歌手でタレントの森口博子が3日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんとの思い出を回想した。この日、森口は桂さんの訃報に言及し「心から哀悼の意を表します」とコメント。「先生には大変お世話になりました」と述べ、2016年5月に日本橋三井ホールで開催された桂由美さんの創作活動50周年を記念した舞台『桂由美物語』で桂さんの役を務めたことを明かし、桂さんとの2ショットとともに「改めて先生の偉大さを実感した感動の連続の日々。いろいろな思い出が蘇ってきます」と当時を振り返った。続けて、舞台のポスターで着用していた衣装について「先生から『是非に』と、お貸しいただきました私物なんです」と説明し「恐れ多くも袖を通させていただき、背筋が伸びる思いでした」とコメント。「先生が、本読みの時に持って来て下さって、ターバンを私の頭の上にのせて下さった」といい「先生からの無言のメッセージを受け取ったような瞬間で、目頭が熱くなりました」とつづった。また、稽古場では桂さんから「歌のシーンで涙が・・・・大変だった時代を思い出しちゃって…素晴らしかったわ。ありがとうございます」と言われたそうで「こちらこそ、感謝の気持ちでいっぱいです」とコメント。「カーテンコールでは何と私もウエディングドレスを着させて頂きました」と明かし、ウェディングドレス姿の自身の写真を公開した。さらに、着用したウェディングドレスについて「ベールのビーズやスパンコール、ひとつひとつ手作りで愛情と透明感が溢れていました」と述べ「マーメイドのようなデザインは『由美ライン』と言われています」と説明。「現役で常に創作アイディアが溢れていらっしゃる先生のカーテンコールでのお言葉にも感銘を受けました」といい「まだまだ『道半ば』。強い意志やロマンを感じずにはいられませんでした」とつづった。最後に「日本で革命を起こし、偉業を成し遂げた先生に敬意を表します。本当にありがとうございました」とコメント。「旅立たれた新たな世界でもきっとアグレッシブに過ごされているのだと思います」と述べ「心から、ご冥福をお祈りいたします」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月03日タレントのキャシー中島が4月30日に自身のアメブロを更新。4月26日に亡くなったデザイナー・桂由美さんの訃報に心境を吐露した。この日、キャシーは「桂先生に初めてお会いしたのは、女の60分と言う番組で取材をさせていただいた時です」と初対面した日を回想。「それからかれこれ50年!!私の結婚式のドレス、娘2人の結婚式のドレスと公私共におつきあいさせていただきました」と明かした。続けて、桂さんがキャシーの夫で俳優の勝野洋の舞台を必ず観に来てくれていたそうで「大きな拍手をくださいました」とコメント。「いつも心に留めてくださいました。先生、寂しい!」と心境を吐露し「2月にサファイア婚のイベントをしていただいたのが最後になりました。その時にこんなに早くお別れが来るとは思いもしませんでした」とつづった。また、一緒に食事をする約束をしていたことを明かし「実現しなかったですね。寂しい」と述べ「ただただご冥福をお祈りするばかりです」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日2024年4月30日、ブライダルデザイナーの桂由美さんが94歳で亡くなったことが分かりました。ブライダルデザインの第一人者として、日本にウェディングドレスを広め、数々の芸能人のドレスなども手掛けていた、桂さん。訃報を受けて、親交のあったモデルやタレントからも追悼の声が寄せられています。アンミカが、故・桂由美さんを追悼ファッションモデルやデザイナーとして活躍する、タレントのアンミカさんも、桂さんと親交があった1人。訃報を受けて、同日自身のInstagramで追悼のコメントを寄せました。生前の桂さんとのツーショット写真や、美しいドレスを身にまとった自身の写真を添えた、アンミカさん。「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」という書き出しで投稿された文章には、桂さんとの思い出などがつづられていました。日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる。何度も桂由美さんの魔法にかかりました。そして、いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした。ahnmikaofficialーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る アンミカ(@ahnmikaofficial)がシェアした投稿 モデルになった15歳から、桂さんのショーに出ることがずっと夢だったという、アンミカさん。念願が叶った時には、1つステージが上がったような自信がついたといいます。また、アンミカさんは写真集やテレビ番組でも桂さんの手がけた衣装をたびたび着用。投稿された写真は、その時に着用したものの一部なのでしょう。華やかで斬新なデザインのドレスはどれもインパクトがあり、着こなすアンミカさんの美しさも際立っていますね!投稿を見たファンからは、ドレスを絶賛する声や桂さんにまつわるエピソードなど、さまざまなコメントが寄せられています。・どのドレスも似合っていて、とても素敵!私も30年前に、桂由美さんのイブニングドレスをお色直しで着させてもらい、心から幸せな気持ちになれた想い出です。・アンミカさんが着ることでドレスの魅力も増していて、どの衣装にも魂が込められているようです。これからも光り輝くドレスたちですね!・どれも素敵で、桂由美さんの偉大さを感じます。アンミカさんがこうして桂由美さんのお洋服を素敵に着こなされることで、亡くなられても作品は生き続けるのですね。アンミカさんをはじめ、多くの関係者から感謝や追悼の声が寄せられている、桂さん。その功績は、唯一無二の美しいドレスと幸せな思い出とともに、人々の心の中に生き続けるのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2024年05月01日モデルでタレントのアンミカ(52)が4月30日、自身のブログを更新。デザイナーの桂由美(かつら・ゆみ、本名結城由美=ゆうき・ゆみ)さん(享年94歳)が26日に死去したことを受け、追悼した。アンミカは「桂由美さんの訃報に接し、在りし日のお姿を偲びつつ、ご冥福をお祈りいたします」と追悼。「日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった桂由美さん」とあらためて桂さんを紹介し、「15歳でモデルになってから、ずっと桂由美さんのショーに出ることが夢で、叶った時は一つステージが上がったと自信がつきました」とつづった。さらに「MBSのパリコレ学では、日本から世界へ活躍するモデルの成長のためにご協力して頂き、私もコレクションでお世話になりました」「近年は、アクスタ衣装全て、アンミカーニバルPVの衣装、写真集の衣装、トークィーンズでの衣装まで、とてもお世話になっていました」と、桂さんと共演した番組や仕事などを回想。また、「日本の伝統美や技術を継承し、思いもよらない新素材の発想力で誕生する桂由美さんが手掛ける衣装やドレスたちは、どれも唯一無二の芸術作品。なのに着用すると動きやすく、何より着る人をとても美しく見せてくれて、自信を増大させ輝かせてくれる」と桂さんが手掛ける衣装やドレスに身を包んだ姿を複数枚公開するとともに桂さんを称賛し、「何度も桂由美さんの魔法にかかりました」とコメントした。最後は「いつお会いしても完璧ないでたちに、優しい笑顔を称えられ、とても空気が丸い美しい方でした」と桂さんの人柄についても触れながら、「ご生前のご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。共に同じ場所で過ごさせて頂いた日々は、私にとって大切な宝の思い出です。安らかに、美しいものに囲まれていらっしゃいますように。。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年05月01日歌手の水森かおり(50)が30日、自身のブログを更新し、この日訃報が伝えられたブライダルファッションデザイナーの桂由美さんを追悼した。「桂由美先生」というタイトルで更新されたブログの冒頭、水森は「ニュースで知ってとても驚きました」と心境を吐露。「2003年『鳥取砂丘』で紅白歌合戦に初出場させていただいた際の衣裳でお世話になってからご縁をいただき、それから昨年までの紅白、コンサートやキャンペーンなど様々なドレスを着させていただいております」と桂さんとの関係を明かし、その衣装の魅力を「桂先生のドレスはとにかく夢がいっぱい詰まっていて、デザインも生地も装飾も素晴らしく全世界の女性の憧れ!着用すると背筋がシャンとなるような、また触れているだけで幸せな気持ちになり心が満たされていくのです」とつづった。また、「先生のプロフェッショナルの凄みを感じる出来事」として、ある年の『NHK紅白歌合戦』でのエピソードを披露。「前日リハーサルの際に衣裳のベールのシルエットが気になるからとスタッフの方々に一からやり直しを指示されました。何メートルもの生地を使ったベール。さすがにスタッフの方も『先生、本番は明日です。1日しかありません』。と言われました。私もさすがにそれは時間がなさすぎると思いました」と、さすがの水森も難しいと思ったと告白。「でも桂先生は『なに言ってるの、まだ1日もあるじゃない』とおっしゃったのです。桂先生のお言葉で一斉に直しに入り、翌日の本番には最高の衣裳に進化していて大成功を収めました!」と、当時の思い出を振り返った。続けて「この時私は桂先生のドレスへの並々ならぬこだわり、プロ意識、最後まで諦めない心、全力を尽くす姿勢に心から感動したのです。その時の空気感や先生の表情やお言葉は目と心に焼き付いていて忘れられず、今でも思い出すと涙が出てきてしまいます。私のためにそこまでしてくださって、水森かおりへの愛ももの凄く感じました!そしてそれ以来私は『こんなところでいいかな』と思わずに、桂先生のように最後まで諦めずに全力を尽くそう!と思うようになりました」と、水森にとっても大きい出来事だったと語った。最後に会ったのは、昨年の『NHK紅白歌合戦』のリハーサルだといい、白いドレスをまとった水森と、車椅子に乗った桂さんの2ショットを公開。ブログの最後を「桂先生、今まで本当に本当にありがとうございました!『私、あなたの歌声大好きなのよ』という嬉しいお言葉を胸に、先生に届くようにこれからも歌ってまいります。天国で見守っていてください。私も先生のこと大好きです!心よりご冥福をお祈りいたします」と締めた。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。94歳で亡くなった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けタレントの神田うの(49)が所属事務所を通じて追悼コメントを発表した。桂さんと親交の深かった神田は訃報を受け「桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております」と悲しみ。「先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました」と振り返った。また「いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした」とつづり、「私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました」と、自身の人生にも大きな影響を受けたことを明かした。続けて「『うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!』と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…」と思いを吐露。「先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…」と締めくくった。(以下、コメント全文)桂由美先生の突然の訃報に接し、ただただ呆然としております。先生には、いろんな会にてお目にかかり、今年も先生主催のお茶の会にお声がけ下さったりといつもお心に掛けて頂きました。いつも素敵にオシャレをされて、精力的に活動をされていらした先生。ウェディングドレスデザイナーとしてはもちろんの事、『デザイナー桂由美』としてパワフルに社会に貢献された先生の生き方は本当に素敵でした。私、若かりし頃はモデルとして先生のドレスを着させて頂いたり、ウェディングドレスのデザイナーとして大先輩の先生の背中を追いかけて参りました。「うのちゃんとブライダル業界を一緒に盛り上げる企画を是非しましょう!」と言って下さっていた先生…、残念ながらそれはもう叶いません…。先生を心から尊敬しておりました。大好きでした。桂由美先生どうかごゆっくりお休み下さいませ。どうぞ安らかにお眠り下さいませ…。神田うの
2024年04月30日大阪・米朝事務所の桂ひろば(46)、桂ちょうば(46)、桂そうば(46)が来年襲名することになり、4月30日に市内の動楽亭で会見が行われた。3人が米朝一門の紋付袴姿、師匠の桂ざこば(76)、常務取締役を務める桂南光(72)、取締役の桂米團治(66)はスーツ姿でそろった。ひろばは「二代目桂力造」、ちょうばは「四代目桂米之助」、そうばは「二代目桂惣兵衛」を継ぐ。初代の力造は、桂の始祖・初代桂文治のすぐれた弟子として、江戸時代に活躍した記録がある。米之助は、1999年に亡くなった三代目以来の復活となる。惣兵衛は、初代文治の本名からとり、芸名として襲名する。師匠のざこばは、あいさつで「お元気ですか?もうあきまへんねや。喘息で全然あかんわ」と体調をぼやき、弟子たちの襲名については「ありがたいこっちゃな」とあっさり。「なんでこの名前を襲名するのか、わかりません。なんで?」と聞き、一同をずっこけさせた。すると、常務の南光が「米朝事務所といたしましても、誰かが襲名した「事務所的に仕事が増える」とぶっちゃけつつ、襲名の背景を説明。米團治は事務所の「平取です」と自己紹介して笑いをとり、自身の襲名経験を踏まえ「周りから背中を押されて使命感が宿るもの」と笑顔で語った。ひろばは「初代力造さんの名前をけがさないよう、今よりええ噺家になっていきたい」と気合。ちょうばは「身に余る大きな名前でございますが、頑張っていきたい」、そうばは「誰もやってないことをやりたい」と意気込んだ。ざこばは、弟子たちの芸には触れず、ひろばを「バイクであっちこっち行っとる。ごっついバイクらしい。僕はどんなんか知らんねんけど」と紹介。ちょうばには「うちに来ても家のことばっかりやってくれてます。草(抜き)をぴゃっぴゃ、ぴゃっぴゃやったり…。ありがとう」と言い、そうばについては「マイペースやな」と評しつつ「さびしい時、『いといてーや』というと『いときます』と。…ありがとう」と笑顔。「落語いうのは、こうせえ、ああせえ言われても、そんなんできへん。本人次第ですわ」と豪快だった。来年3月19日・20日に大阪・サンケイホールブリーゼで予定する桂米朝さん没後十年祭を皮切りに、襲名披露公演を行う。
2024年04月30日2024年4月30日、ブライダル関連のサービスを展開する株式会社ユミカツラインターナショナルは、ウェブサイトを更新。同社でクリエイティブディレクターを務めた、ブライダルデザイナーの桂由美さんが亡くなったことが明かしました。94歳でした。桂さんの逝去を報告するにあたって、このように想いを明かしています。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。株式会社カツラユミインターナショナルーより引用ブライダルデザインの第一人者として、活躍した桂さん。新婦の夢を叶えるために、日本人女性にぴったりのウェディングドレスや打掛などの婚礼衣装を開発したといいます。また、ウェディングドレスの普及にも貢献。1965年当時は、ウェディングドレスの着用率がわずか3%だったのが、2024年現在では、90%以上の花嫁が着用するようになったそうです。さらに、桂さんの活躍は国内だけにとどまらず、1981年で開かれた、アメリカでのショーを皮切りに、イタリアやフランスなど30か国以上で日本の技術を用いたコレクションを発表しています。ネット上では「桂さんのウェディングドレスを選んだばかりだったので、驚いています」「素敵なドレスを作っていただきありがとうございました」といった追悼の声が上がっていました。ブライダルデザイナーとして、花嫁の幸せの瞬間に寄り添い続けてきた桂さん。その功績は、数々の美しいドレスとともに、人々の記憶の中で輝き続けることでしょう。桂さんのご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。94歳だった。これを受けアイドルユニット・Berryz工房の元メンバーでタレントの熊井友理奈(30)が30日、追悼コメントを自身の公式Xに投稿した。熊井は桂さんのショー出演時について「私のモデル人生のきっかけとなったYumi Katsuraのブライダルショー」とつづり「素敵なドレスを着用させていただき 初めてショーに出演した時の緊張と幸せな気持ちで溢れていたあの瞬間は一生の宝物です」と振り返った。最後は「桂由美先生 ご冥福をお祈りいたします」と結んでいる。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。
2024年04月30日ブライダルファッションデザイナーの桂由美さんが死去した。ユミカツラインターナショナルが30日、公式インスタグラムで発表した。94歳だった。同社は投稿で「桂由美に感謝を込めてー」と題し、「株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します」と発表した。発表で同社は桂のこれまでの活動を振り返り「数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、“婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう」とコメント。手掛けた多くのドレスについて「多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません」としのんだ。また同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」と言葉を寄せた。今後は、デザイナーで30年以上桂さんの右腕としてクリエイションをしてきた藤原綾子氏・森永幸徳氏・飯野恵子氏の3人が率いる「ユミカツラ」のクリエイティブチームが、「桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました」とし、「ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします」とつづった。桂さんは1930年生まれ、東京都出身。東京オリンピックが開催された64年、赤坂に日本初のブライダル専門店をオープン。ファッションブランド「ユミカツラ」創業者兼デザイナーとして、世界的に活躍。日本にウェディングドレス文化を広め、働く女性実業家の先駆けともなった。(以下、発表全文)桂由美に感謝を込めてー株式会社ユミカツラインターナショナルは、1965年以来ユミカツラのクリエイティブディレクターを務めてきた桂由美(かつら・ゆみ/94歳)の逝去を発表します。並外れたクリエイティブさと情熱を持つ桂由美は、花嫁の夢を叶えるため奔走し続け、日本人女性にぴったりのウエディングドレスや打掛をはじめとする婚礼衣装の開発をしました。1965年には着用率がたったの3%だったウエディングドレスも、現在では90%以上の花嫁が着用するようになり、その活動は婚礼衣装にとどまらず、結婚式のスタイルに強く影響を与えてきました。数々の困難を乗り越えながら、実業家として、変革者として、”婚礼衣装の選択肢を増やしたい”とブライダル革命を起こし続けた桂由美の功績に触れることなしには日本のブライダルは語ることが出来ないでしょう。1981年にはNYショーのデビューを皮切りに、ローマやパリなど、30カ国以上へと活動の場を広げ、国内だけにとどまらず世界中の花嫁に影響を与えました。日々ドレスの制作や新素材の開発を続けながら日本の素晴らしい伝統技術を体感した桂由美は、ブライダルの枠組みを超え、日本の技術を用いたコレクションをパリコレはじめ海外で発表。日本の伝統美や技術を継承し発信していく試みは、世界的に評価されました。最後に、桂由美のウエディングドレスにかける強い思いと美への探究心――そこから生み出されるドレスたちは多くの花嫁様を輝かせ、かつてない自信と感動を届け、新しいクリエイションを生み出し続けてきたことは忘れてはなりません。同社の常務執行役員、鞍野貴幸氏は「桂由美氏は、誰よりも花嫁を美しくすることに寄り添い、日本のブライダル文化の発展を願い、そしてユミカツラを愛していました。そのあくなき挑戦を続けるマインドによって、誰も想像しなかった未来を切り拓き、数多の遺産を残してきました。1965年から今日までの60年間並々ならぬ情熱を捧げてこられた桂由美氏の意思を受け継ぎ、ユミカツラとして100年続く企業を目指します。」との言葉を寄せました。ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた藤原綾子・森永幸徳・飯野恵子の3名が率いるユミカツラのクリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました。ユミカツラは、心より哀悼の意を表しますともに、ご冥福を心よりお祈りします。
2024年04月30日アイドルグループ・日向坂46の正源司陽子(17)が、22日発売の『週刊プレイボーイ』19号(集英社)で記念すべき初表紙を飾った。正源司は、2007年2月14日生まれ兵庫県出身。特技は、フルート、空手で、長所は前向きなところ。2022年9月、応募総数5万人超のオーディションを突破し、日向坂46に四期生として加入。四期生オーディションで「週刊プレイボーイ賞」を受賞。初めてセンターに抜てきされた日向坂46の11thシングル「君はハニーデュー」が5月8日に発売予定。そんのほか、今週の週プレは、日向坂46の丹生明里、山口陽世と共に日向坂46が巻頭グラビアをジャック。白濱美兎と天羽希純の16ページセンターグラビアも掲載する。
2024年04月22日落語家の桂文枝が22日に自身のアメブロを更新。病院での検査を終え指摘されたことを明かした。この日、桂は「良かった」というタイトルでブログを更新し、検査を受けたことを報告。検査の結果について「異常なく無事終わりました」と明かしつつ「ただ運動不足を指摘されまして」と運動不足を指摘されたことを説明し「歩くこと決めました」とつづった。続けて更新したブログでは「病院から帰って、歩き始めました」と報告。「なかなかそうは簡単には行かないなぁ」とコメントし「今日はこれぐらいにしといたろと一応30分歩きました」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「異常なく良かったです」「安心しました」「無理なく長く続けるのが一番ですね」などのコメントが寄せられている。
2024年03月23日山下智久主演ドラマ「ブルーモーメント」に、水上恒司と夏帆がレギュラー出演することが決定した。本作は、甚大な気象災害によって脅かされる人命を守るべく、知恵と知識を駆使して現場の最前線で命がけで救助に立ち向かうSDM本部(特別災害対策本部)メンバーの奮闘物語。「中学聖日記」でドラマデビューを果たし、『望み』や朝ドラ「ブギウギ」などに出演した水上さんが演じるのは、東京消防庁・消防救助機動部隊に所属する優秀なレスキュー隊員で、晴原(山下さん)の亡き婚約者のいとこ・園部優吾。中学生のころ、奥多摩に山岳部で登山した際に遭難してし、その際、レスキュー隊員の佐竹尚人に救われたことでレスキュー隊員に憧れを抱き、優秀なレスキュー隊員へと成長を遂げる。また、佐竹がSDM消防班統括責任者に選ばれると、優吾も参加することに。だが、過激な進め方をする晴原と対立することも。そして、優吾にとって晴原の婚約者は姉のような存在で強く憧れていたため、晴原に強い対抗心を抱いている。山下さんとは今回が初共演となる水上さんは、「山下さんがどんな晴原を作って来られるのだろうと、とても楽しみです。1・2話で優吾が晴原に対してぶつける言葉が、作品にとっても晴原にとっても非常に大事なせりふになっていくので、最初から勝負をかけて頑張りたいと思っています」と意気込み、「エンターテインメントというものが直接何かを救えるようなものではないということは分かりつつも、その力を信じて、見てくださる方々が“明日も頑張ろう”“こんな人たちが本当にいてくれたらいいな”と思ってもらえるように、そして、本当にSDM本部のような部隊を作ってもいいのかなと思わせられるような作品にしていけるように頑張ります」と視聴者へメッセージ。夏帆さんが演じるのは、ドラマのオリジナルキャラクターである天才脳外科医・汐見早霧。若くして神の腕を持つも、病院内で起きたある出来事をきっかけにメスを握れなくなってしまい、総合診療科への異動を命じられてしまったが、高難度の手術で命を救うことが自分の存在価値だと思ってきた彼女は、まだ現実を受け止めきれていなかった。そんな中、病院でも居場所がなかったため、専属の医師を必要としていたSDMに派遣される。災害医療にモチベーションが湧かない早霧だが、そこで晴原たちの様子を目の当たりにし…。「初の医師役ということもあり、医療用語が並ぶセリフや所作など、初めて経験することがたくさんあります。台本を読んでいてもまだ自分が演じている姿が想像できませんが、未知の世界に飛び込めることに、とてもワクワクしています」と心境を明かした夏帆さんは、「(早霧は)どこかミステリアスでクールなキャラクターですが、そのなかにある人間らしさを大切に演じていきたいと思っています。自分の使命は医療と関わっていく中で人を助けることだと思っているけど、あることをきっかけにメスを握れなくなった彼女が、どんなふうに成長していくのか…私も楽しみですし、見てくださる方も楽しみにしていただけたらうれしいです」とコメントしている。「ブルーモーメント」は4月、毎週水曜日22時~フジテレビにて放送予定。(シネマカフェ編集部)
2024年02月20日女優の出口夏希が、5日に都内で行われた映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(公開中)の大ヒット御礼舞台挨拶に水上恒司、福原遥、伊藤健太郎とともに登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■出口夏希、友人に連れられ『あの花』を劇場最前列で鑑賞大ヒットを記録している同作の反響について聞かれた出口は「私の友達がみんな(この作品が)すごい好きで。この前『3回目を観に行きたい!』と一緒に連れていかれて、一番前(の席)で観ました! みんなが泣いているのを見て『ひっひっひっ』って(笑)」とエピソードを披露する。伊藤のもとにも友人からの反響が届いているそうで「少し前に地元の友達が新宿に観に行ってくれたんですが、『満席で(チケット)が取れなかった』と言っていて。まだそんな感じなんだと!」と驚いたという。続けて「違う回で観てくれて、どうだった~? って聞いたら『出口夏希やばいね……』しか言ってなかった(笑)」と笑いを誘った。これに出口は「急に(名前呼ばれて)びっくりした~(笑)」と照れた表情を見せていた。また、2月14日のバレンタインデーが近いということで、伊藤から出口へ撮影そして宣伝活動を駆け抜けた感謝の気持ちを込めて花束をプレゼント。伊藤は「僕の周りは出口夏希が良いしか言いません」といいながら花束を手渡し、出口も「ありがとうございます(笑)」と笑顔で返した。
2024年02月06日映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(公開中)の大ヒット御礼舞台挨拶が5日に都内で行われ、福原遥、水上恒司、伊藤健太郎、出口夏希が登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■水上恒司「お台場はすぐに陸の孤島と化します」大雪が降る中行われた今回の舞台挨拶に水上は、「本当にお足元の悪い中、こんなにたくさん(の方に)お越しいただいて、本当に嬉しいなと思います」と挨拶。伊藤も「家出たらびっくりするくらいの雪で、皆さん来られるのかなと心配でしたが、たくさんの方にお越しいただいて嬉しいです」と感謝を伝えた。質問コーナーなどで大盛り上がりとなった舞台挨拶だが、最後のあいさつで水上は「(舞台挨拶が行われた劇場がある)お台場はすぐに陸の孤島と化しますので、すぐに帰ってください! 気を付けて!」と集まった観客の帰路を心配。その後も「ここまでこの映画を愛していただき、ありがとうございます!」と早口気味に感謝の言葉を述べながら、「本当にすぐに帰ってください!」と呼びかけていた。
2024年02月06日映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(公開中)の大ヒット御礼舞台挨拶が5日に都内で行われ、福原遥、水上恒司、伊藤健太郎、出口夏希が登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■水上恒司&福原遥・伊藤健太郎&出口夏希、『あの花』舞台挨拶に登場!今回のイベントには、互いを思い合う役柄と演じた水上と福原、伊藤と出口の劇中カップル2組が登壇。SNSで募集された質問に答えるコーナーでは、「『行かないで』と抱きつくストレートな百合、手紙で気持ちを伝える彰、千代の思いを受け止めるが自分の思いは告げずうまくかわす石丸、秘めたる思いがダダ漏れな千代、どのキャラの愛情表現が自分と近いですか?」と恋愛に関する質問が寄せられる。これに水上は「(石丸みたいに)かわすのはできないので、千代タイプなのかなぁ」と回答。伊藤も「僕もダダ漏れだと思います」と自身の愛情表現を明かした。福原・出口の女性陣も揃って「千代タイプ」と回答し、4人ともに愛情表現はダダ漏れだと告白した。さらに伊藤と水上は、次の質問に進む間にも「(ダダ漏れだと)告白が大変ですよね」(水上)、「ダダ漏れだとそうだよね!」(伊藤)と壇上で恋愛トークを展開していた。また、2月14日のバレンタインデーが近いということもあり、イベント終盤には水上から福原、伊藤から出口へ花束をプレゼント。花束を持ったまま行われたフォトセッションでは、報道陣からハートポーズのリクエストがあり、水上が茶目っ気たっぷりにハートポーズを披露し、会場を盛り上げた。
2024年02月05日1月26日(金) 有楽町朝日ホールにて『桂二葉チャレンジ!! 第2シリーズ』が開催された。『桂二葉チャレンジ』は演芸写真家・橘蓮二のプロデュースのもと、桂二葉が落語界を代表する師匠に挑戦する企画。昨年は春風亭一之輔、春風亭昇太、柳家喬太郎、笑福亭鶴瓶と錚々たる師匠方に挑戦し、全回大入り満員となった。第2シリーズでは、大看板に挑むだけでなく、毎回ネタおろしにも臨む。一席目は二葉さんが登場し、最初の一声で笑いが起こるお馴染みの光景からスタート。第2シリーズということで、「第1シリーズではビッグな人にチャレンジさせてもらいましたが」と話すと、瞬時に会場の空気を察し「もちろん、今日のゲストがビッグじゃないわけじゃないですよ」と説明し笑いが巻きおこる。ネタ下ろしについては、出来そうなネタより手が届きそうにないものにチャレンジしたいと宣言。また、上方は桂米朝師匠がお手本でありテキストであるが、今年のテーマは「米朝師匠を疑う」であることも明かした。噺に入ると、マクラで自分は「アホ」「子供」「酔っぱらい」で3つでやらせてもらってると話したとおり、『上燗屋』でいきなりフルスロットルの酔っ払いを口演。日本酒を飲んだり、酒の肴をつまむたびに響く「やるやないかい」の言葉に会場は笑いに包まれた。続いて今回のゲスト、三遊亭兼好師匠が登場。先ほどの二葉さんのマクラを受けて「あまり有名じゃない兼好です」と切り出す。二葉さんについてギリギリを攻めていると褒めたうえで、「米朝が嫌いまでいくとダメ、疑うのはOKなんですね」と例えると会場は爆笑。続けて一之輔師匠、喬太郎師匠のこともイジるなど毒気のあるトークを展開。そして、声をバイオリンに例え、使う人によって良し悪しが変わると話すと、立川志の輔師匠の声真似を披露。「あんなガサガサ声でも聴く人を心地よくさせるんです」と説き、会場を沸かせた。三遊亭兼好「昔の話をします」と高座にかけたのは『陸奥間違い』。奉公人の勘違いから起こる笑いたっぷりの滑稽噺だ。事の重大さに慌てる貧乏小役人と、事態を飲み込んでおらず飄々としている奉公人を見事に演じ、会場は爆笑の渦に飲み込まれた。また、出世していく縁起のいい噺であるということもあり、兼好師匠から二葉さんへの激励とも思える一席だった。仲入りを挟むと、ふたたび二葉さんが高座へ。東京ではあまりやる人がいないと前置きしたうえで『天神山』を口演。偏屈な隣人に幽霊の押しかけ女房がやって来たのを羨ましく思い、自分も女房をもらいに墓へ出向くが、成り行きで狐に嫁の世話を頼む噺。偏屈な人間を嬉々として演じる姿ももちろんだが、罠にかかった狐を助ける場面での二葉さんの語り口が実に優しく光っていた。三席を終えると兼好師匠も壇上に上がってのトークコーナーに。まずは、二葉さんが会冒頭の「ビッグな人」発言を謝罪するところからスタート。二葉さんからネタ下ろしについての質問を受けると、兼好師匠も昔は月1本はネタ下ろしをしていたと告白。初演はどうしても全力でやってしまうので、2回目はたいてい失敗する。そして、4回目くらいから力の抜きどころが分かって良くなってくると助言した。また、『天神山』が上方落語ということで、ハメモノがあるから大変ともコメント。江戸落語にはハメモノがないので自分のペースで進められるが、上方は合わせる難しさがあると指摘。続けて、二葉さんが弟子のネタ下ろしを観るのか?との問いには「観ない」とキッパリ。弟子の話を袖で聴くのは恥ずかしく、ある日「下手くそだなぁ」と思って観てたら、スッとやって来た柳家三三師匠に一言「そっくりだねぇ」と言われたエピソードも飛び出した。最後に、次回ゲストが人間国宝の五街道雲助師匠、そしてネタ下ろしが『くしゃみ講釈』であることを発表。第2シリーズ初回も満員御礼の大盛況のうちに幕を下ろした。<公演情報>『桂二葉チャレンジ!! SECOND SERIES 2』2024年6月13日(木) 東京・有楽町朝日ホール開場 18:30 / 開演 19:00『桂二葉チャレンジ!! SECOND SERIES 2』ビジュアル出演:桂二葉『くしゃみ講釈』ほか一席ゲスト:五街道雲助チケットはこちら:()桂二葉 関連リンクオフィシャルサイト:::
2024年01月30日落語家の桂文枝が26日に自身のアメブロを更新。訃報を受け心境を吐露した。この日、桂は「遠くへ」というタイトルでブログを更新。「お会いしたのも遠い遠い昔だった」と述べ「かっこよくて歯切れが良くてリスナーに人気があって お知り合いになって番組に紹介いただきました小山乃里子さん」と20日に亡くなったフリーアナウンサーの小山乃里子さんについて言及した。続けて、小山さんについて「お会いした時ラジオ関西のアナウンサーさんでした」と説明し「訃報に接し深い悲しみに沈んでおります」と心境を吐露。最後に「合掌」と追悼し、ブログを締めくくった。
2024年01月28日「絶対にやめどきも考えなきゃいけなくなる」丸山さんは2020年に元サッカー日本代表ゴールキーパーの本並健治さんと結婚し、2023年2月に第一子となる長女・ぷくぷくちゃん(愛称)が誕生。今回は2024年の抱負についてYouTubeで語りました。年齢的なこともあり、もう一度「妊活」をしようと考えている一方で、仕事のことや育児などとの兼ね合いで、タイミングが難しいと感じているといいます。「本並さんと2人になる時間がなかなかないってのもあるし、今は時間があるならぷくぷくを2人で時間かけて育てたいってのもあるし」と、葛藤があるようです。第一子を授かるまでの自身の経験からも妊活は簡単にはいかないと感じたという丸山さん。年齢とともに妊娠の確率が下がっていくことも意識しつつ、「2~3人産めたらいいなってのはもちろんあるんだけど、その過程でできなかったとしても、それはもう縁がなかったっていうか。前向きに捉えていきたい」と話しました。ただ、「年齢的にどのぐらいで妊活って辞めるのかな? っていうのもある。45歳で産んでいる方もいる。私の知り合いで52歳で産んでいる方もいる」と、やはり迷いはあります。ただ妊娠出産は個人差が大きく、「それは一握り。絶対にやめどきも考えなきゃいけなくなるから、向き合いながら」と、覚悟を打ち明けました。また、2024年は本並さんが厄年。「厄払いとか連れて行って健康診断も連れて行って、本並さんの体を気遣いたいと思ってる」と夫を気遣う妻の一面も覗かせました。
2024年01月19日西島秀俊が主演を務めるテレビ朝日ドラマプレミアム「黄金の刻」に、水上恒司が出演することが分かった。本作は、楡周平による小説「黄金の刻 小説 服部金太郎」の完全ドラマ化。日本初の腕時計、世界初のクオーツウォッチを発売したことで知られる「セイコーグループ」の創業者、服部金太郎の波乱の人生を重厚に描き出す。現在放送中の朝ドラ「ブギウギ」に出演する水上さんが演じるのは、主人公・服部金太郎(西島さん)の青年期。「様々な仲間と出会ったことで、西島秀俊さんが演じる大人の金太郎につながっていくというところは、僕も丁寧に演じたいと思っています」と語った水上さんは、「青年期の金太郎は、不器用ではあるのですが、真っすぐに、時間というものに魅了されていく男の子です。今回僕は、14歳から21歳までを演じさせていただきますので、その間の金太郎の成長度合いを見せていきたいなと考えています。14~15歳は抜けているところもあり、しかし、後に金太郎の妻となる山本まんと出会う21歳では、男としての魅力もにじませ、グラデーションをつけられれば。そこに、僕の個性も生かすことができればうれしいです」とコメント。また、西島さんとは『奥様は、取り扱い注意』以来の共演。「久しぶりに共演させていただき、『がんばろうな!』と温かい言葉をいただきました。1シーンだけご一緒させていただく機会があったのですが、再会はすごく嬉しかったです。本当に人柄の素敵な方で、またどこかでぜひ共演したいと強く感じさせていただきました」と良いコミュニケーションがあったことを明かしている。テレビ朝日ドラマプレミアム「黄金の刻」は3月、テレビ朝日系にて放送予定。(シネマカフェ編集部)
2024年01月16日顔はパパ似だが…「きっとママ似だねとパパは言うでしょう」(※画像は本並健治さんオフィシャルブログより)丸山桂里奈さんは昨年2月に第一子となる女の子を出産。年末にはInstagramで1年を振り返り、「なかなかの難産だったの忘れるくらい時が経つのが早いのと(大変さは忘れません)育児が大変すぎて驚きましたが、今はこの瞬間を全て楽しめてます娘に会えたことが、今まで生きてる中で不思議な感覚です。こんなに愛おしい存在に出逢わせてくれた奇跡に毎日感謝してます」と綴っていました。また、産後4ヶ月で仕事に復帰しましたが、産休入りの際や復帰前には「不安がすごくありました」という丸山さん。しかし仕事現場では温かく迎えられ、「お仕事は毎日楽しくて、両立は大変でしょうて言われるけど私は正直お仕事をしてるからこそ子育ても頑張れると思います」と、共演者やスタッフの協力に感謝しているようです。そんな丸山さん、最近の寝かしつけでは「オルゴール聴きながらバックハグ」すると長女が「一撃で寝る」と明かしています。早めに就寝し、夜泣きすることもなくぐっすり朝5時まで眠ってくれるそう。ただ、寝ているときによくいびきをかいていると言い、「今もいびきがすごい。きっとママ似だねとパパは言うでしょう」「#顔はパパ似#いびきはママ似」とのハッシュタグも。いびきすら可愛い赤ちゃんって、まったくすごい存在ですよね。赤ちゃんの「いびき」、なぜ起こる?赤ちゃんでも「いびき」をかくことはありますが、これはどうして起こるのでしょうか。「いびき」とは、のど(咽頭)など、空気の通り道がなんらかの原因で狭くなり、その部分を空気が通過するときに、のどが振動して音が出る状態のことです。まだわからない部分も多いですが、赤ちゃんがいびきをかいている場合、咽頭扁桃の肥大や、口蓋扁桃の肥大によって気道が狭まり、いびきの原因になることがあります。なお、咽頭扁桃、口蓋扁桃ともに、およそ学童期に最大になりますが、その後は成長とともに自然に小さくなっていくのが普通です。また、アレルギー性鼻炎の症状でくしゃみ、鼻水、鼻づまりなどが起こり、それにより鼻で呼吸がしづらくなることが、睡眠時のいびきの原因になる場合があります。赤ちゃんの鼻やのどが狭まるなどして呼吸がうまくできない場合、症状としていびきが出る場合もあります。いびき以外にも、呼吸の様子がおかしかったり、夜中に何度も起きたりなど、気になる点があれば医療機関を受診しましょう。参照:【医師監修】赤ちゃんのいびきは病気? 考えられる4つの原因と治し方
2024年01月10日2023年12月25日、元サッカー選手でタレントの丸山桂里奈さんが、自身のInstagramを更新。『ある資格』に合格していたことを明かし、ファンから驚きの声が上がっています。丸山桂里奈、『ある資格』に合格していた!この日、「メリークリスマス」というコメントとともに、夫で元サッカー選手の本並健治さんと、娘さんとの家族ショットなどを公開した、丸山さん。「やっぱり最近は特に絵を描く時間を大切にしています」と趣味についてつづり、2024年の抱負をこう明かしていました。今までプレゼントがほぼで自分が好きな絵はあんまり描いてなかったので、2024年は趣味に磨きをかけたいです。犬のトリミングも2級を合格したので、来年は1級目指して頑張りたいし、まだまだ40だけど、もうかな?いろんなことにチャレンジしながら青春も手に入れたいなと思います。karinamaruyamaーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 丸山桂里奈(@karinamaruyama)がシェアした投稿 来年は趣味に磨きをかけたいという、丸山さんですが、投稿の中ではさらりと『トリマー2級』に合格したと思われる説明が…!2023年12月現在、3匹の愛犬と暮らしている、丸山さん。以前、YouTubeでは「犬が大好きなので、自分の愛犬を自分でカットしたい」という願望を明かし、資格取得のために通信講座の受講を始めたことを報告していました。多忙なスケジュールの合間を縫って勉強に励んだ、地道な努力が実り、見事合格を勝ち取ったのでしょう。丸山さんのさり気ない『合格報告』には、「資格を取っていたんですか!すごすぎます」「私もすごく興味があるのですが、なかなか踏み切れず」など、驚きと称賛の声が上がりました。さらに、『トリマー1級』合格への意気込みも見せている、丸山さん。「いろいろなことにチャレンジしながら、青春も手に入れたい」という、丸山さんのさらなる挑戦から目が離せませんね![文・構成/grape編集部]
2023年12月27日女優の福原遥と俳優の水上恒司がW主演を務める、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(公開中)のメイキング映像が26日、公開された。主人公・百合(福原遥)が戦時中の日本で出会った特攻隊員の彰(水上恒司)に何度も助けられというストーリーの同作。8日に公開されると、週末興行ランキング邦画作品で2週連続1位に輝くなど、ヒットしている。彰をはじめとする特攻隊のメンバーをキャスティングするにあたり、「役に合っていること」が第一条件なのはもちろん、当時の陸軍は階級に関わらず坊主頭であったという史実に沿うため「リアルに坊主頭にしてくれる人」という条件も外せなかったという。主演の水上を筆頭に、石丸役の伊藤健太郎、板倉役の嶋崎斗亜(※崎はたつさき)、寺岡役の上川周作、加藤役の小野塚勇人は、坊主頭になることを快諾。映像では、クランクイン前に行われた断髪式の様子が収められている。自らの髪にハサミを入れ、少しずつ丸刈りになり、役に入っていく面々の貴重な姿をみることができる。自身の前髪をつかみ「切るところ間違えた」と前髪ぱっつんスタイルになってしまいはにかむ上川、「全然未練ないです」とサクサクと髪を切る潔さを見せる小野塚、「うー」と若干の躊躇を見せながらも少しずつ切り進め、切った髪を持ち帰ることにした最年少の嶋崎、坊主になった自身の頭をなでながら「見慣れない」と笑う伊藤と、初めて丸刈りにしたメンバーの反応はそれぞれだが、一様に恥ずかしそうに。一方、学生の頃から野球部で、すでに坊主を経験している水上は、史実に近い坊主頭に近づけるためミリ単位まで気にするこだわりよう。最後には互いに「似合っている」と褒め合い嬉しそうに笑顔を見せていた。【編集部MEMO】映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』は、汐見夏衛氏による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。(C)2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会
2023年12月26日今年、多くのドラマ・映画に出演し、幅広い演技力で多様な役柄を演じた水上恒司。12月8日に公開された映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』では特攻隊員・佐久間彰を演じている。そんな水上に今年を振り返るインタビューを実施。役作りのために行なった断食で意識した食生活についてなど、プライベートの一面を明かしたほか、「責任感や覚悟が大いに芽生えた」という意識の変化について語った。○■2023年を振り返って「何でも続けてみることが大事」――昨年10月にインタビューさせていただいて以来、約1年ぶりにお話を伺います。年末を迎えますが、今年はどんな1年でしたか?僕、昨年1年間は自炊をがんばったんです!――昨年にお話を伺った際に「自炊をがんばりたい」とおっしゃっていましたね。やり遂げたんですよ! やっぱり習慣化してしまえば、こっちのもんだなと思って(笑)。何でもこうやって続けてみることが大事だなと。もちろん、大変な日とか作ってる場合じゃないときもあります。今年はありがたいことにたくさんお仕事をいただけて、飯を食うよりもやらなきゃいけない準備もあって、嬉しい大変さを味わうことができました。――忙しい1年でやり遂げたのはすごいですね。どういったものを作られていたんですか?今年はサラダばっかり作ってました(笑)。映画『あの花』の前に断食をして体がきれいな状態になったということもあって、せっかくなら体にいいものをと……。――役作りで断食されたんですね!映画『あの花』の前に撮影した作品は、体が大きいキャラクターだったので、“これで特攻隊員ですとは言えないな”と思って。撮影までの期間も短かったので、短期間で結果を出すのは断食かなと。――どのくらいの期間やられたんですか?準備・回復含めて2週間です。実際の断食期間は3日なんですけど、その前段階から徐々に固形物を減らしていきました。見た目が彰サイズになっていればいいと思っていたので、具体的に何キロ落ちたという数字は見てないんですが、多分5、6㎏は落ちたと思います。○■関わり合いの中で意識に変化「芝居をしていればいいということでもない」――それはすごい……。今年、ご自身の中で変化があったことはありましたか?最近、こういった宣伝の仕方や、映画を作っていったら、どれぐらいの人が関わっていて、どうやって世に出ていくのか、世に出すのはどれだけ大変かということに興味が出てきています。役者があまり知らなくてもいい部分だとは思うんですけれども、興味が出てきてしまったのはしょうがない(笑)。そういう興味から、宣伝活動の取り組み方も前とは変わってきたような気がします。――その変化は現場でスタッフさんとの関わりを通じて感じたものが大きいのでしょうか?多くの方と関わっていくなかでですね。役者はただ芝居をしていればいいということでもないと思うんです。勝手にですが、いろんな人の思いを背負うみたいなものはあったりする。一つひとつの仕事に対する責任感やその重さ、覚悟は以前より大いに芽生えたのではないかなとは思います。――初めて“水上恒司”として活動してきた1年で大きく成長できたと。僕は1人では生きていけない、いろんな人に支えられながらじゃないと生きていけないんだというふうに思いました。やっぱり自分だけでやるにしても限界がありますし、自分ができないこと、知らない部分や苦手分野を、その時々で目の前に現れてくれる人たちに任せて、その中で自分がやるべきことに対して、どれだけ集中できるかっていうことを意識した1年でした。■水上恒司1999年5月12日生まれ。福岡出身。TBS系ドラマ『中学聖日記』(18)でデビュー。フジテレビ系ドラマ『真夏のシンデレラ』(23)、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』(23)、映画『死刑にいたる病』(22)、映画『OUT』(23)などに出演し、話題を集める。福原遥とW主演を務める映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』が、12月8日から全国公開されている。
2023年12月11日映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』で特攻隊員・佐久間彰を演じた水上恒司。間もなく特攻隊として戦地に向かう運命を背負いながら、現代の女子高生・百合(福原遥)に救いの手を差し伸べ、次第に惹かれていく真っすぐな青年を繊細に表現した。インタビューでは、特攻隊員を演じるにあたって読み込んだという当時の資料で、印象的だった言葉を明かした。そして、水上が自らと同世代に向けて、今だからこそ伝えたいメッセージとは。○■映画『あの花』でぶつかった大きな課題――今回、現代の女子高生・百合と恋に落ちる特攻隊員・彰を演じました。脚本を読んだときはどのような印象を受けましたか?僕の戦争に対する思いと、今作で彰を演じる上でやるべきこととの折り合いが難しいなと思いました。というのも、僕は世の中の捉え方としてキレイな部分だけじゃなく、醜い部分や大変な部分があるからこそ、美しさが際立ってくると思っているので、そういったことを表現したくなってしまう。――今作で演じた彰には、そういった考え方は必要なかったと。はい。それは作品においても不必要なものだったと思います。なので自分の中で擦り合わせをして、クリアしないといけない大きな課題だなと感じていたので、役作りをしながら意識していた部分でもありました。――物語としては戦時中の日本が描かれています。ストーリーにはどういった感想を持ちましたか?現代人の象徴として百合が描かれていると感じました。目が覚めると戦時中の日本にいた百合が現代に戻った時に、世の中の見方や生き方が変わっていくというのは、この映画の見てくださる方々に対する願いでもあると思います。この作品を観て、世界が素敵に思えたり、今生きていることが尊く感じられたり。そして大事な人を大切にしたい、会いたいと思ってもらうことがゴール地点。脚本を読んだときから、そういう風に思ってもらうためには、どうしたらいいかというのはすごく考えていました。――現場でもそういったことを常に考えながら演じていたんですか?それは脚本を最初に読んだ時に思ったことで、現場では彰として生きるためのヒントを拾っていくことに必死でした。現場にあるものや空気、スタッフの方々とのディスカッションから、彰なら……ということを常に考えていました。○■福原遥に感謝「全く疑うことなく演じられた」――また、百合を演じた福原遥さんとは以前も別の作品で共演されています。久しぶりに一緒にお芝居してみていかがでしたか?福原さんは、この世のすべてを受け入れたい、受け入れようとしている雰囲気があるんです。福原さんがお持ちになっているその素質というものが、「世の中すべて捨てたもんじゃない」と戦時下にあっても叫び続ける百合の姿と重なりました。あと、福原さんの持つ清涼感がこの作品にぴったりで、大事な要素になっていると思います。そういったところで、彰が百合を好きになっていく心情を全く疑うことなく演じられたので、福原さんにはとても感謝しています。――確かに作中の百合には、厳しい時代の中でも爽やかさを感じました。撮影現場ではどういったことをお話ししていたんですか?福原さんに「レタスチャーハン食べたことない」って言われて……(笑)。――レタスチャーハン?(笑)僕が「今日はレタスチャーハンが食べたいな」と言ったら、「えぇ!?」と驚かれてしまって。「食べないの?」と聞いたら、「珍しいね。私は食べたことない」と言われたんですけど、そんなことないじゃないですか?(笑) でも、“あれ、俺が間違っているのかな?”と思わせるあの感じ……。まさに百合だな! と感じました(笑)。こんな話をしながら、現場は常に和気あいあいとしていて、福原さんがいると場が和むんです。○■デビュー前以来の特攻隊員役で成長を実感――今回、水上さんは、もうすぐ戦地に飛び立つ特攻隊員を演じられました。デビュー前の高校生のときにも、特攻隊員を演じられているんですよね?高校時代とは違って、特攻に行くことに対して、その人物が何を思ってその場にいて、戦地に向かっていくのか。そこまでに思いを馳せることができるようになったのは、当時のド素人から比べると、色んなことを考えられるようになったなと。プロとしては当然なのかもしれないですが……。――成長を感じる部分もあったと。今作では、撮影に入る前に事前に資料として特攻隊の映像や文献をいただいたんです。その中に、実際に特攻隊員として出撃命令が出たけど、その前に終戦になった方々のインタビューがあって。そこに「出撃前夜に眠れず、ずっと天井の木目を数えていた」というお言葉があったんです。それを拝見したときに、その言葉に尽きるなと思いました。その方に比べたら、本当に取るに足らない悩みでしかないかもしれないですけど、現代を生きる僕らにも悩みがあって、眠れずに考えてしまうことってあるじゃないですか? 全く違うものだし、一緒にしてはいけないと思いますが、自分自身がいっぱいいっぱいになって、心がぐしゃぐしゃになってしまう感覚に、ある意味、親近感が湧きました。彰が生きた時代から、実は100年も経っていなくて遥か昔の話ではないんです。決して僕がその方々の感情を推し量ることもできないし、想像を絶するとは思いますが、距離は遠くないと思いました。○■今この時代に“戦争”を描く意味――今作の制作が決まった際に、水上さんは「自分たちの世代にももっと知ってほしい」というコメントをされていました。僕と同じ世代の方々に、「終戦はいつ? 長崎に原爆が落ちたのは? 広島に落ちたのは?」と聞いて、どれぐらいの人が答えられるんだろうと。やっぱり時とともに風化していくと思うんです。それって僕は抗えないことだと思うのですが、一方ですごく残念なことだとも思うんです。僕が、SNSや今回のインタビューで発信したことが世の中を変えられるとも全く思っていないですし、ほんの一部にしか届かないと思います。また、見て頂いたとしても、スルーされてしまうかもしれない。ただ、1人でも多くの人が「そうなんだ」「知らなかった」と感じて、知りたい! 勉強したい! と思うきっかけになってほしいなと。――まさにこの今の世界情勢の中で公開することに意味がある作品です。もちろん、戦争がないに越したことはないです。でも、やっぱり人間は愚かだから繰り返してしまう。ダメだとわかってるくせにやってしまう。その中に巻き込まれていく人たちの思いを忘れちゃいけない。だからこそ、今回、ラブストーリーという入り口の広い形でいろんな人に見てもらって、皆さんに知っていただくきっかけになったらそれ以上ないことだと思います。■水上恒司1999年5月12日生まれ。福岡出身。TBS系ドラマ『中学聖日記』(18)でデビュー。フジテレビ系ドラマ『真夏のシンデレラ』(23)、NHK連続テレビ小説『ブギウギ』(23)、映画『死刑にいたる病』(22)、映画『OUT』(23)などに出演し、話題を集める。福原遥とW主演を務める映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』が12月8日から公開中。
2023年12月09日俳優の伊藤健太郎が、8日に都内で行われた映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(12月8日公開)の初日舞台挨拶に、W主演を務める福原遥と水上恒司、嶋崎斗亜(※崎はたつさき)、上川周作、小野塚勇人、出口夏希、成田洋一監督とともに登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■伊藤健太郎、貸し切り状態の試写室で号泣「目がパンパンに腫れて……」先月行われた舞台挨拶で、試写を観た際に号泣したことを明かしていた伊藤。「僕は(キャストやスタッフの)皆さんと一緒に観れなかったので、貸し切り状態で観させていただいたので人目を気にせずワンワン泣かせていただきました。試写室から出た後、目がパンパンに腫れてました」と振り返る。また、「これまで映画をいろいろたくさん観てきましたけど、エンドロールで泣けるというのは初めての経験でした。歌詞と内容がすごくつながる部分があるので、そこで完結するんじゃないかなと思います」とアピールした。また、イベント中盤に今作のタイトルにちなみ、「○○で○○とまた出会えたら」をテーマにトークが進行。小野塚が「『あの花』の初日舞台挨拶で同じ緑色のスーツの人とまた出会えたら」と回答すると、小野塚と衣装の色が被ってしまっていた伊藤が「俺だな……」と名乗り出る。この衣装の“色被り”について小野塚は「仕込んでいるわけじゃなくて、被ってしまい……どうすることもできなかったので、このフリップトークで使うしかないと……(笑)」と裏側を明かし、互いに爆笑していた。
2023年12月08日映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(12月8日公開)の完成披露試写会が8日に都内で行われ、W主演を務める福原遥と水上恒司、伊藤健太郎、嶋崎斗亜(※崎はたつさき)、上川周作、小野塚勇人、出口夏希、松坂慶子、成田洋一監督が登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■水上恒司、主演映画のスタッフに感謝伝える福原とともにW主演を務めた水上は「大変な1カ月半でした。キャストの皆さんもスタッフの方々も本当に大変だったと思います。きょうという日を迎えられて、改めて皆さんのおかげで、観てくださる方々にお届けできています。ありがとうございます」と感謝を伝える。また、イベント中盤には今作のタイトルにちなみ、「○○で○○とまた出会えたら」をテーマにトーク。水上は「あの時の靴屋さんであの靴とまた出会えたら」と回答し、「単純に買い忘れた……。『お、これいいな』と思った靴があったんですが、そのときは『また買える』と思って買わなかったんですけど、全国的に完売してしまって後悔しています」とエピソードを披露した。水上は買い物には時間をかけるタイプだそうで、「結構悩んじゃいます。結構行ったり来たりして、何回か通って試着してからようやく買う」と話すも、恥ずかしくなったのか、「もう僕の話はいいです……」と照れ笑いを浮かべる。福原が話を膨らませようとフォローすると、「うん、そうね……」とタジタジの様子で、さらに伊藤から「それはどこの靴屋?」と話を広げられそうになると、言葉にならない声で制し、笑いを誘った。
2023年12月08日女優の福原遥と俳優の水上恒司がW主演を務める、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(12月8日公開)の場面写真と特別映像が29日、公開された。今回公開された場面写真は、彰(水上恒司)の仲間である特攻隊のメンバー、石丸(伊藤健太郎)、板倉(嶋崎斗亜 ※崎はたつさき)、寺岡(上川周作)、加藤(小野塚勇人)が、元気いっぱいに仲良く野球をしているシーン。バッテリーを組む彰と石丸、真剣な表情でバッターボックスに立つ板倉と加藤、そして守備でミスして悲しそうにする寺岡は、点が入ると全力で喜んだり、悔しがったりと、戦時中でも精一杯楽しんでいる等身大の彼らの様子が伺える。本編映像では、楽しそうに野球をする場面とは打って変わり、「特攻隊員」という自身が選んだ生き方を前に大人びた表情を浮かべる彼らの姿が。石丸は、自分に密かに気持ちを寄せる千代(出口夏希)の頭をポンとなでながら「君は絶対幸せになる」と優しく話し、板倉は「田舎に許嫁がいるんです」と彰に寂し気に明かす。百合と彰は真っ暗な百合の丘で向かい合い、寺岡は妻と子供の写真を見ながら「娘は去年の冬に生まれた、まだ会えてないけど」と嬉しさと寂しさが溢れるように話すなど、大切な人がいるからこそ使命を持って戦地に向かうことを決めた面々の姿が収められている。しかし「彼女を残して死ねないです」と正直な想いを吐露する板倉の姿もあり、本当はそれぞれ大切な人と生きたいと強く願っていることがわかる映像となっている。【編集部MEMO】同作は汐見夏衛氏による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。(C)2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会
2023年11月29日俳優の伊藤健太郎が、28日に都内で行われた映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(12月8日公開)の完成披露試写会に、福原遥、水上恒司、嶋崎斗亜(※崎はたつさき)、上川周作、小野塚勇人、出口夏希、松坂慶子、成田洋一監督とともに登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■伊藤健太郎、水上恒司にクレーム言うも鋭い返しにタジタジ通称「お腹ペコペコ隊」と呼ばれる特攻隊の1人・石丸を演じた伊藤。同じ隊員を演じた水上・嶋崎・小野塚・上川とは、撮影のために全員坊主にしたことをきっかけにすぐに打ち解けたそう。撮影の合間には野球をしてさらに仲が深まったというエピソードに花が咲く中、伊藤は言いたいことがあると切り出し、「グローブとか、時代に合った古いものを使わせていただいていたんですが、水上くんの球がすっごい速いんですよ! 僕の使っていたグローブだけ皮が薄くて、手が痺れちゃいました。それだけ言っときたくて……」とチクリ。しかし、これを聞いた水上から「それで言うと、僕ら(伊藤さん以外の)4人は進んで撮影前にノックやっていたんですけど、伊藤さんはいちばん遅れてきたので、気合が足りないのかなという意味の剛速球でした」と返されると、伊藤はタジタジの様子でMCに「次に行きましょうか……!」と助けを求め、笑いを誘っていた。また、伊藤は今作について「僕と出口さん2人のシーンがあるんですが、出口さんが素晴らしいお芝居をされているのでぜひしっかりと観てほしい」と出口を絶賛しつつ、アピール。さらに「(試写で観て)自分が出させていただいた作品で初めて泣きまくりました。皆さん本当に素晴らしくて感動しました」と号泣したことを明かした。
2023年11月29日映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』(12月8日公開)の完成披露試写会が28日に都内で行われ、W主演を務める福原遥と水上恒司、伊藤健太郎、嶋崎斗亜(※崎はたつさき)、上川周作、小野塚勇人、出口夏希、松坂慶子、成田洋一監督が登壇した。同作は汐見夏衛による同名小説の実写化作。親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの女子高生・百合(福原)は、ある日母親と喧嘩をして家出をし、目が覚めるとそこは1945年、戦時中の日本だった。偶然通りかかった彰(水上)に助けられ、彼の誠実さや優しさにどんどん惹かれていく。だが彰は特攻隊員で、程なく命がけで戦地に飛ぶ運命だった。○■水上恒司、映画『あの花』メインキャスト勢ぞろいに「頼もしい」これまで福原とともに2人で舞台挨拶に臨んでいた水上。メインキャストが揃って登壇となった今回について「皆さんが集まって一緒にお話しできるにはすごく頼もしいですし、嬉しいです」と話し、笑顔を見せる。嶋崎と川上が一緒に弁当を食べて親睦を深めたというエピソードを聞いた水上は「この作品を撮る前が体が大きかったので、役作りとして断食して。そこからリセットした体を作るためにカロリーを計算して、1カ月半の間、自分で弁当を作っていました」と明かす。「皆さんとはあまり一緒に弁当を食べれていないので、ちょっと仲間外れ感が……」と自虐気味に話し、笑いを誘っていた。その後、伊藤が撮影現場で手作りの豚汁を振る舞ったという話が展開されるも、水上は「そうなの……?」と知らなかった様子できょとん顔。「今回、現場で出たものは一切食べていないんですよ……」と悔しそうな表情を見せていた。
2023年11月28日