4月17日に入院加療を発表した歌手の太田裕美(69)が4月30日、所属レコード会社の公式サイトでファンへのメッセージをつづり、今年いっぱい治療に専念すると明かした。17日に「太田裕美は先日より体調を崩し、医師の診察を受けたところ、入院加療が必要との診断でございました」と公表。6月に予定していたコンサートへの出演を見合わせ、「本人は体調回復を優先し、療養に努めております。復帰まであたたかく見守っていただければ幸いでございます。何卒宜しくお願い申し上げます」と呼びかけていた。そしてきょう30日、太田自身が「ファンの皆様へ」と題し、近況を報告。「地獄の釜の蓋に足を引っ掛けて、危うく中に落ちそうになりましたが、奇跡的なタイミングのよさで、林基弘先生と丸山隆志先生という二人の名医に出会い、切らずに治す最先端の脳治療システム『ZAP-X(ザップ・エックス)』によって、救っていただきました。おかげさまで、まだ生きています」と説明した。その上で「すでに入院生活も長くなりましたが、覚悟を決めて、今年いっぱいは、周りの人ちに助けてもらいながら治療に専念することにしました。今年11月1日で『50周年』を迎えますが、それを記念する活動には、来年年明けからあらためて、笑顔で務められるよう、今はしっかりと静養に努めたいと考えています」と伝えた。また、「ところで、SNS等で私のことを、コロナワクチンのせいでガンになったなどとおっしゃっている方がいるようですが、実は私はコロナワクチンは一度も受けておりませんし、これまでコロナに罹ったことも一度もありません。事実と反することが伝わっていくのはとても悲しいので、やめていただきたいです」と明記した。太田は1974年「雨だれ」でデビュー以後「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」「九月の雨」「さらばシベリア鉄道」「君と歩いた青春」など数えきれない名曲を歌い、フォークと歌謡曲のジャンルを超えた新しいシンガーとして、活躍している。■太田裕美コメント全文ファンの皆様へご心配をお掛けしています。太田裕美です。たくさんのお気遣い、励ましのお言葉、本当にありがとうございます。地獄の釜の蓋に足を引っ掛けて、危うく中に落ちそうになりましたが、奇跡的なタイミングのよさで、林基弘先生と丸山隆志先生という二人の名医に出会い、切らずに治す最先端の脳治療システム「ZAP-X(ザップ・エックス)」によって、救っていただきました。おかげさまで、まだ生きています。すでに入院生活も長くなりましたが、覚悟を決めて、今年いっぱいは、周りの人たちに助けてもらいながら治療に専念することにしました。今年11月1日で「50周年」を迎えますが、それを記念する活動には、来年年明けからあらためて、笑顔で務められるよう、今はしっかりと静養に努めたいと考えています。ところで、SNS等で私のことを、コロナワクチンのせいでガンになったなどとおっしゃっている方がいるようですが、実は私はコロナワクチンは一度も受けておりませんし、これまでコロナに罹ったことも一度もありません。事実と反することが伝わっていくのはとても悲しいので、やめていただきたいです。そんなわけで、しばらくはみなさまとお会いできませんが、日々着実に快方に向かっておりますので、どうかご安心ください。よろしくお願いいたします。2024年4月30日太田裕美
2024年04月30日歌手の太田裕美(69)が入院加療が必要と診断され、休養することが17日、所属レコード会社などの公式サイトで発表された。6月に予定していたコンサート2公演の出演を見合わせる。ソニー・ミュージック公式サイトでは、所属事務所フライングダッシュの名義で「太田裕美は先日より体調を崩し、医師の診察を受けたところ、入院加療が必要との診断でございました」と報告。出演を見合わせるのは、6月1日予定の東京・EX THEATER ROPPONGI『太田裕美コンサート2024~初めてのオールリクエスト大会~』と、6月16日予定の長野・須坂市文化会館メセナホール『富澤一誠プロデュース「フォーエバーヤング2024~歌とトーク満載のフォーク・コンサート」』。「ファンの皆さまと元気にまたお会いできる日を楽しみに、現在、太田裕美は治療に専念しておりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。また、ご関係者の皆様にも、ご心配ならびにご迷惑をお掛けしますことを心よりお詫び申し上げます」とし、「本人は体調回復を優先し、療養に努めております。復帰まであたたかく見守っていただければ幸いでございます。何卒宜しくお願い申し上げます」と伝えた。太田は1974年「雨だれ」でデビュー以後「木綿のハンカチーフ」、「赤いハイヒール」、「九月の雨」、「さらばシベリア鉄道」、「君と歩いた青春」など数えきれない名曲を歌い、フォークと歌謡曲のジャンルを超えた新しいシンガーとして、活躍している。■発表全文いつも太田裕美を応援していただきありがとうございます。太田裕美は先日より体調を崩し、医師の診察を受けたところ、入院加療が必要との診断でございました。これに伴い、以下の予定しておりました公演につきましては、出演を見合わせていただきます。急なお知らせとなり、公演を楽しみにお待ちいただいていた皆さまには誠に申し訳ございません。・6月1日(土)太田裕美コンサート2024〜初めてのオールリクエスト大会〜(会場:EX THEATER ROPPONGI)・6月16日(日)富澤一誠プロデュース「フォーエバーヤング2024〜歌とトーク満載のフォーク・コンサート」(会場:須坂市文化会館メセナホール)ファンの皆さまと元気にまたお会いできる日を楽しみに、現在、太田裕美は治療に専念しておりますので、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。また、ご関係者の皆様にも、ご心配ならびにご迷惑をお掛けしますことを心よりお詫び申し上げます。本人は体調回復を優先し、療養に努めております。復帰まであたたかく見守っていただければ幸いでございます。何卒宜しくお願い申し上げます。株式会社フライングダッシュ
2024年04月17日かわいいピックは「危ないから使えない」(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2019年に結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産しています。29日にInstagramとブログを更新し、「娘の保育園用のお弁当初日の記録。」を投稿しました。離乳食についてはYouTubeでも話していた川田さんですが、すでに長女も離乳食はほぼ終わって、お兄ちゃんや大人と同じものを食べたりしているとのこと。第一子では離乳食にかなり悩み、色々と試したけれど好き嫌いが多い一方、第二子はなんでもよく食べるため「こっちもラクできる、何でも食べてくれるからすごく作る気にもなるという感じ」だといいます。今まで、「先生も食べさせやすいかな」と考え、保育園には「スープジャーにおじやを入れて」持って行っていたという川田さん。しかし最近はしっかり食べてくれるようになったので、保育園にお弁当を持って行くようにしたそうです。公開したお弁当は、つかみ食べしやすいよう小さなボール型に握って海苔で目と口をつけた一口おにぎりと、かぼちゃ、ほぐした鮭などが入っていて、とても食べやすそう!川田さんは「しっかり冷えた状態で。可愛らしいピックは危ないから使えないお弁当はいろいろ考えないといけないんですね」と綴り、お弁当は見た目も大事ですが、それよりも「味」と「衛生面」の方がもっと重要なので、注意しながら時短で作れるように頑張りたいと意気込んでいました。(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)寒い時期でもお弁当はしっかり冷まそう梅雨や夏はお弁当の衛生面がとても気になりますが、寒い季節になると「これくらい大丈夫でしょ」と油断してしまうこともあるかもしれません。でも、作ってから何時間も経過して食べる上に、小さなスペースにいくつもの料理を詰め込むお弁当は、食材が傷みやすいものです。温かいままのご飯やおかずからは湯気が出るので、水滴が付くとその水分で食物の傷みが進みやすくなってしまいます。中身を詰めてもお弁当箱の蓋はすぐには閉めず、冷めるまで待って。蒸気を逃がしてから閉めることで、蓋の内側に水滴が付くのを防ぎます。温かいうちに蓋を閉めると、温度が下がるのに時間がかかることも、雑菌の増殖を促してしまいます。朝炊いたり温めたりしたご飯がなかなか冷めないときは、お弁当箱に保冷材を当てて急冷却する、冷蔵庫に入れて冷やすなども良いでしょう。また、傷みにくくするためには、とにかく雑菌が増えるのを防ぐこと。そのため、季節を問わず包丁やまな板など調理に使う器具は、定期的に煮沸消毒したり、除菌スプレーをするなどして清潔を保ちましょう。同じく、お弁当箱自体を清潔にしておかないと、いくら調理面で気を付けていても意味がありません。持ち帰ったら早めに洗ってよく乾燥させます。そして作ったおかずを詰めるときには、手の雑菌を付けないように清潔な箸を使うことや、ご飯やおかず同士が接触しないようカップや仕切りを使うことも意識しておくと良いです。
2023年11月30日仕事復帰のとき、スタッフに相談したこと(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2019年に結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産。現在は家族で協力しながら仕事にも復帰しています。ただ、仕事のペースはかなり落としているといいます。YouTubeでは 、視聴者から寄せられた産後に関する質問に、自身の体験談を交えて回答。はじめに「産後、些細なことで旦那にイライラするようになった」というママの声を取り上げた川田さんは、「これはみんなあるんじゃないですかね」と共感し、自身も「出産は私が頑張ったんだ」という思いから、夫にもっといろんなことを先回りしてやってほしいと思ったこともあったと話しました。ただ、思っているだけでは相手に伝わらないため「やってほしいことがあれば口に出して言う」ようにしたそう。イライラしていることやしんどいという気持ちも、まるっと伝えていくことが必要だといいます。「産後、体重は戻ったのに体型が戻らない」という相談には、自身も長男の妊娠中はプラス8kg。産後、半年ほどで自然に体重は戻ったものの、とにかくしんどくて運動などをする余裕がなく、体型は元に戻らないまま2人目を妊娠したといいます。長女のときもプラス7~8㎏で、産後もしばらくは6kgほど減らないままだったと説明。長女が1歳4カ月になり、最近、ゆるく筋トレを始めたそうですが「体型はいまだに全然」だとか。「息子の成長を周りと比べてしまう」ことに悩んでいるママに対しては、川田さんも長男が2歳の頃、周りの子どもに比べて発達や言葉が遅れているのではと気になったことがあると回答。それを保育士さんに相談したところ、「言葉に関してはもっと長い目で見ないといけない」「全然心配することないです」と言われて安心したそう。その経験から、少しでも気になることがあったらプロに聞くのが一番だとアドバイスしていました。「仕事復帰を控えている中、卒乳できるか心配」というお悩みには、1人目と2人目で卒乳の時期が全然違ったと明かしました。長男は母乳がうまく吸えなかったためにミルクを飲ませるしかなく、授乳が不規則で乳腺炎にもなり、早めに断乳したそう。一方、長女は母乳のみで問題なかったものの、仕事復帰後を考えて1日1回は哺乳瓶でミルクをあげるようにし、誰かに預けた際にも対応できるようにしていたといいます。ただ仕事復帰後も母乳を続けるため、事前にスタッフと相談して収録の合間に搾乳の時間をとってもらっていたのだそう。川田さんは「『恥ずかしい』とか『迷惑かな』とか思わず、仕事復帰した後も(母乳育児を)続けたいんだったら続けた方がいい」と、仕事復帰のためだけに卒乳するのではなく、仕事先に相談して搾乳の時間や場所を調整してもらうこともひとつの方法だと話していました。「搾乳」するときに気をつけたいことは?母乳を保存したい場合、まずは母乳をしぼります。これを搾乳(さくにゅう)といいます。保存した母乳を赤ちゃんにあげるときには、いくつか注意点があります。まず、しぼった母乳に雑菌がなるべく入らないよう、搾乳は清潔な環境で行いましょう。搾乳前には洗浄剤で手を洗って、清潔な状態にします。搾乳器や母乳を入れる容器などの搾乳用品も、使うたびに食器用洗剤で洗って乾燥させましょう。保存の際、常温か冷蔵か冷凍かで使用可能な時間が異なります。すぐに飲ませるのであれば常温でもOKですが、当日飲ませないのであれば冷蔵、ストックしておくのであれば冷凍保存をします。ただし、冷凍であってもずっと保存できるわけではありません。適正に管理するため、搾乳した母乳を入れる容器に搾乳した日時を書いておきましょう。また、飲み残した母乳には雑菌が混入してしまうので、もったいないと思っても必ず捨てるようにしてください。参照:【助産師監修】 母乳の搾乳&保存方法と解凍方法、気をつけたい注意点4つ
2023年11月09日「病院=注射=痛い!」と思っているはずが……(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2020年に第一子となる男の子、2022年に第二子の女の子を出産。10月になり、かかりつけの病院でインフルエンザの予防接種を受けてきたそうです。日本全国で異例の流行を見せているインフルエンザ。しかし流行の本番は冬で、今のうちからワクチンを接種しておくことが勧められています。川田さんは3歳の長男を連れてインフルエンザの予防接種を受けに行ったそうですが、長男はおよそ1ヶ月前に日本脳炎のワクチン接種をしたため「病院=注射=痛い!」という印象がついている可能性があり、「すんなり行ってくれないだろうなぁ」と覚悟していたといいます。ところが、母の予想はいい意味で裏切られ、朝から「病院いく。注射こわ(く)ないよ!」と言われた川田さんはビックリ。とはいえまだ油断禁物、川田さんは「そうは言っても、着いて中に入ったら大泣きでジタバタするんだろうなぁもう大きくなってきてるから押さえつけるのとか嫌だなぁ」と思いながら病院に連れて行ったものの、長男はいざ先生の前でも「注射こわ(く)ないよ!!」と堂々としていたそう。「ただ、顔はめちゃくちゃこわばっていて今にも泣きそう強くならなきゃ!と子供なりに思っているんだなぁと感じて心がギュッとなりました。」(川田裕美さんオフィシャルブログより)注射を頑張ったご褒美として用意していた新しいおもちゃも必要なかったかと思うくらい、立派に予防接種を打ち終えた長男に、「お兄ちゃんになったなぁと感じた瞬間でした」と感慨を覚えたことを綴っていました。「今まであんまり進まなかったご飯もこんなに大きな口で食べるよ!」と、母である川田さんも成長をひしひしと感じているようです。(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)子どもの注射、どんなふうに伝える?注射を怖がるお子さんは少なくありません。その恐怖心を少しでも軽減するため、どんなことができるでしょうか。メンタル面でのポイントをいくつかご紹介します。・注射の必要性をわかりやすく伝えるワクチン接種の場合は、病気を予防するためのものであるという説明をしっかりしてあげましょう。注射をテーマにした絵本を一緒に読むのもおすすめです。・痛む時間は限られていることを伝える注射の痛みはずっと続くわけではなく、「ちょっとチクッとするけど、3つ数える間に終わるよ」など、どのぐらい我慢したら終わるのかを伝えてあげると、不要な不安から解放されやすくなります。・安心できる「お守り」を持参する不安や緊張が強い子には、安心できるぬいぐるみやおもちゃがあれば、それを持っていってもいいでしょう。・ご褒美の約束をする苦手なことを乗り切るには、やはり「ご褒美」があるとがんばりやすくなります。ささやかでいいので、楽しみにできるものを予告してあげられるといいですね。・脅しや否定的な言葉は使わない注射への恐怖を取り除こうとするあまり、別の不安を煽るような声掛けになってしまうのは避けたいところです。「注射しないと、怖い病気になっちゃうよ」「これくらい、みんな我慢してるよ!」「もう〇歳でしょ!」これらの言葉は、子どもに素直な気持ちを言いづらくさせ、より不安を強めかねません。(マイナビ子育て編集部)参照:大人にも多い「注射が怖い」に効果ありの対処法!子供の予防接種はいつ・どう伝える?【心理カウンセラー解説】
2023年10月04日漫画家森下裕美の公式グッズの企画販売をしているゴマちゃんホンポ(運営会社:ものつくり株式会社)は、毎年9月9日をゴマちゃんの「キュ~」という鳴き声にちなんで「ゴマちゃんの日」としてキャンペーンを行なっており、今年は少年アシベ連載開始から35周年のアニバーサリーイヤーでもあることから、森下裕美直筆イラストとぬいぐるみなど豪華賞品が当選するプレゼントキャンペーンを2023年9月9日(土)より開催します。9月9日はゴマちゃんの日■Twitter(X)キャンペーン:みんなの #ゴマちゃんの日 投稿募集!<参加方法>(1) 森下裕美公式アカウント(@Morishita_oop)をフォロー。(2) Twitter(X)上で、あなたのゴマちゃんの思い出や、ゴマちゃんのぬいぐるみなどのグッズの画像、自作イラストなどの投稿に #ゴマちゃんの日 のハッシュタグをつけてツイート。(3) 抽選で9名さまにゴマちゃんのぬいぐるみをプレゼントするほか、森下裕美先生が選んだ1名に書き下ろしの直筆イラストをプレゼント。(当選者にはDMでご連絡いたします)※非公開アカウントではご参加いただけません。※キャンペーン期間中であれば何度でもご参加いただけます。応募期間:2023年9月9日(土)9:00~24:00 ツイート分まで。■「少年アシベ」概要「少年アシベ」とは森下裕美による漫画作品。小学1年生のアシベとゴマフアザラシのゴマちゃんを中心にさまざまなキャラクターが登場する4コマ漫画として1988年にヤングジャンプで連載開始。1991年にTVアニメ化されゴマちゃんブームを巻き起こす。2016年にも再アニメ化され、現在も漫画アクションにて小学3年生になったアシベとゴマちゃんを描いた「小3アシベQQゴマちゃん」、月刊アクションにて高校生になったアシベの青春群像劇「青少年アシベ」が連載中。■会社概要商号 :ものつくり株式会社代表者 :代表取締役 田沼遊歩所在地 :〒107-0062 東京都港区南青山4-16-11-105設立 :2017年1月事業内容:オリジナルグッズの企画開発及び販売資本金 :100万円 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2023年09月05日子ども2人の同時体調不良は「あるある」(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産。YouTubeでは子育てに関する等身大のエピソードや情報を発信することも多くあります。そんな川田さんには視聴者からたくさんの質問が寄せられているといい、動画では質問に回答するかたちで3歳長男と1歳長女の2歳差育児について明かしました。自身と同じく2歳差育児をしている人からの「2歳差育児、つらくないですか?」という質問に「もちろんつらいときはあります」「2人とも手がかかります」と率直に回答した川田さん。つらいときは、先輩ママにもらった「かわいいときは一瞬しかない」という言葉を支えに乗り切っているといいます。また、「2歳差育児で子どもが体調不良になったときが不安。その際の注意点を教えてほしい」といった質問も寄せられました。子どもが同時に体調不良になるのは「あるある」だとし、「そうなったときにどうするのか」が大事だとアドバイス。「万が一」ではなく、「あるだろう」と想定して、その場合の仕事をどう調整するか普段から夫とよく話し合っているとか。子どもの急な体調不良に備えて「いろんなパターンを考えておく」そうです。子どもの食事に関する質問にもたくさん回答しています。長男のときは離乳食や幼児食のレシピ本などを参考にしていたものの、長男は偏食気味で本に書いてある通りには進まなかったと言い、長女のときはもう本などを参考にすることはやめに。現在はお腹が弱い長女のために柔らかめのご飯を用意し、大人用のおかずを少しずつ与えたりしているとのこと。「離乳食を全然食べない」という悩みに対しては、長男は食べムラがあったので、長男の離乳食についてはマイペースに進めるようにし、1歳過ぎてからも適宜フォローアップミルクを与えるなどして栄養を補っていたそうです。ちなみに、食事作りの買い物と献立決めでは「献立を決める」のが先で、普段は「冷蔵庫の中身をチェックして足りないものだけを買う」という川田さん。子どもたちの食事は基本的にフリージングしてストックしているそうです。忙しい日は料理せず、デリバリーやお惣菜で済ませることもあるそう。無理して自分を追い詰めず、頼れるものに頼りつつ少しでも負担を減らすことは、家族みんなが笑顔で過ごすために大切なことですよね。(大人のごはんも美味しそう!※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)(離乳食作りの様子。塩抜きしたしらすを裏ごし※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)フリージングした離乳食やおかず、解凍のコツは?離乳食をフリージングしておくと、支度が楽になって便利ですよね。ただ、冷凍したものを自然解凍するのはNGだということはご存じでしょうか。解凍の基本は、食べさせる量を取り出し、電子レンジや鍋などで再加熱するという2ステップだけでOK。心がけるべきは、決して自然解凍はしないこと。自然解凍では水分が溶けて水っぽくなってしまうだけでなく、冷凍中に繁殖した雑菌でお腹を壊してしまう危険性もあるためです。おいしく安全に食べるためにも、解凍の際は熱々にしっかり加熱しましょう。鍋などで解凍するときは、汁気をひと煮立ちさせるのが加熱の目安です(もちろん食べさせる時には適度にさまします)。また、食材の状態や電子レンジの種類によっては、どうしても加熱ムラができてしまうことも。加熱後は全体を混ぜ、まだ冷たい部分や加熱が足りない部分があれば10~20秒ずつ加熱し、混ぜながら様子を見ていきましょう。全体に十分に熱が通ったらOKです。参照:保存版|離乳食のフリージング術6つと失敗しない解凍のコツ【管理栄養士監修】
2023年08月29日「そんな簡単なものではありませんでした」(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産。家族で協力しながら、育児と仕事を両立しています。YouTubeでの育児に関する情報発信も好評な川田さんですが、最新動画では「以前からゆっくりお話したいと思っていた仕事と育児の両立について。永遠のテーマというか課題かなという気がするんですけど、みなさんはどうでしょうか?」と語りかけ、自身の経験談や考え方を述べています。川田さんは以前から「結婚しても、子どもが生まれても仕事を続けたい」と考えており、夫もそれを「応援する」と言ってくれていたため、妊娠中も育児と仕事の両立について大きな不安はなかったそう。しかし、実際は「そんな簡単なものではありませんでした」と大きな困難を感じたことを明かします。仕事復帰してから「悩むこと」「自分が悲しくなること」「人に迷惑をかけること」もたびたびあるそうです。今から3年ほど前の長男出産当時はコロナ禍で、テレビ番組の収録も生放送もリモートに切り替わったため、家で子どもと過ごしながらリモートでテレビ出演などをこなし、徐々に復帰していったそう。ここまでは良かったのですが、長男が保育園に入園してから最初の壁にぶつかります。入園から2週目に長男が風邪をひき、「こんなに急にお迎えに来てくださいって電話があるのか」と愕然。そうしたケースの対処法をしっかり考えていなかったことに気づかされたのです。子どもが体調を崩した場合は「私か夫、どちらかいれる方が一緒にいればいいだろう」となんとなく考えていた矢先に、風邪で保育園に行けない状態になってしまい、とても困ったという川田さん。自分や夫の仕事が調整できなかった場合はどうするのか、祖父母にも頼れなかった場合、ベビーシッターを利用する場合、病児保育を使用する場合は……など、さまざまな対処法を想定していくべきだったと反省したと振り返ります。「すごく迷惑をかけてるような気がして……」(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)出産してから、産前は普通に受けていた仕事も、断らざるを得なくなりました。川田さんは、宿泊を伴うロケ、早朝や夜遅い時間の仕事はできないことを事務所に相談しましたが、自分自身「どれだけの人に迷惑がかかっちゃうんだろう」と悩んでいたといいます。しかしその後、「でもそれは(周囲に迷惑をかけるというのは)自分の考え過ぎなのかな」と思い直します。というのも、「自分が思っている以上にちゃんと話せばわかってもらえるんですよね。同じように子育て経験のある先輩だったり、上司の方も多いと思います。こっちがものすごく悪いことをしているような気になっても、サポートしてくださるんですよね」。SNSを通じて「産休育休に入るのがとても悪いことのような気がする」「上司に言いづらい」といった悩みを吐露するコメントが届くといい、「本当にわかる、私もそうでした。すごく迷惑をかけてるような気がして……」と、かつて同じように悩んだという川田さん。でも、川田さんが気づいたのは「誠心誠意伝えることが大事」だということ。「仕事を一生懸命やりたい、でもおうちにもいなきゃいけないという状況で、どうしたらいいかわからないなら、わからないんですと正直に伝えるのが一番いいんじゃないかなと思います」「会社の人に対してもそうですし自分のパートナーに対してもそうなんです」と、自身の経験から語ります。パートナーにはつい「言わなくても察してほしい」と甘えてしまいがちなものですが、「私がこれだけ頑張っててこれだけ悩んでるんだからわかってよっていうのが一番ダメなんですよね」とも。このモヤモヤを解消するにはやはり、とにかく話し合うことが大切で、仕事先にはもちろん、パートナーにもしっかりと共有しながら進めていくことで、ちょうどいいやり方が見つかるのではと話していました。身軽だった頃と比較して仕事量は「うんと減っている」と言いますが、満足度は変わらないし、1つ1つの仕事を大事にしたい気持ちも変わらないという川田さん。3年かけてようやく、うまく回りだしたかなと笑顔を見せていました。「夫も私もやりたい仕事をあきらめることはとても多いです。その一方で、子どもと過ごせる時間が増えてみんなニコニコしていられると、また仕事に対するモチベーションも上がるんですよね」(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)病児・病後児保育は事前のリサーチを保育園に入園すると、多くの子どもがさまざまな感染症にかかります。もし登園停止になる感染症にかかったら、数日程度休む必要があります。たとえば乳幼児のインフルエンザの場合、発症日を0日として5日間経過かつ解熱の翌日から3日間経過するまでは登園できません。子どもが体調を崩したら、パパママ問わず保護者が普通に仕事を休める社会であってほしいですが、現状では必ずしもそうではありませんし、様々な事情から仕事を休めない方もいます。そこであらかじめ調べておきたいのが病児・病後児保育サービスです。病児保育は病気の急性期にも預けることができ、病後児保育は急性期をすぎてから預けることができます。保育園のような施設型、ベビーシッターのような派遣型があり、自治体が運営しているもの、企業やNPOなどが運営しているものなどがあります。施設を探すには検索アプリサービスなどが便利です。どの病児・病後児保育でも必ず事前登録や申し込みが必要ですから、職場復帰前に調べておき、複数のサービスに申し込みをしておくといいでしょう。また、それぞれの病児・病後児保育によって要件は様々なので、利用前によく確認しましょう。
2023年08月18日長男と長女のオムツはたっぷり1ケースずつ持参!(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)川田裕美さんは2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産。YouTubeで育児に関するさまざまな動画を公開しています。そんな川田さんは先日、家族で海外旅行に行ってきたそうで、最新動画で子どもとの旅行で持っていってよかったアイテムを紹介しています。スーツケースとは別に、トートバッグやリュックにもなるマザーバッグを機内持ち込み用として活用したという川田さん。中にも外にもたくさんポケットがあり、外側のポケットには水筒やパスポートなどすぐに取り出したいものを入れていたそうです。また、小さな子どもは着陸・離陸時の耳抜きができずにぐずることがありますが、その時間に合わせて長女にはミルク、長男には飲み物やアメを与えるようにしていたため、落ち着いて過ごせたそう。ミルクは、水で溶ける個包装のスティックタイプが「とても便利」だったといい、長女が嫌がらずに飲めるか事前に試した上で持っていったそうです。機内で食べさせるおやつもたっぷり持参。時間をかけてゆっくり食べてくれるものとしてお米と野菜でできたおせんべいを、そのほかにビスケットや赤ちゃんせんべいを食べさせたといいます。さらに離乳食も持参し、使い捨てのカップとスプーンで食べさせたそう。スプーンは、長めのものと小さめのものを両方用意すれば、大人も使えて便利とのこと。なお、海外では子どもの椅子がすぐに借りられないこともあり得るため、チェアベルトも役立ったそうです。川田さん曰く「くっつき虫がいました」お兄ちゃんとなった長男もまだまだママに甘えたい盛り♪(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)旅行の荷物の中でも特にかさばるのがオムツですが、海外で現地調達した場合、サイズが合わなかったり子どもが嫌がったりすることも考えられるため、川田さんは多めに1ケース分持っていったそう。ただ、帰りにはオムツの量が半分以下に減っていたため、そこまで大荷物になることはないと感じたようでした。そのほか、子ども用のシャンプーとボディーソープ(トラベルサイズ)、整腸剤、現地で洗濯する際に使う子ども用のハンガーなども用意したという川田さん。旅行時の荷物は「大人のものはなんとでもなる」ものの、子どものものは普段から使い慣れているものや、事前に試して子どもに慣れさせたものを持っていくことが、旅先で快適に過ごすために大切だと明かしていました。✅藤本美貴さん、「子どもが電車でぐずらないか不安」の声に「全然不安じゃなかった」理由子どもとの海外旅行ではタブレットが大活躍子どもとの海外旅行で飛行機に乗る際、やはり気になるのが「子どもが機内で騒いだりしないか」ですよね。子どもの年齢にもよりますが、iPadなどのタブレットがあると落ち着いて過ごしやすくなるでしょう。子ども向け無料アプリでも十分に遊ぶことができますし、子どもの大好きな番組やアニメなどをあらかじめダウンロードしておけば、機内でも静かに鑑賞してくれるので、とても助かります。ただし、機内で音を出しての視聴はできませんのでイヤフォンやヘッドフォンは必須。イヤフォンは耳が痛くなり、子どもが嫌がることが多いので、キッズ用のヘッドフォンを用意しておくのがオススメです。きょうだいがいる場合は、イヤホンを二股にするジャックを用意しておくと便利ですよ。また、赤ちゃん連れのファミリーのために、サポートサービスを用意している航空会社や空港もあるので、旅行前にチェックしておくと安心ですね。(マイナビ子育て編集部)参照子連れ海外旅行♪あったら便利な機内持ち込みグッズ10選【医師監修】赤ちゃんとの旅行はいつから?持ち物や移動方法、宿泊先選びなどのポイント
2023年07月25日「いい意味で力が抜けている」二人目の育児高橋真麻さんとは2歳差育児のママ同士(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の男の子、2022年に第二子の女の子を出産した川田裕美さん。長女はすくすくと成長し、1歳の誕生日を迎えました。YouTubeで バースデーパーティーの飾りつけをしながら、長女の妊娠中について振り返り、このところの成長ぶりについて話した川田さん。長女の妊娠中は、当時1歳だった長男のお世話もあり「ゆっくりしたマタニティライフはまったく送れなかった」といいますが、毎回の妊婦健診でお腹の赤ちゃんの様子を聞くのが楽しみだったそう。どちらも出産時はコロナ禍で、特に長男のときは夫が出産に立ち会いできる時間がかなり短かったそう。そのため、二度目の立ち会いとなった長女のときも夫は不慣れで「助産師さんの方が、頼りがいがあった」のだとか。助産師さんにいきみ逃がし用のテニスボールを渡された夫は、まだ陣痛が始まっていないにもかかわらず川田さんの腰に当てようとしたために「今違う!そこじゃない!」と怒ってしまったというエピソードも明かされました。(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)そうして無事産まれた長女は、とても活発な女の子に。最近は高速ハイハイで移動し、つかまり立ちや伝い歩きをして動き回っているそうで、バイバイ、パチパチ、指差しができるようになったほか、マンマ(ママ)、ないない(いないいないばあ)などの言葉も出てきたようです。また、夜中の授乳なしでもぐっすり寝てくれる日がちらほら出てきたため、その流れで夜中の授乳をやめてみたところ、問題なく寝てくれるように。現在は母乳を完全にやめて、寝る前にミルクを飲ませた後、寝かしつけに入るというルーティンだそう。一方で、長女の離乳食が「全然先に進まない」という悩みも。長女は食べることは好きなものの、離乳食をペースト状からちょっと大きくするとそのまま消化されずに出てくることが多く、ゆるいうんちでお尻が荒れてしまうことも。医師に相談すると「本当にゆっくりでいい」とアドバイスされたため、長女のペースに合わせて離乳食に取り組んでいるといいます。そんなふうに悩むことはあるものの、焦りはないという川田さん。二人目ということもあり「いい意味で力が抜けている」といい、他の子と比べて成長が早い・遅いといったことを気にせず、我が子の成長に合わせた見方をするよう意識しているようです。離乳食の時期は下痢になりやすい離乳食を始めたころや、進めるなかで赤ちゃんの便の状態が変わることはよくあります。離乳食を始めると、母乳やミルクだけをあげていた時期に比べて、明らかにうんちの形や臭いが変化しますが、これは、食べ物や飲み物に合わせて消化の仕方も変わっていくためです。ただ、赤ちゃんは内臓機能がまだ成熟していないため、形や臭いが変わるだけでなく、ときに下痢や便秘になってしまうこともあります。赤ちゃんのうんちは、大人に比べてもともとゆるめですが、「いつもよりうんちの回数が増えた」「いつものうんちよりもさらにゆるい、または水っぽい」といった場合は下痢の可能性があります。うんちの回数は個人差が大きいので、その子の普段の回数を把握しておくと良いでしょう。もしいつもよりもゆるいうんちが続いたり、機嫌が悪かったり、食欲がない、元気がないといった時には、病気による下痢かもしれないので、かかりつけの小児科で相談してください。
2023年06月29日長女が保育園デビュー!「いざという時に備える」体制づくり(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の長男、2022年に第二子の長女を出産した川田裕美さん。YouTubeでは生後11ヶ月になった長女の成長ぶりを報告しています。最近、動きがかなり活発になってきており、つかまり立ちや伝い歩きもできるようになってきたという長女。先日保育園デビューも果たし、今は慣らし保育中だそう。保育園に通い始めの時期は、集団生活で風邪など感染症にかかることがしょっちゅうですよね。川田さんは長男のときの経験から、仕事と育児を両立するためには子どもが急な体調不良で保育園を休むときの対応を「事前に決めておいた方が良い」と実感。現在は、義母、自身の親、シッターさんと連携して「いざという時に備える」体制を作っているそうです。長女の食事は離乳食+ミルクが中心で、お腹の調子に合わせて臨機応変に対応しているそう。「お手本みたいな感じの離乳食にはできていない」という川田さんですが、子どもの体調や食べ具合に合わせて進めていくのが一番ですよね。情緒面も発達してきて、「マンマンマンマン」と発したり、手を振ったり、大人の言葉をマネしようとしたりする様子が見られるようになってきたとか。「マンマンマンマン」がママのことを指しているのか、それとも「マンマ(ご飯ちょうだい)」の意味なのかはわからないものの、少しずつ意思疎通の兆しが見えてきて、川田さん自身も楽しいといいます。そんな長女のお気に入りの遊びはピアノを弾くこと。子ども用のピアノでの「リサイタルが始まる」そうで、音楽が大好きで曲に合わせておしりをフリフリすることも。おむつ交換を嫌がるときは川田さんが「どんぐりころころ」などの童謡をエンドレスで歌って気を逸らすワザを使っているそう。音楽に合わせてのおしりダンス、可愛すぎますね!(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)生後11ヶ月の赤ちゃんは音楽に興味津々!生後11ヶ月ごろの赤ちゃんは、周囲の音への反応が盛んになり、音楽には特別な興味を示すようになります。楽しい音楽が流れると喜んで腕やお尻を振ったり、楽しそうに声をあげたり。幼児向けの音楽や歌を流して大人も一緒に踊ってあげると喜びます。意味のある言葉はまだ話せないことがほとんどですが、大人の言っていることはある程度理解するようになります。たとえば、大人が「ちょうだい」と手を出すと持っているおもちゃなどを渡す、「ごはんだよー」と呼ぶと自分のダイニングチェアに座ろうとするなど、単語と行動のつながりがなんとなくわかっていると感じる行動が見られるようになります。まだ喋ることができなくても、意味のある単語が出るまでの大切な段階なので、意識的に話しかけてあげましょう。ただ、上記のような発達がどの月齢で見られるかは個人差があるものです。生後半年以降は、赤ちゃんの成長の個人差がかなり目立つようになり、特に「完了食に近づく」「つたい歩きや手放し立ちができる」「喃語(なんご)が増える」など、食や身体機能、発語などの発達が進むこのころは、つい他の子と比べて気にしてしまうかもしれません。発達の個人差は、性格の表れ・個性とも考えられます。子供の成長・発達で気になることがある場合は一人で悩まず、小児科医や保健師に相談してください。
2023年05月30日「むしろ遅くてもいい」と思っていた(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)2019年に一般男性と結婚し、2020年に第一子の長男、2022年第二子の長女を出産した川田さん。YouTubeの最新動画 では、このところ長男のトイレトレーニングに取り組んでいると明かしています。トイレトレーニングを始めようと思ったのは、息子の「おむつがあまり濡れなくなってきた」ためで、身体の発達的に「膀胱におしっこを溜められる」ようになったのでは? と思い、トイレトレーニングに踏み切ったそうです。まずは「トイレ行く?」と声かけからはじめ、徐々にお風呂の洗い場で自力でおしっこを出せるように。すると、そのうち保育園の先生から「トイレでできましたよ」という報告を受けるようになったといいます。現在もおむつを使用しているものの、子ども用の補助便座と踏み台を使ってトイレでも成功することがあるそうで、成功したときは、思いっきり褒めるようにしているといいます。川田さんはもともとトイレトレーニングに焦りはなく、むしろ遅くてもいいと思っていたそう。それは、おむつ卒業必須の幼稚園に通うなどの特別な理由があるわけではないのに、早めにやり始めてうまくいかず自分がイライラしたり、息子にもイライラが伝わったりするのは避けたいと思っていたから。仕事をしながら育児していることもあって、「息子と意思疎通できるようになり、自分も余裕があるとき」に取り組めばいい、と考えていたそうです。ただ、余裕を持ってトイレトレーニングを進めるつもりではあるものの、「いつからトレーニングパンツに切り替えればいいのか」「他の家庭ではどういう感じで進めているのか」「完了まで何ヶ月スパンでみればいいのか」などなど、気になることはいろいろあるという川田さん。今回の動画を受けて、コメント欄には「保育園の先生から、そろそろパンツにしてみませんか?って言われて、パンツにかえたらすんなりオムツとれました」「トレパンにオムツ履かせれば漏れても安心かなぁなんて聞いたのでやってみようかなと考えてみたり」と、同じようにトイレトレーニングに取り組んでいる保護者たちからさまざまな反響が寄せられていました。✅4歳娘の「オムツ」指摘に、森渉さん「早くオムツ取れるとそんなに大きなメリットありましたっけ」と反論母の日には長男が選んだ素敵なカーネーションをもらったそう(※画像は川田裕美さんオフィシャルブログより)トイトレは子どものがんばりを認めてあげるトイレトレーニング中のおもらしは幼い子どもにはつきもの。でも、子ども自身「うまくできなかった」という自覚はあるので、傷ついてしまうこともあります。だからこそ、失敗しても「もう少しだったね」と子どものがんばりを認めてあげることが大切。そのうえで、「今度はおしっこをしたくなったらもう少し早めに行ってみよう」と、今後のために具体的に何をすればいいかを伝えるといいでしょう。もちろん、できたら思いっきりほめることも忘れずに。トイレトレーニングを始めると、おもらししたときの掃除や洗濯など家事負担は増えますし、イヤイヤ期と重なってしまうとイライラが増幅してしまうなど、大変なこともあります。さらに、「お友達はもうおむつがはずれている」とつい比較してしまったり、世代間ギャップによる祖父母世代からのプレッシャーを受けたりと、焦りを感じて疲弊しがちです。排尿機能の発達には個人差があり、早ければ3歳くらいで完成しますが、7〜8歳でも完成しない子もいます[*1]。また、うんちに関しても子どもによってこだわりがあり、トイレ以外の場所でしゃがんで出したがる子や、おしっこはトイレでできるのにうんちはオムツで出したい、という子もいます。無理にトイレに誘うと、出すのを我慢して便秘の原因になったり、便秘を悪化させたりすることがあります。子どもが嫌がるようならトイレで排便させることは急がず、おしっこで慣れてからうんちのトレーニングを始めれば大丈夫。焦る必要はまったくないので、マイペースに取り組んでいきましょう。参考文献[*1]日本小児泌尿器科学会「小児の排尿機能発達・尿失禁症」
2023年05月16日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今年、俳優生活50年を迎えた多岐川裕美さんの4回目は、“演じる”世界において女性が歳を取ることの意味、そして歳を重ねたからこそ感じる喜びについて語ります。歳を取ると役柄の幅が、男女で異なってくる?60歳くらいから思うようになったのですが、男性の俳優は歳を重ねても役柄のバリエーションが減らないのに、女優はいわゆる“おばあちゃん”の役ばかりになります。家でドラマや映画を見ていると、男性が演じる役で、おもしろそうなのが結構あるんですよ。会社を舞台にした物語が多いからなのか…などと考えたこともありますが、物語は現実の鏡でもあるわけで、改めて、日本は男社会なのだと、ここ10年くらいずっと思っています。今私たちの世代の女優にあまり回ってこないタイプで、だからこそ演(や)ってみたいと思うのは、コメディ系の役。50年俳優をやっていますが、コメディってほとんどやったことがないんです。笑っちゃうような、突拍子もない70代の女性の役とか、ぜひやりたいですね。コロナに戦争、そして不況。こんな世の中だからこそ、見終わったときに「面白かった!」と思え、なおかつスカッとするような物語が必要だと思います。少ない出番で、印象的な演技をするのが今のやりがい。俳優の仕事は、いろんな人間を生きられるのが一番の喜び。お嬢さんにもなれるし、ヤクザの恋人にも、お侍さんの奥さんにもなれる。役をいただくたびに、こうするのはどうかな、あんなことをしようかな…と考える、その時間が好きですね。特に舞台は役に対して毎回違うアプローチができるので、映像とは違う喜びがあります。ただ、年齢を重ねた女性という役が主役の物語は日本では少ないので、脇役が多いですし、おのずと出番が少なくなる。でもだからこそ、その限られた時間の中で、しっかりと印象を残す凝縮した演技が必要とされます。そこには若いときとは違う難しさ、そしてやりがいがあります。正直、まさかこの歳まで女優をやっているとは思いませんでしたが、役を探求する時間はいくつになっても楽しい。これからもまだまだ、新しい役に出合いたいです。そしてそれが出番が多い役だったら、さらに嬉しいんですけどね(笑)。たきがわ・ゆみ俳優。1951年2月16日生まれ、東京都出身。1974年、映画でデビュー。映画、テレビドラマで活躍。代表作にドラマ『鬼平犯科帳』や映画『いつかギラギラする日』など。昨年放送された連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演も話題に。※『anan』2023年4月5日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2023年04月01日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは、俳優の多岐川裕美さん。デビュー以来、目の前の仕事をこなしながら、ひたすらに走ってきたという多岐川さん。その経験の後、いま読者世代に伝えたいことを聞きました。第3回目をお届けします。立ち止まり、自分と向き合う時間を持ちましょう。忙しい時期は、ゆっくり自分のことを考える時間を持つのは難しいもの。若い頃の私はまさにそんな感じでした。30代、40代と歳を重ねる中で、どんなふうに生きたい、こんな女優になりたいといったことをほとんど考えずに生きてきてしまった。でも50歳になったときにふと、このままでいいのか、という思いがよぎりました。そこがひとつの節目でした。55歳で初めてまとまった休みを取り、初めて自分と向き合う時間を持ちました。それから少し、人生が変わったような気がします。立ち止まるタイミングが何歳のときに来るかは人それぞれですが、できれば日々の中で、自分と対話する時間を少しずつでも持つといいのでは、と思います。そのときはぜひ、テレビや音楽を消し、スマホも手放すといいですよ。静かな時間に身を置くだけで、自分の心の声が聞こえてくるものですし、なぜか自然に前向きな気持ちになれる。騙されたと思って、ちょっとやってみてください。「あとで」「今度」は来ないかもしれません。若いみなさんに私が伝えたいことの一つに、やりたいと思うことがあったらとりあえずトライを、というのがあります。人間はなにかやりたいことがあっても、いろんな理由をつけてつい後回しにしがちですよね。特に若いときは時間は無限だと思うから、「あとでやろう、今度やろう」と思うもの。でもその“あとで”や“今度”は来ないこともあるし、やろうと思ったときには年齢制限を越えてしまっていることもある。だから、会いたい人にはすぐ会ったほうがいいし、やりたいこともできるだけやったほうがいい。振り返ったとき「あのときああしていれば…」と思う回数は、少ないほうが絶対いいですから。ただ一方で、何をするにも遅いということもない。私は60歳を越えてからジムに通い始め、すっかりハマってしまいました。目下の夢は縦横の開脚!だいぶできるようになったのですが、まだまだ体が硬い…。1年後?2年後?を楽しみに頑張っています。たきがわ・ゆみ俳優。1951年2月16日生まれ、東京都出身。1974年、映画でデビュー。映画、テレビドラマで活躍。代表作にドラマ『鬼平犯科帳』や映画『いつかギラギラする日』など。昨年放送された連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演も話題に。※『anan』2023年3月29日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2023年03月26日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今月のゲストは、俳優の多岐川裕美さん。もらうのは“静”の役柄が多かった、と語る多岐川さん。でもご本人は、別のイメージの役に憧れがあるのだとか。危険な女性の役を演じた、思い出深い作品のお話も。第2回目をお届けします。イメージを打ち破ること、それは今でも私のテーマ。20代の頃は、女学生、お嬢さん、良家の娘、時代劇のお姫様といった役を多くいただきました。私が30代になり時代も変わり、日本の女性も働くように。それに伴いキャリアウーマンの役が来るようになったのはとても嬉しかったです。その後はお金持ちの奥様や、働く女性だとしても病院の院長など…。30代後半くらいから、いただく役の幅の狭さに悩むようになりました。役者という仕事は、“この人はこういう役にハマる”というイメージができてしまうと、なかなかそこから逃れられない。プロデューサーや監督が“多岐川裕美”という女優に持つイメージを壊したい。それは今でも私の大きなテーマです。新しい場所に行くために自分の殻を打ち破りたいという気持ちは、きっと女優だけではなく、どんな仕事をしている人も感じますよね。そのために、やるべき仕事に真摯に向き合いながら、その上でもっと想像力を膨らませることが大事なのでは、と思います。深作欣二監督の作品で、カミソリで男の頬を…?!いろいろな作品に出させていただく中で、我ながら私のイメージではない役を演じさせてくれたと思うのが、映画監督の深作欣二さん。そう、ヤクザ映画をたくさん撮られた監督です。撮影現場も強烈で、夜中だろうがなんだろうが、何時まででも撮影する。撮り終わらなきゃ終わらない(笑)。でも映画を撮っているときの独特の緊張感からか、体力的にキツかった思い出は全然ないんです。とはいえ今はあんな撮影はできませんから、あの経験は自分にとっては財産だと思っています。思い出の作品はいろいろありますが、若い方におすすめなのは『いつかギラギラする日』かな。現金輸送車強盗の話で、私は、萩原健一さん演じるギャングのボスの恋人役で、別荘にギャングを匿ったり、ナンパしてきた若い男の子のほっぺたをカミソリで切りつけたりするんです。あれは演(や)ってて楽しい役でした(笑)。映画のタイトルの入り方もカッコいい。配信もあるので、ぜひ見てください。たきがわ・ゆみ俳優。1951年2月16日生まれ、東京都出身。1974年、映画でデビュー。映画、テレビドラマで活躍。代表作にドラマ『鬼平犯科帳』や映画『いつかギラギラする日』など。昨年放送された連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演も話題に。※『anan』2023年3月22日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2023年03月18日人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。今週から4回連続で登場するのは、俳優の多岐川裕美さん。’70~’80年代には清純派女優として活躍。その人気は凄まじく、某大学男子学生の人気投票で1位を獲得するほどだったそう!主婦になるのが当たり前だった私が、なぜ女優に?!実は私、小さい頃から将来の夢的なことをほとんど考えたことがありませんでした。昭和の時代、女性は結婚して家庭に入るのが当たり前といわれた時代ですし、私が短大に入った途端に、母が次から次へとお見合い話を持ってくるような環境で。なので、私も主婦になるんだろうな…と自然に思っていたんです。でも、じゃあ今結婚したい?と問われると、正直そうでもない。お見合い話に反発はするものの特に将来の夢も向上心もない、そんな10代の終わりを過ごしていました。ところが、ある日突然スカウトをされ、あれよあれよとなぜか女優に。あの頃の私は特に映画が好きだったわけでもないし、芝居に対して何のイメージも持っておらず、なぜこの道を選んだのか、今考えてもよく分からない…。ただ、そんな気持ちで始めた女優という仕事はそう甘いものではなく、挫折をしまして。デビューして1年くらいで、このままではダメだと心を入れ替えました。自分の演技をテレビで見て愕然。そこが私の分岐点。デビューしてすぐに『みちくさ』というドラマに出演したのですが、放送を初めて見たとき、自分の演技のひどさに愕然。確かに私は演技を習ったこともない新人でしたが、それにしても下手だった。撮影は1年前に終わらせていたので、「私は1年間こんな演技をしていたのか…」ということがショックだし、それがこれから毎週放送されてしまうことも本当につらかった。そこで初めて、「もっとできるようにならなきゃいけない」という向上心が芽生え、仕事に対してやる気を持った気がします。でもそう思ったからといって急に演技が上手くなるわけもなく…。当時はリハーサルの度に胃が痛くなり、自分の至らなさが悔しくてセットの陰で泣いたりもしてましたね。今思うと本当に恥ずかしい(笑)。でも、主婦になると思っていた私が演技に目覚めたおかげで、結果70代になった今も女優をやっている。人生って不思議だし、面白いものだと思います。たきがわ・ゆみ俳優。1951年2月16日生まれ、東京都出身。1974年、映画でデビュー。映画、テレビドラマで活躍。代表作にドラマ『鬼平犯科帳』や映画『いつかギラギラする日』など。昨年放送された連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』への出演も話題に。※『anan』2023年3月15日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2023年03月12日11月20日に開幕したFIFAワールドカップカタール大会。11月23日夜に初戦を迎えた日本は、ドイツを相手に熱き戦いを繰り広げ、見事ドイツに逆転勝利!ドーハの悲劇から29年、令和のサムライブルーが“ドーハの歓喜”、“ドーハの奇跡”へと歴史を塗り替えました。この大金星に、日本中に歓喜の声が響き渡り、Twitterでもトレンドランキングに「日本逆転」「勝ったーーー!」などの関連ワードが席巻。日本はもちろん、海外メディアからも優勝候補のドイツを破った日本の選手に注目が集まっています。堂安律選手の同点弾、そして逆転弾でゴールを揺らした浅野拓磨選手はもちろん、日本チームの何倍も放たれたシュートを前に好セーブを見せた権田修一選手も“守護神”として大注目を浴びています。守護神・GK権田の妻・権田裕美さんも歓喜の投稿守護神・権田選手の妻・権田裕美さんも現地で応援!11月22日には「主人のいるカタールの地に向けて出発します!」と、9歳になる息子さんとの親子ショットを投稿。 この投稿をInstagramで見る ごんだゆみ(@yumigonda)がシェアした投稿 25日には興奮冷めやらぬ様子で「ずっとずっと願い続けて来たけど、まさか本当にこの日が来るなんて思っていなかった…。」と投稿。 この投稿をInstagramで見る ごんだゆみ(@yumigonda)がシェアした投稿 続けて息子さんとの2ショットを添え、「独特な雰囲気と熱気の中、W杯の大舞台に立つ主人の姿を見て、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいになりました」と感動と感謝の気持ちを投稿していました。裕美さんはInstagramのプロフィール欄に『「食とヨガ」で心と体の重心を上げる人』と綴っているように、アスリートの妻として、ヘルシー&ビューティーフードアドバイザー、ヨガインストラクターの資格を取得。食事と可愛らしい笑顔で権田選手をサポートしてきました。ドイツに勝利し、勝ち点3を得た日本。次なる対戦相手はコスタリカ。試合は11月27日(日) 19:00キックオフ予定。mamagirlも全力で応援します!あわせて読みたい🌈サカ妻&ヨガインストラクターママ・権田裕美さん【mamagirlアンバサダー#2】
2022年11月27日12月2日(金)に公開される『月の満ち欠け』より、有村架純演じる正木瑠璃の姿を捉えた新場面写真が公開となった。原作は、1983年『永遠の1/2』で第7回すばる文学賞を受賞し作家デビューしてから、『ジャンプ』『Y』『身の上話』などを手がけ、昨年は『鳩の撃退法』も映画化された佐藤正午の第157回直木賞受賞作。現代を生きる、愛する妻子を亡くした男性・小山内と、27年前にある女性と許されざる恋をした男性・三角。無関係だった彼らの人生が、”瑠璃”という名の女性の存在で交錯する、「愛する人にもう一度めぐり逢いたい」という想いが起こした”奇跡”が紡ぐ、数奇で壮大なラブストーリーだ。主人公・小山内堅を大泉洋、小山内の娘と同じ名前を持つ謎の女性、正木瑠璃を有村架純、正木瑠璃と許されざる恋に落ちる大学生・三角哲彦を、単独での映画出演は初となる、Snow Manの目黒蓮、小山内の妻・小山内梢を柴咲コウが演じる。そして、正木瑠璃の夫・正木竜之介には田中圭、小山内にある事実を伝える、娘の親友・緑坂ゆいには伊藤沙莉と、豪華キャストが集結し、壮大な愛の物語を確かな演技力で彩る。なお、本作は世界の国際映画祭で注目された話題作や邦画大作の最新作が選定される第35回東京国際映画祭のガラ・セレクションへの出品が決定している。公開された場面写真は、小山内の娘と同じ名前を持つ謎の女性、正木瑠璃を中心とした4枚のカット。正木瑠璃はレコードショップでバイトをする大学生・三角とビールを手に楽しそうに会話する姿を見せる一方、夫の正木竜之介とは重苦しい空気のなか睨み合う様子も見受けられる。穏やかな表情で何者かを見つめる瑠璃の姿が印象的なシーンの背景は、80年代の高田馬場駅前。巨大オープンセットと最新CGで再現したという、壮大なスケールの映像美にも期待が高まる1枚だ。時代が一転し、現代の小山内堅と、小山内の娘である瑠璃の親友・緑坂を写した1枚では、ふたりが深刻な様子で話しこむ姿が捉えられている。一見無関係に思える、正木瑠璃と小山内瑠璃の物語が、どこでどのように交錯するのか。穏やかでありながらどこか不穏なシーンたちは、本作の秘密めいた物語を予感させている。『月の満ち欠け』12月2日(金) 公開
2022年09月20日2022年1月9日にフリーアナウンサーの川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告。川田さんは2019年10月に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。配信最終回となる今回は、出産方法や立ち合い出産についてのほか、生まれてくるお子さんの未来のお話についても伺ってみました!出産方法は和痛分娩を選択! その理由は…?ー1人目のお子さんは和痛分娩で出産されたそうですね。なぜ和痛分娩を選ばれたのでしょうか? 川田さん:出産方法は悩みましたね。知識もなかったので、妊娠がわかってから慌てて調べました。1番最初に考えたのは年齢でしたね。妊娠がわかったときが36歳で、いわゆる高齢出産になるので、体力を温存しながら出産できる無痛分娩や和痛分娩が選択肢に出てきました。出産経験のある友だちや私の母にも話を聞いたんですけど、「和通分娩で体力を温存しながら産めるんだったら、いいんじゃない」って言ってくれて、それで和通分娩に決めました。2人目も同じ方法で産む予定です。 ー痛みを和らげる和通分娩の方法は産院によっていろいろあるようです。川田さんは実際に体験されてみていかがでしたか? 川田さん:無痛分娩と和通分娩の定義は病院によって違ってくる場合があるみたいなんですけど、うちの病院で聞いたら、無痛分娩というのは一応”完全無痛”を無痛としているらしいです。私が出産した和通分娩は1時間ほどでしたが、陣痛の痛みをしっかり感じました。「あ、なんか痛み始めたな……」っていうところから麻酔を入れたので。自然分娩に比べたら痛い時間は相当短かったと思うのですが、それでもあの痛さはできるならもっと短くしたいと思えるほどでしたね。 ー2人目も和痛分娩にしようと思われたのは、前回経験して良かったと思えたからですか?川田さん:そうですね。麻酔が効いてからは、夫に「今こんな感じ」って連絡したり、助産師さんと話しながら動画撮影用にカメラをセッティングしたり、穏やかに過ごせたのが良かったです。陣痛がきたらピピピッて音が鳴るので、それに合わせていきむのですが、痛みがない分、体力を全部いきむことに使えるんです。それでもヘトヘトになりましたから……。私は和痛分娩を選んで本当に良かったなと思いました。 1人目の経験を糧に、2人目は余裕を持って育児したいー里帰り出産の予定や立ち会い出産はどのようになりそうですか? 川田さん:里帰りは予定していません。立ち会い出産は、今のところ直前にPCR検査を受けることが条件のようです。なおかつ、夫婦2人とも陰性で、しかもワクチンを2回以上打っているというのが必須みたいですね。そして、夫1人の立ち会いが許されるという感じです。 ー厳しいようですけど、安心のためですものね。 川田さん:病院の協力あってのことなので、ありがたいと思いますね。1人目のときは、夫が入ってきて5分で生まれたので、夫も感動というよりは「わ!わぁ!すごい!」ってびっくりしていました。本当は、陣痛に耐えてる時間はこんなに苦しいんだっていうのを見てもらいたい気持ちはありますけどね。すんなり生まれているわけじゃないんだよって。 ー1人目のときはパパが育休を取られたそうですが、今回はどうされるご予定ですか? 川田さん:1人目に比べて、私の余裕がだいぶ違うと思うので、たぶん取らないんじゃないかな。1人目のときは「1カ月健診で体重が増えていたら大丈夫」というのも、なんだか信じられなかったんです。"1カ月も授乳量が足りているのかどうかわからない"という状態が耐えられなくて……。でも、2人目はゆったりした気持ちで見られますよね。あと、今はベビーシッターさんにお願いすることもあって、ほかの人の力を借りるのはダメなことじゃないって、自分たちで経験してわかってきたので、もっと周りにも頼れると思います。やっぱり1回育児を経験していると気持ちの余裕が違いますね。 自分たちが楽しいこと1番!そこから家族を考えようー出産後は2人育児になりますが、川田さんが大切にしたいことはなんでしょうか? 川田さん:周りと比べないこと、型にはめないことですね。この時期にこれができていないといけないとか、全員に絶対当てはまるわけないと思っているのですが、同じ年ごろの子どもを持つお母さんとばかり喋っていると、どうしても「うちの子はできてない」という不安も出てきちゃうので、ちょっと年上の子を育てているお母さんの話も聞くようにしています。月齢ごとに悩むことって今後もあると思うんですけど、できるだけ他の子と比べず、おおらかな気持ちでいたいですね。 ー生まれてくるお子さんとやりたいことや、思い描いている家族像はありますか? 川田さん:生まれてくる子どもと、上の息子の2人の関係がうまくいってほしいなっていうのが1番ですね。やさしいお兄ちゃんになってくれて、お兄ちゃんを助けられる下の子であってほしいなって思います。家族では……雪山に行きたいですね!夫はスキー、私もスノーボードが好きですし、小さい子がほっぺたを赤くしてソリに乗っている姿は本当にかわいいので、一緒に雪山に行くのが夢ですね。私の趣味の登山も、もちろん一緒にやりたいと思っていますよ! ーアクティブなパパ、ママと2人兄弟、楽しそうです!さらに家族が増えていく展望もあったりしますか? 川田さん:昔からぼんやり2人兄弟がいいなって思っていた私が、1人目が生まれてみたら、大変すぎて全然2人目が考えられなかったんですよ。なので、2人目生まれても3人目は考えられないと思うんですよね。もしかしたら、落ち着いたら思うかもしれないですけど……今のところはまったく考えられないです(笑)。 ーこれからママになる方、なろうとしている方にメッセージをお願いします。 川田さん:たぶん、みなさん「どういう家族を作っていこう?」とか、いろんなことを考えていらっしゃると思うんですけど、人によって環境が違えば、置かれている立場や状況も違うので、今回の私の話も1つの例に過ぎないと思うんですね。なので、これを読んでくださっている方ご自身が、”楽しい”、”うれしい”と思えるようなことを1番に考えてもらいたいなって思います。まずは自分第一で、そこからなりたい家族像を考えていく。周りになんと言われようと、自分と自分の家族がいいと思えれば、1番うまくいくと私は思っています。 最初から最後まで終始丁寧に、明るく笑顔でインタビューに応じてくれた川田さん。この度はご協力ありがとうございました!インタビュー中、「他の子と比べず、おおらかな気持ちでいたい」とお話しされていたのが印象に残りました。出産は少し先になるかと思いますが、お体に気をつけてマタニティ生活を楽しんでくださいね。かわいい赤ちゃんに会える日を私たちも楽しみにしています! PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月20日2022年1月9日にフリーアナウンサーの川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告。川田さんは2019年10月に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。配信2回目となる今回は、「出産後、1番しんどかった」と語っていた"底"の時期についてスポットを当てています。何に対して「1番しんどい」と感じたのか、その時期をどう乗り越えたのか? など、詳しくインタビューさせていただきました。怖がらなくていいと思えたコロナ禍の出産体験ー1人目も2人目もコロナ禍での妊娠・出産となりますが、「コロナ禍の妊娠・出産はこれが大変」ということはありますか? 川田さん:いっぱいありましたね~。妊娠中はそれまで以上に人に会わないようにしたので、マタニティヨガやマタニティスイミングも行きたかったけど全然行けなかったですし、親や先輩ママに会って話を聞くというのがまったくできなかったですね。前回も今回も両親学級がなくなってしまって動画頼りだったので、実際の育児とのギャップも大きかったです。特に1人目のときは、0からの子育てになるので、個人的に細かい部分とかも聞きたかったですし、両親学級で友だちができるのも楽しみにしていたんですけどね。 ー「コロナ禍での妊娠・出産を不安に思ったり、避けたい」という声も一部ではあるようです。この意見に対して、川田さんご自身はどのようにお考えでしたか? 川田さん:1人目の妊娠は途中からコロナ禍に入り、すごく不安になったこともありました。なので不安に思う方がいらっしゃるのはもっともだと思いますし、自分や家庭の時間に余裕があって、夫婦2人で話し合って避けたいと思うなら避けてもいいと思います。ただ、私が息子を出産してみて思ったのは、出産に関して医療従事者の方々が本当にエキスパートで、安心して出産できましたし、立ち会い出産の基準もしっかり決まっていたりするので、コロナ禍だから出産できない、出産しないほうがいいとまでは、怖がらなくてもいいんじゃないかなと思いました。 ーでは、パパはどのようにお考えだったのでしょうか。 川田さん:「この時期に自分たちが産むっていう覚悟を持ったら、できる限りの対策をするしかない」って言ってましたね。夫も私が妊娠中ということで、他の人と食事に行ったりしないですし、行動自体をかなり制限していました。ただ、今は誰がいつ感染してもおかしくない世の中ですし、もしも家族が感染したときは感染した人を責めずに、できる最善策を考えて家族で協力してやっていこうと話しています。 “底”があったから…なんでもない日常を幸せだと思える今ーコロナ禍で出産された1人目のお子さんも、もう1歳半ですね。育児をしていて、幸せを感じるのはどんなときでしょうか。 川田さん:本当になんでもない日常生活の一瞬に対して、幸せを感じますね。例えば普通に家にいて、息子と夫がキャッキャ言いながら遊んでいるのを後ろから見ているときに「うわぁ……幸せだなぁ」って思ったり……。そういうときは「なんかめっちゃ幸せじゃない?」ってつい口に出して言っちゃいますね。でも、たった1年半のなかでも、めちゃくちゃしんどい“底”があったから、日常を幸せだと思えるんですよね。 ーしんどかった“底の時期”というのは?川田さん:まずは新生児期です。息子を出産後、コロナ禍で母親に来てもらえなかったので、夫が育休を取ってくれたんですけど、ミルクも母乳もうまく飲めない、夜泣きもある、なんでずっと泣くんだろう?って、夫婦2人とも同じことで悩み、へこんでいました。また、2人とも寝不足なので、お互いを思いっきり頼ることもできず……その状況がしんどかったですね。ただ、生後3カ月くらいで眠りも長くなって、私たちもそこで1回安定するのですが、今度は初めての発熱で悩まされたり……。息子が8カ月のころから保育園に預けているのですが、毎月風邪をもらってくるんですね。集団生活だから仕方ないのですが、RSウイルス、胃腸炎と次々かかって、息子が苦しんでいるなか仕事もしなきゃいけない。そして、私たちも息子から風邪をもらってしまうので、負のスパイラルの繰り返しでした。なので、あのときはしんどかったなぁ。でも、よくぞここまで来た!って思います。ーそれはつらかったですね……。では、そんな時期をどのようにして乗り越えたのでしょうか?川田さん:夫が「お互いがちゃんと1人の時間を作れるようにしよう」って提案してくれて、たまにランチやマッサージに行かせてもらっていました。自分からは「1人の時間が欲しい」って言いにくかったりもするので、夫のほうから「ちょっとリフレッシュしておいで」って送り出してくれたのには救われました。なので、私もタイミングを見計らって、「リフレッシュして来てね」って夫を送り出すようにしていました。 ーすごい建設的なご関係ですよね。お子さんを持つ前からそのようなご関係だったんですか?川田さん:結婚前からですね。私も仕事をずっと続けたかったので、家のことはお互いができることをやっていこうって話していました。私たち、とにかくたくさん話すんですよね。そのなかでポロッと本音が出てきたりするんです。2人でいるときはもうずーっと話しています(笑)。でも上の子が生まれてすぐのときは、2人とも子どものことに集中しちゃって、お互いのしんどさを言えなかった時期もあったんです。なんですけど、これじゃダメだなってやり方を変えて……その繰り返しですね。 育児を通して夫婦も成長!思いやりさえあればうまくいくー川田さんはいつも明るくポジティブな印象ですが、不安になったり落ち込んでしまったときは、どのように気持ちを切り替えていますか? 川田さん:自分が落ち込んでしまうのって、やりたいことでいっぱいいっぱいになっているときなんですね。例えばつわりのときは、息子と遊んであげたい、息子にもっといろんなごはんを作ってあげたい、夫にも手料理を作ってあげたい、自分も栄養のあるものを食べたいなど、やりたいことがたくさんあるのにできていないときが1番落ち込んでしまうんです。そうなると、もう優先順位をつけるしかないですよね。全部できないならどれをやるか。1番大事なこと以外は捨てて、1回気持ちをリセットすることにしています。 ーなるほど。では今回のつわり期で1番に優先させるべきことはなんだったのでしょう? 川田さん:私が「あれもこれもできない、どうしよう……」ってなっていたら、夫が「息子のことを1番に思ってしまうだろうけど、元気に育っているから、今は母体が1番。自分が休むことや栄養を摂ることを最優先にしたほうがいい」って言ってくれたんです。それで、そうか! 確かに息子は保育園でいろんなものを食べさせてもらっているし、ベビーフードも大好きだし、今のところ問題なく育っていて、今不安定なのは私の身体なんだと気づくことができました。 ーパパの冷静なお考え、素晴らしいですね!パパになる前からそういう方だったんですか? 川田さん:もともとすごくやさしいんですが、子どもが生まれてからは、さらに変わったなって思います。これは私もなんですけど、自分のやりたいことが後回しになっても、家族の円満が1番だと思えるようになりました。それってつまり「自分のことよりも、ほかの誰かのことを考えられるようになったということだよね」って、夫婦でよく話します。でもそんな夫も、仕事が忙しい時期に妊娠中の私に家事や育児を任せなければならなくて、それをどうにもできない自分が嫌だと落ち込んでいたことがあったらしく……。それを聞いて、家事の分担も必ず半々でなくても、家庭がうまく回っていればいいよねと話したこともありました。 ー落ち込んでしまったときは、夫婦で思いやり、支え合いながら乗り越えていく様子が目に浮かびます。 川田さん:そうですね、思いやりさえあれば家庭はうまくいくかなって。私も忘れないようにしなきゃと思っています。 育児でつらかった時期についても、正直に話してくれた川田さん。自分たちの状況を冷静に見つめ、パパと一緒に協力して乗り越えていったというお話を聞いたとき、お互いを思いやることのできる素敵なご夫婦だなと思いました!さて、配信最終回となる3回目は、第二子の出産についてです。出産方法や立ち合い出産はどうするのかを始め、生れてくるお子さんの未来のお話など、ボリューム感満載な内容となっています。最後まで、ぜひお付き合いください♪ PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月19日2022年1月9日に川田裕美さんが、ブログにて第二子の妊娠を報告しました。フリーアナウンサーの川田さんは2019年10月に結婚し、2020年8月17日に第1子を出産しています。第一子の妊娠時も今回も「特につわりに苦しんだ」と話していた川田さん。つらかったつわりの時期の食生活や過ごし方、息子さんの育児についてなどをインタビューさせていただきました!第2子の妊娠! 驚きやうれしさと同時に不安もよぎって…ー第2子ご妊娠おめでとうございます。安定期に入られたとのことですが、今の体調はいかがですか? 川田さん:ありがとうございます。うれしいです! 体調はかなり良くて、もうつわりも全然ないって言っていいくらいです。ちょっと困っているのは、肌の乾燥ですね。1人目のときもそうだったんですけど、冬の妊娠期ということもあって、肌が乾燥でぼろぼろと剝がれてしまうので、全身保湿をしっかりやらないと!って感じです。 ーもともと、2人目はこれくらいの時期に考えていらっしゃったのでしょうか? 川田さん:夫とは「きょうだいがいるといいね」って話していたんですよ。私の年齢もあるので、無理はしないでおこうと特に計画もせず、「できたらいいね~」って感じでした。 ー妊娠に気づかれたときはどんなお気持ちでしたか?川田さん:そのときは、楽屋のお弁当も2個目を食べだしたり異常な食欲があって、なんかいつもと違うな? そういえば生理も遅れているな……っていう感じで気づいたので、びっくりが大きかったですね。びっくりと同時にうれしさと、高齢出産なので不安も……。あと、仕事はいつから休まなくてはいけないんだろう? ということも頭をよぎりましたね。 ーパパはどんな反応でしたか? 川田さん:夫もめちゃくちゃびっくりしていました。「えぇぇ!!」みたいな。でも本当にうれしそうで、すぐ息子に「お兄ちゃんになるんだよ~!妹か弟ができるんだねー!」って言っていましたね。 つらかったつわりの日々。仕事に育児、絶望的な気持ちに…ーご自身のYouTubeで、「つわりがかなりつらかった」と仰っていましたね。 川田さん:きつかったですね~。吐きそうで吐けないって感じのつわりなんですけど、今回は始まるのも早く、終わるのも遅かった気がします。起きた瞬間からもう1回寝たいぐらい起きるのがしんどい、でも寝るのもしんどい、食べ物も食べても食べなくてもしんどい……ってずっと暗闇の中にいるような気持ちでした。そこにプラスして上の子のお世話があったので、絶望的な気持ちになりましたね。 ーつわり中は食生活も変わりましたか? 川田さん:魚や野菜もまったく食べられなくて、麺類ばかりの日々でした。大好きなあんこも無理だったんです。でも今は食べられるようになりましたよ! つわりがないと、こんなに違うんだってくらい変わりましたね。昨日もさくら餅を食べたくて、買って帰ってきました。今は魚も野菜も、揚げ物も食べられていますね。あと、たまに焼肉も食べたいなと思えるようにもなりました。 ーYouTubeでは、安定期に入るまで「周りに妊娠を明かせなかったのがつらかった」とも仰っていましたが、どんな点がつらかったですか? 川田さん:私は子どもを授かっただけでも喜ぶべきことなのに、つわりがしんどいなどとネガティブなことを言うのは良くないことなんじゃないかと思ってしまっているところがあって、人に言うのを我慢してしまっていたんです。それに、高齢出産ですし、ちゃんと妊娠が続けられるのかっていう不安から、あまり早くに明かしたくないという気持ちもあって、仕事場に行ったら、番組関係者や共演者の方々には、”つわりの気持ち悪さを隠さないといけない”って思ってしまって、本当はお水じゃなくてスポーツドリンクが飲みたいのにお水で我慢してしまったり……。”隠さないといけない”という気持ちから我慢することが多く、それが一番つらかったですね。 パパに負担の少ない方法を! 川田さん流、家事育児の分担方法ーつわりの時期に「上の子のお世話もあって絶望的な気持ちになった」とのことですが、家事・育児の分担はどのようにしていましたか? 川田さん:つわりのときは体がまったく動かなくて、気持ちもドーンと落ちちゃっているのを見かねた夫が、「全然無理しなくていいから」って言ってくれて、息子の保育園の送迎をほぼすべてやってもらうようになりました。家事も、できる範囲のことは全部やってくれましたね。自分でやらなきゃと思ってやっていたのは離乳食作りです。夫はそれまでは、私が作りおきしたものをチンするだけだったので、さすがに離乳食作りまでは大変だと思って、ベビーフードにも頼りつつですが、ゲーゲー言いながら魚焼いたりしてましたね(笑)。一番もどかしかったのはやっぱり、息子の相手。どうしても私のほうに来ることも多いので、一緒に走り回ってあげたいし、公園にも連れて行ってあげたいのに、それができないもどかしさが、私もつらかったですね。 ーそういうとき、息子さんにはどのように対応されていたんですか? 川田さん:そこはもう無理せず、絵本など座ったままできることをしました。あとは息子もこちらが言ったことは全部理解できるようになっていたので、「電車で遊びたいの? じゃあ取っておいで」って自分でおもちゃを取りに行ってもらったりして、できるだけ息子の気持ちを紛らわせながら、いつも通りの遊びができるように心掛けていました。 ー工夫されていたのですね。では、家事面での工夫や、時短を意識しておこなっていることはありますか? 川田さん:めちゃくちゃそればかり考えてますね。まずは、掃除とかおもちゃの片付けとか、常にきれいにしておかなければっていうのは全部忘れるようにしました。洗濯も乾燥機を使ったり、買い物もネットスーパー。ママ割なんかもうまく使いながら配達してもらっていました。自分たちの食事はほぼ作っていなかったですね。デリバリーやお惣菜を利用したり、あとは野菜を切って煮るだけのお鍋は簡単で、パパでもできるので相当やりました。材料を入れてボタンを押すだけの調理鍋にもかなり頼りましたよ。なるべく、夫にも負担が少ないようにっていうのを心掛けていました。 ーつい自分のつらさに目がいきがちななか、「パパにも負担がないように」と考えられることが素敵ですよね。 川田さん:いえいえ、とんでもない。私も、常にそうしなきゃと気をつけながらです。でも、夫は夫なりに仕事との兼ね合いとか、「何をしてあげたらいいんだろう?」っていう戸惑いや葛藤があるんだろうなと感じるので、負担を少しでも減らしてあげなきゃと思いますよね。 つわり中の生活についても、終始丁寧に詳しく話してくれた川田さん。ご自身の体調がかなりつらいというなかでも、パパのこともちゃんと考えて気遣う姿勢に、川田さんのお人柄はもちろん、やさしさと思いやりの心を感じられました。さて、次回のインタビューは「出産後、一番しんどかった」と語っていた”底”の時期についてです。何が一番つらかったのか、それをどう乗り越えたのかなど、詳しくインタビューしています。ぜひ次回の配信もお見逃しなく! PROFILE:川田裕美さん1983年6月22日生まれで、大阪府泉大津市育ち。フリーアナウンサー。バラエティー番組やテレビドラマ、ラジオ、CMなど、幅広い分野で活躍中! 2019年に一般男性と結婚し、2020年8月17日に第1子男児を出産。2022年1月9日には、第2子を妊娠したことをSNSを通して報告をおこなった。あんこが大好きで、自身の著書で「東京あんこ巡り」という書籍を出版している。著者:ライター 山口がたこ漫画も描ける主婦ライター。2016年生まれの「ムスメ」と出来すぎた「神ダンナ」との大阪暮らし。Instagramでは、おうちごはんや子育てエピソードを更新中!
2022年03月18日フリーアナウンサーの川田裕美が19日、自身のブログを更新。17日に第1子男児を出産したことを報告した。川田は「私事で恐縮ですが、8月17日に男の子を出産しましたことをご報告させていただきます」と、我が子の写真を添えて報告。「予定日より早く元気に産声をあげて産まれてくれた我が子を初めて抱いた時、心から安らかな気持ちになれたと同時に、一生を懸けて大切に守っていこうと誓いました。今後、私達夫婦は子育てを通して様々な経験を積み、成長させてもらえる事がとても楽しみです」と喜びと決意をつづった。そして、「初めての経験で不安も多くありましたが、寄り添って下さった医療スタッフの方々には本当に感謝いたします。妊娠期間も皆様に支えていただき、応援してくださってありがとうございました」と感謝し、「これからも引き続きよろしくお願い致します」と呼びかけている。川田は2019年10月に音楽関係の仕事をする一般男性と結婚したことを発表し、今年3月に第1子妊娠を発表していた。
2020年08月19日フリーアナウンサーの川田裕美(36)が14日、オフィシャルブログを更新し、第1子妊娠を発表した。川田は、「私事で大変恐縮ですが、この度、第一子を授かりました」と明かし、「出産は8月末の予定で、安定期に入りましたのでご報告させていただきます」と発表。「今年に入って体調の変化に気付き、新しい命を授かった嬉しさが込み上げてきましたが、同時に、初めてのことでとても不安でもあります」と吐露しつつ、「私達のもとにきてくれたかけがえのない命を、夫婦力を合わせて大切に守っていきたいと思っておりますので、あたたかく見守っていただけると幸いです。今後も体調をみながら仕事は続けて参りますので、どうぞよろしくお願い致します」と前向きな気持ちを伝えている。川田は2019年10月、ブログを通じて「かねてより交際しておりました音楽関係の仕事をしている方と入籍しました」と報告。「この先、どんな事があっても二人同じ方向を向いて、力を合わせて楽しい人生をつくっていきたいと思います」と抱負をつづっていた。
2020年03月14日「太田裕美」と聞けば、甘く透明感のある歌声と、86万枚を超える大ヒットを記録した『木綿のハンカチーフ』を思い浮かべる人が多いだろう。そんな太田裕美さん(65)が、デビュー45周年となる19年9月8日、自身のブログで乳がんであることを公表。多くのファンを驚かせた。「ごく初期ながら、公表せず黙っていたかもしれません。でも、私の場合は初期ではなかったし、抗がん剤治療を始めたら外見が変わってしまう可能性もあったので」抗がん剤治療は副作用がきつい。しかし太田さんには、活動を中止して治療に専念する、という選択肢ははじめからなかった。初めての治療に不安は感じたが、歌手活動を休むことで感じる心の負担を避けたかったという。「抗がん剤の治療を受けながらでも、とにかく仕事は続けたい」と、主治医に訴えた。「先生は、『仕事をしながら治療をしている人はたくさんいるから大丈夫ですよ』と言ってくださって。でも、これは私の場合であって、人それぞれの選択があると思うんです」病気になって、たくさんの“気づき”があったという太田さんは、闘病しながらこの1年を駆け抜けた。デビュー45周年の昨年。太田さんは、1年前から制作を進めていた8年ぶりのシングルをリリース。45周年記念アルバムには初となる『木綿のハンカチーフ』のセルフカバーを収録するなど、力を入れていた。レコーディングは昨年2月。そんな矢先にわかったのが、乳がんの罹患だった。覚悟していた太田さんは、冷静に現実を受け止めた。「異変を感じたのは昨年の3月末くらいでした。胸に大きめのしこりを感じて、これはまずいな、と。でもライブの予定がずっと入っていたので、ひと段落して検査を受けたのが5月末。そしたら先生が、『すぐに治療しましょう』と。ショックというより、あぁやっぱりな、という感じでしたね。一番ショックを受けたのは、夫だったかも。次男は医療関係の仕事をしていて知識もあるので、『治る病気だから』と励ましてくれました」7月に手術をし、入院は4日間。退院して3日後にはステージに立った。問題は、8月からの抗がん剤治療を乗り切れるか、だった。実際に治療を受けてみると、予想以上に体力を奪われた。「抗がん剤を打って4〜5日間は、もうれつな倦怠感に襲われて動けなくなるんです。長男に、『ものすごく体力が奪われる……』とLINEで弱音を吐いたら、『そりゃ、地球上でモルヒネと並ぶくらいに強いクスリだからね。でも、だからがん細胞もやっつけられるんだよ』と励まされて」夫の智彦さんも、副作用で手が荒れやすくなった太田さんを気遣って、食器洗いや洗濯などをしてサポートしてくれた。太田さんは、副作用が切れる合間を縫うように、ステージに立ち続けた。「幸いライブは週末が多かったので、週のはじめに抗がん剤を打つと、ちょうど副作用が抜けるころにステージに立てるんです。もう、あとは気力で乗り越えました」そして改めて、自分にとって音楽がいかに大事かを再認識したという。歌うことで、かえって元気になっていく自分を感じたのだ。乳がんを公表したのち、様々なメッセージが寄せられた。励ましや、知人のがん治療についての打ち明けなど、多くのファンが太田さんと気持ちを共有し、太田さん自身も勇気付けられたそうだ。「みなさん、私が元気な姿で最後まで歌えるのか心配してくださっていたみたい。その思いがステージまで伝わってきましたね。45年間歌ってこられたのは、“奇跡”のようなことなんだな、って思います。(45周年コンサート)を終えてみると、病気も重なって、なんとか大きな節目を乗り越えたという安堵感もあったのかもしれません」そして、太田さんは46年目の一歩を歩み始めている。深みを増した太田さんが、今後どんな歌声を聴かせてくれるのか期待しよう。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月08日2019年にデビュー45周年を迎えた歌手の太田裕美さん(65)。大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』の初セルフカバーなど、今までにない挑戦をした45周年記念アルバムをリリースした。そんな太田さんが胸に異変を感じたのは、レコーディングを終えた昨年3月末。2ヶ月後に検査をすると、乳がんはもう初期ではなかったーー。内視鏡手術後、休養せず抗がん剤治療をしながら、ライブを続けることを決断。ステージを乗り切れたのは、自分から切り離せないという、歌に「元気」をもらえたからだった。しかし、太田さんにも活動が重荷になっていた過去があったという。歌とともに歩んできた太田さんの半生をたどった。小さい頃から歌うことが大好きだったという太田さん。小学3年生の時からピアノを習い始め、すでに作曲もしていたという。最初の転機は、中学3年生で訪れた。「ある日、クラスメートの1人が、“スクールメイツ募集”のはがきを持ってきたんです。当時、私は座・タイガースのジュリー(沢田研二)の大ファンだったから、同じ事務所のスクールメイツに入れば会えるかな、と(笑)」軽い気持ちで受けた太田さんだったが、見事合格。歌唱力と音楽センスが認められ、74年に『雨だれ』でソロデビュー。19歳だった。アイドルのような容貌の太田さんが、ピアノを弾きながら透明感ある声で歌う姿は新鮮で、人気を集めた。「私の場合は、フォーク系の歌手のように音づくりにもこだわりながら、テレビやバラエティにも出てアイドルの仕事も…。そのおかげで2倍忙しかったけど、様々なジャンルの方と仕事ができたことは、いい経験でした」75年発売の4枚目シングル『木綿のハンカチーフ』が大ヒット。しかし、やがてこのヒットが太田さんの重荷となっていく。「いまでこそ代表曲があるのは歌手としてすごく幸せなことだと思うけど、当時は、新曲を出しても『“木綿”はいい曲でしたね』と言われてしまう。生意気にも、『もういいかげん、“木綿”は卒業したい』と思うこともありましたね」デビュー当時から、「いずれ音楽に対する思いを見つめ直す時期が来る」と感じていた太田さん。「休んだらファンに忘れられてしまうよ」と反対する事務所の社長を押し切って、82年、27歳で単身ニューヨークに渡る。「忘れられてしまうなら、私はそれだけの存在だったってこと。仕方ないと思いました」ニューヨークは刺激的だった。「いまでもそうですけど、マンハッタンのど真ん中に立っているだけでエネルギーを感じるんです。東京とは、生きている人の“本気度”が違う気がして」髪もバッサリ切った。語学学校に通い、休みの日には本場のミュージカルやライブに通う日々。「すごく楽しくて。でも、『楽しみ尽くしたらまた歌いたい』と思うように。自分の人生と歌は切り離せない存在だと気づいたんです」8ヶ月間のニューヨーク生活を終え日本に帰国。歌手活動を再開する。30歳で結婚し、のちに長男と次男を出産した。「育児に手がかかるうちは、子供に聞かせる童謡アルバムを制作したり、ほかの歌手に楽曲を提供したりして、自分のペースで音楽活動を続けていました。次男が幼稚園に入って、自分の時間が持てるようになり、『ライブがしたい』と思うようになったんです」41歳の時、ライブ活動を再開し、本格的に歌手活動に復帰した。「ピアノ一本での弾き語りライブだったので、お客さんが来てくれるか心配でした。でも、すごくたくさんの方が来てくれて。あぁ、待ってくださっていたんだなぁと」45周年の大きな節目、そして乳がんの発覚を乗り越え、昔を振り返った太田さんは言う。「先のことより、この一年を生きるのに必死というのが正直な気持ち。積み重ねた分だけ、深みのある歌を歌える歌手になりたいと思っています」これからも、歌とともに歩んでいくーー。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月08日フリーアナウンサーの川田裕美(36)が29日、自身のブログを更新し、かねてより交際していた音楽関係の仕事をする一般男性と結婚したことを報告した。川田は「この度、私 川田裕美はかねてより交際しておりました音楽関係の仕事をしている方と入籍しましたことをご報告させていただきます」と報告。「同じ大阪出身で、とても朗らかで面白く、思いやりがあって頼もしい彼と一緒にいると、安心できて素直な自分でいられます」とお相手について紹介した。続けて、「この先、どんな事があっても二人同じ方向を向いて、力を合わせて楽しい人生をつくっていきたいと思います」とつづり、「仕事は変わらず続けて参りますので、引き続き応援していただけると嬉しいです。今後とも宜しくお願い致します」と締めくくった。
2019年10月29日歌手の太田裕美(64)が9月18日、乳がんを公表した。治療をしながらも「歌っていく」と明かし、ネットではエールが上がっている。同日、ブログを更新した太田は「突然で驚かれると思い、なかなか公表出来ませんでした」と切り出し「乳癌に罹患しました。すでに7月の京都のコンサート後に手術をし、8月から抗癌剤治療に入っています」と報告。しかし来春までのスケジュールが決まっていることや11月に開催されるデビュー45周年を祝うイベントを控えていることを理由に、「あえて、治療しながら歌っていく、ということを選択しました」と明かした。太田は「病気になって初めて知る“気づき”がたくさんあります」とつづり、「神様はまた新たな試練を与えて下さってるんだ、と現実をしっかりと受け止め」家事などの日々の営みを大事に続けていくと述べた。そして、こう結んだ。「これからもまごころ込めて歌っていきます。今までと変わらず、太田裕美の音楽を愛し、応援していただけることを心から願っています」太田の発表は話題を呼び、Twitterでは「太田裕美」がトレンド入りを果たした。さらにエールが上がっている。《大変驚きました。裕美さんの想いお察し致しました。大丈夫です、頑張りましょう》《裕美さんの強いプロ意識に感銘を受けました。裕美さんの歌手活動と、治療も応援させていただきます。》《私達の願いは1日でも長く裕美さんの歌声を聞いていられること、どうぞ最善の選択を》治療を受けながらも歌い続けると発表した太田。04年、本誌に登場した際には育児中にも歌手活動を続けていたことについて語っていた。太田は育児と家事が大変だったと明かしながらも、その分「1年に3~4回の仕事が楽しかった」と回想。さらに「無理をしない」「あきらめない」「心に正直に生きる」という3カ条を心掛けていると告白し、こう語った。「自分の好きなものをあきらめる必要はないんです。私の場合はそれが『歌』だった。いちばん私の好きなことだし、天職だと思っています」
2019年09月19日脚本の背景を丁寧にたどり、血肉の通った人間像を描き出す手腕で、数多の演劇賞を受賞している演出家・鈴木裕美。彼女が日本女子大在学中に劇作家の飯島早苗らと旗揚げした劇団「自転車キンクリート」は、1980~90年代の小劇場ブームを牽引したことで知られる。中でも1993年に初演された『絢爛とか爛漫とか』は、4人の小説家の春夏秋冬を通して、笑いの中にも普遍的な人生の命題を浮き彫りにする名作。26年間、多くのカンパニーで演じられてきた本作が、本日8月20日、東京・DDD AOYAMA CROSS THEATERにて、いよいよ初演演出の鈴木の手で幕を開ける。舞台は昭和初期の東京、純和風住宅の一室だ。この部屋の住人で、処女作のあと2作目が書けずに悩んでいる小説家・古賀(安西慎太郎)と、批評家志望の泉(鈴木勝大)、耽美小説家の加藤(川原一馬)、さらに破天荒な小説が売れ始めている諸岡(加治将樹)がことあるごとに集い、軽口をたたき合いながら物語は進む。友情や恋を楽しむ一方で、理想と現実の間で悩み、己の道を模索する4人。誰にでも覚えのある、ほろ苦くてどこか温かい日々が、美しい四季の中で展開してゆく。1993年の初演から26年、女性4人が演じる『~モダンガール版』を追加してオリジナルの男性版『~モダンボーイ版』と併せて上演された1998年からでも21年ぶりに本作の演出を手がける鈴木。改めて初演の思い出を聞いてみると、「この作品は脚本の飯島が“書きたいことがある”と言って持ってきたんです」との答えが返ってきた。「当時の自転車キンクリートは、テーマやモチーフを飯島と私で考えながらつくっていたんですけど、この作品は別でしたね。そういう意味では主人公の古賀はもちろん、他の登場人物にも飯島自身の心情を託したところはあると思います」と鈴木は話す。「ただ、魂の叫びをそのまま書いたものではなくて、一個の作品として成立させるというのは、意識していると思います。あるクリエイターの言葉で、“ケガをして血が出ているところを見て見て!”というのは子供の、素人の表現で、こう治しましたよ、とかさぶたを見せるのが大人の、プロの表現だというのがあるんです。この作品がある種エンタテインメント作品に成り得ているのは、そういうところかもしれないですね」と振り返る。毎年4~5本の作品を演出し、そのどれもが高い評価を得るなど精力的に活動を続けている鈴木だが、本作にはやはり特別な想いがあるという。「たくさんの作品に携わってきましたが、この作品に関しては不思議なことに、古賀や泉、加藤、諸岡は“会ったことがある人”という感覚なんです。だから今回新しい俳優さんたちとやる稽古場は、旧知の友人が新しい肉体を得て生まれ変わったかのようで、“また会えた”という気持ちなんですよね」と笑う鈴木。キャストについて問うと、「4人とも“他の仕事もできたけど、たまたま役者をやっている”のではなく、“この世に〈演じる〉という仕事があってよかったよね”と感じる人たち。そういう人じゃないとこの作品の役は演じられないと思っていました。稽古が終盤を迎えた今も、それは間違っていなかったなと感じています」また演出に関しては、「初演のつもりで」向き合っていると鈴木は言う。「むしろ初演より、戯曲に忠実にやっていますね。初演当時の小劇場演劇華やかなりし頃は、アドリブを差し挟んで、役者と役の線引きが曖昧なほうが、お客様に、より“真実”を感じていただけたという実感があります。でも今は、役の後ろに役者さんがぴったり寄り添うことで、お客様に“真実”が伝わると感じます。だから今回は戯曲に描かれていることを深く掘っていくことで、役者4人の魅力を際立たせるアプローチをしているところですね」創作で苦悩する傍ら、“フロイライン”をナンパするために策を練ったり、みんなでダンスホールに繰り出したりと、男子ならではのにぎやかなシーンも魅力だ。「男性の、まっすぐで純情で、かわいらしいところ……愛すべき“おバカ”なところも楽しんでいただきたいと思います。女性はもちろん、幅広い世代の男性にもぜひ観ていただきたい」と意気込む。「登場人物は小説家だけど、“オレは才能がないんだ”とか“アイツのほうが上手い”なんていう感情は、きっとどなたでも感じたことがあると思うので。まぁ、俳優さんは、だいたいそう感じてますけども(笑)」と、辛口ながらもコメントには愛情がこもる。“真実”はいつも甘くはないが、ウィットと知性で着陸するのが鈴木演出の妙味。たくさんの観客に愛されてきた本作を、改めてじっくりと味わいたい。取材・文:佐藤さくら
2019年08月20日タレントのマツコ・デラックス、フリーアナウンサーの川田裕美が13日、都内で行われた資生堂の化粧品『薬用 ケアハイブリッドファンデ』発表会に出席した。資生堂ジャパンは、ファンデーションと薬用スキンケアを融合した資生堂「薬用 ケアハイブリッドファンデ」を発表。 それに伴い、CMキャラクターにマツコ・デラックスを起用した新CM「ケアハイブリッド誕生」編が3月21日より全国で放映される。「年間3500時間のファンデタイムで、素肌までキレイに。」をテーマにした同CMは、いくつもの女性の肖像画が並ぶ不思議な部屋にいるマツコ・デラックスが、同商品の効果を知って驚きを見せるという内容となっている。化粧品のCMは初出演となるマツコ。「資生堂がこんなことして良いの? 資生堂だからオカマが出る? IKKOさんも出てたけど、オカマ好きの会社なのね」と言いたい放題だったが、「資生堂さんのCMに出させていただくなんて、いつ死んでも良いですよ。色んなことに気づかせてもらったわ。その頃だったら出られないけど、だいぶ敷居が低くなって有り難いわよ」と独自の表現で喜びを表した。自身の意見も取り入れたというCMについて「どうやったら売れるかは資生堂さんの方が知っているわけだから、わがままって訳ではないのよ」と言い訳をするも「一緒に協力したわ。頑張りましたよ」とやり切った様子。また、市販される前に使用したという同商品の効果は「忙しくてストレスがある46歳のオヤジがこの肌を意地しているのはこれですよ」と驚きの表情で「皆さん買ってよ! 本当に買ってね! それが全てです。本当にいい商品なんだから!」とアピールした。イベントの後半にはフリーアナウンサーの川田裕美も登壇。忙しくてメイクをおろそかにしてしまう川田にマツコは「前の日にケアしなかったとしても、これで変わるってことよ。美容液だから働く女性向き!」と同商品をすすめ、川田の年齢(35歳)を聞いたマツコは「これからが大変よ。35歳ぐらいまではどうにかなるんだから」とアドバイスを送って同商品をプレゼント。喜んだ川田から「明日から使います! テレビ映りがよくなりますかね?」と問われたマツコは「良くなるわよ。でもスキップは止めないでね」と話し、「本当、可愛いのね。昔の80年代のアイドル顔だよね。本当にこんなに可愛いなんてビックリした。テレビ映り微妙なんだな」と言いながら初対面の川田を賞賛していた。
2019年03月14日フリーアナウンサーの川田裕美が8日、東京・新宿の紀伊國屋書店 新宿本店でエッセイ本『あんことわたし 日日大あん吉日』(発売中 1,300円税抜き ぴあ刊)の発売記念イベントを行った。2015年に読売テレビを退社後、フリーアナウンサーとして活動している川田裕美の初めてとなるエッセイ本は、好物というあんことともに歩んできた半生のほか、あんこへの愛やアナウンサーという仕事に対する思いなどを、自身の言葉で綴っている。初めてのエッセイを出した感想として川田は「自分が本を出せるとは思っていなかったので、出来上がるまで現実味がありませんでしたが、無事完成して安心しています」と安堵の表情を浮かべながら「読んだ方からの感想も続々いただきまして、一つ一つ読む度に作って良かったなと思っています」と満足げ。「自分の半生といってもそんなに中身がないんじゃないかと思っていたのでページが埋まるか不安でしたが、食べ続けてきたあんこのことを書きたいと思ったら書きたいことがいっぱい出てきてまとめるのに苦労しましたね(笑)」と苦労も語った。さらに「あんこの情報や自分の半生以外にも就職活動で感じたことや宮根誠司さんをはじめ皆さんから学んだことも書いていますので、ぜひ読んでいただけたらと思います」とアピールした。幼稚園に入る前からあんこが大好きだという川田。「もう止まらないですね。一生止まらないと思いますよ(笑)。1日必ず1回は何かしら食べています。ポリフェノールや栄養価も高いので、だから健康なのかなという気もします。最近は登山にハマっていて、山を登ってからのあんこがまた格別なんです」と笑顔を見せた。また、同エッセイ本の帯には指原莉乃のコメントも書き記されている。「さっしーもあんこが大好きで、お食事に誘ってくれたりします。だからさっしーには読んでもらいたいし、感想を聞きたいと思いました。そしたら『すごく家族に会いたくなった』と言ってくれて、うれしかったですね」と感謝の言葉を口にしていた。
2018年10月09日