私は初めての出産をドイツで経験しました。しかも妊娠32週の健診で切迫早産気味と言われ、出産予定日よりも早く生まれるかもしれないとのこと。しかし待てど暮らせどその気配はなく、しっかり出産予定日に生まれてきてくれました。ただ、息子が生まれる3時間前まで、私は陣痛がよくわからなかったのです。そんな私の陣痛&出産体験をお伝えします。 お? もしやこれが陣痛か?出産予定日前日の午前5時30分、パッと目が覚めると「おお? これが陣痛かもしれない?」と全然自信はありませんでしたが、なんとなく違和感を覚えたのです。ですが、出産予定日の2週間くらい前から「来た! これが陣痛だ!」とドキドキしていると、1時間後にはその感覚がなくなるという「生まれる生まれる詐欺」を繰り返していたので、その日も「やっぱり違うかも」と思っていました。 病院に行くと陣痛の波が消えてしまった出産予定日前日だったので、一応病院に行ってみようと思って午前10時30分に病院に向かい、陣痛かどうか助産師さんにチェックしてもらいました。「いい感じで来ているわね」と言われたのですが、思っていたような痛みではなかったので実感がありませんでした。その時点で子宮口は3cm。しかし13時、16時、19時とチェックすればするほど陣痛の波は消えていき、「あぁ、やっぱりこれも前駆陣痛だったのだな」とがっかり……。 陣痛の痛みがだんだん強くなり…19時のチェックのときに浣腸をしてもらい、陣痛に効くといわれるオイルをおなかに塗ってもらいました。それから陣痛を促すハーブティーを飲んで、22時のチェックに行くと、先ほどよりも少し陣痛の波が強くなっているではないですか!しかし、この時点でも痛みは大したことありませんでした。子宮口は7cm開いていましたが、余裕で助産師さんや夫と会話できていました。するとその1時間後、「え?」と思っているうちに、体の中からワナワナとジェットコースターに乗っている感覚になっていったのです。 陣痛促進剤からの会陰切開これが本当の陣痛かと思っていると、子宮口は9cmに。私の場合は痛くて叫ぶこともできず、ひたすら体の中のジェットコースターのような感覚と戦いました。子宮口が全開になると息子の頭はサラッと出て来て、「もっといきんで!」と助産師さんに何度も言われていきみましたが、1回の陣痛が短かったので陣痛促進剤を打ち、会陰切開をすることに。そして無事に息子が誕生したのですが、時間は午前1時をまわっていました。 本当に痛くてたまらなかったのは23時から午前1時までのたった2時間でしたが、なにせ未体験の陣痛。私の場合は痛いというより「怖い」という気持ちのほうが強かったです。でも頑張ったその後には、宇宙一かわいいわが子に出会えました! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:鈴木陽一児の母。ドイツでの子育てに奮闘しながら、海外での子育て・海外旅行・恋愛・結婚などのジャンルで執筆中。
2019年10月09日「胎内記憶って本当にあるの?」と思っている方も多いのではないでしょうか。筆者もその1人でした。そこで、わが家の4人の子どもたちに、胎内記憶について聞いてみることにしました! ママのおなかの中はどうだった?わが家には、10歳の長男、8歳の次男、6歳の長女、2歳の三男の4人の子どもたちがいます。4人に「ママのおなかの中はどうだった?」と聞いて、はっきりと答えてくれたのは、当時3歳の長女でした。 いきなり体育座りの態勢になり、頭をひざにくっつけて「ギュッと、こうやっておなかの中で待っていたんだ。そのときに光が見えて今だ! と思って出てきたの。でもあまり出てきたくなかった」と話していました。娘の出産は、予定日から10日経っても出産の兆候がなかったので、陣痛促進剤での出産でした。そのことを彷彿とさせる娘の言葉に驚きました。 おなかに来る前はどこにいたの?また、わが家の子どもたちは、おなかにいたときのことよりも、おなかに来る前のことをよく覚えているようでした。 当時3歳だった長男は言葉が遅めで、当時はあまり話しませんでしたが、ふと思い立って聞いてみることに。「おなかに来る前はどこにいたの?」とさらっと聞いてみると、「お空にいて、キリンさんとゾウさんに乗ってシューーンと飛んできた!」と興奮気味! 普段はまだあまり話さないのに、大興奮しながら話す長男にビックリでした。 ほかのきょうだいは……?「おなかに来る前はどこにいたの?」という質問に対して、次男と長女、三男が共通して答えていたことは、「上から来た」ということでした。第三子の長女は、「私の番はまだかな~?」と思いながら待っていたようです。 私にとっては、望んできてくれたのならこんなにうれしいことはないと感じています。現在2歳の三男も「上からシャンプしてきた!」、ときには「飛行機に乗ってきた!」という言い方もします。 胎内記憶について聞くときは、2歳から3歳ごろだとはっきりした答えが返ってくるように感じました。わが家の子どもたちも、年齢が上がってくると「そんなこと覚えてないよ」と言っています。年齢を追うごとに忘れてしまうようでした。みなさんもぜひ、お子さんが話せるようになったら聞いてみてくださいね。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日わが家の娘に近づく「魔の2歳児」といわれる時期。娘のイヤイヤ期はどうなるのか、身構えている自分がいました。今回は、娘のイヤイヤ期について、私の体験談を紹介します。 ついに娘も2歳! イヤイヤ期スタート!?私は、娘が2歳になったらすぐに、何でもイヤイヤしてしまうとばかり思っていました。しかし実際は、2歳になった娘はイヤイヤすることもなく、以前とほとんど変化がありませんでした。 その後、第二子を妊娠。つわりが続いたことから室内遊びが増えたころ、2歳4カ月になった娘のイヤイヤ期が始まりました。それまでは毎日公園に行って思いっきり遊ぶという生活でしたが、室内遊びばかりの生活になり、ストレスが溜まったことがきっかけになったのかもしれません。 イライラしないように深呼吸!イヤイヤ期が始まってからは、「いやだーいやだー」と言って泣き出す娘に、衝動的に強い言い方をしていることが増えました。もちろん強い言い方をしても、娘は泣き止むことなく、イヤイヤはひどくなるばかりです。 どうしたらいいか考えた結果、イヤイヤ期の前にもよくしていた娘を落ち着かせる方法を試みることに。まずは深呼吸をして、子どもの両手を取り、ゆっくりと話をする。落ち着いてから、ギュッと抱きしめてあげる。それだけのことでしたが、イヤイヤ期の娘にも効果がありました。 外で思いっきり遊ばせる!また、つわりがひどい時期でも、娘にイヤイヤされてしまうよりはマシだと思い、以前のように公園で外遊びをしました。 短い時間で帰る日もありましたが、外に連れ出さなかった時期に比べると、グズる回数が劇的に減少。また、いろいろなことをやりたがるようになったので、危ないこと以外は何でも挑戦させました。 可能な限り、遊びたいだけ外で遊ばせる毎日に戻ってからは、「あれ? イヤイヤ期、終わった?」と、拍子抜けしてしまうほどイヤイヤしなくなりました。やりたいことをやらせてみることが、娘にとってはよかったのかなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日私の友人の旦那さんは、私の夫と同じ職場で働いています。給料は決して高くありません。しかし、友人が最近新車をキャッシュで買ったというからびっくり。どうやってお金のやりくりをしているのか聞いてみました。 同じ環境のはずの友人の生活わが家はギリギリ低所得層に入らないくらいで、決して裕福な家庭ではありません。ところが、同じ環境のはずの友人の生活はなんだかぜいたくに見えました。なんと年収を超える新車をキャッシュで買ったというから驚きです。わが家では考えられないことでした。 私は友人に何度も「宝くじが当たったの?」と質問攻めを繰り返してしまいましたが、実際は特別なことはなく、ただ「やりくりじょうず」なご夫婦だった……これが理由でした。そう実感できたのは、友人の家にお邪魔したときでした。 家の中が驚くほどきれい整理整頓されていた!初めて友人の家に足を踏み入れたときのこと。友人には0歳と2歳の子どもがいるのですが、子持ちとは思えないほど、室内が整理整頓されていました。おもちゃも「これだけ?」と思うほど少ない!! 話を聞いてみると、友人は必要と思う物しか家に置きたくない性格なのだそうです。おもちゃが必要なら、児童館へ行くと言っていました。リビングにはおしゃれな収納箱が置かれていて、種類別に物が置かれています。ため息が出るほどのきれいさに感心しっぱなしでした。 必要なものしか買わない、先を見通したお金の管理整理整頓された室内を目の当たりして思ったことが、物をじょうずに管理できる人はきっとお金の管理もじょうずだということです。 もちろん整理整頓が苦手な方でお金のやりくりがじょうずな方もいるとは思いますが、私の友人の場合、特に無駄づかいが少ないことが節約につながっていると感じました。わが家は収納箱に収まりきらないくらい物が溢れています。お金の使い方って本当に大切だと感じました。 新車購入資金は数年前から積み立てをしていたようです。さすがとしか言いようがありませんでした。先を見通したお金の管理も大切ですね。わが家もまずは無駄な出費を減らすため、整理整頓から始めてみようと思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月07日みなさんは、胎内記憶の話を聞いたことはありませんか? わが家では、長女のときは育児に追われていましたが、次女が語ったおなかの中にいたころの記憶と思われる発言に興味を持ち、いろいろと聞いてみました。今回は、胎内記憶に関するエピソードをお伝えしたいと思います。 びっくり! 胎内記憶を語る次女次女がいたずら盛りの2歳ごろ、長女をいじめる時期があり、「あなたがお母さんのおなかにいたころ、お姉ちゃんがいつもさすって話しかけてくれていたんだよ。いつも大事に思っているんだよ」と話すと、意外な答えが返ってきました。 「うん、覚えてる。背中をさわられて、いつもくすぐったかったんだよね~」と言ったのです。そのときは「まさか覚えてないよね」と思ったのですが、胎内記憶のある子は意外とめずらしくないと、あとから知りました。 小さいころは胎内記憶がある可能性も?そんなできごとがあった私は、ある先輩が話していた胎内記憶のことを思い出しました。「ずっと昔、急に頭の上が明るくなってきてさ。あれ、生まれたときの記憶だよ」と言っていたのです。 大人になっても覚えている場合はめずらしいようですが、2~3歳くらいまではおなかの中にいたころや、生まれたときの記憶が残っている子も多いそう。また、子どもによっては、「お空の上からお父さんとお母さんを見ていた」という子もいるそうです。 次女にいろいろ聞いてみると不思議な答えが!胎内記憶を信じ始めた私は、次女にいろいろと質問してみることにしました。「お母さんのおなかの中はどうだった?」と聞くと、「お母さんの声がいつも聴こえたよ。あったかいお風呂の中にいて、浮かんでた。でもだんだん動けなくなってきた」と答えたのです! ちなみに「おなかの中にいる前はどこにいたの?」と聞くと、「お姉ちゃんと一緒に踊ってた。でもここじゃなかった」とのこと。胎内記憶だけでなく、おなかの中に宿る前の記憶もあるのかも? と驚いたことを覚えています。 その後も時々、娘に胎内記憶のことを聞きましたが、4歳くらいからは「覚えていない」と言うようになりました。大人もそうですが、子どもも数年前までのことはよく覚えているような気がします。胎内記憶、本当に不思議です。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月07日早産の場合、受け入れてくれる産院が限られてきます。私のように何の兆候もなく突然陣痛が起こることも。私自身が体験した、緊急入院から緊急搬送までの流れをお伝えします。 突然の陣痛! まずは産院へ連絡 妊娠33週のある日、「これが陣痛なのかな?」と思うほど私のイメージと違う痛みがやってきました。いつか収まるだろうと夕方ごろまで様子を見ることに。今思えばこのとき、すぐに産院へ連絡するべきでした。 夕方ごろにようやく産院へ連絡し、向かったところ、子宮口はすでに2cm。そのまま緊急入院となりました。朝まで張りは収まらず、早朝にはおしるしもありました。 早産を受け入れてくれる産院を探す 私が妊婦健診を受けていた産院はNICU(新生児集中治療室)がなかったため、妊娠33週で生まれてくる赤ちゃんを受け入れてくれる病院を探すことになりました。 早産の赤ちゃんは肺など未熟なまま生まれてくるため、生後すぐにNICUで呼吸器をつけたり、点滴をしたりと、24時間観察・治療をしなければいけません。そういった病院は限られていて、緊急搬送の場合、受け入れ先がなかなか決まらないこともあるそうです。 赤ちゃんの過ごす場所「NICU」 私は運よく近くのNICUのある病院へ搬送されることになりました。その後、無事に出産。赤ちゃんはNICUの保育器の中で過ごすことになりました。 赤ちゃんの様子を見に行ってみると、人工呼吸器や点滴がついた状態でうつ伏せになって保育器の中に入っていました。保育器の中は温度管理がされ、子宮の中と同じ状況なのだという説明を聞きました。医師や助産師さんが24時間体制で赤ちゃんの管理をしてくれたので、安心して見守ることができました。 突然の陣痛から出産に至りましたが、「赤ちゃんはベストなときを選んで出てきてくれたのよ」と励ましの言葉も頂きました。保育器の中で懸命に生きるわが子を信じて過ごしたことを今でも覚えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:渡瀬文葉一児の母。妊娠前はアロマセラピーや食事指導、ブライダルエステをするセラピストとして接骨院に勤務。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は洋菓子作り・子ども服作り・編み物。
2019年10月06日4人目の出産当時、長男は小学1年生、次男は年長、そして長女は年少でした。電車で8時間かかる実家へ里帰りをしようか悩みましたが、小学生が長期欠席するのは好ましくないと感じ、夫に1週間の休暇が取れるか相談。幸いにも会社の方の理解があり、1週間ほど休暇をいただき、里帰りせずに出産を迎えました。 夫に家事・育児を任せるのが心配わが家の夫は料理が得意ではなく、作れるものはみそ汁とカレーくらいです。掃除機はかけられますが、洗濯機の使い方や洗剤の量など、細かいことはわからない様子。 また、幼稚園の子どもの持ち物やお迎え時間が曜日によって違うことを、口頭で何度も説明したのですが理解できず……。「お弁当も作れるのだろうか?」とさまざまなことが心配でたまりませんでした。 そこで出産入院中、夫が困らないように家事や幼稚園の支度を細かくノートにまとめたものを用意しておきました。 子どもの精神面も心配!出産入院中の1週間ほどは、私がいない生活になります。子どもたち3人はまだまだ甘えざかりなので「大丈夫だろうか?」と心配になりました。 特に幼稚園児の2人は、ママがどのくらい入院し、どのくらいで帰宅するのかわからない様子。そこで1週間分のカレンダーをつくり、毎日シールを貼っていってもらい、ママが帰ってくるまでの期間を感覚で伝わるようにしました。 さみしくなったときはグズグズしてしまうので、お手紙とシール、小さいおやつを人数分×1週間分、用意して出産に備えました。 「意外となんとかなる」と思えた!夜に陣痛が来た私は、子どもたちが寝ている間に病院に駆け込みました。付き添いもおらずひとりでしたが、私の場合は逆に集中できてよかったと思っています。 私が入院中の1週間、結局、夫は幼稚園をお休みさせて、子どもたちを遊びに連れて行ったようです。普段私は外食をさせませんが、夫と子どもたちはラーメン屋巡りをしたそう。子どもたちはとても楽しそうに報告してくれました。夫は、3人の子どもたちのお世話が想像以上に大変な様子で、日に日に疲れた顔になっていきました。 予想外の外食続きで、栄養バランスが気になりましたが、子どもたちにケガもなく、これまでの夫の様子を考えると、ひとりで面倒を見ていてくれただけでもすごいと感じました。夫自身も子育てをしながら家事をする負担を、身をもって実感したようで、お互いのことを知るいいきっかけになった出産前後でした。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月05日息子が新生児~生後2カ月ごろまでは、おなかが空いたり、おむつが汚れたりすると泣いていました。不快感を泣いて表現している様子です。ところが生後3カ月に入ったころから、原因のわからないぐずりに悩まされることに……。当時の息子の様子や対応についてお伝えします。 泣いてぐずることが増えたもともとよく泣く息子でしたが、生後3カ月に入るとさらに増えました。一日の大半を泣いて過ごしているのでは? と思うほどです。 特に夕方ごろになると、ぐずりがひどくなりました。日によっては30分以上泣き続けていたこともあります。おなかが空いたのかな? それともおむつが汚れている? いろいろと原因を探りましたが、泣き止みません。どうしたら良いのかわからず悩みました。 かわいいと思えなかった時期抱っこであやしても泣き続ける息子を見ていると、私は次第にイライラしてきてしまいました。かわいいはずの息子のことが、正直かわいいと思えなかったこともありました。このままだとストレスがたまる一方です。 そこで私は泣く息子をベビーベッドに寝かせて別室へ行き、深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせるようにしました。それでもイライラが収まらない場合は、クッションに向かって思いっきりパンチをしてストレスを発散していました。 赤ちゃんに合うあやし方を試す保健師さんに相談したところ、「原因のわからないぐずりに悩まされるママは多いんですよ」と言われました。大変な思いをしているのは自分だけではないと知り、肩の力が抜けたことを覚えています。 保健師さんからいただいたアドバイスは、「赤ちゃんに合うあやし方を試すこと」でした。息子に効果があったのは「ドライブ」。車の振動が心地いいのか、すぐ眠ってくれて助かりました。 息子の原因のわからないぐずりは生後4カ月ごろまで続きました。対応に困り果てたときは、泣き止ませるのを目標とせず、とことん付き合う心構えでいようと決めました。そうすると、少し気持ちがラクでいられた気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月03日夫と私は年の差が20歳以上もあり、夫はバツイチ子持ちで成人した娘がいます。一緒に暮らしていてもあまり関わらない関係でしたが、私の妊娠・出産を機に距離感が変わってきました。わが子を通して、家族に近付いた連れ子と私の関係についてお伝えしたいと思います。 年の差婚、夫より娘と年が近い私夫とは職場で出会いました。20歳以上離れた年の差と、夫がバツイチ子持ちということから、周りになかなか認めてもらえず交際7年目でやっと結婚。 夫の娘はもう成人していて、特に私がお世話するようなこともなく、家にもあまりいなかったため、顔を合わせるのは朝と夜のあいさつくらいという関係でした。なんだかさみしいと思いつつも、どうしたらいいのかわからず1年が経ったころ、私の妊娠が判明したのです。 妊娠報告するも複雑な様子……妊娠を喜んだと同時に頭をよぎったのは夫の娘のことです。妊娠を報告して怒ってしまったらどうしよう、泣いてしまったらどうしようなど、いろいろと考えてしまい、なかなか言い出せませんでした。結果的には夫が私の妊娠を娘に伝えたところ、少し驚いた顔をして「ふーん」とひと言。 その後、特に触れることもなく、気付けば私の里帰りの時期に。そして迎えた私が実家に帰る前日、「性別どっち? 頑張ってね」と夫の娘が言ってくれて安心しました。それと同時に、娘の葛藤を考えると胸が熱くなる思いでした。 出産後、20歳離れた妹への反応産後1カ月で自宅に戻った当日、夫の娘は玄関で待っていてくれて、赤ちゃんを見て満面の笑顔を浮かべてくれました。それからは家にいることが増え、私の部屋に来て娘をあやしてくれています。 一番うれしかったことは、「この子を私の妹と思っていい?」と言ってくれたことです。「この家で私は他人なんだな……」なんて思ったこともあったので、なんだか私も夫の娘と家族になれたような気がしました。 年が近い分、なかなかうまくいかなかった関係が、出産を機に変わることができました。最初は葛藤もあったとは思いますが、夫の娘と家族を繋いでくれた赤ちゃんに感謝しています。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年10月02日2015年、国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、夫婦にたずねた理想的な子ども数は2.32人だったそうです。私も子どもが2人欲しいと思っていましたが、いろいろと悩みました。今回、当時の私が妊娠・出産に前向きになれるようにおこなったことをお伝えします。 2人目が欲しいと考えたときに悩んだこと漠然と2人目が欲しいと感じていた私ですが、真剣に考えていくと巷でも聞かれる「2人目の壁」にぶつかりました。私の壁は、育児への不安と経済的な不安の2つ。夫は転勤がある職種なので、何か困ったときなどに両親に頼れる環境ではありません。私や夫が何らかのトラブルに見舞われたとき、2人の子育てがしっかりできるのか不安でした。 さらに夫は私より7歳年上で、2人目を欲しいと考えていたころは30代後半。これから子ども2人を育てながら教育を受けさせ、先々は自分たちの老後資金も確保しなくてはならないため、経済的に大丈夫なのかととても悩みました。 2人目計画を立てる前におこなったことひとりで考えすぎて、勝手にいっぱいいっぱいになっていた私。これではいけないと思い、悩みを解消するために夫に相談してみました。すると、夫も2人目を望んでいたようで「言い出すタイミングがなかったから話してもらってよかった!」とのことで、びっくり! この一言で、育児が大変になっても頑張れると感じました。ただ、もっと早く相談しておけばこんなに悩まずに済んだのに、と少し後悔しました。 2人目計画を実行するタイミング次に、具体的にいつごろに出産したいのかを話し合いました。わが家の場合、夫の仕事が忙しく、専業主婦の私が育児をほぼひとりでおこなっていたので、引き続き私が子育てに専念しながら幼稚園に通わすせる予定でした。ですから、上の子を入園させる前に出産できたらベストということになりました。その理由は下記の4点です。 ●入園前のほうが幼稚園の行事などに縛られず、出産や子ども2人のお世話に専念できるから●3学年差だと幼稚園や学校の卒業と入学が重なるので、それを避けるためには2学年差がよいと感じたから●出産も子育ても感覚が残っている早めのほうが安心だと思ったから●年が近いほうが子ども同士が仲良くなると思ったから それはまさに、上の子が2歳のそのときでした。そのため、2人目計画を立てたと同時に進め、3カ月目で妊娠し、無事2歳差で2人目を出産することができました。 子どもが1人から2人になると、やはり何かと大変です。でも、喜ぶ夫や上の子が下の子をかわいがる姿を見られたこともあり、育児の負担はそこまで感じませんでした。上の子の成長を感じられましたし、1人目の育児よりもずっとラクに思えます。神様からの贈り物ともいえる妊娠は自分たちの思い通りにいかないものですが、2人目を真剣に望み、そして行動してよかったなと思います。 著者:大鹿恵美9歳、7歳、4歳の三姉妹の母。これまでの育児を生かした体験談を主に執筆中。365日育児と家事と仕事でフル活動だが、夫との毎晩の晩酌とたまのママ友との交流が原動力となっている。
2019年10月02日出産時の排便は、出産を経験した方なら「あるある」と思う方もいるのではないでしょうか。ただ、初めての出産だと「いきんで出ちゃったらどうしよう」「浣腸はするの?」と不安になる方も多いと思います。今回は、出産時の排便と浣腸についてのエピソードをお伝えしたいと思います。 1人目出産時は浣腸なし、いきんで排便が!私が通っていた産院では、とくに出産前の浣腸についての話はなく、先生に任せていました。陣痛がまだ弱いときに便意を感じたので、一度排便。その後、陣痛が強くなり分娩台へ移動しました。 ところが難産となり、分娩台の上で数時間過ごしたためか、いきんでいるうちになんと排便……! 自分としては、とにかく痛くてそれどころではなく、恥ずかしさは感じませんでした。 産後に思い出して恥ずかしさアップ…出産後しばらくは、赤ちゃん誕生のうれしさと達成感で、お産の間のことはあまり気にしていませんでした。ところが少し落ち着いて分娩室での出産のことを思い起こしているうちに、とても恥ずかしいことをしてしまったことに気付いたのです。 さらにお産に立ち会った助産師さんが部屋に様子を見に来るたびに、自分のした粗相を思い出し、出産時の排便はよくあることだと知っていても、とても恥ずかしい気持ちになりました。 2人目出産時は浣腸をして臨む!もう恥ずかしい思いはしたくなくて、2人目の出産のときは「分娩室へ行く前に、浣腸をしてもらうことは可能ですか」と助産師さんに相談し、浣腸をしてもらうことに決定。浣腸をするとすぐに腹痛があり、排便することができました。 そしていよいよ分娩室へ。どうしてもいきまなければならないので、1人目の出産時の恥ずかしさがよみがえり、排便済みでも心配はありましたが、2度目は粗相をすることなく、無事に出産をすることができました。 私の恥ずかしい思い出を紹介しましたが、出産時にはよくあることのようで助産師さんはあまり気にしないようです。浣腸については産院によって方針があるようなので、一度相談してみるといいかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年10月01日わが家の長男が保育園に通っていたころ、友だちとの間で度々トラブルを起こしていました。そのたびに保育士さんや相手の保護者の方にひたすら謝り、何かやらかさないかと毎日ヒヤヒヤしていたとき、保育士さんが「こども発達支援センター」で発達検査を受けることをすすめてくれました。発達検査を受けたときのことや、その後の経過について、私の体験を紹介します。 長男の“問題行動”に不安になるわが家の長男が保育園で年中クラスになったころ、友だちをたたいたり、持ち物を隠したりするなど、度々トラブルを起こすようになりました。そのたびに友だちとその保護者の方に謝り、長男を叱りました。「どうしてそんなことしたの」と問いただしても、長男は黙り込んでしまうだけで理由もわからず、親としてどうしたらいいのかと私の不安は増すばかりでした。保育士さんと話し合うなかで、長男は好きな活動には夢中で取り組むけれど、興味のない活動にはなかなか取り組もうとしないなど、ほかにも発達面に問題が見られることが判明。年長クラスに進級する際の面談で、保育士さんから「こども発達支援センター」での発達検査をすすめられ、検査を受けることを決めました。当時、「発達障害」や「ADHA(注意欠陥・多動性障害)」が社会問題になり始めていたこともあり、「もしかしたらうちの子も?」と薄々感じていたことも、検査を決めた理由の1つでした。 「こども発達支援センター」で発達検査を受ける「こども発達支援センター」は、就学前の子どもの発達相談や診察、訓練をおこなっている施設です(地域によって施設名や事業内容は異なります)。私の場合、相談予約を入れたあとでセンターの専門員さん数名が保育園へ視察に来ました。長男の遊ぶ様子を観察したあと、私と保育士さんを交えて面談し、これまでの成育歴やどのようなことに困っているかなどを詳しく話しました。その後、センターを3回受診。1回目は、保護者が担当医と面談(問診)している間、子どもは言語聴覚士の方と別室で、おもちゃで遊びながら検査を受けました。2回目は脳波検査を受け、3回目は検査データを踏まえた診断がありました。担当医によると、長男は「注意欠如多動症(不注意優勢型)」。脳波に異常はなく、発達レベルも普通なのですが、気が散りやすいため、落ち着いた環境で活動できるようにサポートが必要、という診断でした。 小学校で情緒通級に通うことに診断結果が出たあと、夫ともよく話し合いました。夫も私も「まだ小さいんだし、見守っていこう」というスタンスで一致。入学予定の小学校には発達支援専門員がいる「情緒通級」と呼ばれる特別クラスがあることがわかり、そこへ週1回通うことになりました。情緒通級と保育園、支援センターは互いに連携体制があり、長男の成育歴や検査データを共有してくれていたので、長男が新1年生になってからのサポート体制がしっかり整えられていて安心しました。情緒通級では、遊具を使ったバランストレーニングや、パズルを使った注意集中トレーニングなどがおこなわれています。長男は「今日はこんなことできたよ!」と毎回楽しそうに教えてくれ、少しずつ自信を身につけている様子が伺えます。以前は不安でいっぱいだった私ですが、担当の先生をはじめ多くの人が見守ってくれている、という安心感に支えられて、子どもの成長を長い目で見守る心の余裕もできました。 子どもの発達に問題があると、親はとても不安になります。しかし、多くの自治体では保育園・幼稚園と小学校が連携しているので、個別のサポート体制が整えられています。“問題行動”はその子の脳の“個性”でもあります。わが子が苦手なことには手を貸し、長所や得意なことを伸ばせるように見守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:大川香織小学2年生と1歳、2男の母。共働き。編集プロダクションや出版社で、子育て情報誌などの制作に携わった経験をもとに、さまざまなテーマで執筆。
2019年09月30日第2子では必ず挑戦しようと思っていた夢の無痛分娩。友人たちが第2子で選択し、「夢のような出産」「天国出産」などと言っていたので、私も第2子で挑戦しました。しかし、そこに待っていたのは、楽天家の私もビックリの壮絶お産でした。 無痛分娩で産みたい第1子は吸引分娩だったものの、ごくごく普通に生まれたという印象だった私。しかし、ただ一つ「陣痛の苦しみ」だけは、第2子の臨月が近づくにつれて不安が増していきました。そこで、無痛分娩の講習に参加することにしました。 私の通っていた産院の講習は非常に丁寧で先生も信頼できたため、「無痛分娩にしよう」と決意。 同じ産院で無痛分娩をした友人の「天国だった」「全然ストレスがなかった」とうらやましい体験談を聞き、私の心は固まったのでした。 2度の帰宅……さて、いよいよ無痛分娩の予定日! 元気いっぱいに病院に行くと、早々に雲行きが怪しい……。「まったく子宮口開いていないね、今日は無理じゃないかな」。先生のそのひと言で、その日は泣く泣く帰宅し、日を改めて挑戦することになりました。 そして次のチャンス……今度こそ! と、次は「バルーン」を入れることに。そのとき、先生には何度も「経産婦さんなので、バルーン入れるとすぐお産がすすむことがありますからね」と言われ、もうほぼほぼ「今日が出産日なのかしら」と高揚していました。 ところが…… 赤ちゃんはまったくおりてきません。そして頑固な子宮もバルーンの刺激にもしっかりと口を閉じて、うんともすんとも言いません。そして恐れていた事態。2回目の帰宅……。 経産婦の出産はスムーズなイメージしかなかった私でしたが、無事出産できなかったらどうしようと不安になっていきました。 今度こそ!しかし 、3度目の正直。さらに日を改めて妊娠39週。もうさすがにいけるだろうとの先生の言葉もあり、期待と不安が入り混じって迎えた当日。 バルーン(大)から始まって「きっと陣痛来ますよ」と助産師さんの励まし。しかし、子宮口が4cm開いているというのに、あまり痛みも感じません。いったい私の赤ちゃんどうなってるの、寝てるの? と不安といら立ちが……。 陣痛促進剤も開始したものの、おなかが張ってもすぐにおさまって遠のく。もうだめだ。もういい加減今日産みたい。産ませてくれ! 先生が内診したけれど、子宮口は5cm。そこで先生の決断「人工破膜」。よし。もうこれは強制的に進む! 人工破膜から陣痛が一気に来て子宮口が全開大したのですが、それにもかかわらず赤ちゃんはまったくおりてきませんでした。そして、「赤ちゃんがおりてこないので吸引します」と、第1子で経験した吸引分娩に。吸引を2回。そこでわかったのが、赤ちゃんが回旋異常だったということ。吸引でもおりてこなかったのは、赤ちゃんが逆側に回っていたからだったのです。 緊急帝王切開に!先生の顔が厳しくなって「緊急帝王切開になります」 と言いました。緊急帝王切開に夫が同意し、そこからは早かったです。ふんわり温かい麻酔が入って地獄から天国の夢心地。ドラマでしか見たことない手術室のばたつきを見ながら、さっと持ち上げられた赤ちゃん。「生まれましたよ」。なかなか生まれず、「赤ちゃんは私のこと嫌いなのかな」とまで思ってしまっていましたが、無事に生まれて本当によかったです。 今回の出産で、第2子でも何があるかわからないということを学びました。回旋異常の予防は難しいかもしれませんが、第2子であっても慢心しないで、出産に向けて体重管理やヨガ、呼吸法などをおろそかにせずにやっておけばよかったと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:代々木菜乃子3歳・1歳の2児の母。育児休暇中。エンタメ業界で働くかたわら、記事執筆をおこなう。現在知育を勉強中。
2019年09月30日出産は本当に何が起こるかわからないと実感しました。大変、つらいと感じながらも、それ以上にちょっとしたことへの喜びを感じられた私の出産エピソードです。 帝王切開になるかも……?出産予定日が1月10日だったため、産院の正月休みがあり、週1の健診の予定が2週間近く空いてしまいました。そして年始最初、出産予定日5日前の土曜日の健診の際、赤ちゃんがまったく下がっておらず、子宮口もまるで開いていないので、帝王切開の可能性があることを告げられました。そして週明けの月曜日に骨盤のレントゲンを撮ることに。普通分娩で産めると思っていた私はとてもショックでした。 健診翌日の日曜日、帝王切開になるのか普通分娩になるのか不安で、気持ちが前向きになれない私を見かねて、夫が「夫婦2人で最後のデートだよ」と、近場でドライブをさせてくれました。おいしいものを食べ、ゆっくりショッピングを楽しみ、前向きな気持ちになって就寝。 そして深夜2時、急におなかに痛みが.......。陣痛だ! でもダラダラと10分前後で痛みを繰り返す感じ。一応、産院に連絡してみましたが、前駆陣痛の可能性もあるから様子を見てくださいということでした。朝一番で予約を入れていたので、ひたすらうずくまるくらいの痛みに耐え、なんとか産院へ。 無事に出産!痛みが引くこともなく、そのまま骨盤のレントゲンの撮影をしました。その結果、児頭骨盤不均衡と診断されました。「もう陣痛が来ているので、そのまま帝王切開します」と言われ、急きょ手術室へ。 一応内診もしましたが、子宮口は開いているものの赤ちゃんがまったくおりていないとのこと。急すぎる展開に頭がついていきませんでした。でも、あれよあれよという間に麻酔を打たれ、手術が進みます。 混乱で不安定になっている私を両側で看護師さんが手を握ってくれました。そしてしばらくして赤ちゃんの産声が聞こえました。無事にわが子を見られた瞬間、緊張がほぐれ安心感と感動が一気に押し寄せて大号泣。すごく幸せな瞬間でした。夫も抱っこさせてもらえたようで、あとで写真が送られてきました。 立会いはできなかったけれど、夫婦で感動を共有できて本当によかったと思います。 出産後のつらさを上回る感動出産後は丸一日食べられず、動けず。そして麻酔が切れた後の痛みが今まで経験したことのないもので、本当につらかったです。けれど、産後初めてのごはん、痛みはあっても歩けるようになったとき、産後初めて赤ちゃんが病室に来てくれたとき、初めてちゃんと向かい合って抱っこできたとき、初めてのミルク、初めてのおむつ替え、そして不安だらけの初めての連続をやさしくずっと支えてくれた看護師さんや家族。ちょっとした一つひとつがうれしくて、 感動的でした。 出産は本当に思いがけないことの連続でした。いろいろ調べてもその通りにはならないし、自分自身もそんなに冷静になれません。希望通りの出産はなかなか難しいけれど、そんななかでたくさんの人の協力があって、乗り越えられるものだと感じました。 不安になることもあるけれど、なるようになる! と気持ちを強く持ち、乗り越えた分だけ、うれしいことがたくさんあったのだと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:やまもとあずさ初出産ママ。現在産休で里帰り中。慣れない子育てに奮闘している。
2019年09月29日妊娠38週の健診のとき。先生からこんなお話がありました。「助産学生が実習で分娩に立ち会うかも。もちろん、嫌だったら断ってもいいのだけど。心強いと思うし、どうかな?」。 私は深く考えずに「いいですよ」と返事をしました。帰宅後、ネットで調べると、学生の立ち会いの感想はさまざまでしたが、私は立ち会うくらいなら大丈夫、と考えていました。 陣痛中の素晴らしいサポート!出産当日。陣痛が来て明け方入院。朝9時ごろに助産学生と学校の先生があいさつにいらっしゃいました。陣痛や分娩が進んでいって、やっぱり嫌だと思ったらすぐに退席することなど、詳しく説明を受けました。 分娩のときだけ立ち会うのかな? と思っていたら、陣痛中も腰を押してくれたり、お茶を取ってくれたり。付きっ切りでお世話をしてくれました。夫が出張で午前中には間に合わなかったので、付きっ切りでお世話をしてくれるのがとてもありがたく、心強かったです。しかも、腰の押し方がとてもじょうずだったので、もしかしたら夫に付き添ってもらうよりよかったかも? と思いました。 内診の練習に協力つらい陣痛中も懸命にお世話をしてくれた助産学生さん。私が学生さんに協力したのは、内診の練習です。学生さんが内診し、子宮口が何cm開いているかを見るということ。 内診は苦痛ではなかったので、問題ありませんでした。そのあと、助産師さんが内診をして合っているか答え合わせをしていました。つらい陣痛中にたくさんお世話になったので、内診くらいお安い御用でした。 8人に囲まれての出産!いよいよ分娩です。先生に、助産師さん3人、助産学生さん2人、学校の先生、途中で来た夫と、なんと8人に囲まれての出産となりました。 先生が「象は出産のとき、たくさんの仲間の象に囲まれて出産するから、それに負けてないなー!」とうんちくを言っていましたが、必死の私は愛想笑いが精一杯。 先生のうんちくのお陰かリラックスでき、安産で元気に生まれてきてくれました。 こんなにたくさんの人に囲まれて、おめでとうと言ってもらって生まれてきた息子は幸せだなと思いました。助産学生さんは産後も様子を見に来てくれたり、退院のときも来てくれたり、本当にうれしくて貴重な体験ができたなと思いました。 学生や研修医が立ち会いをするということは、その学生さんが将来助産師さんやお医者さんになるための協力ができるということ。こんな素晴らしい経験ができて、本当によかったと思っています。 2年後の第2子出産のとき、「先生、今回も助産学生さんお願いしたいです!」とこちらからお願いしたところ、「今年は大きい病院で出産数足りているから、うちには来てないよ」と断られ、残念に思ってしまうほどでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:花野晴希2歳、0歳の2児の母。4月の長男が幼稚園に入園予定。そのタイミングで長女も保育園へと園活・保活・就活中。
2019年09月28日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 出産から5日目、ついに退院し、新生児とともに実家での生活が始まりました。 退院後は実家に帰り生活しました。父母がこれ以上ないくらい気をつかってくれて、上げ膳据え膳な生活でしたがストレスは減らず……。 サポートマックスな生活でこんなにつらいのに、夫のいる家に帰ったらどうなっちゃうんだろう……と不安でたまりませんでした。深夜に泣いたときのことは今でもよく覚えていて、思い出すだけで胸が苦しくなります。 あのときの自分を抱きしめてあげたい! 大丈夫だよ、時が解決するよ、毎日赤ちゃんもあなたもレベルアップしてるんだよ、と……!ホルモンのせいと一言でまとめられがちですが、つらいですよね。自分がこんなに情緒になるとは想像してなかったです。 ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年09月27日娘は生後1カ月のころに先天性の心疾患が見つかり、約1カ月間入院しました。病気が見つかるまでは完全母乳育児でしたが、入院をきっかけに完全ミルク育児へと切り替えました。ミルク育児をするうえで悩んだのが、飲みが悪いことです。娘がどうやったら育児用ミルクを飲んでくれるようになるか、試行錯誤した体験をお伝えします。 あれ? 育児用ミルクが全然飲めていない……入院後はどれくらい水分を摂取したのかを管理する必要があったため、直接母乳を赤ちゃんに飲ませることができなくなりました。搾乳をしてみたものの、母乳の出が悪くなってしまったので、母乳育児からミルク育児に切り替えることに。そこで明確になったのが、娘は育児用ミルクを必要量飲めていないということでした。これまでは母乳育児だったので哺乳量がわかりませんでしたが、育児用ミルクの場合は毎回飲む量を把握できます。しかし、粉ミルク缶に記載されている月齢の目安量と比較すると、娘は目安量の半分程度しか飲めていませんでした。必要量飲めていないとわかり、私はとても悩みました。 授乳後のゲップ出しは欠かさず!まず実践したのは授乳後のゲップ出しです。おなかに空気が溜まっていると育児用ミルクをたくさん飲めないのでは? と考えたからです。しかし、娘はゲップがなかなか出にくいタイプだったようで、気持ち良いほどのゲップが出るのはかなり稀でした。 それでもいろいろな体勢でゲップ出しを試み、育児用ミルクの温度や授乳姿勢を変えたり、授乳後しばらくの間、縦抱きで過ごすなどしていましたが、あまり効果が見られませんでした。このようにさまざまな方法を心がけ、授乳後の吐き戻しの回数は減ったように感じましたが、実際に育児用ミルクを飲む量が増えたわけではなく……。 うんちの色から原因が判明!ミルク育児を始めて間もなく、いつもとは違う色のうんちが出ました。濃い灰色に緑が混ざったような色で、明らかに様子が違います。初めて見るうんちの色に焦った私は、うんちの写真を撮り小児科医に相談をしました。すると、おなかの中でうんちが酸化していることが原因だと判明したのです。育児用ミルクの種類を替えてみては? とアドバイスをいただき、すぐに育児用ミルクの種類を替えてみたところ、徐々に飲む量も増えていきました。元々飲んでいた育児用ミルクが、娘の体には合わなかったのかもしれません。 赤ちゃんが育児用ミルクを飲んでくれないという悩みは決してめずらしいものではないそうです。娘の場合は種類を替えることで解決できました。大きな不安が解消されてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:佐藤しゅうか一男一女の母。自身の出産や育児の経験、わが子の先天性心疾患による闘病をもとに、主に体験談を執筆している。
2019年09月26日おちんちんのケアってどうすればいいの? 男の子のいる家庭では一度は悩んだり、心配したりしますよね。わが家には息子が2人いますが、2人とも扱いに困り、私自身怖かったので、小児科の先生や保健師さんに方法を聞きながら対処してきました。そんなわが家の体験談をお伝えします。 これって停留睾丸?次男の出産前に、長男のお友だちが「移動性睾丸」で手術を受けるという話を聞き、その際に「停留睾丸」という症状もあることを知りました。 出産後の入院中、初めてのおむつ替えのときに早速触ってみると片方がない!? すぐに助産師さんと産婦人科の先生に触診してもらったところ、上の方に移動しているとのことでした。新生児・乳児期にはよくあることで、「1歳を過ぎても気になるようなら小児科に相談してください」と指導を受けました。 小児科で新たな問題発見!その後もおむつ替えやお風呂のときなど、気付いたときにチェックするようにしていました。しかし、チェックをしても今ひとつよくわからず、予防接種の際に小児科の先生に診てもらうことに。 「睾丸に関しては問題ないけど、おちんちんが皮をかぶっている状態。いわゆる包茎のケアをしてみましょう」と言われました。次男の場合は皮を引っ張っても動かなかったため、お風呂のときに下に向かってやさしく引っ張るよう指導を受けました。 その後もケアを続けて……小児科で指導を受けてから、約4カ月ほどたった1歳目前のころ、気付くと皮も下がるようになっていました。次男の場合、おちんちんの先の穴すら見えなくて非常に不安でしたが、ケアが功を奏したのか、はたまた成長のおかげかわかりませんが、とりあえずひと安心。 先生には、ケアの際はやさしく、無理やりおこなわないように指示されました。もし5歳くらいになっても変化が見られない場合は、ステロイド軟膏を塗る療法もあることを教えてもらいました。 男の子の「おちんちん問題」。特に母親にとっては未知の世界で、病的なのかそうではないのか、わからない部分もありますよね。ケアに関しては、おこなうという意見となにもしないという意見もあるようです。心配な場合は、健診時や小児科受診時などに質問されてみるといいかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:東 慶子三児の母。育児のかたわら、アンガーマネジメントキッズインストラクターの資格を取得。自身の育児経験に生かすとともに、将来的には子ども向けの講座を開催したいと考えている。
2019年09月25日筆者は3歳の長男、1歳の長女の育児中、第3子の妊娠判明でうれしい反面、さまざまな不安を感じました。出産が近付くにつれ、不安やイライラが募ることがありましたが、それを吹き飛ばしてくれるようなできごとがあったんです。 第3子の妊娠長女が生後8カ月になったころ、第3子の妊娠が判明しました。「子どもは3人欲しい」という希望があったので、とてもうれしいできごとでしたが、ちょっとした心配もありました。 当時3歳直前の長男はイヤイヤ期の真っただ中で、自分を見てほしいとアピールする日々。そして長女はハイハイとつかまり立ちをマスターし、目が離せない状況だったのです。 長男、長女と妊娠生活3人目の妊娠ということもあり、ある程度気持ちに余裕を持って妊娠生活をスタートさせた私でしたが、おなかのふくらみとともに、子どもたちとの関わり方に変化を感じるようになりました。 子どもの要望にうまく答えられず、ダダをこねる子どもに対して必要以上にイライラしたり、些細な家族からの指摘に対して大きな不安を感じてしまったり。そんなことが増え、気持ちの余裕がどこかへ行ってしまうことが増えていきました。 出産までのカウントダウンと子どもたちの成長産休に入ったころ、ふと子どもたちの様子を見ていると、長男の後ろから長女がおむつを持って走ってきました。長女が私のところまで来て長男を指さし、おむつを渡してきたのです。私が「おむつを替えるの?」と聞くと、長女は首を縦に振りました。そんな些細なできごとでしたが、子どもの成長に感激し、私は涙してしまいました。 それからというもの、私は積極的に子どもたちの成長を見つけられるようになり、出産への気持ちも前向きになっていきました。 さまざまな葛藤のなかで、新しい命の誕生まであとわずかとなったとき、こうした上の子たちの成長と出会う機会が増え、そのことをとてもうれしく感じられるようになりました。出産に向けて、よりいっそう育児を楽しむ気持ちになれたできごとでした。著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、0歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2019年09月23日不妊症の私が初めて専門クリニックを訪れたのは、27歳のころ。年齢的に焦る必要はないし、治療さえすればすぐ妊娠できるだろうと高を括っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。今回は、私が妊活において大切だと思ったことをお伝えします。 受け身だった自分私が不妊治療を始めて8カ月経ったころ、なかなか結果が出ず、悶々とする日が続いていました。誰にも相談できず、ネットで同じ不妊症の方のブログを読み始めたところ、自分の知らない専門用語がたくさん出てくることに驚き、生活習慣に配慮している方が多いことを知りました。 治療について自ら調べ、不妊と向き合っている方がこんなにいるにも関わらず、自分はただ病院に通っているだけで、いかに受け身であったかを思い知りました。 治療だけに頼らず、生活全体を見直す病院での治療を頑張るのはもちろん、自分でできることもやっていこうと決意。当時はスーパーのお惣菜や外食が多く、塩分や添加物などを気にしない食生活だったため、手作りに切り替えることで塩分や添加物を減らし、バランスのよい食事を摂るようにしました。 あわせて睡眠の質やストレスなどにも気を配ったところ、これらのうちの何かが功を奏したのか、夫婦ともに徐々に検査の数値が改善していきました。 未来のための体づくり生活習慣の改善のなかでも、特に毎日の食事作りは大変でした。しかし、継続しているうちに段取りよくできるようになり、習慣化するのにそう長くはかかりませんでした。 そして、生活を見直してから3カ月経ったころ、初めて妊娠しました。妊娠という結果が出たことがうれしかったのと同時に、これからママになる身として健康的な体づくりの大切さを改めて意識し、今後も継続していこうと決意しました。妊活するにあたって、自分でできる体作りに取り組むことも、大切なのではないかと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:岩崎薫一年間の不妊治療を経て妊娠・出産。2歳の男児を子育て中。現在は印刷会社の人事部で時短勤務で働く。第二子の妊娠を目指して不妊治療中。
2019年09月23日出産予定日よりも10日早く破水して、夜遅くに産院へ。しかし産院が満床で、それから2日間、病室に入ることができませんでした。どうしてそんなことになったのか、私の出産体験をお伝えしたいと思います。 破水したのに病室がいっぱい!その日、出産予定日よりも早く破水してしまった私は、入院準備を整えて産院に向かいました。到着したのは夜の10時くらい。破水とはいっても高位破水だったため、チョロチョロと羊水が出ている程度で、それほど切羽詰まっていませんでした。 でも、産院に行ったら、夜遅い時間にもかかわらず、待合いスペースには人がたくさんいて、ざわざわと落ち着かない雰囲気。 私はそのまま入院するつもりでいたのですが、なぜか助産師さんに連れていかれたのは簡易ベッドのある小さな部屋。あとから聞いた話によると不妊治療のなんらかの処置をおこなうための場所らしく、ちゃんと個室になっていて枕元にはナースコールもありました。 診察の結果、破水をしているのは間違いないということで、そのまま陣痛が来るのを待つことになりましたが、助産師さんからは「今、病室のベッドが満床なんです。申し訳ないけれど、今夜はここで横になっていてください」と言われ、わけがわからないまま、そこで一晩過ごしました。 原因は「スーパームーン」だった!?結局、一晩たっても陣痛がくる気配はなく、翌日は朝から陣痛促進剤を使って出産をすることになりました。助産師さんにLDRがあるスペースに案内してもらうと、そこには至るところに出産待ちをしている妊婦さんの姿が。私が陣痛促進剤を投与している間も隣の分娩室からはひっきりなしに赤ちゃんの産声が聞こえてきます。 そのときになって、ようやく病室に入れなかった謎が解けました。助産師さんによると「昨夜は一晩で12人もの妊婦さんが産気づいて産院に来たんですよ。科学的根拠はないのですが、スーパームーンだったからかもしれません。この産院ではこんなに出産が重なることはほとんどなくて、病室が足りなくなってしまったんです。ごめんなさいね」とのことでした。 科学的根拠はないものの、「満月の日には出産が多い」と昔から言われています。月の引力によって海が満ち引きをするように、人間の体内にある水分、妊婦さんの場合は羊水が影響を受けているのではないかと考えられているそうです。こんなにも出産が重なったのはそのためなのでしょうか。 私が出産した病院は本来、LDRで陣痛〜出産までを過ごせるのですが、その日は分娩がひっきりなしだったので、陣痛促進剤を投与しながら場所を何度か移動し、分娩間近になって分娩室に移り、そこで出産となりました。 本来ならその後、病室に移動するのでしょうが、前日と同様に満床だったこと、さらに私が産後の貧血がひどくて起き上がることが難しかったため、その日はそのまま助産師さんの目が届きやすい分娩室で一晩明かすことに。次の朝になってやっと病室に空きが出て、病室に入ることができたのでした。 私はスーパームーンだったことなどつゆ知らず。しかし、私自身もその影響を受けて破水をしたのかもしれないと考えると、人体と宇宙と生命の不思議を感じずにはいられませんでした。みなさんも予定日近くの満月はチェックしておいてもいいかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:高橋じゅんこ一児の男の子を育てるワーキングマザー。病気ネタやママ友ネタなど、ペンネームでリアルな体験談を執筆中。
2019年09月23日当時、息子は生後9カ月。おすわりやハイハイ、つかまり立ちなど、できることが増え、行動範囲が広がってきました。成長をうれしく思う反面、子育てに行き詰りそうになることも。なかでも苦痛だったのが食事の時間です。今回は、ジッとしていられなかったわが子の食事に関する体験談を紹介します。 日に日に活発になってくる息子離乳食も後半に入った生後9カ月ごろ、息子の活発度は日に日に増していきました。自分の意思で移動できるようになり、引き出しやリモコンなど興味のある物に一直線。行動範囲が広がり、ますます目が離せなくなりました。 この時期で一番大変に感じた日常シーンは、「食事時間」でした。体を動かすのが大好きな息子はジッとしているのが大の苦手です。案の定、食事中も椅子に座れませんでした。 ジッと椅子に座っていられない大人と同じ目線で食べられるよう、ハイチェアに息子を座らせていました。しかし、ジッと座って食べたことは一度もありません! 椅子の上に立とうとする、ダイニングテーブルを足で蹴るなど、体を動かしていないと気がすまない様子です。 「きちんと座ろうね」と何度言ったことか……。残念ながら私の声が届くことはありませんでした。どうすれば椅子に座って食べてくれるのかが、最大の悩みでした。 ハイチェアからローチェアに変えてみた先輩ママにもらったアドバイスは、「足置きがある椅子を選ぶ」、あるいは「足が床につく椅子を使う」ことでした。そこで床に足がつくタイプの「ローチェア」に座らせてみました。 その結果、なんとある程度ジッとして食べられる時間が増えたのです。足が宙に浮いている状態で食事をしていたことも、食事に集中できない一因だったのかもしれません。 食事中は周りに興味をひくような物を置かない工夫をしました。また、絵本を読むなど、ある程度椅子に座っていられる時間もつくるように。なかなか難しいことでしたが、息子なりに少しずつ座っていられる時間が増えたように思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年09月21日「乳幼児突然死症候群」という病名を聞いたことがありますか? 私も母子健康手帳でなんとなくその名前を見たことがある程度でしたが、まさか自分の子どもに現実となって降りかかってくるとは思ってもいませんでした。 乳幼児突然死症候群は死亡原因の第4位「乳幼児突然死症候群」とは、Sudden Infant Death Syndromeの頭文字をとって「SIDS」と表記されることもあります。それまで何の予兆もなく、病気をしていたわけでもない赤ちゃんが、原因不明で死亡してしまうというものだそうです。 寝たままの状態で死んでしまうため窒息と間違われることもありますが、窒息とはまったく別なもののよう。予防法はまだ確立されておらず、平成29年の厚生労働省のデータによると、乳幼児突然死症候群は乳幼児期の赤ちゃんの死亡原因の第4位になっています。 乳幼児突然死症候群は突然降りかかる子どもが生後3カ月のときのことです。おっぱいを飲まずにベビーラックで仰向けに寝た子どもをふと覗いた瞬間、目の前でまるでアニメのように、子どもの顔色がサッと変わっていったのです。明らかに様子がおかしい子どもを抱っこすると、すでに反応はまったくありませんでした。呼吸をしている様子もありません。 とにかく呼吸をさせなければいけないと思い、抱っこしながら口をこじ開け、のどに人差し指を突っ込みました。まったく反応はありません。そればかりか、のどが締め付けられ、指がつぶされそうになるのが感触として伝わってきます。「このままでは死んでしまう」⋯⋯頭にはそれしかありませんでした。 小さな泣き声、張り詰めた空気が安堵へ指に強烈な圧力を感じながらも、指を抜いたら子どもが死んでしまう気がして、そのままさらに指をぐいと押し当て、声かけを続けました。隣では母が119番へ電話をしています。私にはとても長い時間に感じましたが、実際には数分もあったのかどうか分かりません。 少しだけ、指にかかっていた圧が緩んだと感じた瞬間、本当にかすかな声で「うぇ」と子どもが泣きました。するとみるみる指にかかる圧が緩み、子どもが口を開けました。相変わらず無反応でぐったりしている子どもでしたが、「助かった⋯⋯!!」本能的にそう感じずにはいられませんでした。 救急車が到着、告げられる病名気が動転している母と電話を代わり、子どもを抱きながら事情を説明。10分ほどで救急車が到着しました。酸素マスクが付けられ、病院へ到着するころには子どもはきょろきょろと目を動かし、「何ごと?」と言わんばかり。病院の先生の口から出た言葉は、「ニアミスの乳幼児突然死症候群」。 まさか⋯⋯という思い以外にありませんでした。とっさに口に指を入れたのは、医学的判断では良しとはされないおこないだそうですが、わが家の場合は奇跡的にも一命と取りとめることができました。その後、3日間大学病院で検査入院をし、SIDSの特別チームの先生方に検査をしていただきましたが、異常は見られないとのこと。現在も元気に育ってくれています。 「乳幼児突然死症候群」⋯⋯その瞬間になぜか冷静でいられたのは、現実に起こっていることだと受け止め切れていなかったからかもしれません。奇跡的に助かった子どもの生命力に感謝して、目の前にある笑顔を守り続けたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:坂本ひろ子1児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年09月20日息子が1歳のとき、気に入らないことがあると近くにある物を投げてしまうことが増えてきました。自己主張は成長過程の1つですが、できるだけ「物を投げる」ことは阻止したいところ。物を投げる息子にどう対応すべきか、私が試行錯誤したエピソードをお伝えします。 怒ると物を投げてしまう息子に困惑私の息子は、1歳になったころから怒ると物を投げることが増えてきました。特に多かったのが食事中です。嫌いな食べ物が目の前にあるだけで、お皿ごとガシャーンと投げていました。 私は「せっかく作ったのに!」と頭に血が上り、思わず息子の頭をたたいてしまったことも。でも、それでは解決の糸口が見つかりません。そこでどうして物を投げてしまうのか、息子の気持ちを考えてみることにしました。 息子の気持ちになって考えてみた1歳ごろは言葉がまだ未発達。もし私がうまく言葉を発せられなかったら、どんな気持ちになるだろう。伝えたいのに伝えられない気持ちを考えると、息子が物を投げてしまう気持ちもわかるような気がしました。 息子は言葉でうまく表現できないから、物を投げるといった行動で私に気持ちを表現していたのかも……。そう思うと、物を投げてしまったことをしかる前にすることがあると感じました。 しかる前に気持ちを代弁!息子が物を投げてしまったとき、まずはしかる前に「食べにくいよね」など、息子の気持ちを想像して、私が代弁してあげるように心がけました。しかるときは息子の目を見て「お皿が痛いって泣いてるよ。投げないでね」と、ダラダラと長くならないよう、短く端的に伝えます。 また、言葉で理解することが難しい年齢でもあるので、しかるときは真剣な顔をするなど、しかる側の態度にも気を付けました。 そのほか、息子が物を投げてしまう前に、未然に防ぐ対策も。物を投げそうな場面に出くわしたとき、周りの物を片付けるだけでも、物を投げてしまうことが減ったように思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年09月20日初めての妊娠で一番恐怖を抱いていたのは“陣痛”でした。経験したことのない痛みだからこそ怖い。でも、痛みのとらえ方は人によって違うことに気付きました。その違いは何だったのか。今回は、私が陣痛を経験して感じたことをお伝えします。 誰しも出産は不安がつきもの初めての出産はもちろん、何人産んでも出産は不安がつきものだと思います。それは未来のことは誰も予想がつかないから。だから不安になって当たり前ですよね。 私は初めての出産で恐怖を抱いていたのが“陣痛”です。パニック状態に陥った妊婦さんを子どものころに見たことがあり、恐怖というイメージしかありませんでした。想像をしただけで、私は痛みに耐えられるんだろうか……。そんな心配ばかりしていました。 私が意識した陣痛への心構え出産予定日が近付くにつれ、不安は大きくなる一方。でも私はある心構えをしました。弱気になっても仕方がない。ママになるためには乗り切らなければならない。そして、「自然に身を任せる」ということです。 もう1つ忘れてはならないのがママより赤ちゃんのほうが苦しいということ。細くて真っ暗な産道を一生懸命降りてきます。苦しいのは自分だけではないんです。 これくらいの痛みはまだまだ!どんな痛みでも「痛い」と思えば思うほど痛さは増します。実際に陣痛がきて私が意識したのは「これくらいの痛みはまだまだ!」という気持ちでした。これくらいでへこたれてはいけないと言い聞かせていると、痛みに対して強くなれた気がします。 ただ私の場合は、自宅で我慢しすぎてしまい、産院へ到着したときは即分娩台でした。我慢のし過ぎにも注意したいですね! 痛みに対して恐怖を抱くのではなく、これくらいの痛みはまだまだ! と思うようにする。心構えだけでずいぶん気持ちが違うことを感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年09月20日子どもが元気で生まれてくることは当たり前ではない。そうわかっていながらも、どこかで他人事に思っていました。これは第二子を出産したときの話ですが、私たち家族が息子に障害があるかもしれないと言われ、前に向いて歩き始めるまでのエピソードです。 妊娠から出産まで妊娠中は、つわりがあったものの、妊婦健診でも特に異常と言われることなく出産当日を迎えました。出産予定日より1週間遅れ、陣痛促進剤を使って出産する予定になっていたその夜に陣痛が来ました。10時間ほどかかって自然分娩で3,536gの元気な男の子を出産。 生まれてきた赤ちゃんはしっかりと泣き声をあげていたので、ほっとしていると、先生が「この子は体の左右の色が違うね」と気になることを言いました。でもこのときは、ただのあざだと思ってそこまで気にしていませんでした。 新生児健診で不安がつのる生後3日目に、小児科医による新生児健診がおこなわれ、息子は最後でした。周りの赤ちゃんが特に問題もなく終わっていくなか、息子の番に。すごく深刻な顔をした先生は、「体の色が違うということは、血管に異常がある可能性があるということ。そうなると脳や神経にも何かしら異常があるかもしれないので、検査が必要です」と。 自分の心拍数が上がるのがわかりました。その後、先生がいなくなった後もその場から動けず、あふれ出る涙。なんで元気な体で産んであげられなかったのか自分を責め、どうしてわが子なのか、受け止めきれませんでした。 事実を受け止め、前に進めるようになるまで緊急を要する病気ではないこと、また里帰り出産だったこともあり、検査は1カ月後に現在住んでいる家の近くの病院を受診することになりました。それまでの1カ月間、病名もわからずただただ不安な毎日。自分を責めたり、息子の将来を悲観したり、とにかく毎日息子を見ては泣いていました。そんな私を変えてくれたのは夫の一言。「どんなに健康な人だって、いつ病気になるかわからない。〇〇くんは、たまたま生まれたときからそれが目に見えているだけだ。他の人と何もかわらない。彼は元気なのが当たり前じゃないのを教えてくれているんだよ」そう言われて、元気なことが正しいことのように思っていた自分に気付きました。 検査の結果、幸い心臓や内臓に何も異常がなく、経過観察となりました。病名もこの段階では、はっきりとした診断をもらえませんでしたが、その後、「大理石紋様先天性毛細血管拡張(だいりせきもようせんてんせいもうさいけっかんかくちょう)」と診断。検査までの1カ間、息子に申し訳なく将来が不安で泣いて過ごしていた私ですが、気持ちを切り替えどんなことがあっても息子を守り、一生支えていくと心に誓い、泣くことをやめたのです。そして、目の前に生きていてくれることがどんなに尊くありがたいことかということを感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:天川みほし5歳女児と2歳男児の母。前職は公務員として子育て支援の仕事をしていたが、夫の転勤に伴い退職。故郷を離れ、初めての土地で子育てに奮闘中。
2019年09月18日妊娠・出産は女性にとっても大きなイベントですが、迎える時期は人それぞれです。私は18歳で妊娠が判明し、19歳で出産をしました。妊娠を受け入れ、日々大きくなるおなかのように、少しずつ母として変わっていった当時の心境をお伝えします。 18歳で妊娠判明。不安でいっぱいだった私が18歳のころ、体調がすぐれず、微熱程度の発熱が1週間ほど続いていました。生理も遅れていたため「もしかして妊娠?」と思い、妊娠検査薬で検査。陽性反応が出ました。 18歳だった私にとって、子どもができたことは「うれしい」という気持ちよりも、「不安」という気持ちのほうが勝っていました。もともと子どもがちょっと苦手だったこともあり、素直に喜ぶことができず、妊娠を受け入れることができませんでした。 私が出産を決めたきっかけ妊娠したことに対して不安が大きく、純粋に喜べなかった私とは打って変わって、子どもの父親である彼は「俺、パパになるんだ!」とこれまでにないくらいの笑顔で妊娠を喜んでくれました。 彼は不安がっている私の両手を握り、「産んでください」とやさしく言ってくれました。これから先、考えなければならないことがたくさんありましたが、彼のおかげで私は妊娠という事実を受け入れ、出産することを決めました。 「産んでよかった」と心から思った出産までは長いようであっという間でした。おなかの大きさが目立つほうではありませんでしたが、徐々に大きくなっていくおなかのように、徐々に母親としての気持ちが持てるようになりました。 初めての出産は過酷なものになりましたが、付き添ってくれた彼のおかげで心強く感じました。無事に子どもが生まれ、初めて産声を聞いたとき、感動のあまり彼は声を出して泣いていました。わが子を抱いた瞬間、私は「産んでよかった」と心から思いました。 不安だった妊娠・出産も今では懐かしい思い出です。18歳で母親になる道を選び、たくさん悩み、葛藤しましたが、今では2歳になる長男と3カ月になる次男がいます。子どもたちが大きくなったら、いつかこのエピソードを話してあげたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:木村えま二児の母。年子育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年09月17日出産を目の前にして、気になることといえば、陣痛の痛みや会陰切開を挙げる方も多いのではないでしょうか。私は二度の出産を経験していますが、出産のときの傷の大小で産後の回復が大きく違いました。初産と経産の違いはありますが、私の体験を紹介します。 初産は産道・会陰裂傷+会陰切開で全治1カ月初めての出産では、陣痛は1分間隔とどんどん迫っているのになかなか子宮口が開かず悶絶、痛みで身をよじり、過呼吸になってしまいました。しかし、破水後は急速に進み、その影響もあってか産道も会陰も裂け、会陰切開もおこなわれました。 出産後、医師に「だいぶ奥まで裂けたので、かなり縫いました」と説明を受けました。その影響で産後はとにかく引きつれがひどく、便秘で気張ると食い込み、さらに排尿時にはそこがしみて……。糸が吸収されたと思われる1カ月ごろまで非常につらい状態で、円座が手放せませんでした。2人目を出産したときも、陣痛よりこちらの方が怖かったです。 経験値が上がった2回目のお産2回目の出産は、痛みで身をよじり、過呼吸になった初産より相当スマートでした。陣痛の波が来たら、息を細く長く吐き続けること。いきみはおしりをベッドに押し付けて逸らし、赤ちゃんが降りてきやすいイメージを描くよう心がけました。 生まれた子は1人目より大きめでしたが、会陰切開はせず、小さな会陰裂傷ですみました。会陰裂傷の傷も数針の縫合で、退院前に抜糸してもらい、産後も円座いらずでした。 便秘は大敵! 産前に解消しておくべし私は妊娠中から便秘気味だったのですが、便秘は体重増加につながったり痔になったりといいことなしです。 分娩は排便時のように気張るし、おしりのことも不安でした。産後は母乳に水分がまわるためか便秘が進み、とにかくつらかったです。 私の場合、頑固な便秘になる前に処方された酸化マグネシウムが腹痛もなく効果もありました。産前から適度な運動や食生活を通して便秘を解消しておいた方がいいと思います。 何かと痛みを伴う出産ですが、済んでしまえば思い出話です。少しでも早い回復ができるように、しっかりと体力をつくることも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:藤原しおり子育て奮闘中のママ。育児と家事のかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年09月17日育児や家事、仕事に追われる毎日……。環境は人それぞれですが、忙しい日々を送っているママさんも多いと思います。そんななか、何気ない夫のひと言にカチンときてしまったことはありませんか? 今回は、夫のひと言にカチンときた、わが家の体験談をご紹介します。 「時間があるのに何で〇〇できないの? 」第二子の出産を機に仕事を退職した私は、専業主婦として過ごすようになってから度々夫の言動にカチンとくることが増えてきました。 たとえば「それだけ時間があるのに何で掃除ができないの?」など。もちろん仕事をしていたときに比べると時間はできましたが、まだ1歳に満たない赤ちゃんとの生活は身動きが取りづらく、掃除をするのもやっとです。それをわかっての言動なの? と、カチンときたことがありました。 「今日のごはん、これだけ?」 授乳やおむつ替え、寝かしつけるだけでも1日はあっという間です。そんななか買い物へ行くのもやっとで、料理も時短で簡単にできるものを作っていました。 そんなある日「今日のごはん、これだけ?」と夫に言われてしまったことがありました。その日は親子丼を作り、副菜やスープなどを作る時間がなかった日でした。何気ない夫のひと言でこんなにも嫌な気持ちになるとは……。当時は夫の言葉が気になって仕方がなかったです。 夫の言葉に敏感になりすぎていたのかも?今振り返ってみると、余裕のない日々を過ごしているからこそ、夫の言葉に敏感になりやすかったとも感じました。きっと悪気があって発している言葉ではなかったと思います。振り返ってみれば、そこまでイライラする必要はなかったのかもしれません。 ただ、私の場合、産後は精神的にも不安定な状態でした。普段は気にならない言葉でも、敏感になりやすい時期だったのかもしれません。こうした心の状態を夫に伝えることも大切だったと感じています。 夫に言われてカチン! ときたとき、言いたいことを伝えるとスッキリすることがよくありました。また、そうして気持ちを伝えることで理解してもらえたことも。産後のみならずこれからもできるだけ感情的にならずに、気になったことは夫に伝えていきたいと思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年09月16日妊娠初期からつわりが軽く、食欲旺盛で体調不良がほとんどなかった私。妊娠前と変わらず元気に過ごしていた体に異変が起こったのは、産休に入る直前、妊娠34週のことでした。妊娠高血圧症候群と診断されてまもなく短期間で急激に体調が悪化し、妊婦健診からそのまま緊急入院となりました。予期せぬ誘発分娩の結果、トータルで2週間も入院することになった私の体験談をお伝えします。 順調だった妊婦生活今振り返ると「油断していた」と言えるのですが、私の妊婦生活は順調そのものでした。妊娠初期こそ吐き気や食欲不振などがあったものの、周りから聞いていたような「何を食べても吐く」「水すら飲めない」といったつらいつわりはなかったのです。 安定期に入ってから食欲が回復し、その後はさっぱりとしたフルーツや冷たい麺類を好むといった変化があった程度。妊娠前と同様に仕事も家事も続けられていたので、「本当に妊娠しているんだよね?」と人から確認されるほど、元気に過ごしていました。 思いがけない妊娠高血圧症候群の診断ところが、妊娠34週目ころから血圧がやや上昇し、医師から足や顔のむくみを指摘されるように。ただその時点では「疲れたら休むように」というお話のみであったため、特に心配してはいませんでした。しかし、週を追うごとに症状は悪化し、妊娠37週目の健診で妊娠高血圧症候群の診断が下されたのです。 血圧が前の週から急激に上がり、尿蛋白も高い結果が出ていました。体重は一気に3kg増加。「入院しないのであれば一切の家事をやめ、何もせず横になる生活をしてください」と指示が。その日は自宅に帰り、文字通り寝たきり生活を1週間続けたのですが症状が改善せず、妊娠38週目の健診が終わるとそのまま入院することになりました。 入院して誘発分娩へ病院で安静な生活を続け、危険なほどの高血圧からは脱しましたが、医師から「母子ともに体力のあるうちに分娩に踏み切ったほうが良い」と判断が下され、妊娠39週1日で陣痛促進剤を使用することになりました。朝食後から錠剤を飲み始めましたが、すぐに陣痛が来ることは少ないと言われていたので当時は実感がない状態でした。 しかし、昼食を食べ終わり2錠目の錠剤を飲んでまもなく強い生理痛のようなの痛みがあり、ナースコールを押すと「陣痛が来ていますね」と言われました。何とそのまま1分間隔の陣痛となり、午後4時には元気な赤ちゃんが生まれていました。 多量出血で入院が長引く初産にも関わらず2時間という短時間で赤ちゃんを産んだ私でしたが、胎盤が自然に排出されず、とても苦しい後産の処理が待っていました。医師や助産師総出で懸命に処置をしてくれるのですが出血がなかなか止まらず、最終的な出血量は1,700mlと多量。後に聞かされた事ですが「あのまま出血が止まらなければ子宮を摘出しなければいけなかった」そうです。 急な事態だったため、立ち会いを予定していた夫や見舞いに来る予定だった実母など誰も病院に来られず、ひとりで処置を受けていた時間はとても心細くつらいものでした。体の回復も遅れ、退院できたのは出産から7日後、2週間の入院期間はとても長く感じられたのを今でも覚えています。 妊娠期間中は元気に楽しく過ごしていたため、最後にこんなトラブルが待っていたなんて想像もしていませんでした。お産は何が起こるかわからない、絶対はないと言うことを身をもって痛感しました。次にもし妊娠をすることがあったら、経過が順調でも決して油断することなく、しっかりと体調管理をしたうえで出産に臨みたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2019年09月16日