令和の時代を迎えて、ますます笑顔がまぶしい雅子さま。ご公務に臨まれる華やかな表情が、日々脚光を浴びている。そんな“愛され顔”ともいえる雅子さまメークには特徴があるという。広告などを中心として活躍するヘアメークアップアーティスト・大山なをみさんはこう語る。「新たな元号を迎えて、美しく明るい笑顔がますます際立っておられる雅子さま。新たなメーク法も取り入れていらっしゃるようにお見受けします」大山さんが語る雅子さまメークのポイントは、以下の3つだという。■肌…ツヤのある透明感が決め手「ベースは、ダメージをしっかりとカバー。でも、厚塗りを感じさせないようにして、頬などの光沢で立体感も」(C)JMPA今年7月の「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」会場へご到着したときの雅子さま。ファンデーションを丁寧に塗り、ダメージをしっかりカバーされていることで、肌に透明感が。最後にツヤ感もプラスされ、健康的な印象に。■口元…なじみカラーで奥ゆかしさが「リップは、肌になじみやすい色みをチョイス。形も山などをつけすぎないように気をつけて、清楚さも演出」(C)JMPA令和の幕開けとなった5月1日。皇居から赤坂御所に戻られた際の雅子さまは、自信に満ちた表情を浮かべられていた。リップラインをきちんととられているひと手間で淡い色でも鮮やかに発色。存在感が出やすいリップは、肌なじみがいい色を使うと優しい雰囲気が出ている。■目元…明るさを引き立てる太めアイライン「目は、大きくするのではなくアーモンド形になるよう、目頭のアイラインで目元を強調。眉は角度をつけすぎるとキツい印象になるのでナチュラル眉にされているようです。国民に寄り添う皇后さまの優しいお人柄によく合うメークだと思います」(C)JMPA同じく5月1日、上皇ご夫妻に挨拶をするため、赤坂御所から皇居へ向かわれる車中のお姿。アイラインは濃くしっかりと引かれ、やや太めに。幅と角度もきれいにそろっている眉との相乗効果で、表情が生き生きとした印象に。大山さんの指摘するとおり、16年7月に「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵ルノワール展」をご鑑賞された際の雅子さまは現在とは印象がかなり違う。3年前のお姿と比べても、最近のメーク法が変わっているのがわかる。(C)JMPA10月22日には祝賀御列の儀に臨まれる雅子さま。華々しいお祝いの日には、その新たなメーク法にも注目したい。
2019年09月30日天皇陛下が自らの即位を国内外に正式に宣言する「即位の礼」まで1カ月を切った。記念すべき一日も、雅子さまにとっては並々ならぬ決意を要する“試練の日”なのだという。「お召し替えなどを含めると、ほとんどお休みもとれない忙しさで儀式行事が続きます。内容を簡略化するのは難しいでしょうから、皇后陛下のご負担はかなり大きいものになります」(皇室ジャーナリストの山下晋司さん)さらに儀式に臨まれるためのお着替えには、驚くほどの手間がかかる。平成の「即位の礼」に臨んだ美智子さまのご様子について、当時を知る宮内庁関係者はこう語る。「儀式と儀式の間は、ほとんどお召し替えの時間になり、ご休憩といっても、お召し替えの途中でお茶を召し上がられたぐらいです」美智子さまの例を参考にして、雅子さまの“試練の日”をシミュレーションしてみよう。準備に時間がかかるため、雅子さまは天皇陛下より約1時間早く午前7時ごろ赤坂御所をご出発。皇居に到着すると「潔斎所」に入られ、その後ただちに、午前中の2つの儀式「即位礼当日賢所大前の儀」と「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に臨まれる準備を始められる。鬢付け油で整える伝統的な“おすべらかし”は、御用掛が3人で結っても1時間はかかる。白い十二単に身を包まれ、金の髪飾りをお付けになり、手に御檜扇を持たれ、ご準備が整うころには9時過ぎになっている。儀式をおすませになると、ご昼食のためにいったん平服になる必要がある。「11時20分から次のお支度にかかるため、雅子さまのお昼のご休憩は40分ほどしかないと思われます」(前出・宮内庁関係者)次の儀式は午後1時からの「即位礼正殿の儀」。再び1時間20分かけて別の十二単にお召し替え。ちなみに美智子さまがお召しになった十二単は、重さ16キロで約1,300万円だった。儀式後、午後1時半に宮殿「松の間」を退出される雅子さまは、すぐにパレードに臨むご準備へ。ローブデコルテにお召し替えで髪も洋装にするため、シャンプーからスタートし、メークも一新してできあがるまでに1時間30分が必要だ。なんと4回のお召し替えで、トータル4時間以上になるのだ。それだけでも相当な心身へのご負担だが、皇室ジャーナリストはほかにも危惧していることがあるという。「即位の礼のハイライト『即位礼正殿の儀』では、御帳台にお昇りになった雅子さまのお姿が日本中に中継され、世界各国の人々の注目を浴びることになります。想像できないほどのプレッシャーで非常に緊張されるでしょう」それでも雅子さまは“試練”を乗り越えられるはずと、太鼓判を押すのは皇室担当記者。「雅子さまは今年5月8日、すでに即位後初の宮中祭祀となる『期日奉告の儀』に臨まれています。御代替わりの5月1日以降は、過密なご公務にも休むことなく出席されています。9月も秋田、新潟と地方ご訪問が続きましたが、ずっとお車から笑顔でお手振りされて、ご体調のよさが伝わってきました。即位の礼も心配はいらないでしょう。夜には外国の要人などをもてなす『饗宴の儀』がありますが、国際親善に尽力することを望まれてきた雅子さまですから、むしろ楽しみにされているはずです」10月22日の雅子さまの“晴れ姿”に世界が見とれることだろう。
2019年09月27日「雅子さまの笑顔を拝見できて、とても幸せです。皇后となられて新潟に来てくださって、本当に嬉しいです」9月16日と17日、新潟県を訪問された天皇陛下と雅子さま。両陛下の宿泊されたホテルの近くに住む石山イチ子さんは、2日間で3回も両陛下を拝見することができたという。「雅子さまが結婚される前に、ご両親とお墓参りで新潟に来られたときにも、お迎えをしました。26年ぶりのことで、感激しました」新潟県は、雅子さまの父・小和田恒さんの出身地。村上市には曾祖父の生家もあり、小和田家では年越しに、村上市名物「塩引き鮭」を食べるのが恒例になっていたほど“故郷”を大切にしてきた。「雅子さまが新潟から帰郷された翌日の18日は、恒さんの87歳の誕生日でした。大勢の市民の歓迎を受けての“故郷凱旋”は、最高の誕生日プレゼントになったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)恒さんは外務省を退官後、オランダのハーグにある国際司法裁判所で判事や所長を歴任。昨年6月に退任し、現在は妻・優美子さんとともに都内で暮らしている。そんな恒さんは、近ごろある決断をしていたという。宮内庁関係者はこう語る。「実は、恒さんは最近になって運転免許を返納したそうです。今年4月には池袋の交差点で、当時87歳の男性が運転する自動車による暴走事故がありました。運転していた飯塚幸三氏は旧通産省の工業技術院長も務めた人物。恒さんの1歳年上です。同世代の元高級官僚が引き起こした事故をきっかけに、自分も免許返納を……、と決断したのかもしれません」前出の皇室ジャーナリストも、こう証言する。「小和田家は例年、夏になると一家で軽井沢の別荘を訪れています。現地での運転も、もっぱら妻の優美子さんや、雅子さまの妹の節子さんが担当しているそうです」雅子さまはここ数年、ご実家には里帰りされていない。ただ、今年5月1日の御代替わりの儀式にはご両親や妹の礼子さん、節子さんが招待され、雅子さまを見守っていた。「恒さんの免許返納という決断も、雅子さまを心配させまいという心遣いではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)皇后となった娘のために……。その気持ちは、離れていてもきっと伝わっているはずだ――。
2019年09月24日74回目の終戦の日を迎えた8月15日、正午――。天皇陛下と雅子さまは「全国戦没者之霊」と書かれた白木の標柱の前に立たれ、1分間の黙祷を捧げられた。天皇皇后両陛下にとって、日本武道館の全国戦没者追悼式に出席されるのは初めてのこと。黙祷のあと、陛下はお言葉を述べられた。《戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります》天皇陛下は、上皇陛下が用いてこられた「深い反省」という表現を踏襲されたのだ。皇室担当記者が言う。「安倍首相は第2次安倍内閣発足後、’93年以降の首相が必ず言及してきたアジア諸国への加害責任について式辞から削除しました。一方で上皇陛下は、戦後70年となった’15年の式典から『深い反省』という表現を加えられたのです。今年、上皇ご夫妻はテレビ中継で式典をご覧になり、黙祷を捧げられました。戦後生まれの天皇陛下と雅子さまが平和の願い、非戦の決意をしっかり継承されていることを感じられて、安堵なさったのではないでしょうか」しかし、8月9日には心配なニュースもあった。美智子さまが早期の乳がんと診断されたと、宮内庁が発表したのだ。美智子さまは10年以上前から、定期的に乳がん検診を受けられていたという。本誌も’03年5月、当時東京都豊島区にあった癌研究会附属病院に、美智子さまがお忍びで入られる様子を目撃している。「上皇ご夫妻は宮内庁病院だけに頼らず、より専門的な治療を受けるために、積極的にほかの病院での検査も受けられていたのです。上皇陛下をお支えするため、健康維持に努められてきた美智子さまですが、やはり御代替わりに伴う激務は大きなストレスになって積み重なっていたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)
2019年08月25日《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事についてこう綴られていた。1年後に迫った東京五輪について、皇室ジャーナリストは雅子さまの活躍に期待を込める。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか。さらに雅子さまは、東京五輪で愛子さまの“国際ご公務デビュー”もお考えになっているそうです」愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。来年4月には学習院大学に進学される見込みだ。これまでも雅子さまは、愛子さまが国際経験を積めるようにと心を配られてきた。「一昨年、東宮御所にデンマークやスウェーデンの王族が招かれたとき、愛子さまもご懇談に同席されたのです。愛子さまは通訳を介さず、英語で会話されました。陛下は、愛子さまの語学力はご自分以上だと話されているほどだそうです。東京五輪では、競技会場や赤坂御所、レセプションの場などで、皇族方が各国要人を接遇することになります。愛子さまが参加されることも十分に考えられます」(皇室担当記者)しかし、愛子さまが公の場で国際親善を担ったことはまだない。前出の皇室ジャーナリストは、その背景には3年前の“苦い経験”があると語る。「’16年の夏、雅子さまは長野県で開かれた『山の日』記念全国大会など、いくつかのご公務に愛子さまをお連れになりました。3年前の夏が愛子さまの国内でのご公務デビューだったのです。しかし、その秋から愛子さまは体調を崩し、一時は目に見えて“激やせ”されてしまいました。まだ中学3年生だった愛子さまには、プレッシャーが大きかったのかもしれません。それ以来、雅子さまは愛子さまのご公務への出席をセーブされてきました」それでも高校時代の3年間に数々の経験を積まれ、大きく成長されている愛子さま。「愛子さまは成績優秀なだけでなく、運動神経も抜群です。テニスではパワフルなフォアハンド、ソフトボールでは経験者の雅子さまも驚く速球をお投げになります。両陛下とご一緒にプロ野球の試合をご覧になったこともあり、スポーツ観戦もお好きです。東京五輪もたいへん楽しみにされているはずです」(宮内庁関係者)御代替わりを機に“天皇の一人娘”である愛子さまの存在感は日に日に増している。今回のご静養でも、伊豆急下田駅に到着されたのは夜9時ごろだったにもかかわらず大勢の市民が詰めかけ、「愛子さま!」と歓声が上がった。「眞子さまや佳子さまも大学進学を機に注目を集めましたが、来年の“愛子さまフィーバー”は、それをはるかに上回るものになるかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックでも、国際親善を担う愛子さまの活躍は、名誉総裁を務める天皇陛下にとって大きな支えになるはず――。それは愛子さまの強い願いでもあり、お母さまの期待に応えるために、愛子さまもその準備を進められていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)1年後の夏、愛子さまの笑顔が平和の祭典で咲き誇る――。
2019年08月12日猛暑が続く令和元年の夏――。天皇陛下と雅子さま、愛子さまが、ご静養先の須崎御用邸から帰京されたのは8月5日だった。6日は広島、9日は長崎の原爆の日。15日は終戦の日だ。日本人にとって“忘れてはならない日”が続く。「昨年まではご静養先で黙祷されることも多かったのですが、陛下が即位された今年は、赤坂御所でお慎みになりたいというお気持ちがあったのかもしれません。天皇ご一家の責務として、国民とともに平和を祈る。そのご姿勢の表れなのだと思います」(宮内庁関係者)そして8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に初めて出席される。「8月末には、ご一家そろって那須御用邸で静養される予定です。ただ、もしかすると来年は、8月に御用邸に行かれることはないかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックが開催されるからです」(前出・宮内庁関係者)来年7月24日が、東京で2度目の開催となるオリンピックの開会式だ。8月9日に閉幕すると、続いてパラリンピックが8月25日から始まることになっている。天皇陛下は、オリンピックとパラリンピック、両大会の名誉総裁を務められることが決まっている。「’64年の東京五輪は、当時4歳だった陛下も上皇ご夫妻とともにご観戦。国立競技場で観戦されたマラソンでは、優勝したエチオピアのアベベ選手、銅メダルを獲得した日本の円谷幸吉選手に一生懸命声援を送られました。それから半世紀あまりを経て、ご自身が名誉総裁として迎える2度目の東京五輪に、感慨もひとしおでしょう」(皇室担当記者)前回の東京パラリンピック開催にあたっては、美智子さまの働きかけが大きかったという。「当時の日本では、障害者スポーツはリハビリのためのもの、という認識でした。競技としては普及していなかったのです。美智子さまは知人からパラリンピックの意義をお聞きになり、福祉関係者に働きかけて東京大会実現に協力しました。翌’65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が始まっていますが、これは上皇陛下の発案によるものです。平成になってから天皇陛下に引き継がれ、雅子さまも開会式に出席されてきました」(前出・皇室担当記者)昨年6月には、陛下がリオパラリンピックの女子マラソン銀メダリスト・道下美里さんを赤坂御用地に招待。視覚障害のある道下さんの伴走を陛下が務め、一緒にジョギングをされた。両陛下はパラアスリートとの親交を深めながら、障害者スポーツの普及に取り組まれてきたのだ。天皇陛下の即位から1年というタイミングで迎える東京五輪。雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事について《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》と記されている。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
2019年08月11日「お妃候補と報じられた女性たちも、雅子さまと同じくすでに50代になっています。実は、愛子さまの同級生のお母さまの中にも、かつてお妃候補だった方がいるのです」(皇室担当記者)今年5月の御代替わりで、雅子さまは皇后となられた。雅子さまが初めてお妃候補と報じられたのは’87年12月のこと。天皇陛下からのプロポーズ、ご成婚、愛子さまの誕生という喜ばしい出来事のかたわら、適応障害での長いご療養の日々もあった。その一方で、“雅子さまのライバルたち”も、それぞれ激動の半生を送っていたのだ――。’87年ごろ、お妃候補と報じられていた小林詔子さん。父は大手生命保険会社の専務(のちに社長)で、週刊誌報道では3姉妹そろって名前が挙がっていた。現在の職業は、なんと国会議員。’88年に学習院大学を卒業した直後、小学校の先輩で富士急行の御曹司・堀内光一郎氏と結婚。光一郎氏の父は富士急行社長を務め、自民党の衆議院議員として労働大臣や通産大臣を歴任した堀内光雄氏。光雄氏が’09年に政界を引退すると、後継者として白羽の矢が立ったのが義理の娘である詔子さんだったのだ。’12年の初当選から当選3回と、現在も衆議院議員を務める堀内詔子さんに本誌は取材を申し込んだが、秘書を通じて「畏れ多いことですので」との返事のみだった。実は詔子さんだけではなく、息子のMくんまで「佳子さまと交際している」と報じられたこともあった。だが『週刊新潮』の取材に対し詔子さんは「まったくない」ときっぱり否定。親子2代での“候補”報道に、困惑も大きかったのだろうか……。雅子さまはトランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりなどで世界から脚光を浴びているが、元お妃候補のなかにも世界的な実績を残している女性たちがいる。小学6年生で全日本学生音楽コンクール1位になり、お妃候補としても注目を集めていた瀬川祥子さんは、ヴァイオリニストとして活躍中。現在はパリ在住で、世界各地で演奏を披露している。姉・冬子さんとともにお妃候補に挙げられていた徳川直子さんは徳川宗家の分家の出身で、曾祖父は大正天皇に仕えた元侍従長という名家。直子さんは現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究員になっており、HPにもその名前が記載されている。’05年には小型超音速実験機「NEXST-1」の飛行実験を成功させた。東京―パリ間を6時間で結ぶマッハ2の飛行を想定した実験で、次世代超音速旅客機の開発に向けた大きな成果だったという。くしくも皇室と関わることになった元お妃候補も。10代のころから天才ハープ奏者として名を馳せた吉野直子さんは、’87年12月に上皇ご夫妻がコンサートを鑑賞されたことで、一躍候補に浮上した。現在も日本を代表するハーピストとして活躍を続け、今年2月の「天皇陛下在位30年記念式典」にも出演。ソプラノ歌手の鮫島有美子さんとともに、美智子さまが作曲された子守歌『おもひ子』を披露している。本誌が取材を申し込むと、マネージャーより「音楽のお話しでしたらさせていただきますが、お妃候補のことについては、何もお話しできません」との返答だった。’77年8月に『週刊新潮』が報じ“お妃候補第一号”と呼ばれた山崎妙子さんは、美術館の館長になっており、天皇陛下との“再会”も果たしていた。軽井沢で陛下とテニスでダブルスを組んでいたことが明らかとなり注目を集めた山崎さんだったが、東京藝術大学大学院在学中の’86年11月に結婚。日本美術史の博士号を取得した山崎さんは、’07年に山種証券創業者である祖父が設立した山種美術館の館長に。日本で初めての日本画専門の美術館として’66年に開館した山種美術館には、皇族方が鑑賞に足を運ばれることも多い。’12年11月には上皇ご夫妻がご訪問。さらに’15年1月には、天皇陛下と雅子さまがそろって展覧会に。かつてのお妃候補と雅子さまが顔を合わせるという、珍しい場面もあったのだ。
2019年08月09日「宮内庁は、あらゆる人脈を辿り、お妃候補をリストアップしていきました」そう語るのは、フリージャーナリストの小田桐誠さん。’93年の「雅子妃」誕生までの平成のお妃選び、そしてお妃候補となった女性のその後を追った著書『消えたお妃候補たちはいま』(ベスト新書)を今年6月に出版した。「まず、皇族やその親戚が集まる菊栄親睦会、旧華族の親睦団体である霞会館、さらには学習院関係者などに協力が要請されました。また、昭和天皇、香淳皇后、上皇ご夫妻の友人や知人など交流のある方たちも、仲介の役割を担ったのです。さらには、財界や外務省を通じてのルートもありました」小田桐さんが確認した限りでも、70人もの女性が陛下のお妃候補として報じられていたという。「陛下が33歳で雅子さまと結婚されるまで、お妃選びは難航を極めました。娘がお妃候補に上がっていると知った家族は『畏れ多い』と、海外留学やほかの男性との縁談を進めて、候補から外れようとすることも多かったのです。当時、ピアスを開けることが“お妃拒否のサイン”といわれていました。体に傷を付ける人はお妃として望ましくないという見方さえあったのです」学習院関係者の女性も、こう証言する。「女子高等科で、なぜかスカートを長くして、不良っぽい人と付き合っていた生徒がいましたが、自身がお妃候補に挙げられたことを知っての行動だったそうです。また、当時は知人から食事会やテニスに誘われて行ってみると、浩宮さまや礼宮さまがいらっしゃった、という話もよく聞きました。そういった“出会い”の機会を、宮さまの周囲の方々がうまく作っていたようです」しかし、お妃選びに関する情報は宮内庁内でもトップシークレットとされた。当時、宮内庁長官官房総務課で報道担当だった山下晋司さんでも、お妃候補についてはほとんど関知することはなかったという。「お妃候補については、宮内庁でもごく一部の幹部しか知りませんでした。そのため、当時はどんな問い合わせにも『わかりません』『聞いていません』と答えるしかありませんでした」今回本誌は、宮内庁担当記者が当時宮内庁幹部や天皇陛下の知人らを取材して作成していた“極秘リスト”を入手した。そこにはお妃候補のプロフィールから、今後の展望についても詳細に記されている。ちなみに雅子さまは“(陛下の)好みのタイプの原型”とメモされている。一方で候補外となった女性について《親戚が〇〇事件で逮捕されていることが分かり……》《母方の父が××(旧日本軍の幹部)で……》といった記述も。「雅子さまもの場合も、母方の祖父が水俣病を引き起こしたチッソの社長を務めたことがネックとなり、一度はお妃候補から外れています。親類など本人以外の事情を宮内庁が問題視することも多かったのです。それでも陛下の『小和田雅子さんではだめでしょうか』との強い要望があり、再会が果たされました」(前出・皇室担当記者)天皇陛下にとって初めてのお妃報道は、陛下が17歳のとき。将来、天皇となられる悠仁さまは現在12歳。5年後にはお妃候補が取り沙汰される可能性も高いのだ。大学講師も務める小田桐さんは、『消えたお妃候補たちはいま』を学生たちに読んでもらい、感想を聞いたという。「やはり『悠仁さまの結婚は難しくなるのでは』という意見はありました。若者は皇室にさほど興味を持っていませんが、それでも美智子さまや雅子さまがたいへん苦労されたことは知っています。開かれた皇室といっても、変わらぬ儀式や伝統があり、自由がないという印象もあるようです。女性の社会進出も進んでおり、結婚願望がない女性も増えています。30年前との大きな違いは、インターネットの普及です。小室圭さんの一件もあり、『候補に上がっただけでもネットでいろいろと書かれてしまいそう』と懸念する声は非常に強いです」天皇陛下が雅子さまという理想の女性を見つけられたように、悠仁さまにも運命のお相手が現れることを祈りたい——。
2019年08月08日7月29日、パシフィコ横浜で開かれた「地球科学・リモートセンシング国際シンポジウム2019」に天皇皇后両陛下が出席された。雅子さまは当初ご予定のないなかでの“サプライズご出席”だったが、開会式からレセプションまで全てのご公務をこなされた。この日の装いは、ネイビーの縁取りとトンボ玉がアクセントになった白いジャケット。令和になってからの雅子さまらしいファッションだった。「お若いころにお似合いだった赤、青、緑、黄色などのビビッドカラーから、最近は白や淡い色合いにされて優しい印象になりました」そう語るのは、ファッション評論家の石原裕子さん。ほかにも、令和での雅子さまのファッションには3つの傾向があるという。■国際交流は和風でおもてなし「トルコのエルドアン大統領夫妻との会見で、皇后として初めて和服をお召しになりました。国際親善の場では、洋装でも和テイストが印象的です。5月に行われた中国駐日大使との御会見、トランプ大統領夫妻の宿泊先御訪問では、お着物の半襟のように、襟と袖の部分に二枚重ねの和風のデザインを取り入れたスーツをお召しでした。2枚とも数年内に作られたスーツで、雅子さまにお似合いのスタイルです」(石原さん、以下同)■レース&ブレードで華やかに「トランプ大統領を招いての宮中晩餐会や、フランスのマクロン大統領とのご会見では美しいレース使いが素敵でした。特に、マクロン仏大統領夫妻をお迎えの際の淡いブルーのアンサンブルは、サテンにレースを貼り付けた2枚仕立てのジャケットが豪華。雅子さまの定番のテーラード・ジャケットは、ブレードや布での縁取り、襟のデザインなどで様々なバリエーションを作られています」特に愛知県ご訪問、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式でお召しになった3枚のシルクのスーツは色違いで、雅子さまのお気に入りだという。■柔和な印象のゆったりシルエット「皇后となられ、ご年齢相応の装いをされていると思います。例えば、麻布保育園の御訪問ではスカートをセミタイトに。愛知県ご訪問時はお若いころよりゆったりしたシルエットのグレーのパンツスーツをお召しに。そうしたシルエットの変化が、落ち着きと気品を醸し出しています。最近の雅子さまの装いには、皇后としての風格が感じられます」8月にも全国戦没者追悼式や、フローレンス・ナイチンゲール記章授与式など、ご公務でお忙しい日々が続く雅子さま。どんな装いで臨まれるかにも、注目が集まる。
2019年08月01日モデルとして80年代から数々の雑誌で活躍し、女優としても、出演作は決して多くはないものの『リング』の貞子の母親役などで鮮烈な印象を残した雅子さん。彼女が、罹患者は10万人にひとりという希少なガンとの闘病の末、50歳の若さで亡くなったのは2015年の1月のこと。それからほぼ間を置かず、彼女の夫である大岡大介は、彼女の半生をたどるドキュメンタリー映画の製作を決意する。彼女が19歳でデビューした当時のことや、その後の活躍について知るカメラマンやモデル仲間、スタイリスト、映画やCMの共演者、映画監督など多くの関係者に取材し、4年もの歳月を経て完成したのが7月26日(金)より公開される映画『モデル 雅子 を追う旅』である。映画製作の動機は「モデル・雅子を知らな過ぎたから」「ここまでくると、ずっと彼女に向き合っていたというよりも、ある意味で一緒に生きてきたような感じですね」――。大岡監督はこの4年半の歳月をそうふり返る。大岡監督が雅子さんと結婚し、生活を共にした時間は2006年から2015年までの約9年弱。知り合う以前は、“モデル・雅子”の存在すら知らなかったし、結婚後も互いの仕事について、深く話をすることはあまりなかった。「たまに『こんなの出たよ』と自分が出ている雑誌を見せてくれたりはしたし、『仕事どう?』くらいの会話はしましたが、家での会話は、2人での生活のことが最優先でした。趣味や交友関係でも、互いの領域に踏み込むことはあまりなくて、例えば2人とも映画は好きだけど、僕はハリウッド映画とアニメが好きで、彼女が好きなのはアート系やフランス映画。『え? 『スター・ウォーズ』見たことないの? 信じらんない!』『はぁ? なんでよ?』みたいな会話を繰り広げてましたけど(笑)」彼女が亡くなって、大岡監督は初めて気づく。モデルとしての雅子さんについて、自分がほとんど何も知らないということに。「この映画を作った第一の動機は、あまりにモデル・雅子を知らな過ぎたから。恋焦がれるような気持ち、そしてなにより、彼女を忘れてはならないという思い、自分が彼女を忘れ去ってしまうことへの恐怖で動き出しました」。関係者の話から浮かび上がる雅子の姿『リング』の中田秀夫監督や雅子さんを被写体に多くの写真を撮影したカメラマンの安珠が、彼女の持つ特別な“何か”について語れば、CMで共演した高嶋政宏やモデルの藤井かほりは撮影現場や日常での彼女のプロ意識の高さを語る。その一方で、彼女が出演した映画『サヨナラCOLOR』を監督した竹中直人は「顔はあんなにきれいでシャープなのに、お茶目でちょっとドンくさい雰囲気もあって…(笑)」と意外な一面を明かし、彼女が通っていたバレエ教室の先生は「超不器用ですよ」と断言する。大岡監督は、自身が出会う以前の雅子について語られる様々な言葉をどう受け止めたのか?「さばさばした性格で、飾ったところのない人だったので、彼女がモデルとしてどんな立ち振る舞いをしていたのかは想像はしていましたが、具体的にお話を聞くと、僕がなんとなく『こういう人だな』と思っていたものがどんどん裏付けられていくような感じでした。全く新しい、知らない雅子像が出てきたというよりは、いろんな人の言葉によって、ボンヤリとした幻、蜃気楼の輪郭がハッキリとしてきたような」。「不器用な部分なんかは、僕は普段からそういう部分を見てきましたので、なんならもっと知ってますよ(笑)という感じですね。彼女が亡くなってから、SNSなどを通して、ある種、彼女を崇め奉るような大ファンの方から連絡をいただいたりもしていて、でも僕に言わせれば彼女は“普通の人”でした。だから、そういう彼女のヌケサクな一面をしっかりと語ってくださる方がいたのは嬉しかったですね」。モデルとしての高いプロ意識モデル仲間や友人たちの口から、道を渡るほんの数秒、紫外線にさらされる際にも雅子さんが日傘を使用し、風呂上がりのスキンケアなどに、同じモデル仲間も驚くくらい、時間をかけていたことなどが明かされる。プロ意識の高さ――そこには、彼女の仕事に対する責任感だけでなく、誰もができるわけではないモデルという仕事に対するプライドがあった。「映画の中で、(モデルの)木村東吉さんが『モデルとは何か?』ということを語ってらっしゃいますが、雅子もまた、自分に課せられた仕事がなんなのか? ということに非常に意識的だったんだと思います」。「これは映画には出てこないですが、彼女と出会った頃のすごく印象的な言葉があって、ちょうどその頃、いわゆる“読者モデル”と言われる、ごく普通の人との境界線が曖昧なまま、いろんな活動をする人たちが出始めてきていたんです。そういうコたちが、ランウェイを歩いているのを見て、僕が何気なく『すごいよね』とポロっと口にしたら、彼女はすごく真剣な顔で『そういう人たちをモデルって呼ばないで』と言ったんです。その出来事は僕の心の中にずっとくさびとして残っていたんだなと思います。19歳でモデルを始めて、20代、30代、40代と『モデルの務めとは何なのか?』『何をもってモデルたりうるのか?』と彼女は懸命に真摯に考え続けてきたんです」希望や未来も感じた闘病生活映画では、彼女の病気、闘病生活や死についても描かれる。がんの転移が見つかり、その治療の過程で骨がもろくなり、胸椎を圧迫骨折をしたことで、モデルの命とも言える「姿勢」を取り戻すことが困難になっても、彼女は「(顔だけを撮影する)ビューティーの仕事ならやれる」と笑みを浮かべて語ったという。2人の最後の日々は、強く胸に迫るが、決して大げさな悲愴感を感じさせず、むしろ希望や未来さえ感じさせる。「彼女の姿を見て、僕自身、頑張らなきゃと勇気づけられましたね。そういう部分に関して、2人とも“そこそこの頑張り屋”であり、“まあまあのリアリスト”であり、“まあまあのロマンチスト”でもあり、その配分がいい感じで合っていたんでしょうね」。「一番大事なのは、今日一日を生きのびることであり、その積み重ね。病気があるのは事実だけど、それも含めて生活なんだと。2人とも『もう私死ぬわ…』『そんなこと言うなよ』『手を握って』みたいのは大嫌い(笑)。もっと言うと『これ、絶対に治るだろ』って疑いのない思いを抱いていました。彼女は自分の身体のことですから、どこかで『もうダメかも』とか『しんどい』という思いもあったかもしれないけど、そんなの一切出さず、深刻になり過ぎずに普通に生きることを大事にしていたように感じています」。“強さ”から“柔らかさ”を身にまとう雅子「僕にとってもひとつの発見」そして本作において語られる様々な“言葉”と同等、いやそれ以上に強いエネルギーを持っているのが、写真や映像に残る雅子さんの姿そのものである。映画のポスタービジュアルに使用されているのは、大岡監督が知り合うよりもずっと前の、20代の頃の若き日の写真。映画の中でも言及されるが、30代後半、40代と年齢を重ねていく上で、彼女がある種の“柔らかさ”を身にまとっていく一方、若い日の姿、特にその視線は何かに挑戦するような、対峙するような“強さ”を帯びている。「それは僕にとってもひとつの発見でした」と大岡監督は言う。「若い時の雅子と年齢を重ねてからの雅子。どちらも同じ人物だけど、違う…でも、間違いなく雅子――雅子の皮をむいたら出てきた雅子とでもいうのか…?(若い頃は)物語を背負っているようにも見えるけれども、でも、物語を背負えるほどには歳を重ねてもいないんですね。何なんだ? これは…と一瞬、頭が混乱するような思いに駆られました。そんな彼女が年齢と共にいろんなものを備えて、柔らかくなっていったのかな?そんなことまで気づかせ、感じさせてくれる、改めてとんでもない人だったんだなと感じました」。80年代、90年代、そして2000年代以降、社会や女性の在り方が変化していく中、モデルとして、時代を自らの肉体に映し出し、駆け抜けた雅子さん。まさに現代を生きる人々の“モデル”であり、観る者の心に強く何かを訴える。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月25日2015年、50歳の若さで逝去したモデル・雅子の半生を辿るドキュメンタリー『モデル 雅子 を追う旅』が、7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺にて公開。当初1週間限定上映を予定していたが、公開前に全日程チケット完売という好評を受けて続映が決定。さらに公開初日には縁のある竹中直人の登壇も明らかになった。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』で貞子の母・志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった…。本作では安珠、田村翔子、藤井かほり、高嶋政宏、中田秀夫監督、石井たまよ、竹中直人ら生前の雅子を知る人々に、夫である大岡大介氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされていく。今回、公開前に全日程が完売となったことを受け、急きょ8月2日以降の続映が決定。また、初日7月26日には本作出演者であり、雅子さんが出演した映画『サヨナラCOLOR』(’05)の監督でもある竹中さんの登壇も決定。竹中さんからコメントが到着している。竹中直人「苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょう」雅子さんとは渋谷にシネマライズがあった頃、ヴィンセント・ギャロ監督作品『ブラウンバニー』(2003)の試写会で偶然お会いしました。夜の渋谷、シネマライズには試写会に並ぶ人の行列が出来ていました。近づいて行くとそこに佇む雅子さんとしっかり目が合ったのです。お互い初対面だったのですがほんの数秒しばらく目が合ったままでした。今もあの時の雅子さんの眼差しをふと思い出します。妖艶なあの眼差しを…ご主人である大岡さんがどのような思いを抱いて雅子さんというひとりの女性を描いたのか…苦しくも美しくせつない映画になっているのでしょうね…。わたくしごときをトークイベントにお呼び下さり感謝しております。竹中直人『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:モデル 雅子 を追う旅 2019年7月26日~アップリンク吉祥寺にて1週間限定、全国にて順次公開。©︎2019 Masako, mon ange.
2019年07月12日車から降りたマクロン仏大統領が、笑顔で天皇皇后両陛下のもとに歩み寄る。陛下と固い握手を交わしたあと、さらに雅子さまの右手を両手で包み込んだマクロン大統領。30秒もの、長い握手だった。6月27日、両陛下はG20大阪サミットのために来日したマクロン大統領夫妻と皇居で会見。続いて宮殿で昼食会が催された。「昨年10月には天皇陛下がフランスを訪問されましたが、雅子さまはご体調が万全ではなく、訪問を断念されました。マクロン大統領も、皇后となられた雅子さまにお会いすることを心待ちにされていたのでしょう」(宮内庁関係者)この日、雅子さまの“おもてなし”が光る場面があったという。「雅子さまは今回もほとんど通訳に頼ることはなく、昼食会ではマクロン大統領と英語で会話されました。その一方で、ブリジット夫人とは英語とフランス語を交えて話されていたのです。実はブリジット夫人はあまり英語が流暢ではありません。雅子さまはお相手が話しやすいように、言語を使い分けされていたのです」(皇室担当記者)7月1日にはトルコのエルドアン大統領とも会見され、G20で各国首脳が集まる中、存在感を発揮されていた天皇皇后両陛下。11月下旬にはローマ法王が訪日し、さらに来春には中国の習近平国家主席が国賓として招かれる見通し。いずれも両陛下と会見することになる見込みだ。宮内庁関係者が言う。「御代替わりを機に、天皇皇后両陛下のもとに世界のリーダーから会見のオファーが殺到している状況です。とりわけ海外の政府関係者は、雅子さまの人気に関心を示しているようです」5月、国賓として訪日したトランプ米大統領をもてなした雅子さま。『ニューヨーク・タイムズ』は、「雅子皇后はスター」と絶賛した。海外王室に詳しいジャーナリストの多賀幹子さんは、雅子さまが脚光を浴びる一因に、皇太子妃時代の苦難への共感があると語る。「15年以上にわたり雅子さまが療養されていたことは、海外でも知られています。ハーバードやオックスフォードに留学され、外交官として活躍したキャリアウーマンが、皇太子妃となってから思うように活躍できなかったことに、海外メディアは非常に同情的なのです」それゆえに今、皇后になられていきいきとされた雅子さまに大きな注目が集まっているというのだ。「マクロン大統領と通訳を介さずに会話し、笑い合う雅子さまのお姿は、“時代が変わった”と実感させるものでした。今後来日する各国の首脳たちも、その光景を目にする相手国の国民も、同じように感じることでしょう」(多賀さん)再び輝いた雅子さまの笑顔が、日本と世界の懸け橋になる――。
2019年07月04日子どもたちの「いらっしゃいませー!」の声に、にっこりとほほ笑まれた雅子さま。天皇皇后両陛下は6月21日、東京都港区の「麻布幼稚園」を訪問。お店屋さんごっこで交流された。「きゅうりを1つお願いできますか」と、明るくお客さん役をなさった雅子さま。しかしその心中には、非常に気がかりなことが――。皇室担当記者が話す。「6月18日の夜、震度6強の地震に襲われた新潟県村上市は、雅子さまの“故郷”なのです」死者こそ出なかったものの、けが人は5県で計28人にのぼったこの震災。津波注意報が発令され、一時は6千人以上が避難する事態になった。最大震度を記録した村上市は、さらなる災難に見舞われていると地元市民は言う。「村上市は、海水浴などで年間200万人以上が訪れる観光地でもあるのですが、市内の宿泊施設ではキャンセルが相次いでいるのです。実際には被害のない施設がほとんどなので、心配せずに足を運んでいただきたいのですが……」村上市は、雅子さまの曾祖父の生家もある、小和田家ゆかりの地。ご成婚まで、雅子さまの本籍も置かれていた。「市の北を流れる三面川の塩引き鮭が名物なのですが、東京に越してからも、小和田家の年越しの食卓には並んでいたそうです。また、雅子さまのご成婚時に定められた“お印”のハマナスは、村上市の市の花でもあるのです。そんな縁の深い土地ですから、雅子さまは今回の震災に心を痛められていることでしょう」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者が明かす。「両陛下は、今年9月に新潟県で開催される国民文化祭にいらっしゃるご予定です。実は新潟県からは、小和田家のゆかりの地である村上市にも足を運んでいただきたいとの申し入れがあったのですが、宮内庁側はその申し出を断っていました。御代替わりの今年は過密スケジュールとなっており、9月には地方ご公務が重なっていたからです。しかし今回の震災で、両陛下の村上市ご訪問が再検討される可能性が出てくると思います。実現すれば、両陛下の即位後初の被災地ご訪問となります。村上市の人々も、とても勇気づけられることでしょう」村上市はこれまで、陛下と雅子さまのご成婚、愛子さまのご誕生、そして今年の改元に際しても、街を上げてお祝いしてきた。祭りの山車・おしゃぎりを繰り出し、提灯行列が街中を練り歩いたのだ。「雅子さまをお招きすることは、村上市民の悲願ともいえます。ご成婚後、まだ公式に村上市を訪問されたことのない雅子さまも、今こそ“故郷の地”に恩返しをするときと思われているはずです」(前出・宮内庁関係者)3カ月後、地震で傷ついた村上の街に笑顔が咲くかもしれない。
2019年06月28日「いまや、悟空は私の分身ですね。宝物です!」そう語るのは、『ドラゴンボール』の悟空を演じ続けて33年の野沢雅子。昨年末に公開された映画『ドラゴンボール超 ブロリー』(初回生産限定・特別限定版<セル>好評発売中。Blu-ray版8,800円、DVD版7,800円ともに税別。<レンタル>好評レンタル中)が世界中で大ヒットを記録し、喜びもひとしお。「びっくりしました。みなさんに悟空が愛されているということがたまらなくうれしいです」ブロリーといえば、世界中にファンを持つ人気キャラクター。戦闘民族サイヤ人のなかでも最強とうたわれるブロリーと、孫悟空&ベジータの壮絶バトルが炸裂する本作。収録中も映画さながら、過酷なものだったと振り返る。「バトルシーンばかりで、始まってからずっと叫びっぱなし。『私、セリフ言った?』という感じでした。ブロリー役の島田敏さんは、収録後に机に突っ伏しちゃったのよ。私は平気でしたけど(笑)」悟空とベジータが融合して生まれる“ゴジータ”のアフレコは、2人の役者が同時に声を当てた。「ベジータ役の堀川りょうさんが絵を見ながら声を当てて、私は堀川さんの口を見て合わせるわけですよ。1回稽古して即本番、でOK!って感じ」長年にわたり同じ役を務め、ギネス世界記録認定された声優界のレジェンド。アフレコの極意を聞くと、「役になりきること」と語る。「私は、演じている間は悟空になりきってますね。絵に入り込んじゃうから。悟空がご飯を奪われちゃうシーンがあったんだけど、私、(自分の食事を取られたような気がして)『ちょっとやめて、取らないで』って言っちゃったの。セリフにはないのに(笑)」
2019年06月17日ハゼの研究者である上皇さま、ナマズや鳥類の研究で知られる秋篠宮さまなど、皇室と生物学は深い結び付きがある。皇后となられた雅子さまにも、実は「動物博士」という一面があった。小学生のころ雅子さまは『ファーブル昆虫記』や『シートン動物記』、『ドリトル先生』シリーズを愛読。小和田家では様々な動物を飼っており、雅子さまは同級生から「動物博士」と呼ばれるほどだったのだ。そんな雅子さまは6年生のときに生物部に入部。卒業文集では「クラブ」という題名で、生物部での思い出を綴られていた。■六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。この日、私たちは、「コジュウケイ」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。肛門から、はさみをいれて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉を取り出します。そのためには、足とつばさを、適当なところから切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗!先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……とても残念!
2019年05月25日陛下が即位された5月1日以降の行事には“フル出席”。ここまで、あふれる自信、堂々たる皇后ぶりで陛下をお支えになっている雅子さまだが、今後は立て続けに大きなご公務に臨まれる。5月22日には皇后となられて初の全国赤十字大会が、5月25日~28日には、国賓として来日するトランプ米大統領の接遇が予定されている。さらに6月1~2日には全国植樹祭ご出席のため愛知県へ。両陛下にとって初の地方行幸啓だ。「非常にハードなスケジュールですが、このところのご体調のよさからすると、雅子さまはすべてに出席されようとするのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)しかし、精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「まだ雅子さまはご療養中であり、回復の途中なのです。たしかに、家族の力になる経験はとても大切で、回復にも繋がります。ただ、すべてのご公務にそろって臨まれなくても、雅子さまの知識を生かしてアドバイスされることも、陛下の支えになるはずです。無理をされずにしっかりとお休みになることも大切です」陛下は今年2月の記者会見でこう述べられた。《雅子にはこれまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております》お二人が支え合っていかれるのが“令和流”の天皇皇后スタイル。26年にわたり培われた絆は、いっそう強くなっていくことだろう。
2019年05月17日2015年1月29日、50歳の若さで逝去したモデル・雅子。4年の歳月が経った今年、モデルとして、女性としての彼女の人生を辿ったドキュメンタリー映画『モデル 雅子 を追う旅』が完成。写真家・安珠が手がけた写真が蘇るメインビジュアルとともに、予告編が公開された。19歳でモデルとしてデビューして以降、誰よりも強いプロ意識を持ち、雑誌「an・an」や「装苑」など時代の最先端で活躍した雅子。役者としてもその才能を開花し、CMや映画『リング』(’98)で貞子の母・山村志津子を演じるなど大きな話題となった。その素顔は、映画とフランスとチョコレートが大好きで、等身大の美しさを大切にするひとりの女性だった。だが、2015年1月29日の夜明け前、モデル・雅子は稀少がん闘病の末に旅立った。そのとき、夫である大岡大介は「夫婦として共に生きながら、モデルとしての雅子をほとんど知らないまま」だったことに気づき、「モデル・雅子」の半生を追い、映画にして伝えてゆくことを決意する。自宅に積まれたままの「雅子」が登場した雑誌やビデオなどを片っ端から調べ、衝動のままに「雅子」を知る人々に、監督としてインタビューを重ねてゆく。数多くの関係者の言葉から、生涯プロフェッショナルのモデルとして貫き通した姿勢と、どんな時代も「身の丈の美しさ」を追求し続けた、ひとりの女性としての「雅子」の輪郭があらためて浮かび上がる。そのあり方はきっと、より健やかにより美しく生きようと志す、現代全ての女性たちへの贈り物になるはず。本作では、俳優で雅子さん出演映画『サヨナラCOLOR』で監督も務めた竹中直人、俳優の高嶋政宏ら生前の雅子さんを知る人々に夫である大岡氏が自らインタビューを敢行。美しさに隠された、愛すべき素顔が明かされる。与えられた環境の中で地に根を張りながら華麗に咲き誇り、花のように生きたひと。彼女の香りは残された人々の中に残っている。今回解禁された本作のメインビジュアルには、写真家・安珠が20年以上前に撮影した、新人時代の雅子さんの写真を使用。椿の花を背景に少女の様な無垢さを感じさせる一方、力強い眼差しで妖艶さも魅せ、その魅力が詰まったビジュアルとなっている。なお、上映劇場のアップリンク吉祥寺では公開日からトークイベントを実施。雅子さんに縁のある豪華なゲストを迎える。『モデル 雅子 を追う旅』は7月26日(金)~8月1日(木)、アップリンク吉祥寺にて1週間限定公開、全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)
2019年05月12日5月4日、天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が行われ、参賀者は14万以上にのぼった。雅子さまをはじめ、女性皇族の方々は美しいローブモンタント姿を披露され、その華やかさに参賀者からは感嘆の声が上がった。令和の時代を迎えた現在、女性皇族は11人。雅子さまをお支えする、新時代のプリンセス11人のプロフィールを一挙に振り返る。■愛子さま天皇皇后両陛下のご長女で、現在学習院女子高等科の3年生。音楽がお好きで、チェロ、バイオリンを演奏される。また、スポーツも得意で、学習院女子中・高等科の校内スポーツ大会ではバスケットボール、ソフトボールで活躍されたという。最近は仲のよいお友達と、文化祭でチアダンスを披露。昨年には英イートン校のサマースクールにも参加し、お一人での初めての海外訪問となった。皇族方が身の回りにつけるシンボル、「お印」はゴヨウツツジ。那須御用邸の周辺に咲いており、「純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」との思いが込められている。■紀子さま秋篠宮さまとは学習院大学の書店で出会い、キャンパスの恋を実らせて’90年にご結婚。アメリカやオーストリアで幼少期を過ごされ、英語やドイツ語も堪能で知られる。悠仁さまのご懐妊中に海外絵本を翻訳されたことも。手話も得意なほか、結核予防会総裁を務められるなど、福祉関係にも尽力されている。今後は皇嗣妃殿下として、重責を担われることになる。お印は檜扇菖蒲(ヒオウギアヤメ)。昭和天皇が那須高原の湿原に美しく咲くヒオウギアヤメの研究をしており、秋篠宮さまも研究を手伝われていたことから選ばれた。■眞子さま上皇陛下と美智子さまの初孫にして、秋篠宮ご夫妻のご長女。国際基督教大学へ進学し、同大学院に在学中。これまで2度のイギリス留学で、博物館学を学ばれた。現在、東京・丸の内にある博物館「インターメディアテク」にお勤めになるとともに、ご公務に臨まれている。今年7月には、南米のペルーとボリビアを公式訪問される予定。昨年、小室圭さんとのご結婚が延期になり、今後が注目される。お印は木香茨(もっこうばら)。秋篠宮ご夫妻がお好きな花で、紀子さまがお選びになった。秋篠宮家の庭に植えられており、初夏に可憐な花を咲かせる。■佳子さまこの春、国際基督教大学をご卒業。高校生のころからダンスがお好きで、最近でもスクールの発表会にも参加して踊りを披露されている。大学では心理学を専攻されたほか、イギリスに9カ月間留学、舞台芸術を学ばれた。これまで手話甲子園や馬術競技大会、スピーチ大会など若い世代の催しに精力的に取り組まれてきた。ご卒業の際の文書回答で、今後はご公務に励まれると表明されている。お印はゆうな。ゆうなとは、ハイビスカスの一種・オオハマボウの沖縄地方での呼称。秋篠宮ご夫妻が九州南部、沖縄県の島々に咲くこの花がお好きで選ばれた。■寬仁親王妃 信子さま「ヒゲの殿下」として親しまれた故・寬仁親王殿下のお妃で麻生太郎氏の妹。一時期の体調不良から快復し、最近はご公務に復帰。数年前は、ご家族と距離を置かれた時期もあった。お印は花桃。■彬子さま寬仁親王殿下と信子さまのご長女。オックスフォード大学に留学し、日本美術のコレクションについて研究された。祖父・三笠宮殿下から続くトルコとの親善役を引き継がれている。お印は雪。■瑶子さま寬仁親王殿下の次女。学習院女子大学時代は体育会系の剣道部で活躍された。ご卒業後、日本赤十字社にお勤めになった。退社後はお姉さまと力を合わせ、公務に務められている。お印は星。■高円宮妃 久子さま47歳の若さで薨去された故・高円宮殿下のお妃。日本サッカー協会など、殿下から多くの名誉総裁を引き継がれ、東京五輪招致の際には、フランス語で見事なスピーチを披露された。お印は扇。■承子さま高円宮殿下と久子さまのご長女。大学卒業後は日本ユニセフの嘱託職員として勤務されている。妹君の典子さんは出雲大社権宮司・千家国麿さんと、絢子さんは日本郵船の社員・守谷慧さんと結婚された。お印は萩。■三笠宮妃 百合子さま3年前に100歳で薨去された三笠宮殿下のお妃。現在最高齢の皇族で、何度か入院されたが、今年の新年一般参賀にもご参列。新婚時代は庶民的な生活をされていた。お印は桐。■常陸宮妃 華子さま上皇陛下の弟宮・常陸宮殿下と前回の東京五輪が開催された’64年にご結婚。若いころからおしゃれで、気さくなお人柄で人気があった。ゴルフ好きでも知られている。お印は石楠花(シャクナゲ)。現在、未婚の女性皇族は6人。上皇上皇后両陛下のご長女・黒田清子さん(50)や、昨年結婚された守谷絢子さん(28)のように、結婚後は皇室から離れられるのか、それとも「女性宮家」として皇室に残られることとなるのか。「女性天皇」「女系天皇」に関する議論も含め、今後の女性皇族方の境遇について、注目が集まる。
2019年05月11日ハーバード大学卒、元外務省職員――と、輝かしい経歴をお持ちの新皇后陛下、雅子さま。その背景には、多感な幼少期を世界各地で過ごされたご経験があった――。父・小和田恒さん(86)は外交官。そのため、雅子さまは1才8カ月のときにはモスクワに移住。4才のときにニューヨークへと引っ越された。現地では、すぐにロシア語や英語をマスターされるなど、語学的な才能を発揮された。明るいご性格でお友達にも恵まれ、日本、米国で学ばれた中学高校時代は、ソフトボールに熱中。成績も大変優秀で、ベルモントハイスクール時代のニックネームは“頭脳”を意味する「ブレイン」だった。一方、中学の卒業文集では夏目雅子さん(享年・27)をもじって「芸名・脱目雅子」と自己紹介するお茶目な一面も。好きな曲は「浪曲、民ようならなんでも!自分で三味線を弾きながら歌うのが最高ヨ!」とも書かれていた。ハーバード大学進学後も、寮のパーティでマイケル・ジャクソンの曲に合わせディスコダンスを披露されるなど、学生生活を謳歌された。真面目なストイックさと、お茶目な一面を持たれる雅子さま。皇后となられた今、国際親善の場で、そのお人柄がより輝かれるに違いない――。
2019年05月07日グラビアアイドルの和久井雅子がこのほど、東京・秋葉原のソフマップで最新イメージDVD&ブルーレイ『ワクワクさせて』(ともに発売中 DVD:4,104円税込 ブルーレイ:5,184円税込 発売元:ラインコミュニケーションズ)の発売記念イベントを行った。2018年1月にOLからグラドルに転身し、同年11月に衝撃の1stDVD『イイコトしたい』をリリースした和久井雅子。清楚なフェイスからは似つかわしくない妖艶な仕草と大胆な露出で、"平成最後の愛人"と呼ばれて人気を呼んでいる。1stDVD以来となる同DVDでは、愛する夫がいながら別の男性と不倫に興じる妻を演じた和久井が、随所で大胆シーンに挑戦するなど、"平成最後の愛人"というキャッチコピーに相応しい1枚となっている。白のビキニ姿で報道陣の取材に応じた和久井は「愛する旦那さんがいながら別の男性と関係を持ってしまうという女性を演じました。関東近郊から離れるのは初めてのお仕事だったので、終始ドキドキしていたのを覚えています」と丁寧な口ぶりで撮影を振り返り、「畳のお部屋で布をまとったシーンは、ストーリーとは関係ないんですけど、光がキレイで印象に残っています」とお気に入りのシーンを紹介した。不倫妻を演じたということで、全体的にどれもセクシーだが、特にセクシーなシーンとして「海辺のシーンはトレンチコートの下に水着を着ていて、旦那ではない男性の前で挑発的に見せつけました。一般の方もいらっしゃる中、コソコソと撮影したのでドキドキしたのを覚えています」と頬を赤らめながら、「ベッドで黒い下着と眼鏡をかけているシーンは、直前にお酒を飲みました。ほろ酔いで素に近く雰囲気もしっとりとしていて色っぽくなっていればと思いながら撮影しました」と語るなど、和久井の素顔が見られる貴重なシーンが収録されているという。"平成最後の愛人"というキャッチコピーで売り出している和久井。奇しくもソフマップでの平成最後のイベントを和久井が飾った。「私は平成6年生まれで、昨年上京してデビューしました。ですから平成は自分の中で準備の年だと思います」と平成を振り返り、「令和になって初めて新しいスタートだと思っています。最近は愛人キャラの方が多い中、私はたまたまタイミング的に平成最後にデビューさせていただきました。令和では自分の色を出して自分だけしか呼んでもらえないキャッチコピーをつけてもらえるように頑張っていきたいです」と決意を新たにしていた。
2019年05月03日苦悩の日々を乗り越え、新皇后となる日を迎えられる雅子さま。宮内庁関係者は、新時代に臨まれるお気持ちは明るいと断言する。「26年前、外務省職員から皇太子妃へ“転身”された雅子さまは、新たなステージで国際親善に取り組むことに大きな使命感を感じていらっしゃいました。最近の雅子さまからは、ご成婚当時と同じくらいポジティブなお気持ちが感じられます。もともと雅子さまは、一度目標を定めると、実現のために努力を惜しまない方。すでに新時代の皇室に向けて思い描いている目標もいくつかお持ちのようです。それを一言で言い表すなら“愛される皇后”を目指すことだと言えるでしょう」この15年あまりはご療養のために公務を休まざるをえず、雅子さま本来の人間性が発揮される場面はあまりなかった。しかし、皇室担当記者はこう説明する。「実は雅子さまはお話し好きでユーモアもお持ちなのです。海外生活が長く語学も堪能でいらっしゃいますから、ご成婚直後に臨まれた宮中晩餐会では、フランス語、英語、ドイツ語を駆使して招待客に話しかけられて海外マスコミの注目も集めました」皇太子さまも一昨年、マレーシアの首相とセルフィー(自撮り)を撮影されるなど、フランクな一面をお見せになっている。「かねてから皇太子さまは会見で、理想の皇室像を“国民の中に入っていく皇室”と表現されていました。天皇皇后両陛下が平成を通じて示された“国民と共にある皇室”よりもさらに一歩国民に近づき、多くの声を聞きたいという思いが感じられます。国民に親しまれ、愛される天皇皇后像へ――。その目標はご夫妻で話し合われたものでしょう」(皇室担当記者)雅子さまの目標とする“愛される皇后”への思いの根底には、ご自身が苦しまれた経験があると、精神科医で立教大学教授の香山リカさんは語る。「ご出産と子育てで悩まれ、適応障害で長期療養されてきた経験があるからこそ、災害の被災者や障害のある方など様々な立場の人々の苦難にも深く共感できるはずです。そういった方々にお会いになることで、社会問題に光を当て国民の関心を生むことも、皇后として大切なお務めだと思います」
2019年04月30日昨年12月9日、雅子さまは55歳の誕生日に際してのご感想文書にこう記された。《地球温暖化や環境汚染など、国際社会が一致して取り組む必要のある課題が多岐にわたっています》《このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます》国際親善を目指された雅子さまだったが、この15年で海外訪問の機会はわずかに3回しかなかった。そのうち1回はご療養のためのオランダ訪問だ。それでも、雅子さまは世界の環境破壊や貧困に関心を持ち続け、専門家のご進講も皇太子さまとそろって受けられてきた。雅子さまは“世界に愛される皇后”も目指されているのだ。ただ、雅子さまの思いは皇室に入られた26年前とは少し違うと語るのは宮内庁関係者。「いちばんの違いは、26年間にわたり美智子さまのなさりようをずっとご覧になってきたことです。被災地への激励、戦地での慰霊をはじめ、美智子さまは国民に寄り添う心を常に一つ一つのお言葉やお気遣いで体現されてきました。皇后として、天皇を支える立場として、国民のためにできることは何か――。雅子さまは皇后になる日を見据えて、誰よりも真剣に悩み、考えてこられたはずです」皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも、雅子さまへの期待を語る。「美智子さまは、子や孫の世代に戦争体験を継承していくことで、平和の大切さを訴えてこられました。雅子さまは戦争を経験した世代ではありませんが、その思いを皇太子さまとともに受け継いでいかれると信じています」昨年、雅子さまが15年ぶりに出席された「全国赤十字大会」では、最後の場面で美智子さまが雅子さまの腕をとり、会場に紹介された。皇后にとって唯一の役職である日本赤十字社名誉総裁の“バトンタッチ”が話題になった。今年の大会は、雅子さまが新皇后になられた直後の5月中に開かれるとみられている。「今年から皇后としてその場所に立たれる雅子さまは、美智子さまに“令和の奮闘”を約束されていることでしょう」(宮内庁関係者)4月に刊行された「水問題」についての講演をまとめた著書『水運史から世界の水へ』(NHK出版)の序章に、皇太子さまはこう記されている。《私の水に対する関心に、いつも理解と協力をしてくれている妻の雅子にも感謝の気持ちを伝えたいと思います》固い絆で結ばれた令和の御代の天皇陛下と、愛子さまとともに……。雅子さまは新時代の“愛される皇后”を目指される。
2019年04月30日平成の即位の礼での装束を身にまとわれた、天皇陛下と美智子さま。そのお写真を、雅子さまはじっと見つめられていた――。5月1日の新天皇即位を間近に控え、皇太子ご夫妻は4月24日、東京・上野の東京国立博物館で開催されていた天皇陛下の即位30年を記念した特別展「両陛下と文化交流―平成の日本美を伝える―」を鑑賞されていた。「展覧会で、陛下、そして美智子さまの足跡をご覧になり、雅子さまもいよいよ新皇后になられる実感を抱かれたことでしょう。クリーム色のスーツをお召しになった雅子さまは、報道陣の前でも堂々とされていると感じました。皇后になる日が近づくにつれ、雅子さまのご表情は日に日に明るくなっています」(皇室担当記者)ご体調が劇的に上向いた理由として「愛子さまのご成長が大きい」と語るのは宮内庁関係者。「雅子さまの適応障害の根本には“お世継ぎ”の問題がありました。不妊治療と流産を乗り越え、’01年12月に愛子さまが誕生されたことは皇太子ご夫妻にとって至上の喜びでした。しかし’03年6月、当時の宮内庁長官は定例会見で『やはりもう一人は欲しい』『多くの国民もそう考えているのではないか』と発言。雅子さまにとっては、愛子さまの存在までも否定されたように感じられたことでしょう。半年後に帯状疱疹で入院され長期にわたるご療養に入り、その後、適応障害と診断されたのです」雅子さまはたっぷりと愛情を注ぎ愛子さまを育てられたが、学習院初等科2年生のときにはほとんど登校ができない状態になってしまう。その後も愛子さまの不規則な登校は続いた。実は、愛子さまが小学4年生だった’11年の秋ごろ、雅子さまは親しい知人にこう語っていた。「愛子には愛子の人生があり、皇室に生まれた運命、持って生まれた運命というものがあります。もちろん親としての娘の人生への希望はありますが、私どもの気持ちだけで、あの子の運命を、どうこうするわけにはいかないのです」逡巡する口ぶりから、愛娘の未来を憂う雅子さまの苦悩が伝わってくる。「いずれは“天皇の娘”となられるお立場なのに、皇位継承権を持たない愛子さま。一方で女性宮家創設案も浮上しており、どう育てていくべきか思い悩んでいらしたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)しかし、一昨年に学習院女子高等科に進学されてからの愛子さまは、雅子さまを驚かせるほどの急成長を見せられた。「学校では社交的になられ、昨年の文化祭ではご友人たちとチームを組んでダンスを披露されました。さらにステージの司会もお務めになって会場を盛り上げたのです。東宮御所を訪れた外国の要人との懇談に参加され、英語でお話しされたこともあります。昨年の夏には英イートン校への短期留学も経験されています」(前出・宮内庁関係者)4月14日の「オール学習院の集い」でも、皇太子ご一家の仲睦まじいご様子が目撃されている。「盲導犬協会のブースで、雅子さまは愛子さまを促され、募金やお声がけのアドバイスをされていました。積極的に公の場でのなさりようを“特訓”されているようでした」(学習院関係者)雅子さまと愛子さまのまなざしは、新しい時代を見据えている。「娘に皇室に生きる運命を背負わせてしまったことに、ご体調が悪いころの雅子さまは自責の念を抱かれていたと思います。しかし愛子さまは皇族としての役割を受け止め、お立場を自覚されたのです。雅子さまはその成長に驚き、涙されたことでしょう。皇室に嫁ぎ、愛子さまを産んでよかった……。心からそう思えるようになったことで、雅子さまは笑顔を取り戻されたのです」(皇室ジャーナリスト)
2019年04月30日2月23日、皇太子さまは59歳の誕生日を迎えられた。会見のなかで記者からは、新皇后となられる雅子さまについて「どういった内容でご公務、ご活動をされていってほしいとお考えでしょうか」と質問があった。しかし皇太子さまは、《今具体的にどういうものかということは、お答えできないのですけれども》と、明確な言及を避けられた。2月25、26日には天皇陛下のご即位30年を祝う茶会が開催されたが、雅子さまは欠席された。精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「いよいよ皇太子さまのご即位が近づき、雅子さまにとって『皇后』という言葉は大きなプレッシャーとなっているのかもしれません。一般の方ならば、適応障害であったとしてもリワーク(慣らし出勤)という形で段階的に仕事復帰ができます。しかし皇后になられる雅子さまは、一夜にしてお立場が変わってしまいます。皇太子さまはご即位後に、国際的に活躍される皇后・雅子さまを実現するためにも、今は雅子さまのプレッシャーになるようなご言動は避けられていると思います」今回は皇太子さまにとって、平成最後の会見だった。「宮内記者会は再三にわたり『雅子さまのご同席』を要望したのですが、実現しませんでした。雅子さまの記者会見は、ご病気になられて以来15年間、一度も行われていません。昨年6月の皇太子ご夫妻の銀婚式や、12月の雅子さまの誕生日にも会見を要請しましたが、宮内庁は聞き入れませんでした。お代替わりまで雅子さまの会見は“お預け”となってしまいました」(皇室担当記者)さらに前出の皇室担当記者は、愛子さまの近況を心配する。「この4月から学習院女子高等科の3年生になられる愛子さまですが、最近は学校をお休みがちなのです。愛子さまの体調不良も、雅子さまにとって不安要素になっているはずです」お代替わりとなる5月には、さっそくいくつもの重責が雅子さまを待っている。「宮内庁は、皇太子さまのご即位から数日以内に一般参賀を開催することを検討しています。新天皇皇后両陛下が国民の前に姿を見せられる初めての機会となるため、雅子さまが欠席されるわけにはいきません」(前出・皇室担当記者)2月22日午後には、安倍首相が東宮御所を訪問。お代替わりのスケジュールとともに国内外の情勢について報告したという。「首相が皇太子さまに直接説明するのは極めて異例です。安倍首相は5月26~28日の日程で調整が進んでいるトランプ米大統領の訪日についても報告したはずです。新天皇皇后にとっては外国首脳との初会談。しかも国賓待遇ですので宮中晩餐会も催されることになります。その様子は世界中に報道されるでしょうから、新天皇皇后の国際的な“お披露目”になるでしょう。雅子さまの語学力や外交的な知見が大統領相手にいかんなく発揮されれば、今後の『新しいご公務』への道も一気に拓けるかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)新皇后となられるまであと2カ月。雅子さまは皇太子さまとともに、この重圧をはねのけることもできるはずだ――。
2019年03月01日《大君と母宮の愛でし御園生の白樺冴ゆる朝の光に》1月16日、歌会始の儀で発表された雅子さまのお歌である。天皇陛下と美智子さまが皇太子ご夫妻だったころ、お住まいだった東宮御所の庭に育てられた白樺が題材となっている。両陛下への感謝がこめられたお歌だったが、歌会始の儀が催された皇居宮殿「松の間」に雅子さまの姿はなかった。「両陛下が出席されてお歌を披露される歌会始は今回が最後です。’04年以降欠席されている雅子さまは、今年こそは出席したいという思いも強かったはずですが、7日に出席された昭和天皇三十年式年祭の翌日から体調を崩されてしまったのです」(宮内庁関係者)その後も発熱が続き、11日の講書始の儀、そして歌会始の儀も出席を控えられた。雅子さまにとっては悲痛な新年となってしまった。しかし、お代替わり後、新皇后の雅子さまを待ち受ける儀式やご公務の“試練”はさらに重い。5月から11月まで即位関連行事が半年以上にわたって続く。また、両陛下から引き継がれる重要なご公務も目白押しなのだ。「さらに安倍政権は、5~6月中に来日するトランプ米大統領と新天皇皇后両陛下の会見を計画しています。これほどの“過密日程”では、雅子さまがすべてのご公務に出席されるのは不可能に近いでしょう」(皇室担当記者)精神科医で立教大学教授の香山リカさんはこう語る。「雅子さまは適応障害で長期ご静養に入られて15年です。現在はかなり回復されていますが、ご病気になられる前の状態に戻られたとは言えません。雅子さまは新皇后になられてから役割を全うするために努力されると思います。しかし重圧も大きく、お疲れがたまります。いつ調子を崩されてもおかしくはないのです」雅子さまが適応障害と診断されて長期ご療養に入られたのは、’03年12月のこと。その半年後、皇太子さまが行動を起こされたことがある。雅子さまのお出ましが完全に途絶え、国民から心配の声が上がるなか、翌年5月の会見でこのように発言されたのだ。《雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です》“お世継ぎ”となる男子を産めなかったのに、海外訪問ばかりを望み、公務を休み続けている――。そうしたバッシングに心を痛めていた雅子さまを守るためになさった“人格否定発言”だった。しかし、このご発言は国民に衝撃を与えたばかりか、両陛下も困惑を示されることになった。秋篠宮さまは《せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったか》と皇太子さまに苦言を呈された。それから皇太子さまは論争を呼ぶような発言は控えられるようになり、雅子さまのご体調は「東宮職医師団」が毎年1回、文書で発表するだけになった。「宮内庁はこの15年間、体調には波がおありだと繰り返し発表しましたが、もう少し具体的な説明があってもよかったでしょう。雅子さまには、ご自身が国民の前でご症状について語られるには、少なからず恐怖があったはずです。一度でいいので、皇太子さまが国民の前でその説明をなさってもいいと思います」(香山さん)2月23日に59歳の誕生日を迎えられる皇太子さまは、例年のように会見に臨まれる。お代替わり前の会見は、この1回きりだ。“最後のチャンス”に、皇太子さまが再び立ち上がるのではと語るのは皇室ジャーナリスト。「現在は毎月、天皇陛下、秋篠宮さまとの“三者会談”が開かれています。お代替わりに向けた話し合いのなかで、皇太子さまは雅子さまのご体調についてもしっかり説明なさっていると思われます。今回は15年前とは異なり、お二方からの後押しもあるでしょうから、きっと雅子さまの不安を取り除く結果になるはずです」
2019年01月24日12月9日に55歳の誕生日を迎えられた雅子さま。皇后となられる日を5カ月後に控え、文書の中で決意を述べられた。お代替わりが近づくにつれて“新皇后”への期待が高まるなか、雅子さまを勇気づけているのが愛子さまのご成長だ。学習院女子高等科への入学直後には学校をお休みになることも多かった愛子さまだが、最近は活発なご様子が伝わってくる。11月の文化祭ではダンスも披露。ベラ・ソーンの『Call it whatever』とアヴリル・ラヴィーンの『What the hell』の2曲を踊られたという。「ダンス公演は観客が殺到して会場がパニックになるほどでした。そういった人気もさることながら、愛子さまの“人間性”も尊敬を集めています。中等科の卒業文集では『世界の平和を願って』という感動的な作文を書かれています。愛子さまは、戦地への“慰霊の旅”を続けられた天皇陛下や美智子さまのお考えも、しっかり学ばれているのだと思います」(学習院関係者)愛子さまは12月1日に17歳の誕生日を迎えられた。するとTwitter上でも《聡明な愛子さまに継がれてほしい》《早く愛子さまが天皇になれるようにしてほしい》といったツイートが。愛子さまに“待望論”が浮上しているのだ。このまま“男系男子”が維持されれば、秋篠宮さま、そして悠仁さまが将来の天皇になられる。それでも高まる“愛子さまを天皇に”の声。ただ、雅子さまは文書の中でこう述べられた。《私自身の経験からも、この年齢での経験というものは、その後の人生にとっても貴重な財産になるのではないかと思います》高校時代の雅子さまは、アイスホッケーの大ファンでご友人と観戦に通われていた。高校2年生でアメリカ・ボストン郊外の高校に転校されるとソフトボール部で大活躍。現地の新聞の一面に名前が載ったこともあった。「お言葉には、皇族として著しく成長されている愛子さまにも、ご自身と同じように“普通の高校生としての経験”をしてほしいという切実な思いが感じられます。眞子さまの件もあり、女性皇族の結婚のハードルはただでさえ上がっています。雅子さま自身も“お妃候補”として世間に取り沙汰されて悩まれた経験をお持ちです。愛子さまには1人の女性として、落ち着いて愛を育んでほしいと心の奥で望んでいらっしゃるでしょう」(宮内庁関係者)雅子さまは、母の戸惑いを隠されて、皇后へのご準備を続けられる。
2018年12月14日11月16日、秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。雅子さまは15年ぶりに園遊会全行程へ出席された。雅子さまがひときわ熱心に話されたのが、パラノルディックスキーの新田佳浩選手(38)と妻、知紗子さん(41)だった。新田選手は平昌パラリンピックのクロスカントリースキーで金と銀の2つのメダルを獲得している。’14年のソチ大会でメダルを獲得できなかった新田選手は、国内外に遠征する日々を続けた。その結果、家に戻るのは1年の3分の1だけになった。妻の知紗子さんは寂しがる長男、大翔くん(7)と次男の健翔くん(5)がかわいそうで泣くことも多かったという。しかし夫の固い意志を尊重し、夫が家族と交わした金メダルの約束を信じて家庭を支え続けてきた。雅子さまはその事情をご存じだったようで、新田選手夫妻に「メダルを取ったときに、(新田選手が)お子さまたち2人を抱きかかえていらっしゃいましたね」と、ほほ笑みながらお声がけされた。知紗子さんについては、「ご家族のサポート大変でしたね」と労われた。そのお言葉に、知紗子さんは「主人にとって家が帰ってきたい場所であるように、ただそれだけを務めさせていただきました」と答えた。すると雅子さまは、感心するようなご表情でおっしゃったのだ。「そうですね。それが一番ですよね」知紗子さんの“家庭を支える姿”に雅子さまは深く共感されたのではないかと、このご交流を知った前出の宮内庁関係者は語る。「雅子さまは今まさに“新皇后スタイル”を模索されています。お代替わりが近づくにつれて“新皇后が第一にすべきは天皇の妻として皇室を支えること”という思いが日に日に強まっているのではないでしょうか。かつてキャリアウーマン出身の皇太子妃として注目された雅子さまのイメージからは意外に思えます。外交官のキャリアを活かし、世界の貧困問題に取り組みたいお気持ちも変わっていないはずです。しかし今は、皇太子さまも願われる家庭の幸福こそが人と人とのつながりの基礎となり、ひいては平和の礎となるとお考えになられているのでしょう」美智子さまは常に陛下に付き添い、さらに皇后単独のお出ましも増やされて“平成流”を進められた。雅子さまは次の時代の皇后として、美智子さまと違うスタイルを模索されているのだ。皇室担当記者もこう考える。「雅子さまは園遊会直前に、1泊2日の山形ご訪問を見送られました。園遊会のために体調を整えられる必要があったのです。つまり、ご快復著しい雅子さまですが、依然としてご公務の“取捨選択”が必要な状況なのです。お代替わりはもう半年後。皇太子さまのサポートが最優先だとお考えになられたのでしょう」来年は即位の儀式などで、皇太子さまにとって多忙極まりない1年になることは間違いない。まずは新天皇をお支えすることから始めたい――。それこそが、新皇后となられる雅子さまの決意なのだ。
2018年11月14日「母国で開催される東京パラリンピックですし、活躍を楽しみにしています」雅子さまが、平昌パラリンピックのスノーボード金メダリストの成田緑夢選手(24)に、はつらつとした笑顔で話しかけられた。走り高跳びで東京での出場も目指している成田選手はこう語った。「お体を心配していたのですが、雅子さまはとても覇気のある話し方でいらっしゃいました。本当に元気が出ました。頑張ります!」11月9日、天皇皇后両陛下主催による秋の園遊会が東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。平成最後となった園遊会はあいにくの雨模様だったが、その雨が相合い傘で歩かれる両陛下の仲むつまじさを際立たせた。そして両陛下の有終を飾る大きなサプライズが、雅子さまの園遊会全行程へのご出席だった。これは実に15年ぶりのことだ。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんは感慨深げに話す。「雅子さまは、明るい黄色のお召し物に負けないくらい、とてもお元気そうなご表情でした。来年の園遊会はお代替わりの行事が多いので、春・秋とも行われない予定ですが、再来年からは雅子さまご自身が園遊会の主催者になられます。お手本になる美智子さまのお姿もしっかりとご覧になったはずです。皇后になられてからも、今回と同じように立派にお務めになるでしょう」雅子さまが和服をお召しになっていたことが、さらに驚きだったと言うのは皇室担当記者。「雅子さまは適応障害になられてから、和服でのお出ましを非常に苦手にされています。所作にも気を遣う必要があり、緊張をさらに高めてしまうからです。雨で足元も悪いコースを和服で歩かれながら招待者と歓談されるのは、決して楽なことではなかったと思います。それでも雅子さまは見事にまっとうされました」今回、和服でのご出席となった背景を宮内庁関係者が明かす。「平成最後の園遊会は和服にしますと、美智子さまが女性の皇族方に連絡されたそうです。雅子さまはそのお気持ちをお察しになって、美智子さまの花道を飾るために、最後まで笑顔で頑張られたのです」和服をお召しになって15年ぶりの“フル出席”。そこには雅子さまの奮起があった――。
2018年11月14日水谷雅子の新刊が間もなく発売へ2018年11月22日、双葉社から、『水谷雅子Beauty Book』が発売される。50歳を迎えた美魔女 水谷雅子が、老けて見えないメイク術やスキンケアのポイントなどを明かす。イメージ写真が豊富で、読みやすい1冊となっている。いつまでも若々しく、美しくあり続けたいと願う、全ての女性にオススメだ。水谷雅子は、オフィシャルブログの中で、同書への思いを次のように綴っている。50歳の記念になる本に仕上がりました。美に諦めがちな方も是非!自分にスイッチを入れて頂きたいです!(水谷雅子オフィシャルブログより)販売価格は1,620円。Amazon.co.jpなどで予約を受け付けている。50歳を迎えても美しい 水谷雅子水谷雅子は1968年9月15日生まれ。愛知県出身。身長は162cm、体重は47kg。「20代に見える40代」として、日本だけでなくアジアでも話題に。43歳のときに初出版をして、今年で50歳を迎える。趣味には、 オリジナル小物作り、美容&コスメ、ネイルなどを挙げる。『自宅で簡単セルフビューティー 水谷式頭皮エステ』、『食材で作るジャムウ式若肌フェイスパック』など著書多数。『水谷式ビューティーメソッド』と『水谷式仙人体操』のDVDも出版している。(画像は水谷雅子オフィシャルブログより)【参考】※水谷雅子オフィシャルブログ※水谷雅子オフィシャルサイト※Amazon.co.jp
2018年11月11日雅子さまは、被災者代表の前列で車椅子に座っていた古賀チトセさん(97)の前でしゃがみ、目の高さを揃えて少し話された後、両手でチトセさんの手を包まれた。「冷たいですね。大丈夫ですか?」しばらくすると皇太子さまも、雅子さまの手の上から手を重ねられた。お二人でチトセさんの手を温めながら、2分ほど歓談された。「天にも昇る気持ちで、私は本当に幸福者でした」目を潤ませるチトセさんは、昨年7月の九州北部豪雨の被災者。1泊2日で福岡県を訪問された皇太子ご夫妻は、2日目の9月26日には朝倉市の仮設住宅を訪れ、被災者をお見舞いに。ご夫妻は被災者代表一人ひとりとお話しされて、ご出発の予定を15分オーバーしてもさらにご懇談を続けられた。福岡ご訪問では、新宮町の障害児施設を訪問され、『世界社会科学フォーラム』の開会式とレセプションにもそろってご出席。1泊2日のご予定を完全にこなされた翌日、都内で「国際青年交流会議」の開会式にも出席された。さらに皇室ジャーナリストは、雅子さまの“ご快復”エピソードを明かす。「福岡ご訪問前の21日に、皇太子ご夫妻が訪れた墨田区の高齢者施設『東京清風園』での出来事です。入所者からアルパカのマスコットをプレゼントされた雅子さまが報道陣の前を通るとき、嬉しそうにそれをカメラのほうに向けられたのです。雅子さまは記者たちに『もらっちゃったわ』というような口の動きでほほ笑まれました。カメラに対する苦手意識を強く持っていらっしゃったとは思えないほどリラックスされていて、本来の雅子さまらしい、はつらつさが感じられて、お元気だった頃を思い出して感動してしまうほどでした」雅子さまの長期療養は’03年12月、帯状疱疹で入院されたことに始まる。40歳の誕生日を迎える5日前の出来事だった。適応障害という病名が診断された雅子さまはその後、1年に数回しかお出ましになれない期間が長く続く。「東宮職医師団は、雅子さまのストレス軽減を目的に薬物治療を施しました。その副作用で日中に眠気を催されることも少なくありませんでした。睡眠障害といっても過言ではありません。その影響もあり深夜の散策が日課となった雅子さまは昼夜逆転の生活を送られていた時期もありました。当然起床は遅くなり、皇太子さまとは別々に朝食を摂られることも多かったのです」(前出・皇室ジャーナリスト)しかし雅子さまはそういった状態から脱却され、快復に向かわれていると、宮内庁関係者が言う。「雅子さまが闘病を始められてから今年12月で丸15年になります。その節目に適応障害とは決別したいという、強い意志を持っていらっしゃるようです。最近は生活リズムも皇太子さまとほとんど変わらなくなりました。以前はご公務よりも私的な外出が多いことに批判の声もあった雅子さまですが、現在は日々の生活から“ご公務ファースト”の姿勢を貫かれているのです。毎年12月9日、雅子さまのお誕生日には東宮職医師団による病状の見解が発表されています。55歳になられる今年は、限りなく完全快復に近い診断書が出されるかもしれません」精神科医で立教大教授の香山リカさんも、雅子さまは「劇的に快復されている」と太鼓判を押す。「ご公務の出席も、雅子さまご自身でしっかりと計画を立てていらっしゃるはずです。お薬に関しても、朝昼夜と定期的に服用される必要はなくなっているでしょう。不安なときに、念のため携行されるのみではないでしょうか。皇后として、ご公務を怠ることなくお務めになるという目標には、かなり近づいていらっしゃるとみていいでしょう。一般の診断書でいえば定時の職場復帰は可能、つまり『復職可能』という段階です。無理は禁物ですが、ご公務ができていることが自信になり、さらに快復が期待できる状況だと思います」15年続いた闘病の日々を忘れさせるような秋晴れの笑顔。これからはもう、曇ることはないはずだ。
2018年10月04日