「信じてくれてるかなぁ?笑」浜崎あゆみさんは24日にInstagramを更新。2019年生まれの長男、2021年生まれの次男という兄弟のママである浜崎さんは、キラキラに飾り付けられたクリスマスツリーと息子たちの写真を投稿しています。足元にはプレゼントのおもちゃがあるようです。浜崎さんは「朝からサンタさんが来る日だと大騒ぎ(わたしが)」したそうで、「少しは喜んでもらえたかなぁ」「信じてくれてるかなぁ?笑」と、まだ幼い子どもたちのために張り切ってサンタクロース役を務めたことが伺えます。(※画像は辻希美さんオフィシャルブログより)また、四児ママの辻希美さんは毎年おうちで盛大なクリスマスパーティーをしており、今年も家族みんなで楽しんだよう。テーブルの上にはチキンの丸焼き、ローストビーフ、生春巻き、煮込みハンバーグ、コロッケ、フライドチキンといったご馳走がところせましと並んでいます!プレゼント交換やゲームなど毎年全力で企画して行うのが恒例で、「それが、我が家のクリスマス」と杉浦太陽さん。ちなみに次男は寝る前に慌ててサンタさんへプレゼントをお願いする手紙を書いていたそう。きっと朝には素敵なプレゼントが届いていたことでしょう。辻さん長女のクリスマススイーツもプロ級!いつまでサンタさんを信じる?年に一度のクリスマス。いつもよりも早く起きて、ワクワクした顔でプレゼントの包みをあける子どもの姿を見るのは、親にとっても本当にうれしいものですね。でもいつまで子どもは「サンタさん」の存在を信じていてくれるのでしょうか?今秋、ニフティキッズが行った小中学生を対象にしたインターネット調査「みんなのホンネ調査レポート『クリスマス』」によると、中学生になると「サンタクロース」よりも「おうちの人」からプレゼントをもらったという回答が多くなっています。プレゼントに欲しいものを事前に伝えていたというお子さんが78%と多数で、その伝え方は小学生、中学生ともに「手紙を書く」がもっとも多く、小学生で68%、中学生で60%となっていました。興味深いのは、「欲しいものを伝えるとき、プレゼントの値段は気にする?」という設問に、「なるべく安いものを頼むようにしている」という子どもが26%と、4人に1人が値段を意識していたこと。「何も気にせず欲しいものを伝える」が58%を占めてはいますが、値段を気にしている子どもも少なくないようです。参照:小中学生のクリスマスプレゼント事情、子どもの4人に1人以上が「なるべく安いものを頼む」と回答
2023年12月25日収録開始直前に子どものお迎え要請が……女優の長谷川京子さんがMCを務めるトークバラエティ『トーキョーツキイチMTG』(フジテレビ系)。12月16日の放送回では、長谷川さんや大沢あかねさんらが仕事と育児の両立のリアルを明かしました。番組では、ママたちから募集した「ワーママあるある」を紹介。「子どもが風邪をひくと下の子や自分にもうつり、会社を休まなければならず有給が減っていく」「予期せぬタイミングで子どもの体調不良によるお迎え要請がくる」「妊娠したので上司に産休の報告をしようとしたら『退職者がいる』という話をされ、産休を報告するタイミングを逃す」といった数々のあるあるエピソードに、長谷川さんや大沢さんは共感しまくり!実際、大沢さんも番組収録の開始直前に子どものお迎え要請が来たことがあるそうで、空いているベビーシッターさんを急いで探し、なんとか収録をこなしたといいます。同じく長谷川さんも、どうしても仕事が抜けられないときはベビーシッターさんや知人に子どものお世話をお願いしていたそう。そんな実体験から大沢さんと長谷川さんは、仕事と子育ての両立のためには周りの助けが必要不可であるとしつつ、「大事なときにパパっていない」と、パパに比べてママの負担が大きいとも明かしていました。ほかにも「ワーママあるある」として、「常に寝不足」「急いでいるときに限って、『なんで今?』と感じるようなことが起こる」「忙しすぎて晩御飯の献立が同じメニューばかり」といったエピソードも。長谷川さんは、子どもの話をゆっくり聞いてあげたくても、働いていると「物理的に時間ない」。そうした状況になるのは「私が働いてるからなのかな……」と葛藤したこともあるといいます。一方、大沢さんは仕事と子育てを両立する上で、完璧に家事をこなすことを「あきらめた」そう。気合いを入れておしゃれなメニューを作っても子どもが食べないこともあるので、子どもが確実に食べるから揚げ、納豆、焼き魚などを出せばOKとし、「茶色いものが一番おいしい」と実感のこもった一言。仕事と子育ての両立のためには「適当という言葉を覚える」ことも必要だと話していました。
2023年12月23日たった1日でボロボロ「もう二度と買わない」!同番組はともに3児のママである藤本美貴さんと横澤夏子さんがMCを務めるトークバラエティ。この日のゲストは、4歳長男と2歳次男の兄弟ママである田中美保さんです。藤本さんは、田中さんが40歳の誕生日を迎えた際のInstagram投稿が印象に残っていたよう。投稿では息子たちと田中さんのほほえましい親子ショットが公開され、併せて「日々ドタバタと過ぎていく毎日で寝ても寝ても疲れがとれない」という、子育てママのリアルな本音が綴られていたのです。それを見た藤本さんは「(田中さんが自分と)同じところにいる!」とうれしくなったそう。田中さんの息子たちは「一生動いてて」と表現するほどとにかく元気いっぱいで、何度注意しても「同じことをする」。時にはヒートアップしてしまい、怪我をすることもあるといいます。先日も、自宅の「戦いごっこをしちゃいけない場所」で兄弟が遊んでおり、次男が頭を打って号泣。慌てた田中さんが、どうしてこうなったのか聞こうとしても、長男は「俺じゃない!」と否定するばかりで大変だったよう。そんな息子たちのやんちゃぶりに、普段はおおらかだという夫の稲本潤一さんも「結構ブチギレる」のだそう……。小学6年生の長男がいる藤本さんは、田中さんの話に大いに共感。藤本さんいわく、長男には「例え話が通じない」そうで、何かを説明する際に「これが人だとするじゃん?」と例えても、「人じゃないじゃん」とツッコまれて話が進まないとか。また、田中さんと藤本さんは、男の子がいる家庭はとにかく汚れやすいというエピソードでも盛り上がりました。田中さん宅は息子たちによって「砂まみれ」で、「ラグの間になんでこんな砂(が入ってるの)?」と思うことも。それを聞いた藤本さんはすかさず「ラグとか敷いちゃダメ!」。さらに、田中さんの息子たちはどんぐりや松ぼっくりなどをすぐ拾ってくるそうで、藤本さんの息子も小学校5年生まで「石拾ってきたり」していたといいます。加えて藤本さんの息子は「よくわからないところでスライディングしたり」するので、理解できないほど活発だと困惑。田中さんも、息子におしゃれな靴を買ってあげたところ、「1日でボロボロ」にされたことがあり「もう二度と買わない」と言っていました。藤本さんと田中さんの息子あるあるトークは、三姉妹ママの横澤さんにとっては未知の世界だったようですが、同じような経験があり「わかる!」と深く共感した親御さんも少なくないかもしれませんね。「親の言うことを聞かない」は成長の証子どもが自分で考え活発に行動できるのは喜ばしいことですが、親の言うことを聞かないのは困りますよね。子どもが言うことを聞かない理由はさまざまですが、大まかに言うと、2歳~6歳頃は自我の芽生え、小学生になると世界が広がったことによる疲れ、中学生・高校生では思春期といったことが背景にあります。どの年齢でも、自分の葛藤をうまく消化できず、その思いをぶつける先が親だった、ということが多いです。特に幼少期の場合は、成長とともに自我が芽生え、今までママやパパにやってもらって当たり前だったことを「自分でやりたい」のにうまくいかない、親がそれをわかってくれないときに「言うことを聞かない」という様子が見られることもあります。子どもがあまりにも言うことを聞かないと、しんどいと感じることもあるかと思いますが、まずは子どもの気持ちの理解に努め、その子自身を見つめましょう。その上で、大人が自分自身の言動を振り返ることも大切です。参照:言うことを聞かない子どもにしてしまう5大原因…効果アリな3つの対処法を解説【教えて保育士さん】
2023年12月22日15年ずっと戦友だった人に意を決して告白人気番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)で珍獣ハンターとして活躍するイモトアヤコさん。過酷なロケにたびたび同行していた番組ディレクターの石崎史郎さんと2019年に結婚し、2021年に第一子となる長男が誕生しています。夫の石崎さんとは番組で一緒になって15年ずっと戦友のように過ごしてきたというイモトさん。登山の途中で石崎さんが体調不良となり離脱したとき、とてつもなく不安を感じ……「私この人いないと生きていけないみたいな不安にかられて、あれ、私もしかしたら? 好きかも」と思ったのだそうです。ただし石崎さんは仕事仲間でもあるため、「どう伝えればいいんだろう、どう発展させたらいいんだろう。告白してダメだった場合、この先も仕事でロケに行くしどうかな……」と悩みますが、「よくよく考えたらそんなことで壊れる関係性ではない。もし振られたとしても、仕事は仕事でお互いちゃんとできる」そう確信して告白に踏み切り、結果はご存じの通りですね。子どもと新幹線で旅行は、北アメリカ最高峰の登山より過酷!第一子の産後は以前より体重が18キロ増加した状態でなかなか戻らず。しかし産後初の仕事復帰はスクール水着での沖縄ロケで、テレビに映った自身の体型や動きの悪さにショックを受けたといいます。「これじゃダメだ、珍獣ハンター!」「体を張って仕事をできる人でいたい。自分が自分を好きでいたい」と奮起し、動ける体に戻したというエピソードも明かされました。そんなイモトさんのママ友のひとりが、女優の北川景子さん。2016年放送のドラマ『家売るオンナ』(日本テレビ系)で共演してからの親友で、先輩ママでもあります。イモトさんの出産前には北川さんが「買っておくといいものリスト」を丁寧に書いて送ってくれたそうで、「人のために一生懸命になってくれて。いつも甘えてますね」と、とても頼りにしているようです。仕事と家事、育児の両立は「めちゃめちゃ大変」で、なんとか乗り越える秘訣はズバリ「人に頼ること」だというイモトさん。「たまたま家の近所に、一緒に登山ロケした音声さんがいて、お風呂手伝ってくれない? って電話したり、いろんな人に助けてって言ってなんとか生きてます」と上手に周りに頼りながら、両立していることを明かします。少し前には、息子と2人での旅行も実現。しかしこれが、新幹線で那須へ行くのも「東京駅から大変。13キロのリュックに13キロの息子を担いで……マッキンリー(北アメリカ大陸最高峰の山で現在はデナリ)よりきつい」と、相当に過酷なようです。それでも旅行の予定があると日々がより楽しくなるそうで、そういったイベントを糧に過ごしているのだそう。最近は「年齢・肩書にとらわれずやりたいことをやってみよう」と新たにダンスを始めたことも告白。「体力的には大変だけど、週に一度ワクワクした時間を持つことで、仕事や家庭も前向きになれる」と、年齢を重ねてますますパワーアップしているようです。
2023年12月22日2023年12月8日、以前は市川海老蔵の名で知られていた、歌舞伎俳優の市川團十郎さんがInstagramを更新。舞踊家の市川ぼたんとして芸能事務所に所属する、長女の写真を公開しました。京都府京都市にある劇場『南座』にて、ぼたんさんと、同じく歌舞伎俳優の市川新之助を襲名した、長男の堀越勸玄さんとともに出演している、團十郎さん。同日、團十郎さんは「お散歩。勸玄はお部屋なり」というひと言とともに、ぼたんさんの写真を公開しました。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る Ichikawa Ebizo 十一代目市川海老蔵(@ebizoichikawa.ebizoichikawa)がシェアした投稿 満面の笑みで楽しそうに走る、ぼたんさん。スラリと伸びた足や整った顔立ちは、2017年に亡くなった團十郎さんの妻でタレントの、小林麻央さんを彷彿とさせます。團十郎さんが公開した、ぼたんさんの写真に、麻央さんの姿を重ねた人は多い様子。「麻央さんが走っているように見えて、涙が出ました」「麻央さんの生き写しですね」「立派に成長していて、胸がジーンとした」などの声が相次いで寄せられました。ぼたんさんは、同日現在まだ12歳。これからいろいろな経験を経て成長する姿を、團十郎さんはもちろん、麻央さんも天国で見守っていることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年12月09日なかなかお手本どおりにはいかない……。共感しかありません……(泣)コメントでは、「泣けるよ…。だって絶対全母が共感してるもん」「キレるし、泣くけど誰よりも愛してるぜベイベーと思いながら育児してます笑」などのママたちの声が。なかなかお手本どおりにはいかないものですよね。。これNGだったなと反省することもしばしばです。「イライラと後悔の荒波の中を突き進む母達父達、お疲れ様‼️」とコメントしたコハダ(母)さん。コハダ(母)さんの漫画はInstagramとブログで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪----------------------------ご協力:コハダ(母)さんInstagram:@cheeemumブログ:みんなおいでよ☆コハダーランド---------------------------(文:マイナビ子育て編集部)おすすめ子育て漫画、まだまだあります!✅【漫画】保育園の連絡帳に爆笑!! 保育士さんたち実はめっちゃ面白いな……?✅【漫画】寝るときの子どもメチャ尊すぎるな…! 可愛さ爆発で泣きそうになるマンガ✅【漫画】それマジでフラグだから!! ちょっとヤメてほしい同僚の一言「お熱出なくてよかったですね!」すると……「保育園からお電話です」
2023年12月07日早い段階から「この人が結婚する人だと思っていた」上野樹里さんは2016年にTRICERATOPSの和田唱さんと結婚。料理家の平野レミさんは義母にあたります。そんな上野さんは結婚前、平野さんのことをほとんど知らず「バラエティ番組に出てる人だ!」という印象だったそう。現在は良好な嫁姑関係を築いており、平野さんについて「いつだって元気で明るくて、面白い話を聞かせてくれる」と話しました。番組では平野さんと、平野さんの次男の妻で料理研究家・和田明日香さんが出演した過去の放送回を振り返る一幕も。平野さんは、上野さんや明日香さんが自分の息子たちと結婚したことについて「私はさ、娘を産んだこともないでしょ」「(上野さんや明日香さんは)タダでうちに来ちゃったんですよ」「息子産んでよかった」と独特の表現でコメントしていました。一般的に、子どもが大人になるまでには学費などさまざまなお金がかかり、それを親が負担しますが、平野さんは上野さんや明日香さんの成長に際してかかるお金をまったく払っていない状態にもかかわらず、義娘として家族になってくれた……ということを「タダでうちに来ちゃった」と表現したようです。義母や義妹が料理研究家ということもあって、結婚後はそれまでほとんどしなかった料理にも挑戦しているという上野さん。これまでのお正月には握り寿司や肉巻きロール、おせちの黒豆やえびのうま煮を作り、今年のお正月にはいなり寿司にもトライする予定だといいます。また、夫の唱さんとの結婚にまつわるエピソードも。上野さんは「初めて買ったCD」が唱さんのバンド・TRICERATOPSのものだとテレビ番組で明かしたことがきっかけで、マネージャーを通してTRICERATOPSのライブに誘われたそう。忙しくてなかなか行けなかったそうですが、とある年末年始にたまたま時間が空き、TRICERATOPSのライブに初参戦。そこでステージでの唱さんを見て「すごい!」と感動し、TRICERATOPSの楽曲をすべて聴き漁ったとか。それまでは女優という職業柄、「(自分は)結婚しちゃいけない生き物なのかな」と思っていたそうですが、唱さんと交際してからは早い段階から「この人が結婚する人だと思っていた」と迷いがありませんでした。マネージャーにも、早々に結婚宣言をしていたといいます。結婚後は、アーティストというクリエイティブな仕事をしている唱さんから「いい刺激を受けている」という上野さん。それまで女優として、与えられた役柄を演じていたのが、「ものづくりに対して深く考える面白さ」を知ったことから、出演作の脚本から参加するようになったとも明かしました。
2023年12月04日【前編】ハーブ研究家・ベニシアさん夫の梶山正さんが明かす「最後の日々」〈1〉有名になった妻との間にくすぶっていた“わだかまり”より続く“憧れの古民家暮らしを見たい”そんなファンが大原へたびたび訪れてくるほど人気者だったイギリス出身のハーブ研究家・ベニシア・スタンリー・スミスさん。大病を患い、放送が途絶えていた番組の新作を待ちわびる声もむなしく、彼女は6月21日に亡くなった。ベニシアさんの夫で写真家の梶山正さんは、「うちに来た人のこともすごく大切にしていました。名前も絶対覚えるしね」と在りし日の彼女を語る。ベニシアさんの晩年と、梶山さんの秘めた思いを聞いた――。(全2回の第2回)「65歳になったころからベニシアは『目が見えにくい』とこぼすようになった。白内障の疑いがあって手術も受けたけど、いっこうに症状は改善しない。あちこち眼科にかかるうち『これは目ではなく、神経や脳に問題があるのでは』と言われて、大学病院で検査を受けることになったんです」’18年9月。ベニシアさんは京都大学医学部附属病院でPCA(後部皮質萎縮症)との診断を受けた。悪化すると最後は失明することもある脳の病気で、認知機能の低下を招くケースもあるという。だが皮肉にも、この病気が2人の距離をふたたび縮めてくれることに。「ちょうどそのころ、ベニシアがいつもお願いしていた家政婦さんが辞め、否応なく、僕がベニシアと日々、向き合うことになったんです。彼女が僕を必要としているだけじゃなく、そんな彼女を僕も精神的に頼っていることが、よくわかった。こうなって初めて、僕にとってベニシアは、太陽のように僕を導いてくれる、かけがえのない存在なんだと気がつくことができた」しかし、病いは容赦なく進行した。やがてベニシアさんは、家事はおろか、あれほど心血を注いできた庭の手入れもできなくなった。「ベニシアも『私がなんとかせないかん』と動こうとはするのですが……。以前から懇意にしている造園家の友人がたまに来てくれて、剪定した庭木の話をしたりすると、うれしそうに聞いてました」それまで、寝室は2階だったが、1階の和室にベッドを移した。「トイレがひと苦労でした。ベッドの縁、椅子、それに土間に用意した手すりを伝って這うようにして、彼女は自力でトイレに行く。でもそれが、片道15分も要するように。ポータブル便器をベッドサイドに用意したけど『やっぱり、できない』と昼間は使わなかった。夜はさすがに、使ってましたけど、失敗することも増えてきて。目が見えないから仕方ないんだけど。そこ、畳に大きなシミがあるでしょ。それは失敗のあとなんです」介護生活が始まって3年、梶山さんは苦渋の決断を下す。「ケアマネジャーさんやヘルパーさんから勧められたんです。『施設でプロに任せたほうがいい』と。それを聞いて僕は介護から逃げたんやね。『施設に入りたくない』と言うベニシアに、『毎日、トイレの面倒ばかり見ていられない』なんて、ひどい言葉をぶつけて追い詰めてしまった……」コロナ禍まっ只中の’21年7月、グループホームに入居したベニシアさん。だが、およそ1年後、ベニシアさん自身がコロナに感染、肺炎を発症し緊急入院することに。その病院の医師は、梶山さんにこう告げた。「奥さんの残された時間は長くない、家に帰してあげたらどうか」ベニシアさんはコロナ禍のさなかの施設暮らしのために歩けなくなり、食事をまともに取ることもできなくなっていた。「以前は60キロあった体重が、37キロほどと、すっかり痩せちゃった彼女を見て、連れて帰ることを決めました。彼女の退院まで連日、病院に通って、おむつ交換や痰の吸引の仕方を練習しました」こうしてベニシアさんは昨年9月、1年2カ月ぶりに大好きな大原の自宅に戻ることができた。「やっぱりうれしそうでしたよ。おむつ交換のときも、病院のベッドでは緊張しているのか力いっぱい、手すりや僕の腕をつかんでいたのが、帰宅後は安心したんやろね、それもしなくなった。ただ、もう寝たきりではありました。口からの食事はゼリーを少し食べるぐらい。あとは点滴でかろうじて栄養を取っている状態でした」すでに独立していた息子・悠仁さんも、たびたび家に戻ってきた。「悠仁はよく声をかけてましたね。『ベニシア、アイラブユー』って。それを見て、『ああ、僕も言わなあかんな』と思ってたんだけど。最後まで言えなかった。なんか、急にそんなこと言うの、噓っぽい気がしてしまって。うん、最後まで言えんかった」今年6月。いよいよ、その日が迫ってきていた。「酸素マスクをつけていても呼吸は苦しそうだし、吸引してもなかなか吸えないぐらいかたい痰が絡むように。前の晩には、目の水晶体が白く濁ってしまって。悠仁がすぐに目薬を点眼していたけれど、まばたきすることもできなかった。握った彼女の手は指先が少し冷たくなっていました」そして翌朝。梶山さんと悠仁さんに見守られながら、ベニシアさんは静かに息を引き取った。「6月21日、ちょうど、夏至の日の朝でした。1年のうちで太陽がいちばん強いとき。きっとベニシアはその日が来るのを待って逝ったんやな、そう思いました」最期の瞬間を、淡々と振り返った梶山さん。だが「彼女の死を受け入れるまでには、長い時間が必要だった」とも打ち明けた。「ベニシアが死んでから、2カ月ぐらいはずっと、もっとこうしてあげたらよかった、ああしてあげればよかったということばかり、そればっかりを考え続けました」妻の不在に身を焦がす日々……、ここまで話すと、梶山さんは不意に目頭を押さえた。「ごめんなさい、いろいろと思い出してしまって。だって最後のころなんか、末梢血管に点滴の針、刺すじゃないですか。熟練の看護師さんのはずやのにうまく刺せんで針が突き抜けたりして……。ああ、痛いんやろな、可哀想やなって。こんな痛い思いさせて、生きながらえさせてもいいのかとか、いろいろ考えてしまって……。だから、ベニシアの呼吸が止まったとわかったときは、これでしんどい思いから解放されたんやな、楽になれたんやなって……」一息にここまで話すと、梶山さんはしばらくの間、下を向いた。ベニシアさんのいない家に、彼の咽び泣く声が、低く響いていた。■涙を乗り越えて――。梶山さんが ベニシアさんから教わった生き方「ベニシアさんは、梶山さんのことが本当に大好きでした。彼が浮気したときも、眠れないぐらい悩んでいたけど、それでも離婚を選ばなかったのは、やっぱり彼のことを愛していたから。晩年のベニシアさんが常々、私に話していた願望は『大原の家で死にたい』『夫に優しくしてもらいたい』、その2つだけ。だから、彼女は思い残すことはなかったと思います」前出のプロデューサー・鈴木さんは、ベニシアさんの最期についてこう話した。彼女亡き後、悲嘆に暮れる梶山さんにも、同様の言葉をかけたという。梶山さん自身は「少しずつ、前を向けるようになった」と話す。「ベニシアが以前、本に書いた言葉があって。『生と死の間には途切れ目はなくて、ずっと続いていくものなんだ』といったことを書いていた。そうだといいなと思ってる。死んだことないから、本当のところはわかりませんけど。ずっとベニシアとつながっていられるようで、生きてる自分としては、そのほうがうれしいなと思う」取材の最後に「ベニシアさんが遺したものはなんだと思いますか?」と尋ねると、少し考えた後、梶山さんはこう口を開いた。「彼女から教わったことは……、人のために一生懸命に生きる、その姿勢だと思う。こういう言い方すると、ベニシアきっと怒るやろうけど。やっぱり貴族の出身やな、と思う点でもあって。正しく前を向いて生きようとする人は、お金のためとかじゃなく、人のために生きることができるんだと。彼女の本や番組が多くの人に受け入れられたのも、ライフスタイル以上に、人を思いやる彼女の心に、みんなが反応してくれたからと違うかな。僕も、この先もベニシアが伝えたかったことを、伝えようとしたことを、少しでも引き継いでいきたいと、そう思っています」まるで太陽を探すように空を仰いだ梶山さん。その目には再び、光るものが浮かんでいた。
2023年12月03日「夫は私のことGoogleだと思ってる」(※画像は藤本美貴さんオフィシャルブログより)『夫が寝たあとに』はともに3児のママである藤本美貴さんと横澤夏子さんがMCを務めるトークバラエティ。ゲストの近藤千尋さんとともにママトークが盛り上がりました。女児2人の母である近藤さんいわく、夫のジャングルポケット太田博久さんは「3人目の子ども」。「飲んだものはそのまま」「脱いだものもそのまま」で、近藤さんが後ろから追いかけながら片付けるという状態だったり、「今日(の気温)何度?」「何着ればいい?」となんでも聞いてきたりで、近藤さんは「私のことGoogleだと思ってる」と諦め顔です。普段は文句も言わず長男・太田さんのお世話をしている近藤さんですが、我慢の限界が来ることもあり、半年に1回ほど「爆発」。そんなときには娘が「パパをいじめないで」「ママがお仕事のとき、チャーハン作ってくれたりするんだよ?」「なんでそんなにパパを怒るの?」とパパの味方になってしまうとか。そうなってしまうのは、太田家において「家事はママがやるのが当たり前」だからでは……と思い至ったといいます。すると藤本さんは、子どもに「洗濯物そっちに移して」などとお願いした際に「なんで僕がやらなきゃいけないの〜?」と言われた場合、「私、自分のだけやりますけどいいですか?」と言うようにしていると明かします。「家族がわがまま言うときこそ(自分は)言うこと聞かない」ことで、家族全員で家事をする体制を作っているようです。庄司家の小学校受験!近藤さんの長女は最近「お受験(小学校受験)」に挑戦。お受験では大変なことも多くありますが、近藤さんは「やってよかった」「家族の団結力が培われた」と総評し、家族にとっていい経験になったそうです。藤本さんもまた、お受験の経験者だそうで、夫・庄司さんの意外な活躍を明かしました。庄司さんは「字が私よりも全然キレイ」であるため、お受験の願書を書く担当に任命しており、藤本さんが願書に書きたい内容を伝えると、しっかり文章にしてくれるそうです。テレビでは身体を張ったギャグを披露している庄司さんですが、一番身近な存在である藤本さんいわく、「私(藤本さん)よりも常識人」「面接でもしっかり真面目」なんだとか。ただ、1回目の面接では緊張のあまり「最初めっちゃ声小さくて」、終わった後に藤本さんが「2校目は声出していこう!」と励ましたことも。加えて面接前には、面接時にうまく答えられるよう、庄司さんが子どものやりたいことなどを図でまとめた上で、藤本さんと会議をするそう。とても頼りがいがあるパパですね。お受験では夫婦の協力が不可欠子どもの受験を成功させるには絶対条件があります。それは夫婦間で協力することです。同じ社会で働く立場であるなら、夫婦で家事を分担するなり、曜日を分けて担当を決めるなり、夫婦で役割分担が必要。夫婦の片方の負担だけが大きいと、家族は笑顔でいられなくなってしまいます。両親のどちらかが「なんで自分ばかりが忙しいんだ!」といつもイライラしていたら、子どもは落ち着いて準備することができず、受験で良い結果を得ることも難しくなるのではないでしょうか。また、お受験では親の期待が大きすぎて親子で疲弊してしまい、家庭がうまくいかなくなってしまうケースも決して少なくありません。「わが子のために」と思って始めた受験で子どもにつらい思いをさせてしまうのは本末転倒。受験を考えたら、まずは夫婦でよく話し合い協力することが大切でしょう。
2023年12月01日夫がいる日はこんなにゆとりが……!(※画像は紺野あさ美さんオフィシャルブログより)紺野あさ美さんは2017年に日本ハムファイターズの杉浦稔大投手と結婚し、同年9月に第一子となる長女、2019年2月に第二子となる長男、2021年8月に第三子となる次男を出産。杉浦さんは遠征などで不在のことが多く、いつもワンオペですが、シーズンオフになったのでこの日は練習後に帰宅。家族5人で団らんの夕食タイムを過ごす様子を動画で公開しました。「(パパが)子どもたちの相手をしてくれるから、いつもよりゆっくり夕飯準備ができる」と、心に余裕のある様子の紺野さん。夕食の献立は、ハワイで食べた忘れられない味をアレンジした「杉浦家のオレンジチキン」に、「桜エビたっぷり大根もち」「とろとろ白菜とキノコの中華卵スープ」「ベビーほうれん草とレタスのナッツサラダ」「グレープフルーツ」という盛りだくさんのメニューです。オレンジチキンはカリッと揚げた鶏肉にオレンジジュースの酸味がたまらない美味しさ。鶏もも肉を砂糖と塩、調理酒で下味をつけて揉み込んだら、「片栗粉をまぶしてバリバリに焼いたほうがおいしい」と紺野さん。砂糖、醤油、酢、オレンジジュース、水、ニンニクをつぶして入れてタレを作り、醤油とオレンジジュースを同じ量ぐらい入れるのがポイントだそうです。タレ作りでオレンジジュースを注いでいたら、息子がキッチンにトコトコやってきて、「なんで飲み物なのにお料理に使ってるの?」と素朴な疑問。さらに「それもう子どもと一緒に飲も?」とクリティカルヒットな可愛い発言を繰り出します。子どもたちは別室でパパが遊んでいるとはいえ、3人もいれば入れ代わり立ち代わりママのいるキッチンにも入ってきますが、そのたびに「激かわ」なシーンを残していくのがたまりません。たとえば、遠くから長男の大きな泣き声が聞こえたと思ったら、リビングにやってきた次男がティッシュを持って再び寝室へ。紺野さんは「4歳が2歳に慰められてるのかな」「優しいね」と、ほっこり。その後、大好物の「大根餅」を作っていると聞いた4歳の長男は、「えっ!大根餅食べる!やったー!だいこん♪だいこんも~ち~♪だいこんもちぃ~♪」と飛び跳ねて大喜び。何ともほほえましく、こんなに喜んでくれると料理の作り甲斐がありますね!そんな大根餅のレシピは、立派な大根をすりおろして片栗粉と桜エビを入れ、小ネギ、鶏ガラスープを加えて丸めて焼いていきます。すりおろす手間がかかりますが、パパのいる日は時間にも心にもゆとりができるよう。杉浦さんがいることに、「平和。やっぱ大人の手があると違うもんね」と、紺野さんはしみじみ……ですが、すぐに次男が「抱っこ抱っこ~」とキッチンに登場し、束の間の平和は終了です。やはり、幼い三児がいてゆっくり料理に没頭するのはなかなか難しいものですね。そのうちに杉浦さんもキッチンに現れ、ごはんを盛り付けたりお皿を運んだりと、食卓の準備をサポート。「大根餅のポン酢は別皿にすると次男そのまま飲んじゃうよ」と危機一髪な指摘を入れるなど、パパもしっかり者のようです。テーブルに料理が並んだら、家族5人揃って「いただきまーす!」。すぐに兄弟でおかずを取り合って喧嘩が始まるなどワチャワチャですが、賑やかで温かい家族の団らんに胸が温まります。しかし家族が一緒にいられる時間は短く、1月からはまたワンオペの時期が長くなりバタバタの1年が始まると紺野さんは締めくくっていました。
2023年11月30日ミキティに「うっせぇなクソばばぁ」と言った息子を一喝!(※画像は藤本美貴さんオフィシャルブログより)結婚時期も子どもの年齢も近い3人。品川さんは女の子が1人、庄司さんとくわばたさんはともに3人のお子さんがいます。結婚14年となる品川さんですが、妻はとても温厚な性格で、品川さんが結婚記念日について「覚えてない。なんか語呂があったような……」とかなり曖昧でも怒らないそう。過去に一度、品川さんが妻の誕生日を忘れて飲みに行ってしまい、留守電に中島みゆきさんの『うらみ・ます』を歌った「うらみま~す、あんたのことをしぬま~で」と吹き込まれていたことがあるものの、ほとんど夫婦喧嘩はしないといいます。一方の庄司さんは、結婚記念日は夫婦2人で食事に行くのが恒例。庄司さんがお店の予約をしていないと妻・藤本美貴さんに怒られてしまうのだとか。夫婦喧嘩で口論になり「出てけ!」と言いたくなることがあっても、「でもこの家はミキティが建てた家だな……」と思い直して自分が出て行き、モーニング娘。時代のかわいい藤本さんの動画を見て彼女と結婚できたことに感謝し、「おれは何をイキがってたんだ……」と反省して家に戻るのだそうです。話は子育てにも及び、それぞれ長女と長男が反抗期に差しかかる年齢だという話題に。今までのところ品川さんは親子のコミュニケーションも多く、娘を怒ることがあっても年に1回ぐらいですが、叱るときはコンコンと説得するといいます。たとえば、シンガーソングライターになりたい長女がやりたいと言って始めたギターの練習をあまりせずにいたとき、見かねた品川さんは「家に帰ってきてテレビ見る時間あっても、最初にギター弾きたいって思う人が成功する人だし、アニメ見たりテレビ見たりもいいけど、こういうとこはどんな曲がいいかなと考えたり、どうしたら歌がうまくなるか常に考えてるような人が成功する人。好きなことにもっと時間かけたらいいんじゃない」と、筋道を立てて言い聞かせたのだそう。逆に庄司さんは「めちゃめちゃ怒ります」といい、来年から中学生になる長男が最近、ママと言い争って「うっせぇなクソばばぁ」という暴言が飛び出したというエピソードを披露。クソばばぁと言われた藤本さんは「うわー、キレイに言われた……!」と受け止めていたそうですが、庄司さんは「ママにそんな態度をとるなよ。いい加減にしろよ。態度を改めろ。謝れオラ!!」と厳しく叱ったそうです。しかし叱られた長男は「父ちゃん気持ち悪い。ミミズより気持ち悪い」と言い返してきたそうで、幼さの残る反抗期の入り口の難しさを明かしていました。最終的にはお互いに気持ちが落ち着いてから、「こうだから怒ったんだよ。お前はどうだったの?」と話し合い、和解。それでもこの先、成長に伴って激しい親子の衝突があるかもしれないと、三者とも戦々恐々です。
2023年11月27日作家の伊集院静さんが、2023年11月24日に逝去しました。73歳でした。直木賞や司馬遼太郎賞など、数々の文学賞を受賞したほか、小説家としての長年の功績が認められ『紫綬褒章(しじゅほうしょう)』も受賞しています。妻であり、篠ひろ子の名で俳優として活動した西山博子さんは、次のように追悼のコメントを寄せました。いつもお世話になっております皆様へ突然のご報告となりますが、11月24日伊集院 静は永い旅に出てしまいました。 かねてより肝内胆管がんの治療をしておりましたが、 残念ながら回復に至りま せんでした。自由気ままに生きた人生でした。人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、 強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。私たちに寄り添って2人だけの時間を作って下さった皆様、そして応援してくださったファンの皆様に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました。西山 博子令和5年11月24日サンケイスポーツーより引用伊集院さんは作詞家としても活躍し、歌手である近藤真彦さんの『ギンギラギンにさりげなく』や『愚か者』など、多くのミュージシャンの楽曲に携わっています。ライブの後に訃報を聞いたという近藤さんは、悲しみつつ感謝の言葉を寄せました。「私の人生の節目節目に必ずいてくれた頼もしい兄貴でした」とし、「『ギンギラギンにさりげなく』では新人賞をいただきました。また『愚か者』でレコード大賞をいただいた年には、母親を亡くし一番勇気づけてくれたことを思い出します」と自身の大ヒット両曲を作詞した伊集院さんに感謝した。サンケイスポーツーより引用伊集院さんの作品を愛していた多くの人たちも、哀悼の言葉を贈っています。・伊集院先生、たくさんの素敵な歌詞をありがとうございます。・伊集院さんから『歌詞の美学』を学びました。お悔やみ申し上げます。・先生の作品が大好きでした。まだまだ、小説やエッセイを執筆いただきたかったです。・悲しくて仕方がありません。多彩な方でした。数々の珠玉の作品を遺した伊集院さん。作品を通して、これからも人々の中で生き続けることでしょう。伊集院さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年11月25日板野友美さんにとって夫は「竹野内豊似」板野友美さんは2021年1月、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手の高橋奎二(けいじ)さんと結婚し、同年10月に第一子となる女の子を出産しました。動画で板野さんは、義妹のみゆさんとざっくばらんにトーク。みゆさんは以前にも板野さんのYouTubeチャンネルに登場しており、とても仲がいいようです。好きな異性のタイプの話題になると、みゆさんは「男らしい人」「ワイルド系」と回答。好きな芸能人が竹野内豊さんだと明かすと、板野さんは「けけ(高橋さんの愛称)じゃん!」とすぐさま反応していました。みゆさんは「似てないよ〜」と否定していましたが、板野さんは高橋さんが竹野内豊さん似だと感じているようです。みゆさんと高橋さんは普段から連絡を取ったり、会った際にもたくさん会話したりすることはないそう。兄妹といっても、大人になるとそんな感じになりますよね。それを聞いた板野さんは、初デートの際にも高橋さんから積極的に会話することはなかったと明かし、「そういう人なんだと思う」。また、みゆさんに高橋さんについてどう感じているのか聞かれた板野さん。いくら仲良しとはいえ、義理の家族と夫婦関係については話しにくい、照れくさいと感じる人も多いと思われますが、板野さんは高橋さんの好きなところを堂々と、たっぷりと語っていました。板野さんいわく、高橋さんは「今までの人生で出会ったことがない人」で、「尊敬しているところもたくさんある」一方で「価値観が全然違う」と感じることも。「話し下手」であるがゆえに、時にケンカになることもあるそうですが、「家庭のことをめちゃくちゃできる」「ひとつのことを始めると完璧にこなせる」「いろんな才能がある」「常にリスペクトしている」と絶賛し、「本当しっかりしてるし真面目だし、すごい素敵だなっていつも思ってます」と惚気ていました。結婚して子どもが産まれると、夫婦関係が変化することがよくありますが、大好きな気持ちや尊敬の気持ちを持ち続けられるのはすばらしいことですよね。
2023年11月25日亡くなっていたことが2023年11月7日に報じられ、多くの人にショックを与えた、ロックバンド『X JAPAN』のベーシストである、HEATH(ひーす)さん。HEATHさんはがんを患っており、同年10月29日に、55歳の若さで亡くなっていたのだとか。『X JAPAN』のリーダーであるミュージシャンのYOSHIKIさんは、HEATHさんの遺族とともに、今後について相談していることをファンに向けて報告していました。HEATHさんの献花式に対する『YOSHIKIの申し出』に感謝の声同年11月20日、株式会社ウドー音楽事務所は『HEATH お別れ会-献花式HEATH Farewell & Flower Offering Ceremony』の実施をウェブサイトで発表。同月28日に、東京都渋谷区にあるライブハウス『Spotify O-EAST』にて、ファンや友人、バンド仲間、関係者らに向けた、HEATHさんの献花式を開催するといいます。参加は事前申し込み制であるものの、献花付きの入場券は無料。このファン想いな対応には、理由がありました。同社によると、「リーダーであるYOSHIKIに一任したい」という生前のHEATHさんからの言葉を受け、YOSHIKIさんは遺族へ「献花式にかかるすべての費用を負担させていただきたい」と申し出たのだとか。YOSHIKIさんの厚意によって、こうして参加費無料で献花式を執り行うことになったといいます。『X JAPAN』ファン以外からも称賛の声HEATHさんが亡くなった際、出席を予定していた栄誉賞授賞式『37th "Award of Honor" Gala』の参加を急きょキャンセルし、喪服で駆け付けたYOSHIKIさん。また、自身のSNSアカウントでコメントを掲載し、HEATHさんとの思い出を語るなど、大切な仲間への想いを明かしていました。今回の申し出も、HEATHさんとの強い絆あってのものでしょう。YOSHIKIさんの厚意に、多くの人から称賛と感謝の声が上がっています。・こういうところが、YOSHIKIさんのかっこいいところ。人として尊敬します。・メンバーのためにこんなにも助力して、リーダーの鑑ですね。この人がリーダーだから『X JAPAN』が大好き。・YOSHIKIさんの厚意を受け止め、献花会に参加させていただきますね。本当にありがとうございます。YOSHIKIさんからの愛と感謝が詰まった、HEATHさんの献花式。きっと当日は、多くの人がHEATHさんに別れと感謝を告げに来ることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年11月21日「孫バカのジーとバーです」とニッコニコ(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)凛さんは北斗晶さんの長男・健之介さんと結婚し、カナダで8月に第一子の女の子・寿々(すず)ちゃんを出産。北斗さんも産前産後に「おばあちゃん休」を取ってカナダに飛び、栄養満点の食事を作るなどサポートしていました11月に入り、寿々ちゃんのカナダと日本のパスポートを無事取得したという凛さんは「今回ちょっと長めに日本へ帰ろうかと思って考え中」と、ブログで帰国を予告。そして15日、健之介さんと寿々ちゃんとともに一家3人で日本へ帰って来ました。「ちょっと長めの冬休み」として、久しぶりの日本滞在を楽しむようです。凛さんたちの帰国を誰よりも喜んでいるのが義母の北斗さん。「すーちゃんが日本に初めてやって来ました」と大喜びで、さらに「3人の帰国を待っててくれた仲間がサプライズで色々準備してくれて寿々のウエルカムパーティーを準備してくれました」と、仲間の協力で盛大なお祝いをしたそう。すでに巨大なクリスマスツリーも飾り付けられた自宅は、パーティームード満載です。北斗さんはバルーンで飾り付けられたお部屋に、大きなケーキが2つ並んだウエルカムパーティーの写真も公開。あわせて「日本で初めて揃った佐々木家6人」と、寿々ちゃんを囲んだ家族写真もアップしていました。その笑顔から再会の喜びが伝わってきます。(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)凛さんたちをもてなすため、「すーちゃんが初めて日本に来たんだからとにかく食べられなくてもお祝い」「なので、ばーちゃんは赤飯を炊いてやりました」と、栗入りの赤飯を振る舞った北斗さん。一方で「海外の休みは長いので当分は家にいてくれるけど…既にカナダに帰っちゃう日が怖すぎる」とも。頻繁に会えないからこそ、会えたときのうれしさだけでなく、離れるときの寂しさも大きいようです。凛さんたちの日本滞在中、思い出がたくさん作れるといいですね。生後3ヶ月になったばかりの寿々ちゃんですが、哺乳瓶を自力で持ってミルクをゴクゴク飲むなど、とてもたくましく成長している様子。北斗さんは「とにかく可愛い」とデレデレで、知らない人と目が合ってもニコッとほほ笑むため「寿々が笑うと、皆んなニコッと笑ってしまう」のだそう。北斗さんと健介さんは、寿々ちゃんの寝顔を見ているだけでも笑ってしまい、「孫バカのジーとバーです」と満面笑顔の写真を投稿していました。(※画像は北斗晶さんオフィシャルブログより)赤ちゃん連れの飛行機、どんな準備が必要?徐々に年末も近づき、赤ちゃんを初めて飛行機に乗せるというご家庭もあることでしょう。特に初めて赤ちゃんと飛行機に乗る場合は、安心して空の旅を楽しむために事前に覚えておきたいことがあります。赤ちゃんはまだ耳抜きがうまくできずに、離着陸の際にぐずってしまうことがあります。これを少しでも抑えるために、各航空会社は離着陸時におしゃぶりを使う、または母乳やミルクを飲ませて耳抜きすることを勧めています。また、通路側の席の方がオムツを替える際にトイレに行きやすいため、通路側の席を予約するという人も多いようです。併せて予約時に小さな赤ちゃんがいると相談しておくと、どんなサポートを用意してもらえるのか教えてもらえます。月齢によっては航空機備え付けの乳児用ベッド、バシネットを利用するのもひとつの手です。事前に調べて、予約をしておきましょう。使用できる乳児の条件(年齢・体重)などは航空会社によって異なりますので、あらかじめ確認しておいてくださいね。参照:赤ちゃんは飛行機にいつから乗れるの? 料金と機内サービス、耳抜きなどの注意点
2023年11月17日「今度こそ『頼りになったな』って思われたい」中田敦彦さんと福田萌さんは2012年に結婚。2013年7月に長女、2017年1月に長男が誕生し、2021年3月から家族でシンガポールに移住しています。今年7月、福田さんは第三子を妊娠し「安定期に入りまして、今年の年末頃に出産を予定しております」と報告。「7年ぶりの妊婦生活と、これから出産を控えているということで、結構忘れていることとか多くて、新しく進化してるなって発見もあったりして、本当に新鮮な気持ちで妊婦生活を楽しんでいます」と明かしていました。そして今、福田さんは里帰り出産の準備のため先んじて日本へ帰国。子どもたちはシンガポールで学校に通っているため、中田さんは子どもたちと一緒にシンガポールに残り、初めての「ワンオペ育児」に奮闘しているといいます。ワンオペスタートからまだ数日だそうですが、中田さんは「大丈夫かどうかというと、ギリ」「いろいろ工夫してやりくりしている。料理は作っているわけではないし、昼食は学校のお弁当、あとは外食するとか。じゃあラクなんじゃないかというとそうでもない」と告白。親の仕事として、塾への送り迎え、持ち物チェック、英検の受験会場への送迎、眼科受診、近所の友人宅への送迎などなど、やることはたくさんあるようです。さらに外食や宅配食でも、「ご飯がきたけど食べない、食べたがらない、あんなにお腹が減っていたのに要らないという、寝ちゃう、いろいろありますね」と、子どもに食事をしっかり食べさせるだけでも大騒ぎで一苦労なのだとか。また、味覚が敏感な子どもたちは辛味や酸味が苦手ですが、中田さんはうっかり担々麺を宅配注文してしまい、「これ食べられない」と言われてしまうなど早々に失敗も。こんな失敗ひとつとっても「細かいところに気づきます、妻がやってくれてたんだなって」「普段からやりやがれってことですよね、まさにそのとおり」と、しみじみ感じているといいます。現在お子さんたちは小4と小1の年齢で「だいぶ楽」ではあるものの、第三子が生まれたらどうなるのかと戦々恐々の中田さん。第一子、第二子のときは赤ちゃんが泣くだけでもパニックでろくに対応できなかったと振り返り、「今度こそ、今度こそ『頼りになったな』って思われたい。リベンジ、異世界転生もの、私にとっては」と熱い意気込みを語ります。出産の際には家族みんなで帰国するようですが、年末まであとおよそ2ヶ月、ワンオペ育児は続きます。この2ヶ月で数段レベルアップして、第三子の育児に万全の態勢で臨めるといいですね。里帰り出産のベストタイミングは?里帰り出産をする際、帰省するタイミングに決まった時期はありません。ただし、帰る時期が遅すぎて予定日間際のタイミングになると、リスクをともないます。妊娠37週からは正期産の期間に入り、赤ちゃんがいつ生まれてもいい状態になります。出産予定日はあくまでも予定で、産まれるタイミングは誰にもわかりません。実家に戻る前だった場合、出産予定の産院から遠い場所で陣痛が起こってしまう可能性もあるのです。そのため、産前休暇が始まる妊娠34週を目安に、遅くても35週に入る前には帰っておくようにできると良いでしょう。正期産の時期に入る前に出産する病院の妊婦健診に一度でも行けるくらいの余裕を持って帰れれば、なお安心ですね。産院によっては「妊娠○週の健診までに」と、帰省時期を指示されることもありますから、その場合は指示に従いましょう。また、飛行機移動が必要な場合はさらに注意が必要です。妊娠中に飛行機に乗る場合、妊娠35~36週以降になると航空会社によって何らかの制限が加わるようになり、国内線では妊娠36週以降、国際線では妊娠35週以降、医師の診断書が必要とされることが多いです(条件は航空会社ごとに多少異なります)。また、多胎妊娠(双子以上の赤ちゃんの妊娠)では、妊娠32週以降で医師の診断書を求められることが多くなります。国際線については航空会社によって対応にさらに差があるので、事前にしっかり調べておきましょう。参照:【助産師解説】里帰り出産はいつからがベスト?帰省のタイミングと準備【医師監修】妊娠中の飛行機って危険?妊婦の飛行機移動のコツと注意点
2023年11月08日妊娠中に感じた「自分の体が変化していく怖さ」(※画像は藤本美貴さんオフィシャルブログより)藤本美貴さんといえば、YouTubeのお悩み相談に対するポジティブな回答が大好評。最新動画でも、妊娠や子育てに関するさまざまなお悩みに答えています。妊娠中の妻が「つわりがとても大変そう」で、どう接したらいいか悩んでいるという男性からのお悩みに対して、藤本さんは自身の妊娠中の体験を明かしました。藤本さん自身はつわりがそこまでひどくはなかったそうですが、妊娠中はいつも通りの体調とはいきません。そんなとき、夫の庄司智春さんが「(お腹の中で赤ちゃんを)一生懸命育ててくれてありがとう」と言ってくれたことに支えられたといいます。その経験から、相談者の男性に、「妻が大変だっていうことに共感してあげることが大切」「(妊娠・出産は代わってあげられないから)感謝の気持ちを伝えることくらいしか男性ってできない」とアドバイス。さらに、女性は妊娠中に「自分の体が変化していく怖さ」を感じることがあると言及しました。3人のお子さんを産んでいる藤本さん。妊娠中は毎回15キロほど体重が増え、「こんなに太ることって、人生で(めったに)ないじゃん」「大丈夫なのかな?」と不安だったそう。そんな妻の不安を少しでも解消するために、世の中の男性たちに向けて、庄司さんが言ってくれたような共感やねぎらいの言葉を「ぜひ使ってください!」と主張していました。「この距離で里帰り出産?」と義母が半笑いまた、藤本さんは妊娠中に義母から言われた言葉が忘れられず、モヤモヤしているというママからのお悩みも取り上げました。相談者の女性は、切迫早産になりかけた時、義母に「そういうのって、仕事してる人がなると思ってた」と言われたり、近くの実家で里帰り出産をすると伝えた際に「この距離で里帰り出産?」と半笑いで言われたりしたことが忘れられず、義母が「どんどん苦手になっている」といいます。藤本さんは、「子どもが絡むことで(義母を)嫌いになるパターンはある」としつつも、義母の側に悪気があるわけではなくても、リアルタイムの子育て世代と義母世代には妊娠・出産の知識や経験に大きなギャップがあると推測。それが溝を生んでしまう原因ではないか、というわけです。とはいえ、できれば夫の実家と険悪な関係に陥りたくはないですよね。藤本さんは義母に何か言われても「時代が違うんですよっていうことであまり気にしない」「『そうですね』って言っとけばいいんだよ」と、流したりうまくあしらったりすることも大切だと、大人のアドバイスを授けていました。視聴者からのさまざまなお悩みに答え、「子育てって大変だよねって思います」「日々自分でしてても『大変だな』『すげえ疲れるな』って思うけど、みんなの話聞いても大変だよねって思います」と実感したという藤本さん。だからこそ、庄司さんが言っていたような「無事に育ててくれてありがとう」「(ママがしっかり子育てしてくれているから)無事に大きくなってるね」といった言葉が必要なのだと強調していました。妊娠中、パパのサポートは不可欠つわりの症状は人それぞれですが、つわりで食事が十分に取れないと疲れやすくなります。つわりが重症化すると、妊娠悪阻といって水分や食事がほとんど取れなくなり、急激に体重が減ってしまう場合もあります。妊娠悪阻にまで発展すると、基本的に入院したうえで点滴などの治療を受けることになります。つわりは妊婦さんにとってありふれた不調ですが、このような危険も潜んでいることを知っておいてください。こうしたリスクを減らすためにも、つわりがひどい期間は家事や仕事で無理をしないことが大切です。また、不安やストレスはつわりの症状を悪化させる要因になるため、趣味に没頭する時間やゆったりとリラックスできる時間を意識してつくるようにしましょう。つわりによって家事や仕事が思い通りにできないと、とてももどかしいものですが、そんなときこそパパのサポートが大切です。ママが無理なく生活できるように、パパが家事をはじめとしてやるべきことを自分で考え、実践していきましょう。参照:【医師監修】つわりの時期はいつから? つらいピーク時期の対処法
2023年11月08日悩んで選んだプレゼントは……(※画像は渡辺満里奈さんオフィシャルブログより)渡辺満里奈さんと名倉潤さんは2005年に結婚。今では二児の父母です。6日、満里奈さんは「誕生会。夫の。」と題してブログを更新。部屋をバルーンで飾りつけ、美味しそうなケーキも用意して、名倉さんの55歳のお誕生日をお祝いしたといいます。「欲しいものはないという夫なのでプレゼントはいつも悩むのですが…」という満里奈さん、今年は自分が気に入ったセーターを贈り「サプライズペアルック」に挑戦したのだそう。満里奈さんはビタミンカラーのイエロー、名倉さんは落ち着いたグレーのセーターが良く似合っています。「1日限定令和のバカップルしてみました50代のバカップル……プレゼント選ぶ時、にやにやしたよね自分がアホすぎてアホなのきらいじゃない」(渡辺満里奈さんオフィシャルブログより)お祝いしてもらった名倉さんもInstagramにペアルック写真を投稿し、「令和のバカップルとても嬉しかったです」と喜びのコメント。さらに、「奥さん家族には感謝しかありません」「#本当にいつもありがとう#健康で楽しく暮らして行こうね」と感謝の気持ちを綴っていました。11月は満里奈さんの誕生日も控えている名倉家。去年、52歳の誕生日は家族でお食事に行ったそうで、「子どもたちが成長して行く中、こうしてみんなで揃ってご飯をいただけることが本当にありがたい」としみじみしたといいます。結婚して18年経って、一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど愛情が深まっているように見えますね。そんなラブラブ夫婦の今年の結婚記念日は、満里奈さんが以前から気になっていたレストランを名倉さんが予約してくれ、子どもが生まれてから初めて夫婦水入らずで結婚記念日のディナーを楽しんだそう。満里奈さんは、褒めるのは照れくさいといいつつ、「私が気になっていることをよく気にしてくれている」「優しいのよ、いつも」「強めの私をいつもフォローしてくれる」「ありがたす」と、夫への日頃の感謝をブログにしたためていました。(※画像は渡辺満里奈さんオフィシャルブログより)
2023年11月08日パパ大好きな長女♡2016年1月に女優の北川景子さんと結婚し、2020年9月に第一子となる長女が誕生したDAIGOさん。9月には北川さんの第二子妊娠を公表し、長女がお姉ちゃんになる日ももうすぐです。そんなDAIGOさんがInstagramに“謎の絵”の写真を投稿。「パパって書いたとの説明が娘からありました。最高の壁です。」か、壁⁉どうやら、部屋の壁に長女が「パパ」と書いたようなのです。DAIGOさんは事の顛末をハッシュタグで説明。それによると、自宅で長女から「パパ来て。パパって書いたの」と呼ばれ、「どこに?」と聞くと答えは「パパの部屋」。「パパの部屋かあ~パパの部屋!!?」驚くパパを「ほら来て」と連れて行き、見せてくれたのがパパの部屋の壁に描いたこの作品というわけなんですね。思わぬ出来事に、「ほんとだ上手だね」と伝えたというDAIGOさん。「鉛筆なのかマジックなのか前者であれ」と祈ったそうですが……どちらだったのでしょう?(笑)ともあれ、壁に絵や文字を描いてしまっても、注意したり叱ったりするのではなく、まず褒めるのがDAIGOさん流のよう。DAIGOさん自身「子どもを叱ることはない」とたびたび発言しており、以前、北川景子さんもトーク番組で「私ばっかり怒っていて嫌われ役」「ママ怖い、パパが良いって言われる」とボヤいていたことも。そして、そんな長女は「パパそっくり。99%パパ」なのだとか。天真爛漫な父子との毎日がなんだかんだと楽しそうですね。会話が成り立つようになる3歳3歳になると、「●ちゃん、3歳」「赤い靴をはく」など、複数の言葉を組み合わせて話せるようになります。質問されるとある程度答えられるようになるため、この時期からだんだん会話が成り立つようになってきて、親も子どもとの触れ合いをいっそう楽しく感じるのではないでしょうか。絵に描かれているものの名前を答えたり、家での様子や好きな遊び、好きな食べ物なども聞かれれば答えることができたり、自分の名前や年齢も言えるようになってくる時期です。体も発達し、歩いたり走ったり、飛び跳ねるのがうまくなってきます。細かな動きもだんだんと上手になってきて、クレヨンなどでマルを描いたり、大きなボタンをかけられるようになるのもこの頃です。同時に、自我もよりしっかりしてくるので、言葉の発達も伴って、思ったことをストレートに口にするようになり、親から見て「生意気になった」「口ごたえが増えた」と感じることも増えるかもしれません。子どもの自己主張や発言に耳を傾けるのは大切なことですが、すべての要求を受け入れる必要はありません。子どもも家庭や社会の一員だからこそ、その言い分に耳を傾けながらも、「なぜ言う通りにできないか」という理由を説明してあげてくださいね。子どもにも伝わる言葉で気長に説明してあげましょう。参照:【医師監修】3歳児の特徴は? 発育・発達段階と接し方のポイント
2023年11月02日2023年10月29日、国民的アニメの『サザエさん』(フジテレビ系)で花沢花子(通称:花沢さん)役が、声優の山本圭子さんから、声優の渡辺久美子さんに交代することが分かりました。花沢さんといえば、磯野サザエの弟である、磯野カツオに好意を寄せ、「磯野く~ん!」と元気いっぱいに追いかける姿が印象的なキャラクターです。同日、最後の出演回を迎えた、山本さん。最後は花沢さんがサザエと一緒に笑い合う場面で締めくくられました。ラスト出演となった「穴子さんの丹前」では、通学路を歩くカツオに「磯野君」と気さくに呼び掛けるおなじみの場面も。山本は、サザエさんと一緒に「アハハハ」と笑うせりふで半世紀を越えて演じてきた花沢さん役を締めくくった。サンケイスポーツーより引用渡辺さんが演じる、新しい花沢さんは、同年11月5日の放送回から登場するそうです。また、磯野家の隣人で、磯野波平の囲碁仲間である、伊佐坂難物(以下、伊佐坂先生)の声優の交代も決定しています。サンケイスポーツによると、伊佐坂先生役は、声優の中村浩太郎さんから、声優の牛山茂さんへとバトンタッチするとのこと。牛山さんによる新しい伊佐坂先生は、同月12日放送回から登場するといいます。ネット上では、花沢さん、伊佐坂先生役の声優交代のニュースに、多くのコメントが寄せられました。・花沢さんのラストボイス。感慨深かったです。本当にお疲れさまでした。・最後のシーン、花沢さんが磯野家の一員のように登場していて、尊かったです。・『サザエさん』がどんどん変わってきている。新しい伊佐坂先生と花沢さんも楽しみです。長年お茶の間を楽しませ、和ませてきた、花沢さんと伊佐坂先生。新しい声優を迎えた後も、その想いは引き継がれ、これからも愛され続けていくことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年10月30日2023年10月27日に、バンド『クレージーキャッツ』のメンバーであり、俳優の犬塚弘さんが亡くなったことを、産経新聞社が報じました。94歳でした。犬塚さんが亡くなったことで、『クレージーキャッツ』のメンバー全員がこの世から旅立つことに。1955年に、ジャズバンド活動で出会ったハナ肇(はな・はじめ)さんとともに『ハナ肇とキューバン・キャッツ』を結成した、犬塚さん。グループ内では、ウッドベースを担当していました。後にバンド名を、『クレージーキャッツ』に改名。1961年に発売した、バンドの代表曲ともなる『スーダラ節』が人気を博しました。また、哀愁漂う演技力を発揮し、映画『男はつらいよ』など、数々の舞台や映画にも出演し、俳優としても活躍をしていた犬塚さん。犬塚さんの訃報に、多くの人から悲しみの声が上がっています。・向こうでメンバーのみなさんと会っていますかね…。お悔やみ申し上げます。・『クレイジーキャッツ』は永遠です。・笑いと喜びをくれた、たくさんの作品を生み出してくれてありがとう。犬塚さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2023年10月27日映画上映会の最中に、『火事だ!』と叫ぶ声が聞こえて、ひょっと見たらウチの方角から火の手が出ていたの。“こりゃいかん、ウチに燃え移る”と思って、急いで巖の手を引いてウチに戻り、タンスの引出しを1つずつ引っ張り出して、私ひとりで近所の畑まで運び出しました」おかげで家財道具は焼失を免れた。「そのとき巖が運んだのは、飼っていた小鳥と、母親が煎ってくれた落花生が入った鍋だけ(笑)。巖は、そんなのんびりした優しい子だったのよ」終戦後、ひで子さんは15歳で地元の税務署に就職。女性はお茶くみ係で、結婚までの腰掛けという時代。「私は、そんな仕事じゃ満足できんし、一生、夫に扶養されるような人生はイヤでね。だから手に職をつけようと、仕事終わりにそろばんやタイプライターを習いに行ったの」しかし、スキルを磨いても、任される仕事は帳簿整理だけだった。「これではいかん」と思ったひで子さんは、13年間務めた税務署を退職。28歳で税理士事務所に転職し、本格的に経理を身につけていった。仕事をバリバリこなす一方で、恋多き女性でもあった。「職場に女性が少なかったからか、モテたわね(笑)。私は男とか女とか気にしない性格だから、紅一点の社員旅行でも平気で参加したし、休みの日には役所の独身寮に集まって、男性社員に交じってマージャンするのも楽しみだったの」21歳で結婚するも、1年で離婚したひで子さん。キャリアを重ねつつ青春も謳歌していた。■「巖はもうダメかいね」そう繰り返しながら母は亡くなった順風満帆に見えたひで子さんの人生が暗転したのは1966年6月30日。ひで子さん33歳のとき。巖さんが住み込みで働いていた味噌製造会社の専務宅が全焼。メッタ刺しにされた専務一家4人の遺体が見つかったのだ。警察は、元プロボクサーだった当時30歳の巖さんを犯人に仕立て上げた。巖さんの寮の部屋にあったパジャマに、血液かどうかも不明な小さな茶色のシミが付着していたのを理由に犯人と断定。放火・強盗殺人などの容疑で逮捕に踏み切った。そのうえ、苛烈を極める取調べで自白を強要。巖さんは20日間の取調べの末、たまりかねて自白したのだ。新聞やテレビは、巖さんを“ボクサー崩れ”と揶揄し、犯人と決めつける報道を繰り返した。「だから、巖が逮捕されてから3年は一切ニュースを見なんだ。私ら家族は巖の無実を信じていたけど、黙っているしかなかったんです」静岡地方裁判所で開かれた第一審公判で、巖さんは起訴事実を全面否認する。巖さんは、“裁判で本当のことを話せば、必ず無実だとわかってくれる”と信じていたという。ひで子さんは、頻繁に拘置所へ足を運んだ。「ほかのきょうだいには家庭があるけど、私は独身。だから、私が巖を支えにゃいかんと思ってね。私が面会に行くと、巖はいつも『母ちゃんは元気か?』と母を心配して。毎日のように母宛ての手紙を書いていました」第一審が進む中、事態が急変したのは事件から1年半後のこと。現在は捜査機関の“ねつ造”が強く疑われている“5点の衣類”が、味噌タンクの中から突如発見されたのだ。これを受けて検察は、第一審の途中で〈犯行着衣はパジャマではなく5点の衣類〉〈犯行後に(巖さんが)味噌タンクに隠した〉と、あっさり当初の主張を覆す。「逮捕時には〈パジャマで犯行に及んだ〉と言って自白を強要されたのに、こんなおかしなことがあるもんかと思ってね。巖も『5点の衣類は“ねつ造”だ。必ず真犯人が見つかる』と、当初から言っていたんです」ところが1968年9月11日、静岡地裁が巖さんに下した判決は“死刑”。巖さんは即控訴するも、翌年、母は失意の中で息を引き取った。68歳だった。「そんな若くして逝くような人じゃないのに、ストレスで体調を崩して。『巖はもうダメかいね、ダメかいね』とうわごとのように繰り返しながら死んでいきました」母の後を追うように翌年、父も他界。獄中で両親の死を知った巖さんは、“この事実が何かのまちがいであってほしい”と手紙にしたため、悲しみに打ちひしがれた。ひで子さんは、経理の仕事を続けながら巖さんを支えた。死刑が執行されたと聞けば、「巖じゃないか……」と気が気でなかった。仕事仲間はひで子さんによくしてくれたが、“殺人犯の姉”などという心ない声を耳にすることもあった。「あの時代は、誰もが“警察がすることは間違いない”“えん罪なんてない”と思っていたわけ。だから仕方ないと思って大きな顔をして生きていましたよ。今でこそ、“気丈に闘う女”のように思われている私だけど、“巖は無実なのに”と思ったら寝付けなくなった時期もありました」眠るためにウイスキーを何杯もあおる日々が3年半ほど続き、ひで子さんは体調を崩してしまう。その状況から抜け出すきっかけになったのが、各地で広がり始めた“支援の輪”だった。「“えん罪だ”と気づいた人たちが署名活動を始めてくれて。なのに、巖の姉である私が飲んだくれていたらどうしようもない。そう思って37歳ごろに一切のアルコールを断ったんです」必ず、巖を助ける。ひで子さんが、そう腹をくくった瞬間だった。【後編】「袴田事件」姉弟愛が拓いた再審の道!姉・ひで子さん「48年ぶりに確かめた弟の手の温もり」へ続く
2023年10月27日「体操教室とか行ってるんですけど。このあと、どうしよう」2016年1月に女優の北川景子さんと結婚し、2020年9月に第一子となる長女が誕生したDAIGOさん。9月25日には北川さんが第二子妊娠を発表しました。番組では「かしこ過ぎる天才児の生態調査」と題した企画が進行。スタジオでは子どもの教育や習い事に関する話題になりました。DAIGOさんは、我が子の習い事について「もう3歳になったし、いろいろ考えていこうとは思ってて」「体操教室とか行ってるんですけど。このあと、どうしようっていうところがあって」と明かし、「ピアノとかもやらせたいし、水泳もいいし、英語とかも」と、さまざまな習い事にチャレンジさせたい様子でした。一方、MCのナインティナイン・岡村隆史さんは「英語はある程度話せるようにだけはなってほしいなって。僕はできひんかったから」「小さいうちに英語しゃべれるようにマスターしてほしい」と回答。親自身ができなくて苦労した何かを、子どもに同じ思いをさせたくないとして習得させようと考えるケースはよくありますよね。家族3人、それぞれが短冊を書いたことも……その観点で言うと、DAIGOさんは「字が汚い」と自覚していることから、子どもには「やっぱり字がキレイになってほしい」と考えているそう。その上で「妻がすごく字がキレイなんで」と、妻の北川さんについて話しつつ、「字がキレイな人って、キレイなだけで、どんな人格でもちょっと見直されませんか?」と、字がキレイなことに対する独特の考え方を明かしていました。ちなみにMCのなるみさんは、芸人であるなるみさんに憧れておもしろいことをしようとする息子に対し「(小学)2年生が思いつくおもしろいこと、大体おもんないからやるな」と、ストイックなお笑い教育をしているそうです。赤ちゃんや子どもの習い事、どんなものがある?(※画像はイメージです)昨今ではベビースイミング、ベビーサイン、ベビーマッサージ、ベビーリトミック、ベビーヨガ、体操教室、英語教室、幼児教室など、赤ちゃんや幼児向けの習い事が増えています。開始時期は発達状況や習い事の内容によって変わってきますが、早いものだと首がすわる3ヶ月前後から通え、6ヶ月~1歳ともなるとグンと選択肢が広がります。レッスンへの送迎が必要になりますが、乳児期は特に家にこもりがちな保護者のリフレッシュにも最適ですね。どの習い事もたいてい体験レッスンを用意しているので、気になるものがあったら参加してみるのもいいでしょう。親としては、早めのスタートで子供の可能性を最大限引き出してあげたいものですが、無理は禁物。子どもに合った習い事を、子どもに合ったペースでできるよう配慮することも忘れずに。(マイナビ子育て編集部)
2023年10月25日「つんく♂さんって厳しいお父さんなんですか?」つんく♂さんは2006年に元タレントの出光加奈子さんと結婚し、2008年4月に双子の男女が、2011年3月に第三子となる次女が誕生。2016年から家族5人でハワイに暮らしています。日本では仕事漬けの日々で、ハワイに住んだら少しゆったりできるかと思っていたそうですが、遠隔でバリバリ仕事をこなし「意外と忙しい」と話すつんく♂さん。ハワイでの生活についてきかれると、「交通手段が車なので、俺か妻が(子どもたちを)送り迎えする。そういう時間も結構かかる」と、日本にいた頃よりも家族との時間が増えているといいます。藤本さんにとってつんく♂さんはいつも温厚な印象で、メンバーにも怒っている姿を見たことがないため、子どもへの接し方について、「つんく♂さんって厳しいお父さんなんですか?」と尋ねます。お子さんたちにとってのつんく♂さんとは……実は、子どもたちには「パパ暗い!」と言われるのだそう。さらに「パパはいつもプンプン怒ってる」とも言われるそうで、つんく♂さんは「これはどこの家もやろうけど」と前置きし、「食器片づけて」「洗濯物なおして」「タオル持ってきて」「ゴミ出して」といった子どもたちへの小言が絶えないのだと告白。「日本にいたら、つんく♂さんがゴミ出しとか考えられない。THE芸能人ってイメージ」と驚く藤本さんですが、実際のつんく♂さんはレコーディングなどの仕事現場でも細かいところまでスタッフに注意するタイプ。そうしたマメさがあってこそ、ありえない量の仕事をこなすことができ、数多くの名曲誕生につながっているようです。さらに、「つんく♂さんにとって奥さんはどういう存在?」という問いには、がんを患った経験から「病気して良かったねみたいなきれいごとはないとして、やっぱ健康でいることがベストだと思う。ただ申し訳ないけど、病気して、苦労はかけてると思う」と、妻への感謝が第一にあるといいます。つんく♂さんは「幸せって、瞬間の積み重ね」だと定義し、「家でBBQしてるときでも、子どもと一緒に車で送迎してる当たり前のときでも、ああ幸せやなって思えるんよね」と、充実した生活を送っていることが伝わりました。また、ハロプロメンバーにとっても父親のような存在でもあるつんく♂さん。藤本さんはモーニング娘。5代目リーダーに就任した直後、庄司智春さんとの交際が発覚してグループを脱退しましたが、つんく♂さんはかつてテレビ番組で「メンバーが他の男に持っていかれたとき、本気で殴ったろかと思った」と言っていたため、おそるおそる藤本さんが本音を探ります。するとつんく♂さんは、「テレビ的には『殴ったろか!』って言うたけど、それはファンとしてもそれくらい誰かが言ってくれないと心の持っていきようが無いと思うんよね。でも心の中では、幸せになれよ~、頑張れよ~、失敗してもええからな~って思ってる」と、実は祝福していたことを明かしました。離婚を経験したメンバーに対しても、「何回でもチャレンジし! って思うし、そりゃ一回でずっと長く続くがええんやろうけど、人間やしね」と温かい気持ちで見守っているようです。庄司さんと2人で「しっぽりと飲みたい」との発言も飛び出し、やはりメンバーを家族のように思う愛情の深さがにじみ出ていました。
2023年10月25日女優の高島礼子さんが、同じく女優のとよた真帆さん、常盤貴子さんといっしょにランチ会をした様子を自身のInstagramに投稿しました。豪華な女子会を報告 この投稿をInstagramで見る 高島礼子(@reico.official)がシェアした投稿 高島さんは、とよたさんと常盤さんの名前、さらに「女子会ランチ」や「楽しい会話」「美味しい食事」というハッシュタグをつけて投稿。「会話が途絶えません。やっぱり楽しいですね。頼もしいとても良い刺激を受けました」と素直な気持ちを綴っています。 投稿を見たファンからは「すごいメンバー」「豪華な女子会」「超〜美女トリオ」「皆さん変わらずお綺麗」「美人3人組」などの声が集まっています。 女子会の会場となったのは、とよたさんが今年8月に開いたレストラン「ロジエ」。高島さんのInstagramに再び、とよたさんと常盤さんが登場する日が楽しみです。
2023年10月23日『新婚さんいらっしゃい!』で初の同性婚カップルとして話題になった竹田純さん(34)、クリスさん(34)。竹田さんは床バレエ・エクササイズの考案者としてYouTubeや著書で人気のバレエダンサー。その彼が恋に落ち、結婚したのは、クリスさん、男性だ。二人はどこにでもいる、新婚さん。フランスで正式に結婚したカップルだ。彼らは仲睦まじく、ごく自然にゆったりと、誰の目も気にせず、腕を組んで寄り添って歩くーー。(全3回の第1回)「それでは、最初の新婚さん、お呼びしましょう。新婚さん、いらっしゃーい!」MCによる恒例のフレーズで始まった、6月4日放送の『新婚さんいらっしゃい!』。観覧席からの盛大な拍手に迎えられ、スタジオに登場した二人はラブラブな雰囲気で、見ているほうが気恥ずかしくなるほど仲睦まじい。なれそめや日常生活などについてそれぞれが語りながら、手を繫いだり互いの体に触れ合ったり。ときにはMCからツッコミを入れられ、観覧席や視聴者の笑いを誘う。その姿は、番組に出演するいつものカップルたちと、なんら変わらない。ただ一つ、違ったことといえば……。この日、出演した“新婚さん”竹田さんとクリスさん、二人がともに男性だということ。竹田さんはバレエダンサー。「上品にボディメークができる」とSNSや動画サイトで話題の「床バレエ」の日本での第一人者だ。「美尻王子」の異名を持ち、10年ほど前から床バレエのエクササイズ本を何冊も出版。今年4月に出版した『マネしたらやせた! 30秒だけ床バレエ』(講談社)も好評を博している。いっぽうのクリスさんは、リトアニア出身。国内外で活躍する、建築やインテリアのデザイナーだ。フランス在住の二人は今年3月、パリから南に列車で2時間ほどの距離にあるブロワ市で、結婚した。彼らが暮らすフランスでは、ちょうど10年前の’13年から、同性婚が正式に認められている。放送のなかで竹田さんは、今回出演が叶った番組への憧れを、笑顔で語った。「小さいときから見ていたので、すっごい嬉しいです」半世紀を越す長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』に同性婚カップルがスタジオ出演するのは初めてのこと。それゆえか、この二人の出演は、放送前からインターネットを中心に大いに注目を集めていた。■年齢も育った国も違う二人が感じた「周りの子と違う自分」竹田さんは’82年、静岡県で中華料理店を営む両親のもとに生まれた。「両親が共働きで、私と2歳上の姉は家で留守番か、父方のおばあちゃんに預けられることが多くて。バブル期でお店もすごく忙しくて、とにかく親の愛情に飢えている、私はそんな子でした。いま思えば、そこまで欲しかったわけでもないのに、きっと愛情を確認したかったんでしょう、お母さんと買い物に出かけたりすると『あれ欲しい!』と泣き喚いて困らせる、そんな子どもでした」竹田さんの話を聞きながら「僕はもっといい子だった」とほほ笑んだクリスさんは’88年、リトアニア第二の都市・カウナスに生まれた。「欲しいもの、買ってもらえなくても『しょうがない』って思える、そういう子だった。だから、そういうことで泣いたり、もちろんパニックとか絶対にならない。両親からしたらめっちゃラッキーな、いい子じゃない?(笑)」年齢も育った国も違う二人。だが、それぞれが「周りの子と違う自分」を感じながら、少年時代を過ごしてきた。クリスさんは言う。「幼いときから『自分はなんか周りの人と違うな』と思ってた。人を好きになるなら、皆と同じように女性じゃなきゃいけないと思ってたけど、僕はそれができなかった。だから、僕は“表向きの自分”という殻を作って、ずっとその中にいたし、家族とは少しずつ距離を取るようになった」いっぽう、竹田さんは自身の幼少期をこう振り返った。「厳密に、どこで自分が『周りの人と違う』と気付いたかは定かじゃないです。でも、保育園のとき『いいな』と思う人がいて。その人、見た目がボーイッシュな女の子だった。女性と気付いてすぐ『あ、違う』って思い直したんですけど(苦笑)。そのころかもしれないですね、自分は違うんだと気付いたのは」朗らかな口調で、思いの丈をまっすぐ語る現在の竹田さん。だが、少年期の彼はそうではなかった。「お習字も水泳もサッカーも、何をやっても中途半端。というのも“皆とは違う”と気付いた瞬間から、ずっと心にあったのは『自分は決して成功する人間ではない』という思いでした。何をするにも、いつも端から諦めてしまっているというか。幼いときから教え込まれたこの世の中の“普通”、男性と女性というスタンダード。翻って自分を見れば『私は違うんだ、ダメなんだ』という気持ちに、どうしてもなってしまっていた。だから、本当の自分なんて出したくても出せない、出しちゃいけないっていう感覚がずっとありました」そんな竹田さんが唯一、諦めることなく、没頭したものがあった。「中学生のとき、当初はダンスでした。ジャネット・ジャクソン、それにスパイス・ガールズ……。テレビで見て『すごい!』って思って、振付をまねして、家で踊りまくって。そしたら、姉に『うるさい!気持ち悪い!』って怒られ、蹴りまで飛んできて(苦笑)。それで、家で踊ることは諦め、電話帳で見つけたジャズダンス教室に通うようになったんです」竹田さんにとって踊ることは、全身を使って本当の自分を表現することに、ほかならない。「2年ほど通うと、ダンス教室の先生から『あなたはバレエのほうが向いている』と勧められ、17歳でバレエ教室に。バレエはダンスのように、好き勝手には踊れないんです。足の出し方一つにも、制約がたくさんある。でも、それすらも面白くなって、どんどんバレエにハマっていきました」やがて高校3年生になった竹田さんだが、進路にあれこれ悩むことはなかった。目の前にあったのはバレエダンサーへの道、一択。「自分の将来とか、あんまり真剣に考えてこなかったんです。でも、そのときバレエ教室の先生から『東京バレエ団のオーディション、受けてみたら』って言ってもらって。考えるより先にまず行動するタイプの私は、言われるまま受験して、入団が決まっちゃった」キャリア、わずか2年足らずで、国内有数の名門バレエ団の一員になるという快挙を成し遂げた。「入ってみたら、当然ですが私がいちばん下手。でもそれで、一気にやる気が強火になった(笑)」日本屈指のバレエ団。環境にも恵まれていて、海外のバレエダンサーの姿も身近なものに。「彼らを見ていたら、自分も海外でやってみたいと思うようになっていきました。『下手な私が上達するには、ゼロからちゃんと学び直さなきゃ』と思って、フランスの国立バレエ学校に行こうと決心して。それに、まったく違う世界に飛び込めば、本当の自分をもっと受け入れてもらえるかもしれない、そんな淡い期待もありました」竹田さんは20歳で渡仏。ところが、目指した国立バレエ学校は通常、15~18歳が通うところで……。「それ、知らなかったというか、調べてもなくて(苦笑)。年齢を理由に、何度も門前払いされましたけど、めげずに通ったら、4回目ぐらいに窓口の人が根負けしてオーディションを受けさせてくれて、無事合格(笑)。以降、15歳の子たちとレッスンに励みました」基礎から学ぶこと4年。’06年には難関といわれる国際コンクール「Concours International de Danse Classique de Biarritz」で銅メダルを獲得。フランスのリモージュ歌劇場など多くのバレエ団で活躍した。そして’09年、竹田さんは27歳のときに日本に帰国することに。「帰国後、収入を得るためにバレエの指導者になろうと。でも、ただの先生では面白くない。そこで思いついたのが、フランスで『バーオソル』と呼ばれる床バレエでした。それはバレエをベースにした床に体をつけたまま行うエクササイズ。フランスではバレエ経験の有無にかかわらず、美しい筋肉が手に入るととてもポピュラーなもの。私自身、日ごろ床バレエをやってきたことで、けがから早期回復できた実体験もあり、多くの人に勧めたい、日本でも広めたい、そう思ったんです」【中編】床バレエで人気の“美尻王子”が同性婚!〈2〉ゲイである自分を押し殺していた2人の運命的な出会いと葛藤へ続く
2023年10月22日女優でモデルの内田理央さんが、自身の公式Instagramに元SKE48で女優の松井玲奈さんとのツーショットを公開しました。おそろ水着でかわいすぎるふたり この投稿をInstagramで見る 内田理央だーりお(@rio_uchida)がシェアした投稿 さわやかな青空を背景に、「玲奈ちんとお揃いの水着とイヤリングらぶ」と色ちがいの水着で松井さんと密着する姿を投稿した内田さん。「夏の思い出」というハッシュタグも添えていて、とても楽しそうな様子が伝わってきます。美女ふたりのスペシャルショットに、フォロワーから「挟まれたい」「とっても素敵なツーショット」「尊い…」「美人揃い!」「最強コンビ」「双子コーデ、可愛いー」と歓喜の声が集まっています。プライベートでの様子も公式Instagramに投稿している内田さん。以前から仲のいい松井さんがまた登場する日が来るのか、これからもチェックしていきたいと思います!
2023年10月19日2023年10月19日、俳優やお笑いタレントなど幅広く活躍していた財津一郎さんが、89歳で亡くなっていたことが分かりました。『タケモトピアノ』のCMでの、「ピアノ売ってちょーだい!」や「もっと、もーっとタケモット!」といった掛け声が印象的な、財津さん。1995年に脳内出血を発症し、2011年に放送されたテレビドラマ『3年B組金八先生ファイナル』(TBS系)以降は活動を休止していましたが、同CMによって幅広い世代に親しまれていました。逝去が明かされた日、財津さんと共演経験のある俳優の鈴木亮平さんは、文書でコメントを発表。冥福を祈るとともに、想いを明かしました。財津一郎さんは、生意気だった26歳の自分を温かく包みこみ、同じ目線に立って一緒に歩いてくれました。そういう人間でありたいと、自分も今思うようになりました。財津さんの歩んできた道のりは、きっと新しい世代に引き継がれていきます。心から、ご冥福をお祈りいたします。初の主演作である映画『ふたたび swing me again』にて、財津さんの孫の役として共演を果たした、鈴木さん。コメントからは、俳優としてだけでなく、人として財津さんを尊敬していたことが伝わってきます。きっと、2人しか知らない共演時の思い出がたくさんあるのでしょう。26歳だった鈴木さんにとって、財津さんは本物の祖父のような頼れる存在だったのかもしれません。共演から月日が経ち、今や鈴木さんは、多くの作品で活躍する大人気俳優。きっと『祖父』である財津さんも、その成長を喜んでいたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年10月19日結婚したら引退すると決めていた上戸彩さんは2012年9月にLDH JAPAN代表のHIROさんと結婚し、2015年8月に第一子となる長女、2019年7月に第二子となる長男、そして今年6月に第三子となる次男を出産しました。出産後も女優として大活躍している上戸さんですが、結婚したら芸能界を辞めると決めていて、「そういうのに憧れてました」と明かします。しかしHIROさんは上戸さんの仕事を応援し、「もっとこういうのやったらいいじゃん、こうしたらいいじゃん」とたくさんアドバイスもくれたといい、以前よりもっと仕事を楽しめるように。「上戸彩っていうのを、胸を張って楽しめるようになってきたのは結婚のおかげ」だといいます。木村拓哉さんは「だとしたらHIROにありがとうだな」とニンマリ。実は木村さんとHIROさんはプライベートでも仲が良く、長女が赤ちゃんのときには夫婦で木村さんの自宅に遊びに行ったことがあるのだとか。「俺が泣き止ます」と30分抱っこして寝かしつけ第三子がまだ生後3ヶ月で、1人でマッサージに行く時間もとれない上戸さんを、木村さんは「ほんとに勝手な大人の尺度の言い方ですけど、3か月間はもう……戦場ですからね、お母さんたちにとっては」と労います。すると上戸さんは「お母さんたちっていうか、それが分かる木村さんはさすがですよね。ちゃんと見てきてるんだなって、すぐ分かる。男の人とこういう会話すると」と応じました。実際、木村さんは、ギャン泣きしていた上戸さんの長女を見事に寝かしつけたことがあるのだそうです。その日、木村さんの家で「眠くてギャン泣き」していたという上戸さんの長女を、木村さんは「俺が泣き止ます」と言い、上戸さんが持参した抱っこ紐を装着。階段を上がったり下がったり、30分ぐらい歩き回って、いつのまにか赤ちゃんはスヤスヤ眠りに落ちていたそう。(※画像はイメージです)「泣いてる相手に対して、大丈夫という感情が伝わると寝てくれる。あの寝てくれたときの、きた~!っていう、寝た瞬間のあの重み、いいっすよね。あと、急に熱くなる感じ。あっつ!ってなって、見たら、だふ~って寝てる」と、当時を思い返す木村さん。上戸さんは、「男性って、やっぱりママがいいんだよってすぐにママに(赤ちゃんを)渡したり、あー俺じゃだめだ……ってなるパターンが多いんですけど、木村さんみたいにあやしてくださると本当に助かります」と感謝。当の木村さんは「あのときは僕もスイッチ入ったんですよ、絶対寝かしてやるって」と、負けず嫌いスイッチがオンになっていたようです。それが8年前の話で、長女も今や小学2年生に。ちなみにその子がお腹にいたとき、上戸さんと木村さんは連続ドラマで夫婦役を演じており、長女は生まれてからも木村さんがテレビに出たり、声が聞こえたりすると激しく反応していたというからスゴイですね。赤ちゃんの笑顔は宝石のようなご褒美また、暑さがやわらいだら第三子も連れて木村さんの家に遊びに行きたいとトークが盛り上がりますが、まだ日中は暑いから……という上戸さんに、木村さんの口からは「そうだよね、あの状態のちびっこたちって、唯一伝えられるのが泣くことと寝ることと、たまに宝石みたいな笑顔と」と素敵な言葉が飛び出しました。不意打ちで飛び出す赤ちゃんの笑顔について、「今笑った?みたいな。あの宝石は時々ぽろっとでてくる、とんでもないご褒美ですよね」と表現する口ぶりからは、自身もお子さんたちを可愛がって育ててきた木村さんのパパとしての一面が伝わってきました。林遣都さん・大島優子さんの赤ちゃんも……!木村拓哉さんのパパぶりは、本人不在の場面でも明かされていました。14日放送の『KinKi Kidsのブンブブーン』(フジテレビ系)にゲスト出演した俳優の林遣都さんが、第一子を木村さんに抱っこしてもらったときのエピソードを話したのです。林さんは2021年に女優の大島優子さんと結婚。今年1月に第一子の誕生を公表しました。林さんは「ちょっとした食事会」に木村さんが来ると聞いて、「僕去年子どもが生まれたんですけど、木村さんいらっしゃるならちょっと会ってもらいたいなと思って」連れて行ったそう。そして木村さんに「もし良かったら抱っこして欲しいです」と頼んだところ、木村さんは「まだ早い」と一言。それは、「こんだけ大人がたくさんいて、赤ちゃんまだ緊張してるし、今抱っこすると怖いし疲れちゃうし負担になっちゃうからもうちょっと待って」という理由からでした。そこから隣に座って抱っこはせず赤ちゃんをあやし続けた木村さんは、30分ほど経った頃に「よし来い!」と初抱っこ。林さんは「そしたらうちの子ももうリラックスしてて、すごい笑ってて。その瞬間にぶわぁ~~って涙出てきちゃって」と、憧れだった木村さんが我が子を抱く姿に、思わず泣いてしまったのだそうです。上戸さん・林さんのエピソードからは、木村さんが赤ちゃんと対峙するとき、赤ちゃんの良きタイミングを徹底して「待つ」姿勢でいることが伺えますね。
2023年10月18日2023年10月16日、タレントや歌手として活動している、研ナオコさんがブログを更新。同日に報じられた、フォークグループ『アリス』のメンバーであり、シンガー・ソングライターの谷村新司さんの逝去を受け、想いをつづりました。研ナオコ、谷村新司さんの逝去に「どんどん辛くなって来ます」研さんと谷村さんは、デビューの時期が近かったそうで、番組での共演も多かったとか。訃報を知り、驚きとさびしさがこみ上げてきたようです。想像も予想も何もして居ない私にはエッ!言葉がでませんでした。デビューも同じころで番組もよくご一緒させて頂き、可愛がって頂いておりました。4年ぐらい前アリス復活コンサートに行かせて頂きました。終わった後笑顔で握手し又ねって、、、、。悔しい気持ちと寂しい気持ちが入り混じって居ます。もう、逢えないあの歌声が聴けない、、、。この様に書いて居てももっと、もっと語りたい事があり過ぎてどんどん辛くなって来ます。研ナオコオフィシャルブログ『NAOKOKEN』ーより引用谷村さんにかわいがられていたこと、4年ほど前のコンサートで「またね」と言葉を交わしたことなど、さまざまな出来事が思い出されたのでしょう。研さんの悲しみが、文章からも伝わってくるようです。またブログ内では、谷村さんが研さんに提供した楽曲について「ずっと大切に歌わせていただきます」とつづっています。ブログには、研さんと同じように谷村さんを偲ぶ人たちから、コメントが寄せられました。・本当に驚きのニュースでした。「もうあの歌声は聴けない」と思うと、さびしさが押し寄せます。・ナオコさんの曲でも、谷村さんが作られた『悲しい女』は大好きな曲です。ご冥福をお祈りいたします。・私も訃報を知った時は、本当にショックでした。さびしいですね。谷村さんが作詞作曲を手掛けた、研さんの楽曲『悲しい女』は、リリースから約30年が経った同年現在でも、多くの人に愛され続けている名曲です。研さんが大切に歌い続けたいと誓った楽曲は、これからもたくさんの人の心を動かし続けるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2023年10月17日