れ、短時間のうちに再度服用することで急激に血圧が下がり意識を失うのだと医師に言われました。家の中だけでなく、外出中に電車やバスの中で倒れて救急車で運ばれることが日常化したため、介護施設に入居させることにしました。介護施設探しで起きた金銭トラブル介護施設は場所によって費用や受けられるサービスが変わります。幸い祖母には祖父が残してくれた貯金が1000万円近くあったので、金銭的な面は気にする必要はありませんでした。少しでも快適に暮らしてもらえるように費用が高めでもサービスが手厚い施設を選び、いざ契約を交わそうとしたときに問題が起きます。祖父が残してくれた貯金が底をついていたのです。おかしいと思い調べてみたところ、原因は祖母の散財だとわかりました。認知症を患っていた祖母は、5万円の年金収入しかないにもかかわらず祖父の遺族年金が支給されていると思い込んで、毎月15万円近く使っていたのです。1000万円あったお金が年間120万円の散財で50万円ほどにまで減っていました。私たち家族も生活に余裕がなく援助することはできないため、生活保護で支払える介護施設に入ることになりました。認知症とわかったときに無理にでも一緒に暮らして金銭面の管理も自分たちでおこなうか、介護施設へ入居させておけばよかったと後悔しています。まとめ認知症を患っている人は思い込みで行動することもあり、私の祖母のように薬の過剰摂取や金銭面のトラブルが起きやすくなります。病気で気持ちが落ち込んでいる状態で無理強いをしたくないと考える人も多くいますが、必ずしも本人の意思を尊重することが正解とは限らないと思いました。本当に家族を大切に思うのであれば、相手の意に反してでも最善の選択をすることが重要だと痛感しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/田町 康成イラスト/サトウユカウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月19日40代になってから、なんだか体の不調を感じるように。30代のころはもっと元気で動けたはず……。でも、周りの人たちもそうだと言っていたし、加齢だから仕方がない、そう自分に言い聞かせていました。それがなんと思いがけない診断が下り……。手術することになったのです。イライラがひどい。プレ更年期!?現在45歳の私ですが、40歳ごろからプレ更年期のような症状を自覚し始めました。主な症状はイライラで、特に生理前のイライラがひどくなっていました。いつもなら流せるささいなことにもイライラ。子どもにも夫にも少しのことで怒ったりするようになりました。感情の起伏も激しくて、自己嫌悪になったり気分が落ち込んだりということを繰り返していました。このままでは子育てや家庭に悪い影響が出てしまうと不安になっていました。腹痛や多量の経血。加齢だから仕方ない?もう1つ気になっていた症状は、下腹部の痛みと生理の出血の多さ。時々起こる腹痛は治まってしまうのであまり気にしていませんでした。しかし、生理の出血はナプキンを数時間で取り換えなければ漏れてしまうほどで、長時間座るときには慎重になりました。今思えばおなかがどんどん大きくなっていましたが、ビールの飲み過ぎ?くらいに思っていました。年齢的にも仕方のないことかなと深く考えず、これらの症状はプレ更年期だろうと自己判断していました。そして症状を少しでも和らげたくて、近所の内科を受診した結果、更年期症状だということで「桂枝茯令丸(けいしぶくりょうがん)」という漢方薬を処方してもらっていました。まさかの子宮筋腫!手術することになるなんてそのころ職場の先輩が卵巣がんの手術をしたと聞き、下腹部痛が心配になってきました。自分も下腹部が痛み、生理の出血も多いと先輩に話すと、婦人科の受診を勧められました。そこで婦人科を受診して検査をしてもらったところ、なんと子宮に16cmの巨大筋腫が! 当時42歳でしたが、40歳のときに受けた子宮がん検診では何も言われていませんでしたので驚きました。腫瘍が大きいと悪性の疑いもあるため、大学病院を紹介されました。その結果、筋腫が小さければ腹腔鏡手術で筋腫だけを取り除くこともできるようですが、私の場合は大きくなり過ぎていたのでリスクが大きく、子宮全摘手術をすることになりました。まとめ受診したことで判明した子宮筋腫。私の場合、イライラや腹痛などをプレ更年期症状だと思い込み、定期健診を受けていなかったことが筋腫を大きくしてしまった原因かもしれません。その後、開腹手術ではなく腹腔鏡手術を目指し、筋腫を小さくするホルモン療法を受けることになりました。女性ホルモンを止める療法ですが、これにより本格的な更年期症状を経験しました。体の不調の裏には、思わぬ病気が隠れていることもあると実感した出来事です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。イラスト/サトウユカ著者/もここ(45歳)大学生の子どもがいる主婦。手術を機にパートを辞め、体に負担の少ない働き方を模索中。落ちてしまった体力と代謝に歯止めをかけたい。趣味の登山がまたできるよう体力回復をめざします。
2024年04月19日社会人になって3年目のころ、トイレで用を足すと血が出ることが続きました。最初は「切れてしまったのかな? まぁそのうち治るだろう」と気ラクに考え放置していたのですが、日に日に出血量が多くなっていったのです……。出血が治まらず病院へ病院に行こうか市販薬を買おうか迷っていたのですが、ある日とうとう便器の水が真っ赤になるほどの出血が! 市販薬では心もとないと思い、病院へ行くことにしました。とはいえ、何科に行けばいいのか悩んだ私。痔は内科で見てもらえるのか、消化器内科でいいのか? いろいろ調べた結果、駅の看板で見ていた「肛門クリニック」なら間違いないだろうと、そちらで見てもらうことにしました。気ラクに受診したら思いがけない状況に「ちょっと見てもらって塗り薬が出て終わりだろう」と軽い気持ちでいたところ、医師は「あ、これは!」という反応でした。診察だけでは終わらず、「時間があるなら今日やろう」とのことで、そのまま大腸の内視鏡検査をすることに。2Lほどの下剤を2時間くらいかけて飲むのですが、苦手な風味だったので一緒に出された飴がとてもありがたかったです。飴の甘さで中和しつつ、なんとか飲み干しました。内視鏡の診断結果は「潰瘍性大腸炎(大腸の粘膜に潰瘍ができる大腸の炎症性疾患 )」。国から難病指定されている病気です。元首相の持病とのことで名が知られていますが、当時は初めて聞く病名でした。医師から病気についての冊子をもらい、医療費助成についての説明などを受けましたが、想定外の状況すぎて頭がついていきません。短期間で治る病気ではないとのことで、薬も次の通院日分まで毎日3食分と大量に出ました。大量の薬を前に…今まで大きな病気になることなく、薬もあまり飲む機会がなかったので、この量は自分が重病人になった気がしてかなりショックだったことを覚えています。幸い自分の病状は、直腸型という腸の炎症部位が限定されたタイプだったので日常生活にそれほど影響はありませんでした。それでも粘液が肛門近くに下りてくるせいで何度も便意を催し、仕事を中断してトイレに駆け込むことに。職場の一部の人には病気の旨を伝えていたのですが、知らない人には「やたらトイレの近い人だ」と思われていたことでしょう。食事制限もありませんでしたが、炭酸飲料や辛い物を飲食した後は、少し病状が悪くなっていた気がします。今まで意識していませんでしたが、腸に刺激のあるなしが顕著にわかって勉強になりました。まとめそれから10年以上たった今では、寒い時期に少し粘液が出るくらいで寛解状態ですが、いまだに発症原因は不明です。家族にも同じ病気の人はいないし、本当にいきなり症状が出たという状況でした。何事も他人事ではないと実感し、体に気をつかおうと思わされた一件です。定期的に大腸内視鏡検査を受けるきっかけになっているので、悪いことだけではなかったなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。文/きいろ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月19日小学生時代から視力検査では1.5の数値を出し、ずっとそれを死守してきた私。おしゃれな眼鏡をかけている人を見ると「目が悪かったら私も自然に眼鏡がかけられたのになあ」と眼鏡に憧れているくらいでした。なのに45歳を過ぎたあたりから、スマホを見るとき文字の輪郭がぼやけるようになりました。疲れ目かなと思っていたのですが……。視力が良いのが自慢小学校で初めて視力検査をして視力が1.5という判定だったときから、40代になっても健康診断で視力検査を受けるたびにその数値を維持していました。年を重ねると視力が落ちるのが普通だと思っていたので、自分はまだまだ若いんだと得意な気持ちでした。私の周りでは同世代のほとんどの人が眼鏡もしくはコンタクトレンズを使用していたのですが、私にはまったく関係のない話。もしかしたら一生使わなくてもいけるのでは? と思っていました。文字がぼやけて見えにくい私は商品の説明書きを読むのが好きです。例えば、新しいシャンプーを買ったときはお風呂に浸かりながら見るのですが、45歳を超えたころからシャンプーの裏面を見ると文字の輪郭がぼやけて見えにくいことがありました。ただ湯気のせいで見えにくいのかな? とあまり気にしていませんでした。でも、布団に入ってスマホの画面を見るときも文字が読みにくくなり……そのときは疲れ目で一時的にそうなっているのだと思い込んでいました。あるとき、妹がコンタクトレンズを買うのについて行ったときのことです。眼鏡屋さんをウロウロして待っていたら、ふと老眼鏡に目が止まりました。老眼鏡を恐る恐るかけてみたお店のスタッフの方に「老眼鏡ってどういうタイミングで使うんですか? 」と聞いてみました。すると「一般的には人差し指の指紋が見える距離が30cm以上離れるなら老眼鏡を使用すると良いと言われていますよ」とのこと。そこで、自分の人差し指を胸のあたりに差し出してみると指紋が見えず、なぜか目に力が入ります。老眼の度数が+1.0の老眼鏡をかけてもう一度見てみると、指紋はくっきり見えました。私が疲れ目だと思い込んでいた症状は、やはり老眼だったんだと改めて実感。早速自分に合う度数の眼鏡を購入して帰りました。老眼の度数は+1.5だと逆に目が疲れるので、自分には+1.0が合うようでした。まとめいつまでも視力が良くて眼鏡とは無縁だと思っていたのに、自分では気付かないうちに老眼になっていたことには正直がっかりしました。しかしそれも年を重ねる上で仕方ないことだと自分なりに受け入れました。今は、老眼鏡には見えないおしゃれな老眼鏡もあり、値段もそんなに高くないのでいろいろなフレームのものを買って楽しんでいます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/大橋らむね小売業を中心に事務職や飲食店でパートとして勤務。体を動かすことが好きで、日々ウォーキングをおこなっている。
2024年04月19日夫婦2人暮らしでパート勤めの私。半年前に義妹家族の近所に引っ越してから、小学3年生のおいをかわいがっています。というのもこのおいっ子、しばしば空腹でわが家に来ては寂しそうにしているから。夫とともに、義妹夫婦の育児に疑問を感じていたので、それとなく提言してみたのです。まさかの逆ギレ機会を見て、忙しくて会えないという義妹にメッセージを送った私。おいっ子がいつもおなかを空かせているのが心配だったのです。すると、信じられない返信が!「ちゃんと生きられる程度には食事させています。それに、太らないよう注意しているんです。うちのことに口を出すのはやめてもらっていいですか?」それはおっしゃる通りなのですが……。食事以外にも、いつもあの子が寂しがっているのが心苦しくて。私は、一旦は引きつつも、できるだけ一緒に過ごす時間を増やして気にかけてあげてほしいと義妹に念押しすると……。「あの子は平気でしょ。犬も飼っているし。子なし女が私に意見しないで。 文句があるなら自分で産んで育ててみなさいよ。育児は人それぞれなの! 兄にも言ったけど、もううちには関わらないで」まさかの逆ギレメッセージが飛んできて、私は何も言えなくなってしまったのでした。えっ、今どこにいるの?それから数週間……。姿を見せなくなったおいっ子。どうしたのか夫と心配する一方で、母親と一緒に過ごせるようになったのかも、と気をもんでいた矢先のことです。私たちはあまりに不安だったので、彼にメッセージをしてみることに。「久しぶり、元気にしている?」「あ、おばちゃん! うん、元気だよ」ところが、その後のメッセージに私たち夫婦は仰天です。「今日はポチの小屋でねるんだ」「どういうこと?」「ママが小屋でねなさいって」「ポチとおるすばんなの!」聞けば、両親は彼をひとり置いて一昨日から旅行中なのだとか。部屋を汚すと怒られるから、外にある犬小屋で寝るよう言いつけて、家を施錠し、出て行ってしまったらしいのです。ということは、昨日の夜は外で一晩過ごしたということ!?「ママがもうおばちゃんの家には行ったらダメって。言いつけを破ったらポチを捨てるって……。あ、これも話したらいけないんだった……」。私たちは慌てて「何も心配しないで。今から迎えに行くね」と伝え、おいのもとに急行したのでした。義妹夫婦を成敗!数日が過ぎ、義妹夫婦は帰宅した様子。「お義姉さん、うちの子と犬を連れていったでしょ? 返して」という連絡が来たのです。私は冷静に答えました。「あの子に何をしたかわかっているの?」すると、開き直った彼女はこう返してきました。「ただの留守番よ、自立の訓練。返してくれなきゃ警察に通報するわ。誘拐よね、これ?」そこで私も返信。「警察にはこちらで連絡済みよ、児童相談所にも。今後の話を聞いていたところよ」そう、義妹夫婦の行為は育児放棄に相当します。児童相談所で話を聞くと、以前もおいっ子が夜中に外に出されていたり、大声で罵倒されていたりという様子を見た隣人からの通報が入っていたとか。それからすぐに義妹夫婦は逮捕されました。ワンオペ育児で精神的に病んでいたらしい義妹は、刑期中に離婚を決め、出所後には環境を整えておいとやり直したいと言っています。この先は、おいの気持ちを最優先に考え、義妹の更生具合を見守りながら支えていくつもりです。まずは私たちのもとでおいが幸せを感じられるように、夫と協力して楽しい時間を作っていきたいと思います。--------------たとえ身体的な虐待でなくても、親の責任を果たさない育児放棄は犯罪です。何より、子どもの心身を傷つける行為は許せません。義妹が心を入れ替えて子どもに向き合い、償っていけますように。母親だけでなく、別れた夫にも父親としての責任を果たしてもらいたいですよね。もしも虐待などが疑われる場合は、ためらわずに児童相談所へ連絡し、子どもたちを守りましょう。▼児童相談所全国共通ダイヤル育児や子育てに悩んだときなどの相談窓口です。全国共通ダイヤル「189」に電話をかけると、発信した電話の市内局番等から当該地域を特定し、管轄する児童相談所に電話が転送されます。子どもが虐待されているかもと思ったとき、自分の子育てがつらくて子どもにあたってしまうときなどに、専門家に相談することができます。電話番号:189(いちはやく)著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年04月18日男性が「におい」で悩むというのは聞いたことがありますが、私は「女性には関係ないこと」と思ってきました。ところが、40代半ばのころにそれが間違いだったと知ったのです。そのことが原因でパートナーとギクシャクしてしまい、性生活にも影響が出てきたときのお話です。パートナーからの指摘40代半ばのころ、私は行為の最中に衝撃的なひと言を彼に言われました。それは、最近私の体臭がキツイと言うのです。「ちゃんとシャワー浴びたのか? なんか、臭い気がする」と言われ、かなりムッとしました。いつも行為の前にはシャワーを浴びているので、そんなにおいがするわけありません。これまでそんなことを言われたことがなかったので、最初は「冗談だろう」と思っていました。しかし、その次も同じことを言われ、さすがに自身の体臭について考えるようになりました。認めざるを得ない現実知り合いの女性に相談したところ、「加齢臭かもしれない」と言われました。女性も40代のころから加齢臭が気になり始めたそうで、その知人も悩んでいたとのこと。その話を聞いて、私はかなりショックを受けました。知人に勧められるままに皮膚科に行って相談したところ、においの原因はやはり加齢臭でした。自分では気が付かないうちに、体臭が変化していたのです。デリカシーのない言葉彼に加齢臭のことを話したら、大爆笑されました。「こっちは真剣に悩んでいるのに」と、またイライラが募ります。私は、医師の指導に従い、薬用シャンプーやせっけんで髪や体を洗い、わずかな汗もすぐに拭うようにしました。なんだか、すれ違う人が皆私のことを「臭い」と思っているような気がして、外出も嫌になりました。自分の加齢臭が消えたかどうかはわかりません。自分で腕や足のにおいを嗅いでも、いまいちわからないのです。彼に聞いても、「加齢臭なんだから、そう簡単に消えない」と言われました。おまけに、「加齢臭が消えるまでは、性行為は控えたい」とまで言われました。こっちは彼から加齢臭がしても、グッと我慢したというのに。もう少しデリカシーのある言葉が聞きたかったです。それからというもの、彼との仲もギクシャクしてしまいました。彼からベッドに誘われてもその気にはなりませんし、会話をするのも嫌になったのです。まとめ年齢を重ねると体にさまざまな変化が訪れますが、意外とにおいの変化には鈍感なのかもしれないと思いました。私も指摘されるまで、自分から加齢臭だなんて考えたこともありませんでした。ですが、正しい対処によって加齢臭の悩みは解消されると信じ、まずは周囲の人に相談することが大切だと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/佐倉結華イラスト/エェコ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月18日私は夫の両親と同居していましたが、田舎だったので不便なことが多く、思い切って便利な郊外に引っ越しました。しかし、引っ越して1年もたたないうちに義母がアルツハイマー型認知症と診断されてしまい、嫁である私は今後どうしたらよいのかわからない状態に。そんな私の体験談です。新しい場所でスタートした矢先に賃貸ですが眺めの良いマンションに引っ越して、新しい環境にも慣れ始めていたところ、義父から連絡が。義母が何回も同じ話を繰り返す、置いた物の場所をすぐに忘れてしまうということがひどくなり、病院に連れて行ったそうです。病院では初期のアルツハイマー型認知症と診断されましたが、生活に影響するような症状は見られないので、服用薬で進行を緩やかに保っている状態だと聞きました。それを聞きつけた遠方に嫁いだ夫の妹が帰省し、義母の様子を見に行ってくれました。1週間ほど滞在したらしいのですが、特に介護らしいことをする必要もなく、買い物に連れて行ったことなどを話してくれました。夫の妹はもう少し長く義母のもとにいるつもりでしたが、心配して帰ったのに「なんで帰ってきたの?」「私を年寄り扱いしないで!」と怒られたそうです。義母に会うのは勇気がいること夫も仕事帰りに義母の様子を見に行っていましたが、追い返されるので喧嘩して帰ってくることも。そこからあまり実家に行かなくなってしまいました。一緒に暮らしている義父が普段から動くことが好きな人なので、義母とごはんを食べに行ったり旅行に連れ出したりしているため、少し安心していました。私は車を運転しないのですが、最寄り駅からも離れた場所に夫の実家があるため、なかなか会いに行けません。それを理由にして、頑張れば行くことはできるのですが、あえて義母宅には行かないようにしていました。症状は軽いとはいっても、アルツハイマー型認知症の義母に会うのが少し怖かったのです。夫も「正月とかお盆に一緒に帰ればいいよ」と言ってくれました。お正月に帰省して新しい年を迎え、夫と子どもと家族で、久しぶりに義母に会いに行くことに。どのくらい病状が進んでいるのか聞いていなかったので、不安に思いながら玄関のドアを開け台所に向かうと、普段と変わらない様子で義母が料理をしていました。「あらー、よく帰ってきたね」と忙しそうな動きを止めて迎えてくれ、私は少し安心しました。しかし、話は普通にできますが、料理をしようとすると冷蔵庫に入れていたお肉を何回も外に探しに行ったり、お寿司があるのに白米を炊こうとして義父に怒られています。お肉を焼こうとするとどうしたらよいのかわからなくなり、挙句の果てには何から手を付けるか混乱し、完全に義母の動きが止まってしまいました。座り込んでしまった義母に代わり、私と娘でお肉を焼き、お寿司やおせちを並べて料理を完成させました。まとめ義母宅から帰宅後、アルツハイマー型認知症のことをいろいろネットで調べて、症状や段階に応じた付き合い方を考えました。子どもや夫にも情報を共有し、これからのことをよく話し合っています。症状が劇的に軽くなることはないと思うので、じょうずに向き合っていけたらと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/陸えま子ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月18日私はファッションが大好き、おしゃれが大好きで、トレンドを取り入れるのにファストファッションをよく利用してきました。ところが最近、ファストファッションの服でしっくりこないものが増えてきました。今でもファッションは大好きなのですが、せっかく買っても袖を通すことなく娘にあげることもしばしば。クローゼットの見直しを経て、好きだからこそやたらと洋服を買わなくなった体験談です。ファストファッションが似合わない?これまで定期的に訪れ、ネットでも店頭でも毎月と言っていいほど何かしらお世話になっていたファストファッションの洋服。今でも見ているだけならトレンド感があり、かわいいと思う服がたくさん並んでいるのですが、最近いざ試着室で着てみると、どこか違和感を覚えるようになりました。強いて言うなら、顔が浮いてしまっているのです。好みのスタイルに顔がついてこなくなっていると言ったらいいのでしょうか。若作りのおばさんにはなりたくないと強く思うあまり過敏になっているのか、欲しいとは思うのですが買うまでに至らなくなり、このところ足が遠のいています。要は、着たい服と似合う服が一致しなくなってきているのだと気付きました。では、似合う服とはどのような服なのか。ここ10年ほどずっと同じような感じで定番服にファストブランドで購入したトレンドアイテムを合わせて最新のファッションを楽しんできましたが、今後もトレンドアイテムを足す必要があるのか、限られた予算をどこに投入するべきか、50代のファッションについて改めて考えてみました。残す服とさよならする服を選別これからのファッションについて考えるきっかけとなったのは、クローゼットの見直しでした。たくさんの服とさよならをしながら、こういうことを続けていてはいけないと強く思いました。似合うと思ったら堂々と着たらいいと思うのですが、違和感を覚えるのであればファッションをがらりと変えていくべきだと感じました。先日、偶然手にした雑誌のインタビューで、ある女優さんが片付けの話をしていました。自分と同じだったので親近感を抱きながら読み進めていくと、この女優さんもたくさんの服を処分したと書いてありました。「流行を追ってたくさんお買い物をしてきたけれど、それらの物を処分しながら、もう二度とこういうことはしたくない。これからは、長く使える物だけを買おう。娘に残してあげられる物だけを買おうと決めました」と言うのです。もともとファンだったこともあり、彼女の思いに激しく同感した私は、自分もそうしようと思いました。これからは多少値が張っても、肌触りの良い仕立ての良い服を着たい。体に合った上質なコートを大切に長く着よう。そう思ったら、自然と残しておく服、さよならする服がはっきりとわかるようになり、ベーシックで素材の良い服、流行にとらわれない定番の服だけがクローゼットに残りました。ゆとりのあるクローゼットを楽しむ日々見直しを経てずいぶん整理されたクローゼットは、がらんとしたまま2カ月がたちました。その間、洋服を買うことはありませんでした。こんなことは初めてですが、欲しいと思わないのでストレスは感じていません。さらに残した服の中にやはりさよならしようと思う服がしばしば見つかるので、このままいくとまだまだ減っていきそうです。不思議なのが、クローゼットが服であふれていたときは「着たい服が1着もない」「まともな服がまったくない」と嘆いては新しい服を探すということを繰り返していたわけですが、今は自分がどんな服を持っているのか把握しているため、コーディネートもすぐに決まりますし、前より服選びはラクになりました。少数精鋭で、どれも安心して着られるアイテムばかりなので、迷う必要がないのです。まとめ洋服は買わなくなりましたが、物欲がまったくなくなったわけではありません。購入したいものもあります。そしてこれまでより心がけるようになったのは、衣類のメンテナンスです。洗濯表示を確認して正しい洗濯をすることが毛玉や形崩れを防ぐため、失敗したくない衣類は必ず専用洗剤を使って手洗いをし、置き干しをするように。Tシャツにもアイロンをかけて、きれいに服を着るようにしています。これからも自分の変化を受け入れ、好きなファッションを追求して楽しみたいと思っています。グレイヘアに細身のバーバリーのトレンチを着て、サングラスをかけているような、そんなおばあちゃんになるのが今の私の目標です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/村澤綾香著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2024年04月18日私の家系には昔から続く伝統があります。代々受け継がれてきた伝統を守るのか、はたまた自分たちの考え方を貫くのか、いとこの誕生を巡って親戚トラブルに発展したときのお話です。名前を付ける際の伝統私の父方の家系には、名前を付ける際に「漢字2文字にすること」「1文字目は7画。2文字目は8画にすること」という伝統があります。父方の祖父も父も父の弟も、私の姉も私自身もその伝統に従って名前を付けてもらっています。なぜそのような伝統があるのかと聞いたときに、「苗字の漢字との相性が良いからだ」と聞かされました。私自身は自分の名前は気に入っているので特に不満はありません。しかし、父の弟に娘が誕生した際にトラブルは起こったのでした。伝統よりも思いを優先したい私にとってのいとこが誕生し、親戚一同祝福ムードに包まれました。しかし、名付けられた名前を見て、トラブルが起こってしまったのです。その子に付けられた名前は漢字2文字ではありましたが、「1文字目が3画、2文字目が8画」だったのです。その名前を知ったとたん、曽祖父や曽祖母など親戚たちが家に集まって来たのです。なぜ伝統を守らなかったのか。この子の幸せを思って伝統通りの名前を付けるべきだと父の弟はかなりの罵声を浴びせられ、責められていたのです。しかし、父の弟は真っすぐ見据えて言い放ったのです。「必ず幸せにします」「僕たちは、もちろん伝統を軽んじてはいません。でも名付けたい名前があって、その思いを優先したいと思いました。伝統に負けないくらい、しっかりとこの娘を幸せにします」と。私はその光景を見て「かっこいい」と素直に思いました。父の弟も家系由来の名前です。それでも伝統よりも自分たちの思いを優先し、わが子の幸せを願って付けた名前に誇りと愛情を持っているという言葉に心を打たれたのです。曽祖父や曽祖母たちも、その意志の強さにその後言葉を返すことはありませんでした。そのとき生まれたいとこは、今でも幸せに成長しています。まとめ私は、伝統を大切に守り抜くべきだという家柄も愛しています。父の弟もそれをわかっていたはずです。しかしそれを上回るくらいの気持ちがあったときに、自分の意志を優先するための覚悟を見た気がしました。私も何かを覆してでもやりたいことがあったときに貫ける覚悟を持てるような人間になりたいと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/土井らん著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月18日私はまだ永久歯を抜いたことも、抜けたこともありません。親知らずも3本生えていますが、虫歯にもなっていません。だからといって、特別口腔ケアに力を入れてきたわけでもなく、たまたまこの状態を保てているだけです。でも最近、80歳になってもこのまま自分の歯で食べ物を食べたいと思い、大嫌いな歯医者にも通い続けています。これは私が「歯を大切に生きよう」と感じた体験談です。歯医者がトラウマに…私は歯医者が大嫌いです。好きという人のほうが少ないかもしれませんが、治療をして本当に痛かったと感じた経験があります。3人目の子を出産してすぐ右下の奥歯が折れてしまいました。生後数週間の赤ちゃんを連れての通院でしたが、幸い先生からも「お母さんのおなかの上にのせて、うつぶせで抱っこしたままで治療しますね」と好意的に接していただき、安心して通うことができていました。それがある日の治療時、先生が受付の方を呼び、わが子を抱っこするようにと言いました。私は言われるがまま、小さなわが子をその方に任せて診察台に上がったのですが……その日の治療は目から火が出るほど痛かったのです。麻酔をせずに根管治療した経験が…それが歯の根っこの神経が通っている管(根管)の炎症や感染している部分を消毒して詰め物を入れる根管治療だったと知ったのは随分後のことでした。麻酔もせず幾度となく歯茎に何かを刺されるような感覚で、いい大人が泣いてしまうほど本当に痛かったです。先生もそれを承知の上で、受付の方に代わり子ども抱いているよう指示されたのだと理解しました。それからというもの、歯科がトラウマになり、とにかく避けてここまで生きてきました。それでも半年前、いよいよ避けては通れない状況が訪れました……。今度は左上の奥歯が半分折れてしまったのです。意を決して歯医者へ。痛くなかったものの…それでも歯医者には行きたくなかったため、折れてしまった箇所を念入りに歯磨き。とにかく痛みが出るのを防ぐことに注力しました。しかし長くは持たず、すぐにズキズキと痛むようになりました。いろいろな人から情報を得て「痛みの少ない治療」をしてくれる歯医者を探しました。予約した歯医者でも、診察台に座ってから「とにかく痛い治療は嫌です」と理由とともに先生へ延々と訴え続けました。おかげで痛みの少ない治療ではあったものの、放置した期間が長かったせいか炎症がなかなか治まらず「このまま炎症が治まらない場合は、歯の根元が折れている可能性もあるため、抜歯する可能性もあります」と言われ、大きなショックを受けました。まとめこんなことなら早く歯医者に行くべきだった……まさか自分が「歯を抜くかもしれません」なんて言われるとは思ってもいませんでした。まさに鈍器で頭を殴られたような強い衝撃を受けました。歯が痛いと、おいしいものをおいしく食べられないし、日常生活にも大きく影響します。最近では口内の細菌が体内に侵入し臓器に悪影響を及ぼす可能性があることから、国民皆歯科検診制度という国民に歯科検診を義務付ける動きもあるほど、口腔ケアが見直されています。80歳と言わず、死ぬまで自分の歯で食べ続けられるよう、歯科にはきちんと通って口腔ケアに務めることを決意しました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。イラスト/おんたま著者/日向 くらげ一昨年に離婚。飲食業界の会社に勤めて28年。趣味は旅行と温泉巡り。
2024年04月17日42歳のオムニウッチーさんはある日突然無職に。そのときの出来事をマンガで振り返ります。転職して7年たち、忙しくもおおむね平穏な日々を過ごしていたオムニウッチーさん。ある朝、社長から突然の解雇通達を受けます。42歳、独身、1人暮らしで無職になってどうなるの? と焦ります。そんな中、取引先とのある雑談を思い出して……。他社の人から閉店情報を聞かされて…雑貨店の店長を務めていたオムニウッチーさん。ある日突然、社長から店の従業員全員の解雇を告げられます。取り乱す社員をフォローしつつ、オムニウッチーさんはふと、自分のほうがヤバいのでは? と気が付きます。42歳、独身、1人暮らしで無職って、大丈夫か私!?そして、1年前のとある出来事を思い出したのですが……。会社都合での退職を初めて経験することになったのですが、振り返るとその予兆は1年前から始まっていたのかもしれません。商業施設にテナントして入る場合、契約更新があって、更新の年だということは何となく把握していました。でも社長からは何も言われていないし、おそらくこのまま契約更新されるのだろうと思っていたのですが……商談にやってきた仕入先の担当者からまさかの発言が飛び出しました。「こちらのお店って閉店されるんですよね?」え?? 何のこと? どこからの情報!?問い詰めると、うちの社長が契約更新はしないと話していたとのこと。ハァ〜!?!?速攻で社長に事実確認をすると、どうやら施設側ともめている様子……。今年中に新たな移店先を見つけるようなことを言っているけど、あと3カ月しかないけど!?しかもこんな大事な情報を他の会社の社員から知るってどういうことよ!?おいおい……この会社大丈夫なのか!?思い返せば、あの日は初めて会社に不信感を抱いた瞬間でもありました。-----------------1年前には、取引先から閉店の情報を聞かされていたことを思いだしたオムニウッチーさん。そんな大事なことを他社の人から聞くなんて、会社に対して不信感を抱いてしまっても仕方ないですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/オムニウッチー(42歳)アラフォー。北海道在住。キッチン雑貨店の元店長。Instagramでは、店で遭遇するお客さんとのエピソードや自分の体験などを漫画にしている。 Instagram:@omni_uttii821
2024年04月17日若いころの私は、体も丈夫でショートスリーパーでした。夜勤の介護職をメインに、日中はインストラクターの仕事をするなど無謀な働き方を長く続けていました。毎日の食事は適当で、しかも喫煙者でお酒大好き。とにかく不摂生だったと思います。そんな私の生活が変わったのは36歳のときに妊娠したことで、これまでの生活は一変しました。自分をねぎらってこなかった積み重ねと、決して若くはない年齢での初産で、さらに双子。相次ぐトラブルと長い入院生活の果てに、予定より2カ月も早く出産をしました。妊娠を機に禁煙に成功し、飲み始めると止まらなかったお酒も完全に断つことができたのですが……。双子育児の洗礼を受けた私の体は、これまで経験したことがないストレスでボロボロに。腰痛などの体の痛みに、胃痛や腹痛に頭痛……と、あちこちが痛みました。私が倒れるわけにはいかないから子どもたちが3歳になるころ、私はシングルマザーになっていました。出産後の心身は本当に疲れていましたが、子どもたちのことがかわいくて、つらさには鈍感になっていたのかもしれません。体調に気になるところはいくつもあったのですが、それよりも「私が倒れるわけにはいかないから」という理由で人間ドックを受けることにしました。41歳で初めての人間ドック。胃カメラ、大腸がん、子宮がん、乳がん検診も追加しました。自分の体に「ごめんなさい」結果的に、人間ドックを受けてよかったです。知るべきことがたくさん見つかりました。中でも一番大きかったのは、ピロリ菌でした。胃がんの原因にもなるピロリ菌感染がわかり、除菌に取りかかれたのです。胃腸に関しては慢性的な胃炎と十二指腸に潰瘍の形跡があり、先生から「これは治療したものなのか」と問われました。「受診はしておらず、今知りました。でもストレスで胃痛があったので心当たりはあります」という私の答えに先生も苦笑いです。私は自分の体に申し訳なく思いました。他に肝嚢胞(かんのうほう)という肝臓にできる泡のような袋が多発している点と白血球の少なさが経過観察となり、貧血は要治療。また、乳がん検診も精密検査まで受けた結果、問題ないことがわかりました。あとは、体重を減らすことも。出産で18kg増えた体は過酷なダイエットでようやく減るものの、普段の生活で簡単に戻ってしまいます。まとめ日常的に健康に気を付け、丁寧な生活ができたらいいのかもしれません。ですが、そうもいかないのが現実です。それなら、気になる症状が出たときはきちんと受診し、定期的に検診を受けることが重要だと思いました。現在も、絶好調というわけではなくやはり疲れているし胃腸も相変わらず繊細ですが、自分の体の状態が把握できている分、安心感が違います。まずは知ることが大切だと痛感した出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。文/五条ミカドイラスト/きびのあやとら著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月17日10年前のインフルエンザの流行期、夫が突然40度の発熱! しかしそれはインフルエンザではなく、今まで聞いたことのない国指定の難病だったのです。病名が判明するまでの過酷な日々と、心身ともに疲れ果てた看病の体験をお話しします。いきなり41度の発熱!今から10年前、夫と私が35歳のときの話です。当時インフルエンザが大流行中だったので、夫婦で「そろそろワクチンを打ったほうがいいかな?」 と話していました。そんな夫婦の会話をあざ笑うかのように、その日の夜に夫が「寒けがする……」 と言いだしたのです。熱を測ってみると、なんと41度! 「これはインフルエンザだな」 とは思っていたものの、あまりにも夫がしんどそうだったので、夜間の救急医療機関を受診することにしました。病院でインフルエンザの検査をすると、結果は陰性。翌日の診療時間中に再度詳しい検査をすることになり、夜間の診察は終わりました。しかも「熱の原因がわからないから解熱剤は出せない」と言われ、その日は薬を処方されることもなく病院を後にしたのです。帰宅後、頭痛と腰痛を訴え、嘔吐する夫。しかし解熱剤もないので、保冷剤でおでこや脇の下を冷やしながら、夜が明けるのをひたすら待ちました。ふと夫の首元を見ると、リンパの部分が腫れていたのを覚えています。日替わりでさまざまな検査をした結果…翌日、意識ももうろうとする夫を連れて総合病院へ行きました。最初に医師が下した診断は伝染性単核球症の疑い 。その後即入院となり、抗生剤の点滴が開始されました。点滴をしながら血液検査、CT検査、胸部X線検査、尿検査を実施。しかし、血液検査では炎症反応と肝機能数値が高いものの、他の検査はまったく異常なしでした。この間も夫の熱は38~40度をいったりきたりでかなりつらそうでした。入院2日目、ウイルス検査はすべて抗体ありの結果が出たため、「ウイルス性の感染症の可能性は消えた」 と主治医に言われました。その後、結核菌の感染を調べるツベルクリン反応、悪性腫瘍検査、HIV検査と日替わりでさまざまな検査がおこなわれたのですが、すべて結果は陰性。とにかく早く原因が判明してほしい、と祈るような気持ちでした。そして入院から3日目、膠原病(こうげんびょう)に詳しい先生の診察を受け、ついに病名がはっきりしました。夫の疾患は「9割の確率で成人スチル病だろう」 とのこと。先生いわく「成人スチル病は、発熱や関節痛、発疹などの症状が見られる。発熱の原因として考えられる疾患をすべて除外して初めて診断できる病気」 とのことでした。治療がスタートし、夫は回復したものの…病名もはっきりしたので、1日40mgのステロイド内服薬「プレドニン」 を服用することになった夫。治療を開始するにあたり主治医から、ステロイド治療の副作用についての説明がありました。主な副作用は、免疫力の低下、食欲増進、うつ症状など。病室は大部屋から個室へ移動となり、家族以外は面会謝絶。私も病室に入るときは、マスクを着用することになりました。ステロイド治療を始めてから5日後。血液検査の結果、炎症反応も順調に下がっていたので2週間に5mgのペースで減薬していくことになりました。薬をゆっくり減らしていく理由は、量を減らすペースが早いと、症状が再発する恐れがあるからだそうです。ステロイド治療を始めてからおよそ1カ月で症状は改善。自宅療養できるまでになりました。「ようやく良くなった……」 とホッとしたのもつかの間。自宅療養開始から数週間たつと、夫が精神的に不安定になってきました。ささいなことで激怒したり、「俺なんかもう必要のない人間だ」 と泣きだしたり。かと思えば、深夜にネット通販で「探偵グッズ」 「昭和のテレビゲームカセット」 など、明らかに不要なものを次々と注文したり。思い余って主治医に相談すると、「ステロイド誘起性うつ病だろう」 とのこと。「あまりに症状がひどいのなら安定剤を出しますよ」 と言われましたが、夫がかたくなに拒否したので薬の処方はされませんでした。その後、薬の減量と共に次第に元の夫に戻り、安心したのを覚えています。自宅療養から2カ月後、夫は仕事に復帰し、半年程度でステロイド治療も終了しました。しかし、成人スチル病は国指定の難病。夫の成人スチル病発症から2年後に妊娠・出産したのですが、子どもの学資保険に夫名義で加入しようとしたら、「成人スチル病の既往歴があるから」 と加入を断られてしまいました。また、成人スチル病を発症した人のうち、約半数の人が再発を繰り返すとのこと。あれから10年、幸いにも夫は再発していませんが、今でも風邪をひいて発熱すると、「もしかして……」 とドキッとしてしまいます。まとめある日、夫が突然発症した「成人スチル病」という難病。検査結果が出るまでの不安な日々と、ステロイド治療が始まってからの過酷な毎日は本当につらいものでした。しかし、一番しんどかったのは、病気を発症した夫。どうか今後再発することなく元気に過ごしてほしいと願っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/サトウユカ著者/もりはなこ(46歳)高齢出産した娘の育児に毎日奮闘しつつ、迫りくる更年期の陰に怯えるアラフィフです。
2024年04月17日2人の子どもがある程度大きくなったので、フルタイムのパートを見つけて毎日忙しく働いていた私。仕事にも慣れて楽しくなってきたころ、ある朝ベッドから起き上がろうとすると、めまいがして気持ち悪くなり、ベッドから出られなくなりました。めまいと吐き気で歩けない!このような症状は初めてだったので、とても動揺してしまい、涙が出てきて止まらなくなってしまった私。たまたま仕事が休みで、その姿を見た夫も何事かと驚きが隠せない様子でした。その後トイレに行きたくなり、夫に体を支えられ連れて行ってもらい、便座に腰を下ろして下を向いた瞬間に嘔吐してしまいました。それ以降、座っていても気分が悪く、ベッドに横になって上を向いていないと吐きそうになる状態です。寝ていても治らないので、車の助手席を倒し、上を向いて寝たままの状態で夫に近所の内科へ連れて行ってもらいました。検査で判明したのはかかりつけ医の先生は甲状腺に詳しい方で、血液検査と心電図検査の結果「甲状腺機能低下症(橋本病)」と診断されました。甲状腺(体全体の新陳代謝を促進する甲状腺ホルモンを分泌する臓器)に異常を来し、体のむくみやだるさ・肌の乾燥・喉の違和感・体重の増加など、いろいろな症状が出る病気だそうです。20代後半~40代の女性がかかりやすく、甲状腺ホルモンがうまく作れなくなるので、ホルモンを補充する薬を飲みながら治療がおこなわれます。医師からは、定期的に検査をおこない、ホルモン薬の量を調節しながら治療すると言われました。初めて聞いた病名だったので、家に帰ってインターネットでいろいろ調べていくうちに、甲状腺の働きが活発になり過剰にホルモンが増える「バセドウ病」とは反対の病気だということもわかりました。理解してもらえない病気病名がわかって薬をもらい、2~3日休んでから仕事に復帰し、普段通りの生活を送れるようになるまで回復しました。しかし、昼間でも激しい眠気が襲ってきたり、喉周りが腫れて熱っぽくなったりという症状が現れます。お風呂で頭を洗っていると、髪の毛がごっそり抜ける、やる気が出ない、落ち込みやすいといったこともありました。一番つらいのは、病気の認知度が低いためか、理解してもらいにくいということです。「ただサボりたいだけじゃない?」「病は気からだよ」と言われることがあり、弱音を吐いているだけの人に見られることも……。それでも、症状があるときは我慢や無理をせず、休めるときに休むことにしました。長く付き合っていかないといけない病気なので、「無理をしては悪化させるだけだ」と自分に言い聞かせています。まとめ橋本病にかかってから8年ほどたち、引っ越しを機に病院を変え、専門医のもとで治療を続けています。相変わらず調子の悪いときもありますが、一番近くにいる家族が理解していて、助けてくれるのでとても心強いです。これからも規則正しい生活をし、趣味や好きなことをして自分の機嫌を取ってあげることも大切だと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。文/りくえま著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月17日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。自分の希望をストレートに伝えない義母。「休みの日くらいゆっくり休んで、朝ごはんのメニューを変えればいいのに」と、あたかもまる子さんのことを思いやって言っているような口ぶりで、やんわり自分の希望を通そうとしてきます。もう慣れたとはいえ、毎日の食事の支度をもう少し気持ち良くしたいと思うまる子さんでした。言うのは簡単、やるのは大変食事の内容だけではなく、提供時間にもこだわりがある義母。しかし、その時間に合わせて準備をしていても、義母のおなかが空けば容赦なく呼び出しがかかります。時間に合わせて作っていると説明しても「忘れられていると思った」なんて言われてしまい、まる子さんはイラッとしてしまうことも多々……。息子のお弁当がないときは、ご飯を炊かないので必然的におかゆになります。すると、連日のおかゆに飽きた義母は……。私にご飯党になれと……?余計に余らせてどうする……?どうしても納豆が食べたいらしく、冷凍のご飯でも良いと譲歩してきたので、冷凍ご飯で朝食セットを再開。だいぶ八つ当たりな気が……。言うのは簡単ですよね!わが家の朝食は、義母だけ和食。しかし、義母は炊きたてのご飯しか食べようとしません。息子のお弁当作りがあるときはご飯を炊くので問題ありませんが、それがないと炊きたてのご飯が提供できないため、必然とひと手間加えたおかゆの登場回数が増えてしまいます。そうなると、炊きたてのご飯が恋しくなるころに、義母はあれこれ提案をしてくるようになります。毎回ご飯を炊き、余ったら炒飯にすればいいのだとか、皆もご飯にすればいいのだとか……。炊きたてが難しいなら、味噌か醤油の焼きおにぎりにするのもいいとも言われました。言うだけなら簡単ですが、やるのは大変です。朝と昼は、なるべく「まごわやさしい(ま:豆、ご:ゴマ、わ:わかめ、や:野菜、さ:魚、し:椎茸、い:芋)」献立作りを心掛けていましたが、何をやっても文句を言われると、全部投げ出してしまいたくなります。--------------パン党とご飯党、それぞれの朝ごはんを用意するだけでも大変なのに、細かい要求まで聞いていたらキリがないですよね。でも、自分は炊きたてのご飯を食べたいけれど、まる子さんたちは余ったご飯を炒飯にすればいいというのは、ちょっと受け入れがたい要望かもしれません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年04月17日結婚してからすぐ違和感を抱きましたが、私の夫はマザコンでした。とにかくすぐに実家に帰りたがり、休日は自宅にいません。私たち夫婦に子どもができ、その頻度が変わるのかと思ったら、今度は「子どもの面倒を見てもらうため」と、理由を付けて実家に行くのでした。そんな夫が、子どもの発言を受けて変わったときのお話です。 休日に自宅にいない夫 結婚してから間もなく、夫は用事を見つけては実家に帰ることが多くなりました。私に「一緒に来てほしい」と言わない分、それで良いのかと思っていましたが、夫が実家に帰る頻度は増す一方でした。夫が実家に帰ると1泊するようになり、どんどん滞在時間が延びていきましたが、そのころ私が妊娠・出産をして、夫の行動に変化が見られると思っていました。しかしながら、今度は「子どもの面倒を見てもらうために実家に行きたい」と言うのです。夫はますます実家に入りびたり、休日は家にいることがありません。でも、今度は子どもの面倒を見てもらうという目的もあったため、育児の負担が減るのもたしか。夫はそれを言い分にしていましたが、実家では義母に子どもを預けて自分は遊びに行っているようでした。子どものひと言で風向きが変わるそんな夫のことに深く干渉しないようにし、それから数年たったころのことです。夫に対して多くの疑問を持ちながらも、私は耐えていました。きっと夫だけでなく、それを受け入れるほうにも問題があると思っていたからです。実家の義母と夫の双方が、子離れ・親離れできていないと感じていました。そんなとき、いつものように実家に子どもを連れて行こうとした夫に、子どもが「今日はママと一緒にいたい」と言ったのです。夫はそのひと言にあ然としながら、子どもの気持ちに従わないわけにはいかないため、その日は実家へ行くのをやめました。実家に帰る理由が…その後も夫は実家に帰る理由がなくなり、頻度を減らすしか方法がなくなってきました。子どもが会いたいと言わなければ、実家に行けなくなるのです。実家の人たちは、子どもに会いたいと話しているようですが、子どもにも感情があります。そもそも、母である私の感情を無視してきた行動なのです。正直、このまま夫の実家訪問がなくなってしまえばよいと思っています。まとめもともと正月や夏休みは帰省していましたが、子どもが成長して自分の意見を言えるようになってからというもの、頻繁な訪問がなくなりホッとしています。夫にも早く親離れしてもらって、自分勝手な行動は慎んでほしいと思いました。これは義実家にも言えることだと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/山下まち子イラスト/まげよ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月17日私が閉経したのは50歳のとき、その数年前から睡眠がちゃんと取れていないと思う日が増えてきました。寝付きは良いのですが、早朝に目が覚めてしまうのです。私は夫の仕事の都合で朝5時には起床しますが、ひどいときには目覚まし時計が鳴る1時間以上前から目が覚めるようになってしまいました。私が睡眠の悩み解消のためにおこなった生活習慣の見直しとその結果を紹介します。50歳前からしっかり睡眠が取れないように年齢とともに睡眠の質が下がり、睡眠時間も徐々に短くなると思っていました。ですが、同年代の友人に尋ねても、皆「そんなことはない」と言うばかり。たしかに50歳前から、睡眠が取れなくなるというのは私にとっても考えにくく、どこか自分はおかしいのではないかとまで考えるようになりました。昼間は眠くてたまらず、昼寝をする回数も増えていきました。諦めて早朝から起き出すと、今度は疲労が激しくなり、困った毎日が続きました。更年期の悩みにはさまざまな種類があるため、自分の症状が当てはまるのかがわからず、睡眠の悩みが更年期と結び付きませんでした。私が相談したのは同年代の友人だけ。母親や周りの年上の女性たちにちゃんと話を聞いておけば、もっと早く悩みが軽くなったかもしれないと残念に思っています。更年期と睡眠の関係について知り…当時、自分が更年期に突入しているのかどうかわからなかったため、閉経の前に婦人科で診察を受けました。そのとき医師にすでに更年期に入っていること、もうすぐ閉経を迎えることを教えてもらいました。いろいろな不調は出て来るけれど、自分で我慢ができるならそれほど心配はしなくても良いと言ってもらいました。自分の体の状態をわかっていると、睡眠の悩みについても心配し過ぎずに済みました。更年期に起こることに対して、前向きに対処できるようになったようです。そして、睡眠の悩みが更年期と関係あるのではないかと考えるようになったのは、閉経してから5年目のこと。だんだんとその悩みが気にならなくなってきたからです。ネットで調べてみると、女性ホルモンは睡眠中枢と大きな関係があり、更年期で女性ホルモンが減ることで、睡眠に影響が出る人もいるということがわかりました。これがわかったことで自分は異常ではない、ちょっと更年期で睡眠のリズムが乱れただけなんだと前向きに考えることができるようになりました。3つの対処法で睡眠が改善私が睡眠の悩み解消のためにおこなったことは3つありました。1つ目は、生活習慣の見直しです。まず、昼寝の習慣を見直しました。早朝から目が覚めてしまう私にとって昼寝は大切でしたが、寝付いたところに玄関でチャイムが鳴ったりして、昼寝ができないことがストレスになることもありました。そのため、昼寝は諦めて就寝時間を1時間早くして、起床時間もその分早めることにしました。結果として全体の睡眠時間は同じでも、夜早い時間に眠れていると、体の負担がかなり軽減されていると実感できました。 2つ目は、お酒を飲む日を減らしたことです。私はお酒を飲むと夜中にトイレに起きることもあったため、1週間の半分はお酒を飲まないようにしました。お酒を飲まないと眠れないと思っていましたが、実際は飲まないほうが翌朝にスッキリと起きられ、睡眠の質が良くなったように感じました。 3つ目は、寝る前の腹式呼吸です。寝る前におこなうとリラックスできると知人に勧められて始めましたが、本当にその通りでした。腹式呼吸をしていると呼吸することに集中するので、眠れるかどうかをあまり気にしなくなりました。結果的にそれが睡眠によかったのだと思います。まとめ私の周りでは年上の女性たちが集まると、更年期の悩みや睡眠の悩みについての話をしていました。よく聞いておけば、自分の更年期の悩みに対する知識がもっと早く得られたのにと今も残念です。 ただ私も生活習慣を見直すことや夜寝る前の腹式呼吸で、薬に頼ることもなく無事に生活ができています。地味で小さなことですが、毎日の生活は小さな積み重ねで良くできると実感しています。 ※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/ゆみこ(55歳)20年以上専業主婦をしており、成人した娘が2人。5年ほど前から、体のお悩みがいろいろと出て来るようになったが、自分なりにうまくやり過ごしている。
2024年04月16日42歳のオムニウッチーさんはある日突然、無職に。そのときの出来事をマンガで振り返ります。転職して7年。その間、恋人との別れはあったものの、おおむね平穏な日々を過ごしていたオムニウッチーさん。ある朝、社長から突然の解雇通達を受けます。取り乱す社員のフォローをしながら思ったことは……。突然社長から解雇を告げられて…雑貨店の店長を務めていたオムニウッチーさん。ある日社長から、担当していた雑貨店の閉店の知らせとともに、社員全員の解雇を告げられました。突然のことに泣きだす社員を慰めるオムニウッチーさんですが、やばいのは自分では? と気付いて……。解雇、それは突然やってくる……。今の会社に入社して7年、いろいろありましたが平穏な日々を過ごしていました。そんなある日……、社長がお店に来ることに。月に一度は来店するし、今回もそのタイミングなんだろうと思っていたら、告げられたのはお店の閉店とスタッフ全員の解雇。え? 閉店? 解雇? 私たちクビってこと!?涙があふれバックルームへ駆け込む須川さんを見て「俺の顔なんて見たくないだろ?」とそそくさと帰る社長。おい! 何だそれ!!社長の態度にあきれつつも、須川さんのフォローをしなくちゃ!まだ入社して1年もたたない須川さん。たしかに入社したばかりで解雇なんてひどいよね……。でも、結婚しているし旦那さんもお堅い仕事なら正社員で働かなくても何とかなるのでは? しかもまだ30歳!! 仕事なんてきっといくらでもある!やばいのは……42歳、独身、1人暮らしの私のほうなのでは???来年には無職になる!!! どうする私!!!-----------------突然、「42歳独身無職」になったオムニウッチーさん。この窮地をどう突き進むのでしょうか。社長はそそくさと出ていってしまいましたが、しっかり従業員に向き合って経緯や今後のことを話してほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/オムニウッチー(42歳)アラフォー。北海道在住。キッチン雑貨店の元店長。Instagramでは、店で遭遇するお客さんとのエピソードや自分の体験などを漫画にしている。 Instagram:@omni_uttii821
2024年04月16日30代後半のとき、突然思い立ちVIO脱毛を始めました。今は8回の脱毛を終えたところです。通い始めて3年がたった今、濃かった毛もだんだん薄くなり、変化を実感しています。でも、私のVIO脱毛には1点だけ問題がありました。VIO脱毛を始めたきっかけは私は20代のころから、エステで脇と腕と足の脱毛をしていました。時間があるときに定期的に通い、ほとんど毛は目立たなくなっています。当時からVIO脱毛はありましたが、私の周りではそれほど一般的ではなく、やろうとすら思いませんでした。ところが30代後半になり、水着を着る機会もないのですが、「やりたい!」と突然思い立ちVIOの医療脱毛を決心しました。VIOの毛をそることで見えてきたもの私はまず5回のコースを契約しました。脱毛前日はVIOの毛を自分で剃る必要があります。初めて自分のVIOと向き合い、毛をすべてそるのですが、それがなかなか大変でした。Vの毛は見慣れているものの、Iの毛など見ないし、ましてOなど意識したこともありません。鏡を使ってカミソリでそっているときに気付いたのは、Iラインの黒ずみでした。加齢や下着のスレなどで黒ずむことは普通のようですが、こんなに黒いのかと驚きました。そってみると、今まで毛で隠れていたV部分があらわになるので、隠れていたほくろも見つかったり、おなかのたるみも気になったりします。VIO脱毛をするための毛剃りのおかげで、自分の陰部周りをより清潔に保ちたいという気持ちが生まれました。脱毛に8回通ってみて現在、VIO脱毛に通って8回目になります。当初契約した5回コースではまだまだ毛が残っていたので、さらに5回コースを追加しました。毛が薄くなり、VIO周りの保湿を意識するなど、良いことがいっぱいのVIO脱毛ですが、唯一残念なことがあります。それはVラインにあるほくろ。今回のVIO脱毛がきっかけで発見したこのほくろは、2mmほどの大きさがあります。ほくろ部分に脱毛のレーザーを照射すると、肌トラブルが生じる可能性がありそこを避けて脱毛するため、ほくろの周り5mm×2cmほどにしっかり毛が残っています。せっかくVIO全体の毛が薄くなってきているのに、そこだけびっしり毛が残ってしまっていて、とてもかっこ悪く残念です。まとめ毛が薄くなるにつれて通う頻度も少なくなり、今は半年に1度VIO脱毛に通っています。とても効果を感じており、やってよかったと思っています(ほくろ部分は残念ですが)。顔や肌と同じようにVIOもケアすることで清潔感が生まれ、自分のためにしているという満足度があります。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/新谷けごイラスト/マメ美著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月16日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。いつものように義母のお世話をしているとき、思い出したように大学病院の転院先は決まったのかと義母から聞かれたまる子さん。しかし、その話はずいぶん前に白紙になったはず……。そう伝えますが、義母は何やらいろいろと理由を並べ始めたので、結局どうするのかと聞いたところ「行きます」とひと言。義姉の協力も得ながら、慌てて通院の準備を進めたのでした……。食事の時間に厳しい義母自分の希望をストレートに伝えない義母は、いつもと違う朝ごはんを食べたいときも「休みの日くらいゆっくり休んで、朝ごはんのメニューを変えればいいのに」と、あたかもまる子さんのことを思いやって言っているような口ぶり。でも、まる子さん的には、本当に自分のことを思っているなら、大人しく出されたものを食べてくれるのが、実は一番ありがたいのです。いつも、事前に決めた提供時間に合わせて食事の用意をしますが……。たまに、フライングされることも。あるとき、そう言われたので、少し遅めの時間に変更しましたが……。結局、腹時計が優先されてしまいました。今まで忘れたことありました……?さかのぼること数年前。当時、午後からの仕事をしていたため、仕事から帰るとすぐに夕飯の時間。※王子:まる子さんの息子(義母の孫)カバンを背負いながら食事の用意をしていた時期もありました。義母は食事に強いこだわりを持っていて、メニュー内容はもちろん提供時間も決まっています。ただ、決まった時間より先に義母のおなかが空けば話は別。すぐに持ってきてと言わんばかりに「朝ごはんは?」と確認されます。時間どおりに持って行くつもりで用意をしていたと言うと「忘れられていると思った」と嫌みを言われることも。その昔、私が午後から夕方までの仕事をしていたときは、仕事から帰ってきたばかりでも「夫や息子がおなかを空かせているのに」と怒られて、カバンを背負ったままで食事の支度をしていたこともあるくらい、食事の時間は義母にとって大事なもののようです。午前中の仕事にしてからは、夕飯の支度もゆっくりできるようになり、義母の監視下で急いで夕飯作りをすることはありません。朝はちょっとバタバタしますが、今の生活スタイルのほうが、私には合っているのかもしれません。--------------料理はメニューによって調理時間が異なるので、毎日ほぼ同じ時間に完成品を提供するのは、意外と難しいのではないでしょうか。家族全員が生活サイクルを崩さずにいられるのは、まる子さんの見えない努力があるからかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年04月16日夫の母(義母)に初めて会ったときは、「上品な方」というイメージでした。しかし、結婚してから義母の独特な考え方に、「どうしてそんな言い方をするのだろう」と、悩むようになりました。世の中にはいろいろな人がいるのだと思った出来事です。年賀状トラブル私の夫は、結婚前まで義母と一緒に住んでいましたが、結婚してからは義母の家から近いアパートで夫婦で暮らしています。ある年末、私は義母にも年賀状を出しました。年賀状は元旦に届いたようで、義母から電話がかかってきました。「年賀状が届いたんだけど、どうして住所を知ってるの? これはプライバシーの侵害じゃない?」と言われ、目が点になりました。住所を知っていたのは、夫の以前の住所だからです。そう答えたら「あら、そう言われればそうね」と納得してくださったようですが、こんなことで電話を受けるぐらいならと、義母には年賀状を出すのをやめました。自分が正しいと言い張る義母義母と話をするうちに、義母は一度思ったことは絶対だと思い込む性格だとわかりました。妙なタイトルの本を読んでは、それがすべて真実だと思うような人で、いつかだまされるのではないかと心配でした。ある日義母宅に行くと、ペットボトルの水が入ったダンボールがありました。義母が言うには「この水を飲んだり料理に使ったりすると、病気にならないって友だちが紹介してくれたの」とうれしそうに話し、私にも勧めてきました。その場では、「重くて持ち帰れないから」と1本だけいただいて、夜になって夫に相談しました。夫も「値段が高くて出費が大変だからやめたら」と言ってくれましたが、義母は聞き入れませんでした。後日、その水を売っていた会社はいつの間にかなくなっていたようですが、義母は今でも「あの水はよかった」と言います。義姉の子どもたちにも夫には姉がいて、子どもが3人います。義姉の家に行った帰りに義母は必ず私に電話をしてきます。「子どもたちにマーガリンなんて体に悪いものを食べさせていて心配」「子どもたちの物が多くて片付かないのは運気が悪くなる」などの義母の言葉を、私は相づち打ちながら「義姉にも考えや都合があるだろうから」と聞き流すようにしています。義母は自分の思い通りにならず不満のようですが、義姉も義母のそういう言い方を嫌がっているので、私もあえて聞いたことを伝えないようにしています。まとめ義母の考え方は、私には理解しがたいものですが、慣れてくるうちに「こういう考え方の人もいるのだ」と思うようになりました。家族のために良かれと思って言っていることも多いとは思いますが、今後も深入りしない程度に義母と付き合っていけたらと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/笹野きみ子著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年04月16日67歳のときにがんで亡くなった父は、生前から自分の葬儀は家族だけでこぢんまりとやってほしいと希望していました。その意向を葬儀会社に伝えたところ、葬儀会社からの厚意で家族葬ながら少し大きめの会場を用意してくれることに。その葬儀会社の厚意が結果、父も喜んでいるであろう葬儀となり、葬儀会社のプロの機転に驚かされました。今回は、父の葬儀の際に感動した、葬儀会社の対応についてお話しします。家族葬を希望していた父私の父は、高度経済成長期の真っただ中で会社勤めをしていた、絵に描いたような仕事人間でした。定年後は、これまでのキャリアを買われシルバー枠の雇用で勤務していましたが、65歳のときに退職。特に趣味などはありませんでしたが、退職後は母と旅行をしたり、夫婦でのんびりと過ごしていました。仕事人間だった父ですが、普段から自分の葬儀は家族だけでこぢんまりとおこなって欲しいと希望していました。仕事関係で知り合いは多くいたものの、退職してからは自分のペースで過ごしたいということもあり、仕事関係の人には自分の最期まで関わってもらうのは申し訳ないと話していたのです。そんな父に、退職後にがんが見つかりました。見つかったときにはすでにステージ4。できるだけの治療はおこないましたが、残念ながら67歳という年齢で亡くなりました。大きめの会場で家族葬をすることに父が亡くなり、バタバタの中、葬儀会社と葬儀の打ち合わせをおこないました。葬儀会社にこれまでの父の仕事の話や趣味の話などを伝え、家族葬での葬儀を希望している、親族も入れて20人ほどの参列になるため、香典返しも20セット程度の用意で十分ですということも伝えました。葬儀会社は、なるべく故人の希望に添えるようにと家族葬の手配を進めてくれることに。しかし、たまたま葬儀場で大きい会場が空いていたため、大きい会場で家族葬をされてはいかがでしょうか? と提案してくれました。私たち家族も、葬儀会社の厚意に甘え、通常の家族葬での会場ではなく、大きい会場で葬儀をしていただくことを了承しました。祭壇は、父のためにも少し豪華なものを選ぶことにしたのです。生前、父が勤務していた会社には、父が亡くなったことと、家族葬のため会社関係の方の弔問は不要と伝えましたが、会社からお悔やみを贈りたいとのことで、通夜と葬儀の日時は伝えることとなりました。用意された会場は、家族葬とは思えぬ豪華さと広さで、椅子も100脚ほど並べられていました。葬儀会社の方には、こんなに椅子はいらないのでは? と伝えましたが、せっかくなので準備させていただきましたとのことで、葬儀会社の厚意に感激しました。予想外の数の弔問客に驚き通夜の準備をしていると、父の会社からの連絡を聞いたという父の知り合いの方が数人、会場に来場していました。家族葬と聞いていたものの、生前大変お世話になったとのことで、わざわざ来ていただいたそうです。しかし、その後も通夜にはひっきりなしに、訃報を聞いたという父の友人や仕事関係の方が訪れ、葬儀の際には200人を超える弔問客が父の葬儀に来場してくれたのです。親族入れて20人程度と予想していたものの、結果大きい会場にも入りきれないほどの方が弔問に訪れていただき、家族も父の顔の広さや、家族には見せなかった人望の厚さに驚きました。プロの経験で機転を利かせてくれた葬儀終了後、葬儀会社の方に、大きい会場を用意していただき、大変助かったと話しました。実は葬儀会社の担当の方は、生前父が勤めていた企業名や仕事内容を聞き、家族葬の範囲では収まらないと予想をし、あえて大きい会場を用意してくださったそうです。また、香典返しもこちらがオーダーした10倍のセットを念のために準備しておいたところ、すべてなくなり、急きょ追加したということも教えてくれました。これまでの経験を活かし、機転を利かせて父のために素晴らしい葬儀を準備してくれた葬儀会社の方に、家族全員感謝しっぱなしでした。まとめこぢんまりと家族葬をしたいという父の意向とは逆に、多くの弔問客が来場され、結果大きな葬儀となった父の葬儀。これまでの経験から家族葬では収まらないと判断した葬儀のプロの機転でした。結果、父が喜ぶ葬儀ができたねと家族全員が大満足の内容となりました。また、生前の父の人柄の良さを、葬儀に来ていただいた方からいろいろとお話を聞くことができて、いい葬儀になったと感激。もし自分が最期を迎えるときには、父のように多くの人に見送られるような人生を過ごしていきたいと思った体験談でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/IWON(46歳)小学生の母、夫は現在単身赴任中。会社員とWebライターをしている。高齢出産を経て、体調の変化や疲れなどさまざまなトラブルに直面し、若いころとは違うとつくづく感じる今日このごろ。普段はファッション、推し活、グルメなどの情報収集が趣味。
2024年04月16日40代熟女のフワリーさんによる、エステサロンで脚痩せに挑戦したときのエピソードを描いたマンガ。部分痩せのため、金額重視でエステサロンを探したフワリーさん。オーナーの名前にビビッときてすぐに予約をし、お店に向かいました。しかし、到着してみるとイメージとは真逆の建物で……。予約したエステサロンは古びたアパート!?10年ほど前。長年のコンプレックス・大根足をなんとかするため、エステサロンを探したフワリーさん。予算内で通えるエステサロンを見つけ、予約を入れました。オーナーの「とうこ」という名前と、電話で予約をしたときのオーナーの話し方にも惹かれるものがあったフワリーさん。予約当日、エステサロン「ロマンスエンジェル」に向かうフワリーさん。到着した建物は、店名のイメージとは違う古びたアパートで……。エステサロンの予約日になり、 ナビに住所を入れて出発。「目的地に近づきました。案内を終了します」えー? ここで終了?ナビのあるあるですよね。ここで案内終了してしまうんかい!ってやつです。住宅地で案内を終了してしまったので、あとはサロンを自力で探すのみ!もちろん店名は仮名ですが、ラブリーな感じをイメージできる屋号でした。なので、ラブリー感満載の建物を探したのですが……見当たらない。ん? え?……うそ……ここ?そこは古びたアパート。停めるように言われた駐車場には看板が置いてあり、間違いなさそう。しかもその看板、文字が雨でにじんでホラー感満載なんですけど!「ゴクリ」お、おもしろすぎる。私の想像とのギャップに興味が強まりました。そして、オーナーのとうこさんとの初対面!ラブリーってそっちかい!(建物じゃなく、ご本人がラブリー) と自分にツッコミました。私の直感は……大丈夫なのか?(笑)----------------エステサロンの場所が古びたアパートだと、ちょっと不安になりますよね。看板もホラー感があったりしたら……。施術を受けるのが怖いレベルかもしれません(苦笑)。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フワリー会話の中で「あれ、これ、その…」がひどくなった40代熟女。2児の母。Instagram:@fuwa_fuwa000
2024年04月15日私は大学卒業後に食品メーカーに就職した平凡なサラリーマンです。この年になると同期は皆結婚していますが、私は昔から太めで人付き合いも苦手。彼女がいたこともなく、自分は一生独身かもしれないと考えていたある日、上司に呼び出されました。上司からの話とは?上司からの話は、こう始まりました。「△△食品は知っているな?」健康食品などを主に扱う△△食品はわが社の大口取引先で、業界でも有名な企業。「実は、そこの社長と私の父が友人で。娘さんがいるんだがご縁に恵まれず、誰かいい人を……と頼まれたんだよ。で、君、どうかね?」ぼんやり聞いていた私は仰天。「え? 私が△△食品の社長令嬢と、お見合いですか?」上司いわく、私は浮いたウワサもなく勤務態度も真面目だからだとか。他に社内に適当な独身男性がいないからというのも透けて見えましたが。微妙な表情の私に、上司は見合い写真を撮りだしました。「こちらが令嬢だ」。そこには厚化粧に瓶底眼鏡の、作り笑いの女性が写っていたのです。お世辞にも「美人」とは形容しがたい感じ……。私がテンションを下げたのを見て、上司も察した様子でした。「この写真はまあアレだが、自社の開発部門で活躍している有能なお嬢さんらしいぞ」うーん。実際会ってみたら写真とは印象が違うのかも? それに、私が選べる立場か……? こうして、嫌なら後から断ればいい、と言ってくれた上司の顔を立てるためにも、私は社長令嬢とお見合いをすることになったのです。お見合い当日私は指定された高級料亭の個室に通され、緊張の面持ちで待機。しばらくすると、ふすまがスッと開いて和服姿の女性が姿を現しました。「初めまして」と言って顔を上げた女性。やはり、厚化粧に瓶底眼鏡で写真通りだったのです。人の好みはそれぞれですが、これは何とも……。しかし彼女は気さくに話始めました。「今日は無理矢理ごめんなさい。私、昔から恋愛や結婚にまったく興味がなくて。両親が心配して、次々お見合い話を持ってくるんですが……。正直、今日も仕方なく来たんです。付き合わせてしまってすみません」と言って、ニコッと笑ったのです。正直私は、「あれ? 意外と笑顔はかわいいな」と、思いました。「でも、このお店、料理は絶品です。お食事だけでも楽しんでいってください」こうして、おいしい料理とお酒のおかげで私と彼女はすっかり気分が良くなり、取りとめのない会話を交わし始めました。ある計画を実行聞けば彼女は、仕事と趣味の時間を大切にしていて、オシャレや化粧も好きではなく、普段していないため慣れていないのだとか。そこで私は、「あなたは結婚する気がないのに、何度もお見合いをする必要があるんでしょうか?」と核心をついてみました。「両親には言ったんだけど……。心配らしくて、いつも次の人の話を持ってくるのよ」と答える彼女。それなら、とひらめいた私は「ご両親を説得できるまで俺とうまくいっていることにしませんか? そうしたら、しばらくはお見合いなんてしなくて済むでしょう?」と提案することに。「え!? ご迷惑じゃ……」と驚いた社長令嬢に、酒の勢いもあったのか、私は気軽に請け負いました。「大丈夫ですよ! 俺には恋人もいないし、付き合っているフリくらい簡単ですよ。実際に俺と会う必要はありません。落ち着いたら、改めて破談にしちゃいましょう。今日の料理のお礼です」こうして、恐縮していた彼女を押し切って、私たちは口裏を合わせることに。ひっそりとお見合いを終えたのです。数週間後…数週間後、私は再び上司に呼ばれました。「実はこの前の君の企画なんだけど、△△食品と共同開発をすることになった。そこで担当を任せたいんだよ」と言うのです。これにはビックリ。「実は、社長さんがあの企画を気に入ってくれてね。企画者である君をご指名なんだ」と説明されました。娘さんとお見合い後、恋人のふりまでした私。父親である社長をだましたという引け目を感じ、ドキドキしながら打ち合わせ日を迎えました。△△食品へと足を運んだ私が会議室の扉を開けると……。そこには社長令嬢の姿がありました。しかも、見合い日には派手な着物と似合わないひょっとこみたいな化粧だった彼女が、今日はナチュラルメイクでシンプルな服に身を包み、まるで別人でした。「実は私、今回の件は私が開発担当なんです。よろしくお願いします」実は彼女、あの後ちゃんと両親と話をし、まだ結婚には興味がないことをわかってもらえたのだとか。「でも、御社からすばらしい企画が舞い込んできて。企画者はあなただと聞いてビックリでしたが、ぜひ一緒にお仕事をしたいと思ったんです」こうして私たちは、一緒に新商品の開発を進めることになりました。令嬢との仕事は刺激的で楽しく、毎日があっという間に経過。彼女は、出自におごらず、頭脳明晰(めいせき)で周りからの信頼も厚く、明るいすてきな人柄で、一緒に働くには最高のパートナーだったのです。プロジェクトの終わりに私たちが開発した新商品は、ダイエットサポート食品。自らも実験台になろうと話し合い、2人でダイエット計画を実行したのです。そうして数カ月後。食事やランニング、エクササイズを一緒に頑張ったことで、私たちはすっかり健康的に。見た目もすっきりして、肌ツヤも良くなりました。「ありがとうございます。おかげで最高の商品ができました!」。そう言って頬笑んだ彼女を見て、私の胸はドキドキ……。何より、商品が完成したらもう今までみたいには会えなくなる……と、なぜか胸が痛んだのです。これまで彼女と四苦八苦しながらアイデアを出し合い、商品開発とその効果の実証に向けて過ごした時間が走馬灯のように脳内を駆け巡りました。気が付くと、私は思いを言葉にしていました。こうして私たちは正式にお付き合いを始め、翌年には結婚を果たしました。お見合い写真だけで断らずに本当によかった。これからも2人で、楽しく健康に過ごしていきたいと思います。--------------見た目や第一印象だけで決めなかったのは大正解でしたね。仕事を通してお互いの人柄に触れ、惹かれ合ったのでしょう。自らの選択で迎えたハッピーエンド、まさに大団円ではないでしょうか。著者/ウーマンカレンダー編集室/スカッと読者からの体験談をお届けします。
2024年04月15日私と同じ40代の友人は、現役で20年以上働いている経験豊富な保育士です。大泣きする子どもをあっという間に笑顔に変えてしまうことができる彼女でも、職場で任されている若手の人材育成には日々頭を悩ませているとのこと。業種や役職によって人材育成の環境や方法はさまざまだと思いますが、彼女の場合の体験談を紹介します。悩みはジェネレーションギャップ友人は、昭和生まれの40代で、新人や若手育成の直接指導もしています。友人は敏腕な保育士なので、人材育成の仕事もお手の物だろうと思いましたが、一筋縄ではいかないそうです。この世代だからこうだろうといった偏見のない友人でさえ、新人で入ってくる若い世代とのジェネレーションギャップには悩まされると言っていました。その上多様化が進み、同世代間でも「当たり前」の価値観は今やさまざまです。友人は、同期の新人職員でも仕事のスタート位置がまったく違うと言っていました。例えば、電話対応です。友人の職場では、子どもの欠席など保護者との連絡は電話で直接やりとりします。友人が新人のころは、新人ほど率先して電話に出ていました。そのため極端に電話が苦手な新人職員が、いつも先輩職員任せでまったく電話に出ないことにとても驚いたそうです。半面、難なく電話対応ができる新人職員もいるそうで、友人は新人同士が比較されてモチベーションを下げてしまわないよう配慮することにも苦心していました。電話が怖い新人保育士電話が苦手な新人職員に理由を聞くと、まず固定電話の使い方自体を知らなかったくらいなので、話し方に自信が持てず、保護者を怒らせるなどの失敗が怖いと言っていたそうです。また、電話に慣れている先輩職員は急な質問や雑談があっても柔軟に対応しているため、同じようにできないといけないと思い込んでいたそうです。携帯電話が普及する以前、固定電話は私たち昭和生まれ世代にとっては身近な連絡ツールでした。電話機自体の使い方はもちろん、「もしもし」などのあいさつや、学校や親の勤め先からの電話で敬語を使った話し方などを、子どものころから聞いて覚えていて、社会人になっても電話の応対ができて当たり前でした。一方、新人職員にとって身近な連絡手段はスマートフォンで、メッセージアプリなど文字での交流が主流です。電話で話すとしても、普段話すのはアプリでつながっている見知ったラクな相手。固定電話が家にあっても、人によっては親から防犯のために使わないように言われて育つため、固定電話が使えなくても当たり前なのだとか。当たり前という認識の差を、どう埋めたら良いのかと友人は頭を抱えたそうです。若い世代とどう向き合うか友人は、電話練習を強制せず、忙しい業務の合間や終業後に新人職員と個別に話す時間を作ったそうです。新人職員の持つ価値観を否定せず、必要なことだと納得してもらうことから始めたのだと言っていました。さらに友人は電話の対応マニュアルを作ったり、電話練習に付き合ったり、電話をしていて困ったらすぐに代わったりと人材育成に励みました。新人職員のためにそうした努力をするのは友人にとっては当たり前のことですが、仕事よりもプライベートを重視したい新人職員にとっては、友人の指導が負担やストレスになるのではないかと悩んでもいました。昭和生まれ世代の価値観で言うと、新人職員に自分から助言を求めてほしいとも思ったそうですが、先に話をして新人職員の価値観や背景を知り、価値観の違いを友人自身が納得できていたことは精神的によかったと言っていました。結果的に、新人職員はよく仕事の相談をしてくれるようになったので、うれしかったそうです。努力のかいあって、緊張で声を震わせていた新人職員は、保護者の長電話にも笑顔で対応できるほどになったと友人は喜んでいました。まとめ友人は、ジェネレーションギャップはあって当然だと考えています。人材育成の場面では日常業務の指導よりも、よく話をして個々の価値観の相互理解に力を入れることが、長い目で見たときに職場全体での人材育成につながると思うと言っていました。居心地の悪さやモチベーションの低下は、せっかく人材を育てても離職のリスクがあるためです。価値観の違いを知ることは、悩みながらも、どこか仕事の楽しみになっているそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/へそ著者/岡野(42歳)介護福祉士。40代になって最初の変化は、涙もろくなったこと。夫と子どもと、3人暮らし。なんでもない平凡な1日が暮らせたら、それだけで感謝。
2024年04月15日一つ屋根の下で義母と同居しているまる子さん。嫁姑問題や介護の話をメインに自身の体験をマンガにしています。ケアマネジャーさんから提案されていた訪問リハビリと入浴介助の利用について、そろそろ結論を出そうと思い、まる子さんは義母と話をしました。しかし、あれこれ心配するだけで話が進みません。そこで、再度ケアマネさんと相談して、入浴介助のみ週1回利用してみることに。同時に「庭に出て花を愛でる」という最終目標も設定してもらったことで、少しだけ介護のモチベーションが上がった気がしたまる子さんでした。頼むから黙って食べて…ある日、まる子さんは義母から大学病院の転院先は決まったのかと聞かれます。しかし、その話は義母が勝手に服薬をやめてしまったことがわかり、白紙になったはず。そう伝えると、何やら理由を並べ始めて……。結局どうするのかと聞いたら、「行きます」とひと言。しかも、通院のためには小さな円座が欲しいと無茶な要求もセットです。義姉の協力もあり、円座ではありませんが小さな座布団を見つけることができたので、バタバタになりましたが、無事に病院へ行けそうです。メニューが変わればゆっくりできるとでも……?「あなたのため」……これまでに幾度となく聞いた言葉です。もう終わりにしたいのに、なかなかそうはさせてくれません……。朝、いつものように義母の部屋に行くと「休みの日くらいゆっくり休めばいいのに」と言われ、「いつもと同じごはんじゃなくて、うどんとかそば、パンにハムエッグと果物でいい」と……。私のためと言いながら、結局はやんわり自分の意見を通そうとする義母。もう慣れてるとはいえ、黙って出されたものを食べてくれれば、もっと気持ち良く食事の支度ができるのにと思ってしまいます。私も、できる限り希望には応えているつもりですが、希望通りのものを出しても「気持ち悪くなった」とか「胸やけした」とか言われてしまうと、ストレスがたまるだけ。毎日やらないといけないことは、なるべく平和にやり過ごしたいのが本音です。結局、これ以上言い合いをしていても意味がないと思い、そのまま部屋を出ました。「あなたのため」と数えきれないほど聞いてきましたが、本当に私のためだったことは何回あったのか……?--------------日によって違うものが食べたいと思う気持ちはわかりますが、やっぱり伝え方というのは大事ですよね。自分だけのために別のものを用意してもらっているなら、なおさらです。介護はいつまで続くかわかりません。だからこそ、小さな気づかいが大事なのではないでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/まる子はじめまして。まる子です。アラフィフのアナログおばさんです。ブログを始めたくて一念発起。専門用語に四苦八苦しながらもマイペースに更新中です。一つ屋根の下の同居、完全同居している義母との嫁姑問題、介護がメインのブログです。似た環境の方々がストレス溜めすぎないようにクスッと息抜きできるような文章を心がけていきたいです。
2024年04月15日