歌手の吉川晃司さんが、特別展『三国志』取材会に登場! 海外初出品となる貴重な出土品の前で、歴史好きになったいきさつや展覧会の注目作品について語りました。吉川晃司さんがガイド!【女子的アートナビ】vol. 152東京国立博物館 平成館でスタートした日中文化交流協定締結40周年記念 特別展『三国志』では、中国で百年あまり続いた「三国志の時代」の政治や軍事、文化などに関する文物や出土品などを展示。海外初出品となる河南省の曹操高陵(そうそうこうりょう)や呉(ご)の皇族クラスの墓からの出土品など、多くの貴重な作品とともに、三国志の壮大な世界をリアルに体感できます。開幕前に開かれたプレス内覧会には、展覧会の音声ガイドを務める吉川晃司さんが登場! 三国時代の武将、曹操の墓室の一部を再現した「曹操高陵」展示室にて、見どころなどを語りました。人生最大の岐路で出会ったモノは…――『三国志』にお詳しいとうかがっていますが、なぜ親しまれるようになったのですか?吉川さん人生では、いくつか躓くことがあると思うのですけど、自分にとって最大の岐路は30代のはじめにあり、そのとき何か指南書みたいなものを見つけたいと思いました。それまでは己を物差しに生きてきたタイプで、困ったからといって助けを乞えるあてもなく、ただ史実や偉人などに何かヒントが見つかるのではないか、と思ったのが最初です。まず日本の歴史をたどっていくと、ほぼ間違いなく中国の故事などが出てくるのです。そこを知らない限り前に進めなくなってしまい、読み始めたらハマっちゃいました。人間社会への教訓も…――『三国志』の魅力は、どういうところにあると思いますか?吉川さん史実的には、殷周時代や春秋戦国時代が一番文化に変化があり、おもしろい時期だと思います。その刺激的なことやドラマチックなことを盛り込み、史実も含めて「三国志演義」として脚色してあるのです。また、『三国志』では結局「兵どもが夢のあと」ということで、誰も最後は成就できず、司馬(しば)氏に全部まるごと持っていかれてしまうのですが、その皮肉もこめられていると思いますね。人間社会の栄枯盛衰を表す教訓ではないかと思っています。過去はファンタジー!――展覧会で感銘を受けた作品はありますか?吉川さんこの展示室には「曹操高陵」が再現してありますが、自分はテレビの撮影で現地に行き、入口までは入れたのですが、当時その先まで行けなかった。(展示品の《罐(かん)》を見て)こういうものが出てきたのだな、と。なるほど惜しかった、行きたかったな、と。(笑)――最後にメッセージをお願いします。吉川さんやはり過去というのは、ものすごく魅力的です。ぼくはファンタジーだと思います。ぜひ、みなさんもこの展覧会で史実を学びながら、夢の中に入っていって楽しんでもらえるといいかなと思います。リアルな関羽やコラボも必見!会場では、迫力の関羽像(かんうぞう)をはじめ、三国時代のリアルな戦乱を物語る兵器や文物がたくさん並んでいます。また、横山光輝による漫画『三国志』の原画や、川本喜八郎のNHK『人形劇三国志』で使用された人形の展示、さらにはコーエーテクモゲームスの『三國志』『真・三國無双』シリーズのキャラクターも展覧会とコラボ。世代を超えて楽しめる内容になっています。会期は9月16日(月・祝)まで。ぜひ足を運んでみてくださいね!Information会期:~9月16日(月・祝)休館日:月曜※ただし8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)は開館時間:午前9時30分~午後5時※金・土曜は午後9時まで※入館は閉館30分前まで会場:東京国立博物館 平成館料金:一般 ¥1600/大学生 ¥1200/高校生 ¥900/中学生以下無料※本記事の写真は、プレス内覧会で主催者の許可を得て撮影しています。
2019年07月20日佐藤健主演×大友啓史監督のタッグで贈る『るろうに剣心』最終章の公開決定を記念して、この度「Netflix」にて前3作の配信がスタートした。本作は、国内外で絶大な人気を誇る和月伸宏の漫画「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」を、佐藤さん主演で実写化したアクション感動大作。これまで『るろうに剣心』『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』が製作され、累計興行収入125億円以上、観客動員数980万人を記録、そして来年2020年には最終章が公開される。そこで今回、この最終章公開決定を記念して、2012年公開の第1作『るろうに剣心』、2014年に2部作で公開された『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』と前3作を一挙配信!本作では緋村剣心役の佐藤さんのほか、武井咲、伊勢谷友介、蒼井優、神木隆之介、土屋太鳳、吉川晃司、綾野剛、福山雅治など主役級の実力派俳優が多数出演。また、日本映画初の映像技術なども取り入れられ撮影された、誰も体感したことのない迫力のあるアクションシーンや、一人ひとりの繊細に描かれる人間ドラマは多くの観客を虜に。さらに日本だけでなく、ヨーロッパ・アジア諸国を含む世界100か国以上で配給、50以上の国際映画祭に出品と、海外でも人気を博した。先日、公開決定が発表された最終章では、これまで語られることのなかった剣心の<十字傷の謎>に迫る物語と、中国大陸の裏社会を牛耳る謎の武器商人であり、武器や軍艦を送り込み志々雄真実を操っていた<シリーズ最恐の敵・縁(えにし)>との戦いを描くというが、まだ多くの情報がベールに包まれたまま。最大10日間という長期連休となる今年のGW。最終章公開を前に、まずはお家でゆっくりシリーズを観返してみてはいかが?各作品のあらすじ■『るろうに剣心』いまから約140年前、動乱の幕末。最強の暗殺者と恐れられ、<人斬り抜刀斎>と呼ばれた男がいた。神より速く、修羅より強い、維新の志士。一対多数の戦いを得意とし、剣を抜いたら最後、生き残る者はいない。戦いが終わり、明治という新しい時代が訪れ、抜刀斎は姿を消した。「最強」の伝説だけを残して。あれから10年、いまだ乱れた世に現れた、ひとりの男。斬れない刀=逆刃刀で人を助ける、流浪人・緋村剣心。もう決して人は殺さない<不殺(ころさず)の誓い>を立てた抜刀斎だった。大切な人たちが平和に暮らせる時代を作るため、いま剣心の真の戦いが始まる――!■『るろうに剣心 京都大火編』かつて人斬り抜刀斎と呼ばれた伝説の人斬り緋村剣心は、刀を置き、神谷道場の仲間とともに平穏な生活を送っていた。そんなとき、剣心の後継者として“影の人斬り役”を務め、その後新政府に裏切られた志々雄真実は、京都で戦闘集団を作り、日本征服を狙っていた。政府が派遣した討伐隊は志々雄を前に成すすべがなく、剣心に最後の望みを託す。元御庭番衆・四乃森蒼紫という新たな敵も現れる中、剣心は、<不殺の誓い>を破らずに敵を倒すことはできるのか。■『るろうに剣心 伝説の最期編』志々雄に連れ去られた薫を助けるため海へ飛び込んだ剣心は、一人流れ着いたところを、剣術の師匠である比古清十郎に助けられる。いまの自分では志々雄を倒せないと悟った剣心は、師匠に飛天御剣流の奥義を教えてほしいと懇願する。一方、剣心が生きていると知った志々雄は政府に圧力をかけ、剣心を指名手配し、捕らえて処刑するように求める。最大の危機に立たされた剣心は、最狂の敵に打ち勝ち、行方不明の薫と生きて再会することができるのか。『るろうに剣心』『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』はNetflixにて一挙独占配信中。『るろうに剣心』最終章は2020年夏、全国にて2作連続公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:るろうに剣心 2012年8月25日より全国にて公開© 和月伸宏/集英社© 2012「るろうに剣心」製作委員会るろうに剣心 京都大火編 2014年8月1日より丸の内ピカデリー、新宿ピカデリーほか全国にて公開© 和月伸宏 / 集英社 (C) 2014「るろうに剣心 京都大火/伝説の最期」るろうに剣心 伝説の最期編 2014年9月13日より全国にて公開© 和月伸宏/集英社© 2014「るろうに剣心 京都大火/伝説の最期」製作委員会【Netflixオリジナル】ブライト 2017年12月22日よりNetflixにて全世界同時オンラインストリーミング【Netflixオリジナル】マッドバウンド 哀しき友情 2017年11月17日よりNetflixにて全世界同時配信【Netflixオリジナルドラマ】オルタード・カーボン 2018年2月2日より全世界同時オンラインストリーミング2月2日(金)より全世界同時オンラインストリーミングるろうに剣心最終章 2020年夏、全国にて2作連続公開予定©和月伸宏/集英社 ©2020「るろうに剣心」最終章 製作委員会
2019年04月26日野村周平、森永悠希、井之脇海ら注目の若手が出演する4K歴史エンターテインメントドラマ「MAGI-天正遣欧少年使節-」が、Amazon Prime Videoにて来年1月、全世界180以上の国と地域で世界同時配信されることが決定。予告編とポスタービジュアルが到着した。■ストーリー時は戦国時代。長崎にやってきたイエズス会のアジア布教の巡察使ヴァリニャーノは、布教を一気に進めるためにある秘策を思いつく。それは、日本各地に神学校セミナリオを作り、そこで学んだ優秀な少年たちをヴァチカンに連れて行きローマ法王に謁見させる。そして、聖書に記された物語、イエス誕生のときに東方より贈り物を持って駆けつけた3人の賢者=MAGIの伝説を現実とすることで、ヴァチカンから多額の資金援助を引き出し、日本をキリスト教国にするというものだった。そこで選ばれた4人の少年たち。教会に拾われ下人として働いていた伊東マンショ、気弱だが心優しいジュリアン、セミナリオ一の秀才マルティノ、領主の次男坊、武士の子ミゲル。4人の少年たちは織田信長の命を受け、長崎を旅立つ。旅には反ヴァリニャーノ派のメスキータ神父、日本人とポルトガル人の混血の下働きドラードが加わり、5人はヨーロッパへと向かう――。■4Kで制作!本作は、若桑みどりによる「クアトロ・ラガッツィ天正少年使節と世界帝国」(集英社文庫刊)を原案に、映像化不可能と言われた16世紀の日本人少年冒険記を描く。世界遺産として残る歴史的な場所を舞台に、壮大なスケールで描く歴史物語を全て4Kで制作、長期間の海外ロケを敢行し、次世代グローバル基準のハイクオリティ映像で作り上げた。4Kで制作されている日本のドラマがAmazon Prime Videoにて180以上の国や地域で同時配信されるのは日本初の試みだ。脚本は『里見八犬伝』の鎌田敏夫、『西の魔女が死んだ』の長崎俊一が監督を務めた。■注目の若手が歴史上の人物を演じるイエズス会記録に残る伊東マンショ、中浦ジュリアン、原マルティノ、千々石ミゲルと4人の少年たちの8年におよぶ過酷な旅路、堂々と法王謁見を成し遂げた彼らの思いが描かれる本作。『ちはやふる』シリーズ『帝一の國』『ビブリア古書堂の事件手帖』など注目作に立て続けに出演する野村周平が、本作の主人公・伊東マンショ役を演じるほか、『ちはやふる』シリーズや『あさひなぐ』の森永悠希が旅の途中で強い信仰心に目覚める中浦ジュリアン役、「義母と娘のブルース」、連続テレビ小説「ひよっこ」の井之脇海が活版印刷機を持ち帰る原マルティノ役、「陸王」で俳優デビューを果たした緒形敦が帰国後イエズス会を脱会する千々石ミゲル役に抜擢。そして、4人の少年たちと一緒に旅をする日本人の母とポルトガル人の父を持つドラードを、「仮面ライダー鎧武/ガイム」『ふたつの昨日と僕の未来』の佐野岳が演じる。ほかにも、少年たちを送り出す織田信長役を吉川晃司、豊臣秀吉役を緒形直人と、実力派が物語に重厚感をプラスする。■予告編公開今回到着した予告編では、4人の少年たちが海を渡るシーンからスタート。遠くを見つめる表情が印象的だ。また少年たちのほかにも、秀吉、信長の姿も確認することができる。■キャストコメント到着!野村周平(伊東マンショ役)この作品のような時代ものをやらせていただくのは初めてだったので緊張感もありましたが、日本から世界を旅する少年たちという壮大なストーリーにはとてもやりがいを感じました。大部分を海外(スペイン)で撮影させていただいたのですが、向こうの文化や人にも触れ、しっかり役作りに臨めたと思います。世界にこのドラマが配信されることに、興奮しています。そして4Kの映像で、この壮大なストーリーが配信されることをとても楽しみにしています。森永悠希(中浦ジュリアン役)中浦ジュリアン役の森永悠希です。今回国内のみならず、海外でもロケを行うという壮大なスケールの元、一人の人物の人生をじっくり考えて演じることができたことが幸せでした。実在の人物を演じるのは難しいですが、文献や劇中のセリフや動きから、僕が思うジュリアンの個性が出るといいなと思いながら演じさせて頂きました。日本での反応も勿論ですが、海外の反応も楽しみです。沢山の人に見て頂きたいです。井之脇海(原マルティノ役)私が演じた原マルティノは、自分の信念に対してまっすぐな思いを持っていて、時に皆を振り回してしまうこともありますが、どこか俯瞰して、彼なりに皆をまとめて旅を進めていく少年です。天正遣欧少年使節団の四人の少年がヨーロッパを旅していく物語を、とてもスケール大きく描いていく魅力的な作品になっています。ぜひご覧ください。緒形敦(千々石ミゲル役)この度は、只々この作品に関わらせて頂けたことに感謝をしております。ミゲルという役のオーディションのお話を頂いた時に自分の中で、“絶対に自分がやらなければいけない役”と心から思いました。ご縁もありこのミゲルという役をやらせて頂き、心から嬉しく思います。僕も中学卒業後単身で、自分のことを誰一人知らない国へ行きました。この少年たちのように長い年月をかけ、命を懸け、見知らぬ国へ行くというのはものすごく覚悟がいることだなと改めて感じ、僕自身も撮影を通して沢山成長できました。このドラマを通じて僕たち日本人が、もっともっと世界に挑戦をするための勇気に少しでもなって頂けたら幸いです。佐野岳(ドラード役)ドラードは4人の少年達を見守り、陰ながらアドバイスをすると同時に少年達と一緒に考え、寄り添う役です。旅の道中、様々な偉人達と出会い、それぞれの正義に触れていくことで僕自身、ドラードを通して自分の中で信じる事の大切さや、危うさを感じました。そして、今までの役の中でもかなり挑戦的で特殊な役どころということ、そして1ヶ月ものスペインロケという初めてづくしの現場で、準備の段階から歴史を学び、語学も学び、と出来る限りのことを尽くして臨みました。戦国時代の真っ只中、少年たちは、何を背負い、何を信じ、突き進むのか。とてもスケールの大きな物語を、是非楽しんで頂ければと思います。「MAGI-天正遣欧少年使節-」は2019年1月17日(月)よりAmazon Prime Videoにて180以上の国と地域で世界同時配信(全10話)。(cinemacafe.net)
2018年12月11日日曜劇場「下町ロケット」新シーズンの2話が10月21日に放送された。先週に引き続き天才エンジニアを演じるイモトアヤコの演技に「いい味出してる」「すげぇ演技」など賞賛の声が上がっている。本作は池井戸潤原作の小説をドラマ化、2015年10月から放送された「下町ロケット」の新シーズン。今回の新シーズンではこの夏発刊されたシリーズ第3弾「下町ロケットゴースト」を早速の映像化。これまで特許侵害訴訟、ロケットエンジン用バルブシステム開発、人工心臓弁ガウディ計画など度重なる困難を力を合わせて切り抜けてきた町工場の佃製作所が、ロケットバルブ納入先である帝国重工の業績悪化に伴い、会社の夢を賭けたロケット計画に暗雲が立ち込めるなか、トランスミッションに新たな希望を見出し、メーカーとして成長していこうとする姿を描く。阿部寛が前作に引き続き主人公・佃航平を演じ、土屋太鳳、竹内涼真、安田顕、恵俊彰、池畑慎之介、吉川晃司、杉良太郎ら前作からの続投組に加え、徳重聡、イモトアヤコ、尾上菊之助ら豪華新キャスト陣も参加、さらなる重厚な布陣で熱いドラマが展開する。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。第2話は佃製作所がトランスミッションを納品することになったギアゴーストがライバル企業のケーマシナリーから特許侵害の指摘を受ける。しかもケーマシナリー側の弁護士は佃製作所とも因縁のある弁護士・中川京一(池畑さん)。ギアゴーストの社長・伊丹(尾上さん)は15億もの賠償金のための資金調達に奔走するが出資者は見つからない。そんななか佃製作所の顧問弁護士である神谷修一(恵さん)がケーマシナリーがギアゴーストの特許を侵害してるケースを見つけ出し、クロスライセンス契約に持ち込む“秘策”を提案するが、それはギアゴーストを騙すことでもあった…というストーリー。今回の2話でもイモトさん演じる天才エンジニア・島津が物語の重要なキーパーソンとなるのだが、前回に続き今回も「イモトいい感じ出してるなー」「いい味出してんなぁ」「これしかない配役」などの声がSNSに続々投稿されており、イモトさんの“女優開眼”に多くの視聴者から熱い注目が集まっている。(笠緒)
2018年10月21日池井戸潤原作、阿部寛主演の日曜劇場「下町ロケット」新シーズンが10月14日放送開始となり、第1話では佃製作所の新たな戦いの始まりが描かれた。池井戸氏の原作から「下町ロケット」と「下町ロケット2 ガウディ計画」をドラマ化、2015年10月期に放送された前作から3年、今回はシリーズ第3弾「下町ロケットゴースト」を映像化。主人公・佃航平を阿部さんが演じるほか、その娘・利菜役に土屋太鳳、佃製作所の技術開発部の若手技術者・立花洋介役に竹内涼真、技術開発部の部長・山崎光彦役に安田顕、そのほか徳重聡、和田聰宏、今野浩喜、中本賢、谷田歩、イモトアヤコ、真矢ミキ、今田耕司、立川談春、吉川晃司、杉良太郎といった錚々たるキャストが参加している。自社開発のバルブシステムが日本を代表する大企業・帝国重工の純国産ロケット開発計画「スターダスト計画」に採用されるなど順調な佃製作所だったが、帝国重工宇宙航空開発部部長の 財前(吉川さん)から、帝国重工の社長が交代してスターダスト計画が次回で終わるかもしれない――と告げられ、さらに大口取引先の農機具メーカーから小型エンジンの取引削減も告げられ、佃は強い危機感を抱く。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。そんな折、佃製作所の経理部長・殿村(立川さん)の父親が倒れた。300年続く農家である殿村の実家を見舞いに行った佃と山崎(安田さん)。佃はトラクターを運転したことがきっかけで新たな夢を抱く。それは頑丈で安定したトランスミッションを作る事だった…というのが1話のストーリー。1話ではライバル企業「大森バルブ」と争いベンチャー企業「ギアゴースト」のコンペに勝利するまでが描かれた。意外なキャスティングがしばしば話題になる日曜劇場だが、今回は天才エンジニア役でイモトさんが出演。その演技に注目が集まったが「イモトさんの演技が素晴らしく、思わずこっちも、もらい泣きしました」「イモトの演技力が何か凄い」「引き込まれる演技をする女優イモトに今後も注目だな」といった声が多数投稿されている。また佃製作所社内で孤高の存在となっている軽部真樹男を演じた徳重さんにも「あの嫌味なエンジニアを演じてたのが徳重聡だと知ってめちゃくちゃ驚いてる」「徳重聡演技幅広がった。最初誰かって思った」など、これまでのイメージを一新した演技に賞賛の声が相次いでいる。超豪華な一流俳優陣の中で独自の存在感を放つ新キャストの面々の今後にも期待だ。(笠緒)
2018年10月15日TBS系ドラマ「下町ロケット」が10月14日にスタートする。直木賞作家・池井戸潤さん原作で、15年10月期にドラマ化。続編は「下町ロケット ゴースト」「下町ロケット ヤタガラス」を放送するという。前作の最終回は同年放送ドラマで1位となる、平均視聴率22.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録。主演は、前作に続き阿部寛(54)。その脇を竹内涼真(25)や安田顕(44)、吉川晃司(53)らおなじみの顔触れが固める。「前作からのキャストのほか、古舘伊知郎アナや16年ぶりの連ドラとなる工藤夕貴も出演。落合博満氏の長男で声優の落合福嗣らも登場するとあって、放送前から話題になっています。制作サイドは、当たり前のように前作超えの視聴率を期待しています」(TBS関係者)さらに続編スタート前にもかかわらず、関係者の間では早くも続編の制作が期待されているという。「池井戸氏の作品は、ほとんど映像化され尽くしているんです。来年あたりには『下町ロケット』シリーズ第5弾となる小説が発売されるでしょうから、早ければそのタイミングを待って続編が制作されるのではないでしょうか。今作の視聴率が前作を大幅に上回るようだと、シリーズ初の映画化もあるかもしれません」(芸能関係者)ファンは今後も原作と実写の両方でその世界観を堪能できそうだ。
2018年10月14日●まさかのオーディションで…俳優の吉川愛と新田真剣佑が、ウエディング情報サービス「マイナビウエディング」の新CMに出演することが1日、さいたまスーパーアリーナで行われた「マイナビ presents 第27回 東京ガールズコレクション 2018 AUTUMN/WINTER」で発表された。新TVCM「マイナビウエディング『ふたりの反省会篇』」は、1日より放送される。今回のCMでは、披露宴を終えさまざまな小道具やお祝いの品など、沢山の荷物を抱えながら歩く、新郎(新田)と新婦(吉川)が、これまでに費やした自分たちの頑張りを思い出し、「お疲れ様でした」互いに頑張りを認め、最高の笑顔が溢れる様子を描く。初共演でありながら新婚カップルを演じた2人は、蒸し暑い中の撮影でも何度もニュアンスを変えた演技を見せ、スムーズに進行。ウエディングドレスとタキシード姿の華やかな2人がモニターに映るたび、スタッフから「かっこいい!」「綺麗!」「ステキ!」の声が終始飛び交う、にぎやかな撮影現場となった。マイナビニュースでは、実際に横浜の結婚式場で行われた、CM撮影中の2人を直撃。撮影の様子についてインタビューした。○初のウエディングドレス姿――朝から長時間の撮影で、これまでの感想はいかがですか?新田:とても画が綺麗でした。世界観を綺麗に映してくれているので、演じた側からしても、出来上がった映像が楽しみです。吉川:いろいろな衣装を着ての撮影だったので、すごく楽しかったです。ウエディングドレスも初めて着て、いろいろな私になれました。――本当に今日、いろんなシーンを撮られたと思いますが、印象的なのはどのシーンでしたか?吉川:ウェディングドレスに憧れがあったので、やっぱり嬉しかったです。実際に着てみると、思ったより重たく暑くて。体の線にぴったりしていないとシワができてしまうから、ウエストもジャストサイズにぎゅっと作られていて、「花嫁さんは大変なんだな」と思いました。新田:僕は、仕事からタクシーに乗り込むというシーンが印象的でした。CMでは数秒だと思いますが、あまりタクシーで仕事に行くことがないので、楽しかったです。――吉川さんは今回「3代目マイナビウエディングガール」に、オーディションで決定されたと聞いています。CMが決まった感想を教えてください。吉川:まさか、ウエディングのCMのオーディションを受けるとは今まで考えていなかったのですが、「やってみたい」と思って、頑張りました。決まった時はすごく嬉しかったです。もともと子役として活動していて、今回が復帰して初めてのCM撮影だったので、「こんな感じで撮っていたな」と、思い出しながら、楽しく演じることができました。――飯豊まりえさん、金城茉奈さんに続き3代目……ということになりますね。吉川:私らしさが出ればいいかな、と思って撮影に臨みました。――新田さんは、マイナビウエディング初の男性キャラクターということで、ウエディングのCMというのはいかがでしたか?新田:まず、どれくらいの年齢層で演じるのか、ということを考えました。見た目としても、ちゃんとした新郎を演じられるのかな、と思いましたが、今日撮影をしながら慣れていきました。精一杯頑張りました。●緊張してしまう時は、どうしたら?○カップルの2人へのメッセージ――実はマイナビの社員も撮影に参加していたのですが、ぜひ演技の感想を教えてください。吉川:えっ、そうだったんですか! すごく素敵でした。新田:今まで見た芝居の中で、一番良かったです(笑)。――ありがとうございます(笑)。結婚式では、新郎新婦や友人メッセージなど、人前に立つことになる方も多いと思いますが、緊張しないためのアドバイスをぜひ。新田:何も、考えないことじゃないかと思います。僕も普段、全く考えていません。もう、考えちゃうとそれ言わなきゃいけないと思って、緊張してしまうんですよね。人間、自分のキャパを越えようとすると、緊張してしまうんだと思います。意識しないで、自分のキャパの中で行こうと思う方が、それ以上のものができるような気がします。吉川:私はすぐ緊張するタイプです。出演した作品の舞台挨拶でも、打ち合わせなどの時は全然平気なんですが、出演直前に裏で待機していると急に緊張し出しちゃうんです。だからあまりアドバイスはできないですけど、楽しいことを考えるのがいいと思います!――映画『虹色デイズ』の舞台挨拶でも、全然緊張しているように見えなかったです。吉川:緊張しています! でも1回、自分の挨拶をしたらほぐれるので、それまでは緊張を見せないように気取って、隠しています(笑)。――そうだったんですね! では最後に、結婚を考えているカップルへのメッセージをいただければ。新田:先ほどの撮影中も、実際に結婚式をしているカップルを見て「素敵だな」と思いました。いろいろあるのかもしれないですが、たくさん楽しんで、たくさん仲直りして、楽しくお幸せに!吉川:本当に素敵な結婚式にして欲しいと思いますし、カップルの2人にとって一番の思い出になるはずです。2人で、末長くお幸せに!■新田真剣佑1996年11月16日生まれ、米ロサンゼルス出身。2014年より日本を拠点に活動をスタート。『ちはやふる ‒上の句‒/‒下の句‒』(16)で第40回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞する。主な作品に『チア☆ダン ~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』(17)、『ピーチガール』(17)、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(17)、『不能犯』(18)、『ちはやふる ‒結び‒』(18)、『パシフィック・リム:アップライジング』(18)、『OVER DRIVE』(18)など。現在『劇場版 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』が公開中。■吉川愛1999年10月28日生まれ。東京都出身。人気子役として、多数のTVドラマなどに出演し活躍。2017年に芸能界復帰し、話題をよんでいる。主な映画出演作に『虹色デイズ』(2018年)、TVドラマへの出演作は、『愛したって、秘密はある。』(2017年)、KTV.CX『シグナル 長期未解決事件捜査班』(2018年)などがある。
2018年09月01日こんにちは、アートディレクターの諸戸佑美です。読者の皆さんは、音楽や芸術好きの方々も多いと思うのですが、最近どんな音楽を良く聴かれていますか?【シネマの時間】第31回は、世界を魅了する魂のピアニスト フジコ・ヘミングのドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』をご紹介させていただきます。苦難を乗り越え、60代に一夜にして世界に見出された遅咲きのシンデレラ、フジコ・ヘミング!80代になった今でも日本、ヨーロッパ、北米南米など世界中で年間約60本の演奏活動を続け、チケットは即完売、新たなオファーも絶えない奇跡のピアニストです。本作は、映画はもとより数多くの音楽映像やドキュメント作品、コンサートの総合演出なども手掛ける小松荘一良監督が、企画から立ち上げ、パリ・NY・LA・ブエノスアイレス・ベルリン・東京・京都といった世界を巡るフジコを2年間に渡って撮影したドキュメンタリー映画。情感溢れるダイナミックな演奏シーンとともに、お気に入りのアンティークに囲まれたパリや東京などのご自宅で、愛する動物たちとともに暮らす姿、知られざる家族・恋についてなど、本作でしか見られないフジコ・ヘミングの素顔が解き明かされています。多くの人々を魅了してやまないフジコの音楽は、どんな人生・ライフスタイルから生まれてくるのでしょうか?今回、小松荘一良監督に制作秘話など貴重なお話をたっぷりと伺っています。どうぞお楽しみいただければ幸いです!■映画『フジコ・ヘミングの時間』小松荘一良監督特別インタビュー!ーー本日はどうぞよろしくお願いいたします。私もフジコ・ヘミングさんのことが好きなのですが鑑賞させていただき素晴らしい作品だと思いました。まずはフジコさんと小松監督の出会いからお聞かせください。ありがとうございます。出会いは、2013年の春にあるTVのドキュメンタリーの企画がありまして、その時初めて出会いました。僕は、ロックやポップスやダンスが多くクラシックはあまり知らなかったのですが、1999年のフジコさんの一番最初のドキュメンタリーを見てたんですね。すごく良い作品だったし、いろいろ調べるうちにこの人でやってみようと思いました。一番最初にはじめましてとコンサート会場に会いに行ったときに、向こうから演奏が終わってスタッフに囲まれて廊下を歩いて来られて、僕が挨拶をしたら、ふっと目をそらしてはにかんだんですよ(笑)。ーー初対面ですしね。恥ずかしかったのかもしれませんね。はい。初対面ですし、モジモジとされて少女みたいでした。本当に可愛らしい人だなと思って。初めましてということでケーキを持って行ったんですけどそのお礼もちゃんとしてくれたりして。それからは基本的にずっと1対1のやりとりをさせていただいています。ーー最初に企画を立ててアポイントを取って、はじめましてという感じですか?はい、もちろん。イベンターやコンサート主催者に電話をかけて、こういう状況でとお話しをして。じゃあ後はご本人とお会いして直接決めてくださいと言われて、はじめましてと、そこからなんですよ。ーーすごいですね。ちょっとウマが合ったのかもしれないし、色々な話を伺って面白いと思ったんですが、そのドキュメンタリーがどうしても地上波だから、結局今までのフジコさんのドキュメンタリーと同じような艱難辛苦話の焼き直しを求められたんですね。僕が取材をしていたときは、もっと違うところがあってチャーミングさもあったりして。注目を浴びた頃の姿ではなく、もっと今の姿を描きたかったんです。でもお陰で良い関係性ができたのでいつかまたできたらいいな、ちゃんとしたものが作れたらいいなと、年に何回か一緒にお茶を飲んでお話を聞いたりしていたときに、南米にもツアーに行くということを聞いたんです。僕は、フジコさんの国内ツアーしか見たことがないので、海外ではどういう生活をしてるんだろうか、どういう人たちと関わってるんだろうか、何を食べているんだろうかとかすごく興味が湧いて、そこを改めて撮りたいなと思った。まずは、知り合いのTV局に企画を持って行ったりして、だんだんとやっていくうちにやっぱり映画でということになったんです。ーーTVは様々な制約がありそうです。はい。もっと自由にしたいというところがあった。その当時のフジコさんに密着して、その時代を伝えたいという思いもありました。現在こうなんですよと。1999年のあの貧しい時から一夜にしてシンデレラになったというところは、みんなファンの方はすでにものすごく詳しいじゃないですか。でもそれから20年近く経ってるんですよ。フジコさんは、現在アーティストとしてすごく活動的になっているのでそのあたりを見せたいし、カッコイイし、少女の部分もある、すごく毒舌なところもあるし、気位が高いし、ずっこけたりとその辺がね、面白いの。それにとてもTVも見てるので世情に詳しいんですよ。ーーなるほど。そんな思いがあって映画で作ることになったわけですね。今回、映画には、世界中で演奏するフジコさんの姿やパリや東京やロサンゼルスやベルリンなどの素敵なご自宅やライフスタイルが観れたことが感激でした。フジコさんは、日々の暮らしやライフスタイルをとても大切にされていて、しかもピアニストとしてとてもストイックですね。そうですよね。あのストイックさは、おそらくお母さんの影響で。すごく厳しかったらしいので、そうしないとピアノを上手くなれないよ、みたいなことを少女時代に躾けられて、それを未だにずっと守ってるように僕は思えています。家に関してももちろん皆さん、家が綺麗で憧れると思うのですが、あれはフジコさんが自分で作った世界観のような気がしています。東京のご自宅も友人たちが来て「海外にいるようだわ」と言われるのをすごく嬉しそうにしてらっしゃって。少女時代から構築してきた夢があって、パリの家はこうしよう、どこどこではこうしようと常にイメージしているのかと想像します。家族の写真などすべて共通するものも置いてたりして、お洒落を超えたものがあって、アンティークやノスタルジックなものがすごく好きで、それは、自分の家族に対してヒストリーに対して愛情を持ってるんだろうなと思います。ーー出ていってしまったお父様に対しても愛情深く大切に思っていて、表現者でデザイナーのお父様にリスペクトしている関係性を小松監督がとても優しい目線で捉えていて、フジコさんも素敵なんですが小松監督がじっくりと人間関係を構築してすごくあたたかい映像になっているのにとてもグッときました。ありがとうございます。フジコさんはとても人見知りがある方だし、僕が撮る以上は優しくしようと思うんですけど、愛おしいですよね。最初はお父さんとのこともわからなかったんですがだんだんわかってくるわけですよ。壁に貼られた写真も最初は飾りかなと思っていたんですが1個1個にストーリーがあって、聞いていくうちになるほどなと思って。何十年も前のことをすごく覚えていたりとかするんです。文句を言いながらも置いてたりとかして。その身体の中の時を超えたヒストリーみたいなのを感じるなと思ったのでそこをシーンにしているんです。ーー14歳の頃に描かれた絵日記も素晴らしいですね。よく残してらっしゃったなと思って。すごく上手で、今回『暮しの手帖』にも掲載されたりと。ね、絵日記もすごいですよね。あれもあの『暮しの手帖』の出版社(朝ドラ『とと姉ちゃん』のモデルになった出版社)で、絵日記をまとめたものを作りたくて、がんばって動いてようやく実現しました。あれはきちんとした形で出したかったんです。絵日記を見つけた時にこの映画のテーマが変わりました。オーソドックスなものでなくて時を超えれるなと思って。フジコさんの歴史をただ言葉で聞くんじゃなくて、14歳の絵日記の中に全てのフジコさんが入っている。1946年の過去と2018年の現在が繋がったというか、僕は今、80代のフジコさんと話しているけど、14歳のフジコさんに見えるときもあるわけなんです。ーーご自分でも今でも16歳の気分だと仰る場面があって。あの繋がりが見えた瞬間に、わあ、すごくロマンチックだなぁと、そしてそれを感じさせる力が音楽だったりするじゃないですか。僕は、フジコさんの「月の光」という曲が特に好きなんですが、あの曲が時代を超えて行く感じがしました。ドビュッシーの「月の光」という曲は、フランスの詩人・ヴェルレーヌの幻想的な詩から作られたそうなのですが、フジコさんてそんな幻想的な感じがするなと思ってて。ーーそうですね。魔法が使えるような気がします。そうそうそう。だから特にフランスのパリで演奏するシーンはちょっとそういう感じに作ってみたんです。あんまりドキュメンタリーではやらない手法なんでしょうけど。僕はそういうのが好きであえて入れてみました。ーー幻想的でファンタジックで。パリもそうだしベルリンもそうだし、京都のお宅も宮大工の方が造った素敵な家で、あの空間自体がすごくドラマティックで絵になっているように感じました。おとぎ話のような世界を自分で構築してる気がして。フジコさんは、パリも似合うんですが京都も似合うんです。ーー本当にお似合いですよね。また、東京のご自宅もより一層良く見えて、フジコさんの側にいる動物たちも犬も猫もみんな穏やかな顔をしていて幸せそうです。本当に童話の中の主人公みたいです。おとぎ話の人のドキュメンタリーと思ったらいいのかな。フジコさんは、可愛らしくてチャーミングでそれでいて豪快で、ストイックだし孤高、人を嫌いと言いながらも人がすごく好きで、それ以上に動物たちが好きなんだろうなと思います。それとすごいのは、いくつになっても明日を夢見てる、来年を夢見てるのはパワフルですよね。ーーそうですね。映画の中のフジコさんの話す言葉一つひとつにも名言がいっぱいあって、観ながらメモをとったりしました。80代で年間60公演、世界中を演奏して回って、本当に素晴らしいと思います。そうなんですよ。素晴らしいバイタリティーです。特に日本では、年を重ねていくとこうでなければならないという風潮があるじゃないですか、それに囚われてないからそれが魅力なんだと思います。僕たちもそういうところを見てちょっと刺激を受けたりしたいなと思います。ーーそうですね。監督は、どういった部分で一番影響を受けましたか?やっぱり、やりたいことは、やりたい時にやっていくことなんだろうなと思うし、日本人てどうしても横並びで人に合わせていくんだけど、フジコさんはそういう風潮に背を向けて生きている。子どもの頃は、時代背景もあるんですけれど外国人だからとイジメにもあったりした。でも今ではそういうことを乗り越えて、自分を大切に自分の好きなように生きていきたいということを通してるじゃないですか。そうするともちろんいろんな辛いこともあるんでしょうけれど、年齢に関係なく自分の人生を自分らしく生き生きとして生きていけると思います。特に高齢化社会になってる中で、私はもう60、70代だから地味な服を着て年齢を考えてこうしようではなくてね。ーー服装もお洒落を楽しんでらっしゃって素敵ですよね。フジコさん自体が絵になっているように感じます。そうそう。だから皆さんもそうなるといいなと思う。お洒落は若者だけの特権じゃないことを、フジコさんから学びたいですよね。ーー恋に関しても子どものことに関しても映画の中でお話をされていて素敵だなと思いました。「今、恋してるの」「2年ぐらいいい感じであればいいんじゃない」と仰って。はい。素敵ですよね。いくつになっても素敵だなと思った人に恋するのは自然なことなんだと。あと、僕は映画では言わなかったんですけど、フジコさんが好きになる人というのは、お父さんの面影がある方たちのように思いました。ーーそうなんですか。お父さま、カッコイイですよね。2枚目でね。そうなんですよ(笑)。ーーお母さんも美人で。そうそう。なんか、そういった何かを追い求めてるんだろうなと勝手に空想したりするんです。ーー小さい時に別れてしまっているので面影を追うところがあるのかもしれませんね。そうですね。そこらへんが興味深いと思うのと、やっぱり恋はしていきたいですよね。ーーはい。あんな言葉がサラッと言えちゃうのが大人だなと思いました。あれくらい軽やかに人生を楽しんで、フジコさんの言葉だと思うと深みがあります。最近、恋愛するのが難しいという人たちもいるので。恋をしたいというのは、いろんな人たちが言ってると思うんだけど、年齢を重ねると、いろんな雑音が入ってくるじゃないですか。そこにパッと切れるくらいの言葉で「2年ぐらい楽しければいいじゃない、片思いでもワクワクすればいいじゃない」と言うのは僕はすごく素敵なことだと思いました。子どもの話はね、あそこまで話してくれるとは思ってなかったので驚きました。ーー女の人がそこまで心の内を話すのは、信頼関係があるから話せたんですね。とても切なかったですね。全ての夢を叶えているようでいて基本的な家族を作らなかったし、悲しくなったり寂しく思ったりすることもあるけれど、クヨクヨしないんだなと思って。様々な哀しみを乗り越えてる強さや優しさがある。あの場面は多くの人に救いのある場面だと思いました。1930年代から生きてる人って、世の中が変わってるときでもあり、かなり波乱万丈じゃないですか。特にハーフの人にとっては、外国人排斥からアメリカ寄りの外国人が優遇される時代になっていくし、貧乏な日本だったのがだんだん豊かになってきて、いろんなことをいろんな風に経験してるから、人間的な大きさを感じます。ーーそうなんですよね。ちょっともう想像できないようなことを明るく。劇中フジコさんが「楽しいことばっかりあって悲しいことがないのはちょっとどうかと思うの。センチメンタルなのもいいじゃない」という場面が好きです。ね、そういったことが演奏の音色になっているのかなと思ったりするんですよ。ーー本当ですね。生き様ですか。それがラ・カンパネラでも「生き様が、演奏に現れるのよ。誰にも負けないわ」みたいな場面もあって。はい。それは自分も体感したことがあって1999年フジコさんが60代に一番売れたCDがあるのですが、最近のCDと聴き比べてみると前の方がテンポも早いしタッチも強い感じなんですけど今の方が味わい深く心に染みる感じがあります。ーー是非、多くの人に聴いてもらいたいですね。映画では、昨年の12月のオペラシティでの演奏も納まってるんですよね。はい。入ってる音は、基本的には近年の音で1999年の最初の頃の演奏とは違う、今のフジコさんが入っています。ーーそれが見どころ聴きどころでもありますよね。小松監督だからこその選曲で。そうですね。フジコさんが仰っているんですが「モーツァルトやドビュッシーを知らない人達が聴いても良い音楽だと思ってもらえるように私は弾きたいの」と、僕もそう思っていて「月の光」だったり「ラ・カンパネラ」だったり感動した曲を集めました。クラシックが苦手な人もちょっと聴いてこの曲いいじゃんって思ってもらえるように。ーーそうですね。全然知らない方にも聴いてほしいと思うし、この映画を観てほしいと思います。この空気の中に漂っていてくれるといいなと思います。静かで大きな事件は起こらない映画なんですけど。ーーいえいえ、充分、ドラマチックなフジコさんの人生を知ることのできる映画だと。引きで見るとドラマチックなんですが、近くで寄って見ると別に話しているだけで大きな事件が起こるわけじゃないですか。通常だと事件を起こすんですよ。ドキュメンタリーの1つの手管として演出側としても用意したりするんです。誰かと誰かを合わせたりしたりしていくことが、よくある商業ドキュメンタリーのやり方なんですけども、今回はあえてそれを絶対しなかった。だから友達に会いに行ったり友達が来たりするシーンは、あれは全て自然なんですよ。ーーあれ、自然なんですか。はい。呼んでません。ーーたまたまなんですか、画家のお友達も……。すごいですね。リアルに本当のことだったし、ベルリンに行くって言うのも本人が決めたんです。ーーそうだったんですか。ライフスタイルの素敵さだとか、パリや日本などにあるどの家もこだわりがあってとても素敵で憧れます。それは、きっと家もフジコさんの作品なんだろうなと思います。自分が呼吸し、生きて、座る場所というのは、ホテルだと味気ないからと海外でも演奏のために家を買ってるんです。家は、インテリアの一つひとつをとっても自分の美的センスのあったもの、自分が居心地良くなるものを置いている。あの空気感の中で佇んでるのがやっぱり空想できるし、ご本人がとても好きなんでしょうね。ーーさすがプロフェッショナルな芸術家ですね。何を誰と食べるかからインテリア、調度品、ファッション、歩いてる姿、側にいる猫も犬も可愛いし、全てが絵になります。本当にすごいなと思うのが耳が聞こえなくなった時点で落ち込んでダメになったとしてもおかしくないのに、変わらずきちんと毎日ピアノの練習をして、毎年演奏会をやって、コツコツと、そうすることでどこかでちゃんと見てくれてる人がいた。それで60代でフジコブームになった。精神力の強さに驚かされます。そうですね。絶対的な自信なんでしょうね。たとえこの世で見出されなくても、毎日4時間の練習をして努力をしていれば、天国では必ず出番があると信じていた。ーーすごいですよね。撮影は2年間どのようにされたんですか?365日一緒にいたわけじゃないんですが、基本的に何かあるときはずっと一緒にいました。ーースタッフについてお聞かせください。フジコさんが好きだとか、フジコさんのファンだとか、自分の親がフジコさんのコンサートを聴きに行っていてチラシが毎年来てるとか。いつも仕事をしている人たちに声をかけてみたらたまたま色んな縁があって不思議でした。日活の中でも担当プロデューサーもフジコさんについて詳しい人だったり、宣伝部もフジコファンが多いんです。お産のときに聴いていたなんて人もいて(笑)。日活チームみんなちょっと詳しいんですよ。ーーとても強力であたたかいチームですね。そうなんです。フジコさんの魅力を改めて語らなくても良かったのが一番楽でした。ーーそうですね。最初からツーカーでわかってもらえる。はい。最初のスタートは本当に小さなものだったんですけども、やっぱりフジコさんの魅力だったり、何かしら縁があってたくさんの人たちが集まってきて、結果的に今のような映画になったんです。ーー小松監督の力もありますね。いえいえ(笑)。それが多分映画の醍醐味だと思うんですよ。どの時代のどの作品も何か作りたいという衝動のようなものがあって、その被写体、モチーフが正しければ人たちは集まってくるし、映画は大変なことばかりで基本的には辛いことが多いんですが、それを超えた後に、こうやってこういうものができたりすると(パンフレットを手に取って見せて)、嬉しいと思ったりするし。ちょっと不思議な縁の連鎖に恵まれました。宣伝のところで協力していただけた黒柳徹子さんやミュージシャンの方たち、テレビ番組で取り上げていただいたディレクターさんが、実は小学校の時にフジコさんのコンサートに連れていってもらったことがあると嬉しそうに話してくれたりとか。フジコさんのことが好きだったりする人たちが集まってくれて、静かな映画なんですけどちょっと大きなスポットを当てていただいてるなと思っています。ーーすごく嬉しいですね。それでは最後の質問なんですが、改めて小松監督から見たたくさんの人たちを惹きつけるフジコさんの魅力とは?フジコさんの魅力は、世界を股にかけるピアニストでありながら、永遠の少女の感性を持っているところだと思います。老いていく部分に対してものすごく喧嘩を売っているところもカッコイイですね。ーー気持ちは16歳だと仰ってましたね。はい。いくつになっても純粋な心を持って世間を見ているというか、綺麗な心を持って目の前のことを見ている感じが、なかなかできることではないんだろうなと思うんです。ーー本当に素晴らしいですね。映画のご成功をお祈りしております。本日は貴重なお話をありがとうございました。■フジコ・ヘミング&小松荘一良監督の経歴フジコ・ヘミング(本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)プロフィール東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト、大月投網子とロシア系スェーデン人画家/建築家ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。(年齢非公表)。5歳の時、帰国。以来母の手ひとつで東京に育ち、5歳から母、投網子の手ほどきでピアノを始める。また10歳から、ロシア生まれドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツアー氏にも師事。クロイツアー氏は、「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」と絶賛した。青山学院高等部在学中、17歳でデビュー・コンサートを果たす。また、東京芸大在学中には、NHK毎日コンクール入賞、文化放送音楽賞など多数受賞。その後28歳でドイツへ留学。ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業。その後長年にわたりヨーロッパに在住し、演奏家としてのキャリアを積む。その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥーラ=スコダに師事。今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われる、ブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約するなどレナード・バーンスタインほか世界的音楽家からの支持を獲る。しかし「一流の証」となるはずのリサイタル直前に風邪をこじらせ、聴力を失うというアクシデントに見舞われる。失意の中、ストックホルムに移住。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を取得し、以後はピアノ教師をしながら、欧州各地でコンサート活動を続ける。1999年リサイタルとNHKのドキュメント番組 ETV特集『フジコ~あるピアニストの軌跡~』が大反響を呼び、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」をリリース。クラシック界異例の大ヒットを記録した。日本ゴールドディスク大賞のクラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤーを4回受賞。モスクワ・フィル、ロイヤル・フィルなど世界各地の著名オーケストラと共演。彼女と共演した際、世界的チェリスト ミッシャ・マイスキーは「あなたの芸術を賞賛します」と形容している。その他共演した多くのアーティストたちから絶賛されている。現在、ヨーロッパをはじめ、北米、南米、ロシアなど世界中からリサイタルのオファーが絶えない。年間約60本近くの公演活動で多忙を極める中、猫や犬をはじめ動物愛護への関心も深く、長年チャリティー活動も続けている。小松莊一良(こまつそういちろう) プロフィール映画監督・演出家。1964年、米LA生まれ。広島県呉市で育つ。高校時代より自主映画製作を始め、第4回ふくおか映画祭 作品賞・脚本賞受賞。大阪芸術大学映像学科入学後、さらに自主映画製作で注目され、第一回集英社ヤングジャンプ・ビデオフェスティバルなど国内外のコンテストでグランプリを受賞。27歳の時、異色の音楽ダンス映画『ハートブレイカー 弾丸より愛を込めて』で商業映画デビュー。ドラマの他にも、ミュージックビデオやライブ作品などの音楽映像も数多く、吉川晃司、藤あや子、VAMPS、湘南乃風、東京スカパラダイスオーケストラ、ケイティー・ペリー、コンパイ・セグンド(ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ)、WOWOW『氣志團万博』などを手がける。ドキュメンタリー作品でも一貫して音楽やダンスをモチーフにこだわり、ストリートダンサーの生態をリアルに描いた長編ドキュメント『∞~MUGEN』(05)などがある。2018年初夏、企画から立ち上げた劇場映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開。■映画『フジコ・ヘミングの時間』作品紹介6月16日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー公式ホームページ:fuzjko-movie.com監督・企画・構成・撮影・編集:小松荘一良出演:フジコ・ヘミング、大月ウルフ音楽:フジコ・ヘミングナレーション:三浦透子エグゼクティブ・プロデューサー;新井重人企画プロデュース:千葉広二プロデューサー:小室直子撮影監督:青木正サウンドトラック・プロデューサー:西尾勇哉ミキシング・エンジニア:坂元達也ライン・プロデューサー;佐藤裕武、小松上花宣伝プロデューサー:宮嵜永子製作プロダクション:祭製作:日活、ユニバーサルミュージック、祭り、スピントーキョー、読売新聞社助成:文化庁文化芸術振興費補助金制作年:2018年制作国:日本上映時間: 115分/カラー配給・宣伝:日活©2018「フジコ・ヘミングの時間」フィルムパートナーズ【シネマの時間】アートディレクション・編集・絵・文=諸戸佑美©︎YUMIMOROTO
2018年06月19日タレントの吉川ひなのが9日、自身のインスタグラムを更新し、第2子を出産したことを明かした。吉川ひなの吉川は、赤ちゃんを抱いた写真をアップし、「4人家族になりました」と報告。「#welcometotheworld #babyboy #彼」とハッシュタグが添えられており、男児を出産したようだ。吉川は、2011年9月に会社社長の一般男性と再婚し、2012年3月に第1子女児を出産。昨年9月に第2子妊娠を明かしていた。ファンからは「ひなのちゃんおめでとう」「ひなのちゃん!おめでとう」「ひなのちゃん 無事 出産 おめでとう今は体を労ってゆっくりお休みしてくださいね」などと祝福コメントが続々と寄せられている。
2018年02月09日歌手の吉川晃司(52)が1月21日、昨年7月に公表した左側声帯ポリープの治療で約1年間、歌手活動を休止することを報告した。 各紙によると、吉川は都内で行われた公演のアンコールで歌手活動休止を報告。その後でデビュー35周年の来年2月1日と2日に日本武道館公演を開催することを発表し、ファンの大歓声を浴びたという。 「不完全な状態でファンの前に出たくない吉川さんですが、活動休止は苦渋の決断だったようです。しかし声の調子が万全になったら、きっとさらにパワーアップした姿を見せてくれることでしょう」(レコード会社関係者) 吉川といえば、これまで規格外の数々の“武勇伝”が知られている。 広く知られた話としては、21日の公演でも披露したというお得意の「シンバルキック」で数回骨折したというもの。ほかにも85年の「紅白歌合戦」では、白組なのに真っ赤な衣装で酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場。観客に噴射しギターに火を付け、ステージにたたきつけて破壊するという“超絶パフォーマンス”で度肝を抜いたこともあった。 「もともと、デビュー前から“武勇伝”のオンパレード。広島の高校時代にどうしても芸能界入りしたくて、大手芸能プロに『広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す』と手紙を送り付けたそうです。実際に事務所スタッフが見に来て、そのまま芸能界入り。その後もキリがないほどの“武勇伝”があります。15年には映画でバイクシーンの練習中に片足を骨折。それでも骨折した片足をイスに乗せて、ツアーのステージに立ったこともありました」(ベテラン芸能記者) 復活後は新たな“武勇伝”に期待したい。
2018年01月22日●「摩季A」が「摩季B」を俯瞰する作詞論10月25日、東京アメリカンクラブで公益財団法人ボランティア団体「メイク・ア・ウイッシュ オブ ジャパン」の25周年記念パーティが開催され、テーマソング「Make A Wish」を無償提供した歌手・大黒摩季が表彰された。「メイク・ア・ウイッシュ」は、3歳から18歳未満の難病と闘う子どもたちの夢を叶え、生きるちからや病気と闘う勇気を応援するボランティア団体。アメリカ国内及び、プエルトリコ、グアムなどに69拠点があり、39カ国の支部で活動している。大黒摩季撮影:宮川朋久大黒は、「ら・ら・ら」「夏が来る」「熱くなれ」などのヒット曲のほか、長沼中学校の校歌やスカイマークの応援歌など依頼を受けて提供してきた曲も数多くあるが、これらは制作過程において決定的な違いがあるという。「夢」や「願い」を応援することは、歌手としてどのような意味を持つのか。彼女が1999年に出版した著書『ありがとうなんて絶対言わない』(祥伝社)。5つのテーマに沿ってデビューから振り返り、「現実」「コンプレックス」「恋愛」「孤独」に続いて、「夢」で締めくくられている。「夢を叶えるためには『自分の地図を書く』こと。そして、『自分の地図を書く』ためには、自分の声を聞くこと」。病気療養で2010年に活動を休止してから2016年に復帰した大黒は、同書から18年の歳月を経て、どのように「夢」を見据えているのか。「またマニアックなもの持ってきたね!」と同書を懐かしそうに笑い、インタビューがスタートした。○ミュージシャンは「何もない」存在――「メイク・ア・ウィッシュ」は、「夢をかなえる」がテーマとなっています。そこで今日は、1999年に出された著書『ありがとうなんて絶対言わない』をもとに話をうかがっていきたいと思います。18歳で札幌から歌手を目指して上京、その後の紆余曲折が克明につづられていました。その本はレアですよ(笑)。――(笑)。さきほど壇上での感想スピーチを終えたばかりですが、表彰されて率直にどう思われましたか?皆々さまの貢献と比べると、私は何をもって表彰されたのか未だによく分かってないんですよ。音楽の仕事って、「繋ぐ」以外に何もないので。好きも嫌いも関係なく、とりあえず「メロディー」という世界共通のもので「繋ぐ」。だから、表彰されたことが一体どのような意味を持つのか、細かく説明できてしまうと変だと思うんですよ。「Make a Wish」という曲を提供して、それをみなさんに歌っていただいたことで少しは貢献できたのかな。さっきね、小さいお子さんと……3~4歳ぐらいかな? パパが来て、「『ら・ら・ら』聴きながら、がんばってます。今は安定していますが、この子、小児がんなんです」と声を掛けられて。でも、そういうことなんですよね。私は命を救えるわけではない。生活を支えられるわけでもない。よくミュージシャンはカリスマ的なポジションになると勘違いしがちなんですけど、実は「何もない」存在なんです。もともと、私は自分を救いたい人。そのために「もう一人の大黒摩季」が書いているようなものなので。「何かを訴えかけたい」とか「誰かのために」とかではないので、逆にもらってばかりなんです。だから、表彰された理由も今ひとつピンとこないのかもしれません。「Make a Wish」という応援賞なのかな? 曲を作ってくれてありがとう賞(笑)。――大黒さんは今年でデビュー25周年を迎えました。「メイク・ア・ウィッシュ」も同じ25周年。運命的なものを感じますね。そうなんですよ。びっくりしました。本当にドンピシャの同級生。私が92年5月、「メイク・ア・ウィッシュ」が12月。きっかけは、『アロハガール』(07年9月放送)というテレビ東京の番組のハワイロケで「メイク・ア・ウイッシュ」のイベントに出演することになって。もう10年ぐらい前のことかな。――ブログには「ハワイの音楽に触れて自分の音楽性を再発見する」目的もあったと。毎年寄付金を集めている世界最大のロングボードコンテストに参加し、その年の寄付先が「Make A Wish Foundation of Hawaii」だったそうですね。ズルいって思われるかもしれないけど、旅行気分もありました(笑)。みなさんもよくありますよね? 「リゾート気分で仕事」ではなくて、「仕事の気分でリゾート」みたいに。もうお亡くなりになったんですが、北村(光餘子)さんというハワイの日系人DJのおばあちゃんがいて。日本人向けのFM(『KZOO』)をずっと担当されていました。ロケでお会いして、私のことをかわいがってくださいました。戦時中から音楽を聴き続けている、耳の肥えたおばあちゃん。「そういう一生懸命で真っ直ぐな部分を忘れないでね」と言ってくれた方でした。当時、私がちょうどデビュー15周年を迎えたこともあって、節目に何か挑戦してみようと思って。それがサーフィンでした。かたや自分の中では、休み時間に北村さんのところに行って、音楽的にもリセットしたいと思っていて。○「ピンチはチャンス」の救世主――それから10年。「Make a Wish」を作ってよかったと思えるのは、どのような時でしたか?曲を作ってよかったと思えるのは、曲が愛されているのを実感する瞬間だけなんです。「Make a Wish」は、やっぱりパシフィコ横浜(08年5月)ですかね。みんな「メイク・ア・ウイッシュ」のタオルを掲げてくれて。あの時は感動しましたね。――どのような経緯でタオルを配ることになったんですか?大野(寿子)さんと「メイク・ア・ウィッシュ」を一緒に世の中に広めようという話になって、「摩季さん! お願いします!」と言われたんですが、その時は自分の小さな会社で慎ましく生きていたので、できることといったらお客さまと一緒にライブで共有して、そのお客さまに拡散していただくことぐらい。もっと何かできないかと困っていた時、サーフブランドのクリムゾンさんがタオルを作ると提案してくださって、お客さま全員に提供してくれたの。「客席が「メイク・ア・ウィッシュ」のタオルで埋め尽くされたら盛り上がりますよね?」と言ってくださって。本当にありがたかったです。――写真一枚だけでも、現場の盛り上がりと一体感がすごく伝わります。はい。私がすごく大好きな人たちの思いが詰まってる。「ピンチはチャンス」というか、困っている時にいきなり救世主って現れるんですよね。そこから思いもよらないアイデアが生まれたり。お仕事されててもそうじゃないですか? 困ったなと思った時に誰かがポロッと口に出したことで「いただき!」みたいな。それって最高に気持ち良いですよね。エンターテイメントの喜びって、ドキドキとワクワクだから。あの時も、予算もなくて「映像出してみる?」ぐらいのアイデアで行き詰まっていたんだけど、クリムゾンさんが「みんなでタオルを振ろう」と言ってくださったおかげ。本当に太っ腹! 私のファンの方々、すっごく純粋で純朴な方が多いので、サッカーの代表戦みたいな雰囲気になりました。○数カ月かけてアンケートを熟読――大黒さんは応援ソングを数多く手掛けてこられました。そうやって求められることについてはどのように感じていますか? 歌手活動をする上で、「誰かの心を動かしたい」という思いもあるのでしょうか。全然思ってないです。自分を救いたいだけですから(笑)。不器用で意地っ張りで、そのくせちっちゃいプライドで意固地。好きな子に「好き」という前に、すごくかわいい子に奪われるとか。ゲリラ戦で最後に失敗するみたいな。踏んだり蹴ったりの人生なんですよ(笑)。それを、「摩季A」が「摩季B」に対して「こう考えればいいんじゃないの?」みたいに自分を俯瞰して。それは、「ダメな私」に対して。そんなことを人に言われると、カチンと来るじゃないですか。だけど、自分から自分に向けたものであればそうはならない。それが私にとって日記や歌詞だったんです。だから女子が「私も」と共感してくれる。「自分のため」だから。女子がお腹にためてるものをワーッと、一緒に吐き出してるだけ。だから、「大黒摩季」なんて全然カリスマじゃなくて、隣のお姉ちゃんとか、妹とか地元にいる人。その程度の存在なんです。――そういう親近感が共感につながる、と。でもね。「親近感」は遠くから感じるもの。遠いとか近いとか。私は本当に一緒に並んでいる気持ち。だからライブをしてもそう。「お互い歳とったね」とか、「とりあえず今日のライブの目標は完走だね」みたいな感じだから(笑)。同じ時代を一緒に生きてきた同志。B’zの稲葉さんは、みんなが憧れる人で、王子でもあるし、ヒーローでもある。でも、私は「摩季姉聞いて!」みたいな立ち位置。――応援歌などの提供曲とは、また違うわけですね。例えば、「ゆうあいピック」(全国知的障害者スポーツ大会)で知的障害の子たちの応援ソング。私はその子の母になったこともないし、家族にもなったことない。だから私は、絶対に主観では書かないんです。すべて取材します。――そうなんですか! そもそもの作り方が違う。はい。フレーズは自分から出てくるけど。明治安田生命さんの社歌や長沼中学校の校歌は、そこで働く人、先生や子どもたちから何百人のアンケートをとるの。――どのようなことを質問するんですか?自分たちが毎日歌うにあたってどのようなものがいいのか。元気なフレーズがいいのか、癒やされるものがいいのか。それから、その街でいちばん好きな風景はどこか聞いたり、その学校の好きなところを聞いたり。逆に、「嫌いなところはどこですか?」とか。そういう膨大なアンケート結果を何カ月もかけて読み倒すんです。――それだけ多くの声を聞いてしまうと、1つにまとめるのは相当大変そうですね。でも、私が知ったかぶりで、ネットで調べたようなことでまとめた方が嘘っぽいと思わないですか(笑)? だからロケハンも4~5回行きます。その街の人が好きな場所があれば、見て感じてみたい。昭和のおばちゃんなんですよ(笑)。――なるほど(笑)。触ってみなきゃ分からない。ネットで調べても情報しか分からないから。そこの空気は冷たい? 温かい? そういうのが気になってしょうがないの。●病気療養から復帰後に気づいた変化――ずっとそのスタイルなんですか。そうですね。体感型。自分のことは何人たりとも入れないぐらい自分でやりますけど。頼まれたものに関しては誠意を持って。お見合い相手だって、みんなそうやって調べるでしょ?――そうですね(笑)。何なら探偵頼んじゃうよ(笑)。覚悟や責任って、そういうことだと思うんですよ。――「Make A Wish」はどのように作られたんですか?あれはその場で作り上げたもの。まずは「メイク・ア・ウィッシュ」の理念をサーファーの親分や、ボランティアのアメリカ人に中学英語ぐらいのレベルで必死に聞いて(笑)。英語バージョンと日本語バージョンを書きました。バンドのメンバーにはアメリカ人とか、ハワイのロコと中国人のハーフとか、人種もさまざま。「日本人の摩季」みたいに、「~人の」と続く歌詞にはそれを伝える意味もあって。パールハーバー近くのスタジオ。それだけでグッと来ちゃいましたよね。歴史のこととか、みんなと繰り返し、毎日毎日話していくうちにシンプルな言葉だけど、どんどん濃縮されて。メイク・ア・ウィッシュの直訳だけど、「願うことからはじめよう」。みんなの言葉やしゃべってる時のフィーリングで、「こういうことなんだろうな」というのをポン、ポン、ポンと置いていったら線になった感覚。フィーリングで作れる曲と、ヒアリングしてしっかりデータをとってロジックで作ってハートを織り込むパターンと。応援ソングの作り方にも細かい違いはありますが、結局最後はすべてハートが決め手にはなるんです。ハートとフィーリングで作って、後からロジックを足す場合もあるし。「Make A Wish」は、ほぼフィーリングのまま出来上がっちゃった。すごくヒューマンな曲ですよ。○「自分と大黒摩季のギャップ」から18年……今は?――過去の取材記事をいくつか読んできたのですが、「みんなが大黒摩季を作る」とおっしゃっています。今から18年前のこの本でもそのことが書かれていて、「自分と大黒摩季のギャップを楽しんでいる」とありました。今はいかがですか?あれから18年経つと、ギャップが埋まっているのでどっちがどっちか分からない(笑)。ギャップを埋めようと努力していたらギャップが無くなっちゃって、どっちがどっちか分からなくなっちゃって、今は「家庭のある身の大黒摩季」だったりするから。外にいる私が個人の大黒摩季だったり。ライブのMCも、ここでしゃべってるような感じになっちゃったりして、スタッフからは「少しはカッコつけましょうよ」とか言われる(笑)。だからね、今はもうギャップないんです。ほぼね。――楽曲作りにおいて、ギャップの有無はどちらの方が適しているんですか?どっちなんだろう。私はギャップをご褒美だと思ってますけどね。みなさんもそうだと思います。例えば、鈴木ちゃんという女の子がいて、上司や周りが思っている「鈴木ちゃん」を演じなきゃいけない。そんなことは誰だってあると思います。リクルートスーツ着て、なんで毎日ヒールはかないといけないんだろうとか。上げ底のスニーカーの方が走りやすいのにとか。それでも彼女は、ここにいようとする。でも、そこをウマイこと折り合いつけられないものかと。時折ヒールをはいて驚かれたり、時折上げ底で走って部下を引き連れたり。「そんな私でありたい」を続けると、気がついたらイケてる女になっていたりするもんじゃないのかなって。――いつ頃にギャップが無くなったと感じたんですか。病気が治って、去年帰ってきてからです。つい最近ですね。体の調子が戻ってきたの、最近だから。6年も普通の生活を送っていると、何がギャップなのかもわからなくなったというか。だから、周りに聞いたんですよ。大黒摩季ってどうやってたんだっけ?って。歌わない大黒摩季は、ただの人ですからね。八百屋さんにジーパンで行って、髪の毛束ねてると誰も気づきませんから(笑)。――病気療養中、吉川晃司さんからオファーがあったそうですね。そうそう。アルバムのコーラスを頼まれたんですよ。全然歌ってなかったから、「今までのような声、出ないと思います」と伝えたんですけど、「自転車は一生乗れるものだよ」と言われて。吉川さんにディレクションされているうちに、徐々に「大黒摩季」を思い出しました。大黒摩季はハリがあって、地声が尖っていて、波形だとこれぐらいでみたいに全部説明してくれたんです。最後にビブラート大きくかけてとか。そうやって、「あっ! 大黒摩季に似てきたね!」って(笑)。○「自分の地図」と「三点方式」の変化――そんな裏話が(笑)。さて、「夢」に関連しての質問なのですが、著書には「夢を叶えるためには『自分の地図を書く』こと。そして、『自分の地図を書く』ためには、自分の声を聞くこと」。また、ご自身の夢については、「最終地点=自分の夢の最終目標」「現在の地点=今の状況」「その間の地点=最終目標までの小さな、そして近い目標」の三点方式で考えるとありました。今現在、この三点方式でどのような地図を描いていらっしゃるのでしょうか。若い時はもっともらしいこと言うんですよ(笑)。難病のお子さんたちも含めると、計画的に目標の時期を決めるというのは切ない話ですよね。何年後と決めていても、必ずズレてしまうんだから。今の私ぐらいの歳になったら、ズレてもいいと思ってくる。好きでそっちを選んだ結果なわけだから。でも、遠回りでも望んでいれば遠回りじゃない。バックしていてもそっちの方に行きたければ、それは進行方向なわけで。向かい風といっても、後ろを向けば追い風。その先の方向を変えればずっと追い風だから。――その状況の受けとめ方次第ですね。はい。環境と運命は変えられないから、言葉を作り変えて、屁理屈にも似たポジティブが大黒摩季だと思っているので(笑)。言葉でその気になると今日の目線が変わる。目線が変わると、景色も変わってくるでしょ? 流されてるんじゃなくて、そこに飛び込んで流れてると思えば、「自分の意志」になる。そうすると、憎々しい人も減るじゃないですか? 人のせいにしたり、人を憎むと体に毒がたまりません?――そうですね。嫌いな人でも良いところ見てみるとか。はい。あの人のお陰で、いい人のことが分かったと思えばいいじゃない(笑)。すごいイヤなやつでも。三点方式の話もそうですが、脳みその「逆算的な考え方」は変わってないんですよね。自分がやりたいことを言っても、だいたいの業界人から「絶対に無理」という言葉が返ってくるんだけど。――最近、そういうことはありましたか?「Lie,Lie,Lie」というシングルのビッグ盤、A4盤を作ったんです。別名「裸眼盤」。小さい文字が見えなくなるんですよ、本当に。老眼鏡かけてもなお、文字が小さすぎて見えない! みんなの大事なクレジットが、ただの線に見えちゃう。バックコーラスをやっていた頃、私たちの時代は自分のクレジットが載っただけで、次のレートが上がるんですよ。クレジットって、すごく大事なことなんです。だから、次に自分が業界に戻る時、「私のためだけでもいいから裸眼盤を作る」と心に誓っていて、本当に作ったんです。――周囲は当然反対するわけですよね。でも、それを押し切って。店頭も場所を取ってしまうから、あまり好まれないみたいで(笑)。ビッグ盤1枚でCD4枚分ぐらい置けるから、嫌がられるんですよね。でもね、激しく売れ行きが悪いわけでもなく、中高年のファンの方々が喜んでくださいました。「ほら、ご覧なさいよ!」です(笑)。デザイナーやカメラマンも、「摩季姉、最高!」って喜んでくれました。だから、やってできないことってないんですよね。めげてしまう人は、説明するのが面倒臭いだけだと思う。私は分かってもらえるまで説明します。諦めてるんじゃなくて、めげてる。私はその点、あきらめの悪い女なので。――『情熱大陸』(16年11月放送)でも、そうおっしゃっていました。本当に不可能になるまでやめませんから。私、しつこいんですよ。だからマネージャも根負けする。47都道府県ライブも「絶対無理」って言われたのに、ほらできている。しかも80本になってるよ(笑)? そうやってうれしいハプニングが起こるほうが、動いてもないのにつまずいて、それをハプニングと呼ぶより、よっぽど気持ちが良いじゃないですか。だからきっと、夢を叶えるためのマテリアルは好奇心と気分。だって、見たいんだもん。触りたいんだもん。行きたいんだもん。作りたいんだもん。どうしても(笑)。――そうやって、人と夢の架け橋になっているのが今回のプロジェクトですね。もう本当にすごい人たちだと思います。願いを叶える手伝い。私はビジネス的な面もありますが、みなさんは気持ちで全部やってくれるんですよ。なんて良い人たちなんでしょう。だからお子さんたちはそのラッキーをキャッチしたら、お隣の子に「メイク・ア・ウィッシュ」を教えてあげて。そうやって、ラッキーをどんどん広げていけば、きっと笑顔もポジティブもスパイラルしていく。●ボランティア参加者が拍手を送った表彰式スピーチこのインタビューの直前、「メイク・ア・ウイッシュ オブ ジャパン」の25周年記念パーティーで壇上に招かれた大黒は、申し訳なさそうにマイクの前に立つとボランティア活動や同曲に込めた思いを吐露。スピーチに耳を傾けていたボランティア参加者からは温かい拍手が送られていた。○病気で歌う夢を絶たれて私のような者が皆様を差し置いて恐縮なんですけども、すごくうれしいです。25周年、まずはおめでとうございます。大黒摩季と「メイク・ア・ウィッシュ」はドンピシャの同級生なんです。大黒摩季のデビューは92年5月27日。その年の12月に「メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン」が設立されました。縁は想像を超えて、勝手につながっちゃうものだなとすごく思っています。テレビ番組企画で、歌手デビュー15周年を機にハワイでメイク・ア・ウィッシュのイベントに出演することが、突然決まったんです。泳げなくて水恐怖症だったんですが、サーフィンをすることになって。テレビは私を死なせないと思ったので挑戦することにしました(笑)。ワイキキにレジェンドサーファーがいて、すごくおっかなくて悪そうな人なんですが(笑)、ハートがすごくピュアで。その人が「メイク・ア・ウィッシュ」というチャリティーイベントをやると。「摩季は歌手でしょ? ハワイの人たち、子どもたちにも全部つながるはずだ」と、チャレンジさせられました。「Make a Wish」はそのハワイで作った曲。日本人の私以外には日系人やアメリカ人、その他にもいろんな人種の方がいて。そして、パールハーバーには歴史がある。そこで歌を作ることになったんですが、何よりもメイク・ア・ウィッシュという言葉が好きでした。私の北海道の実家はパン屋さんで、商売でワサワサした家で。幼いころ、さびしい時もあったけど、音楽を聴いている時だけは「メイク・ア・ウィッシュ」だったんです。だから、危うく積木くずしになるところを夢や希望の力だけで、ギリギリこうして音楽のロックというところに帰って来ることができました。夢の叶え方はブルース・スプリングスティーンに教わり、人としてサバイバルすることはボブ・ディランに教わり、何かに反発する時は物を壊すのではなく「ハートで行け」というのをローリングストーンズから教わり。そんなことを思い起こさせる言葉だと思います。サーファーの人に「歌手でしょ?」と言われて「このオヤジ!」と思ったんですけど(笑)、「一緒に歌詞を作ろう」と。だったらバンドは、そこに住んでいるすべての人種で。この時のライブには、大野(寿子)さんと一緒にメイク・ア・ウィッシュのチームとサーファーチームと一緒に出て、会場のみなさんとメイク・ア・ウィッシュのPRをしました。クリムゾンさんというメーカーさんがタオルを提供してくれて。ハワイ人、スペイン人、アメリカ人、日本人のバンドを作って、出来上がった曲はすごくヒューマンでボーダレスな曲になりました。その時までは協力する側だったんですが、6年間病気をして歌うことも絶たれてしまって、夢も希望もなくなった時。その時の「メイク・ア・ウィッシュ」が、「もう1回歌いたい」でした。そう思っている時に、吉川晃司さんが「大黒くん、君の声が欲しいから出てきなさい」と言ってくれて(笑)。きっと昔の声は出ないと思ってたんですが、「大丈夫だよ」という人が一人でもいたら、ちょっとだけ、半歩でも進める。今日より明日。明日がつながっていくと未来になる。こうして去年の8月に無事復帰させていただきました。私は企業の方々のように、コンスタントに何かを提供してきたわけではないのですが、メイク・ア・ウィッシュを作っているみなさんとお子さんももちろんなんですけど……私のファンの人たちは8割が女性で。この間も、「お母さんの介護がずっと大変だったけど、やっと3時間空けられるようになったから元気をもらいにライブに来ました」という方がいました。きっと私のミッションというのは、そうやって夢を叶えるお手伝いをしているメイク・ア・ウィッシュのみなさんやお子さんたちの周りを盛り上げる役なんだなと、今はちょっと実感しています。メイク・ア・ウィッシュという希望の力がこれからもずっとつながって、「POSITIVE SPIRAL」という曲があるんですが、Change of Smile……笑顔をみんなでシェアできますように。そして、ネガティブスパイラルじゃなくてポジティブな気持ちがスパイラルしていきますように。そういうメイク・ア・ウィッシュになってもらえればなと思っています。これからもみなさんが困ったら「Make a Wish」を歌って、"不器用な言葉"を超えていければなと思います。これからもどうぞよろしくお願いします。応援しています!■プロフィール大黒摩季札幌市内の高校を卒業後、アーティストを目指して上京。スタジオ・コーラスや作家活動を経て、1992年「 STOP MOTION」でデビュー。2作目のシングル「DA・KA・RA」をはじめ「チョット」「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」など立て続けにミリオンヒットを記録し、1995年にリリースしたベストアルバム『BACK BEATs #1』は300万枚を突破。2010年に病気治療のためアーティスト活動を休止。その間、地元・北海道の長沼中学校に校歌を寄贈、東日本大震災により被災した須賀川小学校への応援歌・歌詞寄贈、東日本大震災・熊本地震への復興支援など社会貢献活動を行う。アトランタ・オリンピックや「ゆうあいピック北海道大会」のテーマソング、アテネ・オリンピックの女子ホッケー・チームのサポートソング、2015年には再生に向けたスカイマーク・エアラインに応援歌を提供するなど「応援ソング」には定評がある。2016年8月、ライジングサン・ロックフェスティバルでの出演を皮切りに、故郷である北海道からアーティスト活動を再開した。
2017年12月13日2018年1月2日(火)に放送されるTBSの新春ドラマスペシャルが、高嶋哲夫・原作の「都庁爆破!」に決定。長谷川博己に吉川晃司、リリー・フランキー、寺島しのぶ、渡部篤郎という超豪華キャストが競演する。原作は、2001年9月11日米同時多発テロの直後に発表された、「TSUNAMI 津波」「富士山噴火」などで知られる高嶋哲夫による「都庁爆破!」。世界中いたるところでテロが起きている現在。人々の日常を引き裂き、家族の絆を、愛する人たちを引き裂くテロ。もしも、東京で起きてしまったら…?大切な人が巻き込まれてしまったら…?本作ではクリスマスイブの日、都庁が突然火を噴き、展望台にいた客がテロリストたちに人質に取られる。都庁を爆破したテロ組織は日本政府に要求を突きつけるが、未曾有の事態にどう対応するのか、政府と東京都は対立。刻々と迫るタイムリミット…。家族を人質にされた1人の男・元自衛官の本郷裕二は妻と娘を助けるため、テロ組織に挑み、テロリストたちに立ち向かう!自分は家族をこの手で幸せにできるのか、自信をなくしていた本郷。しかし、テロによって家族の愛しさ、尊さを痛切に感じ、テロリストたちと戦う強さを得ていく。彼はテロリストに引き裂かれた家族の絆を取り戻すことができるのか?■長谷川博己、妻と娘を救うためテロリストに立ち向かう元自衛官で、爆弾処理隊の隊長だった本郷裕二を演じるのは、『シン・ゴジラ』でも主演を務めた長谷川さん。「人の命を守りたい」「国を守りたい」という強い思いで自衛官になったが退官し、人生に対し熱意がなくなり失意の中にいる自分が、妻と娘を幸せにできるのか、と悩んでいる、という役どころ。爆破された都庁に潜入する。「PKO活動中に起きた事故により心に傷を負い、本来の職務から離れた元自衛官の役です。虚無感に苛まれた本郷が、東京で起きたテロにより、家族や人、そして国家に対する思いがどの様に変化していくのか、役を通して私自身も体験していきたいと思います」と長谷川さん。「目を背けたくなる現実を前にしたとき、人々はどういう選択をするのか?決して他人事ではないこの悪夢は、視聴者の皆様にも問いかける作品になるのでは」と見どころを語り、「新年早々、過激で、息もつかせぬエンターテイメント作品をお見せできるようスタッフキャスト一丸となって努力したいと思います」とアピールする。■吉川晃司、頭脳明晰な米・国防総省情報次官吉川さん演じるケイン高村は、アメリカで生まれ育った日系三世で、米軍、CIAを経て、米国国防総省の担当情報次官。かつてイラク派遣時に本郷(長谷川さん)が彼の部下を助けて以来、友人関係にある。頭脳明晰。冷静沈着。今回、ある情報を得て日本を訪れ、友人である本郷と行動を共にする。長谷川さんとは共演はあるものの、がっつりと組むのは初という吉川さんは「彼の持っている色はちょっとアーティスティック。カッコイイヤツだなあと思ってたので、今回一緒にやれるのが楽しみ」という。「僕が演じるケインはちょっとねじれてた方がいいかなと思っています。日本で生まれ育ったわけじゃないので『和を以って貴しと為す』ようなところはないんじゃないかな」と自身のキャラクターについて言及し、「国の舵を取る方たちにぜひ見ていただきたいですね。こういう世の中ですから、みなさんがスカッとするようなドラマになるといいな」と期待を込めた。■寺島しのぶ、都民第一の都知事大池由紀子は総理に対する東京都知事。強い女性政治家像を打ち出し、圧倒的な支持率を武器に、常識にとらわれない政策を次々と打ち出している首都東京の顔。そんな強い女性リーダーを演じた寺島さんは、「性別に関係なくリーダーになるということは大変な責任があることなのだと実感しました」とコメント。「お正月から危機的なドラマですが、そこの裏にある人間それぞれの模様を視聴者の方に読み取っていただけると幸いです」と視聴者にメッセージを送る。■リリー・フランキー、テロ対策の主導権を握ろうとする総理政治家一族に生まれた内閣総理大臣を演じるのは、リリーさん。都民人気におされた都知事の強硬姿勢に辟易しており、テロ対策の主導権を自ら握ろうとするという気になる役どころだ。■渡部篤郎、国際的テロリストそして国際的なテロリスト集団「IF」の中心人物で、狂信的な支持者を集めるテロリストを演じるのは、渡部さん。カリスマ的な統率力を持ち、これまでにも数々の国際的なテロを企ててきたという危険な男に扮する。「日本ではあまり考えられない題材ですが、海外ではよく見かける題材だと思います。リアリティをどう見せるかが、出演者、スタッフの力の出しどころだと思います」と渡部さん。「実際にはあってはならないことですが、エンターテインメントとして、見ごたえのある作品にしたいと思います」と気合い十分。新春らしく超豪華キャストが顔を揃えた本作。テロが起きたとき、“大切な人を守る”とはどういうことなのか?“平和を守る”とは?さまざまな問題を親子愛、夫婦愛、友情が乗り越えていくエンターテインメントドラマとなりそうだ。新春ドラマスペシャル「都庁爆破!」は2018年1月2日(火)21時~TBS系にて放送。(text:cinemacafe.net)
2017年11月13日今注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回登場してくれたのは、5歳から子役として活躍していた吉川愛さんです。5歳から子役として活躍。引退期間を経て、再び女優の道へ!ドラマ『愛してたって、秘密はある。』で演じた、ミステリアスな女子高生役が記憶に新しい吉川さん。実は学業に専念するために昨年引退しており、この作品が約1年ぶりの復帰作に。「引退期間中は勉強を頑張りつつ、初めてのバイトも経験。また演技をしたいな…と思い始めた矢先、スカウトされて。今、とても新鮮な気持ちでお仕事させてもらっています」。クールな役を演じることが多いけれど、素顔は?「周りの人いわく、テレビでの顔とは違うって。自分ではクールなつもりなんですけどね…(笑)」愛犬と戯れるのが一番の幸せタイム。パピヨンとミニチュアピンシャーの女の子。見事に性格が違って面白い!ドキンちゃんの大ファンです!好きすぎて、テレビはもちろん、映画も観ます。一途でかわいいの。セレーナ・ゴメスのグッズを集めています。彼女のルックスや歌声が大好き。昨年の初来日公演も行きました♪よしかわ・あい1999年生まれ。映画『ひみつのアッコちゃん』、ドラマ『ホタルノヒカリ』や『あまちゃん』など数々の作品に出演。※『anan』2017年10月4日号より。写真・土佐麻理子文・間宮寧子(by anan編集部)
2017年09月30日仕事やライフスタイルをはじめ、変化が多く人生の転機が訪れやすいANGIE世代に贈る、人生を思い切り楽しむコツ。最終回となる今回は、「吉川ひなの流・ネガティブ気分の切り替え方」と題して、好きなことややりたいことはあるけど、「周りの目や失敗が怖くてあと一歩勇気が出ない……」という人のために、人生を切り開くテクニックをご紹介します。「反対意見も受け入れる覚悟」から始まる、円満な夢の叶え方「ハワイが好き!だから住みたい!」という気持ちからハワイ移住を実現させた吉川さんですが、第1回目で「周りからの反対も多かった」というお話がありました。 —自分が好きなことは周りにも応援してもらいたいものですよね!吉川さんはどうやって周りの理解を得ていったのですか?コツみたいなものがあるのでしょうか?「コツといえるかはわからないですけど、まずは正直にそのとき思うことを話すことかな。周りの人の反対意見も覚悟のうえで。そういうのもきちんと受け止めて、『でも私、それでも頑張ってみたいから』って伝えるんです。それともうひとつは、覚悟を持つこと。失敗しても人にどう思われても良いっていう、勇気みたいな。失敗するかもしれないけど、そうなったらそうなったときの私が考えて解決をしていくだけ!今はそうなってないからその解決策は浮かばないけど、そのときはきっとできるし大丈夫。全責任取りますっていう勇気で挑むんです!」なんてカッコイイんでしょう!常に自分の発言と行動に「覚悟」と「勇気」を持っているという吉川さん。ふんわりと愛らしい見た目からは想像できないほど、生き方は男前です。ネガティブな気持ちには原因がある!自分を客観視する力—とはいえ、人間誰しも落ち込んだりすることもありますよね。うまくいかなかったときや、ネガティブになったときはどうやって気持ちを切り替えていますか?「嫌なことが起きたときや、自分がネガティブな状態のときって、必ずその原因が自分のなかにあると思うんです。だからその原因を真面目に探します。今嫌な気持ちになっているのはこういうことがあったからで、それが起こったのはこんなことが理由だったよね……というふうに。そうすると必ず原因が見つかりますね。あとは、『これは本当の私じゃない!』って気付いて直すようにもしています(笑)。悩んでるときってつい、自分が根っからのネガティブ人間な気がしてきちゃうけど、『え!違うじゃん!私はもっと楽しくて、もっとキラキラしたことを考えられる人じゃん!』ってポジティブな方向に目を向けるようにしています」悩みの原因を探って解決しようと努力するだけでなく、「こんなの私じゃない!」と自分を客観的に見るという新鮮なアイディアを提供してくださった吉川さん。“理想の自分”というブレない軸があると、自分にとって必要なものが自然にわかるので人生が生きやすくなるのかもしれませんね。いつも気分良く♪ひなのさん流・スイッチ切り替えテクさらに吉川さんから、頭ではわかっていても悩みやネガティブな気持ちを払拭できないときには、「副交感神経を優位に高めてリラックスできる瞑想がおすすめ!」と教えていただきました。詳しいやり方を伝授してもらったので、みなさんもぜひ取り入れてみてくださいね。<吉川ひなのさんおすすめ♪瞑想の方法>1.なるべく静かな場所で自分の一番気持ち良い座り方で目を閉じる2.深い深呼吸を繰り返す時間は最短で5分間〜でOK。呼吸に集中して何も考えないようにすることがコツだそうです。吉川さんいわく、瞑想は気持ちを切り替えるだけでなく、自分自身の状態を見つめるのにも役立つそう。「あっという間に5分経つときもあれば、アラーム間違えて10分にセットしちゃったかな?と思うほど長く感じるときもある」というように、モヤモヤした気分のときほど瞑想タイムが長く感じるといいます。3回に渡ってお送りした、吉川ひなのさんに学ぶ「人生を思い切り楽しむコツ」はいかがだったでしょうか?クルクル変わる表情と、ときに力強く語る吉川さんはハッピーオーラ全開♪お話をしているだけでこちらまで笑顔になれたと同時に、「もっと素直に生きて良いんだ!」という勇気をもらえました。このお話が悩めるANGIE読者のみなさんの肩の力を抜き、明るい未来を目指すためのヒントになることを願ってやみません!撮影:石田祥平
2017年08月08日仕事やライフスタイルをはじめ、変化が多く人生の転機が訪れやすいANGIE世代に贈る、人生を思い切り楽しむコツ。第2回目となる今回は、吉川さんのライフワークともいうべき「ヨガ」との関わり方について。ヨガの国際的なトレーニングを修了し、さらに2017年4月には、ヨガ界に大きな貢献を果たした女性に贈られる「ベスト・オブ・ヨギーニ」を受賞した吉川さん。まさに自他ともに認めるヨガマスターの彼女に、好きなことをとことん追求することで見えてきたものを教えていただきました。おすすめされたからやってみる!素直さが明るい人生の鍵に—今や、「ヨガといえば吉川ひなのさん!」というほど本格的なヨギーニのイメージが浸透していますが、そもそもヨガとの出会いはどんなものだったのですか?「元々、体作りのひとつとしてホットヨガをやっていたんですが、あるとき、スポーツ関係のお仕事をしている年上の友達に『ホットヨガしてるなら、ヨガも絶対向いてるから、ちゃんとやってみるといいよ!』みたいなことをいわれて。『信頼してる彼がいうんだからそうなのかも!』って思って始めてみたんです」ヨガにハマったきっかけは友達のアドバイスだったんですね!他人の意見を素直に取り入れる柔軟な姿勢が、吉川さんの人生を明るいものしていることがうかがえますね。—本格的にヨガを始めてから5年だという吉川さん。吉川さんにとって、ヨガの魅力とはどこにあるのでしょうか?「私にとってヨガは、一生かけてする“修行”みたいな感じなんです。呼吸がすごく大事で、どんなポーズでも深く深呼吸をするんですけど、これが自分的にはすごく辛い。今の自分のベストであり、限界かな?ぐらい頑張りながら、いかに平常心を保った深い呼吸ができるかっていう修行なの。これって人生にも通じているような気がしているんです。どんな状況や状態でも、誰にどういわれたり思われたりしても、それに振り回されずに私を幸せにすることだけを考えるのって、人生における理想ですよね。だからヨガをすることで、自分自身がすごくポジティブに変わりました!」—ヨガを始めて、いつからそんなふうに思うようになったのでしょうか?何かきっかけがあったのですか?「最初は、どうやったら美しいポーズを取れるかな?ってことばかり考えていたけど、2016年の1月にヨガのティーチャーズトレーニングに参加してから、考え方がガラッと変わりました。ハワイ島の電気も水道も通ってないジャングルに、3週間ぐらいこもって毎日ヨガをしました。そのときの先生の話がどれも本当に深くて、マインドがものすごく変化しましたね」—ジャングルで3週間ヨガ漬け!本当に好きでないとできないことですね。そこではどんな変化があったんでしょうか?「今まで自分が持っていた価値観が崩れました。これまでは欲しいものをたくさん持つことで簡単に幸せになれるような気がしていたけど、実はそれって全然幸せじゃなかったんだって。ジャングルの中って何もないけど、『そんな中でもいつだって自分で自分を幸せにできるでしょ』っていわれたんです。それで、『そっか、幸せって自分のマインド次第なんだな』ってハッて気付いて……」自分が変わると周りも変化する!「幸せは自分次第なんだ」そしてその変化から、さらなる嬉しい変化があったといいます。「自分が変わることで、周りの人や環境も変わりました!昔は問題があると『あ〜、どうしよう』って悩んだり焦ったりしてたんですけど、今は、『全然解決できるっしょ!』って切り替えられるようになったんです。そういう落ち着いた精神状態を一番喜んでくれているのは、彼(旦那さん)なんです。だから、普通なら行ってほしくないであろう3週間のヨガ修行も、『君にとってプラスになると思うから協力するよ』って応援してくれました(笑)」好きなことをやると人は、ワクワクします。そしてそんな気持ちも持ち続けて究めていくと、吉川さんのように自分が変わり周りや環境に良い変化が起こり、ハッピーの好循環が生まれるんですね!今好きなことや、やりたいことがある人はきっとこのお話に背中を押されたのではないでしょうか?それでも、「周りの目や失敗が怖くてあと一歩勇気が出ない……」という人のために、第3回では「吉川ひなの流!周りから応援を得ながらやりたいことをやる方法」をお届けしますので、どうぞお楽しみに〜♪撮影:石田祥平
2017年08月05日モデルとして活躍後、ヨギーニとして世界中の人々を魅了し続けている吉川めいさん。出産、子育てを経て、ますます美しく輝く吉川さんの生き方、暮らし方は、シンプルでストレスフリー。頑張り過ぎないからこそ、キレイでいられるその秘訣を聞きました。吉川めい【コンセプトスタジオveda主宰。2015年からadidas Japanヨガモデル・契約ヨガトレーナー】1994年モデルデビュー。数々のファッション誌、テレビ等で活躍。2001年、ヨガと出会い、2006年、日本人女性初のアシュタンガヨガ正式指導資格を取得。2011年、コンセプトスタジオ veda(東京・南青山)をオープン。レギュラークラスの他、本やDVDなど様々な媒体を通して身体的なメソッドだけに留まらないヨガを伝え、日本のヨガ、健康、そしてライフスタイルを牽引し続けている。1児の母。HP: 自分らしいストレスフリーなバランスとはめいさんは、国内外のレッスンやセミナーなど多忙を極めていますが、仕事と育児のバランスをどのように取っているのでしょうか?「誰でもそうだと思うのですが、楽しんで何かをやっている時が一番輝いていられると思うので、仕事も育児も、自分が楽しくできるスタイルを大切にしています。20代の頃は、自分が楽しく過ごすにはどうしたらいいのだろう?とわからないこともありましたが、そんなときは、難しく考えずに『ストレスになることを選ばない』方法をとってみました。『ストレスになることをしない』を日々少しずつでも繰り返して、最終的に残ったものが、自分らしいストレスフリーなバランスでした。また、手放すことで、自分にとって必要なものもクリアになって、どんどんシンプルに楽になりました。」自分自身が楽しむことに罪悪感を抱かないために「例えば、子どもを預けることに罪悪感を抱いてしまう人は多いですよね。でも、その罪悪感は自分自身が生み出しているものなので、解消するのも自分次第だと思います。子どもも、我慢をしているママが好きなわけではないのだから、きちんとコミュニケーションをとれば、きっと理解してくれます。私は、これは自分でやると決めたこと以外は、いろんなサービスに頼っています。具体的には、家の近くの大学に通う学生に、息子の送迎サポートと帰宅後の宿題のお手伝いをしてもらっていました。料理は私の味で育って欲しいという想いが私にあるので自分でやっています。譲れる部分、お願いしたい部分を自分の中でクリアにしてから、実際の手段を選択しています。そのような流れを経て得たアウトソーシングには、罪悪感が付きまといませんでした。また、息子も、私が仕事をすることを応援してくれています。」本来の「自分らしい」美しさとはライフスタイルの中で『自分らしさ』がどの場面でもベースになっているのですね。美しさの秘訣もそこにあるのでしょうか?「『美しさ』とは何か?といえば、その人らしいエネルギーがあることだと思っています。それには、自分という体や心の巡りを整えることが欠かせません。ヨガというと日本ではエクササイズと思われている方もいますが、本来のヨガは自分の心がどこにあるのか?心を見ることが必須です。自分の心がどこにあるのか? 呼吸を通して自分の心と体を一致させホリスティックなヘルスが美しさに繋がっていく。自分の体や心にとって、気持ちいいところの範囲はどこまでなのか? それを把握し、自覚できるのが、ヨガです。頑張りすぎない本当の『自分らしさ』の範囲を知ることができます。これは、私の子育てやライフスタイルにも共通した考えですね。対人関係においても同じことが言えると思います。」日々の暮らしの中で取り入れているスーパーフード頑張り過ぎない「自分らしい」美容法として、吉川さんが日々の暮らしの中で取り入れていることがあったら教えてください。「意識して食べているのは、キヌアやナッツ類です。一時期、すべてローフードの食生活をしていましたが、キヌアに限っては火を通して蒸して食べています。キヌアは植物性高たんぱく質のスーパーフード。サラダにトッピングしたり、キヌアを海苔巻きにして食べています。ナッツは積極的に摂取したい良質な脂質。アーモンドやカシューナッツなど、なんでも食しますが、今、気に入っているのは、くるみとジャングルピーナッツです」美しさに欠かせない要素はうるおい「美しさをキープするためには身体がうるおっていることが大事だと思います。それが一番わかりやすいのが肌。肌は、私にとって外界と体内の境界であり、INとOUTがスムーズであることが大切なのですが、体全体や心と同じで、巡りがいいことを重要視しています。そのため、水分補給も意識しているポイントです。乾燥しやすい体質なので、水にはこだわっていて、オーガニックのレモンとゲランの塩を少し入れたお水を飲むとか、風呂上がりには、ちょっと濡れた状態で化粧水をつけるとか。うるおっている自分でいるためのケアを心がけています。」スキンケアもシンプルなステップでストレスフリーに「ヨガと出会ってから、心と体のつながり、内側からの美に関心が高くなり、素肌のコンディションをさらに気を付けるようになって、スキンケアアイテムも選び方が変わってきました。14歳からモデル活動を始めた私は、仕事のたびにフルメイクをして肌を酷使していたんです。20代の頃も頑張りたいという気持ちがあったので、頑張ったメイクやスキンケアをしていましたね(笑)。でも30代は、頑張りすぎずに自分を心地よくさせ、それが何よりも美しさにつながると気づいたので、スキンケアもやりすぎないことを大切にしています。」「アクアレーベルは、とろりとした感じで、肌にのせるとしっとりとして気持ちいいです。スーッと馴染む感じが心地いいと思います。普段のスキンケアって、頑張りすぎるとストレスになりますよね。プラスαのアレンジは、人それぞれ頑張ってもいいと思うけれど、毎日のものは、ミニマムでベーシックでオールラウンドのものがいい。アクアレーベルは、使いやすくてベースになるもの。お値段もお手頃で、たっぷり気がねなく使えるのでデイリーに使いやすいのも魅力です。ボトルのデザインもシンプルでいいですね。肌は、自分の心や体が調子いいかどうかの信号をキャッチできるので、スキンケアというのは、自分とのコミュニケーションの大切な要素です。みなさんも『自分らしく』『頑張りすぎない』を意識してみませんか? 笑顔のママは、子どもにはもちろん、自分にとっても気持ちのいいものですよ。」シンプルなケアで肌がうるおう!「アクアレーベル」でナチュラルな美しさを手に入れる肌本来の保水バリア機能を守り、うるおいを貯蓄する鍵 「ベビーアミノ酸※」 が配合され、2月にリニューアルした「アクアレーベル」。化粧水と乳液だけのシンプルステップで、肌そのものがうるおいで満たされる心地よさを体感してみませんか?※D-アミノ酸(D-グルタミン酸)(保湿) アクアレーベルについて詳しくはこちら>>
2017年05月01日舘ひろし演じる“ダンディー鷹山”と、柴田恭兵演じる“セクシー大下”のバディが横浜を舞台に大暴れする伝説的刑事ドラマの完結編『さらば あぶない刑事』が、2月17日(金)今夜の日本テレビ系「金曜ロードSHOW!」に登場する。定年を目前にしたタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭兵)は、かつて2人が壊滅した銀星会の残党を追って、危険ドラッグ・覚せい剤・拳銃の取引がされるブラックマーケットを2人だけで襲撃するなど、まだまだ暴れ放題!だが、そんな2人の前に現れたのは、世界の闇市場を暴力で牛耳り、縄張りを広げる中南米マフィア。その凶暴な彼らの矛先になったのは、2人が守り続けてきた横浜。このままでは横浜は犯罪都市となってしまう!?史上最強の敵を前に、命を賭けた戦いの火蓋が切って落とされる。刑事としてのタイムリミットは残りわずか5日。横浜中の犯罪組織を巻き込んで、刑事人生最後となる死闘に飛び込んでいく2人は、無事に退職の日を迎えることができるのか――。1986年から放送された最初のTVシリーズが大人気となり、その後2作の劇場版が立て続けに公開。88年にはTVシリーズ第2作と3作目となる劇場版も製作され、80年代を代表する超人気刑事モノとなった「あぶない刑事」。その後も根強い支持を受け続け90年代に劇場版やスペシャルドラマとして復活。さらに2005年には20周年記念となる『まだまだあぶない刑事』が公開。さらにそこから約10年、テレビドラマ放映開始から実に30年を経て製作された“完結編”が本作『さらば あぶない刑事』だ。鷹山敏樹役の舘さん、大下勇次役の柴田さんをはじめ、真山薫役の浅野温子、町田透役の仲村トオル、松村優子役の木の実ナナ、深町新三役の小林稔侍、田中文男役のベンガルといったシリーズを通してのメインキャラクターはもちろん、キョウイチ・ガルシア役で吉川晃司、浜辺夏海役で菜々緒といった魅力的な新キャラクターも登場。タカとユージによる軽妙なかけ合いと派手なガンアクションはもちろん健在。さらに“ユージ走り”も健在。30年の時を駆け抜けた2人の“あぶない刑事”の最後の戦いを今夜は存分に楽しんで。金曜ロードSHOW!『さらば あぶない刑事』は2月17日(金)21時~日本テレビ系で放送。(笠緒)
2017年02月17日1970年代にテレビ放送され、最高30%を超える視聴率を記録した大ヒットアニメ「マジンガーZ」が45年ぶりに復活。長編アニメーション映画『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』として、2018年1月13日(土)より全国の劇場で公開される。ロボットアニメの祖「マジンガーZ」が長編アニメ映画化原作は、1972年に漫画家・永井豪によって「週刊少年ジャンプ」に連載された同名の漫画。搭乗型巨大ロボットの祖となる作品で、多彩な武器と圧倒的な強さを誇る「マジンガーZ」の迫力と存在感、主人公の兜甲児をはじめとする個性的なキャラクターなど、永井豪の魅力がつまった作品だ。連載当時から爆発的な人気を博し、国内のみならずアジア、ヨーロッパ各地で多数のファンを獲得。未知の怪獣と、人類が操る巨大ロボットの戦いを描いた人気ハリウッド映画『パシフィック・リム』のギレルモ・デルトロなど、今もなお熱狂的なファンが多く存在する。悪の科学者Dr.ヘル率いる地下帝国によって滅亡の危機に瀕した人類は、兜甲児が操るスーパーロボット・マジンガーZや光子力研究所の仲間の手によって、悪の野望を阻止し、平和を取り戻した。あれから10年。パイロットを離れ、祖父や父のように科学者の道を歩み始めた兜甲児が、富士山の地中深く埋まった超巨大構造物と謎の生命反応に遭遇。新たな出会いと新たな脅威、そして人類を待ち受ける新たな運命が描かれる。第三の魔神“インフィニティ”劇場公開に先駆けて解禁となった場面カットで、謎に包まれていた魔神“インフィニティ”の姿が明らかとなった。超巨大遺跡“インフィニティ”は、古代の超文明の産物と考えられ、今の科学を100年は進化させるほどのテクノロジーが詰め込まれているいわれる。また“インフィニティ”の力を呼び覚ます謎の美少女リサは、人気声優・上坂すみれが担当する。アニメ映画界を支える制作陣が集結なお、監督として「ワンピース」や「プリキュア」の劇場版シリーズを手掛けてきた志水淳児、メカニックデザインとして「機動戦士ガンダム」や「エウレカセブン」を手掛けてきた柳瀬敬之らが参加。オープニングテーマはもちろん、水木一郎が務める。予告編では彼の歌声とともに、本作の一部が公開されている。また、エンディングテーマは、少年時代にテレビでオリジナル「マジンガーZ」を観ていたという吉川晃司の書き下ろし楽曲が決定した。ゲスト声優に宮迫博之、おかずクラブもゲスト声優には雨上がり決死隊の宮迫博之やおかずクラブのオカリナ、ゆいPが参加。宮迫博之は、人気の高い敵キャラクターである「あしゅら男爵」の男性側を演じる。縦半身ずつの男女が合体した「あしゅら男爵」の女性側を演じるのは朴璐美。おかずクラブの2人が演じるのは、新キャラクター・マジンガールズ。ピンクをゆいPが、ブルーをオカリナが務める。マジンガーZをよく知らないビギナーでもマジンガーZのことを学べる「だいたい3分でわかる!マジンガーZ特別映像」が公開。劇場へ足を運ぶ前に、ぜひチェックしてみて。ストーリーかつて悪の科学者Dr.ヘル率いる地下帝国によって滅亡の危機に瀕した人類は、兜甲児が操るスーパーロボット・マジンガーZや光子力研究所の仲間の手によって、悪の野望を阻止し、平和を取り戻した。あれから10年-。パイロットを離れ、祖父や父のように科学者の道を歩み始めた兜甲児は富士山の地中深く埋まった超巨大構造物と謎の生命反応に遭遇する-。新たな出会い、新たな脅威、そして新たな運命が人類を待ち受ける。かつてのヒーロー・兜甲児の下す未来への決断とは。それは神にも悪魔にもなれる―。再び人類の未来を託されたマジンガーZと人々の激闘を描く、壮大なアクション巨編!作品情報映画『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』公開日:2018年1月13日(土)声優:森久保祥太郎、茅野愛衣、上坂すみれ、関 俊彦、小清水亜美、花江夏樹、高木 渉、山口勝平、菊池正美、森田順平、島田 敏、塩屋浩三、田所あずさ、伊藤美来、朴璐美、藤原啓治、石塚運昇、石丸博也、松島みのり / おかずクラブ(オカリナ・ゆいP) / 宮迫博之オープニングテーマ:「マジンガーZ」水木一郎エンディングテーマ:「The Last Letter」吉川晃司原作:永井豪監督:志水淳児脚本:小沢高広(うめ)メカニックデザイン:柳瀬敬之キャラクターデザイン:飯島弘也美術監督:氏家誠(GREEN)助監督:なかの★陽音楽:渡辺俊幸オープニングテーマ:水木一郎エンディングテーマ:吉川晃司制作:東映アニメーション配給:東映©永井豪/ダイナミック企画・MZ製作委員会mazinger-z.jp
2017年01月29日日本の刑事ドラマの金字塔にして、昨年、“完結編”として劇場公開された『さらば あぶない刑事』が早くもテレビ初登場。「金曜ロードSHOW!」で2月に放送されることになった。定年を目前にしたタカ(舘ひろし)とユージ(柴田恭兵)は、かつて2人が壊滅した銀星会の残党を追い、まだまだ暴れ放題!だが、そんな2人の前に現れたのは、世界の闇市場を暴力で牛耳り、縄張りを広げる中南米マフィア。史上最強の敵を前に、命を賭けた戦いの火蓋が切って落とされる。刑事としてのタイムリミットは残りわずか5日。刑事人生最後となる死闘に飛び込んでいく2人は、無事に退職の日を迎えることができるのか…。舘ひろし演じる“ダンディー鷹山”と柴田恭兵演じる“セクシー大下”という最強バディが横浜を舞台に大暴れし、長年にわたって日本の刑事ドラマを牽引してきた「あぶデカ」の劇場版第7作目にして完結編となった本作。昨年公開され、第29回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞を受賞した。舘さんが演じる“ダンディー鷹山(タカ)”と柴田さんが演じる“セクシー大下(ユージ)”といえば、ドラマシリーズを観たことがない人でもその存在を知るほどの印象深いキャラクター。今回『さらば あぶない刑事』にはこの2人を始め、浅野温子、仲村トオルら、おなじみの登場人物が大集合。菜々緒、吉川晃司なども加わった豪華キャストによるド派手なアクション、唯一無二の「あぶデカ」ワールドは、かつてのファンも、初めて目にする人も、スカッと楽しめるはず。最後の最後まで熱い、最強の刑事“バディ”の活躍をお見逃しなく。<以下、キャストコメント>■舘ひろし今回テレビで『さらば あぶない刑事』が放送されると聞いてとても嬉しいです。ハードボイルドに、ファッショナブルに、スタイリッシュに、「あぶデカ」らしいフィナーレを迎えられた作品になったと思っています。多くの人に映画やテレビを通して愛されて、「あぶデカ」は本当に幸せでした。是非皆さんでタカとユージの最後の勇姿、見届けてください。■柴田恭兵映画館で“さらば”してから1年、テレビで再び会えると聞いて嬉しい限りです。相変わらずたくさん走ってたくさん撃ちまくってます。一瞬たりとも見逃さないでください。「あぶデカ」がこれからも、私にとっても、皆さんにとっても大切な作品でありますように。タカとユージは永遠に不滅です(笑)。「金曜ロードSHOW!」『さらば あぶない刑事』は2月17日(金)21時~放送。(text:cinemacafe.net)
2017年01月27日上橋菜穂子の「守り人」シリーズを、綾瀬はるか主演で3年にわたって映像化していく大河ファンタジーの第2シーズン「精霊の守り人 悲しき破壊神」が、1月21日(土)今夜から放送スタートとなる。チャグムとの旅を終えて4年。お尋ね者となったバルサはロタ王国に身を潜め、用心棒稼業を続けていた。バルサは人身売買組織に売られそうになったタル人の少女・アスラを助けるが、アスラは“タルの破壊神=タルハマヤ”を招き大量殺人を起こす力を授かった恐るべき存在であることが分かる。アスラを抹殺しようと、ロタ王家の密偵“カシャル”たちが動きだした。「人を殺してはいけない――」そうアスラに教えながら、バルサとカシャルの死闘が始まる…!原作は2015年に「鹿の王」で本屋大賞を受賞した上橋さんの野間児童文芸新人賞受賞作「守り人」シリーズ。このシリーズ全10巻をベースにして、人と精霊が共生する世界を舞台に女用心棒バルサと皇子チャグムの冒険が描かれる本シリーズ。第2部では原作の「神の守り人<来訪編・帰還編>」「蒼路の旅人」「天と地の守り人<第1部>」をもとにお尋ね者となった女用心棒バルサと、新ヨゴ国の皇太子となったチャグム、別れ別れになった2人の冒険が繰り広げられる。主人公バルサを演じる綾瀬はるかのほか、バルサの幼馴染みで彼女に好意を抱く薬草師の青年・タンダに東出昌大、ロタ国の呪術師で王家に仕える密偵カシャルの一員であるシハナ役に真木よう子、成長したチャグム役に板垣瑞生、新ヨゴ国の若き星読博士のひとりでチャグムを支えるシュガに林遣都、カシャルの頭領でシハナの父親・スファル役を柄本明、そしてロタ王国で抑圧される“タルの民”の少女・アスラ役を鈴木梨央、ロタ国王ヨーサムの弟・イーハン役にディーン・フジオカ。またバルサとチャグムが戦う相手となる“ラスボス”ラウル役として高良健吾。そのほか、鈴木亮平、新ヨゴ国の海軍大提督・トーサ役の伊武雅刀、タルの民でアスラの母・トリーシア役の壇蜜、そのほか吹越満、木村文乃、中村獅童、吉川晃司、高島礼子、平幹二朗、藤原竜也、渡辺えりら錚々たる俳優陣が豪華共演する。第1話「災いの子」ではバルサが逃亡生活を送るロタ王国に薬草を求めてタンダがやって来て再会。二人が泊まった宿に囚われていた少女アスラを救い出すバルサにタンダは不吉だから関わるべきではないと忠告する。と、呪術師シハナがアスラをさらおうと現れ、バルサとシハナの死闘が始まる…というストーリが展開。「精霊の守り人 悲しき破壊神」が1月21日(土)21時からNHK総合テレビで放送。1月28日(土)16時30分から再放送。(笠緒)
2017年01月21日綾瀬はるか主演のNHKの大河ファンタジーで秋より最終章が放送される「精霊の守り人」のキャスト発表会見が1月15日(日)に行われ、昨年、亡くなった平幹二朗の代役として出演する鹿賀丈史らが出演した。最終章からの出演となるのは、聖導師役の加賀さん、綾瀬さん演じる主人公・バルサの叔母のユーカ役の花總(はなふさ)まり、バルサの育ての親・ジグロ(吉川晃司)の兄・カグロ役の渡辺いっけい、カンバル王国のヨンサ氏族の長老・ラルーグ役の武田鉄矢、カンバル王国の最長老の牧童・トト役でドラマ初出演となる声楽家の米良美一。会見には、綾瀬さん、第1シーズンから出演しているバルサの幼なじみの薬草師・タンダ役の東出昌大、そして第1シーズンでは幼い少年で、バルサに命を救われ、その後、成長し立派な皇太子となったチャグム役の板垣瑞生も出席した。鹿賀さんは、昨年10月に亡くなった平さんの後を受け継ぐことになったが「平さんが持ってらっしゃる芝居に対する真摯な姿勢、独特の個性、迫力を少しでも受け継いで、お見せできたらと思っています」と語る。平さんの訃報を受けての突然のオファーでもあり、「最初にお話が来たときは、台本も読んでなかったんですが、引き受けた後に台本を読み、平さんがどのようにされていたのか?勉強しています。平さんに負けない芝居をしたいと思います」と意気込みを口にした。渡辺さん演じるカグロは、バルサに槍術や生きる術の全てを教え込んだ育ての親・ジグロの兄ということで、「カグロを通してジグロが語られていく」とのこと。また、花總さんが演じるのは、バルサにとって唯一と言える血のつながりを持った人物と言える叔母のユーカ。綾瀬さんは、この最終章について「バルサは生まれ育ったカンバルに帰ります。6歳でカンバルから逃げなくちゃならなかったわけ、壮大な過去を背負い、抱えてきた苦しみや哀しみ、深い闇を浄化していく」とバルサ自身が己の過去、運命と向き合っていく物語になると語る。その中で、ユーカは重要な役割を果たすことになりそう。花總さんは「バルサの持っているものを包み込む役。素晴らしい役を演じさせていただける」と喜びを語った。米良さんが演じる牧童の最長老のトトは100歳を超える年齢で、自然と融合し生きており、子どものような小さな体に大人の面相を持っているという役柄。ドラマ初出演となる米良さんだが「私の持って生まれたものをそのまま生かせる“おいしい”役で、最高のチャンスをいただきました」と笑顔を見せた。武田さんとのあるシーンでは、たった2人でのこのシーンのためだけに、スタジオ内に岩をいくつも使ったセットが組まれたという。これには武田さんも驚愕した様子。「これだけのスケールの作品は、近頃の民放では経験したことがない。壮大な神話の中に入っていくような感覚」と語っていた。なお、この最終章では『シン・ゴジラ』などでも知られる映画監督の樋口真嗣も演出陣に加わっており、物語はもちろん、第1シーズン、第2シーズンを超える荘厳で美しい映像、激しいアクションなどに期待が寄せられる。なお、第2シーズンとなる「精霊の守り人 悲しき破壊神」がまもなく1月21日(土)より放送となる。「精霊の守り人 最終章」は11月放送予定(全9回)。(text:cinemacafe.net)
2017年01月15日フジテレビ系大型音楽特番『2016FNS歌謡祭』(第1夜:7日19:00~23:18、第2夜:14日19:00~23:18)の第5弾出演アーティストが1日、発表された。今回発表されたのは、『第1夜』が、ウエンツ瑛士 、ウルフルズ、℃-ute、末延麻裕子、夏木マリ、林部智史、藤澤ノリマサ。『第2夜』が、AyaBambi、井上苑子、吉川晃司、クリス・ハート、KREVA、ゴスペラーズ、SHINee、水曜日のカンパネラ、Dream Ami、Flower、BoA、ポルノグラフィティ、Ms.OOJA 、水樹奈々、MIYAVI、森保まどか(HKT48)らとなっている。そして、『第1夜』で、嵐が松下奈緒のピアノ、宮本笑里のバイオリンで「ふるさと」を歌うことも決定。この曲は、熊本県出身の作家・小山薫堂が、地震の被害に遭った熊本へ思いをはせて作詞したCD未発売の曲となっている。この他のコラボ企画は、きょう2日放送の同局系音楽番組『Love music』(毎週金曜23:30~)内で発表される。
2016年12月02日本質にこだわる男性のための情報誌「GQ JAPAN」が、その年“最も輝いた男性”を表彰する「GQ MEN OF THE YEAR」。2016年の受賞には菅田将暉、渡辺謙をはじめ、指揮者の小澤征爾、ミュージシャンの吉川晃司、「リオオリンピック」メダリスト選手ら多彩な面々が揃ったが、この度「GQ JAPAN」1月号表紙にて、受賞者らが一堂に会す豪華ビジュアルが公開された。「GQ MEN OF THE YEAR」は、生き方、仕事、スタイルにおいて、「GQ JAPAN」読者をインスパイアし、各分野において圧倒的な活躍を見せた男性に贈られる賞。アメリカで1994年にスタートして以来、イギリス、ドイツ、インド、中国、韓国など世界14か国(2015年実績)で展開するインターナショナルなアワードだ。第11回目を数える今年の「GQ MEN OF THE YEAR 2016」では、「Set The Pace=時代を先駆ける男たち」に注目し、各界から旬な男性たちが選出された。『何者』『デスノート Light up the NEW world』『溺れるナイフ』と今年も数々の映画・ドラマで活躍した若手俳優筆頭・菅田さん。『追憶の森』『怒り』の渡辺さん。2016年2月に世界最高峰の音楽の祭典「第58回グラミー賞」にて自身が指揮したラヴェル「こどもと魔法」がクラシック部門最優秀オペラ・レコーディング賞を受賞した小澤さん。アーティストとしても俳優としても活躍する吉川さん。2015年年末開催のM-1グランプリで優勝して以降、2016年はテレビで見ない日はないほど売れっ子となったお笑い芸人「トレンディエンジェル」。そして、この夏行われた「リオオリンピック」にて活躍した、柔道男子金メダリストのベイカー茉秋選手や、陸上男子400メートルリレー日本代表の飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手、山縣亮太選手らスポーツ選手が並ぶ。そして、11月24日(木)発売の「GQ JAPAN」1月号にて、「GQ MEN OF THE YEAR」受賞者7組11人のインタビューがポートレイトとともに掲載決定。また、豪華ラインナップが揃う贅沢なビジュアルが表紙に登場。2016年を華麗に彩った男性たちとともに、今年をふり返ってみては。「GQ JAPAN」1月号は11月24日(木)より発売。(text:cinemacafe.net)
2016年11月21日今年、最も輝いた男性を表彰する「GQ MEN OF THE YEAR 2016」の授賞記者会見が11月21日(月)、東京アメリカンクラブにて行われ、受賞した菅田将暉らがタキシード姿で出席した。2016年、9本の映画出演に加え、テレビドラマやCMへと、メディアで顔を見なかった日がないほど活躍した菅田さんは、「今年はすごく外に出た1年でした。いままで見たことのないステージ、出て行こうということを目標にした1年で、いろいろな人に出会えて賞をいただけることになったんだな、といま感じています」と総括した。日本では今年で11回目を迎える「GQ MEN OF THE YEAR 2016」は、男性向け情報誌「GQ JAPAN」が毎年、各分野において圧倒的な活躍を見せた男性に贈る賞。2016年は菅田さんのほか、吉川晃司(ミュージシャン)、トレンディエンジェル(芸人)、ベイカー茉秋選手(柔道選手)、陸上男子 400メートルリレー日本代表(飯塚翔太選手、桐生祥秀選手、ケンブリッジ飛鳥選手、山縣亮太選手)、渡辺謙(俳優)、小澤征爾さん(指揮者)が選出された。鈴木正文編集長よりトロフィーを授与された菅田さんは、しげしげと見つめて、「いまこのトロフィーがすごく重くて、重い賞だと感じています」と実感した様子。受賞を告げられたときは、「正直よくわからなかったです。僕はいま23歳で男としてまだ全然生き様を見せられていない時期で」と謙遜しながらも、「選考理由を鈴木編集長に聞いたら、笑顔で僕の作品を面白かったと話してくれて。その姿を見たときに、いままで満たされたことのない何かが満たされたような気持ちになりました。すごくうれしいです」と、満面の笑みでコメントした。「M-1グランプリ」で敗者復活枠からの劇的な優勝を遂げた昨年末以降、「ハゲ」をモチーフとしたネタをリズミカルに繰り出して、笑いを爆発させたトレンディエンジェル。メンバーの斎藤司は受賞の喜びに際して、「人生の運を使ったのではないかというくらい、いろいろなことがあって、賞は当然じゃないか…じゃない(笑)」と笑いを織り交ぜながら、受賞の喜びは「Instagramのフォロワー96万人に伝えたいです」と、数を誇りつつにんまり。多忙を極めた年でもあったが、斎藤さんは、「2時間空いたら超ラッキーくらいのスケジュールで。新しく挑戦したいことはCDデビューです」と、次は歌声を披露したいと鼻息を荒くしていた。また、自分にとってあるべき男像を「男とは〇」として、〇に入る言葉をそれぞれが色紙で発表する催しも行われた。各自、「醸し」(吉川さん)、「言い訳しない生物であれ」(トレンディエンジェル)、「HUNTER」(ベイカー選手)、「失敗を恐れない」(陸上男子 400メートルリレー日本代表)、「風」(渡辺さん)と掲げた。菅田さんは「面」(つら)と表現し、「男は背中で語れと聞きますが、きっと結果を残したリ、生きてきたものが顔に出るのかなと。さっき渡辺謙さんの顔を見ていて思い、書きました」と、男としても俳優としても先輩である渡辺さんを恭しく見つめ、渡辺さんも温かい笑顔でこたえていた。(cinamacafe.net)
2016年11月21日発達障害の「二次障害」って?その原因は?出典 : 発達障害について考えるとき「二次障害」について考えることは避けて通れません。ただ、この「二次障害」という言葉は誤解も産みがちです。このために自分は必ず括弧をつけて使うようにしています。「二次障害」には実は学術的な定義がなく、使う人によって含まれるものが異なります。さらには、「二次災害」「随伴症状」「併存症」など似たような意味で様々な言葉が使われています。また「二次障害」であるからといって、必ずしも経験や環境のみがその原因、誘因となっているとは限りません。最近では発達障害のある人は、生まれつき様々な精神疾患にかかるリスクが高いことがわかってきました。またある共通の要因が発達障害のリスクも、他の精神疾患のリスクもともに高めることがあることもわかってきています。このため「二次障害」の全てを経験や環境のせいだけにすることはできず、生まれつきの要因がかなり大きな役割を果たしている「二次障害」もあると考えるのが合理的です。もちろん、適切な見立てと対応、環境の調整を根気よく行っていくことで、「二次障害」のリスクを減らしたり、何よりも「二次障害」が起こってきたときに、それに対処できる力を身に付けていったりすることは可能になると考えておくのがよいと思います。「二次障害」をめぐる医療の現状出典 : 様々な二次障害、併存症の中には、統合失調症スペクトラム障害や双極性障害、うつ病、不安症などのように、医療による対応によって、改善が期待しやすいものが少なくありません。こうした疾患に対する治療法はかなり研究が進んでおり、ある程度有効な方法が確立しています。しかし残念なことに、発達障害が背景にある場合、どのようにその治療法をアレンジしていくべきか、特性にあわせて変更していくべきか、ということについては、まだまだ充分な研究がなされていないのが現状でもあります。主治医とよく相談しながら、障害の特性、またその人の置かれた状況に合わせて、実際の治療を進めていくことになります。思考や行動のパターンを、医療の力だけで変えることは難しい出典 : 一方で、医療が苦手にしているのは、狭い意味での疾患、病名がつかない「二次障害」です。自閉スペクトラム症の人達は、その生い立ちの中で「大人が用意した課題に挑戦すると、いつも失敗する」と信じ込んでしまったり、「人と関わると嫌なことが起こる」と学んでしまったり、「人に依頼しても助けてもらえない」経験を積み重ねてしまったりすることがあります。こうした経験を通じて身に付けた思考や行動のパターンを変えることは、医療だけの取り組みでは極めて困難です。また注意欠如多動症を持つ人達に最も学んで欲しくないのは、「待っていてもいいことはない」という考え方です。もともと「報酬を待つ」ということが多数派の子どもよりも苦手に生まれついているのがADHDの子どもたちなのですが、「待っていても退屈だった」「待ちきれなくて怒られた」「課題の達成を待ちきれなくて、諦めてしまった、失敗した」という経験を積み重ねると、どんどん待つことが苦手になってきます。そのとき子ども達は、将来に向けて投資をすることが難しくなってきます。遠い将来の手応えを期待して今を頑張る、ということがどんどん信じられなくなっていくのです。このとき彼らの求めるものはどんどん刹那的になってきます。今の楽しみやスリルをどうしても優先したくなります。それは時にはアルコールや違法薬物の使用につながって、そのために医療を必要とすることが出てきてしまいます。発達障害の「二次障害」に対して、医療ができること出典 : こうした疾患ではない「二次障害」に対して、医療が単独でできることは限られます。しかし状態の悪い方に対して、それでも途切れずにつきあい続けるということは、医療が比較的得意な支援です。また必要に応じてお薬を使ってその時の苦痛を少し和らげることもできる場合があります。誤った学習を解きほぐしていくための、日常生活の中での支援と経験の積み重ねと併せて、医療の支援を活用することも必要な場合が多いでしょう。また、医療のもう一つの役割は「二次障害」の予防でもあります。前回お薬についての記事のなかで、薬を使うことを考えるのは「嫌いなもの・ことが増えているとき」と書いたのは、そのためでもあります。正しい見立てと、適切な日常的な支援、どうしても必要な場合のお薬は、「二次障害」の軽減、予防に役立つと信じたいところです。
2016年10月17日発達障害の治療、お薬はどんなときに使われる?出典 : 発達障害に対してお薬が使われるとき、それは全て対症療法として投与されます。対症療法とは症状を和らげることが目的の治療で、根治、つまり障害を治すための治療でありません。残念ながら現在の医学の水準では、発達障害を根治する治療はありません。ただ、適切なタイミングと種類、量のお薬を使うことで、その症状を緩和できる場合があります。どんな症状に対してお薬が使われるの?出典 : では主にどんな症状に対して、お薬が使われるのでしょうか。自閉スペクトラム症の場合には最も効果が確かめられているのは、その易刺激性、つまり刺激に対して反応しすぎる状態に対する投薬です。日本でもいくつかの抗精神病薬が、厚生労働省からその適応を正式に承認されています。こうしたお薬は自傷や他害といった攻撃的な行動がある際に用いられますが、その効き目の見極めには大事なポイントがあります。易刺激性に基づく攻撃的な行動、例えば嫌いな音を聞いた後のパニックやイライラする状況から逃れるために人を突き飛ばすなどの行動には、ある程度効果が期待できることがあります。一方で、遊びの目的、つまり「窓ガラスを叩くといい音がして楽しいから」とか、コミュニケーションや交渉の目的で「冷蔵庫を開けさせるために家族を叩く」とかの行動には、お薬の効果は期待しにくいのです。ここを上手く見極めて使わないと、無効なお薬を飲むことになったり、大量にお薬を使って、効果よりむしろ副作用が問題になったりすることが起こってきます。結局はお薬を使う場合にも、その標的となる行動の分析が必ず必要となるのです。著しい反復的な行動に対してもお薬が使われることがありますが、この場合もその背景が重要になります。遊びの性格が強い反復的な行動にはお薬はほとんど効果がありません。もしこれを薬で止めようとすると、大量のお薬を使って、眠くてだるくて遊ぶ元気もないという状態を作ることになってしまいます。一方で不安や強迫といった、「やらないと心配」「やらないと落ち着かない」からやむを得ずやっているという、繰り返しの行動には時にはお薬が有効な場合があります。その他、睡眠の障害やカタトニアなどの症状に対して、それぞれの状況にあったお薬が使われることがあります。これらの場合にも有効な場合とそうでない場合の見極めが必要ですので、主治医にご相談いただくとよいでしょう。また注意欠如多動症(ADHD)に対しても、お薬が使われることがあります。実はADHDの治療薬は、あらゆる精神科のお薬の中でも一番効き目が確かなお薬の一つです。投与するとかなり高い割合で効果を発揮します。しかしこれも対症療法に留まり、一方で副作用もしっかりあるので、使いどころを見極める必要があります。どんなときに「薬を使う」という決断をすれば良い?出典 : さてそれでは、どんなときにお薬を使うことを考えればよいのでしょうか。発達障害そのものへの投薬は常に対症療法であるため、発達障害があること、それだけでは投薬の対象にはなりません。必要な対応や環境の調整をして、それでも本人の苦しさが続くとき、またいろいろな対策を講じていてもどんどん環境との不適合が増しているときは、お薬をつかうことを考えても良いでしょう。自分の場合には、「人生の中で嫌いなもの・ことがどんどん増えているとき」というのを一つの基準にしています。またお薬以外の方法をとることがそもそも難しい場合も、投薬を考えることになります。家庭の状況に全く余力がないとき、家族に他の危機が訪れているときなどには、時期を限ってお薬を使うこともあります。もう一つ、これは発達障害に対する投薬ではありませんが、併存する他の精神疾患がある場合には、当然その治療薬を使うことになります。また最も大切で難しいのはお薬のやめどきです。これについては、常に止めることを考えながらお薬を使う、というのがおそらく正解であると思います。減薬や中止のチャンスを常にうかがっていないと漫然とお薬を使うことになってしまいます。・標的となっていた症状が改善してきたとき・環境との不適合が小さくなってきたと感じられるとき・他の支援がうまく回り始めたときなどが、お薬を減らす・止めるチャンスです。ただし急な中止や減量によって逆に有害な症状を来すお薬があるので、減量、中止の際には必ず医師と相談してください。
2016年10月14日発達障害の大人が医療機関を利用するとき、どんな問題が生じるか出典 : 児童精神科医の吉川徹です。これまでの連載では「発達障害と医療」をテーマに、医療機関や診断を受けるタイミングなど、様々な角度から執筆させていただきました。今回は、発達障害と医療の問題を考える際に特に悩ましい、成人された方の医療の利用についてです。この問題は大きく分けて、●子ども時代から大人への医療の引き継ぎ(移行医療)の問題●成人期になって初めて、発達障害を主なテーマとして医療を利用するときの問題の2つがあります。大人になってもスムーズに医療機関を受診し続けるには出典 : 近年では子どもの発達障害を診療できる医療機関はかなり数が増え、診断を受けている子どもも急増しています。こうした子ども達はいつ大人の医療に移行していくのか。これは遠からず全国的に問題になることは目に見えています。子ども時代に診断を受けた方のうち、大人になっても医療が必要な方は、実はそれほど多くはありません。ただ継続した投薬が必要であったり、前回の記事にあるような診断書が必要であったり、どうしても医療のサービスを継続して利用する必要がある方もいらっしゃいます。特に小児科で診断、治療を受けていた場合、必然的に移行が必要となることが多いです。児童精神科などの場合では、医療ニーズが高い場合には継続して診療を受けられることもあるでしょう。最近では発達障害の診療に対応できる、成人の医療機関も増えてきています。成人医療への移行に備えて、地域の医療事情について早めに情報収集を行っておけると安心です。移行が必要になる時期はおおむね15歳〜20歳前後であることが多いのですが、できれば20歳ごろ、総合支援法医師意見書と障害基礎年金の診断書が揃っていると、後の移行がスムーズです。その時期の移行が可能かどうか、通院中の医療機関に相談してみる価値はあります。大人になってから初めて発達障害がわかったとき、医師による診断が必要だとは限らない出典 : もう1つ悩ましいのが、大人になってから初めて発達障害をテーマにして、医療機関を受診する際の問題です。成人期の発達障害診療を受け入れていると広報している医療機関はまだ少なく、たどり着くのが難しい地域もあります。それ以外にも成人期の医療には様々な課題があるのです。まず、そもそも大人になった方の発達障害の確定診断を行うことは、医師にとってもかなり難しいという問題があります。発達障害の診断の多くの部分は、乳幼児期や子ども時代のエピソードの聴き取りに拠っています。成人するころまでには、養育者の記憶も曖昧になり記録も散逸しており、どんなに頑張っても診断を確定できるだけ根拠が得られないことがあります。こうなるとせっかく受診しても「特性はありそうだけれど、診断は確定できない」と伝えられてしまいます。特に専門性の高い医師ほど、正確な診断と診断基準を意識するので、このような伝え方が多くなります。乳幼児期の情報が充分得られない場合、発達障害診断のみを目的にした医療機関受診の効率は下がってしまいます。次に、不眠や不安などの発達障害以外の症状がなく、発達障害の疑いしか医療への「入場券」がない場合、医療機関への受診はそれほど実りのあるものにはならないことも多いという問題があります。成人になるまで診断を受ける機会がなかった方の場合には、当面の主要な問題は発達障害そのものよりも、不眠や不安、抑うつ、強迫症状や精神病症状などであることのほうが多いのです。このように他の精神症状がある場合には、むしろそれを入り口として、優先して相談、対応することが望ましいことが多いのです。その場合、受診できる医療機関の間口も広がるので、通える医療機関を見つけやすくなります。「発達障害の診療はしていません」というクリニックでも、通院中の患者さんの疾患の背景にある発達障害には、気づいてくれたり対応してくれたりすることもしばしばあります。この場合でも支援者の口コミなどで、発達障害の対応に慣れた医療機関を選んでおけるとなお良いですね。何のために受診するのかよく見定めて、効率的に医療機関を使おう出典 : 診断書や薬物療法が不要である場合、本人や周囲の人がその特性に気づき、実際に工夫しながら対応する中でそれを確かめることが可能であれば、発達障害の確定診断は、必ずしも必要ではありません。極めて限られた専門医療機関を別にすると、一般の成人精神科医療機関の診療の時間や構造は、障害特性そのものへの対応を相談するのには、あまり適していないことも多いのです。成人期の発達障害医療はまだまだ発展途上です、今後大きく状況は変わっていくかも知れませんが、現時点では医療機関を受診する目的をよく見定める必要があります。それは診断なのか、診断書なのか、薬物療法なのか。あるいは得意な医療機関は限られますが、自己認知の支援なのか。それともむしろ併存する他の精神疾患の診断や治療なのか。ご本人や支援者の方にはうまく見極めていただき、医療機関を効率よく使っていただけるとよいと思います。
2016年10月12日医療機関による受診が必要になる、「診断書」の取得出典 : 前回はいつ医療機関による受診をするのか・勧めるのか、というテーマでしたが、一方でどうしても受診、診断が必要なタイミングというのがあります。その代表的なものが、診断書が必要になる時期です。発達障害を持つ子どもや大人が健康に成長し暮らしていくためには、様々な支援が必要になることがあります。その入場券になることが多いのが診断書です。今回の記事では診断書が必要になる代表的な場面と、その時期を解説します。ただし、診断書を巡る状況は、地域によって少し異なることがあります。地元の支援者や先輩の親御さんにも確かめてみるとよいでしょう。18歳未満で診断書が必要となる場面出典 : 子ども時代には診断書が必要な場面は、実はあまり多くありません。知的障害を伴う方の場合、愛の手帳や療育手帳などと呼ばれる知的障害の福祉手帳の取得には、原則として医師からの書類は必要ありません。地域の役所の窓口から申請でき、その手帳があることで多くのサービスが利用可能です。以下では、医師の診断書が必要となる場面をご紹介します。知的障害の手帳の対象ではない場合、精神保健福祉手帳という精神障害の福祉手帳を取得することがあります。子ども時代の取得はまだ多くはありませんが、だんだんと取得する方が増えているようです。精神保健福祉手帳の取得には必ず医師の診断書が必要となります。子ども時代の取得にはそれほど多くの利点はありませんが、必要であれば診断書の発行を受けることが可能です。福祉手帳の取得をしていない場合、児童福祉法に基づくサービスを利用するための「受給者証」を発行してもらうために、医師の診断書が必要となる地域があります。制度本来の主旨からするといかがなものかと思うのですが、残念ながらそのような運用が広がってきているようです。また地域によっては、通級指導教室や特別支援学級などへの入級にあたって診断書を求められることがあります。幼稚園などの場合でも、園への助成金などの支給のために、診断書の提出を求められることがあります。これも文部科学省などが通達している特別支援教育の方向性からすると、本来あってはならないことだと思うのですが、残念ながらそのようなルールが設定されている地域もあるようです。また障害の状態によっては、特別児童扶養手当の支給対象となることがあります。やや厳しい世帯の所得制限などもありますが、支給にあたっては医師の診断書が必要です。18歳以上で診断書が必要となる場面出典 : 歳以上になったときに、障害者総合支援法による様々な福祉サービスを受けるためには、診断書ではないのですが、「医師意見書」が必要になります。また20歳になると、障害基礎年金の対象となる方も出てきます。障害年金の受給には必ず医師の診断書が必要です。この中で特に注意しなければならないのが、子ども時代に医療機関を受診し診断を受けた後、経過が順調な場合、特に身近で適切な支援が受けられている場合です。このとき、どこかの段階で医療機関の受診が不要になり、通院を止めていることが少なくありません。しかしその場合であっても、18歳以降に福祉サービスの利用の可能性がある場合、障害基礎年金が受給できる可能性がある場合には、それに備えて少なくとも1,2年前からは通院医療機関を確保しておいた方がスムーズです。初診でいきなり診断書の発行を受けることは困難です。16歳、17歳という年齢であれば、成人の精神科医療機関に受診できるので、通院先の選択肢は格段に広がります。初診には予約が必要であることもありますので、将来の診断書の発行に備えたいという受診の意図を伝えて、事前に確認しておくとよいでしょう。この他、就労支援を受ける際に医師の意見書を求められたり、障害が重度である場合には特別障害者手当の受給のためにも診断書が必要となったりします。必要な時期に診断書の発行が受けられるように情報収集しておけるとよいですね。
2016年10月10日発達障害の診療のための医療機関にはどんなものがある?それぞれが担う役割は?出典 : これまでの記事では、発達障害のための医療機関が少ない原因や、医療機関でできる支援についてお話させていただきました。今回は医療機関の種類をご紹介していきます。発達障害の診療に携わる医療機関には様々な種類がありますが、その分け方も色々あるのです。医療機関の種類というと、もちろん小児科や精神科などの診療科による分類が思い浮かぶのですが、今回の記事では別の切り口で分けてみたいと思います。いくつかの医療機関は日本の、時には世界の発達障害研究を担っていく役割を持っています。こうした先進的な医療機関にかかると厳密な手続きを経た診断が受けられたり、他では利用できない治療法が使えたりすることもあります。日本の、世界の発達障害支援の質の向上に貢献できる可能性があるというメリットもあります。一方でこうした機関の医療者は診療以外の業務が多く多忙です。また機関の数も限られるので、通院時間が長くなるなどアクセスも良くないことが多いでしょう。また研究途上の新しい治療には、確かめられていないリスクも伴います。良くも悪くもハイリスク、ハイリターンな選択です。その他に、地域の中核的な発達障害診療を担っている医療機関もあります。小児や障害者の病院、療育センターに附属している診療所などがこうした役割を担っていることが多いでしょう。こうした機関の専門性は高く、既存の診療技術に限って言えば、研究機関と比べても遜色がないことが大半です。また入院治療の機能を持っていることもあります。一方でこうした医療機関は比較的広域(都道府県単位)などから患者がきていることが多く、地元に密着した支援機関や学校の情報などはやや医療者に集まりにくくなります。また地域への医療サービス提供の責任を負っているので、新規患者優先、診断と投薬優先になりがちです。発達障害専門の小児科や児童精神科のクリニックなどを中心とした地域密着の医療機関も増えてきました。こうした医療機関は医師によっては、非常に高い専門性を持っていることもありますし、アクセスも良く比較的患者数も少なく、丁寧な診療が可能であることもあります。また何よりも地元の情報が集まりやすいことがメリットです。ただし地域によっては医療機関の不足のため、こうしたクリニックが中核的医療機関の役割を担わざるを得なくなっていることもあります。また最近では、地域のかかりつけ医、つまり一般の小児科医や内科医の役割にも注目が集まっています。こうした医療機関は、発熱やワクチン接種などの日常の身体的な問題に対応できるのはもちろんですが、典型的な事例の診断や専門的な医療機関での診断後のフォローアップなどが期待されています。平成28年度からは厚生労働省によるかかりつけ医向けの発達障害の診療研修も開始されました。こうした医療機関は極めてアクセスがよく、また発達障害の特性を知ってもらった上で、身体医療が受けられるという大きなメリットがあります。医療以外の支援者に恵まれている場合、医療の役割は限られるので、必要な時にかかりつけ医に相談するというスタイルでも、充分に対応が可能である場合があります。年齢の高い方の場合、成人の精神科医療機関も受診先の候補になります。現状では全ての精神科医療機関が発達障害の診療に対応できるわけではありませんが、着実にそうした機関は増えています。こうした医療機関のメリットはアクセスの良好さと、何よりも併存する他の精神疾患への対応への熟練度と手立ての豊富さです。ただし構造的に成人精神科の診察時間は短いことが多いので、それに合わせた受診の工夫を考えておく必要があります。医療機関に迷ったら、身近な支援者に相談を出典 : こうした分類は医療機関の看板に書いてあるわけではないので、利用者の方からは見分けにくいかもしれません。受診の前に保健センターなどの身近な支援者や、先輩の親御さん、ペアレント・メンターなどに受診先を相談するのはよい方法です。最後に、多くの種類の医療機関があるので、専門機関のいいとこ取りをしたい、かけ持ちをしたいという気持ちはとてもよくわかります。しかし極めて恵まれた一部の地域(ほんとにそんなのところが日本にあるのでしょうか……?)を除けば、現状ではそれはマナー違反であると考えるべきでしょう。必要な人が、少しでも早く、少なくとも正しい診断と診断書、時には薬物療法にたどり付けるような気遣いができる、余裕が持てるとよいですね。
2016年10月05日世界三大ミスコンの一つに数えられる「ミス・ワールド2016日本大会」が5日、都内で行われ、東京都出身の吉川プリアンカ(22歳)がグランプリに輝いた。ミス・ユニバース、ミス・インターナショナルと並んで世界三大ミスコンに数えられる同コンテストは、1951年にイギリス・ロンドンで第1回大会が行われて以来毎年開催。世界三大ミスコンの中では最も歴史が長く、今年で66回目を数える。今年の世界大会は11月29日から12月18日にアメリカ・ワシントンDCで開催。その世界大会への出場権をめぐって、応募総数6,920人の中から選ばれた31人のファイナリストが選考会に臨み、東京都出身で通訳の吉川プリアンカさんが日本代表に選出された。自分の名前を呼ばれて思わず目頭が熱くなった吉川さんは「本当にありがとうございます。今、ここに立てているのは、ミス・ワールド事務局の皆さま、スポンサーの皆さま、そして家族や友人、私に関わってくれたすべての人のお陰だと思っています」と感謝の言葉。11月29日からアメリカで行われる世界大会に向けて「すごく楽しみです。身体作りも日本の和心もしっかりと世界に伝えて堂々とパフォーマンスをしたいと思います」と抱負を語った。ミスコン初めての挑戦で見事グランプリを射止めた吉川さん。「夢みたいで、まだ現実味ではありません」と驚きながらも「自分を信じ、いかに楽しむかということに集中しました。特別な工夫はしていません」と自然体でステージに臨んだことを告白。そんな彼女はインド人の父と日本人の母を持つハーフで、英語と日本語の通訳の仕事をしながらモデルも兼業しているという。「今後は国内だけでなく、グローバルに活躍したいので、インドでもお仕事ができれば光栄です」と世界にも目を向けていた。なお、準グランプリには山下ひまわりさん(22歳)、槙野美里さん(25歳)、ロバートソン夏妃さん(22歳)、審査員特別賞には小森しずかさん(26歳)、鈴木早紀さん(24歳)、如月さえさん(23歳)、林真由さん(27歳)がそれぞれ選ばれた。
2016年09月06日