女優として、映画やドラマ、CMなどでマルチに活躍している杏(あん)さん。実の兄も俳優として活躍しており、数々のドラマや映画に出演しています。そんな杏さんの兄の名前や出演ドラマ、仲のよさがうかがえるエピソードなど、さまざまな情報をご紹介します!杏の兄は俳優・渡辺大出演ドラマは?杏さんの兄は俳優の渡辺大(わたなべ・だい)さんです。2人の父親はハリウッド映画にも出演している俳優の渡辺謙(わたなべ・けん)さんで、親子そろって役者として活躍しています。イケメンな父親と美人な妹を持つ渡辺大さんも、もちろん容姿端麗!自身のインスタグラムでその姿を公開するたびに、「かっこいい」「素敵!」とファンを喜ばせています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 銀座一丁目にあるダンヒルのパーティーに参加してきました!森保サッカー日本代表監督にもお会い出来てドキドキでしたアパレルだけではなく、バーや理容院もあってビックリです!僕はシェービングを体験させていただきました、ツルツル… #dunhill #森保ジャパン #バーバーもあるよ #バーもある #着こなせるようになりたいですね 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2019年 4月月26日午前7時58分PDT父親に似て、鼻が高く目が大きい渡辺大さん。身長185cmという日本人離れした体格にも、見とれてしまいますね。デビューして以来、俳優として活動している渡辺大さんは、数々のドラマに出演しています。デビュー作は2002年に放送された時代劇『壬生義士伝~新撰組でいちばん強かった男~』(テレビ東京系)。同作では父である俳優・渡辺謙さん演じる吉村貫一郎の青年期役として出演しました。2003年には大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』(NHK)に豊臣秀頼役で出演。以降も大河ドラマ『功名が辻』や『足尾から来た女』、『独眼竜花嫁道中』、『一路』、『鳴門秘帖』などのNHK制作の時代劇に多く出演しています。 この投稿をInstagramで見る 明日からNHKBS時代劇「鳴門秘帖」がスタート!毎週金曜夜8時から!僕は法月弦之丞を追いかける天童一角を演じます! #鳴門秘帖 #NHKBS時代劇 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年 4月月18日午後10時11分PDTこのほかにも2009年放送のドラマ『臨場』(テレビ朝日系)や2015年放送の『永遠の0』(テレビ東京系)、『遺産相続』(テレビ朝日系)、2018年放送のドラマ『明日の君がもっと好き』(テレビ朝日系)といった話題作に出演。 この投稿をInstagramで見る 「明日の君がもっと好き」クランクアップしました!志田未来ちゃんと同時のアップでした〜、ドラマ中ではクセの強い夫婦をやらせていただきました(笑)どんな結末を迎えたか、、、お楽しみに! #明日の君がもっと好き #クランクアップ #志田未来ちゃん #クセがすごい夫婦 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年 2月月18日午前3時29分PSTさらに、同年に放送されたドラマ『ヒモメン』(テレビ朝日系)では俳優の川口春奈さん演じるヒロイン・春日ゆり子の幼馴染み・松平鷹彦役を担当し、主人公2人の恋路を引っかき回す役どころに挑戦しています。 この投稿をInstagramで見る ⠀ \\渡辺大さんオールアップ//⠀ ⠀ 「最終回にゲストとして出させてもらって本当に光栄でした!返しで笑いをこらえるのが辛かったくらい腹抱えて笑った現場でした。どうもありがとうございました!」と挨拶し、撮影を振り返りました⠀ ⠀ #松平鷹彦役⠀ #渡辺大 さん⠀ #お疲れ様でした㊗️⠀ #土曜ナイトドラマ⠀ #ヒモメン⠀ #最終回放送まであと4時間‼️⠀ #第7話⠀ #9/8(土)よる23時15分~ 【公式】ヒモメンテレビ朝日公式アカウント (@himotvasahi)がシェアした投稿 - 2018年 9月月8日午前3時15分PDT同じく2018年に放送されたドラマ『中学聖日記』(TBS系)では、俳優・有村架純さん演じるヒロイン・末永聖に密かに恋心を寄せている小学校の同僚教師・野上一樹役で出演。優しさの塊のような存在感のある演技で、視聴者の目を釘付けにしていました。 この投稿をInstagramで見る 中学聖日記、夜10時からTBS系にてオンエアです!僕は野上という小学校の教師をしております。どうストーリーに関わっていくか…ぜひご覧ください! #中学聖日記 #TBS 渡辺大 (@dai_watanabe0801)がシェアした投稿 - 2018年11月月13日午前4時40分PST この投稿をInstagramで見る 3年後。新たな出会い。予期せぬ再会。来週も見逃せません! #tbs #火曜ドラマ #中学聖日記 #有村架純 #岡田健史 #町田啓太 #マキタスポーツ #友近 #渡辺大 #村川絵梨 #吉田羊 #夏川結衣 #火曜 #第7話 #11月20日 #放送時間が違います #よる10時20分スタート TBS10月火曜ドラマ「中学聖日記」 (@chugakuseinikki_tbs)がシェアした投稿 - 2018年11月月14日午後1時17分PST この投稿をInstagramで見る 明日はいよいよ第8話。 小宮第一小学校に、大事件勃発⁉️ #tbs #火曜ドラマ #中学聖日記 #有村架純 #岡田健史 #町田啓太 #マキタスポーツ #友近 #渡辺大 #村川絵梨 #吉田羊 #夏川結衣 #火曜 #第8話 #11月27日 #よる10時 #明日 #小宮第一小ティーチャーズ TBS10月火曜ドラマ「中学聖日記」 (@chugakuseinikki_tbs)がシェアした投稿 - 2018年11月月25日午後8時49分PST紹介した以外にもさまざまな役どころを演じ、着実に演技力を磨いている渡辺大さん。さらなる活躍に期待が集まっています。杏と兄・渡辺大は仲よし!、趣味も一緒?渡辺大さんは2010年5月27日にツイッターを更新。ファンから寄せられた「兄妹仲はいいですか?」という質問に回答しています。普通の兄妹とかわんないっすかね〜。RT @se178 @daiwatanabe 大君は妹の杏ちゃんと仲いいですか?★— 渡辺大 (@daiwatanabe) May 27, 2010 「普通の兄妹と変わらない」といいつつも、2人は大の仲よし!2016年9月19日には妹の杏さんからもらったという英語の辞書を嬉しそうに公開しています。妹から届いた英語の辞書。お互いいくつになってもこういう物ではしゃいでいます。 pic.twitter.com/MmLV3uA1YH — 渡辺大 (@daiwatanabe) September 19, 2016 兄妹そろって『スター・ウォーズ』にハマっているのでしょうか。互いに大人になっても、好きなものではしゃぎあえる関係性はとても素敵だと思います。杏、兄の結婚と、子供が生まれることをばらす杏さんがトークバラエティ番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、公式発表前に、兄・渡辺大さんが結婚し、さらに子供がうまれることをバラしてしまい、大きな話題になりました。兄が結婚したことがよっぽど嬉しかったのでしょう。このエピソードを聞いただけでも兄妹仲がよいことが分かりますね。その後、渡辺大さんと妻との間には第1子となる長男が誕生。続けて、第2子となる女の子も生まれ、2児の父親として育児に奮闘しています。そんな渡辺大さんも2015年10月29日に『徹子の部屋』に出演。子供たちには非常に甘くて子煩悩な父親であることを明かしています。美男美女の家系の血筋を引いているため、子供たちもきっと容姿端麗なのでしょう。いつか親子でテレビ出演してほしいと期待してしまいます!杏プロフィール生年月日:1986年4月14日出身地:東京都血液型:A型身長:1743所属事務所:トップコート2001年に、ファッション雑誌『non-no』の専属モデルとしてデビュー。その後、海外のファッションショーでも活躍し、『パリ・コレクション』にも出演するなど人気モデルとして活動する。2007年には、ドラマ『天国と地獄』(テレビ朝日系)で女優デビュー。以降もドラマ『華麗なるスパイ』(日本テレビ系)や『サムライ・ハイスクール』(日本テレビ系)など、数多くの作品に出演し、演技の幅を広げる。2011年放送のドラマ『名前をなくした女神』(フジテレビ系)でドラマ初主演を務め、話題に。一方でバラエティ番組にも出演し、2012年からはバラエティ番組『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の人気コーナー『グルメチキンレース・ゴチになります!』にレギュラーとして出演している。その後も、ドラマ『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)や『デート〜恋とはどんなものかしら〜』(フジテレビ系)など、数々の作品で主演を務め、実力派としての地位を確立している。[文・構成/grape編集部]
2020年08月27日俳優として活躍している小栗旬(おぐり・しゅん)さん。実は兄も俳優として活動していたことがあり、現在は会社経営を行っています。そんな小栗旬さんの兄が映画監督志望だったことや、テーマパーク『ムーミンバレーパーク』との関係など、さまざまな情報をご紹介します!小栗旬の兄も俳優! 映画監督を目指し、現在は社長?小栗旬さんの兄は小栗了(おぐり・りょう)さんといいます。小栗了さんも俳優として舞台や映画で活動していたこともあり、兄弟そろって「イケメンすぎる」と話題に!こんなご時世ですが、コミュニティーFMで番組やります。15日の水曜日、夜22時から「水曜夜の小栗了」です。えー、なかなかテンパった感じのする一回目なので、お時間あったら聞いてみてください。ネットで聞けるそうです。ご視聴は→ #発するFM #小栗了 #ラジオ番組 pic.twitter.com/idaIjCdZUC — 小栗 了 (@RyoOguri) April 13, 2020 そんな小栗了さんは1976年9月5日に東京都で誕生。1995年に映画監督になるべく、アメリカに渡っています。2001年には役者として活動するため、帰国。その後、演出家・蜷川幸雄(にながわ・ゆきお)さんの舞台や、スティーヴン・セガール主演の映画などに出演しています。2006年に俳優を引退し、オペラ制作会社の『アートクリエーション』に入社。2007年からは同社の制作部門が独立する形でイベント制作会社『NAC』の取締役に就任しました。同年に日本スタッフ代表として『シルク・ドゥ・ソレイユシアター東京』の立ち上げに貢献。2020年現在も代表取締役社長として、企業イベントの企画や演出、制作、進行やアクロバットショー、格闘技、演劇、クラシックコンサートの演出などマルチな活動を展開しています。小栗旬と兄、『鋼の錬金術師』で共演!小栗旬さんは2005年に公開されたアニメ映画『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』で声優に挑戦。同作では兄の小栗了さんとの共演が実現し、2人並んで公開アフレコ取材に臨んでいます。左から小栗了、小栗旬 2005年小栗旬の兄とムーミンバレーパークの関係って?小栗了さんは、2019年3月16日に埼玉県飯能市にオープンしたテーマパーク『ムーミンバレーパーク』で行われる、ショーやアトラクションの演出を手がけています。同施設はムーミンシリーズの世界感とオシャレな北欧のライフスタイルを満喫できるとあって、子供だけでなく大人の間でも人気に。また、現地にもとからある湖や山を施設に取り入れているため、自然美に囲まれた風景も楽しめると多くの人を癒しています。ムーミンバレーパーク紹介そんなムーミンバレーパークの目玉である、『エンマの劇場』で行われるショーの演出や脚本を担当している小栗了さんです。ムーミンバレーパークの新しいショーの演出と脚本担当させてもらいました。「勇気を知った少女」楽しんでもらえたでしょうか?こんな時だからこそ、なにか質問や聞きたいことがありましたら、答えられる範囲で答えようかと思います。批判もwelcome! #ムーミンバレーパーク pic.twitter.com/5NNbxthuG3 — 小栗 了 (@RyoOguri) March 28, 2020 ここでは『Sound AR』という最新の音響技術を使用。これまでにない臨場感やサウンドが味わえるとあって、ムーミンファン以外の間でも話題になりました。そんなアトラクションを完成させた小栗了さんは、次のようにコメントしています。昨今、体験して経験するアトラクションは増えていますが、体験して経験して感動を残せているものは少ないと思います。このSound ARはムーミントロールの成長譚として、一緒に経験していただき、ムーミンが感じた気持ちを共有してくださったらありがたいです。想像力をフルに活用して楽しんでいただけたらと思います。ムーミン公式サイトーより引用また、自身のツイッターでは『ムーミンバレーパーク』に関するさまざま情報を投稿。今の相方。ムーミンバレーパーク、埼玉県飯能市に3月16日オープン!ぜひ、来てね! pic.twitter.com/Z4hqv8ktP5 — 小栗 了 (@RyoOguri) January 16, 2019 ムーミンバレーパーク、本日オープンしました。二ヶ月半のムーミン谷での仕事は自分にとって本当に勉強になる時間でした。関わって頂いた皆様、ありがとうございました。後は、観に来ていただける方々が喜んで、楽しんでもらえたら幸いです。 pic.twitter.com/4iyi1nbTOR — 小栗 了 (@RyoOguri) March 16, 2019 『ムーミンバレーパーク』での仕事は、小栗了さんにとってかけがいのない財産になったのでしょうね。小栗旬の父も舞台監督 小栗家は演劇一家?小栗旬さんと小栗了さんの父親は、舞台監督の小栗哲家(おぐり・てつや)さんです。小栗哲家さんは年末に行われる合唱イベント『サントリー1万人の第九』で舞台演出を務めており、2017年の大阪城ホールで行われた同イベントでは、息子・小栗旬さんと初の親子共演を果たしています。この時、小栗旬さんはシラーの詩を日本語に翻訳した『よろこびのうた』を朗読。終了後は「とても楽しかったです」と興奮した様子を見せ、父親の仕事ぶりを高く評価しています。いつか小栗了さんも、このイベントに参加し、親子で活躍する姿を見せてほしいですね。小栗一家のさらなる活躍を楽しみに、これからも応援しています!小栗旬 プロフィール生年月日:1982年12月26日出身地:東京都血液型:O型身長:1843所属事務所:トライストーン・エンタテイメント幼少期の頃から児童劇団に入団し、子役として活躍。ドラマ『GTO』(フジテレビ系)に出演し注目を集めると、以降『池袋ウエストゲートパーク』(TBS系)や『ごくせん』(日本テレビ系)、『花より男子』(テレビ朝日系)など数々の人気ドラマに出演し、ブレイクを果たす。また、『宇宙兄弟』や『銀魂』、『追憶』『人間失格 太宰治と3人の女たち』などの映画でも存在感のある演技を披露。日本を代表する俳優の1人として活躍を続けている。小栗旬が『離婚危機』をキッパリ否定! 妻・山田優との関係性は?[文・構成/grape編集部]
2020年08月20日3人の男の子を育てながら漫画を描いている、まりげ(@marige333)さん。ある日、次男のぽんちゃんと三男のさんちゃんを連れ、公園に遊びに行きました。夕方になり、そろそろ帰宅しようと2人に声をかけたものの、さんちゃんはまだ帰りたくない様子だったのだとか。すると、弟想いの兄は…。【 帰宅拒否。兄の心、弟知らず 】(4枚)末っ子、自由過ぎ pic.twitter.com/kMXpCg6Ot4 — まりげ (@marige333) August 4, 2020 母親の「置いて帰っちゃいますよ」という言葉を真に受けた兄。「かわいい弟を置いていくことなんかできない!」と母親に訴える兄に、ほほ笑んでしまいますね。投稿には、さまざまな声が寄せられています。・ぽんちゃん、かわいすぎます!・うちの長男も同じようなことをするので笑ってしまいました。弟のことがかわいくて仕方ないみたいです。・我が家は兄弟ゲンカばかりするので、うらやましすぎます…。「弟を置いて行かないで」と訴える兄を横目に、1人で走り続ける弟。自由奔放な弟が、兄の優しい気持ちに気付く日が待ち遠しいですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月05日優しい飼い主さんと暮らす2匹の犬、8歳のローマンと6歳のスパンキー。2匹は初めて会った瞬間からすぐに仲よくなり、今では本物の兄弟のようにいつも一緒に過ごしています。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2014年 5月月11日午後12時53分PDT海外メディア『Bored Panda』によると、飼い主さんはある日、ローマンの耳が腫れているのに気が付いたのだそう。動物病院で診てもらったところ、耳に血腫ができていて手術が必要だということが分かったのです。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2019年12月月27日午前7時29分PST手術が2週間先まで予約できなかったため、その間に耳の腫れが悪化してしまい、ローマンはだんだんと元気がなくなってきたのだとか。またスパンキーはそんなローマンを見て、とても心配するようになったのだそう。そして手術の5日前、ローマンの体調を心配した飼い主さんは室内に監視カメラを付けて、自分が不在の間も犬たちの様子を確認することにします。すると…カメラに信じられない光景が映っていたのです。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2020年 6月月28日午前6時32分PDTカーペットの上に横になっているローマン。するとスパンキーがベッドを引きずって彼のそばに持ってきてあげたのです。それから2匹はぴったりと寄り添って眠っていました。感動した飼い主さんの姉妹が動画をSNSに投稿するとたちまち拡散され、多くのコメントが寄せられています。・なんて優しい子。涙が出たわ。・彼らはこの星でもっとも賢くて愛情深い生き物だ。・兄弟愛だね。普段から2匹は遊ぶ時も眠る時もいつでもそばにいるのだそう。きっとスパンキーはローマンの具合がよくないことに気付き、少しでも助けてあげたいと思っているのでしょう。 この投稿をInstagramで見る @roman_spankyがシェアした投稿 - 2017年 2月月5日午後5時43分PST『Bored Panda』によるとローマンの耳の手術は無事に終わり、術後の経過も良好だとのこと。今では耳の不快感がなくなり、すっかり元気を取り戻したそうです。よかったですね。ローマンの手術の後も、スパンキーはずっと彼のそばに寄り添っていたといいます。体が健康でない時は心も弱くなってしまうものです。そんな時に優しい弟犬のサポートは、ローマンにたくさんの癒しとエネルギーを与えてくれたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月13日2020年7月9日放送のトーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、お笑いコンビ『品川庄司』の庄司智春さんが出演。司会の黒柳徹子さんに読み上げられた、母親からの手紙の内容に驚く声が上がっています。庄司智春の兄の身に起きた、夏休みの悲劇アイドルグループ『モーニング娘。』の元メンバーである藤本美貴さんと結婚し、3人の子供に恵まれた庄司さん。子育てのエピソードに続いて、お笑いの道に進んだ経緯を黒柳さんに話しました。番組の終盤になると、徹子さんは庄司さんの母親から預かった手紙を代読。感謝の言葉とともに書かれていたこととは…。智ちゃんへ今日はいつもは口に出せない感謝の言葉を伝えたいと思います。智ちゃんが大好きだったお兄ちゃんがたった11歳で亡くなり、家の中が暗くなった時は、末っ子のあなたがいつも家族を笑わせようとしてくれていましたね。そしてもうひとつ。私たち夫婦が海外旅行に行ったことがなかったので、結婚式をハワイで挙げてくれましたね。本当に楽しかったです。嬉しかったですよ。美貴ちゃんにも感謝ですね。とにかく、病気せずに元気でいてください。母、久美恵より徹子の部屋ーより引用手紙につづられていたのは、庄司さんが小学4年生の時に起こった悲劇。小学6年生だった兄が夏休みに学校のプールで倒れ、亡くなったことについて触れていました。手紙の内容に耳を傾け、「明るくしようとテンションを上げていた感じはある」と当時を振り返った庄司さん。お笑いタレントになったルーツには、きっと兄の影響もあるのでしょう。また、庄司さんは「この世界に入る時もたぶん、両親的にはあんまり賛成ではなかったと思うんですけど、やっぱり兄が若い時に亡くなっているんで、好きなようにいかしてあげたいなという想いはあったのではないか」と語りました。【ネットの声】・まったく知らなかった。幼少期からつらい思いをされて大変だったと思う。・自分もどん底の気分だったろうに…人のために振る舞える人って素敵。・強い人ですね。応援したくなりました。家族を亡くした心の傷は、いつまでも痛み続けます。もしかしたら、心に傷がつく前と同じ状態まで癒えることはないのかもしれません。しかし、失った時の痛みを知るからこそ、『大切な人たちとともに過ごす時間の尊さ』を理解できるということも。愛妻家で知られる庄司さんの家族愛の深さに、多くの人が納得しました。[文・構成/grape編集部]
2020年07月12日事実無根の風評被害を書かれている。遺憾の意を表したい。そんなメッセージとともに、1枚の写真をTwitterに投稿した、こばるん(@428sk1_guardian)さん。一体投稿者さんが受けた風評被害とはなんなのか…それが、こちらです。妹の漢字練習の例文に事実無根の風評被害を書かれている 遺憾の意を評したい pic.twitter.com/HpgJtZGV9p — こばるん@東こばると (@428sk1_guardian) June 24, 2020 兄の成績が悪すぎて、留年した。漢字の『留』を使った例文に、兄の留年という事実無根のネタをチョイスした投稿者さんの妹。先生の「つらい例文ですね…」という赤字が、より一層悲しみをあおります!【ネットの声】・「あまりにも」を入れる、妹の気持ちたるや。・予言の書では…?・どうしてそれを選んだんだ!コメントにもあるように、妹さんが例文として書いた「兄が留年」が実現しないことを願うばかりです…![文・構成/grape編集部]
2020年06月25日ウーマンエキサイトの読者のみなさん、こんにちは!8歳と5歳のやんちゃ兄弟を育児中のなーみんです。子どもが小学生にもなると友達が家に遊びに来たり、逆に遊びに行ったりということがありますよね。我が家も、長男が2年生後半くらいになった頃から、友達が遊びに誘いにくるということが増えました。■長男のお友達が家にくると出てくる“ある問題”家の中にはなるべく入れたくなかった私…。(家の中がキレイじゃないから 笑 )でもお友達と一緒にゲームがしたいなどの理由で少しだけ入れることも。外にゲーム機を持っていかれるよりは、家でやってくれたほうが良いですよね!長男のお友達が来ると必然と次男も一緒に混ざって遊び始めます。何度も遊んでくうちにすっかり長男の友達も自分の友達と思うようになった次男。でも“ある問題”が出てくるようになりました。家遊びに飽きたお兄ちゃんたちは「今度は外で遊ぼうー」と言って外に行こうとするのですが、さすがに次男も~というわけには行かず。そこで引き留めるんですが、これがもう大変で大変で。「じゃあ、みーはママと公園に行こう!」と言ってもダメなんですよね…、お兄ちゃん達と一緒じゃないと。同じ公園に行けばいいことなんですが、そうなると次男も混ざりたがるため遊び方が制限されてしまい長男も不満そうで。長男と次男は3歳離れているのですが、今の時期だとその差が結構大きくて。遊び方もダイナミックになってくる長男に対して次男はまだそこまでついていけません。長男は全力で遊べなくなってしまうので、それがストレスになっているようでした。■長男が思いついた“ある方法”そこで長男が思いついた“ある嘘”。嘘は良くないんですが、時にはついて良い嘘もあると思っています…!長男が友達と遊びに行くときは「学校に行ってくる!」と言っています。そうすると次男もすんなり諦めるんです(笑)嘘をつかれて可哀想だなという部分ももちろんあるんですが、この嘘は許しています。私も子どもの頃に6歳離れた妹と一緒に遊ぶことがあったのですが、やっぱり遊び方も制限されるしストレスに感じてたこともあるので長男の気持ちがわかるんです。兄弟仲良く遊んで欲しいという願いはありますが、友達との時間も大事にしてほしいですよね!来年は次男も小学生になるのでこの嘘は通用しなくなると思いますが、その頃にはもう少し我慢ができるようになってることを願っています!
2020年06月18日強豪校へ行った兄にようになることがモチベーションの次男。楽しそうにサッカーしているけど、チームメイトとのレベル差もあり、最近ではスクールを辞めたいようなことを口にすることも。運動神経あまりよくなく、兄のように強豪校へ進む進路は無理そうだけど、進路についてどう話せばいい?前向きにさせるか、違うことにモチベーションを持たせるか......。と悩むお母さんよりご相談をいただきました。みなさんならどうしますか?今回もスポーツと教育のジャーナリストであり、先輩サッカーママでもある島沢優子さんが、取材で得た知見をもとにお母さんへ3つのアドバイスを送りますので参考にしてください。(文:島沢優子)(写真はご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)<<グローブがなく素手でGKを務めた息子。Bチームは面倒見てもらえないのか問題<サッカーママからのご相談>10歳の息子ですが、強豪校に行った兄を目指し、週1だけクラブチーム下部組織のスクールに通い始めました。最初はモジモジしていましたが段々と意欲的になり、今では早く行ってグランドの端っこで仲間とアップしています。楽しそうにしているのですが、たまに「今日は3人に突っ込まれ削られた」など不満を口にします。チームメイトとレベルがかなり違う(息子が下手)のは親もわかっているので、プレーがうまくいかなかったことは仕方ないと思うのですが、息子にとってはスクールでの不満が帰宅してから寝るまで続いている感じです。それに対して私は「サッカーの中での事はサッカーで解決しなさい!」とか「仕方ないよ」としか言えなくて。最近は「所属チームだけでいいかな?」と、スクールを辞めたい様な事も口にします。前向きにさせる様にするには親はどうしたらいいのか悩んでいます。兄は6年時にJrユース合格の為準備としてスクールに通い始めましたが、兄弟で運動神経は全く違う(今回相談している弟は鈍い)ので下部ジュニアユース→他県強豪校という進路は無理そうに思います。ですが、兄の様になる事だけがモチベーションの子に、どうやって進路を話したら良いかも不安がありご相談しました。息子を前向きにさせる方向がいいのでしょうか、それとも違うモチベーションを持たせるのがいいのでしょうか。アドバイスよろしくお願いします。<島沢さんのアドバイス>ご相談いただき、ありがとうございます。お母さんからのメールには、以下のような問いがありました。前向きにさせる様にするには親はどうしたらいいのか。息子を前向きにさせる方向がいいのでしょうか。それとも違うモチベーションを持たせるのがいいでしょうか。いずれも「○○させる」が並んでいます。まずは、お母さんの中から、この「○○させなくては」「○○させるべき」「○○させたい」という欲求を追い出してください。■子どもが自分から頑張るために、親はどうすればいいか私も長男が小学校低学年のころはそんな言葉ばかりを頭に思い浮かべていました。「宿題をやらせるのはどうしたらいいか」「サッカーの自主練をやらせるにはどんな方法があるだろう」ところが、親が「こうさせるぞ!」と頑張れば、頑張るほど、うまくいきません。子どもから「嫌だ!」と反発されたり、渋々取り組んだとしても、しょせん親(他者)から言われてやることなので成果が上がりませんでした。では、どのようにしたか。何十万人もの子どもにサッカーを教えながらコーチたちを導いてきた池上正さんや、脳科学の専門家、成果を上げている教育現場の人たちの話を参考にしました。すべての人が口をそろえておっしゃったのは「放っておけばいい」でした。そして、実際に放っておくと勝手に自分で自分の道を選び、そこに向かって努力を始めました。つまり、成長が始まったのです。したがって、お母さんも次男さんを、まずはほったらかしにしましょう。こうさせたい、などと考える。それはいわゆるコントロールしようとする行為です。前向きにサッカーに取り組んでほしいなら「いつでも応援しているよ。できることがあったら言ってね」とひとこと言ってあとは黙っていればいいことです。「私が干渉したままでは、息子は成長しない」ぜひそのように考えてください。■兄弟であっても違う個体なので、上の子の経験に縛られないようにしようそもそも第一子は、兄姉がないぶん可視化できる見本はないし、親も最初の子どもなので知見、経験がない。それは一見ディスアドバンテージに映ります。が、その実、子どもも親も何かの前例や価値観に縛られることなく、その子らしい道を自由に模索できるアドバンテージでもあると思います。第二子は兄や姉の姿が良くも悪くも見本になり、親のほうも、上の子の経験に良くも悪くも縛られがちです。要するに、比べてしまう。これはストレス以外の何物にもなりません。日本の子育てには「切磋琢磨する」とか「きょうだいで競い合って」という表現がありますが、そうしたいかどうかは子どもが決めることです。ご相談文を読んだだけなので想像の域ですが、ご長男は、おそらく小さいころからサッカーが得意で自分からどんどん取り組んで強豪校への道も自分で選んだのだと思います。したがって、親のほうもただ見守っていればよかったでしょう。ところが、次男は長男とは違う個体です。違っていて当然。でも、親は迷う。お母さんはいままさに「子育ての森」で迷子になっています。■子どもをコントロールしないで見守ることでは、どうするか。以下の三つを参考にしてください。1.コントロールしようとしない。冒頭でも伝えましたが「○○させる」とは考えないこと。「この子、どんな大人になるかなあ」とゆったり構えてください。子育ては、飯の食える一人前の大人に育てることが第一目標です。サッカーで強豪校に行く、名門のジュニアユースクラブに行く。これはプロセスにおける名誉かもしれませんが、実際はあまり重要なことではありません。例えば、本人が生きがいを見つけて気持ち良く人生を歩む。そんな姿を思い浮かべると、サッカーで試合に出られようが出られまいが大したことではない――親はそう思って見守ったほうがいいと思います。子どもはこのことに懸命になるでしょうけれど、親はそのカオスに巻き込まれることなく離れて見守ったほうがいいのです。子どもは必ずや、のちにお母さんがそのような達観した姿勢で置いてくれたことに感謝するはずです。「いろいろうるさくいわずに放っておいてくれて助かったよ」と。2.「言わなきゃ」よりも「聴かなきゃ」「サッカーの中での事はサッカーで解決しなさい!」とか「仕方ないよ」としか言えなくて。とあります。お母さんがおっしゃっているように、どちらの言葉も意味がありませんね。お母さんだけじゃないです。みなさん「親だからきちんといいアドバイスをしよう!」と思い込んで、空回りしがちです。そうではなく、お子さんの話を聴いてあげてください。別にじっくりじゃなくてもいい。「どんな気持ちだったの?」「どう?大丈夫?サッカー、楽しい?」質問をすると、次男君が自分の気持ちと向き合える機会が作れるかもしれません。■子どもの気持ちを親が決めつけていませんか(写真はご質問者様及びご質問内容とは関係ありません)3.兄弟を比べない自分の中で比べたくなります。でも、比べないこと。比べるのなら、いいところを必ず探してあげましょう。お母さんだって、よそのお母さんと比べられると嫌ですよね?子育てがうまく行ってない人の99%が、きょうだいで比べたり、よその子とわが子をよく比べます。「うちはこんなんだよ。Aさんちの息子さんはいいなあ」と。お母さんの言うように「兄の様になる事だけがモチベーション」だとしたら、もしかしたら親御さんの態度も関係しているかもしれません。「サッカー、楽しい?楽しいなら続ければいいと思うし、そう思えないなら違うことをしてもいいよね」と伝えてください。子どもの気持ちを決めつけていないか?子どもの力を信じているか?ご自分の子育てを、少しとらえなおしてみましょう。島沢優子(しまざわ・ゆうこ)スポーツ・教育ジャーナリスト。日本文藝家協会会員(理事推薦)1男1女の母。筑波大学卒業後、英国留学など経て日刊スポーツ新聞社東京本社勤務。1998年よりフリー。『AERA』や『東洋経済オンライン』などで、スポーツ、教育関係等をフィールドに執筆。主に、サッカーを始めスポーツの育成に詳しい。『桜宮高校バスケット部体罰事件の真実そして少年は死ぬことに決めた』(朝日新聞出版)『左手一本のシュート夢あればこそ!脳出血、右半身麻痺からの復活』『王者の食ノート~スポーツ栄養士虎石真弥、勝利への挑戦』など著書多数。『サッカーで子どもをぐんぐん伸ばす11の魔法』(池上正著/いずれも小学館)ブラック部活の問題を提起した『部活があぶない』(講談社現代新書)、錦織圭を育てたコーチの育成術を記した『戦略脳を育てるテニス・グランドスラムへの翼』(柏井正樹著/大修館書店)など企画構成も担当。指導者や保護者向けの講演も多い。最新刊は『世界を獲るノートアスリートのインテリジェンス』(カンゼン)。
2020年06月11日新型コロナウイルス感染症の影響で2020年4月に、緊急事態宣言が発令。学校は休校となり、多くの子供たちが家で勉強をしなければいけませんでした。しかし、同年5月、一部の地域で緊急事態宣言が解除され、学校が再開されたところもあります。3人の子供を育てている、秋山(@Aki8ma_3)さんの長男も早速小学校が始まりました。入学式以来の登校となる長男。「大丈夫かなー」と不安げな様子だったといいます。2歳の次男は、そんな長男の言葉を聞いて頼もしくこのようにいったそうです。にいちゃん、だいじょうぶだ!オレがいるぞ!不安を漏らす兄に対して、勇ましい発言をした次男。しかし、発言直後に次男に大ピンチが!なんと、不安…ではなく、おしっこを漏らしてしまったのです。かっこよく決めたものの、夫に抱きかかえられてその場から退場。ついに小学校の再開が決まった。入学式以来の学校に「大丈夫かなー…」と不安そうな長男(6)の声をそばで聞いていた次男(2)が「にいちゃんだいじょぶだ、オレがいるぞ」って言ったあとにおしっこを漏らして夫に抱えられて退場しました。— 秋山 (@Aki8ma_3) 2020年5月22日 2歳児らしいオチに「かわいすぎるでしょ!」「気持ちは十分に伝わった!」などのコメントが寄せられていました。その場からは退場になってしまったものの、次男に元気づけられた長男はきっと勇気を出して登校することができるでしょう![文・構成/grape編集部]
2020年05月23日妹系女子がモテる理由とは?男性に好かれやすい女性は男兄弟がいる可能性が高いです。特にお兄ちゃんがいるパターンが多く、自然体で男性心理やコミュニケーション術を学んでいます。小さなころから男性と自然体でコミュニケーションを交わしてきた強みモテる女性は男兄弟がいる可能性が高いです。それも、いわゆる頼れるお兄ちゃんがいる場合が少なくありません。その理由として最初に挙げられるのが、男性とのコミュニケーションに慣れている点です。姉妹だけの家庭、あるいは一人っ子の状態で育った女子はあまり男性とのコミュニケーション経験が積めません。一方でお兄ちゃんがいる家族構成だと、幼少期から当然のように男性と会話やスキンシップをする事となり、自然体で男性相手のコミュニケーション術が学べるのです。ポイントは自然体なコミュニケーションであり、兄と普段から色々な話題を話す事で、いわゆる男友達やボーイフレンドの前でも、活発でフレンドリーな一面を見せられます。自然体で男性に甘えられる、それが妹系の長所幼少期から兄と一緒に遊ぶ、会話をする、スキンシップを交わす事で無意識的に男性心理や男心が分かるようになっている、これもまた妹系女子の強みです。嫌味なく男性に甘えるのが得意であり、普段は活発で積極的な性格なのに急に、自分に甘えてくる、そんな子猫のような愛らしいしぐさに世間の男性陣は弱いです。兄がいる女性だと、どういった風にお願いすれば良いか過去の経験から無意識的に最適な言葉や仕草を学んでいます。そしてただ男性に頼るだけではなく、きちんと毎回丁寧にお礼を言ったり、普段から周囲の男性を本心で慕っているため、職場や学校においても、ぶりっ子という評価は受けず、文字通りグループの妹役として愛されやすいのです。男っぽい趣味に理解がある、それもまた妹系女子のアドバンテージ男性的な趣味に理解があるのも妹系女性の強みであり、普通の女子だとあまり話題についていけない、人気少年漫画のディープな話や過去に大ヒットしたテレビゲームの話や深夜アニメの話なども、どんどん加わっていけるのがアドバンテージです。兄と一緒にテレビゲームを子どもの頃からプレイしていたり、兄の影響を受けて男性向けのサブカルにとても詳しくなっていれば、学校や職場の男性陣と違和感なく、世間話や趣味のトークで盛り上がれます。普通の女子にはない男性的な趣味を幼少期から学んでいる、更に嫌味なく男性とサブカルの話題で盛り上がれるため、自然と男性陣から好感度が高くなりやすいのです。
2020年02月19日ナスが美味しい季節、相性が抜群の豚肉と合わせ、ごはんがすすむ「秋ナスと豚こま肉の酢豚」を作りませんか。豚こま肉をひとくち大に丸めることで下味がしっかりと付き、見た目のボリューム感がアップします。見栄えだけでなく、塊肉よりもふんわり柔らかい食感に仕上がるので、こどもからお年寄りまで、みんなが食べやすいお肉に変身します。お手頃な価格の豚こま肉を使用することでお財布にも嬉しいですね。お弁当のおかずにも喜ばれる一品です。■秋ナスと豚こま肉の酢豚調理時間 25分レシピ制作:横田 真未<材料 2人分>ナス 2本豚肉(こま切れ) 100~150g 酒 小さじ1 しょうゆ 小さじ1 ゴマ油 少々玉ネギ 1個ニンジン 1/2本片栗粉 適量 砂糖 大さじ1.5 酢 大さじ1 しょうゆ 大さじ1 ケチャップ 大さじ3 水 大さじ2.5 顆粒チキンスープの素 小さじ1 片栗粉 小さじ1/2 水 大さじ1揚げ油 適量<下準備>・ナスはヘタを切り落とし、ひとくち大の乱切りにする。豚肉に<下味>の材料をからめて10分置く。玉ネギは6等分のくし切りにする。・ニンジンは皮をむき、小さめの乱切りにし、耐熱皿に並べてふんわりラップをかける。電子レンジで2分加熱する。揚げ油を160℃に予熱し始める。<作り方>1、<下味>に漬けた豚肉をひとくち大に丸め、片栗粉をからめる。160℃に熱した揚げ油でカリッとするまで揚げる。続けて野菜もサッと揚げる。2、フライパンに<調味料>の材料を入れて中火で煮たたせ、<水溶き片栗>を混ぜながら加えてトロミをつける。(1)の豚肉、野菜を加えて全体をからめて器に盛る。コツ・ポイント ・電子レンジは600Wを使用しています。旬の秋ナスでボリューム感のある一品が作れます。
2019年11月27日みなさんの晩ごはんの献立の参考になりそうなメニューをご紹介する「今日のごはん」。LIMIAグルメ部が選んだのは、食べ応えたっぷりな豚こま肉とニラのスタミナ炒めです!食欲をそそるにんにくの香りにお箸が止まらない一品を、ぜひチェックしてください♪おいしさには工夫がいっぱい!今日ご紹介するのは、LIMIAにもおいしいレシピをたくさん投稿してくださっている、料理研究家のYuuさんのアイデアレシピです!春が旬といわれるニラや、スタミナたっぷりのにんにくの香り豊かなメニューで、食が進むこと間違いなし♡材料を切る→炒める→調味料を絡める、の3ステップで簡単にできあがりますよ♪▼詳しいレシピはこちら油を◯◯に変えるだけ!?驚きの柔らかプルプル食感♪『豚こまとニラのスタミナ炒め』uuさんによると、調理のポイントは豚こま肉とニラを炒めるときに、油ではなくなんとマヨネーズを使うこと!こうすることでコクとうま味がプラスされ、よりおいしく仕上がるのだとか♡また、豚こま肉は炒める前に片栗粉を揉み込んでおくと、やわらかい触感が楽しめます♪味付けにはめんつゆを使うので、失敗知らずなのもうれしいですね。おいしくいただける工夫がたくさん詰まったレシピを参考に、ぜひ作ってみてください!今日はボリュームもあって食べ応え大満足な、豚こま肉とニラのスタミナ炒めをご紹介しました。次回もみなさんの晩ごはんの参考になるレシピをピックアップしますので、お楽しみに♪
2019年03月29日みなさんの晩ごはんの献立の参考になりそうなメニューをご紹介する「今日のごはん」。LIMIAグルメ部が選んだのは、春キャベツをつかった、おいしい豚こまのスタミナ炒めです♡この時期ならではの、春キャベツの甘さとみずみずしさが、甘辛い味噌とマッチしてとってもおいしいですよ♪包丁を使わずとも簡単に作れる♪今日ご紹介するのは料理研究科のYUUさんのアイデアレシピ。簡単に作ることができて、ボリュームもたっぷりの「春キャベツと豚こまのスタミナ味噌炒め」です♡味噌の甘辛いテイストが春キャベツと豚こま肉にあってごはんも進みそう♪作り方はとっても簡単!手でちぎった春キャベツをフライパンでサッと炒めて取り出し、豚こま肉を炒め、甘味噌を絡めて春キャベツの上に盛り付けたら完成です!▼詳しいレシピはこちら包丁いらず♪『春キャベツと豚こまのスタミナ味噌炒め』豚こま肉は、豚バラ肉や豚ロース肉と代用OK。また春キャベツが出回らない時期には普通のキャベツで作ってもおいしくいただけます。包丁を使わずに作ることができるのでとってもらくちんですね♪忙しい日や、「スタミナのつくメニューが食べたいな」と思った日に作ってみてはいかがでしょうか?明日も晩ごはんの参考になるレシピを紹介しますのでお楽しみに!
2019年03月20日みなさんの晩ごはんの献立の参考になりそうなメニューをご紹介する「今日のごはん」。LIMIAグルメ部が選んだのは、とろ~りチーズがたまらない豚こまキャベツのカレーチャップです!カレー×チーズ味で大人から子どもまでみんな大好きなレシピですよ♡チーズがとろ~り……♡今日ご紹介するのは、おいしい時短レシピを数多くシェアしてくださっているMizukiさんのアイデア。とろ~りチーズといただく、豚こまキャベツのカレーチャップです♡みんな大好きな組み合わせで、作り方も簡単!「バレンタインはおうちで過ごそうかな」という方は、ぜひチャレンジしてみてください♪もちろん、お弁当やランチなど普段のメニューにも取り入れたくなるお味ですよ♡▼詳しいレシピはこちら。♡チーズとろ〜り♡豚こまキャベツのカレーチャップ♡【#簡単#豚肉#フライパン】豚こまをフライパンで火が通るまで炒めたら、4cmほどのざく切りにしたキャベツを加え、ふたをして蒸し焼きに。キャベツがしんなりしたら、ケチャップ、中濃ソース、マヨネーズ、カレー粉をサッと絡めます。ピザ用チーズを全体にのせて再度ふたをして、チーズがとろけたら完成です!豚こまの代わりに豚バラを使ってもいいそうですよ♪辛いのがお好きな方は、カレー粉の量を増やして調節してみてくださいね♡今日は手軽に作れてモリモリ食べられちゃう、王道の組み合わせがたまらない一品をご紹介しました。ぜひ参考に作ってみてください!明日もみなさんの晩ごはんの参考になりそうなレシピをご紹介します♪
2019年02月14日「すき焼き」と聞くと、“お客さんが来たり、お祝いのときにいただくご馳走”というイメージはありませんか?今回は、普通の日でも気軽に食べれる、牛肉のこま切れとフライパンで作るすき焼きレシピをご紹介します。材料を切って牛肉を炒めたら、割り下を注ぎ、残りの材料をすべて入れて煮込むだけの簡単レシピです。溶き卵をからめて食べるのはもちろん、そのままご飯にのせてすき焼き丼にしてもおいしいですよ。■フライパンすき焼き調理時間 20分 1人 639Kcalレシピ製作者:料理家 保田 美幸<材料 4人分>牛肉(こま切れ) 250g焼き豆腐 1/2丁玉ネギ 1/2個シイタケ(生) 4個セリ 1/3~1/2束しらたき(糸コンニャク:小) 1袋サラダ油 大さじ1.5<割り下> 酒 大さじ1 みりん 大さじ3.5 砂糖 大さじ2 しょうゆ 大さじ4溶き卵 2個分<下準備>・焼き豆腐は食べやすい大きさに切る。玉ネギは幅1cmのくし切りにする。シイタケは石づきを切り落とし、大きければ半分に切る。セリは根元をきれいに水洗いし、根ごと長さ4cmに切る。・しらたきは鍋に入れて水をかぶる位まで注いで強火にかけ、煮たったらザルに上げる。<割り下>の材料を混ぜ合わせておく。<作り方>1、フライパンにサラダ油、玉ネギを入れて中火で炒め、しんなりしたら牛肉を加えて炒め合わせる。2、<割り下>を注ぎ、焼き豆腐、シイタケ、しらたきを加えて煮からめ、火が通ったらセリを加え、しんなりしたら火を止める。器に盛り、溶き卵をつけていただく。割り下は自分好みに調整可能。ぜひ作ってみてくださいね。
2018年12月02日手頃な価格と様々な料理に使いやすい豚こま肉。冷蔵庫や冷凍庫にストックされている方も多いのではないでしょうか。今回は、そんな使い勝手のいい豚こま肉を使ったレシピをご紹介します。豚こま肉とサツマイモをママレードジャムとしょうゆのみで煮た簡単レシピ。煮詰めてついたおいしそうな照りに、喉がなってしまいそう!ママレードの爽やかな甘味と酸味が、しょうゆのコクと絶妙に合わさり、なんともいえないおいしさです。作り置きができるため、お弁当のおかずとしてもピッタリですよ。調味料は2種類だけ。10分ほどで煮物が作れ、その上、味も決まるなんて忙しいママの心強いメニューといえそう。ぜひ、試してみてくださいね。■豚こま肉とサツマイモのママレード煮調理時間 10分 1人分 406 Kcalレシピ制作:管理栄養士、調理師 岡本 由香梨<材料 2人分>豚肉(こま切れ) 200gサツマイモ 1本<調味料> しょうゆ 大さじ1.5 ママレード 大さじ2<下準備>・サツマイモは皮付きのままキレイに水洗いし、輪切りにする。水に放ち、ザルに上げて水気を取る。サツマイモは200gを目安にしています。大きい場合は半月に切って下さい。<作り方>1、鍋に分量外のサラダ油をひき、中火で豚肉を炒める。表面に火が通ったら、サツマイモと<調味料>の材料、分量外の水(100~200ml)を加え、落とし蓋をしてサツマイモに火が通るまで煮る。2、落とし蓋を取り、煮汁が鍋底に少し残る程度まで詰めて照りを出し、器に盛る。焦げないよう、ときどき混ぜてください。1日寝かせると、味が染み込んでさらにおいしくなりますよ!
2018年10月30日犬や猫と暮らしながら、子育てをしているママやパパをご紹介する「いぬねこ うちのこ。」。第23回目は息子さん、2匹の犬、1匹の猫のほか、亀や蛙、魚、虫たちと、多くの動物に囲まれて暮らすこましろ母さんです。家の周りの草刈り前に作って遊んだタンポポの花冠。ぐっすり眠る息子とそれを見守る?姉と兄。自然のなか、2匹の犬とお散歩したり、キャンプする様子が、お子さんの成長とともに綴られたこましろ母さんのインスタグラム。ときどき登場する猫のわかばや亀、蛙も楽しみです。そんなこましろ母さんにうちのこのベストショット、犬や猫と暮らしながらする子育てについて、お話を伺いました。こましろ母さん プロフィール小さな頃から生き物や自然が大好きな主婦。夫、息子1人、犬2匹、猫1匹、亀3匹、蛙1匹、そのほか魚や虫たちと、北の大地の田舎でのんびり暮らしている。Instagram: @komashirohaha ■愛すべき「うちのこ」たちをご紹介!・ぶんちゃん 2歳・こまち 6歳 中型雑種犬・しろたん 推定7歳 秋田犬・わかば 推定10歳 メインクーン系の雑種猫嬉しそうな目線の先にはオヤツが。ぶんちゃんは、元気でおしゃべりな男の子。好きなものは動物、絵本、乗りもの、回るもの、トーマス。ふわふわの兄と姉に見守られ、のびのび育っています。雑種犬の「こまち」は子犬の頃に保護団体から譲り受けました。麿眉と大きな目、耳がチャームポイントの女の子。臆病で神経質ですが、実は家族には甘えん坊。そして、きょうだい一のしっかり者です。勝ち気な性格ですが、一応女の子。お花が似合います。秋田犬の「しろたん」は、保健所から個人のボランティアさんが引き取り、保護していたところを譲り受けました。分厚い耳と、ピンクの鼻がチャームポイント。おっとりしていて、細かいことは気にしません。白毛の体には青い空が映えます。猫の「わかば」は、夫の職場にガリガリ、ボロボロで迷い込んだところを保護し、家族に迎えました。グレーのロングヘアーと、少し裂けた左耳がチャームポイント。とても甘えん坊で、とにかく肝っ玉が座っています。おばあちゃんですが、まだまだ若者には負けません!【ママに質問!】 1:愛犬、愛猫たちとは、いつから一緒に暮らしていますか? こまちとしろたんは、子どもが産まれる前から一緒に暮らしています。退院して帰宅すると、物珍しそうに息子の匂いを嗅いだり、顔を舐めたりしていました。また、息子が泣いたり、声を出したり、ウンチをするとよく見に来ていました。仲良く生後200日。左がこまち。右がしろたん。お互いを意識して触れ合うようになったのは、息子がハイハイをしたり、自分の意志で移動できるようになった頃だったと思います。自分のペースでずんずん近付き、力加減も無く、いきなり触ってくる小さな怪獣。しろたんは最初こそ少し警戒していましたが、すぐに慣れて乗られても踏まれてもお構いなしになりました。まだ歩き出す前の息子。よくしろたんの毛を掴んでいました。(笑)一方、とても臆病なこまちはこの頃から息子を警戒し始め、息子が一歳半位になるまでこちらもかなり気を使っていました。こまちが息子を認め、その動きに慣れるまでの時間と、息子がこちらの言うことや注意を理解し、触れる力の加減や、タイミングの調節が少しずつできるようになってきた時期がちょうど合ったのが、一歳半のころだったと思います。猫のわかばは、息子がちょうど2歳になった頃に迎えました。息子はすでに猫が大好きで、お友達の家の猫やお店の猫とよく遊んでいたので、猫への対応については特に心配していませんでした。案の定、わかばを見た時はとても喜んでいましたし、来た日から自分から積極的に触れたり世話をしたりしていました。一方わかばも最初から息子を怖がることなく、撫でさせてくれ、今の良い関係へと続いています。わかばと出会った「若葉の頃」。話が反れますが、一番心配していたのは成猫で我が家にやって来たわかばが、同じく成犬であるこまち、しろたんとどう折り合いをつけて関係を作って行けるか、ということでした。最初は1階と2階で別居していた彼らですが、幸い堂々としたわかばの性格もあり、自然と距離を縮め、8ヶ月後には仲良く同居できるようになりました。今は当たり前のこの光景も、念願叶ってのものです。【ママに質問!】2:犬や猫と暮らすため、家族と決めているルールはありますか?一番大切にしていることは、息子にも動物たちにも、同じように公平に接し同じように愛情を注ぐということです。どうしても弱い立場になりがちな動物たちを “優先する” くらいの気持ちで、日々接しています。また、遠出をする時は犬たちを必ず連れて行き、皆で楽しめるよう旅を計画します。大好きな鯉のぼりと。動物たちと暮らすために、家の床は汚しても拭きやすく、動物が歩いても滑りにくい材質のものにしました。実はこまちは持病があり、ふらつきや転倒をしやすいので、最近はさらに床にカーペットを敷き、玄関に夫手作りのスロープを設置しました。また、散歩時にはサポート力の強いハーネスを使っています。あとは、猫のわかばの為に、家の柱や壁に板を付けてキャットタワー風にしました【ママに質問!】3:犬や猫と暮らすことで、お子さんにどんな影響があると思いますか?静かな雪の中で。息子には動物たちの気持ちを伝えながら育ててきました。次第に息子自身もこまち、しろたん、わかばとのやり取りを通じて彼らがどうしたいのか、どう思っているのかを自分なりに考えるようになりました。また、その子の性格によって触れ合い方や距離のとり方を変えることができるようになりました。『トイレに行きたそう』『具合悪そう』『ご飯食べたそう』…今では私より早くに皆の気持ちを教えてくれたりします。息子が大好きな電車を走らせながら、『ここはこまち駅です。』『しろたんトンネルです。』『わかば駅です。』というように動物たちを遊びに加えたり、おもちゃの車で遊びながらお話を作っているとき、同乗しているメンバーが大体家の動物たちだったりします。また、動物たちがくしゃみや咳をするなど、いつもと違う行動をすると『大丈夫?』と心配して話し掛けています。【ママに質問!】4:犬や猫のお世話で、お子さんにお手伝いしてもらっていることはありますか?たんぽぽの綿毛がいっぱい。息子の希望で、犬たちの食事前の号令(待て、よし)を行ってもらっています。また、人や車のいない空き地や公園など、安全な場所で散歩していて、犬たちが落ち着いているようであればリードを持たせてみることもあります。ほかにもブラッシングやトイレの掃除、オヤツを与えたりもするようになりました。どのお世話も完璧! という訳にはいきませんが、なるべく息子の気持ちを尊重し、できる限り自分自身の力でできるようサポートしています。【ママに質問!】5:犬や猫と暮らしながら子育てをすることのメリットは、ズバリ何でしょうか?みんなで夕日を眺めて。犬猫たちと暮らす中で、子どもが命の大切さ、愛しさ、弱いものを守る優しさを学ぶこと、動物の強さ、逞しさ、素晴らしさを身を持って知ることができるのが一番のメリットだと思います。また、犬や猫たちと一緒に子育てすることで、親は彼らに癒され励まされ…辛いことは半減! 楽しいこと、嬉しいことは何十倍にもなります! 出産から現在まで、本当に動物たちには大きな支えになってもらっています。子育て中の辛いとき、大変なとき、悲しいとき、何度励まし癒してもらったかわかりません。彼らがいたから頑張ってこられたと思っています。我が家でよく見られる居眠りコンビ。息子と遊んだり絵本を読んだりしながらこまち、しろたん、わかばのフワフワの毛を順番に撫でている時、皆で楽しく散歩しているときは、とても幸せな瞬間。また、息子と犬猫たちが昼寝をする姿は、何度眺めてもうっとり幸せな気分になり、疲れがふっ飛びます。【ママに質問!】犬や猫と暮らしたい! と考えているママさんやパパさんに伝えたいこと犬や猫と子どもが暮らす日々は、とても素晴らしいです。子どもにとっても親にとっても、毎日がとても豊かになります。しかし、それ相応の覚悟と忍耐、努力も必要となります。特に子犬や子猫を迎える場合、赤ちゃんが一人増えたつもりで、しつけや関係作り、社会化に時間をかける必要があります。可能であれば、お子さんが親の言うことを理解できるくらいまで成長してからの方が良いと思います。みんなでハロウィン。我が家の犬と猫たちは皆、保護犬や保護猫です。こまちは子犬の時に迎えましたが、しろたんとわかばは成犬、成猫で家に来ました。保護された子は様々な環境で育ち、複雑な背景を持っている子も多いです。そして、“おとな”がほとんどです。しかしその分、落ち着きがあり、ものの理解も早い子が多いです。もちろん愛情にも強く応えてくれます。河川敷や公園等、車で色々な場所へ散歩に出掛けます。子どもと一緒に子犬、子猫の成長を見守るというのも良い経験ですが、保護された成犬・成猫を迎えて、じっくりと関係性を作っていくという選択肢も、とても素晴らしいと思っています。犬や猫と子どもが暮らすためには、多くの苦労がありますが、それらが気にならないほど、何倍もの喜びや幸せを感じることができますよ。▼愛すべき「うちのこ」たちに伝えたい! ママからのメッセージ「こまち、しろたん、ぶんちゃん、わかば、いつも至らないお母さんを支えてくれてどうもありがとう。そして、毎日幸せをありがとう。これからもよろしくね」母よりこましろ母さん、ありがとうございました!
2018年08月15日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者となった兄を献身的に世話してきた両親は、長い年月をかけて現実を受け入れ、ようやく前向きに人生を歩みだしました。いっぽうで私は、人間関係に悩むようになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 20人と人との “距離”ってなんだろう……?精神を病んだ兄に全てを注いできた両親ですが、祖父母の言葉でありのままの現実を受け入れることができ、心にゆとりを持ち始めました。そのことをとても嬉しく思った私ですが、私自身は人間関係に悩むようになっていました。地元にいる時は、自分の意図と関係なく作られる人間関係も、地元を離れると良くも悪くも関係づくりは「自由」です。仕事で出会った人、飲み会で出会った人、友人の紹介で出会った人——。自分のことを正直に話す必要もなければ、相手のことを深く知ることも「自由」。その場限りの人間関係に対して、兄の話をすることは基本的にはなく、「兄弟っているの?」と家族の話題になれば、笑顔で「ひとりっ子だよ〜」と言ったり、「兄がいるけど遠くに住んでいて、まったく会っていない」と言ったりして適当に流していました。小学生、中学生と幼いときの私は、兄に対して「自業自得だ」と酷く不満を感じていましたが、年齢を重ねるにつれて精神的にも少しずつ大人になり、兄のことを責める気持ちは消えていました。しかし、障害を持つ兄の話題をあえて膨らませる必要はないと思っています。それは今でも変わりません。これらの言動は、相手に対して変な心配をかけないための返答であり、“良い嘘” だと感じていただけると幸いです。心の壁が顕著に出るのは、恋愛だった兄の話を具体的に知っている人は、私の周りに今でも少ないです。本当に気心しれた数人のみ。……良くも悪くも、悩んでいたり落ち込んでいたりする姿を極力見せないようにしてきたおかげで、「いつも笑顔で元気な子」「悩みがなさそう」というイメージで生きてこれたと思っています。仕事の人間関係や女友だちの間柄では、そこまで深く悩むことがなかった私ですが、顕著に心の壁が出てしまう時がありました。それは、大学を卒業しても克服しきれなかった、恋愛——。飲み会やデートはたまにすることはあっても、生涯を一緒に歩むことができる男性をイメージすることは、20代後半になってもできませんでした。学生時代の彼以降、何人かとは恋愛関係にありましたが、今振り返っても “作り物の私”。仕事の合間に時々会って、デート。笑顔で写真を撮っては、「また会おうね」と元気にメッセージを送るだけ。彼から距離を詰められると、「最近は忙しいから」「今週は、予定があるから」など、会う頻度をわざと減らすこともありました。「なんか心音って、心を開いてくれないよね」数年一緒にいた彼からは、同棲の話が出たこともありますが「私は、まだ結婚は考えていない」「一緒に住むのは、まだいいや」「自分の時間を大切にしたい」と、言われたら相手が傷つくであろう言葉をわざと言っている自分に薄々気づきながら、素直に恋愛することを避けていました。「なんでそんなに強がるの?」「もう少し、心を開いてほしい」「悩みがあるなら言ってよ」と言われるほど、私の心は殻に閉じこもっていったのです。その時は、ただ強がることしかできなかったけれど、わざと突き放していた本当の理由は、すべてを知られるのが怖かったから。私が兄の立場だったら、家族にこんなふうに思われるのはとても苦痛です。そんな気持ちを抱いてしまうのはよくないことだと思うけれど、相手がどんな反応を見せるのか……。もしかしたら、嫌われるかもしれない。オブラートに包んではっきりとは言わなくても、距離を置かれるかもしれない。自分には、背負いきれないと思われるかもしれない——。誰からもそんなことを言われていないのに、なぜか私は勝手に不安を感じていました。加えて、悩みや弱い部分を知られたら、自分を保てなくなるのではないか? と崩れる精神状態を恐れて、ある一定の人間関係より深くなる瞬間を感じると、突き放す癖が治らなくなっていきました。結婚や子育てのイメージ世の中では、「婚活」がブームになりましたが、幼い頃から兄の世話で苦労していた両親を見ていた私は、「家庭=大変」というイメージがどうしても拭いきれませんでした。もちろん、最愛の人と結ばれて子どもができて、新しい家族とともに幸せな家庭を作ることは、素晴らしいと頭では理解しています。理屈では消化できていても、心がついていかなかったのです。ずっと、ずっと——。©gilaxia/Gettyimages©ljubaphoto/Gettyimages©fizkes/Gettyimages
2018年07月26日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神を患った兄につきっきりになってから、気づけば早10年。走り続けた両親に安堵を与えたのは、祖母や祖父の言葉でした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 19“頑張る気持ち” は、どんどん首を締めるばかり兄の状態が変化し始めてから、気づけば10年近くが過ぎていました。母は仕事をやめて、平日は仕事の父も休日は病院に同行。薬の飲み忘れがないようにフォローしたり、病院や薬に頼ることなく模索したり……。それを、10年も続けたのです。「頑張れ」「精一杯行動すれば、なんとかなる」「道は開けるに違いない」——。それらの言葉は、時として本人たちの首を締める言葉にもなります。私は、両親の “頑張り” に誇りを持っていましたが、それ以上頑張り続けたら両親のほうが疲れ果ててしまうと感じたので、これらの励ましの言葉は一切口にすることはありませんでした。まだできる、もっとできる……。この10年の間、私はプライベートを優先する両親の姿を見たことがありません。旅行や遠出の移動は、兄を連れて行くと周囲に迷惑がかかるため極力避けていましたし、兄は当然自炊ができないので、母や父のどちらかがご飯と薬の用意をしなければならず、夫婦でのんびり過ごすということもしなかったのです。また、病院に行くときはオシャレな格好が似つかわしくないからと、地味な服装で医師や看護師に頭を下げる日々……。たまには、好きな服を着て息抜きに旅行をしたって、罰は当たらないのではないか? と思うほど、両親は自分たちの人生すべてを兄に注いでいました。兄のためにも、「前を向いて生活しなさい」そんな時に支えてくれたのは、祖母と祖父の存在です。祖父母の家には、兄を連れていくこともあり、彼らは実際に兄の様子を目の当たりにしていました。そして、両親が思い悩む気持ちを汲み取りながら、親身に相談に乗ってくれることも……。唯一、兄の状況を知っていた祖母や祖父から言われた助言。それは、「お兄ちゃんは、病気です。前を向いて生活すれば良い」という、励ましでもなく応援でもない言葉でした。兄の状況を過度に悲観するのではなく、受け入れてあげること。そして、両親は自分たちの人生を明るく生きなさいという指針だったのです。兄の状況がよくなることを願う気持ちはみんな同じでしたが、“良い意味” で兄を受け入れることが、両親にとって大切なターニングポイントになったと言います。本来なら、仕事をしてやりがいを得ているかもしれないし、最愛の人を見つけて家庭を持っているかもしれない。そんな期待を抱えていたから、大人になった兄の “今の姿” をちゃんと受け止めることができなかった。それが、両親の本音だったのかもしれません。現状をふまえ、少しずつ気持ちを楽にすることで、張り詰めていた “何か” がほぐれていったのがこの時期でした。おそらく、娘の私が同じ言葉を言っても、両親の心境を変えることは難しかったと思います。祖父母だから言える、“本物の助言”。苦しい時に染み入る言葉は、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大切だと学びました。以前通っていた病院へ戻ることにそして、両親は高額な自費診療をやめて、2つめに訪れた一番兄が落ち着いていた病院へ兄を再び通わせることにしました。いろいろと問題はありましたが、薬の量や体との相性、処方の方向性などを総合し、最も兄に合っていると判断。毎日思いつめていた気持ちが少しずつ穏やかになっていったのです。母は、パートタイムで仕事に復帰。仕事をする意味は、「お金を稼ぐ」ことだけではありません。仕事をすることで、いろいろな人とコミュニケーションが取れ、たわいのない世間話や趣味の会話をする時間を持てるようになりました。植物が好きな母は、花いじりをしたり、休日はガーデニングのワークショップに出かけたり。父は仕事漬けの毎日を少しずつ改めて、休日は早く起きてゴルフをしたり、ピアノを習い始めたりとアクティブに行動し始めました。“自分の時間” が、両親の毎日にやりがいと楽しみを見出すきっかけに繋がったのです。そんな両親の姿をみて、私は嬉しさを感じていました。いっぽうの私は、進路だけでなく、恋愛に対しても悩みを抱えていました。——。明るく振舞うことは得意だけれど、弱さや悩みをさらけ出せる、深い関係を築くことがうまくできなかったのです。©Zinkevych/Gettyimages©CaoChunhai/Gettyimages©AH86/Gettyimages©Ulianna/Gettyimages
2018年06月23日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神疾患の兄は薬の量も半分に減り、落ち着きを取り戻したかと思った矢先。両親は、新聞に大きく載っていた自費診療の病院を発見しました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 18両親は、誰よりも兄の回復を待っていた兄がお世話になった病院は、今まで2か所。両方とも、保険が適応される精神科でした。高校のある時期から激変した彼の状況に戸惑いながらも、やっと慣れてきた生活でしたが、両親は障害者手帳を発行された後も、兄の回復を諦めませんでした。「お兄ちゃんは、どこも悪くない」「また何かの拍子できっと、よくなる」と……。もちろん、自分の子どものことですから、両親が兄を良くしたいと思う気持ちは痛いほどわかります。しかし、妹の私からすると、当初に比べれば兄の状態はだいぶ落ち着いてきたように思えました。暴力的な言動や、過度の引きこもり生活を抜け、薬の量が半分に減り、入院ではなく通院に変わり病院に行く頻度もかなり落ちている。また、障害者手帳の申請や、障害者年金の受理までしているのだから、両親はもう少し気持ちを楽にしてはどうかと客観的に見ていました。世の中にあふれている「広告」そんなある日、「お兄ちゃんの病院を変えようと思う」と母から連絡がありました。なぜいきなりそんなことを言い出したのだろうか……?と考えていたのですが、よく聞けば新聞に大きく載っていた精神科に最後の望みをかけて診てもらいたいとのこと(当時は、藁をも掴む思いだったので深く考えていなかったけれど、その新聞掲載は記事ではなく広告だったそうです)。私は実家から離れて暮らしていたので、どんな状況だったかはわかりませんが、「都会に有名な精神科があるらしい」と田舎生まれの両親が言うのです。内容を詳しく聞いてみると、その病院は保険がきかない自費診療。実家から電車と新幹線、そして診察代や薬代を合わせたら1回行くだけでも約5万円くらいはかかります。正直、心の病気で悩んでいる人が一向に減らない現代で、自費診療を受けたから何かが急激に変わるとは思えず、私は半信半疑でした。しかし、基本的に、病院のことや薬については両親が決めていることなので、「興味があるなら、行ってみても良いんじゃない?」と反対はしませんでした。診断結果と処方薬が変化し、さらに悪化父が休みのときは一緒に行くこともありましたが、基本的に母と兄の2人で都会の病院へ通うようになりました。2年半近くそこの病院にお世話になりました。病名は、統合失調症ではなく「高次能機能障害」と診断があり、処方内容も異なりました。1回の診察で約5万円かかるので、総合的にみるとかなり高額な費用だったと言えます。結論からいうと、その病院に通って兄の病状は悪化してしまいました。高額な費用がかかったにも関わらず、兄はいつも興奮している状態で、当初の荒々しい兄に戻ってしまったかのよう……。両親が当時を振り返ると、「ビジネスとして成り立っている病院もあると思う」とのこと。もちろん、私たち以外の家族では成功した例もあるかもしれませんし、兄とは診察内容が合わず無念な結果になっただけ。そう思いたいのですが……。夢中になっている両親を救った言葉しかし、働くことができない状況の精神障害患者を対象に、自費診療を家族が長らく続けることは現実的に考えると難しい計画です。また、個人的な意見では、新聞に広告を出す予算があるならば、診察料をもっと良心的な値段に落としてもいいのではないでしょうか。とはいえ、「精神障害」患者を抱える家族にとっては、どんな手段でもいいから改善したい、社会復帰のためになんとかしたい、と辛抱強く頑張るケースは少なくありません。そんな藁をも掴む想いで頑張り続けた、両親を救った言葉。それは、祖母や祖父からの助言でした。©Geber86/Gettyimages©Daniela Jovanovska-Hristovska/Gettyimages©kieferpix/Gettyimages©AH86/Gettyimages
2018年06月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。通い慣れた精神科で、まさかの出入り禁止になった兄。バスに揺られて新しい病院へ向かいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.15誰にも相談できずに通い続けていた他の患者さんへ迷惑行為を重ねたために「出入り禁止」となった精神科は、兄が初めてお世話になった病院。入院と通院を始めてから、気づけば5年の月日が過ぎていました。その間に前進したことは、病名が統合失調症と判明したことや薬を毎日23錠飲むこと。そして、長らく通った病院から診断書を書いてもらうことで障害者手帳を申請し、重ねて書類の内容から障害者年金(※)を受け取れるようになったことです。※障害者年金は、診断書の内容や生活状況などで国から降りる金額が異なります。身内や近しい人たちにこのような経験をしている人はおらず、相談する先はいつも病院か市役所でした。兄がこのような状態になってからは、誰に相談したらよいのか? 正解はどこにあるのか? と、両親は日々模索したといいます。しかし、兄の病気のことは公にはできないため、家族間で内密にしながら改善方法を探すのは困難を極めました。インターネットやスマホの普及に伴って、たくさんのweb情報が公開されている現代にも関わらず、「精神障害」については触れにくくセンシティブな問題。信頼できる情報を探すことは、非常に難しいことでした。そして、「精神障害」に関する本を読んでも参考にはなるけれど、気軽に相談できるような相手ではなかったり情報元が古かったり……。ましてや同じ病院に通っている家族に聞いても、お互いに悩んでいることは同じなので、解決策はありません。そんな出口のないトンネルを、両親はひたすら彷徨い続けていました。「出入り禁止」が、逆転の発想に繋がる当時は、この「出入り禁止」を言い渡されたことはショックでしたが、今思えば違う医師の意見を聞く良い機会だったと思っています。相談する先がないため、両親は常に病院の方針と医師の言葉に従うだけの日々。「薬を◯錠飲んでください」と言われたら、疑いの余地もなく飲むしか選択肢がありませんでした。しかし、新しく訪ねた精神科で初診を受けたときのこと。病名は同じ統合失調症でしたが、薬の量がなんと1日12錠になったのです。嘔吐や気性の激しいアップダウンに耐えながら、23錠を5年間飲んでいたのにも関わらず、違う医師に診てもらったら半分近くまで薬の量が減少……!母に当時のことを聞いたら、「初めの病院は、薬が強いものが多く出されていた」「その時は相談する相手がおらず、医師の指示に従うしかないと思って鵜呑みにしていた」といいます。セカンドオピニオンの大切さを感じた出来事に変化したのです。病院によって方針がまったく異なるもし、あの「出入り禁止」がなければ、今も診察内容を疑わずに大量の薬を飲み続けていたかもしれない……そう思うと、不安がよぎります。もちろん、右も左もわからない状況の中、病院や医師のサポートのおかげで、いろいろなことが前進しました。しかし、二つ目の病院では薬の量が半分近くになった。これは、兄の体への負担を考えると、減らしたほうが良かったと素人の私たちには思えました。もし、同じように精神科の薬で悩んでいる方がいたら、腰が重たくても違う病院の診察を受けたり、違う医師の言葉に耳を傾けてみたりすることを強くオススメしたいと思います。外科のように、目に見えて切り傷が治っていく様子がわかれば良いのですが、“心の病気はその治っていく様子が見えない” のが難点です。診察後は基本的に、「飲み薬」が出されるのみ。症状が悪化したことを報告しても、また違う薬を重ねて出すだけ。その繰り返しで、どんどん薬の量が増えていくのです。初めての経験で、周囲に相談ができない状況のなか、見たこともない薬の名前をただひたすら飲む……。もちろん、それらが体に合っていて、症状が良くなっている兆しがあれば良いのですが、疑わずに副作用の強い薬を飲み続けるのは、私たちの経験からも一度見直したほうが良いと感じています。大学へ進学した私は、彼への壁が厚くなり……。その頃、高校を卒業した私は、県外にある女子大へ進みました。専攻は、幼い頃から心の支えだった音楽。「家族のことを教えて欲しい」と踏み込んでくる彼氏の言葉に耐えられず、私は彼とお別れを告げて自分のやりたいことに専念し始めます。今思えば、あの彼が唯一 “自然体な私” を知る男性でした。そこから私は、女子ばかりの大学生活を送り、男性と深い距離になることが難しくなっていきましたーー。©AngiePhotos/Gettyimages©Doucefleur/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages
2018年05月16日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。お世話になっていた近所の病院へ勝手に出入りする兄は、気づけば迷惑行為をするようになっていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 14「家からすぐそこ」が逆効果だった田舎だった私の実家は、スーパーに行くのもコンビニに行くのも、徒歩30分はかかりました。近くにあるものといえば、自動販売機と雑貨洋品店くらい。ですから、車がないと生活ができません。そんな環境ではありましたが、母は車を運転できなかったので、遠出をするときや買い物をするときは、いつも父が出向いていました。困ったのは兄の通院です。平日、父は仕事で朝から晩までいないため車を出すことはできません。すなわち、病院はなるべく近い場所が好ましかったのです。幸運にも、近所の精神科は徒歩10分程度。自動販売機の次に近い場所にあったと言ってもいいくらいの距離でした。つまり、兄の通院は「すぐそこ」に行くだけ。これが、母にとってメリットだったのですが、兄にとってはデメリットでもありました。ひとりで勝手に病院に行く兄骨折や切り傷は、「治療が終わればまた元の生活ができる」というゴールがありますが、兄の病気はそういうものではありません。ですから、正直なところ精神科病棟は患者もその家族も、どんよりとしています。私がこうして綴っているように、精神的な病気を持つ人が家族にいると、終わりのないマラソンを走り続けているようなもので、基本的に顔は曇り空。明るく病院内で過ごすのは、難しいことでもありました。さまざまなタイプの精神的な治療を受ける患者がいるなか、兄は必要以上に人に話しかける性格でした。もちろん、精神安定剤を飲んでいるため、本来の兄の性格や本望だったかと聞かれたら答えはわかりません。母が目を離した隙に勝手にひとりで病院へ行き、患者さんに声をかけたり、見ず知らずの女性に電話番号を聞いたり、「たばこをちょうだい」と言ったり。そうしたことが続き、ついに医師からの呼び出しを受け「診察中止と病院の出入り禁止」を言い渡されてしまったのです。飲み込むしかない医師の言葉実家の周りには、もちろん他に精神科はありませんでした。母は、バスや電車を使って兄の通院をサポートしなければならない。どんよりとした空気で居心地は決してよくないけれど、やっと通い慣れた病院。そんな頼みの綱から、まさかお断りをもらうとは……。もちろん、病院側の立場になれば無理もない話で、多くいる他の患者やその家族たちに迷惑がかかるのは好ましくありません。医師からの宣告に、反論する余地はありませんでした。一から病院を探し直すことにそこで長らく通った近所の精神科を横目に、バスや電車でなるべく通いやすくて兄に合うような精神科を紹介してもらうため、県内で有名な大学病院に相談しに行きました。そして、利便性、評判、入院施設の有無などトータルで好印象だった病院を紹介してもらい、切り替えることになったのです。兄と母はバスに揺られて初めての診察へ。新しい病院で緊張しながら状況を話すと、医師の口から思いがけない診察結果が返ってきましたーー。©jsmith/Gettyimages©Михаил Руденко/Gettyimages©tuaindeed/Gettyimages©Milos-Muller/Gettyimages
2018年05月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された、兄。両親でさえ、この状況を受け入れることに時間がかかりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 12直視できないのは、私だけではなかったこの連載を読んで、兄の凄まじい変化に胸が痛んでいる方もいらっしゃると思います。その胸の痛みは、当時の私たち家族が感じていた紛れもない事実。妹である私ですら、この現実を直視することができずに心をかたく閉ざしていったことを今でも覚えています。そして、両親はさらに苦しい気持ちだったと私は想像しています。なぜなら、障害者手帳が発行された後も両親は、兄のことを周囲に言わなかったからです。この事実を隠していました。冷たく鋭い世間の目唯一両親がこの事実を話していたのは、祖父母と両親の兄弟のみ。本当に近い身内だけが知っていました。両親が仲良くしている古くからの友だちや知り合い、近所の人などは兄がこのような経緯を辿ったことは知りません。「世間体なんて気にしなくても良いじゃん」という意見もあると思いますが、この話をしたことで私たちが得るのは、多くの人からの「かわいそうだね」「大変だったね」と哀れみや同情の言葉だけ。兄が良くなるわけではありません。たとえ遠い身内だったとしても必要以上に兄の話をするのは、余計に私たちがストレスを抱える原因にもなったので、両親もなるべく内密にするようになったのだと察しています。また、よくある “親戚の集まり” のようなものも、兄が迷惑をかける可能性があるため、ほとんどうちにはありません。物心ついた時から結婚式やお葬式、法事などは両親のみが参加。兄は参加しないのが家族のなかでの暗黙の了解でした。“諦めと守り” の意味を理解する兄の回復を切に願っていた両親ですが、明るい兆しは一向に訪れる気配がなく、苦渋の決断をして、障害者保健福祉手帳を申請しました。これは、仕方のない選択でした。しかし、この決断は、デメリットだけではありませんでした。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された兄は、障害者年金として2か月に1回、国から13万円の援助金をもらえることになり、病院の診断や薬代の負担が軽くなったのです。また、交通機関が無料になるなど、地域によって異なるものの、待遇を受けられることに。こうして時間はかかったものの、「障害者」になることを選んだことで、兄を守ることができた。そう考えると、非常に前向きな選択だったと言えることでしょう。今となっては “生活の一部” となっているこの状況も、当時の両親からすると “ギリギリまで諦めたくなかった” というのが本心だと思います。なぜなら、もっと早い段階で障害者手帳を手にすることができたから。8年粘り続けてやっとの思いで申請した。これが、両親の決断だったと思うと、私は深い拍手を送りたいと心から感じています。その頃、私は初めて彼氏ができたこの頃、私は高校生。地元の飲食店でアルバイトを始めた私は、同じバイト先の年上男性と距離が近くなっていました。高校2年生から付き合い始めて、1年半か2年近く一緒にいました。第一希望の高校を落ちた私は、特に楽しみを見いだすことができずにただ通っていた高校生活と、冴えない家庭の間に挟まれて、バイトで元気に働くことが唯一楽しい時間でもありました。家も自転車ですぐ近くの彼。一緒にいる時間が長くなるにつれて、言葉が詰まる質問。それは、「心音の家族って、どんな感じなの?」という話題でした。好きな人に一番聞かれたくないことだったのです……。©laflor/Gettyimages©c11yg/Gettyimages©undefined undefined/Gettyimages©Toru-Sanogawa/Gettyimages
2018年04月18日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。検査入院の結果から、「統合失調症」と診断された兄は大量の薬を服用するようになりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 9飲み始めた “大量の薬”病院で渡された大きな袋と紙の束は、大量の薬と、それぞれの薬に対しての作用と副作用が書かれたものでした。怒りを抑える薬や夜眠りにつくための薬、意欲を出す薬など……。こんなに大量の薬を飲んだこともなければ、いつまで継続するかもわかりません。「とりあえず、様子を見ましょう」という医師の言葉だけが頼りだった両親は、毎食、どのタイミングで飲むのか、指示書を丁寧に読み始めます。飲み忘れがないようにタイマーをかけたり、カレンダーに印をつけるなど、今までしたことがない習慣を作ることからスタート。毎日大量の薬を飲むことは、飲ませる両親も飲み込む兄も大変なことでした。兄は、自分から薬を管理して飲めるような精神状態ではありませんし、ましてや「なんでこんな薬飲まないといけないの?」と時折薬を嫌がることもありました。その気持ちは、家族全員同じ。誰もこんな大量の薬、兄に飲ませたくはなかったですし、これを飲んで良くなる保証はどこにもありません。薬で感情をコントロールする意味私は、自分自身で喜怒哀楽を持つことがもっとも素敵で、健康的だと思っています。そのことを実感するようになったのは、兄がこの大量の薬を飲むことを、目の当たりにするようになってからでした。3年間引きこもりで次第に人とのコミュニケーションが難しくなっていった兄ですが、それでもまだ “自分の意思” で行動したり発言したりすることが微かにあったと記憶しています。大量の薬を飲むことで、“自分の意思” ではない感情になっていった兄の姿は、周りから見ても明らかでした。突然ハイテンションになり笑い出したり大声を上げたりしたら「お兄ちゃん、お薬の時間だよ」と母は丁寧に袋分けした薬を取り出し、兄に飲ませる。そうすると、次第にテンションが下がりじっと椅子に座ることができるようになります。また、急に悲観的な気分になったのか部屋から出なくなった兄を見て、母は「今度はこっちの薬を飲もうね」とお水と薬を差し出します。そうすると、集中力が少し出てテレビを見始めたり顔を洗ったりする “行動” に出ます。これらはすべて、薬が兄の感情をコントロールしているのです。そう、まるでロボットか操り人間のように……。“作用” が強ければ “副作用” も強かったもちろん薬を飲んだおかげで、兄の不規則な生活スタイルは改善し、感情の起伏を制御することはできました。しかし、メリットだけではありません。作用があれば副作用もあるといいますが、まさにその通り。大量の薬を日々飲むことは、いろいろな副作用が伴ったのです。筋肉質でスポーツマンだった兄は、体脂肪も少なく55〜60キロ前後の締まった体でしたが、薬の副作用で25キロも増加。そして、喉が異常に乾くようになり、炭酸ソーダやジュースをがぶ飲みしてしまう癖ができ、トイレの回数も異常に増えました。トイレでしてくれたらまだしも、寝ている間にそのまま自分の布団で……ということも日常茶飯事。成人を迎えようとしている兄が、どんどん幼くなるばかりで何度布団を買い換えたかわかりません。また、薬との相性がどうしても悪い時には嘔吐がひどく、食べては吐いて、食べては吐いて。でも喉が乾くからたくさん水分補給はするけれど、また吐いてしまう。そんな、見るに耐えない状況だったのです。しかし、痩せ細るわけではなく薬の副作用で、どんどん太っていきます。この不思議な現象に薬の怖さを知りました。薬が病気を悪化させている?疑いたくはないけれど、この “大量の薬” がさらに兄の体を痛めつけているのではないか? と感じるほど、薬のパワーは強く現れていました。そのことから母は、1日23錠の薬を自己判断で減らし、医師に内緒で少しずつ調節するようになっていきました。「とりあえず、様子を見ましょう」という言葉通りに飲んでいたら、兄はこのままどうなってしまうかわからない。不安にかられた母が悩んだ末にとった選択でしたーー。©stock_colors/Gettyimages©SvetaZi/Gettyimages©SasinParaksa/Gettyimages©bernie_photo/Gettyimages
2018年04月01日文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 8気づけば3年間も引きこもりだった母が仕事をやめて、兄をいろいろなところに連れて行くようになってから、3年が経とうとしていました。外出といっても頻繁にあるわけではなく、兄はほとんどの時間を自室に閉じこもって過ごしていました。高校退学後、数か月の間は友人が家に来ては「僕にできることはありませんか?」「大丈夫ですか?」と声をかけてくれていましたが、「ごめんなさいね、あまり人に会いたがらないんですよ」と、母が友人たちに言うごとに、ひとり、またひとりと心配する声も少なくなっていきました。3年間も家のなかで過ごしていた兄は、こうして人間関係と社会から孤立していきました。理解不能な “兄の世界”「気分転換」「思い出づくり」と懸命にしていた、兄を外に連れ出す母の行動は、道行く人からの冷たい視線を受けて恥ずかしい思いをするだけでした。また “あの頃の人気者だったお兄ちゃんに戻るよね” という願いは届かず、次第に兄は大声を出したり、突然笑い出したりするようになり……。しまいには、「ねえ、今日ご飯食べたっけ?」と自分がとった食事のことも、忘れていくようになりました。少し前までは会話が噛み合っていたはずの兄は、まともなコミュニケーションすらできない状態になりました。両親と私は「はいはい、また言ってる」と受け流すように変化していきます。そろそろ20歳を迎えようとしているのに、精神年齢は5歳以下の幼児。兄にいったい何が起きているのか? 時間が過ぎるほど、不安が募っていきました。近所の精神科へ見かねた両親は、危機感を感じてついに病院に行くことを決意。近所にある精神科を調べはじめました。健常者で生まれてきて、運動神経も良い人気者だった子どもを、まさか精神科に連れて行く日が来るとは……。怪我をしているわけでもないし、何か体に不自由があるわけでもない。兄には、どこも悪いところなんてないはずです。病院で診てもらったら、きっと何か新しい発見があるかもしれない。「大丈夫ですよ、異常はありません」という言葉を聞けたら、安心する。そう願って、人生で初めて精神科を訪ね、様子を見るために検査入院をすることになりました。検査入院の結果は……。退院後に診察室に呼ばれて、医師から告げられた診断は「統合失調症」の可能性。症状は独語、突笑、幻聴、精神状態不安定などがみられるとのことで、そのような病名が浮上しました。診察を終えて渡されたのは、指示書とともに、大量のカプセルに錠剤、粉末……なんと1日23錠も飲むのです。診断結果と大量の薬を前にして、両親も私も放心状態でしたーー。(C)taniche/Gettyimages(C)Imgorthand/Gettyimages(C)LightFieldStudios/Gettyimages(C)psphotograph/Gettyimages
2018年03月27日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 兄のサポートに必死な両親を横目に、私は少しずつ家族と距離を置くようになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 7自分が悪いくせに、なぜそんなに……?前回のお話はこちらをどうぞ。今こうして振り返ってみると、将来がある兄のことを「なんとか更正させたかった」という親心がわかります。しかし、当時の私からすると、兄を一生懸命サポートする意味がまったくわかりませんでした。自分で人間関係を崩し、自分で学校で悪さをして、自分で崩壊させ、高校退学になった。「知り合いに会いたくない」と言い張り、自分の部屋から出ない。「そんなの、完全に自業自得でしょ?」と冷たく兄を見ていた私は、成長するにつれてさらにその想いは強くなっていくばかりでした。兄だけいろいろなところに連れて行ってもらって、好きなものも買ってもらえる。ちょっとワガママを言えば、両親は兄をそこに連れて行く。それをして何の得になるのか? 兄は調子に乗るだけじゃないの? と、なんだかバカらしいな〜なんて、子どもながらに思っていたことを記憶しています。家に帰らない日が続くようになった小学校から始めていた金管楽器。それは、私の心の支えでした。中学になっても私は吹奏楽部に入り同じ楽器を続けます。しかし、だんだん練習をサボり、帰宅も遅い時間に……。特に悪さをするわけではなかったけれど、単純に「荒れ果てた家」に帰りたくなかったのです。どうせ帰ったって、母は兄につきっきり。“自分の世界” に入る兄は、突然笑い出すし、いきなり話し出す。いっぽうで両親は、兄についてこれからどうしていくのか? という話題ばかりで、私のことなんてどうでもよさそうでした。気づけば、夜まで遊んでそのまま友人の家に泊まるというサイクルができていました。両親から夜電話がかかってきても、無視して干渉を避けていきます。そのほうが、気が楽だったから……。ある時、腕を掴まれて呼び止められるそれは、ある日のことでした。学校から帰宅する途中で、近所の人にいきなり腕を掴まれたことがありました。「ねえ、あそこのお家の娘さんだよね?」「最近、お兄さん昼間も家にいるけどなんでなの?」と。突然のことすぎてハッとしましたが、気づけば兄の行動は確かに “変” でした。普通なら、朝学校に行き、部活をして帰ってくるはずの年齢ですが、ずーっと家から出ないからです。そして、外出している姿を見かけても、母と一緒。昼間から公園に行ったり、ショッピングセンターで買い物をしたり。確かに周りからしたら、学校に行かずに遊んで暮らしているように見えたのでしょう。世間体を気にするのか? それとも…。その腕を掴まれた時、私はとっさに「え? 知りません。関係ないので」と言い放ちました。その頃から、私はくだらない “世間体” に嫌気がさしていました。わざわざ私を呼び止めてまで、人の家庭事情を詮索するなんて本当にいい迷惑だと思っていました。本人たちが一番パニックになっているのに、その様子がどのような状態なのか根掘り葉掘り聞こうとしてくるとは……。それをネタに今日も井戸端会議? 本当に、やめてほしい。また、兄の退学を知った近所の人たちのなかには、お世話を焼くつもりだったのか、ただの批判なのかわからないけれど、ヤジを飛ばしてくる人も。そんな不愉快な日々は日常茶飯事で、私はだんだん「家族とは関係ない」フリをし始めたのです。家族の話は、私にとってタブー。「兄弟いるっけ?」と聞かれても、「いないよ〜、ひとりっ子」と適当に言って、私は心をかたく閉ざしていました。もう誰も心の中に入ってくるな。しかも、私はこのあと、衝撃的な事実を知ることになるのです。(C)martin-dm/Gettyimages(C)finwal/Gettyimages(C)ColobusYeti/Gettyimages(C)max-kegfire/Gettyimages
2018年03月18日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 母はパートをやめて、兄につきっきりになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 6精神年齢は中学生のまま止まっていた一般常識や人間関係のルールを覚えるのに、効率が良い環境。それは「学校」です。当時、私が中学生だった頃はわかりませんでしたが、「学校」という小さな世界で揉まれることで、さまざまな学びがあることを大人になって深く感じています。多少、先輩後輩の煩わしさがあったり、部活が大変だったり、授業がつまらなかったりしても、「学校」にはとても大切な面があります。義務教育が終わっても、「学校」には行く意味があると、私は感じています。そのことを痛感したのは、兄が部屋から出なくなっていった頃からでした。同年代の友人たちは、月日と共に修学旅行やキャンプ、運動会、合唱祭など「学校」でしか味わうことができない集団生活を経験します。しかし、兄は自分の部屋から出ようとしませんでした。たまに外出しても、帽子を深く被り「知り合いには会いたくない」の一点張り。兄の人生は “中学生卒業” の思い出でストップしました。一般常識をこれから身につけていくであろう時期に、吸収する機会が極端に減ったのです。アルバイトをしてお金を稼ぐ同級生そして、高校生になれば「短期バイトOK」「高校生歓迎」の募集要項をみて、アルバイトをし始める同級生もいました。田舎だった地元では、高校生の時給は750円程度。それでも、1日5時間働けば、3750円になります。1万円稼ぐにも根気は入りますが、それでもアルバイトをしながらお小遣いを貯めて、休みの日に友だち同士で集まって花火大会に行ったり、彼女ができればデート代に回したりもできるでしょう。しかし、兄のアルバイト経験は、高校を退学させられる前に少しだけコンビニで働いていただけです。“数万円” を稼いだ経験が最後の兄は、そこから社会とかけ離れていくいっぽうでした。「お金がなくても、生きていることに意味がある」というのは、嘘だと思います。とても冷たい言い方かもしれませんが、キレイゴト抜きでお金がなければ何もできません。兄は働く場所もない。しかし、ご飯は通常の人間と同じように食べます。部屋から出なくなり、未来に何がやりたいかもわからない。そんな兄のお金はもちろん全て親まかせでした。母のサポートは「思い出づくり」だった私の両親は共働きでしたが、母は兄の引きこもりを心配して、ある日仕事をやめてきました。確かに働いていたほうがお金を稼ぐことができますが、母が仕事をやめた理由は「兄に思い出を作ってあげるため」だったのです。母に当時のことについて聞いてみたところ、「一般常識が作られる時期に、お兄ちゃんは家に引きこもっていたから、収入は減っても一緒に時間を過ごすことに注力した」と言います。動物園や映画、コンサートに行ったり、神社で兄が元気になるようにお参りしたり。季節の行事を楽しむために、ビニールシートを敷いてお花見をしたり、兄のために新しい洋服を買いに行ったり。兄が行きたいと興味を示した場所には、すべて連れて行ったと言います。しかし、兄は両親以外とは人間関係がまったくなかったため、「人と接すること」をどんどん忘れていきました。周りに気配りがまったくできず、大きな声で「あれが欲しいー!」と幼児のようにワガママを言ったり。ドタドタ歩いてズボンが下がってきても、兄は平気な様子でした。ヨダレが垂れて、独り言をブツブツ言い始める兄にとって自分を守る唯一の方法だったのかもしれませんが、「自分の世界」に入り込むようになっていったのです。まるで小さな幼児のように、ご飯を食べても全部口に入れずにボタボタと落としたり、洋服に平気でこぼしたり。ヨダレが垂れてもぼーっとしているだけで、母が拭いてあげる日々。気づけば独り言を言いながら笑い、誰と話しているかわからない。「お兄ちゃん、誰とお話してるの?」と母はいいながら、それでも思い出づくりをやめませんでした。あんなに「人気者だった兄」が、いつの間にか「見て見ぬ振りをされる人」に変わっていったのです。そんな兄と、さらに母は格闘します。ずっとあの人気者のお兄ちゃんに戻ると信じて。(C)maroke/Gettyimages(C)AzmanL/Gettyimages(C)fstop123/Gettyimages(C)sdominick/Gettyimages
2018年03月15日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。 暴力的だった兄は、次第に家から出ない状態に変化していきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 5高校退学後、兄は急に内向的になった大声をあげながら夜中に帰ってきたり、学校では “ヤンキー系” でヤンチャをしたりしていた兄。しかし、高校を退学させられた後は、だんだん世の中のギャップに気づきだしたのか、家から出ない日々が続きました。もちろん、中卒扱いで働く場所もない。外に出れば、好奇の的。だからといって、新しい予備校に行くという意欲もない……。母は「中学生までは、自慢の子供だった」と言います。運動神経が良く、足も速くていつもリレーの選手。ルックスもよくてオシャレが好きだった兄は、ファンクラブができるほど人気だったからです。それだけに、急に高校からいなくなった “人気者で目立つ兄” の噂は、瞬く間に広がっていきました。そして、自分の悪事に対して後から反省し始めたのか、兄は知り合いに合うたびに引け目に感じるようになっていきました。2階にある兄の部屋は、孤立していた両親は、兄の将来を考えて進路を応援する取り組みをしていましたが、兄は乗り気ではありませんでした。それどころか、部屋から出なくなっていったのです。基本的に部屋のドアを開けるのは、トイレのみ。歯磨きもしない、顔も洗わない、お風呂も入らない。ご飯を用意しても、リビングには来ない。同じ服を何日も着て、布団から出ないんです。「ねえ、お兄ちゃん、お風呂入ってスッキリしたらどう?」と母は、怒ることなく自分の部屋に何日も引きこもる兄に声をかけていました。「ご飯ができたから、リビングにおいで」と呼んでも出てこなければ、母は兄の部屋の前に、お味噌汁やご飯、焼き魚をトレーに乗せて「ドアの前に置いとくから、食べてね」とひと言。数時間経って、そーっと2階の階段を上ってトレーのご飯が減っていれば、片付ける。その繰り返しの日々が続きました。両親は無理に部屋から連れ出そうとはしませんでした。自分が撒いた “種” は、荒れ果てていた正直、兄に関して父より母のほうが献身的だった気がします。自分がお腹を痛めて “産んだ子” だからなのか、母はいつも兄の味方でした。見ていて苦しくなるくらい……。父は仕事から帰ってくると、たまに「疲れて帰って来ても、家の中では休まらんわ」と愚痴をこぼすこともチラホラありました。「知り合いに会いたくない」と兄がいっても、「お前が撒いた “種” だろ?」と冷たく言い返すこともありました。まさに、私は父が言った通りだと思います。“撒かない種に、芽は出ない” とよくいいますが、自分が撒いた後の畑には、必ず何かしらの “芽” が出ます。兄の畑は、荒れ果てていました。まるで、水のない乾燥した状態を耕さずにそのまま放置し、雑草が生えてぐちゃぐちゃになった畑。それは、兄が撒いた “種” の結果だったのです。そんな状況をなんとか打破するべく動いたのは、やはり母でした。パートをやめ、次のステップに踏み出しますーー。(C)RyanKing999/Gettyimages(C)yigitdenizozdemir/Gettyimages(C)Xander_D/Gettyimages
2018年03月11日動画配信サービス・ビデオマーケット(VideoMarket)の1月視聴ランキング(集計期間:12月1日~31日)が発表され、土屋太鳳の主演映画『兄に愛されすぎて困ってます』(2017年6月30日公開)が「映画」部門で1位になった。『兄に愛されすぎて困ってます』で主演を務めた土屋太鳳同作は、雑誌『Sho-comi』で連載中の同名人気漫画を実写化。土屋は全くモテない女子高生・橘せとか、血の繋がらないイケメン兄・橘はるかをGENERATIONS from EXILE TRIBE・ボーカルの片寄涼太が演じた。1月3日の配信開始と同時に、ランキングを独走する形となった。また1月中に配信開始となった映画作品では、浜辺美波と北村匠海のW主演でも注目を集めた『君の膵臓をたべたい』、名作SF映画『猿の惑星』をリブートした『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』もランクインした。また「ドラマ」部門では、嵐・松本潤主演の『99.9-刑事専門弁護士-』が先月の10位圏外から3位に急浮上した。続編となる『99.9-刑事専門弁護士 - SEASONII』が現在、TBS系で毎週日曜21時より放送中であり、視聴率も好調をキープ。前作にもその影響が及ぶ結果となった。■映画部門1.兄に愛されすぎて困ってます2.昼顔3.君の膵臓をたべたい4.銀魂5.ジョン・ウィック:チャプター26.猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)7.新感染 ファイナル・エクスプレス8.キングスマン9.22年目の告白-私が殺人犯です-10.東京喰種トーキョーグール■ドラマ部門1.逃げるは恥だが役に立つ2.雲が描いた月明り3.99.9 ‐刑事専門弁護士‐4.孤高の花~General&I~5.ドクターズ~恋する気持ち6.陸王7.私のキライな翻訳官8.三国志 ~趙雲伝~9.太陽の末裔10.アンナチュラル■アニメ部門1.君の名は。2.怪盗グルーのミニオン大脱走3.劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナルスケール-4.宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち5.SING/シング6.ソードアート・オンラインII7.鋼の錬金術師8.魔法使いの嫁9.爆走兄弟 レッツ&ゴー!! WGP10.モアナと伝説の海
2018年02月02日動画配信サービス・ビデオマーケット(VideoMarket)の週間視聴ランキング(集計期間:1月5日~11日)が12日に発表され、土屋太鳳の主演映画『兄に愛されすぎて困ってます』(2017年6月30日公開)が「映画」部門で1位になった。『兄に愛されすぎて困ってます』で主演を務めた土屋太鳳同作は、雑誌『Sho-comi』で連載中の同名人気漫画を実写化。土屋は全くモテない女子高生・橘せとか、血の繋がらないイケメン兄・橘はるかをGENERATIONS from EXILE TRIBE・ボーカルの片寄涼太が演じた。1月3日に各動画配信サービスで先行配信、1月10日にDVD・Blu-rayが発売された。また、社会現象となったTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は、年末年始に全話一挙再放送の影響もあってか、「ドラマ部門」の1位に輝いた。なお、『逃げ恥』で脚本を担当した野木亜紀子氏は、同じくTBS系で12日にスタートした金曜ドラマ『アンナチュラル』でも脚本を手掛ける。アニメ部門では、『逃げ恥』同様に社会現象的なヒットを記録し、3日にはテレビ朝日系で地上波初放送された『君の名は。』が1位となった。■ドラマ部門1.逃げるは恥だが役に立つ2.雲が描いた月明り3.ドクターズ~恋する気持ち4.孤高の花~General&I~5.陸王6.私のキライな翻訳官7.嫉妬の化身~恋の嵐は接近中!~ノーカット字幕版8.皇貴妃の宮廷9.王女未央-BIOU-10.W -君と僕の世界-■映画部門1.兄に愛されすぎて困ってます2.昼顔3.銀魂4.新感染 ファイナル・エクスプレス5.キングスマン6.ジョン・ウィック:チャプター27.東京喰種 トーキョーグール8.スパイダーマン:ホームカミング9.エイリアン:コヴェナント10.22年目の告白-私が殺人犯です-■アニメ部門1.君の名は。2.劇場版「ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」3.怪盗グルーのミニオン大脱走4.鋼の錬金術師5.SING/シング6.ソードアート・オンラインII7.モアナと伝説の海8.マギ 第2期9.魔法科高校の劣等生10.カーズ/クロスロード
2018年01月13日