もともと妊娠希望で、職場の直属の上司にも相談済みでした。ついに、待望の妊娠! しかし切迫流産の診断! ハードな仕事内容のため勤務調整をしてもらおうと、職場の上司に報告すると、驚愕のひと言が返ってきました……。その内容とその後の体験についてお話しします。 上司にも事前に相談し、いつでも妊娠OK夫と入籍して2年経ち、「そろそろ子どもが欲しいね」とよく話すようになりました。当時、私は総合病院で看護師として勤務していて、毎日2~3時間の残業が当たり前で、16時~翌10時の夜勤もこなす不規則勤務。直属の上司である師長には、妊娠を考えていることを事前に伝え、師長からは「妊娠したらすぐ勤務調整するからね」と温かい言葉をいただいていました。 そして、妊娠のタイミングを取り始めて3クール目、生理が遅れて市販の妊娠検査薬を使うと、陽性。夫と2人で大喜び。病院受診の時期を迷いましたが、薄く茶色いおりものが出ていたのが気になったので、すぐ次の日に産婦人科を受診しました。 妊娠判明と同時に切迫流産の診断内診をしてもらい、医師からも「妊娠していますよ。今6週目ですね」と言われ、夫との赤ちゃんを授かることができ、うれし泣きしそうでした。 ですが、医師がエコーを動かしながら「あれ? 子宮の中に血豆ができてるね。これは、簡単にいうと切迫流産の状態。必要以上に動いたり、ハードなことはしないでね」と、子宮収縮予防薬も処方されました。 業務の調整依頼……上司の反応は?妊娠できたことがうれしい一方、切迫流産というワードで一気に不安になりました。病院帰りに自分の勤務先に寄り、師長に状況を報告して、有給休暇がたくさん残っているため、使わせてもらえないかと交渉しました。すると、師長からは驚きのひと言。 「それはできない。働いていても、働いていなくても、ダメになるときはダメになる。どうしても休みたいなら、診断書を持ってきなさい」あまりにショックな言葉に、私は泣きながら帰りました。すぐに帰宅してから、夫に師長とのやりとりを相談したところ、夫は怒りながら「そんな理解のない職場は辞めていい」と言ってくれました。 おなかの赤ちゃんを守れるのは私だけ!仕事に出るべきか……診断書をもらうべきか……と悩み、ママが集まるネットの掲示板で相談してみることに。すると、1人の方が「あなたの仕事の代わりはいるけど、おなかの赤ちゃんのお母さんの代わりはいない。あなただけ」と、回答をくれました。 この回答を見て、「赤ちゃんは私にしか守れない!」とやっと自覚することができ、翌日に診断書をもらい、2週間仕事を休むことにしたのです。2週間安静にして処方された薬を飲み、2週間後には切迫流産の状態ではなくなりました。産休に入る妊娠34週まで仕事を続けましたが、その後の妊娠期間はトラブルなく過ごすことができ、無事に出産しました。 妊娠判明と同時に切迫流産の診断を受けましたが、仕事もしていたためなかなか安静にはできない状況でした。ですが、おなかの赤ちゃんを守れるのは母親である私だけだ!ということに気付くことができ、職場に無理をいって休みをもらい、しっかりと安静を確保して切迫流産の状態を脱して、無事に出産をすることができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/山口がたこ監修/助産師REIKO著者:吉川 みきな12歳女の子と2歳男の子の年の差兄弟を育てている母。反抗期の娘とイヤイヤ期の息子の育児に日々奮闘中。上の子を出産後に大学に通い、看護師の資格を取得。現在は看護師としてパート勤務をしている。
2022年01月16日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」最終話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。流産の手術から1カ月後に長男ハルくんの誕生日を迎え、子育てに追われる日々で悲しみに浸る暇もありませんでした。ただ、りほさんは2人目が欲しいものの妊娠することが怖くなっていました。また流産してしまったら?もう1度同じことが起きたら、今度こそ立ち直れない…… それでも……お兄ちゃんになったハルを見てみたい、4人家族になる未来を想像するりほさんは…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」最終話 2度目の流産から1年近く経ったころ、長男ハルくんが幼稚園へ入園。入園式へ向かおうとするなか、「ママ、今日気持ち悪いのは大丈夫?」ハルくんがりほさんの体調を気遣いました。 りほさんは、お腹に小さな命を宿すことができました。 りほさんがパパに「赤ちゃんの名前なんだけど、“結”って字を使いたいの」と、お腹の子どもの名前に使う字を提案。 「いい字だねー。でもどうして?」パパが尋ねると…… 「4人家族になるって夢を、もう一度繋げてくれたのがこの子だから」そう答えるりほさん。 名前を呼ぶたびに、“生まれてきてくれてありがとう”が伝わるように 子育ては楽しいことばかりじゃない 寝不足になることも、子どもに優しくできないこともある でも、そんな苦労や悩みも全部子どもがいる世界だからこそ、生まれる時間この手で抱きしめられる距離に元気で笑ってくれるならそれだけで十分 そのことを忘れてはいけない そう思わせてくれたのは、空の上にいる2人の大切な子どもたち 「ありがとう、今日もママは幸せだよ」 空にいる子どもたちに感謝と想いを伝えながら、家族で手を取り合って前に歩んでいくりほさんなのでした。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年01月11日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第20話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。手術後、病室の窓には綺麗な青空が広がっていました。りほさんがパパに連絡すると、流産した子どもたちに想いを寄せる返事が……。実家へ戻ると、長男ハルくんも両親も、何事もなかったように接してくれました。みんなに心配をかけたけど、みんなのおかげでりほさんは普通に過ごすことができるようになり…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第20話 手術から1カ月経ち、長男ハルくんの誕生日を迎えました。元気な3歳男児との生活は目まぐるしく、バタバタと毎日が過ぎ、悲しみにゆっくり浸る暇もありませんでした。 それでも、寝かしつけを終えたある夜。 2人目欲しいけど……また妊娠するの、怖いなぁ もしまた流産してしまったら?もう1度同じことが起きたら、今度こそ立ち直れない…… でも……やっぱり、お兄ちゃんになったハルを見てみたい きっとやさしいお兄ちゃんになると思うんだよなぁ……そんな未来を描くりほさんは…… 次回、最終回! 空にいる大切な子どもたちを思いながら…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年01月10日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第19話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。手術が終わったりほさんは、麻酔の影響からか、まぶたが重くてなかなか目が開きませんでした。それでも頑張って目を開けて周りの状況を確認し、自分が病室にいることを認識しました。お腹から赤ちゃんがいなくなって初めて、“赤ちゃんにもう会えない”という実感がはっきり湧いて体もまだうまく動かないのに、涙だけがポロポロ溢れ続けて…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第19話 まぶたを動かせるようになってきたりほさん。目を開くと、窓には真っ青で綺麗な青空が広がっていました。 目が回る感じがするものの、吐き気や頭痛はありませんでした。ただ、子宮収縮のせいでお腹に生理痛のような鈍痛がしばらく続きました。 徐々に体が動かせるようになってパパに連絡すると…… 「今日は天気が良くてきれいな青空だから、きっとまめちゃんと一緒に空の上で駆け回ってるね」とパパから返事が来ました。 手術から2時間後にようやく起き上がれるようになり、頭がグラグラするなか実父の車で実家へ戻りました。 実家へ着くと、長男ハルくんと実母が出迎えてくれて、「ハルちゃんこれからお昼寝だから、一緒に寝なさい」と、何事もなかったように接してくれました。 家族や友達、みんなに心配をかけたけど、みんなのおかげで普通に過ごせる。周りの人の大切さもこのときに学んだりほさんなのでした。 次回、手術から月日が流れても●●するのが怖くて…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年01月08日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第18話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。手術当日、実家の両親に長男ハルくんを預け、病院へ向かったりほさん。内診して変化がないことがわかり、ラミナリアを挿入された後3時間ベッドで待機ていると処置室へ呼ばれました。通されたのは、ハルくんを産んだ分娩室の隣の部屋。複雑な気持ちで台に上がると、手術が始まって…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第18話 手術が終わったりほさん。麻酔の影響か、まぶたが重くてなかなか目が開きません……。頑張って目を開けると、風に揺らめくカーテンが見えました。もう一度目を開けると、ナースコールの受話器が見え、病室であることを認識しました。 終わったのか……全部こんなにもあっさり、こんなにも一瞬で…… 赤ちゃんはもう……いなくなっちゃったのか…… まぶたも体もまだうまく動かないのに、涙だけがポロポロ溢れ続けました。 お腹の中からいなくなって初めて“赤ちゃんにもう会えない”という実感がはっきり湧いてきたりほさんなのでした……。 次回、ようやく目を開けられるようになると、視界の先には…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年01月06日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第17話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。自然流産が起こらず、精神的に限界に来ていたりほさんは「手術にしてください」と、医師にお願いして手術の日取りが決まりました。手術が翌日に迫った前夜、パパが「明日朝から病院でしょ? 今日くらいゆっくり寝て」と優しい言葉をかけてくれました。1人で休むことにしたりほさんは、おなかの子どもに謝罪と感謝の言葉を送りながら、涙を流し…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第17話 ※基本的には挿入時に音はしません 手術当日を迎えたりほさんは、実家の両親に長男ハルくんを預け、病院へ向かいました。 内診して変化がないことがわかると、ラミナリアを挿入されました。激痛と聞いていたため心配していたりほさんでしたが、予想よりも痛くなくてホッとしました。 そのあとは3時間ベッドで待機し、痛みはありませんでした。 余計なことを考えないように音楽を聴いたり、ハルくんの変顔写真を見て時間をつぶし…… そうしているうちに処置室に呼ばれ、台に乗るりほさん。 通されたのは、長男ハルくんを産んだ分娩室の隣の部屋。複雑な気持ちで台に上がるとついに手術が始まり…… 次回、あぁダメだ……涙だけがポロポロと溢れ続けて…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2022年01月03日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第16話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。手術を推奨しない病院のため、亡くなったお腹の子どもが自然に流れるのを待つように言われました。自宅に戻って自然に流れるのを待っていましたが、つわりが続いていたため、「あれは誤診で、赤ちゃんはまだ生きているんじゃ……」そんな希望も捨てられませんでした。つわりや妊娠中の体調不良は、赤ちゃんに会えるから頑張って乗り切れるもの。「今私は何のためにこの辛さ(つわり)を耐えればいいんだろう……」と、苦しんでいたりほさんは…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第16話 お腹の子は亡くなってしまっても、つわりが続いていたりほさん。1週間過ぎても自然流産が起こらず、病院でも「この前と変わってないね」と医師から告げられました。 りほさんは、「この状態で日常生活を送るのはもう精神的に限界です」「手術にしてください」と、お願いしました。 すると、医師も納得し、手術の日取りが決まりました。 ついに手術が明日に迫った前日。 「明日朝から病院でしょ? 今日くらい2階でゆっくり寝ておいでよ」と優しい言葉をかけてくれるパパ。 「うん、じゃあそうさせてもらおうかな」と、1人で休むことに。 「今日が最後なんだな…ごめんね、守ってあげられなくて」「産んであげられなくて、抱きしめてあげられなくてごめん」りほさんはお腹の子に思いを馳せ、謝ります。 そして、「4人家族になる夢を、ハルがお兄ちゃんになる夢を見せてくれてありがとう」「ママのお腹を選んでくれてありがとう」感謝の言葉を送りながら、涙を流しました。 「どうか、空の上では元気に走り回れますように」 次回、ついに手術当日。余計なことを考えないようして手術に臨んだものの… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年12月28日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第15話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。少量の出血が出た後、生理のような鮮血が出て、病院の超音波で診てもらうと、「心臓、動いてないね」と医師からお腹の赤ちゃんが亡くなったことを告げられました。りほさんはパパに車の鍵をもらってひとり車へ向かい、「わぁぁぁー」大声で泣いて……。 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第15話 ※流産後の処置については、病院・産院によって方針が異なります 車で思いっきり泣いて落ち着いていると、パパが呼びに来ました。医師から今後の流れについて聞いていましたが、改めて助産師さんから処置について詳しい説明がありました。 「手術は母体への負担が大きいため、当院では推奨していません」「しばらく様子を見て、自然に流れるのを待ちましょう」と、助産師さんから言われました。 自然に流れるとはどういうことかをりほさんが聞くと、「多量の出血と強い腹痛とともに大きい塊が出てきます」「塊が出たらトイレに流さず、こちらへ持ってきてください」そう告げられました。 心臓は動いていないけれど、赤ちゃんはお腹の中にいる……そんな状況のせいか、りほさんの体は妊娠モードのまま。 つわりはそのまま続き、味覚の変化や吐き気も変わりません。 けれど、生理痛のような腹痛や腰痛が出て、いつ、前回のような出血や痛みが来るんだろう…と恐怖に怯えていました。 また、つわりが続いていることで、「もしかしてあれは誤診で、赤ちゃんはまだ生きているんじゃないか」そんな希望も捨てられずにいました。 そもそも、つわりや妊娠中の体調不良は赤ちゃんに会えるから頑張って乗り切れるもの……。 「今私は何のためにこの辛さに耐えればいいんだろう……」 苦しくなってしまうりほさんですが、「お腹の赤ちゃんは守れなかったけど、目の前にある大切な命は自分の命をかけても必ず一生守る」そう改めて固く心に誓ったのでした。 次回、1週間が過ぎて、りほさんが医師にお願いしたことは…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年12月20日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第14話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。少量の出血が続いた後、生理のような鮮血が出たりほさん。流産が怖くて泣いていると、長男のハルくんが、「だいじょうぶ?」と、やさしい言葉をかけてくれました。仕事から帰宅したパパからは「ママが先に諦めたらダメだよ」「赤ちゃん今頑張ってるんだから、大丈夫」と励ましてもらい、折れそうだった心が少し立ち直れたのですが…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第14話 ※検診→健診 翌朝になると出血が止まり、「赤ちゃんが持ち直してくれたんだ」とホッとするりほさん。 しかし、病院の超音波で診てもらうと……「心臓……動いてないね」と医師から告げられました。 2週間前の健診のときから大きくなっていないため、前回の健診の数日後には心臓が止まっていた可能性がある、と説明を受けました。 診察を待っていたパパとハルくんの元へ戻ると、りほさんの顔を見たパパが「車行く?」と聞いてくれました。 りほさんは無言で頷いて鍵を受け取り、車へ向かうと…… 「わぁぁぁー…」車内でひとり、大声で泣きました……。 次回、心臓は止まっているのにつわりがそのまま続いて…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年12月16日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第13話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。少量の出血が続いた後、多量の鮮血が出たりほさんは病院へ電話をし、「初期の流産は止められないので、安静にしてください」と言われました。前回の流産の経験を思い出し、誰にも助けられない、どうにもならないとわかっているものの、涙を流しながら「誰か助けて、お願いだから赤ちゃんを助けて」と願うのですが…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第13話 流産が怖くて、悲しくて泣いていると、長男のハルくんが、「ママ、だいじょうぶ?」と聞いてくれました。言葉が遅かったハルくんが、ママを心配して一生懸命考えた1番やさしい言葉をかけてくれたのです。 病院からは、トイレ以外は起き上がらず、横になって安静にしているよう指示され、翌朝すぐの診察予約を入れてもらいました。 パパにも状況を共有し、涙を流しながら横になって帰りを待ちました。 帰宅したパパに体調を問われ、「(赤ちゃんは)もうダメかも……」とりほさんが答えると…… 「ママが先に諦めたらダメだよ」「赤ちゃん今頑張ってるんだから、大丈夫」パパがやさしく励ましてくれました。 「そっか、そうだよね」 パパの一言で、折れそうだった心が少し立ち直れたりほさんでした。 次回、出血が止まった!パパの言う通り、きっと大丈夫…… 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年12月09日「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第12話。6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明!しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。妊婦健診で胎嚢を確認でき、ホッとするものの、前回の流産の経験が頭をよぎるりほさん。妊娠8週を過ぎたころからつわりが始まり、さらに心拍も確認できました。しかし、妊娠9週目を過ぎたころ、トイレに行くと少量の出血が!病院へ連絡すると、様子を見るように言われて過ごしていましたが、ごく少量の出血は5日間続いて…… 「きみがママにくれたもの。2度の流産の話」第12話 「さすがにこんなに出血が続くのはまずい……もう1度病院へ相談しようかな?」と考えながらトイレに行くと…… ついに生理のときのような多量の鮮血が出てしまいました。 藁にもすがる思いで病院へ電話をすると、「初期の流産は止められないので、安静にしてください」と言われてしまいました。 初期流産は治療ができない、誰も助けられない、誰も助けてはくれない……前回の流産の経験で知識を得て、どうにもならないとわかっていても、 誰か助けてお願いだから赤ちゃん助けて 涙を流しながらそう願うりほさんなのでした。 次回、「だいじょうぶ?」幼いわが子がずっと隣で言葉をかけてくれて…… 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年12月01日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。担当医から流産であることを告げられた1週間後。再び病院へ行くと、待合室にはおなかが大きな妊婦さんが……。 暗い気持ちになりそうなりほさんを励ますように、旦那さんが「花の苗を買おう」と提案。 お花を育てながら、日常を取り戻していき…… もう一度赤ちゃんに会いたくて 旦那さんの提案で購入した花の苗は、つぼみだったものも花が咲きました。自分の妊活状況と重ねながら、命名した花の“まめさん”に話しかけるりのさん。 最初のうちは2人でのんびり……そう言っていたけれど、一度妊娠してからはまた赤ちゃんに会いたくて、妊活を続けていました。 うまくいかない日々が続いても、いつかまた、ママになれる日が来ることを思いながら…… 次回、これはもしかしたら……でも冷静に! 落ち着いて受け止めます!! 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年11月02日6年の交際を経て結婚。入籍から3カ月後、妊娠が判明! しかしその翌朝、大量に出血し流産してしまいました。初めての妊娠が終わってしまった……悲嘆に暮れるりほさんが、日常を取り戻していった方法とは? 旦那さんの提案は… 1週間後、再び病院へ行くと、そこにはおなかが大きい妊婦さんがいっぱい。 その幸せそうな姿を見て、暗い気持ちになってしまう……。 そんなりほさんを励ますように、旦那さんが「このあと、お花買いに行かない?」と提案してくれました。 かわいらしいお花を育てながら、少しずつ日常を取り戻していったのでした。 監修/助産師 REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 上枝りほ2014年生まれの男の子、2018年生まれの女の子のママ。2児の妊娠・出産までの軌跡を綴った短期連載「きみがママにくれたもの。」を公開している。
2021年10月26日■前回のあらすじ1年半の月日で娘はすくすくと成長し、ついにフォローアップ卒業判定の日を迎えました。果たして結果は…。■診断の結果は…先生によると、出産による後遺症が今後現れる確率は少ない。何か現れたとしても、後遺症の可能性は低いでしょうとのことでした。そして、現段階では自閉傾向、多動も見られないそうでホッとしました。学習障害(LD)だけはまだ分からないらしく、何かあったら来てくださいとのことでした。でも、ついに卒業です!■娘は今も元気にすくすく育っている!「低酸素性虚血性脳症」「重症新生児仮死」当時はこの2つの病名がついて予後よく過ごしているブログや経験談を見つけるのがとても困難でした。回復する例もあるよ、と。そして、これからもずっと元気でいてほしいと、祈りを込めて描いていました。最後までご覧いただき、ありがとうございました!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。
2021年08月17日■前回のあらすじ妊娠中から保育園について考えていましたが、フォローアップ外来の卒業を機にまた改めて考えよう、と決めました。■3ヶ月に1度のフォローアップ外来小児科フォローアップの待合では双子ちゃんによく遭遇しました。NICU時代にも1組いたし、ある程度大きい双子ちゃんもよく見かけました。(極低体重児の場合は7歳くらいまでフォローアップがあるそうです。)低体重児になる確率が普通よりも高いんでしょうね。■運命の1歳半健診…1年半の月日が流れて、私の中で「赤ちゃん」から「みぞれ」に変わりました。入院していたことなど忘れたと書きましたが、それだけ元気に育ってくれたということなんでしょうね。ありがとう、みぞれ。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月16日■前回のあらすじ1ヶ月ほど、里帰りをしました。家族のおかげで娘のお世話に集中することができました。■3人での生活が始まったもともと0歳から保育園に預けることにためらいがありました。その理由は、周りからの影響だったり、妊娠中から保活をしないといけないことだったり、産まれてみたら意外に可愛くて傍にいたかったり…。さらにフルタイム正社員でもないのに、貴重な枠をフリーランスの私なんかが…という負い目もありました。でも、仕事を辞めることは考えられなかったし、子どもが産まれてもバリバリ働きたかった。矛盾してますね…。そんな感じで気持ちがフラフラしていたところに、出生のことがあって、変な言い方ですが背中を押されました。しかしもちろん、自宅で見る真の大変さはこの時点では分かりません。案の定、後でヒーヒー言うことになります…!■フォローアップ外来で発達相談をする足しげく通いましたね~。先生もお子さんがいて、お医者さんで子育てもして…ってものすごく大変そうなのに、いつも笑顔で感じのいい先生だったので、尊敬していました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月15日■前回のあらすじ脳のダメージがまだ気になるものの、無事に退院の日を迎えることができました。■しばらくは実家で過ごすことに退院後、当初の予定通り約1ヶ月の間、赤ちゃんとともに実家に里帰りさせてもらうことにしました。ありがたいの一言です。母は放っておくとどんどんベビーグッズを勧めてくるので、そんなに要らない!と言うのに大変でした。私は私で財布の紐が固いため、母に赤ちゃんのため! と言われ、多少揉めることも…。お金なら出すから! と言われましたが、使わないまま捨てていくベビーグッズほど虚しいものはないですよね…。■里帰り育児でもてんやわんやで…ガルガル期MAXの時期に赤ちゃんが傍にいなかったので、不用意に周りを攻撃せずに済みました。その分心配でしんどくもありましたが…。ピークは過ぎたといっても、産後半年くらいまではピリピリしていたので、結局周りに当たり散らしていたかもしれません、ごめんなさい。ちなみに、夫には今も当たり散らしています…。ごめんなさい!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■娘に異変がないか、常に敏感になってしまう医療スタッフの目がないところに行くのが何より怖かったです。異変に気付けないと! という変なプレッシャーがあって、しょっちゅう娘を見て固まっていました。※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。■里帰り育児も無事に終わり…上げ膳据え膳本当にありがとうございました! 最後、いい話風に描いていますが、母のこの話はもう100回くらい聞いています。私も早産だったそうです。計算したら34w5dで産まれていました。でも、今こんなに元気です!!※一部表現上の省略がありますが、ベビーベッドの柵は上げて使用しています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録〜低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月14日■前回のあらすじMRIの検査結果が出ました。脳にほんの少しダメージが残りましたが、普通に子育てしていけることがわかりました。■ほんの少しでも脳のダメージが気になる…明るく励ましてくれる夫には感謝だけれど…。夫よ、子どもが小さいうちに倒れるのはシャレにならないし、定年後でも速攻介護なんて困るので、健康管理気をつけてください…!■ついに退院の日を迎え…嬉しさと不安で複雑な思いでいっぱいでしたが…、無事に退院です!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月13日■前回のあらすじ出産方法についていろいろな意見がある中、自分のお産を振り返り「赤ちゃんが無事でよかった」というだけで幸せなことじゃないかと感じました。■MRIの診断結果は…■医師の所見は…?これまで、色々なことがあったけれど、脳のダメージはこれから先のフォローアップの過程で診てもらえるし、成長に応じて脳も変化していくことが分かりました。何より、普通に産まれた子と同じように子育てができることに、とても安心しました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月12日■前回のあらすじMRI検査の予約日まで不安でモヤモヤしていましたが、ある日突然もう検査が終わったと告げられました。■産院での検診で…ティッシュもなかった!!手で拭いた!!!■毎日NICUに通うけど…■振り返って今思うこと帝王切開になったこと、その他お産についての心残りや未練は全くありません。切ってもらえなかったら娘は死んでいたので。自然分娩できなかったから悔しい、陣痛知らないから楽でしょ? と言われた等々…、すべてお母さんが主語なんですよね。帝王切開は、自然に任せたら赤ちゃんが危険だから行うものであって、赤ちゃんを主語にしたらそんな言葉は出てこないと思います。赤ちゃんが無事で良かった!! ただそれだけだと思うのです。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月11日■前回のあらすじお世話にも慣れてきた頃、通うのが辛く休みたいと思うようになりました。■MRI検査を待っている期間のモヤモヤ…MRIを撮らなければいけないと言われてから、12日はかかりました。今思えば、なかなか機械の空きがない=優先度が低い=急を要する容態ではないということだったのでしょうが、当時は不安が大きすぎて分かりませんでした。■MRI検査の日程が決まったのだけれど…あまりにあっけなく終わってしまいました…。よく頑張ったね!みぞれ!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月10日■前回のあらすじ自分がまだ入院していた頃、母乳とミルクについて、かなりの葛藤がありました。■お世話にも慣れてきて…ものすごく心配していたのに、赤ちゃんがいなくて寂しかったのに、ちょっとホッとするとすぐ怠惰な性格が出てくるのでダメですね…。そうです。基本怠惰なのです。でも、怠惰になれるのはある程度娘の容態が安定してくれていたから…。先生に、看護師さんに、娘に、家族に感謝せねばなりません。■NICUに通うお母さんたちそれぞれの事情ちょっとホッとしました。赤ちゃんに対して無条件に「大好きー! 愛してるー! 」となれる時期は限られていました。かわいいのはかわいいんですが…。体がしんどくて休みたかったけど、そんなこと言ったら母親失格と思われそうで、言えませんでした。でも、やはり私が心身ともにゆっくり休めるのは、周りのおかげであり、すごく贅沢だと思います。余談ですが、退院から一年半以上経ったある日のこと、全く関係のない用事でこの病院のNICUの前を通った時、ボロボロと泣いてしまいました。自分でも驚きました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月09日■前回のあらすじ哺乳力が十分でないのと、母乳の出も悪いので授乳時間が憂鬱に…。ミルクでもたくさん飲んでくれるほうが安心します。■母乳かミルクか…? 葛藤の日々時系列は前後しますが、母乳が出なくて悩んだ時のお話です。最終的にミルクにしよう! となる前に色々と葛藤がありました。母乳がだんだんと出なくなってくると、母乳前提の世の中に生きにくさを感じてしまいます。ありがたいことに、母乳で育てなきゃおばさんには遭遇したことはありませんでしたが…。■母乳に関する情報に惑わされる帝王切開数日後~自分の退院までの頃は、日々この連続でかなり葛藤していました。■母乳かミルクかよりも大事なのは…母乳かミルクかについては、賛否両論あると思います。でも、母乳を諦めざるを得なかった人、母乳を選択しなかった人に、母親失格とか、母性がないとか、そんなふうに思ってほしくないです。堂々とミルクを選択したと宣言しても許される世界になってほしいですね。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月08日■前回のあらすじ退院に向けて授乳指導が始まりました。初めての授乳はとても難しくて…。■憂鬱に感じてしまう授乳時間面会時間以外は全部哺乳瓶でミルクを飲んでいるのだから、当然ですよね…。その不利な条件でもゆくゆく直接母乳に切り替えられるように地道にやるべきなのですが、2週間以上搾乳のみだったということもあり、どうにも出が悪く…。基本、胸のマッサージは少なかったです。次女の時は出産からこの病院だったので、その時は思い切りやってもらえました。おそらく、長女の時は私は患者の保護者であり、患者ではないからでしょう。というわけで、長女の時は自己流でした。■母乳にこだわらないという考え最初からミルクくれと言ったらくれたのでしょうか。でも特別な理由もないのに最初からミルクくださいと言って何か思われたくなかったので言えませんでした…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月07日■前回のあらすじ自分の退院後、母乳を届けるため毎日娘のもとへ。娘は管がすべて取れて無事GCUへ移動しました。■退院へ向け、いよいよお世話が始まる授乳があんなに難しいなんて、この時の私は知る由もなかった…。退院までにこれができてもらわないと困るという目標がありまして、GCUに移ってからというもの、そのメニューをこなしていました。私は、自分が退院するまで赤ちゃんのオムツを替えたことがなかった(管だらけだった)ので、オムツを替えてくれと言われたとき、「え? 私が? 」ってなりました。お前の子だろ…!血中酸素濃度を測る機械はまだついており、赤ちゃんが泣くとそれが鳴るため、最初はいちいちビビっていました…。幸い、呼吸は管が取れてからは安定していたので、心配は杞憂に終わりました。■授乳指導を受ける最初の10秒くらいは吸うのですが、すぐに諦めてしまう娘…。1週間ほど鼻チューブから栄養摂取の生活だったのでしょうがないのですが。看護師さんもなんとか咥えさせようとしてくれましたがしかし…。あの…行き場のない感じ…。焦りが募ります。■初めての授乳に苦戦…ヘトヘトにとにかく遅れを取り戻すために、色々やりました。ここでは直母(直接母乳を飲ますこと)が大事なようで、面会に行ったらまず直母! 直母! でした。家でもマッサージや搾乳を欠かさずにと言われました。毎回母乳を吸わせる前と後で体重を量って母乳量を把握していましたが、なぜか授乳のあとに体重が減っていたりすることもあり、徒労感が酷かったです…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。※病院によって対応が異なる場合があり、すべてのケースには当てはまりません。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月06日■前回のあらすじ元気な赤ちゃんたちの泣き声を聞くたびに寂しさが込み上げてきましたが、看護師さんに救われました。そして私は無事退院しました。■NICUへ通う日々絵では省略しましたが、全員マスクをしています。看護師さんとの連絡ノートは、持って帰っても良いとの記述を見逃して、ずっと病院に置いていたので、前半全て看護師さんのターンでした…。■GCUへ移動した娘管が取れてGCUへ移動し、ついにワンステップクリア!これから退院に向けて、様々な試練が課せられます…!※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月05日■前回のあらすじ娘の呼吸器が取れました。まだ管はたくさんついているけれど、初めて娘を抱っこすることが出来ました!■娘のそばにいられない寂しさが襲うおそらく、この病院で私が一番重症だったので、ナースステーションの前の部屋にされたのですが、ナースステーションの隣が新生児預かり室だったので、赤ちゃんの泣き声を聞くのは相変わらず複雑な思いでした。■看護師さんの言葉に救われるおそらくこの時が一番どん底でした。余談ですが、この病院には赤ちゃんとお母さん両方を診る2週間検診というものがあり、みんな赤ちゃんを連れてきているのに、自分だけひとりだったので、その時もとても辛かったです。■そして退院の日…とても良い産院でした。看護も手厚く、たくさん寄り添ってもらいました。体重のお米は、特定を避けるためのフェイクです。似たようなお祝いの品をいただきました。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月04日■前回のあらすじひとりで病室にいると、ネガティブなことばかり頭に浮かび、がんばる気力もなくなってしまいました。■改めて思い知らされる現実…仕事仕事と言っている割に、子どもを保育園に預けていない理由がこの辺にあります。普通に健康に産まれていたら、0歳児入園なども視野に入れていたのですが、この状態では私が無理でした。■娘にある変化が…!抱っこできて本当に嬉しかったです。呼吸器が取れてかなり安心したのを覚えています。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月03日■前回のあらすじ娘の主治医から容態について詳しく話を聞くことに。先生の誠実さに少し安堵できたのでした。■一人になると、また落ち込む日々…常位胎盤早期剥離で検索して、改めて赤ちゃんと自分が危ない状況だったのだと知りました。助かる確率は50~70%。でも、後遺症が残る確率については明確に見つけられませんでした。あくまでも確率の話であり、それが私たちのケースに当てはまるかは別問題なのに…。それでも藁をもつかむ思いで希望にすがりたかったのです。誰かに「あなたもあなたの赤ちゃんも助かったのだ」と言ってほしくてたまらなかったのです。■搾乳も頑張る気力がなくなってくる赤ちゃんの人工呼吸器がなかなか外れないこともあり、ネガティブになる毎日…。産後のホルモンバランスもあって、毎日泣いていました…。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月02日■前回のあらすじ複雑な気持ちのまま赤ちゃんに会いに行ったけれど、いざ目の当りにしたら嬉しくて涙が止まりませんでした。■赤ちゃんへの接し方に戸惑いを感じていたけれど…ほとんどのお母さんが経験される気持ちかと思うのですが、「こいつ、本当に私のお腹の中にいたのか…」という不思議な気持ちと、どうやって接したらいいか分からない…という何とも座りの悪い気持ちが混ぜこぜでした。副耳がついていたの可愛かったなぁ。ひとつは自然に取れて、もうひとつは骨が通っていなかったので、根元で縛って取ってもらいました。■主治医の先生から話を聞く先生とお話ししました。右も左も分からず、夫や母から伝え聞くのみだったので、お話できて本当に良かった。実際はもっと質問しています。■初面会終了、誠実な先生に感謝とても安心感のある先生でした。NICU内は機内モードであれば、スマホの持ち込みは可能でした。※本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。次回に続く(全57話)「出産の記録~低酸素性虚血性脳症の娘と私」連載は12時更新!
2021年08月01日