結婚をしたら、夫の親や兄弟とも家族になります。もちろん、そのことを承知で結婚したのですが、だからといって使用人のような扱いを受けたら不満もたまってきます。そんな私の味方をしてくれる人はいませんでした。義両親に抱いた違和感私が結婚した相手は、4人兄弟の長男でした。すぐ下の弟は夫と職場も同じで、アパートも歩いて数分の距離。すると、姑から義弟の部屋の掃除を頼まれるようになったのです。まだ結婚して1週間もたっていないころです。いくら近所だからといって、「さすがに義弟の部屋の掃除は……」と思った私は、夫に相談することに。ところが、夫からは「家族なんだから当然だろ」と言われました。義弟はきれい好きな人だったので、大して掃除をするところはなかったのですが、それでもやはり抵抗がありました。おまけに、義弟からは「ありがとう」のひと言もなかったのです。まるで、使用人扱いされているような気分でした。さらに、そこから義弟のお弁当も私が作ることになったのです。毎朝汗だくになってお弁当を作りました。「私は弁当屋じゃない!」と叫びたかったです。衝撃の事実がそれから1年後、私も働くようになり、生活はますます大変になりました。そこで「義弟のお弁当作りをやめたい」と夫に相談しました。すると、夫から衝撃のひと言が放たれたのです。「実は、あれ食ってないんだ」と……。どういうことかと聞いたら、義弟はいつもお昼は定食屋に行くとのこと。どうやら私が作った弁当の味が気に入らなかったらしく、食べたのは初日だけだったそうです。「じゃあこれまで作った私の弁当は?」と聞くと、会社の後輩に食べてもらってると言うのです。ショックのあまり声さえ出ませんでした。最初から言ってくれたら、あんな苦労はしなくて済んだのに。私は泣きながら空の弁当箱を洗いました。怒りを爆発させるもついに私は、これまで我慢してきた不満を夫へ一気にぶちまけました。なぜ近くに住んでいるからと、義弟の面倒を見なくてはならないのか。なぜ、食べてもらえない弁当を毎日作らなくてはならなかったのか……。ところが、夫は私の怒りが理解できていないようでした。「掃除ぐらい簡単にできるだろう」と、悪びれもなく言うのです。「弁当だって後輩が食べているから問題ない」と。私は、夫と夫の家族に対して怒りが抑えられませんでした。まとめ結局、夫とは離婚しました。私なりに一生懸命頑張ったつもりでしたが、心が限界を超えてしまったのです。もし、夫やその家族に思いやりの気持ちがあったら、こうはならなかったと感じます。「ありがとう」のひと言さえあれば、乗り越えられたのかも……と、今でも思わずにはいられません。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/渡辺南マンガ/さくら著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月29日「介護に休みはない」と言われるように、介護をする者の負担は大きいものです。認知症が進行すると生活にさまざまな支障が生じ、通常の日常生活を送るのが難しくなります。そんな私の、母の介護をする上で苦労した体験を紹介します。意味不明な行動をする母認知症の進行に伴って、母の意味不明の行動が増えていきました。夏なのに厚い羽根布団をかぶりながら眠ったり、また敷布団を上にかけたり、誰が見てもおかしなことをするようになったのです。さらに粗相(そそう)も増えてきて、よく布団におねしょをするようになりました。当然ながら本人には悪意はなく、おかしなことをしている自覚はないようです。母の介護をするようになって、洗濯の頻度は劇的に増えました。認知症は進行していくばかりで、改善することはありません。それに伴って粗相をする頻度が増えていき、1日に1回はするように。そうなればそのたびに洗濯する必要があるので、介護をする私はいつも振り回されて休む暇がありません。本来の洗濯とは別に、1日何度もおこなうことがあり、ほとほと嫌になってしまいました。トイレにも付き添う必要が母がトイレに行くときも介助が必要で、また様子を近くで見ている必要があります。そうしないと何を始めるかわからないからです。例えば、便座まで上げた状態で座ったことがあり、便器の中にすっぽりとおしりがハマっていたことも。ひとりでは脱出できないようで、私が引き出してあげました。本当に何をしでかすかわからず、まるで体の大きな幼児の相手をしている気分でした。45kgの母が重たく感じたトイレの介助より大変だったのは、入浴させるときです。母の体重は45kgほどですが、自分で体を動かそうとする意思がないためか、非常に重たく感じられました。母をお風呂の椅子に座らせたり、椅子から立ち上がらせたりするときそれを実感しました。もちろん湯船に入れてあげるときも大変で、常に見張っている必要があります。そうしないとふと目を離した隙に、湯船で溺れてしまう可能性があるからです。入浴後は衣服を着用させますが、本人は自分で着る意思がありません。実際に親の介護をやってみると、肉体疲労に加えて精神疲労が大きかったです。全身が脱力したように私自身がぐったりしてしまいました。そして精神疲労は肉体疲労より解消しにくいので、介護をしている自分自身がストレスにやられそうでした。まとめ認知症は恐ろしい病状だと思いました。私の母は自我がなくなり、自分で何もできなくなりました。それを介護するのは息子である私の役目でしたが、思い通りにいかずに心身ともに疲弊していくことに、改めて介護は休みがなく、大変な作業だと実感したものです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/佐藤まさよしウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で全身の震えと吐き気という副作用が2つ出ました。手術を終えた実感が湧いてきて…子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。歩行練習後、あまりのしんどさにようやく痛み止めを変更してもらうようにリクエストしました。すると一晩中我慢していた痛みがラクになり……。痛み止めの種類を変えてもらったら、びっくりするほど痛みを感じなくなりました。痛みがないって、なんて幸せなんだろう!苦痛が消えた反動で、気持ちがラクになり、周りを見渡す余裕も出ました。そして、ストレスも影響しているのか、自分の汗が獣のようなにおいになっていることにも気付いた私。点滴で入れている薬のにおいと、獣のような汗くささが相まって、「お願いだから、誰もそばに来ないで!」という状態に。そんなワイルドな香りを放ちつつ、2日目の夜がやって来ました。夜になって、ようやく手術をした実感が湧きました。もともと子どもを持ちたいという欲がほぼなかったので、がんになって子宮と卵巣を取ると言われたときも、「女性ホルモンが出なくなって、女らしくなくなったら嫌だなぁ」と、それくらいにしか考えていませんでした。ただ、実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が……。「産まない」のと、「産めない」のは、同じことではないようです。「産まない」は自分の選択の結果だったりするけど、「産めない」は産むことも産まないことも、自分じゃ選べないってことだからなぁ。選べないと、なんだか希望を奪われたような気がしてしまう。初めから産む予定なんてなくても、「なんだかなぁ」と感じてしまうのです。とはいえ、時間は巻き戻せないし、おかげで私は今も生きていられるわけだし。ありがとう、というのは、ちょっと違う気がするけれど、子宮と卵巣、いなくなってしまったあなたたちのおかげで、私は今も生きてるよ。ー------------------------子宮と卵巣が自分の体からなくなったことを実感し、がんが判明してから初めて少しだけ泣いたと、どりだまりさん。喪失感を受け入れるのは、つらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月29日ビッグシルエットや「落ち感」といった、ゆるっとラインが流行り始めてからというもの、40代後半の私でもフィット感の強いファッションに恥ずかしさを感じるように。そんな私のお話です。 ビッグシルエットに挑戦!フィット感のあるタイトなファッションから、ビッグシルエットに挑戦しようと一念発起した私。とはいえ、ファッションには自信がないので「40代のファッション」をネットで調べ、ベーシックカラーのロゴトレーナーなら大丈夫そうという結論に至りました。なんか…違う?そこで早速、チャコールのロゴトレーナーを買ってみました。ネットショッピングで注文したのですが、着てみるとビッグシルエットの意味が違う気がしました。トレンドを取り入れる難しさよこれではファッションにおけるビッグシルエットでなく、単に太って見えるだけ……。しかも、どこかだらしなく見えます。 世間のトレンドを取り入れることの難しさと、同世代でもモデルさんのファッションをまねするのは危険だということを知ったのです。まとめ良くも悪くも、年齢だけでファッションを選ぶのは禁物だと痛感しました。時代遅れは避けたいけれど、実際に着用しても違和感のないトレンドを取り入れることが重要だと思いました。今後は買う前にきちんと試着したり、顔にあてがったりしてトータルバランスで選ぼうと思います。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/マキノ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月29日体臭とは無縁だった10代。祖父母の体臭が気になり始めた20代。体臭を気にする時間もなく、子育てに奮闘した30代。そして40代になり、ある日子どもが「ママなんか臭い」とひと言。「はっ」となって自分の体臭を気にしてみると、あの懐かしい祖母の香りがほのかに漂い、驚きました。その日から毎日、自分の体臭を過剰なほど気にするようになりました。体臭を気にして出歩けない汗臭いということは過去に経験があっても、体臭を気にしたことは今までなかった私。それが40代で体臭が気になるように。暑い夏は特に過酷でした。涼しい冷房の効いた部屋の中でさえ、家事や育児で右往左往すれば、大量の汗をかきます。気になるたびに子どもに「臭い?」と聞き過ぎて、最終的に反応すらしてもらえず無視されるように……。外へ出れば、やはり自分の悪臭が他人に届いているのではないかと気になります。徐々に外に出るのが面倒になってきて、ほぼ引きこもりに。久しぶりに会おうと誘ってくれた友人とのランチもキャンセルです。さすがに、「体臭が気になるから会えない」とは言いづらく、体調不良を理由にお断りしましたボディソープやせっけんで体臭対策を試みる体臭が気になり始めてから、ボディソープやせっけんを5種類くらい試しました。それまでは有名メーカーの、どのドラックストアでも売られている液体タイプのボディソープを使用していました。そのボディソープから、体の臭いを防ぐというメッセージが大きくパッケージに書いてある固形せっけんや、有名メーカーのせっけん、泡タイプのボディソープ、アロマメーカーから出している高級ボディソープなどに次々と変えて、体臭を防ぐために試しまくりました。しかし、結果は肌がしっとりするとか洗い上がりがさっぱりするという違いはあっても、体臭に対してはあまり変わりませんでした。救世主! 男性用ボディソープをたまたま使った結果ある日お風呂で体を洗おうとしたとき、たまたまボディソープがなくなっていました。以前だったら、ボディソープを入れ替えるか、お湯だけで体を洗って湯船に浸かるのですが、その日はとても疲れていたのでボディソープを入れ替える余裕すらない。だからといって、体臭を気にしている今となっては、お湯だけで洗うのでは済まされない。もういいやと思い、今まで使ったことのない夫が使用しているボディソープを使用して体を洗いました。初めて使用した感想は、メンソールが入っていてスースーして気持ち良いなと。それ以外、特に何も感じることなく、次の日の朝を迎えました。そして夜、ふとその日1度も自分の体臭を気にすることなく生活していたことに気が付きました。まとめ加齢臭は人間であれば、男女関係なく付きまとうのでしょうが、ただ、自分だけではなく、時には周りを不快にさせてしまうことが悩みの種でした。しかし、体臭に敏感になり過ぎて引きこもっているような日々には戻りたくありません。今回、ボディソープを変えるにあたり、男性用・女性用という先入観があり男性用のボディソープは眼中になかったものの、結果として夫が使っている男性用のボディソープが私の体臭を抑える上では一番効果がありました。本当にあの日、夫のボディソープを手に取ってよかったなと思っています。これからも臭いとの闘いが起こるたび、自分にあったボディソープを模索していこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/徳 衿唯(40歳)最近夫が「サウナー」になり、誘われるのでついていったある場所で「ロウリュウ」を体験。サウナの醍醐味を体感し、「サウナー」一歩手前な専業主婦。
2024年03月29日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、お父さんが倒れたときの話を描いたマンガを紹介します。エェコさんのお父さんは脳の病気で倒れ、リハビリ院に入院。しかし、記憶力低下が顕著で預金も資産もない状態だったので、生活保護を申請して支給金を受けることに。退院後の入居施設も見つかりました。後日、入居可の返答が届き、話が進む中、病院からお父さんが発作を起こしたと連絡が! さらに、治療のためなんと最初の病院へ転院が決定。「振り出しに戻った」と泣き笑いのエェコさん。しかもお父さん、病室のベッドに寝ながら見えない誰かと話し込むように。激痩せし、転院先への移動中も自分の状況を理解しておらず、医療器具も外してしまう始末。おまけに、転院先で暴れてしまったお父さんは鎮静剤を打たねばならない状態でした。不安に駆られたエェコさんが叔母さんに電話をすると、覚悟をしておくよう言われて大ショック。挙句の果てに、ゲッソリして帰宅したエェコさんを迎えたのは、お父さんの入院費や定期購読していた健康医薬品の請求書で……。解約に何が必要なの?転院を機に、エェコさんはお父さんのスマホを確保。解約しようとするも、本体代分割の2年契約で新規購入したばかりのため、途中解約金などの支払いが生じることは必須……。もちろん、未解約だとスマホ代がかさみます。どちらに転んでも支払い地獄な現実に、泣く泣く立ち向かうエェコさんでした。支払いの問題だけでなく、本人以外の解約手続きにも問題が。ネットでそういう投稿を見ていた私はすぐに携帯会社に問い合わせました。すると、危惧していた通り、代理解約には何通もの書類が必要なのだとか。まずは、解約委任状を私が代筆するため、親子関係を証明する戸籍謄本が必要。代筆OKだったことに安心して、早速役所に取りに行ったところ……。なんとその戸籍謄本を発行できないと言われてしまったのです!--------------次なる難関は、お父さんのスマホの解約。こんなにさまざまな書類が必要で、手続きが複雑なのですね……。老親の入院→介護など、その状況になってみなければ考えもしないこと。他にも同じような状況で大変な目に遭った人が多数いるようです。何はともあれ、無事に解約できるといいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2024年03月28日イラストレーター&漫画家のフカザワナオコさんによる、アラフィフ女子の日常を描いたマンガ。今回は、年齢とともに変わってきた気になることへの優先順位についてお届けします。シミ取りは結局やりそびれて…昔は折に触れてシミ取りをしてみたいと思ったフカザワさん。しかし、年齢を重ねるとともに……。30代のころから、顔に長年あるシミをレーザーで取りたいなってずっと思っていまして。シミ取りをしたら日焼けは厳禁だとかで、やるなら冬がいいとか、そういうことをネットでめちゃめちゃ調べていたのでした。結局やりそびれたまま50代に突入したのですが、最近はもう体で他に気になることがあり過ぎて、シミがそこまで気にならなくなってきまして……。別にシミが薄くなったとか小さくなったとかではなく、変わらずバンッ!とあるのですが、それよりも日々の腰痛とか老眼とか他の小さな不調の方が気になるし、どうにかしたいなと。あんなにシミが気になっていて、皮膚科もいろいろ調べていたのに!年齢を重ねて優先順位がどんどん変わってきたってことなんですかね。まずは日々の健康を第一に過ごしていきたいわ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/フカザワ ナオコ(50歳)イラストレーター&漫画家。コミックエッセイを主に描いている。2023年9月27日に新刊『もうすぐ50歳、調子のいい日がほとんどありません』(1540円/幻冬舎)が発売。絵日記ブログ「ひとこま作者」を日々更新中。 Instagram:@fukazawanaoko1973
2024年03月28日出産を機に仕事を辞めてから専業主婦でしたが、40代半ばで復職した私。パソコンやスマートフォンを多く使う仕事のため、パソコン画面を見る時間が増えました。SNSや検索にスマートフォンを使うくらいで、多くても1日に2時間程度だったのが、急に毎日何時間も使うようになったのです。初めのうちは少し頭が重く感じる程度で、数日間使う時間が減れば、頭の重さは解消していました。ついに眼球まで痛くなる復職してから毎日5、6時間はパソコンに向かう生活が続きました。頭の重さを感じると目を休めるようにしていましたが、頭がズキズキ痛むようになったのです。初めは、一晩寝ると良くなっていましたが、だんだん次の日まで痛みが残るようになってきました。つらいときには、疲れ目に良いと聞くマッサージをしたり、遠くの山を見たり、蒸しタオルでホットアイマスクにしたりといろいろ試しましたが、効果はありませんでした。そんな中、仕事がさらに忙しくなり、1日のパソコン使用時間は8〜10時間に。頭痛はさらにひどくなり、今度は目まで痛くなってきたのです。初めは違和感だけでしたが、眼球まで痛くなってしまいました。不安を抱えて鍼灸院へその後、使用時間は減りましたが、頭痛も眼球の痛みもよくなりません。眼精疲労や片頭痛かなと思っていました。しかし、なかなか良くならないため、脳の病気なのではないかとさえ、考えるようになってきたのです。何科の病院を受診しようかと考えていましたが、まずは、定期的に通っていた鍼灸(しんきゅう)院で相談することにしました。話を聞いた鍼灸師の方は、「あぁ」とすぐに思い当たったようで、その日は頭痛と眼球の痛みに効く鍼(はり)をお願いしたのです。あっという間に痛みが軽減まず驚いたのが、首のつけ根、髪の毛の生え際に鍼を刺してもらったことです。頭痛と眼球の痛みだったので、首へのアプローチは不思議に思いましたが、終わってびっくり。1回の鍼ですっかり痛みがなくなりました。その後、鍼灸師の方に聞いた話ではこういった症状はよくあることで、頭痛や眼球の痛みの原因となる首と肩の凝りを和らげてくれたそうです。それからも鍼灸院へ定期的に通っています。目の疲れや頭痛が気になるときには、首だけでなく、頭頂部やこめかみ、眉間に鍼をしてもらうこともあります。悪化を防げているのか、頭の重さはあっても頭痛や眼球の痛みはありません。原因が目の疲れではなく、首と肩の凝りだと知り、今ではとても納得しています。まとめこれからも今の仕事を続けるため、症状が大きく改善することは難しそうです。長時間パソコンを見るので、どうしても疲れ目にもなりやすいのが現状です。しかし、首と肩の凝りや疲れ目の改善につながる鍼灸をおこなったことで、とてもラクになりました。今度は、自分でもできるマッサージやツボ押し、ストレッチなども教えてもらい、取り入れていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/やましたともこ著者/玉沢雅水長野県在住。大学卒業後、住宅メーカーで勤務した後、司法書士の業務に携わる。趣味は、小さな家庭菜園で野菜を育てることと、季節の食材で保存食を作ること。
2024年03月28日90代の祖父と80代の祖母は、その年齢にしてはとても元気で若々しく、園芸や散歩を趣味に過ごしていました。ところが、祖父が入院したのを機に、祖母がみるみる元気を失って、認知症のような症状も出るようになったのです。転倒骨折後、祖父が長期入院へ年末年始、私の母が祖父母の家で過ごしていたときのことです。祖父が転倒後、どうしても自力で起き上がれず、やむを得ず救急車を呼びました。診断の結果は、脊椎圧迫骨折(背骨の一部が骨折した状態)。入院することになって、祖父自身も気持ちが落ち込んだのでしょう。元気がなく、病院での食事をあまり食べようとせず、風邪をひいて熱を出したり、はたから見てもみるみる弱っていきます。90代とはいえ、自分のことは自分でし、身の回りも自分で片付け、遠出をすることもあるぐらい元気だった祖父。こんなに短期間で弱っていくのは、私たち家族もショックでした。それだけでなく、入院中も祖父の体調がなかなか戻らず、介助なしで歩くことが難しいぐらい体が弱ってしまいました。退院後も自宅には戻らず特別養護老人ホーム(在宅での生活が困難な要介護の高齢者に対して、生活全般の介護を提供する施設)を探したほうがいいだろうという話になったのです。家にひとりになった祖母がおかしい?祖父だけではなく、祖母も同時に元気がなくなっていきました。母が祖母を気にかけて、祖父の入院以降、たびたび実家を訪ねて祖母の様子を見に行っていました。ですが、「おばあちゃんの様子がおかしい」と言うのです。今までは、祖母はいつもニコニコと出迎えて、私たちをもてなしてくれていたのです。ところが、母が訪ねても、家の中がまるで誰もいないかのように暗く、朝から食事も取らずに祖母がぼうっと座って過ごしていた、というのです。話しかけても、やはりぼんやりとした返事しかせず、祖母が、母のことを誰だかわからないような発言もしたそうです。祖母との生活がスタート祖父が自宅に帰ってくることも難しくなり、これ以上祖母ひとりで過ごさせるのは心配になりました。私と母とで相談し、祖母にはわが家で一緒に生活してもらうことに。祖母を迎えに行ったとき、家の中も庭も荒れ果てていて、その光景が忘れられません。趣味だった園芸も放置していたため、鉢植えの花もすっかり枯れていました。最初は祖母は渋々で、早く家に帰りたいと涙目で言っていました。それでも、一緒に暮らしていると、元のように朗らかでニコニコと元気に暮らす祖母に戻り、ホッとしました。まとめ祖父が入院して、話しかける相手もごはんを一緒に食べる相手もなく、寂しくて気落ちしたのかもしれません。でもどんなに元気に見えても、高齢の祖母には、やはり1人暮らしは心配です。施設に入ることも視野に入れて、今後のサポートが必要だと感じています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/雪田みゆ子ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月28日ファッションで冒険することができなかった私。ある日、友だちと買い物に行った際に「ファッションで冒険ができない」という相談をしてみました。友人に促されるままに持っている服はシックな色合いのものが多かったのですが、友人いわく「明るい色合いのほうがパッと顔も明るく見えるし、似合うと思うよ。例えば赤はどう?」と言われ、着たこともない明るい色ばかりの服でしたが、友人に促されるままに赤い服を購入しました。違和感しかない!?そのときは舞い上がっていたためか自分でも違和感がなかったのですが、後々その服を着た自分を写真で見返したときに違和感でしかなく、もっと自分に合った色をチョイスすべきと感じました。まとめたしかに「赤」といってもさまざまな赤があるように、それぞれ顔や雰囲気に合う赤を選べば似合うこともあるのかもしれません。しかし、ちょっと人を頼り過ぎたチョイスをしてしまったなと反省しました。アドバイスをくれた友人の意見は挑戦するきっかけにはなったので、それも含めて良い勉強になりました。(40代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。行けそうと思ったら強烈な吐き気が子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で副作用が2つ出たとりだまりさん。1つは「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるそうです。もう1つは吐き気を起こす「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状でした。手術後は、鈍い痛みを抱えながら夜を過ごしました。そして、翌日になると……。看護師さんに「違う痛め止めを使ってみます?」と言われるも、反射で「大丈夫です」と言ってしまった私。ずっと横になっていたから、腰まで痛くなってきました。そして午後からは、歩行練習をすることに。似たような手術をした同室の方たちは、あまり痛がる様子もなく、しっかり歩けていたのを見て「あ、これなら行けるな」と思っていたのですが……上半身を起こすだけで吐き気が!「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」歩行練習では「鬼になります」と宣言していた看護師さんが、本当に鬼のように厳しかったです。歩行練習後、しんどさで軽くキレた私は、「……痛み止め、替えてください!」とリクエストしました。そして違う痛み止めにしたら…効果てきめん。全然痛くなくなったのです。私の場合、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めは、ほとんど効果なかったみたいです。でも、ロキソニンを服用したら、30~40分後にはまったく痛みを感じなくなりました。めっちゃラク。周りの患者さんを見ていても、人によってさまざまで、「ロキソニンなんか、てんで効かないぜ!」という人もいれば、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めがよく効いて「術後は痛くもかゆくもなかった」という人も。どんな痛み止めが効果的なのかは、試してみないとわからないこともあるようです。手術前に看護師さんが「痛みやつらさがあったら、我慢しないで教えてください!」と言っていたのは、痛み止めがうまく効いていない場合もあるからなんだな……と身をもって知りました。ちなみに、私が術後の痛みを我慢していたのは、「痛いといえば痛いけど、まぁ、耐えられないほどの痛みではない」という微妙な状態だったからです。激痛ってわけじゃないんだけれど、うずくように、どんよりジクジクと痛い、みたいな。痛み止めが効いているから、この程度の痛みなんだろうな、みたいな。あのまま耐えられたとは思うんですけれど、地味な痛みがなくなったら、それだけで本当にめちゃくちゃラクでした。「しなくていい我慢は、する必要はないんだなぁ」と今は心の底から思います。以降、私はさらに積極的に、どんどん弱音を吐くことにしたのでした。ー------------------------痛み止めを替えたら本当にラクになり、とりだまりさんは「一晩中我慢したのは何だったのか」と思ったそう。我慢せずに、つらさを伝えることも大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月28日ミッドライフ(中年)とは40歳前後から50代前半までの時期を指し、多くの人が転換期を迎える時期で、ミッドライフクライシスとは中年の危機とも呼ばれ、中年の人が心の葛藤に悩まされることだそうです。人生を時間で例えるとすれば、大きく午前と午後に分けられ、45歳の私はまさに「人生の午後」を迎えようとしている私。最近、思い悩むことの種類が変わってきたような気がします。40代後半、変わりゆく自分45歳、体力の衰えや容姿の変化を顕著に感じるようになりました。朝は体がだるく、夕方も日中の疲労が蓄積されてより一層つらい。せめておいしいものを食べて元気を出したいと思っても、若いときのようにたくさん食べることができなくなりました。ただ、周りの若い同僚と一緒にいると、ついいつまでも自分も若いつもりになってしまいます。でも、よく考えれば私は同僚の母親世代に近い年齢であり、彼女たちとは聞いてきた歌も見てきたテレビ番組も違うのです。会社では自分も頼りたいのに頼られる立場になり、何とも言えない居心地の悪さと不安を抱え、その気持ちがどんどん大きくなったころ、私はさまざまな事情が重なったこともあって仕事を退職しました。退職により大きくなる不安と後悔仕事を辞めたばかりのころは解放感にあふれていたものの「このままでいいのか」「自分は間違っているのではないか」と漠然とした不安や恐怖を抱えるようになりました。その後別の会社に転職したのですが、前の仕事を辞めたという自分の選択が間違っていたのではないか、と少なくなった収入を見るたびに少しの後悔と、老後への不安が顔を出すように。更年期も重なる今、いつまで元気で家族と過ごせるか、といった健康面での不安もあります。言いようのない不安は家族とよくあるようなささいなことで喧嘩になったときなどに爆発します。前の仕事を退職したという自分の選択は間違っていたのではないか、取り返しのつかないことをしてしまったと退職を悔やむこともありました。このままではいけない、今を乗り越えないとこのモヤモヤを引きずったままおばあちゃんになってしまう。そう考え、私なりの対策を立てました。不安を減らすために私がおこなった対策は、持ち物の整理、人間関係の見直し、不安をノートに書き出すことの3つでした。持ち物を整理することで身辺整理にもなり、急に自分が動けなくなったときの身辺への心配を減らすことになりました。また、自分が本当に心を許せる友人だけと付き合っていこうと決め、ストレスになっていた人間関係をスリム化することにしました。最初は不安だった人間関係のスリム化は、いざおこなってみても寂しくなく、必要ない気づかいをする相手を減らすことができました。不安は具体的にノートに書き出し、言語化することで漠然とした不安感を減らしました。ただ、今の収入や老後についての不安は残ったままでノートに書き出すことですべてが解決したわけではありませんが、同じことをクヨクヨ考える時間は減った気がします。まとめ自分の年齢を3で割ると人生時間がわかる、と昔何かの本で読んだことがあります。私の年齢を3で割ると15時。ちょうど午後のお茶の時間です。走り続けてきた人生に立ち止まってひと息つきなさい、という時間なのでしょうか。今を悩むということは、将来のことを真剣に考えているから。無駄な時間ではなく、一生懸命生きている証拠だ、人生の午後を迎えた今、そう思うのです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/所 とうこ(45歳)高校卒業後、専門学校へ進学。看護師として20年以上のキャリアを持つ。趣味は映画鑑賞。
2024年03月28日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、お父さんが倒れたときの話を描いたマンガを紹介します。エェコさんのお父さんは脳の病気で倒れ、リハビリ院に入院。しかし、記憶力低下が顕著で預金も資産もない状態だったので、生活保護を申請して支給金を受けることに。退院後の入居施設も見つかりました。後日、入居可の返答が届き、話が進む中、病院からお父さんが発作を起こしたと連絡が! さらに、治療のためなんと最初の病院へ転院が決定。「振り出しに戻った」と泣き笑いのエェコさん。しかもお父さん、病室のベッドに寝ながら見えない誰かと話し込むように。激痩せし、転院先への移動中も自分の状況を理解しておらず、医療器具も外してしまう始末。おまけに、転院先で暴れてしまったお父さんは鎮静剤を打たねばならない状態でした。不安に駆られたエェコさんが叔母さんに電話をすると、覚悟をしておくよう言われて大ショック。両親ともにいなくなると思ったエェコさんは、つらくてたまらず、そのまま路上で座り込んでしまいました。すぐスマホを解約するはずが…ゲッソリして帰宅したエェコさんを迎えたのは、子どもたちだけではありませんでした。お父さんの入院費や、エェコさんの知らぬ間にお父さんが定期購読していた健康医薬品の請求書が届いていたのです。この転院を機に、私は父のスマホを確保。最初から、施設入所後は使用不可と言われていたのですが、父が娘(私)とつながるための心の寄りどころにしていたようで、そのまま持たせて使わせていたのです。しかし、いざ解約となると問題が山積み。本体代分割の2年契約で新機種を購入したばかりだったため、途中解約金や残りの本体代など支払いが生じること必須……。一方、解約しないままだとスマホ代がかさみます。どちらに転んでも地獄。私は、お金が溶ける地獄にはまっていたのでした……。--------------施設入居も強がって平気なそぶりを見せていたお父さん。スマホで毎日エェコさんに鬼電していたのも、心細いのを埋め合わせるためだったのかも。とはいえ、携帯代もばかになりません。一刻も早い状況の把握が求められそうですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2024年03月28日私は10年前に再婚し、連れ子を自分の娘として養ってきました。思春期真っただ中での再婚とあり、荒れていた継娘もついに結婚することに。思えば彼女が進学せず高卒で就職する際など、私はいつも彼女の意志を尊重し、夫を説得するのに苦労もしましたが……。継娘もついに!継母である私に散々反抗してきた継娘も、いよいよ結婚。私と夫との再婚時にはいろいろありましたが、誠心誠意彼女のために尽くし、見放さずに育ててきたかいがあったというものです。結婚のことを聞いた私がお相手のことを尋ねると、音楽関係の仕事をしていて経済的には不安定なのだとか。「お父さんは考え方が古いし、お堅い職業の男しか認めなさそう」と心配するので、「お父さんはそんな偏見を持っていないわ。音楽で生活できるなんて立派よ」とフォローしました。すると継娘は、「そうよね。しかもめちゃくちゃイケメンなの。昔、モデルやっていたこともあるんだって。私と一緒なら美男美女夫婦でしょ」と上機嫌に。「お父さんが私たちの結婚に反対したら説得してね」と言われ、約束したのですが……。半年後の結婚式で…半年が過ぎ、結婚式当日がやってきました。私が、夫と式場に到着したことを継娘に連絡し、親族控室に入ろうとしたそのときです。「お父さんは来てもいいよ。でもお義母さんは帰って。血がつながっていないのに親族席に座らないで」というメッセージが届いたのです。ビックリした私が、「あなたのことはずっと娘同然に思ってきたのよ」と伝えると、「こっちは正直、あんたをずっとウザいと思っていた。金目当てでお父さんに近付いたくせに。私は私で幸せになるから、あんたはもう私の人生に関わるな」とまで……。私はショックながら、「親としてあなたの気持ちを尊重するわ。悲しいけれどもう二度とあなたの前に現れないし、連絡もしない」と答えました。すると、「継母のくせに母親面するな」「他人のババァは帰ってね」「もう帰ってるわ」「どうせ式は中止になるしね」と、思いやりのかけらもない返信が……。あまりの言いように言葉もない私は、そう返したのでした。数十分後…帰宅途中、先ほど式場で別れた継娘から電話とメッセージを山のように着信。しばらく放置してから出てみると、「式を中止にするって彼から言われた! あんた何かしたの!?」と金切り声です。「式の中止は、さっきのメッセージを見たあなたの父親が決めたのよ。新郎にも話はしてあるから」と冷静な私。事情を知った夫は、「養ってくれた義理の母親になんてことを。式は中止だ」と娘に怒り心頭でした。さらに、実はこの結婚式の費用を出したのは私。遺産相続で継いだ山を売って、継娘のために捻出したのですが、他人扱いで罵倒されてまで援助する必要はないでしょう。その後、式の中止理由を聞いた婚約者は継娘の思いやりのなさにドン引きし、最終的には婚約破棄となりました。彼女は今、私が肩代わりしてあげたキャンセル料の返済のため、バイトに明け暮れています。利子なしで貸してあげたのだから、むしろ感謝してほしいもの。この機会に、恩知らずでわがままな自身の態度を改めてもらおうと思っています。--------------血はつながらなくとも苦労して育て上げ、結婚式の費用も工面してあげたのに、挙式当日にこんなことをされたら大ショックですよね。新郎から見放され、婚約破棄となったのも仕方ないでしょう。この先、継娘がちゃんと改心し、母娘としてしっかり和解できるといいですね……。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年03月27日私の毎日は、いつもドタバタと過ぎています。その理由は、私はパートタイマーで仕事をしていて、なおかつ子どもが6人いるため朝から寝るまで家事や育児に追われているからです。もちろん夫と家事を分担していますが、そのバランスに不安を抱いた私のお話です。山のように出てくる家事毎日仕事から帰って来てからも、子どもたちの夕飯の支度や宿題のチェックをし、その後はお風呂に入れたり、夕飯の後片付けをしたり……。そして子ども6人分の洗濯をするため、1日に何回か洗濯機を回す必要がありました。そしてすべての家事が終わってから、洗濯物を干す毎日でした。家事バランスの崩れ朝は部屋の掃除をしたり、朝に回した分の洗濯物を干したりと、朝もやることがたくさんありました。そして徐々に、仕事をしながらこの量の家事を私ひとりがやることに不満がたまってきたのです。夫はゴミ出しをしてくれたり、休みの日にはごはんを作ってくれたりしますが、平日はほぼワンオペな状態に、「なぜ私だけが負担に感じながらやらなくてはならないのか」と、私の中で引っかかるようになってしまいました。それがきっかけで、私は徐々に夫に対して嫌な態度を取るように……。そして、ある日子どもたちから「このままだと、パパに愛想を尽かされて離婚されちゃうかもね〜」と言われました。子どもたちは、私の夫に対する態度の変化に気が付いていたのです。このままではいけないと感じ、その後は子どもの前では特に気をつかうようにしました。今は前よりは良好かな夫には、自分がなぜイライラしてしまうのか、6人の子どもを毎日ひとりで見ながら家事をほとんど自分だけがやっていることに対する不満や苦痛に感じていることをすべて話しました。夫は私の変化に気が付いていたものの、その理由がわからず、困っていたそうです。もともと人に弱音を吐きたくない私の性格は理解してくれていた夫なので、話し合いをしたときに「家事はできるだけ残してほしい」「何かあれば話してほしい」ということを言われました。子どもからのジョークがなければきっと今も不満だらけで、夫へのあたりが強くなっていたと思います。まとめ夫とはいえやはり他人なので、それなりに気をつかい接してきたつもりです。これからも夫婦として続けていくにはどうすべきか、価値観の違いを受け入れつつ不満はある程度吐き出すことも大切だなと学びました。イラスト/きびのあやとら著者/さいとうみく(43歳)20代後半で長女を産み、その後5回の出産(うち1回は双子で出産)を経験。出産のたびに体の変化を感じながらも、誤魔化しながら子育てをしてきた結果、最近は身体のガタを感じ今後の子育てに不安を感じる40代。
2024年03月27日アルツハイマー型認知症になった実母のことや、アラフィフ主婦の日常をあれこれ書き連ねるワフウフさん。自身の体験をマンガにしています。超音波検査を終えた母・あーちゃんと一緒に、早めのランチへ向かったワフウフさん。パンの食べ放題がある、お店に行くことに。すると、あーちゃんはワフウフさんが止めるのも聞かずに、次から次へと甘いパンを食べていました。ここ最近、食欲がない様子を見ていたので、食べてくれるのは素直にうれしいと思いつつ、糖尿病が心配に……。毛糸のパンツを披露!ランチの後、何かを探している様子のあーちゃん。どうやら口紅を探しているようなのですが「口紅ってどんな形だったかしら……」とつぶやいていて、もしかして形の概念が崩れている? と心配になりました。ただ、翌週は表情もスッキリしていて、いつもより素直にワフウフさんの言うことを聞いてくれて、なんだか調子が良さそう。そんなあーちゃんの姿を見て、少し安心したのでした。5月だというのに、こんな厚手のハーフコートを着ていたあーちゃん。「季節に合わせた服装ができなくなる」という認知症の症状なのか、単純に寒いのか……?そして、なぜか見つかったマイナンバーカード。名前も存在も忘れていたはずでは?先日に続き、調子が良さそうで安心。この日はワンピースを着てオシャレを楽しんでいました!でも、ワンピースを着て来たばかりに、おなかに注射をする際に愛用の毛糸のパンツを披露することに……(笑)。超音波検査に続き、胃のバリウム検査に行った日。付き添いは姉でしたが、この日もわりと調子が良さそう。ただ、もう5月だというのに、厚手のハーフコートを着ていて、「認知症が進むと、季節に合わせた服装ができなくなる」という症状に当てはまるのか、それとも単純に寒いと感じているのかはわからず……。そして、なぜかこの日は、存在も名前も忘れていたマイナンバーカードがお財布の中に入っていたそう。いつの間に?数日後。今度はいつもの診察&注射の日。気になる調子は……なかなか良さそう! しかし、この前受けたバリウム検査が引っ掛かってしまい、胃カメラをすることになてしまいました。さらに、栄養失調気味だということも判明。明らかに調子が悪そうだったここ最近は、本当にろくに食べられていなかったのかもしれません。この日のあーちゃんはとってもオシャレ。本人は「何十年も着ている」と言うものの、姉も私も初めて見るワンピースを着ていました。オシャレ心が失われていないのはいいこと……ですが、インスリン注射はおなかに打つ注射なので、ワンピースだとあーちゃんが年中愛用している毛糸のパンツを丸出しすることに……。看護師さん、目のやり場に困るだろうな。--------------温度の感じ方は本当に人それぞれなので、季節外れのコートを着ていても、それが認知症の症状なのかどうか判断するのは難しいですね。でも、一時期はずっと同じ洋服で診察に来ていたことを考えると、オシャレをして来たのは調子が良い証拠かもしれません。この状態が続いてくれることを期待したいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。著者/ワフウフ昭和を引きずる夫、成人した息子娘を持つ50代主婦。実母のアルツハイマー型認知症発覚をきっかけに備忘録としてAmebaでブログを始める。2019年一般の部にてAmebaブログオブザイヤー受賞。2023年4月、書籍「アルツフルデイズ笑いと涙の認知症介護」発売。
2024年03月27日40代半ばになり、イライラや動悸、息切れ、腰痛などの不調を感じるように。それに加えて運動らしい運動もせずなまり切っていた体に嫌気が差して、思い切ってヨガを始めてみました。無理なく運動できるのが心地良く、心にも良い影響を与えているのか、「お母さん、最近ニコニコしてるね」と子どももうれしそうです。そんな私の体験談をお伝えします。1時間半のレッスンで幸せな気分に子どもが幼稚園に通いだしたら始めようと思っていたヨガ。明日やろう明日やろうと思っているうちに、子どもはいつの間にか小学2年生。それに40歳を過ぎたころから腰痛が出てきて、家事をしていても立っているのがつらく、しばらくソファで横になってしのいでいました。このままではダメだと自分を奮い立たせ、近くのヨガ教室をのぞいてみることに。まず驚いたのは、私よりもはるかに年上の方たちが難なくポーズを決めていること。私も負けていられないと必死でついていっていたとき、「私の言葉の前には、“よかったら、”と付いていると思ってくださいね。無理なことはしないようにして、自分と向き合ってください」とインストラクターさんが温かい言葉をかけてくださいました。1時間半のレッスンはあっという間に終わり、今後の説明を聞いている間もフワフワとなんとも言えない高揚感と心地良さで、幸せな気分でした。週1回のリラックス効果で身も心もスッキリヨガ教室はついていけるのか不安でしたが、基本的には簡単なポーズばかりだったのですぐになじめました。それに、あれほど痛かった腰がレッスンの最中は気にならなくなっていました。自分で運動をしようとするとつい激しい運動をしてしまいがちで、どうしても腰に負担がかかってしまいます。しかし、ヨガでは少しずつゆっくりと体をほぐしていくので、1時間半も体を動かしているのに休むことなく続けられました。それに、もし痛みが出たとしても休息のポーズでしばらく休める安心感がありました。普段なかなか自分の体と向き合うことがないので、目をつぶって自分自身と向き合うことで自律神経が整えられ、最近気になっていた息切れや動悸も治まるような気がしています。呼吸法で心が安定してイライラが減少また、ヨガの呼吸法も役立ちました。若いときはイライラするのは生理前だけだったのに、最近は常にイライラしていて子どもにきつく当たることもありました。また、少し体を動かすだけで息切れや動悸がして外に出るのもおっくうに感じていました。ヨガを始めてから心が安定したのかイライラする頻度が少なくなってきたような気がします。また、無理なくゆっくり体を動かすため、息切れや動悸が大分改善されてきました。普段でもなんとなく息苦しく感じたときは、呼吸法を取り入れて家でも実践しています。まとめハードなスポーツと違って、ヨガは自分の体と相談しながらゆっくりおこなえるので、運動をほとんどしたことがない人や痛みがある人でも取り入れやすいと感じました。また、呼吸法を取り入れながら体を動かすことで心が落ち着き、イライラや動悸などの更年期特有の症状が軽減されるような気がします。これからも無理をせず、自分の体をいたわわりながら続けていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/りんごちゃん(45歳)大阪府出身のアラフォー世代。制作会社勤務を経てフリーライターに。40歳を過ぎてますますやせにくい体質になり、ダンスを始めるも激しすぎて挫折。最近のんびりと体を動かせるヨガにはまり中。
2024年03月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術前夜、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれましたが、緊張していなかったため断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。震えのほかにも全身麻酔の副作用が出て手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかなかったとりだまりさん。そして、看護師さんから「眼鏡ケースを持ってきて」と言われていたのに、硬くてかさばるため布のポーチに入れて持っていったことで、ベテラン医師から若い医師が怒られることに。申し訳なさでいっぱいになってしまいました。その後、無事に子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。全身麻酔により一瞬で寝落ちした後、目が覚めると……。手術に関しては、「寝落ちした」→「起きたら終わっていた」という感じなので、体感としては、本当に一瞬。現代医学、バンザイです!ただ、私の場合は、全身麻酔の副作用である「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるみたいです。若めの女性(手術時はギリギリAYA世代(※)でした)。普段お酒を飲まない人、乗り物酔いしやすい人などが、なりやすい傾向があるのだとか。※AYA世代とは、Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字を取ったもので、主に思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指しています。全身がガクガク震える経験は初めてだったので驚きましたが、布団をかけてもらったら、割とすぐに治まってホッとしました。その後、再び目覚めて、家族と話し始めると、今度は「うっ!」とくる吐き気が。これもやっぱり麻酔の副作用で、「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状だそうです。PONVが起こる理由はいくつかあるようですが、今のところ防ぎようもないみたいですし。ならない人はまったく平気みたいなので、これから手術という方は「自分はならないといいな~」と気楽に構えているのがよいのではないでしょうか。実際に、後で患者仲間に聞いても、私の周りにPONVを経験した人はあまりいませんでした。まぁ、なったらなったで「これがPONV……」と思えれば、理由がわかってちょっと気分が落ち着くかもしれません。ー------------------------全身麻酔の副作用は初めての症状で、驚いたというとりだまりさん。症状が出る人、出ない人と、個人差もあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月27日高校生のときのこと。遠足で遊園地に行くことになり、友だちと遠足に着ていく服装について盛り上がっていました。遠足におしゃれして行きたいという一心の私がやってしまった失敗とは。遠足のためファッション雑誌で勉強当時通っていた学校は、遠足のときは私服OKだったので、毎回遠足のときは皆おしゃれの競い合いのような感じで、着飾って参加していました。前回の遠足で、周りの友だちから「今日、かわいいな」と服装を褒められたのがうれしかった私。「今回もやるぞ!」と気合いを入れてファッション雑誌で日々勉強していました。センスのよい友だちの服装を参考に何を着ていったらおしゃれに思われるかなぁと迷い、ファッションセンスがよいクラスの友だちに「遠足、何を着ていくの?」と聞いたところ、「うーん。赤のニットのセットアップかな」という答えが返ってきました。「セットアップか……いいな」と思い、早速、服を買いに近くのショッピングモールへ行きました。いくつも店舗を回ってもなかなか決まりません。どうしようかと思っていたら、目の前にセールの文字がありました。友だちの服に対抗して購入したのはそこに黒ジャケットとタイトスカートのスーツが掛かってあり「これだ!」と即決しました。「赤に対抗するのは黒だろ。勝った!」と謎の自信を持って、遠足当日になりました。結局、その日その友だちは欠席。遊園地にかっちりとした黒スーツを着てきた私を見た友だちには「就活か?」とバカにされました。そして遊園地では動きにくいので乗り物にもあまり乗れず、と散々な思い出となりました。まとめ褒められて調子に乗ってしまい、時と場合を考えずに行動して、結局遠足を楽しめなかったことがいまだに残念な思い出となっています。人と競い合ったり、比べたりすることも愚かだなぁと学びました。それ以来、自分の気持ちを大切に、周りに振り回されたりしない人でいようと思うようにしています。(50代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/エェコ著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月27日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、お父さんが倒れたときの話を描いたマンガを紹介します。エェコさんのお父さんは脳の病気で倒れ、リハビリ院に入院。しかし、記憶力低下が顕著で預金も資産もない状態だったので、生活保護を申請して支給金を受けることに。退院後の入居施設も見つかりました。エェコさんは施設入居に罪悪感を抱いたのですが、ソーシャルワーカー(生活相談員)さんが「娘さんはお父さんを救った」と寄り添ってくれました。後日、入居可の返答が届き、話が進む中、病院からお父さんが発作を起こしたと連絡が! さらに、治療のためなんと最初の病院へ転院が決定。「振り出しに戻った」と泣き笑いのエェコさん。しかもお父さん、病室のベッドに寝ながら見えない誰かと話し込むように。激痩せし、転院先への移動中も自分の状況を理解しておらず、無限に同じことを尋ねては医療器具を外してしまう始末。おまけに、転院先で暴れてしまったお父さんは鎮静剤を打たねばならない状態でした。不安に駆られたエェコさんが叔母さんに電話をすると、覚悟をしておくよう言われ……。やっと帰宅すると?「覚悟って……?」と恐る恐る聞き返したエェコさんに、叔母さんは、亡くなる直前の祖父と今のお父さんの状態が似ていて、おそらくもう長くないと言ったのです……。両親ともにいなくなる、そう思ったエェコさんは、つらくて寂しくて、そのまま路上で座り込んでしまいました。ゲッソリして帰宅した私を迎えたのは、子どもたち……だけではありませんでした。今月の入院費や、父が私の知らぬ間に定期購読していた健康医薬品の請求書が届いていたのです!その額、合わせてなんと5万円以上……。健康医薬品は返品もできず、まさに踏んだり蹴ったりな1日でした。--------------なんとか気を持ち直したエェコさん。帰宅後のエェコさんを襲ったのは、請求書のダブルパンチでした。ただでさえ精神的に大変なときなのに、この追い打ちはつらすぎますよね……。心穏やかに過ごせる日が早くやって来てほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2024年03月26日私は夫と2人の子どもと暮らすアラフォー主婦です。今までいくつか病気を経験しているため、定期検査や健康診断は欠かさず受けています。体調不良といえば、時々便秘になるくらい。いたって健康だと思っていたのに、健診結果に要精密検査の文字が。いい機会だと思い前向きな気持ちで受けた検査で、まさかあんなに大変な経験をするなんて……。健康について改めて考えるきっかけになったエピソードを紹介します。健康診断の便潜血検査に引っかかり再検査に毎年健康診断を受けていた私。35歳のとき、便潜血検査の結果が陽性となり、初めて消化器内科で大腸カメラによる精密検査「大腸内視鏡検査」を受けることになりました。ショックな気持ちを抱きつつ、予約をするため病院に電話。すると、「まだお若いですね。便潜血検査の際、便秘気味でしたか?」と聞かれました。受付の方が言うには、便秘の場合、排便時の出血で陽性になることもあるのだとか。普段から時々便秘になることがある私は、その話を聞いて「大きな病気ではなく、便秘のせいかも」と、少し安心しました。とはいえ、万が一のことがあるかもしれません。早期発見のためにも、この機会にしっかり診てもらおうと予約を取りました。大腸内視鏡検査は前処理からトラブル多発数日たって、いよいよ検査当日。大腸内視鏡検査は朝から夕方近くまでかかるとあらかじめ聞いていたので、待ち時間は本でも読んで過ごそうと安易に考えていました。病院に到着し、検査の前処理をおこなう部屋に案内されると、周りはご年配の方ばかり。同世代の人は1人もいません。「自分は場違いなのかな?」と少し気まずく思っているところで、前処理についての説明が始まりました。説明の内容は、大腸内視鏡検査をする前処理として、大腸を空っぽにするために、これから腸管洗浄液2リットルを数時間かけて服用するというものでした。また、内服後のトイレの回数は5~10回くらいが目安とも。説明後、内服を始めた私の体にすぐに異変が起きました。洗浄液がどうしても飲めないのです。最初は洗浄液の飲みにくい味のせいかと思っていたのですが、そのうち吐き気が止まらなくなり……。結局、病院側の判断で、別の錠剤を服用することになりました。吐き気が落ち着いてきたと思った矢先、またしてもトラブルが! トイレは多くて10回程度と聞いていたのに、私の場合、15回も足を運ぶことになりました。看護師さんや周りの方から「若いのにえらいね~頑張っているね~」と励まされ、ありがたいやら恥ずかしいやら……。内視鏡検査を始める前の段階で、私はもうフラフラでした。一筋縄ではいかない!内視鏡検査でも大騒ぎやっとのことで大腸の準備も整い、内視鏡検査が受けられる状態になった私。いよいよ検査本番です。ところが、なんとここでもすんなりとはいきません。内視鏡検査を始めてすぐ、痛みに近い違和感がおなかに走ります。検査をしている先生の様子もおかしく「うーん……これでどうだ?」と何やら苦戦している模様。次第に痛みに耐えられなくなり、私は「痛いです~!」と声をあげてしまいました。先生も「そうだよね~」と言いながら、それでもうまくいきません。痛みと気持ち悪さに耐えながら、あとどのくらいかかるのだろうと考えていたとき、突然先生に「ごめん!」と謝られました。なんと、これからカメラを変えて検査をやり直すと言うのです。先生の話によると、私の大腸は細い上に長く、加えて体格が小柄なことから、通常より小さなカメラでないと検査できないのだとか。こんなに大騒ぎになっている人は他におらず、どうして私だけと泣きそうな気持ちになりましたが、カメラを変えて検査再開です。しかし、カメラを変えたことでラクに検査が進むということもなく、病室には相変わらず苦しむ私と奮闘する先生、励ます看護師さんの声が響きました。大腸内視鏡検査の結果はやっとのことで検査が終了。結果は異常なしで、やはり便秘のせいで排便時に出血し、潜血検査が陽性になったのだろうとのことでした。先生には「こんなに苦労することはめったにないんだけどね。今回は結果も大丈夫だったし、お互いつらいから5年は内視鏡検査を受けなくていいよ」と冗談めかして言われましたが、苦笑するしかなかった私……。検査前は、悪いものが見つからないかと不安でいっぱいでした。しかし実際は、前処理や検査が壮絶すぎて、不安を感じている余裕は皆無。終了直後は、結果が異常なしだったことより、検査がやっと終わったことに安堵したほどです。帰宅する途中で、ようやく検査結果が異常なしだったことに喜びが湧いたのを覚えています。まとめ持病の定期検査や健康診断をきちんと受け、体のことには気を付けているつもりだった私。しかし、普段あまり気に留めていなかった便秘をきっかけに、まさか自分がこんなに大変な経験をするとは考えもしませんでした。もし、便秘ではなかったら、再検査になることも、内視鏡検査で大変な思いをすることもなかったでしょう。健康診断の際、もう再検査にはなりたくありません。たかが便秘と甘く考えず、すぐに改善に取り組もうと心に誓い、健康について改めて考える出来事となりました。5年後、もしまた内視鏡検査を受けることになったときは、待ち時間に本を読んでいる余裕などはないこと覚悟して臨みたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。イラスト/エェコ著者/結城 すみれ要領のいい夫とわが道をいく息子、ひょうきんな娘の4人家族。丁寧な暮らしに憧れるズボラ主婦です。数年ぶりに仕事を始め、てんやわんやな日々を送っている。
2024年03月26日アルツハイマー型認知症になった実母のことや、アラフィフ主婦の日常をあれこれ書き連ねるワフウフさん。自身の体験をマンガにしています。母・あーちゃんが「見つからない」と言っていた通帳とキャッシュカードは、カバンの中に入っていて、ワフウフさんが付き添ってATMを操作したところ、お金も下ろせました。しかし、通帳とキャッシュカードを持っていることも、お金を下ろしたことも、すぐに忘れてしまうあーちゃん。何度もワフウフさんが説明しますが、そのたびに道端でもどこでも、カバンや財布を広げる始末。さすがに危な過ぎて、ヒヤヒヤしてしまいます……。初めての出来事にビックリ!超音波検査を終えたあーちゃんとワフウフさんは、早めのランチへ。パンの食べ放題があるお店に入ったのですが、あーちゃんはここぞとばかりに甘いパンばかり食べ、糖尿病患者の血糖を下げる働きのあるホルモン「インスリン」を注射で補給して血糖値を下げるためのインスリン注射を打って来たばかりなのに……とワフウフさんはガッカリ。でも、ここ最近ずっと食欲がない姿を見ていたので、たくさん食べてくれたのはうれしいと思う気持ちもあり……なんだか複雑です。どうやら化粧直しをしたい様子のあーちゃん。口紅の形が思い出せないようで……。さらに、この日は「???」と思うことがもう1つ。ボールペンの概念も壊れているみたいです。そんなはずはないのに……。結局、100円ショップの文房具コーナーに連れていきましたが、この発言。今までのやりとり、何だった……!?あーちゃんが宇宙人のように思えてきてしまいます。しかし、翌週は意外にも表情がスッキリしていて、調子が良さそうです。めちゃくちゃ素直……!食欲も戻ってきたようです。その後、「ごちそうさまでした! 今、夕食を済ませました! いただいたおかずを食べました! おいしかったで~す、ありがとう!」と、ちゃんと辻褄が合っているメールがあーちゃんから届いて、感動……。食事をしたあと、何かを探している様子のあーちゃん。「口紅ってどんな形だったかしら……」と、つぶやいているのを私は聞き逃しませんでした。さらに、ボールペンから鉛筆のような芯が出ると言い張り、それを買いに行くと聞きません。ボールペンから鉛筆の芯が出ることはないと思うのですが……。もしかすると、思っている以上に形の概念が崩れているのかもしれません。こんなふうに、あーちゃんはひどい状態が続いていたので、翌週の付き添いは重い気持ちで向かったのですが……予想外にスッキリとした表情で、いつものように「疲れた、眠たい、何もしたくない」という言葉も聞こえません。そして、この日一番驚いたのが、おかずの差し入れのお礼がメールで届いたこと! これまでずっと私も姉も差し入れを続けてきましたが、ちゃんと食べているのかすらわからない状態でした。先週よりも、明らかに調子が上向きになっています。少し前に処方された、元気が出るという漢方が効いてくれたのかも!?--------------探している物はわかっていても、その形が思い出せないようなら、見つけ出すのは難しいですよね。でも、症状がどんどん進んでいると思っていても、今回のようにうれしくなる日も。その日の状態に合わせたサポートをすることの大切さがうかがえます。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ワフウフ昭和を引きずる夫、成人した息子娘を持つ50代主婦。実母のアルツハイマー型認知症発覚をきっかけに備忘録としてAmebaでブログを始める。2019年一般の部にてAmebaブログオブザイヤー受賞。2023年4月、書籍「アルツフルデイズ笑いと涙の認知症介護」発売。
2024年03月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術の前日、手術の説明書類を見ると「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、看護師からは手術の翌日には歩くように言われて驚きました。私のせいで若い先生が怒られて…手術前夜、緊張して眠れない人がいるそうで、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれました。とりだまりさんは自分でも驚くほど緊張しておらず、断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。そして、子宮頸がんの手術当日を迎えました。病院には、家族たちが来てくれました。いよいよ手術室に行くことになり……。いよいよ手術当日。やっぱりちょっと緊張します……。病院には、夫、父、母、妹、叔母が来てくれました。手術室に行く前、「眼鏡ケースを持ってね」と看護師さんに言われたのですが、硬くてかさばるため、小さく折りたためるポーチを眼鏡ケースとして持ってきた私。「眼鏡ケースがない」というと、看護師さんはなぜか非常に戸惑いまして……。「ないなら、仕方ない」ということで、とりあえずそのまま手術室へ向かうことになりました。「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡すも、なぜか母と夫で譲り合おうとしていて……。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。手術室では、昨夜「睡眠導入剤を出そうか?」と聞きに来てくれた麻酔科の先生がいました。麻酔を入れているときのやりとりでも、とてもやさしくしてくださって、安心と同時に意識がもうろうとしていったのですが……その後、先生のトゲトゲしい声が……!ということで、手術を受ける人は、眼鏡ケースは忘れちゃダメ! 絶対に!きっと先生はこうやって「手術室では、目についたどんな小さなリスクも排除すべき」ということを、後輩の先生たちに徹底的に教え込んでいくのでしょう。そして、私のようなボーっとした患者にも。だって、自分のせいで、他の人がめちゃくちゃ怒られるって、小心者の私にとっては恐怖しかない……。あのときの助手の先生、もしくは看護師さんには、申し訳なさでいっぱいです。もし次に手術をすることがあれば、絶対に眼鏡ケースは忘れません!本当にすみませんでした!ー------------------------眼鏡ケースの件は自分が悪いのだと言おうにも、麻酔で意識がなくなったと、とりだまりさん。小さなリスクも排除して、麻酔科の先生に守ってもらったのだと、感謝の気持ちでいっぱいとのことでした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月26日働いている職場で、本社の研修に参加することになった私。そこでやらかした失敗エピソードです。本社の研修に参加することに普段の仕事ではユニフォームがあり、通勤には服装の指定がないためカジュアルな洋服しか持っていませんでした。そんなある日、本社の研修に参加することになり、そこで服装の指定がありました。オフィスカジュアルって何?「オフィスカジュアルで」と指定されていたので調べたのですが、定義はあいまいな部分が多くとても困ってしまいました。夏場だったので、結局手持ちのスラックスと、新しく購入したブラウスを着て行ったのですが……。なんと周りの人たちは皆ジャケットを羽織っており、ひとりだけ浮いていました。まとめ会社の風土など、事前にしっかり確認すべきだったと思います。後で確認したところ、研修だったのですが上層部の方が参加していたこともあり、皆さんジャケットを用意していたようです。聞いていなかったとはいえ、普段と違うことをするときは事前確認が重要だと感じました。(30代/女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月26日アラフィフを迎え、周りで老眼鏡をかける友人が増えてきました。でも、自分はまだまだ大丈夫。ママ友ランチでも「メニューが見えない」という友人に代わってメニューを読み上げてあげていたくらい。でも、私がスマホを離して見る姿を見て、「それって、老眼じゃない?」と指摘され、友人の老眼鏡を試しにかけてみると文字がクッキリ! でも、老眼鏡をかけたくない私が出した結論は……。おでこに眼鏡を乗せる姿はおばあさん!?スマホや本から少し距離を離せば見えていたけれど、老眼鏡をかけると驚くほどクッキリ見えることを知り、思い切って老眼鏡を作ることに。ただ、老眼鏡をかける姿って、なんとなくおばあさんみたいで抵抗がありました。特に遠近両用眼鏡は、眼鏡を少しずらして見ないと見えにくい。この姿が、まさにステラおばさんのクッキーみたいで……。すでに孫もいる友人がいるくらいなので、実際におばあさんと言われても仕方がありません。でも、アラフィフのささやかなプライドでしょうか、近視もある私は老眼鏡ではなく、老眼であることがバレにくい遠近両用のコンタクトレンズを選ぶことにしました。ハードとソフトの両方を試してみたら実は、コンタクトレンズを使うのは初めて。ド近眼の息子は1DAYのソフトコンタクトレンズを使っているけれど、意外と値段が高いのが気になるところ。眼球の水分を吸収してレンズの形状を保つソフトコンタクトレンズは、日に日に老化していくおばさんの目にはドライアイなどでより負担もかかりそう?と思いました。ならばハードコントタクトレンズはどうなのか?ハードコンタクトレンズを使っている友人の話によると、眼球に浮く状態で装着するので目に必要な酸素を供給しやすくドライアイになりにくのが大きなメリットだとか。その半面、痛い、目から落ちやすい、洗浄などのケアが面倒というのがデメリット。一長一短。 甲乙つけがたく決めかねていたので両方試してみることに。ん~、ハードは痛いです! ソフトは異物感がなかったけれど、ハードは目の中がゴロゴロする感じがありました。コスパ良し、目にも良しの遠近両用コンタクトいろいろ迷って結局、選んだのはハードコンタクトレンズ。目にも安心かつ、年間でソフトコンタクトレンズの約半分のコストとなり、コスパの良さが決めてとなったからです。何日か装着していると、目も慣れてきて違和感がなくなり、朝から就寝前までつけっ放しでもノー問題。仕事柄、長時間パソコンと手元の資料を見合わせることが多く、資料に目を落とすとピントが合わず、目の疲れを感じることが多かったけれど、遠近両用レンズにしたことで眼精疲労や肩凝りも和らいだような気もします。趣味のネイルでも、小さなストーンをピンセットでつまんで細かな細工もしやすくなりましたし、スマホを見るときも、わざわざ眼鏡をずらして見るまさにおばあさんの仕草もしなくなりました。眼鏡のときはファッションやアクセサリーとのバランスが難しく、眼鏡ありきのコーディネイトでしたが、常にコンタクトにしたことで、朝の服選びがかなりラクになったのも事実です。まとめ老眼は、まさに呼び名のごとく老いを痛感する老化現象ゆえに、認めたくない。でも、見えないのは困る。老眼鏡に抵抗があったので、遠近両用のコンタクトレンズにしてよかったなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/井上 裕紀子(54歳)読モを経て、ファッション誌、情報誌などのフリーライターへ。しわ、肝斑、たるみ、更年期太りと苦しい戦いを続けつつも、その先にいったい何があるのか見えない迷える五十路女子。
2024年03月26日ホルモン補充療法は、つらい更年期障害を改善する治療法です。しかし、更年期障害にもさまざまな症状があります。ホルモン補充療法はどんな症状に効果があり、どんなメリットがあるのか。また、副作用などのデメリットはないのか。治療方法や費用のことなども含めて、産婦人科医の沢岻美奈子先生に教えてもらいました。教えてくれたのは…監修/沢岻美奈子先生(沢岻美奈子 女性医療クリニック院長)2013年1月に女性スタッフだけで乳がん検診をおこなう沢岻美奈子 女性医療クリニック開院。2022年の1年間で神戸市乳がん検診を約2500件、地元企業様の会社検診や自己検診も含めると約3100件の乳がん検診を実施する。患者さんとのやりとりと通じて日常の診察で感じ考えることを、専門医目線で正しい医療情報としてInstagramに毎週投稿している。ホルモン補充療法(HRT)って何?女性は更年期(45~55歳ころの閉経を挟んだ約10年間)になると、ホルモンのバランスが崩れて生理が不順になり、人によっては心身にさまざまな不調が現れます。他の病気を伴わない不調を「更年期症状」と言い、その中でも症状が重く日常生活に支障を来す状態を「更年期障害」と呼びます。更年期障害の一番の原因は、女性ホルモン「エストロゲン」の急激な低下です。ホルモン補充療法とは、少量のホルモンを補うことでエストロゲンの減少程度を緩やかにし、更年期障害を改善する治療法です。生理が順調でも、30代に比べて疲れやすい、眠りの質が落ちたなどの体調の崩れを感じる場合は、更年期症状が出ているケースかも。そういう場合にもホルモン補充療法を受けることで落ち着く場合がよくあります。誰でもできる治療なの?ホルモン剤には若干血液を固まりやすくする働きがあるため、脳卒中や心筋梗塞、冠動脈疾患などの既往歴がある人、喫煙者や血液をサラサラにする薬を内服している人はホルモン補充療法を受けられません。過去に子宮体がんや乳がんを経験した人は、場合によっては受けられないことがあります。これらの人で更年期障害で悩んでいる場合は、婦人科を受診して症状に合わせた漢方薬を処方してもらう方法があります。また、高血圧や糖尿病の人や肥満の人、家族に子宮体がん・乳がんを経験した人がいる場合には、病態が悪化する可能性があるため慎重な投与が必要です。最初にしっかり検査をし、医師とよく相談しましょう。ホルモン補充療法の方法は2つホルモン補充療法には主にエストロゲンだけを補う方法と、エストロゲンとプロゲステロンを併用して両方を補う方法があります。エストロゲンだけを半年以上使うと、子宮内膜が増殖して子宮体がんのリスクが高まることが知られています。そのため、子宮のある人には、内膜の増殖を防ぐ働きがあるプロゲステロンを併用します。併用により、子宮体がんのリスク軽減が可能です。手術で子宮を摘出した場合には、子宮がんの心配がないので、エストロゲンだけを補う方法で治療をおこないます。ホルモン補充療法の薬の種類と費用ホルモン補充療法の薬には、飲む・貼る・塗るの3タイプがあります。貼る、塗るタイプは、飲み薬に比べると胃腸や肝臓への負担がかからず副作用が少ないですが、かゆみ・かぶれなどが出る場合があります。飲むタイプは手軽に用いることができて便利ですが、胃腸や肝臓に負担がかかることがあります。他にも、腟がかゆい・乾くなどの症状がある場合には、腟に入れる錠剤を処方する場合も。また、更年期の症状に対応した漢方薬を併用する場合もあります。どの薬を用いるかは、患者と医師で相談して決めます。いずれの薬も家で自分で用いますが、症状の確認や薬の処方などのために2〜3カ月に1回程度の通院が必要です。ホルモン補充療法は保険適用で、薬代は病院や使用する薬剤によって異なりますが、だいたい月に2,000〜3,000円。漢方薬と併用する場合は、4,000〜5,000円程度です。どんな症状に効果があるの?ホルモン補充療法で不足していたエストロゲンが補充されると、乱れていた自律神経のバランスが整い、多くの症状が改善します。主に下記の効果があり、それに伴ってイライラや気持ちの落ち込みが改善するケースも多くあります。・ホットフラッシュ(のぼせ、ほてり)や発汗などの改善・動悸など自律神経系の不調の改善・閉経後骨粗しょう症の予防と改善・萎縮性腟炎や性交痛などの改善・悪玉コレステロールの低下・コラーゲンを増やし、皮膚や粘膜に潤いを与える・胃がんや大腸がんなどがんのリスクの低下更年期になるとコレステロールは自然に上がりますが、ホルモン補充療法をすると下がることが知られています。胃がんや大腸がんなどのがんリスクも低下しますが、これについてははっきりした原因はわかっていません。それでも、女性のがんで2番目に多い大腸がんのリスクが低下するのは、うれしい効果と言えるでしょう。薬の使用し始めに副作用が出ることがホルモン補充療法に重大な副作用はありません。使用を始めたときに下記のような副作用が現れることがありますが、多くは薬の頻度や量を調節することで1〜3カ月で治まります。・不正出血・乳房のハリや痛み・おりもの・下腹部のハリ・吐き気 など・ごくまれに血栓症を引き起こすことがある副作用の多くは薬の頻度や量を調節して改善できます。特に不正出血は多く見られますが、深刻な問題につながることは稀です。ただし、更年期以降、特に閉経後には子宮体がんの発症リスクが高くなります。月経と異なるタイミングで予定外の出血があった場合は、子宮体がんの検査を受けてみることをおすすめします。ホルモン補充療法で乳がんリスクが上がる、は間違い!日本女性の9人に1人が罹患すると言われる乳がん。40代後半から増えて、60代が一番多いのが特徴です。乳がんのがん細胞の60~70%は、エストロゲンの影響を受けて増殖するため、エストロゲンを補うホルモン補充療法が乳がんリスクを上げるのではと懸念する声が多くあります。しかし、2004~2005年に厚生労働省研究班が調査をおこない、ホルモン補充療法経験者が乳がんになる危険性は、ホルモン補充療法未経験者の半分以下だったという結果を公表しています。その後の研究でも、ホルモン補充療法が乳がんの発症に与える影響は、肥満やアルコール摂取、夜勤の仕事などが与える影響と同程度の小さいものであることがわかっています。ホルモン補充療法の始めどきはいつ?40代になって、生理が不順になったり体調に変化を感じたりしたらホルモン補充療法を検討しても良いでしょう。不調が軽いうちに始めることで、比較的スムーズに改善できます。しかし、めまいがしたから耳鼻科を受診して……と遠回りしている期間が長いと、症状が悪化して改善まで長引いてしまうことも。更年期世代で体の不調を感じたら、まずは婦人科を受診し、検査をしてみることをおすすめします。ホルモン補充療法にやめどきはあるの?数年前までは、乳がんリスクへの不安などから「ホルモン補充療法の上限は5年程度」や「60歳ぐらいになったら終わりどきを見つけよう」などと言われてしました。しかしその後、さまざまな調査で、乳がんのリスクが高くないこと、ホルモン補充療法を長くやっている人に健康被害がないことなどがわかってきて、やめどきについての考え方も変わってきています。今は女性の平均寿命が伸び、更年期である50代以降の人生が長くなりました。本人が「症状が改善したのでやめます」というのであれば、それもまったく問題ありません。でも、症状が続いていて、ホルモン補充療法を続けることで症状が改善し、定期的な検査でも問題ないのであれば、期間に上限を設けなくて良いというのが、最近の専門医の間での認識です。まとめ更年期障害の期間や症状は、人によって大きく異なります。やめどきを自分で決めることができるのは、女性にとって大きな安心と言えるでしょう。ただし、更年期を長く快適に過ごすためには、定期的な検診を受けることが欠かせません。自治体や職場の健康診断などをじょうずに活用していきましょう。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/かきの木のりみ4つの編集プロダクションで紙媒体の編集をしつつWebの学校に通い、Webと紙両方の編集に携わるようになって約20年。スポーツは見るのもやるのも好きなのだけど、最近はすっかり見るほうに……。著者/監修/沢岻美奈子先生2013年1月に女性スタッフだけで乳がん検診をおこなう沢岻美奈子 女性医療クリニック開院。2022年の1年間で神戸市乳がん検診を約2500件、地元企業様の会社検診や自己検診も含めると約3100件の乳がん検診を実施する。患者さんとのやりとりと通じて日常の診察で感じ考えることを、専門医目線で正しい医療情報としてInstagramに毎週投稿している。
2024年03月26日2児の母でありヲタクであるエェコさんによる、お父さんが倒れたときの話を描いたマンガを紹介します。エェコさんのお父さんは脳の病気で倒れ、リハビリ院に入院。しかし、記憶力低下が顕著で預金も資産もない状態だったので、生活保護を申請して支給金を受けることに。退院後の入居施設も見つかりました。エェコさんは施設入居に罪悪感を抱いたのですが、ソーシャルワーカー(生活相談員)さんが「娘さんはお父さんを救った」と寄り添ってくれました。後日、入居可の返答が届き、話が進む中、病院からお父さんが発作を起こしたと連絡が! さらに、治療のためなんと最初の病院へ転院が決定。「振り出しに戻った」と泣き笑いのエェコさん。しかもお父さん、病室のベッドに寝ながら見えない誰かと話し込むように。激痩せし、転院先への移動中も自分の状況を理解しておらず、無限に同じことを尋ねては医療器具を外してしまう始末。おまけに、転院先で暴れてしまったお父さん。鎮静剤を打たねばならなかったようで、かつてない状態にエェコさんは……。亡くなる兆候?ようやく病棟に上がったお父さんと別れて帰宅したエェコさん。不安に押しつぶされそうで、叔母さんに泣きつきました。しかし電話口で言われたのは「覚悟しておいたほうがいい」というショックなひと言でした。「覚悟って……?」と、恐る恐る叔母に聞き返した私。もちろんその言わんとするところはわかっていたのですが……。叔母は、亡くなる直前の祖父の状態と今の父が似ているので、父は「もう長くない」と言うのです。父と母の両方がいなくなる……。そう思うと私はつらくて寂しくてたまらなくなりました。そして思わず、車や人々の往来でざわめく路上で座り込んでしまいました。--------------お父さんの突然の悪化と転院手続きでバタバタだったエェコさん。ついに、つらい現実を突きつけられてしまいました。両親を亡くすその直前に今自分がいると実感するのは、一体どのような気持ちなのでしょうか。想像するだけでもいたたまれなくなります。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/エェコ2児のヲタママ。「ヲタママだっていーじゃない!」というブログを運営中。育児コミックエッセイ連載やweb広告漫画を執筆している。
2024年03月25日わが家は私、夫、子ども3人の5人家族で転勤族。2022年、私の実家のそばに家を建てたことから、夫の単身赴任生活がスタートしました。夫は慣れないひとり暮らしの中、ある出来事をきっかけに、体に異変を感じ……。これは、家族が離れて暮らすことで、夫が病気で苦しんでいても私自身何もできないもどかしさや、不安を感じたお話です。単身赴任を始めた途端に大きな地震に直面!一緒に暮らしていたころの夫は、休日になると家の掃除を率先してやってくれるタイプ。加えて「味噌汁と野菜炒めなら作れる」と言って、普段しない料理に対し不思議な自信を持っており、単身赴任生活に対してあまり不安を抱えていない様子でした。しかし、新生活を始めて3カ月ほどたったころには、忙しい仕事に加え思ったようにできない家事で悪戦苦闘する毎日に、ストレスを抱えている姿がビデオ通話越しから伝わってきました。「自炊をしようと思ったけど、疲れて作る気になれない」「買ってばかりの食事では飽きてしまう」と、特に食事に対する不満が多かったように感じます。あるとき、夫が住んでいる地域で震度6の地震が発生。幸い夫にけがはなく非難することもありませんでしたが、食器棚が倒れて食器が割れたり、部屋の壁のいたるところへヒビが入ったりと大きな被害が出ました。その後も度重なる余震が襲いかかり、少しでも揺れると体がビクッと反応し睡眠も十分に取れません。夫の精神的肉体的疲労はいよいよピークに。そんな中、左胸にピリピリとした痛みを感じるようになったそうです。痛みで夜も寝られない!これはもしかして?夫が左胸を見ると、赤い発疹がポツポツと出ていました。もともと皮膚が弱いため、「何かにかぶれたのかな?」と感じた程度だったようです。状況を電話で聞いた私は、「皮膚科に行って診てもらえば?」と受診を促しましたが、夫は深刻に捉えている様子もなく通常運転。しかし、時間がたつにつれて左胸の痛みはだんだんと強くなり、湿疹も背中のほうまで広がってきました。仕事に集中できず、夜も寝られない状態に「これはいよいよおかしいぞ」と感じ、スマホで自分の症状を調べることに。疑われる病名は“帯状疱疹”でした。翌日皮膚科は休診日だったため、夫は内科を受診。やはり、帯状疱疹と診断されました。帯状疱疹は水ぼうそうのウイルスが悪さをする病気。加齢やストレスなどで免疫機能が落ちるとウイルスが活性化して発症するそうです。50歳以上の方がかかることが多く、予防接種も推奨されているようですが、夫は当時40歳。該当する年齢ではないため、まさか自分がなるとは思いも寄りません。驚きもありつつ、新生活による疲労や地震のストレスなど抵抗力が弱まりやすい状況にあったことで、少なからず納得もしたそうです。夫から報告を受けた私…支えてあげたいけれど病院からは塗り薬と飲み薬を処方され、数週間すれば治ると言われました。ビデオ通話先での夫は、ひとりで背中に薬を塗るのに苦戦している様子。しかし私は、痛みに耐えながら通常通り仕事をしなければならない夫から、電話で話を聞き「大変だったね。大丈夫?」と心配することしかできません。本来ならそばにいて、薬を塗ったりバランスを考えた食事を作ったりとサポートできることがたくさんあったのに……と悔しさがこみ上げてきます。離れて暮らしているがゆえに何もサポートできないもどかしさと、“夫がこれから先もっと大きな病気になったとき、どう対処すればいいのか”といった不安を感じました。それからしばらくして夫の帯状疱疹は無事治まり、後遺症もなく元気に生活しています。しかし、その後もインフルエンザや新型コロナにかかり体調を崩すことも。そのたびに私は、電話越しに励ますことしかできず、罪悪感を募らせています。それは夫にとっても同じで、私や子どもが病気になってもよほどのことがない限り、駆けつけることもありません。子どものためを思って決めた夫の単身赴任生活ですが、お互い自分の体調管理には今まで以上に注意しなければならない状況なのだと痛感しました。まとめ家族として、どちらかが体調を崩しても助け合えるということは、一緒に暮らす大きなメリットの1つです。苦しいとき、つらいときにそばにいるだけでも精神的に心強い支えになるでしょう。実家がそばにある私には、たとえ病気になっても子どもの面倒を見てくれたり食事を作ってくれたりする両親がいます。しかし、夫には周りに頼る人がいないので、この先が心配です。夫の帯状疱疹を通して、家族が一緒に暮らす大切さを再確認した出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/窪田徹矢先生(くぼたクリニック松戸五香院長)獨協医科大学医学部卒業。千葉医療センター、成田赤十字病院で研修を積み、国保松戸市立病院泌尿器科に勤務。その後千葉西総合病院泌尿器科にて医長、部長を歴任。2017年、くぼたクリニック松戸五香を開業。日本泌尿器科学会専門医・指導医。専門医である泌尿器科および皮膚のトラブル、生活習慣病を含めた内科まで幅広く診察。メディア出演も多数あり、医者YouTuberとしての情報発信もおこなっている。イラスト/山口がたこ著者/ふくよ ことは夫が単身赴任中のため、3人の子どもをワンオペ育児中。コーヒーとスイーツが大好物。1人の時間を見つけてはカフェ通いしてストレス発散している。
2024年03月25日アルツハイマー型認知症になった実母のことや、アラフィフ主婦の日常をあれこれ書き連ねるワフウフさん。自身の体験をマンガにしています。母・あーちゃんが超音波検査を受ける日。何度も念押ししたおかげで、朝食抜きはクリアできてひと安心……と思ったら、まさかの検査待機中に食べようとしてしまい、慌てて止める事態に。無事に検査は受けられたものの、付き添っていたワフウフさんはグッタリです。さらに、検査結果を聞いている途中にトイレに行こうとして、状況の理解ができなくなっている姿を目の当たりにしました。次から次へと…先日、電話で「見つからない」と言っていた通帳とキャッシュカードは、ワフウフさんがあーちゃんのカバンの中で見つけ、お金も下ろせました。しかし、自分が通帳とキャッシュカードを持っていることを忘れ、お金を下ろしたことも忘れてしまうため、何度も同じ説明をしなくてはいけません。さらに、説明を受けてからその事実を確認するのに、どこにいても通帳とキャッシュカードを探し、お財布を広げてしまうので、ワフウフさんはヒヤヒヤしてしまいます……。病院での検査を終え、あーちゃんとランチに行くことに。一応、希望は聞かれますが、あーちゃんの中で行くお店は決まっている様子。ヘルシーな和食屋さんを提案しますが、もう頭の中は「パンの食べ放題」でいっぱい……。結局、パンの食べ放題があるお店に入りましたが、パンのラインナップがことごとくスイーツ系で嫌な予感が……。食べ過ぎを注意しても、生返事で手は止まりません。そして、店内にあった限定商品のポスターを見つけてしまい、こちらも完食。……インスリン注射(糖尿病患者の血糖を下げる働きのあるホルモン「インスリン」を注射で補給して血糖値を下げる)を打ってきたばかりだというのに。あーちゃんの今のメイクは、眉毛を描いて口紅を塗り、若見え用のウィッグを装着して完了。ランチの帰り、アイブロウペンシルが欲しいと言いだしました。近所のお店にはなかったらしい……。仕方なく、ランチをしたお店の周辺でドラッグストアを探すことに。でも、様子が変……。自分のいる場所が理解できていないようです。歩いているうちに、目的も忘れてしまいました。そして、いつものように同じやりとりがループして……。え……。今それ言うの??超音波検査を受けるため、朝食を抜いて病院に来たあーちゃんは「おなかが空いた」を連発。そのため、病院の後すぐにランチをすることに。あーちゃん、実は大のパン好き。私に「何が食べたい?」と一応聞いてはくれるものの、パンの食べ放題があるお気に入りのお店を激推ししてくるので、たまにはいいかと思い、そのお店に入ったのですが……。あーちゃんは、私が止めても次から次へと甘いパンを食べていました。今日、インスリン注射(糖尿病患者の血糖を下げる働きのあるホルモン「インスリン」を注射で補給して血糖値を下げる)を打ってきた帰りだというのに……。でも、このところずっと調子が悪そうだったのに、パンを食べているときは生き生きしていて、なんだか複雑な気持ちになりました。そしてこの日、あーちゃんはアイブロウペンシルを買いたいと言ったので、一緒に買いに行くことにしました。どうやら近所のドラッグストアでは見つからなかったらしく、そんなことないはずなのに……と思いつつ、ランチのついでに早速ドラッグストアを探したのですが、土地勘がないためすぐに見つからず。そして歩きながら最寄り駅と勘違いするあーちゃん……。最後にはポイントが付くから買うなら近所で買いたいと言いだしますが、近所にないからここで探しているの! と腹が立ってしまいました。--------------食欲がない姿を見ていたので、たくさん食べてくれるのは喜ぶべきなのかもしれませんが、それが甘いパンとなると今度は持病の糖尿病のほうが心配になってしまいますね……。そして、場所の認識も難しくなってきているようなので、今後の付き添いも必須となりそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。ウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ワフウフ昭和を引きずる夫、成人した息子娘を持つ50代主婦。実母のアルツハイマー型認知症発覚をきっかけに備忘録としてAmebaでブログを始める。2019年一般の部にてAmebaブログオブザイヤー受賞。2023年4月、書籍「アルツフルデイズ笑いと涙の認知症介護」発売。
2024年03月25日おしりから脚につながる神経に沿って痛みやしびれが生じる「坐骨神経痛」。時には歩けないほどの痛みを感じることも。そもそも坐骨神経痛とは一体どのようなものなのか、症状の詳細や原因、予防など気になることを整形外科医の中村光伸先生にお伺いしました。監修/中村光伸先生(光伸メディカルクリニック院長)整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。坐骨神経痛って何?病名でもあり、症状でもある皆さんは「坐骨神経痛」という病名を耳にしたことはありますか? 何となく名前は聞いたことはあるけれど、どんな病気なのか知らない……という方も多いのではないでしょうか。実は、坐骨神経痛は病名だけではなく、頭痛や腹痛などと同じく症状として扱われることもあるそう。「坐骨神経痛は、病名としてだけではなく症状として扱うことがあります。その違いは坐骨神経痛が引き起こされている原因がはっきりとわかるかわからないかです。痛みが出ている原因がわかれば症状、わからなければ病名として坐骨神経痛を使い分けています。坐骨神経は坐骨から梨状筋というおしりの筋肉を通って脚へとつながっている末梢神経のことをいいます。太さは約1cmのボールペンくらいのサイズになっています。坐骨神経は枝分かれしながら別の神経とつながっています。そのため、坐骨神経が痛むと他の神経にも連動的に痛みが出てきてしまいます」(中村先生)坐骨神経痛が引き起こされる原因とはどのようなものなのでしょうか?「坐骨神経痛の原因は主に2つあります。・ヘルニアなどの腰椎疾患によるもの・筋肉の衰え腰椎疾患の中で代表的なものは、腰椎脊柱管狭窄症(ようついせきちゅうかんきょうさくしょう)と腰椎椎間板ヘルニアの2つです。他にもありますが、これらは腰椎が変形して腰椎部の神経を圧迫してしまい、その先にある坐骨神経に痛みを引き起こしています。腰椎に腫瘍ができていたりしても神経を圧迫してしまうので同じように痛みが発生したりします」(中村先生)なぜ筋肉の衰えが坐骨神経痛の原因となるのでしょうか?「筋肉が衰えると、姿勢が悪くなってしまいがちになります。例えば座っているときに腰の骨が曲がってしまっていると骨盤付近にある神経の束を圧迫してしまい、痛みが出てきます。体重の増加によって筋肉量が相対的に少なくなっていたりすると、同じく姿勢が悪くなり坐骨神経痛になることもあります」(中村先生)他にも原因になるようなことはありますか?「子宮筋腫など坐骨神経につながっている神経が圧迫されて痛みが出ていた、なんてこともありますね。骨盤の中にある臓器に腫瘍ができていて、それによって坐骨神経痛になることだってあります。帯状疱疹のウイルスが坐骨神経につながっている神経に感染すると坐骨神経痛の症状が出ることもあります。閉経後の女性は女性ホルモンのエストロゲンの減少により、骨粗しょう症になりやすくなります。骨粗しょう症の60〜70%は痛みなく圧迫骨折を起こしています。そうすると椎間板や骨が飛び出してしまい、その周辺の神経がいじめられてしまいます。そうなると坐骨神経痛の発症リスクは高まります」(中村先生)坐骨神経痛ってどんな痛み?ズーンとした重い痛み坐骨神経痛の症状とはどのようなものなのでしょうか?「主な症状は、・おしりから脚への痛みやしびれ・長時間立つ、座ることがつらい・痛みによって歩けなくなる中には歩けなくなるだけではなく、トイレの便座に座ることすらできないくらいの痛みを感じるという人もいます。痛みが出るのは、腰、おしり、脚です。症状が軽いとおしりの辺りがズーンと重い感じです。その程度だとまだ我慢できるくらいの範囲ですね。それがひどくなってくるとツンとした痛みが出て、歩行が困難になることもあります。他にも坐骨神経から枝分かれした神経に影響が出て、排尿障害や会陰部のしびれなどの症状が出てくることもあります」(中村先生)体幹トレーニングや正しい姿勢で予防できる高齢になればなるほど痛みが重複する坐骨神経痛は症状を引き起こしている原因となっている病気が治れば、症状は引いていくそう。しかし、複数の病気が原因で坐骨神経痛の症状が出ているときは、1つの病気を治しても症状が引かない場合があるそうです。「高齢になると腰椎疾患など坐骨神経痛の原因となる病気が重なるリスクが高まります。坐骨神経痛の治療は、原因となっている病気へアプローチすること。ですが、それ以上に大切なのが予防になります」(中村先生)坐骨神経痛を予防するためにはどのようなことをすると良いでしょうか?「坐骨神経痛の原因が良くなったとしても、骨がつぶれていたりすると坐骨神経痛を繰り返しやすい状態にあります。しかしスクワットやプランクなどの体幹トレーニンで筋肉を鍛えたり、猫背や反り腰にならないよう背筋を真っすぐに伸ばすというような正しい姿勢を維持したりすれば、腰椎周辺の神経刺激が減少し、痛みが出るのを予防することはできます。体操やストレッチで腰椎の可動域を正したり、コルセットで骨盤を支えることも坐骨神経痛の予防になります。ただ、子宮筋腫など内臓に異常がある場合は姿勢を正したりしても痛みが続くことがあります。その場合は原因となっている内臓の病気を治療する必要があります」(中村先生)まとめさまざまなことが原因となって引き起こる坐骨神経痛。いつまでも痛みが治らない場合は別の病気が隠れているなんてことも……。腰や脚に痛み・痺れを感じて心配に思う方は病院へ行ってみてはいかがでしょうか?※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。取材・文/ウーマンカレンダー著者/監修/中村 光伸先生光伸メディカルクリニック院長。医学博士。整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。
2024年03月25日