私の祖母の介護が必要になったときの話です。両親と私が住んでいた家と祖母の家は、飛行機での移動が必要な距離。自宅から祖母の家に行くには、順調に進んでも半日は必要でした。交通費も時間もかかる遠距離に、悩まされることになりました。近くに親族は住んでいたものの1人暮らしをしていた祖母宅の近くには、父の弟と妹が住んでいました。2人が何かと気にかけてくれていたので、両親と私は祖母が元気なうちは年に1~2回会いに行くのみでしたが、いよいよ1人暮らしが危ないとなってきたとき、状況は一変しました。考えなくてはならないこと、やらなくてはならないことが多く、家が遠いからといって父母だけが何もしなくて良いという状況ではなくなったのです。まずは、祖母が入所する施設探しです。見学や入居説明会のために両親は頻繁に帰省をしていました。施設入居後は、祖母を見舞いながら空き家になってしまった祖母宅の管理。祖母宅は荷物の量が尋常ではなかったので、父の弟家族と妹家族だけでは手が足りません。また、祖母は自宅以外にも複数の土地を所有して管理していました。それらの管理にも人手が必要だったのです。弱ってきた祖母。そして最期のとき施設入居後、徐々に祖母は弱ってきて最期のときも近付いていました。両親はさらに帰省の回数を増やしてはいましたが、当時の父は激務。自宅では寝るだけという生活でした。そのため、ずっと祖母の近くにいるわけにもいきません。なんとか仕事をやり繰りして時間を作って帰省し、状態が少し持ち直したらすぐに自宅に帰るという生活を両親は続けていました。自宅に帰ってくるたびに、ぐったりと疲れていた様子の両親が印象に残っています。そんな生活の中でも、両親は祖母の最期をみとることができました。それだけは本当によかったなと思います。孫である私は…孫である私は、祖母の介護に直接的に関わることはできませんでした。最期のときにも立ち会えてはいません。私がしていたことといえば、母の代わりに自宅の家事をしていたことぐらい。それはやはり遠距離だったということが大きな理由です。頻繁に休みを取ることは難しく、1回の往復だけでも高額の交通費がかかるということも大きな負担でしたが、もう少し手伝うことができたのではないかなとも思います。まとめ夫の実家も、今のわが家から飛行機での移動距離にあります。義両親の高齢化も進んできており、今後、遠距離介護が必要なときが必ず来ます。今はできる限り帰省をして、顔を見せられるように心がけながら、そのときのために交通費も含めた介護費用を用意していこうと考えています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。文/ちいウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年03月24日亡くなった私の父は、40代から心臓病で闘病していました。自宅で療養をしていたのですが、あるとき自宅で急に心臓停止してしまいました。そのときの対応や蘇生後の介護についてのお話です。自宅で突然心臓が止まる父はすでに40代から心臓病を患っており、入退院を繰り返す生活を続けていました。いつ具合が悪くなるかわからないこともあり、父の隣の部屋で寝るという生活を続けていました。60代までは良くなったり、また悪くなったりを繰り返していたのですが、ある朝、早い時間に父に起こされました。具合が悪いというので、救急車を呼ぼうとしたのですが、まずは頭を冷やしてほしいと言われ、私は氷の用意をすることに。その間2、3分というわずかな時間でしたが、部屋に戻ったときは父はベッドで倒れており、すでに心臓が停止していたのです。急いで救急車を呼び、寝ていた姉を起こして救急隊の指示通りに心臓マッサージをしながら到着を待つことになりました。数分後には救急車も到着していましたが、その場で救命処置をしてくれたものの、蘇生はしませんでした。そのまま救急車に乗り、車内で処置を繰り返したところ、病院に着くまでに何とか蘇生しました。蘇生後も悪い状態が続く懸命な処置をしてくれたおかげで、父は何とか息を吹き返すことができました。それでも、父は首を激しく左右に振り、話すこともできません。食事もできないので、点滴だけで命をつなぐ状態でした。そして父が話ができるようになったのは、それから6日後のことです。その間は、私もずっと病院で付きっ切りで夜中もほとんど眠ることができませんでした。父も話ができるようになったのですが、すぐに話したことを忘れてしまい、同じ言葉を何回も繰り返すようになってしまいました。それから数日すると、何度も同じことを話すことはしなくなり、普通に会話できるようになったのです。それでも、動くことはできないので、体を拭いたり排泄の世話やひげ剃りをしたり、食事の介助などはすべてひとりでおこなっていました。私には姉がいるのですが、精神疾患があるために、父の世話を代わってもらうことは難しかったのです。もしもあのとき…父の退院後は、精神状態が悪化していき、躁うつ病(うつ病と同じ気分障害の代表的な病気)や認知症のような症状が出てくるようになりました。父が亡くなるときまで、精神状態は良くなることはありませんでしたが、最期は苦しむことなく、安らかに逝くことができました。でも、本当はあのとき、無理に蘇生させずに心臓停止したときに逝かせてあげたほうがよかったのではないかと今でも考えてしまいます。まとめ父の介護は決してラクなものではありませんでしたが、体力的なものより精神面のほうがつらく感じました。日に日に痩せ衰えていく姿を見ることはもちろんですが、精神的に崩壊していく様子を見続けるのは一番悲しかったです。頑張っても感謝もされず、精神状態が悪かった影響なのか暴言ばかり吐かれていましたが、最後は安らかに逝けたのでそれだけが救いです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/菊池大和先生(医療法人ONEきくち総合診療クリニック理事長・院長)地域密着の総合診療かかりつけ医として、内科から整形外科、アレルギー科や心療内科など、ほぼすべての診療科目を扱っている。日本の医療体制や課題についての書籍出版もしており、地上波メディアにも出演中。文/mikikoウーマンカレンダー/シニアカレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年02月26日日々の生活に介護と育児の両立は、私にとってまるで綱渡りのような挑戦でした。私が体験した介護と育児のダブルケアの現実を率直にお伝えします。認知症と診断された父私の父が少しずつ日常生活に不安定さを見せ始め、医師から「認知症」の診断が下された瞬間、私たちの日常はがらりと変わりました。父は頼りにしていた存在であり、その変化は私たち家族にとって衝撃的でした。私は当時、小さな子どもを育てていました。育児自体が大変なのに、さらに父の介護が加わり、ストレスは日に日に増していきました。日中の育児、夜間の父のケア、そして仕事……。すべての責任を背負いながら、心身ともに疲弊していく過程がつらかったことを覚えています。介護と育児のダブルケア介護の道はトラブルや困難がつきものでした。施設探しの際には、安心できる場所を見つけることに難航しました。また、父の認知症の進行に伴う行動の変化や、医療面での問題にも直面。しかし、これらの問題に向き合い、解決策を模索することは、家族としての成長をもたらしました。困難な状況の中で、家族の絆も強化されたように感じます。兄弟姉妹や夫との協力が、私たちの日常を支えてくれました。認知症の父に対する理解と、子どもへの愛情を分けることは、私たちにとっての生きる力でした。最後の別れ父の最期が訪れた日は、私たちにとって忘れられない瞬間でした。病室には静けさが広がり、ただ時が過ぎるのを待つばかりでした。父は静かに息を引き取り、その瞬間、部屋には穏やかな平穏が広がったのです。私たちは手を取り合い、感謝の気持ちと深い悲しみに包まれました。父が苦しむことなく、家族の中で安らかに旅立てたことに、心からの感謝を捧げました。長い介護の道のりが終わり、父は苦しみから解放されました。その後、家族で父の遺体を整え、最後のお別れの準備をしました。心から感じる悲しみがありながらも、父への愛情と尊敬の気持ちが満ちていました。父の最期をみとることができたことは、家族全員にとって大きな誇りでした。葬儀の日、親戚や友人、父の友人たちが集まり、父の人生を称える言葉や思い出を分かち合いました。私たちは共に涙を流し、笑顔を見せながら、父の人生を祝福したのです。父が私たちに残してくれた思い出や教訓を胸に、私たちは前向きに生きる決意を固めました。まとめ介護と育児のダブルケアは大変な道のりでしたが、家族の絆とサポートが私たちを支えました。困難に立ち向かうことで、新たな力を見つけることができました。同じような状況にいる方々へ、希望と勇気を届けられたらと思います。文/桜井美咲※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年12月20日肝臓がん末期の父の介護と2歳、5歳の子どもの育児が重なり、ダブルケア状態になってしまいました。私は専業主婦で、育児も介護もするのが当然という親戚からの目があったのです。そんな私のダブルケアの体験を紹介します。子育てで大変な中で父の病気が判明専業主婦だった私は、2歳と5歳の育児で追われていました。5歳の長女は幼稚園に通っていたものの、2歳の長男は特に手がかかり毎日育児と家事で1日が終わってしまうような毎日です。そんなときに父の体調が悪くなり、検査をしたところ肝臓がんステージ4で、大腸などの全身にがんは転移している状態でした。父は入院しましたが、大の病院嫌いで、家に帰りたいと訴えてきます。母は持病があり、介護の負担はできない状態でしたが、父と一緒にいたいと言うのです。自宅介護に切り替えるもなんとか両親の望みをかなえてあげたいと、自宅での介護に切り替えることになりました。母と私で介護が可能なのか、私は小さな子どもを抱えながらすべてのケアをできるのか不安もありましたが、もうやるしかない状況だったのです。まず私は、地元の地域包括支援センターに相談し、具体的に得られる支援を確認。子どもの預け先に関しては別窓口で連携しておらず、すぐに対応してもらえずもどかしい気持ちを覚えました。介護自体は専門知識もない私たちだったので、訪問診療と訪問介護を利用することに。介護保険の申請をおこない、ケアマネジャーさんの決定、介護用品のレンタルなど、その後はスムーズに進みました。ケアマネさんをはじめ、ヘルパーさん、訪問看護師さんなどの助けが本当にありがたかったです。介護と育児を終えて父の自宅介護を決めてからは毎日バタバタしていて、2歳の長男の育児はその間ベビーシッターさんに任せました。実家と家との往復で大変だった私に同居を提案してきたのは夫です。同居にしたため、介護を要件として子どもたちは認可保育所に無事に入ることができました。子どもたちの送迎は夫、私は父のケアや母の病院の付き添い、家事などで忙しかったですが、子どもが保育園に行っている間は、家事と介護ができるので、預けて本当によかったと思っています。介護ケアと保育園なしに、父のみとりは難しかったです。父はがん告知から約1年で亡くなりました。ダブルケアは簡単なものではなく、いろいろな人の助けがあって初めて成り立つものだったと思います。まとめ急にダブルケアの状態になってしまった私ですが、すぐに行政に相談し、受けられるサービスはすべて利用しました。子どもをどこにも預けず、介護もすべて自分でやるのは困難です。介護も育児もプロに任せて、自分ができることに注力すれば、満足できるダブルケアができると思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。文/小林友里子マンガ/山口がたこウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月30日定年退職してからも、よく会社仲間と飲みに出かけていた父ですが、あるときから「おならが出ると便が少し漏れるから」と、出かけなくなりました。そんな私の介護体験談です。父の不調に嫌な予感私は独身でフルタイム勤務をしながら、両親と3人暮らしをしていました。父の体調の変化を見て、とても嫌な予感がした私。父に病院へ行くよう促しました。しかし父は、おしりを診てもらうことになること、また病院自体も行ったことがほぼないため抵抗し続けましたが、無理やり連れ出して診てもらった結果、大腸がん(直腸がん)ステージ4の進行がんでした。入退院を繰り返す父その後、父は初めての手術でがんを切除し、人工肛門(ストーマ)をつけました。がんは切除しきれなかった部分もあったので、それ以降は手術のため入退院を繰り返しながら、自宅でも介護が始まりました。壮絶な闘病を経て亡くなる2カ月前には自宅での介護が難しい段階になったため病院に入院し、私が面会に行っていました。父本人もとてもつらい年月だったと思います。病院嫌いで怖がりにもかかわらず、何度も入退院しながら手術をし、とても頑張った2年間でした。最期は病院でみとりましたが、本人もこれで痛みなどから解放されてよかったのではないかと思いました。まとめ親が大病になること、介護すること、亡くなること……これらを経験して言葉にできないほど大変な毎日で、フルタイム勤務している人や面倒を見る人がいない家庭だと、介護などは本当に過酷であり、もっと行政の手助けが必要だと強く感じる部分も。精一杯どれだけやり切っても、「ああしてあげればよかった」など、後悔はどうしても残るものだということも感じました。(40代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月20日私の父は、2年前にステージ4の胃がんと診断されました。コロナ禍で父を自宅でみとった私の体験談です。手術するも再発ステージ4の胃がんと診断された父は、その後手術で胃を全摘出しました。思うように食事ができず、体重は10kgも落ちました。それから1年半後、再発した父。もう手術はせず、抗がん剤もやめて免疫療法に切り替えながら自宅で過ごすことにしました。「最期は大好きな家で過ごしたい」という思いが父の希望でした。父の最後の願いをかなえたい父の希望をかなえるため、訪問診療と訪問看護に切り替えました。医師や看護師さんと一緒に皆で父を支え、情報を共有し合う毎日が続きました。しかし、在宅の診療ではできることが限られているので、何度も病院に入院させようと考えたことも。でもコロナ禍だったこともあり、「今入院させたら、面会はおろか病院で息を引き取ってしまうかも……それでは父の願いが果たせない」と思い、皆と相談した結果このまま自宅で過ごすことにしました。父の死を自然に受け入れた瞬間父が亡くなる1週間前は、ろくに睡眠も取れないまま毎晩お世話をしました。さすがに体力の限界を迎えたある夜、苦しんでいた父の顔がふとやわらかい表情になり、顔の血色も変わったのです。「お迎えが来たのだ」と、父の死を自然に受け入れた瞬間でした。その後、父は皆に見守られながら静かに息を引きとりました。まとめ延命治療をせずに自宅で家族にみとられることを選択した父。静かに息を引き取ることは、本来の人間の姿のように感じました。私の友人の父親は、延命治療のためたくさんの管を体中に通して苦しみながら亡くなってしまったという話を聞きました。その話を聞くたびに、「私の父親はこれでよかった」と自分に言い聞かせています。(50代女性)※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。ウーマンカレンダー/介護カレンダー編集室著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2023年11月19日